外道哲学

本書印刷は明治二十九年十一月下旬より着手したりしが、 十二月_十日夜、 俄然哲学館の焼失に会し、 余が寓居はまさに延焼せんとしてわずかに免るるを得たるも、 参考書類、 あるいは焼失しあるいは散失して、 いずれにあるを知るべからざるものあり。 故をもって、 本書の校合意のごとくならず、 誤脱またしたがって多きを知る。後日、 再刊の節を待ちて訂正せんと欲す。 読者請う、  これをゆるせよ。

 

明治三十年二月一日 著    者    誌

 


緒言


余、 多年哲学上、  日本仏教の組織系統を撰述せんと欲し、 力をこれに用うるや久し。 近日ようやくその大系を完成し、 これを「仏教哲学系統論」と題し、 まずその第一編すなわち「外道哲学」を印行して、  ここに世に公にするに至る。 しかして、 余がいわゆる仏教は印度仏教にあらず、 支那仏教にあらず、 日本仏教なり。 日本仏教とは、 現在わが日本に流布せる仏教を義とす。 もしこれを分解すれば、  印度・支那ー一元素のその中に混和せるを見る。  これ他なし。 わが現今の仏教は、 その原種は印度より伝わり、 その喪料は支那・日本より得、 内外相加わりて発育せるによる。  ゆえに、 余は印度・支那・日本三国の経論疏釈にして、 現今わが国に存する仏籍により、   ろく諸説諸見を棄類概括し、 もってその裏面に貫通せる哲学的系統を考定開示せり。  これをもっ て、 その引用および参考困類はみな、 古来日本において翻刻あるいは新刊せるものに限り、 西洋印行の仏籍、 あるいはこれに関する泰西学者の評論    著作等はこれを除く。  これ、 余が目的はひとり日本仏教の系統を開示するにあればなり。

およそ仏教の真相を発見せんと欲せば、 必ず比較上、 東西両洋に伝うるところの仏教を対照するを要す。 もし比較研究の道を開かんと欲せば、 まず従来日本に流布せる仏教につきて、 その発達せる系統を考定せざるべからず。 しかるに、 今日いまだ日本仏教全体の系統を叙述せるものあるを聞かず。  ゆえに、 余はその欠を補わんと欲して、  ここに系統論を編述するに至る。  これ、 余が西洋の書類を参考せずして、  ひとり日本刊行の仏害のみを引用せるゆえんなり。

余が仏教系統論の大綱は、 客観唯物の浅見を起点とし、 ようやく進みて理想唯心の深理に体達せる順次を開説するにほかならず。 仏教のいわゆる外道は、 客観論なり、 唯物論なり、 有神論なり、 実体論なり。  これに対して、  仏教は主観論なり、 唯心論なり、 無神論なり、 理想論なり。 あるいはまた、 仏教中の小乗は主観論中の客観論、  理想論中の実体論なれば、  これを仏教内の外道となす。 ゆえに、  その大系を表示すること左屈のごとし。

客観論(外道哲学)

印度哲学 客観論(小乗)

主観論(仏教哲学)心論(権大乗)主観論(大乗)

理想論(実大乗)

もし、  これを日本現在の諸宗に配合するときは、  理論宗、 実際宗の二類に分かつ。  すなわち左のごとし。

この系図に従って逐次開説せんとす。 ゆえに、 その全系は左の数大編に分かる。

 

第  一  編    外道哲学 第  二  編    異部哲学

 第  三  編    倶舎哲学 第  四  編    成実哲学

 第  五  編第  九  編

 律宗哲学天台哲学

 第  六  編    唯識哲学 第  七  編第一    編    華厳哲学 第一    編

 三論哲学真言哲学

 第  八  編    起信哲学第 二編    禅宗哲学

 第 二二編

 浄土哲学 第一四編真宗哲学

第一五編

 

日宗哲学

 

そのうち、 まず外道哲学を発行せり。  これ、 その仏教哲学の初門なるによる。外道哲学の系統は左図のごとく分科せり。


これ、 年代の先後によりて分類したるにあらず、  思想の深浅に従って列挙せるのみ。 換言すれば、  これ、 まさしく客観論より理想論に進入する階段なり。

外道哲学参考書は、 わが国伝来の仏籍にもとづき、 雑書・写本の類に至るまで、 いやしくも参考すべきものはことごとくこれをとり、 多く本文を引用して、 もっぱら考証をつとめたり。 ゆえに、 往々重複冗長にわたるところあれども、  これ全くやむをえざるに出ず。 また、 梵語の説明のごときは、 古来梵学の伝わらざりしため、  先輩の諸家、 往々悦断に過ぎ誤解をなせるものあるを見るも、 そのまま引証することとなす。 あるいはまた、 西洋所伝の説明に比し、 大なる異同を見ることあるも、  これまたそのまま引用せり。  かくして古今東西の所見に不同あることを示すは、 講学上、 他日参考の一助となるを知ればなり。  読者請う、  これを了せよ。

外道諸宗中一、  二を除き    その他の諸派は仏書中に、 わずかにその名目あるいは宗義の一端を散見するに過ぎず。  ことに印度の地理・歴史・風俗・エ芸等にいたりては、 ほとんどこれを知るに由なし。 しかれども、 外道哲学の参考上、 かれこれ対照するの必要を感じ、 諸論の中に地理・歴史・四姓・五明のことを掲げり。 その材料はすべて日本伝来の仏困中に散在せる断片を拾集したるのみにて、 別に西害を参酌照合せず。  これ、 仏朽によりて印度社会の事情を知ることを得るやいなやを示さんと欲するなり。 ゆえに、 その説明の疎略にして梗概を知るに足らざるもまた、  幸いにこれをゆるせよ。

因明および悉曇は仏書によりて多少知ることを得るも、  これ外道哲学の緒論に過ぎざれば、 わずかにその大要を略述せるのみ。 数論.勝論は仏書中にその本省を伝え古来講究したりしをもって、  これを他論に比すれば、

やその詳細を知ることを得るも、 余はこれを「金七十論  「十句義論    の両宙に譲り、 わずかにその要領を叙述せるに過ぎず。  しかして自余の学派にいたりては、 仏魯中雑出散見するのみにて、 古来いまだこれを詳述せるものあるを見ず。 ゆえに、  余はもっぱらその類を収集することに力を用い、 従来知りやすきものはかえっ てこれを言略し、  知り難きものはかえっ てこれをつまびらかにする方針をとれり。

明治三十年    月一日

 

分科全図


余、 さきに外道哲学の草案を起こすに当たり、 あらかじめ全論の分科系図を設計し、 後に大小数百部の典籍を引用してもっ てこれを充実し、  ここに七編二五章ーニ九節の一大論を完成するに至れり。  今、 読者の便を計り、左にその分科全圏を掲ぐ。  これを一覧するものは、 必ず全論の大系をうかがい知ることを得べし。 その固は、  これを一面に排置せずして、 甲・乙・丙・丁・戊の五面に分置せるは、 紙幅のこれをゆるさざるによる。 また、 図中の各項の下に数字を付記せるは、 節名を示すものなり。 例えば、(二)とあるは第二節を表し、第一五節を表するがごとし。  これ、 捜索の便に備うるのみ。


 第一章 印度論


第一節    開端

そもそも印度諸家の哲学は実に千種万類にして、 ほとんどいくたの流派あるを知らずといえども、 仏教家はこれを総称して外道と名づく。 しかして、 外道哲学と仏教哲学との間に密接の関係あるは言をまたず。  畢究するに、 仏教は外道諸派の哲学を総合して、 さらにその上に新機軸を出だしたるものなれば、 外道哲学は仏教哲学の初門と称するも、 あえて不可なることなし。 例えば、 外道は客観論をとり、 仏教は主観論を唱え、 前者は唯物論もしくは有神論に傾き、  後者は唯心論もしくは汎神論に帰するの別あり。 換言すれば、 前者は常識凡情の浅見に属し、 後者は理想幽玄の深理に属するの別あり。 しかして、 常識論は理想論に進向する起点にして、 客観論は主親論に悟入する階梯なること、 また疑いなければなり。  ゆえに、 仏教各派の哲学を述ぶるに当たり、 まず外道各派の哲学を講ずるを要するなり。 しかりしこうして、  外道各派の哲学は、 近来泰西諸邦において、  学者ようやくその講究に従事し、  これに関する著書続々世に出ずるも、 わが国の仏教家は、 外道の諸説のその経論中に散見せるにもかかわらず、  これを度外視してさらにその問題に注目せざるは、 講学上の欠点といわざるぺからず。  ゆえに、 余はもっぱら仏書中に散見せる外道の諸説を講述しきたりて、 仏教各派の哲学の前論となさんと欲す。  これ、  ここに外道哲学を講ずるゆえんなり。 しかりしこうして、 外道哲学を講ずるにさきだち、 印度の学問教育の事情につきて、 また一言せざるべからず。 ゆえに、 余は外道哲学を緒論、 総論、 各論の三大段に分かち、 しかして緒論の下にはまた、

第一章 印度論

第二章 四姓論

第三章 五明論

第四章 声明論

第五章 因明論

第六章 毘陀論

の六章を設けて、 逐次論明せんと欲す。 そのうち、  四姓論は印度社会の組織いかんを知るに足り、 五明論は印度学問の状態いかんを見るに足るべし。


第二節    印度の名義

印度は一名天竺という。 あるいは身毒.申毒.賢豆・天豆・天定・真定と称す。 また、  月氏・月明・月邦・聖方・大夏・婆羅門国の称あり。 今、「西域記」(巻二の一)につきてその名義を考うるに曰く、

 昆  ルーー夫天竺之底一異議糾絋    皿云身  夷    喜    一賢異    今記日  童  宮ぞ印度    印度之人随>地称>国、 殊方異俗、 遥挙二総名一 語ーー其所迄美謂 乏 印度印度者唐    言臼月、 月有  多名一 斯其一称、  言  諸群生輪廻不ら息、 無明長夜莫>有句  晨一 其翌  白日既隠宵燭翫腿    雖>有ーー星光之照    岳?面朗月之明荀縁二斯致一因而誓>月、 息以  其土聖賢継>軌導ソ凡、 御>物_如一月照_臨    由祐苺痒 故謂一之印度

(かの「天竺」の称をつまびらかにするに、 異議糾紛たり。  ふるくは「身毒」といい、 あるいは「賢豆」という。 今、 正音に従わばよろしく「印度」というべし。 印度の人は地〔方〕に随っ て国と称するも、 方を殊にし俗を異にす。  はるかに総名を挙げるに、 そのよしとするところを語って、  これを「印度」という。「印度」とは、 唐に「月」という。 月に多くの名あれども、  これはその一の称なり。 言うところは、「もろもろの群生は輪廻してやまず。 無明の長夜に晨 をつかさどるものあることなし。 それなお白日すでに隠れ宵の  燭これに継ぐがごとし。  星の光の照らすありといえども、 あに朗月の明らかなるにしかんや」と。 まことにこの致により、 因りて月にたとう。  まことにおもんみるに、  その土に、 聖・賢軌を継ぎて、 凡を導き物を御すること、 月の照臨するがごとし。  この義によるが故に、  これを「印度」というなり。)

「翻訳名義集」巻三の一にも、  この文を引きて解釈を下せり。「続一切経音義」(「希麟音義」巻二の二および巻  一の一   、「玄応音義」巻一六の一)に曰く、

山海経云、 身毒之国、 郭瑛註云、 即天竺国也、 或__云  賢豆{  或ーデ印度一 皆梵語訛伝也、 正,__云  印特_羅(云ーー印特伽_羅  )、 此翻  為>月。

(「山海経」に身毒の国という。 郭瑛の註にいわく、  すなわち天竺国なりという。 あるいは賢豆といい、 あるいは印度というは、  みな梵語の訛伝なり。 正しくは印特羅といい(あるいは印特伽羅といい)、 ここに翻じて月となす。)

 また「首拐厳義疏注経」(巻一上の一六)には、 印度月名、 具   ーデ印特伽一 此云一月邦一 以ーー此大国  形二諸  小国如    星屯且(印度は月の名なり。 つぶさには印特伽といい、  ここに月邦という。  この大国をもっ てもろもろの小国に帆  すに星中の月のごとし)とあり。 また「骸論新疏滸刃 巻中の五) には、

 漢書張驀伝云、 窯至  西域大夏国得ーー笥竹杖問品竺従来一 答東西二千里身毒国  来、 乃至天竺此云"月、 彼直  千名如  函笹  囃等一 此方(支那)月名極多、 如ーー丹桂素蛾玉兎婦娼等(「漢「張驀伝」にいう、 鵞、 西域大夏国に至り笥竹の杖を得、 従来する所を問うに、 東南二千里、 身毒国より来たる、 という。 ないし、 天竺はここに月という。  かれに千名あり、 賛但嘔等のごとし。  この方(支那)に月の名極めて多し。 丹桂・素蛾・玉兎・婢娼等のごとし〔い  続蔵経、 南につくる〕)

とあり。 あるいは「梵漢対映集」(巻上の四には、 印度者月異名也、 天竺勝ーー諸土  故以月名一 如  衆天中月天_勝  (印度は月の異名なり。 天竺は諸土に勝る。 ゆえに月の名をもってす。 衆天の中に月天勝るがごとし)と説き、「六祖勘文類解」(巻上の五)には、 虎関曰印度天竺也、 梵印度此云ーー月支一 天竺地形如  半月故云>爾也(虎関いわく、 印度とは天竺なり。 梵に印度、  ここに月支という。 天竺の地形は半月のごとし、 ゆえにしかいうなり)と記せり。  これみな、 印度を解して月名となす説なり。 しかるに別に一説ありて、  印度は天帝の名なりと論 解せり。「玄応音義」(巻二のニー巻一九の八)に記するところ左のごとし。

 一説云、 賢豆本名因陀羅婆他那、 此云一一生処如四天帝一也、 当以二天帝所  護故世久号乙之耳  ゜

(一説にいう、 賢豆は本名因陀羅婆他那、  ここに生処といい、 天帝をいうなり。 まさに天帝に護らるるをもっての故に、 世に久しくこれを号するのみ。)

 「慧琳音義」(巻二六の六)にもこの説を出だせり。「続高僧伝」(巻二の五)の解もまたこれに同じ。 また

「悉曇蔵」(巻一の二三)には、「明灯抄」を引きて左のごとく示せり。

或 云ーー印度至且心天帝之一名也、 其地天帝常守護、 故以為>名也。

(あるいは印度というは、  これ天帝の一名なり。  その地は天帝常に守護す。 ゆえに、 もって名となすなり。)また『円覚紗弁疑」(巻上の一七)には、 拠ー開元録  云、 賢豆本音因陀羅婆陀此云玉主、 謂  天帝釈所レ護故也

(「開元録」によるにいう、 野一豆は本音因陀羅婆陀、  ここに主という。 天帝釈に護らるるが故にいうなり)とあり。  そのほか「悉嚢字記紗」(巻一の二には、  印度者因多羅義也、 乃至彼国帝釈守護故約二能護人  立>名、 因陀羅云  帝釈故(印度は因多羅の義なり。 ないし、  かの国は帝釈の守護なるが故に、 能護の人に約して名を立つ。

因陀羅は帝釈をいうが故に)とあり。 また「性霊集抄」(巻一の一には、 此印度国天帝守護国也、 依>之云二印陀羅国一也(この印度国は天帝守護の国なり。  これによりて印陀羅国というなり)とあり。  これみな、 印度の名は因陀羅より起こるとなす説なり。 けだし、 古来支那にて印度を身毒.賢豆・天毒・天豆・天竺等と異名するは、 同一の梵音の転化にほかならず。 ゆえに、「円覚随文要解 巻七の一七)には「開元釈教録」を引きて、 賢豆はかの国の訛なり、 身毒・天竺はこの方の訛なりといい、「悉昼字記紗」(巻一の二には、 梵名に天竺・天毒・天定・真定・身毒印度の不同あり、 漢名に月氏・月明・聖方・大夏等の不同あり、 これにつきて天竺等五種の梵名は、  ともに一種梵語転声の不同なりと述べ、「悉最明了記 巻二の二二)には、 招拾云天竺・天毒・身毒・天豆者恐是於二  梵文一致ーー此不同  (拮拾していわく、 天竺・天毒・身毒・天豆とは、  おそらくはこれ一梵文においてこの不同を致す)と説き、「悉曇字母釈義発診」(巻上の四) には「麟音    を引きて、 今謂雖>有ー衆ー    名皆是五韻相通義也(今いわく、 衆名ありといえども、  みなこれ五韻相通の義なり)と解せり。  そのほか「法苑珠林」(巻九の五)こも、

束夏九州名ーー西_域  為元^ーご者是総名也、 或云 五名翌  如 楚称ーー此方込竺脂那一 或云二真丹一 或作.震旦い此蓋承レ声有ーー楚夏一耳

函  反の九州に西域と名づけ天竺となすは、  これ総名なり。 あるいは    詣という。 梵にこの方を称して脂那となし、 あるいは真丹といい、 あるいは震旦となすがごとし。  これけだし、 声を承くるに楚・夏あるのみ〔 大正蔵`  梵につくる〕)

という。  これを要するに、 印度の名義を釈するに二様あり。

第一義は、 印度は月名あるいは月明の義にして、  この大国の諸小国中にあるは、  星中に月あるがごとく、あるいはその土に聖賢相継ぎて衆人を開導するは、 月の照臨するがごとくなるによるという。

第二義は、 印度は因陀羅すなわち帝釈天の名称より起こり、 その国はこの天帝の守護するところなるによるという。

しかるに、 もしその第一義を分解すれば、  これに三種の別義あり。 そのことは「録内啓祓」(巻四の三二)論出ず。

(一)  印度の地は聖賢相継ぎて起こり、  月の照臨するがごときによる。

(二)  印度の地形、 半月に似たるによる。

(三)  印度は国大にしてこれを小国に比するに、 星中の月のごときによる。

 余案ずるにこの三義は、 印度は月の一名なりといえる説につきて、 種々憶想したるものならん。 ゆえに、 付会の説たるを免れ難し。  しかるに『三大部補注』巻一の一八)こ贔よ、 さらに一種の別義を示せり。  その義は、 印度を解して日月となす説なり。  その文にいわく、  印度此云二日月一 日月__有  千_名  即其一也云云(印度、  ここに日月という。 日月に千名あり、 すなわちその一なり)と。「止観義例纂要」(巻五の三二)にもこの説を掲げ、「録内啓蒙巻四の三二)および「録外考文巻七の二七) にもこれを引用せりといえども、 これはなはだ怪しむべし。 けだし、  印度は月の一名なりといえるを誤解したるものならん。 しかるにまた、 印度を月と解するは正しからずとなす説あり。  すでに「異部宗輪論述記発靭 巻上の二三)にも「諸経音義」を引きて、  印度名レ月訛突(印度を月と名づくるは訛なり)と記せり。 あるいはまた、 支那史類中に見るところの月氏国と印度との同異につきて一論あり。 近く「録内拾遺」(巻八の三八)に「史記」、「前・後漢書」、「三才図会等を引きて、 天竺と月氏とは二同にして、 同国異名にあらざる説あることを示し、  かつその同異を弁明せるも、 いちいち引証するにいとまあらず。  そのほか「倶舎姐麟記」(巻一の一)、「因明明灯抄」(巻一本の九)、「起信論教理紗」(巻六の三)、「三論玄義検幽紗巻一の三四)、「板橘易土集」(巻一の一)、「伝通記鞣紗」(巻一四の二および巻三〇の二五)、『類雑集」(巻七の二三)、『浄土三部経音義』(巻一の二)等に印度の名義を説明するも、  みな「西域記」もしくは「榜厳疏」の解釈を引用せるに過ぎず。 ただ「無量寿経梵響記」(巻上一の一三、「正信偽勁説」巻中の一、「正信偽注解」巻四の一七)に、 天竺とは北胡より聖方を呼ぶの名なりと記し、 その考証として「寄帰伝」(巻三の一ー)を引きていわく、  即名二西国玉  二阿離耶提_舎(聖方)、 以二其賢聖継ら凱人皆共称、 或云  末眸一北方胡国独喚ー聖方ー以為ーー印_度(咽度)也(すなわち西国を名づけて阿離耶提舎(翌方)となす。  それ賢聖の軌を継ぐをもっ て、  人みなともに称す。 あるいは末悌という。 北方の胡国をひとり聖方と呼んでもって印度(晒度)

となすなり)とあり。 あるいはまた、  印度を称して婆羅門国および大夏という。  今、  これを「悉蝕字記 三ぉよび「悉伍字記捷覧」巻上の九)に考うるに日<、

案西域記一其閻浮地之南、 五天之坑、 梵人居焉、 地周九万余里、  三垂大海、 北背  雷山一 時無二輪王腐  運中分七十余国    其総日二五天竺一 亦日二身毒ー  或ーデ 印度一 有   日  大_夏  是也、 人遠承二梵_王  雖三大分二四姓    通謂乏  婆羅門国

(「西域記」を案ずるに、 その閻浮の地の南、 五天の境に梵人居す。 地の周は九万余里、  三垂は大海にして、北は雪山を背とす。 時に輪王の運を應けるなく、 中は七十余国に分かれ、 総じて五天竺といい、 また身毒といい、 あるいは印度といい、 有るは大夏という、  これなり。  人は遠く梵王に承け、 大いに四姓に分かつといえども、  通じてこれを婆羅門国という。)

「悉伯明了記」(巻二のニ) にこれを解して曰く、 五天竺南閻浮提中国輪王出世上都也、 其土極大故云二大夏也(五天竺は南閻浮提中の国にして輪王出世の上都なり。 その土極めて大なるが故に大夏というなり)とあり。

また「悉縁創学紗 巻一の一_   七)には、 天竺を大夏というの本説は「釈迦諧」「、   慈恩伝」「南、 山戒疏」「法華序」等にありと記し、  かつ曰く、 招拾云、 京華為>夏、 南閻浮提内以二五天竺一須レ為  京華対ー諸国京華ー以>之為ー大夏籍 拾していう、 京華を夏となす。 南闇浮提の内に、 五天竺をもってすべからく京華となすぺし。 諸国の京華に対し、  これをもって大夏となす)とあり。 しかるに「西域記」(巻二の一) には、 婆羅門国の名称につきて説明して曰く、  印度種姓族類群分而婆羅門特為  清貴一 従ーー其雅称ー伝以成>俗、  無』云  経界之別一 総謂  婆羅門国  焉(印度の種姓は族類群れ分かる。 しかして婆羅門を特に清貨となし、 その雅称に従っ て、 伝えてもって俗となし、 経界の別をいうことなく、 総じて婆羅門国ともいう)とあり。 もしまた「創学紗」(巻一の二八)によらば、  これを婆羅門国と名づくるに二義ありとなす。 その一義は四姓中の婆羅門にして、 四姓中には婆羅門をもって勝となすが故なり。  その二は四姓中の婆羅門にあらず、 梵天をただちに婆羅門と名づくるなり。  人、 遠く梵王に受くるが故に四姓の別ありといえども、  通して婆羅門国と名づくるなりという。 換言すれば、 印度は世界の中央に当たれる大国なるをもってこれを大夏と名づけ、 婆羅門種姓はその社会の最勝民族なり、 あるいは婆羅門はすなわち梵天にして印度開闘の神なるをもっ て、  これを婆羅〔門〕国と称するに至れるなり。 その種族の起源および梵天の勢力等は、 後に至りて弁明すべし。


第三節    印度の地理

印度の名称に続きて印度の地理を述べざるべからず。 もし、  これを「西域記」(巻二の二)に考うれば左のごとし。


五印度之境周九万余里、 三垂大海、 北背二雪山{   北広南狭、 形如ーー半月一 画>野区分七千余国、 時特暑熱地多ニ泉湿一 北乃山阜隠>診、  丘陵潟滴、 東則川野沃潤、 疇瀧音艘、 南方草木栄茂、 西方土地琥硝、 斯大築也。

(五印度の境は周九万余里あり。  三垂は大海にして、 北は雪山を背にす。 北は広く南は狭く、  形は半月のごとし。 野を画して七七余国に区分す。 時に特に暑熱にして、 地は泉と湿多し。 北はすなわち山たかく犀翫にして、 丘陵は潟歯なり。 東はすなわち川野沃濶にして、  疇瀧は音艘たり。 南方は草木栄茂し、 西方は土地は硯硝なり。  これ大築なり。〔い  大正蔵、 十につくる〕)

すなわち、 その地形は東南西三面に海をめぐらし、  北方に山を帯び、 南部はようやく狭く、 北部はようやく広くして半月の状のごとしというは、 今日の地図に見るところに同じ。「翻訳名義集」(巻三の一および「仏祖統紀 巻一一の一三)にもこの形を記示せり。 また、  印度の大小につきて「印度蔵志巻一の一七) に論ずるところあり。  すなわちいわく、 寄掃内法伝五天之地、 界分絲逸、 大略而言、 東西南北、 各四百余駅、 除二其辺裔雖品非尽能目撃故可二詳而聞知(『寄帰内法伝」に五天の地界分は綿逸なり。  大略にしていわば、 東西南北におのおの四百余駅あり。 その辺裔を除き、  ことごとくよく目撃するにあらずといえども、 もとよりつまびらかにして聞知すべし)とあるをも思い合わすべし。  これは一駅を本朝里法の三里と計り、 東西南北各千六百里ばかりなれど、 それは行道の屈曲をこめていうにこそあれ、 直径をはかりては辺裔を収めたらんも千里には過ぎず、  周回三千里ばかりに過ぎざるをや云々とあれども、  到底その広狭を判知すべからず。 しかして、 その地内に分立せる大小の国々は、 実に万をもって数う。 ゆえに「中論序疏」 三)には、 天竺別開則五、 次有二十六大国五百中国、 + 千小国

(天竺を別して開けば、  すなわち五あり。  つぎに十六の大国、 五百の中国、 十千の小国あり)といえり。  これ「仁王経巻下の、「仁王経合疏」巻下の五五、『仁王経嘉祥疏」巻六の一五)の説にして、論 そのいわゆる十六国とは左表のごとし。

 一、 舎衛国 二、 橋薩羅国

 三、 毘舎離国 四、 弥提国

 五、 波羅奈国 六、 摩阿陀国(仏成道処) 七、 鳩留国

 八、 鳩談弥国 九、 鳩戸那国(仏入滅処)

 、 闊賓国 十一、 伽羅撻駄国

 十二、 乾陀衛国 十三、  僧伽陀国 十四、 迦夷羅衛国(仏誕生国)

 十五、  撻那掘舎国 十六、 波提国(_摂一撻那国示ーニ別立  (撻那国に摂して別立せず))

また「七帖見聞」(巻一本の七および四本の七六)に表示せるところによるに(「聖閾野」(巻四の一四)参照)、天竺一国ー山寄由国(_有一七万千六国七万千六国あり))

南天竺七国、 橋薩羅国(有ーユハ万一千国  (六万一千国あり)ー) ニ、 毘舎離国(有  五万六千国万六千国あり))ー 三、 舎衛国(_有一九万千八百国  (九万千八百国あり)ー) 四、 覇賓国(有一万_ 一千国(万三千国あり))ー 五、 乾陀衛国(有  六万九千国  (六万九千国あり)) 六、 沙陀国(有ー七ー    万六千国  (七万六千国あり))ー 七、 波提国(_有一万六千_国  (万六千国あり))西天竺一国ーー  波羅奈国(有二万六千_国  (万六千国あり))天竺三国 鳩談弥国(「聖閾賛」云有二  万六千国「聖閾笠」にいう、 一万六千国あり、 と))

 二、 僧伽陀国(同書云有沃  万五千国  (同書にいう、 六万五千国あり、  と)ー)有云  百万千国  (同書にいう、  五百万千国あり、 と)

 三、 撻拳掘闊国(同書云中天竺四国、 迦夷羅国(有ーー七万六千国  (七万六千国あり))ー、 摩喝陀国(「聖閾賛」云有二  万(「聖園賛」にいう、  一万国あり、 と))、 伽羅乾国(有ユハ万八千国 六万八千国あり)ーー)    '

 四、 鳩那国(有 方 六千国  (万六千国あり))

かつ曰く、 古紗云万国已上為ー大国一 万已下四千已上為二中ー千以下七百以上為ーー小国一 六百已下三百已上小    無名国也、  二百已下為 粟 散国一 不>足ーー百国込ク島也(古紗にいわく、 万国以上を大国となし、 万以下四千

以上を中菌となし、 三千以下七百以上を小国となす。 六百以下三百以上は小にして無名の国なり。  二百以下を粟散国となし、  百国に足らざるを島となすなり)とあり。 また「梵網合註」(巻  一の一四)に、

西域諸国最多挙二其甚大云ーー十六国一史伽、  二摩喝提、 三迦、 四拘薩羅、  五叛祇、 六末羅、  七支提、跛沙、 九尼楼、 十槃闇羅、 十一阿湿波、 十二婆瑳、  十三蘇羅、 十四乾陀羅、 十五剣浮抄、  十六阿槃提

(西域の諸国は最も多し。 そのはなはだ大なるものを挙ぐるに十六国あり。 ーに史伽、  二に摩喝提、 三に迦、 四に拘薩羅、 五に祓祇、 六に末羅、  七に支提、 八に跛沙、  九に尼楼、 十に槃闇羅、 十一に阿湿波、 十二に婆嵯、 十三に蘇羅、 十四に乾陀羅、 十五に剣浮抄、 十六に阿槃提なり)

とあるも、 その名称および順序は前掲の名称と同じからず。 しかして「仁王経」および「梵網経」の「疏釈」等こよ、  その国名を列するのみにて詳解を付せず。  ゆえに「梵網戒疏紀要」(巻一の二九) に、 天台引二長阿含第互  列二十六名荘疏亦拠ーー阿含及大婆_沙但椋>名耳(天台は「長阿含」第五を引きて十六名をつらぬ。「荘疏」また「阿含」および「大婆沙」によりて、 ただ名を標するのみ)と論ぜり。 もしそれ「聖閾野」(巻四の一四)に引証せるところによるに曰く

抑;五天竺者、 東天有ーー六万七千_国  毘舎離国為レ中、 南天有ーー六万国  留支国為元中、 西天有  五千国一毘波羅国為>中、 北天有ーー五万四千国鋲皿波国為元中、 中天有  五万六千_国  仏倶留国為>中

(そもそも五天竺とは、 東天に六万七千国あり、 毘舎離国を中となす。 南天に六万国あり、  留支国を中となす。 西天に五千国あり、 毘波羅国を中となす。 北天五万四千国あり、 藍波国を中となす。 中天に五万六千国あり、 仏倶留国を中となす)

とあり。

また「仏祖統紀」(巻三三の一四)に、「光明経」には八万四千城邑衆落ありとし、「仁王経には十六大国、五百中国、 十万小国ありとし、「榜厳経    にはこの閻浮提大国二千三百ありとする異説を掲げり。 あるいは「山海里」(巻八上のニ 二条)には、 いずれの経論にもとづきしを知らずといえども、 五天竺の国数を合して二十九万九千八カ国ありと記せり。 また「悉嚢明了記」(巻二のニー)には、「西域記    に七十余国ありと説きながら、  その前後の文を案ずるに、  百三十八国あることを論ぜり。  しかるに「悉位字記」の「冠註」(「悉穀字記捷覧     巻上の九)には、 大分  為ーー五天一 細分    者七十余国、 又微細分別百三十八箇也(大に分かてば五天となす。

細分すれば七十余国、 また微細に分別すれば百三十八箇なり)といえり。 また「書判会異文集」(三二)には、

「印度の国数」と題して、 百三十余国は総じて大小を挙げ、  七十余国は別して大国を挙ぐるかと会釈せり。 今、左に「経律異相」(巻  一の の文を引用すべし。

閻浮提内有ーー十六大国八万四千城八国王四天子東有一晋国天子一人民熾盛、 南有手〈 竺国天子一土地多ーー名象一 西有二大秦国天子一土地饒二金璧玉天子一土地多ー好馬北有ー一月支国八万四千城中六千四百種人、 万種音押、 五十六万億丘緊、 魚有ーー六千四百種{  鳥有二四千五百種一 獣_有 千四種一 樹有 云袖宍 草有二八千種{  雑薬有ーー七百四十種    雑香有二四十  一種{  宝百一_   十一種、 正宝七種。海中有千五百国一 百八十国食ーー五穀二千 ー百二十国食二魚鼈咽亀一 五国王一王    主ーー五百城一 第一王名ニ斯梨一 国土尽事>仏不>事ーー衆邪一 第二王_名一伽羅{  土地出一七宝第三王名一木不羅土地出四十三種香及白珂    第四王名一闊耶一 土地出話如茨胡椒{  第五王名ー那頗    土地出一己白珠及七色瑠璃一 五大国城多黒  短小、 相去六十五万里、 従>是但有函芯少無缶    人民去二鉄囲山ー百四十万里中阿幅摩殺レ人処在ー一舎衛国東八十万里    仏所化処亦一処、 拘夷那喝国在二迦維羅国之東南一千里一 王舎国在ーー迦維羅衛国之東南二千二百里ー  仏得道処在ーー王舎城東南二百里一 維耶離国在ーー迦維衛国之東一千八百里一 奈女園在二維耶離城南三里道西    拘談弥国_在一迦維羅衛国之西南千二百里一 葉波国在二迦維羅衛国之東千二百八十里一 難国在  迦維羅衛国之東三千二百里一 舎衛国在二迦維羅衛国之西五百里{   波羅奈国在ーー迦維羅衛国之西九百六十里一 仏転法輪処在ーー波羅奈国之北二十里一 樹名ー香浄認竺伏魔  処也、 波羅奈私国在ーー舎衛国之南千四百里一 中問有ーー恒水  東南流、 音闊堀山有一五岳一 仏説ら経在  中岳一 王舎国在二中岳之下

(閻浮提の中に十六の大国、  八万四千の城あり。  八国王、  四天子あり。

東には晋の天子ありて人民熾盛なり。 南には天竺国の天子ありて、 土地に名象多し。 西には大秦国の天子ありて、 土地に金・璧玉ゆたかなり。  北には月支国の天子ありて、 土地に好馬多し。

八万四千の城の中には、 六千四百種の人、 万種の音響、  五十六万億の丘緊あり。 魚に六千四百種あり、 鳥に四千五百種あり、 獣に_一千四百種あり、 樹に万種あり、 草に八千種あり、  雑薬に七百四十種あり、 雑香に四+=一種あり、 宝に百二十一種あり、 正宝に七種あり。〔田  大正蔵により百を補う〕

切論 海中に二千五百国あり。  百八十国は五穀をくらい、  二千 二百二十国は魚鼈昭をくらう。 五国王は、  一王ごとに五百城をつかさどる。 第一の王は斯黎と名づく。  土地ことごとく仏につかえて、 衆邪につかえず。 第二の王は迦羅と名づく。 土地に七宝を出だす。 第三の王は不羅と名づく。  土地に四十  一種の香および白瑠璃を出だす。 第四の王は闊耶と名づく。 土地に蔀茨・胡椒を出だす。 第五の王は那頗と名づく。 土地に白珠および七色の瑠璃を出だす。  五大国の城は、 多く黒くして短小なり。 相去ること六十五万里。  これよりただ海水のみありて、 人民あるなし。〔 大正蔵により亀をとる〕

鉄囲山を去ること、  百四十万里の中に阿掘摩殺人の処あり。 舎衛国の東八十万里にありて仏所化の処また一処あり。 拘夷那喝国は迦維羅国の東南一千里にあり。  王舎国は迦維羅衛国の東南二千二百里にあり、 仏得道の処は王舎城の東南二百里にあり。 維耶離国は迦維衛国の東一千八百里にあり。 奈女園は維耶離城の南三里の道の西にあり。 拘談弥国は迦維羅衛国の西南千二百里にあり。 葉波国は迦維羅衛国の東千二百八十里にあり。 難国は迦維羅衛国の東一二千二百里にあり。 舎衛国は迦維羅衛国の西五百里にあり。 波羅奈国は迦維羅衛国の西九百六十里にあり。 仏転法輪の処は波羅奈国の北二十里にあり。 樹を香浄と名づく。 魔を降伏するの処なり。 波羅奈私国は舎衛国の南千四百里にあり、 中間に恒水ありて東南に流る。  者閤掘山に五岳あり、仏の説経は中岳にあり。  王舎国は中岳の下にあり。)

 これ、「十二遊経」

 八)に出ずるところなり。 けだし、 仏家にて古来伝うるところは、 印度をもって天地の中央とし、 中天竺迦毘羅城をもって中央中の最中とす。 ゆえに「釈迦氏譜 巻上の一〇および一ー)には、 あるいは迦毘羅国最是地之中也(迦毘羅国は最もこの地の中なり)といい、 あるいは此迦毘羅城三千日月天地之中央也(この迦毘羅城は三千の日月の天地の中央なり)といい、 あるいは彼土(天竺)自分以為  五国一 中天竺国天之中、  名既非>辺、  四陸斯絶、 拠る名以定、 中義存焉(かの土(天竺)はおのずから分かれてもっ て五国となる。  中天竺国は天地の中、 名すでに辺にあらず。  四陸はここに絶し、 名によっ てもって定むるに中の義を存す)

という。 また「釈迦方志 巻上の四および五)には、 迦毘羅城を称して、  三千日月万二千天地之中央也(三千の日月、 万二千の天地の中央なり)といい、 あるいは天竺の地位を説きて、 天竺之国夏至之日、 方中無>影、 所謂天地之中平也(天竺の国は夏至の日、 方中に影なし、  いわゆる天地の中平なり)とあり。  また「円覚助蓼紗」

(巻四の八)には、 成光子曰、 中天竺国東至  震旦  五万八千里、 南至苓立地国ー西至  阿拘遮国ー北至二小香山阿蒋達  亦各五万八千里、 則知彼為 中中国一芙(成光子いわく、 中天竺国は、 東は震旦に至るに五万八千里、 南は金地国に至り、 西は阿拘遮国に至り、  北は小香山阿艇達に至る。 また各五万八千里あり、 すなわち知るかれを中国となす)とあり。

しかして支那と印度との距離につきては、 もとより一定の説なし。「開目抄見聞 巻四の二八)に『唐書」、

「韻会 、『名義集」、「三体詩    等を引きて、 あるいは十万里、 あるいは五万八千里、 あるいは一二万里、 あるいは九千八百里等の異説を列挙せり。 もし印度の古代地図を知らんと欲せば、「仏祖統紀』(巻_一一三の一および「法界安立図」(巻上の上の三)等に掲示せるところを見るべし。 もしまた印度の地理を知らんと欲せば、「法顕伝 、「西域伝」、「慈恩伝、「寄帰伝」等の数書を見るべし。 なかんずく「西域記    は、 仏柑中、 印度の地理を知るに、  これに過ぎたるものなし。 そのほか「東洋哲学  (第二編の三号)雑誌中に、 支那撰述の印度地理志の種目(井上哲次郎氏収録)を掲げり。 左にこれを表示すべし。

以上のほか、「古逸叢密 本朝見在書目録」中)に「西域要抄」二巻、「閻浮提記」二巻、「波羅門摩伽陀等国図記一巻を掲げしも、 そのいかなる柑なるや知るべからず。 また、「古侠窺斑巻五三、 五六、 六〇およ六一) に「天竺記」、「隋西域図』、「西域諸国記」、「竺法維仏国記』、「竺枝扶南記」の編目を掲ぐるも、 引証すに足らず。 あるいは「縮刷蔵経」(潤鉄の一五)「仏説十力経    の「序文」中に、 悟空の印度紀行あり。 これ、 たやすく一読し得べし。 また「近代名家著述目録」(巻八の二五)「僧家の部」に、「西域通路志」と題する一書あり。  これ、 僧性均(真宗安養寺)の撰にして五巻より成るも、 余いまだこれを検せざれば、  いかなる書なるを判じ難し。 そのほか、 朝夷厄生の「仏国考証、 平田篤胤の「印度蔵志」も参考して可なり。 もし、 印度の山河・気候・地味にいたりては、  ここに外道哲学を講ずるに必要なきをもっ て、  すべてこれを略す。


第四節    印度の歴史

外道哲学を講ずるに必要なるものは、  歴史の研究より先なるはなし。 しかるに、  印度は正史のよりてもっ て事実を徴すべきなく、  人種の本源のごときも、 妄誕不稽の神話に考うるよりほかなし。  人類は梵天の造出あるいは化成に出でたりというは印度一般の神話にして、 仏害中にも往々散見せるところなれども、  そのことは後に外道各論を述ぶるときに譲り、 ここに、 仏教中に伝うるところの神話の二、 三を挙示す ぺし。 まず「経律異相」(巻ニ四の一)に、「長阿含巻二二の四)を引きて述ぶるところを転載すること左のごとし。

欲成時水災既起壊ー第二禅一 風災吹結  世界得比成、 光音諸天福命既尽化生為>人、 歓喜為レ食、 自光自照、神足飛行  無玉有一男女尊卑隔異一 故日衆生。ト     メ争直  自然地味{  猶如 醍 醐    色如 生 酪    味甜 於 蜜一 以>手取賞  遂生 昧著一 食>之多者顔色脳悴、 食>之少者膚貌光沢、 便有函呟界自相是非  ゜地味消滅又生二地皮{  状如一薄餅一 色味香美、 復共食>之、  転相軽易。

地皮又滅  更生二地膚 』空食多少一 生ー諸悪法地生珈朽不衆共食>之、 生男女形一 乃至立>王天下宮楽、 地生青草如  二孔雀尾一 漸次分張有入 万国 人民衆落鶏嗚相聞、 天下無涵匹大熱大寒一 以>法治>国奉え付+ 善哀  念一切  猶如ネ各哭   人寿長久、 後王福徳漸薄、 年寿転減至二  万歳  今至ニニ貝   王崩子嗣名曰二珍宝出長阿含経

(劫成らんと欲するの時、 水災すでに起こりて第二禅を壊す。  風災吹き結びて世界成ずるを得。  光音の諸天福命すでに尽き、 化生して人となる。  歓喜を食となし、 自光自ら照らし、 神足をもっ て飛行す。 男女尊卑の隔異あることなし。 ゆえに衆生という。

自然の地味ありて、 なおし醍醐のごとし、 色は生麻のごとく、 味は蜜よりあまし。  手をもっ て取り、 なめてついに味著を生ず。  これを食すること多き者は顔色蘊悴し、  これを食すること少なき者は閲貌光沢あり、すなわち勝負あり自ら相是非す。

地味消滅するにまた地皮を生ず。  状薄餅のごとし。 色味香美なり。 また、 ともにこれを食するに、 うたた相軽易す。

地皮また滅するにさらに地博を生ず。 食の多少によりてもろもろの悪法を生じ、  地に梗米を生じ、 衆ともにこれを食す。 男女の形を生じ、 ないし王を立て天下富楽す。  地に青草を生じ、 孔雀の尾のごとし。 漸次に分張し八万の国あり、  人民の衆落に弟鳴き、 相聞く。 天下に大熱大寒を病むことなく、 法をもって国を治 め、 十善を奉行す。  一切を哀念することなお父母のごとく、  人寿長久なり。 後の王福徳ようやく薄く、 年寿うたた減じて一万歳に至り、 今一百に至る。  王崩るに子嗣ぎ、 名づけて珍宝という。)(「長阿含経」に出ず)

また、「法界安立図 巻中の下の八) に引用せるところは左のごとし。

楼炭経云、 地肥不>生便生ーー両枝蒲桃一 其味亦甘、 久々食多共相形笑、 蒲桃不>生更生二杭米一 無>有二糠檜示'レ加 調和  備ーー衆美味一 衆生食レ之生ー一男女形

(「楼炭経」にいう、 地肥生ぜざればすなわち両枝の蒲桃を生ず。 その味また甘し。 久々にして食すること多きに、  ともに相形笑す。 蒲桃生ぜずしてさらに杭米を生ず。 糠檜あることなし。 調和を加えずして衆の美味を備う。 衆生これを食して男女の形を生ず。)

増一経云、 時諸人欲多者便為二女人一 故有二夫妻之名中一 故有一臨胎生  云云  ゜其後衆生姪欲転増、 遂夫妻共住、 後光音天下生二母胎

(『増一経」にいう、 時に諸人の欲多き者女人となり、  ゆえに夫妻の名あり。 その後の衆生姪欲うたた増し、ついに夫妻ともに住す。 後に光音天下りて母胎の中に生ず、  ゆえに胎生あり、 と云々。)

阿舎云、  世界初成、 光音天人下来、 各有ーー身光ー飛行自在、  見下有ーー地肥一極為中香味い取レ食多者即_失一神足一 鉢重無>光云云  ゜

(「阿含」にいわく、  世界初めて成るに光音の天人下り来たり、  おのおの身光あり。  飛行自在にして地肥ありて極めて香味となすを見る。 取りて食うこと多き者はすなわち神足を失し、 体重くして光なし、 と云々。)

あるいはまた、「大日経疏 巻二の二四、「大日経住心品疏科文」巻五の二)に、  又如二劫初時一人皆化生以る念苔  食、 身光自然安楽無碍云云(また劫初のときのごときは、  人みな化生にして念をもって食とし、 身光自然にして安楽無碍なり、 云々)とあるがごときは、  みな人類起源の事情を示すものなり。 そのほか「仏祖統紀」(巻一の    二)釈尊の本述を明かす中に、

案因  果経云、 過去無数阿僧祇劫有二仙人善慧{  乃至善慧命終之後上生為二四天王{  下生為  転輪王一 乃至上生為  第七梵天一 下生為一ー聖王一 各三十六返、 或為 仙 人一 或為ーー外道六師婆羅門小王一 各_尽一其寿  不臼?称

(『因果経」を案ずるに、 いわく、 過去無数阿僧祇劫に仙人善慧あり。 ないし、 善惹命終の後に上生して四天王となり、 下生して転輪王となる。 ないし、  上生して第七梵天王となり、 下生して聖王となる、  おのおの三十六返なり。 あるいは仙人となり、 あるいは外道六師婆羅門小王となる。  おのおのその寿を尽くすこと、あげて数うべからず〔 大正蔵により王を補う〕)

と説けり。 あるいは大劫之始世界初成、 光音諸天化生為>人(大劫のはじめ、  世界初めて成ず。  光音の諸天、 化生して人となる)といい、 あるいはまた過去有二転輪聖王る名午大自在    子孫相承八万四千王、 最後王名ュー大茅_草(過去に転輪聖王あり、 大自在と名づく。 子孫相受けて八万四千王あり、 最後の王を大茅草と名づく)という。  みな、 その年代の悠久高遠なるに驚かざるものなし。  そのほか「仏祖通載」(巻二のニ にも、「法界安立固    および「仏祖統紀」に出ずるものと同一なる説明あり。  これを要するに、 印度の歴史は浜然として事実を徴するあたわず、 その建国の年代および帝王の相続のごときは一として信拠すべきものなし。 ゆえに歴史上、 外道諸派の起源発達を探究すること極めて難しとなす。 泰西の学者は、 近来ようやく比較研究の方法によりて、  印度人種の起源より言語・文学・宗教等の発達を考察し、 その人民は元来アー リア人種にして、  欧米人種と同胞姉妹の関係を有せしことを発見し、 多少歴史研究の道を開くに至りたるも、 わが国の仏教家は一般に歴史の知識に暗く、

かつその捜索に意を用いず。  これけだし、 仏書によりて印度の歴史を知ることの最も難きに起因すべし。 しかれども、 もし諸経諸論中に散見せる事実を比較対照しきたらば、 必ずしも外道各派の年代の前後を指定するを得ベからざるにあらず。  ゆえに、 余は外道哲学総論に入りて、 その比較の結果を開示せんと欲す。 しかして、 泰西諸家の考定せる歴史のごときはその原書に譲ることとなし、 ここに訳述せず。  これ、 余が意もっぱら仏害中に散在せる事実によりて、 印度の宗教および哲学の状態を講述せんとするにあるをもってなり。


第五節    印度の風俗

印度の歴史を知ることの難きと同時に、 印度の風俗・人情を知ることまた難し。 しかしてわずかにこれを知るは、『西域記」、「慈恩伝」、『南海寄帰伝」等の印度紀行によるのみ。 まず社会の礼式を考うるに、 印度の儀容に九等あること、「西域記」(巻二の九)に見えたり。 その文、 左のごとし。

致>敬之式其儀九等、  一発言慰問、  二俯>首示>敬、  三挙玉手高揖、  四合>掌平棋、 五屈ン膝、 六長詭、 七手膝鋸>地、 八五輪倶屈、 九五鉢投>地、 凡斯九等極唯一拝脆、 而讚>徳謂ーー之尽敬遠ー,則稽願拝手、  近則紙レ足摩  踵、 凡其致レ辞受レ命袈>裳長脆、 尊賢受拝、 必有二慰辞    或摩  其頂一 或柑二其背一 善言誨導、 以示函者況敬をいたすの式は    その儀に九等あり。  一には言を発して慰問す。  二には首 をたれて敬を示す。  三には手を挙げて高揖す。 四には掌を合わせて平らに供〔手〕す。 五には膝をかがむ。 六には長脆す。  七には手ととにて地にうずくまる。  八には五輪ともにかがむ。 九には五体を地に投ず。  およそこの九等の極はただ一拝のみなり。  ひざまずいて徳を讃する、  これを敬を尽くすという。 遠ければすなわち稽類し拝手す。  近ければすなわち足をねぶりー蜀 をなず。  およそその辞をいたし命を受くるに、  裳 をかかげて長詭す。 尊賢の拝を受くれば、  必ず慰辞あり。 あるいはその面匝を示す。)をなで、 あるいはその背をなで、 善言もておしえ導き、 もって親

 また、「釈氏要覧」(巻中の二)に『智度論を引きていわく、 礼有_二  品口但_称 西南無  是下品礼、  二屈ら膝蓋  地頭頂不>著>地、 是中品礼、 三五輪著>地是上品礼(礼_に_一 品あり。 ーは口にただ南無ととなうるなり    これ下品の礼なり。  二は膝を屈して地につけ、 頭頂を地につけざる、  これ中品の礼なり。_一一は五輪を地につくる、 これ上品の礼なり)とあり。 また、「南海寄掃伝」(巻一の八)に対啓の儀容を示せり。  その文に、  准二依仏教  若対彩  像及  近洒  師一 腕  病則徒銑息兜    無  容轍著雄  履芸  云(仏教に準依するに、 もしくは形像に対し、 および芍師に近づくに、 病を除いてはすなわち徒銑するはこれ儀なり。  すなわち、 たやすく娃履をつくるべきことなし、 云々)とあり。 また葬法につきては、「西域記巻二の九)に火葬・水葬・野葬の三種あることを説き、「釈論 氏要覧」(巻下の五二、「顕密威俄便覧」巻下の一七)に四種あることを示せり。  すなわち曰く、

葬法天竺有品四熙、  一水葬、  謂投 乏江阿  以飼一魚鼈也、  四林葬、 謂露二置寒林  飼  諸禽獣二火葬、 謂積>薪焚>火、 三土葬、  謂埋 岸 傍  取 速朽

(葬法は天竺に四あり。  一には水葬、  いわく、  これを江河に投じ、 もって魚鼈を飼う。一一には火葬、 いわく、 薪を積みて火を焚<には土葬、 いわく、 岸傍に埋めて、 速やかに朽つるを取るなり。 四には林葬、いわく、 あらわに寒林に置いて、 もろもろの禽獣を飼う。)

「諸経要集」(巻一九の一八)に、 葬法に水漂・火焚・土埋.屍林の四種あることを示せるはこれに同じ。 しかして「智度論」(巻三八の七)には、 滅に三種あることを説きて、  一者火焼為和灰、  二者虫食為>糞、 三者終__帰  於土 一には火に焼かれて灰となり、  二には虫に食われて糞となり、 三にはついに土に帰す)とあるがごときは、

火葬・林葬・埋葬の三種に比すべし。 もし喪服の制のいかんは、「南海寄帰伝」(巻二の一四)、「釈氏要覧」(巻下の四九)等につきて見るべし。「律苑行事問弁」(巻五の二)に義浄の「臨終方訣を引きて、若送    

人云す其歿所可>安ーー下風一 置令二側臥一 右脇著祉地面向二日光於一其上風  当>_敷一高座一 種種荘厳、諮ニニ必蒻能読>経者口空  於法座__為  其亡者匹無常経一 孝子止>哀勿ーー復暗哭一 及以余人皆悉至、 心為二彼亡考  焼香散華、 供ーー養高座微妙経典    及散ニャ必坑一 然後安坐合掌恭敬一心聴>経、  芯蒻徐徐応>為  偏読一 凹  経者各各自観ーー己身無常不ソ久磨滅念下離一世間  入一摩地ぃ 読ーー此経  已、 復更散花焼香供養云云

(もし亡人を送りてその残所に至るに下風に安んじ、 骰きて側臥せしめ、 右脇を地につけ、 面を日光に向けしむべし。  その上風において、 まさに謁座を敷き稲々に荘厳すべし。必蒻のよく経を読む者を請いて法座に昇らしめ、  その亡者のために「無常経を読ましむ。 孝子は哀をとどめ、  また暗哭するなし。  および余人みなことごとく至心に、 かの亡者のために焼香散華し、 高座の微妙の経典に供疫し、  および忍蒻に散ず。 しかる後に安坐し合掌し恭敬し、  一心に経を聴く。 ヤ必蒻徐々にまさに偏読すべし。 もし経を聞く者は、 おのおの自ら己身の無常にして久しからずして砦滅するを観じ、 世間を離れて三摩地に入るを念ず。  この経を読みおわらば、  またさらに散華焼香し供養す、 と云々と記し、  かついわく、「これ、 天竺僧侶、  通用送葬の好軌則なり」とあるがごときは、  葬儀の一端を見るべし。

婚礼・産礼に至りては、 仏内中これを知るに由なし。  しかるに、「西域記」(巻 一の八および一には印度の兵制および税法のことを掲ぐるも、  ここにこれを略す。 もし印度の衣食住のことを知らんと欲せば、 よろしく仏教中、 律部の書につきてその一斑をうかがうべし。  これ、 もとより仏教の制度なるも、 印度の風俗にもとづきて織せしは明らかなり。  例えば食法につきては、 近く「律苑行事問弁巻六の一三) に「食時俄則」と題して、にぎ書を考証して天竺の風を示せり。 その中に、 印度の法は、 道俗ともに右の手をもって食を拇りて食す。 しかるに玄芙渡天のとき、 広即を用いしを見て大いに奇異に思い、 寺壁に図画せしことを記せり。 また『十八物即」

(九)に、 外道縫釜  為>器、 或於二手内ー立洪而食云云(外道は葉を縫いて器となし、 あるいは手の内において立ちて洪りて食す、  と云々)と記せり。  つぎに服制においても、 律部の書中に往々散見せるところなり。「六物図」

(三、「六物固纂註    巻一の九、「六物図考索」四)に、 紗云何名為>制、 謂_   衣六物、 仏制令>畜、 通ー諸ー    一化ー並制  服用{  有>違結  罪、  薩婆多云欲>現 末 曾有誌  故一切九十六道無 此 三名一 為>異  外道  故(「紗」「〔  四分律剛繁補閾行事紗  〕にいう「なにをか名づけて制となすや。  いわく、 三衣六物なり。  仏制してたくわえしむ。 もろも論 ろの一化に通じてならびに服用せよと制す。 違あれば罪を結す」と。 薩婆多にいわく、「未曾有の法を現ぜんと欲するが故なり。  一切の九十六道にはこの一一の名なし。 外道に異ならんがための故に」)とあるがごときは、 外道と仏教との服制異同の一端を示せるものなり。  かくのごとき印度古代の衣食住の状態は、 仏書中において「南海寄帰伝」(巻一の七)を最もつまびらかなりとす。 余は今、  そのいちいちを述ぶるにいとまあらざれば、  ここに「寄帰伝」の目次のみを挙ぐべし。

一、 破夏非小、二、  対喀之儀、二、 食坐  小_昧  (食に小床に坐す)、四、 餐分二浄触(餐に浄と触を分かつ) 五、 食罷去レ檄(食やむに稼を去 る) 六、 水有二瓶  (水に_一 瓶あり)七、 屁旦観>虫(晨旦に虫をみる)八、 朝哨  歯_木(朝に歯木をかむ) 九、  受>斉軌則(斉を受くる軌則) 十、 衣食所須十一、 著衣法式十二、 尼衣喪十三、 結浄地法十四、  五衆安居十五、 随意成>規(随意の成規)十六、 匙筋合不 十七、 知正時而礼(時を知りて礼す) 十八、 便利之事九、  受戒軌則二十、 洗俗随時 二十坐具餓  身(坐具を身に俄く)二十二、 臥息方法 二十三、 経行    少>病(経行すれば少病なり)二十六、 客旧相遇 二十七、 先鉢ーー病源二十四、 礼不二相_扶まず病源を体す)(礼に相たすけず)

二十八、 進薬方法二十五、 師資之道二十九、 除其  弊薬 その弊薬を除く)三十、 旋右観時三十一、 羅ー沐羽儀(尊儀を灌沐す)十二、 讃詠之礼二十三、 尊敬乖>式(尊敬して式にそむく)+ 四、 西方学法三十五、 長髪有無三十六、 亡則物現(亡ずるにすなわち物現る三十七、 受ーー用僧(僧物を受用す二十八、 焼身不>合(焼は合せず)三十九、 傍人獲>罪(傍人罪を獲)四十、 古徳不>為(古徳の不為)

そのほか、 慈雲の「寄廂伝解徴紗」と題する一書あり。  これ、 多く律部の柑を引証して「寄帰伝」を解説せるものなれば、 よろしく参考すべし。

以上略述せる印度の風俗のほかに、 我人の知ることを要するものは社会の組織なり。 ゆえに、 余はこれより四姓論を述ぺんと欲す。

 


第二章 四姓論


第六節 四姓の名義

印度には古来人民に四種の階級を定め、 子孫世々必ずその家を継ぎその業を受け、 決して他姓を侵すことあたわざる風習あり、  これを四姓の別という。 なお、 わが国の人民に士脹工商の別あるがごとし。 しかれどもわが四民の別は、 印度のごとくはなはだしからず。  今その名称を考うるに、「西域記 巻二の七)「、   翻訳名義集 巻一の一四)、「釈氏要覧」(巻上の一  、「法苑珠林」(巻ーの三および九の四)、「一切経音義」(「玄応音義」

 巻一九の一〇および「慧琳音義」巻一一の九および巻二九の四)、「祖庭事苑」(巻七の四)、「三蔵法数」(巻一六の「大蔵法数」巻一九の五)、「七帖見聞解釈を与うること左のごとし。

巻五末の一五)等の数書に出ず。  そのうち、『西域記」により

一、 婆羅門種ーー 浄神 也、 守>道居>貞、  潔ー乞白  其操

ただしき

(一、 婆羅門種ーー 浄 行なり。 道を守っ て  貞  におり、 その操を潔白にす。)

、 刹帝利種、 旧曰  刹利ー 王種也、 突世君臨、 仁恕為>志。

(二、 刹帝利種、 旧に刹利という。

 王の種なり。 変世、 君臨して仁恕を志となす。)

三、  吠奢種、 旧曰二毘_舎 商質也、 貿二遷有無一 逐二利遠近

(三、 吠奢種、 旧に毘舎という。ー 西なり。 有無を貿遷して利を遠近に逐う。)

四    戌陀羅種、 旧戸  首陀 農人也、 岬  力疇應    勤ーー身稼稼

(四、 戌陀羅種、 旧に首陀という。ーー 凸〒人なり。 力を疇瀧につとめて身を稼稼にいそしむ。)

さらにその解釈を「玄応音義」(巻一九の一 に考うるに、 第一に婆羅門此言訛略也、 応>云ーー婆囃賀磨拳一 此義云下承ーー習梵天法玉界  其人種類自云従二梵天ロ一生    四姓中勝故独取  梵名一 唯五天竺    有諸国即無、  経中梵志亦此名也、 正言ー砕面言  是梵天之苗胤也

(婆羅門、  この言は訛略なり。 まさに婆囃買磨怒というべし。  この義は梵天法を承習する者をいう。  その人の種類自らいう、  梵天の口より生じたる四姓中の勝なるが故にひとり梵名をとる。  ただ、 五天竺のみにありて諸国にはすなわちなし。 経中の梵志またこの名なり。 正しくは静胤という。  言うこころはこれ梵天の苗胤なり)

と解し、 第二に

刹利応乙豆刹帝利此訳云二土田主一也、 謂王族買種是也

(刹利はまさに刹帝利という ぺし。  ここに訳して土田主というなり。 いわく、  王族貴種これなり)と解し、 第三に

碑舎正言一吠舎一 此云ーー坐佑一 案天竺土俗多二重宝貨{  此等営求積ー財巨億一 坐而細故以名焉

(稗舎、 正しくは吠舎という。  これ坐佑なり。 案ずるに、 天竺の土俗多く宝貨を重んず。 これらに営み求めて巨億を積財し、 坐して細なるが故にもって名づく〔と解し、 第四に首陀応>云  戌陀羅ー  謂田農也縮蔵、 佑につくる〕)

(首陀はまさに戌陀羅というべし。  いわく田農なり)

と解せり。  ゆえに、  この四姓は婆羅門、  王種、  商貿、 農人の四種にして、  印度国民の大別なり。 ゆえに「拐厳千百年眼髄巻一上の四二、 巻三下の二五および三九)には他内を引用して、 応師音云、 此等四族国之大姓也、慈恩云、 西域好種総有二四類

(応師の「音」にいわく、  これらの四族は国の大姓なり、 と。 慈恩いわく、 西域の好種に総じて四類あり)と記せり。 もし、  これをわが国の名称によりて示さば、 僧士商農というべきか。 なんとなれば、 婆羅門種はもっばら印度の宗教教育に任じ、 人民を教戒訓導することをつかさどり、  王種は争乱を鎮定し、  国家を守護することをつかさどればなり。 しかして、  その四姓の関係につきては『西域記」(巻二の七) こ、凡絃四姓清濁殊』流、 婚要通』親、 飛伏異>路、 内外宗枝、  姻婦不>雑、 婦人一嫁、 終無ーー再_幽  (およそこの四姓は、 消と濁と流れを殊にして〔混血することなく〕、 婚竪は親を通じ、 飛伏は路を異にし、〔同一種族の〕内外の宗枝は姻娼して〔他の種族とは〕まじわらず。  婦人はひとたび嫁すれば、 ついに再びとつぐことなし)と記せり。 また「舎頭諫経」(九)に、  四姓の妻子に関することを述ぶるところ左のごとし。

 

諸婆羅門有二四種婦

 一曰梵志、  二曰君子、 三曰工師、 四曰細民、 是謂為品四、 其君子家_有 』一一種妻{一曰君子、  二曰工師、__一 曰細民、 エ師有ーニ一種婦{   一曰工師、  二曰細民、  細民有ニ一種妻{  惟細民耳  ゜梵志有二四子一 梵志、 君子、 エ師、 細民、 君子有_   二子{  君子、 エ師、  細民、 エ師有二二子一 工師、 細民、 細民有こ  子一 惟細民耳  ゜蕨梵志称一梵天真子一 従ーー梵天ロ一生、 君子智  生、 工師謄生、 細民足生、 梵天化等梵天尊子、 君子第二、 エ師第三、 細民第四 ゜造一切世間及形類一 斯以吾

 もろもろの婆羅門に四種の婦あり、  一にいわく梵志、_一 にいわく君子、 三にいわくエ師、 四にいわく細民、  これをいいて四となす。 その君子の家に三種の妻あり    一にいう君子、  二にいうエ師、 三にいう細民。

工師に二種の婦あり、 一にいうエ師、  二にいう細民。 細民に一種の妻あり、 ただ細民なるのみ。

梵志に四子あり、 梵志.君子・エ師・細民。 君子に三子あり、 君子・エ師・細民。 エ師に二子あり、 工師・細民。 細民に一子あり、 ただ細民のみ。

それ、 梵志は梵天の真子と称し、 梵天の口より生ず。 君子は胸より生じ、 工師は謄より生じ、 細民は足より生ず。 梵天に一切世問および形類を化造す。  これをもっ て、 われらは梵天の導子、 君子は第二、 工師は第三、 細民は第四なり。)

 

そのいわゆる君子は刹利、 エ師は毘舎、  細民は首陀に当たるべし。「摩登伽経』(巻上の一にも、 婆羅門は四妻を畜うることを得、 刹利は三妻、 毘舎は_一 妻、 首陀は一妻なることを示せり。 あるいは「大日経疏補閾紗」

(巻五の一七)に、 彼蹂陀法云、 梵天生ーー四種一 故婆羅門婆レ妻要二四姓之女一 各各生>子、  即是梵天生品ば血也

(かの章陀の法にいわく、 梵天は四種を生ず、 ゆえに婆羅門、 妻をめとるに四姓の女をめとり、 おのおの子を生ず、  これ梵天は四種を生ずるなり)と記し、 あるいは「頬波羅延問種喀経」(三)に、 若婆羅門姿一ー刹利女一 刹利女為>生>子、 刹利姿一田家女一 田家女為  生  子、 田家要ニエ師女一 工師女為>生>子、 工師要  婆羅門女{  婆羅門女為>生>子(もし婆羅門刹利の女をめとるに、 刹利の女子を生むとなし、 刹利田家の女をめとるに、 田家の女子を生むとなし、 田家エ師の女をめとるに、 工師の女子を生むとなし、 工師婆羅門の女をめとるに、 婆羅門の女子を生むとなす)と示せるがごときは、 あわせて参考すべし。 また「同経」に、 梵志頬波羅延に対して仏の説くところを記して曰く、「わが経中、 施行をもってもととなし、 善を施行するものを最も大種となす。 その天下尊費の者は、  みな善を施行して得たるのみ、 種をもって得たるにあらず。  わが先世無数劫のときに、 また婆羅門の子となり、 また刹利の子となり、 また田家の子となり、 またエ師の子となり、 自ら王子たることをいたせり、 云々」とあるがごときは、 仏教にて四姓の別を立てざるゆえんを示すものなり。

この四姓のほかに、  印度には栴陀羅と名づくる一種あり。「摩登伽経」(巻上の八)に汝旅陀羅下劣之甚云云

(汝、 栴陀羅は下劣のはなはだしきなり、 と云々)とあり。「諸経音義類」(『慈琳音義』巻九の六)、「法華疏類」、「榜厳疏類」、「翻訳名義集」(巻二の二五)、「祖庭事苑巻六の一七)、「性霊集抄巻九の三八)等にこれを解釈せり。 もし「名義集」によらば、 此_云一屠者一 正言二栴陀羅{  此云二厳熾{  謂悪業自厳、 行時揺>鈴持私為 標紐  故、  若否  爾者王必罪>之(ここに屠者というは、 正しくは施陀羅という。 ここに厳熾という。 いわく、悪業をもって自ら厳り、 行時には鈴を揺らし、 竹を持ちて椋織となすが故に。 もししからずば玉必ずこれを罪す)とあり。 また「法顕伝 巻一の九)にも、 病荼羅名為__   悪人一 与:人別居若入二城市ー則撃>木以自異、  人則識而避>之不ーー相捕揆  (栴荼羅は名づけて悪人となし、  人と別におる。 もし城市に入らば、  すなわち木を撃ってもって自ら異とす。  人はすなわち識ってこれを避けて相据揆せず)とあり。「玄応音義」(巻七の一八)には、  一云論 主殺人、 謂屠殺者種類之総名也(一にいわく、 主殺人とは屠殺者の種類の総名をいうなり)といい、「榜厳義疏」(巻一上の二四、「榜厳義疏解蒙抄    巻一の一の四七)には、_此 ぞ殺者一即魁諭焔酒家也(ここに殺者というは、すなわち魁蛸・焔・酒家なり)といい、「法華義疏巻一    の八、「法華義疏要解」巻五の四、「啓運抄」巻三六の二 には、 崩陀者此云ーー可畏一 亦云>悪、 羅者下姓也(栴陀とは、  ここには可畏という。 また悪という。 羅とは下姓なり)とある。 ゆえに、  この一種は世人の大いに厭悪せるところなり。 しかるに、「榜厳義疏釈要紗 巻二の一八、 巻四の一〇、「真宗大名目」一四)に、 刹利・栴陀者略挙初後  以摂ー中間二姓(刹利・肪陀とは、略して初と後とを挙げてもっ て中間の二姓を摂す)と解釈したるは、 栴陀羅をもって四姓の一となし、 首陀と栴陀とを同一にみなししがごときも、「榜厳眼髄巻一上の四二) には、  これを駁して四姓の外にありとなす。  かつ同書に「摩登伽経」(巻上の一を引きて、 栴陀羅種不レ入二是四姓中(栴陀羅種はこの四姓の中に入れずた繭益の説を引きて、四姓不>歯是為  最檬四姓に歯 せず、  これ最協となす    とえり。 しかれども、  これを経論中に考うるに、 あるいは四姓の中に入れ、 あるいはその外に置くの両説あるがごとし。 もしこの一種を別四すれば、 五姓となるべし。


第七節     四姓の起源

そもそも、  かくのごとき階級の印度に起こりし原因は、 古代の神話にもとづき、 宗教上の迷信より生ぜしこと疑いをいれず。  すなわち神話中に、 婆羅門は梵天の口より生じ、 刹帝利は梵天の謄より生じ、 毘舎は梵天の脇より生じ、 首陀は梵天の脚より生ずと伝うるものこれなり。 そのつまびらかなるは、 後に梵天・自在天等を述ぶるときに譲り、 ただここに経中の文を転載すぺし。

 

「靡登伽経」(巻上の一に曰く、

 

世有  四姓一 皆従>梵生、 婆羅門者、  従二梵ロ一生、 刹利肩生、 毘舎謄生、 首陀足生、 婆羅門者最為函盆丑

(世に四姓あり、  みな梵より生ず。 婆羅門は梵の口より生じ、 刹利は同より生じ、 毘舎は謄より生じ、 首陀は足より生ず。 婆羅門は最も浮貴なりとなす。)

「増一阿含経 巻一二四の八)に曰く

梵従一臀口脇足一如元次生  刹利婆羅門毘舎首陀

(梵は暫・ロ・脇・足より次のごとく刹利・婆羅門・毘舎・首陀を生ず。)

 「雑阿含経」(巻二の九)および「長阿含経に曰く、

梵王従ーー四処圧ず四姓一 是故婆羅門最為  尊資    得>畜ー四妻一ー 刹利三妻、 毘舎二吸、 首陀一妻。

(梵王は四処より四姓を生ず。  これの故に婆羅門を最も尊貴となし、  四妻をたくわうることを得。 刹利は三妻、 毘舎は二妻、 首陀は一妻なり。)

「長阿含経 巻六の一)に曰く、

彼言我婆羅門種最為ーー第一一 余者卑劣、 我種清白、 余者黒冥、 我婆羅門種、 出玉自ーー梵天一 従二梵ロ一生、 於二現法中匡空消浄一 解脱亦消浄  ゜

(彼いわく、 わが婆羅門種は最も第一たり、  余は卑劣なり。 わが種は清白にして余は黒冥なり。 わが婆羅門種は梵天より出でて梵口より生ず。 現法中において清浄を得て、 解脱また清浄なり。)

そのほか「誓喩経」、「白衣金鐘縁起経  (巻上の一ー)にも、 梵天所生の説を掲げり。  この理によりて婆羅門自ら第一位におり、  国民一般にこれを推して最勝種となす。  ゆえに「南海寄帰伝」(巻四の二)に曰く、 五天之地皆以ーー婆羅門云竺貴勝一 凡在  座席ー並不下与ーー余一二姓ー同行い自外雑類故宜>遠突(五天の地は、  みな婆羅門をもって貝勝となす。  およそ座席あらば、 ならびに余の三姓とともに同じく行ぜず。 自外の雑類は、  ゆえによろしく遠ざかるぺきなり)とあり。「悉位蔵」(巻一の四二)にもこの文を引用せり。 もし、 さらにかくのごとき神話のよりて起こりし原因を考うれば、  印度人種そのものの本来この別を有せるによるべし。 泰西学者の論ずるところによれば、  四姓中第四の首陀にいたりては一般にこれを軽賤し、 あたかも奴隷のごとき待遇をなせり。  これ印度土荘の蛮民にして、 アー リア人種のために征服せられたるものならんという。 しかるに仏教は印度教に反対して起こり、  かつ釈迦は第二位の王種に属するをもって、 婆羅門を最勝種族となすは妄計の一種となす。  すなわち、

 「琉伽論巻七の一および「顕揚論巻一  の一につきて見るべし(第八三節参見)。  これをもって、

仏書中には往々、  刹帝利すなわち王種をもって婆羅門の上に謄くを見る。 例えば「釈氏要覧」(巻上の三)にヽ天竺種姓有"四、  一者刹帝利、  二者婆羅門、 三者毘舎、 四者首陀、 我仏釈迦牟尼世尊即刹帝利之種也(天竺に種姓は四あり。  一には刹帝利、  二には婆羅門、 三には毘舎、 四には首陀なり。 わが仏釈迦牟尼世芍は、  すなわち刹帝利の種なり)とあり。 また、「止観輔行」(「止観科本」巻一の六、「止観会本」巻一の一の七)および「法苑珠林巻一    九の五)にも、 第一刹利、 第二婆羅門の順序を用う。 もしこれを経文中に考うれば、「阿含経」「長阿含経」巻一の三)、「大集日蔵経巻一の、「月蔵経」巻七の四)等には刹利を第一に置き、「秘密蔵神兜経」(四)のごときは婆羅門を第一に置き、「六集経 巻ニ  一の一および巻二八の一九)には、 あるい

は婆羅門、 あるいは刹利を第一に協けり。「谷響集」(巻五の七) に「天竺四姓異説」と類する一章は、 やや参考すべきところあれば、 左にこれを掲ぐ。

客問天竺四姓之差何、 答多  異説一 輔行云、 誓喩経云、 諸外人計、 梵王生ーー四姓`  口生ーー婆羅門一 腎生一ー刹利脇生一毘舎足生二首陀中阿含云、 刹利梵志居士工師、 名為ー四長阿含云、 刹利婆羅門居士首陀事業皆同名少異耳、 今毘スルー刹乳王種、 婆羅門浄行与 梵 志  同、 毘舎或云 吠 賓    即商買也、 与二居士ー同、 首陀或云一戌陀羅一 即農人也、 亦エ巧也、  与午忘岬同。

長阿含云、  彼衆生中有下人好営  居業ー多積中財宝    因>是衆人名為二居士一 彼衆生中有  多二機巧ー多知炉造作於>是世間始有ー首陀羅エ巧之名、 首陀羅謂田批之種、 此等四姓天竺名為ーー大族姓一 異二日本風法苑又有二異説  云、 其四姓者一刹帝利此是王種、  二婆羅門是高行人_、名一毘舎祉竺此土民ー  四名二首陀ー最為卑下一 如 此 土阜隷一 此説違ー知経_称一族姓子一突。

(客問う、 天竺の四種の差はいかん。 答う、 異説多し。「輔行」にいわく、「誓喩経    にいう、 もろもろの外人計す、 梵王より四姓を生ず、 ロより婆羅門を生じ、 腎より刹利を生じ、 脇より毘舎を生じ、  足より首陀を生ず、 と。「中阿含にいわく、 刹利・梵志・居士・エ師を名づけて四姓となす、 と。「長阿含」にいわく、

刹利・婆羅門・居士・首陀、 事業はみな同じまま名は少し異なるのみ。 今つまびらかにするに、 刹利は王種、婆羅門は浄行、 梵志と同じ。 毘舎あるいは吠奢はすなわち商賀なり、 居士と同じ。 首陀あるいは戌陀羅というはすなわち股人なり、 またエ巧なり、 エ師と同じ。

「長阿含」にいわく、 かの衆生の中に、 人のよく居業を営み多く財宝を積むあり、  これによって衆人名づけて居士となす。  かの衆生の中、 機巧多く造作するところ多きあり、  ここにおいて、 世間にはじめて首陀羅工巧の名あり、 首陀羅とは田胆の種をいう。  これらの四姓は天竺に名づけて大族姓となす。  日本の風とは異なる。

「法苑」にまた異説ありていわく、 その四姓は、  一に刹帝利、 これはこれ王種。  二には婆羅門、  これは高行の人。  三には毘舎と名づく、  この土の民のごとし。 四には首陀と名づく、 最も卑下となす、  この土の阜隷のごとし。  この説は経に族姓子と称するにたがえり。)

これ、 居士は毘舎に同じく、 エ師は首陀に同じく、 首陀はすなわち戌陀羅なるゆえんを示せるなり。 また「長阿含経」(巻三の一) に、  世問に八衆あることを掲ぐ。  その八衆とは、  一、 刹利衆、  こ、 婆羅門衆、 三、 居士衆、四、 沙門衆、 五、  四天王衆、 六、 切利天衆、  七、 魔衆、 八、 梵天衆これなり。「此毛喜竪経」(巻上の二)にも八衆の名称を列せり。 その名少しく異なるも、  これただ訳字の同じからざるのみ。 また、「了義灯増明記巻四の五)に四姓の起源を論じて、 劫初成時最初之王名ー午大等意一 従乙是以後四姓現出(劫初に成ずる時、 最初の王を大等意と名づけ、  これより以後四姓現出す)と記せり。  そのいわゆる大等意は、 けだし大平等王のことならん。  これを「仏祖統紀」(巻一の一四)に考うるに、  太初、 光音天化して人となりしより、 人民ようやく繁殖し、 ついにその中より一人威徳あるものを立てて、 善を共し悪を悧せしむ。  これを平等王と名づくとなす。 余は次節において述ぶべし。


第八節    婆羅門種

婆羅門の名義は前すでにこれを掲げしも、 さらに左に「維摩注経」(巻二の六)の解釈を示すべし。催曰、 婆羅門秦百二外意一 其種別有ー経害一 世世相承以栞道学一為>業。

(「原」いわく、 婆羅門は秦には外意という、  その種別は経野にあり、 世々相承し、 辺学をもって業となす。)

あるいは「祖庭事苑 巻七の四)にこれを解して、 此云二浄裔一 又浄行、 又梵志、 又捨悪法、 貴族慕道之種(ここに浄裔という、 また浄行、 また梵志、 また捨悪法なり。 貴族・慕道の種なり)という。 また「釈氏要覧」

(巻上の一 ) にこれを釈するも、 その文「維摩注経」に異ならず。「玄応音義 巻二 二の四) には婆羅門の言を訛略とし、 まさに婆羅欽末拳また婆羅賀摩拳という ぺしとあり。 しかして、「慧苑音義」(巻二の二)には婆羅門を解して、  ここに捨悪法というとあり。 あるいは、『法苑珠林」(巻九の四) には左のごとく記せり。

 彼土士族婆羅門者総称為>梵、  梵者清浄也、_承一胤光音色天一 其光音天梵世最為>下、  劫初来>此食二地肥一者、身韮不レ去因即為>人、  切  其本名  故称為レ梵  ゜

(かの土の士族・婆羅門は総称して梵となす。 梵とは消浄なり。 胤を光音色天に承く。  その光音天は梵世に最も下となす。  劫初にここに来たり、 地肥を食う者は身重くして去らず、 よっ てすなわち人となす。  その本名によるが故に称して梵となす。

これ、 婆羅門を梵と呼ぶゆえんを示すのみならず、 印度の文書・言語を梵書・梵語と称するゆえんを示すなり。 けだし、  梵とは梵藍摩すなわち婆羅賀摩の略称にして、 婆羅賀摩は大度の祖神なり。 ゆえに「悉曇字記指南紗」(および ー)にいわく、 按ーー此婆藍摩  亦曰二婆羅賀摩亦曰二婆羅門一 亦曰二商渇羅或曰ーー摩酪首羅一 或曰二造書天一 皆梵王異名也(この婆藍摩を案ずるに、 また婆羅賀摩といい、 また婆羅門といい、 また商翔羅といい、あるいは摩酪首羅といい、 あるいは造書天という。  みな梵王の異名なり)と。  また同書「冠註」に、 婆羅摩と婆羅門とは梵音同体、 婆羅門略して梵という。 ゆえに、 婆羅摩と商翔羅とは劫初梵王の一体異名なり。  ここに浄身と翻し、 また離欲と訳すと記せり。 また「字母釈義発診(巻上の一)には、  梵者梵王、 梵具云ーー没羅含摩{  又云二梵摩一 法華玄賓一云、 梵摩云ーー寂静清浄浄潔一 今唯言>梵但略云涵爾(梵とは梵王、 梵はつぶさに没羅含摩といい、 また梵摩という。「法華玄賛」一にいわく、 梵摩は寂静   清浄・浄潔という、 今はただ梵というは、  ただ略してしかいう)とあり。 今、 さらに重複をいとわず、「翻訳名義集のごとし。巻 一の二八)によりて婆羅門を釈すること左普門疏云、 此云二浄行一 劫初種族    山野自閑、 故人以二浄行五抄之、 肇曰秦言ーー外意一 其種別有ーー経書一 世世承、 以ーー道学一為>業、 或在家、  或出家、 多侍二己道術一 我慢人也、 応法師云、 此訛略也、 具    云二婆羅賀摩怒一義云承一習梵天法一者、  其人種類自云従二梵天口庄去  四姓中勝、 独_取一梵名一 唯五天竺有余国即無、 諸経中梵志即同ーー此名一 正翻二浄裔一 称  是梵天苗裔一也。

(「普門疏」にいう、  ここに浄行という、 劫初に種族ありて山野に自ら閑なり。 ゆえに人は浄行をもってこれを称す。「箪    いわく、 秦に外意という。 その種別に経書あり、 世々相承し、 道学をもって業となす。 あるいは在家あるいは出家、 多く己が道術をたのむ。 我慢の人なり。 応法師いわく、  これは訛略なり。  つぶさには婆羅賀摩弩という。 義に梵天の法を承習する者という。 その人の種類自らいう、 梵天の口より生ず、   姓中の勝にしてひとり梵名を取る。 ただ五天竺にありて余国にはすなわちなし。 諸経中の梵志はすなわちこの名に同じ。 正しくは浄裔と翻ず。  これ梵天の苗裔と称するなり。)

さらにまた「義楚六帖」(巻一四の九)によるに、

婆沙云、 婆羅門者梵語此一ぞ 浄志    初自二劫初一成立之後有ーー刹利種一 次又有  人、 情厭レ居>世、 楽今竺山林精ー修浄成  世号  浄志一 因>是立>姓(「婆沙 にいわく、 婆羅門とは梵語なり、  ここに浄志という。  はじめ劫初より成立するののち刹利種あり。 次にまた人あり、 情に世に居るをいとい、 山林に在るをねがい、  浄戒を精修す。 世に浄志と号す、 これによりて姓を立つ)と。 瑠伽云、  称一四姓 缶'上多為二清浄行也、 究二願吉凶学 四衛陀論一 修ーー祭祀_法  禁 諸 生命一 宗ーー事梵天ー以為ーー先祖年〈(「玲伽」にいわく、 四姓を称する中、  上は多く清浄行をなすなり。 吉凶を呪願し、 四衛陀論を学び、 祭祀法を修し、 もろもろの生命を禁ず。 梵天に宗事し、 もって先祖となす)と。 また、  雑事律云、 婆羅門者手執一浄瓶 証茫吉祥線一 身著ーー鹿皮  面塗二三画ー等

(「雑事律」にいわく、 婆羅門は手に浄瓶をとり、 吉祥の線を推ね、 身に鹿皮を着し、  面に三画を塗る)とあるを見て、 婆羅門のなんたるを知るべし。

 また「喩伽論巻 一九の一八)には、 婆羅門に種性婆羅門、 名想婆羅門、 正行婆羅門の三種あることを示せり。  その説、 左のごとし。

種性婆羅門者謂若生在二婆羅門家  従 祖母産門之所  生出一 父母円備名二婆羅門一 名想婆羅門者謂諸世間由二想等悶  仮立曾 謡  名ーー婆羅門一 正行婆羅門者謂所作事決定究党、  己能駆ーー按悪不善法

(種性婆羅門とは、  いわく、 もし婆羅門家に生在し、  母の産門より生出するところにして、 父母円備するを婆羅門と名づくるなり。 名想婆羅門とは、 いわく、 もろもろの世間のもの想等の想によって、 仮に言説を立てて婆羅門と名づくるなり。 正行婆羅門とは、  いわく、 所作のこと決定し、 究党してすでによく悪不善法を駆損せるなり。)

 「婆沙論 巻六の一七)には、 婆羅門に施衣・施食の二施主あることを記し、「長阿含経巻一五の七)には、 婆羅門は五法を成就せることを出だせり。 その五法とは、

一者婆羅門、 七世已来父母真正不>為  他人之所西禁竺  二者異_学一一部、 諷誦通利種種経害尽能分別、 世典幽微靡>不一綜練一 又能善ーー於大人相法一 明二察吉凶祭祀儀礼一 三者顔貌端正、  四者持戒具足、 五者智慧通達

(一には婆羅門。  七世以来、  父母其正なり。 他人の軽毀するところたらず。  二には異学の三部を汲誦通利せり。 種々の経書ことごとくよく分別し、 世典の幽微なるも綜練せざることなし。 また、 よく大人の相法をよくし、 吉凶、 祭祀、 儀礼を明察す。一ーーには顔貌端正なり。  四には持戒具足せり。 五には智慧通達せり)

これなり。  そのほか「舎頭諫経 、「金剛針論    等に、 婆羅門に関する種々の記事あるも、 いちいち挙示するにいとまあらず。 よろしく本内につきて一読すべし。 ただここに記すべきは、「金剛針論」(四)中に、 婆羅門と首陀との交婚に関する一事なり。  すなわちその文に、 婆羅門嬰ーー首陀女  以為 土社 父母家神皆遠離、  死入ー地獄

(婆羅門、 首陀の女をめとりもってその妻となすに、 父母家神みな遠離し、  死して地獄に入る)とあるがごときは、 婆羅門の首陀を軽賤する一端を見るべし。 けだし、 栴陀羅のごとき卑賤種族は、 婆羅門と首陀との交婚によりて生じたる子孫ならん。  また婆羅門修学の順序につきて、『倶舎光記』(巻一の三二) に示すところによるに

婆羅門法七歳以上在>家学問、 十五已去受  婆羅門法『遊方学問、_至一年三十五空家嗣断絶一 帰ら家要>婦、 生レ子継』嗣、 年至二五十うか山修  道

(婆羅門の法にては、  七歳以上は家にあって学問し、 十五已去は婆羅門の法を受けて遊方して学問し、 年三十に至って家嗣の断絶せんことを恐れて、 家に帰って婦をめとり、 子を生んで嗣を継がしめ、 年五十に至って山に入っ て道を修するなり)

とあり。 もしそれ沙門と婆羅門との別のごときは、「智度論」(巻一    の三一)に出ず。  すなわち左のごとし。

智慧人有こ  分沙 几婆羅門、 出家名沙 門    在家名 婆羅門一 乃至婆羅門多学智慧求>福、  出家人一切求>道。

(智慧の人に二分あり、 沙門と婆羅門となり。  出家を沙門と名づけ、 在家を婆羅門と名づく。  ないし、  婆羅門は多学にして智慧ありて福を求め、 出家の人は一切道を求む。)

ゆえに「大日経疏拾義紗」(巻四の九)に、 沙門者出家、  釈子通名、 婆羅門者在家、  四姓随一(沙門とは出家にして釈子の通名なり。  婆羅門は在家にして四姓の随一なり)と解せり。  しかるに「倶舎宝疏巻二四の二九)

には、 婆羅門と沙門と同一なることを示せり。  すなわち曰く、 婆羅門者此云二浄慧一 遠ーー煩悩ー故与ーー勤息義ー同也

(婆羅門とはここに浄慧という。 煩悩を遠ざくるが故に。 勤息の義と同じなり)と。 勤息とは沙門の訳語なり。そのほか沙門・婆羅門のことは、「増一阿含」(巻四六の五)および「婆沙論」(巻一八二の二) に出ず。  かつ

「経律異相」(巻四〇および四一)に梵志部および婆羅門部ありて、 梵志・婆羅門に関する種々のことを挙示せり。  これまた、 よろしく参見すべし。


第九節    刹帝利種

つぎ に、 刹帝利種は前に解するがごとく印度の王種にして、 釈迦の種姓なり。「仁王経疏神宝記」(巻三の一)論 に、 天竺凡四姓、 釈逗乃金輪種姓一 所謂刹帝利是也(天竺におよそ四姓あり、 釈迦はすなわち金輪の種姓、 いわゆる刹帝利これなり)とあるがごとし。「続涸僧伝』(巻二の一)にその解を示して、 刹帝利種此云  土田主一也、

声  劫初之時先為 分地主  因即号焉、 今所謂国王者是也(刹帝利種はここに土田主というなり。  劫初の時、 さきに分地の主なるにより、 よりてすなわち号す。  今のいわゆる国王はこれなり)と釈せり。 もしその起源を考うるに、「釈氏要覧』(巻上の三)に掲ぐるところ左のごとし。 その意、 第四節に引用せし「経律異相」の文と同一な

長阿含経云、 賢劫初成未>有一日月    是時光音天人下生、 皆有ーー身光{  飛行自在、 無五ー男一  女尊卑親疎之別一食  自然地味    固  食 此 物    乃身光滅  神通亡、 貪心始萌、 復生二地餅地南地脂之味食一 乃諸悪湊集、  男女始形、 地生玩  米碗叫  崖年、 亦無 糠 檜一 時人貪心増長、 皆祗  取見ー蔵、 米遂不乙生、 乃各占ーー田土学 欝 狐業一 自>此姦盗滋彰、 無ーー決断中有  一人容質環ら偉、  世所玩砧欽  信一 衆議立為二民主号ーー摩阿摩易羅闊(此云矢  平等主一)各願 こ識>賦供品億(此祖税之始)、 故命ーー氏刹帝_利(此云一午土田主一 閣初_分 午石ザ各有静訟如$主レ之)。

「長阿含経〔巻二二〕にいう、 賢劫の初成、 いまだ日月あらず。 このとき、 光音天の人、 下生し、 みな身に光あり。  飛行自在にして、  男女・尊卑・親疎の別あることなく、 自然の地味を食したり。  この物を食するにより、  すなわち身の光滅し、 神通ほろび、 貪心はじめてきざせり。 また、 地餅・地膚・地脂の味食を生じ、すなわち諸悪湊集し、 男女にはじめて形あり。 地には杭米を生じ、 朝に刈れば暮れに生じ、 また糠檜なかりき。 時人は、 貪心増長し、  みなあらかじめ取って厄<蔵しければ、 米もついに生ぜざりき。  すなわち、  おのおの田土を占め、 褥き種まく業を学 ぺり。  これより姦盗しげくあらわるるも、 決断する者なし。 中に一人あり、 容質環偉にして、 世の欽信するところたり。 衆は議して立てて民主となし、 摩阿三摩品羅闇と号し(ここに大平等主という)、  おのおの賦を輸し、 億に供せんことを願う(これ祖税の始めなり)。 ゆえに、 氏を刹帝利と命ず(ここに土田主という。 いわく、 初めて土田を分かち、 おのおの評訟あれば、  これをつかさどらしむ)。)

これ、  王種の世に起こるに至りし事情なり。  そのつまびらかなるは、「釈迦譜巻一の初、『釈迦贈要略    巻一の一)につきて見るべし。 また、「榜厳眼髄」(巻ー上の四二)には「倶舎    を引きて曰く、 劫初人食  地肥    転食  自然糠米一 人情漸偽、 各有二封殖一 遂立ーー有徳者一 処丘平分和  地一 王者之始相承為る名焉(劫初、 人は地肥を食す。 転じて自然の糠米を食するに人情ようやく偽に、 各封殖あり。  ついに有徳者を立てて、 平に処して田地を分かつ、  王者の始めなり。  相承して名となす)とあるも、 その意一なり。 もし「長阿含経  (巻二二のによらば、 刹利生為和取、 能集二諸種姓一 明行成一具_足    天人中為>最(刹利生を最となし、 よくもろもろの種姓を集め、 明行成じて具足せば、 天人中の最たるなり)とあり。「雑阿含」(巻四四の一八) にも、  これとその意を同じくする偶文あり。

ゆえに「釈迦氏譜』(巻上の三)に、 大夏種姓有二四不同{  乃至刹利王種最為二裔貴    劫初以来相承不>絶(大夏の種姓に四の不同あり。 ないし、 刹利王種を最も高貨となす。  劫初以来相承して絶えず)と記せり。 もし「悉負字記紗」(巻一のニー)に論ずるところによらば、 婆羅門者是四姓中最貴勝也、 刹利者婆羅門次姓也、 雖>然展転後以ーー刹利為>王、  婆羅門等如  大臣等

(婆羅門はこれ四姓中最買勝なり。 刹利は婆羅門の次姓なり。 しかりといえども展転してのち刹利をもって王となし、 婆羅門等は大臣等のごとし)とありて、  刹帝利種ついに婆羅門の上に位するに至れることを説けり。 しかるにまた「大日経疏演奥紗」(巻二九の二生まれたるゆえんを説明すること、  すこぶる奇なり。  すなわち曰くに、 釈尊の刹帝利の家に智論云仏生ーーニ種姓中一 若  刹利若  婆羅門、 刹利種勢力大    故婆羅門種智慧大故、 随ー一時所』責仏於レ中生、 教論住法記云、 西竺有  四種_姓(中略)、 諸仏出レ世善巧利レ物、  若土清浄人_尚一徳行一 即於ーー婆羅門姓中  生、 若土祓濁人尚ーー威勢一 即在ーー刹帝利姓中  生、 今釈迦__出  於濶世三少生共族一 使ーー群物畏敬{  率皆従>化故、 毘舎首陀二族卑姓非二上尊之所託一 故毘婆戸、 戸棄、 毘舎婆三仏生二刹利種ー  拘楼孫、 拘那含、 迦葉三仏__受  婆羅門種{  釈迦出ーー剛強之世{  故託二刹利種ー以振臼威、 弥勒_生一善順之時一 故居二婆羅門種一面標"徳、 三世諸仏亦復如后坐矢゜

(「智論」にいわく、 仏は二種姓の中に生ず。 もしは刹利、 もしは婆羅門なり。 刹利種は勢力大なるが故に、婆羅門種は智慧大なるが故なり。 時の貝ぶところに随っ て、 仏は中において生ず。「遺教論住法記」にいわく、 西竺に四の種姓あり。(中略)諸仏世に出でて善巧をもっ て物を利す。  もし土消浄にして人徳行をとおとべば、  すなわち婆羅門姓中に生ず。 もし土檄濁にして人威勢をとおとべば、  すなわち刹帝利姓中にしたがありて生ず。  今、 釈迦は濁世に出で、 生を共族に生じ、 群物をして長敬し 率 わしむ、  みな化に従うが故に。

毘舎・首陀の二族は卑姓にして上尊の所託にあらざるが故に。 毘婆 棄・毘舎婆の三仏は刹利種に生じ、

拘楼孫・拘那含.迦葉の三仏は婆羅門種を受く。 釈迦は剛強の世に出ず、 ゆえに刹利種に託しもって威を振るう。  弥勒は善順の時に生じ、  ゆえに婆羅門種に居す。  しかるに徳を概すれば三世の諸仏またまたかくのごとし。

かく諸仏の託胎までを論ずるは世人の怪しむところなれども、 宗教の行中には多く見るところなり。  そのつぎは毘舎すなわち商翌にして、「榜厳眼髄」(巻三下の三九)に「玄応音義」(巻一九の一 を引きて、 毘舎を坐佑と名づくることを記し、 また「輔正記」を引きて、 毘舎未白見>翻、 応二是平民耕農販売之類 毘舎はいまだ翻を見ず、 まさにこれ平民耕農販売の類なるべし)といえり。「祖庭事苑巻七の四) にも、 同じくこれを解し坐買となす。 そのほか、 別に論ずることなし。 第四の首陀すなわち戌達羅につきては、 前に解釈せしもののほか、 また述ぶるを要せず。


第三章 五明論


第一    節 五明の名義

つぎに、  印度の学術の事梢を知るには、  必ず五明の大要を述べざるべからず。  これ百般の学術の類別にして、なお支那の六芸のごとし。 その名義は「西域記」(巻二の六)、「翻訳名義集」(巻五の五一)、「三蔵法数」(巻二四の二六)、「倶舎麟記巻一の一四)「大部補注」(巻一四の一、『演密紗」(巻四の三七)、「明灯抄」(巻一本の一七)、「要法文」(巻下の三)、『七帖見聞」(巻一末の二六)等(「関典録』巻四本の一六、「山海里」巻八の中の二二三条)の諸書に出ず。 今、「三蔵法数」によりて義解を示すこと左のごとし。

一、 声明ー          即声教、 明即明了、  謂  世間文章、 箕数建立之法、 皆尽明了通達、 故曰二声明  (声はすなわち声教、 明はすなわち明了、 いうこころは、 世間の文章・算数建立の法はみなことごとく明了通達す。  ゆえに声明という。)

二、 因明    ー因即万法生起之因、  謂  世間種種言論、 及図書印璽、 地水火風万法之因皆悉明了通達、 故日一因明  (因はすなわち万法生起の因、 いうこころは、 世間の種々の言論および固書印璽の地水火風万法の因にみなことごとく明了に通達す。  ゆえに因明という。)

三、  医方明ー 医方即医治之方法也、 謂  世間種種病患、 或痴細盤毒四大不調鬼神究阻寒熱諸病、 皆悉暁  了其因  通達対治故曰ーー医方明  (医方はすなわち医治の方法なり、 いうこころは、 世間種々の病患、 あるいは顛細盤毒の四大不調、 鬼神・呪誼・寒熱の諸病、  みなことごとくその因を暁了し、 通達対治す。 ゆえに医方明という。)

四、 エ巧明エ即工業、  巧即巧妙、 謂  世間文詞讃詠乃至営二造城邑一 農田商貿種種音楽、 卜箕天文地理、一切工業巧妙皆悉明了通達、 故巨  工巧明  (エはすなわち工業、  巧はすなわち巧妙、  いうこころは、 世問の文詞・讃詠ないし城邑を造営し、 農田・商貿・種々の音楽、 卜箕・天文・地理、  一切の工業巧妙にみな通達す。 ゆえにエ巧明という。)

五、 内明"ー 上烈即仏法内教也、 謂  以  持戒治  破戒一 以二禅定史散乱{  以一智慧立炉愚痴一 乃至種種染浄邪正生死涅槃対治之法、 皆悉明了通達、 故曰ー内明  (内はすなわち仏法の内教なり、 いうこころは、 持戒をもって破戒を治し、 禅定をもって散乱を治し、 智慧をもって愚痴を治す。 ないし、 種々の染・浄、  邪・正、 生死・涅槃の対治の法、  みなことごとく明了に通達す。 ゆえに内明という。)

もし、「西域記」(巻二の六)に解するところによらば左のごとし。

一曰声明、 釈詰訓字詮目疏別、  二日エ巧明、 伎術機関、 陰陽暦数、 三曰医方明、 禁冗、 閑邪、 薬石、 針文、四曰因明、 考ー一定正邪一 研如躯真偽一 五曰内明、 究  暢五乗因果妙理

(一に声明という。 詰を釈し字を訓み、〔條〕目をあきらかにし〔区〕別を  疏  す 一にエ巧明という。  伎術・機関    陰腸・暦数なり。  三に医方明という。 禁呪・閑邪・薬石・針文なり。  四に因明という。 正邪を考え定め、 真偽を研霰す。  五に内明という。 五乗の因果の妙理をきわめのぺるなり。)

しかるに、「明灯抄 巻一本の一七)に出だせる説明はこれと小異なきにあらざるをもっ て、 重複をいとわず、 左にその文を挙示せん。

言ーー五明至  一内明、 謂  二蔵中広弁ー一生死涅槃因果{  或説ニニ諦三性等理唯在二内教一故名ー一因明二者因明、謂二蔵中建ーー立比最宗因及喩立破等義一 以>因為今エ、 故曰  因明一 三者声明、 謂依ー内声ー_弁一男女声或非男女三声差別或説二七例八囀声等一 弁ー諸声一故名曰ー一声明一 四医方明、  謂二蔵中略弁ー病状病因{  除>病令ーー病不"起、  四種善巧名ーー医方明    五工巧明、 謂内教中弁二其杏算印術営農事王等業 丘故曰ニエ巧明一五明というは一には内明なり。  いわく、  二蔵の中に広く生死涅槃の因果を弁じ、 あるいは二諦・三性等の理を説く。 ただ内教のみにあるが故に内明と名づく。 一一には因明なり。  いわく、  二蔵の中に比飛の宗・因および喩の立破等の義を建立す。 因をもっ て主となすが故に因明という。  三には声明なり。  いわく、 内声によりて男・女声あるいは非男女の三声の差別を弁じ、 あるいは七例・八囀声等を説く。 諸声を弁ずるが故に名づけて声明という。  四には医方明なり。 いわく、  二蔵の中に略して病状・病因・除病を弁じ、 病をして起こらざらしむる四種の善巧を医方明と名づく。 五にはエ巧明なり。  いわく、 内教の中にその書算印術営農事

王等の業を弁ずるが故にエ巧明という。)

これによりてこれをみれば、 声明は文字の学、 因明は論法の学、 医方明は医術の学、 工巧明は工芸の学、 内明は内教の学なりというを得べし。  しかして、 余がいわゆる哲学は内明に属す。

 


第一    節    五明の出拠

仏也中に五明の説あるは、「菩薩地持経    および「喩伽論」に出ずるものを本拠となす。 まず「地持経 巻一の六) には、 明処有二五種一 ー者内明、  二者因明、 三者声明、  四者医方明、 五者世工業明云云(明処に五種あり。ーには内明、  二には因明、 三には声明、 四には医方明、 五には世工業明なり、 と云々)とあり。 つぎに、「途伽

論」(巻    八の八)には左のごとく論明せり。

 如>是一切明処所摂有二五明処一内明処、  二因明処、 三声明処、 四医方明処、 五工巧明処、 菩薩於ーー此五種明処ー若正勤求則名  勤求一切明処諸仏語言名ー内明論一 此幾相    転>  是乃至一切世間工巧業処名ーーエ巧明論{  此幾相    転、  謂内明論略二相    転、  一者顕示正因果相、  二者顕示己作不失未作不得相、 因明論亦 相転、  一者顕示推伏他論勝利相、  二者顕示免脱他論勝利相、 声明論亦二相転、 一者顕示安立界相能成立相、者顕示語エ勝利相、 医方明論四種相転、  一者顕示病鉢善巧相、  二者顕示病困善巧相、 三者顕示断己生病善巧相、  四者顕示己断之病当不二更生一善巧相、  一切世間工業明論顕コ示各別工巧業処所作成弁種種異相一 云何内明論顕ーー示正因果相一謂有二十種因一云云。

