4.解説:恩田彰

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     解  説                恩  田   彰  

 

 このたび、井上円了の主な心理学的業績を現代表記にし、第九巻、第一〇巻の二冊に分けて出版することになった。

 井上は哲学者としての名声は高いが、明治時代に心理学がわが国に導入されたときに、彼が心理学者として、早くからしかもたくさんの先駆的な心理学的な業績を出しており、しかも彼を有名にした妖怪学の重要な研究方法として心理学をとりあげ、また心理学を単なる学問に終わらせずに、日常生活に役立つことを念願として、応用心理学を講義し、その重要性を強調したことは、あまり知られていない。

 ここに井上の主な心理学的業績、六冊を選択して、これを大体刊行年の順序で二冊にまとめ、第九巻は基礎編、第一〇巻を応用編として分け、それぞれに解説を加えたいと思う。

 第九巻では明治時代にわが国に心理学が導入された時期において、井上円了の残した心理学的業績の意義について概説し、それから『心理摘要』『通信教授 心理学』および『東洋心理学』について、それぞれ解説を行いたい。

       一 西欧の心理学の移植と東洋心理学の構築

 心理学は明治時代にわが国に移植されたが、わが国の科学的心理学の基礎をきずいたのは、元良勇次郎と松本亦太郎である。元良はアメリカのホール(Hall・G・S・1844~1924)に学び、また松本は実験心理学の創始者であるドイツのヴント(Wundt・W・M・1832~1920)に学び、欧米の心理学を継承している。しかしここで見落としてはならないのは、当時独力で欧米の心理学の多くの文献を読み、たくさんの心理学の著書や論文を残した井上円了の業績である。

 彼らは、いずれも東洋の思想・文化に非常に関心を持ち、それぞれ業績を出し、東洋心理学とくに日本の心理学の先駆者となっている。とくに井上は『東洋心理学』(明治二七年、哲学館)、『仏教心理学』(明治三〇年、哲学館)という題名の著書、禅の心理について論文を書いている。さらに妖怪学という名称のもとに独創的な応用心理学の分野を開拓している。

 元良、松本らは、西欧の科学的心理学をわが国に移植することに重要な役割を果たしたが、井上の場合は、西欧の心理学と東洋の心理学を結びつけて、独自の東洋心理学をつくり出している。井上の業績は、当時においては、あまりにも先駆的であったのである。

 一八七九年にヴントは、ライプチヒ大学で世界で初めての心理学実験室を創立した。これは心理学が哲学から分離して、科学としての道を歩きはじめた最初の道標であった。

 わが国で、幕末から明治初期にかけて、人文諸科学の導入につくした西周は、スコットランドの能力心理学を継ぐヘヴン(Haven・J・1816~1874)の・Mental Philosophy・(一八四七)を『奚般氏心理学』(一八七八年、明治一一年)と訳して、日本で早くも心理学という言葉を使った。その後、一八八二年(明治一五年)には、ベイン(Bain・A・1818~1903)の心理学が井上哲次郎により、『倍因氏心理新説』として出版された。そのほか、新しいものが翻訳出版された。しかし、それらはすべて哲学的なもので新しい生理学的、実験心理学は紹介されていなかった。

 このような状況の中で、新しい実験心理学を日本の心理学の基礎においたのは、元良勇次郎(1858~1912)であった。彼はジョンズ・ポプキンス大学のホールの下で研究し、一八八九年(明治二二年)にわが国で最初の心理学の教授となり、そしてエール大学に学び、後にライプチヒ大学でヴントに学んだ松本亦太郎(1865~1943)の協力を得て、一九〇三年(明治三六年)に、わが国で最初の心理学実験室をつくった。この意味で元良と松本はわが国の科学としての新しい心理学の基礎をつくった人物といえよう。

 しかし、元良は当時の西欧心理学と、わが国の伝統的思想を総合して、心理学の体系を建設しようとした。彼は第七回国際心理学会議において発表したものを『哲学雑誌』(一九〇五年)に「東洋哲学における自我の概念」としてまとめた。この中で禅心理学を発表している。また彼は、意識は経験によって知ることができる。これが直覚であると述べている。

 松本亦太郎は、元良と協力して日本の実験心理学の分野を開拓した人物であるが、他方、外遊中、欧米の美術館や寺院を歴訪して、絵画の研究をしており、『絵画鑑賞の心理』(一九二六年)、『現代の日本画』(一九二七年)などを著し、東西の絵画のみならず、日本画においても造詣が深く、大正三年から六年まで文展(文部省美術展覧会)の審査員をしていた。この点、西欧の心理学を学び、日本の実験心理学の道を開いた元良と松本が、いずれも東洋心理学に関心を持っていたことは、日本の心理学を発展させるうえで大変意義深いことであった。

 元良、松本の影響を受けた日本の研究者の中には、独創的な心理学説を発表しているものが少なくないが、その中には仏教とくに禅の影響を受けている者が少なくない。たとえば、千葉胤成(1884~1972)の固有意識、佐久間鼎(1888~1970)の基調的意識、および黒田亮(1890~1947)の勘があげられる。

       二 井上円了の心理学の業績

 井上円了(1858~1919)は、明治一四年(一八八一年)東京大学文学部に入学、哲学科に籍をおき、学生でありながら先輩の井上哲次郎、有賀長雄、三宅雄次郎(雪嶺)らに呼びかけ、さらに加藤弘之、西周などを動かして、日本で初めての哲学会を創立させた。時に明治一七年である。翌一八年に東京大学を卒業、明治二〇年に「哲学書院」を設立し、そこから『哲学会雑誌』を創刊し、『心理摘要』を出している。そしてその年の九月に哲学館(東洋大学の前身)を設立したが、そのとき応用心理学を担当したのが井上円了であった。哲学館の講義内容は、明治二一年一月から『哲学館講義録』として出版されるようになった。それによると井上の講義録は「心理学(応用ならびに妖怪説明)」という題がつけられている。その点井上は、一般には生じない、不思議な現象を妖怪と名づけ、これを研究する方法として心理学を重視し、妖怪を応用心理学の対象の一つとしている。井上は、真理を探究するだけでなく、これを日常生活に役立たせるため学問の応用を重視している。『記憶術講義』(明治二七年)を書いたかと思うと、『失念術講義』(明治二八年)を書いている。すなわち記憶も大切だが、よけいなことは忘れたほうがよい。よけいなことを忘れないで苦しんでいる不幸な人を救うには、失念術が大切だと述べている。後にこの失念術を含めて『新記憶術』(大正六年)という本を出している。

