6.解説:針生清人

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   解  説                   針 生 清 人  

     一 明治哲学の回顧

 中江兆民は『一年有半』において、「我日本古より今に至るまで哲学なし」といい切っている。それによれば、明治以前の諸学はすべて考古学的、経学的でしかなく、ただ仏教僧に見るべきものがあったにしても、結局は、「宗教家範囲の事にて、純然たる哲学に非ず」といわれるところである。この「純然たる哲学」とはヨーロッパ哲学移入後に「自分で作った哲学」のことだといわれる。このことに則していうと、加藤弘之、井上哲次郎らは哲学者を自称し、世間もこれを認めているが、しょせんは「論説の輸入」でしかないことになる。そして『続一年有半』のなかでは自らの哲学を「ナカエニスム」と称し、それによって「自分で作った哲学」、すなわち「純然たる哲学」が日本において成立した初めとしているということである。

 中江兆民のいうところは、日本古来の儒仏神の三道が経学的、宗教的、考古学的であって哲学でなく、輸入の哲学も単なる模倣であって真に哲学というべきでないということである。そして「純然たる哲学」とは「自分で作った哲学」ということ、すなわち自ら思索し思想を形成するということに根拠を置くものであるが、その意味では日本にも皆無というわけではない。中江兆民自身が明治期に哲学において影響を与えたのは、哲学史にあたる『理学沿革史』(明治十八~十九年)と哲学概論にあたる『理学鉤玄』(明治十九年)であるが、前書は翻訳であり後書は翻案である。その意味で「自分で作った哲学」ではない。その両書の基本的性格は十九世紀フランスの唯物論である。あるいは『三酔人経綸問答』(明治二十年)を見るならば、人民を政治の主体ではなく、単なる客体にとどめ、批判を国家・天皇にまでは及ぼさなかったが、専制官僚政府に対する徹底した批判がある。これらのことから考えると、中江兆民のいう「純然たる哲学」とは、近代ヨーロッパの市民社会が生み出した合理主義、批判主義、諸科学の成果を反映させる実証主義、唯物論ということになるだろう。その意味では、日本に哲学は存しなかったという見解も十分に根拠のあることである。しかし、その視点をかえればどうであろうか。例えば、兆民の立つ唯物論を離れて観念論に立つときには別な理解も可能である。井上円了はまさしく観念論、特に純正哲学、の見地から、日本古来の仏教がヨーロッパ近代の理学(自然科学)の批判に耐え得る合理的なものであり、純正哲学(形而上学)と合致するものであることを論究した。それはいうならば、日本にも哲学はあったということを論証するものであり、それを通しての仏教再認識の遂行であった。それと同時に円了自身、自らの哲学を純正哲学として体系化し、それによって「輸入の哲学」の日本化をはかったということができる。

 明治以前に哲学があったか否かという問題がすでに、明治期の哲学が特異な状況にあったことを物語っている。そのことを明らかにするために、明治期の「哲学」がどのように展開していたかを見ておく必要があろう。

 井上哲次郎は『明治哲学界の回顧』(岩波講座「哲学」)において、「明治以前には殆んどないが、明治以後には慥かに、鮮かに辿って行ける様な二種の系統」があると述べている。その一つは「物質的、経済的、客観的、実際的、功利的」な系統であり、その二は「唯心的、超絶的、主観的、道徳的、宗教的」な系統である。このことは「歴史的事実の上に立証可能」だという。もとよりこの「歴史的事実」とは明治以後の哲学の受容と展開が示すものにほかならない。井上哲次郎はその展開を三期に分けて見ている。

 第一期(明治初年~二十三年)

 「思想潮流は大体アウフクレールングスツァイトで、英、米、仏の思想が優勢であり、……澎湃として洪水の如く侵入して来た。英、米の自由独立の思想、仏蘭西(フランス・・引用者)の自由民権の思想」の紹介、主張、唱導、宣伝がなされたときである。哲学の講義としては明治三年西周が京都の私塾「育英舎」で初めて『百学連環』によって行った。開成学校が明治十年に東京大学に、十九年に帝国大学に改編され、留学より帰国した外山正一らが進化論、実証主義、功利主義などをもって外人教師フェノロサらと肩を並べて哲学を講じており、新進の井上哲次郎はドイツに向けて留学するときでもある。

 第二期(明治二十三年~三十八年)

 この時期は外人教師フェノロサらと共に留学帰朝後の井上哲次郎らの努力によって「ドイツ哲学を主とした」時代である。教育勅語渙発により教育の体制化が一段とすすむ中で国民道徳論をめぐる問題、日清戦争前後の国粋保存運動が活発になるときである。そのようななかで、内村鑑三不敬事件、哲学館事件が起こったのは、宗教、倫理が国家管理の下に置かれることが急速化したことを意味している。

 第三期(明治三十八年以降)

 日露戦争の思想界に及ぼした影響により「個人の自由の自覚が顕著となり、狭隘なる愛国心より忽ち目覚めて、世界的の広大なる精神が俄然発達」した、変化著しい時期である。が、その実態は、対外的には韓国併合を初め遼東租借、満鉄獲得を行い、対内的には労働運動、社会主義運動を取り締まり、大逆事件によって思想、運動の弾圧が極点に達するときであった。それは石川啄木をして『時代閉塞の現状』(明治四十三年)を書かしめたように、「社会主義の冬の時代」ともいわれ、思想閉塞の時代であった。この時代区分では井上円了は第一期に位置づけられる。

 これと同様に明治哲学の受容、確立、大成の視点で時代区分をしたものに、船山信一の『増補明治哲学史研究』がある。それによると、次のように区分されている。

 第一期(明治初年より十五年)。その特色は実証主義の移植であり、代表者は西周である。その前期(明治初年より八年)は「明六雑誌」廃刊までの純粋に西洋哲学の受容と紹介が行われた。その後期(八年より十五年)は、加藤弘之『人権新説』に代表されるように自由主義と国権主義の分裂が起こるときである。

 第二期(明治十五年より二十二年)は、実証主義が純化して観念論と唯物論に分化するときであり、井上円了が「純正哲学」によって仏教の再興をはかることを通して日本型観念論の準備者の役割を果たしたといわれる。

 第三期(明治二十二年より三十八年)。現象即実在論あるいは観念即実在論による日本型観念論の確立期であり、その代表は井上哲次郎である。

 第四期(運動の実際から重復して明治二十八年より四十四年)は、さまざまな哲学的啓蒙家が活動したが、仏教の護教家、社会啓蒙の実践家の一人として円了の活動が評価される。

 第五期(明治四十四年より大正十五年)は、日本型観念論の大成期であり、その代表は西田幾多郎である。

 特に井上円了は純正哲学(形而上学)を独自に解釈することを通して、仏教を東洋における純正哲学と評価することによって仏教の復権を計ると共に、明治初期の観念論者として、第二期に位置づけられた。このような仏教の視点から明治の思想界を見たものに、島地大等『明治宗教史』(大正十年)がある。それによると、明治という時代は「結局、全てが混沌たるものであり、盲目的であり、諸の問題を未解決のままで、大正時代に送りこんだ」といわれる。それは明治思想の性格規定を単に「混沌、未解決」という意味で見ているわけではない。かえって、「明治人は、自我を叫びつつも、自我以外の自我を認めていた。又、自我を他我の犠牲とする不自然も自然として忍び得た時代」であると述べているところに「混沌、未解決、盲目的」ということの意味があるといえよう。自我と他我の対立を自覚しつつもなお冷徹な自己認識に徹し切れぬより強大な他我が存する時代に、すべてを「混沌、未解決、盲目的」にする原因を見ているのである。自我をそれに埋没させなければ自我は自我たり得ぬような、そのような強力な他我の存在を論理化し、合理化し得ぬままに哲学するという矛盾が明治の哲学にはあったのである。中江兆民が「日本に哲学なし」といわざるを得なかった真の意味もそのような状況があるからであり、また島地大等が「自我を他我の犠牲とする不自然も自然として忍び得た時代」という意味もここにある。もとよりそのような他我の超克をめざす思想闘争や運動はあった。しかしそれが努力されればされるほど思想、運動は社会的、政治的となり、核心に迫ることなく周辺にとどまり、論点も曖昧なままに終わるという明治の思想状況の複雑さがあったといえる。島地大等のこの論述は仏教に焦点をあてたもので、明治思想の全体を論じたものではないが、明治の思想状況を的確に表現しているといえる。島地大等の指摘する明治思想の特徴はつぎの三つである。(1)政治的色彩が強く、闘争的大気に満ちていたこと、(2)欧化主義、(3)在来思想と外来思想の対立と調和、の三つである。この三つの特徴は宗教に限定したものであるが、哲学についても同様といえる。

 以上のように、明治の哲学は受容、時代の諸制約、矛盾の克服、日本型哲学の確立の過程においてみられるとき、井上円了の哲学は近代化の道を歩む明治期日本においてまず自覚される道徳の頽廃、仏教の衰退の回復とそれに追いやる根本と思われるキリスト教の排撃に向けられた。それと同時に、近代的国家体制の整備を急ぐとき体制の外に置き忘れられた民衆の真の文明開化=啓蒙を円了はさまざまな形で行うのである。このような状況での井上円了の哲学の営みは、哲学体系の確立あるいは大成の道に進むものではなく、最初から過渡期の、したがって日本型観念論の準備者の位置に位置づけられるのである。その準備者としての位置はどのようなものであろうか。

     二 明治哲学における円了の活動と位置

 井上円了が学んだ哲学は、幕末期にオランダに留学した西周、津田真道らによって移入紹介された十九世紀ヨーロッパの市民社会の意識を反映する実証主義的な思想であり、更には化学を学ぶために米国留学をして哲学者として帰国した外山正一らがもたらした進化論や科学的な心理学である。また、円了が東京大学在学中の明治十六年秋から同二十年(?)までの読書録というべき、英文で記されたノート『稿録』は円了の哲学書の読書のあとを示すものであるが、そこには詳細の程度はさまざまであるが、そこに記された大略八十七項目はスコットランド学派、英国経験論、功利主義関係が大半を占め、記される人名はおよそ百五十を数えるものである。読まれた本は、哲学史が多いが、科学と宗教、実証主義哲学、宇宙論哲学、唯物論および合理主義の歴史、科学の哲学、進化論、心身問題、心理学などの多岐にわたるが、要約されたもののうち、最も紙数の多いのがシュヴェグラーの哲学史、スペンサーの思想およびヴォルテールの哲学史の要約である。実験心理学および心身問題への関心が大きかったと思われる。また、読まれたかあるいは読むべきものとして記された書名に哲学一般に九十九冊、心理学に五十冊、論理学に二十三冊、倫理学に六冊、その他八冊が挙げられている。これらのことから円了の哲学の基礎的知識とその関心がうかがえるが、そのうちでも心の問題、宗教と道徳の問題、進化論に関心があったことが指摘できる。論理学の読むべきものを多く数えているが、実際に読まれた読書メモには全くないことは、円了が論理学に関しては、言語用法上の誤謬を扱った『哲学道中記』一冊しかないことと関っている。

 円了は明治前期の哲学移植期の状況を反映した哲学を学び、しかも外山正一らの紹介する科学的な進化論を基礎にしながらそれを超えて、独自の純正哲学を形成するに至るのである。そして、その純正哲学の名の下で仏教を見直し、その純正哲学としての仏教と純正哲学としての哲学との一致または併行を主張したのである。円了は更に、哲学としての仏教の立場からキリスト教の批判を行うのである。それが『真理金針』による円了の思想家としての最初の仕事であった。

 円了はのちに『破唯物論』(明治三十一年)において、自らの活動を三つあげている。その一は「ヤソ教の気焔の熾になるに際して」「国のため教えのため」になした「ヤソ退治」である(『真理金針』、『破邪新論』)。その二は「民間の迷信依然として行われ、宗教改良、教育の進歩を妨げる勢いがある」ので、民間の「迷信退治」を行った(妖怪学、全国巡講)。その三は「世道人心を益」し、かつ「三道興隆のため」に行った「俗論退治」(いわゆる唯物論の批判)である。更に円了はここではふれていぬが、「修身教会」等による道徳の回復運動等も加えるべきである。これらの井上円了の活動はいずれも伝統的な思想の復権の時代的風潮と関って、しかもなおそれらに抜きんでており、そのいずれにおいても指導的役割を果たしたものである。

 円了のキリスト教批判は、著述活動としては最も早く行われたが、哲学と科学の知識に裏づけられ、しかも観念論の概念分析を武器として行われたものである。それはもっぱらキリスト教の「神」概念の「論理的」分析を行い、それは今日の科学的知識に照して不合理であり空想的であること、宇宙創造という行為と意志に関して「有意有作」の人格神であってなお絶対的ではなく、したがってこのような不合理かつ人格的な神を信ずるのは宗教性においてなお浅薄であること、「ヤソ教の人知を圧抑して発育せざらしめ」て中世を暗黒におとし哲学を衰退させたこと、また、道徳を神の賞罰に委ねてしまったことなどを列挙して批判している。

 いわゆる「迷信退治」は円了の生涯をかけた仕事であるが、文明開化が制度、形の上で進められてもなお庶民生活の底辺に潜む迷信俗説の打破である。それは当初、新知識を学んだ学生たちの新しい啓蒙運動であった。円了は大学時代に「不思議研究会」を創設(明治十七年)し、迷信の社会学的、科学的研究を啓蒙活動の場に活用したものである。円了はその活動を続け「妖怪研究会」の開設(明治二十四年)、『妖怪学講義録』(明治二十六年)の刊行をなしたのであるが、それは多くの啓蒙思想家が文明開化、自由民権のかけ声のもとで、思想面に限って啓蒙運動に従事していたのに対し、全く底辺の生活面での「迷信=妖怪」開化であり、真に文明開化されねばならぬものについての認識に決定的な差異がある。このような「妖怪=迷信」退治を啓蒙の目的と手段にしたことは、キリスト教がその布教、伝道のために医療、教育等をもって民衆に接近するとともに不合理な風習打破を行っていることと対比さるべきものといえよう。

