3. 大乗哲学

P283

  大乗哲学 

 

 

1. 冊数

   1冊

2. サイズ(タテ×ヨコ)

   221×147mm

3. ページ

   総数:210

   本文:188

   付講: 22

(巻頭)

4. 刊行年月日

   底本:初版 明治38年12月15日

5. 句読点

   あり

6. その他

  (1) 原本では目次と本文とで見出しが相違していたが,原則として目次に従った。

 

     緒  論

 それ仏教の法門は八万四千の多岐に分かるるも、その大綱は大乗、小乗の二大門に外ならず。しかして仏教の玄旨妙致はひとり大乗中にありて存す。もしこれをたとうれば小乗は小丘のごとく大乗は高山のごとし、小乗は細流のごとく大乗は大河のごとし、小乗は雑草のごとく大乗は喬木のごとし、小乗は幼児のごとく大乗は大人のごとし、小乗は人力のごとく大乗は汽車のごとし、小乗は提灯のごとく大乗は釣鐘のごとし。その差ほとんど月鼈もただならざるほどなるも、ひとしくこれ仏教なれば、その両者の間に必ず一大神髄の貫通せるところなかるべからず。これを一木にたとうれば、枝葉と花実とはその根幹を同じうするのみならず、組織の気脈の相通ずることあるがごとし。しかりしこうしてこの一貫の理脈を探究し、その系統その発達を論明するは、実に仏教哲学の問題なり。今余はここに題して『大乗哲学』と称するは、もっぱら大乗の理脈系統発達を究明するにあれども、その緒論として大乗と小乗との関係異同を論述せんと欲す。

 わが日本は古来大乗有縁の地と称して、仏門教林の光景は小乗の草枯れて満目ただ大乗の花を見るのみ。叡山の天台における、野山の真言における、南都の華厳、法相における、いずれもみな大乗の美観を呈し、禅、浄土、真宗、日蓮宗のごとき、またみな大乗の春色を浮かべ、百花爛漫、艶陽駘蕩の状あり。もしその源流を尋ぬるに、今を去ること三千年の上古にありて雪山の外、恒河の南に当たり、釈迦牟尼仏と名付くる一大偉人、いな無二の覚者降誕し、天上天下唯我独尊の才をもって、天上天下唯我独尊の法を説かれたるに起因せり。しかるにその本国たるインドには大乗甚深の妙法は、早くすでに跡を隠し地を払うに至りたるは、もとより時運のしからしむるところなるも、我人あに遺憾なきを得んや。現今わずかにその余流をシナにとどむるも、これ大乗の名ありて実なく、宗ありて学なき有様なれば、あたかも蝉のぬけがらのごとく、大乗のぬけがらに外ならず。しかしてひとり大乗の本色真相を存するは、わが大日本帝国にあるのみ。在昔竜樹大士の世に出でられしときにあたり、大乗の諸経は隠れて竜宮にありしという。今や大乗の教義は集まりて日本にあり。実に日本は今日の竜宮というべし。この竜宮より大乗の教義を取り出して、これを世界に宣揚すべき今日の竜樹は果たしていずれにあるや。昔日の竜樹はすでに去りて追うべからざれば、我人はただ今日の竜樹の早くきたらんことを祈るのみ。決してこれをインドの地に望むにあらず、ただわが日本に出でんことを願うのみ。昔日の竜樹はひとたび隠没せる大乗を再興したるをもって、その功偉なりと称すべきも、インド一国内のことのみ。今日の竜樹は一国や二国の沙汰にあらず、広く世界に向かって再興するものなれば、その任一層重く、その功一層大なるべき道理なり。その人すでに生まれたりや、なおいまだ生まれざるや。すでに生まれたればなんぞ早く立ちて大乗再興の声を挙げざるや。もしいまだ生まれざれば我人はその早く世に出でんことを祈らざるべからず。余あえて今日の馬鳴をもって自ら任ずるものにあらざるも、今日の竜樹のいまだ興らざるに当たりて、日本は唯一大乗の地たることを世界に紹介せんと欲す。これここに大乗哲学を講ずるゆえんなり。

 わが国の僧侶は世間より往々堕落坊主の評を招くも、決してシナや朝鮮の僧侶のごとく堕落し去りたるにあらず、今日なおいくたの護法心を有し、永く仏日の余光をして一天四海に顕揚せしめんとする精神を有するは疑いなしといえども、宇内の大勢に暗く、学界の事情に通せざるために、むだ骨折り損をなすのみならず、折角の護法的運動が不護法的運動となることあり。要するに今日の僧侶の多数は精神ありて智力足らずといわざるべからず。今や世界の大勢は人文と共に駸々として進み、実験いよいよ明らかに、学理いよいよ高く、ややもすれば仏教の小乗を蔑視するのみならず、大乗を打破し去らんとする勢いなり。しかるに仏教家は西洋外来の学問に対して自家を防禦する策は、須弥説の弁護くらいをもって足れりとし、ただこの一事に全力を注ぐものあるがごとし。これ一杯の水をもって大火を防がんとするの類いにして、識者の大いに笑うところなり。たとえ須弥説は仏説なるに相違なしとするも、仏教中小乗の一端に過ぎず。もし大乗の唯心的見解によらば、須弥の有無すこしも仏教の生命に関するにあらざるは明らかなり。これを一身にたとうれば毛端爪頭のごとく、その切断すこしも痛を感ぜざるに同じ、いわんや今日いまだ須弥説は果たして仏説なるの確証あらざるをや。畢竟かくのごとき瑣事に空しく心を労するは、実にむだ骨折りというより外なし。もし須弥説の小塁を守りつつある間に、大乗の本城すでに敵兵の奪うところとなるに至らば、なんの面目ありて仏祖に対せん、あに万代の恥辱にあらずや。けだし大乗の安危を顧みずして、ひとり須弥説の成敗を思うは将棋の勝敗相争うに当たり、王より歩を愛すると同様なり。王より飛車を貴しとする者あるも、世間なおこれを呼びて下手の極となす、いわんや王より歩を愛する者においてをや。世間これをなんとかいわん。余つねに仏者中にかくのごときの徒すくなからざるをみるは、実に慨嘆の至りなり。すでに今日にありては世間の学者中、また一人の仏教の須弥説を難ずるものなし。その代わりに地獄極楽説を排し、六道輪廻説を斥し、三世因果説を駁し、大乗の唯心論、実相論までを破らんとする勢いにて、一大仏教ことごとく妄誕不経の言と断定し去らんと欲す。これあに一須弥説を憂うるのときならんや。しかるに仏者は依然として姑息の策を講じ、平壌城の陥落もこれを知らず、花園口の上陸もこれを知らざるに至りては世間より仏者とチャンチャンとを同一視せらるるも、なにをもってこれに答えんや。頑眠かれがごとく、迷夢かくのごとき徒においては、いずくんぞよく唯我独尊の大法を今日に維持するを得んや。果たしてしからば大乗甚深の妙理を世界に宣揚するがごときは、決して望むべきことにあらざるなり。ああ、また遺憾ならずや。余かつてこれを聞けり。ある家に番人ありて夜中その家を守るに、ひとたび眠りに就くや、終宵前後を覚えず、深更窃盗の忍び入りて器具什物を奪い去るも更にこれを知らず。翌朝夢醒めて大いに驚くもいかんともするあたわず。よって翌夜は自ら警戒して守りを怠らざらんとするも、知らず識らずの間に熟睡に就き、前夕と同じく盗難にかかるを覚えず。かくのごときこと再三に及び、一家中大釜を除く外ことごとく奪い去られ、自ら残念に耐えず。せめてこの釜だけは失うべからずとて当夜は身をその釜の中に潜めふたをおおいて内に臥し、もし盗きたりてその釜を取り去らんとするあらば、にわかに飛び出でてこれを捕うべしと心得、盗のきたるを待つ間にまたまた熟眠を催し盗の釜を負うて戸外に出づるもなお覚えず。去りて村外に出でんとするとき、火番の柝を撃ちてきたるに会し、盗大いに驚き釜を捨ててはしる。釜中の番人もまた驚き醒め始めて今きたれるを知り、にわかに躍り上がりてこれを見れば、盗と家と共にあらずしてただ釜あるのみ。よって自ら判断しておもえらく、今夜は盗あらかじめ余の釜中に潜みおるを知り、釜を奪い去らずして家を奪い去れりと。この一話はもとより落語の一種に過ぎずといえども、今日数万の僧侶中には頑眠迷夢の間に、己の教法の用具を敵に奪い去らるるも更にこれを覚えず、にわかに驚き醒めれば釜と家とを誤り認めて愕然たるがごとき徒なしというべからず。かの須弥説を頑守する輩のごときは必ずその説の仏教中にあるは一家中の大釜のごとくに考え、他の諸説はいかに敵に奪い去らるるも、この説だけは失うべからずと心得、これを固守する間に、他日その説までもすでに敵に奪い去られたるも自らこれを知らずして、誤りて須弥説ひとり存して、仏教の一大家たる大乗かえって敵の奪うところとなれりと認め、大いに驚くに至るの類いあらんことを恐る。けだし余が大乗哲学を講ずる精神は、かかる頑迷の徒に転倒の妄見を起こさざらしめんと欲するにあり。

 以上講義の端緒を開陳しおわりたればこれより本論に入り、最初に左の二題につきて弁明せんとす。

  第一段 大乗名義考(大乗はなにを義とするかを述べ、あわせて小乗と大乗との別を明かす。)

  第二段 大乗仏説論(大乗は仏論なるか非仏論なるかを論じ、あわせて余が大乗非仏説論に対する意見を示す。)

 これ本論最初の講題なり。

 

     第一講 大乗名義考

 古来大小両乗の別を示すに、諸説大抵みな一轍に出で、彼此ただ先輩の見解を反覆せるに過きず。故に余いまだ大乗の義解のよくその意を尽くしたるものあるをみず。けだし仏書中にも大乗の義は無量にして言い尽くすべからずとなす。すなわち『十二門論』(二紙)「摩訶衍は無量無辺にして称数するべからず、ただちにこれ仏語、なお尽くすべからず。いわんやまたその義を解釈し、演散するをや。」                                とあり、同疏(巻上三)に「摩訶衍に無量の義ありて、いまだまさしくなんの義を釈するかを知らず。」                とあり、摩訶衍あるいは摩訶衍那(Mahayana)は大乗の梵語にして、希那衍あるいは希那衍那(Hinayana)は小乗の梵語なり。乗とは通常運載を義とすと解して、乗物の義なり。故に英訳には乗物(Vehicle)という。すなわち小乗は小なる乗物、大乗は大なる乗物なり。しかしてその乗物は駕篭にもあらず、人力にもあらず、大八にもあらず、汽車汽船にもあらず、仏法なり、仏法の乗物なり。これを仏乗という。その乗物はいずれよりいずれに運載するを目的となすか。東京より横浜に至るを目的とするか、横浜よりサンフランシスコに至るを目的とするか。曰く、生死の苦界より涅槃の楽岸に至るを目的とするは言を待たず。今更に二、三の書によりてその解を示すに、『雑集論述記』(巻一の一六)には、大乗に教、理、行、果の四種を分ちて、教大乗とは大乗を詮する三蔵教等は文義広ければ大と名付く、津運することあれは乗という、理大乗とは真如の理は衆徳の所依にしてよく諸法を持す、勝遍を大と称す、六度等の行はこの真理に乗じてよく所往あり、故に大乗と名付く、行大乗とは六度等の運載を行と名付け、体用の弘広を目して大と名付く、果大乗とは仏所有の菩提涅槃体業の勝遍を名付けて大となす、自他兼運するを目して乗となすという。故に乗を解して「乗とはいわく、運載なり、教理行果を津に運ぶの義なり。」             とあり、また大を解して「大はいわく、弘広の七義」       とありて、七義とは境大、行大、智大、精進大、善巧大、証得大、業大をいう。その解は本書に譲りてこれを略す。これ『雑集論』(巻一一)の「七大の性、相応するをこれ大乗と名づく」           といえるを釈するなり。また七大性のことは『顕揚論』(巻八の一五)に出づ。すなわち曰く、「菩薩乗は七大の性と相応するが故に、説きて大乗と名づく。」                 とあり。その他『瑜伽論』(巻四六の一七)および『瑜伽論記』(巻一一の一三)をみるべし。また『弁中辺論』(巻下の二)に、この大乗中すべて三種無上の義によるが故に無上乗と名付くとありて、その三種とは正行無上、所縁無上、修証無上をいう。故に『二十唯識述記』(巻上の六)に、「大乗というは、『弁中辺論』の無上乗品に、三義によりて無上乗と名づくと説く。」                        とあり。もし『虚空蔵経』によらば左のごとく解せり。

大乗は無量無辺無崖の故にあまねく一切に遍じ、たとえば虚空のごとく、広大にして一切の衆生を容受するが故に、声聞、辟支仏と共ならず。故に名づけて大乗となす。

 

 また『大集経』(巻六の一一)には、

この乗、広大なるが故に大乗と名づけ、もろもろの衆生において罣礙なきが故に大乗という。

 

 また『十二門論』(三紙)には左のごとく解せり。

摩訶衍(大乗)とは、二乗よりも上となるが故に大乗と名づく。諸仏は最大にして、この乗によく至るが故に名づけて大となす。諸仏大人この乗に乗ずるが故に名づけて大となす。またよく衆生の大苦を滅除し、大利事を与うるが故に名づけて大となす。乃至〔中略〕、摩訶衍の義はこの因縁をもっての故に名づけて大となす。

 

 

 

 また『起信論浄影疏』(巻上の二)には、

言うところの大とは、物にしてよく過ぎることなく、これを目して大となす。すでに至極といわば、いずくんぞ己に勝ること有らん。故に言いて大と名づく。言うところの乗とは、運載を義となす。乗に二種あり。一は法、二は行なり。法乗というは、よく他を運ぶの用にして、自運の義なし。すなわちこれ理法なり。行乗というは、自らを運び他を運ぶが故に名づけて乗となす。

 

 

 また『起信論纂註』(巻上の一)には、

大乗というは、大は所乗の法をいい、乗は能乗の人をいう。乃至〔中略〕、始めはすなわちこの大法を信解する。しこうして自心に乗じて大行を修し、終わりはすなわちこの大法に乗って涅槃の岸に登り、菩提の郷に至る。故に知る、所乗すなわちこれ能運、能乗すなわちこれ所運と。かくのごときはすなわち、大はよく一切を運載し、究竟に至る。余乗はあることなし。ただ一仏乗なるが故に大乗というなり。

 

 

 更に『起信論海東疏』(巻上の二)に解するところによれば、大乗と言うは大はこれ法に当たるの名、広苞を義となす、乗はこれ喩に寄するの称、運載を功となすとあり。更にまた『起信論助寥抄』(巻三の一)によるに、大乗を解するに三乗、五乗等の異あり、まず人天乗とは三帰、五戒、十善等の法行をもって乗輿となして三途の悪趣を越えて人天の善果に至るなり、これすなわち小船に乗して渓澗小河を渡るがごとし、小乗とは四諦十二因縁の法を乗り物となして三界の旅路を出離し、有余無余の二涅槃に至り、阿羅漢および辟支仏の果を成ずるなり、これまさに大船に乗じて大江河を渡るがごとし、菩薩乗とは悲智六度等を乗輿船筏として、分段、変易の二種生死の此岸を越えて、無上菩提の涅槃の彼岸に至るなり、これすなわち大船に乗じて大海を渡るがごとしとあり。その他、大乗の解々の諸書中に出づるものいくたあるを知らずといえども、その相違はただ文字語句の上にあるのみにて、その意味は大抵同じきことを操り返せるに過ぎず。もしその大を釈して数義ありとし、乗を解して数義ありとするがごときは、儒者が論語の二字に幾義ありといいていちいち並べ立て、僅々二文字の講釈に半日も一日も費やせると同一にして、太平学者の道楽に近きものなり。これ倶舎三年唯識八年流の学者の所談なれば、あたかも平田翁のいわゆる「魯の国の詮議する間に腰かがみ」との批評に価するのみ。故に今日の活学をなすには山鳥の尾のしだり尾のごとく長々しくかくのごとき異義を陳列する必要なきも、余は従来の解釈の一斑を示さんと欲して、ここに大乗義解の展覧会のごときものを開きしまでなり。

 これを要するに大乗の解釈は大なる乗物の義にして、これを大と名付くるは小乗に対するによる。すなわち小乗はその修行の因も、その得るところの果も、大乗に比すれば共に劣れるをもって、小さき乗り物にたとえ、大乗はその修行その得果、共に小乗より優れるをもって、大なる乗り物にたとうるなり。けだし小乗は四諦十二因縁と名付くる諸法を観じて、羅漢および辟支仏の果を得、大乗は六度の行を修めて、正しく究竟の涅槃を証得するという。小乗、大乗共に涅槃に入るを目的とするも、その涅槃の状態は大いに異なりて、小乗の涅槃は虚無的、大乗の涅槃は霊活的なるなどの論はここに掲げず。また小乗の修行は自利的修行にして、大乗は自利利他兼行的なれば、この二点をもって大小二乗の別となすも可なり。しかれども余は左のごとく理論、実際の両面より定義を与うることとなす。

  理論上にありては小乗は我空を説きて法空を説かず、大乗は我法二空を説くの異同あり。

  実際上にありては小乗は自利のみにして利他を欠き、大乗は自利利他兼行の別あり。

 これ仏教上、古来唱うるところにつきて二者の異同を表示せるのみ。もし哲学上これを較すれば、小乗は仏教中の客観論、多元論、相対論、分析論、現象論にして、大乗は主観論、一元論、唯心論、絶対論、本体論なるの別あり。その他、修行の階級、得果の状態等を較するときは、両者の間に大いに径底あるをみる。故に古来、大乗は小乗をもって仏教内の外道となし、小乗は大乗を目して非仏説となせり。かくのごとく大乗と小乗とは月のすっぽんにおけるがごとく、耳かきのしゃくしにおけるがごとき異同あるも、同じくこれ仏教なり。同一仏教中に氷炭相いれざる説をみるは、はなはだ怪しむべきに似たるも、同一父母の子供にして、甚六もあり、わんぱくもあり、利巧もあり、ばかもあるに比すれば、あえていぶかるに足らず。ことに小乗と大乗との別はただ表面に存するのみにして、裏面には一味平等、同体不二の理を含む。これをたとうるに一帯の江流を、信州にありては千曲川と呼び、越後に入れば信濃川と呼ぶがごとく、同一源より発する仏教の初代に行われしものを小乗と呼び、後代に盛んなりしものを大乗と呼ぶに過ぎず。しかして小乗はインドの南部に伝われるをもってこれを南部派といい、大乗は北部に弘まりたるをもって北部派という。現今インド地方はすべて南部派にして、シナおよび日本は北部派に属す。これをもってインド人は日本の仏教をもって釈迦の正伝にあらずといいてこれを排斥す。西洋人も異口同音に仏教を呼びて非仏説となす。けだし大乗非仏説論は古来の大難問にして今日に至るもその争論いまだ滅する期あらず。しかしてこれを仏説とするも空想、非仏説とするも空想にして、到底事実を挙げて証明することあたわず、畢竟するにその争論たるや、恐らくは水掛論とならん。しからずんば、喧嘩両成敗となりて引き分くるより外なし。そもそも大乗は小乗を貶し、小乗は大乗を排するは、おのおの己の立脚地をもって観測を下すによる。大乗必ずしも小乗に勝るにあらず、小乗必ずしも大乗に劣るにあらず。もし哲学上の理論をもってこれをみれば、大乗の深遠幽妙なること雪山の高きがごとく、恒河〔ガンジス川〕の長きがごとく、小乗の遠く及ぶところにあらずといえども、宗教上の実行をもってこれを較すれば、小乗の規則の厳密なるはその功あるいは大乗に数等を加うることなしとせず。要するに小乗の長所は実践にありて、大乗の長所は理論にあり。なお花は紅にして柳は緑なるがごとし。もし花は紅なるをもって柳を貶せんとし、柳は緑なるをもって花を排せんとするに至りては、世間だれかこれを許すものあらんや。かつそれ大乗の理論は、高はすなわち高しといえども、これ小乗の基礎の上に更に建設せるによるのみ。故にもし大乗中より小乗を除き去らば、大乗自体もたちどころに壊頽せざるを得ず。たとえば大乗の一般に講ずるところの因果説も生滅説も無我説も、みなその源を小乗にとることは弁明を待たずして知るべし。故に大乗、小乗より高しといいてみだりに誇るは、なお小児が大人の背上に立ちてわが頭は大人の頭より高しといいて誇るに似たり。しかれども余は大乗は小乗の上に一段の発達を進めたるものなりと信ずるをもって、小乗は大乗の予備門、もしくは先鋒隊に過ぎずというもあえて不可なかるべしと考うるなり。もしこれを学校の階梯に比すれば、小乗は小学もしくは中学のごとく、大乗は実に大学なり。小乗は普通にして、大乗は専門なり。故にもし小乗と大乗との品位の高下を論ずれば、前者は後者にしかざることもちろんなり。ただ余は大乗家がみだりに小乗を貶して、傲然として己ひとり尊きがごとく考うる風あるをみて、いささか注意を加えたるのみ。

 われわれの同胞たる日本国民の特性は、はなはだしく勝つことを好みて、負けることを嫌うにあり、人に降下することをいとうて、他に加上せんことをよろこぶにあり。その気風はあたかも国体の万国に卓絶せるがごとく、富獄の雲表に秀出せるがごとき状あり。これをもってその仏教を奉ずるや、小乗の浅近をいとうて、大乗の高尚をよろこぶ風あり。故に日本は大乗相応の地にして、現今の一二宗はみな大乗なり。しかるに近年西洋に大乗非仏説論再興してようやくその余波をわが国に及ぼし、昨今大乗仏説非仏説の一大問題がはからずも世論を引き起こすに至れり。余はその問題の起こるは、果たして仏教のために喜ぶべきか悲しむべきかを知らずといえども、日本仏教の死活に関する重要問題たるは明らかなりと信ず。もし大乗果たして非仏説なりと論決するに至らば、日本仏教はいかにしてその仏教たるの命脈を保つべきや、現今の一二宗は非仏説と共に並行することを得べきや、余はその得べからざるを知る。果たしてしからば、非仏説問題は一二宗の存亡に関する死活問題なり。一死一生のよって分かるる重要問題なれば、仏教家たるもの決して黙々として不問に付すべからず。余は今この大問題の裁決を試みんとす。請う刮目してこれより論出するところをみよ。

 

     第二講 大乗仏説論

 将棋を争うに当たり、王将より飛車を大切にするものあらば、人これをなんとか言わん。一家を治めるに当たり、妻子より僕婢を愛するものあらば、人これをなんとか言わん。今ここに論者ありて須弥説は非仏説なりといわば、仏教家喋々その非を論じ、大乗は非仏説なりといわば黙して答えずんばいかん。これ飛車を愛し、僕婢を大切にすると、なんぞ異ならんや。今や大乗非仏説問題、はからずも世間の文壇に上がり、ようやく気炎を吐くに当たり、仏者中うんともすんとも言うものなきは、余輩の大いに惑うところなり。今日の仏者は単に大乗の名目の下に衣食するにあらずして、大乗仏説の下に糊口するものなり。換言すれば大乗を大天や竜樹の所造として世に弘むるにあらずして、三千年古、釈迦仏金口の直説として人に伝うるものなり。果たしてしからばこの非仏説問題に対しては勇を奮い熱を注ぎて大いに論ぜざるべからず。決してこれを冷眼薄情をもって送迎すべからず。余察するに仏者中あるいはこの問題は書生輩の空論、壮士輩の暴言として不問に付するものあらんか。もししからば余はまずその空論暴言にあらざることを示さんとす。これにおいて余は第一に非仏説論の証明を揚げ、第二に仏説論の弁護を示し、第三に二者中論理いずれが確実なるかを判知すべし。

       一 非仏説論の証明

 大乗非仏説論はインドおよび西洋を待たず、シナおよび日本において古来伝うるところなり。今わが国先輩の非仏説論を考うるに、いずれもみな排仏家なり、外道流なり。まず富永仲基氏の『出定後語』(巻上の二)には左のごとく論ぜり。

釈迦文すでに没して、僧祇結集あり。迦葉始めて三蔵を集め、大衆また三蔵を集め、分かれて両部となしてのち、また分かれて一八部となれり。しかるにその言の述ぶるところは有をもって宗となす。ことみな名数にありて全く方等微妙の義なし。これいわゆる小乗なり。これにおいて文殊の徒は般若を作りてもってこれに上せり。その言の述ぶるところは空をもって宗となす。しかしてことみな方広なり。これいわゆる大乗なり。このとき、大小二乗にいまだ年数前後の説あらず。その大乗を張る者は、すなわち曰く、得道の夜より、涅槃の夜に至るまで、常に般若を説くと。その小乗を張る者はすなわち曰く、『転法輪経』より『大涅槃』に至るまで、集めて四阿含となすと。

 

 

 

 

 以下は法華、華厳、方等、禅、真言の諸大乗は、みな仏滅後に互いに前者に加上せんと欲して作為せるものなることを論ぜり。しかして最後に至り、

  これ諸教興起の分かるるは、みなもとその相加上するに出づ。その相加上するにあらざれば、すなわち道法なんぞ張らん。すなわち古今道法の自然なり。しかるに後世の学者、みないたずらにおもえらく、諸教はみな金口、親しく説きしところ、多聞、親しく伝えしところと。ことにその中にかえってあまたの開合あることを知らざるなり。また惜しからずや。

 

 

 同書にまた曰く、

  余かつていわく、大小部乗、おのおの経説を作りて、みなこれを迦文に上証するはまた方便のみと。昔は、秦緩死す。その長子、その術を得て医名、秦緩に斉し。その二、三子の者、その忌にたえず、これにおいておのおの新奇をなし、これを父に託してもってその兄に勝らんことを求む。その兄を愛せざるにあらざるなり。おもえらく、もって兄に異なるところあらざれば、すなわちもって父に同じきを得ずと。天下いまだ決することあらざるなり。他日その東隣の父、緩が枕中の書を得て出してもって証す。しかるのち、長子の術、始めて天下に窮まる。このこと毛元仁の『寒檠膚見』に出づ。これすなわちこれに似たり。

 

 

 

 

 また曰く、

  如是我聞の我とはなんぞ。後世の説者、自我のことなり。聞とはなんぞ。後世の説者が伝聞することなり。乃至〔中略〕、経説の多くは仏後五〇〇歳の人の作れるところ、故に経説には五〇〇歳の語多し、云々。

 

 

 これ富永氏の大乗非仏説論の要点なり。もし服〔部〕天游の『赤倮倮』によるに、その開巻第一に曰く、

  王元美謂らく、一切経皆仏説と称すといへとも、其間後人の仮託無きに非す、其大乗諸経は固より議すべきに非すと雖も、小乗諸経の如きは仏滅後竺土の僧の作れる所にして名を迦文に託せる者なりと。是れ了義の説を以て真とし、不了義を以て仮とす。理に於ては当れるに似たりといへとも、事に於て考ふれは甚た疎なり。予は反て謂へらく、其人天小乗の教、四阿含等の如きは、其間或は一、二、真に仏の金口に出たる者も有るべきか、凡そ諸大乗経は皆是れ後人の仮託なること疑ふへき者無し。何如となればおよそ小乗の説は事実なり、大乗の説は空理なり。たとへは釈迦の行由を述ぶるか如き、小乗には十九出家三十成道八十入滅と説く。大乗には仏成道より以来既に久遠劫を歴たり、また滅度を示すといへとも実は滅度せず、常に霊山に在して説法すと説く。是れまづ其事実ありて後に空理を付会せること明なり。且又小乗の名目は皆正義なり、大乗家は多くは小乗の名目を仮て翻案して其大乗の義を成せり。たとへは四諦の如き諦は審実不虚の義にして、苦は実に苦、集は実に因等と説く。是れ本義なり。然るに大乗には「諦は苦にあらず、集にあらず」         等と説く。又蘊は「有為を積聚す。」      の義にして固より無為を摂せず。然るに大乗には蘊即無為と説けり。且又法数に就て言ふに、小乗は四大を説けば大乗には五大六大七大を説く、小乗に六識を説けば大乗には七識八識九識十識を説く、是れ皆後々漸々に増加せるなり。如上の三端は略一二の例を示すのみ。余は准知すべし。如此なれば先つ小乗ありて後に大乗起れるには決せり。爾るに其小乗の諸経さへ多くは後人の手に成りて、真説は甚た少れなるべし。何となれは今雑阿含を見るに阿育王法事を起すことを載せたり。是れ仏滅百年後の事なり。然らは小乗経も後人の手に成りたること彰々然として明なり。况や又大乗は其後に出たるをや。

 これ大乗のみならず小乗までも仏説にあらずして後人の述作となせり。その他、同書付録に論ずるところもまた一考するに足る。すなわちいわく、

  なんぞ釈迦一代の教法は小乗にとどまらんや。仏すでに入滅してのち、諸弟子すなわち三蔵を結集す。その迦葉等の大阿羅漢、七葉窟内におけるをこれ上座部と号す。これ仏門の正統なり。数万の凡聖、窟外におけるをこれ大衆部と号す。これすなわち旁流也。正、旁異なるといえども法はただ一味、二部和合して諍競あるをさげすむ。仏の後、一〇〇年に及び、大衆部中に一師ありて、名を大天という。始めに異見起こりて別に新義を立て、生死涅槃みなこれ仮名の旨を唱う。けだし、後世の大乗の説、すでにここに胚胎せり。いわく、大衆部はすなわち信じてこれを用い、上座部はすなわちその旧義に違うことをにくむ。大いに乖諍起こりて互いに相謗毀し、再び和合せず。その後、第二の一〇〇年ないし四〇〇年して、二部ようやく分破し、ついに二〇部となる。ここにおいて部執は峰峙し、諍論は波騰す。第五の一〇〇年の後におよび、馬鳴、竜樹、無着、天親等の諸師、後にも先にも挺出し、諸部紛紜するをみるによりて、方広の深義を唱えこれを破せんと欲す。ついにすなわち大乗の修多羅を擬造し、もって小乗の三蔵の教えを弾斥す。その徒はまた諸論を撰述し、もってこれを羽翼とす。摩訶衍の法はここにおいて盛んに興る。

 

 

 

 

 

 

 その後悪口の名人、嘲弄の隊長たる平田篤胤翁ありて『出定笑語』と題する一書を著し、その中に仲基の『出定後語』と天游の『赤倮倮』とに基づき、更にその意を敷衍して大乗非仏説を論じたる一段あり。すなわち左に引用すべし(本書巻中の三三)。

  大乗の経々はもとより、小乗阿含部もともに釈迦の入滅後、迦葉阿難の輩が三蔵を結集したる時より遥後の世の人の書たもので、其内小乗阿含部の経々は先に記したるもの故、十の中に三つ四つは実に釈迦の口から出たるままのこともあれど、大乗といふ諸のどもは凡て全く後人の釈迦に託して偽り作つたものに違ひは無いでござる。それはどうして知れると申すに小乗阿含部の説どもは右申すごとく釈迦生涯の事実を本に記して其事実の因に法を説き、大乗の経々の説どもは空理ばかりを云たものでござる、云々。

 その証拠として挙ぐるところは『出定後語』と『赤倮倮』との焼直しに過きず、ただ文章をやわらげて俗調に変じたるのみ。いな罵詈調子に変じたるのみ。その他、尾州の人にて朝夷厚生と称する者もやはり大乗非仏説を唱えたり。この人は文化年代に世にありしものにて、その著書は『仏国考証』、『釈迦文実録』等、数部あり。まず同氏の『釈迦文実録』に自ら題するところ左のごとし。

  一九にして出家、三〇にして成道、八〇にして老比丘の生尽き、命尽きること、これその真なり。阿僧祇劫に常に霊鷲山にあること、これその説の幻なり。一〇年苦楽を行じ、樹下に正覚を成ずること、これその実なり。成仏以来、無量無辺百千万億那由陀劫とは、これその説のいよいよ幻なり。しかもその幻と称するを了義説となす、云々。

 

 

 また同氏の『釈氏古学考』、自らの序文中には、「迦葉、結集はただは有宗のみ。いまだかつて摩訶衍ありてこれを説かず。後世の諸家、懸空をもって自ら張り、他をおとしめるがごとくにはあらざるなり。」                                    とあり、あるいは、「迦文の教法の真はもっぱら実学にあり。東漸して以来、シナの諸流は摩訶衍をもって宗となし、その翻経訳師もおおむね空家なり。一にその意楽より空宗を主張し、三蔵の梵本これを翻するといえども、シナ国界寥々としてこれを講ずる者なし。惜しいかな、竺土これ旧廃してまた振るわず。ことに仏滅して五〇〇年間、竺土の仏法は三蔵の外に余蘊なきことを知らざるなり。」                                                                                                     とあるがごときはみな大乗非仏説の意を述ぶるものなり。かつまた同書の付録に摩訶衍不審十条を列挙して、大乗のはなはだ疑うべきものなることを示せり。その論証はすでに『出定後語』および『赤倮倮』等に出づる理由とひとしきもの多きも、重複をいとわずこれを掲ぐべし(本書は写本にて伝わり、文字の誤脱多ければその読解し難きところはあるいは省略しあるいは修正し原文のままを出せり。かつ割注はすべてこれを除くこととなす)。

  仏滅後五百年にして大に別れて五百部となる。「曰く、仏法五〇〇歳を過ぎてのち、おのおの分別して五〇〇部あり。これより以来、諸法決定するを求むるをもっての故に自らその法に執し、仏の解脱のための故に説法するを知らず。しかも堅く語言に着し、般若の諸法畢竟空なるを聞きて心(むね)をさするがごとし。」                                                                   とあり。五百部に別れたれとも皆三蔵学者にして有を以て宗とする者なり。此時未た大乗と云ふものあらず。五百年過くる比、馬鳴竜樹か徒起りてより三乗の名小乗に属す。又無着天親等の諸師起り漸く方等微妙の経説大成して大に大乗を唱ふ。是れ竺土仏法の一大変なり。是迄竺土仏氏の争論数有りしも双方共に三蔵家(小乗家)の部執なり。大乗家起りて後は五印度諸国大乗家と小乗家と部執争論止む時なし。支那にて仏氏の諍論とは大に異なり、支那にては大乗中諸流の争ひなり。又天竺にては大乗小乗と云名目は大乗家の貶語にて、他門にては云はさる称呼なり。小乗家にては三蔵経を仏道の正統、釈迦の真説、其一代の説法悉く四阿含等に尽て、仏滅後迦葉等結集の三蔵経に仏説遺漏なしとし、此外に別に大乗の説ある事は許さざる事なり。故に大乗家を空家外道と称して仏説にあらずとするなり。故に竺土にては後世迄も小乗家多き所以なり。此処竺土仏氏の風儀は支那日本にて大乗を貴ふ流とは大に相違なり。玄奘等西遊の時見聞する所五竺の仏氏の習俗如斯なり。又大乗家にては其説を自張せんか為に皆小乗家にて大乗家は後出なる故、小乗は如来の説に非すとは誣ひ難けれとも、大小乗とも如来一代の真説とすれとも、其経説異なる故、小乗教を以て如来の前説とするなり。依て如来説時の説を設て法相三論は三時とし、天台は五時と判する等の説起る。支那へは大乗家の説か伝はりし故、支那の仏道は始より諸流皆大乗を宗として三蔵学を宗とする仏者は一向無之故、大小乗の名目か定まりたる仏経の階級の如く成されたるなり。夫故稀に小乗家有ても大乗家と衡を争ふ事能はすして、自ら小乗家とし大乗経をも信して兼学するなり。且又始より聞馴し事故、大乗を尊ひ小乗を賎しむるの説を愚夫愚婦迄も皆尤の事とするなり。此段前文に云如く竺土仏者の風儀とは天地懸隔の相違なり。

 一 迦葉等三蔵結集の時に摩迦衍法(大乗経)を説かざりしなり。其証拠には竜樹大乗家なれとも此事を大論に述へたり。「問うて曰く、もし仏、阿難に嘱累せば、この般若波羅蜜は仏の槃涅槃ののち、阿難の大迦葉と共に三蔵を結集するに、この中になにをもって説かざるや。答えて曰く、摩訶衍は甚深にして信じ難く行じ難し。仏、在世の時、もろもろの比丘ありて摩訶衍を聞くも、信ぜず解せざるが故に、坐よりたつ。なんぞいわんや仏涅槃の後をや。これをもっての故に説かず。」                                                                                       (以上)。此問答を翫味するに摩訶衍法は仏滅後五百年間世に無之事なれば、是れ仏説にあらずと世人疑ふを以て其疑を防かん為に作りたる自問自答なり。然るに問ふ所の理は甚た明かに聞ゆれ共、却て答ふる所の理明かならず、手を回して繕ひたる趣一たひ看過して識らるるなり。且末に至て今一問すべき筈なり。肝要の事を問はずして止たるは未審かし。其一問の義を云はは如来阿難に属累せられしとあれとも後世の凡夫僧と皆能く解釈する所の大乗経を親く仏の側に朝夕随侍して居たりし大徳の羅漢達が信解すること能はさりしと云ふこと其理通せざることなり。「かつまた、いかにいわんや仏涅槃の後をや。これをもっての故に説かず。」                 と云こと亦其理通し難し。涅槃の砌仏を去ること遠からず時の人を、何かに況んや信解すべけんやと云はは、滅後五百年の久きを経たる後の人は、亦愈々何かに況んや信解すべけんや。是れ可疑一なり。

 二 阿難霊鷲山に於て仏滅後摩訶衍を集むと雖も、衆生志業の大小を籌量し、之を説かば錯乱弁を成し難きを恐れて説かず、一人至道を識り同門の諸声聞へも秘して説かずと云。不実面柔の人と云べし。人を教へて倦まさるは仁なり、阿難何そ不仁なるや。是れ可疑二なり。

 三 日夜仏の側に随侍せし羅漢達の信解することの能はざる摩訶衍を、釈迦も阿難も滅度の後に至り何者か之を解釈して五百年の後に伝はるべき、是れ可疑三なり。

 四 阿難其弟子へ伝へ、夫より次第に師々相伝へ来りしと云はば、左程次第次第に相伝承すべき事ならば、如何して五百年の久き間仏法は只三蔵経の事のみにて、其経文年々増加分別せしことと、及ひ其学者部執争論の沙汰詳かに伝はりしに、数々の大乗経か其中一経も其経文の沙汰なかりしこと、是れ可疑四なり。

