4.哲学一朝話

P259

哲学一朝話

     序

 余かつて『哲学一夕話』を編述し、続きて一朝話を起草することを読者に約せしも、多忙寸暇を得ず、延遷して今日に至れり。一夕話第一編は物心の関係を論じ、第二編は天神の実体を論じ、第三編は真理の性質を論じたれば、一朝話第一編は宗教の本義を論じ、第二編は霊魂の生滅を論じ、第三編は未来の有無を論ぜんとす。前週一、二日の少間を得て、まずその第一編を脱稿せり。よって速やかにこれを印刷に付し、かつ一言を題することかくのごとし。

  明治二十四年十一月中旬              著 者 誌  

   第一編 宗教の本義を論ず

緒言  世に数種の宗教あり、数派の宗門ありて、甲種は甲の宗教をもって純全の宗教となし、乙派は乙の宗門をもって真正の宗門となす。故に世のその間に宗教の方向を立てんと欲するもの、その進路を定むるに苦しむ。また宗教家は宗教を有用なりとし、無宗教家はこれを無用なりとす。故に世の宗教に志あるもの、また迷いて停止するところを知らず。しかして余がみるところによるに、その論おのおの一方に偏する僻見たるを免れず。よって余はこの僻見に対して不偏無私の真理すなわち哲理の中道を宗教上に立てんとす。これ本編の目的とするところなり。しかしてその論ずるところ、すこぶる簡単なりといえども世人の疑団を氷釈する一助となるべしと信ず。

 

  毎朝十時、円了先生講堂に入りて哲理を講ず。三千の徒弟みな一堂に会す。先生の左右に侍する者十人あり。これを学老と名付く。すなわち斯門の十哲なり。そのつぎに座するもの二十五人あり。これを学頭と名付く。学力十哲につぐ。その他満堂数千の徒弟これを総称して学員と名付く。一朝天晴れ気朗らかにして、鳥語花容、あたかも哲学思想を迎うるもののごとし。これにおいて先生徒弟に向かいて曰く、この春朝の美なるに際し、なんじらなんぞ黙然たるや、よろしく疑問を掲げてこれを討究すべしと。ときに二十五名の学頭みな講席にあり。円日、了月、円雲、了雨、円雷、了電、円禽、了獣、円草、了木、円石、了金等の諸子これなり。

まず円日子立ちて曰く 余に一疑問あり。これを胸裏に秘蔵するや久し。今、幸いに先生の下問あり。あにあえて黙するを得んや。そもそも人のこの世にあるや迷いなきあたわず。しかして生死の門に迷うをもって迷中の迷とす。王公も死し、匹夫も死し、愚鈍も死し、聖賢も死し、才子も美人も善人も悪人もみな死す。花開けば必ず散る時あり、木栄えば必ず枯るる時あり、人生まるれば必ず死する時あり。これ実に天の数なり、理の常なり。天神もその法を犯すべからず、仏陀もその則を破るべからず。しかしてひとたび去るものは、またきたらず、ひとたび死するものは再びめぐらず。世に無病の薬あるも長生の薬なく、長生の道あるも不死の道なし。いったん死期に臨みては、富貴果たして幸いなるか、貧賎果たして不幸なるか、識者もその間に幸不幸を判ずるに苦しむ。この点は世界の英雄も、古今の大儒も、みな迷うところなれば、我が輩あに迷わざるべけんや。けだし世に死より恐ろしきはなし。人あるいは猛獣を恐れ、あるいは烈火を恐れ、あるいは風災、震災、水難、病患等みなこれを恐るるも、そのこれを恐るるは、畢竟死を恐るるによる。これ世に宗教の起こるゆえんなり。当時、世人口を発すれば、みな宗教は無用なり、神仏は妄想なりというといえども、余輩は宗教は有用にして、神仏の妄想にあらざるを知る。ああ、我人のごとき神仏の日光を仰がざれば、いかにして苦海の中に楽岸を見んや。宗教の風力を借らざれば、なにをもって世路の上に迷雲を払わんや。実に宗教は転迷開悟の法なり、神仏は安心立命の体なり、けだしこれ世に一日も宗教なかるべからざるゆえんなり。もし宗教の必要を知らば、いかなる宗教をもって我人の宗教と定むべきや。これまた世人の一般に迷うところにして、余が久しく懐抱せる疑問なり。願わくは諸子の評論を請い、あわせて先生の明教を仰がんとす。

