絶対演劇コロック<4>「フィルマ/フォルマ/火の車」

絶対演劇コロック<4>「フィルマ/フォルマ/火の車」『ヴィトカッツイをめぐるパッサ−ジュ』

(Nov.92 於/両国シアタ−X(カイ)/に加筆校正)

討議 ヴォイチェフ・クルコフスキ(ワルシャワ現代美術センタ−館長「アカデミア・ルフ」演出家)

関口時正(ポ−ランド文学者・東京外国語大学助教授)

内野儀(演劇批評家・東京大学助教授)

海上宏美(オスト・オルガン演出家) 清水唯史(クアトロ・ガトス演出家)

司会 豊島重之(モレキュラ−演出家)

通訳 石川グラジナ(東京外国語大学・ポ−ランド語講師)

関口時正(前記)

(1)「2」をめぐるフォルマの思考

豊島 かつて1920年代ブ−ムの一端としてヴィトカッツイが日本に紹介されたことがあって、それはどういうものだったかと言うと、例えば不条理演劇の先駆、稀代のマルチ・メディア・ア−ティスト、文化人類学者マリノフスキの思想に影響を与えた男とか、それこそジャンキ−の側面を誇張してアルト−的な狂気の画家だとかいうような捉え方だったわけです。今回、私達はそれらとは全く違ったヴィトッカツイ像を提出したいと考えます。いま上演されたばかりのモレキュラ−の舞台にもその糸口が見出せるかもしれません。というのも、ヴィトカッツイの「肖像画商会定款」いわゆる「規約」をテクストに用いたものだったからです。しかもテクストを2つ用いている。松本小四郎氏の邦訳と、ここにおられる関口時正氏の邦訳の2つ。松本訳はフランス語訳からの転訳、関口訳のほうはポ−ランド語原文からのダイレクトな翻訳です。読み較べてみると、無視できる違いもあれば無視できない違いも散見されて、それなりに興味深い。でもここで重要なのは、あくまでも上演テクストとして2つの翻訳が同時進行するということです。テクストが2度ずつ語り継がれるということ。それに即応する形でタブロ−の動きも2度行われたり、前後2面のラティスも2度構図を変えるというように、舞台上のエレメントも「2度性=トワイスネス」の反復ということに規定されていく。このトワイスネスこそ絶対演劇の特異点と言うべきものなのですが、それをヴィトカッツイのテクストから抽出することができると考えたわけです。そこに私の関心があるのですが、海上さんの場合はヴィトカッツイへの現在的な関心をどこに置いているんでしょうか。

海上 ヴィトカッツイには戯曲・肖像画・写真・小説・評論と色々ありますが、戯曲ということで考えてみる時に、端的に言って内面が欠如した登場人物たちが出てくる、理由も説明されないような描かれ方をする。当然そこで何が浮かび上がってくるかと言うと、戯曲というものの形式とか、登場人物の形式、しかもそれが殊更、自己言及的にならない形で浮かび上がってくる。彼が言っていた純粋形式=チスタ・フォルマの一端がそこにあると理解することができます。ヴィトカッツイ自身は純粋形式という思考の形が、戯曲なり肖像画なり写真に成就されたとは思ってなかったわけですけど。形式という、フォルマ=形という言葉を彼は使っているわけですが、形の問題、形式の問題というのは古くて新しい問題であって、今更と感じる方もいるでしょうが、解決済みと言うことはできない。どういう語り口で、あるいはどういう切り口で、その「形に向かう思考」というものをもう一度捉え返すことができるか、というのは常に現在的な問題であるし、そのことがヴィトカッツイにおいて、より徹底した思考で問われているというふうに言えると思います。形とそのもの、それがどういう在り方をしているのか。絶対演劇の考え方でいけば、それは固有の名前とそのものであるとか、名前と固有物、そういう風に捉えることができます。しかも固有名と固有物というものが隣りあっている、2つのものが隣接しているという言い方を私はします。豊島さんは2度性の反復ということで「2」を取り出したのですが、私の場合、あくまで「2」というのは隣接=パラタクシス/コンティギュイティという事態であって、それは自ずと「形についての思考」であることは間違いないわけです。そこにはヴィトカッツイの純粋形式と基本的には同質の問題があるだろうと思っています。