 五 無量義経等に四十余年の説法を未顕真実の説とし、法華に正直捨方便但説無上道と云へり。然るに仏滅後迦葉等結集の時に未顕真実の経説のみを結集して其最も専要とすべき無上道を結集せざれは迦葉等の結集も何の益なしと云ふへし。是れ可疑五なり。(仏滅後迦葉結集の上座部及諸僧凡聖の徒の大衆部共に、今云小乗の説にして、数多の大乗経の説一も散在せざる事、是れ大に怪むへきに非す乎)。

 六 金剛経に云、「一切の諸仏および諸仏の法はみなこの経より出づ。『無量義』にいわく、衆をしてはやく無上菩提を成ぜしむ。『法花〔華〕経』にいわく、ただ一乗法のみありて二つなく、また三つなし。『大品』にいわく、一切法みな般若波羅蜜中に摂入せん。『金光明』にいわく、十方の諸仏は常にこの経を念ず。法鼓にいわく、一切の空経はこれ余説あるなり。ただこの経のみありて、これ無上の説なり。『涅槃経』にいわく、仏より十二部経出し、十二部経より修多羅出し、修多羅より方等経出し、方等経より般若波羅蜜出し、般若波羅蜜より大涅槃出す。なお醍醐のごとし。『十住論』にいわく、六度等をもって自力となすはその功遅く、念仏等をもって他力となすはその功はやし。真にいわく、中の蜜に自他の二力を具すはこれみな大乗経の説なり。」                                                                                                                                                                                                                  其経毎に無上の経説とし、他の大乗経を劣れりとす。是れ一経毎に其経の作者有て其説を自張せんか為に、他を貶するの辞なること甚た明かなり。諸大乗経を参考し照し合せて翫味すれば、経毎に夫々に作者の趣向有て作者異なる事、始終の証意に依て能く分るなり。数多の大乗経悉く一人の口より出るとは決して成り難し。然るに諸大乗経皆仏経とす。是れ可疑六なり。

 七 経説に声聞縁覚菩薩を三乗とす。声聞縁覚を小乗とし菩薩を大乗とす。よつて迦葉阿難等を声聞とするは、古風の仏道の三蔵学者にして、三蔵を小乗とすればなり。仏滅五百年後に起りたる馬鳴竜樹無着天親の徒、菩薩を以て称すること大乗家なる故なり。然るに馬鳴竜樹を始としてすべて仏氏たる者は皆阿難迦葉を祖とせさる事を得ず。其祖たる阿難迦葉は纔に声聞として、其末流たる馬鳴竜樹等皆菩薩と成て其上に立は大に顛倒と云べし。然れば大乗の説にては其経文を菩薩とし、三蔵学を小乗とする故、然らざる事を得ざるなり。然るに其説を以て仏説とすること、是れ可疑七なり。

 八 小乗家の説は事実なり。迦文の事迹を説くにも、十九出家、三十成道、八十の老比丘生尽て入滅すと説くなり。大乗家に云ふ所は幻説なり。之を了義の説と云ふ。其説に仏成道より以来無量無辺百千万劫を経たり。滅度を示すといへとも実は滅度せられず、常に霊山に在て説法すと説くなり。此事をつらつら考へ観るに迦文存命の時、世人に対して斯様の奇怪なる大言を語られなば聞く人是を信すべきや、如何なる愚昧の人にても是を聞かば狂人とすべきなり。既に釈迦の太子たる時、はじめ浄飯王の城を踰て出家せられし阿若憍陳如等五人の者、父王の命によつて太子に随身して同く山林に居りしが、太子始終出家を遂らるへき事を信せずして、得道証果せらるへき事は五人共に心に許さざりしなり。実録の六時は幻説と相違なること如斯也。然るに数百年も昔の事は奇怪の事をも信する者なり。大乗の説は仏滅五百年の後の事なれば、竺人の愚昧なる往古かかる不思議奇特の人も在りしことやと信する人ある故に、斯様の幻説を作りたるなり。今日まさしく目前に飯食語笑する肉身の人少なく、少しく大言を吐ても承知せるか人情なり。然るを彼大乗家の幻説を仏在世の経説とする事、可疑八也。

 九 「大迦葉、阿難に語る。『転法輪』より『大涅槃』に至る。四阿含を集めて作せりと。」                      (智度論)。是に由て観れは説法の最初より後に至て始終阿含を説かれしと見えたり。又「始め成道の夜より、常に『般若』を説く。」           (大論)、此説によつて観れば仏説法の最初より最後に至て始終般若を説かれしと見えたり。又「一二年『阿含』を説き、三〇年『大品』を説き、八年『法華』を説く。」                     (法界性論)と云、又或曰菩提流支の説には成道二十八年に瓔珞経を説き、三十八年に解深密経を説き、四十二年に観無量寿経を説くと云。然るに又華厳を成道最初の説とし、是を日輪の先つ大山を照らすに譬ふ。又無量義経に「四十余年にはいまだ真実をあらわさず。種々に法を説くこと方便力をもってす。」                                         と云へり。此諸説の異同を和会せんとして、法相三論に三時教を立て、前に小乗を説き後に大乗を説くとす。天台亦華厳阿含方等般若の四時に法華涅槃を同時として五時に判すれとも、是も亦密合せさる故に、頓漸秘密不定の四教に約して判摂をなす。誠に止むことを得ざるの説なり。右件の諸説は諸家の異同を和会せんか為付会の説にて、畢竟其経文を仏の真説とせんが為の繕ひ事なり。諸大乗経実に仏の真説ならば、種々の工夫をなして諸時を擬造などし繕ふべき様なし。是れ可疑九也。

 一〇 其初め迦葉等誦出する所は三蔵経纔に数章にして、三蔵本と一書の名と云へば一切経と云物、其初至て小部なりして仏滅後四百年に至り二十部となり、第五百年に至り五百部となる。其後大乗の諸経ありてよりは次第に増加して数千万巻となる。初め結集の時僅に数章の仏経が後世に至り数百千倍となる事、其始少く後世多し、何そ如斯莫大の相違なるや。然るに仏氏の所謂一切経文皆仏説にして、阿難の結集する所なり。是れ可疑十なり。

 以上、一〇難はひとり朝夷の説にあらず、必ずその前より伝われる大乗非仏説を統計して一〇カ条となせしものならん。その他、悪口の隊長、嘲弄の名人なる平田翁も『印度蔵志』中に更に大乗非仏説を論ぜられし点、数カ所あれども、さきに掲げたる『出定笑語』の論点と別に異なることなし。今左に二、三節を引用せん(『印度蔵志』巻二三の一一左)。

  さて起信論に、「修多羅の説、もし人、もっぱら西方極楽世界の阿弥陀仏を念じ、修するところの善根を廻向して、かの世界に生ぜんと願求すれば、すなわち往生することを得と。かくのごとく摩訶衍は諸仏の秘蔵なり。われすでに総じて説けり。もし衆生ありて、大乗道に入らんと欲せば、まさにこの論を持すべし、云々。」                                                                                           とあり。然るに四阿含中に西方極楽世界の説法なく、阿弥陀仏といふ仏名有ることなければ、此は四阿含を撰録せる時までの世人は更なり。仏祖が説かざる世界の、仏祖が知らざる仏にぞありける。然れば其修多羅は是比丘が密に造りて仏祖に託せる偽経なること疑なし。偖こそ此に諸仏の秘蔵なれとも我已に説くとは言へり。(是一を以ても謂ゆる普賢文殊を始め無数の菩薩どもの名は皆この比丘が寓作なる事を知り弁ふべし)。さて其修多羅は何経ならむと案するに、彼方等部と称する大宝積経にぞ有りける。其は此経の第五会に無量寿如来会とて、仏祖耆闍崛山に住して万二千の大比丘と倶なるに普賢文殊弥勒など無量の菩薩来集せり。此時阿難が問に応して往昔法処比丘と云ひしが、四十八願を興して無量寿仏と成りて、西方極楽世界に住する由を讃し、発願往生に勧めたる由に造れる。是ぞ始めと見ゆればなり。其は此経、大乗方広部の祖経と見ゆるに極楽世界阿弥陀仏の本縁に載せると。其大乗説は馬鳴に始まり、かつ起信論に右の如く云るにて論ひ無し、仏にては阿弥陀、阿閦を始め、菩薩にては普賢文殊を始め、無数の仏菩薩どもの阿含中に見ざる名等は、皆これ馬鳴が造れるなり。

 また同書(巻二三の三〇左)竜樹菩薩の伝記を叙する下に、

  (前略)さて本文に採れる綱要に「あらゆる仏法みなことごとく伝持す。」         と云ひ、上に引く付法蔵経に有ゆる仏経を敷演せる由言るに就て、なほ西域記にも「竜猛菩薩は釈迦仏ののべられたる説法、および諸菩薩の演ぜられたる述論をもって鳩集し、部別す。」                         とも有るは、是までに次々出来て在し大乗教法に鳩集敷演して部を分ち自ら持し世に弘伝せる由なり。其は皆己が識量を以て敷演せるにはあれど、世に持伝ふる教説とは差へる敷演を他人の信まじく思ひて、竜宮なる諸経の精説なるを得て来れる由して取出たるにて、其は此比丘が新工夫の幻説なり。

 これを要するに平田翁の説にては、竜樹が自ら敷衍せる大乗諸経を世人をして信受せしめんがために、竜宮といえる幻説を工夫して人を欺きしというにあり。しかして大乗教は小乗異部中大天の唱えし大衆部の説中より産出せりとの意なり。故に同書(巻二一の三四右)に曰く、

  (前略)そは其大乗説の此(大衆部)に胚胎せる事は、既に出せる大衆部の説中に「一刹那心は般若に相応して一切法を知る。諸仏、世尊は尽智、無生智、恒常に随転して、すなわち般涅槃に至る。」                                 と有るは、是れ正に大乗般若の胚胎せるなり。然れば此を敷演して其より出てたる一説部に「諸法は唯一仮名にして体を得べきなし。」            とふ説を生出し、多聞に「一つには無常、二つには苦、三つには空、四つには無我、五つには涅槃寂静、この五つはよく出離道を引く。」                            とふ説を生出たり。是を以てかの大乗弘通の魁首たりし謂ゆる馬鳴論師大衆部の本義を取捨敷衍して大乗起信論を作り、其多聞部の説を襲ひて「苦、空、無我、第一義諦、みなことごとく空寂」            と立言し、また其弟子とも云ふ竜猛論師も大乗般若の旨を専一と為て、かの大智度論をぞ作りたりける。然れば此徒みな彼大天が子孫に非ずして何ぞ、また凡て大乗説を奉する徒この大天が苗裔にあらずして何ぞ。

  抑この宗輪論の作者世友などの固より上座一切有部の人なれば、大天か新義を擯斥せん事は其旧義の廃れんことを思へるにて、実に然も有るべき挙なるを、其後に出し彼国の大乗論師らは更なり。其大乗般若を荷ひ持来し、玄奘が此論を訳しつつも、右の由来を弁へは、此比丘を始め諸越の比丘等、また皇国の仏者たちも、皆大乗を信じつつ、彼大天が異見をしも口を極めて謗り悪むは、其大乗教法の父をのみ尊みて其教本の祖父を卑むる道理になも有りける。

 平田翁が『印度蔵志』に述ぶるところ大略かくのごとし。その他は『出定後語』および『赤倮倮』を引用してその受け売りをなすまでなり。前に掲げたる朝夷厚生の『釈迦文実録』および『釈氏古学考』は『印度蔵志』中に引用せるをみず。けだしその書は平田翁の手に入らざりしならん。もしその手に入りしならば、必ず開いた口に牡丹餅と思いて、すぐさま吹聴するに相違なかるべし。余はここには引用せざれども、この朝夷厚生の『仏国考証』と題する一書は、平田翁も一見せしとみえて、『印度蔵志』中にその書名を掲げたり。

 その他、大乗非仏説を論ずるもの『釈教正謬』と題する書中に出づ。本書は洋人、艾約瑟迪謹氏の著すところにして、その材料は多くシナにて諸家の排仏説より拾集せるや明らかなり(その書漢文にしてシナにて発行)。その第一章は経典を論じ、第二章は教乗を論ずと題し、大乗非仏説の意を述ぶ。まずその第一章に曰く、

  釈氏の経典数千巻、みな釈迦牟尼の所説という。梵文をもって華言に訳すに、千百年数百人の心力を費し、一時一人のよく弁ずるところにあらず。漢、唐以来、経旨を講求するに、分かれて数派あり、また経の一人の所説にあらざることを証すべきや。かくのごとくなれば、すなわち釈典を作るは必ず多人ありて、みな仏諸弟子、仏の口に仮託し、如是我聞の四字をもってするのみ。

  仏氏のいうところ、諸経はいずれの地において説きなんびとより述べるを。つねに仮託すること多くして、『華厳経』の序のごとし。いわく、竜樹菩薩、前漢の中葉にありて大乗を講ず。大乗経典の中、華厳最も著し。いずれがもとの竜樹の自作なるを知らん。人の尊敬を欲するが故に、名を如来に託すのみ。

 

 

 

 

 つぎに第二章にいわく、

  梵文の摩訶衍の三字は、すなわちいうところの大乗なり。摩訶は大、衍は乗なり。小乗の梵文は希那衍の三字、小乗は『四十二章経』、『仏本行集経』等なり。大乗は『華厳』『楞伽』『大涅槃』の諸経なり。大乗に載せられたる弥陀、阿閦、薬師の諸仏、文殊、普賢、観音の諸菩薩、小乗にはこれなし。仏を奉ずる諸国、その教えは早くして南北に分かる。南は小乗を信じ、北は大乗を信ず。南方の経典は大乗の諸仏菩薩を用いず、ただ七仏千仏をいうのみ。北方の経典は大小乗をみな備える。愚思うに小乗は如来の親授となし、大乗の諸経、すなわち北方の釈徒は偽となすところの者なり。中国漢明帝の時、迦葉摩騰のひもとくところは小乗を過ぎず。魏晋六朝におよんで始めて大乗経典あり。かくのごとくなれば、恐らくは釈氏のいうところの如来金口の宣言せる十二部経は、大いに真実の話頭にあらざるなり。案ずるに、晋の法顕は西域の諸方を経歴して参学し、あるいは大乗に従い、あるいは小乗に従う。けだし当時の北方諸国の習するところの大乗の中には、なおいまだ小乗をことごとく去らざるなり。二十八祖達磨東土にきたりて、七仏をもって相伝し、正法眼蔵となす。かの南天竺、いまだ他の仏菩薩あらざるは、また大乗は如来の親授するにあらざるを証すべし。学仏者はよろしく知るべし、観音、勢至、文殊、普賢は、如来実にこの諸弟子たることあるにあらざるを。馬鳴、竜樹、天親等、人の観聴にそびえ、空によって結撰するにあらず。すなわち、かの法の中にいうところの、華厳の楼閣弾指の応現なり。釈氏また人の小乗をみて、観ずるに足らずとなすを恐れ、ここにおいて大乗を造作し、一娑婆世界を化して華蔵世界となし、一仏一経を化して十方三世の無数の諸仏名経となす。大は塗飾をなしてもって人目を炫ず。

  小乗中の如来、邪悪の世界において人を化し、邪を去りて、まさに帰せんと欲する者の論ずるところは、はなはだ高遠なることなし。ただ出家は空および輪廻、因果の説を証するのみ。大乗の中のこれらの言語は、すでに小果たり。小乗中にはただ婆羅門および商客等、如来とともに相問答す。大乗中にはすなわち無央数の衆ありて、虚空のもろもろの大菩薩、きたりて説法を聴く。(中略)仏子、大乗を信ぜんと欲すれば、更に小乗を信ずるあたわず、小乗をもってこれをなさば、必ず大乗をもって非となす、云々。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その他、シナにて大乗非仏説を論じたるものあるも、余その書を所持せざるをもってここに掲げず。ただシナの書中に、仏教はシナに入りて老荘を剽窃して作為せるところ多しとなす論は往々みるところなり。今その一例を示さん。

  朱子曰く、道家に老荘の書あるもかえってみるを知らず、ことごとく釈氏窃してこれを用い、却去して釈氏、経、教の属することを倣傚せり。たとえば巨室の子弟、所有せる珍宝ことごとく人の盗去されるところとならば、却去して他人家の破甕、破釜を収拾するがごとし。

  また曰く、宋景文の『唐書賛』に説く、仏は多くこれ華人の譎誕者にして、荘周、列禦寇の説をはらい、その高きことをたすく。この語、はなはだ好し。欧陽公のごときは、ただ自家の義理を説き、他の正贓を見ず。かえってこれ宋景文、他の正贓を捉得せり。

 

 

 

 

 その意、仏教はシナに入りて老荘の説を剽窃したるものなりというにあり。古来儒者中にはこの説を唱うるものあれども、これあえて論ずるに足らず。かえって宋儒の説こそ仏教を剽窃したるなれ。もしこの二者の間に窃盗罪の軽重を論ずれば、宋儒の罪重きは言を待たざるなり。

 つぎに西洋にては一般に大乗非仏説論を唱うれども、余が所持せる書中にはいまだ非仏説の実例を挙げて証明せるをみず。要するに西洋にては、大乗非仏説を当然の論として証明を要せざるものとし、大乗仏説を唱うるもののみ証明を要するものとなすがごとし。しかして西洋学者は、多くインド今日の仏教すなわち小乗教をもって純正の仏教と信じ、これと合せざるものすなわち大乗はむろん非仏説なりと信ぜり。もっとも『法華経』のごとき現今インドに存する僅々二、三の大乗経文につきては異説百端にして、総じて仏滅後の作となす。しかれどもそのいずれの年代になにびとの作為せるやは、いまだつまびらかならざるがごとし。今更に仏教の結集につきて考うるに『仏祖統紀』(巻四の一四右)に掲ぐるところ左のごとし。

  荊溪は結集三蔵を論ずるに、すなわち三処あり。一千の結集はまさに最初に当たる。(仏滅後の四月一五日)七〇〇の結集、滅後一〇〇年となす。跋闍ほしいままに一〇事を行ず。(周の厲王三四年『通塞志』に見ゆ)五〇〇の結集、四〇〇年後となす。伽昵吒王の僧を請い、道を論ずるに不同なるによると(いまだ所出を検せず)。

 

 

 

 もし安然の『教時諍』(二〇紙左)によるに、小乗の結集に十文の不同ありという。すなわち第一は『智度論』の説、第二は『法蔵経』の説、第三は『西域記』の説、第四は『阿育王伝』の説、第五は『智炬宝林伝』の説、第六は『真諦執論疏』の説、第七は『湛然大師記』ならびに『沙門大覚記』、第八は『大覚記別部執疏』、第九は『湛然大師記』、第一〇は『沙門大覚記』の説にしておのおの多少の異同あるをいう。そのうち第七の『湛然大師記』ならびに『沙門大覚記』には仏滅度ののち一〇〇年に毘舎離国に跋闍ほしいままに一〇事を行ずるによりて阿難の弟子耶含舎比丘、七〇〇人を集めて重ねて三蔵を誦すという。第八の『大覚記別部執疏』の説には、仏滅後一一六年に大天比丘五事を論ずるときに分かれて上座、大衆の両部となる、しかして上座部中に諸阿羅漢、劫賓国にありて重ねて三蔵を誦すという。第九の『湛然大師記』には四〇〇年の中に迦膩吒王僧に請うて斎を設く、道を論ずること不同なり、これ故に五〇〇の聖衆、王舎城に行きて重ねて三蔵を集むという。第一〇の『沙門大覚記』にはこのとき三蔵三過誦出、第一に七葉厳中にて誦出し、第二に毘舎離国重ねて誦す、第三にこのとき劫賓国重ねて誦するなりという。以上の異説を合すれば結集四回の多きに及ぶ。故に『教時諍』には「前後都合してすなわち四処となる。」         と説けり。すなわち

  第一回は仏滅後上座大乗の結集なり。

  第二回は仏滅後一〇〇年において毘舎離国耶含舎比丘の結集なり。

  第三回は仏滅後一一六年を経て上座部中の諸阿羅漢、劫賓国における結集なり。

  第四回は仏滅後四〇〇年のとき五〇〇の聖衆、王舎城における結集なり。

 以上前後数回の結集はみな小乗教なり。今第一回の大結集を考うるに、『仏祖統紀』(巻四の一六左)には左のごとく記せり。

  如来の滅後に畢鉢羅窟において、三座の部主を立て、結んで三蔵となす。阿難は経蔵を誦出し、迦葉は論蔵を誦出し、優波離は律蔵を誦出す。これすなわち上座部なり。更に一千の賢聖あり。婆尸迦に命じて窟外において結集して大衆部と名づく。この二部を通称して僧祇律となし、これを根本となす。

 

 

 また結集に上座大衆二部の分かれたるゆえんを考うるに、『智度論』(巻二の七右)および『西域記』(巻九の一三左)等の数書に出づるも、その文長ければここにその要を摘示すべし。すなわち仏滅後、大迦葉まさに三蔵を結集して法をして久しく住せしめんと欲し、仏の弟子中神力を得る者を選んで千人をとれり。そのとき迦葉禅定に入りて天眼をもってみるに、阿難一人煩悩いまだ尽きざれば共に結集すべからずと思い、その手をひいて衆中より出さしむ。これにおいて阿難は大いに慙泣し、ついに勤求して羅漢果を証し、別に迦葉の結集に加わらざるもの凡聖数百千人を集めて五蔵を結集せりという。五蔵とは経律論三蔵に『雑集蔵』、『禁呪蔵』を加うるなり。迦葉所居の場所を畢鉢羅窟といい、あるいは王舎城七葉巌という。けだし異名同所あらん。阿難はその窟外において結集せり。この迦葉の結集を上座部と名付く。阿難の結集を大衆部と名付くるは、迦葉は僧中の上座にして窟内結集の主なればこれを上座部といい、阿難等は別に窟外において凡聖の同じく会せるをもって、これを大衆部というなり。『撰集三蔵』および『雑蔵伝』に、「仏涅槃ののち、迦葉、阿難、この摩竭国僧伽尸城の北において、三蔵および雑蔵経をえらぶ。」                          とあるこれなり。すなわちこの二者共に小乗教の結集と知るべし。しかして大乗の結集はいずれの時いずれの場所にありしや明らかならず。まず『智度論』(巻一〇〇の二五左)には「仏滅度ののちは、文殊師利、弥勒の諸大菩薩とまた阿難とをひきいてこの摩訶衍を集む。」                        とあり、つぎに『仏祖統紀』には左のごとく記せり。

  如来はこの鉄囲山の外にいます。十方の諸仏ならびにみな雲集して説法す。また説経と名づく。後時に文殊はもろもろの菩薩および大阿羅漢を召し、大乗の法蔵を結集す。

 

 つぎに『義林章諸蔵章』(巻二本の九左)によるに、

  『西域記』にいわく、夏安居の初めの一五日に大迦葉波、偈を説いて言いて曰く。善かな、諦聴せよ、阿難の聞持は如来の称讃したもうものなり。素咀纜蔵を集めよ。われ迦葉波は阿毘達磨蔵を集めん。優波離の持律明究せるは、衆の知識するところ、毘奈耶蔵を集めよと。雨の三月ことごとく三蔵を集め訖んぬ。大乗の三蔵は西域の相伝、またこの山において同処にして結集す。すなわちこれ阿難と、妙吉祥等の諸大菩薩大乗の三蔵を集む。

 

 

 

 しかして『八宗綱要』には「迦葉波等は、小乗の三蔵を畢鉢の窟場に結し、阿逸多等は、大乗の教法を鉄囲山の中間に集む。」                                 と述べたり。もし『教時諍』によらば、大乗の結集に六文の不同ありという。その文左のごとし。

  一は『大般若経』にいわく、他方の菩薩はいまだ般若を聴かず、おのおの本土にかえりて法蔵を結集し、大法雨を雨ふらしてもろもろの有情を利する。二に『金剛仙論』に曰く、仏は二鉄囲山の中間にあり、仏話〔語〕経を説きおわりて大衆に告ぐ。汝等の聞くところ、みなまさにこれを説くべし云々。三に『菩薩処胎経』にいわく、仏滅度しおわりて七日七夜を経、大迦葉五百羅漢に告ぐ。乃至、このとき阿難最初に出胎化蔵を第一とし、中陰蔵を第二とし、摩訶衍方等蔵を第三とし、戒律蔵を第四とし、十住蔵を第五とし、雑蔵を第六とし、金剛蔵を第七とし、仏蔵を第八とす。これ釈迦文仏の経法具足となす。四に『智度論』にいわく、迦葉は阿難とともに王舎城において小乗三蔵を結集し、文殊、弥勒は阿難をひきいて鉄囲山の間において摩訶衍蔵を結集す。五に天台大師、『仏話〔語〕経』を引いていう、文殊高きに昇りて如是我聞と称うるに大衆悲号す、云々。六に憬興法師、『弥勒疏』にいわく、あるいは説く外国の集経の伝に、如来滅時にいう、云々。

 

 

 

 

 

 

 故に『教時諍』には大乗結集には四所ありとす。すなわち一は『般若経』のとき他方結集、二は『仏話〔語〕経』のとき此土結集、三は迦葉阿難、五日結集八蔵のとき、四は文殊弥勒阿難結集これなり。

 以上の記事を考うるに、小乗の結集は事実なるがごときも、大乗の結集は年時場所共に判明せず、あるいは鉄囲山の外にありて結集すといい、あるいは小乗と同所において結集すというも、共に信を置き難し。故に大乗非仏説論者はその論鋒をこの点に集中して、攻撃すこぶる急なるがごとし。

 そもそも仏滅後、仏教流伝の次第は、『宗輪論述記』『三論玄義』等の数書に出づるところなるが、今その大要を述ぶるに、仏滅後四〇〇年間は小乗教盛んに行われ、異論したがって競い起これり。そのうち滅後一〇〇年間は小乗中いまだ宗派を分かつに至らず。百余年を経てようやく二〇部の分派を生じ、もって互いに相争うに至れり。その後更に相分かれてついに五〇〇の異部を派生せりという。しかして五〇〇年のときにありては、諸派の外道大いに興り、仏教これがためにその光を隠さんとせしが、六〇〇年のとき馬鳴出で、七〇〇年のとき竜樹起こりて、大いに外道を排斥して、大乗を振起せりという。今左に『八宗綱要』の文を引用すべし。

  伝え聞く、如来の滅後、四〇〇年間は小乗繁昌し、異計相興る。大乗は隠没にして竜宮に納在せり。なかんずく、一〇〇年間は純一に瀉瓶し、百余年ののち、異計競い起こる。これをもって摩訶提婆いたずらに五事の妄言を吐き、婆麁富羅いまだ実我の堅情を捨てず。乃至〔中略〕、ついに四〇〇年間に二〇部をして五印度に競い起こらしめ、乃至〔中略〕、五〇〇交々あらそわしむ。五〇〇年のとき、外道競い興り、小乗やや隠る。いわんや大乗をや。ここに馬鳴論師、時まさに六〇〇にならんとして始めて大乗を弘む。乃至〔中略〕、つぎに竜樹菩薩あり。六〇〇年の季暦、七〇〇の初運に、馬鳴についで五印に独歩せり、云々。

 

 

 

 

 これによりてこれをみるに、仏滅後小乗ひとり行われて大乗の伝わらざりしは明らかなり。しかして大乗の世に起こりたるは馬鳴、竜樹に始まる。もし竜樹の大乗を伝えたる由来を考うるに、一般に竜宮に入りて将来せりとなす。まず『華厳経伝記』をみるに、左のごとく記せり。

  西域伝記に説く、竜樹菩薩は竜宮に往き、この華厳大不思議解脱経を見るに三本あり。上本には十三千大千世界微塵の数の偈、四天下微塵の数の品あり。中本には四十九万八千八百偈、一千二百品あり。下本には十万偈、四十八品あり。その上、中の二本、および普眼等は、並んで凡力の持するところにあらず、隠して伝えず。下本は流れて天竺に見る。けだし、機悟同じからざるによりて、所聞よろしく異なるべきが故なり。これをもって文殊、普賢は親しく具教を承く、天親、竜樹はわずかに遺筌をみる、云々。

  『文殊般涅槃経』によらば、仏世を去りてのち四五〇年、文殊師利なお世間にあり。『智度論』によらば、もろもろの大乗経は多くこの文殊師利の結集するところにして、この経すなわちこれ文殊の結するところなり。仏初めて去りしのち、賢聖したがって隠れ、異道競って興る。大乗の器に乏しく、この経をおさむるに海竜王宮にありて、六百余年、いまだ世に伝わらず。竜樹菩薩、竜宮に入りたる日、この淵府に見てこれを誦して心にあり。まさに出でて伝授し、ここによりて流布す。

 

 

 

 

 

 

 果たしてしからば『華厳経』は伝説より出でたるや、あるいは後人の偽作なりしや、はなはだ疑わしきところあり。今日の人に向かいて竜宮より将来せりといわば、小学児童もなおこれを信ぜず、いわんや大人をや。畢竟するに小説的寓言に過ぎず。故に大乗非仏説論者はこの点をもって大乗攻撃の好材料とみなし、大乗は竜樹の作るところと唱うるものあるに至る。

 つぎに『法華経』の由来を考うるに、華厳と法華とは大乗の親玉なれば、確実なる徴証なかるべからざるに、これもやはり華厳のごとく怪談中より生まれ出でたり。すなわち『法華経伝記』によるに、

  西域伝記に説く、竜樹菩薩、海にいたるとき竜宮にて、この法華平等摩訶衍経を見る。大千界微塵の偈、四天下塵数品あり。つぶさに奇瑞問答を重々往覆せるを記録す。東方土の相、南西北方四維上下の光中に現ずるところ、また二百億の灯明はいちいちが『法華経』の儀を説く。十方三世の諸仏の智慧は大事の因縁なるを歎ず。三乗の人を化して一乗を開悟し、(中略)今、長安に伝うるところの四本は同じからず。一には五千偈にして、正無畏の所伝これなり。二には六千五百偈、竺法護の所訳これなり。三には六千偈、鳩摩羅什の所伝これなり。四には六千二百偈、闍那崛多の所伝これなり。三本はこれ多羅葉、什の本は白氎なり。この土の所伝すら、なお偈数に増減あるに、西方の経、なんぞ量らんや、云々。

  もし、『文殊師利般涅槃経』によらば、仏滅度後四五〇年に、文殊師利なお世間にあり。『智度論』六によらば、もろもろの大乗経はこれ文殊の結集なり。もし『集法伝』によらば、三種の阿難あり。阿難はここに歓喜といい、声聞蔵を持す。阿難跋陀はここに歓喜賢といい、独覚蔵を持す。阿難迦羅はここに歓喜海という。阿難高きに昇るとき、衆生に三疑あり。一には、仏の大悲涅槃より起こり、すでに妙法を説くを疑う。二には、さらに仏ありて他方よりきたりてここに住して説法するを疑う。三には、かの阿難身を転じて仏となりて、衆のために説法するを疑う。今かくのごときの所説の法をあらわすは、われむかし仏にはべりて二五年、親しくかつて聞くところなり。仏すでにたち、他方の仏至りて身を転じて成仏するにあらず。この疑を除かんがための故に、諸経の初めにみな、われ聞くと言えり。真諦三蔵いわく、微細は律に明かせり。阿難高きに昇りて法蔵を集めるとき、身は諸仏のごとく、もろもろの相好を具し、座に下るのとき、かえりて本形に復する。まことに権行によりて、三徳を具足し、共に大小を伝う。この経、すなわちこれ阿難海の結するところ、仏話経のごとく、文殊、座にありてさきに題目を唱うれば、阿難は高きに昇りてまた述べて集む。『智度論』はこれによりて、文殊はもろもろの大乗経を結集するという。つぶさに結集しおわりて、すなわち文心葉に書して宝葉窟に収め、天、人、竜神、王臣、大衆、競いて供養を興す。仏、世を去りてのち、賢聖はしたがって隠れる。大象去りて、子、したがって去るがごとし。九十五道紛乱起こり、十八異師もっぱら小典を崇ぶ。摩訶衍経は多分に隠没して世に行われず、この経、結集しおわりてのち、隠蔵して行われず。西方に相伝し、大雪山中に宝塔あり。法華の梵夾を収める。つぶさには真諦三蔵のいうがごとし。西域伝記に説く、仏円寂ののち、五〇〇年末に一比丘あり。深く大乗を解し、無生を獲得す。あまねく深経を求めて雪山に至り、宝塔の戸を開いて梵夾を披閲す。中において住して守護、受持す。六〇〇年の初めに南天国中の一梵士種ありて、四韋陀、五明の大義、十八異経に洞達す。名は五天を馳せ、諸国を独歩す。名づけて竜樹という。邪を捨して正に帰す。出家具戒す。九〇日中に三蔵を議誦し、すでに深法を求めて得処あることなし。ついに雪山の塔中に入る。比丘、この経の梵本をもって竜樹に授与せり。受誦愛楽し、すこぶる実義を知る。あまねく諸国を遊し、広く余経を求め、閻浮提においてあまねく求むるも、つぶさに得るあたわず。ひとり静室にありて、水精房中でこのことを思惟せり。大海竜王はみてこれをあわれみ、八大海に接する宮殿中において七宝の函を発し、華厳、法華のもろもろの摩訶衍、雲経、太雲、華手、般舟、もろもろの方等深奥経の無量の妙法をもってこれを授け、竜樹は受誦すること九〇日にして、その心深く入り実利を体得す。竜王その心を知りて問いていわく、経を読むはいまだしやいなや。答えていわく、汝の諸函中には経多くして無量なり、劫を経るも尽くすべからず。わが読去するところは、すでに閻浮提経に一〇倍せり。竜王のいわく、わが宮中の所有の経典のごとし。諸処はここに比ぶるに数知るべからず。おのおのの塵数は妨げず、礙げず、不可思議なり。竜樹いわく、願わくば深経を得て、まさに閻浮提にかえりて大いに仏教を弘めて外道を摧伏せんと。竜王のいわく、わが宮に華厳不思議解脱経三本あり。(中略)法華平等大会経は十世界の微塵数の偈、不可説品にあり。自余の経典ははなはだ広博たり。竜樹いわく、われの妙典を見るは不可思議なり。まさにいかにして伝えんとす。竜王いわく、不思議解脱経の上、中二本は閻浮提の人力の受持するところにあらず、これを伝うべからず。法華深経は略本にして閻浮提にあるも、広本は並んで秘してわが宮中にあり。すなわち、下本の華厳ならびに諸経の一箱を授く。竜樹すでに一箱を得、深く無生に入る。竜樹は逆に南天竺を出でて大いに仏教を弘め、外道を摧伏して摩訶衍を広め、三部の大論、千部の別論を作る。大論中に多く華厳、法華等の引く幽微の旨を釈し、云々。もしこの伝記に准ずれば、すでに大本あり。ならびに秘して竜宮ありて隠して伝えず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これによりてこれをみるに『法華経』もやはり竜宮の怪談中より現出せり、あるいは雪山の塔中より伝来せりとなす。これまた識者のとらざるところなり。けだし西洋にても『法華経』の真偽につきては異説すこぶる多しという。果たしてしからば、大乗非仏説論者は鬼の首を取りたる心地にて得意然たるに相違なかるべし。法華は実に大乗の鬼の首なり。その他の大乗教は手や足に比して可ならん。しかるにその首すでに敵手に落ちたる以上は、大乗仏説論者は降旗を立てざるべからざる場合となれり。しかしてその果たしてしかるや否やは、余は別に意見あれば後に論弁すべし。

 つぎに大乗中の真言教はいかん。これも妖雲怪霧中より出生せるや。あるいは青天白日の伝来なるや、今『略付法伝』によるに、

  第三祖は名づけて那伽閼剌樹那菩提薩埵という(唐に竜猛菩薩という、旧に竜樹という)。南天に誕迹し、化して五印を被る。本を尋ぬればすなわち遍覆初生の如来なり。迹を現ずればすなわち位、初地に登る。あるいは邪林に遊び、しかも塵に同じ事に同ず。あるいは正幢を建ててもって仏威を宣揚す。〔千部の論を作りて邪をくだき正をあらわす。上は四王の自在処に遊び、〕下は海中の竜宮に入る。所有の一切の法門を誦持して、ついにすなわち南天の鉄塔の中に入り、親しく金剛薩埵の潅頂を授く。秘密最上曼荼羅の教えを誦持して人間に流伝す。

  大弁正三蔵の『表制集』に曰く、むかし毘盧遮那仏、瑜伽無上秘密最大乗の教えをもって、金剛薩埵に伝えたまい、数百歳してまさに竜猛菩薩を得て伝授せん。

 

 

 

 

 もし『八宗綱要』によらば、「如来の滅後、七〇〇年のとき、竜猛菩薩は南天の鉄塔を開き、金剛薩埵にあいて受職潅頂す。しかるのち、広くこれを流伝す。金剛薩埵は親しく大日如来を承く。大日如来はこれ教主なり。」                                                        とありて、その意『略付法伝』と同一なり。果たしてしからば、真言教も妖怪の真窟中より誕生せりといわざるべからず。竜樹は南天の鉄塔中に入りて数百歳の昔なる金剛薩埵にあいたりというがごときは、常識を有する者のみな信ぜざるところなり。

 以上、大乗中の実大乗と称する天台、華厳、真言三教の起源を略述し終わりたるが、なおその外に大乗中の権大乗と名付くるものあり。すなわち法相宗これなり。その宗は総じて六経十一論によると称するも、別して『解深密経』『瑜伽論』『唯識論』の一経二論をもって所依の経論となせり。しかして『瑜伽論』のごときは仏滅後九〇〇年、弥勒菩薩、都率天より中天竺阿踰闍国講堂に降臨して説かれたるものなりという。すなわち『八宗綱要』に記するところ左のごとし。

  如来滅後九〇〇年のとき、弥勒菩薩、都率天より中天竺の阿瑜遮国に降り、瑜遮〔那〕の講堂において、五部の大論(『瑜伽論』『分別瑜伽論』『大乗荘厳論』『弁中辺論』『金剛般若論』)を説きたもう。補処の薩埵、位十地に居す。これすなわち如来在世の親聞の所伝にして、非空非有の中道の妙理なり。諸教の中においてまことに明鏡となす。『瑜伽論』のごときは巻軸一〇〇巻、諸教ことごとく判ずるが故に広釈諸経論と名づく。