(かくのごとき一切の明処の所摂に五明処あり。  一には内明処、一ーには因明処、 三には声明処、  四には医方明処、 五にはエ巧明処なり。 菩薩この五種の明処において、 もし正しく勤求すれば、  すなわち一切の明処を勤求すと名づく。 諸仏の語言を内明論と名づく。  これいくばくの相にして転ずるや。  かくのごとく、 ないし一切世間工巧業処を工巧明論と名づく。  これいくばくの相にして転ずるや。 いわく、 内明論は略して二相にして転ず。  一には顕示正因果相、  二には顕示已作不失未作不得相なり。 因明論もまた二相にして転ず。 ーには顕示推伏他論勝利相、  二には顕示免脱他論勝利相なり。 声明論もまた二相にして転ず。  一には顕示安立界相能成立相、  二には顕示語エ勝利相なり。  医方明論は四種の相にして転ず。  一には顕示病体善巧相、  二には切顕示病因善巧相、 三には顕示断已生病善巧相、 四には顕示已断之病当不更生善巧相なり。  一切世間工業明論は各別のエ巧の業処所作成弁の種々の異相を顕示す。  いかんが内明論の顕示正因果相なりや。  いわく、 十種の因あり、 云々。〔 大正蔵、 已につくる〕)

「唯識枢要」(巻上本の四一)、「因明前記」(巻上本の二)、「因明瑞源記」(巻一の一)、「因明輯釈 巻一の四)、「要法文」(巻下の二)等は、  みなこの「琺伽    の説によりて五明の解釈を与えり。 また、「閲蔵知津 巻三七の五)の「琺伽論    の下に、 五明の相を開説すること左のごとし。

一、 内明処 一  由事施設建立相、_一 由想差別施設建立相、  三由摂聖教義相、  四由仏教所応知処相。

(一には内明処 には事により施設建立の相、  二には想の差別による施設建立の相、 三には聖教の義を摂するによる相、  四には仏教による所応知処の相。)

 

二、 医方明処

 一於病相善巧、  二於病因善巧、  三於已生病断滅善巧、 四於已断病後更不生方便善巧 ゜

 (二には医方明処 一には病相において善巧、  二には病因において善巧、 三には已生の病の断滅におい論 て善巧、  四には已断の病において後にさらに生ぜざる方便の善巧。)

 三、 因明処一論一鉢性{_論一処所 _   論二所依四論  荘厳一 五論二負堕一 六論二出離一 七論多所作法一鉢性有沃  種一 一言論、  二尚論、 三評論、  四毀謗論、 五順正論、 六教導論。処所亦六種、 所依有二十種所成立義有乙一、  一自性、_一 差別、 能成立法有后ハ、  一立>宗、  二弁>因、 三引喩、 四同類、 五異類、 六現嚢、  七比屈、  八正教、 又同類者復五種、 一相状相似、  二自鉢相似、 三業用相似、 四法門相似、 五因果相似、 異類翻>此、 現屈有ー=一種一 非不現見、  二非已思応思、 三非錯乱境界、 又一色根現量、  二意受現星、世間現塁、 四清浄現飛、 比凪有ーー五種一相比凪、 二紘比量、 三業比飛、  四法比鼠、 五因果比飛、 正教鼠者、  一不涵竺聖言{  二能__治  雑染四敦粛、 五応供。負堕有>三、  一拾>言、  二言屈、 三言過。不>_違一法相一 荘厳有ーー五種一 一善ーー自他宗{言具円満、 三無畏、出離者、  一観象  得失二観ーー察時衆一 三観ーー察善巧及不善巧多所作者、 一善『一自他_宗  故、  於ー一切_法  能起ーー談論故、 随>所  問難一能善酬答。勇猛無畏故、 処ニ一切衆一能起二談論__   弁才無品喝

 ーに因明処 一に体性を論ず、一ーに処所を論ず、 三に所依を論ず、 四に荘厳を論ず、 五に負堕を論ず、 六に出離を論ず、  七に多所作法を論ず。

体性に六種あり、  一に言論、  二に尚論、 三に評論、 四に毀謗論、 五に順正論、 六に教導論なり。処所にまた六種あり、 所依に十種あり。

所成立の義に二あり、 ーに自性、  二に差別なり。 能成立の法に八あり    一に立宗、  二に因を弁ず、_一一に引喩、  四に同類、  五に異類、 六に現量、 七に比鷺、 八に正教なり。 また、 同類はまた五種あり、 一に相状の相似、  二に自体の相似、_一一に業用の相似、  四に法門の相似、 五に因果の相似なり。 異類はこれに翻ず。 現景に一二種あり、 に非不現見、  二に非已思応思、 三に非錯乱境界なり。 また、  一に色根現量、一ーに意受現菰、  三に世間現量、 四に清浄現量なり。 比景に五種あり    一に相比屈、  二に体比県、一に業比屎、  四に法比且、 五に因果比絨なり。 正教誠とは一に聖言に達せず、  二によく雑染を治す一に法相に達せざるなり。 荘厳に五種あり、  一に自他宗を善くす。  二に言つぶさに円満す、 三に無畏、 四に敦粛、 五に応供負堕に一一あり、 一に言を捨つ、  二に言を屈す、 三に言の過なり。

出離は、  一に得失を観察す、 二に時衆を観察し、 三に善巧および不善巧を観察す。

多所作は    一に自他宗を善くするが故に、  一切法においてよく談論を起こす。  二に勇猛無畏なるが故に一切衆に処してよく談論を起こす、_一一に弁才つくることなき故に問難するところに随っ てよく善<酬答す。)

四、 声明処 一法施設建立相、  二義施設建立相、 三補特迦羅施設建立相、  四時施設建立相、 五数施設建立

相、 六処所根裁施設建立相。

(四に声明処ー 一に法施設建立の相、  二に義施設建立の相、 三に補特迦羅施設建立の相、 四に時施設建

立の相   五に数施設建立の相、 六に処所根裁施設建立の相なり。)

五、 工業明処 ー    呂農乃至音楽十二工業。

(五に工業明処ー 農ないし音楽の十二工業なり。)

しかして、 五明に内外の一一種あり。  すなわち、 仏教の五明これを内の五明といい、 外道の五明これを外の五明という。  これより、  この一一種の五明の相違を述ぶべし。

 


第二節 五明の種類

 

すでに「堆伽論に諸仏語言名ーー内明論

 (諸仏の語言を内明論と名づく)とありて、 五明中内明は、 仏教ひとりこれを有するがごとく解するものあり。  ゆえに「因明大疏裏む」(巻上本の一)には、 問内明処者為三唯仏教名丙  明処  耶(問う、 内明処とはただ仏教を内明処と名づくとなさんや)との疑問を掲げて説明を与えり。 もしまた「涅槃経」(南本巻八の九、「涅槃会疏巻八の五の説によれば、  ひとり内明のみならず、 一切の学術みなこれ仏説というを得べ巻一の一ー)に「涅槃経」の文を引き、 他説を参照して解釈して曰

大涅槃経文字品云、  仏告  迦葉一 善男子所有種種異論究術言語文字皆是仏説  非  外道説(中略)、 問言ーー所有究術文字皆是仏説一者為二是仏口所説ー名_為一仏説一 為如竺仏口所説  耶、 解云不叉必尽是仏口所説名為一仏説{如矢  論云一 如是我聞中明仏法有 豆種人説一 一者仏自説、  二者弟子説、  三者諸天説、 四者仙人説、 五者化人説等皆名ーー仏説一 然説  於  衆生示    益者皆是仏説、  若無>益者則是外道

(「大般涅槃経」「文字品」にいわく、  仏、 迦葉に告げたまわく、 善男子よ、 あらゆる種々の異論・呪術・言語・文字、  みなこれ仏説にして外道の説にあらざるや。(中略)問う、 あらゆる呪術・文字、  みなこれ仏説なりといわば、  これ仏口の所説となすや、 名づけて仏説となすも、 仏口の所説にはあらずとなすや。 解していわく、  必ずしもことごとくはこれ仏口の所説を名づけて仏説となすにはあらず。「大論」にいうがごとく、

「如是我聞」の中に明かす仏法に五種人の説あり。  一には仏の自説、  二には弟子の説、 三には諸天の説、  四には仙人の説、 五には化人の説など、 みな仏説と名づく。 しかるに、 衆生に益あるはみなこれ仏説、 もし益なきはすなわちこれ外道なりと説く。)

この説によれば、  五明ことごとく仏説なりといわざるべからず。 しかれども、 五明はことごとく仏説なりと称し難く、 内明は仏教に限りてこれを有するの理なし。  ゆえに「因明前記」(巻上本の三) に、  外道にも五明ありということに二釈ありとす。  すなわちその一は、 五明中すでに四明あれば、 説きて五明ありというを得べし。  その_一は、  外道中おのおのその宗の内明を有して、 ともに五明あり。 ゆえに曰く、  一切外道皆有二内明一 彼外道等各将己  宗所説之教一為ー比内明 知  (一切外道にみな内明あり、  かの外道等、  おのおの己が宗の所説の教をもって内明となすが故に)とあり。 また『大疏裏書巻上本の一)に、 外道にも内明あることを示して、  外道亦有、 但明二内身因果  名二内明処一云云(外道またあり、 ただ、 内身の囲果を明かして内明処と名づく、 云々)とあり。 また「七帖見聞」(巻一末の二七)によるに、 唐土人師釈云、 五明有_>一、 謂内外、 内者声、 医、 工巧、几術、 因明、 外者於  此中一験  因明加 二符印  (唐土の人師釈していわく、 五明に二あり、  いわく内と外なり。 内とは声 医・エ巧・呪術・因明なり。 外とはこの中において因明を除きて符印を加うるなり)とあり。 もしまた「三大部補注 巻一四の一 によらば、 左のごとく記せり。

五明有ーー内五明ー有ーー外五明一 外五明者、 一声明、  二医方明、  三エ巧明、 四冗術明、 五符印明、 内五明者、 四明名各与丞外同、 第五因明、 叉有説云、 前三同丞外、 四是因明、 五是内明。

 (五明に内の五明あり、 外の五明あり。 外の五明とは、  一に声明、  二に医方明、

 ーにエ巧明、  四に呪術明、五に符印明なり。  内の五明とは、 前の四明の名はおのおの外と同じ。 第五は因明なり。 またある説にいう、前の三は外に同じ、  四はこれ因明、 五はこれ内明なり、 と。)

 「因明輯釈」(巻一の四) に引用せるところ、 全くこれに同じ。 果たしてしからば、「歴代三宝紀」(巻一の二四)に五明論の類目を掲げて、 一、 声論、  二、 医方論、 三、 工巧論、 四、 呪術論、 五、 符印論の五種となせるは、 外道の五明なること明らかなり。 しかるに、 その書欠けて伝わらず、 ただその書名を「大唐内典録」(巻五上の三)、「開元録巻一四の三、「貞元録」(巻一の一)中に掲ぐるのみ。「性霊集便蒙紗巻一の一下の五) にも、「便蒙引用書目考」の表中にこの一書を出だせり。 しかして、 その諸録(「訳経固紀」巻四の    二)

記するところを見るに、 その書は沙門攘那跛陀羅周と名づくるもの、 長安旧城婆伽寺において、 閣那耶舎とともに記するところなりと録せり。 あるいはまた「翻訳名義集」(巻五の五一 )によれば、 外の五明は声・エ巧・医方・因明・内明の五明中、 第五の内明を除きて、 符印明を加うるもののごとく示せり。 また「梵襖対映集」(巻上の一五)にも、 外五明時除  円明茄竺符明  (外の五明の時は、 円明を除きて符明を加う)とあり。 そのいわゆる円明は内明をいう。 しかして符明は、「因明纂解鼓攻 巻上の一)にこれを解して梵呪の類なりとす。  これを要するに、 外道の五明と仏教の五明と、 その名目の異同につきて諸説一ならずといえども、  おのおの五明を有すること疑いをいれず。 しかるに、

 もしまた「堆伽論」切外論、 略有三  腿一者因論、  二者声論、 三者医方論

(一切の外論に略し_て一一種あり、  一には因論、  二には声論、 三には医方論なり)とありて、「地持経」(巻  一の六)にいうところ、  またこれに同じ。 しかして、「瑞伽倫記  (巻一    上の二)にこれを解して曰く、

斐  ぎ因明声明医方明一為ーー外法一_以二外道論中先説ーー因明声明等論一 仏法亦間説二因明    乃至是故従>本合ー彼ー   三明為 外道論  也

(これ因明・声明・医方明を合わせて外法となす。 外道論の中に、 さきに因明・声明等の論を説くをもってなり。 仏法もまた間に因明を説く、 ないし、  この故に、 もとよりかの三明を合して外道論となすなり)

と。  これ、 前の「涅槃経    の呪術・文字等ことごとく仏説なりといえる論に違戻するがごとし。  ゆえに「明抄 巻一本の一八)に左の問答を掲げたり。

問若五明教唯仏説 者何故、  喩伽    十八云、  声聞菩薩諸仏語言名為  内明一 一切外迫論為印因声医一 但諸世間工巧業処為ニエ巧明一 又諸外道五明皆具、 登唯仏説、 答有一解一応法師云、 如レ是五明初唯仏教、  其後四種義亦通  余、 伽論既云除一ー初内因明  余但外論  明知五明非ーー皆仏教一 其後四種亦通苓示_言然諸外道各別説云、  即我先師所レ造教蔵名為二内明一 非一余教{  且__如故、 今依ーー自義故_作一是説一 仏未出時、 但有  其四僧怯一劫初已来五明皆具、  劫比羅仙、 劫初已説ーー諸諦義二疏主云、 五明唯仏教引>証如>文、 故知五明本唯仏教、但諸外道於  過去仏所説五明一生一異分別一 謂一本所。伝、 又梵王等大地菩薩示現権身、 登於二外教  生二分_別  耶、故知五明源唯仏説。

(問う、  もし五明の教はただ仏説のみならば、 なにが故に「喩伽」三十八に、「声聞・菩薩・諸仏の語言を名づけて内明となし、  一切の外道の論を因・声・医となし、 ただ諸世間のエ巧業処を工巧明となす」というや。  また諸外道にも五明みなそなわる。 あに、 ただ仏説のみならんやと。 答うるに二解あり。  一に応法師いう、  かくのごとき五明のはじめのみはただ仏教にして、 その後の四種は義また余にも通ず、 と。 伽論にすでに、 はじめの内明を除きて余はただ外論なり、 という。 明らかに知る、 五明はみな仏教なりとにはあらず。

その後の四種はまた余の言に通ず。 しかれども、 諸外道は各別に説いていう、  すなわち、 わが先師の造るところの教蔵を名づけて内明となす、 余の教にはあらず、 と。 しばらく僧怯のごときは劫初以来、 五明みな具す。 劫比羅仙は劫初すでに諸諦の義を説けるが故にと。 今は自義によるが故にこの説をなす。 仏いまだ出でざりしときは、 ただその四のみあり。  二には疏主いう「五明はただ仏教なるのみ」と。 証を引くに文のごとし。 ゆえに知る、 五明はもとただ仏教なり。  ただし、 もろもろの外道は過去仏所説の五明において異なる分別を生じて、 本所伝なりという。  また、 梵王等は大地菩薩の示現せる権身なり。 あに、 外教において分別を生ぜんや。  ゆえに知る、 五明はもとただ仏説なり。 大正蔵、内明につくる〕)

『因明大疏抄 巻一の三) にも、  この問答を引きて説明を下せるも、 余おもえらく、 仏教にて事物の道理を解するに広狭二様あり。 もし広意によらば、 内外の五明ことごとく仏教なりというを得べく、 もし狭意によらば、内明ひとり仏説にして、 その他はみな外道の説といわざるぺからず。 けだし、 声明・医方明・因明等は、 仏教以前にありてすでに印度に存し、 婆羅門これをもっ て教育上修学の課程となししこと明らかなり。「西域記    にも印度の風俗を叙述して、  七歳之後漸授ーー五明大論  (七歳の後、 ようやく五明の大論を授く)とありて、 印度人の五明を学ぶは、 なお支那人の六芸を修むるがごとし。  ゆえに、 外道中にありて学者をもっ て聞こゆるもの、 仏教中にありて識者をもって名あるもの、  みな五明に通達せざるはなし。  これによりてこれをみるに、 五明は印度の普通学なり。 もし、  仏教家が五明を修むる目的につきては、「明灯抄」(巻一本の一九)に記するところによるに左のごとし。

二子内明一者為>求二自解由ーー自悟一故伏コ除煩悩二学一因明一者為>伏二外執{  破一邪見一故、 三学二声明一者為>令  他  信一 善訓釈    故、  四学ーー医明玉況袋所治一 方悲品慇有情有ーー病苦一故、 五学ーーエ巧明  者為如含衆生一故授土  巧智一 令』諸衆生少用ーー功カー多致.珍財上故。

(一に、 内明を学ぶは自解を求めんがためなり。 自悟によるが故に煩悩を伏除す。_   一に、 因明を学ぶは外執を伏し、  邪見を破せんがための故なり。   ーに、 声明を学ぶは他をして信ぜしめんがためなり。  よく訓釈するが故なり。  四に、 医明を学ぶは所治のためなり。 まさに有情の病苦あるを悲慾するが故なり。 五に、 工巧明を学ぶは衆生を摂しエ巧智を授けて、 もろもろの衆生をして少しく功用を用いて、 多くの珍財をいたさしめんがための故なり。)

もしまた「仁王経」(「仁王経合疏」巻下の四八)によらば、 内追論・外道論・薬方・エ巧.呪術の五種を掲げり。  これを「鉢文抄」(巻下の二八) に釈して、 内道論とは仏_十  一部経等なりとし、 外道論とは四荏陀論なりとす。 かつこれを五明に配して、  内道論は内明、 外道論は因明、 呪術は声明なりと解せり。 また『菩薩戒経 巻三の一 には、 五明を世論と世事とに分かちて左のごとく示せり。

 世論者有 =一種一者因論、  二者声論、 三者医方論、  一切世事者如ー一金宝工匠一切方術一 方術有全五一者内術、  二者因術、 三者声術、  四者知  病因伊病術、 五者知こ  切作事菩薩摩阿薩常求二如レ是五種方術内術者謂十二部経、 菩薩摩阿薩為ーニ事  故求二十二部経一者知因  果者作業不五失不>作不>受、  求和論  者為ニニ事一故、  一者為>知  外道過  故、_一者為  壊ーー外道諸論_師  故、 求  声論一者亦為事一 一者為レ解切法界義一故、  二者為>正二  切言辞音声一故、 求治病術一為二四事知、  一者為品竺病相貌  故、  二者為如知ーー病論 因縁一故、  三者為盃心丘病除愈一故、  四者為レ知ーー病愈之後更不>起故云云  ゜

(世論は一ー一種あり。 ーは因論、一ーは声論、 三は医方論。  一切の世事は金宝のエ匠の一切の方術のごとし。  方術に五あり一は内術、  二は因術、  三は声術、 四は病因を知り病を治する術、 五は一切の作事を知る。 菩薩摩詞薩は常にかくのごとき五種の方術を求む。

 内術とはいわく十二部経なり。 菩薩摩阿薩は二事のための故に十二部経を求む、  一には因果を知り、  二には作業失せず作さず受けざるなり。 因論を求むるは二事のための故に、  一には外道の過を知らんがための故に、  二には外道の諸論師を壊せんがための故に。 声論を求むるはまた    事のためなり。 ーには一切法界義を解せんがための故に、  二には一切の言辞    音声を正さんがための故なり。  治病術を求むるは四事のための故なり    一には病の相貌を知らんがための故に、  二には病の因縁を知らんがための故に、 三には病を知り除き癒やすための故に、 四には病癒ゆるを知るの後さらに起こさざるための故なり、 云々。)

そのいわゆる世論の三種は学にして、 方術の五種は術なり。 しかして、 これを合称すれば五明なり。 あるいはまた「蔵乗法数」(二五)に、 五明の第一に四明を置けり。 四明とは、 けだし四部の毘陀ならん。  これを五明の中に掲ぐるは、 外道の内明をいうか。  そのほか数学、 天文学等も、 婆羅門中に早くすでにこれを講究したりしこと疑いなし。  数学はその書を訳して伝えざりしも、 声明の一種に属せしと見えて、  さきに表示せるがごとく「演密紗」(巻四の三七)にも、 いわゆる文字箕数声明也(いわゆる文字算数は声明なり)と解せり。 あるいはまた、

 天文学はその書すでに備わり、  これを支那語に翻訳せしと見えて、「貞元釈教録」(巻一等を引証して曰く、の一)には「長房録」

周武帝代天和四年己丑摩勒国沙門達磨流支、 周言二法希一 為ーー大家宰萄公宇文護一 訳ーー婆羅門天文二十巻    今以>非已一蔵教  故不乙存レ之

(周の武帝の代、 天和四年己丑、 摩勒国の沙門達磨流支、  周には法希という、 大家宰蕩公宇文護のために婆羅門の天文二十巻を訳す。 今、  三蔵教にあらざるをもっ てこれを存せず)

 

と録せり。「大唐内典録」(巻五上の三)および「歴代=一宝紀」(巻    一の二四)に、  この一杏の名目を掲げり。

今日この天文書と五明大論との伝わらざるは、 実に遺憾とするところなり。 もしこれらの諸学は、  これを今日に比考するに極めて不完全・不道理なりとするも、 数千年前の古代にありて、  すでにかくのごとき諸学・諸術の名目ありしは、  その当時の文化の進度を推測するを得べし。


第一三節 五明の起源

印度の諸説は、 たいてい婆羅門の神話より起こるを常とす。  すなわち、 さきに四姓の起源につきて論ぜしものむか しのごとき、  その一例なり。  これと同じく、 五明も婆羅門の神話より起これり。  すなわちその説によるに、 在昔、梵王須弥の半腹にありて、 五面を現して五明を説示す。  その正面にありては内明を説き、  頂上に声明を説き、 右方に因明を説き、 左方に医方明を説き、 後面にエ巧明を説くという。 左に、「梵漢対映集」(巻上の一 ーおよび一)に掲ぐるところを転載すべし。

 

抑;梵王者色界第八禅王也、 下ーー第二禅

云  ゜声明{  無一人_機故亦下ーー初禅現二五明一 嫁ーー毘紐天在す三子ー等云

 

(そもそも梵王は色界第八禅の王なり。 第二禅に下りて声明を説くも、  人機なきが故にまた初禅に下り五明を現ず。 毘紐天に嫁し    子を生ず等、 云々。)

梵王居ー活須弥半腹月宮一 現  五面元牙五明一也云云。

(梵王は須弥の半腹の月宮に居し、 五面を現じ、  五明を説くなり、 云々。)

 所謂五明者一正面説ー一円_明  是仏法也(中略)、  二頂上_説一声明(中略)、 三右面説和器宍  是外道論議惑障沙汰也(中略)、  四左面説ーー医方_明  是梵呪針薬也、 五後面説  工巧_明  是世鍛冶番匠也。

(いわゆる五明とは    一に正面に円明を説く、  これ仏法なり。(中略)二に頂上に声明を説く。(中略)=一に

右面に因明を説く。  これ外道の論議にして惑障の沙汰なり。(中略)四に左面に医方明を説く、  これ梵呪の針薬なり。 五に後面にエ巧明を説く、  これ世の鍛冶番匠なり。)

けだし、 梵王の五面より五明を説きしといえる神話は、「観仏三昧経」に出ずという。 その文はやや重複の恐れあれども、  左に、「悉位考要」(巻上の四) に掲ぐるところを転載すべし。

観仏一 昧経曰、 成劫初下二来光音天知子大梵王一 是名二商澤羅天一 亦名  摩醸首羅一 有ー五面一 五面有ーー五明   頂後明_名一声明一 説一梵王四十七言一 五明論者、 第一医方明論為ーー東方説{  今時医術方経等従>是興、 第二因明論為 向 方説{  明ーー法門是非祀炉之也、 第三声明論為二西方説一 今悉嚢本文末章音韻等是也、 第四工巧明論為ニ北方説一 巧匠鋳治等百工業是也、 第五内明論為二中央説一 経律論是也。

(「観仏三昧経    にいわく、 成劫の初めに来光音天に下りて大梵王と成る。  これを商翔羅天と名づけ、 また摩醸首羅と名づく、 五面あり。 五面に五明あり、 頂後の明を声明と名づけ、 梵王の四十七言を説く。 五明論とは、 第一に医方明論、 東方の説となす、  今時の医術方経等はこれより興る。 第二に因明論、 南方の説となす、 法門の是非を明かし、  これを説くなり。 第三に声明論、 西方の説となす、 今の悉位の本文・末章・音韻等これなり。 第四にエ巧明、 北方の説となす、  巧匠鋳治等の百工業これなり。 第五に内明論、 中央の説となす、 経律論これなり。)

 

これ、 婆羅門の神話を仏教に合して説明せるものなり。 しかるにまた、 真言宗にては五明を五智に配して論ぜり。  すなわち「秘蔵記」(巻本の六、「秘蔵記紗」巻三の_二) にいわく、

 

以五  門擬ーー五智 如 何、 内明説 蓋 処昇  擬 法 界智一 因明立敵定二優劣一方擬  円鏡智{  最初菩提心調 袂 煩悩怨敵一 声明擬ーー妙観察智起二説法之用ー  医方明拠>内_以一平等観込炉諸煩悩病{  拠五外以二種種薬草一平等治二  切病一 喩一平等正智一 工巧明成こ  切事一 喩ー一成所作智

(五門をもって五智に擬するはいかん。 内明に蘊処界を説くは法界智に擬す。 因明に敵を立て優劣を定むるは方に円鏡智に擬し、 最初菩提心をもって煩悩の怨敵を調伏す。 声明は妙観察智に擬し、 説法の用を起こす。 医方明は、 内によりては平等観をもっ てもろもろの煩悩の病を治し、 外によりては種々の薬草をもって

平等に一切の病を治し、 平等性智にたとう。 エ巧明は一切の事を成じ、 成所作智にたとう〔い  真言宗全柑、蘊につくる、 同、 性につくる〕)

とあれども、 五智と五明との間に、 決してかくのごとき関係あるにあらず、 ただ真言一家の学風として配合を試むるのみ。  これを要するに、 五明の起源は神話中に埋没して、  到底事実を徴すべからず。 そのうち声明・因明の起源につきては、 なお一言を要するところあれば、 次章において述ぶべし。


第一四節    医方明

五明中、 声明・因明・内明の三種は各別に講述する意なれば、 ただここに医方明とエ巧明とにつきて一言すべし。  まず医方明を考うるに、「南海寄帰伝巻三の二には、 此等医明伝 年乎帝釈一 五明一数、 五天共遵、 其中要者絶る食為>最(これらの医明は帝釈より伝う。 五明の一数にして五天ともにしたがえり。 その中の要は絶食を最となす)とありて、 医療の方法はそのむ(「南海寄帰伝」巻三の一七)に大略を説示せり。 今、 その一節を抜記すること左のごとし。


西方五明論中其医明曰、 先当下察ーー声色一然後行中八医い如不知解一斯妙  求>順反成>違、 言ーー八医一者一論ーー所有諸癒    二論紅が刺首疾三論 房 患一 四論 兎 継    五論 悪 掲陀薬六論 流 子病ー  七論 長 年方一 八論二足身カ一言>癒事兼ー内外一 首疾但自在』頭、 斉>咽已下名為  身患一 鬼漑謂是邪魅悪掲陀、 遍治ーー諸毒一 童子  始従私内  至ー一年十六一 長年  則延レ身久存、 足力  乃身鉢強健 ゜

(西方の五明論の中のその医明に曰く、 まずまさに声色を察して、 しかる後に八医を行ずべしと。 もしこの妙を解せざれば、 順を求めてかえって違を成ぜん。  八医をいわば、  一にはあらゆる諸癒を論ず、  二には首疾を針刺すを論ず、 三には身の患を論ず、 四には鬼癬を論ず、 五には悪掲陀薬を論ず、 六には童子の病を論ず、  七には長年の方を論ず、  八には足身力を論ず。 疸というは事としては内外を兼ね、 首疾はただおのずから頭にあり。 咽に斉してより以下を名づけて身患となす。 鬼漑はいわく、  これ邪魅なり。 悪掲陀はあまねく諸毒を治す。 童子とは、 はじめ胎内より年十六に至るまでなり。  長年とは、 すなわち身をのばして久しく存ず。  足力とは、 すなわち身体強健なり。)

これを「寄帰伝解環紗」(巻六の三二)には、「修行道地経」を引きて説明せり。 また「因明前記」(巻上本の二)には、「堆伽論」にもとづきて医方明の四相を記して日く、 医方明論有二四種相一 一塵  病飩    二顕祠  因{   顕面  己更病生一 四_顕一断己不江生(医方明の論に四種の相あり。 一には病体をあらわし、  二には病因をあらわし

 

=一には断じ已ってさらに病生ずるをあらわし、  四には断じ己って生ぜざるをあらわす卍続蔵、 巳につくるも、意味によって已とす〕)とあり。  およそ仏書中に、 病苦および医掠につきて論ずるところ往々これありといえども、もっぱら医方明を説きたるものにあらざれば、 その学のいかんを知るあたわず。 今、 大蔵中の医方・病種に関係を有する経名を挙ぐれば左のごとし。

「治禅病秘要法」(大蔵慶号、 縮蔵宿峡)    二巻

「仏説療痔病経」(大蔵当号、 縮蔵成峡)    一巻

「囃囃拳説救税小児疾病経 大蔵臨号、 縮蔵成秩)    一巻

「迦葉仙人説医女人経」(大蔵臨号、 縮蔵蔵峡) 一巻

「仏説医喩経 大蔵夙号、 縮蔵宿秩) 一巻

『仏説能浄一切眼疾病陀羅尼経』(大蔵斯号、 縮蔵問軟) 一巻

「仏説除一切疾病陀羅尼経」(大蔵斯号、 縮蔵関峡) 一巻

「仏説仏医経 大蔵明号、 縮蔵宿鉄) 一巻

この諸経中には、 あるいは病名、 あるいは病因、 あるいは療法に関し、 多少説くところあるも、 なかんずく

「仏医経」、「医喩経」、「治禅病秘要経」_の一一者は、 やや医方明の参考となすに足る。  世に「療痔病経略笠」と題する書ありて、「療痔病経    を解説せるも、  これ痔病のことに限る。 もし経論中に散見せるものを挙ぐれば、「四諦経」、「四諦論 、「修行道地経 、「僧祇律等   、  三の書あり。 また「涅槃経」、「智度論 、「止観」、「小止観]「行事紗」等にも、  一、一ーのこれに関する語あり。 そのほか仏教の叢書中に散見せるものを列すれば、『法苑珠林」(巻四の九)に病苦編ありて、  その中に医療部あり、「義楚六帖」(巻四の六および巻七の一九)に病および医薬の編目あり、「釈氏要覧」(巻下の四三)に瞭病編あり、「諸経要集」(巻一九の七)に医叙縁の一編あり、「類雑集」(巻七の四六)に医薬の一門あれども、  みなもって医方明の参考となすに足らず。 しかれども、 今しばらくこれらの書によりて病種・病因・医療・医薬を考うるに、「智度論」(巻八のーニ  )にいわく、

病有己面只  先世行業報故得『一種種病一 今世涼熱風発故亦得ー一種種病{  今世病有二二種一 一者内病、 五臓不調、結堅宿疾、  二者外病、 奔車逸馬、 堆圧墜落、 兵刃刀使、 種種諸病

(病に一一種あり。〔ーには〕先世の行業の報いの故に種々の病を得、〔ー一には〕今世に冷熱の風おこるが故にまた種々の病を得。 今世の病に二種あり。  一には内病。  五臓調わず、 結堅・宿疾なり。  二には外病。 奔車し逸馬して堆圧墜落し、 兵刃とあり。「四諦論」(巻一の三刀使などの種々の諸病なり)にいわく、

病有ニ種一身二心、 身病復有 ー一種一 一因ーー界相違一名ーー縁内起二_因一他逼触るぎ縁外起{  是身病者由>名因>処有  差別故品類多類、 乃至心病者因珈娑左起、 謂憂煩等、 此病亦若二種、  一縁内境名ーー内門惑ー ニ縁外為>境名  外門惑{  由>名因>処有二差別一 故品類多種

(病に二種あり、  一には身、  二には心。 身病にまた  一種あり,1一には界の相違により、 縁内起と名づけ、には他の逼触により縁外起と名づく。  この身病は名により処より差別あり。 ゆえに品類多類なり。 ないし、心病は邪妄により起こる。 いわく憂煩等なり。  この病にまた一一種あり、  一には内境を縁ず、 内門惑と名づ< ーには外を縁じて境となす、  外門惑と名づく。 名により処により差別あり、 ゆえに品類多種なり〔 大正蔵、 有につくる〕)

とあり。 もし「仏医経」(一)によらば、 左のごとく示せり。

人身中本有ーー四病    一者地、  二者水、  三者火、 四者風、 風増  気起、 火増熱起、 水増寒起、  土増力盛、 本従二是四病一起ーー四百四病一云云  ゜

人身中に本四病あり。  一は地、  二は水、 三は火、  四は風なり。 風増せば気起こり、  火増せば熱起こり、  水増せば寒起こり、 土増せば力盛んなり。  本この四病より四百四病起こる、  と云々。)

 また「修行道地経」(巻一の二六)によらば、  其人身中因面風起丘病有二百一種一 寒熱共合各有ーー百一凡合コ計之  四百四病云云(それ人身中には、  風によっ て病を起こすに百一種あり、 寒熱ともに合しておのおの百一あり、

すべてこれを合計すれば四百四病、 云々)とあり。 また「舎頭諫経 二六)に欽病・上気・風潅・熱病の四疾を掲げ、「四諦経」(三)に種々の病名を掲げり。  これみな身心二病中、 身病に属するものなり。  これに反して、「円覚経疏」(『円覚集註」巻下の五一)に作病・任病・止病・滅病の四種を掲ぐるも、 これ身病にも心病にもあらず。  よろしく「大乗法数」(巻一八の一五)につきてその解を見るべし。 しかして、 いわゆる心病とは「四諦論

(巻一の= に挙ぐるところによれば、 貪眼・慢擬・見疑・諮曲・欺証等にして、 迷心妄念より生ずるものをいう。 もしその身病の起因につきては、「仏医経

 二、「細門宝鏡録巻二の四七)に十因を挙示せり。  すなわち、一者久坐不>飯、  二者食無>貸_、二者憂愁、  四者疲極、  五者揺沃、 六者瞬悲、 七者忍ーー大便八者忍一小偲    九者制二上恩    十者制ーー下風

 (一は久しく坐して飯せず、  二は食に貸なし、一ーは憂愁、  四は疲極、 五は焔決、 六は眼悪、  七は大便を忍じ、 八は小便を忍じ、  九は上風を制し、  十は下風を制す)これなり。 しかるに「止観 巻八の一    、「止観科本」巻八の一の五九、「止観会本」巻八の二の二七) こま、  四大不順、 飲食不節、 坐禅不調、 鬼得>便、 魔所と為、〔業起〕(四大不順、 飲食不節、 坐禅不調、 鬼〔神〕が便を得、 魔の所為、〔業起る〕)の六業をもって病因となせり。 しかしてその要は、 地水火風の四大不調をもって四百四病の本となすなり。  ゆえに「小観」(四九には経文を引きて

 一大不調、 百一病起、 四大不調、  四百四病一時倶動大不調なれば、 百一の病起こる。 四大不調なれば、 四百四病一時にともに動ず)と説き、「行事紗」(巻下の四の一)には四大互反、 六府成>病(四大互いに反せんに六府病を成ず)と説けり。 左に、「翻訳名義集の二、「録内拾遺」巻六の四八)の説明を転載すべし。

 智論云、  四百四病者四大為>身、 常相侵害、 一    大中、  百一病起、 冷病有己ー百ニ一 水風  起  故、 熱病有己一百ニ一 地火  起故、 止観明  治>病方法既深知ー病源起発一 当下作一方法炉之、 治病之法乃有二多途一 挙>要言レ之不レ出二止観一一種方便一 云何用>止治  病相ー、 有師言但安ーー心止五竺病処一即能治>病、 所以者何、 心是一期、  果報之主、 菩如』王有  所至処  群賊逍散ぃ 次有師言謄下一寸名云憂陀那一 此云二丹田一 若能止只心守乙此不レ散、  経>久即多直  所語、 有師言常止二心足下{  莫如問 行住寝臥即能治>病、 所以者何、 人以二四大不調  故多藷  疾患一 此由二心識上縁知苓ず四大    不調い若安>心在>下四大自然調適、 衆病除突、 有師言但知ー迄諸法空無所  有示'>四  病相一 寂然止住多有>所>治、 所以者何、 由三心憶想鼓コ作四_大  故有>病生、 息>心和悦、 衆即 差、 故浄名経云、 何為二病本一 所謂攀縁、 云何断一攀縁一 謂心無所得、 如>是種種説西び止治丘病之相年び

一、 故知善修一止法一 能治二衆病次明ー観 治。病者、 有師言但観ーー心想 自 二六種気一 治レ病者即是観  能治>病、 何等六種気、吹二呼 二昭四呵五嘘六咽云云 ゜

(「智論    にいわく、  四百四病は、  四大を身となし、 常に相侵害す。 ー一の大の中に百一病起こる。 冷病に二百二あり、 水・風より起こるが故なり。 熱病に二百二あり、 地・火より起こるが故なり。  止・観は治病の方法を明かす。  すでに深く病源の起発を知り、 まさに方法を作してこれを治すべし。  治病の法にすなわち多途あり、  要を挙げてこれをいわば、 止と観の二種の方便を出でず。  いかんが止を用って病相を治するや、 ある師いう、 ただ、 心を止に安んじて病処にあればすなわちよく病を治す。 所以はいかん、 心はこれ一期果報の主なり。 たとえば王の所至あるの処、  群賊避散するがごとし。  つぎにある師いう、 腑下一寸を憂陀那と名づく、  ここに丹田という。 もし、 よく心をとどめてこれを守り散ぜざれば、 久しきを経てすなわち多く治するところあり。 ある師はいう、 常に心を足下にとどめて、 行住寝臥を問うことなければすなわちよく病を治す。 所以はいかん、 人は四大の不調をもっての故にもろもろの疾患多し。  ここは心識の上の縁をもっての故に、  四大をして不調ならしむ。 もし心を安んじて下におけば四大自然に調適し、 衆病除かる。 ある師いう、ただ、 諸法の空にして所有なきことを知れば病相を取らず、 寂然として止住し、 多く治するところあり。 所以はいかん、 心の憶想し四大を鼓作するによるが故に病ありて生ず。 心をやすめ和悦すれば衆病すなわち差ゆ。  ゆえに「浄名経」にいわく、 なにをか病の本となすや、 いわゆる攀縁なり。 いかんが攀縁を断つや、   わく、 心無所得なり、 と。  かくのごとく種々に止を用って病を治するの相を説くこと一にあらず。  ゆえに知る、 止法を修してよく衆病を治す。

つぎに観をもって病を治するを明かさば、 ある師いう、 ただ、 心想を観じ、 六種の気を用って病を治するは、  すなわちこれ親じて病を治するなり。 なんらか六種の気なるや、 一は吹、  二には呼、 三には嗜、  四には呵、 五には嘘、 六には咽なりと、 云々。)

これ、 身病を治するに薬方の力によらずして、 精神の力によるの方なり。 そのほか「涅槃経」(南本、 巻一一のニ  一および巻九の一三)に、 明医の八術を掲げり。  その八術とは、「涅槃疏」(「涅槃経会疏」巻二の九三および巻九の二三)にこれを解して、 身・眼・胎・小児・疱・毒・邪・星を治するをいう。 また「止観輔行」(「止観科本」巻九の一の四八、「止観会本巻九の二の一四、『止観私記九の二三、「文句箋難」巻四の一八) こよ、術十医あることを示せり。 あるいはまた、「医喩経」(一) には良医の四法を掲げ、「止観」(「止観科本巻八の一の五五)には医師の三類を掲ぐるも、  みなこれを略す。「小止観」(五   、「小止観抄」巻下の三)には、「雑阿含」によりて治病の秘法に七十二種ありという。 また「諸経要集きて曰く、および「法苑珠林」に、「増一阿含経」を引爾時世尊、 告ーー諸比丘一 有己一大患一 云何為_レ二、  一風為ーー大患{  二痰為一大患冷為ーー大患然有二三良薬治、 若風患者、  麻為=良薬一 及酢  所>作飯食、 若痰患者蜜為二良薬油所>作飯食、 是謂已一大患一 有二此三薬及蜜所作飯食、 若冷患者油_為一良薬一 及

 

(そのとき、 世尊もろもろの比丘に告ぐ、  三大患あり、 いかんが三となす。 ーは風を大患となす、  二に痰を大患となす、 三に冷を大患となす。 しかるに三良薬ありて治す。 もし風患ならば、 蘇を良薬となす、  および酢にて作るところの飯食なり、 もし痰患ならば、 蜜を良薬となす、  および蜜にて作るところの飯食なり、 もし冷患ならば、 油を良薬となす、  および油にて作るところの飯食なり。 これを三大患といい、  この三薬ありて治す)

とあり。 また「療痔病経略賛」(八)には「僧祇律」を引きて、  四百四病中、  風大の百一は油脂を用いて治し、火大の熱病は鮮を用いて治し、 水病は蜜をもって治し、 雑病は上の三薬をもっ て治すと記せり。  また「閑窓雑」録  (一 六)に「西域記および「寄帰伝」を引証して、  印度の療方は絶食を肝要となすことを示せり。 そのほか「金光明経」には「除病品」ありて、  その中に四大諸根衰損代謝而得  諸病(四大の諸根、 衰損代謝して、  しかも諸病を得る)の語あり。  これを「金光明文句記』(巻七の七五および八三) に解説して多少療方に論及せるも、  ここにいちいち引用するを要せず。 しかして仏教の病理および療法を集めたるものに、「病堂策」と題する一朽あり。  これ、  仏書中の医法に関することを述ぶるにとどまり、 もとより印度一般の医方明を知るべきものにあらず。 そのほか「印度蔵志」(巻ー一の一四)に、 印度の医方を論弁せる一節あり。 よろしく一読すぺし。 もしそれ「金七十論』(巻上の二)によらば、 八分医方所説能滅ーー身苦(八分の医方の所説はよく身苦を滅す)とありて、  これを「同論備考巻上の九および一に解釈して、  八分医方五明之一、 為二滅苦_因(八分の医方は五明の一にして滅苦の因となす)とあり。 しかしてそのいわゆる八分医方とは、 本節に引用せる「南海寄焔伝」巻=一の一七および二の八医これなり。  これを要するに、 仏相によりて医方明のいかんを知るべからず、  た論 だ印度の風俗上、 衛生治療の一端をうかがうべきものは「南海寄帰伝」あるのみ。

 


 


第一五節    エ巧明   

つぎにエ巧明を考うるに、「瑠伽論」巻三八の八、 巻 一の一八および巻一五のニに曰く、  一切世間工業処論非>一、 衆多種種品類、  謂金師鉄師末尼師等工業知処(一切の世間工業処論は一にあらず。 衆多種々の品類は、いわく金師、 鉄師、 末尼師等の工業知処なり)とあり。  また「同論」に五種の活命を挙げて、 一営農、  二商貿、

_     牧>牛、 四事>王、 五習  学書ね計数及印一 六習忌ナ所余エ巧業処  (一には農を営む、 二には商賀す、 三には牧牛す、 四には王につかう、 五には書算計数および印を習学す、 六にはその余のエ巧業処を習学す)とあり。 また同論に、 工業明に十二種あることを説く。  すなわち左のごとし。

 「要法文」(巻下の四)にもこの種類を列挙せり。  これを「喩伽倫記」(巻五上の五二) に解説して、 生成工業とは六畜を養いて賓生となすが故に、 生を教えて礼儀を修成すといい、 防邪工業とは織繍等なりといい、 和合エ業等とはよく闘訟等を和するをいい、 成熟工業とは飲食を生熟するをいうとあり。 しかして「喩伽略纂」(巻六

の三七)には、 防邪工業者謂織繍等、 西方男作故存ーー本音    名為む防邪一 男子呼"之、 和合工業者買人説>客如ー蘇ー

秦之類一 衆  和市人一也等(防邪工業はいわく織繍等なり、 西方には易の作なるが故に本音を存し、 名づけて防邪となす。  男子これを呼ぶ。 和合工業は賀人客を説く、 蘇秦の類のごとし、 市人を衆和するなり)と解せり。  これによりてこれをみるに、 エ巧明の中には一切の事業を摂し、 占法・呪術までを含むを知るべし。 また、「梱密紗

(巻四の三七) にエ巧明を解説すること左のごとし。

 

文筆讃詠、 歌舞妓楽、 悉善ーー其事一 国城村邑、 宮宅園苑、 泉流跛池、 草樹花薬、 凡所ーー布列咸得石苔扶   金銀麿尼、 真珠瑠璃、 琥瑚等蔵、 悉知ーー其処{  出以示>人、 日月星宿、 鳥嗚地震夜夢吉凶、 身相休咎、 咸善察、  一    無面  悶    工巧明也。

(文筆讃詠、 歌舞妓楽、  ことごとくその事をよくす。  国城村邑、 宮宅國苑、 泉流肢池、  草樹花薬、  およそ布列するところ、  ことごとくそのよろしきを褐。  金銀序尼、 孔珠瑠璃、 珊瑚等を蔵するに、 ことごとくその処を知り、 出だしもって人に示す。 日月星宿、 鳥鳴地震、 夜夢の吉凶、 身体の休咎、  ことごとくよく観察し、一として錯謬なきはエ巧明なり。〔り 統蔵経、    につくる〕)

あるいは「涅槃経」(南本巻七の三、「涅槃経会疏」巻七の六)に、  所謂屋宅耕田種植、 販売市易、 自手作>食、自磨自春、  治レ身冗術調鷹方法、 仰観も生宿一 推玉少盈虚占比相男女

 

解ーー夢吉凶ー、 是男是女、 非男非女、 六十四

 

能(いわゆる屋宅、 耕田種植、 販売市易、 自手作食、 自磨自春、  治身の呪術、 調鷹の方法、 星宿を仰観し、  盈虚を推歩し、  男女を占相し、  夢の吉凶を解す。 是男是女、 非男非女、 六十四能)とあるがごときはエ巧明なり。 しかして、 民間にありて造作機巧に従事せるものは、 四姓中の首陀に属するもののごとし。 例えば「長阿含経

(巻六の八)に、 彼衆生中有二多機巧一 多>所ーー造作一 於レ是世間始有ーー首陀羅工巧之名  (かの衆中に多くの機の巧

なるありて、 多く造作するところあり。  ここにおいて、 世間にはじめて首陀羅エ巧の名あり)とあるを見て知るべし。 以上の説明によりて、 エ巧明の大略を了解することを褐。 そのほか「義楚六帖緒 編目あれども、 参考するに足らざるなり。

 第四章 声明論


第一六節 声明の名義

五明中の第一は声明なれば、  ここに特に声明のことを述ぶべし。「大日経呆宝紗」(巻一本八の九) に曰く、  声明者、 五明随一、  悉曇所学也(声明は五明の随一にして悉曇の学ぶところなり)と。『同拾義紗」(巻三の八)に日く、 声明者声明論、 是五明論随一、  即悉曇家所学論也(声明は声明論なり。  これ五明論の随一にして、  すなわち悉昼家の所学の論なり)と。「声字義撮義紗』(巷上の二論にして、  これ未渡の論なり)と。「悉曇字記紗」(巻一のに口<、  声論者声明論足未渡論也(声論とは声明、「住心品疏」巻一の三五)に曰く、 声明者悉旦蔵也、 是五明随一也、 乃至声明者四明本鉢、 三蔵根源(声明は悉且蔵なり、 これ五明の随一なり。 ないし声明は四明の本体、 三蔵の根源なり)とあり。 また「悉曇創学紗 巻一の四)には、 言ーー声明三者四明之本鉢、 三蔵之根原、 何以故、  一切教法皆得ーー文字一而宜>説、 若離>文字』が由乙起>教云云(声明というは四明の本体、 三蔵の根原なり。 なにをもっての故に、  一切の教法はみな文字を得て宜説す。 もし文字を離るれば教を起こすに由なし、 云々〔〇 続真言宗全書、 宜につくる〕)とあり。  これらの定義によるに、 声明と声論と悉曇との三者は、 その体同一なりと解するもののごとし。  けだし、 悉邑家の学ぶところのものは声論すなわち声明論にして、  これ言語・文字・文章の学なり。  その書、 印度より支那に伝わざりしをもっ て、 これを未渡論なりという。「翻訳名義集」

(巻五の五三)によるに、 声明の梵語は摂抱芯駄なりとす。 もし    南海寄帰伝」(巻四の八)によらば、 夫声明者梵    迄悠挫必駄{  摂抱是声、  認駄是明、  即五明論之一明也(それ声明とは、 梵には摂抱忍駄という。  摂抱とはこれ声、 ヤ必駄はこれ明。  すなわち五明論の一明なり)という。 しかるに、 一書に声論を解して声明記論の略称となす説あり。  例えば「住心品疏冠註」巻一の三五)に、 声論者具云ュー声明記論

 (声論とは、 つぶさに声明記論という)と解せるがごとし。 しかるに「慈恩伝」(巻三の一九)には、 毘伽羅論を訳して声明記論となす。 その文、左のごとし。

笙  婆羅門術印  度梵書名為ーー記論{  其源無>始、 莫>知ーー作者{  毎於二劫初一梵王先説、 伝二受天人一 以二是梵王所


 

脱  故戸  梵書

 

其言極広有ーー百万頌一 即旧訳ーぞ 毘伽羅_論  者是也、 然  其音不>正、 若正  応』ゲ毘耶渇刺誦一此翻名_為一声明記論一_以一其広記  諸法能詮一故名ーー声明記論

(婆羅門の朽を学ぶ。 印度の梵柑は名づけて記論となす。  その源は無始にして作者を知るなし。  つねに劫初において梵王まず説いて天人に伝授す。  これ梵王の所説なるをもっ ての故に梵書という。 その言は極めて広< 百万頌あり。  すなわち、  旧訳に毘伽羅論というものこれなり。 しかもその音は正しからず。 もし正しくは、 まさに毘耶掲刺誦というべし。  ここに翻名して声明記論となす。 その広く諸法の能詮を記すをもっての故に声明記論と名づく。 大正蔵、 授につくる〕)

また「名義集」(巻五の五二)にも、 毘伽羅を解して曰く、

章安疏曰、 此云一字本ー  河西曰、  世間文字之根本、  典藉音声之論、 宣二通四弁{  詞二資世法{  讃ーー出家法一 言詞消雅    義理深遼  雖ーー是外論一 而無 邪 法一 将非 善権大士之所為  也、  故以ーー此論  喩一方等経一 三蔵伝云、  其音不正、 正云毘耶渇刺誦此翻為  声名記論 』云云  ゜

 章安の「疏」にいわく、  ここに字本という。 河西いわく、  世間文字の根本・典籍音声の論、 四弁に宣通し、世法を阿責し、 出家の法を讃す。  言詞清雅にして義理深遼なり。  これ外論なりといえどもしかも邪法なし、まさに善権大士の所為にあらずとせんや。  ゆえにこの論をもっ て「方等経」にたとう。  三蔵伝えていわく、その音不正なり、 正しくは毘耶翔刺誦という。  ここに翻じて声明記論となす、 云々。)

 

「寄帰伝巻四の八)には毘何翔剛怒といいて、 毘伽羅を訛音となせり。「玄応音義」巻二四の二二)には、「広百論の記論外道を解して、  即毘伽羅論是也(すなわち毘伽羅論これなり)といえり。  また「四教儀増暉記(巻二の一    )に、「涅槃疏」を引きて解説せるところあるも、 その文意、「名義集」の釈義に異ならず。 しかして、  これを細説することは次節に譲る。  ただここに、「悉盈蔵巻一のニ)に「釈門自鏡録」(巻上の二二)

を引きて、 梵志と羅漢との問答を掲げたれば、 その文を転載すべし。

昔如来去>世_垂一五百年{  有  阿羅漢声戸迦湿弥羅_国__至  健駄羅国婆羅邑一 見こ  梵志唾ーー訓童稚一 問曰何若二此児一 梵志曰令>__学  声明{  業不一時進一 羅漢追爾  而笑、 梵志日沙門者慈悲為>情、 敵穿傷物類一 仁今所>笑願聞ニ其説{  羅漢曰汝頗害聞下波備尼製ーー声明論一垂砧型  世上乎、 曰具聞>之、 羅漢曰汝子即是彼仙、 猶以下強学翫一世典一 唯談二異論  不品荘真理一 神智唐捐  流転未>息。

(昔、 如来世を去りて五百年になんなんとし、 阿羅漢あり。 迦湿弥羅国より健駄国の婆羅の邑に至り、 一の梵志の童稚に錘訓するを見て問うていわく、 なんぞこの児を苦しむるや。 梵志いわく、 声明を学ばしめんとするに、 業時に進まず。 羅漢は逍ししかして笑う。 梵志いわく、  沙門は慈悲を情となし、 物類を愁紺す。仁、  今笑うところ、 願わくばその説を聞かん。 羅漢いわく、 汝、 もしかつて波備尼の声聞論を製し、 世に垂訓するを聞くや。 いわくつぶさにこれを聞けり。 羅漢いわく、 汝が子はすなわちかの仙なり。 なお、 しいて学して世典を翫習せしめ、 ただ異論を談じて真理を究めざるをもって、 神智唐捐して流転していまだやまざるなり。〔 大正蔵、 苦につくる〕)

 この一話は、「西域記述ぶべし。」巻二の) に出ずるものにもとづくなり。 しかして、 余はこれより声明論の起源を

 


第一七節    声明の起源

 

仏書中に散見せるところによるに、  声明は梵天あるいは帝釈の造るところとなす。  すなわち『拐伽経」「+ 巻拐伽」巻六の に曰く、  釈提桓因解ーー諸論一自造=声論  (釈提桓因は、 諸論を解して自ら声論を造れり)とあり。 もし「大日経演奥紗 巻二    の二九)によらば、 雑紗云帝釈自造面に喪  此論行者四方合云有、 此間未和行

(「雑紗    にいわく、 帝釈自ら声論を造る。  この論の行者は西方にはある ぺし、  この間にはいまだ行ぜられず)とあり。 また『演密紗」(巻八の一によらば、 帝釈造ーー声明_論  能於二  字之中口具ーー諸義利帝釈は声明論を造る。

よく一字の中においてもろもろの義利をそなう)とあり。「声字義』(四、「声字義開秘紗巻上の二五) こ, もヽ

天帝自造一声論一 能於二戸 具含ーー諸義

 (天帝自ら声論を造って、 よく一言においてつぶさに諸義を含す)と しう。  ゆえに声明の起源は、  これを帝釈に怖するなり。  これをもっ て、「大婆沙論」(巻一四 一の四)に善_知一因陀

 

羅声明論

 

(よく因陀羅声明論を知る)と説き、「住心品疏〔冠註〕巻一の_   五)には帝釈声論謂女人  為ーー迦  (帝釈の声論には、 女人をいいて薄伽とす)とありて、 声論を呼びて帝釈の声論となす。 また一説に、  梵天はじめて声明を造るとなす。「唯識枢要」(巻一末の一四)こ"ま、

 

謂劫初起    梵王創造二  百万頌声明一 後命慧減  帝釈後略出為二十万頌{  次有ーー迦多没羅仙  略為二  万二千頌次有二波賦尼仙  略為  八千頌

(いわく、 劫初起こるとき、 梵王はじめて一百万頌の声明を造る。 後に命じて慧をもっ て減ぜしむ。 帝釈後に略して十万頌となし、  つぎに迦多没羅仙あり略して一万二千頌となす。 つぎに波豚尼仙あり略して八千頌となす)

とあり。 あるいは「釈迦氏諮 巻上の一四)に、 印度の音字の起源を述べて、

天竺音字一准二上天    天分  二十八部ー並尊ーー梵王込伊主、  所ー以世界初立、 人物倶空{  梵天来下遂有 枷宕喪   故梵天有生之元始、 音字亦随レ彼而族>之、 今則梵音梵文五天同軌云云

(天竺音字は一に上天に準ず。 天は二十部を分かち、 ならびに梵王を尊びて主となす。 ゆえに世界初めて立つるに人・物ともに空なり。 梵天来下してついに有情の品あり。  ゆえに梵天は有生の元始なり。 音字また彼に随いてこれを族す。 今はすなわち梵音梵文は五天軌を同じくす、 云々)

とあり。 あるいは「演密紗」(巻九の二)に、 同じくその起源を説きて、 天竺則計ュ梵王始生一(天竺にすなわち梵王はじめて生ず)という。 しかして、 また「同紗」に帝釈初略ーー於声明(帝釈は初めて声明を略す)とありて、  その意、 最初梵天これを造り、 後に帝釈これを略すというにあり。 もしそのつまびらかなるは、「慈恩伝につきて見るべし。「慈恩伝巻三の二

 、「天竺字源」序の二)には、 前述の声明記論の起源を示して曰く、

 昔成劫之初、 梵王先説、 具ーー百万頌一 後住劫之初、 帝釈又略為二十万頌一 其後北印度健駄羅国婆羅門親羅邑波慰尼仙又略苔  八千頌一 即今印度現行  者是、 近又南印度婆羅門為ー南印度王    復略為二一千_ 五百頌一 辺凱諸国多盛流行、  印度博学之人所そ不一滋蒟良  此並西域音字之本、 其支分明相助  者、 復有二記論略経云  二  千頌一 又有え子鉢三百頌一 又有  字縁両腿  云云  ゜

(昔成劫の初め、 梵王まず説いて百万頌をそなう。  後、 住劫の初めに、 帝釈また略して十万頌となす。 その後、 北印度健駄羅国婆羅門親羅邑の波脹尼仙また略して八千頌となす。  すなわち今、  印度に現に行わるるものこれなり。 近くまた南印度の婆羅門、 南印度の王のためにまた略して二千五百頌となす。 辺部の諸国に多く盛んに流行す。  印度の博学の人のしたがい習わざるところなり。  これはならびに西域の音字の本なり。 その支分明らかに相助くるものにまた『記論略経種あり、 云々。)

 あって一千頌あり、 また字体に三百頌あり、 また字縁に両

 また「南海寄帰伝」(巻四の八) にも、 さきにいわゆる声明記論すなわち毘何掲硼郎を細説して曰く、

五天俗書総名  毘何翔剛怒一 大数有>五、 同一神州之五経  也、  一則創学悉談章亦名二悉地羅窓親一 斯乃小学標章之称、 但以二成就吉祥云伊目、 本有ーー四十九字一 共相乗転  成二  十八章ー  総有こ  万余字一 合  三百余頌、 凡言二  頌  乃有二四句句八字総成二三十二言一 更有ーー小頌大頌示'缶竺具述一 六歳童子学>之、 六月方了、 斯乃相伝、 是大自在天之所説也、  二謂迄麻咀曜一 即是一切声明之根本経也、 訳為二略詮一 意明  略詮二要義一 有一千頌一 是古博学鴻儒波尼邁所レ造也、  為ーー大自在天ら孟り加被一 面現二=一目一時人方信、  八歳童子八月誦了、三謂ーー駄親章有二  千頌専__明  字元一 功__如  上経、  四謂乞一棄擢章一 是荒梗之義、 意__比一田夫創開ーー疇吠一応  云_二二荒迂一名二額忍托駄頬名ーー文茶_一名  部怒地一 駄親者則意_明一七例一暁一十羅声述ーーニ九之韻一言 七 例者  一切声上皆悉有>之一声中各分

 

二一節

 

謂一言ー一言多言  総成己一十 二戸 也、 如函ぞ男子  一人名補  噌調    両人名ーー補噌賃一人名ーー補噌沙一 此中声有二呼喝軽重之別於  七例外ー更有ーー呼名声一 便成二八例    初句既三  余皆准レ此、 恐>繁不>録、 名迄螂槃多声(総有ニ  + 八、  二十四声一)十羅声者有一十種羅字一 顕一声時  便明三  世之異二九韻者明二上中下導卑彼此之別一 言有二十八不同_名一丁岸喀声也、 文茶則合成二字鉢一 且如樹  之一目一 梵云  認力叉一 便引二十余句経文一共相雑鞣、 方成二事之号一也、 郎拳地則大同  斯例一而以二広略不"等為>異、 此三荒章十歳童子 一年勤学、 方解一其義一 五謂忍栗底蘇咀羅、  即是前蘇咀羅釈也、乃上古作>釈其類窺多、  於元中妙者有二十八千頌一 演ーー其経本ー詳談盃恣疾 _尽一衰中之規矩一__極天人之軌則五童子五歳方解、 乃至此是学士閣耶映底所>造、 其人乃器址弘深、 文彩秀発、  一聞便領一 距仮  再談    敬重三尊{  多営二福業{  没>代子>今向ーニ

 

十載至(中略)

 復有忌心栗底蘇咀羅議釈名ーー朱備{  有二十四千頌一 是学士鉢顛社攘所>造、 斯乃重顕孟削経臀肌分レ理、詳  明後釈一 剖一析奄芭    明経学>此三歳方了、 功与ー春秋ー 周易ー相似。次有 わ伐撤呵利論一 是前朱備議釈、  即大学士伐撤呵利所>造有己一十五千頌{  斯則盛談ー一人事声明之要広叙ニ諸家興廃之由一 深明証唯識一 善論  因喩一 此学士乃響震  五天一 徳流ーー八極{  徹  信『一   宝{  諦_想法一而出家恋ーー纏染  而便俗、 斯之往復数有  七焉、 自祉ぞ深信缶凶果一 誰能若"此勤者。(中略)

空一 希二勝次有  薄迦論{  頌有  七百{  釈有  七千{  亦是伐徴呵利所玉造、 叙  聖教貨及比尿義次有云孟天  頌有千一 釈有二十四千頌乃伐徴呵利所>造、 釈則護法論師所>製、 可>謂窮二天地之奥秘一極二人理之精華、 若人学至ーー於此方_曰一善解二声明一 与一九経百家ー相似、 斯等諸朽法俗悉皆通学、 如其不>学、不五空多聞之称  云云。

 (五天の俗内は総じて毘何総噺拳と名づく。  大数に五つあり、 神州の五経に同じなり。 ーにはすなわち創学悉談草、 または悉地羅窓親と名づく。  これすなわち小学の標章の称なり。 ただ成就吉祥をもって目となす。もと四十九字あり、  ともに相乗転して一十八章を成す。 総じて一万余字あり、 合して三百余の頌なり。  およそ一頌というは、 すなわち四句あり 一句は八字なれば総じて三十二言を成せり。 さらに小頌と大頌とあつぶさに述ぶべからず。 六歳の童子はこれを学ぶに、 六月にしてまさにおわる。  これすなわち相伝う、これ大自在天の説くところなりと。  二には蘇咀唖という。  すなわちこれ一切声明の根本経なり、 訳さば略詮となす。  意は略して要義を詮するを明かすなり。  一千の頌あり。  これ、 いにしえの博学の鴻儒波尼個が造るところなり。  大自在天のために加被せられ、  面に三目を現ぜしということ、 ときの人はまさに信ぜり。 八歳の童子は、  八月にして誦しおわる。

 一には駄親章という。  一千の頌あり、 もっぱら字元を明せり。 功は上の経のごとし。  四に_は一一棄攘章という。  これは荒梗の義なり。 意は田夫のはじめて瞬吠を開くに比す。 まさに二荒章というべし。  一には額窄托駄頬と名づく。  二には文荼と名づく。  三には郎怒地と名づく。 駄親とは、すなわち意は七例を明かし、 + 羅声を暁して二九の韻を述ぶ。  七例というは、  一切の声上にみなことごとくこれあり。

一の声の中において、 おのおの三節を分かつ。 いわく、  一言と二言と多言なり。  すべて二十一言を成すなり。  男子を呼ぶがごとき、  一人を補噌瀧と名づけ、 両人を補噌梢と名づけ、  三人を補噌沙と名づく。  この中の声に、 呼唆に軽重の別あり。 七例のほかにおいて、 さらに呼召の声あり。  すなわち八例を成す。  はじめの句にすで_に一一あり。 余はみなこれに準ず。 繁を恐れて録せず。 蘇槃多声と名づく(総じて三八二十四声あり)。 十羅声とは、 十種の羅字ありて    一声をあらわすときにすなわち    世の異を明かすなり。

二九の韻とは、  上中下・尊卑.彼此の別を明かすものにして、 言に十八の不同あり。 丁岸唸声と名づく。 文荼はすなわち合して字体を成すなり。 しばらく樹の一目のごときは、 梵には認力叉という。  すなわち二十余句の経文を引きて、  ともに相雑鞣してまさに一事の号を成すなり。 郎郡地はすなわち大いにこの例に同じきも、 しかも広略等しからざるをもって異となす。  この三荒章は、 十歳の童子が三年勤学して、 まさにその義を解するなり。 五にはいわく、 硲栗底蘇咀羅、  すなわちこれ、 前の蘇咀曜の釈なり。  すなわち上古に釈を作れるもの、 その類はまことに多きも、 中において妙なるものは十八千頌あり。 その経本をのべてつまびらかに衆義を談じ、 衰中の規矩を尽くし、 天人の軌則を極めたり。  十五の童子が五歳にしてまさに解するなり。ないし、  これはこれ学士闇耶映底のつくるところなり。 その人はすなわち器飛弘深にして文彩秀発し、  ひとたび聞けばすなわち領す。 なんぞ再談をからんや。 敬いて三尊を重んじ、 多く福業を営めり。  代を没してより今にいたる三十載にちかづく。(中略)〔   切 大正蔵、 荼につくる〕

またで必栗底蘇咀羅の議釈あり、 朱備と名づく。  二十四千頌あり。  これ、  学土鉢顛社攘が造るところなり。これすなわち、 重ねて前の経をあらわして臀と肌と理を分かち、 後釈を詳明にして、 篭芭を剖析す。  経を明かすにこれを学ぷこと、  三歳にしてまさにおわる。 功は「春秋」「周易」と相似たり。

つぎに伐徴呵利論あり。  これ前の朱備の議釈なり。  すなわち、 大学士伐撤呵利の造るところなり。  二十五千頌あり。  これすなわち、 盛んに人事声明の要を談じ、 広く諸家興廃の由を叙し、 深く唯識を明らかにして、 よく因喩を論ず。  この学士はすなわち響は五天に振るい、 徳は八極に流る。 徹して三宝を信じ、 つまびらかに一一空を想う。  勝法をねがいては出家し、 纏染を恋いてはすなわち俗となり、 この往復の数は七たびあり。 深く因果を信ずるにあらざるよりは、 だれかよく、  かくのごとく勤著せんや。(中略)

つぎに薄迦論あり、 頌は七百あり、 釈は七千あり。 またこれ、  伐撤呵利の造るところなり。 聖教の試および比派の義を叙せり。

つぎに草拳あり、  頌は三千あり、 釈は十四千あり。  頌はすなわち伐撤呵利の造るところにして、 釈はすなわち誰法論師の製するところなり。 天地の奥秘を窮め、 人理の精華を極むといいつべし。 もし、 人ありて学びてここに至らば、 まさによく声明を解すというべし。 九経百家と相似たり。  これらの諸害は、 法と俗とことごとくみな通して学す。 もしそれ、 学ばざれば多聞の称を得ず、 云々。)

また、「唯識枢要」(巻上末の一四) には声明に五種あることを示し、「瑞伽論」(巻二の一九)には五品あることを掲げり。 よろしく本書につきて見るべし。 もし『悉盈三密紗」(巻上の三)の解するところによらば、 毘伽羅論新云ーー毘阿掲刺拳一 此云ーー声明記論一 広記二諸法能詮一 即解  阿閾婆陀一也(毘伽羅論は新たには毘阿翔嘲拳といい、  ここには声明記論という。  広く諸法の能詮を記す、 すなわち阿闊婆陀を解するなり)とあり。  また『悉曇考薮紗」(巻上の一 には、 帝釈所造声論、 猶以こ  言ょぎ衆徳一 況梵王所製毘伽羅論、 登無二  文多義徳一乎

(帝釈所造の声論はなお一言をもっ て衆徳を含む。 いわんや梵王所製の毘伽羅論に、 あに一文多義の徳なからん論 や)とあり。  しかれども、 声明論は訳してこれを伝えざりしをもって、  今日そのいかんを知るに由なし。 ゆえに紹    「蘇曼多声略釈」(二)に、  声明論但行二天竺一 未>到二此土一 独恨  其法不占可二詳知  (声明論はただ天竺のみに行われ、  いまだ此土に至らず。  ひとりその法の詳しく知るべからざるを恨む)という。

 


第一八節    悉曇の名義

ここに声明論を講ずるには、  必ず古来伝うるところの悉位の大意を述べざるべからず。 悉昼とは「翻訳名義集 巻五の五によるに、  ここに訳して成就とも所生ともいう。 また「三論玄疏文義要巻三の四一)によるに、 悉且者梵語是究党義也(悉檀は梵語、  これ究党の義なり〔 大正蔵、 檀につくる))と解し、「涅槃玄義発源機要 巻二の六)にも種々の翻名を挙示せり。 しかるに「悉曇創学紗 巻一の一八)には、 その翻名に二釈ありとす。  すなわち、 その第一は二字同じく梵語となす説にして、「法華遊意」によるに、  ここに吉法また成就と名づくという。  かつ「大乗義章」(巻二の七七)を引きて曰く、

言忌  檀著  是中国語、 此方義翻其名不>一、 如ーー榜伽中子註釈言一 或名為>宗、 或名為丘成、 或云袖理也、 所謂宗者釈有  両義 対社法弁>宗、 法門無屈宗要在>斯、 故説為>宗、  二対>教弁>宗、 教別雖>多、 宗帰頗顕二世界等四ー(所謂四悉檀)、 故名為>宗、 義無二乖反    故称為>成、 諸法理趣、 故名為>理

(悉檀というはこれ、 中国の語なり。  この方の義翻、 その名一ならず。「拐伽」の中の子注に釈していうがごとくんば、 あるいは名づけて宗となし、 あるいは名づけて成となし、 あるいは理というなり。 いうところの宗とは、 釈に両義あり。  一には法に対して宗を弁ず。 法門無凪なれども、 宗要ここにあり。 ゆえに説いて宗となす。 一一には教に対して宗を弁ず。 教は別して多しといえども、 宗は帰してほぼ世界等の四(いわゆる四悉植)をあらわす。 ゆえに名づけて宗となす。 義乖反することなし。  ゆえに称して成となす。 諸法理趣なり。  ゆえに名づけて理となすとあり。  また「演密紗巻六の一八)を引きて曰く、 梵語悉曇此云  成就{  准ーー声明中即是男声、 八転中属一於業声一 業謂造作、 以>此為>本、 而能成コ弁諸章文字及名句等一 故云二成就  (梵語の悉曇はここには成就という。

声明の中に準ずるにすなわちこれ男声、  八転中には業声に属す。 業とはいわく造作、  これをもって本となす。 しかしてよく諸章の文字および名句等を成弁す。 ゆえに成就という)と。 また「悉位蔵」(巻四の五)を引きて曰く、 裟家釈云、 悉位此云  成就一 諸文辞章句皆依莱`品  而成就也(袈家釈していわく、 悉暴ここには成就という。もろもろの文辞・章句、  みな悉偽によりて成就するなり)とあるがごときをいう。

その第一ーは初字を漢字となし、  後字を梵語となす説にして、「悉表蔵」に南岳師云梵漢並挙如ーー大涅槃一 悉之言遍、 檀翻云砿施、  聖人遍施之言也(南岳師いわく、 梵    要ならびに挙ぐるとは大涅槃のごとし。  悉の言は遍、 檀は翻じて施という。  聖人遍施の言なり)とあるがごときをいう。  しかして、 その後義は「法華玄義」に出ずる説にして、「玄義」(「法華玄義科本巻ーの一ーの一六、『法華玄義会本」巻の下の二、「法華玄義釈簸講述    巻一下の二)には、 悉檀是仏智、 対ーー利鈍根ー則成ー一四種  (悉檀はこれ仏の智なり、 利純の根に対すればすなわち四種を成ず)と説き、 世界悉檀、 為人悉檀、 対治悉檀、 第一義悉檀、  これを四種悉檀という。  その解釈は、「大蔵法数」(巻一七の一五)につきて見るべし。  これ、  ここにいわゆる悉昼とその意を異にするも、 その二字を漢訳と梵語との二字より成るとなすがごときは、  はなはだ怪しむぺし。 しかして、  ここにいわゆる悉役は二字ともに梵語にして、 成就を義とするものと知るべし。  けだし、 成就の義は文句・文章を成弁するの謂にして、 印度の文字もしくは文法に与えたる名称なるべし。  ゆえに「悉晨字記」(初、「悉嚢字記捷覧」巻上の四)の巻首に曰く、 悉嚢天竺文字也(悉餞は天竺の文字なり)と。 また「字母釈義」巻上の一の巻初に曰く、 梵字悉晨者印度之文

 

書(梵字悉晨とは印度の文害なり)と。 また「悉位明了記」(巻一の二)に曰く、 悉母両字印度梵号、 般若菩提所  伝称一也(悉位の両字は印度の梵号なり。 般若菩提に伝称せらるなり)と。  ゆえに、 悉最は印度の文字・文書に与うる名目にして、 悉曇学は声明中、  文字の学なること明らかなり。 しかしてその字を梵字といい、 その語を梵語というがごときは、 梵天の所造なるによる。  さきに第八節に述べしがごとく、  印度は人類・万物ことごとく梵天より生ぜしとなすをもっ て、 梵の字は印度の異名のごとく用うるなり。 もし「悉昼蔵」(巻一の二七)に掲ぐるところによらば、 今五天竺四姓之輩、 元雖ーー光音天種一 而以二四禅主ー各称二梵王    至二其種族一亦称ーー梵人    所レ

言梵者是語略也、 具足可』云  波羅賀摩一云云(今、 五天竺の四姓の輩は、 元、 光音天種なりといえども、 しかも四禅の主をもって各梵王と称す。  その種族にいたりてはまた梵人と称す。 言うところの梵とはこれ語の略なり、具足して波羅買摩という ぺし、 云々)と。 また「七帖見聞」(巻二本の四一) こま、  たずねいう、 天竺の言をなんぞ梵語というや。 答う、 劫初に衆生は成るといえども語ることあたわず。 初禅の梵王下生し、 身に光明ありて八王子を生ぜり。 また四十七言を説く。 天竺の人、 梵天の言を学べり。  ゆえに梵語という。 天竺の字を梵字というはこの意なりと記せり。  これよりようやく因習して、 美辞妙語を梵言と称するに至れり。 ゆえに、「浄土論註」

(巻上の一五、「浄土論註顕深義記」巻二の四四)に、 天竺国称ーー浄行玉竺梵行一_称一妙辞玉竺梵言一 彼国資二重梵天{  多以>梵為砿讃(天竺国は浄行を称して梵行となし、 妙辞を称して梵言となす。  かの国は梵天を貸び重んじ、多く梵をもって讃となす)とあり。 今「西域記巻二の五)によりて悉穀の事情を考うるに、 左のごとし。


 詳 其 文主  梵天暫  製、 原始  垂>則四十七言、 遇>物合成随五事転用、 流己演    枝狐  其源 浸広、 因>地随  人微有二改変一 語ーー其大較ー未>異ー一本源一 而中印度 特_為一詳正一 辞調和雅    与レ天同>音、 気韻清亮_為一人軌則一 隣境異国習謬成>訓、 競超訟探匹莫>守ーー淳風一 至ー於記>言書"事各有司存、 史諾惣称謂ーー尼羅蔽荼(唐言ーー青蔵善悪具挙、{火詳備著、  而開>蒙誘進、 先遵二十二章

 

(その文字をつまびらかにするに、  梵天のつくれるところにして、  始めをたずぬれば 則 を垂るること四十七言なりしも、 物に遇って合成し、 事に随って転〔々運〕用し、 枝派を流れ演びその源はますます広くなれり。 地により人に随ってすこしく改変あれども、 その大較を語れば、 いまだ本源を異にせず。 しかして、 中印度は特に詳〔細〕正〔確〕たり。 辞の調は和雅にして 梵〕天と音を同じくし、 気韻は清亮にして人の軌則たり。  隣境や異国はあやまれるを習いて訓をなし、 競って溌俗にはしり、 淳風を守るものなし。 言を記し事を書くにいたりては、  おのおの有司を存せり。 史と諾とは総称して尼羅蔽荼(唐にては青蔵という)と しし善も悪もつぶさに挙げ、{火も祥もつぶさにしるせり。 しかして、 蒙を開きて誘進するには、 まず〔悉昼〕十二章に遵 う。〔山 大正蔵、 趨につくる〕)

また「字記」(一、「悉嚢字記捷覧」巻上の五)には、 五印度の言語の異同を記して曰く、

号  唐朽旧翻  兼詳西'天音韻  不>無ーー差反一 考二薮源濫所 >帰悉給、 乃至南天祖  承靡醸首羅之文一此其是也、而中瓦剛  叫=竜宮之文一 包  与二南天一少異上而綱骨必同、 健駄羅国惑多這文独将一午尤異而字之由皆悉昼也。

(唐行の旧翻と、 兼ねて中天の音韻をつまびらかにするに、 差反なきにあらず。  源濫を考荻するに婦するところ悉位なり。 ないし、 南天、 摩薩首羅の文を祖承す。 これそれこれなり。  しかるに中天は兼ぬるに竜宮の文をもってす。 南天と少異あれども、 しかも綱骨は必ず同じ。 健駄羅国の愚多迦の文はひとりもってもっとも異なる。 しかして字の由はみな悉仕なり。)

かつ曰く、  五天之音或若ーー楚夏玉、 中土学者方審二詳正  (五天の音はあるいは楚と夏のごとし。 中土を学者は方に正と審詳す)とあり。 もし「華厳大疏」(巻_   四)によらば、 五竺口呼則軽重有磁{、_書一之貝葉一字鉢不レ殊

(五竺は口で呼ぶにすなわち軽重異なりあり。  これを貝葉に柑するに字体殊ならず)とあり。  これによりてこれをみるに、 天おのおの多少その語音を異にするも、 ともにこれ悉曇にして、 しかも中天竺をもって最も正しきものとなす。 もしそれ、 西籍伝うるところによりてこれを考うるに、 印度古代の文学はこれを散斯克〔サンスクリット〕と称し、 その俗語をパー リと称す。 けだし、  パー リ語は印度一地方の俗語にして、  各地方の俗語をいうにあらず。  すなわち、 その語は中天竺摩迦陀国の語なりという。 もし各地の俗語を総称するときは、  これをプラークリットという。 けだし、  パー リ語はプラー  クリッ トの一種なるも、 通常プラー クリットの称は、  パー リ語を除

きたる自余の方語に与うることとなり、 印度の語は、 散斯克、  パー リおよびプラー クリット_の一一種に分かつ。 しかして、  パー リとプラー  クリットとはともに散斯克より転化して、 地方の方言・土語となりたるものなり。 婆羅門の古書神典はみな散〔斯〕克語より成り、 仏書は一部分散斯克語より成り、  一部分パー リ語より成るという。 古来わが国において悉最学と称して伝えきたりしものも、 また散斯克語あるいはパー リ語なるべし。 しかれども、中古支那より印度に入りて学びたるものは、 多く散斯克語なりという。  これらのことは、 しばらくその道専門の学者に譲るをよしとす。 もしまた「宋高僧伝」(巻三の一四、「註梵字次第記巻上の六)につきてこれを考うるに、 印度の語に胡と梵との二種ありて、 その字源の数もおのおの異なることを示せり。  その文、 左のごとし。   胡語梵言者、  一在五  天竺純 梵語、  二雪山之北是胡、 山之南名二婆羅門一 国与レ胡絶、  書語不レ同、 従 謁 霜那

国  字源本二十余言、 転而相生、 其流漫広、 其む竪読同 震 旦一敗、  至 吐貨羅  言音漸異、 字本二十五言、 其書横読、 度 葱 嶺南一 迦畢試国言字同  吐貨羅    已上雑類為知胡也、 若ー印度言字一梵天所>製、 本四十七言、 演而遂広号二青蔵  焉、 有二十二章  教函授童蒙一 大成二五明論一 大抵与丘胡不面同、 五印度境弥亘既遥安  無ーー少異乎  ゜

(胡語梵言とは、  一には五天竺にある純梵語なり。  二には雷山の北はこれ胡、 山の南は婆羅門と名づく。  国は胡と絶し、 柑語同じからず。  掲霜那国よりは、 字源もと二十余言、 転じて相生ず。  その流没広なり。  その書竪読すること震旦に同じきか。 吐貨羅にいたりては言音ようやく異なり、 字もと二十五言、  その書は横読

す。  葱樹の南をわたるに、 迦畢試国の言字は吐貨羅に同じ。 以上の雑類を胡となすなり。  印度の言字のごときは梵天の製するところ、 もと四十七言、 のべてついに広きを青蔵と号す。 十二章あり、 童蒙に教授し、 大いに五明論をなす。 たいてい胡と同じからず。  五印度の埃にあまねくひろがりし、 すでにはるかなり。 いずくんぞ少異なからんや。)

これ、  印度にも種々の方言・土語あることを示せるものなり。



第一九節    悉曇の相承

 

つぎには、  悉曇の相承につきて一言せざるを得ず。 しかして、  その起源は「悉曇字母釈義巻上の五)による論 るに、 劫初之時世_無一法教梵王下来授以 悉 昼章一 根原四十七言、 流派余二  万一 世人不>解一元由{  謂二梵王所作  (劫初の時、 世に法教なし。 梵王下り来たりて授くるに悉曇章をもってす。 根原は四十七言、 流派は一万に余る。  世人、 元由を解せずして梵王の作るところという)とあり。 また、 今掲ぐるところの「宋高僧伝」(巻 の一四)にも、  印度の言字は梵天の所製なりという。 そのほかは第一七節に述べしところを見るべし。 ただここに「悉晨蔵」(巻の二五)および「悉_晨一一密紗」(巻上の三) によりて、  その相承の異説を開示するに、 第一に梵王相承、 第二に滝宮相承、 第三に釈迦所説、 第四に大日相承の四種ありとす。  すなわち、 左に「三密紗」の文を引用すべし。 しかしてその説、 第一七節に述べしものと重複せるところ多きも、 悉曇の起源と声明の起源ともと同一なれば、  これまたやむをえざるなり。

初、 梵王相承者劫初成時、 摩隣首羅与和比樅剣ー和合生>子、 名二波藍摩一 彼有二四面    牙四婆陀一 並址世法、後面所説名二阿闊婆陀一即声明也、 後人更造ーユハ論 』ぎ四婆陀其一名ーー毘伽羅論西方重二此声論一 経二十二年一乃有二通解一 非.ー初学者之所迄叱解一 婆藍序亦曰二造柑天一 三兄弟造_  二行柑造 活 行伽閂    蚊弟蒼頷造一下行策梵王造二左行梵伽災仙人所レ言梵王所説者根本四十七言也、  謂十二麿多、 三十五鉢文、 合字転声_有一無尽字    且立二  十八章ー以為二標準一 字記云南天祖ーー承序薩首覇之文五心也、 又義浄南海寄帰伝云鼠悉昂総有二  十八京一 則中天所>用又十八京也、 今取 彼伝要一云  ゜

(初め梵王相承とは、 劫初成ずる時、 摩醸首羅、 毘隈剣と和合して子を生み、 波藍摩と名づく。 彼に四面ありて四婆陀を説く。 ならびにこれ世法なり。  後面の所説を阿闘婆陀と名づく、 すなわち声明なり。 後人さらに六論を造りて四婆陀を解す。 その一を毘伽羅論と名づく。 西方にこの声論を重んず。 十二年を経てすなわち通解あるも、 初学者のよく解するところにあらず。 婆藍摩また造困天という。 三兄弟三行の行を造る。 梵王は左行の梵布を造り、 伽炭仙人は右行の伽    を造り、  最弟の苔額は下行の策柑を造る。いうところの梵王と所説とは根本四十七言なり。 いわく、 十二麿多と三十五体の文なり。 合字転声に無尽の字あり。 しばらく一十八章を立て、 もっ て標準となす。「字記」にいわく、 南天に摩隣首羅の文を祖承す、

 

とこれなり。  また義浄の「南海寄帰伝」にいう、 悉俎に総じて十八立あり、 と。  すなわち中天に用うるところ、 また十八章なり。 今、  かの伝の要を取りていう。

一、 創学悉談章" 相伝、 是大自在天之所説也。(相伝う、  これ大自在天の所説なり、 と。)

二、  蘇岨 千頌、 昔北天竺健駄羅国、 婆羅親邁邑、 婆羅門波備尼仙_為  大自在天之所ー加ー   被幸び造。

(一千頌、 昔、  北天竺の健駄羅国の婆羅親遁邑の婆羅門波備尼仙、 大自在天のために加被せられて造るところなり。)

 三、  駄親章

一千頌、 再明え子元

 (一千頌、 もっぱら字元を明かす

 四、 三棄阻章

 三章各一千頌、  一薙広叩氏親    二文荼三駆箪彰。(三章各一千頌、  一には頬忍托駄親、ニには文荼、 三には郎怒地なり。)五、  珈栗底蘇咀羅(即釈ー前蘇咀羅

 (すなわち前の蘇咀羅を釈す))ー上古作レ釈其類窺多、  於レ中妙者有二

 十八千頌一 中天竺那燿陀寺学士闊邪映底之所レ造。(上古釈を作るにその類まことに多し。 中において妙なるは十八千頌あり、 中天竺那爛陀寺の学士闊邪映底の造るところなり。)

六、 朱備(釈忌心栗底蘇咀啜蕊  栗底蘇咀囃を釈す))

二万四千頌、 学士鉢顛杜攘之所>造。(二万四千頌、 学士鉢顛杜攘の造るところなり。)

 七、 伐撤呵利論(釈ー前朱個(前の朱備を釈す))_   万五千頌、 大学士伐徴呵利之所>造。(二万五千頌、大学士代撤呵利の造るところなり。)

 八、 薄迦論(叙ー型教政及比屈義千頌。)(作者上に同じ(聖教址および比此義を叙す本頌七百、 釈七千頌(本頌七百、 釈七

 九、  箪怒(窮ーー天地之奥秘一_極一人理之籾華  (天地の奥秘を窮め、  人理の糀華を極む ー  本頌三千伐撤呵利之所レ造、 釈一万四千頌、  法護論師之所>製。(本_頌一一千は伐徴呵利の造るところ、 釈一万四千頌は法護論師の製するところなり。)

斯等諸書法俗通  学。(これらの諸書の法を俗は通じて学ぶ。)

 (以上は「南海寄帰伝」によりて表出せるものなれば、 第一七節に引用せる『寄帰伝」の本文を参照すべし)

 つぎに竜宮、 釈迦、 大日の一一相承は、  ここに詳説するを要せざれば略する意なるも、 ただ「三密紗」(巻上の五)に表示せるものを左に転載すべし。

二、 竜宮相承者、 釈淳滅後初五百年小乗教典、 諸大乗経皆移ーー竜宮一 後五百年大乗教興、 竜猛菩帷入函匹取経所>伝、 字記中天兼  以二竜宮_文  者是也。

(二、 竜宮相承とは、 釈尊滅後、 初の五百年は小乗教興り、 もろもろの大乗経みな竜宮へ移す。  後の五百年に大乗教興り、 竜猛菩薩海へ入りて経を取る。 伝うるところ、「字記」に中天は兼ぬるに竜宮の文をもってす、  とはこれなり。)

三、 釈迦所説者、 文殊問経五十字母、 華厳経中善財知誠善'知,衆'芸童子説二四十二字一 方広大荘厳経示柑品、  説』悉達太子示  入ーー学堂伽霜・四十六字母い大集経海慈菩薩品説二二十八字門句一 大般若経中亦説ーー四

十二字等語等    大涅槃経亦説こ  十四音五十字義一 仏滅度後文殊弥勒与二阿難等ー結集  伝>世。

 

(三、 釈迦所説とは、「文殊問経」の五十字母、「華厳経」の中に善財の知識善知衆芸童子四十二字を説く。『方広大荘厳経」「示書品」に、 悉達太子学堂に入るを示し、 はじめて四十六字母を唱うることを説く。

「大集経  「海慧菩薩品」に二十八字門句を説く。「大般若経」中にまた四十二字等・語等を説く。「大涅槃経」にまた一十四音五十字義を説く。 仏滅度後、  文殊、 弥勒、 阿難等と結集して世に伝う。)

四、 大日相承者、 大日如来金剛頂瑠伽経中有 釈字母品    説 五 十字一 大日経具縁真言品及字輪品説 五 十字金剛薩    埋結集、 竜猛菩薩入ー一南天鉄塔一誦伝流通。

(四、 大日相承とは、 大日如来、「金剛頂喩伽経」中に「釈字母品」あり、 五十字を説く。「大日経  「具縁真言品」および「字輪品」に五十字を説く。 金剛薩唾結集し、 滝猛菩薩南天の鉄塔に入りて誦伝流通す。)

 これ「一二密紗』に『悉曇蔵」を抄出して表示せるものなれば、 よろしく「悉曇蔵」(巻の二六)を参見すべし。  かつ「玉印紗」(巻九の一)に、「梵字声明相承次第のこと」と題して梵字相承を論ぜり。  これまた参考して可なり。  また「悉曇考要」(巻上の二)によるに、 悉曇の起源は劫初大梵王所製の悉嚢と、 住劫小梵王所宣の悉曇との二種ありとなす。 しかしてそのいわゆる小梵王とは、 梵王の人間に下来したるものをいう。  すなわち、 光音天下りて梵王となり、  さらに下りて人問にきたり、 名を改めて商翔羅となる、  これを小梵王という。  これらの論     起源および相承は、 悉昼害類の中にたいてい掲ぐるところなれども、 秘怪にわたれる一種の神話なれば、 今日の言語学者のもとよりいれざるところなり。  ことに、 劫初に梵王は毘紐天と嫁し.て波羅摩、 伽楼、 蒼頷の三子を生じ、 波羅摩は天竺にありて梵字を製し、  伽楼は竜宮に現じて右行の伽字を作り、  蒼頷は後に震旦に飛往して下行の簗害を作るといい、 あるいは三兄弟中、 梵王は天竺に生まれて梵字を作り、 伽楼は胡国に生まれて胡文を作り、 蒼頷は支那に生まれて築書を作るというがごときは、  これ悉曇内中に往々見るところの説なるも、 たれかこれを信ずるものあらんや。「梵漢対映集」(巻上の八)にはもっぱらこの説を唱えて、 支那の文字を印度より起こるものとなす。 そのことは「伝通記」および「鞣紗三の二二)の文を引用すべし。

 巻一四の一 )にも見るところなれば、 左に「伝通記」(巻明王院云、 文選云、 梵王楼伽百頷  三兄弟_来一下人間有ーー梵書伽書笈轡左右下_之行二種害在ーー天竺一行化、字是梵字、 左右行為>異、 蒼頷後来全'震旦一 黄帝時飛え仕海辺{  観一己鳥跡んば字、 策書是也、 今案,..蒼公伊舎那、 摩酪首羅第六天王也、 悉曇抄云、 梵字梵王所製  者梵王__与  毘紐天一嫁生二三子一 謂波羅摩、 迦楼、 蒼頷波羅摩作  梵字一 迦楼於二竜宮ー造>字、 在頷於二震旦一造>字、  若依二此説一漢音猶似ーー正音一 可乙云梵語正音漢語傍音一 弘決云、 蒼頷見二鳥跡ん    文字ー処者、  迦葉仏説法堂也。

(明王院いわく、『文選」にいう、 梵王・怯楼・蒼頷の三兄弟、 人間に来下し、 梵内と怯害と簗害あり。 左右下の三行二種の行天竺にあり行化す。 字はこれ梵字、  左右の行を異となす。 蒼頷のちに霞旦に来下し、 黄帝のとき海辺に飛往し、 鳥跡をみて字を作る、 築柑これなり。 今案ずるに蒼公は伊舎那、 摩醒首羅は第六天王なり。『悉唇抄 にいわく、 梵字は梵王の所製とは、 梵王は毘紐天のために嫁して三子を生む、 いわく、 波羅摩・迦楼・蒼頷なり。 波羅摩は梵字を作り、  迦楼は竜宮において字を造り、 百頷は震旦において字を造る。もしこの説によらば漢音はなお正音に似る。 梵語を正音、 漢語を傍音というぺし。「弘決」にいわく、 蒼頷は鳥跡を見て文字を作る。 処は迦葉仏の説法堂なり。正蔵、 怯楼につくる、同、 怯につくる〕)

 これ、 神話の一種となすよりほかなし。 しかるに、 悉嚢書類に梵字の本源を論ずるに、  法爾と随縁との二門を分かつ。 今述べたる梵王・竜宮・釈迦・大日の四種の相承は、  これを随縁相承という。 もし法爾の本源を述ぶれば、「字母釈義」(巻上の七)に、  若依二毘盛遮那経云一 此是文字者自然道理之所作也、 非二如来所作一 亦非ー一梵王諸天之所作(もし「毘慮遮那経によるにいわく、 これこの文字は自然道理の所作なり。 如来の所作にあらず、

 また梵王諸天の所作にあらず)とありて、 文字は自然に起こり、  法爾として存し、 造作すべからず、 変易すぺからずとなす。  ゆえに真言宗にありては、 密教自然道理之所作、  本有常住之文字也(密教は自然道理の所作、 本有常恒の文字なり)と唱うるなり。  すなわち『呆宝私紗」(巻三の初)に、 梵字法然之義自宗綱骨也(梵字は法然の義、 自宗の綱骨なり)と述ぶるを見て知るべし。「三密紗  (巻上の一)にも梵字の本源につきて、 はじめて法爾当恒の体を明かし、  つぎに随縁相承の別を釈せり。  しかして、  法爾常恒を証するに「大日経疏」を引きて曰年く、 以  如来身語意畢覚等一故、 此真言相声字皆常、 故不>流、 無>有二変易一 法爾如>是、 非ーー造作所_成

 (如来の身・語・意は、 畢覚等しきをもっての故に、  この真言の相と声と字とは、  みな常なり。  ゆえに流れず、 変易あることなく、 法爾としてかくのごとく造作のなすところにあらず)とあり。 ゆえに、 また『字母釈義」(巻上の四八) には、 然則此梵字者亘ーニニ世一而常恒、 遍二十万ー以不>改(されば、  すなわちこの梵字は一二世にわたりて常恒、十方に遍してもって改めず〔 大正蔵、 方につくる〕)と解せり。  また「悉昼考要」(巻上の二)には、 法爾文字者無始本有悉曇十界具足、 六塵風声水音無こ  而非二文字一 故大師御釈曰、 五大皆有>響十界具一言語{  六塵悉文字、法身是実相(法爾の文字は無始本有の悉昼は十界に具足す。 六塵の風声水音    として文字にあらざるはなし。  ゆえに大師の御釈にいわく、 五大みな響あり、 十界は言語を具す。 六塵はことごとく文字、 法身はこれ実相なり)

と説けり。  これ、 言語・文字の深意を開示せるものなれば、 大いにその味ありといえども、「秘蔵記」巻本の一

 


六、「遍明抄」巻二の二)に梵字と漢字との正邪を論じて、 梵字は本有の理より起こり、 漢字は妄想より起こるをもって、 梵字を正とし澳字を邪とするに至りては、 褒貶もまたはなはだしといわざるべからず。


第二    節    梵字の性質

すでに梵字の深意に入りて述ぶるところを見るに、 多少神秘にわたる点なきにあらず。 左に「法界安立図(巻上の上のより、「梵字」と題する一節を抜きて掲ぐべし。

梵字猶  古策一也、 自ーー開闘 来即_有_   其文一 歴ー万ー   万余年一古今不>易、 不面型此方文字、 策隷遷訛{  元従ふ梵天  伝来改曰森岱只  金銀輪王逓相承用、 故_柑一梵字ー処妖魅遠離、 唱玉盈戸時鬼神敬畏、 蓋天帝之玉音、 執敢_不一敬奉  哉、 是以諸仏説法皆用二梵音一 天竜八部遵奉流行、 以_至一呼>天天応、 召>虫虫馴一 通>幽徹>明、  至霊至神者其惟梵音乎、__詮  梵音ー者是為ーー梵字総持一 経中明二諸利益一 如下存ーー阿字一而入。定、_観一字輪  而明>心、瞳字出>供、 可ーニ以上献ーー諸仏一 乾哩舒>光、 可ー和以下_抜一群苦一 能令ー一染者浄、 愚者智、 夭者寿、 病者径、 推>邪輔>正、 饒ーー益群生玉者、 其惟梵書之用乎、 世間文字有ユハ十四種一 第一梵書、 第一一怯楼内、 乃至蓮華樹葉、 旋掲転至ー六十四書{  名_二  切種音{  六十四種害中、 梵書為二第一一 故知梵書為ー   文字之王

(梵字はなお古築のごとし。 開闘よりこのかたすなわちその文あり、 万々余年を経て古今に不易なり。  この方の文字、  築隷、 遷訛するに同じからず。 元、 梵天より伝来し、 改めて梵書という。  金銀輪王たがいに相承用す。 ゆえに梵字を害くところ、 妖魅遠離し、 梵音を唱うる時、 鬼神敬畏す。 けだし天帝の玉音、  いずれかあえて敬奉せざらんや。  これをもっ て諸仏の説法はみな梵音を用い、 天竜八部は遵奉し流行す。 もっ て、 天を呼べば天応じ、 虫を召せば虫馴るるに至る。 幽に通じ明に徹し、 至霊至神なるはそれただ梵音なるか。 梵音を詮する者はこれを梵字総持となす。 経中にもろもろの利益を明かすに、 阿字を存して定に入るがごとし。  字輪を観じて心を明かし、 晩字は供を出だしもっ て上は諸仏に献ずべく、 乾哩は光をのべもって下は群苦を抜くべし。 よく染者を浄に、  愚者を智に、 夭者を寿に、 病者を経え、  邪をくだきて正に輔し、 群生を饒益せしむるは、 それただ梵書の用か。  世間の文字に六十四種あり。 第一は梵忠、 第二は怯楼也、 ないし蓮華樹葉、 右施榔転して六十四書に至る。  一切種音と名づく。 六十四種の柑の中、 梵書を第一となす。 ゆえに知る、 梵書は文字の王となすことを。)

かくのごときは、 梵字を過称するのはなはだしきものという ぺし。 また「翻訳名義集  「序文」(一) に、  梵語

を訳せずして原音を存するゆえんを示して曰く、

 唐芙法師論ーー五種不翻一 ー秘密故、 如=陀羅尼二含二多義五故、_如  薄伽梵具ユハ義一 三此無  故、 如珈向浮樹中夏実無ーー此木一 四順>古故、 如二阿孵菩提一 非呆不レ可』翻、  而摩騰以来常存  梵音{   五生レ善故、 如ー一般若尊重


智慧軽賤

(唐の芙法師、 五種不翻を論ず。 ーに、 秘密の故に、 陀羅尼のごとし。 一ーに、 多義を含むが故に、 薄伽梵に論 六義を具するがごとし。  三に、  ここになきが故に、  閻浮樹は中夏に実にこの木なきがごとし。  四に、 こしえに順ずるが故に、  阿孵菩提は翻ずべからざるにはあらざれども、 摩騰以来常に梵音を存するがごとし。 五に、 善を生ずるが故に、 般若は尊重にして智慧は軽賤なるがごとし)

 とあり。 しかして、「=一蔵法数」巻二    の七、「大蔵法数」巻二六の一にその意を釈せり。 あるいはまた「悉晨字母釈義」(巻上の四一)に、 梵字梵語於こ  字声ぎ無量義一 改為ーー唐言但得  片玉一 三隅則閾(梵字梵語に一字声において無屎の義を含む。  改めて唐言となすに、 ただ片玉のみを得て、 三隅すなわち欠く)と説けり。 けだし、 梵語中訳し難きものあるは、 あえて原語の意の、  ことに甚深幽妙なるゆえんにあらず。  すべて他国の語を自国に訳するときは、 その意の全分を表示すべからず。 梵字を支那に訳するも、 漢字を印度に翻するも、あにその難易を異にするの理あらんや。 もし、 梵字の種類およびその集まりて語を成し文を成すがごときは、  これ悉曼学の説明するところなれば、  ここにこれを略す。  その数にいたりては、 さきに述ぶるがごとく、 梵王所説の本源は四十七言にして、  これを韻文十二言、 体文三十五言に分かつ。 韻文これを摩多といい、 体文は一名字母という。「悉昼明了記」(巻一のーニ)に、 十二の摩多は韻の源、 三十五の体文は声の源と説きて、  四十七字をもって梵語の原始となす。  これを「悉晨字記」(三)の文には、

其始曰二悉母{  而韻有>六、 長短両分、 字十有二、 将冠ーー下章之首一 対>声呼而発レ韻声合>韻而字生焉、 乃至其次鉢文三十有五、 通ー品前悉俎  四十七言明妄

(その始めに悉曇という。 しかして韻に六あり、 長短に両分す。 字に十有二あり、 もって下立の首に冠す。声に対して呼びて韻を発す、  声は韻に合して字生ず。 ないし、 その次体の文に三十有五あり、 前の悉段に通じて四十七言明らかなりとあり。  しかるに胡土にいたりては、 その字二十五言なりという。 あるいはまた「悉昼決択紗」巻一の三

 梵王所製悉嚢字数諸説不同、 字数増減不二  準一 故南海寄帰伝梵王所説四十九字、 百輪  劫初梵王説二七十二字  化二世問    又荘厳経梵王所製字母説  四十六字一 此経説下悉駄太子入一生学堂一学一乙字母一之事い云二四十六字{指矢  子所学字母、 梵王所製悉最一 是等意不品_限一四十七言

(梵王所製の悉役の字数は諸説不同なり。 字数の増減は一準ならず。  ゆえに「南海寄帰伝」には、 梵王所説の四十九字、『百論」には劫初の梵王は七十二字を説きて世間を化す。 また「荘厳経」に梵玉所製の字母は四十六字を説く。 この経は悉達太子学堂に入り字母を学ぶのことを説く。  四十六字というは、 太子所学の字母、 梵王所製の悉邑を指す。  これらの意は四十七言に限らず)

