円了茶話

天地山河是我居何須窓下惜三余欲窮活学開真智二十年来不読書日志 甫水道人国国

(天地山河はわがすまいである。 どうして窓下に年の余りの冬や夜、雨の日の余暇にのみ勉学することを大切にすることがあろうか。 活きた学問を見極め、 真正の智を開かんとねがって、  二十年来活学活書以外の書を読まずにきたのである。志を言う 甫水道人国阻)

 



余は近来、 毎年改暦の際に、 心頭に浮かび記憶に存することども、 順序を立てず分類を設けず、 遠慮なく腹蔵なく、 思うがまま筆に任せて書きつづり集めて小冊子となし、 恭賀新年の名刺、 葉書の代わりに、 門生、 知人に贈呈するを例とす。 昨年は新年三日の間風邪にて引きこもり、 病間、  人をして口に述ぶるところを筆記せしめ、題するに「円了随筆』の名をもってせり。

本年は新年七日間、 湘南地方を歴遊し、 旅中自ら筆を執りて種々雑多の小話を編し、 題して「円了茶話」という。  すなわち本書なり。  これ、 余が半生の小歴史、  一年の小伝記なれば、  これを知友にわかちて、 余の平々凡々を知らしむる微意にほかならず。  ゆえに、  これをひもとくものは、 余が精神界の写真と心得べし。 写真には醜なるあり美なるあり。 その醜のまま、 その美のまま写し得たるもの、  これ写真なり。 本書のごときは余の醜のままを写したるものなれば、 識者はこれを見て笑うべく、 評者はこれを読みて侮るべし。  されど、 笑わるるも侮らるるも、 その責の帰するところ余にあれば、 死後冥土に入りてかかる褒貶を聞かんよりも、 存命中これを知るは、余が一層愉快とするところなり。 よって、 自らその醜をいとわずこれを世に公にし、  ひとり同窓の学生に贈るのみならず、 広く世間の有志にわかつこととなす。 恭賀新年、 恭賀新年。

明治三十五年一月 しるす

 



円了茶話


第一話    一年有半

〔中江〕兆民居士、 不治症にかかり、 医師の診断によれば、 余命わずかに一年半なりという。 居士、 ここにおいてにわかに筆を執り、 病苦を忍びて、 平常自ら思うところ信ずるところをつづり、 辞世や遺言の代わりにこれを世に公にし、  題して「一年有半」という。 余これを聞き、 居士が死に瀕してなお余勇あるを壮なりとすると同時に、 医師の診断を待ちて、 はじめて死期の近きにあるを知りたるの愚を笑わんとす。 けだし、 人のこの世にあるや、 生死無常、 老少不定、 朝ありて夕なく、 今日ありて来日なし。 諺に「来年のことを語れば鬼に笑わるる」という。  ゆえに、 人は病気の有無に関せず、 医師の診断を待たず、 毎日死期の近きにあるの覚悟なかるべからず。これをもって、 余は毎年、 余命一年半の心地にて、 その思うところその信ずるところを筆録し、 もって知友、 同志にわかつ。  すなわち年々発行する拙著はみな、 余が辞世なり遺言なり、 絶筆なり、「一年有半」なりと必得 ベし。


第二話    余が嗜好

余は貧家に生まれ、 幼より粗食の習慣あり。  ゆえにその嗜好するところ、 極めて安価のもののみ。  その第一は豆腐、 第二は数の子、 第三は甘酒なり。 これに次ぐものをアゲモノとす。  甘酒にいたりては、 一時に五杯ないし八杯を傾くの勇あり。 寒夜、 事を執り書を検して深更に達すれば、 腹虫まさに飢渇を訴えんとす。 ときに甘酒を命じてこれを傾く。 実に一杯千金の価あり。 他日、 余の死したる後には、 忌日に必ず甘酒会を開かんこと、 今より望むところなり。


第三話 四千万遍

余、  かつてこれを聞く。 故山岡鉄舟居士は存命中、 生涯の志願として、 日本国民に自筆の書跡を一枚ずつ授けんと欲し、 毎週寸暇あれば揮竃に従事せりという。  その割合、  一人につき一枚とすれば、 四千万枚を要するなり。  されば、 居士の祈願は四千万枚の揮篭なりしを知るべし。 余は先年哲学館を興し、 爾来その資金を募集せんと欲し、 自ら大いに祈願を立てて曰く、「日本国民四千万人が、  おのおのこの挙を賛して、  一円ずつ寄付するときは四千万円となり、 十銭ずつ寄付するときは四百万円となり    一銭ずつ寄付するときは四十万円となる割合なり。  されば、  四千万人にいちいち頭をたれて依頼すれば、 決してその目的の成就せざるの理なし。 よって自ら生涯を期して、  四千万遍頭を垂るるの決心をなせり。  これを鉄舟居士に比するに、 居士は筆を用い余は頭を用う。その異なるところは、 ただ筆と頭との相違のみ。  四千万遍の点は一なり。」


第四話    小積みて大となる

ある叢談中に、  シナ楊州の人は一日に三十丈の木頭をくらうことを記せり。 楊州は一大都会にして、  人家三十万戸あり。 毎日十家にて味噌をするに、 平均すりこぎ一分を減らすとして算すれば、 三十万戸にて三十丈のすりこぎをくらう割合なりという。 もし、  これを日本全国に推算すれば、 八百丈のすりこぎを食する割合となる。余、 仮に一個の長さ一尺四寸とすれば、  一日に五千七百十四本を食い尽くす割合なり。  これによりてこれをみるに、 日本人は毎年、  一大森林を腹中に葬るといいて可なり。 あに驚かざるを得んや。  すべてなにごとも小積みて大となること、  かくのごとし。  ゆえに人たるものは、  いかに事小なりといえども、 決して軽々に看過すべからず。


第五話    男女の本分

男子は外を治め、  女子は内を治むるは男女の本分なり。 その事由は、 漢字の組織を検して知るべし。  まず

「男」の字は、 田と力との二字を合したるものなり。  その意、 男子は田に出でて力耕すべきものなるを示す。 しかして、 田に出でて力耕するは農夫に限るべきも、  こは古代、 商工等の分業のいまだ分かれざるときの状態にして、 今日にありてはそのいわゆる田とは、 漁夫ならば海上を指し、 商家ならば商店を指し、 職工ならば工場を指すものと解せざるべからず。  すなわち、 男子は一家にありて外事に力を尽くすべきゆえんを示したるものなり。これに反して女子は、 婦人の「婦」の字につきて検するに、  女と 帯 との二字を合したる文字にして、 その意、婦人は朝夕帯をとりて家の内を掃除すべきを示す。  これまた婦人の職務の一斑を例したるものと知るべし。  すなわち、 婦人は家内の掃除をはじめとし、  すべて一家の内部に属する諸事を整理すべきものなるをいう。  かくのごとく文字の上にその意義を示すは、 実に漢字の一得たり。  ゆえに、 漢字は容易に廃すべきものにあらざるなり。

 

第六話 漢字の組織

漢字の組織法につきては大体より見るに、 偏にて種類を表し、  帝 にて字音を出だすを常則とするも、 偏と労との双方より字義を出だす場合すこぶる多し。 今一例を挙ぐるに、 漢字の「寺」の字は、 寺人または寺宦と熟して、 宦人もしくは侍人の義なり。 あるいはまた法度の義あり。  これ、 その文字の「寸」字に属するゆえんなり。古来わが国においては、  これを訓じてマモルまたはハベルという。  ゆえに「寺」の字の付きたる文字は、  みなマモルまたはハベルの義を有す。  すなわち、「侍」は人が貴人の前にハベルを義とす。「待」はタタズミハベリテ人を待つの義なり。「持」はタモツと訓じ、  手をしてハベラしむる意あり。「侍」はタノムと訓じ、 心をしてハベラしむる意あり。「峙」はソ バダツと訓じ、 山のハベル形なり。「特」は牛を神に供える場合に用うる字にして、  すなわち牛を神にハベラしむる義あり。「時」は田中に土を高く盛りて、 神を祭る場合に用い、 田地をして神にハベラしむる義あり。「詩」はその字もと承也持也とありて、 ササゲタモツを義とし、 国君生まれて三日、 士を選びてこれを介抱せしむるをいう。  すなわち子守のことなり。  余案ずるに、  これあるいは子守が歌をうたいつつ介抱するより起こりたるならん。「痔」はその由来を知るに由なしといえども、 あるいは寺人に最も多き病なるによるか。「時」はマモルまたは法度の義にして、 日の長短を計る寸尺を意味するなり。 以上は余が想像に出ずる点多しといえども、 もし説文学者にたずねたらば、 漢文のいちいちにみな、  かくのごとき意義を有するを知るべし。  これ、 実に漢字の特長にして、 不可廃論の一大理由なり。

 

第七話 日本人の特長

 日本人の特長は農業にあらず、 商業にあらず、 工業にあらずして戦争なり。 なかんずく突貫なり。 先年の日清戦争において、 よく百戦百勝の功を奏したるも、 昨年の各国連合軍に加わりて、 特に先登の名誉を博したるも、みな突貫の力なり。  これ、 ただに今日の特長にあらず、 古来より本邦人に固有せるところなり。 余、 かつて藤井瀬斎の「閑際筆記」を読みしに、 その中に本邦人とシナ人との勇悼を比較していえるあり、「もしそれ関を破り旗を奪い、 死地に入りて先登するには、 中華人まことに本朝人に及ばざるべし」と。

 

第八話    滑稽の一種

談話中にみだりに滑稽を交うるものあり。 かかる滑稽癖を有する人は、 たまたままじめの話をなしても、 人みなこれを滑稽視して、 その言を信受せざるに至る。  ゆえに、 人たるものは滑稽を慎まざるべからず。  されど、   だんの茶話に往々滑稽を挟むは、  かえって興味を添うるものなれば、 全く無用にもあらざるべし。 余ははなはだ滑稽のオに乏しきも、  かつて落語家が「向島風を引いたか花(鼻汁)だらけ」というを聞き、「屈原は風を引いたか放(鼻汁)たれて」と口吟したることあり。  これ滑稽の一種ならんか。


第九話    音通の間違い

余、 先年一論を草し、 これを題して「排孟論」といえり。  すなわち「孟子」を排する論の意なり。 しかるに人その題を見て、「孟子」と「論語」とを排するものと解せり。 その後「破唯物論」を著したるに、 音通の間違いより「廃仏論」を著したりとの評判を得、 意外に購読者の注意を引きしことあり。 世間にこれに類したる間違いは往々聞くところなり。


第一    話    漢字の読み方

古来、 仏書の読み方は宗派によりてその伝を異にし、 同一の語句も全く反対の意味に解する場合少なからず。例えば「無一不成仏」の句を、  一乗家にては「一として成仏せざるはなし」と読む。 その意、 人類はもちろん、国土山川に至るまで、  一物として成仏せざるものなしというにあり。 しかるに、 三乗家にては「無の一は成仏せず」と読む。  これ、 無姓有情だけは成仏せず、 そのほかは成仏するの意に解するなり。 また、 日蓮宗の格言に「念仏無間、 禅天魔」の語あり。  その意、 念仏宗のものは無間地獄におち、 禅宗の者は天魔となるの意ならん。

 しかるに念仏宗のものがこれを読むときは、「仏を念じて間なければ天魔を禅む」と解するなり。 また、「輩酒山門」の話はみな人の知るところなるが、 余が某地方において、「精神一到何事不成」(精神を集中して事に当たれ、 いかなる困難なことでも成しとげられないことはない)の一句を日本流義に読み下して、「精神一到すれば何事も成らず」と訓じたる人あるを見たり。 往々漢文にはかかる間違いを生ずる恐れあれば、 わが国の文章は一般に漢文を廃して日本文にしたきものなり。


文字の俗解

ある百姓が「音」という字の書き方を問われて、 その答えに「ザツにかけば七百、  ていねいにかけば六百である」といいたる話あり。  また、 ある人「寅」の新文字を書きて、  ママ子と読ませたるに、 人その故を問えば、

「実〔賓〕の母なきものなればなり」と答えたる話あり。  これに類したる奇談は、 ある人「忠」の字を講じて、「とかく人は口と心との別々になりやすきものにして、 思わぬことを口に説き、 または言語に親切を示しながら、 心中にては不誠実なるがごときやから多々これあり。  ゆえに、  口と心とが別々にならぬように、  その二者の間に釘を打ち付けたるのが「忠」の字なり」といえり。 また「必    の字を講じて、「「心」の字は、 和語にてココロとはコロコロの略にして、  コロコロとは転々の義なり。  すなわち転々として動き、 常に移り変わるをいう。  かく変わりやすき心を、 動かぬように上の方より斜めに釘を打ち付けたるのが「必』の字なり」といえりとぞ。  これみな百姓的釈義なれども、 俗人の耳に入りやすくしてかつ興味あり。


