哲学早わかり

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哲学早わかり

     序  言

 本書は余が府県巡回の際、その地方において特に有志者の依頼に応じ、一夕の茶話として口述したるものの筆記にして、その目的は通俗の全く哲学のなんたるを解せざるものに対し、哲学の一端を知らしめんと欲するにあれば、多少哲学を心得たるものよりこれをみれば、一読の価値なきものたるは明らかなり。しかれども余はかくのごとき平々凡々通俗もまた高きに昇るの階梯にして、仏教のいわゆる方便ならんと信ず。故に大方の君子その卑近を笑うことなかれ。

 

  明治三十一年十二月                 講述者識  

     第一回 発端(哲学の名義)

 余は近年哲学館拡張のために日本回国を始め、五、六年かかりてようやく一通り全国の行脚を終わりましたが、その間おもしろいこともたびたびあり、苦しいこともときどきありて、その中にはずいぶん弥次喜多めきたる話もありたれど、そのことは他日に譲り、ここに哲学という名義につき、世間が全く誤解しているために大いに困却したる話を致しましょう。余は一身の幸か不幸かは知らざれども、世間より哲学の大家をもって目せられ、至る所意外の優待を受け、四方より哲学の演説を頼まれたれば、己の好むところの学問のことなれば、不弁をも顧みず毎度演壇に上り、下手の長談義を致しましたが、所によりては聴衆堂にあふれんとするがごとき非常の盛会を見しこともあり、時によりては傍聴更になく空しく柱相手に演説せしこともありました。しかしてその群衆をなせしところは哲学とは耳慣れぬ学問の名目なればドンナにおもしろかろうと予想し、五里十里を遠しとせずして来聴した故であり、その寂寥たりしときは哲学とはサッパリ分からぬむずかしき学問にて、凡人輩の聴くものにあらずと考えし故であります。とにかく余は巡回中各地とも聴衆の多寡にかかわらず、哲学について大いなる誤解を抱きおることを発見致しました。その誤解の要点は一方の人は、哲学は禅学や仙人の学問の類にして、よほど意表に出でたるおもしろいことを説いたもので、奇々妙々の学問なりと考え、今度東京よりその専門の大家が来て演説なさるそうだが、定めておもしろかろうと予想し、その上に哲学者は風骨自ら異容を呈し、髯長く体軽く、仙客隠士のごときものなりと想像し、かかる人物を一見するもまた一興なりと心得、余のきたるを待ち構え、その未だ着せざるに旅館の門前市をなすがごとき有様でありましたが、すでに着するや衆人なんとなく失望の体なれば、その由を尋ぬるに全く余が体貌の仙人らしくなき故、東京より偽者が余の名を偽わり、哲学者を装うてきたに相違ないと考えたと申すことでありました。またある場所にては哲学に異名を与えて鍛冶屋の学問と唱え、余を呼びて鍛冶屋の先生と申すからそのわけを尋ねしに、哲学と鉄学とは国音相通ずる上に、哲学はすこぶるむずかしい学問にして、尋常一様の者がその話を聞いても容易に噛み砕きができぬはあたかも鉄のごとしという点から、鍛冶屋の学問と称するようになりしと申しました。その他ある地方においては哲学者はあらゆる学問に通じ、一切のことなに一つとして分からぬはずはないと考え、詩文、歌、俳諧の添削を請うものあり、書画骨董の鑑定を望むものあり、はなはだしきに至りては茶の湯、生花の品評、人相、墨色の判断を頼むものさえありて、実に閉口したことがたびたびありました。これらの例に考えて哲学の誤解のはなはだしき一斑が分かりましょう。しかしそのようなる誤解はなお許してよけれども、百人中九十九人までは哲学がおもしろいにもせよ、むずかしいにもせよ、家を富まし国を強くするには更に関係なく、世間の実用に最も遠い無用の学問にして、畢竟道楽か物好きの学ぶものに過ぎぬと考えています。この点はいやしくも哲学に従事する者の決して黙過することのできない事柄なれば、必ず口を極めて弁護の労をとらなければなりませぬ。これ余がここに通俗に対して哲学の大意を述ぶるの必要を感じたるゆえんであります。さて哲学の名称は原語のフィロソフィー(Philosophy)を訳したるものにして、その訳字は先年西周氏の定められたるものなるを、その後一般に用うることになりました。故にもし哲学のいかなる学問なるかを知るには、原語のフィロソフィーの文字について考えなければなりませぬ。この文字はギリシア語より起こり、知恵を愛求するの意を有すと申しますが、その意を直訳すれば愛知学、あるいは単に知学と称する方適当ならんかと考うれども、今更変換することはできませぬ。しかして哲学の名義については古来いろいろの解釈ありて、あるいは思想の学、あるいは道理の学、あるいは原理の学、あるいは絶対の学等、いちいち並べ立てられぬほどたくさんあるも、西洋にては未だ一人の鍛冶屋の学と申したものはありませぬ。

 さて哲学の解釈を与うるにはまず理学のなんたるを説きて、これと相異なる点を示すを最も便なりと考えます。およそ学問の種類は実に数多きことなれども、これを大別すれば理学と哲学との二つに帰しましょう。すなわち哲学にあらざるものは理学、理学にあらざるものは哲学、もしこの二つの中に入らざるものは学問とは申されませぬ。いま、理学の名義を考うるに、英語にてこれをサイエンス(Science)といい、訳して理学あるいは科学と名付けます。すべて科学と申すは順序規律の立ちたる学問に与うる名称なれば、哲学もある意味においては科学、科学もある意味においては哲学なるべきも、今日まで用いきたれるところにては、左の四段に区別することができると考えます(以下余は科学の代わりに理学の語を用う)。

第一は、哲学は人間の学、理学は万有の学。

第二は、哲学は精神の学、理学は物質の学。

第三は、哲学は無形の学、理学は有形の学。

第四は、哲学は無象の学、理学は有象の学。

第五は、哲学は全体の学、理学は部分の学。

 哲学と理学との間にはこの五通りの区別があるから、そのいちいちを述べさえすれば哲学の解釈は自然に分かるはずである。もっとも哲学にも理学にも広意と狭意との二様ありて、右の第三条の区別のごときは広意をもって哲学を解し、狭意をもって理学を解し、第四条のごときは狭意をもって哲学を解し、広意をもって理学を解することを知らなければなりませぬ。これよりその一条一条について説明致しましょう。

     第二回 哲学は人間の学および精神の学なること

 哲学は人間の学、理学は万有の学ということはあまり人のいわぬところなれども、余はこの点をもって両学の異同の一つと思います。すでに英国の哲学者ベーコン氏は世界を分かちて神と人間と万有との三種にしましたが、これは実に世界の三大元と申してよろしい。そのうち万有の研究は理学の受け持ち、人間の研究は哲学の受け持ちと考えます。第三の神は学問として研究するときは哲学の部類に入るも、通例は宗教の受け持ちであります。さすれば研究の目的とする物柄の方は人間と万有と神との三体となり、これを講究する教学の方は哲学、理学、宗教の三種となります。しかして宗教が神を目的とすることは別に説明するには及ばざれども、理学が万有を目的とすることは一言しておかなければなりませぬ。さて万有とは宇宙間に成立せる日月星辰、山川草木、鳥獣魚虫、人類までを総称する語にして、その種類を無機有機、植物動物、人類に分け、これを研究する学問を物理学、化学、天文学、地質学、植物学、動物学、生理学等に分け、これらの学問を総称するときに理学と申します。これに反して哲学の方は人間の目的、性質、知識、道徳等を研究し、その学科は心理学、論理学、倫理学、社会学等に分けますが、いずれも人間に関係したる学問なれば、余は哲学を解して人間の学と申します。ただ理学の中で生理学は人身の機関、構造等を研究するものなれば、人間の学のようなれども、理学の方にては人間を万有の一とみて、形体の方すなわち肉体の方から研究し、哲学は宇宙万有の中にて人間の人間たる特性、すなわち精神の方から研究するものなれば、多くの学科中ことに人間の学と称すべきものは哲学に限ると申してよい。そこで局外者の目にはわが田に水を引くように見ゆるかは知らざれども、世間万有中最も尊きものは人間であると同時に、その人間を専門に研究する学問は諸学の中で最も尊き学といわなければなりませぬ。たとえ世間がこの尊称を許さぬにしても、これを要求する権利はあるに相違ない。なぜなれば誰人も人間は万物の霊長と申すも、その霊長の霊長たるゆえんを示さなければ霊長の吹聴はできませぬ。しかしてこれを示すものは諸学中ひとり哲学の任ずるところであります。また理学にて天文地理を始めとし万物万類を研究する本意は、帰するところ人間社会の便益を計りてその需用に応ずるより外はありますまい。しかして人間社会そのものを研究するのが哲学であるから、哲学こそ学問中の王様と申してよい。これに対すれば理学などは飛車か角ぐらいのものに過ぎませぬ。しかるに世間ではその王様より飛車の方を大切に思うものがあるが、これは諺にいわゆる「王より飛車を大事がる」の類にして、ヘボ将棋連でありましょう。かく申すものの理学は人間の需用に応じ、哲学の材料を与うるには最も必要なる学問なれば、その社会を益する点においては哲学と同様に功労あるものと信じます。これを要するに学問と人間との関係は、理学は人間の用を弁じ、哲学は人間の性を明らかにする学にして、内外の相違があると考えて差し支えない。すなわち理学は外部の学、哲学は内部の学であります。しかしてその内部は精神にして外部は物質なれば、理学と哲学との別はさきに示せる第二カ条の物質の学と精神の学とに分かれます。これにおいてまず物質と精神との解釈を下さなければなりませぬ。