と論ずるがごときは、 よろしく悉昼害類につきて考定すべし。 また、 印度の語は支那の文字と異なりて、 字源に字縁を加え種々の語をなせるをもっ て、「倶舎頌疏 巻五の二〇、「梵文阿弥陀経義釈」巻二末の八)には、 西方声明造字有二字界字縁一 界是本義、 以え子縁砥ぞ成種種義  (西方の声明は字を造るに字界・字縁あり。  界はこれ本の義、 字縁をもって種々の義を助成す)と記せり。  これを「麟記」(巻五の一三)に解して、 如ー此方江河等字皆従  其水一 水即易界、 工可是縁、 以>工助>水成>江、 以>可助>水成>河也(この方の江・河等の字はその水に従うがごとし。 水はすなわちこれ界、 エ・可はこれ縁、 工をもって水を助くれば江を成じ、 可をもって水を助くれば河を成ずるなり)といえり。 また「註梵字次第記』(巻上の一七)に、「四論玄義記」および「華厳刊定記」を引きて、 梵語綴字のことを示せり。  そのつまびらかなるは、 また悉給書類につきて見るべし。  わが国においては古来悉餞学を伝え、  一、  二の宗派にありては、 もっばらこれを修めたる者ありといえども、 今日にありてこれをみるに、 わずかに印度文学の初歩たる綴字方のごときものを学びたるに過ぎず。 しかれども、 悉餞部類の著書はすこぶる多く、 その今日に存するもの、 またすくなからず。「創学紗」巻一の一の初巻に悉晏部類の書目を挙示し、 また「悉曇記」(二六)の巻末に「悉曇目録」を付記せるも、 余は「悉盈決択紗」の巻尾に別掲せる

「悉蝕具杏目録」を左に転載し、 もって参考の一助となす。

「悉蝕章」一巻、「悉位字記    一巻(智広撰)「、   悉昼釈」一巻(裏書開成四年正月下旬、  於楊州嵩山院全雅写

梵文云云(楊州嵩山院において全雅が梵文を写す云々))、「贈波城悉餞章」一巻、「羅什悉曇章」一巻、  已上五部、  弘法大師請来「悉位章」一巻(婆羅門僧正門人仏哲本)、「悉晨字母釈」一巻(智恵輪三蔵撰)「悉縁章」一巻(全雅手写)、「悉曇章』一巻(安国寺本)、「梵唐千字文一巻(義浄撰)、「梵語雑名    一巻(光定寺礼言集)、「十四音弁」一巻(智玄)、「翻梵語集    十巻(荘厳寺宝唱撰)、 已上六部、 慈覚大師請来「悉最章」一巻、「梵唐文字」一巻(全真撰)、「根本次第記」一巻(同撰)、  已上三部、 円行請来

「悉曇章」一巻(常暁請来)

「悉最章    一巻(初持暁本入唐受般若三蔵之説更加多章(初め暁本を持ちて入唐し、 般若一二蔵の説を受けてさらに多章を加う))、「天台山悉曇京一巻、「唐梵語十巻(義浄撰)、「文字」一巻(依涅槃経文字品明

 文字之反音(「涅槃経」の「文字品」によりて文字の反音を明かす))、  已上四部、 智証大師請来

「悉位章」一巻(題云悉母梵字(題して「悉位梵字」という)一巻)、「諸梵字」十二巻、「七曇記」一巻、

「十四音悉曇章図「字母表」(一行撰)一巻、  已上四部、 恵運諮来「大悉盈章」二巻、「悉曇字母並釈義」、「字母離分釈」、  已上=一部、  弘法大師撰 「梵語集」一巻、「四十二字文集五部、 伝教大師撰一巻、「字門義」三巻、「涅槃十四音紗釈」一巻、「十四音集」一巻、 已上『悉曇記」一巻、「九弄圏記』一巻、 已上ー一部、 慈覚大師撰

「悉晨記」一巻(智証大師撰)「悉曇私記」一巻(又云林記(また「林記    という)、「)    悉曇五韻初学牒目」、  已上ー一部、 禅林寺宗叡撰「大悉員章十八章 、「般若菩提一十八章」、「随文梵語集」一巻、「悉位蔵」八巻、「悉袋十二例」一巻、「悉嚢記」一巻、  已上六部、 安然撰「字源    一巻(栄律師撰)

「梵漢語説集」百巻、「梵漢相対紗」二十巻、  已上二部、 遍明和上撰

「悉穀東記」二巻(「創学紗」云拮拾並正決弘法大師作云云(「創学紗」に「招拾」ならびに「正決」は弘法大師の作という云々)  一説桧尾作云云(一説には桧尾の作云々

「掻祐天竺字源」七巻(惟浄等三蔵集)

『梵杏因由 一巻(作者未詳)

「悉曇集記」=一巻(石山内供撰)緒 「字記紗

「悉母略記二巻(道範撰一巻(源照入寺撰)「悉曇要集記一巻(花蔵院寛智撰)、「悉餞秘嬰決

これらの柑目中、 今日に伝わらざるもの必ず多かるべしといえども、 あるいはその後に刊行せるものまたすくなからざれば、 悉昼書類の移多なること、 あに驚かざるを得んや。


第_二    節 六合釈

すでに印度の言語・文字を述べたれば    つぎに文法・語法を説かざるべからず。 しかして、 仏書中に六合釈、八転声と名づくるものあり。  これすなわち文法なり。  この文法は声明学の一部分にして、 仏内中、 語句名義を釈するに多く用うるところなれば、  ここにその略解をなすべし。 まず六合釈を考うるに、「法苑義林章」(巻一本の三四)の総料簡迂中に出ず。  その釈名、 左のごとし。

謂六合釈梵云二殺三磨娑一 此云ーー六合一 殺者六也、 三磨娑者合也、 諸法但有ニー一義以上而為る名者即当ー一此釈

唯一義名即非  此釈    乃至故六合釈無こ  義名

(いわく六合釈は、 梵に殺三窮娑といい、 ここに六合という。 殺とは六なり、 三磨娑とは合なり。 諸法のただ二義以上にして名となすことあらば、  すなわちこの釈にあたる。 ただ一義の名はすなわちこの釈にあらず。 ないし、 ゆえに六合釈には一義の名なし。)

また、「倶舎光記」(巻一の三一)には西方釈名多由ーユハ_釈  (西方にては釈名は多く六釈による)とありて、  すペて二義以上の名は、  この釈法によりて解するなり。 あるいはこれを名づけて六離合釈という。  ゆえに「義林」

章    に、 此六合釈以レ義釈レ之亦可  名為ー六離合釈一 初各別釈名レ之為>離、 後総合解名>之為>合(この六合釈は、義をもってこれを釈するに、  また名づけて六離合釈となすぺし。 初めに別釈す、  これを名づけて離となす。 後に総合して解す、  これを名づけて合となす)という。  今その伝来を考うるに、 唐玄笑三蔵、 印度那閾陀寺において、 釈名の方軌を戒賢論師に受け、 これを上足の弟子に授けたるもののごとし。 ゆえに「六合釈纂註』(一)に

夫六釈其法磁見二大毘婆娑論一 延笠ーー衆論暇ーー翻伝一 口授ーー窺基一 窺基記載示ーー其綱要衆賢無性、 沖弁、 渡法等大菩薩皆乃伝襲、  大唐三蔵法師玄笑靡>

 (それ六釈はその法はじめて「大毘婆沙論」に見え、 延べて衆におよぶ。 衆賢・無性・箔弁・護法等の大菩薩はみなすなわち伝え襲う。 大唐三蔵法師玄芙は翻伝するにいとまなし。 窺基に口授し、 窺基は記載してその綱要を示す)

と注せり。 今、  さらに「六合釈精義    の「序文」に出ずるところを転載すべし。

西方之有  此釈一也、 蓋始二子毘婆沙一乎、 毘婆沙者対法尤古者也、 則此釈之起也遠且久突、 漢日通レ暉、 象教流缶本、 西来三蔵継>踵比レ訂、 訳経講茂無二虚三者殆五百有余年間、 此釈関無>聞焉者何也、_務一弘道示在五  句  也、 唐三蔵旋診始伝コ説此釈{  大乗基承>旨掲  其説於法苑ー 以為二釈名之亀鑑  於>是此釈之法始煽一子東夏

(西方のこの釈あるや、 けだし毘婆沙に始まる。 毘婆沙は対法のもっとも古きなり。  すなわちこの釈の起なり。 遠くしてかつ久し。 漢日 暉 を通じ、  象教東へ流る。 西来の三蔵踵をつぎ、 肩を比 べ、 釈経・講義虚日なきはほとんど五百有余年間なるも、 この釈しずかにして聞こゆるなきはなんぞや。 もっぱら弘道につとめて章句にあらざるなり。 唐の三蔵旋診してはじめてこの釈を伝説し、 大乗基旨をうけてその説を「法苑掲げ、 もって釈名の亀鑑となす。  ここにおいて、 この釈の法はじめて東夏に煽ぐ。)

かくのごとく、 その釈法は「大毘婆沙論』に始まるというも、  これ仏書中のことのみ。  しかして、 その法は印度文法の一種なること明らかなり。 もしその所摂を論ずれば、 あるいは六合釈は声明記論に摂すべしといい、 あるいはこれによりて声明記論を釈するも、 あえてその所摂にあらずといえる異説あるも、 声明記論の所摂なることもちろんなり。 ゆえに「分別六合釈」(一)に、 夫斯六釈本是声明記論所摂、 内外大小所  以通学

 

(それ、  この六釈はもとこれ声明記論の所摂にして、 内外・大小の通じて学するゆえんなり)という。 しかして、 六釈の名称のごときは左のごとし。


 これらにより、 その大要を開説すべし。 第一の持業釈とは、 持謂ーー任持一 業者業用作用之義、 鉢能持レ用名一持業釈ー(持とは任持をいう。 業とは業用・作用の義なり。 体はよく用を持するを持業釈と名づく)と解して、 例えば仏教中、法相宗にて立つるところの蔵識の名目のごとく、  識はこれ体、 蔵はこれ業用なれども、 用よく体をあらわし、 体よく業を持つ、 ゆえに蔵すなわち識なるの類なり。 あるいは妙法蓮華につきて、 妙法即蓮華なりと釈するがごとし。 また、 持業釈を名づけて同依釈という。 同依とは、 依謂二所依ー ニ義同依こ  所依鉢    名二同依釈ー(依とはいわく所依なり。  二義同じく一所依の体によるを同依釈と名づく)と解して、 例えば東叡山寛永寺というがごとく、 東叡山は山号、 寛永寺は寺号にして二義異なりといえども、 その場所の体は同一なるの類なり。  第二の依主釈とは、 依謂証叱依一 主謂 社法鉢一 依  他主法ー以立二自名一 名ーー依主釈  (依とはいわく能依、 主とはいわく法体、他の主の法によっ てもって自の名を立つるを依主釈と名づく)と解して、 例えば眼識というがごとく、 識依>眼起(識は眼より起こる)、 すなわち眼の識なる故に眼識と名づくるの類なり。  このときは眼は所依の主にして、識は能依の体となる。 もしまた喩に約すれば、 依主の主は君主と解し、 臣の君によるがごとく、 王の臣なるが故に王臣と名づくるの類なりとす。 あるいはこれを依士釈と名づくることあり。 依士とは士謂士夫如ー加作用依士夫一 亦名ー依士釈

 

(士とはいわく士夫なり。  作用の士夫によるがごときをまた依士釈と名づく)と解して、 士夫とは勢用あるものを義とし、 他の所依となるものをいう。 ゆえに、 依主も依士も同体異目なりとす。 第三の有財釈とは一名多財釈と称し、  財謂ーー財物一 自従二他財一而立二已称名為ーー有_財

 

(財とはいわく財物なり。 自が他財に

 

従って己称を立つるを名づけて有財となす。〔 大正蔵、 己につくる〕)と解して、  これ人の財を有するにたとえたるものなり。 例えば戒を解脱と名づくるがごとく、 戒は修因にして解脱は所得の果なれば、 戒をただちに解脱とは名づけ難きも、 戒を持てば必ず解脱の果を得るをもっ て、 戒の中に解脱を有する故に、  戒を解脱と名づくるの類なり。 第四の相違釈とは、 自鉢各殊、 両鉢互乖、 而総立>称、 是相違義(自体各殊なり。 両体互いにそむくとも、 しかも総じて称を立つ。  これ相違の義なり)と解して、 その体おのおの別なるもの二個以上集めて、  一名となすの類をいう。 例えば兄弟というがごとく、 兄と弟とその体おのおの別なれども、  これを合して一名となすこれなり。 第五の隣近釈とは、  倶時之法、 義用増勝、 自鉢従袖彼而立ーー其名名二隣近_釈

 

(倶時の法、 義用の増勝なるをもって、 自体をかれに従えてその名を立つるを隣近釈と名づく)と解して、 同時に相よりて離れざる法を、強き方に従いて名を立つるをいう。 例えば東京近在の者が人にその在所を告ぐるに、 東京人なりというの類なり。 第六の帯数釈とは、 数謂二  十百千等数一 帯謂二挟帯一 法鉢挟

 

帯数法玉夕名、 名ーー帯数釈

 

(数とはいわく

 

一・十・百・千等の数、 帯とはいわく挟帯なり。 法体、  数法を挟帯して名となすを帯数釈と名づく)と解して、

例えば五倫    五常・四姓・五明と題するがごとく、 その体に帯ぶるところの数を表出して名を定むるの類なり。

以上は、 古来の説明にもとづきて六合釈を略解せるものなり。 もしその解釈の散見せる柑目を挙ぐれば、「華厳演義抄」(巻一六下の一七)、「探玄記巻三の九)、「五十要問答巻下の二七)、「倶舎光記」(巻一の一

「同遁麟記」(巻一の四一二)、「宗鏡録」(巻四の 二)「、   十住心論」「、   三蔵法数』(巻二六の一、「大蔵法数    巻三四の 二)、「七帖見聞」(巻二の末の八)等の諸書にも散見せり。「鼈頭六合釈講義』の巻初に、「六合釈章疏目録」を表記せるあり。 今、 左にその表を掲ぐ。

「六合釈」(慈恩大師撰、 _在一大乗法苑義林総料簡章之終

「大乗法苑義林  「総料簡章」の終りにあり))

 「頭書六合釈」一巻(伝通院僧神光撰、 挙ー一義林之文一 鼈頭掲一其典拠等典拠等を掲ぐ))

 「義林」の文を挙げ、 鼈頭にその

 「分別六合釈」一巻(豊山法住撰、 釈私立林之文  (「義林」の文を釈す))

「六合釈精義』二巻(豊山林常快道撰、  釈ー一義林之文    「義林」の文を釈す))

 「六合釈箕註一巻(上毛僧無相撰、 釈二義林之文一 作ーー科図一_繋一本文之上「義林」の文を釈し、 科図を作り本文の上に繋ぐ))

「六合釈分漿「六合釈斥非巻(豊山林常快道撰、 論ユハ釈之分斉度漿一巻(豊山林常快道撰、 斥ーー分別六合釈之非六釈の分斉度旦を論ず))『分別六合釈」の非を斥す))「秘密坐荼羅十住心論』(弘法大師撰、 其第六巻挙二義林之文その第六巻に「義林」の文を挙ぐ))

「秘密曼荼羅十住心論義批東大寺凝然撰、 其第十三巻釈ーー六釈之文(その第十三巻に六釈の文を釈す))

「大乗法苑義林章義鏡」(秋篠寺善珠僧正撰、 其総料簡章之下釈二此文す))その「総料簡章」の下にこの文を釈

「六離合釈法式一巻    載__在  縮刷蔵経陽鉄第二冊載せて「縮刷蔵経」陽鉄第二冊にあり)(作者未>詳、其説大異二義林    所ーー以分別精義等喝>力斥こ之也(作者つまびらかならず、 その説大いに「義林」と異なり、「分別」「籾義」等、 力をつくしてこれを斥くるゆえんなり))

しかるに、「六合釈叢林評註」に掲記せる書目中には、  この表中に見えざるものあれば、  ここに補欠すべし。

「叢林評註」には、  この諸書中より本文を引用して註解を加えしをもっ て、 よろしくその書を参石すべし。  そのほか雑出散見せるもの、 けだし枚挙にいとまあらざるべし。


第二二節    八転声

つぎに八転声を考うるに、 これ印度の文法なること、  問わずして明らかなり。  これを蘇没多声という。  ゆえに「唯識枢要巻上本の二六)には、 蘇漫多声すなわちこれ八転声なりとなす。 今これを「八囀声紗」(九)に考うるに、 その説明、 左のごとし。

夫八転声者、 於二  法鉢上一 分ーー縁起之作用以二言語(  召別其義一 人聞>之  合>理得ーー心於其間語一 必有示ハ種之音声一 此事天然道理也、 非=一人畜始所ーー造作一 三国同具ーー八囀一 非ーー独天竺風俗

(それ八転声は一法体の上において縁起の作用を分す、 言語をもってその義を分別す。  人これを聞き、  理に合っ て心をその間の語に得るに必ず八種の音声あり。  このことは天然の道理なり。 人畜のはじめて造作するところにあらず。 三国同じく八囀を具す。  ひとり天竺のみの風俗にはあらず。)

ゆえに、  これ印度の文法なり。 なお西洋の文法に、 名詞の主格、 目的格等を設くるがごとし。 ゆえに、  印度の文書を読まんと欲せば、 必ず八転声の法則を知らざるべからず。  余は、 第一に「華厳探玄記文を引用して、  その説明を試むべし。

依酋  国法一 若欲>尋ーー読内外典藉一 要>解ーー声論八転声法一 若不二明知一 必不函呼知ーち文義分斉

 

巻三の一

一補慮沙、 此是直指陳  声、 如三人研>樹指  説ーー其人{  二補慮杉、 是所作業声、 如ーー所作 斬。樹、 三補慮息拳、 是能作具声、 如  由レ斧祈一 四補慮沙耶、 是所為声、 如二為レ人祈一 五補慮沙頻、 是所因声、 如釦凶>人造舎等    六補慮鍛裟、 是所属声、 如二奴属  主、  七補慮鍛、 是所依声、 如ーー客依

主、 喩珈第二名ー上七種玉竺七例句一 以ー是起>解大例  故、 声論八転更加二楔補慮沙一 是呼召之声。然此八声有活竺一種`  一男声、  二女声、  三非男非女声、 此上且約  男声砧炉之、 以ら梵語名二丈夫玉ぞ補慮沙上故。又此八声復各三、 謂一声、  二声身、 三多声身、  則為ー=一十四声如下喚ーー丈夫 有 中  十四い女及非男女声亦各有   一十四{  総有一七十二種声以目ーー諸法ー可ーー以准知論

(西国の法によるに、 もし内外の典籍をたずね読まんと欲すれば、 声論の八転声の法を解することを要す。もし明らかに知らざるときは、  必ず文義の分斉を知ることあたわざればなり。

一には補慮沙なり。  これは、  これただちに指陳する声にして、 人が樹をきるとき指してその人を説くがごとし。  二には補慮杉なり。  これは所作業の声にして、 所作をもって樹をきるがごとし。   一には補慮息拳なり。  これは能作具の声にして、  斧によりてきるがごとし。 四には補慮沙耶なり。  これは所為の声にして、 人のためにきるがごとし。 五には補慮沙頷なり。  これは所因の声にして、  人によりて舎を造る等のごとし。 六には補慮鍛娑なり。  これは所属の声にして、 奴の主に属するがごとし。  七には補慮鍛なり。  これは所依の声にして、  客の主によるがごとし。「喩伽」の第二に、 上の七種を名づけて七例句となす。  これ、 解を起こす大例なるをもっ ての故なり。  声論の八転はさらに楔補感沙を加う、  これ呼召の声なり。

しかるに、  この八声にその三種あり。 一には男声、一ーには女声、   一には非男非女声なり。  この上はしばらく男声に約してこれを説けり。 梵語に丈夫を名づけて補慮沙となすをもっての故なり。

また、 この八声にまた、  おのおの三あり。 いわく、  一には声、  二には声身、一二には多声身なり。  すなわち二十四声となる。

丈夫を呼ぶに二十四あるがごとく、 女とおよび非男非女声にもまた、 おのおの二十四あり。 総じて七十二種の声ありて、 もって諸法になづくること、 もって準知すべきなり。)

このいわゆる八種の転声は、 第一七節に引用したる駄親の七例、  八例これなり。「琺伽論」(巻二の一九)に七言論句ありといえるは、  そのいわゆる七例なり。  これに第八の呼声を加うれば、 八例すなわち八転声となる。  これを蘇槃多声という。  すなわち蘇没多声なり。 また、  別に底彦多声と名づくるものあり。  これ、「寄帰伝」(巻四

の九)のいわゆる丁岸咳声なり。「蘇漫多声略釈 に曰く、 慈恩伝第三云、 此諸記論弁ーー能詮所詮云ーー其両例    一名二底彦多声有二十八転二名ーー蘇漫多声云二十四転一 其底彦多声於ーー文章壮麗処ー用、 諸汎文亦少用、 其二十四囀者於こ  切諸文ー同用今案    於ーー梵土声明論有二此両声一 猶如二漢土文章有  雅俗異  云云(「慈恩伝    第三

 (巻 二の にいう、  このもろもろの記論が能詮・所詮を弁ずるにその両例あり、 ーは底彦多声と名づけて十八転あり、一ーは蘇漫多声と名づけて二十四転あり。  その底彦多声は文章の壮麗なるところにおいて用い、 もろもろの汎文においてもまた少しく用う。 その二十四囀は    一切の諸文において同じく用うと。 いま案ずるに、 梵土の声明論においてはこの両声あり。 なお、  漢土の文章に雅俗の異あるがごとし、 云々)と。  また「七九略抄

(巻一の三)には、 蘇漫多声是一切諸同用、  平常言辞也、 仏説法多依ー一蘇漫多一  意依二於義示;依ー於文  云云(蘇漫多声はこれ一切の諸文同じく用う、 平常の言辞なり。  仏の説法は多く蘇漫多による。  意は義により、  文によらず、 云々〔い  版本により文を補う〕)とあり。 しかりしこうして、  この二声を西洋の文法書の上に考うるに、 蘇没多声は名詞・代名詞・形容詞・分詞等の性・数・格の語尾を有する語の総目にして、 底彦多声は人称と数と時法とを表する語尾を有する動詞の総称なりという。 今、 余は以上引用せし書類のほかに、「大蔵法数」(巻四六の二一)、「悉最蔵」(巻二の_一 八)、「略摂八転義」、「輔摂八転義」、「摂八転声述意その略表ならびに略解を示すべし。

 

この補慮沙は、 印度語にて丈夫を義とす。 今その語をかりて、  八種の変化を示したるのみ。 そもそも第一の体声は直詮二法鉢

(ただちに法体を詮す)と解し、 その体ひろく一切の法に通ずるが故に、  これを汎説声と名づく。 例えば人の樹をきる場合において、 ただちにその人を指陳するがごとし。 第二の業声はこれ所作業の声なれば、 あるいはこれを所説声と名づく。  すなわち、 樹をきる作用をあらわす語なり。 第一一の具声はこれ能作の具声なれば、  これを能作具声と名づく。  すなわち、 斧によりて樹をきるというがごとし。  第四の為声は、  屋を造るために樹をきるというがごとし。 第五の依声は如 伝依>人造  舎(人によりて舎を造るがごとし)と解して、 たれがしの命によりて樹をきるというがごとし。 第六の属声はこれ所属の声にして、 樹をきれと主君よりその属官に令ずるがごとし。 第七の於声は如姦芸が主(客の主におけるがごとし)と解して、 某山において樹をきれというがごとし。 第八の呼声は呼召声と解して、  そのことを呼びて樹をきるとなすがごとし。  これを「悉位蔵」(巻二のに、  頌文を引きて示して曰く、  世蔚是世尊、 度ーー衆生一世剪、 為二衆生一世尊、 因  衆生  世尊、 属ーー衆生一世尊、  於  衆告  世尊、 此名為 世尊  (世尊はこれ世尊。 衆生を度する世蔚。  衆生のための世尊。 衆生による世尊。

 衆生に属せる世羽。  衆生における世尊。  これを名づけて世喀となす)と。

また清幹の「因明論注抄」を引きて曰く、

八転声者例如乙切二樹木  時い 而言ー一樹木一 而祈二樹木一 是祈一樹木一之斧、  而為迄担屋祈ら之、 而因ーー王命 加  乙之、而属ーー官家正    之、  而依二其地正  ら之、 呼為和    樹

(八転声とは、 例せば樹をきる時のごとし。 しかして樹木といい、 しかして樹木をきる、  これ樹木をきる斧なり。  しかして屋を造らんがためにこれをきる。 しかして王命によってこれをきる。 しかして官家に属してこれをきる。 しかしてその地によりてこれをきる。  呼んで樹をきるとなす)

 とあり。 あるいはまた「唯識述記」(巻一本の四二、「唯識論演秘」巻一本の三には、「大般若」第五百巻に

八転声をもって世間等を釈せりと称して、 是世間    出故、 名  世間一 造  世間一故、 由証品四故、  為五品四故、 因ニ世間一故、 属世間一故、 名為  世間

 (これ、 世間として出でたるが故に世問と名づく。 世間に造るが故に、 世間によるが故に、 世問のためにするが故に、 世間を因とするが故に、  世間に属するが故に、 名づけて世間となす)とあり。「薩婆多津摂」(巻二の五)に忍蒻につきて解説せるもの、  またこれに類す。 以上の諸例によりて、  八転声の大意を知るべし。 しかして、  この八種の転声に一言・ニ言・多言の三種あり。  これ、 なお西洋の単数・複数というがごとし。 西洋は単複二種のみを設くるも、 印度は三種を設く。 ゆえに八転声は二十四声となる。  これにまた、  男声・女声・非男非女声(中声)の一一一種を分かつ。  ゆえに合計七十二種の声あり。 しかるに、「唯識枢要に合ー総別云

 

九十六声

 (総と別とを合するに九十六声あり)とあるは、「七九略抄』、「八囀声紗一八)等に

 

釈するところによるに、  一言・ニ言・多言の=一種に八声を乗じたるものを総の二十四声となす。  これを別の七十一種の声に加うれば、  九十六声となるによるという。 しかれどもこれを実際に考うるに、 そのいわゆる総の二十四声を設くる必要あるを見ず。 ゆえに総計七十  一種と定めて可なり。 もし六合釈と八転声の異同のごときは、

「蘇曼多声略釈」によるに広狭の別ありという。 すなわち、 六合釈は二義以上を有する名に限るも、 八転声は一義以上の名を釈し得るをもって、 前者は狭く後者は広しという。  また「略摂八転義」(五)の頌文に日く、合唯在>名、 八転亦通>句、 彼於>義簡>濫、 此随>音異>門。

(六合はただ名にあり、 八転はまた句に通ず、  かれは義においてみだるるをえらび、  これは音に随って門を異にす。)

これによりてその別を知るべし。  これを要するに、  印度の文法には、 西洋文法のいわゆる格(主格・目的格等)、 数(単数・複数の類)、 性(男性・女性の類)、 そのほか、  人(第一人称・第二人称の類)、 時(過去・未来の類)等を具すること明らかなり。 そのつまびらかなるは悉盈声明の学に譲る。 ただここに仏書中に存する八転声のむ目を掲げ、 もって講学者の参考に備えんと欲するも、  この書目は前掲の「悉縁目録」中に散出せるものと、  本節中に引用せるものにて大略尽くせるをもって、  これを別掲せず。 ただ前記の書目のほかに、 散説雑出せる二、 三の書名を挙ぐれば、「瑠伽略箕」(巻六の三五)、「玲伽倫記」(巻一下の二六)、「華厳五十要問答」(巻下の二七)、「倶舎光記巻一余のニ、「玄応音義巻二三の五)、「慧琳音義巻五    の七)、「因明明灯(巻一末の七二)、「声字義開秘紗」(巻上の一玄記発揮抄」(巻四の一八)等なり。、「唯識図解」(巻二の一四)、「唯識集成編」(巻一の六九)、「探

 


 第五章 因明論

第二三節    因明の名義

 つぎに、  五明中の一種なる因明につきてこれを考うるに、「因明大疏」(巻一の四)によるに、  梵語これを溢都代陀という。  隣都は困にして伐陀は明なり。 すなわち、 その論は因の投を明かすが故に因明という。 換百すれば、  所明は因にして能明は教なるが故に因明という。  これ因明の一義なり。 しかるに、「因明大疏」(巻一の七)に挙ぐるところの因明の釈義、 総じて五種あり。  すなわち、 第一因之明、 第二明之因、 第一二因与如益来、 第四因

即明、 第五属^一在何教  (第一は因の明、 第二は明の因、 第三は因と明と異なり、 第四は因すなわち明、 第五はなに教に属在するや)と解し、 あるいは「纂要」(二)に、 因明に総じて十一の釈義ありと称す。  ゆえに「因明瑞源記 巻一の一)に、 纂家因明総成二十一解(纂家の因明は総じて十一解を成ず)とあり。  しかれどもかくのごときは、  ここに細論するを要せず。  けだし、 因明は事物の原因・道理を究明する学にして、 西洋のいわゆる論理学なり。  これを『因明大疏」には仏の所説となす。  すなわち曰く、

因明論者源唯仏説、 文広義散、 備在ーー衆経一 故地持云、 菩薩求社盆ぎ於>何求一 当し於ーー一切五明処如念  求因明一者為品竺 邪論  安*立正道上

(因明論とは源はただ仏説なり。 文広く義に散じ    つぶさに衆経にあり。 ゆえに「地持」「(  地持経」巻三の六)にいわく、  菩薩法を求むるに、 まさになににおいて求むべきや。  まさに一切五明処において求むべし。因明を求むるは邪論を破し、 正道を安立せんがためなり)

 とあり。 もし因明を講究する目的は、  邪を破し正を立つるにありといえば、  すなわちこれ論理の学なること明らかなり。  また一説に、 因明は仏教の内外に通ずるものとす。  すなわち『瑞源記」(巻一の一三)に、 ある説を学げて、 因明者通  内外道一之名(因明は内・外の道に通ずる名なり)とあり。 また一説には、 因明は外道の論となす。  すでにさきにも引用せるがごとく、「仁王経 仁王経合疏」巻下の四八) には内道論、 外道論と説きて、

因明は外迫論に属するなり。 また『喩伽倫記  (巻一    上の一三)によるも、  一切外論の中に因明を摂せり。 しかりしこうして、「起信論義記要決」(巻上の二六)に、 因明は全く外道の部類なることを論明せるところ、 やや参考すべきをもっ て、 左にこれを掲ぐ。

所割五明中因明本是外道法、 世間道理之智術而__非  我教二即浄智所行之聖法    所ーー以知_   者結集三蔵及六足発智大婆沙_無一因明説一 堆伽判>此以為ーー外学一 但大菩薩_習一学外明一者、 斯為ら降ーー伏異道ー建中立正法上之善巧耳、故_為示 地菩薩所学処  可>尋、 然仏滅過一千年異道勃起、 往往与弘品い抗論、 動    有  由>不>_ 一熟因明丘 受.屈辱い於后是乎__有  陳那天主二大士一 翌一其時_運  弗如空己而製二因明論一 乃称ー源是仏説一 斯適』時之巧弁也、 然_一論之作其言至簡、  其旨周備、 時称ー一因明之模範一也、 笠丘匹転支_那  其学煩花、 転成二税贅一時人錯訊 わ心其仏教一 乃欲いぞ世間道理  究・明我出世不可思議之玄宗い 不孟盆迂 乎、 顧  人間瑣瑣之事尚有ヒ匡和ぞ理推_究  者ぃ 況於ーー我浄法界等流至玄至微之_教  乎、 其欲  以一因明血茫究仏教孟者可レ比こ之_以一丈許嵩油炉大海深広  之恐上乎  ゜

(いわゆる五明中の因明は、 本これ外道の法にして世側道理の智術なり。  しかして、 わが教の二屈浄智の所行の聖法にはあらず。 知るゆえんは、 結集の三蔵および六足「発智」、「大婆沙」に因明の説なし。「喩伽」はこれを判じてもって外学となす。 ただ、 大菩薩の外明を習学する者、 これを異道を降伏し正法を建立する善巧となすのみ。 ゆえに五地の菩薩の所学の処となす、 たずぬべし。  しかるに仏滅一千年を過ぎ、 異道勃起し、 往々沙門と抗論するに、 ややもすれば因明を暗熟せざるにより、 まげて屈辱を受くることあり。  ここにおいて陳那・天主の二大士ありて、 その時運をかんがみて、 やむをえずして因明論を製し、  すなわち源はこれ仏説なりと称す。  これ、 時にかなうの巧弁なり。  しかるに二論の作、 その言はいたっ て簡に、  その旨は周備し、 時に因明の模範と称するなり。  支那に流転するにおよび、 その学煩花なり、 転じて税贅を成ず。 時人あやまりてこれ真に仏教なりとおもい、  すなわち世間の道理をもってわが出世の不可思議の玄宗を究明せんと欲す、 またあやまりならずや。  おもうに人間瑣々のこと、 なお理をもっ て推究しがたきものあり、 いわんやわが浄法界等流の至玄至微の教においてをや。 それ因明をもっ て仏教を推究せんと欲すれば、  これを丈ばかりの惹をもって大海の深広を測らんとするの愚に比すべけんや。)

けだし、 因明は内外二道ともにこれを用うるも、 仏教以前にありてすでに世間に行われ、 婆羅門学派より起これり。  ゆえに、 外道の法たること明らかなり。 しかるに、「因明大疏抄」(巻一の三)に疑問を掲げていわく、 劫初足目説一和因明一 如何云 額唯仏説一耶(劫初、 足目は因明を説く。  いかんが源はただ仏説というや)と。  これを、「邑記」および「明灯抄」を引きて解説せるところは、  二様の説明あり。 その一説によれば、 諸外道は過去世において、 過去仏の所説を聞き因明を造りしをもっ て、 その源は仏説なりという。  これ今日の学説の許すところにあらざれば、  しばらくこれを宗教の秘怪に帰するよりほかなし。  すでに慧澄律師もその「因明大意」(二)中に、古説の中に根本仏説より起こるように注するは、 允当ならざるに似たりといえり。  これを要するに、 因明は仏以

 

前の論理法にして、 仏以後ようやく発達し、 内外ともにこれを用いたるは言をまたず。  すなわち「因明義断」の冒頭に、 詳      夫因明論者権  衡八蔵一 縄溢碑四危一 九十六道之規模、  二十八師之軌轍(つまびらかにするに、 それ因明論は八蔵を権衡し、 四躊に縄墨し、 九十六道の規模、  二十八師の軌轍なり)とあるは、 実にしかりとす。なお、 明らかにその理を知らんと欲せば、  ここに因明の起源につきて弁明するを要す。


第二四節    因明の起源

印度においてはじめて因明を唱えしものは足目仙人なり。 その人、 いずれの年代に世にありしやつまびらかならず。「瑞源記」(巻一の二)によるに一説に、 此是劫初大梵天王化作ーー此仙一 敗竺世愚痴祀翌因明法

 

流  布世間

 

(これはこれ劫初大梵天王化してこの仙となり、 世の愚痴をあわれみ、 因明法を説きて世間に流布す)といい、また一説に、 因明之法無始  有>之、 足目仙人知二過去事面竺昔所聞{  故於ーー劫初涵匹布人間  (因明の法は無始よりこれあり。  足目仙人過去のことを知り、 昔の所聞をおもい、 ゆえに劫初において人間に流布す)という。  これを大梵天の化身となすがごときは神話の一種に過ぎざるをもっ て、 あえて信ずべからず。 あるいはいう、  菩薩なりと。 あるいはいう、 数論の祖、 迦毘羅仙人なりと。 あるいはいう、  勝論外道なりと。「因明纂解鼓攻」(巻上付録の六)に、  六義の異説あることを示せり。 その文、 左のごとし。

一後記苔  数論外道    大安寺泉球大徳九句義私記判二決    数_論  為玉勝、 劫凱言順  干疏上下    故古来人皆取レ之、  二九句義所引邑記又釈明灯所挙有釈  依ーー真諦 二蔵説玉竺勝論外道{  明灯紗取>之也、一邑記初釈及賓疏初有釈並笞  大梵天王化身一 足下有レ目故云ーー化身ー  明詮裏書取>之、  四賓疏後有釈為二大地菩薩化身工永超大僧都義勝論之師為已告只 _非一勝論即足目一 六私述二  解一是帝釈天也、 彼眼目多故、 名二足目知唸

(一に、「後記」は数論外道となす。  大安寺の泉球大徳の「九句義私記」は数論と判決するを勝となす。 劫初の言は疏の上・下に順ずるが故に古来の人みなこれを取る。  二に、「九句義所引の「邑記の又釈と「明灯」所挙の有釈とは真諦三蔵の説により勝論外道となす。「明灯」はこれを取るなり。  三に、「邑記の初釈および「賓疏    の初の有釈とはならびに大梵天王の化身となす。  足下に目あるが故に化身という。 明詮の霙  書」はこれを取る。  四に、「賓疏」ののち有釈は大地菩薩の化身となす。  五に、 永超大僧都の義は勝論の師を足目となす、 勝論すなわち足目にはあらず。 六に、  ひそかに一解を述ぶれば、  これ帝釈天なり。 彼は眼目多きが故に足目と名づく故なり。)

かくのごとき諸説あるも、  みな信じ難し。  かつそれ、  足目の名称のごときも同じく異説ありて、「因明前記(巻上本の三)には両釈の相伝あることを示せり。 その一は、 足とは多なり、 目とは慧なり、 智慧多きをもって足目と名づくといい、 その二は、 足とは脚なり、 足下に目あるをもって足目となすという。 けだし、  足の字に多と脚との両義ありとするは、 支那の文字につきていうのみ。 決して印度の語に、  かくのごとき両義を有する理あるべからず。  ゆえに、 足を解して多となすがごときは信ずるに足らず。 しかるに「瑞源記  (巻一の二) には、論   「義範」を引きて四釈あることを示せり。  その中の一説に、  この仙人、 智惹速疾なること、 足の行運するがごとく、 また目あるがごとしという。 あるいはまた「前記」に、  足下に文あり、 その形目のごとしとの一説を掲げり。  かくのごとく種々の異説ありて、  その本義を判定し難しといえども、 その人たるや、 往古世に存せし婆羅門派の学者たるや疑うべからず。「因明後記巻中の九)に、 足目仙人は内道か外道かの問答を出だせるも、 仏以前の外道なること論をまたず。  かつ、 因明は足目その人より始まりしことも信を四< べし。 しかして、 その説くところの因明の方則にいたりては、 今日これを明らかに知ること難しといえども、 因明家の伝うるところによるに、 九句因および十四過類を立てたるものなりという。

まず九句因とは、 その名称、 左のごとし。一、 同品有、 異品有(不定因)二、 同品有、 異品非有(正因)、 同品有、 異品有非有(不定因)四、 同品非有、 異品有(相違因)九句因五、 同品非有、 異品非有(不定因)  六、 同品非有、 異品有非有(相違因)七、 同品有非有、 異品有(不定因)   八、 同品有非有、 異品非有(正九、 同品有非有、 異品有非有(不定因)

この第二と第八とを正因とし、 第四と第六とを相違因とし、 その他を不正因とすることは、「正理門論」(六)の頌に出ず。  すなわち曰く、 於同有及二、 在異無是因、 翻社此名二相違{  所余皆不定(同において有とおよびニと、 異にあって無とはこれ因なり。  これに翻ずるを相違と名づけ、 所余はみな不定なり)とあり。 しかしてその

 説明は「因明纂解」(巻下の二八)、「輯釈」(巻四の四等に出ずるをもって、  これに譲る。  つぎに、 十四過類は同法相似過類、 異法相似過類、 分別相似過類等にして、 その名称および解釈は、「明灯抄」(巻六末の六三)もしくは「大疏抄巻一    の一 一六)につきて見るべし。  これ、 足目所説の過類なり。 ゆえに「正理門論 一九)に、 如>是過類足目所説(かくのごとき過類は足目の所説)という。  つぎに、  弥勒にいたりて八能飛を立てたることは「喩伽論 巻一五の六)に出ず。  その名目、 左のごとし。

 つぎに無培ありて因明を説く。  これまた八能只なり。 その説は「顕揚論」(巻 一の三)に出ず。  すなわち曰

く、 応>知能成法八種者一立宗、  二弁因、 三引喩、 乃至八正教(まさに知るべし、 能成法の八種とは、  一に立宗、ニに弁因、 三に引喩、 ないし八に正教なり)とあり。 また「阿毘達磨集論(巻七の二) に、 同じく八種の能量を示せり。  しかるに、 因明部類の書中に述ぶるところによるに、 無着の能量の弥勒に異なるは、 喩に同類異類を分かたずして、 合と結との二者を置くにありという。 その説明は次節に譲る。 つぎに世親にいたりては、 以上の八能旦のうち、 最初の三種すなわち宗・因・喩_の一一支を立てたりとなす説と、  これに合と結とを加えて五支を立てたりとなす説との両様あり。 しかして、 五支となす説は世親の「如実論二五)による。  すなわちその論に曰く、 五分者一立義言、  二因言、 三臀如言、 四合誓言、 五決定言(五分とは、  一に立義の言、  二に因の言、論      に誓如の言、  四に合誓の言、 五に決定の語なり)とあるは、 宗・因・喩・合・結の五支なり。 しかして、 世親の所造に論軌・論式・論心と名づくるものありというも、 その書支那に伝わらざりしをもっ て、  これを知るに由なし。 つぎに陳那出でて大いに因明の規矩を正し、 もってこれを完成せり。 陳那とはつぶさに摩阿陳那迦といい、これを訳して大域竜という。  これを唐に童授という。 その名義の解釈は、「谷響集」(巻四の三) につきて見るべし。 その世に在るや、 世親よりやや後れたりとなす。 けだし、 釈尊滅後千年前後の人ならんか。「因明大疏抄(巻一のに、「明灯抄

および「定賓疏」を引きて、 仏涅槃後一千年の出世なることを示せり。 今、 左に「西域記」(巻 の一六)に掲ぐる一節を転載すべし。

所行羅漢伽藍西南行ーニ十余里云ぎ孤山一 山嶺有  石窓堵波一 陳那菩薩於>此作一因明論一 陳那菩薩者仏去>世後承>風染>衣、 智願広大慧力深固、 敗竺世無ん依思レ弘ーー聖教一 以為ー一因明之_論  云云  ゜

(所行の羅漢の伽藍より西南に行くこと二十余里にしてひとつの山に至る。 山嶺に石の窓堵波あり。 陳那菩薩、  ここにおいて「因明の論」を作れり。 陳那菩薩とは、 仏が世を去りし後、 風を受けて染衣し、 智願は広大にして慧力は深固に、 世のよるなきをあわれみ、 聖教を広めんことを思えり。 もっ て「因明の論」をつくる、 云々。)

その著すところの苔は、「因明大疏」(巻一の六) に陳那所造四十余部、 其中要最    正理為五先(陳那所造の四十余部、 そのうち、 要最なるは正理を先となす)とありて、  四十余部ありと見えたり。 そのいわゆる正理とは、

「因明正理門論」(義浄訳)もしくは「因明正理門論本」(玄哭訳)をいう。 その論法は宗・因・喩の_一一支を立つる説なり。

陳那の門人に商澤羅主と名づくるものあり。  これを梵語に商翔羅塞縛弥といい、 訳して骨錬主という。 あるいは天主と称す。 その人「因明入正理論」を著して、 その師の意を開説せり。 今この両論の解題は、「閲蔵知津  に掲ぐるところ左のごとし。

 因明正理門論(因明正理門論本)為私乎簡'持能立能破義中真実  故造一斯論(「因明正理門論」(「因明正理門論本 因明入正理論立能破の義の中の真実を筒持せんと欲するがための故にこの論を造る。) 明  真能立、 真能破、 真現量、 真比量及似能立等共八門一 以弁  悟>他自悟二益(「因明入正理論" 具能立・真能破・真現旦・真比氣および似能立等の共の八門を明かし、  もっ て他を悟らせ、自ら悟るの二益を弁ず。)

すなわち「入正理論」は、 その名称につきてこれを考うるも、「正理門論」を学ぶの階梯なること明らかなり。しかりしこうして、 商掲羅主の発明するところまた多し。 陳那、 天主二師の異同の一斑は、 後に三支作法および三十三過を述ぶるときに譲る。  これを要するに、 因明に新古_一類を分かち、 陳那以前を古因明と称し、 陳那以後を新因明と称して、 陳那は実に新因明の開祖にして、 因明学の中典なり。 ゆえに『因明大疏」(巻一の二) にいわく

劫初足目創標  真似一 妥竪二世親ー再陳一ー軌式一 雖=綱紀已列{  而幽致未>分、 故使二密主対揚猶疑二立破之則有  陳那菩薩是  称    命世{  賢劫千仏之    仏也、 匿二跡巌藪    栖二慮等持一 観  述作之利害    審ーー文義之繁約千時崖谷震吼、 雲困変>彩、 山神捧ーー菩薩足一高    数百尺、 唱云仏説二因_明  玄妙難>究、 如来滅後大義淮絶、今幸福智悠邁深達聖旨一 因明論道願請重弘、 菩薩乃放ーー神光 』空燭機感一 時彼南印度案達羅国王見>放光論 明一 疑    合金剛定一 請レ証二無学果一 菩薩曰入>定観察    将レ釈深経    心期大党玉び願ーー小果一 王言無学果者諸聖牧レ仰、 請淳速証、  菩薩撫>之欲>遂ーー王請{  妙吉祥菩薩因弾指晋曰、 何捨ー大心一方興な小志一 為一 広利益  者当>伝誌  氏所説琺伽論一 匡 正 類綱{  可下製  因明菫 成中規矩い陳那敬受ーー指誨一 奉以周旋於>是滋>思研>精、 作一因明正理門論

(劫初に足目創めて真似を標せり。  ここに世親におよんで再び軌式を陳せり。 綱紀はすでにつらねたりといえども、 しかも幽致いまだ分かたず。 ゆえに賓主をして対揚するに、 なお立破の則に疑いあらしめたり。 陳那菩薩あり。  これ命世と称せらるる賢劫千仏の一仏なり。 跡を巌藪にかくし慮を等持にすましめて、 述作の利害を観じ文義の繁約を審にす。  ときに崖谷震吼し雲霞彩を変ず。  山神は菩薩の足を捧げて高きこと数百尺。  唱えていわく「仏は因明を説く。 玄妙にして究め難し。  如来の滅後、 大義流絶す。 今、 幸いに福智悠退にして深く聖旨に達す。 因明の論道を、 願わくは請う、 重ねて広めたまえ」と。 菩薩すなわち神光を放ちて機感を照燭したまう。  ときに、  かの南印度の案達羅国の王は〔陳那が〕光明を放ちたまえるを見て、  金剛定に入りたまえるかと疑い、 無学果を証せんことを請う。  菩薩の曰く「定に入りて観察するは、 まさに深経を釈せんとするなり。 心に大覚を期す。 小果を願うにはあらず」と。  王のいわく、「無学果は諸聖の仰ぐところなり。 請う、 尊は速やかに証せよ」と。 菩薩これを撫して、  王の請いを遂げんと欲す。 妙吉祥菩薩は、  よって弾指し、  いましめて曰く、「なんぞ大心を捨てて方に小志を興すや。  広き利益をなさんとならば、 まさに慈氏の所説の「琺伽論」を伝うべし。  頭綱を匡正せんには、 因明を製して重ねて規矩を成すべし」と。 陳那はつつしんで指誨を受け、 奉じてもって周旋す。  ここにおいて思いをふかくし精を研ぎ、「因明正理門論」を作る。)

今、  さらに新古二類の伝灯を左表によりて示すべし。

 

第二五節 古因明

古因明は足目に始まるといえども、  ここに「琺伽論 、『顕揚論」等によりて、 弥勒および無着の古因明の論式を示すべし。 まず喩伽の論式は左のごとし。

一、 声無常(声は無常なり)(立案)

二、 所作性故(所作の性の故に)(弁因)

_  二、 如>瓶如>空(瓶のごとく、 空のごとし)(引喩)

四、 諸所作如>瓶、 見二無常五、 諸常如>空、 見ーー非所_作

 (もろもろの所作は瓶のごとし、 無常と見よ)(同類)

(もろもろの常は空のごとし、 非所作と見よ)(異類)

 

この第一の声無常は、  これまさに論定せんと欲する命題なれば、  これを宗と名づく。  これを西洋の論理学に比すれば、 そのいわゆる断案を最初に掲げたるものなり。 第二の所作性故はその理由を説明せるものにして、  これを因と名づく。 もし、  この第一、 第二の両命題を西洋の論理学に考うるに、 左の論式を形成すべし。

 

第一命題第二命題第三命題

 

すべて所作性のものは無常なり(提案)声 は所作性なり(提案)

ゆえに声は無常なり(断案

しかるに、 因明はこれに比喩を加えて、 第三、 第四、 第五の三命題を設く。  すなわち、 第三は比喩の二類を掲げて、 所作性の例に瓶のごとしといい、 非所作性の例に虚空のごとしという。  瓶は所作性なるが故に無常にして、 虚空は非所作性なるが故に無常にあらず。 しかるに、 声は所作性にして人の所作によりて発するものなれば、 もとより無常ならざるべからず。  これをもっ て、 その比喩を同類・異類に分かちて、 第四、 第五の命題を立つるなり。  つぎに、 無着の論式は弥勒の論式と大同小異のみ。

、 声無常(声は無常なり)(立宗)

二、  所作性故(所作の性の故に)(立因)

三、 如>瓶如>空(瓶のごとく、 空のごとし)(立喩)

四、 瓶有二所作一 瓶即無常、 当品知声有二所作一 声亦無常(瓶は所作あり、 瓶はすなわち無常なり。 まさに知るべし、 声は所作あり、 声また無常なり)(合)

五、 是故得>知声無常(この故に知ることを得、 声は無常なり、 と)(結)

これ、 弥勒のごとく同喩、 異喩の両命題を開かずして、 第一命題と第二命題とを反復して、 第四、 第五の断案を立つるものなり。 よろしく「対法論」(巻一六の七)につきて見るべし。 また、 世親も「如実論」(るに、 宗・因・喩・合・結の五分を説示して、

 

(五)によ

 

醤如"有一人言二声無常    是第一分、 何以故、 依>因生故、 是第一_   分、 若有>物依>因生、 是物無常、 醤如二瓦器依>因生故無常一 是第三分、 声亦如レ是、 是第四分、 是故声無常、 是第五分

(たとえば人ありて言うがごとし、 声は無常なりと、  これ第一分なり。 なにをもっ ての故に、 因によりて生ずるが故にと、  これ第二分なり。 もし物あり因によりて生ずれば、  この物は無常なり。 たとえば瓦器は因によりて生ずるが故に無常なるがごとしと、  これ第一 分なり。 声もまたかくのごとしと、  これ第四分なり。  この故に声は無常なり    これ第五分なり)

というがごときは、 無着の論式とその意を同じくすること明らかなり。  ここに重複をいとわず、「因明纂解鼓攻に表示せる無着、 世親の論式を対照す ぺし。

(立宗)諸法無我(諸法は無我なり)

(立因)若於>蘊施設四過可>得故(もし蘊において施設せば四過を得べきが故に)

(立喩)如ふが現 在一施"設過去上(現在において過去を施設するがごとし)

無着

(合)如>是遮 破 我顛倒一已即由二此道理一常等亦無(かくのごとく我の顛倒を遮破しおわる。  すなわち

五支

この道理により常等またなし)

(結)由是  道理是  故五蘊皆無常乃至無我(この道理による。  この故に五蘊はみな無常ないし無我なり

(立義  日)声応ーー無常  (声はまさに無常なるべし)

 

(因言)依"因生故(因によりて生ずるが故に)

世親  (臀如言)若有>物依>因生是物無常響如  瓦器依>因生故無常

もし物ありて因により生ずれば、  この五支 物無常ならん。 たとえば瓦器の因によりて生ずるが故に無常なるがごとし)

(合臀言)声亦如此(声またかくのごとし)

(決定言)故声無常(ゆえに声は無常なり

 

「雑心論

 

巻    一の一

 

に、 今当凡ぞ五支一説

諦次第無間等    (宗)、 智諦異相故(因)、 如ー百見>瓶時不届見>

 

衣(喩)、 彼亦如>是(合)、 是故次第無間等(結)(今まさに五支をもって説くべし。 諦は次第無間等なり(宗)。 智と諦とは相を異にするが故に(因)。  瓶を見るとき、 衣を見ざるがごとし(喩)。 彼もまたかくのごとし(合)。この故に次第無間等なり(結))とあるは、  世親に同じくして無着に異なりという。 もし、  これを西洋所伝の印度論理学派の説に比考するに、 無荘、 世親の論式はまさしく尼耶也学派の論式に同じ。 けだし、 西洋にては印度哲学を分かちて六大学派とし、 その第一を尼耶也学派とす。  これ論理学派にして、 仏教のいわゆる因明学派なり。  しかして、 その論式は五命題を立てて推論するものにして、 その形は宗・因・喩・合・結の五支作法なり。

しかして、  その開祖は喬答摩と称す。  これ、 仏教のいわゆるなにびとに当たるやつまびらかならずといえども、モニエル・ウィ リアムズ〔 〕氏の印度哲学の付注によるに、 喬答摩にはアクシャ・パダの異名ありという。  アクシャ・ パダは足目 ーを義とす。  ゆえに、 喬答摩と足目仙人とは同人なること疑いなし。 仏教にては、 釈尊の一名を喬答摩(旧訳には梢盈)という。  これその姓なり。 しかるに、足目もその姓喬答摩なるは、 同名異人なること言をまたず。 けだし、 古来の伝説によるに、 釈尊の姓氏を罹位と名づくるに至りたるは、「釈迦譜 、「仏祖統紀」等の諸柑に出ずるも、 しばらく「釈氏要覧」(巻上の四)を引用して示すべし。  すなわち左のごとし。

龍曇氏梵語、 正云二罹答摩一 又ーデ 檬曇弥一 此云  地最勝一 謂除>天外在>地人類中最勝、 故経云、 昔仏於二劫籾  作 国 土禅 >位、 師 靱 曇饂  修這、 常於こ  園薔 止、 為袖賊所>害、 彼倦乃残>戸取>血、 泥為 両 団一 用レ器盛乏、 置 於 左右{  叩几ら之満二十月一 左化為>男、 右化為>女、 乃命二氏樅嚢一始也。

(塑曇氏とは梵語に、 正しくは塑答摩といい、 また楷曇弥といい、  ここに地最勝という。 天を除くほか、 地にある人類のうち、 最勝なるをいう。 ゆえに「〔十二遊〕経」にいう、 昔、 仏が劫初において、  国王となり、位をゆずり、 糖曇倦を師として道を修し、 常に一園に遊止し、 賊のために害せらる。  かの倦は、  すなわち を残し、  血をとり、  泥して両団となし、 器を用いてこれを盛り、 左右に置き、  これを呪すること満十月なるに、 左は化して男となり、 右は化して女となる。  すなわち氏を糀晨と命ず始めなり。 大正蔵、 王につる〕)

これ、 その名の起こりし原因にして、 あわせて古代に覆曇と名づくる仙人ありしことを示すものなり。  しかれども、  その仙人は果たして尼耶也学祖の足目なるやいなや、 いまだ知るべからず。 また「住心品疏    「住心品疏冠註」巻一二のニ の「冠注」に掲ぐるところによるに、 胎蔵蔓荼羅外部火天脊属有二五仙一 謂噸斯仙、 阿鉄哩仙、 毘哩塑仙、  喬答摩仙、 菓礫伽仙也(胎蔵曼荼羅の外部の火天の脊属に五仙あり、 いわく、 嗚斯仙・阿鉄哩仙・毘哩鞄仙・喬答摩仙・菓喋伽仙なり)とあり。  また「十二遊経」(一) こよ、

 昔阿僧祇劫時、 菩薩_為一国王薩因従ーー婆羅門母す道云一其父母早喪亡、 譲レ国持与>弟、 捨>国行求>学>道、 遥見こ  婆羅門姓欄嚢{  菩

(昔、 阿僧祇劫のとき、  菩薩、  国王たりき。 その父母、 早く喪亡す。 国を譲り、 たもちて弟に与え、  国を捨てて行きて道を学ぶを求む。  はるかに一婆羅門を見る。  鞄餞を姓とす。 菩薩、 よって婆羅門に従いて道を学ぶ、 云々)

とあれども、 その塑晨と足目との異同はいまだ明らかならず。 ただ、 古代に塑唇を姓氏となせる仙人ありしことを知るのみ。 また西洋に伝うるところによれば、 勝論外道は尼耶也学派より分立発達せしもののごとく論ずれども、 仏教中にこの説あるを見ず。 ただ「因明明灯抄」(巻一の二二)に、

大梵天王与一勝論師ー論議、 梵王即堕  負処一 爾時梵王額上顕>目、 爾時勝論言、 若汝額上有白目為玉奇者、 我亦足下顕>目、 是故号  勝論土竺足目

(大梵天王、  勝論師と論議し、 梵王すなわち負処に堕す。 爾時、 梵王額上に目をあらわす。  爾時、  勝論いう、 もし汝の額上に目あるを奇となさば、  われまた足下に目をあらわさんと。  この故に、 勝論を号して足目となすなり)

とあり。 また「止観輔行」(「止観科本」巻一の九、「止観会本」巻一の一の九)に、

 優楼僧怯(勝論祖)此云二休留_仙之、 故為  其名乃至亦云一桐眼足一 足有已一眼一 其共二自在天ー論議、 彼天面有_二二目一 以ら足比レ

 (優楼僧怯(勝論の祖)、 ここに休留仙という、 ないしまた眼足という。 足に三眼あり。 それ自在天とともに論議するに、  かの天の面に三目あり、  足をもってこれに比す。 ゆえにその名となす)

とあり。  これらの説によりて、 古来足目はすなわち勝論師なりといえる一説あるのみ。 しかるにまた「倶舎法盈頌疏記

 (二)には、 同じく自在天と足目との論議せしことを掲げしも、  足目は勝論師なることを示さず。 ただ「印度蔵志」巻一の一に、 足目仙人とは優楼怯仙のことなるべしといえり。  そのほか、 仏書中に勝論と足目との関係を説きしものあるを知らず。


第二六節    新因明

陳那以前はいま表示せるがごとく、 多く五段を設けて推論せしをもっ て、  これを五支作法といい、 陳那以後はただ宗、 因、 喩の三段を設けて推論せるをもっ て、  これを一二支作法という。 けだし、 新因明に五支を立てざるは、  これを設くる必要なきをもってなり。 ゆえに「因明大疏」(巻一の一四)には、 離一因喩ー外無二別合結一 故

整  合結而  不一別即  (因・喩を離るるのほかに別の合・結なし、 ゆえに合・結を略して別に開かず)と示せり。

 

例えば

一、 声無常(声は無常なり)(宗)

二、  所作性故(所作の性の故に)(因)三、 猶瓶等(なお瓶等のごとし)(喩)

(同喩)若是所作見ーー彼無常一 誓__如  瓶_等等のごとし)

(もしこれ所作なるものは、 彼無常なりと見よ。 たとえば瓶

 (異喩)若是其常見玉非一祢咋のごとし)

 如  虚空等一(もしこれその常〔なるもの〕なるは、 非所作と見よ。 虚空等

 論 この三支作法中、 宗は甲乙対論の上において、 彼我互いに許さざる論点にして、 因・喩の二者は、  彼我ともに

許すところならざるべからず。 しかして、 その宗をもって能立となすは古因明の説にして、 新因明はこれを所立となす。  ゆえに「因明大疏」(巻一の一五)に、 世親菩薩論軌等説二能立有

一宗、  二因、 三喩(世親菩薩の

 「論軌」等に、 能立に一二ありと説く。  一に宗、  二に因、 三に喩)と説き、 また今者陳那因喩為能立宗為二所立

 (今は陳那は因・喩を能立となし、 宗を所立となす)と説けり。 しかれども、 ある説によれば陳那の上に一一門ありて    一はこれを所立とし、 ーはこれを態 止となすという。 今この能立、 所立を明らかにせんと欲せば、 因明家の唱うるところの八義を弁説せざるべからず。 まず「入正理論」(「因明大疏」巻一の一〇、「瑞源記」巻一の二の低文に曰く、

これを因明家の注釈によりて解するに、 第一の能立はすなわち真能立にして、 宗・因・喩の三支欠くることなく、 三者ともに過誤なくして、 まさしく自家の義を成立するをいう。 第二の能破はすなわち真能破にして、 敵の立論に過誤あるときに、 よくその非をしりぞけてその真をあらわすをいう。  これに反して第三の似能立は、 自家の義を立てんとするに、 宗・因・喩三支中、  一、  二の欠くることあり、 あるいは過誤あるものをいい、 第四の似能破とは、 敵の能立の過誤をあらわさんと欲して、 自らかえって過誤を犯すものをいう。  この四者は甲乙対論の上に能立・能破を分かち、 さらにこれに真偽を分かちて四門としたるなり。 これ、 他の所説を破斥してその非なるを悟了せしむるものなれば、  これを悟他の四門とす。  つぎに第五の現拡とは、 外界の相状を直接に知屈するをいう。 例えば、 目の色に対して青・黄等を弁別するがごとし。 ゆえに、  これ心理学のいわゆる感党・知覚なり。

 

第六の比量とは、  已許の法を用いて未許の宗を成すをいう。  すなわち、 外界の相状を直接に党了するにあらずして、  比較推度して知量するをいう。 例えば、 ただちに火を見ざるも、 煙を見て火あるを推知するがごとし。  これ、 いわゆる推理の一種なり。  第七の似現駄とは、 直接に感党したるもの、 外界の自体と合せざるをいう。 例えば、 霧を誤りて煙と認むるがごとし。 第八の似比飛とは、 比知推理の誤りあるをいう。 例えば霧を煙と誤り、 もって火あるべしと比知するがごとし。  この四者は甲乙対論者の、 各自の感覚・思想上に関する悟了なれば、 これを自悟の四門とす。

けだし、  この八門は能立・能破・現凪・比屎の上に、 真似を分かちて八義を立てたるものなり。 真似はなお真偽というがごとし。  この八義のうち、 古因明にては宗・因・喩三支ともに能立となすも、 新因明にては宗を所立とし、 因・喩のみを能立とするの別あることは、 今すでに述ぶるがごとし。 また、 古因明にては現星・比鼠・聖教飛をもって能立となすも、 新因明にてはこれを立具と名づけて能立の材料となすのみ。 また、 古因明にては現量・比星のほかに聖教飛を立つるも、 新因明にてはこれを設けず。  聖教量とは、 論者自ら奉信するところの経文の言説を証拠として立論するをいう。 しかれども、  かくのごときは、 その経文を信ぜざるものに対しては無効なるべし。

論          そのほか、 なお新古の間に因明の相違あれども、  これを略す。 ただ余は、  ここに三支作法の大要と三十三過の略解とを掲げて、 因明論を結ばんと欲す。

 


第二七節 三支作法

 

まず、「丙明人正理論」

 

および「因明大疏につきて三支作法の大要を考うるに、 第一の宗とは主崇を義とし、

 自ら立てんとする主義をいう。  その体は、  二個の名辞と一個の接辞とを有する命題より成る。 さきに、 声は無常なるぺしというものこれなり。 その主辞を宗体と名づけ、 その賓辞を宗義と名づく。 また、 その宗体を有法といい、 その宗義を能別という。  すなわち声は有法にして、 無常は能別なり。  およそ因明の規則として、 甲乙対論のときに用うる有法の主辞と、 能別の賓辞とは、 甲乙ともに許すものなるを要す。 しかして、  この両語を接続して

_    命題を形成するに当たりては、 甲すなわち立者はこれを許すも、 乙すなわち敵者はこれを許さざるものとなる。  すなわち、 甲は声は無常なるべしと立つるも、  乙は声は無常にあらずという。  ここにおいて、 甲乙両者の問に一議論を起こすに至る。 ゆえに、 宗の命題にありては主辞と賓辞とは甲乙両許にして、  これを接続したる体は甲許、 乙不許なるを要するなり。

第二の因とは因故と熟し、 宗にて立つるところの因故理由を掲ぐるをいう。  これに遍是宗法性、 同品定有性、異品遍無性の一二義ありとす。 遍是宗法性とは、 因の義あまねく宗の有法すなわち主辞に通じて存せざるを得ざるをいう。 例えば声無常の論式において、 その因たる所作性は、 宗の声なる名辞に遍通せる性なるを要するなり。もし、 その因の一部分たりとも宗の主辞に通ぜざる義を有するときは、 因となるの性質を欠くものとす。 同品定有性とは、  宗の能別すなわち賓辞と同じき義を有する類例を同品と名づく。 例えば、 声と瓶等とはともに無常を性とするをもって、 瓶等を無常の同品となすがごとし。  今、 因の所作性は決定して瓶等の同品の上に存する性汀なれば、  これを同品定有性という。  これ、 第一相のごとく逼有なるを要せざれども、  一部分たりとも必ずその性質を有するを要す。 ゆえに、 遍有性といわずして定有性という。 異品遍無性とは、 宗の賓辞たる無常の性を有せざる類例を異品と名づく。 例えば虚空の類例のごとし。  すなわち所作性の因は、 虚空のごとき常性のものの上には逼通して、 無なる性なるを異品遍無性という。  およそ因となるものには、  必ずこの三種の性質を有せざるを得ずとなす。

第三の喩とは、 甲乙両者ともに既知なる類例を挙げて比喩するをいう。  これに同喩・異喩の一一種あり。 例えば声無常の論式につきて、  若所作見ーー彼無常 血品別瓶等もし所作なるものは彼無常なりと見よ。 たとえば瓶等のごとし)は同喩にして、  若是常見ーー非所作一如  虚空  (もしこれ常〔なるもの〕なるは、 非所作と見よ。 虚空のごとし)は異喩なり。  これにまた喩体・喩依の別あり。  すなわち、  若所作見二彼無常  (もし所作なるものは彼無常と見よ)と若是常見非所作(もしこれ常〔なるもの〕なるは非所作と見よ)とは喩体にして、 如ーー瓶_等 (瓶等のごとし)と如ーー虚空  (虚空のごとし)とは喩依なり。

そのほか、 宗・因・喩三支に関する説明は因明学の本むに譲る。 あるいは三支を解説するに、  新因明家中、 陳那と商翔羅主との間に多少の異同なきにあらざるも、  これまた本書に譲る。


第二八節 三十三過

つぎに三十三過につきて考うるに、 因明家は論理の誤謬・過失を分類して一    =一種となす。 その数、 古因明と新因明とおのおの異なるのみならず、 陳那と商翔羅主とその見を異にす。 しかして商翔羅主門下にありては、 宗の過に九種を分かち、 因の過に十四種を分かち、 喩の過に十種を分かち、 合して三十三過ありとす。 今、「三十

 

七、 能立法不遣九、 不離

 

今その略解を述ぶるに、 第一の現量相違とは、 声は所聞にあらざるべしと説くがごとし。  その意、 声は現に耳の所聞なるに、  これを耳の所聞にあらずといわば、 現凪にたがうが故なり。 第二の比最相違とは、 瓶等これ常なるべしと説くがごとし。  その意、 瓶等はもとこれ無常なるに、  すでに説きて常となすは、 比知推度に合せずしいわゆる比最にたがうによる。 換言すれば、 瓶等これ常というときは、 宗と因と相合せざる過失に座す。  すなわち、  この二者相合せざるを比屈相違という。 第三の自教相違とは、 勝論師の声を立てて常となすがごとし。 その意、 勝論師は声無常と立つる論者なるに、  これを常と説くときは自教の本旨にたがうによる。 第四の世間相違とは、 例えば世間一般に死人の頂骨はけがれりと知るを、  これに反して頂骨はきよしと説くがごときをいう。すべて世間一般に信ずるところに反するを世間相違という。 第五の自語相違とは、 論理学のいわゆる自家撞着にして、 自ら論ずるところの言が、 自ら立つるところに反するをいう。  その例に、 外道ありて一切の言はみな虚妄なりというがごとし。  すでに一切といえば、 自家の言もまた虚妄ならざるべからず。 しかるに、 自家の言ひとり真実と思うがごときは自語相違なり。 以上五過は陳那の立つるところにして、 以下の四過は商掲羅主の加うるところなり。 能別不極成以下_の一一種につきて、 まず能別・所別・極成・不極成を解せざるべからず。  能別とは前節に示すがごとく、 声無常の命題中、 無常を能別とし声を所別とす。  すなわち、 能別は賓辞にして所別は主辞なり。 極成とは至極成就の義にして、 甲乙対論の間において立者・敵者ともに許すものをいう。 しかるに、 宗を立つるに当たりその命題中、  主辞所別の語は立・敵ともに許すも、 賓辞能別の語は、 甲これを許して乙これを許さざる場合を名づけて能別不極成という。 その例に仏弟子、 数論師に対して、 声は滅壊すべしと立つるがごとく、声は立・敵共許なるも、 滅壊は甲これを許して乙これを許さざる場合を引けり。 もし、 これに反して賓辞能別の語は立・敵共許なるも、 主辞所別の語は、 共許せざる場合はこれを所別不極成という。 例えば数論師、 仏弟子に対して、 我はこれ思と説くがごとし。 仏教は無我の真理を立つるものなれば、 所別の我を許さざるに、  これに対して我を立つるの類これなり。  もしまた所別・能別の両語ともに不許なる場合は、  これを倶不極成の過となす。その例に勝論師、 仏弟子に対して、 我をもっ て和合因縁となすがごとしという。  すなわち、 所別の我も能別の和合因縁も、 ともに仏弟子の許さざるところなれば、  これを倶不極成の一例となすなり。 もしまた能別・所別のみならず、  主辞・賓辞を接続する語までも立・敵ともにこれを許し、 さらに争うところなき場合は、  これを相符極成の過となす。  その例に、 声はこれ所聞なりと説くがごとしという。  かくのごときは、 推論をまたずして明瞭なる事実なれば、 論題となすに足らず。  ゆえに、  これを過失の一種となす。 以上は宗の九過なり。

つぎに因の過を挙ぐれば、 第一の両倶不成とは、 甲乙対論者ともに許さざるものをもっ て因を立つるをいう。例えば、 声は無常なるべし、 目の所見性なるが故にというがごとし。 第二の随一不成とは、 勝論師、 声顕論師に対して、 声は無常なるべし、 所作性なるが故にというときは、 甲乙対論者の間において、 甲はこれを許し乙はこれを許さず。  すなわち、 声は所作性なることを許さざるものに対して所作性なりと説くをもっ て、 共因とならずして随一となる。 けだし、 因は甲乙共許ならざる ぺからざればなり。 ゆえに、  これを随一不成の過失と名づく。しかして勝論師・声論師のことは、 後に本論に入りて述ぶべし。 第三の猶予不成とは、 疑いありていまだ決せざる事実をもっ て因と立つるの類をいう。 例えば、 遠所に白色の一物ありて空際に浮かぶを見るも、 いまだその物の雲なるか煙なるか猶予して決せざるに、 たちまちこれを火なりと憶断して因となすがごとし。 第四の所依不成とは、 例えば勝論師、 経部師に対して虚空は実有なる ぺし、 徳の所依なるが故にというがごとし。  勝論師は虚空実有論者にして、 しかも徳の所依なりと説くも、  経部師は虚空を実有にあらずとなす。  これをもっ てその論、 経部師に対しては徳所依の因所依なきものとなる。  ゆえに、  これを所依不成と名づく。 しかして、 経部師のことは小乗哲学を謡ずるときに詳述すべし。 第五の共不定とは、 例えば、  声は常なるべし、 所凪性の故にというがごとし。 その因たる所屎性は、 同喩にも異喩にもともに通じ、 同喩の虚空も所星性にして、 異喩の瓶等も所量性なれば、  二者中一方に定むべからず。 ゆえに、  これを共不定と名づく。  第六の不共不定とは、 まさしくその反対にして、 同喩にも異喩にも通ぜざる因を用うるをいう。  例えば、 声は常なるべし、 所聞性なるが故にというがごとし。  第七の同品一分転異品循転不定とは、 宗同品の一部分に通じて、 宗異品の全部分に通ずるものをいい、 第八の異品一分転同品偏転不定とは、 宗同品の全部分に通じて、 宗異品の一部分に通ずるものをいい、 第九の倶品一分転不定とは、 宗同品の方にも宗異品の方にも、 ともに一部分通じて一部分通ぜざるものをいう。  これみな、 前節のいわゆる因の三相を具せざる過失なり。  すなわちこ_の一一種の過失は、 因の三相中、 異品遍無性を欠きて、 全分もしくは一分異品に通ずるによる。  つぎに第十の相違決定とは、  その論式、 因の三相を具して形式上の過失なきも、  甲乙両論者が各因の三相を見したる論式をもっ て、 互いに相違せる論議を決定せんとするがごときをいう。  かくのごとき湯合においては、 両方とも勝つこともなければ敗るることもなく、 ついに猶予不決となるをも論     っ て、  これを不定過失の一種となす。  つぎに法自相相違因・法差別相違因・有法自相相違因・有法差別相違因の

緒      四種は、 因の三相中、 後二相を欠きたるものにして、 因が宗同品の全分を拒否して、 宗異品の全分あるいは一分を包容するの過失を犯せるものなり。  これを相違の過失と名づくるは、 甲乙対論の間において、 敵者が立者の因を取りて、 もって立者の宗を相違せしむるによる。 まず四相違の名目を解するに、  法とは宗の能別すなわち賓辞にして、 有法とは宗の所別すなわち主辞なり。 自相とは宗の主辞あるいは賓辞の自相を義とし、 その言語すなわちこれ自相なり。 差別とは、  その言語の中に有するところの別意義をいう。  かくして、 宗の法もしくは有法の言語および意義が、 因と相違して因の相を欠くに至れる過失を四種に分かちたるもの、  すなわちこれ四相違なり。

しかしてその説明のごときは、 別に「四相違略註釈    および「四相違略私記」のごとき釈書あり。  かつ、 ここに

いちいち類例を挙げて解釈を下すのいとまなければこれを略す。

つぎに、 喩の過失の第一なる能立法不成とは因不成の義にして、 喩と因と相合せざる場合をいう。 例えば、 声は常なるべし、 無質凝なるが故にの喩に、 猶如二極微  (なお極微のごとし)というときには、 極微は質凝を有するをもって因の義を成立せず。 ゆえに、  これを過失の一種となす。 第二の所立法不成とは、 喩の意、 宗の義を成立せざるをいう。 例えば、 無質凝の喩に如>党(覚のごとし)と説くがごときは、 無釘凝の因を成立するも、 声常の宗を成立せず。 なんとなれば一切の覚はみな無常なればなり。 第三の倶不成とは、 宗も因もともに成立することあたわざる喩を用うる場合をいう。 例えば、 如>瓶(瓶のごとし)というがごとく、  その喩は声常の宗の義も、 無質凝の因の義もともに有せず。  ゆえに、 これを倶不成の過と名づく。 第四の無合とは、 およそ三支作法において、 宗と因とを合して喩を挙ぐるを規則とす。 例えば、 声無常の論式ならば、 喩の場所において諸所作者見皆無腐 如瓶等(もろもろの所作なるものはみな無常なりと見よ、 瓶等のごとし)と説きて、 喩体と喩依とを示すべきに、 喩体を示さずして、 ただ喩依のみを挙ぐるを無合という。 第五の倒合とは、 喩体を説くときに、因をさきに挙げて宗を後に示すを規則とするを誤りて、 宗を先に挙げて因を後に出だすことある場合をいう。 例えば、 諸所作者皆是無常(もろもろの所作なるものはみなこれ無常なり)と説くべきを、 諸無常者皆是所作(もろもろの無常なるものはみなこれ所作なり)とのぶるがごとし。 以上の五種は同喩の過失なり。

つぎに異喩の過失を述ぶるに、 第一の所立法不逍とは、  すべて異喩は宗と因とを拒否す ぺきを規則となす。 しかるに、 宗を拒否せざるを所立法不遣という。 例えば、 声常無質凝故の異喩に、 諸無常者見二彼質凝一醤如コ極微

(もろもろの無常なるものは彼を四凝と見る。 たとえば極微のごとし)と説くがごとく、 極微は常性と立つるものなれば、 声常の宗を拒否することあたわず。  第二の能立法不遣とは、 因を拒否せざる過失をいう。 例えば、

 

如二極微

 

(極微のごとし)の異喩の代わりに、 如函業(業のごとし)と説くときには、 業は質凝なきものなれば、無質凝故の因を拒否することあたわず。 第三の倶不遣とは、 宗と因との両者を拒否せざる過失をいう。 例えば、

 

異喩に如虚空

 

(虚空のごとし)と説くがごとく、 虚空は常性にして無質凝なれば、 宗・因二者を拒否することあたわず。 第四の不離とは、  先の不合と同じく、 諸無常者皆見函品四如ーー瓶_等  (もろもろの無常なるものはみな質凝なりと見らる、 瓶等のごとし)と説くべきを、  喩体を示さずして、 ただ喩依の如  瓶等  (瓶等のごとし)と

のみ説くがごとき場合をいう。  これまた過失の一種となす。 第五の倒離とは、 さきの倒合と同じく、 喩体を示す場合に、 因を先にして宗を後にするを規則となす。 しかるに、 宗をさきにして因を後にするの過失を犯すをいう。 例えば、 諸無常者皆見二質凝  (もろもろの無常なるものはみな質凝なりと見らる)というべきを、  これを倒して諸質凝者皆見ーー無常  (もろもろの質凝なるものはみな無常なりと見らる)と説くがごとし。 以上は異喩の

緒      過失なり。  これを要するに、 宗の九過中、 五種相違の過は陳那の立つるところにして、 三種不極成の過は、 商掲羅主すなわち天主の増加するところなり。 因の十四過中には、  四種不成の過と、 六種不定の過と、  四種相違の過あり。 喩の十過中には、 五種同喩の過と、 五種異喩の過あり。  これを合して一二十三過という。


第二九節    東西論理の異同

 

それ因明は印度の論理法にして、 西洋のいわゆるロジックに当たること言をまたざるなり。  しかして、 西洋のロジックは演繹・帰納の両法ありて、 演繹法は希臓〔ギリシャ〕の大賢アリストテレス〔 〕氏の組織せるところにして、  印度の因明とその形式を同じくすることは、 いやしくもその一端をうかがうものの、アレ* サンドルみな知るところなり。  これをもっ て、 その二者の起源の一なることを論ずるものあり。  一説には、  歴山帝東征のとき、 印度よりこの法を希臓に伝えたりとなすものあれども、 また一説には、 東西各別に発見したるものの、偶然類同するに至れりとなすものあり。  およそ人の思想は同一の進路を取るものなれば、 東西その地を異にして偶然その結果の相合することあるは、 往々その例を見るところなり。  今、 論理もまたその一例なりとなすものあれども、 その形色の著しく類同せる点よりこれをみれば、 余はアリストテレスの論理学は、 直接あるいは間接に、  印度の因明より流伝したるものなるべしと信ず。 因明はさきに述べしがごとく、 宗・因・喩の一一支を立てて、

西洋の演繹法は宗・因の二支のみを立てて、 喩の一支を欠くの相違ありといえども、 新因明にては喩体と喩依を分かち、 喩体に重きを置く以上は、 西洋演繹法の大提案・小提案・断案の三命題を立つると、 ほとんど同一なり。

ただその異なるは、  喩依を論式中に加うると加えざるとにあり。

しかりしこうして、 その法の応用にいたりては、 またおのずからその趣向を異にするところあり。  けだし印度も西洋も、 言語・思想の正邪・真偽を審定するために、  この方式を用いたるは明らかなりといえども、 印度はこれを実際的に応用し、 西洋はこれを理論的に講究したるの異同なきにあらず。 換言すれば、 印度は甲乙対論者ありて、  一問題の勝敗を決するに当たり、 己を立てて他を排せんとする湯合にこの法を応用せり。 しかるに、 西洋にては対論者の有無にかかわらず、 広く一真理を論定せんと欲するときに、 必ずこの法によりてその真偽を証明するなり。  ゆえに、 前者は実際的にして後者は学術的なり。  ことに西洋のいわゆる帰納法のごときは、 純然たる学術研究の方法にして、 印度の因明中にこれなきは、 その論理の応用的なるゆえんなり。  ゆえに、 因明は論理法にしての特色ロジッ クは論理学なりと称するも可ならん。  かくのごとく二者その性質を異にする以上は、  おのおのそ長所とするところあり。 ゆえに余、 決して因明を変じてロジッ クとなすを欲するにあらず、 またロジックを化して因明となすを好むにあらず、 ただこの二者を融合して、 一層完全の新論理学を構成せんことを望むものなり。 もし、  その詳細の比較および評論のごときは、 世間すでにその書を有するをもっ て、  ここに掲記せず。かつ、 因明学はその源外道中に起こりしも、  仏教家久しくこれを仏学中の一科として研究せしをもっ て、  その疏釈の世間に伝わるものまたすこぶる多ければ、 余は「因明大疏」、「義断」、「纂要」、「前記 、「後記」、『直解」、

「直疏」、「裏内」、「明灯抄」、「俗詮」、「大疏抄」、「瑞源記」、「四相違註釈、「同私記」、「本作法纂解」、「同輯釈、『纂解鼓攻」等の数むを参照して、  わずかにその一端を開陳せるに過ぎず。 もし、 古来の因明疏釈類をことごとく挙示せば、 実に移多ある ぺし。 左に「四相違私記』の巻末に付記せる「因明章疏目録」を転載して、 参考の一助となす。

 


第六章 毘陀論


第三    節    毘陀の名義

以上印度の五明中、 医方明・エ巧明・声明・因明の四明を講述してここに至れば、 内明を弁明せざる ぺからず。しかして、  さきにー百せしがごとく、 仏教には仏教の内明あり、 外辺には外道の内明あれば、 余はまず外道の内明を述ぶべし。  外道の内明とは、 すなわち余がいわゆる外道哲学なれば、  これより外道哲学総論、 同各論の両段を設けて逐次論明する意なれども、  その前に外道所依の経論につきて一言するを要す。  その経論の根本たるべきものに「+ 八大経」ありという。 なかんずく「毘陀経」は印度最古の神典にして、 諸外道のよりて起こる本源なれば、 まずこれが解説をなすべし。 そもそも毘陀(皮陀.君陀・囲陀.違陀・牌陀.酵陀・吠陀あるいは波陀)

とは、  これを翻じて押論あるいは明論と訳す。「唯識論  (巷一の一四)には、 有余偏執明論声常云云(ある余の、 偏執すらく、 明論の声は常なり云々)の文あり。 ゆえに「唯識述記」(巻一末の七五)に、 吠陀明也、 明ーー諸実事一故(吠陀とは明なり。 もろもろの実事を明かすが故に)とあり。 また「十住心論」(巻三の四、「+ 住心論冠註」巻三の八) には、 梵王所油四種明論(梵王所演の四種明論)の熙あり。  しかるに「翻訳名義集』(巻五の五三) には、 窟陀亦名ーー吠此__云智論一 知レ此生>智、  即邪智論、 亦翻  無対旧__云  毘_陀(君陀はまた吠陀と名)

 

づく。  ここに行論という、  これを知るに智を生ず。  すなわち邪智論なり。 また無対と翻じ、 旧に毘陀という)とあり。 また「三蔵法数」(巻一七の二七、「大蔵法数」巻二    の一六)には、 梵語れ陀華言ーー智論一 即婆羅門所  作邪論也、 以ー一世問之智 淫妥疫生等柑  而有ーー四種不同一 故名二四茸陀典一 其書不一為曾伝至ーー東土梵語の荏陀は華には智論という、  すなわち婆羅門作るところの邪論なり。 世間の智をもって投生等の書を造る。 しかして四種の不同あり、  ゆえに四窟陀典と名づく。 その書かつて伝えて束土に至らず)とあり。 もしまた「玄応音義」(巻一九の によらば、 毘陀或言二茸陀一皆訛也、 応>言西は陀一 此云>分也、 亦 ぞ 知也(毘陀あるいは章陀というは、みな訛なり。 まさに碑陀という ぺし。  ここには分というなり、 また知というなり)とあり。 今、「名義集」および「一一蔵法数」によりて四毘陀の名目を挙示すること、 左のごとし。

一、 阿由毘陀

二、 殊夜毘陀_言一方命一 亦曰>寿、 謂  餐生繕性之書也(華に方命といい、 また寿という。 いわく、 授生繕性の書なり)。

謂  祭祀祈頑之書也(いわく、 祭祀祈頑の朽なり)。

 三、 婆磨毘陀ーー 曲

礼儀占卜兵法軍人之書也(いわく、 礼儀・占ト・兵法・軍人の書なり)。

 四、  阿達婆毘陀謂異能技数梵兜医方之書也(いわく、 異能の技数・梵呪・医方の柑なり)。

この四毘陀の名目は「名義集    に掲ぐるところによるも、  これを西籍伝うるところに比するに多少の異同あり。  また、 仏害中に見るところも訳字の不同あれば、 左にこれを対照す ぺし。

阿由(あるいは荷力、 あるいは億力)毘陀ー リグ毘陀

殊夜(あるいは冶受、 あるいは耶妥)毘陀 ヤジュー ル毘陀

婆磨(あるいは三摩)毘陀 サー  マ毘陀

阿達婆(あるいは阿閥、 あるいは阿閾婆弩、 あるいは阿他)毘陀ー アタルヴァ 毘陀

これによりてこれをみるに、 リグ毘陀を阿由と称するは、 はなはだ解し難し。  これ、  おそらくは訳者の誤ちならん。  これを荷力と名づくるは、 力荷の顛倒せるものにして、 リグの音訳なる ぺし。 あるいはこれを憶力と称するは、 荷力の転訛ならん。 しかるに「印度蔵志」(巻二の八、「印度蔵志略」巻一の一八)に、 荷カ・億カ・阿由は同音なりとし、 韻鏡をよく見ん人は疑わしとあれども、  これ信じ難し。 つぎに、 ヤジュー  ル毘陀を殊夜と称するも、 夜殊の顛倒なるべし。 婆磨は沙磨の誤りにして、 阿閾あるいは阿他はアタルヴァの略称なること言をまたず。  これを「西域記」(巻二の六)には、 寿論・祠論・平論・術論の四種とす。  その解釈は右に挙ぐるものに異ならず。「玄応音義」(巻一九のーニ)には、

一名祠  由此  き  命、  謂医  方諸事更 四名ーー阿閥婆拳一謂如几術一也

二名ー一夜殊  謂ーー祭祀也、 三名ーー婆_磨  此云>等、 謂ー一国俄卜相音楽戦法諸

 一は阿由と名づく、  ここに命という。 医方の諸事をいう。  二は夜珠と名づく、 祭祀をいうなり。 三は婆磨と名づく、  ここに等という。  国儀・ト相り)

音楽・戦法の諸事をいう。  四は阿瀾婆怒と名づく、 呪術をいうな

 と釈せり。 あるいはこれを「百論疏」(巻上の下の六)に考うるに、 第一は解脱の法を明かす、 第二は善道の法を明かす、 第一二は欲塵の法を明かす、  すなわち一切婚嫁欲楽のことなり。 第四は呪術・箕数等の法を明かすという。 あるいはまた「天台三大部補注」(巻二の九) によれば、 第一は事火等の法を明かす、 第二は祠祀等の法を明かす、 第三(阿他意陀)は戦闘等の法を明かす、 第四(三摩葦陀)は異国等の法を明かすとあり。「雑心論(巻七の三)、「涅槃義記、「無量寿経憬興疏」にはみな、 第一の毘陀は事火の法を明かすとの説なりという。 もしまた「垂裕記巻二の七)によらば、 第一は事火、 懺悔の法を明かし、 ないし第四は異国・戦闘の法を明かすとあり。  そのほか「倶舎遁麟記」(巻一六の四)、「倶舎恵暉抄 巻四の一 一)「、   因明明灯抄」(巻  ー末の一二)、「大日経疏指心紗巻八の三一)、「+ 住心論科註巻三本の一等の数書にその解釈を見るも、 大抵みな同一の説明なり。 以上の解釈につきて、 四毘陀のいかなる書なるを知るぺし。  もし、  これを西洋所伝の説に参照するに、 毘陀各部の所論をかくのごとく一定せるは、 その意を解し難しといえども、 けだし各部中の主要なる点につきて、 その別を立てたるものならんか。  ゆえに、 第一毘陀は寿命薬生の法を明かすというも、 あえてそのことのみを論じたるものにあらざる ぺし。  しかるに「演密紗」(巻一の四一) には、 君陀正云二吠陀此方云ニ明外道一 明論而有ー四種    謂声明、 因明、 工巧明、 医方、  児術明(意陀正しくは吠陀という、  この方には明外道という。 明論に四種あり、 いわく、 声明・因明・エ巧明・医方・呪術明なり)とあり。 また同書(巻二の四       に、 君陀此云>明、  即是外道四明也、  謂声因医内等(窟陀、  ここには明という。  すなわちこれ外道の四明なり。いわく、 声・因・医・内等なり)とあり。 もしこの説によらば、  四毘陀は五明中の四明を義とすることとなる。これ、 はなはだ怪しむべし。 けだし、 毘陀を訳して明となすを見て、  かくのごとき誤解を生ぜしならん。  そのほか「大日経疏拾義紗」(巻三の二九)、「秘蔵宝鍮撮義紗」(巻上の下の釈を掲げしも、  みな「演密紗」の説にもとづきしものなり。

 二)等の二、  三の書に、  かくのごとき解

 

第三一節    毘陀の起源

もしそれ、 毘陀の本源にさかのぼりてこれを考うるに、 幾千年前の古害なるや知るべからず。 あるいは五千年前、 あるいは六千年前などと称すれども、 到底その年代を確知すること難しとなす。 しかれども、  その書はひとり印度において最古の書なるのみならず、 世界において最古の園なるべし。 しかして、 西洋に伝うるところによれば、 その書決して一人および一時代に成りたるものにあらずという。 もし今、 仏むによりてその起源を知らんと欲せば、  ここに婆羅門の神話を説かざるべからず。 まず、  これを「悉嚢蔵とし。

 (巻一のニ)に考うるに左のご

 


常騰法華論註云、  劫初成時、 摩醸首羅与ーー毘樅鉗ー和合生  子名  婆藍摩{  彼有二四面元型四波陀一 頂上有こ面正翌一波陀一 四面所説並是世法、 頂上所説、 語深難>解、 世所伝行者唯四波陀 ゜

(常騰の「法華論註」にいう、  劫初成ずる時、 摩醸首羅、 毘樅鉗と和合して子を生み、 婆藍摩と名づく。 彼に四面あり四波陀を説く。 頂上に一面あり一波陀を説く。  四面の所説はならびにこれ世法、 頂上の所説は語深く解し難し。  世に行ずるところはただ四波陀のみなり。

これ、 梵王ただちに四毘陀を作るとなす説なり。 また「秘蔵宝鍮撮義紗」(巻上の下の_一 二)によるに、 六波羅密経十云、 大梵身四情、 四面蓮華生演一説四君陀一云云(「六波羅蜜経」十にいわく、 大梵の身は四冑なり。 四面に蓮華を生じ、 四尊陀を演説す、 云々)とあるは、 ややこれに同じ。 しかるに「法華文句」「法華文句科本」巻八の三の一〇、「法華文句会本』巻_一 四の三には、「摩登伽経」(巻上の一を引きて左のごとく示せり。

外道梵志者摩橙伽経云、 初人名ーー梵天一 造こ  章陀一 次名ーー白浄一 変>一為>四、  一名ーー讃誦窟陀二名ーー祭祀名 歌 詠一 四名二攘災 各三十二万低、_合一成一百二十八万偶、 有二  千七百巻一也、 次名ー弗ー    沙一 有ーニ十五弟子ー  各於二  蹂_陀  能広分別遂有二十五窟陀一 次有>人名二魏鵡変二  猷陀ー為二十八次有>人名ー一善道    有三  十一弟子変  為二 十一章陀一 如五是展転変為三'二百六窟陀布

(外道梵志とは、「摩登伽経」にいわく、 はじめに人を梵天と名づけ一意陀を造る。 つぎに白浄と名づけ、一を変じて四となす。  一を讃誦葦陀と名づけ、  二を祭祀と名づけ、 三を歌詠と名づけ、 四を攘災と名づく。いちいち各三十二万偽あり、 合して一百二十八万偶となし、 一千七百巻あるなり。  つぎに弗沙と名づけ、 ニ十五の弟子あり、 おのおの一為陀において、 よく広く分別す。 ついに二十五の章陀あり。  つぎに人ありて煕鵡と名づく。  一章陀を変じて十八となす。 つぎに人あり善道と名づく。  二十一の弟子あり、 変じて二十一窟陀となす。  かくのごとく展転して、 変じて千 ー百六窟陀となすなりと。)

また「止観輔行止観科本    巻のニ   、「止観会本    の一の二〇) にも、 同じく「摩登伽経(「助顕唱導文集」巻三の三六) によりてこのことを論ぜり。  すなわち曰く、如昔梵天修二学禅道石大知見一 造二君陀論一流布教化、 其後有砿凹名日一白浄造  四窟陀一 乃至今言  章陀一者且従ーー根本  以>四為>定謂讃誦等

(如昔、 梵天禅道を修学し大知見あり、 章陀論を造り、 流布し教化す。  その後、 仙あり名づけて白浄といい、 四菰陀を造る。 ないし、 いま危陀というは、 しばらく根本に従って四をもっ て定となす。  いわく讃誦等なり)

とあり。  この「文句」および「止観」の説と、「悉嚢蔵」の説と一致せざるところあるを見る。  すなわち前者によれば、 梵王ただちに四窟陀を作るにあらずして、 後者によれば、 梵王ただちにこれを作る説なり。  ゆえに、

 

「大日経疏呆宝紗巻二本二の三にはこれを評して、 然梵王直非>造二四窟陀{  約函竺合梵王之説匂{(されば、 梵王ただちに四窟陀を作れるにはあらざるも、 源に約して梵王の説というか)とあり、 また「指心紗」(巻八の三にも、 同じくこの異同を論ぜり。 そのほか、「玄応音義」(巻一九の一)には梵天孫毘耶婆仙人又

 作入  碑陀歪  云(梵天の孫毘耶婆仙人また八碑陀を作る、 と云々)とあり、「毘耶婆問経」(巻上の三)には此是仙人名  毘耶婆{  造二四奮陀一云云(ここはこれ仙人にして毘耶婆と名づく。 四蹂陀を造る、 と云々)とあり、「百論疏」(巻上の下の七)には「毘婆沙論    を引きて日く、 塑毘陀婆羅門造ーー梵書一 怯慮仙人造ーー怯慮書一 大婆羅門造毘陀論 (塑毘陀婆羅門は梵内を造り、 怯慮仙人は怯慮書を造り、 大婆羅門は毘陀論を造る)とあり、「法華文句』(「法華文句科本」巻八の三の一、「法華文句会本」巻二四の三には、 毘陀論此云  智論{  婆耶婆造凡四種云云(毘陀論、 ここには智論という、 婆耶娑の造なり、 およそ四種あり、 云々)とあり。 かくのごとく、 諸書説くところ小異あり。  今「大日経疏印義抄」(巻一九のれを左に転載すべし。

に、 経論中の異説を列挙せるところあれば、  こ若依一摩登伽経一 昔者有>人名為  梵天造二  囲陀其後有>仙名ー己白浄  造四囲陀一 若拠ーー毘耶婆問経一 毘耶婆仙造ー一四毘陀{  涅槃義記四大論師一名ーー婆耶婆  造四毘陀{  此婆耶婆与  彼毘耶婆一同、 又彼白浄与>此同耶、然経音以為  四碑陀梵天所説、 梵天孫毘耶婆仙人又作二八碑陀    又六婆羅蜜経十曰、 大梵身四腎、  四面蓮華生、 演  説四囲陀此大梵当二初禅梵王一 因縁結集、 如レ是異説経音梵天為二初禅王与>此允会云云  ゜

 

(もし「摩登伽経」(巻上の三)によらば、 昔、 人あり名づけて梵天となす。  一囲陀を造る。  そののち仙あり白浄と名づけ、 四囲陀を造る。 もし「毘耶婆問経 三)によらば、 毘耶婆仙は四毘陀を造る。「涅槃義記    に四大論師あり一を婆耶婆と名づく。  四毘陀を造る。  この婆耶婆はかの毘耶婆と同じ。 また、  かの白浄はこれと同じなるや。 しかるに経音におもえらく、  四碑陀は梵天の所説なり、 と。 梵天の孫毘耶婆仙人はまた八稗陀を作る。 また「六波羅蜜経」+ (巻一    の七)にいわく、  大梵の身は四臀、 四面に蓮華生ず。  四囲陀を演説す。  この大梵は初禅の梵王に当たる。 因縁をもっ て結集す。  かくのごとき異説の経音に梵天を初禅の王となすは、 これと允会す、 と云々。)

かくのごとく種々の異説ありといえども、 畢党するに、 その本源は梵天より出ずるとなすにいたりては一なり。  ひとり「開目抄」(巻上の三)に、 迦毘羅・湿楼僧怯.勒娑婆の三仙の所説を四蹂陀と号すと説けり。  これ、いまだ他所に見ざる説にして、『開目抄見聞巻一のにこれを説明せるも、  その出所を示さず。  けだし、四毘陀をもっ て外道一切の典籍と考えしによるならんか。 また「正法眼蔵渉典録」(巻一    の 、「正法眼蔵」入鉄四禅比丘の一にも、 毘陀の名目および解釈を出だせるも、  これ全く「摩登伽経による。  これを要するに、 四毘陀の起源は印度の神話にもとづき、 容易に信ずべからずといえども、 その書の印度最古の書たるや疑うべからず。 しかして、 その全部は決して一人一時代になりたるものにあらざること、 また明らかなり。


第三二節 毘陀の性質

この四種の毘陀は印度最古の神典なるをもっ て、 その国にありてはこれを芍重すること実にはなはだし。  かつ、 婆羅門種族は幼少のときより必ずこれを学ぶもののごとし。  すなわち『玄応音義(巻一九のに曰く此四是梵天所説、 若是梵種年満エぷ究就袖師学"之、 学成即_作一国師    為二人主翫  五敬(この四はこれ梵天の所説なり。 もしこれ梵種ならば、 年七歳に満ちて師に就きてこれを学ぶ。 学成ずれば国師となり人主となって敬わる)

とあり。  また「僧史巻上の二五)、こよ'、  その柑は外道の最も喀奉せる神典なる一端を示して曰く、 禦侮之術莫>若>知ーー彼敵情一 敵情者西竺則窟陀、 東夏則経籍突、 故祇桓寺中有二四窟陀院一 外道以為  宗極一云云(侮りをふせぐの術は、  かの敵情を知るにしくはなし。 敵情とは、 西竺にありてはすなわち窟陀、 東夏にありてはすなわち経籍なり。 ゆえに、  祇湮寺の中に四獄陀院ありて、 外道はもって宗極となせり、 云々 大正蔵、涯につくる〕)

あり。「維摩発朦紗巻 一の六) に、 若能読二四窟陀ー者於ーー其道中丘取為二上首一 一切世問無呆師>之、 十六大国敬>之如>仏(もしよく四窟陀読まば、 その道の中において最も上首となす。  一切世間これを師とせざるはなし。 十六大国これを敬うこと仏のごとし)とあり。 しかして、  これを学ぶに暗誦を用いたるもののごとし。  すなわち「南海寄帰伝 巻四のーニ)に曰く、

所芍典詰有二四膵陀書一 可二十万頌一 辞陀是明解義、 先云二囲陀一者訛也、 咸悉口相伝授而不玉書ー一之於紙葉ー  毎有聡 明婆羅門  誦 斯十万一云云

(所尊の典詰としては四語陀の書あり、  十万頌なる ぺし。 辟陀はこれ明解の義なり、  さきに囲陀というは訛なり。  みなことごとく口ずから相伝授して、  これを紙葉に書せず。  つねに聡明の婆羅門ありて、  この十万を誦せり、 云々)

とあり。 けだし、 婆羅門種族の就学の順序は「倶舎光記」(巻一の一 二)によるに、 婆羅門法七歳已上在>家学問、 十五已去翌  婆羅門法一 遊方学問、_至一年三十   _恐一家嗣断絶一 帰る家要>婦、 生玉子継>嗣、 年至二五十一 入山学道(婆羅門の法にては、 七歳以上は家にあって学問し、  十五已去は婆羅門の法を受けて遊方して学問し、 年三十に至っ て家嗣の断絶せんことを恐れて、 家に婦って婦をめとり、 子を生んで嗣を継がしめ、 五十に至っ て山に入って道を学ぶなり)とあるを見て知るべし。 もしこれを仏教に比すれば、 梵王は仏のごとく、 毘陀は「十二部経」のごとしという。  すなわち「住心品疏』(「住心品疏冠註」巻五の三六)に、 於二彼部類之中一梵王猶如レ仏、

四囲陀典猶如一十二部経一 伝二此_法  者猶__如  和合_僧

 (かの部類の中において、 梵王はなおし仏のごとく、  四囲陀典はなおし十二部経のごとく、  この法を伝うる者はなおし和合僧のごとし)とあり。 また「嘉祥仁王経疏」(巻一の二五)に、 仏未二出世揺穿敬邪一二宝一 諸天邪師以為ーー仏宝一 四窟陀等以為ーー法宝ー  諸外道等以為二僧宝仏い

 まだ出世せざるに、 邪の三宝を婦敬す。  諸天邪師をもって仏宝となし、  四君陀等をもっ て法宝となし、 諸外道等をもって僧宝となす)とあり。 あるいはまた『秘蔵宝鍮」(巻上の一五) に、

諸外道等亦立已一宝一 学等名一 梵天等為恥兄宝禅那即定四吠陀論等為ーー法宝一 伝授修行者為二僧宝十善等為>戒、

(もろもろの外道等もまた、 三宝、 三学等の名を立つ。 梵天等を覚宝とし、  四吠陀論等を法宝とし、 伝授修行の者を僧宝とし、 十善等を戒とす。  四禅那はすなわち定なり

とあり。  そのほか仏教論中に、「毘陀経」につきて特に説明したるもの、 いたって少なし。「金剛針論」のごときは、「毘陀経」の論旨を説破せるもののごとし。  ゆえに、「釈教棠門標目 巻一の八)にその解題を掲げて、 婆羅門の四藉陀論を破すとあれども、 いちいちここに叙述するを要せず。 もし西洋刊行の書類によらば、「毘陀経」の事情を明らかに知ることを得べし。 今わずかにその一端を述ぶるに、  四種の毘陀はおのおの左の両部より成る

という。

第一、  曼特羅すなわち歌頌

第二、 婆羅摩 すなわち儀式

 

