6.解説:清水乞

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     解  説                清  水   乞  

       一 本巻の構成

 本巻に収録した井上円了(以下円了と呼ぶ)の五著書は『破唯物論』を除いて、他は教科書である。『純正哲学講義』と『仏教哲学』は哲学館講義録、『印度哲学綱要』は仏教各宗中学林教科書として、おのおの刊行された。しかし、教科書といっても、哲学館講義録は、広く全国の向学の士を対象としたものである。その広告文に「本館(哲学館)は遠隔の地、もしくは、職務の都合にて、通学聴講することあたわざるもののために講義録を発行して、これを頒ち、もって自宅独修の便を与う。軍人、教員、貧生等には特別待遇法を設け、だれにても質問を許し、試験を行い、証書を授け……」というように、それ自体、完結した単行本といえるものである。

 最初に、本巻を構成する各著書の相互関係を述べておく。

 『純正哲学講義』と『仏教哲学』は「第六学年」用の講義録として、前者が西洋哲学であるのに対して、後者は東洋哲学(円了は仏教哲学をもって、東洋の純正哲学を代表させる)であって、この二著がセットになっている。このことから、円了の「純正哲学」という術語の概念を推定することができる。つぎに『印度哲学綱要』は大著『外道哲学』の縮冊版ともいうべきもので、仏教を理解するための前提として、仏教経論に引用されているインド哲学の諸説を集成した著作である。『仏教理科』は仏教にみられる自然科学的諸説を整理し、仏教の思想的立場を主張した労作であるが、結果的には、仏教の宗教性を強調し、円了の仏教的立場を鮮明することになっている。最後の『破唯物論』は一名「俗論退治」とあるとおり、前四書とは、全く、別の意図によって著されたものである。ここでいう俗論とは、唯物論、進化論を主とする、当時哲学、思想界に流行していた西洋の哲学思想の大部分、要するに、円了が日本固有の思想と規定した神儒仏三道の唯心論に入りえない思想を指している。円了の哲学体系の究極には大乗仏教があり、特に理念として「真如」、実践として「真如観」がある。西洋哲学諸説は、この立場からいえば「滋養」と考えられ、どこまでも、補助的にとらえられている。また、インド哲学諸説、および仏教中の自然科学説は大乗仏教への「階梯」である。この意味から、前四書は、直接・間接、論理的に結合する。しかし、『破唯物論』は「滋養」とするべき西洋哲学の弊害を除き(破俗)、仏教の正当性を主張する(建正)する弾劾の書であり、きわめて対論的性格が強い。

       二 哲学研究の目的

 円了の評価は、彼の生存中にあっても、また没後にあっても、異口同音に「西洋哲学、仏教、新解釈」を鍵語とした評論がみられる。しかし、その対象は円了の初期の著作、特に『真理金針』と『仏教活論序論』などによっているものが多い。今後、これら評論の一面性が「選集」から「全集」の完成によって、是正されることが期待される。

 ここで、本来ならば、解説の序説として、円了の哲学について、その特徴、思想史上の位置、また仏教思想に言及しなければならないが、すでに針生清人(第一巻解説)、小林秀忠(第二巻解説)、高木宏夫(第三巻解説)、また仏教を中心に森章司(第四巻解説)、金岡秀友・菅沼晃(第五巻総論および解説)、田村晃祐(第六巻解説)の諸氏によって、十分に意を尽くされているので、省略する。ただ、円了の哲学思想の基本が明治二〇年前後に確立したとしても、その思想に立って行動した彼が、自己の使命をいかに考えていたか、について考察することは、円了の著作を味読する上で参考になるので、簡単に触れておく。

 円了の著作には自伝的記述が少ない。あえて自伝というべき記述を探せば『仏教活論序論』にみられる思想遍歴の部分であろう。これによると、仏門に生まれたので、家庭において、もっぱら仏教的教育を受ける中で、学問を志す少年の通例として漢学を学び、ついで洋学(英語)を学び、長じて東京大学で哲学を学ぶというエリート・コースを歩んでいる。東京大学で哲学を学び、西洋哲学の論理性を発見した意味が大きい。彼は「コロンブス(閣竜)が大西洋中に陸地の一端を発見したる時のごとし」と、その感激を回顧している。しかし、彼は西洋哲学にとどまることなく、ただちに、「西洋哲学の明月」に照らして、仏教の説が「哲理」に一致することを知り、仏教に疑念を抱いていた少年時代を「余が学識に乏しくして」と反省すると同時に、仏教を改良することを自己の目的としている。彼は「これ、実に、明治一八年のことなり。これを余が仏教改良の紀年とす」と、自信にあふれた態度で仏教改良者たることを宣言している。この回顧談より推測すれば、円了には改良された後の正しい仏教のあるべき姿が、思想的にも実践的にも確立しており、改良の手段として「学識」が用意されていた。彼は、端的に、哲学を「思想練磨の術」(「哲学の効用」『甫水論集』所収)ととらえ、数学と同じ効用を認めている。すなわち「思想精密の結果を得たる以上は、数学の高尚なるところを記憶しおるの必要なきと同じく、哲学上においても、また思想練磨後まで、強いて学者の所説を暗記しおるの必要も、諸種の箇条を把住しおるの必要も、更になきことなり。すなわち、必要なる点は、哲学自身の上よりは、かえって他の上、すなわち、結果の上にあるものなり」と、知識偏重を非難し、哲学によって練磨した思想を仏教に活用し、仏教に潜在する合理性を発見すること(改良)は必要であるが「その(仏教の)目的とするところは宗教にあり、ただ、これに達する階梯として、哲学のその中に加わるのみ。故に仏教そのものにつきて、これをいえば、宗教の方に重きを置かざるべからず」と仏教の宗教たることを強調している。つまり、知性を知恵(実践知)にするべきことを説く。しかし「今日の事情につきて、これをいえば、哲学の方面に重きを置かざるべからず。これを要するに、対内策としては宗教の方面より仏教を修習し、対外策としては哲学の方面より仏教を研究せざるべからず」という(「哲学の方面より下せる仏教上の観察」同前書所収)。つまり、仏教への階梯として哲学(仏教哲学)を位置づけている。同主旨のことは、円了が地方を巡講した時、「一夕の茶話」として、有志に語った内容の一部をまとめた『哲学早わかり』(選集・第二巻所収)に「狭意の哲学、すなわち、純正哲学だけの利益の要点」として述べられている。ここでは、哲学の概念が限定されて形而上学的思弁に限られている点は注意を要する。つまり「対外策」をより狭くしている。

  第一に知力を練磨すること。

  第二に思想を遠大にすること。

  第三に情操を高尚にすること。

  第四に人心を安定すること。

  (『哲学史講義』では「想像力を進むに益あり」が加わる。)

その最後に「純正哲学は他の諸学にて説明しあたわざるあらゆる終極の問題を説明するものなれば、安心立命の益を得るはもちろんであります」と、宗教的利益に触れている。この最後の点が円了の真情であり、哲学によってえられた知識は「慧」(円了はこれについて「理論的にあらずして、実行的である」という。『奮闘哲学』、選集・第二巻・二二九頁)のための前階梯とみられている。

 では、具体的に、円了の自己使命はどのようにとらえるべきか。彼の言葉によると

  一、哲学の理論を世間に応用して、その普及に意を用すること。

  二、東洋の諸学をわが国に再興して、その発達に力をつくすこと。

の二条があげられている(「漢字存廃問題に就て」『甫水論集』所収)。これと文脈を異にするが「いま、余は哲学の方面より仏教を研究して、対外策を講ずるものなり」(「哲学の方面より下せる仏教上の観察」、前出書所収)という言葉を加えることができる(これが哲学館設立の目的であろう)。この二条は、円了が世に問うた『漢字不可廃論』(一名「国字改良論駁撃」、哲学館、明治三三年。これについては森章司「井上円了の国語国字観・『漢字不可廃論』をめぐって・」『井上円了の学理思想』所収に評論されている)に関して雑誌『太陽』の記者に語ったものであるから明治三三年ごろの発言であるが、すでに明治二七年一〇月一三日の校舎移転式の館主挨拶によると(『東洋大学五十年史』三〇頁)、「哲学館開設の旨趣」中の「晩学にして速成を求むるもの、貧困にして大学に入るの資力なきもの、洋語に通ぜずして原書を解せざるものに哲学および文学諸科を教授する」というのは「表面の目的」であって、内容は、

  一、東洋学を振興すること

  二、哲学の必要を世人に示すこと

にある、とされている。この挨拶は円了が明治二二年六月、外遊から帰り、諸外国を視察した結果、哲学館を「日本主義」に基づく思想練磨の場とする新計画の表明であるが、ここに円了の少年期の原体験の表出を見るのである。円了にとって、哲学的研究は対外策であり、「術」という語が示すように実用的であった。いうまでもなく、その反面には対内策である「修行」があった。したがって、彼が「学識」を駆使するときには、意識の位相に応じ、相手次第によって、一つの理論が種々の文脈に位置づけられる。この点が円了の著作を読むときの要点の一つであろう。