 古来哲学上の解釈にてはすべて目に触れ手に感じ、色あり形あるものを物質と名付け、これに反して色もなく形もなくして、しかもよく形色を知り物質をしたため、かつ種々の想像工夫をめぐらす作用あるものを精神と名付けます。故にこれを術語をもって釈すれば広延を有するものを物質とし、思想を有するものを精神とし、前者は思想を有せず、後者は広延を有せずと申します。広延とは俗にいわゆる「広がり」のことにして、大小広狭等の形体を具するもののことであり、思想とはいろいろ思うたり考えたりすることにして、われわれのいわゆる心の作用であります。もし言葉を換えていえば、物質とは目を開きて外に見るものにして、精神とは目を閉じて内に浮かぶものであります。物質は広延を有するから寸尺を測ることもでき、目方に掛けることもできるが、精神は世間にて大きいとか軽いとか申すも、これただ形容までにてその実大小軽量を定むることはできませぬ。この通りに物質と精神とはその性質大いに異なるをもって、これを研究する学問の方も理学と哲学との二種に分かれ、理学は物質の学、哲学は精神の学となりました。これと同時に宇宙の三大原たる万有、人間、神の三者は物心神の三種となります。これ近世哲学の初祖と呼ばるるデカルト氏の分類であります。しかしてわれわれの身体は肉体と精神との両面よりなるものなれば、理学と哲学との両者の研究を要します。すなわち肉体は物質なれば、理学中の生理学がその研究の受け持ちであり、精神はこれに知情意の別あるをもって、哲学中にいろいろの分科ができ、おのおのその専門の受け持ちがあります。あるいはまた理学を解して客観の学、哲学を釈して主観の学と名付けても差し支えない。そのいわゆる客観とはわが心にて観察すべき相手の物柄を意味するものなれば物質の方を指し、主観とはこれを観察する精神の方を指す言葉であります。かつこの客観はわが精神以外の境遇に名付けたるものなれば、あるいはこれを外界と称し、これに対して主観の方を内界と申します。しかして精神はあるいは心性あるいは心意と呼ぶものあれども、その意味は一つであります。かくして理学は物質の学、哲学は精神の学たるを知らば、前者は有形の学、後者は無形の学となりて前述のいわゆる第三カ条の解釈と合します。

     第三回 哲学は無形の学なること

 およそ有形とは我人の感覚に触るるものをいい、無形とは感覚に触れざるものをいいますが、感覚は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五種に分かれ、眼耳鼻舌身の五官の作用であります。この作用によりて感ずるところの物柄は、色と声と香と味と形質との五境にて、これをそなうるものを有形と申します。しかして形質とは大小の形、軟硬の質を義とし、わが身面の皮膚の感覚すなわち触覚に属する性質にして、五境中主にこの形質を有するものを有形と名付けます。今物質はこの形質を有するをもって有形に属し、精神はこれを有せざるをもって無形に属します。故に理学を解して有形学、哲学を釈して無形学と称して差し支えない。しかるに無形に属するものは精神のみならず神も無形なれば、哲学を無形学と称するときは心および神を研究する学となる。すなわち神の問題は学科の上にては哲学の受け持ちなれば、哲学の部類中に神学あるいは宗教学を入るるも決して不可なることはありませぬ。ここに至って哲学はややその範囲すなわち領分が広くなりて、心および神の二者を研究する学となります。

 宇宙の三大源は物心神の三種なるも、我人の直接に知るものは物心の二者にして、神は間接に知るところなれば、あるいは神ありと唱うる有神論者もあり、あるいは神なしと唱うる無神論者もありますが、神にもいろいろの神ありて、大工が家を建てるようにして世界を造りし神もあり、花火が開きて景色を現すように自体が開きて世界を現ぜし神もあります。それ故にただ一口に神はないと断言することはできませぬ。しかしこの二つの考えは大層違っているから、前の大工神の方を神といいて、後の花火神の方を理もしくは理体といいます。そのうち余は理体の存在を唱うる論者の一人であるから、格別有神論ともうしてよい。畢竟するに物心二者の外に神もしくは理を立つるは、物心だけにては世界の事物およびその変化を説明することがむずかしいからであります。例えば世界の本源を探るに広延性の物質より思想性の精神を産み出す理なく、思想性の精神より広延性の物質を造り出すはずなく、二者中いずれを根元とするも不都合が出てくるから、その大元は広延性でも思想性でもない別種の本体がありて、その体より物も心も流れ出でたであろうとの想像が起こります。また今一つには物質と精神とが最初より全く別体のものならば、決して一致和合のできる道理はない。しかるに実際上この二者は常に一致和合して、心は物を離れず物は心を離れざる関係あるを見れば、その大元は一つの体より分かれたるに相違ないとの考えが起こります。この二通りの道理によりて物心二者の本源実体ありとの説が出て、哲学上その体を神あるいは理と名付くることになりました。しかしてこの理体は目にも見えず手にも触れざるものなれば、無形に属するはいうまでもなく、したがってこれを研究するは哲学の受け持ちであります。このときには哲学は広意をもって解することになり、理学は狭意をもって解することになります。

 すでに理体も無形、精神も無形にして同一なるに似たるも、その間に有象と無象との別があります。すなわち精神は性質を有せざるも、その言語動作の上に現るる作用はもちろん、その他己の心に浮かびきたる感情、想像、思慮等をわれわれが直接に知ることができるから、これを有象あるいは有現象と名付け、これに対して理想の方はその存在も状況も挙動も直接に知ることあたわざる故、これを無象あるいは無現象と名付けます。すべて何物にてもその形状あるいは作用がわが心の上に現れきたるものを現象と申します。よって、

物質は有形にしてかつ有象

精神は無形にしてしかも有象

理体は無形にしてかつ無象なり

と心得てよい。このように同じ無形の中に有象無象の別ある以上は、これを研究する哲学の方にも実験哲学、形而上哲学の二通りがあります。しかるに余は実験哲学は有象の方を研究するものなるをもってこれを有象哲学と名付け、形而上哲学は無象の方を研究するものなるをもってこれを無象哲学と名付けます。

 かくのごとく無形中の有象も無象も共に哲学の受け持ちとするときはその領分すこぶる広く、世界の問題の三分の二以上を占むる割合なるも、もし理学の広意をもって解すれば、有象はすべて理学の受け持ちにして、無象ばかりが哲学の領分であることになります。換言すれば理学は有象の学、哲学は無象の学となります。これがすなわち第四カ条の解釈に当たるけれども、その理由はやや長ければ別に述ぶることに致しましょう。

