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甫水論集
〔序〕
館友中尾祖応君、 余の論文を集めて一冊子となさんと欲し、 ぜひとも余の許諾を得んことをもとめられたり。しかるに、 その論文中には二十年前の旧稿も加わりおれば、 今日よりこれをみるに児戯、 寝語に近きものありて、 いまさらこれを世間に公にするはあまり好ましきことにあらざれども、 またことさらに己の拙を覆い醜を隠さんとするは、 かえって大人らしき業にあらざれば、 しばらくその請いに任せて編集することを許容せり。 もしその編集中、 他の雑誌または新聞等に掲載ありし分を転載する場合には、 必ず編集者の方より直接に、 その会または社に照会して許諾を得ることを約し、 ここにたちまち出版の運びを見るに至れり。
旧稿の論文中には、 大いに訂正を加え取捨を行いたきものあれども、 そのありのままを存して毫も修飾を施さざるは、 かえっ て余が半生の実伝となりて一層おもしろからんと思い、 旧稿の上に一字一句の増減を加えず、 そのまま発行することとなせり。 人、 もしこれを読みてその拙劣を笑わば、 余もまたこれとともに笑わんのみ、 可笑可笑 。
明治 三十五年三月 井 上 円 了 題 す
〔緒 言〕
身自ら進んで哲学を研究し、 学校を興して青年を教育し、 東洋哲学の研究を唱道し、 仏教に新研究の道を開き、 わが国宗教の改革を主張せしものは、 博士井上円了氏にあらずや。 世間、 氏を称するに哲学の開山をもってする、 あに怪しむに足らんや。 氏がわが東京大学に入りて哲学の研究に従うや、 その得るところ、 これを筆に上しこれを文に草し、 もって東西両洋の哲学を鼓吹し、 業をおうるや、 ただちに哲学館を興し、 あるいは哲学研究会を設け、 もって斯学の普及に尽くす。 今の哲学会、 これ氏が明治十七年に興せしもの、 今の哲学書院、 これ氏が明治二十年に設けしもの、 今の『哲学雑誌』、 これ氏らが明治二十年に発行せしもの、 今の哲学館、 これ氏が明治二十年にたてしもの、 今の政教社、 これ氏が明治二十一年に興せしもの、 今の雑誌『日本人』、 これ氏が明治二十一年に発行せしもの、 今の雑誌『東洋哲学』、 これ氏が明治二十七年に発行せしもの、 そのほか氏が斯学のために尽くせしもの、 枚挙にいとまあらず。
わが国における哲学研究の今日のごとく隆盛に至りしもの、 かの仏教徒に多くの新思想を注入せしもの、 東洋学の研究をして今日のごとくさかんならしめしもの、 実に博士の力なりといわざるべからず。 特に博士の大著述として後世に伝うべき、 かの有名なる『妖怪学』、『外道哲学』のごとき、 斯道に忠実なるにあらずんば、 だれかこれをよくするものぞ。 博士のごときは、 実にわが国の教育および宗教のために忘るるべからざるの人にあらずや。 博士が著述せしもの、 その数はなはだ多しといえども、 博士の著述以外に多くの論文は世に公にせられぬ、その数、 実に千編になんなんとするという。 しかも年を重ぬるに従いて人の記憶を去り、にわかに氓滅せんとす、惜しみてもなお余りあるにあらずや。 予、 その氓滅せんことを悲しみ、 集めて冊子とせんことを博士にはかりに、 博士は快くこれを諾せられぬ。 よって、 まず数十文を集め『甫水論集』と題し、 書舗博文館にはかりてこれを世に公にす。
本集刊行につきては、 安藤弘君、 秋山悟菴君が多くの材料を与えられたるを謝す。 本集刊行につきて、『哲学雑誌』その他の雑誌編集人が転載を承諾せられたるを謝す。 駒込の寓居において
明治三十五年三月 中 尾 弘 家 生 しるす
一 明治三十五年を迎うるの辞
「太平の眠をさます蒸汽船たっ た四杯で夜もねられぬ」と詠じたるは、 はや五十年の昔とはなりぬ。 その当時の光景は察するに余りあり。 そのいわゆる四杯の蒸汽船は実に太平の闇を破り、 明治の暁を報じたる一声の警鐘なり。 爾来、 形勢一転一転また一転して、 あるいは桜田の変となり、 あるいは長州の役となり、 甲は尊王を唱え、 乙は佐幕を説き、 あるいは攘夷を論じ、 あるいは開港を争い、 紛々擾々乱麻のごとく、 鼎沸のごとし。 かくして慶応 三 年に及び、 大勢すでに定まり、 時まさに三月十五日、 品川牙営において勝、 西郷両将の会見ありしより、たちまち政権奉還の挙を見るに至り、 その状あたかも驟雷の認雨を送り去るがごとく、 天辺再び白日を仰ぐに至れり。 これ、 天祐のしからしむるところにあらずしてなんぞや。 神祖創建の国たるゆえんのもの、 この一事において見るべし。
明治改元より今日に至るまで百般の文物制度、 着々改新の緒に就き、 その進歩の速やかなること実に驚くべきものあり。 これに加うるに、 日清戦争以来にわかに国威を海外にとどろかし、 欧米の列強と相伍するに至る。 ああ盛んならずや。 今や西暦第十九世紀の旧天地を送り去り、 第二十世紀の新乾坤を迎えきたり、 泰西の文運ようやくその軸を転じ、 まさに東洋に向かいて発展せんとす。 しかして、 わが日本はまさしくその四通八達の巷路に当たりおれば、 今よりよろしく世界を震動するがごとき大活劇を演ぜざるべからず。 かくして三十四年までは島国的日本なりしものが、 本年すなわち三十五年よりさらに進んで世界的日本となり、 旭日の国光を五大州の上に放たしめざるべからず。 これ、 余が同窓学生諸君に新年の辞を呈せんと欲するゆえんなり。
明治維新の大業は明治初年においてその三分の一を完成し、 二十年、 三十年においてその三分の二を結了し、いよいよこれを大成するの日は、 四十年、 五十年の後をまたざるべからず。 しかしてその第一期の功労は、 天保および嘉永年間に生まれたる人の手に成れり。 これを明治元勲の第一世と称すべし。 その第二期の成功は、 安政、 文久の間に生まれたる人の手を要す。 これを明治功臣の第二世と称すべし。 その第三期の成功は、 明治年間に生まれたる人の手をまたざるべからず。 これを明治功臣の第三世と称すべし。 かくのごとく定むるときは、 余輩のごときはその第二世に当たり、 同窓学生諸君のごときはその第三世に当たる。 諺に「売り家と唐様に書く三代目」と申して、 家のほろぶるは多く三代目のときにあり。 第一代は百難千苦をおかして家を興し、 第二代は第一代を学びていくぶんの艱難をしのぎ、 もってよくその業を継ぐも、 第三代に至りては先代の苦辛を忘れ、 徒手座食もって自ら安んじ自ら足れりとす。 これ、 三代目の家をほろぼすゆえんなり。 しかりしこうして、 家をさかんならしむるもまた三代目にあり。 シナにありて周のごとき漢のごとき、 みな三代目によりて興り、 わが朝にありては足利も徳川も、 みな三代目によりて盛んなり。 孔子の学も三代目によりて伝わり、 真宗の教えも三代目によりて弘まれり。 これに反して、 秦の早くほろび源氏の早く衰えたるは、 みな三代目にその人を得ざりしによる。 ゆえに、 三代目は実に一家の興廃存亡のよりて分かるるところなり。 これを一家に徴して事実なるを知れば、 これを一国の上に推すも、 またその盛衰の三代目にまつところあるを知るべし。
今、 諸君は明治の三代目なり。 売り家を唐様にかくも、 孔門の子思、 徳川家の家光公となるも、 全く諸君の選択の自由に属するなり。 しかれども、 諸君はすでに日本国民たる以上は、 報国の義務として、 大いに奮いて明治維新の大成を自ら任ずるの決心なかるべからず。 これ、 余が諸君に熱望するところにして、 諸君もまた自ら期するところなるを知る。 余は諸君とともに人生の三大楽を得たるを喜ぶものなり。 その一は、 東洋の神国に生まれて、 世界文明の衝に当たるを喜び、 その二は、 貧賤の家に長じて、 艱難辛苦をなめたるを喜び、 その三は、 明治の維新に会して、 将来大いになすところあるを喜ぶ。 これ、 人生の三大楽にあらずや。 すでにこの三大楽を享有する以上は、 健康と事情の許す限り、 今より大いに精を励まし心を傾け、 国家のために貢献するところなかるべからず。
一休は新年に臨み、「門松は冥途の旅の一里塚」と詠じたるは、 大いに余輩の戒めとなすに足る。 そもそも吾人の一生は、一去再来を期すべからず、万劫にも得難き一生にして、また万劫にもめぐらすべからざる一生なり。 しかして光陰の移るや、矢よりはやく、白駒よりも速やかなり。一夕、春草の夢いまだ覚めざるに、 早くすでに秋声の林間におののくを聞く。 古人は「盛年不重来、一日難再晨」(人間の盛んな年齢は二度とこないし、今日をふたたび同じく迎えることは至難である)とも、 または「白日莫閑過、青春不再来(まひるの時を空しく過ごしてはならない、 青春の時は二度とこないのだから)ともいい、 また古人先輩の詩に、「年来春不過、 老去死為隣、 只見花開落、 未看百歳人」(こしかた春はとどまらず、老いて死は隣にあり、ただ花のひらくと落ちるのをみるのみ、いまだ百歳の人をみず)とも、「妙齢不遊芸、 壮年徒婬歌、 飄然為白髪、 後悔是誰過」(うら若いころに技芸につとめなければ、 壮年になってただ婬歌のみとなり、 ふらふらと白髪となってから後悔してもいったいだれをとがめることができよう)ともあり。 余はかつて「樹欲静而風不停、 子欲養而親不待」(樹は静かに立っていようとしても風やまずしてゆり動かされ、 子供は孝養しようとしても親は待ってはくれない)の句を改作して、 つぎのごとくいえり、「樹欲不動而風不停、 人欲不老而時不待。」(樹は動くまいとしても風やまずしてゆり動かされ、 人は老いるまいとしても時は待ってはくれない。)また、 佐久間象山翁の語なりとて伝うるところによるに、「日晷一移、 千載無再来之今、 形神既離、 万古無再生之我、 学芸事業登可悠悠矣。」(時刻がひとたび移れば千年たってもふたたび今が来ることはない。 肉体と精神が離れてしまえば永久にふたたびわれの生まれることはない。 それゆえに学芸や事業をどうしてのんびりとしておられようか。)そのほか「東明又西暗、 花落又花開、 唯有黄泉客、 冥冥去不廻」(東に明けて西に暮れ、 花は散ってまた花ひらく。 ただ黄泉におもむく客は暗いなかを去って帰ることはない)の詩、「一去不帰者、 冥途之旅行、 再会難期者黄泉之境界」ひとたび去って帰らない者は冥途の旅であり、 再会をねがうことのできないのは、 黄泉の境界のゆえ)の句などを対照参看して考うるときは、 実に一日一時の非常に貴重なることを知るべし。 余、 また古人の詩を改作して示すこと、 つぎのごとし。「墜地梅花不上枝、 入海黄河不再帰、 人生日月如流電、 老来無復少年時。」(地におちた梅花はもはや枝にもどれず、 海に入った黄河はふたたびもどれない。 人生の日月はいなずまのごとくすぎ、 年老いてふたたび少年の時はない。)これ、 余が明治三十五年の元旦を迎うるの句なり。
諸君、 もし明治維新の第三世となりて、 自らその大成を任ぜんと欲せば、 千載再来の今なく、 万古再生のわれなきを思いて、 今日今時より大いに奮い大いにつとめ、 他日功成り名遂ぐるの暁には、 世間をして哲学館もまたこの偉人を出だせりと呼ばしむるに至らんこと、 余が深く諸君に望むところなり。
二 余がいわゆる宗教
近時、 わが学者間の潮勢をみるに、 ようやく歩武を宗教の門庭に向かいて進めんとする徴候あるは、 実に抃すべく賀すべきの一現象なり。 また、 世間一般の人士が旧仏教の将来に望みなきを見て、 宗教革新の急要を感じたる傾向あるも、 同じく一大美事として歓迎せざるべからず。 およそ世の文明と称するものの諸素中には、 宗教必ずその一に加わるべきはもちろん、 最も有力なる一要目たること明らかなり。 しかるに、 維新以来百般の事物みなすでにその面目を一変し、 明治の世界は全く新天地を開くに至りたるにもかかわらず、 宗教の門庭ひとり荒涼を極め、 満目然として春風いまだ寺門に入らざる観あるは、 新たに沐浴してなお顔面の汚点を去らざるがごとく、 殺風景もまたはなはだしといわざるべからず。 これ、 実にわが国文運の一大欠点なり。 余、 かつて「維新の偉業、 一半すでに成りて一半いまだ成らず」と大喝疾呼したるも、 この一事にほかならず。 今、 世間公徳問題ようやく興り、 これを改良振起せんとする論、 四方に囂々たるは、 実に両手をあげて称賛して可なるも、 その実行をひとり教育部内にゆだね、 毫も宗教の上に着目せざるは、 権兵衛に種をまかせ、 鴉をしてほじらしむると一般にして、 あにその愚を笑わざるを得んや。 ゆえに、 余は公徳改良の先決問題は宗教の改良なりと信ずるなり。
わが国宗教改良の切要なること、 すでにかくのごとし。 しかるに、 今や旧仏教を厭忌する風ようやく動き、 新宗教を喚起せんとする声ようやく高く、 人をして宗教革新の機運すでに熟したるかを疑わしむるに至る。 いやしくも国家の前途を憂うるもの、 あにこれを歓待せずして可ならんや。 しかりしこうして、 そのいわゆる新宗教の要領いかんを考うるに、 今現に世間に行わるるもの二つあり。 曰く、 三田如来〔福沢諭吉〕の自尊教、 曰く、 番町大菩薩〔加藤弘之〕の自利教。 この二者、 元来宗教にあらざれば、 旧宗教に代用すること、 あえてその本意にあらざるべし。 これに次ぐものを巽軒博士〔井上哲次郎〕の「宗教意見」とす。 これ、 同博士のいわゆる先天内容の大我より発したる宗教革新の声なり。 その声たるや、 余輩のごとき小我の声とは全くその趣を異にし、 あたかも富士山巓にありて疾風に大呼するがごとき観あり。 ただ、 余はその声いかに大なるも、 民間通俗の耳朶に達せざらんことを恐る。 かかる大我の声に比すれば、 余輩の声はみみずの声か、 蚊虻の声にもしかざるものなれども、 試みにその異なる点を挙示すれば、 巽軒博士の宗教論には、
第一に、 倫理の成分を捕らえきたりて宗教の第一原理とすること。
第二に、 諸宗教を一括して総合的新宗教を構成すること。
第三に、 人格的実在を宗教の組織中より全然除去すること。
この三条を含蓄するもののごとし。 これ、 余が同意を表することあたわざる要点なり。 請う、 その理由を開陳せん。
第一の論旨は、 宗教そのものを倫理中に同化し去らんとするものなれば、 これすなわち堂々たる独立の本領を有する宗教をして、 倫理の関門に降伏を請わしめんとするものに似たり。 いやしくも宗教と倫理との異同を知るもの、 いずくんぞその説に服従するを得んや。 もしそれ、 世界古今の宗教を比較し、 いちいちその成分を分析対照するときは、 いずれの宗教も倫理の一要素を具せざるはなしといえども、 宗教必ずしも倫理なるにあらず、 ただ倫理は、 宗教の目的を達するに欠くべからざる一方便たるに過ぎず。 しかして、 方便と目的とを混同するの不合理なるは、 あたかも衣食住を求むるは人間の通有性なるをもって、 衣食住の欲は人間の目的なりと定むるの不合理なるに等しかるべし。 また、 宗教の倫理におけるは政治の倫理におけるがごとく、 三者おのおの本領を異にするものなるに、 もし宗教を倫理の支配の下に置きて不可なしというならば、 政治を倫理の範囲内に入るるも、同じく不可なかるべき理なり。 もし、 政治と倫理とを混同するの不都合なるを知らば、 これと同時に、 宗教を倫理に同化するの不都合なるを知らざるべからず。
余はすでに倫理を指して宗教の目的にあらずして方便なりという以上は、 なにをか宗教の目的となすかを明言するを要す。 ここにおいて、 余がいわゆる宗教を一言せざるべからず。 古今東西の宗教を通観するに、 人に宗教心の起こるは、 決して外部より注入または装成したるものにあらず。 換言すれば、 経験淘汰の結果にあらずして、 人性自然の発達上内部より開展したるものなることは、 比較宗教によりて大いに明らかなるを得たり。 しかして学術と宗教とは、 その源泉すでに異なりて、 正反両面の関係あり。 あたかも鳥居巓の南面より混々として湧出するものは木曾川となり、 北面より潺々として流下するもの信濃川となるがごとく、 吾人の思想は実に二者の分水嶺なり。 その正面より出ずるものは学術となり、 その反面より出ずるものは宗教となる。 ここにおいて、 思想そのものの性質成分を論定する必要を生ず。 それ思想はもと相対性なり、 相反性なり。 一方に有限可知的の思想起これば、 他方に必ず無限不可知的の思想起こり 一面に変化生滅の思想生ずれば、 他面に必ず不変化不生滅の思想生じ、 有に対しては無、 実に対しては虚、 現象に対しては本体、 差別に対しては平等、 相対に対しては絶対、 万殊に対しては一本、 万法に対しては一如の思想ありて、 つねに相伴生連起するを見る。 左にその相反を表示すべし。
可 知 的 有限 変化 生滅 現象 仮有 相対 差別 万殊等(正面)
不可知的 無限 恒久 不滅 本体 実在 絶対 平等 本等(反面)
余はここにその可知的の一列を思想の正面とし、 不可知的の一列を反面とし、 思想本来の性この両面を併有し、 一者起これば他者必ずこれに返響して、 相離れざるものと定む。 その説明はあまり長ければこれを略す。 ゆえに、吾人の思想をしてたとい可知的有限性現象界の範囲内に静止せしめんとするも、 自然の勢いその範囲を超脱して、 不可知的無限性本体界の境遇に進入せんとす。 今、 余は仮に人間を中心として、 その思想の可知的の範囲内にとどまらんとする方を求心性と名づけ、 その範囲外に進まんとする方を遠心性と名づく。 かくして宗教はこの遠心性にもとづき、 不可知的の境遇に本領を有するものにして、 一般の学術は求心性にもとづき、 可知的の範囲に本領を定むるものなり。 そのいわゆる遠心性は、 本来吾人の心内に先存固有するものなれば、 巽軒博士のごとく先天内容の声と解するも不可なし。 これ、 余が宗教をもって人心の根底より流出するものとなすゆえんなり。 しかりしこうして、 宗教と一般の学術との二者の間を接合するものは、 ひとり純正哲学あるのみ。 純正哲学とは遠心、 求心の両性を兼ぬるにより、 往々可知的の範囲を脱して、 不可知的の本城に入らんとすることあり。もし、 純正哲学と宗教との関係にいたりては、 後に弁明することあるべし。
すでに宗教の本領のゆえんを述べたれば、 これよりその本領をここに定むるに至りたる原因事情につきて、 さらに一言せざるべからず。 そもそも人類の天地間に棲息するや、 その始めいずれより来たりしを知らず、 その終わりいずれに向かいて去るを知らず。 忽然として形を結び、 蠢爾として生を保ち、 いくたの星霜を経過し去らば、 枯木とともに朽ち、 朝露とともに消え、 その一生は実に雷光のごとく、 泡沫のごとく、 夢幻のごとくなるも、 吾人の力はいかんともなすことあたわず。 その五尺の体軀のごとき、 これを空間の広闊無涯なるに比すれば、 大海の一粟もただならず。 その五十歳の定寿のごとき、 これを時間の悠遠無窮なるに比すれば、 一瞬一息をまたず。 かかる無限無涯の時間空間の中に瓢然としてかかり、 泛然として浮かび、 宇宙の大法に従い、 万有の大化に乗じ、 蜉蝣とともに朝生暮死するものは、 人生の実況なり。 思いてここに至れば、 だれも人生の無常なると、 人力の微薄なるを感ぜざるものあらんや。 かかる最短の一生、 最小の一身にして、 病患しきりに至り、 災害続きて起こり、 天寿を全うして終わるもの、 千万人中幾人かある。 あるいは肺患にかかり、 あるいは熱病に触れ、 コレラようやく去りてペスト来たり、 昨年は両親に別れ、 本年は妻子を失い、 終生苦中に沈淪し、 病裏に呻吟する者少なからず。 これに加うるに震災あり、 風災あり、 火難あり、 盗難あり、 失策、 失敗、 失意等、 前後相接して襲来し、 雨夕風晨一つとして傷心のなかだち、 涙痕の縁とならざるはなし。 かかる多苦多患の世にありて終年役々営々、 しかも一身を処するゆえんを発見するあたわず。 ここにおいてか、 吾人は人生のたのむに足らざるを知ると同時に、 迷雲暗霧の中に彷徨するに至る。 これ、 ひとり外界と対する実情なるのみならず、 心内におけるもまたしかり。 たまたま妄情悪念の内に動くあるも、 制せんと欲して禁ずるあたわず、 往事の追うべからざるを知るも、 忘れんと欲して除くあたわず、 すべて人事の意のごとくならざるや、 かくのごとし。 これをもって、 いかなる英雄豪傑も、 往々迷心たちまち起こり、 疑懼こもごも至り、 煩悶憂鬱の間に残生を送ることあり。また、 いかなる碩学大家といえども、 災害失意の相続きて絶えざる場合には、 多少人間の薄弱にして人事のたのむに足らざるを感ずべし。 ただ、 これを無知不学の輩に比すれば、 いくぶんか慰安しやすきのみ。
つぎに知力の上に考うるも、 古代にありては仰ぎて天文をみ、 俯して地理を察するに、 森然たる諸象一つとして奇々怪々不可思議ならざるはなし。 月日も不可思議なり、 山川も不可思議なり、 宇宙そのものも吾人の一生もことごとくみな不可思議なれば、 自ら進みてその理を知らんと欲するも得べからず。 ここにおいて人知の有限を感じ、 人知以外の実在を信ずるに至る。 人文ようやく開け、 人知ようやく進み、 月日の上下するゆえん、 風雨の生起せるゆえんのなんたるを知り、 万有の理法、 因果の規律のいかんを解するに及び、 天象も地文もまた不可思議にあらざるを知るに至るも、 なお不可思議の痕跡を絶つあたわずして、 不可知的は依然として内外に存するを見る。 万有の理法そのものはいかん、 因果の規律その体はいかん、 宇宙の本源、 霊魂の実体、 時間空間のなんたる、 元素原子のなんたる等の問題のごときは、 到底これを人知の外に置くよりほかなし。 ここにおいて、 今日なお人知以外の不可知的ありて存するを知る。 ただ、 古代の不思議にして今日の不思議にあらざるものあるのみ。これ、 人知の程度、 古今同じからざるによる。 もしまた、 さきのいわゆる人事の意のごとくならざるがごときは、 古今の別なく、 人知の力にていかんともするあたわざるものなり。 すなわち、 人間の最も惑うところの天運命数のごとき、 吉凶禍福のごときは、 人知のあずかり知るところにあらざれば、 畢竟これを度外に置くよりほかなし。
例えば、 古人の格言に「精神一到何事か成らざらん」といい、 なすことある者みなかくのごとしとおしうるも、 生まれながら赤貧にして、 しかも早く両親を失い、 終日犬馬の労を取りて、 わずかに一家を支うる者にいたりては、 到底立身出世の望みなし。 もしその人にして、 なにゆえに己ひとり、 かかる不幸の一生を送らざるを得ざるやと問わんも、 これに答うる道なかるべし。 あるいは多少の財産ありて修学の望みある者、 往々病患にかかりて廃学し、 夭折する者あるはいかん。 非凡の天才を抱きながら、 時勢の不遇なるがために、 むなしく草莽に老朽する者あるはいかん。 かくのごときは古今の人知の及ばざるところにして、 永く不可知的となりて終わるよりほかなかるべし。 かれを思いこれを考えきたらば、 だれびとも必ず人事の意のごとくならざると、 人知のたのむに足らざるとを感ずるに至らん。 もしまた善悪応報の理を究むるに、 天道は善に福し悪に禍すと説きながら、 実際しからざるもの多きをいかんせんや。 三陸の人民になんの罪ありて、 天これに海嘯の災いを下せしや、 インドの土民になんの悪ありて、 連年飢饉の苦境に陥りしや等の疑問に対しては、 古代も今日もともに、 人力人知のいかんともすることあたわざるものと答うるよりほかなし。 近来学術の進歩により、 天災、 病患もいくぶんか免るることを得たるがごときも、 わずかに一病を除き去れば、 他病継ぎて来たり、 一災を滅し終われば、 他災代わりて起こり、 歩行の労に代うるに汽車をもってすれば、 往々衝突の災いあるに会す。 シナの内乱ようやく鎮静すれば、 北辺の警戒一層急を告ぐるを見る。 ゆえに、 人々の幸福の分量を較しきたらば、 古代と今日と果たして著しき増減ありやいなやは、 実に一大疑問に属す。 もしそれ、 百年の人寿を二百年に延ばし、 世界の窮民をことごとく富ましむるがごときは、 人文の発達、 学術の進歩のいかんともすることあたわざるところにして、 古今を通じて不可能のことたり。
これによりてこれをみれば、 人知の有限、 人力の不足、 人間の薄弱なることは、 決して余が一人の空想にあらず、 古今東西を一貫せる事実なること明らかなり。 しかりしこうして、 人心の要求、 願望、 想像はともに無量無限なれば、 昼夜朝暮常に最上の快楽、 完全の生存を要求してやまざること、 これまた古今にわたり東西を通じて人情の同じきところなり。 窮民は決して陋巷に敝衣粗食を甘んじてとどまるものにあらず、 病客は決して不幸短命をもって安んずるものにあらず、 百金を有するものは千金を得んとし、 判任に列するものは奏任に昇らんとし、 一介の郵丁も他日もし志を得れば、 逓信大臣たらんことの野心を抱き、 小学校の教員も事もしできうべくんば、 文部大臣となりて終わらんとの妄想をえがき、 ほとんど際涯を見ざるありさまなり。 かかる人に満足を与うるものはなんぞや。 文運も学術も人知もみな不可能のことたり。 ただ古来宗教ありて、 ひとりこの要求を充足せしめたるを知る。 これ、 宗教の人生に起こりたるゆえんにして、 また人生に必要なるゆえんなり。
つぎに、 宗教はいかなる組織方法をもって、 よく世界幾億の生霊に満足を与うるやを考うるに、 人知の有限に対して不可知的無限界あることを示し、 人世の生滅変化あるに対して不変化不生滅の世界あることを示し、 人力の不可能不可及のことあるに対して、 人力以上現象以外の別世界、 すなわち絶対平等不可思議の世界あることを示し、 もって有限界の不満足不完全は、 無限界をもって補充するの道を開き、 広く世の失意不平の人をして慰安することを得せしむるに至る。 しかしてそのいわゆる別世界は、 さきに述べしがごとく、 吾人の思想の反面より反射返響しきたるものにして、 思想自体より開展せる不可知的界なり。 これ、 決して釈迦、 ヤソのごとき聖賢の方便工夫によりて仮設せられたるものにあらず。 換言すれば、 人心中に胚胎せる先天の声によりて喚起せられたるものと知るべし。 この声は動物禽獣中にはいまだ発展せるを見ず、 人間に至り思想発達の程度に従いてようやく発展し、 微より顕に移り、 浅より深に進み、 ついに思想の反面に別世界を開展するに至る。 しかしてその内外の原因事情は、 人生四囲の境遇が心面を刺激して 一種の要求を誘起し、 この要求が遠心性の作用によりて思想の反面をたたき、 その上に別世界を喚起するに至ると知るべし。 これ、 宗教のよりて起こる根本の組織なり。 たとい世の古今、 人の利鈍に応じて大いにその開展の度を異にするも、 そのだいたいの方針においては二致あることなし。 例えば、 古代にありて日月を崇拝せしがごときは、 その当時の人知いまだ進まざれば、 日月を見て奇異の感を起こし、 自然に人知以外人力以上の天災、 不思議をこれに寓しきたり、 あたかも神仏のごとき崇拝をなすに至れり。 しかるに、 今や不思議の想念は人知とともに進み、 天象地文は可知的界の現象とし、 別に不可知的界の存することを知り、 これに与うるに、 あるいは太極、 無名、 真如をもってし、 あるいは梵天、 如来、 ゴッドをもってす。 これ、 思想の反面より反射しきたる不可知的界に与うる異名にほかならず。 ただ、 これを人格的に立つると、 遍在的に考うるとの別あるのみ。
かく宗教の本領を定めきたらば、 宗教と倫理との同じからざるは言をまたずして明らかなり。 古来、 倫理の学説に後天、 先天の二派ありて、 余は先天主義を唱うるものの一人なれども、 その本領は思想の正面たる可知的界にあるべきものとす。 もし、 先天内容の声のよりて出ずる本源を定むるにいたりては、 純正哲学の研究に属し、結局不可知的界に入らざるべからざるも、 その本領とするところは、 あくまで可知的界に限るべきものなり。 ゆえに、 余は倫理と宗教とは全くその本領を異にすといえり。
人もし、 宗教の本領の不可知的なるを聞かば、 必ず、 宗教は空想なり、 信ずるに足らずと言わん。 余これに答えて、 宗教はもとより空想なり、 空想は実にその特性にして、 一般の学術と異なる点もこれにほかならず。 けだし、 空想とは妄想の謂にあらず、 吾人の実験の及ばざるところなるをもって空想というのみ。 すでにその本領は人知以外なる以上は、 いかに実験せんとするも不可能のことなり。 しかれども、 そのいわゆる不可知的界は、 思想の反面より必然的に反射しきたるものにして、 吾人の思想の存する限り否定すべからざるものなり。 かつその体たるや、 主観の方面にては可知的界と同格の実在を要求するものなれば、 これを単に空想というよりむしろ理想、 理想というよりむしろ妙想または妙理というを一層適当なりとす。 すでにその本領が思想の反面、 人知の範囲外にある以上は、 これを知力をもって究め、 道理をもって知らんとするも、 ともに不可能のことに属す。 ここにおいて、 吾人は一片の信仰をもってその体に帰向または憑依するよりほかなきを感ず。 ゆえに余は、 一、 二の学者が宗教は空想なるが故に信じ難しというに反し、 宗教は空想なるが故に信ぜざるべからずといわんとす。 今後、 人文さらに大いに開け、 人知一層高く進むも、 この空想を本領とする宗教は、 依然として現存するのみならず、 人文とともに進達すべきは、 これまた余輩の疑わざるところなり。 今その理由を知ること、 あえて難きにあらず。 吾人の思想に固有せる反面の反射は、 人文の進歩に伴って消滅すべきものなるや、 吾人の遠心的作用は、知力の発達に従って歇止すべきものなるや、 人生の期し難きこと、 人事の意のごとくならざること、 天災の避くべからざること、 失敗、 失望、 不平、 不満、 疑懼、 迷夢等は、 社会の隆盛なると同時に滅無に帰すべきものなるや、 吾人の願望、 要求、 想像等の無限なるも、 学術の勃興に応じて有限化することを得るものなるや、 なにびとも必ずそのしからざるを知らん。 果たしてしからば、 空想を本領とする宗教の将来は、 決して滅亡の運命に会することなきは明々白々、 あたかも青天白日を見るがごとし。 もしこれを滅絶せんと欲する者は、 必ずまず吾人の心底より宗教のよりて生ずる源泉を除去し、 吾人の境遇より宗教のよりて起こる外縁を断滅せざるべからず。 その不可能なるは、 太陽を中天にとどめ、 人身を空中に支えんとすると一般なり。 これによりてこれをみるに、 社会の永続する限りは、 宗教また依然として現存すべきを知るべし。
世の宗教を論ずるものみな曰く、 社会に愚民の存する間は宗教なお余命を保つべきも、 他日文運いよいよ進みて不学無知の徒あとを絶つに至らば、 宗教たちまち全然地を払うに至らんと。 これに答うるものみな日く、 社会なにほど進むも、 世に愚民の痕跡を絶つべからず。 けだし社会の進化は、 賢愚貧富の懸隔をして年一年よりはなはだしからしむるのみ。 ゆえに、 宗教の滅亡期は幾千年の後なるや、 いまだ計るべからず。 余をもってこれをみるに、 この二者ともに宗教を目して愚民の玩弄物となすものにして、 いまだ宗教の本領を知らざる盲評に過ぎず。 世間の学者はその学者たるにも似ず、 成田参りや善光寺参りを見て宗教と思い、 わずかに宗教の外観を認めて内容のいかんを問わず、 大早計に盲評を下せるは実に笑うべきの限りなり。 余は人の賢愚を問わず、 造物者再び世に出でて人間そのものを全体より改造し、 人心そのものを根本より改変するにあらざれば、 宗教を社会より排去することあたわずと信ず。 平素学問に従事し、 学理の研究のみに心思を労するものは、 自然に学問にのまれ、 学理に迷酔し、 社会は道理によりて動き、 人間は知力によりて左右せらるるものと速断し、 百般の事物、 宗教にあれ、 政治にあれ、 通商、 交際等にいたるまで、 みな道理一色をもって取り扱わんとするに至り、 宗教の空想のごときは無用の長物にして、 今後永く社会に生存すべきものにあらずとなす。 しかるに、 人間はすべて空想によりて生存し、 空想によりて生活し、 空想によりて安住するものなり。 人間万事一つとして空想ならざるはなく、 人類を指して空想的動物と称するも可なり。
今日にありて明日の快楽を空想し、 今年にありて明年の豊作を空想し、 貧賤の者は富貴を空想し、 病苦の人は全治を空想し、 あるいは立身を空想し、 成功を空想し、 一捜千金を空想し、 無病長寿を空想し、 片時寸刻といえども空想の風船に乗じ、 空想の空気中に遊泳せざるはなし。 いかなる学者にても人世に生存する以上は、 空想的動物たるを免れず。 大学に学ぶものは卒業後の洋行を空想し、 立身を空想し、 出でて官に就けば未来の大臣を空想し、 とどまりて教授の列に加われば、 未来の総長、 未来の文相を空想し、 旦暮寝食の間、 空想のために動き空想のために走らざるもの、 千万の学生中果たして幾人かある。 先年、 大隈伯ひとたび立ちて政党内閣を組織せられしより、 専門学校に入学するもの、 にわかにその数を増し、 校内学生を入るる余地なきに至れりという。 これみな、 未来の政党大臣を空想したる結果にあらざるはなし。 身を学術界に置くもの、 なおかくのごとし、 いわんや世間一般の人をや。 人間一生空想の夢というも、 あに過言ならんや。
以上のごとき空想は、 その多くは妄想迷夢にして、理想の最も高き所より反射的に開展しきたれる宗教の空想とは、 もとより同日に論ずべからず。 ゆえに、 将来学術の進歩に伴って永く生存し得るものは、 思想の反面より必然的に湧出しきたれる宗教の空想なること、 日月をみるよりも明らかなり。 商家はなにごとを語りても、まず損得の有無を問うがごとく、 学者はなにを聞きても、 まず道理の有無を問うを常とす。 しかして、 吾人の楽しむべきものは損得のほかにありて存するを知らざるは商人の通弊なり、 吾人の安心すべき点は道理のほかにありて存するを知らざるは学者の通弊なり。 かかる偏頗なる眼をもって宗教の真価を評定せんとするは、 余が宗教のために深く遺憾とするところなり。 西洋はしばらくこれをおき、 わが国の学者にして宗教を評論するもの、 多くは毫も宗教のなんたるを知らざる者にして、 たまたまこれを知るも、 ただ従来の宗教すなわち仏教、 ヤソ教等の教理の大綱いかんを知るのみにて、 いまだその味を感ぜざる人なり。 あたかも砂糖の白きを知り、 その何元素より成りたるやを知るのみにて、 いわゆる砂糖の甘味なるのを知らざるに同じ。 ゆえにその宗教を評するや、 秋山郷のろうそく談に類するなり。
(註) 秋山郷のろうそく談とは、 信越両州の国境に苗場山と名づくる一帯の峻嶺あり。 その深渓幽谷の間に一部の村落あり。 これを総称して秋山郷という。 古来、 他郷と交通結婚することなく、 草根を食し、 木皮を着、 宛然太古の民に似たり。 世呼びて平家の遺民となす。 余、 かつてこれを故老に聞く。 村内の一人出でて市場に遊び、 ろうそくをひさぐものあるを見、 その形のすこぶる奇なるを喜び、 これをあがないて帰村し、村内の老翁を集めてこれをたずぬるに一人としてろうそくのなんたるを知るものなし。 よって、おのおのその形につきて判断を下し、一人曰く、これ食品なり(かまぼこ、はんぺんのごとく考えたるなり)、よろしく醤油を加えて煮詰めたるのち食すべしと。また一人、これ野菜の原種なり(大根かねぎのごとく考えたるなり)、よろしく畑に植えて繁殖せるを待ちて用うべしと。 会するもの一同その説に従い、 早速これを煮詰めたるも食すべからず。 よって地中に植え、 その芽を出だすを待ち、 数十日を経るも元のごとし。ついにそのなんたるを発見することあたわざりしという。
加藤〔弘之〕博士といい巽軒博士といい、 仏教の味もヤソ教の趣も感知せざりし人なれば、 その宗教に対する意見にいたりては表面外部の観察に過ぎず。 ゆえにその評語は、 秋山人のろうそくの形のみを見て、 そのなんたるを評定したるに似たるあり。 加藤博士の宗教は愚民の玩弄物のごとく解釈せらるるは、 秋山人のろうそくを食品と見たるがごとく、 巽軒博士の宗教をもって倫理の門内に入れんとするは、 秋山人のろうそくを畑の中に植え付けたるに比すべし。 ともに一笑に価するに過ぎず。 余は、 宗教の本領は不可知的界にあるものなれば、 将来幾百年を経過するも、 永くその本領を守りてこそ、 宗教の功能も必要もあるべけれ。 もし、 これをして方角違いの倫理の畑へ植え込みたらんには、 なんらの功用もなく、 数年の後ついに自然消滅の不幸を見るに至らんのみ。 倫理は倫理なり、 宗教は宗教なり、 宗教を倫理に同化するは、 倫理を宗教に同化すると、 その不都合なる度においては同一なるべし。 これ、 余が巽軒博士の説に賛同することあたわざるゆえんなり。
近来学者中に、 宗教は愚民にありて学者になしというものあれども、 余輩その意を解するに苦しむ。 学者も人間中の一人なれば、 宗教心を固有しおるに相違なきも、 種々の事情によりて、 その発顕を認むること難きのみ。余、 その事情の一、 二を列すれば、 第一に、 学者の指して通例宗教と称するものは、 現今行わるる仏教またはヤソ教をいい、 愚民のこれに対する奉信帰依の形式をいうのみ。 これ、 宗教の外観にして内実にあらざるなり。 第ニ に、 学者は平素知力を使用して、 道理の研究のみに従事せるをもっ て、 情意の発達は知力のごとく著しからず。 しかして、 宗教は知よりもむしろ情意の方に属するものなれば、 学者には比較上宗教心の微弱なるべき理なり。 第三に、 学者は世間のことを観察するに、 道理一方の眼をもってする風あれば、 道理の範囲内に属するものにあらざれば、 その眼光に触れ難き事情あり。 第四に、 学者はその平素研究の結果として懐疑の念強く、 ために宗教の信仰を起こし難き事情あり。 第五に、 学者は学問上種々の事物に意を注ぎ、 思想したがって複雑なれば、思想の単純なるもののごとく宗教心の現じ難き事情あり。 第六に、 人の宗教心は得意のときより失意のとき、 順境にあるときより逆境にあるときに多く起こるものなるに、 学者は多く順境得意のときにおいて、 宗教心の有無を判定せんとするの事情あり。 これみな、 宗教心の発顕に最も不利なる事情なり。 しかれども、 学者にしてもし逆境にありて失意の重なりたる場合には、 宗教心の内に動くは自然の勢いにして、 古来その例に乏しからず。 けだし、 なにびとも昼間、 思想の四方に向かいて活動せる間は宗教の感覚も微弱なるも、 深夜、 人静かなるに当たり沈思黙坐するときはいくぶんの宗教心ありて、 その光を心天高き所に放つに至るべし。 また、 学者が不幸災難に会し、 人間の薄弱を感ずる場合には、 多く「死生命あり、 富貴天にあり」としてあきらめる風あるは、 学者の本領を脱して宗教心の一端を呼び起こしたるものなり。 すなわち、 あきらめるとは、 人力のいかんともすべからざるものなるを知り、 これを人力以外に一任するを意味することにて、 これ実に宗教の初級なり。 これより一歩を進むれば、 純然たる宗教となるべし。 これによりてこれをみるに、 学者に宗教心なしというは大なる誤りなり。 学術は学者の独占するところにして、 愚民とともに楽しむことあたわざれども、 宗教は賢愚利鈍の別なく、人をしてことごとく一味の安楽に住せしむるを期す。 これまた、 宗教と学術の相異なる一点なり。
以上は、 宗教を思想道理の方面より評論したるものなり。 換言すれば、 知情意三者中、 知の方面の観察なり。もし、 その純正哲学といかに相関するかを見るに、 宗教の本領たる不可知的の関門は、 吾人の倫理中、 遠心性の作用によるにあらざれば知るべからず。 しかして、 この作用によりてその関門に接触するものは、 諸学中ひとり純正哲学あるのみ。 古来、 純正哲学の進歩によりて、 その関門の位置および門外の風光はようやく明らかに、 今日の不可知的は古代の不可知的のごとく暗黒なるものにあらず。 ゆえに、 将来の宗教も純正哲学とともに進むは疑いなき事実なるべし。 これをもって、 学問の方面よりいうときは、 宗教学は純正哲学の応用学と見て可なり。その故に、 純正哲学にて地定したる不可知的の門内に本領を定め、 これを実際に応用して宗教の成立を見るに至る。 しかれども純正哲学と宗教とは、 またおのおのその本領を異にす。 純正哲学は思想の正面に城門を開き、往々反面に進入するも、 論理の力窮まりて自退自却するのやむをえざるに至る。 これに反して宗教は論理によらずして、 信念信仰にもとづくものなれば、 思想の反面に突進して、 ここに安住するを得るに至る。 もし、 その安住の状態を知らんと欲せば、 宗教は知力以外に情意の両作用にもとづき、 ただに絶待の存在を知るのみをもって満足せず、 その境遇に進入即到して いわゆる神人冥合、 心仏一体の妙趣を感知するに至らざるべからず。 これを禅家にて、 本地の風光、 本来の面目などと名づくるなり。 この関内の風致は、 道理、 知力の寸尺をもって測定すべからず、 ただ信仰の一念をもってこれに接触するを得るのみ。 元来、 知力の性質は差別相対を離るることあたわざれども、 この神人冥合の境遇は、 自なく他なく、 自他の差別ともに泯亡して、 なんともかとも名状すべからざる無上の趣味を感知するのみなれば、 これを言語道断、 心亡慮絶という。 なんぞ知力の及ぶところならんや。
学者が道理をもって推測せんとするは、 あたかも寒暖計をもって物の長短を計らんとするがごとし。 もし事実をもって証明せよといわば、 古今東西宗教を信じ、 この地位に即到したる人を挙げて示すよりほかなし。 もし、なおこれを疑わば、 その人自ら信仰の一念をもって、 この点に到達して試むるよりほかなし。 これ、 すなわち宗教の実験なり。 すでに道理をもって知るべからざる境遇を道理をもって示さんとするは、 畢竟不可能のことなり。 なお、 砂糖の味を分析によりて示せと命ずるがごとし。 学者の注文の無理なること、 推して知るべし。 道理の範囲にありては学者ほど鋭利なるはなきと同時に、 信念の範囲にありては学者ほど愚鈍なるはなきに驚かざるべからず。 学者は愚民が禁厭によりて病気を治せんとするを見てその愚を笑うがごとく、 宗教家は学者が分析によりて宗教の味を知らんとするの愚を笑うなり。 畢竟するに、 宗教門内に来たりては、 学者は一個の稚児愚婦に比すべきものなり。 ここに至りてこれをみれば、 加藤博士の宗教談も、 巽軒博士の宗教論も、 ともに秋山郷のろうそく談のごとく、 一場の囈語に過ぎざるべし。 巽軒博士は釈迦、 ヤソの幾万の生霊を感化して、 よく偉大の勢力を死後数千歳の後に維持するは、 ひとり倫理上の感化のごとく論ぜらるるも、 これ大いなる見当違いにして、その実行上においては倫理の感化なきにあらざれども、 その教理としては人をして神人冥合、 心仏一体の妙境に至らしめ、 無上の快楽を感知せしめたるによるは、 疑うべからざる事実なり。
宗教の既往数千年間社会の人心を支配したるは、 全くこの点にありて、 将来数千年の後よく従来の勢力を維持し得るも、 またこの点にほかならず。 しかしてその倫理上の感化のごときは、 宗教に付随したる一条件に過ぎざるべし。 けだし、 宗教はその何種たるを問わず、 人心を誘引して目的地に達せしむるには、 世間の道徳を実践するを要するをもって、 倫理を布教の一大件として説ききたり、 また世間も社会の道徳を維持する方便として、 宗教を利用するに至りたり。 しかれどもその実、 倫理は宗教の本領にあらざること明らかなり。 ゆえに、 余は将来の宗教はますますその本領を守り、 人事不如意、 人生難恃の世にありて、 賢愚利鈍、 貧富、 老若男女をして、 なるべく平等一様に宗教の妙味を感得せしめ、 苦患の世界を変じて安楽の浄国となし、 絶望の人を導きて楽天の地に至らしめんことを切望してやまざるなり。 学術の力、 果たしてよくこの目的を達し得るか。 学術のよくするところは学術に一任して可なり、 学術のよくせざるところは必ず宗教をまちて達せざるべからず。 これを要するに、 余がいわゆる宗教は、
思想の反面たる絶対不可知的の門内に本領を定め、 人をしてこの境界に超入直達し、 もって妙楽の心地に安住せしむるもの
をいう。 しかして倫理のごときは、 これに至るに必須の要件たるに過ぎざるなり。 すなわち、 宗教の本領は不可知的、 その目的は安心立命、 その作用は信仰直覚、 その方法は相対と絶対との一致契合なりと知るべし。 これ、宗教が学術の裏面に立ち、 政治の陥欠を補い、 道徳の根底を養い、 もって世を益し人を利するゆえんなり。
仏教もヤソ教も自力宗も他力宗も、 その説くところ往々氷炭相いれざることあるも、 その精粋を抽出して較するときは、 いずれもみな、 余が定むるところの原則の外に出でざるなり。 しかるにわが国今日の宗教は、 宗教の本領を失い、 国運の進長を妨ぐる点なきにあらず。 例えば仏教現時の状況は、 往々愚民の迷信を奇貨とし、 禁厭祈禱ただ利を釣りて己を肥やさんことをつとめ、 外観儀式の末に走り、 宗教の本領いずれにあるを知らざるもののごとし。 故をもって、 ときどき学術と衝突し、 教育と抵触し、 ややすればその進路を妨害せんとす。 これに加うるに宗教家たるもの、 その布教に必須なる道徳の実を修めず、 肉体の快楽を得るに汲々たるありさまあり。 これ、 余が宗教革新の急要を唱うるゆえんなり。 しかしてその革新は、 あえて異宗教を調合して新宗教を案出せんとするにあらず、 また倫理の基礎の上に新宗教を建設せんとするにあらず。 宗教は学術とその本領を異にするも、 また互いに提携せざるを得ざるものなれば、 百科の学理は広くこれを参考し、 もしこれと抵触する点あらば、 たちまち修正を加え、 世の文運に対行並進し、 しかもその裏面にありて間接にこれを助成し、 もって宗教の本分をまっとうするを要す。 故をもって、 ときどき多少の革新を宗教の上に加うるの必要を感ずるなり。 また、宗教はその性質世界主義なるべきも、 ひとたび国家の胎内に入れば、 国家あることを忘るべからず。
ここにおいて、 宗教に真実、 方便の二門ありて相分かる。 これを仏教にて世間、 出世間の二門となす。 その真実門は宗教の本領にして、 世界主義もしくは超世界主義を取り、 宗教眼中に国家なしの一大見識を有せざるべからず。 その方便門は倫理に合し政治に関する部分なれば、 社会主義もしくは国家主義を取り、 宗教の力によりて国運を進長するの方針を守らざるべからず。 元来宗教は思想の反面にありて、 不可知的を本領とし、 かつこれに直達即到せんとするものなれば、 学術の方面あるいは世間の実際よりこれをみるに、 あるいは消極的、 厭世的、退守的傾向を有し、 万国競争の今日にありては、 国運の進長に害ありて利なきがごとき観なきにあらざるも、 方便門にありては、 決してしかるべき道理あるべからず。 しかるに古来、 仏教がインド、 シナ、 日本に弘通して厭世の風を帯ぶるに至りたるも、 当時東洋諸邦は厭世退守をもって必要となせる事情あればなり。 今や列強相対して雌雄を争い、 優勝劣敗の間に国家の独立を維持せざるを得ざるときなれば、 宗教は進取勇敢の気風を鼓舞して、 その急要に当たらざるべからず。 これ、 もとより宗教の本旨なり。 なんとなれば、 宗教は人力および人為の薄弱を振起せんと欲し、 不可知的の関門を開き、 絶待無限の勢力をわが心田に注ぎたるものなればなり。 この無限の勢力を社会国家の上に応用すれば いわゆる「精神一到何事不成」(精神一到何事か成らざらん)の結果を見ることを得べし。 かくのごとく時勢に応じて方針を変ずるは、 また革新の一要件なり。
以上論ずるところによりて、 余が革新の旨趣と巽軒博士の革新の意見と相異なるところあるは、 すでに明らかなりと信ず。(以上は、 最初掲げたる三大条の第一に対する意見の説明なり)
巽軒博士の宗教論に対して、 余が意見を異にしたる第一条の説明は、 すでに提唱しおわれり。 これより第二条の、
諸宗教を一括して総合的新宗教を構成すること、
に対する意見を弁明せんとす。
諸宗教の根底における契合点をとらえきたりて、 総合的新宗教を開始せんとするは、 余があえて否定するところにあらず。 むしろその旨趣においてはいくぶんの賛同を表すといえども、 その実際の成功においては大いに疑うところなきあたわず。 かつその方法手段にいたりては、 余が解し難きところ多し。
第一に、 巽軒博士が各宗教の長所短所を列挙して、 いずれの宗教も長所あると同時に短所あれば、 わが国将来の宗教となすべからず。 ゆえに、 今よりこれらの宗教に代うるに新宗教をもってせざるべからずというがごとき断案を下されたるは、 余がその意を解するに苦しむところなり。 博士のいわゆる短所ありとは、 現時の宗教につきて観察せられしもののみ。 現時の宗教、 もとより完全なるものにあらず。 あるいは宿弊のその面目を蝕するあり、 あるいは外情のその発達を妨ぐる等ありて、 完全を得べき宗教も、 不完全にしてとどまることなしとせず。これ宗教の罪にあらずして、 これを弘通する人と、 これを受用する社会との罪に帰せざるべからず。 黄河の源流必ずしも濁れるにあらず、 流れて高原平野を通過するの際、 泥土これに混じて水の本色を失わしむ。 すでにその本色を失うも、 ひとたび泥土を分解し去らば、 本来の清水に帰せしむべし。 しかれども玉と瓦とは別物なり。 玉をみがきて光を発せしむべきも、 瓦を磨して玉となすべからず。 今日の宗教はその本質玉なりや瓦なりやは一疑問なりといえども、 外観一瞥もとよりその真相を知り難し。 よくこれを判知するは、 必ず琢磨の試験をまたざるべからず。 今、 巽軒博士の宗教論は、 外面の腐蝕を一瞥して、 たちまち瓦なりとの速断を下せるもののごとし。現時の諸宗教、 いずれも今日の大勢に適せざるところあるは事実とするも、 この一事より推演してただちにこれを全廃せざるべからずと断定するがごときは、 大早計もまたはなはだしといわざるべからず。 すでに長所ありまた短所ありとすれば、 従来の宗教に改良を加え発展を与えて、 その短所を除去し得るやいかんは、 実に現今の問題なり。 しかしてこれを決するは、 ひとたび改良発展を施したる後にあり。 ヤソ教はいさ知らず、 仏教のごときは、 数千年来なんらの改良も革命も見ずして今日に至れり。 よしその間多少の革命ありたりとするも、 わが国においては、 鎌倉時代以後にいかなる変動起こりしか、 徳川時代以後になんらの改良を加えたりしか。 そのこれなきは、 みな人の知るところなり。
果たしてしからば、 少なくも数百年の間、 わが仏教は第十六世紀前にローマ教然として、 独立自尊の態度をとり、 その間なんらの改良なきと同時に、 種々の宿弊内に積みて今日に至れるは事実なり。 しかしてわが明治の維新は、 実に空前絶後ともいうべき大改革にして、 百般の事物みなその面目を一変したるにかかわらず、 宗教ひとり依然として旧態を存するは、 その状あたかも四面みな散髪の中に、 一人のチョンマゲを見るがごとき観あり。ゆえに、 もしこれをして今日の大勢に適応せしむるには一大改革を要するは、 識者をまたずして明らかなり。 しかるに、 仏教が今日の時勢に適せざるかどをもってこれを廃滅せんとするは、 あたかもチョンマゲの不都合なるかどをもってその人を殺さんとするにひとし。 巽軒博士の宗教に対する論法の残酷なる、 あに驚かざるをえんや。 しかりしこうして、 博士の見るところまた一理なきにあらず、 余もその全分を排斥するにあらず。 ただ、 余が博士と意見を異にする点は、 将来の宗教を定むるに二途の方針なかるべからずというにあり。 その方針とは、
第一に、 従来の宗教に改良発達を加えて、 世界の大勢に適応せしむること、
第二に、 従来の宗教のほかに、 別に学理に考えて新宗教を開立すること、
この二途あるをいう。 しかして巽軒博士は、 そのうち後者の方針を取られたるものなり。 ゆえに、 これもとより余の許すところなれども、 博士が前者の方針を蔑如して、 後者の方針のほかに取るべき道なきがごとくに速断せられたるは、 余が賛同することあたわざる点なり。 今、 博士が従来の宗教の短所を挙示せられし中につきて余が意見を述ぶるに、 他教はしばらくこれをおき、 仏教の短所の第一は経論広漠にして、 その旨意を一握すること難しというにあり。 これ、 果たして仏教の短所中、 到底いやすべからざる不治症なるかは、 余が大いに疑うところなり。 すでに現時にありても、 幾千幾万巻の経論中、 実際適用せらるるものは何百分の一に過ぎず。 もし、 今日より一層選択取捨をその上に施さば、 浄土宗、 真宗は『浄土三部経』だけにて足るべく、 天台宗、 日蓮宗は『法華〔経〕』八巻にて余りあるべし。もし、その上にさらに簡約を行わば、『阿弥陀経』一巻、『般若心経』一部、 『普門品』〔『妙法蓮華経』「観世音菩薩普門品」〕一編にても事足るべし。 これ、 今日改良の必要なるゆえんなり。しかるに、 蔵経の巻数をかぞえてただちに仏教を廃せんとするは、 あたかも『ウェブスター字典』の字数をかぞえて、 その夥多なるに驚き、 英語の学び尽くし難きに恐れて、 廃学を主唱するに等しかるべし。 ゆえに、 この点はたとい今日の短所とするも、 将来永遠の短所にあらざるは明らかなり。
つぎに、 第二の短所は厭世主義にして、 第三の短所は禁欲主義なるも、 この二者は帰するところ一にして、 厭世禁欲主義と合称して可ならん。 この風はひとり今日において見るのみにあらず、 三国伝来の歴史に徴してその形跡あることは、 十目の知るところなり。 しかれども、 仏教中よりこの主義を除き去らば、 全教その生命を失うほどの主眼なる点にあらざることは、 また衆人の同じく認むるところなるべし。 すでに真宗のごときは禁欲主義を破り、 日蓮宗のごときは厭世主義を変じたるも、 やはり二宗ともに仏教なるにあらずや。 また、 仏教そのものにつきてこれをみるに、 外面に厭世を示して内実非厭世なることは、 大乗仏教の特色にして、 かつその長所なり。 天台宗において此土寂光と説き、 真言宗において真如非外と説くがごとき、 また浄土宗および真宗において念仏衆生は弥陀の光明の中にあると説くがごときは、 みな厭世主義を蟬脱したるものなり。 もしこれに一段の改良を加うれば、 楽天主義とも愛世主義とも護国主義とも尊皇主義ともなるべし。 いな、 あえて改良を加うるをまたず、 自然の勢いに任じても、 禁欲厭世の風は漸々凋落し去るべし。 けだし、 従来の仏教が永くこの風を帯びたるは、 当時の外情これを助成せるによる。 すでに真宗のごときは七百年の昔に混俗宗となりたるに、 今日なお僧俗の別を存するは、 時勢これが媒介となるによる。 中古のヤソ教は一般に厭世禁欲の風を帯びたるに、 新教の革命以来その風を脱したるも、 やはり時勢これを促せばなり。 ゆえに、 巽軒博士のいわゆる第二、 第三の短所は、時勢の風潮をもって自然に仏教の体面より洗除し得るものなれば、 その改良のごときは、 朝飯前に茶盆を払うよりもなお容易なり。
つぎに、 仏教の教理が果たして今後の学術と並行し得るやいなやは一疑問なるべきも、 今日の状態を見てただちに絶望の断定を下すは、 大早計に過ぐるものといわざるべからず。 必ずその教理の上に種々の研究工夫を加えてのち決すべき問題なり。 かついずれの宗教も、 世運の開進に伴って発達せざるものなし。 そのうち、 到底世運に伴うことあたわずして、 半途に命脈を損せしものなきにあらず。 今日に存する二、 三の宗教は、 その根底に潜伏せる勢力のいまだ全く発展し尽くさざるものあり。 その余勢がいずれの点まで発展し得るかを試むるは、 実に今日にあり。 もし、 果たして従来の宗教に改良発達を加えて今後の学術と併行し、 時勢に適応するを得せしむるに至らば、 新たに宗教を開立する必要を見ざるのみならず、 新宗教よりも実際上の便益多きは明らかなり。 これより論歩を転じて、 新宗教開立に伴うべき困難と不利とを列挙せん。
巽軒博士の新宗教を主唱せらるる旨趣を見るに、 もし諸宗教の根底における契合点を取りて、 一切の宗教に共通せる普遍的宗教を組織するに至らば、 これもとよりだれの宗教ということなく、 人類一般に適合するものなれば、 仏教もヤソ教もみなこれに同化し去るがごとく論ぜらるるも、 これ学者の迷夢に過ぎず。 第一に、 契合点と認むるところ、 衆説必ず一に帰するにあらず。 例えば、 甲は大我の声をもって契合点とするも、 乙はこれを非とすることあらん。 よし甲乙ともにこれを是認するも、 従来の宗教中、 仏教はこれを斥して外道となし、 儒教はこれを排して異端となし、 ヤソ教はこれを貶してヘー ゼン〔heathen〕となすは必然なり。 しかのみならず、 その説、 巽軒博士の主唱に出ずるとせんか、 人これを呼びて、 巽軒教といわんのみ、 井哲宗といわんのみ。 その本山は井上山巽軒寺といわずんば、 必ず大我山内容寺といわんのみ。 されば、 従来の諸宗教より敵視冷遇せらるるのみならず、 加藤博士、 元良〔勇次郎〕博士、 中島〔力造〕博士のごときも、 決してその信徒に連なり、 その檀家に加わること万々あるべからず。 わが国すでにかくのごとしとすれば、 西洋諸国の人民をしてその教に帰化せしめんとするは、 白色人種を変じて黄色人種とするよりもなお難し。 もし、 死後百世の後を期するとするも、 だれありてこれを保するものなきのみならず、 あまり気長の話にして、 人みな弥勒の出世をまつがごとき感あらん。
第二の難点は、 学術と宗教とはその性質を異にするものあり。 学術上の道理は、 社会少数の者これを知り、 多数の者これを解せずしてあえて不都合なきも、 宗教上の道理は、 少数の人よりもむしろ多数の人をしてこれに帰向せしめざれば、 その用をなさざるべし。 しかるに、 学術研究の眼をもって諸宗教の契合点を看破し、 これを抽出総合しきたるも、 かくして造り上げたる宗教は、 あまり無味無色に過ぎて、 人心と結合することあたわざるのみならず、 人目を引くことすらなお難からん。 余をもってこれをみるに、 一切の歴史的関係と諸宗教の特殊性とを除き去り、 その根底における普遍的契合点のみを集めて作りたる宗教は、 あたかも味噌汁、 醤油汁、 スープ、牛乳の特殊性を除きて総合的美味を作らんと欲し、 これを蒸露して無味無色の水となしたがごとく、 宗教としてはさらに功用なきものならんと信ず。 その一例はユニテリアン宗なり。 これをほかの宗教に比するにすこぶる学術的なるも、 その学術的なるだけ、 それだけ宗教の効力少なきを覚ゆ。 かつ、 宗教はその中に多少美術的趣味を帯び、 想像の元素を含み、 これに加うるに人心に固有せる保守的精神によりて伝えらるるものなれば、 純然たる理論一偏の学術とは大いにその趣を異にす。 したがって、 古色蒼然たるところに人の信念を喚起しやすき事情あり。 ゆえに、 学術上の道理をもって新たに製造したる宗教は、 全くかかる事情を欠くものなれば、 一般に普及すること最も困難なるべし。 その一例は、 哲学者コントの新宗教につきて見るべし。 これ、 学術的宗教なり、 古宗教を廃してこれに代わらんとの目的をもって工夫せる新宗教なり。 しかして、 その宗教の無勢力なること実に驚かざるを得ず。 余、 先年ロンドン滞在中、 一日コントの教会所をたずね、 これを市中の路地裏棚然たる所に得たり。 その微々たるありさまは、 余の一驚を喫したるところなり。 書記然たるもの一名出でて応接せり。 これ、 その教会所を守るもののごとし。 余に告げて曰く、 毎日曜に教会を開く、 よろしくその時に来たるべしと。 信徒の数を問えば、 わずかに四、 五十人なりといい、 開教の年月を問えば、 五十年になんなんとすという。 これまた余が驚きしところなり。 その勢力なき、 かくのごとし。 今後新宗教起こるも、 これと同一の運命に会せんことを恐る。 これ、 従来旧宗教の勢力いまだ減ぜざるによるというも、 新宗教が無味無色にして、 しかも古色を欠くの一事、 これが主因なるべし。 果たしてしからば、 宗教を開立して旧宗教に代用せんとするの困難は、 旧宗教を改良して今日の大勢に適応せしむるの困難に、 幾百倍するやを知るべからざるなり。
今、 さらに数歩を譲り、 旧宗教は老朽死に瀕し、 復活の見込みなしとし、 新宗教を開立するにあらざれば、 到底世界の大勢に適応することあたわずとするも、 今より新宗教の設計に着手して、 その成功を見るの日は幾年の後なりや。 けだし、 十年、 二十年の短歳月のよくするところにあらざるべし。 しかして 、建設は難く破壊はやすし。 新宗教いまだ成らざるに旧宗教を破壊し去らんとするは、 策の最も拙なるものなり。 これを家屋にたとうるに、 旧家屋の破損せるを見て、 新家屋を建設せんとするに、 わずかにその設計に着手して、 いまだ落成の期何月の後にあるを知らざるに、 ただちに旧家屋を破壊し去るに同じ。 必ずやその数月の間は、 身を雨露にさらさざるを得ざる不幸を見るに至らん。 ゆえに、 新家屋を建設せんと欲せば、 その落成を告ぐるまでは、 できうるだけ旧家屋に修繕を加うるを良策とす。 巽軒博士の真意はいずれにあるや明らかならずといえども、 その語気を察するに、 旧宗教は老朽用うるに足らず、 むしろこれをすてて新宗教を建つるにしかずとのみありて 、 一言の新宗教の成功までは旧宗教を維持せざるべからざるの点に及べるを見ざるは、 余が惑うところなり。 これを要するに、 新宗教を工夫するも目下の一案なるべきも、 旧宗教を改良していずれの点まで世界の大勢に適応し得るやいなやを試むるは、 実に方今の急務なり。 もし、 旧宗教は到底改良発達の見込みなしといわば、 これと同様に新宗教も到底成功普及の見込みなしというを得べし 。 これ、 ともに空想なれば、 その可否は実地試みたる後にあらざれば知るべからず。 ゆえに、 余は総合的新宗教を案出する前に、 旧宗教の改良を試むるこそ、 実に焦眉の急要なるべけれと信ず。 もし、 巽軒博士の意もここにありというならば、 余輩またなにをか言わん。
つぎに、 第三条の
人格的実在を宗教の組織中より全然除去すること 、
の意見に対し、 余が反対を述べんとす。 その第一は、 巽軒博士の宗教論は徹頭徹尾道理をもって貫き、 一科の学術のごとくに宗教を取り扱わるるふうあり。 されど、 宗教と学術とは同一ならざることは、 余が弁解をまたず。学術をもって宗教を遇するの不当なるは、 宗教をもって学術を遇するの不当なるに等しかるべし。 宗教は学者一人の信念をもってとどむべきものにあらず、 必ず社会一般、 貴賤貧富、 賢愚利鈍の人に 、 一味同感の法楽を与うることを目的とせざるべからず。 ここにおいて、 宗教には道理のほかに情感の元素を加味するを要す。 学術は理論なり、 宗教は応用なり。 学術は真理に達するを目的とし、 宗教は安楽に住するを目的とす。 学術は無味無色を要し、 宗教は滋味にしてかつ潤色あるを要す。 これ、 宗教に情感を加うるの必要なるゆえんなり。 しかれども、情感一辺の宗教は往々迷信に陥り学術と衝突する恐れあれば、 もとより避けざるべからず。 ゆえに余は、 宗教の組織は知力の骨と情感の肉とをもってせざるべからずといわんとす。 しかしてその知力の骨は、 心理学にあらず、 倫理学にあらず、 純正哲学をまちて研究すべきものなり。 ゆえに余は、 宗教は純正哲学の一部を応用となす。 これらの点は、 余の見解が根本的に巽軒博士と異なるところあるべきをもって、 ここに喋々するも無用なるべし。 ただ、 博士が一切の特殊性を除きて普遍性のみを存し 一切の人格性を非人格性に化し去らんとするは、余が大いに宗教として果たして効力ありやいなやを怪しむところにして、 博士は学術と宗教と同一視せらるるやの疑いなきあたわず。 もしその言のごとく、 漠然たる普遍性一辺のものをもって宗教を組織するに至らば、 乾燥無味 、その冷ややかなること氷のごとく、 その淡きこと水のごとき宗教を生じ、 あれどもなきがごときありさまに至るべし。 かかる宗教をもっ て世人を感化し去らんとするは、 シャモジで耳の垢を払わんとするよりもなお難し。 余は、 宗教に人格的の実在を立つるは、 その学術と異なる要点なりと信ず。 古来、 人格的を立てざる宗教が世に広まるに従い、 自然に人格的を設くるに至りたる一例を見ても、 宗教にその必要あること明らかなり。
近日、 村上博士『仏教統一論』を著し、 仏教の本意は普遍的涅槃にありて、 擬人的弥陀にあらざることを説き、 浄土門の本尊様がまさに抹殺せられんとする場合となり、 真宗門内これがために逆浪空を巻き、 天に朝せんとするありさまなりという。 余聞く、 博士は春秋すでに五十に満ち、 ようやく初老の境に遊ばんとす。 しかしてその勇かくのごとし。 実に壮者をしのぐというべし。 余、 一句の謎を案じてこれを得たり。
村上博士の『仏教統一論 』とかけてなんと解く、
慶應義塾と解く、 そのこころは三田(弥陀)を圧倒す。
しかれども博士の論は、 学術と宗教とを同一視せらるる巽軒博士の論に感染せられたることなきやの疑いあり。 余おもえらく、 仏教の長所は法、 報、 応の三身を立つるにあり。 法身の涅槃のみにては学術として価値あるも、 宗教としてはさらに効力なきものとなるべし。 今、 いささかその理由を開陳せん。
まず仏教の教理より考うるに、 報身の実在は法身、 応身の実在とともに疑うべからざるものなり。 その故は、仏教は唯心論にして精神因果を説き、 一心の大海に因果の作用ありて、もって人を造り万物を造り天地を造るとなす。 換言すれば、 天地万物は善悪の業因応報によりて生滅現存するものとなす。 しかして善悪の業因一ならざれば、 その果また異ならざるを得ず。 もし、 人をもって人界に生を受くるに相当する善因を修めたるが故に、 その果ありとなさんか。 されば、 もしこれに二倍、 三倍ないし十倍、 百倍の善因を修めたるものあらば、 人間に二倍、 三倍ないし十倍、 百倍する善果を開くべき理なり。 この理を推すときは、 ひとり阿弥陀仏のみならず、一切の報身仏の実在を許さざるべからず。 もし、 仏教の唯心因果の理を全然妄想迷信として排斥するものあらば、 報身仏の実在はむろん信許すべからずといえども、 ひとたび唯心因果を真理なりとして是認せる以上は、 報身仏の実在は決して否定すべきものにあらず。 これ、余が統一論に対する意見にして、 村上博士に一言 をただせんと欲するところなり。 しかして、 唯心因果の否定すべからざるの理は、 余、 別に他日をまちて論ぜんとす。 これを要するに、 仏教の三身実在はその教の神髄にして、 その中より一身の実在を否定するも、 仏教全体が命脈を損ずるの不幸を見るは、 必然の結果ならんと信ずるなり。
今、 余が宗教に人格的実在を立つるの必要を唱うるは、 仏教に限るの意にあらず、 一切の宗教に必要なりとの意なり。 ゆえに、 ここにその理由を述ぶるに、 哲学としては絶対平等、 無限不可思議の実在を証明するのみにて足るも、 宗教の目的は人をしてこの体と融合し、 この地に体達せしめんとするにあれば、 その実在をして人に接近せしめざるべからず。 人は有限中の有限なり、 相対中の相対なり、 差別中の差別なり。 しかしてその体は、 無限なり、 絶対なり、 平等なり。 かかる著しき径庭あるものをして一致冥合せしむるには、 必ず無限をして有限化するを要す。 かくして絶対の有限化したるもの、 さらに人間化し人格的実在となりて宗教中に現ずるに至る。 これ、 他なし。 宗教は哲学とその性質を異にして、 応用を本とすればなり。 もし、 哲学上人格的実在を立つるの非なるを見て、 ただちに宗教上にこれを否定せんとするは、 余をもってこれをみるに、 理論と応用とを混同し、 哲学と宗教とを同視するの過失あるがごとし。 しかして、 宗教上にこの実在を立ててあえて不都合なき理由は、 理論と実際との二方面より論明せざるべからず。
まず理論の方面にありては、 第一に、 人に知眼と情眼との二眼ありと仮定せよ。 知眼にて認めたる普遍的実在が、 情眼より望むに人格的実在となりて現ずるなり。 ゆえに、 その見るところ異なりといえども、 その体もとより同一なり。 たとえば、 杯中に置かば無色透明なる水が、 海中に入るれば碧色を現ずるがごとし。 その無色をひとり真実として、 その碧色は虚偽なりとすべきか。 すでに事実上碧色となりて現ずる以上は、 これを碧色なりというもまた真実なり。 けだし、 人には知情両作用ありて、 知的作用は絶対の実在をして人と疎遠ならしめ、 情的作用は人と親近せしむる傾向あり。 しかして宗教は、 思想の反面より喚起せる絶対の体に一致冥合せんとする先天的心内の要求が、 情門をたたきてこれに親近せんとするの結果、 哲学的理想と異なりたる有限的色相を現ずるに至る。 その色相が情眼に映じて人格性を現ずるなり。 これ、 余が哲学と宗教とを同一視するの非なるを唱うるゆえんにして、 また宗教には知的元素のほかに情的元素の加わることを述ぶるゆえんなり。
第二に、 思想そのものにつきて考うるに、 人の思想は有限性なり、 絶対の本体は無限性なり。 たまたま思想の遠心性作用によりて絶対の実在を認識するも、 わずかにこれを認識し得れば、 すでに多少の有限性を帯ぶるに至る。いよいよこれを明瞭にせんと欲すれば、ますます有限化するに至り、 その結果、 また人格性を助長するに至るなり。 換言すれば、 思想の有限の反射が絶対の実在を喚起すると同時に、絶対の無限の反射が有限の状態を現実するに至る。けだし、純然たる絶対は虚形のみ空想のみ。これを現実すれば有限性となり、さらに現実すれば人格性となる。これをたとうるに、 水の性、 本来一定の形状を有するにあらざるも、 これを一定の形状を有する杯盤中に置かば、 方円の形状を現ずるがごとし。 吾人の思想は杯盤に比すべく、 絶対そのものは水に比すべし。この思想の有限化の結果が、 情的要求を助けて人格性を助成するに至るなり。 また、 絶対そのものをみるに、 消極的実在と積極的実在との二面を有す。 その消極的方面にありては、 空々寂々あれどもなきがごとき実在にして、 積極的方面にありては勢力あり、 活動あり、 光明あり、 開展ありて、 有為有作の実在を示す。 この有為有作の実在が、 自然に人格性を思想の海面に結成するに至る。 しかして実在に積極、 消極の二面を現ずるも、 また思想自然の性力のしからしむるところなり。 これを要するに、 人格性の実在はひとり情的産物のみならず、 知情共同の結果なるを知るべし。
