1.真理金針

真理金針(初 編)

   〔初 編〕

     余が疑団いずれの日にか解けん

 余輩つらつら仏者社会の実況を観察するに、疑団氷結百方とくことあたわざるものあり、奇々怪々万慮解することあたわざるものあり、その故なんぞや。曰く、仏者口に自教を興すを唱えてかえってその衰微をきたし、心に洋教の廃滅を祈りてかえってその弘流を助くるがごとき事情あり。はなはだ怪しむべし、あに疑わざるべけんや。余試みに仏者中の有力有志者を分析するに、左の種類を得たり。

  第一類 ヤソ教の外、仏教の敵なし。

   (甲種) ヤソ教は浅近憂うるに足らず。

   (乙種) ヤソ教は富強大いに畏るべし。

  第二類 ヤソ教の外に仏教の敵あり。

   (甲種) 理学は百般器用の学のみ恐るるに足らず。

   (乙種) 理学の高尚なるも、仏教の幽妙なるにしかず。

   (丙種) 理学哲学共に仏教の遠く及ぶところにあらず。

 右のごとき思想見識を有するものは、すなわち仏者中の有力有志者にして、その他は平々凡々憂うることなく、恐るることなく、頑愚これ可とし、旧習これ守り、すこしも社会風潮のいかんを知らず。恬として教誨の盛衰を顧みざるものなり。余未だ卓識活眼一世を圧倒すべき才学を有する人あるを知らず。たとえその人あるも、余未だその人を聞かず,たとえこれを聞くも、余未だその人を見ず。果たしてしからば、仏者中の有力有志者はこの二類五種の外に出でずというも可なり。これを要するに、この二類五種なるもの、一は自ら許すこと太過、一は他を畏るることその当を失するの二者に外ならず、共に井蛙管見のそしりを免れざるなり。今その種類中互いに相論ずるところをみるに、甲はヤソ教のごときは妄誕不経、浅近卑小論ずるに足らず、憂うるに足らずと自ら許し、更にそのなんたるを問わず。乙はヤソ教の勢力のさかんにしてそのこれを信ずるものの、知徳志気の兼備したるに驚駭し、断然これと盛衰を争うべからざるものと自信し、仏教衰滅の時運に際会したるをもって、人力のよく維持すべきにあらずと自嘆し、更にこれを再興せんことを思わず。また甲なるものありて、西洋学の世間に行わるるを評して、かの学は百般器用の便宜を講ずるにとどまりて、高尚の理を究むるにあらず、あるいは仏理実験を究むるにとどまりて、仏外の道理を論ずるにあらずとこれを擯斥して、すこしも理学の恐るべき、哲学の驚くべくゆえんを知らず。つぎに乙は、西洋哲学の論ずるところ高尚は高尚なりといえども、これを仏教に較すれば倶舎、唯識の所談に過ぎざるをもって、華厳、天台よりこれをみれば、いたって浅近卑下なるものなりと自ら誇り、安座高臥して更に自教の盛衰をかえりみず。つぎに丙は、理学の恐るべき、哲学の驚くべき、仏者千思万慮百方力を尽くすも、到底これに抗抵すべからざるものと覚悟し、自ら教法の学者社会に弘むべからざるものと信認して、早く山里僻郷に隠遁し、愚夫愚婦の間に篭居せんと欲す。余をもってこれをみれば、以上の人々のごとき、その許すところ、その信ずるところ、実に怪しまざるべからず。みだりにヤソ教および西洋諸学を斥するはもとより僻論にして、また故なくしてこれを恐るるもまた愚なり。かくのごとき仏徒、なにほど相会して法城を護持せんと欲するも、余そのあたわざらんことを信ず。すべて西洋諸学は一方よりこれをみれば、実に浅近なりといえども、他方よりこれをみれば、また高尚なり。ヤソ教は、皮相よりこれをみれば深く憂うるに足らずといえども、精神よりこれをみればいたって畏るべし。仏者のかれを評する、おのおのそのみるところ異なるをもって、あるいはこれを擯斥し、あるいはこれを驚怖するに至るなり。故に以上の論者のごときは、みな一を知りて二を知らず、一面を見て全局を見ざる者というべし。請う、見よ、ヤソ教の天地創造を論ずるは虚想に属するに似たりといえども、その極理に至りては動かすべからざるものあり。ヤソ上天を説くは妄信に出づるがごとしといえども、またしかるべき理なきにあらず。かつそれ倶舎の説くところ、唯識の立つるところ、天台の談ずるところ、これを西洋に比考するに、もとより大同小異なきにあらずといえども、その諸学の今日すでに論ずるところなり。これをいかにして、西洋にはかくのごとき道理なしと断言するをえんや。これによりてこれをみれば、ヤソ教もあえて憂うるに足らざるところあり、また大いに恐るべきところあり、理学哲学もあえて恐るるに足らざるところあり、また大いに驚くべきところあり。しかしてその憂うるに足らざるには、足らざるの道理なくんばあるべからず。恐るべく驚くべきには、またその原因なくんばあるべからず。その道理原因のあるところを捜索して、真理の有無を論究する、これ真に他教諸学を駁し、自教を開くものというべし。しかるに世間の仏者、ヤソ教を論ずる真にその教理の本源を知りて論ずるにあらず。その西洋諸学を評する、その学のなんたるを究めて評するに非ず。しかして自らおもえらく、われは真にヤソ教を駁するものなり、われは真に諸学を排するものなりと。これ余が疑団の百結して、解くあたわざるゆえんなり。今この理を明らかにせんため、余輩左の論題を設け、始めに他教諸学の恐るべきゆえんを論じ、つぎにその驚くに足らざるゆえんを論じ、終わりに他教諸学に対して仏教を拡張するの良法はいずれにあるかを論ぜんとす。その順序左のごとし。

  第一 他教諸学の恐るべきゆえんを論ず

   (甲) ヤソ教の恐るべきゆえん

   (乙) 理学の恐るべきゆえん

   (丙) 哲学の恐るべきゆえん

  第二 他教諸学の憂うるに足らざるゆえんを論ず

   (甲) ヤソ教の憂うるに足らざるゆえん

   (乙) 理学哲学の憂うるに足らざるゆえん

  第三 他教諸学に対して仏教を弘むるの方法を論ず

     ヤソ教の畏るべきゆえんを論ず

 仏者中ヤソ教を論じて、あるいはかれは浅近憂うるに足らずとなすものあり、あるいはかれは富強大いに畏るべしとなすものあり。この二者のみるところ全く異なりといえども、おのおのその理なきにあらず。しかして余がここに疑団を抱くゆえんは、これを憂うるに足らずとなすもの、その原因を究めて、かくいうにあらず。またこれを畏るべしとなすもの、その理由を知りてしかく恐るるにあらず。大抵みな世上俗間の風説について、これを論ずるののみ。余案ずるに、ヤソ教は一方よりこれをみれば大いに畏るべく、他方よりこれをみれば、またあえて驚くに足らず。しかしてその驚くべきも、畏るるに足らざるも、その原因かれに非ずして、かえってわれにあり。他語をもってこれをいえば、かれを畏るると畏れざるとは、わが教法を弘めるの方法、そのよろしきを得ると得ざるとにあり。今これを証明せんため、まず仏者中一、二の有志輩の、ヤソ教を評して畏るるに足らずとなすところを挙ぐるに、その言に曰く、ヤソ教のごときは、当時欧米開明の諸邦に行わるるといえども、これただ旧来の慣習によるのみにて、その実教理のとりて考うべきものあるに非ず。その説くところ極めて妄誕不経なる、旧約全書の初編を読みて知るべし。ひとりわが仏教に至りては、高妙深遠三世を立てて因縁を談ずるがごとき、みな理学の原理に基づくものにして、かの法の浅近なるとは同日に論ずべからずと。これ自ら世界中わが仏教のごとき真理良法あらざるなりと許すものにあらずや。しかしてそのヤソ教を駁する旧約全書の一端にとどまりて、更に他に高尚幽妙の理あるを知らず。その西洋各国に盛んなるは旧来の慣習なりと偏信して、更にその慣習の起こる原因を問わず。あにこれを惑えりといわざるべけんや。そもそもヤソ教の文明諸邦に行わるるは、ひとり旧来の慣習によるにあらず、その教の文化進歩に適するところあればなり。試みに思え、一事一物のその社会の事情に適せずして存するものありや。古代の人民は穴居菓食なれども、今日の人民は家居火食なり。古代は親子兄弟の間に交婚を行うを常となせども、今日は他人異郷の間にこれを行うを礼となす。およそ事物そのなんたるを問わず、古今変更せざるもの少なし、これなんぞや。そのときの事情に適するものは自ら存し、適せざるものは自ら廃す。これ理の当然にして、いわゆる適種生存の理法なり。西洋にありても古代種々の教法ありて、ヤソ教ひとり古来の教法にあらず。しかるにその古代の法はにわかに衰滅し、ヤソ教は一時に伝播し、ついに今日のごとき隆盛を極めたるに至れり。これまた適者生存、不適者不生存の理に基づくものにあらずや。もし教法の繁盛はひとり慣習によるとなすときは、ヤソ教以前の教法のにわかに廃絶すべき理なく、またヤソ教の一時に流布すべき理なし。たとえまた、今日のヤソ教は千百年来の習慣によるとなすも、文化の進歩するに従い、旧慣ようやく解け、その教次第に衰うべきは、理のもとよりしかるところなり。しかるに物理諸学始めて欧州に盛んなりしは、およそ二、三百年以前にあれども、その後ヤソ教の格別衰頽をきたしたることなし。また今日にありて将来を考うるに、その教の全く廃滅に帰するの日、なんのときにあるかを算定すべからず。かつまた、今日欧州社会に一、二を屈指する有名の学者、多くこれを信ずるものあるをみれば、その教のさかんなる決して偶然に非ざるなり。またその説くところ旧約全書の初章に述ぶるがごとき、不経のものにあらざるなり。その立つるところ一、二の宣教師の談ずるがごとき、浅近のものにあらざるなり。旧約全書の端首を読みてヤソ教みなこれのごとしと信ずるは、なお須弥の説を聞きて仏教みなこれのごとしと信ずるに異ならず。一、二の宣教師の談ずるところを聞きて、ヤソ教の教理この外に出でずと考うるは、なお一、二の談僧の説教を聞きて、仏教の所談みなこれのごとく浅近なりと考うるに同じ。故に真にヤソ教を駁しヤソ教を排せんと欲せば、よろしくその教について深くその理を研究せざるべからず。その教のひとり文明諸邦に盛んなるゆえん、学者のこれを信ずるゆえん、習慣の起こるゆえん、文化進歩と並行するゆえん、みなその本源を捜索究明せざるべからず。かくその根本の真理についてこれを駁するにあらざれば、真に駁するものというべからず。枝葉の末説についてこれを排すれば、これを排するにあらずして、かえってその真理を開くものというべし。しかるに仏者心に自教の興隆を期し、日にヤソ教の非理を論じて、しかして未だ一人のその教について深く講究するものあるを見ざるは、余が惑うところなり。余聞く、ヤソ教者はこれに反し、近頃ひそかに仏教を講究してその極理を捜索すと。また聞く、かの学者中われを知る、わが学者のわれを知るよりかえって明らかなる者ありと。かれはわれを知りて、われはかれを知らず。知りて駁すると知らずして駁すると、いずれが畏るべきは、余が弁を待たざるなり。あるいは恐る、仏教の真理かえってヤソ教の真理とならんことを。中世仏教のシナに盛んなる宋儒ひそかに理学を研究し、その理を儒教に応用して、大いにその教を興するに至れりという、戒めざるべけんや。果たしてしからば、ヤソ教のわれを駁する真に駁するものにして、われがかれを排すのはかえってかれを助くるなり。これ余が疑団の解くべからざる一点なり。つぎに余が疑いをいるるところは、仏教のヤソ教を排斥する心を理論の一端にとどむるにあり。余をもってこれをみれば、ヤソ教を排斥するの第一手段は、理論にあらずして実際にあり。これと盛衰を争うは理論の勝敗にあらずして、実際の適不適にあり。しかれども余が論ずるところ、実際の外に理論を要せずというにあらず。理論の正否もとより教法の盛衰に関係ありといえども、理論と実際とは互いに相待つものにして、ひとり一をとりて他を廃すべからず。理論なにほどその正を得るも、これを実際に施さざればその益なきもちろんなり。しかして今、日本現時の社会についてわれとかれとの関係をみるに、わが急務かえって実際の上にありて理論の上にあるに非ず、これ余が実際をもって第一手段となすゆえんなり。しかるに余あるいは恐る、仏者中ヤソ教と盛衰を争うは理論の一点にとどまると信ずる者あらんを。故に余その理を開示せんため、左の二題を掲げて論明するところあらんとす。

  第一 ヤソ教を排するは理論にあるか。   第二 ヤソ教を排するは実際にあるか。

 この二題の説明いかんをみて、ヤソ教の畏るべきは理論にあるか実際にあるか、およびその原因われにあるかかれにあるかを知るべし。

   本 論  ヤソ教を排するは理論にあるか

 余これに答えて理論をもってヤソ教を排すべしといえども、排し尽くすあたわずといわんとす。その理多言を要せずして明らかなり。ヤソ教も一種の宗教なり、仏教も一種の宗教なり。非宗教者よりこれを対すれば、両教共に一範囲中の朋友なり、兄弟なり。ヤソ教の目的はすなわち仏教の目的なり、仏教の本意はすなわちヤソ教の本意なり。仏教ひとり安心立命を唱えて、ヤソ教これを唱えざるに非ず。ヤソ教ひとり勧善懲悪を説いて、仏教これを説かざるに非ず。けだし安心立命と勧善懲悪とは、両教の宗教たる目的本意にして、その世に宗教の名を得るゆえんなり。つぎにその目的を達する方法に至りては、二者もとより異同なきあたわずといえども、なお両説の一に帰するもの少なからず。仏教にては霊魂不死を説く、ヤソ教またしかり。仏教にては来世の苦楽を談ず、ヤソ教またしかり。仏教にては人間以上に位し、人知以外に存するの体あることを論ず、ヤソ教またしかり。これみな両教その帰を同じうするところなり。しかしてただその異なるは、一は因縁を説き一は創造を立つるにあり、一は三世を談じ一は二世にとどまるにあり、一は仏をもって主体に名付け一は神をもって本体とするにあり、一は釈迦をもって教祖とし一はヤソをもって教祖とするにあり、一は大小両乗をもって教相を分かち一は新旧両約全書をもって本経とするにあり、その他詳細に至りては、いちいちその異同を挙ぐるにいとまあらず。かく両教相反するところありといえども、これを前条の両教同一に帰する諸点に比すれば、枝葉の末説のみ、付属の方法のみ。第一の目的、第一の方法、およびその基本の極意真理に至りては、両教互いに相排棄するを得ず。われよりかれを排するは、われ自ら排するなり。かれよりわれを駁するは、かれ自ら駁するなり。故に各教の論者真理を討究してこの点に達すれば、互いに相合同一致せざるべからず。しかしてこれに反対せる非宗教、すなわち理学中の唯物無心論等に対して、互いに相協心同力して共に宗教の宗教たる真理を立てざるべからず。これ余が両教をもって兄弟なり、朋友なりとするゆえんなり。例えばここに一家あり、日々兄弟の間に争論を生じ、互いに相離れんとするの勢いあるも、いったん隣家と争議を起こすに当たりては、一家中の兄弟たちまち同心協力して、隣家と相抗するに至る。もしまた隣村の間に争論を発することあらば、隣家とたちまち団合助力して、隣村と相拒むに至るや必せり。一家に対すれば隣家はことごとく敵なりといえども、隣村に対すればみな兄弟なり、朋友なり。いったん隣村との間、ことを生ずるに至らば、一村ことごとく一致共同して、隣敵に抗抵するのいかんを思わざるべからず。従来わが仏教中争論を起こし、大乗は小乗と争い、一乗は三乗と争い、華厳は天台と争い、浄土は聖道と争うがごとき、みな一家中の争論なり、兄弟間の不和なり。今やヤソ教の外敵、仏教の藩籬にせまるをもって、仏教中各宗各派の争い、いわゆる兄弟の争いはたちまちやみ、互いに相協心合力して外敵に抗争せざるべからず、これ昨今の勢いなり。今後もし非宗教者より宗教を駁するに至らば、われまた今日抗敵とするところのヤソ教と共和合同して、互いに相助けざるべからず。このときに当たりては、ヤソ教はわが同朋なり、わが兄弟なり。なお隣村と相争うにあたりては、隣家と相合して互いに相助けざるを得ざると同一理なり。故に余、左の図をかかげてわが敵とするところ、ひとりヤソ教のみに非ざるゆえんを示さん。

 すなわちわが第一敵は非宗教にして、すべて宗教とその主義を異にする理学哲学の類これなり。これに対すれば、ヤソ教も仏教も共に同朋同類となる。もし宗教範囲内にありてこれを論ずれば、ヤソ教始めてわが抗敵の一

  教学大系 宗 教 仏 教(各宗―各派―各寺―各僧)

           非宗教(儒教およびその他)

       非宗教

となる。故にヤソ教はわが第二の敵なり。つぎに仏教中にありて自宗より他教をみれば、またわが敵なり、これを第三の敵とす。つぎに他派をもって第四の敵とし、他僧をもって第六敵とす。その条、左のごとし。

  第一敵 非宗教すなわち理学、哲学、その他すべて宗教を駁するもの。

  第二敵 ヤソ教、回教、ユダヤ教、儒教、神教の類。

  第三敵 他宗すなわち八宗中自宗の外の諸宗をいう。

  第四敵 他派すなわち一宗中自派の外の諸派をいう。

  第五敵 他寺すなわち各寺中自院の外の諸寺をいう。

  第六敵 他僧すなわち僧侶中自身の外の衆僧をいう。

 自己一人よりこれをみれば、世界みな敵ならざるはなし。しかも第一敵に対すれば、ヤソ教もわが同朋となる。故に仏教よりヤソ教を駁する、全く駁することあたわざるに非ずといえども、駁し尽くすことあたわざるなり。仏者よくヤソ教を撲滅することあるも、わが抗敵全く絶すべきに非ざるなり。もしこれを滅し尽くさんとすれば、自教を滅せざるべからず。なんとなればヤソ教を滅し尽くさんとすれば、力を非宗教に借らざるを得ず。力を非宗教に借りてこれを排せんとすれば、これあわせて自教を排するなり。自教を立てんとすれば、ヤソ教の宗教たる原理決して駁すべからず。しからばすなわち、いかにして可ならんか。ヤソ教は仏教と盛衰利害を異にするをもって、かれ盛んなるはわれの衰うるなり、かれの利はわれの害なり。かれを廃せずんばわれを立つるあたわず、かれを破らずんばわれを開くあたわず。しかるに、かれを駁せんとすれば、われを駁するに至り、かれを排せんとすれば、われを排するに至る。われ進みても不利なり、退くも不利なり、いかにして可ならんや。前段論ずるところ、これを要するに仏教もヤソ教も共に宗教にして、二者その目的を同じうしその原理を一にするをもって、理論上仏教よりヤソ教を駁するは、あわせて自教を駁するなり。これすなわち、わが仏教の第一の敵は非宗教にして、ヤソ教に非ざるによる。その第一敵に対すれば、ヤソ教もわが同朋兄弟となる。故に曰く、ヤソ教は駁すべし、よく駁し尽くすべきにあらず。しからば、ヤソ教を排するは理論にあらざるか、否、ただ余が論ずるところは、ヤソ教はわが第一の敵にあらずして、第二の敵なり。しかして理論はこれを排する第一手段にあらずして、第二手段なりというにあり。余すでにヤソ教のわが第一の敵にあらざることを論じたるをもって、これより理論のこれを排する第一手段にあらざることを述べし。しかもこの論のごときは、余が上来弁じたるところをもってその一斑を知るべし。すなわちヤソ教は仏教と宗教たるの原理を同一にするをもって、理論上その枝葉の末説は駁すべしといえども、その根本の原理は動かすべからず。故に理論をもって護法の第一手段となすをえず。しかれども理論上両教の真偽を争うは、大いにその盛衰に関するところあるをもって、理論はかれを排する一手段たる疑いなし。故に余はこれを第二の手段とす。今更にその理を証明せん。それ真理は天然に定まるものにして、人力のよく動かすところにあらずといえども、今日その標準未だ定まらず。その有無未だ明らかならざるをもって、人知のよく左右するところとなる。これを例するに、昔日真理にあらずと定むるもの、今日真理となるものあり。東洋人の真理と許すもの、西洋人の非真理となすものあり。昔日は地平説をもって真とす、今日は地球説をもって真とす。東洋の学者は社会は溶化するものと信ず、西洋学者は進化するものとす。これによりてこれを考うれば、今日真理とするところ、他日かえって非真理となるも計るべからず。これ他なし、真理は人の左右するところとなればなり。果たしてしからば宗教の真理を立つるも、理論のそのよろしきを得ると得ざるとにあり。理論そのよろしきを得ざれば、その実真理を含有するものも、世間これを目して非真理とす。理論そのよろしきを得れば、その実非真理なるも、真理となることを得べし。例えば宗教中仏教ひとり真理にして、ヤソ教は全く真理にあらずとせんか。かれを教うるもの、よくかれを究め真を論じて、その説をして理学に定むるところの法則に適合せしめ、世人の信ずるところの真理に応同せしむるときは、たちまち世間の真理となることを得べし。しかしてわれを弘むるもの、更にその真理を研究するなく、またこれを世間に応用するなくんば、ついに非真理とならんのみ。理論の影響もまた大なりというべし。故に理論上真理の有無を討究するは、宗教を世間に弘むるの一大要法なるは疑いをいれず。仏教もしヤソ教とその盛衰を争わんと欲せば、まず理論上その理を論定せざるべからず。故に真理を論定するは、ヤソ教を排する一手段なるや明らかなり。しかれどもこれを論定するには、ヤソ教の極意を捜索せざるべからず。これを捜索するには、その教を研修せざるべからず。しかるに仏者中ヤソ教を論ずるもの、未だ一人の深くその教に入りてこれを究むるなきは、余が惑うところなり。これに至りてこれをみれば、ヤソ教を排するの一手段はその教を研修するにあり。故に余まさに仏者社会に向かいていわんとす、理論上ヤソ教を排せんと欲せば、よろしくその教を修むべしと。試みに思え、理論の力よく真理を左右するを。理論の帰するところ、すなわち真理の存するところとなる。今ここにヤソ教者ありて、仏教を賛し仏教を悪すれば、これを聞くものたちまちその信仰を変ずるに至る。また仏者ありて自教の真理を開き、他教の邪道を破するときは、また人をして改心せしむべし。人の思想中最もこれを変ぜしむるに難きものは、宗教の信仰なり。しかしてよくこれを動かすもの理論にあり。これ他なし、理論よく真理を左右するによる。方今大下の学者もっぱら理論をこととし、論理に合格せるものはこれを真とし、合格せざるものはこれを偽とす。真偽の判定は、すべて論理の原則を待たざるべからず。故に論理を研究するは、当時わが仏者の急務なりというべし。しかるに仏者の論理を研究せざるは、また余が解するあたわざるところなり。当時仏学者の筆するところの論説を読みて、ヤソ教者の筆するところのものに比すれば、いずれが論理の密にして、いずれが理論の疎なるかは、直ちにみるべく、また仏教者の述ぶるところの講談を聞きて、ヤソ教者の講談に比すれば、両者の論理の疎密を知る、また容易なり。僻見を去りてこれをみれば、論理の密なるはヤソ教者の説くところにあり、かれ学者に富みてわれ学者に乏しき、また知るべし、仏教に志あるもの、あに慨然として志を立てざるべけんや。たとえ仏教はヤソ教に百倍せる真理を含有するも、論理の説くその真を開示することなくんば、到底世間の宗教となるべからざるは必然なり。仏徒たるもの、真理学を修めざるべけんや。請う、見よ、孔子の教のシナに盛んなりしは、だれの力に帰するや、孟軻、韓愈、および宋儒の論理を究めて、その真理を世間に開示したるによるにあらずや。仏教の中世以後インドに伝わざるも、一はその人を得ざるによる。果たしてしからば、将来仏教の盛衰は論理を研究して、理論上自教の真実を開き、ヤソ教の虚妄を示すにあり。これを要するに理論をもってヤソ教を排せんと欲せば、もっぱら左の二条に注意せざるべからず。

  第一 ヤソ教を修むること   第二 ヤソ教を研くこと

 この二条の今日欠くべからざるゆえんは、すでに明らかなりと信ず。故に余はこれより、理論上ヤソ教を駁するにいかなる影響あるかを論じて、理論はヤソ教を排する第二手段なるゆえんを証明せんとす。すなわちここにヤソ教の所説、論理に合格せず、事実に応適せざる諸点を左に掲げて、いちいち論及すべし。

  第一  地球中心説   第二  人類主長説   第三  自由意志説   第四  善悪禍福説

  第五  神力不測説   第六  時空終始説   第七  心外有神説   第八  物外有神説

  第九  真理標準説   第十  教理変遷説   第十一 人種起源説   第十二 東洋無教説

 この十二題はヤソ教の難点にして、けだし今日といえどもその学者中よくこれを証明する者なかるべし。余、故にこの諸点よりヤソ教を論破し、いかなる影響をその教の上に生ずるかと試みんとす。

     第一 地球中心説

 ヤソ教にては旧約全書の巻首に述ぶるごとく、天帝初めに天地を作り、後に日月を作りて昼夜を分かつという。すなわち地球をもって宇宙全系の中心とし、日月星辰はその周囲に羅列するものとす。これをここに地球中心説という。しかるに近古星学の開くるに及び、天体の中心は地球に非ずして太陽なることを発見せり。これを太陽中心説と名付く。地球は諸惑星の一にして、日夜回転して太陽の周囲に運行するの理は、コペルニクス氏およびガリレオ氏の実験をもって知るべし。その説ニュートン氏に至りていよいよ明らかなり。この太陽中心説とかの地球中心説とは全く相反するをもって、二者同時に真理なることあたわず。一者真なれば他は偽なり。ヤソ教の説と理学の説と、いずれが真にして、いずれが偽なるや。理学の説は今日の実験に基づく、ヤソ教の説は古人の空想に基づく。しからば理学の説は真にして、ヤソ教の説は偽なりといわざるを得ず。つぎにヤソ教にては、上帝水を作りて海陸を分かつというといえども、地球進化説に考うるに、地球はその初め太陽のごとき高熱の火体にして、ようやく気体より流体となり、流体より固体を結ぶに至る。しかもその固体を結ぶに至るも、未だ地上に水を形成するに非ず。地やや固形を結ぶといえどもその熱なお高く、水分はみな蒸気となりて空中に散ず。その下りて水体を結ぶに至りしは、地熱の摂氏百度以下に減ずるときにあるべし。これによりてこれをみれば、陸地ありてのち水ありというべし。ヤソ教者あるいはいわん、そのいわゆる水とは流体を義とし、今日の金石、土地ことごとく流体なりしときを示すなりと。これヤソ教者の一時の難問をのがれんとする付会説にして、自ら欺き、また神を誣いるものというべし。地質学について案ずるに、地球の進化流体より固体に変じ、山川ありてのち草木あり、草木ありてのち禽獣あり、禽獣ありてのち人類あり。その一体の他体に変じ、一物の他物を生ずるに至るは、その間の年月ただに千万世を経るのみならず、その久しきほとんど数をもって算すべからず。しかるにヤソ教にては、一昼夜の間この変化ありという。今日のヤソ教者大いにこの点を解説するに苦しみ、種々付会の説を設けて、進化説に適合せんとす。狡計もまたはなはだしといえども、かえってその愚を笑わざるべからず。あるいはいう、上帝六日間をもって天地万物を作るにあらず、六世期間にこれを作るなり、六日とはすなわち六世期を誤り訳せしものなりと。あるいはまた、旧約全書中の上帝泥土より人類を造成すという説と、理学の人類進化説に合同せんと欲し、泥土は無生物なり、泥土より人を造生したるは、無生物より進化したるを現すなりというものあり。誣いるもまたはなはだし、あるいは上帝は万物の理法なりと論ずるものあり。これみな論理上創造説を立つるに苦しみ、百方付説を設けて一時を装わんとする窃策にして、かえってヤソ教をしてヤソ教ならざらしめ、上帝をして上帝ならざらしむ。これヤソ教を立つるの説に非ずして、ヤソ教を破るものなり、その故なんぞや。たとえヤソ者はその説をして理学の説と調和せんとするも、調和すべからざるをいかんせん。例えば泥土をもって人を造るは、無生物より人の生じたるなりとせんか、これ理学の進化説にはあらず。理学にては、人は動物より転化し、有機体は無機体より啓発すという。他語をもってこれをいえば、人は動物とその祖先を一にし、動物と植物とその元種を一にし、動植物は土石とその起源を同じうするなり。しかるにヤソ教にては、人の前に上帝すでに動物を作り、また植物を作るという。もし人は泥土をもって作るが故に無生物よりきたる、いわば植物動物とは泥土より作らざるをもって無生物よりきたらざるものといわんか、これ実に怪しむべし。かつ人身は無機元素より成るをもって泥土より生ずといわんか。植物も動物もみな無機元素より成る。なにをもって人間ひとり泥土をもって作るというて、植物動物にこれをいわざるや。また上帝人を作りて、その鼻孔より気を注入してこれに生霊を与うという。生霊を有するは人に限るにあらず、諸動物多少これを有せざるはなし。なんぞひとり人間にその霊を注入して動物に注入せざるや、かつそれ人の生霊は脳髄中にありて、肺臓に存するにあらず。しかるに鼻孔より生気を注入せしは、果たしてなんのためなるや。これ、けだし古代未だ生理学の開けざるに当たりて、古人一般に呼吸気を生気と信じ、これを生霊とし、これを精神とするによる。しかしてヤソ教にこれを説くは、その野蛮人の想像に出でたる一証なり。これを要するに、ヤソ教は到底理学の説に適合すべからず、理学の説に適合せざるものは、野蛮の妄説と断ずるより外なし。たとえもしヤソ教の説、理学に符合するに至るも、ヤソ教の本旨に非ざること明らかなり。なんとなれば、ヤソ教の説くところいちいちみな理学の説に同一なれば、これ理学なり、ヤソ教にあらず。他語をもってこれをいえば、ヤソ教は理学の範囲内の一部分となるべし。これ、あにヤソ教の本旨ならんや。また上帝をもって理学の天然法と同一になすものあれども、これまた神の本意に非ざるべし。なんとなれば理学の理法は、人の賞罰禍福を自在にする力を有せざればなり。かつその理法は無我無心にして、因果の関係を有するのみにて、上帝のごとき独裁専断の権を有せず、また無より有を生じ、有を無に化するの力を有せざればなり。また六日創造を六世期となし、泥土を無生物となし、水を一般の流体となすがごとき経文の解釈を下すは、みな神の真意に背違するや疑いなし。なんとなれば、上帝もし六日間に万物を造出することあたわず、泥土を人に化することあたわざれば尋常平凡のもののみ、あえて畏るるに足らず。もし果たして上帝人の賞罰を左右し、人の生命を与奪するがごとき非凡の力を有するならば、一昼夜に万物を創造するも、なんの難きことかこれあらん、なんぞ六世期の永きを要せんや。果たしてしからば、理学上ヤソ教を解釈せんとするは、ヤソ教を助くるものに非ずして、かえってヤソ教を破るものなり、上帝の大罪人なり。故に教はヤソ理学と表裏相反するものとなすより外なし。理学と相反する以上は、二者同時に真理なるあたわず。今日の実験を真理とすれば、理学は真にしてヤソ教は偽なり。古代の虚想を真理とすれば、ヤソ教は真にして理学は偽なり。人いやしくも論理を弁じ、是非を知るものは、この二者の真偽を判定する余が弁を待たざるなり。