豊島 いま言われたフォルマの思考というのは、よく噛みしめてみなくてはならない論点だと思います。というのも、およそ演劇の形式と内容というものを理念としてはたえず相互規定的に、しかし実状としてはきまって相互隠蔽的に取り行ってきたのが、これまでの演劇史というものだったからです。従って物と名、内容と形式は切り離し得ない不可分のものとして前提されてしまい、結局は内容重視、形式は放っておいてもついてくるという錯覚さえ横行する。そこでは内容の変転なり成熟なり個別化だけが関心事であって、形式はいわば無意識のような扱いとなるわけです。一方、メタシアタ−とか自己言及の演劇、あるいはベケット風・グロトフスキ風のミニマルシアタ−といった一見、形式重視に見えるものもないわけではなかった。ところが私に言わせれば、それらは全て内容の転倒か、内容的不徹底さへの異議、一口に言って反内容の動きでしかなく、たちまち内容の強化につながるものでしかなかった。いずれにしろ、フォルマの思考を一切欠落させたまま現在に至ったと考えるべきなんですね。

そこでヴィトカッツイ独特のフォルマの思考を、戯曲上の内面の欠如や時空間の非連続に見出せるという指摘はよく分かるんですが、隣接の「2」というくだりは即座には分かりにくい。例えばこういうことでしょうか。ここに1個のりんごがあって、それを絵に描くとする。その際、絵の中に同じりんごが2つ描かれることになる。一方がりんごという物で、もう一方がりんごという名。なぜそうするのか。そうしないと絵のフォルマというか絵の事実性が見失われるからですね。これが1つのりんごだけだと、物の中に名が身を潜め、名のもとに物が見えなくなる。ふつう私達の考える絵とはこうした相互隠蔽性に強いられたもののことです。ところが実際に私達の目の前にあるのは、絵という物と絵という名、つまり2つある。絵は実は2つあるわけです。同じりんごを2つ描く、2度描くことで、そうした即物的かつ形式的な事態を可視化することができる、そういうふうに考えたらいいと思うんですが。

付け加えて言えば、私は20年程前に、1つの絵に同じモチ−フを2つ描くという「モノモノ派」と称する小さな美術運動を起こしたことがあります。その時は、一方が描かれた実在即ち表象体、もう一方が描く実在もしくは描くという実在行為、即ち表象者・表象行為であると。極論すれば、実在と表象の二元論は誤りであって、実在というのは本当は空虚の別名ではないか、むしろ全ては表象なのではないか。そうすることによって逆に、描く側のみならず観る側の表象意識なるものにバッテンをつけて、それがどんなに危ういものであるか示したかったわけです。このかつての「モノモノ派」の場合もりんごが2つ描かれる点は同じですが、現在の「絶対演劇派」の場合とどこが違うかと言うと、それこそさっき海上さんがチラリとふれた自己言及の有る無し、即ちモノモノ派の「2」には自己言及があるが、絶演派の「2」はヴィトカッツイと同様それを排している、そこが見落としてはならない大きな違いだと思う。ともかく舞台上に同じりんごが2つ登場することで、演る側と観る側との間にある相互規定性や相互隠蔽性といった暗黙の事態が、少なくとも露呈してしまうのは確かです。

関口 2つのりんごが描かれた絵を観て、どっちが固有名で、どっちが固有物なのか、どういうふうに区別するんですか。

豊島 それは区別しようがないし、区別する必要もないでしょう。

関口 じゃ例えば、1個のりんごを描いた絵の隣りに、その素材となったりんごの本物を置く。そしてその全体を観る者がいる。そうしたほうが解りやすいのではないですか。

海上 それだと切り口というのが失くなる。つまり1つでいい処を2つ描くことで顕われてくる切り口があって、例えばそれが絵画の形式だという理解なんです。

関口 観る人はそれが1つでなく、2つだという情報をどこから得るんですか。題名に「1個のりんご」とでも書くんですかね。

海上 私がやろうとしているのはパラタクシス=隣接ということですから、「2つあるよ」という題名になります。

豊島 関口さんとしては、同じようなテクストが2つ登場する舞台にどんな感触を持たれましたか?