そのほか各毘陀を哲学的に考究し、 宇宙の本源、 造化の本体、  および人類と梵天との関係等を論明したるもあり。  これを優波尼薩土 と名づく。 もし、  この諸部を宗教・哲学の二者に分かたば、  曼特羅および婆羅摩は宗教に属する部門にして、 優波尼薩土は哲学に属する部門なり。 けだし、 優波尼薩土の語は秘奥の義を含み、 毘陀の裏面に潜在せる秘奥の道理を開示するの意を有すという。 余、 いまだただちに毘陀の害を読みたることあらずといえども、 聞くところによるに、 毘陀は表面に多神教の説を示し、 裏面に一神教あるいは汎神教の意を含むもののごとし。 しかして、 その裏面の意を開明したるものは、 実に優波尼薩土なり。 外道諸派の哲理もまた、  みなこれより派生せりという。  そのほか毘陀に関することは、 本論中の天論および一因論の章下につきて見るべし。


第三三節    外道の経論

外道の経論は、 毘陀のほかになお種々あり。 毘陀は最初わずかに四種なりしも、 後にようやく変じて勁鵡はこれを十八となし、 善道はこれを二十一となし、  ついに千二百六章陀となりしことは、 前すでにこれを示せり。 今百論疏」(巻上の下の六、「真宗名目図  八 によりてこれを考うるに、  四窟陀者外道十八大経亦云二十八明処{四皮陀為>四、 復有二六論  合 四 皮陀為>十、  復有ーー八論一足為二十八

(四危陀とは外道の十八の大経なり、 また十八明処という。  四皮陀を四となす。 また六論あり、  四皮陀に合して十となす。 また八論あり、 足して十八となす)とありて、 四蹂陀・六論・八論これを合して、 外道の「十八大経」となす。

左に六論の名称を列挙すべし。

 一、 式叉論(釈ーー六十四能_法(六十四の能法を釈す))

二、 毘迦羅論(釈二諸音声法(もろもろの音声の法を釈す))

三 、 祠剌波論(釈ー迄諸天仙上古以来因縁名字  (もろもろの天仙の上古より以来の因縁の名字を釈す))

四、 竪底沙論(釈ー天文地理算数等法  (天文・地理・算数等の法を釈す))

五、 閾陀論(釈に作二首慮迦江法い首慮迦偽名(首慮迦を作る法を釈す、 首慮迦とは偶の名なり))六、 尼鹿多論(釈下立こ  切物名一因縁上(一切の物の名を立つる因縁を釈す))

 この六論を「金七十論巻上のニ、「金七十論備考」巻上の五八) には、  一式叉論、  二毘迦羅論、 三劫波論、  四樹提論、 五聞陀論、 六尼禄多論(一には式叉論、  二には毘伽羅論、_  二には劫波論、 四には樹提論、 五には閾陀論、 六には尼禄多論なり)と称せり。 つぎに八論とは左のごとし。

一、  屑亡婆論(簡  択諸法是非  (諸法の是非を簡択す

二、 那邪毘薩多論(明ー諸法道理  (諸法の道理を明かす)

三、 伊底呵婆論(明ー伝記宿世事  (伝記宿世のことを明かす))

四、 僧怯論すなわち数論(解三  十五諦  (二十五諦を解す))

 五、 課伽論(明摂心法一 第四第五両論同釈一解脱法(摂心の法を明かす、 第四、 第五の両論は同じく解脱緒 の法を釈す))

六、 陀菟論(釈下用  兵杖一法上(兵杖を用いる法を釈す))七、 撻閾婆論(釈ーー音楽法  (音楽の法を釈す))

 八、  阿輸論(釈  医方(医方を釈す))

けだし、  これらの諸論は四毘陀を解説したるものなるべし。  ゆえに「悉位蔵 巻一の二二)には、 後人更作二六種論ー解ーー彼波陀一 毘伽羅論即是六論之一也、 解二阿囲波陀  弁  声明法一也(後人さらに六種の論を作り、  かの波陀を解す。 毘伽羅論はすなわち六論の一なり。 阿囲波陀を解し、 声明法を弁ずるなり)とあり。 もしまた「大日経演奥紗」(巻ニ一の二八)によるに、「涅槃経義記」を引きて、  四大論師の経論を示すこと左のごとし。

外国有ーー其四大論師    一婆耶婆造 四 毘陀諭    亦名 違 陀一 本是一名伝>之音異此翻  名>智、 能生如百故、 第二論師名ーー婆尼尼造  毘伽羅論此名二記論一 弁明一切音声名字章句等法一 第三論師名ーー迦毘羅一 是黄頭仙、造 憎 怯経一 此名豆  頂一 明下従ー冥性  生ーー於二十五諦一之義い第四論師名二優楼怯一 是青目仙、 造  衛世師経此名ー最勝 細ハユハ諦義一 主諦依諦総諦別諦作諦無諦是其六也。

(外国にその四大論師あり、  一に婆耶婆、 四毘陀論を造る、 また違陀と名づく。 本はこれ一名にしてこれを伝う。 音の異なり。 ここに翻じて智と名づく。  よく智を生ずるが故なり。 第二の論師を婆尼々と名づく。 毘伽羅論を造る、  ここに記論と名づく。  一切の音声・名句・章句等の法を弁明す。 第三論師を迦毘羅と名づく。これ黄頭仙なり。『僧怯経」を造る。  これを五頂と名づく。  冥性より二十五諦を生ずるの義を明かす。  第四論師を優楼怯と名づく。  これ青目仙なり。「衛世師経    を造る。  これを最勝と名づく。 六諦義を明かす。 主諦・依諦・総諦・別体・作諦・無諦、  これその六なり。)

すなわち、 その四種の経論は「毘陀経」、 声明記論、 数論および勝論外道の経論をいう。 その所説の二十五諦・六諦等の説明は、 後に外道各論を講ずるときに譲る。 あるいは「起信論浄影疏」(巻上の上の三) には、 青同仙人出ー建陀論廿巻一 過去無因為レ宗、 黄頭仙人出珈叩陀論一 自然為ソ宗、 及衛世師論等十八部(青同仙人は建陀論二十巻を出だし、 過去無因を言となす。 黄頭仙人は閾陀論を出だし、 自然を宗となす。  および衛世師の論等十部あり)とあり。 また「伝通記」(序記巻ー一の二五)には、「涅槃経北本巻ニの二、「慧琳音義巻    六のを引きて一切外道の経害に毘陀論、 毘迦羅論、 衛世師論、 迦毘羅論の四種あることを示す。  これ「涅槃経  「徳王品」に出ずるところなり。  また『金光明文句記    「金光明文句記会本」巻六の四八)には、  四君陀論、毘伽羅論、 僧怯・衛世師・勒沙婆論を外道の三論となせり。  そのほか『四諦論』(巻の一四) には、 皮陀分宿伝世本絨判、 僧怯喩伽実広論、  欲墜論、 稗世師論、  医方論、 相論、 算数論、 時智論、 獣論、 鶉域論、 明論、 歌舞荘厳論、  人舞論、 天錐論、 天仙王伝等論、 外道論云々と記せり。「金剛針論 には、 四蹂陀および弥舘娑ならびに僧怯論、 尾世史迦ないし諸論とあり。 あるいはまた「荘厳経」(巻四の二五)に、 善鶏托論、 尼建図論、布羅那論、 伊致詞娑論、 藉陀論、 尼慮致論、 式叉論、 戸伽論、 毘戸伽論、  阿他論、  王論、  阿毘梨論、 諸鳥獣論、声明論、 因明論(幾咤論、 尼建医論、 布羅那論、  伊致詞婆論、 猷陀論、 尼盛致論、 叉論、 伽論、 毘戸伽論、阿他論、  王論、 阿毘梨論、 もろもろの烏獣論、 声明論、 因明論をよくす)と記せり。  よろしくこれを「百論疏の「+ 八大経」に照合すべし。 その「十八大経」中の閾陀論につきて、「玄応音義 巻二四の一五)に解説して、  仏弟子五通仙人等説(仏弟子五通仙人等の説)といえり。「雑阿含巻五の二七)に閾陀経典中、 娑毘諦為>最(閾陀経典の中には、 娑毘諦を最となし)とあるは、  すなわちこの経のことなるべし。「別訳雑阿含」(巻三の一四)に外道典籍中、 娑比室為>最(外道の典籍中、 婆比室を最となす)とあるもこれに同じ。 また「慧琳音義」(巻ーの一五) には、「宝積経の尼健荼書計羅婆論を解して、 外道世俗智論とあるは、 前記の何論に当たるを知らず。 そのほか「荘厳経」(巻四の六)に、「梵痣書」、「怯慮風底書」、「布沙迦羅害」等六十五書の名目を列挙せるも、  ここに引用するを要せず。

 しかりしこうして、「開目抄」(巻上の三)には、 外道の経論を六万蔵ありと記せり。「題目抄」にも、同じく外道六万蔵と記せり。  その出所いずれにあるを知らず。「録内拾遺 巻一の一五)に、「霊芝観経疏」の提婆達多誦ーユハ万法衆十二違陀

(提婆達多は六万法漿十二違陀を誦す)の文、  および「鞣紗」の達多十二年間誦ーー六万香象蔵経道の「九十六道経

(達多は十二年間に六万香象蔵経を誦す)の文を引きて、  これを会釈せり。 仏書中に往々、 外あることを記せるも、 今日に伝わらざるをもっ て、 その内のいかんを知るべからず。「止観輔行」(「止観科本」巻三の一二の二五、「止観会本巻三の四の一に、 准ーー九十六道経彼経両巻釈二出所計相貌「九十六道経に準ずるに、 かの経の両巻にいちいち所計の相貌を釈出す)とあれども、「止観私記」(巻三末の三二)には、  九十六道経諸家録皆斥  偽経示'>可>為証証(九十六道の経は諸家録してみな偽経なりとしぞく。 証となすべからず)と記せり。 今「貞元釈教録巻二八の一に解説せるところによるに、「九十六種道経」一巻、「法経録」に「九十五種道経」といい、「伝寿録」に一一巻といい、 具題に「除去九十五種邪道雑類神呪経」という、 とあり。 もし「出三蔵記集」(巻五の七)に記せるところによれば、 或義理乖背、 或文偽浅邸、故入疑  録  云云(あるいは義理乖背し、 あるいは文偶浅郡なり。  ゆえに疑録に入る)とあり。  また「仁王経」

(巻上の一に、「外道大有経」あることを記せり。「正法眼蔵」(悟峡三界唯心の四) にもこれを引用せり。 しかして、「仁王鉢文抄」(巻中の九)にこれを解して、 大有経者数論等外道所説経(大有経とは数論等の外道所説の経なり)といえり。 また「止観輔行止観科本」巻の一  、「止観会本」(巻一元由経」あることを記せるも、「私記」(巻なる朽なるを知るべからず。のーニ)に蔵中無二此_経(蔵中にこの経なし)といい、 そのいか

 


第三四節     蔵経中の外道書類

印度にありては、「毘陀経」のほかに移多の外道諸派の経論ありといえども、 仏教家中これを訳して世間に伝うるものなく、 またひとたびこれを訳せしも、 早く散失して今日に存するものなし。 しかるに、  ひとり数論外道、 勝論外道の書にいたりては、  蔵経雑蔵部門中にこれを加えり。  すなわち「金七十論  「勝宗十句義論」これなり。

「金七十論」 陳天竺沙門真諦訳

これを「開元録」(巻一三下の三 および「貞元録」(巻二三の四七) に、 右一論外道迦毘羅仙人造、 明  ニ十五諦所開数論経中云ーー迦毘羅論丘{也(右の一論は外道の迦毘羅仙人の造にして二十五諦を明かす。 いわゆる数論経中に迦毘羅論というはこれなり)と解せり。

「勝宗十句義論 一巻 大唐三蔵玄非訳」

これを「開元録」および「貞元録    に緒 右一論勝者慧月造、 明  十句義一 僻鶴仙人本所>造、 但六句義、 慧月加>四足_成 句一 本末通論、 故_名_   勝宗十句論一也、 経中__云  衛世師論五年也(右の一論は勝者慧月の造にして十句義を明かす。  伯困仙人の本造るところはただ六句義なり。 慧月四を加えて十句を成ず。 本末通じて論ず、 ゆえに勝宗十句論と名づくなり。 経中に衛世師論というはこれなり)と解せり。

また同柑にこの二論につきて、 其数勝二論非も疋仏法一 諮外道宗此二為ー上、 欲>令.一博学之者委二悉異道之宗一故釈ら之耳(その数と勝との二論はこれ仏法にあらず。 もろもろの外道宗はこの一一を上となす。 博学の者をして異道の宗を委悉せしめんと欲するが故にこれを釈するのみ)と注せり。  そのほか、 もっぱら外道の種類およびその主義を掲げてこれを論破したるものに、 提婆の「外道小乗四宗論」ならびに「外道小乗涅槃論」あり。  これ、 明蔵大乗論の部門中に出ず。 もし、 経論疏釈中に往々外道のことの散在せるものにいたりては、 いくたあるを知るべからず。  今、 その内名を挙示すること左のごとし。

これ、 蔵経内外の支那翻訳および撰述に属するもののみを掲ぐ。  これに本邦撰述のものを加うれば、 その数幾倍するに至るべし。 また経論中、 往々外道を破斥し、 あるいは外道と問答したるもののごときは、 蔵経中いたるところにこれを見る。  例えば、「閲蔵知津」に随相論の綱要を示して、 解ー四諦十六行相 血竺外道我執  (四諦十六行相を解し、 外道の我執を破す)といい、「金剛針論を釈して、 法禰菩薩破ーー婆羅門四拿陀論(法称菩薩は婆羅門の四章陀論を破す)という。  かくのごときの類を算するに至らば、 到底枚挙にいとまあらず。

 


第三五節    本論の編目

印度の経論かくのごとく多しといえども、  みなこの源を「毘陀経」に発せざるはなし。  これと同様に、 外道哲学その流派すこぶる多しといえども、 またみな毘陀哲学に起因せざるはなし。 ゆえに、 余はさきに外道諸派はみな俊波尼薩土哲学より起こるといえり。 しかるに、 四部の毘陀は古来訳して世に伝えざるのみならず、 外道経論中一、  二を除くほかは、 これを支那に訳述せざりしをもっ て、 到底毘陀哲学と自余の外道諸派との関係、  および各外道哲学の要領を明らかにすることあたわず。 しかれども、  すでに本論を講述する端緒として五明中、 医方・工巧・声明・因明の四種および外道経論の名称を略述したりしをもっ て、  これより本論に移り、 左の編目に従い、逐次各派の綱要を論明せんと欲す。

外道哲学総論(第二編)

外道哲学結論(第七編)



第一章    外道諸派帰結

以上の編目に従い、  総論より各論に移り、 客観的単元論、 客観的複元論、 主観的単元論、 主観的複元論の次第を追っ て講述すべし。

第二編

第一章 外道分類論

_第 六節 外道の名義

まず外道の名義を考うるに、 印度にありてはこれを底体迦と称す。 ゆえに、「聖閾賛」(巻四の一)に梵云ーー底鉢迦{  此翻  外道  (梵に底体迦といい、  ここに外道と翻ず)とあり、「浄土論註私記」(巻一の一六)にもこの原語を掲げり。 しかしてこれを外道と称するは、 仏教より諸派の哲学を呼びたるものにして、 なお儒家において異端の称あるがごとし。  しかるに古来の解釈によるに、 外道とは他説    他教を意とするにあらずして、 邪説・邪教を義とするもののごとくに考えり。 今左に、  二、 三の害に掲ぐる義解を示すべし。

 

倶舎玄義云、 学乖  諦理随ーー自妄情示'>返  内覚一 称為=外道

(「倶舎玄義    にいわく、 学びて諦理にそむき、 自の妄情に随い、 内覚に返らざるを、 称して外道となす、と。)(「翻釈名義集」(巻二の二七))浄名義抄云、 外道者理外生>解之徒。

 (「浄名義抄にいわく、 外道は理外に解を生ずるの徒なり、 と。)(「義楚六帖」(巻一四の五))

 

宝蔵論云、 諸見既起、  即邪見不も真、 故名為  外道(『宝蔵論』にいう、 諸見すでに起こる。  すなわち邪見にして真にあらず。  ゆえに名づけて外道となす、と。)(「三論玄義科註 巻一の六)

三論玄義云、 至妙虚通、 目ら之曰  道、 心遊二道外ー  故名二外道

(「三論玄義」(首掛の五、「演義紗」巻一=一の一八)にいう、  至妙虚通せるこれをなづけて道となす。 心道外に遊ぶ、 ゆえに外道と名づく、  と。)

百論疏云、 裁  起こ  憂人法生死涅槃等見一 即心行ーー道外 名為二外道

(「百論疏」(巻下の下の七) にいう、 わずかに一篭の人法外に行ず、 名づけて外道となす、 と。)

 生死・涅槃等の見を起こせば、  すなわち心は道四論玄義云、 今謂理外行レ心為二外道    理内行"心為ー内ー   道

(「四論玄義」(「四論玄義記」_巻一一の四一) にいう、  今いう、  理外に心を行ずるを外道となす、  理内に心を行ずるを内道となす、 と。)(「三論玄義検幽紗」(巻一の三三))

拐厳義疏云、 不>入ー正理ー名>外、 但_修一邪因る名>道。「榜厳義疏」(巻一下の一、「仏像標織義箋註」巻下の、「関典録」巻二の二四)にいう、 正理に入らざるを外と名づけ、 ただ、  邪因を修するを道と名づく、 と。)拐迦経云、 心外見>法名為一机外道一 若悟ーー自心一即是涅槃  ゜

(「榜伽経」にいう、 心外に法を見るを名づけて外道となす。 もし自心を悟らばすなわちこれ涅槃なり、

と。)(「開目抄見聞 巻一の一    ))

維摩義記云、 法外妄計、 斯称二外道

(「維摩義記」(巻一本の一一六)にいう、 法外の妄計、 これを外道と称す、 と。)維摩無我疏云、 珠曰、 迷循ーユハ根一号為ーユハ師一 心外求り仏名為二外道

(「維摩無我疏」(巻五の一七)にいう、 珠いわく、 迷いて六根にしたがうを号して六師となし、 心外に仏を求むるを名づけて外道となす、 と。)

三蔵法数云、 邪心見レ理発二於邪智一 不レ宮示二正教一故名ーー外道

(「三蔵法数」(巻二七の 、「大蔵法数」巻三五の一五) にいう、 邪心をもって理を見、 邪智を発し正教をうけず、  ゆえに外道と名づく、  と。)

そのほか、「百論疏巻上中の一には、 外道是邪見之法(外道はこれ邪見の法なり)と説き、「均聖論」には、 蔽>理之徒封二荘外道  (理を蔽するの徒は外道に封桁す)「(  渉典続紹」(吾篇巻一の一八))と説き、 また

「円覚経」には、 若諸衆生雖レ求ー一善友一 遇ーー邪見者ー未>得ー一正悟ー  是則名為ーー外道種性  (もし、 もろもろの衆生、善友を求むといえども、 邪見の者に遇いて、 いまだ正悟することを得ざれば、  これを名づけて外道種性となす)

(「円覚略疏」(巻=一の九))と説き、「資持記」(巻上一上の二四)には、 言  外道  者不ソ受二仏化一 別行ーー邪法  (外道というは仏化を受けず、 別に邪法を行ず)と説くがごとき、  みな外道を解して邪見・妄計となすものなり。 しかして邪見とは、「筆削記」(巻一のニに、 心行一坤理外一 総名一邪見

(心は理外に行ずるを、 総じて邪見と名づく)と解し、「倶舎論」(巻一九の七)に、 起レ見撥無、 名為二邪見  (見を起こして撥無することを名づけて邪見となす)と解し、 外道の所見をこれに属す。  これを要するに、 仏教はひとり自家の説を正見と立つるをもって、 他家の説を邪見となすは、 もとより勢いの免れざるところなり。 もし『演密紗」(巻 一のニ、「指心紗」巻三の八) によらば、 仏法中有>人雖>披一至典示'涵生聖旨

 

心行一理外 如なぎ外道

 

(仏法中に人あり、 至典をひらくといえども聖旨に達せず、 心を理外に行ず、 また外道とも名づく)とあり。 また「秘蔵宝鍮抄」(巻下本一の五、「秘蔵宝鍮」巻下の二)によらば、 外道柾執蜃楼台(外道はまげて蜃楼の台を執す)の文を解釈して、 此外道迷 非有似  有依'他法一起ーー実我義也(この外道は非有・似有・依他の法に迷い、 実我の義を起こすなり)と>ヽい、  かつ一二論家の外道の釈義と、 真言家の釈意の異なるゆえんを示して、 窟祥釈意起二仏道外邪見心 故云ーー外道一 疏家意行ーー仏法理外道一 故云二外道  (嘉祥の釈意は仏道外の邪見の心を起こす、 ゆえに外道という。 疏家の意は仏法の理の外の道を行ず、  ゆえに外道という)といえり。  また「末法灯明記箋述 一九)にも外道に二義あるを示して、 ーは外之道(外の道)、  二は外二於道(道に外なり)と  し し

 かつ「維摩義記」の定義をもってその第一義に属するものとし、「三論玄義    の定義をもって第二義に属するものとなせり。「開目抄見聞」(巻一の一三)、「関典録」巻一の二四)、「六要紗指玄録」巻一五の二九)等にも、 外道の釈義に二様あることを示せり。 あるいはまた「釈靡阿術論」(『釈論開解抄    巻 一の 二)には魔と外道との別を示して、  魔者令加ザ悪事    言ー外道  者令>捨二善事

(魔は、  悪事をなさしめ、  外道というは善事を捨てしむ)と解説せり。  そのほかは論 後節に至りて弁明すべし。



第三七節 印度学派の分類

仏教のいわゆる外道は、 昔時印度に存せし哲学諸派を総称したる名目なること明らかなりといえども、 あるいは支那の儒道二教のごとき、 あるいは西洋の耶蘇教のごとき、 これまた一種の外道たるや言をまたず。  ゆえに「=一論玄疏文義要」(巻一のニ に、(裏書云)問外道者何、 答天竺四術、 震旦三玄((裏書にいう)問う、 外道とはなんぞ。  答う、 天竺の四術・震旦の_一 玄なり)とありて、 天竺四術は印度の外道にして、  震旦玄は支那の外道なり。「三論検幽紗 巻二の九)に三玄の異説を挙げて、  一説には孔子・老子・荘周を三玄となす。  すなわち、 孔子は有を説き、 老子は空を説き、 荘子は中を説くといい、  一説には孔子・老子・周公旦を三玄となすとい一説には孔子・老子・顔回を三玄となすという。 この三玄を外道の一類となすも、  印度の外道のごとく、 あえて邪道・妄計となすにあらず。 あるいは周・孔・老・荘を仏説となすことあり。 ただ、 これを仏教に比するに人天乗の部類なれば、 外道の中に加うるのみ。  ゆえに「三論文義要」(巻一の二二) に、 震旦三玄亦属ーー天乗人乗之類一 然有>益者摂  属正法{  若無>益者皆為ー外道 震旦の三玄はまた天乗・人乗類に属す。 しかれども益あらば正法に摂属す。 もし益なければみな外道となす)とあり。 そのほか儒道二教に関しては、 後に第八六節に至りてさらに論弁すべし。 今、  印度の外道のみにつきてこれを考うるも、  その異論の多き、 数十種、 数百家あり。古来、  その分類を立つるに一定の説あるを見ず。 しかるに西洋にありては、 近来印度哲学に関する著柑、 続々世に出でて、 その用うるところの分類もまた一定せずといえども、 諸家多く六大学派にこれを分かつ。 あるいは一ニ大種、 あるいは八学派に分かつことあり。 まず、 左に六大学派の名称を列挙すべし。


この六大学派は、  みな毘陀哲学より発達あるいは分化したるものにほかならず。  さきに「緒論」において一言せるがごとく、 毘陀神典の哲理を開示せるものを優波尼薩土という。  これ毘陀の哲学なり。 今、 六大学派は大抵みな、 その理論より発達分化せるものなり。  そのうち吠世史迦・僧怯・吠棺多の三学派は、  理論の最も発達しるものとなす。 尼耶也学派はいわゆる因明学派にして、 論理の方則を論定するに過ぎず。 喩伽学派は秘密教にして神怪に属すること多ければ、  これまた哲学の価値を有することすくなし。 弥曼差にいたりては、 その目的は毘陀神典の儀式に関することを説明するにあれば、  これに哲学の名称を付することすらなお不当なるを覚ゆ。 あるいはまた、  この六学派を三大派となすことを得。  すなわち、  吠世史迦学派は尼耶也学派より発達したるものなれぱ、  この二種を合して一派となし、 喩伽学派は僧怯学派より分化したるものなれば、 これまた合類するを得。 しかして弥曼差、 吠檀多の二派は、 ともに毘陀学派にして有神論派なれば、  これもとより一大派中の分類なり。  か弥曼差はこれをプルヴァ・ミマンサ と称し、 吠檀多はこれをウタラ・ミマンサ弓 と称して、 ともにこれを弥曼差学派と称す。  そのほか、 まさしく以上の六大学派に反対して起こたるものに仏教学派あり。  また、 仏教に類属せるものに闇伊那と名づくる一学派あり。  これを合すれば八大学派となる。 もし、  これを有神・無神をもっ て分かつときは、 弥曼差および吠檀多のごときは有神学派にして、 仏教および湖伊那教のごときは無神学派なり。  その他の諸派は、 よろしく中間学派と称すべし。 そのつまびらかなるは、「外道哲学」各論に譲る。



第三八節    外道の種類

古来仏教中に用うる分類には、  いまだ六大学派に分かちたるものあるを見ずといえども、「涅槃経」(北本巻一八のニ以下、  南本巻一七の_一 以下)、「維摩経巻上の一五)等には、 外道に六師あることを示せり。  これ仏教以前に存せし外道にして、  外道中の根本なりという。 しかしてその末派は、 九十余種の多きに及べり。  ゆえに外道を総称して、 あるいは九十五種、 あるいは九十六種ありという。 しかれどもその六師は、 前節掲ぐるところの六派と同一にあらず。  今、 仏書中に散見せる外道分類の異説を表示すること左のごとし。

_   一種(「華厳経疏」、「大日経疏」等)三種(「摩詞止観」)四種(「外道小乗四宗論」)六種あるいは六師(「涅槃経、「維摩経』等)十師あるいは十仙(「飾宗記」、「涅槃経十一種あるいは十=一種等(「華厳疏紗、「唯識論」等)二十種(「外道小乗涅槃論十種(「大日経」「住心品」)九十五種あるいは九十六種(「華厳経、「涅槃経」、「智度論    等)九万三千種(「釈摩詞術論

これ、 経論中に散見せる外道分類の異説なり。  その各種の名称および学説は後に示すべし。  かくのごとき諸派のうち、 数論.勝論の二種をもって外道の泰斗となす。  ゆえに「中論疏 巻九本の二)には、 僧怯(数論)、 衛世(勝論)是外道之宗(僧怯(数論)・衛世(勝論)はこれ外道の宗なり)と説けり。 また「止観」(巻一

上の二、

 

「止観科本」巻一    の五、「止観会本』巻一の一の五)には、 数論.勝論・勒沙婆をもって本源_の_一外道となせり。  これらの外道は、 おのおの実行上あるいは理論上、 その立つるところを異にし、 あるいは理論上、  世界の起源を論じて神力に帰するものあり、 あるいは実行上、 解脱の要法を説きて苦行を勧むるものあり。 今左に、二の書に照らして外道の論意を示すべし。

南海寄帰伝云、 僧怯乃従こ  而万物始生辟世(衛世)則因二六条一而五道方  起、 或露>体抜>髪将為出要一 或灰>身椎>髯執作升天一 或生乃自然、 或死当ー一識滅一云云。

(「南海寄帰伝」(巻一の一)にいう、 僧怯はすなわち一よりして万物はじめて生じたりとし、 辟世(衛世)はすなわち六条によって五道まさに起こるとせり。 あるいは体をあらわし髪を抜きてもって出要となし、 あるいは身に灰ぬり響を椎ちて執して昇天となすあり。 あるいは生はすなわち自然なりといい、 あるいは死す論すればまさに識滅すべしという、 云々。)

法華玄義云、 外道邪    謂』諸法従自在天一生か或言ー一世性一 或言  微塵或言二父母一 或言ーー無因邪推不>当道理

(「法華玄義

 


(巻二下の一、「同科本」巻二の一ーの二五、「同会本」巻ー一の下の一) にいう、 外道はよこしまに、 諸法は自在天より生ずという。 あるいは世性といい、 あるいは微塵といい、 あるいは父母といい、 あるいは無因という。 種々に邪推すれども、 道理に当たらず、  と。)


大日経住心品疏云、 有ー諸外道ー計    我性即同一欲界一 或同ー一色無色界一 乃至謂ー一非想処即是涅槃    或言梵王毘紐天等生  一切法

(「大日経住心品疏」(巻一の三一、「同科文」巻二本の三ー にいう、 もろもろの外道あり、 我性をすなわち欲界に同じ、 あるいは色・無色界に同ずと計す。 ないし、 非想処はすなわちこれ涅槃なりといい、 あるいは梵王・毘紐天等は一切法を生ずという、  と。)

中論云、 有  人言、 万物従ユ^ 自在天一生、 有  言従二窟紐天一生、 有言従二和合一生、 有言従>時生、 有言従ー一世性  生、 有言従  変化  生、 有言従ーー自然一生、 有言従ー微塵一生。

(「中論 巻一の五)にいう、 ある人言う、 万物は大自在天より生ずと。 あるが言う、 荏紐天より生ずと。あるが言う、 和合より生ずと。 あるが言う、 時より生ずと。 あるが言う、 世性より生ずと。 あるが言う、 変化より生ずと。 あるが言う、 自然より生ずと。 あるが言う、 微塵より生ずと。)

 

しかるに「諸乗法数」(五五)および「教乗法数』(巻立の原理を表出せり。  すなわち左のごとし。


第三九節    外道の所見

以上の分類は、 多く学派の名目につきて立つるものなるが、 そのほか各派とるところの意見・主義によりて分類せるものあり。 例えば、「三論玄義」の四執、『喩伽論ときこれなり。  左にその表を示すべし。

二見および三執(「華厳経疏

四執(「唯識論」、「三論玄義」、「首榜厳経」等)の十六計、「唯識の六十二見、「榜伽」の百八見のご八計(「中論疏   十解(『榜厳経」)十六計(「琺伽論」および「顕揚論」六十二見(「智度論、「埼伽論」、「大毘婆沙論」、「阿含経、「梵網六十二見経    等)百八見あるいは百八句(「榜伽経」)

これらの諸見は、  これを細分すれば数十種、 数百種あるいは無凰無数に分解することを得るも、 もしその根本をたずぬれば、 あるいは断常 一見、 あるいは我見、 あるいは身見、 あるいは辺見に帰すべしといい、 またその諸計は要するに、 無因・邪肉の二種に出でずという。  その理由は後に至りて述ぶべし。 けだし、 仏教は自説を正見とし、 他説を邪見として論じたるものなれば、 その分類もみな、 破邪顕正の目的を達するために設くるもののみ。  しかれども正邪真妄の別は、 彼我の比較上より生ずるものなれば、 これを小にして論ずれば、 仏法中にも外道あり、  これを大にして考うれば一切の外道みな仏説なりというを得べし。 すなわち、 さきに第_   節に引証せるがごとく、「涅槃経」(南本巻八の一九、「涅槃経会疏」巻八の五 に、 所有種種異論究術言語文字、 皆是仏説非外道_説

 (あらゆる種々の異論、 呪術、  言語、 文字、  みなこれ仏説にして外道の説にあらず)とあるを見て、 外道の諸説をもみな仏説となすを知る。 また「止観」(一の二六、「止観科本巻六の二の一五、「止観会本」巻六の二の四二)には、 大経云、  一切世間外道経書皆是仏説、 非.ー外道説{  金光明云一切世問所有善論皆因  此経{  若深識二世法面即是仏法(「大経」にいわく、「一切世間の外道の経書は、  みなこれ仏説なり、 外道の説にあらず」と。「金光明」にいわく、「一切世間の所有の善論は、  みなこの経による、 もし深く世法を識れば、すなわちこれ仏法なり」)とあり。 また「秘蔵宝巻上の一には、 三乗及人天乗教、 並皆加来所説(三および人天乗の教は、 ともにみな如来の所説なり〔田 大正蔵、 如につくる〕)とあり。  かくのごとく解するときは、仏教と外道との別を立つることあたわず。  ゆえに「秘蔵宝鍮』(巻上の一四、「秘蔵宝鍮纂解」巻二の二三)に左の問答を掲げて、  その関係を示せり。

問若然者諸外道等所行皆是仏法欺、 答此有乙一種一 一合二違、 合者契一合如来所説一故、 違者違 命乖仏説一故、饂  云二元是仏説一 然無始時来、 展転相承、 違二失本旨一 或随ー自見一 持庄'狗等戒失二本意以求二生天一 如>是之類並

 (問う、  もししからば、 もろもろの外道等の所行はみなこれ仏法か。 答う、  これに二種あり。  一には合、には違なり。 合とは如来の所説に契合するが故に、 違とは仏説に違乖するが故に。 もとはこれ仏説なりというといえども、 しかれども無始のときよりこのかた、 展転相承して本旨を違失せり。  あるいは自見に随って、 牛狗等の戒をたもってもって生天を求む。  かくのごとくの類は、 ならびに本意を失せり。)

この説明によれば、  外道の諸説は、  その説みな仏説中より出でたるものとなす。 もし、 そのはなはだしきにいたりては、 諸外道はたいてい仏説を剥窃せりとす。  すなわち、『僧史略」(序の三)の「序」に記するところのご論      ときこれなり。

仏未>出時世諦幻法皆無ーー名字一 仏之設>教統_応一群機{  撮>要而言  不乙出  乎真俗二諦    其真也詮二妙理之格言一匹  死生之出要{  其済>俗也奨レ善罰如悪、 罪福報応、 至二於治世之書  亦諸仏之遺化也、 故経曰、  一切世間安>民済>物皆是諸仏法滅尽後有二波羅門如竺什仏書一 安  置己典丘竺於後世一 大千国土各有孟笠葬一 在一云念テ則四租陀、 此土  則五経三史之書也、 故日一切法者皆是仏法、 翌徒言哉、 如今黄冠剥円半伶ーー仏法{  識者尽知突。仏経蜘成己教外道経

 (仏いまだ出でざるの時、 世諦と幻法はみな名字なし。 仏の教を設くるや、  すべて群機に応ず。 要をとりて言えば真と俗の二諦を出でず。 その兵は妙理の格言をあらわし、  死生の出要を究む。  その俗をすくうや、 善をすすめ悪を罰し、 削福報応す。  治世の料に至るまでまた諸仏の遺化なり。 ゆえに経に曰く、  一切世間の民を安んじ物をすくうは、  みなこれ諸仏なりと。 法の滅尽して後、 婆羅門ありて仏書を採什し、  己が典に安置し後世に伝う。  大千国土におのおの典葬あり。 天竺にありてはすなわち四危陀、  この土はすなわち五経三史の古なり。  ゆえに曰く、  一切の法はみなこれ仏法なりと、 あに徒言ならんや。  ちかごろ、 黄冠ありて仏経を剥窃し、 撰して己が教をつくる。 外道の経書は半ば仏法をぬすめること、 識者ことごとく知れり。)

また『涅槃経」(南本牲三の 、「涅槃経会疏」巻三の三八)の中にも、 仏入滅以後、 外迅その法を盗窃せることを示して曰く、 如来世尊入涅槃後盗ーー窃如来遺余善法若  戒定慧一 如二彼諸賊劫二掠群羊  (如来世尊涅槃に入るののち、 如来遺余の善法、 もしくは戒・定・慧を盗窃す。  かの諸賊、 群羊を劫掠するがごとし)とあり。 もしまた「智度論」(巻二の一) によれば、 世間一切の菩言好語は、  みな仏経より出ずとなす。 その偽文、  左のごとし。

諾世笹語、 皆出  仏法    善説無  失無五過仏語余処、 雖缶   善無>過語    一切皆是仏法之余

(もろもろの世の善語は、  みな仏法より出ず。  よく説いて失なく過なきは仏語なり。 よそに善にして過なきの語ありといえども一切みなこれ仏法の余なり。)

 これを要するに、 仏教の理論は平等差別の両面を有し、  差別の表面よりこれを見れば、 仏教と外道とは、 その説氷炭相いれずといえども、 平等の裏面よりこれを考うれば、 宇宙の道理はすべてこれ仏説にして、 外道の説はみなその一部分一分子にほかならずとなす。 換言すれば、 仏教と外道との別は相対上の見にして、 もし絶対上よりこれをみれば、 宇宙間ただ仏教の一理あるのみ。  この理を推すときは、 耶蘇教といえども、 仏教大海の一波濶にほかならず。  これ、 仏教所見の公大無私なるところなり。 しかるに、 また仏教以前の外道の諸説中、 往々仏説に近きものあるは、  これを解して外道の諸師、 過去世において早くすでに仏説を聴き、  これをこの世に伝えたりとなす者あり。  かくのごときは宗教の秘怪に属する説にして、 今日の学説の許さざるところなり。


第二章 外道諸派論

 

第四    節

 

二種および三種外道

 

前章に示すがごとく、 仏書中に見るところの外道の分類に、 学派の名目に従うものと、 所執の主義によるものとの二様あり。 そのうち、 まず学派の名目に従うものを考うるに、『華厳経疏」(巻 一の一四) に

数論.勝論の二種にほかならずとなす。 その文、 左のごとし。

一切の外道は外道雖>多不>出二僧怯及与ー衛世一 僧怯説涵兄以為一ー神相    衛世説>智以為二神相

(外道は多しといえども、 僧怯および衛世とより出でず。  僧怯は覚を説きてもって神相となし、 衛生は智を説きてもっ て神相となす。)

しかるに「大日経疏』(巻一九の二)には、 世間の外道と仏法内の外道とを合して二種となす。  すなわち左のごとし。


外道有ー=一種 一者世間種種外道、  二謂仏法内有ーー諸外道  也、 以下雖>入  仏法中一而未ー能臨  知  如来秘密{  猶是邪見、 心行さ理外之道一故、 亦名二外道一也。

(外道に二種あり、 ーには世間種々の外道、  二にはいわく、 仏法の内にもろもろの外道あるなり。  すでに仏法の中に入るといえども、 しかもいまだ如来の秘密を知ることあたわず。 なおこれ邪見の心をもっ て、  理外の道を行ず、  ゆえにまた外道と名づく。)

この両種外道を「演密紗」(巻三の三四)に解説して日く、両種外道者外道有>多略為ニ一一者離仏法外外道、  二者附仏法外道名  内外道一 外外道者本源有

 

二、  一迦

 

毘羅、 此翻  為ーー黄頭一 計  因中有涵木、 二濫楼僧伽、 此云函醤函計ー一因中無>果、 三勒沙婆此云一苦行一 計ー一因中亦有臼果亦無>果等二内外道者起>自涵祖子_部云云。

両種の外道とは、  外道に多あれども略して二種となす。  一は離仏法の外の外道、  二は附仏法の外道にして内の外道と名づく。  外の外道は本源に三あり。  一は迦毘羅、 ここに翻じて黄頭となし、 因中有果と計す。   は溜楼僧伽、  ここに栂鵜といい、 因中無果と計す。  三は勒沙婆、  ここに苦行といい、 因中亦有果亦無果等と計す。 一一に内の外道とは禎子部より起こる、 云々。)

また「秘蔵宝鍮撮義紗」(巻上の上の四)には、 内者内教広通二顕密二教一 外者外教、 謂ーー孔子儒教、 老子道教、及外道教一也(内とは内教なり。 広くは顕密二教に通ず。  外とは外教なり。 孔子の儒教・老子の道教および外道の教をいうなり)とありて、 道儒二教にいたるまで外道の中に入るるなり。 今また「大日経疏拾義紗巻八の一二)によるに、 外外道者一切凡夫謂 ー十種外道一也(外の外道とは一切凡夫なり。_一 十種の外道をいうなり)とありて、「大日経」に掲ぐるところの一一十種を外の外道といい、 内外道者二乗、 謂声聞縁覚也(内の外道とは二乗なり。  声聞と縁覚をいうなり)とありて、 小乗諸部を内の外道というなり。  しかるに「真言問答 雑問答」

二三)には、 真言教諸仏自内証教故云二内内一 顕教随>機而説故云ーー内外  (兵言教は諸仏の自内証の教なるが故に内の内という。  顕教は機に随っ て説くが故に内の外という)とありて、  真言以外の諸宗は、 大小両乗ともに内の外道となすなり。「呆宝紗」(巻一末五の二二) にこれを解して曰く、 九種住心同入二仏法_中  而未>識え共言秘密一登不>名ー内外道一乎(九種住心同じく仏法の中に入る。 しかしていまだ真言秘密を識らざれば、 あに内の外道と名づけざるや)と。 そのほか「大疏愚草」(巻二の四の二五)、『大疏第三重巻八の一)等には、 両種外道の一項を掲げて、  このことを論弁せり。  これによりてこれをみるに、 外道に三種の別あり。  すなわち、 仏道を内道として自余の諸派を外道となす、 その一なり、 大乗を内道として小乗を外道となす、 その_一なり、 密教を内道として顕教を外道となす、  その三なり。 しかれども、  これもとより真言一家の見のみ。 しかりしこうして、  比較上小乗を外道となすは、 大乗家の一般に唱うるところにして、『外道小乗涅槃論」の二十種外道中には、 小乗外道をもってその第一に置けり。  すなわちその文、 左のごとし。

問曰何者外道説、 諸受陰尽如一灯火滅一 種壊風止  名二涅槃一 答曰第一小乗外道論師説。

(問うて曰く、 なにものの外道か、 諸受陰の尽くること灯火の滅するがごとく、 種壊し風やむを涅槃と名づくと説くや。 答えて曰く、 第一の小乗外道論師の説なり。)

また「注菩薩戒経」(巻中の七六)には、  二乗望 ^ 乗一悉是外道(二乗は大乗に望むに、  ことごとくこれ外道なり)と解せり。 そのほか小乗を仏教内の外道と称するは、 大乗経論中に往々見るところなり。 あるいはまた

 

「伝通記見聞」巻二本の四) に、 外道者此有二邪正(外道は、  これに邪と正とあり)と称して、 正外道・邪外道の二種を掲げり。 もしそれ天台の説によれば、三種の外道を分かつ。  その一一種は、  一、 仏法外外道(仏法外の外道)、  二、  附仏法外道(附仏法の外道)、 三、 学仏法成外道(学仏法成の外道)にして、「止観」(巻一    上の二、

果、 三勒沙婆此翻玉旦只  _計一因中亦有果亦無果

(一、 仏法の外の外道とは本源に三あり。  一には迦毘羅外道、  ここには黄頭と翻ず。 因中に果ありと計す。ニには優楼僧怯、  ここには休喉と翻ず。 因の中に果なしと計す。  三には勒沙婆、  ここには苦行と翻ず。 因の中、 また果ありまた果なしと計す。)

 

二、 附仏法外道者起レ自二積子方広一 自以二聡明型仏経書一 生こ  見面 二仏法  起故得ーー此名

 (二、  附仏法の外道とは、 憤子、 方広より起こる。 自ら聡明なるをもって、 仏の経書を読んで一見を生ず。仏法に付して起こるが故にこの名を得。)

三、 学仏法成外道_執 力仏教門一而生二煩悩一 不>得>入>理云云  ゜

(三、 仏法を学んで外道を成ずるとは、 仏の教門を執して、 しかして煩悩を生じ理に入ることを得ざるなり云々。)

 すなわち、 その第一は全く仏教外の外道にして、 第二は仏教につきて一種の邪見を起こせし外道なり。 しかして、 第三は仏門に入りて煩悩を起こし、  よってもっ て真理に体達することあたわざるものをいう。「止観輔行義」(巻一    の二六)にこの三種の異同を示していわく、 外外道所依、 及法与>執皆邪、 附仏法外道所依正    執  邪、 学仏法外道所依正    執邪(外の外道は所依と法と執とみな邪なり。  附仏法の外道は所依は正にして法と執とは邪なり。 学仏法の外道は所依と法は正にして執は邪なり〔り 版本により、 法を補う〕)とあり。 そのうち、第一の仏法外の外道に属する数論.勝論・尼健子の三種は、  これを本源外道となす。 ゆえに「止硯輔行  (巻一〇の一の四、「止観科本」巻一の六) に一切外人所計不玉過二二天仙(一切の外人の計するところは二_天一一仙にすぎず)とあり。  二天とは摩濫首羅天・毘紐天の二神にして、 三仙は迦毘羅仙(数論の祖)・優楼僧怯(勝論の祖).勒沙婆(尼健子の祖)の三祖なり。「_   論玄義」(巻下の八七)にもこの三師を出だせり。  これを「義楚六帖」(巻一四の七) には、「正理論」を引きて左のごとく示せり。

仏未  出世一時摩醸首羅天、 拿紐天、 大自在天、 三仙迦毘羅、 優楼迦、  勒婆仙等行レ邪、 三宝以化二世間

(仏いまだ出世せざる時、 摩湿首羅天・章紐天・大自在天と三仙迦毘羅・優楼迦.勒婆仙等邪を行ず。  三宝もって世間を化す。

 

これ三_天

 

仙説なり。  また『智度論」(巻二の二五)には、 摩陸首羅天・露紐天・鳩摩羅天の一一一種を挙示せり。

しかるにまた、「伝通記鞣紗」(巻二二のニ文、 左のごとし。

につきてこれを考うるに、  外道本源の三師に二様の説あり。  その凡於二外道云  二本源一云喪   有  枝流六師一 付  三師一亦有二両説一説曰一数論師、  二勝論師、 三無悪論師(尼健子)云云、  一説曰、一切智外道、  二神通外道、 三囲陀外道云云、 両説同異未レ勘>之耳  ゜

 (およそ外道において本源に一二師あり、 枝流に六師あり、 三師につきまた両説あり。  一説にいわく一に数論師、一一に勝論師、  三に無悪論師(尼健師)と云々。  一説にいわく    一に一切智外道、  二に神通外道、 三に囲陀外道と云々。 両説の同異いまだこれをかんがえざるのみ。)

この一切智・神通・囲陀の三師は、「注維摩経」(巻三の五)に出ず。  すなわち曰く、 第一自称こ  切智一 第二得五  通{  第三誦二四窟陀経

(第一に自ら一切智と称す、 第二に五通を得、 第一一に四難陀経を誦す)とあり。  これを「維摩経広疏」(巻三の三)に、 外道有二三種 一者一切智外道、_一 神通外道、  三窟陀外道、 具証竺一種ー外国名矢  外道  (外道に三種あり、  一は一切智外道、  二は神通外道、  三は窟陀外道なり。  この三種を具するは、  外国に大外道と名づく)と解せり。「止観」(「止観科本」巻一    のニ ) にもこの一一種_ を掲げり。 しかるに今、「十住心広名目」(巻五の三七)によりてその解釈を表示すること左のごとし。    一切智外道 邪謬見レ理発二邪智一 弁才無碍也。(一、  一切智外道才無碍なり。)

邪謬に理を見、 邪智を発し、 弁

 二、 神通外道 得二世間禅定一発ー神通一也。(二、 神通外道 世間の禅定を得、 神通を発するなり。)

三、 窟陀外道 博学多聞通二四茸陀、 十八大経、 世間吉凶天文地理医方占相一 無>所>不>知也。(三、 意陀

外道 学多聞にして四津陀・十八大経、 世間の吉凶・天文・地理・医方・占相に通じ、 知らざるところなきなり。)

けだし、 この三種は外道のオ学智識によりて分類せるものとす。 しかして数種の外道中、 その理論の最も発達し、  かつ最も勢力あるものは、 数論.勝論の二派なること疑いをいれず。 ゆえに、  これを根本中の根本外道となす。 もし、さらにその源流をたずぬるときは、  必ず毘陀哲学すなわち優波尼薩士より転化したること、 また明らかなり。 しかして、  この_一 派のつぎに列すべきものは、 仏内中にありては尼健子、 あるいは若提子の学派となす。  この二派も、 その理論やや発達せるものなり。 しかして、 その諸派の主義・学説のいかんのごときは、  外道各論に入りて弁明せん。



第四〇節    四種外道

今、  外道中の本源として列挙せる数論.勝論・尼健子の三種に若提子を加うれば四種となる。  これ、「外道小乗四宗論」のいわゆる四種外道なり。 その論には一異倶不倶の四句を立てて、  この四大外道のとるところの主義を示せり。  すなわち、  一切法一なりと立つるものと、 異なりと立つるものと、  一切法一にして同時に異なりと立つるものと、  一にあらずまた異にあらずと立つるものとの四類を分かつ。  これを四句分別という。  すなわち四断論法なり。  四断とは、 正断・反断・正合断・反合断をいう。  一切法一は正断、  一切法異(不一)は反断、 一切法倶(亦一亦異)は正合断、  一切法不倶(不一不異)は反合断なり。

今、  左に「四宗論 の一節を引用すべし。

言切法一者 外道僧怯論師説(数論)、 言切法異一者外道毘世師論師説(勝論)、  言切法倶一者外道尼腱子論師説(勒沙婆仙論)、 言二  切法不_倶  者外道若提子論師説。

(一切法ーなりというは、 外道僧怯論師の説(数論)なり。  一切法異なりというは、 外道毘世師論師の説(勝論)なり。  一切法倶なりというは、 外道尼健子論師の説(勒沙婆仙論)なり。 一切法不倶なりというは、 外道若提子論師の説なり。)

 ゆえにその四種は、「止観の本源三師に若提子を加えたるものなること明らかなり。「百論疏」(序の一および巻中上の二)に、 外道略論四宗、 広九十六術(外道は略して論ずれば四宗あり、 広くは九十六術あり)と説きたるは、「四宗論」のいわゆる四宗と異なることなし。「中論疏」(巻三本の七)に四師の所執を掲げしところあるも、 またこの四宗なり。 しかるに「唯識論 巻一の一七)に、 外道の品類を四種に分かちたる下に、 数論.勝論・無葱・邪命の四種を掲ぐ。 その無慰は一名離繋子と称し、 尼健子の翻名なり。  邪命はこれを「四宗論の上に考うれば、 若提子なるべきは言をまたずといえども、 その名称異なる以上は、 果たして同なりといい難し。 もし、 その異同いかんのごときは、  後に各論に入りて詳述すべし。 また「筆削記」(巻三の四、「起信論教理紗    巻九の二の二三) にも、 四宗外道の名称を挙示せり。  これ、「唯識論」と異なることなし。 そのほか「釈摩阿術論」(「釈論賛玄疏」巻二の五一、「釈論抄 巻九の二の二、「釈論疏」巻一の二六)に、  四種の邪道あることを出だせり。 その四種とは

 「注維摩経」(巻三の四) にその解釈を示すこと左のごとし。

富蘭那迦葉者、 什曰迦葉母姓也、 宮蘭那字也、 其人起ー那見  謂一切法無ーー所有一 _如虚空不二生滅一也、 肇曰姓迦葉、 字富蘭那、 其人起ー邪見一謂一切法断滅  性空、 無一君臣父子忠孝之道一也。

(富蘭那迦葉は、  什いわく、 迦葉は母の姓なり、 富閾那は字なり、  その人邪見を起こし、 いわく、  一切の法は所有なく、 虚空のごとく、 不生滅なり、 と。 肇いわく、 姓は迦葉、  字は富蘭那、  その人邪見を起こし、わく    一切の法は断滅して性空なり、 君臣父子忠孝の道なきなり、 と。〔 大正蔵、 邪につくる〕)

末伽梨拘除梨子者、 什日末伽梨字也、 拘除梨是其母也、  其人起レ見云衆生罪垢、 無>因無>縁也、 肇曰末伽梨也、 拘除梨其母名也、 其人起>見謂衆生苦楽不ー和   行得ー自然耳也。

(末伽梨拘除梨子は、 什いわく、 末伽梨は字なり、 拘除梨はこれその母なり。 その人見を起こしていわく、衆生の罪垢は無因無縁なり、 と。 箪いわく、 末伽梨は字なり、 拘除梨はその母の名なり、  その人見を起こしていわく、 衆生の苦楽は行によっ て得るにはあらず、 自然なるのみ、 と。)

剛闇夜毘羅脈子者、 什日剛闊夜字也、 毘羅脹母名也、 其人起>見謂要久_遥一生死如竺歴劫数一然後自尽ーー苦際 也、 肇曰剛闇夜字也、 毘羅脈其母名也、 其人謂道不祐芍品求、_逼一生死劫数  苦尽自得、 如  転二艘丸於高山細ー尽  自止品何仮レ求耶。

(剛闇夜毘羅脹子は、  什いわく、 剛闇夜は字なり、 毘羅脈は母の名なり。 その人見を起こしいわく、 要ず久しく生死を遜て劫数を弥歴し、 しかる後に自ら苦際を尽くすなり、 と。 肇いわく、 剛闊夜は字なり、 毘羅抵はその母の名なり、 その人いわく、 道はすべからく求む ぺからず、 生死の劫数を遜て苦尽き自ら得ること、練丸を高山に転ずるに、 練尽くれば自ら止まるがごとし、 なんぞ求むるをからんや。)

阿菩多翅舎欽婆羅者、 什曰阿者多翅舎字也、 欽婆羅厖衣也、 其人起>見非>因計>因、 著乙モ皮衣ー及抜如髪煙黛も坪等以ーー諸苦行一為>道也、 贅曰阿若多字也、 翅舎欽婆羅饂弊衣名也、 其人著ーー弊衣苦行一為>道、  謂今身併受>苦、 後身常楽者也。自抜如髪五熱灸ら身以二

 (阿菩多翅舎欽婆羅は、 什いわく、  阿音多翅舎は字なり、 欽婆羅は羅衣なり。  その人見を起こし、 因にあらずして因を計す。 饂なる皮衣を着、 および髪を抜き、 煙を鼻に黒ずる等のもろもろの苦行をもっ て道となすなり、 と。 肇いわく、 阿者多は字なり、 翅舎欽婆羅は羅幣の衣の名なり。  その人弊衣を培し、 自ら髪を抜き、 五熱をもっ て身を炎き、 苦行をもっ て道となす。 いわく、 今身にならびに苦を受くるに、 後身常に楽なるものなり、 と。)

迦羅鳩駄迦栴延者、  什曰外道字也、 其人応>物起>見、 若人問言>有耶答言>有、  問言>無耶答言>無也、 肇曰姓迦栴延、 字迦羅鳩駄、  其人謂諸法亦有>相亦無>相。

(迦羅鳩駄迦栴延は、 什いわく、  外道の字なり、 その人物に応じて見を起こす、 もし人、 有なりやというに答えて有といい、 問うて無なりやというに、 答えて無というなり、  と。 肇いわく、 姓は迦栴延、 字は迦羅鳩駄、 その人いわく、 諸法は亦有相亦無相なり、 と。)

尼健施若捉子等者、 什日尼健字也、 施若提母名也、 其人起"見謂罪福苦楽尽由  前世ー要当一必償一 今雖"行>道不迄肥一中断ー  肇曰尼健施其出家総名也、 如一仏法出家名二沙門一 若提母名也、 其人謂  罪福苦楽本自有  定因{要当ー一必受年非二行>道所二能断一也。

(尼健陥若提子等は、 什いわく、 尼健は字なり、 施若提は母の名なり、 その人見を起こしていわく、 罪・福・苦・楽はことごとく前世による、 要ずまさに必ず償うべし、 今道を行ずといえども、 中断することあたわず、 と。  肇いわく、 尼健陪はそれ出家の総名なり、 仏法の出家を沙門と名づくるがごとし、  若提は母の名なり、 その人おもえり、 罪る ぺし、  と。)

福    苦    楽は本自ら定因あり、 要ずまさに必ず行道の能断するところにあらざ

 さらに、  左に「摩阿止観」(「止観科本」巻一す ぺし。の 二二、「止観会本巻一    の一の一) に出ずる解釈を転載至仏  出時有  矢  大師一 所謂富閾那迦葉、 迦葉姓也、 計ーー不生不末伽梨拘除梨子計』衆生苦楽無>有ー一因縁一自然    而爾い劃閣夜毘羅抵子計ーー衆生時熟  得>道、  八万劫到  練丸数極一 阿者多翅舎欽婆羅、  欽婆羅羅衣也、計』罪報之苦以二投>巌抜  髪代占之、  迦羅鳩駄迦栴延計ーー亦有亦無一 尼犠隆若提子計ーー業所作定不"可>改 ゜

(仏出ずるとき六の大師あり、 いわゆる富蘭那迦葉、 迦葉は姓なり、 不生不滅と計す。 末伽梨拘除梨子は、衆生の苦楽は因縁あることなく自然にしてしかりと計す。 剛闊夜毘羅脈子は、 衆生は時熟して道を得、  八万劫到れば線丸の数極まると計す。  阿者多翅舎欽婆羅、 欽婆羅は羅衣なり、 罪報の苦は巌に投じ髪を抜きてこれに代うると計す。  迦羅鳩駄迦旅延は亦有亦無と計す。 尼健施若提子は、 業の所作は定んで改む ぺからずと計す。)

そのほか六師の名称および説明は、「維摩経」の疏類(「維序経疏会本」巻四の六五、「維摩経広疏    巻 の一五、「維摩経義記」巻二本の二八)、「止観輔行巻一    上の二、「止観科本巻一    の一三)、「華厳演義紗」(巻七の一五)、「百論疏

しかるにまた、「涅槃経」(北本巻一八のニ および巻一九の一以下、 南本巻一七の二以下、「涅槃経会疏    巻一七の三以下)中にも六師を列挙す。 左にこれを抄出すべし。

今有ーー大医るデ富蘭那{   一切知見得ーー自在定一 畢党修西日消浄梵行一 常為ーー無殿無辺衆生如炉説無上涅槃之道一為 諸 弟子元牙如>是法一 無>有一黒業五ざ黒業報一 無>有ーー白業ー無ーー白業報一 無二黒白業玉竺黒白業報    無>有二上業及'以下業

(下略)

 今大医あり、 富蘭那と名づく。  一切知見し、 自在定を得、  畢党して消浄梵行を修習し、 常に無飛無辺の衆生のために無上涅槃の道を演説す。 もろもろの弟子のために、  かくのごときの法を説く、「黒業あることなく、  黒業の報なし。 白業あることなく、 白業の報なし。  黒白業なく、 黒白業の報なし。 上業および下業あることなし。」)(下略)

 今有ー大師る名 手末伽梨拘舎離子一切知見__憐  憫衆生一猶如  赤子一 己離一煩悩能_抜一衆生三毒利箭一 一切衆生於  一切法如ぎ知見覚一 唯是    人独知見覚、 如>是大師常_為一弟子元牙如>是法一 一切衆生身有  七分{  何等為>

七、 地水火風苦楽寿命、 如>是七法非>化非>作不缶?毀害一 如二伊師迦草一 安住不動如ーー須弥山一 不五捨不加作猶如二乳酪一 各不二諄訟一 若苦若楽、 若善不善、 投之利刀ー無品楊害{  何以故、  七分空中無一妨凝一故、 命亦無  害、 何以故、 無  有薔  者及死者一 故無>作無レ受、 無>説無>聴、 無缶  二念者及ー以教者一 常説ーー是法一 能令衆生滅ーー除一切無飛重罪  (下略)

(今大師あり、 末伽梨拘舎離子と名づく。  一切知見して、 衆生を憐憫すること、 なおし赤子のごとし。  すでに煩悩を離れて、 よく衆生の一二毒の利箭を抜く。  一切衆生は、 一切法において、  知見覚なし。  ただこの一人のみひとり知見覚す。  かくのごとき大師は、 常に弟子のために、  かくのごときの法を説く。「 一切衆生の身に七分あり。 何らをか七となす。 地・水・火・風・苦    楽・寿命なり。  かくのごときの七法は、  化にあらず、作にあらず。  毀害すべからざること伊師迦草のごとく、 安住不動なること須弥山のごとく、 不捨不作なることなおし乳酪のごとし。  おのおの評訟せず。 もしくは苦、 もしくは楽、 もしくは善・不善あるも、  これに利刀を投ずるに、 傷害するところなし。 何をもっての故に、  七分空の中に、 妨凝なきが故に。 命にまた害なし、 何をもっての故に、 害者および死者あることなきが故に。 無作無受・無説無聴にして、 念者および教者あることなし。」常にこの法を説きて、 よく衆生をして、  一切の無量の重罪を滅除せしむ。)(下略)

今有ーー大師 んヂ珊闊耶毘羅抵子一 一切知見其智深広猶如二大海一 有ーー大威徳一具ーー大神通一 能令ー衆生離ーー諸疑網一一切衆生不一知見覚一 唯是一人独知見覚、 今者近在ーー王舎城ー住、 為  諸弟子  説二如>是法    一切衆中若是王者自在随>意造ー作善喪    雖立竺衆臨  悉無云有袖罪、 如一火焼レ物無  浄不浄{  王亦如レ是与レ火同性、 醤如ーー大地浄檄普載一 雖も空是事ー初無函笠只  王亦如レ是与"地同性、 誓如二水性浄檄倶洗一 雖>為ーー是_事  亦無  憂喜一 王亦如レ是与>水同性、 習如二風性浄檄等吹一 雖"為二是事一亦無  憂喜一 王亦如五是与>風同性、 如  秋究樹春則還生一雖 復 斬机  実無  有"罪、  一切衆生亦復如レ是、 此間命終還生二此間一__以遠_生  故当缶何罪一 一切衆生苦楽果報悉皆不玉由ーー現在世業一 因在二過去ー現在受ら果、 現在無>因未来無涵果、 以ーー現果  故衆生持>戒、 勤修二精進塁  現悪果一 招  持戒  故則得ーー無漏略)得証霜呼故尽ーー有漏業以>尽レ業故衆苦得>尽、 衆苦尽故便得二解脱  (下

 (今大師ありて、 珊閣耶毘羅抵子と名づく。  一切知見なり。 その智深広にして、 なおし大海のごとし。 大威徳あり、 大神通を具す。 よく衆生をして、 もろもろの疑網を離れしむ。  一切衆生は、 知見 見せず、 ただこの人のみ、  ひとり知見党す。 いま、 近く王舎城にありて住し、 もろもろの弟子のためにかくのごときの法を  説く。「 一切衆中もしこれ王ならば、 自在随意に善悪を造作す。 衆悪をなすといえども、 ことごとく罪あることなし。  火の物を焼くに、 浄・不浄なきがごとく、  王もまたかくのごとく、 火と性を同じくす。 たとえば大地の浄稿あまねく載せ、  このことをなすといえども、 はじめて隕喜なきがごとし。  王もまたかくのごとく、  地と性を同じくす。  たとえば水性の浄稿ともに洗い、  このことをなすといえども、 また憂喜なきがごとし。  王もまたかくのごとく、 水と性を同じくす。 たとえば風性の、 浄機等しく吹き、  このことをなすといえども、 また憂喜なきがごとし。  王もまたかくのごとく、 風と性を同じくす。  秋の究樹の、 春にすなわちかえって生じ、 また研机すといえども、 実に罪あることなきがごとし。  一切衆生も、 またまたかくのごとく、  この間に命終して、  この問に遠生す。  還生をもっての故に、 まさになんの罪かあるべき。 一切衆生の苦楽の果報は、  ことごとくみな現在世の業によらず。 因は過去にありて、 現在に果を受け、 現在に因なければ、 未来に果なし。 現果をもっての故に、 衆生は戒を持し、 勤修精進して、 現の悪果を遮す。 持戒をもっての故に、すなわち無漏を得、 無漏を得るが故に、 有漏業を尽くす。 業を尽くすをもっての故に、 衆苦尽くることを得、  衆苦尽くるが故に    すなわち解脱を得。」)(下略)

今有  大師る名ーー阿者多翅舎欽婆羅一 一切知見観盃  与>土平等無ビ、 刀研 右 脇  栴檀塗>左、  於一ー此二人一心無二別一 等視ーー怨親一心無二異相一 此師真是世之良医、 若行若立若坐若臥、 常_在昧一心無二分散一 告ーー諸弟子在  如泣  言ー  若自作若教  他作一 若自研若教二他研一 若自炎若教ー他灸ー  若自害若教二他害一 若自楡若教  他倫若自姪若_教一他筵    若自妄語若教ーー他妄語一 若自飲酒若教ーー他飲酒    若殺こ  村一城一国一 若以二刀輪 五竺一切衆生{  若恒河以南布二施衆生一 恒河以北殺害衆生一 悉無一神罪福如齊施戒定(下略)

 (今大師ありて、 阿菩多翅舎欽婆羅と名づく。  一切知見す。 金と土とを観ずるに、 平等にして二つなく、 刀もて右脇を祈り、 栴檀を左に塗るとも、  この二人において、 心に差別なく、  等しく怨親を視、 心に異相なし。  この師は、 真にこの世の良医なり。 もしくは行に、 もしくは立に、 もしくは坐に、 もしくは臥に、 常に三昧にありて、 心に分散なし。 もろもろの弟子に告げて、  かくのごときの言を作さく、「もしくは自ら作し、もしくは他をして作さしめ、 もしくは自ら研り、 もしくは他をして祈らしむ、 もしくは自ら灸し、 もしくは他をして炎せしめ、 もしくは自ら害し、 もしくは他をして害さしめ、 もしくは自ら倫み、 もしくは他をして像ましめ、 もしくは自ら姪し、 もしくは他をして姪せしめ、 もしくは自ら妄語し、 もしくは他をして妄語せしめ、 もしくは自ら飲酒し、 もしくは他をして飲酒せしめ、 もしくは一村一城一国を殺し、 もしくは刀輪をもっ て一切衆生を殺す。 もしくは恒河以南に、 衆生に布施し、 恒河以北に、 衆生を殺害するに、 ことごとく罪福なく、 施戒定なし」と。)(下略)

 

今有ーー大師名二迦羅鳩駄迦栴延切知見明了二三世一 於二念頃  能見ー無屈無辺世界一 聞缶声亦爾、 能令三衆生遠 離過悪一 猶如二恒河若内若外所有諸罪皆悉消浄    是大良師亦復如>是、 能除ー衆ー   生内外衆罪一 為ー諸ー   弟子翌  如>是法若人殺 喜 一切衆生一心無 噺愧終  否  堕他、 猶如砿  空不函受 塵 水一 有 棚_愧  者即_入ー地獄一 猶如矢  水詞  滋於地一切衆生悉是自在天之所作、 自在天喜  衆生安楽、 自在天鼠,衆生苦悩、 一切衆若罪若福乃是自在之所天者誓如エ  匠為作一 云何当>言入 有ーー罪福{  誓如下工匠作二機関木人木人者喩二衆生身一 如>是造化誰当云有>罪。(下略)行住坐臥唯不益喪言、  衆生亦爾、 自在

 (今大師あり、 迦羅鳩駄迦栴延と名づく。  一切知見す。_一一世に明了に、  一念のあいだによく無訊無辺の世界を見る、 声を聞くも、 またしかなり。 よく衆生をして過悪を遠離せしむる、 なおし恒河の、 もしくは内の、もしくは外の、 あらゆる諸罪をみなことごとく清浄ならしむがごとし。  この大良師も、 またまたかくのごとし、 よく衆生の内外の衆罪を除く。 もろもろの弟子のために、  かくのごときの法を説く、「もし人、 一切衆生を殺害して、 心に漸愧なければ、 ついに悪に堕せざる、 なおし虚空の幽水を受けざるがごとし。 漸愧あればすなわち地獄に入る、 なおし大水の地を潤湿するがごとし。  一切衆生は、  ことごとくこれ自在天の作るところなり。 自在天喜べば衆生安楽に、 自在天いかれば衆生苦悩す。  一切衆生の、 もしくは罪も、 もしくは福も、 すなわちこれ自在のなすところ、 いかんぞまさに人に罪福ありというべき。 たとえばエ匠の機関木人を作るに、 行住坐臥するも、 ただ言うことあたわざるがごとし。  衆生もまたしかなり。 自在天とはたとえばエ匠のごとく、 木人とは衆生の身をたとう。  かくのごときの造化なり、 だれがまさに罪あるべき」と。〔 大正蔵、 衆生につくる〕)(下略)

今有ーー大師五尼腱陀若提子一 一切知見憐珈四衆生一 善知ーー衆生諸根利鈍一 達 解 一切随宜方便一 世問八法所>不乙能>汗、 寂静修ーー習清浄梵行一 為ーー諸弟子  説茄か是言一 無>施無>善、 無>父無>母、 無二今世後世一 無二阿羅漢一 無>修無>道、  一切衆生経ーー八万劫伝な生死輪自然得>脱、 有罪無罪悉亦如>是、__如四大河一 所謂辛頭恒河博叉私陀悉入ー大海血 云有二差別一切衆生亦復如>是、 得解脱  時悉無ーー差別(下略

 

(今大師あって、 尼健陀若提子と名づく。  一切知見して、 衆生を憐憫す。 よく衆生の諸根の利鈍を知り、   切の随宜方便を達解し、 世間の八法の汚すことあたわざるところ、 寂静にして、 清浄の梵行を修習す。 もろもろの弟子のために、  かくのごときの言を説く、「施なく、 善なく、 父なく、 母なし。 今世後世なく、  阿羅漢なく、 修なく道なし。  一切衆生は、  八万劫を経れば、 生死輪において、 自然に脱することを得。 有罪も、無罪も、  ことごとくまたかくのごとし。  四大河、 いわゆる辛頭    恒河・博叉・私陀、  ことごとく大海に入れば、  差別あることなきがごとし。  一切衆生も、 またまたかくのごとく、 解脱を得るときに、  ことごとく差別なし」と。)(下略)

その六師の名称は「維摩経』に同じといえども、  その唱うるところの主義は「注維摩経」と異同あり。 ゆ「止観輔行」(巻一の一の一一、「止観科本」巻一の一四、「止観会本巻一    の一の一四)に、 将  彼所釈ー以望矢  巽    六人名同、 所計則有二三同一 異一 三異者謂二四五彼此文異、 言二三同 考  謂大経初与  什公初ー同、 三与>論 六同、 六与レ三同(かの所釈をもっ て、 もって大経に望むるに六人の名は同じく、  所計にすなわち三同    異あり。

 

三異とはいわく・五なり。 彼此の文異なる_。というは、 いわく大経の初は什公の初と同じ。と六と

同じ、 六と=一と同じ)とあり。 さらに、  左に「輔行」の文を転載すべし。

経中因  削王障動遍体生る権、  又無三良医能治ー一身心一 有ーユハ大臣ー各白>王言、 若常愁苦    愁遂増長、 如二人喜眠則滋多貪>淫嗜徊  亦復如姐、 今有  大師  各在二其_城  為 誠 弟子  説二如>斯法富蘭凱説菰ー黒業年ざ黒粟報    無肴  正  業及ー以下業    此与 注 経初文  同也、 注経云一切諸法猶如 虚 空一 無>有ー業ー   報等_   者未伽梨説、 一切衆生見有  七分一 謂地水火風苦楽寿命、 嵐ら是七甑不>可二毀害安生テ平>動如ーー須弥血投ーン一利凡亦無 傷喪    無  有曾  者及'恥死者{  梃大紐文与 注 経第ニー具彼注経第二委一苦楽氣"有  因縁等三者劃閣夜説、 識衆生屯王者所作自缶リ_郷一浄檄累_息 ルカ三大亦料    笥如箪痴笥閃拡ー秋兄>批粗則忍年  以ー遠ー    年認 翫直  何罪一 此間命紀瓦生  此間一 苦楽笥報不レ由 現 業一 由  於過卑盗無レ因未翠ハ無>果、 以二現持戒油=現悪果{  此差  注経第六文  同、 彼注経第六師云罪福苦楽皆由ー前世一 四者阿菩多翅舎欽婆羅説、 若自殺涅教殺    盗淫妄等亦復如>是、 若殺ー一村一城一国恒河已南布二施衆生一 恒河已北__殺  害衆生一 無>罪無如福、 此与 注経第四異、 彼注経第四云今身受>苦後身受>楽、 五者迦羅鳩駄説、 殺ーー害  一切一若無  漸愧  不函安地獄一猶如 虚空布油含塵突 有篇  愧者  即塁  地獄一切衆生悉是自在瓦所侶自在天狐ハ衆生苦協自在天豆ハ衆生安楽、 此与 注経第五  異、 彼第五云亦有亦無随如問而答、 六者尼乾陥若提子説、 焦レ施無盃受無【一今世後世一経入 万劫  自然解脱、 有レ罪無>罪悉皆如>是、 如下四大河悉入ーー大海ー更無中差別云  計こ  切衆生道不>須>求如珈松丸極此与一注経第一二 同、 彼第三

(経中に、 闇王即り動じて遍体に癒を生じ、 また良医のよく身心を治すなきによりて、 六大臣あり、 各王にもうしてもうさく、 もし常に愁苦すれば愁ついに増長す。  人の眠りを喜ぶにすなわちしげく多く、  淫をむさぼり、 酒をたしなむもまたまたかくのごとし。 今大師あり、  おのおのその城にありてもろもろの弟子のためにかくのごとき法を説く。 富蘭那は黒業なし、 黒業の報なし、 上業および下業あることなし、 と説く。  これは「注経」の初の文と同じなり。「注経」にいわく、  一切の諸法はなお虚空のごとく業報等あることなし、と。  二は末伽梨、  一切衆生の身に七分あり、 いわく地・水・火・風・苦    楽・寿命なり、  かくのごとき七法は毀害すべからず、 安住して動ぜざること須弥山のごとく、  これに利刀を投ぐるもまた傷害することなく、害者および死者あることなし、 と。  ゆえに「大経の文と「注経の第二と異なる。  かの「注経の第二」に、  苦楽に因縁あることなし等という。

 

ーは剛闇夜、 もろもろの衆生の中に王者は所作自在なり。  地に浄稼等を載せたるがごとし。  三大またしかり、  等しく洗い、 等しく焼き、 等しく吹くこと、 秋に木を究し春はすなわち還っ て生ずるがごとし。 遠生をもっての故に常になんの罪あるや。  この間に命終して還っ てこの間に生ずるに、  苦楽等の報いは現業によらず、 過去により、 現在に因なく未来に果なく、 現の持戒をもって現の悪果を遮すと説く。  これはかの「注経』の第六の文と同じ、  かの「注経」の第六師いわく、 罪福・苦    楽

 はみな前世による、 と。  四は阿苦多翅舎欽婆羅、 もしは自ら殺し、 もしは人をして殺さしめ、 盗.淫・妄等もまたかくのごとし、 もしは一村一城一国を殺し、 恒河以南には衆生に布施し、 恒河以北に衆生を殺害するも罪なく福なし、 と説く。  これ『注経」の第四と異なる。  かの「注経」の第四にいわく、 今身に苦を受け、

後身に楽を受く、  と。  五は迦羅鳩駄 一切を殺害してもし漸愧なくも地獄に堕せず、 なお虚空の塵水を受けざるがごとし。 漸愧ある者はすなわち地獄に堕す、  一切衆生はことごとくこれ自在天の所作なり、 自在天いかれば衆生苦悩し、 自在天喜べば衆生安楽なり、 と説く。  これ「注経の第五と異なる。  かの第五にいう、

 亦有亦無にして問いに随いて面答す、  と。 六は尼乾施若提子、 施なく受なく、 今世後世なく、  八万劫を経て自然に解脱す。 有罪無罪ことごとくみなかくのごとく、  四大河のことごとく大海に入り、  さらに差別なきがごとし、  と説く。  これは「注経第一ーと同じ。 かの第三に、  一切衆生の道はすぺからく求むべからず、 艘 。丸の極のごとし、  と。〔い  大正蔵、 末につくる。 同、 地あり〕)

この同異を「止観捜要」(巻一    の三)に対照していわく、

言_二二同一者初与>初同、  即富蘭那、  什云計  一切_法  猶_如_   虚空    経云説無>有二業及ー以業_報  故是同也、  次与兵ハ同、 什公三云、 剛闊夜要経  生_死  如二線凡極ー経中第六尼乾亦計二練丸極一也、 三六与乙二同、 什公云六之尼乾計罪福必慣、 経第_   云二剛閾夜和ぞ現持。戒遮  未来悪一 同似一因果  是故也

(三同というは、 初と初と同じ、  すなわち富蘭那なり。 什のいわく、  一切法を計するになお虚空のごとし、と。 経にいわく、 業および業報あることなしと説く、 と。  ゆえにこれ同じなり。 つぎに三と六と同じ。  什公の一ーーにいわく、 剛闊夜は要ず生死を経ること練丸の極まるがごとし、 と。  経中に第六の尼乾また練丸の極まると計すなり。 三に六と三と同じ。  什公のいわく、 六の尼乾は罪福必ず償うと計す。 経の第三に剛闇夜は現に持戒をもって未来の悪を遮すというは同じ因果に似たり、  これの故なり〔川 続蔵経、 丸につくる〕)

とあり。 また「止観私記」(巻一    の一四)には、 此拠  所計_二一同三異、  若拠>人計こ  同五異  唯初人計>同、 余五人並異(これ、 所計によれば三同一二異あり。  もし人によれば一同五異あり、 ただ初の人のみ同なりと計し、 余の五人はならびに異なり)とあり。 しかして、 六師の名称は「雑阿含経なわち曰く巻四一一の二五)中にも見えたり。  す

六師等諸邪見輩、 所謂富蘭那迦葉、 末伽梨糀舎梨子、 撤闇耶毘羅肱子、 阿哲多択舎欽婆羅、 伽拘宣延、 尼健連陀闇提弗多羅、 及余邪見輩

 (六師等のもろもろの邪見の輩なり。 いわゆる富蘭那迦葉・末迦梨靱舎梨子・撒閤耶毘羅抵子・阿苦多択舎欽婆羅・伽拘翌延・尼犠連陀闇提弗多羅および余の邪見の輩なり)

と。 また「別訳〔雑〕阿含経」(巻_   の一五および一九のニー)中にもその名称を見、「陀羅尼集経 巻一の一)

にも同じくその名を掲ぐるを見る。 しかして「維摩日講左券」(巻三の一) に、 六師の由来は「央掘摩羅経」(巻四の一四)に出ずと記せるも、 余その経を検するに、 今挙示せる六師と同じからず。 よろしく第五五節につきて見るべし。 もしこの六師を開かば、 十外道あるいは十八師となる。 今「止観輔行」(「止観科本」巻一    の一六、

 「止観会本    巻一のごとし。の一の一六、「補注」巻一四の四四)に、「飾宗〔記〕」所引の十六師を掲げり。  その名目、 左

 さらに、「飾宗記」(巻七末の三八)の解釈を挙示すべし。

 

一、 不蘭迦葉

 

正梵音云布剌怒迦葉波也、 希剌努此云五満也、 此是名也、 迦葉波此去  飲光一此是姓也。(正しくは梵音に布刺拳迦葉波というなり。 布刺拳はここに満というなり。  これはこれ名な。 迦葉波はここに飲光という、  これはこれ姓なり。)

二、 末怯梨ーー"正梵音云末薩翔梨、 此云ーー常行  也、 此外道常行不住。(正しくは梵音に末薩翔梨という、  こには常行というなり。  この外道は常に行きてとどまらず。)

二、 肋奢離ーー"梵云罹舎梨、 此云中舎也、 此是母名也、 其母本生二牛舎之中一目為>名也、 子名応>云ーー牛舎子也。(梵に覆舎梨という。  ここに牛舎というなり。  これはこれ母の名なり。 その母、 もと牛な

舎の中に生ず、 目づけて名となすなり。 子の名はまさに牛舎子というべきなり。〔

 

続蔵経、

 


牛につくる〕)

四、 阿夷頭ーー  梵云阿者多、 此云ー』天勝  也、 此外道自云、  世天勝義也。(梵に阿者多という、 ここに天勝というなり。  この外道は自ら世の天勝の義というなり。

 五、 翅舎欽婆羅六、 牟提移婆休七、 迦栴延

 梵云繋奢欽婆羅、 此云二髪衣一也、 此外道着二此衣一也。(梵に繋奢欽婆羅という、  ここに髪衣というなり。  この外道はこの衣を着すなり。

有律本閾、 牟提両字此ー名詳>之。(ある律本に欠く。 牟提の両字はこれ名なり。  これをつまびらかにせよ。)

梵云迦多桁那、 此云算数也、 上古有祉仙、 常念二算数一 目為"姓也。(梵に迦多桁那という、  ここに算数というなり。 上古に仙あり、 常に算数を念ず、 目づけて姓となすなり。)

 八、 紬若

 —  梵云柵門、  即此円勝、 此外道自云、 我最円勝。(梵に棚門という、  すなわちここに円勝なり。

この外道は自ら我は最円勝なりという。)

 九、 毘羅咤子

梵云迷羅和仏稚羅、 此云空城子也、 其母生処国為ー母名

 (梵に迷羅和仏稚羅という、  ここ、 尼健子に空城子というなり。  その母の生処の国を母の名となす。)

梵云尼健爛徒此云二離繋一也、 此外道保形無>衣、 以レ手乞>食常行不ソ住、 執為ーー離繋仏毀為ニ無断外道

 (梵に尼健爛徒という、  ここに離繋というなり。  この外道は保形にして衣なし。手をもって食を乞い、 常に行きてとどまらず、 執りて離繋となす。  仏毀して無漸外道となす。)

しかして、  この十師と涅槃の六師との比較は、 涅槃の第一はこの第一に当たり、  その第二はこの二および一一に当たり、 その第三はこの八および九に当たり、 その第四はこの四および五に当たり、 その第五はこの六および七に当たり、 その第六はこの+ に当たるという。  もし「止観』(「止観科本巻一    の一三また巻一のニ   、「止観会本」巻一の一の一三また巻一の一の二

 

および「輔行」によれば、 さきの迦毘羅等の本源三師の支流、 分派して六師となるとなす。 しかしてこの六師に、  おのおの一切智・神通・窟陀の一一一種あり、 合して十八師となるという。  これ、『維摩経の注(「注維摩経_巻一一の五)にもとづく。「四教義』(巻一一の二)にその名を列挙して、  一者一切智六師、  二者神通六師、  三者藉陀六師 は一切智六師、  二は神通六師、 三は言陀六師)と称せり。  しかるに「百論疏」(巻上中の一八、「百論疏検幽抄」巻二の七)には、 釈迦出ずるとき、 十八一切智人に値しことを記せり。  かつ、 その釈義を示して日く、

興皇法師云初六人従二聞恵一生、  即阿蘭迦蘭等、 中六人従  思恵  生、  即尼健子若提子等、 後六人従二脩恵一生、謂須祓施等、 什師云六師有已一部大同小異、 皆以二苦_行  為>本、 初六誦二四含陀一 中六人称ニ一切智一 即是六論 師、 後六得五神通一 詳此_意  猶是十八人、  初是聞恵、 次是思恵、 後是脩恵也。

 (興皇法師のいわく、 はじめの六人は聞慧より生ず、  すなわち阿蘭・迦蘭等なり。 中の六人は思慧より生ず、  すなわち尼健子・若提子等なり。 後の六人は修慧より生ず、 いわく須祓陀等なり、 と。 什師のいわく、六師に三部あり大同小異す。  みな苦行をもってもととなす。  はじめの六は四輩陀を誦す。 中の六人は一切智と称す、  すなわちこれ六師なり。 後の六は五神通を得たり。  この意をつまびらかにするに、 なおこれ十八人なり。  はじめはこれ聞慧、  つぎはこれ思慧、 後はこれ修慧なり。)

 

「開元釈教録

 (巻五下の一五)には、「梵志六師経の表目を掲げしも、 そのいかなる書なるや知るべからず。

 そのほか六師の異説を考うるに、「円党大紗」(巻上、「起信論教理紗巻三の五、「十巻書畔字義紗」巻三の四、『命息抄」巻 ーの一 には左のごとく示せり。

六師者一是断見外道也、 亦云ーー空見外道 二是常見外道、 三是苦行外道、 彼説衆生所>受生死皆由>着>楽、 若修冦  行一便得  解脱一 四自然外道説こ  切法皆自然  生五是事火自然天外道、 説>生ーー諸法一 六宿作外道、 説下一切法皆宿世已作ーー其因    令>不>作"因便_一故業一即滅 得中解脱上也。

(六師とは一にはこれ断見外道なり、 また空見外道という。  二にこれ常見外道。_  二にこれ苦行外道、 彼、 衆生受くるところの生死はみな楽に培するによる、 もし苦行を修すればすなわち解脱を得。 四に自然外道、   切の法はみな自然より生ずと説く。 五にこれ事火自然天外道、 諸法を生ずと説く。 六に宿作外道、  一切の法はみな宿世にすでにその因を作し、 因を作さざらしめばすなわち故業を滅し、  すなわち解脱を得と説くな

り。〔続蔵経、 苦をつくる〕)

しかるに「開解抄」(巻三三の七)に挙ぐるところの六師は、 僧怯・衛世・勒沙婆・若提子・自在・翔紐の六種にして、  これやや西洋所伝の六大学派の分類に近し。  すなわちその第一と第二は、 六大学派の第二および第三なること言をまたず。 その第五、 第六はともに有神学派なれば、 六大学派の第五、 第六と同一種なること明らかなり。 ただその第三と第四とは、 六大学派中に見えざるなり。 もしまた「義林章」(巻一本のニー) によらば、 大類外道別有 全六計

 (大類するに外道は別して六計あり)と説きて、  その六計は数論.勝論・明論・声顕論・声生論・順世論の六種なり。  これ、「唯識論」に出ずる外道の名目なり。 もし、  これを開かば十三種となる。  すなわち次節に述ぶるがごとし。  そのほか「涅槃経」(北本巻一六の一五、 南本巻一五の    二、「涅槃経会疏」巻ー五のニ に、 六種の苦行外道あることを出だせり。  その名称は自餓投淵・赴火・自座・寂黙・牛狗の六種外道なり。 その解釈は第一ー一節に譲る。  しかるに「百論疏  (巻上中の一九)には、  この苦行六師に本源三師および

さらに一師を加えて、 十師の名目を列せり。  すなわち左のごとし。

 此中凡列  十師—  迦毘羅、  三宝行>世、  二優楼迦、  三宝行>世、 三勒娑婆、 三宝行>世、 第四師以二自餓玉  レ道、 第五師料  投淵歪少聖、 第六師以五茫火為>道、 第七自墜ー一高巌    ぎ道、 第八以二寂_喋  為>道、 第九_一常以立玉伊道、 第十以ーー持手_戒  為も道、 前之三師広列経法" ぞ三宝云化、 後之七師直弁二苦行而己。

(この中におよそ十師を列す。  一には迦毘羅、 三宝世に行わる、  二には優楼迦、 三宝世に行わる、  三には勒沙婆、  三宝世に行わる、 第四の師は自ら餓するをもって道となす、 第五の師は淵に投ずるをもって聖を求む、 第六の師は火に赴くをもって道となす、 第七は自ら濶巌よりおちて道を求む、 第八は寂黙をもって道となす、 第九は常立をもっ て道となす、 第十は牛戒を持つをもって道となす。 前の三師は広く経法をつらね、

三宝をもって化を行ず、 後の七師はただちに苦行を弁ずるのみ。〔 大正蔵、 牛につくる〕)

 また「涅槃経」(巻三五のごとし。

「涅槃経会疏」巻三五の一ー以下) に、 婆羅門の十仙を掲ぐ。 その十仙は左のしかして十仙と仏との問答は、「涅槃経    につきて見るべし。「止観輔行」「(  止観科本」巻五の一の一一四、「止観会本」巻五の一の二五、「義例纂要」巻六の一三一、「助覧」巻二の一一九、「二百題輔助記」巻二の一)に、  六師翻>邪、 十仙受>道(六師邪を翻じ、 十仙道を受く)というものこれなり。 そのほか苦行外道のことは、 各論に入りて詳述すべし。


 

第四三節 十一種ないし十八種外道

 

しかるにまた、「華厳疏紗    には十一種の外道を指示せり。  すなわち「演義紗」(巻一三の一八および「華厳玄談」巻八の四) に曰く、 初束ー一九十五種玉十一宗一束十  ご以成ーー四計_一結二諸計ー以帰ーーニ因(初め九十五種を束ねて十一となす。   ーに十一を束ねてもっ て四計を成ず。  三に諸計を結してもって二因に帰す)とありて、  十一宗とは左表のごとし。

しかしてそのいわゆる四計は、 計一・計異・計亦一亦異・計非一非異をいい、  二因は無因・邪因をいう。  これ

また、 後に至りて述ぶべし。

つぎに「唯識論」の十三種とは、「義林章科図 巻上の二)には甲図のごとく表示し、「唯識図解」(巻二の二六    には乙図のごとく表示せり。

この両図小異ありといえども、 ともに十二計なり。 しかるに「唯識述記」には、 別破二_十    計  (別して十三計を破す)の語あり。  けだし、 その十三計は乙図の声論師外道を、 明論すなわち毘陀論と、 声論すなわち声顕声生論とに分かつによる。 もし「喩伽論」および「顕揚論」によれば、 外道に十六計あることを出だせるも、  これ次章に入りて表示すべし。

そのほか、 外道の本源一二師と支流六師と相合して十八部となることは、 前節すでにこれを一言せりといえども、 今左に、  さらに「聖閾賛 巻四の二)に示せる因を掲ぐ

師は 六師なり

しかして曰く、 此=一種約二六師云   』二六十八種外道師一也(この三種は六師に約して三、 六、 十八種の外道師あるなり)と。 しかれども余は決して、  かくのごとく本源三師より、 各同一の六師を支出せる理あるべからずと考うるなり


第四四節 二十種および 十種外道

 つぎに、「外道小乗涅槃論には二十種の外道を列挙せり。  今、  これを表示すること左のごとし。

 一、  小乗外道論師説五、  伊除那論師説  九、  女人脊属論師説

=、 尼健子論師説

二、  外道方論師説  六、 保形外道論師説

、  行苦行論師説十四、 僧怯論師説、  風論師説

七、 毘世師論師説十一、 浄眼論師説

十五、 摩薩首羅論師説

 四、 囲陀論師説八、 苦行論師説

十二、 摩陀羅論師説

十六、 無因論師説

 十七、 時論師説 十八、 服水論師説 十九、 ロカ論師説 二十、 本生安荼論師説その解説は各論に譲る。

つぎに「大日経」「住心品(」巻一の五)の三十種は、 経文に見るところ左のごとし。

 秘密主無始生死愚童凡夫、 執迄心我名我有分一ー別無嚢我分秘密主若彼不レ観二我之自性一 則我我所生、 余復計>有>時地等変化、  琺伽我、 建立浄、 不建立無浄、 若自在天、 若流出及時、  若芍貴、 若自然、 若内我、 若人凪、 若遍厳、 若寿者、 若補特伽羅、 若識、 若阿頼耶、 知者、  見者、 能執、 所執、 内知、 外知、 社恒梵、 生、 僻童、 常定生、 声非声、 秘密主如乙是等、 我分自>昔以来分別相応、 希二求順>理解脱

(秘密主、 無始生死の愚童凡夫は、 我名と我有とに執醤して、 無量の我分を分別す。  秘密主、 もし彼、 我の自性を観ぜざれば、  すなわち我我所生ず。 余はまた、 時と、  地等の変化と、  琺伽の我と、 建立の浄と、 不建立の無浄と、 もしは自在天と、 もしは流出と、  および時と、 もしは尊資と、 もしは自然と、 もしは内我と、もしは人最と、 もしは逼厳と、 もしは寿者と、 もしは補特伽羅と、 もしは識と、 もしは阿頼耶と、 知者と、見者と、 能執と、 所執と、 内知と、  外知と、 社恒梵と、 意生と、 儒童と、 常定生と、 声と、 非声とありと計す。 秘密主、  かくのごとく等の我分は、 昔よりこのかた、 分別と相応して、 順理の解脱を希求す。)

論          これを「十住心論』(巻一の九五、「十住心広名目」巻一の三九)に、 偽をもって示して曰く、

 時大相応二建者自在流出__計尊貨ー   自然内我執ー一人逼厳寿者数取趣 識蔵知者及見者能所一一執内外但梵人勝計二常_定顕生二声与二非声如五是三十大外道    各各迷  真如  輪転

(時と大と相応と二の建者と、 自在と流出と難貴を計すると、 自然と内我と人飛を執すると、 遍厳と寿者と数取趣と、 識と蔵と知者とおよび見者と、 能所の二執と内外の知と、 但梵と人と勝と常定を計すると、 顕生の一一声と非声と、  かくのごとくの三十の大外道は、  おのおのに真如に迷いて輪転す)

この偶によりて考うれば、 外道の類別は二十九種なり。 しかるに、 これを    + 種と数うる方法につきて、  すこぶる異説あり。 今、「大日経疏拾義巻六の一によるに、是時開三  故三十也、 開題云二二十九邪計一 経声中不如匹生顕一故、  一義云、 或二十九、 我、 声顕声生合為ーー一種声一者二十九也、 又経地等取 四 大一者一二十三也、 今約 満 数  云為ーニニ十一也二十一也、 又義時不>開乙一加ーー総我

(これ時に一ーを開き、 ゆえに三十なり。「開題」に_一 十九邪計という。 経の声の中に、 生と顕とを開かざるが故なり。 一義にいわく、 あるいは二十九、 あるいは三十三と。 声の顕と声の生と合して一種の声となさば二十九なり、 また経に地等四大を取らば三十三なり、 今満数に約して三十というなり。 また義として時に二を開かずして総我を加えて三十となすなり)

とあり。 また「広名目」(巻一の 二三)には、 単に両義あることを示せり。  すなわち、 その一義は総我を加えて

三十種となし、 その義は時外道に一一種を立てて三十種とする二説なり。 あるいはまた「+ 住心論科註」(巻一末下の二七)には、 そのほかに地等と変化とを分かちて二種となす一説あることを示せり。 以上の異説は全く、

「住心品疏」(「住心品疏科文」巻 一の二六)には経中略挙乞一十事  (経中略して三十事を挙ぐ)とありて、「大日経開題」(巻一の二二、「果宝紗巻二本一の= ) には二十九邪計磐石磋珂(二十九の邪計の磐石に碑珂たり)

とあり。  また「+ 住心論の偶には二十九種を掲げて、 その結文に如レ是三十大外道(かくのごとくの三十の大外道)とありて、 前後の数の合せざるより起こる。 しかるに、 余は時および声に二種を開きて、 左のごとく三種を列挙す。

四五節    九十五種あるいは九十六種外道

つぎに、 経論中最も多く見るところの外道の数は、 九十五種あるいは九十六種の説なり。 まず「法顕伝 巻一の一五) には、 此中国有二九十六種外道    皆知  今世後世一 各有二徒衆一 亦皆乞食、  但不玉持>鉢亦復求>福、  於二唇路側立  福  徳倉    屋宇淋臥、 飲食供 給 行路人及出家人来哉窒    但豚  期異耳(この中国には九十六種の外道ありてみな今世後世を知り、  おのおの徒衆ありてまたみな乞食すれども、 ただし鉢を持たざるなり。 またまた福を求めて瞭路のそばにおいて福徳舎を立つ。 屋宇・淋臥・飲食を、 行路の人、  および出家の人、 来去の客に供給す。

ただただ期するところを異にするのみ)とあり。「翻訳名義集」(巻二の二八)には「弁正論 巻七の二六)を引きて曰く、 九十五種騰二業於西戎一 三十六部沿一乱於東国  (九十五種は西戎に騰霜し、 三十六部は東国に滑乱す)とあり。 もし、 また「三論玄義」(首書の五)によらば、  総論ーー西域一九十六術、 別序一宗要ー則四執盛行(総じて西域を論ずれば九十六術あり、  別して宗要を序すればすなわち四執盛行す)とあり。 また「法事讃」(巻下の一九、「法事讃検要巻七の三二、「教行信証」巻三末の一)には、 九十五種皆汚>世、  唯仏一道独清閑(九十五種みな世を汚す。 ただ仏の一道のみひとり清閑なり)とあり。  かくのごとく外道の数を九十五種となす説と、 九十六種となす説とは、 ともに経論中に見るところにして、 今「伝通記」(巻五の四 、「六要紗」「(  六要紗会本」巻五の一、「教行信証抄巻四の二)等の諸掛に記するところによるに、「華厳経」、「婆沙論」、「智度論」、「薩 婆多論巻八の七)、「成実論」(巻二の九)等の経論には多く九十六種外道と説き、「涅槃経」、「月蔵経」等には九十五種と説くの両様あり。  また「止観」(「止観科本巻三の三の二五、「止観会本」巻三の四の一 、「弁正論」(巻七の二六)、「広弘明集」(巻四の二)等も九十五種の説なりという。 もしまた「真宗名目図」によらば、「増一阿含 、「僧祇律」、「資持記」も九十五種の説なりという。 そのほか余が捜索するところによれば、「別訳雑阿含経」(巻_一一の一、「月灯三昧経(七)、「月光童子経」(二、「阿術達経」五)、「耶祇経」

(一)等にはみな九十六種外道と記し、「超日明三昧経」(巻下の三)には九十六径と記せるを見る。 しかして、千仏因縁経」八)、「占察経「占察経疏』巻上の四七)、『起信論(二七、「起信論義記」巻下の三一)、「分別功徳論」(巻上の六および巻中の二)等には九十五種と記せり。 今左に、  二、 三の経論の文を引証すべし。華厳経云、 令こ  切衆生得ーー如来帷一 推屯滅一切九十六種諸邪見帷『華厳経巻一八の四)にいわ一切の衆生をして如来の憧を得しめ、  一切の九十六種のもろもろの邪見の帷を推滅す、  と。)

同経云、 此閻浮提九十六種外道邪見、 我悉為>彼種種説法  断  其邪見

(「同経」(巻五一の二)にいわく、  この閻浮提の九十六種の外道邪見は、 我ことどとく彼のために種々に説法してその邪見を断つ、 と。)

涅槃経云、  世尊常説こ  切外学九十五種    皆趣二悪道一 声聞弟子皆向  正路

(「涅槃経」(南本巻一 の一  、「同会疏」の一六) にいわく、 世尊、 常に説きたまわく、  一切外学の九十五種はみな悪道に趣き、 声聞の弟子みな正路に向かう、 と。)増一阿含経云、 我能尽知下九十六種道所二趣向  者大集月蔵経云、 是人便已於=一宝中    心得二敬信玉匹一切九十五道

(「大集月蔵経」(巻八の_二二)にいわく、  この人すなわちすでに三宝の中において、 心に敬信を得、 一切の九十五道に勝れり、 と。)

大方便仏報恩経云、 若有一衆僧集在一 是中四向四得、 無上福田於こ  切九十六種衆中一 最尊最上無ーー能及者

(「大方便仏報恩経」(巻六の一 にいわく、 もし衆僧の集在するありて、  これの中に四向四得するに無上

の福田なり。  一切の九十六種の衆中において最尊無上にしてよく及ぶ者なし、 と。)大毘婆沙論云、 欲』デ仏法於ーー九十六諸道法中み取尊最勝上故云云  ゜

(「大毘婆沙論』(巻四一の三)にいわく、  仏の法は、 九十六のもろもろの道法中において、 最尊最勝なることをあらわさんと欲するが故に、 云々。

智度論云、 世間諸法実相宝山、 九十六種異道皆不>能>得、 乃至梵王亦不レ得、 仏以ーー大悲詔炉法云云  ゜

(「智度論 巻二二の二九)にいわく、  世間の諸法実相の宝山は、 九十六種の異道はみな得ることあたわず、 ないし梵天王もまた得ず。 仏は大慈悲をもっ て法を説く、 云々。)

しかるにまた、  一書の中に両様の説を見ることもあり。  すなわち「文句私記論    を引きて示すこと左のごとし。

分別功徳論第一云、 舎衛有ー一梵志一 算術於ーー九十五種中  第一、 又第二云、 但持二阿毘_晨  者便可>_降一伏外道十六    巡  第 テ 云、 外道有  九十五種_   云云

(「分別功徳論」第一にいわく、 舎衛に梵志あり。 算術は九十五種の中において第一なり。 また第一一にいわく、 ただ阿毘嚢を持し、 すなわち外道の九十六を降伏すべし。 第三に逗ていわく、 外道に九十五種ありと云々。)

かくのごとく、 経論中に九十五種あるいは九十六種二様の異説あることにつきて、 古来種々の説明をなすものあり。 しかれども、  いずれの経論、  いずれの解釈によるも、 いまだいちいちその外道の名目を挙示せるものあらず。  ただ、 仏家にて一般に伝うるところによれば、 さきに示したる外道六師に各十人の弟子ありて、 その数九十人なり。  これに根本の六師を加えて九十六人となるという。  すなわち左式のごとし。

 

しかして、 そのうち一道は仏教なり、 あるいは仏教に類似せるものなれば、 これを除きて九十五種となるという。  かくのごとく算定する法は「薩婆多論る一節を掲げてこれを明かさん。の所説なり。 すなわち左に、『資持記」(巻上一上の二四)に引用せ

多論販売戒云、 根本六師教ーー十五弟子一 各各_受一行異見六師各別有>法、 与=弟子示'同、 師弟通有  九十六一如>是相伝  常有>不>絶。

(多く販売を論ず。 戒めていう、 根本の六師は十五弟子を教う、  おのおの異見を受行す。 六師各別に法あり、 弟子と同じからず、 師弟に通じて九十六あり。  かくのごとく相伝えて常に絶えざるあり。)

しかして、「薩婆多論 巻八の七)に九十六種異見人(九十六種の異見の人)という。 もし「華厳経 旧巻一七の一六、 新巻二六の六)によらば、  九十六種皆是邪道(九十六種はみなこれ邪道なり)とありて、「智度論論    (巻二五)によらば、  九十六中実者是仏(九十六中、 実はこれ仏なり)とあり。 しかしてまた「同論」に、 九十六道並不ゐ匹諸法実相