     第二 人類主長説

 ヤソ教者の説くところによるに、天帝天地日月を作り、鳥獣草木を作り、終わりてこれに主長を置かんことを思い、すなわち人類を作るという。果たしてしからば、人類は万物の主長なり、万物は人類の付属なり、これをここに人類主長説という。しかるに人類進化論によりてこれを考うるに、人類更に万物の主長たるべき理なし。人と動物とは、生理上これをみるも心理上これをみるも、その機能作用本来異なるに非ず。ただ発達の完と不完とによりて、二者の別あるのみ。他語をもってこれをいえば、動物は諸機能の発達未だ完全ならずして、人類は較全しすなわち同種類の発達の前後につきて、人獣の別を生ずるのみ。動物も有機体なり、人類も有機体なり、上等動物の有するところの組織、人みなこれを有す。人類の有するところの機能、物またこれを有す。耳目、鼻口、血管、食道、神経、みな人獣共に有するところなり。ひとり獣類は尾を有し、人はこれを有せず。この有無をもって人獣を分かつべきか、解剖上これを験するに、人またこれを有するはいかん。ただ人に至りては、その発達不十分にして、体外にその形を現ぜざるのみ。獣類は多く耳を動かすの作用あり、人にはこの作用なし。この点をもって両者の別となすべきか。生理上人身を試みるに人また耳を動かす筋を有す。ただその動物に異なるは、その筋未だ十分発達せざるをもって、犬馬のごとく自在にその作用を示すあたわざるのみ。人は歩するに二足を用い、獣は四足を用う、もって二者の別となすべきか。これ啓発進化の際自然に生じたる一結果にして、本来人獣の別として天より定めたるものにあらず。始めは四足で歩するものも、後には二足にて歩することを得るに至るは、赤児の生長を見て知るべし。その未だ長ぜざるに当たりては匍匐して伏行す、あたかも犬馬の歩するがごとし。ようやく発達して起達することを得、未だ歩行することを得ず。いよいよ成長して、始めて大人のごとく二足にて行くことを得るなり。今、動物は赤児のごとく、人類は大人のごとし。その四足にて歩すると、二足にて行くとは発達の前後によりてその別あるのみ。もしこの理を怪しまば、また赤児の伏行して成量の起行するも怪しまざるべからず。大人の赤児におけるも、人の獣類におけるも、その理一なり。つぎに人は言語談話の作用を有す、動物はこれを有せず、この有無をもって二者の別となすべきか。曰く、これ未だ人獣の別となすに足らず、獣言語を有せざるも、音声を有する人と異なることなし。音声発達すれば言語をなし、発達せざれば音声にとどまるのみ。今、獣は発達不完全なるをもって言語談話の便を有せざるなり。その理また赤児を見て知るべし。人は言語の用ありというといえども、赤児に至りてはただ音声を有するのみにて、談話の力なきはなんぞや。これ他なし、赤児は音声の発達十分ならざるによる。しからば動物の音声に言語の文章なきは、その発達人のごとく十分ならざるが故なり。ただ人のひとりこれを有して、動物の未だ有せざるものは良心なり。人この良心あるをもって善悪を判定し、理非を識別し、上に対して義を思い、下に対して仁を思う。動物はこれを有せざるをもって、善悪仁不仁の別を知らず。この有無をもって人の動物に異なる証となすべきか。曰く、これなお未だ人獣の別となすに足らず。そのゆえんを知るまた容易なり。それ良心なるもの、人本来これを有するに似たりといえども、その実発達進化の結果にして、人類元初よりこれを特有するにあらず。請う、今日の野蛮人を見よ、現今の世界にありても、なお善悪是非の別を知らざるものあり、本来良心を有せざるものあり、親子を殺して罪となさざるものあり、人肉を食うて快となすものあり、はなはだしきは四、五以上の数を知らざるものあり。かくのごとき無知残忍の徒に至りては、もとより良心を有すべきなく、道理を弁ずべきなし。開明の人民といえども、その未だ発達せざる赤児のときにおいては、また惻隠羞悪の心を有せず。しかして野蛮人も人なり、赤児も人なり。人にしてこの良心を有せざる者あるをもって、良心の有無は未だ人獣の別となすに足らず。これを要するに、開明の人民は良心のすでに発達したるものにして、野蛮人および赤児のごときは、その未だ発達せざるものなり。しからば動物のこれを有せざるも、その未だ発達せざるによる。故に良心の原因となるべき原性は、動物多少これを有するあり。犬馬のごときも、その主を慕いその恩を忘れざるあるは、我人の往々経験するところなり。その他、人に意志ありて獣類になきも、獣類その本能を有せざるに非ず。人に知力ありて獣類になきも、獣類その原力を有せざるにあらず。これみな、生物進化論をもって世に名あるダーウィン氏のすでに証明するところなり。その詳なるは氏の書について見るべし。また史上よりこれを考うるも、古代の人民の禽獣と異ならざるは、その衣食、住居、風俗を見て知るべし。また今日にありてこれを考うるも、現今世界中、極めて野蛮なるものと、極めて開明なるものと、二者を較するに、その懸隔、上等動物の野蛮人におけるよりはなはだし。その他、人獣の全くその類を異にせざる実証は、諸学ことごとくこれを究め、いちいち列記するにいとまあらず。これを要するに、人類は獣類より進化発達したる者にして、二者の本源一なりというにあり。その理、人獣共に一源より起こるといえども、一は次第に上等に進み、一は次第に下等に降り、一は速やかに発達し、一は遅く発達するによる。故をもって獣類の有するもの人これを有し、人の有するもの獣類またこれを有すなり。もしヤソ教者の説がごとく、人果たして天帝の特造に出づるならば、天帝なにをもって人獣に同組織を与え、同機能を授くるや。なにをもって人に尾を付するや、またなにをもって動耳の筋を存するや、尾も筋も共に動物に用ありて人に用なし、無用の物を人に付する神の意はなはだ怪しむべし。もしこれを人の動物より進化したるをもって、今日なおその遺跡を存するものとなすときは、またなんの怪しむべきなし。ヤソ教者はその最も怪しむべき説をとる、われは理の最も明らかなるものをとる。しかしてヤソ教者の説くところ奇々怪々なるは、ここに尽くるに非ざるなり。それ天下怪を語るもの多し、しかれども未だヤソ教のごとき大怪を談ずるものを見ず。その経によるに、六千年以前にありて天帝ひとり存すという。あに怪しまざるべけんや。六日間に天地万物を造成すという。大いに怪しむべし。土をもって人を造るという怪またはなはだし。男の助骨をとりて女を作るという怪最もはなはだし。その他、経中説くところ、一句一音として怪ならざるはなし。よろしくこれを怪教と名付くべし。しかしてヤソ教者曰く、仏教は奇怪なり、ヤソ教は平易なり。また曰く、真理は奇怪中に存せずして、平易中にありと。余はなはだ惑う、ヤソ教の奇怪に非ずして仏教ひとり奇怪なるを。また真理はひとり平易中に存して、奇怪中に存せざるを。これ他なし、かれヤソ教をもって平易なりと仮定して仏教をみるが故なり、かれヤソ教を真理なりと予想して仏教を考うるが故なり。あにその僻見を笑わざるを得んや。余がここに論ずるところは、ヤソ教は真理なるか非真理なるかをいうにあらず。かくのごときは第二論に譲り、第一に論ずべきは、ヤソ教は怪なるか怪ならざるかにあり。余これに答えて、ヤソ教は大怪なりと論定せんのみ。その怪中の一、二は前段に挙げたるをもって、これよりその他の怪を述ぶべし。その第一は、天帝、別に男女を特造すというにあり。すなわち始めにアダムを作り、後にイブを作る、これなり。これをその経中に案ずるに、天神初めにアダムを作り、これに草木鳥類を与えてその心を楽しましめしに、これに伴う者なきを見て、すなわちアダムをして熟睡の境に入らし、その肋骨をとりて女を作る。これをイブと名付くという、はなはだ怪しむべし。それ男女は対待するものの名にして、男あれば女あり、女あれば男あり、男なくして女あるべき理なく、女なくして男あるべき理なし。天帝未だイブを作らざるに当たりてアダムすでに男なるは、その意解し難し。かつ天帝すでにアダムを作りて後、男を助くる者の必要なるを知り、すなわちイブを作るというがごとき、また惑わざるを得ず。もししからば、天帝初めアダムを作らんとするに当たりては、未だ女を作るの意あらざるものと推測して可なり。女を作るの意あらずして男を作るは、いかなる意ぞや。アダムは男子特有の組織機能を有せざるが、もしこれを有すれば、これに対する女なきに、なんの用いるところあるや。もしあるいは天帝イブを作るに及び、アダムの一身を二分して男女を分かつとせんか。しからばその未だイブを作らざるときにおいては、アダムは男にもあらず女にも非ざるべし。また男子固有の組織器官も有せざるべし。もしまた天帝アダムを作るとき、すでに女を作らんとするの意あらば、あにひとたびこれを試みてのちイブを作るを要せんや。天帝果たして男女相助くるの要を知らば、アダムとイブを同時に造出して可なり。これを前後に作るは、はなはだ疑うべし。かつそれ天帝一身を二分して、これに男女の両組織を与え、互いに相たすけて一人のことを全うする者とせんか。しかるときは、男特有の組織は女これを有せず、女特有の機具は男これを有せずして可なり。男女果たして天帝別に造する者となすときは、女に用ありて男の用なき機具を、男に賦与するの理あらんや。しかるに男に用なきものを男体にそなえしむるは、いかなる天帝の意ありてしかるや。方今、生理学、解剖術大いに進み男女身体の組織機能を験して、男体に乳腺、子宮の存するを知る。乳腺は乳を製出する器械にして、女に用ありて男に用なきものなり。子宮もまたしかり。天帝なにをもって、かくのごとき不用の器械を男に与えるや。もしあるいは、アダム、イブの時に当たりては、男女おのおの産児乳食の作用を有するをもって、その遺質を今日に存するによるか。これを経中に考うるに、イブ初めより産児の苦を有するにあらず、その上帝の命に違うて樹果を食しによりて、この苦を得たりという。果たしてしからば、その未だ樹果を食わざるときにおいては、アダムもイブも同等同権にして、その間男女の別を示すべきものなし。男に男の作用なく、女に女の職分なくんば、またその各人固有の組織機能を有すべき理なし。作用も職分も組織も機能も、同一成においては、なにをもって男女を分かつべきや。たとえその組織に異同を生じたるは、樹果を食べし後にありとするも、男の不用の機具を有するの理は未だ解すべからず。もし転じてこの理を生物進化学上より論ずれば、その解釈を与うるはなはだ容易なり、あえて怪しむに足らず。人はもと動物より進化し、上等動物はもと下等動物より進化したるものと定むるときは、下等動物に有するところの組織、多少上等人類に存せざるべからず。またその上等人類に今日存するところのもの、いくぶんか下等動物中になくんばあるべからず。今、男女その組織を同じうし、不用の機具を今日に有するは、その昔日下等動物界にありしとき、その用あるによる。その原因を下等動物に尋ぬるに、最下等に至りては一種類中、各個みな同一にして、組織上その異同を見るあたわず。このとき未だ男女の別あらず、ようやく進みてその別あれども、未だ判然分かるるにあらず、いよいよ進みて始めてその別を見る。上等動物および人類に至りては、その別愉明なりといえども、なお同機具を存するものは、その原始下等動物よりきたりし実証なり。しかるに、ヤソ教者のいうごとく、男女は天帝創造のときよりその別ある者とするにおいては、男に不用の具を有すべき理、万あるべからず。もしこれを進化学者の論ずるごとく、もと同一種の分化したるものと定むるときは、始めてその理を開示すべし。しかして生物の初期に男女の別なかりしは、胎児の発育を見てその一斑を知るべし。胎児は初めより男女の別あるにあらず、胎内に入りて九週間を経、始めて男女の別をあらわすという。これすなわち進化の一証なり。およそヤソ教に論ずるところ、その怪これにとどまるにあらず。かくのごときは怪中の小なるものにして、その類枚挙するにいとまあらず。故に余はかくのごとき小怪を論ぜずし、もって下は怪中の大なるもののみを論ぜんとす。すなわちその第一に自由の意志、第二に善悪賞罰等と、いちいち次第して論及せんと欲するなり。

 余輩、自由意志を論ずるにさきだち、ここに東洋毎週新報記者に向かって一言謝せざるを得ざるものあり。すなわち記者は去る十四日発行の紙上において、明教新誌の腐説を正すという題を掲げ、余輩の論壇に一撃を試みられたり。余輩その論理にはすこしも服することあたわざれども、その五注意の至れると、その五苦労のかたじけなきは謝せざるを得ざるなり。余察するに、記者は余輩の論ずるところ、ヤソ教を駁するものと信じ、ヤソ教をそしる者と考え、千憂万驚して一論を草せられたるならん。しかもこれ全く余が論意を解せざるものにして、余輩ここに五苦労千万の五字を呈せざるを得ず。けだし記者は昼夜かつ暮、人のヤソ教を駁する者あらんことを恐れ、戦々兢々として身の深淵に臨むがごとく、鼠の人をうかがうがごとき思いをなし、排の一字をも見、駁の一言をも聞かば、驚愕狼狽ほとんど狂せんとする勢いあるならん。その注意の至れる実に感嘆に堪えざるなり。しかも余輩決してヤソ教を排するにもあらず、また駁するにもあらず。かえってヤソ教を愛するの微意を述ぶるのみ。故に余輩は記者に向かって、今後ふたたび五心配なからんことを祈る。そもそも余輩の論ずるところは、仏者中の故なくしてヤソ教を讐敵視し、その理を知らずしてこれを誹謗し、もってヤソ教を排するの良策と信じ、自教を弘むるの良法と考うる者に向かって、その惑いを解かんとするにとどまり、一もヤソ教者に向かって言を加うるところにあらず。すなわち仏者中の無学を責むる論にして、ヤソ教者の妄説に駁するにあらず。故に余輩は、第一にヤソ教者のわが敵にあらざるゆえんを論究して、かれはわが同朋なり、兄弟なりと明言せり。つぎにヤソ教者の学識、気力、共に仏者の右に出づるところあるを証明して、ヤソ教畏るべしと掲題せり。かくのごときはみな仏者を責むる論にして、ヤソ教を駁するものに非ざるは、問わずして明らかなり。しかして余輩、論を進めてヤソ教を排するは、理論にあるかの一段に至り、地球中心説、人類主長説等を掲げてヤソ教を是非したるは、ヤソ教を駁するものに似たりといえども、これただ世人、仏者中理論をもってヤソ教を排し得べしと信ずるもののために、余輩その証を挙げて開示するところあらんとするのみ。記者もしこれを疑わば、余輩の決論に至りてみるべし。しかるに記者はその全意を知るの力なきをもって、本論の一端を読みて大いに畏れ狼狽して一論を草せられたるは、実に抱腹して笑わざるを得ず。しかして記者は、余輩の論を評して陳腐の論なり、無識の言なり、聖書を知らざるものの説なり等と、数百言を費されたるは、また余計の五心配といわざるべからず。自分の教に関係を有せざる論に対して喋々弁明を加えらるるは、また余計の五世話といわざるを得ず、余輩はその論の陳腐に属するの評を得るも、無識に出づるのそしりをきたすも、更に意に介するところにあらず。余もとよりヤソ教に向かって争論を挑むにあらず、またヤソ教はかくのごとき一、二の駁論をもって排し尽くすべしと信ずるにもあらず、ただ仏者中理論をもってヤソ教を排し得べしと信ずる者あらんことを恐れ、かくのごとき仏者に代わりて、十条の論点を掲げしのみ。これヤソ教は論理をもって排し尽くすあたわざるゆえんを証するにとどまる。記者また恐るるなかれ、本論中、余輩ヤソ教を目して奇々怪々なりと称するも、余が真にヤソ教をみてかくのごとく信ずるにあらず、一般の仏者に代わりて論ずるのみ。余輩もとよりヤソ教は平々凡々の教にして、すこしも怪とするに足らずと信ず。故にその論中、千百の怪の字あるも、記者請う、驚くなかれ。またヤソ教を駁してその説、理学に矛盾すというも、世上普通の論を挙ぐるのみにて、余が本論を草する意にあらず。余輩もとよりヤソ教は駁すべきにあらず、否、駁するに足らずと信ず。故にその論中一、二の駁論に似たるものあるも、記者請う、畏るるなかれ。余輩はヤソ教者をあわれむものなり、余輩はヤソ教者を同朋兄弟となすものなり、記者請う、安心せられよ。余輩は他日論端を改めてヤソ教者と論ずるところあるべきも、本論は仏者中の無学を開導するにとどまりて、ヤソ教者に駁撃を試みたるものにあらず。記者請う、これを了せよ。余さきに聞く、毎週新報記者はヤソ者中、学識をもって自ら任ずるものなりと。故に余輩は記者の胆力もまたしたがって大なるべしと信ず。今その駁論をみるに及んで、始めて記者の小胆なるを知る。記者は自ら余輩の論を陳腐なりとみなして、なお狼狽してこれに答うるはなんぞや。記者は自ら余輩の論の世間に影響なきを信じて、なお戦々として恐るるところあるはなんぞや。これみなもって記者の小胆なるを証するに足る。故に予輩は、記者の予輩の論に驚かれたるに驚くのみ。しかも予輩の意は、さきに重ねて述ぶるごとく、あえてヤソ教を駁せんとするにあらず、またあえて記者の五心配を促さんとするにあらず。故に今後、予輩なにほど喋々するも、記者にありてはよろしく安心せらるべし。その評論のごときは、いちいち感服つかまつらざれども、せっかくの五注意かつこれを難破して更に記者の脳患を増加せんことを恐れ、ことにこれのごときは、予輩本論を草する意にあらざれば、記者の論は名論新説と許し、感々服々評得妙の七字を呈して、一は五注意の至れるを謝し、一は五心配のかたじけなきを労し、あわせて今後安心せられんことを祈る。

     第三 自由意志説

 古来学者中、人の意志は自由なりと唱うるものあり。すなわち人は意力をもって、自在に諸作用を命令指示すべしと信ずるなり。この一論のごときはすでにギリシア学者の研究せしところにして、今日に至りてもなお学者中の一問題となりて、その真偽未だ知るべからざるなり。この論に反対するものこれを必至論者という。必至論者の唱うるところは、一事一物の人意をもって自在に左右すべきものなく、我人の思うこと行うこと、みな天然の規則理法あるありてしかるなりというにあり。その規則とはすなわち因果の理法のごときこれなり。これ決して我人の意力をもって動かすべからざるなり。けだし、物偶然に生じ偶然に滅するものにあらず。一事一物の発する必ずその原因なくんばあるべからず。原因ありて始めて結果あり、すべて結果あるは原因あるによる。故に我人の心性の奇妙なるも、意志の自由なるも、みなしかるべき原因ありて生ずるものにして、決して偶然に発すべきにあらず。しかも未だ明らかにその原因を証するものなきをもって、自由意志論なお世に行わる。しかるに近世に至り進化学の開かるに及び、始めてその原因を究明して意志の自由ならざるゆえんを知る。故をもって世の理学者大抵必至論を唱え、また自由意志を説くものなしといえども、ヤソ教者はなお旧説を信じて、意志は本来自由なるものと定む。その派中、意志の自由を唱えざるものなきにあらずといえども、その論ずるところ、もとより進化学者の説くところと同じからず。要するにヤソ教者は、人の意志は天帝の賦与せるところにして、本来自由なりと唱え、また人々生まれながら良心の別に存するありて、善悪邪正を識別判定するものと信ず。またヤソ教者は、人獣の別は意志の自由なるとならざると、および良心を有すると有せざるとにありという。余輩の目的、かくのごとく論ずるところのヤソ教者に対して、その妄を開かんとするにあり。故にここに自由意志の一題を掲ぐるなり。そもそもそのいわゆる自由意志または良心とは、いかなるものを指すや。人々本来、自然に善悪を弁別し是非を裁定するは、力を有しこれに従ってよく悪を避け善に移り、是を是とし非を非とし、百般の進退挙動を自在に指揮命令する力をいう。この性力は教育経験を待たず、人生まれながら有するをもって、これを天帝より賦与せるものとするなり。しかも余輩これを実際に考うるに、真に自由意志と名付くべきものなし。外面より人を見れば、本来自由意志を有するに似たりといえども、これみな数世の経験よりきたるものにして、物理の明らかに証すべきあり。あえてその原因を証明するに、天帝のごとき未だそのなんたる知るべからざるものに帰するを要せんや。意志はわれ知るべからざる小なるものなり、天帝はわれ知るべからざる大なるものなり。小なる知るべからざるものを証明するに、大なる知るべからざるものをもってす。だれかその証明法を笑わざるものあらんや。およそヤソ教者の弊たる、これを一見してその原因を究明するあたわざれば、再考してその理を窮むることなく、ことごとくこれを天帝のなすところと憶定す、憶定もまたはなはだしといわざるべからず。しかしてひとたびこれを憶定すれば、その後たとえこれを証するものあるも、ただにその説をいれざるのみならず、単にこれを排棄して更にその真偽のいかんを考索することなし。いわゆる虚説をもって実説を排するものなり。故をもって、欧史上ヤソ教は大いに理学の進路を妨塞するに至れり。その教の人知発達に大害ある知るべきなり。これあに天帝の本志ならんや。今日未だその有無を知るべからずといえども、いやしくも天帝の現存するあらば、果たしてこれをなんとかいわん。余をもってこれをみれば、これ大いに天帝の意を害するものなり、これ大いに天帝の身を罰するものなり。天帝いかにしてかくのごとき徒を救助するの理あらんや。ひとり憐むべきは無罪の天帝なり。それヤソ教者は、人の生まるるを見ては天帝これを生ずるなりといい、人の死するを見ては天帝これを殺すなりといい、人の富貴を得るものあれば天帝これを賞するなりといい、貧賎に沈むものあれば天帝これを罰するなりという。善をなすも天帝なり、悪をなすも天帝なり、利も天帝、害も天帝なり。かくのごとく論ずるは、有罪人の無罪の天帝を誣いるものというより外なし。ひとり憐むべきは天帝、ひとりにくむべきはこれを唱うる徒なり。自ら思うて知るべからざるに至れば、すなわち曰く、天帝これを知るなり。自ら行うてなしあたわざるに至れば、すなわち曰く、天帝これをなすなり。人の論その信ずるところに合すれば、すなわち曰く、天帝の意に合するなり。人の言その信ずるところに反すれば、すなわち曰く、天帝の意に反するなりと。これ自身の無学無識を天帝に託し、自身の愛憎利害を天帝に帰するものなり、天帝もし意あらばこれを許すべき理なし。かくのごときは、無罪の天帝を助けて悪をなすものというより外なし。ひとりあわれむべきは天帝なり。ひとりにくむべきはこれを誣いるの徒なり。

 今試みに吾人のなすところ思うところ、果たして自由なるか自由ならざるかをみるべし。もしそのなすところ外情のために制せられ、その思うところ内情のために妨げられ、意をまげてことに従い、身をかがめて人に従うがごとき事情あるにおいては、決して自由を得るものというべからず。しかるに我人の日々夜々なすところ思うところ、大抵意のごとくなるはなき、みな人の知るところなり。人だれか苦を好むものあらん、人だれか禍を祈るものあらん。しかして人の常に苦を受け、禍にあうもの多きはなんぞや。人だれか富貴を望まざるものあらん、人だれか名利を欲せざるものあらん。しかして人かえって貧賎に沈み、不利を招くもの多きはなんぞや。人だれか善を求めざるものあらん、人だれか悪をいとわざるものあらん。しかして悪を去りて善につくあたわざるはなんぞや。これ他なし、そのなすところ行うところ、意のごとくならざればなり。しかも人にかくのごとき苦をいとい、楽を欲し、悪をにくみ、善を好むの天性あるはなんぞや。動物にこの性なくして、人にこれあるはなんぞや。これヤソ教者の、人間特有の自由意志あるを主唱するゆえんなり。すなわちその悪を悪とし、善を善とし、悪をなすを恥じて、善に移するを喜ぶはいわゆる良心の作用なり。この良心は人生まれながらこれを有し、教育経験を待ちてきたるにあらず。故にヤソ教者はこれを天賦の良心と称して、天帝の賦与せるものと信ず。余、次段においてその良心のなんたるを信じて、ヤソ教者の妄信を開かんとす。

 余、前節に論ずるごとく、人は生まれながら是非善悪を分別しこれを守り、非をにくみ、善を行うことを喜び、悪をなすことを恐るる性力を有す、すなわち天賦の良心を有するなり。この良心はいずれよりきたり、なにものより生ずるかを論究せずして、一にこれを天帝の与うるものなりと偏信する者、すなわちヤソ教者なり。この良心はしかるべき事情原因有りて生ぜしものにして、決して偶然に発するにあらず、また故なくしてきたるにあらずと証明するもの、これ理学者なり。理物をもってその事情原因を究明せしもの、今日のいわゆる進化学者なり。予はその進化学者の論ずるところによりて、ヤソ教の妄信を開発せんとす。第一にヤソ教者に向かって難問すべきは、人ことごとくこの良心を有する力にあり、かつこの有無をもって人獣を分かつべき力にあり。もし人ことごとくこの良心を有せざるにおいては、この有無をもって人獣を分かつべからざる理の当然なり。幼児および野蛮人のごときはもって人と名付くべきか、あるいはもって獣と称すべきか。ヤソ教者もとよりこれを人と称するは、余輩の保するところなり。しからば幼児も野蛮人も、等しく善悪を識別すべき性力を有すべきなり。しかしてこれらの人、その性力を有せざるものあるやなんぞや。幼児輩のこの性力を有せざるは、別に証するを要せず。野蛮人のこの力有せざる、また多言を費さずして知るべし。野蛮人種の猛悪なるものは、自らその子を殺して憐をとらざる者あり。スパルタ人の殺児淘汰のごときこれなり。自らその父母を山野に放ちてその死を顧みざるものあり。わが国古代の山民のごときこれなり。互いに人の肉を食してもって快を営むものあり、台湾土民のごときこれなり。その他、人の妻を奸し、人の物をぬすみ、人を欺き誣いてすこしも恥ずることなく、おそるることなきもの、今日開明の人民中なお幾人なるを知るべからず。かくのごとき輩は、決して惻隠羞悪の心を有するものというべからず。しかしてなお人なるはなんぞや。これ良心の有無をもって人獣の別となすべからざるなり。もしあるいはいわん、幼児野蛮人のごときは良心を有せざるに非ずといえども、その心未だ発達せざるをもって、これを行為上にあらわさざるのみと。余これに答えていわんとす、野蛮人の猛悪なるはその心の発達せざるによるといわば、禽獣にこの心なきもまたその発達せざるによるというも、あに不可ならんや。野蛮人の最も下等なるものと禽獣の最も上等なるものとを較すれば、知力道徳の懸隔はなはだ著しきにあらず。あるいはかえって野蛮人の禽獣にしかざることあり、しかして人類中の最も下等なるものと最も上等なるものとを較すれば、その懸隔以上の比に非ざるあり。もしその懸隔の大なるものなお同一の良心を有すといわば、その懸隔の小なるもの、またこれを有すというも、理において不可なることなし。果たしてしからば、上等人類は良心の最も発達したるものにして、下等人類および禽獣のごときは、未だ発達せざるものというべし。人獣一変すれば野蛮人に化すべく、野蛮人一変すれば開明の人に化すべし。かく論じきたれば、良心の有無をもって人獣を分かつべからざるの理、また知るべし。かつそれ野蛮人は良心未だ発達せずして、開明人はすでに発達したるものと定むるときは、その発達するとせざるとは、なんの事情によるかを考えざるべからず。もし果たして、本来天帝に属するものならば、必ずしも教育経験を待ちて、しかしてのち発達すべき理あらんや。もしこれを教育経験を待たずして発達するものとなすときは、いかにして野蛮人にその発達なきゆえんの理を明示せんや。知るべし、その発達は教育経験によるものなるを。しからばこれを天帝の本来賦与せるものと称すべからず。また人類特有の本性と称するをえず。上等人類もこの性を有し、野蛮人も小児もこれを有し、禽獣もまた等しくその原性を有すといえども、教育の有無、経験の多少によりて発達、未発達の別あり。発達の前後、完不完によりて人獣華蛮の別あり。故に幼児も教育を重ぬれば大人と同じき良心を発達すべく、野蛮人も経験を積めば開明人のごとき徳行を完成するも、あえて難きに非ざるなり。もしまた開明人野蛮の教育を受け、下等の経験を重ぬればたちまち野蛮人に化するに至るも、また難きに非ざるなり。余かく論じきたらば、ヤソ教者あるいはいわん、世間に下等の教育経験を受けてしかも上等の良心を発達するものあり、また全く教育を経ずしてなお良心を有するものあるはなんぞや。野蛮人中にも多少の仁心を有するものあるはなんぞや。悪人なお善を知るべき力あるはなんぞや。盗賊なお悪を悔るものあるはなんぞや。この難問のごとき、いちいち答明を与うるもまた容易なり。余いわゆる教育経験とは、一人一世の教育経験をいうにあらず、数千百年代の教育経験をいうなり。我人の野蛮界を脱して今日文化の域に進化したるは、一、二世数十代の教育経験のしからしむるところにあらず、数千百年代進歩の結果というべし。この理を知らんと欲せば、まず遺伝の性法を知らざるべからず。父祖一世間、経験によりて発達したる良心は、これをその子に伝え、子の一世間教育によりて養成したる道義は、これをその孫に伝え、子々孫々次第に発達進長を加えて、極高等の良心を結成するに至る。故に野蛮人にいかなる教育経験を与うるも、一世一代の間に高等の開明人に変ずべからず。また高等の開明人にいかなる下等野蛮の教育を与うるも、一、二世の間に下等の野蛮に変ずるあたわず。これみな遺伝の性法あるによる。草をして木に変ぜしむるあたわず、犬をして馬に化せしむあたわざる。またこの理による故をもって、犬の子は常に犬にして、野蛮人の子は常に野蛮人なり。開明人の子孫は知力大いに発達して、徳行家の子孫は良心大いに進長すべきなり。この理を推して考うれば、今日の人の教育経験を待たずして、よく善悪を識別し、乱臣賊子のよく悔悟の情あるの理また知るべし。今日の人はたとえその一人は全く教育を経ざるも、その父祖数世の世間の教育を受けたるは必然なり。また乱賊の子弟も、その一人は野蛮の教育を受けたるも、その父祖数十百年間は世間普通の経験をへたるはまた必せり。一人の教育をもって数世の経験に抗抵すべからざる、これまた理の当然なり。故をもって一人の無学無識、放佚暴悪なる者あるも、父祖数世の間、発達遺伝したる良心のときどき心中に発顕するありて、あるいはよく善悪を分別し、あるいはよく悔悟の情を生ずるに至る。つぎに、野蛮人中に仁心を有する者あるの理は次節に論明す。