さらに、 宗教の理論に考うるも同一の結果を得。 すなわち、 宗教は人生の有限、 世界の不完等より起こすところの不満足を、 絶対の実在に向かいて満たさんとするを目的とするものなれば、 本来無限の実在が有限の実在を示すにあらざれば、 吾人の要求に応ずること難し。 有限の範囲外に超絶したる絶対は暗黒の絶対なり。 暗黒の実在は吾人にとりて、 無実在となんぞ選ばん。 この実在が有限の範囲内に入りて、 吾人の心鏡に映ずるときは、 自然に人格性を結ぶに至る 。他語にていわば、 吾人の思想は相対より反射して絶対を喚起するがごとく、 世界の不完全の感情は、 たちまちその反射として完全なる世界の実在を喚起し、 個人の不完全なる感情は、 たちまちその返響として完全なる個人の実在を喚起し、 もって宗教心の要求をみたすに至るなり。 故をもって、 宗教には一般に人格性の実在を立つるを見る。 たとい宗教にてかかる実在を説くも、 必ずしもその位置、 境遇等を証明するに及ばず。 これ、 もとより不可知的なり。 なんとなればその体たる、 本来不可知的の実在が可知的の鏡面にその形を浮かぶるものに過ぎざればなり。 あたかも巽軒博士の大我の声のごとし。 大我の声は可知的なるも、 その声の本源を推究するに至らば、 必ず不可知的に帰するよりほかなかるべし。 けだし、 大我の本籍は不可知的世界にありて、 吾人の生存と同時に有限的心識内に寄留するものなるべし。 今、 余がいわゆる人格性の実在は大我の声にあらずして、 大我の形なり色なり。 これ、 その声とともに不可知的界に本籍を有して、 可知的界に寄留するものというべし。 ただ、 余は巽軒博士が大我の声あるを許して、 大我の形色あるを許さざるは、 余の大いに奇怪に感ずるところなり。 もし、 大我の声が果たして先天内容の声ならば、 大我の形も色もまた先天内容の形色なるべし。 今この二者を対照するに、 博士のいわゆる大我の声は、 内に感ずるところなり、 一切の経験を超絶せる平等無差別の実在界より来たるものなり、 独在のとき耳にささやく声なり、 夜半暗黒の裏に聞くべき声なりという。これと同じく、 余がいわゆる大我の形色は、 やはり内に感ずるところなり、 一切の経験を超絶せる平等無差別の実在界より来たるものなり、 独在のとき目にひらめく色なり、 夜半暗黒の裏に見るべき形なりというを得べし。ゆえに、 人格性の名義を改めて大我の色と呼ぶも可なり。 もし、 博士にして大我の色を否定すれば、 大我の声も同時に否定せざるを得ざる道理ならずや。 しかるに、 博士がひとり大我の声に多情にして大我の色に薄情なるは、余が解し難しとするところなり。けだし、 博士の理想は盲目にして、大我の声を聞くのみにて、大我の色を見ることあたわざるか。 これ、これを名づけて大我盲もしくは色盲的理想というべし。 余、 また一謎を案出し得たり。
巽軒博士の大我と掛けてなんと解く、
浜の松風と解く、 そのこころは音ばかり。
つぎに、 実際上これを考うるに、 このいわゆる大我の色は、 吾人を指導感化するに最も有力有効なるものなり。 ただ、 漠然たる真如や太極のみをもって、 人心の帰向を引かんとするは、 あたかも空間を崇拝せよ、 空間に同化せよと人に命ずるがごとし。 その宗教としてなんらの効力なきは明らかなり。 元来、 宗教は吾人の不完全なる自覚より完全の域に進向せんとする、 先天内容の要求によりて喚起せるものなれば、 その要求と同時に最も完全なる個体を反映写出しきたるもの、 これすなわち人格性実在なり。 この実在は、 実に吾人が実際上、 完全の域に向かいて進むの目標なり。 かかる目標ありて、 はじめて吾人を漸々改善進化し得るなり。 しかしてこの目標は、 宗教、 倫理ともに要するところなれども、 倫理は人間の範囲内において最も完全なるものを目標とし、 宗教は人間全体の不完全を自覚し、 真の完全は人間以上にありて存するものとし、 ついに絶対の関門をたたきて完全の個体を喚起し、 これを目標となすに至るの別あり。 ゆえに、 いずれの宗教も多少の人格性を立てざるなく、 人格性の実在、 いよいよ明らかなるほど、 宗教の感化いよいよ大なるものなり。 すでに仏教のごときは、 真如の一元を諸宗の第一原理とするも、 なお人格性諸仏を立てて、 これによりて人心を感化しおるにあらずや。 もし、 諸仏を廃して真如一元を感化の目標とするときは、 あたかも無涯の空間や無限の時間を目標とするがごとく、 人をして帰向するところに迷わざらしむるよりほかなかるべし。
しかりしこうして、 仏教諸宗中全く人格性の実在を立てずして、 さかのぼりて真如の本源に即到する道を取りたるものなきにあらず。 すなわち、 禅宗、 日蓮宗のごときこれなり。 しかして日蓮宗のごとき、 人心を固結する力すこぶる強し。 しかれども、 もしこの二宗の現状を見るに、 その宗の本意はいずれにあるにもせよ、 人心の帰向感化は、 やはり人格性を適用するにあること明らかなり。 まず、 日蓮宗は多神教的諸仏崇拝の風を廃して、「妙法蓮華経」の五字を本尊と定め、 その体は『法華経』「寿量品」に説くところの「我成仏以来甚大久遠寿命無量阿僧祇劫常住不滅」(われ成仏してより已来、 はなはだ大いに久遠なり、 寿命は無量阿僧祇劫なり、 常住にして滅せず)の体にして、すなわち真如なり。 しかれども、 その体の形容は人格性を擬成し、「妙法」五字のごときもその中に無量の神力を含蓄し、 諸仏に勝れたる妙法の体なることを説くがごときも、 人格性の実在を説くに異ならず。 ゆえに、 これを信ずるものは「妙法」の五字に対し、 人格的実在のごとくに崇拝帰向の念を起こすなり。 禅宗は真如直達の宗旨なるも、 あまり哲学然として、 一般の人心を感化するには不利なる事情あり。 しかしてその幸いによく人心を維持して今日に至るものは、 人格的諸仏の崇拝を許すにあり。 もし、 禅宗よりこの人格的諸仏の崇拝と宗教的外部の儀式とを除き去らば、 古今無類、 一種特別の哲学的観念法となり、 その中に宗教の資格を認むること、 はなはだ難かるべし。 ゆえに余は禅宗をもって、 むしろ哲学的治心法と名づくるを適当ならんと信ずるなり。 ただ、 その宗にて不可知的の実在を吾人の心門に開き、 もって相絶両対の一致冥合を説くにいたりては、 一種の宗教なること明らかなり。 しかして、 宗教として人心を固結するの難きは、 本来人格性を立てざるによることまた疑いなし。 これを要するに、 人格性実在は吾人を導きて完全の域に進ましむる目標として、実際上宗教必須の条件なりと知るべし。 もし、 これを欠きて宗教を弘めんとするは、 あたかも的なきに弓を射、針路を定めずして船を進めんとするがごとく、 労多くして功少なきは明らかなり。
以上論述せるところこれを約するに、 普遍的実在は哲学上すでにその定論あればこれを是認して可なるも、 人格的実在は不合理のはなはだしきものなれば、 今後の宗教は全くこれを除去せざるべからずとは、 巽軒博士の意見なるも、 今日はもちろん、 今後といえども、 これを除去するに及ばざるはもちろん、 その実在を立つるがごときは、 あえて不合理にあらずと信ずるものなれば、 将来永く宗教中に存するものと考うるなり。 しかして、 博士がこれを不合理にしてかつ不必要と見られたるは、 哲学と宗教とを同一視せられたる故ならんと想像するなり。けだし、 哲学上の絶対不可知的が有限の心識内に反映しきたるときに、 人格性実在を現出するものなれば、 本来無色の水が海中に入りて碧色を現ずるごとく、 道理上その実在を許容して毫も不可なることなかるべし。 かつ宗教の観念は、 人間は不完全なりとの自覚より、 思想自然の力ここに完全なる個体を喚起し、 もって人格性の実在を現ずるに至るものなれば、 その実在を解して先天内容の大我の形色と名づけて可なり。 しかるに、 博士が大我の声を是認しながら大我の色を否定するは、 かえってその論理の不合理を感ずるなり。 ことに実際上、 吾人の改善感化の目標として人格性の実在を要することは、 諸教に通じて明瞭なる事実なり。 これ、 余が巽軒博士と意見を異にする第三の条目なり。 しかれども余の意は、 人格性実在をもって宗教の第一原理と立つるものにあらず。その第一義諦はもとより絶対平等不可思議の実在に相違なきも、 その実在が有限の人心に接触するときに、 吾人の内容より発する大我の色となりて、 人格性実在を現ずるものなれば、 第二原理に属すべき条件なり。 しかして、 宗教は実際上その目的を達するに当たりては、 第一原理よりも第二原理に重きを置かざるべからず。 なんとなれば、 空々漠々たる第一原理にては、 到底宗教の感化改善の実をあぐること難ければなり。 これと同時に、 第一第二の原理はその体同一なることを知らざるべからず。 あたかも一月の万波に映じて万月となるがごとく、個々の月は本来の一月と同体なり。 ゆえに、 余は仏教の三身一体説を、 よく理を尽くしたるものとして信ずるなり。 もし、 ヤソ教にて人格性実在を説きて普遍性実在を説かず、 あるいはこの二者の同体不離なることを知らざるにおいては、 その教理発達の程度なお低しといわざるを得ず。 今後、 さらにその程度を進むるにあらざれば、将来の宗教となること難からん。 これ、 余がヤソ教のために一言するところなり。
今、 余がいわゆる宗教を結ぶに当たり、 本論を起草したる旨趣を再述すべし。 本論は全く巽軒博士の「宗教意見」に反対の意を述べたるまでなれば、 余が宗教論の全意を示せるにあらず。 その全意のごときは、 他日別に世間に発表することあるべし。 しかして、 その反対の意見は三段に分かちて述べたるも、 余がもっぱら論ぜんとする点は第一条の下にあり。 およそ世界人生の事たる極めて多様錯雑にして、 到底一、 二の学問芸術をもって尽くすべきにあらず。 今、 世間に理学あり、 哲学あり、 政治あり、 道徳あり、 おのおのその目的を異にしその方法を異にして、 ともに人生の幸福を進めんとするも、 なお人間に満足を与うることあたわざるものあり。 ここにおいて、 古来宗教の世に起こるありて、 その欠点を補うに至れり。 果たしてしからば、 宗教は世の必要に応じて起こるがごときも、 その実わが心内に宗教心の胚胎するありて、 次第に開発してここに至るなり。 ゆえに、 余は理学にても哲学にても政治にても道徳にても、 到底いかんともすることあたわざる点に向かいて宗教の適用を望むものにして、 これ実に宗教の本領天職なりと信ず。 餅を欲するものは餅屋に頼むべし、 酒を求むるものは酒屋に命ずべし、 一国を治むる法は政治学によりて研究し、 一身を修むる道は倫理学によりて講習すべし。 しかして、 政治にても倫理にても理学にても哲学にても不可能の事たる、 有限界に対して抱ける吾人の不平不満足は、 必ず宗教をまちて医治すべきなり。 これ宗教が古来、 世間に政治、 道徳、 学術等とともに存するゆえんにして、 将来永くせざるゆえんもまたこの点にあり。 しかるに、 巽軒博士はこれを倫理に同化し去らんとせられたるは、 余が大いに宗教のために遺憾とするところなり。 かつ、 この挙たるや宗教を暗殺するにひとしきものなれば、 到底黙過すべからざるものなるを知り、 ここに余が反対意見を開陳して、 世の高評を仰ぐに至る。 もし、 その宗教の本領たる不可知的の実在にいたりては、 思想発展の方面より証明せるのみにて、 その対象たる外界の方面より証明せざるは、 一読たちまち奇怪に感ぜらるる人なきにあらざるべし。 余も自ら主観的証明のみありて、 客観的証明を欠けるを知る。 しかして、 客観的証明は余が哲学に対する意見より逐次論及せざるを得ざれば、 他日、 余がいわゆる哲学を発表するをまちて見るべし。 かつ巽軒博士の意見も大我の声を証明するに、 ただ吾人が内に感ずるの主観的事実のみをもってせられたるは、 客観的証明を欠くといわざるを得ず。 ゆえに、 余はこれに対して主観的証明のみをもっ て答うれば足ることと信ぜり。
博士は元来漢学の素養あり、 加うるに文筆の才に富み、 一編の小論文といえども、 法あり則あり、 花あり実あり、 ひとたびこれに接すれば、 人をして花園に入るがごとき思いをなさしむ。 これに反して、 余は漢学の素養に乏しく、 ことに文芸の学を修めず、 その文章の醜劣なる、 人をしてブタ小屋を見るの感を抱かしむ。 行文中、往々田夫野人の語を交え、 長者に対して敬意を失するのきらいあり。 しかれども、 巽軒博士は学者的広量を有する人なれば、 神田ッ子的語調あるをもって、 決して不快の念を抱かざる人なることを信ず。 ここに謝罪の一言を陳じて、 もって「あなかしこ」に代うるなり。
三 漢字教授法の改新を要す
近来、 国字改良論とともに、 漢字排斥の声ようやく高く、 その勢い、 漢字の命脈にも関する一大危機を生ずるに至れり。 今その起因するところを考うるに、 一、 二にしてとどまらずといえども、 維新以来、 諸学の進歩とともに、 諸科の教授法その面目を一変せるにもかかわらず、 漢字の教授法は依然として旧風を改めず、 規則なく、順序なく、 ひくきより高きに進み、 易より難に移るの階梯を立てず、 最初より難読難解の文字を教え、 もって児童を苦しめたる事実がその一原因たりしことは、 けだし疑いなかるべし。 果たしてしからば、 今日の漢字排斥論は、 まさしく漢字革新の声としてこれを歓迎せざるを得ず。
さて、 漢字革新の第一着手としては、 漢字教授法の一新を実行するを要す。 しかして余がこれに対する意見は、 左の三段の調査より始めざるを得ずとなす。
第一は、 西洋人が漢字を学ぶに、 いかなる順序方法によるやを調査するを要す。
第二は、 博言学上より漢字の起源発達を調査するを要す。
第三は、 漢字そのものの性質組織を調査するを要す。
この三段の調査中、 第三の漢字の性質組織を調査するは、 今後の漢字教授上に最も要するところなり。 そもそも漢字は象形文字にして、 かつ多くは数字複合して成る故に、 いちいちこれを分解すれば、 その文字の意味おのずから相分かり、 したがって記憶するに容易なり。 例えば「本」「末」の文字のごとき、 木の本末より起こりたるものなれば、「木」の字の上方に一画を引けば「末」の字となり、 下方に一画を引けば「本」の字となる。 また、 木の相並ぶを「林」とし、 相重なるを「森」とし、 日月の相並ぶを「明」とし、 日の重なるを「晶」とし、火の重なるを「炎」とするがごときは、 みな分解によりて、 その意おのずから知るべし。 あるいはまた「旦」の字のごときは、 地平線の上に日の昇りたる形にして、「夕」の字のごときは、 三日月の傾きたる形なり。「忠」の字は中心の義にして、「孝」の字が老人に奉事する形を表するなり。「字」の字は、 子たるものが家の内にありて教えを受くる形をあらわし、「男」の字は、 人が田圃にありて力作する形を示す。「婦」は女子が 帚を取りたる形にして、「嫁」は女子が家を持ちたる形なり。「正」は「一」と「止」とを合したる字にして、「一」を守りて動かざる義なり。「王」は天地人の三つを縦に一貫したる形なり。 あるいは水の青きを「清」とし、 日の青きを「晴」とし、 火の上に肉を加えたるを「炙」とし、木の古きを「枯」とし、女の卑しきを「婢」とし、心の生ずるを「性」とし、土上に人の並ぶを「坐」とし、木の上に鳥を加えたるを「集」とするがごとき類は、実に枚挙にいとまあらず。ゆえに、今後の研究において、第一に、象形より起こりたる文字、 例えば木・水・火・心・日・月・禾・艸・竹・馬・魚・鳥のごとき文字を集めてその表を作り、第二に、複合より成りたる文字、 例えば明・炎・忠・孝のごとき文字を集めてその表を作り、 第三に、 例外に属する文字を集めてその表を作り、 前後比較対照して講究するときは、 必ず若干の規則を考定することを得べし。 例えば侍・待・持のごとき、その間になんらの関係なきがごときも、「侍」はもと寺人と称し、 人の側に侍するものを義とすれば、 侍・待・持の三字ともに、 寺の意よりその義の生ずるを知るべし。 ゆえに、 今後の漢字教授法を定むるには、 まず漢字の性質、 組織を調査するを要するなり。
ついでながら今回の漢字制限説につきて、 余の心づきたる点を一言すべし。 一方において漢字を制限し、 小学児童に課するに千字以内をもってするも、 他方において地名、 人名等に制限を置かざるは、 撞着の評を免れ難し。 ゆえに余は、 漢字制限にさきだちて、 地名、 人名の制限を実行するの必要ありと信ず。 まず地名につきては、 読みにくき文字はこれを改め、 かつその字数を限るべし。 人名も一定の文字に限ることとなすべし。 例えば余が人名を定むる法は、 今日世間に用いきたる実名を数千数万と集めきたり、 その中に最も多く用いらるる文字はなになるかを統計して、 およそ五十字を選定し、 これを二字ずつ結び付けて人名を定むることとなすべし。 また、 苗字を定むるも、 かくのごとくしておよそ五十姓を限るべし。 すでにこれを定めたる上は、 現今の人をしてひとたびその名を改めしめ、 今後生まるる人は必ずその規則に従わしむべし。 そのほか、 これに対する余が意見は、 他日をまちてさらに詳述することあるべし。
以上は、 余が志州巡回中、 某氏の問いに答えたる談話の一端なり。
四 相撲玄談
余、 幼時相撲を好み、 長じてまたこれを見ず。 近年相撲大いに流行し、 都鄙いたるところ相撲を談ぜざるはなく、 新紙また毎度その勝負を記して批評を下すに至る。 実にさかんなりというべし。 他国に相撲に類したるもの全くこれなきにあらずといえども、 古来相伝わりて一種の儀式をなし、 朝野その別なく争ってこれをみるは、けだしわが国に限る。 ゆえに、これを日本特有の遊戯と称して可なり。 余、 かつて相撲の玄理を論じ、その果たして社会に存すべきものなるや、また人情必ずこれを好むものなるやを究めたることあれば、 ここに愚考の一斑を略述し、 読者の評を待たんと欲するなり。
わが国、 当時相撲を業とするものいくたあるを知らずといえども、 その数、 千百人にとどまらざるは明らかなり。 これに費やすところのもの、 また決して少なきにあらず。 あるいは一人にして数百金を投与し、 はなはだしきはこれがため身代を傾け、 財産を失うもの往々これあり。 人、 もとより利害得失を知らざるにあらず。 しかるに、 かくのごとき巨額の金を相撲に費やしてさらにかえりみざるは、 果たしていかなる理由ありてしかるや。 これ、 あるいは人情のやむあたわざるに出ずるか、 はたその費やすところに相応したる利益あるによるか、 深くその原因を考えざるべからず。 余はここに心理学上、 人に相撲を好むの情あるゆえんを論じて、 その社会に存すべき理由を述べんとす。 ゆえに、相撲の縁起、 由来、 儀式等は、これを近ごろ俗間に行わるるところの『相撲大全 』『相撲秘鑑』等の書に譲り、 余はただ人心のこれに感動するゆえんを示さんとするのみ。
およそ人の相撲を好むは、 そのよく人に快楽を与うるによる。 快楽は人の情の感動より生ずるものにして、 苦をいとい楽を好むは、 また人情の常則なり。 ゆえに、 人すでに情を有すれば相撲を好み、 相撲を好めばこれに金銭を費やすも、 もとよりそのところなれども、 いかにして人情の相撲に感動して快楽を生ずるに至りしや、 いまだ知るべからず。 もしその理を知らんと欲せば、 心理学上、 心性の作用および人情の性質を論ぜざるべからず。
心性は大いに分かちて知情意の三種となす。 知感、 情感、 意志と称するものこれなり。 情感は、 あるいは分か ちて感覚、 情緒の二種となすことあれども、 ここにただ情緒の種類のみを挙ぐるをもって足れりとす。 情緒は、 これを細別して十種または十二種となす。 今、 十二種の分類法によりてその名目を挙ぐるに、 驚・愛・怒・懼・我・力・行・同・知・美・徳・宗の十二情これなり。 また、これを分かちて単、複の二類となす。 驚・愛・怒・懼・我・カ・行の七情は単情なり、 同・知・美・徳・宗の五情は複情なり。 複情は単情の相複合して生ずるところにして、これを高等の情緒となす。ゆえに、その情は知力のすでに発達したるものの有するところなり。しかして、 単情は知力のいまだ発達せざる小児および野蛮人ひとりこれを有するのみならず、禽獣なおそのいくぶんを有するを見る。ゆえに、これを下等の情緒となす。この下等の情緒の次第に発達して、高等の情緒を生ずるこれを情緒の進化という。今、相撲の情はそのはじめ単情より起こるは疑いをいれずといえども、 すでに今日にありては他の情のこれに加わるありて、一種複雑の情緒を生ずるに至るは勢いのしからしむるところなり。
まず余は、 相撲の情は七種の単情中いずれより起こるかを考うるに、 たやすくその情の力情より生ずるを知るべし。 力情とは勢力、 権威の情にして、 すなわち人とその力を較して、 自らその優を知るときは喜び、 劣を見るときは不快を感ずるの情をいう。 これに体力の比較と心力の比較との別あり。 腕力相競うは体力の比較なり、 論理相争うは心力の比較なり。 またその比較に、 自身の比較と、 自と他の比較と、 他と他の比較との三種の別あり。 まず第一種の自身の比較とは、 自身になしたるある一事を、 他の一事に比較して楽しむをいう。 例えば、 昨日一日間になしたる事業よりは、 今日は一層多量の事業をなしたるを見て自ら喜ぶがごとし。 つぎに第二種の自と他の比較とは、 直接に自身になしたることと他人のなしたることを照合比較して、 優劣を見るの類をいう。 第三の他と他の比較とは、 他人と他人の互いに相競争するを見て、 自ら快楽を感ずるの類をいう。 まず、 かくのごとく相定めて相撲の情を考うるに、 その情は体力比較の力情にして、 他と他の比較より生ずる情なること言をまたず。しかして、他と他の比較より生ずるは、 相撲を見るものすなわち見物人に限り、 相撲に当たるものすなわち相撲取りは、 自と他の直接の比較なること、 また問わずして知るべし。 今、 余の意はもっぱら見物人についてその情を論究するにあるをもって、 ここに他と他の比較の起こるゆえんを述ぶべし。 しかるに、 他人と他人との間に力を較するを見て自身に快を感ずるは、 その実、 自身と他人との間に力を較するの情より起こるをもって、まず自身と他人と相競争して自ら勝を取るときは快を覚え、 敗を取るときは不快を感ずるゆえんを、 第一に論ぜざるをえざるなり。
そもそも人類は動物より進化してきたりたるは、 今日の実験すでに明らかにして、 さらにここに証するを要せず。 たとい、 もし動物よりきたらずとするも、 現今の開明社会はそのはじめ、 無知、 愚鈍、 野蛮、 腕力人種より変遷してきたるの理、 決して疑うべからず。 果たしてしからば、 今日の人民の有するところの情緒も、 野蛮人の有するところの情緒より進化してきたるや、 すでに瞭然たり。 かつその進化してきたるは、 事情のやむをえざるものあるによるや、 また明らかなり。 ゆえに今、 力情の起源を論ぜんと欲せば、 まず上古の野蛮人種について、その事情を究めざるべからず。
野蛮人種のいまだ社会を団結せざるに当たりて、 人もしその生存を全うせんと欲せば、 自ら他人に対して競争せざるべからず。 ひとたび競争すれば、 その力の強きものは勝ち、 弱きものは敗るるは自然の勢いなり。 いわゆる優勝劣敗、 弱肉強食これのみ。 ゆえにこの際にありては、 腕力の強きものひとり利を占め、 弱きものはほとんど生存することあたわざるは自然の理なり。 当時、 腕力の必要推して知るべし。 かつ、 人の苦楽は利益と常に相連結して、 その一身の生存に利あるものは快楽を感じ、 その生存に害あるものは苦痛を感ずるを常とす。 しかして、 その苦を避けその楽に就かんとするは、 また人の常性なり。 人にこの常性あるは、 その実、 進化の事情にほかならず。 およそ進化の際、 その一身に経験して生存上利あるものはこれに触れて快楽を感じ、 これに触れて快楽を感ずるときはその方に就かんとし、 その方に就くをもって一身の生存を全うし、 一身の生存を全うするをもって、 その子孫後世に永続するに至るなり。 もしこれに反して、 その生存に利あるものは苦痛を与えて、 人をしてかえってこれを避けしめ、 その害あるものは快をきたして、 かえってこれに就かしむるに至らば、 生物は一日も生存すべからざるは自然の勢いなり。 すでにその一身生存すべからざるときは、 その子孫の後世に伝わるべき理なきもまた瞭然たり。 これによりてこれをみるに、 今日の人民はその今日に永続する以上は、 そのはじめ生存上の利害と感覚上の苦楽と連結したる事情ありしによること疑いをいれず。 すなわち、 その生存に利あるものはこれに触れて楽を生じ、 害あるものはこれに接して苦を感じ、 その楽に就きその苦を避くる性ありしをもって、今日に永続生存するに至りしなり。 ただし、 その初期にありては利害と苦楽の関係、 今日のごとくはなはだしからざるのみ。 しかれども、 その傾向ははじめより存すること疑うべからず。
以上挙ぐるところの事情によるに、 腕力の強きは野蛮時代の生存上欠くべからざるものにして、 他人と競争して勝を占むるは、 長育繁殖上必要なる事情なり。 ゆえに、人の進化自然の勢い、その力強くしてよく他人に勝つときは自ら快を感じ、その力弱くして敗を取るときは苦を感ずるの性を養成するに至る。 これ、人に力情の起こるゆえんなり。
すでに自身と他人との間、 その力を較して苦楽を生ずるの理を知らば、 相撲取りの勝を得て喜び、 敗を取りて哀れむゆえんを知るのみならず、 見物人の他人と他人との間にその力を較するを見て自ら楽しむゆえんも、 また知ることを得べし。 しかれども、 見てこれを楽しむはひとり力情のみによるにあらず、 同情の多少これに加わるを要するなり。 ゆえに、 ここに同情のいかんを論ぜざるべからず。 同情とは同感同憐の情にして、 人の快楽を見て自ら喜び、 人の苦痛を見て自ら哀れむの情をいう。 けだし、 人にこの同感の情を生ずるに至るは、 そのはじめ他人の外貌、 挙動を模倣するによる。 これを模倣して同感を生ずるは、 外貌と内情の連合するによる。 例えば、 喜ぶときは笑い哀れむときは泣くがごとく、 喜哀おのおのその固有の外貌を有するをもって、 笑顔を模倣すれば喜の情伴って起こり、 泣き声を模倣すれば哀の情伴って起こるをいう。 かつ、 内情はたいていその苦楽の情況を外貌に発現するをもって、 ほかよりその外貌を一見して情中の苦楽を推量すべし。 これをもって、 他人とともにその苦楽を同感するに至る、 これを同情という。 この同情あるをもっ て、 他人と他人の力を較するを見て自ら力を較するの思いを生じ、 その勝を取るを見て自ら快楽を感起するに至るなり。 ゆえに、 他人の相撲を見て自ら快楽を覚うるは、 多少この同情の存するによる。
これによりてこれをみれば、 相撲の情は単情中の力情に起こり、 単情中の力情は野蛮人種の生存競争より起こり、 他人と他人との間に力を較するを見て自ら快楽を感ずるは、 同情のこれに加わるありて、 自身と他人との間に力を較すると同一の情をひき起こすによるものと知るべし。 かくのごとく、 相撲を見るの情はすでに同情のこれに加わることあるをもって、 これを自ら相撲を試むるに比すれば、 やや複雑なる情と称して可なり。
以上は相撲の情の起源を述べたるに過ぎず。 もしその発達を考うるときは、 力情のほかに他の種々の情緒の相加わるありて、 一種複雑の情を構成するに至るを知るべし。 しかして、 その発達に最も要するところのものは同情と美情なり。 同情は、 相撲の情のはじめて生ずるに、 すでにその必要を示すのみならず、 その発達の際また欠くべからざるものなり。 今その理由を示すに、 生来いまだ一回も相撲を見たることなく、 また自らこれを試みたることなきものは、相撲を好むの情いたって薄きはもちろんにして、たといすでにこれを経験するも、相撲取りの性質気風を知らざるときは、これを見て快楽を生ずることまたすくなし。もし、これに反して数回相撲を経験し、 かつ相撲取りの性質を熟知するときは、その勝を見て快を感じ、その敗を見て不快を覚うること一層はなはだしく、その情たといこれを見ざらんことをつとむるも、ほとんど禁止すべからざるに至る。これ、 他なし。 同情の発動の強弱によるなり。 すなわち、最もよくその人の性質を知れば、同情のこれに感ずる最も強く、よくその性質を知らざれば、これに感ずるはなはだ弱きの規則によるなり。
同情のほかに相撲の情を助くるものは美情なり。 美情とは審美の情にして、 天造および人為より成るものの、美麗、 壮大、 温柔、 端厳の現象を見聞して起こるところの快楽の情をいう。 しかして、 その人為になるものはこれを美術と名づけ、 絵画、 彫刻、 建築、 音楽、 詩歌の類を総称するなり。 今、 相撲は人のなすところなるも美術にあらず、 その身体の壮大なるもその挙動の適応するも自然に生ずるものなるをもって、 これを天造の美に属さざるべからず。 しかれども、 相撲は人術にして全く人為を離れたるものと断定し難きをもって、 今はしばらくこれを天造、 人為の相合して成るものと仮定し、 そのよく美情を動かすゆえんを述ぶべし。 ここに一人の相撲取りあり、 その身体弱小にして美大ならず、 その手足各部分の釣り合いはなはだよろしきに適せず。 出でて敵手に相対するに当たり、 その進退挙動いたって整わず、 その術を用うるはなはだつたなきときは、 これを見てさらに快楽を感ぜず。 もし、 その身体美大、 手足挙動みなそのよろしきに適するときは、 これを見て一層の快楽を生ずるは、 全く美情の発動による。 ゆえに、 相撲の快楽はただ力量を較するのみに帰すべからずして、 そのよく人の美情を動かすより生ずるゆえんを知るべし。 すでに今日にありては、相撲場へ種々の装飾をなし、相撲取りの種々の修飾を用うるは、 全くこの理にほかならざるなり。
相撲の情は、 力情のほかに同情および美情の相加わるのみならず、 驚情、 愛情、 我情、 行情等のまた相加わるを見る。 驚情とは、 常に見ざる異物に触れて驚き、 予想外の事に接して驚く等の情にして、 新奇を好むの情もまたこの中に属す。 すなわち、 相撲には種々の肥大の男子相会して、 種々の術を尽くして争って、 もって新奇を好むの情を動かすはもちろんにして、 その容貌、 挙動の人の愛情を引くも自然の勢いなり。 相撲取りの体小に力弱くして敗を取るも、 かえって人に愛せらるるものあるは、 この愛情を惹起するによるや明らかなり。
もしまた、 相撲に当たるものについてその情を考うるときは、 我情、 行情の大いにその快楽を助くることあるを見る。 まず我情とは自高、 自慢、 自重、 自責の情にして、 他人とその力を較して勝利を喜ぶもまた、 この情の存するによる。 これを見るものいよいよ多く、 その名を呼んで称する声いよいよやかましければ、 自身は一層の勢力を発していちだんの快楽を加うるもまた、 この情の発動にほかならず。 つぎに、 行情とは行為上その期するところの目的を達せんとするの情にして、 相撲をなすもまた、 この情の一つなり。 けだし、 この情の生ずるには、 その達せんとする目的の必ず達すべきやいなやのいまだ判定せざるを要す。 すでにその成否判定すれば、 これより生ずる快楽もまた、 いたって薄きは必然なり。 今、 相撲もその勝敗前定し難きをもって、 これを試みんとするの情したがって強きなり。 もし、 その必ず勝つを知り、 また必ず敗るるを知るときは、 これを試むるの快楽またすくなきこと明らかなり。 かくのごとく、 相撲に当たるものすでにこの行情の存するありて、 ますますこれを試みんとするの快楽を生ずれば、 これを傍観するものも同情の作用によりて、 我行両情より生ずるところの同味の快楽を感起することを得べし。
その他、 相撲を見るものの快楽を助くる事情は、 連想および想像の作用なり。 この作用はまさしく情緒作用にあらずして知力作用の一部分なれども、 情緒の発動に必ず伴って起こるものなり。 情緒複雑にわたれば、 ますますこの作用のその中に加わるを見る。 まず連想とは、 思想の連合して一思想の起こるあれば、 これと連合せる他の思想の伴って起こる作用を、 これを見るの際、 人をして種々の思想を連起せしむるは必然なり。 しかして、 人の思想おのおのまた異なるをもって、 相撲を見て起こすところの思想は、 もとより同一ならざるべし。 例えば、商法家はこれを見て商業の競争を思い、 武人はこれを見て戦争の勝敗を思い、 政治家はこれを見て国家の盛衰を思うがごとく、 その思うところ人によりておのおの異なり、 詩人はこれによりて詩を思い、 画工はこれによりて画を思うも、 みな連想の作用なり。 人にこの作用あるをもって、 大いに相撲を見るの快楽を助け、 一層これを好むの情を進むるなり。 つぎに想像とは、 これに再現想像と構成想像との二種ありて、 再現想像とは、 今年の相撲を見て昨年の相撲を想出するの類なり。 構成想像とは、 いまだかつて見ざる相撲を想像するの類なり。 この二種の想像によりて、 また大いに相撲を見るの愉快を増進すること、 また疑いをいれず。
これを要するに相撲の情は、 力情、 同情、 美情、 驚情、 愛情、 我情、 行情、 連想、 想像の多少相加わりて生じたる一種複雑の情なり。 しかれども、 その情はじめより複雑なるにあらず。 そのはじめは単純の力情に起こり、知力とともに進んで次第に複雑に至るものなり。 ゆえに、 その初期にありては自身と他人との間に力を較するにとどまりて、 他人と他人の間に相争うを見て楽しむことなし。 ようやく進んで他人の間に相争うを見て自ら快楽を感ずるに至るも、 いまだ美情および想像等のこれに加わるを見ず。 美情および想像のこれに加わりて複雑の情を構成するは、 多少人知の発達したる後にあること明らかなり。 この順序は小児の発達を見て、 なおその一斑を知るべし。 小児は四、 五歳のとき、 すでに自ら相撲を試むるの愉快を知るも、 いまだ他人の相撲を見て楽しむを知らず。 諺にいう「また負けた孫と親父の相撲かな」とは、 小児の自身と親父の間の相撲をいうなり。 しかして、 他人の間に力を較するを見て自ら喜ぶは六、 七歳の後にあり、 美情、 想像のこれに加わるは十一、 二歳の後にあり。これをもって、 相撲の情の漸次に発達して、 単純より複雑に赴くゆえんを知るべし。
以上論ずるところによるも、 相撲は人の情緒を動かすのみにして、 知力に関するものにあらず。 たとい一、 二の連想および想像のこれに伴うあるも、 決して論理、 推論の力を要するものにあらず。 ゆえに、 その進歩また決して知力の発達を助くるものにあらざること瞭然たり。 ただ、 人の情を動かして快楽を生ぜしむるに過ぎざるものなり。
しかれどもまた、 あえて相撲は野蛮世界の風俗にして、 これを今日の社会に存するは全く無益なりというの理なし。 人もし、 終身労苦して愉快を求むることを要せざるものあらば、 相撲のごとき遊戯を存するは無益に属すること言をまたずといえども、 人、 労苦せんと欲すれば必ず愉快を求めざるべからず。 かつ、 人の目的とするところ快楽、 幸福を増進するにある以上は、 幸福、 愉快を助くるの芸術、 風俗は、 必ず社会に存せざるを得ざるは理の当然なり。 今、 相撲は人の知力を発達せしむるの力なきも、 人の情を動かしてその快楽を感ぜしむるの力あるは疑いをいれず。 果たして人の快楽を助くる芸術たる以上は、 これを社会に存するは無益の遊戯にあらざること、 また明らかなり。
およそ人の生存に必要なるものは、 自身の健全およびこれを支うる衣食住を第一とし、 一家の生産、 一社会の独立これに次ぎ、 遊興遊芸またこれに次ぐものなり。 相撲は遊興遊芸の一種たるを免れずといえども、 人の生存に必要なること、 決して疑うべからず。 ゆえに余は、 相撲は社会に益あるものなりといわんとす。 しかれども、その益は果たして毎年これに失うところの費用をあがなうに足るかいなやにいたりては、 余が知らざるところなり。 なんとなれば、 人の快楽、 幸福は、 金銭上その価を算定すべからざればなり。 しかれども、 かの相撲のために家産を傾け生業を失うがごときは、 もとよりその度を失するものにして、 ここに論ずるを要せざるなり。
人あるいはいわく、 人の快楽を助くるもの相撲に限るにあらず、 演劇あり講談あり音楽あり詩文あり、 その類はなはだ多し。 なんぞ必ずしも腕力競争の相撲を社会に存せざるを得ざるの理あらんや。 余おもえらく、 しからず。 人の情はおのおの異にして、 甲を喜ばしむる遊芸をもって乙を楽しましむることあたわず、 乙を楽しましむる美術をもって丙を喜ばしむることあたわず、 その情すでに一ならざれば、 これを動かす芸術もまた数種なからざるべからず。 ゆえに、 人をしておのおのその情に満足を抱かしめんと欲せば、 つとめて多種類の芸術を社会に存せざるを得ざるなり。 かつ、 相撲はそのはじめ単純の腕力を愛するの情より出でたるも、 今日はすでに多少高等の情に属するに至り、 これを見て生ずるところの快楽は、 必ずしもほかの遊芸にしかざるにあらざれば、 あえてこれを野蛮の遺俗なりといって擯斥するの道理あらんや。
余、 かくのごとく相撲の世に益あるゆえんを述ぶるも、 ただそのよく人に快楽を与うるをいうのみ。 しかるに、 世の相撲を主唱するの徒は、 相撲は体力を養い、 勇気を励まし、 武力を進め、 人をして柔弱卑屈の風に流れしめざるの益あり等と喋々すれども、 余は決して直接にかくのごとき益なきを信ず。 自ら相撲を試むるときは体力を養成するの益あるも、 他人の相撲を幾年間見るも、 これを見るのみにして自身の体力を進むるの功なきは必然なり。 もしその起源にさかのぼり、 古代の相撲のごとき単純の腕力競争にして、 敵手を搏殺するがごときにいたりては、 あるいは武気を催進するの実功なきにあらざるも、 すでに今日にありてその形大いに変遷して、 巧みに勝を争うの技術にわたり、 力情のほかに美情を動かすに至りたるをもっ て、 勇気を鼓舞することあたわざるは必然なり。 この勢いをもって進むときは、 将来ただますます美情を養成するに至らんのみ。 ゆえに余は、 相撲の益は人の情を動かして快楽を生ぜしむるにとどまるというなり。
五 孔孟の教え、 これより興らん
今日、 世人は一般にいうめり。 現時学問の日に開け、 知識の月に進歩するは、 もとより疑いなしといえども、道徳礼節の一段にいたりては、 世間一般退却の状態あり。 かえって維新前に至るまでは、 この道の行われたるもの多かりしも、 その知識、 学問の進むにつれて、 いよいよ退歩しきたりたりと。 これけだし、 今時世間一般の世論なるべし。 ここにおいて、 世人はようやくこの衰えたる道義を起こし、 再び維新前のありさまに回復し、 さらになお一層その歩を進めんとすること、 また一般の世論として、 教育社会の一問題となりきたり、 盛んに道徳の改良進歩の方法につきて、 おのおの講究するところあり、 その意見を明らかにし、 その説を公にせり。 そもそも教育上において目的とするところは、 もと知徳の並行兼全にあり。 しかるに、 現に今日に至るまでは、 知育ひとり進んで徳育わりあいに進まざりしかば、 徳義の衰頽ということは、 世間上においても、 教育上においても、ともに注目するところとはなりしなり。 しかして今日現在の問題として、 紛々いまだ決せざるところのものは、 その道徳はいかなる主義を取るべきかのことこれなり。 あるいは東洋的の道徳主義によるべしといい、 あるいは西洋主義しかるべしといい、 あるいは宗教道徳を取れといい、 あるいは学術的道徳を取れといい、 または孔孟に、または仏教に、 もしくはヤソ教にと、 擾々唱え論じて岐路に迷惑し、 いまだ一定の方法を見いださざるもののごとし。 余輩、 今その論の局外にありて、 これら互いに相論駁するところを傍観するに、 けだし、 いまだ道徳そのものの性質を知らざるものなきにあらざるなからんやの感想あり。 なんとなれば、 今日社会の要求するところのいわゆる道徳なるものは、 現に理論にあらずして実際にあるにあらずや。 もしそれ、 道徳を学術上より研究し、その本体に論及して、 良心の本源、 善悪の標準を求むるがごときにいたりては、 これ道徳の学術、 いわゆる倫理学の範囲に属し、 しかして維新以来、 衰頽退却せるところの道徳は、 これら理論の部にあらずして、 事の実際にあり。 果たしてしからば、 その挽回策を講ぜんがために、 これを理論上より是非し、 論難し、 その主義を争い、 欠点を数うるも、 畢竟、 現在の匡救になんの益かあらんや。 今日の衰頽を極めたるは、 実にその理論の部にあらずして実際の部にあり。 いな、 世の学術知識の進歩とともに、 理論の部に関しては、 むしろその発達を見るものはなはだ多し。 しからばすなわち、 今や余輩の取るべき最良法は、 ただ主義上の争論をやめ、 よろしく自己の身に体して着実に履践するをもって、 第一の務めとなさざるべからず。 もしそれ、 余の言にして果たして信ずべく、 世間の道徳は実行の上において退歩したるが故に、 今日の矯正法もまた実行の法を取らざるべからずとすれば、 余輩は今、 特に世の論者に向かいて一言せざるべからざるものあり。
今日、 一般書生社会に行わるるところの道徳上の思想を察するに、 けだし、 みなこの輩おもえらく、 わが国は昔時よりして孔孟の道広く行われ、 維新前に至るまでこの道義社会を支配し、 わが国人の行為を監督しきたりたり。 しかれども学術進歩の今日に至りては、 その説くところ学術的の価値なきのみならず、 孔子は遠く二千五百年以前の人なり。 この古代の人をもっていたく今日よりこれを崇敬し、 その説ける最古の道徳説を今日に実行せんと欲するは、 これ固陋因循のこと老人的のことなり。 いやしくも今日文明の学術知識の一端たりとも、 これを了知したるもののなすべきことにはあらざるべしと。 しかしてかつ曰く、 けだし、 孔子はいまだ道徳上の理論原理を知らず、 しかのみならず、 孔子はいまだ万般の学に通ぜず、 物理、 化学、 天文、 数学、一つもこれに精なるなし。 孔子は地の円なるを知らざりき、 水の成分を解せざりき。 しかるに、 余輩はすでに明らかにこれを知れるにあらずや。 余輩すでに孔子に勝るものあり、あにあえて孔子を師とせんやと。 今日の青年学生輩の、 これらの論説のためにあやまたるるもの実に少なからず。 彼らはいまだ孔子のその道を説きたる本意を知らざるなり。 もしそれ、 倫理学としてこれを見んか。 もとより欧米大家の説に比して、 決してこれを完全なりということあたわざるなり。 かつ、 孔子の世に出でたるときに当たり、百科の理学いまだ起こらず。その設ける書中、これらに関していうところなしといえども、これむしろ理論上のことにして、 実際上のことにあらず。 孔子の学は学術とし、 理学としてはまことに不十分ならん不完全ならん。しかれども、孔子の本意は理論にあらずして実行にあることを知り、 孔子その人は理論家にあらずして実行家なりとしてこれを考えきたらば、 余輩はその道をもって、完全なり十分なりとして、 あえて差し支えなきを信ずるなり。 孔子は春秋戦国の際に生まれ、 世人の実行を忘れて理論の一方に走るの弊あるを嘆じ、 これを矯正せんがために、 自ら進んでその衝に当たれるものにして、理論理屈によりて世に勝たんとしたるものにあらず。 実践躬行をもって人に示し、 世の模範となりたるものなり。
そもそも世を治めんと欲するには、 決して単に理論のみによりてこれをよくし得べきものにあらず。 孔子の世に出でたる時代は、 あたかも世人のいたずらに言論に流れ、 ようやく利欲にはしり、 道義実行の道、 世に廃頽したるのときなり。 孔子これを見て、 一国のためにも、 一家のためにも、 これを匡正挽回するの必要を感じ、 自ら進んでこれを救わんとしたるものにして、 これ実に孔子の目的なり。 昔時ギリシアの古代にありても、 なおこれに類するものありき。 その国、 学術の興起してその盛を極めたるや、 ついには書生輩の空論にはしり、 その言の巧妙はすなわち巧妙なるも、 一国一家に対して、 毫も実際の上に恰当なるものなし。 すなわち、 詭弁学派の徒これなり。 大賢ソクラテスは、 実にこの際に出でてこれを矯めんとしたるものなり。 ここにおいてか、 もっぱら倫理の学を唱え、 実際道徳の道を世に明らかにし、 天下の学風これより一変し、 学問の道またいよいよ盛んなるに至れり。 爾後、 プラトン、 アリストテレス相ついで世に出でてこれを祖述し、 その義ますます詳細を極めたりしが、 その極みまた流れて懐疑学派となるに至れり。 これ、 ギリシアの学術退歩の原因にして、 また国家衰頽の原因なりしなり。 理論の弊は、 実にギリシアの国勢と文明とを一時に地におちしめたり。 もって社会の進歩は、 単に理論によるべからざるを察すべし。 孔子、周末に生まれて修身斉家、 治国平天下の要道を説き、 仁義忠孝の旨を明らかにしたるも、また一にここにありて、 一国一社会の安全幸福を目的としたるものなり。 しかるに世人はこれこれを知らずして、その説をもって一種の学術とし、一科の倫理学を講述するものとす。 あにその当を得たりとなさんや。 余輩はただ孔子を目して実行家とし、 その説の完全を称し、 その人の大聖たるゆえんを見るのみ。 今日の学生は、 だれにてもみな物理の学、 天文の学を知り、 その理論孔子に倍蓰すると仮定するも、 実行家として果たして孔子と相比すべきものあるか。 余輩は断じてそのしかるなきを知るのみならず、 今日の人にして理論においては、 あるいは孔子に数歩を進めたるものあるべきも、 実行は孔子の十分の一、 百分の一に当たることのなお難からんことを信ずるなり。 ゆえに、 余輩は実際の点より孔子を尊崇し、 これを模範として、 せめてその十分の一、 百分の一に近づかんことを企てざるべからずといわんとす。
かくのごとく考えきたりて、 孔子一家の道徳説を『論語』一巻の中に求むるに、 そのいうところ二千五百年のいにしえにありて、 すでに今日わが国現時の弊害を洞察して示すところあるもののごとく、 誠にたまたまあたるところあるなり。 今、 まず今日わが国の弊風をたずね、 徳義のいかなる点において衰えたるかを考うるに、(第一)世間一般におもえらく、 今日の人はただ言語に巧みにして実行に疎しと。 地方青年の輩の、 東京に出で来たりて学ぶところあるや、 父もしくは兄もしくは親族、 みなともにその言論に避易するごときあるべしといえども、 実行に関しては、 かえって東京に遊学せざる父兄に恥ずべきもの多かるべし。 その人は東京を去りて家に帰るや、 果たしてよく一家の財を守り、 その資を増殖すべきか。 いな、 彼らはかえって多くはその財を破り、 その産をほろぼすにあらずや。 これ、 弊風の一なり。(第二)世人の学問は、 ただ実際に遠くして高尚至妙のもののみを喜び、 普通切実のことを好まず。 例えば哲学中においても、 高尚の部あり、 また普通の部ありといえども、 一般にその高尚のものを取りて、 普通のものを捨つることその常なり。 しかして、 その人果たして普通を明からめ、 しかる後これを捨てて高尚のことにもっぱらにするかというに、 決してしからず。 これまた当世の弊風なり。(第三)今日、 世間いったいに礼儀礼節の廃れたることはなはだし。 自由、 同権等の語を口実として、 実際修身の上において、 上を尊ばず、 徳者を敬せず、 礼節法度を軽んずるの風あり。 これまた、 今日の弊風と認めらるるところなり。(第四)つぎに今日の弊風として存するは、 世の開くるに伴って人情浮薄に流れ、 ただ利己主義にこれ傾き、 他を顧みざるの状あるに至りしことこれなり。 汽車の交通開けてより、 その地の篤実の風習ようやく廃れたることの例は、 いたるところにこれあることにて、 未開の山中に、 かえって質朴実着、 他人のためを思うの徳義存するは、 みな人の知るところなり。(第五)今日の人は昔人のごとく勉強すること少なく、 いたずらに奢侈に流れ、 身分不相応の歓楽をねがうの弊風あり。
以上五つは、 必ずや国をおこし家を盛んにするの道にあらざるはもちろんにして、 富国強兵、 あるいは殖産興業ということは、 もとみな徳義これが基礎となりて出でたるものにして、 畢竟、 かくのごとく徳義の衰えたる以上は、 富国強兵も全く空論に帰せんのみ。 けだし、 徳義は一方よりこれを解すれば、 富の資本なりというもあえて不可なることなし。 世人多くは、 金銭、 土地、 家屋等を指してのみ富といえども、 これ有形の富にして、 無形の富はなおそのほかにあるなり。 しかして、 徳義すなわちこれなり。 この富を資本とし、 しかるのち勉強すべし、一身一家を守るべし、 奢侈を慎むべし、 節倹をつとむべし、 礼節を本とし実行を主とすべし。 ここにおいてか、一家一国の富、 強兵の術、 得て講ずべし。 有形の富も、 みなこれより産出せらるべし。 しかるに、 この資本なる徳義にして、 今日かくのごとく失いたる以上は、 一国一家のため、 決してむなしく看過すべからざるなり。
今『論語』 中につきて見るに、 孔子の業にすでに今日の時弊を前見して戒めたるがごときもの、 その言はなはだ多し。 その例証一、 二を挙ぐれば、(第一)空論に巧みにして実行に切ならざるもののためには、 曰く、「君子 欲訥於言而敏於行」(君子は言に訥にして、 行いに敏ならんことを欲す)。 また曰く、「行有余カ則以学文」(行いて余力あれば、 すなわちもって文を学べ)。 また曰く、「賢賢易色事父母能竭其カ事君能致其身与朋友交言而有信雖曰未学吾必謂之学矣 」(賢を賢として色をかろんじ、 父母につかえてはよくその力をつくし、君につかえてはよくその身を致す。 朋友と交わり、 言いて信あらば、いまだ学ばずというといえども、 われは必ずこれを学びたりといわん)。 また曰く、「有徳者必有言有言者不必有徳」(徳ある者は必ず言あり、 言ある者は必ずしも徳あらず)。 また曰く、「子路有聞未之能行唯恐有聞」(子路、 聞けることありて、いまだこれを行うあたわざれば、ただ聞くあらんことを恐る)。 また曰く、「言忠信行篤敬雖蛮貊之邦行矣言不忠信行不篤敬雖州里行乎哉」(言忠信、 行篤敬ならば、 蛮貊の邦といえども行われん。 言忠信ならず、行篤敬ならざれば、 州里といえども行われんや)と。 孔門の十哲中、 徳行は顔回を推し、 学はすなわち子夏を推す。 しかして、 孔子第一に回を呼び、 最後に子夏を連ぬ。 曰く、「徳行顔淵閔子騫(中略)文学子游子夏」(徳行には顔淵閲子騫(中略)文学には子遊・子夏)と。 また、 もって孔子の実行を重んじたるを知るべし。その他、 孔子の実行を貴ぶの言、数うるにいとまあらず。 あるいは曰く、「其身正不令而行其身不正雖令不従」(その身正しければ、 令せずして行われ、 その身正しからざれば、 令すといえども従わず)といい、 また曰く、「文莫吾猶人也躬行君子則吾未之有得」(文はわれなお人のごとくなることなからんや。 躬をもって君子を行うことは、 すなわちわれいまだこれを得るあらざるなり)と。(第二)の弊に対しては、 高尚に流るるの人情を制せんがために、 曰く、「子不語怪力乱神 」(子、 怪力乱神を語らず)。 また曰く、「未能事人焉能事鬼」(いまだ人につかうるあたわず、 いずくんぞよく鬼につかえん)。 また曰く、「未知生焉知死」(いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん)と。 これらみな実際を旨とすべきを示せるなり。 また世人の、 人の説をききてこれをその身に省みるを知らずして、 ただちに他人に説かんとするの風を見て曰く、「道聴而塗説徳之棄也」(道を聴きて塗に説くは、 徳をこれすつるなり)。 また曾子の言に、「吾日三省吾身」(われ、 日に三たびわが身を省みる) と。(第三)の礼節なきを嘆じて、孔子のなせる言まことに多かるべきも、 特に『論語』 中の一、二を示せば、曰く、「博学於文約之以礼亦可以弗畔矣夫」(博く文を学びて、これを約するに礼をもってすれば、 またもって畔かざるべし)。 また曰く、「恭而無礼則労慎而無礼則葸勇而無礼則乱直而無礼則絞」(恭にして礼なければすなわち労す。 慎にして礼なければすなわち葸す。 勇にして礼なければすなわち乱る。 直にして礼なければすなわち絞す)。 また曰く、「能以礼譲為国乎何有」(よく礼譲をもって国をおさめんか、 なにかあらん)。また曰く、「非礼勿視非礼勿聴〔非礼勿言〕非礼勿動云云」(礼にあらざれば視ることなかれ、 礼にあらざれば聴くことなかれ〔礼にあらざれば言うことなかれ〕、 礼にあらざれば動くことなかれ云々)。 また曰く「上好礼則民易使也」(上礼を好めばすなわち民使いやすし)と。(第四)利己主義に関しても、『論語』中これを戒めたるもの、 もとより多し。「節用即愛人」(用を節してすなわち人を愛す)といい、「汎愛衆而親仁」(ひろく衆を愛して仁に親しむ)というがごとし。『論語』中に充満せる仁の義は、 ただこれ博愛の義なりとす。(第五)奢侈を戒めては曰く、「礼与其奢也寧倹」(礼はその奢らんよりはむしろ倹しやかにせよ)。 また曰く、「奢則不孫倹則固与其不孫也寧固」(奢なればすなわち不遜、 倹なればすなわち固なり。 その不遜ならんよりはむしろ固なれ)と。 また、 世の小利に心を注ぎ、 速成を喜び、 小成に安んずるもののためには、 曰く、「無欲速無見 小利欲 速則不達見小利則 大事不成」(速やかにせんと欲するなかれ、 小利を見ることなかれ。 速やかにせんと欲すればすなわち達せず、 小利を見ればすなわち大事ならず)と。 また、 世人のただ富貴これ求めて、 金銭酒色のほか、 また学を望まざるのさまあるが故に、 曰く、「不義而富且貴於我如浮雲」(不義にして富みかつ貴きは、 われにおいて浮雲のごとし)。 また曰く、「吾未見好徳如中好色者也(われいまだ徳を好むこと色を好むがごとくする者を見ざるなり)。 また曰く、「既庶矣又何加焉曰富之曰既富矣又何加焉曰教之」(すでに庶し、 またなにをか加えん。 いわく、 これを富まさん。 いわく、 すでに富あり、 またなにをか加えん。 いわく、 これを教えん)と。 また、 人の無気力不活発にして、 忍耐、 勉強の風なきがために、 曰く、「剛毅木訥近仁」(剛毅木訥は仁に近し)。 また曾子の言に、「士不可以不弘毅任重而道遠」(士はもって弘毅ならざるべからず。 任重くして道遠し)と。 また曰く、「見義不為無勇也」(義を見てせざるは勇なきなり)。 また曰く、「仁者不憂知者不惑勇者不懼」(知者は惑わず、 仁者は憂えず、 勇者は憚れず)と。 古来、 勇をもって三徳の一つとなす。 その勇を貴びたるもまた知るべし。
これらの言いちいち挙げきたれば、 切々わが国現時の弊に適中するを覚ゆ。 今日の弊を救うは実にこの道にあるかな。 かく言わば、 人あるいは余を目して、 孔孟主義なりとあざけり、 固陋なりと笑わんか。 しかれども、 もし儒教をして元来、 毫もわが国にあらざりしものならましかば、 ともあれ起源はシナにあるにもせよ、 わが国に来たりてすでに幾千年のいにしえよりわが人心を涵養し、 道徳を支配しきたり、 社会一般にその金言、 格言をそらんじおるほどなれば、 何主義という争いを用うるに及ばず、 また必ずしも孔孟主義としてこれを主張するに及ばず。 とにかく今日現時の弊害に適中するの点よりして、 必ずこれによることを要するなり。 たとい今、 孔孟の言語によらずとするとも、 必ずや時弊を救うがためには孔孟同様の実行説を取らざるべからざるが故に、 等しく同一の方法によるとすれば、 古昔在来の教え、 ならびに我人がこれまで暗記せる格言によりて、 これを挽回維持すること、 あにあやまてりとなすべけんや。 ただ余輩は孔孟の説を徹頭徹尾崇拝して、 十百ともに欠点なしとなすの頑固流にはくみせざるなり。 時異なり、 所異なり、 いかでいちいちこれを今日に適合せしむべけんや。
孔子もし今日世に出でば、必ず多少その説のさまを変じたるなるべし。 ゆえに余は、『論語 』 一部をもってことごとく今日に行うべしというものにあらず、 ただ今日に適中するものは取りてもって用うべしというにあり。ゆえに、 もし世に孔孟主義としてこれを取らば、 今日の上において不都合なりと思惟するものあらば、 必ずしも孔孟主義とせずして可なり。 余は、 必ずしも二千余年前の道徳説を取るものにあらず、 今日を救うの道徳説を取るものなり。 実際上、 徳義的のことは、 もとより人間全般に関するものにして、 一主義一局部に偏するものにあらず。 よって余は、 広く人間主義として孔孟説を主張するものなり、 今日の時弊を救うがために孔孟説を主張するものなり。 しかして、 かくのごとき道徳説は西洋にもあるべきも、 余はその説わが国に存する以上は、 そのものを取るは事の順序なりと信ずるものなり。 また、 わが国に存するものを、 ことさらにこれをすてて、 これと同様のものを他邦より入るるの必要なきことを信ずるものなり。 ゆえに、 余が孔孟説を取るも、 その説を十が十ながらことごとく取るべしというにあらず、 ただ今日の時弊を矯正するに適するものを取るべしというの意なり。しかるに世の孔孟主義を唱うるものは、 あるいは時と国との相違あることを察せずして、 十は十ながらその説どおりに実行せんとす。 ここにおいて、 世に反対論者を引き起こし、 その説の行われざるに至るなり。 もし、 その人にして当時の弊風を矯正するに適するもののみを取るに至らば、 その説世間のいるるところとなるは必然なり。 かつ今日の孔孟論者が、 その教えの実行にあることを説きながら、 一身の徳行の修まらざるもの往々これあるに至りしは、 畢竟その教えの今日に衰えたる原因ならん。 ゆえに孔孟学者が、 みな以上の点に注意してその教えを講ずるに至らば、 必ずふたたび隆盛の運を開くに至るべし。 ゆえに余は、「孔孟の教え、これより興らん」というなり。
六 妖怪学と心理学との関係
妖怪学と心理学との関係を述べんには、 まず妖怪学はいかなることを研究する学なるかを述べざるべからず。また、 妖怪学のなんたるかを知らんと欲せば、 まず妖怪そのもののいかなる義なるかを考えざるべからず。 ゆえに、 はじめに簡単に妖怪および妖怪学の定義を掲げて後、 本題に移るべし。
まず妖怪とは、 普通一般の解釈によるときは、 平常見聞せざる特殊奇異の現象に接せしときに与うる名称にして、 すなわち事物の異常変態に与うる名称なり。 しかれども、 単に異常変態のみをもって妖怪の定義となすべからず。 なんとなれば、 いかなる異常変態のものなりとも、 もしその道理にして一般の人知に考えて、 明らかに毫も怪しむべきところあるを見ざるときは、 これを名づけて妖怪となさず。 いわゆる妖怪とは、 必ず異常変態にして、 かつその道理の明らかならず、 その原因事情の知るべからざるところあるものに与うる名称なればなり。 今その例を示さんに、 人間は一般に両眼を有するものなり。 ゆえに、 もし生まれながらにして一眼のみを有するか、 あるいは生来盲目なるときは、 いわゆる異常変態なり。 しかれども、 古代の人はいさ知らず、 今日の人にありては、 決してこれを見て妖怪となさず。 また、 日食月食のごときも、 これ天文の変態異常なれども、 今日の人は決してこれを妖怪ともなさず、 しかも古代にありては 一般に日食月食をもって妖怪となせり。 これ、 なにゆえぞや。 けだし、 古代の人は日食月食の異常を見て、 その道理原因を解せざるより妖怪となしたれども、 今日はよくその理を知るをもってしからざるなり。 これによりてみれば、 妖怪とは異常変態に加えて、 不可知的あるいは不可思議の意味を一部分有することを知るべし。 しかして、 予が特に不可思議の一部分を帯ぶるものというゆえんは、 もし全然不可知的なるときは、 世間またこれを妖怪となさざればなり。 例えば、 宇宙の本体のごとき、神仏の本体のごとき、 あるいは無限の時間、 無限の空間のごとき、 そのなんたるかは吾人の知力もて知るべからざるものなれども、 世人はこれを名づけて妖怪となすことなし。 この故に、 妖怪とは異常変態にして、 多少不可思議の意義を有するものをいうなり。
しかるに、 そのいわゆる不可思議は真正の不可思議にあらずして、 人知の進歩の程度に応じて変ずるところの不可思議なり。 換言すれば、 絶対的の不可思議にあらずして相対的の不可思議なり。 これをもって、 古代の妖怪とするところは今日の妖怪にあらず、 今日の妖怪も他日妖怪にあらざることを知るに至らん。 例えば、 日食月食は古代の妖怪にして、 今日の妖怪にあらず、 また幽霊のごとき、 あるいは狐火のごとき、 なお今日多数の人は妖怪となせども、 これまた、 他日妖怪にあらざることを知るに至らん。 これ、 他なし。 世人のいわゆる不可思議とするところのものは、 その当時の知識に比較して定めたるものなれば、 知識一歩を進むれば不可知的は変じて可知的となり、 ついに昨日の妖怪は今日の常事たるに至るべければなり。 果たしてしからば、 世には真の不可思議なるものなきか。 曰く、 余は断じて人知いかに進むも、 到底知るべからざる真正の不可思議あることを信ずるものなり。 今日一般に妖怪とするものは、 他日に至らば知悉せらるべきものにして、 かえって今日妖怪視せられざるものが、 真正の妖怪となりて現るるときあらん。 ゆえに、 余は妖怪を二大別して仮怪と真怪となし、 今日の妖怪は仮怪にして真怪にあらずというなり。
今、 そのゆえんを考うるに、 今日世人の一般に認めて異常となすものは真に異常なるにあらず、 その実は尋常の事たり。 けだし、 この世界万有は一大理法によりて支配せられ、 物心万境の変々化々するところのものは、 決して二様相反の規則ありてしかるにあらず。 しかるを、 吾人いまだその大理法の存することを知らざるをもって、 一方には尋常のありさまを見、 他方には異常の状態を見、 もって妖怪と妖怪にあらざるとの二種あるがごとく考うるなり。 これを要するに、 世界万有の表面には、 尋常と異常、 すなわち妖怪、 非妖怪の別ありといえども、 その裏面にいたりては全く二者の別なく、 ただ一大理法の存するを見るのみなり。 これをもって、 人知進み学術の開くるに従っ て、 その裏面の一大理法を表面に開ききたり、 従来の妖怪は全く普通一般の道理に基づきて表れたることを知り、 すなわち妖怪は一変して尋常の事実となるなり。 かくして、 もし万有一体、 諸法一理の道理を知るに至らば、 従来の妖怪は全くそのあとを絶つに至るべく、 しかしてこれと同時に、 そのいわゆる一体一理なるものはなんぞやとの問題起こるに至らん。 これ、 真に不可思議なるものにして、 吾人の到底極むべからざるところなり。 予はこれを真怪と名づく。 これ、 予が仮怪窮まりて真怪現るというゆえんなり。 今、 妖怪学の研究も全くこの裏面の道理を開ききたりて、 表面の仮怪を払い去るにほかならざるなり。 ゆえに、 妖怪学もほかの諸学も、 その原理原則にいたりては、 もとより一にして二致なしといえども、 その応用にいたりてはおのずから二様に分かる。 換言すれば、 世間一般の学術はその理を広く尋常一般の現象上に応用し、 妖怪学は特に異常変態の上にこれを応用するものなり。
論じてここに至れば、 妖怪学のなにものたるかを知ると同時に、 また世の一般の学術と妖怪学との二者並存すべきゆえんを知るべし。 そもそも天地万象は、 その裏面には一体一理をもって成立すといえども、 その表面には尋常と異常、 もしくは可知と不可知との二種ありて分かるるは明らかにして、 天文の上にもこの二種あり、 地理の上にもこの二種あり、 あるいは草木、 あるいは動物、 あるいは人類社会の上にもまたこの二種あり。 これが故に、 天文学の上には尋常の部分と異常の部分とを研究する二種あるべく、 あるいは物理、 化学、 動植物の諸学上にもまた、 この二種ありて分かれざるべからず。 これを人界の上に考うるも、 その理また同一にして、 わが心象の上にも尋常と異常との二種あり、 社会の上にも政治の上にも同じくこの二種ありて、 世間にありて政治を執り人民を御するには、 その方法おのずから二道あり。 いわゆる正道、 権道これなり。 これを要するに、 万有の変化の上には常と変との二様あり、 世道人事の上には正と権との二道あり。 これ、 予が物心両界の上に尋常と異常との二種ありというゆえんなり。 かくのごとく、 すでにその物柄の上に常変の二種ありとせば、 これを研究する学問にもまた二種なかるべからず。 予はこの二種を名づけて、 一を正則的の学といい、 一を変則的の学という。 あるいは正式的および変式的の称をもっ て区別す。 しかして妖怪学は、 そのいわゆる変則的変式的の学問なり。
されば、 妖怪学はその範囲極めて広く、 天文学にも、 地理学にも、 動物、 植物、 心理、 社会の諸学等、 いやしくも物心万境の状態変化を研究する学問中には、 必ずこの妖怪学に属する部分ありて、 その範囲は一切の諸学と連結し、 極めて広大なりとす。 今、 予がここに「妖怪学と心理学との関係」と題せしは、 この広大の範囲中にて、 特に心界の変態異常を研究する部分をいうなり。 今これを心理学の上に考うるに、 心象の変化には尋常と異常の二種あるをもって、 これを研究する心理学にも正式的と変式的との二種ありて分かれざるべからず。 そのいわゆる変式的学問はすなわち妖怪学なり。
この変式的心理学を述ぶるにさきだち、 ここに予が「妖怪学講義」において定めたる分類表を示すを必要なりとす。 すなわち左のごとし。
そのうち、 偽怪とは人の意志をもって作為せる妖怪にして、 その実は妖怪にあらず。 ゆえに、 これを人為的妖怪となす。 つぎに、 誤怪とは偶然に人の誤りて妖怪と認めたるものにして、 これまた真の妖怪にあらざるなり。ゆえに、 右の二者を合して虚怪という。 つぎに、 仮怪とは世人の一般にいう妖怪にして、 物心両界の上に現ずる変態の現象をいう。 その現ずるや、 人為によりて起こるにあらず、 偶然に生ずるにもあらずして、 自然に物心両界の上に現るるものなり。 ゆえに、 これを自然的妖怪という。 しかして、 その外界に現るるもの、 例えば狐火、不知火のごときはこれを物理的妖怪とし、 心界に現るるもの、 例えば幽霊、 霊夢のごときは心理的妖怪とす。 これに対して、 さきにいわゆる真正の不可思議を名づけて真怪という。 その真怪は全く道理以外のものにして、 人知をもって知るべからずとなすときは、 これを秘怪というなり。 この秘怪の体が物心万境の上に啓示開現して、その真相を現すに内外の二様あり。 外界物象の上に真相を開現するもの、 これを霊怪といい、 内界心性の上にその霊光を開現するもの、 これを神怪というなり。 しかるにまた、 右の真怪は吾人の有限性道理にては不可知なりとするも、 もし無限性道理によりて知ることを得べきものとなすときは、 これを理怪という。 いわゆる理想的妖怪なり。 この理怪とは秘怪と相合して一つとなり、 一方に秘怪を示して一方に理怪となり、 理怪なるがごとくにして秘怪、 秘怪なるがごとくにして理怪、 二者の一体不二なるものにいたりては、 これを妙怪というべし。 この真怪と仮怪とは、 真仮の別こそあれ、 もし虚怪に比するときは実怪といわざるべからず。 さて、 以上四種妖怪中、 誤怪〔は〕偽怪と仮怪との間にあるものにして、 人為自然を離れて別存するものにあらず。 ゆえに、 妖怪全体よりその主要なるものを挙ぐれば、 偽怪、 仮怪および真怪の三大種を掲ぐるをもって足れりとす。
そもそも吾人の上に現ずる世界には、 人間界と自然界との二種あり。 すなわち、 天地万有の上に現ずる世界はいわゆる自然界なり。 この自然界の一部分に、 人類の意識によりて組織せる一団の世界あり。 これ、 すなわち人間界なり。 しかしてこの二界は、 ともに可知的現象の上に存する世界なるが、 これに対して絶対無限の上に存する世界あり。 これを不可思議界とす。 しかして人間界はその心をもっ て、 一方に対してはよく不可思議の本境と相通ずることを得ると同時に、 他方にありては現象世界の一部分をなせり。 ここにおいてか、 人間界は不可思議界と自然界との間にありて、 この二者に連絡するものなることを知るべし。 すでに世界そのものに三種あることを知らば、 さきに述べたる妖怪の三大種をもってこれに配当することを得べし。 すなわち、 偽怪は人間界の上に現ずるもの、 仮怪は自然界の上に現ずるものにして、 真怪は不可思議界の上に現ずるものなり。 ゆえに、 偽怪を研究せば、 おのずから人間界の機密を知ることを得、 仮怪を研究せば、 もっ て自然界の機密を探るべく、 真怪を研究するときは、 不可思議界の機密を察することを得べし。 しかして、 これらの研究はみなことごとく妖怪学に属することなれば、 これによりて得るところの結果の、 すこぶる重要なるゆえんを知るべきなり。
以上のごとく論定しおきて、 つぎに心理学と妖怪学との関係を述べんに、 すでに心象には常変の二種ありて、これを研究する学にも正式的および変式的の二様あることを知らば、 妖怪学と心理学との関係は多弁を費やさずして知ることを得べし。 それ心象上の妖怪はすなわち仮怪の一種にして、 自然界に属する妖怪の一部分にほかならざれども、 吾人の心は外界と相結びて人間界を組織し、 またよく内界と相通じて真怪を開示するものなれば、この心象は偽怪および真怪にまたがりて三大種の妖怪と関係を有するものとす。 これの故に、 余は心理学をもって妖怪学の中心本位と定むるなり。 また、 仮怪中にありても外界の万象はみな、 わが心面に映ずるものなれば、心面の変化に伴って外界もまた変化するところなかるべからず。 これ、 物理的妖怪を研究する変式的諸学が、 心理的妖怪学をまたざるべからざるゆえんなり。 これをもってみれば、 心理学と妖怪学とは、 もっとも重大の関係を有するものというべし。 これより心理的妖怪学すなわち変式的心理学について、 いちいち説明を与うべきはずなるも、 僅々二、 三紙のよく尽くすところにあらず。 余はすでに「妖怪学講義録」と題して、 順序を追って講義したる筆記を掲げたれば、 その詳細はこれに譲り、 ここにいささか変式的妖怪学の分類表を掲げ、 もってその心