 つぎに、井上が心理学に関してまとめた著書や論文で、この選集に収録しなかったものについて紹介しようと思う。

         1 妖怪学と心理学と医学

 井上は当時の沈滞した仏教に活力を与えるために、キリスト教を批判する論陣を張った。すなわちキリスト教は、近代科学の成果である地動説や進化論に反し、さらに近代哲学に反すると批判した。そして西洋の合理主義的な近代哲学に最もよく適合する宗教は仏教であると主張した。そこで西洋哲学の合理性によって仏教の再生をはかろうとして、まず仏教から妖怪、迷信をとり除かなければならないと考えた。さらに仏教界のみならず、日本の近代化のために民間で行われている妖怪の本質を究明し、迷信をなくすことを自分の使命と考えるに至った。

 妖怪というのは、井上の論文「妖怪学と心理学との関係」によると、ふだん見たり、聞いたりしないような特殊なめずらしい現象である(中尾祖応編『甫水論集』博文館、明治三五年、八八―一〇二ページ)。また異常にして通常なものではなくして、多少不可思議な意義を有するものである。そしてその生起の原因は、今日の科学的な知識や常識によって未知なものをいう。妖怪を実怪と虚怪に大きく分け、さらに実怪は真怪と仮怪の二種に、虚怪は偽怪と誤怪の二種に分ける。偽怪は人が何か目的あって故意に作り出した妖怪であり、誤怪は妖怪でないものを偶然誤って妖怪としたものである。仮怪は自然の法則にもとづいて生ずるものであるから、自然科学や心理学の法則に照らして研究できるものである。また真怪は不可思議、不可知ということで、その根元を究明してもわからないものである。

 こうして見ると井上によると、妖怪は心理現象のみならず自然、社会の諸現象に広くわたっており、いまだ科学的に十分に解明されていない現象というべきものである。井上はこれらの妖怪は、ほとんど心理学という有力な方法によって解明できると考えていたようだ。

 井上円了の妖怪研究の最初の本は『妖怪玄談』である(哲学書院、明治二〇年)。彼は「余幼にして妖怪を聞くことを好み、長じて其の理を究めんと欲し、事実を蒐集することすでに五年」と書いている。大学二年(明治一五年)ごろから妖怪の研究を始めている。井上は後の西洋史学者箕作元八その他をさそって明治一九年に「不思議研究会」を設立し、妖怪研究の開始を人びとに知らせ、奇夢、幽霊、狐狸、天狗、犬神、みこ、神下(かみおろし)、予言などの超常現象の資料を送ってくれるように依頼している。そのころ流行していたコックリさんの研究を始めている。それを『妖怪玄談』にくわしく述べている。井上はコックリさんの起源をテーブル・ターニング(Table-turning・テーブルのまわりに数人が集まって、おのおの手を出して軽くテーブルに触れると、テーブルがひとりでに回転する現象)であると述べている。その一つの有力な説明として、コックリさんは注意集中によって予期暗示が無意識的、自動的に生ずるものだと心理学的に解説している。明治二四年に「妖怪研究会」を設立し、超常現象について情報交換を行っている。

 そして明治二六年から二七年にかけて、哲学を日本語で教える私立専門学校で、わが国で初めて通信教育を採用した哲学館の妖怪学講義をまとめ、明治二九年に『妖怪学講義』として出版している。

 この本では総論・理学部門・医学部門・純正哲学部門・心理学部門・宗教学部門・教育学部門・雑部門の八部門に分けられている。その対象としては、理学部門では日月食・虹・蜃気楼・地震・津波など、昔の人が神秘的と考えていた天変地異といわれる現象や、鬼火・狐火・天狗・雪女・釜鳴など科学によってほとんど解明されている事項を扱い、医学部門では、精神病・仙術・マジナイ療法・信仰療法などを扱っている。純正哲学部門では、陰陽説・易占・占星術・人相・家相・厄年などを扱っている。また心理学部門では、夢・睡眠・霊夢・憑依・狐つき・こっくり・霊棒(杖占い)・催眠現象・読心術・降神術・幻覚・予言などを扱っている。宗教学部門では、霊魂不滅論・幽霊・死後の世界・たたり・加持祈祷・神通力などを扱う。教育学部門では、遺伝・神童・偉人・胎教・記憶術・失念術などを扱う。また雑部門では、河童・火渡り・不動金縛り・魔法などを扱っている。

ここでは妖怪は心理学的現象のみならず、自然現象、医学的事象など広い分野にわたっている。

 この『妖怪学講義』をまとめるために、妖怪研究の資料の広告を出して全国から集めている。彼が明治二六年までに得た通信の数は四六二件に達したという。それから全国を講演してまわり、妖怪資料を自分で集めている。この本に増補を加えて、明治三三年四月から翌年三月まで一年かけて『妖怪学雑誌』として発行している。

 その後「妖怪叢書第一編」として『哲学うらなひ』(丙午出版社、明治三四年)、明治三六年から翌年にかけて『改良新案の夢』『天狗論』『迷信解』を出し、明治三七年には『心理療法』を出版している。その後『おばけの正体』(大正三年)、『宗教と迷信』(大正五年)、そして最後の書『真怪』(大正八年)が出版された。井上はこの『真怪』が発行されてから三カ月後に、中国の大連(旅大)において亡くなっている。六二歳(大正八年)であった。

 『妖怪学講義』の分類によれば、妖怪には「月の錯視」すなわち、月や太陽の見えの大きさが、水平線や地平線上で大きく見え、上方向では小さく見えるという知覚現象、記憶術、失念術といった記憶、遺伝、神童・偉人などの知能、人格といった一般心理学で扱われる領域も含まれている。またとりあげられている夢・夢告・睡眠・催眠現象といったものは、今日では「変性意識状態」(Altered States of Consciousness)、すなわち正常な覚醒状態とくらべて、ちがった精神機能を呈する状態として扱われ、異常心理学の中に入れられる。また幻覚・妄想や精神病や信仰療法などは、異常心理学、臨床心理学の中に入る。

 読心術・感応・予言・神通などは、超心理学(parapsychology)の領域に入れることができる。最近超心理学の研究も進んできて、実験心理学の方法で研究できるようになり、その事実をかなり確かめることができるようになった。しかし、井上の場合は、このような方法ではなく、文献、聞き取り調査や通信で集めた偶発的現象の事例研究ともいうべきものである。

 また狐憑(きつねつき)・人憑・魔憑・コックリ・テーブル=ターニング・テーブル=トーキング(Table-talking・テーブルに向かって、いろいろなことを聞くと、テーブルが床をたたいて返答するといわれる現象)・降神術・幽霊・生霊・死霊・前生・死後・再生などは、今日一般に心霊研究(pshychical research)の領域で扱われている。これらの解明は、心理学でかなり説明できるとしても、まだ未知なことが多い。種々の学問が協力して行う学際的な方法が必要である。

