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哲学要領(前編)
〔前 編〕
序 言
この編は余、講学のいとま、人のもとめに応じて逐次起草するところにかかわる。今これを集めて小冊子となし、題して「哲学要領」という。けだし世の哲学を知らんと欲するものの階梯に備うるの微志のみ。さきに井上哲次郎氏著すところの哲学講義世に行わるるも、その書、ギリシア哲学の歴史を略述するにとどまりて、未だ西洋近世哲学および東洋哲学に論及せず。故にこれを読むもの哲学の一斑を知るのみにして、全豹をうかがうあたわざるの嘆あるを免れず。この編はしからず。古今東西の哲学を列叙対照し、読者をしてたやすく哲学全系の大綱要領を知らしむべしと信ず。いささか題して序文に代う。
明治十九年六月 著 者 識
第一段 緒 論
第一節 義 解
余、今、哲学の要領を論述せんとするに当たり、まずその義解を下し、範囲を定むるを必要なりとす。それ哲学は古来の学者おのおのその見るところに従い、種々の定義を下して、あるいは原因結果の関係を究むるの学なりといい、あるいは事物の理性を明らかにするの学なりといい、あるいは諸学を統合するの学なりというも、要するに思想の法則、事物の原理を究明する学なり。故に思想に及ぶところ、事物の存するところ、一として哲学の関せざるはなし。政法の原理を論ずるもの政法哲学あり、社会の原理を論ずるもの社会哲学あり、道徳を論ずるもの倫理哲学あり、美妙の原理を論ずるもの審美哲学あり、宗教の原理を論ずるもの宗教哲学あり、論理の法則を定むるもの論理哲学あり、心理の法則を定むるもの心理哲学あり、歴史には歴史の哲学あり、文学には文学の哲学あり、教育学も哲学の理論により、百科の理学も哲学の規則に基づく。これをもって哲学の意義の濶にして、その関係の大なるゆえんを知るべし。
第二節 範 囲
すでに哲学の意義、関係の濶大なるを知らば、その範囲の濶大なるまたたやすく知るべし。広くこれをいえば、諸学一として哲学ならざるはなし。論理、心理、倫理等はもちろん、政治、法律、理学、工芸に至るまで、いやしくも思想の関するところは哲学の範囲に属してしかるべし。しかれども狭くこれをいえば、哲学には哲学固有の学科ありて、諸学ことごとく哲学なるにあらず。例えば論理、心理、倫理等は哲学なれども、物理、化学等は理学にして哲学にあらず。今、理学と哲学との別を挙ぐるに、一は有形質のものを実験する学にして、一は無形質のものを論究する学なり。一は事実の一部分の学にして、一は全体の学なり。一は物質の学にして、一は思想の学なり。故に理学はその力、事物の原理原則、宇宙、天神、心霊のいかんに至るまで、ことごとく究明することあたわず。よくこれを究明するは、その学の哲学を待たざるべからざるゆえんにして、すなわち古来の学者、哲学の義解を下して、あるいは理学の諸規則を統合する学なりといい、あるいは理学の原理原則を論定する学なりというゆえんなり。しかしてまた哲学中にもその原理の原理、その原則の原則を論究する一学科あり、これを純正哲学と称す。純正哲学は哲学中の本部にして論理、心理等はこれに属するものなり。今もし諸学の関係を政府の組織に比するに、百科の理学は地方政府のごとく、哲学は中央政府のごとく、論理、心理等の諸科は中央政府中の諸省のごとく、純正哲学は中央政府中の内閣のごとし。すなわち純正哲学において論定せるものは論理、心理、その他の諸哲学の原理原則となり、哲学諸科において論定せるものは理学、法律、その他の諸学科の原理原則となるを見る。しかして通常、人の哲学と単称するときは論理、心理等を総括していうといえども、余がここに「哲学要領」と題せしは、ひとりこの純正哲学を指意するをもって、以下単に哲学と称するときは、純正哲学のことなりと知るべし。
第三節 目 的
諸学すでに一定の範囲ある以上はまたおのおの一定の目的あり、政治法律には政治法律の目的あり、物理化学には物理化学の目的あり、哲学またしかり。論理には論理の目的あり、心理には心理の目的あり、倫理には倫理の目的あり。これらの諸学の目的は多少人の知るところなれども、純正哲学の目的に至りてはこれを知るものはなはだ少なし。しかれども、もしその学は原理の原理、原則の原則を論究するの学なるを知れば、その目的また論理、心理等の原理原則を証明するにあること、問わずして知るべし。他語をもってこれをいえば、真理中の真理を論究するにあり。
第四節 疑 問
今もし真理中の真理を究明せんと欲せば、まず宇宙の有涯無涯と、心霊の生滅と、天神の有無、および時間空間の存否を論定せざるべからず。しかして宇宙は無数の物質より成るをもって、その有涯無涯を知らんと欲せば、まず物質のなにものたるを論ずるを要し、天神は人心の想像より起こるをもって、その存否を知らんと欲せば、まず心性のいかなる作用を有するかを究むるを要す。およそ我人、宇宙間に立ちてその目前に現ずるものこれを物質と名付け、その脳裏に動くものこれを心性と名付く、あるいは物質を客観といい、心性を主観ということあり。しかしてまた客観の一境はこれを物界と称し、主観の一境はこれを心界と称するなり。あるいはまた心界は内にあり、物界は外にあるをもって、内界外界の名称を用うることあり。もし更にその内外両界はいかにして生じ、いかにして分かるるかを究むるときは、我人の知るべからざる体ありて存するを想見す。これを天神と称す。故に哲学上の問題はこれを要するに、物心神各体のなにものなるを究め、その三者の関係いかんを定むるに外ならず。
第五節 学 派
古来この問題を解釈するに、種々の異説の学者の間に起こるにありて、東洋には東洋の説あり、西洋には西洋の説あり、シナにはシナの説、インドにはインドの説あり、ギリシアにはギリシアの説、イギリスにはイギリスの説あり、あるいは世界は物質あるのみと唱うる唯物論者あり、あるいは心性の外に世界なしと唱うる唯心論者あり、あるいは物心二元を立てて、あるいは物心神三元を立てて、あるいは有元を説き、あるいは無元を説き、あるいは異体あるいは同体を論ずるものあり。今その学派の異同を知らんと欲せば、まず哲学全界の分類をなすを必要なりとす。
第六節 分 類
哲学の分類には地位上あるいは歴史上の分類と、性質上すなわち組織上の分類との二種あり。一は外部の分類にして、一は内部の分類なり。まず外部の分類をなすこと左のごとし。
これ地位および歴史に関しての分類なるをもって、これを地位上または歴史上の分類とするなり。これに対して諸学派の性質組織を分類して、あるいは実体学派、心理学派、論理学派と次第するものあり、あるいは唯物論、
哲学 東洋哲学 シナ哲学
インド哲学
西洋哲学 古代哲学(ギリシア哲学)
近世哲学 大陸哲学
イギリス哲学 ドイツ哲学
フランス哲学
唯心論と次第するものあり、あるいは一元論、二元論と分かち、または本然論、経験論と分かち、あるいは帰納哲学、演繹哲学と分かちて、その法一定せざるも、余は左の分類を設けて各派の関係を明らかにせんと欲するなり。
学派 無限論(一名虚無論)
有元論 一元論 唯物論
唯心論
多元論 二元論 物心異体論(あるいは物心両立論とも)
物心同体論(あるいは物心一体論とも)
三元論
この二種の分類中、今この編に論述せんと欲するものは地位上の分類にして、まず初めに東洋哲学を論じ、次第に及ぼして古今諸家の異説を述べんとするなり。
第二段 東洋哲学
第七節 史 論
余がここに東洋哲学と題せしは、西洋哲学に対してインド、シナ両国の諸学に与うる名称なり。インドには婆羅の法および釈迦の教あり、シナには孔孟の学および老荘の道あり、みなもって哲学の一部分となすに足る。ひとり本邦は古来、諸学、諸教、ことごとくシナより伝来せるをもって一国固有の学あるを聞かず。故に東洋哲学はシナ、インド両国の学を論ずるをもって尽くせりとす。そもそも東洋の学は今日に至りてこれを考うれば、もとより西洋の進歩に比すべきにあらずといえども、古代にありてはその盛んなるギリシアも一歩を譲るの勢いあり。かつまた時代をもってこれを較するも、東洋の文化、ギシリアにさきだちて開けたるは史に徴して瞭然たり。けだしギリシアの文学はヤソ紀元前五〇〇年に起こり、シナ、インドの諸学は遠くその以前に始まる。しかしてインドの学最も古しとす。なんぞ知らん、ギリシアの文明多くはインドより漸入したるを。シナといえども漢以後の学は、仏教伝来の影響によるもの少なからず。インド古代の旺盛推して知るべきなり。しかりしこうして、諸説異論の一時に競起して、哲学の思想大いに発達したるは、東西ほとんどその年代を同じうす。すなわち紀元前三〇〇~四〇〇年代はギリシアにありてはソクラテス、プラトン、アリストテレス、諸氏の時に当たり、シナにありては孔、孟、老、荘、楊、墨、荀、韓の時に当たり、インドにありては馬鳴、竜樹、無著、世親の時に当たる。かくして東西一時に文化勃興し、その後ようやく退歩しもって今日に至る。その間一、二の盛衰変革なきにあらずといえども、また古代の隆盛を見ざるなり。ひとり欧州に至りては近古三百年来、哲学の思想、漸々振起し、遠くギリシアの古学を尋ねてこれを増補進長し、もって近世哲学の組織を構成するに至る。しかるに東洋のごときは、今日未だ哲学再興の勢いあるを見ず。学者あに慨せざるべけんや。
第八節 種 類
東西両洋の哲学を比考してその種類の相似たるものを挙ぐるに、西洋学者、今日唱うるところの倫理、心理、論理等の哲学および純正哲学は、みな東洋学者のすでに論ずるところなり。今その一、二を例するに、倫理学および政治学には孔孟の説あり、論理学には因明の法あり、純正哲学には老荘の学および仏氏の学あり、倶舎のごとき実体哲学あり、唯識のごとき心理哲学あり、天台のごとき理想哲学あり、その他申韓の法、楊墨の道、みな西洋諸家の説に符合するものなり。東洋に性善性悪論あれば西洋にもこれあり、西洋に自愛愛他説あれば東洋にもこれあり、婆羅の神造説、仏教の真如説もまたみな西洋学者の論ずるところなり。かくのごとく両学の要点を比すれば、東西大抵相似たりといえども、その全体を較するに至りては、東洋の諸学は西洋学の詳密にしてかつ完全なるにしかず。その理、余が左に述ぶるところを見て知るべし。
第九節 性 質
東洋哲学中一、二の諸学はその高妙幽微なること、あるいは西洋哲学の右に出づるものありといえども、概するにその学一端に僻するの弊ありて、未だ完全の組織を構成するに至らず。今その固有の性質を述ぶるに、孔孟学のごときは実際に偏するの弊あり、老荘学のごときは虚妄に流るるの僻あり。しかして仏教のごときは高妙は至りて高妙なりといえども、今日の哲学上よりこれをみれば、理想の一辺に局して物理の実際に適せざるものあるがごとし。これを要するに、東洋哲学は理論に偏するものと実際に僻するもののみありて、よくこの二者を結合調和するものなく、かつ事物の実理をもってその関係を証明するものなし。すなわちその実理とは哲学の論拠を構成すべき物理実験の諸学をいうなり。故にその実際に僻するものはいたって浅近にして理論に合せず、その理論に偏するものはいたって高妙にして実用に適せず、論理従って疎にして論礎また鞏固ならず、これおそらくは東洋哲学の欠点にして、西洋哲学に数歩を譲るところなり。
第十節 事 情
かくのごとく哲学の東西互いにその性質を異にするに至りしは、必ずその原因事情の考うべきものあるべし。およそ学術の盛衰、文化の進退は種々の内因外情の相関するありて、地位、気候、人種、風俗、気質、飲食、居住、言語、交際、政治、宗教、教育、習慣、遺伝等、みな多少その原因を助くるは疑いをいれず。かつシナとインドとは大いにその風土を異にするをもって、シナにはシナの原因あり、インドにはインドの事情あるもまた明らかなり。しかして中世以後新説の絶えて起こらざりしは、主として古代の諸学、一時非常の繁盛を極めたるをもって、その勢いほとんど世間を圧倒するに至り、およそ千百年の久しき、新論卓説のこれに抗して起こることあたわざりしによる。故をもって人知ますます旧習に沈み、思想いよいよ陳腐に属し、もって今日の衰頽をきたすに至れり。学者あに思わざるべけんや。
第三段 シナ哲学
第十一節 史 論
東洋哲学中シナに起こるもの総じてシナ哲学と称す。その学、東周以後に始まり、二千数百年相伝えてもって今日に至る。その間、学者一時に輩出して異論を唱うるあり。春秋戦国以後、秦に至るの際最も著しとす。しかして漢より唐に入りては、学者ただ古代の諸学を継述するに過ぎずして、一種の新説を起こすものを見ず。降りて宋朝に至り哲学再び興り、学者相伝えて明に至る。清以後諸学また衰う。今その盛衰の原因を考うるに、春秋戦国の際、学者一時に蠭気したるは、一は競争力に出でて一は反動力による。およそ天下治平久しきに過ぐれば国内の人口次第に増殖して、上、禄位もその欲を飽かしむるに足らず、下、衣食もその需に応ずるに足らざるに至るは自然の勢いなり。これにおいて競争起こる。競争ひとたび起これば、人々の精神大いに興奮す。精神興奮すれば思想従って発達す。思想発達すれば諸学おのずから振起すべし。これ春秋戦国の事情なり。かつそれ競争の盛んなるに当たりては、腕力または兵力競争の一方に傾くの弊あり。この際にありてこれに反対する競争起こらざれば、国家の平均力を保持することあたわず。これにおいてその勢いおのずから文学の復興を促すありて、道理競争の行わるるに至る。故に春秋戦国に文化の隆盛を極めたるは、腕力競争の反動によるものと知るべし。しかりしこうして秦以後、諸学一時に衰えたるは、一は秦政の書を焚きたるにより、一は盛衰循環の理による。すべて有機物はこれを用うること久しきに達すれば、疲労を覚え刺激を与うること度に過ぐれば、興奮性を失するに至る。今、社会も一活物なるをもって活動一時盛んなれば、また衰うるときある必然の理なり。そののち宋朝に至りて学者陸続輩出したるは、一は仏教の勢い外より儒学を圧迫せしをもって、儒学大いに抗抵力を起こしこれと競争したるにより、一は当時の学者、多少仏学を研究して、その思想を儒学の中に混入調和したるによる。降りて近世に至り諸学衰頽をきたせしは、その抗敵たる仏教ようやく衰え、人の精神思想従ってその勢力を失するに至ればなり。
第十二節 比 考
シナ哲学を大別して二種となす。一は老荘の学派にしてこれを道教と名付く、一は孔孟の学派にしてこれを儒教と称す。その他シナには法家、仙家の二派あり、共に道家より分かるるという。法家はすなわち申韓の学にしてその教全く老子に基づく。仙家は漢以後、世に行わる。宋に至りて性理論起こる。程朱諸氏の唱うるところなり。そののち三教一致論の出づるあり。三教とは儒、仏、道をいう。これよりシナ諸家の説を西洋の学派に比考するに、まず老荘は西洋のいわゆる任他主義にして、申韓はそのいわゆる干渉主義なり。あるいは老子の学を評して自晦主義となすものあり。楊子は自利主義にして、ギリシアの哲学エピクロス派の主義に似たる。墨子の兼愛はベンサム氏等の功利説に近し。孟子の性善論はリード氏等の説に同じ。荀子の性悪を論じて積習注錯をもって、心性の発達を証明せるがごときは、ロック氏の学派に異ならず。楊雄の善悪混説も、李翺の復性説も、程朱の性理論も、みなギリシア中にその類を見る。その他、公孫竜、鄧柝は論理法を講ずるものなり、管、商二氏は政治学を唱うる者なり。孔子の人倫を本とするはソクラテス氏の主義に似たり、荘子、列子の精神不滅を説くはピュタゴラス氏等の論に似たり、老子の道の本体を談ずるはスピノザ氏の本質論、シェリング氏の絶対論、スペンサー氏の不可知的論に似たり、関尹子の道の幽妙を論ずるはヘーゲル氏の理想論に似たり。その他、諸子百家の説みな西洋にその類を見る。しかれども以上挙ぐるところは、ただその大要について較するのみ。詳細の点に至りては東西もとより同一なるにあらず。かつシナ諸家の論は憶想仮定に出づるもの多く、論理の貫徹するものあるを見ず。これその西洋学にしかざるゆえんなり。
第十三節 孔 老
シナ諸学その類はなはだ多しといえども、これを帰するに孔老二氏の学に基づくをもって、ここに両学の異同を論ずるを必要なりとす。この二学はその性質全く相反するところありて、おのおの一僻あるを免れず。今その点を挙ぐるに、孔子は人道を主とし、老子は天道を本とす。孔子は世情人事を論じ、老子は虚無淡泊を談ず。孔子は実際に僻し、老子は理想に僻す。孔子は進取の風あり、老子は退守の風あり。孔子は愛他、老子は自愛なり。孔子は関渉、老子は放任なり。孔子は人為、老子は自然なり。孔子は尭舜以下の道を説き、老子は伏犠以上の道を説く。孔子は仁義をもって道の本とし、老子は仁義をもって道の末とす。孔子は浅近平易なり、老子は高遠幽妙なり。以上列するがごとく、孔子と老子はその主義全く反対に出づるといえども、両教中またおのずから合同する点あり。孔子もその目的、世道人心を矯正せんと欲し、老子も濁世の余弊を洗除せんと欲す。孔子も社会の安寧、人心の快楽を増長せんと欲し、老子もその本志またここにあり。故に両氏の極意に至りては、同一点に帰するものと知るべし。ただその異同あるは方法のいかんにあるのみ。
第十四節 盛 衰
孔老二氏の学につきてその盛衰を考うるに、古来、孔学ひとり世に行われて老学常に盛んならざるゆえんは、一は両学の性質により一は当時の事情による。まず両学の性質を論ずれば、老学は深遠高妙にして入り難く解し難し、孔学は浅近平易にして了解しやすし。かつ老学は目前実際の世情に適せず、孔学はよくこれに適す。この二者もって儒学の世に盛んにして、道教のようやく衰うる原因となすに足る。つぎに当時の事情によるとは、シナは国大に人多く、政治上の変革最もはなはだし。故に政治に関する学は世間に行われて、関せざるものは自然に衰うべき事情あるをいう。その他孔学の漢以後に盛んなりしは、秦の儒をにくみし反動により、宋以後、更に興りしは仏教の刺激による等、その時に応じて格別なる事情また多し。かくのごとく孔教のひとり盛大を極めたるは、かえってシナ人の不幸というべし。そもそもシナは孔老の両学並び行われて、始めて学問の平称点を保持すべきに、その学孔学の一方に傾きたるをもって、人の思想いたって浅近に帰し、議論卑劣に流れ、その結果文化の衰頽をきたすに至れり。ことに儒学の弊たる古を師とし、述而不作を主義とするをもって学問決して進歩すべき理なし。かつ中世以降、世間これに抗抵すべき学なきをもって儒教次第に悪弊を醸成し、学者ただ虚影を守り活用を務めざるをもって、ついに国力と共に衰うるに至る。ああ、また慨せざるを得んや。
第四段 インド哲学
第十五節 史 論
東洋哲学中その最も古くかつ著しきものはインド哲学なり。これをシナ哲学に比すれば一層高尚深遠にして、ギリシア哲学といえども理想の論究に至りては、けだしその右に出づるあたわず。もし年代をもってこれを較すれば、インドの文明ギリシアにさきだちて開けたるは史上に照して明らかなり。シナと新旧を較するに、インドまた先開の国たる、みな人の許すところなり。けだしインド地方の他邦にさきだちて開け、文化の早くさかんなるに至りしは、けだし気候、衣食等の外界の事情によるなるべし。気候は四時温熱にして家屋衣服の設を要せず、食物は天然の産地に富んで製造耕作の労を要せず、これらはみな人民の繁殖に最も適したる事情なり。かつインドの地たる寒暖晴雨の常ならざる、天災地変のしばしば至るがごとき、大いに人をして天象の観察を養成し、哲学の思想を興起せしむるに至るという。これインドの諸学諸想の他邦にさきだちて開けたる一原因なり。
第十六節 比 考
第八節中にすでに論ずるごとく、インド哲学と西洋哲学とは大いにその性質を同じうするところありて、その用うるところの因明法はアリストテレス氏の演繹法に異なることなく、帰納法の一種もすでにその類を見るという。あるいは感覚思想の二力を分かちて知識の起源を論ずるあり、物理分子の性質を究めて万象の変化を論ずるあり、神体の有無、霊魂の生滅、物心の関係、宇宙の組織等みなインド学者のすでに論明せるところなり。その他、婆羅教の万物をもって一神体より発生すというは、ピュタゴラス氏の元子論に似たるあり。仏の万法をもって真如の一理に帰するがごときは、プラトン氏およびヘーゲル氏の理想論に類するありて、いちいち比考するにいとまあらず。
第十七節 種 類
インド哲学に千差万別の種類ありといえども、要するに信神教と、不信神教と、その中間に位するものの三種に過ぎず。信神教はインド古代の神典によりて婆羅神の創造を立つるものにして、これにミーマーンサーおよびヴェーダーンタの両学派あり。つぎに不信神教は信神教に反対して神造を立てざる学派にして釈教これに属する。つぎに第三種はこの二者を折衷してその中間を取るものにして、これに二種の学派あり。一をサーンキヤ学派と称し、一をニヤーヤおよびヴァイシェーシカ学派と称す。あるいはサーンキヤは数論哲学と称し、ニヤーヤは論理学派、ヴァイシェーシカは物理学派をもって分かつことあり。かくのごとくインドにあまたの学派ありといえども、余はここに婆羅教と釈迦教の大意を述べて、信神教と不信神教の性質を略明してとどまんとす。婆羅教と釈迦教との異なるは、主として神造を立つると立てざるとにあり、婆羅教はいわゆる神造教にして釈迦教は因縁教なり。婆羅教は創造神の現存を憶定するをもってその論虚想にわたるもの多く、釈迦教は因果の理法を本とするをもってその説推論に属するもの多し。なおその両教特有の性質は次節に述ぶべし。
第十八節 婆 羅 教
それ婆羅教はインド創世史に基づきて立つるものにして、諸教中最も古しとす。この創世史については、あるいは極めて妄誕に属するものありといえども、全く哲学上参考すべきものなきにあらず。一説に曰く、太初に神力のひとり現存するあり、その神、天地万物を造成せんと欲し、初めに水を作りその中に一個の種子を置きたるに、その種子たちまち変じて卵となり、その卵中に神ありて住せり。この神、徒然としてその中に存在することおよそ一万五千五百五十二億万歳なりという。その年月の終わりに至りて、始めて神自らこの卵を両分して婆羅神となる。これを創造主と称す。その卵、一半は天となり、一半は地となる。婆羅神その中間に空気を作り、八州を作り、海洋を作る。これを作り終わりて、この神一身を両分して男女両神となり、人類動物を造出せり。およそ婆羅神の創造に従事すること一千七百六万四千年なりという。また一説に婆羅神はすなわち原始体の義にして、その体純一無差別の理性なり。これに反対せる差別の諸象は有体と名付く、すなわち物体これなり。その物体の内部に成立せるものこれを原始の理体とす。その理体中創造力を含有すといえども、最初はこれをその体内に包蔵して、すこしも外にその力を発示することなし。これを婆羅神眠息の時という。この神体眠息より醒覚するに当たり、たちまち変じて男性の婆羅神となり、創造の作用を始めしにその神あるいは光明となり、あるいは知恵となり、あるいは言語ともなれりという。あるいはまた婆羅神の自体より三種の作用起こる。すなわちその身体より第一に創造の作用を有する神、第二にすでに生じたる形体を保持する作用を有する神、第三にその形体を破壊して原初の無差別の体に帰する作用を有する神の三体を分出す。かくして森羅の万象、宇内に成立するに至るという。しかしてまた万物みな婆羅の神体より造成せられたるゆえんを説明して、この神は泥土のごとく千態万形に変成し、また火気のごとく諸光を放散し、また海水のごとく諸波を現呈すという。あるいはまた万物ことごとく婆羅の神体より外なきゆえんを論究して、婆羅神は能造者にしてまた所造者なりという。すなわちこの神万物を造出する体なるときは能造なれども、造出されたる万物すなわち神体とするときは所造なり。この理によりて迷悟の別を談ず。すなわち婆羅神の外に万物ありと執するは迷とし、万物みな婆羅の神体なりと信ずるを悟とす。これ婆羅教のいわゆる成仏なり。かく論ずるときは、婆羅教は万有神教の一種とすべし。また一説に、婆羅神の創造力の自在なるを寓言してその頭は火となり、その目は日月となり、その耳は天穹となり、その呼吸は風となり、その心は諸活物の生命となり、その足は大地となる等といえり。その他、婆羅教について種々の説あれども、真偽つまびらかならざるをもっていちいちこれを掲記せず。
第十九節 釈 迦 教
つぎに釈迦哲学は、西書中これを論ぜざるにあらずといえども、その論ずるところ小乗教または大乗始教に過ぎざるをもって、今ここに挙ぐるところは本邦伝来の仏籍によるものと知るべし。余おもえらく、仏教は一半は理学または哲学にして、一半は宗教なり。すなわち小乗倶舎は理学なり、大乗中、唯識、華厳、天台等は哲学なり。また曰く、聖道門は哲学にして、浄土門は宗教なり。まず小乗倶舎についてこれをいえば、三世実有 法体恒有と立てて五薀の法体、実に有りと立つるがごときは、理学または哲学中、実体学の論ずるところに類す。実体学においては物の実体真に有りと立てて、理学においては万象の変化は分子離合の因縁によりて生ずという。倶舎の極微は化学のいわゆる元素なり。故にその教理、あるいは西洋哲学中の唯物論に類すというも可なり。つぎに大乗唯識の森羅の諸法、唯識所変と立つるは西洋哲学中の唯心論に似たり。その第八識すなわち阿頼耶識はカント氏の自覚心、またはフィヒテ氏の絶対主観に類す。つぎに般若の諸法皆空を談ずるは西洋哲学中、物心二者を空する虚無学派に似たり。つぎに天台の真如縁起は、西洋哲学中の論理学派すなわち理想学派に似たり。その宗立つるところの万法是真如、真如是万法というはヘーゲル氏の現象是無象、無象是現象と論ずるところに同じ。起信論の一心より二門の分かるるゆえんは、シェリング氏の絶対より相対の分かるる論に等し。そのいわゆる真如はスピノザ氏の本質、シェリング氏の絶対、ヘーゲル氏の理想に類するなり。