 余これより、人の良心の漸々進化してきたるゆえんを略明せざるべからず。すなわち野蛮人のごとき全く惻隠羞悪の心を有せざるもの、いかにしてこれを有するに至るゆえん、およびその人民中に仁心の一端を発するゆえんを説明せざるべからず。その説明をなすに当たり、まず善悪のなにものたるを定めざるべからず。仁愛のなにものたるを究めざるべからず。今日の仁愛と称するものも善行と称するものも、共に公益利他に外ならざるなり。他語をもってこれをいえば、社会一般の幸福、公衆の利益に外ならざるなり。しかれども、この公益なるも私益を離れて存するにあらず。大利は小利より成り、愛他は自愛より生ずるなり。しかして人に己を害して他を救い、身を殺して君に尽くすがごとき善行あるは、全く自愛心を欠くものに似たりといえども、その実かえって自愛の大なるものなり。社会すでに団結せし今日に至りては、一個人と社会全体との関係密なるは論を待たざるところにして、その関係密なれば、一個人の幸福と社会全体の幸福と互いに相離るるべからざる、また知るべし。果たしてしからば、一人を利せんと欲すれば社会全体を利せざるべからず。故に社会公衆を愛するは、その実一人を愛するなり。知るべし、愛他は自愛より生ずるを。これを推して考えれば、我人の善行はその源、自利自愛に外ならざるなり。しかして全く自愛を離れたる善行あるは、その自愛の本心ようやく進みて形を変じたるのみ。すなわち利他は自利の進化より生じたる結果より、自利は本より利他は末なり。故に野蛮の初世に当たりてはただ自利のみありて、未だ仁慈博愛の心を生ぜず、ようやく進みてややその一端を生じ、いよいよ進みていよいよ発達し、社会団結、国家組成の今日に至りては、因習進長の末、利他博愛に非ざれば、もって人道となさざるに至る。これによりてこれをみれば、野蛮人中に仁心の一端を有するものあるも、あえて怪しむに足らず。かくのごとき野蛮人はやや進化したるものにして、全く良心未発の人民にあらざるなり。この心のその際に発するに至るは、自然の勢い知らず知らずこれに至るなり。野蛮人もしその生存を全うせんと欲せば、社会を団結せざるべからず。社会を団結せんと欲せば、協力分労せざるべからず。協力分労せんと欲せば、自他互いに相親愛せざるべからず。故に社会進化の勢い、我人自然に仁愛の心を養成するに至る。これをもって野蛮人中にもその進化の際、仁心の発達せるものをみるべし。かつそれ、父母のその子を愛憐する情のごときは、野蛮人ひとりこれを有するにあらず、禽獣なおこれを有す。ここに至りてこれを考うれば、仁心善行の本源はすでに禽獣中に胎胚せしものと知るべし。これまた人類の下等動物より進化しきたるの一証とするに足る。人類果たして動物より進化したるにおいては、人の善悪と称するものも、またこれを識別する性力も、共にその本源禽獣中になくんばあるべからず。その本源はすなわち禽獣のよく苦楽を感覚して、苦を去りて楽につかんとする本性、これより利他の自愛に外ならざるゆえんすでに明らかなれば、善行も自愛より生ずるゆえん、またすでに明らかなり。しかしてまた社会一般の幸福を祈るがごときも、要するに一人の幸福を求むるにあるを知るべし。しからばその善と称するものすなわち動物界の快楽にして、善悪を識別するはすなわち動物の苦楽を分別するに同じ。しかるにその二者進化の前後異なるをもって、今日に至りてはもとより苦楽と善悪とは同一なりと称すべからずといえども、これただ数万世の久しき進化の際漸々その形を変じたるのみ。以上論ずるところ、これを要するに、自由意志または天賦良心のごときは天帝の与うるところに非ずして、進化淘汰の結果なり。人類ひとりこの心を有するにあらずして、動物なおその本性を有す。もしその発達したるものに至りては、今日の開明人中にこれを見るのみにて、野蛮人中にこれを有するものはなはだ少なし。たとえこれを有するものあるも、極めて不完全にして未だ良心の名を与うるに足らず。しかるにヤソ教者の意志良心は天帝の与うるものと信じ、その有無をもって人獣の別となすべしと考うるがごときは、実にその愚を笑わざるべからず。余案ずるに、意志良心の本源を天帝に帰するがごときは、古代人、知未だ開けずして、これを究明する力なきによる。故に天帝はすべて人知をもって知るべからざるものの異名なり。古代いずれの国にても、神の多きは知るべからざるもの多ければなり。人知ようやく進みて神の次第に減ずるは、知るべからざるもの次第に減ずればなり。天帝果たして知るべからざるものの名付けたるにおいては、すでに人知をもって知るべきものになお天帝の名を借るるを要せんや。今日に至りてこれをみれば、意志良心の本源すでに物理をもって証明するに至る、なんぞこれを永く知るべからざる天帝に帰するの理あらんや。我人いやしくも道理を愛するの心あらば、ヤソ教者の妄信にならうべからず。早くその知るべからざるものを究明して神の数を減じ、天帝の範囲を縮小するこそ我人のこの世に対しての務めというべし。そのいわゆる道理とはなんぞや、すなわち知るべからざる天帝の道理をいうに非ず、知るべき事物実験の道理をいうなり。すなわち原因結果の理法に考照して、合格するところの道理をいうなり。ヤソ教者の論ずるがごときは、一としてこの理法に考照するなし。これに考照するも、知るべき結果を推して知るべからざる原因を立つるものにして、その理法に合格するものにあらず。すべて知るべからざるものを指してみな神なりというは、知るべからざるものは知るべからざるものなりというがごとく、空はすなわち空より、零はすなわち零なりというに異ならず。世間もしかくのごとく事物の説明を与うるものあらば、これを狂と呼ばずしてなんぞや。故に余はヤソ教のごとき零即零の説を信ぜずして、因果の理法を本拠とする教えをとらんのみ。かつヤソ教にありては、本来人獣の別を定めて人類特造を唱うるといえども、今日実際に考うるに、人獣その初め決して異なるものに非ざる、種々証すべき理あり。故に余はヤソ教のごとき人獣本来有別を唱うる論を排して、人獣一体を説くところの教えを助けんとす。余信ず、世間いやしくも道理を愛するものは、余輩とその意を同じうするならんと。

     第四 善悪禍福説

 およそ物、善悪ありてしかしてのち賞罰あり、賞罰ありてしかしてのち禍福あり。善なるものはこれを賞し、悪なるものはこれを罰して、人の吉凶禍福相分かるる故に、禍はすなわち悪人の招くところ、福はすなわち善人のきたすところ、善悪は原因にして禍福は結果なり。これ宗教の総じて唱うるところの定則にして、ヤソ教またこの理によりて勧善懲悪の道を立つ。しかして善悪のなにものたるを説き、禍福のいずれよりきたるかを論ずるに至りては、ヤソ教他教と異なるところあり。ヤソ教にありて善悪も禍福もみな天帝の定むるところとす、これはなはだ怪しむべし。余もしヤソ教者に向かっていかなるものを善といい、いかなるものを悪というやと問わば、彼果たしていわん、天帝の命に従うものこれを善人とし、その命に反するものこれを悪人とすと。怪もまたはなはだし。余また善悪はだれによりて定まり、禍福はいずれよりきたると問わば、彼必ずいわん、天帝によりて定まり、天帝よりきたると。怪ただますますはなはだし。余、今その妄を開くに当たりて、論点を四段に分かち、第一に、天帝は人知以内にあるか以外にあるかを定めざるべからず。天帝もし人知以内にありと定むれば、天帝は人間内の天帝にして人間外の天帝に非ず。またこれを決して神妙不測不可思議と称するを得ず。もしこれを人知以外と定むれば、その体いわゆる不可思議にして、我人の全く知らざるところなり。しかして善悪禍福は、我人の目前に見て知るところなり。故に善悪は天帝の定むるところなりというは、知るところのもの知らざるところのものの定むるなりというがごとし。また禍福は天帝よりきたるというは、見るところのもの見ざるところよりきたるというに同じ。かくのごとき説明は、知に代うるに不知をもってし、明に代うるに不明をもってするものにして、真の説明を与えたりというべからず。そのいわゆる真の説明は、不知に代うるに知をもってすべし。今ヤソ教者の説明を数学の語に例するに、知数に代うるに未知数のXを用い、もって答えと定むるがごとし。天帝はすなわちXなり。もしあるいは、かくのごとき説明を許すに当たりては、なんぞ必ずしも天帝名を借るるを要せんや。善悪は恒星の住人の定むるところ、禍福は空中の生気よりきたるというも不可なることなし。知るべからざるもの、あにひとり天帝に限らんや。星界の人民も空中の生気も、みなわれ知るべからざるものなり。もし知に代うるに不知をもってするもの、果たして説明を与えたるものといわば、ここに人あり、甲に向かいてその年齢を問うに、甲曰く、わが年齢は月界の人の定むるところ、よろしくこれに問うべしと答うるも不可なることなし。未知の天帝を前定して事物の説明を施すは、みなこの類なり。実にその愚を笑わざるべからず。もしあるいは善悪禍福は我人の実施するところなれども、その原因に至りては決してしるべからず。故にこれを天帝に帰するなりといわんか、これますます笑わざるを得ず。善悪の原因の不可知なり、天帝また不可知なり。一不可知を知らんと欲して、他の不可知用う。その結局すなわち不可知なり。これを例するにその論法、恒星はすなわち恒星なり、月界の人はすなわち月界の人なり、XはすなわちXなり、暗は暗なり、夜は夜なりというに異ならず。ここに一旅人あり、甲に向かいて前村の里程を問うに、甲曰く、われこれを知らざるをもって、他のこれを知らざる人に向かいて問うべしと答うるに同じ。世間だれかかくのごとき説明を笑わざる者あらんや。第二に、天帝の有無を定むる者はだれなるかを論ぜざるべからず。以上論ずるところによるに、天帝は人間にあらず、しかして善悪禍福は人間中のことなり。善悪等をもって天帝に帰するは、すなわち人間中のことをもって人間外に帰するなり。他語をもってこれをいえば、人の本は天帝にありて、天帝の体は人間にあらず、しかしてその天帝のあるを知るはだれにあるや、すなわち人間なり。善悪は天の定むるところ、禍福の神の与うるところなりというものだれぞや、すなわち人なり。天帝の有無みな人によりて定まる故に、人ありてのち天帝ありというべし。これを要するに、人事の本は天帝にありて、天帝の本は人にあり、人を定むるは天にして、天を定むるは人なり。すなわち湯の本は水にして、水の本は湯なりというがごとく、右を定むるは左にして、左を定むるは右なりというがごとし、また論理上の説明法と称するを得ず。これを例うるに、ここに一人あり、甲乙両人の富を知らず、まず甲に向かいてその財産を問うに、甲曰く、わが富は乙の富に同じ、つぎに乙に問うに、乙曰く、わが富は甲の富に同じと答うるがごとし。かつそれ人の本は天帝にあれども、その天帝すなわち人の定むるところなるをもって、これを帰するに、人の本は人なりというべし。数学上にて甲数は乙数に同じく、乙数は甲数に同じきときは、甲乙同量なるを知るがごとし。湯というも水というもひとしくこれ水なれば、水の体を離れて別に湯あるに非ず。湯すなわち水なり。人を離れて別に神あるにあらず、神は人の定むるところなれば、神すなわち人というより外なし。神も人もこれを要するに同体異名にして、ひとしく人事の上にその別を設くるのみ。神は未知に名付け、人は已知に名付く。しかして已知も未知も、共に人の思想より発したるをもって、人の外に神あるにあらず。神すなわち人なりと決するより外なし。神は仮設の名、人は実事の名なり。仮設をもって実事を排するは、ヤソ教者の妄論たるを免れず。たとえこれを排するに至らざるも、仮設を本として実事を末とするは、ヤソ教者の妄見なり。論理を知るものだれかその妄を笑わざるものあらんや。以上論ずるところに考うるに、ヤソ教者の善悪禍福を談ずるの非理なるは、すでに明らかなりと信ず。なおその善悪は、なんの理によりて相分かるるかの一点に至りては、「第九 真理標準」の条下に至りて論じ、人の外に別に天帝の存するにあらざるの理は、「第七 心外有神」、「第八 物外有神」の条下に至りて証すべし。つぎに余は第三点に移り、善悪と利害の関係を論じて、ヤソ教者の禍福を論ずるのいよいよ非理なるゆえんを明らかにせんと欲す。

 第三に、善悪と利害の関係を論ぜざるべからず。ヤソ教者は神命に従うものを善とし、これに反するものを悪とす。善悪の標準は不可知の天帝なり。この点より論ずれば、善悪社会の利害と関係せざるもののごとし。なんとなれば、ヤソ教を奉ずるもの、ことごとく社会の利益を助くるにあらず。また社会に利益を与うるもの、ことごとく天帝の教を信ずるにあらざればなり。東洋人のごとき未だヤソ教のなんたるをしらず、天帝のなんたるを知らざるものは、天帝の命に帰順せるものというべからず。しかしてよく社会を利し、幸福を助くるものあり。かくのごとき人民は、ヤソ教のいわゆる悪人なり。これに反し西洋の信教者のごとき、たとえ社会を利せしことなきも、神命に服従するをもってこれを善人と呼ばざるべからず。これを要するに、天帝の命をもって道徳の基址と定むるときは、利害と善悪とは同一の関係を有することあたわざるなり。しかももし他方よりこれをみれば、ヤソ教の目的とするところは、社会を益するにありて害するにあらず、人の幸福を助くるにありて妨ぐるにあらず。天帝の意、人の不幸を喜び、世の禍害を欲するは万あるべからざることなり。果たしてしからば、社会を利する者は天帝の命を奉ずる者なり。社会を害する者は天帝の命にそむくものなり。それ、これを利する者は天帝のいわゆる善人にして福を得べし。それ、これを害する者は悪人にして罰を受くべきは自然の理なり。これによりてこれをみれば、善悪と利害とは互いに相関係応合するものなり。他語をもってこれをいえば、社会を利するものすなわち善人にして、社会を害するものすなわち悪人なり。社会を利する者は天帝ことごとくこれを救助し、これを害する者は天帝ことごとくこれを罰責すべし。果たしてしからば、善人となりて天帝の救助を受くるは、必ずしもヤソ教を奉ずるものに限るにあらず。たとえヤソ教を奉信せざるも、よく社会を益し世人を愛する者はすなわち善人にして、天帝の愛子なり、天帝の本意に従う者なり、天帝これを罰するの理なし。東洋人も西洋人も、ヤソ教を奉ずるものも奉ぜざるものも、みなひとしく善行をなすにおいては、みな同一に天帝の救助を受くべきにあらずや。しかりしこうして、ヤソ教者は、ヤソ教を奉信するものひとり上帝の助けを受くべしと談ずるはなんぞや、これ余が惑うところなり。これを要するに第一点より論ずれば、善悪と利害は同一の関係を有するにあらず。故にヤソ教を奉信するものにあらざれば善人となることを得ず。善悪の別はただ天帝の命に従うと従わざるとにあり。第二点より論ずれば、善悪と利害は同一の関係を有し、公利衆益はすなわち善行となり、善悪禍福は利害によりて相分かる。ヤソ教者は二者中いずれをとるや。第一点をとれば、社会の幸福を進むるをもって、目的とする宗教の趣旨を達するあたわず。第二点をとれば、神命をもって、道徳の基本と定むる主義を立つるあたわず。故に二者中いずれをとるも、前後倒着の難を免るべからず。甲をとるも不可なり、乙をとるも不可なり、ヤソ教者いずれをとるや。もしこの難を避けんと欲せば、そのいわゆる善は、神命に従って社会を利するものとせざるべからず。社会の利益を助け、あわせて天帝の命を奉ずるものとせざるべからず。かく定むるも未だ論難を免るべからず。例えばここに、十分社会を利してヤソ教を奉ぜざるものあらば、これを悪人となすべきか、また善人となすべきか、あるいは善悪相償うものとなすべきか。これを賞せんと欲するも、ヤソ教を奉ぜざるの罪あるをいかにせん。これを罰せんと欲するも、社会を利するの善行あるをいかにせん。もし善悪相償うものと定むれば、これに賞罰を下すべき理なし。賞罰なければ死後の禍福あるべきなし。余はなはだ怪しむ、かくのごとき徒の精神は、死後いかなる地位を占有すべきや。あるいはまた、ここにヤソ教を奉信して社会を害するものありとせんか。これまた賞することも罰することもあたわざるなり。もしそれ、これに反し社会を利すると神命に従うとの二者中、善行上、先後軽重ありとせんか。神命に従うは重くして、社会を利するは軽しとせんか。二者同時に起こるときは、その重きものを本として賞罰を下すものとせんか、余なお未だその理を解するあたわず。第一に神命の社会より重きの実証なし。神命を定むるには本と人にあるをもって、二者の軽重を較するときは、社会こそ重しといわざるべからず。第二、神命と社会とを比較するに、軽重になにほどの相違あるや。仮に神命は社会の二倍の重きを有するものとせんか。ここに神命の三分の一を犯し、社会の三分の二を益する者あれば、これまた善悪相償う者にして、賞するゆえんなく、また罰する理なし。この一点に至りては、ヤソ教者いかなる説を付会するも、けだし理の不当を免るるべからざるなり。かく人間の善悪を定め賞罰を与うるに一定の規準なきは、その規準のもと神に非ずして人にあるによる。善というも悪というも、福というも禍というも、一も天帝自らいうにあらずして、人々のそのときに応じて定むるのみ。神命とか神誡とか称するもの、果たしてだれの定むるところなるや、すなわちこれ人なり。モーゼ、天帝の命を奉ずというも、そのモーゼもとより一個の人なり。ヤソ降誕すというも、その人界にあるや等しくこれ人なり。またこれを筆して世に伝うる者も、これを聞きて人に誨うるものも、みな人なり。神ありというも人なり、神なしというも人なり。われこれを知るというも知らずというも、みな我人の思想の範囲を出づるあたわず。不可知の天帝すなわちわが思想中の一現象にして、思想の外に天帝あるに非ざるなり。ここに至りてこれをみれば、ヤソ教者の人、外に神を立つるがごときは無証の空論というべし、無実の妄見というべし。余輩案ずるに、かくのごときは、ヤソ教者の愚民を誘導する方便に過ぎざるならん。

 第四に、善悪と禍福との関係を論ぜざるべからず。ヤソ教の人を賞罰するに、善者に与うるに福をもってし、悪人に与うるに禍をもってするは、問わずして知るべし。しかして余がここに問わんと欲するものは、禍福のなにものたるにあり。禍とはなんぞや、我人の苦を生ずるものと答うるより外なし。福とはなんぞや。我人の楽をきたすものというより外なし。その我人の感ずるところの苦楽は、人々同一なるあたわず。一人はこれを苦となして、一人はこれを楽となすものあり。例えば酒食のごとし。これを好むものよりみれば最上の楽にして、これをいとうものよりみれば至極の苦となる。また苦楽を感ずる度、人によりて異なり、例えば懲役のごとし。上等の人はその苦を感ずる多く、下等の人はこれを感ずる少なし。また風月のごとく、学者はこれを見て楽を生ずるも、無学はこれにあいてその味を知ることなし。天帝の人を賞罰するや、人々の性情に応じてその方法を異にするか、上戸を罰するに餅をもってし、下戸を罰するに酒をもってするか、あるいはまた、上戸も下戸も同一の刑に処するや、これを同一にすれば天帝の賞罰不公平といわざるべからず。およそ我人の称するところの苦楽や禍福のごときは、定まりありて定まりなきものなり。苦楽も人々によりてこれを感ずる同じからず、禍福も人々によりてその度を知ること異なり。故に余輩ヤソ教者にたださんと欲するところは、天帝なにを標準として罪の軽重を量り、なにを正鵠として賞罰を謝するや。試みに思え、人の罪には大小軽重の差異あり。しかしてその極めて大なるものと極めて小なるものとを較すれば、霄壌の懸隔ありといえども、その中間に位する罪に至りてはその差異極めて少なきものあり。その差異極めて少なきも、これを同一の軽重を有すものとみなすべからず。故に各人犯すところの罪の軽重は、人々みな多少の差異ありと知るべし。所犯の罪に差異あれば、所課の罰にもまた差異なくんばあるべからず。小罪を罰するに小刑をもって、大罪を罰するに大刑をもってするは、理の当然なり。しかるにヤソ教の人を罰する罰の多少を論ぜずして、同一に処するもの多し。これ天帝の賞罰を下す、実に不公平なりと断言せざるべからず。今その一例を挙ぐれば、ヤソ教者曰く、ノアの大洪水は、当時の人民ことごとく天帝の命を奉戴せずして、罪悪を犯すをもって天帝これを罰するなりと。当時の人民みな天帝に対して多少の罪あるものと定むるも、その人百人は百人ながら、ことごとく同一の罪を犯し、その軽重に寸分の差異なしと想するを得んや。果たしてしからば、これを罰するに同一の刑を用うるの理なし。これによりてこれをみれば、当時の人民を罰するに同一の洪水をもってするは、不公平の賞罰といわざるべからず。つぎにヤソ教の賞罰に不公平あるは、初め天帝、アダム、イブの両人神禁を犯すの罪あるをもって、男を罰するに労作の苦をもってし、女を罰するに懐妊の苦をもってすという。アダム、イブ両人には、罪あるをもってこれを罰するを当然なりとするも、その罰を両人の身にとどめて、その子孫に及ぼすの理なし。しかるにその子孫、万世に至るまでも同一の罰を受くるはなんの理によるや。今日の人民はたとえ神命を奉戴するも、男は労作、女は懐妊の苦を免れざるは、その身になんの罪ありてしかるや。祖先の罪をもって等しく子孫を罰するは、不公平の賞罰というより外なし。かつそれ女に懐妊の苦あるは、ただに人類に限るにあらず。諸動物大抵みなしかり、これなんの罪あるや。動物中下等に至りては、この苦を知らざるものあり、これなんの徳あるや。かくのごとき賞罰は、不公平中の不公平というべし。ヤソ教者曰く、キリストは人に非ずして神なり。また曰く、キリストの十字架上に死せしは、衆生に代わりてその苦を受くるなりと。これまた、余が解するあたわざるところなり。キリストすでに神なれば、死生更にその体に苦を感ずべき理なし。故にその身死刑にあうも、決して衆生に代わりて苦を受けたりというを得ず。かつキリストの目的、世人を救助するにあれば、その不時の死を遂ぐるは、もとより自ら欲するところなり。その欲するところを得るは、自ら楽しむところなり。果たしてしからば、キリストの死はキリストの苦にあらずしてキリストの楽なり。その死に就くは、自ら苦をおかして衆生の罪をあがなうにあらずして、自ら楽を全うして衆生の苦に代わるなり。これによりてこれをみれば、ヤソ教を信ずるの徒、その死を憐みその苦を思うは、実に惑えりというべし。キリストの死はこれを祝して可なり、あに弔するの理あらんや。その他ヤソ教者に難ぜんと欲するところは、今の世界にありて人の吉凶禍福をみるに、善をなして不幸にあい、悪をなして僥倖を得るもの幾人あるを知らず。これなんの理によりてしかるや。天帝果たして、かくのごとき不公平の賞罰を下すや。もしあるいは、天帝の賞罰は死後にありて生前なきものとせんか。しからば、生前に幸不幸の別あるはなんの原因によるや。実に怪しまざるべからず。請う、見よ、天帝これを愛するも、その人の不幸を転じて幸となすあたわず、あるいは天帝これをにくむも、その人の福を転じて禍となすあたわず。禍のきたるも福の生ずるも、みなしかるべき原因ありて、決して偶然に起こるに非ず。福を得べき原因あれば必ずその結果あり、禍をきたすべき原因あればまたその結果あり。しかしてその原因を知らずして、結果のみを見るとあり。あるいはまた、その結果を見ずして原因のみを知るとあり。故をもって不期の福、不時の不幸をきたすことあるも、因あれば果あり、果あれば因あるの理法に至りては、古今を貫き東西にわたりて変ずることなし。けだし天帝ある、その法を左右することあたわざるべし。果たしてしからば、人の善悪と禍福との関係は、みなこれを因果の理法に帰して可なり。あえて天帝の空想を借りてその理を託するを悪せんや。天帝は仮設の想像なり、因果は実験の理法なり。仮設の想像をとりて実験の理法を排するは、これを論理を知らざるものというより外なし。故に予輩は、世間因果の理をもって立つるところの教を助け、もって理学の思想を開き、その進歩を妨ぐる神造の空想説を排せんとす。これ学者の学に尽くすの義務なりと信ず。

     第五 神力不測説

 この題の説明を下すに当たり、論意を二点に分かち、第一に神は知るべきものか知るべからざるものかを論じ、第二に神力は自在なるか自在ならざるかを究めざるべからず。まず第一点を論ずれば、ヤソ教者の説くところ、神は知るべきもののごとくにして、また知るべからざるもののごときあり。その論理、前後矛盾の難あるをみる。これを知るべからざるものと定むれば、これを知るの理なし。これを知るべきものと定むれば、知るべからざるの理なし。しかるにヤソ教者は、神体不測にして人知のよく及ぶところに非ずと談じて、しかも天神はかくのごとし。天帝はかくのごとき自在を有し、天帝はかくのごとき作用をなし、かくのごとき功業あり。何々の時に存し何々の地に住すといい、はなはだしきはその形状容貌までを想像して、直ちに目前地に見るがごとく人に向かいて説く。天帝果たしてそのいうところのごとくんば、これ人知以内の神にして、これを称して知るべからざるものというを得ず。かく論じきたれば、ヤソ教者の説くところは、神はその体知るべきものというより外なし。しからばこれを果たして知るべきものと定めんか。我人今日現にこれを見、これにあうことあたわざるはなんぞや。かつヤソ教者も神の威力功用を論じて、実際上説明を与うることあたわざるに至れば、すなわち曰く、これ神妙不思議にして、我人凡愚の測り知るところに非ずと。七日間に世界を創造するも神力の不思議なり、大洪水も不思議、ヤソ降誕も不思議、上天も不思議にして、これみな我人のよく知るところにあらずという。その意、天神は知るべからずと定むるなり。しかしてまた天帝の体用を説きて人に教うるに至れば、天帝は知るべきものと定むるがごとし。ヤソ教者は、前後二点中いずれを本とし、いずれをとるや、これ余が迷うところなり。ひとたびは神は可知的なりといい、ひとたびは不可知的なりという。可知と不可知の同時一体なるは、論理上許さざるところなり。もしあるいは、天帝の一半は知るべくして、一半は知るべからざるものとせんか。余が惑い未だ解すべからず。もし果たして、全体知るべからざるにおいては、知るところのもの、果たしてその一半なるや否やもまた知るべからず。かつ神体の幾部分は知るべくして、幾部分は知るべからざるやも、また定むべからず。もしそれ、天帝果たして人知をもって考うべきものたるにおいては、これを天帝として尊信するに足らざるなり。今我人、天帝を天帝として尊信するゆえんは、その体測り知るべからざればなり。故にそのいわゆる天帝は、我人知るべからざるものの異名なり。その果たして宇宙間に現存するかせざるか、我人の知るところに非ず。その万物を創造せしや否やも、我人の知らざるところなり。人を賞罰するや否やも、またわれ知らざるところなり。その体いかなる関係を人事の上に有せしや、また知るべからず。かくのごとくにして、始めてこれを天帝と称すべし。しかるにヤソ教者の説がごとき、天帝は真の天帝にあらずというべし。いかにとなれば、その体、人知以内にあればなり。すなわち我人の心中に想出する神なればなり。つぎに第二点に移り、神力の自在と不自在とを論ずれば、まず天帝は自在力を有するか有せざるかを定めざるべからず。ヤソ教者必ずいわん、天帝自由自在力を有すと。いかにしてこれを知るや。彼必ずいわん、天地の開くるゆえん、日月の輝くゆえん、人類の生育するゆえん、心霊の生滅するゆえん、一として天帝の自在力に出でざるはなしと。これ最も仮想のはなはだしきものなり。なんとなれば、天地万物の変化は天地万物の変化なり。我人、万物の上にその変化を天帝見るも見るにあらず。しかしてその見るところの変化は、見ざるところの天帝のしからしむるところなりというがごときは、実に験するところのものは、空に想するところのものよりきたるというに異ならず。だれか、かくのごとき推論を笑わざるものあらんや。しからば万物の変化は天帝にあらずして、なにによりて起こるや。余輩これに答えて、物質の変化は物理によりて起こるというより外なし。その物理とはなんぞや。曰く、原因結果の関係なり、すなわち因果の理法なり。その因果理法とはなんぞや。曰く、因と縁との和合によりて万物の変化を生ずるの理、これなり。この理は我人の日夜実験するところにして、天帝のごとき空に想するものに非ず。ヤソ教者あるいはいわん、そのいわゆる因果の理法すなわち神なりと。果たしてしからば、神は普通の力を有するのみにて、自在の力を有すというべからず。有を転じて無となし、無を転じて有となすべからず。物なきに物を作り、力なきに力を生ずべからず。故に余は信ず、ヤソ教者のいわゆる天帝は、かくのごとき神をいうにあらざるを。しからば、天帝いかなる点において自在力を有するや。およそ自在力を有する以上は、万事一として意のごとくならざるものなきに至らざるべからず。天帝果たして自在力を有するにおいては、因果の理法も変ずべく、無より有を生ずべく、死を転じて生を回らすべく、人も直ちに獣に化すべく、赤も現に黒に見せしむべく、円形は方形と同じからしむべく、一と二と合して四となさしむべき理なり。しかるに現今の世界にありては、因と果との関係を見るのみにて、その他の変化なるを知らず。もししからば、天帝のこの世界にすこしも関係を有せざるものというより外なし。またその有するがごとき、自在力は昔日より今日に至るまで実際に見ざる以上は、その体ありと断言するを得ざるなり。これによりてこれをみれば、たとえ天帝はあるにもせよなきにもせよ、今日の社会に関係なきものにして、これをこの世界に立つるに、無用物と断言して可なり。しかしてただわが意を用いざるを得ざるは、因と果との関係より外なきなり。善因を修すれば善果を生じ、悪因を植えれば悪果を結ぶ。世間のことただこれのみ。故に余輩は、有りてもなくても関係なき無用の天帝を信ずるより、我人日夜のがるべからざる因果の理を守りて、この心身を全うせんことを必用とすべきなり。