つぎに了月子立ちて曰く 余も宗教の必要を唱うるものなるも、今、一言を円日子の問いに加えざるを得ざるなり。円日子は死ひとり人の迷いにして、宗教の必要はただこれを定むるにありという。余おもえらく、しからず。死は人の諸迷中の一種なるのみ。かつ宗教の必要は決してこの点に限るにあらず。およそ人たるもの、この悠々たる時間、漠々たる空間の中にありて八方上下を観察するに、宇宙の大なる、分子の小なる、群類のおおき、その初めいかにして成り、その体なにものなるや知るべからず。またわが精神のごときいずれよりきたり、いずれに向かいて去るや知るべからず。物界の上に尋ぬるも、心界の上に考うるも、共にその極知るべからざる点に至りてとどまる。けだし、その知るべからざるは迷いの根本にして、迷いは苦の源泉なり。故に人もし苦を去らんと欲せば、まず迷いを脱せざるべからず。迷いを脱せんと欲せば必ず不可知的をして、可知的ならしめざるべからず。もし不可知的は果たして不可知的にして、到底これを知る道なきときは、神仏の力を借るより外なし。これにおいて宗教の世に起こるに至る。故に宗教の目的は、神仏の力によりて不可知的を不可知的としてこれを信じ、もってその迷いを解き、その心を安んずるにあり。近世百般の学術大いに進み、事物の道理大いに明らかなりしも、これを実際に徴するに、そのすでに知り得たるもの、これをその未だ知り得ざるものに比すれば、極めて小部分に過ぎず。しかるにこの未だ知るべからざるもの、将来果たして知り尽くすときあるか。今、仮にこれをありとするも、そのときに達するには幾年幾世を要するや。必ず無限の歳月を経過せざるべからず。果たしてしからば、我が輩かくのごとき歳月を待つべき寿命を有せざるをいかんせん。故に今日にありては宗教の必要なること、あに言を待たんや。

円雲子曰く 余は宗教の必要は円日、了月、二子の述ぶるところのものの外に、なお存するを知る。人生まれてなんの罪なくして、貧賎なるものあり。なんの功なくして、富貴なるものあり。なんの理由なくして、幸福を得、不幸に会うものあり。善人必ずしも世に称せらるるにあらず、悪人必ずしも人にけなせらるるにあらず。不仁不義、侫奸邪智の徒にして僥倖を得、忠信篤敬、仁心徳行の士にして、災難に会するもの世に幾人あるを知らず。故に古来識者をして、天道は是か非かの嘆声を発せしむ。かつまたこれを国家の上に考うるも、法律いよいよ厳にして、罪人いよいよ多く、政治いよいよ明らかにして、乱賊いよいよ起こるはいかなる理によるや。余輩実に惑わざるを得ず。ああ、道徳の標準いずれのところにか立たん、政治の目的いずれの日にか達せん。社会は白昼なお暗夜なり。我が輩この冥々の中にありて、いかして真理の明月を見んや。しかるにひとり宗教の孤灯のその間を照すありて、我人始めて暗裏をわたりて冥路に迷わざるを得るのみ。これ余が宗教の必要を唱うるゆえんなり。