 「俗論退治」には二つの意味があると思われる。その一つは唯物論を打破して観念論哲学を確立することであり、その二は哲学による神儒仏三道の深化と復興である。そのかぎりで極めて政治的な色彩を帯びるものである。ここで円了が批判の対象とした唯物論は、神儒仏の「三道の敵と認めたもの」の一切であって、哲学的唯物論の外に「進化論、実験論(経験論)、感覚論、自利論」「拝金宗、体欲宗」等を含めている。それは哲学的唯物論の中に実験論(経験論)、感覚論を含めており、自然科学に由来する進化論、また倫理的唯物論として自利論、拝金宗、体欲宗を「俗論」として批判するものである。この「俗論」とは「いずれも西洋舶来の看板を掲げ、しきりに西洋風を吹き立てて、なんとなく威張りたる風体」のもの、といわれるように、日本伝統のものでなく舶来のものをいっている。しかし俗論に対する「正論」には伝統的な神儒仏三道のほかに舶来の非唯物論(先天派、唯心派、理想派)を含めているので、唯物論とは円了の「純正哲学」以外の一切ということになろう。

 『破唯物論」の構成は「破俗門」と「建正門」からなるが、「破俗門」は俗論(唯物論)の実践的害悪、理論的誤謬の批判を行い、「建正門」は正論(唯心論等)の実践的理論的立場の有益性を明らかにするものである。この「破俗門」は、「実際上」と「理論上」に二分されるが、「実際上」で扱われるのは「学問論」と「国民論」である。「学問論」では東西両洋の学問を比較し、西洋の学の長所は実験学に認めはするが、「その実験の主義が哲学の範囲に推し移りて倫理学宗教学までも物理化学などと同じ方法をもって研究する」ようになっていること、すなわち自然科学の方法である実験が精神科学の領域にまで拡張適用することを批判している。これに対して儒仏神三道は国体の批判ではなく国体の保護に当たってきたことにふれ、東洋の学問の護教学的性格を称賛し、「総合の観察に長ずること」、「理想の趣味に富むこと」、「実際の応用を先とすること」の三点が東洋の学問の長所としている。

 「国民論」では、唯物論的自利主義は国家の公序、人民の品行、国民の精神に悪影響を及ぼすもので、唯物論は全体的にいって「東洋の特性を破壊するのみならず、国家の道徳を破壊するの恐れ」があると述べている。唯物論を道徳的観点から批判していくのである。「理論上」では、俗論と一括されたものをそれぞれに批判するが、その主な論点をあげてみるとつぎのようである。

 円了は哲学的唯物論を「物質論」としてとらえている。その「物質論」とは、世界は物質より成り、世界に存するものはすべて「無機物質の固有せる勢力(エネルギー)すなわち物力の変態に過ぎず、故に物象の外に世界なく、物質の外に精神なく、物力の外に生活」なく、すべては物質とする立場である。円了はこのような意味での「物質論」を「分析上、開闢上、万有の規律(変化の原因)上、時空の関係上」の四点から矛盾を指摘しようとする。唯物論者は物質は元素から成ると説明するが、それは物質を分析しただけであって、物質が元素であるということは物質は物質であるということにほかならずトートロジーでしかないと批判する。また、元素は延長を有しても有さなくとも矛盾であるという。元素に延長がなければ、そこからいかにして延長する物質が生ずるのか。元素に延長があるとすれば、更に分析されるから究極的な実在ではあり得ぬではないか。いわゆるアンチノミーの指摘である。同様に、物質に起源がないとすることも、物質の発生を物質に求めることもアンチノミーに陥ることを指摘している。因果論および時空論についても唯物論を退けて、それらは経験論を成立させるものであって経験に従って起こるものではないという。

 円了は、哲学的唯物論はただ物質のみが存し心は存在せずと考え、また知識思想も否定する立場である、と考えており、心の存在を認めるのも、物質について考えることも唯心論と考えている。すなわち「物の外に心なしといい、感覚を離れて精神なしということすら、みな心によりて論じておる」のであって、「心ありとするも心にして、心なしとするもやはり心なれば、心ばかりは仮定という」ことはできぬというのである。したがって、唯物論は物質のみを認めるのに対し、物について考えるのが唯心論ということであり、「すでに物質あり世界ありとすれば、暗に知識思想の実在を既定せること」になるというのである。すなわち唯物論が存する以前に唯心論が成立するというものであって、そこではすでに唯物論も思想であるかぎり唯心論であると主張されるのであって、円了は物質と物質の思想とを混同しているといえるだろう。

 円了は科学としての進化論の妥当性を認めるが、進化論が生物学あるいは「有形学」の範囲を超えて、哲学、精神諸科学の領域において直接に真理と認められるようなとき、進化論を唯物論に含めてこれを否定するのである。円了は純正哲学を論ずるとき、進化論に代わって「循化論」、「大化論」を提起するのである。円了が進化論を考えるときの前提は世界が「一大活物」であるということ、その始源において生命、精神、思想も「内包の潜力」として存するが次第に開発して「顕力」となること、進化は現象であって実体は不変であること、そうでなければ物質不滅、勢力恒存という「宇宙の理法」に矛盾すること、単なる進化のみがあるのではなくて、進化と退化を含む「大化」と考えるべきであること、にある。

 以上のように、円了は単に哲学を受容しそれを模倣したのではなく、哲学を「純正哲学」として深化することに向かい、いわゆる「日本型観念論」形成に着手したのであり、その意味で、その準備者と目されるのである。

     三 円了哲学の構造

 井上円了の著述の範囲は極めて広く、その主たる項目をあげても仏教、倫理学、心理学、教育学、通俗講話等に及んでいる。いま、「円了哲学」ともいうべきものを理解しようとするならば、それらのすべてを踏まえて論ずるのが本来的であるが、ここでは「純正哲学」にかぎって論究することにする。

 円了の哲学は、「物心の関係を論じて世界はなにによりて成るか」、「神の本体を論じて物心のいずれより生ずるか」、「真理の性質を論じて諸学はなにに基づきて起こるか」の三問題、すなわち宇宙論、本体論、認識論、を論じた最初の著述『哲学一夕話』が示しているように、純正哲学に関心を有して次第に論理を整合し内容を深めて『哲学新案』において体系化されるのである。

 円了の特色は哲学を極めて構成的に考えることで、必要に応じて組織図等を用いて図解することが多い。そのことが円了の述べようとすることを明快にはするが、他方でその理解を浅薄にし、あるいは円了の意図と異なる方向へと導くことが起きるのである。まずそのことを念頭に置きながら、円了の学問および哲学の定義から見て行くことにする。

 まず『哲学一夕話』では、この宇宙に存在するものには「形質」を有するものとそうでないものがある。この形質あるものを実験する学、事物の一部分を実験する学が「理学」であり、有形の物質に属するとされる。これに対して、感覚・思想・社会・神仏のように形質をもたぬもの、事物の全体を論究する学が「哲学」であり、無形の心性に属するものである。そしてこの哲学のうち真理の原則、諸学の基礎を論究する「純理の学」が「純正哲学」であり、心の実体、物の実体、物心の本源、物心の関係を解釈し説明するのがその目的である。

 『哲学要領前編』では、思想の及ぶところ哲学の関係しないものはないが、あえていうならば、哲学は思想、道理を究明する学である。諸学はすべて哲学であるといい得るが、その基本は純正哲学であり、純正哲学は諸学の原理、事物の真理、思想の規則等を証明論究する学、諸事物の真理を究明する学だとされる。その基本課題は物心各体がなんであり、どのような関係にあるかを定めることである。

 『純正哲学講義』では、万物万有に包含される道理を探究、組織する学、一個一個の道理を帰納摂約し、万有普遍の原理大法を究明するのが哲学であるといわれる。それは更に分析される。有形質の物質はすべて五感に感ぜられる現象であるから、これを「物象」というならば、物象は物質が心面に映る影像のようなもので「外物の表象」である。影像があれば必ず真体があり現象があれば実物がなければならない。したがって「物象」の外に「物体」の存在が推測され、「物象」と「物体」が区分される。「象」とは感覚上に現れる性質である。「体」は認識し得るものではないが推測されるものである。心性についても同様に「心象」と「心体」の区別が立てられる。「物象」は「我人の心外において見るもの」であり、「心象」は「心内において見るもの」である。「物象が心面に集まりて心象」を生ずるのである。心性は「外界に現示する作用」であるが、この直接に作用を外界に現示するものを「有象」というとき、直接にその作用を見ることのできぬ神は「無象」といわれる。すなわち、無形質のものは心性のような「有象(有現象)」と神のような「無象(無現象)」に区分される。神も「一個体たる意志を有し知力を有し愛憎の情を有しその作用をこの世界に現示する」キリスト教における人格神はなお「有現象」といわざるを得ず、これを「神象」と名付けるのである。これに対して形而上学的な純然たる神は無現象の体であって「神体」と呼ばれるのである。もはや神の名を与えるのも不適当であって、円了は真如、理想、理性、理体の名で呼ぶべきだというのである。この体と象との関係、つまり形質と現象の有無を事物にあてはめるとつぎのように図式化される。

  事物 有形質(物象)

     無形質 有現象(神象・心象)

         無現象(物体・心体・理体)

 この事物の形質現象の有無のそれぞれについて研究する学問はつぎのように分類される。

  学問 理学すなわち有形質(物質)の学

     哲学すなわち無形質の学 有象哲学すなわち有象(神象・心象)の学

                 無象哲学すなわち無象(物体・心体・理体)の学

 この有象哲学は実験哲学(経験論)のことであり、無象哲学が純正哲学である。

 円了の哲学を集大成した『哲学新案』では、狭義の哲学すなわち「純哲学の目的は、各方面より観察を下し、宇宙の真相を究明開示する」にあるといわれる。科学は宇宙の一界一域の部位的研究であり、その科学の研究成果の供給を得て哲学は宇宙の万象万境の総合的研究をするのである。すなわち科学の結果を集大成するのが哲学である。宇宙全体の真相真理は科学のうかがい得るところではなく哲学の総合大成によってのみ知られるのである。すなわち諸科学はそれぞれの研究対象の規則を考定するのみであって他の部分には関らないので宇宙全体の真理を知り得ないが、哲学はこれらの諸科学を統轄総合し、万学諸理を完結する宇宙全体の学だといわれる。前掲の理学、哲学の分類図をいま簡略に示してつぎのようにする。

  学問 理学=諸科学

     哲学=諸科学の統轄総合の学

 そのとき、円了の示す図式からは、哲学が理学を統合する全体の学ということは直ちには読みとれない。理学が対象にする「象」と哲学が対象にする「体」とがなんらかの意味で同一であることが要求されると思われる。

 ここに至って、円了哲学はこの体と象の関係を論ずる独得の道を開拓するのである。

 哲学の主題とするところは、円了によれば、物質と心性がなんであるか、その関係はいかなるものであるかを定めることである。円了はそれを「哲学の性質上の分類」としてつぎのように示している(『哲学要領後編』)。

  哲学 無元論(虚無論)

     有元論 一元論 相対 唯物論

                唯心論

             絶対 唯神論

                唯理論

         多元論 二元論 物心異体論(物心両立論)

                 物心同体論(物心一体論)

             三元論

 「無元論」とは物、心、神すべて存しないと主張するもの。「唯物論」とは物の外に心も神もないと主張するものである。「唯心論」とは心の外になにもないというもの。「唯神論」とは有意有作の神を立てるもの。「唯理論」とは無意無作の理体を物心の外に立てるもの。「物心異体論」は物心がその体を異にするもの。「物心同体論」は現象は異にするがその実体は同一として物心の中に理体を立てるものである。

 円了によれば、論理思想は物心二元論から始まり、唯物、唯理、虚無、唯心を経て物心同体論へと発達するとして、その展開を論ずるのである。それによると物心は共に現象であるが、物心の本体は物でも心でもなく、また物心を離れて存するものでもないのであって「理想」と呼ばれるが、物体も心体も共に無象界に属するので、そのことによって物体と心体は同一であるといわれるのである。しかも、いわゆる「心」は心象であり、思想も心象である。心象を離れて別に心体が存するとはいえぬのであるから心体も心象であると主張される。ここに、体と象の同一性が主張されたことになる。

 物象、心象を見て物体、心体の存在を推測するのであるから、感覚と連想の外に物心の実体はないが、感覚が在ることを知るのは感覚でないもの、すなわち連想が存するからである。ここにおいて、円了は感覚よりも論理を優先させる独得の論述を進めるのである。それによると、感覚はそれを内外に分けてその内にあるものを心といい、その外に現れるものを物というが、そのときすでに空間を前提にしている。時間空間は感覚を構成する要素である。したがって、感覚の外に時間空間が存し、時間空間の外に論理が存するというのである。論理が存するのは心が存するからである。したがって以上のことから、感覚は論理より生じ論理は思想=心より生ずるというのであり、ここに唯心論の成立する根拠を認めるのである。すなわち、思想=心の知覚は意識または自覚であるが、物界=外界の万象万化のどれ一つ意識の範囲内にないものはないので、意識の範囲内にあるものはすべて思想=心の中に存するというのである。物と心に差別があるように思われるが、その差別は心の現象にすぎない。その差別の心の存在するのを知るのは思想の作用であり、心の本体は無差別であり「自覚の心」と呼ばれる。物心を差別する心の作用は現象界に属するが、「自覚の本体」はこれを知ることができぬので無象界に属するものである。ここで、円了はこのように結論する。物は物界(外界)にあり、物象は心界内にあり、物体は無象界に属するというのである。心性についても同じである。更に、物象心象は相対的であり、したがって現象界は相対的である。これに対して物体心体は同一であり絶対である。したがって無象界は絶対である。心体という語法はすでに相対的であるので、物心両体の本体となるのは「絶対の理体」と名付けられる。それは「非物非心」であり、物心の本源であるが物心の外にあるものという。これが円了のいう「物心同体論」である。