第五段 西洋哲学
第二十節 史 論
余さきに地位上哲学を大別して東洋哲学、西洋哲学の二種となす。しかるに東洋哲学はすでに弁じ終わるをもって、これより西洋哲学を論ずるを要す。今、総じてその哲学に関する事情を述べんとするに、まず歴史の大略を説かざるべからず。そもそも西洋哲学のギリシアに始めて起こりしは、今を去ることおよそ二千五百年前にあるや、史に徴して明らかなり。ただしそのいずれの年に始まるや、つまびらかならず。しかれども史家の説、大抵みなタレス氏をもって初祖となす。タレス氏は紀元前六四〇年に生まるという。そののち、諸学者ついで起こり、諸学派従って分かる。紀元前三百年代すなわちソクラテス氏の前後、ギリシアの文化最も盛んなり。アリストテレス氏以後、諸学ようやく衰えローマに至りて大いに微なり。哲学ついに宗教と混同して浅近考うるに足らざるに至る。別してローマの季世、天下暗世に属し古代の文学全く地に堕ち、また昔日の開明を見ざるに至る。そののち文化ようやく起こらんとするの徴候ありといえども、中世封建制度の人知を圧束し、ヤソ教の人心を固結するのはなはだしき、これをして久しく長育せざらしむ、あに慨せざるを得んや。史を読みてここに至るもの未だかつて喟然として嘆せざるはなし。しかるに幸いなるかな、近世の初期に至り、封建の組織全く隤頽し人民の頑眠ようやく醒覚し、ヤソ教また大いにその勢力を減じ、古学一時に復興せんとするの勢いあり。しかして当時、外には航海通商の道開け、内には印刷翻訳の術進み、大いに人知思想の発育を助くるに至る。けだし近世の諸学はみなこれより起こる。哲学またこのときに始まる。これを近世哲学と称す。これに対してギリシア哲学を古代哲学と名付く。しかして近世哲学はその実ギリシア哲学の再興にかかる。その学源を尋ねて今日の学派を開くもの、フランスにデカルト氏あり、イギリスにベーコン氏あり、これを近世哲学の始祖となす。共に西暦第十七世紀の人なり。この二氏おのおのその研究方法を異にし、一は演繹法を本とし、一は帰納法を本とするをもって、近世哲学このときすでに両派に分かる。デカルト氏の学ドイツに入り、ベーコン氏の学イギリスに伝わる。イギリス哲学とドイツ哲学とその性質を異にするは、けだしこれに基づく。そののち哲学者ついで起こり、諸学並び進む。デカルト氏始めて哲学を唱えてより、もって今日に至るまで僅々二百余年に過ぎずといえども、その進歩の著しき実に驚くに堪えざるものあり。けだし思想のかく一時に進達せしは、中古千百年の久しき、ヤソ教の人知を圧抑して発育せざらしめたる反動に外ならず。これを要するに、西洋哲学は紀元前五〇〇年に始まり、相伝えてもって第十九世紀の末年の今日に至る。その間およそ二千三、四百年を経過すといえども、中古暗世に際し、千余年の久しき古代の諸学全く地を払うに至りしをもって、哲学の世に存する前後合わせて七百年に過ぎず。しかして今日の隆盛を見るに至りしは、決して偶然にあらざるなり。これを東洋の文化数千年に伝えてますます退歩するに比すれば、その懸隔いくばくぞや。余深くここに感ずるところあるをもって、今その原因を究索せんとす。
第二十一節 分 類
ギリシア哲学の初祖タレス氏のときより第十九世紀の今日に至るまで、その間欧州に伝わるところの哲学を西洋哲学全系とし、これを古代と近世とに分かつ。古代はすなわちギリシア哲学なり。ローマに至りては全く一、二の哲学なきにあらずといえどもギリシアの余波に過ぎず、故に別に論ずるを要せず。つぎに近世哲学を大別して大陸哲学とイギリス哲学とに分かつ。しかして大陸哲学はドイツ哲学とフランス哲学の二種に分かつも、フランス哲学はドイツに入りて始めて完全したるをもって、これを総じてドイツ哲学と称するも不可なることなし。以上は多く年代または地位に関したる分類にして、性質組織上の分類にあらず。性質上これをみれば、また種々の学派に分類すべし。あるいは帰納、演繹の二法に分かち、あるいは経験、本然の二種に分かち、あるいは一元、二元の両論に分かち、あるいは実体、心理の二派に分かつ。その一元論にも唯物、唯心の別あり。これを要するに、西洋哲学はその性質いたって煩雑にして、その分類いたって多様なり。東洋哲学の簡単なるともとより同日の比にあらず。故に東洋に起こりし諸説は西洋にその類を見ざるものなしといえども、西洋に起こりし諸説は東洋にその類なきもの多し。すなわち東洋哲学は単純なり、西洋哲学は複雑なり。これ東西両洋哲学のその性質を異にする一点なり。
第二十二節 性 質
前節に論ずるごとく、西洋哲学と東洋哲学との間に、性質の単雑と種類の多寡との異同あるは他なし。けだし東洋は一国の思想ことごとく一主義に雷同するの傾向あり。西洋はこれに反し一思想起これば必ず他の思想の起こるあり。一主義行わるれば必ず他の主義の行わるるありて、一学派の決して独立独行することなく、一主義の決して諸想を圧伏することなく、諸学諸説互いにその真偽を争い、その優劣を競うの勢いあり。これ西洋学の進化するゆえん、東洋学の退歩せるゆえんなり。つぎに東西両学の異同は、事物の観察考証そのよろしきを得ると得ざるとにあり。西洋人は事物について経験するところこれを理論に考え、理想について論究するところこれを事物にただす。故をもって西洋には理論と実際と常に相隔離せざるの風あり。しかるに東洋にありては孔孟哲学のごとき実際に僻するものあり、インド哲学のごとき理想に偏するもののみありて、よくこの二者を調和するものなし。その実際を本とする孔孟哲学にして、しかも事物の考証を欠きて空想に出づるもの多し。かく両学の異同あるは、もとよりその原因なかるべからず。地理も気候も、住居も飲食も、政治も教育も、風俗も人種も、みな東西これを異にするをもって、多少その原因となりしは疑いをいれずといえども、かくのごときはここにいちいち論究する容易ならざるをもって、余はただ東西両洋の学者の主義および気風上、大いに異なるところあるを述明せんとす。東洋の学者は社会人知の溶化すなわち退歩を主義とし、西洋の学者は進化を主義とす。東洋の学者は述而不作を本意とし、西洋の学者は作而不述を本意とす。この異同を知らんと欲せば、よろしく東西両洋の史について見るべし。東洋中その例の最もはなはだしきものはシナ学者なり。孔子初めに述而不作を唱えたるをもって、それ以後の学者みなこれを主義とす。西洋はしからず、ギリシアの古代にありても、学者おのおの別に一主義を唱えて更に他説に雷同せず。師弟の間といえどもあえて一徹を守ることなし。近世に至り別してその著しきを見る。これ一は西洋学者の社会、漸々発達して高等に進化するを信ずればなり。顧みて東洋の学者を見るに、みな社会の溶化を唱えて人知の退歩を信じ、その目的を将来に定めずして、かえってこれを太古に期し、今日の文明をして上世野蛮の風に復せんとす。これをもって東洋の学者はみな述而不作、信而好古を主義とするに至る。人みなかくのごとき主義を立つるをもって、東洋には多様の思想の起こるなく、数種の学派の分かるるなし。数種の思想学派なきをもって、またますます社会の退歩を信じ、一主義に雷同し、因果相合して共に諸学の衰微をきたすに至れり。西洋は全くこれに反し、社会の進化を目的とするをもって、学者互いに相競争し、互いに相競争するをもって諸説諸学並び起こり、諸説諸学並び起こるをもって、人知いよいよ発達し、人知いよいよ発達するをもって社会ますます進化す、社会進化するをもって、またますますこれを目的として高等の地位に進向せんとす。これ西洋諸学の進達せるゆえんにして、東洋学者の注目せざるを得ざる要点なり。
第六段 ギリシア哲学第一 総論
第二十三節 起 源
ギリシア哲学はタレス氏をもって始祖とすといえども、その以前すでに諸学の思想を胚胎するあり。これをギリシア哲学未発のときと称す。その未だ発せざるに当たりては、第一に神学ひとり世に行わる。これを神学の世と称し、第二に道徳学ついで起こる。これを道徳学の世と称す。この諸学はみな東洋諸邦よりギリシアに入るものにして、その思想論説に至りては極めて妄誕不経にわたり、論理のもって考うべきなく、事実のもって証すべきなく、未だ哲学の思想と称すべきものを見ず。しかれどもこのときすでにその思想胚胎するなくば、タレス氏以後、哲学の一時に発達すべき理なし。ただしここに論究すべきは、その元素本来、ギリシア人の思想中より発生せしや、また東洋より漸入したるやの一点にあり。旧史について案ずるに、その元素、多少他邦より入りきたりしや疑いなし。けだしオルフェース氏はスレースよりきたり、フェロニュース氏はエジプトよりきたり、カドモス氏はフェニキアよりきたり、始めてギリシア文明の基を開くという。タレス氏以前、神学、道徳学のギリシアに行われたるは、この諸氏の東洋の文明を将来せしによる。当時エジプト、フェニキア等は文化さきに開け、航海通商の術すでに行わる。なかんずくフェニキア人は、このときすでにインドとギリシアとの間に来往通商せしという。かく四隣みなギリシアにさきだちて開けたるをもって、ギリシア文明の起源となりしのみならず、また大いにその発育を助けしや明らかなり。その他ギリシア人のペルシア等と数回戦端を開きたるも、また多少その人知を開発せしや疑いをいれず。故にギリシア文明の本源は、エジプトおよびアジア諸邦に起こるというも可なり。しかれどもその原因ことごとくこれを隣邦に帰すべからず。その国内の地勢民情の大いに人知を振起し、新説異想の発達を助けしやまた疑いなし。すなわちギリシアの地は海中に突出し、外には海水の湾入するあり、内には山岳の横断するありて、その邦天然に数州に分かれ、各州独立の勢いをなし、全国を統一する政府なし。故をもって一国内の州郡互いに相敵視するの風あり。その間しばしば兵争いを起こし内乱のやまざるは、けだしこれに基づく。その影響、人の気風思想の上に及ぼし、大いに学者の精神を興し、諸学したがってさかんなるに至る。これを要するにギリシア哲学の本源、一半は他邦より入り、一半は内国より起こる。その外より入るは、当時他邦の文化ギリシアにさきだちて開け、内外の通商、交戦、転住のこれが媒介をなせしにより、その内より起こるは地勢、政治、兵乱、競争の人の精神思想を振起せしによる。
第二十四節 発 達
タレス氏以後哲学ようやく発達し、ソクラテス氏およびアリストテレス氏の世最も隆盛を極む。アリストテレス氏以後その学次第に衰え、ギリシア学の終期に及び懐疑学の起こるありて、実論を捨てていたずらに空理を争うに至る。しかしてローマに入りてはわずかに哲学の余響を伝うるのみ、また論ずるに足らず。今その盛衰の原因を尋ぬるに、タレス氏以後哲学の漸々発達せしは、一は内乱外冦の間接にその勢いを養うにより、一は通商遊学の直接にこれを助くるによる。タレス氏は、エジプトおよびフェニキア諸邦を経歴して、その地の学術風俗を観察し帰りて一派の哲学を起こし、ピュタゴラス氏はエジプトおよびバビロンに遊び、また遠くインドに至りその文化を実視して帰りて、また一派の哲学を開くという。そののち学者、陸続輩出し互いに相競うて真理を討究し、哲学大いに興起するに至れり。史についてこれを考うるに、アリストテレス氏の世はアレキサンダー世界を一統せし世にして、文武共にその極点に達したるときなり。これよりのち、国勢にわかに衰え、哲学また大いにその勢力を失う。ついでローマの盛んなるに当たりては、ギリシアもその版図に属しまた昔日の文化を見ず。降りてローマの末世に移り、ヤソ教ヨーロッパ全州に流布するにあたり、ギリシアもまたその教の圧するところとなり、哲学の思想全く地を払う。ついで蛮民の蹂躙するところとなり、文教ほとんどその痕跡をとどめざるに至る。ああ、文化の隆替は国家の盛衰に関す。学者あにこれを思わざるべけんや。
第二十五節 学 派
ギリシア哲学の全系すなわち紀元前六〇〇年代タレス氏のときより、紀元後二〇〇年代セクストス・ホ・エンペイリコス氏のときに至るまで、およそ七百年間を大に分かちて二世期とす。すなわち前世期、後世期これなり。前世期はタレス氏よりソクラテス氏に至り、後世期はソクラテス氏よりセクストス・ホ・エンペイリコス氏に至る。ソクラテス氏は紀元前四〇〇年の人なり。しかしてまた第一世期を三時期に分かつ。第一時期にはイオニアとイタリアの二学派あり、第二時期には二種のエレア学派あり、第三時期には詭弁学派あり。イオニア学派はタレス氏を始祖としアナクシマンドロス氏、アナクシメネス氏、およびアナクサゴラス氏等ありてその学を伝う。つぎにイタリア学派はピュタゴラス氏を初祖とす。エレア学派は、そのうち第一種は形而上学派にして、その派の冠たるものはクセノパネス氏、パルメニデス氏、およびゼノン氏なり。第二種は物理学派にして、その派の首たるものレウキッポス氏およびデモクリトス氏なり。第三時期の詭弁学派中、その名の今日に伝わるものゴルギアス氏、プロタゴラス氏、プロディコス氏等なり。つぎに後世期を分かちてアリストテレス氏以前と以後との二時期とす。第一時期内その首たるものソクラテス氏の学、プラトン氏の学、およびアリストテレス氏の学なり。第二時期中その首たるものストア学派、エピクロス学派、懐疑学派なり。ストア学派中その名あるものはゼノン氏、クレアンテス氏、クリュシッポス氏等なり。エピクロス学派はエピクロス氏を開祖とするをもってその称あり。第三懐疑学派はこれに新旧の両派ありて、旧派はピュロン氏を首唱とす。その門弟にティモンというものあり。新派中そのさきがけたるものセクストス・ホ・エンペイリコス氏なり。以上各派の組織性質に至りては後段において論ずべし。
第七段 ギリシア哲学第二 組織
第二十六節 イオニア学派
前節においてギリシア哲学の学派を論じたれども、未だその学派の組織性質を弁ぜざるをもって、ここにその大要を略明せんとす。まず第一にイオニア学派の主義を考うるに、その学祖タレス氏は本来二種の原理ありて存すという。一は有形の物質にして一は無形の精神なり。我人今日にありては千状万態の現象を宇宙間に見るといえども、その元初にさかのぼりて考うれば、万物の元質となるべき一種の物体あるのみ。その体もとより方円曲直の定形を有するにあらず。けだし物に方円曲直の定形あるは原質の変化して結成せるによる。故にタレス氏は水をもって万物の原種とす。これ物質の本体なり。しかしてまた考うるに、無形無質にしてよく霊妙奇変の作用を呈するものあり。すなわち動力、生力、知力のごときこれなり。これを精神と名付く。この物心二種の原理、本来存するありて、内外両界の万象を顕現するに至るという。故に氏をもって二元論者となす。しかして氏は精神の本源を論ずるに当たり、ついにその本体すなわち神体なりと想定するに至る。これ氏の論理の欠点といわざるべからず。故にその門弟にアナクシマンドロスと称する者ありて天神の仮想を廃し、始めて物理の説明を与え、かつ物質の本源水体にあらざるゆえんを証して、無涯の虚空のごとき無形無質の体をもって万物の原理と定む。しかれどもその理、絶対無質に偏するの弊あるをもって、第三祖アナクシメネス氏は有象の物理上原質の本体を定めんと欲して、万物の本体すなわち空気なりというに至る。これけだしタレス氏の水体は有形に過ぎ、アナクシマンドロス氏の虚空は無形に過ぎたるをもって、アナクシメネス氏二者の中間をとるによる。しかれども空気のごとき同一質のもの、いかにして万態の異象を形成せしやの一点に至りては、氏の論未だ明瞭ならざるなり。故に最後にアナクサゴラス氏という者ありて、その欠点を補わんと欲し、ついに初祖タレス氏の物心二元論に帰し、あわせてまた神力の現存を考定して、万象の変化するゆえんを明示するに至る。故に氏の論その実タレス氏に異なることなしといえども、これを前者に比すれば一層詳密を加え、かつその神力の作用を論ぜしがごときは、神学の基礎を開きたりというも不可なることなし。その他、氏の卓見と称すべきは、異象の諸物もと同質の元素より成るの理を想定するにあり。以上イオニア学派諸氏の論これを帰するに、心理によるにあらずして物理に基づくものというべし。しかして論理上これをみればその論、帰納の一種なりと知るべし。
第二十七節 イタリア学派
イオニア学派に反対してそののち一派の哲学起こるあり。これをイタリア学派と称す。ピュタゴラス氏その初祖たり。氏の哲学は記号を用いて表示せるもの多きをもって、学者大いにその意を解するに苦しむ。今その学派と前学派との異同を挙ぐれば、万物の原理を論ずるに両派全くその方向を異にし、一は形而下より形而上に論及し、一は形而上より形而下に論究す。論法またしかり、一は帰納を用い一は演繹を用う。今ピュタゴラス氏の説を尋ぬるに、万物の原種は絶対唯一の理体にして、そのうちに万物を含蔵すという。その原体を名付けて元子と称す。けだし物心二体その初め元子中に有るにあたりては、共に和合して存し未だ差別の諸境を示さず。その無差別の純理開発して、万差の諸象となるべし。万差はすなわち宇宙間の森羅の現象なり。その現象中に縛せらるもの我人の精神なり。我人の精神はこの纒縛あるをもって畢竟常住なるあたわず。その纒縛を脱して常住を全うせんと欲せば、我人本来固有の知力によらざるべからず。知力ひとりよく万差の迷境を破りて、唯一の真理を開くことを得べし。およそ人のこの世にありて学を修め道を求むるもの、その目的ただこの知力を養成して纒縛を脱離するにあるのみ。しかしてまた人の意思も、願欲の情あるをもって迷境中に縛せらる、迷境中に縛せらるるをもって自由を得るあたわず。故に我人の務むるところ、またこの欲情を脱去して意思を自由の境に遊ばしむるにあり、これを要するに知力の目的は差別の迷見を破するにあり、意思の目的は虚妄の欲念を断ずるにあり。その他ピュタゴラス氏は輪廻転生の説を唱え、人もし善学を磨き善道を修むるときは、世々次第に上等に転生して、ついに自由常住の境に達することを得べし。もしまたこれに反し悪法を取り悪念を養うときは、世々次第に下等に転生して、心身ともに沈淪すという。これピュタゴラス氏の哲学の大旨なり。そのインド哲学に類似するところあるは、別に証するを要せず。氏のインドに遊学せしの説、ここに至りていよいよ信ずるに足る。
第二十八節 エレア学派
前節論ずるがごとくイオニア学派は物理を本とし、イタリア学派は純理を本とし、二者全くその主義を異にするをもって、その両学につぎて起こるところの第三学派、すなわちエレア学派また両派を分かつに至る。一を形而上学派といい、一を形而下の学派という。今、形而上学派についてその要旨を考うるに、その初祖クセノパネス氏はピュタゴラス氏の哲学を研究して、唯一の理体より万差の諸物を発生するの理を疑い、無一物より万物を化生すべからざるゆえんを知り、ついに万差の諸象は唯一の理体より化生するにあらずして、その諸象すなわち不生不滅、常住不変の理体なることを論決するに至る。しかれども、氏なお生滅の諸象は唯一の理体の変形外表なることを許す。ついで第二祖パルメニデス氏の起こるありて、ついにその諸象の実相を有せざるを論究し、諸物ただ一体の原理の外なきことを証明す。しかして氏はその理を心理学に考え、感覚よりきたるところの諸想は、真理の基址となすべからざるゆえんを証して、形而上の純理にあらざれば真を表するに足らざる理を明かす。かくして第三祖ゼノン氏に至りては、物界の実験よりきたるところの諸則を排棄して、心内より生ずるところの理想の性法を考定し、初めて論理学の基礎を構成するに至る。つぎに第二種の学派すなわち形而下学派はレウキッポス氏等の主唱するところにして、第一種学派の形而上の一局に偏し、物界の諸象を滅無するの僻あるを見、この弊を矯めんと欲して別に一派を開くものなり。故にその主とするところ感覚実験によりて帰納の一法を用う。さきにイオニア学派ありてすでに帰納法を用いたりといえども、その論ずるところ人知以内より人知以外に及ぼすの風あり。しかるに今この学派にありては全く感覚の範囲内に真理を考索し、その論を人知以外に及ぼすことなし。その学派の説くところによるに、物界の諸象はすべて物質の変化より生ずという。その変化の原理を究明するものこれを哲学とす。従来この原理を定むるに二種の憶説あり。第一は本来絶対唯一の理体に具するところの内力のあるありて万象の変化を現呈すといい、第二は物質を構造する諸種の元素の集散するありて変化を営むという。今エレア形而下学派にありては、その第二説をとりて第一説を排す。すなわち第一説のいわゆる内力は本来形象を有せざるをもって、そのうちより形象を有する物質を発生すべき理なしと信ず。もしあるいはその理体一定の形象を有するものと許すも、その形象、他の一定の形象を有する物質に変化すべき理なきをもって、レウキッポス氏およびその門弟デモクリトス氏は内力論を排して元素論をとる。これより分子成物の説、起こる。分子はその数無量にして変化また無量なり。しかしてその体に集散離合の作用あるは、自質固有の動力あるによる。この理に基づきて宇宙万物の構造を論ず。けだし分子論はレウキッポス氏に起こるというといえども、その理デモクリトス氏に至りてようやく明らかに、第九学派エピクロス氏に至りていよいよつまびらかなり。しかしてデモクリトス氏はこの理を応用して心理、倫理等の諸学を論じ、感覚上の快楽をもってその基址と定むるに至る。エピクロスの快楽主義けだしこれに基づく。以上、論ずるところこれを要するに形而上、形而下の二種のエレア学派はおのおの一局に偏するの弊を免れず。故にその二者の中正の論を得るは後の哲学を待たざるべからず。しかれども両派の説ギリシア後世期の諸学の元素となりしは疑いをいれざるなり。
第二十九節 詭弁学派
エレア学派と詭弁学派との間に一種の学派あり。その主唱をヘラクレイトスと称す。これに続くものをエンペドクレスと名付く。その論ずるところの大要はエレア学派と同一にしてまた少異あり。今その異なる諸点を挙ぐれば、第一にこの学派にありては火をもって万物の原質とす、第二にその原質の変じて万象を現ずるは二種の原則に基づくという。その原則とは和と不和との二作用なり。人にありては愛と憎との二情なり。これを物理学上に考うるに引力と拒力との二力なり。その物理を説くがごときは、イオニア学派およびエレア形而下学派に合同すといえども、物質の外に精神界を立つるに至りては両学派に同じからず。しかしてまたエレア形而上学派に異なるところあり。故にこれを中間の学派と称す。その第一祖ヘラクレイトス氏は普通の道理を本とし、世間一般に信ずるところこれ真理なりと許し、一人一己の説は真とするに足らずと信ず。故に真理は一般の道理に在りて、虚偽は各自の私見に生ずという。これけだし氏は前学派の諸氏おのおの一己の独見を固持し、物心両端の一辺に偏倚して中正を失するの弊あるを知ればなり。第二祖エンペドクレス氏の説またこの意に外ならず。しかるにこの両氏は前学派の僻見を正して一派の新説を起こさんと欲したるも、その結局ついに懐疑学の一端を開き、詭弁学派の基を起こすに至る。故に余はここにその両氏の学派を掲げて詭弁学派の前に付すという。
詭弁学派中二種の性質あり。第一種は言語詞章の学を研究し、第二種は論説敏弁の法を研究す。しかして哲学上論ずべきものはその第二種なり、その第二種の主唱ゴルギアスおよびプロタゴラス氏はエレアの形而上学派に基づき、プロタゴラス氏はその形而下学派に基づく。しかれども両氏の論共に懐疑に陥り、いたずらに空見を争うて実理を失するに至る。およそ哲学上定むるところの論理に二種の別あり。ひとり物界の実験に基づくものこれを客観的の推理といい、全く心界の念想に基づくものこれを主観的の推理という。古来、哲学思想の進歩はつねにこの主客両観の間に真理の向背を定むるにあるを見る。今ギリシア哲学はすべて客観的の考証に乏しといえども、詭弁学派はその最もはなはだしきものなり。主観的の推理はいたずらに空想の一端に走り、実際に適合せざるの弊あるをもって、詭弁学の盛んなるその勢い哲学の衰頽をきたさざるをえず。しかるにソクラテス氏の哲学ついで起こるありて、この弊を矯正して衰勢を挽回するに至りしは実に幸いというべし。
第三十節 ソクラテス学派