常覚
感覚 病覚
変覚
怪覚
常知
知力 病知
変知
怪知
心象
常情
情緒 病情
変情
怪情
心性
常意
意志 病意
変意
怪意
心体(真怪)
性各作用について講究するものなることを示さんとす。
この表中、 心体は真怪に関し、 心象は仮怪に関し、 あわせて理怪に及ぼすものなり。 心象は知情意の三者に分かつを常とすれども、 余は便宜を図りて感覚、 知力、 情緒、 意志の四種に分かてり。 そのうち常覚、 常知、 常情、 常意を攻究するは正式的心理学にして、 変覚、 変知、 変情、 変意を攻究するは変式的妖怪学、 すなわち心理的妖怪学なり。 その中に病的と怪的とあり。 病的は精神病に属し、 怪的はまさしく心理的妖怪学に属するものなれども、 病的もやはり心象の変態異常なれば、 また変式的心理学に加えざるべからず。 今これを心象各作用の上に考えて、 その妖怪に属する分類を与うれば、 まず変覚を分かちて左表のごとくすべし。
変覚(変視、変聴、変嗅、変触、変味)
変覚 幻覚(幻視、幻聴、幻嗅、幻触、幻味)
妄覚(妄視、妄聴、妄嗅、妄触、妄味)
(ここに変覚の名称重複せるをもって、 あるいは総称の方を異覚とするも可なり)これ主観上の分類なり。
もし、 これに対する客観の境遇を示すときは左表のごとし。
変覚(主観的)・・・・・変象(客観的)
幻覚(主観的)・・・・・幻象(客観的)
妄覚(主観的)・・・・・妄象(客観的)
そのうち変覚は、 事物と事物との関係相対によりて、 多少その形を変じてわが感覚上に現るるものをいう。 例えば同一の太陽にして、 朝時と中天の時とにより、 その大小を異にするがごとし。 つぎに幻覚とは、 その原因は 外界より入りきたりしも、 これに心内の想像の加わるありて、 全く別物として感ずるをいう。 例えば縄を見て蛇と認め、 木骨を見て鬼形となすがごとし。 つぎに妄覚とは、 全く外界にその原因なく、 ひとり内界の想像によりて起こるものにして、 例えば物なきに物を見、 音なきに音を聞くがごときをいうなり。 つぎに、 変知の分類をなすこと左のごとし。
外覚
再想(妄像)
変知 実想
構想(妄想)
内想 妄念
有限性 妄断
虚想 妄理
無限性
この分類は、 常知の分類に対照して設けたるものなり。 ただその無限性を置きたるは、 これ仮怪と真怪との関係を示すものにして、 有限の道理窮まるときは無限の真怪をあらわすゆえんを明かすものなり。 つぎに、 変情の
苦痛性
単情性
快楽性
変情
相対性
複情性
絶対性
分類を示すこと右のごとし。
その単情に属する苦痛性の情を挙ぐれば、 すべて妖怪に関する情を怪情となす。 もし、 この怪情が恐怖の情に連絡して起こるときは苦痛性となるべく、もしまた、 怪情が新奇を好むの情と連帯して起こるときは快楽性となるなり。 これ、 人には妖怪を恐るると同時に、 これを好むの情あるゆえんなり。 また、 複情の上においても、 その相対性には苦痛性および快楽性の二種あれども、 その説明は「妖怪学講義録」に譲る。 しかして、 ここに相対性と絶対性との二つを設けたるは、 同じく仮怪と真怪との関係を示さんがためなり。 つぎに、 変意を表示すること左のごとし。
悪意
単意性
善意
変意
相対性
複意性
絶対性
この単意の上に善意、 悪意の別を設くるは、 仮怪に関する意志は善悪を論ずべき理なしといえども、 偽怪に関する意志はもと故意に出ずるものなれば、 その善悪を論ぜざるを得ざればなり。 ゆえに、 意志の上に善悪の二種を設けて考究せんことを要す。 つぎに、 複意の上に相対性と絶対性との二つを設けしも、 これまた真怪との関係を示せるものなり。
以上の分類は、 余が「妖怪学講義」において定めしところにして、 該講義においては、 その分類にいちいち説明を与えたれども、 今はその余地なければ、 ただ分類の一端を示すにとどまれり。 これらの変式的精神作用を考究するはいわゆる変式的心理学にして、 余のいう心理的妖怪学なり。 しかして、 斯学はひとり仮怪なる心理の変態異常を説明するのみならず、 また物象の変態異常に関係し、 あわせて偽怪、 真怪の二者に関するものなれば、妖怪学中の最も重大なる学科とし、 したがってまた、 妖怪学と心理学との関係の重要なるゆえんを知るべきなり。
七 内地雑居に対する教育家、 宗教家および実業家の覚悟
内地雑居の利害に関しては、 諸家の議論まちまちにして、 いまだその是非を判定すること難しといえども、 概してこれを二説に分かつことを得べし。一つは、 雑居公許の暁には、 多数の白人種一時に入り来たるべしと唱うるものにして、 他は、 少数の白人種来たるのみと唱うるものすなわちこれなり。 しかして、 甲は、 日本の地味、気候は東洋に冠たるものなれば、 ひとたび雑居を許すにおいては、 四方より争ってこの国に移住するに相違なかるべしと論じ、 乙は、 西洋にては今日なお日本を東洋の未開国とみなし、 風俗、 習慣にいたるまで野蛮を免れざるがごとく思惟し、 日清戦争の結果、 多少日本の声価を高めたるにもかかわらず、 依然として半開国の列に加え、 決して欧米諸国と同等の地位に置かざること明らかなれば、 他日雑居の公許を聞くも、 一時に多数白人の帰化することなかるべしと説く。 両者ともにこれ憶測に過ぎざれば、 そのいずれが事実なるやは今よりあらかじめ定め難きも、 余は乙の説くがごとく、 西洋にては今日なお日本を目して半開もしくは未開国となすをもって、たとい雑居を公許するも、 決して一時に多数の帰化人を見ることなかるべきを信ずるものなり。 しかれども、 余は帰化人の少数なるは、 その多数なるよりもかえってわが国の不利なるなからんやを憂うるものなり。 なんとなれば、 自ら目するに未開をもってするの国に好んで移住せんと欲する者は、 必ずわが国にありて信用を失い、 名誉を損じ、 その社会にいれられざる不徳不良の人なるべく、 果たしてしからば、 内地雑居に伴いて欧米諸国における放蕩無頼の悪漢のみ陸続として入り来たり、 わが国の美風を破り、 良民を傷つくるの不幸を見るに至らんをもってなり。 もし、 これに反して多数の欧米人ここに移住するにおいては、 そのうちあるいは不良の悪漢あるべきも、 また善良なる好人物多かるべければ、 あえて深く憂うるに足らざるなり。 ああ、 わが国における雑居公許の暁には、 少数の悪漢のみ移住するものとせば、 あに一大警戒なくして可ならんや。
内地に雑居すべき人種はたとい少数なりとするも、 これによりて影響するところは決して尠少ならざるべし。従来わが国に在留せる外国人は、 みだりにその居留地外に出ずることあたわず、 たまたま旅行せんと欲するには旅行券を要し、 旅店に宿泊するにも警察の保護を要するなど、 すこぶる不自由の感ありしが故に、 したがって内地を旅行するもののごときははなはだまれなり。 これをもって、 山間の僻地に住める者は、 今日なお西洋人を見しことなき者多く、 もしヤソ宣教師などの時として村落に赴くことあれば、 老若男女四方より集まり来たりてその周囲に群がり、 あたかも祭礼の神輿、 山車などを見物するかのごとき失態を演ず。 わが国の文明いかに長足の進歩をなしたりというも、 三十年間の短日月、 いまだ徳川時代にありて外国人を夷狄、 禽獣視したりし感情は、全然消散せりとはいうべからず。 この時に当たりて内地の雑居を公許し、 英米露仏の国人しかも不良の悪漢が、もし一人にても八兵衛、 杢右衛門などと雑居するに至り、 国民としての交際はもちろん、 あるいは親類となり、あるいは主従とならざるべからざるに至らば、 これらの人々の感情果たしていかん。
内地雑居のわが国民に及ぼす影響は、 それかくのごとく重大なり。 これに対する準備のごとき、 あに一日といえども、 これをゆるがせにすべけんや。 いわゆる準備とは、 そもそもなんらをか指すや。 人はいう、 各国の語学を修習することをもって第一の準備となすと。 現に数年以来、 都鄙の別なく、 上下を論ぜず、 一般に英語を学ぶせきとくもの非常に増加し、 輓近に至りて、 実用速成を名とする各国の会話書、 尺牘書のごときものの刊行せらるること、 実に雨後のたけのこもただならざるのごときの観あり。 しかしてそのこころにおもえらく、 これ内地雑居の準備なりと。 なんぞそれ、 誤れるのはなはだしきや。 そもそも外国人がわが内地に雑居するは、 わが国民に帰化するなり。 帰化とは、 外国人がその本国の籍を脱して、 わが国民となるをいうなり。 いやしくもわが国に独立の国語ある以上は、 雑居せんと欲する外人自らわが国語を学んで、 もって帰化の準備をなすこそ当然なれ。 わが国民にして、 かの語を学び、 もって彼の来たるを待つがごとき、 これ雑居の準備にあらずして、 むしろ属国の準備といわざるべからず。 その無見識なる、 その卑屈なる、 まことに愍殺にだも値せざるなり。 余が雑居の準備としてなさざるべからずと確信するところのものは、 すなわち国民の徳義を養成して、 道徳の基礎を堅固にすることこれなり。 請う、 いささかその理由を左に述べん。
一般世人の道徳に対する見解を聞くに、 多くは道徳をもって一家をととのうるには必要なるも、 国家を治むるにはさほど必要なるものにあらずとなし、 ことに商工のごとき実業を営むには、 さらにその必要を見ざるのみならず、 かえっ て妨害となるものなりというにあるがごとし。 ああこれ、 なんらの妄言ぞや。 一を知りて十を知らざる愚者の憶断、 もとより取るに足らずといえども、 しかれども今日の実業家をしてかくのごときの妄言を放たしむるに至りしもの、 あながちそのゆえんなきにあらず。 古来、 道徳専売特許の看板を掲げたる儒者にして、口にしきりに道徳仁義を説きながら、 その一身の品行の修まらざるもの、 往々にしてこれあり。 また、 たまたま道徳家をもって自ら任ずるものは、 無我無欲これつとめ、 赤貧洗うがごとく、 妻子の飢渇に迫るあるも悠然として閑歳月を送り、「陋巷にありて道を楽しむは、 もとより儒者の本分なり。 顔回は窮貧見るに堪えざるありさまなりしも、 孔子はこれを嘆美して、 賢なるかな回なりと言えりしにあらずや」等と揚言して、 はなはだ得意の色あるがごとし。 かの実業家者流はかくのごときの状態を速断して、 もってただちに道徳の真体と誤認し、 商工業を営みて生計を立つるものには、 些子の効果なきのみならず、 かえって妨害となるものと信ずるに至りしは、 やむをえざるの次第というべきなり。 そのほか、 宗教家は道徳の監督者なるにもかかわらず、 僧侶の品行行状にして世の軌範となるべきもの、 絶えてあることなきがごときは 一層世人をして道徳嫌いの感想を増さしむるに至りしなり。 これ、 今日徳義の衰えたる一原因にして、 また道徳が世間より擯斥せられたる一理由ならずんばあらず。
おもうに、 古来わが国の実業は、 その規模極めて小にして、 格別道徳の必要を感ぜざりしのみならず、 わが国の道徳家はおもに家族的道徳のみを説きて、 実業的道徳を説かざりしが故に、 ますます世間の実業家は道徳を擯斥するに至りしなり。 しかして、 家族的道徳とは親子、 兄弟、 夫婦の間の徳義にして、 いわゆる一家の人倫をいい、 耐忍、 勉強、 質素、 倹約、 篤実、 誠信等の徳義は、 あらゆる事業の基本となるものなるが故に、 これを実業的道徳と称すべし。 かくのごとく道徳を家族的と実業的との二種に分かちてこれを考うるに、 わが国にては家族的道徳大いに発達し、 西洋にては実業的道徳大いに発達すというも、 あえて妨げなきがごとし。 これをもって、今後のわが国において最も拡張せざるべからざるものはすなわち実業的道徳にして、 内地雑居の準備というも実にこれにほかならざるなり。 しかして、 実業には商法といわず工業といわず、 必ずや相当の資本を要するがごときは、 あえて言をまたず。 いわゆる資本には有形と無形との二種あり。 例えば、 金財、 家屋、 土地、 器械等は有形の資本にして、 耐忍、 勉強、 節倹、 信用等は無形の資本なり。 この両資本具備せずんば、 いかなる実業も成功することあたわず。 なかんずく、 その無形の資本は資本中の資本にして、 有形の資本はその力によりて産み出だすことを得るが故に、 実業家たるものは第一着にこの無形の資本を作り出だすこと、 すなわち徳義を養成することに想到せざるべからず。
けだし、 内地雑居の後において起こりきたるべきものは、 すなわち実業の競争なり。 しかして彼ら外人は、 有形の資本においてわが邦人にまされるあるのみならず、 無形の資本においてもまた邦人に勝れるあるは、 疑いなき事実なり。 なんとなれば、 彼ら外人にして、 もし無形の資本たる実業の道徳に欠如したるがごときことあらば、 到底彼らの実業が世界を圧倒するがごとき今日の盛運たるまで到達することあたわざればなり。 また、 わが邦人に勝れる有形の資本を獲得しあたわざればなり。 すでに彼らの資本は有形無形ともにわれよりまされりとすれば、 実業の競争はわが邦人の敗に帰すること、 火を見るよりも明らかなり。 実業の敗は財産の敗となり、 わが国の美味はことごとく外人のため吸収せられ、 邦人は常に残飯同様のものをもって満足せざるべからず。 いな、ただにしかるのみならず、 十字街頭二頭の馬車を駆り、 威勢堂々として飛ぶ鳥を落とすがごときは、 欧米新来の客にして、 茅屋に炊き破窓に眠り、 星をいただきて出でて月を踏みて帰り、 油を流し汗を絞るは、 わが土着の同胞なるがごときの現象を呈しきたるべきなり。 一片愛国の至情を有するもの、 だれかかくのごときを黙過し得べけんや。 雑居後の状態もしかくのごとくなるべしとせば、 あらかじめこれを防ぐの方法を講じ、 もって雑居の準備を整頓しおかざるべからず。 方法とはなんぞ。 曰く、 他なし。 前すでにこれを述べたる無形の資本、 すなわち道徳の拡張をはかることこれなり。
かくのごときの方法は、 決して余の新たに唱え出だしたる意見にあらず、 実に数千年のいにしえより今日に至るまで、 あまたの学者が口を極めて奨励したりし事柄なれば、 内地雑居の準備は、 数千年の昔においてすでにこれを定めありしというも不可なし。 しかるに、 これらの道徳の実際において行われおらざるはいかにというに、余はこれをもって、 習慣、 遺伝のよろしからざるに起因すといわんと欲す。 天下なにびとか、 耐忍勉強の渡世に欠くべからざるものなることを知らざらん。 知りてしかしてこれを実践躬行することあたわざるは、 従来の悪習慣身心に浸染せるも、 よくこれを打掃するの勇なきによらずんばあらず。 しかれども、 もし一朝この悪習慣を一変して良習慣を作るに至らば、 耐忍勉強の徳義を実行せしむること、 はなはだ容易なるのみ。 しかしてこのことたるや、 必ず教育の力をからざるべからざるものなれば、 家庭および学校教育において、 もっぱら耐忍勉強、 質素倹約の習慣を養成し得ば、 耐忍そのものは苦痛にあらずしてかえって快楽となり、 勉強そのものは労力にあらずしてかえって安逸のごとく感ぜらるるに至るべし。 ゆえに、 余は内地雑居の準備として今より実行を要する点は、 家庭および学校教育において子弟の徳義を練習せしめ、 もって道徳の習慣性を造り出だすにありというゆえんなり。
耐忍勉強、 質素倹約は、 実業の資本にして雑居の準備なること前述のごとし。 もし、 さらにその徳義の根本をたずぬれば、 正直真実にほかならざるをみいだすに難からざるなり。 わが国の民間には、 金の成る木をえがき、正直をもってその幹となしたるものあり。 また西洋の諺にも「Honesty is the best policy」ということあり。東西両洋、 道徳の格言が期せずしてその軌を一にするがごとき、 またもって正直が実業の資本たることを証し得て余りあるにあらずや。 しかもこれらの格言は、 学者の空想に出でたるものにあらずして、 悠遠なる月日の間、数多き人々の経験を集めて自然に成立したるものなるが故に、 実に確固不可動の法則というも、 あえて不可なきなり。 この正直真実を本心として家を治むれば一家和合し、 人に交われば世間の信用を得、 事を務むれば家業繁盛に赴くはもちろんのことなれば、 修身斉家、 治国平天下の道はみなこの正直真実に基づき、 殖産興業、 富国強兵の道もまた、 決してこのほかにあるべからざるなり。 かの浄土真宗の宗意安心は世間に対して王法為本と立つるがごとく、 実業家の宗意安心は正直為本あるいは真実為本と立てて、 その宗旨はまさに真実為本宗と唱うるまた可ならずや。 畢竟するに、 内地雑居の準備もこの宗意を弘通するのほかなきなり。
論者あるいはいわん、 雑居実施の暁に至り、 西洋各国より放蕩無頼、 不良の悪漢のみ移住し来たり、 わが良民を欺きて自ら私せんことを図らば、 われまたせいぜい詐術を尽くして彼を欺かばいかんと。 これ、 いわゆる暴をもって暴に代うるの類にして、 わが道徳はけだし破壊し、 数年の後にはついに地を払い、 国家の将来実に憂うべきや必せり。 たとい外人のわが国に来たるものは、 いかにわれに対して不徳義を行うも、 われは固く徳義を守りて動かざるにおいては、 白色人種と大和人種との競争は一変して道徳の競争となり、 不徳は徳に勝つことあたわざる原則によりて、 彼敗れてわれ勝つは天地の常道なりというべし。 ことにわれより不徳をもって彼を待遇するにおいては、 ますます不徳義の人物のみ入り来たり、 その結果は、 この最も神聖なる日本国は、 欧米諸国の罪人の「はきだめ」場のごとく、 大いに日本国の体面も名声をもともに汚すに至るべきなり。 これに反して、 わが国民固く徳義を保持発揚し、 君子国の美名を全うせば、 かの中等以上の徳義節操あるもの次第に入り来たるべく、これと同時に、 最初雑居せる不徳の外人は、 自然の感化によりて徳性を発揮するに至るか、 しからざれば彼らはわが社会より擯斥せられて、 早晩わが国を去らざるを得ざるに至るは自然の道理なり。 ゆえに余は、 内地雑居の準備は、 徳義養成のほかに良策として講ずべきものなしと断言せんとす。
以上、 教育家、 実業家に向かって雑居の準備に関して注意すべき要点を示したれば、 さらに進みて宗教家(主として仏教家)の雑居に対する心得ならびに準備について一言せざるべからず。 しかして、 その心得に三段あり。 第一、 自身の品行を慎み、 宗教家として恥じざる挙動を示さざるべからず。 第二、 その教理宗義を檀家信徒はもちろん、 一般世人に容易に了解せしめざるべからず。 第三、 仏教の本意たる真俗二諦、 あるいは世間、 出世間の二道の両全を期せざるべからず。 この三カ条は、 内地雑居に対する仏教徒の準備なりとす。 従来、 たといヤソ教がわが国の公許を得たりというも、 いまだ内務省の監督を受くるあたわざるが故に、 政府の公認を得ざる宗旨なり。 換言すれば、 わが国の食客居候の分際にて、 いまだ家族の仲間に入らざるものなり。 しかるにそのヤソ教は、 内地雑居の後には必ず家族然たる顔付きして、 仏教と財産争いをなすに至らんも、 いまだ知るべからず。もし、 果たしてかくのごときの場合に至らば、 仏教もこれと勝敗を決せざるべからず。 今よりその準備をなす、あに徒事ならんや。 第一、 道徳品行のことは説明をまたずして明らかなり。 第二、 宗義教理を人に知らしむることは、 ヤソ教と競争してその信徒を団結せしむるに最も必要なり。 仏教各宗中、 とにかく信徒の団結のごときは真宗と日蓮宗なりとす。 これ、 いずれも宗義教理をたやすく人に了解せしむるが故なり。 他の宗旨にいたりては、 その宗義を檀家信徒に説き聞かしむることなく、 また檀家信徒も己の宗旨が日本仏教十三宗中、 何宗に属するかを知らざる者はなはだ多し。 今後なお、 かくのごときの傾向を持続せば、 ヤソ教と競争して信徒の団結を強固ならしむることあたわざるとともに、 ヤソ教の軍門に降を請わざるを得ざるの非運に陥らん。 第三、 世間、 出世間の両全を期するは、 これまた肝要なり。 仏教の弊は世の無常を説きて、 なるべく人をして厭世的ならしむるにあり。 損得禍福を見ること塵埃のごとく いかに多くの財産を有するも 、一息とこしえに絶ゆれば、 厘毛もこれを携うことあたわず。 諺に「地獄の沙汰も金次第」というといえども、 金力にては極楽往生を買うことあたわずなど、 往々死後冥土のことのみを説くが故に、 世間は仏教を目して厭世教とし、 世間に立ちて一事業を成さんと欲するものには、 仏教は一大障害物にして、 富国強兵、 殖産興業には一大邪魔物なり。 もし、 事成り年老いて、 この世になんらの望みなく、 死後のことどもなんとなく案じらるる年ごろに至らば、 暇に任せて寺院に参詣し仏法の端緒を聴くも、 いまだ遅しとなさず。 壮年有為の人士、 あに寺院仏法に用あらんやというものあるに至る。 これ畢竟、 従来の仏教家が出世間的出離解脱の一道を説きて、 世間道を説かざりしが故に、 ついに世人をして仏教を誤解せしむるに至りしなり。 よって、 今日以後は世間道を表にし、 出世間道を裏にし、 二者の両全を本として、 仏教の弘通に力をつくさざるべからず。 昔は国の四面をとざしてこれを開かざりしが故に、 内部の気候はなはだ暑く、 出世間道の単衣にて十分なりしも、 今より後は内地雑居のため、 寒冷なる風海外より吹き来たるをもって、 単衣のみにては凍死の憂なきにしもあらず。 これをもって今後の仏教は、 必ずや世間と出世間との表裏二面の袷衣を着けざるべからざるなり。
八 鬼 門 論
大政一新以来ここに三十年、 その社会百般の事物みなその面目を改め、 これを昔日の日本に比するに、 ほとんど別世界の観を呈し、 その勢い東洋の上に雄飛するのみならず、 泰西二、 三の諸国を凌駕せんと欲す。 その進歩の速やかなること驚くべし。 しかりしこうして、 依然として旧色を存し、 なお徳川末路の積弊をとどめ、 さらに改新の緒に就かざるものは宗教界の実情なり。 換言すれば、 宗教の腐敗と国民の迷信なり。 この二者その面目を一変するにあらずんば、 いずくんぞ世界に対して自ら文明国と誇称するを得んや。 これ余がつねに、 わが国明治の大業一半すでに成りて一半いまだ成らず、 第一の維新すでに来たりて第二の維新いまだ来たらずと唱うるゆえんなり。
それ今日の文明は、 諺にいわゆる「頭隠して尻隠さざる」がごとき観なきあたわず。 今や条約改正も大半その局を結び、 内地雑居もようやくその期に迫らんとするに当たり、 宗教の腐敗かくのごとく、 国民の迷信かのごときにおいては、 いずくんぞよく外人の帰化を迎えんや。 これ、 国家の一大汚辱にあらずしてなんぞや。 人あり、余に語りて曰く、「宗教の雪隠と迷信の下水と、 この二者の大掃除をなすにあらずんば、 到底内地雑居の新年を迎うることあたわず」と。 宗教をもって一家の雪隠に比するはやや酷に過ぐるがごときも、 その内部の醜態今日のごとくはなはだしきにおいては、 雪隠の不潔と同日に論ぜらるるも、 けだしこれに答うる辞なかるべし。 余は不幸にして明治の維新におくれて長じ、 その際一事の国家に尽くすことなかりしは、 今日に至るもなお遺憾とするところなり。しかるに、 幸いにして宗教の革新にさきだちて出でて、 大業の前半すでに成りて後半いまだ成らざる時に会したるは、自らその革新の一部分に加わり、 いささか微力を国家のためにいたさんと欲す。 これ、 余が積年の素志にして、数年前より多少心思をそのことに注ぎ、 他日時機の熟するを待ちてひろく社会に訴え、 ともに力をあわせ、よく維新の後半を大成し、もって内地雑居の暁を迎うる目的なりしが、その時節今すでに到来するを覚ゆ。 ここにおいて、 愚考の一端を開陳して識者の高評を仰がんと欲す。
そもそも余がいわゆる宗教の革新とは、 宗教道徳上の腐敗と国民信仰の上の迷妄を一新するをいう。 昨今、 宗教腐敗の一条はようやく社会の問題となり、 革新の声四方に起こり、 まさに一大変動を見んとする勢いなり。 しかして、 その問題は真宗大谷派の改革論者より起こりしも、 その影響するところ決して一宗一派にとどまらず、これより他宗他派に及ぼし、 ついに日本宗教の一大革新を見るに至るべきは、 識者をまたずして知るべし。 これ機運のしからしむるところなりというも、 その実、 人知進歩の結果にあらざるはなし。 ゆえに、 革新は社会のため国家のため、 賀すべく祝すべき一大快事なり。 いやしくも社会の改良、 道徳の拡張に志ある者は、 あにこれを歓迎せざるを得んや。 それ宗教は勧善懲悪の道にして、 宗教家は道徳の標準模範なり。 今日の宗教家中、 果たして国民道徳の模範となり得べきもの幾人かある。 けだし、 晨星を数うるよりなお寥々たるを覚ゆ。 飲酒喫煙のごときは、 あえてとがむるに及ばず、 蓄妻噉肉もなおゆるすべし。 尋常一般の俗人すら、 なお恥じてなさざる醜行を犯せるもの、 いくたあるを知らず。 しかるに、 世間これを見て怪しまざるはなんぞや。 従来、 因襲の久しき不道徳とは僧侶の代名詞のごとくに考え、 彼は僧侶なれば、 かくのごとき不道徳の行為あるは当然なりとみなすによる。 しかれども、 国民一般の識見進みたる暁には、 決してこれを黙々看過する理なし。 なんとなれば、 僧侶の不品行と国民の知識とはあたかも反比例をなし、 決して並進両立すべからざるものなればなり。 ゆえに、 宗教革新の起こるは勢いの免るべからざるところにして、 その一日も早く来たるは、 国民知識の進歩を徴するものなり。 今や全国の新聞に雑誌に、 大谷派の改革を促してやまざるは、 国民すでに宗教革新の急要を感じ、 かつ仏教諸宗中、 積弊腐敗の最もはなはだしきは大谷派本山なるを知り、 その改革をもって日本宗教革新の第一着手と信ずるによる。 世論すでにかくのごとく、 大勢すでに定まる。 一宗一派の改革、 なんの難きかこれあらん。 さらに進みて各宗各派の革新を実行し、 他日内地雑居の暁には、 宗教室内に一点の塵影を見ざるに至らしめんこと、 これ余輩の熱望するところなり。
宗教の腐敗の一新せざるべからざるは、 天下みなこれを知る。 ひとり国民の迷信を一掃せざるべからざるは、世論のいまだ認めざるところなり。 ゆえに余はこれより、 もっぱら迷信を論ぜん。 広く社会の状態を観察するに、 あるいは日の吉凶を卜し、 あるいは身の禍福を占い、 人相、 家相、 方位、 鬼門、 五行、 干支、 九星、 淘宮、墨色、 夢判じ等、 種々の迷信に属する諸術、 近来ようやく流行し、 これを明治の初年に比するに、 今日は大いにその勢力を加えたるを覚ゆ。 これ、 実に怪しまざるを得ざる一大現象、 いな一大幻象なり。 無知不学の愚民にして、 かくのごとき迷信を守るはなおゆるすべし。 堂々たる貴顕紳士にして社会の上流に位するもの、 なおこの迷信に安んずるは解すべからざる一大怪事なり。 上流者ひとたびこれを信ずれば、 下流の者争ってこれを信ずるは自然の勢いなり。 上下みな、 この迷信の五里霧中に彷徨す。 いずくんぞこれを文明国の民と称するを得んや。 知識の程度なおかくのごとし。 いずくんぞよく内地雑居を迎えんや。 ゆえに、 この迷信を一掃するは実に内地雑居の準備にして、 維新の鴻業を大成するゆえんなり。 余、 積年ここに意あり。 さきに『妖怪学講義録』を編述してその理由を詳説細論せるも、 その書二千五百ペー ジ余の大部なれば、 これを通読するものはなはだ少なし。 ゆえに、 ここにその一端を開陳して、 迷信の果たして迷信たるやいなやを略示せんと欲す。
今、 まず迷信の利害を一口せんに、 民間多数のものは、 時日、 方位、 人相、 家相等の吉凶を迷信するをもって、 結婚、 祝賀、 旅行、 転居、 造作等に大なる妨害をなす。 例えば病人ありて医師を聘するも、 まずこれを方位家に問うてその可否を決し、 すでに聘したる医師の診察を受けながら方位の不吉なるを聞くときは、 たちまちこれを廃してほかの医師を聘す。 児童を学校に送るにもまずその方位をただし、 自ら官署に奉職するにもまずその方位を卜す。 あるいはひとたび迎えたる妻と相離れ、 ひとたび建てたる家をたちまちこぼつがごとき例は、 ほとんど枚挙にいとまあらず。 今より社会ようやく多事、 外人とともに活劇を演ずるに当たり、 かくのごとき迷信をもって、 いずくんぞ競争場裏に勝を制することを得んや。 その利害の影響するところ、 決して少々にあらず。 ゆえに、 迷信は社会の進歩上、 一大障害物たること明らかなり。 これを除き去るにあらずんば、 国家将来の隆盛は到底望むべからざるなり。
それ迷信の種類はなはだ多し。 余が『妖怪学講義録』中に掲ぐるもの、 およそ四百余種の多きに及べり。 ゆえに、 いちいちその種類を挙示すべからず。 ただ、 ここに「鬼門」の一論を掲げてこれを説破し、 その他は『妖怪学講義録』に譲る。 これをここに鬼門退治という。 まず鬼門の由来を考うるに、 シナの俗説より起こりたること明らかなり。 これを古書中にたずねたるに、『神異経』中に鬼門の事あり、また、『黄帝宅経』の中に鬼門のことあり、また、『海外経』にも鬼門の説あり。今『海外経』によるに、東海の中に山あり、その名を度索という。その上に大なる桃樹ありて、蟠屈すること三千里なり。その東北に門あり、これを鬼門と名づく、万鬼の集まる所なり。 天帝、 神人をしてこれを守らしむとあり。 これ、 シナ古代の神話あるいは俗間の妄説にほかならず。 しかれども、 その説相伝えて日本に入り、 上下一般にその方位を忌みかつ恐るることとなり、 その方に向かって移転しあるいは家作することをいとい、 なかんずく便所、 塵塚の類をその方に置くことを固く禁ずるに至れり。 古来伝うるところによるに、 比叡山は皇城の鬼門にあたるをもって、 ここに精舎を建てて鬼門の防ぎとなし、 東都も上野に寛永寺を置きて鬼門の固めとなせりという。 あるいは、 シナにては日本を指して鬼門関と称し、 日本にては奥州白川関を指して鬼門関と称すという。 しかりしこうして、 かくのごとき風習の起因につきて種々の説明あり。 陰陽家の説くところによれば、この方角は陰悪の気の集まる所なれば、 極めて凶方なりという。 また一説に、 北方は万物極まりてまた生ずる方なれば、 天地の苦しむ方角なる故、 これを避くるという。 あるいは古来鬼門を忌み嫌うは日の出ずる方なる故、 これを尊びて避くるなりという。 あるいは日本古代の風として、 みだりに家造するときは山林を荒らす故に、 方角を忌みて伐木せざらしめたるなりという。 以上の諸説は一つも信ずるに足らず。 これ、 シナ古代の『神異経』あるいは『黄帝宅経』に出ずる神話にもとづき、 迷信妄想のこれを助くるありて、 次第に伝播して民間一般の風習を成すに至れるなり。 約言すれば、 古代の神話と愚民の迷信と相合して、この風習を成すに至れるなり。
これより、 鬼門の迷信を退治せんには、 まずその説の信ずるに足らざるゆえんを弁明すべし。 第一に、 鬼門の起源はシナ古代の神話に過ぎず。 しかしてその神話たるや、 毫も信ずべき道理あるを見ず。『海外経 』の東海中に山ありとは、 いずれの山をいうか、 山上の桃樹はいたって大にして三千里にまたがるとあれども、 だれかこれを信ずるものあらんや。 その東北に門ありて万鬼ここに集まるというも、 その妄誕なること言をまたず。 あたかも桃太郎の鬼退治の昔話と同一般なり。 いかなる鬼門迷信家といえども、 必ずこの妄誕を信ずることあたわざるべし。 かつその説たるや、 東洋の一孤島のことのみ。 なんぞこれをわが日本において談ずる理あらんや。
第二に、 その説シナ愚民の信ずるところにして、 迷信妄想によりて発達せるものなれば、 わが国民にしてこれを奉信するがごときは シナの愚民を崇拝するものと評して可なり。 孔子のごとき孟子のごときはシナ古代の人物なるも、 今日にありては実に世界の聖賢にして、 万国みなこれを尊崇す。 ゆえに、 わが国においてその教を奉信するも、 決してシナ崇拝というべからず。 今、 鬼門の妄説のごときは、 もとより孔孟聖賢の書中に見ざるところにして、 かえってシナの聖賢の排斥せるところなり。 しかるにわが国民にして、 聖賢の排斥して愚民の奉信するところの妄説を固守するにおいては、 これを愚の極みといわずしてなんぞや。 ことに一昨年以来、 わが上下挙げてシナ人を敵視し、 かつこれを軽賤せるにもかかわらず、 その愚民の迷信を神仏の啓示のごとく崇拝するは、余輩その意を解することあたわず。 これ、 あに国民の大恥辱にあらずや。
鬼門の妄説は、 その根源すでにかくのごとし。 ゆえに、 わが国にありても古来、 学者知者をもって目せらるるものは、 決してこれを信ぜざるのみならず、 いたく排斥せり。 ただ、 愚民の間にこれを信ずるものありて今日に存するのみ。 しかるに今日にありては、 わが国は自ら称して文明国といい、 自ら誇りて文明の民という。 しかして、 なお古代の愚民と同じく鬼門の妄説を信ずるにおいては、 文明の実いずれのところにあるかを怪しまざるを得ず。 けだし、 有名無実の文明なるか虚名詐称の文明なるか、 余輩大いに惑うところなり。 しかれども、 文明なにほど進むも世に愚民のあとを絶つことあたわざれば、 今日下流の人民にして鬼門を信ずるはなおゆるすべしといえども、 中等以上の公民あるいは上流の紳士貴人にして、 往々これを信ずるものありという。 これ、 余輩の大いにその非を鳴らさんと欲するところなり。 およそ貴人紳士とは錦衣玉食するもののみをいうにあらず、 その識見よく世の迷信を破り、 その言行よく人の模範となるものならざるべからず。 しかるに、 なお鬼門を信ずるにおいては、 愚民となんぞ選ばん。 貴人紳士の実、 なにによりて存するや。 古代、 人知のいまだ開けざりしときにありては、 あえて責むるに及ばざれども、 文明のすでに進みたる今日にありて、 上流社会なおこの迷信の霧中に彷徨するは、 これまた国家の体面を汚すものといわざるを得ず。
さらにこれを近代の学説に考うるに、 東北隅の方位の不吉なる理、 決してあるべからず。 地球上には東西南北の別あるも、 これもとより仮定のみ。 もし出でて地球外に立たば、 いずれが東西にしていずれが南北なるや、 もしまた地球上に住するも、 その位置の異なるに従い方位もまた異なり、 赤道直下にあるときと北極付近にあるときと南極付近にあるときとは、 もとより鬼門そのものの方位大いに異ならざるを得ず。 もし、 まさしく北極あるいは南極の中点に立つときは、 いずれを指して東北隅と定むるを得るや。 果たしてしからば、 東西南北の方位は仮定のものたること明らかなり。 しかるに、 仮定の方位に対して吉凶を論ずるがごときは、 迷信のはなはだしきものといわざるべからず。 ことに地球は昼夜回転してやまざるものなれば、 東西南北の方位も、 これとともに時々刻々その方向を転ぜざるべからず。 前刻の東北隅と後刻の東北隅とは、 その指すところ全く異なるべき理なり。 しかるに、 いわんやこれに対して方位の吉凶を論ずるをや。 これを迷信といわずしてなんぞや。 畢竟するに、 かくのごとき妄説は古代の地平説にもとづき、 本来方位の確定せるものと信ずるより起これり。 ゆえに、 その説は今日地球説を信ずるものの、 もとより取らざるところなり。
もし、 仮に一歩を譲り方位は一定して動かざるものとし、 東北隅はいずれの位置にありても変ぜざるものと許すも、 東北隅の方位に限りて不吉なるの理あるべからず。 もし、 東北隅にして凶方ならば、 西北隅もまた凶方なるべし。 また、 その凶方を犯せば必ず災害ありとする説にいたりては、 一層信じ難し。 その方位に鬼神もしくは悪魔の住することを信ずるよりほかに、 その理を解する道なし。これをわが国の上に考うるに、 その東北隅は北海道にして、 北海道の東北隅は千島なり。 千島の東北隅はベー リング海峡を経て、 ついに北極に達すべし。 北海道にも千島にも千島以外にも、 別に鬼神悪魔の住する所あるを見ず。 なんぞこれを恐るるの理あらんや。 鬼門説の迷信なること、 いよいよ明らかなり。
鬼門の吉凶はシナ、 日本のみに限るの理なし。 東洋にありて東北隅が凶方ならば、 西洋にありても東北隅は凶方ならざるべからず。 しかるに、 西洋にはその伝説なきのみならず、 古来その方位を犯して災害を招きたる実例を聞かず。 もし、 西洋にはその害なくして、 ひとりシナ、 日本にその害ありとするときは、 鬼門の人に災禍を下すこと実に偏頗なりといわざるべからず。 かつ、 そのしかるゆえんの道理ありて存せざるべからず。 鬼門家はよくこれを説明し得るやいかん。 余察するに、 鬼門家は必ずこれに答えていわん、「西洋にも東洋にも同じく鬼門の凶方あれども、 西洋人はその凶方たるを知らざるをもって、 実際これを犯して禍災のその身に及ぶことありながら自ら知らざるなり」と。
果たしてしからば、 余はこれに 一言をたださんと欲す。 西洋人は鬼門の凶方たるを知らざるをもって、 これを避くることをなさず、 わが国人はその凶方たるを知るをもって、 これを避くる法を講ず。 しかしてその結果は、統計上、 西洋人に禍害多くして日本人に少なきかいかん。 余、 いまだ比較上、 西洋人に禍害の多きを見ず。 しかるに、 西洋は一般に家も富み国も盛んなること、 わが国の比にあらざる以上は、 鬼門方位を恐るる国民は貧弱にして、 これを恐れざる国民は富強なりと論定して可なり。 もしまた、 これをわが国民の間に考うるに、 鬼門方位を恐るるものと恐れざるものとの別あるも、 余いまだ、 これを恐るる家に禍害の来たること少なく、 恐れざる家に禍害の起こること多き事実あるを見ず。 実際上、 かえっ てこれを恐るる家に禍害の来たること多きがごとし。古来、 一代にしてよく家を興し富をいたせるものは、 大抵みなかくのごとき迷信に心を傾けざるものにして、 家をほろぼし産を破りもしくは貧困に苦しむものは、 多くこの迷信を有するものなり。 これによりてこれをみるに、 わが国民もし泰西諸邦と富強を争わんと欲せば、 まずこの迷信を去らざるべからず。 しからずんば、 到底貧弱の国たるを免れざるべし。
余おもえらく、 わが国人にして鬼門説を信ぜんか。 これすなわち、 己が国をもって大凶国と信ずるとなんぞ異ならん。 なんとなれば、 鬼門に向かい突出する国は、 日本よりはなはだしきはなければなり。 しかして、 鬼門に突出したる家に凶害多しとすれば、 鬼門に突出したる国もまた凶害多しと想定してしかるべし。 しかるにわが国は、 建国以来一統連綿として、 天長地久一種無類のめでたい神国にあらずや。 この一例によりても、 鬼門説の妄なるを証するに余りありというべし。 余は年来、 鬼門方位の妄説なるゆえんを己の身に試みんと欲し、 ことさらに悪方凶位を選びてこれに移転しあるいは家作するも いまだなんらの凶変の己の身に起こりたるを覚えず。 今その一例を挙ぐるに、 余が住家は八年前に新築せしところなるが、 ことさらに鬼門の方位に向かいて作れり。 ゆえに、 自らこれを称して「鬼門破りの家」という。 その後さらに鬼門に向かいて書斎を増築して自らこれにおり、 その後またさらに鬼門に向かいて土蔵を増築して書類をここにおさむ。 よって、 前後三回鬼門を破れり。 よろしくこれを「鬼門三度破りの家」と名づくべし。
爾来すでに三年以上経過せるも、 いまだなんらの凶災の己の身上に下るを見ず。 鬼門もし果たして人に禍害を与うる力あるならば、 余のごときは、 五、 六年前に早く冥土の客とならざるべからず。 しかるに今なお依然たるは、 鬼門説の信ずるに足らざる明証なり。 ひとり家作のみならず、 余は旅行、 転居等、 今日までことさらに凶日凶方を選びてこれに就きしも、 いまだなんらの凶害の一身上に及びしを検せず。 これみな、 鬼門方位説の迷信たるゆえんを証するに足る。
鬼門説の迷信たることすでに明らかなり。 迷信は文明の敵なり。 文明進めば迷信退かざるを得ず、 迷信増長すれば文明減縮せざるべからず。 これによりてこれをみるに、 わが国に鬼門方位説の今日なお行わるるは、 その野蛮なるを示すものにして、 日本男児の深く恥じざるを得ざるところなり。 ゆえに、 この迷信を退治するは、 すなわち国家文明の経営にして内地雑居の準備なり。 これ、 あたかも新年を迎うるに、 座敷はもちろん、 雪隠、 下水の掃除までを要するがごとし。 しかして、 迷信の起こるゆえんとこれを退治する方法とにつきて、 さらに一言を費やすべし。
およそ人の迷信を起こすは、 知識の明らかならざると思想の定まらざるとにより、 これに加うるに利己心の強きによらざるはなし。 知識明らかならざれば、 吉凶禍福の起こるを弁ずるあたわず、 思想定まらざれば、 吉凶禍福のためにその志を揺さるるを免れず。 しかして利己心のこれに加わるありて、 凶を避け福を得んとする欲情禁ずるあたわず。 かくしてひとたび迷いふたたび迷い、 再三再四ついに迷海中に沈溺して、 これを脱するゆえんを知らざるに至る。 もしこれを療せんと欲せば、 一には百科の学術によりて知識を進め、 二には真正の宗教によりて信仰を高め、 三には高等の道徳によりて利己心を制するを要するなり。 しかれどもこれすこぶる難事にして、一朝一夕のなし得るところにあらず。
ここにおいて、 余は直接に迷信を医する方法を考出せり。 すなわち、 世人の最も多く迷うところの事柄につきて、 いちいちその理由を説明解釈し、 これを一読するものをして再び迷わざらしめんと欲し、 先年来『妖怪学講義録』を編述せるに至れり。 かつ、 余は己の田に水を引くようなれども、 普通教育上に妖怪学の一科を設けて、これを小学教育に応用するにしかずと考うるなり。 すでに老い去りたるものは、 積年の間迷いに迷いを重ねたるものなれば、 到底一朝一夕にその迷信を医し難しといえども、 もし小学児童に妖怪学の一端を授け、 さらに中学においてその全科を授くるに至らば、 国民の迷信を払い去りて、 文明の民たるに恥じざる人物をつくることを得べし。 余が「妖怪学講義」の本意もまた、 その準備の便を与うるにほかならざるなり。
九 ヤソ教の変遷を論じてその将来を卜す
ヤソ教の変遷を論ずるに二方あり。一つは教理の変遷を論ずるものにして理論上の変遷といい、一つは組織の変遷を論ずるものにして実際上の変遷という。余の今日のべんと欲するところは、理論上にあらずして実際上の変遷にあるなり。それ、ヤソ教の起こりしより今日に至るまで種々の変遷を経たりといえども、 紀元二、三百年代までは、いまだローマ帝国の公許を得ざりしをもって、 ただひそかに民間に行われたるのみにして、 その徒はときどき残忍苛刻の制御を受けたり。 紀元三一二年、 有名なるコンスタンティヌス大帝、 民間にヤソ教を信奉するもの多きを見てこれを公許したるに、 その挙よく発勢の時機に投じたるをもって、 ヤソ教は一時に勢力を得て、 寺院、 教会等の組織もまた整えり。 しかして、 その組織は全く政治上の組織に擬し、 教区を分かちて教正を置き、 法王その上に位して僧侶に階級を立つること等、 全く政府の組織に異ならず。 しかして、 法王は宗教上の帝王なり。 しかれども、 実際法王が一宗の全権を掌握するに至りしは、 グレゴリウス大法王のときなり。 その後、 法王グレゴリウス七世に至りて、 その権力極点に達せり。
以上はすなわちローマンカトリック教にして、今日のいわゆる旧教なり。 今、この宗は法王をいただくをもって、これを法王宗というべし。 この法王宗に反対して、 別に一派の宗教起こる。 すなわちローマ帝国の東西に分かるるや、 西ローマはローマに都し、 東ローマはコンスタンチノー プルに都す。 ここにおいて、 宗教もまたおのずから分離の勢いあり。 元来、 ローマ法王とコンスタンチノープル教正とは、 その位次は異なるも権力にいたりては同等なるべき道理なるに、 法王の権威ひとり強盛に赴けるをもって紛転絶えず、 ついに紀元一五四年に至りて、 東部全く独立せり。 これをギリシア宗また東宗といい、その宗長を法長という。ゆえに、余はこれを法長宗というべし。 法王宗はもっぱら法王の命令をもって事を行えども、 法長宗は四人の法長すなわちコンスタンチノー プル、 アレクサンドリア、 エルサレム、 アンタキアの四法長の合議をもって事を行う。 ゆえに、 法王宗は君主専制のごとく、 法長宗は貴族政治のごとし。これは、この二宗の異なるところなり。この二宗はかく異なるところありといえども、 僧侶に高僧、 平僧の等級を立つるにいたりては同一なり。 ゆえに、この同一なる点より見れば、 ともに高僧宗というべし。 すでにかく僧侶に等級を立つるときは、 よろしくこれに反対する組織起こらざるべからず。なんとなれば、宗教上にありて、君臣上下のごとく等級を立つるの道理なけらばなり。果たせるかな新教革命の起こりしは、 これをもってその一原因となせり。 曰く、 僧侶はみな平等同権なりと平僧主義を唱えたり。 ゆえに 、これを平僧宗というべし。
新教の論は各国に起こりたりといえども、 ドイツのルター 氏最も著名なり。 氏と同時にスイスにツウィングリ氏起こりたれど、その宗はカルヴァン宗に合せり。 ルターの新教は全くローマ宗に反対して起こりたりといえども、 その組織上、ローマ宗に伝うるところのものをいくぶんか許せしところあり。 すなわち、 ローマ宗は偶像を拝し、 ヤソの像はもちろん、 その母およびその弟子の偶像を拝す。 ルター は偶像崇拝に反対すれども、 なお十字架上のヤソ像を拝す。 かつまた平僧主義を唱えたりといえども、 監主を置きて僧侶を総轄するの制を設けり。 ことに英〔国〕国教宗のごときは新教の一種なれども、 現に教正を置きてその下を支配す。 ゆえに、 高僧宗、平僧宗の二者ははなはだ異なるがごとしといえども、 監督宗の名を下すにいたりて両者相一致す。 しかれども、すでに平等同権を唱えながらなお監督者を立つるは、 宗教の旨趣に反せるものなり。
ゆえに、 宗教の共和組織なるもの、 よろしく起こらざるべからず。 カルヴァン宗およびスコットランド国教宗これなり。 スコッ トランド国教宗の始祖ジョン・ノックス氏は、 仏国カルヴァン氏の弟子なれば、 カルヴァンの教義を受けて教会を組織せり。 これを長老宗また会議宗という。 別に監督者を置かず、 僧俗共同の会議をもって事を決す。 ただし、 会議に大中小あり。 ゆえに、 この宗は監督宗とは全く異なれりといえども、 制規を設けて寺院以下信徒等を支配するにいたりては、 互いに相同じ。 ゆえに、 ともに有制宗あるいは寺法宗というべし。
ここにおいて、 またこれに反対して無制宗起こる。 すなわち、 別に一宗一般の規則制度を設けず、 各教会、 各寺院みな独立して、 各自の規則制度を定む。 組合教会、 浸礼教会、 ユニテリアン等これに属す。 この有制、 無制の二宗は全く相反するがごとしといえども、 寺を建て僧侶を置く点においては、 互いに相一致す。 ゆえに、 有僧宗(あるいは有寺宗)というべし。
これに反して無僧宗あり。 この宗旨は僧侶俗人の区別なく、 寺院会堂の設けなく、 ただ便宜の集会場に集まりて、 だれにても随意に説教をなし、 また演説をなす。 プリマス・ブレズレン宗その一例なり。 しかれども以上の諸宗はみな、 例えば餐礼、 洗礼のごとく儀式のある点においては、 互いに相一致す。 ゆえに、有式宗というべし。
これに反して無式宗あり。 クエーカー宗のごときこれなり。 この宗は一種特異にして、 すべて有形上の儀式をもって無用となし、 ただ静心沈意もって神を祈念するのみ。ゆえに、洗礼もなく餐礼もなく、 寺堂もなく礼檀もなく、 信徒相集まりて随意に演説もしくは説教するのみ。 かく異風の宗旨なれども、 戸内に会合するに至りては、 自他諸宗と同一なり。 ゆえに、 有式宗も無式宗もともに、これを戸内宗というべし。
これに反して、 今より三十余年前すなわち紀元一八六五年、 戸外宗起これり。 これをサルベー ション・アー ミー という。 その形式全く陸軍の風に取り、 信者みな軍服を模し、 大将、 中将、 少将、 佐尉等をもって役名を付し、 日曜日には隊を成し、 鼓螺を鳴らして出でて、 公園等群集の所において説教す。 ゆえに、 これを戸外宗という。 しかして、 この戸外宗も戸内宗もともに陸上の宗旨なれば、 これを合して陸上宗と称すべし。
これに反して海上宗あり。 これをサルベー ション・ネービーという。 余はこの宗のことを知らざれども、 察するに海上を航して、 碇泊の船中に入りて説教するものならん。
以上述ぶるところを要括し、 図表をもって示せば左のごとし。
法王宗
高僧宗
監督宗
法長宗
有制宗
平僧宗 有僧宗
会議宗 有式宗
無制宗 戸内宗
無僧宗 陸上宗
無式宗 地球宗
戸外宗
海上宗
以上によりてこれをみれば、 その発達、 実に極点に達したりというべし。 すなわち、 陸上宗といい海上宗といい、 同じくこの地球上にあるをもって、 これを合して地球宗というも可なりといえども、 もしこれに対してなお興起する宗教ありとせんか。 例えば星界宗のごときもののみ。 しかれども星界と通路を開かんは、 到底人力のよくするところにあらず。 たといよくするを得るとするも、 数千万年の及ぶところにあらざるべし。 また一方より見れば、 陸上宗といい海上宗といい、 同じく人間宗なり。 しかれども、 これに対して動物宗の起こるべしとは思惟すべからず。 なんとなれば、 動物に言語を通ずることあたわざればなり。 ただし、 さらに他の点より考うれば、 ヤソの諸宗はこれを総じて日曜宗というも可なり。 特に日曜日をもって祈禱すればなり。 ゆえに、 これに反して他の日をもって祈禱日となすもの、 あるいは起こらん。 しかれども、 とにかくヤソ教有形上の組織は、 今日すでに十分に発達せりというべし。 これに反してわが国の宗教は、 その組織いまだ発達せず。 ゆえに以後、 大いにその発達改新をはからざるべからず。 これ、 余の希望するところなり。 そのほか、 将来のことにつき論ずべき点多しといえども、 さらに他日をもって論ずることあるべし。
一〇 狐論
数十年前より予は、 心理学上精神作用のことにつき研究するところあり。 いわゆる「妖怪」というもののせんさくこれなり。 そのうち、 予がこれより述べんとするところは、 狐に関する妖怪なり。 昔より民間には、 狐の人を妖かすということあり。これ、ひとりわが国のみに限らず、 シナにもこのことある由は、 かの国の諸書に見えたり。 これにつき実際、 狐の人を妖かすものなりやを研究するに、 予は大いにそのしからざるかを疑う。 狐は動物学上、 身体の構造より見るも、 神経の組織より見るも、 また知識の程度より説くも、 到底、 動物中の高位を占むべきものにあらず。 さるに、 動物中の最高位にある人を妖かし得べき道理あらんや。 もし、 狐にして人を妖かし得べしとせば、 狐よりさらに数等の上に位する猿のごとき、 象のごとき動物は、 一層巧みに人を妖かし得べからんに、 そのことなくして、 ひとり狐のみ人を妖かすというは解しがたし。 これ疑いの一なり。 狐は東洋に限らず西洋にもすめり。 もし、 狐が実際人を妖かすものならんには、 西洋の狐もまた人を妖かすべきはずなるに、 このこともっぱら日本、 シナに行わるるは解しがたし。 これ疑いの二なり。 従来、 狐の人を妖かしたりというを聞くに、 一般の人だれかれの別なく妖かさずして、 必ず知識に乏しき者、 臆病なる者、 酒酔いの者などに限り、 また上等の人よりは下等の人、 男よりは女に多き等のことは、いよいよ解しがたし。 これ疑いの三 なり。 また、 従来の狐の人を妖かしたりというを聞くに、 朝および日中になくて、 暮れおよび夜間にあり。 特に月明かりのときよりは暗雨のときに多く、 かつ人多き市街、 村落になくて、 寂寞たる山中、 社林、 墓所などにあるの理、 また解しがたし。 これ疑いの四なり。 また、 未開の時代、 末開の地方に多くこのことありて、 教育普及の今日に少なきも、 同様に解しがたし。 これ疑いの五なり。 また、 臆病、 無知なる人の中にも、 三、 四歳の小児および生来の白痴漢には決してこのことなきも、 同じく解しがたし。 これ疑いの六なり。 狐は実際、 動物中の最高位にある人を妖かし得べしとせば、 人以下、 犬、 猫、 兎、 狸のごとき諸動物は一層たやすく妖かし得べからんに、 かつてこれらの奇聞を耳にせざるは、 いよいよもって解しがたし。 これ疑いの七なり。 ここにおいて考うるに、 従来狐に妖かされたるものは、 学識あり、 豪気ある者、 および「狐は人を妖かす」ということの記憶を有せざる幼児、 白痴等に見ることを得ずして、 愚昧なるもの、 臆病なる者、 酔中正気を失いたる者などにのみありて、 特に「狐は人を妖かす」ということの記憶を有する者に限れるがごとし。
これによりて、 予は従来狐の人を妖かすといえることは、「人の狐に妖かさるる」ことなるを知る。 語をかえていえば、 狐に人を妖かすべき能力あるにあらず、 人自身において狐に妖かさるべき原因あるを知る。 その原因とは、 人自身の脳裏における諸種の記憶中、「狐妖に関する記憶」これなり。「狐の人を妖かす」ということを、昔の言い伝えに聞きてこれを記憶にとどめ、 無知の者はこれを信ずること深きが故に、 一日外出して夜に入り、寂莫たる山林の中を行きつつ、 たまたま言い伝えに聞ける、 狐の人を妖かす場所に彷彿たるを思い浮かべ、 彼「狐妖に関する記憶」一時に激動して、 平素の臆病これに添い、 ついにほかの精神作用を失いて、 洸惚たるありさまとなる。 人、 これを呼びて「狐に妖かされた」という。 なんぞ知らん、 人自身の記憶によりて自身を妖かすものなることを。
さらに心理学上これを説明せんに、 およそ人の精神作用、 すなわち脳髄各部の作用は、 その外部より受くるところの種々の刺激に応じて、いろいろに発動するものにして、 決して時々刻々同様の発動をなすものにあらず。ゆえに、 無知、 臆病者の寂寞たる山林にして、 狐妖の言い伝えある場所を通行するや、 狐妖の記憶のみ一時に激発して、 諸心力ただその一点に会注し、 ほかの精神作用全く休止するもののごとし。 例せば、 夢について見るべし。 夢はやはりこの理によりて生ずるものにて、 人の睡眠するや、 一時は脳全体のその作用を停止するも、 前日脳の各部において、 その疲労を感ぜし割合一定せざれば、 一時の後、 各部の醒覚する時間に多少の前後、 遅速あり。 かくして一部分醒覚してほかの部分休止するとき、 これを夢という。 もし全体休止するときは、 これは熟眠という。 全体醒覚するに至れば、 これを覚時とす。 ゆえに心理上夢を解して、 脳中一部分の意識、 記憶の自然に発現する状態なりとす。 これをもって、 夢中見るところのものは、 覚時に至りて回想すれば、 その大いに誤りありしを覚ゆ。 これ全く夢中には、一部分の作用の無意自然に発現するによる。例えば、 夢中には数十年前の亡友に接見し、 数百里外の土地を現見するは、かの精神作用ことごとく休止して、 亡友生前の記憶、 または郷里にありしときの記憶のみ発現するによるなり。 すでにしてほかの各部、 序を追って醒覚し、かの友は数十年前に死にき。 予は今、 百里外の他郷にありということを知得するに至る。 しかして、 前時に見しところは夢なりしを悟る。 今、 図をもって解示すること右のごとし。
仮に全脳を甲圏と定め、 乙圏をもって友人の生時の記憶をとどむる場所とし、 丙圏をもって死後の記憶を存する場所としてこれを解するに、 夢中には脳の一部分休止して一部分発動するをもって、 もし乙圏の部分発動して丙圏の部分休止するときには、 すでに死したる友人を現に生存するものと信ずるよりほかなし。 夢中に距離の遠近を混同するも、 この図解に準じて知るべし。 この図解は全く余が空想に出でたるも、かくのごとく想定するときは、 狐妖の原因を説明するに大いに便なれば、 ここに夢の説明を掲げたるなり。
夢の道理によりて、 狐妖のことを説明し得べし。 狐妖のことは、 われわれが幼少のときより人の話に聞き込みおる故、 わが脳中にその記憶を存し、 またまた狐に接し、 あるいは狐の棲息する場所に至れば、 その記憶内に動きて自ら狐妖をつくり出だすに至るべし。 もし、 この狐妖を去らんと欲せば、 その記憶に精神作用の集合せるものを分散する方法を取らざるべからず。 もし、 速やかにその本心を復さしめんとするには、 非常なる刺激を与えて、 脳中のほかの部分をして、 おのおのその作用を呈せしむるにあり。 夜間、 大声のために夢を破らるることあるも、 この理にほかならず。 従来、 狐妖を去る方法をたずぬるに、 鐘鼓をならしてその人を求め、 あるいは神社、 寺院などに伴いて、 祈禱あるいは 祓 などをなすがごときは、 自然にこの規則にかなえるなり。 また、 寺院、神社に行きて回復するは、 一はかねて狐に妖かされたる者、 この寺社に祈りて回復したりということを聞きおりたる記憶が、 たまたま、 その寺、 その社に行きて浮かび出ずるによるならん。
また、 狐に妖かさるるには、 これまで世間に言い伝えある場所の記憶が媒介となりて、 その場所に至ればその記憶を促すによる。 例えば、 身投げは吾妻橋、 首縊りは擂鉢山というごとく、 すでに世間にその言い伝えあるときは、たまたま心中に苦痛あるもの、 吾妻橋を過ぐれば死にたくなり、 擂鉢山に行けば首縊りたくなると同一理にして、 狐に妖かさるるにも、 だれは某の山路にて妖かされたることありというを聞きおりて、 たまたま山路を通過すれば、「狐妖の記憶」一時に激動し、ついにその記憶に妖かさるるに至るもあらん。 また、 その山路ならずとも、 森林鬱々として、 狐のすみそうに見ゆる場所を過ぎ、 寂寞たるありさまより、 なんとなく妖かされそうになりて、 ついに本心を失うに至るもあらん。 しかして、 巧みに狐の鳴き声を発し、 また狐の身振りをなし、 油揚げをむさぼり、 小豆飯を好み、 犬を恐るるなどの変態異状あるは、 全く、 かねて記憶する狐妖の状態を自ら学ぶものなり。
かく、 説を重ねみれば、 狐妖の原因は狐妖の記憶にあり。 すなわち、 古来狐妖に関する言い伝えの記憶にあるなり。 ゆえに、「狐の人を妖かす」にあらず、「人の人を妖かす」ものなるを知るべし。 換言すれば、 狐に人を妖かすの能力あるにあらずして、 人心中にその原因あるを知るべし。 しかれども、 狐、 決してこのことに関係なしとすべからず。 人、 かねて狐の実体を目撃せしことあるか、 あるいは絵画、 もしくは昔話などによりて見聞せしことあるか、 また狐によりて妖かされたる言い伝えある場所を通過することあるかの事情が、一つは記憶に存し、一つは実際に接見して起こるものなれば、 狐そのものが原因の一種たるに相違なし。 ただし、 誘因となるのみ。
およそ、人の胸中、 記憶のありさまは、その連絡に強きと弱きとありて、 連絡強ければ、一方に狐妖の記憶動くも、また一方にこれを打ち消すもの起こりて、その本心を失わしめず。愚昧なる者、 臆病なるもの、小児、婦女子のごときは、この連絡弱きが故に、ただ一方の狐妖の記憶のみ激動して、 その本心を失うことありといえども、 知識あり、 強胆ある人は、 この連絡強きが故に、 さることなきなり。 しかれども、 時として、 知識あり、 強胆ある人も狐妖にかかることなしとせず。 かかるときには必ず事情あるべし。 すなわち、 父母、 妻子の大患にあいたるときとか、 一家の不幸に苦思する際とか、 長病にて精神衰耗の後とか、 あるいは大酔のときとかの事情あるべし。 かかるときは、 知識あり、 強胆ある人も、 覚えずこの連絡の弱くなることあればなり。
さて、 狐妖の主たる原因は人の記憶にありて、 狐これが誘因たるは、 すでに述べたり。 なお、 この最大原因たる狐妖言い伝えのことについて、 その原因を考索するを要す。 古来狐妖に関する言い伝えは、 わが国にも古く言うことなれど、 そのもとはシナより伝来せしものなり。 しかして、 この言い伝えの最初は、 いかなる場合より起こりしにや知るによしなけれど、 思うに、 こは偶然の出来事にて、 人の気の狂いたるとき、 あたかも一匹の狐その前を過ぎたりとか、 狐のすむ山中の、 寂寛なる地において発狂したりとか、 いずれにしても狐と発狂と、 二、三回偶合したりしことあるより起こりたるならん。 かかる例は、 世にある習いにて、 かの彗星の出でたる際に内乱ありしかば、 後世、 彗星の出ずるは内乱の兆しとせるがごとく、 偶然の出来事にみだりに関係を結び付けて言い伝えとなりたるものなるべし。 しかして、 この言い伝えをもって、 最大原因というは三、 四歳の幼児、 もしくは生来の白痴者、 または西洋人のごとき、 いまだこの言い伝えを耳にせざるもの、 すなわち狐妖に関する言い伝えの記憶なき者には、 決して妖かされたる例なきによりて知るべし。
およそ人の精神作用は、 時々変動し、 年々変遷するものにして、 その発達も各人異同あれば、 今思うところ、後にたがうことあり、 朝思うところ、 暮れにたがうことあり、 今日思うところ、 明日異なることあり、 今年思うところ、 明年異なることあるものなれば、 ひとり狐に妖かさるるときのみ、 精神作用の一方に偏するにあらず。学問をなすにも、 事業をなすにも、 その脳中の全部平等に活動するは、 普通平凡の人にして、 かの新発明をなし、 大事業を起こし、 英雄豪傑といわるるものは、 決して、 全部平等の発達活動をきたすにあらず。 必ずや、 ある一方は偏して、 非常に発達活動したるによる。 例えば狂人に同じ。 かの狂人なるものも、 その脳の一部分の活動その度に過ぎて、 行為、 挙動の権衡を失するによる。 孔〔子〕、 孟〔子〕、 釈〔迦〕、 老〔子〕のごときも、 平凡の人に大いに異なるところあるを見るは、 その脳の発達も、 不平均をなせしや明らかなり。 ゆえに、 聖人も一種の大狂人と称してしかるべし。 ただそのなすところ、 大いに世を益せしをもって、 人これを狂人とせず、 かえって聖賢として貴ぶ。 しかれども、 かの有害無益の狂人にありては、 癲狂院に幽閉して人これをいやしむ。 願わくは、吾人平凡にして一生をおわらんよりは、 狂人になりたきものなり。 ただし、 有益の狂人とならんことを願うなり。
余はここに狐妖弁を終わるに臨み、 一言世人に望むものは、 いよいよ教育の普及をはかるべきことなり。 教育をして天下に普及ならしめ、 人知の発達を進めて、「狐は人を妖かすものにあらず」との記憶を、 確かに有するに至らば、 今日の狐妖も、 後世ただ一つの昔語りとなるや疑いなし。
以上、 狐妖のことについて大略を述べたりといえども、 予もなお研究の完全を得たりというにあらざれば、 誤見なしとも保証しがたし。 諸君、 願わくは、 この狐妖に関する事実の材料を得られんには、 寄贈して予の研究を助くるにおしむなかれ。
一一 宗教東西の大相撲
さて今日は、 東西各国の宗教が打ち寄りて、 大相撲を興行する時節となれり。 これ実に得難き時節なれば、 願わくはその勝敗を一見して、 将来の宗教のいずれに定まるやを知らんとす。 まず、 世界の宗教の種類は十大教あるいは数十宗にかぞうれども、 その今日現存して純然たる宗教の性質を有し、 かつ社会に多少の勢力を有するものは、 六大教あるのみ。 左に、 これを信者の数に応じてその名を列挙すべし。
第一・・・仏教・・・・・・・・信徒五億人
第二・・・ヤソ教・・・・・・・信徒三億五千人
第三・・・イスラム教・・・・・信徒二億人
第四・・・バラモン教・・・・・信徒一億五千人
第五・・・ユダヤ教・・・・・・信徒七百万人
第六・・・火教・・・・・・・・信徒百万人
信徒の統計は諸説一定せざれば、 余はしばらく二、 三の統計を対照して大数を示せるのみ。 この六大教がみなアジア地方に起こりしは実に奇というべし。 けだし、 宗教はアジアの特産と称して可ならんか。 もし、 これを宗教の性質によりて分類するときは二大教となるべし。 すなわち知力教と意力教なり。 仏教、 バラモン教、 火教の三種は知力教にして、 ヤソ教、 イスラム教、 ユダヤ教の三種は意力教なり。 前者を知力教と名づくるは、 その性質、 元来理屈道理をもととし、 哲学思想によりて組織せるものなればなり。 しかして後者を意力教と名づくるは神の命令法律をもととし、服従実行を本意とするによる。 けだし、かくのごとく世界の宗教上に性質の異同を見るに至りたるは、人種の異同と教理の発達とに関係を有せり。まず人種の異同とは仏教、バラモン教、火教の三種は同一人種すなわちアーリア人種中より起こり、 その人種の特性は知力の発達にあり。 古代ギリシア人種のごとき今日欧州各国人種のごとき、みなアーリア人種にして、その古来学術思想に富めるは、元来知力性の人種なるによる。これに反してヤソ教、イスラム教、ユダヤ教ともにセミティック人種より起こり、 その人種は意力性にして知力性にあらざるをもって、 古来なんらの学術もその人種中より起こりたるを聞かず。ただ一種の命令的精神をもって、活気いな殺気を人間社会に与うるをもって特性とす。イスラム教徒がその教を弘むるに剣とコーランとをもってしたるは、 その一例とみなして可なり。つぎに教理の発達とは、仏教も火教もともにインドの古典『ヴェーダ経』より転化したるものにして、『ヴェーダ経』はバラモンの本経なれば、 仏教、 火教ともにバラモン教より直接あるいは間接に変化したるものなり。しかしてバラモン教は最も知力性を胚胎せる宗教なれば、これより転化したる宗教もまた、 みな知力性の宗教を組織するに至れり。 仏教は バラモン教派の教理に反対して、はるかにその上に超絶せる真理を開発しきたれるものなれども、歴史上の発達においては、バラモンの教理より転化したるものといわざるべからず。火教はその年代つまびらかならずといえども、 これを仏教に比するにやや古きものなるべし。しかしてその教理は仏教のごとくバラモンに直接の関係を有せざるも、やはりヴェーダ思想の方向を転じたるものなるべし。ゆえに、 その性質また知力を帯ぶるに至れり。これに反して、ヤソ教およびイスラム教はその源ユダヤ教より起こり、ヤソ教はユダヤ教の嫡子、イスラム教はユダヤ教の孫子なるがごとき関係あるも、 ともにユダヤ教の一神的命令教の身分変体にほかならず。 これ、 現今の六大教が自然に知力、 意力の二大種に分かるるに至れるゆえんなり。 今、 その二大種を年代の前後に応じて列挙すること左のごとし。
バラモン教
知力教すなわちアーリア人種教 火 教
仏 教
ユダヤ教
意力教すなわちセミティック人種教 ヤソ教
イスラム教
もし勢力によりてこれを較すれば、 知力教の代表者は仏教にして、 意力教の代表者はヤソ教ならざるべからず。 バラモン教、 イスラム教そのつぎにして、 火教、 ユダヤ教またつぎなり。 ゆえに、 もし六大教の相撲取組の番付を作らば、 必ず左のごとくなるべし。
大関・・・仏教
東の方 関脇・・・バラモン教
小結・・・火教
宗教大相撲取組番付
大関・・・ヤソ教
西の方 関脇・・・イスラム教
小結・・・ユダヤ教
かくのごとく東西両方の取組自然に定まりたれば、 これより第二十世紀の青天白日に当たりて、 一大勝負を世界の土俵の上に決するに至るべし。 勝敗の数はいずれに帰するや、 今より確定し難しといえども、 双方の事情を比較対照するにおいては、 やや判知するを得べし。 もし信徒の数をもって較すれば、 東の方、 西の方より多きこと一億人なり。
(東)仏教五億 バラモン教一億五千 火教百万 総計六億五千百万
(西)ヤソ教三億五千 イスラム教二億 ユダヤ教七百万 総計五億五千七百万
この数によりて勝敗を判ずれば、 勝利は東の方に帰せざるべからず。 しかるに、 仏教などは全くアジアの微弱なる国に信徒を有し、 ヤソ教などは多く西洋の富強の国に信徒を有するをもって、 その勢い、 西の方かえって勝算を有せざるべからず。 しかるに、 さらに第二十世紀の天象を観測するに、 社会はますます知力道理の世界となるは必然の勢いなれば、 宗教もまた知力道理の宗教にあらずんば、 その際に生存すること難きに至るべし。 果たしてしからば、 世界の機運は知力教のためにその道をひらきつつありというべし。 機運は天なり、 人力の動かすべきにあらず。 ゆえに、余は勝算の七分は知力教にありと信ず。 仏教に志ある者、 一杯をあげてその前途を祝すべきかいなか。
一二 禅 宗 の 心 理 (明治二十六年五月二十四日哲学会講演)
禅宗のことに関し、 余は近来、 少しく取り調ぶるところありて、 遠からず『禅宗哲学』と名づくる一書を、 世に公にせんとするの考えなれば、 今はその一端を述べんとするなり。
およそ仏教は宗旨のいずれを問わず、 心を本とし眼目とすることは、 諸宗に通じて一般なるがごとし。 なかんずく禅宗にいたりては、 けだしその最たるものなり。 なんとなれば、 他の各宗派においては、 その目的とするところ心にありとするも、 なお心外の種々の階級を用うるを常とすれども、 ひとり禅宗にありては、 むしろかかる一切の階級を離れて、 単にもっぱら心を主とするものなるが故に、 これぞ真に心の宗旨とも名づくべからん。 されば、 禅宗と号するその名において、 すでにその意味を含めたり。 もっとも、 禅は禅定と熟字して、 三学の一つとするときは、 仏教にありて実際の修行上欠くべからざるものたるはもちろんなりといえども、 禅宗のいわゆる禅は、 三学の禅定とはまたおのずからその意義を異にするものあるに似たり。 ゆえに、 中峰国師〔 明 本〕の『広録』には、「禅者心之名也」(禅とは心の名なり)とあり。『伝灯録』にいわく、「禅有深浅階級(中略)若頓悟心本来清浄、 元無煩悩、 無漏知性本自具足、 此心即仏、 依此修者是最上乗、 亦名如来清浄禅宗密禅、 云云」(禅に深浅階級あり(中略)頓悟の心のごときは本来清浄にして、 元より煩悩なく、 無漏智性、 本より自ら具足し、この心すなわち仏なりと頓悟し、 これによって修すれば、 これ最上乗禅なり、 また如来清浄禅、 宗密禅と名づく、云々)と。 この最上乗の禅、 すなわちこれ禅宗の禅にして、 普通に称するところの禅と同じからず。 この禅すなわち心の名なるが故に、 禅宗は心宗なり。 さればこそ、 仏心宗の名は『伝灯録』の各所に見え、『無門関 』には「仏語心為宗」(仏語心を宗となす)といえり。 この語はもと『楞厳経』に出ず。 その註に「一切仏語心者、 乃三世諸仏所説性自性、 第一義心也」(一切の仏語心とは、 すなわち三世の諸仏の説くところの性の自性、 第一義心なり)とあり。