     第四回 哲学は無象の学および絶対の学なること

 さて有象の受け持ちについては理学と哲学とのあいだに自然に領分争いが起こりて、一大訴訟にもなりそうに考えます。畢竟理学の意味の取りよう一つにてきまるわけである。すなわち理学を解して有形学とすれば、有象哲学までを己の領分にすることはできず、もしこれを解して有象学とすれば、物質も精神も共に有象なれば、理学の版図に帰することになります。しかるに前に述べきたりたるところにては理学を有形学の意味にとりたれば、そのうちに有象哲学まで入るることはできませぬ。しかし理学の意味を広げて申せば、ただに有形学を義とするのみならず、一部分の事実現象を観察実験してこれに順序系統を立つるものを理学と名付くる義があります。もしこの義によれば理学は有形学にあらずして実験学ということになるをもって、実験哲学すなわち有象哲学は理学の領分に入れてよい。このときには理学の方を更に分かちて有形的理学、無形的理学の二種にせなければなりませぬ。要するに理学に広狭の二意ありて、狭意の解によれば有形学を義とし、広意の解によれば実験学すなわち有象学を義とすることになり、これに対して哲学にも広狭の二意ありて、広意にては有象哲学、無象哲学の二種を含み、狭意にては無象哲学のみを指すことになります。しかして無象哲学は多くこれを純正哲学と称し、その異名を哲学中の哲学、諸学中の王学と申します。

 かくのごとく理学、哲学共に広狭二意あることについては、歴史上の沿革を一口話さなければなりますまい。古代にありては理学、哲学の別なくみなことごとく哲学と称し、哲学は学問の総名のごとくに考えられしも、近世になりては新たに実験上事実を観察して学理を考定する研究法が起こり、その方法を有形の事物の上に当てはめたるところ大いに好結果を得たりしをもって、哲学の外に別に理学の起こるに至りました。かくして最初の間は有形の事物のみを実験せるをもって理学を有形学と見なせしも、近来その研究法ようやく哲学の領分へ蚕食し、最初哲学たりし心理学や倫理学が理学の旗印を着けるようになり、ついに有象哲学はすべて理学なりと唱うるようになりました。元来理学は実験法により哲学は論理法によりて研究したりしをもって、最初のうちは心理学や倫理学は実験法にて研究すべからざるように考えしも、近来ようやく実験学流行の時代に会したれば、心理倫理のごときもみな精神現象について実験風に研究することとなり、ついに理学の蚕食が哲学の半身を奪い去るに至りました。しかし心理や倫理のごとき精神現象は理学的実験法ばかりにては研究すること難く、必ず哲学的論理法をもってその及ばざるところを補わざるを得ざれば、両学の配下にあるものとみるがよい。故に精神現象のごときは有象哲学、ならびに無形的理学の研究に属するものと致しておきましょう。

 つぎに無象哲学、すなわち純正哲学は無形かつ無象なる理体のことばかりを研究するにあらずして、物質の本体、精神の本体までも研究しています。これについては物質および精神におのおの体と象との二通りあることを説明せなければなりませぬ。今われわれが目前に見るところの物質は色声香味形質よりなり、全くわが感覚の上に現れたるものなれば、これを物質の現象すなわち物象と名付け、その現象の本体は見ることも探ることもできざるも、現象あれば必ず本体あるべきものとしてその実在を想定し、これを物体と名付けます。これと同じく精神の方もわれわれがしたためて心となすものは、精神の海面に浮かびたる波のごときものなれば、これを心象と名付け、その本体の方はこれを心体と名付けます。しかして心体も物体も共に不可見不可触の無形無象の体なれば、これを研究するは純正哲学すなわち無象哲学の受け持ちに帰します。左に物心理三者の受け持ちを示しましょう。

  物質 物象……………有形的理学

     物体……………無象哲学

  精神 心象……………無形的理学および有象哲学

     心体……………無象哲学

  理体……………………無象哲学

 もしこれを広意の哲学と狭意の理学とに分かたば、

  理学……………………物象

  哲学……………………心象、物体、心体、理体

 もしこれを広意の理学と狭意の哲学とに分かたば、

  理学……………………物象、心象

  哲学……………………物体、心体、理体

 右の相違になります。しかるにまた有象の方を差別あるいは相対と名付け、無象の方を平等あるいは絶対と名付くることがあります。しかして差別とは千差万別の状態を示すものをいい、平等とはその反対をいい、相対とは右あれば左あり、昼あれば夜あり、大あれば小あるがごとく二者相対して成立するものをいい、絶対とはその反対をいいます。これをもって広意の理学の方をあるいは相対の学と名付け、狭意の哲学の方を絶対の学と名付くることもあります。

     第五回 哲学は統合の学なること

 かくのごとく哲学は物体、心体、理体の三者を研究するをもってこれを無象の学、あるいは絶対の学と名付くるも、哲学中に一派ありて物体、心体、理体のごときは全く人の空想より描きあらわしたるものなれば、その体実に存するにあらず。よしこれを存すと仮定するも、全く不可知的にして到底人知の知るべきものにあらざれば、なにほどその研究に力を尽くすも、つまり骨折り損のくたびれもうけであると唱え、哲学を現象学として理学の領分へ引き付けようと企てるものがあります。余輩よりこれをみればこの企ては哲学の謀反、あるいは国事犯とみて放逐してもよいように考うれども、ずいぶんその方に賛成者があるから、やむをえずその一説もここにならべることになりました。もしその説によれば哲学も理学も共に宇宙間の現象を研究する学にして、ただ二者の相異なるは理学は部分の学、哲学は全体の学なるの別ありと申します。まず部分の学とは、宇宙間の現象にはいろいろさまざまの種類ありて、活物もあり死物もあり、天に懸かるものもあり、水に泳ぐものもあり、野に長ずるものもあり、山に住するものもあれば、とても一つや二つの学問にてことごとく研究することはむずかしい。よって分業法にて一部分ずつ研究することが必要になり、天文学、地質学、植物学、動物学等の学科が並び起こり、天文学は天体の現象のみを研究し、地質学は地質の現象のみを研究するがごとく、諸学科みな一部分だけを受け持つことになりました。かく学問がみな分業になるときは、別にこの諸科を統轄する学問が入用になります。例えば一国を治むるに一政府にて隅から隅まで監督することはできないから、必ず県庁や郡役所のごとき地方政府を諸方に置いて、おのおの分業にて一部分だけを支配するようになる。そのときは必ず中央政府ありてこの諸部を統轄する必要を感ずると同じ道理であります。故に理学は宇宙現象の一部分ずつを分担するものとし、これを統轄総合して宇宙全体の真理を考定する任は哲学であると申します。この説によれば理学は地方政府、哲学は中央政府に当たるべき道理なれば、いわゆる哲学は諸学の王学なりとの意を証明するものと考えてよい。これを軍隊に例うれば、理学は大隊長とか連隊長に当たり、哲学は司令長官か師団長に当たるわけなれば、いたって鼻の高くなる話なれども、余輩はこの配当をもって満足することはできませぬ。なぜなればもし哲学が理学の結果を総合する外に仕事のないものならば、理学にて材料を与えぬ間は徒然として手を空しくしているより外なく、これを理学の総裁といえば大層栄誉のようなれども、その実独立の資産なくして理学の支給を待つがごとき有様なれば、哲学にとりてはあまり有り難くない役割であります。

 古今の哲学諸家中におよそ二派ありて、その一は独断派、その一は経験派と名付けますも、余は先天派、後天派の名目をこれに配して、その二派の所見を述べましょう。まず後天派は経験主義にして、すべて事実現象に照して確実なるものでなければ真理にあらずといい、先天派はまさしくその反対にして、真理は経験によりて得るものにあらず、我人生まれながら有する先天の知識によりて得るものであるというの相違があります。この後天派の説にては、無象の物体、心体、理体を空想として、哲学の問題の中に入れないから、その勢い哲学を理学の舞台へ持ち出して、全体を総合するの役目を与うるようになりましたれども、先天派の説にては、理学にて研究し得べからざる究竟の原理を研究することが哲学の役目なりと解するをもって、物体、心体、理体のごとき無象の研究は実に哲学の本分と致します。もしこれを約言すれば後天派にては哲学を解して統合の学、あるいは全体の学といい、先天派にては原理の学、あるいは絶対の学というの別があります。余をもってこれをみるに、先天派の説のごとく理学にて知るべからざる実験以外の問題を論理の力によりて研究するのが哲学の本分なれば、物体、心体、理体のことももとよりその学の受け持ちなることは疑いなけれども、またもろもろの理学を統合総轄するも、哲学の職務と考えてよい。すでに実験以外の無象の本体を研究するには、ひとり論理のみの案内にてこれに達することはむずかしい。必ずもろもろの理学の結果を参照するを要します。しかしてみれば無象の本体を研究するに、自然の勢い、理学の統合が必要なるわけなれば、先天後天両派の説は、つまり相合して一つとなります。故に余は狭意の哲学を解して、「絶対の学にしてかつ統合の学なり」と定めます。もし広意の哲学は単に無形の学と解すれば足るようなれども、多少統合の意を含んでいます。例えば心理学にても倫理学にてもその研究の物柄が無形であるから、有形学の結果を統合しきたりて考察を下すことが必要であります。よって余は更に左の通りの定義を作りました。