ソクラテス氏は詭弁学派の実際に適せざるの弊あるを察して、一人の私見を去り、衆人の思想すなわち客観的の考証を取りて真理を定めんと欲し、一派の哲学を開く。これをソクラテス学派と称し、ギリシア前世期の哲学ここに至りてやや完全を得たり。前世期の学派は大抵みな宇宙造化の現象を考定するのみにて、未だ世情人事のいかに論及せしものを見ず。しかるにソクラテス氏は、主として人の知識思想を論究して始めて倫理学の基を開く。故にその学、道徳をもって諸善行の基本とし、その純徳の完体これを神と名付く。すなわち諸善諸行の主宰なり。その徳の我人の身体にあるものこれを心霊とす。故にその神の本体は終始生滅することなしという。しかして氏の道徳を定むるに三種の要義あり。曰く知識、曰く正義、曰く敬信なり。知識もって我人の自身に対するの本分とし、正義もって他人に対するの本分とし、敬信もって天神に対するの本分とす。およそ氏の哲学はもっぱら人心の性質を審定し、人をして本来有するところの知徳の本体を開発せしむるにあり。故に氏は知徳一体を論じて人の徳は知識なりという。また人の務むるところ知識を発育するあるゆえんを論じて、人の幸福は知識に外ならずという。ソクラテス氏死後その学数派に分かる。その冠たるものプラトン氏の学、アリストテレス氏の学、エピクロス氏の学およびストア学派なり。これを四大学派と称し、その第一学派すなわちプラトン学派の前に一、二の小学派あり、これを二種に分かつ。その第一種はもっぱらソクラテス氏の説を伝承し、第二はソクラテス氏以前の学を雑説す。しかして第一種にまたキニク及びキュレネの両派あり。第一キニクすなわち犬儒学派にはアンティステネスおよびディオゲネスの二氏ありて、その説ソクラテス氏の知徳論の一辺に偏し、更に世情人事のいかんを問わざるに至る。この弊を除きてその説を伝うるものすなわちプラトン氏の学なり。第二キュレネ学派にはアリスティッポスおよびテオドロスの諸氏ありて、ソクラテス氏の幸福論一辺をとり、ついに快楽主義を唱うるに至る。その後この説を伝うるものエピクロス学派これなり。つぎに第二種に属するものまた二あり。一をピュロン氏の学派と称す。その論、ソクラテス氏の説と詭弁学派の説をまじゆるものなり。二をエウクレイデス〔ユークリッド〕氏の学すなわちメガラの学派と称す。その論、エレア形而上学派の説とソクラテス氏の説を取捨するもののごとし。以上の小学派はプラトン氏以下の四大学派の起源となりしをもって、ここにその大略を付記するなり。
第三十一節 プラトン学派
四大学派の第一をプラトン氏とす。氏はソクラテス氏の知徳の本源と定むる心界の理想に基づきて、一種の説を起こすものなり。今その大要を論ずるに、プラトン氏は人知の本源を感覚、総念、理想の三種に分かち、感覚は外物の実験よりきたり、総念は感覚より生ず。しかしてひとり理想の本体に至りては、本来不生不滅にして感覚経験より来生するものにあらず。感覚は人々多少の差異あれども、理想は一理平等にして人々有するところ同一なり。かつ感覚より生ずるところの諸念は心内より除去すべしといえども、本来有するところの理想は滅無することあたわず。その体いわゆる常住不変なり。故に理想は諸学諸想の基礎にして、感覚はその表象の一部分に過ぎずという。これを要するに、プラトン氏は人知の本源全く理想に在りとす。その理想の本体これを神と名付く。この理によりて論理、物理、倫理の三学を説く。論理学は理想の本質を論じ、物理学はその万物の上に及ぼすところの作用を論じ、倫理学はその人心の上に及ぼすところの関係を論ず。まず氏の物理を説くや、宇宙は能作用の神力と所作用の物質より成る。しかして神は常住不変の理体、物は不定変化の現象にして、その性質全く相反するをもって、神直ちに物の上にその力を及ぼすあたわず。その間にありて二者の作用を伝うるものあり、これを宇宙の精気という。つぎに氏の倫理を説くや、人の目的は理想の本体に帰向するにありと定め、その方向に進むものこれを善とし、これに反するものこれを悪とす。故に人その目的を全うせんと欲せば、感覚よりきたるところの諸欲諸情を脱離して、理想の真境に帰向せざるべからずという。氏の政治学を論ずるまたこの理による。これを総ぶるにプラトン氏の学、ソクラテス氏に基づき、傍らエレアの学をさぐり、一家の新見を添えて一種の学派を組成す。故にこれを前世期の諸学に比すれば、一層の完備を加えたりというべし。しかれども公平にこれをみればその学、理想の一辺に局し客観の考証を欠くもの多し。この欠点のごときは、その学のアリストテレス氏の学に一歩を譲るところなり。
第三十二節 アリストテレス学派
プラトン氏につきて一派の学を起こすものアリストテレス氏とす。氏はプラトン氏の理想論に抗して、知識は感覚よりきたるゆえんの理を証す。すなわち氏は理想と感覚との中を取りて人知の本源を論ずるなり。しかしてまた氏は論理をもって諸学の原則とし、その原形は心より生じ、その資料は感覚よりきたるという。その論理学を組成せるもの名辞、命題、推論の三種ありて、今日世に伝わるところの演繹法これなり。また氏は理学を論じてこれを二種に分かつ、思弁学と実践学これなり。思弁学に属するもの数学、物理、心理等にして、実践学に属するもの倫理、政治、理財等なり。倫理学は自ら道理をもって願欲を規制すべきゆえんを論じ、政治学は外より法律をもって制限すべきゆえんを論ず。およそ氏の哲学を説くや、その意、諸事諸説の一端の極点にはしるの弊を抑制して、その中庸を保持せんとするにあり。中庸はすなわちアリストテレス氏の立つるところの道なり。
第三十三節 ストア学派
第三大学派すなわちストア学派はゼノン氏の立つるところなり。これに継ぐものクリュシッポス氏とす、すなわち氏の門弟なり。その学の前両派に異なるは論理、物理、倫理の三学のうち、倫理を主とするにあり。しかしてその論ずるところ理想と感覚の両端を取り、プラトン氏およびエピクロス氏の両説を取捨するもののごとし。その物理を説くや、プラトン氏のごとく能作用と所作用とを分かちて、能作用の体を神とす。物質は所作用なり、その間に存するところの精神に大小の二種ありて、共に能作の理体に属す。しかしてその出没変化みな天命法に従うものとす。つぎにその倫理を説くや、正理をもって人事の規律とす。故に人の目的は道理に基づき正直を守るにありという。正すなわち善、不正すなわち悪、善悪これによりて分かる。その正直の本体すなわち天神なり。故に我人正理を守りて善道に合すれば、すなわち神化することを得という。その哲理のアリストテレス氏の学に異なるは、一は倫理を本とし、一は論理を本とするにあり。けだしこの学の長ずるところは、感覚と理想との両主義を折衷するにありて、その弊は人をして自高自慢の気風を養わしむるにあり。なんとなればその教ゆるところ、我人は天帝とその徳を同じうするをもって、おのおの正理を守ればひとしく神化すべしと立つればなり。
第三十四節 エピクロス学派
第四大学派をエピクロス氏の学とす。すなわちエピクロス学派というものこれなり。エピクロス氏はプラトン氏およびデモクリトス氏の学を研究して、ついにデモクリトス氏の学を拡張するに至る。その主義とするところ人をして幸福快楽に安んぜしめんとするにあり。故にプラトン氏のごとく理想の本来を説かず、ただ感覚の一辺を談ず。感覚よりきたるところのものこれを概念と名付く。概念より道理を生ず、道理よく人を導きて幸福に赴かしむ。およそ人には自知の心ありて、その心もと感覚より生ずるをもって、苦を避け楽に就かんとする本心に外ならず。故に人の務むるところ幸福を得るの一点にとどまり、政治も道徳もこの主義を達するより外なしという。つぎに氏の物理を論ずる、デモクリトス氏の分子論に基づき、万態の物象は分子の変化より生ずという。そのこれを唱うるは感覚の外に心体なく、物質の外に世界なきゆえんを証せんとするにあり。感覚物質を本とするは、快楽主義を立てて理想論を廃せんとするにあり。故に氏の哲学は無神教なり。しかれども氏全く神を論ぜざるにあらず。ただ氏の立つるところの神は、人間以上に位する一種高等の体なりというにとどまりて、すこしも世界人事の上にその力を及ぼすものにあらずという。これを要するに氏の論、心内の理想に反対して物界の感覚を立つるは一家の卓見と称するに足るといえども、その一端に偏して他を排するに至るはまた僻論というべし。
第三十五節 懐疑学派
つぎに懐疑学派を論ずるに当たり、まず前四大学派の余流を略叙するを必要なりとす。第一、プラトン氏の学そののち、新旧二派に分かる。旧派は学祖プラトン氏の主義を変ぜずして伝え、新派はこれを変じて伝う。しかしてまたこの新派を二期に分かつ。第一期はアルケシラオス氏に始まり、第二期はカルネアデス氏に起こる。学派のかく後に分かるるに至りしは、プラトン氏の学いたって高尚に過ぎ、後人その意を迎うるに苦しみ、ついに種々の異解を下すによる。これをもってその学、漸々衰滅するに至る。つぎにテオプラストス氏およびストラトン氏ありて、アリストテレス氏の学中、物理の一点を論ず。第三、ストア学派はその後ゼノン氏の門弟異説を起こし、互いに相争うに至り。第四、エピクロス学派はようやく伝えてローマに入るという。これを要するに諸学派の結局、懐疑学を開くに至れり。
懐疑学は一種の哲学にして事物の真理を疑い、論理の定則を信せざるをもってこの名称あり。ギリシアの諸学ようやく微なるに及び懐疑の論、当時学者の思想に入り、従来定むるところの真理の標準も事実の考証もことごとくこれを疑い、一理一物の真として許すべきものなしと論決するに至る。その説初め詭弁学派より起こり、ソクラテス氏死後、一派の哲学を唱えたるピュロン氏に至りようやく盛んなり。ついで四大学派の興るに当たり、一時大いにその勢いを失うといえども、すでにしてプラトン、アリストテレス諸氏の学ようやく衰うるに及び、その学派再び起こり、アイネシデモス氏よりセクストス・ホ・エンペイリコス氏に伝えていよいよ盛んなり。アイネシデモス、セクストス・ホ・エンペイリコス両氏の伝うるところこれを懐疑学の新派と称し、これに対してピュロン氏の唱うるところを旧派と称す。およそ事物の真理を考定するに二種の僻論あり。一を懐疑家と呼び、一を独断家と称す。懐疑家は疑念に過ぐるの僻あり、独断家は信許に過ぐるの僻あり。独断家は真理の標準定まるものと信ず、懐疑学はこれを排す。その論に曰く、真理の標準を定めんと欲せば、まずその標準の真偽を考えざるべからず、標準の真偽を定めんと欲せば、必ず他の標準を用いざるべからず。しかるに今日に在りてはその標準の標準となすべきものなきをもって、事物の真偽決して考定すべからざるなりと。かくのごとくいちいち論究して、その極ついに物心二者の現存も真と定むべからざるに至る。しかしてその論ずるところ、すでに自ら物心を仮定して物心を論ずるを知らず。物心ありてのち、始めて思想あり、思想ありてのち、始めて論理あり、論理ありてのち、始めて懐疑の論も起こるべし。故にすでに懐疑あるは物心の存するによる。懐疑をもって物心を排すべからざるは瞭然たり。しかるにギリシアの季年に至りて、かくのごとき空論のもっぱら行われしは哲学の衰退を徴するに足る。
以上ギリシア諸学派の組織を論じ終わるをもって、ここにその全局を結びて批評を下すを必要なりとす。しかるにギリシア以後なおその学風を世間に伝え、中世より近世に至るの間、前後一、二の学派あるをもって、ここにその種類を列記してギリシア哲学に付するもまた贅言にあらざるなり。ギリシア以後の学、これを大別して二世期とす。第一世期は、ヤソ紀元の初世すなわちローマ盛時より中世に至るの間をいい、第二世期は、中世ローマ滅国以後近世に至るの間をいう。その第一世期中に起こるところの哲学は、性質上これを分かちて、ヤソ教に抗するものとこれを助くるものの二種とす。その第一種中、東洋よりきたるところの諸論と、ギリシアより伝わるところの諸論との二種あり。つぎに第二種は、ヤソ教者の第一種の諸説に抗抵して唱うるところの哲学なり。第二世期中に起こるところの哲学は、第一世期の余波を伝うるに過ぎず。以上、諸学派の論極めて浅近にして、論理上考うべきものなし。加うるにその説ヤソ教と混じ、宗教哲学に偏するをもって別に論ずるも益なしとす。故に余おもえらく、ギリシア季年の懐疑学は哲学世界日没のときにして、人みな眠に就かんとす。ローマより中世を経て近世に至るの間は暗夜のときにして、人みな夢裏に迷う。しかして近世の初年に至り、デカルト氏哲学を唱うるに当たりては、あたかも旭日の再び現ずるがごとく、世人みな一時に新見を開く。哲学界にも昼夜明暗の別あり。学者もって思わざるべけんや。
第八段 ギリシア哲学第三 結論
第三十六節 結 果
ギリシア哲学の結果を論ずるに当たり、思想発達の規則を知ることまた必要なり。およそ思想の発達は有機体とその性質を同じうし、数種の元素相合して新成分を発生し、諸成分相集まりて新組織を構成するなり。これを論理上三断法の規則とす。今その例を示すに、ここに甲説の起こるあれば甲を非とする説ついで起こり、甲と非甲両説の争うあれば、この二者を結合する乙説の従って起こるに至る。すなわち一元論あれば二元論起こり、一元、二元両論あれば、これを折衷する二元同体論また起こるがごとし。その図上のごとし。これを三断と名付くるは、甲は正断、非甲は反断、乙は合断にして三説相対して論理を断定するによる。これ単式なり。あまたの単式相集合して複式を生ず。その図左のごとし。複式相連結して哲学の組織を構成す。けだし論理思想の発達はこの規則によらざるものなし。その理これより述ぶるところをみて知るべし。
そもそもギリシア哲学はタレス氏に起こり懐疑学に終わる。その間、前後二世期およそ一千年の久しき異説の互いに相争うあり。新説のこれを結合するありて、いわゆる正、反、合の三断をもって一組織を構成するものなり。初めにタレスの氏の学すなわちイオニア学派は物理を本として帰納を用い、ピュタゴラス氏の学すなわちイタリア学派は心理を本として演繹を用う。この二者はいわゆる正、反、相対するものなり。つぎに第三学派すなわちエレア学派は、前両学派を結合したるものにしていわゆる合断なり。しかれどもその学派また形而上、形而下の二種に分かる。形而上学派は感覚実験を虚とし、形而下学派はこれを真とす。しかしてその学派中、最後にゼノン氏の論理学起こる。けだし氏の意、論理をもって心理、物理の反対説を結合するにあるがごとし。故にあるいはこの三種の説を名付けて心理学、実体学、論理学の三派となすものあり。これを要するにエレア学派中おのずから正、反、合の三断を分かつに至るなり。しかれどもその実、第一世期の哲学は総じて形而上の虚想と、形而下の実験の両端に僻するの弊を免れず。よくこれを結合したるものは第二世期の哲学にして、その主たるものすなわちソクラテス氏の学なり。故に氏の学は前世期の正、反、両断を結合したるものなり。その他、第二世期の第一世期に異なるは、第一世期の学派は天象、心霊を研究するにとどまりて未だ人事、倫理を論ずるに至らざるにあり。この欠点を補うて道徳学を起こすものすなわちソクラテス氏とす。氏の死後その説多岐に分れ、正、反互いに相争うに至る。すなわちプラトン氏は理想を本とし、エピクロス氏は感覚を本とし、ストア学派は正義をもって目的とし、エピクロス学派は快楽をもって目的とし、おのおの一端に偏するの勢いあり。これを統合したるものアリストテレス氏の学なり。氏の学これを前者に比すればやや完全を得たりといえども、その論なお演繹の一法に偏し、物理の考証を欠くもの多し。故にこれを近世に考うれば、なお不完の評を免れざるなり。しかしてギリシア哲学前後、両世期の諸説異論を分合取捨して、一大新組織を哲学界に開くものこれを近世哲学とす。ギリシアの三断論ここに至りて始めて大成を得たり。
第三十七節 批 評
前説論ずるところをもって、ギリシア学の虚想の一端に偏するの弊ありしことはすでに明らかなり。故に余はこれよりこれを東洋の諸学に比較してその長短を論ずるに、ギリシア学は大いにインド哲学に類す。まずその心理を究めて道本を立つるがごときは釈迦哲学に類し、天象を考えて物質を論ずるごときは他の学派に類す。その思想の高尚深遠なる二者の間、ほとんど懸隔するところなしというべし。ただしその異なるは実際の応用にあり。インドはその理を宗教の上に応用して安心立命の道を説き、ギリシアはこれを世間に応用して人生の目的を論ず。要するに宗教哲学はインドの長ずるところ、倫理哲学はギリシアの長ずるところというも一理あるに似たり。その他心理、論理の諸学においては、両学のすでに講ずるところなり。つぎにこれをシナ哲学に比するに、二者大いにその深浅を異にして、老荘の虚無説、易の太極説といえども、到底ギリシア思想の高遠なるに比すべからず。これを要するに、ギリシア哲学は東洋哲学中インドとその性質を同じうし、形而上の理論は両者の共に長ずるところにして、形而下の実験は両者の共に欠くところなり。その欠点を補うて完全を得たるものはひとり近世の哲学あるのみ。
第九段 近世哲学第一 総論
第三十八節 起 源
ギリシア哲学はローマに入りて大いに衰退し、中古蛮民の欧州を蹂躙するに当たりては文教ほとんど全く地を払う、いわゆる暗世なるものこれなり。その際ヤソ教のようやく人心に入り封建制の大いに世間に行わるるありて、ますます思想の進路を妨塞するに至る。これをもって哲学のその光を世間に現ぜざること、およそ一千余年の久しきに及べり。しかりしこうして、第十七世紀の中年に至り長夜の暗夢にわかに覚し、千里の迷雲たちまち散じて、再び思想界中に青天白日を見るに至りしもの、あに偶然ならんや。原因事情のもって考うべきものなくんばあるべからず。古来、学者のその原因を論ずる種々多端にして未だ一定の説なしといえども、要するに八条の事情あり。すなわち第一はサラセン人種の侵入、第二は古文学の再興、第三は印刷術の発明、第四はアメリカの発見、第五はインドの航海、第六は封建制の破壊、第七は宗教の改革、第八は理学の進歩これなり。サラセン人種は第八世紀の初年よりおよそ四、五百年間欧州に侵入し、版図をスペインに開きしをもって、欧人をしてアラビアの文物を知らしむるに至る。これ文化復興の一原因なり。つぎに第十五世紀に当たりてトルコ人コンスタンチノープルを陥れ、東ローマを滅せしをもってギリシアの学生逃れてイタリアに入り、その古文学を欧州に伝うるに至れり。これまた文学再興の原因となる。これに加うるに当時印刷術の発明ありて、古書を翻訳して広く世に刊行するの便を得、また第十五世紀の末年に当たりコロンブス、アメリカを発見して世人の見聞を一変し、ついでバスコ・ダ・ガマ氏のインド航海の道を開きてより、欧人をして親しく東洋の文明に接することを得せしめたり。これみな人の思想の発達を助けしや疑いをいれず。つぎに政治上の大変革のその影響を精神の上に与えたるは封建制度の廃頽にして、その制度第十三世紀以後ようやく廃弛し、当時全く破壊するに至れり。その他直接に精神の自由を発揮したるは宗教の改革にして、一五一七年ルター氏ひとたびその説をドイツに唱えてより欧州諸邦の大騒乱となり、その結果、思想発達に非常の影響を与えたりしはみな人の知るところなり。ついで第十六世紀より第十七世紀にあたりてコペルニクス、ガリレオ、ケプラー等の諸氏、天文学上一種の新見を起こし、しきりに旧説を排せしをもって、また大いに世人の思想を一変するに至れり。これを要するに、以上の諸原因前後ほとんど同時に起こり、互いに相助け、共に相合して、第十七世紀の新世界を哲学上に開きしものなりと知るべし。
第三十九節 発 達
かくして人の精神大いに発揮し、人の思想大いに発達して、理学哲学共に一時に振起するに至り、理学の進歩もって哲学を助け、哲学の発達もって理学を進め、二者互いに相進め相助けて、今日の結果をみるに至るなり。これによりてこれをみるに、今日の哲学は第十五世紀中すでにその発育を促すところの事情あり。第十六世紀にまた他の原因のこれに加わるありてその生気ますますさかんなるを見、第十七世紀に入りて始めて新組織を造成するに至る。すなわちイギリスにベーコン氏起こり、フランスにデカルト氏出でて、おのおの一種の新説を唱え哲学の基礎を開くものこれなり。故に両氏をもって近世哲学の開祖とす。ベーコン氏は実験を本とし、デカルト氏は思想を本とす。一は帰納法により、一は演繹法による。これ両氏のその研究の方法を異にするゆえんにして哲学上よりこれをみれば、デカルト氏は原理を定め、ベーコン氏は方法を定めたるものというべし。しかれども、一は大陸哲学の始祖にして、一はイギリス哲学の始祖たること疑いをいれず。そののち理学、哲学両界に学者きびすを接して輩出するありて、哲学の進歩ことに著しきを見る。まず理学界にはコペルニクス、ガリレオにつぎて起こるものニュートン、フランクリン、キュビエ、ファラデー、ダーウィン等の諸氏あり。哲学界にはベーコン、デカルトにつぎて起こるもの、第十七世紀中にパスカル、スピノザ、ガッサンディ、マールブランシュ、ライプニッツ、ホッブス、シャフツベリー、ロック、クラーク等の諸氏あり。第十八世紀中にバークリー、ヴォルフ、ヒューム、コンディヤク、リード、バトラー、ハチソン、アダム・スミス、カント、フィヒテ等の諸氏あり。第十九世紀中にベンサム、ステュアート、シェリング、ヘーゲル、クーザン、コント、ハミルトン、ミル、スペンサー等の諸氏ありて、乙は甲を排駁し、丙は乙を継述し、互いに真理を争い、互いに勝敗を競い、もって今日のごとき完全の組織を哲学界中に結成することを得たり。そもそもベーコン、デカルトの諸氏始めて哲学を唱えてより今日に至るまで僅々二百余年に過ぎず。しかしてこの盛運を見る。その進歩の迅速なるあに驚かざるを得んや。
第四十節 学 派
今、近世哲学の分派伝流を考うるに、デカルト氏の学、パスカル氏、マールブランシュ氏、スピノザ氏、ライプニッツ氏等に伝わり、ベーコン氏の法、ホッブス氏およびロック氏に伝わるという。ガッサンディ氏もまたベーコン氏に基づき、コンディヤク氏もまた同じくその原理を用う。バークリー氏はロック氏に反対して異説を起こし、ヒューム氏はロック氏を継述してまた一派を開く、ミル氏これを受けてまた同じからず。ヴォルフ氏はライプニッツ氏を継ぎ、カント氏の学またライプニッツ氏より起こる。フィヒテ氏の学カント氏より出でてデカルト氏に帰し、シェリング氏の説フィヒテ氏に出でてスピノザ氏に属す。ヘーゲル氏の哲学はフィヒテ、シェリング両氏を統合して起こり、リード氏の哲学はデカルト、ベーコン両氏を折衷して成るという。リード氏に継ぐものステュアート氏、ハミルトン氏あり。ブラウン氏はステュアート氏を受けてステュアート氏に異なり、クーザン氏およびコント氏またおのおの一種の説を唱う。近頃スペンサー氏の学また一家をなす。これを哲学上の諸派に分かつにデカルト氏、スピノザ氏の学これを実体学と称し、ベーコン氏、ロック氏の学これを経練学と称し、ヒューム氏の学これを虚無論と称し、ライプニッツ氏の学これを元子論と称し、カント氏、フィヒテ氏の学これを唯心論と称し、バークリー氏の学また唯心論と称す。リード氏の一派を常識論と称し、ヘーゲル氏の一派を絶対論と称し、コント氏の学を実験哲学、スペンサー氏の学を進化哲学と名付く。あるいはカント、バークリー等を心理学派と称し、シェリング、ヘーゲル等を論理学派と称することあり。あるいはリード、ハミルトン諸氏を二元論者と称し、近世の唯物学者を一元論者と称することあり。またあるいはベーコン、ホッブス、ロック等の学派をイギリス学派と称し、デカルト、マールブランシュ、パスカル等の学派をフランス学派と称し、ライプニッツ、カント等の学派をドイツ学派と称し、リード、ステュアート等の学派をスコットランド学派と称することあり。しかしてフランス、ドイツ両学派は通常これを大陸哲学と称す。スコットランド学派はイギリス哲学の一部分なり。これを総じて近世哲学と称す。以上は純正哲学の分派なり。そのほか哲学中、倫理学上の論派ありて別に一組織を成す。そのうち前に列するところの諸氏の外に、もっぱら倫理をもって世に名ある者を挙ぐれば、倫理の基址を定むるに良心を本とするものシャフツベリー、バトラー、ハチソン等の諸氏あり。道理を本とするものカドワース、クラーク、プライス等の諸氏あり。同憐の情を道本と立つるものアダム・スミス氏あり。功利の説を目的と定むるものベンサム氏あり。かくのごとく倫理学中にも種々の学派ありといえども、余が主とするところ純正哲学にあるをもって、倫理学派の組織はしばらくこれを除く。しかして純正哲学もいちいち諸派の異説を挙ぐるにいとまなきをもって、各派の冠たるものを掲げて余はこれに付しあるいは除き、節略取捨して十六派となす。その順次のごときは年代の前後による。次段に説くところを見るべし。
第十段 近世哲学第二 組織
第四十一節 ベーコン氏学派
近世哲学の初祖たるベーコン氏は中世以後、諸学の衰頽をきたせし原因および将来これを進捗すべき方法を捜索し、諸学の衰退は実験を捨てて妄信を取るにあるゆえんを知り、その頽勢を挽回するは観察上、事実の研究を主とするにあるゆえんを論ず。これをもって氏は帰納の規則を説き、知力の発達は感覚上の実験に属すという一種の原理を定むるに至る。けだしベーコン氏の立つるところの原理は、理哲両学の進歩の根源となりたるは疑いをいれずといえども、その実、氏はただ諸学を振起するの方法を与えたるのみにて、もとより哲学上一家の説を組成するものにあらず。かつ氏の観察実験の規則を論ずる極めて不完全にして、その説また帰納の一法に偏するの弊あるを免れず。しかれども氏の原理その後ようやく学者の用うるところとなり、ガッサンディ氏はこの理によりて宇宙を論じ、ホッブス氏はこの理によりて倫理および政治を説き、ロック、コンディヤク等の諸氏の心理を論究する、またこれによる。その他第十八世紀の唯物学者みなこれに基づきてその説を起こすに至る。これによりてこれをみれば、ベーコン氏を近世哲学の始祖となすも不当にあらざるなり。
ベーコン氏についでその原理を唱え、別してこれを道徳、政治に用いたるものはホッブス氏なり。氏はすべて感覚上現見することあたわざるものは虚妄なりとし、知力も意思もみな感覚より生ずべしという。この理を推して道徳を説き政治を論ず。故に氏の説は社会的唯物論と称するなり。当時ホッブス氏の外にベーコン氏の原理を用うるものガッサンディ氏あり。氏は感覚を起点として概念の生ずるゆえんを論じ、別して物理上宇宙の構成を説けり。これ氏のホッブス氏に異なるゆえんなり。