       三 解 説

   純正哲学講義

 本書は「哲学総論」と「東洋哲学」の二講義よりなり、円了の講述を館内員本間与吉が筆記したものである。この冒頭の付記により明らかなとおり、『哲学要領』前編(選集・第一巻所収)の内容、つまり西洋哲学史概論を前提とした哲学総論である。本書に類する円了の著作は(1)『古代・近世哲学史』(三宅雄二郎講述)の序論『哲学史講義』(これを最初にあげる理由は、哲学館創立当時のカリキュラムによると、円了が純正哲学、三宅がギリシア哲学および近世哲学を担当していることから、最も古いと考える)、(2)『純正哲学(講義)』(阪〔坂〕倉銀之助講述のスペンサー「哲学原理」)の序論としてのもの(巻頭には「純正哲学講義」とあるが、巻末では「純正哲学総論」とある)、(3)明治二四年の『純正哲学講義』(選集・第一巻所収)、(4)本書であり、最後に『哲学早わかり』を加えることができる。本書の問題意識の出発点は『哲学要領』前編の「緒論」にあると考えられるので、この目次をあげ、内容を要約する。

  第一節 義解・・哲学の定義(哲学とは思想の法則、事物の原理を究明する学)。

  第二節 範囲・・哲学に包括される諸学、特に純正哲学(哲学中の原理の原理、原則の原則を究明する学)。

  第三節 目的・・哲学の目的、特に純正哲学の目的(真理中の真理を論述すること)。

  第四節 疑問・・物・心・神の本質を解明し、三者の関係を明らかにする。

  第五節 学派・・哲学諸説(学派)、唯物論、唯心論、二元論、三元論、有元論、無元論につきての解説。

  第六節 分類・・地域的、時代的に諸説を分類し、その特徴を解説する。

この目次に見られる問題点が、学在中における円了の課題であった。

 本書(第一講)の目次は五段に分かれ、第一段から第五段までに、上記の六問題が整理され、詳説されているが、第五段に「哲学の応用および実益」が加えられている。この問題は前掲の(2)(3)『純正哲学講義』の第一段・第二項、(1)『哲学史講義』の第三段に述べられている。このことは、世の哲学の効用に対する疑問に応える必要に迫られてのことと推察することができる。(1)(2)(3)の各書を比較すると、(1)には「哲学史の必要」(第七段)、「哲学史の分類」(第八段)があるが、(2)(3)では除かれている。しかし(4)本書では「学派の起源発達」として、節を立てて、歴史的解説が復活されている。本書の「哲学上の用語解釈」は(1)(2)(3)書の「諸学の問題」の節に相当するが、本書では「相対と絶対、有限と無限、独立と依立、現立(exsistence)および有体(being)(『仏教哲学』では実有)、思想(thought)と観念(idea)、時間、空間」などの術語が新出し、その充実ぶりを示している。以上が本書と同類の他著作との比較であるが、この限りでいえることは、『哲学要領』前編の問題が『哲学早わかり』で結実していることである。本書はこの中間に位置し、特に、『哲学早わかり』の基調となっている。内容の比較は針生清人、小林秀忠両氏の解説があるので、重複を避けるが、円了が長期にわたり、同じ一つの課題を、ほとんど同じ内容で、繰り返し、論述した経過を検討してみると、(1)(2)書は独立の書ではなく、別人の講述書に対する序論をなし、(4)本書は「東洋哲学」(第二講)の前編をなしている。具体的には『哲学要領』前編↓(1)書↓(4)本書と練り上げた結果が巡講という実践的場で、一般民衆に対して、このような高度な哲学概論を講じることになるのである。すでに『哲学要領』によって、理論は完成し、その理論が、前述のように、同じ内容で、異なった内容の書物の序論をなし、その処をえている。この奇妙とも思える取り扱いは、円了が本書(第一講義)を東洋哲学の「階梯」と考え、絶対の一部たるものとして、絶対視しない価値観に由来する。円了の著書全体には思想的発展がなく、同じ理論が何回となく、繰り返される点が指摘されるが、理論は応用されるべきものとする円了によって、おのおのの著書において、著作の意図に応じて、理論は位置せしめられるものであり、全体の一部とみるとき、その理論は異なった機能(意図への奉仕)を果たすことになるのである。

 第二講の東洋哲学は、この「総論」において、東洋哲学の範囲、東洋哲学の西洋哲学との相違点(三点)をあげ、つぎにその理由を詳細に論じ、つぎに東西両哲学の類似点を指摘し、最後に、東洋学研究の目的を論じて「総論」を終わるが、これに大半の紙面を当てている。東洋哲学の範囲は「エジプト(埃及)、ペルシア(波期)、アラビア(亜拉比亜)、インド、シナ」の五地域とし、このうち、研究に値するのはインドとシナとする。

 東洋哲学を西洋哲学と比較すると、右の三点で、相違する。

  第一、東洋哲学は数派の系統を有すること。

  第二、東洋哲学は事実の考証に乏しきこと。

  第三、東洋哲学は応用を目的とすること。

 ついで、右三点の論証に続けて、その理由を論じている。(1)東洋諸大国は相互侵略による文化交流がなかったので、各国が個別に哲学を発展させた。(2)各国が「遺教に随順する主義」つまり保守的であったため、祖述に終わり、外国の思想を比較検討し、創造する態度に欠けていた。(3)哲学者は、もっぱら国内の安定に意を注いだため、実践的学問を重視することになった。以上要するに、東洋哲学の特徴を形成した理由を地理的原因に由るものとしている。

 東西哲学の類似点については、特に、シナ、インドの哲学とギリシア哲学の対比の上に、両者の共通点を指摘する論法による。これは、すでに『哲学要領』等で述べられたことである。

 最後に、東洋学研究の目的。これは哲学館創立の目的でもあり、最も力説されている。

 まず、西洋一辺倒である、当時の学界の風潮を批判し、西洋諸国の東洋学研究の現状を紹介している。円了は、後述するように、一貫して東洋学、特に、インド哲学を漢訳経論および中国、日本撰述の仏教文献を資料として研究し、その成果を世に問い、仏教界に新風を注ぎ込んだのであるが、明治二一年六月から明治二二年六月にわたる第一回の海外視察の際に、実に詳細に、欧米諸国の東洋学研究の状況を調査している(『欧米各国政教日記』。特に、下編・第二四二項・第二四五項参照)。この視察によってえた成果がここに信念として語られている。「わが学者いたずらに西学の糟粕をなめてこれに安んずるにおいては、いまだ泰西の諸学に精通するに及ばずして、わが諸学は早く彼らが研究し尽くすところとなり、異日わが学問を研究せんとすれば、あおぎて頭を垂れて教を彼の髯下に受けざるをえざる、奇怪なる境遇に陥らざるを保すべからず。現にインド語学のごときは、はるかに泰西の大学に至りてこれを学ぶのやむをえざる形勢を呈せるにあらずや」と危惧、憤慨し、要するに、わが国は西洋の諸学に通じ、かつ東洋諸学の宝庫であるのだから、東西の諸学を融合し、新しい成果をえなければならない。そのためには東洋学を研究するべきであって、西洋の糟粕に甘んじている時ではない。自分が哲学館を開設した理由はここにあるのだ、と宣言している。

 シナ哲学では、研究方法として、(一)歴史学的方法と(二)歴史哲学的方法、あるいは文明史的方法、つまり事実とその原因・理由を探究する方法論に立っている。まず、時代区分として、東周以後秦までを前期、漢以後を後期とし、後期の中心を宋朝に置く。ついで、文明史的観点として進化論を採用して、周末に哲学説が輩出し、相互に批判し合った、この思想界の現象をギリシア、インドに比し「哲学史上、愉快なる事業」と高く評価し、その原因を四項にわたって論じている。後期は仏教の伝来による思想界の活性化、儒仏二道の論戦を経て、宋朝に哲学が最も深化したとする。元朝は宋学を超えるものはなかったが、明朝には陽明学が成立する。これは禅の影響があったが、清朝には一変して考証学が支配的になった。概していえば、シナ哲学の盛衰は仏教の刺激によって左右されたと結論している。