そもそもこの仏心宗すなわち禅宗の起源は、 もと文字をもって伝えず、 言語をもって付せず、 いわゆる「以心伝心、 教外別伝」にして、「直指人心見性成仏」(じきに人の心を指し、 見性を成仏となす)の旨なり。 この宗の伝うるところによれば、『大梵王問仏決疑経』の中にこの旨出でたりとなり。 所言釈尊四十九年の終わりに、 霊山会上に拈華のことありけるに、 人みなその意を了するなし。 ひとり金色の頭陀破顔微笑す。 仏すなわちこれを迦葉に付嘱していわく、「吾有正法眼蔵涅槃妙心実相無相微妙法門、 分付摩詞迦葉」(われに正法眼蔵涅槃妙心、実相無相微妙法門あり、 摩詞迦葉に分付す)と。 これすなわち禅宗の発端なり。
そは、 ともかくもこのいわゆる「正法眼蔵涅槃妙心実相無相」の法門とは、 畢竟するに、 すなわち一心なり。この一心を主とするところの仏心宗なるものは、 なにごとをか教うるというに、 見性悟道にほかならず。 見性悟道とは、 自己の心地を開きて、 本来の面目を現すをいい、 その法則に古則公案あり。 公案とは、 古人悟道の法則ともいうべきものなり。 つぎに坐禅ということありて、 坐禅には調身、 調心の二法あるべし。 調身の法によりて四肢五体を安んじ、 調心の法によりて心また自ら寂静なることを得。『坐禅用心記』に、「夫坐禅者、 令人開明心地安住本分、 是名露本来面目、 亦名現本地風光」(それ坐禅は人をして心地を開明し、 本文に安住せしむ。 これを本来の面目をあらわすと名づけ、 また本地の風光を現ずと名づく)とあり。 いわゆる調身、 調心の二法によりて、 吾人心性の本分を開発するの謂なり。
余の今ここにいわんと欲するところは、すなわちこの開発のいかなることなるかを、 心理学上より説明を試みんと欲するにあるなり。 けだし、この本来の面目を顕発したる、かの悟道の状況はいかなるものなりやにつきては、これを書に筆したる者またすくなしとせざれども、 要するに言語思想の及ばざるところをしいて説き、しいてあらわしたるものにして、いまだその文字言句によりて、 明確にこれを知得することほとんど難し。こはただ各自実際に坐禅観念の工夫を凝らし、 自らこの地に至らずんば明からむることあたわざるべし。されど、今『無尽灯論』に説けるところの順序を見るに、約して一言せば、坐禅によりて動乱の心を静め、 平生の心意作用すべて行われず、 気息もまた絶せんとす。 このとき身心を放捨してそのありさまに一任するときは、「嶮崕撒手絶後再蘇」(嶮崖に手を撒して、 絶後に再び蘇る)といいて、その心再び蘇生して、大道の現前することあるべし。かくしてひとたび関内に入りたる上に、また幾種の階級ありて、 曹洞と臨済とその名目を異にせり。 臨済には三玄三要、四賓、四料揀の名を立つれども、洞山には別に五位の名目あり。なおまた、わが国曹洞の開山道元禅師は、身心脱落の悟境を天童山如浄禅師の下に開き得しより、帰朝ののち身心脱落の悟境をもっ て一流の安心を定めたり。しかれども、臨済、曹洞その名かくのごとく異なりといえども、到底はみな同一理ならずんばあらず。究覚しては身心脱落の無階級にして、この無階級の中に自ら五位等の階級を存するなり。これを無階級中の階級とす。
これらの理を今、心理学上より説明せんとするには、まず西洋心理学につきて一言するところなかるべからず。 けだし、心理学上にいわゆる知情意の三者は心性の作用現象にして、すでに作用現象ある以上は、 またその 心性の本体なかるべからず。 この心性の本体を、 余は仮に呼んで心体という。 この心体を囲繞するところの外界の諸体と、 心象との間に起これるものはすなわち知情意の三者にして、 これを名づけて心象というなり。 ゆえに心象と心体との関係は、 あたかも風の外より吹き来たるありて、 水上に波浪を起こすと同じく、 心体の上に外界の現象映射し来たり、あるいは刺激によりて心体面上に起こししところの波、 この波すなわちこれ知なり情なり意なりとす。
しからばこの心象なるものは、 すでに外界現象刺激に随伴して起こるところの波なるが故に、 その性質や必ず有限性、 相対性のものたらざるべからず。 心象はかくのごとくにして有限性、 相対性のものなりといえども、 もしそれ心体は有限相対の範囲を超絶して、 無限絶対の体たらざるべからず。 人、 あるいはかかる無限絶対の心体なるもの、 元よりあることなしといわんか。 今、 その有無を論ずるいとまなし。 ただし仏教にありては、 必ずやこの心体の存在を認めざるべからざるものとす。 しかして禅宗の目的とするところは、 また実にこの心体にありて存するなり。 これを本地の風光とも本来の面目とも称するなり。
この本地の風光、 本来の面目、 すなわち自己の体とするところは、 いわゆる無限絶対の心体にして、 この心体とは実は真如法性の一理なり、 真如はもとより心物一切万有の本体なりといえども、 禅宗は三界唯一心の理よりして心外無別法と立てて、 一切の万有を一心に摂するをもって、 万有の体すなわち一心の体なり。 ゆえに、 求むべきところは常に心内に存する自己本来の面目にありて、 遠くこれを心外に求むるを破斥するなり。 しからば、通例の心象すなわち知情意の三つは有限相対のものなれば、 この有限相対の心起動してやまざる間は、 かの絶対無限の心体を顕発することあたわざるべし。 知情意の雲はれざる以上は、 真如の月その光を放つに由なし。 されば、 この起動するところの諸種の心象をとどめ、 知情意をして寂静にして作用することなからしめ、 しかしてはじめて真如法身の体あらわれん自己本来の面目見つべし。 ゆえに、 坐禅はあたかも浮動やまざる迷雲をはらうの風にして、 知情意有限の作用をとどむるの方便なり。 すでに有限性、 相対性の雲去り迷転するときは、 ただちに真如の本性、 心体の自体を出だすは、 なほ盆中の水、 波静かにして水体すなわち現ずるがごとけん。 しかれども、 禅宗は身を静閑の地に置き、 感覚を動かすべき外囲の事物を去りて、 やがて有限相対の心象を駆逐し、 真如の月現れたらましかば、 これにて事足れりというべきかというに、 いまだしからざるなり。 こはこれ、 ただ心のひとたび死するの境なり。 しかれども、 さらにこの境を過ぎて再び蘇するの地に至らざるべからず。さては、その死するといい蘇するというは、 そもそもなんぞや。
今これを知らんとするには、 まず心象に有限性および無限性の二種の性質あることを仮定せざるべからず。 知情意の三つはすでに有限の外界に関係して起こるところ、 かつ知情意の三者互いに相制限するところの有限性のものたることはもちろんなりといえども、 しかれども 、いまだこれをもって単に有限性なりということあたわず。 その裏面にはすでに、 すでにまた無限の性質を有するなり。 なんとなれば、 その外界可知的の境に対して起こるところの知力のごときは、 これもとより有限の作用なりといえども、 もしそれ多少不可知の境を知り、 ついにはこの境に冥合せんとするの傾向あるがごときは、 みなもって知力に無限の性質あることを証すべし。 スペンサー氏の、 人知は相対的にしてその作用は有限の知的界に限るというは、 その有限性の部分につきてのみいうべし。 例えば、 吾人は実に個々の事物につきてのみ、 確実の知力作用をたくましくするを得べきがごとしといえども、 なおここに満足せずして宇宙全体というがごとき絶対的の思想作用を生ずるは、 すなわちこれ無限性を心象中に具するものというべきがごとし。 かのシュライエルマッハー氏は、 宗教と哲学との分界をなして、 哲学は知の作用なり、 なんとなれば、 古来哲学と称するものはみな相対上、一より他に推理究明し去るものなればなり。今それ宗教の問題にいたりては、 神のごとき絶対者を感ずるものなるが故に、 こはこれ知の作用に属せずして情の上に存するものというべしといえり。 しかれども、 氏はいまだ知の上にもまた無限性を具することを知らざりしなり。 もし、 ひとり情のみ無限の性質を有して、 知はすなわちこれを有せずというがごときは、 あに理に合するものというべけんや。 かつ、 情においてすでにこれを感じこれを信じぬるには、 必ず知のこれに伴うなくんばあるべからず。 多少知力の推理にかりてその情に満足を与え、 かつこれによりて信仰を生ずるものにして、 全く知力作用を離れて情ひとり信を生ずるというがごときは、 理の決してあり得べからざるところなり。 されば、 知もまた有限性の裏面に無限性を具するや明らかなるのみならず、 情もまた実にその表面は有限性のものにして、絶対を感ずるはその裏面の性質による。 これと同じく、 意もまたこの両性質を具して、 常に有限性の意志に無限絶対を捕らえてこれに合一せんとするの傾きあるものなり。 されば、 知情意の三者はみなすべて表裏の両面において、 有限無限の二性質をそなうるを見るなり。
この理、 無限絶対の心体上より説くときは、 さらに明かつ易なるを覚ゆ。 なんとなれば、 心象は心体の発動するところにして、 有限相対の知情意も裏面は無限絶対の心なればなり。 されば、 心象は外界有限の現象に接しては有限の性質あれども、 裏面無限の心体との間には、 また一種の粘膜によりて相密着するの観あるなり。 かく心象は有限無限の両性を有す。 しかして宗教は、 たとい未発達にしていまだ真の無限を認めず、 有限を誤りて無限となすことあるも、 とにかく一般にその目的とするところは無限の体にあるが故に、 宗教に自ら知の無限を本とするもの、 情の無限を本とするもの、 意の無限を本とするものの三つを生ずるに至るべく、 しかして仏教中また実にこの三宗を分かつべし。 かの天台、 華厳のごとき、 仏教中特に理論を主とし、 宇宙の真理を究めてこれに体達せんとするもののごときは、 知の無限を本とするものというべく、 法相宗の有漏智を転じて無漏智を成ずると説くがごときも、 有漏智は有限性の知にして無淵智は無限性の知なれば、 これまた知宗なりとす。 また、 情の無限を本とするものは浄土門にして、 情は受け込むべき性質のものなるが故に、 他の力を受けこれを感ずるものなり。 真宗のごときは、 特にこれに属すべきものとす。 つぎに、 意宗はすなわち禅宗なり。 禅宗は一切の階級を捨て無階級をもって目的とするが故に、 いまだ知情意によるものというべからず。 すなわち坐禅によりて知情意を静め、 知情意を離るるものなり。 しからば全く無階級なるやというに、 無階級の中またおのずから階級あり。 換言すれば、 有限性の階級没して無限性の階級出ずるなり。 その有限性の階級没するは、 すなわち心ひとたび死するなり。 無限性の階級再び出ずるは、 すなわちひとたび死せる心再び蘇生するなり。 しかして、 そのここに達せんには、 まず意によりて真如の心体を捕らえざるべからず。禅宗に活提というものすなわちこれなり。 この意はすなわち無限性の意にして、 この意によりてよく真如心体を活提しきたるときは、 心また動転することあるべからず。 これを禅宗の目的となす。
しかれども、 今この無階級中の階級をもって、 いちいち心理学の分類に当てはめてこれを明らかにせんとすることは、 もとよりよくすべからず。 さりながら、 大体上悟道ということは、 心理上、 哲学上、 いかなるものなるかにつきての余の考え得たるところは、 上に述べたるところのごとし。 ただし、 余はいまだ親しく参禅の功を積みしことなく、 禅宗に関する知識いまだ多からず。 他日ようやく研究の功を尽くしなば、 またあるいは今日述ぶるところの誤見なるを見いだすのときあらんも知るべからず。 とにかく余は今、 局外者として自己の私見を述べしにとどまる。 禅宗部内の人々はいかにこれを見るらんかは、 余の知らんことをねがうところなり。
一三 仏教改革私見 (釈尊降誕会に列していささか所感を述ぶ)
道の相へだつるや二千余里、 時の相へだつるや三千余年、 峨々たる雪山の南、汪洋たる恒河の辺りなる中天竺迦毘羅城に、 空前絶後の大覚者の降誕せるあり。 これを大聖釈迦牟尼仏という。 伝に曰く、 仏生まれて自ら行くこと七歩、 手をあげて「天上天下唯我独尊」と揚言したりと。 余、 果たしてその言の仏の口より出でたるやいなやを知らずといえども、 仏その人は真に唯我独尊の大覚者なるを知る。 ゆえに、 余は満堂の諸君とともに、 かかる大覚者の東洋の天地に降誕のあとを示されしを祝せんと欲す。 近年、 青年の学生相集まりて降誕祝賀会を開くこと東西に行われ、 三都はもちろん、 地方の都会にいたるまで争いてこれを張らんとし、 やや流行のふうあるを見る。 今、 その挙たるや実に賛すべく、 その典たるや実に嘉すべしといえども、 もしこの盛典をむなしく一席の演説や、 茶菓や余興の中に葬り去るに至らば、 町内の若者が神田や山王の祭典におけると同じく、 世間よりこれを評して、 書生の慰みか、 お祭りのように考うるは必然なるべし。 果たしてしからば、 せっかくの美挙もほとんど水泡に属す。 遺憾あにすくなしとせんや。 これ、 余が本日の降誕会における所感を述べて、 満堂諸君の批評を請わんと欲するゆえんなり。 退きて世界における仏教の現状を察するに、 これを奉信するの徒、 少なくも地球人口の三分の一以上を占め、 大数五億万と称す。 仏滅後三千年の今日にありて、 なおかかる最多数の信者を有するは、 実に盛んなりといわざるべからず。 しかるにその本家たるインドは、 バラモン教、 イスラム教の蹂躙するところとなり、 仏の遺教ほとんど地を払うに至れり。 シナ、 三韓は仏教依然たるを見るも、 その精神すでに去りて、 ただ骸骨をとどむるがごとき観あり。 しかしてわずかに活気を存するものは、 ひとりわが日本の仏教あるのみ。 かつ将来の望みを属すべきものも、 またただこの仏教のみ。 ゆえに、 余は今日の降誕会に際し、 諸君とともに仏教の前途の容易ならざるゆえんを述べて、 日本仏教の健康を祈らんと欲す。
さらに眼向を転じてわが国の政海を傍観するに、 黒雲四方に遮りて驟雨まさに来たらんとする状ありて、 東洋の天地、 これより暗澹たる光景を現ぜんとするがごとし。 あに、 大いに警戒することなくして可ならんや。 今や欧米各国が優勝劣敗、 弱肉強食の活劇をわが四隣において演ぜんとし、 列国の平和もまさに破れんとするその間髪をいれざるありさまに迫りたるは、 我人が日々の新聞において認むるところなり。 果たしてしからば、 ひとり宗教のみならず、 国家の前途もまた容易ならざるものあり。これ、 実に東洋目下の大勢なり。 もし、 仏教をこの間に弘通せんと欲せば、 まずこの大勢に適応するゆえんを考察せざるべからず。 ああ、 わが十万の僧侶は、 その数決して少なきにあらざるも、 いまだ一人の奮然志を立てて唯我独尊の大法をして、 この大勢とともに進行せしむる方策を講ずるものなきは、 あに慨すべきの至りならずや。 しかれども、 その大勢の向かうところは、 知らず識らずの間に仏者の意気を鼓動し、 近日の宗教雑誌上に二、 三の改新論の出没するを見る。 さきに僧服改良を唱うるものあり、 ついで肉食妻帯を論ずるものあり、 各宗合同を説くものあり、 海外宣教を喋々するものあり、 あるいは内地雑居の準備を設けんとし、 あるいは国教請願の同盟を募らんとするものあり。 これみな大勢の刺激によりて呼び起こされたるに相違なきも、 その着眼するところの狭きは、 局外者の大いに笑うところなり。 鎖々たる僧服僧衣の改良や、 肉食妻帯の公設くらいをもって、 唯我独尊の遺教を国家とともに世界に顕揚せんとするは、 あに難からずや。 今や条約改正の実行に際し、 不日内地雑居の公許を見るも、 これあえて驚くに足らず。 これと同時にヤソ教の公認あるも、 またあえて恐るるに足らず。 しかして、 我人の最も大いに恐れかつ戒めざるべからざるものは、 なおこのほかにありて存す。 すなわち、 仏教の現状と世界の大勢とが、 並んで進行することの難きこれなり。
再び顧みて仏教内外の情況を察するに、 先年一時世間より、 みだりに仏教を評して厭世教なり、 退守主義なりと攻撃したりし実際上の論鋒が、 いよいよ進んで理論上に移り、 近日大乗非仏説の声ようやく高く、 甲唱え乙和し、 仏教家をもっ て目せらるる者も、 これに賛同を表する勢いとなり、 さらに進んで三世因果を否定するものあり、 六道輪廻を説破するものあり、 唯心の談、 真如の説、 みなこれをインドの夢語りに帰し、 妄誕一つも信ずるに足らずとなす。 しかのみならず、 維新の先覚、 明治の先導をもって自ら任ずる大家が、 異口同音に唯物無心の論を唱え、 神もなければ仏もなく、 未来もなければ霊魂もなし、 善悪は経験の結果にして、 博愛は人間の天性にあらず、 宗教は愚民の玩弄物にして、 道徳は社会の製造物なり、 優勝劣敗のほかに天理なく、 実利実益のほかに人道なし、 などと喋々するに至れり。 今日の仏教家はこれを聞きていかなる思想を感起せるや、 余いまだ一人の慨然として抗論の戦旗を翻せるを見ず。 さきに維新の初年にありて、 西洋の地球説のようやく行わるるに際し、仏者は須弥説の破れんことを恐れ、 ほとんど必死の勢いをもって地球論者と一大戦端を開けり。 ついでヤソ教の勃興するに当たり、 仏者また大いに勇を鼓し勢いを張り、 これと一大決戦をなさんと試みたりき。 その論の可否はしばらくおき、 その護法の精神と、 その破邪の勇気とにいたりては、 実に感称せざるを得ざるものあり。 しかるに今日、 大乗非仏説の声四隣にやかましきも、 仏者の耳朶に触るるに至らず。 宗教をもって愚民のおもちゃ 視するものあるも、 仏者の感慨を引き起こすに足らず。 これを先年の地球説攻撃、 ヤソ教退治に比するに、 その熱誠の度、 十分の一にも及ばず。 これ、 あに怪しむべきの至りならずや。 ああ、〔佐田〕介石ひとたび去りてまた須弥を談ずるものなく、〔北畠〕道龍ひとたび隠れてまた改革を唱うるものなし。 仏教界今日の光景は、 あたかも三冬霜枯の季節のごとく、 満目荒涼たるありさまにして、 昔日百花爛漫の勢いは旧夢に属し、 また見るべからざるもののごとし。 今日の仏者の状態、 すでにかくのごとし。 いずくんぞ、 よく世界の大勢に順応することを得んや。 いやしくも仏教再興に志あるもの、 あに憤然として慨せざるべけんや。
仏教界果たして一人の学者なきか、 僧侶中果たして一人の識者なきか、 なんぞそれ無気力無精神なるや。 人必ずこれに答えていわん、「維新以来、 仏教大いに衰えたりといえども、 今日なお高等の学林あり、 専門の学者ありて、 教理を練磨すること決して昔日に一歩を譲らず」と。 今、 もしその研究のいかんをたずぬるに、 一層慨嘆に堪えざるものあり。 古来、 仏学は一般に「桃栗三年柿八年」の諺のごとく、「唯識三年倶舎八年」と称し、 仏教の初門なる倶舎、 唯識に、 むなしく十余年の歳月を費やし、 その間いたずらに註釈に工夫を凝らし、 末疏の末疏に異義を争い、 半生の久しき学林を跋渉しながら、 なお「論語読みの論語知らず」のごとき風情にて、 三年唯識を学んで唯識を解せず、 八年倶舎を修めて倶舎を知らざる者、 往々これあり。 そのいわゆる学者をもって目せらるるの諸師にして、 その識狭くその見卑しく、 実に恥じざるを得ざるもの、 またすくなからず。 余聞く、 書き入れ本や手入れ本を秘蔵すること多き者すなわち学者にして、 筆記の受け売り、 講録取り次ぎをなす者すなわち学者なりと。 はなはだしきにいたりては、 学者にして堂班門地の高からんことを喜び、 席順座次の進まんことを願い、 袈裟法衣の美にして、 その色の俗眼を引かんことを望むものありという。これ、 飴を忘れて笹を喜び、ぼた餅をすてて重箱を愛するの類にして、 凡俗ならいさ知らず、 宗教学者として、 あにあさましき次第ならずや。
かくのごとき学者に対して仏教の再興を望むは、 盲人に色の鑑定を望むとなんぞ異ならんや。 そのほか、 普通の僧侶は多く木魚を鳴らして伽藍を守り、 死人を迎えて引導を渡すのほかに、 なんらの能もなければ芸もなく、お経の捧読一事をもって自己の糊口より堂宇の修繕に至るまで、一切の経費を支弁せんとす。 しかるに、 物価とお経とは常に反比例をなし、 物価騰貴すればお経の値段かえって下落する傾きあり。 ゆえに、 近来諸品の高直に伴って、 最も困窮を感ずるものは寺院僧侶なりとす。ここにおいて百方工夫の末、 檀家の機嫌を取りて、 一文たりとも受納をふやさんことをつとむるに至り、 僧侶の見識と品格とは、 お経の値段とともに日に増し下落するは、 勢いの免るべからざるところなり。 余また、 かつてこれを聞く、 僧侶中、 伽藍の維持に苦しみて他を顧みるのいとまなきもの、 世間これをあだなして伽藍坊主という、 伽藍坊主なお可なり。 日々の糊口に追われて堂宇の修繕を顧みざるものあり。 世間これをののしりて乞食坊主という。 今日、 乞食坊主、 伽藍坊主のすこぶる多きは、 その原因いずれにあるや。 けだし、 これひとり僧侶の罪にあらずして、 先年政府より寺院の所有地を引き上げたる処置も、 またあずかりてその責ありという。 今、 その論の当否はしばらくこれをおき、 寺院僧侶の現状、実に憫然に堪えざるものあれども、 またいかんともなし難し。 かくのごとき僧侶に対して、 ともに世界の大勢を論ぜんとするは、啞 人に向かって音曲を談ずるよりもなお難かるべし。 ゆえに余は断言せんとす、 世界の大勢に応じて仏教を改良し、 かつこれを宣揚するは、 ひとり青年の学生の任ずるところなりと。 しかして、 この大任を負ってより前途の百難を排し、 もって目的地に達するには、 今より確固不抜の精神を養成せざるべからず。 ゆえに余は、 諸君がここに降誕会を設くるの本意は、 三千年古唯我独尊の当日にかんがみて、 各自の精神を発揮するにあるを知る。
そもそも大聖釈迦牟尼仏は、 ひとたび摩耶夫人の胎内に宿りしより、 沙羅双樹の間に円寂を示せしまではもちろん、 その遺教の今日に伝わりて、 四億五億の生霊が随喜追慕してやまざるありさまを考うるに、 宇宙の一大精神が発動開現して、 この大覚者を降誕せしめたるやの感なきにあらず。 ゆえに、 余は釈迦仏の本地は決して三千年古の悉多太子にあらずして、久遠劫来の覚者、無始以来の仏なることを信ず。そのいわゆる鹿園にありて阿含を説き、 霊山にありて法華を講ぜられたるごときは、 釈迦仏の精神の枝に点じたる一片の花に過ぎずして、 そのよりて起こる絶対無限の大精神は、 菩提樹下成正覚のときに開発せりと称するも、 余は太子が一夕慨然志を決して、 出家入山せられしときにまさしく顕現せるを知る。 もし、 その三十成道より八十入滅まで五十年間の説法は、 全くこの精神開発の結果にして、 その原因は十九出家より六年ないし十二年の苦行のときにあり。 しかして、 十二年の苦行もまた一大結果にして、 その原因は十九歳出家の当時にあり。 伝え聞く、 悉多太子、 一日門を出でて生死の哀れむべきを見、 無常の悟るべきを知り、 感慨おくあたわず、 すなわち断固として大志を決し、 夜静かに人定まるをうかがい、 馬にむちうちて城を出でて、ゆきて雪山の麓に至りしという。 その当時の勇気と精神とは、 よく雪山の雪をとかすべく、 よく恒河の水を尽くすべく、その力実に天地を動かし鬼神を感ぜしむるに足る。 これ、 あに宇宙の大勢力の活動発現にあらずしてなんぞや。
余が釈迦牟尼を仰ぎて、 大聖と称し大覚者と呼び、「天上天下唯我独尊」と賛嘆するは、 全くこの大精神の発動にあり。 けだし、 その門を出でて生死を観ずるや、 あまねく一切衆生を済度せんとする無二の大願と、 無限の大悲との一心、 にわかに内に動きて制せんと欲するも制すべからず、 とどまらんと欲するもとどまるべからざりしは明らかなり。 すなわちその一心たるや、 自己の一心にあらずして無我の一心なり、 相対の一心にあらずして絶対の一心なり、 有限の一心にあらずして無限の一心なり。 換言すれば、 無始以来この大宇宙が懐抱しきたれる至高至大の精神が、 忽然として釈迦牟尼仏の心底をわき出でたるものなるを信ず。 しかして、 その結果を示したるは三十歳二月八日の暁天、粲爛たる明星と相映じて、 郭然大悟せられし時にあるがごときも、 もしそのよりて起こる本源をたずぬれば、 仏成道の原因は出家の時にあり、 出家の原因は誕生の時にあり、 誕生の原因は久遠劫の太古にありというべし。 その後、 仏教の一大潮流が、 シナ、 三韓を経て日本に入り、 先に伝教、 弘法を立たしめ、 後に法然、 道元、 親鸞、 日蓮等を起こさしめたるも、 またみなこの大精神の感動にあらざるはなし。 これを要するに、 仏一代五十年間の説法と、 滅後三千年間の流伝とは、 ともに一日悉多太子の心頭に、 忽然として浮かび出でたる無二の大願と、 無限の大悲との一心の結果なりしは明らかなり。 しかして、 その一心は宇宙自体が本来包有せる「天上天下唯我独尊」の一心にして、 釈迦牟尼仏誕生の当時、 すでに胚胎して存せしはまた疑うべからず。 これによりてこれをみれば、「天上天下唯我独尊」の呼び声は、 降誕のとき、いまだその口より発せざりしも、この心に動きしは余輩の深く信ずるところなり。これ、余が諸君とともにその降誕を祝し、 あわせてこの唯我独尊の精神を我人の心中に呼び起こし、 もって仏教と国家とともに世界に立ちて、 唯我独尊の地位を占めんことを祈らんとす。
今、 我人がこの降誕会に際し、 ひとたびかかる無二の大精神を煥発するを得ば、 なんぞ内地雑居を恐れんや、なんぞ三国同盟をおそれんや、 なんぞ東洋平和の破るるを憂えんや、 なんぞ外交政略の振るわざるを慨せんや。もし、 この精神なくしてみだりに戦々恐々するも、 またなんの益あらんや。 しかるに世間仏教を評して、 元来釈迦の厭世的世界観より起こりしものなれば、 いかに煮つめ煎じつむるも、 到底厭世の臭味を脱するあたわず、ゆえに、 今日国際の競争さかんなるに当たり、 仏教なんの用かある、 むしろ害ありて益なきのみと。これ、 なんの盲評ぞや。 蒸汽の力は海に用ありて陸に用なしとするか、 電気の応用は通信に功ありて運搬に功なしとするか、病気を呼び起こすに力ある薬品は、 またよく病気を治することを得るを知らざるか、 人を殺す剣は、 またよく人を活かすことを得るを知らざるか。 在昔、 釈迦牟尼仏の世の無常を観ぜられたるは厭世観なるに相違なきも、 その決然志を立てられしは、 無限の勇気の発動せるものにして、 いずくんぞこれを厭世的と称するを得んや。 もし、 その精神を社会国家の上に用うれば、〔平〕重盛の孝ともなり楠木〔正成〕氏の忠ともなり、 尊皇の大義ともなり愛国の熱誠ともなり、 その結果は徳川三百年間の太平ともなり、明治三十年間の文運ともなり、 富国強兵もこれによりていたすべく、 殖産興業もこれによりて盛んならしむべく、 平壌の陥落も黄海の大勝もみな、 またこれによりてわが功に帰せしむべし。 ただ、 釈迦牟尼仏はこの心を六年の苦行に役し、 衆生の済度に用いられたりしをもって、 その結果は三十歳の成道となり、 五十年の説法となりたるのみ。 諸君は必ず玄奘、 弘法は仏者中の非凡の豪傑なるを知らん。 しかして玄奘渡天の決心と、 弘法入唐の大望とは、 ともに釈迦牟尼仏の無二の精神に感起せられたるは、 みな人の是認せるところなり。 この両師の当年における勇気は、 果たして福島〔安正〕のシベリア旅行と郡司〔成忠〕の千島開拓とに比して優劣ありやいかん。 余は玄奘、 弘法の勇気の、はるかに両軍人の右に出ずるを信ず。
これによりてこれをみれば、 釈迦牟尼仏出家当時の大精神は、 ひとり仏教をして世界の大勢に適応せしむるのみならず、 万世一系の帝国をして永く東洋の天地に唯我独尊の勢力を張らしむることを得るは、 決して疑うべからず。 しかるに、 今日多数の仏者はその無学無識なるがために、 この精神の結果を見、 原因を忘れ、 形式に走りて本意を失し、 ついにこれを今日の世界に活用することを知らざるに至れり。 これ、 実に遺憾に堪えざるところなり。 しかして、 よくこの積弊を一掃して、 世界の大勢とともに仏教の改良を断行する大任は、 到底天保や嘉永生まれの老僧たちに託すべからず、 安政や文久生まれの連中も、 なお望みを属し難し。 これらの人は、今日天保銭と文久銭とともに、 世間より擯斥せらるるありさまなれば、 むしろ断念するよりほかなし。ただ、ひとりこれを一任すべきは、 明治の年代に生まれ、 維新の空気に育てられたる今日の青年学生にあり。 その僧たると俗たるとは、 あえて問うところにあらず。 もし僧ならば、 教主および宗祖に対する報恩の義務として、 仏教の改良に献身せざるべからず。 もし俗ならば、 宗教の改良は大いに国家の進歩に関係あるをもって、 報国の大義としてそのことに尽力せざるべからず。 ゆえに、 余は僧俗の青年に向かい、 仏教の改革の一大事を自ら任ぜられんことを望んでやまざるなり。
わが国、 大政一新以来ここに三十有一年、 その間社会百般の事物は大となく小となく、 たいていみなその面目を改め、これを昔日の日本に比するに、 ほとんど別世界の観を呈せるは、 みな人の認知するところなり。 しかりしこうして、ひとり依然として旧色を存し、なお徳川末路の積弊をとどめ、 ほとんどいまだ改新の緒に就かざるものは宗教界の事情なり。 果たしてしからば、 明治維新の大業は、その成功なお一簣を欠くといわざるべからず。 今や内地雑居の期すでに迫るにあたり、宗教室内のすす払いもちり払いもいまだ行わずして、 外人の帰化を迎うは、 国民の必ず遺憾とするところならん。 ゆえに、もし諸君が毎年の降誕会において、その心中に釈迦牟尼仏が出家せる当日の精神を呼び出だし、奮然ひとたび手につばして立たば、 仏教の改革なんの難きことかこれあらん。 畢竟その行わざるは、 あたわざるの罪にあらずして、 なさざるの罪なり。 しかりしこうして、 余がいわゆる改革は、 僧服の改良や妻帯の公許をいうにあらず、 各宗の合同や雑居の準備をいうにあらず、 またあえて旧組織を破壊するの謂にあらず、 新教義を建設するの謂にあらず、 ただ今日の仏教が各宗ともに世界の大勢に適合することあたわざるをもって、 これを改変して国家とともに列国競争の間に、 優勝の地位を占むることを得せしむるの謂にほかならず。
換言すれば、 旧来の厭世的宗風を一変して、 進取的宗風を発揮するの謂なり、 形式的の宗教を一変して、 精神的宗教を喚起するの謂なり。 禅宗は禅宗のままにて可なり、 浄土宗は浄土宗のままにて可なり、 天台、 真言は天台、 真言としてこれを存し、 真宗、 日蓮はまたやはり真宗、 日蓮としてこれを伝えて可なり。 ただ、 各宗がその体内に包有せる精神を外に開発して、 一大活気を振起するをもって足れりとす。 従来わが国の宗教は六百年の昔、 鎌倉時代において革新を唱うる者前後相接して起こり、 一時大いに活気を発揚したりしも、 その後、 足利および徳川治世の間ひとり外観を装うのみにて、 内部の精神はほとんど死滅に帰したるがごときありさまなり。 かつ、 明治以前はわが国における鎖港攘夷の時代にして、 今日は万国交通時代なるのみならず、 内には外国と雑居し、 外には列国と競争せざるを得ざる時代なり。 僅々三十年間の歴史において、 国家の形勢、 上のごとき一大変遷の進行せるにもかかわらず、 宗教ひとり旧観を存するは、 だれかこれを怪しまざるものあらんや。 昔時わが革新時代において、 大喝一声四隣を驚かせしは日蓮の四箇格言にして、 すなわち諸君の熟知せる念仏無間、 禅天魔、 真言亡国、 律国賊これなり。 その言たるや、 日蓮が時弊に対して叫びたる革新の一喝なりと知らば、 あえて法廷の裁判を煩わすに足らんや。 そのほか、 従来民間において唱えきたれる格言あり。 曰く、「門徒物知らず、法華骨なし、 禅宗銭なし」とこれなり。 この格言はひとり三宗の上において適合すべきのみならず、 今日各宗の時弊に対して頂門の一針となすに足る。 けだし、 今日の各宗は門外漢より評すれば、 必ず物知らずと骨なしと銭なしとの集合なりといわん。 ゆえにこの三箇の格言は、 今日の革新の一喝に用いて可なり。
青年諸君、 なんぞ早く革新の声をあげざるや。 今日の大勢は、 ようやくその機運を促して諸君を歓迎せんとす。 区々たる小改革は小刀細工に比すべきものにして、 余輩の望むところにあらざれば、 すべからく満腔の熱血を注ぎて大々的改革を断行せざるべからず。 しかして、 その精神は釈迦牟尼仏の降誕において、「天上天下唯我独尊」の当年における意気を回想して、 これを我人の心中に喚起するよりほかなし。 かくして仏教と国家とをして、 ともに「天上天下唯我独尊」たらしむるをもって、 我人が宗教革新の目的となさざるべからず。 これ、 ひとり今日の仏教が渇望するところなるのみならず、 国家そのものがまた渇望するところなり。 ああ、 この整然、 粛然たる本日の盛典をして、これが準備をなすに至らば、 釈迦牟尼仏その人においても、 また大いに満足せらるるならんと恐察するところなり。 もし、 これに反してその美挙を演説や余興にとどめて、 世間より降誕会は書生のお祭りなりとの批評を招くにおいては、 だれかこれを遺憾なしとせんや。 余、 本日降誕会に列するに当たり、 釈迦仏出家発心の当年の勇気の非凡なるを感じ、 国家および仏教の前途の容易ならざるを慨するのあまり、 いささか所感を述べて、 かつは満堂の諸君にはかり、 かつは「天上天下唯我独尊」の会座に訴うるところあらんとす。諸君もっていかんとなす。(三十一年四月)
一四 哲学の方面より下せる仏教上の観察
余案ずるに、 仏教は宗教にしてかつ哲学なり。 しかして、 その目的とするところは宗教にあり。 ただこれに達する階梯として、 哲学のその中に加わるのみ。 ゆえに、 仏教そのものにつきてこれを言えば、 宗教の方に重きを置かざるべからず。 しかりしこうして、 ヤソ教も宗教なり、イスラム教も宗教なり、 ユダヤ教も宗教なり。 もし、 この諸教に対して仏教の優れるゆえんを示さんと欲するときは、 必ずその哲学たるゆえんをもってせざるべからず。 また、 近来泰西の諸学、 日に月にわが国に入り来たり、 その勢い旧来の学問、 宗教を圧倒せんとす。 あたかも磐石をもって鶏卵の上に加うるがごとき状あり。 これに対して仏教を防護するにも、 またその哲学たるゆえんをもってせざるべからず。 ゆえに、 今日の事情につきてこれを言えば、 哲学の方に重きを置かざるべからず。 これを要するに、 対内策としては宗教の方面より仏教を修習し、 対外策としては哲学の方面より仏教を研究せざるべからず。 両者相待ちて、 はじめて仏日の光輝を内外に顕揚することを得べし。
今、 余は哲学の方面より仏教を研究して対外策を講ずるものなり。 ゆえに、ここに仏教に関する哲学上の所見を一言せんと欲す。 世間往々、 仏教の三蔵中、 経は宗教にして論は哲学なり、 大小両乗中、 小乗は宗教にして大乗は哲学なり、 聖浄二門中、 浄土門は宗教にして聖道門は哲学なり、 三国中、インド仏教は宗教にしてシナおよび日本仏教は哲学なりというも、 これいまだその意を尽くさず。 仏所説の経中には、 ひとり宗教のみならず哲学を含蓄することは言をまたずといえども、 いまだ哲学の組織を開発するに至らざりき。 しかるに、 論部にいたりては仏所説の経を論述せるものなれば、 宗教の部分も哲学の部分も、 ともにその中に存すといえども、 経中内包の哲学が外発して、 はじめてその組織を開示するに至れり。 ゆえに、 哲学の組織上これをみれば、 経中に哲学を見ずして論中にあらわると称して可なり。 古来、 釈迦仏をもっ て仏教の開祖とし、 竜樹をもってその中興とするも、 釈迦仏はそのいわゆる宗教の開祖にして、 馬鳴、 竜樹、 無着、 世親の諸論師、 なかんずく竜樹大士は哲学の開祖と称するも不可なかるべし。 つぎに小乗と大乗とを較するに、 小乗は実行を本とし大乗は理論を本とする点よりこれをみれば、 前者は宗教にして後者は哲学なりと称して可なるがごときも、 二者ともに宗教と哲学との両面を有するをもって、ひとりその一方を取りてこれに名づくべからず。 ただ小乗と大乗との哲学上の別は、 前者は比較上客観的にして後者は主観的なるにあり。換言すれば、 小乗は仏教中の理学にして大乗は哲学なるにあり。つぎに、聖道、 浄土の別にいたりては、 ともに宗教たるに相違なきも、 聖道門は哲学的宗教にして、 浄土門は宗教的宗教と称して不可なきがごとし。 しかして、 浄土門は聖道門の哲理にもとづきて立てたるものなれば、浄土門の哲学は聖道門中にありて存せり。 ただこれを宗教に応用するに当たりて、 浄土と聖道とその門を異にするに至れるのみ。 つぎに、 三国中現今のインド仏教をみるに、 小乗教にしてしかも実行を旨とする趣なれば、 単にこれを宗教と称して不可なきがごときも、 シナ、 日本においては、 学問上にありてはもとより哲学の方面より研究せしも、 実際上はやはり宗教として修習して今日に及べり。 ただ今後の対外策としては、 もっぱら哲学上の研究を急要となすなり。 もし、 三国伝来の上につきて言えば、 無着、 世親前後は仏教の哲学最もインドに発達せし時代にして、 そのシナに入るに及びても、 天台、 華厳をはじめ諸宗互いに教相判釈を争いたるがごときは、 哲学上の争論最も盛んなりしといわざるべからず。 その日本におけるもまたしかり。 シナ、 日本にてもっぱら講究せる各宗の教相判釈は仏教の哲学史にして、 その争論は哲学上の争論なり。 これによりてこれをみるに、 竜樹以来三国弘伝の仏教は、 一系の哲学組織を立てて講究することを得べし。
哲学史上仏教を観察するに、 釈迦仏の当時は哲学内包の時代にして、 いまだ外に開発するに至らざりき。 仏滅後百年を過ぎて小乗中異計起こり、 上座、 大乗の二部相分かれしとき、 やや内包の哲学の萌生せるを見る。 すなわち大天の論これなり。 そののち数百年を過ぎて、 馬鳴、 竜樹、 提婆の時代より哲学大いに教興し、 無着、 世親、 陳那の前後最も隆盛を極めたるもののごとし。 つぎにシナにありては、 天台以前はいまだ哲学上の講究を見ざりしも、 天台大師五時八教の教判をなせし以来、 唐宋の間、 哲学の講究最もさかんなりしもののごとし。 日本に来たりても最初は哲学上の発達を見ざりしも、 桓武以後哲学の研究ようやく盛んにして、 源平時代より北条、足利に至るの間、 諸師競い起こりておのおの一宗を開立せしは、 全くその結果なり。
仏教を哲学上より研究せんと欲するときは、 必ず倶舎、 唯識より始めざるべからず。 唯識の研究は倶舎より始むるをよしとす。 華厳、 天台の哲学は、 倶舎、 唯識の根基の上に別に建設したるものにして、 唯識の哲学は倶舎の根基の上に別に建設したるものなり。 また、 倶舎、 唯識を研究せんと欲するときは、 必ず数論、 勝論等の外道哲学より始めざるべからず。 これ、 その研究の順路なり。 また、 その方法においても、 従前の唯識、 倶舎に、 各三年ないし八年の歳月を費やすの学風を改新せざるべからず。 余、 年来ここに意あり。 近年その素志を実行せんと欲し、 さきに四月八日仏生日をもって、 哲学館中に仏教専修科の開講式を挙行し、 爾来、 倶舎、 唯識の講義を開けり。 その期するところは、 従来の研究法を一新して、 今後の研究法の模範を作らんとするにあり。 仏教研究につきて今一つ世人の注意を請わんと欲するは、 仏書中に散見せる天文、 地理の研究なり。 従来この種の研究を無用視して、 だれも意をその研究に注ぐ者なかりしも、 今日にありては東西古今の学説の比較上、 その必要を認むることとなりたれば、 余は仏教専修科において「仏教理科」と題して、 須弥、 四洲等の古説を講述することに定めたり。 また、 世の仏学に志あるものは、 これを講究するもあえて無用にあらずと信ず。
以上は、 仏教研究に対する余が意見の二、 三を開陳せるものと知るべし。
一五 漢学の運命
国字改良の論ひとたび起こるや、 漢字廃止の声ようやく高く、 甲唱え乙和し、 大挙して漢字の本城を抜かんとする勢いなりしも、 最初は青年書生の空論妄想に過ぎざれば、 世の漢学をもって自ら任ずるものもこれを度外視して、 さらに意に介せざるありさまなりき。 しかるに、 その後の潮流はますます漢字廃止の方に向かい、 近日、国語、 漢文の二科を合して一科となすがごとき、 漢文の教授時間を減ずるがごとき、 漢文の名称を廃するがごとき着々歩を進め、 漢字の命脈まさに旦夕に迫らんとす。 したがって、 漢学の光景は孤城落日の観あり。 これ、 あに泰然として福沢翁のいわゆる独立自尊するの秋ならんや。 世のいわゆる漢学者は、 なおこれを対岸の火災視して、「天のいまだ斯文を喪せざる、 匡人それ、 われをいかん」などといいて、 いたずらに孔夫子を気取るにおいては、 臍をかむとも及ばざるの不幸を見るは必然の勢いなり。 実に今日今時は漢学にとりて、 九死一生、 危急存亡のときといわざるべからず。
およそ社会の風潮といい、 世論の傾向といい、 政府の方針といい、 みな人の意思、 言動によりて起こらざるはなし。 すなわち、 多数の意思、 言動が集まりて世論となり、 流れて風潮となるのみ。 さきに国字改良とともに漢字廃止の煙ひとたびあがるや、 漢学者をもって任ずるもの黙々として看過し去り、 その結果、 ついにこの論をして社会多数の雷同を得せしめ、 廃漢党をして気炎万丈に至らしめたり。 もし、 最初より漢学者たるもの、 堂々漢字の廃すべからざる理由を述べ、 極力これに反抗するにおいては、 漢字廃止は二、 三の軽噪書生の空論となりておわり、 社会の風潮はかえって漢字漢学の復興を助くるに至るべし。しかるに、 漢学者があまり独立自尊を気取りて、 その機を失したるは遺憾の至りなり。 されど、 今より広く同志を集め、 大いに論勢を張り、一大活動を試むるにおいては、いまだ必ずしもおそしとせざれば、 世論をしてその方向を一転せしむるも、 あえて難きにあらざるべし。いやしくも漢学に志あるものは、 あに奮然としてたたざるを得んや。
人、 あるいはいわん。 今日の形勢わずかに漢文の名称を廃したるのみにて、 その実、 旧時に異なることなし。なんぞ、 これを危急存亡の秋として奮起狂奔するを要せんやと。 余曰く、 しからず。 今日いまだ漢字漢学の廃止を実行したるにあらざるも、 その方針に向かいて歩を進めつつあるは、 十目のみるところなり。 この時に当たりて大いに運動せざれば、 世論はますます漢学者の無気力、 無精神を認め、 数年を出でずして漢字全廃を実行するに至らんは自然の勢いなり。 漢学者は果たして無気力、 無精神なりや。 老朽その用に立たざるものなりやいなやを試むるは、 実に今日今時にあり。 漢学者が積年の名誉を回復し、 活気を発揚するもまた、 この時をほかにしていずれにあるや。 漢学再興の機運は、 今後の運動いかんによりて卜すべし。 ゆえに今日は、 漢学にとりては死生存亡のよりて分かるる危機なり。 余、 かつてこれを医師に聞く。 肺病の経過に三期あり。 初期より早く療養を施せばたやすく全治し、 第二期に至りては治療やや難しといえども、 なお回復の見込みあり、 第三期に及んでは全くその望みなしという。 今日は漢学の病状、 第一期よりようやく進みて第二期に移れり。 今にして大治療を行わざれば、 回復の望みなきの不幸を見るに至らん。 平素漢学に従事するものは、 義勇公に奉ずるの精神をもって、大いに運動せざるべからず。
今、これをほかの例に徴するに、維新の際、 神道大いに興り、 廃仏毀釈の論ようやく高く、 一時は仏教全廃の不幸を見んとする勢いなりしも、仏教家大いにこれに反動し、横奔縦走の結果ついに世論を一転し、 仏日回天の功を奏するに至れり。その後数年を経てヤソ教大いに流行し、 朝野ともに仏教を廃してヤソ教をこれに代用せんとする傾向ありて、仏教の命脈旦夕に迫りたるありさまなりしが、 各宗各派一致協同し、 大喝一声世の惰眠を攪破したるの結果、 また仏教の世界に青天白日を見るに至れり。 世間の万事みなかくのごとし。 人の力よく世論を作り、 また風潮を変ず。 今日、 廃漢党の気炎を一排し去りて、 漢学界に青天白日を現ずるも、全く漢学者の一挙一動にあり。 ゆえに余はいう、 漢学者の大喝大呼すべきは今日にありと。
余、 またこれを人に聞く。 今日廃漢党の気炎を高めたるは、 シナ先年来の不始末と、 わが国今日の漢学者の無気力これが主因となると。 この言をして果たして事実ならしめば、 漢学者はますます名誉回復のために必死の運動なかるべからず。 もし、今にしてなお悠々閑歳月を弄するにおいては、世間をして漢学者の無気力それかくのごとし、 漢字漢文を全廃せざれば国家の隆盛得て望むべからずといわしめ、 かつ漢学者の気力ははるかに仏教家に及ばずといわしむるに至らん。 これ、 実に漢学の一大恥辱にあらずや。 ゆえに、 漢学をもって自ら任ずるものはもちろん、 いやしくも漢学に志あるものは、 勇進活動もって実行上、 その学の老朽無気力にあらざることを天下に示さざるべからず。
従来、 漢学者は口に書を講じ手に文をつづり、 舌と筆とをもって専門の業となす。 今日この危急に際して、 なんぞその舌を鼓し、 その筆にむちうたざるや。 世論を動かし風潮を変ずるも、 この舌と筆との力にあり。 ゆえに、 もし漢学者がその得意とする舌と筆とをもって、 天に呼び地に訴うるに至らば、 日本はおろかのこと、 広く世界の機運をして漢学の方に向かわしむるも、 あえて難きにあらざるべし。 月瀬の勝、 耶馬渓の奇よく天下に嘖々たるを得たるは、 漢学者の文章の力にあらずや。この力をもって漢字漢文の必要を天下に鳴らさば、 堂々として世界を風靡するの勢いあるべし。 余輩をしてこれを評せしめば、 漢学者はなにゆえに無情無心の風月のために忠実にして、 その学その道のために不忠実なるやの疑いなきあたわず。 ゆえに余は、 漢学者が無礎自在の筆力をもって気炎万丈をえがくは、 今日をほかにしてあるべからずと信ずるなり。
人また曰く、 漢学者の間には従来学派の争いありて、 一致協同すること難しと。 余曰く それしからん。 しかれども、 今日は兄弟牆に鬩ぐも、 外その侮をふせぐのときなり。 なんぞ学派の異同を論ぜんや。 仏教は十三宗四十派の別ありて、 平素互いに仇敵視するも、 ヤソ教の外敵に対しては互いに一致協同をなす。 儒教、 なんぞひとり協同し得ざるの理あらんや。 従来、 漢学者は仏徒を評して、 虚を説きて実を修めずとなせり。 その仏徒にして、 よく己の教を護することを知る。 しかるに、 漢学者自身は瑣々たる学派の争いに拘泥して、 己の学を護することを知らざるにおいては、 仏教家のために大いに笑わるるは明らかなり。 ゆえに、 今日は漢学者の協同一致して大活動を演ずべきときなり。
国学も漢字と大関係あり、 仏教も漢字と大関係あり、 歴史家も教育家もみな大関係ありといえども、 直接に大関係を有するものは漢学者なり。 国学者および仏教者のごときは、 これを漢学者に比するに間接といわざるべからず。 しかるに、 今日は漢字の大問題天下に囂々たるに当たり、 直接の関係者たる漢学者は黙々として眠るがごとく死するがごとし。 しかして、 間接の関係者たるものの中には多少助力せんと欲するものあるも、 いずれの地に向かいて援兵を送り出だすべきやに惑うがごときありさまなり。 ゆえに今度の問題に関して、 その主人公たる漢学者ひとたびたちて義兵を挙ぐるにおいては、 これが応援をなすもの前後左右より続々起こりて相加わり、 大軍一挙敵の本城を抜く、 なんの難きかこれあらん。 これ、 余が一片の婆心をもって、 漢学専門の諸士に望むところなり。
右は余がいささか時事に感ずるところあり、 新年の屠蘇一杯を傾け傍らにある紙片を取り、 筆に任せて遠慮会釈なく思うままを書きのべたるものなり。 ゆえに、 もし失言等これあらば、 請う推恕せよ。
一六 心理療法
本題を論ずるにさきだち、 この名称のよりて起こるゆえんを一言せん。 今より数年以前、 馬島某氏、 催眠術をもって疾病を治療し大いに功を奏す。 一日、 余が廬をたたきて曰く、 いまだその理由を知らざれども、 この催眠術をもって、よく薬石の及ばざる難症を治す云々と。余はおもえらく、 これらは医学上の説明し得べきものにあらず。 しかれども医学の説明し得べきものにあらざればとて、 これを魔術としてすつべきにあらず。 なにかその理由あるべしと。 爾来、 すこぶる考慮を費やし、 また実際その施術を見ること両三回、 はじめてその理由を暁知せり。 すでにその理由を暁知せば、 病を治することはあえて催眠術のみに限らず、 この道理に合すれば、いかなる方法にても可なるを知れり。 今日の医療もすでにこの理を交え用い、 禁厭、 祈禱のごときも全くこの理に基づくなり。 世にあるいは禁厭、 祈禱等を忌むものありといえども、もと病気なるものはその治癒を目的とするものなれば、 果たして治癒するを得ば、 その方法の甲たり乙たるを論ぜずして可なり。 ただし、 これらをもって治癒せざることあるをもって、 一般の規則となすことあたわずというもあらん。 しかれども、 この治癒せざるはその人にあることにして、 その術の罪にあらず。 ただ治癒せざることあるをいえば、 医療もまたしかり。 医療あにすつべけんや。 かつ医学上より考うれば、 必ず治癒すべきの理由あるにあらずや。 ゆえに催眠術のごときも、 二、 三の異例をもって全体を傷つくべからず。 よろしく学術上の道理に訴えて、 これを考究せざるべからず。
通常の見解によれば、 人体は心身の二つより成るとす。 身は有形の組織にして、 心は無形無質なり。 ゆえに、二者全く異なれりという。 これを物心二元論と名づく。 これに反して、 吾人の身体は有形の物質のみ。 心のごときは無形にして、 あることなし。 いわゆる心なるものは、 物質勢力の発達して成れるものなり。 ゆえに心は物に属し、 物のほかに心なしと論ずるものあり。 これを唯物一元論という。 物心二元論においては、 物心別に存す。ゆえに、 二者相合すればここに生活生じ、 二者相離るれば生活終わるとす。 唯物一元論においては、 人身内部の組織と周囲外部の世界とに分かち、 内部の作用よく変化に適応するときはここに生活生じ、 その適応を誤れば疾病をきたし、 はなはだしきに至れば死すとす。 一元論は内外両界ともに物質なりとすれども、 その内外適応より生ずる生活力の発達進化したるものを心なりとす。 二元論はもとより心のあることを許す。 ゆえに、 吾人はいずれより論ずるも、 心あることを許さざるべからず。
医療は有形の身を治療するなり。 ゆえに薬を要す。 薬は有形なり。 これを服すれば、 損害の場所、 変化のありさまを回復する力をそなう。 しかれども、 人身はすでに有形の身と無形の心と相合して成るとせば、 生活作用はみな心身結合の上に生ずるものなり。 ゆえに、 疾病のごときも純粋に身もしくは心のみのものなく、 二者互いに影轡するものなり。 試みに見よ、 創傷は身に受くるものなれども、 心また苦痛を感じ、 したがって諸種の心作用に影響を及ぼすべし。 また、 心に苦痛および疲労あるときは、 肺、 心、 腸胃および脳髄、 神経等に影響を及ぼすにあらずや。 ゆえに、 医療すなわち有形治療法ありとせば、 無形治療法もまたなかるべからず。 しかるに、 有形の治療法ひとり進歩して、 無形の治療法を用うることの少なきはなんぞや。 他なし、 甲は目にみるべく手に診すべしといえども、 乙はしからず、 かつその理由の知るべからざればなり。 しかれども、 すでにその理由判明に至り、 またほかに害なくんば、 もとよりこれを取るべし。 なお一歩論点を進むれば、 有形治療法に関すること多きものにして、 また、 有形治療法のみをもって治療すべきものにあらず。 今いささかこれを説示せんに、 例えば手指を切断せることありとせよ。 人形師の補修もしくは大工の柱を換うるがごとく、 ほかの物を持ち来たりて付着せしむることあたわず。 しからば、 いかにして治癒するやというに、 吾人遺伝上自然にこの身体を維持し、 この組織を発育せしめんとする勢力を具有し、この勢力をもって治癒するに至るものなり。 かの医療のごときは、 ただこの勢力を妨げず、 もしくは保護するにとどまるのみ。 見よ、 創傷に薬を施すは、 決してほかより肉を与うるにあらず、 ただ外気(気中に微虫あり)に触れて腐敗せんことを防ぐのみにあらずや。 ゆえに、 およそ有形上の治療は、 妨害を防ぎて発育の勢力を保護するにありというも不可なることなし。 しかして、 無形上の治療にいたりてもこれに類同することにして、 例えば、 大いに心慮する人は治病に難く、 また同じ治療法、 同じ薬石にても、 大いにその医を信ずるときは速やかに功を奏するがごときは、 みな精神上の妨害を去るといなとによるにほかならざるなり。
以上述ぶるところによりてみれば、 治療法に二つあり。 精神上の治療法と身体上の治療法とこれなり。 身体上の治療法はすなわち通常の医家の療法にして、 医家の療法は生活体を組成する機関すなわち有形組織を研究し、生理学の道理に基づきて薬石を施す。 ゆえに、 これを生理的治療法もしくは生理療法と名づく。 精神上の治療法は精神作用すなわち無形上の研究に属し、 心理学の規則に基づく。 ゆえに、 心理的治療法すなわち心理療法という。 左に図表を示して、 その種類を一言すべし。
内科
生理療法
外科
自身
信法
療法 他身
自療法
自観
心理療法 観法
他観
他療法
生理療法に内科、外科があるがごとく、心理療法にも自療法、他療法あり。他療法とは他人より受くるものにして、催眠術、祈禱、「まじない」のごときこれなり。催眠術は精神を一点に集め、病苦を忘れ心意をして快然ならしめ、 懸慮をして氷釈せしむるものなり。 換言すれば、 精神の妨害を去るにほかならず。 ゆえに、 数回の後には自然病苦の心慮を減じ、 また少しく効を奏すれば、 ますます信仰の力を増し、 ついに全治するに至るなり。 自療法とは自ら治療するなり。 その信法とは信仰よりきたるものにして、 自信、 他信に分かつ。 自信とは、 この病気は恐るべきものにあらず、 必ず治すべしと自ら信ずることにして、 他信とは、 神仏を信じ、 この神仏を信ずれば必ず全治すべしと信ずることなり。 つぎに、 観法とはすなわち観念観察法にして、 自観、 他観の二つに分かつ。 自観とは、 自ら観念して、 心を労するも無詮なり、 また苦心すべからずとその理を悟ることにして、 例えば禅僧の観念のごとし。 他観とは、 山水の美景などをみて心をこれに移し、 病苦を忘るることなり。
以上の諸法みな一滴の服薬を要せずといえども、 よく治癒の功を奏するものなり。 およそ医療にあらずして治病するものは、 みなこの種類に属するのみならず、 医を信ずるときは治癒の速やかなるがごときは、 全く他信法にありというべし。 ゆえに、 生理療法にもまた心理療法の必要なるを知る。 あるいは言う、 催眠術のごときは病を治するも精神を損するの害あり、 ゆえに行うべからずと。 しかれども、 およそ利害相伴うは数の免れざるところにして、 よろしくその利と害とを比考せざるべからず。 かつその害ありというも、 今日の方法において害ありというのみ。 よく研究改良せば、 その害たるものを去ることあたわざるにあらざるべし。 ただ、 生理療法の大いに進歩せる今日なるにもかかわらず、 心理療法のはなはだ微々たるは、 その無形困難なるによるべしといえども、 進んでその道理を心理学に考え、 広く実地に応用するを得るに至れば、 学術の功もまた大なりというべし。
一七 囲碁廃止論
(太平の遺物) 古今東西、 遊技の方法種々あるべしといえども、 本邦所伝の囲碁のごとく、 複雑にしてかつ心力を役すること多きものは、 ほかにあらざるべし。 したがって、 時間を消費することもまた、 これよりはなはだしきものはあらじ。 人、 もし閑散無事に苦しむに当たりては、 あるいは囲碁を弄するも可なり。 されど、 日常一定の職務ある人の、 決してもてあそぶべきものにあらざるなり。 畢竟するに、 囲碁は太平の遺物のみ、 悠長時代の玩弄物のみ。 明治の今日にありてなおこれを弄するは 、一種の惰力に過ぎざるなり。 ああ、 囲碁時代すでに去りて、 まさに三十五回の春を迎えんとす。 今日の人士、 なんぞ旧夢を追想して、 かくのごとき遺物に恋々たるや。 すでに老境に臨み、 世に望みなき輩においては、 余日をこれに費やすもなおゆるすべし。 盛年有為の士にして、 無用の遊技に貴重の光陰を徒消するは、 あに国家のために慨すべきのいたりならずや。 もし、 西洋人をしてこれを評せしむれば、必ず東洋の末路はこの一遊技によりてみることを得べしといわん。 そのことたるや、 もとより一少戯に過ぎずといえども、 今にしてこれを禁止するにあらずんば、 百般の改良は徒労に属し、 国家富強の前途を遮塞するの恐れあり。 ゆえに余は、 今日の急務は囲碁を全廃するにあることを主唱せんとす。
(囲碁の利) 余、 先年『囲碁玄談』を著し、 心理学上囲碁の効用を論述せしことありて、 囲碁全く有害無益なるにあらず、 もしその利ある点につきていわば、 第一に、 老後閑地にありて無事に苦しむの際には、 時を消し日を忘るるに囲碁より便なるものはなし、 第二に、 病中百憂の心頭に集まるに当たり、 意を転じ思いを移すに囲碁よりよきものはなし、 そのほか、 多少精神の修養に益するところありといえども、 その要は時日を忘れ心思を転ずるに帰すべし。 ゆえに、 病院、 温泉場のごとき場所にありては、 有効無害たることは余があえて否定するところにあらざるなり。 かつ『囲碁玄談』に述ぶるがごとく、 単に心理の一方面よりみるときは、 その品位の他の遊技にまさるところあるは、 もとより許容せざるを得ず。
(囲碁の害 第一)つぎに囲碁の害を列挙すれば、 第一に業務の障害となることなり。 囲碁は遊技なれば、 休暇のときに限りてもてあそぶべきはずなれども、 今日の慣習として業務の間にこれをもてあそぶ者多し。 また囲碁の特性として、 半日これを弄すれば、 ひいて一日に及び、 一日これを弄すれば、 ひいて二日に及ぶの傾きあり。 日曜一日の棋戦が、 往々夜を徹して翌朝に及び、 月曜の業務を廃するに至るがごとき場合すくなしとせず。また 、一心に碁の勝負を争うに当たりては、 諺に「親の死に目にあえぬ」と申して、 重要なる事務の、これがために弁ぜざることあり。 その弊や、 用を欠き約に背き、 時間にたがう等の不都合を生ずるなり。
(囲碁の害 第二) 囲碁の害の第二にかぞうべきは、 身体の運動を欠くことなり。 平日精神を労する者は、 休日にことさら身体の運動を要するに、 もし囲碁を弄するときは、 終日閑座沈思して、 ただ心思を用うるのみ。 しかし、 身体の運動にはなんらの益するところなし。 したがって、 身体の発育および健康に不利なり。 ゆえに、 その結果は惰弱の習慣を養い、 活発の気風を損するに至るべし。
(囲碁の害 第三) 第三の害は、 共同の交遊を妨ぐることなり。 知己朋友の相会するや、 互いに旧を語り襟を開き、 ともに遊びともに楽しまんとするに当たり、 たまたま一隅に囲碁を始むるものあらば、 快談たちまち中絶し、 碁を知るものは局辺に鳥集し、 碁を知らざるものは依然として左右を黙視するに至る。 ゆえに、 囲碁の交際におけるは、 二、 三の人に親密なるを得るも、 多数の人に疎遠ならしむる不便あり。
(囲碁の害 第四) 第四の害は、 ばくちの媒介となることなり。 囲碁必ずしもばくちなるにあらずといえども、その技たるや、 もと勝負を争うものなれば、 ばくちの階梯となるは勢いの免れざるところなり。 また、 世にかけ碁と称して、金銭を賭して勝負を争うものあり。これ、純然たるばくちなり。 世間すでに一日かけ碁を試むると、 生涯やめられぬとまで申して、 かけ碁ほどおもしろきものはなしという。 されば、 囲碁はばくちの媒介となるは明らかなり。
(時間の貴重) 以上列挙するがごとく、 囲碁には一方に利あると同時に他方に害あり、 もし利害相較するときは、その害はその利に幾倍すること、 余が弁解をまたず。 果たしてしからば、 囲碁は有害物として禁止せざるべからず。 今、 さらに囲碁の害を総括して、 その最も大なる点を摘示すれば、 貴重なる時間をむなしく消費するの一事に帰す。 時間は黄金なり、 光陰は財宝なり 一刻実に千金の価あり。 日本国民、 一日に平均一時間ずつ余分に働くときは、 全国四千五百万の同胞を合算するに、 毎日四千五百万時間の利益を得る場合なり。 もし一時間の労力を十銭と定むれば、 その価四百五十万円となるべし。 これを一年三百六十五日に乗ずれば、 十六億四千二百五十万円の大金となるべし。 すなわち、 一日一時間の労力が一年にかかる大金を産み出だすことを思わば、 時間の貴重なることたやすく了解すべし。 かくのごとき貴重の時間を、 わが国民が毎年囲碁のために失うこといくばくなるを知らず。 もしこれを全国に推算するに、 その損失の莫大なるや実に想像するに余りあり。 果たしてしからば、 囲碁を全廃するにあらずんば、 富国の実をあぐることあたわずというも、 あえて過言にあらざるべし。
(倹約の大敵) 囲碁は遊技中の最も時間を消費するものなり。 しかして、 時間は黄金なり財宝なり。 ゆえに、囲碁は遊技中最もぜいたくものにして、これを弄するものはたとい身に粗衣粗食を服用するも、 やはり奢侈を極むるものといわざるべからず。 換言すれば、 囲碁は倹約の大敵なり。 もし、 富国の本は倹約にあるを知り、 国民全体をして倹約を実行せしめんと欲せば、 第一に囲碁を禁止せざるべからず。 囲碁やまずんば国富まずとは、 余が公言してはばからざるところなり。
(倹約の三大種) およそ倹約に三種あり。 物質の倹約、 空間の倹約、 時間の倹約これなり。 物質の倹約とは世間のいわゆる倹約にして、 衣食住をはじめとし、 これに付属せる日用の諸品諸類につきて、 無用の費をはぶくをいう。 空間の倹約とは、 土地、 家屋等の上に無用の空地空所を存せざるをいう。 時間の倹約とは、 無益に貴重の光陰を消費せざるをいう。 この三種の倹約並び行われて、 はじめて倹約の目的を達することを得るなり。 そのうち、 囲碁は時間の倹約に対して最も有害なるものなれば、 これを弄する徒は、 倹約の本旨を知らざる人といわざるべからず。
(ぜいたくの三大種) 物質の倹約上排斥すべきものは、 絹布、 酒、 タバコ等なり。 空間の倹約上排斥すべきものは、 土地の方にては庭園、 家屋の方にては玄関なり。 庭園はなんの益ある、 玄関はなんの用あると問わば、 畢竟ぜいたくものに過ぎざるなり。 時間の倹約上排斥すべきものは碁、 将棋なり。 これまた、 必要なくして時間を消費することはなはだしければなり。 これをぜいたくの三大種とす。
一、 物質上のぜいたくもの・・・・・綿布、酒、タバコの類
二、 空間上のぜいたくもの・・・・・庭園、玄関の類
三、 時間上のぜいたくのもの・・・・碁、将棋の類
(囲碁課税論) かくのごとく囲碁はぜいたくものの一種なるを知らば、 富国の一大敵にして、 倹約軍の第一に征伐せざるべからざるものたるを知るべし。 ここにおいて囲碁全廃論を唱うも、 今日の勢い政令をもって禁止すること難く、 世論に訴えて排斥すること容易ならざれば、 これを全廃する方法において、 はなはだ困難を感ずるなり。しかるに種々工夫の末、ついに一策を案出せり。すなわち、囲碁税を課することこれなり。一方に物質上のぜいたくたる絹布、 酒、 タバコ等には、 すでに多額の税を徴集せらる。 また、一方に空間上のぜいたくものたる庭園のごときも、すでに東京市においては課税の内議ありと聞く。 余は庭園税のほかに、 玄関税、 門構え税、床の間税および別荘税の必要を唱うるものなり。 なんとなれば、 これらは庭園と同じく、 空間上のぜいたくものなればなり。 かく物質上、空間上の二大ぜいたくものに、すでに課税の挙ありとすれば、 第三の時間上のぜいたくものに限り課税を免るるは、はなはだ権衡を失するの疑いなきあたわず。ゆえに、 今より囲碁税を定めてこれを課するに至らば、一は無用の遊技に時間を徒費する弊を矯むるを得、 一は政府の財源を補助する一端となるを得、実に一挙両得の策なりと信ず。ゆえに余は、政府が速やかに囲碁税法を案定せられんことを望む。
(碁盤税法) 囲碁に税を課するには、 碁盤を利用するほかに適当の方法なかるべし。 すなわち囲碁税の目的は、 碁盤に税を課する方法によりて達せざるべからず。 余、 かつて地方の二、三の村落につき、 碁盤の数をたずね、 これを全国に及ぼして推算するに、 およそ日本国中に二十万局の碁盤ある割合となる。 この一局につき毎年二円五十銭の税を課すれば、 その収入五十万円となる。 五円の税を課すれば、 百万円となるべし。 かくして碁盤に税を課すれば、 紙盤(ただし印刷物)にも、 これに準じて多少の税を課せざるべからず。 碁盤すでにしかりとせば、 将棋盤にも相当の税を課して可なり。 碁盤、 将棋盤ともに課税するに至らば、 政府がこれによりて得る収入も、 決して少額にあらざるなり。 されど、 その収入によりて得る有形の利益よりも、 国民全体に碁、 将棋はぜいたくものなり、 時間を徒費する大害物なりとの観念を与うるによりて得るところの無形の利益は、 一層大なりと信ず。 もし、 これによりて囲碁のために無益に時間を消費する習慣を除去するを得ば、 その利益また幾倍の多きを見るに至らん。
(囲碁課税の難問)この囲碁課税案に対し、 あるいは難ずる者ありていわん、 西洋諸国には、 いまだかくのごとき税法あるを聞かずと。 西洋諸国には囲碁なし。 近来日本より伝えたるものにゴバンと名づくる一戯あれども、 これわが五目並べなり。 また、 かの地に将棋あれども、 わが国の将棋よりはいくぶんか簡便にして、 しかも人のこれを弄するものはなはだ少なし。 ゆえに、 かの地には碁、 将棋の弊害なきをもって、 課税の必要を見ざるなり。 しかるにわが国においては、 碁、 将棋ともに上下一般に行われ、 なかんずく碁の弊害最も多し。 かくのごとき遊技は今日の大勢に適せざること明らかにして、 太平の遺物に過ぎざれば、 わが国に限り囲碁禁止の精神をもっ て、 これに重税を課するの必要ありと知るべし。
(帰結)これを要するに、 囲碁の課税はほかの課税に異なりて、 政府の財政を助くるためのみにあらずして、教育上、 道徳上、 国民の経済上、 風俗の改良上、 ともにその必要を感ずるものなれば、 速やかに政府が、 これが法律案を作りて実施せられんことを望む。 かつその法は、 事情の許す限り、 なるべく多額の重税を課して、 自然に廃滅の運びに至らしむるをよしとす。 かくして太平の遺物、 悠長時代の玩弄物を葬り去り、 倹約の大敵、 富国の障害物を滅ぼし尽くさんこと、 余が年来の祈願なり。
以上は余が囲碁廃止論の結果、 転じて課税論となりたる次第を開陳して、 広く世間の賛成を求むるものなり。
一八 国字改良論の三大誤り
近来、 国字改良を唱うるものアチラコチラに起こり、ついに帝国教育会をしてこれに賛同せしめ、 辻〔新次〕会長より上下両院へ、 国字国語国文の改良に関する請願書を提出するようになり、 改良論者は意気揚々として得意の様子に見え、 世間もその論を賛成しておるように見えますが、 こは実に奇怪千万であります。 今、 そのいちいちにつきて批評を下すいとまがないから、 教育会より提出せる請願書文につきて申すに、 その中には確かに三大誤りあることが分かります。
第一に、 西洋人の批評を挙げて、 わが国字国文は世界無類の難物であるといい、 その困難のために四千万の国民の能力を阻害し、 事業を渋滞し、 幸福を毀損し云々とはやし立つるは、 大々的誤見であります。 まず、 わが国字国文は、 西洋人より見れば、 最大難物と思うは当然なれど、 われわれ日本国民にとりては、 そのとおりに難物であるという道理はない。 例えば、 西洋人には日本人のごとく箸を握り下駄をうがつことが最大難物であるから、 日本人にもやはり最大難物であるという道理がないと同じことである。 すべて困難とか平易とか申すは、 多くは習慣の有無に関係したことであります。 西洋人には箸を握る習慣がないから困難である、 日本人には習慣があるから平易である。 漢字のごときは、 西洋人にはその習慣がないから非常の難物に感ずべきも、 われわれ日本人には子供の時よりのみならず、 祖先以来この文字をもって教育を受け、 十分なる遺伝的習慣があるから、 かえって西洋の文字よりは平易に学び得らるる道理である。 ゆえに今日にありては、 われわれの脳髄は祖先以来の遺伝によりて、 最もたやすく漢字を印象し記憶し得らるるようにできておると申してよろしい。 しかるに西洋人気取りで、 能力の発育を阻害し、 事業の進捗を渋滞するなど論ずるは、 笑止千万の次第であります。
また、 幼時の教育に多少の艱難を経過するは、 必ずしも脳髄の発達に害あるにあらずして、 かえって益あるものである。 ゆえに、 わが国字国文に漢字の交じりたるために多少の困難ありと許すも、 これかえって脳髄の発達進歩を助くるかと考えます。 そのわけは肉体の方より見るに、 幼少の時より手に重きものをさげたることなく、背に重きものを負いたることなく、はれものに触るように、 大事に大事を取り育てあげたるものと、 幼少の時より多少の労働を経て成長したるものと、いずれが健康でありましょうか。 また、 子供の時より腸胃をそこなわんことを恐れて、 粥のごときやわらかなるものばかり食わしめたるものと、しからざるものとは、 成長の後いずれの腸胃が強くあろうか。 そは身体の方のこととして、 これを精神の方に考うるも、 幼時より心になんらの艱難を覚えず、 毫も思慮を労したることなきものと、 労苦を経て成長したるものと、いずれが知力の発育がよろしかろうか。 これらは識者の判断をまたずして、すぐに分かりましょう。これと同じ道理にて、 幼時の教育に多少の困難を経過するは、かえって精神の基礎を固くする助けになるものであるから、 能力を阻害し、鋭気を消耗すなどの心配は全く無用と考えます。