二話    同じ言葉を多く用いたる歌

ある人、 中秋十五夜の月をみて、

 月々に月みぬ月はなけれども、 月みる月はこの月の月

と詠じたりと伝えり。 その中には「月」といえる言葉を八遍繰り返し、 三十一文字のうち十六文字は同じ言葉なれども、 これを読みて重複を覚えざるはすこぶる妙なり。  これに類したる歌は「心学道話」中に出ずるものな為せばなる、 なさねばならぬ、 なるものを、 ならぬといふは、 なさぬなりけり堪忍のなる堪忍は誰れもする、 ならぬ堪忍するが堪忍

また「鮮蛤禅」と題する書中に、分別を分別せねば分別も、 分別ながら分別はなし、そのほか「和国智恵較 と題する俗書の序文に、 右の歌に類したる文句あり。

それ怪しむべきことを怪しまず、 怪しまざるを怪しむは、 怪しみを怪しまざるのあやしみなり。


第一三話    日本を富ます秘伝

一日客あり、 日本の国力の足らざるを憂い、 煉慨することはなはだし。 余曰く、「国を富ますがごとき、 なんの難きかこれあらん。 余は十年を出でずして、 今日に幾倍せる富国となす秘伝あり」と。  客曰く、「あえてその伝を示さんことを請う」と。 余曰く、「日本国民の数、 仮に四千万人ありと定め、 その毎日働く時間を平均四時間と見、 今日よりこれをして毎日六時間ずつ働かしむるに至らば、  一日につき二時間の利益を得る割合なり。  これを四千万人に乗ずれば、  一日につき八千万時間の利益となる。 もし、  一時間の労力を仮に十銭と定めて算するに、 八千万時間の価は八百万円に当たるべし。  これに一年三百六十五日を乗ずれば、 その総計二十九億二千万円となるべし。  これに十年を乗ずれば、 年々の利息を加えざるも、 その総額二百九十二億万円の多きに達すべし。

これによりてこれをみるに、 国を興すもほろぼすも、 その差わずかに毎日一時間余分に働くと、  一時間余分におこたるとの相違より起こるを知るべし。 実に時間の貴重なることかくのごとし。  しかるに、 わが国民は無益に時間を消費することはなはだしく、 かつこれを意とせざる風あり。 しかして、 いたずらに国の富まんことを望むは、 あたかも風呂桶の底に穴をうがちて水のたまらざるを憂うると同一般なり。 だれかその愚を笑わざるものあらんや。


第一四話    倹約の種類

世間にて普通に倹約と称する語は、 金銭を濫費せざる場合のみに用うるも、 余は倹約に四種あることを知る。その一は物質の倹約、 その二は空間の倹約、  その三は時間の倹約、 その四は精神の倹約なり。 物質の倹約とは、金銭、 飲食、 衣具類の倹約にして、 世間普通の倹約をいう。 空間の倹約とは、  土地、 田畑、 家屋、 庭園、 そのほか海上空中に至るまで、 すべて空間に関するものを倹約するをいう。  すなわち、 なにものにても面積容積を減じて、 しかもよく実用に応じ、  かつ多量の収得あるようにするは空間の倹約なり。 例えば、  一階の家を改めて二階造りとし、 戸々の庭菌を廃して共同庭園を設くるがごときは、 空間の倹約に属す。 時間の倹約とは、 無益に光陰を消費せざるをいう。 精神の倹約とは、 無益もしくは有害のことに精神を費やし、 心力を労せざるをいう。  この四種の倹約並び行われて、 はじめて家を富まし、 国を典すことを得るに、 わが国にてはその四種中、一つとして行われおらざるがごとし。 果たしてしからば、 日本人はぜいたくを極めたる国民といわざるべからず。 近来、 漢字節減論盛んに行わるるが、 これ精神倹約の一端なるも、 漢字の倹約よりは、  これに千百倍する倹約あるに心付かざるは、  これまた愚の至りならずや。


第一五話 空間の倹約

日本人の空間の倹約に意を用いざるは、 種々の点において見るべしといえども、 その一例は、 家屋の建築に無用の門または玄関を設け、 無用の床の間を造るを見て知るべし。 門は二本の柱にて足れり。 なんぞ一棟を構うるを要せんや。 床の間は半床、 置き床にて足れり。 なんぞ三尺以上の大床を設くるを要せんや。 これみなぜいた<の設備というべし。  このごろ聞くところによるに、 庭園はぜいたくの一種なれば、  これに庭園税を課すべしと。これ、 空間倹約の本旨に合するものなり。 すでに庭園税を課するならば、 床の間税、 玄関税も同時に課せられんことを望む。 ただ、 日本の家屋の西洋の家屋に比して倹約なるは、 座敷、 寝室、 居間、 食堂等の兼用を得る一事なり。 西洋家屋は寝室には寝台あり、 食堂には食卓ありて、 容易に動かすべからざるに、 わが国の家屋は、 同一の座敷にて夜具蒲団をしけば寝室となり、 膳を列すれば食堂となり、 机を持ちきたれば書斎となり、 座蒲団を取りきたれば客間とも応接の間ともなる。 その軽便自在なること妙を得たり。 また戸、 障子の設けあれば、  二室にても三室にても、  これを開きて一大間となすを得、 また屏風の設けあれば、  一室を画して数室となすを得。  かくのごとき便利は、 西洋家屋の夢想しあたわざるところなり。


第一六話    時間の倹約

わが国民の最も不経済にしてぜいたくなるは、 時間を浪費する一事なり。 例えば芝居につきてこれをみるに、西洋にては開場の時間、 毎夕点灯後より十時もしくは十一時までを限りとす。  ゆえに芝居を見るも、 奄も平日の業務を妨ぐることなし。 しかるにわが国にては、 朝より夜分まで開場するをきまりとす。  ゆえに芝居を見るものま  一日の業務を休まざるべからず。 その上に終日十二時間も芝居を見たるときは、 身心ともに疲労して、 翌日も平日のごとく業務をとることあたわざるに至るべし。  すでに芝居見に一日を費やしたる上に、  さらに芝居疲れに一日も二日も費やすに至りては、  その不経済、 実に驚くべきものなり。  わが国の時間上のぜいたくは、  この一例をもってほかを比量するを得べし。 俗に「紺屋のアサッテ」と称する語あり。  これを商家の通語となして、 あえて怪しむものもなければ、  また改めんとするものもなきは、 実に嘆ずべきの至りなり。 余はときどき商家の店頭に「現金かけねなし」の看板を見るも、 いまだ「時間かけねなし」の看板を見ず。 今後は「時間かけねなし」の看板を掲げられんことを望むなり。


第一七話    囲碁税

わが国の時間のぜいたくなる一例として、 忘るべからざるものは囲碁なり。  けだし東洋西洋の遊技中、 時間を徒費することの最もはなはだしきは、 囲碁の右に出ずるものなかるべし。 余、 先年「囲碁玄談」を著して、 心理学上、 囲碁の功能を述べたるも、 経済上これをみるに、 不経済の極みといわざるべからず。 病院、 温泉場のごとき時間を消費するに苦しむ場合には、 囲碁もその用あるべしといえども、 無病壮健にして、  一定の業務あるもの、  かかるぜいたくの遊技を楽しむは、 時間の倹約を知らざる不心得のものというべし。  ゆえに、 今日より時間の倹約を実行せんと欲せば、 第一着手に囲碁を全廃せざるべからず。 さりながら、 政令をもってこれを禁ずることもでき難ければ、 余は庭園税、 玄関税と同時に、 囲碁税を課するの一案を考出せり。 前者は空間上の倹約にもとり、 後者は時間上の倹約に背き、 ともに無用のぜいた< 品なるに相違なければ、 酒、  タバコ、 絹布と同一に課税を徴収するは、 誠に当然のことなりと信ず。 よっ て、 余はさきに全国中にいくたの碁盤あるかを知らんと欲し    一、  二の村落につきて推算するに、  およそ二十万局あるがごとし。 もし、  一局につき一年に二円五十銭の税を課すれば、 その収入五十万円となるべし。 かくして碁盤に課税すれば、 将棋盤にも相当の税を課し、 紙盤にもいくぶんを課して差し支えなき理なり。  これを余が時間倹約法の新案となす。


第一八話    看板書きの大関

世間一般に守田宝丹翁を呼びて、 看板書きの大関となす。 その故は、 商家の看板は宝丹の筆に出ずるもの最も多きをもってなり。 かく看板の書を多く宝丹に求むるに至りたるは、  一種の御幣的伝説あるによる。  その説とは、 宝丹に看板を請えば、  その商売必ず繁昌すと伝うるものこれなり。 余これを怪しみ、  一日宝丹翁をたずねてその理由を問いたれば、 翁曰く、「これ、 篭も怪しむに足らず。 余は人の来たりて看板の揮篭を請うものあるごとに戒めて曰く、『商売の秘訣は勉強にあるをもっ て、 余が書きたる看板を掲ぐる以上は、 必ずこの秘訣を守るべし    と。 その後、 市中を往返するごとに、 己の書きたる看板あれば、 必ずその店内をうかがって、 果たして勉強するかいなかを探るを常とす。 もし不勉強のものあるを発見すれば、 たちまちその看板を撤去せよとの請求に及ぶ。 しかるときは主人自ら出でて謝して曰く、「今より後は精々勉強して商売繁昌を祈るから、 この看板を撤去することだけは、 なにとぞ御免ありたし」と。 かくのごとく勉強を奨励するをもって、 余の書きし看板を掲げたる家は、 いずれも商売繁昌せざるはなし」と。 余、  これを聞きて大いに感服し、  この一例によりて宝丹の宝丹たるゆえんを知れり。


第一九話    午睡の癖

余は平素午睡の癖あり。  これ越後の習慣にして、 幼時より夏三、  四カ月間は、 毎日必ず一、  二時間の午睡を慣らされたるによる。  ゆえに、 長じて他郷に出でても、 昼食後一、  二時間は睡気を催してやまず。 しかして中年の間は、 もっぱらこの習慣を破らんことを努めたるも、 その後の経験によるに、 白昼わずかに一時間眠りに就けば、 夜中少なくも二時間余分に勉強するを得、 差し引き一時間の利益を得る割合なり。  これを一カ年に乗算すれば、 三百六十五時間の利益なり。 よって、 午睡は時間倹約法の一種なりと心得、 爾来この習慣を廃せざることに定めり。


第二 〇話    妖怪研究の結果

ある人、 余に妖怪研究の結果を、 詩句をもって示されんことを請う。 余、  すなわち筆をとりて左の句を書す。老狐幽霊非二怪物一 清風明月是真怪。

(老狐や幽霊は怪物とはいえない。 清風とか明月これこそ真怪である。)これ、 余が悟道の語なりと知るべし。


第二一話     漁夫の所望

余、  かつて日本を巡遊して紀州〔和歌山県〕の海浜に至る。  一村挙げて漁民なり。  一漁夫、 紙片を携え来たりて曰く、「請う、  この紙に一語を書せよ。 表装して永く一家の宝物となさん」と。 余問うに、 いかなる語を書すべきかをもってす。  漁夫曰く、「別に望むところなし。  ただ、 魚猟のたくさんあるようなる文句をもってせよ」と。余、  その文字を考え出だせず、  一夕工夫を凝らしてようやくこれを得、 翌朝記するに左の語をもってす。

漁願成就、 魚来如山。

(漁願成就、 魚の来ること山のごとくあれ。)

 漁夫大いに喜び、 多謝して去る。  その後、 船問屋の来たりて一語を授けられんことを請う。 余、 また一考して左の二語を書して与う。

満船載如福帰、 神仏護一船運

(船いっぱいに福をのせて帰る。 神仏は船運をまもらん。)

これまた大いに満足の状あり。  退きて考うるに、 漁夫は終年海上波間に生活し、 その眼中国家なく社会なく、ただ漁猟の一事あるのみ。 日夜心頭に祈請するところ、 またただ大漁のみ。 しからば、 漁夫のこのたのみある、誠に天真爛漫のところにして、  すこぶる愛賞すべきを知る。 船問屋の満足もまた一理ありというべし。


第二二話    能登の駕籠渡し

ある人、 余が能州〔石川県〕に遊ぶを聞きて曰く、「能登の名物は駕籠渡しなり。 よろしく行きて一見すべし」と。 余、  ひそかにこれを怪しみ、  これ必ず余を欺くためならんと思えり。 けだし、 飛騨は日本第一の山国なれば、 古来駕籠渡しの険あるを聞くも、 能州は海国にして山国にあらず、 なんぞ駕籠渡しの険あらんや。 出でて能州に至るに、 高山なく幽谷なく、 ただ丘陵あるのみ。 その地を版渉すること数日なるも、 いまだ駕籠渡しあるを見ず。  一日海浜にありて、 隣村に移るに海路を取らんとす。 ときに炎天やくがごときも、 舟に日光を障うるの具なし。 船頭すなわち駕籠をかつぎて来たりて、  これを舟に載せ、 その中に座せしむ。 清風左右より入りて、 日光頭上を照らさず、 実に爽快を覚ゆ。 そのときこれを聞く、 能州の海上にて、 炎天または雨天のとき客を渡すには、 必ず駕籠をもってすと。  余ここにおいて、 はじめて能登の駕籠渡しの虚ならざるを知る。