 以上のように見てくると円了の論理の一端が明らかになる。通常の認識論が教えるように現象と物自体の関係と同じく、「象」と「体」が対立させられる。物心の区分に応じて物象、心象がありそれに対応して物体、心体が立てられ、その両体は心における相対であるので、それを統一する理体を想定するというものである。この絶対の理体が物心を開発するというものである。したがって、すべては絶対の理体に帰するという絶対的な観念論を主張するものである。

     四 円了の哲学の提起するもの

 円了は常に自ら思索し、いくつかの点で新説ともいうべきものを示した。そのうちの重要と思われるものを整理してみるとつぎのようなものがある。

 (1) 「円了の全道」(『哲学一夕話』)。

 哲学の主題である物心の問題について、唯物論、唯心論、唯理論が立てられるが、それらはそれぞれに物、心、理に偏しており「哲理の中道」を得たものではない。円了が求めようとするのは「哲理の中道」である。それは「理は物心を含有し物心は理を具備し、二者その別あるも相離るるにあらず、相離れざるもその別なきにあらず」という理論であり、「物即心」「心即物」の理論である。差別、無差別も表裏の別のように見るところが異なるところから生じたが、その体は元素同一である。したがって唯物論唯心論の二者を統一するとき「道理の円満完了」するところが知られる。これが「円了の全道」である。それは物心未分のときには万物無差別であったが、その無差別の中に差別を含有してあり、その体が開発して差別が生じた。また、差別の裏面には無差別を伴うのであるから、世界の滅亡のようなときにはその体が回転して無差別となろう。このように無差別は開発して差別となり、差別は閉合して無差別となるというのであり、これを「世界の大化」と名付けている。しかし、その変化、差別は現象であって、変化の原理は無始無終、不生不滅であるが、これが「円了の体」である。この円了の体をして変化、差別を開発させる作用が「円了の力」である。この「円了の全道」においては、現象も無象も物界も心界もその体同一であってすべては真理である。このような「絶対の理体」に至ったとき「円了の世界」が開かれるのであって、そこでは唯一平等の真理を見るのみだという。

 (2) 現象即実在論

 すでに「円了の大道」が物即心、理即仏心を示しているように、「象」と「体」の同一性が示されたが、それは、現象を常に心=主観に対して存するもの、すなわち観念的存在と見なしているものである。元来、客観は主観に対立し、対立するかぎりで客観であり、また主観も客観に対立するかぎりで主観である。しかし井上円了の説くところはそうではなく、主観をそのまま客観とし、客観をそのまま主観の中に取りこむものである。その意味では、日本型観念には、近代ヨーロッパの心身二元論に始まり、主観、客観をそれぞれに厳密にするところから起こる主観・客観の絶対的矛盾というようなアポリアはなかった、といえる。主観が客観に対し、理想が現実に対して対立するということがないということは、前述の島地大等が指摘するように、明治の哲学は、その構造からして「自我外の自我」、「他者」に対立するのではなく、埋没同化して行くことに連なるものである。このように、現象を直ちに主観と同一と見なすということは、主観が全く無内容、あるいは単なる形式であるということであり、明治哲学における主観は、その意味ではあらゆるものを包含し、あらゆる立場に立ち得る融通無礙を示すものであり、真に主体を成すものではなかった。「現象即実在」という語は円了にあっては、ただ、一カ所『哲学新案』(一五一頁)において用いられている。それは必ずしも肯定的な使い方ではなく、諸説諸論は一方に偏するのが常であり、「現象即実在」を肯定すれば、実在は現象の外にありとの反論が生ずるといい、一つの意見に立つのではなく、物心両界を統一するものを主張する筋道において用いられている。円了はその意味では、両界を統一する「本体」(一如、如元、真元)を追究するのであって、「現象即実在論」を主張するものではなく、かえってそれを超えようとしていたといい得るが、円了の考えの根底にそれがあったと思われる。

 (3) 進化論から輪化論へ

 唯心論を主張するには、世界における「心」の発生を解明しなければならない。いいかえれば物から心がいかにして生ずるかを明らかにしなければならない。円了は進化論の論理を基礎にしながらこのことを論究するのである。『哲学要領後編』の主題ともいうべきことは、心性作用を神経系統の説明によって生理学的には唯物論的説明が可能となり物心の同一ということから始められた。続いて、無機と有機の分解を化学によって説明し、生(命)力も物力と結果的に同一であり、心性作用も物質の規則(法則)に従うことを説明する。このような説明の原型は進化論にあるとして、円了は進化論の説明をする。それによれば、進化論は元来、生物学において把握された自然淘汰によって成立するものであり、その原因に競争、変化、遺伝を考えるが、円了は、進化を更に拡大して、宇宙、地球、社会、心理、言語、学術、宗教、道徳もすべて進化すると考えており、これらについても進化の原因をあてはめている。それによれば、例えば、物質固有の自然力によって物質は相吸引、相抗排し、更に化学的に相抱含、相分解して、物質は無機質、有機質に分解するという。同じようにして、つぎのような物質から人間発生までの系統をつぎのように記している。

  原始的物質 無機

        有機 無感(植物)

           有感(動物) 無心(人以外の動物)

                  有心=人間

 それによると、後発するものの要素は、それに先立つものの中にすべて含まれており、すべての進化の原因は、そもそもの原始的物質の中に包含されているというのが円了の主張する物心同一の根拠となっている。

 また、心性作用の発展の過程については、

  無機力↓生活力↓覚性力(感性力)↓悟性力↓理性力

という形をとり、心理の発達については、

  習慣力↓反射力↓本能力↓思想力

というものである。

 円了はこのような進化論を拡大解釈して、これを「世界の輪化」という概念で宇宙の「進化」に新しい解釈を与えるのである。『哲学新案』によれば、従来の進化論をもってしては、「運動の開端、生物の起源、精神の本源、先天性、先在性」の説明は困難であり、それを解決するための一つの問題提起であるといえる。

 心に映る対象が客観であるが、この真相を太初より見て一つの宇宙論的解釈を施すものであるが、太初の混沌未分(気体浮遊)からの分化の道理を、生物の原体自発によるすべてのものの派生分来については進化論の説明に基づいている。そこでは、生物も地球自体より自然に「化生」し、したがって無生物の胎内より生物を産出し、人間の感覚、知覚、理性も産出されたというのであり、円了はそれを「宇宙活物論」であるという。すなわち、無機的物質の中にすでに精神状態が包含され、起伏しているという。しかし、進化論は無限の進化こそ認めるが、宇宙の退化を考えない。しかし地球も破壊され、熱度も減却し、あるいは冷体に化する可能性もあるので、無限の進化を認め得ないということが地球の実態である。その意味で地球も進化が極まれば退化があり得るのであり、元の太初の渾然たる状態に帰することがある。地球は進化と共に退化を考えねばならぬのである。進化と退化が交互することが「宇宙の大法」というべきであり、進化はいうならば、この進化と退化を一つとして考えるときの「大化」の半面であり一段階でしかないのである。しかもこの地球は星雲説によれば、星雲より進化し、極点に達して退化の道を歩んで再び太初の星雲にもどるというのである。

 しかし近代科学の教えるところによれば、「物質不滅、勢力恒存、因果永続」が宇宙の理法とされている。この点よりすれば、地球=世界の変化において、物質勢力は共にその総量は不増不減、一定不動でなければならない。しかも因果の理法によれば世界の開発・閉合、進化・退化には前因、後果がなければならない。このことから、現在世界の存立にはその前に別な世界、その後にも別な世界の存在を想定しなければならぬというのである。前世界は更に前々世界へとさかのぼり、その無始に達する全体を「過界」といい、後々世界は更に後の世界に連続して無終に達する総体を「来界」とするならば、現存する世界は「現界」である。そのときこの過世界、現世界、来世界を一括していうと、これが「宇宙」である。円了はこのように世界が進化・退化、開発・閉合を無限に反復すると考え、これを「宇宙の大化」と称するのである。この進化・退化の無限の反復をするのであるから、そこではもはや進化、退化の呼称は妥当ではなく「輪化」というべきだと円了は提案するのであるが、それは宇宙が静止体でなく活動体とするからである。

 以上のように考えれば、従来の進化論の難点であった諸問題は単に「現界」において考えるから生ずるのであるが、現界の運動その他は「前界の運動の継続」と考えるならば氷解するというのである。すなわち、星雲の初めは前界の運動の潜伏するときであり、それが次第に開発して潜力が顕力となり新たに現界の万有を構成するのである。内包されている潜力が外発しつつあるときが進化のときである。そして外発しつつあるものが内包されるに向かうときが退化のときであり、後世界へと大化して行くというものである。以上はおそらくは仏教でいうところの「三世因縁」、「輪廻説」に基づく構想と思われるが、いずれにしても、円了は単に進化論を受容し、模倣に終わったのではなく、なんらかの形でそれを超えようとする意図をもっていたのである。また、この輪化説を説明するのに、円了は「相含説」という形で仏教的「即の論理」を超えることを示し、宇宙自体に固有の勢力ということを示すために「因力、因心」説も展開している。しかし、そこには近代科学が教える「引力」説は全く現れていない。円了は世界をまだ実体的に見るのであって、関数的理解はなかったといえよう。

   哲学一夕話

 本書は哲学の普及に力をつくした円了の最初の哲学の著述である。いまだ円了の哲学の全貌を示すものではないが、円了の関心がどこにあるか、哲学に関する基本的な了解、のちに「現象即実在論」と呼ばれる独自の思想の萌芽を示しており、哲学の著述として当時最もひろく愛読されたもので、西田幾多郎も本書によって哲学を学んだことが伝えられている。

 中江兆民(篤介)の『理学鉤玄』(明治十九年)が当時の唯物論思想を代表するものとすれば、同年刊行の円了の『哲学一夕話』は観念論哲学の代表的な作品と見なすことができる。

 本書は「哲学中の純理の学問にして真理の原則、諸学の基礎を論究する学問」である「純正哲学の問題およびその解釈を世の全く哲学を知らざるものに示さんと欲するをもって」著す、とその刊行の目的が示されているように、哲学というものを求めようとする知識大衆に向けて刊行されたものである。哲学の普及という目的に立つかぎり、哲学の学的意義を明らかにするというよりは、哲学の平俗化に主眼がある。それは、当時まだ哲学を学ぶものが少ないとき、哲学という語は知っていても、その内容については一般に知られてはいなく、その字づらから究理の学問、聖賢の学、心理学、高尚なる学、あるいは仏教にほかならない、との誤解があったからである。それらの誤解を正し、哲学の課題とするところを世に示そうというのが円了の目的であり、本書の成立となったのである。しかも、明治十九(一八八六)年三月に公布された帝国大学令は、哲学を帝国大学ただ一校に独占させるに至ったが、円了のその後の活動から見て、前述の目的は文字通り哲学の独占からの解放、哲学の大衆化という形での普及にあったといえるであろう。

 本書における円了の哲学(ひいては学問)理解はつぎの通りである。この宇宙に存在するものには「形質」を有するもの(日月星辰土石草木禽獣魚虫)と、「形質」をもたぬもの(感覚思想社会神仏等)とがあるが、この形質を有するもの、事物の一部分を実験する学、いうならば「有形の物質」を扱うのが「理学」であり、これに対して形質をもたぬもの、事物の全体を論究する学、すなわち「無形の心性」を論究する思想の学が「哲学」である、といわれる。この「無形の心性」を論究する学問には、心理学、論理学、倫理学、純正哲学等があるが、円了にとっての哲学とは純正哲学に限られている。純正哲学とは、心の実体、物の実体、物心の本源、物心の関係等を問題にし解釈、説明するものといわれ、現在いうところの形而上学に当たるといえる。

 このような哲学理解に即して、本書の構成は三つの問題からなっている。第一編は「物心の関係」、第二編は「神の本体を論じて物心のいずれがさきに生ずるか」、第三編は「真理の性質を論じて、諸学はなにに基づいて起こるか」を論ずるものである。

 第一編「物心両界の関係を論ず」では、物、心、世界がそれぞれなんであるかを論究するのが哲学の課題であるとし、二人の弟子に唯物論と唯心論の立場から議論をなさしめて、最後に「円了先生」が両者の立場がそれぞれ物、心の一方に偏していることを示して「哲理の中道」を教示するという方法をとっている。そこに見られる唯物論とは、「世界は物のみにして心なし」というものであり、唯心論とは「世界は心の中にありてその外に物なし」というものであって、極めて単純な理解から始まるのであるが、その単純な理解を両者の問答を通して深めて行くのである。

 そこで展開された問答の一つは、世界に存するものは感覚によって知られる現象であり、感覚が感覚であることを知るのは心の内部に起こる知覚作用である、感覚内に存するものは心の内に存するにほかならないとする唯心論に対して、心の内にあるとされるのは「象」(現象)であって、その「本体」(実体)は心の外にあるのではないかとする唯物論の反論があり、「わが知るところの万物は心内の万物」であるか、心外に物体ありとするか、に帰着する問題である。

 問答の第二は、すべては思想の作用であり、心の実体、神を論ずるのも心であるとする唯心論にあっては「みな一心中にありてその差別なし」とせざるを得ぬが、現に知られる事物は相対待して起こるのであり心も物に相対して起こるのであり、すべてに差別があり彼我の別があるとする唯物論との対立である。