関口 そうですね‥‥。面白いと思います。あるテクストを基にした演劇を上演するというので来てみたら、そのテクストが2種類ある。どちらが重要だとか重要じゃないとかいった扱いではなく、そのままナマな形で同時に並べられている。そうと知ったら観た人は面白いと思うのではないか。ただ、それが出し物全体から受ける感動とうまく結びつけばの話ですけど。

(2)「多=一」をめぐるフィルマの臨界

豊島 今度は清水さんに、ヴィトカッツイへの現在的関心について?

清水 前三回のコロックにおいてヴィトカッツイとアルト−の肖像画の描き方の違いということがまず見えてきて、描き方の違いというより、出てきたものの違いといった方がいいのかもしれないですけど。その時にヴィトカッツイというのは、内的なものを外在化させて、それを形式として倒錯させるみたいなことが出てきたと思うんですね。僕の考えでは、その問題は、ヴィトカッツイと肖像画商会の商会自体との関係性の問題に通じるのではないか。あるいは商会での様々な実践、「当商会」と言ってもヴィトカッツイただ一人しかいないわけですよね、それとか。ヴィトカッツイがザコパネからワルシャワに出てくる時に、確か電報で私が来たって言わずに会社が来たっていう言い方をする、そういう処に意外と重要な問題がある気がします。

モレキュラ−の今日の舞台を観て、そのことに関係するようなことを思ったんです。どういうことかと言うと、僕はこの舞台をポ−ランドで観ているわけですけど、その時は事情があって側方から、舞台の側方から観ていて、この上演には統覚ってものがまるでないと感じたんです。俳優の動きなり何なりが本当にバラバラに見えた。ところが今回、客席から、つまり正面からこの上演を観た時に、統覚があるというように思ったんですね。この違いは何なのか、自分の中でまだうまく処理されてないけれども。同じ舞台の2つの上演、側方性と正面性における統覚の有無、そのことは実は今の問題、つまり当商会という外在化の形式、内的なものを形式として倒錯させるヴィトカッツイ独特の思考と関係してるんじゃないか。あるいはチスタ・フォルマという問題と関係しないかどうかってことですね。形式とか統覚とか、形式を統覚しているというか、どこにそれがあるのかないのか、あるいは分裂してるのか微細にフラグメントになってるのか。そういう処が僕のヴィトカッツイへの関心のありどころです。言い換えれば、モレキュラ−とヴィトカッツイを並べてみた時にそういうことが見えてきたわけです。

豊島 今のお話には注目すべき論点が二つあったと思うんです。一つはヴィトカッツイの商会=フィルマには何かただならぬものがあるということ。彼自身がフィルマだというのは、他者との苛酷な向きあい方、それがフィルマなんですね。さっきの舞台に出てきた通り、全17条の商会規約の一つ一つがヴィトカッツイその人であると、その一条一条がいわば彼の戦場における武器なんだと。これはあとからつけた解釈ではなく、はなから彼自身がそう言明している。だから、フィルマ的存在とはまるで戦闘マシ−ンか、何か凶暴な生き物みたいな気さえしてくる。清水さんの指摘はそこに結びついていると思います。

もう一つは、そういったフィルマに基づく上演を正面から観た場合の統覚というものが、側方から観るとバラバラに解体してしまう、フラグメント化してしまうのはなぜかということです。これは、観ることのパ−スペクティヴにあってはごく当り前なことだと考えがちですが、むしろ清水さんの力点は、側方性の統覚というかフラグメント化された統覚のほうにある。そこにヴィトカッツイの核心を見出しているからではないか。例えばヴィトカッツイの言う「多様性の統一」、これを多様なものを一つに統合すると考えれば、そのまま正面性=ファサデティの統覚に直結する。でもそれを側方性=ラテラリティの統覚と捉え返してみれば、「多が一である/一が多である」という事態が浮上する。それこそ実は彼自身が、多様性の統一という言い方で意味していたものだったはずです。