第四十二節 デカルト氏学派
デカルト氏はベーコン氏と前後大抵ときを同じうするをもって、共に近世哲学の始祖として称せらるるといえども、その原理と立つるところのもの二氏全く異なり、デカルト氏は人の道理思想を本として近世哲学の一大端緒を開き、哲学の目的は道理上、人知の本源を究明するにありとす。初め氏は古人先輩の説の信をおくに足らざるを知り、人知の本源を究むるは自己の思想の外に標準とすべきものなきを悟りて、信に代うるに疑をもってし、ひとたび疑を発して事物の本体を考うるに、万物の現存、天帝の現存はもちろん、自己の現存までも信ずることあたわざるに至る。かく事物を空してその極点に達すれば、唯一の疑念初めより存するをみる。疑念はすなわち思想の作用なり。故に氏は天地万物ありとあらゆる事物を空することを得るも、思想を空すべからざるを知る。これをもって氏は、われは疑う故にわれは思う、われは思う故にわれは存す、という原理を論定するに至る。つぎにこの原理を推究して、すべて思想上に真なるものは現存上にまた真なり、という副則を結成するに至る。けだし氏の天帝の現存を信じ、万物の実在を許すに至りしは、みなこの規則を応用したるものに外ならず。またつぎに氏は物と心といかに相関するかを知らんと欲し、まず二者の性質を考うるに、心は思想を有し物は延長を有す、延長を有するものはこれを変じて思想となさしむべからず、思想を有するものはこれを転じて延長を示さしむべからず、二者全くその性を異にしてただに同一物ならざるのみならず、互いにその関係を通すべからざるなり。しかして物心二者のつねに相契合してその間に諸想、諸境を現ずるは、これを天神の媒介に帰するより外なし。これをもってデカルト氏は、天神は物心二者を造出しかつその契合を媒介するものとす。これ氏の哲学の一大欠点なり。その他氏は人に本然の念想あるの説を起こし、その体、外境の感覚実験より来生することあたわざるを見て、これを天神の人心に与うものとす。これ氏の説のベーコン氏と全く相反するゆえんなり。およそ氏の説の長ずるところは、第一に古来の妄信の弊風を破りて人に一種の新見を開かしめ、第二に疑念を起点とし思想を基址として大いにその後の哲学の進歩を助け、第三に物心の性質を分かちて二者の別をして判然たらしめ、第四にベーコン氏の説に反して思想の原理を開き心理の研究を導き、その後の哲学をして実験に偏せざらしめし等なり。しかれども単に氏の哲学のみについて考うれば、氏は演繹を本とし、心界の事実を主とし、主観思想の一境に僻するの弊あり。その他、氏の論理の不当なるはその原則中、われは思うという前案より直ちにわれは存すという断言を結ぶにあり。かつ氏の天神を立てて物心二者の別を明らかにし、その関係契合の生ずるゆえんをつまびらかにしたるも、論理上の過失を免れず。そののち、氏の説を受けてこれを伝うるものパスカル、マールブランシュ等の諸氏ありといえども、よくこの欠点を補うて一派を開くものスピノザ氏をもって第一とす。
第四十三節 スピノザ氏学派
スピノザ氏はデカルト氏の哲学を研究して、その説の物心二者の契合を明示するあたわざるを見て、その難点を会釈せんと欲し、ここに本質一体論を唱うるに至る。およそ我人の視聴感覚するところのものは事物の外象に過ぎずして、その本質に至りてはただ一体あるのみ。かつ事物の外象は本質とその体を同一にするをもって、能造の天神も所造の万物もまた同一体なりという、この理をもって物心の契合を論ず。けだし思想と延長とは全く相異りたるものなれども、これみな同一体の本質の外象に過ぎざるをもって、物心二者の体同一なりとす。しかしてその体自立自存他に待つところなきをもってこれを天神とす。これ氏の哲学のデカルト氏に異なるゆえんにして、デカルト氏は物心二者本来その性を異にすというをもって二元論に属し、スピノザ氏はその体同一なりと説くをもって一元論に属す。その他、前者は物心の外に天神を定め、スピノザ氏は本質の体すなわち天神なりという。しかして氏の能造、所造を同一となすに至りては万有神教に属すべし。故に氏の説をあるいは称して万有神教という。これを要するに氏の本質、一体を論じて物心二者の関係を明らかにせしは、デカルト氏に一歩を加うるところなれども、氏また論理上の過失なきあたわず。すなわち氏は物心を外象としてその本体を別に立つれども、我人は物質あるをもって本質あるを知り、本質の有無は全く物心の上に属するを知らず。他語をもってこれをいえば、物心は本源にして本質は物心より想起せる結果なるを知らざるなり。その他、氏の本質のいかにして外象を開発するかを説かざるも、また一大欠点というべし。しかしてその開発を説きて、この欠点を補うものライプニッツ氏の哲学なり。
第四十四節 ロック氏学派
デカルト、スピノザ両氏に反対してベーコン、ホッブス両氏の原理を拡張せしものロック氏とす。氏は感覚上心理を論究して、知識は一として経験よりきたらざるものなしという一種の規則を定めり。またその心理学中、念想の起こるゆえんを説くに、感覚と反省の二種を分かちその二者相合して念想を生ずという。しかして反省と感覚は全くその性質を異にするに似たれども、二者共に同一種の情感にして、反省はしばらく心内の情感に名付くるのみ。この二者の直ちに生ずるところのもの、これを単純の念想と称し、種々結合して成るもの、これを複雑の念想と称す。これをもって人知の起こるゆえんを証明して、人の知識は経験よりきたるという論決を結ぶに至る。これを要するに、氏はひと生まれながら知識を有するにあらず、多年経験の際、感覚反省力によりて集成したるもの知識となるのみという。故に氏をもって経練学派の初祖とす。氏に続きてその原理を唱うるもの、フランスにコンディヤク氏あり。氏のロック氏に異なるは、念想の起源を論ずるに感覚、反省の二力を分かたずして感覚の一源を立つるにあり。しかして両氏の欠点は、人心中に必要普遍にして経験より成来すべからざる一種の念想、すなわち絶対の理想ありて存するを知らず。かつこの理想の力によりて始めて経験を積集すべきゆえんを知らざるにあり。けだしこの欠点あるはライプニッツ、カント、リード等の諸氏の哲学の別に起こる原因なり。
第四十五節 ライプニッツ氏学派
ロック氏の経験学に反対して本然論を唱うるもの、ライプニッツ氏をもって第一とす。氏は感覚は必要普遍の真理を生すべき力なきをもって、その真理の本源は心界中にありて本来存せざるべからずという。これをもって氏は、人の知識は一として経験よりきたるものなしという原則を立つるに至る。しかして氏の人心を念想と感覚との二種に分かつはロック氏に似たりといえども、その異なるは念想をもって不変の真理を定むるものなりとするにあり。これを要するに、ロック氏は感覚上の外境を本とし、ライプニッツ氏は念想上の内界を本とするの別あるなり。つぎにライプニッツ氏の宇宙の構造を説くに当たりて、宇宙はその間に存するところの数万の元子体の発育によるという。これ氏の哲学を元子論と称するゆえんなり。その意、物界は元子の集合より成り、思想もまた元子中より生じ、物心の現ずるところの変化は、元中子に有するところの内力の発動によるというにあり。これ氏の説のデカルト氏およびスピノザ氏に異なるところなり。けだし氏の元子論を起こしたるは、氏の哲学の原理と定むるところの充理法、均同法、連続法と称する三種の規則より推究したるによる。しかして氏は元子体のなんたるを定むるに至りてはこれを天神の創造に帰し、その自他の間に営むところの変化応合はこれを天神の前定するところなりという。これに至りて氏の論、空想に陥ると見る。しかれどもその論、心内の念想を本としたるをもって唯心論の基を開きたるや、また明らかなりと知るべし。
第四十六節 バークリー氏学派
当時唯心論を唱えたる初祖をバークリー氏とす。氏は外境の物質を二種の性質を有するものと定めて、その第一種は大小広狭のごとき延長をいい、第二種は色香等の性質をいう。我人はこの二種の性質を離れて別に物質を知ることあたわざるをもって、物質は全くこの二種より成るを見る。しかしてその第二種は我人の感ずるところおのおの異なるを見て、物質の自体のこれを有するにあらざることは、たやすく知ることを得べしといえども、第一種の物自体の性質にあらずして心より生ずるものなることは、通常ひとの信ずることあたわざるところなり。しかるにバークリー氏始めてその第一種の性質も心より生ずるゆえんを証明して、物界は心界を離れて存せずという唯心論を結ぶに至る。しかしてその心体のなんたるを定むるに至りては、氏もまたライプニッツ氏のごとく天神の空想を用うるに至る。これ氏の唯心論の欠点にして、あわせてその説のカント氏およびフィヒテ氏に数歩を譲るところなり。
第四十七節 ヒューム氏学派
ロック氏の経練説をうけてその極端に走るものをヒューム氏とす。氏の論、初め感覚論に起こり懐疑学に終わる。今その論の次第を考うるに、氏は心内の念想等はすべて感覚より成来すと立てて、その念想の感覚に異なるは、感覚よりきたるところのもの時日を経るに従い次第に不明を生じたると、およびその起こるやこれに応合する外物の目前に現ぜざるとによるなりという。つぎに念想の本源たる感覚のなんたるを究むるに至りて、その体また真とするに足らざるを知り、ついに思想の規則も、物理の理法も、天帝も、道本もみなこれを排して信拠するに足らずとなすに至る。その論、物心二元を空したるをもってこれを虚無論と称す、いわゆる無元論なり。これを要するに氏の説、論理の極端に走り正当の論にあらざること明らかなり。なんとなれば、氏は物心二者を空するも果たして物心なくば、いずくんぞよく物心の有無を論ぜんや。かつ氏は真理の原則を空するも果たして原則なくば、いずくんぞよく議論の真偽を判ぜんや。これ氏の欠点にして、これを補うて世に起こるものをリード氏およびカント氏の諸派とす。
第四十八節 リード氏学派
リード氏はヒューム氏に反対して一派を開くものなり。氏は人心の作用を分かちて思考と実行との二種とす。思考は理解力の作用にして実行は意志力の作用なり。しかして氏の真理を定むるは、衆人の理解力に考えて真なるものを取る。故にこれを常識論となす。常識論とは常人の思想に基づきて真非を考定するものという。今その論の大要を挙ぐれば、わが真にこれわれなりと信ずるものは、その体真にこれわれなり、記憶上過ぎたる事物を想出するときは、その事物過ぎたるときに真に起こりしものなり、わが感覚にて知るところの物質は真に現存するものにして、その体わが現に知覚せしものと同一なりといえり。これを要するに氏の学はデカルト、ベーコン両氏を結合して成るものなり。すなわちデカルト氏は内境の思想を本とし、ベーコン氏は外境の実験を本とせしに、リード氏は内外両境をとりて哲学の基址と定めり。けだし氏の意、人心の真偽有無は到底証明し尽くすべからざるものと信じ、これを真に有するものと許して、その心に現ずるものみな実に存するものなりと定むるなり。故に氏の論をあるいは称して二元論という。すなわち物心二元の並存を許すによる。しかしてその論ずるところ、注意に過ぎて思考に乏しきの弊あるを見る。これその論のカント氏およびその他のドイツの哲学者に数等を譲るゆえんなり。リード氏を継述するものステュアート氏あり。これに継ぎてブラウン氏あれども、リード氏とその見を異にす。その後ハミルトン氏ありて二元論を唱う。氏の論は後に至りて見るべし。
第四十九節 カント氏学派
リード氏の外にヒューム氏の説に反して一派の哲学を起こすものをカント氏とす。氏はただに虚無論を排するのみならず、ロック氏の経練学、ライプニッツ氏の元子論の不当を論じてその中庸を取り、別に一種の原理を立つる者なり。その原理は人知の一半は経験よりきたり、一半は本来存すというものこれなり。今、氏の哲学の全組織を考うるに大に分かちて三部となす。第一は純理論、第二は実理論、第三は純理実理結合論なり。まず純理論にては人の心力を直覚と理解との二力に分かちて、知力の起源を論ずるなり。直覚力上にてこれをいえば、知識の原形は人の本来有するところのものにして、これを満たすべき材料は外よりきたるものと定む。その原形とはすなわち時間および空間にして、これ人の本来有するところの直覚力なり。この直覚力の外に理解力あり。理解力に十二の原則ありて共に人の本来有するところの原理にして、経験上得るところの結果にあらずという。これらの原形の理想のみについて考うるときはこれを純理論という。純理とは全く外境の経験を離れたるものをいうなり。つぎに実理論とは意思に基づきて起こるところの倫理学等を論ずるものにして、これにまた原形と材料との別あり。材料は感覚上の経験よりきたるものにして快楽主義のごときものをいい、原形は一己の快楽を離れて人の行為道徳を命令指定する原力をいう。この原力は経験より得るところの結果にあらずとす。これすなわち道徳の基本なり。つぎに純理実理結合論は人の感覚情緒に基づきて起こるところの諸作用の原理を論じたるものにして、審美学すなわち美術の学これに属す。かくのごとくカント氏のその哲学を三部に分かちたるは、その学の心理に基づきて起こりたるゆえんにして、心理学には知力、意思、情感の三力ありて、その各種より生ずるところの諸学あり。この諸学の原理を論究するに純理、実理、結合の三論相分かるるなり。故に氏の哲学は心理哲学と称しまたは主観論と名付くるなり。これを要するに氏の学、心理に基づきて研究を施したるはデカルト氏とその起点を同じうするも、客観の現象を空間と時間の二者より成るものとし、これを主観中に帰入してその心体を自覚と名付けたるは、デカルト氏の二元論と大いにその趣を異にするところなり。つぎに氏の感覚論を排して必要普遍の心力あることを論じたるはベーコン氏、ロック氏等に異なるところにして、感覚上の経験をもって原形を満たすところの材料となしたるは、諸氏に同じうするところなり。つぎにカント氏の主観論はその源ライプニッツ氏よりきたるをもって、氏とその見を同じうするところあるも、カント氏は直覚上物質の実体を知るにあらずというに至りて異同あり。しかして氏の心の外に物質の実在を定め、その実体は全く知るべからざるものとなしたるはその哲学の一大欠点にして、フィヒテ氏のその論を考正して完全の唯心論を起こしたるゆえんなり。
第五十節 フィヒテ氏学派
フィヒテ氏はカント氏につぎたる一大哲学者にして、氏の論に一段の進歩を与えたるものなり。カント氏は物質の本体を論じてその体、我人の意識外にありて全く知るべからざるものと定めり。しかるにすでにこれを知るべからざるものと定むることを得るときは、これすでに知るなり。もし果たしてその体、意識外にあるにおいては我人の心、決してその果たして存するか存せざるか、また知るべきか知るべからざるかを想定するを得んや。故にカント氏の我人の目前に見るところの現象を心内に帰して直覚力の構成するところとなしたるは、論理上間然するところなしといえども、自覚すなわち意識の外に物質の実体を定めたるは氏の欠点なり。これにおいてフィヒテ氏は、その物の実体も意識の範囲内に帰して唯心論を完全ならしむ。今、氏の哲学の原理を察するに、三種の原則を立てて論理の基礎となす。曰く、均同法、否定法、制限法これなり。第一、均同法とは同一命題のことにして、甲は甲なり、人は人なり、山は山なりというがごとく、すべての事物はその事物自体と同一なりと定むる規則をいう。しかるにフィヒテ氏は、甲は甲なり、人は人なりの命題にては多少の仮定を免れざるをもって、未だ真理の原則と定むべからざるを知り、その命題に代うるに、われはわれなりという一命題をもってす。けだしわれは諸覚諸境の本源にして、その体全く仮定を離れたる絶対の主体なり。故にこの命題を真理の第一則とす。つぎに第二則は否定法にして、これを否定命題という。すなわち我は非我にあらずと定むるものこれなり。この命題は第一則命題より派生せるものにしてその形同一なり。第一則命題の前後に非の字を加うるときは、非我は非我なりとなるべし。非我は非我なりというは、我は非我にあらずと同一なるをもって、これを第二則命題とするなり。つぎに第三則命題すなわち制限法とは、我と非我と互いに相制限して、非我は我なりという命題を生ずるものをいう。我は我にして非我は我にあらざれば、もちろんなりといえども、この二者を対観するに我の主となりて非我を制することあり、非我の主となりて我を制することありて、自他互いに相制限して互いに相主たることを得るをもって、制限上非我は我なりということを得べし、これを第三則とす。この三種の原則に基づきて哲学の組織を立つるもの、これをフィヒテ氏の哲学とす。しかしてその原則は我をもって起点となすをもって氏の哲学は唯心論に帰し、その三則は思想上第一より第二を生じ、第二より第三を生ずるの順序によるをもって、氏の論理は思想進化の順序によるものなり。
第五十一節 シェリング氏学派
つぎにシェリング氏の哲学はフィヒテ氏の欠点を補うて、その組織に一段の進歩を与えたるものなり。けだしフィヒテ氏は我をもって哲学の起点とし、物心両界はもちろん、現象界も無象界もみな我境の範囲内に帰して、これを絶対無二の本体と定めしのみにて、我と非我は相対する語にして、我境は非我境を待ちて現存するものなるを知らざるは氏の欠点なり。我とはなんぞや、曰く、能観の体なり。非我とはなんぞや、曰く、所観の境なり。能観所観は互いに相対待して存するをもって、所観の境なければ能観の体もまたなかるべき理なり。故に我は絶対にあらずして相対なること明らかなり。これシェリング氏の哲学の起こるゆえんにして、氏はフィヒテ氏の我をもって絶対となしたるに反対してこれを相対に属し、絶対の原体は我と非我の相対境を離れてその上に位するものとなせり。そもそもこの絶対の原体は、彼我両境の相合して一体となりし点にして両境の本源なり。その本源自体に有するところの力をもって、次第に開発して彼我両境すなわち物心両界を生じ、各界また開きて万象を生ずるなり、これを進化という。この絶対の進化を論ずるものこれをシェリング氏の哲学とす。
第五十二節 ヘーゲル氏学派
つぎにヘーゲル氏はシェリング氏の説の短所を補うて一層の完全を与えたるものなり。シェリング氏の我境を相対となして彼我両境の本源を絶対となしたるは、氏の哲学のフィヒテ氏に一歩を進めたるところなれども、彼我両境の外に別に絶対の体を設けたるは論理の許さざるところなり。けだし我人の知識は相対より成るをもって相対の範囲を離れては一歩も知ることあたわず。故に絶対の体、果たして相対の外にあるときはだれかよくこれを知らんや。これヘーゲル氏のシェリング氏を駁正して一家の哲学を起こしたるゆえんなり。故にヘーゲル氏は相対の外に絶対を立てずして、相対の体すなわち絶対なりとす。他語をもってこれをいえば、氏の説、相対と絶対とは全く相離れたるものにあらずして、互いに相結合して存し、絶対の範囲中に相対のあるゆえんを論定して、相対中にありてよく絶対のいかんを知り得べきものと立つるなり。この絶対の全体を理想と名付け、その体中含有するところの物心両界を開発するもの、これを理想の進化という。その進化の順序正しく三断形をなす、いわゆる三断論法これなり。この論法はカント氏に始まりフィヒテ、シェリング諸氏相伝えてヘーゲル氏に至りて大成す。ヘーゲル氏の哲学は終始みなこの論法をもって組成せり。その哲学は論理、物理、心理の三種に分かれて理想自体の進化を論ずるものこれを論理とし、物界の進化を論ずるものこれを物理とし、心界の進化を論ずるものこれを心理とす。その論理の組織を見るにまずこれを現体、真体、理体の三大段に分かち、つぎにその各体をまた三段に分かち、第一は正断、第二は反断、第三は合断と次第を立つるなり。けだし氏はこの次第をもって理想進化の規則とするなり。これをヘーゲル氏の哲学とす。ドイツ哲学ここに至りて始めて大成すというべし。
第五十三節 ハミルトン氏学派
当時スコットランドにハミルトンと称する哲学者あり。氏は論理学、心理学の二種をもって哲学を組織し、その学リード氏を継ぐというといえども、その説カント氏より出づるもの多し。すなわち氏はカント氏のごとく心性作用を知力、情感、意志の三種に分かち、知力は相対の関係を知るにとどまりて、絶対の境遇を知る力なしと定めて、物質の現象は我人の知識内に存するも、その本体は明知すべからずとなすもののごとし。しかしてその現象は多少本体の性質を現示せるものと許すに至りては、リード氏とその意を同じうするに似たり。かつ氏は物心の本体共に存するものと立つるをもって、リード氏のごとくその論を二元論と称するなり。
第五十四節 クーザン氏学派
フランス哲学者にクーザンと称するものありて、ヘーゲル、ハミルトン諸氏に敵して一派の哲学を起こす。その学スコットランド哲学とドイツ哲学の両端を結合してその中庸をとるものなり。故に氏は初めカント氏のごとく、心理学を哲学の基址としてロック、ヒューム諸氏の論を排し、つぎにカント氏の主観論の一端に走らざらんことをつとめて絶対の理想を立つるに至り、あるいはシェリング、ヘーゲル諸氏とその原理を同じうするを見る。しかして終わりに至り理想の一辺に偏するの弊を恐れて、常人の思想に考えて信を徴するに至る。これ氏のスコットランド哲学の常識論によるものなり。概するに氏の論、ドイツ、スコットランド両派の中庸をとるものにして、けだしフランス哲学中のもっとも完全を得たるものならん。
第五十五節 コント氏学派
クーザン氏と同時にフランスにコントと称する哲学者あり、これを実験哲学の初祖とす。その学、実験学と社会学をもって成るも、その基礎と定むるものは理学の実験説にあり。故に実験外にわたる諸説はことごとくこれを排斥し、事物の本体、起源等は到底我人の知るべからざるものなれば論ずるを要せずと断定して、形而上に関する諸思想は一としてこれを用いず。しかして我人の論ずべきものはひとり実験の範囲内にありと唱えて、理学に基づきて哲学の組織を構成す。イギリス今日の哲学者の多く実験に基づきて哲学の解釈を与うるは、けだし氏の主義によるものなり。
第五十六節 ミル氏学派
近年イギリスに有名なる哲学者の一人をミル氏とす。氏の学その父より伝承し、ヒューム氏を継述するものなり。その著書中、有名なるものは論理学なり。氏は論理学の原則と定むるところの因果の関係、思想の原則より物理数学の規則に至るまで、ことごとくこれを経験よりきたるものと断言し、物界も感覚の上に成立し、心界も感覚の連続より成り、一世界全く感覚上の経験に外ならずと立つるなり。しかして感覚の内外に物心両境を現見するは連想の力によるという。これをもって氏の論これを感覚論と称するなり。
第五十七節 スペンサー氏学派
つぎにイギリス現今の哲学者中その最も大家の名あるものスペンサー氏とす。氏の哲学は哲学原理、生物学、心理学、社会学、倫理学をもって全組織を構成し、理学上定むるところの進化の原理を哲学上に応用して一家の説を起こすものなり。しかしてその原理中、可知的と不可知的との二境を分かちて、物質の実体知るべからざるものと立つるがごときは、カント氏の説に基づくや明らかなり。ただそのカント氏に異なるところは、物象は物体の変形を現ずるものなりとなすにあり。故に氏は自ら称して変形実体論者という。しかして氏は不可知的は到底人知をもって知るべからざるものと定めてこれを不問に付し、可知的のみの解釈を与うるはけだしコント氏の実験哲学に基づくものならん。可知的境にありては勢力保存の理法に基づき進化発達の作用に考えて、生物の無生物よりきたり、心理の物理より成り、高等社会の下等社会より進み、および道徳の次第に進化するゆえんを述ぶ。これ氏の世に進化哲学者をもって知らるるゆえんなり。しかれども氏の論また間然するところなきにあらず。可知境の外に不可知境を立てたるがごときは全く空想に出でたりというより外なし。かつ氏はミル氏に反して心理の原則を定め、不可以為不然をもって論理の標準なりと唱えたるも、一己の憶説に過ぎざることまた明らかなり。
第十一段 近世哲学第三 結論
第五十八節 結 果
前段、近世諸家の組織を略述したるをもって、これよりその結果について一言を付せんとす。さきにギリシア哲学の結果を論ずるに当たり、哲学の組織は有機体の組織を有し、その発達は三断法の規則に従うゆえんを述べたり。今、近世哲学の発達を見るに、またこの三断法に従って発達せるを知る。そもそも近世哲学の始祖たるベーコン、デカルト両氏はすでに互いに相反したる原理を用うるをもって、その後の学者あるいは一方を取り、あるいは他方を選び、あるいは二者の中間に立ちて両方を結合せんと欲して、哲学の進歩を呈するに至れり。ロック、ヒューム諸氏はベーコン氏を継ぎ、スピノザ、ライプニッツ諸氏はデカルト氏を受くるをもってカント氏これを結合し、リード氏もまたこれを折衷して一段の進歩を与え、フィヒテ氏はひとり主観を取り、シェリング氏は主観に対して客観を立つるをもって、ヘーゲル氏これを一統して完全の組織を開き、クーザン氏はドイツおよびスコットランド哲学を折衷し、スペンサー氏またドイツとイギリス従来の哲学を結合するもののごとし。すなわち正断、反断、合断の三論相待ちて、今日の結果を見るに至る。しかして近世哲学のギリシア哲学および東洋哲学に超過する点は、主として哲学の理論、主観の空想を離れて客観の考証を用うるにあり。その論あるいは主観の一方に偏し、あるいは客観の一方に僻するの弊なきにあらずといえども、つねに主観と客観の両全を期し、思想と実験の契合を主として、哲理をして一方に偏倚せざらしむるは近世の進歩を見るに足る。しかれどもその論ずるところ、なお中点を保持することあたわずしてその両端に動揺することあるは、未だ哲学の最高点に達せざるによるや明らかなり。今後いよいよ進歩して論理の中正を保持するの点は、果たしていかなる説にあるか未だ期すべからずといえども、余がみるところによるに古今東西の哲学を統合して、その中央の論点に哲学の新組織を開くにあらん。
