顔の思考

顔の思考

Passage of "Visage"

豊島重之

(1)

私があれこれ思考を試みる前に、本書に収録されたそれぞれの写真が、顔の思考を、すでに施行している。

吉増剛造の二重露光は、まずもって写真という堅固な支持体の、その堅固さを裏ぎる。イメージの透過かつ不透過な層状化それ自体が、写真というものの傷つきやすさを告知している。その傷つきやすさにこそ、写真の顔が剥(む)き出されてくる。

吉増剛造のポラロイドは本書では、その表と裏が一枚ずつ並置されている。うっかり感違いしないでほしい。これは実際にはありえないことなのだ。ポラロイドの表と裏を私たちは同時に見ることはできない。実際に手に取って裏返したり表返したり、操作/施行して見る以外にない。そうなのだ。その手つきのどこかに、写真のマテリアルな顔が、いわばフリップブックかポップアップさながら剥き出されてくるはずなのだ。

稲川方人の8ミリ・フィルムの切れっ端や二瓶晃のアルファベティックな点滴に導かれるようにして、山内雅一の壁や石畳が、高沢利栄の鉄分や泥炭が、岡村民夫の岩肌や菅原智光の石組みや米内安芸の石灰鉱が、写真の顔のマテリアルに分け入っていくだろう。

そうでなくては、次の頁に、金村修の写真が配される意味は薄い。

(2)

にしても、山内雅一が、なぜクラコフなのか。ブラジルやジャマイカならまだしも、山内はタデウシュ・カントルもスタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェーヴィチも知らないはずなのだ。

狼ウォッチング・ツアーというのがあるらしい。山内はそれでクラコフに一週間ほどスティした。何ヶ月スティしたところで実際に「カルパチアの狼」に遭遇することは稀だという。よほど山内には何かがツイているのだろう。遠くタトラの山林を走り去る狼を垣間みたのだ。あっという間のできごとである。勿論、シャッターを切る余裕などありはしない。しばらく茫然としたあと、まるで獣の匂いを消そうとするかのように、光が射しこんできたタトラの山林にカメラを向けた。本書に収録された一枚である。

山内の写真には、クラコフやザコパネを拠点とした20世紀の奇才=鬼才、S.I.ヴィトキェーヴィチの顔の陰影が映りこんでいる。クラコフの路地で尼僧とすれちがう男の容色から、ヴィトキェーヴィチの本領である狂気じみた自己劇化の形姿を、そして、彼が愛したタトラの山容にも似た孤高の精神を嗅ぎとることができるかもしれない。

(3)

「演劇好き」なる語感は今や素朴に解されるより肩身の狭い開き直りと受け取られがちだが、「ポーランド人の演劇好き」は筋金入りである。そこには根深い国情と隷属の歴史から来る「自己劇化」の傾向、二重支配と二重自己さえエフェメラ(かげろう)と思い定めた「倦みに倦んだ批評精神」が垣間見える。翻って「日本人の演劇好き」はなんとエフェメラルなのだろう、一時の現実逃避のように思えてしまうのだ。このことはポーランド演劇の先駆者ヴィトキェーヴィチを視点に置くと一層はっきりする。

彼は1910〜30年代に活躍した写真家・肖像画家・劇作家・小説家・哲学者である。また無頼派・高踏派・パトリオット(憂国の士)・ジャンキー(幻覚実験者)・フェチ(蒐集家)・フェミ(女性好き)そしてカタストロフィスト(破局主義者)でもあった。とは言え、稀代のマルチメディア・アーティストなどと呼称しても彼の実像に何ら迫ったことにはならない。

本名のイグナツィ・ヴィトキェーヴィチを転倒・圧縮してヴィトカッツィと自称したが、彼の意に反して小枝ちゃんとかミジンコ野郎の含意で受け取られたらしい。尤もその蔑称さえ自ら娯しんで多用する処が彼の本領なのだ。ポーランド文学者関口時正氏は、強いてこの固有名ヴィトカッツィを訳すなら、ミジンコの鞭毛や精子の尾を連想させることから「振鞭体(しんべんたい)」なる造語が考えられると言う。けだし、名訳である。勿論、関口氏一流のユーモアなのだが、そこには「純粋形式」なる芸術理論を探求した哲学者の自己劇化がうかがえるし、蔑称としても一級品と言ってよいからだ。「このタコ・糸切れポストモダン」より「この振鞭体!」と罵倒される方がなんぼか愉快なことか。

(4)