 第三の問答は、物心の起源にさかのぼるとき差別はあるかの問題をめぐってである。その議論において「宇宙はすでに物心無差別のときより次第に進化して今日の万境を現ずるに至るをもって、もし他日次第に溶化して今日の万境滅尽するに至らば太初のごとくまた無差別の境に入る」と述べられるが、無差別から無差別へと進むという円了の「輪化論」の萌芽が示されている。

 ここに至って「円了先生」は両者の見解が一方の理を見て全局を知らぬので共に偏ったものだとし「哲学の中道」を示そうとする。それによれば、一物には表裏の差別があり、表裏の差別があることによって物が存することを知り、物が存することによって表裏の差別が生ずるというのである。「表面を見て見極めれば裏面あるを知り、裏面を見て見極めれば表面あるを知り、表裏を見て全面を検すればその体一物なるを知る」のである。物の外面を見れば表裏の別があるが「表裏の体」は一物体である。その見るところが異なるに従って表裏の差別があるにすぎない。物心の差別についても同様である。物より心を見れば心は物ではなく、心より物を見れば物は心でなく、物心に差別があるといわれるが「その体もと一物にして差別」はないのである。すなわち「物を論じて論じ極めれば心となり、心を論じて論じ極めれば物となり、物心を論じて論じ極めれば無差別となり、無差別を論じて論じ極めればまた差別」となるのであり、差別と無差別とはその体が一つであり、それが「哲理の妙致」であるといわれる。それは唯心論と唯物論の二者を合して得られるもので「円了の全道」と呼ばれる。それは差別の中に無差別を、無差別の中に差別を含み、差別と無差別とは同体にして異体、異体にして同体という関係を有するもので、「諸説諸理の会帰する所にして道理の円満完了する所」といわれる。このとき自らの名前に託して述べられる「円了の全道」というときの「円了」とは、質料は形相と結びついてその実現、完成を得ると主張してその質料の完成をアリストテレスはエンテレケイアと名付けたが、このエンテレケイアにほかならない。

 また、太古においては物心未分、万物無差別であるが、この無差別の中に差別が含有されていたので、その「体開発して今日の差別の諸境を現」ずるに至ったのである。しかも今日の差別の裏面には無差別を伴うので、「他日世界滅亡の期に至らば無差別の表面を示すに至る」のである。このように、無差別が開発して差別を現し、差別もまた合して無差別となるという歴史の循環を説いて「世界の大化」と呼ぶのである。

 この「世界の大化」の間に、時の古今、世界の終始、人の生老病死、社会の盛衰存亡が見られるが、その変化の原理そのものは不変である。この変化の原理である永遠不変の理体が「円了の体」である。そして、「円了の体」はそれ自体の力によって回転して差別の表面あるいは無差別の表面を示すのであるが、その作用を「円了の力」と名付けている。以上道、体、力が「円了の三性」である。体は内に存する実性、力は外に発する作用であり、この体と力の関係を示すものが道である。この三性は実のところ一であり「三性一致の妙理」といわれ、その説くところはいわゆる「三位一体論」を思わせるものである。以上の議論は『哲学新案』において更に深められて『世界輪化説』となるのである。

 第二編は「神の主体を論じ、物心のいずれより生ずるか」を論究する。円了の意図は「古今東西の諸説諸論を合して哲理の中道を立」てるところにある。

 物心の起源を考えるとき「一種の原体」が存すると想定して「神」(または「天神」))と称するが、この神体の実在をめぐって有神論、無神論に分かれる。第一編と同様に、ここでは四人の弟子に、唯物論に立つ無神論、唯心論に立つ無神論、物心の外に神を立てる有神論、物心の内外に神を立てる有神論の四つの立場から対論をさせて結論を下すのである。この四つの立場はおのおの一方に偏しており、「円了の全道の一部分」にすぎぬから、四つの説を合してその中を得なければならぬ。その中を得たものが「円了の中道」(「哲理の中点」)である。そのとき神体は「天神にして天神にあらず、物体にして物体にあらず、自覚にして自覚にあらず、東方よりこれを見れば無差別の物体となり、西方よりこれを見れば平等の大心となり、南方よりこれを見れば宇外の天神となり、北方よりこれを見れば可知の神体と」なるのであり、見るところに応じて名は異なるにしても「その体もとより一」である。それが「円了の体」である。この体は永遠不変の原理であり無限である。この無限の体よりそれ自体に有する力によって生起する変化も無限であり不変であるが、これが「円了の力」である。この体と力とによって開発して差別を示し、両者合して無差別に帰するのが「円了の大化」である。この「円了の大化」の間にあって時間の古今、空間の東西、四季の来往、生物の死生、情感心思の起滅という差別、変化は一定の規則によって生ずるのであり、それが「円了の理法」である。

 この「円了の理法」は体と力の関係より生ずるもので、その理を示すものが「円了の道」にほかならないのである。この「円了の道」からすれば、キリスト教は「物心の外に神を立てる有神論」である。それは「天神の実在を信ずるはすでに物心ある以上はこれを造成経営するもの」がなければならぬということにほかならず、円了はこれを「有神に僻き」していると批判するのである。本論では「神体論」にとどまって、直接にキリスト教批判、仏教復興が論ぜられていないが、『破邪新論』および『真理金針』ではキリスト教が創造神を想定し物心の造成経営する点を特に非科学的として批判するのであり、円了哲学の全体から見れば、この第二編は重要な位置を有するといえる。

 第三編は「真理の性質を論ず」るものである。哲学は帰するところ「物心神三体の性質関係を究明する」にあるが、諸説多くその真偽を判定し得ぬので、「真理の標準」を立てる必要がある。そしていまその「真理の標準」として立てられるものに四つある。外界(物界)の経験に基づくもの、内界(心界)の思想に基づくもの、内外両界の適合に基づくもの、物外心外の神に基づくもの、である。しかし、それらは外界に、内界に、物心両界の間に、物心両界の外に、それぞれ偏っているので、純全中正の真理標準として「物心内外の中道」をとらなければならぬとする。十人の門弟の議論ののちに円了先生はつぎのように論ずる。われわれの耳目に現れるものは現象界であり、心象物象は現象界に属する。また耳目の外にあるものは無象界であり、心体、物体、神体は無象界に属する。この現象界と無象界とが離れ得ぬゆえんを論ずるのが「円了の道」である。そこにおいては、現象も無象も、物界も心界もみなその体は同一であり、みな真理なので、そのいずれが真理であるかを論ずる必要はない。しかし「純一の真理」の中にも真非の差別があるのも「円了の道」である。それは「絶対門(あるいは平等門)」と「相対門(差別門)」の差別である。

 絶対門から見るならば、「一理平等」であってすべては真である。相対門から見るならば「一理体の海面に千差の波形を現」すように真非の差別が存するのである。これを庭前の雪について例えれば、雪片の形象はすべて異なるがその体は等しく水である。雪片を同一の水体と見るのが絶対門から見ることにほかならない。これに対して、雪片をその異なる形象において見るのは相対門から見ることである。水体を離れて雪片はあり得ぬし雪片は水体である。したがって絶対門から見ることも相対門から見ることも帰するところは同一であるといわれる。そして一理平等の中に差別を見、相対のうちに絶対を見るのはひとり「円了の道」があるのみであると自負するところである。

 絶対門から見るならば、「物心両界現無両象ことごとく真理」であるから、真理の標準を論ずる必要はない。しかし、相対門から見るならば、「平等の理海の表面に真非の波形」を見るのであるから、真理と非真理を区分する真理の標準を立てる必要がある。しかし標準というものは時代により人によりまた見方によって異なるところである。だが標準のなかの標準というものには変化せぬものがある。円了によればそれが「差別門の中に平等の理を見る」ことにほかならない。すなわち、変化するものを相対の標準とするならば変化せぬものが絶対の標準である。その相対の標準から絶対の標準に進むことを「標準の進化」というとき、物心両象の関係からその両象間に存する「絶対の理体」に進むことである。そしてすべてがこの「絶対の理体」に属するとき「唯一平等の真理」を見るだけである。そこには真非を争う必要のない「円了の世界(黄金世界)」が開かれる。諸学諸教の目的はここに至ることにあるが、未だこの域に至っていないがゆえに相互に相排しているのである。したがって「相対の標準を論究してその極一理に合するに至ればその理すなわち絶対の標準」となるのであり、その理を究むるとき「真理の本体なる円了の真際に帰す」ることができる、といわれる。

 以上のように、本論の構成は、対話問答を通して諸説の主張するところ、相互の差異を明瞭にし、使用される術語、概念もその議論の過程で平易に説明され、哲学の通俗化に果たした功は大きかったといえる。

 井上円了個人についていうと、第一編末尾に、その後の著述計画ともいうべきものがあげられており、本書以外に、二十九の書名六十四冊が数えられる。本書が著述された段階では純粋に哲学者の道を歩もうとする姿勢をうかがうことができ、そこに掲げられた書名と同一の著述がなされていることを知る。

   哲学要領

 中江兆民の『理学鉤玄』(明治十九年四月版権免許、同年六月出版)は、日本人の手になる最初の哲学概論であるが、その構成を見ると、第一巻は十九世紀後半のフランスの観念論の紹介と基本的な哲学の概念の説明を行い、第二巻は感覚説、意象説(イデアリスム)、神物一体説(パンテイスム)、神人感合説(ミスチシスム)を紹介しており、第三巻はもっぱら実質説(マテリヤリスム)の説明をし、懐疑説にふれている。その構成の意図からすれば、まず観念論の諸傾向を説明し、それを唯物論によって批判するところにあったと思われる。その意味で『理学鉤玄』は十九世紀後半のフランス哲学に基づく唯物論に限定された「哲学概論」であるといえる。

 この『理学鉤玄』にわずかに遅れて刊行された井上円了の『哲学要領』はその前編(明治十九年七月版権免許、同年九月出版)において、哲学の定義、目的、分類を行った上で東洋哲学と西洋哲学の比較、シナ哲学、インド哲学、ギリシア哲学と近世哲学の起源、発達、学派について紹介している。前編が哲学史の構成をとっているのに対し、後編(明治二十年四月版権免許、同月出版)は、物心二元論から説き起こし、進化論に依拠して独自の「循化論」までを論じたものであり、当時の優れた哲学的頭脳がひとり考え抜いた「哲学概論」を論述するという構成である。

 『哲学要領前編』刊行の意図は、「世の哲学を知らんと欲するものの階梯に備うるの微志」に動機があるところから、哲学の紹介普及であるといえる。しかし、「井上哲次郎氏の哲学講義……ギリシア哲学の歴史を略述するにとどまりて未だ西洋哲学および東洋哲学に論究」していないので、「地位および歴史上に考えて哲学の組織およびその発達を論」じて、「哲学全系の大綱要領」を紹介しようというものである。そこには、哲学を単に普及しようという以上に、哲学を広く深くかつ完全に教示しようという姿勢、気負いがあるといえる。

 「前編」は十一段五十九節からなる。そこでは「哲学」はどのように理解されているだろうか。哲学は思想の及ぶところすべてに関るので定義を下し難いが、強いていうならば、「思想、道理を究明するの学」である。また諸科学はすべて哲学に関るが狭義にいうとき、「哲学は諸学中の一部分」である。その哲学の基本部は純正哲学であり、論理学、心理学、倫理学等は純正哲学に属するもので、本属二種に区分され、本書で論究するのは純正哲学である。

 純正哲学は「諸学の原理、事物の真理、思想の規則等を論究する学」であり、その目的は「倫理、心理等の諸学の原理原則を証明論究する学」、換言すれば「事物の真理を究明する」ものであり、今日いうところの形而上学に相当する。純正哲学の課題は世界の有限無限、霊魂の生滅、神の存在の有無、時間空間を論定することにある。それは究極的には「物心各体」がなんであるか、いかなる関係にあるかを定めることにある。

 哲学は地位上と性質上から分類される。哲学の地位上の分類は、東洋哲学と西洋哲学に分類され、東洋哲学はシナ哲学とインド哲学に分類される。西洋哲学は古代哲学と近世哲学に分類され、近世哲学は大陸哲学とイギリス哲学に分類される。この分類において注目すべきことは、第一に日本哲学ということを考えていないことである。その理由は「本邦は古来諸学、諸教、ことごとくシナより伝来するをもって一国固有の学あるを聞かず、故に東洋哲学はシナ、インド、両国の学を論ずるをもって尽くせり」というところにある。しかし、この点に関し、後に円了は仏教再興を企図するとき、儒仏二教は伝来以来千年を経て日本に定着していること、特に大乗仏教のごときはひとり日本においてのみ隆盛であることから、儒仏神三道をもって「日本学」を構想することになる。また『哲学史講義』では東洋哲学にペルシア哲学、アラビア哲学、エジプト哲学をも加えている。

 西洋哲学に関していうと、古代哲学と近世哲学に二分していることが特異である。古代哲学はギリシア哲学にのみ限定し精しく論述しているが、ローマ哲学および中世哲学は除外されている。その理由はローマ時代に至って「哲学ついに宗教と混同して浅近考うるに足らざるに至る、別してローマの季世天下暗世に属し古代の文学全く地に堕ちまた昔日の開明を見」ないからである。また「中世封建制度の人知を圧束しヤソ教の人心を固結するのはなはだし」いからである。そして近世哲学については「その実ギリシア哲学の再興」であるとの理解を示しているが、デカルトとベーコンをもって近世哲学の始祖としているにとどまっている。しかし後に『哲学史講義』では、古代哲学にローマ哲学を加え中世哲学を接続させている。近世のイギリス哲学は更にイングランド哲学とスコットランド哲学とに二分され、大陸哲学にはドイツ哲学が加えられていくのである。