 

 

 

 故に法相宗の伝統は仏より弥勒に伝え、弥勒より無着に伝え次第に相承すとなす。しかるに仏在世の時にまのあたり仏の説法を聴きたりし弥勒菩薩が、九〇〇年を経て都率天より降臨してその法を伝えりというがごときは、局外者の目よりみればやはり怪談の胎内より生まれ出でたりというべし。これを要するに大乗経は、あるいは竜宮より将来せり、あるいは鉄塔中より伝来せり、あるいは鉄囲山の外にありて結集せり、あるいは都率天より降来せり等と唱えきたりて、いずれも妖怪畑の寓言談にあらざるはなし。故にこれを小乗と相較するに、大乗の起源ははなはだ疑わしきところ多ければ、非大乗家は日清戦争の日本人のごとく百戦百勝の勢いにて、すでに旅順を陥れ、威海衛を抜きたれば、これより一挙して北京城を衝くべしとの勢いなるがごとし。今更に『出定後語』に論ずるところを引用すべし。

  (前略)ここにおいて法華氏の言興る。その言にいわく、成正覚よりこのかた四十四〔余〕年を過ぐ。無数の方便、衆生を引導す。わが所説の諸経、法華最第一。ただし、菩薩のためにして、小乗のためにせず、諸法の実相を観ず。これを菩薩行と名づくと。『無量義経』もまたいわく、四十余年、いまだ真実をあらわさず、種々の説法は方便力をもってすと。これみるべし、そのこれを四十余年ののちに託して、従前の諸家を愚法にし、またこれを実相に託して、従前の有空を破るや。これ法華氏はすなわち大乗中の別部、従前の二乗をあわせてこれを斥する者なり。しかるに後世の学者はみなこれを知らず。いたずらに法華を宗として、もって世尊真実の説経中の最第一となせる者は誤る。年数前後の説は、実に法華にはじまる。幷呑権実の説もまた、実に法華にはじまる。広大の方便力、古今の人士を熒惑するは、なんぞ限らん。ああ、だれかこれをおおう者、出定如来にあらざればあたわざるなり。

    『解深密経』にいわく、初め小乗、なか空教、のち不空と。また法華氏の党なり。また案ずるに、三蔵の目、始めて迦葉に起これり。しかして法華の文に三蔵学者あり。ここに知る、『法華経』のちに出でたるを。また案ずるに、法華はけだし普現の徒作る。大論の遍吉の語をみるべし。

  ここにおいて、華厳氏の言興る。すなわちこれを二七〔にしち〕日の前、円満修多羅を説くに託して、もって従前の小乗を斥し、またこれを日輪のまず諸大山王を照らすにたとえて、もって従前の大乗を斥し、特に一家の経王を作れり。誠に加上する者の魁なり。後世あるいはまた、この方便を信じて、この経を最上至極、頓の頓という者はまた誤れり。

    舎利弗、目連は、異時異処、共に仏法に入れり。しかるにこの会、すなわち舎利弗等五〇〇声聞あり。祇洹林、普光法堂は、このとき並びにいまだ建立せず。しかしてこの文、つぶさにこれを述べたり。これみな作者の方便逗漏の処。また案ずるに、華厳に諸法実相、般若波羅蜜の語あり。ここに知る、この経もまた三経ののちに出でたるを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして漸次に方等部、禅家部を論じて真言部に至り、その下に曰く、

  不空師いわく、経夾を鉄塔に蔵して数百年、竜猛始めてこれ獲たり。しかるに竜猛の所説は一言のここに及ぶものなし。ただ秘密の号、竜猛に出づる、故に後世の崇奉の至れり。けだしよってもってしかりとなすなり。

 

 

 

 これを要するに富永氏の説は大乗加上論にして、小乗の基礎の上に一階、二階、三階を加上して、最後に実大乗のごとき最上無比の層楼高閣をみるに至るとなす。また重ねて『赤倮倮』の大乗経および五時判釈に与うる批評を提示せん。

  先つ華厳を最初の説とするは始成正覚の語あるを以てなり。しかれとも諸部の小乗にも始成の語有て鹿苑を以て最初の説とす。荊渓因て言ふ、是れは小機の見る所にして、大乗の始成に異なりと。荊渓若し此説を主張せられば、恐くは矛盾の過ち有べきか。如何となれば夫れ鹿苑を成道最初の説とすることは法華方便品にも見へたり。所謂「われ始めて道場に坐して」       より法僧差別名に至り。此一段六十四句の偈是なり。其大意を言はば世尊成道の後三七日〔さんしちにち〕思惟し玉はく、我れ直ちに一乗の法を説くべしと雖も、衆生根鈍にして信すること能はし。然るに過去の諸仏皆方便を以て三乗を説き玉へり。今我も其例に従はんとて鹿苑に趣き五比丘の為に四諦の法を説く。此時始て三宝の名有りとなり。如此なれは法華の始成は即ち小乗の始成に異なること無れば、法華も亦小機所見の説と謂ふべしや。是れ別義にあらず。元来華厳は法華より後に出てたる経なれば法華に於て其沙汰は無きはずなり。然るに天台大師信解品の長者窮子の譬に於て五時を配当し、其傍人急追を華厳の擬宜を領するの文とす。是れ付会の甚きなり。今試みに本文のみを平かに読み去るべし。何そ曾てかかる穿鑿に及ばんや。況んや旧訳正法華の此譬は文句甚た異にして、五時に配すべきやう曾て無し。されは天台の説巧なることは巧なれとも、終に是れ此経作者の本意には非ず。且つ又華厳経に就きて考ふるに、彼の作者成道最初の説に託すといへとも、処々に破綻の文有て、覚えず後出の消息を漏逗せり。夫れ小乗の教有て而して後声聞の人は有るへきことなり。爾るに此経入法界品に舎利弗等の五百の声聞あり。此時未だ小乗の名さへ有るべきやう無きに舎利弗等何くより何れの法を学ひ得て声聞とは成れるや。且つ祇園精舎は仏成道六年の後始て造立有りしなり。然るに此品の初に祇園精舎あり。是れ前後相違に非ずや。次に阿含を第二時とすること、信解品の脱妙著麁の文に拠てなり。然れとも此譬、五時に干渉ざること既に上に弁するか如し。况んや旧訳には脱妙著麁の文も無きお〔を〕や。次に方等を第三時とするは、大集経の如来成道始て十六年の文に拠れり。夫れ方等経も至て博し、其間た説時の異説区々なり。今唯大集一経を以て余の一切を概せんこと不平の甚きと謂ふべし。次に般若を第四時とするは、仁王に「如来成道して二九年、すでにわがために摩訶般若を説きたまう。」                  と云ふに拠れり。然れとも仁王の意は其前二十八年中に華厳阿含方等の三時を説き畢はれりと謂へるにはあらず、只成道以来諸部の般若を説て二十九年に至れるの義なり。次に法華涅槃を第五時とするは「四十余年、および滅度時に臨んで」         の文に拠れり。然れとも是れ皆二経の作者自張自大の談のみ、他経を以て律すれは其説合はず。近くは遺教経の如き如来臨滅中夜の説にあらずや。是れ皆小乗の所説なれば、阿含部反て法華涅槃の後に在り。已上指出する所五時の破綻かくの如し。乃至〔中略〕、嗚呼両宗(天台、華厳)の祖師、諸経は皆後人の手に出つることを知らざるほどの人ならんや。唯是れ護法の念勝て直ちに説破するに忍びず、多方に遷就回互し、後の学者をして圏套中に陥れて跳不出ならしむ嘆すべし。

 今その論中にも出づるがごとく、『遺教経』は仏最後の経にしてしかも小乗なるは、非大乗家の大いに怪しむところなり。『遺教経』は釈迦牟尼仏最後の説法に、度すべきところの者みなすでに度しおわりて、娑羅双樹の間においてまさに涅槃に入らんとす。そのとき中夜寂然として声なし、諸弟子のために説かれたるものなりという。その説、小乗に属するをもって蔵経中にては小乗部に編入せり。しかしてその経題は、あるいは『仏垂般涅槃略説教誡経』と称し、あるいは『遺教経』と称するもただ繁略の異あるのみにて、義意相同じという。またこの経を義通大乗となす説あり。あるいは小中の大となす説あるも、一般に小乗教中に加うるなり。もし仏の本意大乗にありとせば、なんぞその入滅に臨みて大乗を説かずして小乗を説きしや、これ非大乗論者の疑難なり。以上、大乗非仏説論者の論拠を挙示してここに至れば、更にその要旨を一束して通覧に便にす。

  一 小乗の説は事実にして、大乗は空想なり。たとえば小乗の経説にては十九出家八十入滅といい、大乗の経説にては久遠劫来の仏にして、滅度を示すといえどもいまだ滅度せずというの類いこれなり。

  二 大乗は小乗の説の上に敷衍加増せるものに過きず。たとえば小乗にて六識を立つれば、大乗にてはその上に七識、八識ないし十識あることを説くの類いこれなり。

  三 仏滅後の三蔵結集は上座大衆共に小乗にして、大乗にあらず。

  四 大乗の諸経は仏滅後五、六百年を経て、あるいは竜宮より将来し、あるいは塔中より伝来せりと称し、更に確信すべき事実を伝えず。

  五 仏滅後四〇〇年間は小乗ひとり行われて、大乗の伝わらざりしはいかん。

  六 仏滅後部執争論の囂々たる中に、更に大乗の沙汰あるを聞かざりしははなはだ怪しむべし。

  七 仏入滅後はもちろん仏在世といえども、諸羅漢達の信解することあたわざる大乗が、滅後何者かよくこれを信解して、五〇〇年後まで相伝えたるや。

  八 仏在世の羅漢すらなお了解し難き大乗が、五〇〇年後、馬鳴、竜樹これを唱うるに当たり、世間一般にたやすくこれを了解せるはあに怪しまざるを得んや。

  九 大乗諸経はおのおのその経をもって最勝既上の教となして他の大乗教を貶斥する点よりこれをみるに、大乗経は一仏一人の所説にあらざること明らかなり。

  一〇 阿弥陀や観音や普賢や文殊等の大乗の仏菩薩を始めとし、大乗の名義が『阿含経』中にみえざるはまた怪しむべし。

  一一 仏最後涅槃に入らんとするときに説かれたる『遺教経』の小乗教なるはいかん。

  一二 馬鳴、竜樹はみな阿難迦葉を祖として、その伝うるところを述ぶるにもかかわらず、仏書中には阿難等を声聞として下に置き、竜樹等を菩薩としてその上に置くゆえんまた解し難し。

  一三 漢明帝のとき迦葉摩騰が将来せる仏教は小乗にして大乗にあらず。禅宗の祖師達磨、東土にきたり小乗にて用うる七仏をもって相伝えて正法眼蔵となせり。かつまた小乗の阿難、迦葉等は実に仏の弟子たるに相違なきも、大乗の観音、勢至、文殊、普賢等は想像上の菩薩にして、実に世に存在せるものにあらず。これらの事実も大乗非仏説の一考となすに足る。

 以上の疑難の外に、更に左の三条を加えて可ならん。

  一四 仏教中『唯識論』『顕揚論』等に大乗非仏説論に対する弁駁あるをみれば、大乗非仏説の疑難はインド古代においてすでに行われしは明らかなり。しかして小乗非仏説の論あるを聞かず。これまた大乗の疑うべき一点なり。

  一五 仏教の本家本元たるインドには小乗教のみ行われて大乗あるを知るものなし。たとえ大乗あるを知るも、大乗をもって真の仏説となすものなきは、また大乗の疑うべき一点なり。

  一六 大乗、小乗の名は大乗家の用うるところにして、小乗家には大乗はもちろん、小乗の名目すらこれを用いず。もし仏在世においてこの二種共に説かれたるならば、小乗経中に大乗の名義なきにもせよ、小乗の名目ありて可なり。しかるに小も大も共にみえざるは、当時小乗のみありて、大乗なき一証となすに足る。

 以上一六条の疑難は、小乗家もしくは局外者の大乗攻撃の鎗なり、薙刀なり、鉄砲なり、軍艦なり。大乗家なんぞこれに対して備うることなくして可ならんや。たとえスペイン弱小なりといえども、アメリカこれに備うることなくして勝を制するを得んや。もし日本仏教家の決心は愚民の迷信中に篭城するにあらば、あえて局外者の攻撃に備うるに及ばずといえども、いやしくも学術世界へ羽翼を張らんと欲せば、まず大乗の真に仏説なることの証明を与えざるべからず。しかるに古来仏教家が『顕揚論』『唯識論』を始めとして大乗非仏説に答うる弁護あれば、別に備えをなすに及ばずというものあらんといえども、余はこれらの弁護をもって今日の勁敵に備えんとするは、あたかも種ケ島の火縄砲をもって精巧なる兵器を有する敵と相闘わんとするに異ならずと考うるなり。今その果たしてしかるや否やを示さんと欲し、まず古来の大乗仏説論を掲ぐべし。

       二 仏説論の弁護

 インドにありて大乗非仏説に対する仏説の弁護はまず『荘厳論』に出づ。その巻一(三紙左)に曰く、

  釈していわく、人ありて、この大乗は仏の所説にあらず。いかんがこの功徳得べきありやを疑う。われ今かの疑網を決し、大乗は真にこれ仏説なるを成〔立〕せん。偈にいわく、

    不記とまた同行と  不行とまた成就と  体と非体と能治と  文異との八因よりなる。

  釈していわく、大乗を成立するに略して八因あり。一には不記、二には同行、三には不行、四には成就、五には体、六には非体、七には能治、八には文異なり。第一の不記とは、先法すでに尽きて、のち仏まさに出づ。もしこの大乗これ正法にあらずんば、何故に世尊初めに記せざるや。たとえば未来異あれば、世尊すなわち記するがごとし。この不記の故に、これ仏説なるを知る。第二の同行とは、声聞乗と大乗と先にあらず、後にあらず、一時同じく行わる。汝いかんがこの大乗ひとり仏説にあらずと知るや。第三の不行とは、大乗は深広にして忖度して人のよく信ずるところにあらず。いわんやまたよく外道諸論を行ずるをや。かの種不可得なり。この故に不行なり。彼、不行によるが故に、これ仏説なり。第四の成就とは、もし汝、余の菩提を得る者は大乗ありと説く。これ今の仏説には大乗あるにあらずといわん。もしこの執をなさば、すなわち反りてわが義を成ず。彼、菩提を得るも、またすなわちこれ仏のかくのごとく説くが故なり。第五の体とは、もし汝が余の仏は大乗の体あり、この仏は大乗の体なしといわん、もしこの執をなさば、またわが義を成ず。大乗は異なく、体はこれ一なるが故なり。第六の非体とは、もし汝がこの仏に大乗の体なしといわば、すなわち声聞乗にもまた体なし。もし汝、声聞乗はこれ仏説なるが故に体あり、大乗は仏説にあらざるが故に体なしといわん、もしこの執を作さば大過失あらん。もし仏乗なく、しかも仏出でて声聞乗を説くものあらば、理応ぜざるが故なり。第七の能治とは、この法により修行するによって無分別智を得、無分別智によりて、よくもろもろの煩悩を破す。この因によるが故に大乗なしということを得ず。第八の文異とは、大乗は甚深にして文義のごとくにあらず。まさに一向に文にしたがって義をとり、仏語にはあらずというべからず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もし『顕揚論』(巻二〇の一一)によれば左のごとく説けり。

  問うていわく、なんぞまさに大乗の言教、これ仏の所説なりと知るべし。答う、一〇種の因あるが故に。一にはさきに記別せざるが故に。二には今、知るべからざるが故に。三には多く所作あるが故に。四には極重の障の故に。五には尋伺の境界にあらざるが故に。もしさきに聞かざれば、かくのごとく尋思計度するあたわず。この故にもしこれ余の所説なりといわば、道理に応ぜず。六には大覚を証するが故に。もしいまだ成仏せずして、よく仏の教えを説くは道理に応ぜず。七には第三の乗をなくする過失の故に。八にはこれもしあることなければ、まさに一切智者の成ずることなかるべき過失の故に。九にはこれを縁して境となし、理のごとく思惟して一切もろもろの煩悩を対治するが故に。一〇にはまさに言のごとくかの意をとるべからざるが故に。

 

 

 

 

 すなわち『荘厳論』には八因を掲げ、『顕揚論』には一〇因を掲ぐるの不同あれども、その意大抵相同じ。もし『唯識論』(巻三の二一)によれば、『荘厳論』に基づきて七因を挙げて弁護せり。『荘厳論』の頌文は弥勒の説なるをもって、『唯識論』には慈氏の説となせり。すなわち左のごとし。

  聖慈氏、七種の因をもって、大乗経は真にこれ仏説なりと証したまえり。一には、さきに記せざるが故にという。もし大乗経は仏滅度ののちに、余の正法を壊さんがための故に説くことありといわば、いずれが故ぞ。世尊のまさに起こるべきもろもろの可怖のことのごとく、さきにあらかじめ記別したまわざりしや。二には、本より倶行するが故にという。大小乗経は本来より倶行す。いずくんぞ大乗のみをひとり仏説にあらずということを知るや。三には、余の境にあらざるが故にという。大乗の所説は広大甚深にして、外道等の思量の境界にあらず。かの経論の中に、かつていまだ説かざるところなり。たとえ彼がために説くとも、また信受せざらん。故に大乗経は非仏の説にはあらず。四には、まさに極成すべきが故にという。もしいわく、大乗はこれ余仏の説なり。今仏の語にはあらずといわば、すなわち大乗教はこれ仏の所説なりということ、その理極成せん。五には、有と無の有との故にという。もし大乗あらば、すなわちまさにこの諸大乗教は、これ仏の所説ぞということを信ずべし。これを離れては、大乗というもの不可得なるが故に。もし大乗なくんば、声聞乗の教えもまたまさにあるにあらざるべし。大乗を離れては決定して仏となることを得る義あることなきをもって、だれが世に出でて声聞乗を説かん。故に声聞乗のみこれ仏の所説なり、大乗教にはあらずということ、正理に応ぜず。六には、能対治の故にという。大乗経によって勤めて修行する者、みなよく無分別智を引得して、よく正しく一切の煩悩を対治す。故にまさにこれはこれ仏の所説ぞということを信ずべし。七には、義が文に異なるが故にという。大乗の所説は意趣甚深なり。文にしたがってしかもその義をとって、すなわち誹謗を生じて仏語にあらずとはいうべからず。この故に大乗は、真にこれ仏説なり。『荘厳論』にこの義を頌して言うがごとし。

 

 

 

 

 

 

 

 この唯識の論は『唯識述記』巻四本(二六紙左より三四紙左まで)に詳解せり。今これを和解するに第一の理由は小乗家の言うがごとく、大乗経は果たして仏滅後の偽作なるものあらば、仏あらかじめそのことを説き置かざるべからず。しかるに仏にその予言なき以上は滅後の偽作にあらざるべし。第二の理由は大乗教は最初より小乗教と並び行われり。もし大乗は仏滅後の作ならば、最初より小乗と共に並び行わるるはずなし。第三の理由は大乗の所説は広大甚深にして、外道あるいは小乗家の思量し得るところにあらず。故に仏はかくのごとき徒に対して大乗を説かざるなり。これ小乗経中に大乗の説をみざるゆえんなり。第四の理由はもし反対論者の言うがごとく、大乗は迦葉等の余仏の説にして、釈迦仏の説にあらずといわば、これ取りも直さず大乗は仏説なりというに同じ。なんとなれば仏智互いに相等しければなり。第五の理由はもし大乗は釈迦仏の説にあらずといわばだれか世に出でて小乗を説きしや。小乗は大乗を離れて決定して成仏するを得べからず。もし小乗をもって仏説なりとなさば、大乗ももとより仏説ならざるべからず。第六の理由は大乗経によりて勤求修行すれば、みなよく仏智を発して一切の煩悩を断滅すべし。故にこれ仏説なり。第七の理由は大乗の所説は意味深長なれば、文に従って義をとるべからず。ただちにこれをみれば小乗と大乗とは意義背反するがごときも、深くその義を探らば二者相契合するを知るべし、故に大乗は仏教なりと。これ大乗非仏説に答えたる弁明なり。よろしく『唯識述記』および『了義灯』(巻四本の二五右)をあわせ検すべし。その他『摂大乗論釈』(無性菩薩造)巻一(七紙左)には「大乗は真にこれ仏語」      の句あり。また同書巻三(一八紙右)に「大乗教は真にこれ仏語にして、一切は補特伽羅の無我性に違わざるが故に」                     の語あり。これを『因明大疏』(巻四の一五左)、『瑞源記』(巻五の一二右)に引きて随一不定の失ありとなす。その他、経論中に余いまだ小乗家に対して大乗仏説の証明あるをみず。

 以上の『荘厳論』『顕揚論』『唯識論』等の大乗非仏説に対する答弁は、局外者に示さばいかなる批判を下さんや。これ必ず自分免許の論法、内弁慶の立論といわん。なんとなればその論は大乗は甚深高妙にして、小乗人の知るところにあらず、あるいは仏あらかじめ大乗非仏説を示さざるをもって、仏説に相違なし等と憶断するに過ぎざればなり。今日の仏教家はこの証明をもって大乗非仏説論者を降伏するに足ると思うや、恐らくは一人もかく考うるものなかるべし。果たしてしからば、今日は今日の人に満足を与うべき証明を別に工夫せざるべからず。

 もし古来わが国の大乗非仏説論に対して与えたる答弁は、左の数書につきてみるべし。

  一 富永仲基の『出定後語』に答えたるものに、潮音師の『掴裂邪網編』上下二巻あり。

  二 服部天游の『赤倮倮』に答えたるものに、同師の『金剛索』一巻あり。

  三 平田篤胤の『出定笑語』に答えたるものに、無名氏の『掴邪新編』五巻あり。

 しかして余いまだ平田篤胤の『印度蔵志』に答え、朝夷厚生の『釈氏古学考』に答えたるものあるをみず。富永の『出定後語』に答えたるものに無相文雄師(京都人)の『非出定後語』ありというも、余いまだその書を検せざればここに論及することあたわず。その外シナ刊行のイギリス人著作の『釈教正謬』に答えたる杞憂道人の『釈教正謬初破及再破』合三巻あれば、あわせてここに挙示すべし。まず『掴裂邪網編』に破して曰く、

  汝、大乗をもって後人の偽造となすに、管見起こるところ二あり。一には大小二乗はその義異なることあるが故に。二には仏滅度ののちに小乗の流布は最もおおく、大乗の流布はややすくなし。馬鳴、竜樹のときに至りて、広く大乗を称す。この二事は迷いを生じるゆえんなり。われ今汝に告ぐ。大小二乗の根機はおのおの別なり。故に知る、教うるところもまた別あり。しかりといえども全くこれ一具にして、仏法は函と蓋の相離せざるがごとし。『増一阿含経』にいうがごとく、菩薩は大乗を発趣すと。またいわく、方等、大乗の義は玄邃なりと。またこの経の中に大乗経のごとく、他方世界に奇光如来の国土を説き、『成実論』のごとく小乗部に属するも、明かすところの法相は経、律、論の三蔵のほかにさらに雑蔵、菩薩蔵を立つる。この菩薩蔵は大乗の諸経に当たる。『婆沙論』五八(一三右)にいうがごとく、これ勝義とはすなわち一法の自性は、これ一切法の自性なるべし。一法生ずるときは一切法まさに生ずべし。これまた大乗の義に合す。さらに真諦三蔵の説を按ずるに、小乗の中に大衆部ありて、『華厳』『涅槃』『勝鬘』『維摩』『金光明』等の経を弘む、いわんやまた大乗経の中においてをや。小悟を得る者ありて、小乗経の中にまた菩薩の得記を説き、大乗所説の三十七品、十二因縁等はみな小乗の名を仮用す。『法華』に説くがごとく、声聞の法は決了する、これ諸経の王なりと。『涅槃経』のごとく、小乗の律をたすけて大乗の常を談ず。まさに知るべし、大小二乗は一具の仏法にして矛盾あることなきを。いうべし、小乗の経典は大乗をもってその内証となし、大乗の法門は小乗をもってその階梯となすに、なんぞ一具の仏教にあらずとなさんや。しばらく仏の滅後に小乗流布し、後時に至りて大乗やや盛んなるがごとく、物には顕晦あり。一切諸法はみなしかり、これすなわちほかなし。正法のとき衆人はおのおの小乗の教えを学んで無漏の果を証すに、ことすでに足れり。文殊等の大菩薩は大乗を持すといえども凡手に落ちず。付法蔵師は多く大乗をもって心心密付して時にあわざるが故に、深く破法を恐れるが故に、像法の始まりに至りて、衆人は名相に著し、いたずらに諍論を好む。悟人やや少なし。この運に当たるなり。馬鳴、竜樹等の諸大菩薩は大乗の法門を開闡して深々の修行の地を授く。汝のいうことを加上の説となす。だれかまたこれに惑わされんや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この文によれば『増一阿含経』中に大乗の名目ありという。よって余これを検するに、

  菩薩は意を発して、大乗に趣く。(同経巻一の六右)

  大乗を発趣して、意ははなはだ広し。(同巻巻一の七右)

  方等、大乗の義は玄邃なり。(同巻一の八左)

  善逝はこの智を有し、質直にして瑕穢なし。勇猛は所伏を有し、大乗行を求む。(同巻一〇の八左)

 

 

 

 

 また奇光如来の名称は『増一阿含経』巻二九の五右に出づ。これによりて大乗の名目および大乗の如来の『阿含経』中に存するを証するも、この一事だけにてはいまだ非大乗論者を屈伏するに足らず。なんとなれば四阿含中わずかにその一部に大乗の名目あるのみにて、大乗の教義の別に存することを開示せざればなり。ことに大乗の名ありて小乗の名なきは人の大いに怪しむところなり。かつ考証せるところの『阿含経』はシナ訳にして、インドの原本にあらざれば、いかなる原語に大乗の文字を配合せるやも、必ず局外者の疑うところならん。要するに大乗の名目の一、二カ所に散見せるのみをもって、大乗の真に仏説なるゆえんを証するに足らざるなり。また大小両乗は一具の仏法にして別に矛盾するところあらずと論ずるも、これまた大乗は仏説なりとの考証に備うるに足らず。なんとなれば、もし後人の偽作とするに、その作者の目的はこれを仏説らしく装いて世を欺かんとするにあれば、種々工夫を凝らして矛盾のなきように作為するに相違なかるべし。故にその矛盾なきは決して大乗仏説の証拠とはならざるなり。また仏滅後小乗ひとり行われて大乗の伝わらざりしは、時に顕晦ありて大乗はその当時の事情に適せざりしによるとするも、付法蔵の師は心心密付して大乗を伝えたりといえり。すでに心心密付といえば禅宗のいわゆる以心伝心と同様にして、歴史上および客観上の事実をもって証明し難きを自白せるに同じ。故に世間の非大乗論者はこの心心密付論を聞きて、事実上大乗仏説を証明すべからざるものとなすは明らかなり。これを要するに仏教外の批評的論者に対しては、『掴裂邪網編』の立論はさほどの価値なきものと知るべし。

 つぎに『赤倮倮』に対する『金剛索』を検するに、その論旨『掴裂邪網編』に異なることなし。かつそのいちいち返駁するところ瑣々たる小瑕を挙げて喋々するに過ぎず。すなわちいわゆる一種の水掛論法なり。もししからざれば誹謗罵詈の語すこぶる多し。たとえば巻首に「服天游、妄言論ずるに足らずといえども、またおそらくは痴人は邪計を受け、みだりに禿毫をふるいて、そのおおかたを駁す。」                            といい、あるいはまた、「汝、邪心をもって如来、正徧知に向かうは、あたかも螂臂が竜車を衝くに似たり。」                     というがごとき、その一斑を知るに足る。昔日の学者はいざ知らず、今日の学識あるものはこの種の論法を読みて感服するもの、けだし一人もあらざるべし。ことにその語気あまり毒気を帯びて大人君子の言にあらざるなり。しかれども『掴裂邪網編』および『金剛索』はなお多少参考するに足るも、『出定笑語』に対する『掴邪新編』に至りてはただみだりに悪口毒舌を陳列せるのみにて、実になんらの価値なき駁論なり。その相手とするものが悪口の隊長なれば、このくらいの毒舌は当然なりといわば、余あえてこれを責めず。畢竟毒舌悪口の展覧会なり。まず『掴裂新編』の毒舌の一端を示さば、

  此邪論文言尤も卑陋にして読むに堪へず。凡そ言語の麁暴なること未たかくの如くなるものを見ず。

  汝が罵る所の一部四巻の麁悪語は、蛍の火を以て大海をてらし、蚊の翼を以て扶桑木をたふさんとするか如し。

  汝邪俗下愚の分斎として仏道の真面目を語る抔とは古今未曾有の増上慢なり。

 一編の文章みなこの調子にて悪口の博覧会をみるがごとし。ひとり平田篤胤をののしるのみならず、富永仲基までもその悪口の渦中に巻き込まれり。すなわち曰く(巻二の四一)

  爰に仏滅後二千六百九十余年に当て滔天の大悪人富永仲基と云者あり。頗る黠智ありて文字を識るが故に、黄檗の鉄眼禅師愍んて蔵経翻刻の筆耕を委ぬ。是に由て一切経を見ることを得たり。此時邪智を振て遂に出定後語と云邪書を作て万人を惑はせり。彼聊も人情ある者ならば衣食の恩をも報すべきに、仏物を偸て返て仏敵となる。怨を以て恩を報する畜生にも劣りたる所業、実に天誅も容る所なし。されとも東照宮の神徳に依て仏教興隆する世の中なれば、如是の邪書は取る人もなくして数十年紙魚の餌と成居たりしが、宝暦年間なりけん、京師に無相文雄と云人有て非出定後語と云書を著して破せられしが、所破の書だに知人希なる程のことなれば、此出定後語も知る人希なりけん。如是して六七十年を経て本居平田等の邪人の手に入て、同気相求て愈非中に非を飾て、かの糞器に玉を鋟むるとか云様に、見るにも耐ざる罵り草を集て、四巻の邪書を草稿したりしかとも、邪人もさすがに仏性を具したる故にや、此くの如くかきは書たるものの、此仏法繁昌の世の中にかかる未熟の書を出したりとも、目に触るる人もあらじ。且つは少にても仏教を読得る人あらば、微塵に破斥せらるべしと。彼是世の譏嫌を恐て世には披露せざりけん。文政年間に江戸駒込の潮音師、掴裂邪網編、金剛索の著ありしかとも、此篤胤が邪書は見ざりしよしなり。然るに世降るに随て治世の恩沢に甘えて、学問を怠る者多くして、仏学衰廃に及びしかば、此弊に乗して邪学愈流行し、草稿の頃より三十五年許を経て、嘉永二年に当て、浪華座摩社の社司近江守資政と云もの、択法眼なく只人の好む所に阿りて、活字板に物して此出定笑語を世に弘ることになりぬ、云云。

 かかる口調をもって立論せり。『出定後語』は世間に知るものも読むものもなかりしに、本居大人〔本居宣長〕の『玉勝間』中にその書を称誉せられてありしを、平田翁これを読みてその書を捜索し、かつ大いに吹聴せられたりしをもって、始めて世に知らるるに至りしことは、平田翁自ら『出定笑語』(中巻二五紙)に述べおかれたり。今『掴邪新編』はだれの作なるを知らず。その撰述の年時は慶応三年なり。その中に述ぶるところは今引用せるものの外、別に参考するに足るべきものなし。ただここに大乗非仏説に答えたる一節を引用せん。

  今汝か言ふ所の如く、仏経は一部一冊として釈迦の真経に非ず、皆後世の偽作なりと云はば、何を以てか智者覚者と名くべけんや。故に今仏陀と云ふは内権実二智を具して、外能く衆生の機に応して、権実二教を施して、仏知見を開かしむるもの、是を仏と云ふ。乃至〔中略〕此二教はともに如来の大悲心より流出して、一言一句として真実ならざるものあることなし。若し邪人の言ふ所の如く一代経皆後人の偽作ならば、釈迦は仏にあらずして後世の人師こそ仏なるべけれ。若し後世の人師是れ仏にして、釈迦是れ仏にあらずんば、何か故に後世の人師を仏と仰かずして、釈迦をのみ仏とは世に仰ぎけるぞ。然るに邪輩宿福なくして択法眼と云ものを具せざれば、云何なるか是れ大乗、いかなるか是れ小乗と云綾目を分たず。大小乗の仏教聖者に非れは説く可らざる由を知らず。斯る非人に対して大小権実の差異を談するは、譬へば盲者の前に錦繍の幔幕を張り、聾者の前に糸竹管絃の楽を奏するか如く、畢竟して益あることなし。

 その論旨、大抵みなこの類いなり。その全編一読の価値なきは推して知るべし。古来仏教家の論いずれも独断自許に過ぎて、批判的道理に乏し。故にその立論、同党一味の人をして満足せしむるを得るも、局外者を心服せしむることあたわず。もし公平に評すれば『掴裂邪網編』『掴邪新編』等の論は、これを『出定後語』や『赤倮倮』に比するに、論理上の値直においては数歩を譲るといわざるべからず。富永仲基はなにものぞ。彼は大阪の町人にして俗称、道明寺屋吉右衛門なり。服〔部〕天游はなにものぞ。彼は京師の職工にして、織造をもってその家業となせりという。ああ、僧正とか上人とか禅師とか称せらるる名僧方が、その論ずるところ大阪の一町人、京都の一職工にだも及ばずとは、あに残念至極にあらずや。今日の仏者は今少々論理の眼を開くにあらざれば、到底将来に向かいて仏教の再興を期すべからず。仏教青年の諸子、それ奮起せよ。

 以上の数書の外なおここに引用するを要するものあり。すなわち前に一言せる『釈教正謬』に対する杞憂道人(鵜飼徹定師)著、『釈教正謬初破及再破』中、大乗非仏説に対する答弁これなり。左にその初破の文を掲ぐ。

  破して曰く、華厳を指して竜樹の自作せしところとなすは、もっとも妄誣となす。いたずらに笑いておおかたにとるのみ。それ華厳は諸経の王にして、唯心の祖となすなり。千経万論みなこの華厳の海中より流出す。故に八万四千の法、数百千年の教もすべて華厳の海中の波瀾に属す。未来際を尽くすといえども、説尽することあたわず。これ頓教の頓教たるゆえんなり。これをもって、インドの諸国の大乗寺には必ず文殊大士をもって上座となし、小乗寺には賓頭盧尊者をもって上座となす。けだし文殊大士を華厳の盟主となすは、これ大乗を崇重する左証の一つなり。またインドは外道の徒多し。ややもすればすなわち法を觔しておさめ勝をとらんと欲す。しかりといえども古今にいまだかつて一人の華厳をもって偽造となす者を聞かず。『唯識論』に七因を挙げて明らかに大乗の仏説なることを弁ず。これ左証の二つなり。また文殊は阿難に鉄囲山において摩訶衍を集めて菩薩蔵をなす、云々。これによりてこれをみるに、華厳は最も菩提樹下の魁となす。断として知るべし。これ左証の三つなり。経論は浩繁なりといえども、その理義のごときに至りては大小乗の教えはみな一轍に出ず。古今に差異あることなし。『四十二章経』の名目はもろもろの大乗とみな相同じ。決して後人の摸擬すべき者にあらず。これ左証の四つなり。唐の王は玄策を西域に使いす。維摩居士の石室ありて、手板をもって縦横これを量るに十笏を得たり。知りぬ。これ褒貶弾訶の跡にして、歴々として想い見るべきのみ。これ左証の五つなり。竜樹の偽造にあらざることあきらけし。華厳は竜樹菩薩が竜宮において取り出すというがごときは、なお孔子の壁中に蝌斗〔おたまじゃくし〕の書を捜得するがごとし。またなんぞ怪しむに足らんや。

  破して曰く、それ小を転じて大に向かい、浅きより深きに至るは閻浮一化の通軌なり。仏成道のとき、思惟するところの法門はすなわち華厳なり。初めに華厳を説き出すとき、もろもろの大菩薩は信解して如来の智恵を証入すも、二乗の声聞は信ぜずして解せず。聾のごとく唖のごとし。故に機に応じてもろもろの小乗法を説いて比丘を摂引す。これすなわち扇を挙げて月をたとえ、樹を撼して風にたとうるの術なり。しかりしこうして性に賢愚あり、才に大小あり。一音異解の説あるゆえんなり。けだし声聞の行はなお儒の小学によりて進退を習うごとし。菩薩の行は大学に入りてもって礼楽を講ずるがごとし。大学は小学を廃せず。大乗あに小乗を捨てんや。故に『華厳』にいう、菩薩は声聞、縁覚を捨てず。『法華』にいう、汝らの所行はこれ菩薩道と。『十輪経』にいう、もしさきに小乗を学ばずしてすなわち大乗を学ばば、このことわりあることなし、河水を飲む力なきもの、なんぞよく大海をのまんや。見つべし、大小一如なることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つぎに再破の文を挙示すること左のごとし。

  破して曰く、竜宮の事跡は載せて諸経にあり、ないしかつそれ書を著すは必ず大家の鑑を閲し、しこうしてその可否を定むるなり。けだし竜樹菩薩のときに当たりて、東に馬鳴あり、南に提婆あり、西に竜樹あり、北に童受あり。世に号して四日という。もし竜樹の偽造のことあらば、諸師あにこれを允許せるや。

  破して曰く、『四十二章経』は漢土の訳経の祖なり。このとき竺法蘭は十地〔住〕断結経、法海蔵経、仏本行経、仏本生経あわせて一五巻を訳出す。惜しいかな今は亡ぶ。しかるに今の『十住断結経』『法海』『本行』の諸経と同本にして、梁の『高僧伝』および『開元釈教録』に論ずるところのごとし。しからばすなわち大乗の訳はまた漢にはじむること知るべきなり。邪徒のもって漢明のときにひもとくところは小乗に過ぎずとなすは、井蛙の見耳なり。明の王世貞は大乗をもって如来の直説となし、今邪徒は小乗をもって直説となす。共に正義を失せり。