 

第二三話    日本中の山のなき国

余、 戯れに児童にたずぬるに、「日本中に山のなき国あるを知るか」をもっ てす。 児童答えて曰く、「下総なり」と。 余曰く、「下総には成田山あり、 芝山あり、 流山ありて、 山の数すこぶる多し。 真に山のなき国は甲州一国あるのみ」と。 児童曰く、「甲州には白峰山、 天目山、 身延山等ありて、  日本中最も山の多き国なり」と。

余曰く、「されど、 甲州を呼びて山なし    梨)県というにあらずや。」


第二四話    火災の有無

伊豆の妻良港は、 古来火災の起こりたることなし。  これ、 市街の形、 水字状をなすによるという。  これに反して越中の氷見町〔現・市〕は、 古来火災多きをもってその名高し。 その町名、 最初は火見町と書きしによるという。  その後、 氷見に改めたるも、 なお火災あるはいかん。 愚民の迷信はみな、  かくのごときものなり。


第二五話    迷信の一掃

わが国の迷信はたいていシナ伝来にして、  シナ人の迷信病に感染したるものなり。  そのうち最も勢力あるものは五行の配合なり。 その配合上、 相生を吉とし相剋を凶として吉凶を判ずるを、 五行の占法と名づく。  この五行の天にあるものを干といい、 地にあるものを支という。  すなわち十干十二支これなり。  これを年に配し月に配し、 日に配し時に配し、 人に配し、 もって吉凶を鑑定す。  ゆえに、 わが国の迷信を一掃せんと欲せば、 まず干支を全廃せざるべからず、 干支を廃せんと欲せば、 暦表を改めざるべからず。 暦表に干支を掲ぐる間は迷信やまずとは、 余が公言してはばからざるところなり。

 

第二六話    明治の三代目

わが明治維新の大業は、 実に前代未聞というべし。 したがって、 その成功はいくたの年月を要し、 今より数十年の後にあらざれば大成を期すべからず。 しかるに、 もし誤りて明治初年に成功したりとなすものあらば、 その見ることの浅きを笑わざるべからず。 今、 余はこれを三期に分かち、 第一期は明治以前より明治十年以後に至り、 第二期は明治二十年以後より四十年に至り、 第三期は明治五十年前後の間をいう。  その第一期にありて維新の大業の三分の一を成功したるものは、 天保、 嘉永の間に生まれたる人にして、  これを明治元勲の第一世と称すべし。 第二期にありてその志を継ぎ、  さらに大業の三分の一を成功しつつあるものは、 安政、 文久の間に生まれたる人にして、  これを明治元勲の第二世と称すべし。 第三期にありてその後を受け、 いよいよこれを大成する任を有するものは、 明治年代に生まれたる人にして、 これを元勲第三世と称すべし。  かくのごとく定むるときは、余輩のごときはその第二世に当たり、 今日の青年学生は第三世に当たる。  ここにおいて、 余が深く学生に望むところあり。  すべて家の興廃も国の存亡も、 三代目にその人を得ると得ざるとによる。  すなわち、 徳川家の興りしは、 三代目にその人を得たりしにより、 源氏のほろびたるは、 三代目にその人を得ざりしによるがごときの例少なからず。 しかして三代目は第一世、 第二世の成功に安んじ、 勇進敢為の気象を欠くは、 古来の通患とするところなり。 諺にも「売り家を唐様でかく三代目」と申して、 家をほろぼすものは多く三代目にあり。  ゆえに、 余は明治元勲の三代目に当たる学生が、 売り家を唐様でかくがごとき場合となりては、 第一世、 第二世の功労も全く水泡に帰し、 終天の恨み、 けだしこれよりはなはだしきはなき次第なれば、  おのおの明治の家光公となられんことを望む。

 

第二七話    吾人の一生

吾人の一生は万古再生の望みなく、  一去再来を期すべからざる空前絶後の一生なり、 万劫にも得難き一生なり。 すでにかかる得難き一生たるを知らば、  一寸の光陰も軽んぜず、 孜々汲々として学業を励まざるべからず。

古人は「盛年不ーー重来{   一日難 再 晨  」、(人間の盛んな年齢は二度とこないし、 今日をふたたび同じく迎えることは至難である)ともいい、「白日莫二閑過一 青春不ーー再_来  」(まひるの時をむなしく過ごしてはならない。 青春の時は二度とこないのだから)ともいえり。  また、 世に佐久間象山翁の語なりしとして伝うるところによるに、

日暑 了移  千載無二再来之今一 形神既ー離  万古無二再生之我一 学芸事業登可ーー悠悠弄

(時刻がひとたび移れば千年たってもふたたび今が来ることはない。 肉体と精神が離れてしまえば永久にふたたびわれの生まれることはない。 それゆえに学芸や事業をどうしてのんびりとしておられようか。)

これみな、 われらの訓戒となすに足る。  ことに余輩のごときは、 日本国民に生まれ、 明治の盛代に会するは、これまた万劫にも得難きしあわせというべし。 果たしてしからば、  われらは日夜奮励して、 この幸運をむなしくせざらんことを思わざるべからず。


第二八話    詩句改作

余、  かつて「樹欲>静而風不>停、 子欲>養而親不>待」(樹は静かに立っていようとしても風やまずしてゆり動かされ、 子供は孝養しようとしても親は待ってはくれない)の句を読み、  これを改作して左のごとくなせり。

樹欲不動而風不レ停、 人欲呆不玉老而時不待。

(樹は動くまいとしても風やまずしてゆり動かされ、 人は老いるまいとしても時は待ってはくれない。)

 これ、 少年老いやすきの意を示すなり。 また、 さらに古人の詩を改作して左のごとく変ぜり。

墜地梅花不レ上レ枝、 入海黄河不二再帰一 人生日月如二流電    老来無復少年時

(地におちた梅花はもはや枝にもどれず、 海に入った黄河はふたたびもどれない。 人生の日月はいなずまのごとくすぎ、 年老いてふたたび少年の時はない。)

余、  この詩を書して三十五年元旦の所感となす。 古人、 先輩の詩句に「人生自レ古七十少、 前除ーー幼年  後除レ老、 中間光景不ーー多時  」(人生はいにしえより七十歳まれに、 前の幼年時期を除き、 後の老いの時期を除けば、中間の日月は多いものではない)とあり、 また「妙齢不レ遊レ芸、 壮年徒姪歌、 瓢然為二白髪後悔是誰過」

(うら若いころに技芸につとめなければ、 壮年になってただ姪歌のみとなり、 ふらふらと白髪となってから後悔してもいったいだれをとがめることができよう)とあり、 また「老来得>一忘二十字一 可レ識学在二少年時」(年老いてからは一字を覚えて十字を忘れるありさまで、  学業は少年の時にするべしと識るべきである)とあり。  これらの諸句をあわせ考え、 もって修学の戒めとなすべし。


第二九話    遊惰の害

すべて物は使用すれば長く存し、 使用せざれば早く朽つるものとす。 鍬や鎌は使用して減るより、 使用せずして腐る方が早きものなり。 家屋も畳も人が住めば長く持ち、 住まぬときは早く損ずるものなり。 ゆえに、 古語には「流水之不盃腐以二其逝一故也、 戸枢之不涵嚢以二其運一故也」(流れる水が腐らないのは、 流れるという動きがあるからである。 戸のとぼそ(戸の開閉する軸のこと)のきくい虫にむしばまれないのは、 たえず運用されていからである)とあり。  人の身心またこれにひとしく、 運用労働によりて発育し、 遊惰安逸によりて衰耗するものなり。 健康は労働によりて得られ、 疾病は遊惰によりて招くところなり。  ゆえに、  また古語に「精神不>運則愚、血脈不>則病」(精神が活動しなければすなわち愚かとなり、 血脈がゆきわたっていなければすなわち病む)とあり。 人もしこの理を知らば、 日夜眠息のほかは身心を運転して、 たえず活動せしめざるべからず。


第三    話    運動の心得

学業に従事するものは、 ときどき適度の運動をとるを要す。 余、 先輩諸氏の運動法をたずぬるに、 故福沢〔諭吉〕翁は米つきと歩行とをもって日々の運動となせり。 毎朝早く起き、 食前に米つきをなし、 午後に至れば、     二里の村落へ歩行を試むるを例とせりという。 また加藤〔弘之〕博士は、 毎朝室内および庭前の掃除は必ず自らこれを行い、 決して他人をしてなさしめず、  これを毎日の運動となせりという。  この話は、 余が直接に両先輩より聞くところなり。 米つきといい掃除といい、 実に有益の運動なり。 余翡も先輩の例に倣い、 なるべく有益の運動を選ばんと欲し、 室内に石臼を設け、 勉強の間にこれをひく方法を案出したるも、 いまだ実行するに至らず。 世の運動に志あるもの、 両先輩の例に倣い、 無益の運動よりは有益の運動を行われんことを望む。


第三一話     幽霊の問屋

先年、 西園寺〔公望〕侯爵、 病を養いて逗子にあり。  一日、 余その邸に拝趨せり。 侯爵曰く、「一時の勢い、 まさに幽霊となりて君の厄介にあずからんとするありさまなりしも、 今日は幸いにその恐れを免るるを得たり」と。 余、  その言の奇なるを怪しみ、 後に友人に語りたれば、 友人曰く、「君は妖怪研究に着手して以来、 世間、君を呼びて幽霊の問屋というを知らざるか」と。 余ここにおいて、  一驚を喫したり。 昨年六月二十一日、 東京府庁において星亨氏暗殺のことあり。 翌日、 余ある懇親会に列したれば、  一人ありて余にたずねて曰く、「昨夜、星亨は君の家を訪問せざりしや。」余、 怪しみてそのゆえんを問えば、  すなわち曰く、「君の家は幽霊の問屋なるをもっ てなり」と。 余ここにおいて、 世間、 余を目して幽霊の問屋となすのまことなるを知れり。


第三二話 謎博士

村上〔専精〕博士「仏教統一論」を著し、 その中に擬人的弥陀(報身仏)の実在を否定したれば、 真宗門内たちまち逆浪をわかし、 真宗の本尊を破壊し去れりとて、 攻撃の声四方に起こり、 その結果、 博士をして僧籍を脱するのやむをえざるに至らしむ。 余ここにおいて、  一句の謎を得たり。

村上博士の『仏教統一論』と掛けてなんと解く。 慶応義塾と解く。 そのこころは三田(弥陀)を圧倒す。  また、 井上哲次郎博士の『宗教意見」を読むに、 吾人の心中に大我の声あることを説きながら、 大我の色も形も、 またそのよって出ずるところも示さず。 あたかも妖怪然たる声なれば、 余また一謎を案出し得たり。巽軒博士の大我と掛けてなんと解く。 浜の松風と説く。 そのこころは音ばかり。ときに友人、 余に戯れて曰く、「妖怪博士の名は今より一変して謎博士とならん」と。


第三三話     滑稽の大関

赤松連城翁は真宗の碩学なり。  つとに博覧多通をもってその名あり。 また、 滑稽においては実にその妙を極む。 今一例を挙ぐれば、 往古インドにて釈迦は、  一時に聴衆を集め、  二時より説法を始められたり。  その証拠は「浄土三部経中に出ず。  すなわち「大経」〔「仏説無絋寿経」〕上巻に「一時来会」とあるは、  一時に聴衆の集まりしを知るに足る。 そのつぎの行に「爾時(二時)世尊」とあるは、  二時より世尊が説法を始められたるを知るべしと。  これ、 赤松翁の滑稽なり。  ゆえに、 余は翁を推して滑稽の大関となさんとす。

 

第三四話    祝    寿

古来、 文字をもって年齢を表し、 もって寿を祝する名となす。 例えば、 八十八歳を米寿として祝し、  七十七歳を喜字の寿として祝するがごとし。「米」の字はこれを分解すれば八十八となり、「喜」の字は草体にて七十七と書くによる。  これに準じて四十八歳を桑寿という。「桑」字の略体は十を四畳にして、 その下へ八を加えたる文字なるが故なり。 また、 ある家に七十の祝いに「朝」の字を用いたるを見る。「朝」の字の左方は、 草体にて七十と書くことあるによる。 余はこれに森字の祝い、 世字の祝いを加えんとす。「森」字は木の三畳にして、 木は十八より成る。 よって「森」字は五十四となる。  ゆえに、 五十四歳は森字の寿と名づくべし。「世」字は三十一より成る。 よって三十一歳は世字の寿なり。  これを推すに、 六十二歳は二世の寿、 九十三歳は三世の寿と名づくべし。 余は六十一の還暦を祝せずして、 その翌年、  二世の祝いをなす見込みなり。  ひとり二世のみならず、 九十三歳に至り三世の祝いをなさんことを望む。  幸いに三世まで生きのびたらば、 そのついでに白字の寿を祝して終わりたきものなり。「白」字の寿とは、 百より一を引きたる文字なれば、 九十九歳のことなり。