 また性質上の分類に関しては、実体学家、心理学家、論理学家の分類、唯物論、唯心論の分類、一元論二元論の分類、本然論実験論の分類、帰納哲学演繹哲学の分類などがあるが、円了はそれらを斟酌してつぎのように整理、図示するが、更に『哲学史講義』では拡大図示している。

  学派 一元論 唯物論

         唯心論

     多元論 二元論 物心両立論

             物心一体論

         三元論

  哲学 無元論(虚無論)

     有元論 一元論 唯物一元論

             唯心一元論

             理想一元論

         二元論 現象的二元論

             実体的二元論

             物心異体論

             物心同体論

         多元論 三元論

             四元論

             五元論

             無数元論

 円了は「諸説異論の一時に競起して哲学の思想大いに発達したるは、東西ほとんどその年代を同じうし」「東西一時に文化勃興」しと述べて、ヤスパースのいうところの「車軸時代」に着目しており、しかも東西両洋の文化が衰退したが、「欧州に至りては近古三百年来哲学の思想漸々興起し、遠くギリシアの古学をたずねてこれを増補進長し、もって近世哲学の組織を構成するに至」ったが、東洋にあっては「今日未だ哲学再興の勢いあるを見ず」と、ヨーロッパにおけるルネサンスの意義を評価するところである。そしてルネサンスの原因として、サラセン人の侵入、古文学の再興、印刷術の発明、アメリカの発見、インドへの航海、封建制の破壊、宗教改革、理学の進歩という八つの事情を紹介し、それらについて簡単ではあるが説明をしている。

 円了は哲学思想の盛衰について、進化論を援用して説明している。例えばシナ哲学について春秋戦国時代に哲学思想が大いに起こったのは、それ以前の天下治平が続いたため人口が増加して禄位も衣食も儒要に応じ得ぬに至った。ここに競争が起こり精神が興奮し、それに伴って思想も発達し、更に諸学も振起した。しかも競争が激しくなれば兵力競争が大きくなる。兵力競争に反対する競争が起こらなければ国家の平均力を保持し得ない。ここに道理競争が起こることになる。春秋戦国時代に文化の隆盛を見たのは競争力と反動力によるものである。また哲学思想が衰退したのは、有機物が長く活動するとき疲労し興奮性を失うように、活物である社会も盛衰循環の理によって衰退するのである。また宋代に学者が続出したのは仏教が儒学を圧迫したため儒学が抵抗力を起こし競争したこと、儒学も仏教を研究しその思想を採り入れ調和したからであるという。その後、儒学が衰えたのは抗敵である仏教が衰えたからであり、その抵抗する学がなくなったとき、儒学は次第に悪弊を醸成し虚影を守り活用に努めぬに至って国力と共に衰えるに至ったのだといわれる。円了の歴史観を支える進化論における競争の原理であるといえる。

 純正哲学という点では東洋哲学は西洋哲学に類似し匹敵するが、差異もあり欠点もある。西洋哲学はその性質が複雑で分類も多様であるのに対して東洋哲学は簡単である。東洋は一国の思想がことごとく一つの主義に雷同する傾向があるが、西洋では一つの思想が起これば必ずそれに対抗する思想が生じ、互いにその優劣を競うので学問の進化が起こる。また事物の観察考証の点でも異なる。西洋では事物について経験し、それを理論化し、理想について論究するときはこれを事物についてただすように、理論と実際とが一体となっている。これに対して東洋ではシナ哲学のように実際に向かうにしても事物の考証を欠いて空想に出ることがあったり、インド哲学のように理想に偏するのみで、理論と実際の調和を求めるものがない。東洋の学者は「述而不作」を本意として目的を未来に定めるよりは上世太古に復さんとし好古を主義としている。いうならば東洋の学者は「社会人知の溶化(退歩)」を主義としているかのようである。これに対して西洋の学者は「作而不述」を本意としてしかも他説に雷同することなく、社会の進化を目的として互いに競争する。それ故、諸学が起こりそれによって人知いよいよ発達し、社会はますます進化するというのである。

 円了はこのような素朴ではあるが比較思想の観点から、東洋哲学の欠点について「東洋学者の注目せざるを得ざる」ものとして反省を迫っていくところである。

 また西洋哲学史を大きく見るとき、哲学が盛んなときは文化が大いに興起し、哲学思想の衰えるときは文化も衰えることを指摘し、「文化の隆替は国家の盛衰に関」る大事として、学者の自覚をも求めているのである。哲学史の単なる祖述に終わることなく、文明史、比較思想の見地からも哲学を見ているところに、本書の大きな意義があるといえよう。

 『哲学要領』の後編は、「哲学内部の組織」を明らかにし、「論理発達の規則に基づきて哲理の初門より次第に進みてその蘊奥に及ぼしもっぱら純正哲学内部の組織を論述した」もので、十二段六十三節からなる円了の「哲学概論」である。

 円了はまず唯物論、唯心論、唯神論、唯理論、物心異体論、物心同体論等を「性質上の分類」として簡単に説明したのち、それらを「人知の発達に考えてその順序」をつぎのように整理している。

一、物心二元論すなわち物心異体論

二、唯物無心論すなわち唯物論

三、非物非心論すなわち唯理論

四、無物無心論すなわち虚無論

五、唯心無物論すなわち唯心論

六、有心有物論

七、物心同体論

 円了によれば、人間の論理思想の発達は物心二元論より始まって唯物論、唯心論へと進み二元論に再び帰るとされる。最初の二元論は物心異体の二元論であり、後の二元論は物心同体の二元論である。それは知識の進むことによって会得されるものであり、したがって物心異体は論理の起点であり、物心同体はその終局だとされる。それはまた異体に帰るので「理想の循化」と呼ばれ、論理の循環回転してその起点に復することだといわれる。

 物心は現象であるが、物心の本体は物でも心でもなく理想である。理想とは実体のことである。このことを知るために、円了は論理の発達から論究を始めるのである。

 動物は物の存在も心の存在も知らぬのであるから「無物無心」というべきであり、幼児のごときは「有形の物象を知るのみにて無形の心象を知ら」ぬので「有物無心」というべきである。すなわちまず物の存在を知ったのちに心の存在を知るということである。論理の発達は更に「有物有心」へと進めるが、円了によれば、有物有心論、換言すれば物心二元論が論理発達の初級である。しかしこの物心二元は「体と象の区別を立てず目に見るそのままこれを物体とし、内に現ずるそのままこれを心体と」するもので、象の外に体のあることを認めぬもので「常識の二元論」である。つぎに象の外に体があるというのが「体象異同」の関係を論ずるもので、カントやスペンサーの説である。ところで、象は可知的であるが、体は不可知的である。可知的なものは現象界に属し、不可知的なものは無象界に属すといえる。したがって心体も物体も無象界に属して不可知である。共に不可知である以上、心体と物体を区別することはできない。物体心体は同一体といわざるを得ないということを根拠に円了は、一元論は二元論の結果だという。このことから円了は論理発達の順序は、体象無別の二元論から起こって体象有別の論、対象不同一の論を経て物心同体の一元論に終わるというのである。

 物体は現象を示し形質を有するので、これを知ることは容易であるからまず唯物論が起こる。したがって唯物無心論は二元論の結果であると同時に一元論の初級であるといわれる。円了はこの唯物論を物理化学生理学生物学によって検討し、動物植物の進化、物質の変化、心身の関係を論究して、「無機物質の変化を営む力と有機生物の生活を現ずる力とその体同一」であること、すなわち有機無機の同一体であることを明らかにする。更に議論を進めて、生力と物力、動物と植物、人間と動物の同一体であることを示したのである。そして心理と物理との同一、活力の生力への転化、習慣からの知力の発生等を進化論、心理学によって説明しているのである。その進化論の理解は、進化論と唯物論を結合したラマルクのそれを思わせるものがある。

 円了によれば、進化は単に生物に見られるだけではなくて、地球自体、宇宙全体、社会、心理、言語、学術、宗教、道徳、その一切が進化するものとされる。そして物質の本体を理、力に認めるとき、それは物でも心でもなく「非物非心」であり、「物心の原理を含有するもの」であり、ここに唯心論が生ずるとされる。それについては感覚論から始めている。

 感覚は心界の一部であり直接に物界に接するものである。心界は思想と感覚とから成る。五つの感覚器官に対応して感覚も五覚に分かれる。この五覚に対して物界も五境に分かれるとされる(例えば、目に対して視覚、視覚に対して色境)。われわれが見るところのものは網膜上の影像であって、直ちに外物の実体を知るものではない。したがって、いわゆる物質とは五覚をもって組成されたものであって、五境の体に「物」の名が与えられるのである。この五境は、心界の部分である感覚から生ずるのであるから、物界は心界の一部といわれるに至る。しかしわれわれが知るところの物界は物象にほかならないので、物界は心界の中にあるといわれるのである。

 また、いわゆる心は心象のことであり、心象の外に心体があるわけではなく、思想も心体も心象にほかならない。心象はすなわち心体である。

 感覚によって内外を分けるとき、その内に連なるものが心であり、その外に現れるものが物である。感覚を構成する要素が時間空間であり、感覚が生み出すものではない。感覚の外に時間空間は存するとされ、時間空間の外に論理が存するといわれる。

 論理は思想の作用であり、論理の規則は思想の規則である。思想の知覚が意識または自覚と呼ばれる。物界の全現象はすべて意識の範囲の中に入るので、われわれが知る世界はすべて意識の範囲内にあるといわれる。すべてが意識内の現象だとすれば彼我の差別も内外の区別もみな心界内の変化にすぎぬので、空間は思想内に存することになり、時の前後の差別も意識内の変化であり、したがって時間も心内に存することになる。

 以上のように物心の二象を合したものが心体であるが心体は物体に対する相対の名なので、物心両者の本体は「絶対の理体」に帰せざるを得ない。絶対の理体が相対の物心を開発するのである。したがって絶対の理体は物心の本源ではあるが、非物非心であり物心の外にあるといわざるを得ない。それ故「非物非心の妙体」と呼ばれ、「理想」とも呼ばれる。それを研究するのが「理想の学」である。

 理想の本体と物心の現象とは二元同体の関係を有すると同時に体と象の二元同体でもある。

 心はよく識覚し物は常に現存するが、その現存するものすべてを「現体」と名付け、識覚するものすべてを「識想」と呼ぶが、この両者の範囲は同一であり「理想の体」といわれる。

 理想は物心同体であるので、物心界の有する作用、規則は理想の作用、規則である。諸事物はあるいは進化しあるいは退化し互いに循化してやむことがないが、これはまた理想の規則であり、理想もまた循化するものである。事物の変化は理想の範囲を超え得ぬので、事物の変化が極点に達すればその起源に帰らざるを得ない。すなわち、事物が進化するも退化するも原点に循環し帰るのである。これが「循化の理法」であり理想の規則である。すなわち、物心二元から始まって唯物一元に至り、ついに物心同体論に至ってまた二元論に終わるというのである。この物心同体論は物心二元を立てるのであるから物心のいずれかに偏するということがなく、諸説の中庸をとったものだといわれる。円了はこの二元同体論は「哲学諸論中ひとり完全を得たるもの」と自負するところである。

 この後編で出色なところは、諸科学の成果を援用して進化論を強化して、雄大な自然哲学を展開したところにあり、循化論によって物心二元論から物心同体論まで議論をすすめる独自性にあるといえよう。

   純正哲学講義

 井上円了が「哲学」というとき、狭義の哲学としての純正哲学を論ずるというのが常である。井上円了にとっての哲学は「純正哲学」であるが、それは、字句の上からいえば現在では形而上学だとされるのが一般的である。しかし円了にとってはそのことは必ずしも厳密ではない。例えば『哲学要領前編』においては、「哲学」と単称するときは「論理、心理、倫理等の諸学」を総括していい、「純正哲学」というときはこれらの諸学を除いたものである。そして「諸学の原理、事物の真理、思想の規則等を論究する学」であり、その目的は「諸学の原理原則を証明論究」「事物の真理を究明」するにあると述べられるだけである。

 本書は哲学館における講義録の一つであるが、ほかに同種のものがいくつかある。その一は、『純正哲学(哲学論)』「哲学館講義録」第一年級(明治二十一年)のもの、その二は本書で、第四期第一年級用(明治二十四年)、その三は、第六学年度用(明治二十五年)である。その他、『古代近世哲学史』にいわば緒論として収載されている「哲学史講義」(刊行年不詳)は、その叙述に若干の差異はあるもののその内容、構成はほぼ本書に同じであるので、「純正哲学講義」と同種のものとしてよいであろう。

 本書は第一年級用の講義録であるだけに、「哲学」の名称の説明から始めるなど、全体的にいって自説を加えることなく簡潔である。

 「哲学の名義」については、「ふぃろそふぃ」の訳語であり、名義の最も近いものをとるとすれば「理学もしくは智学」の語が妥当だとしている。そして「だれの工夫に出でたるやをつまびらかにせずといえども世間一般に哲学の語を用うることとなれり」と述べている。このことについていうと、明治二十年代に至ってもなお哲学の意味で「理学」という語を用いていた中江兆民、三宅雪嶺に対して、円了はすでに、東京大学哲学科に入学し「哲学」の語になれ、しかも円了自身は先に「哲学会」を創設し、『哲学一夕話』『哲学要領』を刊行し「哲学館」を創立し、「哲学」という語の普及の第一人者であることから考えてみると奇異の感をまぬがれない。また、前記の『哲学史講義』では「西周氏これに哲学の語を適用せし以来世間一般にその語を用うることとなれり」と明確にしている。