  また按ずるに大小乗の相通ずること、その旨は一にして足らず。『成実論』のごとく、詳しく四無所畏、四摂法および四諦、四果、五戒、十善、四禅八定、三報、三障等の教えを明かす。故に小乗部の中に収む。しかりといえどもいうところは心性本浄にして念生滅し去相なく住相もなし。心と意識とは同体異名にして正覚を成じ大業をなす。四沙門果を小業となし、不可説中に一異あることなし。諸法は実に不可得にして因果もあきらかに不可得なり。無諍智、一切智等の説は、みなこれ大乗に異ならず。まさに知るべし、小乗の名義はまさに大乗に通ずるなり。また按ずるに『阿含経』および『生経』に錠光、維衛、然灯、弥陀の諸仏の夙縁を説き、『百縁』には弥勒、普賢の諸菩薩の授記を説く。あに小乗の中にその名なしとなすや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以上の大乗仏説論は、潮音師の論と大略相同じく、やや一歩を進めたるところなきにあらざるも、いまだ歴史上あるいは客観上の事実に照らして証明せるものにあらず。従来の仏教は徳川三〇〇年間一方ならざる政府の保護を受け、その下に発達しきたりしをもって、局外よりいかなる駁論攻撃あるも、仏教城内はあたかも太平無事のごとく、高臥安眠もって日を送り「世の中に寝るほど楽はなかりけり浮世の馬鹿が起きて働く」、と歌いて自ら安んずる有様なれば、世間の駁論に対して理の可否、正邪を述べ立つるよりは讒謗罵詈、悪口毒舌を並べ立つる方かえって世人をして感服せしむることを得たりしも、すでに今日となりては道理上および事実上なるべく明瞭に、なるべく確実に、立論証明するにあらざれば、かえって世間より冷笑せらるるより外なし。故に従来の内弁慶流の答弁は今日の学識社会に対しては全く無効と称して可なり。

       三 非仏説仏説両論の取捨

 以上すでに古来の大乗非仏説論と仏説論を掲げ、その論者の間の問難答弁を示したれば、これよりこの二論の可否得失を判じ、あわせてこれに対する余が意見を述べざるべからず。しかるに余をもってこれをみるに、従前の仏者の論理および証明は、かえって敵者の論に数歩を譲るやの疑いなきあたわず。故に今日の仏者は大いに感奮するところなかるべからず、しからずんば仏教将来の存亡いまだ計るべからず。故に余は大乗仏説および非仏説の問題は、実に仏教の死活問題なりといえり。もし仏者は愚夫愚婦を相手として、下等社会に篭城する決心ならば、大乗非仏説論いかに四隣にやかましきも、すこしも懸念憂慮するに足らずといえども、もしいやしくも上流社会、学術世界へ一歩だも、踏み込まんと欲せば、従来の証明をもって決して満足すべからず。必ず今より仏教青年の学者がこれをその一身に任じて、他日、明確詳細の論証を世間に開示することに努力すべし。今その参考となすべきものは普寂律師の論なり。左に『顕揚正法復古集』(巻一の七紙以下)仏滅後弘伝を叙述せる下につきて、その一節を引用すべし。

  如来の滅後七日に尊者大迦葉は千の大阿羅漢を集会し、摩竭陀国の七葉巌において三蔵を結集す。尊者阿難は修多羅蔵を結集し、尊者優波離は毘尼蔵を結集し、尊者大迦葉は阿毘曇蔵を結集す。これを上座部と名づく。そのとき、界外に数万の大衆ありて、凡聖、聚会して五法蔵を結集す。いわく三蔵および雑蔵、禁呪蔵なり。これを大衆部と名づく。窟内と窟外とに二部を分かつといえども、法乳は一味にしてまた異諍なし。これを前番の二部と名づく。のちに百十余年を過ぎて大士あり。名づけて大天という。三蔵学者の名相を堕し、うたた聖旨を失するをなげき、すなわち大乗空義をとりて、三蔵を合糅して、生死、涅槃はただこれ仮名なるを宣説す。かつ一偈をもって五事を誦出す。しかるに上座部はこれを信ぜず、いたく毀斥を加う。大衆部はすなわちこれを信用し、ならびに五事を誦す。ここにおいて異執は調然として、法道は融けず。これを後番の二部と名づく。

  寂窃にいわく、前番の二部は全く異なきにあらず。上座部はすなわち迦文の嫡嗣なり。五師は相承してもっぱら三蔵を弘め、余蔵を伝えず。大乗方等はきびしく秘め伝えず。大衆部はこれ傍派にして、五蔵を伝持す。雑蔵の中に菩薩法を出ず。かつ阿含の中にいうところの未曾有法にして、あたかも大乗法を指すに似たり。あに二部の所執すでに少異あるにあらずや。真諦三蔵いわく、後番の大衆部の中に、『華厳』『般若』『金光明』『維摩』『勝鬘』『涅槃』等の大乗経を伝うる者あり。衆中にこの経を信ずる者あり、この経を信ぜざる者ありと、云々。またいわく、多聞部の中間に、深義を唱えて大乗に参渉す、云々。この説によりてこれを推し、すなわち知る。前番の大衆部はすでにひそかに大乗を伝えん。しかるに、これ密伝なることにより、後人にすなわち信ずる者と信ぜざる者とあり。また後番の上座部の出するところの法は、法蔵部、経量部等の五法蔵を立つ。その説もまた深義にわたる。旨趣は往々にして大衆部および大乗に順同す。おもうにそれ上座部の弘伝はきびしく深義を秘する故に、のちに薩婆多の世に興盛するに至りて、その弊は転じて名相に堕し、ついに如来に甚深なる秘蔵あるを知らざるに至る。たまたま深義を説くを聞かば、すなわちこれを非仏説といいて、これを嫌忌すること、なお仇怨のごとし。三蔵の実義はほとんどまさに滅せんとす。ときに、上座部の中に自部の頽風まさに聖旨を失せんとするをなげく者あり。ただし理長ずるにつきて、別に一計を作す。法蔵部、経量部等のごときなり。またその禁呪蔵の中にまさに許されし多くの持明の秘法あるべし。中において、三部五部の秘経は特に如来の秘蔵の玄極をあらわすが故に、伝法の菩薩はこれを修羅窟鉄塔等に秘蔵すると共に、これによりてこれをみるに、ただ後番の二部の所計は異あるのみにあらず。前番の二部の伝持せし異致を知るべし。問う、前番の上座の五聖の伝持はただ三法蔵のみ断ずるか、ほかになくしてなにによりて彼また秘蘊あることを知るや。答う、それ理教あり、今しばらく教証を出す。『付法蔵伝』にいわく、商那和修は優婆毱多の房に降臨し、手は虚空を指す。すなわち香乳を下す。高山頂の懸泉流注のごとし。問うていう、毱多はこれなんの定相ぞ、毱多はすなわち三昧に入り、深心観察して暁了することあたわず。すなわちその師に問う、これなんの三昧ぞ。和修答えて曰く、これを名づけて竜奮迅定となす。かくのごとく次第に五百三昧その名字を問う。すべて了知せず。乃至〔中略〕、毱多まさに知るべし、如来の三昧を、もろもろの辟支仏はその名をしらず、縁覚の三昧を一切の声聞は解了することあたわず。大目犍連、舎利弗等の入りたるところの三昧を、その余の羅漢は測度することあたわず。わが師阿難の三昧定相をわれことごとく知らず、今わが三昧を汝もまた知らず。かくのごとく三昧をわが涅槃ののちみなわれにしたがいて滅せん。七万七千の本生の諸経満足し、一万の阿毘曇蔵に八万の数の清浄なる毘尼あり。かくのごときの法もまたわれにしたがいて滅せん。この故に毱多如来の滅後に賢聖隠没することかくのごとし。法蔵ようやくまさに衰損すべし、云々。これをもってこれを証するに、諸聖の内証に無量の三昧の智慧、無量の秘密の法蔵あること、凡の測るところにあらずなり。しからばすなわち当今の人の問う受持の三蔵および大乗は、すなわちもろもろの大羅漢付法蔵のもろもろの聖なる心中所証の法蘊の百千万分の一のみ。秘蘊察すべし。理証すこぶる多し。下に至ってまさに知るべし。問う、『婆沙論』『異部宗輪論』等の説によらば、大天の五事をもって邪説をなすと毀斥、云々。今の叙べしところの彼と異なるはなんぞや。答う、『婆沙』等のいうところはけだしそれ毘婆沙師の誣謗の説のみ、しかるゆえんは善見律二地持論一説の大天はこれ聖者一時の大法将なり。『瑜伽略纂』および嘉祥の『三論玄〔義〕』の中に大天の事実を出す。尋ぬべし。按ずるに大天の所説は全く法印に違わず、諦理にそむかず、ただし大乗の秘密を発してもって三蔵の実義をあらわすのみ。ゆえんは大衆部本末諸部ならびにこれを服膺し、誦すところの五事にもまた道理あり。大衆本末みなこの偈を誦す。上座より出でしところの正量部等もまた五事を誦す。毘婆沙師の挙ぐるところはそれ鹿を指して馬となすとの説なりと知るべし。問う、毘婆沙師はなにによりて大天をにくむことこれはなはだしく、しかもそのごとき無根、非法の誣をなすや。答う、上座部はただし三蔵を弘めて、きびしく凡のために上々の法を説くを禁ず。もっていう、大天の所説はすなわち極禁を犯すと。一諍の已〔以〕後互いに相毀斥せしめ、憎むこと仇怨のごとし。毘婆沙師、大天を去ること二〇〇年になんなんとす。みだりに流言を録して、もってかの計を抑うのみ。往古来今、類例すこぶる多かれども怪しむべからず。梅は風雪をおかして香気鼻をうち、鉄は炉韛にねりて★(かねへん+刃)光斗を射る。古賢のあらそうところは、すべてのしるところにあらず。学者は容易にこれを評量することなかれ。

  二〇〇年後に大衆部より三部を分出す。一に一説部、二に説出世部、三に灰山住部なり。二〇〇年中にまた大衆部より一部を出す。多聞部と名づく。また一部を出す。多聞分別部と名づく。また二部を出す。一に支提山部、二に北山住部なり。本末合すればすなわち八部となる。上座部宗は二〇〇年中にまた異諍なし。三〇〇年の初めに分かれて二部となす。一に上座弟子部、二に薩婆多部なり。三〇〇年中に薩婆多部より一部を出す。可住子部と名づく。三〇〇年中に可住子部よりまた四部を出す。一に法尚部、二に賢胄部、三に正量部、四に密林山部なり。三〇〇年中に薩婆多部よりまた一部を出す。正地部と名づく。三〇〇年中に正地部よりまた一部を出す。法護部と名づく。三〇〇年中に薩婆多よりまた一部を出す。善蔵部と名づく。三〇〇年中に薩婆多部よりまた一部を出す。説度部と名づく。また説経部とも名づく。かくのごとく上座の本末合して一二部となる。上座と大衆の本末部合してすなわち二〇部となる。それより已〔以〕後支派は分流して五〇〇部となる。宗計紛綸して互いに相是非し、ついにすなわち河を隔て水を飲むに至る。適化無方陶誘一にあらず。ひとしく息累をもって門となし、同じく滅理をもって宗となす。その施設、門庭岐を分かつといえども、ならびに如来の清浄法界を妨げず。折杖分氎の譬喩の旨はここにあり。仏滅一〇〇年後に優婆毱多に五弟子あり。毘尼蔵においておのおの一家をなし、分かれて五部となる。一に曇無徳部、二に薩婆多部、三に弥沙塞部、四に迦葉遺部、五に婆麁浮羅部にして、この五部は三〇〇年後に至りておのおの律本を出す。この五部の律は総別の開合にして異説、紛挐は律部の鈔疏の中に明かすがごとし。尋ぬべし。

    二部、一八部、五部等の異説はすこぶる多く、『大集経』『文殊問経』『智論』『十八部論』『部執異論』『異部宗輪論』のごとし。『三蔵記』『育王伝』『法苑珠林』等に出だすがごとし。尋ぬべし。

  仏滅過ぎること五〇〇年におよびて、三蔵学者はうたた名相に執し実義を隠覆す。すなわち自らの所学に謬滞して、さらに上々なる法に進趣することあるを知らざるに至る。

    三蔵の教法はもって三学詮ず。すなわち学人をして戒、定、慧を修せしめ、聖道は現前して無為界に入り、無累の解脱心中においてしばらく甚深上々なる法に転進する。これを三蔵の実義となす。ゆえんは仏の在世正法の初め出家の弟子は同じく律検により二持を行ず。空間に跏坐し、五停心を修し、四念処を観じて、悟をもって則となす。悟心現前すればすなわち百千三昧無量の法門はことごとくこの処より出ず。学仏の能事おわる。仏滅後三〇〇年に迦陀衍尼子あり。定慧は抜萃、聡明、利根にして阿毘達磨に遊戯し、八犍度を製し、五百論師は広説を結集して、承襲弘演す。毘婆沙宗はここにおいて勃興す。その学は久しくしてこれ稍稍と弊を生じ、名相は繁蕪にして閙叢林のごとく、もっぱら言詮を攻め、真修をこととせず。あまつさえ大乗法はこれ声聞乗所顕の真理なるを知らざるに、みだりに毀斥を加え甘ぜしめ、重★(にんべん+夭+夭+心)にかかる。あに痛まざるや。

  ここに馬鳴、竜樹、無著、世親、堅慧等の四依大士あり。その頽風を悲しみ、その淪溺をあわれむに、大乗阿毘達磨を製造し、方等経典を弘揚して、まさにこの善功にかりて、もって三蔵の実義を通暢せんとす。すなわち己を獲ずしてこの適化を施すのみ。たやすく大乗を挙揚して三蔵を撥棄するにあらざるなり。中において竜樹、提婆の二大士のごときは、すなわち共に般若により遍計空を示す。無著、世親の二菩薩はすなわち唯識変を明かし、依他有をあらわす。馬鳴、堅慧の二大士はすなわち如来蔵を説き、円成中をあらわす。上のごとき三宗の施設はことなるといえども、それ致はそむかず。空有の二教はこれ大乗の始門なり。如来蔵の教はすなわち大乗の終極なり。これすなわち性海の波瀾は入理の階漸なり。弘教大師は如来の使いとなり閻浮に降生し、教を分かちて宗を立つ。秘蔵を開発し、もって像運をにぎわすも、内鑑は冷然として乖諍あることなし。過ぎること千年後に二論師あり。一は護法といい、一は清弁という。空有は宗をことにし、法戦交起す。史伝に載るがごとく、後賢は評して相破相成という。理はもとよりまさにしかるべし。ときに竜智三蔵あり。竜樹大士より曼荼羅、秘経を伝えらる。善無畏、金剛智、不空等の大阿闍梨は伝伝密付してこの法を伝持す。三摩耶は非器に伝うるを禁忌す。ゆえにいまだ別に門庭を張り、もって群機を摂するに至らざるなり。インド弘伝の梗概はかくのごとし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これ大乗は小乗の伝統に伴って秘密に伝えきたりしことを論述せるものなれば、その文の長をいとわずここに挙示せり。この論によるも歴史上の事実によりて証明することの難きを知るべし。すでに秘密に伝来せりとなすがごときは、前に述ぶる心心密付と同意にして、客観上の考証にあらず。かつさきに掲げし『顕揚論』『唯識論』等の弁明すらも、一として歴史的考証にあらず。果たしてしからば大乗仏説の難関は、歴史的考証を欠くの一事にあるべし。もしシナ、日本の方面に存する内外の典籍にては、到底歴史上証明するの道なしとせば、インドおよび西洋に伝うるものに考うるより外なし。しかるに、その方面にては元来大乗非仏説を唱うるをもって、これもとより断念せざるべからず。ただわずかに望みをたくすべきは西蔵〔チベット〕仏教の探検なり。その一事はみな人の着眼するところなれども、余をもってこれをみるにこれまた失望の結果をみるに至らんのみ。果たしてしからば釈迦仏の再誕か、弥勒の再来を待つにあらざれば、大乗仏説の真非を判ずる道なしといわざるべからず。これらの点につきては余、別に卑見なきにあらざるも、仏教各宗各派の総体に関する一大問題なれば、仏教一般にこの点に注意着眼せられんことを望むのあまり、余はこれを懸賞問題としてここに提出し、広く天下の意見を徴集せんと欲す。この問題の判決は本講の結論に譲ることとなし、結論に至りて応募者の意見と余の意見とを併記して、その結果を示すべし。今その問題は左の論題につきて各自の意見を論述することとなす。

  大乗仏説論(募集期限は本年一〇月三〇日前とす)

 世間もしこの論に意を注ぐものあらば、願わくばその意見を論文に認めて期限内に寄送せられんことを。

 かくして大乗仏説非仏説論の判決は結論に譲ることとなしたれば、これより左の三題につきて講述すべし。

  第一に万法論

  第二に真如論

  第三に真如万法関係論

 これもとより大乗家の所論を比較的にあるいは論究的に講述する意なり。

 

     第三講 万法論

 目を開きて宇宙を望めば、赫々たる火塊の空間に懸かるあり、洋々たる水輪の天辺に動くあり。星宿の燦然たる、雲影の漠然たる、万岳の波のごとく起伏し、百川の蛇のごとく屈曲するあり。緑草紅花、飛鳥走獣、その数恒河の砂よりもなお多し。これを総称してあるいは万物といい、あるいは万有といい、あるいは万法というも、その実千や万の沙汰にあらず、億物億有と称するも、なおその数を尽くすべからず。かかる無数無量の物類中にありて、その霊長と呼ばるるものは人類のみ。人類や草木と共に生じ、禽獣と同じく死し、風を吸い、水を飲み、あるいは動き、あるいは止まるに至りては、ただ一個の生物に過ぎずといえども、一種霊妙不可思議の作用の身体中に存するありて、われをしてあるいは笑いあるいは泣き、あるいは楽しみあるいは憂えしむるのみならず、その霊気のひとたび内に感発するや、食を忘れ、身を忘れ、一志浩々として六合に遍満せんとし、その勢い天地を動かし、鬼神を感ぜしむるに至ることあり。孟子はこれを浩然の気と称せり。文天祥のいわゆる、「天地に正気ありて、雑然として流形をわかつ。」             も、東湖のいわゆる、「天地正大の気、粋然として神洲にあつまる。」             も、みなかかる気を詠じたるものなり。もしこれを仏教中に求むれば、この心すなわち仏性なり、仏心なり、仏智なり、無漏智なり、法性なり、平等性なり、如来蔵なり、不生滅心なり、円成実性なり、自性清浄心なり、涅槃妙心なり、真如の一心なり。もしその本来の一心につきていえば、真如なれども、我人に分賦せるものにつきていえば仏性なり。故に『涅槃経』に「一切の衆生はことごとく仏性を有す。」         の語あり。要するにわれわれ人類は男女貴賎を論ぜず、成仏の種性を有せざるはなし。あるいは将来成仏すべき資格を有せざるはなし。禽獣も人類と同じく仏性を有すべき理なれども、これを開発する能力を有せず。これをもって仏者は我人の人間に生まれたるをもって幸福の一とするなり。これによりてこれをみるに、人類は万物の霊長なること明らかなり。すでに万物の霊長たる以上は、草木と同じく生長し、禽獣と同じく飲食し、牛馬のごとく肥えかつすこやかなるのみにて、欲情妄念の中に恍々として空しく一生を渡るも、決して人間の本分を尽くせりというべからず。かくのごときは人間界に生まれながらその本籍を禽獣界に置くものというべし。もししからばその名刺に、人間界大日本帝国何府県何町村寄留と記したる次行に、本籍は禽獣界牛馬村平民としたため置くにあらざれば、名実不相応の過失を免れざるなり。この道理を論明して人をして万物の霊長たることを知らしむるものは実に大乗哲学なりと信ず。換言すれば大乗哲学は人間の本籍調べなり。我人は今日人間界にありて、あるいは農となり、商となり、大工となり、左官となりて生存するも、その本籍は穢多か非人か犬か猫かを知らず。己の祖先は元来日本人種なりとするも、その祖先の祖先はなんたるを知るべからず。人間の祖先は禽獣動物なりとするも、その祖先の祖先は果たしてなにものぞや。そのきたるや忽然としてきたるにあらず、その生まるるや偶然に生まるるにあらず、その由来するところ遠し久し。すなわちむかしむかしの大むかし無始の始め久遠劫の前より生存せる我人なり。ひとたび人間に生まれて死するまでの五〇年の一生は瞬息中の瞬息に過ぎずといえども、我人の本地は無始久遠常住永存の一生なり。我人もしこの理を達観しきたらば、人生一代の栄枯盛衰なんぞ意に介するに足らん、生老病死またなんぞ憂うるに足らん。百患千苦の中に悠然として閑風月を楽しむを得るのみならず、苦を転じてたちまち楽となし、憂を転じてただちに喜となすことを得べし。ああ、世間この道理を開明せるもの、余ただ大乗哲学あるを知るのみ。今余がこれを講述するの本意もまたこの理を示さんとするに外ならず。

 だれびとも得意のときにありて笑い、順境にありて喜ぶは容易なれども、失意のときにありて笑い、逆境にありて喜ぶことは、はなはだ難しとするところなり。しかるによく順逆得失の中にありて、常に心を楽境に住せしむることを教うるものは、仏教の大乗にして、その理を開示するものは実に大乗哲学なり。これひとり人界の観察につきてしかるにあらず、自然界にありてもまたしかりとす。春天の雍々たる、秋月の皎々たるは、だれもみな愛賞するところなれども、迅雷烈風に至りては悄然として恐るるものなり。かの『岳陽楼の記』のごときはその状を描ききたりて、春和し景明らかにして、波瀾驚かず、「上下天光、一碧万頃たり。沙鴎翔集し、錦鱗游泳す。岸芷汀闌、郁郁青青たり。」                             。しかしてあるいは長煙一空、皓月千里、浮光金を躍らし、静影壁を沈め、漁歌互いに答う、この楽なんぞ極まらんと叙述し、その喜び洋々たるものありと説きたるは、人情の悦楽せる状態を示せるなり。その霪雨霏々として連月開けず、陰風怒号、濁浪空を排し、日星曜を隠し、山岳形を潜め、商旅行かず、檣傾き楫くだく、薄暮冥々、虎うそぶき猿鳴くときには満目瀟然として感極まりて悲しむものあることを述べたるは、人情憂愁の状態を示せるなり。しかれども我人もし宇宙の真相を達観しきたらば、長煙一空、皓月千里のときを喜ぶのみならず、霪雨霏々、陰風怒号のときもなお自得するところなかるべからず。論語には孔子の迅雷烈風のときには必ずその容貌を変ぜられたることを出せるも、これ天地の変異に対して畏敬の意を表せられたるものにして、決して小児がみだりに雷をおそれ、愚夫がみだりに死を恐るるがごときにあらざるなり。もとより迅雷も、烈風も、甚雨も、洪水も、天地自然の大勢力の発動に外ならざれば、我人はその勢力の猛烈なるを感ずると同時に、これを畏るるは当然のことなるべしといえども、ただみだりに恐怖してほとんど狂するがごとき状態を現ずるは、むしろ愚の極といわざるべからず。けだしその勢力たるや、迅雷烈風となりて人を苦しむるのみならず、春色をして人を悩まし、眠ることを得せしめざるも、霜葉をして二月の花よりも紅ならしむるも、同じくこの勢力のしからしむるところなり。果たしてしからば迅雷烈風を恐るると同時に、春色霜葉もまた恐れざるを得ざる道理なり。もっとも世間の常習として美貌は人のみな喜ぶところにして、醜容は人のいとうところなれども、あえて醜を恐れて狂するに至るものあらんや。故に余は人情自然の習性として、迅雷烈風をおそるるは可なり。これをおそるると同時に、その心に天地の勢力の雄大なるを感じ、我人の一生もこの勢力の大化に従って浮沈せざるを得ざるを知り、自然に絶大無限の思想を喚起してその中に安住するところなかるべからず。およそ人の逆境に処し、患難に際し、不幸に遭いたるときは、必ずこの風光中に逍遥するを要す。これ大乗哲学の世界観および人生観の目的とするところなり。もしそれ同じく人間に生まれながら、この心地に体達することあたわずして、その死を恐れ、病を恐れ、危を恐るること、牛馬の病死を恐るるよりはなはだしく、みだりに神に訴え、天に祈り、方位に問い、干支に尋ね、卜筮禁厭より、魔法幻術に至るまで、いやしくも怪を談じ奇を説くものあらば、これをその身に試みんとし、平常、蓮門教や天理教を迷信妄想視せるものか、翻りてその御水を請いて病気の平癒を祈るがごときに至りては、これを愚と呼ばずしてなんといわん。むしろ禽獣より一等くだるものといわざるを得ず。果たしてかくのごとき輩においては、万物の霊長たる点、なににありて存するや。あに恥づべきの至りならずや。無智不学の愚人ならなお恕すべし、堂々たる紳士にして迷のまた迷、衆苦の門を脱することあたわざるは、諺のいわゆる人面獣心にして、猿猴に衣冠をかぶらしめたるものに比して可なり。故に余は大乗哲学を称して人間の霊性を開示して、万物の首長たるゆえんを明らかにするにありといわんとす。仏教中の小乗はいまだこの霊性を開示するに至らず、小乗より階一階ようやく昇りて大乗に入り、始めてこの理を開顕せり。故に仏教の妙処はひとり大乗にありて存す。小乗は糠糟のごとく、権大乗は玄米のごとく、実大乗は白米のごとし。実大乗の白米を食する人にあらずんば、いずくんぞ米飯の妙味を知らんや。余はこれより実大乗の白米を炊きて諸君に一飯を饗せんと欲す。しかしてその膳椀となるべきものは第一に述ぶるところの万法論なり。一膳中に椀もあり、茶碗もあり、小皿もあり、箸もあるがごとく、万法論の順序を左のごとく配列せんとす。

  一、万法の名義

  二、万法の分題

  三、万法の状態

  四、万法の規則

  五、万法の本体

 これ実に大乗哲学の献立なり。まず万法の名義を解説すべし。

       一 万法の名義

 万法とは一切諸法を総称したる名目なることは言を待たずといえども、法とはなんぞやに至りては一言の弁明を要するなり。仏教中には法の語もっとも多し。第一に仏教を指して仏法という。仏法に仏、法、僧の三宝ありと称して法宝の語あり。あるいは法界と説き、法身と唱え、あるいは法性、あるいは法執、あるいは法処、あるいは法華、法相、法灯、法門といい、あるいは三法印、七十五法、百法等と称して仏書中の一章一句として法の字を見ざるはなし。もし法幢、法臘、法味、法楽、法師、法弟等を数えきたらば実に仏書は法字畑、あるいは法字博覧会と異名して可なり。しかしてそのいわゆる法は世間のいわゆる法律の法にあらず、礼法の法にあらず。これらの法とその意味やや近きも、その慣用するところ大いに異なれり。まずその原語を案ずるに梵語達磨(Dharma)ここに訳して法となす。これを『唯識論』(巻一の二)に解して軌持の義となす。『述記』(巻一本の五二)に釈するところ左のごとし。

  法とはいわく軌持なり。軌とはいわく軌範にして物解を生ずべし。持とはいわく任持なり。自相を捨てず。

 

 また『倶舎論』(巻一の二)に「よく自相を持するが故に名づけて法となす。」          とあり、『倶舎頌疏』(巻一の二四)には「一にはすなわち軌にして物解を生じ、二にはすなわちよく自性を持す。」              とありて、その意『唯識論』の義解に異なることなし。これを『倶舎麟記』(巻一の二九)に解説して、「軌は物解を生ず。」      とは色法は色の解を生ぜしめ、無常等の法は無常等の解を生ぜしむるをいう。また『倶舎光記』(巻一の二六)に解説して「よく自性を持す。」      とは一切の法はおのおの自性を守る。たとえば色等の性は常に改変せざるがごとし。すなわち色法は変礙を性となす、よくその性を守るをいう。余法もこれに準じて知るべし。これを要するに法すなわち達磨には軌範の義と任持の義と両様ありて、軌範は物解を生ずるゆえん、任持は自性を失わざるゆえんをいう。故にその両義を合すれば一切の事物を意味することとなる。これを俗解すればなお物柄というがごとし。故に『大乗義章』(巻一の七六)には「自体を法と名づく。」     と解せり。また『釈氏要覧』(巻中の二七)に「軌持をもって義となす。いうは物によりて解を生じ、自性を任持するが故に。」                    とあり、『翻訳名義集』(巻五の四〇)に解するところもこれに同じ。もし法の原語は軌範もしくは軌持を義とするならば、シナのいわゆる法度、法則、法律等とその意を同じうするは言を待たず。ただその語の応用に至りて仏書と漢籍と字義上の異同を生じたるのみ。

 仏書の法はなお物柄というがごとく、すべて自体自性あるものに与うる名目なれば、一切の存立せるものをみな法と称す。故に物質はこれを色法といい、心識はこれを心法という。物心有為の諸法のみならず、無為の諸法もなおこれを法と名付く。これをもって小乗の七十五法、大乗の百法中には有為法、無為法の二類あり。故に一切万法と称するときは、死物も、生物も、有形も、無形も、みなその中に摂するなり。法界、法性、法身のごときに至りては、真如の理体に与うる名目なれば、真如そのものまでも法の中に摂すべし。すなわち法界とはあるいはこれを解して一切衆生身心の本体といい、あるいは諸仏衆生の本体といいて、真如の理体を指すこと明らかなり。法性とは真如の異名なること弁を待たず。法身とはあるいはこれを解して本有法性の身と称し、真如の身を義とするなり。これを要するに、法の語は有形無形に適用するのみならず、相対はむろん、絶対にも通ずるなり。しかれどもここに万法と称するは相対差別の諸法を義とし、一切の事物すなわち物柄をいうなり。これに対して絶対平等の方を真如という。故に万法とは真如を除き他の一切の諸事諸物に与うる名目なりと知るべし。

       二 万法の分類

 宇宙は無限なり、天地は広大なり。その間に羅列せる森然たる諸象は一見これを数うるに億万ただならず、実に恒河の沙をもって比すべし。我人の眼界に入るものすらなおかくのごとし、いわんや眼力の及ばざるところにありていくたの種族あるを知るべからざるをや。もしこれに無形無象を加うれば一層夥多の数となるべし。今万法はこの有形無形、有象無象の諸類に与えたる名目なるか、これを分類するときは幾種となるやは、余がこれより述べんと欲するところなり。

 万有の分類法、東西大いに異なるところありて、仏教には仏教特殊の分類法あり。その一斑は余が前年度の理科講義において表示したりしも、更にここに一言すべし。およそ仏教にて世界を分かちてあるいは三界、あるいは六道、あるいは十界、あるいは二種世間、三種世間となす。三界とは欲界、色界、無色界なり。六道とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天なり。かくのごときはだれびとも知るところなれば説明を要せず。十界は更にこれを分かちて迷界六、悟界四となす。迷界の六は六道と同じく、地獄、餓鬼ないし人、天なり。これをあるいは六凡もしくは六穢と称す。悟界の四は声聞、縁覚、菩薩、仏なり。これをあるいは四聖、もしくは四浄と称す。つぎに二種世間は器世間、有情世間の二にして、国土山川これを器世間といい、人獣動物これを有情世間という。また前者を依報と称し、後者を正報と称す。これ仏教は国土も身体もみな善悪の業報よりなるものと立つるによる。正報は有情が自らなしたる業によりて正しく感得するをいい、依報もやはり業感所成なれども有情がその体によりて住するをいう。西洋にありて万有を分類して有機、無機の二種となす。有機は一切の生物に与うる名称にして、その中に動物と植物とを摂するなり。仏教にて用うるところの有情非情の分類はややこれにひとしきも、有情の名称は情識あるものを義とするをもって、草木の類いはその中に摂すべからず。ただし仏書中に多く用うる衆生の語は、一切の生物を義とするがごとしといえども、これまた有情と異名同体となす。そのことは『倶舎宝疏』(巻一の三七)につまびらかなり。有情の梵語は薩埵にして、衆生の梵語は社伽なれども、その名は異にしてその体は一なりという。果たしてしからば、余いまだ草木と動物とを合したるものに与うる名称の仏書中に存するをみざるなり。また三種世間を立つるときは衆生世間、国土世間の外に五陰世間を加うるなり。また器世間、衆生世間を三世間と称することあり。これ十界の分類と同じく迷悟両界を設くるものなり。すなわちそのいわゆる智正覚世間は仏界をいう。もし各個の有情につきて更に分析するときは色、受、想、行、識の五蘊ありとす。すなわち色心二法に分かるるなり。更に色法を分析するときは、極微所成もしくは地、水、火、風の四大所造となす。これ余が理科講義において詳述せるところなり。あるいは有為、無為の二法に分かつ。倶舎の七十五法も、唯識の百法も、これを大別するときは有為法、無為法の二種となる。これまた余が理科講義につきてみるべし。今大乗哲学を講ずるには、別に万法の分類を定むるを要せず。もしこれを定むるの必要あらば、万法を分かちて有為、無為の二法とし、更に有為を分かちて色心二法とする方法に従うべし。

       三 万法の状態

 万法を有為、無為の二法に分かたば、有為法は変遷生滅を常則とするも、無為法は変遷生滅なきを通性とす。しかるに万法の名は真如と相対して設けたるものにして、真如は、平等なり、絶対なり、常住なり、不滅なると同時に、万法は差別的なり、相対的なり。したがって変遷生滅をその通性とするなり。故に真如と万法と相対して説くときは、有為変遷の諸法を総括して万法となすことを知らざるべからず。これによりて万法の状態は変遷生滅なりと知るべし。諸君は必ず船に乗りて海上を走らば、その身の船と共に動くを知らん。車に駕して陸上を行かば、またその身の車と共に移るを知らん。しかれどももし諸君一室に端座して沈思黙念するときは、必ずその身は不動静止の状態にあるを知るべし。諸君もし果たしてかくのごとく信ずるにおいては、余は大いにその愚を笑わざるを得ず。なんとなれば、諸君はいやしくも生存活動して世間にある以上は、すこしもその身を動かさずして静座するを得んや。たとえ自ら静止して端座すと信ずるも、その心臓、肺臓はもちろん、血管、胃腸、筋骨、皮膚間の各分子、各細胞に至るまで、一刻片時といえども決して静止することあらず。すでに身体を組織せる各分子、各細胞みな活動を永続してやまざるにおいては、身体のみひとり静止するを得るの理あらんや。たとえ一歩を譲り身体は静止すと定むるも、わが住息せる地球そのものは時々刻々、回転運行して須臾も休止することなし。またわが太陽系も諸惑星を引率して自動すという。果たしてしからばわが身体あによくひとり静止せんや。これを静止すと思うは、なお船に乗りてその身の動くを覚えざるがごとし。これと同じくわれわれ人類は時々刻々、変遷生滅して須臾も休止することなしといえども、世間凡俗の輩は人生五〇年を定寿とし、その間には生滅なしと思い、五〇年の寿命ひとたび尽くれば人身消滅し去るも、草木は人と共にうつらずと思うは愚の至りなり。「年々歳々、花相似たり、歳々年々、人同じからず。」               などの語は、詩人の我人を瞞着せるものに過ぎず、年々歳々人も花も共に変遷し去りて、決して相同じかるべからず。もし昨年の花と今年の花と相似たるをもって相同じとするならば、古人も今人もその人間たる資性において相似たるをもって、古人なお死せずといいて可ならん。また詩人が人類や草木はみな生滅変遷するも、山河だけは旧によりて依然たりなどと詠ずるもやはり嘘八百の形容詞に過ぎず。およそこの世界にありては山河も天地も日月も星辰も一として変遷生滅せざるはなし。実に有為転変の世界なり、生者必衰の世界なり、会者定離の世界なり。平常強壮の日にありては貴人は高楼大厦の上に座し、賎民は破窓壊屋の中に眠り、富者は錦衣玉食もって日を送り、貧者は敝衣粗食もって生をつなぐ。その両者の懸隔ほとんど雲泥よりもはなはだしといえども、一夕無常の秋風吹ききたらば、貧富も貴賎も一様同等に枯槁凋落し去りて、紅顔は白骨に変じ、肥肉は土灰に化せんのみ。余いまだ冥土の旅券に上中下の差等あるを聞かず。すでにその生まるるや貧富の別なし、その死するやあに貴賎の等あらんや。これ天道の公平無私なるゆえんにして、いかなる貧賎窮乏の者も、思うてここに至れば満足することを得べし。ああ、生死は実に天道の公平無私を示せる証文なり。しかして人間の生死は古来五〇歳をもって限るも、老少もとより不定なり。もし五〇歳を人間の一寿とするも、その生滅は念々刻々に相続して、須臾も間断あることなし。なんぞ五〇年の一期を待つを要せんや。試みに我人の身体を構成せる各分子、各細胞を見よ。これみな時々刻々、変遷生滅して新陳代謝を永続せざるはなし。故に民間にても人身は七年ごとに全く一変すという。かくして身体全体の生滅は五〇年と定むるも、その一部分の生滅は念々刻々なること明らかなれば、我人は念々刻々生滅すといいて可なり。人もし五〇歳の死を恐るるなれば、念々刻々の死もまた恐れざるべからず。なんとなれば、念々刻々の死相積みて一代一世の死を成すに至ればなり。もし念々刻々の死を恐れざるにおいては、一世一代の死もまた恐るるに足らず。諺に死は永久の眠りにして、眠りは一時の死なりという。世人死といえばみなこれを恐れ、眠りといえばあえて恐れず。しかるに死もまた一種の眠りたるを知らば、なんぞこれを恐るるの理あらんや。もしわが一身をもって宇宙に比し、わが身体は宇宙を構成する一分子、一細胞たるを知らば、わが一身の死もまた真の死にあらざるを知らん。換言すればその死はあたかもわが身内の一細胞の死滅に帰するがごときを知らん。果たしてしからばいやしくも丈夫たるものは、死なんぞおそるるに足らんの一大勇気を感発するに至らざるを得ず。これを要するに万法の状態は大となく少となく、一時と永久との別を問わず、人類禽獣、草木土石、日月星辰に至るまで、一として変遷生滅せざるはなし。これ宇宙の大化のしからしむるところなり。故に我人は男女老小を分かたず、貧富貴賎を論ぜず、みな一様同等にこの大化の船に乗じて、生滅の波に漂うを知る。人もしこの大化の力の到底抵抗すべからざるを知らば、必ず老をいとい死をおそるるの愚かなるを了せざるを得ず。死果たして恐るべきものならば、生もまた恐るべきものたらざるべからず。これによりてこれをみるに、人にして多少の知識を有するものは、この大化の規則を悟了し、心を生死の門外に放ち、超然として安楽の天地に逍遥せざるべからず。諸君は必ず学校の運動場にブランコなる運動器械のあるを知るならん。人間一生はまたブランコなり。われわれは五〇年間人類社会の運動場においてブランコの遊びを試みんとす。ああ、また一興にあらずや。人生は我人の運動場にして、社会はブランコなることを知らば、世をいとうの愚かなるを知り、あわせて死を恐るるの愚かなるを知らん。生まれて社会のブランコに遊ぶも一興なり、死して不朽のベッドに眠るもまた一興なり。畢竟するに仏教が我人に万法変遷の状況を明示するも、また我人に安心の一道を与えんとする本意に外ならざるなり。