そこに今日の上演がモレキュラ−=分子状劇場によるフィルマ=肖像画商会というタイトルだったことを考え合わせてみると、横から観た時の、統覚を欠いたバラバラの感じは、フィルマの条項の一つ一つがむきだしに分子状化しているからであって、いわばマシ−ニックな「多と一の並存」と言うべきではないか。そして、そういうラテラリティの経験をファサデティにおいて見出すためには、皆さんの目の前にあるこうした建築、ツイン・ラティスの装置が必要だった。これが一面のラティスだけだと、ついつい彼方に虚焦点をつくってしまい、それこそ多様性の統一をリテラルに目ざすしかなくなるでしょうから。

そこでヴォイチェフさんに伺いたいのは、第三夜のコロックで言及なさったウニズム=単一主義/唯一主義についてなんです。ポ−ランドのある前衛画家が主張したというウニズムにおける「1」とはどういうものだったか。というのも、最前から話題にのぼっている「2」は今の文脈にこじつけて、多と一の2だとは言えても決して1ではあり得ない。むしろ1を拒否する処があるからです。

クルコフスキ 確かにヴィトカッツイは、多様なものの統一ということを言ってますね。イタリアで行われた、ある展覧会の「ヴィトカッツイ・シンポジウム」の席上でもやはり、多面的な才能とかマルチ・メディアの天才という言葉が使われていました。彼自身の活動歴を見ると、芸術的にも私的にも、できうる限りの色々な活動を進んでやろうとした形跡が分かります。彼は作家・戯曲家・画家・写真家でしたし、哲学や芸術理論にも手を染めています。彼の純粋形式の理論は美術・演劇において実現されなかったと私は前に言いましたが、ある意味では、その理論の達成に一番近かったのは写真においてだったと、付言しておきたい。一方、彼の人生・実生活そのものと、彼が創造したものの両方、あるいはその境界線に起こったことをよく知っているとすれば、彼の純粋形式の理論は確かに我々現代の人間にとってもきわめて身近なものであるはずです。

10年前、ポ−ランドには戒厳令が布かれました。それに異議を唱えるために芸術家たちは、例えば国家に雇われている事態、どこかの劇場の支配人とか、そうした公的な地位を去る、そういうことを敢えてしたんです。そして、教会とか個人の自宅で集会を開いたりしました。その芸術家たちの活動、試みというのは、何とかしてこの崩壊の危機を乗り切りたいというものでした。ヴィトカッツイ自身は、第2次世界大戦という世の終末を予言していたにもかかわらず、それを乗り切ることができなかったのですが。

さて、私は1982年、まさに戒厳令のさ中に、ある教会でアンデパンダンの展覧会を企画しました。出品作家の中には所謂「新表現派」の人々もいて、その代表格の作品も展示されました。その画はウニズムの一例と言っていいでしょう。なんだかよく分からない背景に何か垂直に物が立っている、樹か何か分かりませんが、抽象的な何かが立っている、そういう構図です。そしてその画には、こう署名されてあった。

「1939年9月17日にドイツ軍が東の国境戦線に侵入してきたという報せに接して、自殺するところの偉大なポ−ランドの詩人、スタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェ−ヴィチ」

ここで、彼が示したやり方というのは、ヴィトカッツイ自身のやり方と非常に似ている。まず第一に、この画の署名に書かれたように、ヴィトカツィは詩人ではなかった。自殺した日は確かに9月17日でしたが、しかし、東の国境から侵入してきたのはドイツ軍ではなく、実際はロシア軍だった。彼がその画に記した言葉というのは、その頃の社会主義体制の公的な言葉、公式的な言語によって整えられ準備され、そういう形をもったものとして提出されたわけです。前回のコロックで、私とヴィトカッツイにどういう共通点があるかという質問に対して、私は何の関係もないと申し上げました。で、今、自分の作品にそうした題名をつけた人に、あなたとヴィトカッツイとどういう関係があるかと尋いたら、彼もきっと何の関係もないと答えるでしょう。にもかかわらず、私もその82年の芸術家も、人間として今のこの世の中、この社会をどう見るかという哲学、物の見方という点に関しては、疑いもなくヴィトカッツイという人から多くを学んでいる、ということなのです。