 「哲学」の語よりも「理学」の語をよしとしたのは、「哲学」の語が新奇で世間ではその意味を理解せぬままにさまざまな解釈を下したり、さまざまな哲学書が刊行されその流行に便乗して、洒落哲学、色情哲学、不平哲学等のごとき「奇怪の書続々発行」し世間の注目を引こうとすることがあったためと考えられる。しかしこの点についても、円了自身のちに『哲学道中記』『奮闘哲学』などを発表していることに留意しておかねばならぬだろう。

 一般に通用する「哲学」の語意は道理の学、原理の学というものであり、「その道理を我人の知力をもって探究しこれを組織して一科の学となすもの」が哲学であり、事物の「道理を帰納摂約して万有普遍の原理大法を究明するもの」である。哲学は「道理の学」であるという意味で「理学」の語をよしとするというのである。

 哲学解釈の誤解、名称の濫用は哲学の功用を誤解し哲学の進歩の妨げとなっているが、「真正の哲学は実に国家を益し社会を利し人間世界に無上の幸福を与うるもの」であるから、真正の哲学を世間に広め誤解の哲学を正し社会の幸福を進めることが哲学者の任務であるとしている。ここでは哲学者とは全く啓蒙者にほかならないとする理解がある。

 世間における哲学の誤解を四つに分けている。(1)哲学有害無利説、(2)哲学無害無利説、(3)哲学有利有害説、(4)哲学有利無害説、である。

 有害無理説の口実とされるものは、フランスに哲学者が出たことによって革命が起こったというようなものである。革命の原因は哲学者の過激論にのみ求めることはできぬし、もし哲学者がその直接の原因だとしてもこの一例をもって哲学の利害を判定することはできぬだろう。また、哲学が真に有害無利ならば哲学が今日に存在する理由はないはずであり、害があるとしても利の方が多いとして円了はこの説を切りすてる。

 哲学の無害無利説の口実は、哲学は高尚にすぎて実際に適さないということにある。すなわち哲学は空理空論だということである。このような意見は今日も多く根づよいものがあるが、円了はこの意見を否定するために最も多く紙数をさいている。このような意見に対して円了は、実用を興さんとするときは理論を進めなければならず、理論が進んではじめて実用はその目的を達成しうること、それによって世間に利益をもたらすこと、哲学の理論が高尚になることは進歩を意味し実用が高まること、をあげて反論している。更に、実利実益実用とはなにを標準とするかと反論している。生命を保全するに必要な衣食住か、幸福安寧か、と問いかえしている。

 有利有害説に対しては、事物に一利一害あるのは通常であるが、その害を捨て利を採ればよいのであるから、哲学の誤解をさけ、真理の哲学を普及すればよしとしている。

 有利無害説については、前説を認めるかぎり無害ということは両立せぬが、円了はこの両説が共に道理であると認め、歴史の実際において哲学に有利有害が見られたとしても、哲学の目的からすれば、有利無害だというのである。

 哲学も年々発達するものである。学理を攻究する方法も、個人の思想に基づいて真理の有無を想定する主観的研究法から広く事物を研究して真理を攻究する客観的研究法をも加え、また演繹的論理法に帰納的論理法を加えるに至っている。そもそも学問が成立するのは、さまざまな現象を観察しそれがなんであるかを怪しむとき、その理を究めようとする感情が心中に起こることによるのであるから、心中に疑懼の念が生ずることに始まるといえる。疑いがやまず心を苦しめるとき知力の発達によってその迷いをとこうとする。それが宗教学術の萌芽である。すなわち「心思を安んぜんとする情と道理を究めんとする念と相合して宗教学術の源泉」が開かれたのである。安心は宗教の性質であり究理は学術の性質である。その両者の源泉は同一であるがその方向が異なるのである。例えば雷鳴を不思議とするとき、「知力の法廷に訴えてその道理を審判」するのが学術であり、「情感の鏡面に照してその想像を映出する」のが宗教である。すなわち、雷鳴を説明するのに雷神が太鼓を鳴らすというのは古代の未熟な学術であるが、それを信じて満足しそこにとどまるのが宗教であるし、更に進んでそれを究めようとするのが学術である。「知力情感の発達上その進むは学術にしてそのとどまるは宗教」である。宗教と学問は理論と実際との関係である。学術が考究して獲得した真理を実地に応用して安心するのは宗教である。学術が進歩すれば宗教も進歩するのである。なお、円了はこの点からキリスト教を批判する。その論旨は、キリスト教が立てる造物主は無形無象となってはいるが有意有作の一個体を有する神であり、それは今日の学術の許さぬものだと、いうところにある。かえって、学術が認める神は普遍平等の体であり、有意有作を離れた「自然の理性」である。これは理体と呼ばれ、仏教にいうところの「真如」にほかならない。宗教も学術の批判に耐え得るものでなければならぬのであり、それにかなうのは仏教である。仏教が学術の批判に耐えるものだというのは、円了の一貫した主張である。

 以上のように、円了は「理学も哲学も宗教も同一の源泉」より起こったというのである。

 本書の本論は「諸学の問題」から始まる。眼前に現立するものは物質であり、形質を有する。諸想の脳裏に連起するのは心性であり形質をもたない。眼前の物質境は物界または外界であり、脳裏の心性境は心界または内界である。学問思想は外界の事物によって起こるのであり、学問を構成する能力は内界にあるが、構成さるべき研究の対象は外界にあるのであるから、学問そのものを知るには外界の事物そのものを知らなければならない。

 物質と心性とが共に有する世界を「事物世界」というならば、これに対応するのが「学問世界」である。学問世界において研究される対象は必然的に事物世界に存するものである。事物世界には物質と心性、すなわち有形質と無形質、の二つがあるので、それに対応して学問世界には理学と哲学の二つがある。

  事物世界 物質・・・仏性

  学問世界 理学・・・哲学

 理学は有形質の物質を研究する学であり、哲学は無形質の心性を研究する学である。しかし、物質はそもそもいかにして成り、心性はなにより生じたか、物心はいかにして結合して作用するのか、いかに分離して生命を滅するのか、という問いについては物質からも心性からも解釈することはできぬので、物質、心性の外に更に別のものを想定しなければならない。これが神である。神は物心両者の本源であり、この両者を結合する力あるものである。ここに、創造神主宰説が起こるのであるが、これは哲学の未熟なる故であり、この神を基本として組織されたものが、通常いうところの宗教である。ここにおいて学問世界の名称は一変して「教学世界」となるのである。

 神も心性も共に無形であるが同一視できぬので、無形を「有象(有現象)」と「無象(無現象)」の二つに分ける。そのとき心性は有象である。有象とは直接に作用を外界に現示することを意味するが、心性はひとが外界に現示する作用だからである。これに対して、神は無象である。人はその作用を直接に見ることができぬからである。

 キリスト教の神は意志、知力、愛憎の情を有しその作用をこの世界に現示するので有象を免れない。これに対して、神は純然たる無現象の体だと定めれば、それは仏教でいう「真如」に達するのであるが、それに神の名を与えるのは不適当であり、「理想、理性、理体」の名が与えられる。有現象の神を「神象」というなら、無現象の神を「神体」というべきである。キリスト教は「神象」を立てる宗教であり、仏教は「神体」を立てるものである。

 この体と象の区別は神の上にあるだけではなくて、物質には物体、物象の区別、心性には心体、心象の区別があるとされる。

 象とはわれわれの感覚に現れる性質に与えられる名である。それは物の現象であって実体ではない。外界にあるものはすべて五感に現れた形質であるから、いわゆる物質は物象といわざるを得ない。すなわち物質が心面に映じて現れる影像のようなものである。これを心性の方から見るとき、外物の表象といい得る。影像があれば実物があり、現象あれば真体あるということはわれわれの経験するところである。これと同様に、物象から物体を推測し得るのである。同様に心性にも心象と心体があるといわれる。物象とはわれわれの心外に見るものであり、心象とは心内において見るものである。

 以上のことを形質、現象の有無によって整理するときつぎのようになる。

  事物 有形質(物象)

     無形質 有現象(神象および心象)

     無現象(物体、心体および神体=理体)

 理学が有形質を研究する学であるのに対して、哲学は無形質を研究する学であるが、無形質は有現象と無現象に分かれるのであるから、哲学もそれに対応して有象哲学と無象哲学に分けられる。それは通常いうところの実験哲学と純正哲学である。

  学問 理学すなわち有形質(物質)の学

     哲学すなわち無形質の学 有象哲学(実験哲学)すなわち有現象の学

                 無象哲学(純正哲学)すなわち無現象の学

 以上は理学と哲学の関係のみを述べており宗教にはふれていないが、宗教について円了はつぎのようにいっている。

 宗教も神体(理体)を研究するならば哲学であって宗教ではなく「宗教学」といわれる。宗教学は解釈的と論究的とに二分される。解釈的はその宗教において用いられる経典の字句の訓読説明の研究法であり、これは哲学には入らない。論究的とは神の存在、霊魂の不死等を理論的に研究するもので哲学に入れられるというものである。

 円了は諸科学を検討して哲学を更に分類し位置づけるのである。

 円了の学問分類の指標は、研究の対象が有形質か無形質か、また有現象か無現象か、ということにあったが、更に理論学と応用学の指標を加えて学問分類を行うのである。理論学とは事物の道理、規則を研究するもので実際の応用には関らないものである。これに対して応用学は理論学が究明した道理、規則を実際に考えて、かくあるべしと人に命令指揮する学である。

 この指標を組み合わせてつぎの分類表が得られた。

  哲学 有象哲学 理論学 心理学

              社会学

          応用学 論理学

              倫理学

              審美学(美学)

              教育学

              政治学

     無象哲学=純正哲学 物体哲学

               心体哲学

               体(理体)哲学

 円了にあっては、諸科学は宇宙内の事物の一部分を研究して一部分の規則を考定するにすぎぬのであって、それぞれに「分業専門の方向」をとるものであるから、これらを統轄総合する学がなければ、ただ事物の部分的な真理を知るだけであって宇宙全体の真理を知ることはできない。これに対して哲学は宇宙全体を研究の目的とし、宇宙に存する万物の真理原則を考究する学である。しかも哲学は諸科学がもたらす諸々の部分的真理を統轄総合して宇宙全体の学を構成するものである。それ故、哲学は統合の学あるいは全体の学と呼ばれるのである。特に純正哲学がそれを意味するのである。

 本書の論述は、諸科学を分類し、哲学がなにを対象とするかによっていわゆる「純正哲学」の研究範囲を決定するにとどまって、純正哲学によって問われるものがなんであるかについては論究していない。

 本書は以上で終わるが、本書と構成を同じくする『哲学史講義』にはなお若干の付記がある。

 哲学の功用は実に多く大きい。しかし人はその大なるが故に哲学を知らず、多きが故に人はこれを忘れている。例えば、地球表面の三分の二以上は海洋江湖におおわれ、陸地はわずかに三分の一に過ぎぬが、これはただ、表面上のことである。その水底から見ればすべては陸地である。とすれば、海洋江湖の根拠となりそれらを区分しその位置を保たしめているのは陸地である。学問世界も同様であり、学問世界を望観すれば哲学は一小部分にすぎず、その大部分は諸学科からなっている。しかし海陸の比喩からも知られるように、諸科学の根拠となってこれらの区域を保ち、位置づけているのは哲学にほかならない。哲学こそ諸科学を通底する学なのである。そのことを哲学史を通してみるならば、哲学の利益功用はなお明らかとなるところである。

 哲学が人および社会に益する点を考えるならば、理論上と応用上に分けうるし、応用上は更に直接的、間接的に二分しうる。「間接の応用」について世間に益する点は、哲学が諸学の原理を論定するところにある。すなわち、哲学は「百般の学術の根本的真理を論定してこれを諸学諸術の上に応用しもって世間を益する」ということである。

 「直接の応用」とは政治、宗教、道徳、教育の改良進歩は哲学の進歩によるということである。第一に、政治における人権、自由等の観念は哲学の研究によって確定したことであり、当初圧制に抗して起こった自由主義を真理の上に構成したのも哲学によってである。第二に、宗教も遠く迷信的土俗的であったものが学理にかなうようになったのも哲学にうながされて改良補修してきたためである。第三に、道徳においては道徳的義務、人間の最大の目的、善悪の標準等が哲学によって根拠づけられる。第四に、教育においても従来は教育の方法も道理も解さないままの盲目的教育法であったが、哲学によって教育の道理が明らかにされ、方法も改良されてきている。

 また、いわゆる文明の利器の発達の著しい進歩を見て、「今日の文明はひとえに理学の進歩」によると速断されるが、有形の進歩にのみ眩惑され無形の進歩を忘却するとき、「世はますます物質的外形的の粧飾に流れて、人権を尊ぶところの政治思想も金力のために支配せられ、道徳も金力のために指揮せられ、宗教も管理的となり、教育も商売風に変じ世間ことごとく拝金宗」となり、「精神的思想的の真や善や美は地を払うに至るべし真正の文明」を望むことはできぬであろうと、厳しくしかも妥当な文明批評を伴っている。有形の進歩を理学がもたらすとすれば、無形の進歩をもたらすのは哲学を盛んにすることにあるという。文明の進歩は有形の進歩と無形の進歩の相まったものでなければならぬとの指摘である。

 また哲学の理論上の実益は哲学するもの個々人にもたらされるものである。(1)思想を練磨し思想を精密にする益がある。(2)哲学するものは常に深遠微妙の真理世界を逍遥するので、愛真の情を養うと共に道徳および真理を愛する情操を豊かにする。(3)道理的想像力を増進する益がある。(4)哲学するものは眼前のことにかかずりあうのではなく茫々無念の宇宙に思いを馳せるのであるから、志望を遠大にするの益がある。(5)道理を知るものは天に安んじて命に就くものであるが、哲学するものは道理に訴えて迷心を安定するのであり、精神を安定させるの益がある。哲学はまさに心を鍛練するものである。