了雨子曰く 円日子は人生に死あるをもって宗教なかるべからずといい、了月子は世界に知るべからざるものあるをもって宗教廃すべからずといい、円雲子は吉凶禍福の定むべからざるをみて宗教は必要なりという。その論みな一理ありといえども、余をもってこれをみるに、これ宗教の一部分を評するに過ぎず。そもそも諸学諸術は、あるいは人の身体感覚上に安逸を与うるを目的とし、あるいは人の精神思想上に歓楽を与うるを目的とす。そのうち、百科の学術工芸はみな直接に人の外部身体に関し、ひとり宗教は直接に内部精神に関す。これ宗教と学芸とその目的を異にするゆえんにして、宗教に安心立命の効用あるゆえんなり。故に宗教の力はよく我人の内部の苦を断滅し、心性の病を全治し、精神の迷いを鎮定して、永く至楽極安の地に住せしむるものなり。語を換えてこれをいえば、人をして病患にかかりて恐れず、死期に臨みて動かず、不幸に会いて迷わざらしむるものなり。故に余は宗教を解して心病の良薬なりといわんとす。

円雷子ときに一問を起こして曰く 人心を安定する法はなんぞ宗教に限らんや、哲学すなわち純正哲学はまた安心の一法にあらずや。その学の目的とするところは、人の迷うゆえんのものを推究して、これをして迷わざらしむるにあるにあらずや。これによりてこれをみるに、哲学も宗教もその目的を同一にするものなり。ただ哲学はこれを道理の裁判に訴え、宗教はこれを神仏の独断に帰するの別あるのみ。

了雨子これに答えて曰く 哲学はその目的、真理を探求するにありて、人心を安定するにあらず。もし哲学にして人心を安定することあらば、これすでに哲学の区域を脱して、宗教の範囲に入るものなり。なんとなれば哲学は理論の学、宗教は実際の法にして、人心を安定するは実際に属すればなり。しかるにもし人心安定をもって哲学の目的となすときは、なにをもってその学と宗教との分界を立てんや。

円雷子曰く 哲学と宗教とはその目的同じく人心を安定するにあるも、一は道理をふみてこれに達せんとし、一は想像に駕してこれに達せんとするの別あり。けだし哲学上に真理を考定するを務むるは道理を階梯とするにより、宗教上に神仏を仮定するを要するは想像を根拠とするによる。しかして道理は知力より生じ、想像は感情より生ず。故に哲学は知力的安心立命の道なり、宗教は感情的安心立命の法なり。二者の間に判然たる区域あるにあらずや。

了雨子曰く 否、余試みに哲学は安心立命の目的を達することあたわざるゆえんを述ぶべし。それ哲学は疑念をもってその特有の性質とするものなり。我人もし事物の上に疑うところなくんば、なんぞ煩わしくその理を究むるを要せんや。しかるに疑いあるが故に信ずることあたわず、信ずることあたわざるが故に迷いあり、迷いあるが故に進みでその理を究めんとす。これ哲学の目的とするところなり。宗教はしからずんば、その特有の性質は信仰にあるをもって、初めより疑いもなく、また迷いもなく、かつ人心を安定するに真理を考究するの必要なし。故に宗教と哲学との異なるは、信疑全く相反するを見て知るべし。

円雷子曰く 哲学は疑念を特性となすは、真理の都城に向かいて進むの駅路にあるによる。すでにその都城に達すれば安楽の庭園に遊ぶより外なし。しかるにもし哲学は迷心を造出するのみにて、安心の結果なきときは世になんの用あらんや。畢竟その学の疑いを階梯とするは、人の迷いを解き心を安んずるを目的とするによる。かつすでに哲学は知力的安心立命の法、宗教は感情的安心立命の法なりと解するときは、二者の安心おのずからその趣向を異にするところあるを知らざるべからず。すなわち哲学は可知的の範囲において安心し、宗教は不可知的の境遇において安心するの別あり。語を換えてこれをいえば、哲学は知るべからざるものを知ることを得て安心し、宗教は知るべからざるものを知るべからずと信じて安心するの別あり。故に宗教と哲学とはその趣向を異にするも、人の心を安定するに至りては二者同一なりといわざるべからず。

