ICANOF10周年「展評・書評」《一匹の奇怪な鳥が2010年代に羽搏く》

ICANOF10周年「展評・書評」

《一匹の奇怪な鳥が2010年代に羽搏く》

露口啓二

(写真家・徳島生れ・札幌在住。国際写真展『Black Out展』招待作家・東川写真賞特別賞・ICANOF刊『露口啓二写真集2009』ほか共著『札幌アートワーク』)

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ICANOFと豊島(としま)重之キュレーションによる、第十回企画展『飢餓の國・飢餓村・字(あざ)飢餓の木展』が八戸市美術館で開催された。詩人吉増剛造が自ら名づけた「gozoCiné(ゴーゾーシネ)5作品」と銅葉刻字を含む「文字のオブジェ」のインスタレーション、画家豊島(とよしま)弘尚の絵画作品40点と書作品10点、美術史家倉石信乃+装幀家須山悠里の映像作品『HOUSE - WOMAN』が常設展示の三本柱である。

2010年9月17・18日オープニングイヴェントは、詩人佐藤恵による黒田喜夫らの詩篇のライヴリーディング、佐藤英和による実験映像の上映、吉増剛造を含む多彩な講師によるトークセッション、そして八戸生れながら八戸初公演となる及川廣信による、黒田喜夫の二篇に基づくダンスパフォーマンス、その「凄惨な飢餓村の沼の静まり」で締めくくられた。

その「飢餓の静まり」に痛撃を連動させたのが、倉石+須山の新作映像だと言えるだろうか。写真批評の尖鋭でもある倉石信乃にとって3年連続のICANOF出品は、前作を凌ぐ残酷さを孕んでいて、いわゆる「ウーマンたちの諦念」あるいは「ウーマンたちへの憐憫の情」といった、私たちの通常もちうる情感に揺さぶりをかけたあげく粉砕してみせる。そこには明らかに、強靭なる「写真への批評」が含意されているにちがいない。

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吉増剛造によるgozoCinéは、『月山(がっさん)、一番下を吹く風』『萬(よろず)、巨人の足音:三部作』と八戸に取材した『八戸、蟻塚———章伍さんと(19分)』が上映された。八戸でのgozoCiné『八戸、蟻塚』との出会いに先立つ一週間前、詩人自身による自作『石狩シーツ』の朗読を聴く幸運に遭遇し、詩人の口から溢れでる言葉の音という物質の触感に驚嘆した。同じようにgozoCinéそのものがイメージの物質という手触りを、というよりイメージに生じた亀裂、その触感というべきものを感じさせられる。gozoCinéのもつ運動は、通常私たちが映画に向かうときに感じる運動とは異なっている。

それはまた、すべてが、例えば仕掛けであるにすぎないはずのピンチハンガーが唐突に登場し、あるいは映像を撮るということそのものが露出しており、《裸の映画》としか言いようがない。『八戸、蟻塚』には、八戸着を告げる列車内の電光掲示や石灰鉱山の採掘坑などとともに、詩人がかつてブラジルで撮った蟻塚の映像、その蟻塚を燃やす南米先住民の映像や、そのモニター面に映る撮影中の当人さえも挿入されているが、それは、あくまで八戸滞在中に一気に完成させた、ある意味、「非編集的な姿勢」が徹底して貫かれている。

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豊島(とよしま)弘尚の絵画は、異貌の絵画である。それらは、展示室の入り口に近づいた瞬間に、すでに強烈な斥力と引力を同時に放つ。主たるモチーフである、顔貌(自画像)、月の手鏡と大鴉、なにものかの身体の肉のようなもの、などは、ほぼ常に黒色、墨と銀箔を基底とした《形容しがたい黒》に隣接しており、それは江澤健一郎の指摘するように「〈臨界の裂け目〉へと通じている」であろうし、吉増の映像が生じさせたイメージの亀裂の、その奥の闇とも通じているはずだ。それは黒田喜夫『狂児かえる』・宮澤賢治『ながれたり』に基づく書作品においても変わらない。赤色の明確な筆触は漆黒の地(ヂ)にほとばしり、それは見た目の明確さに留まることなく、自らの絵画との、書を超えた通底をあからさまに顕現していると私には思われる。

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これら展示作品と、同時に行なわれた諸イヴェントとの、交錯する磁場から、いっぴきの「外から内へ抜け出す奇怪な鳥」が飛び出す。ICANOFにより刊行された『飢餓の木2010』である。

同書は、すでに以文社から全国書店に配本され店頭に並んでいるが、それは『飢餓の國・飢餓村・字飢餓の木展』の大判図録でもある。また、豊島重之の演出によるモレキュラーシアターの先鋭的な演劇活動と平行して行なわれた、鵜飼哲・鴻英良などによる討議をメインにカラー図版や諸テクストが収録されていて、いわばモレキュラーシアターとICANOFの10年におよぶ営為の集大成とも成っている。それはまさに「飢餓の歩き筋のための指南書=アルス・ノトーリア(本書オビ)」であり、二十一世紀の未踏の場所の地図でもある。

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『飢餓の木 2010』は極めて複雑な重層した構造をもち、蜘蛛の巣状の網が、いくえにも重なり合っている。この書物を構成する蜘蛛の巣のひとつは、吉増剛造の投げかける映像、写真の網だ。この網に豊島(とよしま)弘尚の異貌の絵画と書の網が、倉石信乃+須山悠里による『HOUSE - WOMAN』の網が対峙する。さらにその上に対話、討議、テクストが重なり、強力な磁場を発する。それら複数の磁場によって、ここかしこに運動が生じ、隆起と陥没を繰り返す。

ことのほか筆者の目を惹いた論旨は、ジュネやデリダの文学思想・政治思想の第一人者、鵜飼哲による「飢餓の思考」と詩人(故)黒田喜夫による「飢餓の思想」の交差・浮上であろう。そこまでは見当がつく。しかしながらこれらを論評することは、筆者の能力をはるかに超えた事態であり、ほとんど不可能とさえ思える。「外から内へ/いっぴきの奇怪な鳥となって抜けだす(黒田喜夫)」という事態へのにじり寄りは、つまり「飢餓の思想」への接近は、本書『飢餓の木』が指し示す地図の仔細な解読、相応の時間をかけた歩行によることしか、いまは思い浮かばない。願わくば、2010年代の新たな問いを突きつけられた野心ある読者の出現に期待したい。

※ ICANOF第十回企画展『KwiGua展』(日本芸術文化振興基金助成)は、御蔭様で好評裡に十日間の会期を閉幕できました。御支援・御来場くださった皆様に深く感謝いたします。

※ 引き続き、新刊された吉増・豊島・鵜飼共著『飢餓の木2010』(上製+カヴァー+180頁:本体価格2858円)を各地書店の店頭にて、お手にとってみて下さいませ。お申込みは以文社(FAX:03-6272-6538/TEL:03-6272-6536)まで。

※ 画像について(上から順に)

・「KwiGua展」が開催された八戸市美術館全景

・討議『吉増剛造の〈飢餓の木〉をめぐって』(八戸市美術館)

講師(左から)八角聡仁(近畿大教授)・岡村民夫(法大教授)・露口啓二(写真家)・吉増剛造(詩人)・豊島重之(ICANOFキュレーター)

・倉石信乃+須山悠里『HOUSE-WOMAN』(八戸市美術館)

・豊島弘尚絵画展示「臥し待ちの月・飢餓極光ほか」

以上、いずれも©米内安芸

・以文社「飢餓の木 2010」書影サンプル