第五十九節 批 評
かくのごとく古来の哲学者、論理の中点を保持せんと欲して、なおおのおの一方に僻するを免れず。デカルト氏は演繹に偏し、ベーコン氏は帰納に偏し、ロック氏は経験に偏し、ライプニッツ氏は天賦に偏し、ヒューム氏は虚無に偏し、カント氏は主観に偏し、リード氏は常識に偏し、ヘーゲル氏は理想に偏し、コント氏は実験に偏し、ミル氏は感覚に偏し、スペンサー氏は進化に偏し、諸家おのおの一僻ありて未だ中正の論あるを見ず。後来この弊を除きて中正完全の新組織を開くもの、果たしていずれの地にありて起こるや。余、東洋にその人を見んことを望みてやまざるなり。
以上は地位および歴史上に考えて哲学の組織およびその発達を論じたるのみ。故にこれを前編とし、その性質上の論は後編に譲るという。
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〔後 編〕
序 言
余さきに古今東西の哲学を略叙し、これを『哲学要領 前編』と題してすでに世に公にす。しかれどもその書むしろ哲学の小史とも名付くべきものにして、歴史上諸家の説を列叙対照せしに過ぎず。故をもってこれを読むもの哲学外部の関係を知るべきも、未だその内部の組織を明らかにするに足らず。
今この編は論理発達の規則に基づきて、哲理を初門より次第に進みてその蘊奥に及ぼし、もっぱら純正哲学内部の組織を論述したるものなり。故に哲学に志あるものこの編を読むに及んで、始めて哲理の真味を感得すべしと信ず。ここに一言を加えて後編の序言となす。
明治二十年四月 著 者 識
第一段 物心二元論
第一節 端 緒
余、前編において歴史上哲学の種類および学派を論述して、東洋哲学、ギリシア哲学、近世哲学中の諸家の異説を略叙したるも、未だ性質上哲学の論理の発達関係を示さず。その発達関係を示すはこの編の目的とするところにして、さきに第五節中に性質上の分類を掲げて、一元、多元、唯物、唯心等の名目を列記したるも、更に左に一層細密なる分類を挙げて諸説の関係を明示せんとす。
哲学 無元論
有元論 一元論 相 対 唯物論
唯心論
絶 対 唯神論
唯理論
多元論 二元論 物心異体論(すなわち物心両立論)
物心同体論(すなわち物心一体論)
三元論
まず無元論とは一名虚無論と称し、物もなく心もなく神もなく、物心神その体すべて虚無なりと立つるものをいう。これに反してその体ありと唱うるもの、これを有元論という。有元論中また一元多元の別ありて、まず一元論とは物心神三元中の一元を立てて、その他を虚無なりとなすものをいう。すなわち物の外に心もなく神もなしと唱うるもの、これを唯物論といい、心の外に神もなく物もなしと立つるもの、これを唯心論といい、神の外に物もなく心もなしと論ずるもの、これを唯神論という。その唯神を唱うるうちに有意有作の神体を立つるものと、無意無作の理体を立つるものとの二種あり。余はこの二者を区別せんがためにその第一を単に唯神論といい、第二を唯理論という。しかしてこの唯神論は全く想像に属するをもってここに論せざるなり。つぎにまた唯物と唯心は物心相対中の一元を立つるをもってこれを相対に属し、唯神唯理は物心の外にある一体を取るをもってこれを絶対に属す。相対とは両者相対待して存し、その一滅すればその二も同時に滅するものをいい、絶対とはこれに反するものをいう。つぎに多元論とは二個以上の実体を立つるの論にして、これにまた二元、三元の別あり。物心二者を立つるもの、これを二元論とし、物心神三者を立つるもの、これを三元論とす。しかしてまたその二元論中に物心全くその体を異にすと唱うるの論、これを物心異体論といい、二者その現象を異にするもその実体同一にして不離なりと唱うるもの、これを物心同体論という。物心同体論はあるいは唯理論と同一なるに似たれども、唯理論は物心の外に理体を立てて、物心同体論へ物心のうちに理体を立つるの別あり。以上は性質上の分類なれども、今、人知の発達に考えてその順序を列するときは、左のごとく次第せざるをえず。
第一論 物心二元論すなわち物心異体論
第二論 唯物無心論すなわち唯物論
第三論 非物非心論すなわち唯理論
第四論 無物無心論すなわち虚無論
第五論 唯心無物論すなわち唯心論
第六論 有心有物論
第七論 物心同体論
第二節 物 心
およそ人の論理思想の発達は物心二元より始まり、唯物に入り唯心に転じて、ふたたび二元に帰するを常とす。しかれどもその初めに生ずるところの二元と、後に起こるところの二元とは名同じうして実異なり。初めの二元は物心異体の二元なり、後の二元は物心同体の二元なり。故に一を物心異体論といい、一を物心同体論という。知力の未だ発達せざるものにありては、人みな物心その体を異にすと信ずるも、その知高等に進むに及んで、次第に物心同体の理を会得するに至るべし。これによりてこれをみれば、異体は論理の起点にして同体はその終局なりといわざるべからず。しかれども、この前後の二者全く相離れたるものにあらず。異体の理を推して一歩を進めれば同体に帰し、同体の理を推して一歩を進めれば異体に帰するなり。これを理想の循化と名付く。循化とはすなわち論理の循環回転してその起点に復するをいう。
第三節 理 想
つぎに理想とは物心の本体に与うるの名称にして、その体物にもあらず心にもあらず。いわゆる非物非心なりといえども、また物心を離れて別に存するにあらず。物心の体すなわちこれ理想にして、理想の表裏に物心の諸象を具するなり。故に物心は現象にして理想は実体なり。これをもって二元同体の理を知るべし。けだし二元その体を同じうするは、物心の体同一の理想なるによる。物心その体すでに同一なれば、いずれの点より論を起こすも、その極前点に復するより外なし。唯物より発すれば唯物にかえり、唯心より発すれば唯心にかえる。これいわゆる理想の循化なり。しかして論理のひとたび発して前点に復せざることあるは、未だその極点に達せざるによるのみ。果たしてしからば、いずれの点より論を起こすも不可なることなきの理なり。しかるにここに物心異体の二元論を初点として論を起こすは、ただ世俗普通の見るところによるのみ。世俗普通の人はその見るところいたって浅近なるをもって、理想の物心の実体なることを想見するあたわず。故をもって物心その体を異にすと信ずるなり。しかれども一歩進みてこれを考うるときは、物心の実体すなわち理想にして、論理の循化すなわちその規則なることたやすく知るべし。この循化の規則の真なるゆえんを知らんと欲せば、よろしくこれより論述するところを見るべし。
第四節 論 理
今、世俗普通の人について論理の発達を考うるに、まず心あるを知りてのち、物あるを知るにあらず、まず物あるを知りてのち心あるを知るなり。例えば野蛮人および小児輩のごときは有形の物象を知るのみにて、無形の心性を知らざるもの多し。その理、言語の発達、宗教の進化を見て知るべし。故に下等野蛮社会にありては、あるいはかえって有物無心といわざるべからず。なお降りて動物界に入れば、物あるすらなお知ることあたわず、これいわゆる無物無心なり。無物無心のようやく進みて有物無心の見起こり、有物無心の界また進みて有物有心の説起こる。しかれども前両界は知力の未だ発せざるときにして、哲学の全く関せざるところなり。故に余は有物有心論すなわち物心二元論をもって論理発達の初級とするなり。
第五節 体 象
通常、人の論ずるところの物心二元は体と象との区別を立てず、目に見るそのままこれを物体とし、内に現ずるそのままこれを心体とす。すなわち象の外に別に体あるを説かざるなり、これを常識の二元論と称す。リード氏およびハミルトン氏の二元論すなわちこの一種なり。つぎに象の外に体ありと立てて二元を論ずるものあり。すなわち体象異同の関係を論ずるものをいう。カント氏、スペンサー氏の論これに属す。これを要するに物心体象のいかんに関して、体は象と同一の関係を有すというものあり、不同一の関係を有すというものあり。その同一を論ずるうちに、体象無別を信ずるものと有別を信ずるものの二種あり。その不同一を論ずるうちに、また体象不応合を唱うるものと応合を唱うるものの二種あり。まず同一論にては、体方なれば象もまた方なり、体円なれば象もまた円なりといい、不同一論中、不応合論にては、体円なるも象円なるにあらず、象方なるも体方なるにあらず、体象全く相異なりたるものなりといい、応合論にては以上の両説を折衷して、体方なればその象同一の方形を有せざるも、これを応合したる変形を有すべしという。その表左のごとし。
体象関係 体象同一 体象無別
体象有別
体象不同一 体象不応合
体象応合
すなわち体象不応合論はカント氏の説にして、応合論はスペンサー氏の説なり。これスペンサー氏が自ら称して変形実体論者というゆえんなり。
第六節 帰 結
二元論ここに至りて一元論に入るの傾向あり。すでに物心の上に体象を分かつときは、その二者一体に帰せざるべからざるは、論理のしからしむるところなり。今、カント氏およびスペンサー氏の論ずるところによるも、象は我人の知るべきものにして、体は我人の知るべからざるものたるは明らかなり。しかしてその知るべきもの、これを現象界に属し、その知るべからざるもの、これを無象界に属す。故に心体も無象界なり、物体も無象界なり。物心両体共に無象界にして同一に知るべからざる以上は、その間に判然たる区別なきは必然なり。だれかよく物体と心体の異同を知るや。その異同なき以上はこれを同一体なりとなさざるべからず。故にカント、スペンサー両氏の論一歩を進めてこれを考うれば、一元に帰するより外なし。これ余が一元論をもって二元論の結果というゆえんなり。これを要するに論理発達の順序、体象無別の二元論より起こり、次第に進みて体象有別の論、体象不同一の論に入り、物心同体の一元論に終わるなり。故に余はこれより一元論に入りて物心の本体いかんを定めんとす。
第二段 唯物無心論第一 物質論
第七節 古今異説
前段述ぶるところによりて物体心体の同一なるゆえんを知るときは、その体物なるか心なるか、また非物非心なるかの疑問ついで起こらざるをえず。しかして非物非心は現象を外に示さざるをもってその体想見し難く、また心は形質を有せざるをもってその体捜知し難しといえども、物体は現象を示し形質を有するをもってこれを知定するはなはだやすし。ここにおいて唯物論まず起こる。故に余は唯物無心論をもって、二元論の結果にして一元論の初級なりというなり。しかるにこれを史上に考うるに、唯心論のかえって古代に盛んなりしは、はなはだ怪しむべきに似たりといえども、その論必ずしも唯物にさきだちて起こるにあらず。釈迦の唯心論を唱えしは、当時世人一般に唯物あるを知りて心あるを知らざればなり。ギリシアの唯心論も世上の唯物説に抗抵して起こりしや明らかなり。これを学派の間に例するに、イタリア学派の形而上学を本とせしは、その前にイオニア学派の形而下学を主としたることあればなり。クセノパネス氏、ゼノン氏、プラトン氏等の純理論を唱えたるは、レウキッポス氏、デモクリトス氏、エピクロス氏等の分子論、当時に盛んになりしによる。これを要するに古代にありて唯心論の起こりしは、世間すでに唯物論の行われしをもってなり。しかれども古代の唯物論は極めて不完全にして、もとより論理上構定したるものにあらず。これ他なし、物象は知りやすきも論理思想の発達を得るにあらざれば、その体を実究することあたわざるによる。故に余はひとり近世の唯物論について一元の理を証示せんとするなり。そもそも近世唯物論の盛んに行わるるに至りしは、人の論理思想の大いに発達して、百科の理学の世に起こるによるや疑いをいれず。他論をもってこれをいえば、今日の唯物論は物理、化学、生理、生物等の諸学の進歩より生ずるところの結果なり。故にこれを古代の唯物論に較するに、その完全なるもとより同日の比にあらず。あるいは唯物論は近世始めて起こるというも不可なることなし。今その理を知らんと欲せば、まず諸学の実験についてその結果のいかんを考えざるべからず。生理学について心身の関係いかんを見、生物学について動植の進化いかんを知り、物理化学について物質変化のいかんを究めざるべからず。これ余が以下、節を重ねて論明せんと欲するところなり。
第八節 人体造構
今、我人の住するところの世界は、哲学上これをみるに物心両界より成る。すなわち目を開きて面前に現ずるもの、総じてこれを物界または外界と称し、目を閉じて脳裏に連なるもの、総じてこれを心界または内界と称す。世界はけだしこの二者の外に出でざるなり。故に今、唯物論を立てんと欲せば、まず心界のいずれの部分に存し、その体いかなるものなるやを究めざるべからず。これを生理学に考うるに、人身は皮膚、筋肉、血液、生殖器、神経の五種より成り、心性作用はその神経統系中にありという。神経統系はあるいはこれを分かちて、白質神経すなわち神経繊維と灰白質神経すなわち神経細胞の二種とす。しかしてその一は伝導作用をつかさどり、その一は中枢作用をつかさどるものとす。故にその神経細胞の存する所これを中枢器という。すなわち大脳、小脳、延髄、脊髄、および神経節はその中枢器に属するものなり。今、総じて人身中、心性作用に関係影響を有する組織を挙ぐること左のごとし。
心性機関 神経系 中枢器 脳 髄 大脳
小脳
延髄
脊 髄
神経節
繊 維
運動器(すなわち筋肉)
官能器(五官)
内臓 心臓肺臓
腸胃等
そのうち神経系は能作用にして、他の機関は所作用なり。しかして心性作用の本位は、神経系中、脳髄別して大脳の部分にありとす。これを証するに、第一に動物中において心性の発育高等に進みたるものは、脳の重量したがって大なり。加うるに、その表面盤曲多くしてかつその隆起著しとす。第二に人生まれて脳の発生不完なるもの、あるいは病患によりて変質したるものは、心性作用もまた不完なり。第三に外より不意の創傷圧迫等を受くるときは、心性作用上に変動を起こす。第四に心性を労役することはなはだしきときは、頭部に痛みを感じ、かつ脳を組成せる成分を体外に廃泄すること多きを見る。その他種々の実験によりて、今日の生理学者はことごとく、心性の本位は脳髄中、大脳表面の灰白質にありと決定するに至れり。つぎに神経成分、別して脳髄の成分を験するに、脳髄は脊髄および神経節とその成分を同じうするをもって、ここにこの三者を合して論ぜざるを得ず。まず脳脊髄の灰白質は細胞より成り、細胞は半流動の成形元より成る。しかしてその細胞の外面に多少の突起を有して、その突起大抵繊維に連なるを見る。その繊維と細胞とは同種類の有機成分より成る。ただその二者の異なるは分量の不同にあるのみ。しかしてその有機成分は若干の化学的元素にして、その元素はもとより無機体を組成せるものと同一なるをもって、有機成分は無機元素より成るといわざるべからず。かくのごとく論究すれば、無機の外有機なく、物質の外心性なしと断言することを得べし。これ生理学者の唯物を唱うるゆえんなり。
第九節 有機組織
つぎに有機、無機の異同を論じて、無機元素のいかにして有機作用を生ずるかを究めざるべからず。けだし有機と無機の異なるは、元素の種類に不同あるにあらず、その抱合位置、造構変化に不同あるによる。すなわち有機体はこれを無機に比するに、その造構いたって複雑にして、これより生ずるところの変化、したがって奇を呈し、かつその主成分は炭、水、酸、窒の四元素より成り、そのおのおの有するところの物理力および抱合力著しく異なるをもって、無量の変化をその間に営むことを得るなり。これを要するに、有機と無機は造構に疎密の別あると、抱合に単複の別あるとによりて、作用上に不同を示すものとす。当時化学上において有機化学の解釈を下して、炭素抱合の化学と称すという。これ炭素抱合は有機体中に多くして無機体中に少なきによる。また化学上有機抱合と無機抱合との別を立つるは、その性質規則の異なるにあらずして抱合の複雑なるによるという。けだし炭素は諸元素中最も複雑なる抱合を営むの力を有するをもって、有機造構の複雑なるはこの元素の加わること多きによるなり。その他、近年化学上、無機元素をもって簡単なる有機物を製出するの法を発見せりという。これによりてこれをみれば、有機は無機より成ること疑いをいれざるなり。
第十節 生命義解
前説において有機無機の同一の物質より成るゆえん、およびその作用に別あるは造構抱合の異なるより生ずるゆえんを論じたれども、未だ有機固有の生力のなにものなるやを示さず。故にここにその力の本体を究めて、証明を与うるを必要なりとす。今、生力のなんたるを知らんと欲せば、まず生命の義解を知らざるべからず。スペンサー氏は生命は内情と外情との間に保存する順応なりといい、ルイス氏は生命は有機体の外囲に応接して生存する作用なりという。その他、近世の物理学者、化学者、生物学者は、大抵、生命の本源は有機体を構成せる物質固有の力によるという。かつまた我人のみるところによるも、生活の現象は有機造構の上に属し、構造を離れて生活の現象を見るあたわず。生死の別も、ただその造構のよろしきを得ると失するとにあり。故に生力すなわち生命の原力は、有機体を組成せる物質中になくばあるべからず。古代の学者は一般に生力は物質を離れて別に存するものと信じ、近世に至りてもなおこれを信ずるものありて、生命は天地間にエーテルのごとき一種の精気あるによると唱うるものあれども、みな無証の憶説にとどまる。しかるに物力の生力を生ずべきの理は、実験上明らかに証すべき事実あり。そのいわゆる物力とは物質固有の勢力をいうなり。
第十一節 勢力種類
物力にはあまたの種類ありて、あるいはこれを動力、静力の二種に分かち、あるいはこれを器械力、分子力の二種に分かち、あるいはこれを活力、緊力の二種に分かつ。今ここに活力、緊力の二種についてその性質を述ぶるに、活力とは発顕したる力をいい、緊力とは潜伏したる力をいう。これを総じてここに勢力と称す。勢力は物質固有の力にして有機無機を論ぜずみなこれを有す。けだし物質はすべてこの力の作用によりて、自ら変化を営むことを得るなり。例えば固体の液体となり液体の気体となるも、運動力の温力となり温力の運動力となるも、諸元素の抱合するも分解するも、みな勢力の作用にあらざるはなし。しかして有機と無機はその体質異なることなきをもって、有機の生力は無機の活力と同一なりと断言するもまた理の当然なりとす。
第十二節 活動原因
これを要するに有機体の活動は、その体質のいたって変化しやすき性を有するによる。その体質変化しやすきをもって、化学的の作用はなはだ盛んにして活力を発顕すること、また従って盛んなり。別して動物は、摂取するところの食物を変化して活力を発散すること多きをもって、その活動はなはだ著しきを見る。けだし食物中には活力の潜伏するありて、これを発散するは化学的の作用あるによる。しかして植物は、緊力を転じて活力となすの作用なきにあらずといえども、活力を変じて緊力となすの作用最も多しとす。これを要するに、植物は活力を無機界より得てこれを緊力に変じ、動物は緊力を植物界より得てこれを活力に変ず。故に生活の本は、無機物質固有の勢力よりきたるといわざるをえざるなり。以上すでに勢力は物質固有の力にして、その発顕は体質の抱合と化学の変化とによりて異なるゆえんを知るときは、複雑の抱合を有し細密の造構を有するものは、その作用いよいよ奇を呈し妙を現ずべきゆえん、また知るべし。すでにそのしかるゆえんを知るときは、無機は活動の妙用を有せずして、有機はこれを有するも、あえて怪しむに足らず。これを要するに無機物質の変化を営む力と、有機生物の生活を現ずる力と、その体同一にして、本来原質、種類の異なるにあらざるなり。すなわち有機無機の同一体なるの理、ここに至りていよいよ明らかなりというべし。
第三段 唯物無心論第二 心性論
第十三節 動植異同
前段論ずるところは有機無機の体質同一なるゆえんと、生力と物力の同一なるゆえんを証するにとどまりて、未だ動植の同一なるゆえんおよび人獣の同一なるゆえんを知るべからず。故にここにこれを論ずる、また必要なりとす。しかりしこうして、有機無機の同一なるゆえんを知るときは、動植人獣の同一なるゆえんに証するを要せざるなり。動物も植物も人類も、その体を構造せる物質は共に無機元素より成るをもって、その原質の同一なるはもとよりそのところなり。ただここに怪しむべきは、同一の物質より成るところの体にして、一は感覚を有し一はこれを有せず、一は心性を有し一はこれを有せざるの異同あるの点にあり。しかれどもこの点は前に論ずるごとく、分子の抱合および体質の造構の、そのよろしきを得ると得ざるとによるの一言をもって了解することを得べし。まず第一に動植の関係を述ぶるに、植物は造構極めて簡単にして化学作用また著しからず、活力の発生従って少なし。これ植物の動物に異なるゆえんなり。しかれども、植物中にもまたやや感覚に類したる作用を有して、その作用ほとんど動物に異なることなし。これに反して動物の最下等に至りては、植物とその異同を見ることあたわざるものあり。しかしてこの二者の別あるは、ただ高等に進みたるものについていうのみ。これ今日学者の学術上、動植の分界をなすに苦しむゆえんなり。これを要するに、動植は心理上感覚を有すると有せざるとの別あるも、その体質同一なりと知るべし。
第十四節 人獣異同
つぎに人獣の異同を述ぶるに、下等動物は大いに人類と異なるところあるも、高等動物に至りては皮膚、筋肉、血液、生殖器、神経の五種の造構を有するのみならず、脳脊髄、神経節みな備わりて、すこしも人類の組織に異なることなし。また生殖作用および発育の順序に至りても二者同一にして、感覚、情緒、知力に至りてもまた異同あることなし。人の有するところの喜怒の情も、記憶、想像の力も、動物の多少すでに有するところなり。その他倫理上これを較するも、動物中またすでに同憐の情、父子の情、朋友の情あるを見る。ただ二者の異なるは、体質上にありては脳量の軽少なると造構の単純なるとにより、心理上にありては知力の不完全なるとによるのみ。これをもって知力の完、不完は脳の大小に関し、心性作用の有無は物質造構の単複に関するゆえんを知るに足る。しかりしこうして、世人の一般に人獣の別を説くは、両者の極点をあげていうのみ。もし動物の高等なるものと人類の下等なるものとを較すれば、その間もとより著しき異同を見るあたわず。通常、人の考うるところによるに、人類は思想を有し、意志を有し、宗教を有し、政府を有し、法律を有し、言語を有し、器械を有し、事物を発見し、開明を進歩するの力を有するも、動物は一もこれを有せずというといえども、実際上これを験するに、最下等の蛮民に至りてはほとんど全くかくのごとき力を有せざるものあり。しかして、かえって動物中にその力の発達せるものありを見る。かつその力の原種となるべきものの、動物界にありて存すること疑いをいれず。故に心性作用の有無をもって、未だ人獣の別となすに足らざることを知るべし。
第十五節 心身関係