了電子傍らより更に一問を起こして曰く 哲学と宗教とは果たしてその一は可知的の範囲内に彷徨し、その二は不可知的の境遇上に逍遥するの別ありや。かつ可知的と不可知的とは、果たしてその二者の間に判然たる区域を有するや。昨日の不可知的は今日の可知的となり、昨年人知以外にありしもの、今年人知以内に入るがごときは、従来の経験に照して明らかなる事実にあらずや。たとえまたその間に判然たる分界ありとするも、いずれの点より可知的にして、いずれの点より不可知的なるや。けだし知ることあたわざるべし。かつ哲学は可知的より不可知的に向かいて進むものなれば、その範囲、可知不可知にまたがるといわざるべからず。もしまた可知的は知るべしと知り、不可知的は知るべからずと知るをもって、二者共に人知の範囲に入りて、その別をみるというに至らば、不可知的すなわち可知的なりと断定せざるべからず。これによりてこれをみるに、可知不可知をもって哲学宗教の分界を定むべからざること明らかなり。

了月子その間にありて、これが説明を示して曰く 余おもえらく、宗教は不可知的を不可知的として、退きてこれを信ずるより起こり。哲学は不可知的を可知的となさんと欲して、進みてこれを究むるより起こる。語を換えてこれをいえば、哲学は可知的より不可知的に及ぼすものなり、宗教は不可知的より可知的に及ぼすものなり。もし不可知的すなわち可知的なりというがごときは、これ絶対的可知を義とするものにして、余が今、論ずるところのものにあらず。余はただ相対的境遇において可知と不可知とを区分するのみ。もし進みで絶対に達すれば、可知不可知ひとり同体に回帰するのみならず、哲学も宗教も同点に帰着すべし。

了雨子曰く 余輩この点について、なにほど議論を上下するも、けだし際限なかるべし。むしろ先生に請うて一刀両断の判決を仰ぐにしかず。

先生曰く 円雷と了雨との諍は、各宗教と哲学とは水陸その所を異にするがごとく、判然たる分界あるものと固執するより起こる。了電、了月の言も可知と不可知、氷炭相いれざるものと確信するより生ず。しかるにこの二者は相合し相連なりて、あたかも一線の前後に両端を具するがごとし。これをもって哲学はその結局宗教に入りて終わり、宗教はその極意、哲学となりてとどまり、宗教中に哲学を現じ、哲学中に宗教を見るなり。可知と不可知もまたしかり。可知極まりて不可知となり、不可知極まりて可知となる。故にこの二者その体みな一なり。しかしてその二にして一なるゆえんは、円了の全道を知るものにあらざれば解すべからず。故にその点はしばらくこれをおき、なんじらよろしくこれより、そのいわゆる宗教はいかなるものなるやを討究すべし。

円禽子曰く 余かつてこれを聞く、宗教に多神教、一神教、皆神教の三種ありと。多神教とは雨には雨の神あり、山には山の神ありと説きて数種の神体を立つるものをいい、一神教とは天地人類を創造主宰する独一の神体を立つるものをいい、皆神教とは凡神教、汎神教等の異称ありて、万象万有、その体みな神なりと立つるものをいう。これ宗教の種類なり。もしその発達を考うるときは、最初は多神教行われ、そのつぎは一神教行われ、そのつぎは皆神教行わるる順序なり。

了獣子曰く 余は宗教に顕示教、自然教の二種あるを知る。顕示教とは神仏の天啓、聖賢の垂訓によりて起こるものをいい、自然教とは人性、自然の発達に応じて生ずるものをいう。

円草子曰く 余は宗教に感情的宗教と知力的宗教との二種あるを知る。知力的宗教とは道理に基づきて組織したるものをいい、感情的宗教とは想像によりて構成したるものをいう。