第二の誤謬は、 論者の言うがごとく、 わが国の文字、 言語は錯雑を極めて、 修学者の困難ひとかたならざるものと仮定するも、 論者は国字を一変すれば、 ことごとくこの困難を除き得るように考うる一段であります。 もっとも論者中には、 いろいろの方法をとるものありて、 一概に批評を下し難きところあるも、 いずれの説も、 国字に改変を行わば百難を一時に排去し得るように想像しおるは、 大なる誤りである。 かつ、 漢字にはその短所あると同時に長所あることを論ぜざるも、また誤りである。 余をもってこれをみるに、 物には一利一害あるように、漢字には不便の点と便利の点とあります。 その不便を除くためにローマ字、 もしくは仮名文字、 もしくは新字を用いたりとて、 また新しき不便が一つ二つも出てきます。 それはともあれ、 今日わが国の言語が錯雑を極めおるのはそのままに捨ておき、 文字のみを改良したればとて、 かえって一層の錯雑を重ぬるばかりであろうと考えます。
例えばここに「情」の字があるに、「人情」とつづくときは呉音にて読み、「風情」とつづくときは漢音にて読むがごとき困難は、 国字を改良すると同時に避け得んとするが、 その代わりに「情」と「状」と「上」と「場」等の同音の文字を、 区別することのできざる困難を引き起こします。 かくのごとき不便がいくらもできるに相違ない。 すでに改良論者も、 わが国は言文一致でないのは大いに不便である、 一定の標準語なきは不便である、 尊卑の階級によりて用語を異にするのは不便であると嘆くはよしとするも、 かかる不便を救うために、 国字を改良せざるべからざるように論じきたるは、 はなはだ道理なきことと考えます。 国字を改変したればとて、 決して不便を除くことのできるどころではない、 かえって一層の不便を引き起こすに相違ない。
要するに改良論者が、 国字を改良すれば、 わが国の言語、 文章上に横たわれるあらゆる困難を除去し得るように考うるは、 大々的迷夢である。 論者は、 国語国文を改良するには、 まず国字を改良するをもって第一着手とすと申すけれども、これ順序を誤るものにて、 余は言語の改良、 文章の改良をもって第一着手とせざるべからざることと信じます。 なぜなれば、 わが普通語の錯雑は、 国字の改良によりて除去すべからざること明らかであります。 さすれば、 国字を改良する前に、 まず言語を一定することが肝要でありましょう。 ゆえに余は、 まず言語の改良あるいは言文一致の実行、 つぎに文章の改良に着手し、 しかる後に、 もしいよいよ国字を改変するの必要をみとめたらば、 国字改良論を提出すべき順序であると考えます。 とにかく国字改良論は、 大いにその順序を誤るものなることは疑いない。 そのほか、 漢字を用うるより生ずる便利の点につきては、 過日すでに申し述べたることあれば、 今日は略しましょう。
第三の誤謬は、 改良論者が、 単に漢字の日用上に直接に与うる不便のみをならべ立てて、 その人心上、 道徳上等の無形界に及ぼす影響、 利害を考えざる一段であります。 無学の俗人が唱うるならゆるすべきも、 堂々たる大家、 しかも帝国教育会ともいわるる堂々たる教育的団体が、 かかる皮相の浅見をもって改良の必要を論ぜらるるは、 もってのほかのことと考えます。 そもそも言語、 文字は直接に人の精神思想に関係し、 その一改一変は必ず精神上に変動を引き起こすは、 事実上疑うべからざることにて、 たとい無学無識の輩 といえども、 少しく詮じきたらば、 そのくらいの道理は分かるに相違ない。 しかるに改良論者が、 衣服や食物の改良のごとくに心得て国字の改変を論ずるは、 不都合千万のように思われます。
今、 人倫につきて申さば、 わが国民の道徳は忠と孝とをもって基礎とすることはもちろんであるが、この忠孝の観念は、ただに語声のみにてわが精神界に保たれおるにあらず、 その文字の形とともに脳中に印象しおるものである。 その証拠は、「忠」と書きたる文字を見て、 これによりて起こす観念と、「チュウ」もしくは「ちゅう」もしくは「Chiu」と書きたる文字によりて起こす観念と、 果たして深浅厚薄の異同はあるまいか、いかがでありましょう。余は「チュウ」でも「ちゅう」でもまたは「Chiu」でも、 決して「忠」の字のごとき深き観念は起こらぬと信じます。 西洋のごときつづり字をもって文字としたる国は、 かくのごとき恐れは少なきも、 わが国のごとき字形を主とする漢字をもって道徳の観念を結び付けきたれる国にありては、 大いにこの点に注意せねばなりませぬ。
改良論者は、 あるいはこれをもって一時の習慣に過ぎずとみなし、 その習慣は国字改良に伴いて自然に消滅するように考うることあらんも、 こは大なる間違いにて、 決して一時の習慣どころか、 祖先以来千百年の間養いきたれる習慣なれば、一朝一夕に消失する道理はありませぬ。 または改良論者は、 これをすでに試むるにさようの恐れはないと申すかも知らざれども、 その論者はわが国の中等以上の知識を有したる人なれば、 これをもって一般を例することはできませぬ。 そうして、 学識の程度において中等下等の人民は、これを上等に比するにその数最も多く、一国人心の維持は必ず中等以下に重きを置かなければなりませぬ。 もし、 これらの最多数の人民が有する道徳心にわかに動き出だすに至らば、 一国人心の瓦解は到底免れざることであります。 そのほか、 国字の改変の世道人心に与うる影響につきて、 なお述べたきこと多かれども、 そはすでに前回に一言したるところなれば、 ここにて略します。
以上の三大誤りは、 帝国教育会主唱の国字改良論の中に、 たしかに横たわりおることをみとめたれば、 余はかかる仲間に加わりおるは自らいさぎよしとせざることなれば、 速やかに教育会を脱会しました。 ゆえに、 今述べたるところは、 余が脱会の理由と申してもよろしい。 そうして余が考えにては、 今日国字改良よりは言語改良が急要である、 言語改良を問わずして、 すぐに国字改良などを唱うるは、 大いにその順序を誤るものと信じます。ゆえに、ここにそのことを一言して、 世の識者の判断をまつ心得であります。
一九 仏門忠孝論一斑
この一編は、 井上先生が第一高等学校徳風会員の依頼に応じて演述せられたるものの筆記なり。
今ここに仏門忠孝論というは、 あえて仏教中にもまた忠孝の説ありとの事実をいわんとするにあらず、 ただ仏教中に忠孝の起こるゆえんはいかん、 他語にていえば、 仏教中に忠孝の起こるべき原理を述べんとするにあるなり。
仏教忠孝の原理をいわんがためには、 仏教大体に関して論ずるの必要あり。 元来、 仏教とはいかなる教えなるかというに、 通例これに答うる者は曰く、 仏教は涅槃を目的とし、 この涅槃に入ることを教うるものこれなり、すなわち仏教は出世間道を勧むるものなりと。 果たしてしからば、 仏教は世間を厭忌して五倫をすて忠孝を顧みざるもの、 いわゆる厭世教というのほかなきか。 曰く、 しからず、 仏教は最も忠孝を重んじ、 五倫の秩序的道徳を尊ぶものなり。 さてはその関係において、 必ずや道理の存するあらん。 今知らんと欲するものは、 すなわちこの道理なり。
およそ事物のいやしくも一組織を有し一団体をなす以上は、 その上において内外二部の区別の起こりきたるべきは必然なり。 他語にていえば いかなる事物にありても一組織一団体を形成する上は、 中心と外囲との区別ならびに二者の関係必ず生じきたらざるべからず。 たとえば、 樹木のごときもその円体の上に中心と外囲の二部を分かつべく、動物にありてもまたこの二部より成れるものにして、なお大にしては地球のごとき、さらにわが太陽系統の上にもこの関係を有せざるなし。すなわち太陽をもってこれを中心となし、いくたの遊星は軌道をえがきてその外囲に回転す。この外囲の遊星、中心の太陽と相結んで一体をなす。名づけてこれを太陽系統すなわち太陽界の一組織となす。これをわが身体組織の上に考うるも、身体なる有機組織の上に神経の一組織あり。この神経組織につきてもまた、 中心外囲の両部を分かつを得る。 すなわち、 わが外面の皮膚は身体の外部にして、 神経繊維の末端ここに終わる。 しかして、これが中心となるものは脳髄なりとす。 換言すれば、 脳髄は有機組織の中心となり、 神経繊維の末端の終わるところの身体の外部はその外囲となり、 もって中外両部の関係を説くべし。 しかして中心と外囲との関係においては、 その間およそ二種の道あるべし。 外囲より中心に向かうはその一なり、 中心より外囲に向かうはその二なり。 中心より外囲に向かうものは、 これを名づけて遠心性となし、 外囲より中心に向かうものは名づけて求心性となす。 しかして、 神経繊維にはすなわちこの二種をそなうるなり。求心性神経は外囲のありさまを脳髄に向かいて伝達するものにして、あるいは感覚神経、知覚神経とも称す。 遠心性神経はこれに反して脳髄中心のありさまを外囲に伝うるところのものにして、また運動神経とも名づくるなり。この理、 さらに太陽系統につきて知ることを得ベし。すなわち遠心求心二力の相関によりて、遊星は互いにその位置を保ちて 組織を完成することを得るなり。 なお、 ほかの恰当なる一例をここに示さんか。 かの国家社会と称するものは、今日はみなこれをもって吾人の身体のごとく、 有機的の組織を有するものとなせり。 されば、 吾人の身体における中心外囲の関係は、 また移してこれを国家社会の上に考うることを得べし。 今これを国家につきていわんか。その体を形成するところのものは人民にして、 君主はあたかも国家の脳髄いわゆる中心に当たるなり。 しかして、 その君主と一般の人民との関係あるいは外国に対する関係に求心遠心の二方をそなうることは、 また身体の神経組織に異ならず。 もっとも、 国家の政体には種々の区別ありて、一概にこれをいうことあたわずといえども、 仮に立憲君主政体についていわんに、 中心の君主の命令を一般人民に伝うる機関あり、 また一般の世論あるいはありさまを中心に伝うる機関あり。 内より外に向かうはすなわち行政部にして、 外より内に向かうはすなわち立法部なり。 立法部は法律を議定してその裁可を君主に請う。これ、 外より内に進むなり。 君主ひとたびこれを裁可するときは、すなわち法令となりて一般人民に施行せらる。これ、内より外に向かうなり。 この求心遠心の二作用相まちて、 しかる後はじめて一国の政治全きを得るなり。
以上はただ、 事物の一組織一団体を形成せしものは、 みな内外両部を有することを示さんがために、 例証として出だしたるに過ぎず。この理、 さらに進みてこれを学問の上に述べん。
学問全体の上において、これが中心となるものは真理なり、これが外囲となるものはすなわち種々の事実なり。されば学問は、この万有界における事々物々いわゆる事実上の研究より真理を発見し、 他語にていわば、 外囲より中心に向かいて進むをその目的となす。しかれども、学問は決してここにその目的を終えたりとはいうべからず。すなわち、 なお他の方向において、その発見したる真理をもって、これを外囲に向かいて当てはむることを必須とす。 よって、学問にもまた求心遠心の二性を生ずるなり。 しかして、その事実より真理に向かうをもって目的となすものはこれを理論学といい、 すでに多少真理に達して、この真理をもって万有事物の上に当てはむるはこれを応用学という。 ゆえに、学問にはおよそ二種の区別ありて、 理論学は主として真理探求を目的とし、 応用学はもっぱら実益を目的となさざるべからざるゆえんを知るべし。
以上はただ、仏教組織を述べんがために前おきとして一言せしのみ。 しかるに仏教もまた、かの学問のごとく、その他の事物のごとく、一定の組織によりて成立するところのものなれば、必ずや中心あり外囲なかるべからず、 必ずや求心遠心の二途をそなえざるべからず。 けだし、 仏教全体の組織の上につきて考うるに、 なお学問におけると同様に、 理論と応用との二種あることを見る。 しかしてこれが中心となるべきものは、これを真如となす。 なお、法性、 一如等いくたの名あれども、 学問上のいわゆる真理にして、 仏教組織の中心に当たるものなり。 この真如を目的として外囲の宇宙万有、 世間実際の上より進むをもって理論門とす。 これ、 真如の理を道理上よりこれを究め知らんとするものなり。 しかる後、この究め尽くしたる真如をさらに世間実際の上に応用し、安心立命、 転迷開悟を目的とするものは応用門なり。 ゆえに、一方の目的は理体にして、 一方の目的は安心なり。 その理論門はいわゆる哲学にして、 その応用門はすなわち宗教なり。 されば、 その哲学の理論門にありては、 道理上より真如の実在を証し、 すでに真如の実在を証明すれば、 これを応用してわが心の帰着を定むる宗教門の起こるに至る。 ゆえに、 理論門はこれを求心の道となし、 応用門はこれを遠心の道となすべし。 しかるに、今この二門を分かちてさらにこれを考うるときは、理論門にまたこの求心遠心の二道を具し、応用門にも同じくこの関係あるを見るべし。請う、試みに理論門よりその端をひらかん。
仏教組織における中心いわゆる真如は、あるいは理体、理性といい、外囲の事物これを万法もしくは事相という。 この両者の関係に求心遠心の二道あることなるが、求心遠心のかわりに、別に向上向下の名をもってこれに命ずれば、 万法より真如に向かうは向上的にして、 真如より万法に向かうは向下的なり。 しかしてそのいわゆる向上的は、 万法を空じて真如の理を現すものなるが故にこれを空門となすべく、 向下的は、 真如よりして万法をその上に立つるものなればこれを仮門となす。 空門は万有差別の相を空じて平等に入るが故に平等門なり、 仮門は平等真如の上に万法差別の相を立つるが故に平等上の差別門なり。 そのいわゆる平等門は世間を離れて出世間を説き、 そのいわゆる差別門は再び平等の理、 世間に向かいて現るるを説くなり。 しかして、 世間道徳のよりて起こるところ実にここにあり。 しかれども、この両者の関係の次第を示すにつきて、 小乗と大乗との差異あり、権大乗と実大乗との区別あり。
小乗にては、万法より真如に向かういわゆる向上的の道はあれども、真如より万法に向かうところの向下的の道なし。 すなわち小乗にては、 世間万法は七十五の法体より成ると説けども、 そはただ万法を七十五に減ぜしのみにして、 万法そのものの真如なることを説かず。 実大乗にありては、 万法の実体真如なりというのみならず、また万法を真如の上に立つるのみならず、 真如体中より万法を開き現して、 事物は現然かくのごとくに存在すと説く。 ゆえにいう、小乗にはただ向上のみありて向下なし、 ただに向下なきのみならず、 その向上においてもわずかに半途までを説きたるに過ぎずして、いまだ全体を説き尽くしたりというべからず。 倶舎宗によれば、 万法を分析して七十五法となすことはあれども、なおその体真如なることをも知らざるなり。 すなわち向上の道においても、いまだ真如の本体に達するに至らざるなり。 小乗にありても涅槃の義を説かざるにはあらざれども、そはただ七十五法の一つとして差別の上に説くところのものにして、万有の実体、 平等の真如に体達したる涅槃にあらず。 これ、 小乗の仏教中にありて理論の浅近なるものと称せらるるゆえんにして、向上的において真如の本体を示すに至るは大乗にまたざるべからざるゆえんなりとす。
もし大乗に踏み入らんには、 まず権大乗法相家の説を述べざるべからず。 その説、向上的の道においては小乗のごとき半途にとどまるの類にあらずして、 万法を分かちて百法となし、 百法の帰するところの本体は真如にほかならずと談ずるなり。 しかのみならず、 なおこれよりくだりて向下の道にも説き及ぼせり。 この向上向下の関係につきては遍、 依、 円の三性を立てて、 唯識中道の理を唱うるなり。
遍計所執性・・・・妄有・・・・非有
三性 依他起性・・・・・仮有・・・・非空
円成実性・・・・・真有・・・・非有非空
遍すなわち遍計所執性とは、 差別の事相をもって真に実在するものなりと執するものなればこれを妄有とし、円成実性とは、 真如の理体を指すものなればこれを真有とし、 依他起性とは、 万法はおのおのその実体を有するにあらざるも、 ほかの因縁によりて生起することは有にして空にあらざれば、 これ仮有というべし。 ゆえに、一 方より見れば非有にして、 他方よりいえば非空なり。 有にあらず空にあらず、これを唯識中道の理という。 およそ唯識宗にて一切仏教を判ずるに、 有、 空、 中の三時教を立てて小乗の実有論はこれを有門となし、 大乗中にても般若の皆空説はこれを空門となし、 しかして唯識はこれを非有非空の中道となすなり。 しからば唯識のごときは、 向上的においてその全体を説きたるのみならず、 向下的において真如と万法との関係を説き、 非有非空の中道、 依他起性の道理を示して、 差別を平等の上に成立せしめたり。 しかれども、 この説いまだその理を尽くしたりとなすべからず。 なんとなれば、 この宗にては、 なおこの依他起性の万法がただちに真如の上にあることを許さず、 万法即真如、 真如即万法と説かざればなり。 ゆえに、 万法を百法に分かち、 百法をさらに有為法、 無為法の二種とし、その有為法は識心中の第八阿頼耶識の種子の開発するところとなし、 しかして阿頼耶の本体はもちろん真如にほかならずと説くといえども、 有為の諸法のただちに真如の中より現るることを説かざるなり。されば、 両者の間なお懸隔して、いまだ融通して一つとならず。 今これを小乗に比するに、万法より進んで真如に向かうの道すなわち向上的は、 全くその理を説き尽くしたるもののごとしといえども、これを実大乗に比するに、真如より万法に向かうところの向下的にありては、なお半途にしてとどまれりといわざるべからず。これ、その宗の権大乗たるゆえんにして、 実大乗に一歩を譲るゆえんなり。
しかるに、これよりさらに進みて実大乗に入るときは、 向上的の全体のみならず向下的の全体をもこれを開き示し、 向上にては色即是空といい、向下にては空即是色といい、 また向上にては万法是真如といい、向下にては真如是万法という。 実大乗中にても天台のごときは、事理無碍の理を談じて真如万法の融通を説き、一心三観と称して空、 仮、 中三諦の理を示し、 真如を離れて万法ありと思うはすでに迷なればこれを空とし、すでに真如に達すれば、 その理体の上に万法の歴然として現立するを見るこれを仮となす。この空仮を合して相離れざるところ、 合して一なるところ、これを中道となす。 たとえばここに一面の鏡あらんに、その面元来無一物、 空々寂々底なり。 しかれども、 面上のちりを払い終われば、 万象歴々として現前すべし。 これすなわち仮なり。 しかして鏡の実体はすなわち中なり。 かくのごとく空、 仮、 中三諦の理を明らかにして、 もって中道実相の理を開示す。しかれどもひとり天台のみならず、 そのほか実大乗諸宗の説は帰するところみな同一にして、 これその中道の中道たるゆえんなりとす。これを理論門の関係となす。 この理論門にて説きしところのもの、 これを人倫忠孝の上に当てはむれば、仏教のいわゆる応用門を開くに至る。 仏教は世間より厭世教と称せらるるゆえんは、 向上的の一途につきてのみいうことにして、 万法を空じて真如平等に向かう空門の見なり。 しかるに、 翻りて真如よりして万法を向下的に立つるに至れば、 大乗中の実大乗のごときは世間万法の存することを説き、 われもまたその一部にして、 われあり世間あり、 かれありこれあり、 朋友、 君臣、 国家ありというに至るべし。 これら差別の相はすなわち真如の現象なれば、 差別を離れて平等あらんや、 現象を離れて本体あらんや、 万法を離れて真如あらんや、 けだし、 この二者相合してその中を得たるもの、 これを仏教の真理とす。 ゆえに、 向下的に出でてこれを見れば、 社会も国家も秩然として存し、父子君臣もその別あり。ここにおいて、忠孝人倫の道を講ぜざるべからず。ゆえに、 仏教は決して出世間一方、 厭世一道の法にあらざるを知るべし。されば、つぎに応用門を述ぶべし。
応用門にもまた中心と外囲との二種の関係あり。 その中心はすなわち仏にして、 外囲はすなわち衆生なり。 しかるに、 理論門にありては真如これが中心となり、 今、 応用門にありて仏これが中心となるとするときは、 仏と真如との関係いかんを知るを要するなり。 もし一言にてこれをいえば、 理論門は平等門なれば平等性の真如を中心とし、 応用門は差別門なれば差別性の仏を中心とするなり。 かつ仏には法、 報、 応の三身の区別ありて、 平等の上よりいうときは仏も〔人も〕ともにその体真如なれども、 差別の上よりいうときは真如の上に仏と人との区別を生じて、 仏はその中の最勝者の地に立つこととなる。 今、 吾人が実際上修行して仏となるは、 裏面よりいえば真如に体達することなれば、 吾人は真如海に入るというべきも、 表面よりいえば仏はやはり差別人中の最勝人なる故に、 吾人はその最勝の地位に達するなり。 ゆえに、 理論門と応用門との中心の区別は単に表裏の別のみにして、 その体は同一なり。 また、 仏の因分よりいうときはこれを仏性とも名づけ、 仏性すなわち菩提にして、 仏はすでに仏性を開現したる体、 衆生は煩悩の迷雲によりて隔てらるるものなり。 他語にていえば、 仏すなわち菩提は悟りにして、 煩悩は迷いなり。 ゆえに、 応用門の中心は仏もしくは仏性とし、 その外囲はこの本性を開現するをもって目的とする衆生に当たるなり。 応用門にてもまた理論門におけると等しく、 小乗は小乗、 大乗は大乗、 権大乗は権大乗、 実大乗は実大乗と、 それぞれに従いて仏と衆生の関係を説くに、 おのずから異なるところあり。 小乗にては向上のみありて向下なきことは理論門に等し。 向上は自己の悟りをもっぱらとするが故にこれを自利門とし、 向下は広く世間衆生を済度せんとするを目的とするが故にこれを利他門とす。 ゆえに、 向上は智慧の力によりて仏性を開現するものにして、 すでに仏性を開現して本来の真如を現さば、 さらにその大悲力によりてあまねく衆生を照らすことをもって本務とす。 されば、 仏には必ず悲智の二門を具することもちろんにして、 智慧門はいわゆる自利門にして、 慈悲門はいわゆる利他門なり。
そのうち、 小乗は智慧門の自利のみありて慈悲門の利他なし。 かつ、すでに理論門において説きしごとく、 応用門においても小乗はわずかに向上の半途に達して全分に及ばざるが故に、その仏果と称するものもただ声聞、縁覚の二乗の果にして、 涅槃というも灰身滅智の涅槃なれば、 大乗の涅槃と等しく語るべきにあらず。 しかるに、大乗に入りては権実ともに向上向下を説くが故に、 悲智二門を具備して自利利他を兼行するなり。これを法相にていわば転識得智と称して、 有漏の識を転捨して無漏の智を開得することを説く。 有漏とは煩悩をいう。 すでに無漏智を開きて真如平等の理を照らせば、 顧みて差別の衆生界を照らし、 大悲を起こしてあまねく群生を化益するなり。 真如を照らす方を根本智といい、 衆生を照らす方を後得智という。これ、向上向下の兼備せるところなり。 さりながら法相宗にては、 仏になるにつきてなお差別階級を立てて五姓各別と説き、 あるいは到底成仏することあたわざるものもあるなり。 これ、 その宗の権大乗たるゆえんにして、 向上の全途を有していまだ向下の全分を尽くさずというべし。 ひとり実大乗は向上向下ともに円満にして、 唯識の差別的階級を除き、 一切みな成仏の道理を示せり。 されば理論門と応用門とは、 その小大二乗および権実二教の区別は相応じて相同じく、みなよく相照合して深浅高下の次第を有するなり。
これによりてこれをみるに、 仏教の上にて出世間自利的なるはただ向上的のことにして、 もしそれ向下的の大悲門によらば、 衆生済度の主義をもって大根本となすなり。 したがって、 差別の相は現然として平等の上に森立するが故に、 君臣父子、 兄弟朋友の秩序整然として乱れず、 人倫忠孝の常道また決して廃すべからず。 その応用門にありて忠孝人倫の大切なるを説くは、 あたかも理論門の上に万法世間の非空なるを述ぶるの理に相応するなり。 また、 かの仏教を修行せんとするものは、 はじめに、 われもし仏とならば一切衆生の苦を救わんとの大誓願を立つるを要す。 世間の道徳はみなこの中にこもれり。 また、 仏教に報恩と称することあり。 そは仏となりしものの、かく苦を抜き楽を得たる以上は、これに向かいてその恩に報ゆる義務を有するをいう。 禽獣かつ多少の恩を記す、 いわんや無限の苦を去り無限の楽を得たる人においてをや、 だれかその恩を思わざらん。 しからば、 報恩の業務はいかにすべき。 曰く、 人を利し世を救い、 国家社会の幸福を祈り、 君主父母の心を安んずるにほかならざるなり。
また、 仏教の応用上に聖道、 浄土の二門を開けり。一つは智慧門に基づきたる自力門にして一つは慈悲門より出でたる他力門なり。それ仏は覚者にして、自覚覚他、 自利利他を兼備するが故に、 悲智の二門をその身に具足す。 しかるに、 今その智慧門を開きたるものはすなわち自力の聖道門にして、 慈悲門を開きたるものは浄土他力の教えなるが故に、 聖道門は衆生より仏に向かう向上的を本とし、 浄土門は仏より衆生に向かう向下的を本とす。 向上的の聖道門にては、 仏果に至らんがためにはこの世界の規則いわゆる因果の規律を踏み、 一善を植え一行を修めて、 これに対する善果を得んとす。 ゆえに、 善因善行を積みきたれば、 その結局、 仏果の地に到達すると教うるなり。 これをもって、聖道門にては世界の道徳が向上的の資料となる。 しかるに浄土門にありては、 仏をひたすらに専念すれば、仏の妙力われに及ぼして知らず識らず善人となり、 忠孝仁義の備われる人となることを得べしとす。 かくのごとく聖浄二門その説くところ異なりといえども、 社会国家の人倫道徳は必ずこれを守るべし。 また、これを守るの仏道に欠くべからざるゆえんを教うるにいたりては、 二門のともに同じくするところなり。 さればこそ、聖道門には戒律を設け人道を説き君臣父子の道を教え、 浄土門には真宗のごときはもっぱら真俗二諦を説きて、仏法、王法、 世間道、 出世間道の偏廃すべからざることを教うるなり。
仏教の組織ならびに各部分の関係の大略は今述ぶるがごとし。 この理にもとづきて仏門の忠信孝悌もしくは忠君愛国を論ずべし。 しかして、 忠君愛国論は今ここにこれを略す。 ただ、 終わりに臨んで一言すべきことは、 仏教とヤソ教との別これなり。 仏教にてはこの世界は真如開発の世界とし、 万法すなわち真如、一法また真如にして、 吾人の体を真如とするをもって此土すなわち極楽なり、 この世界のほかに極楽なく真如なし、 吾人の体中に仏性を有するのみならず、 我身すなわち仏と教うるなり。 しかるに、 ヤソ教にては神のほかに世界人類の存するを説き、 吾人は神の僕婢奴隷にして、 わが父も君も真の君父にあらず、 神に対するときは神ひとり真の君父なり。 ゆえに、 たとい君父に対する忠孝を説くとも、 この忠孝はみな仮の忠孝となるべし。 仏教にありては、 ひとり君父をもって一種の付属物と見ざるのみならず、 万法すなわち真如の道理によればみな平等一様に仏なり。 ゆえに、 吾人が君父に尽くすも、 決して仮の道にあらずして真の道なり。 また、 仏教には平等門、 差別門の二種の方面あることを記せざるべからず。 向上の平等よりいうときは、 仏教もヤソと同じく眼中国家なく君臣上下の別なく、 等しく真如一味の平等海なれども、この平等の裏面においてただちに差別の付随するありて、 君も父も自他彼我の別もみな並存し、 非国家中に国家の存立の疑うべからざることを示すなり。 これを要するに、 仏教の本意は、 差別は平等を離れず平等は差別を離れず、 向下は向上を離れず向上は向下を離れず、 二者の中道を立つるにあり。 果たしてしからば、 二者中いずれが軽重あらんや。 平等向上の道の大切なるがごとく、 差別向下の道もまた等しく貴重せざるべからず。これ、 仏教の厭世教にあらずして、 世の人倫道徳を重んずる教えなるゆえんなり。
二〇 東洋学の真相
東洋学の真相は、 とても西洋のかすみたる眼でみ、 なまぐさき口で味わっては、 決して分かりませぬ。 この両学の相違は、 日本画と油画との異なるがごとく、 日本茶と紅茶との異なるがごとく、 その趣の全く変わりたるものであります。 もし、 紅茶を味わいたる口で日本茶を評したなら、 いかがでありましょうか。 必ず不当の評は免れますまい。 しかるに今日の学者は、 西洋学の眼で東洋学を評するが多い。 これは実に嘆息のいたりであります。
西洋学の長所は、 おもに分析でありますが、 学問上のことは、 なにもかも分析するわけには参りませぬ。 また、 分析にて分かることと分からぬこととがあります。 例えば砂糖を分析してみれば、 何々元素より成り立ちたることはすぐに分かりましょうけれども、 砂糖の味すなわち甘いということは、 分析だけでは決して分かりませぬ。 また分析上の結果は、 言語によりて人に伝うることができても、 その味にいたりては、 到底人に移すことはできませぬ。 これと同じく、 西洋学は分析にて知り得べき事物の理を説くには調法なれども、 言語にて伝え難き事物の味を感ずるには、 はるかに東洋学に及びませぬ。 かくのごとく、 東洋学と西洋学と大いにその趣を異にするにもかかわらず、 西洋学の物差しをもって東洋学の品評を下し鑑定を試みんとする者あるは、 余をもってこれをみるに、 寒暖計をもって寸尺を測らんとする狂人に近きもののように考えます。
すべて西洋の学問は職工的商人風にして、 東洋の学問は美術的華族風であります。 前者は事物を取り扱うに、いちいち寸法を測り器械に掛け、 二二が四、 二三が六の理詰めにいたすから、 人をして了解せしむるには都合よきようなれども、 そのかわり無風流殺風景を免れませぬ。 はなはだしきは道徳まで損得勘定をもって立てようとし、自利主義とか実利主義とかいう説がありますが、 余はこれを商人主義と申します。 東洋はこれに反して、 従来美術的華族風なれば、 なにごとも風致趣味を重んじ、 商人主義のごときは大いにいやしむところであります。要するに、 西洋学は器械、 製造等に応用するに便なるも、 道徳、 美術、 宗教に対しては、 かえってこれを破壊するに至ると考えます。 ゆえに、 西洋学の流義をもって東洋学を取り扱うときは、 松島の中央へ造船所を建てて、厳島の前面へ製造場を設けて、 石灰の黒煙中に白砂青松をうずめしむると同一般にして、 実に遺憾千万の次第であります。
近来、 西洋学を学ぶ青年諸士は、 よく書を読むもの少なく、 書に読まるるもの多くなりたるように見えますが、愚考にては、この書に読まるる多きは多読の弊より起こると思います。 東洋学の真相が今日の青年に分からぬのも、 やはりこの弊より起こると考えます。 拙者は元来書を読むことは嫌いであるから、 幸いに書に読まるる恐れはありませぬ。 かく申すとあまり大層らしく開こえますけれど、 拙者は今を去ること十年前に、 自ら豁然として書を読むの愚なること悟り、 西洋の書を読むは東洋の書を読むより一層愚なるを知り、 英書の類はこれを戸棚の隅に押し込み、 ただにこれをひもとかざるのみならず、 英語などはむしろ早く忘るるにしかずと心得、 人と相語るに一言半句も英語を交えざるようにつとめました。 その後世間の学者を見るに、 多読派と不読派との二様に分かれております。 文科大学の教授連中にては、 中島力造君は多読派にして、 元良勇次郎君は不読派であるということを聞きましたが、 拙者の不読に比すれば、 元良君もやはり多読派と考えます。 また世上の風評にては、明治の先輩と仰がるる加藤弘之先生は多読派にして、 福沢諭吉先生は不読派であると申しますが、 この評はあるいはあたりておるかに考えます。 もし極端の例を挙ぐれば、 根本通明翁は易の多読派にして、 高島呑象翁は易の不読派であります。
近来、 大学の風は一年増しに多読派の方に傾き、 学生の弊はやや多読に偏して活用を欠くように見えますが、あまり多読性の病人がたくさんできては、 国家の不幸ならんと案じられます。 しかし、 大学のことは拙者もむかし長く厄介になり、 己の学問上の故郷であるから、 あまりかれこれ申すと、 貴様は恩知らずであるといいて、おしかりをこうむるかも知れませぬ。 よって、 このくらいのところでやめておきましょう。 もっとも拙者の考えにては、 多読必ずしも害ありという意味ではありませぬ。 ただその弊に陥るを恐るることなれば、 この点につきては大学のお方も定めてご同感であろうと信じます。 もし、 拙者の意見を遠慮会釈なく思う存分に申さば、 書を読むは大学卒業までを限りとし、 卒業の時期はすなわち書物を抛擲するの時期なりと考えます。 これより後は死したる書物をやめて、 活きたる書物を読まねばなりませぬ。 活きたる書物とはこれに三とおりありて、 万有の活書と、 人間の活書と、 精神の活書とであります。 換言すれば、 万有界と人間界と精神界との三類であります。 これは実に活学活書にして、 世間のいわゆる書物は死学死書であります。
ゆえに、 拙者は失礼の申し分なれども、 御免をこうむりて申さば、 多読派は死学派にして、 不読派は活学派であると考えます。 しかして、 古今活学派の隊長、 不読派の親玉は、 孔子と釈迦との二聖でありましょう。 この二聖は死したる書物を読まぬかわりに、 大活眼を開きて、 万有、 人間、 精神の三大界の活学を修め、 活書を読みたる人に相違ありますまい。 ゆえにその教えは、 死学派の死眼にては到底うかがい知ること難く、 必ず活学派の活眼をからざれば分かるはずはありませぬ。 畢竟、 中古以後の儒者も仏者も、 多読死学の弊に陥りたるために、 儒仏両教の衰頽をきたしたるは、 誠に残念至極ではありませぬか。 今よりその弊を矯めなければなりませぬ。 かくのごとく東洋学ばかりに眼を注いでいても、 多読の弊あるものにはその真相を知ることができぬのに、 西洋学ばかりを修めてしかも多読病にかかりたるものに、 決してその真相が分かるはずはありませぬ。
かかる次第なれば、 東洋学の真相を知らんと思わば、 まず西洋眼を取り除きて、 東洋眼を着けることが第一であります。 しかして後は、 なるべく死したる書物を読むことをやめて、 活きたる書物すなわち万有界、 人間界、精神界の活書を読むようにせなければなりませぬ。 かつ活書を読むには、 二二が四、 二三が六の句調では分かりませぬ。 必ずわが心に直覚の大観を放ちて、 宇宙の真際に即到するように意を用いることが肝要であります。 この万有界も精神界も、 無始の始めより転々化々して今日に至るものなれば、 これと相対して相観する間に、 無始以来の真相を感見することができます。 しかして、 人間界は万有と精神との結合より成るものなれば、 これと相対して相観する間に、 また同様の結果を得るに相違ない。 在昔、 孔子はおもに人間界の上に大観を放ち、 傍ら万有界を観ぜられたるも、 精神観の方は欠けておりますが、 釈迦はおもに精神観および万有観を起こし、 しかも人間観をも兼ねたるものなれば、 仏教には三大観ともに具足しております。
かくして観察したる結果は、 宇宙の妙味妙楽を感得することができます。 ゆえに東洋学の真相は、 西洋の職工的、 商人的の学風にては分かるはずはない。 分析や推理の物差しで測り知ることはむずかしい。 必ずわが心に固有せる直感力我は、 直観力によらねばなりませぬ。 これ、 真理に即到する道であります。 精神と精神と相対し、精神と万有と相対し、 精神と人間と相対する間に、 自然に感触観見することあるは、 この直観力のしからしむるところであります。
かかる真理に即到する道のあるにもかかわらず、 西洋の心理学にて説いておかぬのは、 心理学そのものが西洋風でありて、 東洋風でないからであります。 ゆえに、 東洋にありては心理学そのものまでも作り換えなければなりませぬ。 しかるに、 わが国の西洋学者がカントやスペンサー を読みたる眼をもって、 みだりに東洋学の品評を下し、 あるいは非論理的とかあるいは空想的とか申すのは、 全く東洋学の真相が分からぬからである。 その分からぬのはかえって当然のことでありて、 カント、 スペンサー 等の眼をもって見る故である。 もしそれで分かるものなら、 顕微鏡をもって天界の観測もできる道理であります。 西洋学を見る眼と東洋学を見る眼と、 元来眼が違っておることを知りませぬか。 赤き眼鏡を掛けては、 青き物の真相が分かるはずはありませぬ。 今日の青年学生の迷誤は、 西洋学の上の句に東洋学の下の句を付けて、 読み下そうとすることから起こりております。「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の、 むべ山風をあらしといふらん」と読み、「吹くからに秋の草木のしをるれは、 声きくときぞ秋はかなしき」と読みては、 決して分かる道理はありませぬ。 ゆえに拙者は、 青年学生にして東洋学を知らんと欲するものは、 まず西洋学の余臭を洗い去りて、 さらに直覚の大観を起こし、 なるべく活書を読むことをつとめなければならぬと考えます。
拙者は早くこの一事に着眼し、 西洋の死書を読みて、 永くカントやスペンサー のつばをすするの愚なるを知り、 東洋学の真相は、 朝夕見聞接触する境遇中にあることをさとり、 爾来、 日本全国八十余州をおのれの書斎と定め、 春花秋月ごとに海内の勝を探り、 もって万有の活書を読み、 また平常家にありては、 朝夕俗事に拮据し、その自然に人間観、 精神観を起こし、 もって十年の久しきに及びその得るところ、 死書を読むの益に百倍なるを知るに至りました。 これによりて案ずるに、 人生五十年間、 死書を読むの年月は三十歳を限りとし、 その後は活書を読む時代であります。 活書を読む間に、 往々死書を参考するは妨げなきも、 決してこれをもっぱらにせざるように願います。 もっとも、 将来一科専門の学者となり、 大学の一講座を占領する志願の者は、 終身死書中に生を寄するも可ならんか。 その他は大学卒業をもって死書抛擲の時と心得、 爾後は無字の書を読み、 不文の学を修むことをつとむるがよいと思います。 拙者などは毎日文字を見るは朝起きて後、 新聞を読むくらいのもので、 その他は折々儒書、 仏典を参考するまでに過ぎませぬ。 そのかわりに活学活書は不断勉強しております。 このことは、 ひとり東洋学の真相を観見するに必要なるばかりでなく、 学者にしてよく事業を成し、 新発明をなすに最も必要であることと考えます。 世間より、 学者は陳腐なり飯食い字引なりとのそしりを免るるも、 またこの一点にあると信じます。
東洋学の本旨は人をして活学活書を修めしめ、 もって世に活用実施せしむるにあるに相違なきも、 その道に衣食する学者が、 千百年の昔より、 漸々その本旨を忘れて死書中に籠城し、 飯食い字引となりて今日に至り、 学問と国家とをしてともに衰えしむるに至りしは、 実に千載の遺憾であります。 今日西洋学を修むる人、 また同轍を踏むに至らんことを恐れて、 東洋学の真相にあわせて、 後進のために一言するに至りました。 もし、 お気に障ったお方があるなら、 ご宥赦を願います。(以上、 東洋学と指したるは、 おもに儒学と仏学とをいう)
二一 中等教育普及策
近ごろ中等教育普及策について、 余が計画せる一事あり。 そのことたるや、 地方の都会に、 余が創立かつ監督する哲学館の撰修学校を置きて、 これに証明を与うるの件にして、 その方法を説示するにさきだち、 哲学館の性質および目的について陳述するを要す。
そもそも哲学館の名称は、 今日にありてはほとんど全国にわたりて人の知るところなるも、 その学校は、いかなる学科を教授し、 いかなる人物を養成するやの問題にいたりては、 知らざるもの、 十中八九におる。 よって、今その性質、 目的を開陳して世人に報道するは、 余が責任の一部分なりと信ず。 さて哲学館は、 わが帝国大学中、 文科大学の教育を速成するの目的をもって設立したるものなり。 その当時、 私立学校にて大学諸科の速成を教授するもの数校ありき。 例えば、 英吉利法律学校、 明治法律学校、 専門学校、 専修学校の法科大学の速成を教授するがごとき、 済生学舎の医学大学の速成を教授するがごときの類これなり。 しかるに、 ひとり文科大学にいたりては、 民間その速成を教授する学校なかりしをもって、 余輩文科を卒業したるもの、 そのなきを遺憾とし、同志相はかりて、 その速成教授の目的をもって、 本館を設置するに至れり。 しかして、 その学校にて養成するところのものも、 文科大学とその目的を同じくするなり。 例えば、 諸法律学校は法科大学とその目的を同じくして、 裁判官、 弁護士を養成し、 諸医学校は医科大学と目的を同じくして、 医師を養成するがごとく、 本館は文科大学のごとく、 教育家、 宗教家を養成する場所なりと定めり。 文科大学は、 その学科について目的を考うるときは、 哲学者、 史学者、 文学者を養成するものなるも、 もしこれを直接に世間に応用せんとするときは、 教育もしくは宗教を目的と定めざるを得ず。 ゆえに、 本館もその目的は、 表面上広く哲学者、 史学者、 文学者を養成すると唱うるも、 その実もっぱら教育家、 宗教家を養成することをつとめり。 先年、 本館新築落成して移転式を挙行するに当たり、 文部大臣臨場の栄をかたじけのうし、 大臣みずから朗読せられたる祝詞は、 本館の目的を簡短に摘示せるものなれば、 左に前節を摘載すべし。
本日哲学館の移転式挙行に際し、 予に一言をもとめらる。 予、 本館の目的とするところを察するに、 わが国に久伝せる東洋の学術を振興し、これに交うるに西洋哲学の粋をもってして、教育、 宗教等に関し、有為の哲学者を養成するにあるがごとし。これ一つの美挙にして、 予の特に嘉賞するところなり。(下略)
かくのごとく本館の目的は、もっぱら教育家、宗教家を養成するにあれば、これよりその養成法について一言せざるを得ず。
まず、 宗教家の方についてこれをいえば、 目下政府の監督の下にある宗旨は神仏両教にして、 仏教寺院の数、七万千八百五十九カ寺、 住職の数、 五万二千五百十一人あり。 しからば無住の寺は、 およそ二万ばかりもあるべし。 また、 すでに住職の任にあるものの中にも、いまだ住職たるべき学と識とを有せざるもの、 必ず多からんと想像するなり。 しかして各宗各派、 みな大学林、 大教校等あるも、 一宗一派の学を専門とし、 広く東西両洋の諸学を兼修するもの、 またすくなかるべし。 さりとて、 有志の僧侶ことごとく帝国大学に入りて、 文科を専修する余資余力を有せず。 しからば宗教家たるものは、 ぜひ本館のごとき文科の速成を教授する学校に入りて、 広く東西両洋の哲学を講ずるを要するなり。 もっとも、 近来は各地に小教校、 小学林の設立を見るをもって、 僧侶とならんとするものは、これに入りて修業せざるべからざるも、これを卒業したる上は、 その宗の大学校に入りて専門学を修むるものと、本館に来たりて文科の速成を修むる者との、二途に分かれざるを得ざるなり。 とにかく今日の時勢においては、宗教家は本館のごとき文科大学の速成を教授する学校に入りて修業するの必要を感じ、 本館は国家のために宗教家を教育して、 中等以上の学識を有せしむるの急務を感ずるなり。これ本館にて、宗教家を養成するをもって、一部分の目的と定めたるゆえんなりと知るべし。
つぎに、 教育家についてこれを述ぶれば、 目下わが国に学校の数、二万七千八百六十八校、 教員の数、七万四千七百九十五人あり。これ大・中・小学、 官・公・私立を総計したるものなれども、 教員の多き概算を知るべし。 この多数の教員は、すでにその供給余りありて、別に教員を養成する必要なしとするも、地方の小学校教員は尋常師範学校を卒業したるまでにて、その上の学科を修めたるもの、はなはだ鮮少なり。ゆえに、 この上さらに今一、 二年間の、 高等学科を修むるの必要を感ずることあるべし。 もしその必要なしとするも、 小学教員の資格を進め、 品位を高め、 村民の優待を得るには、 地方一般の風習として、 せめて東京ヘ一、二年間も留学して、従来修め得たる学問を潤色するを要することあり。 しかるに、 東京にて高等の教育学科を教うる場所は、 帝国大学中、 文科大学かもしくは高等師範学校を最もよしとするも、これらの学校は、だれにも自由に入学し得ることあたわず。 よって、 かくのごとき志望の人は、必ず本館に入りて、やや高等の教育、 倫理、 史学、 文学を修習するの必要を感ずるなり。 また、 先年文部省にて、 尋常中学、 同師範学校、 および高等女学校の教員資格を、 検定試験の上にて授与する規則を発布せられたれば、本館はこれに応募する受験者の準備をなすこととなし、ことさらに高等師範学校程度の教育、 倫理、 歴史等を教授するに至れり。 あたかも開業医試験に応ぜんとするものは、済生学舎に入りて準備し、 弁護士免許を望むものは、 明治法律学校、 専門学校等へ入学すると同一の関係を、 本館と教員検定試験との間に生ずるに至れり。これ本館が、 教育家を養成するをもって、 一部分の目的となしたるゆえんなりと知るべし。
さらに宗教家の上について考うるに、 わが国昔時仏教の盛んなりしときは、 仏教家が学問教育の全権を掌握したりしときなり。 近来仏教の大いに衰頽せる原因は、 まさしく昔時の反対にして、 仏教家の学識がくだりて、 普通の教育家の下に立つに至るによると想定して不可なることなかるべし。 果たしてしからば、 今日この衰勢を挽回する方法は、 昔日のごとく仏教家の手にして教育学問の全権を掌握するか、 しからざれば、 教育家と同等以上の学識を有せしむるよりほかに良法なかるべし。 もしまた宗教家にして教育家を兼務することを得るに至らば、その宗教を弘布するに大いに便宜を与うるのみならず 、一家一寺の生計上にも大いに神益するところあるは必然なり。 ゆえに、 本館にて教育家を養成する目的を立てたるは、 ひとり教育家を利するのみならず、 宗教家を益すること、 また疑うべからざるなり。
以上は、 本館が創立以来、 今日まで定めきたれる目的なり。 すでにその目的を 一言し終われば、 これより本館が、民間の教育上には、目下計画せる中等教育普及策を陳述せざるべからず。この計画について、 先年すでに世間に発表したる旨趣あれば、 左に掲記すべし。
方今、 わが国民間教育の状態を観察するに、 地方青年子弟の風たるや、 わずかに小学を卒業すれば、いまだ就学の目途も定まらざるに、 ただちに東京に出でて、いたずらに多額の学資を費やして、その業ついに成らず、 もって一身を誤るものすくなしとせず。 もし幸いにして地方にとどまれば、 いまだ普通の学識を有せ ざるに、 早くすでに政治に奔走し、 いわゆる壮士流の運動をなすの徒、 またすこぶる多し。 これ今日各地青年輩の通弊にして、 父兄の通憂とするところなり。 今や各県すでに中学の設あるも、一県わずかにその数 校内外に過ぎず。 故をもって、 各町村の青年子弟に、 たとい中学修業の志あるも、 学資あるいは家業の事情により、 ことごとくその望みを達するあたわず。 しかるに地方にありて多少の財産を有するものは、 終年冬夏の別なく、 家業に従事するを要せざるのみならず、 その多事の時期に際しても、 たいてい半日業をとれば半日の余間を得べし。 しかしてその余りある時間は、 もしこれを遊興に費やさざれば、 飲食に費やすを常とす。 しからざれば、 政治社会に加わりて政治上の運動をなすをもって、 青年輩の本分とするもののごとし。
これによりてこれをみるに、 わが国目下の急務は、 各県各部の小都会に、 中等教育程度の私立学校を開設し、 民間の子弟にして、 すでに小学を卒業し、 なお多少の余力あるものをして、 その遊興等に無益に費やす時日をもって、 これを学問に費やさしめ、 もって青年輩の挙動の、 軽率粗忽に走るの弊を防がざるべからず。 およそ学問の目的は、 目前一時の営利を主とするにあらず、 人の徳性を養い、 品位を進め、 情念をして野鄙に流れしめず、 思想をして浅近に陥らざらしむるを本意とす。 しかして今日青年輩の短所は、 要するにこの点を欠くにあり。 もし、 この欠点を補わんと欲するときは、 必ず小学以上の教育を普及し、 多少の資産あるものをして、 ことごとく中等教育を修めしめざるべからず。 しかるに今日民力の限りある、 決して各都会に いちいち完全の中学を設立するあたわず。 ゆえに、 今もし各地の都邑に、 その民力相応の簡易中学のごとき私立学校を設立し、 もっぱら人倫、 道徳、 歴史、 文学等の学を教授し、 一はもって独立の精神を開発し、 一はもって着実の人物を養成するに至らば、 これ実に目下青年輩の通弊を除き、 父兄の通憂を医する良法なりと信ず。
果たしてしからば、 その挙たるや、 国家の隆治に加わりて裨益するところ、 また必ず大なるべし。 けだし、 哲学館創立以来、 教授するところの学科は、 教育、 倫理、 史学、 文学等にして、 まさしくこの目的を達するに適し、その全科を卒業したるものは、 もっともこの種の教育に従事するに適するものなり。 よって本館は、 その得業生(すなわち本館卒業生)をして、 地方適宜の地に、 この性質の学校を設立監督せしめ、 もってその数年間実修したる学科を、 広く民間に応用することを奨励せんとす。 もし、 地方にある得業生もしくは有志者にして、 この旨趣にもとづき、 左の規則に従い、 学校を設立したるときは、 本館はその挙を賛成し、 かつこれに一定の証明書を与うべし、 云々。(下略)
この旨趣は、 全く本館にて教育家養成の目的を拡張したるものなり。 今、 さらにその利害を論定するには、 まず中等教育普及は道理上必要なるも、 実際上多少の弊害困難を引き起こさざるやいなやを考究せざるべからず。今その憂とすべき点を挙ぐれば、 第一に、 地方の青年子弟が、 これ(小学以上の教育)によりて空理空論に去り、 世間ますます紛々囂々たるべし。 第二に、 青年子弟が、 これによりて実業を忘れ、 軽率に走り、 遊惰に陥ることあるべし。 第三に、 経費支弁上に大困難を生ずべしの三条にあり。
第一に、 青年輩の空論一方に走るは、 普通学を修めずして、 ただちに高等の学科を修むるの弊なり。 本館はこの弊を除かんため、 理化、 動植、 生理、 歴史、 地理の学を学科中に編入し、 普通学を基礎として、 ようやく進んで高等に達することをもって本旨とす。 よって、 空論一方に偏するの弊を防ぐことを得るべし。 かつ今度計画せる、 小学以上の学校を認定するがごときは、 その性質簡易中学を目的とするものなれば、 本館所定の学科を一層簡易に教授しきたりて、 地方の民情に適合すべきように応用するを本意とす。 ゆえに、 ことさらに規則中、 注意の部に、
講義はあまり高尚に失せず、 なるべく簡易を主とすべし、
の一条を設けり。
第二に、 青年輩の軽率浮薄に走るは、 今日までの教育が、 知育をもっぱらとして徳育を策励せざりしこと、 その原因の一なり。 年弱少にして、 思想もいまだ定まらず、 経験もいまだ富まざるもの、 早く他郷に留学し、 だれありてその監督をなすものなかりしこと、 その原因の二なり。 この弊は、 まさしく本館にて矯正せんと欲して、今回の計画を起こせるなり。 ゆえにその規則中、 注意の第二条に、
教師および生徒は、 特に徳義品行を重んずべし、
の一カ条を加え、 また地方の小都会にして多少の資産あるもの、 これまではその地にて小学以上の学校なきをもって、 小学卒業後一、 二年もさらに修学せんと欲するときは、 必ず他郷に留学し、 ために家業を助くることあたわざるに至りたれば、 今よりその地方にありて、 小学卒業の後、 家業に従事しながら、 その余力をもって中等教育に就くことを得ば、 これ大なる便益を与うるや必然なり。
第三に、 経費の一条は、 目下最も困難なる問題なり。 この問題については、 余いささか意見あり。 近来わが国、 上下一般に奢侈に流るる風あり。 余はこれに対して倹約主義を主張するものなるが、 学校教育上においても、 ややこれに類する傾向あるを見る。 すなわち今日の教育上の進歩は、 有形の部分に偏するがごとき感なきにあらず。 およそ教育の上にも、 有形に属する部分と、 無形に属する部分あり。 校舎、 器械等は有形なり、 知識、道徳は無形なり。 この無形の部分を進むるに有形を要するはもちろんのことなれども、 有形の方の全備を待ちて、 はじめて無形の方進歩するにあらず。 また、 有形の部分さほど完全せざるも、 無形の方案外に進歩することあり。 しかるに各地方の学校の風たるや、 なんとなく校舎建築の外観を競い、 器械、 装飾の外見を争うがごとき傾向あり。 今日、 わが国学校の有形に属する部分は、 なおいまだ完備したりというべからざるも、 その民力一般の程度より考うるときは、 やや整頓したりと称して可ならん。 しかして無形の部分は、 その割合には進歩せざるは余が確信するところなり。 これ全く、 上下一般に衣食住の上について奢侈を競うの風につれて、 かかる傾向をきたせるならん。
奢侈の風、 いよいよ教育上に行わるるに至らば、 その経費の夥多を要するはむろんなり。 よっ て、 余がかつて唱道する倹約主義を、 学校教育の上に応用して、 外観の虚飾を争う風を一変して、 無形の実を争わしむるに至らしめんことを望むものなれば、 規則中、 注意の第三条に、
経費はつとめて節倹を守り、 諸事質素を旨とすべし。
なおその但し書きに、 当時民費多端の折柄なれば、 この節減の旨意に従い、 当分のうち校舎は社寺もしくは民家を借用し、 器具は実地教授の妨げとならざる限りこれを省略し、 新築新調の経費をはぶくように注意あらんことを望むなりと説明を下しきたりて、 過分の経費を要せずして、 中等教育を普及せんことを計画するものなり。
まず校舎は、 寺院の余地あるものを借り受け、 椅子、 テーブルも当分新調せずして、 畳の上にて教授を行うべし。 しかるときは、 さしあたり校舎、 器械に用うる経費をはぶくことを得るなり。
つぎに、 校長、 教員の給料については、 余がことさらに方法を説示せんと欲するなり。 まず地方の都会に、 小学以上に位する簡易中学のごときものを設立するときは、 およそ若干の生徒あるべきやを予定せざるべからず。いかに中等教育の普及は必要なりとするも、 貧民賤人の児童までことごとくこの種の学を修むるを要せず。 多少の財産ありて、 選挙権所有の公民たるものの児童にして、 高等小学を卒業したるもののみを教育することとなすときは、 その就学児童の数は割合に少数なるべし。 しかして千戸以上なる町村なれば、 少なくも三十人ぐらいの就学者を得ることは格別難からざるべし。 そのほか近村近郷より集まり来たるものを合すれば、 五十人ぐらいに達し得べし。 一人の月謝を仮に三十銭とすれば、 十五円を得べし。 しかして教員の方は、 三十人までは校長一人にて教授し得るものとし、 五十人に至れば教員一名を増加することとして算するときは、 到底月謝のみにて教師の給料を支弁することあたわざるも、 もし一町村中に財産家十名共同して、 各一円ずつ毎月出金することに定め、 これを教師の給料にあて、 その上に月謝の半額あるいは三分の二を教師の報酬に充つるときは、 いつにても教師を聘して開校することを得べし。 これまで本館卒業生にして、 教育に従事せんとするものの報給は、 学力、性質、 経歴等、 大いに差異あるをもって一定し難しといえども、 地方より照会ある節は、 その少なきは一カ月十五、 六円、 その多きは四、 五十円を標準として応答をなしきたれり。 さすれば、 十人ないし十五人の有志者ありて毎月一円ずつを出だし、 その上に生徒月謝の一部分を合わせて、 教師の報酬に充つることに定むれば、 教員の給料を弁ずるに足るべし。 この十五円前後の金円は、 地方の有志者の負担に帰するは、 目下の事情にては望み難きようなれども、 財産家の手もとより毎月一円を出だすは、 教育に寸分の志あればいとやすきことなり。 また、町村より一人東京へ遊学するものありとすれば、 毎月十円ないし十五円の金を、 その父兄一人にて支出せざるを得ず。 もし、 地方に中学に準ずる学校を設けて、 他郷へ留学するもの一人を減ずるに至らば、 その費用によりて校費を弁ずるを得べし。 もしまた地方に篤志者ありて、 教師の衣食住だけは自身の家に止宿せしめて、 一人にてこれを弁ずるものあれば、一層少額の費用をもって足れりとす。 例えば、 寺院中の有志家にて、 教師の衣食住を一切引き受くるものあるか、 もしくは豪産家にして、 その家にて教師の諸費を引き受け、 そのかわりに家庭教育の師範を教師に依託する等のことあれば、 極めて好都合あり。
余、 かつて一論あり。 目今各地の寺院に住職するものを見るに、 寺格もよく、 檀家も多くありながら、 その学識の一村一町を教導する力なきをもって、 民間の名望を収むることあたわざるものあり。 もし、 かくのごとき寺にして、 住職自らにわかに研学することあたわざるも、 多少の才学ありて、 その顧問となるべき人をその寺に招きて、 賓客をもって待遇しおかば、 大いに勢力を張ることを得べしと思いたること数回ありき。 よっ て、 もしかくのごとき寺ありて、 学校教師その人を客遇し、 その衣食住を引き受くるに至らば、 実に一挙両得の策というべし。 また豪農豪商の家にして、 これまで食客を置けば、 あるいは碁客、 あるいは画工、 あるいは茶湯、 挿花に達するもの、 はなはだしきにいたりては主人の酒のみ相手に酒客を同居せしめ、 相撲好き、 撃剣好きのために、 力士、 撃剣家を食客とする等のことは、 決して珍しきことにあらず。 しかしてその一家の児童の教育にいたりては、 置いて問わざるは、 豪産家の常弊と申してもよろしきように考うるなり。 よって、 もし豪産家が、 以上の食客の一人を減じて家庭教育の師範となるべき人を聘して、 賓客をもって待遇し、 しかしてその人をして学校教員を兼ねしむるに至らば、 これまた一挙両得の策にあらずや。 豪産家中にもまれには家庭教師を置くものあるも、今日のところにては、 旧来の漢学者を用うるなり。 しかるに当時は、 漢学一方の人を用うるよりも、 東西両洋の学を兼修し、 教育学そのもののいかんをわきまえおるものを用うるの、 大いに便なるは言をまたず。 また今日地方には、 多少古風の漢学者なお存命し、 私塾を設けて小学卒業以上の児童を教訓する所あるを見るも、 あまり古風に偏して、 もとより今日の事情に適合せざるところ多し。 かつ、 その人も早晩世を去るべきものなり。 よって、 これにかわりて中等教育を託すべき人を、 今より定めおかざるべからず。 かくのごとき方向に教師を兼用し、 地方の有志、 有力者の賛成あれば、 小学以上の教育を民間に普及すること、 決して難きにあらざるなり。
もしそれ、 一地方にして中学教育を望む人、 三十人に達せざる所ありとするときは、 今日地方の教育上の一大欠点たる、 女子教育を引き起こして、 男女二種の生徒をあわせて教授する方法を設くべし。 あるいはまた労役社会のために、 夏期もしくは冬期学校、 あるいは夜学校を兼帯せしむべし。 あるいは貧民学校、 幼稚園に関することも、 同所において兼置する方法を設くべし。 今日民間の教育上に欠くるところなお多きをもって、 中等教育を普及すると同時に、 その欠所を補うに至らば、 教育の進歩上に裨益するところ、 実に大なるべしと信ずるなり。
以上は、 余が倹約主義を教育上に応用しきたりて、 格別経費を要せずして、 中等教育を普及する策を述べたるものなり。 今参考のために、 公立にかかる小学および中学の統計を挙ぐること、 左のごとし。
小学校数 二万五千二百七十七校
同 教員 六万六千四百六十三人
同 生徒 二百三万八千三十二人
尋常中学校数 四十三校
同 教員 五百七十二人
同 生徒 九千九百十六人
この表についてこれをみるに、 中学生徒は小学生徒の三百分の一に満たざる割分なり。 この割合によりて算すれば、 小学生徒三百人中、 進んで尋常中学に入るものは、 わずかに一人に過ぎざる比例なり。 これ、 中学は一県およそ一校の割合にして、 各町村より通学することあたわざるによる。 しかして各都会に中学を設置せざるは、経費の夥多を要するによる。 だれも中等教育の普及を非難するものなきも、 経費の一段にいたりて、 実行するに躊躇するなり。 ゆえに、 もし簡易法によりて経費を節減し、 もってその普及をはかる方法あらば、 教育社会においては、 決して不問に付すべからざることなり。 これ、 余が一策を教育上に立てたるゆえんなり。 しかしてこの種の教育の、 民間今日の流弊矯正上において、 補益するところ多きは、 さらに弁明を与えんと欲するも、 今これを略す。 また、 私立学校の必要についても別に論ずべきこと多きも、 これを他日に譲り、 ただ余が地方を巡回して、 従前私塾を開きて近隣の子弟を教訓したる者ありし地は、 その余沢は今日に及ぼし、 大いに潤うところあるを見たることあれば、 そのことを一言してここに一題を結ぶべし。
地方にて好んで書を読み、 よく理を解するもの、 比較的に多く、 かつ資産あるものも多少学に志あり、 学問上の講義談話を聴くを喜び、 教育上に金銭を出だすをいとわざるの地は、 必ず数年もしくは数十年前に、 その地に一学者ありて、 私塾を開き、 児童を訓育したりしことあるを聞く。 これ、 実に私塾の余沢なり。 これによりてこれをみるに、 今日私塾体の私立学校を地方に設立して、 小学以上の教育を普及し、 多少の財産あるものの児童をして、 学問の味と必要とを知らしむるに至らば、 他日国民の教育に意を用うる、 今より一層切なるに至るべきは必然なり。もって中等教育普及の必要なる一斑を知るべし。
(本文は数年以前のことなれども、 先生が中等教育の振るわざるを慨して述べられたるものなれば、 ここに掲げつ。)
二二 仏教夢説一斑
古来、 人に最も奇異の感想を与えたるものは夢の現象なり。 未開の世、 無知の人なお夢を有するも、 そのなにによりて生ずるを知らず。 故をもって種々の妄想を起こし、 迷信を生じ、 あるいは霊魂の外に遊ぶものなりといい、あるいは鬼神の内に通ずるものなりという。 ゆえに夢の説明のいかんは、 その当時の人知の進否を判定するを得べし。 余、 仏書を検するに、そのうちには迷信的説明の混同せるものなきにあらずといえども、 また大いに発達せる学理的解釈あり。 今、 左の順序に従い、 仏教の夢説一斑を開陳せんとす。
第一章 夢の実例 第二章 夢の霊験 第三章 睡眠の説明
第四章 夢の種類 第五章 夢の説明 第六章 夢の結論
第一章 夢の実例
仏書中に、 夢の例および夢の談を散見することすこぶる多し。 ことに祖師の伝記中に最も多しとす。 これ、一は実際に起こりし事実なるべきも、また伝記の体面を装飾するために付会せるものなしともいうべからず。 まず、二、 三の伝記中に散見せる類例を示すこと左のごとし。
『仏祖統紀』阿難の下に、「今此比丘不受吾教、於世無益、 宜入涅槃、即詣閻王適値其睡、王夢蓋茎折、即便驚覚、 門人告言、 阿難入滅故来相見」(いまこの比丘はわが教えを受けず、 世において益なし、 よろしく涅槃に入るべし。 すなわち閻王に詣るに、 たまたまその睡るに値えり。 王は蓋茎の折るるを夢み、 すなわち驚覚す。 門人告げて言す、「阿難滅に入らんとして、 ゆえに来たり相見る」)とあり。
同書第十七祖の下に、「僧邪佉舎尊者、 摩提国人、 母夢大神持鑑、 因而有娠、 七日而誕云云」(僧佉耶舎尊者は摩提国人なり。 母は大神の鑑を持するを夢み、 よりて娠むことあり。 七日にして誕る、 云々)とあり。
同書第二十祖の下に、「母夢呑明暗珠 覚而有孕、 経七日有一羅漢、名曰賢衆云云」(母、 夢に明暗の二珠をのむ。 覚めて孕むことあり。 七日を経て一の羅漢あり。 名付けて賢衆という、 云々)とあり。
『神僧伝』釈道安の下に、「安注諸経恐不合理、 乃誓曰、 若所説不甚遠理、 願見瑞相、 乃夢見道人頭白眉長。(安は諸経に注し、 理に合わざらんことを恐る。 すなわち誓いて曰く、「もし説くところ、 はなはだしくは理に遠からざれば、 願わくは瑞相を見ん。」すなわち、 夢に道人の頭白眉長なるを見る)とあり。
『元亨 釈 書』釈最澄の下に、「求子期七日、 至第四暁得霊夢、其妻乃孕云云」(子を求めて七日を期す。 第四の暁に至って霊夢を得、 その妻すなわち孕むあり、 云々)とあり。 釈空海の下に、「母阿刀氏、 夢梵僧入懐而有身、 在胎十二月、 宝亀五年生焉云云」(母は阿刀氏、 梵僧懐に入るを夢みて身あり。 胎にあること十二月、 宝亀五年生まる、 云々)とあり。
かくのごとき諸例の高僧の伝記に散見せるもの、 到底、 いちいち挙示すべからず。 かの後漢の明帝の夢に、 金人の光を放つを見て仏教をインドより将来せしがごとき、 あるいは聖武天皇に夢告ありて国分寺を建てたまいしがごときは、 たれびともよく知るところなり。 もし夢の諸例を知らんと欲せば、『法苑珠林』第四十三巻、 および第四十四巻眠夢篇、 および『義楚六帖 』巻七占夢篇をひもときて見るべし。 あるいは「仏神感応録」第七巻をひらくもその諸例を知るべし。 その他、 諸種の高僧伝または往生伝、 または因縁集等を一読せば、 いたるところ夢談を見ざるはなし。 ことに民間に伝うる、 浄土宗祖師、 真宗祖師、 および日蓮宗祖師の伝記をうかがわば、夢談の多きに驚かざるを得ず。いずれの国にありても、 歴史、 伝記、 物語等には夢談の多きを常とすれども、 宗教の書中のごとくはなはだしきはあらず。 これ、宗教家は精神集合の結果として、 その夢を結ぶこと常人より多き道理あるによるも、 また後人のその徳を追慕するのあまり、一言一行を夢に託して不思議の度を高めたることなしというべからず。 けだし、 その夢たるや、 たいていみな霊験感応に出でたるものなれば、 あたかも神仏の不思議力に帰するにあらずんば、 その理由を解説すべからざるもののごとし。 今左に、 夢の霊験に関する事実を示すべし。
第二章 夢の霊験
夢に霊験感応あるは諸経、 諸論中に見るところなり。 すでに夢の霊験を唱うる以上は、 夢について吉凶を判定することを得べき理なり。 これをもって仏教中に占夢の説あり。 まず『法苑珠林』によるに、その眠夢篇に『十夢経』を引くこと左のごとし。
十夢経云、 仏在世時、 時有国王名不黎先泥夜夢十事、一夢見三瓶併、両辺瓶満気出相交往来不入中央空瓶中、二夢見馬口食尻亦食、 三夢見小樹生華、 四夢見小樹生果、 五夢見一人索縄人後有羊羊主食縄、六夢見狐坐於金壯上於金器中食七夢見大牛還従犢子乳、 八夢見四牛従四面 鳴来相趨欲闕、 当合未合不知牛処、 九夢見大陂水中央濁四辺清、 十夢見大谿水流正赤王夢見是事已即寤大怖、 恐 亡其国及身妻子、王至 明 日即 召公卿大臣及諸道人暁解夢考者問言、 昨夜夢見十事寤即恐怖、意中不楽誰能解夢、 有一婆羅門言我為王解之、 恐王聞者愁憂不楽、 王言、 如卿所覩説之勿有所緯、 婆羅門言、 王夢皆悪、 当取所重愛夫人太子及辺親近侍人奴婢、皆殺以祠二天王可得無他、有臥具及著身珍宝好物皆当焼已祠天、 如是者王身可得無他。
(十夢経にいう、「仏在世のとき、 時に国王あり、 不黎先泥と名づく。 夜十事を夢む。 一夢は三瓶併を見る。 両辺より瓶に満気出でて、 相こもごも往来して中央空瓶中に入らず。 二夢は馬の口に食し、 尻もまた食するを見る。 三夢は小樹の華を生ずるを見る。 四夢は小樹の果を生ずるを見る。 五夢は一人の縄を索りて、 人の後に羊あり、 羊、 主の縄を食うを見る。 六夢は狐の金 壯上に座し、 金器中に食うを見る。 七夢に大牛還りて犢子に従って乳するを見る。 八夢は四牛の四面より鳴きてきたり、 相趨りて闕せんと欲し、 当に合うべくしていまだ合せず、 牛処を知らざるを見る。 九夢は大陂水の中央は濁り、 四辺は清むを見る。 十夢は大渓水流れてまさに赤なるを見る。 王夢にこのことを見おわりて、 すでに寤めて大いにおそる。 おそらくは、 その国および身、 妻子をうしなわん。 王、 明日に至り、 すなわち公卿、 大臣および諸道人の解夢に暁き者を召して、 問いていわく『昨夜、 夢に十事を見る、寤めてすなわち恐怖す。 意中楽しまず、 だれかよく夢を解せ。』一婆羅門ありていう、『われ王のためにこれを解せん。 おそらくは王の聞くもの愁憂して楽しまざらん。』王のいわく、『卿の覩るところのごときは、これを説いて諱むところあることなかれ。』婆羅門いわく、『王の夢みな悪し。 まさに重愛するところの夫人、 太子および辺親、 近侍人、 奴婢を取りて、 みな殺してもって天王を祠らば他なきを得べし。 王の有する臥具および著身の珍宝、好物、みな焼きおわりて天を祠るべし。 かくのごとくせば、 王の身、 他なきを得べし。 」
また、『義楚六帖』占夢篇に諸経論を引証して示せり。 すなわち左のごとし。
経律異相云、 善慧比丘夢見一五事、仏為円之、一在海上臥表生死海、二枕須弥山表証果也、三海生類入身表所化、四手執日悟理、 五執月照救冥暗。
(『経律異相』にいう、「善慧比丘、 夢に五事を見る。 仏ためにこれを円す。 一に、 海上にありて臥すは生死海を表す。二に、 須弥山に枕するは証果を表すなり。 三に、 海生類の身に入るは所化を表す。 四に、 手に日をとるは理を悟る。 五に、 月をとるは冥暗を照し救うなり。」)
倶舎論云、 作事王迦葉仏父、 作十夢不祥、 頌云、 大象及井麨、 栴檀妙園林小象二獼猴広堅衣闘諍、 此之十夢仏為円之、 皆表釈迦末法弟子。
(『倶舎論』にいう、「作事王は迦 葉 仏の父、 十夢不祥を作る。 頌にいう、 大象および井、 麨、 栴檀、 妙園林、 小 象、 二獼猴 、 広堅衣、 闘諍 、 この十夢、 仏ためにこれを円す。 みな釈迦末法の弟子を表す。」)
本行経云、 仏母摩耶昼寝、 乃夢白象子入其右脇、王召八婆羅門師占之、 日月生聖王、白象生仏、 皆吉夢也。