 医学部門では、医術の起源では、人智がまだ開けないときは、疾病の原因が明らかでないため、迷信、妄想が入り交って、医学の発達をさまたげてきた。井上はこれらの迷信妄想を解明することを意図しているのだという。生死論では、死をどのように判定するかを論じている。疾病論では、疾病は物心の二面からとらえるべきであるとして、身体上から疾病を論ずるには生理学、解剖学等を基礎とするように、精神上から疾病を論ずるには心理学を基礎として、身体の治療は医師が、心の治療は宗教家がやるべきだとしている。井上は後には、この考えを改めて心理療法を志すものというふうに変えている。今日のように医学が進んでいない時代には、心的療法が盛んに行われていたが、今日では医学の進歩と共に衰えてきた。しかしその効果が多少ある以上、これを探究する必要がある。疾病をつくるのにも、治すのにも、身心の区別がある以上、これを究明し、適用するには、心身を区別する必要がある。しかし古代では、その区別を知らなかったために、二者を混同し、外部から治すべき病気まで、心的療法で治療しようとして、そのため治らなかった者が少なくない。また今日でも無形の疾病を心的療法によれば治るはずのものを、有形に偏した医師の治療法を用いたため、ついに病気が重くなったこともある。要するに、この二者の分界を明らかにして区別するのが、自分の今の急務であるといっている。

 精神病総論では、精神病者と健常者との比較、精神病についての医学者と心理学者の定義の比較、精神病の原因の心理学的説明、精神病の分類、その症状の解説について述べている。これらは小医学概論、小精神医学概論のように感じられた。しかし井上は、自分は浅学で論ずることはできないが、精神病に関する書物は外国ではたくさんあるが、日本ではまだ少なく、ただ江口氏の精神病学その他一、二あるだけで、自分は江口の本と、その他二、三の洋書を参考にして説明したという。江口の本というのは、江口襄『精神病学』(明治一九年)と思われる。

 井上は精神病の病態について、評論することはできないが、心理学的に見てどうなっているかを究明しようとしたのだと述べている。精神病予防法では、その治療法には内外諸種の方法がある。外部の治療は、生理解剖等の学理にもとづき医学的に施し、内部の治療法は、心理学、哲学等の道理によって、内部すなわち精神の上よりすべきである。医学ではすでに薬物を用いて、これを治療する方法があるが、それは形体上からするもので、精神上のことではないから、治療法としてまだ十分なものということはできない。必ずこれに加えて精神上よりする治療法、すなわち心理的療法がなくてはならないと述べている。この時期井上が心理療法の重要性をはっきり強調していることには驚かされる。心理療法の一つとして、禅が心を広く大きくするのに役立つからいいと述べていることは注目に値する。このことは森田正馬が禅に関心を持ち、森田の弟子宇佐玄雄、その後継者の宇佐晋一(宇佐晋一・木下勇作『あるがままの世界―仏教と森田療法』東方出版、一九八七年)が森田療法に禅の思想や修行の仕方をとり入れていることと無関係ではないと思う。

 また精神病になった者は、大たい利害得失をわきまえる力を失い、はなはだしきに至っては、しばしば人のいうことを聞かず、自己の欲するように行動するから、この種の患者には、心理的療法は難しい。だからこれを治療法として用いるよりは、むしろ予防法として用いるとよいといっている。このような井上の考えについては、この時期は医学の進歩の状況や井上の経験からいっても、当然のように思われる。しかし井上は後に出した『心理療法』では、心理療法を積極的に治療法として打ち出している。この『妖怪学講義』の医学部門では、すでに心理療法の体系がほぼでき上がっている。すなわち心理学の原理を応用して、心理療法を発展させようとする意向があったのである。

         2 夢の心理

 「熱海百夢」(『甫水論集』明治三五年、二九八―三〇三ページ) 井上は熱海に約七〇日ほど病気の療養のため滞在した。そのとき見た八三の夢と東京で見た一七の夢を分析したものである。方法は紙筆を枕元において、夜中に目がさめたとき、それを記録したという。内容はふだん経験したことや、最近経験したこと、ふだん考えていることが多かったという。たとえば熱海では、散歩したことや、訪問や会合のことや病気の療養のことが多かった。

 場所としては、一番多かったのは、東京、郷里、つぎに熱海であった。また夢について、身体の具合の悪いときに、夢を見ることが多いこと、夢と夢の間に数日をへて連絡があること、恐ろしい夢は、身体または精神的に不快や苦痛の感覚があるときに生ずること、夢には空間的配置や時間の順序が不明確であること、夢と事実とは大きな相違があることを指摘している。こうして自分の夢を集計して考察しているが、その考えも妥当であり、心理学的研究としても興味深い。

 「仏教夢説一班」(『甫水論集』二四九―二七〇ページ) これは仏教の中に見られる夢の事例をあげ、その種類、説明、夢の仏教的意義について考察したものである。夢の生起の理由として、たとえば無明習気(煩悩)・善悪先徴(善悪・吉凶の夢告)・四大偏増(心身の不安定)・巡遊旧識(見聞したことへの思い)などを引用しているが、これは心理的説明であり、いずれも納得できるとしている。しかし仏教では、無我無常であり、世界の現象は虚仮無実であることを証明するのに、夢をあげて、夢、幻のごとしと説いているとまとめている。

         3 重量感覚の実験

 「人の感覚を測定する法」(『甫水論集』三八一―三八九ページ) これは重量感覚に関する実験心理学的研究である。重量感覚というのは、錘を親指と人差指とでつまんだり、手掌にのせて重さを感ずることである。井上は同じ直方体(長さ約六センチ、幅約四・五センチ、高さ三センチ)のものを、重量に差をつけて、八種類で四〇個つくり、その重量を比較し推定させ、軽いものよりしだいに重いものへと並べさせた。その正答数の平均値をとって、学校別に比較を行っている。わが国ではまだ実験心理学が十分に根づいていない時期に、このような自ら心理的実験を行っていることは注目すべきことである。

         4 創造性

 井上は創造性ということばを使っていないが、創造および創造性に関連する思想やその開発の方法について述べている。また井上自身が創意工夫の人物であったということである。