 つぎに「学派」の節を立て、儒家など九家をあげている。中でも、孔子と老子の特徴を比較・論述し、シナ哲学の説明を終わっている。

 インド哲学は、その付記に、『仏教哲学』において詳細するが、そこで取り扱わない事柄を概説する、と断わりがある。まず、インドの政治史を述べているが、哲学史を述べることは困難であるとしている。したがって、四ヴェーダ、六派哲学に言及しているが、『哲学要領』前編の記述を敷衍する程度にとどめている。現在、ヒンドゥー教あるいはインド教と呼ばれる複合的思想大系を「婆羅門教の大意」という見出しの下に論じているが、これを「インド教と称して、インド固有の宗教なり」と定義している。これは今日の常識からいっても正しいが、ヴェーディズムとの混同が見られる。しかし、仏教衰退後のインド思想を代表するものとして、三大神(ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ)の創造、維持、破壊の機能に言及し、更にカースト成立をブラフマー神解体説によって説明し、この階級的不平等を是正するために仏教が成立したという学説を紹介している。更に、興味ある点は、宇宙の中性原理ブラフマンについて述べ、インド教の諸宗はおのおのの神を立てているが、帰するところ、このブラフマ(ブラム)の本体に帰一するとし、「ブラムも一方よりみれば創造神のごとく、一方よりみれば、万有神教の説のごとく釈せるもあり。思うに、この教は世界各宗教の根本にあらざるや」と、注目して、比較宗教を研究するに欠くことのできない宗教であるとみている。

 ついで、仏教、ペルシア哲学、エジプト哲学を掲げているが、仏教は『仏教哲学』に委ねている。ペルシア、エジプトの両哲学については、きわめて、簡単な記述なので、本文に譲ることにする。

 以上、『純正哲学講義』は『仏教哲学』(これもまた「仏教」への階梯である)への階梯として位置づけることができる。したがって、円了の西洋哲学研究は、外面的には、東洋哲学の非実証性を正す補助としての機能を果たしているが、内面的には、仏教哲学への一階梯とされていることが読みとれよう。しかし、円了は哲学堂・三学亭の聖賢として、平田篤胤(神道)、林羅山(儒学)、凝然(仏教)をあげ(『哲界一瞥』、選集・第二巻所収)、これと共に「福沢翁の早く欧米の文明を調理して、わが通俗社会をして、その味を感ぜしめたる活眼とは、余がつとに敬慕するところにして、さきにいわゆる二大方針中、哲学の思想を民間に普及せしむるには、福沢翁を模範」(「漢字存廃問題に就て」『甫水論集』三六二頁)とすると述べ、また、平民的学者と称した福沢にならって「土百姓的学者」(『奮闘哲学』、選集・第二巻・二一三頁)と自称していることからも、円了の哲学は啓蒙的であり、どこまでも一般民衆の知力向上、なかんずく、仏教者を対象としたものであった。このことを見事に表しているものは、『奮闘哲学』にみられる哲学史の「新体歌」(選集・第二巻・二四一頁・二四八頁)と「哲学和讃」(同・四三三頁・四三八頁)である。

 

   仏教哲学

 本書は井上円了講述・館内員安藤弘筆記とあり、八回にわたる日曜講義(明治二六年三月五日・四月二三日)を基としている。前述のとおり、これが『純正哲学講義』中のインド哲学の主題である。

 本書の構成は緒論第一、第二と総論より成る。緒論第一は「仏教と哲学との関係」を論じる。この問題は円了が、最も力点を置いた課題であり、処々に論述を見ることができる。彼は宗教・哲学、共にその定義が一定していないので、両者の比較によって、その関係を説明し、つぎに、この両者が仏教の上に成立する理由として、仏教教理(哲学)、修行(宗教)の教行一致をあげて、これを仏教のあるべき姿であると規定している。

 緒論第二は「仏教の研究方法」が主題である。(一)発達的学風と(二)注釈的学風の二種を立て、更に、進化と退化、自然科学の顕勢力と潜在力の概念を援用して、両者を対比している。これを表示すると、つぎのようになる。

  発達的 進化・外部的・顕勢力・進取的

  注釈的 退化・内部的・潜在力・保守的

彼は発達的学風に立って「仏教」を研究すると、自分の立場を明らかにしている。その理由は「今日、わが仏教は四面、他の宗教・学術に囲繞せらるる時」であり、古代インドの釈尊時代に似ている。この時、日本には日本の思想状況がある。つまり西洋哲学の流行である。これを「滋養」として、仏教を研究するのであるが、西洋哲学と仏教を「混和」するのではなく、「哲学の研究に照らして、もって仏教の内部に包含せる真理を発揮」するのである。

 「総論」の冒頭では「仏教の目的」と「仏教の宗派」が論じられる。仏教の目的を「転迷開悟」と規定し、つぎのように迷悟の二界を説明している。この説明に円了がよって立つ学風の一端が、具体的に、示されているので、紹介する。( )内は仏教術語。

   この世界は可知・不可知(迷悟)の二世界より成立している。可知的世界(万法界)は相対差別の世界(境)であり、(生死・増減)がある。不可知的世界(真如界)は絶対無差別の世界(境)であり、(不生不死・不増不減)である。したがって、可知的世界を(生滅界)といい、不可知的世界を(不生不滅界)という。〔中略〕(迷悟両界)は哲学でいう可知・不可知、あるいは、現象・実体という術語を用いてもよいが、畢竟、仏教は宗教である故、この仏教語を使用するのである。

以上のように、哲学用語で仏教の説明に努めているが、「仏教は宗教である」という意識が、伝統的仏教語を宗教的位相において確立させている、彼の言語感覚は看過するべきではない。「その(仏教)真正の目的は宗教にありて、哲学は、ただその道理を説明せんがためなり」、「その(仏教)哲学を兼有するはその目的(転迷開悟)を達する方便に過ぎず、この方便によりて、もってその道理を説明するなり。」という句が示すように、言葉と意識の分節化の対応が明らかに意識されているが、これは円了の少年期における修行(仏教教育)をうかがわせて、興味深い。

 仏教を哲学的部分(理論門)と宗教的部分(応用門)に分けるのは円了が常に使用する論法であるが、哲学は現象より実体の存在を推究し、宗教は実体の存在を確定し、これに到達する方法を講ずる。したがって、目的は一つであっても、その理論と実践に多少の相違がみられる故、その結果、「仏教の宗派」が生まれるという。ここで、各宗派を表示している。

 「理論宗総論」では、前述の理論に基づき、理論宗の目的は万法より真如の実在を証明することである。したがって、これこそ「仏教哲学」の目的であるという。ついで、「有空中三宗論」では、この三宗の理論的部分では、おのおの、「物・心・理」という思想的発達の順序によるもので、有宗は「物体哲学」、空宗は「心体哲学」、中宗は「理体哲学」ということができる。いうまでもなく、この三種の哲学は「純正哲学」に包括される。物質・精神(有・空)と実在(中)、換言すれば、相対(万法)と絶対(真如)の関係は哲学上の一大課題であるが、円了は、この課題を解明する論理として、仏教はヘーゲルの「いわゆる三段論理の規則」を採っているから、西洋哲学史の研究と仏教の有空中三宗の研究は、方法論的に、一致するとする。この点については円了の「仏教哲学史に就きて卑見を述ぶ」(『円了講話集』所収)という論文に、詳説されている。最初に西洋哲学史の発達形式を述べ、各哲学者の論述形式を分析してののち、仏教史に言及していう。まず、小乗を有門、権大乗を空門、実大乗を中道と規定して「この三を合して有空中の三門とす。それ有は正断、それ空は反断、それ中は合断なり。故に仏教全体の組織、すでに三断論形をなすこと明らかなり」(同前書、八二頁―八三頁)。

 以上の論理によって、「小乗大乗理論の比較」を論じ終わり、本文の表に見られるような仏教の分類に基づき、日本仏教各宗の教理を詳説している。しかし、本書は理論を明らかにすることを目的としつつも、修行上の区別に言及することを忘れてはいない。目次によって知られるとおり、「倶舎宗」以下は日本仏教哲学概論というべき内容であって、使用される術語は仏教語で統一されている。しかし、常に西洋哲学との比較を参考として掲げ、仏教に哲学の「滋養」を注いでいる。以下、項目を羅列すれば

  一、倶舎宗 倶舎宗(論)に説かれる現象世界の構成要素、四大(地水火風)、および極微(原子)説をエンペドクレスの説と比較し、その相違を明らかにしている。生住異滅の四相と成住壊空の四劫を進化と退化との説と同一視している。倶舎宗の「物体哲学」を唯物論と比較検討している。

  二、法相宗 法相宗の唯心論を西洋の種々の唯心論と比較した結果、これをバークリーの説に近いと結論している。その理由は、法相宗は相対的世界で唯心論を説くからであって、『起信論』や天台宗の絶対(真如)そのものの作用とはいえないといい、後二者の唯心論はカントやフィヒテの説に近いとする。

  三、三論宗 ヒュームの懐疑論に近い。ヒュームは物心両世界の実在を否定し、物にも、心にも真理はないとした。これは三論宗の主張する「一切皆空」説に似ている。しかし、三論宗の否定は肯定への階梯であって、破邪顕正のためであるから、態度が異なっている。