 明治二十五年度の『純正哲学講義』は二十四年度版および『哲学史講義』を基礎にして、表現も内容もかなり高度化していることと、「講義第一」を西洋を主とした「哲学総論」とし「講義第二」を「東洋哲学」にあてている。そして東洋哲学にペルシア哲学、エジプト哲学、アラビア哲学を含め、前者について若干の説明をしているが、このことは当時としては類を見ない新鮮なことであったといえる。

 ちなみに、「哲学館講義録」はどのようなものであったかを知る手がかりとして、その目次の一つをあげてみる。

 「講義録」第一年級第十二号(明治二十一年四月)の科目と執筆者は、「仏学(仏教論)」村上専精、「心理学(理論)」柳祐信、「国学」松本愛重、「純正哲学(哲学論)」井上円了、「純正哲学(哲学論)」徳永(清沢)満之、「純正哲学(哲学史)」三宅雄二郎(雪嶺)、「倫理学(歴史)」棚橋一郎、「儒学(孔孟学)」岡本監輔、である。

 また、第四期第一年級三十六号(明治二十四年)の科目と執筆者は、「日本学(国語)」関根正直、「社会学」辰巳小次郎、「心理学」沢柳政太郎、「論理学(帰納法)」清野勉、「論理学(演繹法)」清野勉、「純正哲学」井上円了、「シナ学(経学)」岡本監輔、「仏教論」村上専精、「地文学」今外三郎、「儒学精彩」岡本監輔、「純正哲学」阪倉銀之助、「西洋近世哲学者略伝」田中泰麻呂、「近世日本学者略伝」田中泰麻呂、である。

 以上の執筆者は当時、新進の学者であり、内容も、哲学を専修するという「哲学館」にふさわしいものであり、講義録そのものも年々充実していることがうかがえるのである。

   哲学一朝話

 本書は『哲学一夕話』に付された執筆予告に従って書かれたものである。その予告には『一夕話』三編に対応して『一朝話』も三編が予定されており、本書序文でも「第一編は宗教の本義を論じ、第二編は霊魂の生滅を論じ、第三編は未来の有無を論ぜんとす」と述べられたが、第一編のみ刊行され、他の二編は未刊に終わったものである。

 すでに円了は『仏教活論序論』(明治二十年)を発表しており、仏教復興者として著名であったが、本書は仏教にとどまることなく「不偏無私の真理すなわち哲理の中道を宗教上に立て」ようとしたものである。その論述の様式は『一夕話』と同様に十二名の門弟に討論をさせ、最後に「円了先生」が答えるという形をとっている。十二名の門弟の口を通して語られるのは実にさまざまな問題である。

 人生迷いに満ちているが帰するところ死を恐れることに由来する。そこに宗教の起こる理由がある。宗教は転迷開悟の法であり、神仏は安心立命の体であるから、宗教は有用である。いかなる宗教を宗教と定めるべきか。

 生死の迷いは迷いの一つでしかなく宗教の必要をこの点に限る必要はない。迷いの根本は知り得ぬものが存するということにある。したがって宗教の目的は神仏の力によって不可知的なものをそれとして信じ、それによって迷いを解き心を安んずるにある。

 この世に貧富の差、幸不幸、悪人にして幸運にめぐまれ、徳行の士にして災難に出会うことがあり、吉凶禍福が定まらない。また法律厳にして罪人多く、政治明らかにして悪人が起こることがある。道徳の標準、政治の目的はいつ、どこに達せられるか。それを果たすのは宗教のみである。宗教の必要な理由はそこにある。

 諸学諸術は人間の外部身体に関して安逸歓楽を与えるものであるが、宗教は直接に内部精神に関るものであり、安心立命の効用がある。宗教は人間の内面の苦を断滅し、心性の病を全治し精神の迷いを鎮定するのに有効である。宗教は心病の良薬である。

 人心を安定する点では純正哲学も同じである。哲学と宗教の違いは道理の裁判に訴えるのと神仏の独断に帰する点にあるだけである。

 哲学は真理を探求するもので理論の学であり、宗教は人心を安定するもので実際の法であり両者は異なる。

 哲学と宗教とは人心を安定するという目的では同一であるが、真理を考定する哲学は道理を階梯とするもので知力的安心立命の道である。これに対し神仏を仮定する宗教は想像を根拠とするもので感情的安心立命の法であり、両者は異なる。

 哲学は疑念を特有の性質として有し、迷いがある故に信ずることができず、信じ得ぬが故に迷いがありそれ故に理を究めようとするもので、安心立命の目的はない。宗教の特有の性質は信仰であり、初めより疑いも迷いもなく、人心を安定するのに真理を考究する必要もない。両者は信疑全く相反している。

 哲学は可知的な範囲で安心する。すなわち不可知のものを知ることによって安心するのであり、宗教は不可知的な境遇で安心する。すなわち不可知のものを不可知と信じて安心するのであり、両者は人心安定において同一ではあるが、その趣向が異なるのである。

 不可知なるものも時の経過と共に可知的となるので、可知不可知をもって区分することはできない。

 可知と不可知とは相対的な視点で区分されるのであって、絶対的な視点に達するときには可知と不可知とは同体に会帰し、哲学と宗教も同一となる。

 以上の主張に対して「円了先生」は、宗教と哲学、可知と不可知、が判然たる分界あるものと固執することによって起こる対立だと批判し、宗教と哲学は円線上の両端にあるようなもので、「哲学はその結局宗教に入りて終わり、宗教はその極意哲学となりてとどまり、宗教中に哲学を現じ、哲学中に宗教を見る」ことになる。可知と不可知も同様である。「可知極まりて不可知となり、不可知極まりて可知となる」のであり、両者その体同一である。このことは「円了の全道」によって知られるといわれる。つぎに、「円了先生」は宗教がいかなるものかを討究させるのである。

 そこでは「多神教、一神教、皆神教」、「顕示教、自然教」、「有神教、無神教」の説明がなされたほかに、道理に基づいて組織される「知力的宗教」、想像によって構成される「感情的宗教」という円了独自の宗教観も紹介される。

 ついで宗教心が問題となる。人の心には知力に属する学術的思想と感情に属する宗教的情操とがある。前者は実験に当たって雑多の事実を帰納し一つの理法を考定するものである。後者は想像によって直ちに未知の神体を覚知し精神において天神の現象を感見するものである。

 宗教は感情的作用であり神人交感の道である。神と人間とを結ぶものは精神であり、精神は一種の心力である。それは知力作用と異なって宗教心と呼ばれるものである。宗教心は天賦の良心である。この良心の面に「天神の影像を現見」するが、道理の尺度をもっては測ることができずその心に感知するだけである。

 宗教心は人類に特有の天賦の情操である。それは神仏のような観念を即時直接に覚知する直覚作用である。

 宗教心は天賦ではなく外界の経験によって化生するものである。また宗教心は人類に特有ではなく進化の結果である。

 宗教心は経験の結果ではあるが一人の経験ではなく、数世代の経験集積の結果であり、遺伝である。天賦というのはこの遺伝を見ていうにすぎない。直覚作用も遺伝の結果である。

 人の心には宗教心の原種が本来存するのであって、経験遺伝の諸事情が発達させるのである。

 以上の議論は、宗教が必要であるとの前提に立って宗教心の起源を論じているものである。これに対して、宗教は全く無用無益であり、宗教心も妄想迷信より起こり、これに積年の習慣が加わって、一種の天性に化生したものにすぎない、との議論も展開される。

 これに対して、「円了先生」の結論はつぎの通りである。

 宗教には無量の門、無数の道があるがその本体に至っては単一不二である。この単一不二の本体は「至大至高至遠至微」であり、理学や哲学によって考索探究しても知ることも感ずることもできない。ただはるかに「その体の絶対単一にして純全平等なるを想見するのみ」である。それは「不可思、不可想、不可識」である。人類の考究の歴史は実にこの絶対不可知の関門を開かんとするにあった。理学哲学は外面よりその門に進み、宗教は裏面より近づこうとしたのである。それに近づくに当たって、あたかも朝日が未だ昇らぬのに天空に光の輝きを見るように、真理の光線を見るのである。それは、「天、神、理、道、正真、純善、至美」とさまざまにいわれるところであるが、みな一部分の形容にすぎず、その完体を見てはいない。未だ見ることのないその実体を仮に「円了の体」と呼ぶのである。

 この「円了の体」は「万有万代の流出する宇宙の源泉にして、また諸学諸教の帰入する思想の大海なり、安心立命の法も転迷開悟の道もこの体を離れていずれにあるや、理学の実究も哲学の推理も宗教の信仰もまたみなこの体の外になにを目的とするや」といわれるところの究極である。現存する宗教も未来に生ずるであろう宗教もすべて同じく「この体に向かいて進むの途次にある」のである。

 この究極である「円了の体」には達し得ないのであろうか。円了は「否」という。「円了の体」が「広大無限深遠幽妙」であるかぎり、この世界も「円了の体」の分身である。この世界に見られる「森羅の諸象はまたみな広大無限深遠幽妙の実相を具有」しているのである。鳥のさえずり、咲いている花容の中にもこの「実相」が示される。鳥の声は「円了の妙声」であり、花の色は「円了の真色」である。「山の笑い水の歌うも」すべて「円了の体」の形容である。「雲の舞い霞の躍」るも「円了の体」の挙動である。

 「円了の体」の分身である「この世界は実に極楽最安住恒存の天界」であるが、人はこの天界を「有苦無楽の悪界」として呻吟する。迷いといわざるを得ない。このような苦界を楽境に変えるには二つの道がある。その一つは、われわれの体はみな「円了の体」であるからこれを「内界に求め良心の鏡面に円了の月影を現じ、その光によりて事理を照見」すれば、有苦無楽の世界も至真至美至善の浄界に一変するであろう。その二は、この世界の客観はみな「円了の現象」であるから、外界にあって「万物の深底を究め理法の真際に達す」るならば、万物の中に「無量無限の玄境」の存することを知るであろう。

 これを知るのも「円了の力」がわれをして知らしむるためである。また「円了の体」に帰向して一心専念するときは、その体より発する知光がわが心を照し、その中に蓄積せる迷いを溶解し、本性の理に復化せしむるであろう。それも「円了の作用」にほかならない。「円了の体」は常に心内にあり、それを外に望めばその「象」は明らかに目前に存するところであり、わが体を離れることはないという。

 「円了の体」こそ「われを擁護しわれを啓発し、よくわが身をして広大無限恒久不滅ならしめ、わが心をして深遠幽妙最楽至安」ならしむるものであるといわれる。

 円了のいう「宗教」は次第に仏教のいう「真如」に向かったが、第二編以下が未刊に終わったのである。

   哲学新案

 「哲学界の現状は、いまなお西人の驥尾に付し、欧米の糟粕を甘んじ、翻訳受売これ務め、ほとんど一家独立の学説あるを見ざる」状況に義憤し、独立の見地によって「西人未到の学域に先鞭をつけん」と、大きな自負をもって刊行されたのが本書である。本書は円了の宇宙論であり、円了の哲学の集大成とでもいうべきものである。本書の特色は、一つは物理的宇宙から議論を人格的宇宙にまで進めて一種の人生観ともなっていること、第二に、アプローチの仕方を単に主観・客観において見るだけでなく、現在の「共時的、通時的」アプローチに近い方法を採っていること、第三に、「輪化説、因心説、相含説」という独自の見解を打ち出すことによって、進化論等の有する難点を克服することに努めていること、にある。

 本書では、狭義の哲学すなわち純哲学の目的は「各方面より観察を下し、宇宙の真相を究明開示する」にあるとされている。この「各方面より観察を下」すというのは、従来の学派がいまなお論争しているが、それはそれぞれが一方の偏見を固執しているからである。それ故「各方面より観察せる結果をことごとく総合集成して、始めて宇宙の真相を開達し得る」のであるとして、円了が常にいう「哲学の中道」に立つことが、ここでも基本的である。

 「各方面より観察を下」すとは、まず表裏両観に分け、表観を内外両観に分け、その外観を縦横両観に分けるというものである。それを表示するとつぎの通りである。

  宇宙観 表観 外観 縦観

            横観

         内観 縦観(過観)

            横観(現観)

      裏観

 これらの各方面からなされる「総合的大観」は、「物界も実在せり、心界も実在せりとし、物心両界を起点として、絶対に向かいて進み、その結果絶対の実在を立証し、これと同時に物心両界も現立し、物心の実在するは絶対の現存するゆえん、絶対の実在するは物心の現存するゆえんの断案に」至るものである。

 宇宙の真相を究明開示する哲学は「宇宙の万象万境の総合的研究」である。それは、宇宙の部位的研究である百般の科学よりその結果を得てそれを集大成する、ということを意味している。宇宙全体の真相、真理を宇宙の部位的研究に従事する科学はうかがうことができないからである。

 円了の「観察の各方面」についてはつぎの通りである。

 感覚器官は心内より身外をうかがう窓のごときものであるが、この心窓に映ずる対境が「客観」である。この客観界の真相を観察するのが「外観」であり、この客観の太初にさかのぼって世界の開発、万物の生起がいかにして起こったか、すなわち客観世界を古今にわたって観察する過程が「縦観」である。目前の客観世界を分析しその体がいかなるものかを解説するのが「横観」である。