     第六 時空終始説

 ここに時空とは、時は年月のごとき時間をいい、空は虚空のごとき空間をいう。そもそも万物の宇宙間にあるや、時間と空間との二者の間にその形象を現ずるなり。故に天地間には万物の外に時間空間の存するあり。この二者なくんば、万物その形を現ずるあたわず。しかして万物その形を現ぜざるも、この二者を空すべからず。ここに一物あり、その体、固形流動等の形を有するは空間を占有するにより、その形種々変化するは時間を占有するによる。空間あるに非ざれば、われその形を知るあたわず、時間あるに非ざれば、われその用を知るあたわず。故に物の存するは時間空間の存するによる。しかるに太古、天地未分の時にさかのぼり、宇宙無一物の形状を考うるに、当時物質未だその形を現ぜざるも、時間と空間すでに存するあるや必せり。なんとなれば我が輩、世界未開前に時間なきを想することを得ざればなり、また万物未生の時に空間なきを想するを得ざればなり。しからば時間と空間は、万物にさきだちて存し、たとえ万物滅尽するも、この二種ひとり依然として存すべきなり。さて余輩ここに至りて、ヤソ教者にたださんと欲するは、この時間と空間との終始にあり、万物の天帝の創造にかかるゆえんは『バイブル』書中に見えたりといえども、その書中、空間と時間との造出を説かざるはなんぞや。この二者は天帝の創造せざるゆえにしかるか、これ余輩のはなはだ怪しむところなり。人のいわゆる宇宙とはなにをいうや、時間と空間と物質との三者の関係より外なし。その三者中、物質は天帝よりきたると定むるも、他の二者のなによりきたるの理、未だ解すべからず、この二者また物質のごとく天帝の創造に出づるとせんか。『バイブル』中にその説なきはなんぞや。あるいはまた、これ天帝の造するところに非ずとせんか。もししからば、天帝は世界の一分を創造せしにとどまりて、全体を造出したるに非ずといわざるべからず。かつそれヤソ教者は、時間は限りありとするか、またなしとするか、空間もかぎりありとするか、またなしとするか。二者共に際限ありとすれば、太初に時間のなき時、空間のなき空なくばあるべからず。かくのごとき時はいかなる時にして、かくのごとき空はいかなる空なるや。ヤソ教者もおそらくはこれを想することを得ざるべし。果たしてしからば、時空に限りなく、空間にかぎりなしというより外なし。この二者際涯なくば、宇宙も世界も際涯あるべからず。他語をもってこれをいえば、宇宙も世界も共に始めもなく終わりもなきなり。宇宙も世界も果たして始終なきにおいては、天帝これを創造すべき理なし。これによりてこれを推せば、天帝も時間と空間との範囲中の一現象にして、その範囲外に存するものにあらざるは必せり。言を換えてこれをいえば、天帝世界の外に生存するにあらずして、その中に生存するものと断言せざるべからず。すなわち、世間ありてのち天帝あり、天帝ありてのち世界あるにあらずと論決せざるべからず。今、我人はかぎりなき空間に動き、限りなき時間にかかるものなり。天帝またしかり、我人も天帝も、共にこの二大元の間に出没変化して浮泳逍遥するのみ。しかして天帝の我人に異なるは、時空の間の関係に大小の別あるによる。時間の大部分と空間の大部分を占有するものすなわち天帝にして、その小部分を占有するものすなわち人なり。ここに至りてこれをみれば、我人は人として侮るべからず、天帝は神として驚くに足らざるなり。しかも余信ず、ヤソ教徒は決してかくのごとき見解を天帝に下さざるを。彼必ずいわん、天帝は時間の範囲外にあり、空間の際涯の外にありと。余これに答えていわん、時間空間すでに際涯なき以上は、その範囲の外の有るべき理なし。すべて範囲あるは限りあるにより、内外あるは範囲あるによる。すでに時空は無涯無限にしてその範囲以外なきに、なおその外に天帝の存するありといわば、これ天帝は存生せざるものというに同じ。なんとなれば、無の場所に有の存すべき理なければなり。彼あるいはいわん、時間空間は無涯無限にして、天帝も無涯無限なりと。余またこれに答えていわん、時間も天帝も共に無涯無限なれば、二者同一にしてその差別を見るあたわず、時空と天帝同一なるをもって、時空すなわち天帝とせんか。かくのごとき天帝は、我人決して奉信するを要せざるなり。なんとなれば余未だ時間の人を賞罰し、空間の人を救助せしを知らざればなり。あるいはまた時空と天帝とはその体異にして、時空の外に別に天帝ありとせんか。かく定むるも、二者共に無涯無限なる以上は、一者の他を造出すべき理なし。なんとなれば、所造にかかるものは無涯無限と称するを得ざればなり。故になんの点より論ずるも、時間と空間の外に天帝あるの証を示すあたわず。また時空は、天帝の造するところなりというの論決を結ぶべからず。かつそれ、仮に時間空間の外に天帝ありと定むるも、その天帝はいかなるものなるやは、人の思想の及ぶところに非ず。あたかも空外の空、時外の時を想すると一般なり。すべて我人の思想は、時と空との二者に関せざるはなし。我人の心中より時空を除き去るはまた思想なし。故に時空外の天帝は寸分も思想の関するところに非ず。思想の関するところの天帝は時空内の天帝なり。しかるにヤソ教者は、天帝の体用を想像するはなんぞや。これ天帝は思想内に現ずることを得と信ずるによる。天帝果たして思想内に現ずべき以上は、その体時空の外に存するに非ざること明らかなり。ヤソ教者あるいはいわん、時空ありてのち万物あるに非ず、万物ありてのち時空あるなりと。余これに答えていわん、万物は限りありて時空は限りなし。いずくんぞ限りあるものありてのち限りなきものありというを得んや。かつ万物ありて始めて時空の生ずるものといわば、万物なき時に当たりては、時空またなしといわざるべからず。しかるに我人、今日にありてこれを考うるに、万物未発の時を想するも、時空未現の時を想すべからざるはなんぞや。また万物滅尽の日を想するも、時空際涯の期を想すべからざるはなんぞや。これ他なし、万物ありてのち時空あるに非ざればなり。ヤソ教者またいわん、時空は人の心より生ずるものにして、心を離れて存するにあらずと。余これに答えていわん、時空果たして人の心より生ずるにおいては、人その心を失えば時空また滅すべきなり。しかるに今われ死するも、時間と空間は依然として存するや必せり。たとえ人ことごとく死するも、草木鳥獣存する以上は、世に時間と空間はなお存すべきなり。またたとえ草木鳥獣滅するも、土石山川存する以上は、時間空間の滅せざるや明らかなり。これによりてこれをみれば、時空は人の心より生ずるに非ざるなり。もしあるいはいわん、そのいわゆる心とは一種一個の差別の心をいうに非ず、普通、平等自他の差別なき心をいうなりと。もし自他の差別を空して、平等絶対の大心よりこれをみれば、ただに時空のみ心中に存するに非ず。三千世界の広きもの、ありとあらゆる仏も神も、みなその範囲に入るべし。これすなわち仏説の三界唯一心の論にして、ヤソ教者の唱うるがごとき、天帝の本体も不思議力も、みな一心の範囲内の妄想に帰するのみ。その理は次段、心外有神の条下において論ぜんとす。かく論じきたりてこれをみれば、世界に無始無限無涯の二大元ありて、神も我人も共にその間に生存するや、疑いをいれざるなり。

     第七 心外有神説

 ヤソ教にて万物創造を説きて、人は天帝の造出するところ、その心霊は天帝の賦与するところなりという。この言によるに、天帝は人心の外に生存せるものといわざるべからず。これまた余輩の解することあたわざるところなり。余すでに「第五 神力不測」の条下において、天帝は我人の思想中より生ずるものにして、人知以内のものなりという。他語をもってこれをいえば、天帝は我人の心内にあるなり。これによりてこれをみれば、人心ありてのち天帝ありというより外なし。その理史につきて知るべし。太古人類の生存せざるときは、もちろんその未だ開明に進まざるのときに当たりては、今日いうがごとき、天帝の存在を説くものなし。ようやく進みて、始めて天帝の有無を論ずるに至る。すなわち天帝の有無は、人心の発達に属するを知るべし。ヤソ教の立つるところの神もまたしかり。人の思想ようやく進んで、その現存を想出するに至る。これを要するに天帝人を製出するにあらずして、人これを製出するなり。およそ宇宙間の事物は、これを内外両域に分かつべし。その内域は心にして外域は物なり。故に、内域に存せざるものは外域に存せざるべからず。天帝果たして心外に存するにおいては、外域中にその現象なくはあるべからず。しかるに外域中にありては、古来未だ天帝の現存を実視したるものなし。たとえこれを実視したりと唱うるものあるも、その人今日に現ぜざる以上は空想というより外なし。今、我人目を開けば直ちに日月星辰、山川草木、大小長短の諸物を現見すといえども、未だ一人の神体を見るものなし。たとえ千万中に一、二人のこれを見しものありというも、他の千百のものこれを見ざるときは、未だその証ありというべからず。しからば天帝の有無を論ずるは、外域にその形の存するありて、その体あるを証するにあらざるや明らかなり。外域にその形を存せざる以上は、その体全く心内の思想より出づるといわざるべからず。心内の思想より出でて物界にその体を見ざる以上は、その体心内に存するなりと定めざるべからず。かく論じきたれば、天帝は心内の天帝なり。天帝果たして心内に存する以上は、我人の心は天帝の賦与するところに非ずと論決して可なり。以上は普通の道理上、心外無神を論じたるのみ。もしまた心理哲学の理に考うれば、あにただ天帝心内に住するのみならず。日月も草木も宇宙万物も、ことごとく心内に入るべし。すなわち我人の寸方中に、三千大千世界を納むべし。その理ヤソ教のごとき浅近の教えを信ずる人には了解し難しといえども、これを証する、またはなはだ容易なり。第一に思想の性質を知り、第二に感覚の作用を究むべし。見よ、我人の思想は外物全界にわたりて万物みなその範囲中にあるを。今、人あり、わが体の外に動物ありと考うるも、地球の外に日月ありと思うもみな思想の作用にして、宇宙間の事物すべてその範囲に入りて、始めて事物の名を得るなり。故に我人、人獣の別を立つるも、物心の界を分かつも、自他彼我の見を起こすも、みな思想の動作に非ずしてなんぞや。例えば、われ今ここに外物ありというは、われその外物あるを知るにより、ここに日月ありというは、われその存するを信ずるによる。知るというも信ずるというも、共に思想に属する語にして、その思想の動作異なるをもって名また異なるのみ。これみな思想の作用なること明らかなり。外界ことごとく思想の作用より生ずれば、その物すべて思想の範囲にありて、これを心内の諸象というより外なし。つぎに感覚の作用を論ずれば、人の感覚には五種類ありて、色、声、香、味、触の五覚なり。その器官また五種ありて、耳、目、鼻、口、皮膚の五官なり。すべて我人の外物を知るは五官の感覚によらざるべからず。五官の感覚ありて始めて外物なるを知る。故に我人目を開きて日月を天に見るも、直ちに日月を天に見るに非ず。その日月は我人の眼球の中に入り、網膜の上にその形を現じ、その膜面に散布せる視神経の感覚を生じて、これを脳裏に伝え、始めて日月の天にあるを知る。しからば成人の日月を知るは、眼内の日月を知るのみにて、眼外の日月を知るに非ず。他語をもってこれをいえば、その日月は感覚以内の日月にして、感覚以外の日月に非ず。声の耳における、香の鼻における、みなしかり。耳を離れて別に声あるに非ず、鼻を離れて別に香あるに非ず。多境の諸物はみなわが五官を経て感覚内に入り、始めてその象を現ずるをもって、わがいわゆる物は感覚外の物をいうに非ず。すなわち心内の物をいうなり。物みな心内にあるにおいては、外境すなわち心内の境というより外なし。言を換えてこれをいえば、三界唯一心なり。すなわち一心の外に物ありと思うは我人の迷いにして、唯一心と観するは我人の悟りなり。その他、三界の一心中にあるの理は、物質の構成を験してまた知るべし。物質は今日の理化学に考うるに、あまたの分子より成り、分子は極微より成るというも、その極微はなにより成るやと問わば、けだし答うることあたわざるべし。故に我人は、分子の本体なにものたるを知らざれども、その体に自然力の存するありて、他の分子とあるいは相引き、あるいは相排し、もって万物を構成するなり。すなわち物の物たるゆえんは、その体に力の存するによる。力には活力、緊力、引力、拒力、重力等の種類ありといえども、これを帰するに感覚力あるのみ。感覚力はなんに属するや。曰く、物力に非ずして心力なり。故にこの点より論ずるも、三界唯一心に帰すべし。かく論じきたれば、この形を現ぜざる天帝のごときは、我人の一心内にあるの理、別に証するを待たざるなり。ヤソ教者、いかなる理に基づき心外有神を立つるや。かれというも、これというも、われというも、人というも、みな同一心の中にあり。天帝はわが心界の一現象に過ぎざること明らかなり。これを心外にありと信ずるは浅見にして、一歩を進めて考うれば唯一心あるのみ。知るべし、ヤソ教者のみるところ浅近なるを。故に余輩の今日務むるところ、心外有神の浅見を破りて、三界一心の妙理を開くにありとす。

     第八 物外有神説

 三界一心の説あるいは高尚に過ぎ、あるいは実際に適せざるもの憂あるをもって、余輩はここに一歩を譲り、物心相対説をとりて心の外に物ありとするも、未だヤソ教者の立つるがごとき天帝の現存を信ずべからず。今これを実際に考うるに、心と物とは全くその性質を異にして、物は形象を有し心はこれを有せず。物は身外にあり心は脳裏にあり、すなわち目を開きて見るものは物にして、目を閉じて存するものは心なり。我人の物あるを知るは心あるにより、心あるを知るは物あるによる。故に物と心とは互いに相対待並立して、一を欠くも他を存するあたわず。しかもかくのごとき心は、余がさきにいわゆる三界一心の心に非ず。三界一心の心は絶対心にして、物も心もその一部分に過ぎず、故にこの二者の混同を分かたんために、一を対待心といい、一を絶待心という。今、余が論ずるところは、物心対待心よりこれをみれば、天帝は心外に存すというも不可なることなし。天帝果たして心内に存せざれば、物界中に存せざるべからず。故に余はこれより、天帝の物界中いずれの所に存するかを究めんとす。およそ物界を組成せるものは物質と虚空なり。天帝物界中に存する以上は、その体物質なるか虚空なるかの二者中の一に出でざるべし。今これを物質とせんか、天帝は決して物質に非ざるなり。なんとなれば、物質は所造にして天帝は能造なればなり。ヤソ教者曰く、天帝万物を作ると。およそ物の生ずる一種の原理あり。一は自体固有の内力によりて、その体開きて万物となる。すなわち仏の真如より万物を生ずという、これなり。一は外よりきたりて万物を製造するなり、すなわちヤソ教の天帝創造これなり。すべて外よりきたりて製世するを大工の造作と名付く。故にヤソ教の天帝は大工神なり。大工の家を作り、器具を製するによりきたりてその力を加うるのみにて、その所造の家屋の体は大工に非ず。ヤソ教の万物創造を説く、これに類す。天帝は外よりきたりて万物を作るのみにて、その万物の体天帝に非ざるなり。なんとなれば、かれ天帝は物外にありと立つればなり。故にその教を大工教と称するも不当なることなし。しかるに仏教はこれに反し、華厳の、天台等の真如縁起によるに、真如の挙体動じて万法の波と現れ、万法の当体すなわち真如なりという。故に人はもちろん鳥獣草木、国土山川に至るまで、一としてその体真如に非ざるはなし。万法もと真如より生ずる以上は、その体すなわち真如なるは理の当然というべし。これを例うるに、陶器は土より成るをもって、その体土なるがごとし。故に仏教の所談は大工教の所談と同一に非ず。ヤソ教にては、天帝万物を造るというのみにて、天帝自体より万物を化生するゆえんを説す。もしそれ自体より万物を化生すといわば、万物の体すなわち天帝なりといわざるべからず。国土山川草木みな天帝なりといわざるべからず。ヤソ教これを許すや。否、もしこれを許せば物外有神を立つるあたわず、もしこれを許さざれば大工神の名を免れず。大工は家を作るも、その家すなわち大工に非ず。あたかも天帝万物を作りて、その万物すなわち天帝にあらざるがごとし。しかして、ただその二者の異なるは、大工は家を作るに他の材料を用い、物なきに物を作るにあらず。天帝はこれに異なり、自ら万物を作るも他より材料を取るにあらず。また自体を減損してこれに形を与うるにあらず。いわゆる物なきに物を作るなり。だれかこれを奇怪と呼ばざるものあらん。実に奇怪中の奇怪というべし。仏教はこれに異なり、真如の理体動じて万法とあらわるるをもって、万法すなわち真理なり。故に物なきに物を作るの難なし。たとえ真如の本体は平等、平等にしてもとより事相の差別なしといえども、事相の本体は真如の理体より生ずるをもって、体より体を生ずるなり。体なきに体を作るに非ず。ヤソ教者あるいは曰く、物なきに物を作り、体なきに体を生ずるは、天帝の大不思議力なりと人を誣いる、また過甚なり。天帝果たして、かくのごとき大不思議力を有するものとせんか。しからばすなわち、天帝因果の理法を左右するの力ありといわざるべからず。因果の理法を左右する以上は、死を転じて生となし、人を化して獣となさしむべく、夜中日を生じ、男子をして児を懐妊せしむべき理なり。しかれども、未だかくのごとき奇変を実際上に見ざるなり。これによりてこれをみれば、天帝因果の理法を、左右変更するの力なしといわざるべからず。天帝これを左右する力なき以上は、物なきに物を造るべき理なし。果たしてしからば、天帝いずれの点において大不思議力を有するや、はなはだ疑うべきにあらずや。もしまた、ヤソ教果たしてその大不思議力を有するを信ずるならば、なんぞ天帝の世界創造説について、道理上種々の解釈を与うることを勉むや。天帝すでに、無より有を生ずるの大自在力を有するにおいては、六日間に世界を造るも、土を化して人となすも、決して天帝の難ずるところにあらざるなり。世界の曠漠なるも、万物の衆多なるも、一時半刻瞬息の間に創造するも、天帝のやすしとするところならん。しかるに、ヤソ教者これに種々の付会説を与えて、六日とは六世期を義とするなり、土を化して人となせしは、無機を転じて有機となすなり等と喋々するは、無用の言といわざるべからず。畢竟かく喋々するは、天帝の大不思議力を自ら信ぜざるによるならん。余をもってこれをみれば、大不思議力を有する天帝にして、世界を創するに六日の長を要せしすら解するにあたわず。天帝果たして大不思議力を有するにおいては、一瞬一息の間よく造出し得べきはもちろんなりと信ず。しかるにその妙用なきは、未だもって大不思議と称するを得ず。いわんや六世期、七世期等の限りなき年数を経てこれを造化するにおいては、すこしも不思議なることなし。ただこれを不思議なりと信ずるものこそ不思議なり。再び論鋒を前点にめぐらして物外無神を証せんとするに、さきにすでに述ぶるごとくヤソ教者は物外有神を信ずるは必然にして、更にその例を示すを要せず。その論のごとく天帝果たして心の外になり、また物の外にありといわば、いずれの中に存するや。さきにいうところの虚空の中に存するか、虚空もと空なるをもって虚空と名付く。その中に天帝の存すべき理なし。もしその中に存すれば、これ虚空中の天帝なり。言を換えてこれをいえば、これ虚空ありてのち天帝存するなり。果たしてしからば、虚空は天帝の作るところに非ずといわざるべからず。天帝これを作らずばだれかこれを造るや。あるいは虚空の全体すなわち天帝なりといわんか。わが身体の周囲咫尺みな虚空なるをもって、天帝わが周囲にありというべし。またかくのごとき虚空は自ら物を生ずる力なきをもって、天帝万物を造出すべき理なし。これによりてこれをみれば、ヤソ教の天帝は虚空と同体にも非ず、またその中に存するにもあらざるべし。しからばいずれに存するや、虚空外に存するか、虚空外とはいかなる所なるや。虚空外に現存すべき場所ありというは、あたかも無の中に有あり、零の中に数ありというがごとし。すでに零といえば無数なり、すでに無といえば有に非ず。今、虚空外すなわち虚空のなき所に天帝存すというは、存すべき場所なき所に存すべき場所ありというに同じ。その論理の奇怪なる驚かざるを得ず、また笑わざるを得ず。かつ虚空のなき所などはいかなる人も想像の及ぶところに非ず。ヤソ教者ひとりよくこれを想像し得るや。その他虚空の外というは、虚空に際涯ありと仮定するによる。虚空に際限あるがごときも、また我人の想し得べきところに非ず。たとえまた、かくのごとき虚空のなき所ありてその中に天帝存するありとするも、かくのごとき天帝は夢中に存する天帝と同一般なり。これを要するに、いずれの点よりみるも天帝は物外に存すべき理なし。その理なくしてなおこれを物外に存すと思うは、ヤソ教者の空想妄見に過ぎざるなり。だれかその浅見を笑わざるものあらん。それ宇宙間は際涯なき空間八方上下に瀰るありて、その間に数万の物体、周布森列し、あるいは散しあるいは集まり、変化常なく、もって千態万状の現象を示すに至る。我人の朝夕目を開きて見、手を出して触るるところのものは、これのみ。すなわち我人の心面にその形を結ぶものは、千態万状の物象のみ。他に我人の知るべきものなし。その間、あにあえて天帝のごとき空々漠々たるものあらんや。たとえその間に存するあるにもせよ、我人のあずかり知るところに非ず。我人未だこれを知らざる以上は、その体実にありと唱うる説を排して、空見なり妄説なりというも、また理の当然なり。論理を知るもの、だれか余がごとく論決せざるものあらんや。

     第九 真理標準説

 およそ真理の有無を論ずるには、その標準なくんばあるべからず。すでに標準定まりてのち真非の別起こる。その標準に合するものを真とし、合せざるものを非とす。今ヤソ教は天帝をもって真理の正鵠と定むるをもって、天帝すなわち真理の標準なり。しかれども真理の標準を定むるには、またその標準の標準なくんばあるべからず。ヤソ教にありては、なにをもって天帝の真理の標準たるゆえんを定むるや。そのいわゆる標準は、ヤソ教者の自ら定むるところならん。その他にこれを定むべき標準なし。他語をもってこれをいえば、ヤソ教者は我人の真理は天帝の定むるところなりとし、その天帝は我人の真理の標準なりと定むるは、すなわちヤソ教者にあらずしてだれぞや。果たしてしからば、人の善悪是非を定むるは天帝にして、天帝のしかるゆえんを定むるは人なり。言を換えてこれをいえば、人の標準は標準にして、天帝の標準は人なり。しかしてその天帝もと人の思想より出でたるものなれば、人の外に別に天帝あるに非ず。故に人の外、別に天帝の定むるところの標準ありと思うは、惑えるのはなはだしきものというべし。これによりてこれをみれば、天帝の定むるところひとり真なるにあらず。ヤソ教者の行うところひとり善なるにあらず。是非善悪は当時の輿論になりて定むるというより外なし。しからばヤソ教者のごとく、その自ら定むるところの教を信ぜざるものを悪とし、これを信ずるものを善として賞罰を論ずるは全く道理なきものというべし。ヤソ教者あるいはいわん、真正の真理なるものは人の力のよく定むべきにあらざるをもって、実に天帝を待たざるべからずと。これなんの言ぞや。真正の真理は人の力にてよく定むべきか否やは、未だ我人の知らざるところなり。しかしてこれを定むべからざるものと断言するは、憶定もまたはなはだしといわざるべからず。かつその真理、天帝によりて始めて定まるというものだれぞや。すなわちこれ人にして、天帝自らいうところにあらざるなり。ヤソ教者あるいはいわん、天帝自ら語らずといえども、モーゼおよびキリストによりてその意を人に伝うと。これいよいよ僻説といわざるべからず。モーゼはなにものなるや、すなわち人なり。キリストはなにものなるや、すなわち人なり。これみな人体を有し人覚を有し、生あり死あり、人に非ずしてなんぞや。『バイブル』書中の言の、天帝自ら説くところに非ずして、これらの人の口に出でたるは論を待たざるなり。これらの人の口より出でたる以上は、たとえ神誡なり天帝の命なりというも、その言みな人の言なりというより外なし。かつ『バイブル』なるもの、その人らの直ちに編するところにあらずして、後人の手によりて成る以上は、後人の説なりというもまたあえて不可なることなし。要するに『バイブル』中に説くところ、みな人の言なるや明らかなり。これを神の命なり、天帝より伝うるところなりというもみな人なり。これを聞きて信ずるものも、これを筆して伝うるものも、みな人なり。すなわち天帝の有無善悪の標準、みな人によりて定むる。人の外、別に神あるにあらざるなり。たとえまた『バイブル』中の説は天帝の直言なりと許すも、これを世間の真理と断定するの理なし。世間の真理と定むるには、世人の思想に考照して、よく道理に合し、実際に適するときはこれを真とし、しからざれば、これを偽とすべきのみ。請う、見よ、ニュートン氏の重力論の世の真理となりしを。世人のこれを信ずるは、ニュートン氏の説なるをもって信ずるに非ず。これを今日の実験に照し、思想に問うて後これを真とするなり。もしこれを実験および思想にただして疑うべきところあれば、たとえその説昔日の真理なるも、今日これを許すべき理なし。故に昔日は地平説をもって真なりと定めしも、今日は地球説をもって真とするに至る。この理によりて考うるも、今ヤソ教は昔日の真理なるも、その論、今日実験に合格せざるをもって、これを今日の非真理とするより外なし。故に今日ありては、余輩『バイブル』を読みてその説中、実験思想に応合せざるところあれば、ことごとくこれを排棄して可なり。これ学者の真理に尽くすの義務というべし。もしそれ、これに反して思想に違い実験に合せざるものを、みだりにこれを真理と仮定し、自ら信じ人に伝うる者のごときに至りては、真理に対しての不忠不義これより大なるはなし。天帝もし真理を愛するものならば、決してかくのごとき妄信者を恕すべき理なし。ヤソ教者つねにこの難点を弁解するに苦しみ、種々の口実を設けて曰く、当時なお理学の知るべからざるあり、人力の及ばざるところあり、学者未だ天帝の存せざるゆえんを証明したるものなしと。この口実のごとき、実に抱腹に堪えざるなり。理学の知るべからざるものあるも、また人力の及ばざるところあるも、これをもって、天帝の現に存する口実となすの理なし。また学者未だ天帝の有無を究明せざるも、これをもって天帝現存の証となすの理なし。もしまた天帝、余がいうがごとく人の空想より出でて、本来その実体なきものならば、今日の実験上、もとよりその有無を発見すべき理なし。実験上その体を発見せざるは、かえって天帝の人の空想より出でたる証となすに足る。かつそれヤソ教者の説くところ百は百ながら千は千ながら、ことごとくその非を証明せざるも、その十分の八、九すでに非なれば、その全説信ずるに足らずとなすも、あえて不可なることなし。試みに思え、『バイブル』書中の諸説、今日の実験に合格せざるものいくばくありや。けだし十中の八、九は信をおくに足らざること明らかなり。しかるにヤソ教者わずかにその十中の一、二の理学に合するところあるをたのみて曰く、わが宗教は理学も排駁するあたわずと。かくのごときは小児の喜びに過ぎざるなり。しかしてまたヤソ教者は理学者の書を読みて、往々ゴッドの字あるを見ておもえらく、カント氏もヘーゲル氏もスペンサー氏もダーウィン氏も、みな天帝を信ずるなりと。ここに至りてますますその愚を笑わざるべからず。ヘーゲル、スペンサー等の諸氏のいわゆる神は、ヤソ教者の説くがごとき神にあらざるなり。すべて理学者、哲学者のいうところのゴッドは、あるいは万有の理法(すなわち因果の理法のごとき)の体に名付け、あるいは物心普遍の理体、万象万物の本質に名付く。すなわち仏の真如とその意を同じうす。故にかの諸氏、もし東洋にありてその書を著さば、ゴッドの字に代うるに真如または仏の字を用うべきのみ。そのいわゆる神は決して『バイブル』に説くがごとき神にあらざるなり。およそいずれの国にても、字には同形異義、同名異体のものあり。日本にて神というも、神妙不思議に名付くることあり。また人類以上の能造主宰者に名付くることあり。西洋にてもゴッドに両様の義あり。ヤソ教者のいわゆる能造主宰者を義とするゴッドと、理学および哲学者の不可思議の妙力、不可知の妙理に名付くるゴッドとの二種あり。しかるにヤソ教者の哲学書中ゴッドの字あるを見て、これわが教を信ずるものなり、これわが同門の徒弟なりというて喜ぶは、あたかも仏者がフランス人を仏人と称するを見て、これ仏者の信徒なりというて喜ぶに異ならざるなり。だれかこれを聞きて狂と呼ばざるものあらんや。そもそも真正の真理は、今日理学上にても未だ明らかならずといえども、その標準世によりて変ずるは、古来数千年間の経験上疑いをいれざるなり。見よ昔日真理と定めしもの、大抵今日非真理となりしを。政治に法律に道徳にみなしかり。これけだし真理の標準、古今一定せざるによる。しかるにヤソ教にありては天帝をもってその標準と定め、古今一定変ずることなしと固信す。実に怪しまざるを得ざるなり。しかりしこうして、古今にわたりて変ぜざるもの、ひとり理学の基礎と定する原則のみ。その原則とはなんぞや。曰く、一因あれば必ずその果あり、一果あれば必ずその因ありというこれなり。この理は古今に考え、衆人にただし、万物に試むるも、もって真とするに足る。しかるに天帝のごときは、これを古今に考えて同ぜざるなり。また衆人にただして信ぜざるものあり。これを万物に試みて合せざるあり。もしこれを真理と許さば、世間いかなるものも真理にあらざるはなきに至らん。たとえヤソ教の天帝説を真理なりと許すも、これを理学の因果説に考えて、いずれが最も信ずべしといわば、その最も信ずべきもの因果説にあるは、知者を待たずして知るべし。故に余は因果説を信じて、しかして天帝説を排するものなり。