  四、天台宗までの各宗のまとめ。倶舎宗は物心二元論であるから、二元論という点ではデカルト、スコットランド学派のリード、法相宗は唯心論であるから、バークリー、多少、スピノザに似ている。またカントに似た点もある。三論宗は、消極面からいえば、ヒュームに似ているが、フィヒテに近い。『起信論』はフィヒテの唯心論、またシェリングの説に似ている。天台宗はヘーゲルに近い。ただし、以上の西洋哲学諸説との対比は仮のものであって、その性質は同一とはいえない。

  五、華厳宗以上。天台宗までは西洋哲学と、多少とも、比較対照することができるが、華厳宗、真言宗、また「実際宗」である禅宗、日蓮宗、浄土諸宗は比較するものがない。

 

   印度哲学綱要

 本書は、前述のとおり、各宗立学校の中等教育用の教科書であるが、『外道哲学』(明治三〇年、哲学書院、明治二七年八月に完成していた)を「抄略和解」して、一読のもとに、「外道学派」(仏教以外のインド哲学諸派)の学説を理解することを意図したものである。したがって、理解し難いときは『外道哲学』を参考にしてほしいという断りがある。本書の目次と『外道哲学』の目次を比較すると、広略の相違はあっても、項目は全く同じである。

 本書の原本となった『外道哲学』の著述目的は「日本仏教研究の階梯」としてである。したがって、その資料は「わが国伝来の経論疏釈による。しかし西洋所伝のごときは、往々、参照せるに過ぎず」、つまり明治以前に、仏教に伴って伝来した漢文資料を基にして、インド哲学の項目を整理したもので、一種の「インド哲学事典」といった書物である。

 本書は三二章に分けられているが、毎週(二時間・一時間)一章ずつ講述する、とされている。巻末には一〇〇題の「復習および試験問題」を掲げ、学習の便に供している。

 第一章「緒論」では、円了独自の理論によって、「外道」と仏教を対比し、「外道」をインド思想史上に位置づけている。つまり「外道」は仏教以前に成立した学派であり、この哲学説を総合して新機軸を出したのが仏教であるとする。したがって外道哲学は仏教哲学の初門、もしくは階梯というべきである。

 第一二章「外道順序」において、インド哲学を左図のように分類して、「外道」と仏教とを対比している。

  インド哲学 客観論(外道) 客観論

                主観論

        主観論(仏教) 客観論

                主観論

更に、「外道」の客観論と主観論を左図のように分類している。この分類は第八章「外道諸派」において指摘した学派を客観論と主観論に大別し、更にこれを細分したものである。円了は自他共に許す観念論者であるから(『外道哲学』、五五二頁。理想論者と自称している)、この分類は円了の価値観が基準となっていて、「地水火風外道」から「数論外道」へと、客観(唯物)から主観(唯心)へと進んでいる。この分類の各項目が、本書の各章において、論じられている。

  客観論 単元論 有質論 地水火風

              極微論

          無質論 虚空論

              方 論

              時 論

      複元論 有神論 声 論 声論外道

                  明論外道

                  声生声顕外道

                  非声外道

              一因論 毘陀論師計

                  摩醯首羅論師計

                  安荼論師計

                  婆羅門計

          無神論 無因外道(自然外道)

              虚無外道

              宿作外道

              断常二見外道

  主観論 単元論 人計外道

          知計外道

          我計外道

      複元論 尼乾子

          若提子

          勝 論

          数 論

 第三三章「結論」では、改めて、右の図を説明して、「その(外道)順序は客観より主観に入り、単元(物質一元論)より複元(物心二元論)に移れり。これ人の思想発達の規則なるのみならず、外道より仏教に転進する階段なり。それ仏教は主観論なり、絶対論なり、理想論なり」と述べ、仏教の特性を論じて、結んでいる。なお『外道哲学』では、六五一種、七九一三巻の漢文資料が使用され、頭注を付して、各引用文の出典を示しているが、本書は、この「抄略和解」であるため、出典を記録するにとどめ、引用文は和訳して解説としている。

 

   仏教理科

 本書は、『印度哲学綱要』(および『外道哲学』)が仏教学研究のための階梯を示すものであったのと同様、大乗哲学研究の階梯の書として著されたものである。さきに述べたように、円了は東洋哲学の欠点の一つとして「事実の考証に乏しきこと」と指摘していた。この自覚と反省に立って、仏教経論から自然科学の対象となる諸問題を抽出し、自然科学の観点から仏教哲学に光を当てたのである。

 まず、理学とは「学問上、宇宙に羅列せる有形の事物を考究するもの、すなわち、有形学なり」と定義され、たとえば「物理学、化学、天文学、地質学」などが、これに当たる。

 これらの諸学は、円了の学問の範疇論では「客観論」(有象学)の最たるものであり、彼は「客観上の諸説は、すべて、仏教中の外道部類の学説」としている。

 円了の思想に進化論が、形式的に、影響していることは、しばしば、指摘されるところであるが、彼は、「理学」に関して、「今日、完備せる百科の理学」も、古代人の空想憶断に源泉があり、東洋人の理学思想発達を理解するためには、特に、古代インドの説を研究する必要がある。また、学問が進歩したのは、比較研究が諸学にわたって行われた結果であって、諸民族の文化の関係を知るには、古代思想の比較研究が必要である。理学思想の比較研究についていえば、まず、インド古代の理科を研究する必要がある。古代の学説は、確かに、妄想にすぎないものがあるが、それはそれなりの「因果の理法に基づき、理論の原則に従いて推測」したものであって、論理形式としては、今日と異なるわけではない。したがって、古代の思考論理を心理学的に研究することは、社会学上、貢献すること大である、と一般論を述べてから、論点を仏教に据えて、仏教文献中に散見される「理科の諸説」は仏教以前の婆羅門教の説が多く入っていると考えられる。仏教は婆羅門教などのインド古代の諸説の上に「新機軸」を立てたものであるから、これを研究することは、古代諸宗教の異同を明らかにすることにもなる。したがって、仏教の中に理科の説が存在する理由、その思想上の位置および機能を解明する必要がある。以上の論点を整理して、左の五点をあげている。

  一、普通一般の歴史上、その国古代の学説を知るにあること。

  二、他の諸国と人種の関係、交通の影響等を知るにあること。

  三、古代人民の知識思想の程度状態を知るにあること。

  四、仏教と仏教外の学問宗教との同異を知るにあること。

  五、仏教内の学説の順序関係を知るにあること。

そして、特に、四、と五、の点に関連して「今後、仏教を世界の学問宗教として研究せざるを得ざれば、その研究の目的方法も、おのずから一変せざるべからず」と結んでいる。

 ここで注目したいことは、本書の第六講「地理論」に約四分一の紙面を当てていることである。円了の意中には「須弥山説」に関する江戸時代からの論争が重く横たわっていたのであろう。本書の研究方法を述べる前段において、再び「宗教と哲学」論に触れ、哲学は方便であって、仏教は宗教である。仏教にみられる「理科」の説は非科学的ではあるが、彼は「これを仏教の短所欠点となさず。かえって、これを世に公にして、仏教の宗教たるゆえんを示さんと欲するなり」と本心を述べ、非科学的な代表例として「須弥山説」をあげた後、「今、仏教の理科を講述せんと欲する意は、ひとり学問上の参考として、仏教の天文地理説を開示するのみならず、この一大難問を解説せんとするにあり」と、護法の念を吐露している。この内容は本文に譲るが、彼の立場は、きわめて、中庸を守っている。「明治の新風気」に触れている青年は、西洋の「実験上の諸学」が導入され、「批判的道理」によって仏教を評論する結果、懐疑的となっている。このままでは、仏教の中に「懐疑的学風」が起こる。反面、「維新前の旧社会」に育った老人は、反動的に、独断的となり、仏教界は独断と懐疑の論争の場となる、と危惧しつつも、「余は極端の懐疑論者にあらず、また、極端の独断家にあらず、自ら両端を接合して、その中をとらんと欲するもの」である、といっている。

 つぎに、使用する文献資料について、理科に関する諸説は「大抵、みな小乗部の経論中に」あり、「学問上、仏教の根基となるものは小乗」である。したがって、「『婆沙論』『倶舎論』『阿含経』『起生経』『正法念経』など」によるが「なかんずく、『倶舎論』は大小両乗の基礎」であり、「インドの百科全書」とみてよいので、『倶舎論』を中心とするとしている。しかし、実際に引用傍証に使用されている文献は膨大な数にのぼっている。

 

 本書は「学術論」つまり「五明」の説明(『印度哲学綱要』第二章―第六章に相当)を序章とし、本論は一四講より成り、付講として「極楽論」と「地獄論」がある。本論の「世界論」(三界・六道説)、「時間論」(時間の単位の説明が中心)、「空間論」(空間の概念規定と尺度論が中心)の三講は仏教理科の「緒論」にすぎないので、術語の解釈と分類法を述べるにとどまり、第四講の「開闢論」以降が本論に当たる。本書で最も力点が置かれているのは第四講「開闢論」、第六講「地理論」、第一三講「因果論」であるので、特に、この三講の内容を紹介することにする。