 そもそも一大仏教は生滅無常を説かざるはなし。すでに仏教の真偽を鑑識する標準に三法印と名付くるものあり。三法印の第一は諸行無常の一印なれば、仏教にして無常を説かざるものは仏教にあらずということを得べし。しかしてその無常生滅の状態を四段に分かちて、生、住、異、滅の四相となす。なお人に生時と長時と老時と死時との四段あるがごとし。一切の有情生物はもちろん、山河大地に至るまで、みなこの四相の変遷をなさざるはなし。換言すれば世界全体がこの四段の変遷を経て進退するものとす。これを成住壊空の四劫と名付く。『法苑珠林』(巻四の四)に無常を解して曰く、

  それ三界、位を定むるに六道区分なり。麁妙容を異にし、苦楽は跡をことにす。その源始を観ずれば色心を離れず、その会帰をしらぶれば生滅にあらざることなし。生滅輪廻これを無常といい、色心影幻これを苦の本という。故に涅槃はこれを大河にたとえ、法華はこれを火宅にならぶ、云々。

 

 

 これ世界の生滅変遷ありて、苦界悲境を現ずることを示すものなり。およそ無常の種類を定めてあるいは『智度論』(巻四三)に念々無常、相続無常の二とし、『瑜伽論』(巻五六)には壊滅無常、転変無常、別離無常の三となす。また『顕揚論』(巻一四)には六種無常と八種無常を掲ぐるもこれを略す。要するに無常は刹那無常と一期無常との二種に帰す。刹那無常は念々刻々の間、生住異滅の四相遷流してとどまらざるをいう。一期無常とは身命の一代相続する間に、生住異滅の大段落を経て変遷するをいう。また生滅につきて分段、変易の二種の生死あるを説く。分段生死とは、身命に長あり短あり、天あり寿ありて、生死に流転するをいう。変易生死とは、分段生死を離れて生死に流転せざるに至るも、なお因果に応じて変易あるをいう。変易とは因移り果かわるを義とす。これによりてこれをみれば一切万法の通性常態は生滅無常にあらざるはなし。かくのごとく変遷してとどまらざるは他なし、わが身体も国土もみな因縁業感の結果なれば、因縁と共に生滅遷流せざるを得ざるによる。かつ我人の身体のごときは四大五蘊の仮に合して生じたるものなれば、ひとたび分解すればまた本来の空に帰せざるべからず。故に『円覚経』にはこの身は畢竟して体なし和合を相となす、実に幻化に同じ、四縁(四大)仮に合してみだりに六根あり、六根四大中外合成してみだりに縁気ありて、中において積聚して縁相あるに似たるを仮に名付けて心となすと。また曰く、幻身滅する故に、幻心もまた滅し、幻心滅するが故に幻塵もまた滅す、幻塵滅するが故に幻滅もまた滅すと。『維摩経』にはこの身は無常なり、力なく堅なくすみやかに朽つるの法なり、信ずべからず、苦たり、悩たり、衆病の集まるところなり、この身は聚沫の撮摩すべからざるがごとし、この身は泡のごとく久しく立つを得ず、この身は炎のごとく渇愛より生ず、この身は芭蕉のごとく中堅あることなし、この身は幻のごとく転倒より起こる、この身は夢のごとく虚妄の見をなす、この身は影のごとく業縁より現ず、この身は響のごとくもろもろの因縁に属す、この身は浮雲のごとく須臾に変滅す、この身は電のごとく念々に住せず、この身は主なきこと地のごときたり、この身は我なきこと火のごときたり、この身は寿なきこと風のごときたり、この身は人なきこと水のごときたり、この身は実ならず四大を家となすと。また『金剛経』には一切有為の法は夢幻泡影のごとく、露のごとく、また電のごとしと。これ仏教の厭世観の一斑を知るに足る。しかれどもその無常厭世を説くがごときは表面の消極的観察に過ぎず。もし裏面の積極的観察を開ききたらば、厭世はたちまち変じて楽世となるべし。この理は大乗哲学を講ずるにあらざれば決して知るべからず。

       四 万法の規則

 天地万物、変々化々して一時一刻も休止することなく、夢幻のごとく、朝露のごとく、電光のごとく、流水のごとく、浮雲のごとき中に、ひとり縦横に貫通して変ぜず滅せざるものあり。これすなわち因果の理法にして、万法の規律なり。水田は変じて山となり、高山は変じて海となることあるも、鴨川は北に向かって流れ、太陽は西より出づることあるも、鴉は白く、鷺は黒くなることあるも、ただひとり変せず動かざるものは因果の理法のみ。けだし神の実在も万有の実在も、わが手足身体の実在も、みな否定することを得るも、ひとり否定すべからざるものは因果の規則のみ。なんとなれば天地万有を否定するには、必ず因果の理法によらざるを得ざればなり。我人の思想の動き論理の走るはみな因果の規則に従わざるはなし。果たしてしからば我人はもちろん、天地万有ことごとく因果の大海中に浮動しつつあることを知るべし。これによりてこれをみるに千変万化の世界中に不変不化の一理法あること明らかなり。

 仏教は造物主宰を立てず、天神賞罰を説かず、一切の所説はみなこの因果の理法に基づきて立つるなり。故にこれを因果教と名付く。小乗も因果教なり、大乗も因果教なり。因果を離れて仏教なしと断定して可なり。しかるに小乗と大乗とは因果の分類および見解一準ならず。小乗(倶舎宗)にては六因五果と説き、大乗(法相宗)にては十因五果と立つるの異同あり。その六因五果も、十因五果も、要するにみな相対的因果なり。これに対して絶対的因果あり。すなわち天台宗のごとき一乗家にありては因果不二と立つるこれなり。小乗にありては因果異時を説くも、いまだ同時を説かず。大乗法相宗にありては因果同時を説くも、いまだ不二を説かず。しかして実大乗に入りて始めて因果不二の説あり。故に十不二門中に因果不二の一門あり。これ相対門極まりて絶対門に達したるなり。

 かくして因果の分類および見解一準ならずといえども、仏教の因果は有漏、無漏の二種に出でず。有漏の因果は世間六道中の因果にして、迷界の因果なり。無漏の因果は声聞、縁覚、菩薩の因果にして、これを出世間の因果と名付く。すなわち悟界の因果なり。しかりしこうしてこれを西洋の学説に考うるに、およそ因果に物理的と心理的との二種あり。雲のぼりて雨を致し露結んで霜となるがごときは物理的因果なり。一念一思が因となりて果を生ずるは心理的因果なり。また心理的中にありて善因によりて善果をきたし、悪因によりて悪果を招くと立つるがごときは、倫理的因果というべし。もしその因果を一世のみならず、過去、未来の三世にわたりて立つるときは、三世因果と称するなり。今仏教にて立つるところの出世間因果はもちろん、世間有漏の因果は心理的因果なり、倫理的因果なり、三世的因果なり。故に三世六道の間に善因善果、悪因悪果の存することを唱うるなり。

 仏教所立の因果の説明は、前学年の仏教理科および心理の講義中に一言したれば、更にここに喋々するを要せず。けだし西洋学者は往々仏教の倫理的かつ三世的因果を疑う者ありといえども、仏教の真如一元の道理より観察しきたれば、物質も精神もその体一にして、心理的も物理的ももとより二致あるべからず。かつ仏教にて立つるところの善悪は通常の倫理学者のみるところと、大いにその標準を異にす。すなわち仏教は有漏無漏因果を兼説するも、共に真如をもって標準とせざるはなし。換言すれば真如に帰向し、もしくはこれに随順する者を善とし、これに反する者を悪とす。これすなわち真如標準説なり。あるいは仏教にて無我を善とし、我を悪とすることあるも、無我は真如に帰向するゆえんにして、我は真如に違戻する者なれば、やはり帰着するところは真如標準説なり。かくすでに標準を真如の上に立つる以上は、物心両界共に善悪因果の理法を適用するも、あに不可なるの理あらんや。

 かくして我人は万法生滅の大海に漂流して、その始めいずれよりきたりしを知らず。その終わりいずれに向かって去るを知らず。あたかも一葉の波間に漂うがごとく、泛々として無限の大海に浮沈出没するのみ。これ実に無始時来の迷い子というべし。しかりしこうして我人の指針となるべきものは、ただ因果の理法あるのみ。けだし無始時来の迷い子が彼岸に達するを得るも、またただこの理法に従うより外なし。すなわち善因善果の規則これなり。もしその規則のよって生ずる本源を究めんと欲せば、万法の本体を論ずるを要するなり。

       五 万法の本体

 千差万別にして、しかも千変万化する万法は、必ずその本源実体なかるべからず。もしその本源もなく実体もなしとせば、無より生じ、空より現ずといわざるべからず。換言すれば虚無なり。しかるに仏教にてはすでに万法を称して夢幻なり、泡影なりというも、夢幻には必ずこれを生ずる本源あり、泡影には必ずこれを現ずる実体ある以上は、万法あにひとり本源実体なしと断言するを得んや。また仏教は虚無空寂を唱うる教なれば、本源実体を否定するものというも、万法差別の妄象幻影を否定するのみにて、その本源実体を否定するにあらず。果たしてしからば仏教にて立つるところの本源実体を知らざるべからず。しかしてその体はすなわち真如なり。この真如の実在を論定するに小乗の証明法あり、大乗の証明法あり。小乗は万法差別の現象を分析的に論明せるものにして、いまだ真如の実相を開顕するに至らざるも、その分析論は大乗に入るの門戸にして、真如の実在を指定する表象なり。今その理由につきて一言せざるべからず。

 大乗は仏教中の哲学にして、小乗は仏教中の理学なり。故に小乗は客観論なり、実験論なり、分析論なり。しかしてその分析の結果、法体恒有の一大原理を論定するに至れり。これを法体恒有三世実有と名付く。すなわち諸法の体は三世にわたりて実有なりという。けだし小乗有部にては、無為の諸法のみならず、有為の諸法まで、恒有実有と称するも、あえて色心二法をただちに常住というにあらず。すなわち身体改変なく作用生滅するの義によりて、法体恒有説を唱うるなり。その説明は余が理科講義においてすでに論述したりしものなれば、よろしくこれを参見すべし。

 小乗の法体恒有は有為の諸法につきて、自体改変なきことを述べたるものなるが、無為に至りてはもとより生滅改変あるべからず。小乗七十五法中には無為に三種を分かつ。すなわち虚空無為、択滅無為、非択滅無為なり。『宗輪論』中には無為法に九種を立つる説あることを示せり。

  一 択滅    二 非択滅   三 虚空      四 空無辺処

  五 識無辺処  六 無所有処  七 非想非非想処  八 縁起支性

  九 聖道支性  (以上は『異部宗輪論述記』六〇紙に出づ)

 また同書に別に無為法の九種を掲げり(『宗輪論述記』八四紙)。

  一 択滅    二 非択滅    三 虚空     四 不動

  五 善法真如  六 不善法真如  七 無記法真如  八 道支真如

  九 縁起真如

 これ大乗唯識の無為法に近し。その説明は後に真如を論ずるときに譲る。この数種の無為中、択滅無為とはすなわち涅槃をいう。択滅とは択力所得の滅を義とし、択は揀択あるいは簡択の意にして、択力とは智慧のことなり。この智慧によりて得るところの滅は涅槃に外ならず。故に『倶舎論』(巻一の三)には「もろもろの有漏法の繋縛を遠離して、解脱を証得するを、名づけて択滅となす。」                   とあり、また『倶舎麟記』(巻一の四八)には「離縛によりて、涅槃を証得す。」         とあり。これを要するに、小乗倶舎にては有為法の上に法体恒有を説き無為法の上に択滅涅槃を立つるは、万法の本源実体の実在を許すこと明らかなり。換言すれば大乗の真如を暗示するものというべし。余おもえらく、小乗はもっぱら世界の変遷生滅を説くも、もし深くその理を究むれば不生滅の実体あるを想定せざるを得ざるに至るべし。なんとなれば今一滴の水をもってこれを例せん。その水熱すれば蒸気となりて空中に散じ、冷せば凝りて水となり、氷となる。これ水に変遷生滅あるによる。しかるにもし真に生滅あるものならば、ひとたび滅したるものの再び生ずべき理なし。水をして空中に散ぜしむれば再び雨露となりて地に降るべき理なし。もしこれに反して地上の水はのぼりて雲となり、再び結びて雨となるは全く水体の不生不滅なるによる。しかしてその生滅あるは現象上の変化に過ぎざるを知るべし。これと同じく世界万物、変々化々生々滅々してやまざるも、滅し終わりて全く空に帰するにあらず。たとえば世界の変化は成住壊空の四段を経て生滅すというも、破壊し窮まりて全く空に帰するにあらず、そのいわゆる空は仮空にして真空にあらず、用滅にして体滅にあらず。これをもってひとたび空劫に変じたるものが再び成劫を現ずるに至る。けだし一進一退、一開一合、一伸一縮、一成一敗、一生一滅して循環窮まりなきは、実に世界の真相なり。果たしてしからば世界は現象上に生滅を示して、本体上に不生不滅を具するものといわざるべからず。換言すれば世界万物は表面に生滅を示して、裏面に不生滅を含むものというべし。今これを大海にたとうれば、その生滅のごときは波の起伏あるに比すべし。たとえ波その物に千態万状の差別あるも、等しくこれ水なれば波様に増減の差あるも、水体に生滅の変あるにあらざるがごとし。これと同じく世界の表面に千差万別の現象変化あるも、その本体は依然として不生不滅なり。故に海浜に座して海上を見れば、波状に高低起伏の差あるを見るも、高山に立ちて遠くこれを望めば、海面の平々坦々として高低起伏なきを見る。これと同じく凡眼をもって近く世界を観見すれば、生滅変遷、浮沈上下、一準ならざるがごときも、ひとたび仏眼を開きて理想の山嶺よりこれを望めば、世界万物、不生不滅常住永存なることを知るべし。今小乗は表面より世界変遷の状態を観察して、あるいは生住異滅と説き、あるいは常住壊空と説くも、滅し終わりてまた生じ、空じ終わりてまた現ずることを推知する以上は、法体の恒有常住なることを論定せざるを得ざるに至るべし。これいまだ真如の実在を発見したるにあらざるも、真如の外郭門牆に接触したること疑いをいれず。もしその背面を翻しきたらば、大乗のいわゆる真如となりて現ずるは明らかなり。故に余は小乗は大乗の御前立にして、大乗は小乗の奥の院なりという。つぎに小乗の択滅無為を考うるに、大乗の真如とは消極積極の別あり、死物活物の別あり、暗夜と白昼との別あり、地獄と極楽との別あるも、前者は後者の表札標章なること言を待たず。むかし孔子の道は一もってこれを貫くと称して、夫子の道は忠恕のみと唱えきたりしが、釈尊の道も八万四千の多岐に分かるるも、真如の一法を貫かざるはなし。天保銭も文久銭も寛永銭も一本のサシをもって貫くことを得るがごとく、実大乗の天保銭も、権大乗の文久銭も、小乗の寛永銭も、真如のサシをもって一貫せり。故に小乗にありて有為法の恒有説と、無為法の択滅論とは、共に万法の本源実体たる真如を暗指黙示せるものというべし。その他は真如論に入りて弁明せんとす。

 

     第四講 真如論

 遠くさかのぼりて世界の本源を尋ぬれば、混然たる一物の万物にさきだちて存するあり。しかしてそのものたるや実に名状すべからず、端倪すべからず、思議すべからず。老子はこれを字して道といい、無名という。易にありては太極という。これ真に宇宙の大怪物なり。きたるがごとくにしてあえてきたらず、去るがごとくにしてあえて去らず、生ずるがごとくにしてあえて生ぜず、滅するがごとくにしてあえて滅せず。不去不来、不生不滅にして、しかも自存自立、自発自動なり。仏教これを真如といい、あるいは法性という。けだしその体たるや、仏教の神髄骨目なれば八万四千の法門の流出せる源泉にして、またその回帰する大海なり。大乗哲学の深旨妙味はこの真如の理を究むるにあらざれば知るべからず。それその理たるや、中庸のいわゆる悠遠なり、博厚なり、高明にして、その形勢実に巍々乎たり、洋々乎たり、優々たり、浩々たり。最高至大の理想にして天地を包抱し万有を掌握せる絶対無限の理体なり。今これを講述するに左の五段に分かつ。

  一 真如の名義

  二 真如の種類

  三 真如の体相

  四 真如の作用

  五 真如の関係

 まず真如の名義を解説すべし。

       一 真如の名義

 真如の体は広大無辺にして、真如の意は甚深不測なりといえども、その字義に至りては一言半句にて尽くすことを得べし。しかるに古来数書に解するところ、多少の異同なきにあらず。今いちいちこれを列挙する必要なきも、余が披見せる二、三の書を左に引証せん。

  『大般若経』(五三二巻)にいう。その性、虚妄ならずして変易せざるが故に真如と名づく。

  同経(四四一巻)にいう。しいて名づくるに真如というは言説の極なり。

  『唯識論』(巻二の六)にいう。理は妄倒にあらず。故に真如と名づく。

  同論(巻九の二)にいう。真とはいわく真実なり。虚妄にあらずということをあらわす。如とはいわく如常なり。変易なしということを表す。

  『唯識述記』(巻九末の四)にいう。真とは有漏をえらぶ。有漏は妄なる故に、如とは無漏、有為をえらぶ。かの体は真といえども、生滅あるが故に。

  同述記(同巻の五)にいう。体はつねに無我にして改転あることなきを名づけて真如という(対法解)。

  『起信論義記』(巻上の三一)にいう。真如というはこれ法性は染浄にあまねくときに変異なきの義を明かす。真とは体にして偽妄にあらず、如とは性にして改異なきことなり。

  『起信論浄影疏』(巻上の八)にいう。真如というは、これ真空にして妄ずべきなきが故にこれを名づけて真となし、立つるところなきが故にこれを名づけて如となす。この法は絶待にして百非を超出す。故に真如という。

  『起信論海東疏』(巻上の七)にいう。真如というは、遣すことなきに真といい、立つことなきに如という。この真如の体は遣すべきことあることなし。一切の法はことごとくみな真なるをもっての故に。また立つるべきことなし。一切の法はみな同じく如なるをもっての故に。

  『大乗止観』にいう。(伝通記、巻二の三一)問うていわく、いかんがこの心を名づけて真如となすや。答えて曰く、一切諸法はこの心によりてあり、心をもって体となす。諸法を望まば、諸法はことごとく虚妄なり。有はすなわち有にあらず。この虚偽法に対するが故に因を真となす。また諸法は実に有にあらざるといえども、ただ虚妄因縁にして生滅の相あるをもって、しかしてかの虚法生ずるときこの心生ぜず、諸法滅するときこの心滅せず、不生故に、不増不減故に不減、不生不滅、不増不減をもっての故に、これを名づけて真となす。三世の諸仏とともに衆生は同じくこの一浄心をもって体となす。凡聖なる諸法はおのずから差別の異相あり。しかもこの真心は異なく、相なきが故に、名づけて如となす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その他、数書にみるところ大同少異に過ぎず。これを要するに、真如とは真実如常の義と解するをもって足れりとす。すなわち世界の本体は真実如常にして、常住実在せるをもってこれを名付けて真如というなり。これを真如というはもとより仮名にして、その体の一斑を表示せるに過ぎず。なお老子の仮に字して道というがごとし。あるいはこれを名付けて太極というも、無極というも、あるいは無名というも、不測というも、絶対というも、無限というも、不可称、不可説、不可思議、不可知的というも、みな文字上の形容のみ、到底その甚深広大の意味を表顕すべからず。『起信論』には「法性なる真如の海と、無量なる功徳の蔵」            とありて、真如を海に比して、その広大なることを表示せり。これを『海東疏』に解して、海には甚深と広大と百宝無窮と万像影現との四徳あるか如く、真如もまたしかり、永く百非を絶し、万物を包容するが故に、徳として備わらざるなく、像として現ぜざるなしという。これによりて真如の広大なる一斑を想見すべし。これ実に天地万物を包蔵総括せる理想的別天地別宇宙なり。

 真如の体、かくのごとく広大無辺、悠久不変なれば、これに与うる異名また種々あり。今これを世間に例するに僧侶を称して、沙門ともいい、緇徒ともいい、釈氏ともいい、浮屠氏ともいうがごとく、住持を称して、住職ともいい、院主ともいい、方丈ともいい、和尚ともいうがごとく、太陽暦を称して、あるいは新暦、あるいは西洋暦、あるいは天朝暦、役場暦というがごとく、世間の一事一物すら種々の異名あり。もしその形容し難きものに至りては、一層人々の呼称するところ多様なり。たとえば科斗〔おたまじゃくし〕のごとき各地呼ぶところみな異なり、また電信を発するにもあるいは電信を懸けるといい、あるいは引くといい、あるいは打つといい、人々その言うところを異にす。いわんや不可称、不可説、不可思議にして、名状すべからず、端倪すべからざる真如においてをや。その異名の多きはあえて怪しむに足らず。『法華玄義』には一二の異名を列し、『義林章』には一四名を挙ぐ。すなわち『義林章』(巻一末の八)に挙ぐるところ左のごとし。

   一 法界    二 法性   三 不虚妄性   四 不変異性   五 平等性

   六 離生性   七 法定   八 法住     九 法位    一〇 真際

  一一 虚空界  一二 無我  一三 勝義    一四 不思議界

 これに唯心、中道、般若、一乗、一実諦、一依、空、如来蔵、自性浄心、法身、不二法門、不生滅、仏性、不思議、非安立、円成実の一六を加うれば、三〇異名となるべし。これみな真如の一斑を形容して仮名せるに過ぎず。この三〇名を結合して、法性寺前関白より数十倍も長き名をもってこれに与うるも、なおその全豹を表顕することあたわざるべし。すなわち『法華玄義』(巻一の二)に、智をもって知るべからず、識をもって識るべからず、「言語の道は断え、心行もまたおわる。」         と説くがごとく、また身をもって得ベからず、心をもって得べからず、口をもって得ベからずと述ぶるがごとく、その真相は遠く言語思慮の及ぶところにあらざるなり。

       二 真如の種類

 それ真如は平等なり、一味なり、絶対なり、不二なれば、真如に種類の分かるる理なし。もし真如その体に種別あるときは、平等にあらずして差別なり、絶対にあらずして相対なりといわざるべからず。余おもえらく、真如その体は唯一不二なりといえども、その現象作用は千差万別なり。これに加うるに真如その体は絶対無限なれば到底言句思慮をもってその全体を表詮することあたわず。故をもって我人はその表象形状の異なるに応じて種々の名を付するのみ。たとえば水その物は一なるも、泉となり、河となり、海となり、洋となり、雨となり、露となりたる点につきては、凡百の種類を分かたざるを得ざるがごとし。あるいはまた天狗につきてこれを例するに、その羽翼を見れば鳥類の中に加えんとし、面貌を見れば人類の中に置かんとし、手足を見れば獣類の中に入れんとするがごとく、見るところの異なるに従ってその類を異にせざるを得ず。まず真如の種類を考うるに、『起信論』には真如に離言真如と依言真如の二種あることを示せり。離言の方は真如は文字言説をもって表詮すべからざる全然不可知的とみていうなり、依言の方は真如の体性無礙自在にして言説をもって表顕するを妨げざるものとしていうなり。これあたかも時間に有限と無限とを分かち、霊魂に不滅と滅亡とを論ずるがごとし。畢竟するにみるところの異同によりて真如の体上にかかる別を生ずるのみ。また『起信論疏』に不変真如、随縁真如の二種あることを出せり。不変の方は真如の性は本来平等絶対にして生滅なく変易なしとみたる説にして、随縁の方は本来生滅なき真如が無明の妄念によりて動波を起こしもって世界の諸象を開顕すると立てたる論なり。要するにその種類は一体の真如を表裏両面、あるいは左右両方よりみたる見解のみ。あるいはまた『華厳演義鈔』には、安立真如と非安立真如との二種を分かつ、安立とは真如の体はよく世間、出世間の諸法を生じてこれをして安住せしむるをいい、非安立とは真如の法は本来自性清浄にして一切の諸法を離れ寂滅無為なるをいう。また『華厳孔目章』(巻二の三二)に真如に二門あり、一には一乗真如、二には三乗真如とあれども、これをも略す。もしそれ『解深密経』(巻三の八)によらば真如に七種を分かつ。

  一 流転真如  二 相真如  三 了別真如  四 安立真如  五 邪行真如  六 清浄真如

  七 正行真如

 『唯識論』(巻八の三二)には一 流転、二 実相、三 唯識、四 安立、五 邪行、六 清浄、七 正行とあり。また『仏地論』(巻七の二)に七種を掲げしも全く『唯識論』に同じ。これみな真如の相状作用につきてかくのごとく分かちたるのみ。また『般若心経幽賛』(巻上の三六)には一〇種の真如を列挙せり。すなわち左のごとし。

  一 遍行  二 最勝  三 勝流  四 無摂受  五 類無別  六 無染浄  七 種々無別

  八 相土自在所作  九 智自在所依  一〇 業自在所依

 これ『唯識論』の一〇真如に基づきしは明らかなり。すなわち同論(巻一〇の三)に示せる一〇真如は一 遍行、二 最勝、三 勝流、四 無摂、五 類無別、六 無染浄、七 法無別、八 不増減、九 智自在所依、一〇 業自在等所依なり。これ能証の智によりて証するところの真如の類別なりとなす。畢竟するにかくのごときはみな真如の仮名異称に外ならず。たとえばわれわれ人類仲間にても、一人にして種々の異名を有するものあり。余のごときは十余の称号あり。その実名を円了といい、その号を甫水という。甫水とは浦と名付くる村落に生まれたるによる。あるいは一名政教子といい、あるいは不思議庵主、あるいは護国愛理道人、あるいは四聖堂、もしくは三聖堂主人と号す。四聖は釈迦、孔子、ソクラテス、カントをいい、三聖は釈迦、孔子、菅公〔菅原道真〕をいう。あるいは三禁生、もしくは三禁一楽生と号す。三禁とは禁酒、禁煙、禁筆にして、一楽とは古書道楽なり。あるいはまた無芸庵拙筆居士と号す。詩を知らず、画を知らず、文を知らず、談話に拙く、演説に拙く、応接に拙く、なかんずく揮筆に拙きをもってなり。また一名非僧非俗道人、あるいは先天学人と称す。その他、世間より与うるところの妖怪博士、化物先生等の名称を数えきたらば、幾名あるを知らず。わずかに身長五尺三寸、体量一五貫目を有する拙者すらなおかくのごとし。いわんや世界万有の本源実体たる絶対不二平等唯一の真如においてをや。これに億万の称号異名を付するも、なおその相状を尽くすべからず。もし万法即真如の理よりこれを推せば、人獣草木はもちろん、日月星辰、国土山川に至るまでことごとくみな真如なり。微花小草も真如なれば、浮雲流水も真如なり。囀々たる鴬語は真如の声にして、姸々たる花容は真如の色なり。木葉の風にただよえるは真如の舞にして、魚の水に泳ぐは真如の踊りなり。かくのごとく解するときは、有形の真如、有声の真如、有色の真如、有舞の真如等と次第せざるを得ず。けだし大乗哲学の妙味はここに至るにあらざれば知るべからず。

 仏教の万有を分類するには、まずこれを有為法と無為法との二種に分かつ。無為法は三種あるいは六種等に分かつも、その実、真如の外に別に一の無為法あるにあらず。また有為法も帰するところ、無為法すなわち真如の現象に外ならざるを知るべし。これにおいて仏教は真如一元論となる。今その理由を開述するに、さきに小乗にて無為を分かちて、あるいは三種、あるいは九種となすことを述べたりしが、大乗にては、『五蘊論』(八左)および『掌珍論』(発揮上一八)にては、無為法を分かちて虚空、択滅、非択滅、真如の四種となし、『対法論』(巻二の九)、『顕揚論』(巻一の一五)および『瑜伽論』(巻三の一四)にては虚空、択滅、非択滅、不動、想受滅、善法真如、不善法真如、無記法真如の八種となし、『百法論』(論解巻下の一七)および『唯識論』(巻二の六)にては虚空、択滅、非択滅、不動、想受滅、真如の六種となす。しかしてこの六種の無為を解して『百法論解』にはこの六法は寂漠沖虚、湛然常住にして造作するところなし、故に無為という、虚空無為とは、いわく、真諦においてもろもろの障礙を離る、なお虚空のごとし、豁虚にして礙を離る、たとえに従って名を得たり、下の五無為も義この説にならうとあり、『唯識論』には「この五(虚空、択滅、非択滅、不動、想受滅)はみな真如によりて仮立す。」                           とありて、無為の六種は畢竟するに真如無為の上に仮説せる名にして、真如を離れて別体あるにあらず。しかして真如もまた仮設の名にして、その本性は有ともいうべからず、空ともいうべからず、いわゆる言語道断なり。故に『百法問答抄』(巻四の三)に、真如の妙理はその実を談ずれば甚深なるが故に、言をもってその体をあらわすべからず、分別智をもってするも解し難し。これ言亡慮絶にして、言慮の及ぶところにあらず、有とも説くべからず、無とも説くべからず、言語道断なり、心行所滅なり、不可説なり、不可思議なりと説きて、さきにいわゆる離言真如なれども強いて言慮に寄せ、仮に名字を設けて真如というのみ。故に『唯識論』には「真如もまたこれ仮に施設せる名」         とあり。もし有為法と無為法との関係につきては、後に至りて弁ずべし。

       三 真如の体相

 真如の体相はさきに述べたる定義につきて明らかに知了すべし。今更に『百法論解』(巻下の一八)によるに、真はすなわちこれ如、如はすなわち無為なりと解し、真如と無為との一なることを示せり。その無為に虚空、択滅、非択滅等の種類あるも、これみな真如の体性を形容表顕せるものとなす。すなわち真如の体性の諸障礙を離るるはなお虚空のごとしといえる点より虚空無為と称し、無漏智によりて惑障を断絶してあらわすところの真理なれば択滅といい、その体本来清浄にして択力によりて断滅するを待たざればこれを非択滅というとなす。またさきに真如の異名を列記したりしが、そのいちいちはみな真如の体相を表顕せざるはなし。今更に『唯識述記』(巻二末の四二)に列挙せる真如の名につきて一二種を掲ぐれば、真如と法界と法性と不虚妄性と不変異性と平等性と離生性と法定と法住と虚空界と実際と不可思議界との一二にして、これさきに引用せる『義林章』の名目と同一なるが、いずれもみな真如の性相を表出せざるはなし。『唯識図解』(巻三の二二)に『唯識述記』を引証して真如の体性を解して、真如は有を離れ無を離れ倶有無を離れ倶非有無を離れ、心行処滅し言語道断にして、一切の法と一にもあらず異にもあらずという。これすなわち中道の義なり。およそ真如の体性を論ずるに、消極の方面よりするものと、積極の方面よりするものと二様あり。消極門にありては真如は山にあらず海にあらず、月にあらずすっぽんにあらず、猫にもあらず杓子にもあらず、花にもあらず団子にもあらず等と説ききたりて、結局言語道断、言亡慮絶の曖昧模糊の雲煙中に没し去るに至り、もし積極門にありては、あたかも遠帆の天辺雲外よりようやく現出しきたりて明らかにその形を認むるに至るがごとく、真如の体性が言語の衣服を着し、思想の紅粉を装いて目前に現見するに至る。換言すれば、一方にありては日暮れて夜に入るがごとく、他面にありては夜明けて日を仰ぐがごとき観あり。これすなわち離言、依言の二種あるゆえんにして、不可知的と可知的との両面あるゆえんなり。けだし真如は必ずこの両面を具せざるべからず。もし全然不可知的ならば人智以外に超然たるものにして、我人の力その一斑だも想像推知するを得ざるべし。もし単に可知的ならば真如は全然人智の範囲内に帰し、妙にあらず不思議にあらざるに至るべし。これを要するに真如の体たるや、知るべきがごとくにして知るべからず、知るべからざるがごとくにしてまたよく知るべく、有なるがごとくにしてしかも空、空なるがごとくにしてかえって有なり。これ実に妙味の存するところなり。諸君は常総二州の海浜に立ちて、茫々漠々として天外千里一髪の眼眸に触るることなき太平洋を望むと、房総の西浜にありて海灣を隔てて武相二州の丘山の起伏出没するを望むと、いずれが興味多きや。諸君は必ずこれに答えて前者は後者にしかずといわん。今不可知的の真如は茫々漠々たる太平洋のごとく、可知的真如は東京湾のごとし。故に可知的と不可知的との間に真如を認むるは、東京湾を隔ててはるかに雲煙微茫の間に富士山影を認むるがごとく、その興味言うべからざるものなり。これを真如の妙致とす。

 小乗にありてはいまだ真如の実在を明示するに至らず。大乗に入りては法相宗に遍計所執性、依他起性、円成実性の三性を立つるうち、円成実はまさしく真如の体をいうなり。『法相名目』(巻中本の一五)に大乗入道章を引きていわく、円成実とは円は満なり、体周遍の義なり、成は成就にして、生滅にあらざるを義とす、実は真実にして、虚謬にあらざる義なり、ただ一の真如にして、この三義を具すとあり。また、『観心覚夢抄』(巻中の三六)には、円成実とは真実如実にして、その性凝然、仮にあらず、無にあらずといい、また、一切遠離して凝然常住なりという。これすなわち法相宗にありて真如凝然不作諸法と唱うるゆえんなり。しかしてその源は『解深密経』に出づ。本書(巻二の一)に「いかんが諸法の円成実相なるや。いわく、一切法の平等真如なり。」                  とあり。また同書に「一切諸法はみな無自性、無生、無滅にして、本来寂静、自性は涅槃なり等」                     とあり。これを要するに法相宗にありては一切万有の本体は真如なりとするも、その真如はただ凝然として実在せるのみにて、その体ただちに諸法生滅の原因となるにあらずと立つるなり。つぎに三論にありては、真俗二諦の中道を立つるをもって宗となす。そのいわゆる中道は真如に外ならず。『三論玄義』に中道の理実をあらわすと説けるは、真如の理にあらずしてなんぞや。僧肇の『宝蔵論』(巻初)に、空の空とすべきは真空にあらず、色の色とすべきは真色にあらず、真色は形なく真空は名なし、無名は名の父にして、無色は色の母なり、万物の根源となりて天地の太祖となると述べ、また、それ真は洲なく渚なく、伴なく侶なく、涯なく際なく、処なく所なく、よく万物の祖宗となり、目にあらずして視、耳にあらずして聞き、形色にあらず、幻魂にあらずして、よく三界の根門たりと説けり。その句法は老子を読むに似たるも、みな真如の形容なり。つぎに天台にありては、中道実相の妙理を開示す。しかしてそのいわゆる実様とは真如なり。これを『法華玄義』(巻八)に解していわく、実相の体はただこれ一法なり、仏種々の名を説きてまた妙有、真善妙色、実際、畢竟空、如々、涅槃、虚空仏性、如来蔵、中実理心、非有非無、中道、第一義諦、微妙寂滅等と名付け、無量の異名あり、ことごとくこれ実相の別号なり、実相もまたこれ諸名の異号のみとあり。これ余がさきに真如の異名を論じて『法華玄義』に一二種の異名を列せりと述べたるゆえんなり。また同書にいわく、妙有にして破壊すべからず、故に実相と名付く、諸仏よく見る、故に真善妙色と名付く、余物を雑えざるをもって畢竟空と名付く、二なく別なし故に如々と名付く、覚了不変なり故に仏性と名付く、諸法を含備す故に如来蔵と名付く、寂滅霊知なり故に中実理心と名付く、諸辺を遮離す故に中道と名付く、無上無過なり故に第一義諦と名付くとあり。この解釈はまさしく真如の体性を表示するなり。つぎに華厳にありては、『法界義鏡』(巻上の五)に、一真法の体を説きて無礙円融にして事理を体とすといい、また法界の異名を列して、真如、真諦、仏性、法性、中道、実相、般若、涅槃、唯識、唯心、一実、一諦、一乗、一道、円覚、無相、心地、仏蔵なりという。すなわちそのいわゆる法界はその体真如にして、その異名はまた真如の体性を表顕するものなり。また『華厳玄談』(巻五の六三)に、円教の中に説くところはただこれ無尽法界なり、性海円融して縁起無礙相即相入す、因陀羅網の重重無際にして微細相容主伴無尽なるがごとしとあるは、すなわち真如の無礙自在円融不可思議なることを示せるものに外ならず。『八宗綱要』真言宗の下には、事に即してしかして真なり、森然たる諸相宛然たる諸法、みなこれ真如なりとありて、その宗の原理は即事而真当相即道に外ならず。これを『弁惑指南』(巻二の六)に論じていわく、真言宗にはただ諸法みな心なるのみにあらず、諸法あまねく地なり、諸法みな水なり、諸法みな火なり、また風なり、またすなわち空なりと談じて、地、水、火、風、空、識の六大を諸法の本源体性とするなり、乃至〔中略〕これをもって真言に立つるところの六大は、みな世間の凡夫の知れるところの事法をもって、すなわち万法の本源、真実の法性とす、いまだかつて微塵許も理法を本とすることを談ぜず、この故に即事而真当相即道と立てて世諦すなわち第一義諦なる真実の仏知見なりと。これ顕密二教の別を示したるものなれども、顕教にて事相の外に立てたる真如を、密教にてはただちに事相の上に立てたるの別あるのみ。これをもって六大の融通自在なることを説く。たとえば『大日経疏啓蒙』に、六大の色形は挙一全収なるが故に、一の方形を挙ぐれば余の円形等ここに全収す、一の方形の外にも余形を見るべからず、云々とあり。