 (九十六道ならびに諸法実相を得ず)とあり。 しかるにまた「涅槃経」には、 九十五種

 戒取途  (九十五種の戒取は三途に堕す)とあり。 もしまた「止観輔行」(「止観科本』巻三の一一の二五、「止観会本」巻三の四の一によらば、 准  九十六道経一彼経両巻釈ーー出所計相貌一 於二諸道中ー一道是正、  即仏道也(「九十六道経」に準ずるに、  かの経の両巻にいちいち所計の相貌を釈出す。 諸道中において一道これ正すなわち仏道なり)とあり。 また「文句記」(「文句科本巻五の一の四二)には、 九十六者衆路也、 若欲ー出宅唯有こ  門一 九十六道雖三各謂二道真 茄空交横馳走  (九十六とは衆路なり。 もし出宅せんと欲すればただ一門のみあり。 九十六道は各道は真なりというといえども、 交横馳走するがごとし)とあり。 そのほか「演密紗」(巻の二二)には、 西方外道有二九十五種一 若兼ーー仏法而竺九十六  (西方の外道に九十五種あり、 もし仏法を兼ねれば九十六を成ず)とあり。  これ多くは、  九十六中の一道は仏教にして、 余はみな邪なりとの説なり。 しかりしこうして、  ひとり「華厳」の九十六ことごとく邪と説くは、 けだし、 大乗より小乗を斥して邪道の一種となすによる。  すなわち、「垂裕記」(巻二の一)の示すところ左のごとし。

華厳大論或曰九十六皆邪者以>大斥瓜小也、 故百論云順二声聞道一者悉是邪  ゜

 「華厳」、「大論はあるいは九十六はみな邪なりといい、 大をもって小を斥くなり。 ゆえに「百論」にいわく、 声聞道に順ずる者はことごとくこれ邪なり、 と。)また「華厳孔目章」(巻二の二七)によらば、

今言  九十五是邪一種是正一者非>謂ーー独一是正一 皆綺互相望、  一種当ーー其仏法初入方使一故言>一也。

(今、  九十五はこれ邪、  一種はこれ正というは、  ひとり一のみこれ正というにはあらず、  みなよりて互いに相望むるに一種はその仏法初入の方便に当たる故に一というなり。〔大正蔵、 便につくる〕)

 また、 左に「六要紗「六要紗会本」巻五の三の説明を掲ぐべし。


(かの九十六種の中において、 その一類の小乗の計と同じきあり、 ゆえにその一を除きて九十五という。  その計は小乗と同じき辺ありといえども、 実にこれ旧法なり、  これの故に斥けて九十六種みなこれ邪道なりという。)

 これを「六物図疏釈六物図採摘」巻上の一五、「六物図述義巻上の二四)等には、  九十六道に邪正相対、小術相対の二様ありという。  邪正相対とは、 九十六ことごとく邪道とする説にして、 小術相対とは、  九十六種中に小乗の一種を加うる説なり。 以上の論点につき、 広く諸害を引証して論明したるものは『文句私記」なり。 よって繁冗にわたるをいとわず、「私記  (巻五の一八)の引証を抄出す ぺし。

私志記云、 論云九十六種、 疏本不>定、 或五或六、 経亦不>定、 華厳  言>六、 涅槃  言レ五或依ーー九十六道経ー乗是其教内、 華厳以>大斥>小故、 六並名>外、 涅槃対>外存>小故、 但云>五、  准二近代説一 西方外道自_有一九六種{  未レ聞  小乗一 九十六道経皆云  疑偽  並不二信用一 若依二旧解ー五六並是、  若依ーー近釈全ハ是五非、 亦未レ見  其定説{(「私志記不乙知執是にいわく、「論」に九十六種という。 疏本は不定、 あるいは五、 あるいは六なり。 経も不定な論り、『華厳」には六といい、『涅槃」には五という。 あるいは「九十六道経」によるに、 小乗はその教の内なり、『華厳    は大をもって小をしりぞく故に六ならびに外といい、「涅槃」は外に対して小を存する故に、だ五という。 近代の説に準ずるに医方の外道に自ら九十六種あり、 いまだ小乗を聞かず、『九十六道経」みな疑偽といいてならびに信用せず。 もし旧解によらば五、 六ならびに是なり。 もし近釈によらば六は是、五は非なり。 またいまだその定説を見ず、 いずれが是なるかを知らず。)

観経法聴記云、  九十五種者__除  仏一人外道有ーユハ師一_有一十五弟子一 合__成  九十六一 仏初曾__事  外道玉竺弟子一 知玉ダ究党{  先同後異、 捨而離レ之、 後証二仏果一 故云>勝也。

(「観経法聴記」にいわく、 九十五種は仏一人を除き外道に六師あり、 十五の弟子あり、 合して九十六を成ず。  仏初め、  かつて外道につかえ、 弟子となる。 究党にあらずと知り、 先に同じて後に異にして、 捨ててこれを離る。  後、 仏果を証す、 ゆえに勝というなり。)


止観古記云、 私謂九十六者、 六師各有二十五弟子  也、 問若頭九十六皆外道、 何  故大論九十六中実者是仏、答九十六中邪計似コ同仏法小乗所計一 而実非ーー仏法一 大論拠"同  小乗計是華厳大論之所"斥也。今拠二外邪一故皆是邪、 内外計同、 並

 (「止観古記」にいう、  私にいわく、  九十六とは、 六師におのおの十五の弟子あるなり。 問う、 もししからば九十六みな外道なり。 なにが故に「大論」に九十六の中の実はこれ仏なりや。 答う、 九十六の中の邪計は仏法の小乗の所計に似同す、 しかも実には仏法にあらず。「大論」よる故にみなこれ邪なり。 内外の計同じ、 ならびにこれ「華厳」は小乗の計に同じきにより、 今は外邪「大論」のしりぞくるところなり。)

 

以上の諸例に徴するに、 九十六道中の一種は仏教とする説と、 仏教に似同せるものとする説との両様あり。  これを仏教とするときは、 小乗の一種なりとす。「釈論疏」には、 九十五種外道加』  子部彼又_計一非即非離_我  故

 (九十五種の外道は積子部を加う。 彼また非即非離我を計する故に)と説きて、 その一種は禎子部なりとす。 また「+ 住心広名目巻一の三四)に、 演密抄中九十五外道加二扶仏法外道 』ムニ九十六私云扶仏法外道者禎子部鍬(「演密紗    の中に九十五種外道は仏法の外道を加扶す。 九十六というは、 私にいわく、 扶仏法の外道とは憤子部なるか)とあり。「大疏指心紗」(巻三の八)にも、 禎子部敗の説あり。 ゆ「拾義紗巻二の一四)には、  仏法者積子部、 是_立一非即非離我一故属二外道一 又云  扶仏法外道 仏法とは禎子部なり。  これ非即非離我を立つ、 ゆえに外道に属す。 また扶仏法の外道という)とあり。 あるいは積子部・方広道人・毘最有門の三種をもっ て、 仏法内の外道となす説あり(「起信論詳略巻下の五一  。  しかるに「九十六道経につきては、 古来真偽の論あり。「文句私記 巻五の一八)に掲げたる問答中より、 左の一節を抜記すべし。

問九十六道経是偽云何用細区、 開元録云、  九十六種道経一巻或二巻題云二除去九十六種邪道雑類神冗経一 祐録云、 義理乖背、  文句賤  ナルガ故、 入ーー疑録一云云  ゜

(問う、「九十六道経はこれ偽りなり、  いかんが彼を用うるや。『開元録」(巻一八の一にいう、「九十六種道一巻あるいは二巻、  題して『除去九十六種邪道雑類神呪経という。「祐録」にいう、 義理乖背し、  文句賤邸なるが故に疑録に入る、 と云々。

この店目は、「隋衆経目録」(一害巻三の一   、 別書巻二の一〇および巻四の一七)および「武周刊定衆経目録」(巻=一の一にも見えたり。  かつ「隋衆経目録」には、「九十五種道経」一巻と記せるほかに「九十五種道論 雑類神兜経」二巻と記せり。 しかして「武周目録」には、「九十五種道経」一部二巻と記せり。  そのいずれが正しきかを知らず。 また「貞元録」にも「九十六道経」一巻の目を掲げ、 その下に、 法経録云九十五種道経、 仁寿録云_一巻具題_云一除去九十五種邪道雑類神叩几経「法経録にいわく、「九十五種道経と。「仁寿録」にいわく、

 二巻、 具題に「除去九十五種邪道雑類神呪経」)と記せり。  この経、 今伝わらざるをもって、 その真偽を弁ずるあたわず。 しかるにまた、  九十五種、 六種の弁解につきてさらに一説あり。  すなわち、「開解抄」(巻一の七、「釈論宥快紗」巻九の二の三、「十住心論科註」巻三本の一五、「広名目」巻一の三四))にいうところこれなり。或人云、 僧怯、 衛世、 勒娑婆、 若提子、 自在、 章紐等六師外道各有二十五人弟子一 加ー一本六師  成ーー九十六布 又九十五者百論疏云若提子誦  勒婆経一 依一此釈ー若提子又勒娑婆弟子也、 当>知若提子是勒娑婆十五人弟子随一也、 若提子又有二十五人弟子一 故於二若提子一人一具二師弟子二義一 再数云ーー九十六一_約一人鉢』ざ九十五一也云云  ゜

(ある人いわく、 僧怯・衛世・勒娑婆・若提子・自在・窟紐等の六師外道は各十五人の弟子あり、 本師を加えて九十六を成ずるなり。 また九十五とは「百論疏    にいわく、 若提子は勒婆経を誦す、 と。  この釈によるに、 若提子はまた勒娑婆の弟子なり。 まさに知るべし、 若提子はこれ勒娑婆の十五人の弟子の随一なり。 若捉子また十五人の弟子あり、  ゆえに若提子一人において、 師と弟子の二義を具し、 再び数うるに九十六という。  人体に約して九十五というなり、 云々。)

これ、  三師二天に若提子を加えて六師と定むる説なり。 しかして若提子は、  一方にありては弟子にして、  他方にありては師なれば、  一人にして師弟の二義を有す。  ゆえに、 これを二人として数うれば九十六となり、  これを一人として数うれば九十五となるの説なり。「筆削記」(巻六の五三) にも、 九十五外道者如華厳経説云    九十六    謂  六師各有一十六種所学法一 一法自学、 余之十五各教二十五弟子一 師従合論故成孟は数一 今減>一如苓ホ処説(九十五外道は「華厳経」に説くがごとくんば九十六あり。  いわく、 六師各十六種の所学の法あり、 一法は自らび、 余の十五は各十五弟子に教う。  師と従と合論するが故にこの数を成ず、 今、 一を減ずること余処の説のごとし)とありて、「開解抄」および「広名目」(巻一の三四)には、  この釈は一人を両度数うる説に同じといえり。  これを要するに、 九十五種、 六種の不同につきて左の両説あり。

第一説は、 六師に各十五人の弟子ありて、 師弟相合すれば九十六種となる。  そのうち一種は仏教中の小乗あるいは小乗に似同せるものなれば、  これを除くときは九十五種となるという。

第二説は、 六師中の一人は師弟_一義を有するをもって、 師弟を数うれば九十六にして、 人体を数うれば九十五なりという。

また「筆削記略抄」(巻四の五四)には、 邪正合論と師弟合論との二説に分かてり。 あるいは「六物医私抄」(巻上の一には、 三義を挙げたるうち、 その一説は、 九十五人中一人、 外道を捨てて仏法に帰したるものありという。  これ、 けだし禎子部ならん。 また「起信論義記講義」(巻下の一_   )には、 尼健子徒弟十五人所執似ニ小乗有部故与  為ー一正法一也(尼健子の徒弟十五人、 所執は小乗有部に似たり、 ゆえに与えて正法となすなり)

 とあり。  これ九十六種中、 尼健子は仏法に近きをもっ て正道となす説なり。  そのほか「起信論専釈蒙引」(巻下の一九) に一種の異説を掲ぐるも、 その実「開解抄」の説なり。 しかるに、 九十五種の数を定むるにさらに一説あり。  すなわち、 根本の五大外道に各十八部の末派ありて、 その総数九十となる。  これに本計を加えて九十五種の外道となるという。 その根本外道は、 数論.勝論・離繋・獣主・遍出の五種なりとなす。  これ、「真言教誡義」

(巻中の二二)に出ずるところの一説なり。 以上種々の異説あるをもっ て、「大日経疏玉振紗」(巻二末の_    三)

には、  九十六種経論異説不>_可一和会  (九十六種の経論の異説は和会すべからず)と断言せり。 しかるに余案ず

るに、  外道の数の九十五種あるいは六種と立つるは、 けだし、 その当時の学派の主要なるものにつきて定めたるものなる ぺし。 しかるに、 今日その名称伝わらざる以上は、 これを外道の大数となすをもって足れりとす。  必ずしもその数のよりて起こる原因を探究するを要せず。 もし、 しいてその名数を知定せんとするときは、 ついに付会を免れざるべし。  かつ、 六師に各十五人の弟子ありというがごときは、  はなはだ信じ難き説にして、 実際上、決して各師にかくのごとき同数の弟子あるべき理なし。  ゆえに「文句記」(「文句科本会本」巻一四の二二) こも、巻五の一の四二、「文句

 有>人引二多論一云    六師各有二十五弟子並本師六一即九十六也、 准ー九十六道経鉦竺此説一也、 彼論自是一途豆_可一六師必定各只十五弟子

(ある人、 多論を引きていわく、 六師各十五弟子あり、 ならびに本師の六とすなわち九十六なり。「九十六道経    に準ずるにこの説なきなり。  かの論は、 自らこれ一途、 あに六師に必定しておのおのただ十五弟子なるべけんや)

と論ぜり。  けだし、 六師に各十五人の弟子ありとする説は、  九十六の数をみたさんと欲して、 後に作為せるものならん。  ただ「義林章纂註」(巻一の五四)の説は、 九十五種、 六種の異説に対して一機軸を出だせるものにして、 大いに参考すべき説なれば、 左にこれを示す。

惟 天 竺有矢  師  各_有一十五弟子   _有一九十六種ー各懐二異見一 自謂我道是仏道、 余皆是邪互作ー是ー   唱一故、_有一九十五是邪之語一 故知其_言 唯仏一道清浄一者、 九十六道互指二自計一之語、 非レ_指一釈迦文仏之仏一 然則其_言一九十六種邪  者正説也、 其言ーー九十五種一者蓋乃印度学人錯  解九十五種汚>世、 唯仏一道清浄一 以二仏道    竺釈迦文仏道    於>是起ーー九十五種外道之言一 自>此已後沿襲久之以為ーー両説一也、 翻経之人或不函否其創一 輛曰玉九十五種外道一乎  ゜

(おもうに天竺に六師あり、  おのおの十五弟子あり、  九十六種あり。  おのおの異見をいだきて、 自ら「我はこれ仏道なり、 余はみなこれ邪なり」という。 互いにこの唱をなす故に、 九十五はこれ邪なりの語あり。  ゆえに知る、 その「ただ仏の一道のみ清浄」というは、 九十六道互いに自計を指すの語なるのみ。 釈迦文仏の仏を指すにはあらず。 しかればすなわち、  その九十六種の邪というは正説なり。  その九十五種というは、 けだしすなわち印度学人の、 九十五種の世を汚すをただ仏一道清浄なりと錯解するなり。 仏道をもって釈迦文の仏道となす、  ここにおいて九十五種外道の言起こる。  これより以後、  沿襲久しくもって両説となすなり。翻経の人あるいはその創めを察せず、  輌 く九十五種の外道というか。)

この説の意は、  外道の部類は九十六種ありてことごとく邪道なるも、 各種みな自説ひとり正道にして、 ほかの九十五種は邪道なりと唱うるをもって、 九十五種、 六種の異説を生ずるに至れりというにあり。 しかるに「六要紗指玄録」(巻一五の二九)には、「諸徳福田経    の仏告ーー天帝  九十六種道仏道最尊等(仏、 天帝に告ぐ、 九十六種道は仏道最尊等と)を引きて、 外教の九十五に内教を加えて六とするなり。 しかして、 その内教は小乗なりとなす説あれども、 決して小乗に限るにあらず、 大小両乗に通ずるなりという。 そのほかの諸説は参考するに足らず。  さらに以上の諸説を括約するに、  九十五種、 六種の説明に三様あり。

(一)  前掲の第一説、  すなわち「薩婆多論」の説なり。

(二)  前掲の第二説、  すなわち「開解抄    の説なり。

_  )根本五師に十八の末派あれば、 本末相合して九十五種となるといえる説、  すなわち「真言教誡義    の説なり。

つぎにその第一説を分解するに

(甲)  九十六種ことごとく外道となす説。

(乙)  九十六種中、  一道(尼健子)は仏教の説に近しとなす説。

(丙)  九十六種中、  一道は外道の仏教に変じたるもの(積子部)となす説。丁)  九十六種中、 一道は仏教内の外道すなわち小乗なりとなす説。

(戊)  九十六種中、 一道は仏教にして大小両乗に通ずとなす説。

の五種に分かるるなり。  畢覚するに、  かくのごとき弁論はもとより枝葉の瑣事にして、 喋々するを要せずといえども、 経論疏釈中、  所々に散見せる説なれば、 冗長をいとわず論述して、  ここに至れるのみ。

そのほか「秘蔵宝鍮」(巻一の一) に、  百種道と称することあり。 すなわち曰く、 道云道云百種道(道といい道というに、  百種の道あり)と。  これを「宝鍮纂解」(巻一の三)には左のごとく釈せり。

百種道者謂外道一一乗九十六道及諸大乗道、 挙  大数一故云ーー百種一也。

(百種の道とは、 外道と二乗との九十六道およびもろもろの大乗道をいう。 大数を挙ぐるが故に百種というなり。)

また「宝鍮勘注」(巻一の二) には、 九十六種_に一一乗および儒道を加えて百種道というか、 あるい_は一一乗のほかに智度の道を開くかの説を示せり。  また「宝鍮抄」(巻上の一の一五)には別に一、  二の異説を掲げしも、  要するにこれまた大数を挙げたるのみ。 しかるにまた「釈摩詞術論」には、

 

言外  道著  九十六種諸大外道、 九万  一千脊属外道

(外道というは、  九十六種の諸大外道と九_万    千の脊属の外道となり)

の説あり。 その文、「十住心論」にも出でたり。  これを「釈論抄 巻九の二の二)には、 外追の主伴を明かすものとし、  九十六挙レ主、 九万三千等挙和伴(九十六は主を挙げ、  九万三千等は伴を挙ぐ)と釈せり。  しかしてその数目につきては、「十住心論冠註」(巻三の 、「十住心論科註」巻三本の一四)に未レ知  此数廃立  (いまだこの数の廃立を知らず)といえり。  そのほか「秘蔵宝鍮 巻上の七、「秘蔵宝鍮纂解」巻一の四五)には、  邪見外道其数無最、  不>知ーー出要一 祖  習妄見

 (邪見外道その数無菰なり。 出要を知らず、 妄見を祖とし習えり)とあり。 また「住心品疏」(「住心品疏科文」巻 の二六)には、 経中略挙ー』二十事一 若随>類差別    則有二無鼠無辺

(経中に略して三十事を挙ぐ。 もし類に随っ て差別すれば、  すなわち無凪無辺あらん)とあり。 もし、 また「涅槃経    「涅槃経会疏」巻二八の一 )によらば、 六師徒衆其数無黛(六師の徒衆その数無砿なり)とありて、 その流派および徒類の実に幣多なりしは明らかなり。 けだし、  ここにその大数を挙げて九万三千と唱うべきものと知るべし。


第三章 外道諸見論


 第四六節 二見    執

 

およそ仏教にて外道の種類を総称するときは、  九十五種あるいは六種といい、 その所見を総称するときは六十二見という。  九十六種は六師あるいは三種外道をもって根本とするがごとく、 六十二見は二見あるいは四見をもって根本となす。  まず仏教の見の字を考うるに、「翻訳名義集」(巻六の八)には、 達梨舎那此云>見(達梨舎那、ここに見という)と解せり。 達梨舎那は今日、 あるいはこれを訳して哲学と称す。  すなわち哲学上の意見なり。  ゆえに、 見に正あり邪あり、 真あり妄あるべし。 しかるに、 仏教にてはその中道の真理を離れて、一方に偏する不正の意見を立つるものを分類して、_  一見、 四見ないし六十二見となす。 まず「涅槃経」(巻_一 三の一八、「涅槃経会疏」巻ー一三の二七) によるに、 見に五種を分かつ。  すなわち曰く、 何等為全五、  一者身見、 ニ者辺見、 三者邪見、 四者戒取、  五者見取、 因ーー此五見  生ーー六十二見一 因  此諸見一生死不>絶(なんらをか五つとなす。 つには身見、  二つには辺見、一二つには邪見、  四つには戒取、 五つには見取なり。  この五見によりて、 六十二見を生じ、  この諸見によりて生死絶えず)とありて、  これを「三蔵法数の一六)に解説すること左のごとし。


 

巻    三の二七、「大蔵法数」巻二九

 

一謂於  五陰中  妄計  有身一 強立孟土宰一 恒起  我見  執  我我  所一 是名  身見一

(一にいわく、 五陰中においてみだりに有身と計し、 しいて主宰を立て、  つねに我見を起こし、 我・我所を執す。  これを身見と名づく。)

二謂計一我見一或断或常、 執』断非社常、 執>常非>断、 但執こ  辺一 是名二辺見

(二にいわく、 我見を計してあるいは断、 あるいは常とす。 断を執すれば常にあらず、 常を執すれば断にあらず。 ただ、 一辺を執すこれを辺見と名づく。)

三謂邪心取>理顛倒、 妄見不>信二因果{  断  諸善根ー作ー閾提行一 是名ーー邪見

(=一にいわく、  邪心をもって理を取りて顛倒し、 妄見をもって因果を信ぜず、 もろもろの善根を断じ、 閾提行を作す。  これを邪見と名づく。)

(四にいわく、 非戒の中においてあやまりてもって戒となし、 しいて勝妙なりと執し、 ねがい取りて進行す。 これを戒取見と名づく。)

五謂於ー非真妙法中  謬計ー一涅槃一 心生ーー取著一 妄  計二所得玉為>勝、 是名二見取

(五にいわく、 非真妙法の中においてあやまりて涅槃と計し、 心に取著を生じ、  みだりに所得を計して勝となす、 これを見取と名づく。)

 

これを「中論疏」(巻一末の一には、 左のごとく解せり。

 身見者計>有  於我    辺見者執二我断常一 見執是正ー諸見一 戒取謂ー非道一為  道、  邪見撥孟無因果

(身見とは我ありと計す。 辺見とはわれは断常なりと執す。  見取はこれ正しく諸見なり。 戒取は非道をいいて道となす。  邪見は因果を撥無す。〔山 大正蔵、 取につくる〕)

これみな、  中正を得ざる哲学上の意見を分類したるものなれば、 外道の所見はみな、  この諸見の中に帰せざるべからず。 もし、  さらに外道の所見を大別するときは、 断常 見に帰し、 六十二見もこの二見より起こるとな込躙す。 ゆえに「涅槃経」見なり。  かくのごときの二見は中道と名づけず。 常なく断なし、 いまし中道と名づく)とあり。「智度論」(巻七の八) には、  見有一種ー  一者常、  二者断、 常見者見二五衆常一心忍楽、 断見者見二五衆滅ふ  忍楽、  一切衆生多堕ニ此二見_中  云云(見に一一種あり、 ーには常、  二には断なり。 常見とは五衆の常を見て心に忍楽す。  断見とは五衆の滅を見て心に忍楽す。  一切の衆生は多くこの二見の中に堕す、 云々)とあり。 さらに左に、「涅槃経」(南本巻)

若貫  諸法皆、 無祈  >我、 是即断見、  若言我  住一 即是常見、 若言こ  切行無常  者即是断見、 諸行常者復是常見、 若言>苦者即是断見、 若言>楽者復是常見、 修二  切法常一者堕二於断見一 修二  切法断至品ぎ於常見

(もし諸法みな我あることなしといわば、  これすなわち断見なり。 もし我住すといわば、  すなわちこれ常見なり。 もし切行無常といわば、  すなわちこれ断見なり。 諸行常とは、 またこれ常見なり。 もし苦といわば、 すなわちこれ断見なり。 もし楽といわば、 またこれ常見なり。  一切法常を修する者は、 断見に堕し切法断を修する者は、 常見に堕す。)

 

含    にいうがごとし、  外道あり、 断見を執して他世なしという)とあり、 あるいは「法苑珠林巻九    の一)には、  人非二常人一迷>此謂泊常、 則是常見也、 若謂二死後更不>受>生心識ーー永滅ー則是断見(人は常人にあらず。  これに迷いて常という、  すなわちこれ常見なり。 もし死後さらに生を受けず、 心識永滅すればすなわちこれ断見なり)とあり、  その解釈小異なきにあらざるも、 その意みな一なり。 けだし、 物心事物の実在常住を固執するものを常見といい、  これを否定するものを断見という。 しかして、  この二見をともに辺見と名づく。 あるいは外道の所見を分類して、 有・無の二見、 または有見・空見の二種となすことあり。 例えば、  一切万有の存否につきて、これを単に有とすれば有見に偏し、 これを単に空とすれば空見に陥り、 ともに中正の論にあらず。 ゆえに「三論玄義 首店の六八)に、  真俗一一諦の理に迷うものを分かちて、  如二有見外道泣ザ於真諦一 空見外道迷ーー於世諦

(有見外道のごときは真諦に迷い、 空見外道は世諦に迷う)となせり。 左に、「増一阿含経」(巻七の五)に出ずる解釈を示すべし。

云何為ーーニ見    所謂有見無見、 彼云何為ーー有見一 所謂欲有見、 色有見、 無色有見、 乃至彼云何為  無見一 所謂有常見、 無常見、 有断滅見、 無断滅見、 有辺見、 無辺見、 有身見、 無身見、 有命見、 無命見、 異身見、 異命見。

(いかんが二見となすや、 いわゆる有見・無見なり。 彼いかんが有見となすや、 いわゆる欲有見・色有見・無色有見なり。 ないし、 彼いかんが無見となすや、 いわゆる有常見・無常見・有断滅見・無断滅見・有辺見・無辺見・有身見・無身見・有命見・無命見・異身見・異命見なり。)

あるいはまた『中論疏」(巻九本の二) には、 有無両見と断常二見との関係を論じて、 有無是断常之本、 断常為深 見之根

(有無はこれ断常のもとなり。  断常は衆見の根たり)とあり。  また「大乗玄論」(巻一の一 八)には、  九十六種外道所執不レ出二有無(九十六種の外道の所執は有と無を出でず)とあり。  そのほか一切の迷執妄計は、  みな我見より起こるとなす。  すなわち「起信論」

 

一七、「起信論義記」巻下末の一) こ、  一切邪執皆依

 

我見一 若_離一於我ー則無ーー邪執 一切の邪執はみな我見による。 もし我を離るればすなわち邪執なし)とあるがごときこれなり。 また、 普通に外道の見を目して邪見と称す。  邪見は、「了義灯 巻四末の二八)に一切倒見総名邪  見

(一切の倒見を総じて邪見と名づく)とあり、 また「琺伽論巻五八の三)には一切倒見於二所知事

 顛倒而転、  皆名ーー邪見 一切の倒見なり。  所知のことにおいて顛倒して転ずるをみな邪見と名づく)とありて、すべて虚妄転倒の見を有するものを邪見という。  しかして「維摩広疏」(巻四の一四)に、 その見に界内、 界外の二種あること、  およびその見の有無二見に属することを説きて、 左のごとく示せり。

 

諸邪見有

 

一種一 一者界内、  二者界外、  一界内邪見者六十二見等種種邪見皆属二有無二見一也、 二界外亦_有一種種諸見一 亦並属二有無 一見

(もろもろの邪見に一一種あり、  一には界内、  二には界外なり

には、 界内邪見は六十二見等の種々邪見にして、  みな有・無の二見に属すなり。  二には、  界外にもまた種々の諸見あり、 またならびに有・無の二見に属す。

また「梵網戒本疏」(巻六の二、「梵網戒本疏引拠」五五) には、 地論」を引きて七種の邪見ありという。

しかるに「秘蔵宝鍮」には、 断常二見の外道のほかに邪見外道を説きていわく、 或持一圧牛狗戒一 或投二死恒河一如>此之類曰二邪見一(あるいは牛狗の戒を持ち、 あるいは恒河に投死す。  かくのごときの類をば邪見という)とあり。「大日経疏啓蒙文、  左のごとし。巻六の五の梵主我見_一六)に「唯識論」を引きて、 三種の邪見あることを示せり。 その或計 自在世主釈梵及余物類常恒不ら易、 或計為と道、 諸如>是等皆邪見摂  ゜自在等是一切物因一 或有  横計ーー諸邪解脱或有』妄  執二非道

 (あるいは、 自在と世主と釈と梵と、  および余の物類は常恒にしてかわらずと計す。 あるいは自在等はこれ一切の物の因なりと計す。 あるいは横にもろもろの邪解脱を計し、 あるいは有るはみだりに非道を執して道となす。 もろもろのかくのごとき等はみな邪見の摂なり。)

そのほかは、  後に六十二見を論ずるときに述ぶべし。 あるいはまた、  外道の諸見を合して無因、  邪因の二種に帰することあり。 例えば「華厳演義紗 巻一三の一八)には、 第四ーニ節に引用せるがごとく、  九十五種を摂束して、 ついに邪因、 無因の一一種に帰す。 また「中論疏」(巻一本の二四)には、 総談ーー外道一凡有二計一 一計邪因{  二執ーー無_因

 (総じて外道を談ずるに、 およそ二計あり。  一には邪因を計し、  二には無因を執す)と説きて、さらにその邪因を一因外道・宿作外道・現縁外道に分かてり。  すなわちいわく、ぎ邪因  者略明 =一種一者即一因外道、 謂  自在天等之一因縁、 能生二万類之果二者宿作外道、 謂  万法之果、 但由二往業ー無>有  現縁 _   者現縁外道、  謂  四大和合能生二外法一 男女交会能生二衆生謂  万法自然而生不二従>因生者無因外道、

 邪因というは略して一ー一種を明かす。  一にはすなわち一因外道、 自在天等の一の因縁はよく万類の果を生ずという。  二には宿作外道、 万法の果はただ往業により、 現縁あることなしという。   ーには現縁外道、 四大和合してよく外法を生じ、 男女交会してよく衆生を生ず、 という。  二には無因外道、 万法は自然にして生じ、因より生ぜず、 というとあり。 しかして「華厳玄談」(巻八の一三)には、  この邪無の二因を解して、 無而忽有、 是曰盃笠空   所計虚論 謬、 是曰二邪因  (無にしてたちまちに有る、  これを無因という。 所計虚謬、  これを邪因という)と説けり。 また中論疏巻一末の一には、  この二因と断常二見との関係を論ずれども、  これを略す。  これみな、 外道の妄見のよりて起こる原因なり。 しかるに、 さらにその根源をたずぬるに、 諸見のもとは我見にありという。  左に、

「百論疏」(巻中上の四)に出ずる問答を掲ぐべし。

 (問う、 経にいわく、 我見を六十二見の本となすと、 またいわく、 辺見を本となすと。 定んでいかんぞや。 答う、 よく諸見を生ずるは、  すなわち身見を本となす。 守護し長投するときは、  すなわち辺見を本となす。)

また「中論疏」(巻四本の二五)にも、 我見為二 異本{   一異是断常本、 断常是六十二見本、  故大品云醤如ーー我

.異はこれ断・常の本なり。 断・常はこれ六十二見の本なり。 ゆえに「大品にいわく「たとうれば我見の六十二見を摂するがごとし」)とあり。 また「埼伽論にも、 諸外道薩迦耶見以為 根 本一(もろもろの外道は薩迦耶見をもっ て根本となす)と説けり。 薩迦耶は「名義集」(巻六の八)によるに、 つぶさに薩迦耶達利忍致といい、 訳して身見という。「対法紗」(巻三本の二九) にその原語を解し て、 伽耶者緊集義、 身衆集故、  達利葱致是見義、  衆之見故(迦耶とは衆集の義、 身漿集の故に。 達利忍致はこれ見の義、  漿の見なるが故に)とあり。 しかして身見は我および我所を迷執する見にして、  すなわち我見なり。 もしこれを細別すれば、 身見中には我見および我所見の二種ある ぺし。「喩伽倫記」(巻二下の一に、 薩迦耶見者穀云名一身見一 縁>身起白見故名二身見一 従>境得>名亦名一我見 薩迦耶見とは景のいわく、 身見と名づく、 身を縁じて見を起こすが故に身見と名づく。  境に従って名を得。 また我見と名づく)とあり。「法界次第紗」(巻上の一七)に、 此_云一身臭    亦云ーー我見一 云>我云自見、 其義同也、 乃至此見於一五取蘊  執  我我所{  故_名一我見一也(ここに身見といいまた我見という。 我といい身というもその義同じきなり。 ないしこの見は五取蘊において、 我・

所と執す、  ゆえに我見と名づくるなり)とあり。 もし「華厳経」(「八十華厳」巻六の六)によらば、 身見為>首六十二、 我及我所無嵐種(身見を首となして六十二、 我および我所にも無最の種あり)とあり、「婆沙論」(巻八の八)によらば、 梵網経説

 

六十二見趣一 一切皆以  有身見一為"本(「梵網経」に、「六十二見趣の一切はみな、 有身見をもって本となす」と説く)とありて、 身見あるいは我見は、 六十二見のもとなること明らかなり。そもそも仏教と外道との別は、 実我の見を立つると立てざるとにありて、  外道諸派はみな、  一切の人々におの おの一種の我体ありと唱うるも、 仏教はこれを外道の迷執となして、 無我の真理を唱うるものなり。  これをもって「唯識論」には、 外道所執の我を三種に分かてり。 今左に、『唯識論』(巻一の三)ならびに『唯識述記  (巻一本の七六、「唯識図解    巻二の二三)を対照して、 その解を示す ぺし。

一者執    我体常  周遍、 漿同二虚空一 随品処造レ業受ーー苦楽

 (此数論勝論等計)。

一には執すらく、 我は体常なり周遍せり、 量は虚空に同じ。 処に随って業を造り苦楽を受く(これは数論と勝論等の計なり))。

二者執    我其体雖如常而量不レ定、随  身大小有巻舒此無慰外道等計)。

(二には執すらく、 我はその体常なりといえども、 しかも量は不定なり、 身の大小に随って巻まり舒ぶるこ

とあり(これは無煎外道等の計なり))。

三者執    我体常、 至細 如こ  極微一 潜ーー転身中一 作ー元事_業  (此獣主遍出等計)。

(三には執すらく、 我は体常なり。 いたっ て細なること一極微のごとし、 身中に潜転して事業をなす(これは獣主・遍出等の計なり))。

かくのごとく、  外道に唱うるところの我執にも種々の別あり。 そのつまびらかなるは、  これを各論に譲る

 

第四七節    四執

さらに外道の所見を分類して、 四執または四計ありとなす。 まず「唯識論巻一の一六、「唯識述記」巻一末の八八、「唯識図解巻二の三九)に考うるに曰く、 諸外道品類雖"多、 所執有法不レ過ーー四_種(もろもろの外道の品類多なりといえども、  所執の有法は四種に過ぎず)とあり。  その四種とは左のごとし

一執下有法与有等性一其鉢定一上如ーー数論等

(一には、 有法と有等の性とは、  その体定んで一なりと執す、  数論等のごとし。)

二執下有法与ーー有等性一其鉢定異上如ーー勝論等

(二には、 有法と有等の性とは、 その体定んで異なりと執す、  勝論等のごとし。)

二執下有法与ーー有等性一亦一亦異益空無葱等

=一には、 有法と有等の性とは、 または一または異なりと執す。 無慰等のごとし。)

四執下有法与ーー有等性一非一非異盆空邪命等

(四には、 有法と有等の性とは、 一にもあらず異にもあらずと執す、  邪命等のごとし。)

すなわち、 その執は一・異・亦一亦異・非一非異の四種にして、 さきに第四一節に掲げたる「外道小乗涅槃論の、 僧怯.毘世師・尼健子・若提子の四種論師の所見これなり。 また、「百論疏」(序の一の外道四宗および

 

「華厳疏」

 

巻  一の一三)の外道四見、  みなこれに同じ。「起信論筆削記」(巻 二の四)および「海東疏」の四執も

 またこれに同じ。 しかして「海東疏」(巻上のニ一、「筆削記紗」巻三の六、「幻虎録」巻ー一の九、「幻虎録弁偽巻下の一 ) にいわく、  四句雖る多其要有乙一、  謂有無等及一異等、 以ーー此二四句正炉諸妄執 四句多しといえども

その要は二あり、 いわく、 有・無等とおよび一・異等なり。  この二の四句をもってもろもろの妄執を摂す)と。

またいわく、  四邪執  謂  一非一双許双非(四の邪執とは、  一と非一と双許と双非とをいう)とあり、 あるいはまた「成実論」(_巻一一のニ「百論疏」巻中の中の四)には、

異・不可説・執無の四執を掲ぐ。 しかるにまた「三論玄義」(首書の五)には、 九十六種の外道の宗要を納めて、 左の四執に帰す。

ニ四 邪因邪果二執ー無因有果一 二立肴  因無果`四弁ーー無因無果

 (一には邪因邪果を計し、  二には無因有果を執し、 三には有因無果を立て、  四には無因無果を弁ず。)

 

左に、「三論玄義」首書の五)によりてその解釈を示すべし。

 問云何名_為一邪因邪果一 答有外道云、 大自在天能生二万物一 万物若滅    還_帰一本天一 故云自在天若昭   四生皆苦、 自在若喜  則六道咸楽、 然天非二物因    物非年〈果一 蓋是邪心所品画、 故名邪因邪果

(問うていわく、 なにを名づけて邪因邪果となすや。 答う、 ある外道のいわく、 大自在天よく万物を生ず、万物もし滅すればかえりて本天に帰す、 ゆえに自在という。 天もしいからば、  四生みな苦しみ、 自在もし喜ペばすなわち六道ことごとく楽しむと。 しかるに、 天は物の因にあらず、 物は天の果にあらず。 けだし、 これ邪心のえがけるところなり。  ゆえに邪因邪果と名づく。)

問云何名為二無因有果{  答復有外道窮二推    万物韮竺由籍一 故謂二無因{  而現親ーー諸法一 当>知有レ果、 例如ーー荘周想魁問如影、 影由>形有、  形因二造化{  造化則無ーー所由一 本既自有即末不缶因>他、 是故無>因而有>果也。

(問うていわく、 なにを名づけて無因有果となすや。 答う、 また、 ある外道は、 万物を窮推するも由籍するところなきが故に無因という。 しかるに現に諸法をみるに、 まさに知るべし果ありと。 例せば、 荘周の態魃が影に問うがごとし。 影は形によりてあり、 形は造化による。 造化はすなわち所由なく、 本すでにおのずから有なり。  すなわち末も他によらず。 この故に、 無因にして果あるなり。)

 問云何名__為有因無果答断見之流唯在ーー現在一 更無二後世一 類_如草木尽在こ  期一 問云何名為一無因無果答既撥下無  後世受る果、 亦無中現在之因』云云 ゜

(問うていわく、 なにを名づけて有因無果となすや。  答う、 断見の流はただ現在のみありて、  さらに後世なきこと、 類するに草木の尽くること一期にあるがごとしという。 問うていわく、 なにを名づけて無因無果となすや。 答う、 すでに後世に果を受くることを撥無し、 また現在の因なし、 と云々。)

これ、 外道の邪執を因果論の上において四類に分かちたるものなり。 しかして、 この四執と一異の四句とはその意一なることは、 さきに第四一節に掲げたる「中論疏巻三本の七)の説明に照らして明らかなり。  また、「維摩経」の六種をこの四執に分かちたるものあり。  すなわち、「維摩経疏「維摩経疏会本」巻四の六六、「維摩発朦紗巻一一の七)に、 六師に四門の邪計ありと称して、 左のごとく記せり。

 如 富閾那所見無因無果無生無滅一 無生即不有、 無滅即不無、  即是非有非無門、 末伽梨説こ  切自然無?有ーー造煮    此即破因  不>破レ果、 如 荘 周所計自然一 此似ー空門一 剛闊夜計 邪 因無因{  未>詳 迦栴延計有無門一 余二所計皆是有門、 故知六師亦有  四執

(富面那の所見のごときは無因・無果・無生・無滅なり。 無生はすなわち不有、 無滅はすなわち不無、  すなわちこれ非有非無門なり。 末伽梨は一切は自然にして造者あることなしと説く。  これすなわち因を破し果を破せず、 荘周所計の自然のごとし、  これ空門に似たり。 剛閤夜は邪因無因と計す。 いまだ迦栴延の計は有無門をつまびらかにせず。 余のこの所計はみなこれ有門なり、  ゆえに知りぬ、 六師にまた四執あることを。)

もしまた「維摩義記 巻二本の二八)によらば、 六師の所見を示して、 第一の富蘭那は空見外道、 第二の末伽梨は常見外道、 第三の剛闊夜は一因見外道、 第四の阿昔多翅舎は自然見外道、 第五の迦羅鳩駄は自在天因外道、 第六の尼乾陀は不須修外道なりという。  そのほか、  苦の原因につきて立つる四計あり。  すなわち、 自作    他作・共作・無因作これなり。  その解釈の「中論疏一云、 苦自作、 還是身内之我__作  此苦巻七本の五)に出ずるところ左のごとし。

 (一にいわく、 苦は自作なり。  かえっ てこれ身内の我、  この苦をなす。)二云、  大自在天造ー一作六道之苦一 名為二他作

(二にいわく、 大自在天は六道の苦を造作すれば、 名づけて他作となす。)

三云、  劫初之時先有二  男    女庄す一切衆生{  即是共作。

(=一にいわく、 劫初のとき、 さきに一男一女あって一切の衆生を生ず。  すなわちこれ共作なり。)四云、 自然有ーー此苦果一 名ーー無因作

(四にいわく、 自然にこの苦果あれば無因作と名づく。)

また、「同疏巻三本の七)に自生

 他生・共生を掲ぐるも、  その意同一なればこれを略す。 また「大蔵法数」(巻二の一五、「三蔵法数」巻一七の二六)に、「瑞伽論巻八七の二)によりて外道の四論を掲げり。 その四とは、 常論・辺無辺論・不死矯乱論・無因見論これなり。  これを要するに、 仏教にて外道の所見を批判するに、 あるいは一異の四句をもってし、 あるいは因果の四句をもってし、 あるいは断常、 あるいは有無をもってする等の別あるも、  その意、 外道のとるところは辺見邪道にして、 中正を得ざるものとし、  これに対して、 仏教は中道の正理を立つるものなることを示すにほかならず。 換言すれば、 破邪顕正にほかならざるなり。 しかしてそのいわゆる中道とは、 有空に対すれば非有非空、 断常に対すれば無断無常、 因果に対すれば正因正果これなり。


第四八節    八計および十六計

以上述ぶるがごとく、 外道の諸見を二見あるいは四執に分かちたるほかに、 なおこれを八計あるいは十六計に分かつことあり。『中論疏」(巻一末の四、「三論玄義誘蒙』巻上の六)には、  八計に分かちてこれを示せり。  すなわち曰く、 雖レ有二九十六種

 略説二八計(九十六種ありといえども略して八計を説く)とありて、  その八計は

 第三八節に「中論」より引証せるものに異ならざれども、  さらに左にこれを略示すべし。一、 万物従ーー自在天年生(万物は自在天より生ず)

二、 従 箪紐 天一生(窟紐天より生ず)三、 従ーー和合一生(和合より生ず)

四、 従>時生(時より生ず)

五、 従>世生(世より生ず)

六、 従ー変化一生(変化より生ず)七、 従ーー自然  生(自然より生ず)

 八、 従

 微胞一生(微胞より生ず)

 これを合類して有因・無因の一一種となす。 けだし、 そのうちの第七は無因にして、 そのほかはみな有因なり。

 これを有因とするも、 正因にあらずして邪因なりとす。 また「榜伽経」(「四巻榜伽

 巻三の二、「榜伽経註解巻三の二八、「榜伽経参訂疏」巻三の一の三二、「拐伽経義疏」巻 一の上の三三)には、 外道に九種の転変論あることを説けり。  その九種とは形処転変・相転変・因転変・成転変・見転変・性転変・縁分明転変・所作分明転変・事転変にして、  その解釈は「榜伽』の註疏につきて見るべし。  また『榜伽経』(「四巻榜伽」巻ー一のーニ 、「榜伽経註解」巻三の五に、 世論婆羅門と問答したる一章あり。  これ、 有・無・断・常等の諸見を排去せるものなれば、 左に引用すべし。

大慧、 我念一時於こ  処ー住、 有二世論婆羅門 立^コ詣我所ー 不>空閑一便問丘我言、 糧曇、  一切所作耶、 我時報  言、 婆羅門、 一切所作是初世論、 彼復問言、  一切非ーー所作一耶、 我復報言、 一切非加作、 是第二世論、 彼復問言、  一切常耶、  一切無常耶、  一切生耶、  一切不生耶、 我時報言、 是六世論、 大慧彼復問レ我言、  一切一耶、一切異耶、  一切倶耶、  一切不倶耶、  一切因ー一種種受生 年現耶、 我時報言、 是十一世論、 大慧、 彼復問言、 一切無記耶、  一切記耶、 有>我耶、 無レ我耶、 有ーー此世面耶、 無ーー此_世  耶、 有ーー佗世一耶、 無ーー佗世一耶、 有ーー解脱面耶、無一解脱一耶、  一切刹那耶、 一切不刹那耶、 虚空耶、 非数滅耶、 涅槃耶、  糀位作耶、 非作耶、 有ーー中陰面耶、無ーー中陰耶、 大慧、 我時報言、 婆羅門如レ是説者、 悉是世論、 非二我所説一 是汝世論。

(大慧、 われおもう、  一時、  一処において住するに世論婆羅門あり、 わが所へ来詣し、 空閑を請わず、  すなわちわれに問いていわく、 塑曇よ、  一切は所作なるや。 われ時に報えていう、 婆羅門よ、  一切は所作なるは、  これ初の世論なり、  と。  かれまた問うていう    一切は所作にあらざるや、 われまた報えていう、 一切は所作にあらず、  これ第二の世論なり、 と。  かれまた問いていう、  一切は常なりや、  一切は無常なりや    一切は生なりや問いていう一切は不生なりや、 と。 われ時に報えていう、  この六は世論なり、 と。 大惹、  かれまたわれに一切は一なりや、  一切は異なりや、  一切は倶なりや、  一切は不倶なりや、  一切は種々の受生によって現ずるや、 と。 われ時に報えていう、  これは十一の世論なり。 大慧、  かれまた問いていう、  一切は無記なるや、  一切は記なるや、  われありや、 われなしや。  この世ありや、 この世なきや、 他世ありや、 他世なきや、 解脱ありや、 解脱なきや、 一切は刹那なりや、  一切は刹那ならずや、 虚空なりや、 非数滅なりや、  涅槃なりや、 梱俎は作なりや、 非作なりや、 中陰ありや、 中陰なきや、 と。 大慧、 われ時に報えていう、 婆羅よ、 かくのごとき説は、  ことごとくこれ世論なり、  わが所説にあらず。  これ汝が世論なり、 と。)

また「大蔵法数」(巻四八の二)および「 二蔵法数 巻三五の三) には、「演義紗    によりて、 外道に九種の邪見あることを掲げり。 その文に曰く

諸外道不>了品笠牛無生、  法亦無滅、 因縁和合    虚妄有>生、 因縁別離    虚妄名込滅、 生滅随レ縁本無中自性い劫乃随>情計度、 妄生一執着ー 以為こ  物    而能出二生世間万物_   故有一九ー   種邪見之論一也。

(もろもろの外道は法本無生・法亦無滅にして因縁和合すれば虚妄に生あり、 因縁別離すれば虚妄に滅と名づけ、 生滅は縁に随い自性なきことを了せず、  かえっ てすなわち情に随っ て計度し、  妄に執着を生じ、 もって一物となす、 しかしてよく世間の万物を出生するが故に九種の邪見の論あるなり。)

 しかしてそのいわゆる九稲の邪見とは一切万物は、 あるいは時より生じ、 あるいは方、 あるいは微塵、 あるいは空、 あるいは大種、 あるいは神我、 あるいは勝妙、 あるいは自在天、 あるいは大梵天より生ずと執するをいう。  その説明は、「大蔵」および「三蔵法数」につまびらかなり。 また、「榜厳経」(巻一の一、「榜厳経義疏巻一    上の二、「榜厳経義海」巻二八の三、「拐厳合巻一    の三、「榜厳経文句」巻一の一二、「榜厳経疏解蒙抄    巻一の一の六) に十種の外道論を掲ぐ。 その文、  左のごとし。

阿難当>知、 是得一正知一 奢摩他中諸善男子、  凝明正心、 十類天魔不レ得二其便一 方得一精研窮  生類本一 於一類中一 生元露者観  彼幽清、 円擾動  元一 於二円元中 』竺計度玉者、  起人墜コ入二無因論 者是人_見一本無因一何以故、 是人既_得一生機全破一 乗ーー干眼根八百功徳一 見ーー八万劫所有衆生業流湾環、  死此生彼一 祗見  衆生輪廻其処一 八万劫外冥    無品び観、 便作二是解一 此等世間十方衆生八万劫来、 無因自有、 由一仔此計度一 亡  正偏知{   堕ーー落外道惑ーー菩提性一者是人見二末無因一 何以故、 是人於>生既見ーー其根一 知ー一人生"人、 悟二烏生"鳥、烏従来黒、 鵠従来白、  人天本'竪、 畜生本,横、 白非二洗成一 黒非二染造一 従ーー八万劫如呼復改移ム孟竺此形亦復如レ是、 而我本来不>__見  菩捉一 云何更有  成  菩提五界  当>知今日一切物象、 皆本無因、  由二此計度{  亡二正偏知一 堕ーー落外道一__惑  菩提性一 是則名為ー一第一外道立無因論阿難是三摩中諸善男子、 凝明正心、 魔不ぬ夜便、_窮一生類本一 観二彼幽清常擾動  元{  於ー一円常中わ竺計度一者、是人墜弓人四循常論一者是人窮ー一心境性二処無因、 修習能知下ー万劫中十方衆生、 所有生滅、  咸皆循環、不中曾散失い計  以為涵、  二者是人窮ーー四大元一 四性常住、 修習能知に四万劫中十方衆生、  所有生滅、  咸皆恒    不中曾散失い計以為>常、  三者是人窮ーー尽六根末那、  執受、 心意識中本元由処    性常恒故、 修習能知ーー八万劫中一切衆生、 循環不>失、 本来常住一 窮二不失性{  計以為>常、 四者是人既尽二想元    生理更無二流止運転一生滅想心、 今已永滅、  理中自然成ー不生滅一 因一心所度一 計以為>常、 由ーー此計常一 亡  正偏知一 堕ーー落外道一惑奢  提性一 是則名為 第 二外道立円常又三摩中諸男子、 堅凝正心、 魔不五得>便、 窮ーー生類本{  観二彼幽清常擾動  元於ーー自他中一起ーー計度一者、 是人墜  入四顛倒見、 一分無常、  一分常論一者是人観妙  明心一 徊  十方界一 湛然以為 究 覚神我一 従>是則計下我偏一十方一 疑明不>動、  一切衆生於二我心中一 自生自死、 則我心性名>之為レ常、 彼生滅者真無常性_い  一者是人不>観ーー其心一 偏観二十方恒沙国土一 見一劫壊処名為二究党無常種性一 劫不壊処、 名一究尭常二者是人別観ニ我心一 精細微密猶如  微塵一 流ー一転十方一 性無ーー移改一 能令二此身、  即生即滅一其不壊性名ーー我性常一切死生従>我流出、 名二無常性{   四者是人知二想陰尽    見ー一行陰流一 行陰常流計  為二常性一 色受想等今已滅尽、 名為無常一 由二此計一度一分無常、 一分常一 故堕ーー落外道    惑一菩提性一 是則名為ーー第一二外道一分常論又三摩中諸善男子、  堅凝正心、 魔不>得>便、 窮  生類本一 観ーー彼幽清常擾動元一 於ーー分位中云す計度  者、 是人墜コ入四有辺論一者是人心計産  元流用不;息、  計 過_未  者、 名為 肴辺一 計 相続心一 名為 無辺{  二者是人観入  万劫{  則見衆 生八万劫前寂無ーー聞見無ーー聞_見  処名為ー無辺{  有  衆_生  処名為ーー有辺一 三者是人計  我偏知得ー無辺性一 彼一切人現ーー我知中{  我曾不>知ーー彼之知性一 名  彼不>得ーー無辺一之心、 但有辺性ぃ 四者是人窮行  陰一 以ーー其所見一 心路籍一度一切衆生一身之中計 其 咸皆半生半滅一 明  其世界一切所有、  一半有辺、一半無辺一 由>是計一度    有辺無辺、_堕一落外道一 惑二菩提性一 是則名為ーー第四外道立有辺論又一二摩中諸男子、  堅凝正心、 魔不る得袖便、 窮二生類本一 観二彼幽清常擾動元一 於ーー知見中 庄生二計度  者、 是人墜  入四種顛倒不死矯乱、 偏計虚論{   一者是人観ーー変化元一 見ーー遷流処一 名ら之為ソ変、 見ー一相続処一 名ュ之為>恒、 見所見処、 名>之為乙生、 不ー一見見ー処、 名>之為>滅、 相続之因性不>断処、 名ら之為レ増、 正相続中、 中所レ離処、 名>之為>減、 各各生処、 名レ之為缶有、 互互亡処、 名>之為>無、 以>理都観、  用心別見、 有二求法人一 来問玩  義一 答言我今亦生亦滅、 亦有亦無、 亦増亦減、 於切時 年昇翌其語一 令ー彼前人    逍二失章句二者是人諦コ観其心互互無  処一 因レ無得如証、 有>人来問、 唯答_二  字一 但言二其無{  除>無之余、 無>所ー一言説一 三者是人諦土観其心各各有  処一 因缶有得品証、 有  人来問、 唯答二  字一 但芦更其是一 除五是之余、 無品所奎口説{   四者人有無倶'見、 其境枝 故、  其心亦乱、 有  〈 来問、 答_言  亦有即是亦無、 亦無之中、 不二是亦有 一切乱、 無み竺窮詰一 由孟一此計コ度矯乱虚無   _堕一落外道{  惑二菩提性一 是則名為ー第ー    五外道四顛倒性、 不死矯乱、


偏計虚論

又三摩中諸善男子、 堅凝正心、 魔不レ得>便、 窮ーー生類本一 観  彼幽消常擾動  元一__於  無尽流乙す計度一者、 是墜ョ入死後有相発心顛倒一 或自固己身云二色是我或見一面和我円含忌畑国土云ーー我有。色、 或彼前縁随>我廻復、云  色属。我、 或復我依二行中ー相続、 云二我在;色、 皆計度言二死後有品相、 如>是循環有二十六相一 従>此或計三畢党煩悩、 畢覚菩提、 両性並駆、 各不二相触一 由ヱ此計ー一度死後有一 故堕二落外道一 惑迄菩提性一 是則名為ー至第六外道立五陰中、  死後有相心顛倒又三摩中諸善男子、  堅凝正心、 魔不>得>便、 窮一年生類本一 観二彼幽清常擾動  元一 於ーー先  除滅  色受想中一 生二計度  者、 是人墜ーー入死後無相、 発心顛倒一__見  其色滅一 形無蔀溢凶一 観二其想滅一 心無ーー所繋一 知一其受滅    無二総 復連綴一 陰性舘散、 縦有一生理一而無二受想一__与  草木ー同、 此質現前猶不可得、  死後云何更有ーー諸相一 因>之勘校、  死後相無、 如>是循環有  八無相一 従レ此或計下涅槃因果、  一切皆空、 徒有 ゑ 字{  究党断滅い由孟岱町 度死後無一故、  墜 落外道{  惑二菩提性一 是則名為 第 七外道立五陰中、  死後無相、 心顛倒論又三摩中諸善男子、 堅凝正心、 魔不レ得品便、  窮二生類本一 観ーー彼幽清常擾動}元一 於一行存中年杢受想滅一 双計肴  無一 自体相破、 是人墜二入死後倶非起顛倒論{  色受想中_見  有非有、 行遷流内観ー一無不無如>是循哀窮尽陰界一 八倶非相  随得こ  縁一 皆言二死後有相無相一 又計ーー諸行性遷訛    故心発ー通悟一 有無倶非、 虚実失レ措、 由枇  計一度死後倶非一 後際昏普無>可>道、 故堕  落外道一 惑二菩提性一 是則名為二第八外道立五陰中、  死後倶非、 心顛倒論又三摩中諸善男子、 堅凝正心、 魔不>得>便、 窮  生類本一 観二彼幽清常擾動  元一 於ーー後後無  生  計度一者、 是人墜  入七断滅論一 或計二身滅、 或欲尽滅、 或苦尽滅、  或極楽滅、 我極捨滅一 如レ是循喋窮二尽七際一 現前錆滅    滅已無  復、 由比  計顛倒論死後断滅{  堕ーー落外道    惑ーー菩提性一 是則名為 第 九外道立五陰中、  死後断滅、 心又三摩中諸善男子、  堅凝正心、 魔不>得枷便、_窮一生類本一 観二彼幽消常擾動,元一 於ー~後後有  生二計度一者、  是人塁  入五涅槃論一 或以二欲界玉 =一正転依{  観ュ見円明一 生二愛慈一故、 或以ーー初禅一性無>憂故、 或以  二禅ふ無  苦故、 或以三  輝  極悦  随  故、 或以一四禅{  苦楽二亡、 不>受二輪廻生滅性    故迷 肴漏天ー 作 無為解    処安穏、  為 勝浄依如>是循環、 五処究党、 由  此計二度五現涅槃堕ーー落外道惑二菩提是則名為  第外道立五陰中、 五現涅槃、 心顛倒論

(阿難よ、  まさに知るべし、  これ正知を得る奢摩他のうちに、 もろもろの善男子、  凝明正心なれば、  十類の天魔その便りを得ず。 まさに精研して生類のもとを窮むることを得て、 本類のうちにおいて、 生元あらわるれば、  かの幽清の円に擾動する元をみる。 円元のうちにおいて計度を起こせば、  この人は二無因論に墜入す。  一には、  この人、 本無因なりと見る。 なにをもっての故に、  この人はすでに生機全く破るることを得て、 眼根の八百の功徳に乗じて、  八万劫のあらゆる衆生の業流、 湾環してここに死し、  かしこに生ずるを見る。 ただ衆生のそこに輪廻するを見て、  八万劫の外は、  冥としてみるところなし。  すなわちこの解をなす、これら世問の十方衆生は、 八万劫よりこのかた、 無因にしておのずからありと。  この計度によっ て、 正偏知を亡じ、 外道に堕落し、 菩提の性に惑う。_   一には、  この人、 末無因なりと見る。 なにをもっての故に、  この人は生においてすでにその根を見るに、 人は人を生ずと知り、 鳥は鳥を生ずと悟る。 烏は従来黒く、  鵠は従来白し、  人天はもと竪なり、 畜生はもと横なり、 白は洗いなせるにあらず、 黒は染め造るにあらず、  八万劫よりまた改移なし。 今この形を尽くすも、  またまたかくのごとくならん。  しかもわれ本来菩提を見ず、んぞさらに菩提を成ずることあらんや。 まさに知るべし、 今日一切の物象は、  みなもと無因なりと。  この計度によっ て、 正偏知を亡じ、 外道に堕落して、 菩提の性に惑う。  これをすなわち名づけて、 第一の外道の立無因論となす。阿難よ、  この三摩〔提〕のうちに、 もろもろの善男子、  凝明正心なれば、 魔は便りを得ず。  生類のもとを窮め、 かの幽情にして常に擾動する元を観じて、 円常のうちにおいて計度を起こせば、  この人、 四の偏常論に論 墜入す。  一には、  この人は心と境との性を窮むるに、  二処無因なり、 修習して、 よく二万劫のうちの十方衆生のあらゆる生滅は、 ことごとくみな循環してかつて散失せずと知り、 計してもって常となす。  二には、  この人は四大の元を窮むるに、  四性常住なり。 修習して、 よく四万劫のうちの十方衆生のあらゆる生滅は、  ことごとくみな体恒にしてかつて散失せずと知り、 計してもって常となす。 三には、  この人は六根末那と執受の心意識のうちの本元由のところを窮尽するに、 性常恒なるが故に、 修習して、 よく八万劫のうちに一切衆生、 循環して失わざれば本来常住なりと知り、 不失の性を窮めて、 計してもって常となす。  四には、  この人すでに想の元を尽くして、 生理さらに流止運転することなし。 生滅の想心は今すでに永く滅して、  理のうちに自然に不生滅を成じ、 心の所度によっ て、 計してもって常となす。  この計常によっ て、 正偏知を亡じ、 外道に堕落して、 菩提の性に惑う。  これをすなわち名づけて、 第二の外道の立円常論となす。

また三摩〔提〕のうちに、 もろもろの善男子、  堅凝正心なれば、 魔は便りを得ず。 生類のもとを窮め、  かの幽消の常に擾動する元を観じて、 自他のうちにおいて計度を起こせば、 この人は四顛倒の見、 一分の無常、一分の常論に墜入す。  一には、  この人は妙明の心を観ずるに、 十方界にあまねくして、 湛然なるをもって究党の神我となす。  これに従って、 すなわちわれ十方に偏せり、 凝明にして動ぜず、  一切衆生は、 わが心中において自ら生じ自ら死す、  すなわちわが心性、  これを名づけて常となす。  かの生滅する者は、 真の無常の性なりと計す。  二には、  この人はその心を観ぜずして、 あまねく十方恒沙の国土をみるに、 劫壊のところを見ては、 名づけて究党の無常の種性となし、  劫不壊のところをば究党の常と名づく。 三には、  この人、 別してわが心を観ずるに、  精細微密なること、 なお微塵のごとく、 十方に流転す。 性は移改なけれども、 よくこの身をして、  すなわち生じすなわち滅せしむ。  その不壊の性をば、 わが性の常と名づけ、  一切の死生のわれより流出するをば、 無常の性と名づく。  四には、  この人は想陰尽くることを知り、 行陰の流するを見て、 行陰の常に流するを計して常の性となし、 色受想等の今すでに滅尽せるを名づけて無常となす。  これ一分は無常、  一分は常なりと計度するによるが故に、 外道に堕落して、 菩提の性に惑う、 これすなわち名づけて、 第三の外道の一分常論となす。

また一二摩〔提〕のうちに、 もろもろの善男子、 堅凝正心なれば、 魔は便りを得ず。  生類のもとを窮め、  かの幽清の常に擾動する元を観じて、  分位のうちにおいて計度を生ずれば、  この人は四有辺論に墜入す。  一には、  この人は心に生元の流用のやまざることを計す。 過〔去〕未〔来〕を計しては、 名づけて有辺となし、 相続心を計しては、 名づけて無辺となす。_   一には、  この人は八万劫を観ずるとき、  すなわち衆生を見る、  八万劫の前は、 寂として聞見なし、 聞見なきところを名づけて無辺となし、 衆生あるところを名づけて有辺となす。   ーには、  この人はわれあまねく知りて、 無辺の性を得たりと計す。 かの一切の人は、  わが知のうちに現ずればなり。 われ、  かつてかの知の性を知らず、 かの無辺を得ざるの心をただ有辺の性なりと名づく。  四には、  この人は行陰を窮めて、 その所見をもって、 心路に一切衆生を籍度するに、  一身のうちにそれことごとくみな、 半ば生じ半ば滅すと計す。 その世界一切の所有も、  一半は有辺    一半は無辺なりと明かす。  この有辺無辺の計度によって、 外道に堕落して、 菩提の性に惑う。  これをすなわち名づけて第四の外道の立有辺論となす。

また三摩〔提〕のうちに、 もろもろの善男子、  堅凝正心なれば、 魔は便りを得ず。  生類のもとを窮め、  かの論 幽清の常に擾動する元を観じて、 知見のうちにおいて計度を生ずれば、  この人は四種顛倒の不死矯乱偏計虚論に墜入す。  一には、  この人は変化の元を観じて、  遷流のところを見ては、  これを名づけて変となす、 相続のところを見ては、  これを名づけて恒となす。  見の所見のところをば、  これを名づけて生となす。 見を見ざるところをば、  これを名づけて滅となす。  相続の因性断ぜざるところをば、  これを名づけて増となす、 正しく相続するうちに、 中の離せるところのところをば、  これを名づけて減となし、  おのおのに生ずるところをば、  これを名づけて有となし、 互々に亡するところをば、 これを名づけて無となす。  理をもってすべて観ずれば、  用心の別見なり。  求法の人ありて、 来ってその義を問えば、 答えていう、  われいま、  または生または滅、 または有または無、 または増または減なりと。  一切の時において、  みなその語を乱して、  かの前人をして章句を遺失せしむ。  二には、  この人はあきらかに、 その心の互々に無なるところを観じて、 無によって証を得たり。 人あり来って問えば、 ただ一字を答えて、 ただそれ無という。 無を除くのほかは、 言説するところなし。  三には、  この人はあきらかに、  その心のおのおのに有なるところを観じて、 有によって証を得たり。 人あり来って問えば、  ただ一字を答えて、 ただそれ是という。 是を除くのほかは、 言説するところなし。  四には、  この人、 有無ともに見る、 その境のわかれたるが故に、 その心もまた乱る。  人あり来って問えば、 答えて、 亦有はすなわちこれ亦無なれども、 亦無のうちにはこれ亦有ならずといい、  一切矯乱して窮詰すべきことなし。  これ矯乱虚無を計度するによって、 外道に堕落して、 菩提の性に惑う。  これをすなわち名づけて、 第五の外道四顛倒性不死矯乱偏計虚論となす。〔 大正蔵、 善男子とす〕

また三摩〔提〕のうちに、 もろもろの善男子、  堅凝正心なれば、 魔は便りを得ず。 生類のもとを窮め、 かの幽消の常に擾動する元を観じて、 無尽の流れにおいて計度を生ずれば、  この人は死後、 有相発心顛倒に墜入す。 あるいは自ら身を固くして、 色はこれ我なりといい、 あるいは我はまどかにして国土を含偏すと見て、我に色を有すといい、 あるいは我の前縁、 我に随っ て廻復すれば、 色は我に属すといい、 あるいはまた我は行のうちによっ て相続すれば、 我は色にありといい、  みな計度して死後にも相ありという。  かくのごとく循蹂するに十六の相あり。  これに従っ て、 あるいは畢覚して煩悩あり、 畢覚して菩提あり、 両性並びはせて、おのおの相触れずと計す。  これ死後の有を計度するによるが故に、 外道に堕落して、 菩提の性に惑う。  これをすなわち名づけて、 第六の外道の立五陰中死後有相心顛倒論となす。

また一二摩〔捉〕のうちに、 もろもろの善男子、 堅凝正心なれば、 閥は便りを得ず。 生類のもとを窮め、  かの幽清の常に擾動する元を観じて、 さきに滅除せる色受想のうちにおいて、 計度を生ずれば、  この人は死後の無想発心顛倒に墜入す。 その色の滅するを見るに、 形に所因なく、 その想の滅するをみるに、 心に所繋なく、 その受の滅を知るに、 また連綴することなし。 陰性錆散ずれば、 たとい生理ありとも、 しかも受想なければ、  草木と同じ。  この質は現前になお不可得なり、  死後にいかんぞさらに諸相あらん。  これによっ て勘校するに、 死後には相なし。  かくのごとく循環するに、  八の無相あり。  これに従ってあるいは涅築の因果も、一切皆空にしていたずらに名字のみありて、 究覚して断滅すと計す。 この死後の無を計度するによるが故に、 外道に堕落して、 菩提の性に惑う。  これをすなわち名づけて、 第七の外道の立五陰中死後無相心顛倒論となす。

また三摩〔提〕のうちに、 もろもろの善男子、 堅凝正心なれば、 魔は便りを得ず。 生類のもとを窮め、  かの幽消の常に擾動する元を観じて、 行の存せるうちにおいて、  受想の滅を兼ねて、 ならべて有無を計して、 総 体相破す。  この人は死後の倶非起顛倒論に墜入し、 色受想のうちに有と非有とを見、  行の遷流するうちに無と不無とを見る。  かくのごとく循蹂して陰界を窮尽するに、  八の倶非の相ありとし、 随って一縁を得れば、みな死後の有相無相をいう。  また諸行の性は遷訛すと計するが故に、 心に通悟を発して、 有無ともに非し、虚実措を失う。  これ死後の倶非を計度するによって、 後際昏符にして、 いう ぺきことなきが故に、 外道に堕落して、 菩提の性に惑う。  これをすなわち名づけて、 第八の外道の立五陰中死後倶非心顕倒論となす。

また三摩〔提〕のうちに、 もろもろの善男子、  堅凝正心なれば、 魔は便りを得ず。 生類のもとを窮め、  かの幽消の常に擾動する元を観じて、 後々の無において計度を生ずれば、  この人は七断滅論に墜入す。 あるいは身も滅し、 あるいは欲も尽滅し、 あるいは苦も尽滅し、 あるいは極楽も滅し、 あるいは極捨も滅すと計す。かくのごとく循環して、  七際を窮尽するに、 現前に舘滅し、 滅しおわっ て復することなし。  これ死後断滅を計度するによっ て、 外道に堕落して、 菩提の性に惑う。  これをすなわち名づけて、 第九の外道の立五陰中死後断滅心顛倒論となす。

また三摩〔提〕のうちに、 もろもろの善男子、  堅凝正心なれば、 魔は便りを得ず。 生類のもとを窮め、  かの幽渭の常に擾動する元を観じて、 後々の有において計度を生ずれば、  この人は五涅槃論に墜入す。 あるいは欲界をもって正転依となす、 円明を観見して愛慕を生ずるが故に、 あるいは初禅をもってす、 性は憂いなきが故に。 あるいは二禅をもってす、 心に苦なきが故に。 あるいは三禅をもっ てす、 極悦随うが故に。 あるいは四禅をもっ てす、  苦楽二つながら亡じて、 輪廻生滅の性を受けざるが故に。 有漏の天に迷って、 無為の解をなす、  五処の安穏を勝浄の依となす。  かくのごとく循環するに、 五処を究党とす。  これ五現涅槃を計度するによっ て、 外道に堕落して、 菩提の性に惑う。  これをすなわち名づけて、 第十の外道の立五陰中五現涅槃心顛倒論となす。)

 

空見論者は一切無なりとす 尋定等によっ てかくのごとく説く闘評劫の時の評行者は我はこれ最勝なり余は下劣なりという消浄を計する者は残河に浴す あるいは狗戒露灰等を持す吉祥論者は博蝕のときに 事成ぜずとして日月を供す)

「+ 住心論』にはさらにその解釈を示せるも、 余は「義林迂」(巻一本の一六、「対倶舎抄」巻八の五) によりて、 左にその略解を掲ぐ。

 一、 因中有果宗、 謂雨衆外道執    諸法因中常有  果性一_如一禾以>穀為』因、 欲>求>禾時唯種ーー於穀一 禾定従五生、__不  従レ麦生一 故知穀因中先已__有  禾性一 不祐爾応こ  切従こ  切法  生

(一に因中有果宗、 いわく雨衆外道執す、 諸法は因中に常に果性あり、 禾が穀をもって因となすがごとし。禾を求めんと欲すときはただ穀を種ゆ。 禾定んで穀より生ず、 麦より生ぜず。 ゆえに知る、  穀の因の中に、さきよりすでに禾の性あり。 しからずんば、 まさに一切は一切法より生ずべしと。)

二、 従縁顕了宗、 謂即僧伽及声論者、 僧怯師計ー一切法体自性本有、 従二衆縁一顕、 非二縁所"生、 若非二縁,、顕果先是有、 復従一因生、 不>応ーー道理一 声論者言、 声体是常而相本有、 無>生無丘滅、  然由ーー数数宣吐一顕了。

(二に従縁顕了宗、  いわくすなわち僧怯および声論者なり。 僧怯師計す。  一切法の体は自性本有なり。 衆縁

によっ てあらわる。 縁より生ずるところにあらず。 もしは縁よりあらわるにあらず、 果さきよりこれあり。また因より生ずとせば道理に応ぜずと。 声論者のいわく、 声の体これ常にして相は本有なり。  生なく滅なし。 しかれども、 数々宣吐するによって顕了すと。〔 大正蔵、 怯につくる〕)


三、 去来実有宗、 謂勝論外道及計時外道等、 亦作二此計一 有ーー去来世一 猶如ーー現在一 実有非伝仮、  雖涵呼小乗今取一外道論 二に去来実有宗、  いわく勝論外道および計時外道等、 またこの計を作す。 去来世あり、 なお現在のごとし。 実有にして仮にあらずと。 小乗に通ずといえども、 今は外道を取る。)


四、 計我実有宗、  謂獣主等一切外道皆作二此計一 有>我有二薩撻    有ーー命者生者等ー  由下起二五党  知上有>我也謂見レ色時薩唾覚等。

 (四に計我実有宗、 いわく獣主等の一切外道、  みなこの計を作す。 我あり、 薩埋あり、 命者、 生者等あり。五覚を起こすによりて我ありと知るなり。 いわく、 色を見るとき薩唾覚する等なりと。)

五、 諸法皆常宗、 謂伊師迦計、 我及世間皆是常住、  即計ーー全常一分常等一 計一極微常 亦是此摂。

五に諸法皆常宗、  いわく伊師迦の計。 我および世間みなこれ常住なりと。  すなわち全常・一分常等を計す。極微の常を計するも、 またこれ、  これに摂す。)

六、 諸因宿作宗、  謂離繋親子、 亦_云一無煎外道一 謂現所受苦皆宿作為>因、 若現精進    便吐二旧業一由ーー不作因之所"害、 故如>是於る後不二復有品畑゜

(六に諸因宿作宗、 いわく離繋親子なり、 または無態外道という。  いわく、 現所受の苦みな宿作を因となす。  もし現に精進すれば、 すなわち旧業を吐く。 不作因の害するところによるが故に。  かくのごとくして、後においてまた漏あらずと。)

七、 自在等因宗    謂不平等因者計随二其所"事即以為る名、 如二莫薩伊涅伐羅等{  或執諸法大自在天変化、 或夫変化、 或大梵変化、 或時法空我等為>因。

(七に自在等因宗、 いわく不平等因者の計。 そのつかうるところに随っ て、  すなわちもって名となす。 莫薩伊・湮伐羅等のごとし。 あるいは執す、 諸法は大自在天の変化なり、 あるいは丈夫の変化なり、 あるいは大梵の変化なり、 あるいは時と方と空と我等を因となすと。〔 大正蔵、 方につくる〕)

八、 害為正法宗、 謂諄二競劫起{  諸波羅門為ーー欲食"肉妄起ーー此計一 若為二祀>祠冗術為五先害ーー諸生命一 能祀所害若  助伴者皆得>生>天。

 (八に害為正法宗、 いわく諄競の劫の起するとき、 もろもろの婆羅門、 肉を食わんとして、  みだりにこの計を起こす。  もしくは祠をまつり呪術するをさきとなすがために、 もろもろの生命を害すれば、 能祀と所害ともしくは助伴の者、  みな天に生ずることを得と。)

九、 辺無辺等宗、 謂得二世間静慮辺無辺一 外道住  有無辺相王者計彼世間有辺無辺倶不倶等。

(九に辺無辺等宗、 いわく世間静慮の辺と無辺とを得たる外道、 有と無との辺の相に住する者計す、  かの世間は有辺・無辺・倶・不倶等と。)、 不死矯乱宗、  謂不死無乱外道。

(十に不死矯乱宗、 いわく不死無乱外道なり。)

十一、 諸法無因宗、  謂無因外道計我及世間無因而起。

(十一に諸法無因宗、 いわく無因外道の計、 我および世問無因にして起こる。)

十二、 七事断滅宗、 謂断滅外道計七事断滅。

(十二に七事断滅宗、 いわく断滅外道の計、  七事断滅すと。)

十三、 因果皆空宗、 諸邪見外道計無ー愛養等一 見行 善者返生二悪趣一_見  行悪者返_生一善趣一 便謂為如エ、 或総誹コ撥一切皆空

=一に因果皆空宗、 もろもろの邪見外道の計、 愛薬等なしと。 行善の者かえって悪趣に生ずるを見、 行悪の者かえって善趣に生ずるを見て、 すなわちいいて空となし、 あるいは総じて一切皆空なりと誹撥す。)   十四、 妄計最勝宗、  謂開二評劫ー諸波羅門計、 波羅門是最勝種、 梵王之子、 腹口所生、 余種是劣、 非一梵王子(+ 四に妄計最勝宗、 いわく闘諄の劫のとき、 もろもろの婆羅門の計。 婆羅門はこれ最勝種なり。 梵王の子、 腹口の所生なり。 余種はこれ劣なり、 梵王の子にあらずと。)

十五、 妄計清浄宗、 謂現法涅槃外道及水等清浄外道、 謂於ーー諸天微妙五欲一 堅著受用、 是即名知空現法涅槃一乃至広説持庄'狗戒一亦復如>是  ゜

(十五に妄計清浄宗、  いわく現法涅槃の外道および水等消浄外道なり。 いわく諸天微妙の五欲において堅著し受用する、  これすなわち現法涅槃を得と名づく。 ないし広説、 牛狗の戒を持すも、 またまたかくのごとしと。)

十六、 妄計吉祥宗、  謂歴算外道、 若  日月薄蝕星宿失度等、 若随二日月ー所欲皆成、 応=ー勤供ー養日月星等

(十六に妄計吉祥宗、 いわく歴箕外道。 もしくは日月の薄蝕、 星宿の失度等、 もしくは日月に随えば所欲みな成ず。 まさに勤めて日月星等を供養すべしと。)

その詳解は各論に譲る。  しかして「十住心論」(「十住心論冠註」巻一の一〇八)には、 拐伽経説二百八部邪見一琉伽論説二十六計一 知度説二十六知見

 

「拐伽経」には百八部の邪見を説き、「堆伽論」には十六の計を説き、「智度」には十六知見を説けり)とありて、「琺伽」の十六計は、「智度論」(巻四一の二)の十六知見とその意を同じくす。 しかして、 十六知見のことは「智度論」の上に見るも、 その文、「大品経」中に出ず。 ゆえに「止観輔行」(「止観科本」巻五の一の四二、「止観会本」巻五の二の七) に、 此十六知見文在    合喪  大論広解(この十六の知見の文は「大品にあり、「大論広く解す)と説けり。 また、「大乗義章巻六の五〇、「拾義紗」巻五の六)には左のごとく示せり。

 十六神我義出二大品経一 一我、  二衆生、 三寿者、  四命者、 五生者、 六挫育、 七究主(又云衆数)、  八人、 九作者、 十使作者、 十一起者、 十二使起者、 十三受者、 十四使受者、 十五智者、  十六見者、 此等皆是我別名。

(十六神我の義は、「大品経」に出ず。 一には我、 ニには衆生、  三には寿者、 四には命者、  五には生者、 六には養育、  七には呪主(また衆数という)、  八には人、 九には作者、 十には使作者、 十一には起者、 十二には使起者、 十三には受者、 十四には使受者、 十五には智者、 十六には見者なり。  これらは、  みなこれ我の別名なり。)

今これを「智度論』(巻三五の二〇および巻四一の二)の上に考うるに、 舎利弗如我但有全字、  一切我常不可得、 衆生寿者乃至見者、 是一切皆不可得(舎利弗、 我のごときはただ字のみあり、 一切の我は常に不可得なり。衆生・寿者、 ないし見者、 これ一切はみな不可得なり)とあり。 また、 是我名不生不滅、 但以二世間名字一故説、如衆生乃至見者等和合法故有(この我の名は不生不滅にして、  ただ世間の名字をもっ ての故に説くがごとく、 衆生、 ないし見者等は和合法の故にあり)とあり。 けだし、  この十六種はみな我見の妄計より生ずるものとす。 左に「法界次第初門 巻上の上の一三)に示せる解釈を掲ぐべし。

一我 若於ー名色陰入界等法中無明不了、  若即若離中    妄計云?我我所之実一 故名為>我也。

 

(一、 我

 

もしは名・色・陰・入・界等の諸法の中に、 無明を了せず、 もしは即もしは離の中において、みだりに我・我所の実ありと計す。 ゆえに名づけて我となす。)

二衆生 於ーー名色陰入界等法和合中一 妄計ーー有>我生一 故名ー衆ー   生

(二、  衆生ーー 名・色・陰・入・界等の法の和合する中において、  みだりに我ありて生ずと計するが故に衆生と名づく。)

寿者ー屋  名色陰入界等法中妄計』有>我受二  期果報一 寿有中長短い故__名  寿者(三、 寿者色・陰・入・界等の法の中において、  みだりに我ありて一期の果報を受く、 寿に長短ありと計す。 ゆえに寿者と名づく。

四命者名色陰入界等法中{  妄計ーー我命根成就連持不と断、 故名二命者

 (四、 命者ーー 名・色・陰ゆえに命者と名づく。)

 入・界等の法の中において、  みだりに我が命根成就し連持して断ぜずと計す。

 五生者生者於二名色陰入界等法中一 妄計下我能起  衆事一如ら父生占子、 名為一注涵ぶ  亦計二我来人中受  生、 故名

 (五、 生者" ・色・陰・入・界等の法の中において、  みだりに我よく衆事を起こすこと父の子を生ずるがごとしと計して、 名づけて生者となす。 また我来たりて人中に生を受くと計す。  ゆえに生者と名づく。)

 六喪育ー名ー養育

(六、 蓑育

 序  名色陰入界等法中一 妄計ー我能養ーー育於他一 故名二喪育一 亦計』我従>生已来為  父母ー養育い故 色・陰・入・界等の法の中において、  みだりに我はよく他を養育すると計す、 ゆえに茂育と名づく。 また我は生より已来父母のために養育せらると計す。 ゆえに養育と名づく。)

七衆数 界  名色陰入界等法中一 妄計下我_有一名色五衆十二入十八界等諸因縁一 是衆法有益奴、 故名ーー衆数

(七、 衆数ーー"名・色・陰・入・界等の法の中において、 みだりに我に名・色・五衆・十二入・十八界等の

 もろもろの因縁あり、  この衆法に数ありと計す。 ゆえに衆数と名づく。)

八人 於ーー名色陰入界等法中一 妄計ム我是行人異*於非行之人い 故名為  人、 亦計  我生ー人道  〈・於余道い故名為>人。

(八、 .色・陰・界・入等の法の中において、 みだりに我はこれ行人にして非行の人に異なると計するが故に名づけて人となし、 また我は人道に生じ、 余道に異なると計す。 ゆえに名づけて人となす。)

十六見者   名  見者一也。匹  名色陰入界等法中{  妄計』我有 眼 根一故能見こ  け色い亦計ふ我能起 邪 見一 我起中正見い是(十六、  見者ーー 名・色・陰・入・界等の法の中において、  みだりに我は眼根を有し、 ゆえによく一切の色を見ると計し、 また我はよく邪見を起こし、 我は正見を起こすと計す。  これを見者と名づくるなり。)

しかして同書〔「法界次第初門」〕に、 計我之心歴>縁略弁即有二十六知見之別一 広対ーー諸縁ー則妄計不缶可二称数(我を計するの心は縁に歴て略して弁ずればすなわち十六知見の別あり。 広く諸縁に対すればすなわち妄計すること数を称すべからず)と説きて、 計我の迷見より生じたる妄計は、 実にその数を知らず。  これを十六種に定めたるは、 もとより要略に過ぎずという。  また「大般若経」(巻四の五、「什慶記    巻中の七二)にも、  これと同一なる諸見を列挙せり。  すなわち左のごとし。

舎利子如社我但有>名謂ら之為>我、 実不可得、 如乙是有情命者、 生者、 喪者、 士夫、 補特伽羅、 意生、  儒童、作者、 使作者、 起者、 使起者、  受者、 使受者、 知者、 見者、 亦但有る名、 謂為有情乃至見者以ー不可得空  故但随和朕給 仮_立 玄ゑ只 諸法亦爾不丘__応  執著

(舎利子、 われのごときはただ名のみあり、 いわゆるこれを、 われ実に不可得なりとなす。  かくのごとく有情・命者・生者・狸者・士夫・補特伽羅・意生・儒童・作者・使作者・起者・使起者・受者・使受者・知者・見者もまた名のみあり、 いわゆる有情ないし見者は不可得空なるをもっての故に、 ただ世俗に随って仮に客名を立つるのみ。  諸法もまたしかなり、 執著すべからず。

そのつまびらかなるは、 本経につきて見る ぺし。 もし「因明大疏」によらば、  二十八見蟻二緊於五天一 一十六師鵠ーー張於四主

(二十八見は五天に蟻衆し+ 六師は四主に鶏張す)の語あり。 その十六師は「喩伽」、「顕邑    の十六種を指すも、 その二十八見は、『対法論』および「雑集論」に引用せる「大法鏡経」中の二十八不正見なり。 その名称、 左のごとし。

相見、 損減施設見、 損減分別見、 損減真実見、  摂文見、 博反見、 無羅見、 出離見、 軽毀見、 憤発見、 顛倒論見、 出生見、 不立宗見、 怖乱見、  敬事見、  堅固愚痴見、 根本見、 於見、 無見見、 捨方便見、 不生離見、 障増益見、 非福見、 無功果見、  受辱見、 誹謗見、 不可誉見、 広大見、 増上慢見。

 よろしく「明灯抄」 (巻一本の八)および「瑞源記」巻一の三)を参見すべし。


第四九節    六十二見

さきに述べたるがごとく、 我見、 身見あるいは断常  一見、 あるいは有無二見を開くときは六十二見となる。  これよりその諸見の名義を考うるに、 経論中種々の異説あるがごとし。 まず「義林章  (巻四末の二)に挙ぐるところによるに、「智度論 、「阿含経」、「梵網六十二見経」、「大毘婆沙論 、「瑞伽論」等に説くところ、 おのおの異同ありという。 また「維摩発朦紗」巻二のによるに、 その名目は「長阿含梵動経」中に出でて、 また

 「梵網六十二見経」および「埼伽」、「顕楊」、「婆沙』、「倶舎」等の諸論にこれを明かし、「唯識述記 、「大乗義章    等に広くこれを釈すという。 けだし、 その種類を定むる方法に種々の異説ありて、「文句記「文句科本」四の二の二六、「四教儀増暉記巻四の二)には六十二見有一三不_同  (六十二見に三不同あり)といい、「涅槃疏 巻三五の三九および巻二 二の二七、「涅槃経単疏」巻一五の一六および巻一    の一九)には六十二見有一解  (六十二見に_一解あり)という。「大乗法数」(巻六七の一七)および「教乗法数」(巻_一 一の一七) こ、.よ・、

六十二見両種不同の表を示せり。 今「翻訳名義集」によりて考うるに、  その一説は我見に五十六あり、 辺見に六あり、 合して六十二見となるという。 我見の五十六とは、 欲界の五陰(色受想行識)おのおの四句を成し、 合して二十種となり、 色界また二十種となり、 無色界は五陰中の色を除くをもって十六種となり、  これを合して五十六見となる。 辺見には三界に各断常二見を有するをもって六見となる。 もし、  この六見と五十六見とを合すれば、 六十二見となること明らかなり。 その算式を仮設すること左のごとし。

 また一説には(「什慶記    巻中の七二)、 三世(過去・未来・現世)の五陰に各断常ー一見および有無二見を乗じて、  これに根〔本〕の二見(断常)を加うれば六十二見となる。 けだし、「三蔵法数釈は、 全くこの説によれるものとす。  すなわち左のごとし。巻九の一四)に掲げたる解

 外道之人於ー一色受想行識五陰法中ー毎こ  陰 』茫四種見一 則成二二十見一 約ーー過去現在未来一そ芦 論>之成二六十見    此六十見_以 面断常二見  而為ー印玉 則総成"ハ十ユ 二見一也。外道の人は色・受.想・行・識の五陰の法中において一陰ごとに四種の見を起こし、  すなわち二十見成ず。 過去・現在・未来の三世に約してこれを論じ六十見を成ず。  この六十見は断・常の二見をもって根本となす、 すなわち六十二見を成ずるなり。)

もし、  これを算式に擬して表示すれば左のごとし。

且泣    臣蔀 咤+壁油+峙油    汁+    油

 これ、「律宗名句」(巻下の一に出ずる図表に合するなり。  すなわちその表によるに、 根本の二見は断常ニ見にして、 三世は過去・現在・未来なり。 五陰は色受想行識にして、  四句は即色是我・離色是我・我大色小色在我中・色大我小我在色中なり。 しかるに「数乗法数」および「大乗法数」には、 さらに別表を対照せり。  その表によれば、 色受想行識の五陰の下に、 常・無常・亦常亦無常・非常非無常の四句、 有辺・無辺・亦有辺亦無辺・非有辺非無辺の四句、 如去・不如去・亦如去亦不如去・非如去非如不如去の四句の十二句あり。  これに五陰を乗ずれば六十となり、  これに根本二見を加うれば六十二見となる。  その両表中、 前図は身辺二見の所摂となし、 後図は辺邪見の所摂となす。 しかして、 後図は「智度論」(巻七の一)に出ずるところにして、「仁王疏 巻中の八)に記するところ左のごとし。

六十二見釈者不>同、  且  依一』大論伝な五陰上至品竺四句{  於ー一色陰』全過去色神及世間常、 是事実、 余妄語無常等三句亦然、 余陰亦如レ是成ーニ十{  現在有辺無辺等歴二五陰上  有成ユハ十一 是神与>身一、 神与五身異、 成ーー六十_一 見二十一 死後如去不如去等亦有二二十

 (六十二見の釈は同じからず。 しばらく「大論」によるに、 五陰の上においてみな四句を作す。 色陰において、 過去の色・神および世間の常とこのことは実にして余は妄語という。 無常等の三句またしかり、 余の陰もまたかくのごとく二十を成ず。 現在の有辺・無辺等、 五陰の上を経て二十あり。  死後の如去・不如去等二十ありて六十を成ず。  これ神と身と一、 神と身と異、 六十二見を成ず。)

また「中論疏」(巻一の末の四)にも、  一陰四句五陰、 常無常二十、 辺無辺如去不如去亦 故成ーユハ

、    一異為>本成天  十ニ  (一陰に四句あり。  五陰に二十なり。 常無常の二十あり。 辺無辺と如去不如去ともに

また二十あり。 ゆえに六十を成ず。 ーと異とをもととすれば、 六十 一を成ず)とあり、「涅槃経」(北本巻二五の

 一八、 南本一一三の一八)にも五見六十二見を掲げ、「同疏

「涅槃経会疏巻一二三の二七)にこれを釈せり。 また「華厳孔目章」(巻二の、「榜厳解蒙抄巻一    の一の五)にもその解あれども、  みなこれを略す。 しかるにまた『大蔵一覧集 巻一の五七) には、「婆沙論」を引きていわく、 六十二見者五蘊中各起二四見一 四五二十、三世各二十、 通為ーユハ十ー  通身即是神、 身異神  一見総為ーユハ十二見

(六十二見とは五蘊中に各四見を起こす、五二十。 三世各二十、  通じて六十となる。 身即是神、 身は神と異なる、 の二見に通じて、 総じて六十二見となる)とあるは、 前に示せるものと異なることなし。 また「三大部補注」(巻六の三五)には、「長阿含」(巻を引きて、 仏告ー一善念梵志一 此本末見不レ出ユハ十ニ一 本劫本見一十八、 末劫末見四十四、 合六十二也云云(仏、善念梵志に告ぐ、 この本末の見は六十二を出でず。  本劫の本見に一十八、 末劫の末見は四十四、 合して六十二なり、  と云々)とあり。 その文長きをもってこれを略す。 そのほか「義林章」(巻四末の一、「義林章科図」巻下の四) にありては、「唯識論

見は左表のごとし。

如>是十八諸悪見趣、 是計二前際元炉我論者。

(四の遍常見論と、 四の一分常見論と、  二の無因論と、 四の有辺無辺想論と、  四の不死矯乱論と、 かくのごとくの十八の諸悪見趣は、  これ前際を計して我と説く論者なり。)

 十六有見想論 八無想論 八非有想非無想論 七断見論此四十四諸悪見趣、 是計二後際一説>我論者。五現法涅槃論論 (十六の有見想論と、 八の無想論と、 八の非有想非無想論と、 七の断見論と、  五の現法涅槃論とあり。  この四十四の諸悪見趣は、  これ後際を計して我と説く論者なり。)

しかして、 前際とは過去および現在世によりて分別を起こすをいい、 後際とは未来世によりて分別を起こすをいう。 そのほか、「開元釈教録」中に「釈六十二見経    四巻の表目あり。  これ、「梵網六十二見経」を釈せしものならんと考うれども、  その書伝わらざるをもってこれを知るに由なし。 もしまた「唯識論」によらば、 薩迦耶見の上に六十五種の見ありとす。  これを「唯識述記」によりて解するに、 五陰中一陰を我とし、 四陰を我所とし、四我所におのおの環路・憧僕・窟宅の  一種を具するをもっ て十二種の我所となり、  これに我を合すれば十三法となり、 さらにこれに五陰を乗じて六十五見を得るなり。 今左に、  二列の算式を仮定してその数を表示すべし。

蔀)+目茄浬(目蒋) 丑(遥漆+宙漆+函ボ) +   池

澳    出蒋    汁十臣泣

換言すれば、  五種の我見と六十種の我所ありて、  これを合すれば六十五見となる。「大日経疏啓蒙」(巻六の五梵王我見のニにその相配を示していわく一謂色与ン我作二聰路{  荘二厳我一也、  二謂色与レ我作ーー僅僕一 即繋於我一 三色与>我作>器云云(一にいわく、 色はわがために環路となり我を荘厳するなり。  二にいわく、 色はわがために僅僕となりてすなわち我に繋す。  三に、 色はわがために器となる、  と云々)とあり。 けだし、 六十二見の名数を定むる法、 種々異説あるは、 あたかも九十六種外道の名数を定むるがごとく、 しいてその数をみたさんと欲して、 種々に箕定したるものに過ぎざるべし。 ゆえに、 いちいちその異説を列挙するの必要なきも、 ただ古来の見解いかんを示さんために、  ここにその一斑を掲げたるのみ。


第五    節    百八句

つぎに、  百八見あるいは百八句を考うるに、『大蔵法数」(巻六八の九)に百八見の表を示せり。  その表によるに、  眼耳鼻舌身意の六根におのおの三受三塵を具するをもって六六三十六となり、  これに三世を乗ずれば百八見となるという。「四教儀増暉記」(巻四の一に「止観輔行」および「智度論を引きて、 百八数の起こるゆえんを示せり。  よろしく本杏につきて見るべし。 しかれども、  ここに外道の邪見を合類して百八種となすは、 全く「榜伽経」所説の名目による。 その名目は、「四巻榜伽」(巻一の八)および「七巻榜伽」(巻一のニには百八句と名づけ、「+ 巻榜伽」(巻一の二二) には百八見と名づく。  これを「大乗法数とく示せり。

 巻六八の一には左のごとし、従こ  

有一無為  対、 便有ーー不有不無五為二第一二句一 又有ーー即有即_無  為ー第四句対待生起成こ  百八句得二心宗瞑  明者句句皆真、 又句非一言句之句一 以ーー百不思一為二正句一也、 始則不生句生句、 終二於字句非字句一云云  ゜有・一無を対となすより、  すなわち不有不無あり、 第三句となす。 また、  即有即無あり、 第四句となす。 対待生起し一百八句を成ず。 心宗を得て眼明らかなれば句々みな真、 また句とは言句の句にあらず、  百不思をもって正句となすなり。  始はすなわち不生句    生句にして、 字句非字句に終わる、 と云々。)

しかして、  その名目は列挙するの必要を見ざるも、 参考のために、「十巻拐伽 によりて左にこれを掲ぐ。

生見、 不生見、 常見、 無常見、  相見、 無相見、 住異見、 非住異見、 刹那見、 非刹那見、  離自性見、 非離自性見、 空見、 不空見、 断見、 非断見、 心見、 非心見、 辺見、 非辺見、 中見、 非中見、 変見、  非変見、 縁見、  非縁見、 因見、 非因見、 煩悩見、 非煩悩見、 愛見、 非愛見、  方便見、 非方便見、  巧見、 非巧見、 浄見、 非浄見、 相応見、 非相応見、 智喩見、 非臀喩見、 弟子見、 非弟子見、 師見、 非師見、 性見、 非性見、 乗見、 非乗見、 寂静見、 非寂静見、 願見、 非願見、 三輪見、 非三輪見、 相見、 非相見、 有無立見、 非有無立見、 有二見、 無二見、 縁内身聖見、 非縁内身聖見、 現法楽見、 非現法楽見、  国土見、 非国土見、 微塵見、 非微塵見、水見、 非水見、 弓見、 非弓見、 四大見、 非四大見、 数見、 非数見、 通見、 非通見、 虚妄見、 非虚妄見、 雲見、 非雲見、 エ巧見、 非工巧見、 明処見、 非明処見、 風見、 非風見、 地見、 非地見、 心見、 非心見、 仮名見、 非仮名見、 自性見、 非自性見、 陰見、 非陰見、 衆生見、 非衆生見、 智見、 非智見、 涅槃見、 非涅槃見、坑界見、 非境界見、 外道見、 非外道見、 乱見、 非乱見、 幻見、 非幻見、 夢見、 非夢見、 陽焔見、 非陽焔見、像見、 非像見、 輪見、 非輪見、 健閾婆見、 非健闊婆見、 天見、 非天見、 飲食見、 非飲食見、 姪欲見、 非姪欲見、 見見、 非見見、 波羅蜜見、 非波羅蜜見、 戒見、 非戒見、 日月星宿見、 非日月星宿見、 諦見、 非諦見、 果見、 非果見、 滅見、 非滅見、 起滅尽定見、 非起滅尽定見、 治見、 非治見、 相見、 非相見、 友見、 非友見、 巧明見、 非巧明見、 禅見、 非禅見、 迷見、 非迷見、 現見見、 非現見見、 護見、 非獲見、 族姓見、 非族姓見、 仙人見、 非仙人見、 王見、 非王見、 捕取見、 非捕取見、 実見、 非実見、 記見、 非記見、 一閾提見、 非一閾提見、 男女見、 非男女見、 味見、 非味見、 作見、 非作見、 身見、 非身見、 覚見、 非党見、 動見、 非動見、 根見、 非根見、 有為見、 非有為見、 因果見、 非因果見、 色究党見、 非色究尭見、 時見、 非時見、 林樹見、 非林樹見、 種種見、 非種種見、 説見、 非説見、 毘尼見、 非毘尼見、 比丘見、 非比丘見、 住持見、 非住持見、 字見、 非字見、 大慧此百八見過去諸仏所>説、 汝及諸菩薩当茄~五是学  (大慧、 この百八の見は、 過去の諸仏の説きたまいしところなり。 汝およびもろもろの菩薩、 まさにかくのごとく学すべし、 と。)

この百八見は過去諸仏の所説とあるも、 別に明らかに邪見の法と名づけたるにあらず。 しかれどもその義、 けだし邪見に当たるによるならん。 すでに「十住心論」「部の邪見を説くと示せり。 かつ「榜伽註解」(巻一の二住心論冠註」巻一の一〇八)には、「榜伽経」に百八にその句々相積みて百八を成すに至れるを説きて、

 表下対二百八煩悩 命炉百八法門上也、 其為社法也、 有>事有>理、 有>性有>修有>兵有>妄、 有レ迷有伝悟、 有>教有レ行、 有>因有>果、 有ふ吟有ら用、 有>即有>離、  有>亡有レ照    一経大旨挙在ソ是(けだし、  百八煩悩に対し、  百八法門を成ずと表すなり。 その法たるや、 事あれば理あり、 性あれば修あり、 真あれば妄あり、 迷あれば悟あり、 教あれば行あり、 因あれば果あり、 体あれば用あり、  即あれば離あり、  亡あれば照あり、  一経の大旨挙げてこれにあり)といえり。  そのほか「十住毘婆沙論 節あり。  これまた参考のために左に転載す。巻三の一) に、 外道の諸見につきて、 種々の邪見邪行を掲げたる一僧怯楡伽憂捜迦王、  那波羅他毘怯那落沙王、  那吉略仙人、 象仙人、 断姪人、 上弟子行者、  放羊者、  大心者、忍辱者、  喬昼摩鳩蘭陀磨活人者、 度人者、 縁水者、 婆羅沙伽那頗羅随闊、 著衣者、 無衣者、 章索衣者、 皮衣者、 草衣者、 著下衣者、 角鶏毛衣者、 木皮衣者、 三洗者、 随順者、__事  梵_王  者、__事  究摩_羅  者、 毘舎闊  者、事盃  翅鳥  者、 事転  閾婆  者、 蔓  闇羅王著、 事 毘 沙門手  者、 事 密 迩神一者、 事 浮 陀神  者、 事>竜者、裸形沙門、 白衣沙門、 染衣沙門、 末伽梨沙門、 毘羅略子者、 迦栴延尼子者、 薩菩遮子者、 持牛戒者、 鹿戒者、 狗戒者、  馬戒者、 象戒者、 乞戒者、 究摩羅戒者、 諸天戒者、  上戒者、 姪欲戒者、 浄潔戒者、 火戒者、説 色 滅涅槃  者、 説 声 滅涅槃者、  説 香 滅涅槃者、 説 昧 滅涅槃一者、 説 触 滅涅槃云者、 説 覚 観滅涅槃者、 説 喜 滅涅槃一者、 説 苦楽滅涅槃一者、 水衣為レ霊者、 水浄者、 食浄者、 生浄者、 執杵臼者、 打石者、 喜洗者、 浮没者、 空地住者、_臥一刺蘇一者、  世性者、 大者、 我者、 色等者、 声等者、 香等者、 味等者、 触等者、地知者、 水知者、 火知者、  風知者、 虚空知者、 和合知者、 変知者、  眼知者、 耳知者、 鼻知者、 舌知者、 身知者、 意知者、 神知者、 如>是等在家出家種種邪見邪行名為二不浄

(僧怯楡伽憂捜迦王・那波羅他毘怯那箔沙王・那吉略仙人・象仙人・断姪人・上弟子行者・放羊者・大心者・忍辱者・喬晨摩鳩閾陀磨活人者・度人者・縁水者・婆羅沙伽那頗羅随閣・着衣の者・無衣の者・窟索衣の者・皮衣の者・草衣の者・下衣を着ける者・角鶏毛衣の者・木皮衣の者・三洗者・随順者・梵王につかうる者・究摩羅につかうる者・毘舎闇につかうる者・金翅鳥につかうる者・乾臨婆につかうる者・閻羅王につかうる者・毘沙門王につかうる者・密迩神につかうる者・浮陀神につかうる者・竜につかうる者・裸形の沙門・白衣の沙門・染衣の沙門・末伽梨の沙門・毘羅暖子の者・迦旅延尼子の者・薩者遮子の者・持牛戒の者・鹿戒の者・狗戒の者・馬戒の者・象戒の者・乞戒の者・究摩羅戒の者・諸天戒の者・上戒の者・姪欲戒の者・浄潔戒の者・火戒の者・色滅涅槃を説く者・声滅涅槃を説く者・香滅涅槃を説く者・味滅涅槃を説く者・触滅涅槃を説く者・覚観滅涅槃を説く者・喜滅涅槃を説く者・苦楽滅涅槃を説く者・水衣を霊となす者・水浄者・食浄者    生浄者・杵臼をとる者・打石者・喜洗者・浮没者・空地住者・刺藷に臥する者・世性者・大者・我者・色等者・声等者・香等者・味等者・触等者・地知者・水知者・火知者・風知者・虚空知者・和合知者・変知者・眼知者・耳知者・鼻知者・舌知者・身知者・意知者・神知者、 かくのごとき等の在家、 出家の種々の邪見、  邪行を名づけて不浄となす。)