1992年はふたつの切断的思考が登場した年として銘記されていい。「顔」の思考と「2」の思考である。それはヴィトカッツィと絶対演劇の出会いによってもたらされた。まず92年春、絶対演劇の上演と絶対平面・絶対“対”(ぜったいつい)・絶対言語をめぐるコロック=討議が続々と東京に出現した。そして92年秋、シアターχ(カイ)によるヴィトカッツィの本格的な紹介に呼応して、絶対演劇派による新しいヴィトカッツィ像が提起された。それがMORG(モレキュラー、オスト・オルガン、アカデミア・ルフ、クアトロ・ガトス)であり、ポーランド文学者工藤幸雄氏の言を籍りれば、日本のアートシーンに撃ちこまれたGROM=雷鳴でさえあった。

翻って、ヴィトカッツィと言い絶対演劇と言い、いかにも1920〜30年代前衛思考の復活を思わせるではないか。確かに文化人類学・構造主義とともに70年代日本に移入されたヴィトカッツィ像には、不条理演劇の先駆、残酷演劇の系譜、激越なるカタストロフィスト=形式破壊者である一方、チスタ・フォルマ=純粋形式なる芸術哲学の提唱者、いわば元祖マルチメディア・アーティストの風情があった。絶対演劇もまた演劇の全否定、零度の演劇、文学的絶対に照応する根源の演劇、逆にメタシアター以上に超越論的な無根拠の演劇とみなされる限りでは、かつての前衛やその復活の身振りと大差あるまい。

しかしこの度は少し事情が異なる。絶対演劇はヴィトカッツィから「顔」の思考を切り出し、ヴィトカッツィは絶対演劇から「2」の思考を引き受けるからである。0・1の二元論でも3・∞の多元論でもない2。それぞれが「絶」たれているがゆえに「対」をなす2。しかも1なる一回性を決して自己完結させない「二度性」としての2。その意味で92年のヴィトカッツィは復活でなく「復ー活」とすべきだろう。絶対演劇もまたマルチメディアやサブカルチュアから切断されているのみならず、前衛という考え方や固有性・普遍性といった理念からも切断されている。では、顔の思考とはどういうものだろうか。

(5)

私達は実は自分の顔を見たことがない。むろん写真や鏡でならいくらでも見ているし、相手の顔から読みとれる自分の顔ならよく知っている。体感としても内観としても自分の顔のことは日ごろ健忘するほど知り尽くしているのに、誰も自分の「この」顔にまともに対面したことがないのだ。外観からも内観からも切断されたこの非対面性、それこそ顔の思考に値する。

ヴィトカッツィは写真家・肖像画家・劇作家・芸術哲学者である前に、顔の採集家であった。何百もの顔を撮り、何百もの顔を描きまくった。自身の顔も相当な数にのぼる。しかもその一つ一つが実に精細で驚くほど洞察に溢れている。表情の人類学的フィールドワークを自分の顔一つで達成していると早計しかねないほどだ。

しかしここが肝心な所なのだが、彼は何百もの顔によって内観というものを探求したのではなく、逆に顔というものからついに内観は駆逐しえないということを示したのである。それは彼の限界や敗北を意味しない。外観はもとより内観はまたどこまでも正対しうるということ、そして顔はたえず正対を強いるということ、まさにヴィトカッツィはそこに顔を見出したのだから。肖像写真や肖像画の圧倒的な対面性において初めて現出する非対面性として。

写真の中の顔がモノとしての平面かつイメージとしての平面なら、この顔の非対面性はいわば「名」としての平面である。それゆえ前者はモノとイメージの両義的な揺らぎを呈し、後者は名ざしの強度だけで成りたつ絶対平面と言ってよい。これまで多くの研究家や哲学者を呻吟させてきたヴィトカッツィ独特のターム「純粋形式」はもはや要らない。それは顔の別名だったのだから。自明なほど確実にそこにあるのだが決して正対することのできない顔。それを舞台上に切り出してみせるのが、絶対演劇なのである。

(6)

顔の思考と2をめぐる思考の結実をモレキュラー『ファサード・ファーム/肖像画商会』の上演に見ることができるかもしれない。ヴィトカッツィ「肖像画商会の定款」をテクストとしたこの舞台では、ポーランド語原文からのダイレクトな邦訳と、一旦フランス語訳されたものからの迂回的な邦訳の二種類がパラレルに語り継がれる。さらに重要なのは、二面のラティスによって空間の遠近法が切断されており、従って24枚ほどのタブローの往還、即ち二度性が余儀なくされているということだ。タブローの喚起する正面性・対面性は、こうした二度性の事態にあって初めて「顔の演劇」たりうるのである。(『ガリツィアのパサージュ』を併読のこと。)

(初出:「ICANOF Media Art Show 2001」/2001.09.21)