 以上述ぶるところ、これを要するに各宗説くところおのおの異同ありといえども、真如を本体と立つるに至りては一なり。しかして真如の体性いかんを論ずるに至りては、各宗の間に少異なきにあらざるも、これを霊妙不思議融通自在、絶対平等となすにおいては二致あることなし。故にその体たるや老子の無名、易の大極、プラトン氏の理想、スピノザ氏の本質、カント氏の実体、フィヒテ氏の主我、シェリング氏の絶対、シュライエルマッハー氏の神体、スピノザ氏の不可知的、ヤソ教のゴッドに当たるべし。これらの諸説を統合して結成したるもの、けだし仏教の真如ならん。しかるに余はこれを名付けて円了の体という。すなわち『哲学一夕話』につきてみるべし。円了とは円満完了と熟して、道理の円満し思想の完了せるものを義とすることなれば、宇宙万有の本源実体に与うる名称となして可なり。果たしてしからば魯国に斉魯の魯国と、魯士亜〔ロシア〕の魯国との二様あるがごとく、仏学に仏蘭西〔フランス〕学と、仏教の学問との二様あるがごとく、円了の体にも哲学館を監督する五尺三寸の円了と、世界万有の本体たる十方遍在の円了との二様ありと知るべし。

 それ真如は、物にもあらず心にもあらず、主観にもあらず客観にもあらず、物心を総合し主客両観を結合したる完体なれば、これを非有非空または亦有亦空という。しかるに仏教は本来唯心論なれば、真如を名付けてあるいは真心といい、あるいは一心という。ただその一心は絶対の一心なれば、自他彼我の相対心にあらざるのみ。故に『起信論』には、ただこれ一心なり、故に真如と名付くと説き、『義記』の序には、それ真心は寥廓なりと説けり。およそ仏教にて心識の種類をあるいは六識とし、あるいは八識とするを常とすれども、その外に第九識および第十識を立つることあり。今『楞厳熏聞記』(巻三の二六)によるに、天台は『摂大乗論』によりて菴摩羅識を説きて、無分別智光と名付く。すなわち第九浄識なりと解して、第九識を菴摩羅識と名付け、これを訳して清浄識という。『金光明玄義』にはこれを仏識となす。換言すれば真如識なり。故に『宗鏡録』にはその識に一〇種の名ありと称して、あるいはこれを真識といい、法性識といい、仏性真識といい、真如識という。また『顕密二教論』(巻上の二四)には心量に一〇あり、いかんが一〇となす、一は眼識、乃至〔中略〕六は意識心、七は末那識心、八は阿梨那識心、九は多一識心、一〇は一々識心と説きて、一〇種の識心あることを示せり。もし『宗鏡録』(巻五五および巻五六)によらば、『釈摩訶衍論』に一〇種の識を立て、『摂大乗論』に一一種の識を立て、『楞伽経』に八、九識を立つることを弁明せり。要するに諸識の根本を窮め尽くせば、必ず真如に達し、三界唯一心の体はすなわち真如なることを知るべし。この三界唯一心に三義ならびに十門あることを『宗鏡録』(巻四の五)に出せるもこれを略す。左に二、三の書に出づる一心の解釈を挙示すべし。

  『円覚略疏』の序にいわく、衆徳を統べて大に備わり、群昬をかがやかしてひとり照らす、故に円覚という、その実はみな一心なり、これに背くときはすなわち凡にして、これにしたがうときはすなわち聖なり、これに迷うときはすなわち生死始まり、これを悟るときはすなわち輪廻息む、親しくしてこれを求るときはすなわち止観定慧となり、推してこれを広むるときはすなわち六度万行となる、引きてしかして智となせばしかしてのち正智となり、よりてしかして因となせばしかしてのち正因となる、その実みな一法なりと。

  『宗鐘録』にいわく、心よく仏となり、心衆生となり、心天堂となり、心地獄となる。心異なるときは千差、競い起こり、心平かなるときは法界坦然たりと。

  『大蔵一覧集』(巻一〇の二一)にいわく、真心とは念生すれどもまたしたがいて生せず、念滅すれどもまたよりて寂ならず、不来不去、不定不乱、不取不捨、不沈不浄、無為無相、活溌溌地、平常自在なりと。

  『三蔵法数』(巻初)にいわく、一心とは一念の心なり、心性周遍し虚徹霊通す、これを散ずればすなわち万事に応じ、これをのぞむればしかも一念となる、これ故にもしくは善、もしくは悪、もしくは聖、もしくは凡、みなこの心によらざるなし、心もと万法を具するをもってしかもよく衆事を成立すと。

  『楞厳合論』序にいわく、万物を会するこれを心といい、一心に冥するこれを道という、心とは虚融包博にして煥発邃凝なり、応変無方にして威神測ることなく、恢遠微妙にして得て思議することなしと。

  『万善同帰集』(巻下の三六)にいわく、万行心によるをもって一切我にあり、内虚なれば外終に実ならず、内細なれば外終に麁ならず、乃至〔中略〕心虚なれば境寂なり、念起こり法生ぜば水濁り、波昏く潭清ければ月朗らかなり、修行の要ここに出づるなし、衆妙の間、群霊の府、昇降の本、禍福の源なりと。

  『密厳諸秘釈』(巻八)にいわく、三界にあるところの一切衆生と一切諸法とはみなただ一心なり、一法として一心にあらざることあることなし、法はただ一心なり、心はただ諸法なり、もし心を離れて外に別に一法ありといわば、すなわちこれ虚妄なり、またこれ転倒なり、かくのごとき一心は本来十方三世諸仏の万徳を具足せりと。

  『延宝伝灯録』の序にいわく、それ心法は声色なし、空劫以前に活在して万物の根源となる、諸仏諸祖これを悟りて統を続き教を流く、ひとたびこの科に躋る者は三世を掌果に観、九流を蹄涔に抛つ、茫々たる宇宙いずれの性理をか窮め、なんの妙玄をか尽くさん、みなこれこの中の仮名なり。

 以上の諸説につきて、真如と一心あるいは心源と同一なることを知るのみならず、仏教は全く真如一心の上に教理を構成せるを知るべし。その哲学門もその宗教門もみなこれに基づかざるはなし。仏教の妙々霊々思議すべからず、端倪すべからざる趣を有するも、また全く真如一心の霊妙を究むるにあり。『探玄記』(巻初)には、それみぬば法性虚空廓として涯なく視聴を超ゆ、智慧の大海深うして極なく思議に抗す、渺々たる玄猷、名言もその際を尋ぬること罕なり、茫々たる素範相見るもその源を究むるなしといい、『羽翼原人論』序に、その道は無始無終、常恒不変にしてよく万象の主となり、真にして寂、霊々照々、幽邃玄通、応用自在なり、天地風雲、山川国土、水火人物、草木瓦礫より色声香味触法の微に至るまで、みな遮那法性の胸中より流出現顕せざるはなしというがごときは、真如一心の甚深広大なることを形容せるに過ぎず。仏教の妙味実にここに在り。百味の飲食といえども遠く及ぶところにあらず、いわんや八百善や精養軒の料理をや、いわんや風月堂のカステラや、藤村の羊羹や、栄太郎の甘納豆をや。これもとより同日の沙汰にあらず。しかるに世人は毎朝、栄太郎や藤村の店頭に集まりて菓子を得んことを争うも、これに千倍、万倍する仏教の珍味を楽しむことを知らざるはあに慨すべきの至りならずや。人間もし蟻ならば菓子屋の前に集まるはあえて怪しむに足らずといえども、堂々たる大人丈夫にして花より団子を喜ぶに至りてはなんぞ笑わざるを得んや。今真如体相論を結ぶに当たり、更に『六斎精進経記』の序文をかりて、その幽玄深妙なる一端を示さんとす。

  心源に心あり、その名を真如という。不思議を体となす。これ縁すればすなわち慮亡し、議すればすなわち言喪す。寥たり、廓たり、沖漠希夷たり、窈たり、冥たり、妙明離微たり、はるかに迷悟凡聖の際を出でて生死涅槃の域を超ゆ。際を出るをもっての故に、よく迷悟に入り、よく凡聖に入る。域を超ゆるをもっての故に、よく生死に堕し、よく涅槃に堕す。迷悟凡聖これよりして起こり、生死涅槃故なくして分かる、云々。

 もしまた『善導観経疏』によれば、「真如は広大にして、五乗もその辺を測れず。法性は深高にして、十聖もその際を窮むることなし、云々。」                           とあり、真如の体性の広大深高なるあに驚嘆せざるを得んや。

       四 真如の作用

 『起信論』に、真如一心の体上に体、相、用の三大を分かちて、真如の体、畢竟平等にして増減なきをいいて、体大となし、その性徳の広大無量なるをいいて相大となし、その作用の一切の世間、出世間に及ぼすをいいて用大となせり。しかして余はすでに体相の二大を弁明し終われば、ここに用大につきて一言するを要す。小乗にありて無為法中に択力所得の滅すなわち涅槃を掲ぐるも、その涅槃は火の滅したるがごとく、雲の消したるがごとく、虚無的涅槃なり、消極的涅槃なり、灰身滅智の涅槃なり、枯木死灰の涅槃なり、無知不覚の涅槃なれば、その体に活動あるいは作用あることを説くべき理なし。しかるに大乗に入りては積極的涅槃、活動的涅槃を説き、真如の体相用三大を要するも、大乗の初門なる法相宗にありては真如凝然論を唱えて、万法生起の原因は阿頼耶の種子開発に帰し、ただちに真如より活動開現することを説かず。しかればこれを頼耶縁起と称して真如縁起と名付けず。故に法相は真如の体相を説きて、いまだその作用を示さずというべし。しかしてひとりその作用を開示せるは実大乗の諸宗なり。

 真如と万法との間に直接の関係あることを示すものは、実大乗の真如縁起なりといえども、権大乗法相にては間接にその関係を示せり。たとえば実大乗にありては真如を水に比し、万法を波に比し、真如即万法、万法即真如なるはなお水即波、波即水なるがごとしとなす。しかるに法相宗にありてもやはり水波の例によりてその関係を示すも、実大乗の方は水波即一の理を説く。これを体体相対門となす。これに反して法相宗の方は水はすなわち波の体にして、波はすなわち水の用なれば、その相状同じからざるもその体一なりとす。この不同の点よりその関係を不一といい、その同一なる点よりこれを不異という。かくのごとく、不一不異を立つるはすなわち法相宗の中道なり。これを体義相対門となす。これをもって『八宗綱要』には、依他の事法は円成の理性と非一非異なり、相は体を離れず、体は相を離れずとあり、また『観心覚夢抄』(巻下)には、百法等一切の法門みな心を本としみな心より起こる、その理顕然たり、故に百法を談ずれば一心自ら成立し、もし一心を観ずれば百法すなわち宛然たりとあり。これを要するに法相の所立は一切諸法はみな唯識所変にして、一法として実に心外にあることなし。故に一切の境界を収めてみれば心識に帰するものとし、迷悟凡聖の別はこの理を知了すると知了せざるとにありとなす。これをもって『唯識述記』(巻一本の七〇)に、心外に法ありというをもって生死に輪廻し、一心のみなりと覚知するをもって生死永く棄つとあり。ただ法相のいわゆる一心は相対の一心にして、絶対の一心にあらざるをもって、その一心を指してただちに真如と称し難きの別あるのみ。故にもしこれに一歩を進めれば、たちまち真如即万法の理に体達すべし。

 つぎに三論宗に至りては、すでに真如縁起を唱え、真諦の水と俗諦の波と相即不離の関係を有することを示す。故に『八宗綱要』に、俗諦をもっての故に真際を動せずして諸法を建立す、真諦をもっての故に仮名を壊らずして実相を説く、故に空は宛然としてしかして有、有は宛然としてしかして空なり、色即是空、空即是色の旨ここにありと説けり。もし『大乗玄論』(巻一の二〇)によれば、真俗二諦の中道を論じて曰く、二諦は中道をもって体となす、故に不二にしてしかして二なれば二諦の理明らかなり、二にしてしかして不二なれば中道の義立つとあり。三論宗の真如と万法との関係はこれによりて知るべし。

 つぎに『起信論』はもっぱら真如縁起を唱えたる実大乗論なり。その一例を挙ぐれば本論に曰く、いわゆる不生不滅と生滅とは和合して一にあらず異にあらず、云々と。また曰く、一切諸法はただ妄念によりて差別あり、もし心念を離るればすなわち一切境界の相なしと。また曰く、衆生の自性清浄心は無明の風によりて動く、云々と。また曰く、一切世間の境界ことごとく中において現じて不出不入、不失不壊、常住一心なり、一切法すなわち真実の性なるをもっての故にと。また曰く、三界は虚偽にしてただ心の所作なり、心を離れてすなわち六塵の境界なしと。また曰く、心生ずればすなわち種々の法生じ、心滅すればすなわち種々の法滅すとあり。以上の数語によりて『起信論』の一心すなわち真如と万法との関係を知るべし。

 つぎに天台に至りては中道実相の妙理を説きて真如と万法との関係を明らかにせり。たとえば『止観』(会本、巻五の三の二〇)に、それ一心に十法界を具し一法界にまた十法界を具し百法界なり、一界に三十種の世間を具す、百法界にすなわち三千種の世界を具す、この三千は一念の心にあり、もし心なきときはやまん、介爾も心あればすなわち三千を具すと。これを一念三千の法門という。また『十不二門指要鈔』(巻下の一二)に、大乗の因果はみなこれ実相なり、三千みな実にして相々宛然たり。また『釈籤』(巻六の二の七一)に、三千理にある同じく無明と名付け、三千果成るあまねく常楽と称すと。『四教儀集註』(巻下の六一)に、妙宗上にいわく、世間常住とはすなわち十法界三十世間いちいちみな真如の法位に住す、法位常なるが故に世間また常なりと。また同書に、「浄名にいわく、一切の衆生はみな如」       なりと。『宝篋』にいわく、仏界衆生界は一界にして別界なしと。『天台小部集』(巻一)に、果海の一念に三千を具するが故に悟すなわち迷なり、凡夫の一心に三千を具するが故に迷すなわち覚悟なりと。また同書に、真如に二義あり、一は不変真如にして、二は随縁真如なり、これは別教に明かすところなり、真如に二義あり、一は不変、二は随縁なり、随縁すなわち不変、不変すなわち随縁なるは円教に明かすところなり、故に知る真如すなわち心法、心法すなわち真如なり、真如万法に変じ心法また変ず、たとえば水と波と非一非異なるがごとしと。かくのごとく真如と万法との関係を示したるは天台家の所立なり。

 つぎに華厳を考うるに、『華厳経』に三界唯一心、心外無別法とありて、華厳宗は唯心論にして絶対的唯心論なり。しかしてその一心すなわち真如と万法との関係につきては、やはり真如縁起を談ずるも、これを余宗の縁起論に比するに、重重無尽の縁起を唱うるの別あり。『探玄記』(巻一三の一九)に、一中一切を有し、かの一切中の一また一切を有し、すでに一門中かくのごとく重々にして窮尽すべからずと説き、『五教章』(巻中の一四)に、それ法界縁起はすなわち自在無窮なり、乃至〔中略〕円融自在にして一すなわち一切、一切すなわち一にして、その情相を説くべからずと。『法界義鏡』(巻上の一五)に、法性随縁してすなわち成る、一塵の中に真理を摂尽し、一切万法塵理を離れず、これ故に万法と塵理とともに一塵の中に入る、塵外に理なくまた諸法なし、塵々みなしかり、法々またしかりと。これみな華厳縁起の相状なり。また華厳にては縁起の外に性起を説く。『五教章見聞』(巻五の六)に行願記を引きていわく、性起とはいわく法界の性全体起こりて一切諸法となる、法相宗には真如は一向凝然不変と説くが故に性起の義なし、この宗(華厳宗)説くところの真性は洞然霊明にして全体即用なり、故に法爾として常に万法たり、法爾として常に自ら寂然たりとあり。しかして性起と縁起との別は古来これを釈して、性起はただ浄法界のみ。縁起は染浄に通ずという。またこれを『五教章見聞』に釈して、縁起は全真法界の大用においてこれを談じ、性起は性海に風なくして全波自ら動くの意なりと。これを要するに法界縁起をもって万法生起の次第を論ずるは、実に華厳の大綱なり。またその宗にては事事無礙法界を説きて、真如と万法と融通自在なるのみならず、一塵一毛の中に十方世界を摂尽してのこすことなく、事と事と互いに融即して重重無尽無礙自在なりという。

 つぎに真言宗を考うるにその真如と万法との関係につきては、事を本として理を末とするをもって、天台、華厳と表裏の相違あるも、事理の融入自在を説くに至りては一なり。また真言にも唯心説を唱えざるにあらず。『般若心経秘鍵』には、それ仏法はるかなるにあらず、心中すなわち近し、真如外にあらず、身を棄ててなにをか求めん、迷悟われにあり、発心すればすなわち到り、明暗他にあらず、信修すればたちまち証すとあり。『吽字義』には、万法唯心、心の実相すなわちこれ一切種智なり、すなわちこれ諸法の法界なり、法界すなわちこれ諸法の体なりとあり。しかりしこうしてその唯心は真如の理性を指すにあらずして、衆生の身心を指すこと明らかなり。その身心は大日如来とその体を同じうし、父母所生身、速証大覚位と立つるが真言一家の所談なり。これを要するに真言は即事而真と称して、目前の事相のままを真如の徳となして事理の関係を論ずるなり。すなわち『八宗綱要』に曰く「即事而真にして、森然たる諸相、宛爾たる諸法は、みなこれ真如なり。」                   と。また曰く「真如はすなわちわが身、仏法はすなわちわが体なり。」           と。もって真言一家の真如説をみるべし。

 以上真如の万法の上に与うる作用を論ずるにおいては各宗の所見一ならずして、あるいは真如を画像か木像のごとく解するものあり、あるいは真如を跛者か隠居のごとくみるものあり、あるいは真如を主人のごとく帝王のごとく説くものあり。まず小乗は真如も画像か木像のごとく解して死物同様に考え、更に万法に対して直接の関係なきもののごとく論ぜり。しかるに法相宗にありては真如の活物なるを知るも、真如自ら手足を動かして作用を示すものにあらずと考え、これを跛者か隠居のごとく待遇するなり。換言すれば真如を敬して遠ざくるものというて可なり。ひとり起信、天台、華厳等に至りては真如自ら世界の主人となり帝王となりて、万機を総裁するがごとし。これ仏教の真面目なり。これを政治にたとうれば小乗は貴族政治のごとく、法相は将軍政治のごとく、実大乗諸宗は明治維新の復古政治のごとし。なんとなれば小乗はいまだ真如の主人公あるを知らずして、七十五法と名付くる七五人の貴族のごときものが相合して世界を支配するに比すべし。法相は真如の帝王あるを知るも、その位非常に高くその人最も尊うして、決してみずから世界の俗事に関係すべきものにあらずとし、これを九重雲深き所に安置し奉り、その代わりに有為法中に第八阿頼耶識と名付くる将軍ありて、諸務を裁理して万法生起の原因となる。もし更に進みて実大乗に入れば、一天万乗の真如の天子ひとり自ら立ちて世界の諸省諸務を総理するがごとし。かくのごとく貴族、将軍、維新の三大政治に比すれば、大小両乗の真如と万法との関係を明らかにするを得べし。故に実大乗は一種の君主政治なり。これを君主政治とするも君主専制にあらずして、立憲君主政治なりと知るべし。すなわち真如の帝王と万法の万民と共同一致して世界を支配するものなれば、君民共和的の立憲政体なり。しかしてその共同一致の事情は真如即万法、万法即真如の格言に照らして明らかなり。今わが国は一系連綿万代無窮の立憲君主政体にして、わが仏教も一理貫通万劫不変の立憲君主政体なり。ただその異なるは前者はアジアの極東にありて日本一国を支配し、後者は地球はおろか有為無為、世間出世間のあらゆる世界すなわち十界三千の諸法を支配するにあり。これ余が一場の比喩に過ぎざるも、その実、仏教の真如におけるはわが日本国の天皇陛下におけるがごとし。故に我人は国家に対しては皇室を尊重せざるべからざると同時に、世界に対しては真理を尊重せざるべからず。一方に対して護国の義務あると同時に、他方に対しては愛理の義務あることを忘るべからず。換言すれば我人は国家の君主と宇宙の本体との二大主人に対して護国愛理の二大義務を有することを記せざるべからず。これ本館が護国愛理学堂の称を有するゆえんなり。そもそもわが国の東西の万国に卓絶するゆえんは全く世界無比の国体を有するにより、わが仏教の古今の諸教に超越するゆえんは全く広大無辺の教体を有するによる。しかしてその体はすなわち真如なり。これ実に仏教の帝王にして、かつ宇宙の本尊なり。ヤソ教のゴッドのごときは、これをその帝王に比するに宇宙の門番か小使いに過ぎざるべし。果たしてしからば我人は宇宙の小使いを崇拝せんよりは、むしろその帝王を崇拝せざるべからず。

       五 真如の関係

 真如は仏教の第一原理なり、根本的道理なり。法門八万四千の多きに分かるるといえども、一として真如を基とし礎とせざるはなし。我人の迷うも悟るもまたみな真如のしからしむるところなり。今ここに真如と法性、涅槃、仏性、法身、法界等の関係異同につきて一言せんと欲す。

 それ法性は真如の一名なることまえすでに述べたるがごとし。すなわち『伝通記』(巻二の三四)に、法性者真如の異名なりとあり、かつ同書に『大乗止観』を引きて、法とは一切法なり、性とは体実不改の義なり。また『起信論浄影疏』に、真有自体を法と名付け、理体常なるを性と名付くることを示せり。かつ同疏に『智度論』を引きて、一切衆生涅槃の性あり、故に法性と名付くといえり。また『海東疏』には、法性とはいわゆる涅槃なり、法の本性なるが故に法性と名付くとあり、また『起信論義記』には、法性の名は真如が染浄にあまねく情非情に通じて深広なる義をあらわすことを説けり。かつ同書に『智度論』によりて、衆生数中にあるを名付けて仏性となし、非衆生数中にあるを名付けて法性となすという。換言すれば真如の体の無情中にあるを法性と名付け、有情の内にあるを仏性と名付くと解して、真如と法相と仏性との別を示せり。

 つぎに涅槃の名義を考うるに、『涅槃経』(会疏、巻二三の二五)に、数様の釈義を掲げり。もしその一、二を列挙すれば、涅は不なり、槃はあるいは有と解し、あるいは障礙、あるいは和合、あるいは苦と解し、無有、無障礙、無和合、無苦等を涅槃の義となす。また『大乗義章』(巻一八の初)に、涅槃の釈名を掲げ、『翻訳名義集』(巻五の四)にも細釈あり。今『名義集』によるに、梵語摩訶般涅槃那、ここに大滅度という、大はすなわち法身、滅はすなわち解脱、度はすなわち般若なり、『大経』にいわく、涅は不生をいい、槃は不滅をいい、不生不滅これを大涅槃と名付く、云々。もし『唯識述記』(巻一本の三一)によれば、梵音波利暱縛★(くちへん+男)これを訳して、円寂となす、旧に涅槃というは音の訛略なりと。要するに涅槃はこれを訳してあるいは円寂、あるいは滅度、あるいは解脱、あるいは安穏、あるいは無為、あるいは彼岸というも、不生不滅の体すなわち真如を離れて別にその体あるにあらず。故に古来真如の理体これを涅槃といい、これを証する智慧を菩提といえり。換言すれば煩悩を脱却して証得する真如の理体を涅槃と名付くるなり。故に『大乗義章』(巻一八の一七)にいわく、無始の法性縁に従いて飄動すること海の波浪のごとし、性不寂と名付く、後に妄染を除きて法性始めて寂なり、始寂の法性を説きて涅槃となすと。またいわく、この法性体一味のごとくまた同相と名付く、諸仏これを証す説きて涅槃となすとあり。また菩提の字解につきては、『唯識述記』(巻一本の三二)に、正覚の異号を梵に菩提といい、ここに翻して覚となす、法性を覚するが故とあり、法性とは真如のことなれば菩提も涅槃も真如の理を証得する方につきていうなり。もしその理を障礙する方につきていえば、煩悩あり、生死あり、煩悩の雲を払い、生死の海を渡りて得るところの果は、真如の理体なること明らかなれば、涅槃も菩提も真如の外に存する理なし。今これをたとうるに真如は大地のごとし。その表面を覆うところの煩悩生死の迷は積雪堅氷のごとし。この積雪をうがちその堅氷を破りて本来の地面を開顕するに至れば、これを彼岸に達すといい、涅槃を証得すというなり。

 つぎに仏陀、如来の名義を考うるに、仏陀とは知者あるいは覚者と翻し、一切の煩悩を断絶して涅槃を証得するものこれ仏陀なり。換言すれば真如の本性を開顕したるものこれ仏陀なり。つぎに如来とは仏陀に同じ、『涅槃経疏』(会疏、巻八の初)に、如来はすなわち仏、仏はすなわち如来なりとあり、『金剛経』(略疏、巻下の一七)に、如来を解して従来するところなくまた去るところなし、故に如来と名付くとあり、『成実論』(巻一の一九)には、如実の道に乗じてきたりて正覚を成す、故に如来というとあり、『宗鏡録』(巻三一の二)に、如来とはすなわち一心真如の自性中よりきたる、故に如来という。また、如とは不変不異にして自性を失せず、故に名付けて如となす、来とはすなわち真如自性を守らずして随縁して顕現す、故に名付けて来となす。故に仏陀といい、如来といい、真如の自性に関せざるはなし。

 もし更に法身法界如来蔵を考うるに、『宗鏡録』(巻四の四)には、『楞伽経』にいう、寂滅のものを名付けて一心となす、一心とはすなわち如来蔵なり、如来蔵はまたこれ在纏の法身なり、経にいわく、隠れたるを如来蔵となし、あらわれたるを法身となすとあり、『涅槃会疏』(巻八の一)には、如来蔵はすなわち仏性なりとあり、『翻訳名義集』(巻五の三)には、この身はすなわちこれ如来蔵ともあり、煩悩中に如来蔵ありともあり。また『起信論義記』(巻中本の一〇)には、自性清浄心を如来蔵と名付くとあり。要するに蔵とは隠覆包蔵を義とし、真如の理性の煩悩の纏縛中にあるを如来蔵といい、煩悩を出でたるときは法身というがごとし。つぎに法身とは『性宗名目私鈔』(巻一の二九)に『心地観経』を引きて釈して曰く、法身の体、もろもろの衆生にあまねくして万徳凝然として性常住し、不生不滅にして去来なし、云々と。また『無性摂論』を引きて曰く、法性すなわち身なる故に法身と名付くとありて、真如法性を身に配して法身と名付くるなり。すなわち法報応の三身というがごときこれなり。また『金光明玄義』(巻下の一〇四)に「法身、法性はこれ異名なり。」        とあり、つぎに法界とは『瑜伽論記』(巻三下の三〇)に、この法性を名付けて法界となすとあり。『法界無差別論疏』(九左)に『摂論』を引きていわく、法界とはこれ一切浄法の因なりとあり、また『大蔵法数』(巻五三の一九)には、法界とは諸仏衆生の本体なりとありて、その解釈少異なきにあらずといえども、その体真如なること疑いを入れず。故に『起信論』には、心真如とはすなわちこれ一法界大総相法門の体とあり。今更に『円覚経』序文を引用して諸名義の関係を示さん。

  それ血気の属にも必ず知あり。およそ知ある者は必ず体を同じくす。いわゆる真浄明妙、虚徹霊通、卓然としてひとり存する者なり。これ衆生の本源ゆえに心地といい、これ諸仏の得るところゆえに菩提といい、交徹融摂ゆえに法界といい、寂静常楽ゆえに涅槃といい、濁らずして漏れざるがゆえに清浄といい、妄ならずして変わらざるがゆえに真如といい、過を離れ非を絶するがゆえに仏性といい、善をまもり悪をさえぎるがゆえに惣持といい、隠覆含摂、ゆえに如来蔵といい、玄閟を超越するがゆえに密厳国といい、もろもろの徳をすべり大いに備わり群昏を爍してひとり照らすがゆえに円覚という。その実はみな一心なり。

 

 

 

 

 これによりてこれをみるに、法性も法身も法界も仏性も如来蔵も涅槃も菩提も、みなその体一にして、真如の理性に基づかざるなし。換言すれば真如そのものに四方八方の関係上種々の名称を付加したるものといいて可なり。故に余は仏教を名付けて因果教といわんより、むしろ真如教というを妥当なりとす。

 世人みな曰く、ヤソ教は単純にして、仏教は錯雑なり、ヤソ教は平易にして、仏教は難関、ヤソ教は一途にして、仏教は多岐なり、故にヤソ教は入りやすく、説きやすく、解しやすく、信じやすく、仏教は入り難く、説き難く、解し難く、信じ難しと。余おもえらく、これその一を知りてその二を知らざる愚評のみ。百万の大軍といえども一定の規律あればこれを統御することやすく、千百の少勢といえども一定の規律なきときはこれを指揮すること難きがごとく、仏教はいかにその法門八万四千の多きに分かるるも、その経論幾万巻の多きに達するも、一理法のその中に貫通するありて一大系統の存する以上はなんぞ岐路に迷うの恐れあらんや。盲人なおよく彼岸に達するを得べし、いわんや有眼有智の輩をや。余試みにこれを一言せん。

 ヤソ教はゴッドをもってその教を一貫する第一原理となすがごとく、仏教は真如をもって一貫の原理となす。故に人もし仏教の第一原理を問わば真如をもってこれに答えざるべからず。しかるに仏者は往々仏陀をもってこれに答え、仏教の仏陀におけるはなおヤソ教のゴッドにおけるがごとしという。これその言の当を得ざるのみならず、到底問者をして仏教を会得せしむることあたわざるべし。これを仏教に考うるに、真如はその第一原理にして、仏陀は第二原理に過ぎず。もし真如をゴッドに比すれば、仏陀は神の使いに比せざるべからず。これ真如の使節か代理か支店長のごときもののみ。真如は絶対不二なれども、仏陀は彼此の別ありて、その数一ならず。しかして我人と真如とは、部分と全体との関係ありて、真如は全体、我人は一滴一塵の分子に過ぎず。仏陀も真如に対すれば部分と全体との別あり。故に我人と仏陀との異同は、凡聖迷悟の差あるのみにて、共に真如の一部分たるにおいては同格同等のものと称して可なり。換言すれば仏陀は我人の先輩に過ぎず。故に我人他日もし煩悩を断尽して本有の仏性を開顕するに至らばすなわち仏陀なり。これをもって余は、真如をもって仏教の第一原理とし、仏陀をもって第二原理とするなり。

 ヤソ教にては、世界万有はゴッドの所造となすも、仏教にては、造物主宰を説かざるをもって、世界の上に能造もなければ、所造もなき理なり。しかれどももし強いて世界の造化を論ずれば、真如実にその能造者たり。しかして真如には手もなければ足もなく、鋸もなければ鎚もなし。いかなる器械、いかなる方法をもってこれを造出せしや。余これに答えて真如の体にはヤソ教のゴッドのはるかに及ばざるほどのすこぶる調法なる器械を有して、世界造化の大工事を落成せり、もしくは落成しつつありといわんとす。その器械とは因果の理法なり。この理法は真如に固有せるものにして、真如の手足と称するも不可なることなし。その手の長くその足の大なること、縦に三世を窮め、横に十方を尽くして、至らざる時なく、達せざる所なし。けだし宇宙の最大なる怪物なり、その全智全能はヤソ教のゴッドに千百倍すと称して可なり。かくして真如の本体と因果の規律との二者を了解すれば、たやすく一大仏教を了解するを得べし。あにこれを難関となすの理あらんや。

 

     第五講 真如万法関係論

 最初に万法を論じ、つぎに真如を論じてここに至れば、この二者の関係を論ぜざるべからず。しかして前講真如論の下においてその関係の一端を開示せるも、更にこれに対する余が意見を開陳せんと欲す。その順序左のごとし。

  第一に仏教の系統を叙してこれを示し

  第二に古来の諸説を掲げてこれを評し

  第三に余が意見を述べてこれを結ぶ

 まずその系統を述ぶるに当たり、余が仏教に与うる分類を示すを要す。通常仏教を分かちて大乗小乗、一乗三乗、顕教密教、聖道浄土等となすも、余は仏教を理論宗と実際宗とに分かち、更に理論宗を有、空、中の三宗に分かち、実際宗を智、情、意の三宗に分かつ。その表左のごとし。

  仏教 理論宗 有宗(小乗)

         空宗(権大乗すなわち法相宗)

         中宗(実大乗) 天台守

                 華厳宗

                 真言宗

     実際宗 意宗(禅宗)

         智宗(日蓮宗)

         情宗(浄土諸宗)

 その内、余が今述ぶるところは理論宗の有空中三宗をもって限るべし。

       一 仏教の系統

 仏教は真如の理体をもって縦横に組織せられたる完体にして、絶対的にこれをみれば真如の一理となり、相対的にこれをみれば、真如と万法との関係となる。その関係を論ずること、有空中三宗おのおの異なりといえども、左の三条をもって貫かざるはなし。

  第一に仏教は思想の循環をもって全教の系統とすること

  第二に仏教は真如の理体をもって全系の中心とすること

  第三に仏教は唯心の道理をもって全論の性質とすること

 まず第一条を述ぶるに、そもそも仏教は物心諸象の外に真如の本体あることを説き、これに向かって進入するをもって全教の目的とするものなれば、論理の発達もまたこの方向をとれり。ただその本体を証見する方法に至りては、有空中三宗自らその解釈を異にし、大小両乗自らその進路を異にするも、これただ論理の進行上、前後始終の次第あるによるのみ。決して真理そのものにおいて二致あるにあらず。これをたとうるにここに一場の円埒ありと想するに、円埒そのものについて考うるときは、前後始終の別なく、平等一様なりといえども、もしその中に一歩を進めんとするときは、必ず起点を定めざるべからず。すでに起点をその上に定むれば、前後始終の関係忽然として生ず。これすなわち真如平等の周辺に差別の歩級忽然として生ずるものなり。しかしてひとたび起点を定め、あるいは右に向かって進み、あるいは左に向かって進むときは、その向かうところは前にして、その過ぎたるところは後なり。すでにこれを一周してその起点に復するに至れば、ただこれ完全なる一場の円埒なるを知り、円埒そのものに前後始終の差別なきを知るべし。今真如の理体は平等無差別にして、始終なく、前後なく、あたかも円埒そのもののごとし。もし論理の馬上にまたがりてこれを追究せんとするときは、あたかも円埒中に起点を定めたるがごとく、その一歩たちどころに前後始終の差別を生ず。故に論歩を理想の上に進むれば、まさしく我人がその歩みを円埒の上に進むると同一なるを知るべし。これ実に真如そのものの自然の性なり。今仏教は真如の一円をもってその体とし、これに進向するをもってその目的とするものなれども、その理を人に示し、世に伝えざれば、だれありてよくこれを知り、かつこれを信ぜんや。これにおいて釈尊は人智の性質と程度とに従い、論歩をその上に進めて、大乗小乗、一乗三乗等の諸教を兼説するに至れり。故にその間に前後優劣の次第あるべき理なしといえども、論歩自然の労、その差別を生じ、小乗は劣なり大乗は優なり、三乗は前なり一乗は後なる次第をみるに至る。しかれどももし更にこれを論究してその極点に達すれば、最初の起点に復し、論理一周してその本に帰るをみる。これこれを思想の循環という。ひとり思想のみならず、世界のこと一として循環ならざるはなし。富貧も循環なり、貴賎も循環なり、禍福も循環なり、盛衰栄枯、隆替消長、みな循環運行してきたるものなり。もしこれを天体の上に考うれば、太陽も回転し、地球も回転し、諸惑星はもちろん、天体ことごとく回転して、もって世界の大変遷を営み、もって成住壊空、進化退化の循環をなすに至る。故に循環は宇宙の常則定律なり。果たしてしからば我人の一生中、いかに不幸災難の連なりに至ることあるも、決して憂慮するに足らず。かえってこれを幸福禎祥の前兆として歓迎して可なり。諺に人間万事塞翁が馬というがごとく、貧富貴賎、苦楽禍福は車の回転してやまざるがごとく、独楽〔こま〕の舞い、球の転ずるがごとく、終わりてまた始まり、循環して際限なきものなれば不幸災難の極は幸福歓楽の始めなりとして、これを祝して可なり。これ実に我人の安心の一道なり。もしこの理を生の前、死の後に移せば、生の前に生あるを知るべく、死の後にまた死あるを知るべく、生々死々、循環相続して際限なきを知るべし。果たしてしからば、死の終わりは生の始めなれば、死なんぞ恐るるに足らん、病なんぞ憂うるに足らん。我人もし病死を恐るるならば、毎日、日の暮るるを恐れ、毎年、年の尽くるを恐れざるを得ざる理なり。これまた浮世の暗路を照らす安心の一灯にあらずや。