 『妖怪学講義』によれば、神童と偉人について、つぎのように述べている。いわゆる天才論である。神童とは、生来すぐれているもので、幼い時は神童といわれているが、後によい結果が出る人とそうでない人がいる。一般には早熟というものは早衰するといわれるが、晩成のものもいる。しかし早熟のもので、非凡な人になった例が少なくないとして、その例として、親鸞、道元、菅原道真、J・S・ミル、モーツァルト、林羅山などをあげている。そして神童とは、心理学的に見て、観念の連合配置と注意集中力が智力の作用に影響している。その点偉人が智力のすぐれているのは、いろいろな要因があるとしても、「心力の一方に集合する力」すなわち注意集中力の強さによるものだと述べている。そしてこの注意集中力の発育は、教育によって行われることが大切だという。

 井上に『活用自在 新記憶術』という本がある。これも記憶を促進することよりも、「失念術」といって記憶をさまたげるものを除くことを強調し、しかも記憶にもとづいて観念を自由に運転活用し、思想力を養うことの意義を強調している。これは思考の創造的な働きを示している。その点『新記憶術』は創造性の開発を示唆している。この点については、本選集第一〇巻にとりあげているので、この程度にとどめておくことにする。

 井上は学問の日常生活への応用すなわち実用化を重視し、いろいろな創意工夫を自ら行っている。『哲学うらなひ』では、新しい易占法を工夫している。すなわち従来の卜筮(ぼくぜい)は、これによって人生の吉凶禍福を予知するのは妄想にすぎないとして、易理を学ぶとともに、従来の筮法を変えて、論理学を用いて筮法をつくった。物事の取捨選択に迷ったとき、運を天にまかせる場合、この筮法を使うとよいといっている。

 また発明工夫の書ともいうべき『改良新案の夢』を出している(哲学館、明治三七年)。この本では自分で工夫したアイデアの具体例を四四あげているのが興味深い。たとえば「黒板の改良」といって、黒板を皮でつくり、上下に回転でき、まわるとき白墨で書いた跡をブラシでふきとる仕掛けを工夫している。また「鉛筆の改良」といって、木は削りにくいので木の代わりに白墨を用い、鉛筆の芯を入れる。白墨は木よりこわれやすいので、その周囲に強い紙を巻くというのである。またそのころなかった漢字タイプライターを工夫したらどうかと提案している。「漢字を活字に組む法」では、漢字を分析して活字を組みたてる法を案出している。これは今日中国語のワープロに出ているアイデアである。そのほか「船に酔わない法」とか「そろばんの改良」などいろいろなアイデアを出している。別に理論的な裏付けがあるわけではないが、創造性の研究の面からみると、発明工夫の先駆的な書物として興味深い。

         5 禅の心理

 「禅宗の心理」(『甫水論集』一四九―一五九ページ) 井上円了は「禅宗は見性悟道を教えているが、見性悟道とは、自己の心地を開いて、本来の面目を現すのだ」という。すなわち禅は、仏性(真の自己)を究明することだというのである。「その法則には古則公案があって、公案とは古人の悟道法則ともいうべきものである」という。そして「坐禅には調身、調心の二法がある。調身の法によって、身体を安定にし、調心の法によって心を寂静にすることができる」という。

 そして、「禅は調身、調心によって、心性の本分を開発する」といい、この心性の本分の開発とは何かについて、心理学的説明を試みている。「心理学でいう知情意は、心的現象で、こういう心的現象があるからには、その心性の本体がなければならない」という。井上はこの心性の本体を心体という。「この心体が外界との間で生起するのが知情意であって、心的現象というのである。だから心的現象と心体との関係は、風が吹いてきて、水上に波を起こすのと同じく、心体の上に外界の現象が映し出され、あるいは刺激によって心体上に起こす波が、知情意の心的現象である」という。そして「この心的現象は、外界の刺激によって起こる波だから、その性質は有限で相対的である。しかし心体は、有限相対を超越して、無限絶対のものである。仏教はこの心体を認め、禅はこの心体を究明しようとするものである」という。

 また、この心体は禅では、真の自己のことであるが、本来の面目とも、本地の風光ともいう。そして「禅の求めるものは、常に心の中の自己の本来の面目(真の自己)であって、心の外に求めているのではない」という。

 「通常の心的現象、すなわち知情意は、有限にして相対的なものであるから、この心の動きがやまない間は、絶対にして無限の心体(真の自己)は現れない。そこでこの動く心的現象を止め、知情意を寂静にして働くことがないようにして初めて、真の自己を見ることができる。故に坐禅は、この動いてやまない迷いの雲をはらうようなもので、知情意の働きを止める方法である。すでに有限性、相対性の雲を去り、迷いがはれるとき、ただちに真の自己が現れる。それはちょうど水の波が静かになると、水の本質が現れるようなものだ。」ただし「これは心がひとたび死んだ境涯であって、これから生まれかわる境涯にいたらなければならない」という。これは「大死一番絶後に蘇生える」ということで、精神的に自他が対立している自己が死んで、自他一如の自己として生まれかわることを示している。そして井上は「死んで生まれかわる」というのはどういうことかと自問し、つぎのように自答している。「心的現象は有限性を持っているが、その裏には無限の性質を持っている。たとえば外界を知ることのできる知性は有限であるが、多少不可知の対象を知り、さらにその対象と一つになろうとする傾向があるのは、知性に無限の性質があることを示すものだ。これと同様に感情も意志も、有限性と無限性の両面を持っている」という。

 そして井上は、「これを無限絶対の心体から説明すると、さらにはっきりする」という。すなわち「心的現象は心体から起こり、有限相対の知情意も、裏面は無限絶対の心体であるからだ」という。こうしてみると、心体は真の自己で、本質の世界を示し、心的現象は、その働きで、現象の世界を示しているといえよう。

 以上のように井上は、たくさんの先駆的な心理学的業績を出しただけでなく、通信教育という新しい教育方法を用いて、一般大衆に心理学の教育をしたことも、その業績にあげてもよいと思う。

 つぎに、収録した三冊の本について解説を述べようと思う。

 

   心理摘要

 「明治年間に於ける心理学発達の資料」(『心理研究』第三巻、大正二年)によると、明治一九年(一八八六年)までに心理学に関する書物は七点刊行されている。ついで二〇年代(一八八七―一八九六年)には四二点、三〇年代(一八九七―一九〇六年)には一一一点、四〇年代(一九〇七―一九一二年)には八一点が刊行されている。

 わが国に科学的心理学を導入した元良勇次郎は、明治二一年九月に東京大学で講師となり心理学を講じている。そして明治二三年に『心理学』(金港堂)を著している。これは欧米の心理学の諸学説をとり入れた上で、元良自身の識見をとり入れた、わが国最初の体系的心理学書といわれている。