 第四講の冒頭部分で「宗教と学術」論が展開される。自然科学は、古代にあっては、宗教と直接結びつき、自然を神格化した多神教が成立する。人智の発達に伴って、一神教へと発展した。インドでは梵天(ブラフマー)を一神として、世界の創造主とするから、婆羅門教は「世界有始論」である。しかし、仏教は「因果の理法」に立つもので「無始論・無神論」であることはいうまでもない。ところで、仏教と近代学術をみると、共に無神論によって、世界の起源を説明している。この点で仏教は近代思想に一致しているのである。仏教が無神論の立場から婆羅門教の多神論を批判した結果、婆羅門教は汎神論を兼ねるようになった。仏教も汎神論的傾向を帯びるに至り、両教が接近するに至った。これは「思想発達の順序」というべきである。将来、世界の諸宗教、特に、キリスト教、回教が汎神論的になれば、仏教と一つになるだろう、と予言している。そうして、ヒンドゥー教の開闢説と数論(サーンキヤ)と勝論(ヴァイシェーシカ)の開闢説を紹介してから、仏教の客観・主観の両説(風輪・水輪・金輪の三輪説と成住壊空四劫の業感説)を説く。しかし、大乗仏教の開闢説(アラヤ識縁起と真如縁起説)は今の主題(理科)の範囲を超えるので、『仏教心理学』に委ねるとしている。

 第六講「地理論」の中心課題は須弥山説である。これは第五講「天文論」とも密接に関係するものであり「すでに天文論を講じて、ここに地理論に及ぶも、いまだその両論の主領たる須弥説を講ぜず。故に本講においては、もっぱら須弥説を論明すべし」と述べ、目次にみられるとおり、五段の節を立てて、論述している。

 第一段「九山八海説」は『倶舎論』(巻一一)を引用して、論評していう、「妄誕もまたはなはだし」と。しかし、この「妄誕」は「須弥山説の妄誕」であって、「仏教の妄誕」ではない。たとえ、仏教の妄誕であるとしても、これは真相ではなく、「形容」に過ぎない。「宇宙の本来は不思議の真相にして、須弥山は不思議の表象」である、と弁明している。

 第二段「四洲説」は『仏祖統記』(巻三二)に引用される『長阿含』、『三界義』の文を引用して、須弥山の四方にあるとされる四大陸の形態と住人について解説されている。この際、『阿毘曇論』『新婆沙論』が傍証資料として用いられている。円了は「以上、四洲論は、実に奇々怪々の談にして、今日の小学児童といえども、なお疑いて信ぜざるべし」とこの非科学性を批評する一方、「たとえ、その説仏書中に存するも、必ずしも仏自得の新説なりとするの理なし」と、いう立場に立って、

  (一)、四洲説は仏なるや、仏以前の説なるや。

  (二)、四洲説は仏説とするも、譬喩あるいは方便に属する仮説なるや、真説なるや。

と設問し、この点については須弥山説とあわせて論じる、と予告するにとどめているが、一応の結論は、四洲説は仏教の本質とは関係のない衣服のようなもので、「仏教の四洲説はその意、四洲を立つるにあらずして、その裏面にわだかまれる因縁説を示さんとする」のが目的であるとしている。

 第三段「諸天説」は仏教でいう三十三天説で、その主神は帝釈天である。この説に対する批評も「仏書中に見るところの諸天は、みな、婆羅門の神話中に存するものにして、仏教はその諸天の上に、更に理想幽玄の不可思議世界(無色界・・注)のあることを示さんと欲し、これに達する階梯として諸天の神話を引用せるものなり」「これを一種の神話としてみるときは、須弥の結構、諸天の厳飾のごときは、実に想像上の美観を呈し、これを理想的美術と称するも、あに不可ならんや」と美意識の問題に評価の観点を移している。

 第四段「地象論」は仏教にみられる自然現象論である。ここでは「山河の形成、海水が塩からい理由、潮汐の説、地震」などが採りあげられているが、引用文はなく、軽く言及するにとどめている。

 第五段「須弥説詳論」は最も詳細に論述されている段である。わが国における須弥山論争史は、仏教、国学、洋学の三者を含めて、興味ある研究課題といえる。円了の評論は論争史上の重要なものの一つとすることができる。彼が参照した論文は、福田行誡『須弥山略説』、佐田介石『仏教創世論』といった明治時代の著作はいうに及ばず、無外子円通『実験須弥山界説』、平田篤胤『印度蔵志』など、計一三の文献の外、英語の文献として、

  Monier-Williams・Buddhism in its connection with Brahmanism and Hinduism・on its contrast with Christianity・2nd・ed・・London1890(「もにーる、うゐりやむ」氏の仏教論)

  Dowson・John・Classical Dictionary of Hindu Mythology and Religion・Geography・History and Literature・1888(「どーそん」氏の『印度神話字典』)

  Garrette・John・A classical dictionary of India・illustrative of Mythology・Philosophy・Literature・Antiquities・Arts・Manners・Customs of Hindu・Madras1871・(「がーれツと」氏の『印度古典字林』)

  Dutt・R・C・・A History of Civilisation in Ancient India・based on Sanskrit Literature・Rev・ed・・London1893・(「だつと」氏の『印度古代文明』)

が使用されていて、誠に用意周到である。英語文献のうち、J・ドーソンの『神話辞典』以外は東洋大学図書館に所蔵されている(円了の蔵書は、明治二九年一二月一三日の哲学館の火災のとき、焼失、散失したものがある。J・ドーソンの『神話辞典』も、その一つであろう)。

 議論の中心は、須弥山説が合理的であるか否か、仏説であるか否か、という二点である。この設問を細分して六項とし、順次、これに答えてゆく論述形式をとっている。須弥山説は

  (1) 理論を超越したものか、非合理的なものとするべきか。

  (2) 仏説か、非仏説か。

  (3) 仏説とすれば、その非合理性をどのように整合(会釈)するべきか。

  (4) 非仏説とすれば、仏説とされる意図はなにか。

  (5) 非合理とすれば、「仏語に虚妄なし」という金言をどう解釈するか。

  (6) 非事実とすれば、「仏に天眼あり」という経説をどう解釈するべきか。

各項に対する詳細は本文に委ねるが、円了の答えを要約すると、(1)「理外の理」である。(2)非仏説であることが証明されている。(3)婆羅門教徒に仏教を説くための方便である。(4)方便説であるから、理論上は、否定されるべきであるが、方便説は対機説法である。(5)この金言の解釈には、文面上と文意上の二種が考えられるが、文意上の解釈に立てば、仏語は真実である。(6)この経説は、客観的立場ではなく、主観によるものである、ということになる。理論的には須弥山説は非合理で非仏説と思っているようであるが、円了の結論は、仏説・非仏説、あるいは合理・非合理の問題自体「仏教そのものの利害得失に関せず」と仏教の持つ真理性を確信している。

 第一三講「因果論」は第六講「地理論」に次いで重要視されている。その理由は「成仏」を説く仏教にとって「因果論」は、哲学的にもまして、輪廻の状態(迷界)から涅槃(悟界)に至るという実践の根幹に触れる問題であるからである。六道輪廻論は須弥山説と共に、仏教が「学術と共に勇進、競走せんと欲するとき」の「衝突問題」である。本講では「三世因果論」と「六道輪廻論」の二段が設けられ、仏教の因果には「世間輪廻」(迷界の因果∥六道輪廻の因果)と「出世間輪廻」(悟界の因果∥成仏得道の因果)の二種とされる。因果の法則はいかなる学術・宗教においても認められているが、仏教の因果は「天地万有に固有せる規則のみならず、宇宙の本体たる真如固有の法則」であり、「仏陀といえども因果の理法を自由に左右すること」はできないとする。これが円了の根本的立場である。つぎに、理学および哲学と仏教の「因果論の相違」が明らかにされる。前二者は「有形の物質上に用うるも、無形の心性の上に用いず」「無形の心性の上に用うるも、無象的理想の上に用いず」「無象的理想の上に用うるも、無象的理想自体固有の規則として、有形無形過未三世一切の事々物々の上に説くにあらず」、また、「実験以内に用うるも、実験以外に用いず」「実験以外に用うるも、人智以外に用いず」「人智以外に用うるも、人智以内に用いるも、その方向、人智以内より進みて、人智以外に及ぼすものにして、人智以外より降りて、人智に及ぼすものにあらず」。これに反して仏教の因果の法則は「真如固有の規則」である、と「真如観」に立って論駁している。ここで、加藤弘之は「物質的因果あるを知るのみにして、精神的因果、もしくは絶対的因果のあるを知らず」と批判されている。

 つぎに倶舎、成実、法相、大乗の因果説を、おのおの詳説し、倶舎は因果の作用、法相は因果の起源を示すのみで、本体を示していない。因果の本体を明らかにしているのは大乗仏教であって、これを「絶対的因果」と呼んでいる。倶舎・成実の分類法は精密であるが、大乗のそれは融通自由である。したがって、大乗では「絶対的因果を説きながら、相対的因果を説くのである」と。これまた「真如観」に立っての論理である。