(『本行経 』にいわく、「仏の母摩耶昼寝し、 すなわち白象の子、 その右脇に入ると夢む。 王、 八婆羅門師を召して、 これを占う。 日月は聖王を生じ、 白象は仏を生ず。 みな吉夢なり。」
摩耶五夢経云、 仏母在忉利天、須弥山崩、 二四海水喝、 三頭上花萎、 四腋下汗出、 五頂中光滅、表仏入滅。
(『摩耶五夢経にいわく、「仏母、 忉利天にあるとき、 一には須弥山崩れ、 二には四海の水竭く。 三には頭上の花萎む。 四には腋下汗出でて、 五には頂中光滅す。 仏の入滅を表す。」)
釈迦譜一云、 仏将入金剛喩定成仏、魔王作三十一夢、皆不吉祥。
(『釈迦譜』一にいう、「仏、 まさに金剛喩 定 に入りて成仏せんとす。 魔王三十一夢を作る。 みな吉祥にあらず。」)
菩提心経云、 有迦葉婆羅門、夢見蓮華在首、 問仏、 仏言、 夢蓮華傘蓋日月輪等、 皆是吉兆也。
(『菩提心経 』にいう、「迦葉婆羅門あり。 夢に蓮華の首にあるを見る。 仏に問う、 仏いう『蓮華、 傘蓋、日月輪等を夢む。 みなこれ吉兆なり。』」)
善見律云、 問夢為善不善無記耶、 答亦善不善無記、若夢見礼仏聴法説法、此是善功徳、 若夢見殺盗媱此是不善夢、 若夢見青黄赤白色等、此是無記夢也。
(『善見律』にいう、「問う、『夢は善、 不善、 無記となすや。』、 答うに『また善、 不善、 無記あり。 もし夢に礼仏、 聴法、 説法を見れば、 これはこれ、 善功徳なり。 もし夢に殺、 盗、 媱を見れば、 これはこれ、 不善夢なり。 もし夢に青、 黄、 赤、 白色等を見れば、 これはこれ、 無記夢なり。』」)
荼毘云、 仏入滅時、 阿闍世王夢月落日従地出彗星七現、迦葉阿難入滅、 王皆有悪夢、梁折傘蓋柄折。
(『荼毘』にいう、「仏、 入滅のとき、 阿闍世王、 月落ち日地より出でて慧星七現するを夢みる。 迦葉、 阿難、 入滅す。 王みな悪夢あり。 梁 折れ、 傘蓋柄折れたり。」)
そのほか『襍宝歳 経 』に、 夢に「頭上火然、 両蛇絞腰、 細銕網纏身、 見二赤魚呑其双足、有四百鶴飛来向王、 血泥中行泥没其腋、登太白山八鸛雀雇―頭。」(頭上火燃し、 両蛇腰を絞り、 細鉄網を身にまとい、二赤魚のその双足をのむを見る。 四百鶴あり、 飛来して王に向かう。 血泥中を行くに泥その腋を没す。 太白山に登り、 八鸛 雀、 咽頭す)の八事を見て不祥となせしこと出でたり。 かくのごときの類、 枚挙し尽くすべからず。
第三章 睡眠の説明
夢は睡眠中に起こる現象なれば、夢の説明を掲ぐる前に、睡眠に関する説明を示さざるべからず。そもそも睡眠は、 仏教中、心所法の一種にして不定地法の一つなり。『七十五法名目』の注にその定義を下して曰く、「令心闇昧為性。」(心をして闇昧ならしむを性となす)とあり。『七十五法記』にはこれを解して、「令心昧略為性、 昧即簡定、 定中取境分明、略即簡散、散取境多故。」(心をして昧略ならしむるを性となす。 昧はすなわち定を簡ぶ。 定中は境を取ること分明なり。略はすなわち散を簡ぶ。散は境を取ること多きが故なり)とあり。しかして、『成唯識論』 にこれを解すること最もつまびらかなり。 その第七巻はじめに曰く、
眠謂睡眠令不自在昧略為性、 障観為業、 謂睡眠位身不自在、心極闇劣、一門転故、 昧簡在定、 略別寤時、令顕睡 眠非無体用、有無心位立此名如余、 蓋纏心相応故。
(眠というは、 いわく睡眠ぞ。 自在ならず昧略なら令むるをもって性となし、 観を障うるをもって業となす。 いわく、 睡眠の位には身をして自在ならざらしめ、 心をして極めて闇劣ならしむ、 一門にのみ転ずるが故に。 昧とは定にあるを簡び、 略とは寤めたるときを別つ。 令とは、 睡眠は体用なきにあらずということをあらわす。 無心の位あって、 この名を仮立せり。 余のごとく、 蓋纏なるをもって、 心と相応ずべきが故に。)
故に。)
もし、 その作用の説明については、 後に夢の説明にあわせて示すべし。 ただここに、 睡眠の原因について経論中に出だせる異説を掲ぐべし。
正法念経云、 虫在心内、虫睡即人睡、 又心疲即熱、 多睡眠故。
(『正法念経』にいう。「虫の心内にあり。 虫、 睡ればすなわち人睡る。 また心疲るればすなわち熱す。 睡眠多きが故なり。」
法句経云、 有一比丘、多著睡眠、 仏乃弾指令彼覚之曰、 汝曾宿生身、 為螄螺蚌蛤、食木虫来、 所以多睡等也。
(『法句経』にいう、「一比丘あり、 多く睡眠に著す。 仏すなわち弾指して、 彼をしてこれを覚めしめて曰く、『汝かつて宿生身、螄 螺蚌蛤となり、 木虫を食いきたる。 多睡等なるゆえんなり。』)
解脱論云、 一従心、 二従食、 三従時節、睡是身心二懈怠相、 睡是身、 懈怠是心也。
(『解脱論』にいう、「一は心により、 二は食により、 三は時節による。 睡はこれ身心の二の懈怠の相、 睡はこれ身、 懈怠はこれ心なり。」)
このうち、 虫をもって睡眠の原因となすは実に奇なり。 通俗の説明中にこれに類することあるは、 あるいはその源、 仏説中より出でたるも知るべからず。 また睡眠の種類につきて、『法苑珠林』第四十四巻に出だせるものを摘載して左に示すべし。
如発覚浄心経云、仏告弥勒菩薩言、 菩薩当観二十種睡眠諸患、何等二十、 一楽 睡 眠 者、 当有懶惰、二身体沈重、 三膚皮不浄、 四皮肉麤渋、 五諸大穢濁威徳薄少、 六飲食不消、 七体生瘡皰、八多有懈怠、九増二長痴綱、十智慧羸弱、 十一善欲疲倦、十二当趣黒暗、十三不行恭敬、十四稟質愚痴、 十五多諸 煩悩、心向諸使、十六於善法中 、而不生欲、 十七一切自法能令減少 、十八恒行驚怖之中 、十九見精進者而毀 辱 之 、二十至 於 大衆被 他軽賤 。
(『発覚浄心経』にいうがごとき、 仏は弥勒菩薩に告げていう、「菩薩まさに二十種睡眠の諸患を観すべし。 何等か二十。 一、 睡眠を楽む者、まさに懶惰あるべし。 二、 身体沈重。 三、 膚皮不浄。 四、 皮肉麤渋。五、 諸大穢濁威徳薄少。 六、 飲食消えず。 七、 体瘡皰を生ず。 八、 多く懈怠あり。 九、 痴綱を増長す。 十、智慧羸弱。 十一、善く疲倦せんと欲す。 十二、 まさに黒暗に趣くべし。 十三、 恭敬を行わず。 十四、 稟質愚痴。 十五、 諸煩悩多く、 心諸使に向かう。 十六、 善法中に欲を生ぜず。 十七、 一切自法よく減少せしむ。十八、 つねに驚怖の中に行ず。 十九、 精進する者を見て、 これを毀 辱 す。 二十、 大衆に至りて他の 軽 賤を被る。」)
また、『法苑珠林』に『 十 誦律』を引き、 さらに頌文を掲げて曰く、
昏沈睡蓋、遊想妄現、親族虚聚、徒霑美醼、既寤空無、妄生愛恋、雖通三性、終成七変
(昏沈睡蓋、 遊想妄現、 親族虚聚、 いたずらに美醼を霑す。 すでに空無より寤め、 妄りに愛欲を生じ、 三性に通ずといえども、 ついに七変を成す)
また睡眠の性質を論じて、 善、 悪、 無記(不善不悪)の三性に通ずるものとす。『婆沙論』にいう、「若夢見礼仏等事即善性、 若夢見殺生等即不善性、 夢見青黄等 即無記性」(もし夢に礼仏等事を見れば、 すなわち善 性、 もし夢に殺生等を見れば、 すなわち不善性、 夢に青黄等を見れば、 すなわち無記性)とあり。 また『光記』 には、 睡眠に善悪の性あることを解して曰く、「拠有夢説、 若無夢時唯是無記」(夢あるによりて説き、 もし夢なきときは、 ただこれ無記)とあり。 これによりてこれをみるに、 睡眠に善悪ありというは、 眠中に現ずる夢について判断するなり。 もし熟睡無夢のときは、 これを無記性となす。 ゆえに、『倶舎頌』には「睡眠遍不違」(睡眠あまねく違わず)とあるは、 善、 悪、 無記三性に通ずるをいうなり。 また『大蔵法数』に睡眠五過を掲げて、「悪夢、 諸天下不護、 心不入法、 不思明相、 喜出精」(悪夢は諸天下まもらず、 心法に入らず、 明相を思わず、 喜んで精を出だす)の五種となす。 これ四分律に出ずる名目なり。 余は夢の説明に合して弁明すべし。
第四章 夢の種類
夢の説明を掲ぐる前に、 また夢の種類を挙示するを要す。 シナにありては夢に六種を分かち、 正夢、 愕夢、 思夢、 寤夢、懼 夢、 喜夢となす。 しかるに仏教にては、 あるいは三種、 あるいは四種、 五種、 あるいは七種、 あるいは八種、 あるいは十種等の分類あり。 まず『聖鬮賛』 巻十二によるに、 聖輸陀羅の三夢を示せり。「三夢者一月堕地、 二牙歯落、 三失右臂。」(三夢とは、 一には月地に堕ち、 二には牙歯落ち、 三には右の臂を失う。)これ『過去現在因果経』に出ずる名目なり。 また、『善見律』には夢に四種を分かつ、 すなわち曰く、
夢有四因縁、一四大不和、 二先所見事、 三天人神鬼聖賢現相、 四想念生善悪、知識為現者実、 余皆虚也。
(夢に四因縁あり。 一、 四大不和。 二、 先に見るところのこと。 三、 天人、 神鬼、 聖賢、 相を現す。 四、 想念善悪を生ず。 知識現と為る者は実、 余はみな虚なり。)
また『大蔵法数』には、 無明習気、 善悪先徴、 四大偏増、 巡遊旧識の四夢あることを出だせり。 その解釈に曰く(二十一巻二十葉)、
一謂、 由無明煩悩積習気分覆蔽真如之性無所明了以致心神顚倒形於夢想也。
(一にいえらく、 無明、 煩悩、 積習、 気分の真如の性を覆蔽するによりて明了するところなし、 心神転倒をいたすをもって夢想にあらわるなり。)
二謂、 人凡有善悪吉凶之事、必先形於夢寐以為二徴験也。
(二にいえらく、 人、 およそ善悪、 吉凶のことあれば、 必ずまず夢寐にあらわれ、 もって徴験となすなり。)
三謂、 人由地水火風四大而成於身、 若地大増身則沈重、 水大増身則浮腫、 火大増身則牀熱、 風大増身則急脹、 四大不調則身心不安、 心不安則形於夢寐 也 ゜
(三にいえらく、 人、 地水火風の四大によりて身を成す。 もし地大増すれば、 身すなわち沈重し、 水大増すれば、 身すなわち浮腫し、 火大増すれば、 身すなわちし牀熱、 風大増すれば、 身すなわち急脹す。 四大調わざれば、 すなわち身心安からず。 心安からざれば、 すなわち夢寐にあらわるるなり。)
四謂、 人平昔遊歴之処、 或有所見所聞、若美若悪、 繋念不捨而形於夢也。
(四にいえらく、 人、 平昔遊歴の所、 あるいは所見、 所聞するあり。 もしくは美もしくは悪、 念をつないで捨てざれば夢にあらわる。)
これ、 夢の原因を説示するものなり。 つぎに五種の分類を考うるに、『随疏演義鈔』に左の五種を示せり。
一、 熱気多見火 二、 冷気多見水 三、 風気多見飛墜 四、 聞見多熟境 五、 天神与心霊所感
(一、 熱気多ければ火を見る。 二、 冷気多ければ水を見る。 三、 風気多ければ飛墜を見る。 四、 聞見すれば 熟境多し。 五、 天神と心霊との感ずるところ)
これを『聖鬮賛』には、 熱気多、 冷気多、 風気多、 見聞多、 天神与の五種となせり。 これ『大智度論』に出ずる五種の夢なり。 すなわち『〔大〕智度論』巻六に曰く、
夢有五種、若身中不調、 若熱気多則多夢見火見黄見赤、 若冷気多則多見水見白、 若風気多則多見飛見黒、 又復所聞見事多思惟念故則夢見、 或天与夢欲令知未来事故、 是五種夢皆無実事而妄見。
(夢に五種あり。 もしくは身中調わざるに、 もしくは熱気多ければ、 すなわち多く夢に火を見、 黄なるを見、 赤きを見る。 もし冷気多ければ、 すなわち多く水を見、 白きを見る。 もし風気多ければ、 すなわち多く飛ぶことを見、 黒きを見る。 またまた聞見するところのことを多く思惟し、 念うが故にすなわち夢を見る。あるいは天の夢を与えて未来のことを知らしめんと欲するが故に〔夢を見る〕。 この五種の夢は、 みな実事なくして、 しかも妄に見るなり。)
また、『過去現在因果経』(巻一の九左)によるに五種の奇特夢あり。
一、 夢臥大海 二、 夢枕須弥 三、 夢海中一切衆生入我身内 四、 夢手執日 五、 夢手執月
(一には、 大海に臥すと夢み、二には、 須弥に枕すと夢み、 三には、海中の一切衆生、 わが身内に入ると夢み、 四には、手に日をとるを夢み、 五には、 手に月をとると夢む)
これ、 前に示しし『経律異相』の五種の吉夢と同一なり。 また、 摩耶夫人の五夢、 すなわち「須弥山崩、 四海水竭云云」(須弥山崩れ、 四海の水竭く、 云々)の五夢は前すでに示せり。 また、『止観〔輔行伝弘決〕』巻第二の一に「夢者如法華疏引有五種夢、因疑心分別学習幷現事非人来相語、因此五事夢此即非人来相語也。」
(夢なるものは、 法華疏に引くがごとく、 五種の夢あり。 疑心、 分別、 学習ならびに現事、 非人来りて相い語るによる。 この五事により、 夢はこれ、 すなわち非人来りて相い語るなり)とあり。
つぎに、『七夢経』には左の七種あることを示せり。(『七夢経』は『縮刷大蔵経』宿帙にあり。『義楚六帖』巻七の二十九葉にこれを引用せり。また、この話は『山海里』四篇下巻にも出だせり。)
一陂池火焔、 二日月星没、 三比丘在不浄坑中白衣登頭、 四群猪觗突栴檀林壊、 五頂戴須弥山不以為重、 六大象弃出小象、七師子王頭上有七毫毛在地而死、 仏言汝之七夢表当来遺法子不依仏教。
(一には陂池火焔。 二には日月星没す。 三には比丘不浄の坑中にあるに白衣頭に登る。 四には群猪觗突して栴檀林壊る。 五には須弥山を頂戴してもって重しとなさず。 六には大象、 小象を弃出す。 七には師子王の上に七の毫毛あり、 地にありて死すと。 仏の言わく、「汝の七夢は当来逍法の子、 仏教によらざるを表す。」)
また、 夢に八災夢あることは『法苑珠林』に出ずるも、 前すでにこれを掲げたり。 つぎに、『十夢経』の十夢も前に挙示せるをもっ てこれを略す。 つぎに、『聖鬮賛』(巻十二)には訖栗枳王十夢を出だせり。 すなわち『〔倶舎論〕頌疏』第九を引きて曰く、
頌疏第九云、 論云如訖栗諍王夢所見十事、謂大象井麨栴檀妙園林小象三獼猴広堅衣闘諍、 解云、 訖栗諍王迦葉仏父也、 作此夢来白世尊(迦葉仏也)、 仏言此表当来釈迦如来遺法弟子先兆也、 王夢見一大象被閉室中、更無門戸、唯有小窓、 其象方便投身得出、 尾猶窓碍不能出者、 此表釈迦遺法弟子、 能捨父母妻子出家、 而於其中尚懐名利、如尾碍窓、又夢見一渇人求覓水飲便有一井具八功徳、井逐渇人人不欲砿飲此、 表釈迦遺法弟子、 諸道俗等不肯学法、 有知法者為名利故、 随彼為説而猶不学、 又夢見一人将一升真珠、博一升麨、此表釈迦遺法弟子、 為求利故将仏正法為他人記、又夢見有人将栴檀木博以凡木、此表遺法弟子、 以内正法博外書典、又夢見有妙園林花菓茂盛、 狂賊壌尽、此表遺法弟子、 広滅如来正法苑也、 又夢見有諸小象駈一大象 令之出群、 此表遺法弟子、諸悪朋党破戒衆僧擯中斥有徳人上也、 又夢見有一獼猴、 身塗糞穢蕩突己衆、衆皆避、此表遺法弟子、以諸悪事誣謗衆善見皆遠避又夢見一獼猴実無有徳、 衆共扶捧、 海水灌頂立為王、 此表遺法弟子、諸悪朋党挙破戒僧以為衆首、又夢見一衣堅而且広有十八人、各執少分四面争挽衣不破、此表遺法弟子、 分仏正法成十八部、雖有少異執而真法尚存、 依之修行皆得解脱、又夢見多人共集互相征伐死亡略尽、此表遺法弟子、 十八部内各有門人、部執不同互興闘諍也、 此十夢但表先兆如所見。
(『頌疏』第九にいう、「論にいう。 訖栗枳王の夢に見るところの十事のごとし。 いえらく、 大象、 井、麨、栴檀、 妙園林、 小象、 三獼猴、 広堅衣、 闘諍すと。 解していわく、 訖栗枳王は迦葉仏の父なり。この夢をなしてきたりて世尊(迦葉仏なり)に白す、 仏の言う、これ、当来の釈迦如来の遺法の弟子の先兆を表すなり。 王夢に見るに一大象室中に閉じられて、さらに門戸なくして、ただ小窓あるのみ。 その象、 方便して身を投じて出ずることを得るに、 尾なお窓にさえぎられて出ずることをあたわずとは、これは釈迦遺法の弟子、 よく父母妻子を捨てて出家するも、その中においてなお名利をいだくこと、尾の窓にさえぎらるるがごときを表す。 また夢に見るに、一渇人、 水飲を求覓するに、 すなわち一井ありて八功徳をそなう。 井は渇人を逐うも人はこれを飲むことを欲せず。釈迦遺法の弟子、諸道俗等の法を学ぶを肯んぜず、 法を知る者ありて名利のための故に、 彼に従いて説をなすも、 なお学ばざることを表す。 また夢に、 一人の一升の真珠を将って一升の麨に博うるを見る。 これ釈迦遺法の弟子、 利を求むるがために、 ゆえに仏の正法を将って他人のために説くを表す。 また夢に、 人ありて栴檀木を将って博うるに凡木をもってするを見る。 これ遺法の弟子、 内の正法をもって外の書典と博うるを表す。 また夢に、 妙園林ありて、 花菓茂盛なり。 狂賊壌り尽くすを見る。 これは遺法の弟子、 広く如来の正法の苑を滅すことを表す。 また夢に、 諸の小象ありて、 一大象を駆ってこれを群より出ださしむるを見る。 これ遺法の弟子、 諸悪朋党の破戒の衆僧の、 有徳の人を擯斥するを表す。また夢に、 一獼猴の身に糞穢を塗り、 己が衆を蕩突し、 衆みな避くるを見る。 これは遺法の弟子、諸の悪事をもって衆善を誣謗するに、 見てみな遠く避くるを表す。 また夢に、 一獼猴実に徳あることなく、衆ともに海水を扶捧して頂に灌ぎて、 立てて王となすを見る。 これ遺法の弟子、 諸悪の朋党、 破戒僧を挙げてもって衆の首となすを表す。 また夢に、 一衣の堅くしてしかもかつ広く、 十八人ありておのおの小分を執り、 四面に争、 挽きて衣破れざるを見る。 これは遺法の弟子、 仏の正法を分かちて十八部となし、 少なき異執ありといえども真法なお存す。 これによりて修行してみな解脱を得ることを表す。 また夢に、 多人ともに集まりて互いに相い征伐し、 死亡してほぼ尽くすと見る。 これは遺法の弟子、 十八部内におのおの門人ありて部執不同にして、 互いに闘諍を典すことを表す。 この十夢ただ先兆を表して、 所見のごときにあらざるなり。」)
また、『止観〔輔行伝弘決〕』巻二の一(三十七葉)に十二の夢相あることを示せり。 その十二とは左のごとし。一者若於夢中得通飛行、 幡蓋従行、 是名祖荼羅相、二者若見形像塔廟大衆聚会、是名斤提羅相、三者若見有神、 著浄潔衣乗白色馬、是名茂持羅相、四者若見乗白象度河、 是名乾基羅相、五者若見乗駱駝上高大山、是名多林羅相、〔六者若見上高座転般若、是名波林羅相〕七者若見樹下昇檀受戒、 是名檀林羅相、八者若見鋪列仏像請僧設供、 是名禅林羅相、九者若見生華樹入禅定、是名窮林羅相、十者若見大王帯剣遊行、是名迦林羅相、十一者若見王為浴身香坌浄衣、是名迦林羅相、十二者若見王夫人乗車入水見蛇、是名婆林羅相。
(一は、 もし夢中において通を得て飛行するに幡蓋従行す。 これを祖荼羅相と名づく。 二は、 もし形像塔廟に大衆集会を見れば、 これを斥提羅相と名づく。 三は、 もし神ありて浄潔衣をつけ、 白色の馬に乗るを見れば、 これを茂持羅相と名づく。 四は、 もし白象に乗りて河を渡るを見れば、 これを乾基羅相と名づく。 五は、 もし駱駝に乗りて高大の山に上るを見れば、 これを多林羅相と名づく。 六は、 もし高座に上り般若を転ずるを見れば、 これを波林羅相と名づく。 七は、 もし樹下に檀に上り戒を受くるを見れば、 これを檀林羅相と名づく。 八は、 もし仏像を舗列し、 僧に請いて供を設くるを見れば、 これを禅林羅相と名づく。 九は、 もし生華樹の禅 定 に入るを見れば、 これを 窮 林羅相と名づく。 十は、 もし大王剣を帯して遊行するを見れば、 これを迦林羅相と名づく。 十一は、 もし王身を浴し香坌浄衣するを見れば、 これを伽林羅相と名づく。十二は、 もし王夫人の車に乗りて水に入り蛇を見るを見れば、 これを婆林羅相と名づく。)
以上の分類の一半は原因につきてその種類を分かち、 一半は夢中想見せるものにつきてこれを分かつ。 しかして、 夢には必ず吉凶の信あるものと信ぜしをもって、 その分類は吉凶の種類に従って設けしものなり。 今、 余がもっぱら述べんと欲する点は、 この種類のいかんにあらずして説明のいかんにあり。 ゆえに、 これよりその説明を掲ぐべし。
第五章 夢の説明
仏書中に散見せる夢の説明は、 通俗的のものと道理的のものあり。 前章に示せる、 熱気多ければ火を見、 冷気多ければ水を見る等は、 実際的説明なれば道理的というべし。 また、『大蔵法数』によりて示せる無明習気、 善悪先徴、四大偏増、巡遊旧識の四夢は、心理的説明に属すべきものにして、これまた道理的説明なり。 しかるに『正法念経』に「有虫在人心、若安適、虫善好夢、若不安、虫嗔悪夢 」(虫ありて人心にあり、 もし安適なれば、 虫善く好夢あり。 もし不安なれば虫嗔り悪夢あり)との説明にいたりては通俗的なり。 また、『釈迦譜』に「仏将入金剛喩定成仏、 魔王作三十一夢、皆不吉祥」(仏、まさに金剛喩定 に入りて成仏せんとす。 魔王三十一夢をなす、みな吉祥ならず)とあるは、夢の原因を魔王に帰するものなれば、これまた通俗的なり。 これより一歩を進め、 やや高等の解釈を考うるに、 仏教中に聖人以上に夢なきことを示せるあり。すなわち、『義楚六帖』第七に『婆沙論』を引ききたりて曰く、
夢通善悪、唯引非満通五趣、聖有無不善、仏亦有息眠無夢唯欲界又由五因、一他引諸天神仙鬼神等二曾更串習、 三当有吉凶、四分別希求思惟五諸病四大不調、 又云女人証三果、夢前夫擬行欲自然不従。
(夢は善悪に通ず。 ただ引非満、五趣に通ず。 聖は不善なきことあり、 仏もまた息むことありて、 眠りて夢なきはただ欲界のみ。 また五因による。一には他の諸天、 神仙、 鬼神等を引く。二にはかつてさらに串習す。 三にはまさに吉凶あるべし。四には分別希求思惟す。五には諸病四大調わず。 またいう、 女人三果を証すれば夢に前夫、 欲を行わんと擬すれども自然に従わず。)
また『法苑珠林』第四十三には、「夢に吉凶あるは宿因に善悪あるによる」となす。 同書第四十三巻に曰く、
(前略)盛衰之道与時交構、 睡夢之途因心而動、 動由内識、 境由外薫、 縁薫好醜夢通三性、若宿有善悪則夢有吉凶、 此為二有記、若習無善悪、汎覩平重、此為無記、 若昼縁青黄、夢想還同、 此為想夢、 若見升沈水火交交侵此為病夢、 雖夢通三性然有報無報云云 ゜
((前略)盛衰の道は時と交構し、 睡夢の途は心によりて動く。 動は内識により、 境は外薫による。 縁は好醜を薫じ、 夢は三性に通ず。もし宿に善悪あれば、すなわち夢に吉凶あり。これを有記となす。もし習に善悪なければ、 汎に平重を覩る。これを無記となす。もし昼に青黄に縁れば、 夢想還りて同じ。これを想夢となす。もし昇沈水火交々侵すを見れば、これを病夢となす。 夢は三性に通ずといえども、しかも有報無報あり、云々。)
もし、我人の識心中に夢を現ずるゆえんを知らんと欲せば、 唯識論によりて考うるよりほかなし。 今、その論によるに、意識の内作用より起こるものとす。そもそも第六意識に、外覚上の五識と同起併立するものと、その五識を離れて単独にて発動するものとの二様あり。しかして、その同起するものを五倶の意識といい、 単起するものを 定中の意識、 夢中の意識、 独散の意識の三種となす。これを合して独頭の意識という。 もし、『法相義』によりてこれを解するに、曰く(同書上巻)
分別此識(第六意識)当有其四、謂明了意識、 定中意識、独散意識、 夢中意識、 初亦名曰五倶意識一 後三総名独頭意識、五倶意識助五令起、 亦令五識、明了取境、定位意識唯是現量、散位独頭通比非量、与五倶意或唯現量、 或通現比及非量摂。
(この識(第六意識)を分別すれば、 まさにそれ四あるべし。 いえらく、 明了意識、 定中意識、 独散意識、 夢中意識なり。 はじめをまた名づけて五倶意識という。 後三を総じて独頭意識と名づく。 五倶意識は五を助けて起こさしめ、 また五識をして明了に境を取らしむ。 定位意識はただこれ現量、 散位独頭は比と非量とに通じ、 五と倶意はあるいはただ現量、 あるいは通じて現と比および非量とに摂 す。)
また、この四種の意識に乱意識の一種を加えて五種とす。 今、「翻訳名義集」巻六によるに、
第六意識具有五種一定中独頭意識、 縁於定境定境之中有理有事、 事中有極略色極迥色及定自在所生法処諸色、二散位独頭、 縁受所引色及遍計所起諸法処色、如縁空華境像彩画所生者、並法処摂、 三夢中独頭、縁夢中境、四明了意識、 依五根門、与前五識同縁五塵、 五乱意識、 是散意識、 於五中根、狂乱而起、 如下患熱病青為黄見非是眼識、是此縁故。
(第六意識につぶさに五種あり。一は定中独頭の意識、定境を縁ず。 定境の中に理あり、 事あり。 事の中に極略の色、 極迥の色および定自在所生の法処の諸色あり。二は散位独頭、 受の所引の色および遍計の諸起の諸法処の色を縁ず。空華境像彩画の所生のものを縁ずるがごときは、 ならびに法処の摂 なり。 三は夢中の独頭、 夢中の境を縁ず。四は明了の意識、 五根門によりて前五識と同じく五塵を縁ず。 五は乱の意識、これは散の意識にして、 五根の中において狂乱して起こる。 熱病を患んで、 青を黄となして見るがごときは、これ眼識にあらず。これ、この縁なるが故なり。)
しかしてその意は、 夢は感覚と相応ぜずして睡眠中独起し、 夢中の諸境を縁する意識なりというにあり。 換言すれば、 意識が前五識の起こらざるときに睡眠の心所と相応じて、 ひとりその作用を呈するものこれなり。 ゆえに、『唯識大意』に夢の現象を説明して曰く、「人のよく眠りて夢を見るときは、 眼、 耳、 鼻、 舌、 身の五識みな起こらざるときなり。 夢に物を見聞し味わうと思うは、 みな第六意識の思慮分別なり。 五識の起こるにはあらず。 夢も見ぬほどに眠り入りぬれば、 意識もまた滅して、 ただ、 かの末那識、 阿頼耶識のみあり。」これ、 仏教の心理的説明なり。 もし睡眠の起こるゆえんは、 さきに体中の虫の眠るとなせしも、 これむしろ俗説にして、 睡眠の心所の起こるによるとなすは、 心理的説明なり。 ゆえに、『唯識大意』に曰く、「睡眠の心所というは、 心を暗く狭からしめて、 身を自在ならざらしむるなり。 人の眠るはこの心所の起これるときなり」と。 また『梨窓随筆』(巻下九左)には、 夢は第七識の作用なることを述明して曰く、
夢はこれ、 おおくは第七伝送識の所作なり。 梵語には阿陁那というを、 ここには伝送というなり。 伝送とはつたえおくるなり。 第八の阿黎耶識より第六の意識につたえおくるが故なり。 また、 この伝送識を執我識ともいう。 人、 寝るときもこの識はかつてねいらずして、 人のよぶとき、 われということをしるなり。 いまだねぶりさめぬうちに、 先知はこの識の所作なり。 されども、 第六の意識にて分別せぬ間はいまだおきず。この故に、 人、 床にありて眠るとき、 昼の間に六根にむかう境を意識におもう故に、 この所作とどまりて床にねぶるとき、 かの伝送識これを思想して夢を見るなり。 しかるに、 その夢の中にあるいは人の家を見、 または日ごろ語をまじえたる人を見ることあり。 しかるに、 はじめ見しその家変じて、 余の家となることあり。 また、 前に見し人も後にはたがいて、 ほかの人となることあり。 これをいかんというに、 第七識の思想念々に遷流する故に、 この人を思うとき、 またかの人のことを思い、 この家を思うとき、 またかの家のことを思い、 されば人ねぶらざる間は、 意識たしかに物を分別して、 ほかより来たることを混乱せず。 ただ一事にさだむる故に、 その始終たがうことなし。 夢の中には意識の分別なき故に、 ただ思想のおこるままに念をうつす。 ゆえに夢の次第変じて、 人をも家をもさしかえて見るなり。
そのほか二、 三の書に散見するところの夢の説明をたずぬるに、『宗鏡録』七十五巻に曰く、「夢見見者名内眼所、 是慧分別、 非肉眼見云云。」(夢見の見をば内眼所と名づく。 これ慧の分別なり。 肉眼の見にあらず、云々)と。 また、 同書七十八巻に曰く、「若夢中無境寤亦爾者何故、 夢中寤中行善悪法、愛与不愛果報不等、 答唯有内心無外境界以夢寤心差別不同、是故不依外境、成 就善不善業、是以在心位心、 由睡眠壊、勢力贏劣、 心弱不能成善悪業覚心不爾」(もし夢中境なければ、 寤もまたしかなるものはなに故ぞや。夢中と寤中は善悪法を行ずる。 愛と不愛とは果報等しからず。 答えはただ内心にあるのみ。 外の境界なく、 夢寤心差別不同なるをもって、この故に外境によらず善不善の業を成就す。これをもって、 心にある位の心は睡眠壊るるによって勢力贏劣なり。 心弱して善悪の業をなすあたわず。 覚心はしかならず)とあり。 また「〔大〕智度論」巻六(九右)に、 夢の無実なることを示して曰く、
問曰、 不応言夢無実、 何以故、 識心得因縁便生夢中識、 有種種縁、若無此縁 云何生識、 答曰、無也不応見而見、 夢中見人頭有角、 或夢見身飛虚空、 人実無角、 身亦不飛、 是故無実、 問曰、実有人頭、 余処亦実有角、 以心惑 故見人頭有角、 実有虚空亦実有飛者、以心惑故自見身飛、非無実也、 答曰雖実有人頭、雖実有角、 但人頭生角者是妄見、 問曰、 世界広大、 先世因縁種種不同、 或有余国人頭生乙角、 或一手一足、 有一尺人、 有九尺人、人有角何恠所性、 答曰、 若余国人有角可爾、 但夢見此国所識人有角則不可得。
(問うて曰く、「夢は実なしというべからず。 なにをもっての故に、 識心の因縁を得て、 すなわち夢中の識を生じ、 種々の縁あればなり。もしこの縁なくんば、 いかんが識を生ぜんや。」答えて曰く、「無にしてまた見るべからざるをしかも見る。 夢中に人の頭に角あるを見、 あるいは夢に身の虚空に飛ぶを見るも、 人は実に角なく、 身もまた飛ばざるなり。この故に実なし。」問うて曰く、「実に人に 頭 あり、 余処にまた実に角あり。 心惑うをもっての故に、 人の頭に角あるを見る。 実に虚空あり。 また実に飛ぶ者あり。 心惑うをもっての故に自ら身飛ぶと見るも、 実なきにはあらざるなり。」答えて曰く、「実に人に頭ありといえども、 実に角ありといえども、 ただ人の頭に角を生ずるは、これ妄見なり。」問うて曰く、「世界は広大なり。 先世の因縁も種々同じからず。 あるいは余国には人頭に角を生じ、 あるいは一手一足なるものあらん。 一尺の人あらん、 九尺の人あらん。 人に角ある、 なんの怪しむところぞ。」答えて曰く、「もし余国の人に角あるはしかるべし。 ただ夢にこの国のしるところの人に角ありと見るは、 すなわち得べからざるなり。」)
これ、ややおもしろき問答なり。 また『止観〔輔行伝弘決〕』巻第五の二に、 夢は心によりて生ずるか、 眠りによりて生ずるか、眠りと心を合して生ずるか、 眠りと心を離れて生ずるかの疑問に対して、 おもしろき説明あり。 曰く、
若依心有夢者、 不眠応有夢、 若依眠有夢者、 死人如眠応有夢、若眠心両合而有夢者、眠人那有不夢時、又眠心各有夢合可有夢、 各既無夢、 合不応有、 若離心離眠而有夢者、 虚空離二、 応常有夢。
(もし心によりて夢あれば、 眠らざるときもまさに夢あるべし。 もし眠りによりて夢あれば、死人の眠りの ごときもまさに夢あるべし。 もし、 眠心両を合して夢ありといわば、 眠る人、 なんぞ夢みざるのときあるや。 また、 眠りと心とおのおの夢あるを合して、 夢みることあるべし。 おのおのすでに夢みるなし。 合してあるべからず。 もし、 心を離れ眠りを離れて夢ありといわば、 虚空は二つを離れ、 まさに常に夢あるべし。)また『首楞厳経 』巻四に、 睡眠中、 聴覚聞性の消滅せざることを述べたり。
『慈恩伝』(巻一の十右)には、「寺有胡僧達磨、夢法師坐一蓮華向西而去、達磨私怪、 且而来白、 法師心喜為得伝行之徴、然語達磨云、 夢為虚妄、何足渉言云云」(寺に胡僧達磨あり。 法師一蓮華に座し、 西に向かいて去るを夢む。 達磨ひそかに怪しむ。 しばらくしてきたりてもうす、 法師は心喜びて行を得るの徴となす。しかれども、 達磨につげていう、「夢は虚妄たり。 なんぞ言うに渉ぶに足らんや、 云々」)の語あり。
『蕉窓随筆』巻第一に、 人に夢の有無の別あるゆえんを述べて曰く、
凡人寝而所夢者、 得喪歓戚万種境界、無適而非妄突、是乃日間見聞習気、独頭意識之所為、而至若仏菩薩及浄土荘厳微玅事、百宵無一夢矣、 以不繋想故也、 因知、 無始無明眠相襲習不已、 生死念慮恒勝而信根転転微薄、寧不顧而勉励乎。
(凡人寝て夢みるところは、 得と喪と歓と戚と万種の境界、 適として妄にあらざることなし。 これ、すなわち日間見聞の習気、 独頭の意識のなすところ、 仏菩薩および浄土荘厳微玅のことの若きに至っては、 百宵に一夢なし。 繋想せざるをもっての故なり。 よって知る、 無始無明の眠相襲習してやまず、 生死の念慮つねに勝りて信根転々微薄なることを。 なんぞ顧みて勉励せざらんや。)
また『竹窓随筆』に、 夢中に現生のことのみを〔見て前生のことを〕見ざるゆえんを述べて曰く、
夜夢中多見生事、 罕夢前生何也、 蓋夢以想成、 想多見生、 不及前生故也、 且三乗賢聖、 尚有隔陰出胎乍時之昏、況具縛凡夫、 脱一殻入一殻、従母腹中顚倒而下、 尚何能記憶前生耶、 惟拠其目前紛紛紜紜、 昼則為想、 夜則為夢耳、 而或時未見之物、 未作之事、 未歴之位、 現於夢中者、 則無始 之境任運而然、 亦莫知其所以然而然也、 想陰既破寤寐恒一、 幸相挙致力焉。
(夜、 夢中に多く生事を見る。まれに前生を夢みるはなんぞや。 けだし夢は想をもって成る。 想は多く生を見て、 前生に及ばざる故なり。かつ三乗の賢聖、 なお隔隠出胎たちまち時の昏きあり。 いわんや具縛の凡夫、一殻を脱し、 一殻に入る、母腹の中より転倒して下る。 なお、 なんぞよく前生を記憶せんや。 ただその目前の紛々紜々によって、 昼はすなわち想をなし、夜はすなわち夢をなすのみ。 あるときはいまだ見ざるの物、 いまだなさざるのこと、 いまだ歴ぎるの位、 夢中に現れるものは、 すなわち無始の境任運してしかり。また、 そのしかるゆえんを知ることなくしてしかり。 想陰すでに破れば寤寐つねに一なり。 幸いに相挙げて力をいたせ。)
また『塵滴問答』と題する書中に、夢中の現象は無明薫執 のしからしむるところとなす。 すなわち曰く(巻八)、「平生見るところの夢は、 多くの気のなやみか、 または常の思いの伏するところが魂に結ばれて見る夢のみなれば、 多くはこれ妄想に帰して、なんの吉凶にあずかることなし。 これらはみな仏書にいう、 無明薫執あるいは思夢の類にして、 実なき理なり」と。
また『山海里』(六篇下)と題する書中に、 神仏の夢告を説明して曰く、
夢は身に受けるものにあらず、 心のみにうけぬる境界なるが故に、 体は枕につきて寐ていながら、 心のみ山にゆき川にゆき、 あるいはたのしみあるいはくるしむこと、 心にのみうける境界とはだれもしることなり。 しかるに、 その心なるもの、 朝に目のさめて夕に眠るまで妄念のたゆるときなければ、 けがれてあしき心ゆえ神仏の御こころはうつりきたりたまわず。 よく寝入りよくしずまりて寅の時にもなりぬれば、 六根なく境なく、 心のみ無念無想にしてきよらかなる故に、 神仏その心にしたしく告げしらしめたまえるものなり。 これを正夢としるべし。 仏神の夢想にかぎらずしるしある実夢はみな、 今の妄念なきときの心に現ずる相なりとぞおもいしりける。
そのほか、 なお仏書中に散見せるものすこぶる多しといえども、 いちいちここに挙示するにいとまあらず。 これを要するに、 仏教中には往々通俗の不道理的説明を混入せるところあるがごときも、 その大半は心理的道理によりて説明せるものなれば、 決して古代の妄説として排斥すべからず。 ただ仏教の短所は、 今日の心理説に比考して実験上の説明を欠くにあるのみ。
第六章 夢説の結論
仏教は無常無我の理を説きて、 世界万有の虚仮無実なることを証明するに、多く夢に比して如夢、 如幻等の語あり。 今その例を挙ぐれば『楞伽経』に、「所謂一切法如幻、 如夢、光影、 水月 」(いわゆる一切法は幻のごとく、 夢、 光影、 水月のごとし)とあり。『円覚経』に、「生法本無、一切唯識、識如幻夢、但是一心」(生法もとなく、一切唯識、 識は幻夢のごとく、 ただこれ一心)とあり。『維摩経』に、「是身如幻、 従顚倒起、 是身如夢、 為虚妄見」(この身は幻のごとく転倒より起こる。この身は夢のごとく、虚妄の見をなす)とあり。
『〔大〕智度論』に曰く、「若夢中見、 若自身、 若父母等、 若殺若死、 因縁及聚落破等不憂悩怖畏、覚已思惟如夢中、不死而見死、 不畏而見畏、 一切三界皆爾」(もしくは夢中に見ゆ、 もしくは自身、 もしくは父母等、もしくは殺、 もしくは死、 因縁および聚落の破等、憂悩怖畏せず。 覚めおわりて思惟するに夢中のごときは、 死せずして死を見、 畏れずして畏を見る。一切三界みなしかり)とあり。
また『竹窓三筆』に、「世夢」と題する一編あり。 いとおもしろければ左に全編を掲ぐ(この文『谷響続集』)八巻にも転載せり)。
古云処世若大夢、経云却来観世間、猶如夢中事、云若云如者、 不得已而譬言之也、 究極而 言則真夢也、 非喩也、 人生自少而壮、 自壮而老、 自老而死、 俄而入一胞胎也、 俄而出一胞胎也、 俄而又入、 又出之、 無窮已也、 而生不知来、 死不知去、 蒙蒙然冥冥然、 千生万劫而不自知也、 俄而沈地獄、俄而為鬼、 為畜、 為人、 為天、 升而沈、 沈而升、 皇皇然忙忙然、 千生万劫而不自知也、 非真夢乎、 古詩云、 枕上片時春夢中、 行尽江南数千里、 今被利名牽、往返於万 里者、 豈必枕上為然也、 故知荘生夢瑚蝶、其未夢蝴蝶時亦夢也、夫子夢周公、其未夢周公時亦夢也、 曠大劫来無一時一刻而不在夢中也、 破尽無明、朗然大覚、 曰天上天下惟吾独尊、夫是之謂夢醒漢。
(いにしえいう、「世におるは大夢のごとし」経にいう、「却りきて世間をみるに、なお夢の中のことのごとし」 若 といい如というものは、 やむこと得ずしてたとえてこれを言うなり。 究極していうときは、 すなわち真夢なり。 たとえにあらざるなり。人生少きよりして壮、 壮よりして老、 老よりして死す。 にわかにして一胞胎に入り、 にわかにして一胞胎を出ず。 にわかにしてまた入り、 またこれを出でて、 窮まりやむことな し。 生じてきたるを知らず、 死して去るを知らず、 蒙々然、 冥々然として、 千生万劫にして、 自ら知らず、にわかにして地獄に沈み、 にわかにして鬼となり、 畜となり、 人となり、 天となる。 昇りて沈み、 沈みて昇る、 皇々然、 忙々然として、 千生万劫にして自ら知らざるなり。 真夢にあらずや。 古詩にいわく、「枕上片時春夢の中、 行尽す江南数千里」と。 今、 利名にひかれ、 万里に往返する者の、 あに必ず枕上しかりとなさんや。 ゆえに知らんぬ、 荘生が蝴蝶を夢む。 そのいまだ蝴蝶を夢みざるときも、 また夢なり。 夫子、 周公を夢む。 そのいまだ周公を夢みざるときも、 また夢なり。 曠大劫来より、 一時一刻も夢中にあらざるということなし。 無明を破り尽くして朗然として大覚するを、 天上天下惟吾独尊という。 それこれ、 これを夢醒の漢という。)
以上は、 余が仏教中に散見せる夢説を集録したるのみにて、 これに対する評論、 意見を述ぶるの意にあらず。ゆえに、 まずここに筆を擱す。
二三 哲学の効用
余は二、 三日前に田舎より帰京したるのみにて、 今日は全体学術的のことを話すつもりなりしも、 その取り調べのいとまを得ざりしため、 ついに哲学の効用なる演題を掲げて、 最も通俗のことを述ぶる考えなり。 余は先年よりして地方巡回をはじめ、 ほとんど十余県をめぐり終わりたるが、 その間において始終同一の問い、 形は異なるもつまるところ、 哲学はいかなる学なるか、 なんの必要あるかという同一の問いに接したり。 これ、 今日の問題の出でたるゆえんにして、 今はもっぱら田舎の事情によりてこれを説くべし。
地方の人は余に向かいて言えり。 この土地にはなかなか哲学のごとき学問を理解するものはほとんどまれにして、 したがって、 これを学ばんと欲するもののごときは全くあることなし。 これ、 余のいたるところにおいて聞くところにして、 つまりこれら地方の人々は、 哲学をもって至難にして容易に理解することあたわず、 到底日用上のことに奔走するものの企つべからざるものと考えおるがごとし。 あるいは、 この土地にはただ一人の哲学者あり、 思うに、 今まさに来たるなるべしという。 しかしてその人に遇えば、 そのいわゆる哲学者なるものは、 世の目して偏屈人となすものにあらざれば、 すなわち奇人と呼ぶところのものなり。 もって、 地方の人々が哲学なる学問に対して有するところの思想をうかがうを得べし。 花の東京には、 かかる人のもとよりあるべくもあらざれども、 多くの地方人の考えは多分かかるものなり。 古昔、 ギリシアの七賢人のごとき、 多くはかかる人、 すなわち偏屈人もしくは奇人の類にてありき。 これ畢竟、 世人のかかる考えを起こすの原因なるべけれども、 さりとはまた、 哲学ならびに哲学者にとりて迷惑のいたりというべし。 しかして、 これらの考えを有せる人々は、 哲学といわば、 シナにては老荘の学、 インドにては仏教などの類にして、 このほかに哲学というもののあるべしとも考えざるなり。 また、 あるいは哲学といわば、 なにか禅学の悟道の法らしきものと思惟し、 忽然大覚にても得らるるものにてもあらんと思いて、 ちょっと哲学の極意を一言にて示されたしなど請わるることも、 しばしばありたり。 昨夜もある所をたずねしに、シナ公使のわが国に来たりて哲学なる学問のあることをきき、 哲といえば賢哲、 明哲など続く字なるが、 果たしていかなる学問にやと疑い、これをききてその意を領するに及びて、 しからば理学というべきものならんといいしとかききぬ。 とにかく、 哲学なる字の新奇にして、 いまだ世間に明らかならざるがために、 なにぶんにも迷いを起こしやすきなり。
哲学はこれを畢竟するに、 知学とか理学とか呼ぶ方むしろ適当にて、 これが解釈もこれを細かにすれば限りなきことにて、 その効用を説くともまたこれと同然なり。 されば今、 余がここにこの題を設けて述ぶるところのものも、 そは実にただ、 わずかにその一部分なりと知るべし。 哲学は決して偏人や奇人の学にもあらねば、 また老荘の学のみにもあらず。 さりとて、 仏教や禅学がその全部にもあらず。 つまり、 士農工商たれびとにも必要の学問なりということを記せざるべからず。 しかしてこの学の効用は、 一方より簡単にいえば、 思想練磨の術として必要なる学問なりということを得べし。
そもそも人は肉体と精神との二部より成るものにして、 その肉体練磨の術としては運動あり体操ありて、 もってその健康を保持するに足る。 しかして、このほかになお精神練磨の法ありて、これが強健をいたすのすべなかるべからず。 もとより哲学のみならず、 数学もまたその術として今日使用さるることは人のよく知るところにして(数学も哲学の一部とせらるることあれども、 多くの場合には別物として見らるるなり)、 その加減乗除より高尚なる代数、 幾何にいたるまで、 普通にたれびともこれを学ぶを見ても明らかなることなるべし。 すなわち、普通人のかくこれを研究することは、 これ日常において吾人がこれら代数、 幾何等の必須あるがためにあらずして、 ただ思想練磨の必須によるものなり。 見よ、 平常世人の目して最も数学を要するものとして見らるるところの商法家さえ、 ふだんにはその代数、 幾何を使用せざるのみならず、 もはや分数を要することさえいたってまれにして、 まず加減乗除のみにて、 普通日常の要事をしとげおるにあらずや。 最も数学を要するものさえかかるありさまなれば、 高尚なる土木学、 機械学等に従うある少部分の人を除くのほかは、 普通においてはほとんど実際上無用のものたることを免れず。 しかれども、 現に今日の普通教育中にてこれらの教授をなすは、 なんらの理由によるやというに、 畢竟、 人心練磨の用あるがためなるによらずんばあらず。
そもそも人の思想なるものは、 決していたずらにその発達をいたすものにあらず。 身体の強壮におけると同様に、 必ずやこれを教練するゆえんの法術あり。 しかして数学なるものはすこぶる確実精密なるものにして、 極めてその資料とするに恰当するものなり。 ゆえに、 普通教育上数学を教授するに、 代数、 幾何の高尚なる点にまで及ぼすは、 その代数、 幾何としての必要ありてよりは、 むしろ思想練磨の具として必要なること、 その多きにおるとみなさざるべからず。 しかして哲学もまた、 あたかもかくのごときものあり。 哲学はこれを分類するときは、 種々の部分に分かたるべしといえども、 中において特に論理学のごときは、 決して議論するためのみの学にはあらずして、 これを教授するの目的は、 また一分思想練磨に必要なるがためなり。 また、 純正哲学は純全無形の理すなわち神、 世界もしくは物心の本質等を研究するところの学にして、 ほとんどその実用を認むることあたわざるもののごとし。 神や物や心やもしくは世界等の本質のいかなるものなるにもせよ、 そはあまり実際人事上にはさほどの関係を及ぼすものにあらず。 なんぞ いわんや農工商業者にいたるまでも、 これに研究するの必要あらんや。 しかも余が哲学をもって、 いかなる人にもこれを研究するを要すというゆえんは、 ただ思想練磨としての要あるをもっての故なり。
けだし、 形象あるものは、 吾人は常にその感覚に訴えてこれを知覚し、 その手づるによりてその理を知ることを得るものなれども、 もしそれ神のごとき物心の本体のごとき無形無象のものにいたりては、 ただ一に思想の力によりてこれを探るのほかなかるべし。 ただ、 思想一つの力にて研究することを要するが故に、 おのずから知らず識らずの際においてその論理の確実ならんがため、 秋毫の欠点を生ぜざらんがため、 前後を整斉して厳格に緻密にその歩を進め、 したがってその思想の精細を得るに至るは自然の序なり。
すべてかかる目に見えざるもの、 すなわち感覚外の事物、 道理を研究するには、 必ずまず第一着に想像を置かざるを得ず。 かの物理学上の勢力のごときも、 その作用は感覚しあたうにもせよ、 力そのものとしては到底目に見得べきものにあらず。 化学の元素とてもまた同様にて、 その反応によりて現るることは見らるべきも、 元素そのものは目にも耳にも感ずるものにあらず。 されば、かかるものを研究するには、 哲学上の理を研究すると同じく、 ただ一つの手段に依頼せざるべからず。一つの手段とはなんぞや。 想像によりて発明するこれなり。 また一歩を進めて、かの器械の発明、 事物の発見のごときも、 第一にさきだつものはただ、かの想像なり。 コロンブスの米州発見も、 見えざるさきの想像、 すなわち吾人の知るところのほかに、 なおかくかくの理によりて、 別に陸地なかるべからずとの一つの想像力に導かれたるものなり。
また、 ニュートンの引力、 コペルニクスの天文上の発明も、 感覚外の力そのもの、 ならびに天体に関する理法を想像したるに因するなり。 されば、 理学上の発明発見とて、 その源は一つも想像に発せざるなきは明らかなれども、 さりとてこの想像は空想妄想なるべからざるは言をまたず。 今もし夢に、 なにがしの地下に黄金の埋もれるを見たりとて、 実際その地を掘りて黄金を得んこと、 もとより期すべからず。これ、 夢中の想像は一つの妄想空想に過ぎざればなり。されども、 コロンブスの陸地あるべしとの想像、ニュートンの引力あるべしとの想像は、確実なる想像なり。しからば、いかなるものを確実なる想像というか。 曰く、確実なる想像は精確なる思想 より出でたる想像これなり。 しかしてこの精確なる思想は、 精密なる研究により練磨されたる結果として得きたらるるところなり。これ、思想練磨の学の必要なるゆえんにして、また純正哲学上の研究の必ずなからざるべからざる理由なり。
純正哲学の研究によりて精密なる思想は得らるべく、 精密なる思想ありて実際上諸種の利益を現出すとすれば、純正哲学は空理空論、 ほとんど無益なるもののごとく見ゆるにもかかわらず、 かえってすべての上においてその効能を現しおるものというべし。 果たして純正哲学は思想練磨の学としてこれらの効能を有しおるものとすれば、 もちろん事物の改良進歩の上に、 非常の影響を及ぼすものとみなすことを得べし。 すなわち、 目に見えざるさきをおもんぱかりて事を企てんとするには、 無形の理を研究すると同一の理によらざるべからざるなり。 もし、 ものごと古来の風習に浸染し、 これを保守して改めざらんとすれば、 ともかくも、 いやしくも日進月歩の大勢に伴って改良進歩の効を奏せんとすれば、 必ず思想練磨の効を収めたるものにあらずんば、 よくすることあたわざるべし。
かくのごとくにして思想の練磨なるものは、 なに事をなすにつけなに業をとるにつけ、 すべての人に普通に必要なるものにして、 哲学はまた一般人の研究すべき必要あるものとすれば、 しからば哲学者はなにごとをなしてもでき得るやというに、 決してさにあらず。 なんとなれば、 数学はなにびとにも必要なるにもかかわらず、さりとて数学専門家は、 商法をなしては必ず大利を占むべく、 農業に従事しては必ず良果を得べしとは(数学者としては)、 期すべからざるなり。 さればこそ、 わが日本国民をして、 ことごとく哲学者もしくは数学者となすことあたわざるにあらずや。 また、 かの普通教育につきて考うるも、 そのたれびとにもぜひ施さざるべからざる必要あるものなることは論をまたず。 しかして、この教育の大導師はたれびとぞとたずぬるに曰く、 小学校の教員なり。 しからば小学教員は、 普通になにごとをもなし得べくあたわざるところなき大豪傑なるやというに、 なかなかさは許すべからず。 ゆえに、 実際に応用するものと理論を専門とするものと、 すなわち学者と実業家とはおのずから分かれざるべからざるものにして、 物理学者が電信局に入りて必ず良好の技師となることあたわず、 船艦に乗り込みて必ず最上の航海者となることあたわざるがごとし。
されば大体上、 数学、 哲学はつまりこれを研究して思想の練磨をしとげ、 これを他に応用するの間に合うだけのことを用意し得たらんにはそれにて十分にて、 すでに哲学上よりひとたびこれらの用意を整えたる以上は、 あながちにいついつまでも哲学を記憶し得るの必要あるにあらず。 畢竟、 用意までの必要具にして、 すでに用意後は哲学の必要、 さほどにあらざるなり。 数学とてもまたこれと同然なるべし。 余もはじめのほどは、 かつて代数学も幾何学も三角術も、一度は研究したることもありき。 しかれども今日に至りては、 もはや開平開立もほとんど打ち忘れたるほどなり。 さりとて余は今日、 これがために数学によりて得たる利益まで消失したりとは思わず、 数学としての数学よりは、 数学によりて得たる結果、 すなわち精密なる思想としては必ず存しおるや疑いなし。 ゆえに、 思想精密の結果を得たる以上は、 数学上の高尚なるところを記憶しおるの必要なきと同じく、 哲学上においてもまた思想練磨後まで、 しいて学者の所説を暗記しおるの必要も、 諸種の箇条を把住しおるの必要も、 さらになきことなり。 すなわち必要なる点は、 哲学自身の上よりは、 かえってほかの上、 すなわち結果の上にあるものなり。 されば余は、 世人が哲学自身としての必要を探ることを求めずして、 一般にこの考えをもって哲学を研究せられんことを望むなり。
欧米各国文明の原因は、 もし細かにこれを取り調ぶれば、 その数はなはだ多くして、 今いちいちここにこれを数え立つべくもあらねども、これを要するに、 無形思想の進歩に伴い起これるものなることは疑いをいれず。 電信、 鉄道、 その他有形的の進歩も畢竟するに、 無形思想の中より湧出せるものにほかならず。 しかるに、 わが国二十余年以来の進歩なるものは、 毫もこれらの理由あるによるにあらずして、 ただもっぱら有形の模倣より出でたるものに過ぎず。 しかれども、 もしそれ真正の進歩なるものは、 必ず進歩したる思想中より出できたるべきはずのものにして、 無形進まずして有形ひとり進み、 本立たずして末修まるの理由なきなり。 欧州近代の進歩、 すなわち電気、 鉄道等の世に出でたるは、 わずかに今より二百年に出でざる前のことにして、 しかして哲学は早くすでに五百年以前に出でたりしかば、 その前よりして、 すでに無形上より思想の進歩を促しいたるや疑いをいれず。 しかるに世の哲学をもって、 空理空論にして秋毫も進歩に関することなく、 文明は全く哲学に離れたる進歩なりと考うるは、 大なる誤謬なり。
要するに、 哲学というも実は知識の学、 思想の学にして、 知学とか理学とか呼称すべきものなれば、 文明というもまた知識、 思想と相離れざるはもちろん、 そのよって出ずるところの本原なるが故に、つまり文明をもって哲学の産出せるところとなすも、 あえて不可なきなり。 換言すれば、 哲学者の精密なる思意ありて万般有形上の進歩も生じ、 したがって文明ともなることなりと知るべし。
しかるに、 ここに一疑問者ありてまさにいわんとす。 曰く、 今日、 かの米国のありさまをみるに、 その国中、理学上、 器械学上の発明の日に多きを加うるにもかかわらず、 かえって現在哲学上の大学者もなきにあらずやと。 しかれども米国は、 己の国にては自ら学問をもってもっぱらとする大学者はなしとはいえども、 彼らはかえって英独における学者の研究せる結果を取りて、 これを実地に応用するの力に富めるなり。 すなわち、 あたかも理論家と実用家と分かれたるがごとく、 実用国と理論国と分かれたるものなり。 欧州諸国は地狭く人多く、 数百年間の歴史、 習慣によりて発達せるが故に、 新発明によりてあてはむること至難なれども、 米国は土地広闊にして人員いたって少なく、かつ新開国とて歴史上の慣習に固着することもなさず、 新発明のためには至便至利なる所なれば、 欧州学説の結果のこの地において収めらるること怪しむに足らず。 大学者もなき国にして、 かえって進歩の現状ありと考うるは誤りなりと知るべし。 果たしてしからば、 無形思想の進歩よりして実地有形上の文明進むこと、 および知識精細の学すなわち哲学の進歩の文明に重大の関係あることは、 依然動かすべからざるもののごとし。
余の地方の人に遇うごとに、 その言うところをきけば、 一般の人はその談話の際、 必ず左の言をなすなり。 曰く、 学問は高尚にして、 実際上の衣食住の道、 すなわち生活の程度を進めて安泰の生計を営ましむることあたわず、 ことに哲学のごときは、 到底通常人の従事し得るところの学問にあらずと。 余はしばしばこれらの言に接したり。 しかしていたるところ、 そのしからざるゆえんを弁明しおきたり。 願わくは、 哲学の文明に関することかくのごとく密にして、 全体の上より衣食住の程度を進め、 これが保守固陋の見を破りて、 改良進歩の効を奏せしむるものなることを、 記憶せられんことを希望するなり。
哲学の必要なることかくのごとし。 さりとて、 哲学者となりて生涯これに従事するところの理論家を、 さほど多く要するにはあらず。 哲学の必要なるゆえんは、 ただ普通教育として、 思想練磨の術として、 数学の普通教育におけるがごとく必要なるものなれば、 数学専門家のさほど多数を要せざると等しく、 哲学者もまた、 さほど多数を要せざるなり。 ただ、 世人が数学を一般普通教育に必要なりと認むると同じく、 余輩は哲学をもって普通に必要なるものと信ずるなり。
地方の人のありさまを考うるに、一般に自己一人のための考えを有するもの多くして、公衆一般のための考えいたって少なきもののごとし。これ、人情の常にしてもとより当然なれば、余はこれをもって悪しとは思惟せず。しかれども、 なるたけこの考えを高尚にし闊大にすること、 最も必要なりと信ず。 今案ずるに、 現状を目撃したるところにては、 その目的とするところ、いたって小にしてかつ低し。 ただ目前今日のことのみに汲々として、 未来明日の考えなし。 したがって、 単に肉体上の快楽をのみ希望して、 精神上の愉快、 名誉という思想はなはだ薄し。 もっとも、 人にありていたずらに名誉のみをねがい、 卑劣なる残誉を求むるに至るは、もとより望ましからぬことなれども、 高尚の名誉は人の必ず求むべきなり。 名利といえば古昔よりして人の卑しむところなれども、これ卑劣なる名誉に流れやすきの傾向を察して、 聖賢の戒められたるところにして、かの宗教上現世を捨てて未来の幸福を祈るがごときも、 畢竟一つの名利にほかならざるにあらずや。
すなわち、 現世の幸福をもって至小なりとし、 わずかに五十年間の短日月、 草葉における朝露も等しき夢幻の幸福よりは、 未来において常住永久の幸福を求むるにしかずとなすものにして、ただその望むところの大幸大利にあるのみ。 かくのごとく名利を欲するは人の常情にして、 またやむべからざるものなれども、 ただその卑近の欲望を高尚にし、 至小の希願を遠大ならしむるの必要あるのみ。 肉体上の快楽とて、もとより全く欠くことを得べからず。 身体を保全し寿命を続くることはもちろん必要なり。しかれども、その度を失すれば大なる間違いを生じ、ためにかえってその身をほろぼすに至ることあるべし。 ゆえに、 肉体の快楽は全然捨つべからざるも、 なおこれよりさらに進みて、 肉体の一時の快楽より永遠に残留すべき精神の快楽、 すなわち名誉を求むるの必要あるなり。
今日一般人の程度の全体に低く、 名利を一時に争うことをつとめて、 永遠高尚の名誉を求めざるは、 はなはだ痛嘆すべきことにて、 余が巡回中深く感じたるところなり。 かつて一富人の余にいいけるは、「われに子あり、もしこれに教育を施せば、 すなわち財を破らんことを恐る。 長子はただちに余が財産を受けてこれを保つべきものなれば、 これだけは教育することをやめて、 次子に学問をなさしむべしと思うなり」と。 地方人の考えは一般にかくのごときものなり。 しかれどもこれらの富有人にありては、 日用衣食のことに汲々奔走するの要なきが故に、 もしこの人にして真にその子を教育したらんには、ただに肉体上の快楽のみならず、そのほかなお別に精神上、知識上、 思想上の快楽、永遠無窮の快楽あることを知らしむるならん。 畢竟、 富者の常にその財を滅しその体をほろぼすに至るものは、 その金銀の豊かなるに任せて、 単に肉体の快楽にふけるによるものにして、 畢竟するに、 真の教育を施さず、 高尚なる精神思想なきに因するなり。しからばすなわちこれを矯むるの策、ただ精神を発達せしめて無形の快楽なるものの存在を知らしむるのほか、 他に良法あるべからず。 かつそれ肉体上の快楽は多量の金銀を要して、つまるところ窮極なしといえども、 精神上の快楽にいたりては、 毫も有形の資財を要せず、 元手いらずの楽しみというべし。 しかれども今日衣食の道に奔走して、これ日も足らざるものにいたりては、精神上の快楽を求めんとするも、 到底よくするところにあらず、 ただ日々労働に追われて、精神の楽を顧みるのいとまなく一生を過ごすに至る。 これに反して、 富者は精神高尚の快楽を得んと欲するにおいて、 綽々として余りあり。 ゆえに、 その人にして教育を受け精神の楽を知るに至らば、 かえって一家の財産を破ることなく、安全にこれを保持することを得べし。
すべて人には一つの道楽あるを免れず。 すでに人には心あるが故に、 必ずこの心を使用して楽しましむるの道なかるべからず。 ただ、これを使用する方法にして悪かりなんには、非常の不利を招くに至るべしといえども、もしその方法にしてよろしきを得たらましかば、 その利長く後代に存することを得べし。 用法には善悪の道分かるれども、 とにかくいずれの道、一つの道楽を持ちおること、いたって要用なり。 ただその方向は、これを肉体、 衣食のことのみに走らしめず、 別にその赴くところを求めざるべからず。 かの欧州人が心をやりし道楽は、その方向の善好なりしがために、その進歩の結果は、 ついに学問を組成することともなれり。 例えば動物学にせよ、 はじめより動物学、 植物学として世に出でたるものにはあらず。その最初は、つまり世のものずきが道楽仕事として、種々の動物やら植物やらを集めて慰みしことが、ついにはようやく進みてその間の関係を見いだすことともなり、 理法を探るということも出でて、 結局今日のごとく新学科を組織するに至りしなるべし。 畢竟、一つの道楽が原因となりて、ついには大発明とも大発見ともなるものなりというべし。 これ、 今日吾人の常にうくるところの大利益の本なり。 善良なる道楽には金銭を要せずして、 その結果、 万世に伝わる道楽の効もまた大なりというべし。
しかれどもわが国には、 いまだかかる高尚なる道楽者なし。 動物にもあれ植物にもあれ、 わが国にはまたわが国に特別なる種類も多かるべし。 かかるものを集むることは、 いたって慰みとなるものなり。 つまり、蚤、虱にても多く集むれば、 あるいは得るところなきにしもあらざるべし。 西洋にてかかる道楽の法はいたって開けたるものにて、 現に今日郵便切手を集むることが、 幼年なる児童の楽しみとなりおれるを見て知るべし。 学問の本源などは、 多分かかるものに過ぎざるなり。 余は旅行中にも始終楽しみがてら、これらのことにも注意しおれり。 二、 三年前よりは、 余はなにごとか見いださるることもありなんかと思いて、 いたるところの神社仏閣のお札を集めおりたり。 自ら思えらく、 余のほかに、 いまだこのことに注意を始めたる人はなかるべしと。 ゆえに今日までは人に秘して、 いまだ口に出だしたることなかりしが、 近ごろ雲州松江に至りしに、 一の西洋人ありて、また同様の企てをなしおることを知りたり。 今はかくすも詮なしと決し、 ついにこれを人に示すこととはなりぬ。
また先年、 余がロンドンの書籍館に至りしとき、 日本の書籍来着したれば一覧せよとのことにつき、 これを閲したりしに、 みなわが国にてはすでにたれびとも顧みる者なく、 書店の塵下に埋もれおる消息往来、 商売往来のごとき往来本の類なりき。 されども、 かかる往来本の中などには、 かえって文学上、 修身上、 見るべきものの存することあり。 かかるものは今日にして集めざれば、ついに全く散失して、また求むべからざるに至らん。ついに往来本を見んがために、 ロンドン書籍館まで出張するの必要あるに至るべし。 ゆえに余は、 近ごろはしきりに往来本を集めんことを企ておれり。 すべてかかる慰みは、 美衣美食の肉体上の快楽などに比しては、 かえってはるかにおもしろき楽しみとなるものなり。 昔は古銭などを集めたることもありしかども、 みな人挙げて同一の物を集めたりとてあまりおもしろからざれば、 今日の華族貴顕の人々のごとき身、 衣食にゆたかなる人々などは、ことにおのおの分担して種々の物を集めたらんには、 その人にはこよなき慰みとなり、 ほかに対しては非常に研究の材料ともなるべし。
余が友人の米国に遊学せる人の直話に、 その師にフランクリン道楽の人ありけり。 全世界を探して、 フランクリンの書きしもの、 およびその翻訳はもちろん雑誌より新聞にいたるまで、 同氏に関係ある事項はことごとくこれを集めて、 フランクリン書籍館なるものをたてて、 もって無上の楽となせりという。 友人は帰国後、 日本よりフランクリンの著書の訳本を二冊送りしかば非常に喜びて、 日本にかかるもののあるべしとははからざるところなりきとて、 大いに謝したりという。これらのことは、富人にとりては道楽の最も高尚なる慰みの極みなり。
わが国にても歴史類なり、 相撲に関する本なり、 俳優に関する本なり、 もしくは基本なり将棋本なり、 楽しみのために富人がこれを集めおきたらば、その利益決して少々ならずと思うなり。いたずらに肉体卑劣の快楽にふけりたりとて、いかに美味佳肴を食いたりとて、 たれびともその事柄を碑銘に刻するものもなければ、 また残されてはかえって迷惑なることなり。 されば、 ただこれ目前一時の快楽のみ。 しかして家を滅し身をほろぼすに至るも、 みなこれがためなり。 いかに愚かしきことにあらずや。 高尚なる道楽はこれに反して、 金満家の仕事としていといと容易なることにして、 その利益もまた意外に大なるものなるに、 わが国いまだかかる道楽者なきは、畢竟、 いまだ精神思想の発達せざるがためにして、 すなわち高尚なる道楽の趣味を解する者なきによるなり。 金満家は、 常にその子弟を教育すればかえって財を破ると考うるは、 子弟に高尚なる精神を授くるの法を知らざるなり。 高尚なる精神を授くるには、 やはり依頼するところは学問よりほかになかるべく、 特に哲学のごとき思想上の学問を要するなり。
以上のことはこれを要するに、 地方に居住せる富有者と呼ばるる人などは、 多くは衣食住、 肉体的の快楽のみを知りて、 別に精神上の快楽あることなどは十が十まで解しおるもの、 ほとんどなしともいうべきありさまなれば、 もし自己の健康を保持するの度を過ごし、 ついにその財その身を滅ぼすに至らざらしむるの良法は、 ただ高尚なる精神を授くること最も必要にして、その好資料たるべきものは哲学にしくはなし。あに、 ただ富人にしかるのみにあらず、 哲学的の高尚なる精神、 緻密なる思想は、 たれびともこれを所有しこれを用意しおくの必要あるが故に、 哲学は普通教育として農工商者、 その他いかなる人といえども、 必ずこれを研究しおくの要ありというにあり。
終わりに臨みて、 道楽のことにつきて一事を付加すべし。 すなわち、 今日わが国文明史の成就し難きことこれなり。 例えば今人、 ひとたび筆をとりて文明史を書かんとするも、 わが国今日のありさまにては、 著書自らが歴史上に関する万般のこと、 政治なり文学なり宗教なり、 そのほか風俗なり農工商業上のことなり、 いちいち取りまとめてこれを大成せざるべからず。 これ、 なかなか容易にでき得べきことにあらず。 しかれども、 もしわが国にして高尚なる精神発達し、いわゆる高尚なる道楽の進みて、 各人その好むところのものを集めて慰みとせしことありとせよ。 文学上につけ、 風俗上につけ、 瑣々たることまで人々の集めおりたるものありて、これによりて調べをなして、 歴史編纂の功もなし遂げらるるなるべし。
以上、 哲学効用の一斑を述べ終わりたり。 諸君の中には必ずこれらのことを解し得ざる人とてはなかるべく、別に長々述ぶるの要もなきことなれども、 ただ余は諸君が、 富貴の人、 実業に従事する人にして哲学の効用を解せざる者に遇いたらんには、 また余と同意してその人を諭されんことを希望するなり。
二四 極楽を願う者、 なにゆえに死を嫌うか
およそ人の生を欲し死を嫌うは天然の常性にして、 老少男女を問わず、 みなことごとくしからざるはなし。 そのはなはだしきにいたりては不死の薬を求め、 もってその寿を永久に保たんとねがう者あり。 近く例をあぐれば、 世人つねにその身を愛護して怠ることなく、 もし病めるときは医につき薬を求むるなど、 みなこれその長命を望むによる。 果たしてしからば、すべて生を好み死を嫌うは、人情の常なることを知るべきなり。
しかれども、 生あれば死あるは生活物一般の通則にして、 その避くべからざるゆえんの理、 けだしこれより明らかなるものはなし。 古今の歴史についてこれを検するも、 いまだかつて一人の太古以来今日に至るまで生存する者あらざるなり。 しかして各人生存する時限は、 千年ないし万年などのごとき大差別あるにあらず、 ただ五十年以内早晩の差異のみなること、 また明白なる事実なり。 しかるに、 世人かくのごとく最短の時限において、かくのごとく明白なる事実にもかかわらず、 彼がごとくにそれこれを嫌うは、 けだしなんの故ぞや。 はなはだ解すべからざることどもならずや。 そのこれを嫌う以上は、 果たして別に考うべき原因なくんばあるべからず。
けだし、 人の死を嫌うは、 元来、 人にはまず死は恐しきものなり、 死は怖きものなりという、 恐怖の考えをいだき、 つねにその念を感じおるが故なり。 これをもって今、 人がなに故に死を嫌うかということを考うるに当たりては、 まず人はなに故に死を恐るるかということを考えざるべからず。 そもそも恐怖の起こるに四個の原因あり。
第一は、 自分の力はなはだ弱小なるが故に恐るること
例せば、 鼠が猫を恐れ、 犬が人を恐れ、 小児が大人を恐れ、 臣が君を恐れ、 小兵が大敵を恐れ、 弱国が強国を恐るる等の類はみなこれなり。
第二は、 危難のまさに来たらんとするを予想して恐るること
例せば、 来年は飢饉であろうかと予想して恐れ、 晩には雷が鳴らんかと予想して恐れ、 暑くなればコレラ病が流行はせぬかと予想して恐るるの類これなり。
第三は、 半信半疑にして、 いたって不たしかなるより恐れを生ずること
例せば、 闇夜に旅行するに先方の不たしかなることを恐れ、 ばくちのカケまたは商売のヤマなどの勝負事のごとき、 結果の不たしかなるものを恐るるの類すなわちこれなり。
第四は、 楽しみを失い望みの尽くるより恐れを生ずること
例せば、この地を去りてひとり遠方に移るときには、 さきの不たしかなどいうこともあるけれど、 多くは妻子、 親族または朋友、 家具等、 従来の楽しみたるものいったん尽きてしまう故、 なんとなく心さびしきより自然と恐れを生ずるがごときこれの類なり。
この恐怖の四個の原因は、 あるいは一つ一つに離るることもあれども、 おおむね二つか三つ合して恐怖の念を生ずるものなり。 ゆえに、 通常人の死を恐るるも、 必ずその一原因より起こるにあらず、 三つ四つ相合してその死の恐れを生ずるなり。 よって今、 左の四個の原因について死の恐怖の起こる原因をたずぬるに、 第一に、 人は自分の力はなはだ弱小なるが故に、 もし死せばすなわち地獄極楽、 神や鬼など、 いずれもみなわれよりは強きものに出遇うことなれば、 とても勝つことはできず、 またこれに抵抗しあたわざるをもって、 自然に恐怖心を起こすなり。 第二に、 未来の危難を予想するときは、 あるいは地獄で罰を受けんことをあらかじめ想出して恐るるなり。 第三に、 人の死後ほど不たしかにしてかつ明らかならざることはあらざるべし。 ゆえに、 なにほど考えてもその疑いは晴れず、 かえってこれがために恐怖の心を生ずるなり。 第四に、 楽しみを失い望みの尽くるは、 けだし死よりはなはだしきはなし。 もし人死するときは、この世の楽しみも望みも、 ともにみな尽き果てて万事のおわりなれば、 心細いところよりして別して恐怖を生ずるに至る。 ゆえに、 死を恐怖する四個の原因中、 最もおもなるものは、 この第四の原因にありとす。 以上、 通常人の死を恐れ嫌うゆえんの原因なり。