 しかし井上円了は、明治二〇年に『心理摘要』の初版を発行している。この本は元良と同じく、欧米の心理学説をとり入れ、井上自身の考えにもとづいてまとめてきたものであり、しかも体系的なものであるので、最初のものといえば、ほかに類書はたしかめえないが、井上のものが元良のものより早く出版されていることはまちがいない。

 本書は大冊ではないが、心理学に関する多くの内容が簡潔にまとめられている。

 まず初めに「心理学系統史略」と称する心理学小史があげられている。これは日本大学の児玉斉二教授によると、わが国の心理学史の最初のものではないかという指摘があるが、哲学史と心理学史の接点をなすもので、世界最初の心理学実験室をライプチヒに建設し、実験心理学を世界にひろめたブント(Wundt・W・M・1832~1920)まで言及している。

 井上によると、本書は、イギリスの実験心理説すなわち連想心理学の建設者の一人であるハートレー(Hartley・D・1705~1757)の連合説と進化論的連想心理学者のスペンサー(Spencer・H・1820~1903)の進化論的連合説を参考にして、これらをまとめてその大要を示したものであるという。その点ドイツの実験心理学は、学者の名前をあげているが、くわしい説明はしていない。

 本書の内容の構成は、緒論、種類論、発達論、感覚論、知覚論、実想論、虚想論、情緒論、意志論、結論から成り立っている。

 緒論では、心理学とは、自己の本来持っている精神作用すなわち心性作用を論究する学をいうのだという。

 およそ学問は、みな心理学と多少関係を持つもので、特に教育学、倫理学、論理学が心理学と密接な関係を有するという。そこでいやしくも学理を研究しようと思うものは、必ずまず心理学を学ばなければならないとまでいっている。すなわち心理学を臨床、司法、宗教、政治、教育、芸術などの仕事で人間の心理の理解に役立つといっている。

 心性は、その実体を心体といい、そこから生ずるものを心象という。そこで心理学は心象の学である。すなわち心理学は心理現象を研究するものであるというのである。その点哲学は心体の学である。古代の心理学は、心体の学であるのに対して、今日の心理学は、心象の学であると述べている。このことは心理学は、哲学から分化して、哲学的心理学が生じ、やがてそれから実験心理学という科学的心理学が生まれてくることを示している。

 種類論では、心性を感情、智力、意志の三つに大別している。智力とは今日でいう広義の知性、狭義の知能のことである。

 井上は、感情を感覚と情緒に分け、感情の中に感覚を入れている。すなわち感覚は感情の単純なもの、情緒は感情の複雑なものとして区別している。しかし今日では、感覚は感情と切り離して論じている。

 智力は事物を識別思量する作用で、これを外覚と内想とに分ける。外覚は感覚と知覚とに分ける。すなわち現在でいう環境認知である。内想は心内で想出推理する作用だという。すなわち想像と思考の働きをいっている。この内想は実想と虚想に分けられ、想像は事物の実態を具体的に再現する働きであるから実想である。それに対して思惟すなわち思考は、事物の実態を離れて考え出すものだから虚想だといっている。これは想像は思考より具体性が強く、思考は想像より抽象性が高いという意味で、そう分類しているのであると思う。

 意志は、井上は外界に向かって命令実行する心性作用だといっている。今日の心理学では、意志というコトバはあまり使わない。その代わりに要求、欲求、動機という概念を使っている。

 そして感情、智力、意志の三者は、互いに関連しており、それをはっきり区別することは難しいと述べている。

 発達論では、人間の感情、智力、意志は、未発達の感覚、運動より進化したものだという。ここにスペンサーなどの進化論的連想説の影響が見られる。智力の発達は、感覚↓知覚↓再想(再生的想像のこと)↓構想(構成的想像のこと)↓概念↓断定↓推理と発達するという。知覚は感覚より生じ、感覚より複雑なものと見る。構想は再現より生ずるもので、今までにないものを構成するのだとしている。虚想は実想から生ずるもので、概念は実想より変化したもので、断定は二個の概念が相合して生ずる思考作用で、推理は一つの断定から論究して、その他の断定へ結びつけることをいうのだという。そして智力は、経験より生ずるものだという。

 また感情、意志の発達は、智力の発達の規則(法則)に従うものだという。智力のうち生まれながらのものを本能とし、教育によらない生来持っている知識であるという。今日では、人間の場合、一般に本能の概念を用いず、動機、要求などが使われている。しかしときには動物との比較において、本能の概念を用いることがある。

 感覚論では、井上は感覚を視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、有機感覚に分ける。しかし現在では、そのほかに運動感覚、平衡感覚、内臓感覚などがつけ加えられると思う。井上は有機感覚の説明はしていないが、これは狭義では内臓感覚(空腹、渇、尿意、便意、嘔気など)をいうが、広義では運動や平衡の感覚も含まれる。井上はこの六感覚のほかに筋覚をあげる。これは運動の感覚と抗抵(抵抗のこと)の感覚を含めている。この場合、抗抵の感覚とは、手足または全身をもって外物に接触衝突して起こるところの感覚で、外物の固質、重量、弾力性等を知ることができるという。これは今日でいえば、運動感覚であって、これは有機感覚の説明としてあげたものと思われる。

 知覚論では、感覚と知覚の異同を論じている。すなわち感覚は、単純で、刺激を感受するのみで、受動的で、再現作用は少ない。これに対して知覚は、複雑で、事物を認識し、能動的で、再現作用が多いという。今日においても、その考えは妥当である。すなわち知覚は感覚とくらべて、事物の認識または認知が重要である。また時間的、空間的な内容をとらえていることが大切とされている。

 実想論は、想像論である。知覚によってえられた影像(心像のこと)を再現するのを再想(再生的想像のこと)といっている。これを暫時の影像と久時の影像とに分けている。暫時の影像は、今日でいう残像である。久時の影像は、若干の時間をへて、その影像を見ること、すなわちここでいう再生的想像のことをいっている。つぎに再生された心像にもとづいて、これを変えて新しい心像をつくり出すのを構想(構成的想像のこと)という。これは今日創造的想像といって、創造性の特徴を示すものである。

 またこの両想は、連想の規則(法則)によって生ずるという。連想は観念の連合であり、付近連想、類同連想、背反連想の三つをあげている。付近連想は、空間上の付近と時間上の付近の二種があるという。空間上の付近(接近)した連合は、今日では隣接連合といい、時間上の付近(接近)した連合は、今日では継時的連合といっている。背反連想は、同種類の全く反対の連合をいうが、今日では逆連合といっている。

 記憶と再想との区別は、いずれも連想にもとづいているが、記憶は前に知覚したものと差異がないことを保証するものだという。その点再想は記憶の心像により変容があると述べている。