で、元に戻りますが、もし、ヴィトカッツイの純粋形式理論というものが、いくらかでも成功した、成就したという視点があるとしたら、それは彼の人生と彼の芸術の接する点、そういう臨界点のところではないでしょうか。彼が色々な活動をしたにもかかわらず、そのどの分野においても最後まできれいに仕上げようとしないで、小説なら世界一流の小説家になろうとしないで、そうした形で、しかも尚かつ、あらゆる活動をし続けるということを考えてみると、まさに純粋形式というのは、彼の生き方そのものに最もよく表れていると言えるのではないでしょうか。

豊島 ヴォイチェフさんのヴィトカッツイへの深い理解というか、共感がよく表れたお話だったと思います。チスタ・フォルマの達成を個々の作品にではなく、作品に向きあおうとした彼の姿勢との臨界点に見出すという指摘。さらに言えば、完成と未完成、着手と放置とのきわどい臨界に見出す、そう言ってもよさそうな気がします。もう一つヴォイチェフさんが言われたのは写真ですね。ヴィトカッツイの写真が彼の理論に一番近いのではないかと。そればかりか芸術と実人生の臨界にあって、かつ厳密には芸術でもなく実人生とも言えない、それ自体、臨界的なものではないかと。

言うまでもなくヴィトカッツイの写真には、顔というものは一体何なのか、顔とはどういう事態なのかといった根底的な問いがあると思います。例えば彼は顔をズ−ムアップして写真の枠からはみだしたものをつくる。フレ−ムの中に顔が収まりきらないんですね。目の端も両側で断ち切れていたり、ピントも合うか合わないか、ぎりぎりまで顔にカメラを近接させる。いや、ピンボケも構わず肉迫すると言ったほうが早い。そこには「顔の臨界性」というか、凶暴な意志というようなものを感じないわけにはいきません。

それと同じことが実はフィルマ=商会にも言える。このシアタ−X(カイ)で写真展と同時に肖像画を網羅した映画も上映されましたが、その力感たるや舌を巻くほどでした。肖像画の凄味もさることながら、肖像画商会の商会自体、むしろ商会規約自体に肖像画以上の凄味を感じるんですね。さっきの上演だけでは分かりにくいかもしれませんが、この定款というのは、いかにも画を描く側の内部規定のようにみえて、実は画を描いてもらう側に対する外部規定だった。画を注文する側に突きつけられた注文にほかならなかった。ヴィトカッツイ版「注文の多い料理店」と言ってもいい。例えばモデルの服装にはこだわらない、どんな服装も自由だ、服装には一切干渉しない、というように不干渉を連発する。そのことによってヴィトカッツイは服装のみならず身じろぎ一つにも激しい干渉をしていく。とともに顧客からのどんな干渉も断固拒絶するわけです。ここには過剰な他者性が、いや、もはや他者性では言い尽くせないような、やはり「顔の臨界性」と呼ぶほかないような事態がある。勿論これは私の勝手な考えなのですが、そのフィルマのテクストを実際に翻訳された関口さんからその辺を検討して頂ければ。

(3)廃棄のフォルマ/隣接のフォルマ/対位法のフォルマ

関口 豊島さんが言われたことに少し付け加えたいんですが。ヴィトカッツイは戯曲をかなり短い間にたくさん書きました。1920年前後が一番多いんですけど、その後は書かなくなります。それから普通の絵画、彼が芸術的、純粋形式的と言っていた絵画も描かなくなります。描かなくなった代わりに、彼はこの会社を設立して肖像画の注文を受け始めます。この時に大事なことは、彼が「芸術はもうやめた」ということを何回も言っていることです。また、戯曲も書いたけれど芝居は全然成功しないんです。成功するしないっていうのは観客が来るか来ないかってことですけど、劇評もよくない。それから展覧会をやってもお客さんは喜ばない。その二つの点で、他にも理由はありますが、彼は気狂い扱いされてたわけです。ところが、ある時点から彼はそういうことをやめる。その代わりに肖像画を描いたら非常な成功を収めた。何百枚、何千枚とも言われています。ヴィトカッツイはさんざん芸術的な作品を展示しながら世間に受け入れられず、ところがブルジョワ階級相手にお金儲けをする、生活のために肖像画を描くと言明した途端に、ブルジョワジ−たちはお金を払ってポ−ズをしにやってきたんです。そして、死ぬまで肖像画商会を続けることになります。