 

第三五話 花より団子

 諺に「花より団子」ということあり。 今は日本の二大祝日に、 花のみありて団子なきを遺憾とす。  二大祝日とは紀元節と天長節なり。  この両大節は西洋のヤソ誕生日と昇天日とのごとく、 国民挙げて大いに祝せざるべからず。 しかるに、  人のこの祝日を迎うるや、 いまだ西洋の祝日ヤソのごとくにぎわしからず。 また、 わが国の盆正月にも及ばざるはなんぞや。 西洋の祝日にも、 わが国の盆正月および五節句にも、  一般の慣例として一定の菓子あり、 食物あり。 正月元旦の屠蘇、 雑煮における、 三月節句の白酒、 桜餅におけるがごときは、 老弱男女をして、 指を屈してその日の来たるを待たしむるゆえんなり。 しかるに紀元節、 天長節には、 あるいは大森の梅花を探り、 あるいは団子坂の菊花を訪うことあるも、 これに伴うべき団子あるを聞かず。  これ、 人の両大祝日を待つこと、 盆正月に及ばざるゆえんなり。  ゆえに、 余は紀元節および天長節には、 花のほかに団子を設けんことを望む。 まず紀元節には梅花酒と若菜飯を製してこれを祝し、 天長節には菊花酒と松茸飯を設けてこれを迎えんと欲す。  これ、 季節に相応せる団子なれば、 国民一般にこれを毎年の慣例とせられんことを望む。


第三六話    賞     与

人は賞与を喜ぶものなり。 なかんずく幼少の時をはなはだしとす。 余は郷里にあるの日、「五経」および「文選」の素読を石黒(忠麻)先生に受く。 そのときは慶応三年より明治元年の間にして、 余ときに齢十歳なり。 先生洋風を好み、 机をもって椅子にあて、 生徒をしてこれに鋸せしめ、 机二、 三脚を重ねてテー  プルに代用し、 生徒をしてその上に書籍を置かしむ。 ときどき試験あり。 成績優等のものには、 その賞与として西洋紙一枚を授かる。 余も両三度、 西洋紙の恩典をになえるを記憶す。 そのうれしさ、 今日の学生が銀時計、 金時計の賞与を受<るよりもはなはだし。 洋算も加減乗除より比例までは、  その門にありて教授を受けたり。 その後、 先生東京に上られ、 余輩良師を失うの不幸に会したるも、 翌年より長岡藩の老儒、 木村鈍斐翁につき、 経書の講義を聴くことを得たり。 余が漢学の素養はこれのみ。


第三七話    洋    学

余は明治七年六月、 郷里長岡洋学校に入り、 はじめて英学を学ぶ。 その教授法は変則中の変則にして、 文法も聴かず、 リー ダー も読まず、 最初に学びたるものはパー  レー〔筆名)〕の「万国史」にして、 そのつぎはクワッケンプス〔〕の「米国史そのつぎはウィ ルソン〔 〕の「万国史」、 そのつぎはギゾー〔〕の「文明史」なり。  これを二年未満にして卒業し、 ただちに授業生となりて、 教鞭を執るに至れり。  ゆえに、 余が英語の素養は漢学より一層浅し。  

かつその英書を読むや、 変則流の訓訳にして、 読み方のごときはをニグフトと読み、をオフテンと読みたるほどなれば、 他は推して知るべし。 その後東京に出でて、 大学予備門の入学試験に応じ、 幸いに上級に入るを得たれば、 今日に至るも読み方を知らず、 文法を解せず、 会話を学ばず。 余のごとき変則の英学を修めたるものは、 大学卒業生中に見ざるところなり。  しかるに、 今日の学生の英学を修むるや、 良書あり良師あり、  これに加うるに学科よくその序を得、 教授またそのよろしきを得たれば、 余輩に幾倍して進歩の実を見るべきはずなり。


第三八話    今日の学生

今日の学生はいずれの方面よりみるも、 余輩に幾倍して学業の進歩を見るべきはずなるに、 実際さほどにあらざるは、 数種の学科を一時に学ばざるを得ざるによるも、 また自ら安んずるところあるによる。 換言すれば、 忍耐の精神において欠くるところあるによる。  ゆえに、  学生の訓戒には忍の字をもってするをよしとす。 余、 かつて古人の格言中より「忍」の字を含める諸句を集めおきたれば、 左に示すべし。 ただし、 和漢の格言中の「忍」字は多く堪忍の義にして、 広く忍耐の意を示すにあらざるも、 余はこれを広き意味に用いんとす。

忍是衆妙之門、 能忍自安。

(忍耐は多くのすぐれたものの門である。 よく忍耐すればおのずから安らかとなる。)

一忍住レ心、 百辱場中自在。

(ひとたび忍耐を心におけば、 百辱の地も自由自在となる。)

忍能代五禍真霊薬。

(忍耐はよく禍にかえる真の霊薬である。)

夫忍万徳之源也。

(そもそも忍耐はあらゆる徳の源である。)

忍第一善法也。

(忍耐は第一の善き方法である。)

忍之為>徳万善畢集、 持戒苦行所>不二能及

(忍耐を徳とすればあらゆる善はことごとく集まり、 仏のいましめを守り、 苦行するも及ぶものではない。)また、 西洋の格言を訳して示さば、

忍耐能勝二運命

(忍耐は運命に勝つことができる。)

能忍者常保一勝利

(忍耐することのできる者は常に勝利を手にできる。)

勝利常帰二子能忍之人

(勝利は常によく忍耐する人にあつまる。)

 忍耐与二勉強一能動二山岳

(忍耐と勉強とは山岳も動かすことができる。)

昔、  シナにて張公芸は、 百の「忍」字を書して帝王に奉れり。  ゆえに、「学二張公ー写ーー百忍図一 受二許多快楽  」

(張公に学んで百忍の図を書写すれば多くの快楽を受ける)といえる語あり。 今日の学生も忍の字を百も千も己の心頭に銘記して、 日夜これを守るに至らば、 成業の後はその身にいくたの快楽を受くるは必然なり。


第三九話    忍    耐

人世の浮き橋を渡るに忍耐の必要なるは、 東西古今を貫きて同じきところなり。 仏教もまた忍耐の必要を説けり。  その修行中に忍辱の名目あるは、  すなわち忍耐なり。  かつ梵語に、 この世界を呼びて娑婆という。 娑婆とは忍土の義なり。 忍土とは忍耐すべき土地の意ならん。  果たしてしからば、  ひとたびこの世界に生まれたるものは、 必ず百難千苦を忍耐するの覚悟なかるべからず。


第四    話    梅花の句

余、  かつて日本人の特長は武勇にありて、 その短所は忍耐の精神に乏しきにあることを論じ、  かつその短所を補うには、 日本人の性質を桜花に比するよりも、 梅花に比する方、 利ありと述べたり。 爾来、 梅花の句を集むるに佳句すこぶる多し。  これを読誦すれば、  ひとり忍耐の気風を養うのみならず、 人の品位を高むる一助となる。

 梅花似二高人(梅花は高潔の人に似る。)

梅花独自研。(梅花は独りみずからみがく。)

梅花共>月寒。(梅花は月とともに寒ざむし。)

 清月在二梅花(清月は梅花にあり。)

梅花月影高。(梅花に月影高し。)

梅辺月最清。(梅辺に月最も清し。)

梅吐三更月。(梅は吐く真夜中の月。)

梅花月色迷。(梅花に月色迷う。)

霜月浸二梅花  (霜月は梅花を洗う。)

 梅花枝上識ー乾坤ぼす。(梅花の枝上に乾坤を識る。)

月写二梅真ず紙窓(月は梅の真の姿を写して紙の窓にの)

 一天晴月曜二梅花(天の清月は梅花をてらす。)

月到二梅花ー天更清。(月光は梅花にさして天はさらに清ら)

一心只在二梅花上  (心はただ梅花の上にある。)

清映梅花玉雪心。(清らかに梅花を映す玉雪の心。)

 残雪留如寒伴二古梅(残雪は寒さを留め古梅にともなう。)

一庭霜月浸 梅 花(庭の霜月は梅花を洗う。)

 梅花影写孤山月。(梅花は孤山の月をうつす。)

紙帳梅花夢三更。(紙帳の梅花夢みる真夜中。)

霜花和レ月冷、 梅雪帯煙寒。(花のごとく白い霜は月になごんでひややかに、 梅の雪はけむるがごとく寒い。)

暗香清入レ座、 疎影痩入レ窓。(ほのかな香りが清らかに座にしのび入り、 まばらの枝の影が細く窓にうつる。)

疎影横斜水清浅、 暗香浮動月黄昏。(まばらな影がよこたわり斜めになりて、 ほのかな香りがただよい、 月はたそがれに浮かぶ。)

耐迄寒顔色丹青薄、 照>雪精神表裏清。(寒さにたえる色は赤と青がうすく、 雪に映える心はまことに清らかである。)

雪裏暗香清更遠、 月中疎梅淡更新。(雪のなかにほのかな香りは清くひろがり、 月光のもとにまばらな梅はあわく、 さらに新たな思いをおこす。)

淡泊不同群品俗へ  爾疎別是一般奇。(淡泊にしてもろもろの通俗さとはことなり、 わびしくまばらなるも、 とりわけすべてに奇なり。)

和歌および俳句にも多少誦すべき句あるも、  これを略す。第四一話    梅と牡丹梅花をもっ て日本人の気質を養うは、 大いにその品性を高め、 忍耐を進むるに適するも、 梅花の欠点は貧苦の相あるにあり。  この短所を補うには、 花中の最も富貴なる牡丹をもってせざるべからず。  ここにおいて余は、 日本人の気象は、 梅花を骨とし、 牡丹を肉とするにしかずとなす。  すなわち一句を案出して、「梅花為>骨牡丹肉、知是日東真男児」(梅花を骨格とし牡丹を肉とす。 知るこれこそ日本の真男児であるを)という。 その後このことを友人に語るに、「わずかに二句ありて、  いまだ詩を成さず。 よろしく前二句を案出すべし」と。 余その言に応じ、 ようやく二句を加えて、

欲>詠和_魂  敲又推、 線裁二両_句  未>成>詩、 梅花為>骨牡丹肉、 知是日東真男児。

(大和魂を詠もうとして推敲を重ね、  わずかに二句を作るもまだ詩の体裁を得ず。 梅花を骨格とし牡丹を肉とす、 知るこれこそ日本の真男児であるを。)の一詩をつづる。 

友人笑いて曰く、「これ詩人の詩にあらずして、 哲学者の詩なり」と。 余曰く、「いな。  これ哲学者の詩にあらずして、 妖怪問屋の詩なり」と。

 


第四二話 詩を知らず

余、 漢学を修めたるも、 生来文芸のオに乏しく、 加うるに詩文を学ばず。 詩はわずかに詩語砕金、 幼学詩韻の力をかりて、 平仄を並ぶるに過ぎず。  かつこれも十年に一度くらい、 折にふれて試むるのみ。 先年、 哲学館にて神・儒・仏三道の専門科を開かんとし、 その旨趣を発表するに当たり、 自ら一言を題せんと欲して、 にわかに平仄を探り、  一絶を案出せり。 その斧正を井上巽軒〔哲次郎〕博士に請いたれば、 博士は承句の上にいささか修正を施されたり。  すなわち左のごとし。

日域由来三道分、 真如一貫是斯文、 従今富士峰頭月、 照破泰西洋上雲。

(日本ではもともと神儒仏三道が存し、 真理一貫しているのがこの学問である。 いまからの富士山頂の月光は、 西洋諸国の洋上の雲を照らし破るであろう。)

これ、 もとより詩人の詩にあらずして妖怪問屋の詩なれども、 余が精神の一端を開示せるものと知るべし。

 


第四三話 冗       詩

 

余は詩を作ることを知らざれども、 詩を読むことを好む。  これ、 精神を慰むるためのみ。 古人の詩中には、往々五字七字の単句中に妙趣深意を含むものありて、  一読大いに精神をさわやかにし、 嗜好を高むるに足る。 左に数句を挙げて示すべし。

