『カフカ——ひとつの悪夢』

Münster Zeitung(ミュンスター新聞)「f/F・パラサイト」評

日本からミュンスターに招聘された劇団モレキュラー・シアター公演

『カフカ——ひとつの悪夢』

1987年7月6日付

ROLF BAUERDICK ロルフ・バウアデック(ミュンスター紙・芸術文化部記者)

作家カフカは婚約者フェリーツェとの文通の中で「書くという行為の甘い狂気」について述べている。カフカは五百通以上もの手紙をプラハからベルリンのフェリーツェの許に送っており、一日のうちに4通も出したことさえある。結局カフカはフェリーツェと結ばれることなく終わったが、この文通において、<現在という時間と遠距離という空間との稀有な混合>を創り出した。この狂気をはらんだ、妖しげな世界の遺物である手紙は、1981年に日本語に翻訳された。演出家豊島重之はこの手紙に感銘を受け、劇化することにきめた。即ち、豊島は、書くという精神的な行為を身体的な動作へと置き換えたのである。こうして「甘き狂気」は、豊島演出を通じて「分裂的な悪夢」となった。

この悪夢は、ミュンスターのプンペンハウス劇場において上演された。上演したのは日本の東北地方から来たモレキュラーシアターで、ルドガー・シュニーダーの企画による「ジャパン・プロジェクト」演劇祭の成功に貢献した。この劇団の九人の女優は、『f/Fパラサイト』というタイトルの、ズバリ前衛劇を披露してくれた。即ちその表現は、従来の方法や劇的伝統などをはるかに超えたものであった。

演出家豊島重之のメインテーマは<管理された世界における人間のディスタンス>であり、方法としては異化作用がつかわれている。しかし、それはブレヒトが観衆教育のために利用したものとは異なり、豊島の舞台では、異化作用そのものが全体的視野となっている点が大きな特徴である。

フェリーツェは、よく知られているようにカフカと結婚には至らなかったのだが、この劇では、開幕とともにウェディング姿の三人となって登場する。このフェリーツェたちは手紙のもらい手としてだけでなく、書き手としても遠く離れた婚約者つまりカフカと関係をもつ。「微笑の国」からやってきた女性たちの顔は、しかし異様に引きつり、しかも一瞬たりと休まず語り続け、画板に文字を書きつける。これらの日本語は全てカフカの手紙からの引用で、観衆は、そのつど映し出されるドイツ語のスライドでそれを理解することができる。これらは願望、苦痛そしてさらに強い欲望の入り混じった、多様な意味をもった文章である。

その上、この三人のフェリーツェにはそれぞれ三匹のパラサイト(寄生虫)が、顔をおおった漏斗(じょうご)を通じて付着している。このパラサイトたちはカフカ自身を表しており、漏斗を通じて婚約者に自分の考えを注ぎ込むばかりか、婚約者から生命力さえもしぼり取るかのようである。つまり、フランス・カフカ(f)はフェリーツェ(F)を通じてのみ生きることが可能なのだ。両者を結ぶ郵便配達人を含めて、全ての登場人物がこのように寄生虫的である。

「——次の手紙は来るのでしょうか。これが、最愛の人よ、僕の心を支配する最大の心配事なのです。」とカフカは書いている。これは、いわば、視野をせばめる漏斗を通してしか見ることのできない世界である。豊島演出と九人のすばらしい女優たちは、これまでにないカフカの新しい世界を観衆に披露することができた。カーテンコールの拍手と歓声が長く続いたことを付記しておきたい。(島田信吾・訳)

(初出:「f/F・PARASITE」(モレキュラーシアター日本凱旋公演パンフレット)/ISA/1987)