     第十 教理変遷説

 余輩ヤソ教者に向かって問わんと欲するは、教理の変遷すべきものなるや否やにあり。他語をもってこれをいわば、その教に説くところ世によりて変じ、時に従うて改むるべきや否やにあり。まず第一に、教理の変遷すべきものと仮定せんか。これを論ずるには、物理と真理の関係を正さざるべからず。教理は真理に合するものか反するものか、ヤソ教者必ずいわん、教理はすなわち真理なりと。教理果たして真理ならば、教理の変遷は真理の変遷なり、真理の変遷は教理の変遷なり。前段すでに述ぶるごとく、真理は世によりて変ずるをもって、教理また世によりて変ぜざるべからず。果たしてしからば、ヤソ教は真理にあらざるなり。なんとなれば、ヤソ教は二千年来の教にして、今日の教にあらざればなり。ヤソ在世の時と今日とは、その世変じてその人異なり、世間ことごとく変遷せしをもって、宗教また変遷せざるべからず。しかるにその二千年古の真理を今日に伝うるは、今日の真理に反すること知るべきなり。しかも余案ずるに、ヤソ教者は真理は世によりて変遷せざるものと信ずるや必せり。真理変遷せざれば、その真理に基づくところの教理また変遷すべきにあらず。しからば教理は変遷せざるものと定めざるべからず。ヤソ教者も教理の不変遷を信ずるや疑いなし。余輩ここに至りて第二点に移り、ヤソ教者に難せんと欲するものあり。それ教理変遷せざる以上は、古今一定不変の説なくんばあるべからず。しかしてヤソ教者の説くところ、古今一定せざるはなんぞや。その教の、第一に世によりて変じ、第二に人によりて異なるはなんぞや。世についてこれを論ずれば、ヤソ処刑以後、門弟おのおのその聞くところを人に伝う。そののち数百年を経て、ヤソ教中異論起こり、一千年に至りその教、東西両部に分かる。東部はすなわちギリシア教なり。一千五百年に至り西部また新旧両派に分かる。新教はすなわちプロテスタント教なり。その新教また分かれて数派となる。かく分派の多岐に分かるるは、世によりて教理を談ずるの異なるによる。これ教理の世と共に変ずるなり。つぎに人に従って変ずるは、今日の伝教師についてその一斑をみるべし。たとえその人、同教、同派、同教会のものなるも、自ら信ずるところ、おのおの多少の差異あるのみならず、その教を人に伝うるに至りて、寸分の異同なきあたわず。甲のヤソ教を解し天帝を信じ人に教うるところと、乙のヤソ教を解し天帝を信じ人に教うるところと、その間多少の異同あるは疑いをいれざるなり。これ他なし、人おのおのその思うところを異にし、そのみるところを異にするによる、すなわち人の機根一ならざるによる。釈迦の教を立つる法門を多岐に分かち、随機誘引せしは故に故あるかな。しかるにヤソ教はひとり真実一法をもって教と立つるというといえども、その教かくのごとく世によりて変じ、人によりて異なるはなんぞや。その異説中いずれが真として、いずれを非とすべきや。ヤソ教者あるいはいわん、世によりて変じ人によりて異なるは、ヤソ教を弘むる方便の変ずるのみにて、その真実の変ずるにあらずと。果たしてしからば、ヤソ教はなにを標準として真実と方便とを分かつや、かつヤソ教にも方便ありや。ヤソ教者つねにいう、ヤソ教は真実一法をもって立ちたるものにして、方便を用いずと。方便なき教に真実と方便を分かつべき理なし。しからばその教の変ずるあるは、方便の変ずるに非ずして真実の変あるなり。真実の変ずるはヤソ教の真理の変ずるなり。真理の変ずるは真正の真理というべからず。これによりてこれをみれば、ヤソ教は真理に非ずというより外なし。しかして真理に非ざるものを真理なりと許して人に伝うるは、人を欺くものというより外なし。ヤソ教者あるいはいわん、その方便とは昔日の教をいい、その真理とは今日の教をいうなりと。もしかくのごとく宗教者は、旧教を指してかれは方便説にして実理にあらずといい、ローマ教はギリシア教を指してかれは方便説にして真理に非ずといわば、かれまたローマ教を指して方便説なり、新教を指して真実にあらずといわんのみ。しかしてギリシアと新教とは、その性質の異なる、ほとんどその教の他教と異なるがごとし。余輩それ惑う、ヤソ教中いずれを真理とし、いずれを方便とすべきや。『バイブル』に説くところをもって真実とするが、その見解を下す古今相違あるをいかにせん。天帝をもって真実とせんか、その本体を定むるに、人々異なるをいかにせん。変ずるものを方便とし、変ぜざるものを真実とするときは、大抵みな方便に属せざるはなし。真実はヤソ教中いずれの点にとどまるや、これ余がはなはだ怪しむところなり。ここに甲なる一人ありてヤソ教を解して曰く、天帝は定形を有して天界に住し、七日間に世界を造りぬ、塵土をもって人を作るといい、乙なるもの一人ありてこれを解して曰く、天帝は定形を有するものに非ず、また七日間に世界を作りしものに非ず、六千年の前世界なきにもあらず、塵土をもって人を造るにもあらざるなり。かくのごときは、みなこれ神力の不思議を形容したるのみのものにして、その本体は我人凡愚の測り知るところに非ずといい、また丙なるもの一人ありて、万物の理法はすなわち天帝なりといい、あるいは絶対心すなわちこれ天帝なりといい、物外別に神ありといい、万有これ神なりという。天帝それ、かくのごとく古今、人によりて異なるものなる以上は、これを決して変遷せざるものと称することを得んや。なおかつその諸説のうち、いかにして甲説のみ真にして、乙説は非なりと判定することをうべきや。甲より甲説をみるときは甲説は真にして、乙より乙説をみるときの乙説は真なるのみ。すなわち自より他をみれば、自は真にして他は非なるのみ。けだしこの諸説中、自他彼我を離れて、甲説のみひとり真正の真実にして、乙説は全く真実に反するという、そのゆえんを証することあたわざるべし。果たしてしからば、今日のヤソ教も真正の真理にあらざるなり。ヤソ教者あるいはいわん、教法は世と共に進化して、今日に至りて始めてその真をみると。この言のごときは、第一にヤソ教の説くところの主義に矛盾すというべし。ヤソ教にありては、人みな天帝の末孫にして、太古にありては親しく天帝に接してその教を仰ぎしが、次第に世を経るに従い人みな天帝を忘れ、その教を奉ぜざるに至りしという。果たしてしからば、昔日の人民は神教の真義を知り、今日の人民はこれを知らずということを得るも、昔日の説は全く非にして、今日の説ひとり真なりというを得んや。たとえまた上古の文明は中古の野蛮に際して、ひとたび地を払うに至りしに、今日に至りて再び昔日の文明に復し、我人また天帝の教を仰ぐことを得るというも、なお余が惑いを解くあたわず。いかんとなれば、太古真と信ずるもの中世非となり、昔日非理と定むるもの今日真理となればなり。この理を推して考うれば、今日の真理後来また非となるの日あるべきなり。かつヤソ教の真義、世には文化の開くるに当たりて始めてみるべしといわば、文明の進歩は今日にとどまるにあらず。これより漸々進みて後来いずれの点に達するや未だ知るべからず。後来文化の真域に達するの日に至りて今日を回見すれば、今日の真理かえって当日の非真理となるも計り難し。果たしてしからば、ヤソ教者の今日をもって真理と定むるの説、もとよりとるに足らざるなり。たとえあるいは、ヤソ教者の今日説くところ、ひとり万世不易の真理と仮定するも、今日にありてはヤソ教を説くもの、そのみるところおのおの異にして、いずれの説を最も真とし、いずれの説を全く真理にあらずと判定すべき標準なきをいかにせん。これによりてこれをみれば、ヤソ教に定むるところの真理は世によりて変じ、人に従って異にして、万世不易の真理にあらずというより外なし。しかしてこれを定むるは政治法律のごとく、その一時の衆説衆議の決するところによるのみ。衆議異なれば、その説また変ぜざるべからず。文化異なれば、その真と定むるものまた変ぜざるべからず。故にヤソ教に今日立つるところの教理は、決して真正の真議にあらず。これを信ずるも天帝の本意を奉ずるに非ざるなり。しかりしこうして、その真理を定むるところの天下の輿論衆説は、果たして天帝のしからしむるところによるか、また人の力に出づるか、余断固としていわん、これ人の力なり、輿論を起こすも人なり、これを定むるもまた人なり、人なくして議論の突然湧出すべき理なきは瞭然たり。しかしてその議論は、我人のいずれの部分より起こると問わば、人みないわん、我人の思想中より起こると。すなわち人心中より起こるなり。これを要するに、教理の変遷も、非理の異説みな人心中の動作現象に外ならず。上来論下してこの点に達すれば、三界唯一心と断言せざるを得ざるなり。

     第十一 人種起源説

 この論は世人のつねに喋々するところにして、ここに縷々陳述するを要せざるなり。余聞く、ヤソ教にありては、世界の人民ことごとく天帝の末孫なりと。すなわち我人はアダム、イブ両人の子孫なりという。その後、大洪水の地球上に氾濫するありて、その周囲の生類大抵みな沈溺せしも、ノアの一属ひとりその災を免れしという。その子孫漸々繁殖して今日に至るなり。これを要するにその意、今日地球上に住息するところの人民は、その原初を尋ぬるに、一種の属より起こるというにあり。これ世人の多く疑いをいるるところなり。その元種の人民、地球上いずれの所に起こり、歴史上いずれの年に始まるというに、ヤソ教者は、これにいちいちその地名年代を定めて証示すといえども、あるいはいう、ヤソ教者はアメリカ発見以来、その地に一種の土人生存するを聞きて、その人民のアダムの子孫にあらざるを疑い、千思百考してこれを与うるに、種々百端の付会説をもってせりと。しかしてまた東洋シナ諸邦の交通以来、その国の世界開闢以前にあるを怪しみ、また種々の付会を設けて、開闢の年代を伸長すというものあり。しかるに当時、幸いに生物等の諸学未だ開けざるをもって、一時の付会をもってよくその旧説を保守することを得たりといえども、近年に至り生物地質等の学開くるに及びて、ヤソ教の開闢論も、洪水論も、人種起源論も、みな妄誕虚想に属するゆえんを証示するに至る。しかれどもヤソ教者は、なおシツコクその説を保守せんと欲して、これをして理学の実験説に調和せんことを努め、付会に付会を重ねて奇々怪々の妄説を結ぶに至る。もし今日の付会説果たして真なりと許さば、昔日の信徒にして未だその説を聞かざるものは、ヤソ教を誤解せるものといわざるべからず。かつ今日の説理ありとするも、未だその教をして理学の理に調和することを得ざるや明らかなり。その他ヤソ教にありては、アジアの一地方をもって人類初生の地と定むるも、いかにしてその人民四散五分して地球の全面に繁殖するに至りしやは、未だ知るべからず。かつ余輩、未だ地球全面の住民ことごとく同一の祖先よりきたりし実証あるを見ざるなり。要するに人種の起源を説くに、これをアジアの一地方に定め、これを六千年以内に限るはヤソ教者の浅見というべし。今これを進化説に考うるに、人民の初めて地球上に生ぜしは、幾千万年のさきなりしやは知るべからずといえども、六千年以内のことに非ざるは、疑いをいれざるところなり。その原始に当たりては、動物界にありて今日の禽獣と祖先を同じうし、ようやく進みて獣類とその方向を分かち、いよいよ進みて人種の起源となり、また進みて一社会を団成するに至る。故にその始めて動物界を去りてより、文字歴史を有するに至りしまでは、幾千万年の歳月を経過せしや、我人のよく計り知るところにあらず。その間地球表面の定形、また幾回なるや知るべからず。数万世の久しき、その際山岳は変じて河海となり、江湖は変じて桑田となるも、もとよりしかるところなり。故に人種の起源を論ずるに、今日の地球上にその方位を定むるは浅見といわざるべからず。試みに地質実験の結果を見よ。今日北方寒帯の地に、熱帯の獣類草木の痕跡あるはなんぞや。これ今日北極と称する所、昔日の赤道なりしか、また昔日は地球の熱度一般に高くして、極部赤道と同一の地熱を有せしかの二者の外に、解すべき理なし。地球進化の順序を察するに、地球の太初は高熱の気体にして、ようやく進みて流体となり、固体となり、いよいよ進みて今日の地質を結ぶに至る。しかもその始め、もとより今日のごとき山谷の高低あるにあらず、同植の別あるにあらず。数回の天災地災、その他自然力の変化を経て、山いよいよ高く谷いよいよ低く、無機は化して有機となり植物は変じて動物となる。これによりてこれをみれば、地球始めて成り、人類始めて起こりしより以来今日に至るまで、その年月の久しき、ほとんど算数の及ぶところにあらず。たとえ今日の人民、その初め一眷属に出づるにもせよ、別種属に出づるにもせよ、地球上にその方位を定むべからざるや明らかなり。およそ同一種属のものにても、その外面に接するところの事情変化すれば、別種属のものを化生すべきは理の当然なり。今、人と禽獣とその始め同一種属よりきたるゆえんの理、またこれに基づく。すなわち同一の事情に接すれば、物同一の体に変ずべき理あるをもって、地球上に人民の化生せしは、必ずしも一地方の小部分に限るを要せず。いずれの地方にありても、その人を生ずべき事情の変化同一なれば、その他に人類を生ずべき理なり。しかしてその必ずしも一地方に起こりしや、諸方に起こりしやは、今日の実験未だ明らかならざるをもって、断定するあたわずといえども、今日今時の地球上にその方地を定め、その年月を期するがごときは、あえて信をおくに足らざるなり。かく論じきたらば、地球全面の住民決してアダムの子孫にあらず、天帝の末裔にあらざること明らかなり。しかしてこれを天帝の末裔となすは、無証の妄説というより外なし。以上は地球上の人類生物について論じたるのみ。未だ地球外の動植を論ぜざるをもって、ここにその有無を討究するを必用有りとす。宇宙間には幾万の恒星、幾十の惑星あるやは、いちいち算定し難しといえども、良夜晴空に羅列する衆星を見て、その数の多きを知るべし。その星体は大小遠近の不同あれども、みな一地球一太陽なるの理は、今日星学家のすでに証するところなり。その最も遠くかつ微なるものは、明らかにこれを捜索する難しといえども、その最も近きものについて実験を施すに、星体中に山谷の高低あり、生類の生存あるも、やや知るべきあり。太陽中には動植の存すべき理なしといえども、月球中には山谷の高低あり。その間今日にありては、生類の生存を見ずといえども、昔日にありては、その生存ありしはやや信ずべきあり。つぎに火星の体質を見るに、その中には海もあり、水もあり、空気もあり、雲もあり、極部には氷もありて、地球と格別異同なきがごとし。その形状よりこれを推すに、動植物の生存すべきは、かえって理の当然なり。あるいは知らん、その中には人類の繁茂するありて、文明の一社会を開くを。望遠鏡範囲内にありて、すでにかくのごとき実跡あるをみれば、その範囲外にいかなる世界あり、いかなる社会を組成せしや計るべからず。余ヤソ教者に問わんと欲するは、かくのごとき地球外の人民はだれの子孫に属するや。天帝その地に、別に他のアダムを生ぜしが、なんぞそのことの『バイブル』書中に見えざるや。かつ、かくのごとき虚空中に人類の生存するあるは、天帝の地球をもって宇宙の中心として、その周囲に衆星を羅布せしめたるは、虚空の装飾に用いたるの本意に合せざるをいかにすべきや。また星中にはたとえ人類なしとするも、動植のごとき有機物あるは、天帝なんのために作るや。地球上の動植物は、人類生存のために天帝の造るところなりと、ヤソ教者はいうにあらずや。果たしてしからば、人類なき所に動植を造るの理解すべからず。天帝なんの意ありて、かくのごとき無用のものを造りしや。かく問うを推して理を究むれば、ヤソ教者は定めてその答えに窮して、火星のごときは地球の分園にして、その中に動植を培殖し、いったん地球上の大飢饉あるにあたりて、その人民を救助せんために、かの地より食物を輸送すべき天帝の遠慮に出でたるなりというの外、道路なかるべし。あるいはいわん、地球は本荘にして火星は別荘なり、地球上に天災地変のあるときに、その人民をかの地に移転するために天帝これを設くるなりと。かくのごとき言辞をなす者あらば、人みな狂と呼ばんのみ。あるいはまた、たとえ火星中には動植物なしとするも、その中には山あり海あり、水気あり空気あるはいかに解すべきや。虚空の装飾に過ぎざる列星中に、天帝なんぞ意ありて、かくのごとき無用のものを設くるや。あるいはその意、星中に山水の勝景を模作して、人を楽しめんとするにあるか。天帝はその佳景を見て楽しむことを得るも、我人これを見得べく眼力なきをいかんせん。もししからば、これただ天帝の遊園に過ぎざるか、またこれを造るは、これ天帝の遊戯に属するか、吁嗟笑うべし笑うべし。

     第十二 東洋無教説

 前段余が論ずるところによれば、地球上の人民アダムの子孫、天帝の末裔にあらざる明らかなり。しかもここにまた一歩を譲り、地球上の人民ことごとく天帝の末裔と許すも、なお余輩の解するあたわざるところあり。天帝は公平に子孫を愛するか、不公平に子孫を処するか、余をもってこれをみれば、天帝は公平に子孫を愛すべきなり。公平にこれを愛する以上は、東洋人もその子孫なり、西洋人もその子孫なり、同一の子孫にして、西洋およびアジア西部の人民には早くその教を伝え、東洋、インド、シナ地方の人民には、今日に至るまで天帝これを伝えざるは、果たしてなんの理によるや。東洋人にいかなる罪ありて、西洋人にいかなる徳ありてしかるか。西洋にありてはキリスト降誕して、親しくその人民を教えしをもって、欧米の人は早くその幸福を占有したるも、東洋にきたりてはキリスト降誕なきのみならず、一人のその教を伝うるものなく、西洋教をしてついに東漸せざらしめたるはなんぞや。ここに至りてこれをみれば、天帝その子孫を処するに、愛憎の不同ありといわざるべからず。ヤソ教者必ずいわん、東洋人はその教に抗し、西洋人はこれを助くるの別あるによると、これなんの言ぞや。たとえトルコ、アラビア等の人民に罪あるも、シナ、日本人のごとき、近来まで全く西洋と関係せざるものに、なんの罪あるや。その人民の千年以前にヤソ教に抗抵したることあるか。これを罪ありとして、トルコ人等と同一に処するは、なんぞヤソ教の不理なるや、なんぞ天帝の猛悪なるや、かつ今日の西洋人民といえども、ヤソ教の始めて行わるるに当たりては、みなその敵ならずや。ヤソ教者あるいはいわん、東洋人も西洋のごとく、今日以後は天帝の救助を受くべしと。余ますます惑う、たとえ今日以後、ヤソ教の東洋一般に伝播すべき理ありとするも、西洋人は数千年前よりその愛護を受け、東洋人は今日に至りて始めてこれを受くるはなんぞや。同一の天帝の子孫にして、その寵愛を受くるに数千年の前後あるはなんぞや。一方になんの徳ありて、一方になんの罪有りてしかるや。たとえ東洋人に罪ありとするも、いかなる罪悪ありて、いずれのときにこれを犯せしや。たとえまた、その罪の軽重と時限とをつまびらかにせざるも、仮に多少の罪ありと定め、しかしてこれを論ずるに、なお余輩の解すべきところあり。ただに東洋人の罪あるゆえんを解すべきのみならず、天帝の人を特造するゆえん、その人をして善となり悪とならしむるゆえん、みな余輩の大いに怪しむところなり。今請う、これを論ぜん。例えばここに一事情の起こるありと想するに、その事情はその起こるのときに、突然起こるに非ず。その前のときに多少の原因ありてしかるなり。その前のときの原因は、そのとき一時に生じたるに非ず、そのときのまたその前にいくたの事情ありてしかるなり。今、仮に正午十二時において雨の降ることありと定むるに、その雨の降るは、降るときに直ちに発するに非ず。その前の十一時にすでに降雨を催すべき事情あるによる。第十一時に降雨の事情あるは、その事情の発するときに直ちに起こるにあらず。その前の十時において、第十一時の事情を生ずべき原因あるによる。しかしてその十時の原因は九時にその事情あるにより、九時の事情は八時にその原因あるによる。またここに明治十八年四月十九日に東台の桜花満開したるとするに、その原因は十八日にあり、十八日の原因は十七日にあり、中旬の原因は上旬にあるべし。またここに明治十八年に家産を破潰したる者あるに、その原因は去年にあり、去年の原因は去々年にあるべし。この理を推して考うるに、今日の百般の事情は昨日において定まり、昨日の事情は一昨日において定まり、今年の事情は昨年において定まり、昨年の事情は一昨年において定まり、第十九世紀の事情は第十八世紀において定まり、第十八世紀は第十七世紀において定まり、第十七世紀は第十六世紀においてし、第十六世紀は第十五世紀等と、かくのごとく漸々上古にさかのぼりて考うるに、今日今代の諸事諸情はみな人民未生、天地初開のときにすでに定まるところなり。以上は物界の諸現象につきて論ずるのみ。この理を推して人の諸念諸想を考うるも、人の善悪邪正の作用を発するの理を究むるも、みなしかるべき理あり。悪心の生ずるも、善心の生ずるも、決して偶然に起こり突然に生ずるにあらず。必ずその発すべき原因その起こるべき事情なくばあるべからず。例えば、ここに人を殺さんと企つるものあらんに、その悪心殺さんと欲するときに直ちに発するにあらず。その前すでにこれを発すべき事情あればなり。その事情の起こるは、またその前これを起こすべき他の事情あるによる。その事情はまた他の事情ありて起こり、他の事情はまたその他の事情ありて起こる。故にその今日起こるところの悪心は、その初めてこの世に生ぜしときすでに起こり、その初めて生ぜしときの事情は、その未だ生ぜざるときすでに定まる。かくして次第に太古にさかのぼりてその原因を究索すれば、今日の悪心は、太古天地初開のときにすでに定まるを知るべし。善心の起こるもまたしかり。今日発するところの善心善行は、太古にありてすでに定むるところなり。これを要するに、事物といい思想といい、善といい悪というも、みな今日にありて今日に定まるにあらず。太初太古に、その原因のすでに胚胎するありてしかるなり。しかるにここにまた、例えば一人あり、甲乙二事情の同時に起こるに会して、悪念を生ずるに至る。もし甲の事情のみありて、乙の事情起こらざるときは、かえって善心を生ずべきものと定めてこれを考うるに、人の善をなし悪をなすは、その人の心中に初めより定まるにあらず。その一時の外情の有無によりて生ずるがごとし。すなわち甲のみ外情あるときは善を生じ、甲乙両情同時に起こるときは悪を生ずるをみて明らかなり。他語をもってこれをいえば、善悪の原因はそのときの事情の上に属して、太古よりすでに定まるに非ず。すなわち善悪の起こるときに定まりて、その未だ起こらざるときに定まるにあらずと疑うものあらん。しかれども、かくのごときはそのみるところ浅近なるに過ぎず。甲の事情の起こるも乙の事情の起こるも、また甲乙二情の同時に起こりて人に悪心を生ぜしむるに至るも、みなその前に原因ありてしかるなり。甲の事情の起こるにはその原因あり、乙の事情の起こるにもその原因あり、甲乙両情の共に起こるにもまたその原因あり。その原因は、その事情の未だ生ぜざるときにすでに定まるや明らかなり。しかしてその原因もまた一事情にして、その生ずるには他の原因あり。他の原因にはまた他の原因あり。かくその原因を追索すれば、太古人類未生のときに達すべし。この理によりて考うれば、今日我人の思うこと行うこと、その太古天地初開のときにすでに定まるや明らかなり。人果たして天帝の創造に属すと定むるときは、今日の我人の善をなすも悪をなすも、天帝始めて人を造出するときにすでにこれを知り、すでにこれを定めたるや必然なりといわざるべからず。果たしてしからば、余輩大いに天帝に向かいて難詰せざるを得ざるものあり。天帝は始めて人を創造するときに、ただに我人の善をなすか悪をなすかを知るのみならず、我人のいずれのときに悪をなし、いずれのときに善をなすかを知らざるべからず。これを知らざれば、天帝は我人を作るにあらざるなり。天帝は世界を創するにあらざるなり。天帝果たして我人を造出する以上は、我人の今日にありて善をなすも悪をなすも、思うこと行うこと、天帝すでにこれを創造するときにおいてこれを知り、これを定めたるや疑いをいるるべからず。しかしてこれを『バイブル』に尋ぬるに、天帝すでにアダム、イブ両人を作りてその善悪を試みんと欲し、蛇に命じてその禁じたる果物を食うことを勧めしむという、これはなはだ怪しむべし。またその子孫の世を経るに従い、悪心増長して神命を奉ぜざるをみて、天帝これを罰するに大洪水をもってすという、ただますます惑うのみ。しかしてまたその後千余年を経るに及び、人民天帝の存するを忘れ、その命を奉ぜざるを見て、ヤソ=キリストの降誕あり。その目的、人民に天帝の教を伝えて成道受楽せしめんとするにあり、ああ、またこれなんのためなるや。しかしてまた、ユダヤ人のキリストを嫌悪して、ついにこれを十字架上に刑するに至る。キリストは人民に代わりて苦を受けんことを欲し、直ちにその刑につくという、誣いるもまた過甚ならずや。かくのごときは、けだし天帝我人を作りて、その善をなすか悪をなすかを知らざる者と信ずるより起こる。もし果たしてこれを知らば、なんぞ果物をもって試みることをせんや、また大洪水をもって罰することを要せんや、またキリストを降して教うることをせんや。アダム、イブの神命を奉ぜざるも、天帝これをせしむるなり。その子孫の善を守らずして悪に赴くも、天帝またこれをせしむるなり。ユダヤ人をしてキリストを刑殺せしむるも、天帝これをなすなり。これみな天帝始めて人を造出するときにこれを知り、これを定めたるは道理上疑いをいるるべからず。しかりしこうして、ヤソ教者、今日にありて人の悪をなすをしてこれ天帝の命に逆らう者なり、ヤソ教を奉ぜざる者をしてこれ天帝の意を害する者なりというはなんの意ぞや。その悪をなすも、その教を奉ぜざるも、みな天帝の定むるところにして、おのおのその定むるところに従いて、あるいは悪をなし、あるいは善をなすも、みな天帝の命を奉ずる者なり。すこしもその意を害することなし。故に天帝の創造説を真なりと許すときは、善人の善をなすも悪人の悪をなすも、みな天帝の定むるところにして、ヤソ教をにくみ、ヤソ教を害する者も、また神命を奉ずる者というべし。もし果たして、悪をなし不善を行うは天帝の意に非ざるときは、天帝決して悪人を世間に生ずべき理なし。天帝悪人を作らざるときは、世間の善人のみ天帝の子孫なり。世間の善人のみ天帝の子孫なるときは、アダム、イブも神禁を犯せしをもって天帝の作るところにあらず。ユダヤ人もキリストを殺せしをもって、天帝の子孫に非ずといわざるべからず。しかるにヤソ教者は、今日世間に散在せる生物人類は、ことごとく天帝の造るところにして、我人はみな天帝の子孫なりという。これ余輩が千思百考しても解することあたわざるところなり。かつ天帝は人類を創造して、その悪をなすも不善を行うも、みな始めよりこれを知りこれを定めて、しかしてその悪をなすか善をなすかを試みんとするは、また余が疑団の百結して、石のごとくなるゆえんなり。キリストも天帝の子なり、ユダヤ人も天帝の子孫なり、今日の我人みな天帝の子孫なり。天帝自身の子孫をもって自身の子を殺し、もって自身の子孫に代わりて苦を受くるなりというも、また余が疑わざるを得ざるところなり。ユダヤ人は生来天帝の定むるところの性に従いてキリストを殺すをもって、いわゆる天帝の命に従う者なり。しかしてヤソ教者はユダヤ人をにくみ天帝の意を害する者となすは、余輩ユダヤ人のためにその冤を訴えざるべからず。ヤソ教者果たしてユダヤ人のキリストを殺すをもってこれを憎まば、よろしく天帝を憎むべし。なんとなれば、これを殺すもすなわち天帝のしからしむるところなればなり。東洋人のヤソ教を奉ぜざるも、回教者のヤソ教に抗するも、みな天帝より定むるところの性に従うものにして、これを天意に適するものというより外なきなり。決してヤソ教者のこれに対して是非すべき理なし。故に余はおもえらく、天帝創造説を立つるときは、ただにその説の論理上不当なるのみならず、これをもって勧善懲悪の道となすべからざるに至らん。これを奉ずるの徒、あに深くその点について思わざるべけんや。かくのごとく考うるときは、ヤソ教者ひとり天意神命を奉ずるのみならず、仏教者も、回教者も、理学者も、哲学者も、無宗教者も、悪人も、罪人も、みな天帝の命に従うものなり。釈迦の世に出でて因縁教を説きたるも、孔老の世に生まれて道徳教を説きたるも、その天帝の意を奉じてなすところにして、その教、すなわち天帝の教なりといわざるべからず。しかしてヤソ教者は、ヤソを奉ずると奉ぜざるとによりて、人を賞罰し人を愛憎するは、余が解することあたわざるところなり。余ここに至りて再び考うれば、ヤソ教者の人を愛憎するも、余がヤソ教を是非するも、またみな天帝のしからしむるところにして、我人の自らなすところにあらざるを知る。故に余、ここに深くヤソ教を難詰するもまた愚なり。かくのごとく解するときは、ただ天帝のなんのために人を作り、なんのために善悪の別を設くるかと怪しまざるを得ざるなり。余をもってこれをみれば、天帝人を造らずして可なり、善人を設けずして可なり。あえて煩わしく人を造るを要せんや。天帝人を造りて自ら楽を補わんとするにあるか。余案ずるに、天帝もとより苦楽の差別を有すべき理なし。またたとえこれを有するも、人を作るにあらざれば、その楽を長ずるの方法なきにあらざるべし。なんぞ煩わしく人を作ることをするや。天帝あるいは人を造るは、自ら楽しむにあらずして、人を楽しましめんとするにあるか、これをして楽しましむるも楽しまざらしむるも、みな天帝の力にありて、我人の力にあらざるをもって、天帝楽しむべからざるものを作りて、楽しましむることを望むべき理なし。故に知る、我人は楽しむべき力を有するものなり。しかして、楽しむとあたわざるものあるはなんぞや。その楽とは一生間受くるところの衣食住の楽をいうか、また死後、成道得果の楽をいうか。もしこれを衣食住の楽とするときは、世界の人民楽を得るもの千万に一、二にして、その余はただ朝夕苦しむのみなり。しかしてその一、二の楽を得るものは、必ずしもヤソ教を奉ずる人に限るに非ずして、かえって奉ぜざる人の中にあり。たとえまた世界の人民中、楽を受くるひとりヤソ教者にありと限るも、もし天下の人みなヤソ教を奉じ、ひとしく天帝を拝するときは、その人ことごとく楽しむべきなり。しかも衣食住の需用は限りあるをもって、世界の人をしてことごとく楽しましむることあたわざる明らかなり。しからば天帝の意は、人をして死後、精神の楽を得せしむるにありとせんか。かくのごとく定むるときは、世界億万の人ことごとく成道得果して天国に生ずるをもって、天帝その目的を全うすといわざるべからず。果たしてしからば、天帝なんぞ殊更に人を天国の外に作るや。たとえひとたびこれを作るも、その人を殺してことごとく天国に生ぜしむるも、また天帝の力にあり、天帝なんぞこれをなさざるや。今日の人民は多くして、かつみな悪人なるをもって、天帝の意ことごとくこれを殺して、天国に生ぜしむるに忍びざるか。しからばなんぞ、大洪水のときに早くノアを救助して天国に生ぜしめずして、かえってその子孫をして再び世に繁殖して悪をなすに至らしめたるや。かつ天帝、始めより人の善悪を知りてこれを作り、また人運のいかに変じ、いかに続くべきかを定めたるに非ずや、人のことごとく死後の楽を受くべき時あるも時なきも、また天帝の始めより知り始めより定むるところなり。もしこれを、その時なきものと定めたりとせんか。しかるときは、天帝そのあたわざるを知りて、その時のきたるを待つは愚といわざるべからず。もしその時ありと定めたるものとせんか。しかるときは、その時のきたるときに至れば自らきたるものにして、今より天帝の汲々として、一日も早くその時のきたらんことを欲するも、その愚というべし。かくのごとく、いずれの点より天帝の目的を考うるも、余が疑いを解くあたわず。けだし、天帝は自らその目的を定め、その目的の果たして遂ぐべきか遂ぐべからざることを知るのみならず、いずれの時いずれの日にこれを遂ぐべきかを知るや明らかなり。もしこれを知らざれば、先見なき天帝といわざるべからず。もしこれを知れば、その目的に汲々として、一日も早くこれを遂げんことを努むべき理なし。果たしてしからば、ヤソ教者の天帝の目的を助けんと欲して、その教を弘むるに孶々汲々するも、またはなはだ愚なり。人のなすこと行うこと、みな天帝のしからしむるところにして、一も我人の力をもって動かすべきものなきに、ヤソ教者は自身の力をもってその教を弘め、天国に生まれんことを欲するも、またまた大いに愚なり。これけだし、ヤソ教者は真に天帝の創造を信ぜざるによるならん。もしこれを知るにおいては、天帝の目的に関して、その成否を祈るの愚なるを知らざるべからず。再び論を前点に巡らして、天帝の目的は自ら楽に非ずして、人を楽しましむるにありと仮定して考うるも、未だ余が疑団を解くあたわず。天帝その目的を設けてこれを達せんことを求むるか求めざるか、これを求むるときは、なんのためにこれを求むるや、これを求めてその目的を遂ぐるときは、天帝いかに感ずるや。けだし、これを求めて得るときは、天帝自ら楽となすや必然なり。しからざれば、これを求むべき理なし。かくのごとく考うるときは、天帝の目途、帰するところ自ら楽しむにあり、自ら楽をもって目的となすときは、前に挙ぐるがごとき難問従って起こらざるを得ず。いずれにしても天帝の目的知るべからざるなり。ただ我人の知るべきは、人の善をなし悪をなすも、天帝これを創造するときにすでにこれを知り、これを定めたるにあり。天帝これを定め、これを知りて人を作り、その善をなすか悪をなすかの結果を見て楽しむは、小児の遊戯のごとし。もししからば、天帝の人を造るは戯のみ。天帝人をオモチャにするものと評するより外なし。かつ天帝の創造説を信ずるときは、ヤソ教者の人に善を勧め、悪を戒むるの意、解すべからず、ヤソ教者の教うるところを信ずるときは、天帝の人を創造してその善をなすべきか、悪をなすべきかを始めより知り、始めより定めたるの意、また解すべからず。天帝の創造真なれば、ヤソ教の勧善懲悪は偽なり。ヤソ教の勧善懲悪真なれば、天帝の創造非なり。二者同時に真なるあたわざるは、論理上の規則なり。しかりしこうして、仏教中に説くゆえんをヤソ教に比すれば、その勝ること万々なり。今その大意を挙げてつぎに示さん。