 虚想論は、思考のことだ。これを比較作用と分合作用に分ける。比較作用とは、二個以上のものを互いに比較対照して、その間の類同点と差異点を発見することをいう。つぎに分合作用とは総合と分解とを合わせたものだという。分解とは分析のことだ。このほか抽象作用と概括作用をあげている。

 井上は断定作用に密接な関係を持つものとして信憑作用(あるいは信仰作用)をあげている。これは今日では信頼ということで、その反対が疑惑であるといっている。

 情緒論では、情緒を単情と複情に分け、第一二節の表に示すように驚、愛、怒、恐、我、力、行の七情をもって単情とし、同、智、美、徳、宗の五情をもって複情(単情の複合したもの)とし、合わせて一二情としている。今日このような分類はしていない。

 この中で問題となるのは、力情である。力情とは、力量を比較してその優れるのを見るとき、喜びの情であるという。現在は使われていないが、優越感がそのままとはいえないが、これが基礎にあるといえよう。行情とは、行為を施して目的を達するのを喜ぶの情という。これは達成感というべきもので、動機でいえば、達成動機に相当すると思う。

 複情のうち、同情とは、現在でいう思いやりとか共感ともいうべきものである。智情、美情、徳情、宗情は、今日では情操すなわち高次の精神活動にともない、一般に文化的価値を志向する感情ということが多い。それぞれ知的情操、美的情操、道徳的情操、宗教的情操に相当する。

 意志論では、井上は意志を心性の外界に対して発示せる行為挙動と定義し、内外両作用に分ける。内作用とは、外界に発示せざる心内の意志作用をいい、外作用とは、すでに外界に発示せる心外の意志作用をいっている。内作用は今日でいう意図というべきもので、外作用は意図の実現または意志行動ともいうべきものであろう。

 意志作用に必要なものとして体欲すなわち肉体上の欲と願望すなわち精神上の欲に分けている。これらは今日では欲求、要求または動機としてとりあげられているものである。意志の衝力とは、動機のことをいっている。克己作用は、高等の目的を達成しようとして下等の動機を制することだという。すなわちセルフ・コントロール(self・control)、自己の欲求の直接的な満足や情緒のあからさまの表現を抑え、状況に合った行動がとれることに相当すると思う。

 なお第五版(明治二八年)には、巻末に「東洋心理学大意」を付録として加えている。これは東洋心理学の概要を示したもので、ここでは割愛したので、くわしくは『東洋心理学』または『仏教心理学』(第一〇巻)を読んでいただきたい。

 

   通信教授 心理学

 井上円了は『通信教授 心理学』の第一巻を明治一九年に、その全巻を明治二一年に出している。そして『心理摘要』を明治二〇年に発刊している。こうしてみると、井上は大衆のための高等教育としての、今日でいう通信教育を始め、その講義に心理学をとりあげ、自ら講義している。

 『心理摘要』が簡潔なテキスト調で書いてあるのに、この『通信教授 心理学』はいわゆる講義調で、井上の講義をそのまま口述したような語り口である。その点この本は『心理摘要』とくらべると、井上の個性があふれ出ている。

 井上は、物事をはっきりいうタイプの人で、同僚の中には、よくもあのように断定的にいえるものだと驚いている人もいるくらいである。そこで独断的なところも出てくるかもしれないが、逆に独創的な考えも出てきており、読んでおもしろいところも出てくるのである。

 本書の内容は、緒論、種類論、発達論、神経論、感覚論、知覚論、現想論、構想論、概念論、断定論、推理論、単情論、複情論、単意論、複意論、心象論、心体論から成り立っている。

 『心理摘要』との異同を見ると、本書では新たに神経論をたて、神経生理学の問題を論じている。現在においても、この問題は重要であり、新しい心理学のテキストには、必ずとりあげられている。『心理摘要』では、現想論、構想論はまとめて実想論として、概念論、断定論、推理論はまとめて虚想論とし、単情論と複情論は情緒論とし、単意論と複意論は意志論としてまとめている。また心象論、心体論は、『心理摘要』の緒論で論じている。こうして見ると、本書は『心理摘要』を展開したもの、逆に『心理摘要』は本書を簡潔にまとめたものといえよう。その点本書は、『心理摘要』とくらべて、井上の個性や創造性がより発揮されている。

 緒論では、井上は心理学を講ずるのは愉快である、心理学はおもしろいものであるといっている。そして心理学の実用化、応用を重視している。

 ここで『心理摘要』では、感情というのを、本書では情感といっている。今日では感情といっている。井上は感情を感覚と情緒に分けるが、その主たるものは感覚ではなく、情緒であるということから、情感というコトバを使っているようだ。

 井上は心理学と諸学との関係で、「学問の起こるは全く心理の発達によるをもって、心理学は諸学の基礎たるは当然のことなり」といっている。井上は「哲学は諸学の基礎である」といっているが、心理学が形而下哲学に入れられている以上当然なことと思う。この場合、井上は心理学を学問の重要な方法として利用してきたことがわかる。また心理学を学ぶには、他学とくに生理学、動物学また物理学、化学を学ぶ必要があるといっている。今日でいう学際的研究をすすめているが、井上自身こうした研究のしかたをしてきたのである。

 種類論では、井上は西欧の心理学を説明するのに、中国思想や仏教の説を引用している。たとえば中国では、通常、心性を分けて性と情の二つに分けている。朱子は「性は心性、情は性の動なり」といって、一つは心の本体、一つは心の発動であると述べている。仏教の説によると、智力(知性のこと)は、心王、心所の二者に関係するが、主として心王に属するという。心王とは、心の主体とその概括的な認識をいい、心所とは心王にともなって働く心の作用のことをいう。

 発達論では、智力の図解が『心理摘要』と若干異なっている。すなわち本書では、智力は表現と内現に分けられる。そして外覚が表現に、内想が内現に、再想が再現(現想)に、構想が構成(構想)に、虚想が虚想(思想)になっている。

 第九段遺伝順応というところで、「遺伝に対して順応の規則あり。順応とは自体を変化して環象(環境のこと)に適合する規則にして、教育、経験等によりて生ずるところの変化は、総じてこの規則に属するものなり」とある。この順応については、今日では適応(adjustment)というコトバのほうが多く使われているようだ。

 神経論は、神経生理学、生理的心理学の領域である。井上は心性の所在、心身の関係、および心性各種の作用を明らかにするために人身の構成、神経の組織を論ずるのだという。現代の生理的心理学は、行動の心理的機能と生理的機構との間の対応関係を研究する科学である。すなわち心象の相互関係を明らかにしようとするものである。