松月寒色青。(松にかかる月はさむざむと冴えて色青し。)霜渓素月高。(霜おりるたにに白い月が高くかかっている。)山深世界清。(山深いところの世界は清らかである。)月流天宇静。(月光が流れておおぞらは静かである。)花紅山月冷。(花は紅、 山の月は冷ややかにかがやく。)快雨破二煩心  (こころよい雨は世俗に煩う心をうち破る。

老鶴一声山月白。(年老いた鶴の一声に山の月がしらじらと輝く。)万古一江風月寒。(太古より流れる江に清風と明月がさむざむと。)山寺無>人月色古  ゜(山寺に人影もなく、 月の色はいにしえのままに。)松間白月照禰  書(松の間に白くかがやく月は神仙の書を照らす。)

残梅詩思晩、 細草夢魂春。(なごりの梅に詩の思いもおくれ、 細い草に夢のうちに春を思う。)梅吐三更月、松号一径風。(梅に真夜中の月がかかり、 松はこみちに吹く風になる。)断虹雲淡泊、 晩照雨疎明。(虹をさえぎって雲はあわく、 日暮れの光に雨はほのかに明るい。)煙雨洗二秋骨渓風吹二暑痕(けむるような雨は秋のおもむきを洗い流し、 谷を吹く風は暑熱のなごりに吹く。)

月留ー空閣ー思来去、 雲続二寒山ー夢是非。(月は空中の楼閣にとどまり、 思いは去来す、 雲はさむざむとした山にまといつき、 夢に是非す。)花開自落本無事、 雲去復来猶有レ心。(花は開きおのずから散り、 もとより自然のこと、 雲は去りまた来たるになお心あるもののごとし。)

馬蹄入レ樹烏夢堕、 月色満知橋人影来。(馬のひずめの音が樹林にひびき、 鳥の夢をやぶり月光は橋にみちて人影が寄り来たる。)野鶴咲残清夜月、 杜腺題断落花風。(野の鶴のなき声の残る清らかな夜の月、 ほととぎすの声はとだえて花を散らす風が吹く。)

詩句は人によりて、  おのおのその好むところを異にするも、 余は最も月と梅を詠じたる句を愛するなり。

 


第四四話 英・漢・数

 わが国の学問は、 今日にありては英・漢・数をもって本となす。  その修学の年月は、  数学より英学、 英学より漢学に長き時日を要するなり。 漢学は国語と相離るべからざるものなれば、 最も多くの年月を要するは当然のことなり。 諺に桃栗三年、 柿八年、 柚子は九年でなりかねるというに比し、 余はかつて仏教の倶舎学、 唯識学、 華厳・天台学の三科を詠じて、唯識三年、 倶舎八年、 華天は九年でなりかねると申したることあり。 今また英・漢・数を歌いて数学三年、 英八年、 和漢は九年でなりかねるといわんとす。 今日の児童は、 よろしくこの割合にて修学すべし。


第四五話    茶話会

近来、 地方にて懇親会に酒食を廃して、 茶菓を用うること流行し、 余の巡遊中も諸方にて茶菓の饗応に接することあり。  これを一般に茶話会と称す。  しかるに、  ここに一奇談あるは、 某地方にて茶話会の案内に「沢会」と記せる一事なり。 余、 その意を解するに苦しみ、 再三熟考してはじめて、 沢は茶話と国音相通ずるところより、沢会は茶話会のことなるを悟れり。 地方にて往々、 歓迎を観迎と誤り記し、 名刺を名紙と誤り書する例あるも、その意の通ぜざることなきも、 沢会にいたりては一種の判じ物なり。 もし茶話会を沢会と書するならば、 哲学を鉄額と書し、 博士を墓世と書して可なるべし。  されば、 標札に鉄額墓世沢会と掲げたらば、 これこそ一大判じ物なり。 ある文字を知らざる者が、 酒代の請求にこの三字をかきて送れりといえる話あり。 その意、「上の伝七、 酒代よこせ」の符調なりという。 前の話は実にこの話の好一対となるべし。


第四六話    落    語

世に落語のよく人をして抱腹に堪えざらしむるものあれども、 その多くは野郡にして、 紳士の前に談ずるをいさぎよしとせざるものなり。 しかるに、 余が幼少のとき聞きたる落語に、 ある田舎大尽の馬鹿子息ありて、 掛け物の画の上に数行の文字を記せるを見て、 人に「これをなんと名づくるや」とたずねたれば、 その人、「これ賛(三)なり」と教えたり。  その後、  この馬鹿子息がほかの家にて詩を書したる掛け物を見、「この賛は結構なり」とほめたるに、  主人曰く、「これ、 賛(三)にあらずして詩(四)なり」と。  その後、  さらにほかの家にて語を書したる掛け物を見て、「この詩はみごとなり」と称したるに、 主人曰く、「これ、 詩(四)にあらずして語(五)なり」と。 よって、 子息一考して思えらく、 われの方にて三といえば、  かなたにて四と答え、 わが方にて四といえば、  かなたにて五と答え、 いつも一数の相違あり。  されば、 今後はわが方よりあらかじめ一数を加えて、 六といいて賞するならば、 必ずかなたにても「しかり」と答うべしと。 かくして数日を経る間に、 ある金満家を訪い、 その座敷に美しき掛け物あるを見、「この六は実に美なり」とほめたれば、 主人曰く、「これ六にあらずして、 隣家より質(七)に取りたるものなり」と。  かくのごときは、 落語中の上品なるものというべし。


第四七話    眼鏡の渡来

わが国へ眼鏡の初めて渡りしころ、 ある人その一個をあがない、 これを田舎の者へ贈りたるに、 村内の者相集まりて評するも、 そのなにものたるを知るあたわず。 甲は曰く、「これ、 だるまの目の寒ざらしならん」と。 乙は曰く、「これ、 魂晩の乾物ならん」と。 丙は曰く、「牽牛織女(七夕の星の名)の天より落ちたるものならん」ついに知ることを得ざりきという。 西洋にてもこれに類したる話あり。 タ バコが初めてかの地へ渡りしとき、  一紳士試みに喫煙せしに、 しもべこれを見、 主人の衣服に火の付きて、 かく煙を発するならんと思い、 急に水をくみきたりて、  主人の頭へ振りかけたりという。


第四八話    蚊    帳

信州〔長野県〕の山間には夏中蚊声を聞かざる所ありて、  その地方に生まれたるものは蚊帳を知らず。  その地方より毎年夏期には海を見物せんとて、 越後直江津〔現・上越市〕に遊ぶもの多し。 余が聞くところによれば、 直江津の旅宿にてはじめて蚊帳を見、 その中に入らんと欲して四辺を巡るも、 入り口を発見するあたわず。 よって、下婢を呼びて「この蚊帳の入り口はいずれにあるや」とたずねたるものありという。 日本人の洋行中にはこれに類したる失策談多きは、 余輩のしばしば聞くところなり。


第四九話    志州に米なし

志州〔三重県〕は日本中の最小国にして、 三面海をめぐらし、 耕地はなはだ乏し。  ゆえに、 村民多く漁猟を業とす。 常食は甘薯と麦のみ。 米は盆正月にあらざればこれを用いず。 他国よりその地に入りて、 小学教員となるものあり。  その家ひとり毎日米食をなす。 しかるに、 近隣の者争い来たりて、 その下水、 大小便を与えられんことを請う。 その意、 平常米食をなすものの下水、 大小便は、  これを肥料に用うるも一層のききめありと信ずるによる。 米の貴重せらるること、 かくのごとし。 毎日米食をなすものはこのことを思いて、  一粒たりとも粗末にすべからず。


 

第五〇話    話 風

 寺門静軒が「〔静軒〕痴談    と題する書中に説きて曰く、「「席上腐談」に、  風 は陰物にしてその足六、 北方攻水の数なり。 行くときは必ず首を北にす。  これを験するに果たしてしかりとあり。 予もこれを試みしが実にしかり。 船中などにては、 じしゃ くのかわりになるべし。 風さえもなお用あれば、 人間に棄オはなきこと推して知るべし」と。 もし、 人にしてなんらの用をなさざるものは、 風にも劣るといわざるべからず。 人間に生まれて風にも劣るものあらば、 実に漸死せざるを得ざるなり。


第五一話    悠長時代

わが国徳川の太平は実に前後無比ともいうべき時代にして、  四海波平らかに九天雲静かなること、 十五代三百年の久しきに及べり。 その間、 文運の進歩に全く神補するところなきにあらざりしも、 宿弊ようやく積みて人心を圧殺し、 国家をしてその活動を失わざらしめたるは、  おおうべからざる事実なり。  しかして一般に悠長気長の風を増長せしめしは、 実にその唯一のたまものというべし。 今、 当時の情況を示さんために、 大田南畝と十返舎一九との会見につきて聞くところの一話を述べん。 南畝は狂歌をもって人に知られ、  一九は戯作をもって世にあらわる。 両人互いにその名を聞きて、 いまだその人を見ず。 一日    一九、 南畝の家につき、 名刺を通して会見を求む。 南畝大いに喜び、 ともに一杯を酌まんとするも、  襄中一銭の酒資に充つべきなし。  その屋後に一桐樹あり。  これを売りて酒肴を設けんと欲し、 隣家の下駄屋を呼びて売買の約条をなし、 ようやく酒料を調達して、 出でて一九を迎うるに、  一九はその理由を知らず、 自らむなしく門前に立たしめられたるを立腹して、 すでに帰り去れり。 南畝大いにこれを遺憾とせしも、 またいかんともするあたわず。 この一例を見て、 当時の悠長の度を知るに足る。


第五二話 酒中仙

シナにては李白をもっ て酒中仙となす。  わが国にては〔亀田〕鵬斎すなわち酒中仙ならんか。 その詩集中には、飲中八仙歌に類する詩多し。 今、  一、  二を挙示すれば、

醒来飲涵酒酔来眠、 此法不畑禅又不>仙、 百両黄金何可>換、 従来此是我家伝。

(酔いがさめれば酒を飲み、 酔えば眠る。  このありようはゆずれないし、  また高尚ともいえぬが、 百両の黄金をもってしてもどうして引きかえられよう。 もともとこれはわが家の伝統なのだ。)

三百六十日日酔、 酎酔外無二緊要事一 誰道酒人妨二文明一 不レ知便是太平瑞  ゜

(三百六十日、 日び酔い、  すっかり酔うのほかに重要の事はない。 だれが酒飲みは文明をさまたげるというや、  これこそが太平の祥瑞であることを知らぬからだ。)

冗冗陶陶六十春、 無官無禄自由身、 悠然飲酒悠然酔、 真是太平無事人。

(かくのごとく楽しみ続けること六十年、 官もなく禄もない自由の身、 悠然として酒を飲み、 悠然として酔う、 まことに天下太平の人である。)

鵬斎は太平の極に生まれ、 いかに豪邁なすことあるの資を有するも、 時勢これを許さざれば、 その志をのぶるを得ず。 よって、 豪飲泥酔をもって自ら慰めたるなり。 しかるに今日の時勢は大いにこれと異なり、 いやしくも志あるものは、 いかなる功名をも手につばきして一握し得ることなれば、 青年の学生たるものは、  かかる自由の天地に生まれたるを喜び、 大いに奮起してなすところなかるべけんや。


第五三話

人は折にふれ機に臨みて自ら大いに感じ、 奮然志を立てて、 功名を成したることあり。  かくのごとき話は、 大いに青年の訓戒となすに足る。 余、  一日「戯作者略伝    を読み、 柳亭種彦の伝に及ぶ。 種彦は幼時疸気強く、  とかく腹立ちやすき悪癖ありしが、 その父これを戒めんとて、風に天窓はられて睡る柳哉の一句を示されたれば、 種彦これを読みて大いに感じ、 爾来深く戒慎し、 己の号をはじめは柳の風成、 後には柳亭と定め、  ついに戯作者となりて一家を成すに至れりという。 戯作者すらなお立志を要す、 いわんや堂々たる碩学大家とならんとするものにおいてをや。


第五四話    転

徳川時代にありて仏門の碩学をかぞえきたらば、 その第一指を屈すべきものだれなるや。 余は普寂律師を推さんとす。 律師はもと真宗の寺に生まれたるも、  その宗意、 己の意に適せずとて脱宗し、 後に浄土宗に入りて一家を成せり。  その真宗を脱したるときの自詠に、身にかけし法の衣はおなしきも、 身はゞあはねは脱きすてぞするといえり。  近日、 村上専精博士また真宗を脱籍せり。 その脱籍は山命によりて余儀なくせられたるものなれば、普寂律師と同日に論じ難し。  ゆえに、 余は博士の脱宗を詠じて、「身にかけし法の衣は同じきも、 身にあはぬとて脱かせられたり」といわんとす。 かく真宗門内にありて宗内有識の士をして、 命令的に脱衣せしむるならば、余は最後に真宗そのものが赤裸となりて凍死するの日あらんことを恐る。