哲学(広意)は無形の学にして多少統合の学なり

哲学(狭意)は絶対の学にして全体統合の学なり

 哲学の義解はこれだけにて略し、つぎに学科の分類を話しましょう。

     第六回 哲学に理論学と応用学との別あること

 理学(狭意)にて物理学、化学、天文学、地質学、植物学、動物学等あるがごとく、哲学(広意)にも心理学、論理学、倫理学、美学、教育学、社会学、政治学、純正哲学、宗教学等の諸科が分かれていますが、これを大別して有象哲学と無象哲学との二つに収めます。しかして有象哲学の下に心理学、論理学、倫理学等をおき、無象哲学の下には純正哲学ばかりをおき、更に有象哲学を理論と応用とに分かちて、心理学および社会学を理論の部に入れ、倫理、論理、美学、教育、政治の諸科を応用に入れ、無象哲学の方は純正哲学を理論とし、宗教学を応用とするのが、余がとるところの分類であります。左に表を掲げて示しましょう。

 すべて理論学は事物の道理を研究証明するまでにて、実際の応用いかんを問わず、応用学はその道理を世間人事の上、あるいはわれわれの心の上に当てはめて、かくなすべしと指示するものであります。これを研究の上に考うれば、物理学、化学、天文学等はその受け持ちの区域において道理を研究するのみなれば理論学にして、器械学、製造学、航海学等はその道理を実地に応用して人間社会の実益を計るものなれば応用学であります。これと同じく心理学、社会学は精神作用の道理あるいは社会現象の規則を考定するまでなれば理論学に属し、論理、

  哲学 有象哲学 理論学 心理学

              社会学

          応用学 論理学

              倫理学

              美 学

              教育学

              政治学

     無象哲学 理論学 純正哲学

          応用学 宗教学

倫理、教育、政治等は実際の適用を主とするものなれば応用学に属します。しかして心理学と社会学との相違は個人と国体との別ありて、心理学の方は一人一人の心理を研究するものにして、社会学の方は衆人団体の上に生じたる心理的現象を研究するものとみてよい。この心理学を応用して論理学、倫理学、美学、教育学が起こります。まず心理学は人の精神現象を知情意の三種に分かちて、その各種の性質規則を考究するものなるが、その知の道理を応用するものは論理学、その情の道理を応用するものは美学、その意の道理を応用するものは倫理学であります。しかし論理学、美学、倫理学は決して心理学の応用のみにあらずして、その根本の問題、例えば論理学にて思想知識の本源を論ずるがごとき、美学にて美の原理を論ずるがごとき、倫理学にて人間の目的、善悪の標準を論ずるがごときは、純正哲学に入りて研究すべきものであります。つぎに教育学にて説くところの体育、知育、徳育の三種中、体育は理学の道理を応用するものとみてよいが、知育、徳育は全く心理学の応用であります。つぎに政治学は社会学と同じく個人の学問にあらずして、団体上の学問すなわち国家の団体上における応用学にして、社会学や倫理学に関係を有します。もし政治の原理にさかのぼりて人間の目的権利の起源等を論ずるに至らば、これまた純正哲学の研究を要する次第であります。

 すでに有象哲学の各科を指示してここに至れば、無象哲学につきて一言せざるを得ざるように考えます。さて無象哲学すなわち純正哲学は哲学の最上に位し、諸学の王学となり、実に学問中の大問屋にしてまた中央政府であります。故に理学および有象哲学が仮定して自ら説明することあたわざる事柄は、みなこの純正哲学において討究論定し、すべて諸学の根拠とするところの原理と究極するところの問題とはみな純正哲学の受け持ちであります。世間にてはかかる高尚の研究は実際に遠い話なれば、純正哲学のごときは有れども無きがごとく畢竟無用なりと評するものあるべきも、決して実際に遠き問題にあらず、むしろ近き問題といってよい。よしこれを遠しとして廃せんとするも、われわれの思想が自然にその問題を提出し、しきりに答弁を求めてやまざるをいかんしてよろしきや。人間は思想的あるいは理想的動物である。換言すれば哲学的動物もしくは純正哲学的動物でありて、その禽獣と異なるゆえんもまたこの点に有りて存すと考えます。故に田夫野人のごときも多少哲学的思想を有し、人間は何者にして世界は何物なるやの疑念を抱きています。生前死後のことなどは実際に関係なきこととするも、これを究めこれを知らんとするは人間生まれつきの持ち前であります。それ故に純正哲学の方からかかる問題をわれわれに与えてくれたのでなくして、われわれの方から注文してその説明を純正哲学に頼んだのであります。しかしてみれば人間が理想的動物たる以上は純正哲学は人間必須の学問たるに相違ない。もしこれを欠きては人間の希望を満たすことができず、あたかも衣食住が人間の肉体を保存するに必要なるがごとく、純正哲学は人間特有の理想の生存を保存するに欠くべからざるものであります。ついてはこれよりその学科の状態を話しましょう。

     第七回 純正哲学の範囲および関係の大なること

 純正哲学の問題はさきに述べたるがごとく、無形無象に属する物体、心体、理体の存否および性質作用を研究するにあれば、これを分かちて物体哲学(あるいは万有哲学または宇宙哲学)、心体哲学(あるいは精神哲学)、理体哲学(あるいは理想哲学)の三種となすことができます。これ無形無象の体についての分類なるが、この外にその相すなわち性徳についての分類があります。すなわち真善美の三種にして、その真は論理学あるいは知識論の基づくところ、その善は倫理学および政治学の基づくところ、その美は美学の基づくところにして、共に純正哲学中の問題であります。故にもし高等論理、高等倫理、高等美学に至っては、純正哲学中の一科とみてよい。これに対して無形無象の体について論ずるところの物体哲学は理学の根拠を論じ、心体哲学は心理学の根拠を論じ、理体哲学は宗教学の根拠を論ずるものなれども、余はこの三者の直接の応用は宗教哲学なりとの一説を主唱するものであります。今日のところにては理体哲学だけが宗教の上に応用せらるるようなれども、心体にても物体にても同じくこれを宗教に応用することができると考えます。かくして後には理体宗、心体宗、物体宗などが起こるに相違ありませぬ。故に余は純正哲学の応用は宗教学なりと申します。しかしもしその相についての応用を挙ぐれば、論理、倫理、美学、その外、政治法律までもこれに加わることなれば、純正哲学の応用はすこぶる広くかつ大なりと申してよい。いま理学(狭意)と哲学(広意)とを比較して理学より進んで純正哲学に及ぼす順序を示さば、理学中の中心となるものは物理学にして、他の理学はみなこれより派生したる有様である。すなわち物理学は理学の本家にして、他はみなその分家に過ぎませぬ。これと同じく有象哲学の中心は心理学にして、他はこれに接続しているものと考えて差し支えない。また理学研究法の骨目は数学にして、哲学研究法の骨目は論理学であります。すなわち理学は数理に基づき、哲学は論理に基づきて研究しています。しかして理学の究極するところの問題は哲学の研究を待ち、有象哲学の究極するところの問題は純正哲学の研究を待つことになります。