了木子曰く 余は宗教に有神的、無神的の二種あるを知るのみ。この二種おのおの哲理的常識的の二派に分かる。常識的有神教は一定の形質あり、意志あり、作用ある特殊の神体を立つるものをいう。例えば多神教、一神教、顕示教、感情的宗教のごとき大抵この派に属す。哲理的有神教は、一定特殊の性質作用を有せざる普遍平等の神体すなわち理想の体を立つるものをいう。例えば皆神教、自然教、知力的宗教のごとき多くこの派に属す。常識的無神教とは、世間通俗の無宗教者の信ずるがごとき神仏皆無を唱うるものをいい、哲理的無神教は哲学上にて唱うるところの唯物論、感覚論、懐疑論のごとき物質感覚の外に神仏および理想の体なきゆえんを論定するものをいう。

円禽子曰く 宗教は神仏を立つるものに限る。無神なれば宗教にあらず。しかるに無神をもって宗教の一種となすはいかん。

了木子曰く まず余が宗教に与うるところの義解は、世間一般の説と異なることを知らざるべからず。すなわち余は神を立つると立てざるとを問わず。いやしくも信ずるところのものありて、これによりてよく安心立命することを得る以上は、みなこれを宗教となす。故に人もし無神を信じてすこしもその心に疑いなきに至れば、これ純然たる宗教なり。例えば唯物論のごときは宇宙間、ただ有形的物質あるのみと信じきたりて神なしと断定し、これによりて安心するものなれば、これ唯物宗と名付くる一種の宗教なり。その信ずるところ、なんぞ有神教者のその神を信ずると異ならんや。

了獣子曰く かくのごとく宗教を解するときは理学も宗教なり。農学も工学もみな宗教なり。宗教と無宗教の別はいずれの点において立つるや。

了木子曰く これ世間一般の見解なり。今日世人の宗教無宗教を判別するには有神無神をもって標準となす。しかれども深く宗教の性質を究めまたその将来をはかるに、今より漸々発達進化して数世の後には、今日宗教にあらずと定むるもの一変して宗教となるも知るべからず。理学進歩すれば理学的宗教起こり、哲学進歩すれば哲学的宗教起こり、唯物的宗教、唯心的宗教、その他種々の宗教、人知の進歩に応じて起こるべし。しかして理学的および哲学的宗教起こるも、理学哲学その物と混同するにあらず。理学はあくまで理学なり。哲学はやはり哲学なり。この二者は共に真理を実究するを目的とするも、その実究して得たるところの結果、これを実際に応用して安心立命の目的を達するに至れば、これ宗教なり。

了獣子曰く しからずんば、これ宗教の本義を誤解するより起こる。およそ人の心に学術的思想と宗教的情操との二種あり。一は知力に属し、一は感情に属す。すなわち前者は実験場内に雑多の事実を帰納し、論理海上に一脈の理法を考定するものにして、後者は想像境裏に直ちに未知の神体を覚知し、精神鏡面に親しく天神の現象を感見するものなり。

円雷子曰く 余も宗教は感情的作用なるを知る。ただ感情中の最上等に位するものにして、その法は実に神人交感の道なり、神は上にあり、人は下にあり、この間にありて二局を連続する電線となるものは精神なり。その精神は一種特殊の心力にして理学、哲学に関する知力作用とややその性質を異にす。故にこれを宗教心という。この心は天賦にして人の生まれながら有する良心なり。その良心の池水静かにして妄念の風波起こらざるときは、その面に天神の影像を現見すべし。これ道理の尺度をもって測るべからず、言語の彩色をもって描くべからず。実に理外の理、言外の言にして、これをその心に感知するより外なし。