 第二段「六道輪廻」では、(1)「善悪因果論」と(2)「迷悟染浄論」という実践的立論によって、論述が展開されている。(1)では、まず、「善悪」の概念を『倶舎論』『婆沙論』『唯識論』を引用、検討を加え、善悪の標準は「安楽・幸福・利益の有無」にあると結論するが、これは「西洋の功利学者のいわゆる実利主義」とは根本的に異なるもので、「精神上、あるいは、三世の上」についていうものであると断っている。究極的には仏教の目的である「涅槃の楽界」と関係するものであるとする。したがって、論理的必然として、涅槃に言及し、涅槃∥真如であると論述を真如へと進め、真如は人間の心と同一であり、また同時に世界の本体であることを知れば「三界一心説」に帰着するとする。したがって、大乗の因果は精神的であると共に物質的であり、真如涅槃に向かう「求心的因果」を善因善果とし、離れようとする「遠心的因果」を悪因悪果としている。(2)「迷悟染浄」では「仏陀と衆生」の関係(宗教的部門)を主題とし、衆生(迷界)の説明として「煩悩論」が詳説される。続けて、再び「理学と仏教の相違」を時間、空間、物質、勢力、習慣(潜在性)などの哲学的概念によって明らかにしている。結論として、六道輪廻は煩悩を原因とし、習慣をえるのであるから煩悩を断つための修行を必要とする、と宗教的立場を強調している。要するに「進化論、遺伝論、順応論、勢力論、習慣論、不滅論」など理学的課題はすべて仏教の説くところである。ただ、その観点が、理学は唯物的であり、仏教は唯心的であるという相違がある。したがって仏教は理学に照らして研究する必要がある。以上が『仏教理科』の主張であって、すでに『破唯物論』で用いた理論を仏教に応用したものである。

 以上を見る限り、円了は仏教理科を合理的に説明しようというのではなく、仏教を「仏説」として墨守する頑迷な態度を離れて、論理的に研究し、これに基づく信仰(修行)を回復すべく、仏教界に反省をうながしていると考えられる。

 

   破唯物論

 『哲学新案』の自序において、円了は「本書所説の輪化説、因心説、相含説」などは「西人未発の新見」であって、「輪化説」の一端は『破唯物論』において、論述した、その後(一一年間)研究を重ねたが「自信の確固として動かざる」を見たと、自信のほどを陳述している。したがって、本書は『真理金針』、『仏教活論序論』、『妖怪学講義』と共に、円了にとって、記念すべき著書であった。

 本書は明治三一年二月に初版が刊行された。本書に対する言論界の反応は迅速で、四月には『東洋哲学』『国民之友』『六合雑誌』『反省雑誌』が書評を載せ、五月には『哲学雑誌』が心理学の大家、元良勇次郎「破唯物論を読む」、一二月には『東洋哲学』が野々村直太郎「破唯物論を読む」を掲載して、本格的に論評し、一一月には『哲学雑誌』が加藤弘之の反論「破々唯物論」を掲げ、論戦は活気を呈した。

 三枝博音は、前掲の元良勇次郎の論文を批評した後、「唯物論がどういう思想大系であるかを指示する能力は、日本にはいまだ哲学の世界にできていなかったといってよい」(『日本の唯物論者』二八一頁)と述べ、本書の学術的価値よりも、むしろ、本書の出版によって、「哲学の専門雑誌で繰り返しとりあげられたという事実」を評価している。いま解説に当たっている筆者には、諸説を批判して明治唯物思想史上における本書の位置を明らかにすることは、能力を超えているので、本書において、円了が論駁した哲学的主題の根拠について検討することによって、解説の序説に代えたい。

 

 緒言において、円了は「本書は往々先輩に対して敬意を失するがごとき言語を用うることがある」が、これはその「学説そのもの」に対するものであると断っている。この先輩とは、円了の言葉を借りていえば、「三道(神儒仏)の敵」とみなされる俗論、つまり「唯物論、進化論、実験論、感覚論、自利論」更には「拝金宗、体欲宗」の観点に立って、道徳および宗教を論じた学者・思想家である。具体的には、加藤弘之、福沢諭吉(「破々唯物論」参照)、外山正一(三枝、同前書、二八〇頁)などが指摘されているが、『倫理学』(明治二一年)を著した元良勇次郎も、これに入るであろう。また中江兆民を落とすことはできないであろう。

 いま、本書の出版の前後に公表された「俗論」(唯物論・進化論)に関する著書・論文を鳥瞰しておくことは、円了の論駁の方法と主題を理解する上で有効と思う故、細呂木卓夫「明治時代の唯物論文献の紹介討論」(『唯物論研究』一八、昭和九年)により、永田広志『日本唯物論史』を参考として、羅列的に紹介しておく。

 (一)、「俗論」の最大の対象が加藤弘之であったと思われるので、まず、彼の著書をあげる。

  『人権新説』(一五年)、『弱者の権利の競争』(二六年)、『道徳法律の進歩』(二一年)、『道徳法律進化の理』(三三年)、『自然界の矛盾と進化』(三九年)。

 (二)、加藤弘之の進化論をめぐる論争(『東洋学芸雑誌』掲載のもの)。

 加藤弘之「社会に起れる人為陶汰の一大疑問」(二九号、一七年二月)、三宅雄次郎「加藤弘之先生に質す」(三〇号、一七年三月)、加藤弘之「三宅学士に答う」(三一号、一七年四月)、井上円了「加藤先生の一大疑問に答えんとす」(三三号、一七年六月)、在札幌一寒生「社会に起れる人為陶汰の一疑問に答う」(三四・六号、一七年七・九月)。

 (三)、勢力保存説

 元良勇次郎「勢力保存法と心との関係」(『哲学雑誌』 五八巻・二四年)、井上哲次郎「中江篤介氏の続一年有半を読む」(『哲学雑誌』 一七巻、三五年)、チンダル・河野於兎磨訳『勢力保存論並科学的唯物論』(一九年)、オスワルド・池田夏苗訳「科学的唯物論を駁す」(『哲学雑誌』 三〇年三月・七月)。

 (四)、因果論

 加藤弘之「因果問題に就いて」(『哲学雑誌』 一一巻)

 (五)、自由意志説

 棚橋一郎「自由意志の存否如何」(二四年)、速藤隆吉「意志不自由の社会的結果」(三五年)、元良勇次郎「自然力と意志作用との関係」(三六年)、中島力造「自由意志論と必至論」(二八年)

 (六)、新心理学

 沢柳政太郎「新心理学と哲学」(『哲学雑誌』 二巻・二一年)、O・H生「新心理学」(同前)、

 (七)、唯物論一般

 フーチェ・中江兆民訳『理学沿革史』(一九年)、中江兆民『理学鉤玄』(九年)、プユヒナー・中川重麗訳「唯物論一班」(『東洋学芸雑誌』 一八年七月・九月)、フォイエルバッハ・久松定弘『道義学之原理』(二〇年)、ウィルキンソン・高橋五郎「現今唯物論」(二三年)、

 以上の著書・論文・翻訳によって、学界で問題となった主題の大略をうかがうことができるが、最大の主題である進化論は明治九年、ミシガン大学から帰朝した外山正一が、東京大学で「ベーンの心理学と一緒にスペンサーの生物学・心理学・社会学等を講義した」のが、明治一〇年代のダーヴィニズム、スペンサーの進化哲学の流行を触発した(永田、同前書、二〇〇頁)。モース、フェノロサの影響はいうまでもない。さきに、三枝博音が破唯物論の対象として外山正一をあげたのは、この点からいって当然であるが、外山正一は「社会改良と耶蘇教との関係」(明治一九年)で、儒教を排してキリスト教を採っているから、円了の論敵の一人であったといえる。

 スペンサーの著書の翻訳は、明治一〇年の尾崎行雄『権利提綱』に始まり、明治二七年の『個人対国家論』まで、二三種にのぼっている。また加藤弘之に影響を与えた、バックル『文明要論』、ヘッケル『宇宙の迷』は、おのおの、明治二〇年(辰巳小次郎訳)と明治三九年(岡山・高橋共訳)に和訳されている。