 「縦観論」では星雲説に基づいて宇宙の太初より地球の成来、生物原体の自発とその派生分化を述べている。そこでは、生物原体は「地球自体より自然に化生」、すなわち「無生物の胎内より生物を産出」したこと、「人類の感覚も知能も理性も、外観上にありては、みな地球進化の結果」であること、「地球および宇宙の内部に、精神状態がいかように起伏」するかということについて注目しておく必要がある。それらについて円了は独自の解釈を与えて行くのである。そして進化については、無限の進化を認めない。地球も宇宙そのものも寿命がつき「太初の渾然たる状態」に帰ることがある。円了はそのことから「進化極まりて退化すること」があるということを導き出すのである。すなわち、「進化は世界大化の一段階に過ぎず、地球大化の半面のみ、進退両化交互するこそ、ひとり宇宙の大法」ということである。つまり「世界の太初は星雲より起こり、世界の終極もまた星雲に帰」すというのであり、それが世界の進化と退化である。井上円了は、このことから独自の「輪化説」を展開するのである。

 円了によれば、近代科学の教える自然の法則は「物質不滅、勢力(エネルギー)恒存、因果永続の三大理法」であるが、それは総量において「勢力物質共に不増不滅、一定不動」、「因果相続して永久に不断」ということを意味する。このことに着目するならば、星雲成立以前にも成立以後にも同量の物質、同量の勢力の存在が必然だという。そしてその物質と勢力とは相互に連結抱合して星雲の前後に変化を永続することも、またその変化が因果の規則に基づくことも明らかだとする。そして因果の理法によるならば、世界の開発進化には原因がなければならず、世界の閉合退化にも結果を伴わなければならない。このことから円了は「世界の前にも世界あり、世界の後にも世界」がなければならぬという結論を導くのである。すなわち、前世界が原因となって今世界の結果をきたし、今世界が原因となって後世界という結果を招くというのである。

 前界、前々界とさかのぼって無始に達するまでのその全体を「過界」と呼び、後界、後々界と進んで無終に至るまでの全体を「来界」と呼び、その中間の現今の世界を「現界」と呼ぶのである。そして一星雲のときから一星雲のときまでの「世界の一開一合」を「一界紀間」と呼び、この過現来三界を一括して「宇宙」と呼ぶのである。宇宙はこのように進化退化を無限に反復し一世界の大化を完了するのであるから、進化退化というよりは「輪化」というべきである。これが円了のいう「輪化説」である。この「過現来三界説」と「輪化説」は、おそらくは仏教でいう「三世説」あるいは「三世因果」や「輪廻説」による宇宙理解、あるいは仏教の教説の合理化といえるであろう。

 円了はこの「輪化説」と「過現来三界説」によって、従来、宇宙の謎、造化の秘密とされていた哲学上の問題、例えば運動の始まり、生物の起源、精神の本源、先天性等の問題、の解明を行うのである。

 円了は宇宙活物論の立場に立って、世界の大化は「その体に固有せる活動の力」によって行われるというのである。そして現界の太初に運動が生起するのは、前界の運動の継続であると説明する。すなわち、現(在世)界の初めは前界の運動の潜勢潜伏するときで、それが次第に開発するに及んで、その潜勢潜力が顕勢顕力となり、新たに世界万有を構成するに至るというのである。前界が星雲の中より運動を起こし、開発して行く順序はそのまま現界においても反復され、また前界が退化閉合して星雲の状態にもどるとき、万象を開発していた勢力は星雲の中に包蔵されるのである。そして現界を開発するに当たってはその内包されていた勢力が次第に外発して再び星雲の中に運動を自主自発するのである。このように内包外発、潜勢顕勢が交互に進行して「一界紀間の大化」を現すのだといわれる。そしてそれが循環交替、反復永続するのは「世界大化の習慣性」であり、この習慣性は宇宙、世界を活物と見るとき、「遺伝」ともいうべきものだとされる。そして、生命、精神、意識、理想はすべて前界の遺伝なのである。

 宇宙の真相を世界の古今にわたって通時的に縦観するとき、世界は無限の輪化を継続することが示された。これに対して、宇宙を共時的に見るとき、物心両界が対立並存することが知られる。そして物的現象と心的現象の関係を論究するのが「横観」の目的である。

 そこにおいてまず物質が論究される。物質の分析の極が元素である。元素が形体を有するならば更に分析分割されねばならない。また形体をもたぬならば元素が集まって形体を生ずることはあり得ない。それ故、元素は「有形にして同時に無形」と定義されるのである。すなわち、その体は一である最小体である。しかし元素は一体の表に有形の面を有し、裏に無形の面を有するような「一体両面」なるものではない。「一体両面」は死物的静止の状態を示すものであって活物的活動を示すものではない。ところで宇宙は活物であり活物作用を有するものである以上、元素も活物である。それ故、「一体両面説」をとることはできぬとして、元素は「無形中に有形を含み、有形中に無形を含む、すなわち有形無形の相含」である。それはいうならば、物質性非物質性の相含であるが、この非物質性を勢力とするならば、物質と勢力の相含である。円了はこれを「物力相含説」と呼んだのである。

 物質が変化するのは「因果の大法」に支配されているからであり、物質の変化は勢力の発動にほかならない。したがって、因果の理法は物質と勢力に関係し、宇宙の大化に際しては万象の変化を関連づけ、物質勢力を相関させて活動する状態を生起するのである。円了によれば、因果の法こそ「物象を造り、またよくこれを破るの力」を有するので、その力を「因力」と名付けている。

 万物の変化は「因力」の生起するものである。この「因力」が物質を「吸引招集」して物体を結成するのであるが、その中心になるものは「因心」と呼ばれる。この「因心」に元素を招集して物体が結成されるのであるが、それは宇宙に固有の「因力」によるものである。この「因力」は宇宙活動の結果だとされる。

 以上が円了の「因心説」の概略であるが、それを実際に考えるとつぎのようである。例えば生物発生についていうと現界の開発進化のある時期に生物の原始体を発生し、それが次第に分化派生して動植物に開顕する。この事情について、その原始体の発生は前界より相続した因力が永く潜因となって現界に伝わり潜伏しているが、時機を得てその中心(因心)に元素を吸引招集して生物の発現を見るのである。生物人類がこの現界に来生するのは現界に伝来する近因(親の存在)によるが、その雌雄の別、短命長寿、構造の良否等は近因の定めるところではなく、前界より相続した潜因が遠因となってのことである。この遠因と近因が結合して因心を習成し、この因心に外界より元素を吸引招集して、生物形体が構成される、と説明するものである。

 以上の「縦観」「横観」は外界より物心両界を見たものであるが、それは、宇宙は自体の活動によって無限に大化を継続すること、その活動には宇宙自体に勢力を有し物質の実在を要すること、宇宙の活動は勢力の活動であり、それはすなわち物質の活動であること、物質勢力相関して世界の大化を継続すること、すなわち輪化が無限に営まれること、それらが宇宙の真相であることを説明するものであった。

 物質と勢力は共に現象であるので、円了はこの両者にそれぞれ「物象、力象」の名を与え、この両現象の本体を「物元、力元」と呼ぶのである。現象の上では物象、力象に区別されるが、その本体は同一体であるので区分する必要はないが、物質の方から見たとき物元と呼び、勢力の方から見るとき勢元と呼ばれるのであって、元来は「物力一元」であり、「物如、一如」である。これが円了のいう「宇宙の本体」である。そして円了は現象と本体との関係について、「相含説」に基づいて、体は象を含むと同時に象は体を含む「体象相含(あるいは象如相含、象元相含)説」を述べるのである。

 外観は宇宙の一面を見るだけなので、内界すなわち心内より観察する必要があるといわれる。それによると、心界における心的作用には知、情、意の三つの作用があり、知性は感性、悟性、理性に分けられる。これらはすべて心的現象であり「心象」と呼ばれる。この心象を概括し説明するのが、円了のいう「内観」の目的である。内観のうち「横観(あるいは現観)」は心界の現状、物心の関係を論じ、「縦観(あるいは過観)」は心界の由来、過程を論ずるのである。

 心界には意識と無意識とがあるが、明確に区別し得ないので、この両者を合わせて心的現象とする。それには有限性、無限性の二性質があるが、前者によって有限を感知し、後者によって無限を識覚するといわれる。心的作用は有限ではあるが、この心的無限性によって無限、絶対に対向、接触するのである。

 知、情、意は有限な心的作用であるが、別に心的無限性に対応して二分される。その一は相対より絶対に進向する積極的原動的なもので「知的無限作用」がそれである。その二は絶対より相対に伝達する消極的受動的なもので「情的無限作用」がそれであり、それぞれの中に「意的無限作用」を含むとされる。この積極的な心的無限作用が「理性」であり、消極的なそれが「信性」である。円了はこれをつぎのような図で示している。

 外円は心象の有限性、中円はその無限性を示している。「絶対」は心界の本体で「心元」または「心如」ともいわれる。

 記述のところを整理してみると、「外観論」では、世界の本体すなわち物心両界の本体は絶対の「物如」に認められ、物如が活動して、世界の大化を無始より無終に継続輪化することが論ぜられた。また「内観論」では心界の本体は絶対の「心如」に認められ、この心如が活動して心象を開現することが論ぜられた。そして物如と物象、心如と心象も相含することが述べられたが、この「相含説」は更にすすめられて物如と心如も相含であることが述べられるに至る。これが「如々相含」である。

 物界の根底に万象万化を統一するものがあり、心界の基底にも万想万感を統一するものがあるように、物心両界の深底にも両界を統一するものがあるといわれる。その本体を円了は「一如、如元、真元」と呼ぶのである。この一如の体は万象、万感を包含して物心両界を開現すると共に、万象、万感が一如を包含している。したがって一物一心の中にも一如が包含されているというのである。すなわち、一元素は宇宙世界の内に包含されていると同時に宇宙世界は一元素の内に包括されているというのである。ライプニッツの単子論を思わせる構想である。そして、従来の哲学は、この「相含説」を知らぬが故に、一方に偏して論理の矛盾に陥っているというのであり、円了はこの「相含説」に基づいて、目的論と機械論、必然と自由、自由行動、運命論、霊魂の問題を論究するのである。

 「表観」は相対より絶対を観察するもので、それによればすべてはことごとく相対的であった。これに対して、絶対一如から物心相対を観察するのが「裏観」である。心如は心象に対しては絶対であるが宇宙の一如に対しては絶対ではなく、差別的実体、相対中の実体である。その心象の内にあって絶対に接するのが理性、信性であった(心界全図を参照)。

 理性は知力の無限性であって、心より進んで一如を探知するもの、絶対的一如の実在を知了するものである。「表観」が観察したのはこの理性であった。これに対して、信性は一如をわれわれの心底に受納するもので、人間の側からいえば消極的であるが、一如の方からいえば積極的であり、これを観察するのが「裏観」である。

 信性が感知する一如の内動の状態は理性によっては理性の知るところではなく、個々人の意識が無思無念の無意識的状態となるとき自覚感応されるものである。すなわち宗教が神秘、啓示、天人感応、神人冥合などと述べるものである。それは信性によって自感されるもので、一如の直接の啓示である。従来の哲学者はこの信性を知らず、ただ、理性によって宗教の真理を求めるという愚を犯していると円了はいう。すなわち理性は宇宙の絶対の真相を認めるものだとすれば、信性は一如の妙味を感ずるものである。この両者を総合して初めて宇宙本体の全相を開示し得るからである。それに反して、従来の哲学は理性のみを知って信性あるのを知らなかったために宇宙の全相を誤認し、宗教にあっても信性にのみ基づいていたので、妄見迷信に陥っていたのである。真正の宗教に進向するには、理性したがって哲学との共同がなければならぬというのである。円了がキリスト教を批判して不合理といい、仏教が合理的だとするのもこの点に関してであることはいうまでもない。

 因果の理法によって理性は絶対を分解してその真相を発見しようとするが、その結果、絶対の人格を破壊するに至るのである。これに対して信性は絶対を総合してその真相を感見するもので、その結果、絶対の性格を建設するのである。理性は論理的破壊性を帯び、絶対は理性の前で普遍的実在として想見され、信性は信念的建設性を帯び、絶対は信性の前で個体的実在となって現出するという。この円了の発言は、近代的合理主義を批判する一つの視点と相通ずるものがあり着目すべき点であろう。

 個体的実在すなわち人格的実在を円了は強く主張している。すでに「表観」において宇宙の本体は生命、精神、霊性を有し活動するものであり、人格的実在と目されていた。それはいわゆる人間が小さな宇宙であり、宇宙は大きな人間であるという比喩に通ずるものである。円了は更に「外観」によってこれとは別な人格的実在についても述べている。すでに見て来たように世界の大化は過現未の三界を通じて因果の大法が永続することが述べられていた。もし前界において人間が向上修養に努めるならば、それが原因となって、後界においては現界の人間以上に向上したものを結果として得ることになる。向上修養を無限に向かって努めるならば、無限に向上的な結果を得るであろう。これは相対界における人格的絶対といえる。これは「表観」における人格的実在である。これを更に「裏観」の信性において見るならば絶対的一如の人格的実在となる、というのである。円了の人格的実在は「人格的宇宙」にまで高められたのである。

 以上見てきたように、本書は「縦観」においては「輪化説」、「横観」においては「因心説」、「内観」においては「相含説」、「裏観」においては「信性」に基づいて、宇宙の全相を見ようとしたものである。そして、哲学と宗教、宗教と倫理、美学と宗教の本領、差異を述べて、従来の哲学を総合集成するのである。それらを支える根本的な論理は「相含説」にある。その結果を円了はつぎの図で示している。

 本書において、エーテルの説明に二節をさいているのは、未だデカルトの物理学の枠内にあるという時代的制約を示すものであるが、それは、勢力(エネルギー)にのみ注意して、引力、斥力については全くふれられていないのと同じである。しかし、円了自身もいうように、今後の哲学の研究は科学の進歩に伴い、多少の修正を加えればことたりるとしている。その形式、枠組みの大勢についてはすでに定まったものと見なし、今後に努力すべきは宗教と倫理の実践にあるとしている。円了はすでに、それを実行してやまなかったところである。