第五五話    日本は君子国なり

根本通明博士『論語」を講じ、「子九夷に居らんとする」の章下に至り、 得意に、「日本は君子国なること、 孔子のときすでにその称あり。 しかるに、 その後シナにありて『論語」を注釈するもの、 日本を君子国とするは、自国の品位をいやしくするがごとくに感じ、 君子とは孔子自ら称せられたるものとし、 予のごとき君子がこれにおらば、 人みなその徳に化するから、 なんらの栖俗の存すべきはずなしとの意に取る。  これ、  シナ人としてはゆるすべき事情あるも、 本邦の学者がやはりその口まねをするは、 はなはだ心得難し。 孔子は決して自身を指して君子といわれたることなし。  ゆえに「君子居之」の一句は、『君子これにおらばと将然言〔未然形〕に読むにあらずして、『君子これにおる    と現在に読み、 九夷の地は君子の居住せる所なれば、 決して野蛮なるはずなし」といわれたるなり。 その意、 九夷はすなわち日本にして、 日本人はみな君子なりと称賛せられたるにありとなす。  この説は〔伊藤〕仁斎の唱えしところなりと聞けり。 あにおもしろき解釈ならずや。


第五六話    無位無官

人、 長谷川泰翁を呼びて老壮士となす。 翁は老いてますます壮なり。 ときどき奇警の言を吐き、 もって人を驚かす。 余、 かつて翁と対話せしに、 翁曰く、「世人の愚なる、 位官をもって最尊最一となす。 しかして無位無官の無上尊なるを知らず」と。 余、 あえてその故を問えば、 翁曰く、「一天万乗の天皇陛下は、 無位無官にてましますにあらずや」と。

 

第五七話    精神作用

余、  これを聞く。 先年、 京都府病院にて某婦人のヒステリー をいやしたる話あり。  その婦人は病院に入りて治療を受くること数十日に及ぶも、 さらに病勢の減ずるを見ず。 婦人自らいう、「わが病は腹中に怪物ありて、 昼夜われを苦しむるより起こる。  もしこの怪物を退治し去らば、  たちどころに全快すべし」と。 よって、 その位置を問えば、 腹中のこの部位にありと答え、 その形を問えば、 自ら筆を執りその図をえがきて示せり。  これを一見するに、 むかでの形と異なることなし。 ここにおいて、 医師は病人に告げて曰く、「この怪物を退治すること容易なれども、 麻酔剤を用いて腹部を切開せざるを得ず。 もし、 切開しても苦しからずというならば、  これより手術を行わん」と。 病人喜んで施術を求む。 医師すなわち麻酔薬を用い、 腹部の皮陪面をすこしばかり切開して出血せしめ、 その血を茶碗の中に入れ、 別にほかよりむかでを捕らえきたりてこの血中に浸し、 腹部に包帯を施し、 婦人の醒覚するを待ち、 告げて曰く、「腹部を切開したれば、 果たして怪物のその中に住せるを見、  これを取り出だして茶碗の中に置けり」と。  その茶碗を示せば、 婦人曰く、「長くわれを苦しめたるは、  この怪物に相違なし。  すでにこれを取り出だしたる上は、 わが病全治すべし」と。  これより一両日を経て退院し、 平常の健康に復せりという。  これ、 精神作用より病気を起こすの好適例なり。


第五八話    狐落としの呪術

ある浄土宗の寺院にて、 狐落としの呪術を伝うる所あり。 その法、 狐憑き者を仏前に座せしめ、 住職自ら立ちて「阿弥陀経」中のいわゆる「六方の段」を一読す。「六方の段」とは、「阿弥陀経」中に東方世界、 南方世界、西方世界、 北方世界、 下方世界、  上方世界の六方にまします諸仏を挙げたるところあるをいう。  これを一読するに当たり、 故意に六方中の一方を落として読まざるを例とす。 かくするときは、 狐たちどころに体を離れ去ると信ぜり。 けだしその意、 双方ともに落とす法なればなり。  これ、  一種の滑稽にあらずや。  されど世俗のマジナイは、 大抵みなかくのごとし。


第五九話    変則流の復讐

余、  かつてこれを人に聞く。  上州〔群馬県〕磯部混泉に林屋と称する渦泉宿あり。 先年、 失火のために全焼せり。 その隣家に菓子屋あり。  これまた同時に全焼せり。 焼失後、 両家の間に火元につき争論を引き起こせり。 林屋はその地に勢力あるをもって、 奔走の結果勝訴となり、  菓子屋が火元なりしに決せり。 しかるに菓子屋の主人は、 元来高崎藩士にして、 武士道の心得あるものなれば、 深くこれを遺憾とし、  ひとたびそのうらみを晴らさんと心掛け、 林屋の再築落成の期を待ちおれり。 いよいよその期に達し大いに広告して、 遠く客を引かんとするに当たり、 菓子屋の主人、 夜ひそかに新築の座敷に忍び入り、 上段の間において割腹して自害を行えり。  これすなわち復讐なり。  人必ず、 その復讐のなんの意に出ずるを解するに苦しむならん。  通常の復讐は敵の家に入りてその家族を殺害するにあるも、  この復讐は家族にはなんらの害を加えず、 ただその座敷を借りて自殺したるのみ。林屋にとりてはさらに痛潅を感ぜざるがごときも、 その実しからず。  一家の営業上非常の迷惑を受け、 新築落成ののち開業の広告をなしたるも、 だれ一人としてその家に止宿するものなく、  ついに廃業の不幸を見るに至れり。 なんとなれば、 爾来世間一般に、 林屋に止宿すれば菓子屋の亡魂が出ずるとの評判を伝え、 人みな恐れてその家に入るものすらこれなく、 旅人宿としてはこのくらいの迷惑はなかるべし。 菓子屋が世の迷信を利用して、変則流の復讐を行えたるは、 古来ほかにいまだ聞かざるところなり。

 

第六    話    除災の妙術

ある富豪、 大館を新築してすでに落成したれば、 神巫をして災難よけのいのりをなさしめ、 戸、 障子、 柱、 壁には、 諸方の神社仏閣より出だせる御守り、 御札をはりつけざるはなし。 ときに一儒生来たり、  これをみて曰く、「災いを除く法は、 祈頑、 御札のよくするところにあらず。 余は別に妙術あるを知る」と。 館主日く、「請う、 その術を教えよ」と。 儒生曰く、「人の家を造るには、 仁義をもって棟梁となし、  礼法をもって柱礎となし、道徳をもって門戸となし、 慈愛をもって垣増となし、 倹を好むをもっ て家事となし、 善を積むをもって資産となさば、 その中におるものは、 火も焼くあたわず、 風も倒すあたわず、 妖も犯すあたわず、 災いも来たるあたわず、 鬼神もうかがうあたわず、 盗賊も近づくあたわず、 その家おのずから富み、  その主おのずから寿し、 あにこれを妙術といわざるべけんや」と。


第六一話    強盗の教え

熊坂長範は盗賊の張本なり。  かつてその徒に教えて曰く、「およそ盗みをなすには、 まさに入らんとする家を知ることを要す。 もしその家、 暴富姦富の家ならば、 これに入るに必ず利あり。 もしその家、 眼難辛苦を経て富をいたせる家ならば、  これに入るも不利多し。  ゆえに汝らも、 よく暴富姦富の家を見て盗みを行うべし」と。 強盗も熊坂のごとき巨魁にいたれば、 その見るところもまた凡ならざるもののごとし。


第六二話    豪傑と強盗

世のいわゆる豪傑は、 強盗とはなはだ相近し。 暴力をもって一家の金銭財宝を盗むものは、  これを強盗といい、 暴力をもって国を盗み天下を盗むものは、  これを豪傑という。 暴力と盗取とは二者一なり。 ただ大小の差あるのみ。  ゆえに、 余は書生を戒めて曰く、「人もし盗みをなさんと欲すれば、 必ず人の国をはぎ、 他の天下を奪うがごとき豪傑的大盗をなすべし。 もし、 その力よくかかる大盗をなし得ざるものは、 はじめより決して盗心を起こすべからず」と。


第六三話    極端の一致

大盗の極みは豪傑となるがごとく、 すべて物は極端と極端との一致するを見る。 ある書家田舎を巡り、 焼き芋屋の看板を見て大いにその能書に驚き、 これだれの書なりやをたずねたれば、 老婆出できたりて曰く、「それは私が子供の手習い筆を借り、 人のまねをして書きたる字なり」と。 しかしてその老婆は文字も読めず、 習字も学びたることなしという。 無筆と能書と、  ここにおいて一致するを知るべし。  老子のいわゆる「大巧は拙のごとく、 大智は愚に似たり」の類は、  みな極端の一致を教えたるものなり。


第六四話    貧乏と辛抱

貧乏と辛抱とは、 その音やや似て、 その実大いに異なり。 人の貧乏するは辛抱なきにより、 辛抱すれば貧乏することなし。 ある狂歌に、貧乏の棒が次第に長くなり、 まわしかねたる年の暮かなとあるに倣いて、 余はかくいわんとす。

辛抱の棒が次第に長くなり、 貧乏神を逐ひ退けにけり

国民みな貧乏の棒を捨てて、 辛抱の棒をとるに至らば、 貧乏神はおろかのこと、 英露のごとき強国も、 追いのけることいと容易なり。

 

第六五話    過は不及にしかず

「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」とは、 だれもいうところなるが、 時によりては、 過ぎたる方のよきことあり、 また及ばざる方の勝ることあり。 今、 過の不及にしかざる一例として、 奈良の大仏を引かん。 すべて仏は、 大に過ぐるより小なる方、  人の信仰帰依多きがごとし。 浅草の観音は、  その身長一寸八分と称す。  これ、 小もまたはなはだし。  しかるに人の信仰帰依すること、 府下の諸社諸仏その右に出ずるものなし。  これに反して奈良の大仏はその身長五丈三尺にして、 浅草観音に一二百倍なり。 しかして、  これに帰依する信徒講中いたっ て少なし。 大仏参詣と称してその地に至るものは、 崇信の意をもって拝礼するにあらずして、  一種の見せ物的観念をもって仰視するのみ。 東大寺には、 大仏と二月堂観音との二仏を奉置す。  二月堂観音は一尺八寸にして、 信者日々その前に群れをなす。  これに反して大仏は講中も信者もなく、 したがって賽銭をその前に投ずるものすらなきありさまなれば、 東大寺においても、 大仏では飯が食えぬと申しおれり。  されば、  すべて物は大小に程度あるものと知るべし。


第六六話    鼻欠け猿

ある話に、 百頭の鼻なき猿の中に一頭の鼻ある猿が入りきたりたれば、  四方よりその猿をあざけり笑い、  ついに逃れ去らしめたりという。  これに類したる話は、 ある田舎の寺子屋にて、 先生得意に多くの生徒を集め、『論語 」の素読を教うるに、「郁郁乎文哉」を誤りて、「都都平文我」と読みたり。 生徒みなこれを習い、 誤りを伝えてかえって正となせり。  一日老先生、 ほかの地方より聘せられてその寺子屋に入り、 旧先生に代わりて素読を教うるに、「都都平文我」を改めて「郁郁乎文哉」と伝えたれば、 生徒大いに驚き、 かえって新来の先生を無学なりと心得、  みな散じて教えを請うものなきに至れりという。  そのときの人、 相語りて曰く、

都都平文我、 学生満レ堂坐、 郁郁乎文哉、 学生都不来。

(都都平文我と間違って読んで教えた時、  学生は学堂に満ちて教えを受け、 後に正しく郁々乎として文なるかなと教えられた時、 学生はこれを誤りとしてだれも学堂に来なかった。)

これ、  シナの雑書中に出でたる一話なり。  おもうに、 世人が正邪を評し是非を判ずるには、  これに類したること必ず多々あるべし。


第六七話    誤読の一得

読み方を誤りて、 かえって盗賊を去らしめたる話あり。 ある学生、 深更なお書を読みて眠らず。 ときに盗賊ありて戸外にひそみ、 学生の眠りに就くを待ちて忍び入らんとするに、 学生たまたま「文章軌範」の音読をなし、読みて「赤壁の賦」に至れり。「賦」と「賊」と字形相似たるをもって、 誤りて「前赤壁賦」を「前の赤壁の賊」と声高く読み上げたれば、 戸外の賊大いに驚き、 彼はわれがこの壁の下に潜みおるを知れりと心得、  ひそかにのがれて家の背後に至り、 壁下にたたずむこと前のごとくせり。  すでにして学生、「前赤壁」を読み終わり、「後赤壁」に移らんとし、 さらに声高く「後の赤壁の賊」と読み上げたれば、 賊大いに恐れ、 彼はわれが屋後に潜みおるを知れりと心得、  ついに去りてその家に入らざりきという。  これ、 誤読の一得というべし。

 