またつぎに、人獣有するところに心性作用はいかにして生ずるかを考うるに、その体に具するところの神経力より生ずというより外なし。神経力は電力温力のごとき一種の活力にして、すなわち物質造構上より生ずるところの勢力なり。およそ動物はいかなる下等に位するものも、自ら収縮するの力を有す、これを収縮力と称す。また刺激に応ずるの力あり、これを興奮力と称す。これその体に成形元を有するによる。成形元は物質の最も変化しやすきものにして、生物活動の原因なり。脳髄またこの成形元を有するをもって活動作用を呈し、心性作用もまたこれより生ずといわざるをえず。すなわち感覚も、情緒も、意志思想も、みなこの成形元の収縮興奮より起こるというべし。しかして有機体中の活動力は、無機物質の活力と同一なるをもって、心力また物力の一種なりと定めざるべからず。ただその作用の妙を呈すると呈せざるとは、神経造構のいかんによるのみ。故にブレー氏曰く、温力、光力、電力、生力、心力等は動勢の形情異なるによりて、我人その別を知るのみと。またステュアート氏曰く、心力は大いに物力と異なるところあれども、その高低増減常に物力に伴うをもって、これを勢力保存の理法中に入るるべしと。すなわち心力と物力と同一なるゆえんを知るべし。以上すでに物心二力の同一なるゆえんを知るときは、ここに神経と心性の関係を一言するを必要なりとす。まずその関係の要点をあぐれば、第一に、神経繊維を中間に断絶し、あるいは神経分子の交流を遮塞するときは、神経中枢器とその末端の間に感覚を通ずることなし。第二に、神経の非常の圧迫を受け、あるいは非常の寒熱にあうときは、感覚を生ずることなし。第三に、神経は血液の供給を得ざるときはその作用を呈することなし。第四に、神経を刺激して休まざるときは感覚を伝えざるに至る。第五に、神経は感覚を伝うるに多少の時間を要す。これみな心性作用は神経の造構に属し、物理の規則に従うゆえんを証するに足る。更に進みて心性と外貌との関係を考うるに、ベーン氏もその心身論中に示すがごとく、思想情感は多少外貌に発顕するを常とす。およそ人の喜怒愛悪のその言語または面貌にあらわるるは、みな人の知るところなり。また身体上の変化は心性上にその影響を生じ、心性上の変化は身体上にその影響を生ずるも、また人の実験するところなり。例えば飢渇、労働、睡眠、疾病は心性の疲労を生じ、憂患、恐怖、失望は身体の健康を害するの類を見て知るべし。かくのごとく身心の関係密接なるをもって、人の外貌を一見して多少その心内の思想を推量することを得るなり。これを要するに、外貌と内想とは同一の関係を有し、心性は肉身を離れて別に存せざるゆえんいよいよ明らかなり。もしまた、心性作用中知力の起こるゆえんを考うるに、知力は思想作用にして、これに反対するもの、これを反射作用と名付く。反射作用は知覚なくして自然に起こるものをいう。故にあるいは、自動作用と称す。今、動物はその動作、大抵反射作用に属するも、人類の動作は思想作用より出ずるもの多し。故に思想作用の有無をもって人獣の別を定むるを常とす。しかれどもこの二種の作用は、基本源全く異なりたるものにあらず。スペンサー氏かつてその心理学中にこれを論じて、思想作用は反射作用の複雑にわたり、経練の度数を減ずるより生ずという。もしこれを証せんと欲せば、試みに思想作用を経練して反復数回に及ぶべし。しかるときは、その作用転じて反射作用となるを見る。畢竟かくのごとく一作用の転じて他作用となることを得るは、二者その実同種類の作用なるに基づく。しかしてただその異なるは、発達の前後、経練の多少の不同あるによる。故にリボー氏もその遺伝論中に、知力と本能力は度量の異なるのみにて種類の異なるにあらずという。本能力とは反射作用の複雑なる一種なり。またモルフェー氏はその習慣知力論中に、習慣力は有知無知両作用の基礎なりという。これを帰するに、知力は反射作用の変形したるものにして、反射作用は習慣力または物理力より生ずること疑いをいれず。故に知力は物力と同一なりと論決せざるを得ざるなり。
以上論ずるところの活力と心力の関係、神経と心性の関係、思想と外貌、知力と反射力との関係を知るときは、心性の規則は物質の規則に従うゆえんすでに明らかに知るべし。これをもって近世の心理学者は、全く物理上の規則に基づきて心理を講ずるに至れり。これ実に心理学の一大進歩というべし。
第十六節 進化原理
前節すでに心力の物力と同一なるゆえん、および心理の物理と同一なるゆえんを論じたれども、未だその発達の順序をつまびらかにするに至らず。活力のいかにして生力となり、習慣のいかにして知力を生ずるかの理は、別に考えざるを得ず。これ余がここに進化論を略述せんと欲するゆえんなり。
そもそも進化論は生物学の進歩によりて得るところの結果にして、ゲーテ氏、ラマルク氏ら、早くすでにその原理を知るといえども、ダーウィン氏を待ちて始めてその実証を得たり。ダーウィン氏は人為淘汰を見て自然淘汰の理を考え、これを実験に照して始めてその説の真なるを知るという。今その大意を述ぶるに、進化の原因は彼此互いに相淘汰するにあり。その淘汰の起こるに三情あり。曰く競争、曰く変化、曰く遺伝なり。競争にまた二種ありて風雨、寒暖、衣食、住居等の外情に接して起こるものと、同類、同種属に接して起こるものあり。まず食物についてその起こらざるをえざる一例をあぐるに、生物を支給する食物には一定の限りありて、その生育する子孫はますます増加するの傾向あり。その間に立ちて自身の生存を全うせんと欲せば、同種属に対して競争せざるべからず。ひとたび競争すれば、その強なるものは勝ちてますます強く、その弱なるものは敗れてますます弱なるは自然の勢いなり。ここにおいて生物の体質上多少の変化起こる。その変化に生来有するところのものと、経験上得るところのものあり。一を固有変化といい、一を得有変化という。その得たるところの変化は必ずその子孫に伝わる、これを遺伝という。遺伝にまた心身の二種ありて、身体上の変化を遺伝するを形質遺伝といい、心性上の変化を遺伝するを心性遺伝という。その表左のごとし。
進化原因 人為淘汰
自然淘汰 競争 外物競争
種属競争
変化 固有変化
得有変化
遺伝 形質遺伝
心性遺伝
この諸事情によりて人は漸々進化することを得るなり。動物界の進みて人界となり、社会団結し国家成立し、学術開け宗教起こるも、みなこの規則による。
第十七節 進化作用
今、動物界の進化淘汰の事情を見るに、自然淘汰にも種々の作用ありて、同色淘汰のごとき、生物その色外物と同じきをもって自身の生存を全うするの事情あり。異性淘汰のごとき、生物中の男種その妃耦を得んと欲して筋骨をもって互いに相争い、音声容色をもって互いに相競うの事情あり。遺伝にも連続遺伝のごとき子々孫々の間に連続して遺伝するものと、間欠遺伝のごとき間断ありて遺伝するものあり。また両性遺伝のごとき男女両質をその子孫に遺伝するものと、各性遺伝のごとき男質は男子に伝わり、女質は女子に伝わるものあり。外物の順応によりて起こるところの変化にも、また数種あり。以上の諸作用同時に起こると異時に発するとの別あり。またその進化の際、異方に向かって分かるるものと一方に向かって合するものありて、用なき部分は次第に減滅し、用ある部分は次第に増長し、ついに数万世の後には、同一源より起こるところの動植も、あまたの異種を生ずるに至るべき理なり。
第十八節 進化諸例
それ進化の原理はその初め生物学に起こるといえども、動植ひとり進化するにあらず。地球自体も進化し、宇宙全体も進化し、社会も進化し、心理も進化し、言語も学術も宗教も道徳もみな進化するなり。まず宇宙の進化を考うるに、太初宇宙間ただ渾沌たる気体あるのみ。その体火気より成り、非常の高熱を有して、あたかも今日見るところの彗星の尾のごとしという。これをネビュラ説と称す。その体質互いに相引くの力を有するをもって、気体は漸々結合するの傾向あり。かくして運動ようやく起こり、熱度従って減ずるに至る。すなわち温力の運動に変ずるなり。その回転の際、一塊の原体散じて数塊となり、各塊また散じて数球となり、ついに日月星辰その他の万象を宇内に現見するに至る。けだし宇宙気体論はカント氏に起こり、ネビュラ説はハーシェル氏に起こるという。地球も始めてその形を結ぶに当たりては高度の熱を有し、その体、気体または流体より成り、熱度ようやく減じて表面に固形を結ぶに至る。しかれどもその中心なお高熱を有するは、今日火山泉等の現象を見て知るべし。月球はその体小なるをもって体熱すでに滅じ、太陽はその体、大なるをもって熱度未だ減ぜざるなり。これを宇宙の進化という。つぎに社会の進化を考うるに、その初めは一個人おのおの散在して生存し、ようやく進みて群居するに至り、いよいよ進みて団合するに至りて、社会始めて成る。しかしてその散居の転じて団合するに至りしは、全く自然淘汰の結果なり。その他言語、思想、宗教等にみな漸々進化して今日に至る。かくのごとく言語思想のみな下等より上等に進み、社会の野蛮より文明に移るゆえんを知るときは、人類の動物より進化せしゆえんいよいよ明らかにして、動物の下等有機より漸化せしゆえん、また推して知るべし。
その他動植人獣の同一源より起こるの理は、一個体の生物の発育を見てまた証することを得、すなわち生物はその初生のときにおいては、みな同一の形質を有して人獣男女の別を見ず。ようやく進みてややその別を生じ、いよいよ進みて始めてその種類の分かるるを見る。これを要するに一個の生物の母胎より発育する順序と、生物全体の一種類より進化する順序と、同一の関係を有するなり。これまた進化の一証となすに足る。
余、ここに進化論を結ぶに当たり、まず物質固有の自然力を仮定せざるべからず。その力互いに相吸引するものと、互いに相抗排するもの別ありて、あるいは物質の分かれて数塊となり、あるいは合して一体となるに至る。これをもって宇宙の進化、地球の結体を生ずるなり。化学の元素またおのおのこの力を有するをもって、数種の元素互いに相抱合するの性と分解するの性あり。これにおいて変化起こる。しかして分子集合して一物をなすときは、内に生ずるところの力と外よりきたるところの力との間に、互いに相応合するありて起こるところの変化、したがって著しきを見る。その集合いよいよ進みていよいよ大なれば、活力の発生ますます盛んにして、変化ますますはなはだしきに至るべし。かくして有機は無機より進化することを得るなり。ただ、無機の有機に化するの難きは、化学元素中、適宜の種類の集まりて、複雑の抱合を営むべき事情を得るの難きにあるのみ。有機すでに化生するときは、内力外情の反応によりて自然の勢いますます進化せんとするの傾向あり。別して高等動物に至れば、彼此の競争ことに盛んなるをもって進化淘汰の最も著しきを見る。かくして人類は動物界より成来するに至るなり。その後社会に君臣上下の別起こり、分労協力の制行わるるに至るも、また生存競争のしからしむるところなり。道徳宗教の起こるもまた進化自然の勢いなり。およそ生物ひとたびこれを経験して、その自身に益あるを知るときは、おのずからその方に進まんとするの性あり。また数回その経験を重ぬれば、自然の勢い天性を鑄成するに至る。故にリボー氏は性力すなわち本能力は習慣の遺伝したるものなりという。ゴルトン氏もまた天才の全く遺伝に属するを論ぜり。すなわち習慣力は反射力となる。反射力は本能力となり、本能力は思想力となる。これを心理の進化という。ただそのおのおの力の異なるは、これを生ずべき物質造構の異同と、習慣経験の多少とによるのみ。スペンサー氏かつて知覚作用の起こるゆえんを論じて、その作用は神経造構の複雑より生ずという。けだし簡単なる造構にありては、一方に起こるところの感動相伝えて、他方に排出すること容易なりといえども、造構複雑にわたれば、一方より入るところの感動一部分の神経節に達するも、これより出づるところの神経多岐に分かるるをもって、その動波直ちに他方に流出することを得ず。暫時その点にとどまりて、猶予躊躇するの情あるによる。かつたとえ複雑の造構を有するも、経験上、数回同作用を反復すれば反射的に変ずることを得、これ他なし、ひとたび流るるところの波道次第に習慣して、その出入猶予のときを要せざるに至ればなり。かくして記憶力、論理力、感応力、意志力等ことごとく反射作用より分化するに至るなり。
第十九節 進化結果
上来、段を重ねて論ずるところ、これを要するに余は第一に、心界の所在を究めんと欲し、人身の造構を分析して、その作用の脳神経中にあるを知り、また神経の成分を験して、有機無機の体質異同なきゆえんを知るに至る。第二に、有機固有の生力いかにして生ずるかを究めんと欲し、無機物質の性質を考えて物質固有の勢力あるを知り、その勢力適宜の造構を得れば、活動の妙用を発顕すべきゆえんを知るに至る。第三に、有機界中に有感無感、有心無心の別あるゆえんを知らんと欲し、心身の関係を究めてその別の起こる体質の分子抱合の異なると、神経造構の同じからざるとによるゆえんを知るに至る。第四に、無機のいかにして有機となり、動物のいかにして人類を生ずるに至るかを知らんと欲し、進化の作用を考えて天地万物、社会思想ことごとくその原理に従って変化を営むゆえんを知るに至る。ここにおいて始めて一物の開きて万物となり、一物力の分かれて諸力となるゆえん、すなわち物理の外に心理なきゆえん明らかなりと信ず。つぎに物理進化の順序を略言するに、太初にはただ一定の勢力を備うる物質ありて、その力次第に分化を営みて万物を生ずるに至るなり。これを例するに、宇宙はその初め渾沌たる一体の火気にして、その気ようやく集散回転して数体となり数塊となり、気体は流体に変じ、流体は固体に変じて、森羅の万象を結ぶに至り、無機は有機を生じ、草木は鳥獣と分かれ、動物は人類を化し、散居は群居に変じ、群居は団合に転じ、野蛮は文明に移るに至る。つぎに物力は物質と共に進化し、温力は運動力となり、器械力は分子力となり、活力は緊力となり、緊力は活力となりて、一体の勢力変じて生活力を生じ、反射力を生じ、本能力を生じ、感覚力、知覚力、情緒力、論理力、意志力を生ずるに至る。この諸体諸力は本来その種類異なるにあらずして、ただその発達進化の前後によりてその別あるのみ。しかして心性作用の妙あるは、物質造構の密なるより生じ、造構の疎より密に進むは進化自然の勢いなり。すなわち淘汰競争のしからしむるところなり。今、唯物論を結ぶに当たり、更に動植進化の一証を挙ぐるに、近年地質学開くるに及び、地層の痕跡を験して、太古動植のみありて、人類の未だ生ぜざるときあるを知り、またその前期に達すれば、全く有機の痕跡を現ぜざるときあるを見るという。今、地球進化説によるに、その初期に当たりては地熱非常の高点にありて、生物の生存すべき理なし。また今日にありて有機無機、動植人獣の分界を立てんとするに、判然たる区別をその間に示すあたわず。これまた進化の一証なり。これによりてこれをみるに、無機の外に有機なく、物力の外に心力なく、物界の外に心界なしと断言せざるをえざるなり。
第二十節 帰 結
唯物論ここに至りてその終局を結ぶに至るといえども、哲学上の疑問ここに尽きたるにあらず。上来論ずるところは物の外に心なしというにとどまりて、その物のなんたるに至りては未だ一言も論及せざるなり。すでに心のなんたるを知るときは、つぎに物のなんたるを究めざるべからず。ひとり心を究めて物を論ぜざるの理あらんや。故に余はこれより論端を改めて物の性質を捜究せんとす。これ唯物の結果、非物非心論を生ずるに至るゆえんなり。
第四段 非物非心論
第二十一節 端 緒
唯物無心論、論じ終わりて、物のなんたるを考うれば、その論変じて非物非心論となる。これまた論理発達自然の順序なり。唯物論者は初めより物質は真に存するものと仮定して論を起こし、すこしも自体のなんたるを問わざるなり。故にたとえその論、唯心を排することを得るも、局外よりこれをみれば、一方の僻見といわざるべからず。かつ物の実体未だ定まらざる以上は、これより起こるところの論は真理に合せりと称するをえず。故にその真理やはり憶定の真理たるを免れざるなり。今、物のなんたるを究めてその本体を考うれば、非物非心の体を想するより外なし。すなわち前段すでに述ぶるごとく、万物の本源は一体の物質にして、その物質次第に進化して千態万状の形象を現ずるも、その未だ現ぜざるに当たりては、その体一定の形象を有すべき理なきをもって、これを非物非心の体に帰せざるべからず。しかしてその体物にあらざるも、物を生ずべき原力を有す。かくのごとく考うるときは、この非物非心の体また一個の活物にして、あらゆる万物の原種原力をその中に胚胎すと定むべし。故にブレー氏は、全世界は一個の完全なる有機体なりという。しかれども、世の学者の物の本体を論ずる未だ一定の説あらずして、あるいはこれを元素といい、あるいはこれを勢力という。故に余はまず、その浅近の説より次第に進みて物の本体を定めんとす。
第二十二節 分 子
今、物のなんたるかを知らんと欲せば、まずその成分を知らざるべからず。物には気体、液体、固体の別あるも、その体みな分子の集合より成る。分子は小分子より成り、小分子は微分子より成る。微分子はすなわち化学的の元素なり。元素にはおよそ七十前後の種類ありて、あるいは互いに相集合し、あるいは抱合して万物を形成す。故に物質の実体は元素なりというべし。しかれどもこの元素は最小極微の物にして、その体いかなる形状を有するか未だ知るべからず。その体未だ知るべからざる以上は、物質は元素より成るというも、もとより物質の解釈を与えたりと称するをえず。かつ物質の体を元素に帰するときは疑問を元素に移して、更にそのなんたるを究めざるをえず。ここにおいて元素は物質なるか、また物質にあらざるかの疑問起こる。もしこれを物質なりというときは、物質を釈するに物質をもってするの難あるをもって、物質の体は元素なりということを得ず。もしこれを物質にあらずというときは、その体なにものなるやの疑問、またついで起こらざるをえず。もしこれを無形無質のものとするときは、形質なきものいかにして形質あるものを構成するやの問い起こり、これを有形有質のものとすれば、その形質いかなるものなるやの疑い起こり、到底疑問の解答を尽くすことあたわざるなり。これによりてこれをみれば、元素をもって物質の本体と定むるは、論理上の難を免るべからざるものと知るべし。
第二十三節 気 体
故に論理上物質の本体を定めんと欲せば、非物の体をもってその解釈を与うるより外なし。今これを宇宙の進化に考うるに、太初ただ渾沌たる火気のみありて、万物すべてこれより結成すという。その体もとより方円の定形を有するにあらず、固液の定質を有するにあらず、全体同一質より成りたることは、疑いを入れずといえども、その体ようやく進みて万差の諸物を結成せしをもって、同質中おのずから異質を生ずべき原性を含有すといわざるべからず。ここに至りてこれをみれば、物の本体は進化の原力を有したる同一質の気体なりと定むるより外なし。これ古代ギリシアにありて諸賢おのおの物質の本体を論じてタレス氏は水なりといい、アナクシマンドロス氏は無形無質のものなりといい、アナクシメネス氏はこれを折衷して空気なりと定めたる意に合するもののごとし。
第二十四節 非 物
しかれども気体は未だ物質の本体と定むべからず。なんとなれば気体も一種の物質なればなり。故にその気体の本源を究めて、物質の本体を定むるを必要なりとす。気体より一歩を進めてその原体を尋ぬれば、アナクサゴラス氏のごとくその体すなわち神なりと想するか、あるいはピュタゴラス氏のごとく絶対の理体なりと定むるか、しからざれば物理力学の理に基づきてこれを力すなわち勢力なりというより外なし。スペンサー氏も物質を論究してこれを力に帰するに至る。しかしてその力のなんたるに至りては、あるいはこれを物質分子間の衝動なりといい、あるいはこれを物質進動の事情なりといい、あるいは物質は力の中心に外ならずというものありて、その体未だ知るべからずといえども、これを物の本体と定むるときは、非物の体なりといわざるべからざるなり。すでにこれを理なりといい、また力なりといえば、その体物にあらず、また心にあらず。いわゆる非物非心にして、またよく物心の原理を含有するものなり。しかれどもその体いかなる性質を有し、いかにして体心を開発せしかは未だ知るべからざるをもって、これを不可思議の妙理妙力にして、不可思議の妙作用を現ずるものというより外なし。西洋哲学者の立つるところの体はこの体をいうなり。儒家の太極説またこれに近し。易裨伝に太極は万化の本なりとあり、大易輯説に理気象数の全体渾然として、すでにそなわりて未だ分かれざるもの太極なりとあり、読書録に太極は至極の理なりとあるをみれば、太極は非物非心、不可思議の本体なること明らかなり。
第二十五節 帰 結
物理上の論理、けだしここに至りていよいよ極まる。もしこれより一歩を進むれば心理に入るべし。万物の本源を究めて不可思議の妙体なることを知るも、その体のなんたるに至りては、到底実験をもって証すべからず。また物理をもって考うべからず。これを不可知的と称してとどまんのみ。しかしてその体形質を有せざるをもってこれを物心二者に比すれば、かえって心とその性質を同じうするがごとし。故にこれを知るの方法は心理に考うるより外なし。かつ人は一方に向かって知るべからざるに至れば、顧みて他方に進まんとするの性あるをもって、その勢い物理の解釈を転じて、心理の研究を促すに至る。これ唯物論窮まりて唯心論起こるゆえんなり。
第五段 無物無心論第一 感覚論
第二十六節 心界分域
唯物の理すでに尽きて唯心に入れば、たちまち唯物の僻論たるを知るべし。その論者心なしと断言して、しかして心によらざれば唯物を立つることあたわざるを知らず。かつ唯物の基づくところ全く心にあるをもって、初めに心ありと許してその論の起こりしや明らかなり。しかして後に心なしというは、前案後結の一致せざる過失あり。故に論理上これをみれば、その論一種の僻見というより外なし。これここに唯物につぎて唯心の起こるゆえんなり。今、試みに唯物の基づくところを尋ぬるに、その論全く理学の実験よりきたる。理学の実験は人の感覚より生ず。故に感覚のなんたるを究めざれば、唯物の真偽未だ判定すべからず。かつそれ唯物論者のその実験説をもって実験以外に及ぼすは、論理思想の力によるや疑いをいれず。しかして論理思想は心性作用にして物理にあらざること、また明らかなり。これをもって唯物論は心理に基づくものと知るべし。今ここに無物無心論と題せしは、唯心論に入るの初門にして、その論唯物の感覚に基づくゆえんを証するものなり。故に無物無心を論ずるには、まず感覚のなんたるを知らざるべからず。そもそも感覚は心界の一部分にして、直ちに物界に接するものをいう。今その理を明らかにせんと欲せば、心界の分域を知ること必要なりとす。心界は思想と感覚の両境より成り、思想はその中心にして感覚はその外面なり。故に思想をもって心性の本部とす。この感覚の一境また分かれて五覚となる。すなわち視角、聴覚、嗅覚、味覚、触覚これなり。この五者は眼、耳、鼻、舌、皮膚の五官に対して分かるるものなり。
第二十七節 物質分境
心界かくのごとく分かるるをもって物界また五境に分かるる。すなわち色境、声境、香境、味境、触境これなり。
これによりてこれをみれば、物界は色、声、香、味、触の五境の外なきなり。今それ我人の物あるを知るは、感覚の上に感動あるによる、感覚を離れて物あるを知るにあらず。見てこれを知るは視角を動かせばなり、聴きてこれを知るは聴覚を感ずればなり。ここにその一例を挙ぐれば、外物よりきたるところの光線はエーテルの波動をもって次第に伝わり、ついにわが眼球に入りて網膜の上にその形を結び、その膜面に散布せる視神経の感動によりて始めてその物あるを知る。すなわち我人の見るところのものは網膜上の影像にして、直ちに外物の実体を知るにあらず。色、声、香、味、触みなしかり。故に我人のいわゆる物質は、この五覚をもって組成したるものに外ならず。すなわち色、声、香、味、触の体これを物と名付くるなり。しかしてこの五者心界より生ずるをもって、物界は心界中の一部分に過ぎずと断言するも、もとより一理ありというべし。
心界 思想
感覚 視角………色境
聴覚………声境
嗅覚………香境 物界
味覚………味境
触覚………触境
第二十八節 実験基礎
今、理学の実験を考うるに、これに試験経験の二種あるも、みな感覚の力によらざるはなし。ニュートン氏のリンゴの経験をもって重力あるを知りたるも、フランクリン氏のたこの試験をもって電力を試みたるも、みな感覚の上に生ずるところの結果に外ならず。故に余は理学の実験は全く感覚に基づくといわんとす。かつまた感覚完全なれば実験確実なることを得べきも、感覚不完全にして実験ひとり確実なるの理なきをもって、実験の真偽は感覚の完と不完とによるというも可なり。しかして唯物論は理学の実験に基づくをもって、その説の真偽は全く感覚の上に属するは、別に論ずるを待たざるなり。これを要するに、唯物無心説は心界ありて始めて起こり、感覚に基づきて始めて立つものと知るべし。
第二十九節 思想性質
かく論じきたるも、未だ心界を離れて物の実体なしと断言するを得ざるなり。なんとなれば、感覚の上に生ずるところの色、声、香、味、触は物の現象にして、その本体にあらざればなり。その本体は感覚の外にありて、耳目の力よく知るところにあらず。故に物象は心界の内にあるも、物体は心界の外にありといわざるをえざるがごとし。しかれどもその実、物体は我人の知るところにあらざれば、これを正しく感覚の外にありと明言するも、また論理の許さざるところなり。しかして我人の知るところの物界は物象に外ならざるをもって、ここにその全界を心界中に入るるも、道理上あえて不可なることなし。これ余が心界の外に物界なしと断言するゆえんなり。
以上すでに物象の感覚に属するゆえんを論じて、物界は心界の中にありと断言したるも、未だ思想と感覚の関係を明らかにせざれば、唯心を立つることあたわず。他語をもってこれをいえば、心の本部は思想なるをもって外界ことごとく思想域内に入らざれば、心外無物の断言を結ぶべからず。故に余はこれより感覚は果たして思想の中にあるか、また思想の外にあるかを考えんとす。まずこれを思想の中にありと定むるときは、思想はなにものなるかを知らざるべからず。例えば起きて外物を感ずるは感覚にして、臥して夢想を結ぶは思想なり。その夢想中に現ずるところのもの深くこれを験するに、一として経験上感覚境に現ぜざるものを見ることなし。かつまた経験に富まざる幼児輩に至りては、完全なる思想を有することなく、完全なる思想を有するものは、経験に富みたるものに限る。これによりてこれをみれば、思想は感覚より来生すといわざるべからず。これロック氏の人心は白紙のごとしというゆえんなり。この理に基づきて経練学起こる。経練学の原理は知識は一として経験よりきたらざるものなしというにあり。これに反対して一種の原理を唱うるもの、これをライプニッツ氏とす。氏は、知識は一として経験よりきたるものなしという。ライプニッツ氏のいうところ果たして真ならば、人の知識の経験を待ちて発達するの理、了解し難し。故に余はここに経練学の説をとりて、思想は感覚より来生すといわんとす。