これ、 外道の諸派諸見を網羅せるもののごとし。

以上、 外道の種類・見解を表示し終わるをもって、  これより外道の年代を論明すべし。

 


第四章 外道年代論


第五_    節    仏教の年代

印度はさきに第四節に一言せしがごとく、 正史のよりてもっ て事実を徴すべきなきをもって、 年代の前後に考定することはなはだ難し。  ゆえに、  外道各派の年代を知ること容易にあらず。 しかるに余はここに、 仏教上よりその前後に興起せる外道諸派の新旧を判定せんと欲す。  ゆえに、 まず仏教の年代を考定するを要するなり。 しかして、 仏教は釈尊を開祖となすをもっ て、 まず釈蔚出世の年代を知らざるべからず。 しかるにその年代は、 古来大いに異説ありて、 西暦紀元の何世紀に当たるや明らかならず。『僧史略』、「仏祖統紀』(巻二の八)、「末法灯明記」(六)、「教時評」等にその異説を示せり。 あるいは夏の架王のとき、 あるいは殷の武丁のとき、 あるいは周の昭王のとき、 あるいは東周の平王のとき、 あるいは桓王、 あるいは貞定王のときに降誕せり等と称して、 その説いまだ定まらず。  左に、「僧史略」(巻上の六)の考証を引用すべし。

案正  統伝  漢法本内伝合二阿含経_中  皆曰、  周昭王二十一二年七月十五日、 現ー白象瑞一 降ーー摩耶夫人胎一 明年四月八日、  於ーー嵐毘園波羅下一右脅而誕也。

周害異記曰、 昭王二十四年甲寅歳四月八日、  江河泉池忽然汎溢、 井皆騰湧、 宮殿震動、 其夜五色光気貫二子大微一 偏二子西方ー  作二青虹色    時王_問一太史蘇由一 由対曰、 有ー大ー    聖乙ザ干四方  故、 現二此瑞一 王曰、 於>国無>損乎、 対曰、  一千年後声教当>被丘    此  ゜又案ーー五運固  曰東周平王四十八年戊午歳仏生、 此説則無>憑也、 又依一道安羅什紀及石柱銘ー曰、  周十八主桓王五年乙丑歳仏生、 此亦非也。又校長房開皇三宝録中定、 仏是周荘王化十年甲午四月八日生、 以二常星不  見為乙徴也、 又法顕曾遊ーー西域ー曰、仏是商王代中生、 顕因見益岬子国 二月出ーー仏歯ー供中養王前上宣曰仏滅已一千四百九十七載也、 顕以ーー晋義煕中逆推知一仏是商時生云、 又薩山度律師衆聖点記曰、  周貞定王二年甲戌仏生、 法宝大師全不品取>此、 又感通伝中是夏架之時見ーー仏垂迩  也。

(案ずるに、 上統の伝、 漢の法本内伝、「阿含経    を合するの中にみな曰く、  周の昭王二十三年七月十五日、白象の瑞を現し、 摩耶夫人の胎に降り、 明年四月八日、 嵐毘園の波羅の下において、 右脇よりうまるなり。

「周書異記」に日く、 昭王の二十四年甲寅の歳四月八日、 江河、 泉池、 忽然として汎溢し、 井はみな騰湧し、 宮殿は震動す。  その夜、 五色の光気ありて、 太微を貫き西方にあまねく、 肯虹の色をなせり。  ときに王、 太史蘇由に問うに、 由こたえて曰く、  大聖の西方に出ずるあり、 ゆえにこの瑞を現す、 と。  王曰く、  国において損なうなきか    と。  こたえて曰く    一千年の後、 声教まさにここにおよぶべし、

また、 五運固を案ずるにいう、 東周の平王の四十八年戊午の歳に仏生まる、 と。  この説は、  すなわちよりどころなきなり。 また、  道安の「羅什紀」および石柱の銘によるにいう、 周の十八主、 桓王の五年乙丑の歳に仏生まる、  と。  これもまた非なり。

また、 費長房の「開皇三宝録」の中に、 定むらくは、 仏はこれ周の荘王の化の十年甲午四月八日に生まると。 常の星のあらわれざるをもって徴 となすなり。 また、 法顕かつて西域に遊びていう、 仏はこれ商王の代の中に生まると。  顕はちなみに師子国が三月に仏歯を出だして王前に供養するを見たるに、 宣して仏滅よりすでに一千四百九十七載なりと。  顕は晋の義煕中をもっ て逆に推し、  仏はこれ商のときに生まれしことを知れり。 また、 麿山の度律師の『衆聖点記    にいう、  周の貞定王の一一年甲戌に仏生まると。  法宝大師は全くこれをとらず。 また『感通伝」の中に、  これ夏の架のときに仏の垂述を見るなり、 と。  日   大正蔵、 西につくる〕

また「教時評」(四) に釈尊の応現に関し、 六説の不同あることを論じたる一章あり。  これを左に転載すぺし。

一骰長房録云先賢諸徳推ーー仏生_年  互有 涸溢竺  一依ーー法顕伝証空仏生年函ぎ殷世武乙ー 十六年甲午    至ーー今開皇十七年丁巳一便已一千六百八十一年、  二依下沙門法上答中高麗国問い則当  前周第五主昭王瑕二十四年甲寅一至ーー今丁巳ー則一千四百八十六年、 引  穆天子別伝ー為>証、 称瑕子満溢為  穆王一 聞  仏出ーー乎迦錐一遂西遊而不レ返、 三依二像正記  当  前周第十七主午王宜伯四十八年戊午一 至二今丁巳ー則一千三百二十三年、 四依  後周沙門釈道安用羅什年記及石柱銘  推則当一ー前周第十八主桓王之林五年乙丑一 至一込今丁巳ー則一千二百二十五年、 五周第十九主荘王化十年即魯春秋荘公七年夏四月辛卯夜恒星不>見、 夜中星阻如>雨、  即是如来誕生時也、 亦云涅槃以来至  今開皇十七年 巳二  千一百九十五年、 六依二趙伯休梁一 大同元年於二椒山 血 二弘度律師五空仏滅総    衆聖点記推則当え削周第二十九主貞定王高二年申戌一 至ーー今丁巳一殆一千六十一年。 (一は費長房の『録にいわく、 先賢諸徳は仏の生年を推するに互いに返邁あり。  一は「法顕伝によるに仏の生年を推して殷の世、 武乙の二十六年甲午に当たり、  今、 開皇十七年丁巳に至るにすなわちすでに一千六百八十一年とす。 一一は沙門法上、 高麗国の問いに答うるによるに、  すなわち前周の第五主昭王瑕の二十四年甲寅に当たり、 今丁巳に至るにすなわち一千四百八十六年なり。「穆天子別伝」を引きて証となす。 瑕子満と称し、 認して穆王となす。 仏の迦維に出ずるを聞き西遊して返らず_。 は像正記による。 前周第十七主平王宜伯の四十八年戊午に当たる、 今の丁巳に至るすなわち一千三百二十三年なり。 四は後周の沙門道安の羅什年記および石柱銘を用うるによるに、 推するに前周の第十八主桓王之林五年乙丑に当たる、 今丁巳に至るすなわち一千二百二十五年なり。 五は周の第十九主荘王の化十年すなわち魯春秋荘公の七年夏四月辛卯の夜恒星見えず、 夜中に星おつること雨のごとし。  すなわちこれ如来誕生の時なり。 またいわく、 涅槃より以来今開皇十七年丁巳に至る一千一百九十五年なり。 六は趙伯休によるに、 梁の大同元年譴山において弘度律師に遇うに、 仏滅後の「衆聖点記」を得て推するにすなわち前周の第二十九主貞定王高の_一 年甲戌に当たる。 今丁巳に至るにほとんど一千六十一年なり。〔大正蔵、 平につくる、同、 甲につくる〕)

 そのほかの異説はこれを略す。 けだし、 仏生年代のかくのごとく異なるゆえんにつきて、「僧史略」(巻上の初) に記するところ左のごとし。

按仏  生旦  多説不祠、 一則応現非>常、 遇乙縁即化、 故有ー一見聞不"同也、則西域来僧生処有一都城村落{  伝事有一函部類宗計故各説不>同也、  一則西域朴略_竿  能紀ーー録庶寛慢不ぬ型繁細一 故汎伝不レ同也。

 (仏の生日を案ずるに、 多説あり、 同じからず。  一にはすなわち応現常にあらず、 縁に遇えばすなわち化すが故に、 見聞同じからざることあり。  一にはすなわち西域よりきたれる僧は、 生まれし所に都城村落あり 事を伝うるに部類、 宗計あるが故に、 各説同じからざるなり。  一にはすなわち西域は朴略にして、 よく庶事を記録することまれに、 究慢にして繁細をたっとばざるが故に、 ひろく伝うること同じからざるなり。)

要するに、 印度人の性質は漠然として、 多く想像をもっ てやり、 年代のごとき細末の点には、 さらに意を注がざるによれるのみ。 しかして仏教家の多く唱うるところは、  周昭王もしくは穆王のときにして、  すなわち西暦紀元前千年前後に当たる。 しかるに、 西洋にて唱うるところはまた種々の異説ありといえども、 たいてい紀元前第五世紀とす。  ゆえに東西伝うるところ、 およそ五百年の相違あり。  そのほか「忍辱雑記」(巻上の七)、「学海余滴 巻一の初)、「涅槃事略」

四)等の雑書中にも、  仏生仏滅年代に異説あることを示せり。  かくのごとく釈迦仏出世の年代は、 古今東西の唱うるところ大いに不同ありといえども、 外道各派はその前に起こりしや、 その後に開けしやを知ること、 あえて難きにあらず。 もしこれを知らんと欲せば、 まず古来伝うるところによりて、仏教発達の情況を一言せざるべからず。


第五二節 仏教の発達

釈尊滅後、 仏教の伝灯隆替は、「仏祖統紀」、「仏祖通載」、「釈氏稽古略」、「編年通論」、 そのほか「付法伝「伝灯録」のごとき史籍はもちろん、 近くは「八宗綱要』、「伝通縁起」等によりても、 その大略知ることを得ペし。 よって左に、「八宗綱要」(巻上の二、「八宗綱要冠導」巻上の七)の文を抜記すべし。

伝聞如来滅後、  四百年間、 小乗繁昌、 異計相興、 大乗隈没納二在竜宮一 就>中一百年間純一潟瓶、  百余年後異論 計競起、 是以摩阿提婆徒吐二五事之妄言、 婆羅宮羅未>捨二実我之堅情一 正屈経星評二大義一而紛転、 西山北山起 翼 見  而猥綸、 遂使ー西四百年間二十部競 起五印土中一 乃至五百交評、 五百年時外道競典、 小乗梢隠、 況大乗耶、 妥馬鳴論師時将ーユハ百一始弘二大乗    起信論等是時則造、 外道邪見巻レ舌皆亡、  小乗異部閉ら口咸伏、 大乗深法再興一闇浮一 衆生機感已趣ー一正路一 次者有ーー竜樹菩薩一 六百季暦七百初運紹二子馬鳴 細   歩五印一 所缶有外道無レ不ーー皆催一 所>有仏法皆悉伝持、 三本華厳独含ーー胸蔵四弁文河妙控忌品喪  広造訟売舷 而青ーー於藍一 深窮仏  法而  寒ーー於氷凡斯ー一大論師並是高位大士也云云  ゜

(伝え聞く、 如来滅後四百年の間は小乗繁昌し、 異計相興り、 大乗隠没して竜宮に納在せり。 なかんずく一百年の間は純一潟瓶し、 百余年ののち異計競い起こる。  これをもって摩詞提婆いたずらに五事の妄言を吐き、 婆羅富羅いまだ実我の堅情を捨てず、 正只、 軽屈大義をあらそっ て紛転たり。 西山、 北山異見を起こして、 猥綸ついに四百年の間に_一十部をして五印土の中に競い起こらしめ、 ないし五百こもごもあらそう。 五百年のとき、 外道競い興り、 小乗やや隠る。 いわんや大乗をや。  ここに馬鳴論師、 ときに六百に将としてはじめて大乗を弘め、 起信論等このときにすなわち造す。 外道の邪見、 舌を巻きてみな亡じ、  小乗の異部、   を閉じてことごとく伏す。 大乗の深法再び闇浮に興り、 衆生の機感すでに正路に趣く。 つぎに竜樹菩薩あり、 六百の季暦、  七百の初運、  馬鳴についで五印に独歩せり。 あらゆる外道みなくだかずということなく、あらゆる仏法みなことごとく伝持す。 三本の華厳ひとり胸蔵に含み、  四弁の文河妙に江海を控く。 広く論蔵を造りて藍より青く、 深く仏法を窮めて氷より寒し。  およそこの二大論師は、 ならびにこれ高位の大士なり云々。)

すなわち、 釈尊滅後四百年間は、  小乗教盛んに行われ、 異論したがって競い起これり。 そのうち滅後百年間は、 小乗中いまだ宗派を分かつに至らず、  百余年を経てようやく二十部の分派を生じ、 もって互いに相競うに至れり。  その諸派分立の次第は、「異部宗輪論」ならびに「(異部宗輪論〕述記」につきて見るべし。  かくして小乗中、  ついに五百の異部を派生するに至れり。  すなわち「智度論巻_六 一の三) に仏滅後の状態を示して、 過  五百歳  後、 各各分別有  五百部一 従レ是以来以る求ーー諸法決定相一故、 自執二其法一 不>知>仏云云(五百歳を過ぎて後、おのおのに分別して、 五百部あり。  これより以来、 諸法の決定相を求むるをもっ ての故に、 自らその法を執して仏を知らず)といえり。  しかして五百年のときにありては、 諸派の外道大いに興り、  仏教これがためにその光を隠さんとせしが、 六百年のときに馬鳴出でて、  七百年のとき竜樹起こりて、 大いに外道を排し大乗を振興せりという。  その後九百年のときに無着世に出でて、 世親またついで起こり、 数百部の諸論を作り、 もって大いに大小両乗の仏教を宣揚せり。  かくして千百年に至り、  大乗中はじめて異見を起こし、  ついに有空ー一宗を分かつに至れるなり。  ゆえに『了義灯」(巻一本の五) には、  護法菩薩千百年後方始出社世__造  唯識論及広百論釈一 清弁同時出造 砥 珍論一 此時大乗方岬 空有

(護法菩薩は千百年の後に、 まさにはじめて世に出でて、『唯識論」および「広百論」の釈を造れり。 清弁同時に出でて、「掌珍論り、「八宗綱要」には、を造れり。  このとき、  大乗はまさに空有をあらそう)とあ

如来滅後一千年大乗宗未込夕異計一 千一百年之後大乗始起ーー異見一 故千一百年護法清弁評二空有於依他之上一千七百歳戒賢智光_論一相性於唇舌之間一 如三金剛_与  金剛応竺巨石与  巨石

(如来滅後一千年、 大乗宗いまだ異計を分かたず。 千一百年の後、 大乗はじめて異見を起こす。  ゆえに、 千論 一百年、  護法・清弁、 空と有を依他の上にあらそい、 千七百歳、 戒賢・智光、 相と性を唇舌の間に論ず。  金剛と金剛とのごとく、  巨石と巨石とに似たりとあり、「南海寄帰伝」(巻一の四) に、 所>云大乗無>過一種一 一則中観、  二乃喩伽、 中観則俗有真空、 体虚如幻、  喩伽則外無内有、  事皆唯識(いうところの大乗とは、  二種に過ぐることなきなり。 一にはすなわち中観、にはすなわち琺伽なり。 中観はすなわち俗有真空・体虚如幻なり。  琺伽はすなわち外無内有・事皆唯識なり)とありて、  印度にて大乗中に宗派の別を見たるは、 三論と唯識の二宗なること明らかなり。  これ本邦に伝うるところの、 印度の仏教発達の大略なり。 その小乗分派のごときは、 後に小乗哲学を講述するときに譲る。


第五三節 仏以前の外道

釈尊降誕以前に、  すでに外道の諸学派ありて、 互いに哲理を闘わせしことは、 仏害中往々散見するところなり。 まず「維摩経注維摩経」巻三の五)の外道六師は、  その注によるに、 六師仏未ーー出世一時、 皆道王ーー天竺也(六師は、 仏いまだ出世せざる時、 みな道は天竺に王たるなり)とありて、 仏以前にその法、 印度に行われしは明らかなり。  ゆえに「止観には、 至ーー仏出時有ユハ大師(仏出でたまうときに至りて六の大師あり)と説き、「輔行」(「止観科本」巻一の一三、「止観会本」巻一の一の一三) には、 此之六師仏未>出時、  道王二天竺{  至ーー仏出時  其宗已盛(この六師は、 仏のいまだ出でざる時、 道天竺に王たり。 仏の出ずる時に至りてその宗すでに盛んなり)と解せり。 また「三論玄義」(首桁の八)には、 釈迦未"興盛行  天竺一 能仁既出珍ーー此謬計

(釈迦いまだ興らざるとき、 盛んに天竺に行わる。 能仁すでに出でてこの謬計をほろぼす)と記せり。 もし「拐伽義疏巻一の下の六)に釈するところによらば、 仏出世前すでに、  四大計・極微計・虚空計等の外道諸論、 世に行われしもののごとし。  その文、 左のごとし。

仏未>出時、 外道或計二神我是常{  或計  冥諦是常    或計二自在天常一 或計二四大是常一 或計  極微是常或計二声性是常一 或計二虚空是常一 或計二是能作者故常ー  故仏広説  因縁生法一以破二斥  之

(仏いまだ出でざるの時、 外道あるいは神我はこれ常なりと計し、 あるいは冥諦にこれ常なりと計し、 あるいは自在天は常なりと計し、 あるいは四大はこれ常なりと計し、 あるいは極微はこれ常なりと計し、 あるいは声性はこれ常なりと計し、 あるいは虚空はこれ常なりと計し、 あるいはこれ能作者は故に常なりと計す。ゆえに、 仏は広く因縁生法を説き、 もってこれを破斥す。)

もし「止観」に論ずるところによらば、 そのいわゆる本源三外道は、 外道諸派の本源なりとす。  なかんずく迦毘羅仙(数論の祖)をもっ て元祖となす。 ゆえに「輔行に、 六師元祖是迦毘羅、 支流分異遂為二六宗

 

(六師の元祖はこれ迦毘羅なり、 支流分異してついに六宗となる)とあり。 しかして、 迦毘羅は仏にさきだっ こと幾年前なるやは、  得て知るべからず。  ただ「唯識述記」(巻一末の三九)には、 成劫の末、  人寿無屈のときに勝論の祖、優楼僧怯世にありと記し、「輔行」(「止観科本巻一    の九、「止観会本巻一    の一の九)にも休留仙の年代を示して、 其人在  仏前一八百年出世(その人、  仏の前にあること八百年に出世す)と記せり。「私記」(「止観私記巻一    の一 にこれを考証して曰く、

未玉変出所一 安楽行疏但云和ザ八百年一 乃至真諦云休留仙人成劫末出、 服  長生薬ー変為>石、 形如二牛臥一在広  前八百年中石消融如和へ  門人皆称"入二涅槃論 (いまだ出所を検せざるも、 安楽行の疏に、 ただ八百年に出ず、 という。 ないし、 真諦いわく、 休留仙人は成劫の末に出でて、  長生薬を服して変じて石となり、 形は牛の臥するがごとし。 仏前八百年中にありて、 石消融して灰のごとし。  門人みな涅槃に入ると称す)

とあり。 もし、 迦毘羅は休留仙の前に出世せりとするときは、 仏以前千年前後の上代の人なること、 推して知るべし。 しかるに「百論疏巻上中の一六) には、「金七十論巻上の一)によりて、 迦毘羅仙の劫初のとき、空より出ずと説くがごときは、 もとより神話の一種にして、 たれかこれを信ずるものあらんや。  また「因明大疏」によるに、 数論は成劫の初めに出でて、 勝論は成劫の末に出ずとなすがごときは、 数論は勝論の前に起こりしことを証するに足る。「因明後記」(巻中の一八)に、 問答を掲げてその前後を示して曰く、

前劫比羅何故成劫初時出世、 今此煽餡即_言一成劫末時方出一 何意不同、 答雖加倶総_出一成劫之中  先後有>別、故言ーー初末

(前劫の比羅はなに故に成劫の初時に出世し、 今この阻鶉はすなわち成劫の末時にまさに出ずという、 なんの意あってか不同なるや。 答う、 ともに総じて成劫の中に出ずといえども、 先後に別あり、  ゆえに初と末という)

と論ぜり。  かつそれ「百論疏」(巻中上の一八)に勝論師を説きて、  既在二僧怯後ー出見二  宗云び過是故立>論名ニ衛世師 すでに僧怯の後にありて、 出でて一の宗に過ちありと見、 これの故に論を立つるを衛世師と名づく)

とあるを見れば、 勝論は数論の後なること明らかなり。 つぎに、 本源三師の第三なる勒沙婆は、「輔行」(「止観科本」巻一の一〇、「止観会本巻一    の一の一にもいまだ出世の時節を知らずとあれば、  その年代知る べからずといえども、 数論.勝論の後に起こりしことは、 やや想定するを得 ぺし。 しかしてこの三師は、 ともに仏以前世間に行われしことは疑いなかるべし。  すなわち、「義楚六帖 巻一四の七)に「正理論」を引きて、  この三師の仏未出世のときにありて、 世間を化せしことを示せり。 また「百論疏」(巻上中の一八)には、 此之師並是釈迦末>興、 盛行二天竺一 釈迦出時、 倶__値  十八一切智_人  

(この三師はならびに、  これ、  釈迦いまだ興らざるとき、 盛んに天竺に行わる、 釈迦の出ずるときは、 ともに十八の一切智人にあえり)とあるを見て知るべし。  この説によれば、 四大外道の一なる若提子は、 仏出世以前にはいまだ世にあらざりしもののごとし。  すでに「三論玄義抄」(巻上の九) にも、「百論疏」に準知するに、 四外道中に若提子を除き、 余の三外道は、  ともに釈迦未出のときに興れるもののごとくに解せり。 しかるに若提子の年代は、「止観輔行」(「止観科本    巻一    の一に参  知 出 世時節  (いまだ出世の時節を知らず)とあれば、 仏前仏後をも判知し難しといえども、  さきに

第四五節に引証せる「開解抄」に、 若提子は勒沙婆十五人の弟子中の随一なりと解するところによれば、 尼健子の後にして、 仏以前もしくは仏と同時代に、  すでに世に存せざるを得ざるもののごとし。 仏経中には往々尼腱子、 若提子を合し、 外道の一論師のごとく記せしを見ても、 その師弟同類の学派なることを知るべし。  かつ「百論疏」のいわゆる十八一切智人の中には、 尼健子、  若提子も加われる以上は、 仏出世の当時、 すでに世にありて行われしは明らかなり。  これによりてこれをみるに、 比較上、  数論最初に起こり、 勝論そのつぎに起こり、 尼健子は勝論のつぎにして、 若提子は尼健子のつぎに起こり、 ともに仏出世のときに早くすでに世間に流布して、 多少の勢力を有せしは、 けだし疑いなかるべし。 しかりしこうして、 因明の鼻祖たる足目仙人は、 数論の前に世に出でて、 因明学派を開きたるもののごとし。 その在世の年代もとより知る ぺからずといえども、 因明書類に記せ論 るところによれば、 その仙人劫初に出でて因明を起こせりといい、 あるいは大梵天の仙人に化したるものなりという。  これによりてこれをみれば、  上古に出でたる一大論師なること明らかなり。  これを「因明本作法抄』(巻上の二)に考うるに、  成劫の最初、  人寿無量歳のときに、 天竺に足目仙人といえる外道出世せり。  これ大梵王の化身なり云々とあり。  また、  この足目仙人初めて九句因を造りしが、 そののち数論.勝論といえる二人の外道世に出でて、  この九句因を所依として、  二十五諦および六句義の法門を建立せることを記せり。 果たしてしからば、  足目は迦毘羅および迦那陀の前に世に出でたる人なりというべし。 ゆえに、 余は外道諸師の年代の順序を、左のごとく考定せんと欲す。

 

一、 足目(因明初祖)

四、 勒沙婆(尼撻子論師)二、 迦毘羅(数論師)五、 若提子論師二、 迦那陀(勝論師)

 そのほか維摩の六師のごときは、 仏以前の外道たりしこと明らかなり。 この諸師の学派ようやく分立して数十派となり、 釈尊出世の当時すでに九十余種をもっ て目せられたりしは、 決して疑いなかるべし。 なんとなれば、大小乗の経文中に、 九十五種あるいは六種の名目を散見すればなり。 かつ、 以上挙示せる本源三師あるいは六師外道は、 その源みな「毘陀経」の有神論の一変したるものなれば、 梵天あるいは自在天を立つる外道にいたりては、  さらにその諸師以前にありて存せざるべからず。 換言すれば、 毘陀外道は印度外道の濫腸ならざるべからず。  釈尊出世の当時にありても、 有神外道の論、 最も世間に剪力を有せしは明らかなり。 ゆえに「十二門論疏(巻下末の九)に、 所ー以十五門広破  自在一者、 仏未出世乃至主人フ盛行広盆良  亦多有ーー神験一 世人信>之故広破也(十五〔句の〕門もて広く自在を破するゆえんは、 仏のいまだ世に出でざるより、 ないし今に至るまで世に盛行し、 また多く神験ありて世人これを信ず。 ゆえに広く破す)とあるをもっ て、 その一斑を知る ぺし。  これらの外道は、  みな苦行によりて解脱を得んことを求め、「涅槃経」の苦行六師のごとき修行をなせり。 昔時、 釈尊入山学道するに当たり、 最初祓伽仙人に遇い、 後に阿羅邁仙人をたずねて、 互いに問答せしこと、「仏本行集経 巻の六以下)、「大荘厳経巻七の五以下)、「因果経」(巻二の二二以下)、「釈迦譜巻三の六以下)等の諸密に見えたり。  その諸仙の説くところ、 いずれも苦行をもって道となせり。 今「無星寿経会疏』(巻二の )にその一端を摘示せるをもっ て、 左にその一節を転載すべし。

観嘉  諸仙人行{  或以二草苔樹皮樹葉込竺衣服  者、 或有 唯食二草木花果一 或有二勤苦一日一食、  二日一食、 三日一食一 或事ーー水火一 或_奉一日月一 或勉ニニ映   或臥二荊棘一 即問以>此求一ー何果報一 仙人答言為>生玉^ 上一 太子歎辛、  買人為知利故  入ーー大海一 王_為一国土一典>師相伐、 今諸仙人為>生年天、 故  修ーー此苦行{  歎ー已  黙然  ゜

(もろもろの仙人の行を硯察するに、 あるいは草・苔・樹皮・樹葉をもって衣服となす者あり、 あるいはただ、  草木・花果を食するあり、 あるいは勤苦して一日に一食、  二日に一食、 三日に一食あり、 あるいは水・火につかえ、 あるいは日月を奉じ、 あるいは一脚をあげ、 あるいは荊棘に臥すあり。  すなわち問う、  これをもってなんの果報を求むるや、 仙人答えていう、 天上に生ぜんがためなり、 と。 太子嘆いていう、  賣人は利のためにことさらに大海に入り、  王は国土のために師を典して相い伐つ。 今、 もろもろの仙人は天に生まれんがために、  ことさらにこの苦行を修す、  と。 嘆きおわりて黙然たり。)

 これ、  釈淳と祓伽仙人との問答なり。 つぎに、 阿羅邁仙人との問答は左のごとし(「無菰寿経会疏三)。

 

巻 ーの三論 太子諮曰、 大仙為レ我説下断一年生老病死一之法か仙人示曰、  衆生之始始ーー於冥初一 初起二我慢一 慢生ーー痴心一 痴生染愛    愛生二五微塵気    五微胞気生私が五大一 従ーー五大圧ず合欲瞑悪等諸煩悩一 於>是流転生老病死憂悲苦悩、今_為一太子一略言>之。

(太子請いて曰く、 大仙、 我がために生・老・病・死を断ずるの法を説け。 仙人示していわく、 衆生の始は冥初に始まる。 初め我慢を起こし、 投は痴心を生じ、 痴は染愛を生じ、 愛は五微塵の気を生じ、 五微塵の気は五大を生じ、 五大より貪欲・隕慈等のもろもろの煩悩を生ず。  ここにおいて流転して生・老・病・死・憂.悲・苦悩あり、 今、 太子のために略してこれをいう、 とこの答えによりてこれをみるに、 阿羅邁仙は数論派の論師なるを知るべし。 しかるに、 釈尊は外道の学行の道理にあらざるを知り、 古今を達観して一大卓見を起こせり。  その教えの、 外道の上に非常の影孵を与えしは必然の勢いなり。  その一斑は、「谷密集」(巻九の三 に引きたる「雑宝蔵経」の文につきて知ることを得べし。

雑宝蔵経云、 仏在二舎衛国一 爾時如来降ーー化外道邪見六師及其脊属一 悉使ーー破尽一 五百尼健子作二是念言一 我徒衆都破散尽、 不>如焼>身畢就二  後世一 即_集一薪草一便欲ソ焼>身。

(「雑宝蔵経」にいわく、 仏舎衛国にあり、 そのとき如来は外道の邪見の六師およびその脊属を降化し、 ことごとく破尽せしむ。 五百の尼健子、  この念を作していう、 我らの徒衆すぺて破散され尽くす、 身を焼きおわりてのち世に就かんにはしかず、 と。 すなわち薪草を集め、  すなわち身を焼かんと欲す。)

以上は、 釈導出世以前よりその在世の当時までの、 外道の状態を示せるものなり。



 

第五四節

 

仏以後の外道

 さきに一言せしがごとく、 仏入滅以後、 百年を経て異部互いに争い、  四百年を経て外道大いに興り、 仏教ときにようやく衰滅せんとする勢いなりき。  すなわち「+ 門論宗致義記」(巻上の一、「起信論義記」巻上の一)

 大師(釈迦)没後異執紛綸、 或趣二邪途{  或奔二小径一 於ら是九十五種競__扇  邪風一十八部争揮西函火一 遂使一真空惹日    匿ーー輝昏雲一 般若玄珠惑 絃 魚目

(大師(釈迦)没後、 異執紛綸たり。 あるいは邪途に趣き、 あるいは小径にはしる。  ここにおいて九十五種競いて邪風をあおぎ     一十八部争いて熾火をふるい、  ついに真空の慧日をして輝を昏雰にかくし、 般若の玄珠をこの魚目と惑わしむ)

と。 もってその当時における仏教内外の情況を見るに足るべし。 しかるに、 馬鳴・竜樹の二大士世に出ずるに及び、 仏教再び気炎を吐くに至れり。 竜樹出世の年代につきては、 あるいは仏滅後百年、 あるいは一二百年、 あるいは五百年、 六百年、 七百年等の異説あり。 よろしく「二教論果宝紗 一の二五)を見るべし。  その当時の情況は、「竜樹伝」(四)に竜樹於二南天竺ー大弘二仏教一 推ーー伏外道一 広明西吟阿術 竜樹は南天竺において大いに仏法を弘め、 外道を樅伏し、 広く摩詞術を明かす〔 大正蔵、 法につくる〕)とあり、 また「暴徳伝灯録」(巻一二三)に其国先有二外道五千余人咋   大幻術一 衆皆宗仰、 芍者(竜樹)悉為  化>之令血匹三宝(その国にさきごろより外道五千余人ありて、 大幻術をなす。 衆みな、 宗として仰ぐ。 尊者(竜樹)、  ことごとくためにこれを化して、  三宝に掃せしむ)とあるを見て、 その一斑を知るに足る。 なおそのつまびらかなるは、「付法蔵伝巻五の一五以下)につきて見る ぺし。 竜樹所造の「大智度論、「中論」、「十二門論」、「方便心論等は、  みな外道を破斥したる書なり。  その門下より出でて、 もっぱら破邪に力を尽くししものは提婆なり。「百論」、「百字論」、「外道小乗四宗論」、「外道小乗涅槃論は、  みなその所造なり。「提婆伝」(三、「付法蔵伝」巻六の三、「仏祖統紀」巻五の二によるに、 提婆は一切諸聖中仏第(一切諸聖の中、 仏第一)、  一切諸法中仏法第一(一切諸法の中、 仏法第一)、  一切救世中仏僧第一(一切救世の中、 仏僧第一)の三義を立てて、 八方の外道論師と大いに争い、  みなこれを屈して出家せしめしことを記せり。 また『碧巌録」(巻二の九、「碧巌録抄」巻二の二四、「開抄見聞巻四の三七)に出だせる一節は、 西天論議の盛んなる一端を示すに足るをもっ て、 左にこれを掲ぐ。

西天論議勝者手執ーー赤旅一 負堕者返一披袈裟一 従二偏門ー出入、 西天欲一ー論議ー須五得』奉ーー王勅一於二大寺中涵仁鐘撃>鼓然後論議い於>是外道於二僧寺中国ざ禁鐘鼓    為>之沙汰、 時迦那提婆尊者知二仏法有』難、 遂運二神通登レ楼撞>鐘欲ら竺外道一 外道遂問、 楼上声>鐘者誰、 提婆云天、 外道云天是誰、 婆云我、  外道云我是誰、 婆云我是僧、 外道云備是誰、 婆云儒是狗、 外道云狗是誰、 婆云狗是傭、 如>是七返、 外道自知二負堕一 伏>義遂自開>門、 提婆於>是従二楼上  持二赤脂ー下来、 外道云汝何不る後、 婆云汝何不>前、 外道云汝是賤人、 婆云汝是良人、 如五是展転酬問、 提婆折以一無凝之弁{  由レ是帰伏、 時提婆尊者手持ーー赤施一 義堕者猫下立、  外道皆斬レ首謝レ過、 時提婆止>之、 但化令二削>髪入孟道、 於>是提婆宗大典。

(西天に論議に勝つ者は、 手に赤廂をとり、 負堕する者は袈裟を返披して、 偏門より出入す。 西天に論議せんと欲せば、  すべからく王勅を奉じて、  大寺の中において、 鐘をならし鼓をうって、 しかして後に論議することを得べし。  ここにおいて、 外道僧寺の中において、 鐘鼓を封禁してこれがために沙汰す。 ときに迦那提婆尊者、 仏法に難あらんことを知っ て、 ついに神通をめぐらして、 楼に登り鐘を撞いて、 外道を按せんと欲す。  外道ついに問う、 楼上に鐘をならす者はだれぞ。 提婆いわく、 天。 外道いわく、 天はこれだれぞ。  婆いわく、 われ。 外道いわく、 われはこれだれぞ。 婆いわく、  われはこれなんじ。  外道いわく、 なんじはこれだれぞ。 婆いわく、 なんじはこれ狗。  外道いわく、 狗はこれだれぞ。 婆いわく、 狗はこれなんじ。 かくのごとくすること七返。 外道自ら負堕するを知っ て、 義に伏してついに自ら門を開く。 提婆ここにおいて、  楼上より赤旅を持して下り来る。  外道いわく、 汝なんぞ後れざる。 婆いわく、 汝なんぞすすまざる。  外道いわく、汝はこれ賤人か。  婆いわく、 汝はこれ良人か。  かくのごとく展転酬問す。 提婆くじくに無凝の弁をもっ てす、 これによって帰伏す。 ときに提婆諄者、 手に赤痛を持す。 義堕する者は痛下に立つ。 外道みな首を斬って過ちを謝せんとす。 ときに提婆これをとどめて、 ただ化して髪を削って道に入らしむ。  ここにおいて、 提婆宗大いに興る。)

かくして、「百論疏 巻中の中の四)には、 天竺外道一異盛興、 則即二仏正教一 提婆破>之、 仏教興>世(天竺には外道の一異盛んに興る。  すなわち仏の正教を熙ぐ。  提婆これを破すれば、 すなわち仏教世に興る)とあり。ゆえに、「百論」「序」(巻上の一)に造論の縁由を述ぶること左のごとし。

仏泥湮後八百余年    有ーー出家大士{  蕨名二提婆{  玄心独悟、 俊気高朗、 道映ーー当時{  神超ー一世表故能闊二三蔵之重関一 坦之幽路一 撹二歩迦夷一__為  法城湮一 干>時外道紛然、 異端競起、  邪弁逼>真、 殆乱正道一 乃仰慨ーー聖教之凌遅{  俯_悼一群迷之縦惑{  将翌迩こ訊愉{  故作一斯論{  所『一ー以防>正閑>邪、 大明於宗極一者  突。

(仏、 泥湮ののち八百余年、 出家大士あり、 その名は提婆、 玄心独悟にして俊気高朗、 道は当時にかがやき、 神は世表に超えたり。  ゆえによく三蔵の重関をひらき、 十二の幽路をたいらかにし、  ほしいままに迦夷に歩み、 法城の堅となる。  ときに外道紛然として異端競い起こり、  邪弁真にせまり、  ほとんど正道を乱す。すなわち仰いで聖教の陵遅をなげき、 俯して群迷の縦惑を悼み、 まさに遠く沈愉をすくわんとして、  ゆえにこの論を作る。 正をまもり邪をしずむるゆえん、 大いに宗極を明らかにするものなり。)

 

そののち無培、  世親、 世に出でて、  また大いに外道を排して大小両乗を広めり。「八宗綱要巻上の一 ) こ、九百年時(仏滅後)無着菩薩出ーー於世間一__利  益衆生一 乃至此時代中、 世親施ソ化云云(九百年の時(仏滅後)、 無溶菩薩世間に出でて衆生を利益し、 ないし、  この時代の中に世親化を施す、 云々)とあり。  世親は一に天親と称し、 無沼の弟なりという。  その年代につきて「唯識述記」(巻一本の一 には、 慧世法師の「倶舎序」「(  倶舎疏序新紗    六)に、 仏滅後千百年に世親出生すといい、 真諦法師の「中辺疏」に、  九百年中に出生すというがごとき異説あることを記せり。  ゆえに「正信偶勅説』(巻中の二)に、 

按    九百年千年未満之中間而生、 其寿八十則千百年之間行化也(案ずるに、 九百年、 千年未満の中問にして生ず、 その寿八十なればすなわち千百年の間に行化す)という。 世親の外道を推伏したることにつきて、「天親伝」(九、 および に曰く、(天親) 七十真実論一_破ー外道所造僧怯論一 首尾瓦解一句得ら立    ((天親)すなわち七十兵実論を造り、 外道所造の僧怯論を破したるに、 首尾瓦解して    一句も立するを得るなからしむ)と。 また日く、

此外道以二毘伽羅論義  破一法師所立文句    謂与二毘伽羅論ー相違、 令二法師救ら之、 若不>能砿救此論則壊、  法師云、 我若不知ぎ毘伽羅論一 登能解  甚深妙義一 法師切造>論破ーー毘伽羅論

(この外道は、 毘伽羅論の義をもっ て、 法師所立の文句を破していわく、「毘伽羅論と相違するをば、 法師をしてこれを救わしめん。 もし救うあたわずんば、 この論、 すなわち壊せん」と。  法師のいわく、「われもし毘伽羅論を解せざれば、 あによくその甚深の妙義を解せんや」と。 法師はすなわち、 論を造りて、 毘伽羅論を破しける)

と。 また曰く、 異部及外道論師、  聞一法師名も  呆'二畏伏  (異部および外道の論師は、  法師の名を聞きて、 畏伏せざるはなし)とあり。  そのつぎに陳那および商喝羅主世に出でて、 ともに因明の学を興して、 また大いに外道の邪論を排せり。  この二論師のことはさきに第二四節に一言せるも、 今その年代を考うるに、「端源記巻一の

 三)には、 店山賓云、 仏入寂後千歳之外、 東印度境按達羅国有  大域竜菩薩丘焉(窃山の賓いわく、 仏入寂後千歳の外、 東印度の境の按達羅国に大域竜菩薩あり)と記せり。 大域竜はすなわち陳那なり。 また、「明灯抄 巻一本の一には左のごとく示せり。

 仏涅槃後一千余年、 南印度境按達羅国有二  論師 二現於世一 声徳遠振、 智冠一千古一 於一五印度大域之内一立破自在、__如  竜勢カ一 名ーー大域竜

(仏涅槃してのち一千余年にして、 南印度の境の按達羅国に一論師あり。  世に出現して声徳遠く振るい、 智は千古に冠たり。  五印度大域の内において、 立破自在にして竜の勢力のごとし。 大域竜と名づく。)

しかるにまた、  仏滅後九百年出世となす説ありて、『因明本作法抄」(巻上の四)にはその説によりて、 陳那菩薩は仏入滅後第九百年に出世して、 よく因明の法理を明らかにす云々とあれども、 多く千余年の説をとる。 陳那の門人商渇羅は、 さらにその師の因明を振起して、 大いに外道を圧伏せり。  これを『因明大疏」(巻一の一) に示して、 遂令し勝論数論同三喬山之押一春卵一 声生声顕替中驚諷之巻中秋薄上(ついに勝論・数論をして喬山が春卵を押すに同じく、 声生・声顕をして驚漑が秋の釉を巻くにたとえしむ)といえり。 彼の因明論をみるに、 その推論の方式もっぱら数論. 勝論・声論に対して立論せるもののごときは、  その当時、  この三種の外道大いに世間に行われしによるや明らかなり。  かくして仏滅後千百年に至り、 護法論師出でて大乗を広め、 あわせて外道を破せり。「八宗綱要」(巻下の二、「八宗綱要冠導」巻下の三)にその影愕を形容して、 外道邪執閉>口而如>痙、 異部小乗巻>舌而同>納、 故西天外道小乗並称云、 大乗唯有ーー此人  (外道の邪執、 口を閉じて痘のごとく、 異部の小乗、 舌を巻いて納に同じ。 ゆえに西天の外道、 小乗ならびに称していわく、 大乗にただこの人あり)といえり。これを要するに、 無着、 陳那の前後は印度の哲学ほとんど全盛を極め、 仏教の理論また最も発達せしときなり。その後、 仏教ようやく印度に衰えて支那に興り、  ついに一変して支那仏教の時代となれり。  これによりてこれをみるに、 印度は仏教の前後に外道諸派ありて互いに雌雄を争い、 一起一什の盛衰ありしこと明らかなり。

さらに眼を転じて西洋所伝の六師を考うるに、 勝論は尼耶也より分化し、 喩伽は数論の一派にして、 弥曼差  吠檀多はともに毘陀学派なりという。 ゆえにこれを合類すれば、 尼耶也学派・僧怯学派・毘陀学派の三大種となるべし。  これ、 仏教中に見るところのものと同じからず。 しかして、 年代の前後につきては一定の説なし。 ある説によれば、 尼耶也をもって最古の学派となす。 仏教にても前に述ぶるがごとく、 因明学派は印度最古の学派なるがごとしといえども、  これ、 いまだ全く信拠す ぺからず。 しかして、 弥曼差・吠檀多の両派に至りては、 仏以後の学派となす。  これを仏教の上に考うるに、 経論中にこの名称を見ずといえども、 その所説を較するに、「唯識論」の毘陀論師の声常説なること明らかなり。 その名称は仏以前の三師、 あるいは六師中に見ざるところなれども、 六師中には自在天を立つる有神論あり。  かつ、  この学派所依の本経すなわち「毘陀経」は印度最古の経典なれば、 その派のはるかに仏以前にありて、  印度に存せしは言をまたず。 けだし、 唯識・因明等に見るところの声生・声顕論も、  みな毘陀論師の声常説の分派なるべし。  これによりてこれをみるに、「毘陀経」に基づきて有神論を唱うる論派は印度最古の外道なるも、 仏出世の前後一時やや衰え、 数百年を経て再興せしもののごとし。西洋の弥曼差・吠檀多は、 仏以後に再興したる有神学派なるべし。 余案ずるに、 数論.勝論・尼耶也等の学派は、その源毘陀より起こりしも、  一変して二元論・多元論等を唱えて、 もって有神論を排するに至れり。  ゆえに自然の勢い、 その諸論に反対して有神一元を唱うる学派ありて起こらざるを得ず。  これ、  この両学派の起こるに至りしゅ えんなり。 ゆえに、  その学派は仏以後に起こるも、  その実、 仏以前の有神学派の再興なれば、  これを仏以前の学派と称して可なり。  かつ、  これを六大学派中最古の学説となし、 本源の学派と称して可なり。 もし、 弥曼差・吠檀多の二派につきて前後を較するに、 弥曼差前に起こり、  吠檀多後に起こりたるもののごとし。 けだし、弥曼差は毘陀の表面にもとづき、 吠檀多は裏面にもとづき一は婆羅摩(歌頌)にもとづき、  一は優波尼薩土(哲学) にもとづきたることにつきて、 その発達の前後を知ることを得べし。 あるいはまた、  この二派はともに弥曼差学派と称し、 前者はプルヴァ・ミマンサ(前ミマンサ)と名づけ、 後者をウタラ・ミマンサ(後ミマンサ)と名づくという。  これまた、 年代の前後を示すものなり。 そのほか、 吠世史迦学派は僧怯の後に起こりしことは言をまたずといえども、 その二派(数論.勝論)はともに仏以前に発達せしことは、 西洋所伝につきても知ることを得べし。 しかして、 堆伽学派に至りては数論の分派なれば、 数論の後に起こりしはもちろんにして、 仏以後の学派なり。「方便心論』にこの外道の名称を掲ぐるを見れば、 竜樹の当時すでに世に存せしを知るべし。 西洋にて一般に唱うるところによれば、 西暦紀元後の学派なりという。

以上の六大学派のほかに、  別に一派を成せる闊伊那教にいたりては、 その開立の年代を確知することあたわずといえども、 その説、 仏教と婆羅門教とを折衷せるもののごとく、 仏以後の学派なること推して知るべし。 しかるに西洋所伝によれば、 あるいは仏以前、 あるいは仏以後、 あるいは仏同時の異説あり。  その派に白衣派・裸体派の二種ありて、 裸体派は仏書中のいわゆる露形外道なり。  ゆえに、  これを尼健子外道となす説あり。 もし、  これを尼健子もしくは露形外道とするときは、 仏と同時もしくはその以前に存せし外道ならざるべからず。 しかるに仏害中には、 いまだ闊伊那教の名称あるを見ず、 また尼健子とその派との同異をも弁ぜるを見ず、 ただ露形外道のことを数密中に散見せるのみ。  白衣外道のことも、  一、  二の書中に出ずるあり。 例えば「六物圏」(四、「六物図纂註巻一の一六、「六物図箋要」巻上の一六)に、  外道は保形にして恥ずることなく、 白衣は多貪にして菫ねて着るとあり。  これ、「智度論」(巻六八の二三) にもとづく。  すなわち「同論」に、  白衣求>楽、 故多畜ー一種種衣    或有二外道  苦行、  故裸形無>恥(白衣は楽を求むるが故に、 多く種々の衣を蓄え、 あるいはある外道は、苦行の故に、 裸形にして恥なし)とあり。 また「資持記」(巻下一の一の三)に、 外道裸身表>著>空也、 白衣重著表>著>有也(外道の裸身は空に着するを表すなり、 白衣を重ねて着るは有に荘するを表すなり)とあり。  このいわゆる白衣は在家の通称と解し、 閣伊那の白衣派をいうにあらざるなり。

以上論定せる外道諸派の年代は、 わずかに比較上前後の類別を立てたるのみ。  その詳細に至りては、 到底これを明らかにする道なし。  かつ、  その諸派のよりて起こるは必ず前後の次第あるべしといえども、  その盛んなるに当たりては各派ともに一時に勃興して、 互いに雌雄を争いたるや疑いなし。 ゆえに、  ひとり仏教中に散見せる事実を集合して年代を定むるは、  講学上最も困難とするところなり。


 

第五五節 仏教と外道との関係

 

すでに仏滅前後に外道諸派の競起せるありて、 互いに理論を闘わしし以上は、 外道の説の仏教中に混入し、 仏説の外道中に融化したるものなしというべからず。 近来西洋学者中には、 仏教と外道とを比較して、  この説を主唱するもの多し。 仏説と優婆尼薩土あるいは吠檀多哲学を比考するに、 類同の点すこぶる多く、  仏説と数論.勝論とを対照するも、  また近似せる点すくなからざるを見る。  すでに仏教家中にも、 小乗有部は勝論より転化し、「大乗起信」は数論より変遷しきたれりと唱うるものなきにあらず。 その極み、 ついに大乗非仏説を唱え、 大乗は仏滅後数百年を経て、 中途より成来せりとなすものあるに至る。  ゆえに、「出定後語の次第を述べて、 左のごとく記せり。巻上の一) に仏教教起今且考ーー教起之前後{  蓋始  干外道其立巳言者、 凡九十六種、 皆宗>天、 曰修乏  因{  乃上生年天是已  ゜因果経云、 太子因入  雪山一 遍拍諸_仙  欲る_求一何果仙人答言、 為>欲五チ天、 乃是  ゜衛世師外道在二仏前  八百年、 是最久遠、  其最後出、  阿羅羅鬱陀羅也、  蓋二十八天、 以二非非想一為>極、 是鬱陀所>宗、 為』度  無所有  而生』子此七  是本上』子阿羅以二無所有玉? 極而無所有則本上二子識処一 識処則本上二干空処一 空処則本上ーー子色界{  空処色界、 欲界六天、 皆相加上以成>説、 其実則淡然、 何知  其信否一 故外道所説、 以  非非想  為>極、 釈迦文欲>上  干此一 難に復以二生天認ぽ之、  於>是上宗七仏一 而離二生死相加>之以  大神変不可思議力{  而示__以  其絶難>為、 乃外道服而竺民舟焉、 是釈迦文之道之成也。

(今かつ教起の前後を考うるに、 けだし外道に始まる。  その言を立つる者、 およそ九十六種、  みな天を宗とす。 曰く、  これを因に修すれば、  すなわち上天に生ずと、  これのみ。

「因果経    にいう、 太子、  ちなみに雪山に入り、 あまねく諸仙にとう、 なんの果を求めんと欲すと。仙人答えいう、 天に生まれんと欲するがためと。  すなわちこれ。衛世師外道は、 仏の前にあること八百年、  これ最も久遠。  その最も後に出ずるは阿羅羅、 鬱陀羅なり。 けだし二十八天、 非非想をもっ て極となす。  これ鬱陀の宗とするところ、 無所有をへてここに生まるとするなり。  これ、 もと阿羅の無所有をもって極とするに上す。 しかして無所有はすなわち、 もと識処に上す。 識処はすなわち、 もと空処に上す。 空処はすなわち、 もと色界に上す。 空処色界、 欲界六天、 みな相加上してもって説を成せり。  その実はすなわち漠然、 なんぞその信否を知らん。  ゆえに外道の所説は、 非非想をもって極となす。 釈迦文ここに上せんと欲するも、 また生天をもっ てこれに勝ち難し。  ここにおいて、 上七仏を宗として生死の相を離れ、 これに加うるに大神変不可思議力をもっ てして、 示すにその絶えてなし難きをもってす。  すなわち外道服して竺民帰す。  これ釈迦文の道の成れるなり。)

また、「赤保保  「付録」(三四)にも左のごとく記せり。

 

竺土之俗、 尚一治心学所謂外道者、  先一於仏ー数百年、 既能立砿教弘社法、_化一導  人民蓋其学在伝庄禅定乃住一心一境{  使  人不五散、 其功之成託  言ーー之生天{  就ーー其成果之勝劣一 而層層設ーー諸天一 所謂色無色四禅四空処是也、 釈迦之出興也、 其初亦従ー外道  遊、 後別出二機軸一 立ーー一家言    以ー一生天一為ソ未ーー解脱一 以乙界玉ぞ究党一 演孟笠岬 以示ーー観境    列二四果ー以_明_   階差{  此所謂声聞乗也。

(竺土の俗は治心の学をとうとぶ。  いうところの外道とは、 仏にさきだっ こと数百年、  すでによく教を立て、 法を弘め、 人民を化導す。 けだし、 その学は禅定を修するにあり。  すなわち心を一坑に住して、 人をして不散ならしむ。 その功の成るは託してこれを生天という。  その成果の勝劣について、 陪々として諸天を設く。  いわゆる色・無色・四禅    四空処これなり。 釈迦の出興するや、 そのはじめはまた外道に従って遊ぶ。のち別に機軸を出だし、  一家の言を立つ。 生天をもって未解脱となし、 出    界をもっ て究党となす。  四諦を演じて、 もって観境を示し、  四果を列して、 もっ て階差を明かす。  これ、 いうところの声聞乗なり。)

この二書は仏教を批判排斥せしむなれば、 その論たやすく信ずべからずといえども、 また講学上参考の一助となるところなきにあらず。 けだし、  仏教はその当時の外道の上に、 別に一機軸を出だして一家をなすに至りたるは事実なるぺし。  しかして、「出定後語」に衛世師をもっ て最も久遠となすは、 大いに疑いなきあたわず。 もし仏教中に外道の説を混入せしや、 外道中に仏教の説を混入せしやを判知するがごときは、 他日比較学の大いに進むにあらざれば、 確実なる断定を下すべからず。 しかるに仏教中に、 外道の前に仏ありて当時ただ仏教のみありしが、 その仏入滅後種々の外道起これりとなす一説あるがごときは、  世人の大いに怪しむところなり。 例えば、

「経律異相 巻三九の一)に掲ぐるところ左のごとし。

仏_告一文殊一 汝欲畑炉世間__建  立外道一 過去時世有>仏名ー拘ー   孫陀跛陀羅一 出  興子世一 時彼世界無二諸沙礫無外  道_名唯一大乗、 仏涅槃後法欲>滅時有二  阿蘭若比丘一 名曰 仏 慧有二  善人知呼無価衣{  比丘受>之、 有ー迄諸猟師圧す劫盗心{  夜将ーー比丘云ぎ深山中    壊>身裸形、 懸>首繋>樹、 時有ー採ー    華婆羅門云デ阿蘭若処一 見"虎恐怖、 向>山馳走、 見一彼比丘壊>身裸形懸>首繋』樹驚歎、 嗚呼沙門先著二袈裟  而今裸形、  必'知裟非二解脱因    自懸苦行是真学道、  彼人翌当>捨ー離ー   善法一 正    当分明知二此  是解脱道因一 壊一正托  法一即捨>衣抜レ髪_作一裸形沙門裸形外道従>是而起也、 時比丘自得>解レ縛即_取一樹皮一 赤石塗染以自障蔽、 結>草払>蚊、又有ーー採華婆羅門一見>之念言、 是比丘捨ーー先好衣ー著一如レ是衣一 持ーー如是払一 登当>捨ーー離善法一 正当分明知二此是解脱道一  即_学一是法一 出家婆羅門従>是而起也、 時彼比丘暮入ュー水浴一 因洗蒜密庫 即取玉水、 衣以覆二取枚  牛人所  棄弊衣>以自覆ら身、 時有訟伽者一 見己念言、 是比丘先著二袈裟ー而今悉  捨、  必知袈裟非ーー解脱因   浴、 修ーー習苦行一 登当廷炉離善法一 正当分明知此  是解脱道、 即学二彼法苦行婆羅門復従"是起也、 比丘浴  已  身体多>疸蠅蜂暖食、  即以ーー白灰  処処塗>癒、 以求>衣覆レ身、 時有二見者面匹言是道即学ーー彼法{  灰塗婆羅門従乙是而起也、 比丘然>火炎  権    癒転苦痛、 不ソ能一堪忍一 投>巌自害、 時有二見者一言、是比丘先著一ー好衣一 今乃如乙是、 翌当伍捨二離善法一 正知投乙巌是解脱道、 投>巌事火従も定而起也。

如丘是次第九十六種、 皆因二是比丘種種形類一起二諸妄想生各各相殺い 外道生>異、 亦復如>是  ゜各自生>見、 袢如  有>国一視而起』  想厖想既

 (仏、 文殊に告ぐ。 汝、 世間に外道を建立するを聞かんと欲す。  過去の時世に仏あり、 拘孫陀跛陀羅と名づく。 世に出興す、  時に彼の世界にもろもろの沙礫なく、 外道の名なく、 ただ一大乗のみなり。 仏涅槃の後、法滅せんと欲するの時、の阿閾若比丘あり、 名づけて仏慈という。 一善人ありて無価の衣を施す。  比丘これを受くるに、 もろもろの猟師あり劫盗心を生じ、 夜比丘をひきいて深山の中に至り、 身を壊して裸形にし、 首にかけて樹に繋ぐ。 時に採華の婆羅門あり、 阿蘭若処に至り虎を見て恐怖し、 山に向かいて馳走す。かの比丘の身を壊し、 裸形にして首をかけて樹に繋ぐるを見て驚嘆す、 ああ、 沙門は先に袈裟を着け、 しかも今は裸形なり。  必ず知る、 袈裟は解脱の因にあらず、 自らかけて苦行す。  これ真の学道ならん。  かの人、あにまさに善法を捨離すべしや、 まさにまさに分明に、  これはこれ解脱道の因と知るべし。 正法を壊して、すなわち衣を捨て髪を抜きて裸形の沙門と作る。 裸形外道はこれより起こるなり。 時に比丘自ら縛を解することを得、  すなわち樹皮を取り、 赤石をもっ て塗染してもっ て自ら障蔽し、 草を結びて蚊を払う。 また採華の婆羅門あり、  これを見て念言す。  この比丘は先の好衣を捨て、  かくのごとき衣を着し、  かくのごとき払を持す、 あにまさに善法を捨離すべきや、 まさにまさに分明に、  これはこれ解脱道なりと知れば、  すなわちこの法を学ばん。 出家の婆羅門はこれより起こるなり。 時にかの比丘、 暮に水浴に入り、 よって頭疱を洗い、すなわち水を取りて衣をもっ て癒上を覆い、  牧牛の人のすつるところの弊衣を取りてもって自ら身を覆う。時に樵者あり、  見おわっ て念言すらく、  この比丘は先に袈裟を着け、  今はことごとく捨つ、 必ず知る、 袈裟は解脱の因にあらず、 ゆえに破弊衣を被る。  日夜三浴し、  苦行を修習す、 あにまさに善法を捨離すべしや、まさにまさに分明に知る、  これはこれ解脱の道なりと。  すなわちかの法を学ぶ、 苦行婆羅門はまたこれより起こるなり。 比丘浴しおわりて身体に疸多く蠅蜂暖食す、 すなわち白灰をもって処々に癒を塗り、 もって衣を求めて身を覆う。  時に見者あり、  これ道なりというとおもい、  すなわちかの法を学ぶ、  灰塗の婆羅門これより起こるなり。  比丘火をもやし、 癒を炎すに癒うたた苦痛にして堪忍するあたわず、 巌に投じて自害す、時に見者ありていう、  この比丘は先に好衣を着け、  今はすなわちかくのごとし、 あにまさに善法を捨離すべしや、 まさに知る投巌これ解脱道なり、 投巌事火これより起こるなり。

かくのごとく次第し、 九十六種みなこの比丘の種々の形類よりもろもろの妄想を起こし、  各自見を生ず。たとえば国あり 一の相をみて羅想を起こし、 饂想すでに生じておのおの相殺するがごとし、 外道の異を論 生ずる、 またまたかくのごとし。)

これ、「央掘魔羅経」(巻四の一四)に出ずる説なりとなす。「止観輔行観科本」巻一    二、「止観会本    巻一二)こも、  そのことを引用せり。 そのいわゆる過去世とは現在の世界をいうにあらざれば、そのことたる宗教の秘怪に属し、 もとより哲学上の論題にあらず。  そのほか「経律異相」(巻せる経文にして、 仏教と外道との関係を示すもの二、 三にとどまらず。  その一例に、 六師の仏に帰化したる一話あり。 すなわち左のごとし。

 昔六師在>世、 貪ー著利投一 自称二独諄聞ーー仏出世神徳過ぅ人、 集共結>誓、 我等宜可  斉>心同二議語不  相違  乃良  勝>之、  即幽  一人往 観" 如来    為如>人、 _不視無二厭足一 還白ーユハ師一 親紐顔貌世之希有、 威神光明__蹄  於日月{  如一我所見一 無>可一智喩一 六人復念、 其人出ーー於王種一 理応ー一端正一 何足和反央  今且更逍ニ人{  往_観一為無為為一 躁疾還告  六師龍曇在>衆如ーー獣中王一 無>__所  畏難六人復念、 愚人希更事    貪二彼光明一 此是常儀何足ーー復怪出乙自王宮一 六万妹女昼夜相娯、 未ーー更師学更_述一往聴頗有二経理{  為如ーー凡夫一即逍  明達一人一 観二仏所説一還白ーユハ人{  彼所レ道説、  達  古知レ今、 前知二無極ー  却親二無窮{  判>義析>理、 不  煩重一 六師復    作ーね客弐  世多有>人、 弁辞捷疾、 悦二可人心一 然理不全存不>可二尋究一 復姻下往観中衆人聞>説為 寂 然一 聴受為よ一慣乱一耶、 還白  六師塑曇所顕味如一甘露衆人渇仰、 聴無  厭足一 六人復念、 人集従初、 久    必退散、 更遣二高勝一人一 往瞭下為一義理深遼  為 浅 薄ー耶上還白二六師一 罹旦所顕如ーー海無品、 我等所見如  牛蹄水到(出ユハ師誓経今我一人、  且欲函祉彼求ぶ竺弟子{  前後使ー一人各共相将詣ーー如来所復有  無数衆生相競而

 (昔、 六師世にあり、 利養に貪著し、 自ら独尊と称す。  仏の出世し神徳人に過ぐるを聞き、 集いてともに誓を結ぶ、 われらよろしく心をひとしくし議を同じくし、  語相違せず、  すなわちこれに勝ることを得べし、と。  すなわち一人を恐わしゅ きて如来はこれ人のごときか、  みて厭足なからざるかを観ぜしむ。  かえりて六師にもうす、  鞄餞の顔貌は世の希有にして威神の光明は日月に蹄ゆ、 わが所見のごときは誓喩すべきなし、と。 六人また念ずらく、 その人王種に出ず、  理としてまさに端正なる ぺし、 なんぞまた怪しむに足らん。 今しばらくさらに一人を述わして、 ゆきて為か無為の為かを観ぜしめん。 躁じて疾くかえりて六師に告し、 覆昼は衆にありて獣中の王のごとし、 長難するところなし、 と。 六人また念ずらく、  愚人はねがいてさらに事として、  かの光明をむさぼる。  これはこれ常俄にして、 なんぞまた怪しむに足らん。  王宮の六万の妹女、 昼夜相たのしむより出でて、  いまださらに師学せず、 さらにゆきてすこぶる経理あるや、 ために凡夫のごときに聴かしめん、  と。 すなわち明達の一人を遣わし、 仏の所説を観ぜしめん、 と。  かえりて六人にもうす、   のいうところの説はいにしえに達し、 今を知り、 前は無極を知り、 却りて無窮をみる、 義を判じ理を析するに事煩重ならず、 と。 六師またこの念を作さく、 世に多く人あり、 弁辞捷疾にして人心を悦可す、 しかるに理存せず、 尋究すべからず、  と。  また、 ゆきて衆人の説を聞き寂然たるや、 聴受して偵乱をなすやを観ぜしむ。 また六師にもうす、  携曇所顕の味は甘露のごとし、 衆人渇仰して聴きて厭足なし、  と。 六人また念ずらく、 人集まりてはじめより久しければ必ず退散せん、 と。 さらに高勝一人を遣わし、 ゆきて義理深遂となすか、 浅薄となすかをみせしむ。  かえりて六師にもうす、  糀餞の所顕は海の涯なきがごとし、 われらの所顕は牛蹄の水のごとし、 今われ一人、 しばらく彼に就きて弟子となることを求めんと欲す、  と。 前後人をして、

おのおのともに相ひきいて如来の所に詣り、 また、 無数の衆生の相競いて到るあり。(「六師誓経  に出ず))

かくのごときは、  みな仏教の方より外道を論じたるものにして、 外道より仏教を評したるものにあらざれば、局外者の信ぜざるところなりといえども、  余はもっぱら仏朽中に散見せる外道の評論事実を収集するを目的となすをもっ て、  ここに仏教と外道との関係に属する二、  三の例を示せしなり。

これを要するに、 釈迦仏はその当時の外道に対して、  一段の新機軸を出だし、 外道の苦行に代うるに、 出世解脱の要路を示し、  一時五印度の衆生を風靡したりしは、 決して疑うべからず。 仏滅後、 仏教ようやく衰運に際会せしも、 馬嗚・竜樹以後大いに復興し、 各派の外道みなこれに帰向するの勢いを呈せしもまた事実なり。  これに加うるに、 実際にありては釈尊ひとたび起こりて婆羅門の族制組織を破り、  大いに人民の自由を伸張するを助けたりしもまた疑いなし。  これを約言するに、 釈怒は印度の宗教上ならびに道徳上において、 空前絶後の大革新者なりしは、 決して争うべからざるなり。

なお「結論」に至りて、 外道と仏教の関係異同を詳述すべし。

 


第三編 各論第一  客観的単元論



第一章 四大論


第五六節    外道哲学の順次

前編において挙示せるがごとく、 仏教中に外道を分類する方法数様ありといえども、 余は別に自ら定むるところの方法によりて、 各派の外道を分類すべし。  すなわち、 第一に外道全体を客観論、 主観論の二大門に分かち、第二に客観主観両論をおのおの単元論、 複元論の二類に分かち、 第 ーに客観論中の単元論を有質論、 無質論に分かち、 複元論を有神論、 無神論に分かち、 客観論より主観論に及ぼし、  単元論より複元論に及ぼすの順序をとらんとす。 しかして、 客観論の下には、 有形の物質あるいは外界の境遇をもって哲学の原理と立つる諸派を論述し、  主観論の下には、 無形の我性あるいは内界の作用をもっ て原理と立つる諸派を論述すべし。 しかしてその変遷につきて言わば、 客観論の極は有神論となり、 有神論の極は無神論となり、 無神論さらに変じて物心二元論となり、  二元論さらに変じて実体論あるいは理想論となる。  これ、 外道哲学のようやく進みて仏教に入る順序なり。 もし外道と仏教とを較すれば、 その間におのずから右表のごとき別あるを見る。

ゆえに、 外道中の主観論あるいは複元論は、 仏教上よりこれをみれば、 なお客観単元の範囲を脱せざるものなり。 しかるに、 もし外道諸派の間に前後を較するときは、 またその思想に深浅店下の別あるをもっ て、  かくのごとき分類を設くるに至る。 しかりしこうして、 その順序は決して年代の前後によりて分かちたるにあらず。 けだし、 印度はさきにしばしば述ぶるがごとく、 歴史の年代を徴すべきものなきをもっ て、 各学派の新旧を考証するあたわず、 わずかに比較上その前後を推測するに過ぎず。 しかれども哲学の勃興せし際には、 各学派たいてい同時に競起して、 互いに論鋒を交え、 雌雄を争いたるをもって、 九十余種の学派は、 ほとんど同時に世に出でたるがごとき観あり。 ゆえに、 余は到底年代の前後をもって次第を立つるの難きを知り、 思想発達の原則に基づき、普通浅近の説より、 ようやく高尚深遠の論に及ぼすの順序をとれり。 換言すれば、 有形の原理を立つるものより、 無形の原理を立つるものに及ぼすの次第を用うるなり。 しかして余おもえらく、  これ多少年代の順序と一致するところあるべし。 なんとなれば、 思想の発達は、 いずれの国においても有形より無形に入り、 具体より抽象に移るを通則とすればなり。  例えば希服哲学史につきてこれを考うるも、  この規則の事実なるを知るべし。 かくして、  これより論ずるところは、 さきに「総論」において表示せる「外道小乗四宗論    の四宗、「涅槃経」および「維摩経の六師外道、「華厳大疏」の十一種、「唯識論」の_十計、「堆伽 、「顕揚」の十六異論、「智度論」の十六知見、「外道小乗涅槃論    の二十種、「大日経」「住心品」の三十種によらんとす。 しかしてその名称のごときは、 必ずしも経論中に出ずるものを用うるにあらず、 最も普通にして解しやすきものをとる。 まず客観論の表目は左のごとし。



 第五七節    地論

まず客観論中単元論を考うるに、 地水火風の四大および極微は有形有質のものなれば、  これを有臼論と称す。その第一の地論は、「大日経」「住心品」=一十種外道の第二なる地等変化と名づくる外道の一種に属し、 地をもって一切万物の原因となす一派なり。 しかしてその外道は『堆伽論」十六計および「外道小乗涅槃論二十種中には見ざる計なれば、「住心品疏    の「冠註」「(  住心品疏冠註」巻四の七一)に、 未后ぞ以"地為>因、 以ル火為ら因之計之文上也(いまだ地をもっ て因となし、 火をもっ て因となすの計の文を見ざるなり)といえり。 しかれども、すでに風・水・虚空等を立つる外道ある以上は、 地論を唱うる論師あるべきは自然の理なり。  その論旨を「住心品疏」および「+ 住心論」(巻一の四九、「十住心論冠註」巻一の九六、「+ 住心論科註せるところ、 左のごとし。巻一末下の二九)に示或言地為 方 物之因一 以ー一切衆生万物依>地得江生故、 以示'>観し地之自性、 但従ーー衆縁和_合  有む竺而  生一是見一 以為下_供一簑_地  者当ね匹ー解脱

(あるいはいわく、 地は万物の因となる。  一切の衆生と万物とは地によって生ずることを得るをもっての故に。 地の自性はただし衆縁和合するによっ て有なりと観ぜざるをもっての故に、 しかもこの見を生じて、 地を供蓑する者はまさに解脱を得ぺしとなす。)

すなわち、  そのとるところは、  一切万物はみな地によりて生ずるをもって、 地は万物の原因なりと論定するにあり。  これを『住心品疏宥快紗』(巻四五)を引証して左のごとく示せり。の二、『十住心論科註」巻一末下の二九)には、『智度論」(巻二の一

復次有>人、  於ーー他物中一我心生如ーー外道一  坐禅人用>地如>是、 顛倒故於二他身中盃か計>我。一切入観時、 見 地 則是我、 我則是地一 水火風空亦

(またつぎ に、 有人は、 他物の中において我心を生ず。 外道の坐禅人のごときは、  地一切入観を用うるとき、 地を見ればすなわちこれ我、 我はすなわちこれ地とす、 水火風空もまたかくのごとし。 顕倒の故に他身においてもまた我を計す。)

また「宥快紗」(巻四    の三)に、 醤云下如ー一大地一切衆生依一 如中是一切智天人阿修羅依土者、 如二世間百穀衆薬弁木叢林一 随ーー其性分ー無量差別、 皆従二大地一而生二根芽  (たとえば大地は一切衆生の依たるがごとく、  かくのごとく    一切智は天・人・阿修羅の依なりという。 世問の百穀・衆薬・草木・叢林のその性分に随っ て無屈差別あるがごとく、  みな大地より根芽を生ず)の文をも引証せり。  しかしていわく、 地をもって万物の依となすことは仏法中に見ゆ。 ただし、 外道等は地の因縁を観ぜず、  みだりに常住実有の法となす。  ゆえに、 仏法の因縁和合上の建立に異なりと論ぜり。  そのほか経論中、 地に関して説きたるものあるを見ず。『大日経疏拾義紗」(巻五の三七)に、 地等変化の四字につきて解説していわく、 地等者五大等二余四大一 雖恥即可。為二五計一 所計同  故合  為ニ一種一 是五大一類法    故也、 変化者五大変化生一缶万物  義也(地等とは、 五大は余の四大と等し、 開きて五計となすべしといえども、  所計同じきが故に、 合して一種となす。  これ五大の一類の法なるが故なり。 変化とは五大変化し万物を生ずるの義なり)とあり。 また『十住心論科註巻一末下の二九) にいわく、 是五大計五人異計也

 (これは五大の計にして五人の異計なり)とあり。 地等とは地水火風空の五大を略したるの語にして、 変化とはその五大変化して万物を生ずるをいうなり。 しかるに、 真言宗においては一切万物みな五大より生ずといえる説を立つるをもっ て、 地等変化外道とその説を同じくするがごとしといえども、 外道の所計は常識凡情の浅見にして、 深理によりて達観せるものにあらず。  これに反して、 真言の所計は五大融通、 万有渉入の真理にもとづきて立つるものなれば、 その間、 天壌の差ありという。  これを「呆宝紗」(巻末五の五二)には、

 是又雖如竪真言五大能生義徳実義乎唯約  情所謂ー以二時等込竺能生未>知ー一因縁生無自性之理一 何況即事而真、 表

(これはまた真言五大能生の義に似たりといえども、 ただ情の所謂に約して、 時等をもって能生となして、いまだ因縁生無自性の理を知らず、 いかにいわんや「即事而真」表徳の実義をや)

といえり。 しかるにまた真言の一説には、 外道の五大計は外道以前の密教より起こるとなすものあり。 今「住心品略解巻五の七)によるに、 範曰問此五計与  自宗所立五大  有二何別一乎、 答自>本外道所計皆起>自二前仏教法一 故今此五大外道亦起レ自ーー先仏密教一故云云(範いわく、  問う、 この五計と自宗所立の五大となんの別ありや。答う、 もとより外道の所計はみな前仏の教法より起こる。 ゆえに今この五大外道また先仏の密教より起こるが故に、 と云々)とあれども、  これ、 あに学説の許すところならんや。 しかるにまた「涅槃経」(南本_巻一 三の一九、

「涅槃経会疏」巻三=一の四一)には、 外道に対して、 五大の無常なるゆえんを論明して曰く、

善男子皆如ー一切衆生樹木因祉宰皿住、 地無常故因>地之物次第無常一 善男子如一ー地因如ーー水因油風、  風無常故水亦無常、 風依  虚空一虚空無常、 故風亦無常  ゜水、 水無常故地亦無常、

 (善男子、 たとえば一切衆生、 樹木地によりて住す。  地無常の故に地によるの物次第無常なるがごとし。 善男子、 地水により、 水無常の故に地もまた無常なるがごとく、 水風により、  風無常の故に水もまた無常なるがごとく、  風虚空により、 虚空無常の故に風もまた無常なり。)

そのほか外道の五大説は、 以下述ぶるところにつきて見るべし。



第五八節    水論

つぎに、 水をもっ て万物の原因と立つる外道あることは、 諸書の中においてこれを見る。「住心品」には、 地等の中にこれを摂せり。「外道小乗涅槃論」(五)には、 第十八にこれを置けり。  すなわち、 服水論師の説これなり。 また「中論疏」(巻三本の九)には、 如  服水外道一 計  水能生  一切万物一 即是従>有生也(服水外道のごとし、 水よく一切の万物を生ずと計す。  すなわちこれ有より生ずるなり)の語あり。  さらにまた「外道小乗涅槃論」の文を引用すれば

第十八服水論師作茄如>是説一 水是万物根本、  水能生ーー天地一 生二有命無命一切物一 下至ーー阿鼻地獄一 上至ーー阿迦尼托天一 皆水為レ主、 水能生>物、 水能壊>物、 名為二涅槃一 是故外道服水論師説水是常名ー一涅槃因

(第十八の服水論師はかくのごとくの説をなす、 水はこれ万物の根本なり、  水はよく天地を生じ、 有命無の一切の物を生じ、 下阿鼻地獄に至り、 上阿迦尼托天に至るまで、  みな水を主となす、 水よく物を生じ、 水よく物を壊すを名づけて涅槃となすと。  この故に外道服水論師は、 水はこれ常にして涅槃の因と名づくと説

この説明によりて、 服水外道の論旨を知ることを得べし。  すなわちその意、  一切万物は水によりて生じ、 水によりて滅するが故に、  水は万物の真因たりというにあり。 けだし、 天地間に生存せる一切の有機物は、 水を得て生育し、 水を失いて枯死するものなれば、  これらの事実を見て、 水は万物の真因なることを論定したるものならんか。「大日経疏宥快紗」(巻四その文、 左のごとし。

の三)には、「金剛頂経開題を引きて、  仏法中にも水論あることを示せり。

一切色法水能生能持、  一切天人及傍生大身小身有情、 皆是水大所ソ生、 水輪所レ持。

(一切の色法は水よく生じ、 よく持す。  一切の天人および傍生、 大身、  小身の有情はみなこれ水大の所生にして水輪の所持なり。)

西洋にも、 希臓哲学の鼻祖と呼ばるるター レス〔 窃〕氏は、 水をもって万物の本体となせり。  これ、 東西両説の偶然相合したるものなり。  ひとり西洋のみならず、 支那にも「草木子」(巻説あるを見る。の一) に、  これに類せる

 天始惟一気爾  荘子所謂漠滓是也、 計二其所  先、 莫>先ーー於水一 水中滓濁、  歴>歳既久、 積而成漸加函菜杢  水落土出、 遂成二山川一 故山形有二波浪之勢一焉。土、 水土震蕩、

(天の始めはただ一の気なるのみ。 荘子のいわゆる渓滓これなり。 その先するところを計るに、 水より先なるはなし。 水中の滓濁歳をへてすでに久しく、 積みて土を成じ、 水・土震蕩してようやく凝緊を加え、 水落ち土出でてついに山川を成ず。 ゆえに山形に波浪の勢いあり。)

これまた偶然の暗合ならんか。 古来、 印度および西洋には地水火風四元の説あり。 支那にも木火土金水五行の説ありて、 両説ともに水を諸元の一に加えたり。 ゆえに、 東西両洋に水をもって万物の真因と立つる論の起こるも、 また自然の勢いにして、 あえて怪しむに足らざるなり。 ただここに服水論師の名称につきて、 やや疑念なきあたわず。  これを単に水論師と呼びて可なるぺきを、 服水論師と称するはなに故なるか。 けだし、 服水の名称は

 「外道小乗涅槃論に起こり、 自余の書中にその称を見るは、  みなこれにもとづきしものならん。 しかして、いずれの疏釈を検するも、  その名義を解説せるものあらず。  よって余は、 付会の評を免れ難しといえども、 字典に照らしてこれを考うるに、 服は服用あるいは服事と熟して、 服水を解するにおのずから二様あるべし。 もし、  これを服事の義にとるときは、 服水はなお事水というがごとく、 水に服事するをいう。 なお、  火を崇拝する外道を事火外道と称するに同じ。  これを経論中にたずぬるに、「涅槃経 北本巻一六の一五)に四月事>火、  七日服>風

(四月火につかえ、  七日風を服す)とあり、「菩薩戒経疏」(「注菩薩戒経」巻上二の三七、「菩薩戒経会疏集註」巻二の二四) に事>火服>風(火につかえ、  風に服す)とあり、 また「舎頭諫経」(五)に常事ー水火諸神(常に水火の諸神につかう)の語あり、「釈迦氏譜(巻下の二)に或事一水火日月あるいは水火日月につかう)の句あり。  これによりてこれをみるに、 服水は事水の義なりと知るべし。 しかるにまた、 服を服用の義にとり、 服水を解して飲水となす説なきにあらず。「釈門正統』(巻一の九)に、 飲レ水度>日云云(水を飲み日をわたる、云々)の苦行あることを掲げり。 また、 事火服風の語は「正法眼蔵」(然巻帰依三宝の四)に出ずるをもって、

「渉典続紹暗冊の五二、「渉典録」巻一上の四)に「関手子および「荘子を引きて、 服風を吸風と解せり。  これによりてこれをみるに、 服水は飲水の義にとらざるべからず。  しかれども余は、 服水は事火と相対し、水に服事するの義をよしとす。

 


第五九節    火論

つぎに火論は、「住心品」の地等の中にはこの一種を摂するのみにして、 他書にはこの外道の名目を掲ぐるを見ず。 しかれども、 地水火風中に地論・水論あるいは風論を唱うるものあれば、 火論を唱うるものまた必ずあるペき理なり。 西洋にはヘラクレイトス〔〕氏の火論あり、  またゼノン〔   宮の〕氏(ストア〔 〕学祖)のごときも、  一種の火論と称して可なり。 なんとなれば、 その論ヘラクレイトス氏の説と異なるも、  太初に火気ありて、 これより風(空気)を生じ、  風より水を生じ、 水より地を生ずるものと立つる以上は、世界の本源を火と立つる説なること明らかなり。 あるいはまた、 近世カント〔〕氏以後、 一般に行わるる、 宇宙の元初は高熱の火体より成るといえる説のごときは、 同じく一種の火論に属す ぺし。 しかるに仏書中には、 別に火論外道を述明せるものなきをもって、 その所論をつまびらかにすることあたわず。 ただ、 事火外道あるいは事火婆羅門の名称あるを見る。  これ、 火をもって神聖なるものとし、  これに供挫して福を得んことを求むるにあれば、  ここにいわゆる火論外道とその種を異にするは言をまたず。 畢党するに、 事火婆羅門は、 婆羅門計中の一種なるべし。 今ここに火論外道にあわせて、 そのことを弁明せんと欲す。 まず「百論疏によるに曰く、巻上中の二八)

外道謂ール火是天ロ一 故就ーー朝瞑二時ー再供  授火問外道何故_謂  火為二天口  耶、 答倶舎論云、 有>天従ル〈中出、  語ー言諸天口中有  光明一 謂言是火、 故云ーー天口方便心論云、 事レ火有二四法    一  辰朝礼敬、  二殺生祭祀、  三燃ーー衆香木    四献ーー諸油灯問智度論云、 火本為手^ロー  而今一切敵、 此言何謂、 答外道謂、  火是天口、正焼一蘇等十八種物一 令  香気    上達二諸天天得>食ら之、 令二人獲品福、 将欲血焼時前逍二人や然後焼、 而今一切厳    者、 此是無常反異、 令ー一切浄不浄悉皆焼ら之、 故云切厳

(外道は、  火はこれ天口なりとおもえり、 ゆえに朝瞑の一一時について再び火を供挫す。  問う、 外道はなにが故ぞ、  火を天口となすというや。 答う、「倶舎論」にいわく、 天あり、 火中より出でて語っていわく、 諸天の口の中に光明あるはこれ火なりという、  と。  ゆえに天口という。「方便心論」(四)にいわく、  火につかうるに四法あり    ーには辰朝に礼敬し、  二には殺生して祭祀し、 三には衆香木を燃じ、  四にはもろもろの油灯をたてまつる、 と。 問う、「智度論    にいわく、 火はもと天口となす、 しかも今一切嗽すといえり、  この言はなんの謂ぞや。 答う、 外道はいえり、 火はこれ天口なり、 まさしく蘇等の十八種の物を焼いて、 香気をして上諸天にいたらしむれば、 天はこれを食することを得て、 人をして福をえせしむと。  まさに焼かんと欲するときに、  さきに人をして呪せしめて、 しかる後に焼く。 しかるに今一切咽すというは、  これはこれ無常反異なり。  一切の浄不浄をして、  ことごとくみなこれを焼かしむ。 ゆえに一切峨すという。)

 

この事火のことは、「止観輔行「止観科本」巻一の九、「止観会本巻一    の一の九)にも引証せり。 もし「拐厳眼髄」(巻三下の二五)によらば、  涅槃経云二事火婆羅門一 智論云梵志之身供  養火一 形容憔悴云云(『涅槃経」に事火婆羅門という。「智論」にいわく、 梵志の身、  火を供養し形容憔悴す、 と云々)と記せり。 また「秘蔵宝鍮勘註に、 事火外道計、  火能浄ー一切正呼諸煩悩一云云(事火外道は、  火はよく一切をきよめ、 もろもろの煩悩を焼くと計す、  云々)とありて、 婆羅門の一種に火をもって神聖なるものと信じ、 その中に身を投じて清浄を得ることをつとむるものあり。  これ苦行外道の一種にして、 今述ぶるところの火論外道に同じからず。 しかるにゾロアスター〔 〕の開きたる火教にいたりては、 神火を拝するをもっ てその名を得たるものなれば、うべし。 わが国にありては、 真言宗に護摩の法あり。  これ、 婆羅門の火祠の法より伝われるものなりという。「大日疏補閾紗」(巻五の九および一三)に、 外道典籍浄行婆羅門等四囲陀論中有 四 十四種火祠之法{  如今出世護摩軌儀

 (外道の典籍、 浄行婆羅門等の四囲陀論の中に、  四十四種の火祠の 

法あり、 今の出世護摩軌儀のごとし)と、 また是世護摩雖>出ーー於婆羅門囲陀ー西天諸族通修也(この世の護摩は婆羅門の囲陀に出ずといえども西天の諸族通じて修するなり)とあり、 もっ て護摩の由来を知るべし。 しかるに

「補閾紗    には、 真言の火法は、 婆羅門の火法を摂伏するためなるゆえんを述べていわく、 如来大乗真言門亦有火法    所  以爾亦有元〈法一者、 為丘摂五伏事火婆羅門等執二外火    戸慢如来法一之一類  故也(如来大乗の真言門もまた火法あり、 しかくまた火法あるゆえんは、 事火婆羅門等の外火を執して如来の法を軽慢するの一類を摂伏せんがための故なり)とあり。  そのほか「同紗」に、 事火婆羅門のことにつきて、 種々経論を引証して説明せるあり。 例えば大梵天子所生火名一簸囀句一 是世間最初之火乃至簸囃句、 此是世間火名也、 従二此大梵天子 下次第相生、皆是彼四猷陀法中火神、 彼梵志等但供投而無二所用火処一也、 梵飯子畢但羅、 乃至補色迦路陶以上次第相生、十一梵皆事火婆羅門所一虔誠供養一也

(大梵天子所生の火を簸咽句と名づく。  これ世間最初の火なり。 ないし簸噸句は、  これはこれ世間の火の名なり。  この大梵天子より以下、 次第相生し、  みなこれ、 かの四津陀法中の火神にして、  かの梵志等ただ供疫して所用の火処なきなり、 梵飯子畢恒羅ないし補色迦路陶以上、 次第相生す。 十一梵はみな事火婆羅門に虔誠供養せらるるなり)等とあり。 以上、 火論外道の一斑を述べて、 あわせて事火外道のいかんを弁明せり。



第六    節    風論

つぎに、  風論は「外道小乗涅槃論    の第三風仙論師の説にして、 その論旨、 左のごとし。

問曰何等外道説面風為二涅槃因一 答曰第一二外道風仙論師説、 風能生二長命物一 能殺ーー命物物ー  名>風為二涅槃一 是故風仙論師説ら風為>常、 是涅槃因。風造ー一万物{  能壊  万

(問うて曰く、 なんらの外道、 風を涅槃の因となすと説くや。 答えて曰く、 第三の外道風仙論師の説かく、風はよく長命の物を生じ、 よく命ある物を殺す、 風は万物を造り、 よく万物を壊す、 風を名づけて涅槃となすと。  この故に風仙論師は、 風を常となし、  これ涅槃の因なりと説く。)

これ、  風はよく万物を生育し、  かつ壊滅する作用あるをもっ て、 万物の真因となす説なり。「住心品」三十種中には地等の中にこれを摂するも、「住心品疏」には有>計水能生 示祐只  火風亦爾(ある〔人〕が計すらく、  水はよく万物を生ず、 火風もまたしかり)と示すのみ。 そのほかの経論中には、 別に風仙外道の名目を列するを見ず。  それ、  風は四大の一種にして、「倶舎論」(巻一の九)には風界動性と説き、「勝宗十句義論」(初)には唯有>触是為>風(ただ触のみあれば、 これを風となす)と解せり。 しかして、 風は一切万物に逼在せる通有性となせり。  果たしてしからば、 水論・火論に伴いて風仙外道の説起こらざるを得ず。 もしこれを西洋に比するに、  これ希朦のアナクンメネス〔 窃〕氏の、 空気をもって万物の原体となす論に合すべし。 けだし、 空気はその体ただちに見るべからずといえども、  その動きて風となるや、 なにびともたやすく感ずることを得 ぺし。  ゆえに印度にては、 その知りやすき風をもっ て四大元の一種となせり。  すなわち、 そのいわゆる地水火風は、  エンペドクレス〔 〕氏の地水火および空気の四元に同じ。 以上、 地水火風の四大を原理と立つる外道を略述しおわれり。 その論さらに一歩を進めて、 極微論を生ずるに至る。 なお、 希臓哲学史上にター レス、  アナクシメネス、  エンペドクレス等の学説、 ようやく進みてデモクリトス〔ゆえに、  これより極微論を講述すべし。〕の分子論を見るに至るがごとし。

 


第二章 極微論


第六一節    順世外道

外道の客観論は地水火風論に始まり、 さらにその原体いかんを論究して極微論の起こるに至る。  これ、 人智発達の順序なり。 それ、 極微論は西洋のいわゆる分子論にして、 微細なる物質分子の集散分合によりて、 万物の生滅変遷を現示すと唱うるものこれなり。 その論は順世外道の立つるところにして、「唯識論ず。 曰く、巻一の一五)に出

 或外道執地水火風極微実常能生一厖色一 所生羅色不>越一和因量一 雖一是無常一 而鉢実有。

(あるいは外道の執すらく、 地・水・火・風の極微は実なり、 常なり、 よく贔色を生ず、 所生の蘊色は、 因の屈に越えず。  これ無常なりといえども、 しかも体実有なり、 と。)

これを「唯識述記 巻一末の七七)に解説して、

此唯執下有一実計四大圧す一切有情い 一切有情稟>此而有、 更無ーー余物一 後死滅時還帰ーー四大』云云

 (これはただ、 実に四大あって一切の有情を生ずと計す、  一切の有情はこれをうけてしかもあり、 さらに余の物なし。 後に死滅するときには、 かえって四大に帰すと執す、 云々)

とあり、 また「義林章」(巻一本の二二および巻一末の七)には順世外道一切皆四大故、 以二常四大玉伊鉢(順世外道は一切みな四大なるが故に、 常〔住〕の四大をもっ て体となす)とあり、 また同書に順世外道及清弁等成忌境唯  (順世外道および清弁等は境唯を成立す)とありて、 無機無生の諸物はもちろん有機有生の人類動物にいたるまで、  ことごとく地水火風の極微分子より成り、 別に物質を離れて精神の存するにあらずという。「中論(巻四末の四)に、  外道計至妙之色、 円而且常、  衆則成>身、 散則帰>本、 天人六道、 莫>不二由>之生  (外道計すらく、  至妙の色は円にしてかつ常なり、  衆まってすなわち身と成り、 散じてすなわち本に帰す。 天人・六道はこれによって生ぜずということなし)とあるも、 またこの外道の計ならん。  ゆえに「広百論」(巻三の    四)に日く、  

順世外道_作一如>此言諸法及我大種為五性、  四大種外無  別有ら物、  即四大種和合為ーー我及身心等(順世外道はかくのごとき言をなす。 諸法および我は大種を性となす。  四大種のほかに、 別に物あることなし。 すなわち四大種が和合して我とおよび身心等となる)と。  これ、 実に純然たる唯物論なり。 しかりしこうして、 人類に識心作用の存するは、  四大の極微中最も精妙なるものの作用なりとなす。 例えば、 万物その体みな物質なるも、  ひとり灯に光ありて余物になきがごとく、 人類も木石もともに四大より成るも、 人類に識知作用ありて他にこれなという。  ゆえに『演秘」(巻一末の一ーニ)に、 有'義順世極微有二其三類    一極精虚、  二清浄、  三非二虚浄一 所生之果亦有ーー其一心心所、  二眼根等、 三色声等(ある義のいわく、  順世の極微にその三類あり。  一には極精虚、ニには清浄、 三には虚浄にあらず。 所生の果にもまたその三あり。  一には心心所、  二には眼根等、  三には色声等なり)とあり、 もって同じく四大より成りたるものに無機・有機・無智・有智の別あるゆえんを知るべし。 

また「琺伽論」(巻六の一六)によるに、 十六異論の第五計常論の下に極微説を掲げて曰く、 彼謂従ーー衆微性  厖物果生、 漸析一羅物一乃__至  微住一 是故蘊物無常、  極微是常(彼おもえらく、 もろもろの微性より厖物の果生ず、 ようい宣やく蘊物を〔分〕析して乃し微住するに至る。  この故に羅物は無常なり、 極微はこれ常なり)とあり。  しかして、断見論の下に断見論者の説を示して日く(「瑠伽論巻七の八)、 我有  総色四大所造之身任持未』壊、  爾時有>病有>痙有>箭、 若我死後断壊無>有(我に羅色の四大所造の身あり、 任持していまだ壊せざれば、 そのとき病あり。 痙あり、〔毒〕箭あり、 もし我は死すれば後断壊してあることなし)と。 また日く、 我身死已断壊無>有、 如 瓦 石一 若一  破    已不>可ーー還合 我は身死しおわって断壊してあることなし、 なお瓦石のもしひとたび破れおわれば、 また合すべからざるがごとし)とあり。「顕揚論もこれに同じ。  これ順世外道の論意にして、  今日のいわゆる唯物論なり。  およそ仏教のいわゆる断見外道というは、 さきに第四六節に説明せるがごとく、 支那の儒教および西洋の唯物論の類をいい、  死後の籾神世界なしと断定せるものをいう。  ゆえに順世外道のごときは、 断常二見の上にこれを考うるに、 断見外道に属すべし。  しかして「外道小乗涅槃論」および「大日経  「住心品」中には、 その名目を見ざるなり。


第六二節    順世の名義

今述ぶるところの順世外道は、 梵語にては路伽耶という。「惹琳音義」(巻一五の一四)によるに、  梵音云ーー路伽耶底迦一 此則順世外道随二順世間凡情一 所説執計之法是常是有等(梵音に路伽耶底迦という。  これはすなわち順世外道にして世間の凡情に随順す。 所説はこれは常、  これは有等と執計するの法なり)とあり。 また、「翻訳名義集」(巻五の五五)によるに左のごとし。

路伽耶、 応法師訳云ーー順世一 本外道縛摩路伽也、 天台曰此云二善論一 亦名二師破弟子一 慈慇云、 此翻二悪対答是順世者以ーー其計執    匹子世間之情計  也、 劉軋云、_如_   此土礼義名教心

(路迦耶は応法師は訳して順世という。 もと外道の縛摩路伽なり。 天台いわく、  ここに善論という。  また師破弟子と名づく、 と。 慈恩いわく、  ここに悪対答と翻ず。  この順世はその計執をもって世間の梢計に随うなり、 と。  劉軋いわく、 此土の礼義名教のごとし、 と。

 そのいわゆる「天台曰」は、「法華文句法華文句科本」巻八の二の五、「法華文句会本」巻二四の一五)に出ずるの釈なり。  これを要するに、  順世の意たるや、 世間凡常の説に随順する義なり。 ゆえに『法苑義鋭」

巻五本の一) には、 凡所レ無(立乎)義、 多随二俗情ー乙諸宗意故名二順世(およそ無(立か)とするところの義は、 多く俗情に随い、 諸宗の意に順う。  ゆえに順世と名づく)と、 また「唯識論略解」(巻上一の二三) には、世間多__作  此計一 順和品即故名曰ー面順_世  (世間に多くこの計を作す。 世間に順ずる故に名づけて順世という)とあり。 もし「法華経新註せり。巻五の三六、「録外考文」巻四の三一)によらば、「名義集」に同じく左のごとく釈路伽耶  此云二悪論一 亦云二破論一 逆路者逆ー一君父ら之論、 又路伽耶名一善論一 亦名二師破弟子    逆路伽耶名二悪論一 亦名二弟子破師一 慈恩基法師云、 路伽耶此云二悪対答    逆路伽耶此云二悪徴問

(路伽耶とはここに悪論といい、 また破論という。  逆路は君父に逆らうの論なり。 また、 路伽耶は善論と名づけ、 また師破弟子と名づく。 逆路伽耶は悪論と名づけ、 また弟子破師と名づく。 慈恩基法師いわく、 路伽耶はここに悪対答といい、  逆路伽耶はここに悪徴問という、 と。)

もし「榜伽註解」(巻三の四七)によらば、 夫論有二世論出世論    乃至世論者即外道慮伽耶陀、 此翻ーー左世一 亦云  悪論

(それ論に世論と出世論とあり。 ないし世論はすなわち外道の慮伽耶陀、 ここに左世と翻じ、 また悪論という)とあり。  これまた順世の釈義なり。  これを要するに、 順世とは、 なお西洋のいわゆる常識のごときか。  これに対して非順世あり、  これを逆路伽耶陀という。  その解は今引用せる「法華新註」の釈義中に出でたりといえども、 重複をいとわず、 さらに「名義集」(巻五の五六、「法華玄賛義を掲ぐべし。

 

巻九の二 の釈

 

応師云、 逆路底迦此云  左世一 天台日此悪論、 亦名  弟子破師一 慈恩云、 此翻二悪徴問一 左道惑丘世、 以  其所計不  順一世間一故也、 劉軋云、 如二此土荘老玄書

(応師いわく、 逆路底迦、  ここに左世という、 と。 天台いわく、  ここに悪論また弟子破師と名づく、 と。 慈恩いわく、  ここに悪徴問と翻ず、 左道をもって世を惑わし、  その所計は世間に順ぜざるをもっての故なり、と。  劉軋いわく、 此土の荘・老の玄書のごとし、  と。)

 また「法華要解逆路正、言二路迦巻五の三)には、 逆路伽を悪問難というと解せり。  また「玄応音義」(巻七の一八)には、訊一 合順世一 本外道縛摩路伽也、 底迦此云>左、  順世外道也(逆路、 正しくは路迦といい、 訳して順世という。 本外道の縛摩路伽なり。 底迦はここに左という、 順世外道なり)とあり。 もしまた「華厳玄談」(巻八の一四、「飾宗記」巻七末の四)に釈するところによれば、  左のごとし。

 

路伽耶此云ーー順世外道ー 計こ  切色心等法、 皆用二四大極微玉炉因、 然四大中最精霊者能有迄稼慮{  即為二心法如>色雖ーー皆是大一 而灯発>光、 余則不涵爾、  故四大中有二能縁慮{  其必無>失故。

(路伽耶、  ここに順世外道という、  一切の色心等の法はみな四大極微をもって因となすと計す。 しかるに四大中の最精霊なるはよく縁慮することあり、  すなわち心法となす。 色のごときはみなこれ大なりといえども、 しかも灯は光を発し、 余はすなわちしからず。 ゆえに四大中によく縁慮するあり、 それ必ず失なきが故に。)

すなわち、 路伽耶は順世あるいは善論の義にして、  逆路伽耶は左世あるいは悪論の義なり。  しかるに路伽耶を訳して、 ただちに悪論あるいは左世となす説あるは、 仏教よりその論を貶斥したるによる。 なお、 正命外道を貶斥して邪命外道というがごとし。  しかりしこうして、 その論たるや物心ともに地水火風の四元より成るも、 その中に精純霊活なるものとしからざるものとありて、 その最も霊活なるもの精神作用を発すというにあり。  この外道の用うるところの経に「路伽耶経なるものあること、『宝積経に見えたり。 また「慈恩伝」(巻四の一八)に、  順世外道の来りて論難を求めたる一話あり。 別にその一家の哲学に関係なしといえども、 参考のために、 左にその一節を転載すべし。

有該  世外道  来求 論 難一 乃固 四 十条義一 懸二於寺門ー曰若有下難一破一条  者い我則斬>首相謝、 経ー数日鉦竺出  応一 法師遣房内浄人    出  取  其義一 毀破以>足躁嵯、 婆羅門大怒、  問曰、 汝是何人、 答曰我是摩阿耶那提婆奴、 婆羅門亦素聞ーー法師名一 態恥  更不二与論

(順世外道あり、 きたって論難を求む。  すなわち四十条の義を書して寺門に懸けて曰く、「もし一条をも難破する者あらば、 われすなわち首を斬っ て相謝せん」と。 数日を経るに、  人の出でて応ずるなし。  法師は房内の浄人をして、 出でてその義を取って毀破し足をもっ て踊嵯せしむ。 婆羅門大いに怒って問うて曰く、

「汝はこれなにびとぞや」と。 答えて日く、「われはこれ、 摩阿耶那提婆の奴なり」と。  婆羅門、 またもとより法師の名を聞けり。 悪恥してさらにともに論ぜず。)

すでに順世外道の名義を弁明し終わるをもっ て、 これより、 その外道の原理と立つる極微の性質を講述すべし。



第六三節    極微の性質

 

極微とは「対法紗」(巻 一の五三、「伊呂波目録」巻下本の二六) によるに、 梵言ー波羅摩阿拳此言二極微(梵に波羅摩阿拳といい、  ここに極微という)とありて、 旧訳にはこれを隣虚という。 まずその義解を考うるに、「倶舎頌疏巻    二の一) に極微者是色極少也(極微はこれ色の極小なり)と解し、「西域記巻二の二)に極細塵者不>可二復析一 析即帰>空、 故曰二極微和也(極細塵とは、 またわけるべからず、 わければすなわち空に帰す。ゆえに極微ともいうなり)とありて、 西洋のいわゆる分子あるいは微分子に当たる。  その説明は「婆沙論」、「倶舎論」(巻ーの一)、「喩伽論」、「瑞伽紗」、「唯識述記(巻一末の七八)、「雑集論述記「対法紗巻二の四四)、「義林章」(巻五本の一六)、「倶舎光記」等の諸柑に出ずといえども、 余はただここに、「百論疏」(巻下中の一八)に示せる八種の異説を掲載すべし。

ニハ釈 微塵  不>同、 今略明二八腿—  衛世師云、 微塵至細無二十方分一 四相不>遷、 故名為>常、_一毘嚢人云、明ーー亦有十方亦無十方一 以一其極細云'>可土分為二十方一 在ー塵東ー則塵為>西、 故亦有二十方一 問隣虚塵為>碍碍      答亦碍  不碍  不ゎ匹 於騒 盃而碍一於細一 若細細不ーー相碍ー則多亦不>碍、 則終無碍也、 又若不レ碍重則不>高、 並則不>大、 而実不>爾故知碍也、 数論師答乙釈論_難  云、 以>無二十方分ー故名二微塵一 以一鉢是碍丘故名為>色、 三  経部人明>有午  方分一 明窮 比 一一十方分、 四  是達摩鬱梨明>無二十方分一 而具 入 微一共相合著、 此極細      亦動      則倶、 空而具有、  三相所>遷、 五  是大迦栴延、 造二毘勒論一 此云二仮名論一 明ーー隣虚塵一 亦有八微  而不ーー相著一 若相著則成>一、 雖>有示八_微  而不=相碍一 六  開善云桝桝無>窮、 故有二十方分    引二釈論若有ー一極微色ー則有二十方分一 若無二十方分ー則不ーー名為ぇ色、 釈論実是破函孟窃哭   而謬引証釈乙烹笑   七  荘厳明>無ーー十方分一 与謡即数義ー大同、  八  建初明>有二隣虚方一只有ニニク 無>有二十方一 次唯識論  明>無  此微塵一如ら魚人見な水水具 四 微一 餓鬼見ル火唯有中色触ぃ 故知無云?一微塵質