 つぎに円了が倫理学と共に、勢力を傾倒した心理学については、恩田彰「井上円了の心理学の業績」(『井上円了の学理思想』所収)に詳しく論じられている。元良勇次郎は松本亦太郎と共に、実験心理学の創始者であった。彼は明治二二年、東京大学初代の心理学教授となった。(彼以前の心理学研究は西周のヘヴンの和訳(明治一一年)が古く、ベインは明治一五年(井上哲次郎訳)から明治二一年(添田寿一訳『倫理学』)にわたって紹介されている)。したがって、実験心理学の祖ヴントの「生理学的心理学」は文字どおり「新心理学」と呼ばれるものの一つであった。新心理学が提起した問題は心理学の哲学からの独立であった(ベインの心理学は哲学的であった)。元良勇次郎『心理学』では「心理学はその(観念)の全性質の一片、すなわち、観念の物質世界に関する性質のみを論ずるなり」「霊魂の…ただ意識中に出でたる現象を観察し、その法則を論究するをもって目的とす」(永田、同前書、二〇五頁)と規定されている。したがって、元良勇次郎は円了にとって「実験論者」であった。

 つぎに唯物論としては、中江兆民『理学鉤玄』(明治一五年)がある。この書は哲学概論である。兆民は西洋哲学を紹介する目的で「博く諸家を蒐採」して、これをまとめた(永田、同前書、二六四頁)。兆民の唯物思想が最も端的に表されたものは『続一年有半』であるが、この刊行は『破唯物論』より後である。この書は兆民が死の三カ月前から「書き放しで、一字の推敲も、一句の鍛練もせず」に書いたものであるから、むしろ、彼の思想が素直に表現されていると推測される。幸徳秋水は『理学鉤玄』と『続一年有半』とを比較して「事項はまったく違っていても」というが、永田広志は『理学鉤玄』第三巻(唯物論に関する部分)と『続一年有半』全体を比較・検討して、これを表示している。永田広志は「彼の唯物思想が哲学的、認識論的に」深化していることを指摘している(永田、同前書、二九〇頁)。以上、円了が読みえたと推定できる著書・論文の概略であるが、円了はこれらのものから知識をえたのではなく、批判するべき論点をえたのである。その西洋哲学に対する基礎知識の源泉を探る資料は、円了の「稿録」である。この詳細については、喜多川豊宇「井上円了英文稿録解」(『井上円了と西洋思想』所収)に譲るが、「稿録」では英文が抜き書きされ、それに円了の批評が日本語で述べられている。この中には、円了が本書および『仏教理科』において使用している術語や哲学的主題が随処に言及されている。円了の西洋哲学に関する術語の独自性については、同時代の翻訳書との比較が必要であるので、なんともいえない。

 つぎに、本書に対する元良勇次郎と野々村直太郎の論評において、問題とされたところを見ることにしたい。

 元良勇次郎は論文の大半を『破唯物論』の内容紹介に当て、三点にわたって批評している。

  (1)、円了の論法は根拠を示さず、単に、恣意的に、唯物論の弱点をあげ、「一想像的思想を仮設して」批判しているから、学術的論述になっていない(破俗門)。

  (2)、建正門中の「大化論」で、議論が過去、未来、現在にわたっている。これは円了の「哲学的詩想」にすぎない。世界とその進化(大化)を死物的物質のみに根拠を置くのではなく、世界の根源を勢力とし、進化の動因を勢力とするのはよいとしても、「意識の無終」説には反対である。

  (3)、円了の目的は、このような哲理を講じて、神儒仏三道の再興を図り、これを国家進歩の永久の基礎とすることにあるが、「細密な事実の研究」よりえた科学的原理と精神的法則によるべきである。

 以上の三点のうち、二点は円了の立論と論証に対する批判であり、論争点としては、元良の専門とする「意識」の問題のみである。

 野々村直太郎は、「勢力論」の結語を引用し、この限りにおいて、「大化論」と「因果論」を批判の対象としている。

  (1)、「大化論」批判。この基礎概念である「大勢力」の存在を疑問とし、これが進化(大化)において「時間・空間)といかなる関係を持つのか。円了自身は「これ(時間・空間)が勢力固有の形式」であるといっているが、一体、いかなる形式であるのか。少なくとも哲学者の論述であるならば「時空」の問題は避けられないが、時間・空間を「大勢力の形式」とする点は納得できない。なぜならば、円了の説に従えば、大勢力も「現象」でなければならない。つまるところ「大化論」は進化論の「拡充」でしかない。

  (2)、「因果論」批判。円了は「本体」(大勢力)と現象(万有)との間に、明らかに、「因果の関係」を想定しているが、「因果律は万有相互の関係上に成立」するのであるから、円了の想定では、「本体を否定する」ことになると主張している。つまり「本体」(実在)も「万有」(現象)となる。

因果律を、単に、現象の場においてしか認めない野々村の批判は、円了の哲学がよって立つ大乗哲学、特に『大乗起信論』の真如縁起説によって破析されるものであるが、指摘するにとどめる。野々村の評論の中には「物質、時間、空間、実体、規律、習慣(ヒューム)、形式(カント)、旋渦説(ヘルムホルツ、タムソン等)」など、円了と共通する重要な術語がみられる。更に哲学的命題の共通性については、中江兆民『理学鉤玄』(哲学入門)『続一年有半』に見出すことができる。以下、この点について、若干の考察に入る。

 兆民は、全く、円了に言及していない。『一年有半』において、加藤弘之と井上哲次郎を、西洋の哲学説をそのまま輸入しているだけで、哲学者と称するに足りないと批評しているに過ぎない。兆民は仏教を「近代窮理格物の実験説に逢うて狼狽せざるのみならず、およそ物理学の得る所は随うて、みな収獲し来りて、おのれの薬寵に入ることを得るの仕掛なるを喜ぶなり」(『東雲新聞』明治二一年二月、永田、同前書、二八一頁引用)と評している。この文章は、まるで、円了の著作にみられる論理に対する印象を語っているように思えるほどである。兆民が漢学に傾倒したことは有名であるが、その目的は西洋の文献を和訳するための文章修行であった(『日本の名著』36、二一頁)。しかし、彼自身は理学者が使用している術語を和訳することが困難であるので「博く経子語録及び仏典の類を蒐討するときは、定めて、相合するものあるべし」と思うが、自分自身は門外漢であるのでできない、と『理学鉤玄』を和訳するときに、その感慨を述べている。ここに、明治初期の思想家たちの術語和訳に対する態度をうかがうことができよう。

 いま、一例として、円了が使用しつつも、その概念規定が十分に説明されていない「生活」(および生活力)という術語について、兆民と比較してみる。「生活」の語は円了『稿録』に見られる故、円了にあっては、早くから概念化されていた術語であった。

 本書、第一〇回「進化論」の冒頭で「生活、感覚、意識等の生理的および心理的現象の起源について」、唯物論を批判すると述べ、世界は「一大活物」であって、植物の発育と同じく、動植物は「太初の星雲中に具存せる、生活や精神や意識がようやく開発」したものであるとし、唯物論が世界を死物視し、「生活を物力視」している点を非難している。「顕正門」に入って、第二一回「意識論」一において、再説される。先と同じく、世界の展開を「星雲↓原始的物質↓無機・有機、有機↓無感・有感、有感↓動物・人類」と説明し、「意識も感覚も生活も、みな原始的物質中に潜在していることがわかります」と述べ、この原始的物質の構造を図示している。これによると、同心円的に中心から外辺に向かって、「思想↓感覚↓生活↓無機物」となっている。更に、この各項に「力」の語を付け、同型の図で示し、更に「思想の中心は理想あるいは理性と名付くる心体にして、これ無限性の思想なれば、勢力の中心にありて、その体固有の無限性を継続」しているとする。つまり「理性を思想の本体ととらえ、思想が具えている無限性を保持する実体」としている。これに対して、「思想の有限性」を「悟性」とし、同じく「理性力↓悟性力↓覚性力↓生活力↓無機力」と重層的に拡大する同心円をもって図示している(思想力を理性力と悟性力に分けたにすぎない)。そして、これら諸力を「意識」と「無意識」に分け、前三者を意識とし、後二者を無意識としている。円了は「意識論」二において、意識性を具えたものを精神、無意識性の方を物質とし、前者を無限、後者を有限としている。したがって「生活力」は物質の属性ということになる(円了は物質を「勢力の現象、すなわち勢力の外面をわが感覚にて認めたるもの」と定義している)。ここで注意すべき点は、「破俗門」の「進化論」では「原始的物質」という項が設定されていないので、「生活」は星雲中に存在していることである。

 以上を前提として、兆民『理学鉤玄』の「生活」をみると、「それ、これ(身体)十八原素相聚りて、一組織を成し、外間、若干物を吸咽して自ら養い、その無用の物はこれを射出す」ることであると定義している。また「力」は「力とは何ぞや。運動これなり」とし、この運動は「星辰の旋転する」「草木の栄枯する」「禽獣の生滅する」「感覚の思念する」ことであって、「物の一の状態より出でて、他の状に入ることである」とする。以上の定義によると「生活力」とは有機物の「エネルギー変換運動」ということになる。さきに注意したように、「破俗門」における円了の「生活」は星雲中に存在するのであるから、基本的には兆民の「生活」と相違しない。しかし、「顕正門」において、意識・無意識の集合体である「原始的物質」という「勢力」の一構成要素とされるときには、両者の間には大きな隔りがある。この段階に議論が進むと、兆民の意識論との詳細な比較が必要になってくるが、解説の域を超えるので、術語の概念規定の段階にとどめる。しかし円了は本書を執筆するに当たって、「俗論を俗論でもって」破析するのではなく、俗論の理論を十分に検討した上で、大乗仏教の縁起説(特にアラヤ識縁起と真如縁起)によって、仏教の唯心論を主張したことは読みとれよう。しかし本書において円了がよって立った大乗仏教の縁起説は、どこまでも、思想の祖型として機能しているのである。円了自身もいっているとおり、本書にみられる理論は「新唯心論」である。ここに「思想の術」が遺憾なく発揮され、「応用」されているのである。