  理学 物理学

     数 学 哲学

  哲学 心理学

     論理学 純正哲学

 かくのごとき関係ありて理学より進んで純正哲学に至るように考えます。しかしこれは余の考案であることを断りておかなければなりませぬ。とにかく純正哲学は諸学の帰結するところにして、あたかも学問の大海のごとく、諸学流れてその中に入るほどの広大なる学問であります。世間これを評して哲学は鉄学なりというも、余は決して不当とは思いませぬ。ただ哲学は非常にむずかしくして一通りの人知では噛み砕きのできぬことあたかも鉄のごとしとの意にとらずして、その万般の学問に関係してその功用の大なること、なお鉄の功用の大なるがごとくみるときは、哲学はすなわち鉄学なりと申しても差し支えはありますまい。

 すでに純正哲学の関係の広大なることを述べたれば、その学問上における学派の主義および名目を示すの必要を感じました。通常唱うるところの名目に独断派、懐疑派、経験派、合理派、唯物論、唯心論、一元論、二元論、実体論、理想論などの語を用うるも、これは局外の者には解し難いかも知れぬから、一応の弁解を述べましょう。まず独断派は己の思想にて確実と信ずることは別に疑いを起こさずして、これに相違ないと断定するものを意味し、宗教家中にはことにこの風が行われています。これに反して懐疑派は決して思想の独断に任せず、なにごとにも疑いを起こして決して事物の実在および真理の原則等を信ぜざるものを意味し、哲学中には往々この極端に陥るものがあります。経験派は人の知識、思想、その他すべての真理は、みな生まれて後の経験より得るものとなす学派にして、前に述べたるがごとくあるいはこれを後天派と申します。合理派はすなわち道理派のことなれば、すべてなにごとも道理に考えてこれに合するものを真理と立つる学派にして、この派は多く経験論に反対致します。しかして経験論の反対はこれを先天派と申します。唯物論は経験論の極端に走りたるものにして、物質の外に精神なく、精神作用は神経物質より生ずと立つる論であります。これに反して心の外に物なしと唱うる論を唯心論と名付けます。一元論は物と心との二者につき、その本体は一なりと立つる論にして、唯物論も唯心論もみな一元論の一種であります。これに反して物心二者両存を唱うるものを二元論と名付けます。実体論とは世界万有の本体が目前の現象を離れて別に存することを唱うる論にして、いわゆる物体の実在を主唱する論であります。これに反して唯心論より一歩進み、思想の本体すなわち理想ありて物も心もみなその中よりあらわれ出でたることを唱うる論を理想論と申します。その他なお普通の人知に基づきて真理を立つるものを常識論といい、仮定憶断を破り批評的に知識の能力を吟味するものを批判学というの類は、いちいち挙ぐることはできませぬ。これを要するに、哲学は決して鬼でもなければモンスターでもないから、少しも恐るるには及ばぬ。もしその専門の書について読まば、意外に解しやすいのにかえって驚くことがありましょう。

     第八回 哲学の歴史上の発達

 だんだん哲学の名義および学科を一通り話しましたから、これより哲学の発達せし歴史上の分類を述ぶるつもりであります。近来西洋にても哲学は西洋ばかりでなく東洋にもあることが分かり、東洋哲学という名称ができ、インドの仏教やシナの儒教も哲学のうちへ数え込めるようになり、わが帝国大学中にも先年来東洋哲学の学科をおき儒仏二教を講ぜらるるようになりました。よって哲学、歴史は第一に東洋哲学、西洋哲学の二つに分かち、東洋哲学をインド哲学、シナ哲学の二つに分かち、インド哲学を仏教哲学、婆羅門哲学に分かち、シナ哲学を孔孟哲学、老荘哲学に分かちます。つぎに西洋哲学を古代哲学と近世哲学との二つに分かち、古代哲学をギリシア哲学およびローマ哲学に分かち、近世哲学を大陸哲学と大英哲学とに分かち、大陸哲学をフランス哲学、ドイツ哲学に分かち、大英哲学をイギリス哲学、スコットランド哲学に分かたなければなりませぬ。左にその表を示しましょう。

 このうち東洋哲学の方は説明するに及ばぬけれども、西洋哲学の方は多少の説明が入ります。まず古代哲学は西暦紀元前六〇〇年代より中世の終わり、すなわち紀元後一二〇〇~一三〇〇年代までをいい、そのうち紀元前はギリシア哲学の時代にして、その哲学はタレス氏より始まり、これを西洋における哲学の元祖と致します。紀元後はローマおよび中世の哲学なれども、ギリシア哲学の余波の中へヤソ教の泥を混じたる有様にて、哲学とするだけの価値なきものであります。近世哲学はギリシア文字再興の時代より始まるとするも、まさしく近世の新基礎の上に組織せられたるは、イギリスのベーコン氏、フランスのデカルト氏にして、この二氏は実に近世哲

  哲学 東洋哲学 シナ哲学  孔孟哲学

                老荘哲学

          インド哲学 仏教哲学

                婆羅門哲学

     西洋哲学 古代哲学  ギリシア哲学

                ローマ哲学および中世哲学

          近世哲学  大陸哲学 フランス哲学

                     ドイツ哲学

                大英哲学 イギリス哲学

                     スコットランド哲学

学の開祖であります。されば西洋哲学は紀元前六百年代より今日までその年歴二千五百年間の発達なれども、中間千四、五百年間は有れども無きがごとくほとんど中絶の有様なれば、差し引き上およそ千年間の進歩とみなければなりませぬ。しかして今日なお勇ましく進む勢いなれば実に盛んなることではありませぬか。しかるに東洋はインドにてもシナにても古代一時はすこぶる隆盛を極め、はるかに西洋の上に超出せしことあるも、その後今日に至るまで更になんらの進歩なく、そのままに捨て置いてだれも顧みざる有様なれば、大いに衰微をきたせしももっともの次第であります。今よりわれわれが大奮発して千年以上の後れを取り返さなければなりませぬ。

 西洋の哲学は哲学の性質上、古代を三段に分けます。すなわち万有哲学時代、人間哲学時代、宗教哲学時代の三段にして、ギリシア哲学の初祖たるタレスよりソクラテス以前までは、主に世界万有の起源を論じおりしをもって、これを万有哲学の時代とし、ソクラテス氏より懐疑学に至るまでの間は、人間の知識および道徳を哲学問題の中心として論じたりしをもって、人間哲学の時代とし、懐疑学以後より中世の終わりまでは、宗教臭味の哲学のみ行われしをもって、宗教哲学の時代として分けます。実にソクラテスは古代哲学の中興にして、あたかも日の中天に達したるときのごとく、懐疑学はギリシア哲学の晩景を告ぐる赤鴉に比すべきものであります。つぎに近世哲学は余の考案にては再興時代と新設時代と完備時代との三段に分かち、再興時代はギリシア文学再興よりベーコン、デカルト二氏出世の前に至る。その間はギリシア哲学が復興せしまでにて、別に新哲学の起こりたるにあらざれば、近世哲学の準備期と申してよかろうと考えます。新設時代はベーコン、デカルト二氏よりカント氏の前までにして、その間はギリシア哲学を継述するのではなく、別に新主義を立ていわゆる近世哲学の基礎を開きたるものなれば、これを新設時代と申します。しかしてベーコン氏は経験主義をとりて英国経験派の開祖となり、デカルト氏は独断風の哲学を起こして大陸先天学派の開祖となりしより、そののち西洋の哲学は経験、独断の二派に分かれ、経験派はヒューム氏の懐疑論に陥り、独断派はライプニッツ氏の合理論となり、おのおの極端に偏するに至りたれば、カント氏出でてこれを統合し、別に批判学を起こして従来の哲学の仮定独断を看破し、一大完全の組織を開きしより以後は、西洋の哲学大いに完備するを得ました。よってカント氏以後、今日に至るまでを近世哲学の完備時代と名付けます。これを完備と名付くるはカント以前の不完備なるに比較していうまでにて、哲学が真に完備を得るは将来幾千万年の後を待たなければなりませぬ。とにかく古代哲学にありては紀元前四〇〇年代に世に出でたるソクラテス氏を中興とし、近世哲学にては今日より百年前のカント氏を中興とする故に、余は先年、東西哲学界の四聖を選び、東洋にて釈迦、孔子を得、西洋にてソクラテス、カントを得、あわせてこれを四大聖人として祭ることに致しました。日本むしろ東洋にて哲学の祭を行うものは余をもって始めとし、かつ今でも余の外にはありますまいが、従来大工職人は聖徳太子を祭り、寺小屋にては菅公〔菅原道真〕を祭るの例にならい、余は哲学を専門にするものなれば、四大聖人を祭る先例を開きました。もし人間は哲学的動物である以上は、日本国中の人がこの祭りを挙行せられんことを望みます。