上にのぶるところの例は、 ただ通常の人の死を恐れ嫌うゆえんを示すに過ぎずして、 かの真実にこの世をいとうて未来極楽に生ぜんことを願うところの、 宗教信者の死を嫌うゆえんを解説せるには、 はなはだ不適当の例なり。 なんとなれば、 その第一に、 自分の力はなはだ弱小なるを恐るるというといえども、 これ通常の人のことにして、 もし真実の宗教信者たらんには、 その信ずるところの神仏の大なる力によりて、 必ず救ってもらうことと思うが故に、 その力はなはだ弱小なりという恐れはなきことなり。 その第二に、 未来の危難を予想して恐るるというといえども、 また真実の信者なれば、 未来は極楽に生じ仏になり、 その楽しみをいたさんとかたく信ずるが故に、 予想すべき危難のあるべきようなし。 その第三に、 半信半疑にして、 いたって不たしかなという恐れも、通常人は実にしからんなれども、 真実の宗教信者なれば、 未来は必ず極楽へ参るべしとか、 きっと天国へ生ずべしとか信ずる者なるが故に、 ゆくさきの不たしかなといって恐るるのわずらいは、 決してあるまじきことなり。その第四に、この世の楽しみを失い望みの尽くるより恐れを生ずというといえども、 宗教信者は、 もとよりこの世界は楽しみなく望みなきものなりとかねて覚悟のうえ、 ただ未来で無上の楽しみを受けんと願う者なれば、 その楽しみはむしろますます増しきたりて、 その望みの尽き果つるという恐れは、毫もこれあるべきはずなし。 果たしてしからば、 宗教信者が極楽を願いながら、 しかも死を恐るるゆえんは、 この四個の原因をもって到底解説することあたわず、 すなわちほかに別にその原因あるべきなり。
それ、 宗教信者が死を恐るるその原因は、 通していえば習慣性、 別していえば遺伝性なり。 そもそも習慣性は広き名目にして、生活物に限らず、 他の不生活物にまで適用せらるる語なり。かの物理学に、ひとたびとどまればいつまでもとどまり、ひとたび動けばいつまでもその方角に向かって動かんとするがごとき勢いあるものを、すべて習慣性という。これ無機物質の上についてのことなれども、有機体、別して高等動物、人類の上についてこれを考うるも、 またやはりその趣のあるものなり。 今、一己人の上においてこれを見るに、人々の癖はすなわち一つの習慣なり。例せば飲酒喫煙、 朝寝長起きなど、 みなこれ一つの習慣なり。 しかしてこの習慣性が親子の間にも存して、 その親の気質が子に伝わりて子の性質をなし、 先祖累代の気風性質がその子々孫々の気風性質を成すことあるは、 全く一己人の一生涯の習慣にあらずして、 数時代の習慣性というものなり。 よって、 この習慣性を遺伝性ともいう。 遺伝は習慣の一種類にして、 数年来続きたる習慣がその性質を相続するを遺伝というなり。 けだし、 人の性質、 感覚、情というものは、 自分その身一代の経験によりて多少成ることあるも、 また祖先累代の遺伝によりてできることもありと知るべし。
今、 人の死を恐れ嫌うという性質は、 一は自分生まれてより死ぬるまでの間の習慣より起こり、 一は先祖代々の間の遺伝より起こる。 ゆえに、 真実の宗教信者にしてたしかに極楽を疑わぬようになりても、 その幼き時よりの習慣と親代々の遺伝性がなおそこに存するをもって、 死を恐るる他の原因はことごとくなくなりても、 この習慣性をたつことができぬゆえ死を嫌うなり。 例えば蒸気力をとどむるも、 蒸気車なお今までの方向を追って進行せんとするがごとし。 されば、人の生来の習慣と祖先累代の遺伝性は、 死を恐れ嫌うところの習慣より成るをもって、 たれびともみな死を恐れ嫌うことなり。 それ故に、 真実の宗教信者が極楽を願いながら、なお死を恐れ嫌うの原因は、 全くこの習慣性によるものなりとす。
今一歩を進めて、 なに故に人に死を嫌う習慣性が起こりしやということを解説して、 もって人に死を嫌う習慣性のあることを明らかにすべし。 現今世に行わるるところの進化論によるに、この習慣性はもと自然洵汰の理よりして起こるものなり。 もしここに、 生物が死を好んで生を嫌うの性質を有するものと仮定したらんには、 果たしていかんの結果を生ずべきや。 生物の種類はたちまちにして滅亡すべきは必然なり。 なんとなれば、 甲も死を好んで死し、 乙も死を好んで死し、丙丁も死し、戊己の子孫もまたしかりとするときは、その種類の後世に伝わるべき道理なし。 しかるに今、 人類のこの世界に現存しておるからには、 ぜひともそのはじめに、 生を嫌って死を好む性質のものにてはなかりしに相違なし。 もしいななれば、 すなわち数千万年の以前にことごとく滅して、今に残るの理なし。 もっとも、 野蛮人がその子を殺しその党をすて骨肉相食むことは、 ずいぶん歴史上に見るところなれども、 その産むところの子をことごとく殺しことごとく食うというわけにはあらず。 もし、 ことごとく殺しことごとく食わば、 今日まで野蛮人の子孫の伝わるという道理なし。 これをもって、 人類の今日まで生存するには、 左の事情なくんばあらざるなり。
第一に、 生を好んで死を嫌うか。
第二に、 たとい生を好まざるも、 生を嫌う心が死を嫌う心より少なきか。
第三に、 たとい死を好むも、 死を好む心が生を好む心より少なきか。
右の三事情なければ、 人類の生活は続くことはならぬなり。 けだし、 人類はそのはじめに多少この性質をそなえておりし故に、 その子孫の永続するようになりしなり。 しかし、 この性質ははじめより今日のごとくはなはだしきにはあらざるべし。 すべて物は、 一回よりは二回、 二回よりは三回と、 再三その度を重ぬれば重ぬるほど、その性質を増長するものなり。 ゆえに、 人類のはじめにはこの性質を一寸有せしものも、 その子にいたりては二寸、 その孫にいたりては三寸といえるがごとく、 子孫代々に相伝してますますはなはだしく、 その死をにくみその生を好むようになりしものなり。 されば、人の生を好んで死をにくむは、人類生存の自然の規則によるものなり。 これをいわゆる自然淘汰の規則という。 自然淘汰とは、 自然の力によりて淘汰することにて、 すなわち生存するに適したるもののみ生存し、 適せざるものは滅亡するは、 みなこの自然力の淘汰によるものなり。 ゆえに、これを適種生存ともいえり。 これによりてこれをみれば、 かの世人が楽しみの尽くるを恐れ、 未来の危難を恐れ、 力の弱小なるを恐るるがごとき、 みなこの自然洵汰の規則によりて起こるものなることを知るべし。
以上論述するところを約言すれば、 人の死を嫌うは死を恐るるによる、 死を恐るることはおよそ四個の原因ありて起これり。 しかるに、 真実に極楽を信ずるものは、この恐るべき原因は一つもあることなし。 しかして、 なおその死を恐るるものは、 先祖累代の遺伝と、 自分一己の生まれてより死に至るまでの間の経験とによるものにして、すなわち習慣性によりてしかるものなり。 けだし、 その人に生を好んで死を嫌う習慣性の起こるは、 もと進化淘汰の影響によるものなり。 しかして、 今はもっぱら人類の上につきてこれを論じたれども、 この道理はあまねく諸動物の上に適用して解説することを得るものなれば、 犬も猫もまた同一の規則によるなり。 ただし、 世に狂気してことさらに死するものあるがごときは、 もとよりこの例をもって説明すべきにあらず。 それは別に、狂気の原因を説明するの場合において論ずべきことなり。 今はただ、 平常の人にしてしかも極楽を願いながら、生を好んで死を嫌う者の性質を解説するのみ。(演説筆記)
二五 熱海百夢
余、 詩文を作ることを知らず、 和歌を詠ずることを知らざれば、 昨年〔明治二十一年〕来病を養って、 七十余日豆州熱海に入浴したるも、 半句の詩なく隻首の歌なし。 もし、 余をして文人騒客ならしめば、 熱海百詠とか百首とかいうべきもの 出 来すべきも、 文人騒客ならざるをもって、 熱海百夢というものを得たり。 熱海百夢とは、同地滞在中、 毎夜夢みるところのものを集めて得たるところの百種の夢なり。 今ここにこれを分類して、 夢の研究の一助となさんとするなり。
この夢は、 昨年十二月二十三日夜より今年三月七日夜まで、 七十六日間に夢みしところのものを集めたるなり。そのうち第一夢より第八十三夢までは、 まさしく熱海にありて夢みしところのものなれども、 第八十四より第百までは、 東京において夢みしところのものなり。 すなわち、 二月二十七日にわかに用事ありて帰京せしをもって、 その後の夢は東京にて見しところのものなり。
余ははじめこれを試むるに当たり、 毎朝醒覚の後、 その記憶せしところのものを集めんとせしも、 十中八九は失念して再現すること難きを知り、 すなわち紙筆を枕頭に置き、 夜中わずかに醒覚することあれば、 ただちにその夢みしところのものを記載し、 七十余日間に百夢を得たるなり。
その夢の種類を分類するに、 左表のごとき結果を得たり。
学問および事務上に関したる夢 十種
旅行に関したる夢 十二種
遊歩に関したる夢 十八種
病気に関したる夢 九種
訪問に関したる夢 十六種
世間のありさまおよび出来事に関したる夢 九種
会合および饗応に関したる夢 十三種
妖怪に関したる夢 二種
遊戯に関したる夢 六種
葬祭に関したる夢 五種
この表について考うるに、 平常経験したること、 および近く経験したること、 そのほか平常心頭にかけたることは、 夢中に現ずること、 その割合多きを見る。 すなわち、 熱海にありては毎日野外に遊歩したるをもって、 遊歩の夢その割合最も多く、 訪問、 会合、 旅行また、 その割合多きにおれり。 しかして病気の夢、 これを他種の夢に比するにその割合やや多きは、 当時病気療養のためその地にありて、 多少懸念するところありしによる。 もし強壮の人なれば、 病気の夢決してかくのごとく多からざるなり。 つぎに、 その夢を夢中見るところの場所について分類するに、 左表のごとき結果を得るなり。
東京にありし夢 四十二種(うち八種は大学にありしときの夢なり)
郷里にありし夢 十五種
西京にありし夢 二種
熱海にありし夢 十四種(うち七種は帰京の後の夢なり)
他の地方にありし夢 十種
諸方混同したるもの 四種
場所の不分明なるもの 五種
場所に関係なきもの 八種
この表について考うるに、 その経験の近くしてかつ多き場所は、 夢中に現ずること多きを見るべし。 けだし、余の生活はこれを概算するに、 生まれてより今日までの三分の二は、 郷里および西京に住し、 三分の一は東京に住せり。 西京に住せし年月は一年未満なり。 ゆえに、 東京の夢最も多きはずなり。 しかして熱海の夢は、 熱海にある間現ずること少なく、 帰京後かえって多し。 これ、 他なし。 帰京の後は、 熱海の浴遊を回想することかえって切なればなり。
つぎに夢の起こりし原因を考うるに、 五官および身体組織間の感覚より生ずるもの七種あり。 うち一種は聴覚より生じ、 他の六種は内臓および筋肉間の感覚より生じたるなり。 その他の九十三種は、 その原因明らかならざるも、 脳中の事情によりて生ぜしは疑いをいれず。 しかして、 夢の前日中に経験したるものを見ること最も多きがごとし。 今、 これを時間について分析するに、 左表のごとき結果を得るなり。
前日中に経験したるものの夢 十二種
二日前ないし一月前に経験したるものの夢 十八種
一月〔前〕ないし一年前もしくは十年前に経験したるものの夢 二十七種
平常思想中に存せしもの、 および想像上に存せしものの夢 二十五種
上に存せず経験上に現ぜざりしもの〔の夢〕 十一種
これによりてこれをみるに、 平常思想中に存せしもの、 および近く経験したりしものは、 夢中に現ずること多きを知るべし。
その他、 この夢について記すべきことは、 第一に、 腸胃のあしきときと発熱のときに夢を現ずること最も多きこと、 第二に、 夢と夢の間に数日をへだてて連絡あること、 第三に、 恐ろしき夢はたいてい、 身体中のある部分に不快もしくは苦痛の感覚あるときに生ずること、 第四に、 夢中に時間空間の精密なる配置連続なきこと、 第五に、 夢想と事実との間に大なる相違あること等なり。 しかれども、 これらはみな人の経験するところなれば、いちいちその例を挙ぐるを要せざるべし。つぎに言を付すべきは、 夢中に知るところのものと事実の符合するの一点なり。 このことは世間に往々あることなれども、 余が百夢中には、一つも符合のことなし。 この百夢中には、人の死したる夢もあり、 友人の官につきたる夢もあり、 東京の火災の夢もありたれども、一つも事実に合したることなし。 また、 俗に歯の落つるを夢みたるときは、 親類に死するものありというといえども、 余が百夢中に歯の落ちたるを見たれども、 親類中に死したるものなし。 その他、 夢のことについては種々論ずべきことあれども、 今は、 余が熱海にありて夢みるところの百夢の結果を示すのみ。
(この一文は〔明治〕二十一年ごろのことなれど、 おもしろければ掲げつ。)
二六 仏教と社会事業との関係
世人みな曰く、 仏教と社会事業とは毛頭も相関することなしと。 仏教家自身も、この二者は無関係なるものとす。 これ、 仏教の出世間の一面を知りて、 世間門あることを知らざる妄見のみ。 まず、これを一、 二の経文にたずぬるに、『心地観経』に衆生の恩、 国王の恩を説きたるは、みな人の知るところなればここに略す。 もし『王法政論経』によれば、 王可愛法に五種あることを説き、その第一は世間を息養する法なりとす。 また『金光明最勝王経』には国土を安寧にする法を説き、 また『尼乾子受記経』によれば、 国を護し人民を活養することを説けり。 また『無量寿経』には「国豊民安兵戈無用」(国豊かに民安し、 兵戈用いることなし)の語あり。 もし、 さらに『梵網経』等に考うるに、八福田の語あり。その種類を挙ぐるに二様の解あり。今一説によるに、一には広野に美井を造ること、 二には水路に橋渠を架すること、 三には険路を平治すること、 四には父母に孝事すること、 五には沙門を供養すること、 六には病人を供養すること、 七には厄難を救済すること、 八には無遮会を設くること、 この八事を名づけて八福田という。 無遮会とは周徧会の義にして、 あまねく衆生を済度するために大会を設くるをいう。 もし、 以上の実例をたずぬるに、 わが国の史上にありて、 役小角、 僧行基、 伝教、 弘法、 勝道等のごとき高僧大徳が、 山を開き家を起こし、 村を成し井をうがち、 堤を築き橋を架し道を通ずる等、 その国家に尽くせし功労、 実に偉大なり。これ、 国家の元勲功臣にあらずしてなんぞや。
以上の諸例はこれをおき、 余は別に仏教の根本的道理にもとづきて社会事業を論ぜんと欲す。 そもそも仏教はこれを分析するに、 慈悲と智慧との二元素より成ることは、 余が弁解をまたずして明らかなり。 さらにその二元素を分解すれば、 必ず智慧の一元素に帰すべし。 しかして慈悲は、 智慧の反射あるいはその結果なり。 例えば、仏教にて智慧を分かちて、根本智、後得智の二種となす。 そのいわゆる根本智は、これを解して平等の真如界を照らす智慧にして、そのいわゆる後得智は、差別の衆生界を照らす慈悲なりという。果たしてしからば、智慧は原因にして、 慈悲は結果なり。 智慧極まりて慈悲を生ずるなり。 もし、これを自利利他をもって配合すれば、 自利は智慧にして、 利他は慈悲なり。 しかして利他は、 自利の一変して衆生界を照らすものにほかならず。ここにおいて、 智慧と慈悲とのその体一なるを知るべし。 今、 仏陀も自利利他兼行具足せる体にほかならざれば、 慈悲と智慧との二者を離れて仏陀の存すべき理なし。これを要するに、仏教は慈悲と智慧との二者に帰納するを得ベし。 すでに六度の行の第一は布施にして、 これ慈悲なり。その第六は智慧なり。かくして、慈悲と智慧との二者が前後の両端にあるを見ても、 この二者が六度の眼目なるを知るに足る。 その中間なる持戒、 忍辱等のごときは、 慈悲と智慧との付属に過ぎず。 ゆえに、 余は慈悲と智慧とをもって仏教の二大眼目と定め、これを世間門に応用して、仏教と社会事業との関係を述ぶべし。
まず、社会および国家に対する吾人の本務を考うるに、けだし、教育、慈善、公益、世務、遵法、納税、服役のほかに出でざるべし。 果たしてしからば、 教育によりて知能を啓発し、 徳器を成就し、 あるいは学を修め業を習うがごときは、 これ仏教のいわゆる智慧なり。 慈善は慈悲とその意を同じくす。 公益、 世務にいたりては、 あるいはこれを慈善の一種に属しても、 報恩の業務に加えても可なり。 もし、 世間のために種々有益の事業を起こし、 もって広く世人を利するがごときは、慈悲の本心によらざればなすべからざるのみならず、そのことたるや、 現に世間を救済する慈悲なり。つぎに、 法律を遵奉し、 租税を納め、 兵役に服する等は、 国土の恩、 君主の恩、 政府の恩を体して尽くすべき業務なれば、 仏教にてこれを報恩の業務となす。 しかして、 報恩はまた慈悲にほかならず。 なんとなれば、 恩はすなわち慈悲にして、 これに報ずるは慈悲の返照反射なればなり。 しかるに、もし人にして諸恩の報ずべきゆえんを知るは、すなわち智慧なり。ゆえに、報恩は慈悲と智慧との二者より成ると称して不可なることなし。
かくして、 世間の業務ことごとく慈悲と智慧とにほかならざるを知れば、 仏教の二大原理を世間に応用すれば、富国強兵も殖産興業もたちどころにいたすを得べく、 対外政策も雑居準備も、 決してこの二者のほかに出でざるは明らかなり。 まず、 雑居準備として学問を修め知識をみがくは、 すなわち智慧の行なり。 殖産興業をもって世間を利するは慈悲の行なり。 ゆえに、 将来日本帝国をして東洋に覇たらしめ、 さらに進みて世界に王たらしむる要道は、 智慧と慈悲との二行をして発達円満ならしむるにほかならず。 換言すれば、 日本国民をしてことごとく仏道を修行せしむるにあり。
今左に、 教育勅語の中間の一段を仏教の上に配合して、 その一端を示すべし。
学を修め業を習い、もって 知慧
一節 知能を啓発し徳器を成就し
勅語 二節 進みて公益を広め世務を聞き、 慈悲 仏教
常に国憲を重んじ国法に従い
三節 一旦緩急あれば義勇公に奉じ、 慈智
もって天壌無窮の皇運を扶翼すべし
右の表につきて勅語と仏教との関係を知るべし。
二七 漢字不可廃論
近日、 国字改良、 漢字廃止論ようやくその気炎を高め、 軽躁浮薄の生意気連中ようやくこれに雷同せんとする勢いになりたるは、 嘆息の至りである。 余、 ほのかにその論を主唱する人々を聞くに、 あるいは漢字漢文をロクロク読むことのできぬものもあり、 あるいは西洋人の下せる批評をご無理ごもっともと一から十まで真受けにするものもあり、 あるいは学問上、 漢学を排斥し漢学者を敵視する風ある一派の国学者連もありて、 畢竟するに、先年の「羅馬字会」あるいは「仮名の会」の残流をくみ余喘をすするものである。 ゆえに、 これを「羅馬字会」あるいは「仮名の会」の復興再生と見てよろしい。 彼らは先年の失敗に懲りずして、 国字改良とか漢字廃止など言い触らすは、 笑止千万ではないか。 それはともあれ、 世間の雷同連中にこれらの説のしり馬に乗りて飛び出だすものあるは、 一層嘆息の至りである。
余が伝聞するところによるに、 漢字廃止の主唱〔者〕中には、 西洋人が漢字を評して最難至困の文字なりといいたるをもって、 わが国子孫百世のためには、 漢字全廃の大英断を行わざるべからずと申すものもある由。 これまた奇々怪々の沙汰である。いかに西洋人には漢字がむずかしいとても、 その例を取りて日本人にも困難なりというは、 あたかも西洋人には箸を握ることがむずかしいから、 さぞ日本人にも困難であろうと論ずると同様である。 われわれは子供のときよりのみならず、 親代々より手にて箸を握る習慣があるから、これを自然に任せてもたやすく箸を握ることができるごとく、 漢字は子供のときより見慣れておる上に、 祖先以来千有余年間の遺伝と習慣ありて、 眼球の組織まで漢字を見るに適するほどに、 生理上の順応ができておるに相違ない。 それ故に、 当時の書生に近眼者非常に多きは、 漢字を見るためにあらずして、 洋書を読むためであることは、 みな人の知るところである。 よって、 われわれ日本人にとりては、 漢字よりは洋字の方が困難であること、 あたかも西洋人に漢字が困難なると同様の比例なることを心得てもらいたい。
漢字廃止論者の口実は、 漢字は字画複雑にして記憶し難しと申すれども、これ西洋人の口吻をまねるものにして、 漢字必ずしもしかるわけのものではない。 例えば、「天」と「Heaven」または「Sky」といずれが字画多きや、「地」と「Earth」といずれが複雑なるや。 むしろ洋字の方、 画数多きように見ゆる。 また一つの口実は、漢字は文字につきて発音を知ることができぬと申すけれども、 漢字の発音には自然に一定の規則ありて、 文字の右帝か左偏につきて読むことができる。 その中には往々例外の発音なきにあらざれども、 五音の転声によるものにして、 その転声にもおのずから一定の規則がある。 もし、 例外の例外のごときは、 ひとり漢字に限るにあらずして西洋語にもあることなれば、 万やむをえざることなれども、 拙者などは例外の例外のごときは、 今後その発音を改めてよろしいと存ずる。 また、 呉音と漢音の異同のごときも、 その最も多く世間に行われる方に定めてしかるべしと考うることである。 要するに、 漢字の発音は今より教育法を改めて、 その語源となるべきものより発音の規則に従いて教授するにおいては、 洋語の発音を学ぶに比して大差なきは明らかである。
つぎに、 字数の多き点につきては、 漢字より洋字の方ならんと存ずる。 漢字は字書の上ではたくさんあるように見ゆれども、 実際用うる文字はその何十分の一である。 そのかわりに熟字を作りて活用する故に、 千字か二千字もあれば、 これに幾十倍する文字を作ることができる。 これ、 漢字の調法なる一点である。
もし、 漢字の長所を挙ぐれば、 第一に、 文字の上に事物の分類が現れておる点は、 西洋語の及ばざるところである。 例えば漢字にて、 木偏にかかる文字は木に属し、 草冠に作る文字は草に属するの類は、 余いまだ他国の語中に見たることがない。これは、よほどおもしろい考えと存ずる。 そのほかに漢字の組み立てにつきては、 偏や旁や冠や脚におのおの多少の意味ありて、 これを研究するはすこぶる興味あることにて、 他邦の文字のはるかに及ばざるところである。 例えば、 水の青きを「清」と訓じ、 木の相並ぶを「林」と訓じ、 日と月と相合したるを「明」と訓ずるの類は、 いちいちかぞえ尽くすことができぬ。 余は文字の研究につきては、 漢字ほどおもしろきものはなかろうと存ずる。 ただ今日までは、 教授法そのよろしきを得ざるために、 かかる深き興味あるものを忘れて不味のものとなさしめたるは、 いかにも残念である。 よって、 今後は漢字廃止にあらずして、 漢字教授法の改正こそ必要であると考える。
今一つ漢字の特色を述ぶれば、 文字そのものの美術的なる点である。 先年雑誌上に、 書は美術であるとかないとかいう議論が見えたが、 西洋の文字は美術の仲間入りはむずかしいけれども、 漢字は美術に相違ない。 すでに漢字の起こりは古代の絵文字の変形なれば、 今日にても一種の画風を帯びておる。 それ故にシナおよび日本のごときは、 古来、 文字を額面や幅物に仕立てて、 絵画同様に賞玩する。これ、漢字そのものに美の意味を具するからである。あるいは西洋流儀の論にては、 文字に美術性を帯ぶる必要なしというものあるべきも、 言語と文字とは一体両用の関係ありて、 相離るべからざるものなるに、 言語は発して詩となり歌となりて、 もって美術を形作る以上は、 文字に美術性を帯ぶるも、 決して不可なる道理はあるまい。 かえって人の気を引きて趣味を感ぜしむるの益がある。 かくして、 文字そのものに美術的趣味を具するときは、 自然に人の注意を引き、 記憶を呼び起こすの助けとなる。 これ、 漢字の便利なる一例にかぞえてよろしい。 今、 わが日本にては漢字に交うるに国語の仮名をもってするは、 一層便利なるに相違ない。 一文中にて主眼なる文字は漢字を書し、 その前後の連絡は仮名をもってする故、 一読一過たやすく文意を一握することができる。 これ、 西洋文にまさること万々なりと存ずる。これを要するに、 文字そのものに種々の興味を具して、 人の注意を引くの一段にいたりては、 西洋文字のはるかに漢字に及ばざるところである。
あるいは漢字排斥論者は、 わが国の学生は西洋語を学ぶほかに、 最難至困なる漢字を学ばざるを得ざる不便あるをもって、 この分にては到底西洋に追い付くこと難ければ、 子孫百世のために漢字全廃を断行せざるべからずと申すけれども、 これ藪にらみ的論法にして、 大いなる見当違いである。 今日われわれの不便は漢字を学ぶの点にあらずして、 西洋語を学ぶの点なることは明らかである。 しかれども、 これわが国の進歩の西洋におくれたる故なれば、 万やむをえざる次第にして、 その不平を漢字に向けて訴うるは、 大いなる間違いと申さなければならぬ。 もし、 わが国今日の進歩が西洋を超駕するありさまならば、 われわれは洋語を学ぶの必要なきのみならず、かえって西洋人をして日本語を学ぶの必要を感ぜしむるに相違ない。 もし論者の言うがごとく、 この不便を避けんと欲して漢字全廃を断行するに至らば、一の不便を医せんと欲して、二の不便を招かざるを得ず。 いかなるばかものにても、 かかる不都合なる論に雷同するものはあるまい。 なぜなれば、 もし論者の言うがごとく、 洋語にもあらず漢字にもあらざる一種の新文字をもって国字と定め、 小学および中学の教科書はことごとくみな、 この文字にてつづりたる書物を用うるとせんか。 しかるときは、 われわれ国民は英語なりドイツ語なり、 一、二の西洋語を学ぶの不便は、 今日と別に変わることはない。 その上に、 さらに漢字を学ぶの不便を増すことになる。 そのわけは、 わが国数千年来の書籍はみな漢字より成り、 今日使用する言語は多く漢語より成るものなれば、 漢字を学ばざる不便は、 洋語を学ばざるの不便に幾百倍することである。 西洋にては、 ラテン・ギリシア語を死語と称しながら、 なおこれを学ばざるを得ざる必要ありとすれば、 わが国にていったん漢字を廃したればとても、 永くこれを学ばざるを得ざる必要があるに相違ない。 さすれば、 漢字を廃して新字を用うる日には一挙両得ではなく、一挙両損の不都合をきたすわけである。 ナントばからしい次第ではないか。
論者また、 漢字を廃するにあらざれば、 言文一致を実行すること難しと申すけれども、 実際上決してかかる道理はない。 今日より少々ずつ文章を改変しきたらば、 数年の後には、 漢字を用いながら言文一致の実行を見ることができるようになると存ずる。 論者また、 漢字は書きにくいと申すかも知れぬけれども、 決してしかる道理はない。 従来、 漢学者がやたらにむずかしい文字を使用したりし弊は、 今後おいおいなくなる上に、 字画のこみ入りて書きにくい文字は、 おいおい画を略するようになろうと存ずる。 例えば、 今日にても「體」を「体」と略し、「獨」を「独」と略するがごときの類、 将来一層多くなるに相違ない。 その上に草書法を一定して、 簡便法を講ずるに至らば、 漢字を用いても毫も不都合はない。 畢竟するに簡便法は、 世の必要に応じて自然に起こるものにして、 その必要を感ぜざる間は実行することができにくい。 あたかも世間にて時間を確守するの利なるを知りながら、 実際上の必要にせまられぬ間は、 実行ができにくいと同様である。 そのほか反対論者は、 漢字は活版を組み立つるに不便なりと申すけれども、 この点につきては余に別に一説ありて、 先年演説したりしこともあるが、 漢字を分析して活字を組み立るに至らば、 格別困難のことはないと信ずる。 その点につきては、 他日くわしく論じたいと思う。
また、 ローマ字主唱者は、 漢字を変じてローマ字となさば、 国語と西洋語との交換上に便利を与え、 かつ西洋の語学をなすの一助となると申すけれども、 余は論者の吹聴するがごとき便利はあるまいと信ず。 たとい、 もし多少の便利ありとするも、 西洋に対して便利あるだけ、 東洋に対して不便利である。 なぜなれば、 東洋にありて領土最も大に、 住民最も多きはシナ帝国にして、 わが日本と最も関係の密接なるものはシナ帝国である。 しかしてその人民は漢字漢語を用うるものなれば、 将来日本がシナ内地に入りて利を占むるには、 今より一層漢学の研究を奨励せなければならぬ。シナおよびその付属の国々を合すれば、 漢字を用うる人種は四億人以上ならん。 この人種が絶滅するにあらざる間は、 東洋に漢字の勢力あるは疑いない。 ゆえに、 日本人は他国の関係上より見るも、 漢字を用うるの便利あるは明らかである。
論者また申すには、 漢字は太古の絵文字より伝来せるものなれば、 今日すでに老い去りて世の事情に適せぬと言うけれども、 太古の絵文字がたびたび変形して今日に伝わる以上は、 あえて老朽のかどをもって排斥すべからず。 人間は猿の先祖より変形しきたりたりとて、 そのかどをもって擯斥することができぬと同様である。 もしまた、 絶対的完全を期するならば、 西洋文字といえども大いに不完かつ不便なるものたるを免れぬ。 今後、 工夫に工夫を凝らさば、 西洋文字に数倍せる完全かつ便利なる文字を発明するやも計り難い。 余は漢字を廃するならば、 今日これを実行せずして、 他日、 絶対的完全の文字の発明ある日を待ちたいと思う。 しかるに、 今日いまだ完全なるものなきに、 急ぎあわてて国語の基礎を動かし、 永く子孫百世の笑いを招くがごときは、 余が決して賛成せざるところなるのみならず、 あくまで反対せんと欲するところである。 世間の広き、 必ず余と同感の人あらんと信ず。
終わりに臨み、 文字の変更は、 世道人心上に大変動を与うることを一言せん。 漢字はわが国語の基礎となるはもちろん、古来永く世道人心を維持して今日に至れるものなれば、これを全廃すると同時に、 世道人心の瓦解を招くは必然の勢いである。 およそなにごとにても、 数千年来養成したるものを、一朝にして改変する場合には、予想外の利害を引き起こすものなるに、 言語文字はことにその影響の著大なるものである。 例えば、 われわれの人倫の根本たる忠孝の大道は、 ただ「忠」とか「孝」とかいう語声のみならず、「忠孝」の字体字形に連帯して、われわれの記憶中に最も有力なる観念を形作り、 もって道徳の基礎を構成しおることは、 万々疑われぬ事実である。 もし手近き一例を挙げて示さば、 天皇陛下より下し賜る勅語のごとき、 漢字を減じて和語を多くする場合には、 われわれにして威厳尊重を減ずるの恐れあり。これに反して漢字の多く加わりたる場合には、自然に厳粛の感想を引き起こすことは、 日本人のみな熟知するところである。 ゆえに、 もしその漢語をことごとく仮名あるいはローマ字に移しきたらば、 たちまち大いにその厳粛の度を減ずるに相違ない。 例えば教育勅語を仮名またはローマ字にてつづらば、 読むものをして至重至大なる観念を減ぜしむるに相違ない。 しかのみならず、 勅語中にある片仮名を平仮名に変じ、 楷書を草書に変じても、 大いに威厳を減ずと申すではないか。
これを要するに、 漢字はひとり国語の基礎となるのみならず、 世道人心の基礎となるものなれば、 その一変一更は世道人心の大破裂を招くの恐れあれば、 大いに戒心を要する一大事である。 もし、 果たしてこの恐れありとすれば、憂国の男子は鼓を鳴らして漢字廃止論者を攻撃するがよろしい。 帝国教育会の決議のごとき、 決して恐るるに及ばぬ。 ただ、 国字改変に関し意見ある者のみ相集まりて決議したるのみ。 余輩のごとき国字改変の必要を見ざる者は、 全くかかわり知らざるところである。 ゆえに世間の人士、 軽々しくその説に雷同するなかれ。 余は近日漢学雑誌を発行して、 天下後世のために漢字の廃すべからざる理由を明らかにし、 あわせて漢字廃止論者の迷夢を攪破するつもりである。
二八 唯我独尊の説
今日は天上天下唯我独尊の日にして、 この会は天上天下唯我独尊の会なれば、 満堂の諸君もまた必ず唯我独尊の人ならんと考えます。 よって、 私も唯我独尊の一言を述べて、 いささか唯我独尊の降誕を祝そうと思います。
さて人間というものは、 古来より万物の霊とか万類の長とか申すからは、 必ず天上天下唯我独尊であるべきは当然なるに、 釈尊を除くのほかは、 唯我独尊の広告をなしたる者なく、 唯我独尊の看板を掲げたる者なく、いかなる天狗もその口より唯我独尊と叫ぶことはいいかぬるに相違ない。 なぜなれば、 人間そのものが縦から見ても横から眺めても、 唯我独尊らしいところは毛頭もないからであります。 まずその次第を述ぶるに、 われわれ人間の身長は五尺ないし六尺あり、 その体重は十貫目ないし二十貫目ありと称するも、 これを地球の大きさに比すれば、 釣り鐘と提 灯との相違どころでなく、 富士山と蟻との相違よりもなおはなはだしきように感じます。 もし、太陽の大眼球から眺めたならば、 人間は地球の豆粒の上に住んでおる小さき蟻のごとくに見ゆるに相違ない。 そのうえに人間はただ形が小さく、 身長が短いばかりでなく、 実に不自由千万の境界なることが分かります。 世間にては一般に籠の中の鳥ほど悲しむべきあわれむべきものはないと申しますが、 そのわけは自在に飛びかつ翔るべき羽を持ちながら、 飛ぶこともできず、 翔ることもできずして、 終日終夜狭き籠の中にかがんでおることなれば、いかにも窮屈そうに見受けられます。 もし、 縄をもってその鳥を縛り、 固く籠の中に結び付けておくなら一層窮屈なるに相違ない。 今、 人間はちょ うどこれと同じきありさまにて、 生涯空気の籠の中に住み、 一足もその外へ踏み出だすことはできず、 そのうえに重力と申す強き縄にて結び付けられておるから、 到底地面の上より一歩も離るることができぬ。 これはなんと悲しむべく、 かつあわれむべきのいたりではありますまいか。 人間は籠中の鳥を見て憫然に思うけれども、 籠中の鳥はかえって人間を見て憫然に思うかも知れませぬ。
それはともかくも、 すべて世の中の人は見掛けに似合わぬくだらないもので、 かつ意気地のないものでありますが、 その一例を述ぶれば、 平生英雄然として豪傑風を装っ ておる連中が、 たまたま病気、 災難にあうときは、狐や狸や天狗の前に頭を下げ、 祈ったり願ったり、「そりゃ 御水、 そりゃ 御鬮」といいて大騒ぎするなどは、 実に不見識のいたりであります。 あるいはまた、 自ら知者、 学者と気取りて、 その口には「死生命にあり、 富貴天にあり」などと唱えながら、 はるかに雷鳴の音を聞けば、 白昼にわかに蚊帳を命じて、 布団の中に籠城するがごとき神経家もあります。 また、 わずかに微弱なる地震を感ずるあれば、 たちまち顔色を変じて真っ先に庭前へ駆け出だすようなる愚か者もあります。 また、 白昼にはいばりかえりておるやからが、 暗夜に無提灯では墓場の近傍は通りかぬるがごとき臆病ものもあります。 かかる例は、 とてもいちいち挙げることはできませぬ。 いったい人間は万物の霊長と申して、いかなる猛獣でも象なり獅子なり狼なり、 みなこれをくじき、 かつほふるに至るは、 実に驚くべきようなれども、 最小至微の動物のためにたおるるもの、 また実におびただしいことであります。 その一例は肺病であるが、 近来医者の方にては、 一般に肺病は顕微鏡の力にてわずかに認め得るがごとき最小動物より起こると申すけれども、 今もってその動物を殺すことができずして、 かえってその動物のために殺さるるとは、 さてもさても人間は意気地のないものではありませぬか。
世間にて自分を殺すを自殺と名づけて、 大いにこれを嫌い、 あたかも気ちがい者の所行のごとくに申すけれども、 人間はだれもかれもみな、 毎日毎夜自殺を行っておることを知りませぬか。 古来「人生五十年」と伝うれども、 よく養生に気を付けることができれば、 少なくも百歳ぐらいまでは生きらるるはずなるに、 日々夜々不養生に不養生を重ね、 その結果五十歳どころか、 二十歳や三十歳にて早死にする者が多い。 これ、 自分で自分を殺す道理なれば、 やはり自殺に相違ありませぬ。 たれびともみな自殺を嫌いながら自殺を行うとは、 ちと自家撞着のように感じられます。
近世は学術大いに発達し、 なかんずく医術大いに進歩したりと申すも、 人間の寿命の長短は、 古代も特別の相違はないように思います。 例えば、 一年中にありて病死する人の数は、 一年増しにふえるとも、 減りはしませぬ。 また、 いろいろの災難、 不幸は世の進歩に伴って減りそうに思うと、 かえって増しております。 これによりてみれば、 世の文明と人の運命とは、 相伴うことのできぬものかと考えられます。
以上の例に照らして見れば、 人間ほど窮屈であり、 不自由であり、 愚かであり、 臆病であり、 意気地なくくだらないものは少ない。 実にこのくらいに悲しむべくあわれむべきものはなかろうと考えます。 かかる人に天上天下唯我独尊の呼び声が出ずるはずなく、 また天上天下唯我独尊の免状が与えらるるはずはありませぬ。
しかるに、 万物の霊たる人間がそのように見られては、 二束三文の価値がないようなれども、 それは肉体上のことでありて、 精神上のことでありませぬ。 いな、 精神上の迷いでありて、 真面目ではありませぬ。 もしその真面目にいたりては、 天地を包み宇宙をのむも、 なお余りあるほどに広大無辺、 自由自在であります。 かように我人の心の広大なるゆえんを示して、 よくわれわれをして不自由の世界にありながら、 自由の楽を得せしむるものは、 世界の宗教中、 仏教のほかなかろうと思います。 仏教にて談ずるところは、 空漠たる想像をえがきて、 なんらの必要も利益もなきことを喋々するように見ゆるも、 その想像は決して釈尊のほらでもなく、 でたらめでもなく、 全く人をして広大無辺の世界に遊び、 自由自在の安楽を得せしむるためであります。
今、 仏書につきてその一例を示すに、 世界の大数を挙ぐるときは、 必ず三千大千世界と申します。 三千大千世界とは、 須弥四洲、 日月梵天を合して一世界とし、 その数相積んで千に達するを小千世界と名づけ、 この小千世界の千倍を中千世界と名づけ、 中千世界の千倍を大千世界と名づけ、 これを総じて三千大千世界と名づけます。また『長阿含経』、『華厳経』、『金光明経』等の経文中には、 仏自ら須弥四洲、 日月梵天に、 あるいは百億、 あるいは千億、 あるいは万億ありと説き、 百億の日月、 万億の須弥等の語あるは、 これみな世界の広大なる一斑を示したるものであります。 あるいはまた『阿弥陀経』には十万億仏土の語がありますが、一仏土とは三千大千世界のことなれば、 十万億仏土とは実に三千大千世界の十万億倍にして、その広大無極なることただ驚くばかりであります。また『観無量寿経』には百億の三千大千世界ありと説き、『法華経』には百千万億那由陀阿僧祇の国ありと説けるは、 みな世界国土の広大なることを示したるものであります。それ故に、『起信論』には虚空無辺なるが故に世界無辺なり、 世界無辺なるが故に衆生無辺なりと説き、『遊心安楽道』にはさらにその意を述べて、虚空無辺なるが故に衆生数量なく、 三世際なきが故に生死始終なしと説いてあります。 そのほか『法華経』には東西南北四維上下無量無辺とあり、『無量寿経』には十万無量不可思議諸仏世界諸天人民とあるの類、いちいち列挙することはできませぬ。
もし時間につきて申さば、 時の最短を刹那といい、 最長を劫といいますが、 劫には小・中・大の三類ありて、人の寿命八万四千歳のとき、 百年を過ぐるごとに寿一歳ずつを減じ、 かくのごとく相減じて人寿十歳に至りてとどまり、 また百年を過ぐるごとに一歳ずつを増し、 かくのごとく相増して八万四千歳に至る間を一小劫と名づけ、 二十小劫を一中劫と名づけ、 四中劫を一大劫と名づけます。 古来、 劫の長さをたとえて、 数百里にまたがる城の中に充満せる芥子を、 百年に一粒ずつ取り出だして、 その数の尽くるに至るよりもなお長しといい、 また一里ないし十里にわたる大石を、 天人三年ごとに天上界よりひとたび下りて、 羽衣をもってその面を払い、 ついにその石を磨滅せしむるに至るを一小劫というと申しますが、 これはもとより時間の長きを形容したるに過ぎざれども、 時間そのものは元来無限無窮なるものなれば、 十劫や百劫や千劫〔や〕万劫をもって尽くるわけではありませぬ。 よって、「寿量品」には無量無辺百千万億那由陀阿僧祇劫と説きてあります。
もし、 その阿僧祇とはなにほどの数なるかをたずぬるに、 インドの数法にて万の万倍を末陀といい、 末陀の万倍を大那庾多といい、 大那庾多の万倍を大衿羯羅といい、 大衿羯羅の万倍を大阿芻婆といい、 大芻棉婆の万倍を大嗢噌伽といい、 大嗢噌伽の万倍を大地致婆といい、 大地致婆の万倍を大羯臘婆といい、 大羯臘婆の万倍を大三磨鉢耽といい、 大三磨鉢耽の万倍を姥達羅といい、 姥達羅の万倍を珊若といい、 珊若の万倍を跋羅攙といい、 跋羅攙の百倍を阿僧祇といいます。 これを訳して無数劫と称して、 数の最大に与えたる名目でありますが、 これを時間の下に配すれば、 阿僧祇劫をもって最大時間といたします。 しかるに仏書中、 あるいは三大阿僧祇劫と説き、 あるいは無量阿僧祇劫と説き、 あるいは百千万億阿僧祇劫と説くを見るは、 時間の悠久無限を示すためであります。 また数量の最大なるものを、 恒河の沙に比して恒河沙と申しますが、『観無量寿経』に仏身の高きをかぞえて、 六十万億那由他恒河沙由旬ありとなすがごとき、 みな広大無辺の一端を形容したるものであります。 そのほか時間の始めを呼ぶときは無始久遠といい、 世界の終わりを指すときは尽未来際といい、 時間、 空間の広大無辺を説きて、 無量無数不可計というは、 釈尊の大ぼらのごとくにして、 決してほらではありませぬ。 たといこれをほらとするも、 そのほらの中に大いに味あることを知らなければなりませぬ。
かくのごとく世界は縦にも横にも広大無辺にして、 算数のよく及ぶところでなく創造のよく尽くすところでなきほどなるも、かかる広大なる世界がことごとく我人の一心中にありと示したるものは、 実に仏教の特色であります。 経文の中には三界唯一心、 心外無別法と説き、 あるいは一心万法とも、 あるいは一心法界とも申して三千大千世界の広大なるものが、 わが一心中に納まるは、 ただに芥子中に須弥を納むるの類ではありませぬ。 果たしてしからば、 わが心の広大無辺なるは、 世界の広大無辺なるより一層も二層も十倍も百倍も広大無辺なることが分かります。 けだし世に日月よりも高く、 須弥よりも大に、 時間よりも長く、 空間よりも広きものは、 心のほかにあるまいと考えます。 天地万有はもちろん宇宙そのものまでが一心中にあることを知らば、 わが心の広大無辺なることはただただ驚くばかりでありましょう。 これによりてこれをみるに、 われわれの身体は地球の表面に歩いておる蟻と同様にして、 実に憫然に堪えぬありさまなれども、この心の大風呂敷を聞ききたらば、天地はおろか宇宙そのものまでが豆粒同様となりて、 その中に納まるほどにわが心は広大無辺であります。
昔々のその昔、今を去ること三千年の昔にありて、大聖釈迦牟尼仏はかかる広大なる心の大風呂敷を開ききたり、 豁然として大悟せられたるは、 実に二月八日の暁天でありますけれども、 その先ぶれ前知らせは、 降誕のときの「天上天下唯我独尊」の呼び声であります。 この呼び声は、 仏一代を貫きて出世の本懐を示すのみならず、末代の我人を喚起する呼び声なれば、 我人その声に応じて広大無辺の心を開現せなければなりませぬ。 ああ、 この多苦多患の世界を転じて歓楽幸福の天地となすは、 ただこの心の真相を開顕するよりほかにはありますまい。
そもそもこの心は天上天下唯我独尊の心にして、これを開顕したるものは天上天下唯我独尊の人なりと信じます。 釈尊は唯我独尊の先輩にして、 我人はその後進なれば、 唯我独尊の日において唯我独尊の法を講じ、 他日自ら唯我独尊の人となり、 さらに進みてこの国をして唯我独尊の国たらしめなければなりませぬ。 わが国はその国体においてはすでに唯我独尊の国なるも、その国力においてはいまだ唯我独尊ならざるは、 われわれ国民の大いに遺憾とするところなれば、 本日の唯我独尊会において、己と国とともどもに唯我独尊たらんことを祈るの余り、 唯我独尊の一言を述べて、 三千年古の仏降誕を祝したる次第であります。
二九 心理的経済
家事上の経済は、だれでも心付いていろいろ攻究いたしまするが、 精神上の経済としては格別心を用いませぬ。私が先年からこの精神の経済ということについて十分攻究しなくてはなるまいという考えで、 今日までいろいろ材料あるいは事実などについて、 取り集めておる次第でございます。 今日はその中の一端として、 読書―書物を読むということについて、 いくらか精神の用い方があるであろうと思いますることを、 お話ししようかと考えます。 これは心理的経済のわずかに一端でございます。 いったい今日、 心理的経済の全体から話すとよろしいのでございますけれども、 それらは時間も許しませぬし、 またそれには準備を要する次第でありますから、 全体にわたってお話はいたしませぬ。
人間の寿命は五十年ないし百年、一定の限りがあるもので、その間長く生きたいと申したところで、ただボンヤリして無神経同様に虫けらのようにして生きたところで、 これは致し方ない話である。 そうしてみると、 われわれが持っておる精神の、 長く続き得る生活をなさぬといくまいと思う。 年寄って、 アノ人は老衰したと言われて長く生きたところが、 それは死んだも同様な話である。 年寄ってもまだ精神が十分に活動して、 世の中の用をなすというように生活の長いのを望むのである。 すなわち、 精神活動の間の長いのを欲するわけであろうと思う。 そうして精神を長く活動するというについては、 平素の注意が大事である。 精神を長く保つには、 身体を長く保つと同じことに、 子供のときから毎日毎日の注意いかんによってできることである。 身体にしたところが、若いときから不養生して、 決して長く保つものでない。 精神にいたしても、 精神の不養生をしたならば、 決して長く保つことのできるものでない。 ここが心理的経済の必要なるゆえんである。
まず一日の間について考えても、 二十四時間あるそのうちの八時間は寝る時間とすれば、 われわれが起きておる時間は十六時間しかない。 その十六時間というものは、 われわれの精神をズット続けて働かせることはできない。 やはり多少の休みをその間に取りつつおらねばならぬ。 もし、一つのことをズット続けて勉強すると、 三時間もむずかしかろうと思う。 一時間ぐらいはどうか心を用いて勉強ができましょうが、 それ以上になると、 勉強ができても、 さほど自分の精神に感ずる、 あるいは記憶にとどめることはできなかろうと思う。 もっとも、 その間に少しずつ休みさえすれば、 二時間でも三時間でも続くものである。 例えば、 毎日の学科にしたところが、 時間講義を聴く間に、 十分か十五分の休みを取って、 また講義を聴く。 こうすればいくら時間が長くなっても、われわれの精神が保つ。 これをノベツに二時間でも三時間でも、 あるいは五時間でも続けたなら、 はじめの時間は、 どうか精神をその方に用いておることができるか知らぬが、 後には精神の働きがなくなってくるというわけである。 そうすると、 一日の間に総体二十四時間のところ、 寝る時間が八時間、 残りの十六時間が起きておる時間、 その起きておる時間でも、 この精神を用うる方法については、 すなわち心理的経済の規則に従って心を使っていかなければなるまいと思う。
まず、 書物を読むことについて申しましょうが、 書物を読むについては、 折々学生の中にあることで、 なんでもむやみに詰め込めばよろしいという考えを持っておる。 詰め込むべきものはどんなものでも構わなく、 たくさん読んで数さえ見ればよろしいという考えを持っておる人がある。 それはごくよろしくない。 そうただむやみに読むことは、 ちょうどむやみに食べると同じことで、 なんでもたくさん食べなければ身体が大きくならぬから、見当たり次第むやみに食べればよろしいといって腸胃に詰め込んでも、 決してよろしいものでない。 精神上においても同じ道理である。 むやみに読んだからといって、 それでよろしいわけでない。 新聞を見るについても、 東京の人が新聞を見るのと、 地方の人が新聞を見るのと、 見方がたいへん違う。 ある田舎などで新聞を見るというのは、 今日は暇だから新聞を読もうといって、 それから新聞を開いて、 新聞の表題から読み出だし、 だんだん棒読みに読んできて、 しまいの印刷人たれがしまでズット読んでしまう。 まるで昔の四書五経を素読すると同じ話である。 新聞を読むのですらもそれだから、 ほかの書物はなおもって、 はじめの表題からしまいの奥付まで読まなければならぬと思っておる。 そういう読み方はごくよろしくない。
まず一巻の書物で申さば、 その中でなるべく自分が読んで、 それだけの価値のある部分を選んで読むことが必要である。 また、 すべての書物の上において、 なるだけ自分の読んで益することの多いものを選ぶことが第一である。 それから一巻の書物にしたところが、 その中でもっぱらこの点が読んで益のある所ということを認めて、そこへ多く心を用うるが肝要である。 ほかの前後をも一とおり読むことはよろしいが、一つの書物についてザッ 卜読む、 略読というか、略読する部分と細かに読む細読の部分と二とおり分けなければならぬ。 略読と細読、 その略読の仕方についても、 私がいろいろ研究しておる。 だんだんほかの人にはかってみるところが、 人によっていろいろやり方が違うようである。
まず平田篤胤の読み方は、 例えばこれが本であると、 それをこう置いて読んだものである。 そういうふうにして字をまっすぐに読まない。 横に置いて横から見て読んだものである。 これは誠に早い。 一行ずつ読み下しては、 たいへん遅いに相違ない。 平田の家にある書物を見るに、 始終横に見ておったものであるから、 書き入れた字が横になっておる。こういうふうに読んだから、 大層早くたくさんな書物を読むことができた。 中には、ある人の話に、これを筋違いに置いて対角に読む。 いわゆる、ここからこういうぐあいにして読む。 これもよほど読む点からいったら、いくぶんか早かろう。しかし、私はどうも対角読みもこの横読みもおもしろくないから、やはり当たり前にこういうように置いて見る。そうしてこれを五行あるいは七、八行も、一つに目を通して読むことも古来申します。 あるいは十行一度に読んだ人もあるが、私はこういうふうに置いて、そうしてこの真ん中に目の中心を定めて、こういうふうに真ん中に目を通して見ていく。その上下にも自然触れるから、大略この紙の中にどういうことがあるというだけは分かる。これは略読の法である。そうして今度は、その中の最も必要な部分である所は、さらによく読まねばならぬ。そのときはやはり行を繰りて細読にする。すべて一巻の本にしても、細読すべき所があり、略読すべき所があるばかりでなく、あるいは一巻の本について、一遍略読してしまわなければならぬことがある。その書中、どこが最も必要であるかということは、一遍略読を終わった後、はじめて分かる。それから、その必要の点をモウ一遍読もうというようにいたしたら、よほど心理的経済としてわれわれの精神を使うことが少なく、しかも得るところ多かろうと思う。 これは一例である。
それからまた、 本を読むには、一つには時間ということについて注意しなくてはならぬ。 いちばん大切な本は、いちばん精神の新しい、 あるいは壮快なとき、 あるいは心が静まってほかに動かぬとき、 いろいろなことに心の触れないようなときを選んで読むことが第一である。 もし、 格別ソウ深く記憶しておるに及ばない本ならば、 それはいつでもよろしい。 けれども、 この本だけは長く記憶しておらなければならぬ、 しかもこれだけは自分にとって非常に有益な本である、 最も注意して読まなければならぬというような書物であったならば、 まず時間を選ぶが第一である。マア、朝なら食事でも終わってから、 しばらく過ぎて読むことはよろしいでありましょうが、 朝と夜とドチラがよろしいかという 一つの問題がある。 朝の方は精神は新しく気分が壮快であるから、 どうしてもよろしいわけだが、 そのかわり朝は悪いことがある。 というのは、 世間がだんだん騒がしくなるのにつれて、 いくらか気がアチラに引かれコチラに引かれするわけで、 考えがまとまらぬ。 これに反して夜分であると、 世間がだんだんしずまってくる。 しずまってくれば コチラの精神もアチラに引かれコチラに引かれなくなって、 夜がふければふけるほど、一つの事に心を深く注ぐことができるという便利がある。 昔から、 学者は多く夜遅くなって本を読んだものが多い。 中には朝早く起きて読む人があるが、 それはごく少ない。 私はだんだん人から聞いて統計をとってみるに、 たいてい学者というものは、 夜遅くまで読んだもの、 私なども朝とドチラかというと、 夜の方が本が身に入って読める。 そういうように、 一日の中に時間を選んで読むということが必要である。
それから、 場所を選ぶことも大事である。 一軒の家にしたところが、 書物を読む部屋をきめておいて、 なるたけそこで読むとよろしい。 いろいろな所で読むと、 かえって心がほかに移って、 それがためよく記憶ができない。 なるたけ 一つの部屋をきめておき、 その本を読むときには、 なるべくほかの物は周囲に置かないようにするがよろしい。 ここになんの書物、 あそこになんの書物と、 いろいろな書物を置くと、一つの本を読む間にほかのことに気が触れるから、 なるべく遠ざけて、 そのとき要する書物だけ置いて、 もっぱらそれに心を注ぐことが肝要である。 そうしてそれを読むにしても、 やはり一時間あるいは二時間も読んだら、 またほかの物を読む。 ほかの物を取り代えて読めば、 いくらか精神が新しくなってくる。 ここなども、いくらか注意しておかねばならぬ。それから、 中には本でもなかなか記憶のできないことがある。 事柄によると、いくら読んでもなかなか覚え切れぬことがある。 そういうことは、 別に始終目に触れるような所に、 要点を抜き書きしておくということが必要である。例えば地理などのこと、これは覚えにくいものである。この地理について記憶するには、まず第一に地図を目の前に置いて、いつでもそれを眺めておるようにするとよろしい。 また、 飯を食べる前に地球図を置き、 あるいは世界地図を掛けて飯を食べながら見ておる、あるいはタバコや茶をのみながら始終見ておるとすれば、おのずからいつの間にか覚えられるようになってくる。 歴史の年代―これも年代表でも作って、いつでも目に見える所に掲げておくとよろしい。そうすると、いつの間にか記憶ができる。私は先年、部屋の装飾やいろいろな点について、勉強を主とし、いちばん記憶を助けるに便利な方法はどうしたらよろしかろうということについて工夫をしたことがある。 いわゆる記憶室を一つこしらえて、そこに入ればどうしても記憶ができる組み立てにして造ってみようかと思ったことがある。
それから、ときによると、なにか徒然としておらねばならぬことがある。 そのときは本が読みたくても本がない。 例えば、 停車場にいって汽車に乗り遅れ、 一時間もボンヤリして待っ ておるときがある。 そのときに本が読みたくても本がなし。 そういう時間は、 なるたけ精神を使わぬようにするがよろしい。 精神を使わぬようにするには、 目があいておると、 いろいろな方面から刺激するから、 心を引き付けて精神がいくらか使われる。 目をなるべくほかのものに触れないようにするというについては、 もし事情が許すならば、 目を閉じておるがよろしい。 こうやっておれば眠ったと同様な話、 そうすれば、 やはり疲れた精神も回復する。 けれども、 これは停車場に限ったわけでない。―目を閉じておると、 すりにでもすられるから、 停車場ならば用心がいる。 精神を使わぬようにするには、 目を閉じておるがよろしい。 だれも、 ときによると夜寝てねむれないことがあるが、 ねむらんでも目さえ閉じておれば差し支えない。 目をあけておって、終夜ねむられないと翌日疲れるものである。 目を閉じさえすればねむらんでも、 さほど翌日妨げにならぬ。 夜ねむられないというときは、 つまらぬ妄想を起こして、 その間にいろいろ精神を使うことはよろしくない。 そのとき、なるたけ精神を休める工夫をしなければならぬ。 休めるについては、 まず第一に目を閉じておる。 目を閉じたばかりではいろいろな想像が浮かんでくるから、 これを予防する方法を講じなければならぬ。 それはどうしてよろしいかというに、ごく意味のないことを口の中で言うようにする。 といって、外に聞こえるようになってはいけないから、分からぬようにして、 なにか口の中で言っておる。 それについて、 昔よく数をかぞえるということを申した。一二三四とかぞえる。 これはなんにも意味のないことで、 意味があると、 その方に気が引かれてよろしくない。 意味がなくして、しかもその方に気が散じ、 自然ねむれるようになるには、 数をかぞえることもよろしかろう。「いろは」を繰り返すこともよろしい。 あるいは自分のごく平生暗記しておるような、 しかもそれにあまり意味のないような歌でも繰り返すということもよろしいだろう。
私はまた別な話だけれども、 人がねむれぬばかりでない、 心配、 苦労が身に余って持て余すときに、 自分の心をほかに寄せる方法としては、 唱え言がごくよろしいと思う。 アレは実地経験してみるに、 よほど自分の精神が自分の意のごとくならぬような場合、 そのほかねむられぬような場合には、 ごくよろしいというのは、 宗旨などで用いる唱え言である。 例えば、 浄土宗、 真宗などでは念仏を唱える、「南無阿弥陀仏」と口癖に言っ ておる。浄土宗は一日に何万といって、家業のように念仏を唱えさせる。日蓮宗では題目を唱える。「南無妙法蓮華経」。そのほか、宗旨によりていろいろな唱え言がある。 その唱え言がすべてに必要だろうと思う。なにかそういう一つ唱え言をこしらえておいて、そうしてひどく心配でもあったり、精神の置き場所に困るときには、それを始終口の中で繰り返し繰り返しておると、その方に自然気を奪われて、心を休めるようになる。 夜ねむられない場合も大きによろしい。 そういうものを繰り返せば、 その方にきっと心を引き付けられて、自然にねむれるようになる。その繰り返す唱え言が、よけいに精神を労すること、もしくはひどく精神を刺激することはよろしくない。なんでも意味のない言にて、 始終慣れっこになったことを、そういうことを繰り返せば、いくらか心を転ずると同時に、 ひどく心を労さないでねむれるなかだちになる。 夜ねむれぬときは、なるたけそういうようにするがよろしい。 夜はねむるべきときであるから、なんとか心を休める工夫をしなければならぬ。 そうやって休めておくと、 精神が新しくなって、翌日なんでも考えることができる。
それから、 モウ 一つは記憶の仕方である。 もし、 ある方法によって記憶を助けることがあるならば、 その方法を用いてよろしかろうと思う。 記憶術などといって、 近来いろいろな方法を伝えますけれども、 その方法などはあまり賛成しない。 というのは、 その記憶術の方法があるいは器械的のもので、 その方法を習練するためにたいへんな時日を要するし、 またそういう器械的なことは、 一とおり方法を聞いたくらいでできるものでない。 また、 人の生まれつきに関係しておる。 けれども多少記憶するには、 チョッ トした場合ならば、 ずいぶん方法によって役に立つことがある。 例えば、 何月幾日にどういうことを約束した、 それについてその日をどうしても覚えておらなければならぬというようなときは、 手帳があれば手帳に書く、 あるいは何かそこで記憶する手立てのできる場合はよろしいが、そうでない場合があるが、これについて昔から、いろいろ記憶の仕方がある。 ある人は自分の身体に番号をつける。頭の方を一番として、目のあたりを二番、耳が三番、 鼻が四番というふうに番号をつけて、 何月幾日というと、どこだということで覚える。手のなんの辺り、足のなんの辺りということで覚えておく。 今一つは、自分の住んでおる近辺は、およそ一町内くらいはたいてい知っておる。その家々に番号をつけておく。なにか覚えておらなければならぬことがあれば、何軒目の家のなんだということを結び付けて覚える。これ、一つの記憶の仕方である。あるいはモット簡便にやると、自分の指がこれだけでも、三四十二、 そのほか十三、 十四と節にしるしがある。これへ番号をつける。 両手があるから、仮名を組み立てようと思ったら、コチラに五十音の子音を置いて、コチラに母音を置き、子音と母音と結び付けて覚える。 また、数でもよろしい。なんの節ということを覚えておればよろしい。もしそれを忘れると困るから、チョットしたこよりでもつける。これも一つの記憶の仕方である。そのほか記憶については、なるたけ音調あるいはそのありさまの似ておる事柄に結び付けて覚えることが必要である。
よく昔は『大学』、『中庸』などを素読するに、 その中に「邦畿千里」ということがある。これは、千里もある長いほうきがあるということで覚えておった。 また『論語』に「顔淵閃子騫」とあるを、 鬢の毛が四間もあるとして覚えておる。そう覚えておると忘れない。ことによると、 その連絡を取り違えて、まるっきり間違って覚えておることがある。 私どもの昔の友達で、一緒に習ったものが、「エクセプション」(取除)を「シャ モの毛」と覚えてしまった。 そのつぎになって先生が「エクセプション」はなにかと聞いたら、「シャモの毛」と答えた。かように、ことによると、 自分の覚えた事柄を取り違えて記憶することがある。
モウ一つ例を申すと、 ある寺で虫歯のまじないをする。 虫歯のまじないをするのに、 痛む方の頬を押さえて、そこをなでながら「アビラオンケンソワカ」という呪文がある。 真言宗ではよく使う呪文ー「アビラオンケンソワカ」と言って頬をなでるとすぐ治る。 治る道理はないけれども、これは精神の作用で治る。自分の心で治ると思うと、いくらか治るようになる。そうやってまじないをするので、アチラでもコチラでも頼みに参るというので、大層その寺ではやった。 そこで、ある村からお婆さんが一人いっておって、その寺で子供の虫歯を治すのを見て、良いことを聴いたと思い、私も家に帰ったら子供の虫歯のときに、ひとつ試みたいというので、「アビラオンケンソワカ」を覚え込んだ。 それから家に来て、子供が虫歯だというと、私が治してやろうといって、 婆さんは呪文を間違えて、「アビラオンケンソワカ」を「アブラオケソアカ」だと思っ て、 子供の虫歯を治すのに「アブラオケソアカ」「アブラオケソアカ」といって子をなでたということがある。 それは記憶の間違い。 そういうように、 連絡によって間違うことがあるが、 しかし、 いくらかほかのものに連絡して覚えると覚えやすい。
前に私は『記憶術講義』として、われわれの記憶の心得になることだけはたいてい集めて、一つの書物にしておきました。 なお、この記憶することは相伴うもので、われわれの心力というものはいずれも限りのあるもので、 その限りのある中になにもかも詰め込もうとしてもできるものでない。そこで、新しいことを詰め込もうというには、古いことを忘れなければならぬ。忘れることは、言い換えれば記憶することになる、記憶の準備になる。 ゆえに、忘れることも必要である。
前に『記憶術講義』をこしらえましたから、 引き続いて『失念術講義』忘れる方の術を講じたところが、奇体なもので、 記憶ということは人が好む、 忘れることは嫌う。 記憶術は大層求めがあって、 モウ何遍となく再版にしましたが、 惜しいかな、 失念術ははじめ一遍版にした後、 だれも買って読んでくれるものがない。 それは、 ほんとうに失念術のどういうことか分からぬのであろうと思う。 あるいは失念術が、 記憶術より必要であるかも知れない。 ずいぶん世間では、心配のために自分の身を持て余し、 それがために病気したとか、 気が狂ったとかいうものがある。 これらは、 もし心配を忘れる法があったならば、 なにも気が狂うに及ばぬわけである。 畢竟、今日までわれわれは、 失念術を講じないから忘れる道が分からぬ。 もっとも、 良いことを覚えておるはよろしいが、悪いことはなるべく忘れる方がよろしい。 道徳上にしたところが、 良いことはなるたけ覚えておらなければならぬけれども、 悪い方の不道徳のことはなるべく忘れる方がよろしい。 そうすると、 忘れることは必要である。 世間によくあることに、年忘れということを申します。 年が寄るから、 それを忘れるために忘年会を催す例がある。 この忘年会にしたところで、 これもなにか一つ忘れる方法を講じないと、 忘れられるものでない。 私は記憶術より失念術がかえって必要であると思う。 失念術がほんとうに行われさえすれば、 記憶術はおのずから行われるわけである。 これも心理的経済の一端であろうと思う。
そのほか、 書物を読むということについての、いろいろお話ししたいこともありますが、 今書き留めてこないから、 チョット考えに浮かびませぬ。 そうでございますから、 よく私が前に調べたのを持って参ればよろしかったが、 今日その書き付けを見いださないために持ってきませぬ。 他日持参して、 さらにお話をいたしましょう。そのほかのことについても、 心理的経済ということは、 最もわれわれ学生のみならず、 人間一般にとって必要なことであろうと思う。 その経済の旨趣は、 精神をなるたけよけいに使わずに、 これを長く保つようにするというのである。
先刻も申すとおり、 ただ長生きばかりが決してわれわれの望みではない。 長く生きても、 老衰して前後を覚えないようになって、 十年生きようが二十年生きようが、 死んだと同様な話である。 それより、 なるべく生きておる間は精神が常に活動して、 十分一人以上の働きができるということは、 われわれの生命として、 いちばん大切なことである。 そういうように、 精神をして長く生きさせるということについては、 やはり方法を講究せなくてはならぬと思います。 それについて、 先年一度調べてみたことがあります。 また、 今後参会しましたらば、 今少しくわしくお話しするかも知れませぬが、 今日は突然のことで、 準備もありませぬから、 不十分ながら御免をこうむります。(演説速記)
三〇 紀州熊野論
「日光を見ずして人造の美を説くなかれ、 熊野を見ずして天然の美を談ずるなかれ」とは、 余が熊野を天下に紹介せんとする冒頭なり。 昨年十一月より本年三月の間前後相続きて、 紀州有田郡、 牟婁郡および勢州度会郡、志州志摩郡を一巡し、 なかんずく熊野の地に最も多くの日子を費やし、 もって人情、 風俗、 気候、 地理等、 大略観察したりしに、 有田の蜜柑、 醤油における、 日高の安珍、 清姫におけるがごときは、 余が紹介を待たずして世間すでに熟知せるところなり。 ひとり熊野の風土にいたりては、 都人士のいまだ知らざるところ多きをもって、余ここにその一斑を序し、 かつこれに対する卑見を付せんと欲す。 まず、 熊野の奇勝および異風を列すれば七種あり、 余はこれを熊野七不思議と称す。
(一)山水(二)道路(三)渓流(四)家屋 (五)風俗(六)習慣(七)宗教
(一、山水) 山水の美は木曾の勝あり日光の奇ありといえども、 これを熊野の奇勝に比すれば、 はるかにその後に瞠若たるありさまなり。 古来、 紀州の名勝は和歌浦をもって称首となせしも、 これ紀州を知らざる井蛙の見のみ。 もし熊野〔の〕海浜を巡覧しきたらば、 いたるところ和歌浦の兄たり〔師たり〕先輩たるものに逢遇すべし。勝浦湾のごとき尾鷲湾のごとき、 五ケ所湾、 浜島湾のごとき、 実に画図の実景を演ずるものなり。 その中につきて、 度会南島の山巓より五ケ所湾を一瞰するときは、 日本三景の第一たる松島も三舎を避くるの思いをなす。 通俗この沿岸を呼びて小松島というも、 余は大松島と称せんと欲す。 けだし、 熊野の三大勝と称するものは瀞 峡と那瀑〔那智の滝〕と橋杭なり。 これに次ぐものを古座川の一枚岩とす。 瀞峡は清流と怪岩と茂樹との三奇を、 天工をもって美術的に配列したる一大真図なり。 かの久しく西陲に虚名を売りたる耶馬渓も、 その傍らに並立せしむれば、 必ず従者の列に加わらざるを得ず。 しかるに、 文人墨客のいまだその勝を天下に紹介せざるは、 風景のために不忠の大なるものにあらずしてなんぞや。 那瀑にいたりては世すでにその名を耳にするも、 ただその大を称してその奇に及ばざるは、 一を聞きて二を知らざる盲評なり。 余は那瀑の大なるも、 むしろその岩石の自然によく奇をえがき、 その樹木の自然によく媚を呈するを見て、 嘆称してやまざらんとす。 つぎに、 橋杭は風致において他をしのぐところあるを見ずといえども、 その奇にいたりては大いにみるべきものあり。 丹後の天橋は一帯の砂路、 海湾を横断して、 あたかも橋板を架するがごとき観あり。 これに反して橋杭は岩石その形、 橋杭のごときもの海中に並列して数十丁に及ぶ。 もし、 この橋杭の上に天橋をいただかしむれば、 はじめて天然の橋梁を大成するを得べし。 ただうらむらくは、 天この二者を分かちて百里の外に置きたるを。 そのほか一枚岩のごときその奇、実に人をして魂飛び神舞わしむるというも、 余これを見ることを得ざりしは遺憾のいたりなり。 要するに熊野の山水は一種異様の風態を有し、 岩石の奇骨ある天下第一たり。 ゆえに、 いたるところ雪舟の山水を目撃するの思いあり。 木本地方の岩石に腐蝕せるもの多きもまた一奇なり。 今、 いちいちその風光を詳述し難きをもって、 斎藤拙堂翁の七絶を割愛して、 その一斑を世人に示さんと欲す。