 

 本書は緒論より結論まで二六回に分けられ、一回・一五回を「破俗門」、一六回・二六回を「建正門」としている。いうまでもなく、仏教の「破邪顕正」の論述形式が用いられているのである。

 「緒論」では論破する対象とする唯物論などをあげ、これらの諸説を破する目的を日本固有の神儒仏三教の顕正にありとする。「学問論」は(一)・(三)に分かれる。(一)は「学問論」の序説に当たる。まず「破俗門」の構成として理論(反論の対象)と実践(利害の検討)に分け、更に実践を「学問上」と「国民上」に分けている。前者においては、東西の学説に対する誤解を正し、後者において、諸説が道徳に与える影響を論じる(後出の「国民論」(一)(二))とする。「学問上」では東西両学問の特徴と長所・短所が指摘されている。(二)において、俗論者が神儒仏三教を排斥する論拠をあげ、宗教の是非は人間を基準にするべきではなく、僧侶等が悪ければこれを改良すればよいのであって、本質は変える必要はないとする。第二点として、仏教を厭世主義とする俗論をとりあげ、これに反論している。(三)では東西両学問を詳細に比較・分析し、西洋の学問は実証的、分析的である点で、精にして密、この点は東洋の学問は西洋に及ばない。しかし、倫理学・宗教学にまで、同じ方法論を用いて、実験学の理論をもって、純正哲学に代えるとする点は認めることはできない。必ず、純正哲学を援用するべきであると主張している。

 「国民論」は二回に分かれる。(一)は道徳面から、(二)は精神面から、俗論の非を指摘する。(一)において、唯物論を「科学的」と「通俗的」に分け、前者を、自然科学の実験に基づき、人間の精神は神経組織の物理的作用に起因するものであり、物質の外に精神なしとする、「唯物無心論」と定義し、後者は宗教的霊魂説を否定する故、道徳を乱す原因となるものとして排斥する。更に、かつて加藤弘之が説いた「天賦人権」思想に反論し、これが疑似自由思想を生み、ひいては精神を「自利欲体」の奴隷とすると批判している。しかし、唯物論も唯心論も、国情に照らして行うべきであるという立場に立っている。(二)では日本の伝統思想が国民精神の形式に果たした役割を強調し、実験主義が有形(物質)の範囲を超えて、無形(精神)上にその理論を適用することに強く反対している。この思想は円了の信念ともいうべきもので、随処で主張されている。

 「物質論」は唯物論に対する理論的反論の序章であって、「規律論」「時空論」へと展開するものである。つまり(一)物質の分析、(二)世界の開闢、(三)変化の原因、(四)万有の規則、(五)時空の関係の五点にわたる反論である。まず、円了のいう唯物論とは「理化学等の有形的実験学」あるいは「時間空間のいかんは理化学の方では決して論ぜざる問題」といった言葉が示すように(自然)科学的唯物論であることは注意を要する。彼はこの観点から、唯物論が物質の本質、普遍的法則(因果律)、時間空間の本質を明確にせず、かえって、これらを不可知とする点を弱点として指摘する。そして、時間空間は先天的実在であって、物質にさきだって存在し、先験的なものであるとする。

 つぎの「進化論」では、進化論は進化の起点と終局、およびその中間において作用する「原力」を説明せず、すべて仮説に立って立論している。つまり、実体を究めていないので、唯物的進化論でしかなく、無機の内部に有機を具えた「原体」に気づいていない。

 「自利論」は(一)(二)に分けられ、さきの「進化論」を受けて、(一)において、進化論が道徳論に応用される理論的根拠が明らかにされる。つまり進化論では「優勝劣敗適者生存説」が主張されるが、この説は自利を尊重して、道徳の基本である利他説を排斥する結果となる。また進化論は、人間社会成立以前には道徳は存在せず、利他心は利己心の変形にすぎないとするが、円了は自利の中に利他が内在しているとし、その根拠を仏教の「悉有仏性」説に求めている。(二)は道徳論の続きである。進化論者が「遺伝」説によって、道徳心の先天性を否定するのに対して、教育によって、先天的道徳が開発され、「順応」(経験)が加わって道徳が成立するというように、どこまでも、道徳心(利他心)の先天性を主張している。

 「宗教論」では、俗論者の宗教批判は宗教家の堕落を指摘しているのみで、本質に迫っていない。また彼らは「恐怖心」に宗教の起因を求めている。この二点に対して、まず宗教はそれを担う人間にあるのではなく、人間の宗教心にあること、宗教は実在に対する依憑による安心にあることを主張し、宗教の三要素として「不可知の存在、無限性の精神、絶対的依憑の情」をあげ、この三要素の相互作用によって宗教の目的である安心立命が成立するという。ここで、特に「無限性の精神」について、哲学の無限性を理性(智力)、宗教のそれを信性(情力)と呼び、これを先天的なものとする。

 「感覚論」と「懐疑論」は互いに関係する主題である。まず、感覚の機能と位置について、感覚は精神と肉体の中間にあって、両者を媒介する機能を持つ。したがって、感覚は精神の次元に属する故、「感覚論」は唯心論の一種であるとする。「感覚論」と「懐疑論」の関係については、感覚を絶対視するときには感覚を離れて、外界も内界も了知できず、物質の実在を認めず、感覚の外に精神なしというような懐疑論となるとする。つぎに「精神の知識、思想および理論の原則、真理の標準等を、みな感覚上の習慣、あるいは連想とする」という点を論拠として感覚論を論駁し、続けて、経験論の「人間の心は白紙のようなもので、感覚上の経験によって、ようやく、知識を生じる」という説に対して、心は「明鏡」のようなもので、精神に影像をとどめ置く力が先天的に具わっているのであって、経験によるものではなく、また影像が知識となる「整列結合の作用」(判断作用)も先天的作用である。つまり人間の知識の本源は先天的精神作用であるとする。また懐疑論が、因果論に関して、「因果は経験の反復の結果」であるとするのに対して、因と果の二項は個別のもので、この二項を関係し、連合する作用は「精神固有の先天性」であるという。以上、要するに円了の論理の基調は「精神固有の先天性」という理念があり、これにすべての経験の結果を統合する、先天的実在論ともいうべきものが考えられている。

 本書の後編である「建正門」は八段に目次が立てられているが、主題は「大化論」である。円了は「大化論」を物質界(客観)と精神界(主観)において論じ、この応用を論じるのである。具体的には、客観∥世界論(物質論)、勢力論、因果論、大化論(第一段―第四段)、主観∥意識論、理想論、無限論(第五段―第七段)、応用∥応用論(第八段)である。この構想は『哲学新案』において、継承され、発展している。

 円了の論理的基礎となっているものは「物質の不滅、勢力の恒存、因果の永続」の「三大理法」である。世界論、勢力論、因果論は、この三大理法を物質界に適用することによって、大化論を導く序論となっており、この理論を精神界に適用することによって、道徳・宗教を論じ、更に、この結論を社会、国家に応用する提言によって、俗論を破して、円了の新唯心論の立場を宣揚している。円了の新唯心論の特徴は、さきに「生活力」の概念について、やや詳しく紹介した「意識論」にみられる「原始的物質」の構造論である。これは世界の大化説を精神界に適用する場合、必要的に、想定されたものである。「意識論」二では意識の属性と起源を論じ、「理想論」では「原始的物質」の各構成要素の相互関係を論じ、また、理性に関連して「真善美」との関係を論じている。円了によれば、真善美は理性の中に生じるものであり、「美は理性が万有界に対して求むるところの希望」であり、善は人間界、真は絶対界に対するものである。また、この三者はおのおの、美学、倫理学、純正哲学に関する特性であり、更に、自然界、意識界、絶対界がその場所(ポスト)となり、これを要するに、真善美の実現が「大進化」の終局であるという。ここまで論理が展開すれば、短絡は慎まねばならないが、この理論の祖型として、「如来蔵縁起」(真如縁起)を想定せざるをえない。この想定が正しければ、「顕正門」は「業感縁起」から「如来蔵縁起」を含む、縁起観に基づく新仏教論ということになろう。したがって、円了の哲学を理解するためには、大乗仏教に限定するのではなく、全体的な仏教学的基礎知識が不可欠である。