円禽子曰く 余も宗教心は天賦にして、かつ人類特有の情操なるを知る。故に人界にありてはいずれの国、いずれの世を問わず、必ず一種の宗教ありて存するをみるも、動物界にありては未だ宗教の存するを聞かず。これ古来宗教の有無をもって人獣有別の一点となしたるゆえんなり。かつ宗教的情操は教育経験を待ちて発するにあらず、論理推究を要して生ずるにあらず。なかんずく、神仏の観念のごときは、即時直接に覚知する作用にして、あたかも目をもって色の黒白を弁じ、耳をもって声の強弱を分かつがごとし。これを直覚作用と名付く。直覚作用は教育推究の結果にあらずして、天賦の能力なること疑いなし。故に余は宗教心をもって天賦なりとす。

円石子曰く 余は宗教心は決して天賦にあらざるを知る。これもとより外界の経験によりて化生せるものなり。かつこの心をもって人類特有となすがごときは、妄もまたはなはだしといわざるべからず。近世進化論者の説くところによるに、宗教心も進化の結果なれば、その原種は動物界にありて存せざるべからず。また人類中にありても、野蛮人種中には宗教心を有せざるものありという。しかして人類の過半、宗教心を有するは、その日夜経験するところの境遇、大抵同一なるによるのみ。

了電子曰く 余も宗教心は経験の結果なるを知る。しかれどもその経験は一世一人の経験にあらず、数世数人の経験積集の結果なり。これを遺伝という。世人はこの遺伝を見て天賦と名付くるのみ。かの直覚作用のごときは全く遺伝の結果なること明らかなり。

円禽子曰く 宗教心はたとえ経験によりて発達するも、遺伝によりて成来するも、その原子本種となるべきもの本来存せざるべからず。あたかも麦の種子より麦を生じ、豆の種子より豆を生ずるがごとし。けだし人の心には宗教心の原種本来存するも、これをして発達せしむるものは、経験遺伝の諸事情なり。故に経験遺伝は草木の発達に要するところの雨露日光のごとし。草木はこの諸事情を待ちて発達するも、その事情すなわち草木なるにあらず。しかして草木をして草木ならしむる原因は、その種子中に本来存せざるべからず。これによりてこれをみるに、宗教心の発達に経験遺伝を要するも、経験遺伝そのもの直ちに宗教心となるにあらずして、かくのごときは我人の本来有するところの宗教心の原種を発達する助縁に過ぎざることを知るべし。

かくのごとく宗教心の起源を論じて、あるいは天賦といい、あるいは経験といい、あるいは遺伝といい、互いに弁駁返難する間に、了金子立ちて曰く 余は諸子の論大抵尽きたるを知るをもって、これより愚考を述べんとす。さて余は宗教論に関しては一種の意見を有し、その点大いに諸子の信ずるところと異なるをもって、未だこれを口に発せず。ただ黙して諸子の舌戦を傍観してここに至る。初めに諸子は宗教の必要を説きたるも、余は宗教は全く無用無益のものなりと信ず。つぎに諸子は宗教の種類を述べ、またつぎに宗教心の起源を論じたるも、余は元来世間に行われし一切の宗教ならびに人の特有せる宗教心のごときは、愚民の妄想迷心より起こり、積年の習慣これに加わりて一種の天性を化成したるもののみ。故に諸種の宗教、今日なお世に存するも、要するに世人の夢中病裏に現ずる想像に過ぎず。もし将来別に新宗教の起こることありとするも、これ一夢醒めきたりて更に一夢を結び、一病謝し去りて更に一病を迎うるがごとく、やはり妄想界裏に一歩一歩を移すものに外ならず。なにをもってこれをいうや。曰く、宗教に要するところの元素は未来なり、神仏なり、霊魂の不死なり、死後の賞罰なり。もし霊魂果たして滅亡するときはなんぞ未来あらんや、もし神仏果たして現存せざるときはなんぞ賞罰あらんや。しかして余は人の霊魂の不死、神仏の実在を信ずるがごときは、全く一種の精神病なるを知る。もし健全の心眼よりこれをみれば、この世界の外にあに別に未来あらんや、我人の外にあに別に神仏あらんや。これ余が信ずるところなり。