 仏教の論理は循環して末より本に帰るを知らば、各宗の間に前後の別あるもこれ表面一様の区別にして、その実、優劣の次第あるにあらざるを知るべし。今まさしくこの循環の理を有空中三宗の上に配合して考うれば、まず小乗をもって起点とせざるべからず。小乗の駅舎を発して権大乗に入り、権大乗の旅亭を辞して実大乗に着す。しかして実大乗の終わりは真言にして、真言の所立は一半小乗倶舎と相合するをみる。これ大乗究まりて小乗に帰着するものなれば、すなわち循環なり。たとえば小乗は世間通俗の客観論に対して、世間万有の本源実体は七五種の諸法の集合より成り、その法体は恒存実有なるも、その集合体すなわち目前の万物万象は空にして実有にあらずとなす。これ倶舎の客観論は世間通俗の客観論より一歩を進めたるゆえんにして、その進むは真如一心の本体に向かって昇るものなり。故に余は世間の客観論に対して、倶舎の客観論を主観的客観論もしくは唯心的客観論と名付く。つぎに権大乗法相宗にては、小乗所立の法体も空にしてその実なく、森羅の諸法はことごとく唯識の所変に外ならざることを説きて開発論を唱うるも、その開発は有為法中の第八識を根本としてこれを説き、決して真如自体よりただちに生起することを説かず。かつその唯識は人々おのおの別の唯識にして相対性のものなれば、これいまだ現象差別の見を脱せざるものなり。故にこれを空宗中の有門となす。これに対して三論宗は空宗中の空門なり。しかしてその空たるや、一切の物心諸象を排して、ひとり真如平等の一理を立つるも、その論なお消極的にして、いまだ積極的に真如の実在を証明するに至らず。故に法相三論の二宗は、万法差別の現象界より一理平等の真如界に進行する途上にある旅館茶店のごときものにして、いまだ正しく真如の都城に入らざるものというべし。つぎに実大乗天台に至りてはすでに真如の都城に入りて絶対論を立て、真如と現象との関係につきては同体不二を説き、徹頭徹尾真如を中心として論ずるものなり。つぎに華厳は体象の同体不離を説くこと、天台に異ならずといえども、更に一歩を進めて事々物々の間に融通無礙を説くをもって、真如の都城を出でて再び現象界に向かうがごとき観あり。つぎに真言に至りては体と象との間に相即不離を説くこと、華天〔華厳、天台〕諸宗に異なることなしといえども、客観的事物を本として理体を論ずるものなれば、大乗極まりて小乗に復し、循環帰元の事情あり。小乗は物心二元論にして、真言も二元論なり。ただその異なるは真言は物心融通の二元にして、小乗は物心隔歴の二元なるの別あるのみ。これ論理循環してその起点に復したるものというべし。

 つぎに第二条を考うるに、仏教は真如の一理をもって一教全系の神髄眼目となすこと、余が弁解を待たざるところなれども、今これを有空中三宗の上に照らして述ぶべし。そのうち小乗倶舎はいまだ真如一理の体あることを示さざるも、その宗立つるところの法体恒有説の中には自ら真如説を胚胎せることは明らかなり。すなわち倶舎宗は世界万有の変遷無常を説くも、その裏面に不生滅、不変化、無始終の体あることを知りて、法体恒有説の起こりたるもののごとし。もしこれを主観的に解しきたらば、法体恒有は一変して真如不滅論となるべし。しかるに世間通俗の者は世界万有を観察して無数の我、無量の物ありと信ずるは、真如の妙境を去ること遠きものといわざるべからず。これらの凡俗に対して真如平等の理を開示せんと欲して、まず小乗を説き、つぎに大乗に及ぼせるは、釈尊化導の方便なり。故に進みて大乗法相に達すれば、小乗の上に更に一段の活眼を開きて唯識所変の理をみるに至る。しかるに有為の諸法と無為の真如との間に、なおいまだ融通自在ならざることあるは、実大乗に一歩を譲るところなり。かくして実大乗に入れば、一切万法みな真如よりただちに縁起せるものなることを明かし、真如即万法、万法即真如、色即是空、空即是色の理を開示するに至る。これを仏教の本旨となす。故に仏教全系の骨目主眼は真如の一理なること多言を費さずして知るべし。

 つぎに第三条を考うるに、仏教全論の性質の唯心論なることは、さきにしばしば述ぶるところをみて明らかなりといえども、更にここに一言するに、有宗も空宗も中宗もいずれも唯心論の風を帯びざるはなし。なかんずく実大乗の中道諸宗はあるいは一心二門といい、あるいは一心三観および一念三千といい、あるいは三界唯一心といい、みな唯心論なり。また小乗有宗の客観論といえどもその裏面に唯心の意義を含有することは、余が仏教心理学の講義中に弁明せるところなり。真言の事相論もまた唯心主義なり。けだし仏教にては迷悟善悪の別はみな心より生じ、彼我差別の見はみな心より起こるものと想定するによる。故をもって『起信論』に、「三界の虚偽はただ心の所作のみ。心を離るればすなわち六塵の境界なければなり。」                   といい、『妄尽還源観』に、「三界所有の法は、ただこれ一心の造にして、心の外にさらに一法も得べきことなし。」                     といい、『華厳経』に「心は工画師の種々なる五陰を造るがごとく、一切の世界の中に法にして造らざることなし。」                       というがごとき、唯心論句調の文句はほとんど経論を満たすに至る。これを要するに仏教は真如一元論にして、かつ唯心一元論なり。しかしてその唯心と真如とは異名同体なれば、二者同一に帰すべし。しかるに真如は非物非心の体に与えたる名目なれば、必ず唯心と相異ならざるべからずと難ずるものあらん。しかれども三界唯一心の唯心は絶対不二の心体を指すものなれば、物心相対の唯心にあらざること明らかなり。むしろ物心二者の本源実体をいうなり。故にこれを物の本体と名付くるも可なり。しかるにこれを唯心と名付くるは、その体たる無形質にして理想性のものなるによる。換言すれば物の性質よりは心の性質に似たるによる。これをたとうるにここに池水ありてその面に氷を浮かぶるがごとし。その氷はこれを物質に比し、その水はこれを心に比するに、氷と水とは二者相異なりとみるは物心相対上の見解にして、氷すなわち水、水を離れて氷なしとみるは真如絶対上の見解なり。この理をもって仏教は唯心論を唱うるなり。

 それ真如の体はすなわち唯心の体にして、実に天地万象の本体なり。その体の霊々妙々なるは、これを万象の上に観ずるも、一心の中に考うるも知ることを得べし。けだし賢愚凡聖の別はただこれを知ると知らざるとにあり。もし人、大活眼をもって宇宙の真相を達観しきたらば、天地万物みな霊々妙々の風光中に現ずるを見るべし。しかるときは山色水声、鳥語花光みな真如界中のものたるを知るべし。『人天眼目』に曰く、

  古松は般若を談じ、幽鳥は真如を弄す。

 

 また『碧巌集』に曰く、

  渓声すなわち広長舌なり。山色あに清浄身にあらざるや。

 

 また『塩味集』に曰く、

  青々たる翠竹はことごとくこれ真如、欝々たる黄華は般若にあらざることなし。

 

 また『資持記』に曰く、

  山河大地は全く法王身、煗動翻飛はみな如来蔵なり。

 

 またある書に曰く、

  法々塵々一々如々、一色一香も実相にあらざることなし。

 

 以上はみな天台の一色一香無非中道の理を解説せるものなり。また禅家の語録に、

  煩悩の露中に菩提の花開く、悪事の浪上に仏果の月浮かぶ。

 

 これ煩悩即菩提、生死即涅槃の意に外ならず。またある一書に、

  ひとたび華開けば天下はみな春、ひとたび発心すれば法界はことごとく道なり。

 

とあるは、『伝通序記』の、「迷えば方寸も千里、解すれば十方も一心なり。」             あるいは「解すればすなわち十方も一心の中、迷えばすなわち方寸も千里の外なり。」                とあるに同じかるべし。また『麗気記』に曰く、

  森羅万象はみなこれ神体なり。山頂山下はみなこれ神宮なり。

 

とあるも、またよく一色一香無非中道の理をもって解することを得べし。もし浄土一門の所談に至りては左のごとき句あり。

  一動、一静、一語、一黙も一箇〔個〕の阿弥陀仏ならざることなく、

  恒沙塵数の無辺法門はみなことごとく六字の中に摂在す。

 

 

 これ前の万法即真如の理を阿弥陀仏体に寄せて説きたるものなり。これを要するに、仏教は真如一元論なれば、日月星辰、山川国土、その体みな真如なることを説き、此土すなわち寂光浄土なることを示すものなり。この理を裏面に含みていまだ表面にあらわさざるは小乗にして、これを表面に開顕したるは大乗、なかんずく実大乗なり。大乗仏教の妙趣は全くここにありて存す。好学の士は静かに思い深く味わうべきところなり。人もし仏教を学びてこの点に至らば、必ず仏教の厭世教にあらざるを知ると同時に、日夜破窓の下、寒煙の中に住しながら、歓楽その身に余りてまさに天地に充満せんとする思いをなすべし。けだし此土寂土とはこれこれをいうならん。故に世間もし百患身に集まり、千憂心を苦しむるがごとき、不幸薄命の人あらば、必ずきたりて大乗の門に入り、真如城中の風月を楽しむべし。しかるときはその千憂も百患もたちどころに雲消霧散して、歓天楽地の間に逍遥することを得べし。これあに人生の最大快事ならずや。

       二 古来の諸説

 真如一元の理をもって解すれば、宇宙の本来は天地の別も日月の別も彼我差別の万象もあるべき理なく、平々等々、絶対唯一、無差無別ならざるべからず。しかるに我人の眼界に現ずるものは山河草木、飛禽走獣、大小方円、その類実に千種万様にして、名数の及ぶところにあらず。これ果たして迷見妄覚のしからしむるところなるか、また実事真境なるか。もしこれを妄見と断ずれば、我人の一生は醒時の夢幻にして、この世界は一大魔鏡の幻影なりといわざるべからず。もし現実の世界が魔鏡中の幻影ならば、国家も社会も人間もみな幻影なりと判ぜざるべからず。しかるときは忠君愛国も孝弟仁義も、これを講ずるはみな迷中の迷たるを知るに至るべし。世間だれかかくのごとき説をいるるものあらんや。もしこれに反してこの目前の諸象は実在せるものと断定するときは、なにをもってかかる差別の諸象が無差別の真如界中より現出しきたりしやの一大疑問ありて起こるべし。もし無差別中より差別を生じたりとなさば、これすなわち無中より有を生ずる理にして非論理のはなはだしきものとなる。この点はひとり仏教のみならず、古今東西の哲学上における最大問題なり、究竟疑問なり。今これを『起信論』の上に考うるに、その一心二門の説は実に一大難問にして、最初の一心分かれて生滅門、不生滅門の二類となりたるは、生滅なきところより生滅を生じたる理にして、無中より有を生ずるの非論理的論法となる。もしこれを無明の風が一心の海面を動かして生滅の波を起こさしめたるものと解するときは、必ずその無明はいずれより生じきたりしかの疑問ありて起こるべし。これ大乗哲学の最大難関にして、これを昔時の東海道五十三駅に比すれば箱根の関門に当たるところなり。今余はこの難関を破りて会通の道を開かんとす。諸君請う、思いを潜め精を凝らして余がこれより論出するところをみよ。

 昔日箱根の関門は、今日すでにこれを除きて交通を自在ならしめたるのみならず、昔日東海道第一の険と称したる函嶺〔箱根山〕も、中山道第一の険と称したる碓氷も、今や鉄路を架して一声の汽笛と共に坐臥眠息の間に通過するを得るに至れり。また昔日遠く帆船に架してアフリカの南端喜望峰を一周したりし航海が、今はスエズ海峡を通過して来往するの便を得、渺々たる太平洋上五千余里の航海も二週を出でずして渡来するを得るに至れり。これに反して仏教研究の道は、昔日も今日も更に異なるところなく、昔日の難道は今日に至りてもやはり難道にして、容易に通過すべからずとなすときは、仏門に衣食する数万の僧侶はなんの面目ありて世間に対せんや。素餐徒食の罪決して免るべからず。これひとり世間に対して罪人なるのみならず、仏祖に対して罪人なり。故に仏教研究の徒は今より昔日の難道険路を開鑿して、今後の人に自在通過の便を得せしめざるべからず。これ余が多年の志望にして、前後数十里の難道を開通して、今や仏門のいわゆる箱根の険にかかれり。余はただに岩石を除きてこれを開通するのみならず、鉄路車道を設けて、人をして夢寝の間に知らず識らず通過し得るがごとき便を与えんとす。まず『起信論』につきて真如と無明との関係を考うるに、曰く、

  衆生の自性は清浄心なるも、無明の風によりて動く。

 

 これ真如を海水にたとえ無明を風にたとえて、大海の水の風によりて波動するがごとしとなすなり。また曰く、

  もとよりこのかた自性清浄なれども無明あり。無明のために染せられ、その染心あり。染心ありといえども常恒不変なり。この義はただ仏のみよく知りたもう。いわゆる心性は常に念ずることなきが故に名づけて不変となし、一法界に達せざるをもっての故に心、相応せずして、忽然と念の起ききるを名づけて無明となす。

 

 

 この一章の忽然念起は古来の難問なり。また曰く、

  真如の法によるをもっての故に無明あり。無明なる染法あるをもっての故にすなわち真如に熏習す、云々。

 

 また曰く、「真如はもとより一なれども、しかも無量無辺の無明ありて、もとよりこのかた自性は差別し厚薄も同じからざるが故に、云々。」                              とありて、真如と無明の関係を示すといえども、その意を知了することはなはだ難し。すでに「この義はただ仏のみよく知るなり。」       とありて凡人の知力の遠く及ぶところにあらざるは明らかなり。これをもって『起信論直解』には「この忽然起処は最極微細にして不可思議なり。いわゆる不思議熏なるが故に、了知すべきこと難し。」                            といえり。古来この忽然の文字につきて種々の解釈あるも、この一章の新訳旧訳とを相対するに少異なきにあらず。

  旧訳 一法界に達せざるをもっての故に心、相応せずして、忽然と念の起きるを名づけて無明となす。

  新訳 一法界を覚らざるをもっての故に不相応にして、無明、分別起きてもろもろの染心を生ず。

 

 

 故に忽然の文字は旧訳中にありて新訳中にみえず。しかるに古来『起信論』は多く旧訳を用いて新訳を用いず。唯智旭の『裂網疏』(巻三の二〇紙)のみは新訳に注釈を施せり。その釈によるに、第八識中無明の種子すなわち前七と相応して現行分別遂に起こり、またもろもろの染心を生ずとあるのみにて、無明の根源を示さず。もし『起信論義記』の忽然念起に与うる解釈をみるに、これ根本無明最極微細にして能所王数の差別あらざるをあらわす、乃至〔中略〕ただこれ無明染法の源たり、最極微細にして更に染法のよくこの本たるなし、故に忽然念起というとあり、『筆削記』に忽然を解して、無前の忽然にして有始の忽然にあらざることを明かすなり。無前というはこの無明、最も微細なるをもっての故に更に法のこれより前なるものなし、前はすなわち始なり、始起の本なきによるが故に忽然と説くと釈して、忽然をもって無始の意となす。もし『浄影の疏』によれば、「この心は本来清浄にして、しかも無明をあり。」            とは真識縁に従って妄を成す義なり。無明はこれその無明識なり等とあるも、別に忽然の解あるをみず。また『海東疏』には、ただこの無本は別の染法のよくこれより細にしてその前にあるものなし、この義をもっての故に忽然起と説く。『本業経』にいうがごとし、四住地の前に更に法の起こるなし、故に無始無明住地と名付く、これその前に別に始たるなく、ただこれを本となすことを明かす、故に無始という、なおこれこの論の忽然の義なり、乃至〔中略〕忽然起というは時節に約してもって忽然起と説くにはあらずとあり。この説は『義記』中に出づるところにして、義記にいわく、忽然というは時節に約してもって忽然と説くにあらず、起こるに初なきをもっての故なりとある、これなり。左に参考の便を図り、『起信論』注釈類の忽然念起の巻数紙数を示す。

  釈摩訶衍論(巻四の一一紙) 曇延疏(四四紙) 浄影疏(巻上の下の一九紙) 法蔵疏(義記)(巻下本の二紙) 海東疏(巻上の四七紙) 注疏巻(上の二の三二紙) 同首書(巻上の二の三四紙) 筆削記(巻四の三二紙) 直解(巻上の四七紙) 纂註(巻上の四三紙) 教理抄(巻一四の一一紙) 幻虎録(巻四の二五紙) 専釈抄(巻下本の三紙) 同蒙引(巻六の一三紙) 註疏詳略(巻中の五九紙) 筆削記抄(巻三の二一紙) 助寥抄(巻六の二八紙) 要決(巻下の三紙) 恵澄講義(巻下の二) 良恭講義(巻六の三紙) 顕正録(巻四の五一紙)

 この忽然念起の無明の根元を知了するは古来実に難中の至難なる問題となせり。すでに『起信論』に「ただ仏のみ窮了するものなり。」     、あるいは「ただ仏のみよく知る。」     とあれば、この問題を了解し得ると得ざるとは、実に凡夫と仏陀とのよって分かるるところなり。果たしてしからば世間の懸賞問題中、これより至要重大なるものはなかるべし。金時計一個やウェブスター辞典一冊の比較にあらず、勲章や爵位よりもなお重し。もしだれにてもよくこの問題を了解し得るに至らば、ただちに仏となることを得るはずなれば、その懸賞の物柄は仏なり。けだし世間一人として成仏を望まざるものなかるべし。もしその望みを有するものはこの懸賞問題に応じて成仏の獲物を博してはいかん。余不肖といえども成仏を熱望するのあまり、一心を理想の中天に注ぎ、思いを潜め精を凝らし、ややその一端をうかがうを得たれば、全分の成仏はなお期し難しといえども、成仏の三分一ないし一〇分一は確かに占め得たりと自ら信ずるところなり。

 『起信論』の無明起源論、ひとり解し難きのみならず、この点は天台より論ずるも、華厳より論ずるも、三論、真言等より論ずるも、一として我人の論理に満足を与うるものなし。もし『起信論』のいわゆる忽然を解して無始となすときは、無明に開端の起源なしといわざるべからず。しかるときは天台家にて談ずるがごとく、真如の体性に本来無明の悪元を具有すと説かざるを得ざるに至るべし。しかるに本来清浄なる真如の性海に無明の悪元を具することは論理の撞着を免れず。かつ無明の妄縁によりてひとたび三界六道の間に迷いきたれる我人が、他日妄縁を断絶して本来清浄の真如海に帰するというがごときは、無明に始なくして終あることとなる。無明果たして有終ならば有始なるべきに、かえって無始なりとはまた論理の撞着を免れず。もしまた最初の真如一心中より迷を起こして三界に流転したりし以上は、他日仏海に帰するも再び迷うべき理なり。しかるに他日成仏の日は再び迷うことなしとするも、また論理の許さざるところなり。これを要するに、その問題は真妄一元か二元かの疑問なり。もし真妄一元にして真の外に妄なしとすれば、今日の妄境の起こるゆえんを知るべからず。もし真如二元にして無始以来二者併存するものならば、他日成仏するもなお妄因を有すべき理なり。けだし大乗哲学の最大疑問はこの外に出でず。故にこれ仏教の函谷関なり。もし清少納言をしてこの真妄の難関を詠ぜしめば、必ず「よをこめて鳥のそらねははかるとも世に真妄の関はゆるさじ」といわんのみ。余これより「鳥のそらね」を擬してこの難関を通過し得るや否やを試みんと欲す。

       三 余が意見

 古来仏教家が真妄の起源を論ずるに大いに誤解せることあり。まずこの誤解を弁じて、つぎに余がいわゆる仏教の函谷関に及ぼさんとす。それ人智は有限なりや、無限なりや。もし有限なればその力到底宇宙万有の道理を究尽すべからず、もし無限なれば一切みな可知的ならざるべからず。しかるにこれを実際に考うるに、人智の知るべからざるものあり、人力の動かすべからざるものあり。宇宙の広大無辺なるも不可知的なり、分子の最小至微なるも不可知的なり、精神その体も不可知的にして、物質そのものもまた不可知的なり、我人の一生一死、一眠一覚もまたみな不可知的なり。しかして我人のわずかに知了し得るものは、宇宙の外象万有の皮相に外ならず。これにおいて我人は人智の有限なるを知る。その身体はわずかに五尺ないし六尺の空間を充塞するに過ぎず、その寿命はわずかに五〇年ないし一〇〇年の時間を占領するに過ぎず。しかして空間は無涯にして、時間は無尽なり。この無涯無尽に比すれば、我人の一生の有限なること問わずして知るべし。その有限の一生中に考出推想し得ることも、また必ず有限ならざるべからず。なお有限の望遠鏡をもって無限の天体をうかがい尽くすべからざるがごとし。かくしてすでに人智の有限を知らば、その力到底真妄の原理を究明すべからざるを知るべし。それ真如は万法生起の本源実体にして、無始無限なること余が弁解を待たず。これを絶対と名付く。絶対はすなわち不可知的なり。これに反して人智は相対なれば、一歩も絶対の範囲に入ることを得ず。故をもって人智は真如のいかんを知るべからず。すなわち真如の絶対門には女人禁制にあらずして、人智禁制の表札の高く懸かることを記せざるべからず。これ仏教に離言真如を解して不可説不可念となすゆえんなり。しかるに古来仏者が己の有限的知識道理をもって無限的真如を究明せんことを望むは、真如の絶対不可知的なることを知らざる妄見に座するのみ。故に余はこれを仏者の誤解となす。換言すれば依言真如あるを知りて離言真如あるを知らざる盲解なり。

 かくして真如の果たして絶対不可知的なるを知らば、我人の真と呼び如と説き、あるいは離言あるいは依言と称するも、またみな我人の妄断謬見なることを知るに至るべし。しかして真の真如は言語思慮の外にありて超然たらざるべからずというものあるべしといえども、これまた絶対に偏し離言に僻したる妄見なり。それ真如は世界万有の本体なると同時に、万有の現象もまた真如なり。もし真如一元の理よりこれをみれば、真如の外に一事一物の存する理なく、天地万象ことごとくみなこれ真如ならざるべからず。もしまた人智そのものにつきて考うれば、一方において有限相対なると同時に、他方において無限絶対なり。故をもって我人の思想は彼々有限の範囲を超出して無限絶対に接触せんとす。かつ古来我人の智力よく有限の外に無限あることを想出したるも、また人智に無限性を帯ぶるによる。これによりてこれをみれば、人智と真如との関係は一半可知的にして、一半不可知的なり、一面離言にして、一面依言なりと知るべし。故に人智をもって真如を究め尽くさんとするは妄見にして、真如をもって全然人智の外に置くもまた謬解なり。けだし真如は可知的と不可知的との中間にありて存するものなり。しかるに古来あるいはこれを可知的の一方において探らんとし、あるいはこれを不可知的の一方において立てんとしたりしは、真如の解釈のその当を得ざりしゆえんなり。

 また古来仏教に対する疑難の謬見は絶対と相対との関係を知らざるにあり。すでに真如は一半可知的にして、一半不可知的なるを知れば、絶対にして同時に相対なることを知らざるべからず。すなわち不可知的は絶対にして可知的は相対なれば、真如は一半絶対にして一半相対なることを知らざるべからず。換言すれば真如は絶対と相対とを兼ぬるものなり。これをもって真如の方よりこれをみれば、真如万法、絶対即相対と定むることを得るも、万法の方よりこれをみれば、真如は万法にあらず絶対にあらずして、二者不一なり。故に絶対と相対との関係は不一不二といわざるべからず。しかるに世の論者はあるいは不一の一方に傾きてこれを論じ、あるいは不二の一方に偏してこれを説くをもって、結局論理の撞着を免れざるに至る。たとえば因果の規則は真如そのものに固有せるものなるも、その作用は真如の絶対面に現ずるにあらずして、相対面に現ずるものなり。換言すればその規則の支配を受くるものは真如そのものにあらずして、真如より開現せる天地万有なり。故にこれを相対性の規則となす。もし進みて絶対の体に達すれば因果不二となりて、因即果、果即因というより外なし。しかるに世の論者は因果の規則をもって真如そのものを論ぜんとす。これ相対と絶対との別を知らざる妄見なり。故に論理の撞着をきたすも、あえて怪しむに足らざるなり。

 真如と万法との関係は徹頭徹尾不一不二として考えざるべからず。不一の一方に偏するも、不二の一方に偏するも、共に不可なり。一にして同時に不一、二にして同時に不二なるはこの関係を開明する秘訣なり。これをたとうるに水と氷とのごとし。水と氷とはその体一なる点よりこれを不二といい、その相異なる点よりこれを不一という。また水と波との不一不二なるに比してもその理同じ。しかるに古来の疑問は不一もしくは不二の一方に偏したるをもって、その関係を会通することあたわざるに至れり。けだし論理の撞着はみなこの不一不二の理を知らざるより起こる。

 かくのごとく論定して、これよりまさしく真妄生起の説明を試みんと欲す。まず真如と万法とを対照すれば、

  真如・・本体・・絶対・・不可知的・・平等・・不生滅

  万法・・現象・・相対・・可知的・・・差別・・生滅

 これ一応の対照にして、二者不一の関係を示すものなり。もしその裏面に入りてこれをみれば、真如即万法、絶対即相対にして、二者不二の関係あるを知るべし。しかれども今その表面たる二者不一の関係につきてこれを論ずるに、仏教にては真如を真際とし、万法を妄境とし、もって真妄の二者を分かてり。これもとより表面一応の見解に過ぎずといえども、凡夫の万法の外に真如なしと固執せる迷見に対して、かく真妄の別あることを示せるなり。これをもって真如の方を悟門とし万法の方を迷門とし、迷悟染浄の分かるるに至る。かつそれその万法の迷門は真如海中に忽然として無明の妄縁を念起し、生滅の波相を現ずるに至るとなす。これにおいて無明生起の一大疑問ありて起こる。今これを解するには可知的門の一面、すなわち依言真如の一方によらざるべからず。もし離言真如の不可知的門によりて解すれば、維摩の黙不二を学び、言語道断、言亡慮絶と称してやむより外なし。もし依言真如によりて解すれば、一応の論理を知るべしといえども、これ真妄関係の一端半面に過ぎざれば、到底全分の道理を了し難し。故に更に離言真如の裏面より、その不可知的なるゆえんを黙思せざるべからず。今『起信論』によりてこれを考うるに、不生不滅、本来清浄なる真如の一心が、無明の妄縁によりて生滅の波を起こし、我人の妄境を現ずるに至るも、他日発心修行してその妄縁を断絶し去らば、本来の自性を開現して真如の覚体に帰することを得となす。もししからば初めは不生滅の真如のみありて中間に生滅を現じ、最後にまた真如を開くべき順序なり。

 もしこれを論理の上に考うれば、無より有を生ずべからず、有を変じて無となすべからざるは、実に自証自明の規則なれば、この第1図のごとき順序は到底論理をもって解すべからず。もし強いて論理をもって解すれば、初の真如中に生滅を胎胚せりといわざるべからず。これをもって天台家にては性悪説を唱うるものあり。最後の真如中にも同じく生滅を存すべき理なり。換言すれば真如も生滅も共に無始無終にして、最初は表面に真如を示し、裏面に生滅を含み、中間は表面に生滅を示し、表面に真如を含み、最後は表面に真如を開き、裏面に生滅を隠すと解せざるべからず。

 かくのごとく解するときは、無明は真如も、共に無始にしてかつ無終なりというべし。ただ迷悟の別は表裏その位を異にするのみ。これ真妄関係の第一解なり。

 以上の見解に対して必ず二大疑問ありて起こるべし。すなわち第一に真妄共に無始無終ならば、ひとたび悟るもまた必ず迷うときあるべし、第二に真妄並び存するの間に表裏その位を異にして、あるいは表面に真如を示し、あるいは生滅を現ずるの別ありや。これ必ずしかるべき原因なかるべからずとの疑問起こるべし。これにおいて第二の見解を考えざるべからず。もし第二解によれば真如と生滅とその別あるは、外面一様の見解にして、その内実は真妄の別なきこととなる。換言すれば真妄二元論にあらずして、真妄一元論となる。しかしてその一元は真如なり。故に真如は初中後にわたりて平等不変なりとす。

 果たしてしからば、何故に今日の我人の境界に万法生滅の現象をみるやというに、これを仏教にては病眼の者が空中に花を見るにたとえ、凡夫の迷見をもって目前の妄境を現ずるのみとなすといえども、しかるときは更に真如海中に凡夫の迷見の起こるべき道理を説明せざるべからず。余おもえらく、これに三様の見解あるべし。

 第一に真如そのものは初中後を貫きて同一なるも、表裏その面を異にするをもって、真妄の別を生ずるなり。たとえば一枚の紙に表裏二面ありて、表面には文字なく、裏面には文字あるがごとし。すなわち最初にはその表面の無文字無差別の状態を示し、中間には裏面の文字差別の現象を示すがごとし。故に表裏その相を異にするも、その体は常に一様なり。

 第二に真如その体は一なるも、これに対して向背順逆の同じからざるより真妄の別を生ずるなり。たとえばここに一帯の流水あり。風もしその流れに逆して吹かば波を揚げ、その流れに順して吹かば波を見ざるがごとし。すなわち我人真如に随順すれば万法の波を現ぜず、これに逆行すれば妄境を生ずるなり。あるいは我人自ら真如に背きて立てば生滅界を見、これに向かって立てば真如界を見るの別あるのみ。故に真如そのものは初中後を貫きて異変あるにあらず。

 第三に真如そのものは始終一体平等なるも、その一部分たる我人が自ら独立せるものと信じて、真如の一部分たるを知らざるときは、差別の妄境を現じ、真如と我人と同体不二なるを知るときはただ真如の一界あるをみるに至る。換言すれば真如の一隅に我執の妄見を起こすときに千差万別の妄境を現じ、無我平等の理に体達すれば妄境たちまち滅ずるに至るべし。これをたとうるに、宇宙そのものには東西南北の差別なきも、我人地球の一隅に局して見るときは、東西南北の差別歴然として存し、もし意を地球の外に馳せ宇宙そのものを考えきたらば、たちまち東西の差別なきを知るに至るがごとし。またここに円環ありと想するに、環そのものには前後左右始終の別なきも、その中に一定の起点を立つると同時に前後の差別を生ずるがごとし。

 以上の三解あるうち、第一と第二とはいまだその理を尽くさざるところあれば、余は第三の解説を取るべし。しかして三解中いずれをとるも真如と我人との二者を分かち、真如そのものは初中後を一貫して平等無差別なれども、我人の方よりこれを観ずるときに万法生滅の差別を生ずというに帰着す。しかるときは真如と我人との別いかにして生ぜしや。本来真如一元中に我人の差別を生ずるゆえん解し難しと難ずるものあらん。この点は前掲の三解中第一と第二とにては解し難し、ただ第三によるより外なし。これ余が第三解をとるゆえんなり。

 仏教にては真如一元論なることは弁明を待たず。三界唯一心、心外無別法のいわゆる一心は真如にして、あるいは万法即真如といい、あるいは一色一香無非中道というがごときも、またみな真如一元の理を述ぶるものなり。かくして本来真如一元なる以上は、我人彼人の別あるべき理なし。すでにわれあればかれあり、自あれば他あるは自然の道理なるも、真如そのものに自もなく我もなきに、忽然として自我を生ずるはいかにというに、真如と我人との関係は全体と一部分との関係に同じ、真如本来一元なるもその体に部分と全体との関係を有することは疑いをいれず。たとえば物質にも精神にも部分と全体との別あり、空間にも時間にも部分と全体との別あり、宇宙そのものにもこの別あり。果たしてしからば真如そのものにも部分と全体との別なかるべからず。しかして我人は真如の一部分にして、自他彼我の万境はみな真如の一部分なり。これにおいて真如と我人との関係を知るべし。しかりしこうして真妄迷悟の生ずるは真如の一部分たる我人が、その部分をもって全体のごとくに考え、自身は真如の外に別に独立せるものと思うによる。仏教にありてはこれを我見と名付く。すなわち真如の外に一種独立の我体ありと固執する迷見なり。この見は実に差別の妄境を現ずるものなれば、仏教はこれに対して無我の真見を開かしめんことを勧む。しかるに我人もし真如の一部分たるを知りて、その全体に体達するに至らば、我人たちまち仏となりて一切の妄境をみざるに至るべし。

 かのごとく論ずるときは、自他彼我の別は本来真如に具するものとなさざるべからず。しかるときは真妄二元論となるにあらずやと疑うあらんも、真如の体に全体と部分との二様ありというは、決して二元の意にあらず、その全体も真如にして、部分も真如なれば真如一元なること明らかなり。もし真妄二元ならば真如を離れて別に妄境の存すべき理なり。だれか真如の全体を離れて別に部分あることを想し得るや。しかりといえども、その部分は差別の万境のよって起こる原形なれば、真如そのものに妄境を生ずるゆえんの理を具することは否定すべからず。もしすこしもその理を具せざるにおいては、妄境そのもののよって生ずる道理あるべからず。これにおいて余は真如体中に妄境の生ずべき原形を具することを許す。しかれども余が説はあえて天台家四明流の唱うるがごとく性悪説を意味するにあらず。故に余は真如体中にただちに妄境を具すとはいわず、妄境を生ずべき原形を具すという。すなわち原形そのものは決して妄なるにあらずして、その原形より生じたるものが自他の関係上妄境を現ずるのみ。たとえば食物のごとし。食物その物は我人の衛生上利ありて害なきは当然なるも、往々これを用うることその度を失して衛生を害することあるも、この一事によりて食物を有害と認定すべからず。しかれどもたとえ用法の適否にかかわらず、いやしくも食物によりて衛生を害したる事実ある以上は、その害を引き起こせし原力は食物中にありて存すといわざるべからず。これと同じく真如体中に悪を具し妄を有すべき理なきも、これを生ずべきゆえんの道理を具有することは、論理の否定すべからざるところなり。

 以上のごとく解するときは、真如は死物のごとくその体に活動を有せず、ただ全体と部分との別を有し、この二者の関係上真妄の別を生ずというに帰すべし。故にこの解はいまだ真如の理を尽くしたるものにあらず。換言すれば真如解釈の半面に過ぎず。もし更に他の半面を考うれば、真如は活物にして、常に活動開発してやまず。これをもって差別の万境もみなその活動より生ずることを知らざるべからず。もし真如そのものは本来凝然として自在自立するのみにて、声もなく臭もなく、動かず作らず、空々寂々たるにおいては、たとえその体に全体と部分との別あるも、これによりて真妄迷悟の別を生ずるゆえんを解し難し。故に他の方面より真如そのものを一団の活体として、その開発縁起の道理を説かざるべからず。それ真如は自在自立にして、かつ自開自発の体なれば無始以来、活動開発して休止することなく、ある時は万境を開現し、ある時は空寂に帰着するをもって、初中後の間に真妄の不同をみるなり。これにおいて真如開発の途中において妄境を現ずるゆえんを弁明せざるべからず。

 真如を一種の活体とするときは、これに体、相、用の三大を具することを知るを要す。その体はすでに述ぶるがごとく、不生不滅の本体にして、万物万象のよって起こる本源実体なり。今その相と用とを考うるに、真如は活動にして自発自動の力を有し、その発動によりて世界万類を開現するに至る。しかしてその発動の規則は因果の理法にして、世界万類一としてこの規則に従わざるはなし。この解釈によれば、真妄万境の開現は真如開発の結果なることを知る。すなわち真如自ら有するところの活動力によりて、その海面に万法差別の波をわかせることを知る。果たしてしからば、無明の起因は真如の体に本来具するところの活動なるを知るべし。

 無明は真如の活動力より生ずとなすときは、必ず更に一問ありて起こり、真如体中には真妄両用ありて存するかの難問を提出するものあらん。しかるに真妄の別は自他の関係より起こり、真如そのものの体に具有するにあらず。その活動の進勢、真如に向かうときは、これを真といい、背くときはこれを妄という。換言すれば真如活動の進勢向背いかんによりて真妄の別を生ずるのみ。しかして真如そのものには活動の作用を有するのみなれば、その体に真妄二者を兼有すというべからざるも、これを生ずるゆえんの作用を有すと解して不可なかるべし。もし真如そのものの本性は真妄か非真妄かと尋ぬるに、非真妄にしてかつ真なりといわざるべからず。なんとなれば、真如は絶対なれば、その真は絶対的真なれば、相対的真妄に対すれば非真非妄なるべき理なり。しかれども相対的真妄中の真に近きか妄に近きかといえば、妄にあらずして真なりといわざるを得ず。ただその異なるは相対と絶対の点にあり。しかるときは更に一問ありて真如の本体は非真非妄なる以上は、これを真とすると同時に妄となすも不可なかるべしといわん。しかるに相対上の真は真如の真性を伝うるものにして、妄はその反面なり。なお一物に形と影との別あるがごとく、妄はその影のごとし。故に真如の本体を指して妄というべからず。これによりてこれをみるに、真如は非真非妄なると同時に真なりと断定すべし。

 かくして真如は活動して万境を開現したりとなすときは、なんの目的ありてしかるやの疑問を出すものあらんも、真如の体はヤソ教の造物主と同じからざれば、自ら一定の設計をなして世界を開発したるにあらず、ただその活動の作用に従って万境を開現したるのみ。しかるに更に問いを起こして、その活動はいずれの時より始まりしやといわば、無始時来と答うるより外なし。果たしてしからば、妄念妄境も無始時来存せりというべきか。曰く、真如の体上に始終前後を論ずるは相対上の沙汰に過ぎず、故に真如の活動を無始時来となすも、相対上のことのみ。もし絶対上これをみれば最初に妄念妄境を存せざるのみならず、初中後にわたりて無妄ならざるべからず。故に妄念妄境は相対上にては無始時来にして、絶対上においてはすべて無なりというべし。これ佛教に無始無明を立つるゆえんなり。しかれども妄境は仮設にして実在にあらざれば、最初より妄境たるを知れば、初中後にわたりてすべて無なることを知るべし。これにおいて他日妄念を脱離するに至らば、無明に終わりありといわざるべからず。すなわち無明を無始有終となすはこの理なり。これ真如をみるに相対上と絶対上との二様の見解あるによる。

 以上述ぶるところ、これを要するに真如は活体にして、始終活動してやまざるものなれば、その活動の際全体と部分との関係を生じ、もしその一部にして全体に背く場合に妄念妄境を現ずるに至り、全体と部分と一致するに至れば、妄を変じて真となすを得べし。これすなわち成仏なり。しかりしこうして真妄の関係は、余が前述の死物的見解と活物的見解と二者をあわせ考えざるべからず。かつ従来の仏者は相対上の見解と絶対上の見解と二様あるを知らずして、これを混同して論ずるをもって論理の撞着を免れざるに至る。たとえば我人の妄境は真如より開現しきたる以上は、真如そのものの中に妄因を固有するによるといい、あるいは我人ひとたび迷いて凡夫となりたる以上は、他日真如に同化したる後も、更に迷いて三界に流転するに至るべしというがごときは、みな相対的一方の見解をもって真如の絶対を論定せんとする妄見に外ならず。それ真如は一面に相対性を示し、他面に絶対性を具するをもって、相対の規則上よりこれを論ずるは、わずかにその一面を知るにとどまる。かつその絶対面は畢竟するに不可知的にして、人智の及ぶところにあらざれば、我人の真如を論ずるは可知的の一面に限る。しかるに人智をもって真如の全分を知らんとすれば、真如の真如たるゆえんを知らざるによる。これをもって古来真如生滅の評論は、一面的見解に偏して局面的見解を知らざるに帰するのみ。故に今後仏教を研究せんと欲するものは、相対的と絶対的との両眼を具して、一方の見解にて解し難きところは他方の見解を用い、両眼相待ちてその真相を発見せんことを努めざるべからず。けだし大乗哲学の妙旨は全くここにありて存す。