     第九回 哲学諸家の学説

 哲学の歴史上の段取りばかり話ししても、皮ばかりにて実がないと同様なればおもしろくなかろうと思いますから、これより古今の間にあらわれたる名高い哲学者を読み上げましょう。まずギリシアにてはタレス氏の学派をイオニア学派と唱え、物理上の観察によりて世界万有の根元を論じたるものなるが、タレス氏は万有の根元は水であると申しました。その後ピュタゴラス氏起こり世界の成立を数理に帰して、万物みな数よりなるという説を唱え、つぎにエレア学派は世界は単一を本とすといい、これに反してヘラクレイトス氏は火元変化説を唱え、エンペドクレス氏は地水火風四元説を唱え、デモクリトス氏は分子成物説を唱え、甲論乙駁なかなかやかましいことでありましたが、その極、詭弁学と名付くる一種の懐疑派が起こりて、ギリシア前世紀すなわち万有哲学時代は終わりを告げ、更にソクラテス氏出でて詭弁学を排斥し、かつ前世紀の万有哲学を一転して、哲学の問題を人間の上に移し、もっぱら倫理および教育の道理を講ずることになり、哲学界の形勢が一変するようになりました。氏の門下より出で、青は藍より出でて藍より青きの勢いをもって、哲学の舞台に名をとどろかせしものはプラトン氏であります。その学ソクラテス氏の哲学を継述せるも、更に前世紀の万有哲学を参考して、倫理も物理も論理もみなことごとく網羅して一大組織を開き、もって理想哲学を唱えました。つぎにプラトン氏の門下より出でて、同じく出藍の勢いをもって哲学界を震動せしものはアリストテレス氏であります。氏はプラトン氏の理想論の空想に過ぐるを見てその論を事物の上に移し、別に新哲学を組織するに至り、その博覧達識においては古代哲学者中の泰斗と呼ばれています。要するにこの二大家がギリシア哲学の両大関にして、哲学の深遠なることはプラトンを第一とし、哲学の正確なることはアリストテレスを第一とし、共にその流れが近世に伝わりて、プラトンの哲学はドイツ哲学の源となり、アリストテレスの哲学はイギリス哲学の基となりしに相違ない。当時またストアの哲学、エピクロスの哲学並び行われ、前者は万有の規律に基づきて道徳上厳粛教を唱え、後者は分子成物論をとりて快楽教を唱え、互いに相争いたるは実に近世の倫理学上における二大主義の根基となりました。以上四大学派の結果は懐疑学となりて、真理の規則を否定し道徳の標準を抹殺し、哲学ここに至って大いに衰え、爾来ベーコン、デカルト両氏の出づるまでは、格別講ずべきほどの学説世に起こらざりし有様でありました。

 ベーコン氏ひとたび出でて経験主義を唱えてより、ホッブス氏は道徳上自利教を唱え、ロック氏は心理上感覚論を唱え、イギリスにおいては経験学派大いに勃興するに至りました。しかしてロックの論は相伝えて、一方にありてはバークリー氏の唯心論となり、ヒューム氏の懐疑学となり、他方にありてはハートリー氏の心理学となり、更に相伝えてミル父子の論、ベーン、スペンサー諸氏の学を起こすに至りました。またホッブス氏の自利教が誘因となりてスコットランドにハチソン氏の良心論起こり、相伝えてリード氏に至れば、氏はバークリー、ヒューム諸氏に反対して常識論を唱え、スコットランド学派の系統を開き、スチュアート、ブラウンを経てハミルトン氏に達し、更に一段の進歩を見るに至りました。以上は大英哲学の状況であります。

 つぎに大陸哲学はフランスのデカルト氏ひとたび独断の学風を開き、思想を起点として哲学を講ぜしより、オランダのスピノザ氏これを継ぎて一元論を唱え、一転してドイツに入り、ライプニッツ氏の合理論を呼び起こし、氏は元子開発の理をもって知識の先天なるゆえんを唱え、もってイギリスのロック氏に反対し、その説ヴォルフ氏を経て相伝えてカント氏に至れば、ヒュームの懐疑論を破り、かつ経験独断の両主義を統合して批判哲学を起こし、唯心論より進んで物体実在論を唱え、もって新たに哲学上の大問題を提出するに至り、その学派また相伝えてフィヒテ氏の主我論となり、シェリング氏の絶対論となり、ヘーゲル氏の理想論となりて理想の極端に達しました。その系統に反対して起こりたるものは前にヤコービ氏の直覚論、シュライエルマッハー氏の感情論あり、後にヘルバルト氏の多元論、ショーペンハウアー氏の意志論、ロッツェ氏の元子論等めぐりて、互いに理を練り論を闘わすはあたかも戦国の時、英雄四方に割拠して雄雌を争うの有様に等しい。ただその異なるは野蛮的腕力競争と哲学的道理競争との別であります。その論はいずれも高尚なるにかかわらず、よく社会の上に応用の道を開き、カントの学は道徳の上に、フィヒテの説は人権の上に、シェリングは美術の上に、ヘーゲルは論理の上に、シュライエルマッハーは宗教の上に、ヘルバルトは教育の上に、大いに影響を与えました。その後ハルトマン氏はヘーゲル、ショーペンハウアーとの両説を統合して一家の学説を唱え、ヴント氏は生理、物理の道理に基づきて実験心理を唱うる等、いちいち述べ尽くすことはできませぬ。実にドイツはカント以後哲学界に百花爛漫の光景を呈し、この道に遊ぶものの眼には、向島や嵐山の花見に千倍万倍する興味があります。

 フランスにてもデカルト氏ひとたび独断学を起こして以来、その門弟独断主義を継述するにもかかわらず、その反対たる唯物論大いに盛んなるの勢いを示し、前にガッサンディ氏ありてギリシア時代の唯物論を再興し、後にコンディヤク氏出でて、ロックの感覚論を継述し、あるいはエルヴェシウス氏の自利説、カバニー氏の唯物論等続々世に出づるに至りました。しかるにここにまたクーザン派の折衷説起こり、後にコント氏の実験学出でて、共に哲学上に一大影響を与え、なかんずくコントの学は近年における哲学上の一大革命にして、その実験主義より大いに哲学の形勢を一変し、爾来哲学を理学風に講究する有様となりました。よって余はカントおよびコントは近世哲学史上の二大豪傑と考えます。このコントの実験主義がイギリスに入り、スペンサー等の学に大いなる影響を与えしは疑いありませぬ。当時スペンサー氏の哲学は実験主義に進化論を加えたるものにして、進化哲学と申してよろしい。また道徳上にありてはベンサム氏、ミル氏等の功利教あるいは実利主義、大いに世間に歓迎せらるる勢いなるが、これまた道徳上における実験主義と申してよろしい。元来ドイツには独断主義行われ、イギリスには経験主義行われ、両国の学風おのおの特色を有せしが、近来かえってドイツにスペンサー風の実験哲学行われ、イギリスにヘーゲル風の理想哲学行わるると申しますが、これは実に不思議ではありませぬか。衣服、装飾品ばかりでなく、哲学にもその時々の流行あるものと見えます。

 以上は哲学史上の名高き学者ばかりを拾いきたりてならべたるものなれば、哲学者の小博覧会とみてよろしい。そのいちいちの詳しき話は哲学史について読まなければなりませぬ。