  諸子この言を聞きて黙然たり。

ほどなく円日、了月の諸子曰く かくのごとく断定して自ら確信することを得るや、またその心に満足することを得るや。

了金子曰く しかり。余はいかなる不幸に際会するも自ら足れりとし、いつ死期に迫るもすこしも恐るることなし。畢竟かくのごとくその心泰然として生死禍福の間に動かざるは、自らこの世は一生を限りとし、そのきたるや浮雲と共に現じ、その去るや灯火と共に滅し、過去もなく未来もなしと固信して疑わざるによる。

了木子これを評して曰く しからば子はただ世間普通の宗教を信ぜざるのみ。その心全く信ずるところなしというにあらず。いやしくも信ずるところあれば、これ一種の宗教なることは、余がさきにすでに述ぶるところなり。故に子は有神教を信ぜざるも無神教を信じ、未来宗を信ぜざるも現在宗を信ずるものなり。

了金子曰く 余は一も信ずるところなし。無神教も現在宗もあえてこれを一種の宗教として信ずるにあらず。

了木子曰く 子は一も信ずるところなしというも、余はあえてこれを信ぜず。たとえ子は現在宗を信ぜざるも、この現在世界の存するを信ずるならん、たとえまたこの世界を信ぜざるも、子の身体の存するを信ずるならん、世界も身体も事々物々なにもかも一切信ぜざるも、なお信ずるところのもの一あり。すなわち事々物々一として信ずべきものなきことを信ずるなり。けだし知るに二法あり。一は知るべしと知り、一は知るべからずと知るなり。信にまた二種あり。一は信ずべしと信じ、一は信ずべからずと信ずるなり。今、子は信ずべからずと信ずる者なり。故に子はいかに無宗教を唱うるも、全く宗教の範囲を脱することあたわざるべし。すなわち子は無宗教無未来の一宗を信ずる者なり。

  了金子ここに至りてまた一言なし。

ほどなく曰く かくのごとく宗教を解するときは、諸学諸術一として宗教ならざるはなきに至るべし。しかしてその間に諸学諸術判然として、その別を存するはいかん。

了木、円草等の諸子またみな曰く 余輩もこの点に疑いなきにあらず。宗教上よりこれをみれば、世界万有みな宗教の分子となりて存し、哲学上よりこれをみれば、森羅の諸象みな哲学の影像となりて現ずるをみる。しかして哲学と宗教とは判然その別あり。これ余輩も惑うところなり。よろしく先生の明教を請うてその惑いを解かん。