(微塵を釈すること不同なり、 今略して八種を明かさん。  一には衛世師のいわく、 微塵はいたって細にして十方の分なく、  四相にうつされず。  ゆえに名づけて常となすと。  二には毘俵の人のいわく、 また十方あり、また十方なしと明かす。  その微細なるをもっ て、  分かちて十方となすべからず。 塵の東にあるときは、  すなわち胞を西となす。 ゆえにまた十方あり。  問う、 隣虚幽は碍となすや不碍となすや。 答う、 または碍・不碍なり。 厖をば碍えず、 しかも細をば碍う。 もし細と細と相碍えずば、  すなわち多もまた不碍なるべし。  すなわちついに無碍なり。 また、 もし碍えずんば、 重ぬともすなわち高ならじ、  並ぶともすなわち大ならじ、 しかも実にはしからず。  ゆえに知る碍なり。  数論師は論の難を答釈していわく、 十方の分なきをもっての故に微塵と名づく。 体これ碍なるをもっての故に名づけて色となすと_。  二には、 経部の人は十方の分ありと明かす。  この一を窮むるに十方の分ありと明かす。  四には、 これ達摩鬱梨は十方の分なしと明かす。 しかも八微を具してともに相い合著せり。 この塵極細なるも、 また動ずればすなわちともに空なり。 しかもつぶさに三相ありてうつさる。 五には、  これ大迦栴延は昆勒論を造る。  ここには仮名論という。 隣虚の塵にまた八微あり。 しかも相著せずと明かす。 もし相著せばすなわち一となる。  八微ありといえども、 しかも相碍せず。 六には開善のいわく、 栃析として窮まりなし。 ゆえに十方の分あり。「釈論」を引いていわく、 もし極微の色あらば、  すなわち十方の分あるべし。 もし十方の分なくんば、  すなわち名づけて色となさじと。「釈論  実にこれ微座の義を破す。 しかるに、 あやまっ て引証して微塵を釈す。 七には、 荘厳は十方の分なしと明かす。  さきの数の義と大同なり。  八には、 建初は隣虚の方ありと明かす。 ただ一方ありて十方あることなし。つぎに、「唯識論」にはこの微塵なしと明かす。 魚と人とは水を見るに水に四微を具し、 餓鬼は火を見るにただ色触のみあるがごとし。  ゆえに知る、  一の微塵の質あることなしと。〔 大正蔵、 析析につくる〕

そのほかは小乗哲学を講ずるときに譲りて弁明すべし。 そもそも外道中もっぱら極微説を唱うるものは、 勝論外道と順世外道との両種なり。  これ、 ともに唯物論なりといえども、  この二論中おのずからその別あり。  すなわち「唯識述記」(巻一末の七八)には、 此勝論更許缶=一余物{  順世不>然(この勝論はさらに余物ありと許す。 順世はしからず)とあり、 また「唯識論泉抄」(巻一中の_一 八)には、  勝論四大極微外立一徳業等余句一 順世四大計也(勝論は四大極微のほかに徳・業等の余の句を立つ。 順世は四大の計なり)とありて、  勝論は物心ー一元論なれば唯物的極微論にあらず、  順世は唯物一元論なれば唯物的極微論というべし。 仏教の小乗も同じく極微を説くも、  これまた物質分子のほかに精神作用あることを説くをもっ て、 順世の極徴論と大いに異なり。 もし、  小乗および勝論の極微説のいかんは、  その編目の条下に至りて述ぶべし。 しかるに極微の仮実を論ずるにいたりては、

両論また一致するところあり。  すなわち、「唯識論述記」(巻一末の七八、「唯識論本末図解」一一の三九)に曰く、勝論師及此順世執  所生之色不ゐ越和宍瓜一 れ只与ー盃所依父母本許大一如二第三子微一 如二  父舟許大一 乃至二大地一与ーー所依一本父母許大一 本極微是常、 子等無常、 亦是実有、 色是徳句、 極微非>色、  今言>色者以ーー自宗義説ーー彼法鉢一 然只地水火風四有二極微一 余無二極微一 謂色声等。

(勝論師とおよびこの順世とは、 所生の色は因の飛に越えずと執す。 屈はただ、 所依の父母のもとのばかりの大きさとともなり。  第三の子微のごとき、 一の父母ばかりの大きさのごとし。 いまし大地に至る、 所依の一のもとの父母ばかりの大きさとともなり。 もとの極微はこれ常なり。 子等は無常なり。 またこれ実有なり。  色はこれ徳句なり。 極微は色にあらずという。  今、 色というのは、 自宗の義をもってかれが法体を説く。 しかるに、 ただ地水火風の四のみ極微あり。 余には極微なし。 いわく色・声の等なり。)

また「唯識論本末図解 巻二の四五) に、  この両論を表示すること左のごとし。

願世与  衛世ー 極微本是常法所生、 子微与ー一因只ー等、 仇名為>羅、 是無常法、 子微緊集与二鼠徳ー合、 方成大只乙(順世と衛世極微はもとこれ常法の所生なり。 子微は因と等し、 よって名づけて羅となす。  これ無常法なり。 子徴は衆集して旦徳と合し、 方に大量を成ず。

そのいわゆる父舟とは根本の極微をいう。  これ、 諸物を緊生するをもってなり。  ゆえに、 あるいはこれを因と名づく。 そのいわゆる子微とは、  これより生ずるものをいう。  すなわち贔色これなり。  これを要するに、 根本の極微は常住にして、 所生の諸物は無常なりとなす。 また「唯識述記    には、  順世極微及与ーー衛世ー皆無  方分    唯直  円徳

 

(順世の極微とおよび衛世とは、  みな方分なくただ円の徳のみあり)とあり。  これみな、 順世外道と勝論との異同を示すものなり。 しかるに「唯識論」(巻一の一五) には、  大いにその説を破斥して、 左のごとく論ぜり。

所執極微若有一方分 妬空蟻行等鉢応>非>実、 若無ー一方分正在心心所云少不  共漿生二厖果色一 既能生>果如ーー彼所生一 如何可祀型極微常住一 又所生果不>越ー一因量一 応下如ーー極微示'占名ーー羅色一 則此果色応>_非一眼等色根所取便違 自 取若謂果色黛徳合    故非>贔、 似>蘊色根能,取、 所執果色既同西芸央  応ふ空極微ー無』厖徳合い或応極  微亦級徳合一 如 饂 果色  処無>別故、  若謂果色逼 在 自因一 因非こ  故可>名>蘊者、 則此果色鉢応>非>一、 如所  在因  処各別故、 既爾  此果還不ソ成血饂、 由>此亦非二色根所取一 若果多分合^ぇ故成>羅、 多因極微合    応>非細、 足>成根  境    何用>果為、  既多分成応>非ー実ー   有ー  則汝所取前後相違、 又果与>因倶有二質凝応示  向処如三  極微若謂果因鉢相受'入、 如沙  受>水薬入蕊匹銅一 誰許ー一沙鋼鉢受二水薬{  或応 離変非>常、 又靡色果鉢若是一、 翌  一分時、 応褥  こ  切一 彼此一  故彼応如  >此、 不>許遵  理、 許  便違  事、故彼所執進退不>成、 但是随>梢虚妄計度。

(所執の極微は、 もし方分ありといわば、 蟻行等のごとく、 体まさに実にあらざる ぺし。 もし方分なしといわば、 心心所のごとく、 まさにともに衆まって饂果の色を生ぜざるべし。  すでによく果を生ずといわば、   の所生のごとく、 いかんぞ極微を常住なりと説くべけんや。 また、  所生の果は、 因の獄に越えずといわば、まさに極微のごときは、 践色と名づけざるべし。  すなわちこの果の色は、 まさに眼等の色根の所取にあらざるべし。  すなわち自取に違せり。  もし、  果の色は、 箪の徳と合するが故に、 厖にあらざれども厖に似たるをもっ て、 色根、 よく取るといわば、  所執の果の色は、  すでに因の量に同じなりというをもって、 まさに極徴のごときは蘊の徳と合することなかるべし。 あるいは、  まさに極微もまた羅の徳と合すべし。 羅果の色のごとく、 処に別なきが故に。 もし、  果の色は、 自の因に遍在せり。 因は非一なるが故に饂と名づくべしといわば、  すなわちこの果の色は、 体まさに非一なるべし、 所在の因のごとく、 処各別なるが故に。  すでにしからば、  この果は、  かえって羅と成らざるぺし。  これによっ て、 また色根の所取にあらざるぺし。 もし、  果の多くの分合するが故に厖と成るといわば、 多くの因の極微合するも、 まさに細にあらざるべし、 根の壕と成るに足れり。 なんぞ果を用いることをなさんや。  すでに多くの分をもって成ぜりといわば、 まさに実有にあらざるべし。  すなわち汝が所取は、 前後相違せり。  また、  果と因とは、  ともに質凝ありといわば、 まさに同処にあらざるべし。  二の極微のごとし。 もし、 果と因とは、 体、 相受入すること、 沙の水を受け、  薬の縮銅に入るるがごとしといわば、 たれか、  沙と銅とは、 体、 水と薬とを受くということを許すべけんや。 あるいはまさに離し変じて一にあらず常にあらざるべし。 また、 級色の果は、 体もしこれ一なりといわば、  一分を得るときにまさに一切を得べし。  かれとこれと一なるが故に、  かれもまさにかくのごとくなるべし。  許さずんば、  理に違す、 許さば、  すなわち事に違せり。  ゆえにかれが所執は、 進んでも退いても成ぜず、  ただこれは、 情に随って虚妄に計度せるのみなり。)

その解釈は「唯識述記」(巻一末の七七)およびそのほかの疏釈に譲りて、  ここに略す。  これ、「唯識論」(巻一のーニ  )は順世の極微常住実有説を排して、 無実仮有論を立てんとするにあり。 ゆえにその論にいわく、 諸琺伽師以ーー仮想慧伝か饂 色相一漸次除折至  不可折一 仮__説  極微一 乃至諸有対色皆識変現、 非二極微成  (もろもろの喩伽師、  仮想の慧をもって、 厖色の相において、 漸次に除折して、 不可折に至るを仮に極微と説く。 ないし、 もろもろの有対の色は、  みな識の変現せるものなり、 極微の成ぜるにはあらず)等とあり。 そのつまびらかなるは、後に唯識哲学を講ずるときに譲る。


 

第六四節 獣主および遍出

 

以上述ぶるところによりて、 順世外道は印度のいわゆる分子学派にして、 唯物論者たること明らかなり。 これを西洋に考うれば、 デモクリトス、  エピクロス〔 〕等の論に比すべし。 しかるにデモクリトス氏のごときは、 物心二元ともに分子より成り、 物質はその羅なるものより成り、 精神はその最も精細にしてかつ円滑なるものより成るという。  これと同じく、 順世外道も極微の最も精霊なるものより精神を現生すとなすといえども、地水火風の四大を立つるに至りては西洋の分子論に異にして、  かえってエンペドクレス氏の四元説に同じ。  ゆえに順世外道はエンペドクレス氏の四元説とデモクリトス氏の分子説とを合したる唯物的分子論にして、  印度のエピクロス学派と称すべし。 そのほか、 印度に獣主および遍出と名づくる外道あり。 その外道の何学派に属するか、 またいかなる説を唱うるや、  つまびらかならずといえども、 仏内の上にこれを考うるに、 多少順世外道に似たるところあるがごとし。 その名称は「唯識述記」(巻一本の七八)に出ず。  まず獣主外道の解釈、 左のごとし。

謂有一外道  名二播輸鉢多牛而為ュ主、 故如ー伏犠等翻為面安_土如こ  塑声別_目一於牛通名二於獣一 但言中牛主ぃ 未>善二方言一 非  但与>

(いわく外道あり、  播輸鉢多と名づく。 翻じて獣主とす。  一の塑の声を別しては牛に目づけ、  通じては獣に名づくるに、 ただ牛主といわば、 いまだ方言に善からざるがごとし。 ただ牛がためにのみ主とするにはあらざるが故に。  伏犠等のごとし。)

つぎに遍出外道の解釈、 左のごとし。

 復有  外道名波利咀羅拘迦一 翻為二遍出遍能出一坤離諸俗世間一 即是出家外道之類。

(また外道あり、 波利咀羅拘迦と名づく。 翻じて遍出とす。 あまねくよく諸俗の世間を出離す。  すなわちこれ、  出家外道の類なり。)

すなわち、 獣主は播輸鉢多の訳名にして、 遍出は波利咀羅拘迦の訳名なることを知る。  これを「板橘易土集」

 (付巻二の一には波輸鉢多と題し、  その下に塗灰・牛主・獣主の解を付せり。  また「唯識演秘巻一本の四五、「+ 住心論科註」付見の一には、「述記の解に一塑声とあるを釈して、鞭声中詮  於九義一 訊是一数、 惣括二  切走獣之属一 若言二於牛即惣獣中之一別也、 倶舎論第五云、 於二九義中一共立二  罹声一 故有頌言方獣地光言金剛眼天水、 於二斯九種義  智者立二糖声

(一の塑の声の中に、 九義をあらわす。 獣はこれ一数なり。  一切の走獣の属を総括せり。 もし牛といわばすなわち総獣の中の一の別なり。「倶舎論」第五(巻五のにいわく、 九義の中において、 共して一の塑の声を立つ。 ゆえに、 ある頌にいわく、  方と獣と地と光と言と、 金剛と眼と天と水と、  この九種の義において、 智者は龍の声を立つ)

といえり。 もし、  また「唯識義蘊巻一の一七)の釈によらば、 罹声是惣目ーー於九義{  謂  方、 獣、 地乃至水、獣主亦然、 獣是惣称、  且含迄暉獣一 別名 年・主  当ーー其  ご也(檄の声はこれ総じて九義に臣づく。 方・獣・地ないし水をいう。  獣主またしかり。 獣はこれ総称、 具さに諸獣を含む。 別して牛主と名づくるはその一に当たるなりい  続蔵経、 具につくる〕)とあるも、 その意一なり。 しかして、「大日経疏果宝紗」(巻一末五の四七)に獣主を釈して、 是於ーー禽獣_中  常成ーー主領一 説>法専計一我鉢常一故為>名也(これは禽獣中において常に主領と成る。  法を説くにもっぱら我体は常なりと計するが故に名となすなり)とあり。 また一也に牛主を解していわく、 倶舎日此如年  主屈  制恒羅一 光曰制但羅是星名、 正月出現、 正月従一此星  為>名云云(「倶舎    にいわく、  これは牛主が制但羅に属するがごとし。「光」いわく、 制但羅、  これは星の名なり、 正月に出現す、 正月はこの星に従って名となす、 と云々)とあり。  しかして、「無量寿経梵響記」(巻上一の三〇および三一)の伽婆跛帝を釈する下に、 此云一牛主一(ここに牛主という)あるいは此云ーー牛王  (ここに牛王という)とありてその解を付記せるも、  ここにいわゆる獣主の解にあらず。「唯識述記纂解」(巻二の三六) には、 獣主名義可>知(獣主の名義知るべし)とあるのみにて解釈を下さず。 そのほか仏書中、 獣主・遍出の名義を解説せるものを見ず。 余が聞くところによれば、 獣主は梵語の誤訳なりと。 その果たしてしかるやいなやは、 よろしく散斯克学者につきてこれをただすべし。  つぎに、 その外道のとるところの主義を考うるに、 第四六節に表示せる我執三種中、 第三執に当たる。 今また「唯識論』によるに、 我鉢常至細如二  極微   _潜一転身中咋駅事業五故(我は体常なり。 いたって細なること一極微のごとし、 身中に潜転して事業をなすが故なり)と執するものは、 獣主・遍出等の所計となす。  これを「唯識述記に解釈して日く、  顕一我小因ぞ我旦小如こ  極微云ーー自在用一 小軽利故_潜一転身中(我の小なる因をあらわす。 我の獄は小にして一極微のごとくなるをもっ て、 自在の用あり。  小にして軽利なるが故に、 身の中に潜転す)と。  ゆえに、  これ我体は細小にして極微のごとく、 自在に身中に行動して作用をなすと唱うる論なり。

今、 さらに「唯識演秘  (巻一本の四四)の説明を掲ぐ。

執我如こ  極微ー等者、  意復云何、 答広百論云    一類外道復作一是言{  若我鉢性随彰浜墨者、  即応品空身有レ分有"変、 又汝執土我随ーー所依身{  似二水依伝堤、 如ーー油遂"水、 是則比我如ーー彼水油一 既変既易、 或非>常非>一、引>此為>喩、  而言我鉢為社常為>一、 与>理相違、 是故我鉢住一於身内ー  形量極細如こ  極微一 不缶?分折{  鉢常無レ変、 動レ慮動>身、 能作能受。

(執すらく、 我は一極微のごとし等とは、  意またいかん。  答う、『広百論」にいわく、  一類の外道はまたこの言を作す。 もし我の体性は形只に随うといわば、  すなわちまさに身に分あり変あるごとくなるべし。 また汝が我は所依の身に随っ て、 水の堤によるに似、 油の水を遂うがごとしと執す。  これすなわちこの我は、   の水と油とのごとく、  すでに変じすでに易わりて、 あるいは常にあらず一にあらざるをもっ て、  ここに引いて喩となすなり。 しかして我の体を常となし一となすといわば、  理と相違す。  この故に、 我の体は身内に住して、  形量極めて細なること一極微のごとく、 分析すべからず体常にして変なく、 慮を動じ身を動じよく作しよく受すと。)

以上の説明によれば、 身中に微細にしてあたかも極微のごとき一種の我体ありて、  動作をなすというなり。  これ、  いまだ極微論とも唯物論とも断言すべからずといえども、 やや順世外道の説に近きところあり。  しかるに「起信論幻虎録 巻四の一_   二)に、 長水云、 初数論計可>兼二勝論一 次勝論計応>云二是無漸計一 後無漸計此獣主遍出等計、 此並訛也(長水いわく、 はじめは数論の計なり、  勝論を兼ぬべし。 つぎは勝論の計なり。 まさにこれ無漸の計というべし。 後は無漸の計なり。  これは獣主の遍出等の計なり。  これはならびに訛なり)とあり、「同弁偽  (巻下のに、 獣主遍出合摂二無漸(獣主・遍出は合して無漸に摂す)とあれども、 獣主・遍出は無漸外道に摂すべきかいなやを知らず。 余案ずるに、  これ順世外道の一種、 あるいは自在天の一類なるべし。  すでに「易土集」に、  獣主外道を塗灰外道に属するがごときは、 その自在天の部類たるを証するものなり。 しかりしこうして、 その論全く仏教のいわゆる実我論に当たる ぺし。 ゆえに「義林章 巻一本の一七)には、「琉伽」、「顕楊    の十六計中の第四計我論をもって、 獣主等の外道の所執となす。 その文はすでに第四八節に引用せるも、 重複をいとわずさらにこれを掲ぐ。

計    我実有宗、 謂獣主等一切外道皆作  此計一 有>我、 有ーー薩埋一 有ーー命者生者等一 由  起ーー五党ダ有>我也。

(計我実有宗、 いわく獣主等の一切外道、  みなこの計を作す。 我あり、 薩埋あり、 命者、 生者等あり。 五覚を起こすによりて我ありと知るなり。)

これ、 瑠伽十六異論(「瑞伽論巻六の八)の第四計我論に属し、 我体の実在常住を立つる論なり。 もし、  これを実我外道とするときは、 余がいわゆる主観論に属すべし。  かつ実我論は外道諸派の一般に唱うるところにして、 仏教はこれに対して無我の真理を立つるものなり。  ゆえに「十住心論    「+ 住心論冠註」巻三の一三、「+住心論科註」巻三本の一九)には、  十六異論中の計我実有論は、 数論と勝論と離繋と獣主と赤衣と遍出なりと説けり。  そのうち赤衣は、 いかなる外道なるを知らず。「十住心論」の「冠註」にも、 未玉考』少赤衣_名  (いまだ赤衣の名を釈することを考えず)とあり。 けだし、 その外道は常に赤衣を服せしをもっ て、 その名を得たるならん。 しかしてその論旨は、 獣主・遍出の一類なるべし。  そのほかは主観論(第九一節)を述ぶるときに譲る。



第三章 方時論


第六五節    虚空論

地水火風論ようやく進みて極微論となり、 唯物論となり、 さらに進みて虚空論となれり。 虚空論は今日のいわゆる空間論なり。  その外道は、 空をもって万物の真因となす論を唱うるものにして、  これを口力論師と名づく。

あるいは「諸乗法数」(五五)および「教乗法数」(巻二のニ)の両術には因力論師と記せしも、  これおそらくは魯魚の誤りならん。  その外道の大意は「外道小乗涅槃論」の第十九に掲げり。 その論に曰く、

問曰何等外道説見二無物 んヂ涅槃因一 答曰第十九外道口力論師説、 虚空是万物因、  最初生ーー虚空一 従ーー虚空生>風、 従>風生レ火、 従ル火生函成  媛生>水、 水即凍凌堅作>地、 従>地生一種ー   種薬草一 従二種種薬草一生一五穀生命ー 是故我論中説命者是食、 後時還没二虚空る守涅槃一 是故外道口力論師説、 虚空是常名二涅槃因

(問うて曰く、 なんらの外道、  物なきを見て涅槃の因と名づくと説くや。 答えて曰く、 第十九の外道口力論師の説かく、  虚空はこれ万物の因なり、 最初に虚空を生じ、 虚空より風を生じ、  風より火を生じ、  火より暖を生じ、 暖は水を生じ、 水すなわち凍凌してかたまり地を作る、 地より種々の薬草を生じ、 種々の薬草より五穀を生じ、  命を生ず。  この故に、  わが論の中に説かく、 命はこれ食なり、 後時に虚空に還没するを涅槃と名づくと。  この故に外道口力論師は、 虚空はこれ常なるを涅槃の因と名づくと説く。)

 「唯識論」(巻の一四唯識論述記」巻一末の七四)にも虚空計の名目を出だせるも、 別にその論を示さず。

「百論疏、「中論疏」および「華厳玄談    にはその計を略説せり。 まず「中論疏」(巻三本の九)の説明、 左のごとし。

口力外道計下太虚能生=四大四大能生二薬薬草能生中衆生ぃ  此従>無生也。

(口カ外道は、 太虚よく四大を生じ、 四大よく薬草を生じ、 薬草よく衆生を生ずと計す。  これは無より生ずるなり。)

また、「華厳玄談(巻八の一五)に説くところもこれと異なることなしといえども、 左にこれを掲ぐ。

言 虚空者、  即第九口力論師謂虚空為一万物因一 別有こ  法一 是実是常是一、 是万物因、 従元空生レ風、 乃至地生二五穀一 五穀生>命、 命没帰み空、 是故虚空為こ  切万物因是涅槃因一 百論亦云、 外曰定有二虚空一 法常亦遍亦無>分、  一切処一切時信>有故等。

(虚空というはすなわち第九のロカ論師なり。 虚空を万物の因となすという。  別に一法あり、  これ実、  これ常、  これ一、  これ万物の因にして、 空より風を生じ、 ないし地より五穀を生じ、 五穀より命を生じ、 命没して空に帰す。  この故に虚空を一切万物の因、  これ涅槃の因となす。「百論 巻下の一四)にまたいう、  外のいわく、 定んで虚空あり、 法常にしてまた遍、 また分なし。  一切処、  一切時に有と信ずるが故に等。)

また「住心品疏」には、 万物従>空而生、 謂空是真解脱因、 宜応和供喪承事万物は空より生ず。 いわく、  空はこれ真の解脱の因なり、 よろしくまさに供疫し承事すべし)とあり。 そのほか、「三蔵法数」(巻四三の二六、「大蔵法数巻六    の四)等にも略解を付せり。  これを要するに、 天地万物は虚空より次第に風火水地の四段の変遷を経て生じたるものなれば、 空をもっ て万物の真因と立つる論なり。  この論は、 仏教小乗中に説くところと相近し。「倶舎論巻 二の四、「倶舎論釈論巻九の一「両部神道心鏡録」巻上の四二) に、 

空中漸有乙諏細風生一 是器世間将レ成前相云云(空中にようやく微細の風の生ずることあり。  これ器世問のまさに成ぜんとする前相なり、 云々)とありて、 虚空中に風を生じようやく水土万物を生ぜりとす。  しかして、  その空は「倶舎論」(巻一の三)に解するところによるに、 虚空但以』需匹為ふ江、 由ーー無障  故、 色於元中行(虚空はただ無凝をもって性とす。 無節なるによるが故に、 色、 中において行ず)といい、「光記 巻一の三六)に『正理論」を引きて、 虚空容ー泣受色等有為  (虚空は色等の有為を容受す)と釈せるをもっ て、  今日のいわゆる空間なり。「榜厳眼髄 巻三下の三七)に外道および仏教の虚空論を対照せるところあれば、  左に転載すべし。

勝論師説 九 実句義一 謂地水火風空等、 空謂唯有>声是為>空、 如>有ー一動作一 無ーー動作ー  無質凝一 無ーー勢用一 無  彼此眩    無触無色、 無  可臼見、 無如対>眼、 是常有実是根、 耳根即空、 由六徳一 数論師説自性生"大、 従大生ーー我慢一 有説我慢生ーー五大五唯一  別有二  物ー名レ之為み空、 非二空無為空界色等一 有,説慢生  五唯    五唯生二五大一 五大生二十一根若約二此説一 声成二於空ー  空成二於耳一 如金七十論等一 浄影章曰、 言二虚空一者当鉢立レ名、 虚之与>空無之別称、 虚無ーー形質一 空無レ有品威、 故曰二虚空一 弁ーー其鉢相一 論釈不>同、 依伽牙毘曇    虚空有乙一、  一者有為、_除一去色像一 方為ーー虚空一 是六大中空大所摂、  二者無為、 本来常空、 有為虚空彼此不>通、為 眼所行一 無為虚空鉢是法入無凝周週、 為孟息所行一 成実大乗並皆破二彼有為虚_空    但説  一種無為虚空一 但此虚空有乙鉢有>相、  鉢則周遍、 相則随>色、 彼此別異、 故地論言因  彼色一故種種差別、  雖_約一色像一彼此別異上而不レ可>見、 故経説為ーー不可見相  云云。

(勝論師は九実句義を説く。 いわく地・水・火・風・空等なり。 空とは、 いわくただ声あり、  これを空となす。  動作あるがごとくして動作なく、 質凝なく、 勢用なく、 彼此の体なく、 触なく、 色なく、  見るべきなく、  眼に対すなし。  これ常有・実なり。  この根は耳根にしてすなわち空なり。 六徳による。 数論師は、 自性は大を生じ、 大より我慢を生ずと説く。 有説に我慢は五大と五唯を生ず、 別に一物あり、  これを名づけて空となす、 空無為と空界の色等にあらず。 有説に慢は五唯を生じ、 五唯は五大を生じ、 五大は十一根を生ず。もしこの説に約すれば声は空を成じ、  空は耳を成ず。「金七十論」等のごとし。 浄影の章にいわく、「虚空のごとし」とは当体に名を立つ。 虚と空とは無の別称なり、 虚は形質なく、 空は凝あることなし、  ゆえに虚空という。 その体相を弁ずるに論釈同じからず。 毘晨のごときよるに、 虚空に二あり、 ーは有為、 色像を除去する方を虚空となす。  これ六大中の空大の所摂なり。   ーは無為、 本来常空なり。 有為虚空は彼此通ぜず、 眼の所行となす、 無為虚空は体はこれ法にして無凝に入り、 周遍す。 意の所行となす。「成実」と大乗はならびにみな、  かの有為虚空を破し、 ただ一種の無為虚空のみを説く。  ただ、  この虚空は体あり相あり。 体はすなわち週遍し、 相はすなわち色に随う。 彼此別異なり、  ゆえに「地論    にいう、  かの色によるが故に種々別す。 色像に約して彼此別異なりといえども、 しかも見るべからず、 ゆえに経に説きて不可見相となす、 と云々。)

『百論疏」(巻下中の八)にも、 あるいは虚空に有為・無為の二種ありて、 有為空は色の一種にして見るべく、無為空は色にあらざれば見るべからず、 あるいは虚空は色にあらず、 非色にあらず等の諸説あることを示せり。しかして、 仏教の虚空論は小乗および大乗哲学を諧ずるときに詳述すべし。  これを要するに、 外道は空間の上下四方、 古今未来にわたりて存するを見て、 遍常の法なりとなす。  すなわち「百論」(巻下の一四)に、 外道の証明を示して曰く、

世人信こ  切処有西裳子是故遍、  信二過去末来現在一切時有  虚_空  是故常

(世人は一切処に虚空あるを信ず。  この故に遍なり。 過去、 未来、 現在の一切時に虚空あるを信ず。  この故に常なり)

とあり。 また曰く、

若無ーー虚空  者即無函挙無"下無  未来等一 所以者何無二容受処丘故、  今実有二所作一 是以有二虚空  亦遍亦常

(もし虚空なくんば、  すなわち挙なく下なく、 去来等なし。  ゆえんはなんとなれば、 容受するところなきが故なり。 今、 実に所作あり。  これをもって虚空あり、 また遍にしてまた常なり)

とあり。  これに対して、 仏教の論ずるところ左のごとし(『百論」巻下の一五)。

内日不ゐ然、 虚空処一虚空一 若有二虚空一法応云  二住処一 若無二住処一是則無社法、  若虚空孔穴中住  者、 是則虚空住ーー虚空中一 有  容受処一故而不>然、 是以虚空不>住ーー孔穴中一 亦不  実中住一 何以故、 実無>空故、 是実不レ名>空、 若無ソ空則無  住所一 以征空容受所一故。

(内の曰く、  しからず。 虚空は虚空に処す。 もし虚空法あらばまさに住処あるべし。 もし住処なくんば、  これすなわち無法なり。 もし虚空は孔穴中に住すれば、  これすなわち虚空は虚空中に住するなり。 容受するところあるが故なり。 しかもしからず。  これをもって虚空は孔穴中に住せず、 また実中にも住せず。 なにをもっての故に、 実ならば空なきが故に。  これ実ならば空と名づけず。 もし空なくんばすなわち住所なし。 容受するところなきをもっての故なり。)

 また『涅槃経」(南本巻_三一一の一七、「涅槃経会疏」巻=一の三五)に、 外道の虚空論に対して論ずるところ左のごとし。

復次善男子諸外道言ー一夫虚空者即是光明一 若是光明    即是色法、 虚空若爾是色    法者即是無常、 是無常    故三世所摂、 云何外道説五非ー一三世一 若三世摂    則非二虚空一 亦可ー一説言二虚空是常    善男子復有り人言  虚空者即是住処一 若有二住処一即是色法、  而一切処皆其無常、  三世所摂  虚空亦常   非巳二世摂一 若説>処者知  無二虚空復有品説言  虚空者即是次第    若是次第    即是数法、  若是可数    即三世摂、 若三世摂    云何言>常

(またつぎに善男子、 もろもろの外道のいわく、 それ虚空とはすなわちこれ光明と。 もしこれ光明ならば、すなわちこれ色法なり。 虚空もししかくこれ色法ならば、  すなわちこれ無常なり。  これ無常の故に三世に摂せらる、 いかんぞ外道三世にあらずと説くや。 もし三世の摂ならばすなわち虚空にあらず、 また説いて虚空これ常というべけんや。 善男子、 またある人のいわく、 虚空とはすなわちこれ住処と。 もし住処あらばすなわちこれ色法なり。 しかして一切処はみなそれ無常、 三世に摂せらる。 虚空もまた常にならば一二世の摂にあらざらんや。  もし処を説かば虚空なきことを知る。 また説いていうあり、 虚空とはすなわちこれ次第と。 もしこれ次第ならば、  すなわちこれ数法なり。 もしこれ数う ぺくば、  すなわち三世に摂す。 もし三世に摂せば    いかんぞ常といわん。)

そのほかの問答は、「百論」につきて見る ぺし。 そもそも仏教の世間開闊説を考うるに、 小乗「倶舎論」(巻一二の四)の、 空中漸有  微細風生一 是器世間将恥成前相云云(空中にようやく微細の風の生ずることあり。  これ器世間のまさに成ぜんとする前相なり、 云々)とあるがごときは、 虚空より風を生じ、  風より地水等を生ずる意にして、 ロカ論師の説と大差あることなし。 また「住心品疏」(「住心品疏冠註」巻 二の二四)にも、 虚空は種々顕形色の相を離れて造作するところなきも、 よく万像を含容し一切の草木これによりて生長し、 有情の事業これによりて成ることを得と説くがごときは、 やや虚空計外道の説に類するも、 仏教は虚空のほかに、 さらに常住恒存の体あることを説くにいたりては、 大いに外道の虚空論に異なれり。 もし、  これを「喩伽論」および『顕揚論」に考うるに、 そのいわゆる十六異論中には虚空計の加わるを見ずといえども、 その第九に辺無辺外道の一種あり。  これを「喩伽論」(巻七の六)に解して、  世間有辺、 世間無辺、 世間亦有辺亦無辺、 世間非有辺非無辺

(世間は有辺、 世間は無辺、 世間はまた有辺また無辺、  世間は非有辺非無辺なり)等の論を唱うるものをいうとあり。  しかるに、『住心品疏冠註』(巻四の六九)にこれを解して、_計一大千界四方上下有辺無辺(大千界は四方

上下有辺無辺なりと計す)と説けり。 もしこの説によらば、 その論たるや宇宙の有涯無涯論にして、 換言すれば空間の有限無限論なり。  ゆえに、  これを虚空計の一種に属して可なるがごとし。

しかりしこうして、 仏教中に虚空外道を口力と名づくるゆえんにつきて、 種々の音義疏釈を閲するも、  いまだその字義を解説せるものあるを見ず。  これ、 はなはだ怪しむ ぺし。 まず第一に、 その語は梵語なるか漢語なるかを考えざるべからず。  しかるに、  これ梵音を漠音に移ししものにあらざることは、 その文字につきて考うるも、なお知ることを得 ぺし。 もし、  これを仮に梵音とするときは、 虚空を義とする文字ならざるぺからず。  しかるに、 虚空を義とする音訳につきて、「翻訳名義集』(巻二の三六)、「梵漢雑名」、「択橘易土集」等に考うるに、

『名義集」「舜若多」の下に、 況疏云未臼在誠釈    応ーー是主>空神一 入榜迦云刹尼迦者名ら之為レ空、 或昧提、 秦云ニ虚空  (況「疏」にいわく、 いまだ誠釈を見ず、  まさにこれ空をつかさどる神なるべし、「入榜伽」にいう、 刹尼迦はこれを名づけて空となし、 あるいは味提秦に虚空という)とあり。 また「拐厳眼髄巻    下の九四) こ、

 雷奄云寂音論曰、 舜若多風神、 動之性也、 瑞疏云、 舜若多此云二虚空

(雷苺いわく、『寂音論」にいわく、 舜若多は風神、 動の性なり、 と。 埓「疏」にいわく、 舜若多、  ここには虚空という)とあり。 

また同書に、 若虚空界者梵戸  伽伽郷一 訳為 磁 空

 (虚空界のごときは、 梵に伽伽婉といい、 訳して虚空となす)とあり。 また「梵漢雑名」(三四)には、 虚空を阿迦舎というとあり。 あるいは梵語に虚空蔵菩薩を阿迦舎伽楼婆と称するを見ても、虚空の梵名を知るべし。  これによりてこれをみるに、 その名称、 寇も口力に関係することなし。

つぎに、  これを漢語としてその字解を考うるに、 仏書中に論力外道と名づくる一種の外道あり。 その名称は

「智度論  (巻八のニおよび「婆沙論」(巻四四の一に出ず。 しかして、  論力と口力とはその義やや通ずるところあれば、 あるいはこの二者は同一ならんと考えしも、「止観輔行」(巻一    の四一、「止観科本」巻一の三九、「止観会本」巻一)にこれを解釈せるところの文に、 大論云有二外道ー名二論力{  自謂ー論

 議無一与等費    其力最大故云二論力  云云(「大論    にいわく、 外道ありて論力と名づく。 自ら論義はともに等しきものなし、 という。 その力最大なるが故に論力という、 云々)とあるを見れば、 その意、 論議の力の強大なるを義とするのみ。 別に篭も虚空計に関係あることなし。  ゆえに、 口力と論力とは決して同一にあらざることを知る。  よっ てさらにこれを考うるに、 ロカの名称は「外道小乗涅槃論」に出でたるに始まり、 他書に散見せるはみなこの論にもとづきしものなること明らかなり。  ゆえに、 これを「涅槃論」の上に考うるに、 その論最初に虚空を生じ、 虚空より風を生ずと唱うるものなれば、 宇宙間の虚空と口内の空とは、 比較上同一の関係あるを見て、最初虚空を生じ、 虚空より風を生ずるは、 あたかも口空より呼気を発するがごとくに思い、 ロカの名称を用うるに至りたるならん。「榜厳眼髄」(巻下の三七)に「倶舎論」を引きて曰く、 空界両印痰隙正明下空界非ーー虚

 空義い唯四  門窓及口鼻等内外痰隙  名為 空界芸  云(空界とは痰隙をいう。 正しくは空界は虚空にあらざる義と明かす。 ただ、  門窓およびロ・鼻等の内外の窮隙を取りて名づけて空界となす、 云々)とあり。  これによりてこれをみるに、  口鼻内の痰隙もまた空界と名づくるを知る。

ゆえに余は、  口力外道の名称は、 口内の空界より出でたるものなりという。 あるいは外道中に、 天地万物みな梵天の造るところとなす論あれば、 虚空より風を生じ、  風より万物を生ずといえるは、 梵天の口空より呼気を生ずるの意なるやも知るべからず。  すでに「外道小乗涅槃論    に、 虚空は摩醸首羅の頭にして、  風はその命なりとあるを見ても、 口力とは梵天の呼気なりと解するを得べし。 果たしてしからば、 ロカ論師は自在天外道の一派ならんか。  これによりてこれをみるに、「諸乗法数』および「教乗法数』に因力外道と題せしは、 ロカの誤りなること明らかなり。「諸乗法数」の一書(古版)には因力とありて、  一忠(新版)には口カとあり。「華厳演義紗」には因力論師とありて、「華厳玄談」にはロカ論師とあり。 そのほかは「中論疏 、「唯識演秘」(巻一末の三一)、

 「三蔵法数」 、「大蔵法数」等、 みな口力論師と題せり。 ゆえに、 因力はロカの誤字なること疑うべからず。

 これを要するに、 以上の地水火風の四大論は客観論中の単純なるものにして、 極端の唯物論なるも、 なお未熟未完の論たるを免れず。 なかんずく地論は最も単純なるものとす。  地論よりようやく進みて極微論に至りてやや複雑となり、 ついに虚空論に達すれば、 有形有色の原理は一変して無形無色となる。  ここにおいて、 客観論中の有質論は無質論となる。 今、 無質論の第一なる虚空論を略述しおわりたれば、  これよりその第二の方論を弁明すべし。

 


第六六節    方論

方論とは、 方は上下四方の方位をいう。  この方位より世界万物を生じ、 万物滅尽すればまた方位に焙す。 ゆえに、  方位は万物の真因たりとなす論なり。  かくのごとき説は、 いまだ西洋諸家の論中に見ずといえども、 印度にはもっぱらこの説を唱えたる外道ありき。 まず「外道小乗涅槃論」には、  二十種の第二に方論師を皿けり。 すなわちいう。

第二外道方論師説、 最初生迄暉方故方論師説、 方是常名ーー涅槃因従ーー諸方一_生一世間人一 従レ人生ー一天地一 天地滅没還入二彼処一 名為二涅槃一 是

 (第二の外道方論師の説かく、  最初諸方を生ず、 諸方より世間の人を生ず、 人より天地を生ず、 天地滅没して、  かえってかの処に入るを名づけて涅槃となすと。  この故に方論師は説く、 方はこれ常なるを涅槃の因と名づくと。)

 「唯識論」巻一の一四)の十三計の中に方論師計あれ、「述記」(巻末の七四)には、亦も ども 有  計方    爾、是一是常、 能生一万法

(あるが計すらく、 方もまたしかなり、  これ一なり、  これ常なり、 よく万法を生ず)とあるのみ。 しかして、『華厳玄談」巻八の一三)にこれを解説して曰く、

 計下方生>人人生元〈地一 滅後遠入中於方い故方是常是一、 是万物因、 是涅槃因、 故百論曰、  外曰実有全方常相有、 故日合処是方相等。

(方は人を生じ、  人は天地を生じ、 滅後かえりて方に入ると計す。 ゆえに方はこれ常、  これ一、  これ万物の因、  これ涅槃の因なり。 ゆえに「百論    にいわく、 外のいわく、 実に方あり、 常相にして有なり、 ゆえに日の合する処、  これ方相なり、 等と。)

すなわち「百論』(巻下の一七、『百論疏」巻下中の一八)には、  外曰実有方常相有、 故日合処是方相、 如ーー我経説一 若過去若未来若現在、 日初合処是名二東方一 如>是余方随白日為る名(外の曰く、 実に方あり。 常相あるが故に。 日と合する処、  これ方の相なり。  わが経に説くがごときは、 もしくは過去、 もしくは未来、 もしくは現在にも、 日と初めて合する処を、  これを東方と名づく。  かくのごとく、 余方も日に随っ て名をなす)とあり。 けだし外道は、 日の出ずる所いずれにありても東方なれば、 方位は一定不変のものなりと考うるなり。 しかるに、  仏教これを破して日出の所必ずしも一定の方位に限るにあらず、  須弥四州その出ずる所必ず異なり。 もし、 日出の所を名づけて東方となさんか、  四天下みな東方といわざるを得ず。 ゆえに、 方位は一定不変のものにあらずという。 その論理、  なお今日の地球説に一定の方位なきと同一に帰す。 要するに、 仏教は本来十方空無なることを唱え、 迷故三界常、 悟故十方空、 本来無ーー東西一 何処有  南北  (迷うが故に一一界_ は常なり、 悟るが故に+ 方は空なり。 本来東西なし、 いずれの処にか南北あらん)(「天地八陽経 「即身義東聞記」巻一の二二)と説くをもって、  外道と大いにその見るところを異にす。 もし、 その内外の問答を知らんと欲せば、 よろしく「百論」および「百論疏」につきて見る ぺし。  かくのごとく方論外道ありて、 方より人を生じ、  人より天地を生ずと説くも、 その道理いかんを証明せざるは、 畢覚、 空想のはなはだしきものというべし。



第六七節    時論

すでに空間論あり、 また方位論あれば、  必ず時問論なかるべからず。  その論を唱うるものを、 時論外道あるいは時散外道と名づく。  これを「諸乗法数」および「教乗法数」に時敬外道と記せるは、 おそらくは字画の誤りならん。  これ、「外道小乗涅槃論」の第十七に出ずる外道なり。  すなわち曰く、

第十七外道時論師作一如后翠喪  時熟一切大、 時作二  切物一 時散ーー一切物{  是故我論中説、 如蜘竺百箭射一 時不>到不元死、 時刻則小草触即死、  一切物時生、 一切物時熟、  一切物時滅、 時不缶可玉過、 是故時論師説時是常、 生二  切物ー  名涅槃因

(第十七の外道の時論師は、  かくのごとくの説をなす、 時は一切の大を熟し、 時は一切の物を作り、 時は一切の物を散ず。  この故に、 わが論の中に説かく、 百箭の射を被むるも時到らざれば死せず、 時到ればすなわち小草に触るるもすなわち死すがごとし一切の物は時によりて生じ、  一切の物は時によりて熟し、  一切の物は時によりて滅す、 時を過ぐべからずと。  この故に時論師は、 時はこれ常にして一切の物を生ずるを涅槃の因と名づくと説く。〔い  大正蔵、 到につくる〕)

これ、 万物の成るも壊るるも、  みな時運のしからしむるところなれば、 時は実に万物の真因なりとなす論なり。 また「喩伽論」(巻六の四)および「顕揚論」(巻五の四)の十六異論中、 第三去来実有論は時論師の計なり。 その説、 左のごとし。

 去来実有論者謂如有こ  若  沙門若  婆羅門一 若在一此法  者由  不正思惟一故起  如ら是見一 立ーー如レ是論去ー有ーー未来{  其相成就、 猶如ーー現在一 実有非>仮  ゜有ーー過

(去来実有論者は、 いわく、 もしひとりのもしくは沙門、 もしくは婆羅門あり、 もしくはこの法にあるもののごとき、 不正思惟によるが故に、 かくのごときの見を起こし、  かくのごときの論を立つ。 過去あり未来あり、 その相成就することなおし現在のごとく、 実有にして仮にあらずとなす。)

 これを「+ 住心論」「住心論科註三本の一八、「十住心論冠註」巻 ーの一) に解説して曰く、 第三計来実有ー論者此二別、  一勝論、  二時論外道計>有二過去一 計>有ーー未来一 其相成就猶如二現在一 実有非>仮(第三に、去来実有なりと計する論者は、  これに二の別あり。 ーには勝論、  二には時論外道なり。  過去ありと計し、 未来ありと計す。 その相成就せること、 なおし現在のごとくにして、 実有にして仮にあらずとす)と。  その論たるや一世実有論にして、 過去も未来も現在のごとく実有なりといえる説なり。 勝論外道・時計外道および仏教中小乗の一部は、  この実有論に属す。 また「大日経  「住心品」三十種の第一および第八に、 時論外道を出だせり。 まず「住心品疏」(「住心品疏冠註とし。

巻四の六七、『十住心論冠註」巻一の九五)に、 第一の時論を解釈すること左のごとく経云  復計有時王者、  謂計ーー一切天地好醜  皆以>時為>因、 如  彼偽言一 時来衆生熟、 時至則催促、 時能覚二悟於人一 是故時為伝因、 更有  人言、 雖こ  切人物非二時所作{  然時是不変因、 是実有法、 細    故不缶? 見、 以  花実等果一故可>知、 有>時何以故見>果知>有>因、 故此時法不>壊故常  ゜

(経に復計有時というは    いわく、  一切の天地の好醜はみな時をもっ て因とすと計す。  かの偽にいうがごとし、 時きたれば衆生熟す、 時至ればすなわち催促す、 時はよく人を覚悟せしむ、  この故に時を因とすと。  さらにある人のいわく一切の人と物とは時の所作にあらずといえども、 しかも時はこれの不変の因なり。  これ実有の法なり、 細の故に見るべからず、 花実等の果をもっての故に、 時ありと知るべし、 なにをもっての故に、  果を見て因ありと知るが故に。  この時法は不壊なるが故に常なりと。)

 この解釈は、 全く「智度論」(巻一の二八)にもとづく。 しかして、 その時を論ずるや前後二段に分かれり。前義は、 万物の成熟みな時によりて起こるをもっ て、 時は万物の因なりとなす。  これ、「外道小乗涅槃論」の説に同じ。 後義は一切万物は時の所作にあらざるも、 時は実に不変不滅の法なれば、 時よく不変の因なりとなす。 ゆえに「呆宝紗」(巻一末五の五 に両見の不同を示していわく、

上計時自造 作諸法一 時至能催促、 今計時能成  不変因淫妥華菓等一 而其顕了因縁種子及雨露水土也、 此故諸法顕相雖年空時所作一 時能薫>内為ーー不変_因    猶如ー一国主無為而能成ーー諸務

(上の計の時は自ら諸法を造作す、 時至ればよく催促す。 今の計の時はよく不変の因を成ず。 華菓等を造るに、 その顕了の因縁は種子および雨露    水    土なり。  この故に諸法の顕相は時の所作にあらずといえども、時はよく内に薫じて不変の因となる。 なおし国主の無為にしてよく諸務を成ずるがごとし)

とあり。 また「宥快紗」(巻三九の一 に、

釈  時外道妄計  両種宗計    見、 初__計万物皆時所作一 次計下時_成一万物因正時非盆翌作万物一 初宗計例  同下性宗兵如諸法鉢性而縁起成ーー諸法一談    次宗計同と法相真如成ーー諸法鉢性一 縁起不活成ーー諸法談上

(時外道の妄計を釈するに両種の宗計あるを見る。 初計は万物はみな時の所作なり。 次計は時は万物の因を成ず、 正しく時は万物を造作するにはあらず。 初の宗計は例えば性宗に真如は諸法の体性にして、 縁起して諸法を成ずるの談に同じく、  つぎの宗計は法相に、 真如は諸法の体性を成じ、 縁起して諸法を成ぜずと談ずるに同じ)

とあり。 つぎに、「住心品」の第八の時論は「住心品疏」に解して、 次云>時者、 与ーー前時外道宗計一小異、 皆自在天種類也(つぎに時というは、 前の時外道の宗計と、 小しき異あり。  みな自在天の種類なり)とあり。「住心品疏冠註巻四の七三、「智証疏抄」ーニ)に、 はじめの時論とこの時論との異同を示して曰く、

 経き  及時一者与二前有時  其別如何、 答推ー文障  云、 自在者若流出及時也、 爾  乃有>人或計ーー自在天是常能生=万物一 或計  従ーー手功ー出こ  切法い或計ー一時是自在天之所_依  歎云云、 前第一計以>時為自在天所_作  是其異也。万物因今計時是計ニ

(経に「および時」というは、 前の「有時」とその別いかん。 答う、 文意を推すにいわく、 自在とは、 もしは流出とおよび時となり。 しからばすなわちある人は、 あるいは自在天はこれ常にしてよく万物を生ずると計し、 あるいは手の功より一切法を出すと計し、 あるいは時はこれ自在天の所依なりと計するか、 云々。 前の第一の計は時をもって万物の因となし、 今の計は時はこれ自在天の所作なりと計す、  これその異なり。)

すなわちその意、 最初の時論は時をもって万物の因となし、 この時論は時をもって自在天の作るところとなすの異同ありというなり。  これを「拾義紗」(巻五の四には、 今時外道計自在天成品時生二万法一也(今、 時外道の計は、 自在天は時を成じ万法を生ずるなり)と解せり。 そのほか、「唯識論」(巻一の一四)にも時計外道を出だせり。  これを「述記』(巻一末の二四)に解説して、  或計有ーー一時 】是常是一、 能生  諸法一

 

あるいは計すらく一の時あり、  これ常なり、  これ一なり。 よく諸法を生ず)という。 また『華厳玄談ごとく時論外道を述明せり。(巻八の一には、 左の

時者即時散外道、 執一切物皆従』時生一 是故時是常是一、 是万物因、 是涅槃因、 広百論云復次或有五執ー一時是真実常{  以白見ー一種等衆縁和合一 有ー一時生ら果、 有二時不>生、 時有加ば宍  或舒或巻、 令ー一彼条等随五其栄華{  乃至百論亦云、 如五是時雖ーー微細不缶可>見、 以  節気花実等一故知缶有>時、 此則見>果知>因。

(時とはすなわち時散外道なり。  一切の物はみな時より生じ、  この故に時はこれ常、  これ一、  これ万物の因、  これ涅槃の因なりと執す。「広百論    にいわく、 またつぎに、 あるいは時はこれ真実常なりと執するあり、 種等の衆縁和合するを見るをもってなり。 時は果を生ずるあり、 時は生ぜざるあり、 時は作用あり、 あるいは舒べ、 あるいは巻く。  かの条等その栄華に随わしむ。 ないし「百論    またいう、 かくのごとき時は微細にして見るべからずといえども、 節気・花実等をもっ ての故に時あるを知る、  これすなわち果を見て因を知るなり、 と。)

その意、 前に述ぶるところと異ならず。  これによりて、 時論外道の論旨を知るべし。 しかるに仏教にありて は、 時無二別鉢一 依五法而立(時に別体なく、 法によりて立つ)と説きて、 時無体の義を唱うるなり。「即身義東聞記」(巻一の二二)に問答を掲げて曰く、 今真言教中建『一立時鉢一 何異ーー外計  乎、 答外道不>観  時鉢性一 只約二情凪一執一実有一故、 仏家破ら之(今、 真言教中に時の体を建立す、 なんぞ外計に異ならんや。 答う、 外道は時の体性を観ぜず、 ただ情飛に約して実有と執するが故に、 仏家はこれを破す)とあり。 しかりしこうして、  これを時散外道と名づくるは、 余おもえらく、「外道小乗涅槃論」の時散ーー一切物  (時は一切の物を散ず)の語より出でたる称ならん。 そのほかに、 いまだ時散の語を解するゆえんを知らざるなり。



 

第六八節 時解

時論外道のいわゆる時は、 梵語に迦羅という。「住心品疏冠註」(巻四の六九)に、 梵語迦攘此云>時、 是外道所計局定時也、  三摩耶亦曰ソ時、 是仏法中所恥玩長短不定時也(梵語の伽攘はここに時という、  これ外道所計の局定の時なり。 三摩耶もまた時という、  これ仏法中所説の長短不定の時なり)とあり。『翻訳名義集」(巻  一の五六)に「刊正記」を引きて、 迦羅は実時なり、 三摩耶は仮時と名づけ、 また短時長時と名づくといえり。  かく、時に二種を分かつことは「智度論」(巻一の二八) に出ず。  すなわち曰く、 天竺説レ時名有ーニ一種    一名二迦羅{名ー=摩耶  (天竺に時の名を説くに二種あり。  一には迦羅と名づけ、  二には三摩耶と名づく)と。 もし「百論疏」(巻下中の一ー)によりて考うるに、 時に二釈ありとなす。 曰く、

釈ソ時有乙一、  一内_一外、 内外各二、 外中_一者一_計一時常是万物了因一 故智度論云、 時是不変因、 時鉢是常、故名ーー不変一 了  出万物一 故称為>因、 又名  不レ変  者物自去来、 而時無  改易一 故_名一不変一衛世師九法中時是主諦之一法、  二者計ー一時是生因能生二万物一 亦_名一生殺因{  謂由>時故万物滅也、 内法一一者、  一  数論明』因ーー法仮る名>時、 離>法無中別時い二  晋喩部、 別有二時鉢{  姑非色非心、 如_二  相之類一云云。

(時を釈するに二あり。  一には内、  二には外なり。 内外におのおの二あり。 外の中の二というは、  一には 時は常なりと計す。 これ万物の了因なるが故なり。「智度論」にいわく、 時はこれ不変の因なり、 時の体これ常なるが故に不変と名づけ、 万物を了出するが故に称して因となす。 また不変と名づくることは、 物おのずから去来せり、 しかも時に改易なし、 ゆえに不変と名づくと。  衛世師の九法の中の時は、  これ主諦の一法なり。  二には、 時はこれ生因なりと計す。 よく万物を生ずれば、 また生殺因と名づく。  いわく、 時によるが故に万物滅すればなり。 内法の一一というは、  一には数論にして法によって仮に時と名づく。 法を離れては別の時なしと明かす。  二には誓喩部にして別に時の体あり、  これ非色非心なり。  三相の類のごとし、  云々。)

 また「中論疏」(巻一末の八)にも、 時に二種あることを示せり。 曰く、

 智度論明>時有_二一種{   一者時鉢是常、 但為一万法於了因一 不加駅生因{  是故此時名  不変因不変因者謂常相因也、  二者謂別有二時鉢一 能生  万物一 故為二万物一 作一生殺因一 如加匹云一 時来衆生熟、 時去即樅朽、 時転如ー車輪(「智度論是故時為>因。に明かさく、 時に二種あり。 ーには、 時体これ常なり。  ただ万法のために了因となって生因とならず。  この故に、  この時を不変因と名づく。 不変因とは、 いわゆる常相因なり。一一には、 別に時の体あり、 よく万物を生ずといえり、  ゆえに万物のために生と殺との因となる。 偶にいうがごとし、「時来りて衆生熟し、 時去ってすなわち推朽す。  時の転ずること車輪のごとし。  この故に時を因となす」と。)

これらの釈義は、  みな前節に引用せるものに異ならず。 もしまた仏教中に見るところの時分の長短両極を挙ぐれば、 極長これを劫すなわち劫波と名づけ、 最短これを刹那と名づく。「名義集」(巻二の五六)に刹那を解して、

榜伽云刹那時不社  名為二刹那一 倶舎云壮士一弾指頃六十五刹那、 仁王云一念中有ーー九十刹那一 一刹那_経一九百生滅

(『榜伽』にいわく、 刹那の時は住せず、  名づけて刹那となす。「倶舎」にいわく、 壮士の一弾指のころは六十五刹那なり。「仁王」にいわく、  一念中九十刹那あり、刹那に九百生滅を経)とあり。「大蔵法数」(巻ニーの、「三蔵法数」巻一八の一に劫を解して、

 劫梵語具云  劫波{  華言二分別時節一 謂  人寿八万四千歳時、 歴  過百年ー則寿減こ  歳一 如>是減_至一人寿十歳則止、 復過ー百年  則増  一忽    如是増至二八万四千歳一 此一増一減名為こ  小劫一 如レ是二十増減名為こ  中劫一総成住壊空四中劫名為二  大劫

(劫は梵語につぶさに劫波という。 華に分別時節という。 いうこころは、 人寿八万四千歳の時、  百年を歴過すればすなわち_寿歳を減じ、  かくのごとく減じて人寿十歳に至ればすなわちゃ む。  また百年を過ぎればすなわち一歳を増し、  かくのごとく増して八万四千歳に至る。  この一増一減を名づけて一小劫となす。  かくのごとく二十増減を名づけて一中劫となす。 総じて成・住・壊・空の四中劫を名づけて一大劫となす)

とあり。  この劫の最大に達したるものを阿僧祇劫と名づく。  これを訳して無数劫という。  そのほか時分の種類・性質につきて、 なお論ずべきこと多しといえども、 小乗哲学を講ずるときに譲る。  これを要するに、 方論計・時論計のごときは、 地水火風四大論の一歩進みたるものにして、 その見るところ、  ようやく有形より無形に入るものなり。 しかして、 方・時をもって万物の真因と立つるがごときは、 余いまだ西洋にその説あるを見ず。


第四編 各論第二  客観的複元論


第一章


第六九節    声論外道

四大論ようやく進みて方時論を生ずるに至れば、 さらに時間・空間中に天地万物を見るは、 時間・空間そのものの現象にあらずして、 時空のほかに、 別にこれを造出せるものなかるべからずといえる一論を生ずるに至るべし。  これ、 論理自然の勢いなり。 なんとなれば、 時空と万物とはその性質全く異なれば、 時空変じて万物となるべき理なければなり。  ここにおいて有神論起こる。 前編に掲げたる諸外道はみな唯物無神論なるも、 その論の結果は天地万物の原因を究明することあたわずして、  ついに有神論を呼び起こすに至れるなり。  ゆえに、 これより有神論を述ぶべし。  まず、 声論のことを弁明せんと欲す。 余がみるところによるに、 仏書中に声論と名づくるものに、  およそ三種の別あるがごとし。

第一は、 声明論あるいは声明記論を略して声論という。

第二は、 毘陀論すなわち明論を呼びて声論という。

第三は、 声生論師・声顕論師の所計を名づけて声論という。

その第一の声論は、 帝釈の所造あるいは梵王の所説となす等の説あることは、 さきに声明論を述べたりしときにすでに弁明せり。 よろしく第一六節および第一七節につきて見るべし。 しかして、  ここに論ぜんと欲するものは、 第二および第三の声論なり。  この二者は婆羅門の学派にして、 ともに有神論の流派なり。 しかるに「大日経疏宥快紗」および「拾義紗」には、 この第一の声論と、 第二、 第三と同一なることを示せり。  すなわち、「宥快紗」(巻四四の二)に出ずるところ左のごとし。

一義声論者帝釈所造論也、 依コ学彼論一者生二此_計  故、 声即是声論外道、  一義声論者指ーー梵王所説四吠陀論随 声明論一 所如四彼論一声計二常住一也、 但此二義始終一義也云云

(一義に声論は帝釈所造の論なり。  かの論に依学する者はこの計を生ずるが故に、 声はすなわちこれ声論外道なり。  一義に、 声論は梵王所説の四吠陀論の随一なる声明論を指す。  かの論に明かすところは、 声は常住なりと計するなり。 ただ、  この二義は始終一義なり、 云々。)

また「拾義紗」(巻六の一〇)には、 声論者帝釈所造論、 又梵王所説四吠陀論随一  声明論也、 外道者依孟子声論一之人也(声論は帝釈所造の論なり、 また、 梵王所説の四吠陀論の随一なる声明論なり。 外道は声論に依学するの人なり)とあり。「弁義抄」(巻三の三五)にもこの説を掲げり。 また「玉振紗』(巻六本の一三)には、 声生・声顕・非声の三種外道のみな毘陀論の部類なることを示して、 若此三計明論部類、 神我別有云云(この三計のごときは明論の部類にして、 神我は別有なり、 云々)とあり。 もし、 声明論も毘陀論もともに梵王より出ずるものとなすときは、 三者同一なるべしといえども、 その所計にいたりては全く別種となさざるべからず。 毘陀の声論と声生声顕論との二種も、 また別計なり。 毘陀の声論は、 毘陀の文字音声を常住不滅のものとなすも、 必ず一切の音声をことごとく常住不滅となすにあらず。 しかるに、 声生声顕外道は一切の音声の常住を唱うるものなり。 しかれども、 後者は前者より転化せるものにして、 その起源の一なることは、 けだし疑うべからず。 左に、毘陀論師の声論と、 声生声顕論師の声論とを述ぶべし。


第七    節    明論外道

ここに毘陀論を声論の一種となすは、「唯識論」(巻一の一四)の所説にもとづく。  その論に曰く、有余偏執、 明論声常、 能為二定量一 表二詮諸法

(ある余の、 偏執すらく、 明論の声は常なり、 よく定量となって諸法を表詮すと。)

これを「述記 巻一末の七五)に解説して曰く、

明論声常是婆羅門等計、 明論者先云二章陀論一 今云二吠陀論一 吠陀者明也、 明ーー諸実事一故、 彼計此論声為二能詮定量』歪詮諸法一 諸法楷量故是常住云云  ゜

(明論の声は常なり。  これ婆羅門等の計なり。 明論というのは、  さきには常陀論という。 今は吠陀論という。 吠陀というのは明なり。 もろもろの実事を明かすが故に。 彼が計すらく、  この論の声は能詮の定量となりて、 諸法を表詮し諸法を楷量す。  ゆえにこれ常住なり、 と云々。)

これ、 余がいわゆる第二の声論なり。  すなわち「因明大疏 巻三の三二)に、 如下明論師対  仏法者ー立こ  切声是常上(明論師のごときは、 仏法者に対して一切の声はこれ常なりと立つ)というものこれなり。 しかしてまた「唯識論    に曰く

有執一切声皆是常、 待レ縁顕発方有二詮表

(あるが執す、  一切の声はこれみな常なり。 縁を待ちて顕発し方に詮表あり、 と。)

これを「述記    に解説して曰く、 待>縁顕者声顕也、 待>縁発者声生也、 発是生義、 声皆是常云云(縁を待ってあらわるというのは声顕なり。 縁を待って発すというのは声生なり。 発はこれ生の義なり。 声はみなこれ常なり云々)とあり。  これ、 余のいわゆる第三の声論なり。  ゆえに、 その第二は毘陀論外道の所立にして、 第三は声顕声生外道の所立なり。  これによりてこれをみるに、 印度の外道中に声をもって常住不変となす説は、 その源毘陀論師より起こり、 婆羅門の所計なること明らかなり。 しかして、 声生・声顕の両論の起こりたるは、 けだし毘陀論師の声論の分派ならん。 もし年代をもって較すれば、 毘陀論さきに起こり、 声顕声生論のちに出でたるは疑いをいれず。  ゆえに、 余はこの二種の声論を合して、  これを有神論の部類に属するなり。「十住心論冠註巻三の一三)に解するところは、  まさしくこの二種の一類なることを示す。  すなわちその解にいわく、 声論外道上文所レ言囲陀論師、 於二此声論ー大分二声生声顕二論  (声論外道は上の文にいうところの囲陀論師なり。  この声論において大いに分かちし声生と声顕の二論とす)とあるを見て知るべし。 毘陀論すなわち明論外道のことは、「外道小乗涅槃論」第四に出ず。 しかして、「華厳玄談」にこれを引きて解説せるも、 これみな、 梵天より世界万物の化生したる順序を開示せるのみ。 別に声常住の理を証明するにあらざれば、 その説明は後にまさしく有神論を述ぶるときに譲る。  ただ「大疏宥快紗 巻四四の二)に、 毘陀論師の声論につきて、 外道意所レ明ー一声明論 缶 常住也、 余声必非孟吊住計

(外道の意に明かすところの声明論は、 声常住なり、 余の声は必ず常住にあらざる計なり)とありて、  一切の声までを常住とするにあらざることを示せり。 もし『義林章左のごとく詳説せり。

巻一本のニによらば、其明論  者、 婆羅門等執一吠陀論声唯是常一 不品空声性一 非ーー能詮一故、 其能詮声詮二於明論所詮之義常所詮定故、 余一切教皆無常声以為ーー教体此教是

(その明論とは、 婆羅門等は吠陀論の声はただこれ常なりと執す。 声性を取らざるは能詮にあらざるが故に、 その能詮の声は明論所詮の義をあらわす。  この教はこれ常なり、 所詮定まるが故に。 余の一切の教はみな無常の声をもっ て教体となす。)

もしまた『広百論釈論」(巻一の四)によらば、 明論声与二所余声ー同、 是声性云何、 但説此声是常、 余声無常云云(明論の声は所余の声と同じくこれ声性ならば、 いかんぞただこの声のみこれ常にして、 余声は無常なりや云々)とあり。 そのほか「方便心論」(四)に、 如    巨声_常  囲陀経典従>声出、 故亦名為>常(声は常なり。 囲陀経典は声より出ずるが故に、 また名づけて常となすというがごとし)と説きたるは、 この声論なること明らかなり。  また「同論に、 六十三字四句之義、 是音声外道(六十三字、  四句の義は、 これ音声外道なり)とあるも、  この声論のことなるか。 もし、 これを西洋の所説に考うるに、 六大学派の弥曼差および吠檀多学派は、

この明論外道に当たるべし。 なかんずく、 弥曼差学派は声論外道なり。 けだし、 弥曼差も吠檀多もともに毘陀神典にもとづきて起こりしものなれども、 弥曼差は主として毘陀の儀式行法に関することを講究し、 吠檀多はもっぱら毘陀の哲学道理に関することを論明したるものなり。  かくして、 弥曼差は毘陀神典そのものを神聖なるものと信じ、 文々句々みな梵天の金言なれば、 その金口よりひとたび発したる言声は、 常住不変にして永く神聖なることを証明せんと欲し、 声常住論の起こるに至れるなりという。 果たしてしからば、 弥曼差は仏教のいわゆる声論にして、 声生・声顕もみなその分派なるべし。


第七一節    声生声顕外道


声論は声生声顕論に至りてようやく明らかなれば、  これより生顕二論を弁明せざるべからず。「唯識に「述記」の所説は前節に掲げしも、 いまだ「大日経住心品疏」の釈義を示さざれば、 左に転載すべし。

ならび

経云ーー声非声一者、 声即是声論外道、 若声顕者計二声鉢本有{  待>縁顕>之、 体性常住、 若声生者計二声本生ー待>縁生>之、 生已常住。

(経に声・非声というは、 声とはすなわちこれ声論外道なり。 声顕のごときは、 声の体は本有にして、 縁を待ちて、 これをあらわし、 体性常住なりと計す。 声生のごときは、 声の本生ずるに縁を待ちてこれを生じ、生じおわりて常住なりと計す。)

これ声生・声顕の両種にして、 三十種中の第二十八と第二十九なり。  また、「喩伽」および「顕揚」の十六異論の第二従縁顕了論は、 数論および声論の所計なり。  ゆえに「喩伽論」(巻六の三)に曰く、

従縁顕了論者謂如>有二  若沙門若婆羅門    起二如>是見る芸如>見論一切諸法性本是有従衆縁顕、 不従縁生{  謂即因中有果論者及声相論者作二如是計

(従縁顕了論とは、 いわく、 あるひとりの、 もしくは沙門、 もしくは婆羅門のごとき、 かくのごときの見を起こし、 見のごときの論を立つ。  一切の諸法は性もとこれ有なり、 衆縁に従ってあらわる、 縁より生ぜずと。  いわく、  すなわち因中有果論の者、  および声相論の者、 かくのごときの計をなすと。)


もし「十住心論」「住心論冠註巻三の二)によらば、 第二計二従縁顕了ー論者此二別、  一数論外道計下法体自な本有従ーー衆縁年宍  二声論外道計二声鉢是常、 而但従>縁宣吐顕了

(第二に、 従縁顕了なりと計する論者は、これに二の別あり。  一には数論外道なり、 法体はもとより有なれども、 衆縁に従ってあらわると計す。  二には声論外道なり。 声の体はこれ常なれども、 ただし縁に従って宣吐して顕了なりと計す)と解せり。  ゆえに、 その論は声生声顕外道中の声顕論なること明らかなり。  さらに声生・声顕二論の解釈を考うるに、「法苑義鏡」(巻上の四)には左のごとく示せり。

因明疏云、 声論師中総有ーニ一種一 一声従>縁生即常不レ滅、  二声本常住従レ縁所>顕、 今方可>聞、 縁響若息遂不レ可』聞、 声生亦爾、 縁息不如聞、 縁在故聞、 今__云  顕_常  者声顕論師也、 生常者声生論師也。

(「因明疏にいう、 声論師の中に総じて二種あり、  一は声は縁より生ずるも、 すなわち常にして滅せず。

二は声は本常住にして縁によりてあらわさる。 今方に聞くべし、 縁響もしやすむときは、  ついに聞くべからず。 声の生ずるもまたしかり、 縁息まば聞こえず、 縁あるが故に聞こゆ。 今、 顕常というは声顕論師なり。生常は声生論師なり。)

また、「大日経疏果宝紗」

巻二本一の三一)に声顕論を釈して曰く、此計声鉢本有、 宮商等声常恒有>之、 而待>縁顕>之、 謂四大相撃等、 縁合方  顕一声鉢一也

(この計は声の体は本有にして宮商等の声は常恒にこれあり、 しかして縁を待ちてこれをあらわす。 いわく、 四大相撃など、 縁合して方に声の体をあらわすなり)

と。 また声生論を釈して曰く、

此計声鉢有始無終也、 初生本源待>縁生>之、 生終  鉢是常住、 善悪無記等一切声、 常存不>壊、 尽ーー未来際不一壊滅一也

(この計は、 声の体は有始無終なり。 初生の本源は縁を待ちてこれを生じ、 生じ終われば体はこれ常住なり。 善悪無記等の一切の声は常存にして壊せず、 未来際を尽くして壊滅せざるなり)

と。 そのほかこれに与うる釈義は、  みな同一の意義を重複せるに過ぎず。  これを要するに、 声生論は、 声は本生にして、 もと生じたることあるも、  ひとたび生じ終われば、 その末は常住にして永く滅せずという。  これ、 有始無終論なり。 なんとなれば、 その生ずるに始ありて、  その滅するに終なければなり。  つぎに声顕論は、 声は四大相うつがごとき縁によりてあらわるるも、 その体常住にして前後にわたりて存すという。  これ無始無終論なり。なんとなれば、 そのひとたびあらわれたる後、 永く滅せざるのみならず、 そのいまだあらわれざるとき、  すでに常に存すればなり。「宥快紗」(巻四四の四)には、 顕生二声論の異同を掲げたるうち、 その一義に、 声顕者声鉢

計ーー常住一 縁起用必不レ謂常住一 声生者縁起声計ーー常住一 必声鉢非紅酎常住  (声顕者は声体は常住なりと計す、 縁起の用は必ず常住といわず。 声生者は縁起の声は常住なりと計す、 必ず声体は常住と計すにあらず)とあり。 余案ずるに、 声生論師は声の用につきてこれを論じ、 声顕論師は声の体につきて論ずるもののごとし。「住心品疏略解』(巻五の二六)には、 この二論の妄計なるゆえんを示し、 声顕に対しては此計非レ是、 何者諸法一概本有、何唯声耶(この計はこれにあらず、 なんとならば、 諸法は一概に本有なり、 なんぞただ声のみならんや)と、い、 声生に対しては此計二声鉢有>始無>終、 此亦邪計、 生者必滅、 有>始者必有>終故(これは声体に始ありて終なしと計す。  これまた邪計なり、 生ずる者は必ず滅す、 始あれば必ず終あるが故なり)といえり。 けだし、  この二種の外道は、 釈尊在世の時代にはいまだ起こらざりしは明らかなりといえども、 無着・世親の前後には、 大いに世間にさかんなりしもののごとし。  ゆえに、 因明の論式のごときも、 もっぱら声論師に対して声無常なるし、 所作性なるが故にと立つるを見て、 その一斑を知るべし。

「因明大疏」(巻四の一四および巻三の三九)には、 ただに声論に対して論ずるのみならず、 声生・声顕両論を掲げてその別を示せり。 例えば、 勝論師対二声顕論丑芸声無常所作性因    其声顕論説ーー声縁  顕{  不レ許二縁  生一云云(勝論師は声顕論に対して声は無常・所作の性因と立つ。 その声顕論は声は縁もあらわると説き、 縁をもて生ずとは許さず、 と云々)と。 また、 声生論言、 声是其常、 所聞性故云云(声生論は、 声はこれ常なり、 所聞の性なるが故に、 と云々)とあり。  かつ『方便心論』中に声論のことを論ぜしを見れば、 竜樹の当時すでに多少の勢力を有せしは疑いなし。 もしそれ声の種類を考うれば、  これに内外の別あり。「十住心論」の「傍註」「    住心論冠註」巻一の一〇七)に、 内声は咽喉等の声にして、 外声は四大等の声なることを示せり。 また「住心品疏」

(「住心品疏科文」巻三の二六)には、 彼中復自分二異計

如二余処広釈

(彼の中にまた自ら異計を分かつ。 余処に広釈するがごとし)とありて、 その類別は唯識・因明等の書類に出ず。 まず、「唯識述記」(巻一末の七六)には二類あることを示せり。  すなわち左のごとし。

此有三  類一計    常声如二薩婆多無為    於ニ物上ー有二  常声一 由下尋伺等所レ発音上顕、 此音響是無常、 ニ計    一切物上共一常声_由一尋伺等所レ発_音  顕、 音亦無常如ー大乗真如万法_共是顕>声之縁非二能詮鉢故、 唯此常者是能詮声、 其音但。


(これに二の類あり。  一に計すらく、 常の声は薩娑多の無為のごとく、 いちいちの物の上において一の常の声あり。 尋・伺等に発せらるる音によってあらわる。  この音響はこれ無常なり。  二に計すらく、  一切の物の上に共じて一の常の声なり。 尋・伺等に発せらるる音によってあらわる。 音はまた無常なり、 大乗の真如の万法に共ぜるがごときが故に。 ただこの常なるものは、 これ能詮の声なり。 その音は、 ただこれ声をあらわすの縁なり。 能詮の体にはあらず。

これ、「述記」に声顕・声生の二計を破する所に出ず。『因明後記』(巻上の三七)には、  この二計におのおの四種の声を分かち、 合して八計となす。  すなわち左のごとし。

声論師中総有ーーニ類一者、  一声生二声顕、 此二計中一一皆有二四種{  且声生論  有 計二内外声皆是常二計二内常外是無常此復二類、  一者執ーー  内声常其体是一一 如 天 乗真如二者執ーー内外声常其体本多一 如一ー薩婆多択滅    此為二四類一 声顕亦爾  ゜

(声論師中に総じて二類ありとは一は声生、  二は声顕なり。 この二計のうち、一にみな四種あり。 しばらく声生論には、 有るは内外の声はみなこれ常と計し、  二には内は常、 外はこれ無常と計す、  ここにまたニ類あり、  一には内声は常にしてその体はこれ一なりと執すること大乗の真如のごとし。  二には内外の声は常にしてその体は本多なりと執す、 薩婆多の択滅のごとし。  これを四類となす、 声顕もまたしかり。)

ゆえに「義林章」(巻一本の二二)には、 声顕論および声生論に、 各計二  計レ多、 各通二内外  (おのおの一を計すると、 多を計すると、 各内外に通ずると)の四種ありと説けり。 また「略纂に、 彼声論計略有二八種    謂声生声顕各有>四故(かの声論の計に略して八種あり、 いわく、 声生と声顕とに各四あるが故に)とあるも、  この四種をいう。  これを「同学紗」(巻一    の一四)に解説して曰く、

於一声生声顕二師一惣有二八家不同内外諸声皆常計也、  一計二  分所謂能詮声随ニ唯内声常計也物一 其鉢各別或共一鉢、 此中各有ニニ計一 一計  全分一

(声生・声顕の二師において、 総じて八家の不同あり、 いわゆる能詮の声は    一の物に随ってその体各別なり、 あるいはともに一体なり。  このうち各二計あり。  一は全分を計す、 内・外の諸声はみな常計なり。  一は一分を計す、 ただ、 内声は常計なりとあり。  かくのごとく、 声生・声顕おのおのこの四計を有するをもって、 合して八計となる。「玉振紗」(巻六本の    二)に、 因明大疏二計各分二内外全分ー総為二八計

「因明大疏の二計、 各内・外・全・分を分かち、 総じて八計となる)とあるは、  すなわちこれなり。 しかしてまた、 二師おのおのその内声において三種を設く。  すなわち響音・名句文声・声性なり。  これを「因明輯釈」(巻 二の六)によりて解すること左のごとし。

響音者耳所如聞響、 其鉢即内道所>談声塵也、 此響音  二師倶云ー一無常故非ーー能詮一也、 名句文声者、 乗二響音所レ顕能詮、 即亦内道所レ立  不相応中名句文也、 此名句文  二師倶云 泣吊住故有二能詮用  也。

(響音は耳に聞くところの響なり。  その体はすなわち内道所談の声塵なり。  この孵音をば二師ともに無常の故に能詮にあらず、 というなり。 名・句・文・声は、 孵音に乗じてあらわさる能詮なり、 すなわちまた内道に立つるところの不相応の中の名・句・文なり。  この名・句・文をば二師はともに、 常住なるが故に能詮の用あり、 というなり。)

声性者、 即名句文声之実性也、 誓如  大乗真如為二有為実性{  故名句文是相也、 声性是性也、 即此声性  亦二師倶立二常住一也。

(声性はすなわち名・句・文・声の実性なり。 たとえば、 大乗の真如を有為の実性となすがごとし。  ゆえに、名・句・文これの相なり。 声性はこれ性なり、  すなわちこの声性をもまた二師ともに常住と立つるなり。)

かくのごときは、  その名目を挙示するをもって足れりとす。  ゆえに「因明大疏」(巻四の四三、「瑞源記」巻五の六七)にも、 声生説>声総有ー一三類一云云(声生は声を説くに総じて三類あり、 と云々)の説あるも、 ここにこれを略す。  そのほか「解深密経疏」(巻一の三)に、 外道諸派の声論を示して、  数論外道声諦為>鉢、 依二勝論宗声徳為>性、 順世外道四大為>鉢、  一切皆用レ大為>性故、 故声論諸師、 用声為乙鉢(数論外道は声諦を体となし、勝論宗によりて声徳を性となす。 順世外道は四大を体となす。  一切みな大をもって性となす故に。  ゆえに声論の諸師は声をもって体となす)とあるがごとき諸書に散見せる評論は、 到底枚挙するにいとまあらず。


第七二節    非声外道

「大日経  「住心品」の三十種の最後に、 非声外道と名づくる一派あり。  これ、 まさしく声論に反対したる論なり。  ゆえに「住心品疏」に曰く

彼計ーー声是遍常一 此宗悉撥為>無、 堕二在無善悪法一 亦無二声字ー処、 以>此為>実也。

(彼は声はこれ遍常なりと計す。  この宗はことごとく撥して無となし、 無善悪法に堕在す。 また声字なき処、  これをもって実となすなり。)

これ一切の声を撥無する論なれば、 必ず善悪なきところに帰着すべし。 なんとなれば、 善悪の別は言声・文字あるによる。 もし、 言声もなく文字もなきにおいては、 なにをもって善悪を分かたんや。  その勢い、 無善無悪の地に到達せざるべからず。 今「十住心論冠註 巻一の一〇八)によるに、  一義云声是顕二善悪一能詮、 然無二能詮声一故所詮善悪法亦無(一義にいう、 声はこれ善悪をあらわす能詮なり。 しかるに能詮の声なきが故に所詮の善悪法もまたなし)とあり。 そもそもこの外道の要義は、「果宝紗」(巻二本一の三二)によるに、 是撥ー一無声鉢ー無相離言処為ーー宗極

(これは声の体を澄無す。 無相離言の処を宗極となす)と説き、「玉振紗巻六本の一三)には、 如>是雖ーー悉撥無全存二声性一切声相所二撥無ー処謂二之声性詮実鉢執ーー是常遍

(かくのごとく、  ことごとく撥無すといえども、 全く声性を存ず。  一切の声相、 撥無するところの処はこれを声性という。 能詮は実体にして、 これ常遍なりと執す)といえり。 また「住心品疏冠註巻五の二によるに、 そのいわゆる声字きところを実となすは、 かの禅門不立文字、 維摩無言等なりとなす。 しかりしこうして、 かくのごとき外道の存することは、 他書に見ざるところなり。  ゆえに、 その宗意を明らかにすることあたわずといえども、「十住心論」の「傍註」(「十住心論冠註」巻一の一〇八)に、 或云恐  勝論外道異名欺(あるいはいう、  おそらくは勝論外道の異名なるか)とあり。 余おもえらく、 これ必ずしもこの名称を有する外道あるにあらず、  すでに声論あれば、 これに反する宗義をとるものあるべきは自然の勢いなれば、 すべて声論に反対のものを非声論と称せしならん。 しかしてこの二者は、 ともに毘陀論の声常説より派生したるやまた疑いなし。  すでに「玉振紗」には、 声非声者出伝  明論立二声常住 』云云(声・非声は明論に声常住と立つるに出ず、 と云々)とあるを見て知るべし。  ゆえに、余は声・非声を合して、 ともに有神論の部類となす。 けだしこの両論のごときは、 西洋の哲学史上にいまだ見ざる論にして、 印度特有の哲学なるべし。 ことに声生声顕外道の唱うるところの声体常住論のごときは、 印度哲学一種固有の論というべし。 仏教は声論に反して声無常を唱うるものなれども、 真言の声字実相論のごときは声論の所説に似たり。「声字義 一および六)に曰く、

夫如来説法必藉二文字ー  文字所在六塵其鉢、 六塵之本法仏三密即是也

(それ如来の説法は必ず文字を藉る。 文字の所在は六塵その体なり。  六塵の本法は仏の三密すなわちこれなり)

と。 またその頌に曰く、 五大皆有>響、 十界具二言語    六塵悉文字、 法身是実相(五大みな響あり、 十界言語を具す。 六塵ことごとく文字、 法身これ実相なり)とあるがごときは、 声常論といわざるべからず。  しかるに真言家は、 外道の声論は常識によりて立てて、 真言の声論は理想によりて立つるの別ありという。  ゆえに「果宝紗」

(巻二本一の三二)には、

外道不>知ーー理趣    但依二情量一而作>計故、 唯声常住云未>知二其理一 指ー常ー   住位一或云ー神我ー 所作一 或云二冥然処一皆是妄執矯乱、 以ーー凡情 細   執計一 与二秘密声字実相義ー天地各別也

(外道は理趣を知らず、 ただ情量によりて計を作す故に。  ただ声は常住といいていまだその理を知らず。 常住の位を指し、 あるいは神我の所作といい、 あるいは冥然の処という、  みなこれ妄執矯乱にして、 凡情をもって執計を構え、 秘密声字実相義と天地各別なり)

とあり。  また、 非声論は文字・言声を否定する論なれば、 禅宗の不立文字に似たるところあるも、  これ常識凡情の所計なれば、 禅宗の妙理とは同日の論にあらざること明らかなり。


第二章


第七三節 天の名義

以上、 声論外道を論じてようやく有神論を述べんとするに当たり、 まず外道のいわゆる天につきて一言せざるべからず。  けだし、 天のことたるや仏教以前の説にして、 印度最古の神話より起こり、「毘陀経」中に見るところの古説なるも、 仏教はその話をかりて世間道を説きたるをもっ て、 仏書中にも多く諸天の名称を掲ぐるを見る。 なかんずく帝釈天・梵天・自在天のごときは仏教中にありて、  これを諸天中の最勝最尊なるものとなせり。ただ、  これを婆羅門に比して異同あるは、 天部はすべてこれを世間門中に置きて、 迷界の一部に属さしめ、 さらにその上に悟界の存することを唱うるにあり。 今、 余が諸天につきて述ぶるところは、 仏教の経論疏釈中に散見せるものを比較参照するに過ぎず。 そもそも天の名義たるや、 支那のいわゆる天とその意を異にし、 梵語の提婆を訳したるものなり。 しかしてその語に配するに天の字を用いたるは、 最勝最尊の義なりという。「法苑珠林」(巻七の一 に、 天者_如一婆沙釈るヂ光明照曜一 故名為>天(天は婆沙の釈のごとくんば、 光明照曜と名づく、  ゆえに名づけて天となす)と、 また光明増故名>天(光明増す故に天と名づく)と、 また戯楽故名>天(戯楽の故に天と名づく)との諸説を掲げり。 もし、「翻訳名義集」(巻二の一)の示せる解釈は左のごとし。

提婆此云>天、 法華疏云、 天者天然、 自然勝、 楽勝、 身勝、 故論云、 清浄光潔、 最勝最尊、 故名為>天。

(提婆はここに天という。「法華疏」にいわく、 天とは天然・自然勝・楽勝・身勝なり。 ゆえに「論」にいわく、 清浄光潔最勝    最尊なり、 ゆえに名づけて天となす。)

また「凡聖界地章 巻下の二)によるに、 天者論云、 天  謂光明威徳熾盛、 遊戯讀論、 勇惇相凌、 或復尊高神用自在、 衆所二祈告一故名為>天(天とは「論    にいわく、 天とはいわく、 光明威徳熾盛にして遊戯諏論し、  勇悼にして相凌し、 あるいはまた尊高神の用自在にして、 衆の祈告するところなるが故に名づけて天となす)とあり。 また「往生要集指魔紗巻四の五五)によるに、 論釈ーー天名一凡有ーー五説一云勝故名レ天、 二云増上乗生故、三云此名施設、  四光自照故、 五云以 善 行生 レ彼常自遊楽故(『論』に天の名を釈するにおよそ五説あり。  一にいわく、 勝なるが故に天と名づく。  二にいわく、 増上乗の生ずるが故に。 三にいわく、 ここに施設と名づく。  四に光自ら照らすが故に。 五にいわく、 善行をもってかれに生じ、 常に自ら遊楽するが故に)とあり。 しかしてその天のすみかたるや、 最勝   最楽最善   最妙最高の所となす。「三界義」(三五、「三界義略解巻中の三五)に、天の十勝を挙示せり。  すなわちいわく、

諸天皆有二十勝事一 一飛行、  二来自在、 三去自在、 四無碍、 五無骨、 六無ー一便利一 七無二疲倦一 八天女不レ産、九眼不>瞬、 十随>意受二勝快楽

(諸天にみな十の勝事あり、  一に飛行、  二に来自在、 三に去自在、  四に無碍、 五に無骨、 六に便利なし、  七に疲捲なし、 八に天女産せず、 九に眼瞬かず、 十に随意に勝快楽を受く。)

実に天界は世界中、 最勝    最楽の所なり。 しかれども、 なお生老病死の苦患を脱するあたわず。  すなわち、

「三界義」に述ぶるところ左のごとし。 諸天将命欲>終、 先有二五種小衰相現者衣服厳具出ーー非声二者自身光明忽然昧劣、 三者於二沐浴位ー水滴着レ身、  四者本性露馳令>滞二  境一 五者眼本凝寂 数瞬動、 此五相現    時、 必定当>死、 復有二五種大衰相現    一者衣染二埃塵{  二者花霊萎悴、 三者両腋汗出、  四者臭気入>身、 五者不>_楽一本座一 此五相現    必定当>死。

(諸天のまさに命終わらんと欲するに、 先に五種の小衰相の現ずることあり、  一には衣服厳具、 非愛声を出す、 二には自身の光明忽然として昧劣なり、 三には沐浴位において水滴身に着く、  四には本性撹馳にして一境に滞らず、 五には本凝寂なれどもしばしば瞬動す。  この五相現るるとき必定してまさに死すべし。 また五種の大衰の相現ずるあり、  一には衣埃塵に染む、  二には花霊萎悴す、 三には両腋より汗出ず、 四には臭気身に入る、 五には本座を楽わず、 この五相現れれば必定してまさに死ぬべし。〔 日仏全により愛を補う、 日仏全、 埃につくる〕)

かくのごとく諸天にも生死の変あるをもっ て、 仏教はこれを迷界に属し、 さらにその上に悟界あることを説く。 迷界は、 あるいはこれを地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道に分かちて、 あるいはこれを欲界・色界・無色界の三界に分かつ。 欲界は睡眠・飲食・姪欲の三事を具し、 色界は形質浄妙にして身相殊勝なり。 無色界はただ精神のみありて、 形色あることなしという。  そのつまびらかなるは、 小乗哲学を講ずるときに譲る。 今、 天界には欲・色・無色の三界あり、 欲界には地獄・餓鬼・畜生・修羅・人と天の一部を含む。 左に、「宝積経 巻九四の五)によりて三界の類別を示さん。

復次知一三界一 所レ謂欲界、 色界、 無色界、 云何欲界、 地獄、 畜生、 餓鬼、 阿修羅、 人、  四天王天、 三十三天、 夜摩天、 兜率隆天、 化楽天、 他化自在天、  若於二此中一欲染貪著瞑悪愚痴稀望、 欲>得ーー心所作業一 是名>知蔽  界一 云何色界、 梵天、 梵輔天、 梵衆天、 大梵天、 光天、 少光天、 無量光天、 光音天、 浄天、 少浄天、無量浄天、 偏浄天、 果実天、 少果天、 広果天、 無量果天、 無想天、 無熱天、 無悩天、 善見天、 妙善見天、 阿迦脈咤天、 若於二此中一 色染愚痴怜望、 欲>得二心所作業一 是名二色界一 云何無色界、 空処天、 識処天、 無所有処天、 非有想非無想処天、 若於ー此中ー無色染汗愚痴悌望、 欲>得ー一心所作業一 是名二無色界    是名已一界

(またつぎに三界たる、 いわゆる欲界・色界・無色界を知るなり。 いかんなるは欲界なる。 地獄・畜生・餓鬼・阿修羅・人・四天王天・三十三天・夜摩天・兜率陀天・化楽天    他化自在天にて、 もしこのうちにおいて、 欲染の貪著・瞑患.愚痴もて稀望して、 心のなすところの業を得んと欲せば、  これを欲界を知ると名づく。 いかんなるは色界なる。 梵天たる梵輔天・梵衆天・大梵天、 光天たる少光天・無量光天・光音天、 浄天たる少浄天・無量浄天・遍浄天、 果実天たる少果天・広果天・無量果天・無想天・無熱天・無悩天・善見天・妙善見天・阿迦腺托天にて、 もしこの中において色染の愚痴もて悌望して、 心のなすところの業を得んと欲せば、  これを色界と名づく。  いかんなるは無色界なる。  空処天・識処天・無所有処天・非有想非無想処天にて、 もしこのうちにおいて、 無色染汗の愚痴もて稀望して、 心のなすところの業を得んと欲せば、  これを無色界と名づく。  これを三界と名づくるなり。)

普通に解するところによれば、 天を分類して三十三天となす。 三十三天の梵語は、『法界安立図』(巻中の上の九)によるに切利天といい、  つぶさに但利夜登陵奢というとあり。  その名称に経論諸説の異同あること、「塵滴問答 巻二の二)に見えたり。 今左に「仏祖統紀』(巻三一のニによりて、「正法念経』の三十三天を挙示すべし。

第一、 善法堂天すなわち帝釈天、 第二、 住峰天、 第三、 山頂天、 第四、 善見城天、 第五、 鉢私地天、 第六、住倶托天、 第七、 雑殿天、 第八、 歓喜園天、 第九、 光明天、 第十、 波利樹園天、 第十一、 険岸天、 第十二、雑険岸天、 第十三、 摩尼蔵天、 第十四、 施行地天、 第十五、 密殿天、 第十六、 霊影天、 第十七、 柔頼地天、第十八、 雑荘厳天、 第十九、 如意地天、 第二十、 微細行天、 第二十一、 歌音楽天、 第二十二、 威徳輪天、 第二十三、 月行天、 第二十四、 娑利天、 第二十五、 速行天、 第二十六、 影照天、 第二十七、 智慧天、 第二十八、 衆分天、 第二十九、 住輪天、 第三十、  上行天、 第三十一、 威徳顔天、 第三十二、 威徳輪天、 第三十三、清浄天。

その図は、『仏祖統紀」および「法界安立図    につきて見るべし。 もし「開元録」(巻一五の二四)によらば、

『梵天策数経』、  一名『諸天事経』と題する書名あり。  これ、 諸天のことを記せしもののごとく見ゆるも、 その書を知らざればいかんとも判知し難し。 けだし、  これら諸天はその源婆羅門の神話より起こり、 後に仏教中に入りて仏説となりたるや疑いなし。 しかりしこうして、 天部の解釈はここに略し、  これより天中の主神につきて、 その名義・性質を述ぶべし。


第七四節    天の種類

印度の歴史は、 到底政治上にて世紀を立つること難きも、 やや宗教上にて時代を定むることを得べし。 例えば、  ホイー ラー 〕)氏の「印度巴のごときは、 第一紀を毘陀時代し、 第二紀を婆羅門時代とし、 第三紀を仏教時代とし、 第四紀を婆羅門再興の時代とするがごときこれなり。しかして、 第一の毘陀時代は多神の時代にして、 当時の人民は毘陀の神話中に存する印度最古の諸神を崇拝せつぎに第二の時代は、 多神の裏面に含有せる一神の道理をようやく開発しきたりて、  一体の神を崇拝するに至れり。 今、 多神の主要なるものを挙ぐれば左のごとし。

因陀羅神蘇利耶婆楼那神蘇摩阿者尼神夜摩婆由神

因陀羅神は仏教のいわゆる帝釈天なれば、 次節に詳述すべし。  この神たるや印度古代にありては、 特に諸天の最勝として尊奉せられたるは、 その神の雨をつかさどる神なるによる。 印度は熱帯地方なれば、 雨を喜ぶこと最もはなはだし。  これをもって、 因陀羅神を尊崇すること最もはたはだしきに至れりという。 婆楼那神(「板橘易土集」(付巻一の二二には幡嘘那提婆)は水神にして、 江海をつかさどる神なり。 阿者尼神は火神なり。「翻訳名義集 巻二の三五)には悪祁尼と記せり。 同書にこれを解して、 或名二些吉利多耶尼一 此云二火神一(あるいは些吉利多耶尼と名づけ、  ここに火神という)とあり。 婆由神は風神にして、「名義集」の婆痩これなり。 しかして同書に、  この二神の名は「孔雀経」に出ずという。 蘇利耶は日神なれば、『名義集巻二の一に、 或蘇黎耶、 或修利、 此云二日神  (あるいは蘇黎耶、 あるいは修利、  ここに日神という)と解せり。 蘇摩は月神にして、

「名義集」にもその解あり。  これみな天文・気象の神にして、 多神の時代より一神の時代に移るに従い、 ようやく人民の尊崇の度を減ずるに至りしも、 仏教の時代においてもなお、 その諸神を奉信せるものありしは明らかなり。  そのほか夜摩と名づくる神あり。  これ、 天界の神にあらずして下界の神なり。  すなわち、 地下にありて死者を支配する神にして、  いわゆる冥官の長なり。  これ、 今日一般にとなうる閻魔王なり。  これを静息あるいは双王と訳す。 左に「翻訳名義集」(巻二の三三)の解釈を転載すべし。

淡魔或云一淡羅一 此翻二静息一 以三能静ーー息造悪者不善業一故、 或翻>遮謂遮令レ不迄担悪故、 或閻磨羅経音義応云、 夜磨慮迦此云レ双、 世鬼官之惣司也、 亦云二閻羅敏魔一声之転也、 亦云二閻魔羅社一 此云二双王ー  兄及妹皆作 地 獄主一 兄_治一男事{  妹治一女事    故曰 双 王{  或翻苦楽並受ー故云レ双也。

(淡魔あるいは淡羅といい、 ここに静息と翻ず、 よく造悪者の不善業を静息するをもっ ての故なり。 あるいは遮と翻ず、 いわく遮して悪を造らざらしむるが故なり。 あるいは「閻磨羅経音義」にまさに夜磨慮迦といい、  ここに双というべし、 世の鬼官の総司なり。 また閻羅傑魔というは声の転なり。 また閻魔羅社といい、ここに双王という。 兄および妹、 みな地獄主となり、 兄は男事を治め、 妹は女事を治む、 ゆえに双王という。 あるいは苦楽ならびに受くと翻ずるが故に双というなり。)

「釈氏要覧」(巻中の五四)には、 閻羅王梵音閻摩羅、 此云海遮、 謂  遮令レ不>造>悪故(閻羅王、 梵音は闇摩羅、

ここには遮という。 いわく、 遮して悪をつくらざらしむる故に)とあり。「倶舎光記 巻八の四一) こま、  日云 間羅  者訛也、 淡魔此云 評 息  云云(旧に閻羅というは訛なり。 淡魔はここには諄息という、 云々)とあり。もし「琺伽論」(巻五八の一)によらば、 何故焔摩名為二法王一 為ー一能損二害諸衆生一故、 為ーニ能饒二益諸衆生一故(なにが故に焔摩を名づけて法王となすや。 よくもろもろの衆生を損害するが故にとやせん。 よくもろもろの衆生を饒益するが故にとやせん)とあり、『顕揚論」(巻一八の一七)にも同じくその解を示せり。「玄応音義」(巻二五の七、「孟蘭盆経新記」巻下中の三五、「孟蘭盆経愚聞紗」巻下の七には、

或作二闇摩羅一 或言閻羅、 又作一閻摩羅社一 又言ー一夜摩慮迦一 皆是梵音、 楚夏声之訛転也、 此訳云細縛、 或言ニ双世  云云

(あるいは閻摩羅に作り、 あるいは閻羅という、  また閻摩羅社に作り、 また夜摩慮迦という。  みなこれ梵音なり。 楚夏声の訛転なり。  ここに訳して縛といい、 あるいは双世という、 云々)

とあり。 もしまた閻摩の所在を考うるに、『倶舎論」(巻一の八)には、 於二此瞭部洲下温竺五百躁繕那一 有二淡魔王国一 縦広量亦爾(この際部洲の下において、 五百躁繕那を過ぎて淡魔王の国あり。 縦と広さとの    もまたしかなり)とあり。  また「喩伽倫記」(巻一下の一九)には、

鬼住処者以二閻羅王処一為>本、 此於二閻部洲下深五百由旬云  二大国土縦広五百由旬(鬼の住処とは閻羅王の処をもって本となす。  これ閻浮洲の下、 深さ五百由旬において大国土あり、 縦広五百由旬)

とあり。 また「仏祖統紀」(巻三二の一八)には、 間部洲南二鉄囲山外有二閻摩羅王宮殿一 縦広正等六千由旬(闇浮洲の南、  二の鉄囲山の外に閻摩羅王の宮殿あり、 縦広正等にして六千由旬なり)とあり。  そのことは「超世経」に出ずる説にして、「諸経要集」(巻一八の二三)につまびらかなり。  そのほか諸書に閻摩王の解釈を見るも、 今述ぶるところのものに異ならず。 要するに、  これ下界にありて鬼神の主となり、 罪人を審理する判官なり。 そのほか天部につきては、「三蔵法数」(巻四六の一三、「大蔵法数」巻六四の四)に、  二十諸天の名義を挙示せり。  その中には、  すでに説明せしもの、 また後に解釈すべきものを混ずといえども、 重複をいとわず、 左にその全文を掲ぐることとなす。

一梵天王梵梵語具  云二梵覧摩華畜豆離欲ニ   スル又云二清浄{  謂此天王身心妙円、 威儀不>欠、 清浄禁戒、 加以ーー明悟一 統領  梵衆一 即法華経称  娑婆世界主戸棄、 大梵主二大千世界一者是也。

(一に梵天王。 梵は梵語、  つぶさに梵覧摩といい、 華に離欲といい、 また清浄という。 いわく、 この天王は身心妙円にして威儀欠かさず、 禁戒を清浄にす。 加うるに明悟をもってし、 梵衆を統領す。  すなわち「法華経    に娑婆世界の主棄大梵と称す。 大千世界をつかさどる者はこれなり。)

二帝釈天主帝即天帝、 釈梵語、 具云二釈提桓因一 華言二能天主一 言二帝釈一者、 華梵兼称也、 此天居ーー須弥山頂即切利天主也、 謂此天往昔因中迦葉仏滅時、 有二  女人一 発心修正塔、 復有』一十二人一助修、 由ーー是功徳一 女為 初利天主其助修者皆作ーー輔臣一 合称為二三十三天一也。


(二に帝釈天主。 帝はすなわち天帝、 釈は梵語、  つぶさに釈提桓因といい、 華に能天主という。 帝釈というは華梵兼称なり。  この天は須弥山頂に居す、  すなわち切利天主なり。 いわく、 この天は往昔、 因中に迦葉仏滅するとき、女人ありて発心し塔を修するにまた三十二人ありて助修す。  この功徳により、 女を切利天主となす、 その助修の者みな輔臣となす、 合称して三十三天となすなり。)

三毘沙門天王、 梵語毘沙門、 華言一多聞一 謂此天福徳之名聞二於四方一 即北方天王居ーー須弥山半、 第四層之北水精唾一 統二領無量百千薬叉一 守二護北方一也。

(三に毘沙門天王。 梵語に毘沙門、 華に多聞という。 いわく、 この天の福徳の名、 四方に聞こゆ。  すなわち北方天王にして須弥山の半ば、 第四層の北、 水精の唾に居す。 無獄百千の薬叉を統領し、 北方を守護するなり。)