  (付言) 去る四月二十五日発兌の『基督教新聞』に「明教新誌記者に要む」という題を掲げて、同記者は余輩の論説の意はいずれにあるか、早くその論を結び、早くその決を告げよと促されたり。しかれども余輩は初めより明言せしごとく、その論決してヤソ教に対して難詰を試みたるものに非ずして、仏教中の一、二の徒は理論をもって、余輩の同胞兄弟なるヤソ教を排すべしと信ずるをもって、いささかその者に対して惑いを解かんとするにあるのみ。故に余はもとよりヤソ教に対して要するところなく、またその要に応じて、殊更に余が論決を早く結ぶことも要せざるなり。かつ余が本題の結論はいずれの日にあるか、今日をもって期すべからず。その数月来掲げたる十二題の論究のごときは、本論の毛端爪頭に過ぎざるをもって、これをみて全身の向背を予定すべからざるは、記者もすでに知るところなり。記者もしその向背を見んと欲せば、数月を待たざるべからず。しかも余察するに、記者はその毛端爪頭をみて、千驚百怖一夕も静止することあたわざるならん。しからざれば、余輩に向かって、かくのごとくあくせくとして決論を促すの理あらんや。記者の小胆推して知るべし。しかして記者その言の終わりに臨みて、一部の決論を公にせよといわれたるをみれば、その較兢の情おもうべし。余輩、本論を結ぶの日は期すべからずといえども「ヤソ教を排するは理論にあるか」の一部は、数日を待たずして結局に達すべし。記者のその決論を見る、おそらくは四、五回の後にあらん。記者よ、深く臨淵履氷の思いを要せざるなり。記者この一語を聞かば、定めて脳海の熱度一時に減じ、笑波を顔面に呈するに至らん。もしそれ、記者は耐忍の帯力弱くして、到底その驚心を縛治して、数回の後を待つことあたわざるにおいては、帆を筆端に掲げて霧海に彷徨なさるも、余輩あえて禁ずるところにあらざるなり。しかりしこうして、余輩のひとり解するあたわざるは記者の決語にあり。記者はえらそうに「勃々たる吾人の英気をして少なくもるるところあらしめよ」などといわれたるは、実におそれ入る次第なり。なるほど当節は清明の好時にして、百花色を競い、草木栄に向かわんとする時なれば、気候にさそわれて英気勃々に至るも、さもあるべきことなり。かくのごとき勃気は、しばらく東台の縁雨墨堤の香風に放ちて、虚心平気をもって予が数回の後の決論を待たれてしかるべし。余輩の論は、あくまでヤソ教は理論をもって排すべからざるにあれば、十二題の難詰はその理由を証示するために設けたるに過ぎず、余輩決して記者に対し解答を請求するに非ざれば、その解答なきをみて、解答するの力なしと公言するの理あらんや。記者の「わが教の学者の証明するあたわざるところと公言するに至らん」などとおもんぱかられたるは、余輩夢にも考えざる意外の次第なり。ただし、余が記者に向かって計るところは、余が決論を読むに及びて、『明教新聞』記者はわが党の一言の下に降伏して、論鋒を転じたりなどといわれんことにあり。しかれども、余輩の論意は初めより変ずることなきをもって、いかなる卑屈論者がその問いにくちばしを挟むも、あえて意に介するにあらざるところなり。

 前節述ぶるごとく、造物主を立つるときは、前後倒着、左右齟齬の難を免れざれども、これを仏教に考うればその難をいるるところなし。今その大意を略叙するに、今日今時、我人のなすこと行うこと、思うこと考うること、すべて太初未開の時に定まらざるべからず。しかしてその体我人にあらず、我人は今日に存するも、その時に存するに非ず。その時に存せざるも今日に存すべきの理は、その時すでに存せりといわざるべからず。いかにとなれば、その時存せざれば今日に存すべき理なければなり。他語をもってこれをいえば、今日の万境は太初の原理原力より発達せるをもって、その原理原力中に万境の原種を含蔵せざるべからず。その原理原力の本体はなんぞや。曰く、法相の頼耶縁起よりこれをいえば第八阿頼耶識にして、華厳、天台の真如縁起よりこれをいえば、その体すなわち真如なり。今、真如縁起についてこれを論ずるに、真如の本体は不生不滅、平等無差別の理体にして、生滅の差別あることなし。しかしてその体より生滅の相を現ずるはなにによるかというに、すなわち真如の体にその理を具すればなり。その理を具するもの、なにをもって平等無差別の体と定むるかというに、その体生滅なければなり。その体生滅なくして生滅の相を生ずるはいかにというに、その体中これを生ずべき力を有すればなり。その力いずれよりきたるかというに、その体中に存するなり。ここに至りて体と相と力の三種ありて分かる。この三種いかに相関し、いかに相異なるかというに、同にして異、異にして同なり。三にして一、一にして三なり。力の存するは相を現ずるをもって知り、体の存するは力を発するをみて知る。力は体と相との間にありて、二者を接合するものというて可なり。体なければ力の生ずべきなく、力なければ相の現ずべきなし。相あるは力あるにより、力あるは体あるによる。しかしてまた、相なければ体あるを知るべき理なきをもって、体あるは相あるによるというて可なり。ここにおいて、体と相とは互いに相接属して離れざるを知るべし。故に相はいずれより生ずと問えば力より生ずといい、力はいずれよりきたると問えば体よりきたるといい、体はなにによりて存すと問えば相によりて存すというべし。すなわち体と相との同一なるゆえん、また知るべし。同一にして異体となり、差別にして平等なるはいかにというに、これ予が次節において論ぜんとするところなり。

 真如と万境とは、同にして異、異にして同なるの理は、絶対と相対の関係をみて知るべし。真如は絶対にして、万境は相対なり。絶対は相対するものなきに名付け、相対は相対するものあるに名付くるなり。しかも相対と絶対とは、全く相対せざるものに非ず。相対なくして絶対のあるべきなく、絶対なくして相対のあるべきなし。相対は絶対に対してその名を得、絶対は相対に対してその名を得、すなわち相対と絶対とは互いに絶対するや明らかなり。絶対果たして相対するときは、絶対は絶対に非ずして相対なり。すなわち知る、絶対の真如は相対の万境なるを。これ仏書に、真如すなわち万法と称するゆえんなり。しかしてまた絶対果たして相対なれば、絶対と相対も共に相対なり。絶対も相対、相対も絶対なれば、ただただ相対の一あるのみ。相対ただ一にして、これを相対するものなきときは、すなわちこれ絶対なり。ここにおいて相対変じて絶対となる。仏書に万法すなわち真如なりというゆえんなり。これを要するに、絶対はすなわち絶対にして、絶対はすなわち絶対なり。真如即万法 万法即真如なり。空即是色 色即是空なり。またこれを平等と差別の上にていえば、平等は無差別なれども、差別と異なるをもって平等すなわち差別あり。平等も差別も共に差別なるときは二者同一にして、その間差別あることなし、すなわち平等なり。かくのごとく平等は差別となり、差別は平等となるときは、真如と万法の同一なるもまた知るべし。これをたとえるに、一枚の紙に表裏の二面あるがごとく、表裏には差別ありて表は裏に非ず、裏は表にあらざれども、その体すなわち一枚の紙なり。一枚の紙にして表裏の別あり。表裏の別ありて一枚の紙なるは、一にして二、二にして一、同にして異、異にして同、平等にして差別、差別にして平等なるゆえんなり。差別平等を離れず、平等差別を離れざるは、表裏を離れて紙なく、紙を離れて表裏なきをみて知るべし。これをもって起信論の一心二門もまた了すべし。一心に二門の差別あるは、一枚の紙に表裏の別あるがごとし。すでに紙あれば表裏あり、すでに表裏あればその体あり。表裏あるはその体あるゆえん、その体あるは表裏あるゆえんなり。故に一心と二門は相離れざるものにして、二門あるは一心あるにより、一心あるは二門を開くによる。また表裏の外にその体なく、紙の外にその表裏なきをもって、一心二門、其体即一なり。しかしてこれを一心より二門を生ずと称するは、差別の上にていうのみ。平等の上よりこれをみればこれ同一なり。差別と平等を差別するは差別にして、これを同一にするは平等なり。かくのごとく差別と平等の関係は、同にして異、異にして同の関係にして、けだし際涯なきなり。しかして同より異を生じ、異より同を生じ、一心より二門を開き、二門より一心に帰するは、いかなる理によるというに、その体中に具するところの力なり。その力の生ずるは体あるにより、その相の現ずるは力ある体による。故に体は相の間にありて、二者を接合するものをいうなり。しかも体相を離れて力あるに非ざるをもって、三者その体一なり。その体一にして三者の別あるはその相なり。体相もと同一なれば、これを唯一平等というより外なし。唯一平等にして、しかも差別の相あり。天台の一心三千の法門この理によりて証すべし。理具は平等なり、事造は差別なり、事造すなわち理具、理具すなわち事造にして、両者相離れざるは平等と差別同体一なるによる。これをもってわが心の中に十界三千の諸法を具するゆえん、および十界の中にわが身体の存するゆえんを知るべし。わが身は天地六合の中にあるをもって、わが心は天地間の一小部分なりというときは、これ差別の心なり。天地の全体わが心の中にありとするときは、これ平等の心なり。これを例するに、わが眼球は天地間の一部分なりといえども、またよく天地間の全象をその球中に包容す。故に眼球は天地の一部分にして、天地また眼球の一部分なり。天地眼界にあるに非ざれば、わが天地の諸象を知るあたわざるはもちろんにして、眼界また天地の一部分に非ざれば、われまた眼球の外に天地あるを知るべからず。これみな平等差別の二理をもって証することを得べし。天地全く眼中にありとするは、平等の上にていうなり。眼球は天地の小部分と知るは、差別の上にていうなり。平等と差別同一体なるをもって、天地を含有する眼界も、天地の小部分なる眼球も、その体同一なりと知るべし。故にわが心は宇宙の一部分にして、宇宙またわが心の一部分なるの理、推して知るべし。一は平等の相対にして、一は差別の相対心なり。仏教にて三界唯一心 心外無別法と論じたるは、平等の絶対心をいうなり。しかして相対の平等心も、吾人の差別の心も、その実体同一にして相離れざるは、一枚の紙に表裏の差別ありて、しかして表裏の外に紙なきを見て知るべきなり。これ他なし、平等と差別とはその体一なればなり。故に凡夫のわが心も浄縁熱すれば、仏界に至りても、利生のために悪趣にきたることあるべし。すなわちわが心の微少なるも、よくその範囲中に十界の相を現じ、また真如の本性に合体することを得べし。これをもって仏心と凡心との一体なるゆえん、かつ浄土も穢土も同一なるゆえん、および煩悩則菩提、生死則涅槃の理といえども、たやすく了すべし。この平等と差別との二種の心の互いに相関係するゆえんは、深く仏教に入らざれば知るべからず。その理の明かつ妙なるは、ここに一、二の言をもってこれを尽くし難し。故にその詳細なるは他日の紙上に譲りて、余はこれより上来の論を結び、ヤソ教を排するは理論にあらざるゆえんを示さんとす。

 上来、段を重ねて論ずるところこれを要するに、理論上ヤソ教を排するは左の諸点にありとす。

 第一 ヤソ教の創造説は、理学の進化論と両立すべからざること

  (甲) 創造説は蛮民原人の妄想説にして、進化説は文化開明の実験説なること。

  (乙) 創造説は古代未開のときに当たりては、世間一般にこれを信ぜしといえども、世の進歩するに従い、その説ようやく勢いを失い、進化説日を追うて盛んなるに至る。これを推して論ずれば、将来ヤソ教を全く廃滅に帰する日あるべし。

  (丙) 創造説は万象変化の原則に反対すること。

     その原則とは、一因あれば必ずその果あり、一果あれば必ずその因ありて、神といえども、無より有を生じ、物なきに物を造り、また有を転じて無に帰すべからざる原理をいう。

  (丁) 進化説は目前事々物々をとりて証することを得るも、創造説は古代の遺書について証するより外なし。

  (戊) 進化説はただに事実をもって証すべきのみならず、論理の原則に合格すること。

  (己) 近世の諸学、生物、生理、天文、地質、物理、化学、社会学、みな進化説を証明構成するに至ること。

  (庚) 今日新たに発見するところの諸説諸論は、みな進化論を証するの事実にして、創造説を排するの論拠となすに足る。

 第二 天帝と時空の関係明らかならざること

  (甲) 天帝は空間の外にあるか内にあるか。

  (乙) 天帝は時間の前に存するか時間の後に存するか。

  (丙) 天帝もし果たして時空の内に現存するときは、これ時空中の天帝にして、時空を離れて天帝あるに非ず。また、時空ありてのち天帝あるべきの理なり。

  (丁) 天帝もしまた時空を創造して天帝は時空の外にありとするときは、我人その現存を想像し得べき理なく、またこれを推知し得べき縁なし。なんとなれば、我人の思想意識は時空ありて始めて起こり、時空を離れてその作用を現ずることあたわざればなり。

  (戊) もしあるいは、天帝は時空の内外にまたがって存すると定むるときは、そのいくぶんは内にあり、いくぶんは外にあるやを問わざるべからず。また、いかにしてその内外にわたるゆえんを知るやを証せざるべからず。

 第三 神人の関係明らかならざること

  (甲) 天帝、人を造出するときは、その人天帝の外にあるか、あるいは人の体すなわち天帝なるや。

  (乙) 人の体天帝なるときは、人の外に別に天帝を尊信するを要せざるの理なり。

  (丙) 人の外に天帝あるときは、我人の体いかに天帝と相関し、我人の心いかにして天帝を想出すべきや。

 第四 天帝と物心の関係明らかならざること

  (甲) 天帝の万物の本源たるゆえんを知るは、まず万物あるを見て、その原因を推思したるによるや明らかなり。故にまず天帝あるを知りてのち万物あるを知るにあらず。すなわち天帝は万物の現存より想出するものなり。

  (乙) かつまた万物の外に天帝ありて、天帝万物を造出するというは、その実我人の想像推定に過ぎざるをもって、我心内の思想より発したること疑いを入れず。思想すなわち心内の現像を離れてだれかよく天帝のあるを知り、だれかよく天帝の万物を創造せしを証すや。

 第五 天帝と可知不可知の関係明らかならざること

  (甲) 天帝全く不可知なるにおいては、我人これを知るべき理なし。

  (乙) 天帝あるいは全く可知なるにおいては、我人明らかにこれを知るべき理なれども、その体の明らかに知られざるはなんぞや。

  (丙) もしあるいは、天帝の一半は知るべく一半は知るべからずといわば、いかにして我人の知るところのものその一半にして、知るべからざるもの他の一半なるを知るや。

  (丁) しかしてまた、天帝知るべしというも知るべからずというも、一歩を進みてこれを考うれば、我人ひとしくこれを知るなり。なんとなれば、一は知るべしとしり、一はしるべからずと知ればなり。すなわち天帝は我人の意識内の知覚より生ずるものにして、意識の外にその体あるにあらざるゆえんをしるべし。

 第六 天帝自在力を有するゆえん明らかならざること

  (甲) 天帝自在力を有せざれば、万物を創造すべからざるなり。

  (乙) 天帝自在力を有すれば、因果の理法も変ずべく、教理の規則も変ずべき理なり。しかるに古来その規則に変更なく、世間その理法に従わざるものなきはなんぞや。かつ、たとえ天帝の力よく一と二を合して四となさしむべしというものあるものあるも、我人到底これを信ずることあたわざるなり。

  (丙) 天帝果たして自在力を有するにおいては、有を転じて無となし、生ありて死なく、楽ありて苦なく、盛ありて衰なからしむべき理なり。しかるにヤソ教信者にして生死苦楽の変あり、ヤソ教自体にして盛衰興亡の運あるはなんぞや。

 第七 天帝と因果の関係明らかならざること

  (甲) 天帝の規則と因果の規則と同一なるか不同一なるか。

  (乙) 天帝の規則は因果の規則に異なるものと定むるときは、宇内に行わるるところの理法は、天帝の定むるところの規則に非ずと知るべし。なんとなれば、宇内の万象万化、一として因果の規則に従わざるものなければなり。

  (丙) 天帝の規則は因果の規則と同一なりというときは、天帝なるもの無より有を生ずべからず。万物なきに万物を造出すべからざるなり。

  (丁) もしまた、因果の規則も天帝の規則なり、因果の規則にあらざるものもまた天帝の規則なりというときは、天地間に因果の規則に従わざるものなくんばあるべからず。なんとなれば、天地間に存せざる規則を天帝の有すべく理なく、またこれを有するも、我人これを有するゆえんを知るべき理なければなり。しかるに天地間に現ずるところの変化は、一として因果の規則に従わざるものなし。果たしてしからば、天帝因果の規則に反する規則を有すというは、我人の空想に過ぎざるなり。

  (戊) つぎに因果の規則は天帝より生ずるものに非ずして、天帝は因果の規則より生ずるゆえんを示さんとするに、まず我人万物の本源は天帝にして、天帝万物を創造すと憶定するは、なんの理によりてしかるやを考えざるべからず。畢竟、我人のかくのごとく憶定するに至るは、果あれば必ずその因あるの規則によるものにして、今日現ずるところの万物万化の結果あるをみて、その原因を推想せしによるや明らかなり。果たしてしからば、天帝は因果の規則より生ずるものというべし。

 第八 天帝と真理の関係明らかならざること

  (甲) 天帝は真理の標準なるか、真理の標準は天帝の外にあるか、いずれを本とすべきや。

  (乙) 真理の標準は天帝の外にありと立つるときは、ヤソ教は真理にあらざるべし。

  (丙) 天帝すなわち真理の標準なりというときは、天帝をもって真理の標準なりと定むる標準別になくんばあるべからず。その標準また天帝なりと定むるときは、これを定むる標準また別になくんばあるべからず。かくのごとく推論するときは、天帝を真理の標準と定むるものは我人の意識思想にして、その極唯心の一理に帰すべし。

 第九 天帝と善悪賞罰の関係明らかならざること

  (甲) 今日現ずるところの万象万化は前時すでに定まり、前時の変化はまたその前時に定まるの理を推すときは、今日我人の善をなすも悪をなすも、太初天地創造のとき天帝すでにこれを知り、これを定めたりといわざるべからず。果たしてしからば、今日我人の善をなすも天帝の定むるところ、悪をなすも天帝の定むるところ、善悪共に天帝の定むるところにして、一はこれを賞し、一はこれを罰するの別あるは、なんの理によるや。

  (乙) もしまた、今日我人のなすところの善悪は、天帝太初より早くすでに定めたるにあらずして、これを人の行為に任じて、その果たして善をなし、果たして悪をなすかを試みんとする天帝の意なりというときは、天帝は万世永遠の後を洞察徹視する力なしといわざるべからず。

  (丙) 天帝、天地万物を創造するの目的、害を欲するにあるか、利を欲するにあるか。もし利を欲するにあるときは、なにをもって害物を作り、毒品を設け、競争戦争を社会に生ぜしむるや、これあるいは天帝の意に非ざるも、天帝これを除去するの自在力を有せざるによるというより外なし。

  (丁) 利害善悪は時によりて異なり、所に応じて同一なるあたわざるは、みな人の知るところなり。すなわち、利害善悪に一定の標準なきこと疑いを入れず。しかるに天帝我人を賞罰するに、なにを一定の標準として善悪を判断するや、はなはだ怪しむべし。

  (戊) 禍福賞罰の現世にあらわるるものと、あらわれざるものあり。速やかにきたるものと、きたらざるものあり。悪をなして福を得、善を修めて禍にあうものあるは、なんぞや。

 第十 人と動植の区別判然たらざること

  (甲) ヤソ教にては、人獣本来有別を論ずるも、これを験するに両者の体質、造構、官能、怪情、感覚、知力、意志等、すべて発達に前後の不同あるのみにて、本来その種類異なるに非ざること。

  (乙) 人の極めて下等なるものと、獣類の極めて上等なるものを較するときは、その懸隔極めて少なきこと。

  (丙) 人の未だ社会を結合せざる野蛮時代にありては、動物と異なることなきこと。

  (丁) 人の初生より次第に発達する順序は、下等動物より上等動物に至る間の階級を、毎次経過すること。

  (戊) 地層を験して遺痕を尋ぬるに、始めに動植ありてつぎに人類あり。またその人類も、初めの期にありて動物に異なることなきをみる。

  (己) 生物学上、動植人類を並列してこれを列類するに、合種判然たる分界なきこと。

  (庚) 無機の規則をもって有機に応用し、動植の規則をもって人類社会に応用することを得、これ有機、無機、動物、人類すべて同一源より分化し、同一の規則を有するによるなり。