 心と体との関係については、心身問題として、哲学において論じられ、一元論か二元論か、唯心論か唯物論か論じられているが、これらは今日でも未解決の問題である。井上は唯心論か唯物論かというと、哲学的にはいずれも一理がある。その真非の判断は難しいが、一般的には唯物論が正当のように見える。しかし物外無心と断言することはできず、そうすると論理的にかたよった見方をしてしまう。そこでどちらかにかたよるのは間違いだと述べている。そして心の働きは、生理学的に裏づけようとしても、十分にはできていない。心の働きは全く不思議なものであると感動している。そして「心理学を研究するものにあらずんば、だれかよくこの妙味を楽しまんや」とまでいっている。

 現想論(再現論)では、影像(心象)を暫時影像と永時影像に分けている。『心理摘要』では久時影像といい、本書では永時影像といっている。そして、これは若干の時日をへて、その影像をとどめているのだと説明している。その点、内容は変わらない。記憶の問題は、今日の心理学では、かなりくわしく論じられている。本書でも『心理摘要』でも、記憶の記述は少ない。記憶は、種々の連想相合して生ずるものだとしている。ここでは記憶は影像の再現として論じている。

 構想論では、構想(構成的想像)を三つに分ける。智力構想、意力構想、情感(審美)構想である。智力構想は、新知識を生み出すものである。意力構想は、新しい行動を生み出していく、行動の模倣から創造を生み出す想像である。情感構想は、快楽をうるための構想で、審美的構想を含むという。こうして見ると、構想は、新しい心像を生み出していく創造的想像である。

 概念論、断定論および推理論は、今日でいえば哲学的心理学に入る領域である。哲学とくに論理学の問題としてとりあげられてきたが、今日ではこうしたやり方で論ずることはしなくなった。しかしこれらの問題は、今日では思考、言語、概念形成の問題として、また思考と言語、問題解決という問題として研究されることが多い。

 複情論では、同情についての記述があるが、今日これは思いやり、愛他心とくに共感に相当する。共感(empathy)は、相手の立場に立って相手の感情をあたかも自分のことであるかのように感じとることをいう。しかし同情(sympathy)には、人の苦痛を見てかわいそうと思うが、それとくらべて自分のほうがよいと優越性を感ずることもある。そこで人間は共感はしてもらっても、同情はしてもらいたくないというところがある。その点井上は「人の苦痛を見て同情の動くときは苦を感ずるのは常なれども、またあるいは人の苦を見て愛憐の情を動かし、かえっていくぶんの快を覚うることあり」といって、同情には、苦ではなくて、快を感ずることがあるといっている。これこそ同情が共感とちがう特徴であると思う。

 第一二段良心起源では、徳情の本心たる良心を明らかにしようとしている。今日でいう道徳性のことである。この中で愛他心は自愛心から生じているといっている。そして自己を愛すれば、おのずと他を愛するようになるといっている。しかし西欧で愛他心(altruism)は、利己主義と対照となるもので、他人を尊重し、その利益や幸福のために自己を犠牲にすることだという。こうして見ると、井上の考えの中には、自己を自他一如のものとしてとらえている思想、すなわち仏教思想の仏性や中国思想の仁といった考えがあると思う。

 複意論では、意志は単意と複意に分けられ、単意は自然の衝力(動機のこと)によって生じ、複意は思想、論理力によって生ずるといい、複意を高等の意志と述べている。複意の特性として、井上は努力作用、思慮作用、選択作用、決定作用、忍耐作用、克己作用、道徳習慣、意志自由をあげているが、いずれも自己の行動を主体的に調整するセルフ・コントロールの特徴を示すもので、一般には動機や要求の問題として扱われているものである。意志については、今日の心理学ではほとんど論じられていない。

 結論は、心象論と心体論に分けられる。心性を心体と心象に分けている。心体は心性の実体であり、心象はそこから生ずる作用である。この心体は、内外両界、物心万境の本源実体であって、理想と名づけている。これは仏教でいう真如、哲学的には本質、中国思想では太極などといわれているものである。

 この心体は、仏教では物心一如、身心一如のものだと述べている。これは仏教でいう自他不二の真の自己すなわち仏性というのと同じものである。この心体の究明は、哲学の課題であって、今日の心理学では扱っていない。しかし哲学的心理学または東洋思想を基礎とする東洋心理学では、研究課題になると思う。

 最後に付言として、井上が研究している妖怪に関する事実の報告を読者に依頼していることもつけ加えておきたい。これは井上の心理学的関心の一つを示すものである。

 

   東洋心理学

 この『東洋心理学』は、中国、インド、日本における心理説を比較考察するために書かれたもので、その中でとくに仏教の心理説を中心にまとめたものである。仏教の中の心理説としては、『倶舎論』と『唯識論』の二つがあるが、これらは心理学というよりは、哲学に属すべきものだといっている。西洋の心理学は客観的心理学であるが、仏教の説く心理学は、主観的心理学であるという。

 『東洋心理学』はいつ発行されたか不明であるが、明治二七年という説があるので、この説をとることにする。『仏教心理学』は明治三〇年に発行されている。また両者を比較してみると、『仏教心理学』のほうが、内容がよく整理されている。いずれにしても『東洋心理学』は、『仏教心理学』の発行以前に出されたものと思われる。

 本書の内容は、端緒(緒論)、心の名義、第一門 物心二元論すなわち『倶舎論』の心理・・客観論(物質論、世界論、人身論)、主観論(分類論、心象論、心体論、因果論、惑業論、善悪論、苦楽論、涅槃論) 第二門 唯心一元論すなわち『唯識論』の心理・・有為論(心象論、心体論、体象関係論)、無為論、結論から構成されている。

 まず心の名義(定義)について説明している。仏教では、心に心、意、識の名を与えている。心はチッタcitta(質多)といい、精神作用の全体または中心となるものである。意識とはマナスmanas(末那)といい、思考作用である。識はビジュナーナvijnanaといい、認識作用である。

 『倶舎論』では心意識をわけて眼、耳、鼻、舌、身、意の六識にしているが、その主体は一つであって、心、意、識も異なった名前をつけたが、もともと同一のものだとしている。ただ『唯識論』では、八識に分け、第八阿頼耶識を心といい、一切の種子(過去の経験のイメージと気分)を保持していて、すべての心の作用を起こすのである。これに対して前六識を識、第七末那識(自我執着心)を意というのだとしている。