     第十回 哲学の社会上に与うる利益

 かくのごとくイギリスにもフランスにもドイツにもたくさんに哲学者が輩出して、道理上の戦争を交えてやまざるはなんぞやと考うるに、つまり哲学が人間に必要なるによるというより外はありませぬ。しからば哲学はなにを目的としてそのように必要なるやと尋ぬるに、すでに前にも述べたる通り、理学の研究のできないところへ立入り、実験の力のとどかぬところへ踏み込み、われわれの知識、思想の及ぶ限り宇宙の真理を窮めて、理想的動物たる人間の理想を満足せしめ、もって我人に安心を与うるに至るものであります。その他、理学の諸科が世界の一部分にありて研究したる結果を結びつけて、宇宙全体の真理を論定するものであります。すでに古来の哲学者が一心に哲学を研究するときは、知らず知らず食を忘れ眠を忘れ、老いのまさに至らんとするを忘れ、死のまさに近づかんとするを忘れ、ほとんどわれわれを忘るるの妙所に至るは、全く快楽その心にあふれその身に余るによることは申すまでもありませぬ。世間の人が哲学などはなんの楽があるかと評するは、全くその楽を知らざる故にして、諺にいわゆる「食わず嫌い」と申すことでありましょう。よって誰人もひとたび哲学の真味を味わえて後に評するように願います。すべて快楽を得るにはなかなか費用のかかるものなれども、哲学を研究するにはなんにも費用はいらず、このくらい安上がりの楽はありませぬ。よし楽はないにしても、人間と生まれたる以上は、人間の目的を知らずして世を渡ることは最も不都合と考えます。孔子も朝に道を聞いて夕に死すとも可なりとまで申され、その道とは人間の目的のことであります。しかしてその目的を研究することは物理学でもできず、天文学でもできず、ぜひ哲学によらなければなりませぬ。何日間顕微鏡をのぞいていても、そのうちより決して人の道の現れてくる道理なく、また何カ月間望遠鏡をうかがっていても、決してそのうちに人の目的が分かるはずはありませぬ。そうしてみれば快楽の有無にかかわらず、いやしくも人間に生まれたる以上は、哲学を修むるは必然の義務と心得てよろしい。いわんやこれを修むるにおいては身にも心にもあふるるほどの快楽を感ずる次第であります。畢竟世間が哲学を無用視するは、哲学そのものを知らぬばかりでなく、哲学が世を益し人を利するゆえんを知らぬからでありましょう。よってここに哲学の社会および人心上に与うる利益を述ぶるつもりであります。

 哲学の利益についてはこれを二段に分けて、第一に社会上に与うる利益、第二に人心上に与うる利益として説かなければなりませぬ。まず社会上の利益を挙ぐれば、理学が有形上より器械、製造、運搬、土木等を進めて、社会上に利益を与うるがごとく、哲学は無形上より教育、宗教、政治、道徳、美術を進めて、社会上に利益を与うることは明らかな事実であると考えます。しかし理学は有形であるから人の目に触れやすく、哲学は無形であるから人の目に見えぬために、世間はひとり理学の恩恵を認めて、哲学の賜物を知りませぬ。これは哲学の不幸というものでありましょう。有形上では昔は草鞋をうがち、数日間かかりて山坂を歩いたのに、ただいまは汽車や汽船ができたために、一時間か半日のうちに懐手で眠りている間に旅行ができるから、だれもこのぐらい有り難いことはないと思いますが、昔は政治上で暴威をもって人民を圧制し、一人罪を犯せば三族を平らげるなど、実に残酷を極めたるに、今日は哲学上人間の目的および権利や自由の道理が分かり、ために三族を平らぐるがごとき苛刑はなくなりたれども、そのことにはさほど有り難味を感じませぬ。その他、教育にせよ宗教にせよ、昔と今日とは大層変わりて大いに改良も進歩もできたのに、これまたさほど人の喜ばぬのは、奇怪の次第であります。畢竟するに世間の人は半盲半目明きの状態にて、有形を見る眼ばかりありて、無形を見る眼を持たぬといわなければなりませぬ。たとえなにほど器械や製造や運搬等が進んでも教育、宗教、政治、道徳が昔日の状態にとどまりおらば、決して社会が理学の恩恵を楽しむことはできず、その上に教育道徳が進まざれば理学上の色々の発明もできないに相違ありませぬ。しかるに近世いろいろの発明のできたのは、全く教育道徳の進歩したる結果なることは明らかであります。例えば器械と知識との二つについて器械より知識を産み出すか、知識より器械を産み出すかというに、無論知識が進んで始めて器械の発明ができるのであります。しかしてその知識を進めるは教育の力にして、哲学の受け持ちなることはいうまでもありませぬ。すでに西洋近世の文明をみるに、いろいろの器械が発明になりたるは第十八世紀より第十九世紀の今日にありて、その前に三百年も四百年も哲学思想の進歩によりてまず政治や宗教や教育が一大改良を受け、最後にこの器械文明の結果をみるに至りました。換言すれば哲学が根となり幹となりて器械の花を開くに至れりと申してよろしい。とにかく哲学思想の進歩は人知の進歩を意味することなれば、今日の文明は哲学の進歩によりて現れたというても差し支えはありませぬ。よしこの文明は哲学の進歩にあらずして理学の進歩とするも、理学そのものの進歩は哲学の進歩によるものなれば、哲学によりて文明を産み出したといっても不都合はありますまい。その例はギリシアの文明に照らせばたやすく分かります。すなわちタレス氏がひとたび哲学を唱えて以来諸派の哲学陸続として起こり、これに伴いて百般の文明が栄ゆるようになりました。かく申すはあまり哲学びいきのように思う人もあるべきも、哲学の方面よりみるときはかくのごとく思わざるを得ざれば、その自ら信ずるところを述べたる次第であります。

     第十一回 純正哲学の人の精神上に与うる利益

 以上論ずるところの哲学が、社会上に与うる利益は有象哲学か無象哲学かというに、余は双方を合して広意の哲学の考えにて申したのであります。現今わが国にて理学というときは狭意の理学すなわち有形的理学を意味し、哲学というときは広意の哲学を意味しています。その例はわが帝国大学の理学科または哲学科の名称について分かります。しかしこれを狭意の哲学の上に論ずるも同じことである。ただ無象哲学すなわち純正哲学は有象哲学にて証明のできざる道徳、宗教、政治等の根本的原理を論明せるものなれば、やや間接にわたるだけであります。つぎに哲学が各自の精神上に与うる利益を考うるに、狭意の哲学すなわち純正哲学だけについてその利益の要点を挙示すれば左の通りであります。

第一に知力を練磨すること

第二に思想を遠大にすること

第三に情操を高尚にすること

第四に人心を安定すること

 諸学のうちで直接に人の知力思想を練磨してその発達を助くるものは、数学と論理学と純正哲学との三つであります。すでに数学のごときは実用上に必要なるに相違なきも、今日普通学において代数幾何までを学ぶも普通の商業や農業には別にその必要なきはずである。たとえ商法に数学が入ると申しても、加減乗除、利息算ぐらいにて足るべく、代数幾何までを煩わすには及びますまい。しからば普通学に代数幾何までを授くるは、全く知力を練磨するためと心得てよろしい。これと同じく論理学は申すに及ばず、純正哲学のごときは直接に商業や農業に関係なきも、無形無象の事柄を研究するものなれば、特別に知力の働きを要することにて、かくしてひとたび練磨したる知力は、これを実業上に用いてその功あるべきは幾何代数と同様であります。例えば商業にしても来年は一層大仕掛けに拡張しようと思うときは、二年も三年も向こうのことを想像にて推し測らなければなりませぬ。つまりその問題は純正哲学と同じく無形無象の事柄であります。故に平素、純正哲学にて無形無象のことまでを研究して鍛えたる知力をこれらの実業上にあてはめれば、いくぶんか正確なる想像を得らるるに相違ない。これ純正哲学の人心上に与うる利益の一つであります。

 つぎに人間の弊はとかく卑屈に流れ小事にあくせくするものなるに、わが国民はなおもって性質急速にして、なにごとも規模の小に過ぐるの傾きがあります。この弊を矯め直すには純正哲学のごとき宇宙の広大なること、時間の無限なることばかり研究する学問を修むればよろしいに相違ありませぬ。これまでの人の気風を大ならしむるには、老荘学や禅学がよろしいと申しきたりたる例に考えても、純正哲学が人の思想を遠大ならしむる功あることは明らかであります。