  (辛) その他、種々の証跡事実をもって、動植自然進化の理いよいよ明らかなること。

 第十一 ヤソ教に確固たる定説なきこと

  (甲) ヤソ教の説は世によりて変ずること。

  (乙) ヤソ教の説は所によりて変ずること。

  (丙) ヤソ教の説は人によりて変ずること。

  (丁) ヤソ教の説は学問の進歩によりて変ずること。

  (戊) 昔日定むるところのもの今日は非真理となるよりこれを推すに、今日ヤソ教に定むるところのもの、後来また非真理となるの日あるべきこと。

  (己) 今日にありてもヤソ教を解するおのおの異なるをもって、なにを標準として是非をその間に定むべきや。

 以上十一項の下に掲ぐるところのもの、前十二題の下に論ずるところのものと、その順序を異にするもその意に至りては同一にして、前論の要点を略記したるものに外ならず。しかして今これを帰結せんとするに当たり、ヤソ教の創造説と仏教の唯心論とを比較して、いずれが最も論理に適合するかを証示するを必要なりとす。さきにすでに論ずるごとく、天帝のなんたるを究めてその極点に達すれば、天帝は我人の知るべからざるものというより外なし。すでに知るべからざるものを論じて、なお天帝は万物を造出せり。我人は天帝の子孫なり等というは、これ天帝を知るものと定めざるべからず。一体の天帝にして、同時に不可知的となりまた可知的となるは、論理の許さざるところなり。故にヤソ教者の論、前後倒着の過失を免れずと知るべし。今また一歩を進めてこの点を考うるに、ここに天帝をもって知るべからざるものと信ずるも、しるべきものと思うも、共に我人の思想の範囲内に生じて、到底その範囲を脱すべからざるは瞭然たり。信ずるも思想なり、思うも考うるも思想なり。可知と不可知の区別を立つるもまた思想の作用なり。思想を離れて可知境なくまた不可知境なく、思想の範囲の外に天帝の現存なく、また創造の諸論なきはもちろんなり。もし人生まれて思想を有せざれば、あにあえて天帝の現存を想することあらんや。また人生まれて思想の作用なくんば、あにあえて天帝の世界を創造し、人民を賞罰するの論証を究明するをえんや。かくのごとき諸想諸念は、まず思想ありてのち起こりたるは別に論ずるを待たざるなり。もしまた余が論ずるところを駁してこれを不可となすものあらんに、その論また思想の作用なり。ただ天帝の有無を論究するは思想の作用に出づるのみならず、天帝は思想の範囲外にありて、思想の力これを知るあたわずと定むるも、あるいは天帝は思想の作用に属せざるを証するも、またみな思想の作用なり。他語をもってこれをいえば、天帝実に在りとするも思想なり、無しとするも思想なり。天帝全く知るべからずとするも思想にして、知るべしとするもまた思想なり。天帝は思想内にありというも思想外にありと論ずるも、ひとしくこれ思想なり。あるいは思想自体を論じてこれを有りとするも無しとするも、またただ思想なり。これを要するに、思想を空するも排するも、いかにこれを証し、いかにこれを論ずるも、みな思想範囲中の一波動に過ぎず。これによりてこれをみれば、ヤソ教のいわゆる天帝は天帝範囲中にあるの理、すでに明らかなりと知るべし。しかるにヤソ教者はこれに対して必ずいわん、思想自体の本質なにものにして、いずれよりきたるや。これ不可知的にして、その体すなわち天帝と定めざるをえずと。余おもえらく、思想自体の本質なにものなるや、いずれよりきたるやというも、またみな思想の作用にして、その思想の体知るべからざるをもって、これを天帝に帰せざるをえずというも、またもとより思想の作用なり。余がかく論ずるも思想なり、彼これを駁するも思想なり。余が彼を駁するところを駁するも、また思想なり。彼、余が彼の駁するを駁するも、またまた思想なり。この理をもって、天帝は思想海の一波動に過ぎざるの理いよいよ明らかにして、また疑うべからざるなり。そもそもそのいわゆる思想とはなんぞや。曰く、わが心なり、しかしてわが心も心なり、他の心も心なり、自他の間に彼我の別を立つるも心なれば、ただこれを単に心というてとどめんのみ。すなわち思想の体いわゆる心にして、心の作用これを思想と名付くるなり。我人の今日心と称するもの、すなわちこの思想を指して名付くるや疑いをいれず。ここに至りてこれをみれば、天帝は心界の一現象にして、心界を離れて別に存するにあらざること確固として動かすべからざるなり。故に余まさにいわんとす、天帝我人の心を造出するに非ずして、我人の心天帝を造出するなり。他語をもってこれをいえば、世界の造物主は天帝に非ずして、我人の心なり。すなわち知るべし、仏教の唯心所造説いよいよ明らかにして、いよいよ信ずるに足るを。その経論中、万法唯一心 心外無別法の言、森羅万象 唯識所変の説、共にヤソ教者の未だその味を感ぜざるところにして、仏説の卓見活識、万世人をして驚嘆に堪えざらしむ。ああ、金言歳月を経て、始めてその不虧をみるべく、妙味万世を待ちて始めてその真を知るべし。しかり、ヤソ教のごときは、心界所変の一現象たる天帝を主とするをもって、その説全く仏教範囲中の一小部分を占領するに過ぎず。実に憫むべく、また笑うべし。けだし、かれ天帝所造を立つるも、かれ仏教所説を排するも、みな心内の思想より出づるをもって、ひとしくこれ仏教なり。しかしてヤソ教者は自ら仏教を排して、その論理全く仏教に基づくを知らず。そもそもこれを愚と呼ばずしてなんぞや。要するにヤソ教は仏教全組織の毛端爪尖に過ぎずして、その天帝所造説は唯心所造説の虚影空響に過ぎざるなり。仏教の哲眼をもってこれをみれば、その見識の極めて小にして、その立論の極めて卑しきは、実に抱腹絶倒に堪えざるなり。かくのごとき教を信じ、かくのごとき法を執して、自らその見識の小にして立論の卑しきを覚えざるは、その心中実に思うべし。余かくのごとき徒に対して、つねに憫然に堪えざるなり。その徒の管見をもって仏教を駁せんとするをみれば、乳児の母の母たるを知らずして、これに抗せんとすると同一の感覚を生じ、老婆心の切なる、かえって余をしてために憫然の涙を含ましむるに至る。つぎにヤソ教者は、天帝はかくのごとし、キリストはかくのごとし、創造は疑うべからず、昇天は信ずべし等、喋々論ずれども、その自ら論ずるところ全く論理に基づくを知らず。すなわち論理ありてのち天帝あるを知らず、また愚というべし。しかしてその論、前後倒着して論理法に合格せざるところ多きは、余がさきにすでに証するところなれども、今しばらくその論、論理上の過失なしと許すも、論理ありてのち天帝あり、天帝ありてのち論理あるにあらざるは疑いをいるるべからず。論理とはなんぞや。曰く、余がいわゆる論理とは思想の作用にして、およそ思想上一事一理を考究して、これは真なり、かれは非なり、これにはこの理あり、かれにはかれの理あり、この因あるをもっての故にかの果あり、かの果あるをもっての故にこの因あり等というもの、みなこれ論理なり。この論理を離れてヤソ教者は、なにによりて天帝の有無を論じ、自教の真偽を判ずるや。甲を是とするときは、甲に非ざるもの非なりと論ずるは論理の原則にして、自教を是とすれば他教非となるも、また論理の想法なり。今日の世界に万象万化あるをみて、その起源根本たる天帝なからざるべからずというも、また論理のしからしむるところなり。天帝は、我人の日々直ちに見、直ちに接する者に非ずして、今日見聞するところのものより推論想定するに過ぎず。他語をもってこれをいえば、已知より未知に及ぼす、有形より無形に及ぼすの推理法によるのみ。故にその語全く論理に基づきて生ずるや明らかなり。故に余、まさにいわんとす、ヤソ教中より論理を去れば、またヤソ教なし、また天帝なし。しかして我人の天帝あるを知るは、論理の仮に合して一団の虚形を現ずるによる。例えば、炎雲の集まりて奇峰を形成するがごとく、激浪の翻りて白雲を湧出するがごとく、その体実に奇峰なるにあらず、その体実に白雲なるにあらざれども、雲波の仮に結びてその形を現ずるなり。論理上、天帝を想定するもまたしかり。すなわち論理海中の激波相会して、仮に天帝の虚形を結び、論理管内の炎雲相合して、仮にその空想を現ずるに過ぎず、その体実に論理にして、天帝真に存するに非ず。故にひとたび論理を解散すれば、また天帝なく、またヤソ教なし。すべて学者の講ずるところの証明法は、一として論理によらざるはなし。論理ありてのち始めて証明法あり。今ヤソ教のごときその起源にさかのぼりて考うれば、全く論理の証明法を欠くもののごとしといえども、今日に至りては、多少論理をもってその説を構成するに至りしは、余が信ずるところなり。もしヤソ教者これに反して、わが教は論理の元素相合してその形を結ぶものに非ず、論理を去るもその教滅するにあらずといわば、これまた余輩をして抱腹に堪えざらしむるものなり。見るべし、彼かくのごとく論を立つるは、論理によらずしてなんぞや。わが教は論理によるというもよらずというも、一として論理ならざるはなく、天帝は論理内にありて存すというも、論理を離れて存すというも、みなひとしくこれ論理なり。論理あるにあらざれば、よく論理の内外を分別して、その間に天帝の所在を定むるを得んや。けだし、余がかく論ずるも論理なり。余がかく論ずるを論理なりというも、また論理なるをもって諸教諸説、畢竟論理の範囲を脱することあたわずと知るべし。かつそれヤソ教はその本源人々の空想に起こりて、論理によるに非ずというといえども、全く論理の原則によらざるにあらず。一言半句も論理の原則によらざるときは、狂人の言とならんのみ。故に天帝創造説は、論理の原則に基づきて起こりしや疑いをいれず。その原則とはすなわち因果の理法にして、一因あれば必ずその果あり、一果あれば必ずその因ありという、これなり。人すでにこの理法を知りて果をみて因を求むるに至り、始めて今日目前に現ずるところの万物万象を見て、その起源あるを想出し、遂に天地の一大因たる天帝の存するゆえんを考定せしは必然なり。およそ子あれば必ず父あり、父あれば必ずその元祖なくんばあるべからざるの理を推して、我人みな天帝の子孫なることを知るに至り、また人すでにしかれば、動物も植物も国土山川も日月星辰も、みなその本源なからざるべからざるの理を推して、天帝創造の説起こるに至るや、また瞭然たり。我人初めより突然天帝あるを知りてのち天地あるを知り、天地あるを知りてのち人民あるをしり、人民あるをしりてのちわが身あるをしるにあらざるは、もとより論を待たざるなり。もし果たして、まず上よりしりて次第に下に及ぼし、まず無形をしりてのち有形をしるものならば、赤子の未だ自己の生存をしらざるもの、早くすでに天帝あるをしり、やや長じて天地あるをしり、いよいよ長じて人民あるをしりて、最後に自身あるをしるの理なり。しかも余未だ夢にだも、かくのごとき人の世間にあるを見ざるなり。その他、ヤソ教者の説くところ、原因結果の関係によりて推論想定するものの、キリストその母ありてその父なきをもって、これを天帝の子なりと想するも、因果の論理に基づきて起こり、アダム、イブ両人、天帝の禁誡を守らざるをもっておのおのその罪を蒙り、ノアひとり神命を奉ずるをもって洪水の難を免れしというも、キリスト十字架上に死せしは、その意、我人に代わりて我人の罪悪を救助せんとするにありというも、みな苦因苦果、楽因楽果、善因善果、悪因悪果の関係をしるによる。またキリストの死するや、すでに屍体を埋めてのちこれを検するに、その体なきをもってこれ昇天するなりと公言せしも、有無因果の関係をしりて、有体の無に帰するは、その体他に移転せざるべからずと思い、果をみて因を想するにとどまる。その他すべてヤソ教者の説くところ、論ずるところ、みな因果の理に基づき、『バイブル』書中に叙述するもの、みなその果をおしてその因を定むるに外ならず。ただその書中に論ずるところの因果の推理法は、人知未だ開けざるのときに出でたるをもって、理脈はなはだ疎にして、論意の貫徹せざるもの多し、故に往々、空果を見て空因を想し、甲の因をとりて、誤りて乙の因と認むるがごとく過失あり。これをもって天帝創造、ヤソ降誕等の空想説をきたすに至るも、これ当時の人知、未だ全く進まざるによるものなりと考うれば、またあえて深く怪しむにも足らざるなり。以上論ずるところ、これを要するに、人民因果の関係をしりて、始めて創造説ヤソ教の起こるに至るなり。故に史にさかのぼりて太古野蛮の原人にして、すこしも因果の理法関係をしるの知力なきに至れば、世間天帝の有無、共に知るものなきをみる。これをもって、動物界には信教拝神の行為なきなり。人知やや進みて動物界を離るるに至り、始めて天帝の有無を想するに至る。これ当時の人民、多少因果の関係を知ればなり。いよいよ進みて文化の域に達すれば、天帝有無説もいよいよ明らかなるに至る。これ当時、因果推究の法いよいよ明らかなるに至ればなり。これによりてこれをみれば、因果の道理ありて始めて天帝説起こるや、すでに瞭然たり。始めに天帝あるを知りてのち因果の理起こるにあらざれば、三尺の童子もたやすく了すべし。果たしてしからば、因果は本なり、天帝は末なり。因果理法の界内の一隅を占有するもの、これ天帝説なり。もしこれを証せんと欲せば、よろしく因果の理を空すべし。因果の理を空すれば、天帝説たちどころに滅すべしといえども、天帝説を空するも、因果の理は依然として存すべきなり。ヤソ教を立つるも因果の理なり、これを排するも因果の理なり。その廃立全く因果の一理に属す。故にヤソ教滅し天帝説廃するに至るも、因果の理滅無するに非ざるや明らかなり。その教の盛衰興亡は、因果の理海の一隅に浮沈高低の波動を生ずるにとどまり、すこしもその理体に増減あるに非ざるなり。これに至りてこれを考うれば、仏教の因果の道理を本としてその教を立つるは、天帝の創造説に勝ること万々なり。畢竟ヤソ教もその範囲の一隅に蟠居匍匐するに過ぎず。仏教の大人よりこれをみれば、ヤソ教のごときはあたかも赤児の父母の膝下にわだかまり、自らその身体の弱小なるを知らずして、父母に抗争せんとするがごとし。われよりその状を見れば、これを厭悪するの心を動かざすして、かえってわが憫憐の情を促すのみ。再び進みて因果のなんたるを考うれば、これ論理の規則なるを知る。論理理中、已知より未知に及ぼし、近きより遠きに及ぼすは、みな因果の関係に基づきて、次第にその理脈を追尋するに外ならず。ヤソ教において天帝を立つる、全くこの理による。かつそれヤソ教者の、自教を真とするも他教を邪とするも、他教の自教を駁して邪教とするも、自教のこれに対して他教を返駁するも、みな論理なり。われがかく論ずるも論理なり。かく論ずるを論理なりとするもまた論理なり。これをもってこれを推すに、ヤソ教は到底論理の範囲を脱すことあたわざるは、晴天に白日を見るがごとく明らかなりと知るべし。他語をもってこれをいえば、まず論理ありてのち天帝あり、天帝ありてのち論理あるにあらざるなり。すなわち天帝は全く論理の造出形成するものに外ならずと知るべし。しかるにヤソ教者あるいはいわん、天帝の実在を知るは、論理推究によるというも、論理を離れて天帝の体なしと断言するを得ず。これを例するに、末流を見て本源あるを推想するも、末流を離れて本源なしということを得ざるがごとしと。余これに答えていわん、かくのごとく論明するものなんぞや、論理によるにあらずや。末流を離れて本源ありというも、論理を離れて天帝なしと断言するを得ずというも、みな論理にあらずや。われかく論ずるも論理なり、かれかく論ずるも論理なり。故に余曰く、天帝は論理界中の一分に過ぎざるなりと。これをもって論理を空すれば、天帝たちどころに滅するも、天帝を空するも、論理あえて滅するに非ざるなり。その論理とは、余がさきにすでに掲げしごとく思想の作用なり。思想あらざれば論理なきはもちろんにして、論理は全く思想の力より生ずること疑いをいれず。しかして思想の体すなわち心なれば知るべし。まず心ありてここに思想あり、思想ありてここに論理あり、論理ありてのち始めて天帝説あるを。けだしヤソ教は中古野蛮のときに起こり、無文の地に行わるるをもって、その経中説くところ論理をもって考うべきものなしといえども、天地間に造物の主宰あるを説くに至りては、因果の原理を知り論理の原則を用いたるは疑いなしとす。すなわち当時の人民未だ因果の理法を論究するの力なしといえども、モーゼ、キリストのごときは、その知力やや長じて論理の応用を知り、天地主宰を想出するに至りしは必然なり。故にモーゼ、キリスト等はこれを当時一般の愚民に比すれば、その知、数等の上に位して、一時を誑惑するの力ありしは明らかなり。しかもこれを今日に考うれば、諸民なお野蛮の学者、学文の知者たるを免れず。その用うるところの論理、極めて疎漏にして、かつ過失多く、到底学理上考うるに足らざるなり。仏教はこれに反して、その教三千年の太古に起こるも、その立つるところの因果の理、唯心の説、真如の論、みなもって今日の模範とするに足る。それ宗教の世にあらわるるもの、その数はなはだ多しといえども、学理上万世の亀鑑となるべきもの、ひとり仏教あるのみ。ヤソ教者の論ずるところ、因果の理を離るることあたわず。その信ずるところ、唯心の境を脱することあたわず。もしそれ、因果の理を論理の規則となすときは、ヤソ教全く唯心説の一隅に浮沈するに至る。天帝ありと信ずるも心にして、心の本体知るべからずというも心なり。知るべからざる心の体、すなわちこれ天帝なりと考うるもまた心なり。故に諸教中、心をもって起点と立つる教は、天帝をもって原理と定むる空想に勝ること幾倍なるや、ほとんど計り知るべからざるなり。天帝説は仮定説中の最仮定説にして、その存滅全くわが思想の方向に属す。われこれを有りと思えば、すなわち天帝存するがごとくなれども、われこれを無しと思えば、すなわちまた天帝なし。ひとり心に至りては、われこれを空することあたわず。心なしと思うもこれ心にして、心ありと考うるもまたこれ心なり。仏の唯心説ここに至り、ただますます明らかなり、あに驚嘆せざるべけんや。ヤソ教者はつねに唯物進化論を駁して、その説仮定に属するもの多し。実験上未だ証明せざるものあり等というといえども、その論決して当を得たるものにあらざるなり。今しばらく唯物論を仮定説と定むるも、その仮定説とヤソ教の仮定説と、いずれが最も信をおくべく、いずれが最も疑を入るるべきや。唯物論者は物質のなんたるを究めず、その体を仮定して実験を施すというといえども、我人の思想を真とし、我人の感覚を真とするときは、物質の実在もまた自ら真となるべし。もし物質の実在を真にあらずとするときは、我人の感覚思想、またみな偽となるべし。なんとなれば、物質は感覚思想を経て物質となればなり。しかれども、感覚思想は偽なりとするあたわず。もしこれを偽なりとなすも、なにをもってその理を証するや。これを偽となすもの、やはり感覚思想によるにあらずや。感覚思想なるときは物質の実在もまた真なり。物質の実在真なるときは感覚の実験また真なり。ヤソ教はこれに反し、天帝のごとき全く感覚以外にあるものと仮定して、万物の本源とし万事の標準として、しかして自ら仮定の説にあらずと信ずるは、はなはだ怪しむべし。天帝は思想境の一部分に属するの理、さきにすでに証するをもって、これより感覚と天帝の関係を論ぜんとす。今それヤソ教者、天帝の現存を信じ、天帝の創造を想するに至りしは、なにによりて生ずるやというに、余おもえらく、これみな感覚上の実験よりきたるものなりと。けだし感覚上の実験より、動植人類のおのおのその祖先を有するを知り、万象万化のおのおのその根元あるをしるをもってその理を推して、天地万物の本体たる一大源なくんばあるべからざるゆえんを想像し、その体を名付けて天帝というに至りしや明らかなり。故に感覚の十分に発達せざる動物界に至りては、余輩未だ天帝の創造を想する牛馬あるを見ず。しかして人類に至りてこれを想するに至りしは、感覚大いに発達して多く実験をかさねたるによる。その他天帝の現存、キリストの降生等のすべて感覚の上に属するゆえんを論ずるに、在昔モーゼ氏シナイ山上に登りて天帝に面接したりというは、視覚によりてこれを見たるにより、また誡神を受けたるは、聴覚によりてこれを聞きたるによる。キリスト昇天してのち四十日間しばしばその形を門弟に示せりというも、門弟の視覚に触るるにより、キリスト在世間種々の奇術を施せりというも、人の感覚上にこれを現ずるによる。かつまた今日にありてヤソ教者の、新旧両約全書を見て天帝創造、ヤソ降誕をしるは視覚により、聞きてこれをしるは聴覚による。もしまた五官の感覚なくんば、いかにして天帝の創造を想し、キリストの降誕をしることを得ず。たとえまた感覚あるも、その力極めて不完全にしてかつ確実ならざるときは、創造降誕の諸説ひとり確実なるを得んや。故にヤソ教に諸論諸説はすべて感覚上の実験よりきたり、その真偽全く感覚の事情に属す。果たしてしからば、ヤソ教は理学と同一なるに似れども、その教の理学に異なるは、一は一人一個、一世一時の実験にして、不完全不確実の感覚によりてこれに空想を施したるものなり。一は衆人数世の実験を重ね今日目前の感覚によるものなり。二者中いずれが最も信ずべく、いずれが最も疑うべきは、知者を待たずしてたやすく判ずべし。これによりてこれをみれば、ヤソ教の実験は極めて不完全不確実なりといえども、一人一世の感覚によりてその教の世に起こるや必然なり。果たしてしからば、ヤソ教は理学の実験を空し、感覚の真ならざるを論ずることを得ざるなり。もし五官の感覚を空するときは、ヤソ教自らその教の真偽を証示することあたわざるは、またすでに瞭然たり。その他感覚を離れてヤソ教なく、ヤソ教を離るるも感覚あり、感覚滅すればヤソ教また滅し、ヤソ教滅するも感覚滅せざるよりこれを考うれば、ヤソ教は感覚境内の一幻象に外ならざること、またたちまち了すべし。これを要するに、まず感覚ありてのちヤソ教あり、天帝あり。まず天帝ありてのち感覚あるにあらず。故に知るべし、天帝の想像は全く感覚海内の一波動に過ぎざるを。しかりしこうして、この感覚なるもの意識思想の知覚にして、意識思想の作用あるにあらざれむ。我人その感覚のいかんをしるべからず、ただに感覚のいかんをしるべからざるのみならず、感覚を感覚として知り、万象の変化みな感覚上の現象なりと知り、ヤソ教全く感覚の範囲内にありとしるも、またみな意識の作用なり。意識あるに非ざれば、感覚その用を呈するあたわず、実験その功を奏するあたわざるなり。これを要するに、天帝はもちろん、物界の諸象はことごとく感覚の範囲に帰し、感覚境の諸象はことごとく意識の範囲に入るべし。故にこれを帰すれば、唯一の意識、唯一の思想あるのみ、すなわち三界唯一心なり。その平等無差別の一心の中に、自ら差別の現象を存するをもって、一心の鏡面に感覚の諸境を現ずるなり。その平等心と差別心との関係は、さきにすでに大要を弁じたるをもって、またここに賛せず。かく論じきたれば、ヤソ教は感覚によりて生ずるはもちろんにして、天帝の現存はモーゼの感覚によりて知り、キリストの昇天は門弟の感覚によりて知るところなり。故に感覚真なればヤソ教に談ずるところまた真なるがごとし。しかれども、さきにすでにいうがごとく、ヤソ教の感覚はモーゼ一人の感覚、徒弟十二人の感覚に過ぎずして、衆人数世の実験に考えて真なるものに非ず。例えばここに一人ありて、飛竜を天に見るというも、衆人これを見ざるときは未だもって真とするに足らず。また一人ありて、幽霊に途にあうというも、衆人これにあわざるときは、未だもって証とするに足らず。もしこれに反して、甲これを試みて精神の頭部にあるを知り、乙丙丁みなこれを試みてその説の真なるを知るときは、始めて信を徴するに足る。故に一人一個の実験は信をおくあたわずといえども、衆人衆目の実験は疑いを入るるあたわず。たとえ一人一個の実験は多少真を表するに足るとするも、これを衆人に徴して真なるものに比して、いずれが最も信ずべしといわば、衆人の実験の最も確実にして、信をおくに足るは言を待たざるなり。あるいはまたモーゼ氏の神戒を伝うるは、氏は同属を結合するの方便に出でたるも計り難し。徒弟の上天を唱うるは、師主を神聖にする方便に出でたるもまた知るべからず。すでに今日にありては、我人天帝に会うことあたわず。キリストを見ることあたわざる以上は、これを一時の偽方便とみなすも、あえて不可なることなし。これを今日の実験にそなえてその実を示すことあたわず。またその偽方便にあらざるゆえんを証することあたわざれば、人これを偽といい虚というも、あえてこれに抗すべき理由なきは明らかなり。ただしヤソ教者は、旧史に載するところをあげてこれを証するのみ。しかれども旧史に載するところを口実として、今日の実験を廃棄せんとするは、道理のもとより許さざるところなり。しかして彼の到底今日の実験に証することあたわざるをもって、種々の旧記を引証してその真を示さんことを務むといえども、またみな徒労のみ。西洋古代の史みなモーゼの説に基づき、キリスト時代の書、大抵ヤソ徒弟によりて伝わる。すなわち当時の諸説みな『バイブル』に基づきて起こる。故にその時代の諸書をとりて引証するは、なお『バイブル』をもって『バイブル』を証し、ヤソ教をもってヤソ教を証するもののみ。これ決して証明法に合格するものにあらざるなり。故にヤソ教者もしその実を示さんと欲せば、よろしく今日実験、今人の感覚に徴すべし。今日の実験に徴して真なるものはこれを真とし、今人の感覚に徴して真ならざるものはこれを非とするの外、真非を判定する良策なかるべし。もしまた旧史に載するもの、果たしてことごとく信をおくに足らざるとなすときは、日本の神代史にあぐるところのもの、シナ伏義以前の開闢談も、いちいちみな実事なりといわざるべからず。見よ、古代にありては文字その数乏しくして、十分人の思想を描くことあたわず。知力未だ発達せざるをもって、十分事実の真偽を究むることあたわず。事跡多く口碑伝聞に存して、誤謬忘るるを免るることあたわず。すでに文化開明し、今日にありて事実の探報通信等、非常の精密詳細を注意するも、なお新聞上の雑誌記事の誤傾多きは、みな人の知るところなり。これをもってこれを推すも、旧史上に載するところの事跡、真を表するに足らざる一斑を知るべし。しかるにヤソ教者のごとく、今日の実験をすててひとり旧史旧記によりて証を徴するは、あたかも今日の文化開明、百事著明を捨てて昔日の無学無知、謬開誤伝をこの上もなき実説明証なりと妄信するに異ならず、だれかその愚を笑わざるものあらんや。しかしてまたヤソ教者中、自教の真理は目前の実験に証することあたわざるをもって、今日の実験を排し今日の感覚を空して、人の五官未だ完全ならず、人の感覚未だ確実ならず等というものあり。これ感覚を空するのみならず、自教を排する言というべし。余さきにしばしば弁ずるがごとく、ヤソ教の起こるは感覚によりて起こるものにして、モーゼおよびキリスト徒弟の耳口の感覚なきにおいては、天帝の現存もキリストの昇天も、だれありてかこれを知り、またこれを伝えんや。ヤソ教者いやしくもモーゼおよび徒弟の実験を真とする以上は、感覚を排して不完全なり、不確実なりということを得ざるは、理すでに明らかなり。いずれにしても、今日の人にして今日の世にある以上は、今日の実験を排すべからざるなり。今日の実験を排するときは、今日の自身の思想も感覚も生存も共に空せざるを得ず。これを空するときはヤソ教いずれの地にありて存すべきや。余は信ず、その教は感覚実験を空すると同時に滅無に帰するを。故に我人の真偽を事実の上に争わんと欲せば、今日の感覚、今人の思想を本とせざるべからず。なんぞ今日の実験を排して、ひとり昔日の旧史によることを要せんや。これを帰するに、我人もし昔日より伝わるところの諸説諸論につきて、その真偽を知らんと欲せば、よろしくまず、これを今日今人の感覚思想に考うべし。これを考えてその証あるときはこれを真とし、その証なきときはこれを偽とせんのみ。今、余が仏教を信ずるは、その教インドに起こり釈迦の所説なるの点をもって信ずるにあらず、その説の三千年来世に伝わるの点をもって信ずるにあらず、ただその説の今日今時の学理に考えて、信ずべきところあるをもって信ずるのみ。また余がヤソ教を排するは、その教のキリストの説なるをもって排するにあらず、また仏教の後に起こりたるをもって排するに非ず、今日今時の学理に考えて、合格せざるところあるをもってこれを排するなり。それ仏教は今日の学理に考うるに、ただ実証あるのみならず、古来、学者の未だかつていわざる新見新理のそのうちに胚胎するありて、これを読むもの百嘆千驚せざるを得ざるもの多し。たとえ余輩が百方力を尽くしてこれを排せんとするも、道理上排することあたわざるをいかにせん。これを排して、その排すべからざるの点に達すれば、ただただこれを信ずるより外なかるべし。これ余が仏教を拡張して、ヤソ教を排斥せんとするゆえんなり。しかるにヤソ教者は、今日の道理上、仏教と優劣を争うの力なきを知り、顧みて古代にさかのぼり旧記を捜索して、大乗は仏教に非ずといい、仏教は婆羅説より起こるといいて、これを排せんとす、なんぞ卑怯なるや。余をもってこれをみれば、あたかも旧弊親爺、徳川天下を自慢して、今日の文化を排棄せんとするに異ならず。故にこれらの点に汲々するは、実にむだ骨折りというべし。旧記は事実を徴するに足らざるは、さきにすでに論ずるをもってここにこれを略し、今、文字文章につきて人の思想を知るの難きゆえんを挙ぐるに、甲なるものありて一文章を読みてその自ら了するところの意味と、乙なるものこれを読みて了するところの意味とは、多少の差異なきあたわず。なんとなれば、人々同一の文章につきて起こすところの運想おのおの異なればなり。いわんや今日にありて、古代の文を考うるをや。世異なり国同じからざれば、同一の書を解し同一の字を了するに、寸分の差異なきあたわざるは明らかなり。故に古代の記事史伝を読みて両教の真偽を知らんとするは、たとえその書事実を伝うるものと許すも、完全の結果を得べからざるは必然の勢いなり。もし完全の結果を得んと欲せば、これを今日今時の思想にただすより外なし。つぎに余輩ヤソ教者に向かって注意を要する点は、教と人との区別を知るにあり、キリスト自身とヤソ教とは同一に論ずべからず、釈迦自身と仏とは同一にみなすべからず。教祖に対する感情とその教法に対する感情とは、したがって異にせざるべからず。なんとなれば、教祖は一世一代の人にして、教法は数世数代の法なればなり。故に余輩ヤソ教を憎むも、あえてキリストその人を憎むに非ざるなり。釈迦これを愛するも、釈迦その人の所説なるをもってこれを愛するに非ざるなり。教祖は一世一代の説を施すのみにて、教法は数万世に伝わりて一組織をなすものなり。故に今日のいわゆる仏教は、釈迦より世々相伝えて今日に存するものをさしていうものにて、ひとり釈迦一代の説をいうに非ず。ヤソ教またしかり。今日のいわゆるヤソ教は、ヤソ一代の所説をいうに非ずして、その教の今日に伝わるものをいうなり。今その理を明らかにせんと欲せば、今日のヤソ教者の、自らヤソ教と認むるものを考うべし。その今日の教は、ヤソより二千年弱を経て今日に伝わるものにして、その間種々の教法家出でて、数様にヤソ教の解釈を下し、あるいはその教の本意ここにあり、あるいはかれにあり等といいて、今日の組織を成すに至るなり。すなわち旧教には旧教の説あり、新教には新教の説あり、ギリシアはギリシアおのおのそのみるところを異にし、甲は乙を目してヤソの本意に非ずといい、乙は丙を目して一轍にキリストの真意に非ずという。また新教中にありても、各派多少そのみるところを異にして議論つねに帰せず。これを要するにヤソ教者は、今日は今日の解釈を本として昔日の解釈を用いず。甲派は甲派の説を真として、他派の所説を非とす。これ余輩のつねに目撃するところなり。これによりてこれを推すに、今日より数千百年の後に至らば、今日の解釈を偽として新たに一種の解釈を施し、これを天帝の本旨、キリストの本意なりというに至らん。果たしてしからば、いずれの時の説を真として、いずれの人の解釈を偽とすべきや、到底一定の標準なきは明らかなり。しかしてヤソ教者は、今日今時の解釈を真として、昔日の解釈を廃するものなんぞや。これ他なし、今日に有りては、今日一般に許すところの解釈の外とるべきなければなり。これによりてこれをみれば、われいわゆる仏教は、今日今時の仏教につきて論ずるをもって足れりとす。あえてこれを三千年のいにしえにさかのぼりて、旧記陳書の上に事跡を考うるを要せざるなり。人もしなにをか仏教というやと尋ぬる者あらば、余まさに答えんとす、余がいわゆる仏教は、日本今日に伝わるところの仏教にして、世間一般にこれを目して仏教と許すものをいうなりと。およそ教法は、仏教にもあれヤソ教にもあれ、その範囲内にありて論ずるときは、今日の教法すなわち教祖の所説と同体なりというといえども、教法外にありて学理上これをみるときは、開教以来次第に発達して今日に至り有機組織を構成するものなり。この発達、あたかも胎児の長成して大人となり、萌芽の発生して草木となるがごとし。教祖はすなわちその未発達の種子なり。その種子中すでにあらゆる原形を胚胎するも、未だこれを外に現顕するに至らず。ようやく長じ、いよいよ進みて始めてその組織のやや完全なるを見る。故にすでに発達したる今日にありて、その教のなんたるを知らんと欲せば、その今日の情況につきて考うべし。あえてこれをその赤児のときに考え、萌芽の日に証して難詰するを要せんや。故にわがいわゆる仏教は、今日今時日本の仏教をいうなり。しかしてその真偽は、なにによりて判ずるやというに、今日の学理に考うるより外なし。これを今日の学理に考うるに、昔日の旧記に証するに勝ること万々なり。故に余輩の仏教を信ずるは、その今日に存するもの、これを今日の学理に考えて、真を徴するに足るをもっての故なり。余輩のヤソ教を排するも、またその学理に考えて合格せざるをもっての故なり。

 以上論ずるところこれを要するに、仏教は学理に合し、ヤソ教は学理に合せずというにとどまる。その学理に合すというは、仏教に立つるところの原理仮定の説に非ずして、論理上証すべきものあればなり。その論理上証すべきものあるは、意識をもって本とし、因果をもって理となすにあり。天帝創造説もキリスト昇天説も、みな意識の範囲内にありて、因果の原理に基づくものなり。故に余曰く、ヤソ教は仏教中一部分に過ぎざるなり。意識を離れて天帝なく、天帝なきも意識あり、因果の理滅すれば創造説また滅し、創造説滅するも因果の理滅するに非ず。故に知るべし、天帝創造説は意識中の一幻想、因果上の一虚形に過ぎざるなり。これをもって余は、ヤソ教の原理は学理に合格せざるものとす。もしヤソ教者これに対して、その自ら立つるところの原理は、学理の原理なるゆえんを示さんと欲せば、よろしく意識を離れて天帝の存するゆえんを証すべし、因果の理を離れて天帝の万物を創造せしゆえんを証すべし。余、断固としていわん、天帝は意識内の天帝、因果中の天帝にして、ヤソ教者なにほど論理を左右するも、到底その範囲の外に天帝を証立すべからざるなり。なんとなれば、天帝現にありというも意識中の想像に過ぎず、創造は実説なりと証するも因果中の推理に外ならざればなり。これによりてこれをみれば、天帝、我人造出するには非ずして、我人の思想、天帝を造出するなり。けだし、この唯心因果の理は仏教の卓見にして、ヤソ教の遠く及ぶところにあらず。故に余一言をここに加えて、両教の異同を判ぜんとす。曰く、仏教は学理上の宗教にして、ヤソ教は空想上の宗教なりと。