第三十節 本能起源
しかれどもロック氏の説のごとく、人心全く白紙のごとしというは一僻論たるを免れず。けだし我人感覚上の経験に触るるにあらざれば思想の発育することなきも、その心内に初めより外感を受持すべき性力なくば、物象の集まりて思想を構成すべき理なし。これを家屋を作るにたとう。その材料は外よりきたるも、これに構造の力を与えざれば一家を組成することあたわず。今、思想の材料は経験よりきたるも、これを構成して思想となすの力は心内にありて存せざるべからず。その他、人には本能力のごとき、明らかに実験よりきたらざるものあるはなんぞや。故に思想知識の一半は外よりきたり、一半は内にありて存すといわざるべからず。これカント氏の説にして、ロック氏、ライプニッツ氏の両説を折衷したるものなり。しかりしこうして、カント氏はロック氏に比すれば、その論やや中正を得たりといえども、心力の本来を仮定してそのなんたるを究めざるは、また一欠点なり。これを生物進化説に考うるに、人類は思想を有するも、下等動物に至りてはただ感覚を有するのみ。また人類中にありても、下等蛮民のごとき未だ経験に富まざるものは、思想の発達不完全にして、上等人民に至りて始めてその発達著しきを見る。これによりてこれをみれば、知識思想は必ずしも一人一代間の経験よりきたらざるも、数人数代間の経験によりて発達するや明らかなり。すなわち我人の今日の思想本能力は、人類初生のときより数万世を経て得たるところの経験の結果なり。しかしてその経験より得るところのもの、これを数世に伝えて失わざるは、遺伝性の作用あるによる。これを要するに、人の生来有するところの性力は数世間遺伝の成果なりというべし。これスペンサー、ゴルトン、リボー諸氏の説なり。
第三十一節 心体有無
かく論じきたれば、思想は全く外感よりきたると決するより外なし。しかれども、その論未だ無心論の基礎を構成するに足らず。なんとなれば、経練学家のいわゆる思想は心象にして、心体にあらざればなり。心象は感覚上の経験よりきたるべきも、心体は経験のよく生ずべきにあらず。なんとなれば、心体はその形を心面に現ぜざればなり。しかして思想はただその心象を指して名付くるものにして、その思想の本体たる心体は、感覚の感ぜざるところ、経験の及ばざるところにありて存すという。しかれども余が考うるところによるに、これ仮定の最もはなはだしきもののみ。心体は思想の外にありと定むるときは、その体の有無共に我人の知るべからざるは必然なり。その知るべからざるものを仮定して心体ありというは、物の有無を知らずして、これを有と推想するに異ならず。今、我人のいわゆる心は心象を指していうのみ。心象の外に別にその体あるをいうにあらず。思想も心象なり、心体も心象なり、だれか心象を離れて別に心体の存するを知らんや。もしいやしくもこれを知れば、すでに思想の範囲内に入るをもってこれを心象といわんのみ。もしこれを知らざれば、いかにして心象の外に心体あるを定むることをえんや。これによりてこれをみれば、心象の外に心体なく、心象すなわち心体なりといわざるべからず。しかして心象は感覚経験よりきたるをもって、心は全く感覚の上にありと断言して可なり。
第六段 無物無心論第二 無元論
第三十二節 感覚一元
前段論決するところによるに、無物無心の無元を唱うるより外なし。すなわち前段すでに物界はその実体なく、心界またその実体なきを論じたるをもって、物ひとり存すというも心ひとり存すというも、共に論理の許さざるところなり。故にその勢い両界の中間に立ちて無元を唱うるより外なし。これヒューム氏の虚無論の起こるゆえんなり。果たしてしからば、ここになにを論拠として虚無を唱うべきやというに、感覚の体を本とせざるべからず。すなわち前段の意、物界は感覚を離れて存するにあらず。思想は感覚より生ずというに帰するをもって、物も心も共に一体の感覚より分かれ、感覚を離れて物もなく、また心もなし。これミル氏の感覚論の起こるゆえんなり。余はこれを唯覚論と称す。なんとなればその論、感覚の外に物もなく、また心もなしと唱うればなり。
今その唯覚論によるに、物と心とはあたかも一感覚の体に内外の両面あるがごとく、その内面に集まるものこれを心と称し、その外面にあらわるるものこれを物と称するなり。もしまた物心に体と象を分かつときは、心象物象は全く感覚の範囲内に属するも、物体心体はその外にありて存せざるを得ざるがごとしといえども、論理上これを考うるときは、その物体心体共に物象心象より推論して仮定せるものに過ぎざるをもって、これを帰するに唯一感覚境あるのみ。かつ体は象を離れて存するにあらざる以上は、体すなわち象なりといわざるべからず。これ余がこれを唯覚論と称するゆえんなり。
第三十三節 感覚原因
以上、すでに物心両界の感覚の範囲内にあるゆえんを論じ終わるをもって、これより感覚のいかなるものなるやを論ぜざるべからず。これを論じてその極点に達すれば、唯覚論変じて唯心論となるべし。まず感覚のなんたるを考うるに、その体物心の交互作用によりて、その二者の中間に起こるものなり。およそ物その形を心の上に現ずるときは必ず感覚のその間に生ずるあり。心その力を物の上に及ぼすときは、また必ず感覚のその間に動くあり。心も物も二者おのおの感覚を経ざれば、その用を他者の上に及ぼすことあたわず。故に感覚は物心二者の交互作用より生ずるものというべし。
第三十四節 物心推想
かくのごとく感覚を解するときは、物心ありてのち感覚ありといわざるべからず。しかして感覚の外に物心なしというは、はなはだ解し難きに似たれども、感覚の外に物心自体の存するを知るは、感覚より推想して仮定するのみ。他語をもってこれをいえば、感覚ありてのち始めて物心あることを知るなり。今、仮に物心を原因とし感覚を結果とするも、物心の原因は我人直ちにこれを知るにあらず、結果を見てその実在を想定するに過ぎず。しかして感覚は我人の直ちに知るところなり。すなわち感覚は実事にして、物心は推想なり。推想に属するものは、その有無真偽未だ知るべからずといえども、実事に属するものは、これを真なりと許さざるべからず。これをもって虚無論者および唯覚論者は、感覚を本として物心の実在を排するなり。
第三十五節 連想理法
つぎに感覚より物心の生ずるゆえんを考うるに、これを習性連想の作用に帰するより外なし。習性は習慣の性法なり。連想はすなわち思想の連合の規則にして、人の諸動作感覚のしばしば連続して起こるときは、その間互いに相付着連合するありて、そののち一者心に触るるときは、思想上おのずから他者を想起するの規則をいう。しかしてこの規則は、その実、習性の理法より生ずるものなり。例えば人ひとたび目前に一物あるを見、再三重ねてなおこれを見るときは、その物真に目前に存すと信ずるに至る。これすなわち習性の力、連想を生ずるによる。この習性連想の作用によりて、その実体なき物も、その体実にありと想するに至るなり。かつマッキントス氏曰く、諸思想連合するときは、全く各思想に異なりたるものを生ずべしと。これをもって我人は物象を見て物体あるを推想し、心象を見て心体あるを確信するに至る。他語をもってこれをいえば、感覚境の現象を見てその本体の実在を仮定するに至るなり。
第三十六節 真理規則
この理を推して、人の立つるところの真理の規則標準を排することを得べし。例えばカント氏は普遍と必然とをもって真理の標準とし、スペンサー氏は不可以為不然をもって標準とし、その他、学者中、因果の理法あるいは数学の原則等をもって真理の規則と定むるものあれども、これみな真正の規則となすに足らざるなり。まず因果の理法について論ずるに、一因あれば必ずその果あり、一果あれば必ずその因ありというも、この規則は昔日より今日まで、数千年間の経験について定めたるものに過ぎず。しかしてこれを真理の規則となすは、数世間の経験の結果をもって万々世不変の定則と憶定するものなり。他語をもってこれをいえば、すでに経験したるものをもって、未だ経験せざるものに及ぼすなり。憶断もまたはなはだしというべし。我人の太初より今日まで経験したるもの、これを将来の未だ経験せざるものに比すれば、時間中の極めて小部分なり。この小部分内の経験をもって大部分の規則を憶定するも、なんぞ知らん、今後いかなる事情の我人の経験内に起こるありて、従来真理と仮定せるもの全く非真理となるに至るを。これをもってこれを推すに、今後数万世の後には、いかなる規則の真理の標準となるや計り難し。かつカーペンター氏もかつて真理の標準の定まりなきゆえんを論じて曰く、曲直を裁定するの性力は、要するに人種、教育、習性、連想等に属するをもってその標準とするところ、人々同一なるあたわず、はなはだしきに至りては、全く相反する標準ありと。ベーン氏また曰く、古今、万国、善悪を断定するに、その説の合同すること少なしと。これによりてこれをみるに、真理の標準規則も経験連想によりて生ずること明らかなり。ミル氏もその論理学中に、幾何の原則は経験よりきたり、演繹の原則は帰納よりきたるゆえんを証せり。果たしてしからば、古今一定、万世不変の真理なきは瞭然たり。しかして人のこれありと信ずるは、習性連想の性あるによる。
第三十七節 唯覚結果
ここに至りてこれをみれば、感覚と連想の外、物心の実体なり、また真理の定則なしと断言せざるべからず。これを無物無心論の極点とす。しかれども人の論理ここにとどまるにあらず。感覚あるを知るは感覚にあらざるものあるにより、連想の生ずるにはこれをして生ぜしむるものあるによる。もしその感覚の起こるゆえん、連想の生ずるゆえんを究明するにあらざれば、未だもって論理の十全を得たるものと称し難し。しかしてこれより一歩を進めてその点を考うれば、唯心論の本部に入るべし。これまた思想発達の順序にして、論理自然の勢いここに至るなり。
第七段 唯心無物論第一 意識論
第三十八節 前論批評
前段論じきたるところを総括するに、初めに物質を論じて有心を排し、排し極まれば唯物あるのみ。しかして物のなんたるを究むれば、その論変じて唯心とならんとす。つぎに感覚を論じて無物無心を唱え、唱え終わればただ感覚あるのみ。しかして感覚のなんたるを究むれば、また唯心に変ぜんとす。故に二論共に唯心の緒論と称するも可なり。かつ感覚は心界の範囲内にあるをもって、無物無心論は唯心論の初級となすべし。更に進んで感覚のなんたるを究むるに、そのものあえて実体あるにあらず、ただ心理上一種の変化応動に外ならず。他語をもってこれをいえば、物心二者間の関係に過ぎず。関係は二者の間に生ずる一事情にして、二者を離れて別に存すべき理なし。故にもし感覚を離れて物心の存するは知るべからざるをもって、感覚の外に物心なしということを得るときは、物心を離れて感覚の起こるべき理なきをもって、物心の外に感覚なしとまたひとしくいうことを得べし。もしまた心は物に関して知るべく、物は心に関して知るべく、物心はその間の関係を離れて知るべからざるをもって、その中間にわたるところの感覚は実在なれども、その両端に位するところの物心は虚無なりということを得るときは、感覚は物心に関して知るべく、物心は感覚に関して知るべきをもって、感覚と物心との中間にわたるところの関係は存するも、感覚は虚無なりとまたひとしくいうことを得べし。故に物心を離れて感覚のみありというの論は、論理の許さざるところなりと知るべし。
第三十九節 唯心論拠
かつそれ感覚ひとりありて物心全くなしというは、なにによりて定むるやというに、けだし論理によりて定むというより外なかるべし。論理によるにあらざれば、物心の有無を判じ、感覚の是非を決することあたわざるは必然なり。これによりてこれをみれば、唯覚論者の物心を排するは、論理の規則に基づきて起こりたるは疑いを入れざるなり。論理の規則とは、例えばここに甲乙二種の全く相反したる道理ありと仮定するに、甲の説可なれば乙の説不可なり、乙の理真なれば甲の理非なりと判決するものをいう。この原則によるにあらざれば、いかなる論も人に対して立つることあたわざるなり。虚無論者もしこの規則を用いずといわば、なにをもって物心を排して感覚を立つるや。論者は自ら立つるところを真なりと許して、これに反対する論を非とするにあらずや。また感覚は実事にして、物心は推想なりと論究するにあらずや。これみな論理の原則によるや明らかなり。この理によりて、唯覚論者の真理の標準を排したるの不当なるゆえん、直ちに知るべし。およそ論者の論を立つるに、真理の標準まず定まりてのち、始めて人の説を可否すべきは言を待たず。たとえ万世不易の標準なきも、論者自ら定むるところの標準あるは疑いをいれず。すなわち唯覚論者の物心を排して虚無なりというは、その自ら立つるところの感覚を標準と定むるによるや明らかなり。つぎに論者は因果の規則を排して、かえって自らその規則を用いたるを知らざるもまた怪しむべし。すなわちその物心を排して虚無なりと論じたるは、物心の有無はその基づくところ仮想に過ぎざるをもって、これより生ずるところの結果は真とするに足らずと断決するに外ならず。他語をもってこれをいえば、原因非なれば結果また非なりという因果の規則を用うるものなり。
つぎに連想の規則の起こる原因を考うるに、感覚あるのみにて他にこれに加わるものなきときは、その規則の生ずべき理なし。これを生ずるには、数回経験を重ねざるべからず。数回これを重ぬるには時間を要せざるべからず。かつ感覚の起こるにもまた時間を要す。時間なくして感覚の生ずべき理なし。その他空間あるにあらざれば、感覚上の経験を生ずべからず。すでに唯覚論者、感覚に内外を分かちて、その内に連なるものこれを心といい、その外に現ずるものこれを物と名付けたるは、すでに空間の現存を許すによるや明らかなり。空間を離れて内外の別起こるべき理なし。故に時間空間は感覚を構成する要素にして、感覚のこれを生ずるにあらざるなり。
かくのごとく論究すれば、感覚のみ存せざること明らかなり。すなわち感覚の外に時間空間の存するあり。しかしてまた、時間空間の外に論理の存するを要す。今、感覚論を立つるに最も要するところは論理にして、唯覚論者たとえ物心を排することを得るも、論理自体を排すべからず。論理自体を排すれば、それ自ら論ずるところまた排せざるべからず。故に余まさにいわんとす、論理ありてのち唯覚論あり、すなわち唯覚の基礎は論理にありと。しかして顧みて論理はなにに属すべきかを考うるに、論理は思想の作用にして、その規則はすなわち思想の規則たるは別に証するを待たず。思想は余がさきにすでに定めしごとく心の本部にして、論理の存するはすなわち心の存するによるなり。これを要するに、感覚は論理より生じ、論理は思想より生じ、思想すなわち心なるをもって唯覚論より一歩を進むれば、唯心論に帰することを知るべし。
以上論ずるところによりて、無物無心論の唯心に外ならざるの理すでに明らかなり。今また唯物の結論をここに引きて唯心の理を証するに、そもそも唯物論は、さきにすでに論明するごとく、感覚と思想の二者に基づきて起こるなり。すなわちその実験は感覚に基づきて起こり、実験以内の結果をもって実験以外に及ぼすは、論理思想に基づきて起こる。しかしてその感覚また思想の外部に外ならざるをもって、唯物論は全く唯心論に帰すべし。今その証を徴するに、ヒューエル氏理学の要素を論じて事実と想念の二種とし、事実を捜索するに覚官を要し、想念を形成するに論理を要すという。しかして覚官も論理も共に思想に属するをもって、理学の基礎は全く心理に属するを知るべし。また、セボン氏の論ずるところによるに、理学の規則は均同と背反と無間との三法にして、理学の起こるは弁別力と契合力と記住力との三力を要すという。この三法はすなわち論理の原則にして、この三力はすなわち心理の原力なり。故に二者共に唯心の理を証示するやまた明らかなり。
第四十節 意識範囲
今もし唯心の本義を究めんと欲せば、まず思想の知覚を知らざるべからず。思想の知覚これを意識と名付く、また自覚と称す。物界の万象万化、一として意識の範囲に入らざるものなし。その範囲に入らざるもの、われこれを知るあたわず。故にわが知るところの世界全く一意識の範囲にありと知るべし。すでに意識の範囲内にある以上は、すべてこれを思想の中にありと定めざるべからず。故に初めに心界を分かちて感覚思想の二種となしたるも、ここに至りてこれをみれば、心界は一思想の外なきはいよいよ明らかなり。たとえ感覚は思想と異なることあるも、すでに感覚ありと知ればこれ意識なり。故に意識を離れて感覚を知るあたわず。感覚は全く思想の中にありと知るべし。
第四十一節 唯心一理
近世の初期にあたりてデカルト氏疑念を起こして神物を排し、わが体を空したるとも、その極思想自体を疑うことあたわざるをもって、ついに意識を本として哲学の新礎を起こすに至る。キルヒマン氏も、その無仮設哲学中にわが在をもって哲学の起点とす。これみな帰するところ、余がいわゆる唯心の理を証立するものなり。今日、我人の物ありと思うも、心なしと考うるも、感覚の外に物心なしと論ずるも、またみな思想の作用すなわち意識によらざるはなし。意識なしと思い、思想の作用によらずと想するも、また一意識なり。故に哲学上の諸説諸想ことごとく唯心の一理に帰するより外なし。
第四十二節 時空標準
我人、物界に立ちてわが心の外に物ありと思うも、わが体の外に他の人ありと想するも、みな意識界中の現象にして、およそ彼我の差別を立てて、その間に内外の区域を見るも、またみな一心界中の変化に過ぎず。これをもって空間の思想内に存するゆえんを知るべし。つぎに時の前後を差別して古今を論ずるも、またみな意識中の変化にあらざるはなし。これをもって時間の心内に存するゆえんを証するに足る。しかりしこうして、カント氏は時空の心界にありて外物に属せざるゆえんを示さんと欲し、外界を組成せる時空両間の思想中に存するゆえんを論じたるに、スペンサー氏これを駁して時空の感覚より生ずるゆえんを証せりといえども、その証するところ全く意識の範囲内にあり。故にその論決して唯心の理を排するに足らずと知るべし。かつさきにすでに述ぶるがごとく、真理の標準に関してミル、スペンサー諸氏の論ずるところ、共に一僻論たるを免れず。スペンサー氏は古今一定の標準ありと論じてその標準を定むるに、他の標準を要するゆえんを知らず。ミル氏はかくのごとき標準なしと論じて、その論ずるところすでにその標準を用いて他を可否するを知らず。これを要するに真理の標準なくば、決して説の真非可否を論定すべからざるなり。しかしてもしその標準を論定せんと欲せば、これを論定すべき標準の標準なくばあるべからず。その標準の標準は、各自の意識なりというより外なし。他語をもってこれをいえば、その自ら是と思うところを是とし、非と思うところを非とするに過ぎず。故に是非の標準は思想中にありて存すと知るべし。これまた唯心の一証となすに足る。
これによりてこれをみるに、世界は全く一心界中にありて存し、唯物も唯覚もみなことごとく、その一心に帰すべし。仏教中、大乗宗のごときは心外無別法 三界唯一心といい、あるいは森羅万象 唯識所変と談じ、王陽明は心すなわち理なり、天下また心外の事、心外の理あらんやというも、またみな唯心論なり。孟子の万物みなわれに備わると説きたるも、またこの意を胚胎するもののごとし。これを唯心の本義とす。
第八段 唯心無物論第二 自覚論
第四十三節 自覚分域
前段論ずるところによるに、古今東西、時間も空間も、彼我物心の別もことごとく一思想中にありて、更にその差別を存せざるがごとし。しかるに実際上これをみるに、現にその差別あるはいかんというに、これ無差別の中におのずから差別を現ずるによる。差別は唯心の現象にして、無差別は唯心の本体なり。その無差別の体を自覚の心と名付けて、もって差別の心に区別するなり。
かくのごとく一心中に物心両界の差別あるは、いかなる原因によるというに、これ論理思想の性質もとよりしかるなり。物は心に対して存し、心は物に対して存するは差別の心にして、その差別の心の存するを知るは思想の作用に外ならざるをもって、その物心これを帰するに自覚の一心なり。故に差別の現象は、無差別の中にありて存すといわざるべからず。しかしてその体の開きて物心の差別を生ずるは、思想自体に有するところの力によるというより外なし。その力いずれよりきたり、いかにして思想中に存するかは、我人これを証するあたわず。なんとなれば、これを証することすなわち思想の作用なればなり。思想の作用をもって思想の作用を証せんとするは、なお自身の眼をもって自身の眼を見んとすると同一にして、そのあたわざるは必然なり。故に思想中に物心の別を生ずるも生ぜざるも、みな思想の性質作用なりと知るべし。
第四十四節 現無両象
かく論じきたれば、差別の物心は我人の知るところなるをもってこれを現象界に属し、自覚の本体は知るべからざるをもってこれを無象界に属さざるべからず。しかれども、その現象無象両界は全く相離れたるものにあらず、現象の体すなわち無象なり。しかして現無両象共にこれを一心とするもの、これ唯心論なり。
第四十五節 体象一心
前節論ずるところによるに、その意、物心二者の現象は共に無象の心体中にありて存すというにとどまる。果たしてその論のごとくなるときは、物の現象あるのみにて、物の実体なしといわざるべからず。なんとなれば、そのいわゆる現象界中の物は物の象にして物の体にあらず。そのいわゆる体は心にして物にあらざればなり。他語をもってこれをいえば、心よく物を現じて、物その体を有することあたわざるなり。しかれども論理上これを考うるに、物体なくして物象の現ずべき理なし。この関係をいかに解してしかるべきや。かく論じてその結局に達すれば、物象の外に物体を想定せざるを得ざるに至る。けだし一心界中に物心の差別あるは、思想自体の性質なりというも、未だ論理の満足を抱かしむるあたわず。一体の心界中にありて一方には物象を現じ、一方には心象を現ずるの差別あるはいかん。心と物は全くその性質を異にするに、その体ひとしくこれ心なりというはいかに。たとえ物の色、声等は感覚の上に生ずるものとするも、感覚をたたきてこれをして生ぜしむる原因は、外にありて存せざるべからず。あるいはまた、目を開きて見るものすべてこれ心より生ずとするも、一空間中に物を現ずる部分と、物を現ぜざる部分あるは、いかに解してしかるべきや。これによりてこれをみれば、物象は心界中にありて存すとするも、その本体は無象界中にありて存すといわざるべからず。これスペンサー氏の可知的界の外に不可知的界を推定し、カント氏の唯心を唱えて、なお心界の外に物の本体あるを想出するに至りしゆえんなり。その表左のごとし。
心体 心 象
物 象
物 体
その意、物体は心界の外にありて、その象を心界中に現ずるなり。しかして心体は無象にして、現象界中にあるものは心象と物象のみ。故に前表左のごとく変ぜざるべからず。
無 心体 象
現象 心象
物象 界
無 物体 象
かくのごとく論定して、始めて論理の欠点を補うことを得たり。
第四十六節 相絶両対
前節論ずるところ、これを要するに心界の外に無象の物体の存するありて、その体知るべからざれども、その現象を心界の上に投ずるをもって、その無象の体の心外に存するを想定するに至るなり。故にこれを完全の唯心論と称し難し。しかりしこうして、更に進みてこれを考うれば、その無象の物体また心界中に入るべし。今その理を知らんと欲せば、まず相対絶対の関係を論ぜざるべからず。そもそも余がさきに述ぶるところの物心二元は、互いに相対して存するをもってこれを相対といい、唯心唯物は一元のみありて、これに相対するものなきをもってこれを絶対とす。すなわち物象心象は相対にして、物体心体は絶対なり。現象界は相対にして、無象界は絶対なり。我人の知るべきものは相対にして、知るべからざるものは絶対なり。かくのごとく相対と絶対とは全く相異なりたるものなれども、その実これを一相対中に入るることを得べし。その理いかんというに、絶対はその性質相対にあらざるも、相対なくして絶対のあるべき理なきをもって、絶対は相対に相対して存し、相対は絶対に相対して存するや明らかなり。故に絶対すなわち相対なり。絶対の相対の中に存するゆえんを知るときは、不可知的の可知的界中にあり。無象界の現象界中にあるゆえん、また知るべし。その他、不可知的の可知的界中にあるの理は、両者共にわが意識の範囲中にあるを見ても、また了すべし。可知的はわれこれを可知的なりと知り、不可知的はわれこれを不可知的なりと知る。以上は二者共にわが知るところなり。しかしてわがこれを知るは、そのものわが意識界中にあるによる。故に無象の物体すなわちわが知るところの思想の界内にありというべし。
第四十七節 唯心帰結
かくのごとく物象物体共に心界中に入るときは、現象無象またみな思想の範囲内に入るべし。われこれを知るべしとなすも、知るべからずとなすも、みな思想の作用なり。これは現象界に属し、かれは無象界に属すと区別するも、また思想の作用なり。故に現象無象の両界共に思想の一界中にありて、到底その範囲の外に出づることあたわず。その表左のごとし。
心 現象界
無象界 体
これフィヒテ氏の唯心論にして、これを唯心論の極点とす。故にこれより一歩を進むれば、有心有物論に入るべし。
第九段 有心有物論
第四十八節 前論批評