このような在り方は、ポ−ランドの知識人や一般の人たちが芸術だと思っていたものと、ヴィトカッツイが芸術だと考えていたものとの間に大きな違いがあることが確かめられたと言えるのじゃないか。そしてそれを打ち壊すために、状況を引っ繰り返すために、彼はわざわざ芸術家という名前を捨てて会社・法人に変身した。その「一人法人」のアトリエにお金を握った人々が進んでやって来る、あれほどガラガラだった展覧会はスノビズムも手伝ってか盛況をみせる。このこと全体が演劇のひとつの主題であるかのようなんです。どういうメカニズムなのかは分かりませんが、彼は観客を動員して一緒に芝居をさせてしまったんですね。そういう意味では、この非常にぶっきらぼうに書かれた肖像画商会の規約にはいくつか確かに重要なものがあって、実はこれをよく読むと芸術という言葉は一つも出てきません。作品という言葉も出てきません。ただ、製品と言っています。それから自分の名前、個人というものを隠して、常に「当社は」「我が社は」と言っている。理屈をつければ、20世紀の半ば頃からはっきりしてきた大量消費の時代、全てが商品となる時代の先駆けということになるかもしれません。「私は芸術家をやめて、ただ肖像画を製造する会社であるよ」と。それが成功したというのは、とても面白いことです。

海上 私はこういう理解をします。つまり「当社」というのは一つの形式だということです。形式である以上、当然、定款も必要とされるでしょう。先程クルコフスキさんが例に出された画には長いタイトルがついていて、その署名こそが定款であろうということです。こうした形式の問題をヴィトカッツイがどういうふうにクリアしていったかと言うと、関口さんも言われた通り「芸術はやめた」という形で、つまり「当社がやってくる」とか「当社はうんぬん」という言い方でクリアしたんだと思うんです。形式の問題をある一瞬を超えて物質化する、現実化するということ。そうすると、おのずと芸術でなくなるわけです。私達の日常にそのままきちんと合うような、という意味で、おのずと現実的なものになるわけですから。その時に芸術の問題がはずれるということを仮に強調するのであれば、それはあらかじめ形式の問題だったということなんです。だから肖像画商会というのは、形式の問題を彼のやり方で処理したものだと私は理解しています。

それは、形式と内容の問題をそれぞれ1と1の「2」として考えてみようということなんですね。私から言わせれば、ウニズムの画は文字通り1ですが、それだけで成立しているのではなく、署名というもうひとつの1とくっついて初めて成立する。画そのものの1と、そこに署名された文字の1。つまり画と署名が「2」として隣接しているという理解です。で、実際、肖像画商会もまさしく「2」なんですね。つまりヴィトカッツイと商会が、固有名と固有物が1と1として隣接しているわけですから。それはそのまま内容と形式が隣接していること自体を指しているわけです。言い換えれば「1」にはしないということ。統覚というのは、形式と内容を一緒にして「1」にするということですから。それを「1」にはしないで、はっきり分けて2つ並べてみようという考えなんです。

豊島 フィルマ=商会に対して微妙に対照的な捉え方がお二人から出ました。関口さんは芸術の廃棄をモメントに、フィルマそれ自体が唯一成功した演劇だったのではないかと。海上さんは、名前とフィルマ、芸術の廃棄とフィルマが結びつく処にこそ隣接の形式を見出すべきだと。この点をヴォイチェフさんにも尋いてみたい。まず、このフィルマの定款=規約のテクストはこれまで上演されたことがあったでしょうか?

クルコフスキ ポ−ランドではある女優が一人芝居に取り上げたことはありますが、こうした形では今までになかったと思います。今日、皆さんがご覧になったものはワルシャワでも上演されて、大変好意的に拍手をもって迎えられました。勿論、私共がやっている現代芸術センタ−に集まってくる観客は、初めから形に敏感な、形からモノを受け取ることが容易にできる、そういう準備ができている人たちではあります。その上このパフォ−マンスは、ある揺るがしようのない非妥協性を持っていて、観客を容易に近づけさせるようには上演の形式を設定していない。そしてこのテクストですけれども、これを聴いていれば決して親しみやすいという性格ではなくて、むしろ対位法的、つまり舞台上で行われている動き、内容を物語るのではなくて、この点に対するこの点というように対位法的に用いられている。そういう意味では、ヴィトカッツイの純粋形式理論のある面が非常にうまくこの上演の中で実現されたのではないでしょうか。舞台上で起こったことというのは何かリニア−な、順々に繋がっていく線型的な物語ではなくて、それぞれ独立した偶然的な身振りなのです。むしろ一種の「かたち」の緊張の必然性、そういうものに統制されてバラバラな偶然なものがそこで生起しているのです。