 つぎに人間は情欲の奴隷になり、酒色にふけりやすきものなれば、これを制する工夫を考えておかなければなりませぬ。もし人が理学の目的物たる有形の事物にばかり意を注ぎておるときには、有形上の考えばかり浮かび出でて、かえって酒色の欲を強くするように傾き到底これを制することはむずかしけれども、もし無形ことに無象の事柄に意を注ぎ、その方に興味を有するようになれば、有形上の情欲を無形上に移すことができます。よし一歩を譲りて移すことができぬにしても、有形の一方に嗜好を有するものと、有形と無形と両方に嗜好を有するものとは、その一方だけにおける嗜好の度の強弱において大いに異なることあるは疑いありませぬ。これひとり道理上のみならず、実際上純正哲学的趣味を有するものは、体欲を制するにやすき例は古来たくさんあります。とにかく純正哲学を研究するときは人の情操を高くし、人の品位を進むるの益あることは、わが国維新前の儒者学者に考えても分かります。従来の儒者はその学ぶところは別段純正哲学というほどでないにせよ、孔孟の道につき無形上の楽を味わうているから、無学の豪商紳士に比すればその品位徳性の異なるところあるは余が弁解を待ちませぬ。かつ純正哲学の研究によりて快楽の範囲を大にすることができます。すなわち無学の者は申すまでもなく、有形の学問ばかり修むる者は有形の一方に快楽を有するのみなるも、無形無象の学問を修むれば、有形の外に無形および無象の上に快楽を有するをもってその範囲大いに広く、したがって一方において快楽を欠きても他方において補うことができます。例えば久しく病床にありて一切有形上の快楽を感ずることのあたわざる場合に、無形無象上の別世界を想像してなお快楽を迎うることができるに相違ない。これまた純正哲学の利益の一つであります。

 つぎにこの世界のことは理学や他の学問にて説明しあたわざるところ多く、ためにいろいろの迷いを生ずるは人情の常であります。もし人の生まるる前のことも死ぬ後のことも、世界の内外のことも、宇宙の始終のことも、みな知れるようになれば、人間にとりてはこの上ない安心であります。この安心がないためにみだりに病を恐れ死を恐れ一生の間戦々兢々としてあたかも、一本橋を渡るがごとく恐れ恐れて世の中を渡るようになります。しかるに純正哲学は他の諸学にて説明しあたわざるあらゆる終極の問題を説明するものなれば、安心立命の益を得るはもちろんであります。

 要するにわれわれの知識の欲は無限にしてなにもかも知り尽くさんとする天性の希望を有するから、理学や有象哲学にて有形有象の外一歩も進むなかれとの禁札を掲げても、われわれの知識の欲が承知せないから、その命に服従することができませぬ。換言すればわれわれは理想的動物もしくは純正哲学的動物であるから、決して有形有象の範囲をもって満足することができませぬ。もしその満足がなければ不快を感じ、かつ安心ができませぬ。果たしてしからばこの理想すなわち無限の希望に満足快楽を与うるものは、実に純正哲学にして、その学の世人に有益なるは明瞭であります。

     第十二回 帰  結

 すでに哲学全体および純正哲学が社会および人心上に与うる利益を述べ終わりたれば、更にその結論としてわが国目今の富国強兵、殖産興業に対して哲学がなんらの利益を与うるかを話すつもりであります。およそ家を富まし国を強くするには有形と無形との二途あり、殖産興業にも同じく有形無形の両道ありて、この二者相待つにあらざればなにごとも成就することはできませぬ。今工業につきてこれを述ぶるに、世人はみな工業を興すに資本を要することを知るも、そのいわゆる資本は金財、土地、家屋、器械のごとき有形の資本を意味し、この外に無形の資本あることを知りませぬ。実に有形を見る眼ありて無形を見る眼を有せざる半盲の不具人というてよろしい。もし工業が有形の資本のみにてできるものならば、世に婦人なくとも子供ができると同様であります。有形の資本は婦人に比し、無形の資本は男子に比し、二者相待ちて富を生ずるは、男女相待ちて子供の生ずるに比してよろしい。さすれば無形の資本とはなんぞやと尋ぬるに、これ耐忍、勉強、和合、団結のごとき無形の勢力のことであります。これらの勢力が人々に具備するにあらざれば、商業でも農業でも工業でも、百般の実業が決して興る道理はありませぬ。これと同じく富国強兵もこの無形の資本を欠きては成り立つはずはありませぬ。しかして有形と無形といずれが先にして、いずれか本なるやを問わば、無形の方が本にしてかつ先なるは無論のことであります。例えば金財家屋などが耐忍勉強を産み出だすものなるが、あるいは耐忍勉強等が金財家屋を産み出だすものなるかは、だれにてもたやすく判知することができましょう。すなわち耐忍勉強のごとき無形の資本が金財家屋等の有形の資本を産み出だすはむろんのことであります。かくして有形無形の二者中有形の方を支配するものは理学にして、無形の方を支配するものは哲学であるから、富国強兵、殖産興業の目的に対して哲学の必要なることは大抵分かろうと考えます。

 近来富国策を講ずるものしきりに殖産興業の急務を論ずるも、そのよって起こる根元を問わざる風あるは、実に皮相の見なるを免れますまい。もしこれを洪水の防御に例うれば、年々堤防のみを高く築き立てて、更にその水源のいかん、濫伐のいかんを問わざるがごとく、またこれを果実の培養に例うれば、虫害風害を防ぐことのみを講じて、その根に肥料を与えてこれを養成することを知らざると同様であります。また実業家が自己一人のためのみをはかりて社会国家を顧みず、目前の小利小欲のみに汲々として永遠の利害得失を顧みざる風あるも、今日一般の弊であると考えます。これらの弊風を改良するにはやはり哲学によりて無形の資本と遠大の思想とを養うより外に良策はありませぬ。かく申すも実業家にことごとく哲学者になることを勧むるわけではなく、ただその行に余力あらば哲学の書類を研究するように心掛けあらんことを望むまでであります。

 右は哲学と富国との関係を積極の方面より述べたる次第なれば、更に消極の方面より述べなければなりませぬ。まず国を富ますには家を富ますを要し、家を富ますには祖先伝来の家産を減ぜざるように注意するが肝要であります。ただ、金を得ることのみを知りてこれを貯えこれを守ることを知らざるは、底のない桶に水を汲み込むと同様にて、家産を減らすとも殖やすことはできませぬ。もし一攫千金を望み後先見ずの仕事をなすときは、その結果、往々祖先以来数代の間に積み立てたる家産を一朝にして蕩尽するがごとき例も世間にはたくさんあります。ことに豪商豪農ともいわるる人達が資産を失うは、酒色にふけるより起こるのが十中八、九であるように考えます。世の中に大酒呑みくらい恐ろしいものはないと申して、狼や獅子のごとき猛獣は人を噛み殺すことあるも、家屋や土蔵を丸呑みにすることはないが、大酒呑みばかりは家屋も土蔵も田地も畑地も、みな呑み尽くすほどに恐ろしいものであります。しかるに色道楽の方は一層恐ろしいことはいわずとも分かりましょう。かくのごとき連中は社会の厄介物たるのみならず、国家の呑みたおし食いたおしにて、不忠不孝の大なるものであるのに、世間にて更にこれを防ぐ方法を講ぜざるは奇怪千万であります。畢竟するにこの酒色の道楽はひとり肉体の快楽あるを知りて、それ以上の快楽あるを知らざるより起こります。故にこの害を防ぐ良法は人をして理想の快楽を知らしむるにあり、理想の快楽を進むるには哲学の味を知らしめなければなりませぬ。果たしてしからば資産家の子弟には哲学の趣味を加えて教育を授くることが必要にして、成長の後もときどき哲学の書類をうかがうて理想の快楽を呼び起こすようにするは実に肝要であります。よって第一に小学および中学教育に哲学部類のものを加うるように致し、教員自身も平素哲学によりてその精神を養うように致したいと思います。かつて某中学校長の話に数十名の教員についてこれを験するに、哲学風の学問を修めたる者と修めざる者とは、品行上において大いに異なるところありと申しましたが、その相違はつまり精神上理想の楽を知ると知らざるとに帰します。これらのことは自分勝手の論であるとの批評を招くかは知らざれども、余が多年自ら経験し、かつ人より聞き込みたる事実に照して、疑いないと保証するところであります。