唯心論は物心両象の総じて一心中にあるより起こり、現象無象両界の一心体中にあるに終わる。これ唯心論の極点にして、心理上の解釈はこの上に出づることあたわず。しかしてこれより一歩を進むれば、唯心の一僻論たるを知るに至る。今これを前に論述せるものの上に考うるに、初めに物心二元より論を起こし、つぎに唯物論に入りて無心を唱え、つぎに唯物を排して唯心論を結ぶに至る。唯物果たして僻説ならば、唯心もまた僻説といわざるをえず。二者中一説ひとり僻論にして、他説全く中正を得るの理あらんや。その他、物心の相対を論じて、また唯心論の中正をえざるゆえんを知るに足る。物は心に対して知るべく、心は物に対して知るべく、二者中一を欠くも、他を存すべからざるは理すでに明らかにして、心も物も共に相対の名なり。相対の心をもって絶対の体に名付くるは、唯心論者の誤りたるを免れず。けだし心はよく物を知り、物は心によりて知らるるをもって、一を主観と称し、一を客観と称す。しかるに心のみありて物なしというは、あたかも主のみありて客なしというがごとし。これ、もとより論理上許さざるところなり。またこれを実際に考うるに、心よく物を制し、物よく心を制す。わが物あるを知るは心にして、わが心をしてその用を呈せしむるものは物なり。心なければ物のあるべき理なく、物なければまた心のあるべき理なし。故に二者中ただ心あるのみにして物なしというの論は、一僻論たるや明らかなり。これを要するに、一方に心界あれば他方に物界なくばあるべからず。一方に心体あれば他方に物体なくばあるべからざるの理なり。
第四十九節 物心開発
しかるに、さきに物心の二象を合したるものを総称して心体と定むれども、心体は相対の名なるをもって物心両境の本体となるものは、絶対の理体に帰するより外なし。その体、心にもあらず物にもあらず。いわゆる不可思議の妙理妙体なり。この点は唯物論の結果と同一に帰するところにして、ただその異なるは、唯心の前に起こると後に起こるの差あるのみ。今その理体と物心両果の関係を示すこと上のごとし。
かくのごとく絶対と相対との両境を分かつときは、その二者の関係いかんを考えざるべからず。今、論理上その関係を推究するに、相対は結果にして絶対は原因なり。他語をもってこれをいえば、絶対の理体ありて相対の物心を開発するなり。これを物心の進化という。しかして今ここに有心有物と題したる絶対は非物非心の妙体なれども、これより生ずるところの相対の物心は、二者共にその実体を有すればなり。
第五十節 理想本体
今、重ねてこれを考うるに、相対の物心の絶対の妙体より開発するの理は、唯物唯心両論の同一に回帰したるところにして、この妙体は物とも名付くべからず、心とも名付くべからず。故にこれを称して絶対という。絶対は物心の本源なるも、その体非物また非心にして、物心の外にありて存す。故にこれを非物非心の妙体という。しかしてその体形状すべからず、また名言すべからず、ただ論理の上にてその有無を想定するのみ。故に仮にこれを名付けて理想という。理想は物界に属するにもあらず、また心界に属するにもあらず。物心二者の本源に名付けたるものなるをもって、これを思想と同一視すべからず、その体を研究するの学これを理想の学という。これに対して物界の理を研究するものこれを物理の学と名付け、心界の理を研究するものこれを心理の学と名付く。しかして物界も心界も、共に理想の体より開発したるをもって、物理心理の両学は、要するに理想の一学に帰せざるべからず。
第五十一節 理想作用
かくのごとく絶対の理体を相対の外に設けたるはシェリング氏の説にして、その体、我人のよく知るところにあらずといえども、またあえて空想より生ずるにあらず。目を開きて物界に対すれば諸象の面前に現ずるを見、目を閉じて心界を顧みれば諸想の脳裏に動くを覚う。しかしてその諸象諸想は、一として力の発顕にあらざるはなし。なんとなれば、力の存するなくして変化の生ずべき理なければなり。故に心界も力より現じ、物界も力より生ず。その力のいかんに至りては、未だたやすく知るべからずといえども、仮にこれを名付けて妙力と称す。その本体はすなわち絶対の妙理なり。かくのごとく力の発顕するもの、これ理想の作用にして、物心両界の開発するは、ただこの作用あるによる。これをもって絶対の進みて相対を開くに至るゆえんを知るべし。
もしまた、これを実際に考え実験に照すも、宇宙万物の本体なからざるべからざるゆえんを知り、その体より万物の開発するゆえんまた知るべし。今、物界の諸象を験してようやく太古にさかのぼれば、その初め万物未発のときあるを見、心界の諸象を考えてその本源に達すれば、一心の未だ万境を開顕せざるのときあるを見る。けだし物心両界に行わるるところの進化開発は、その体中に一種の原力ありて生ずるや疑いをいれず。その力の本体知るべからずといえども、これより生ずるところの進化淘汰の作用知るべきをもって、その作用を見てその体あるを推定するも、論理のもとより許すところなり。
そもそも理想の本体の進みて万象万界を開発するは、本来自体に有するところの力によるをもって、その発達あたかも有機の発育に異ならず。故に理想の自体を有機性の理体となし、万象万化の原力は本来その中にありて存すという。これ他なし、物心の未だ開けざるに当たりては、理想の外一物なきをもってその体中に力を含有するにあらざれば、万境を開顕することあたわざるによる。エヴァレット氏曰く、理想は木石のごとき死物にあらざれば、自体に具するところの力をもって発育することを得といい、また自らその形を外に現ずるは、理想自体の性質なりという。故に物心開発の原力は、理想有機体中にありて存するものと知るべし。
かくして、理想の一体より物心両界を開き、またその各界より諸象を現じ、次第に進みて万物万境を開現するに至るという。これシェリング氏の説にして、その説またシナの太極分化説に類す。繋辞伝に曰く、易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀四象を生じ、四象八卦を生ずとあり。楊氏は『太玄経』中に、玄に一道あり、一三をもって起こり、一三をもって生ずという。玄はすなわち絶対の理体なり。この理想進化論をここに有心有物論と名付けたるは、その意解しがたきに似たれども、これ前論の唯物唯心に区別したるに過ぎず。唯物論は物ありて心なしといい、唯心論は心ありて物なしというも、この論にきたりて物も心も共にありと立つるをもって、これを有心有物論と称す。しかして二者の本源にさかのぼれば、ただ一体の理想あるのみ。その理想と物心との関係を説くに至りては、有心有物論未だ明らかならざるところあり。この欠点を補うもの、すなわち物心同体論なり。故に有心有物論をもって物心同体論の初級とするなり。
第十段 物心同体論第一 理想論
第五十二節 端 緒
物心同体論はすなわち物心二元の同体不離を証するの論にして、他語をもってこれをいえば、絶対と相対との不離を示すものなり。絶対相対の別は前段においてすでに知るべしといえども、そのいかに相関するやに至りては未だ明らかならざるをもって、ここに物心同体論の起こるに至るなり。しかれども絶対相対の別を知らざれば、またその関係を示すことあたわざるをもって、有心有物論はこの論の初級なること疑いをいれず。ただここに要するところは、前論の欠点を挙げ、これをして完全ならしむるにあるのみ。今そのいわゆる欠点とは、相対の範囲の外に絶対の体を設くるにあり。他語をもってこれをいえば、物心の界外に理想界を立つるにあり。この二者かくのごとく懸隔するにおいて、相対の地にありて絶対の存するゆえんを知るべからず。もしあるいは、絶対の体果たして相対の外にあるときは、我人これを知るべき理なし。いやしくもこれを知れば、その体相対の中にありて存せざるべからず。これを要するに、絶対の体を物心の外に立つるは論理上許さざるところなり。
第五十三節 体象同体
かつそれ相対は絶対に相対し、絶対は相対に相対するをもって、絶対すなわち相対なり。また知るべからざるものを知るべからずと知るときは、不可知的すなわち可知的なることは、さきに第四十六節においてすでに論明せるところなり。これをもって理想の本境は、物心界外にあるべからざるゆえんを知るべし。また心体あるを知るは心象あるにより、物体あるを知るは物象あるにより、理想の本体あるを知るは物心の外象あるによるは、理すでに明らかにして、体に属して象あり、象に属して体あり、象を離れて体あらざるゆえん、また瞭然たり。故に理想は決して物心を離れて存せざるなり。これを要するに、絶対と相対との二元、不可知と可知の二元、体と象の二元は、すべて同体不離の関係を有するものと知るべし。
今、更に絶対論の起源について考うるに、絶対の存するゆえんは、物心両界に現ずるところの万象万化を見て推知すべし。もし我人、万象万化を見ざれば、理想の体を知るべき理なし。故に絶対は相対より生ずというも不可なることなし。しかしてまた、相対なければ絶対なきをもって、相対すなわち絶対なりと決するも当然の理なり。もしそれ、これに反して理想の体は物心の外にありとするときは、我人その体を知るべき理なきのみならず、その体より物心を開発したるゆえん、また解し難し。故に理想の本体と物心の現象とは、二元同体の関係を有するものと知るべし。
以上の道理に考うるに、理想の本体は物心の外に存すべき理なきをもって、これを物心の中に存すといわざるべからず。しかるときは、理想は相対中の一部分に属すべきか、果たして物心の一部分に属すと定むるときは、その体より物心の開発するゆえん解し難し。もしあるいは相対と絶対と二者全く同一なりとなすときは、二者の性質の異なるゆえん、また解すべからず。いかにこの点を弁明してしかるべきやというに、これヘーゲル氏および仏教中天台家の説によらざるべからず。今その説によるに、相対と絶対との間に範囲の大小を分かたず、同大不二と立つるなり。すなわち相対も絶対もその体同一にして、心も物も、象も体も、みな一境中にありて存するをいう。しかして物心体象の別あるは、無差別中に差別を現ずるによる。なお一体の物に表裏の差別あるがごとし。これをここに物心同体論と称す。物心同体とは、ただに物と心との二元同体なるのみならず、体と象との二元同体なるをいう。
第五十四節 物心同体
すでに体と象との同体なるゆえんを知れば、これより物と心との同体なるゆえんを論ぜざるべからず。今これを論ずるに当たり、まず現体と識想との関係を知るを要す。今、心はよく識覚し、物は常に現存す。その現存するものすべてこれを現体と名付け、識覚するものすべてこれを識想と名付く。この二者の相異なるは、物心の相異なるを見て知るべし。しかれども一歩進みてこれを考うれば、二者同一点に回帰すべし。なんとなれば、現存せざるものを識覚することなく、識覚せざるものの現存することなければなり。もしまたこれを実際に考うるに、我人の未だ知らざるものの現存することあるは、現体の範囲識想より大なるに似たれども、現体果たして識想の範囲に入らざるときは、我人その範囲の大なることを知るべき理なし。また我人の現存せざるものを想することあるは、識想の範囲現体より大なるに似たれども、現存せざるものの現存すというはすなわち現体なり。故に現体も識想もその範囲同一なりと知るべし。かくしてこの二者の同一に帰するに至れば、これを理想の体とす。故に理想の体はすなわち識想にして、あわせて現体なり。これをもって心体と物体と同一なるゆえんを知るべし。
第五十五節 理想物心同体
つぎに理想と物心の同体なるゆえんを考うるに、さきに重ねて述ぶるところによりて、絶対と相対の同一なるゆえんすでに明らかなり。絶対すなわち相対なるときは、二者同一にして唯一相対あるのみ。しかれども相対のみありてこれに相対する他のものなきときは、その体すなわち絶対なり。故に絶対は相対となり、相対は絶対となることを得、これをもって相対絶対の同一体にして相離れざるゆえんを知るべし。またこれを差別無差別について考うるに、無差別は差別と差別あるをもってその体すなわち差別なり。無差別果たして差別なるときは、二者共に差別にして、その間差別あることなし。故に無差別は差別となり、差別は無差別となりて、二者また同体不離なり。この理によりて、理想の物心とその体を同じうするゆえんを知るべし。
第五十六節 理想事物同体
すでに理想と物心の同一なるゆえんを知るときは、物心各体と理想の関係を知ることはなはだ容易なり。理想は一体にして物心は二元なり。二元相依りてその体をなすときは、物はその一半にして、心は他の一半ならざるべからざるの理なりといえども、二者おのおのその一半を占領して、また他の一半を含有するなり。他語をもってこれをいえば、心も理想の全体なり、物も理想の全体なり。その理いかんというに、二者もし果たして同体を有することなくば、一を去るも他の滅すべき理なし。しかるに理想界においては、心なければ物またなく、物なければ心またなく、現体を離れて識想なく、識想を離れて現体なく、現象滅すれば本体また滅し、物心滅すれば理想また滅するをもって、二元その体同一にして物心おのおの理想の全体なりと論決せざるを得ず。しかるに物も理想とその体を同じうし、心も理想とその体を同じうするときは、物心の差別あるべき理なきに似たれども、物心もとよりその差別なきにあらず。物は物にして心にあらず、心は心にして物にあらず、物心は物心にして理想にあらず、物心理想みなおのおのその差別を有するなり。しかれども前説に論ずるがごとく、差別と無差別と同一体なるをもって差別にして無差別となり、無差別にして差別となることを得、故に物心おのおの理想の一半を示して同時に理想の全体を含むものなりと知るべし。これを例うるに、一体の理想に物心の差別あるは、一枚の紙に表裏の差別あるがごとし。表面よりこれを見れば物の全体すなわち理想にして、裏面よりこれを見れば心の全体すなわち理想なり。表を離れて裏なく、裏を離れて表なきをもって物心おのおの同体なり。表裏を離れて全体なく、全体を離れて表裏なきをもって理想の体すなわち物心なり。しかして表は裏と異なり、裏は表と異なるをもって物心また差別あり。表は一面を示し、裏また他の一面を示すをもって、物心おのおの理想の一半を表示するなり。これをもって、物心二者と理想の関係および物と心の各体の関係を知るに足る。
つぎに一事一物と理想全体の関係を論ずるに、物心二者おのおの理想と同一なるゆえんすでに証明せるをもって、この二者の関係を知る、また容易なり。今、物界中についてその理を考うるに、金木、土石、禽獣、草木、万種の物質相集まりて物界の全体を組成するも、その数一定の限りありて、一物を滅するも全界を組成するあたわず。例えば一、二の小数相集まりて百の全数を組成するがごとし。百中一数を減ずるもその全数を見るあたわず。これ他なし、一事一物おのおの全界に関係を有するによる。故に全界の有無は、これを組成せる一事一物の有無の上に属するなり。他語をもってこれをいえば、物界全体の存するは一事一物の存するによる。これによりてこれを推すに、一事一物すなわち物界の全体なることを知るべし。かつまたこれを物質不滅の理法に考うるも、勢力保存の理法に証するも、一事一物みな他物と連接して同一体の関係を有し、一を減ずれば全組織ことごとく破滅すべき理あるを見る。これをもって、全界の存するは一物の存するによるゆえんまた知るべし。東洋学者もこの理を論じて、釈迦は事々物々みな真如なることを説き、関尹子は一事一物みな天にあらざるはなしといい、『太極図説』には合してこれをいえば万物の統体一太極なり、分かちてこれをいえば一物おのおの一太極を具するなりとあり。これを要するに、一物の体すなわち物界の全体にして、物界の全体すなわち理想の全体なるをもって、一事一物として理想の全体を含有せざるものなきなり。物界すでにしかれば、心界またしかるべきゆえんは別に証するを要せず。かくのごとく、一物一心ことごとく理想の全体と同一なるときは、いかにその差別を立つべきやというに、その理、前説に挙ぐるところを見て知るべし。すなわち一物一心は理想の全体にして、同時に理想の一部分なり。一部分にして全体、全体にして一部分なるは二元同体の原理にして、例えば我人の眼は宇宙の一部分にして、またよく宇宙の全象をその中にいるるがごとし。一物一心は理想の一部分なれども、またよく理想の全体をその中に含有すべし。故にヘーゲル氏は一即総、総即一といい、仏者は須弥芥子を納め芥子須弥を納むという。この理によりて、始めて我人の力より理想の本体を知るの理を解すべし。我人は物心界中の一部分なり。部分もし果たして全体を表示することあたわざるときは、我人の心中に理想の有無を知るべき理なし。これを知るは、わが心すなわち理想の全体と同一の関係を有すればなり。しかしてわが心にては理想の存せざるを得ざるゆえんを知るのみにて、そのいかなる性質を有するかをつまびらかにするあたわざるは、我人は理想の一部分なるによる。一部分にして全体、全体にして一部分の関係を有するをもって、わが心にて知るべきものあり、知るべからざるものあり、わが力にてなし得べきものあり、なしあたわざるものあり。これを要するに、無象はわが意識の外にありとするは、物心差別の部分の上にていうなり。現無両象共に意識の中にありとするは、理想物心同体の無差別の上にていうなり。しかして部分も全体も、差別も無差別も同一の関係を有するをもって、意識外にありとするも意識内にありとするも、みな同一に帰すべし。
またつぎに、理想部分中にありて一物一心と他物他心との関係を論ずるに、一者の体はすなわち他者の体と同一なりということを得べし。なんとなれば、二者共に理想とその体を同じうすればなり。これを例うるに、甲は乙に同じく、丙また乙に同じきときは、甲丙同一なるがごとし。しかして事々物々またおのおの差別あり。この差別無差別の関係を明らかにせんと欲せば、外延内包の字を用いるをよしとす。差別は外にわたるをもってこれを外延上といい、無差別は内に含むをもってこれを内包上という。すなわち事々物々は外延上互いに相異なりて、内包上同一なりと知るべし。
第十一段 物心同体論第二 循化論
第五十七節 物心作用
余、前段において絶対相対、現象無象、可知的不可知的、差別無差別の同体不離にして、理想と物心と、部分と全体と、事物と事物との同別一体なるゆえんを証ぜしをもって、ここに理想の作用を論ぜざるべからず。理想の作用は進化溶化の二種にして余がいわゆる循化なり。その循化の起こる原因は、理想自体に有するところの力に帰するより外なし。今、理想は物心両界とその体を同じうするをもって、物心界の有するところの作用はすなわち理想の作用ならざるべからず。物心界中に現ずるところの規則は、すなわち理想の規則ならざるべからず。故に理想の性質作用を知らんと欲せば、よろしく物心両象の性質作用を験すべし。物心の性質作用を験するに、事々物々あるいは進化し、あるいは溶化し、互いに相循化してやむことなきを知る。これすなわち理想の規則なり。故に理想の性質たる自体に有するところの力をもって、物心界上に循化を営むものと知るべし。
第五十八節 理想規則
事物の変化は理想界内において起滅して、到底その範囲の外に出づるあたわざるをもって、漸々進みてその極点に達すれば、またその起源に帰するより外なし。他語をもってこれをいえば、事物の進化するも溶化するも一理想の範囲内にあるをもって、数回循環の極その原点に復するより外なし。これを一圏に例う。その内の一点より起こるものあらんに、次第に進化してその極に達すれば、必ず前点に合同するときなからざるべからず。これ圏の性質おのずからしかるなり。理想もまた一圏なり。その内に発現するところの物心の変化はその外に出づることあたわざるをもって、数回循環の末その原点に復帰するより外なし。これを循化の理法とす。すなわち理想の規則なり。
第五十九節 循化原理
かつそれ進化と溶化とは相対にして、一を欠いて他のあるべき理なし。たとえまた進化作用ひとり存するも、その変化理想の範囲の外を出づることあたわざるをもって、進化の極必ずその始めに帰せざるべからず。故に進化もその極点に達すればまた溶化し、溶化もその極点に達すればまた進化し、互いに相循化してやまざるなり。これによりてこれをみれば、循化の規則は理想の性質もとよりしかるところにして、二元一体の原理より派生する理法なり。故に二元一体なれば循化作用なからざるべからず。循化作用あれば二元一体ならざるべからず。これ余が循化作用をもって二元一体の規則とし、二元一体をもって循化作用の原因とするゆえんなり。
第六十節 理想循化
物心同体論は二元論と一元論とを統合したる論にして、唯物論も、唯心論も、非物非心論も、無物無心論も、心界の識想も、物界の現体もみなここに至りて合体して、これより一歩も論理を進むることあたわず。強いて一歩を進むればまた原点に帰するより外なし。すなわち一体論たちまち変じて二元論とならざるべからず。けだしこの一元二元両論は最も相似たるところありて、その実理想の上に二元を立つると立てざるとの別あれども、物心の両ながら存するを説き、物心を離れて別に他体の存するを説かざるに至りては二者同一なり。故に自然の勢い一体論変じて二元論とならんとするの傾向あり。これを論理の循化という。けだし循化作用はただに理想の規則なるのみならず論理の規則なり、ただに論理の規則なるのみならずまた事物の規則なり。これ他なし、物心両界は理想とその体を同じうすればなり。
第六十一節 帰 結
以上の論これを帰結して物心同体論の長ずるところを述ぶるに、唯物論も、唯心論も、無物無心論も、有心有物論もみなおのおの一方に偏するをもって僻説たるを免れずといえども、物心同体論はその諸論の合して同一に帰したるものなるをもって、ひとり論理の中正を得たりと称すべし。かつ唯物または唯心の一方の実験より得たる規則は、物心二者の通則と定むることあたわざれども、物心二元より得たる規則は、物心二者より得るところの結果なるをもって、直ちにこれをその規則と定むることを得べし。これまた二元一体、循化作用の理法は物心全体の規則なることを証ずるに足る。かつそれ物心同体論は三断論法より得たるところの結果にして、その順序、第一に二元論と一元論との反対を接合し、第二に唯物と唯心との僻説を調解してその中をとるものなり。故にその論、論理の規則に合せざるべからず。けだし哲学上の諸論は大抵、前案に掲ぐるところのものと、断案に定むるところのものと一致せざるの弊あり。唯心論、唯物論みなしかり。すなわち前案に二元を定めて断案に一元を立つるものあり。前案に一元を許して断案にこれを排するものあり。しかるに今、物心同体論に至りては断案に得るところのもの、前案に定むるところのものと合体して、その間一点の間をいれざるなり。すなわち前案に物心二元を許して論を起こし、断案にまたその二元を立つるに至る。もしこれより一歩を進むるは、また最初の二元に帰するより外なし。故に物心同体論は論理の完全を得たるものと断言して可なり。
第十二段 結 論
第六十二節 全論総括
以上段を重ねて論ずるところ、これを総括するに、初めに物心二元の存するゆえんを論じ、つぎにこれを駁して唯物一元の信ずべきゆえんを述べ、つぎに非物非心を論じて唯物論の物自体のなんたるを知るべき力なきゆえんを証し、つぎに心理上物理を究めんと欲して無物無心の感覚の外、真に存すべきものなきゆえんを論じ、つぎにその感覚は思想の中にあるゆえんを究めて唯心一元の理を開き、つぎに唯心の唯物とひとしく一僻論に過ぎざるゆえんを論じて、物心二元の相対は非物非心の絶対より開発するゆえんを説き、終わりに物心同体論に入りて絶対相対、同体不離なるゆえんを論じて同体循化の理を証す。これを要するに、その論理発達の順序二元に始まりて二元に終わるをもって、理想循化の理を証示したるものなり。
第六十三節 同体論考証
同体循化論は哲学中の極理にして、いかなる論もその理の範囲外に出づるあたわず。またいかなる説もこれを推究して、その極点に達すれば二元同体の理に帰するより外なし。けだし心ありて物なしというも、物ありて心なしというも、物も心も共になしというも、物も心も共にありというも、物心の外に非物非心の体ありというも、体なしというも、みな二元同体論の一部分に過ぎず。故にこれを合すれば同体論となる。かつこの理は諸説諸論の中庸のとりてこれを結合したるものなり。唯物と唯心はおのおのその一方に僻するも、この同体論は物心二元ありと立つるをもって、あえて一方に僻するにあらず。非物非心と無物無心はまたおのおのその一端に偏するも、この同体論は理想と物心との二元ありと唱うるをもって、またあえて一端に偏するにあらず。心を離れて物なく物を離れて心なきゆえんを論じて物心その体一なりといい、理想を離れて物心なく物心を離れて理想なきをもって体象同体なりという。その他二元同体の理は、古今の異説、東西の諸論を調和統合することを得るなり。例えば古代の哲学は形而上に僻し、近世の哲学は形而下に僻するの傾向あり。東洋は溶化を主義とし、西洋は進化を主義とするの異同あり。インドは虚想に流れ、シナは実際に傾くの風あり。ドイツは演繹を本とし、イギリスは帰納を本とするの勢いあり。孔孟は人道、老荘は天理、イオニア学派は物理、イタリア学派は純理、経練学家は感覚、論理学家は思想をとりて、互いに他を排する等みなおのおのその一僻あり。これらの僻見を除きて中正を得たるもの、ひとり二元同体論あるのみ。故に二元同体論は、哲学諸論中ひとり完全を得たるものというもあえて過言にあらざるなり。