 これを中国ではどうかというと、心とは心意の総称であって、荀子の説によると、心は身を支配する根本であるという。また意は意志に近いという。

 つぎに小乗仏教の心理として、『倶舎論』の心理について、くわしく述べている。

 『倶舎論』の心理では、心を中心とした働きに関する現象を七五種に分け、これを五つに大きく分類している。すなわち色法(物質的なもの)、心法(心の働きの主体)、心所有法(心の働き)、心不相応行法(色法、心法、心所有法でもない存在のあり方)、無為法(生滅の変化なく、働きを起こすものがないもの)に分けている。

 つぎに仏界の外界論として、物質論、世界論、人身論について論じている。井上は仏教はもともと唯心的なもので、外界の説明も心理的なもので、主観的であるという。

 この中で三界論は、仏教の世界観で、いずれも迷いの境界であるが、欲界、色界、無色界から成っている。欲界は、もっとも下位にあり、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天の六道がある。また欲界の天を六欲天という。色界は欲界の上にあり、浄妙な物質からなる世界で、四禅(四種の禅定)を修めたものが死後生まれる天界である。無色界は、優れた禅定に住するものの世界である。これらはいずれも心の境界にもとづいて分類したもので、井上は、仏教の天文地獄説は、一方において勧善懲悪の手段とし、一方には当時の天文学地質学等の状態を示すものだといっているように、人間の心のあり方によって住む世界の違うことを示している。

 人身論は、仏教では五蘊であるとしている。五蘊とは、色、受、想、行、識の蘊から成るという。色は身体的要素のこと、受は感受作用、想は表象作用、行は意志作用また受、想、識以外の心の作用をいう。識は認識である。われわれの個人は、この五蘊の結合によって成立しており、主体の我が存在するものではないこと、すなわち本来無我であることを示している。すなわち我ありとするところに迷いや悪が生ずるものだというのである。

 仏教心理の主観論として、分類論、心象論、心体論、因果論、惑業論、善悪論、苦楽論、涅槃論の八つに分けている。

 『倶舎論』では、心所すなわち心の働きを四六種の法があるとする。これらの法の活動する主体として心(心王)を考えた。四六種の心所は、六種に分け、それぞれ解説を施している。

 心体論では『倶舎論』においては、心所法すなわち心の現象を扱っていて、心体そのものについては論究していないといっている。

 因果論では、六因四縁五果について説明している。これを『倶舎論』にもとづいて述べている。井上は西洋諸学の因果法は、客観的、物質的であるのに対して、仏教のそれは主観的で、心性的であるとしている。また仏教では心性はその法則に支配されるという点では、心理学と一致する。しかし仏教と諸学のちがいは、仏教は唯心的だが、諸学は唯物的であるといっている。

 惑業論は煩悩論である。すなわち心の迷いとそのために生ずる心口意の上にあらわれる行為について論じている。煩悩惑業はわれわれの無知無明から生ずるといっている。そこで智力を開発すれば、その迷執をはらって、悟りが開かれる。これが仏教の特徴だという。

 苦楽論では、仏教は、苦を避けて楽をもたらすものであるという。すなわち仏教は転迷開悟(迷いを転じて悟りを開くこと)もしくは脱苦得楽(抜苦与楽ともいい、人々に苦を抜いてやり、安楽を与えること、すなわち慈悲のこと)であるといっている。

 涅槃論は、仏教の根本的教説である三宝印すなわち諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の中の涅槃寂静である。これは苦の滅した安楽の境界である。この説は、小乗仏教は、大乗仏教とくらべて消極的であるといっている。

 そこでつぎに大乗仏教の心理として、『唯識論』の心理について述べている。

 心象すなわち心的現象は、小乗仏教の体系である『倶舎論』では、五位七十五法を説いているが、大乗仏教の体系である『唯識論』では、五位百法を説いている。

 心の主体とその認識である心王は、眼、耳、鼻、舌、身、意の六識と第七識末那識と第八識阿頼耶識に分ける。五識までは感覚であり、第六識は想像、思考であり、第七末那識は自己に執着している心である。阿頼耶識は、意識の下にある無意識で、これから一切の心的現象が生ずるので根本識という。以前に経験した印象がたくわえられ、これが後の心的作用で引き起こす原因となる。このような心的作用の可能性を種子という。阿頼耶識は、このような種子をたくわえているので蔵識という。この自己にとらわれた迷いの種子があるときは末那識といい、迷いの種子がなくなると、智慧に変わるという。

 阿頼耶識には、「種子が現行を生ずる」という方向と、「現行が種子を薫ずる」という方向がある。現行(現実の行為)は、種子より生ずるということである。またある行為が潜在化して、種子を阿頼耶識に薫習する、すなわち植えつけ、それが後の行動に影響を与えるということである。

 体象関係論では、心体と心象、すなわち心王と心所、心の主体とその働きとの関係について明らかにしている。

 四分論では、認識作用を相分、見分、自証分、証自証分の四つに分けている。相分とは見られるものの映像、見分とは見る作用、自証分とはその見るということを確認する作用、証自証分とはその確認をさらに認知する作用である。

 三量論では、三量すなわち現量、比量、非量という三種の認識方法を解説している。現量とは知覚の作用、比量とは想像および推理の作用、非量とは知覚や推理の誤用をいう。非量は似現量と似比量とに分かれる。似現量とは、誤った知覚であり、似比量とは、誤った推理である。

 三類境論では、相分すなわち認識される対象が、どれだけ現実を根拠としているかということだ。三類境は、性境、独影境、帯質境の三種に分けられる。性境とは、正しく認識された対象である。独影境とは、現実と関係なく、作意によって心に浮かぶ映像で、幻覚がそれである。帯質境は、正しく認識されなかった対象で、錯覚や誤認の対象である。

 無為論では、無為法について論じているが、これは(原因、条件)によってつくられず、その影響を受けないものをいう。そして有為法すなわち因縁によって生じ、ある時間がたつと滅するものと区別される。『倶舎論』では、虚空、択滅、非択滅の三無為を説き、『唯識論』では、これに不動、想受滅、真如を加えた六無為を説く。ただしこれらの六種の無為法は、真如法性が禅定においてあらわれる諸側面をいうのである。

 井上は、唯識説における真如と世界との関係について、三性説をあげて説明している。

 三性とは、依他起性、遍計所執性、円成実性である。依他起性とは、一切の事物は、他(さまざまな因縁)によって起こるものであるということである。ところがわれわれは自己のみならず、すべての事物を実体的なものと思いこみ、それに執着する。苦悩はこうした虚妄の認識から生ずる。これを遍計所執性というのである。そこでこうした虚妄の遍計所執性と離れ、依他起性の認識ができるようになったのが円成実性というのである。