 我人仰ぎて観俯して察するに、一事一物として意識内にあらざるはなし。ただに目前に見るものひとり意識内にあるのみならず、目をもって見るべからず、耳をもって聞くべからざるいわゆる不可知的も、また意識中の一現象なり。意識の中に神ありと思うも、その外に神ありと考うるも、またみな意識中のことのみ、これを唯心論とす。仏教の唯識これなり。もし一歩を進めて、心は物に対して知るべく、物は心に対して知るべく、物心共に相対の名なりと定むるときは、その原理、非物非心の絶対となる。仏教のいわゆる真如これなり。しかしてその真如界中、前後左右の差別を出だして本末因果の相関するをみる、これを因果の関係と名付く。すなわち真如理体の性質なり。この性質あるをもって、無差別の理体中に差別の万象万化を生ずるに至るも、その理体の全体は本来不生不滅、不増不減なり。その体不生不滅、不増不減なれども、前後相対比してみるときは、本末因果の次第ありて存するをみる。ここにおいて生滅増減の変化あり。しかしてその変化の自性をみるに、一因として偶然に起こるなく、一果として卒爾に滅するなく、その因の起こるは他の因あればなり。その果の滅するは他の果を生ずればなり。故に一物の上に生滅あるは因果の外象に過ぎずして、その実不増不減なり。すなわち因果の理は、理学のいわゆる労力保存の理と同一なり。仏教の原理、ここに至りて理学の原理と合体す。その理決してヤソ教のごとき、人なきに人を作り、万物なきに万物を生ずというがごとき妄説に非ざるなり。しかるにヤソ教者は、かくのごとき無より有を生ずるの理を考えて、これ天帝の妙力なり。これ神変不思議なりというといえども、かくのごとく妙なり不思議なりというもの、すべて我人の意識内に有りて想像するゆえんを知らず、なんぞ思うことの浅きや。天帝の妙力も、妙工も、妙知も、妙理も、みな我人の意識中より描きあらわしたる現象にして、これを意識の妙力、妙工、妙知、妙理というより外なし。仏教上よりこれを論ずれば、宇内に現ずるところの諸象は、あるいは唯識所変と立て、あるいは随縁真如と談じて、頼耶縁起と真如縁起とによりて、その説くところ異なりといえども、その理一なり。唯識も真如もその体別なるに非ざるなり。ただその異なるは、一は相対の上に名付け、一は絶対の上に名付くるによる。故に唯識より一歩を進むれば真如に入るべし。それ識はすなわち心にして、これに対するものを物とす。我人目を開きて見るものこれ物にして、目を閉じてなお物をして現ぜしむものこれ心なり。物は所観の境に名付け、心は能観の識に名付く。この物と心とは、仏のいわゆる色心二法これなり。そのうち物のみありて心なしというときは、これを唯物論といい、心のみ有りて物なしというときは、これを唯心論という。人の思想の発達は、一般に唯物に始まり唯心に移り、非物非心にとどまる。その非物非心の体、すなわちこれ真如なり。真如よりこれをみれば、唯物も唯心も共に一僻論にして、おのおのその一方をみて、全局をみざるの論なるを知るべし。これを要するに、物心は相対門にして二者互いに相対待して存し、真如は絶対門にして物心二者みなそのうちに帰して、すこしもその差別をみざるなり。故に物心は真如の体に表裏の別あるがごとく、表よりこれを見て物といい、裏よりこれを見て心というも、その体一真如なり。この表裏の関係を示すに、有空中三諦の理あり。物のみ有りて心なしというは有に偏する論にして、心のみ有りて物なしというは空に偏する論なり。二者共に一端に偏するをもって、これを統合して物のみ存するに非ず、心のみ存するに非ず。二者対待してその体一真如なりというときは、これを中とす。すなわち非有非空の中道これなり。しかして一物の一物たるゆえんは、表裏相対して存するによるをもって、真如の理体は物心を離れて存するにあらず。物心は不一不異にして、真如と物心はまた同体不離なり。これをもって有空中の三は、その体一なりとす。天台に談ずるところの三諦円融の理、推して知るべし。かくのごとく討究するときは、仏教の所談は哲学の原理に基づき、理学の規則に従い、論理上一点の間然するところなきをみる。これをかのヤソ教にて天帝の空想を信ずるがごときに較すれば、その懸隔ただに天壌の比にあらざるなり。これによりてこれをみれば、仏教は道理界中の宗教にして、学者社会の教法なることすでに明らかなり。文化いよいよ進み、学理いよいよ明らかなれば、仏教ますます盛んならざるは、理の自らしかるところなり。ヤソ教はこれに反し、その原理全く仏教と相反し、到底学界の宗教となることあたわざるなり。しかして西洋諸国にありては、ヤソ教ひとりその権勢をたくましくし今日に至りし。他の宗教のこれに反して起こるをみざるは、別に考うべき事情あればなり。一はヤソ教の千余年来人心に固結して、習慣の力一朝にこれを氷すべからざるにより、一は政教一致の国風より、宗教を変ずれば国政を変ぜざるべからざるをもって、たやすくその改良をはかるべからざるにより、一は愚民婦女子のごとき道理に暗きもの人民の過半を占有して、学者識者の世に乏しきにより、一は学者中またおのおの一家の見識を抱き、異説百出互いに相争うをもって、その間共に統合してヤソ教に抗して一種の新教を立つるの難きにより、一は識者英雄の内心にはヤソ教の信ずるに足らざるを知るといえども、外形には衆望を引き世間に媚んと欲して信教の状を示すにより、一はヤソ教者理論をもって到底理学と争うべからざるを知り、種々の方便を尽くしてこれを調和せんことを努め、かつ自教を会訳して物理の原則に応合せしめんとするによる。その他種々の事情のあるありて、ヤソ教の今日なお西洋諸邦にその勢いを極むるなり。しかれども今日今時の学者は、みなひそかにヤソ教の考うるに足らざるを知り、これを排斥して更に理学の原理に基づきて、一種の新教を組み立てせんと欲し、道徳に宗教にみな理学哲学に考えて、早くその新礎を起こさんことを務む。これをもって近時の学者は、たとえその書中天帝の語を用いきたるも、その義は神妙不思議または真正の真理、あるいは不可知的の体に仮に名付けたるものにして、ヤソ教のいわゆる造物主を義とするにあらず。しかるにヤソ教者は、近時の学者の天帝の語を用いるを見て大いに喜び、甲も天帝を信じ、乙も天帝を信ず等と引証すは、あたかも同名の異人の栄名あるを聞きて自ら喜ぶがごとし、ああ、また笑うべし。余輩仰ぎて欧州の勢いをみるに、学者社会の天帝を解釈する、仏教の真如に異なることなし。またその理学の原理に基づきて、一種の新教を起こさんとする者これを帰するに、また仏教の原理に異なるところなし。これによりてこれを推すに、ヤソ教一歩を進むれば仏教に入るべし。けだしヤソ教に代わりて、後来学界の宗教となるべきものは、それひとり仏教にあらんか。ただうらむらくは、欧米学者の仏教の性質を知らざることを、その学者中全く仏教を知るものなきに非ざれども、その教理の書中にのこりて欧州に伝わるもの、仏小乗の法のみ。故に学者これを一見して、直ちに浅近の教となす。余、仏教のために深くこれを悲しむ。しかして大乗法は、その本国たるインドにすでに地を払い、シナまたその書に乏しく、ひとり日本にその法の伝わるをみるのみ。これをもってヤソ教者中、大乗非仏説を論ずるものありといえども、そのインド、シナに廃滅したるは、時勢の変換に従うて人情風俗と共に盛衰興亡ありしによる。昔時文物の両国にさかんなるに当たりては、大乗の深理世間に行われしといえども、人文衰微の今日に至りては、その深理は愚民のよく了すべきに非ざるをもって、小乗説の浅近なるひとり世間に存するなり。これいわゆる適種生存の理にして、時機の勢いおのずからここに至るなり。これによりてこれをみれば、仏大乗の深理は、その書その宗、共に今日日本に伝わりて存するのみ、他にあることなし。故に仏教は、昔日にありては外国の教にして自国の本教にあらずというて、これを排するものありたれども、今日に至りてはすでに千有余年わが国に伝来し、その人心に感染する、また一日に非ず。かつ他邦にその極理のすでに跡を絶して、ひとり日本にその全教をみるをもって、これを日本自国の本教というも不可なることなし。これを例うるに、ここに一種の産物あり、その元種初め他邦より求むるも、すでに数千年間わが国に伝わり、累世これを培養繁殖して良種を得るに至り、しかして本国にはすでにその種類を絶するに至らば、これをわが国の産物として他国に輸出するも、もとより当然のことなるがごとし。果たしてしからば、仏教はわが国の良産なり名物なり。今後ますますこれを内国に培養繁殖して、その教を外国に輸出するは、今日の急務なりというべし。しかしてこれを培殖するの務めは、主としてだれの上に属するや。余、断固としていわん、これわが国今日の学者の義務なりと。わが従来の農業を興してその得るところのもの、これを外国に輸出するは農家の義務なり。自国の製品を盛んにして、これを外国に供給するは工家の義務なり。商売を興し貿易を盛んにするは商家の義務なり。しかしてわが国従来伝わるところの諸学諸教を改良して、これを遠く外人に勧め外国に弘むるは、これ余輩のごとき学事を専任とする者の、国家に対して尽くさざるを得ざる義務なり。方今愛国に志あるもの、みな自国の産物の少なくして、輸入品の多きを憂うといえども、世界希有なる仏教のごとき名産の自国にあるを知りて、その法を国内に拡張して外国に輸出するのいかんを思わざるは、余がはなはだ惑うところなり。もしこの教、今日日本に改良して他日外国に伝わるにおいては、あにただわが国の光栄のみならず。日本人の思想の外国に浸入するありて、自国の独立富強に益あるや、瞭然疑うべからざるなり。

 そもそも宗教は人の思想と関接するをもって、一国の改宗転教は大いにその国の独立のいかんに影響あるは明らかにして、自国の文化の盛衰に関すること少なしとせず。わが国従来の宗教を外国に伝播するときは、日本人の精神自らそのうちに含むありて、これをその国人に伝染するに至り、外国の宗教日本に入るときは、またおのずから外国の精神を日本人の思想中に注入するに至る。これみな自然の勢いとどむべからざるものにして、古来の史上につきて、往々その例を見るところなり。昔日のごとき各国封鎖のときに際しては、あえて牖と綢繆の慮を要せずといえども、今日のごとき各国競争、優勝劣敗の盛んなるにあたりては、国民たるもの深くこの点に憂慮躊躇せざるべからざるなり。日用給需の物品は、外形の関係にとどまるをもってこれを他国より入るるも、あえて遠く利害を考うるを要せずといえども、宗教奉信の一事に至りては、人の精神思想に関するものなるをもって、深く後来の影響を思わざるべからず。かつ弱国の宗教の強国に入るは、あえて恐るるに足らずといえども、強国の宗教の弱国に入るときは、深く恐れ固く戒めざるべからず。この点はわが国民たるもの、軽々に看過すべからざるものにして、学者の未だこれを憂慮せざるは、余が解することあたわざるところなり。人あるいはいわん、ヤソ教は外国の宗教なるも、これをわが国に伝うるに、外人を用いずして日本人を用い、これを教うるに日本の精神をもってするときは、国家の独立、人民の思想に影響を及ぼすことなかるべしと。かくのごときは、ただヤソ教の外形を変ずるにとどまりて、その精神を変ずるの力なし。その精神はヤソ教自体の性質に浸染し、字々句々、言語意義の間に付着して、到底一朝一夕に洗除すべからず。これを例うるに、数十年来田夫野人の間に長じて、耕耘力作をこととしたるもの、一朝抜身して縉紳の間に位するに至り、その衣食を変じ、その動作を改め、その身体を装飾するも、到底野人の臭味を脱せざるがごとし。いやしくも愛国に志あるもの、深く注意せざるべけんや。ヤソ教のごときはすでに強国の宗教にして、ことにその国の政体と密接なる関係を有するをもって、最も戒めざるべからず。当時わが国の数、文字を改良して学問の捷径を開くは学者の急務なりといえども、従来の宗教を改良して後来の方向を定むるは、その急務ローマ字会を設くるより、かえってはなはだしきを知る。学者、あに傍観座視するの理あらんや。それヤソ教はおよそ二千年近く欧州に伝わるをもって、よくその人情風俗に適し、大いにその政教に益ありとするも、これを日本に用いて必ずしも益ありというを得ず。草木培養するに、その地の気候水土に従ってその方法を変ぜざるを得ざるは、みな人の知るところにして、その気候異なりその水土同じからざるに、同一の方法を用うるときはかえって草木の繁殖に害をきたすや、必然の理なり。仏教はこれに反し千有余年日本に伝わり、その人情風俗に適するはもちろんにして、日本の風俗を維持し日本の政教を拡張するに、その性質自らこれに適するあり。しかしてその教、今日にありて有害無益に属するがごときは、けだしその僧侶たるもの千余年の積弊を守り、これを今日の時勢に考えて改良を施さざるによる。いったんこれを改良するに至らば、その得益ほとんど計るべからざるなり。そもそも東洋の文明は東洋固有の性質ありて存し、古来西洋と相対して今日に至るもこれ一種の性質あるにより、後来に向かってこの文明をして永く西洋に抗敵せしめ、あるいはその上に奔走せしめんとするも、またこの性質を保持するより外なし。しかしてその性質の元素たるものみな仏教中にありて存し、仏教を離れて他にその元素を求むべからず。すなわち東洋の文明は全く仏教中に胚胎し、仏教中に潜伏すというも、あえて不可なることなし。試みに見よ、仏教すでにインド、シナに衰滅せしをもって、その国文明の精神を失い、人情風俗したがって衰頽をきたしたりといえども、日本にありては仏教なお存するをもって、その国固有の精神を失わざるなり。もしいったんこれを変じて全く西洋の元素を入るるときは、東洋文明の性質を失い、人民固有の精神をそこない、日本たちまち変じて西洋とならんのみ。果たしてかくのごときに至らば、日本固有の性質を維持して、永く西洋に抗敵することあたわざるはもちろんにして、到底わが思想をしてその奴隷とならしむるより外なかるべし。仰ぎて現今の情況をみるに、従来わが国に存する事物に学問に、その過半はすでに西洋に化し、人情に風俗にその大概はすでに固有の性質を失えりといえども、ひとり仏教のその間に依然たるありて、なお日本の精神を保ち、東洋の思想を持ちて、西洋に対立せしむるなり。わが従来伝うるところの百般の事物学問、みな西洋に競争するの力なしといえども、そのよくかれに競争し、よくかれに超越するもの、ひとり仏教あるのみ。この唯一無二の国産を廃して、また外国の産物を用うるに至らば、わが国いずれのところにか思想の独立を営まんや。人もし東洋固有の性質を廃し、日本従来の思想を滅するをもって、我人社会に対するの目的なりといわば、すなわちやまん。いやしくも東洋を愛し、自国を思うの志あらば、一日も早く仏教を改良して、その組織を完全にせざるべけんや。これ学者のひとり日本に尽くすの義務のみならず、東洋一般に尽くすの義務なり。東洋一般に尽くすの義務のみならず、東西両洋、古今将来に尽くすの義務なり。学者、あに軽々に看過すべけんや。

 そもそも西洋学者の日夜汲々として講究するもの、果たしてなんのためなるや。ただ真理を捜索せんとするにあるなり。その真理、今日未だいずれのところにあるかを定むべからざるをもって、なんぞ知らん、真正の真理は仏教中にありて存するを。しかるに今これを捨ててその真理を考えざるときは、後来真正の真理を発見するの日なきも計り難し。およそ東西両洋の学者、今日務むるところは、従来伝わるところの真理を維持拡張して、これを世間に明らかにし、これを将来にのこして、その真偽の判断は後世の学者に待つところあらんとするなり。今、仏教はたとえ真正純全の真理にあらずとするも、真理のいくぶんを含有するや疑いなし。百中一数を欠くも、百の全数とみることあたわざるがごとく、この一部分を欠くも、後来純全の真理を構成することあたわざるに至らん。たとえまた仏教を欠きてこれを構成することを得るとなすも、早くこれを構成するの期に達するは、真理の一部分を占有する仏教を待つにしかざるなり。これ余が仏教を今日に維持拡張するは、東西学者の真理に尽くす義務なりというところなり。しかしてこれを維持するは、日本を離れて他に求むべからず。もし今日これを日本に維持せざれば、その法、日本人の思想と共に衰滅して、到底その真理を学問世界に存することあたわざるべし、あに遺憾ならずや。日本の学者実に慨然たらざるを得ざるなり。これによりてこれをみれば、仏教は道理上ヤソ教に卓絶するのみならず、これを実験に考うるに総じては東洋人、別しては日本人たるもの、その国民のためにこれを維持拡張せざるべからざるなり。世人一般におもえらく、仏教は道理上間然するところなしといえども、その理高尚に過ぎて、かえって実際に適せざるところあり。故にこれを修むるもの、みな世間を捨て出世間に教うるの弊あり。これをもって、その法は一国の独立、人民の団合、社会の競争に用うるに不便なりと。これ仏教の外形を知りて、その真味を知らざるの論なり。今その理を了せんと欲せば、空、仮、中の三諦の理を知らざるべからず。この三諦の理は思想発達自然の順序にして、人に法を説き理を知らしむるには、この順序によらざるべからず。すなわち世人は万物つねに有りと信ずるをもって、その迷をとくに一切皆空の理をもってす、これを空という。つぎに人の空理に偏するを恐れてこれを医するに、空理中自ら万物万法を具備するゆえんをもってす、これを仮という。つぎにこの両端の偏見を去らんと欲して、真正の真理は偏空にあらず、偏仮にあらず、空と仮と相合して不一不二なるゆえんを説く、これを中という。すなわち非有非空の中道、または亦有亦空の中道という。この理を推して、社会一般の政教人事に応用することを得る。例えばここに一人あり、その人体力の発達のみを務めて、更に意を知力の発達に用いざるときは、これにおしうるに学問の道をもってすべし。すでにしてその人の学問一道に偏して体質の健全を欠くときは、これを勧むるに体育の道をもってすべし。しかしてその人すでに学問の道を知り、体育の道を知るときは、これに戒むるに両道の偏廃すべからざるゆえんをもってす。知力体力両ながら全うして、始めて完全の人となるべし。これをその中を得たる者とす、いわゆる中道なり。政道治法またこれに準じて知るべし。しかりしこうして、従来の仏教空理に偏したるは、仏教実にしかるに非ず。これ時勢のしからしむるところなり。そのシナに入るに当たりては、世間の政道治法のみと論ずる儒教のあるありて、その勢いをたくましうせしをもって、仏教中その出世間に関する部分のみ世に弘まるに至り、これを講ずる者もその世間に属する部分はしばらく儒教に譲り、その教中の初門なる空理をもって、本とするに至る。ついでその教の日本に入るに当たり、儒教またすでに日本に入るをもって、世間法は儒教これを任じ、出世間法は仏教これを任じ、両教おのおのその道を異にするの風ありたれども、そののち儒教ようやく振るわずして、仏教ひとりさかんなるに及び、仏教中従来講ぜざる世間法を講ぜざるを得ざるに至る。ここにおいて、その教の世間に属する部分始めて世にあらわる。これ当時浄土門の開宗ありしゆえんなり。浄土真宗ひとたび開くるに及び、真諦俗諦の二門を設けて仏法王法の二途を分かち、一を欠きて全を全うすべからざるゆえんを説く。その理すなわち空仮中三諦の円融相即の理より転化したるものなり。他語をもってこれをいえば、世間の道を全うせざれば出世間の道を立つるあたわず。二者相対峙して偏廃すべからざるなり。仏教中の中道の妙理、このとき始めて実際の応用を得るに至る。その実際の応用に至りては、余信ず、ヤソ新教に一歩も譲らざるを。故に新教を伝えて十分の益を生ずるときは、真宗を弘めてまた十分の益なからざるべからざるの理あり。しかるに、今日真宗の実益あるヤソ教に及ばざるをみるは、これ真宗教理の欠点に非ずして、今日の僧侶の罪なり。開宗の初期にありては、卓識の僧侶世に乏しからざるをもって、その教また実際に活用することを得たりといえども、晩年に及ぶに従い僧侶の学識大いに減じ、いたずらに旧習を守り、虚形を護し、更にその精神のあるところを知らず。これをもって今日の衰頽をきたすに至る。故に今日の急務その改良を計りて実益を起こすにあり。これ余輩のごとき学事に奔走するものの任に非ずして、だれかよくこれを任ぜんや。もし今日の学者よくこれを任じて早くその改良を計り、これを実際に試みるに至らば、その世益を与うる、ヤソ教の上に数等を加うるは余輩の信じて疑わざるところなり。ヤソ教はさきにすでに証するごとく、学理上の宗教にあらざるをもって、愚民を導くに便なるも学者を諭すに不便なり。仏教は学教上より起こりて実際にわたるをもって賢愚上下の別なく、ことごとくその法門中の人となすことを得べし。西洋有名の諸大家中にも、往々ヤソ教を信ずるものありといえども、学者の想像するところの天帝と、ヤソ教一般に立つるところの天帝とは、名同じうして実大いに異なるところなり。そのいわゆる学者の天帝は、ヤソ教者の一般に用うる大工神に非ずして、純然たる絶対の理体、不可思議の妙体なり。これいわゆる仏教の真如法性にして、かの大工神とは全くその性質を異にす。故に学者のヤソ教を奉ずるは、その実ヤソ教を奉ずるに非ずして、かえって仏教を奉ずるものというべし。かの地にはヤソ教のみありて仏教なきをもって、学者はその自ら想するところの不可思議の妙体に真如実相の名を与えずして、大工神の名をもってす。仏大乗の法、他日ひとたびかの地に渡らば、理学哲学を講ずるものさきを争うてこれに帰し、直ちに学者社会の教法となるべきは必然なり。かの学者中すでにヤソ教の妄談を厭苦し、理学上新教を起こさんと欲して未だ成らざるもの、この仏教の深理を聞かば、その喜び果たしていかんぞや。ただうらむらくは、仏教の深理かの地に伝わらずして、学者のこれを知らざることを。欧人中、今日日本にきたりて、仏教の一斑を知るものあるも、これを知るものみな数十年来ヤソ教を妄信したるものにして、ヤソ教の迷眼をもって仏教を見るをもって、到底その真理を了達することあたわざるなり。また今日、仏教の一斑を筆して欧州に伝うるもの、みなこれらの人の手に成るをもって、到底かの地の学者をして真正の仏理と知らしむることあたわざるなり。日本の学者いささかここに感ずるところなくんばあるべからず。

 そもそも仏教の深遠広大なる、遠く源を理学哲学の原理に発し、流れて賢愚利鈍の諸機に及ぼし、分かれて八万四千の法門となり、貴賎にもあれ貧富にもあれ、知者学者にもあれ無知無学にもあれ、おのおのその分に従ってこれを信ずるはみな相応の益を得べし。かくのごとく法門多岐に分かるるも、もと一仏の所説なれば、またこれを一統することを得べし。一大仏教の教略に八万四千の法門を摂し、八万四千の諸機をしてみなその界中に入らしむ。病症一ならざれば、治方また一ならざるが如く、機根一ならざれば法門また多岐ならざるべからず。たとえ一方を用いて万病を医せんとするも、ただに医し難きのみならず、到底医すべからざるものありて起こるは必然なり。もしそれ、これに反し、諸病おのおのその性質相応の医方を施せば、その癒うるもとより容易にして、かつ医することあたわざるものまれなり。これまた仏教のヤソ教に超過する一点なり。これを要するに、ヤソ教は仏教中の一小部分にとどまりて、八万四千の法門の一、二に属するもののごとし。故にいかなる解釈をこれに与うるも、けだし仏教の範囲を脱することあたわざるなり。天帝に理学哲学の解釈を与うれば、その体また天帝にあらずして、仏教のいわゆる真如実相なり。当時、西洋諸大家の立つるところの天帝を見て知るべし。これによりてこれをみれば、ヤソ教は仏教中の一小部分にして、その最下等の一隅を占有するに過ぎず。これを解釈して理学の原理に照会すれば、仏教界中上等の地位を占有するに至らん、仏教の広大なる推して知るべし。果たしてしからば、今日の仏教を改良してヤソ教を排斥するに、いかなる方法を用うべきやというに、余がいわゆる改良とは、今日の僧侶の風習を改良するにとどまるにあらず、日本人の仏教に対する感覚を改良するを必要なりとす。第一に、日本人をして仏教は理論上ヤソ教に超絶するゆえんを知らしめ、第二に、実際上傾益あるゆえんを知らしめ、第三に、仏教はその初めインドに起こるも、今日にありては日本の教法なるゆえんを知らしめ、第四に、これを日本に保護するに非ざれば、その教世界中に滅すべきゆえんを知らしめ、第五に、この教をして廃滅に帰せしむるは、真理を愛求する学者の目的に違い、かつ将来真正の真理を構成すべき一大元素を失う理を知らしめ、第六に、方今欧州の学者、ヤソ教の理論は論理哲学の思想を満足するに足らざるをもって、学理上宗教の原理を立てんことを務む、この機に際して仏教の真理を日本に研究して遠く欧州に伝うるに至らば、学者必ずこれにくみして将来の宗教を立つるに至るべきゆえんを知らしめ、第七に、仏教は今日にありては日本固有の宗教なるをもってこれを欧州に入るるに至らば、すなわち日本の産物を欧州に伝うるものにして、わが国の思想を欧州に入るるなり、かくしくして余輩は、欧州の思想のわが国に入りて、わが人民独立固有の精神を失うに至るの防御をなさざるべからざるゆえんを知らしめ、第八に、仏教は数百年来改良を加えず、ただ虚形を守り積弊を伝うるをもって、これを今日の時勢に応じて改良を施すの急務なるゆえんを知らしめ、第九に、以上述ぶるところの理についてこれを考うるは、仏教はひとり僧侶の仏教に非ずして、日本国の仏教、日本人民の仏教なることを知らしめ、これを改良するはひとり僧侶の責任に非ずして、日本の学事教育に奔走するもの、ことごとくその改良に意を用うべきゆえんを知らしめざるべからざるなり。余がみるところによるに、今日の僧侶は過半、無学無知にして時勢を知らず生計に苦しみ、到底自ら仏教を改良するの目的立たざるは必然なり。もしその改良をかくのごとき僧侶に委するに至らば、仏教は僧侶と共に廃亡に帰するは、また勢いの免るべからざるところなり。これ余が感慨に堪えざるところにして、方今の学者と共に力を尽くしてこの教を日本に維持し、その真理を将来に伝え、後の真理を求むるもののためにその針路を学界にひらかんことを祈念し、あわせて東洋固有の文明、日本従来の思想を保護拡張して、将来わが国をして永く西洋に対立抗敵せしめんことを、切望してやまざるなり。かく余が喋々するもの、すこしも私情自利のために期するところありていうにあらず。ただ余が日夜国を思い、真理を愛するの情あふれてここに至るなり。請う、この論を読むもの、幸いに余が微意のあるところを知るべし。余もまた信ず、世間余輩とその感を同じうするものあらんを。ただこいねがわくは、早く同感の士を得て、共にはかるところあらんことを。退いて考うるに、当時日本の青年才子にして将来望みを属すべきもの、往々すでにヤソ教に入り、かの教のために一身を犠牲にせんとするものあるを聞けり。余これを聞くや、感一感して長息の余り覚えず潜然たり。およそ少年輩にして未だ実験に富まず、未だ思想の定まらざるもの、ひとたびヤソ教に入り再三これを重ぬれば、慣習の力ついにその門に迷い、到底活眼をもってその外に立つことあたわざるに至るは自然の勢いなりといえども、ただ余がかくのごとき才子に対して熱望するところは、その未だヤソ教に入らざるとき、回想して深く再考熟思あらんことを。余案ずるに、かくのごとき才子にして、一朝志を変じてヤソ教に入るもの、みな一時の情に制せらるるにより、深く考うるところありてしかるに非ざるなり。今その事情の一、二を挙ぐるに、第一に、仏教のなんたるを知らざるにより、第二に、世間にあらわるるところの虚形を見て仏教の真義と思うにより、第三に、従来の僧侶の威権を厭悪したるにより、第四に、今日に僧侶の暗悪と共に歯するを恥ずるにより、第五に、旧を去りて新奇を好むの情あるにより、第六に、洋学を学習するの際自らかの宗教の思想を得、加うるに教師の勧請してその門に誘引したるにより、第七に、かの宗教者の篤学深切に感服したるにより、第八に、自ら未だ理学哲学のごとき高尚の理を講究せざるをもって、ヤソ教の説の学理に合せざるを知らざるにより、第九に、糊口利用のためにするところありしによる。これらの事情によりて、青年の才子誤りてヤソ教の門に入るに至るや必然なり。果たしてしからば、余輩は諸氏の前時を回想して、改心悔悟あらんことを切望してやむあたわざるなり。諸氏すでに方向を誤まるといえども道に迷う。なお未だ遠からず、よろしく前非を悔悟して早く本心に復すべし。おもうに、諸氏等のヤソ教を日本に弘むるは、その目的日本の国益を起こすにあるはもちろんなれども、その実益を起こさずして、かえって害をきたすに過ぎず。たとえ益ありと許すも、これをわが国に宣布するは仏教を改良して益を得るの速やかにして、かつ大なるにしかず。仏教は今日わが国に衰えたりといえども、なお千余年の久しき人心に感染するをもって・これを変じてヤソ教国となすははなはだ難くして・これを改良して仏教国となすは、はなはだやすしとするところなり。当時わが国人、宗教の建国安民に欠くべからざるを知り、一定の宗教を設けんことを欲して、未だ仏教を改良して国教となすの策を講ぜざるは、余輩の解することあたわざるところなり。しかして世間中あるいは万国みなヤソ教を奉じて・わが国ひとり仏教を奉ぜば・各国交際上に不便を生ぜんことを憂うる者あれども、仏教は今よりこれを日本に改良して、不日これを欧州に伝うるに至らば、かの国の学者の説を一変すべきは余輩の信ずるところなり。学者ひとたびその説を変ぜば、ヤソ教大いにその勢いを失うに至るもまた必然なり。当時すでに西洋上流社会はヤソ教の勢力を減ぜんことを欲し、学者社会はその妄説を排して、新教を開かんことを思うの際なれば、この機に乗じて仏教の新説その地に入らば、いかなる影響をヤソ教の上に生ずるやは卜見して知るべし。あえて交際上の不便を憂うるを要せんや。かつそれ、余が仏教を改良して日本に拡張すというは、国法をもってヤソ教を禁止せよというの意にあらざるはもちろんにして、ただわが国の学者をしてその真理を研究し、その実用を試験して、広くその法を世界に明示せしめんとするにあるのみ。かくしてその深理、ひとたび世間にあらわるるに至らば、将来必ずその教の世界に弘まり、東洋の文明再び起こり、日本の精神したがって発揮するの時あるべし。これ余が仏教改良をもって学者の急務となすゆえんなり。上来の論を帰結するに、仏教はこれを学理に考えて信ずべきあり、これを実用に試みて利すべきあり、これを他教に比して卓絶するところあり、これを将来に計りてまた大いに期するところなり。加うるに東洋固有の性質、日本従来の精神、みなそのうちに包容するあるをもって、これを今日に改良拡張するは、わが国学者の一は国家に対し、一は真理に対して尽くさざるを得ざる義務なり。もしこれに反して、その教をして僧侶と共に廃滅に帰せしむに至らば・その遺憾果たしていかんぞや・実に国家将来のために愛惜すべきことならずや。

 上来段を重ね節を連ねて論ずるところは、ただ理論上ヤソ教を排するのいかんにあり。理論上これを排するは、唯心因果の関係を明らかにするにあり。けだし天帝の有無は全く心界の幻象に帰し、その有無を論究するは因果の理法に基づく。これをもってヤソ教に立つるところの原理は、仏教の原理中より派生分流するに過ぎず。故に知る、ヤソ教は仏教中の一部分にして、なにほど完全なる解釈をこれに与うるも、到底仏教の範囲を脱することあたわざるなり。しかしてその原理の結果に至りてこれをみれば、全く仏教に反するもののごとしといえども、これを討究してその極点に達すれば、ただ一心因果の一理あるのみ。また更に天帝現存の影象だも見ざるなり。すなわち天帝はただ心界の一変象にして、あたかも真如、月下に一点の雲影を浮かぶるがごとし。その雲影の模糊たるを見て真如の真影を知らざる者、これを愚と呼ばずして、またなにとか呼ばん。人だれかよく心を離れて、天帝の存するを想するや。人いずれかよく因果の関係を離れて、天帝の存するゆえんを証するや。人よく天帝を空するも、心を空するあたわず、人よく天帝の創造説を排斥するも、因果の関係を滅無するあたわず。天帝説と唯心説といずれが最も信ずべく、いずれが最も疑うべきかは、更に重ねて喋々するを要せず。またその説のよく学理に合し、論則に反せざるゆえんも、すでにすでに明らかなりと信ず。これらの理は前段反覆論明したるをもって、三尺の童子もひとたびこれを読めば、たちまちその意を領得すべきなり。しかりしこうして、この唯心論は仏教のいわゆる唯識にして、その説全く頼耶縁起に属す。頼耶縁起は仏教中大乗の初門にして、未だその極妙の奥義に非ずといえども、なおよくヤソ教の原理を破し尽くしてまた余蘊なきなり。もし大乗の極門に位する華厳、天台の真如縁起よりこれをみれば、唯識の所説なお浅近を覚え、ヤソ教のごときは遠く比較の及ぶところに非ず。故に創造説を排するに真如説をもってするは、アリを割くに象力を用うるの嘆なきあたわず。これ予がヤソ教の原理を排するに、主として唯識の原理を用うべしゆえんなり。再び顧みて前段の論次をみるに、初めに十二題の論点を設けて、いちいちこれを討究し、ついに唯心因果の一理を挙げて創造説を排するに至りしは、前後の論点不同あるに似たれども、唯心因果の理は前十二題を帰して、一理に短縮したるものに外ならず。故にその理もとよりすでに十二題中に散布して存せり。かつそれ予がヤソ教を駁する、終始議論を天帝創造の一点にとどめて他に及ぼさざるは、両教の原理の上に雌雄を判ぜんことを欲すればなり。すべて諸教の雌雄を判ずるに、枝末の小点に至りては、自他おのおの一得一失ありて、その間に可否を決するにはなはだ難しとす。故に予は枝末の小点を捨てて、ひとりヤソ、釈迦両教の根本となり、柱石となり、精神となるべき原理について、その真偽を論判せしなり。根本すでに学理に合格せざるについては、枝葉の正理にあらざる別を論ずるを要せず。これ理論をもって教学の真偽を考定するの方法にして、予輩またこの方法によるものなり。すなわち天帝創造はヤソ教の根本説なり。唯心因果は仏教の原理なり。この点に帰納して両教の雌雄を較するに、ヤソ教は遠く仏教に及ばざること一見瞭然たり。これ予が理論上ヤソ教を排せしゆえんなり。しかしてその終わりに臨みて、仏教を維持するは日本人の国家に尽くすの義務にして、学者の真理に尽くすの責任なることを論じたるは、本題の外にわたるに似たれども、これ理論上ヤソ教を排して得るところの結果にして、一は日本人の仏教に対する感覚誤りあるゆえんを示し、一は予輩が喋々仏教を首唱する者、あえて一己一人を利せんとするの私情に出でたるにあらざるゆえんを証し、あわせて一般宗教家の惑いを解かんとするのみ。(「ヤソ教を排するは理論にあるか」の一題畢)