第六八話    穴賢の解

 余、 かつてある書を読みたるに、 その中に穴 賢 の解あり。 曰く、「「旧事紀」を案ずるに、 大己貴命、 神代に広野の中に入りたまい、 その野に火起こりて焼けめぐり、 すでに御身の危うきに及ぶ。 ときに鼠出でて「内は富良、 外は須々夫」という。  命、 鼠の言を悟りて、 ただちにそこを踏みたまえば、 深き穴の中に落ち入る。  その間に野火は焼け過ぎて、 命は火災を免れたまう」とあり。  この故事を取りて、 今の人は穴賢と書くなり。  その意、 無事無難の義なりという。 世にはかくのごとき無理の解釈を下して得意然たるもの、  すくなからざるなり。


第六九話    梵    訳

梵語の漢訳を解するに、 義訳と音訳との二種あり。 しかるに、 音訳を誤りて義訳と心得、 途方もなき解釈を付するものあり。  涅槃を解して盆中の黒水となし、 寂静の状態をたとえたるものとなせるがごときその一例なり。

余「諸説弁断を見るに、「仏を拝するに南無と称するは、 仏は西方におる。 西方は金にして南方は火なり。 火は金に克つものにして、 西方の金気の忌みにくむところなり。 ゆえに、 仏を礼するに南無と称して、 火克金の理なきことを示したるものなり」と述べたり。  また同書に、「比丘を解して丘と比しと読み、 孔子の名をおかして作りし名称なり」といえり。 笑うべきの至りなり。 されど、 仏者が今日まで梵語を学ばずして、 漢訳のみにつきて義を立て意を定めたれば、 これに類したる誤謬の必ず多かるべきは、 想像するに余りあり。


第七〇話    限世観

従来の仏教はすべて世界を厭世の方面より観察したる弊あることは、 みな人の認むるところなり。  春花秋月を詠ずるにも、 山光水色を観ずるにも、 っとして悲哀の情、 痛嘆の声ならざるはなし。 その語中には往々、 大いに味わうべきものありといえども、 人をして勇進敢為の気風を減ぜしむるは自然の勢いなり。 畢党、 仏教が西洋にいれられざるは、  これがためなり。 今、 左に仏書中の厭世的語句を挙示すべし。

祇苑精舎鐘声、 有二諸行無情之響一 沙羅双樹花色、 顕二盛者必衰之理

(祇苑精舎の鐘の声は諸行無常の響あり、 沙羅双樹の花の色は盛者必衰のことわりをあらわす。)東出西没月光示生死往来 朝開夕萎花色表遷滅儀則

(東よりいでて西に没する月光は生死往来を示し、 朝に開きタ ベにしおれる花の色は遷滅儀則を表す。)有為転変之春花散二五濁乱漫之嵐一 無常遷滅之秋月隠二十二因縁之峰

(有為転変の春の花は五濁乱漫の嵐に散り、 無常遷滅の秋の月は十二因縁の峰をかくす。)盛者必衰、 松樹終朽二千年之霜一 開者忽萎、 極華未レ待ニ   タ之日

(盛んなる者は必ず衰え、 松樹もついに千年の霜に朽ち、 開く者はたちまち萎れ、 横華はなお一夕の日を待たず。

定寿八万劫秋月空隠一還堕三途雲一 快楽千百歳春花終散生滅無常嵐

(定寿八万歳の秋の月はむなしく還堕 二途の雲に隠れ、 快楽千百歳の春花はついに生滅無常の嵐に散る。)二十五有海漫漫、 妄想顛倒波無一示'>立日一 三界六趣山峨峨、 生死無常雲無一示径時

(二十五の海は限りなく、 妄想とさかさまな思いの起こらない日はなく、 欲・色・無色の三界と六迷界の山はけわしく、 生死無常の雲は、 そびえ立たない時はない。)

散風萎雨暮春之華教諸行無常之理一 籠霞隠雲中秋之月示  是生滅法之粧

(風に散り雨にしおれる晩春の華は諸行無常の理を教え、 かすみにこめられ雲にかくれる中秋の月は是生滅法のよそおいを示す。)

桜梅桃李翻レ風、 顕生者必衰色紫蘭黄菊変レ霜示二盛者必衰形

(桜梅桃李は風にひるがえれば、 生者必衰の色をあらわし、 紫蘭黄菊の霜に色変われば盛者必衰の形を示す。)

無常風前  五陰灯易消、 有為波上命泡難>止。

(無常の風の前には五陰の灯は消えやすく、 有為の波の上には泡のごとき一命もとどめ難い。)悲想雲埋、 八万秋月虚傾、 北州嵐冷、  一千春華早散。

(悲想の雲にうずもれ、 八万の秋月はむなしくかたぶく、  北州の嵐は冷たく、  一千の春華はつとに散る。)閻浮不定国、 東岱煙朝立夕登、 分段生死郷、 北芭露昨消今滅。

(現世不定の国、 泰山の煙は朝に立ちタベにのぼる、 凡夫生死のさと、 墳墓の露は昨に消え今に滅す。)含>露散>風華三春色不>久、 出>東入>西月一夜光終滅。

(露をふくみ風に散る華は春の色久しからず、 東より出でて西に入る月は一夜の光ついに滅す。)朝来夕去之人身恰同二極華一日栄ー  千変万化之生死殆似二三春片時華

(あしたに来たりタベに去る人の身は、 あたかも権華一日の花に同じく、 千変万化の生死はほとんど春ひとときの花に似る。)

生者必滅水浪来分、 流二五陰和合船一 会者定離雲登覆分、 隠二  色四心月

(生者必滅の水みなぎれば、 五陰和合の船を流し、 会者定離の雲そびえおおえば、  一色四心の月をかくす。)

蝸牛角上是非戦、 石火光中名利営。(蝸 牛角上是非の戦い、 石火光中名利のいとなみ。)

 生死夢長、 空廻二暗冥之衛一 流転海深、 常迷一無常之波

(生死の夢は長く、 むなしく暗冥のみちをめぐり、 流転の海は深く、 常に無情の波に迷う。)春華秋月皆顕一有為色一 朝雲夕雨併潤二愁傷袂

(春華秋月はみな有為の色をあらわし、 朝の雲タ ベの雨はあわせて愁傷の袂をぬらす。)

三界流転如幻夢戸忽覚、 五陰起滅似二泡沫一難レ留。

(三界の流転は幻夢のごとくさとりやすく、 五陰の起滅は泡沫に似てとどめがたい。)命是如二水上泡随>風消一 形又似二籠中鳥待>開去

(命は水上の泡の風にしたがって消えるがごとく、 形はまた籠の中の鳥が開くのをまって去るに似る。)

万法皆空、 春華飛、 秋葉落突、 諸行無常、 朝露時、 夕雲消芙  ゜

(万法はみなむなしく、 春の華が飛び秋の葉の落つるがごとく、 諸行無常は朝露のかわき、 夕雲の消えるがごとし。)

夭夭桃華忽散二乱分三春嵐{  寂寂寒月既瞭二朧分五更雲

(さきほこる桃華は、 たちまちに春の嵐に散乱し、 さびしげな寒月はすでに夜明けの雲におぼろとなる。)仏教の世界観は、 大抵みなこの類なり。  これ、 今より一大改革の必要なるゆえんなり。


第七一話    楽天観

仏教は徹頭徹尾厭世観なるにあらず、 その裏面には楽天観を有するものなり。  ゆえに、 楽天的語句も往々見ることあり。 左に挙ぐるところは、  ひとり仏書中に出ずるものに限らず、 内外両典中に見るところの対句をなせるものを選びたるなり。

古松談 般 若    幽鳥弄ーー真如(古松は般若を談じ、 幽鳥は真如をさえずる。)

花発菩提樹、 鳥呼般若声。(花は菩提樹に咲き、 鳥は般若の声でなく。)

渓声便是広長舌、 山色登非ーー清浄身(谷の瀬音はすなわち大説法、 山の景色はなんと清らかで汚れのない身ではあるまいか。)

松吹説法度生声、 柳含観音微妙色。(松には仏法を説いて衆生済度の声が吹き、 柳には観音微妙の色が含まれる。)

 法法塵塵如如、  一色香無年非二実相(法塵一如、  一色    香も真実のすがたを示す。)

青青翠竹尽是真如、 鬱鬱黄華無レ非ー一般若(青々とした竹はことごとく真実であり、 うつうつとした黄華はすべて実相である。)

山河大地全法王身、 煩動翻飛皆如来蔵。

山河の大地はすべて仏身、 煙動翻飛はすべて如来の悟り。)

十界皆成  妙法覚体一 三千悉顕  果徳妙用(迷悟の世界はみなすぐれた法の悟りの身となり、 三千世界はすべて功徳の不思議な作用をあらわす。)

青山緑水皆是為一我伽藍    清風明月無レ非二諸仏浄刹

(青山緑水はみなわが仏道修業の場となり、 清風明月はすべて諸仏の清らかな寺院である。)

これ、 実大乗の「万法即真如、 此土即寂光」(万法はすなわち真如、  この土はすなわち真智の光)の意を詠じたる句にして、 これを一変すれば、 たちまち楽天的宗教を仏教門内に開くことを得るなり。


第七二話    不善不悪

世に式亭三馬の作なりと伝うる辞世の歌あり。善もせず悪もつくらで終る身は、 仏もほめず閻魔しからず

これ、 もっともらしき歌のようなれども、 仏は「なにゆえに善を修めざるや」といいてしかるに相違なく、 閻魔はまた、 己の店が繁昌せぬから喜ばぬに相違なかるべし。  ゆえに、 余は左のごとく改めんとす。

善もせず悪もつくらで終る身は、 仏もしかり閻魔もほめずしかるに「大蔵一覧〔集〕」を見るに、 阿難、 仏に問いて曰く、「墳塔を造立するに精魂、 中にありやいなや」と。 仏いわく、「善根を種えず、 悪をなさざれば、 魂、 塚中にありて去る所あらず」と。 されば、善もせず悪もつくらで終る身は、 塚の中より外へ出られぬこととなりて、 永く土牢の中にこもらざるを得ず。  かくのごときの徒は、 実に哀れむべきの至りならずや。


第七三話    儒教の人生観

仏教の世界観は人をして厭世に陥らしめ、 儒教の人生観は人をして落胆に終わらしむる傾向ありて、 ともに勇敢進取の気象を失わしむる恐れあり。 その一例を挙ぐれば、 儒教に「死生、 命あり、 富貴、 天にあり」といごとき、 万事みな自然に一任して、 自ら進みてなさんとするにあらず。  その結果、 自暴自棄するに至るべし。  ゆえに、 儒教も一大革新を行わずんば、 今日の大勢に適合すること難し。 余は儒教の「死生有レ命、 富貴在レ天」(死生、 命あり、 富貴、 天にあり)の語を改めて、「死生本無>命、 富貴何在>天」(死生もとより命なし、 富貴なんぞ天にあらん)とするか、 もしくは「死生我所>招、 富貴本在>人」(死生はわれの招くところ、 富貴はもとより人にあり)とせんとす。  かく人力を鼓舞するにあらずんば、 国家の富強得て望むべからず。


第七四話    運は寝て待て

昔時は「運は寝て待て」と唱えて、 富貴、 利達は人力をもっていたすべからざるように考えしも、 今日はしからず。「心身一到すればなにごとも成らざるはなし」と信じて、 大いに奮励せざるべからず。  されば、「運は寝て待て」の佳諺を改めて、「運は練っ て待て」とし、 種々鍛練工夫して、 好運の来たるを待たざるべからず。  また俗に、世の中に寝るほど楽はなかりけり、 いづくの馬鹿が起きて働くと歌えるも、 余は改めて世の中に働くほどの楽はなし、 いづくの馬鹿がなまけなどするとなさんとす。 今日青年は、  みなこの心得にて刻苦勉強せざるべからず。第七五話    己を推して人に及ぼせ道徳に積極と消極との二種あり。 孔子の「己の欲せざるところ、 人に施すことなかれ」というは消極なり、  キリストの「己の欲するところ、  これを人に施せ」というは積極なり。 ヤソ教家は、 東洋の振るわざると西洋の盛んなるとの別は、 全くこの格言によりて見ることを得という。 しかるに加藤〔弘之〕博士これを評して曰く、「孔子の格言は、 己の欲せざるところを人に施さざるまでなれば、 さほど害もなかるべきも、 キリストの格言は、 己の欲するところを人に施せとあれば、  ずいぶん迷惑の話なり。 人がもし、  おのおの己の欲するとおりを他人に仕向けたならば、 世の中に、  このくらい迷惑のことはあるまい。 ゆえに、  キリストの格言は好ましからず」と。  この言、  一理ありと知るべし。

 


第七六話 好事多>魔(好事魔多し)