 

     第六講 結 論

 世人仏教の研究を評して、あるいは鰻のごとく、あるいは氷柱のごとく、つかむべからず、握るべからずといい、あるいはたまねぎのごとく、あるいはらっきょうのごとく、その中心のいずれにあるを知るべからずという。これ仏教組織の全系を知らざるによる。まず仏教の神髄骨目は真如法性なれば、最初にその体を究めざるべからず。つぎに真如の規則は因果の理法にして、仏教の全系は全くこの理法によりて組織せらるるものなれば、第二の研究は因果の作用を明らかにするにあり。この真如の本体と因果の理法とを究尽すれば、仏陀のなんたる、凡夫のなんたる、三界六道のなんたる、輪廻転生のなんたる、天堂地獄のなんたる、迷悟昇沈のなんたる、みなこれを明らかにすることを得べし。もし始めて東京に遊ぶものは、九段坂か、愛宕山か、上野公園において全市を一瞰すれば、たちまち東京の全景を知ることを得るも、日本橋や、神田の裏通りや、横辻を何日間何回となく往復するも、全都の風景を知ることあたわず。これと同じく仏教中の真如と因果とは一教の全系を知了する九段坂なり、愛宕山なり、上野公園なれば、学仏者必ずまずこれより始むべし。しかして真如の説明も因果の研究も、小乗よりようやく進みて大乗に及ぼすの順序をとらざるべからず。大乗は高く小乗はひくし、高きに登るにひくきよりするは学仏の階梯なり。故にまず小乗の真如説と因果説を究めて権大乗に進み、権大乗の真如説と因果説とを明らかにして実大乗に及ぼせば、仏教哲学の大綱要領を知了することを得べし。その他の諸説はみなこの大綱に連結せる細目に過ぎず。ただ仏教は絶対門を開きて示したるものなれば、相対の道理のみにて究め尽くすべからず。故にこれを研究するものは、相対鏡と絶対鏡との二者を携帯するを要す。古来仏教を究めてその叢林中の迷い子となりたるものあるは、みな相対の一眼をもってその真相を究め尽くさんとなしたる謬見より起こる。故に相絶両対の見識は学仏者の欠くべからざるところなり。

 仏教そのものは哲学と宗教との両様より成ることはまた知らざるべからず。上来述ぶるところは全くその哲学にして宗教にあらず。しかしてその宗教は哲学の基礎の上に構成したるものなれば、真如説と因果論とはひとり仏教哲学の原理なるのみならず、その宗教の原形なり。故に仏教を宗教として伝えんと欲するものは、必ずまず哲学として講ぜざるべからず。哲学は理論にして、宗教は応用なり。哲学は真如の実在を論明するを目的とし、宗教は成仏の結果を得るを目的とす。これをもって哲学門と宗教門と、その説くところの方法に至りては異同なきあたわず。たとえば哲学門においてはもっぱら真如と万法の関係を論ずるも、宗教門にありては仏陀と衆生との関係を論ずるの別あり。仏陀は真如の一部分にして、衆生は万法の一部分なり。故に理論上にては真如と万法とを論ずれば足れりといえども、実際上にては我人の目的は成仏するにあれば、衆生と仏陀との関係を説かざるを得ず。かつ真如は一切に遍在して至らざるなく、存せざるなく、あまり空々漠々たるものなれば、人をしてこれを信仰の目的物となさしむること難し。また万法中、山あり川あり石あり木ありて、天台にては「国土山川、ことごとくみな成仏す。」         と唱うるも、これただ理論のみ、実際上、国土山川の成仏する道理なければ、成仏の目的は万法中衆生に限るといわざるべからず。これにおいて宗教門にありてはもっぱら仏陀と衆生との関係を論ずるに至れり。しかしてその関係は真如万法の関係に異ならざれば、宗教門は哲学門の基礎の上に構成せるものなること明らかなり。

 かくのごとく仏教の骨目神髄は真如と因果との二説にあるも、因果説は小乗中にもっぱらこれを論じ、大乗はただその根本を究むるに過ぎず。これに反して真如説は、小乗中にこれを開かずして大乗中にこれをつまびらかにせり。故に大乗哲学の骨目神髄は真如説に限ると称して可なり。真如と万法との関係を明示するは、実に大乗哲学の目的とするところなり。これをもって余は大乗哲学の論目を万法論、真如論、真如万法関係論の三大段となせり。なかんずく真如万法関係論は大乗哲学の妙味の存するところなれば、学仏者の深く玩味すべきところなり。我人の成仏し得ると得ざるとは、みなこの関係論に基づきて立つるところなれば、この点はすなわち仏教国のロンドンなりパリなり。西洋を見物してロンドンやパリを知らざるものあらば、人これを愚かと呼ばん。仏教を研究して万法と真如との関係を知らざるものは、これまた愚かといわざるべからず。しかしてこの関係に基づきて成仏得道の宗教門を立つるに至りては、諸宗の流義おのおの異なれば、ここに一概して論ずべからず。ただ余はその一例を示さんために、天台の所立を掲げんと欲す。すなわち左に引用するところは源信所述の真如観より抜粋せるところなり(その文中往々意をとりて文を節略改変するところあり)。

  草木瓦礫山河大地大海虚空等の万物は、皆是れ中道に非るはなし。其異名一にあらず。或は真如、実相、法界、法身、法性、如来、第一義と名つく。此等の多くの名の中に且らく真如と云ふ名に寄せて諸経論の中に多く明かせる中道観の義を明すへし。疾く仏に成らんと思ひ、必ず極楽に生れんと思はば、我心即ち真如の理なりと思ふべし。法界に遍する真如を以て我体と思はば、我れ即ち法界にて此外にありと思ふべからず、悟れば十方法界の諸仏も、一切の菩薩も、皆我が身の中に在すなり。我身を離れて外に別の仏を求めんは我身即ち真如なりと知らざる時の事なり。真如と我と一つ物なりと知りぬれは、釈迦、弥陀、薬師等の十方の諸仏も普賢、文殊、観音、弥勒等の諸菩薩も皆我身を離れ玉へる物にあらず。或は法華経等の八万法蔵十二部経乃至仏菩薩因位の万行、果地の万徳等、何物か我身の中に備らざらん。此思をなすとき万法は心の所作なりければ、万行を一心に具し、一念に一切の法を知る。此を成正覚と云ふなり。

  真如の理と云ふは、広く法界に遍して至らぬ処なく、一切の法は其数無量無辺なれとも、真如の理を離れたる者なし。亦万法を融通して一切となせは、万法一如の理と名く。されば煩悩即ち菩提なり、生死則ち法身なり、悪業も則ち解脱なり。されば我等が一切衆生の身の中の煩悩業苦の三道も、仏の法身般若解脱の三徳なり。亦是れ法報応の三身なり。我等が身の中三道既に三身なれは、我等則ち仏なり。三身則ち三道なれは是れ又我等衆生なり。是くの如く互に具足して融通無礙なるは、即ち真如の理、万法一如の道理なり。凡そ斯る相即不二の道理は皆是れ真如の功能なり。天台大師の釈に云く、諸法とは十界に過す、実相とは此れ真如の異名なり。是れ則ち地獄も真如なり、餓鬼も真如なり、畜生も真如なり、真如を実相の仏と名くれは、十界本より仏なりと云ふこと明かなり。

  是くの如く凡そ自他の身一切の有情皆真如なれは則ち仏なり。されば草木瓦礫山河大地大海虚空皆是れ真如なれば仏にあらざるものなし。虚空に向ては虚空即ち仏なり。大地に向ては大地即ち仏なり。斯くして煩悩を菩提なりと思へは則ち菩提なり。我を真如と思へは則ち真如なり、仏なり。我功徳則ち一切衆一切徳と成り、一切衆生の功徳則ち我身に成就し、互に自行化他の功徳具足して倶に周遍法界の仏と成りぬと観すへし。

 以上は天台家の真如観を述べたるものなれども、これをここに抜記して天台一家の真妄関係論の一端を示し、もって大乗哲学の結論となす。以下は余が大乗非仏説問題に対する意見を開示して全講を結了せんと欲す。

 

     付 講

       大乗仏説非仏説の断案

 余は大乗仏説非仏説の一問題は、実に仏教の死活に関する大問題なれば、たやすく断案を下すを恐れて、広く世間の論案を募り、もってこれを決せんと欲し、さきに懸賞問題として広告したりしが、ただ一人のこれに応ずるものありしのみにて、一般の意向のいずれにあるを知ることあたわざりしは実に遺憾の次第なり。これにおいて余は己の意見を開陳して大乗哲学講義を完了せんと欲す。しかして唯一の応募者の意見いかんは最後に至りて略示すべし。

 余おもえらく、大乗は仏説非仏説を今日において論ずるは水掛論のはなはだしきものなり。今を去ること二千余年のいにしえにありてインドの地に起こりし非仏説論すら水掛論となりて、ついに勝ちを制することあたわざりし問題が、今日において決することあたわざるはむろんのことなりと信ず。もし今日にありては到底仏説とも非仏説とも決すべき確証を得難きにおいては、わが日本のごときすでに千数百年の間、仏説として伝えきたりし大乗は、やはり仏説として後世に伝えてすこしも不可なることなかるべし。またたとえこれを非仏説とするも、現今の仏教を仏教として弘むるにはなんらの差し支えあるをみざるなり。

 大乗仏教を非仏説と論断するは一種の懐疑より起こる。故にその論者は懐疑派の一人に加えて可なり。もし懐疑の眼光をもって論断すれば、ひとり大乗のみならず、小乗もまた非仏説といわざるべからず。これただ五十歩百歩の相違なり。なんとなれば今日伝われる大小両乗の経論は一として釈尊自ら編述せられたるものにあらずして、ことごとく仏滅後遺弟の手に成りしはみな人の知るところなり。我人、阿難、迦葉等を信ずるより小乗は真に仏説なりと判ずるも、もしこれを信ぜざるにおいては小乗もたちまち非仏説となるべし。阿難、迦葉その他の羅漢はみな大いに記憶に富み、仏の説法を一言半語も漏らさず余さずしてこれを結集したりとするも、なお小乗はいまだ仏説の真相を伝えたるものと許すべからず。その故いかにというに、第一に仏の説法は応病与薬にして機根に応じて説かれたりとするも、仏その人は広大無辺の思想を有し、これを聴くところの羅漢連中は小機劣根にして、狭隘なる知見を有すとすれば、仏所説の法の小部分がわずかに聴衆の脳中に入りてとどまる道理なり。これをたとうるに、太陽より発するところの光線は広大無辺なれども、我人の眼孔中に入るものはその最小部分なるがごとし。故に阿難、迦葉等の脳中に入りて記憶に存する部分は、決して仏所説の法の全壁にあらずして、いくぶんの断片に過ぎざること明らかなり。またその間には誤聞誤解なきを保すべからず。これいずくんぞ仏説の真相を伝えたりと称するを得んや。もし細密にこれを論ずれば、言語文章は人の思想を表詮する唯一の器械なるも、その力よく思想の全分を表詮すること難し。これをもって往々言語文章のために思想の誤聞誤解を招くことあり。しかのみならず、もし広大甚深の思想に至りては、到底言語文章のよく尽くすところにあらざれば、これを言語道断とも廃詮断思とも言亡慮絶ともいうなり。果たしてしからば、仏の言語の上に発したる説法は、仏の思想大海の真相全分を表詮するあたわざるは疑いをいれず。これを聴受せる羅漢達の見解およびその結集は、また仏説の真相全分を伝えざるは明らかなり。故に大乗のみならず、小乗も仏説を直伝せるものというべからず。かくして釈尊と迦葉、阿難の間に誤聞謬伝ある上に、祖々相承の間には一層の誤聞謬伝あるべし。そのしかるゆえんは、祖々相伝の間に小乗教中に二〇部ないし五〇〇の異論を生じたるをみて明らかなり。これ一は言語文章は不完全なるより起こり、一は祖々相伝の見解同じからざるより起こる。その上にわれわれが今日仏教として学ぶところは、インドの原文にあらずして、シナの訳文なり。しかしてわれわれは、その訳文をシナおよび日本の先輩諸師の注釈によりて講ずるものなれば、その間には幾層の誤解謬伝あるや計るべからず。これによりてこれをみるに、大乗も小乗もすべての仏教はみな非仏説なりと断定するも一理ありといわざるべからず。

 かくのごとく懐疑的に論断すれば、大小両乗とも非仏説の疑難を免れず。もし祖々の相伝を始めとし、今日に伝われる経論はみな仏説の真相を得たるものと信ずるときは、小乗も大乗も共に仏説と論断して可なり。しかして二者の相違は五十歩百歩の等差に過ぎざるなり。その本土たるインドにありて大乗非仏説の疑難を起こすものありしは、大乗の興隆に際してこれを抑圧せんと欲する反対者の言論なること疑いなし。仏滅後一〇〇年を経て小乗に上座、大衆の二部競い起こるに当たりて、上座部は大衆部の説を斥して妄言妄語となせしことあり。これ小乗の一部より他部をみて非仏説なりとなすものなれば、小乗家が大乗を斥して非仏説となすは当然のことにして、あえて怪しむに足らず。すでにわが国にありては日蓮上人は他宗を斥して念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊と公言したるあらずや。これによりてこれをみるに、小乗家および外道にありては大乗の勃興してその勢い他を圧せんとするをみて、これを排斥せんとするのあまり世間に対して非仏説論を提出したりしも、あえてその論点を証拠として大乗は真に非仏説なりと断定するを得んや。『顕揚論』『唯識論』等に大乗非仏説論に答うる論理の極めて薄弱なるをみて、余は非仏説論者の論点のまた極めて薄弱なりしを知る。なんとなればもし非仏説論者の方に鞏固なる論拠あるにおいては、かくのごとき薄弱なる答弁をもって世人に満足を与うることあたわざりしは明らかなり。これをたとうるに、昔時の城壁や砲台の弱小なるは敵勢の微弱なるを示すと同じく、答弁の薄弱は問難者の論拠の薄弱を示すものと知るべし。

 およそ仏教家の記憶すべきは仏教とヤソ教とその性質を異にする点を知るにあり。ヤソ教は単純の天啓教にして、仏教は天啓教に道理教を兼ねたるものなり。世間仏教を評して一半は哲学、一半は宗教なりと唱うるは、天啓兼道理教なるによる。もしその天啓教の見解によるときは、大乗非仏説論に対してあくまで仏説の弁護を要するも、これを一種の道理教とするときは、仏説非仏説の問難はいずれに決するも差し支えなかるべし。もし大乗は迦葉の新造なりとせば、迦葉その人を仏祖として崇拝して可なり。大天より起こるとすれば、大天すなわち仏なり。竜樹より始まるとすれば、竜樹すなわち仏なりとして敬重して可なり。ただ仏は宇宙の真理を開発せるものなれば大乗の真理を発見したるものは、みな大乗の仏祖たるべき道理にして、必ずしも三千年古迦毘羅衛国浄飯王の子たる悉多太子に限るを要せんや。すでに仏教中に小乗の外に大乗ありて現に行わるるとすれば、必ずこれを開説せるものなかるべからず。その初めて開説せる人を大乗の祖と定めて可なり。馬鳴にても、竜樹にても、インド人にても、シナ人にても、あえてその人のいかんによりてその説を上下するを要せんや。またわれわれが仏教を信ずるにもその説の高妙甚深にして、しかもよく凡俗の迷を転じて悟を開くことを得る点にある以上は、これを説きたる人のいかんによりて大乗の価値を異にするの理なし。換言すれば仏教を信ずるは、その説の高妙なるを信ずるにありとすれば、いかに大乗非仏説論の囂々として四隣にやかましきも、すこしも意に介するに足らざるなり。請う、わが国の仏者が大乗を奉信する点はいずれにあるかをみよ。

  そのこれを信ずるは小乗と大乗とはその祖を同じうする点にあるか、また大乗の教理は小乗より高妙甚深なる点にあるか。

 仏者は必ずこれに答えて、大乗の教理の小乗より高妙なるにありといわんのみ。果たしてしからば、大乗非仏説問題はわが国の仏者に対しては痛くもかゆくもなき争論なれば、傍観座視してその勝敗の決するをみて可なり。しかるにヤソ教はこれに異なりて、もし他教よりバイブルはことごとくみな非キリスト説との疑難を提出せらるときは、必死をもって弁護せざるを得ず。これ単純の天啓教なればなり。

 仏教は一半道理教たるゆえんは、その教説はすべて真理をもって本となすをみて知るべし。故に仏教にては世間一般の学術といえども、いやしくも真理を本とするものはみなこれ仏説となす。その証は『涅槃経』文字品に出づ。曰く、

  仏、迦葉に告げたもう。善男子よ、所有の種々の異論、呪術、言語もみなこれ仏説なり。

 

 これ一切の学術みな仏説なりとの意にあらずや。果たしてしからば、釈尊はこの世に生まれて宇宙の真理を我人に啓示せられたるものにして、仏説は宇宙の真理を説きたるものに与うる名目なりと解して不可なかるべし。もしこの解釈によらば大天の説でも、竜樹の説でも、いやしくも宇宙の真理を胚胎する以上は、みな仏説と称して可なるべき道理なり。故に仏教を道理教としてみるときは、大乗非仏説論は仏教の利害得失に更に関係なきを知るべし。

 仏教は一種の哲学にして、その所立の教説は多くこれを哲理に考えて証明するは、まさしくその道理教たるゆえんにして、余はこれを哲学的宗教と称す。倶舎にありて七十五法を立てて論ずるも、唯識にありて百法を分かちて論ずるも、みな世間もしくは宇宙の道理に訴うるものなれば、これを哲学的論究といわざるべからず。かくして仏教は一種の哲学なる以上は、大乗非仏説問題はすこしも仏教の価値を下落するに至らず。ことに仏教中には禅宗のごとき不立文字、教外別伝の宗風を伝え、釈迦なにびとぞ、われなにびとぞの主義をとるものあり。これらの宗旨にありては大乗非仏説の攻撃は全く徒労に属する道理なり。故に仏教そのものにつきては大乗非仏説論は一、二の蚊か蚤が大象の手足に触るるよりも、なおその痛みを感ぜざるは余が信ずるところなり。

 しかれども仏教は一半天啓教にしてその宗教たるゆえんは、全くこの天啓の部分にあり。故に更に天啓教の方面より大乗非仏説の影響いかんを考えざるべからず。もしこれを天啓教とすれば、ヤソ教と同じく、釈迦は人間以上の仏世尊にして、涅槃の都城より此土に来現して、十九出家三十成道の跡を垂れたまえる者となさざるべからず。しかるときは大乗も小乗も同じく一仏の所説にして、釈尊の啓示に出づるものとなさざるを得ず。これにおいて大乗非仏説論の大いに影響するところあるを知るべし。故に余はこれより大乗は仏説なりとして論明せんと欲す。

 大乗仏説論も非仏説論も積極的に証明することあたわずして、消極的に証明せざるを得ざることは前に論じたるところによりて明らかなり。もし消極的に証明せんと欲すれば、一は発達的に考うると、一は存立的に考うると、二様の見解あるを知る。第一の発達的見解とは、釈迦は大小二乗を説かれたるに相違なきも、滅後の発達は小乗まず行われて大乗のちに興るは発達の順序なりとす。あるいはまた釈迦は小乗の内部に大乗を含めて説かれたるをもって、滅後の発達も小乗の内部より大乗を開発するに至れりとなす。外面よりたちまちこれをみれば、小乗と大乗とは全く別物なるがごときも、内実より深くこれを検すれば、大は小を離れず、小は大を離せず、大小両乗その体一なるを知るべし。

 しかしてその開発するや、小乗の枝葉まず成りて、後に大乗の花実を現ずるは、実に発達の順序なり。もし理論上わずかに小乗の説を延長拡充すれば、たちまち大乗の理に達するは仏教の一端をうかがうもののみな知るところなり。果たしてしからば、小乗はその体内に大乗を包含するもの、すなわち大乗内包の教説なること明らかなり。かくのごとく解しきたらば、釈尊は大乗を説かずして、ひとり小乗を説きたりとなすもあえて不可なることなし。換言すれば釈尊は大乗内包の小乗を説きて、後人をしてその中より大乗を開発せしむるように説き示されたりとなすも、あえて不当にあらざるべし。しかしてそのしかるゆえんは、小乗と大乗との関係を一言すればたやすく了知することを得るなり。

 古来仏教に三法印と称するものあり。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静これなり。この三印は仏教の真偽を鑑定すべき標準なれば、小乗はもちろん大乗といえども、この三印を具せざるはなし。大乗は別に実相一印をもって標準と立つる説あれども、その実、三法印を離れたるものにあらず、ただ三法印中、涅槃寂静を説くこと小乗よりつまびらかなるのみ。小乗は表面より世界の転変無常を観察して、最後に不生不滅の理あることを説き、大乗はもっぱら不生不滅の理を開説したるは、両乗の相異なる要点なり。果たしてしからば、大乗は小乗を延長もしくは拡充したるものに外ならず。これをもって大乗家は決して小乗を非仏説視せず、他人視せずして、かえってこれを助けて己の説を進長する要具となせり。故に小乗の中には大乗の全分もしくは過半を包有すと称して可なり。これによりてこれをみれば、小乗にして真に仏説なれば、大乗は別に証明を待たずして仏説たるの権利を有すというも、あにあえて理なしとせんや。

 かくして小乗はその胎内に大乗を包有せる孕婦にして、釈尊滅後ようやく生育して大乗の胎児を産出せりとなすときは、古来の伝説と照合するを得べし。けだし大乗は馬鳴、竜樹に始まると称するも、小乗異部二〇部中には、大乗とその差一髪を隔てざるものあり、大天の説は大乗の一端を唱道したるものなりとは、先輩のすでに論ずるところなれば、大天以来ようやく大乗の開発ありて、馬鳴、竜樹に至れるがごとし、これみな小乗の胎中に内包せる大乗を外発したるものに外ならず。しかるに世間この説明を聞きてこれ山芋より鰻を生じ、雀より蛤を生ずるの論法なりと評するものあらん。しかれども今日の仏教は大乗中といえども、種々なる変遷発達を経てここに至れることは、小乗より大乗を生じたるの比にあらざるなり。今日の天台なり、華厳なり、真言なり、禅、浄土なり、みな二千年の古代インドにありては全くみざる宗旨にあらずや、いわんや真宗、日蓮宗においてをや。かくのごとき宗旨はインドにおいてみざるも、日本の仏教家は二千年前のインド仏教の胎中に内包したるものなりと解するに相違なかるべし。果たしてしからば、馬鳴、竜樹以後の大乗はそれ以前の小乗中に内包すというも、あえて不可なるの道理あらんや。故にもし今日の大乗仏教の馬鳴、竜樹の大乗仏教におけるは、馬鳴、竜樹の大乗教か大天の小乗仏教におけるがごとしといえる比例を立つることを得るならば、小乗の仏説なるは大乗の仏説なるゆえんなりと断定して不可なかるべしと信ずるなり。

 以上は、仏教発達上において大乗の仏説なるゆえんを論じたりしが、仏者中には大乗も小乗も釈尊在世の間に兼説したまい、その滅後もならび行われたることの証明を望むものあるべし。余おもえらく、これに三様の証明あり。その一は口伝密授説、これ普寂師等の唱うるところなり。その説によるに、釈尊は在世の間、小乗と大乗とを兼説したるに相違なきも、大乗は釈尊の極意を説きたるものなれば、その滅後これを相伝するもの世間に対してはひとり小乗を伝道し、深く大乗を秘して人に知らしめず、ただ師弟相承の際、口伝をもって密授したるものなり。故に大乗は仏滅後数百年の間は経典文字をもって世に伝えざりしに相違なし。これ大乗経の馬鳴以前に伝わらざりしゆえんなり。しかるに仏滅後数百年を経て外道諸派ようやく勃興し、大いに理論を闘わすに至り、仏教の小乗にては到底これと雌雄を争うことあたわざる勢いなれば、馬鳴、竜樹のごとき諸氏は従来口伝にて密授したる大乗の法門を世間に開示し、もって外道をしてその後に瞠若たらしむるに至れり。これ馬鳴以後、大乗のにわかに興りしゆえんなりとす。この秘密伝授は古来インドに行われたる一種の風にして、日本の仏教にもなおその風を存せり。その他、柔道、剣道のごときもその極意に至りては口授密伝を守るものとなれり。これによりてこれを推すに、大乗の口授密伝説もやや一理あるがごとし。

 第二に大乗仏説の弁護は時機相応説なり。最初釈尊は大小両乗を兼説したるも、その滅後、時機相応の法と不相応の法との別ありて、小乗はよく時機に相応したるをもって世に行われ、大乗は時機に不相応なるをもってようやく滅亡するに至れり。しかるに馬鳴、竜樹の時代に至りては、時世一変して大乗相応の時機となれるをもって、従来世間に埋没したりし大乗仏教がにわかに復興するに至れり。けだし馬鳴、竜樹は一度世間に埋没したる大乗仏教を、山間の僻村もしくは海外の孤島よりさぐり得て、これを世に伝えたりしならん。古来竜樹が大乗教を竜宮より将来せりとの伝説につきて、大いに疑団を抱く者ありて、付会の説、従って起こり、かえって世人をして惑わしむるに至れり。その一説には、竜宮将来とは自己の心門を開きてその中より現示したるをいうとなす者あれども、これ禅家流の解釈にして、大乗教は以心伝心をもって相承したりとなさば、その説明にて足るべしといえども、大乗非仏説の疑難は以心伝心をいうにあらざること明らかなれば、己の心を指して竜宮となす説は決してとるべからず。余おもえらく、竜宮とは海外の孤島をいうならんか。古来シナおよび日本に竜宮に遊ぶの説あるは、多く海外の孤島をいう。古代風波のために漂泊して孤島に着し、いまだかつて見ざる異人および異風に接するときは、必ず奇異の思いをなし、竜宮もしくは仙境となせり。古代他邦より日本を呼びて蓬莱となし、あるいは徐福が不死の薬をこの地にもとめたりとの伝説は、もとより信ずるに足らずといえども、古来海外の孤島を竜宮仙境と考えし一例となすに足る。また浦島太郎の竜宮談のごときは、もしこれを実説とすれば、海外の孤島に漂泊せし者と考うるより外なし。これによりてこれを推すに、竜樹の竜宮談も海外の孤島をいうならんか。しからざれば山間の孤村にして人跡の多く至らざる所ならん。かくのごとき場所は世間より仙境霊地と呼ぶことは、古代においていずれの国にもあることなり。しかしてかかる孤島もしくは孤村には、一時世間に廃滅したりし古代の風俗言語を伝えて後世に及ぼすものなれば、仏滅後一時世間に廃れたる大乗仏教がかくのごとき僻地に存すべきは道理上やや信ずるに足る。果たしてしからば、竜樹の竜宮将来は世間普通の道理をもって解説するを得べし。

 第三は地位相応説なり。古来の学者は教法には時機相応と不相応との別あるを説くも、いまだ地位相応と不相応との別あるを説かず。これその一を知りてその二を知らざる論なり。故に余はここに地位相応論を掲げて大乗仏説の一証となさんと欲す。地位相応とは、土地および気候の異なるに従って、人の思想も嗜好もまた異なりて、これに弘まる教法上に相応と不相応との別を生ずるに至るをいう。なお時機に相応、不相応の別あるがごとし。たとえば日本は古来これを称して大乗相応の地となし、その初め大乗小乗共にこの国に伝わりしも、小乗は早く滅びて、大乗のみひとり存するに至れり。これ日本の地理気候、人心人情の大乗に適して小乗に適せざるゆえんなり。これに反してインドは昔時大乗小乗共に行われしも、今日は大乗を失ってただ小乗のみを存するは、その地味人情が小乗に適して大乗に適せざるゆえんなり。更にその例をわが国に徴するに、日蓮宗のごときは関東に盛んにして関西に振るわざるは、その風土人情の適不適によるや明らかなり。また真宗のごときは関東に微にして北国に栄うるは、同じく風土人情のしからしむるところにあらざるはなし。もし草木をもって例すれば、南方温暖の地に適するものと、北方寒冷の地に適するものと自らその別あり。人間も多少これに等しき関係を有するがごとし。今哲学思想と地理気候との関係を一言するに、山深く谷かすかにこれに加うるに気候寒冷なる土地に住する者は多く深邃なる思想を有す。これに反して気候温暖にしてしかも海浜に接し、交通便なる場所に住する者は思想深からずして万事多く実際を主とするに至る。けだし西洋にありてドイツ哲学はなお深邃の趣ありて、イギリス哲学は経験実際に傾く風あるは、地理気候と人心との関係あるを証するに足る。またシナにありては孔孟の学風と老荘の学風と大いにその趣を異にし、前者は実際に適して解しやすく入りやすく、後者は深邃幽玄にして解し難く入り難し。これ老荘の地方と孔孟の地方とは山海その地位を異にするによる。また同じく孔子の学統を継述するも、孟子と荀子とは大いにその趣味を異にし、孟子はこれを読むに流暢平易にして、荀子はしからざるもその理一なり。これによりてこれをみるに、地理と思想とは大いなる関係を有し、したがって地理気候の異同に応じて学問宗教の適不適をみるに至るを知るべし。世間に薩摩芋は川越を称し、大根は宮重を称し、かぶは天王寺を称するとなんぞ異ならんや。そもそもインドの地たるや自然に半島の形勢を有し、北方に山を負い、東南西三面海をめぐらし、中央にガンジス、インダスのごとき大河横流するあり。これをもって中央および南方と北方とは地勢上、山海高低の異同ありて、したがって気候上大いに寒暖の不同をみるに至る。果たしてしからば、人の思想も南北その所に応じて大いに不同あるを免れず。したがって学術宗教も北方に適するものと南方に適するものとは必ず大いに異ならざるを得ず。この理をもって大小両乗のその伝来を異にするゆえんを知るに足る。

 釈尊はその在世の間に小乗と大乗とを兼説したるに相違なきも、その滅後に至りて大乗の深邃幽玄なる哲理は、インドの中央および南部の気候炎熱、交通自在の地に適せずして早くこれを失うに至り。北方ヒマラヤ山の近傍地位高く気候寒冷なる場所に至れば、ひとり大乗の哲理のこれに適するありて、仏滅後永くその地に行われたりしは明らかなり。これより仏教が北方西蔵〔チベット〕およびシナの諸国に伝播するに及びては、ひとり大乗教の適するをみるも、また北方の気候と人心とが大乗相応の地なるによる。これに反して小乗のごとき議論に乏しくして実際に適するものは、インドの北方に伝わらずして、中央および南部に行わるるに至れり。かくして数百年ののちには中央および南部の人は小乗あるを知りて大乗あるを知らず、北方の高山深谷の間にありては大乗あるを知りて小乗あるを知らざるに至るは、また自然の勢いにして、あえて怪しむに足らざるなり。かくして馬鳴、竜樹の時代に至り、北方の山間に埋没せし大乗がようやく一般の知るところとなり、これを中央インドに伝うる者ありて大乗再興の機運をみるに至れり。一度隠れたる大乗が再び世に出でたるは、全く時勢変遷のしからしむるところにして、中央インドに諸派の外道競起してその勢い仏教を圧せんとするに至りしによる。けだし小乗仏教はその理論卑近にして到底これと抗争することあたわざれば、自然の勢い北方の大乗を呼び起こすに至りたるや疑いなかるべし。しかるに中央インドの仏教家はその当時すでに小乗あるを知りて大乗あるを知らざる者なれば、大乗を目して非仏説となすに至る。これ中央インドの仏教は小乗仏教の伝灯のみを知るによる。今日シナおよび日本にて伝うる仏滅後の伝灯もやはりその小乗伝灯なれば、大乗仏説を立つるにはなはだ困難を感ずるなり。しかれども余が論ずるところあえて空想憶断にあらず。前に掲げたる『法華経』伝来の一節に北方雪山の間より大乗を伝えきたれりというこの説によれば、大乗は北方の山間に行われしは明らかなり。しかるに竜樹、竜宮将来の説あれども、その竜宮とはいずれの所なるを知るべからず。余はこれを海外の孤島もしくは山間の孤村なりと知る。もしこれを孤村とすればヒマラヤ山間の一仙郷より大乗を将来したりしならん。『法華経伝記』〔法華伝記〕の説によるに、雪山中に宝塔ありて大乗諸経を収む。竜樹ここに至りて大乗経を得たることを記し、また大海竜王、竜樹をあわれみて七宝函を発して『華厳』『法華』等の諸経を授けたることを記せり。これによりてこれをみるに、竜宮とは海外の孤島を指すにあらずして雪山中の一地方なることを知るべし。しかるにまた真言にては南天の鉄塔説を伝うれども、これ釈迦所説の教にあらずして大日所説を唱うるものなれば、これを別説としてここに論ぜざるも可なり。また『瑜伽論』等の大乗論は弥勒降天して伝えたりとの説あれども、これを世間普通の道理に考うれば、降天説は信じ難し。故に余おもえらく、この当時にありて北方ヒマラヤ山間の地方よりくだりてガンジス近傍にきたりしものは、これを天よりくだると伝えたるならん。なんとなれば世間一般に北方に須弥山ありて、その山頭に諸天あることを唱えたる時節なれば、北方の山地よりきたりたるものを見て、須弥山頭の天よりくだれりと考うるも当然のことなればなり。果たしてしからば、弥勒菩薩、都率天より中天竺阿瑜遮国にくだりて五部の大論を説きたりと伝うるは、雪山の山中より出でて中天竺にきたりしをいうならん。しかしてその伝灯は仏より弥勒に伝え、弥勒より無着に伝えたりとなすは解し難きに似たれども、『名義集』によるに弥勒は、唐に慈氏というすなわち姓なりとあれば、仏在世のときの弥勒と、五部の大論を講じたるものとは同姓異人なるやも知るべからず。あるいは雪山中にありて仏滅後数百年の間、弥勒姓の家にて大乗を伝承したりと解するもあえて不可なかるべし。これを要するに大乗伝来は北方ヒマラヤ山の地方なりしはやや疑いなきがごとし。これ大乗相応の地なるによるなり。

 以上余が大乗仏説論の大要を述了したれば、これより大乗非仏説論者の大乗の開祖と立つるものだれなるやを考うるに、あるいはいう、大乗は竜樹より起こると。これ竜樹が竜宮より大乗経を将来せりと伝うる事実によりて想像せしに相違なきも、竜樹以前に馬鳴ありて大乗を唱えたりし事実をいかに解説するや。馬鳴の大乗と竜樹の大乗と一致するゆえんいかん。かつ竜樹の当時にありては外道婆羅門諸派大いにさかんにして仏教まさに滅せんとする際なれば、竜樹の偽作せる大乗にては決して世人がその説をいるるはずなかるべし。けだしその当時にありて竜樹の説が真に仏説たることの信ずべき点ありしをもって、その説世間に行われたるものなるべし。もしまた非仏説論者は大乗は馬鳴の偽作となすも、同一の理由をもってその説を否定するを得べし。あるいはまた大天の偽作となすも、大天はわずかに小乗部中に異説を立てたるまでにて、いまだ大乗を創説せるにあらず。しかるに大天の説は小乗中大乗に近きものなりとしてこれをみれば、あるいは大天は北方所伝の大乗流を探知してその理を小乗中に混説したるやの疑いなきにあらざれども、その伝記明らかならざれば事実の証明を与うることあたわず。あるいは大乗は一人一時の所説にあらずして数人数代の所説なりとする説あれども、果たしてその説のごとくんば大乗諸派の共に一致し、かつ小乗と道理上契合するところあるの理を解し難し。その他、大乗非仏説論につきて疑難すこぶる多ければ、その論いまだ決して信許すべからず。

 以上余が所見を一括すれば左表のごとし。

  大乗仏説論 哲学的(道理教)

        宗教的(天啓教) 大乗発達説(内包的解釈)

                 大小存立説(外延的解釈) 口伝密授説

                              時機相応説

                              地位相応説

 仏教は一半哲学的にして、一半宗教的なり。哲学的方面にありては大乗非仏説なるも、仏説なるもあえて論ずるを要せず。宗教的方面にありては大乗仏説を立てざるべからざるも、これに内包的外延的両様の解釈あり。また外延的にも口伝、時機、地位の諸説ありて、大乗仏教たるの論拠はなはだ多しとす。なかんずく地位説のごときは余が新たに考出したる説明にして、最も仏説論の考証とするに足る。もし以上の証明はみなもって信をおくに足らずとするも、これを非仏説とする論者の論拠もやはり薄弱にして確信し難し。果たしてしからば更に数歩を譲り、仏説論も非仏説論も双方共に確固たる論拠なしとするときは、結局今日まで仏説として伝えたる以上は、やはり仏説として伝うるより外なしと考うるなり。これ余が非仏説論に対する意見なり。

 (付言) 昨秋、大乗仏説論の答案を募集したりしに、山崎海宣氏ありて一編の論文を寄送せられたり。その文すこぶる長ければここに逐一掲載することあたわずといえども、その大要は余がさきに列挙したりし大乗非仏説家の疑難一六条につきて、いちいち答弁を付し、もって大乗仏説論を主唱せらるるにあり。今これを一見するに余が意見に合するもの多し。すなわち末段において論じて曰く、

   余は苟も非仏説家に於て確実なる非仏説てふ明証を備へ、且つ現今の所謂大乗は何人の作なるや審かに時間空間及ひ作者との明かなる証拠を指摘せざる以上は、断固として大乗の仏説なるを公言して憚らざる者なり。

 ここにそのことを記してもって応募答案の労を謝するなり。