豊島さんは確か演劇に音楽は使わない、あるいは伴奏音楽は好きではないと言われましたね。実はここで行われていること自体が、特にポ−ランド人の観客にとってはそれ自体が音楽なわけです。勿論、観客は誰でもその劇をどこかの水準で読もう、解釈しようとします。例えば、私自身はまず何よりも豊島さんの劇の中で、いわゆる括弧付きの音楽的構造みたいなものに注目します。実際、私にとってはそうした接近の仕方が可能です。つまり音楽的構造としてそれを捉える。それはここにいての話ですけど、上演が終わって劇場から出ていって、また別の印象、例えばやはり文化とか、日本で生まれ、日本で、しかも日本語で上演されているといった文脈とか、そうした次元の言葉がしだいに後から私の脳裏に浮かび上がってくるでしょう。

確かにこれは肖像画商会の規約に基づくものでしたけれども、ポ−ランド人がこれを観る場合にもしかすると写真術の方ですね、ラティスとかタブロ−とか枠を多用しているということで、ヴィトカッツイの写真術の連想も充分あるかと思います。というのは、舞台上の俳優は、今そこで存在するということではないかもしれないけれど、その時間を超えて、その身振りがどこかでその乾板に焼きつけられるような形で生きているということを感じるからです。そして、ここで非常な凝縮力をもって行われている身振りも、過去にあったことの再現だけでなく、もしかしたらこれから起こるかもしれない、そうした予兆みたいなものを感じさせてくれるからです。

(4)ヴィトカツィの顔/顔の演劇

豊島 ここで内野さんにもヴィトカッツイへの関心を、とりわけヴィトカッツイと絶対演劇という脈絡で御発言下さると有難いのですが。

内野 例えばヴィトカッツイという呼称、それ自体が既にして絶対演劇の問題性を明らかにしていると思います。つまり本名のイグナツィ・ヴィトキェ−ヴィチ、この姓の最初と名の最後を縮合したものですから。いわば「切ってつなぐ」という、隣接あるいは断絶としての反復という絶対演劇的な手続きそのままなんですね。海上さんはヴィトカツィと商会が隣接していると言ったけれども、そのヴィトカッツイ自体が既に隣接したものだったと。従って豊島さんたちが、なぜヴィトキェ−ヴィチじゃなくヴィトカッツイのほうを多用するか、そこは絶対演劇のコンテクストで聴く限り、とてもよく理解できる処です。

豊島 形式と内容を統合的にではなく隣接的に扱うんだと必要以上に強調すると、そこに何かしら防護の姿勢だけを見てとる人もいるかもしれない。その点さっきの上演は内容を形式化するに留まらず、形式をそのまま内容にしてしまう試みだと、つまり動きをはらんだものとして見ていく、というのはどうでしょうか。

内野 形式と内容ということで言えば、それを二元論として考えるという発想自体が、形式を問題にしたいということだと思いますが、やはり僕は、形式が内容になるという言い方ではなく、形式と内容を切って2つ並べるという海上さんの言い方のほうがピッタリ来ますね。でも、そういう隣接の「2」や反復の「2」は、今日の豊島さんの上演でずいぶん明瞭にやられていたと思いました。その場合の形というもの、ヴォイチェフさんは内容ではなく「かたち」と言われたけれども、ポ−ランドの観客に受け入れられた形とはたぶん内容のことではないか。形の必然による統一性とか音楽的構造とか言われたように、モレキュラ−にはある種の美的な何かがありますから。つまり絶対演劇というコンテクストがなくても受け入れられたんではないかということです。