 好事魔多きは人生の常態なれども、 東洋流の厭世観は人生を無常視過ぐる弊あり。 あるいは「世事相違皆如レ此、 好懐百歳幾回開」(世間の食い違いが起こることはみなこのようであり、 よい思いも百年に幾度あるであろうか)といい、 あるいは「能読>書人天下少、 不>如>意事世間多」(よく書を読む人は天下に少なく、  おもうようにならないことは世間に多い)というがごとき、 みな厭世観ならざるはなし。 左に「講習余筆」の一節を引かん。

唐の子武陵の詩に、「花開多二風雨一 人生足二別離  」(花開くときには風雨多く、 人生には別離が多い)と。

この詩につきて頓阿法師の歌に、「世の中はかくこそありけれ花さかり、 山風吹て春雨ぞふる」と読みけり。年ごとに春にもなりなば、 良辰を卜して花をたずね柳を問い、 野橋を過ぎ古寺を訪うて、 その幽賞をきわめんと思えど、 正月の末つかたまではなおさえかえる空の気色にて、 春とも思わですぎゆき、  二月も半ばすぎて三月のころにもなれば、 花もようよう盛りにて、 うららかなる日景を待ちぬれど、 思いのほかに春雨うちしめり、 山風吹きつづきて花を散らすらんもおぼつかなきに、 いくほどもなくはれゆくままのどやかなるころになりぬれども、 または病魔に悩まさるるや、 あるいは事故にさえられなどして門をも出でやられで、   つしかに梢に残る花もあらで、 春も暮れすぎ、 繁りゆく青葉のみになりて、 むなしく三春を打ち過ぎぬることのみ多かりき、 誠に武陵、 頓阿が詩歌こそよくいい得たることにて、 なにごとも心のままならぬは人間のありようなれ。

「徒然草」をはじめ、 そのほかの和文および和歌を見るに、 みなかくのごとき人生の悲観多きは、 東洋文学の将来に対して大いに憂慮すべきことなり。


第七七話    楽は極む ぺからず

東洋の厭世的傾向は今より矯正せざるべからざるも、「楽は極むべからず、 欲はほしいままにすべからず」といえる聖賢の訓戒は、 東西を通じて二致なきところなり。 月満つれば必ず欠け、 物盛んなれば必ず衰うるは、 宇宙の真理といいて可なり。 部康節の詩に「美酒飲 教二微醸ー後、 好花看到ーー半開時  」(美酒は飲むにほろ酔い程度にし、 美しい花はみるに半開の時がよい)とあるは、 酒は沈酔すべからず、 花は盛りを賞玩せざるの意にて、 なにごとにても十分を尽くさざるをいうなり。  されど、  その極み禁欲主義に偏しては不可なり。  ゆえに、 要は中庸を得るにあり。


第七八話    神に対する観念

わが国は神国なれども、 神に対する観念は、  これを西洋に比するに極めて冷静なり。  これ、 諸宗教並び行われて、  一神教の圧制を受けざるによる。 要するに神に対しての観念は、 心だに誠の道にかなえなば、  祈らずとても神はまもらんと唱えきたり、

 正直の頭に神宿る(積極)

さわらぬ神にたたりなし(消極)

の二句にて表示するを得。  これを西洋の嫉妬的ヤキモチ然たる神の信念に比するに、 大いに高尚なる趣あり。第七九話    妖由>人興(妖は人によりて興る)

わが国愚俗の間には妖怪上の迷信すこぶる多きも、 儒仏両教の本旨にては、「妖は人によりて起こる」ものと立つるなり。  ことに仏教にては「三界唯心万法唯識」(三界のあらゆるものは自己の心に映ずるもの、  一切の存在は観念にある)の説なれば、「妖は心によりて起こる」といわざるべからず。 余、  かつて観海居士〔小崎智節〕の「仮痣夢    と題する一書を読み、 その中に真の妖怪は幽霊にあらず、 狐狸にあらず、 日月山河、 草木魚虫なることを述べたるは、 偶然、 余が妖怪論に投合したるものなり。 左にその一節を割愛して示さん。

俗は、「無而忽有」(無にしてたちまち有)の物をもって奇となし怪となす。 なんぞ眼前の事物をもって奇となし怪となさざるや。 鳥の空中に翔り魚の水中に遊ぶ。 吾人の言語思惟、 草木の枝葉花果、 あに奇ならずや怪ならずや。 地の万物を載せ、 天の四海を包み、 日月星辰の天に懸けておちざる、 風雨霜露の時をもって下る、 春夏の生長、 秋冬の収蔵、 陰陽の屈伸、 鬼神の変化、 また奇ならずや、 また怪ならずや。(漢文和訳)


第八〇話 一界唯心

これは『林間録』に出ずる一話なるが、 僧元暁は海東の人なり。 はじめ海に航して道を名山に訪わんとす。  独り荒跛を行きて、 夜塚間に宿す。 渇することはなはだし。 手を延べて水を穴中に得、  これを掬するに、 その味甘涼なり。 夜の明くるに及びてこれをみれば、 憫悽なり。  にわかに不快を感じ、 ことごとく吐き去らんとす。  すでにして猛省して曰く、「心生ずれば種々の法生じ、 心滅すれば憫艘不二なり。 仏の三界一心の語、 あにわれを欺かんや」と。  ついに師を求めず、 偽を作りて曰く、

夜塚獨艘元是水、  客盃弓影覚非と蛇、 箇中無祉炉容二生滅一 笑把二遺編 蕊{練斜  ゜

(夜の塚の獨悽はもとより水、 客の杯と弓の影は畢覚蛇にあらず、 道理をわきまえていても生滅をいれる所なく、 笑いて遺編をとれば築線も斜なり。

この一事、 よく世の迷信を解くに足る。


第八一話    偽怪の一例

越後高田春日町〔現・上越市〕に、 従来伝うるところの偽怪の一話あり。 町内の某家にて、 ただ一人の娘を失えり。  その娘は早く父に別れ、 全く母親の手にて成長せり。  ゆえに、 母は大いにこれを愛して、 存命中は金銭をおしまず、 高価の衣類を求めてこれに与えり。 しかるにその娘、 薄命にして早く世を去るに至りたれば、 近隣の主婦、 その衣服を己の所有とせんことをもくろみ、 深夜白衣白帽をかぶり、  ひそかにその家に忍び入り、 母の枕頭に立ち、「われはこの家の娘なり。 死して冥土に向かうも、 娑婆に多くの衣類を残せしため、 思う所に至ることあたわず。 願わくは、  これこれの衣類を渡されんことを。」母は真の幽霊と信じ、 その言のごとく衣服を渡せり。怪物喜んでこれを受けて去る。 その翌夕、 また深更に同じく白衣白帽の亡霊出現し、  さらに衣類を授けられんことを請う。  かくのごとくすること再三に及べり。 そのことついに親戚の耳に入り、 その顛末の疑わしきところあるを見、  一夕その正体を発見せんと欲し、  二、 三人相誘いてその家の一隅に潜み、 怪物の来たるを待ちいたるに、 果たして夜半過ぐるころ入り来たれり。 その去るに臨み、  これに尾行してついにその正体を発見せり。  すなわち、 その怪物は近隣の一家の主婦にして、 幽霊を装いて人を欺きたるなり。  ここにおいて、 本人は厳刑に処せられたりという。  これ、 余がいわゆる偽怪の好一例なり。


第八二話    万年亀

人、 だれも寿を祈らざるものなし。  彰祖は八百歳にして死したるも、 その婦なおこれを不足なりとして、 大いに哀哭せりという。  その隣人、 これを慰めて曰く、「人生八十歳すら得難きに、 八百歳の寿を得れば、 この上に望むところなかるべし」と。 婦曰く、「汝詔は他人のこと故、 しか思うなり。 もしその家族の心より見るときには、 八百歳の上になお九百歳、 千歳あるにあらずや」と。  これ、 人情の免れ難きところなり。 ゆえに婚礼のときには、 あらかじめその寿を祝するに、 鶴亀をもってするは一般の常例とす。 鶴は千年、 亀は万年にして、 長寿これに過ぎたるものなし。 御幣連が亀を愛するはこれがためなり。 あるとき万年亀を売るものありて来たりしかば、 某氏大いに喜び、 価の高下を論ぜずこれを買いたりしに、  二、 三日を経るとその亀死したり。 某氏自ら欺かれしを憤り、 翌日売り主の再び来たるを見、「汝は不埓千万なり。 われに万年亀といいて売りたるに、 その亀昨日すでに死せり」となじりたれば、 売り主答えて曰く、「されば、 昨日がまさしく万年目に当たりしに相違なかるべし」と。  これ一奇話なり。


第八三話    聖人無レ夢(聖人夢なし)

 「大慧語録」に「聖人無夢」を解して、 その「無」の字は有無の無にあらず、 世の中はみな始終、 朝より夕まで昼夜の間、 なにごとかこれ夢ならざらんやと観念したる上は、 別に夢とすべき夢なしと悟りたるところをいうなりとあり。  その解釈は仏語の「無学」に似たり。 世間普通の解釈にては、 無学とは学問を修めざる無知無識のにても、 その丈夫は請け合いにて、 たとい棚の上より落とすも、 決してわるる憂いなし」と。 その帰るに臨み、二階をくだらんとし、 中段にてつまずき細工物ことごとく落ちて、 茶盆も菓子箱もみな破損せり。  すでにして再び来たりて告げて曰く、「今日は大損をなせり。 先刻持ち来たりし細工物は、 ことごとく二階より落ちて破れたり」と。 余、 これをなじりて曰く、「その品は、 さきに決して破るる恐れなしと保証せしにあらずや」と。 彼、言屈して答うることあたわず。 前には破るることなしといい、 後には破れたりという。  これまた矛盾の一種ならずや。  されば今より後は、 矛盾の語を箱根細工と改めてはいかん。


第八六話    出門鑑

余、 昔時東京大学寄宿舎にありしとき、 在舎生が物品を携帯して出門する場合には、 必ず幹事室の送り状を請いてこれを門掌に渡さざれば、 出門を許さざる規則なり。 余はかかる規則あるを知らず、  一日「かばん」を提げ、 送り状を所持せずして出門せんとせしに、 門掌叱責して出門を許さず。 ときに同窓の帰り来たるに会したれば、 余に教ゆるに、 その「かばん」を懐中に入るれば可なりというをもっ てす。 余その言のごとくすれば、 門掌すなわち出門を許す。  その後、 人の門を出ずるを見るに、 手に「かばん」または風呂敷を携帯し、 門側に至るとたちまちこれを懐中に入れ、 あたかも妊婦のごとき状態にて門を出ず。 その見苦しきこと、 言わん方なし。  かくして行くことわずかに二、 三歩、 たちまちこれを懐中より出だして、 手に提ぐること元のごとくす。 余、 ときに世間の法律は、  みなかくのごときものならんかと感じたることあり。

 

第八七話 薪木委員

先年、〔東京〕大学寄宿会において、  暖炉の薪木はみな学校より支給したりしことあり。 しかるに舎生これを濫費することはなはだしければ、 学校にてその取り締まりをなさんと欲し、 当時寄宿舎の数、 大小合して十棟あり、 在舎生およそ五百名あり。  一棟につき生徒中より委員一名を選出せしめ、 これに取り締まり方を委任することとなれり。  これを通称して薪木委員という。 その中には前外務大臣加藤高明氏も加わり、 余もその選に当たれ一昨年、 加藤氏大臣の命を拝するを聞き、 余嘆じて曰く、「ああ、 昔日の薪木委員、 今は進みて国務大臣の栄をになう。 世事みなかくのごとし。 桑海の変、 あえて怪しむに足らず」と。


第八八話    鶉声ケ窪

 哲学館および京北中学校所在地は、 東京小石川原町字鶏声ケ窪と称す。 東京名所の伝うるは、 大なる誤りなり。  その証は「江戸砂子」に出ず。  すなわち、一つなり。 俗に傾城ケ窪と鶏声ケ窪:むかし、  土井大炊頭利勝のおやしきの辺り、 夜ごとに鶏の声あり。 怪しみてその声をしたい、 その所をもとむるに、 利勝のおやしきの内、 地中に声あり。 その所をうがち見るに、 金銀のにわとりを掘り出だせり。 よってかくのごとくになりたるという。これ、 その地名の起源なり。  ゆえに、 雅名を金鶏澗または鶏渓と呼ぶ。 今、 哲学館敷地内にある古井は、 従来鶏声ケ井ととなえ、 昔日の鶏声はこの井辺りにて起こりたりと伝う。 哲学館校舎はその井をさる、  およそ二十間の小丘の上にあり。 よって、 その丘を呼びて鶏声が岡という。  その隣町を曙町と称するも、 鶏声にちなみて命じたる町名なり。


第八九話    同名異人

井上円了の名は日本にただ一人と心得しに、 先年、 同音の姓名本郷区内にありしため、 大なる間違いを生ぜし。