ITI世界会議で上演して

 ITI世界会議で上演して

 豊島重之

 

金色の羊の双角文様

 

  見る角度によって次々と異彩を放つ玉虫色の美しい絨毯。イスタンブールの町は町自体が一枚の巨大な絨毯である。そこには生命の樹や菱形の目、とりわけ金色の羊の双角文様が描かれている。この内巻きと外巻きの双角は内旋する力と外旋する力の共生を思わせる。古来二つの異質な力や文化を交響させてきた場の無意識が根深く刻み込まれているのだ。もし誰かがこの海峡=境界の町で何事かをなそうと思ったら、方法は二つしかない。場の無意識に即して内旋力と外旋力がせめぎあう渦中に身を投じるか、場の無意識に反して記憶が書きこまれた町の羊皮をいったん漂白し、いかに新たな力戦の文様を書きつけるかである。無論、いずれをとっても容易なわざではなかろう。

 

  演劇にも変革の波

 

  この六月上旬までの三週間、私は第24回ITI(国際演劇協会)世界会議に招かれ、イスタンブールのアタチュルク国立文化センター(通称AKM劇場)でワークショップと新作上演を、モレキュラー・シアターの服部明子とともに演出指導をした。

  ITIは一九四八年ユネスコ総会で設立承認された七十か国加盟、世界最大の舞台芸術団体である。開会式では主催国トルコの文化相を皮切りにユネスコ本部や各国の要人が、湾岸戦争で開催が危ぶまれたのをトルコITIの必死の奔走で実現に至ったと口々に謝辞を述べた。実際、戦争が長びいていたら前線に送られていたに違いない俳優も少なくなかった。最後にITI世界センターのペリネッティ事務総長が「世界の地殻変動に伴って演劇もまた根底的な変革を強いられている。それをシルクロード二千年の記憶が集蔵されたこの地で試みるのは願ってもない幸運だ」と締めくくった。

  まさにその通りである。オリエント急行の終点と同時にシルクロードの終点でもあるこの町では、湾岸危機や東欧激動やドイツ統一の反動をもろにかぶるだけでなく、ギリシャとの軋轢やソ連の黒海一帯からの飛び火は日常茶飯事なのだ。私は海峡沿いに黒海からエーゲ海を海路空路で往来したが、明らかにここはギリシャ悲劇と旧東独の劇作家ハイナー・ミュラーが描いた、金毛羊皮をめぐる物語=アルゴー船の航跡でもあった。一口に言って、この町は演劇以上に演劇的なのだ。ならば私のとる道は二つのうち後者しかあるまい。前者の方法では場の無意識をなぞるにとどまり、決してこの町の一触即発の演劇性に肉薄できないだろう。

  今回の目玉は名実ともにニューシアター・ワークショップである。シルクロードを含む三十数か国、約百名の俳優を六チームに分け、米・仏・韓・チュニジア・トルコそして初参加の日本の演出家が受け持ち、トルコの寓話「壁」を共通テクストに、十六日間の成果を六作競作形式で上演し、それを世界会議最終コロキウムの議題にするというものだ。「壁」は、例のアリババの<開けゴマ>の物語に似たもので、シルクロードの町を舞台に少年が壁をあける話だが、そこから多国籍的他言語的な他者との遭遇をつり支える集合的無意識が、継いで壁の崩壊後の自由の享受の仕方が見いだされがちである。これを金毛羊皮の双角として捉えた他の五作は好感はもてるものの、私には既製の文脈を一歩も出ることのない上演に映った。

  では、エストニア、アルメニア、ウクライナ、ユーゴスラヴィア、中央アフリカ、シリア、ベルギー、スウェーデンなど十三か国の俳優を擁する日本チームの場合はどうだったか。まず、テクスト上の石の壁の文化に紙の壁の文化を対置し、いわばシルクロードの両端をメビウスの帯のように縫合した上で、その無数の断面をフォルム化してみること。さらにそのフォルムを消しゴムにして、俳優たちの表現の無意識と場の無意識が交錯する線分をそれで描いてみること。要するに漂白してから新たに書くのではなく、既に書かれてある所に消しゴムで書いていく。この二重の肯定が私にとっての金毛羊皮の双角であった。

 

  巨大な恐怖と対決

 

  石の壁とは情報の途絶である。そこでは内界と外界を明快に分かつことで恐怖を排除し、巨大な恐怖と対決できる強固な主体が構築される。他方、障子や襖といった紙の壁はむしろ情報の漏洩であり、あの玉虫色の絨毯さながら壁自体が転変する情報なのだ。そこでは内外が混融し、曖昧で希薄な、けれど無数の恐怖と共生する独特な主体ができあがる。巨大な恐怖と対決はしないが、それを解消もせず、むしろ微小な恐怖として温存し、作法にさえ化してしまう文化。できあがるのであって構築されることのない主体。その功罪は周知の事実だが、私はあえてそれを俳優たちに構築しようと試みた。言いかえれば、日本的共同性という微温構造を石の壁の文化に導入したのであった。

  大きな反響があった。AKM劇場は開演直後、一体何が始まったんだと好奇とざわめきにさらされたが、終演直後は息をのむ静寂が走り、それから満場の拍手と歓声に満たされたである。多くの人から好評を得て、最終コロキウムでもまる二時間質問攻めに合い、現地の新聞にも二度、トップ扱いの写真入りで大きく紹介された。

  幸運にもこの成功の一因となったエストニアの俳優ユーリー・ルミステを日本に招いて再演することになった。今月二十七日いわき市美術館、二十九日WALK八戸、八月六日川口市民会館で、今回のITI世界会議上演の意義がどれほど深いものだったかを確かめてほしいと考えている。

 

 (初出「讀賣新聞」夕刊/1991年7月18日(木))