そのコンテクストというのは、いつも演劇は内容を次々と更新することで展開されてきたし、自己言及の演劇というのも基本的には内容を自己言及的にいじくって更新してきたにすぎないし、要するに形式については誰も考えてこなかったんだと。そこで絶対演劇が登場してきたわけですね。例えば豊島さんはよくこんなふうに言います。見る見られるという関係はやらない、つまり両方とも見るんだ、見る者同士が向きあうような事態をやる。あるいはその事態を舞台で俳優同士が横向きにやってしまい、それを観客は横から見るはめになるというような、そういう豊島さん独特の上演論があると思うんです。

そこでヴォイチェフさんにお尋きしたいのは、そういうコンテクストなしにこの上演をポ−ランドで観た時の印象と、今回初めて日本に来られて、しかも数回の絶対演劇コロックなどを踏まえた上でこの上演を再見して、何か変わった処がありますか?

クルコフスキ もしかしたら日本の観客の皆さんはこうしたものを受容する上で困難を感じているかもしれませんね。私が感じたことは、豊島さんは時間とリズムの配分、コンポジションにおいて伝統的な日本演劇のものを使っていると思います。というのは私が、つまりヨ−ロッパ人が日本でこれを観る場合には、驚きがあまりない。一方、ロバ−ト・ウィルソンのような反復を多用する演劇、あるいはマウリツィオ・カ−ゲルのように反復の多い音楽といったものに接しているヨ−ロッパの聴衆にとっても、これは特に唐突とは思えない。二日前にある神社の前で狂言を観ましたが、勿論言葉は全く解らなかったけれども、言葉が解るという情報、知識は必要ありませんでした。にも関わらず私は形の異様さ、と同時に一種の形而上的な性格を了解したんです。こうした形を通じて表出されてくるスペクタクルに対して、日本の観客はもしかしたら、その形が動くことによって生ずる一種のトランス状態みたいなものに、なかなか入りきれないのではないでしょうか。

関口 通訳上のことですが、ここでクルコフスキさんが言っているのは逆説だと思います。平たく言えば、ヨ−ロッパ人でさえ日本的なものや日本人が行う「形」の劇に没入できるのに、ヨ−ロッパ人より入りやすいはずの日本人がなかなか没入できないのはなぜか。つまり、あれこれ言葉を弄して作品の前に留まらずに、もっと率直に作品の中へ入りこんでいったらどうか、というような含みがあると考えていいでしょう。

豊島 今晩これからヴォイチェフさんたち「アカデミア・ルフ」の上演が佐賀町エキジビット・スペ−スのほうであるため、もう終りにしなくてはなりません。今回のコロックを振り返ってみると、これまでの日本への紹介にはなかったヴィトカッツイの新しい顔というものがはっきり見えてきたように思います。肖像画商会と肖像写真、フィルマとフィルムですね。しかもそれはチスタ・フォルマ=純粋形式との関わりや絶対演劇的思考において新たに照らし出されたものなのです。ヴィトカッツイは「当社」として文字通りフィルマ的存在として何百もの顔を描くわけですが、それ以上にフィルマそのものが「顔」として私達に迫ってきたということ。そしてヴォイチェフさんが指摘されたヴィトカッツイの写真とチスタ・フォルマとの臨界性、あるいは写真の中の顔との、いや写真という顔との臨界性。今日のモレキュラ−について過去の再現のみならず、これから起こることの再現を感じるとも言われました。確かにそれは写真という視点を導入しているからなのですが、これから起こることの再現はいわゆる出来事の予兆とは違って、あくまで写真のフォルマということだと思う。私はそこに「2度性の反復=トワイスネス」を見出したいんですね。その意味では今日の上演を「顔の演劇」と呼べないことはない。ヴィトカッツイにはそうした切り口を可能にする懐の深さというものがまだまだあるんだということです。

今年、絶対演劇が駆動を開始した、まさにこの時に、ポ−ランドからヴォイチェフさんたちを招き「ヴィトカッツイと絶対演劇」をめぐって突っ込んだ討議ができたのは幸運だったと思います。今日の場を設けてくれたシアタ−X(カイ)の上田さん、INPAスコピオの及川さん、さらに四夜に渡って通訳をしてくれた関口さん、グラジナさんに深く感謝したい。そしてもう一度、ヴォイチェフさんに大きな拍手をお願いします。

テ−プ採録:高沢利栄/エディトリアル:豊島重之

(初出「Art Conference」Vol.1/1995)