先生曰く なんじらの論、すでにその極端に達したれば、これより可否を審定すべし。今、なんじらは事物の表面を見る眼ありて裏面を見る眼なく、一隅を知る力ありて三隅を知る力なし。故をもってその論おのおの偏するところあるを免れず。そもそも宗教に無量の門あり。無数の道あるも、その本体に至りては単一不二なり。この単一不二の本体は至大至高、至遠至微にして、宇宙より大に日月より高く、星辰より遠く、元素より微なり。これを望むに望遠鏡をもってするも達せず、これをうかがうに顕微鏡をもってするも及ばず。あるいは想像の帆を掲げ、あるいは推理の車に駕するもなお究め尽くすべからず。ここにおいて理学の羽翼を張り、哲学の風雲に乗じ、翩々飃々として四方上下より考索探究するに、知るべきがごとくにして知るべからず、感ずべきがごとくして感ずべからず。ただはるかに、その体の絶対単一にして純全平等なるを想見するのみ。進みてこの体に達し、究めてこの点に至ればその至大至高、至遠至微にして、不可思、不可想、不可識なることを嘆称してとどまるより外なし。古来数千年間の考究は、全くこの絶対不可知的の関門を開かんとするにあり。理学哲学は外面よりその門に向かって進み、宗教は裏面よりこれに近づかんとす。いよいよ進みてようやくこれに近づけば未だ本城に入らずといえども、真理の光線四方に放射するを見る。あたかも曉天未だ旭日を現せずして、まず空中に光線を見るがごとし。この光線を名付けてあるいは天といい、神といい、理といい、道といい、正真といい、純善といい、至美というも、これみな一部分の形容に過ぎず、我人未だその本城に入らず、未だその実体を見ず、あにあえてこれに名称を付せんや。しかれどもすでに関門に迫り、すでに光輝を仰ぐ、あにその本城なきの理あらんや、あにその実体なきの理あらんや。故に余は仮にこれを名付けて円了の体という。実にその体は万有万化の流出する宇宙の源泉にして、また諸学諸教の帰入する思想の大海なり。安心立命の法も、転迷開悟の道も、この体を離れていずれにあるや。理学の実究も、哲学の推理も、宗教の信仰も、またみなこの体の外になにを目的とするや。多神教も、一神教も、皆神教も、顕示教も、自然教も、感情的宗教も、知力的宗教も、有神教も、無神教も、常識宗も、哲理宗も、唯物宗も、無宗教宗も、みな宗教の領内にありて、ただ前後その区域を異にするのみ。将来いかなる新宗教ありて世に起こるも、同じくこの体に向かいて進むの途次にあるものなり。宗教家は画工なり。おのおの想像の筆墨をもって、この体の一斑を描きてこれをのち、人に示す。哲学者は技師なり。おのおの推理の器械をもって、この体の一面を測りてこれを世間に告ぐ。果たしてしからば、我人はその体の模形仮相を望見するのみにて、到底その真際に接触することあたわざるや。曰く、否、すでに円了の体のかくのごとく広大無限、深遠幽妙なる以上は、この世界もその分身なれば、その海面に高低の波様を形勢せる。森羅の諸象はまたみな広大無限、深遠幽妙の実相を具有し、囀々たる鳥語の中にもこの相を現じ、姸々たる花容の中にもこの相を示し、その声は実に円了の妙声なり、その色は実に円了の真色なり。山の笑い、水の歌うも円了その体の形容なり、雲の舞い、霞の躍るも円了その体の挙動なり。ああ、この世界は実に極楽最安、常住恒存の天界なり。しかるに我人はこの天界をもって有苦無楽の悪界となし、苦中に呻吟して今日に至る。迷うもまたはなはだしというべし。しかしてこの苦界を一変して楽境となすに二道あり。我人の体みな円了の体なれば、顧みてこれを内界に求め、良心の鏡面に円了の月影を現じ、その光によりて事理を照見すれば、この但苦無楽の世界たちまち変じて、至真、至美、至善の浄界となるべし。またこの客観の境遇みな円了の現象なれば、外界にありて万物の深底を究め、理法の真際に達すれば、一塵一毛の中に無量無限の玄境あるを知るべし。しかしてそのこれを知るは、わが力なるがごとくにして、その実円了の力なり。たとえ我人の力によりてこれを知るも、円了の理水、わが心田に流れ入りてわれをして知らしむるなり。もしまた我人円了の体に帰向して、一心専念するときは、その体より発するところの知光、わが心室を照し、その中に蓄積せる堅氷一時に溶解して、その本性の理水に復化すべし。故にこれを溶解するものもまた円了の作用なり。これを内に顧みればその体炳焉として心内にあり、これを外に望めばその象歴然として目前にありて、寸時片刻もわが体を離るることなく、日夜われを擁護し、われを啓発し、よくわが身をして広大無限、恒久不滅ならしめ、わが心をして深遠幽妙、最楽至安ならしむ。

  ときに三千の徒弟、一同起立して円了の大道を称揚讃美し、仰ぎてその力の広大なるに驚き、伏してその徳の深遠なるに嘆じ、合掌礼拝して曰く、願わくは円了の神船に投じて生死の苦海を渡らん。願わくは円了の天風に任せて安楽の妙界に遊ばん。