下九里峡
軽舟如箭下清川、 峯去巒来枕席前、 坐閲縦横山水巻、 瞥然過眼幾雲烟 。
(軽舟は矢のごとく清らかな流れを下れば、 峰々が舟中の座席の前を去来する。 それはまさに座して山水の画巻を横ざまにひろげるごとく、 ちらりと目をかすめるように、 どれだけの雲や霞がすぎたことか。)
游古座川
攅峯峭壁迎還送、 曲岸廻流窮復通、 左顧右看忙応接、 舟行摩詰畫詩中。
(かさなる峰々は壁のようにそびえたって私を送り迎え、 曲がる岸べとめぐる流れは、 行きどまりかと思えばまた通じ、 左右をめまぐるしく見るに忙しい。 この舟行は王摩詰〔唐・王維〕の書画詩中にある思いがしたのである。)
(二、 道路) 余、 先年豆州熱海に遊びしとき、 熊野人またここに入浴せり。 傍らに客ありて「伊豆は山国なり」といいたれば、 熊野人これを聞き、 怪しみ問うて曰く、「いずれの所に山ありや」と。 客四面を指して曰く、「前後左右みな高山峻嶺にあらずや」と。熊野人曰く、「紀州にありては、かくのごときものはこれをウネと名づけて山と呼ばず。 ゆえに、 余は伊豆にウネあるを見るも、 いまだ山あるを知らず」と。 この一言、 熊野の高山峻嶺に富める一端を想像するに足る。 余、 昨年来熊野に入りて、 はじめて紀州の峻坂険路海内第一にして、 伊豆の比にあらざるを知れり。 その坂路の多き一例は、 西牟婁の海浜にそいて一帯の駅路あり、 その間およそ一日の行程十里の距離に四十八坂を跋渉する所あり。 その地、 俚言に「四十八坂永井坂、 まだもあります馬ころび」とあるこれなり。 また、 険路の一例は通称を聞きて思い半ばに過ぐ。「馬ころび」「犬もどり」「猿もどり」等これなり。「もどり」とは、 犬や猿すらその坂にかかり、 とても登る見込みなしとて引きもどりたりとの意なり。 また、近年新たに辞職山、 思案坂と名づくるものあり。 余その由来を聞くに、 かつて某巡査その地に在勤を命ぜられ、一日坂路にかかり、 疲労にたえず、 かかる峻坂険路を上下するより、 むしろ辞職するにしかずと思い、 即時辞表を差し出だせりとぞ。 思案坂の方いまだ断然辞表を提出するに至らざりしも、 辞職につき一思案せし故、 その名ありという。 これらの事跡を聞きて、 険峻のいかんを想見するに足る。 近来おいおい道路開通の挙あれども、 余はこの坂路の一端を存じて、 人をして大古の道路を知るには、 必ず熊野に至らしむるもまた一策なりとす。 しかるときは、 足を健にし肺を強くするために、 人多く熊野に入り、 山間かえって一大都会をなすに至るべし。
(三、 渓流) 紀州は元来木ノ国と称し、 樹木繁茂せる地にして、 地質また最も樹木の生育に適するがごとし。古語に、「山高きが故に貴からず、 樹木あるをもって貴し」といえるがごとく、 樹木なきほど殺風景なるはなし。あたかも人、 身に衣服をまとわざるに似たり。 しかるに、 牟婁四郡および吉野郡の諸山群峰のごときは、 鬱々蒼々として、 翠色渓流に映じ、 もって山水の風致を助く。 これに加うるに、 渓流は一般に澄清にして瑩のごとく鏡のごとく、 徹底見るべし。 これをもって熊野の山光水色は実に天下無双というも、 過称にあらざるなり。 しかして、 その河流の特色は比較的水量に富むも、 灌漑の用をなすもの少なきにあり。 換言すれば、 紀州の山河は多く美術的にして、 実業的、 生産的にあらざるなり。 ただ、 その用は木材運送の利あるのみ。
(四、 家屋) 初めて紀州の地に入る者は、 村落の民家多くは板屋根にして、 その上を圧するに石をもっ てするを見て奇怪に感ずるなり。 かかる風は北国、 越中越後地方に多く見るところなるも、 南紀と北越と符合するは奇というべし。 また、 熊野の家屋は多く壁を用いずして板を用うるは、 その木材に富めるをもってなり。 もしこれにいま一奇を加うれば、 夜中戸締まりの比較的厳重なるにあり。 余、 昨年能州を一巡せしに、 いたるところ夜戸をとざさず、 開放同様のありさまなりしも、 紀州はしからず。 これ、 余がいささか奇怪に感じたるところなり。
(五、 風俗) 熊野および志州の間は、 婦人の労働ことにはなはだしきを見る。 婦人は荷物を運送するに、 すべて頭上にいただくを一般の常習とす。 四、 五歳の幼女より八十以上の老婆にいたるまで、 道路を通行するに多少の物品を頭上にいただかざるはなし。 婦人の強壮なるものにいたりては、 米一俵をいただきて自在に峻坂険路を上下するは、 一見実に驚かざるを得ず。 およそ十七、 八貫目までは婦人よく頭上にて運ぶという。 これ、 生理上および心理上に障害なきやいなやは一疑問なるべし。 志州の一小部にいたりては、 往々不潔物を頭上にて運ぶを見たり。 これ、 外人の目に触れざる間に改めたきものなり。
(六、 習慣) 風俗に連帯して、 婦人一般に多量のタバコを喫する習慣あるはまた一異風なり。 そのタバコは必ず椿の葉をもって包み、 巧みに巻きタバコの形を作り、 これを口に含みつつ歩行するは、 熊野のほか他に決して見ざる風習なり。 斎藤拙堂翁の熊野雑詠の一つを左に掲げん。
木葉吹烟代銅管、 鶉衣蔽躰代羅襦、可憐貧婦亦充役、 険路荷担代駅夫
(木の葉をもって作る巻きタバコはきせるにかわるものであり、 つぎはぎの着衣で体をおおうのは、 うすぎぬの袖なしにかわるものである。 気の毒なことに貧窮の婦人はまた力仕事もこなし、 けわしい道を荷をかついで宿場の人夫にかわって行くのである。)
もって、 その地の風俗習慣の一斑を知るべし。
(七、 宗教) 熊野より志州に至るの間は九分どおり禅宗にして、 宗教はほとんど無勢力のありさまなり。 ただ、 下流に向かいて勢力を占むるものは天理教なり。 天理教は世間より妖教あるいは淫祀をもって目せらるるにもかかわらず、 熊野地方にありては巍然たる大堂を設け、 多数の人民これに帰依せるがごとし。 新宮は熊野のロンドンとも称すべき大都会なるに、 その市中にて〔最も〕人目を引くものは天理教の会堂なり。 その位置といい結構といい、 新宮全市をのまんとする勢いあり。 他はこれに準じて知るべし。 ゆえに、 余は天理教をもって熊野名物の一つに算入せり。 これ、 仏教の振るわざる一端を見るに足る。 ゆえに、 紀州の僧侶はもっぱら天理教退治に尽瘁せざるべからず。 左に熊野の名物をさらに一括して示さん。
(一)勝景(二)険路(三)渓流 (四)屋根石(五)頭上運び(六)巻きタバコ(七)天理教
余はこれを熊野七不思議と称す。 これに次ぐに小七不思議あり。 すなわち左に〔示さん〕。
(一)有田の紅葉(二)牧野の熱心 (三)佐藤の別荘 (四)尾鷲の竹篁(五)南島の風呂 (六)滝原の社林 (七)志州の人車
右の七項は余が巡回中意表に出でたるものにして、 有田の紅葉は有田川の両岸数里の間、 櫨の樹一面に紅葉し、 楓樹も及ばざるほどの観あるは、 他にいまだかつて見ざるところなり。 日高郡には牧野安之助氏ありてすこぶる諸事に熱心なるも、 なかんずく哲学館拡張のために尽力せらるるの非常なるにいたりては、 余が深く感服したるところなり。 佐藤長右衛門氏は和歌山屈指の資産家なり。 その別荘を楽天荘という。 建築の美、 紀州第一と称す。 尾鷲町にも熊野第一の長者あり。 土井八郎兵衛氏と称す。 氏の別邸に竹篁あり。 直立数十丈、 遠く来たりてこれを見るものあり。 その近傍、 梅樹多し。 俗に小月瀬という。 勢州に入りて異風の感あるは、 南島にて用うる風呂なり。 これ、一種異様の構造にて戸棚造りなり。 そのつぎは度会郡野後の滝原神社なり。 その社林の鬱葱たる海内第一にして、 山田の内宮も奈良の春日も、 はるかに及ばざるところなり。 志州にいたりては別に耳目を動かせしものなしといえども、 近年村落の間たいてい車道を開通しながら、 人車に乗りて通行するものあるを見ず。 途中、 人車を雇わんとするも、 車を有する家なし。 たまたまその家あるも、 これをひく人なし。 たまたまその人あるも、 転覆は保証し難しというを聞きて、 やや奇異の思いをなせり。 以上は熊野の旅行中、 偶然心頭に触れたるものを記述せるのみ。 これより熊野の将来につきて論ぜんとするに、 まず教育、 宗教の両面より観察するを要す。
熊野の地、 山岳多く人家少なく、 一村のごとき五里、 六里もしくは七、 八里にまたがり、 二十戸、 三十戸ぐらいをもって一部落をなせるありさまなれば、 小学教育の普及に最も困難を感ずるは察するに余りあり。 かかる村に病人ありて医師を迎うるに 一回十五円以上を要する所あるを見て、 諸事の不便を知るに足る。 しかるに二、三十戸の村落にて相当の分教場を設け、 よく小学教育の行き渡りて通学の不便を感ぜざるは、 嘆賞せざるを得ず。 もし中等以上の教育にいたりて、 田辺にすでに一校あり、 新宮に新たに開設するの挙あるも、 他の府県に比していまだ進みたりというべからず。 近年、 熊野唯一の物産たる木材の騰貴により、 村民の生計は比較的富裕なる方なれば、 さらに進んで中学以上の教育を振起するを要するなり。 けだし、 土地の風一般に旧習を重んじ、 改新を好まざる傾向あるは、 頭上に物をいただき、 椿葉にて煙を吹く古俗の依然として存するを見て明らかなり。また、 民間一般に旧暦あるを知りて新暦あるを知らざるを見ても、 その保守心の強きを知るべし。 これと同時に、 なにごとも気楽気長に過ぐる風あり。 この風は、 志州最もはなはだしきを覚ゆ。 これ、 土地僻遠、 道路険悪にして、 交通不便のしからしむるところなりといえども、 今より小学教育に従事するもの児童を訓育するに、 もっぱら勇敢進取の気風を鼓舞し、 有為活発の精神を発揮し、 広く世間の事情に通ぜしめ、 社会の競争を知らしむることに力を尽くさざるべからず。 しかるに、 かかる土地に住する小学教員は、 自然の勢い進取の気風を欠き、気楽気長に流るる風あり。 ゆえに、 余はこの風を矯正する一策として、 教員たるもの村民に代わりて、 暑中休暇の間はもっぱら旅行をつとめ、 三府はもちろん、 各地の実況を見聞し、 自ら有為進取の気風を養い、 その結果を児童の脳漿に注入するをよしとす。 しかしてこれに要する費用は、 よろしく村費をもって補助する方法を立つべし。
つぎに、 宗教上の観察にいたりては大いに論ずべきものあり。 熊野の地はいかなる深山幽谷の間に入るも、二、 三十戸の民家ある所、 必ず寺院の設あらざるなし。 これを他に比するに、 寺院の数多きに過ぐるがごとし。かく多数の寺院あるも、 堂宇あえて破損せるにあらず、 僧侶あえて窮困せるにあらず、 相当の維持と生計とは、檀家もしくは村民の負担によりて立ちおるを見る。 これ、 宗教の信仰のしからしむるところにあらずして、 村民一般に旧習を重んずるのいたすところなり。 紀州の宗教は北部に盛んにして南部に微々なり。 和歌山より日高までの間は宗教やや民間に行わるるを見るも、 田辺をもって限りとし、 田辺以南は宗教の骸骨ありて精神なきありさまなり。 度会、 志摩二郡も同断なり。 その辺りの宗教を分析するに、 葬式と法事と禁厭との三素より成りたる混和体にして、 これを混和せしむる媒因は旧慣と欲望との二動機にほかならず。 欲望とは、 みだりに病気災難をいとい、 無病長寿を願い、 富貴利達を望むがごときをいう。 熊野の地に天理教の跋扈するは、 その欲望の一端を見るに足る。 しかれども、 欲望必ずしも不可なるにあらず。 もしこの欲望を進めて高等に導かば、 有為の人物続々輩出して天下を圧倒するに至らん。 しかしてこれを上進せしむるも堕落せしむるも、 ともに宗教の力にあり。 余おもえらく、 熊野の宗教はその堕落の媒介たるかの疑いなきあたわず。 けだし、 その地の宗教は九分どおり禅宗にして、 内に肉食妻帯をほしいままにし、 外に布教伝道をつとめざるに、 天理教ひとりは独立自尊の勢いにして、 愚民の欲望を奇貨とし、 これに投ずるに御水、 呪法のえさをもってす。 その結果、 欲望を堕落せしむるは勢いの免るべからざるところなり。 ゆえに、 余は熊野の宗教につきては、 第一に天理教を排除して一人の信徒なきに至らしめざるべからず、 第二に僧侶その人を改良して布教の実を修めしめざるべからずといわんとす。
近時、 公徳問題ようやく世間にやかまし。 しかしてこれを修養する方法にいたりては、 だれもいまだ定見〔を有〕せざるがごとし。 余は公徳の修養、 風俗の改善のごときは、 宗教の力を利用するにあらざれば、 決してその実をあぐることあたわずと信ずるものなり。 そもそもわが国は、 百般の文物みな政府の策励と人民の注意とによりて、 大いにその面目を一変せるにかかわらず、 ひとり宗教は依然として旧態を存し、 政府はこれを度外視し、人民はこれを無用視して今日に至る。 公徳の衰え風俗の改まらざる、 もとよりそのところなり。 今、 熊野の地は人情淳朴にして生計余裕あり。 小学教育においては、 他の地方に対して遜色なきを見る。 もしその地の人々、 目を宗教の改良に注ぎ、 従来小学教育に尽くしたる力の一半を寺院僧侶の上に移し、 不学無知にして人民を教導することあたわざる堕落僧は寺院の外に放逐し、 学識徳行ある僧侶は厚く優待歓迎し、 円顱社会の大淘汰を断行すべし。 もし無学の雛僧にして将来有望なるものは、 町村の補助をもって修学の道を開き、 全国の宗教改良の手本を熊野の地において作らんことを望むなり。
それ紀州は、 産物をもって論ずれば木の国なり。 古来、 樹木をもってその特産となす。 熊野これが最たり。 もし風景をもって論ずれば奇の国なり。 その地、 奇勝に富めるは実に天下第一となす。 かかる奇勝に富めるの地は必ず奇傑の士を出だすべきに、 熊野の地いまだ奇傑の士あるを見ず。 これ、 余が紀州のためにいささか遺憾とするところなり。 今より後は樹木を培養すると同時に人物人材を育成し、 樹木もって一家を富まし、 人物もって一国を興すことを望まざるべからず。 その第一着手として、 中等教育の普及と習慣仏教の改良とに意を用い、 ことに妖教淫祠の大掃除に力を尽くすは目下の急要なりと信ず。 余聞く、 上古わが皇祖たる神武天皇東征にあたり、熊野より進みて大和に入り、 もって日本を一統したまい、 これより万代不朽の皇基はじめて定まりしという。 皇祖もし道を紀州に取らせたまわずば、 日本の一統は幾百年の後に至りしかは計り知るべからず。 かかる建国史上に重大の縁故ある地たる以上は、 明治の新天地において日本の国光を海外に輝かすも、 全国中特に紀州人士の責任なりと断定するも、 あえて不当ならざるべし。 今や欧米の列強わが四隣をうかがい、 まさに隙に乗じて欲をたくましくせんとする勢いあり。 従来、 わが帝国のために久しく万里の長城となりたる老大国も、 その命脈旦夕にせまり、 危機一髪を余さざるありさまなれば、 黄色人種中わずかに独立の望みあるものは、 唯一の日本あるのみ。しかれども、一木ひとり立てば風のために折らるるの恐れあるをいかんせんや。 はるかに北海を望めば、 朔風雪を巻きてようやく襲来せんとするを見る。 四辺の警戒一日もゆるがせにすべからざるときなり。 このときに当たりて我人の日夜渇望するところは、 樹木にあらず、 薪炭にあらず、 蜜柑にあらず、 風景にあらずして、 有為の人物なり、 偉大の人傑なり。 もし、 紀州の山岳最も高き所、 熊野の渓谷最も深き所に、 一大偉人豪傑の然として起こり、 広く世界に向かいて疾声大呼するにいたらば、 東洋を一統することあえて難事にあらざるなり。 熊野人士の大いに憤起すべきはこのときにあり。 今日は決してむなしく雲山に臥して、 いたずらに風月を弄するの時期にあらざるなり。 瀞峡美なりといえども、 国家鎮護のためになんの用かある、 那瀑大なりといえども、 東洋経綸のためになんの益かある。 この奇この勝もって人心を涵養し、 気風を養成し、 その日夜汲々として業を励むは、 あたかも渓水の流れてやまざるがごとく、 その平常泰然として余裕あるは、 あたかも山岳の座して動かざるがごとく、 山水の美は一変して人為の美となり、 天地の気象は一化して人界の気象となり、 はじめて興国利民の効果を見るべし。
余が紀州人士なかんずく熊野人士のために一言を進むるところ、 全くここにあり。 志州および南島におけるもまたしかり。 余が昨秋以来その地にあるは、 前後二回を合して日数およそ百日間なり。 その間、 峻坂険路を跋渉し、 古来都人士の足跡のいまだかつて至らざる寒村僻邑に入り、 諄々人倫を説き、 喋々哲学を講ずるに、 老弱男女遠近より子来傾聴し、 優待歓迎いたらざるなく、 幽谷もまた春風の観を呈せり。 かかる厚意に対して、 あに一言謝することなくして可ならんや。 もし余が一言、 幸いによく紀州将来の一毛を利するを得ば、 その厚意の万一にこたえ、 かつ百日間の巡回も徒労の評を免るべしと信ず。(明治三十四年)
三一 漢字存廃問題について
昨今、 国字改良を論ずるもの多く漢字全廃論を唱え、 世間ようやくこれに雷同せんとする勢いあるを見て、 余が年来の漢字保存論を公にし、 最初哲学館生徒に対して演述したりし漢字論を一部の小冊子と成し、 題するに『漢字不可廃論』の名をもってし、 広く朝野の諸士の批評を請うに至りたれば、 四方より賛成あるいは反対の声競い起こり、 意外にも世人の耳目を引くことを得たるは、 余が大いに謝するところなり。 これと同時に、 一言の弁解をなさざるを得ざることあり。 余は最初より、 この論を世に公にしたる日には、 国字改良論者より仇敵視せられ、 蛇蝎視せらるることを覚悟し、 あらかじめ劇烈なる駁撃の余が一身に集まるならんと想像せしをもって、なにほど反対の声の囂々たるも、 余が毫も驚かざるところなり。 しかるにその批評中には、 全く無根の事実を伝え、 あるいは余が本旨を誤るもの多きがごとし。 例えばある批評中に、 余が奇を好むの余り、 かくのごとき無用の言をなすなり、 あるいは機に投じて利を占めんためなり、 あるいは漢学生の機嫌を取らんと欲してなり、 あるいは仏教家の歓心を得んがためなり等の語意あるを見たりしが、 これみな、 余の実際と本旨とを知らざるもののみ。 今、 余はこの駁論に答うるには、 まず十四、 五年間の経歴と方針とを述ぶるの必要あるを知る。 かくのごときは無用の言にして、 かつ吹聴がましききらいなきにあらざれども、『漢字不可廃論』の由来を述ぶるに関係あれば、 幸いに饒舌をとがむるなかれ。
余は十四、 五年以前より、 生涯自ら従事すべき業務の大方針を定めんと欲し、 ひそかに二大計を工夫せり。 すなわちその計は、 左の二条をもって表するを得。
一、 哲学の理論を世間に応用して、 その普及に意を用すること。
一、 東洋の諸学をわが国に再興して、 その発達に力をつくすこと。
これ、 実に余が一家の憲法にして、 既往十四、 五年間の事業は全くこの方針のほかに出でざりしは、 余がひとり自ら信ずるのみならず、 人に対して固くちかうところなり。 まずその第一条については、 従来の哲学者がひとり理論を高尚に進むることのみこれつとめ、 これを通俗に適用する道を講ぜざる風あるは古今の通弊なりと知り、 余は及ばずながら世間百般のことに哲学を応用して、 社会の実益を示さんことを期せり。 なお、 理学が高尚なる理論を器械工芸に適用して、 大いに世間を裨益せるがごとくなさんと欲せり。これ、余が第一憲法を定めたるゆえんなり。
つぎに第二条の意は、 わが国一般の傾向は、 東洋の諸学は全然研究の価値なきものと速断し、 その盛衰のごときは自然の勢いに一任して、 ほとんど顧みざる風あるを見て、 東洋諸学は果たして発達する見込みなきやいなやは、 ひとたび実験したる上ならでは知るべからず。 古代のギリシア文学が再興して、 西洋近世の文明を開きたる例を見ても、 東洋諸学の再興は将来大いに望みありと信じ、 かつこれを再興するはわが国民の責任なりと知りて、 第二憲法を定むるに至れり。 しかして、 余がこの二大憲法を設けし本意は、 学者が真理に対して尽くし、 国民が国家に対して尽くすべき二大義務を実行せんとするにあり。 余はこれを名づけて護国愛理の二大義務と称し、 自ら護国愛理学堂主人と号せり。
かくして畢生の大方針を定めたる上は、 この目的を達する方法を設けざるを得ず。 その方法また二途を選び、一は学校を開立して青年を教育すること、 二は著述を発行して世論を喚起すること、 換言すれば、 一人にして教育家となり、 あわせて著述家とならんことを期せり。 まず教育の方法として、 哲学館を設立して、 広く世人をしてたやすく東西両洋の哲学を兼修せしむる道を開き、 さらに進みて専門科を置きて、 東洋哲学を専修する道を開かんことを目的とせり。 この目的を達せんがために日本全国を一周せしことは、 みな人の知るところなり。 つぎに著述の方法としては、 学校教育の余暇をもってこれに当てはめ、 生涯なにほどの書を著述し得るやを試みんと欲し、 第一にわが国の歴史上大著述家として、 余が師友とし模範とすべき人を選定せり。 まず仏家にありては凝然を推し、 儒家にありては〔林〕羅山を取り、 神道にありては平田〔篤胤〕をいただけり。 もしこれに近世の洋家を加うれば、 福沢〔諭吉〕を推さざるを得ず。 これを合して、 余が著作堂の四友となせり。 もし各家とるところの主義にいたりては、 氷炭相いれざること多きも、 おのおの一長一得ありて、 余輩の師友となすにはなんらの不都合あるを見ざるなり。 凝然の高徳、 羅山の博覧は、 余輩の深く敬服するところにして、 平田大人のひそかに儒仏および西洋の諸説を消化して、 神道の再興を大成したる卓見と、 福沢翁の早く欧米の文明を調理して、 わが通俗社会をしてその味を感ぜしめたる活眼とは、 余がつとに敬慕するところにして、 さきにいわゆる二大方針中、 哲学の思想を民間に普及せしむるには福沢翁を模範とし、 東洋の諸学をわが国に再興するには平田大人を手本とせんことを期せり。 これ、 余が著作堂の四友として以上の四大家を選定したるゆえんなり。
右述ぶるところは、 漢字存廃問題に対してなんらの関係なきようなれども、 その実大いに関係あり。 例えば、今回の問題につき漢学専門家ですらもなんらの反対を唱えざるに、 余がひとりものずきらしく飛び出だして漢字廃すべからずと論ずるを見て、 機に投じて利を得るためならんなどとの批評を招くに至れり。 余は決して投機学者にもあらず山師学者にもあらずして、 ただ余は一家の憲法を実践したるのみ。 回顧すれば、 先年相撲流行の際にに『相撲玄談』を著し、 日清戦争の際に『戦争哲学』を著ししをもって、 当時の評に、 あまり投機に過ぐるがごとく言いし者あり。 しかれども余の意は、 社会百般の事みなその裏面に哲理を具するをもって、 時に臨みてその哲理を外面に開示するは学者の責任にして、 かつ余の一家の憲法中、 第一条の哲学普及の目的に合することを知り、 かくのごとき世間にいまだその名を聞かざりし著作あるに至れり。 ただにこれのみならず、 今後事情の許す限り、 商業哲学、 工業哲学、 農業哲学、 医術哲学等の著述を試むる意なり。 しかるときは世間必ず余を目して、付会学者、 瞞着学者なりといわんも、 余自ら信ずるところありてその所信を世に表白するものなれば、 世評のいかんはあえて問うところにあらざるなり。
今度の『漢字不可廃論』も、 余が決して機に投じ利を釣らんとするにあらず、 また、 他にためにするところありてしかるにあらず。 これ、 余が年来の持論なることは、 哲学館に出入するもののみな熟知するところなり。 さきに余が一家の憲法として定めたる第二条の主義にもとづき、 哲学館中に東洋専門部の学科を設け、 その準備として漢学専修科を開設せり。 けだし、 その本意はわが国の制度文物より百般の事にいたるまで、 漢字漢文をまたざれば知るべからず。 ゆえに、 漢字漢文を専修する道を開くは、 実に急務中の急務なりと信ぜしによる。 しかして実際、 漢学専修科を開きたるは四年前なるも、 その旨趣を発表したるは明治二十三年のことなり。 かくして十年前より漢字を学ぶの急務を唱えたるは、 その廃すべからざるを知ればなり。 自ら漢字の廃すべからざるを知りて不可廃論を唱うるに、 なんの不都合かこれあらん。 これ、 奇を好むにもあらず、 他のためにするにあらず、 余が一家の憲法を履行し、 余が年来の持論を発表したるのみ。
(本論は漢字廃止論の盛んなりしとき、 先生が病床にありながら、『太陽』記者の求めに応じてものせられしものなり。 論中『漢字不可廃論』といえるは、 四聖堂にて発行せし先生の著述のことにして、 先生が漢字論は同書においてつまびらかなり。)
三二 能 州 論
(本文は能州巡回報告なるも、 能州の将来につきいささか論ずるところあれば、 これを「能州論」と題す。)
論語を読みて論語を知らざるものあり、 北国に生まれて北国を知らざるものあり、 余はすなわち北国に生まれて北国知らずの一人なり。 北国第一の高山たる白山も、 第一の大都たる金沢も、 ともに余のいまだ接見せざりし所なり。 余は元来越後に生まれ、 幼にして〔上杉〕謙信の詩を誦せり。 けだし、 越後の名は謙信とともに高く、 謙信の名はその詩とともに伝わる。 しかして、 その第三句に「越山併得能州景」(越後、 越中の山々に能登の景勝をあわせて見ることができる)とあるを読むごとに、 能州の風景の殊絶ならんことを想像し、 ひとたびその地に遊ばんと欲するや久しかりしが、 今日までその志を果たすを得ざりき。 しかるに因縁ようやくここに熟し、 本年暑中休暇四十日間をもって、 能州一円四郡を巡回することとはなりぬ。
今度の巡回は文人的漫遊にあらず、 保養的旅行にあらず、 哲学館および京北中学校拡張の旨趣を報告し、 広く賛成会員を募集するにあり。 滞在の日数は四十三日間にして、 開会の場所は四十二ヵ所なるも、 賛成者の多くしてその結果の良好なるは、 従来、 他にいまだその比を見ざるところなり。 これ全く発起諸氏の奔走尽力のいたれるによるといえども、 また能州人士の義挙心に富める一端を知るに足る。 余の至る所、 あるいは煙火をあげて祝するあり、 あるいは緑門を造りて迎うるありて、 実に優待を極め歓迎を尽くせり。 ただ余は、 その厚意を謝するに言語なく、 その懇志に報ゆる方法なきに苦しむのみ。 もしその万一に報答せんと欲せば、 余が巡回中の所感を記して、 能州将来の繁盛を祈るよりほかなかるべし。
能州に遊びて帰るものはみな曰く、 風景よし、 空気よし、 人気よしと。 余、 この地に入りてたちまちその言の真なるを知る。 けだし、 能州の風景の魁たるものは珠洲の九十九湾なり。 これ松島の勝、 耶馬渓の奇と相伍するものなれば、 その名勝たるや余が紹介をまたざるなり。 石動山上の眺望よく謙信をして能州の景を歌わしめたるも、 またそれ人の知るところなれば、 余が喋々を要せざるなり。 ただ余は巡回中に、 別に七不思議および八景と名づくべきものを得たれば、 他日の笑い草までに左に掲ぐ。
能州巡回中の七不思議
(一)灘の人車鉄道(注していう、 灘村にては石材運搬のため数里の間レー ルの布設あり。 このレールに轎を載せ、 後ろよりこれを押す。 運転すこぶる軽し。 これすなわち一種の人力車鉄道なり)
(二)小木法融寺のランプ(題していう、「不許蘭弗入山門」(ランプ山門に入るを許さず))
(三)兜村の蚊(兜は蚊太と音相通ず。 名実相応の一奇なり)
(四)馬渡浄楽寺の山門(浄楽寺山門なし。 住職曰く、 寺をさること数町、 本村に入る所、 巨石深淵左右相対する 天険あり、 これを浄楽寺の山門となすと。 余曰く、 浄楽寺は山門なきをもって山門となす。 禅宗の無門関と相似たり。 これ法融寺のランプと好一対の奇なり)
(五)大町の人造雨(大ポンプにて水を空中に散じ、 雨のごとく地を湿さしめ、 もって人をして炎暑を忘れしむ。 これ、 よろしく人造雨と名づくべし)
(六)徳田照明寺の大硯(長さ一尺八寸、 幅一尺二寸)
(七)免田、 西氏庭内の石〔灯〕籠(大小十二基、 おのおのその形を異にす)
以上の七種は余が日本全国六十ヵ国、 八百数十ヵ所の巡回中、 いまだかつて見聞せざりしものなれば、 これを能州の七不思議とす。
能州巡回中の八景
(一)七尾の汽笛 (二)中居の隧道 (三)珠洲の塩田 (四)南志見の盆踊り (五)輪島の明月(六)七浦の断巌 (七)釶打の鄹雨 (八)高浜の炎暑
以上は、 余が能州巡回中経験せる七奇八景なり。 すでに風景と空気とのよきはこれを略し、 ただ人気のよき点につきて一例を挙ぐれば、 余の巡回中、 いたるところの村落みな夜戸をとざさず、 道に遺失せるものを拾わざる風あり、 実に尭舜の民というべし。 そのほか、 能州の特色として加えざるを得ざるものは仏教の勢力なり。 これを仏教の勢力というよりは、 むしろ寺院僧侶の勢力なり。 僧侶の学識徳行必ずしも他国より優等なるにあらずして、 その勢力の強弱大いに異なるところあるは一考を要するところなり。
余が観察するところによるに、 これに二様の原因あり。 その一は、 能州一般人民の学識の程度は僧侶より劣等なること、 その二は、 能州の人気淳朴にして、 すべて旧慣を固守する風あることこれなり。 今、 第一原因を述ぶるに、 能州の全土は雄藩加賀侯の封土に属し、 古来士族の住せざりし地なり。 維新以前はいずれの国にても、 学問を修むるものは士族と僧侶にして、 士族は儒学一方を修め、 僧侶は仏学を本とし傍ら儒学を修め、 自然の勢い士族は仏者を排斥する傾きありて、 仏者はかえってこれに反動したる傾きありき。 しかして、 明治の維新は全く士族の手によりて成功したるをもって、 仏者は大いにその従来の勢力を減殺するに至れり。 しかるに能州は元来仏者の敵手たる士族なき地なれば、 学問の全権はひとり僧侶の握るところとなり、 維新後に至るも一般の人民は、 知識の点において僧侶に服従せざるを得ざるありさまなれば、 寺院僧侶の権力は依然として今日に盛んなるを見るなり。 つぎに第二の原因を考うるに、 能州は地位の僻在せると道路の険悪なるとによりて、 他国人の入り来たること少なく、 したがって外部の刺激を受くることなし。 ゆえに、 人気はおのずから質朴にして、 諸事旧習を重んずるの風あるなり。 これをもって明治の今日に至るも、 寺院僧侶の勢力は維新前と異なることなし。 ヤソ教徒の痕跡の絶えてその地になきもまた、 これとその原因を同じくす。
これに反して一般人民の教育程度を傍観するに、 他国に比して劣等の地位にあるがごとし。 能州人にして中学教育を受けたるもの幾人かある、 高等教育を修めたるもの幾人かある、 これ極めて少数ならん。 大学に入りて卒業したるもの、 大学院に入りて学位を得たるもののごときは、 比較的寥々たるべし。 かくのごときはまた、 その地に士族の存せざると、 その人民の旧習を重んずるとに帰せざるはなし。 ゆえに、 余は能州の将来につきて一考を案出す。 すなわち、 僧侶の教育を進め学識を高め、 もって一般人民の模範を作ることこれなり。 もし、 能州の僧侶はたいていみな中学教育を修め、 さらに進んで高等教育、 大学教育に就き、 全州いたるところ不学無識の僧侶なきに至らば一般人民の学識これに伴って進むは自然の勢いなり。 ゆえに余おもえらく、 能州人士の教育も、 能州風俗の改良も、 能州事業の発達も、 みな寺院僧侶より始めざるべからず。
すべて社会のことたる、 善にても悪にてもおのおの感染するところありて、一善人あれば百善人続いて起こり、一悪漢あれば百悪漢伴い生ずるものなり。 これ、 あたかも赤痢、 コレラ等の伝染するがごとし。 例えば、一地方に一人の大相撲を出だせば、 必ずその村中、 相撲をよくするもの比較的に多きを見る。 また、 一地方に一人の大碁客を出だせば、 必ずその村中、 碁をよくするものあるべし。 一人の画家、 一人の茶人、 一人の歌人、 その他なににても、 一人の名家ある所には必ず数名のこれに類似せるものありて起こる。 これまた一種の伝染病なり。 これをもって、 わが日本国中において各地方、 その所長その伝染を異にするあり。
例えば、名古屋地方は茶の湯流行し、金沢人は謡曲をよくし、徳島生まれは義太夫に長じ、豊前豊後の青年は詩才に富めるがごとし。 そのほか、今日人物の種類につきてその産地を考うるに、またおのずから各国の特色あり。例えば、 長州は多く政事家を出だし、 薩州は多く軍人を出だし、 土州は多く法律家を出だし、 越後は多く医者を出だし、 岡山県は多く漢学者を出だすの類を見て知るべし。 これ、 その国の先輩が後進を誘導せるによるといえども、 また一種の伝染力にもとづかざるはなし。 今、 能州はその地褊小なりというも、 面積といい人口といい、 これを隣国佐渡に比するに、 ほとんど三倍以上を有せり。 しかして、 余いまだ能州になんらの人物の出でたるを聞かず。 佐渡小なりといえども、 なおよく益田孝、 高田慎蔵のごとき豪商を出だす。 能州よくこれに敵すべき人物を出だせしか。
日本中、 国の最小なるものを志摩となす。 志摩の最小国すらなお、 前に近藤真琴翁あり、 いま藤田四郎、 門野幾之進等の諸氏あり。 能州よくこれと伯仲する人物を出だせしか。 もしその地勢および面積をもって較すれば、能州と豆州とは兄たり難く弟たり難きの国なり。 しかして豆州は、 前に頴川太郎左衛門なる人物を出だし、 後に中村敬宇なる大家を出だせり。 能州よくこれに比すべき人物を有するか。 余が聞くところにては、 能州の仏学者としては、 維新前はしばらくこれをおき、 維新以後は異安心をもってその名を得たる頓成と広陵講師との両人あるを知るも、 これ真宗一派内のことのみ。 東京にありて新聞記者に向かい、 頓成はなにびとなるや広陵は何学者なるやと問うも、 だれありて答うるものなかるべし。 果たしてしからば、これいまだ能州の人物として世間に紹介するに足らざるなり。 ただ余は、 東京の湯屋および三助は多く能州人なりというを聞く。 これ、 かえって能州の名誉を傷つくるのみ。 ゆえに、 もし余がみるところをして大差なからしめば、 能州に最も乏しきものは人物にして、 今より最も急なるは人物の養成なりと信ず。 しかしてその養成は、 まず僧侶に向かいて望まざるべからずとなすは余が所見なり。
日本国中、 あるいは軍人を出だし、 あるいは政治家を出だし、 あるいは医学者を出だして、 その名のあらわるるものありといえども、 いまだ特に僧侶中の人物を出だして、 その名を得たるものあるを聞かず。 しかして宗教の改良発達は、 必ず僧侶の人物をまたざるべからず。 かつ国家の隆盛は宗教の改良に伴うものなれば、 僧侶中の人物を得るはひとり宗教のために要するのみならず、 国家のために渇望するところなり。 果たしてしからば、 余は能州より宗教界の人物人傑を続々輩出して、 よく日本仏教の一大改新を断行し、 他日世人をして、 政治上の維新は薩長の力にて、 宗教上の革新は能州人の力なりと呼ばしめんことを望んでやまざるなり。 余かつて曰く、わが国明治の維新は一半すでに成りて一半いまだ成らず、 有形上、 器械上の文明すでにきたりて、 無形上、 精神上の文明いまだきたらずと。 このいわゆる無形上、 精神上の文明は、 宗教の改新をまちてのち見るべきなり。 しかして宗教の改新は、 僧侶の人物をまたざるべからず。 これ、 余が切に能州人に望むところにして、 また最も能州の事情に適するところなり。
余、 初めて能州に入り、 宗教の実況を見て大いに驚きしものあり。 すなわち、 寺院の新築再建の一事これなり。 他州にありては近来、 信徒の懇志の減じたると物価の騰貴せるとにより、 あるいは火災のために焼失し、 あるいは風害のために破損したる堂宇は、 再建新築の挙を見ること難く、 たまたま再建するも、 従前十間の本堂は減じて七間となり、 七間の本堂は五間となりて、 漸々縮小する傾きあり。 しかるに能州はこれに反し、 五、 六年前に焼失せし本堂が、 両三年を出でずして、 たちまち旧に復するの勢いなり。 これを越後の戊辰の戦役に焼失せし堂宇が、 今日なお旧に復せざるに比すれば、 その懸隔ほとんど霄壌の差あり。
余がみるところによるに、 能州寺院は十中七八は維新以後の新築にかかるもののごとし。 けだし近来、 寺院の間に堂宇新築の競争暗々裏に行わるるという故をもって、 甲は五間の本堂を再建すれば乙は七間の本堂を新築し、 丙は八間の本堂を建立すれば丁は十間の本堂を新設し、 本堂の大小、 間数をもって寺院の資格を論じ品位を評する風あり。 その結果、 寺院の実力に過ぎたる本堂を見るも、 その修繕維持にいたりては他日をまたず今日すでに大いに困難を感ずるは、 勢いの免るべからざるところなり。 ゆえに、 余はあえて本堂の新築再建を非議するにあらずといえども、 今より宗教の前途を考うるに、 国費日に多端となり、 徴税月に重きを加うるとともに、 寺院の収入ようやく減じ、 堂宇の修繕維持は年一年より一層の困難を感ずるは必然の勢いなり。 もし、 あらかじめこの困難を避けんと欲せば、 今より、 従前十間の本堂は減じて七間とし、 七間の本堂は減じて五間とし、 諸事縮小主義をとるをよしとす。
これに反して、 住職僧侶の学問教育は拡大の方針をとるを要す。 例えば、 従来の僧侶は宗余両乗を学ぶにとどまりしも、 今後は両乗のほかに広く内外の諸学を修むることとなし、 従来の僧侶は中等教育にとどまりしも、 今後はさらに進みて高等教育、 大学教育を受くることとなし、 従来の僧侶は修学に三年間を費やせしも、 今後は五年ないし八年を費やすこととなさば、 僧侶中の学士も博士もみな能州より出でて、 学徳兼備の高僧大徳はことごとく能州より出でて、 第二の福田行誡師も第二の七里恒順師も今北洪川和尚も釈雲照律師もみな能州より出ださしむること、 決して難事にあらざるなり。 学者としては凝然、 証真、 霊空、 鳳潭、 普寂、 快道諸師のごとき大家を、 偉人としては行基、 伝教、 弘法、 慈覚、 日蓮、 天海のごとき人物を、 能州の一半島より産出すること、 また決して望みなきにあらざるなり。 仏教界のルター、 ツヴィングリ、 カルヴァンも、 能州の青松白波相映ずる所、水清く山静かなる所にならび起こりて宗教革新の偉業を大成することも、 また決して架空の想像となすべからず。 古来、 英雄起こる所、 地形よしという。 能州の地形はよく英雄を喚起するに適す。 北海の渺茫として津涯を見ざる、 沿岸の屈折して変化きわまりなきは、 みな英雄を産出すべき地形なり。 しかるに能州に一人の英雄を見ざるは、 余は断固として、 あたわざるの罪にあらず、 なさざるの罪なりといわんとす。 かつ、 その地の気朗らかにして境静かなるがごときは、 深遠の学術思想を養成するに日本中、 最好至適の地と称するも過言にあらず。 インド哲学の妙旨、 大乗仏教の深理は、 この地をほかにしていずれの境遇にありて味わうべきや。 夏日にありては北窓の清風を友とし、 秋夕にありては草間の虫語をともとし、 春は月に伴い冬は雪に伴って沈思静読すれば、 高遠の思想を胚胎する万巻の書も、 たちどころに一破するを得べし。 かれを比しこれを考うれば、 能州の地は仏教界の大偉人、 大学者を産出すべき所なるは、 疑うべからざるがごとし。
もし、 今より能州人が本堂の大小をもって互いに競争する風を改めて、 住職の学識いかんをもって競争し、 隣寺の住職は中学卒業ならば、 わが寺の住職は大学卒業ならんことを望み、 十間四面の本堂を建てんと欲せばこれを七間四面に縮め、 かくして余すところの財資は、 これを住職の学資に充つるように注意するに至らば、 第二十世紀の能州は全然面目を一新し、 薩長は明治の元勲をもって世界に鳴り、 能州は宗教の元勲をもって天下に鳴るに至るは必然の勢いなり。 果たしてしからば、 能州人士、 あに碌々としてその堵に安んずるを得んや、 能州僧侶、 あに奮然として志を立てざるを得んや。
いずれの国も、 寺院および僧侶は多く檀家信徒の懇志により生存するものなれば、 自ら進んで学問せんとするも学資を弁ずる道なければ、 檀家信徒はいやしくも仏教に帰依する以上は、 仏祖に対する義務として僧侶の学資金を喜捨し、 十分その志を達し、 その才を伸べしむることをつとめざるべからず。 また、 僧侶たる者は小成に安んずることなく、 自ら能州人を代表して名を天下後世にあぐるの大望を有せざるべからず。 従来、 仏教繁盛の地は寺院の門地、 門閥、 堂班、 位階を争うの弊あり、 能州また〔この〕弊を免れざるべし。 今後は僧俗ともにかかる空位虚名を喜ぶをやめて、 実学実力を養うことをもっぱらとせざるべからず。 堂班、 衣帯は外観上の美を装うに足るも、 もしその人無学無識ならば、 猿猴に衣冠を着くるとなんぞ選ばん。 ゆえに、 その弊を洗除するは今日の急務なり。 かくして僧侶中に多少の人物を出だすに至らば、一般人民もまたこれに伴いて智徳ともに進むるは自然の勢いなり。余は能州の実情を深察して、 その地の改良発達はまず僧侶より始めて一般人民に及ぼさざるべからずと信じ、 かくのごとき立論をなすに至れり。
終わりに際してさらに一言せんとす。 能登は咽喉と国音相通ずるがごとく、 その地、 実に北海の咽喉なり。 また、 能登はヨクノボルと訓ず。 その名すでに出世立身の兆しを示す。 しかして、 今日までなんらの人物のその地に起こらざるは、 あに能登の名に対して恥ずるところなきや。 能州の人、 もし能登の名を読みて憤起するあらば、 その将来必ず大いに成すことあるは疑うべからず。 進めや進め能州の青年、 起きよ起きよ能州の僧侶。 余が一語、 幸いにして能州将来の一毛を利するを得ば、 暑中四十三日間の巡回も四十二カ所の演説も徒労の評を免れ、 かつ有志諸君の厚意に対して万一を報答するに足ると信ず。 あなかしこ。
三三 将来の仏教につきて日蓮宗諸師に望む
仏教の振るわざるや久し、 その由来するところまた遠し。 今これを再興せんと欲せば、 必ずまずその淵源を究めざるべからず。 もし世人に向かい、 なに故に仏教を信ぜざるやと問わば、 必ずこれに答えていわん、 われいまだ仏教を信ずるほどに老い去らずと。 けだしその意、 仏教は死後未来の禍福を説くものにして現世に関係なきものなれば、 年なお壮にして健全なる間は仏教を信ずるに及ばず、 年ようやく老いきたりて死期の近づくに至らば、 多少仏教を聞くも可なりとなすにあり。 これ、 仏教のなんたるを解せざる妄評なることは、 その一端をうかがうもののみな知るところなれども、 従来の習慣が、 世人に感想を抱かしめたるや決して疑うべからず。 従来、一寺の住職たるもの、檀徒を教導するに葬式法事に読経供養を営むのみにして、 さらに宗意教理を説き示すことなく、 僧侶の職たるや、葬式の世話人か墓場の番人に過ぎざるありさまにして、 わずかにお経を捧読に読み下すことだけは多年習慣にてでき得るも、その意義にいたりては、いわゆる「論語読みの論語知らず」の体にて、 東西相分からぬようなる愚僧たちが多かりき。 すでに教導者たる僧侶がそのようの始末なれば、これに教導せらるる檀家信徒が、仏教のなんたるを知らざるはもっとも千万の次第なり。たまたま寺院に参詣すれば、堂内に位牌あり、堂後に墓所あり、 見るもの聞くもの臨終の催促のように感ぜられ、 なんとなく寺院は陰気にし、 不祥らしきもののように考うることとなれり。 もっとも、 一、二の宗派は宗意安心を説きて門徒を教導するも、 死後の禍福賞罰のみを談じて国家社会を軽賤する風あれば、 ますます世人をして、 仏教は厭世教なりとの観念を深からしむるに至れり。
余おもえらく、 仏教中、 小乗は厭世教なれども、 大乗は厭世教にあらず。 大乗教中、 二、 三の宗派は、 死後の禍福を勧むるをもって立宗の本意とするも、 あえて現世を放擲して顧みざるにあらず。 人間一生の業務性行を全うして、 未来成仏を期するものなれば、 その厭世にあらざること明らかなり。
果たしてしからば、 インド仏教はいさ知らず、 日本仏教はいずれもみな大乗宗なれば厭世教にあらず。 しかしてこれをして厭世教ならしめたるは、 従来の習慣あずかりて力ありと考うるなり。 余聞く、 日蓮宗は現世教にして未来教にあらず、 生前教にして死後教にあらずと。 これ、 天台一乗家の此土寂光の妙理を実際に応用しきたりて、 大乗の非厭世教中にさらに非厭世教を開きたるものなりと信ず。 余、 いまだその宗意を明らかにせずといえども、 今日世間一般に仏教を目して厭世教となし死後教となせるに対して、 そのしからざるゆえんを示すには、主として日蓮宗諸師に、 その宗意教理を広く世間に開示せられんことを望まんとす。 余は仏教の真理を愛すると同時に、 講学上宗派の偏執を去らんことを欲するものなり。 いずれの宗派も一仏の所説に出でたる以上は、 その間に彼我の敵意をはさむ理なく、いずれの宗意といえども、 その中に含むところの真理もしくは長所は、これを世間に拡張するにおいて、 あにあえて猶予するを要せんや。
余案ずるに、 日蓮宗の長所は、 現世を本とし世間を目的とするにあり。 今や日清戦争の結果、 国際の関係日に密接となり、 商法に工業に万国と対立して競争せざるを得ざるに至り、 ややすれば再び外国と干戈を交うることなしとせず。 このときに当たり 一国の宗教たるものは、 世間を本とし実益を先として、 進取的方針をとらざるべからず。 厭世的あるいは退守的宗教は、 国際の競争に勝を制するゆえんにあらず。 ゆえに、 今後の仏教は世間門を先として出世間門を後にし、 俗諦門を表にして真諦門を裏にせざるべからず。 日蓮宗のごときは、 すでに厭世教にあらずして世間教なれば、この際さらに進みて国際の競争に加わり、 あくまで国家を円満ならしむることを目的とすべし。 他の宗派も、 永くこの国に栄えんと欲せば、 必ずこの方針を取らざるべからず。 しからずんば、 僧侶は世間の廃物視せられ、 寺院は無用視せらるるに至るは必然の勢いなり。 しかりしこうして、 余は日蓮宗に向かいて、 今後の仏教改良の先鞭をつけられんことを望む。 その方針たるや、 世間的、 競争的、 有為的、 進取的ならざるべからず。 かくして、 仏教は厭世教なり、 僧侶は墓番なり、 寺院は葬式取扱所なりとの妄評を説破せざるべからず。
従来、 日蓮宗と他宗との間に往々感情の衝突を起こし、 ために仏教の一致を欠くの憂いあり。 これ、 他宗より日蓮宗を排すると、 日蓮宗より他宗を斥するとによる。 ゆえに、 その責は両者の上に帰せざるべからず。 余、 各本山の蔵書を閲するに、 数万の仏書を有しながら、 日蓮宗の書類は一冊だも所蔵せざるもの多し。 日蓮宗の本山中にも、 また必ず他宗の書籍を所蔵せざるもの多からん。 仏学の研究上、 かくのごとき鎖港攘夷的偏見は、 余は害ありて益なきものと信ず。 爾後、 日蓮宗と他宗との間は、 開港通商的精神をもって相交わり、 互いに彼が長を取りて己の短を補い、 もって宗派の統一と教理の円満を祈らざるべからず。 しかして仏教の統一と円満は、 国家の統一と円満を助くるに至るは自然の勢いなり。
余は日蓮宗諸師、 世間より仏教を目して厭世教となすの冤をそそぐの先鋒隊たらんことを望むと同時に、 講学上仏教の統一と円満とを期せられんことを望む。
三四 人の感覚を測定する法
(学士会通俗学術講談会において)
感覚は心理上より解釈を下すときと、 生理上より義解を定むるときと少々異同あれども、 今これを略し、 ただ感覚は心理作用の一部分として論ずべし。 感覚を分類するときは、 外部の感覚と内部の感覚との二類となる。 外部の感覚には五種を分かち、 視感、 聴感、 触感、 味感、 嗅感の五感とするなり。 この五感は人の知識思想の本源となり、 もしくは材料となるものなれば、 感覚の重要なるはもちろん、 これを研究すること、 ゆるがせにすべからざるなり。 余が感覚を測定する方法を攻究するゆえんは、 感覚は果たして知識の標準とすべきものなるや、 また感覚は果たして真に外界の事情を知るの力あるものなるやを試みんと欲するにあり。 かつて一方法を設けて、まず重量を感別する力を試験せり。 今その由来を述ぶるに、 余、 一日、 哲学館生徒の重量を推測する力を試みんと欲し、 教場に五個の物品を置き、 生徒各員をして手にてその物を一つ一つ探らしめ、 その推測せる重量を紙上に記載せしめたることあり。 すなわち左のごとし。
試験方法および目的〇能験者はあらかじめ用意したる五個の物品を出だし、 その各個に番号を付してこれを別々に所験者に授け、 所験者は手をもってその重量を推測し、 その結果を紙上に記示する規則なり。 しかしてその目的は、 人の感覚にて重量を推測する力を計るにあり。 当日用意したる物品は左のごとし。
(一)水入れ(陶器) 重量十六匁
(二)けいさん(石) 同 八十七匁
(三)タバコ箱(木) 同 三十二匁
(四)書物(洋紙) 同 五百二十匁
(五)かばん(革) 同 三百八匁
所験者四十六名中、 その答えの五問中の一問の実量に符合せるもの一名ありしのみ。 すなわち、 二百三十分の一なり。 その余すなわち二百三十分の二百二十九は、 その答案ことごとく実量に相違せり。
余、 つぎに比較的に各人の重量感覚力を測定せんと欲し、 その方法を思考し一種の新法を工夫せり。 まずはじめに二十五個の箱を作り、 これを青、 黄、 白、 赤、 黒の五色によりて五種に分かち、 各個の箱は長さ二寸五分、幅一寸八分、 厚さ一寸三分のものとし、 その中に綿をみたし、 鉛を入れて適度の重量を作り、 その第一種の各個には目方五分ずつの差を与え、 第二種には一匁ずつの差、 第三種には一匁五分ずつ、 第四種には二匁ずつの差を与え、各種五匁をもって起点とし、 第一種なれば五匁、 五匁五分、 六匁、 六匁五分、 七匁と次第せり。 ひとり第五種には二十匁以上の重量を作らんと欲し、 二十匁をもって起点とし、 各個に一匁の差を与えて、 二十一匁、 二十二匁と次第せり。
かくして、 その各種の五個に各記号を付し、 一種ずつ所験者に授け、 所験者は手をもってその五個を探り軽重を計り、 その最も軽きものより次第に順列して最も重きものに至り、 その順序を紙上に記載し、 第二種も第三種もみなかくのごとくその答えを紙上に示さしめ、しかして後、 能験者はその紙を験して各人の重旦感覚を推知するなり。
この法によりて数回経験の末、 その箱のやや大に過ぐるを知り、 またその重量の差のよろしきを得ざるを知り、さらに箱を作り、 長さ、 幅、 厚さ各一寸五分ずつの正立方体となし、 これを試むるに、 かえって正立方にあらざるものの重量を感覚するに便なるを知り、 さらにまた箱数十個を作り、 上図のごとく長さ二寸、 幅一寸五分、 厚さ一寸と定め、 五匁を起点とし、 綿と鉛の分量によりて軽重を適度にし、 第一種には二分五厘の差を与え、 第二種には五分の差、 第三種には七分五厘、 第四種には一匁の差を与え、 次第にその差を増して二匁に至り、 各種五個ずつにして都合八種四十個とし、 まずその差の最も多きものを所験者に授けて、 各個の重量を比較推量せしめ、 次第に進んでその差の少なきものに至る法なり。
この法によりて数十人の書生を試験するに、 なお不十分なるところあるを知り、 さらに改めて前図と同一の箱五十個を作り、 これを十種に分かち各種一個ずつとし、 ともに五匁を起点とし、 第一種には各個に一匁の差を付し、 第二種には九分、 第三種には八分と次第して、 第十種には一分の差を付し、 左表のごとき割合を用いたり。
この表に従い、 各個の箱中にまず綿をみたし、 その中央に鉛片を入れ、 その口を封じ、その表面に何種に属するの記号を付し、 その各個の両側に暗号を記し、 人をしてまず第一種を探り、 その最も軽きものより次第に重きものに及ぼし、 これを一行に並列せしむ。 もし、 その並列せるもの暗号の順序に合するときは、 これをして第二種を探らしめ、 前のごとくその順序正しきときは第三種を探らしむ。 もし、 その順序正しからざるときは再び試むるを許し、 再試の上なお誤りあるときはその試験をとめ、 これに二点を与うるなり。 かくして次第に進みて、第五種に至りてはじめて誤りあるときは四点を与え、 第九種に至りてはじめて誤りあるときは八点を与え、 第十種に至りてなおその順序正しきときは十点を与うるなり。 もし、 第一種の試験にすでに誤りあるときは零点を付するなり。 この規則に従い種々の学校に至り試験を施せしに、 左の結果を得たり。 学校は左の四カ所なり。
哲学館(男) 生徒年齢およそ二十歳ないし三十歳
郁文館(男) 同 年齢およそ十四歳ないし二十歳
成立学舎女子部(女) 同 年齢およそ十四、 五歳ないし二十歳
盲唖学校盲生(男女とも) 同 年齢およそ十二、 三歳ないし二十歳
同 唖生(男女とも) 同 年齢およそ十歳ないし二十歳
この諸校の生徒の点数を表によりて示すこと、 左のごとし。
校名 零点 一点 二点 三点 四点 五点 六点 七点 八点 九点 十点
哲学 二 八 三 二 八 十二 十五 七 三
郁文 三 三 四 二 四 八 五 二
成立 一 三 二 二 五 八 二
盲生 五 一 二 七 九 二 一
啞生 十二 二 四 二 一 二 一 六 四 一
合計 十七 三 九 十三 十二 十 二十二 四十 三十四 十二 四
すなわち、 哲学館にては二点を得たるもの二名、 三点を得たるもの八名、 四点を得たるもの三名、 その他これに準じて知るべし。 もし一学校につき、 所験生徒の総数と点数の総計とを比較して平均数を求むるときは、 左表のごとし。
校名 人数 点数 平均 順序
哲学 六十人 三百九十五 六・五八 第二番
郁文 三十一人 百七十九 五・八三 第三番
成立 三十三人 百五十二 六・六〇 第一番
盲生 二十七人 百四十五 五・三七 第四番
啞生 三十五人 百十九 三・四〇 第五番
合計 百七十六人 九百九十点 五・六二
この表によるに、 平均点数の最も多きものは成立学舎女生徒にして、 最も少なきものは唖生徒なり。 すなわち、 重量感覚力は女生徒を第一として哲学館これにつぎ、 郁文館またこれにつぎ、 盲生そのつぎ、 啞生またそのつぎなり。 しかして総計の平均数五・六二なれば、 人の平均感覚力は第五種と第六種との間にありて、 すなわち、 目方六分の差あるもの、 ないし五分の差あるものとを識別することを得るなり。
およそ重量感覚は人の職業、年齢、経験、習慣等によりて大差あるは明瞭なる事実にして、ただに男女、盲啞の間にその差を見るのみならんや。 かつ、 物品の目方増加するに従い、 その軽重を弁別すること難きものなり。例えば、 目方十匁以上なれば一匁の差を知ることを得るも、 二十匁以上に至れば一匁の差を知ること難し。 余が経験するところによるに、 ある生徒中に十匁以下にて一分の差を識別する力を有するものあれば、 これに二十匁以上の箱五個を与え、 その各個重量の差二分なるも、これを識別することあたわざりし。なんとなれば、 二十匁の物品にて二分の差は、五匁の物品にて五厘の差に相当する比例なればなり。 ゆえに余は、この重量比較推測品の目方を五匁より十匁以内と定め、 人の年齢も十歳以上三十歳までをとりて試験を施せり。 この試験の成績によるに、 人の重量比較推測力は、 左のごとき表にて示すことを得るなり。
上等 中等 下等 等外
十点 九点 八点 七点 六点 五点 四点 三点 二点 一点
すなわち、 試験によりて一点を得たるものは等外とし、 二点を得たるものは下等の下とし、 三点は下等の中とし、 四点は下等の上とし、 五点は中等の下、 六点は中等の中、 七点は中等の上、 八点は上等の下、 九点は上等の中、 十点は上等の上すなわち最上等重量感覚力とするなり。 この規則に従って衆人の上に試験を施すときは、 衆人の重量感覚力を測定することを得べし。
これ、 余が試験によりて得たる結果なり。
三五 わが決心を固めたる教訓
私は年来、 教育のことに心がけておる。 このためには、 他の一切のことをほとんど犠牲にして、 東西に奔走しておる。 私がかように決心を固めたについては、 三つほど原因がある。
その一つは、 蓮門教会の開祖島村みつの話である。 蓮門教会というものは、 諸君の知るごとく、 識者からは淫祠であるとてそしられ、 その教うるところは迷信であるとてしりぞけられておる。 私もその説くところ、 その教うるところについては感心しておる者ではない。 けれども、 その開祖といわれておる島村みつの経歴を聞くときには、 私は感心せずにはおられぬ。 聞くところによれば、 みつは山口県豊浦郡の一女子で、 家が貧乏であった故、 幼少、 豊前の小倉なる士族の家にやとわれ、 下女奉公をしておった。 しかるにその後、 主家を出でて数年の間に 一日たまたま神の託宣とかをうけて、 自分は神になったと信じ、 そのいわゆる神命を逢う人ごとに話した。が、なにぶんにも今まで平凡の一女に過ぎなかったため、 はじめはだれもみつのいうところを信ぜぬばかりでない、 多くの者は、あれは大方気ちがいにでもなったのであろうといって、 少しも相手にせなかった。 けれどもみつは毫も頓着せずに、自分の思うところを人に語っておったところ、 そのうちに少しずつ彼を信ずる者ができた。 みつのいうところ、 全く価なきものでもない、 多少もっともなところもあるというようになって、 彼のいうところに耳を傾ける者ができるようになった。 そのころがちょうど明治四年のころであって、 これが蓮門教会のそもそものはじまりであった。 その後、 みつはいよいよ進みて自分の信ずるところを人に伝えたものであるから、 その信徒ますます増して、 小倉に壮大なる教会堂を構えて、 これを中心として、 ようやく勢力を地方に及ぼし、 近ごろでは東京においても侮るべからざる一勢力を成すようになった。 私が先年小倉に行ったとき、 その地方の銀行についてたずねたところ、 かの教会が有するところの公債証書だけでも、 十余万円の金額に及んでおるとのこと、 なおその他の財産を加えて見積もってみると、 まずざっと二、 三十万円もあろうかとのことであった。 私はこれを聞いて深く感じた。 かれ島村みつは無学文盲の下女ではないか、 しかるにわずか三十年足らずの間に、一宗教的勢力の中心となって、 数百千の人民の精神を支配し、 これらの者から開祖として尊敬せられ、 そのほかに二、 三十万にも及ぶ財産をば有しておるとは、 まことに驚くべきではないか。 しかしてそのもとづくところを察してみれば、 ただ彼が自分の信ずるところを守り、 志すところに向かって一心に進み、 他を顧みなかったためである。 男児また、 かくのごとくあるべきではないか。 堂々たる大丈夫、 多少文字あり学識ありと自らも認め、 他にも認められておる者が、 無学文盲の一下女にだも及ばぬというは、 慚愧すべきの極みではないか。 私はこの島村みつの話をきいて、 ぜひとも自分の志すところに向かって、 驀直に進まねばならぬことを感じた。 これが私の決心を固めた原因の第一である。
その後、 私は信州に遊んだことがあった。 一日険阻なる山路をのぼるとき、 私は渓流の中央に一つの大なる巌石の横たわるを認めた。 私は案内者に向かって、「このような大きな岩は、 どんな洪水があっても、 流さるるようなことはなかろうな」といったれば、 案内者がいうには、「いえいえ、 水の出るたびごとに、 この岩はだんだん上ってゆきます」とこたえた。 これをきいて私は驚いた。「岩がのぼるということがあるものか。 ばかなことをいうな」といったれば、 案内者がいうには、「ばかなことではありませぬ。 洪水のとき、 激流が上の方よりこの岩を打って来る。 そのとき、この大岩の底にあたっておる泥や小石は、 上の方からとり去らるる故、 この大岩は、 上の方へころりと転ずる。かようなぐあいで、だんだん大岩は上の方へのぼるのである。 この大岩も先年までは、もっと下の方にあったのだけれども、この前の洪水の折に、ここまでのぼったのである」といった。 これをきいて、 私はまた感じた。 ほかの小石や泥は、 逆流に対すれば、 みな流されてしまうのに、 大巌のみは、 漸次に上にのぼるというは、 味あることではないか。 男児、 よろしくこの大巌のごとき確固不抜の大磐石心を持たねばならぬ。 逆流に対すれば、 小石は流れる。 逆運に向かえば、 常人は畏縮する。 けれども大丈夫たるものは、 逆境が多くなればなるほど、 逆運がはげしくなればなるほど、 いよいよますます奮って進まねばならぬ。 私は深くこれに感じた故、 その後、 ほかの所へいってこれを話したところ、「どうかこのことを、 書いてくれよ」と申した故、 私は「大石は逆流にさかのぼり、 大人は逆運に上る」という格言をつくって、 かいてやった。 この大巌のことが、 私の決心を固める原因の第二である。
またその後、 私は京都に参ったついでに、 比叡山に上った。 根本中堂から、 黒谷、 横川、 あちらこちらを参詣したところ、 終日一人の参詣者にも遇わぬ。 なに故、 かく寂しいのであるかと独り怪しんで、 山を下った。 その後、 私は紀州に入り、 高野山に上ったところ、 上るときも、 下るときも、 つねに引き続いて、 盛んに参拝する老若男女をみとめた。 この高野のありさまと、 かの比叡のありさまとをくらべて、 私は深く感じた。 伝教、 弘法の両大師は、 これ平安仏教史上の二大光明である。 その学徳といい、 地位といい、 名声といい、 兄たり難く弟たり難き人であった。 しかるにこの一千年後の今日に及んでみると、 その感化はかくのごとくにちがう。 伝教の開かれたる比叡山は、 荒蓼を極むることかのごとく、 弘法の開かれたる高野山は、 繁昌を極むることこのごとくである。 これはなに故であろうかと考えると、 決して偶然でない。 伝教大師は、 当時の朝廷から大いに尊敬せられて、 その徳声は、 まことに盛んなことであったけれども、 その感化は単に貴族、 学者間に限られて、 毫も下等社会に及ぶことがなかった。 しかるに弘法大師はこれに異なって、 貴族、 学者等の上層社会をも感化するとともに、 下層の平民社会にも感化を及ぼした。 当時の社会的勢力の中心たる京都をも教化するとともに、 東西に巡化して教えを田舎の父老にも伝えた。 これ弘法大師が、 今日において、 伝教大師にも勝って、 なお大なる勢力を保たるるゆえんである。 これを感じた故、 私は、 どうぞ伝教大師に倣わずして、 弘法大師のあとを追いたいと思った。 もとより学識徳行において、 私は両大師の十分の一にも及ばぬ者であるが、 なにとぞ伝教大師のごとくならずして、 弘法大師のごとく上層社会のために働き、 地方人民のために尽くしたいと決心した。 それ故、 私はその後、 暇さえあれば、いや今日にてはしいて暇をつくりてでも、 地方に巡回して、 地方の教育など、 いささかにても地方のためになることであれば、 できるだけの力を尽くしておる。 昨年のごときも七月以来、 年末に及ぶまで、 東京におりましたのはわずかに三十日ほどで、そのほかはみな地方にでかけて、 地方のためにいささか力を尽くした。 それ故、 今年も遠からず地方を巡回しようと思っておる。 かくのごとき精神になったのも、 一に高野山にいって感じたからのことである。 これ、 私の決心を固めた原因の第三である。
この三つの事は、 私に対する大なる教訓である。 私はこの教訓によって、 今日のごとく決心を固め、 今日のごとく精神を強くしたのである。 この三つの教訓が、 かような利益を私に与えたように、 われ今日の青年諸君の上に、 少しでも利益を与えるならば、 私の満足である。
〔付録〕
先 生 の 著 述 (編者これを記す)
井上先生が過去十数年間における著書、 実にその数七十余部に及べり。 今、 その書名および出版の年月を列挙すれば、 左のごとし。〔発行年月日は原文に誤りがあるので訂正した。〕
一、 仏教活論序論 明治二十年二月発行
一、 同 本論
破邪活論 同 二十年十二月発行
顕正活論 同 二十三年九月発行
一、 心理学講義 同 二十年四月発行
一、 心理摘要 同 二十年九月発行
一、 哲学要領
前編 同 十九年九月発行
後編 同 二十年四月発行
一、 宗教新論 同 二十一年三月発行
一、破邪新論 明治十八年十一月発行
一、耶蘇教の難目 同 十八年発行
一、真理金針
初編(耶蘇教を排するは理論にあるか)
続編(耶蘇教を排するは実際にあるか)
三編(仏教は知力、 情感両全の宗教なるゆえんを論ず)
一、 妖怪玄談 明治二十年五月発行
一、 妖怪学講義 六冊 同 二十九年発行
妖怪学講義掲載種目
●天変●地異●奇草●異木●妖鳥●怪獣●異人●鬼火●狐火●火柱●竜灯●竜宮●奇病●奇形●仙術 ●妙薬●食い合わせ●狂病●前兆●予言●暗合●陰陽●五行●易筮●夢判じ●御鬮●九星●天源●淘宮●干支●人相●手相●家相●方位●墨色●鬼門●厄年●吉日●凶日●縁起●天運●果報●幻覚●妄覚●奇夢●夢告●夢合わせ●狐惑●狐憑き●狸憑き●犬神●人狐●管狐●飯綱●天狗●山男●狐遣い ●棒寄せ●釜おどり●口寄せ●巫覡●幽霊●魂魄●悪魔●福神●窮鬼●瘧鬼●生霊●死霊●生前●死 後●六道●再生●天堂●地獄●祟●厄払い●祈禱●御守り●御札●禁厭●呪咀●修法●霊験●応報●託宣●天啓●感通●遺伝●白痴●神童●偉人●胎教●幻影●怪音●返響●火車●蓑火●河童●髪切り●釜鳴り●腹鼓●恙虫●火渡り●魔法●幻術●投石●鎌鼬●舟幽霊●蜃気楼●不知火●神通術●降神 術●読心術●記憶術●失念術●轆轤首●コックリ●動物電気●妖怪宅地●不動金縛り●天狗筆跡●狐書狸画●七不思議●その他数百
一、 哲学一夕話
第一編、 物心関係論 明治十九年七月発行
第二編、 天神実体論 同 十九年十一月発行
第三編、 真理性質論 同 二十年四月発行
一、 同合本 同 二十七年十月発行
一、 哲学一朝話 同 二十四年十一月発行
一、 哲学道中記(一名、 哲学俗談) 同 二十年六月発行
一、 星界想遊記(一名、 哲学小説) 同 二十三年二月発行
一、 三学論 同 十七年発行
一、 仏教新論 同 十八年発行
一、 哲学新論 同 十八年発行
一、 日本政教論 同 二十二年九月発行
一、 欧米各国政教日記
上編 同 二十二年八月発行
下編 同 二十二年十二月発行
一、 応用心理学 明治二十一年発行
一、 高等心理学 同 二十三年発行
一、 倫理通論 二冊 同 二十年発行
一、 倫理摘要 同 二十四年発行
一、 実際的宗教学 同 二十三年発行
一、 理論的宗教学 同 二十五年発行
一、 宗教哲学 同 二十五年発行
一、 純正哲学 同 二十一年発行
一、 古代哲学 同 二十五年発行
一、 日本倫理学案 同 二十六年一月発行
一、 日本倫理学 同 二十五年発行
一、 心理学 同 二十一年発行
一、 教育適用字合歌留多 同 二十四年十二月発行
一、 哲学飛将棊 同 二十五年一月発行
一、 同指南 同 二十五年一月発行
一、 真宗哲学〔序論〕 同 二十五年五月発行
一、 禅宗哲学〔序論〕 同 二十六年六月発行
一、 日宗哲学〔序論〕 明治二十八年三月発行
一、 教育総論 同 二十五年発行
一、 日本教育学 同 二十五年発行
一、 教育宗教関係論 同 二十六年四月発行
一、 仏教哲学 同 二十六年発行
一、 妖怪学講義緒言 同 二十六年八月発行
一、 忠孝活論 同 二十六年七月発行
一、 記憶術 同 二十七年二月発行
一、 失念術(一名、 忘憂忘苦忘病の新法) 同 二十八年八月発行
一、 勅語略解 同 三十三年発行
一、 戦争哲学一斑 同 二十七年十月発行
一、 戦争哲学将棋 同 二十七年十二月発行
一、 東洋心理学 同 二十七年発行
一、 哲学史総論 同 二十八年発行
一、 宗教制度および比較宗教学 同 二十八年発行
一、 外道哲学行 同 三十年二月発行
一、 仏教理科 同 三十八年発行
一、 仏教心理学 明治三十年発行
一、 大乗哲学 同 三十八年発行
一、 倫理学講義 同 二十九年発行
一、 内地雑居準備心得 同 三十年発行
一、 妖怪研究の結果(一名、 妖怪早わかり) 同 三十年十一月発行
一、 哲学早わかり、 同 三十二年二月発行
一、妖怪百談 同 三十一年二月発行
一、 続妖怪百談 同 三十三年四月発行
一、 破唯物論(一名、 俗論退治) 同 三十一年二月発行
一、 印度哲学綱要 同 三十一年七月発行
一、 教育的世界観及人生観(一名、 教育家安心論) 同 三十一年六月発行
一、 中等倫理書 五冊 同 三十一年十二月発行
一、 女子修身書 五冊 同 三十三年四月発行
一、 僧弊改良 同 三十一年十一月発行
一、 霊魂不滅論 同 三十二年四月発行
一、 円了随筆 同 三十四年二月発行
一、 哲学うらない 同 三十四年十二月発行
一、円了茶話 明治三十五年一月発行
一、 哲学通俗講義 講義録にて発行中
一、 漢字不可廃論 明治三十三年四月発行
右のごとく、 博士の著書百種になんなんとす。 けだし、近来の大著述家なるべし。 博士や今年、齢四十有四、爾今その深遠なる思想は続々と世に公にせらるべし。先生の著述は人の知れるがごとく、 難釈難解の文字を用うることなく、 なにびとといえども読了しやすきを旨とせられ、 かの高尚なる哲理を平易なる文字をもって世に示さる。 ゆえに、 先生の著書をひとたびひもとくときは、 浅学の人といえども、 容易に哲学の堂奥に入り、 その真理をもてあそぶを得。 これ、 先生が著書における長所にして、 なにびとも企てあたわざるところなり。 先生が著述中、かの『仏教活論』『真宗哲学』『日宗哲学』『禅宗哲学』『仏教哲学』『仏教理科』『仏教心理学』『大乗哲学』のごときは、 仏教に新研究の道を開きしもの、『東洋心理学』『日本教育学』『日本倫理学案』『日本倫理』のごときは、いまだ人の唱えざるもの、『外道哲学』『印度哲学綱要』のごときは、 わが国におけるインド哲学の研究に先鞭を付けしもの、『倫理摘要』『心理摘要』『哲学要領』『哲学道中記』のごとき、また小冊子なりといえども、西洋哲学の著述少なきときの発行なれば、これによりて益をこうむりし者少なからず。つぎに、かの『妖怪学講義』にいたりては、 世人のすでに知れるごとく、わが国に最も多き迷信を打破せんがために四百余の種目を集め、これを教育学、宗教学、純正哲学、心理学、理学、医学の原理より説明を下せしものにして、 実に三千ページの多きに及べり。これ、 古今東西いまだこの研究に従事せしものあるを聞かず。 けだし、 先生をもってこれが開祖とすべきものならん。