四提頭頼托、 梵語提頭頼托、 華言二持国領 乾閾婆富単那等一 守 護 東方一也。謂此天能護二持国土一 即東方天王居二須弥山半、 第四層之東黄金埋一

(四に提頭頼咤  ゜梵語に提頭頼托、 華に持国という。 この天はよく国土を護持す。 すなわち東方天王にして須弥山の半ば、 第四層の東、 黄金の埋に居し、 乾閾婆、 富単那等を領す。 東方を守護するなり。)

五毘留勒叉天王、 梵語毘留勒叉、 華言二増長一 謂此天能令ーー自他威徳善根悉皆増長一 即南方天王居ーー須弥山半、第四層之南瑠璃唾一 領二鳩槃茶等無羹百千鬼神一_守一護南方一也。

(五に毘留勒叉天王。 梵語に毘留勒叉、 華に増長という。 いわく、  この天はよく自他の威徳善根をことごとくみな増長せしむ。  すなわち南方の天王にして須弥山の半ば、 第四層の南、 瑠璃の唾に居す。 鳩槃荼等の無量百千の鬼神を領し、 南方を守護するなり。)

六毘留博叉天王、 梵語毘留博叉、 華言二雑語一 謂此天能作一種種語言一故、 又云二広目一 以二其目広大一故、 即西方天王居二須弥山半、 第四層之西白銀埋領二毘舎闊鬼等無量百千諸竜守二護西方一也。

(六に毘留博叉天王。 梵語に毘留博叉、 華に雑語という。 いわく、  この天はよく種々の語言をなすが故に。また広目という、 その目広大なるが故に。  すなわち西方の天王にして須弥山の半ば、 第四層の西、 白銀の唾に居す。 毘舎闇鬼等無量百千の諸竜を領し、 西方を守護するなり。)

七金剛密迩天、 謂此天手執二金剛宝杵    識ーー達如来一切秘密事迩一也、 往昔有>王、 生二  千有二子一 千兄同詣ニ仏所一 発心修レ道、 而二弟不伝知、  一弟発願、  若千兄成道、 我則為>魔悩二害之{  一弟発願我為二カ士一 護ー一千兄法    即金剛也、 領二五百薬叉神一 皆是大菩薩等、 居二妙高峰    於ーー賢劫千仏中一 倶護一其法一也。

(七に金剛密迩天。 いわく、  この天は手に金剛宝杵をとり、 如来一切の秘密事迩に識達するなり。 往昔、  王あり、  一千有二子を生ず、 千兄は同じく仏所に詣り、 発心修道す。 しかして二弟は知らず。  一弟は発願す、もし千兄成道すれば、 我はすなわち魔となりてこれを悩害せん、 と。  一弟は発願す、 我は力士となりて千兄の法を護らん、  すなわち金剛なり。 五百の薬叉神、  みなこれ大菩薩等なるを領し、 妙高峰に居す。 賢劫千仏の中においてともにその法を護るなり。)


八摩醍首羅天、 梵語摩陸首羅、 華言二大自在一 又翻ーー威霊一 或云三目、 故為已一界尊極之主輔行記云、 色界天三目八臀、 騎二白牛{  執二白払色界中一此天独尊也。有二大威力居二菩薩住処能知ーー大千世界雨滴之数統ーー摂大千世界{  於ニ

(八に摩醸首羅天。 梵語に摩醸首羅、 華に大自在という。 また威霊と翻じ、 あるいは三目という。  ゆえに三界尊極の主なり。「輔行記    にいわく、 色界の天にして三目八臀、 白牛にのり、 白払をとり、 大威力あり。菩薩の住処に居し、 よく大千世界の雨滴の数を知り、 大千世界を統摂す。 色界の中においてこの天ひとり尊なり。)

散脂大将、 散脂梵語、 具云ーー散脂修摩一 華言如密、 陀羅尼集云、 鬼子母有二三男大将一 次小    名二摩尼跛陀一 能於二十方世界一 覆二護一切衆生一 為  除二衰悩等患一 常地居、 或空居、 各有二五百脊属一 領二二十八部鬼神一 随下是経典所ー一流布研芦  与二諸鬼神一往、 至二彼所一随ーー逐擁ーー護説法者一 消一滅諸悪令>得ーー安穏一 初以ーー身口意一一密    而加二被之ー  謂衆和精気従二毛孔ー入、 此身密加被也、 荘一厳言辞弁一 不二断絶{  此口密加被也、 心進勇鋭等、 此意密加被也、 至下令二聞者受二人天楽一 疾得中菩提い其於ーー賞善罰悪功一亦大芙  ゜

(九に散脂大将。 散脂は梵語、  つぶさに散脂修摩といい、 華に密という。「陀羅尼集    にいう、 鬼子母に三男あり、 長を唯奢文と名づけ、  つぎを散脂大将と名づけ、  つぎの小を摩尼祓陀と名づく。 よく十方世界において一切衆生を覆護し、 ために衰悩等の患を除く。 常に地に居し、 あるいは空に居す。  おのおの五百の脊属あり二十八部の鬼神を領す。  この経典の流布せらるる処に随って、 諸鬼神とともにいき、 かの所に至りて説法者に随逐し擁護し、 諸悪を消滅し安隠を得しむ。 よって身・ロ・意の三密をもってこれを加被す。  いわく、衆味の精気毛孔より入る、  これ身密の加被なり。 言辞を荘厳し弁断絶せず、 これ口密の加被なり。 心進勇鋭等、  これ意密の加被なり。 聞く者をして人天の楽を受け、 疾<菩提を得せしむるに至る。  その善を賞し、 悪を罰するにおいて功また大なり。〔 縮蔵経、 味につくる〕)

十大弁天、 謂得二大智慧功徳一 成二就大弁才一也、 此天或居ーー山巌深険処    或在二次窟大樹叢林在処{  常懃二足一 八臀荘厳、 常持二弓箭刀梢長杵鉄輪    帝釈諸天常加二供養讃歎一 具二無凝弁一 於ー一切時一 常自護>世、 済>物利>生、 流ーー通仏法一 無>所二怠倦一 以>慧資>福、 故光明会上列>之、 在二功徳天之前一也。

(十に大弁天。  いわく、 大智慧功徳を得、 大弁オを成就するなり。  この天、 あるいは山巌深険の処に居し、あるいは炊窟大樹叢林の在処にあり。 常に一足をあげ、 八臀荘厳し、 常に弓箭、 刀雅、 長杵、 鉄輪を持つ。

帝釈の諸天常に供養讃歎を加え、 無凝弁をそなう。  一切時において常に自ら世を護り、 物を済い生を利し、仏法を流通し、 怠倦するところなし。 慧をもって福に資す。  ゆえに光明会上にこれを列し、 功徳天の前にあるなり。)

十一功徳天、 此天涅槃経及陀羅尼集名ーー功徳天一 金光明経散脂品名二第一威徳成就衆事大功徳天{ __於  過去金山照明如来所一 種ー一諸善根一 故感一福報相貌殊勝、 能令一衆生福徳成就常居二最勝園名曰一金瞳一 若説法者随ーー其所須ー供給無>乏、 以>福資>慧、 成ー出世因{  則果満ニニ厳一 依正殊勝也。

(十一に功徳天。  この天は「涅槃経」および「陀羅尼集」に功徳天と名づく。「金光明経」「散脂品」に第一威徳成就衆事大功徳天と名づく。 過去金山照明如来の所において、 諸善根をうえ、 ゆえに福報を感ず。 相貌殊勝にしてよく衆生をして福徳成就せしむ。 常に最勝園に居し、 名づけて金憧という。 説法者のごときはその所須に随って供給して乏しきことなく、 福をもって慧にたすけ、 出世の因を成ず、  すなわち果は二厳を満たし、 依正殊勝なり。)

十二窟天将軍、 章梵語、 具云二章駄{  華言二智論霊威一 要略曰二天神一 姓窟請現、 即南方天王八将之一臣也、四王合三十二将、 此為二其首一 生知聡慧、 早離二塵欲一 清浄梵行、 修一童真業一 不五受二天欲一 面受二仏嘱一 外護仏  法一 統二護三洲一 利>物弘レ化、 大済一群生一 故凡建ーー伽藍一 設砿像崇敬、 以彰二護法之功一也。

(十二に章天将軍。 窟は梵語、  つぶさに尊駄という、 華に智論霊威といい、 要略して天神という。 姓は奮、緯は現、 すなわち南方天王八将の一臣なり。  四王の合して三十二将、  これをその首となす。 生知聡慧にして早く塵欲を離れ、 清浄梵行、 童真の業を修す。 天欲を受けずして、 面して仏の嘱を受く、 外に仏法を護り、三洲を統護し、 物を利し、 化を弘む。 大いに群生を済い、 ゆえにおよそ伽藍を建つるに像を設けて崇敬す。もって護法の功を彰すなり。)

十三堅固地神、 堅固理鉢不>可>壊、 如=金剛王無ーー能破一也、 地者謂其利世之功、 如下大地持ーー載万物    出中生草木百穀珍宝等上也、 此天随  是経典流布之処一 常作ーー衛護{  隠  形法座    頂二戴説法者之足一 令下聞法者如如生甘露一 増中益身力い地蔵経仏告二地神一云、 閻浮土地悉蒙二汝護一 凡地所レ生皆悉豊足、 利二益一切於 世 出世其 功大突。護二仏教法一

(十三に堅固地神。 堅固は理体壊すべからず、 金剛王のよく破することなきがごときなり。 地とはいわく、その利世の功は大地の万物を持載し、 草木百穀珍宝等を出生するがごときなり。  この天は、 この経典流布の処に随って常に衛護を作し、 形を法座に隠し、 説法者の足を頂戴す。 聞法者をして甘露を服するごとく、 身力を増益せしむ。『地蔵経    に、 仏、 地神に告げていわく、 閻浮の土地はことごとく汝が護をこうむれと。およそ地の生ずる所、 みなことごとく豊足にして大なり。)

切を利益し、 仏の教法を護り、 世・出世においてその功十四菩提樹神、 梵語菩提、 華言>道、 謂由下此神嘗守中護如来成道処菩提之樹い因以立>名、 宿世因中自云、 我常念>仏、 楽>見二世尊一 常作二誓願一 不>離二仏_日経讃護、 功徳不缶可レ量也。是知大権示迩、 微妙難>思、 覆蔭群生{  現>身利益、 故諸

(十四に菩提樹神。 梵語に菩提、 華に道という。  いわく、  この神かつて如来成道の処の菩提の樹を守護するにより、よってもって名を立つ。 宿世の因中に自らいわく、 われ常に仏を念じ、 世尊を見ることを楽い、 常に誓願を作す、 仏日を離れざらん、 と。  これ大権の示迩なることを知る。 微妙にして思い難し。 群生を覆蔭し、 現身して利益す。  ゆえに諸経を讃護す、 功徳凪るべからざるなり。)

十五鬼子母天、 此天所生千子、 最小名二愛奴一 極所ーー憐惜一 常食二人子一 仏為>化レ彼、 将二愛奴森  二之鉢下一 其母於二天上人間否~レ之不>得、 既帰伏已、 仏遂掲レ鉢還>之、 其千子皆為二鬼王    統二数万鬼衆一 五百在ーー天上一常燒二乱諸天一 五百在 世 間一 常燒二国界人民一 仏為授二五戒犀穿依正法一 得二須陀垣一 住ーー仏精舎    凡人家無二子息一者、 求  之得レ子、 有二疾病ー者、 禰レ之則安、 故為二鬼王母一 由盃ぞ仏戒一 亦呼二千子一 同依一仏所    不レ悩  天人一也。

(十五に鬼子母天。  この天の所生は千子、 最小を愛奴と名づけ、 極めて憐惜するところなり。 常に人の子を食う、 仏、 彼を化せんがために愛奴をもってこれを鉢の下に蔵す。 その母天上人間においてこれをもとめても得ず、  すでに帰伏しおわりて仏ついに鉢を掲げてこれを還す。 その千子みな鬼王たり、 数万の鬼衆を統べ、 五百は天上にあり、 常に諸天を燒乱す。 五百は世間にあり、 常に国界の人民を燒す。 仏ために五戒を授け正法に帰依し、 須陀垣を得、 仏の精舎に住せしむ。  およそ人家に子息なき者、  これに求めて子を得。 疾病ある者、 これにいのりてすなわち安し。  ゆえに鬼王母となす。 仏戒を受くるによりまた千子を呼び、 同じく仏所により、 天人を悩まさざらしむなり。)


十六摩利支天、 梵語摩利支、 華言二陽焔以下其形相不>可>見不>可>執、 如中彼陽焔上也、 此天常行二日月之前一護>国護>民、 救二兵文等難    大摩利支天経中、 有二最上心真言一 曰庵摩利支娑縛賀、 若人持二此真言一 無>不二感応一 其不思議神力、 誠可ーー依憑一也。

(十六に摩利支天。 梵語に摩利支、 華に陽焔という。  その形相見るべからず執るべからず、 かの陽焔のごときをもってなり。  この天は常に日月の前に行き、 国を護り民を護り、 兵文等の難を救う。「大摩利支天経 の中に最上心真言あり、 いわく、 晦摩利支婆縛賀、 と。 もし人、  この真言を持すれば感応せざることなし。その不思議の神力、 誠に依憑すべきなり。)

十七日宮天子、 謂此天宿因布施持戒、 修レ善奉り仏、 得>生二其中其宮殿城郭、 皆百宝所成、 五風運持、 不レ令  停住環ーー続須弥山半一 照一四大洲一 所謂南閻浮提日正中、 東弗干逮  日始没、 西糧耶尼日初出、 北鬱単越当祓  半一 是為二  日照西  天下一 除葎益懲 闇、 成 熟 万物一 其功実大、 法華経中名ー宝光天子一即此天也。

(+ 七に日宮天子。 いわく、  この天は宿因に布施・持戒し、 善を修し仏を奉じ、 その中に生ずることを得。その宮殿・城郭はみな百宝の所成にして五風運持し、 停住せしめず。 須弥山の半ばを環続し、 四大洲を照らす。  いわゆる南閻浮提は日の正中に、 東弗子逮は日のはじめて没せんとするに、 西欄耶尼は日のはじめて出でんとするに、 北鬱単越は夜半に当たる。  これを一日四天下を照らすとなす。  冥を除き、 闇を破し、 万物を成熟す。 その功実に大なり。『法華経』中、 宝光天子と名づくるはすなわちこの天なり。)

十八月宮天子、 謂此天宿因所修所証、 与ーー日宮天子ー同、 故生二其中ー  其宮殿百宝所成、 五風運持、 不レ令二停住一 環二続須弥山半一 照二四大洲一 其円欠者白月初日在>前、 黒月初日在>後、 因>日影覆射、 故有ーー円欠    所謂近>日自影覆、 故見二月輪欠{  然月光陰滋二万物一 夜発二光明    功次二於日一 法華経云、 明月天子是也。

(十八に月宮天子。  いわく、  この天は宿因の修するところの所証は日宮天子と同じ、  ゆえにその中に生ず。その宮殿は百宝の所成、 五風運持し、 停住せしめず。 須弥山の半ばを環続し、  四大洲を照らす。  その円と欠とは白月のはじめは日前にあり、 黒月のはじめは日後にあり、 日によって影覆射す、 ゆえに円・欠あり。  いわゆる日に近ければ自影覆う、  ゆえに月輪欠くと見ゆ。 しかるに月の光陰は万物を滋し、 夜光明を発し、 功は日に次ぐ。「法華経    にいう明月天子とはこれなり。)

十九娑喝羅、 梵語娑喝羅、  華言二鍼海一 又翻二竜王一 即鍼海中一百七十七竜王中第七竜王也、 今独列二此竜王者、 謂是大権菩薩位居二十地之中    示二現竜身{  処ー於ー   鍼海一 若降>雨時、 先布二密雲一 端座挙念、 其雨普治、常随二仏会一 護>法護>民、 其利甚博、 所>居宮殿、  七宝厳飾、 与>天無>異  ゜

(十九に娑喝羅。 梵語に娑喝羅、 華に鍼海といい、 また竜王と翻ず、 すなわち鍼海中の一百七十七竜王の中の第七竜王なり。 今ひとりこの竜王を列するは、 いわく、  これは大権菩薩にして、 位十地の中に居し、 竜身を示現し、 鍼海に処す。 降雨の時のごときは先に密雲を布き、 端座挙念し、 その雨あまねくうるおう。 常に仏会に随い、 法を護り民を護り、 その利はなはだひろし。 居るところの宮殿は七宝をもって厳飾し、 天と異なることなし。)

二十閻摩羅王、 梵語閻摩羅、 華言二双王一 又云二隻王一 謂由ーニ此王与レ妹皆作ーー獄主一故云如双、 兄治ーー男事    妹治女  事一 故云>隻、 又云二息評    謂止ーー罪人評一故、 或云是菩薩為匂び益衆生一故、 変化所>作、 正法念経載一閻羅王為レ人説如四云、 汝得  人身示'涵ぎ道、 如下入二宝山如工レ手帰ぃ 汝今自作還自受、 叫喚苦者欲二何為一 又十王経云、 閻王於二未来世咋ぴ仏、 号一普王如来    謂菩薩変化者良有>以也。

(二十に閻摩羅王。 梵語に閻摩羅、 華に双王といい、 また隻王という。  いわく、  この王と妹とみな獄主となる、 ゆえに双という。 兄は男事を治め、 妹は女事を治む、  ゆえに隻という。 また息評という、 いわく、 罪人の評を止むる故なり。 あるいはいう、  これは菩薩にして衆生を利益せんがための故に変化の所作なり、 と。

「正法念経に閻羅王、 人のために偶を説くを載せていわく、 汝、 人身を得て道を修せずんば、 宝山に入りて手をむなしくして帰るがごとし、 汝、 今自作して還りて自ら叫喚の苦を受くるは欲なんすれぞ、 と。 また

「十王経」にいう、 閻王未来世において仏となり普王如来と号せん。 いわく、 菩薩の変化はまことにゆえあるなり。)

また、 天部に四天王と称するものあり。  その釈名は「法苑珠林 巻五の二)に出ず。  すなわち曰く、

第一四天王者依  長阿含経一云、 東方天王名ーー多羅_咤  此云ーー治国_主(智度論云二提頭頼_托  )、 領二乾閾婆及毘舎闇神一 将護弗婆提人一 不>令二侵害一 南方天王二毘瑠璃一 此云二増長主(智度論名毘楼勒叉、 領二鳩槃荼及膵坑神{  将二護闇浮提人西方天王名二毘留博叉一 此云雑語主(智度論云二毘楼博叉、 領二  切諸竜及富単那一 将二護欄耶尼人{  北方天王名二毘沙門此云二多聞主一 領二夜叉羅刹将二談鬱単越人

(第一、  四天王は「長阿含経」によるにいう、 東方の天王を多羅咤と名づけ、  ここに治国王という(「智度論」に提頭頼托という)。 乾闊婆および毘舎闇神を領し、 弗婆提人を将護し、 侵害せしめず。 南方の天王を毘瑠璃と名づけ、  ここに増長主という(「智度論」に毘楼勒叉と名づく)。 鳩槃荼および辟茄神を領し、 閻浮提人を将護す。 西方天王を毘留博叉と名づけ、  ここに雑語主という(「智度論」に毘楼博叉という)。  一切の諸竜および富単那を領し、 糧耶尼人を将護す。 北方天王を毘沙門と名づけ、  ここに多聞主という。 夜叉・羅刹を領し、 鬱単越人を将護す。)

また「涅槃経涅槃経会疏」巻二の六)および「智度論巻二二の二六)には、 世間天生天・浄天・義天をもって四種の天となす。 あるいはまた『智度論』には、 名天生天・浄天をもって三種の天となす。 今この四種天の解釈は、「法苑珠林」(巻五の二)および「三蔵法数 巻一六の八、「大蔵法数」巻一九の一八)等の数書に譲り、  ただここに、「智度論」(巻七の一八)に出ずる一一種天の釈義を挙示すべし。

名天  天王天子是也、 生天  釈梵諸天是也、 浄天  仏辟支仏阿羅漢是也、 浄天中尊者是仏  ゜(名天とは天王・天子これなり。 生天とは釈梵の諸天これなり。 浄天とは仏・辟支仏・阿羅漢これなり。 浄天の中の尊者はこれ仏なり。)

これによりてこれをみるに、 その分類は仏教上に立つるところのものならざるべからず。  また「大日経疏指心紗」(巻八の三 に、 五類の天あることを示せり。  すなわち曰く、

都部陀羅尼目有一五類天一 上界天、 住虚空天、 遊虚空天、 地居天、 地底天、 秘蔵記  上界天色無色界、 虚空天夜摩等四、 地居天四王切利、 遊虚空日月星辰、 地下天竜阿修羅閻摩王等、(中略)、 今自在天乃至商翔羅梵天后四天是上界天也、 黒天自在天子自在天后是住虚空天也、 日天月天是遊虚空天也、 毘沙門毘楼博叉等地居天也、 闇摩閻摩后迦楼羅子諸竜等地下天也

(都部陀羅尼は目づくるに五類天あり、  上界天・住虚空天・遊虚空天・地居天・地底天なり。「秘蔵記    には

上界天は色・無色界なり。 虚空天は夜摩等の四なり。 地居天は四王と切利なり、 遊虚空は日月星辰なり、 地下天は竜と阿修羅と閻摩王等なり。(中略)今、 自在天ないし商渇羅梵天后の四天はこれ上界天なり。  黒天と自在天子と自在天后は、 これ住虚空天なり。  日天・月天はこれ遊虚空天なり。 毘沙門と毘楼博叉等は地居天なり。 閻摩と閻摩后と迦楼羅子・諸竜等は地下天なり)

とあり。  そのほか天部の諸神、 その数はなはだ多くして、 実にいくばくあるを知らず。「金光明経 巻二の一、「金光明経文句記会本」巻六の四 二)には、 大梵天王・釈提桓因・大弁天神・功徳天神・堅牢地神・散脂鬼神・大将軍等・ニ十八部鬼神・大将摩陸首羅・金剛密迩.摩尼跛陀鬼神・大将鬼子母及五百鬼子、 或無駄百千鬼神(大梵天王・釈提桓因・大弁天神・功徳天神・堅牢地神・散脂鬼神・大将軍等・ニ十八部鬼神・大将摩陸首羅・金剛密迩.摩尼跛陀鬼神・大将鬼子母、  および五百の鬼子、 あるいは無量百千の鬼神)とあり。『地蔵経』(巻上の二、「地蔵経科註」巻一の三五)には、 海神・江神・河神・樹神・山神・地神・川沢神・苗稼神・昼神・夜神・空神・天神・飲食神・草木神、 如>是等神(かくのごとき等の神)とあり。  そのほか仏書中に種々の鬼、種々の魔、 種々の仙あることを説くも、 これを略す。 ただ、  これより特に帝釈天・梵天・自在天につきて、 弁明せんと欲す。


第七五節    帝釈天

まず帝釈天につきて考うるに、  これ因陀羅(あるいは因達羅と称して、 印度神話中に出でたる神なり。 第二節に一言せるがごとく、  一説に印度の名称はこの神の名より転訛せりという。  その一例に照らしても、帝釈天の印度に尊重せらるるを知るべし。  まず「智度論」(巻五四の四)によりてその名義を案ずるに、 左のごとく示せり。

釈提桓因、 釈迦秦言>能、 提婆秦言>天、 因提秦言>主、 合而言>之釈提婆那民。

(釈提桓因は、 釈迦は秦に能といい、 提婆は秦に天といい、 因提は秦に主といい、 合してこれを釈提婆那民という。)

また「法華文句『法華文句科本』巻二の二の二九、『法華文句会本」巻五の八)には左のごとく示せり。

釈提桓因因陀羅、 或云二栴提羅    此翻二能作一 作二初利天主一 切利此翻二三十三一 四面各八城、 就二喜見城ー合三十三、 共塵  須弥頂一 乃至此是欲天之主。

(釈提桓因因陀羅、 あるいは栴提羅という、  ここには能作と翻ず。 切利天の主と作る。 切利、  ここには三十三と翻ず、  四面におのおの八城あり、 喜見城につきて合して三十三なり、 ともに須弥の頂に居す。 ないし、これはこれ欲天の主なり。)

また「法華玄賛』(巻二の一 には左のごとく解せり。

梵云二釈迦提婆因達羅一 釈迦姓也、 此翻為レ能、 提婆天也、 因達羅帝也、 正云一能天帝倶訛倒也、 此在二妙高山頂一而住、 三十三天之帝主。釈提桓因云二天帝釈一

(梵には釈迦提婆因達羅という。 釈迦とは姓なり、  ここに翻じて能となす。 提婆は天なり、 因陀羅は帝なり。 正しくは能天帝というなり。 釈提桓因を天帝釈というは、 ともに訛倒なり。 これ妙高山頂にありて住し、 三十三天の帝主なり。)

さらに、 ここに「演密紗」(巻二の八)の釈義を掲ぐべし。

梵語因陀羅此云涵尊、 帝釈者帝之一字即是因陀羅梵語訛也、 正云ーー印涅哩一 略云玉帝、 蓋声勢相近、 今時帝王順元天立レ号、 猶得二梵名一耳、 釈者具足応>云二釈迦囃主一也、 即三十三天之主也、 今言ーー帝釈一者即尊主也、 皆 略 貰  故戸  帝釈

(梵語に因陀羅、  ここに尊という。 帝釈とは、 帝の一字はすなわちこれ因陀羅、 梵語の訛なり。 正しくは印涅哩といい、 略して帝という。 けだし声勢相近し。 今時の帝王は天に順じて号を立つ、 なお梵名を得るのみ。 釈とは具足してまさに釈迦嘔主というべきなり、 すなわち三十三天の主なり。 今帝釈というはすなわち尊主なり、  みな略音についての故に帝釈という。〔田 続蔵経、 音につくる〕)

そのほか「最勝経疏」(巻六の三には、 因陀羅梵語、 此曰二帝高幡界義(因陀羅は梵語、  ここに帝高憧界の義という)といい、『大日経開題』(巻一の七)には、

 因陀羅者梵語也、 翻云二帝釈此最勝義、 無上義、 渉入義(因陀羅は梵語なり。 翻じて帝釈という。  これ最勝の義・無上の義・渉入の義なり)という。「続宗義決択集」

(巻    二の九)には「帝釈梵漢のこと」と題して、 帝釈の訳名を弁ぜり。 また「大日経開題口筆」(巻上の二六)には帝釈の訳名につきて、「演密紗」には二字ともに梵語なりといい、「慈恩」は、 釈は梵語、 帝は漢語なりといい、「開題」には二字ともに漢語なりというの相違あるを会釈して、

帝釈之言非二因陀羅之漢語一 大般若列二十名一之時、 因陀羅之外有二帝釈之名字一故也云云

(帝釈の言は因陀羅の漢語にはあらず。「大般若故なり、 云々)

に十名を列するの時、 因陀羅のほかに帝釈の名字あるがと論ぜり。  一帝釈の訳名につきて、  かくのごとき種々の異説あるは実に怪しむべし。  これ、 梵語を研究せず、   だ漢訳の文字のみにつきて解釈せるによるなり。 しかるにまた帝釈の釈の字を解して、 釈迦仏の釈と同義なりと考え、  これを訳して能と名づけたるは、 大いなる誤謬なりといえる一説あり。  すなわち「慧苑音義「慧琳音義    巻ニ の七)には、

釈迦正云二錬翔嘔一 此云>帝也、 因陀羅此云>主也、 古来釈レ之同二仏族一 望一之称一謬レ之深牟

(釈迦正しくは錬翔囃といい、 ここには帝というなり。 因陀羅ここには主というなり。 古来これを釈して仏族に同ずるも、  この称に望むるにこれを謬るの深きなり

とあり。  また「音義」(「華厳音義」巻一の六)の一説に、

釈百也、  迦施也、 因陀羅主也、 言昔百度設二大施会一 今得加作二此之主一 故云ーー百施主一也

(釈は百なり、 迦は施なり、 因陀羅は主なり。 いうこころは、 昔百度大施会を設け、 今ここの主となることを得、  ゆえに百施主というなり)

とあり。  これまた異説なり。 そのほか帝釈の釈義は、「華厳大疏」(巻一の下の五八)、「仁王疏」(巻上の下の一六)、「涅槃疏」(巻ニの二四)、「瑠伽紗巻一    二二)、「倶舎遁麟」(巻六の三)、「法華新註巻一上の三、「榜厳黒聞」(巻四の五)、「同〔榜厳〕眼髄」、「四教義増暉記巻三の三九)、「三蔵法数巻四六の一三)

等の数書に出ずるをもって、 いちいち挙示するにいとまあらず。

今、 もし経説につきてこれをみるに、 帝釈には種々の異名あるもののごとし。「涅槃経涅槃会疏巻三一の二三)には、 帝釈に無絋の名あることを説けり。 左に「仏祖統紀列挙せる名称を示すべし。巻三一の二二)に「中阿含経によりて

本為>人時、 施ーー飲食灯明銭財一 故名二釈提桓因一 本為>人時姓、 故名ー一橋戸迦{  舎脂為二第一后一 故名二舎脂鉢低    於二  座間ー思二千種義故名二千眼_於 』二十三天一為>主、 故名ー一因提利

(もと人たりしとき、 飲食・灯明・銭財を施す、 ゆえに釈提桓因と名づく。 もと人たりしときの姓なるが故に橋    迦と名づけ、 舎脂を第一后となすが故に舎脂鉢低と名づけ、  一座の間において千種の義を思う故に千眼と名づけ、 三十三天において主たるが故に因提利と名づく。)

また「住心品疏冠註 巻一の三五)に「大雲疏」を引きて、 天帝の名に百八あり、  これを略して因陀羅(此云二尊重ここに尊重という))釈迦(此云二勇猛

(ここに勇猛という))不蘭陀(此云二降伏  (ここに降伏という))の三名を挙ぐといえり。 また「指心紗 巻一の三〇)には「教時義」(巻一の三四)を引きて、 天帝に千名ありという。 また「谷響集巻三の一に「帝釈衆名」と題して、  二、 三の異名を引証せり。  そのほか、

「名義集」(巻二の七)にも「雑阿含    および「甥洛経」を引きて解説し、「法苑珠林」(巻五の二)にも「中阿含    によりて挙示せるところあるも、 みな煩をいといてこれを略す。 また仏経中、 帝釈天の神話を掲ぐるところすこぶる多し。「長阿含経」(巻ニ の一四)には、 帝釈天、 命を初利諸天に下して闘わしめたる神話を掲げ、

「観仏三昧経」(巻一の七)にも、 帝釈天と修羅との戦いを記せり。 また「智度論 巻五六の六)には、 むかし婆羅門、 その姓橋戸迦なるもの、 知友三十二人とともに福徳を修め、 命終わりてみな須弥山頂に生じ、 橋戸迦天主となり、 三十二人輔臣となりしことを出だせり。 橋戸迦は帝釈異名の つなり。 また『立世阿毘曇論」(巻二の二二)には、 帝釈に栴檀・修毘羅の二太子ありて、 切利天の二大将軍なることを説き、「起世経には、 十天子ありて、 常にその守護をなすことを説けり。

(巻七の四)


以上叙述せるところ、  これを要するに、 帝釈は天主あるいは尊主の義にして、 須弥山頂に住し、 実に三十三天の帝王なり。  その名釈は印度の古典に出でて、  上古多神教の時代にありては、 大いに印度人に尊重せられ、 当時すでに天中の主神として崇拝せられたり。  その後、 多神ようやく変じて一神教となるに至り、 帝釈は梵天あるいは自在天の下に置かるるに至り、 その後仏教起こるに及び、 その威勢さらにいくぶんを減ずるに至りしも、 なお三十三天の主として尊重せられたり。


第七六節    梵天    

つぎに梵天を考うるに、「智度論」巻一    の三)に曰く、 世界有>天、 常求二尊勝橋慢法一 故自言ーー天地人物是我化作一 如ーー大梵天王  (世界に天あり、 常に尊勝橋慢の法を求むるが故に、 自ら天・地・人・物は、  これわが化作なりと言う。 大梵天王のごとし)と。  また曰く、

天王者四天処、  四天王、 三十三天王、 釈提桓因乃至諸梵天王、 梵天以上更無レ有レ王、 諸天是欲界天、 諸梵是色界天、 伊除那是大自在天王並其脊属

(天王とは、  四天処、 四天王、 三十三天王、 釈提桓因、 ないしもろもろの梵天王なり。 梵天以上はさらに王あることなし。 諸天はこれ欲界の天、 諸の梵はこれ色界の天、 伊除那はこれ大自在天王ならびにその脊属なり)

とありて、 大梵王は天中の主尊にして、 また世界の造物者なり。  ゆえに、 これを一名世主天という。  すなわち

「玄応音義」(巻二三の二七)には、 世主天は梵天の異名なりと解し、「喩伽倫記」(巻一五下の三九)にもその解あり。 けだし、 梵王の原語は梵覧摩

『翻訳名義集』(巻二の八)の釈義を示すべし。

にして、 古来、 梵を訳して浄身あるいは離欲という。 左に、

経音義梵迦夷此言二浄身一 初禅梵天、 浄名疏云、 梵是西音此云  離欲{  或云二浄行一 法華疏云、 除ーー下地繋一 上升色  界両楢之中故名 離 欲一 亦称二高浄一 浄名疏云、 梵王是娑婆世界主、 住二初禅中間一 即中間禅也、 在二初禅二禅

(経の音義に、 梵迦夷ここに浄身といい、 初禅の梵天なり。「浄名疏にいわく、 梵はこれ西音、  ここに離欲といい、 あるいは浄行という。「法華疏    にいわく、 下地の繋を除き、  上は色界にのぼる、  ゆえに離欲と名づけ、  また高浄と称す。「浄名疏」にいわく、 梵王はこれ娑婆世界の主にして初禅の中間に住す、 すなわち中間禅なり。 初禅・ニ禅両楢の中にあり。)

しかして、 梵天の造物主宰者なることも「名義集に見えたり。  すなわち曰く、

証真云、 劫初成時、 梵王先生、 独住一劫、 未>有二梵侶一 後起レ念云、 願諸有情来生二此処即生、 外道不>側、 便執二梵王是常、 梵子無常二此念一已、    梵

(証真にいわく、 劫初成ずる時、 梵王先に生まれ、 独り住すること一劫、 いまだ梵侶あらず。 後念を起こしていわく、 願わくはもろもろの有情来たりてここに生ぜよ、 と。  この念を作しおわるに、 梵子すなわち生じ、 外道測らずして、  すなわち梵王はこれ常、 梵子は無常なりと執す。〔大正蔵測につくる〕)

また「住心品疏」『住心品疏科文」巻三の二七、「住心品疏冠註』巻五の二二)に曰く、

如コ劫初時ー独有二  天一 先生ーー梵界一而作二是念一 若更有二衆生ー来、 与>我共住、 登不>善哉、 時有ーー上界天一 命終来一生此中一 先  生者即謂レ之言、 由二我念カー故汝得レ生>此、 汝即我所生也、 彼亦作二是念ー  彼尊能生ーー我等一便相随順計為=一最初有二我者    従>是以来謂三是梵天王能造二世間

(劫初の時のごときは、  ひとり一天のみあり、 先に梵界を生じてこの念をなす。 もしさらに衆生ありて来たりて我と共住せば、 あに善からざらんや、 と。 時に上界の天あり、 命終してこの中に来生す。 先に生ずる者はすなわちこれにいいていう、 我が念力によるが故に汝ここに生ずるを得、 汝はすなわち我が所生なり。 彼またこの念を作す、 彼の尊はよくわれらを生ぜり。  すなわち相随順し計して最初に我者ありとなす。  これより以来、  これ梵天王よく世間を造るという。)

これ、 外道が梵天より世間を造出せりと想像するに至りしゅぇ んを示すものなり。  けだし、 その説「倶舎頌疏』(巻八の八、『果宝疏紗    巻二本一の三八)に出ずるところに同じ。 すなわちいわく、大梵王於二劫初時{  独一而住、 更無二侍衛遂発>願言、 云何当令二諸余有情    生二我同分一 時極光浄天見'已悲慾、 従ーー彼処  没生  為  梵衆一 王緩発>願見レ有ーー天生{  故大梵王起 如>是想一 我表 能 生一也、 彼諸梵衆初見 天梵威徳特尊又憶念知下先因ーー梵王発二誓願故我来中生此い是故梵衆起二如是念一 我等皆是大梵王生

(大梵王劫初の時において独一にして住し、 さらに侍衛なし。  ついに発願していわく、 いかんがまさに諸余の有情をしてわが同分に生ぜしむべきや、 と。 時に極光浄天、 見おわりて悲慇す。 かの処より没して生じて梵衆となる。  王わずかに発願するに天の生ずるあるを見る。  ゆえに大梵王かくのごとき想を起こす、 我は能生を表すなり、 と。  かのもろもろの梵衆、 初めて大梵威徳特尊を見る。 また憶念して先に梵王の誓願を発するによりて、 ゆえに我ここに来生するを知る。  この故に梵衆かくのごとき念を起こす、 われらみな、  これ大梵王の生なり)

とあり。 また『倶舎論光記』(巻一=一の一)には、

一主謂一天主、 或大梵王、 或大自在天等、 諸外道等計、 此天主能造二万物一 将欲>造時先起二是覚一 欲孟吝用境一 然後生二諸世間

(一主とは、  一の天主、 あるいは大梵王、 あるいは大自在天等をいうなり。 もろもろの外道等計すらく、

「この天主がよく万物を造り、  まさに造らんと欲するとき、 まずこの覚を起こして、 境を受用せんと欲す。しかして後、 もろもろの世間を生ず」)とあり。 そのほか「大日経疏」(巻一の一六)には、  一切衆生因二梵天一故名ーー一切衆生主生ー一切有情一故也

(一切衆生は、 梵天による。  ゆえに一切衆生の主と名づく、 よく一切有情を生ずるが故なり)とあり。 また「悉盈蔵」(巻一の二五)には、 成劫之初光音天下成二大梵王一 随一梵王念庄ず八天子一 八天子下成二八十天一云云(成劫の初め、 光音天下りて大梵王と成る。 梵王の念に随って、 八天子を生ず。 八天子下りて八十天を成ず、 云々)とあるの類、 いちいち挙示し難し。  これを要するに、「住心品疏」に梵王はなお仏のごとく、「四囲陀典」はなお「十二部経」のごとしと説くがごとく、 外道婆羅門は大梵天をもって最勝最尊の独一神にして、 人間万物の父母と立つるなり。  しかるに仏教はこれに反対するも、 あえて梵天を否定するにあらず、 ただこれを最尊独一の神となさず、 かつ、 その造物主宰者なることを許さざるのみ。 大梵天のほかに梵輔天・梵衆天あり。  これを「十住心論」『    住心論冠註』巻三の四五)に、「正理論』を引きて解説して曰く、 梵衆天者正理論云、 大梵所有所化所領故名ーー梵衆

(梵衆天とは、『正理論」にいわく、 大梵の所有・所化・所領なるが故に梵衆と名づく)と。  また曰く、 梵輔天者正理論云、 於ーー梵王前一行列侍衛故名二梵輔

(梵輔天とは、『正理論』にいわく、 梵王の前において行列し侍衛するが故に梵輔と名づく)と。  また「倶舎頌疏 巻八の四)によるに、  一名二梵衆天一 大梵天王所領衆故、  二名二梵輔天一 衛二侍梵王一為>臣輔翼故(一は梵衆天と名づく、 大梵天王の所領の衆なるが故に。  二は梵輔天と名づく、 梵王を衛侍し、  臣となりて輔翼するが故に)とあり。  ゆえに、 梵衆は梵王配下の人民のごとく、 梵輔は梵王輔翼の臣僚のごとし。  すなわち『止観輔行』(巻九の三の一   、『止観科本」巻九の二の三、『類雑集』巻一の五六)に、 梵民為ー梵衆一 梵臣為二梵輔  (梵民を梵衆となし、 梵臣を梵輔となす)とあるものこれなり。

『婆沙論」(巻五八の一五、「秘蔵宝鍮抄」巻上の九の六)には、  この三天の身量を示して、 梵衆天の身長半由旬、梵輔天一由旬、 大梵天一由旬半等の説あり。  これみな神話の一種なり。  そのほか、 この梵天に関連して那羅延天・毘紐天・摩陸首羅天の名称あり。  みなこれ梵天と同名なるがごとくにして、 またその別あり。  ゆえに、  ここにその名義を解説せざるべからず。

まず那羅延天を考うるに、『中論疏』(巻一末の七)に曰く、 那羅延此云二生本{  以二其是衆生之本一故也(那羅延とはここには生本という、 それ、  これ衆生のもとたるをもっての故なり)とあり。「倶舎麟記」(巻二七の三)こま、

那羅翻為レ人、 延那翻為一年生本一 謂人生本、 即大梵王是也、 外道謂一切人皆以二梵天生一故曰也

(那羅は翻じて人となす。 延那は翻じて生本となす、 いわく、 人の生本すなわち大梵王これなり。 外道いわ一切の人はみな梵王の生なるをもっての故にいうなり〔 続蔵経、 王につくる〕)

とあり。  この釈によれば、 梵王すなわち那羅延天なり。 また『大日経疏拾義紗」(巻二の二四、「華厳探玄記」巻一五の五八)によるに、「涅槃経疏」には天帝釈の力士といい、 章安は翻じて金剛といい、 ないし「倶舎光記  には翻じて人種神といい、 また香象は堅牢と翻じ、「新華厳音義』(巻一の五)には堅固と釈し、 安然は初禅天の力士なりというとあり。 また「玄応音義」(巻八の二二)には、 那羅延晋言二鉤鎖力士一也(那羅延は晋に鉤鎖力士というなり)とあり。「三蔵法数」た「慧琳音義」(巻六の二)に、巻四三の二五)にこれを釈して、 その骨節鉤鎖して力あるによるとなす。 

那羅延梵語、 欲界中天名也、  一名毘紐天、 欲レ求二多カー者承事供養、 若精誠祈頑多獲二神カ一也

(那羅延は梵語、 欲界中の天の名なり、  一名は毘紐天。 多力を求めんと欲する者は承事供挫す。 もし精誠祈頑すれば多く神力を獲るなり)とあり。  けだしこの釈義は、 帝釈天の力士の名を解するもののごとし。「大集経」(巻

一の七)、「雑宝蔵経」(巻一の一)、「順正理論」(巻七五の九)等に那羅延力とあるは、 力羹の勝れたるを義とするのみ。「最勝王経」(巻四の二)に、 那羅延力勇壮速疾(那羅延の力は勇壮速疾なり)とあり、「同疏」(巻四本の七)に、 那羅延とはここに力勝というとあるがごときは、  みな力士の解にして、 今述ぶるところの義に適せず。 そのほか「住心品疏』(巻五の二七)に、 微葱紐旧訳謂ー一之毘紐一 此是那羅延天也(微葱紐、 旧訳にこれを毘紐という。  これはこれ那羅延天なり)と。 また「同疏 巻一    の一四)に、 毘紐天有二衆多別名一 即是那羅延天別名也(毘紐天は衆多の別名あり、  すなわちこれ那羅延天の別名なり)とあるがごときは、  これ毘紐天と那羅延天とは同体異名となすなり。 あるいはまた「中論疏」(巻一末の七)に、 鳩摩羅伽、 此言二童子天一 以  是初禅梵王顔如二童子  故以為名、 亦名二那羅延天  (鳩摩羅伽とは、 ここには童子天という。  これ初禅の梵王にして顔は童子のごときをもっての故にもって名となす。 または那羅延天と名づく)とあり、 もってその天のなんたるを知るべし。

つぎに毘紐天を考うるに、「止観輔行巻一    の六、「止観科本」巻一の六、『止観会本」巻一の一の五)には、 毘紐天亦云二窟紐天一 亦云二窟鞣天一 此翻二遍勝一 亦遍悶、 亦遍浄(毘紐天、 また窟紐天といい、  また窟鞣天という。  ここに遍勝、 また遍悶、 また遍浄と翻ず)とあり。『長阿含』(巻二二四)にはこれ色天なりとなし、「倶舎論」(巻八)にはこれ第三頂の天なりとなす。 あるいはいう、(浄影)欲界の極にありと。 しかして「智度論 巻二の二五)には、 如二窟紐天一 秦言二遍聞一云云(窟紐天のごときは、 秦には遍聞という、 云々)とあり。  また「同論」(巻一    の三)に、 毘紐天言世間有ーー大富貴名聞人一 皆是我身威徳力分、 我能成ー就世間一 亦能破ーー壊世間一 世間威徳皆是我作(毘紐天のいわく、 世間に大富貴・名聞の人あるは、 みなこれわが身の威徳力の分なり。 我はよく世間を成就し、  またよく世間を破壊す。 世間の成ると壊るるとは、  みなこれわが作なりと〔 大正蔵、 威徳を成壊につくる〕) とあり。 あるいはまた「中論疏」(巻一末の八)に、 梵王と章紐と八天子との関係を示して曰く、 八天子是衆生之父、 梵王是八天子之父、 窟紐是梵王之父(八天子はこれ衆生の父、 梵王はこれ八天子の父、 窟紐はこれ梵王の父なり)と。  これ「智度論    の、 章紐天生二梵王一 梵王生一一八天子一 八天子生二天地人

(章紐天は梵王を生ず、 梵王は八天子を生ず、 八天子は天地人民を生ず)の意にもとづき、 窟紐と那羅延天とを同体異名となすによる。 しかるに、「住心品疏 巻一七の一八)に章紐天は自在天の別名とあるがごときは、 自在天は摩薩首羅のことなれば、 これ章紐天をもって摩陸首羅の一名となす説なり。  これを要するに、 那羅延天と梵天と毘紐天と摩醸首羅天とは、 あるいは同体とし、 あるいは異体として、 その説一様ならず。  ゆえに

「指心紗」(巻八の二)には、 那羅延有ーー多種函{、 例如ーーー摩陸首羅有二多種一也(那羅延に多種あるか。 例えば摩薩首羅のごときは多種あるなり)という。 もし西洋にて伝うるところによるに、 原始の梵天、 化して婆羅摩・毘湮拳・湮婆の三体となれり。 婆羅摩(ここにいわゆる梵王)は能造の神にして、 天地万物を造出することをつかさどる。 毘湮怒(毘紐天)は保護の神にして、  ひとたび造出せられたるものを護持することをつかさどる。  湮婆

(摩醗首羅)は破壊の神にして、 天地万物を破壊することをつかさどる。 しかるに仏書中には、 梵王・毘紐天・摩陸首羅天の三神に、  かくのごとき作用あることを説かず、 ただこの三天は兄弟の関係ありというのみ。 例えば

「金剛頂経」の中に、 梵王・那羅延.摩酪首羅を三兄弟となす説あり。 また「理趣釈 四五)に、 摩度翔羅の三兄弟は、  これ梵王・那羅延.摩醸首羅の異名なりとなす。 しかして「果宝紗」(巻二本二の二六)には、 そのいわゆる三兄弟とは、 梵王は初禅の主、 那羅延は第三禅の主、 摩醗首羅は第四禅の主なるかといえり。 あるいはまた「明灯抄」(巻一本の六に、 外道計云摩酸首羅為ーー法身一 毘紐天為ーー報身一 梵王為二化身

(外道計していう、摩醒首羅を法身となし、 毘紐天を報身となし、 梵王を化身となす)と説きて、 法報化三身に配せり。 そのことはすでに「中論疏」(巻一末の七)中に見えたり。  すなわち曰く、

外道明>有_二  天一者、 即是彼家三身、 自在天為レ本如二内法身仏一 応為ーー茸紐砧空内応身仏一 章紐膀中化為二梵王和空内化身仏一也、 智度論具明二三身義一_所二以列二三天一也。

(外道の一二天ありと明かすことは、  すなわちこれ彼の家の三身なり。 自在天をば本となす、 内の法身仏のごとし。 応を章紐となす、 内の応身仏のごとし、 窟紐の謄の中に化して梵王となる、 内の化身仏のごとし。

「智度論」にはつぶさに三身の義を明かす、 ゆえに三天をつらぬるなり。)

けだし、 印度にては一体の天神を、  その位置、 その作用、 その変現の異なるに応じて種々の名を与うるをもって、 名と体との異同一準ならざるに至るなり。 しかりしこうして、 那羅延天・龍紐天・梵天の三者の関係は、  上来引用せるところによりてこれを考うるに、 那羅延天と窟紐天とは全く同体異名にして、 その位梵天の上にありて、 梵天を生じたる父なり。 換言すれば、 万物を生じたるものは梵天にして、 梵天を生じたるものは章紐天すなわち那羅延天なり。  ゆえに、 那羅延天は諸天中、 最尊第一ならざるべからず。  これ「住心品疏」に、 那羅延天をもって尊貴となすゆえんなり。「大日経疏愚草」(巻八の九)に、 梵王、 毘紐天生二  切法ー事(梵王、 毘紐天は一切法を生ずるのこと)の一題を掲げて、 その諸天の関係を論ぜり。 しかして、  その説みな大いに西洋所伝に異なるは、  その意を解し難し。 ただ「智度論」(「智度論条目」巻上の三一)に、 梵天王一切を造作し、 毘紐天世間を成壊すとあるは、 やや西洋所伝に近きを覚ゆるのみ。


第七七節    自在天

つぎに摩陸首羅天を考うるに、 これ自在天の梵名にして、 自在天はその訳名なり。  ゆえに「華厳探玄記」(巻九の二六)に、 摩醗此云レ大、 首羅此云二自在  (摩陸とはここに大といい、 首羅とはここに自在という)と解し、

「華厳大疏」(巻一下の六四)に、 大自在者梵云二摩陸首羅  是也、 於二三千界ー最自在故(大自在は梵に摩醗首羅というこれなり。 三千界において最自在の故に)とあり。 また「榜厳義疏巻一    下の二、「教時義」巻四の一三、「梵網合註」巻一の三)には、 摩薩首羅即大自在天三目八臀、 外道所ーニ宗為ーー能生因一也(摩醸首羅はすなわち大自在天にして、 三目八臀なり。 外道は宗として能生の因となすところなり)とあり。 しかるに摩醸首羅に連合して、 商渇羅・伊舎那・噌捺羅・毘遮舎等の諸名あり。  ここにその異同を弁明せざるべからず。 まず「大日経疏」

(「大日経疏科文」巻三の三四、「大日経疏冠註」巻五の三六、「果宝紗」巻二本二の二五)によるに、 商翔羅是摩薩首羅別名、 黒天梵音噌捺羅、 是自在天脊属(商翔羅はこれ摩陸首羅の別名、 黒天は梵音噌捺羅、 これ自在天の脊属なり)とあり。 また「同疏」(巻五の二七)に、 商翔羅天此是摩陸首羅出二  世界ー大勢力非ー一三千界主  也

(商翔羅天はこれはこれ摩醒首羅にして一世界に出ず。 大勢力にして三千界の主にはあらざるなり)とあり。 しかるに、「因明疏」(「因明大疏」巻一の九)に解説すること左のごとし。

商翔羅此云二骨錬{  乃至外道有乙言、 成劫之始、 大自在天人間化導二十四相、 匡利既畢、 自在帰レ天、 事者顧恋、 遂立二其像像二其苦行悴疲飢扁、 骨節相連、 形状如錬、 故標二此像るデ骨錬天劫初雖レ有二千名一時減猶存二十号    此骨錬天即一名也。

(商翔羅とはここに骨錬という。 ないし、 外道の言えることあり。 成劫のはじめに大自在天が人間に化導するとき、  二十四相あり。 匡し利することすでにおわりて自在は天に帰す。  つかうる者は顧恋してついにその像を立てたり。  それが苦行して、 悴疲飢厩なる骨節相連なり、 形状錬のごとくなるをかたどる。  ゆえに、  この像を標して骨錬天と名づく。 劫初に千の名ありといえども、 ときどき減じてなお十号のみを存す。 この骨錬天はすなわちつの名なり。)

これを『因明裏書巻上本の三)に、『憬疏を引きて解説していわく、 劫初のとき大梵天王声明論を作り、諸法の中においていちいちの法上に千名を製立し、 のち天帝釈その九百を廃して、  ただ百名を存す。 また後時において、  迦脈仙人さらに九十を廃して、 ただ十名を置く。 今いう、 骨錬は十名中の一名なりとあり。  しかるにまた、『悉曇蔵」(巻一の二六)に左のごとく解せり。

成劫之初光音天下成二大梵王随二梵王念圧ず八天子一 八天子下成ーー八十天一 又光音天下生ユハ欲天亦生ーー四州一 乃成四姓 劫初自在猶如ー一色天一 由二悪増一 生ーー四趣一 梵王化>形、 下利二人間是名一商翔羅天一 亦名 摩陸首羅一 摩陸首羅亦有ーニ一種一 一四禅主名ーー毘遮舎一 此乃金剛頂経仏、 初成レ道令ー一不動尊降ーー伏三千界主大我慢一者是也、  二初禅主名二商翔羅    此乃大日経中商翔羅天、 於二  世界石  二大自在一 非一ー於三千界一者是也、三六天主名ーー伊舎那    此乃寿命経中仏、_下一須弥一 令下降三世降中伏強剛難化天王大后上是也。

(成劫の初め、 光音天下りて大梵王と成る。 梵王の念に随っ て、 八天子を生ず。 八天子下りて八十天を成ず。  また光音天下りて六欲天を生じ、 また四州を生じ、  すなわち四姓を成ず。 劫初自在なること、 なおし色天のごとし。  一悪の増によりて四悪趣を生ず。 梵王形を化して下りて人間を利す、 これを商翔羅天と名づけ、  また摩陸首羅と名づく。 摩陸首羅にまた三種あり、  一に四禅の主、 毘遮舎と名づく、  これすなわち「金剛頂経の仏にして、 初めて道を成ずるに、 不動尊をして三千界主大我慢を降伏せしめる者これなり。  二に初禅の主、 商翔羅と名づく、  これすなわち「大日経    中の商翔羅天、  一世界において大自在あり、 三千界にはあらざるはこれなり。 三に六天主、 伊舎那と名づく、  これすなわち「寿命経』中の仏にして須弥に下り、降三世をして強剛難化の天王大后を降伏せしむるこれなり。)

「十住心論冠註」(巻三の六)に、 摩陸首羅は通称にして、 商翔羅は別名なることを記せり。 以上引証せるところによりてこれをみるに、 商翔羅と摩醸首羅とは同体異名なることを知るべし。 しかして伊舎那・毘遮舎等の名ま、  一体の分体化身によりてその称を異にするのみ。 噌捺羅のごときもまたしかり。「大日経疏」(巻一    の一四)に、 噌捺羅亦仏所化身、 是摩陸首羅之化身、 亦名二伊舎那  (噌捺羅、 また仏所化の身なり。  これ摩醸首羅の化身なり。 また伊舎那と名づく)とあり。 また「入大乗論巻下の一四、「指南鈎物」巻五の二)に、 摩醸首羅天有二二種一 一毘遮舎摩陸首羅是第四禅王、  二伊舎那摩陸首羅是第六天王(摩陸首羅天に二種あり、  一は毘遮舎摩陸首羅、 これ第四禅王なり、  二は伊舎那摩陸首羅、  これ第六天王なり)とあり。 また「倶舎論」(巻七の七、「倶舎頌疏」

巻七の六)にも、 噌捺羅此云ー暴悪一 自在天有二  千名一 此是一号(噌捺羅、  ここに暴悪という。 自在天に一千名あり、  これはこれ一号なり)とあり。「大日経義釈    にも、 噌捺羅是摩陸首羅異名云云(噌捺羅、これ摩醗首羅の異名なり、 と云々)とあり。 また「大日経疏」(巻五の二七)にも、 経中文更有二噌捺羅一 即是商翔羅葱怒身也(経の中の文に、  さらに噌捺羅あり、  すなわちこれ商翔羅の分心怒身なり)とあり。  また「秘蔵記」

(巻末の一九)には、 伊舎那天黒青色、 面上三目云云(伊舎那天は黒青色にして面上に三目あり、 と云々)とあり。  ゆえに「指心紗 巻八の二八)には、

伊舎那天黒青色、 三目二臀念怒形、 故云二分心怒身一也、 此又商迦羅之所変念怒身欺

(伊舎那天は黒青色にして三目二腎の分心怒形なり。  ゆえに分心怒身というなり。  これまた商迦羅の所変の分心怒身かとあり。 けだし、「倶舎の暴悪と「大日経疏」の分心怒身とは、 その義相応せり。 そのほか名称の異同につきて種々の説あれども、  みな枝末の論なればこれを略す。

以上述ぶるところこれを要するに、 大自在天は那羅延天のごとく、 その位置、 その作用、 その変現に応じて種々の名称を有するものにして、 同体異名なるもの多しと知るべし。 しかして、 那羅延天と摩醒首羅との関係は、 前節に『明灯抄」を引用せるがごとく、 法報応三身の関係あり。「呆宝紗」(巻二本二の二七)にも、

自在天為二法身ー  那羅延為二報身{  梵天為二化身一也、 商渇羅天梵天所変、  黒天自在天所変也

(自在天を法身となし、 那羅延を報身となし、 梵天を化身となすなり。 商翔羅天は梵天の所変、 黒天は自在天の所変なり)

とあり。  また『指心紗 巻八の二八)には、

倶舎塗灰外道於二自在天虹酎三身、 法身充二満法界報身色界頂摩陸首羅、 化身随類六道噌達羅云云

(『倶舎』に塗灰外道は自在天に三身を計する中、 法身は法界に充満し、 報身は色界の頂、 摩陸首羅、 化身は随類の六道の噌達羅なり、 云々)

と記せり。 もしまた『唯識演秘』(巻一末の三ることを示して曰く、によらば、『唯識論』に述ぶるところの常一遍在の体は法身彼  説報身居二色天上一 不二来  下生一 状似二世尊受用身一也、 其変化身随二形六道{  教二化衆生一 然説多住二雪山北面一 或在二南海未剌耶山頂    法身即此論所>叙是

(彼説く、 報身は色天の上に居し、 来たりて下に生ぜず、 状は世尊の受用身に似たり。  その変化身は形を六道に随えて衆生を教化す。 しかも多く雪山の北面に住すと説く、 あるいは南海の末剌耶山頂にありと。 法身はすなわちこの論に叙するところこれなり)

とあり。 しかして、 三身その体これ一なれば、 梵天も自在天も商翔羅も噌捺羅も同一体に帰すべし。 しかれども、 すでに摩陸首羅を法身となし、 梵王を化身となすときは、 摩陸首羅をもって最上絶対の体となさざるべからず。  ゆえに『名義集 巻二の九)には、

或有レ人以為二第六天{  而諸経論多称一大自在一 是色界頂、 釈論云過二浄居天云  二十住菩薩一 号ーー大自在ー  大千界主、 十住経云、 大自在天光明勝二  切衆生    涅槃献征供、 大自在天最勝故非二第六天一也

(あるいは、 ある人はもって第六天となす。 しかして、 諸経論は多く大自在と称す。 これ色界頂なり。「釈論    にいわく、 浄居天を過ぎて十住菩薩あり、 大自在と号す、 大千界の主なり。「十住経」にいわく、 大自在天の光明は一切衆生に勝る。 涅槃に供をささげるは大自在天最勝なり。  ゆえに第六天にあらざるなり)

と 、 また「涅槃疏」(巻二の七五、「名義集」巻五の四三)に、 摩醒首羅居ー一色界頂一 統ーー領大千  (摩酪首羅)は色界の頂に居して、 大千を統領す)とあり。  また「演密紗 巻三の一七)には、 諸神中摩醸首羅神最大第一、乃至摩醸首羅為二諸神王  (諸神中、 摩陸首羅神は最大第一、 ないし摩陸首羅を諸神の王となす)といえり。  そのほか『文句私記」(巻二の五とうてこれを略す。に、 自在天は大千世界の主なるかいなかにつきて問答を掲げたれども、 煩をい以上の説明によりて、 自在天のなんたるを知るべし。  これを要するに、 梵天は帝釈天の上にあり、 自在天は梵天の上にあるもののごとし。 もし、 これを西洋所伝に考うるに、 自在天は三神中の湮婆すなわち破壊神ならざるべからざるも、 仏書中に余いまだその説あるを見ず。



第三章 一因論


第七八節 一因外道

すでに声論を述べ、 また天論を説きたれば、  これよりまさしく有神外道を弁明すべし。 前節にも一言せるがごとく、 印度は太古にありては多神教なりしも、 その後ようや 神教に移り、 梵天・自在天をもって神の本源実体となし、 自余の諸神は、  みなその属性・表象にほかならずとなすに至れり。  ゆえにその論、  一神教にしてあわせて汎神教なれば、 猶太教・耶蘇教等の一神説と同じからず。 その説、 遠く仏教以前にありて世間に流布し、種々の学派を分岐するに至りしが、 仏教これに反対して無神論を唱うるに至り、 有神論またこれに反動して、  さらに大いに興りたるもののごとし。 今、 仏教中に散見せる有神外道は、『涅槃経』および「維摩経」六師中の第五迦羅鳩駄迦栴延、「外道小乗涅槃論』の第四葦陀論師、 第五伊除那論師、 第九女人脊属論師、 第十二摩陀羅論師、 第十五摩醒首羅論師、 第二十安荼論師は、 その説くところ多少の異同あるも、  みな有神外道の部類たり。


『唯識論」の十三計中、 大自在天・大梵計

本際計は有神外道にして、 声論もその一種なり。「住心品」三十種中、自在天・流出・尊貴・遍厳・摩納婆等もまた有神外道に属すべし。 もしまた『喩伽」、『顕揚の十六異論に考うれば、 第七計自在論、 第八害為正法論、 第十不死矯乱論、 第十四妄計最勝論、 第十五妄計清浄論、 第十六妄計吉祥論は、  みな有神外道の部類なり。 そのほか『華厳玄談有神外道なり。の十一種中、 塗灰外道・囲陀論師・安荼論師の三種も

以上の諸論をば左の四段に分かちて、 逐次に論述すべし。

毘陀論師計第二    摩醸首羅論師計 第安荼論師計第四    婆羅門諸計

この諸計はみな婆羅門の所計なるも、 前三計の中に摂すべからざる諸計は、 特にこれを合して第四婆羅門諸計の下において述ぶべし。


第七九節    毘陀論師計

毘陀論師は那羅延天の膀中より蓮華を生じ、 蓮華より梵天を生じ、  これより有生無生一切万物を造出せりと唱う。  そのことは『外道小乗涅槃論」につまびらかなり。

第四外道窟陀論師説、那羅延天謄中庄ず大蓮華一 従ーー蓮華 庄ず梵天祖公一 彼梵天作ー切命無命物従  梵天口中一生  婆羅門ー 両臀中生二刹利、 両牌中生二毘舎    従二両脚眼一生二首陀一 一切大地是修ー福徳一 戒場生二切華草以為二供養化作二山野禽獣、 人中猪羊譴馬等一 於ーー界場中ー殺害供幸食梵天一 得>生二彼処る名二涅槃是故窟陀論師説、 梵天名二常是涅槃因

(第四の外道奮陀論師の説かく、 那羅延天の謄中より大蓮華を生じ、 蓮華より梵天祖公を生じ、 かの梵天、一切の命無命物を作る。 梵天の口中より婆羅門を生じ、 両腎中より刹利を生じ、 両牌中より毘舎を生じ、 両脚眼より首陀を生ず。  一切の大地はこれ福徳を修する戒場にして、  一切の華草を生じ、 もって供養をなし、山野禽獣を化作す。 人中の猪・羊・譴馬等を界場中に殺害して梵天に供養すれば、 かの処の涅槃と名づくるに生ずることを得と。  この故に窟陀論師は、 梵天を常と名づけ、 これ涅槃の因なりと説く。)


「百論疏」巻上中の一五)には、 窟紐名ーー那羅延天一 従  謄生二蓮華一 蓮華生二梵天一 梵天為ーー衆生_祖  云云(意紐をば那羅延天と名づく。 謄より蓮華を生じ、 蓮華より梵天を生じ、 梵天をば衆生の祖となす、 云々)とあり。  また「華厳玄談巻八の二)には、 此師計=一那羅延天能生二四姓一 此計梵天能生二万物(この師は那羅延天はよく四姓を生ずと計す。  これは梵天よく万物を生ずと計す)とあるは、  みな『外道小乗涅槃論』にもとづく。  しかるに『智度論巻八の六、『秘蔵宝鍮纂解』巻一の四、『神仏冥応論』巻三の二三)に、  これと相似たる説あり。  すなわち左のごとし。

復次劫尽焼時、  一切皆空、 衆生福徳因縁力故、 十方風至、 相対相触能持二大水水上有二  千頭人二千手足一名為二窟紐一 是人謄中出二千葉金色妙宝蓮華一 其光大明如二万日倶照一 華中有レ人結珈朕坐、 此人復有一無量光明一 名曰 梵 天王{  此梵天王心生二八子八子生二天地人民一云云  ゜

(またつぎに、 劫尽き焼くるときは、  一切みな空なり。 衆生の福徳の因縁力の故に、 十方より風至り、 相対し、 相触れてよく大水を持す。 水上に一千頭の人にして二千の手足なるあり、 名づけて窟紐となす。  この人は謄の中より、 千葉の金色の妙宝蓮華を出だす。 その光の大いに明らかなること、 万日のともに照らすがごとし。  華の中に人あって結珈鉄坐す。  この人はまた無量の光明あり、 名づけて梵天王という。  この梵天王の心より八子を生じ、 八子は天地、 人民を生む、 云々。)

これを「中論疏」巻一末の七)には、 劫初之時、  一切皆空、 有ー大水一諏竺十方一云云(劫初のときに一切皆空にして大水緊十方にあり、 云々)と記せり。「止観私記』(巻一はまた『分別功徳論』にの二)にも、 同じくこのことを論ぜり。 あるい

梵天誰造、 或云梵天有レ父、 或云自造、 言レ有ら父者父即蓮華也、 有云蓮華者何従出、 憂陀延謄中出也、 憂陀延従レ何出、 曰従二散嵯王ー出云云

(梵天はだれの造なりや。 あるいはいう、 梵天に父あり、 と、 あるいはいう、 自ら造れり、 と。  父ありというは、 父とはすなわち蓮華なり。 あるがいう、 蓮華はなにより出ずるや、 と。 憂陀延の謄中より出ずるなり。 憂陀延はなにより出ずるや、 いわく、 散嵯王より出ず、 と云々)

とあり。 しかしてまた、「外道小乗涅槃論    の第十二摩陀羅論師の説またややこれに類す。 曰く、

第十二外道摩陀羅論師言、 那羅延論師論、 我造二  切物我於二切衆生中ー最勝、 我生二  切世間有命無命物    我是一切山中大須弥山王、 我是一切水中大海、 我是一切薬中穀、 我是一切仙人中迦毘羅牟尼、 若人至ー心_以一水草華果征ぃコ養  我一 我不>失二彼人一 彼人不>失>我、 摩陀羅論師説、 那羅延論師言、  一切物従>我作生、還没二彼処名為二涅槃是故名二常是涅槃因

(第十二の外道摩陀羅論師のいわく、 那羅延論師の説かく、 我は一切の物を造る、 我は一切衆生の中において最勝なり、 我は一切世間の有命無命の物を生ず、 我はこれ一切山中の大須弥山王なり、 我はこれ一切水中の大海なり、 我はこれ一切薬中の穀なり、 我はこれ一切仙人中の迦毘羅牟尼なり、 もし人、 至心に水草華果をもって我に供養せば、 我かの人を失わず、 かの人我を失わずと。 摩陀羅論師説かく、 那羅延論師のいわ一切の物は我より生をなし、  かの処に還没するを名づけて涅槃となす、  この故に常と名づく、 これ涅槃の因なりと。〔 大正蔵、 説につくる〕)

『住心品疏」(『住心品疏冠註』巻五の一)に尊貴外道を解釈するところ、 またこれに近し。 曰く、

経云蒻  貴  者、 此是那羅延天、 外道計    此天湛然常住不動、 而有二輔相ー造ー一成万物    誓如ー一人主無為而治、 有司受レ命行>之、 以下能造之主更無>有中所二尊貴玉衷  故云二尊貴一 又此宗計尊貴者遍こ  切地水火風空処

(経に尊貴というは、 これはこれ那羅延天なり。 外道の計すらく、  この天は湛然常住にして不動なり、 しカヽも輔相あって、 万物を造成す。 たとえば人主の無為にしてしかも治するに、 有司命を受けて、 これを行ずるがごとし。 能造の主は、 さらに〔他に〕尊貴するところの者あることなきをもっての故に、 尊貴という。 またこの宗の計すらく、 尊貴は、  一切の地・水・火・風・空処に遍ぜり。)

しかるにまた「同疏」に、 或言梵王毘紐天等生二  切法あるいはいわく、 梵王・毘紐天等、  一切の法を生ず)とあり。  ゆえに「演密紗」(巻三の一六)には、 那羅延天に多説あることを示せり。 その一に、 囲陀論師計ニ那羅延天能生一四姓一 計=一梵天能生二万物  (囲陀論師は、 那羅延天はよく四姓を生ずと計し、 梵天はよく万物を生ずと計す)とあり。  これを「果宝紗」(巻二本一の一)に釈して、 三師の不同ありとなす。  すなわちいわく、

外道計二諸法能生云?三師不同一 一者囲陀論師計那羅延天生二四姓梵王一 梵王生ー四姓ー及造二万物梵天生二万物二者提婆釈意那羅延天生二

(外道は諸法よく生ずと計す。 三師の不同あり、  一は、 囲陀論師は那羅延天は四姓を生じ、 梵天は万物を生ずと計す。  二は、 提婆の釈意は那羅延天は梵王を生じ、 梵王は四姓を生じおよび万物を造るとす)

と。 その第三は安荼論師の説なれば、 これを略す。 その意、 那羅延天を一分能生の主となす説と、  ひとり梵天を能造の主となす説と二種あるがごとし。  これによりてこれをみるに、 毘陀論師の計は一神造化教なり。  しかしてまた、 汎神教の意を有す。 例えば『住心品疏」に、  一切の地水火風空処に遍すと説くがごときは汎神論なり。 もしまた「唯識論」(巻一の一四)によらば、 そのいわゆる大梵計は毘陀論師の計をいう。「唯識述記」(巻一末の七四)にはただ、 梵即梵王、 此事一梵王一者計(梵というのは、 すなわち梵王なり。  これは梵王につかうる者の計なり)とあるのみなるも、「演秘」(巻一末の三 には、 言二大梵一者囲陀論師説、 従二那羅延天膀中圧ず大蓮華

云云(大梵というは囲陀論師の説なり。 那羅延天の謄中より大蓮華を生ず、 云々)とあり。 また「同論」の明論声常説も、  この外道に属すべし。「秘蔵宝鍮」に、 自在天、 梵天、 那羅延天、 商掲羅天、 自在天子、 日天、 月天、竜尊等乃至或天仙大囲陀論師云云(自在天・梵天・那羅延天・商翔羅天・自在天子・日天・月天・竜尊等、 ないし、 あるいは天仙・大囲陀論師、と云々)とありて、 その囲陀論師は「宝鍮勘注巻二の三二)に、「住心品疏を引きて釈せり。  すなわち「住心品疏 住心品疏科文」巻三の三五、「住心品疏略解」巻五の四三)に、

 囲陀是梵王所演四種明論、 大囲陀論師是受コ持彼経一能教授者(囲陀はこれ梵王演ぶるところの四種の明論なり。 大囲陀論師はこれ彼の経を受持し、 よく教授する者なり)とあるを見れば、 囲陀論師は四部の「毘陀経」にもとづきて、 その説を世間に唱道せるものなること明らかなり。 しかるに「宝鍮撮義紗」(巻上下の二には、 囲陀論師者造二囲陀論一人也、 梵王及白浄仙人是也(囲陀論師は囲陀論を造れる人なり。 梵王および白浄仙人これなり)と解して、「住心品疏」の釈とその意を異にす。 そのほか毘陀論師外道に属すべきものに、 摩納婆すなわち儒童と名づくるものあり。  これ、「大日経」三十種の第二十六に出ずる外道なり。  これを「住心品疏住心品疏冠註」巻五の一五)には、 唐三蔵翻為二儒童ー非也(唐の三蔵は翻じて儒童とするは、 非なり)と説きて、 訳字の不当を弁ぜり。  しかるに「唯識枢要」(巻一本の四七)には、 摩納縛迦依ーー止於_意  而高下    故、 若総釈義此名ーー儒童一 儒美高義、 童少年義、 美高少年名曰二儒童  (摩納縛迦は意に依止して高下なるが故に。 もし総釈義はこれを儒童と名づく。 儒は美高の義、 童は少年の義、 美高少年を名づけて儒童という)とあり。 また「玄応音義 巻二二の三) こま、

摩納婆又__言  摩納縛迦一 此云二儒童一 旧言二摩那婆一 或作二那羅摩那那羅摩納一 訳為>人皆一也又作ー摩納一 翻_為一年少浄行一 五分律名

(摩納婆、 また摩納縛迦といい、  ここに儒童といい、 旧には摩那婆という。 あるいは那羅摩那といい、 また摩納に作る。 翻じて年少浄行となし、「五分律    には那羅摩納に名づく。 訳して人となす。  みな一なり)

とありて、 通常これを儒童という。 その説くところ梵天論にあらざるも、『同疏』〔「住心品疏」〕に毘紐天外道部類(毘紐天は外道の部類)と解し、「果宝紗」(巻二本一の二八)には、 毘紐天者那羅延天異名    故、  上尊貴外道余類敗(毘紐天は那羅延天の異名なるが故に、  上の尊貴の外道の余類なるか)と釈するをもって、 余はこれを毘陀外道の一類となす。 しかれども、 その立つるところ全く主我論なれば、 その説明は後の主観論に譲る。


第八    節    摩醒首羅論師計

つぎに、 自在天論師計はすなわち摩陸首羅論師計にして、 前節の毘陀論師計と同一類なり。 まず、『外道小乗涅槃論    の第十五摩醒首羅論師の下に示せる説明は左のごとし。第十五外道摩醸首羅論師作二如>是説一 果是那羅延所作、 梵天是因、 摩陸首羅一鉢三分、 所謂梵天、 那羅延、摩陸首羅、 地是依処、 地主是摩醒首羅天、 於二三界中ー所有一切命非命物、 皆摩酪首羅天生、 摩陸首羅身者虚空是頭、 地是身、 水是尿、 山是糞、  一切衆生是腹中虫、 風是命、 火是暖、 罪福是業、 是八種是摩醗首羅身、自在天是生滅因、  一切従自  在天  生、 従二自在天  滅、 名為 涅 槃一 是故摩陸首羅論師説、 自在天常生二  切物    是涅槃因。

(第十五の外道摩陸首羅論師、 かくのごとくの説をなす、 果はこれ那羅延の所作、 梵天はこれ因、 摩醒首羅は一体にして三分なり、 いわゆる梵天・那羅延.摩酪首羅なり。 地はこれ依処、 地の主はこれ摩陸首羅天なり。 三界の中におけるいわゆる一切の命非命物は、  みな摩醒首羅天より生ず。 摩醒首羅の身とは、 虚空はこれ頭、 地はこれ身、 水はこれ尿、 山はこれ糞、  一切衆生はこれ腹中の虫、 風はこれ命、 火はこれ暖、 罪福はこれ業、  この八種はこれ摩陸首羅の身なり。 自在天はこれ生滅の因なり、  一切は自在天より生じ、 自在天より滅するを、 名づけて涅槃となすと。  この故に摩陸首羅論師は、 自在天は常にして一切の物を生ず、  これ涅槃の因なりと説く。)

この説明によるに、 自在天外道の所計は、  一神論にあらずして汎神論なるを知る。「三論検幽紗」(巻一の三六)には『百論疏』によりて、

六道衆生天地之物皆是自在天身、 乃至自在天身総有二八分    虚空為>頭、 日月為>眼、 大地是身、 河海為>尿、山丘為レ糞、 風為レ命、  一切火為 熱気 一切衆生是身内虫

(六道の衆生、 天地の物はこれ自在天身なり、 ないし自在天身は総じて八分あり、 虚空を頭となし、 日月を眼となし、 大地はこれ身なり。 河海を尿となし、 山丘を糞となし、 風を命となし、 一切の火を熱気となす。一切の衆生はこれ身内の虫なり)

とあるも、 これとその意を同じくす。 あるいはまた「摩登伽経」(巻上の    二)に、

汝法中自在天者造  於世界一 頭以為レ天、 足成為>地、 目為二日月一 腹為二虚空一 髪為二草木一 流涙成レ河、 衆骨為>山、 大小便利尽成二於海

(汝が法中に自在天は世界を造る。 頭はもって天をなし、 足は成じて地をなす。 目は日月をなし、 腹は虚空をなす。 髪は草木をなし、 流涙は河を成し、 衆骨は山をなし、 大小の便利はことごとく海を成す)

とあるも、 その意一なり。  それ摩酸首羅は梵語にして、 自在天はその訳名なること、 第七七節にこれを示せり。

かつ「大日経疏指心紗」(巻八の二七)に、 自在天是摩陸首羅漢名、 故智論二云、 摩陸首羅天秦言ーー大自在  (自在天はこれ摩酪首羅の漢名なり。  ゆえに「智論    二にいう、 摩陸首羅天は秦に大自在という)とあるを見て知るべし。 また「止観輔行」(「止観科本」巻一の六、「止観会本」巻一の一の五)に左のごとく解せり。

摩醗首羅天者此云二大自在一 色界頂天、 三目八臀、 騎ーー白牛一 執二白払一 有二大威カ一 能傾二覆世界一 挙社世尊レ之、 以為  化本一 大論云大自在天有二菩薩居一 名二摩醗首羅

(摩醸首羅天はここに大自在という。 色界頂の天にして三目八臀あり、 白牛にのり、 白払をとる。 大威力あり、 よく世界を傾覆す、 世をこぞりてこれを尊び、 もって化の本となす。「大論」にいわく、 大自在天に菩薩の居るあり、 摩陸首羅と名づく、 と。)

もしまた「唯識論」(巻一の一四)によるに、 そのいわゆる大自在天鉢実遍常、 能生二諸法  (大自在天あって、体実なり、 遍ぜり、 常なり、 よく諸法を生ず)とあるはこの計なり。 これを「述記」(巻一末の七一)に釈名して曰く、  若言二莫醒伊湿伐羅一是大自在天、 若長言二摩酸伊湿伐羅一是事ー大自在天一者(もし莫醒伊湿伐羅といえるは、  これ大自在天なり。 もし長く摩酸伊湿伐羅といえば、 これ大自在天につかうる者なり)とあり。 かつその計を示して曰く、 大自在天一鉢実有、  二遍ーー一切一 三是常住、  四能生二  切法  (大自在天は、  一には体実有なり、ニには一切に遍ぜり、 三にはこれ常住なり、 四にはよく一切の法を生ず)とあり。 もしまた「大日経」の三十種に考うるに、 その自在天、 流出および時は、  みなこの外道の種属なり。 左に「住心品疏」(「住心品疏略解」巻五の九、「住心品疏冠註    巻四の七二)を引用すべし。

経戸  若自在天若流出及時一者、 謂一類外道計、 自在天是常、 是自在者能_生一万物一云云  ゜

(経に「もしくは自在天、 もしくは流出、  および時」というは、 いわく、  一類の外道の計すらく、 自在天は、 これ常なり。  この自在〔天〕はよく万物を生ず、  云々。)

計流出者、 与ーー建立ー大同、 建立如一従>心出二  切法一 此中流出如下従ーー手功ザ一切法い誓如二陶師子挺埴無間   _生一種種差別形相

(計流出とは、 建立と大同なり。 建立は心より一切の法を出だすがごとし。  この中の流出とは、 手の功に従って一切の法を出だすがごとし。 たとえば陶師子の挺埴すること無間にして、 種々の差別の形相を生ずるがごとし。)

次云レ時者、 与ーー前時外道宗計ー小異、 皆自在天種類也。

(つぎに時というは、 前の時外道の宗計と、 小しき異あり。  みな自在天の種類なり。)

また、「同疏「住心品疏冠註」巻六の一にいわく、 自在即外道所レ事天神也(自在はすなわち外道のつかうるところの天神なり)とありて、 自在天は印度外道の大いに信奉せる天神なることを示せり。 もし「喩伽」、「顕揚曰く、の十六異論に考うれば、 第七の計自在等為作者論、 これ自在天外道の計なり。「喩伽論」(巻七の二)に凡諸世間所有士夫、 補特伽羅所>受彼一切、 或以ー自在変化一為>因、 或余丈夫変化為>因、 諸如レ是等謂説ーー自在等不平等因論一者、 作ーー如レ此計

(およそもろもろの世間所有の士夫の補特伽羅の受くるところのかの一切は、 あるいは自在〔天〕の変化をもって因となし、 あるいは余の丈夫の変化を因となす。 もろもろのかくのごとき等は、 いわく、 自在〔天〕等の不平等因の論を説く者、 かくのごときの計をなす。)

「十住心論科註」(巻三本のニ に自在変化を釈して、 諸法自在天変化計、 是自在天外道計云云(諸法は自在天の変化なりと計す。 これ自在天外道の計なり、 云々)とあり。 しかして「義林章」(巻一本の一七)によるに、あるいは諸法は大自在天の変化、 あるいは丈夫の変化、 あるいは大梵の変化、 あるいは時方・空・我等を因となすと執する計となす。  しかるに『三論玄義』(首書の五)には、 外道四執の第一邪因邪果の例に自在天の計を掲ぐ。 その論に曰く、 大自在天能生二万物一 万物若滅帰二本天一云云(大自在天よく万物を生ず、 万物もし滅すれば、本天に帰す、 云々)と。 第四七節に引用せるがごとし。 その説は「中論疏」(巻一末の六)に出ずるものに同じ。すなわちいわく、

如二十二門論説自在天変化造ーー作万法一 万法若滅    還コ帰彼天自在天三品苦行、 下品苦行生二腹行虫一 中品苦行生二飛鳥{  上品苦行生二人天    故生ユハ道一 故有二三種苦行一 此天面有ーニニ目一 騎二白牛一手執二白払{  又言頭、 戴ー一日月手執二獨艘出二他経涅槃明=第五迦羅鳩舵計ーー自在天生義

(「十二門論」に説くがごとし。 自在天変化して万法を造作す。 万法もし滅すれば、  かえって彼の天に帰す。自在天に三品の苦行あり。 下品の苦行は腹行の虫を生ず。 中品の苦行は飛鳥を生ず。  上品の苦行は人天を生ず。  ゆえに六道を生ず。  ゆえに三種の苦行あり。  この天は面に三目あり。 白牛にのりて手に白払をとる。 またいわく、 頭には日月をいただき手に憫悽をとる。 ならびに他経に出でたり。 涅槃に明かさく、 第五の迦羅鳩舵は自在天より生ずの義を計す。)

この迦羅鳩駄は「涅槃経」の外道六師の一にして、「維摩経    に出ずるものに同じ。  ゆえに「雑集論述記」(巻六の四三)に、 六師外道を掲げていわく、 此中第一是準陀論師、 六師論中迦羅鳩駄外道計、 彼立下梵天能出一生一切一 与ーー一切法玉ぞ因(この中の第一はこれ章陀論師なり。 六師の論の中の迦羅鳩駄外道の計なり。 彼、 梵天はよく一切を出生し、  一切法のために因となると立つる)とあるものこれなり。  これを「維摩経義記」(「注維摩経    巻三の五)に解説するところ左のごとし。

迦羅鳩舵迦栴延者是第五人、 迦羅是字、 迦栴延是姓、 此是自在天因、 外道説下自在天為ーー衆生因一 衆生由>之、受>苦受な楽。

(迦羅鳩舵迦栴延はこれ第五人、 迦羅はこれ字、 迦栴延はこれ姓、  これはこれ自在天の因なり。 外道に自在天は衆生の因となり、 衆生これによりて苦を受け楽を受く。)また「三論玄義検幽紗」(巻一の三六)には「涅槃経」によりて、

迦羅鳩駄迦栴延云、  一切衆生悉是自在天之所化、 自在天喜  衆生安楽、 自在天臓  衆生苦悩、  一切衆生若罪若  福、 乃是自在之所二為作

(迦羅鳩駄迦栴延いわく、  一切衆生はことごとくこれ自在天の所化なり。 自在天喜べば衆生安楽し、 自在天いかれば衆生苦悩す。  一切衆生のもしは罪もしは福、 すなわちこれ自在の為作するところなり)


と説けり。 なおその釈名につきては、「維摩発朦紗」(巻三の六)に、 迦羅鳩駄等者名義集云、 迦羅鳩駄此云二牛領    迦旅延者此云二剪剃  剪剃事具如二倶舎光記等叙  (迦羅鳩駄等とは「名義集」にいわく、 迦羅鳩駄はここに牛領という。  迦胴延とはここに剪剃という。 剪剃のこと、  つぶさに「倶舎光記」等に叙するがごとし)とあり。  そのほか「華厳玄談」巻八の二)に、 塗灰外道と称して自在天外道のことを論ず。 そのうち前に述べたるものと重複せるところあれども、 左にその全文を掲ぐ。

塗灰外道並諸婆羅門共計ーー自在天是万物因一 故唯識第一云、 有  執    有二  大自在天    鉢実遍常能生二諸法    謂彼計二此天云  二其四徳{一鉢実、  二遍、 三常、  四能生二諸法一 又計レ有」一身一 一者法身鉢常周遍、 量同二虚空一能生二万物    二受用身在ー一色天之上一 三変化身随二形六道一 教二化衆生一 復計二彼天云ーーニ住処一 一在__   雪山{在ーー南海未剌耶山    昔摩喝国有二兄弟二人一 事ーー自在天一 同往二雪山一 求臼見二彼天一 至凡山忽見こ  婆羅門一云、大自在天是汝国釈迦牟尼仏、 何不ーー礼事一 兄弟報云、 我先承習、 但事二天神一時、 婆羅門変為ーー天形一 面上三目、 復現二四臀或現二八腎告兄 弟白、 汝可涵竺国、 菩提樹東造二釈迦降魔之像一 菩提樹後穿二  池    済渇乏者一 彼宗因>此計己一住処{  以為二不謬一 喩伽第七云、 彼作一是思一 世間諸物必応ーーー別有二作者生者及変化者    為 彼物父    謂自在天、 或復其余如二論広破顕揚第十亦同二此説十二門論亦広破>之。

(塗灰外道ならびにもろもろの婆羅門はともに、 自在天はこれ万物の因なりと計す。  ゆえに「唯識」の第一にいわく、 あるは執す、  一大自在天あり、 体は実・遍・常にしてよく諸法を生ず。 いわく、 彼はこの天にその四徳ありと計す。  一は体実、  二は遍、 三は常、  四はよく諸法を生ず。 また三身ありと計す、 ーは法身、 体は常にして周遍し、 量は虚空に同じ、 よく万物を生ず。  二は受用身、 色天の上にあり。 三は変化身、 形は六道に随い、 衆生を教化す。 また、  かの天に二住処ありと計す。  一は雪山にあり、  二は南海の末剌耶山にあり。 昔、 摩喝国に兄弟二人あり、 自在天につかえ、 同じく雪山にゆきてかの天に見ゆることを求む。 山に至りてたちまちに一婆羅門を見るにいう、 大自在天はこれ汝が国の釈迦牟尼仏なり、 なんぞ礼事せざるや、と。 兄弟こたえていう、 われ先に承習するは、 ただ天神につかうるとき、 婆羅門変じて天形となり、 面上に三目、 また四臀を現じ、 あるいは八腎を現ぜん、 と。 兄弟に告げていわく、 汝、 国にかえり、 菩提樹の東に釈迦降魔の像を造り、 菩提樹の後ろに一池をうがち渇乏者を済うべし、 と。 かの宗、  これにより二住処を計し、 もって不謬となす。「喩伽」の第七にいう、 彼この思いを作す、 世間の諸物はまさに別に作者、 生者、および変化者ありて、  かの物の父たるべし、 いわく自在天なり、 と。 あるいはまた、 その余は論に広く破するがごとし。「顕揚」第十、 またこの説に同じ、「十二門論

また広くこれを破す。〔続蔵経、 末につくる〕)

「涅槃三徳指帰」巻四の四八)には、  塗灰外道亦計ーー大自在天具コ足三徳(塗灰外道は、 また大自在天は三徳を具足すと計す)と説き、「榜厳眼髄」(巻二の五一)には、 塗灰外道執ーー大自在天能生二世間(塗灰外道は、 大自在天はよく世間を生ずと執す)と説けり。 もし「西域記巻    一の二によらば、 印度地方に塗灰外道の

さかんなる状態を記して、 天祠十所多是塗灰外道之所二居止一 城中有ーー大自在天祠一 祠宇彫飾、 天像霊翌、 塗灰外道遊二舎其中

(天祠は十力所あり。 多くはこれ塗灰外道の居りとどまる所なり。 城の中に大自在天の祠あり。 祠字は彫飾せられ、 天像は霊翌あり。  塗灰外道はその中に遊〔止し宿〕舎す)と、 また塗灰外道其徒極  衆、 城中__有大自在天祠{  荘厳壮麗、 外道之所>事(塗灰外道はそのともがら極めておおし。 城の中に大自在天の祠あり。 荘厳は壮麗にして外道のつかえる所なり)とあるは、  みなこの自在天外道のことならん。 しかしてこれを塗灰と名づくるは、 灰をもってその体に塗るによる。  そのことは慈恩伝巻四の一八)に出ず。 曰く、 以>灰塗社神用為レ修>道、 遍身交白、 猶二寝函鼈之猫狸

(灰をもって体に塗り、 もって道を修すとなす。 遍身文白にして、 なお鼈に寝ぬるの猫狸のごとし大正蔵、 文につくる〕)と。 また「渉典続紹暗冊の五二)に塗灰を解して曰く事_出一子涅槃梵行品盆堀魔羅経一 名義集云梵播輸羅多此云二塗灰    又云二塗灰ー  通身裸形塗二灰於身一而苦行(事、「涅槃」「梵行品」、『器堀魔羅経』に出ず。『名義集』にいわく、 梵に播輸羅多、  ここに塗灰という。  また途灰という。  通身裸形にして灰を身に塗り、 しかして苦行す〔 正法眼蔵紹典続紹、 途につくる〕)とあり。  これ実に苦行外道なり。 なお、 その外道に上中下三品の苦行あることは、 本節に引用せる「中論疏」の文を見るべし。  この自在天外道の説を『住心品疏』(巻四の七二)には、『十二門論』によりて駁すること左のごとし。

如二十二門中難云一 若衆生是自在子者、 唯応ーー以>楽遮品古、 不丘少与>苦、 亦応下但供二養自在    則滅>苦得占楽、而実不レ爾、 但自行二苦楽因縁一 而自受レ報、 非二自在天作    又若自在作二衆生一者、 誰復作二此自在一 若自在自作、 則不>然如=一物不二自作{  若更有ーー作者    則不>名二自在一 如二彼論広説一也。

(「十二門〔論〕  の中に難じていうがごとし。 もし衆生がこれ自在〔天〕の子ならば、 ただまさに楽を〔与えて〕もって苦を遮すべし、 苦を与うべからず。 また、 まさにただ自在〔天〕を供養せば、  すなわち苦を滅し楽を得べし。 しかも実にはしからず。 ただ自ら苦楽の因縁を行じて、 しかも自ら報を受く、〔ゆえに世間も出世間も〕自在天の作にはあらず。  また、 もし自在〔天が〕衆生を作すといわば、 だれかまたこの自在〔天〕を〔作る〕ものぞや。 もし自在〔天が〕自らを作すといわば、  すなわちしからず、 物は自らの作にあらざるがごとし。もしさらに〔他に〕作者ありといわば、  すなわち自在〔天〕と名づけずと。  かの論に広く説くがごとし。)

これ「十二門論」「観作者門」(巻一自在所生、 以レ不>識二楽因一故与二其苦の二六、「十二門論疏」巻下末の九)の、 問曰衆生従ー自在一生、 苦楽亦答曰若衆生是自在子者云云(問うて曰く、 衆生は自在〔天〕より生じ、 苦楽また自在より生ずるところ、 楽の因を識らざるをもっての故に、 その苦を与う。 答えて曰く、 もし衆生これ自在〔天〕の子ならば、 云々)の文にもとづく。 もしこれを「百論疏」(巻上下の三四)に考うるに、 涅槃云自在天眼  衆生苦悩、 自在天喜  衆生安楽、 智度論引ーー自在章紐鳩摩羅_伽  云、 愛レ之令二所願皆得一 悪レ之令二七世皆_滅

(「涅槃にいわく、 自在天いかれば衆生苦悩す、 自在天喜べば衆生安楽なりと。「智度論

に自在と葦紐と鳩摩羅伽とを引いていわく、  これを愛すれば所願をしてみな得せしむ、  これをにくめば七世をしてみな滅せしむ)とありて、 人間の苦楽禍福みな、 自在天の意に出でざるはなしという。 果たしてしからば、 仏教よりかくのごとく駁せざるべからず。  この論理は、 今日の仏教家が耶蘇教家に対して述ぶるものに異ならず。  これ、 ともに因果の道理によりて有神論を難破するによる。 また「中論疏」(巻一末の一に、 自在天の計は邪因無因なることを説きて曰く、 万物従二自在天一生、 是邪因、 而自在天不一ー従>他生一 是無因義(万物は自在天より生ずという、  これ邪因なり。 しかも自在天は他より生ぜず、  これ無因の義なり)とあり。  ゆえに「三論玄義」(首書の五)には、自在天計を邪因邪果の妄執に属せり。「演密紗」(巻六の二三)に、 自在天常而是一切万物父母、 能生二諸法一 能作能造、 安  立世間{  於レ是如来以ー一種種道理畔野難於彼

(自在天は常にして、  これ一切万物の父母なり。 よく諸法を生じ、 よく作りよく造り、 世間を安立す。  ここにおいて、 如来は種々の道理をもって彼を詰難す)とありて、 仏教は種々の道理をもって、 その妄計を論破せしは明らかなり。  これより、 自在天外道の立つるところの原

理を考うるに、「百論疏」(巻上中の二九)に摩陸首羅天説二十六諦義  (摩酸首羅天は十六諦の義を説く)と題して、 十六種の原理を示せり。  すなわち左のごとし。

今「百論疏」によりて解釈するに、 第一の量諦には現知・比知・不能知・誓喩知の四種ありという。 現知とは、目に色を見、 耳に声を聞くがごとし。 比知とは、  一分を見て他を比知することにて、 例えば煙を見て火ありと知るの類なり。 不能知とは、 聖人の語を信ずるなり。 吾喩知とは、 日の去るを見る等のごとし。  つぎに所量とは、身有我ないし解脱のごとし。 疑とは、 杭の人に似たるを見る等のごとし。 用とは、  この物によりて事を成すがごとし。 誓喩とは、 牛を見て水牛ありと知るがごとし。 悉檀とは、 自対の義は他の義に異なるによる。  例えば小乗にありては根はこれ実法というも、 大乗にては仮名というがごとし。 語言分別とは、 自他の義を分別するなり。思択とは、 道理かくのごとしと思択するなり。 決とは、 義理決定すべきなり。 論議とは、 語言によりて真実の道理をあらわすなり。 修諸義とは、 真実の義を立つるなり。 壊義とは、 難を立てて他の立義を難ずるによる。 証とは、  これに不定・相違・相生疑・末成・即時の五種あり。 難難とは、 山林に白象ありと聞きて、 草頭にもまた白象あるべしと難ずるなり。 評論とは、 これに二十四種あり。 堕負とは、 堕負論に説くがごとし。  その解釈は、 よろしく『百論疏」につきて見るべし。 しかして『同疏』に、 此十六諦異二勒沙婆十六諦一也(この十六諦は勒沙婆の十六諦に異なるなり)とあり。 勒沙婆の十六諦は、 後に尼健子外道を論ずるときに述ぶべし。 そのほか仏書中に、 特に自在天外道につきて論述せるものを見ず。




第八_    節     自在天所属外道

自在天外道のほかに、  これに類似し、 あるいはこれに付属せる外道諸計あり。 まず「大日経」三十種の流出および時の二者は、 自在天の部類なることは前すでに説示せり。 また第十三の遍厳も、  この一種なるもののごとし。 左に、『住心品疏』(『住心品疏冠註』巻五の六)の解釈を掲ぐ。

経云 遍 厳  者、 謂計下此神我能造 諸法然世間尊勝遍厳之事、 是我所為与 自在天計ー小異

(経に遍厳というは、 いわくこの神我は、 よく諸法を造る。 しかも世間に〔おいて〕尊勝遍厳なることは、  これ〔神〕我の所為なりと計す。 自在天の計と小しく異あり。

遍厳と自在天との小異あることにつきて、「果宝紗」(巻二本一の    二)そのほかの註解によるに、 自在天外道は衆生の苦楽みな、 ともに自在天の所作なりとし、 遍厳はただその遍厳、 尊勝、 安楽のことのみ自在天の所作にして、 ほかはその所作にあらずとなす。  これ両者の異同なりという。 換言すれば、 自在天外道は、 苦楽・禍福ともに自在天の与うるものとし、 遍厳外道は、 福楽は自在天の与うるところなるも、 禍苦はしからずとなすの小異あり。 しかれども、 後者は前者の類属なること明らかなり。 『同疏」にこれを説破して曰く、

如下論中破一自在一云い自在天何故不下尽作二楽人一尽作中苦人い而有二苦者楽者{  当>知従二愛憎一生、 故不ーー自在

(論の中に自在〔天〕を破していうがごとし。 自在天はなにが故にか、  ことごとく楽人を作り、  ことごとく苦人を作らずして、 しかも苦者と楽者とあるや。 まさに知るべし、〔楽人と苦人ある、〕〔自在天の〕愛憎より生ず。  ゆえに〔この天は〕自在にあらずと。)

そのいわゆる論中とは「十二門論」をいう。  すなわち「十二門論」(二七)に曰く、 復次若自在作  者    何故不下必尽作ーー楽人一尽作中苦人上云云(またつぎに、 もし自在の作ならば、 なに故に必ずしもことごとく楽人を作り、ことごとく苦人を作るにあらざるや、 云々)とあるものこれなり。  また第二十五の摩奴闇(人あるいは人生あるいは意生)も、「住心品疏の「釈義」(「住心品疏略解巻五の二四、「住心品疏冠註」巻五の一四)によれば、

自在天外道の部類なりという。 その釈、 左のごとし。

経云若摩奴閣者智度翻為>人、 即是人執也、 具訳当乙言入 生一 此是自在天外道部類、 計二人即従>人生一 故以為>名、 唐三蔵云二意生ー非也、 末那是意、 今云二末奴一 声転義別誤耳  ゜

(経にもしは摩奴闇というは、「智度」には翻じて人とす、 すなわちこれ人執なり。  つぶさに訳せば、 まさに人生というべし。  これはこれ自在天外道の部類なり。 人はすなわち人より生ずと計するが故に、 もって名とす。 唐の三蔵の意生というは、 非なり。 末那はこれ意なり、 今は末奴という、 声転じて義別なりというは、 誤りなり。)

この末文に、 摩奴閣の訳語は人すなわち人生にして、 意生にあらざることを弁ぜり。 しかるに新訳の方にては、  これを意生と訳す。  すなわち『喩伽論」(巻八三の一六)に、 言二意生一者、 謂此是意種類性故云云(意生としっろし、 いわくこれはこれ、 意の種類の性なるが故なり、 云々)とあり。「唯識枢要」(巻上本四の七)にも、 意生とはこれ意の種類なり、 よく思董する勝れたる作用あるが故に云々の釈義を掲げり。「大婆沙論」(巻一七二の二)にも、 よく意を用いて、 所作事を思惟観察するをもって末奴沙と名づくる意を示せり。  これ、 新訳家が意生の訳語を用うるゆえんなること、「住心品疏冠註」(巻五の一八)に見えたり。 けだし、  この外道は有神を唱えずして、 単に人執を立つるものなれば、 これを有神論に加うるより、 むしろ主観論に属するを適当なりとす。 しかるに「同疏」に、 これはこれ自在天外道の部類なりと説き、「果宝紗巻二本一の二七)にさらにこれを解釈して、 是又自在天外道余流也、 我鉢是人身能生二  切人一 諸罪福果報草木国土皆従二此人一生  計>之也(これまた自在天外道の余流なり。 我の体はこれ人身にして、 よく一切の人を生ず。 もろもろの罪福の果報、 草木国土はみなこの人より生ず、 とこれを計するなり)と説きて、 有神論を人身の上に移したるものなれば、 自在天外道の一変したるものなるべし。  ゆえに自在天の部属となすも、 あえて不可なかるべし。

また「外道小乗涅槃論」の第九女人脊属外道も、 自在天の一種ならんか。 その論にいわく、

問曰何等外道説、 自性人命転変名二涅槃一 答曰第九外道女人脊属論師説、 摩陸首羅作二八女人    一名ーー阿提傲一二名提  偲    三名 蘇 羅婆四名ーー毘那多五名ーー迦毘羅一 六名二摩雀{  七名ーー伊羅{  八名ーー歌頭一 阿提傲生二諸天一 提傲生ーー阿修羅一 蘇羅婆生二諸竜{  毘那多生二諸鳥一 迦毘羅生二四足一 摩雀生>人、 伊羅生切穀子一 歌頭生切舵謁蚊品蠅蚤紬挺百足等    如五是知者名為 涅 槃一 是故女人脊属論師説、 女人是常名涅槃因

(問うて曰く、 なんらの外道、 自性人命の転変を涅槃と名づくと説くや。 答えて曰く、 第九の外道女人脊属論師の説かく、 摩薩首羅八女人を作る、  一を阿提傲と名づけ、  二を提傲と名づけ、 三を蘇羅婆と名づけ、   を毘那多と名づけ、 五を迦毘羅と名づけ、 六を摩雀と名づけ、  七を伊羅と名づけ、 八を歌頭と名づく。 阿提傲は諸天を生じ、 提傲は阿修羅を生じ、 蘇羅婆は諸竜を生じ、 毘那多は諸鳥を生じ、 迦毘羅は四足を生じ、摩雀は人を生じ、 伊羅は一切の穀子を生じ、 歌頭は一切の蛇蝠・蚊虻.蠅蚤.紬挺・百足等を生ず。 かくのごとく知らば、 名づけて涅槃となすと。  この故に女人脊属論師は、 女人はこれ常にして涅槃の因と名づくと説く。)

これ、 自在天をもって世界創造の本体となす説なり。  また、「同論」の第五伊除那外道も自在天の部類ならんか。 その論にいわく、

問曰何等外道説、 不白見二分別一 見一常無常  是涅槃、 答曰第五外道伊除那論師脊属作ー一如レ是説{  伊除那論師尊者形相不>可>見遍二  切処{  以>無ーー形相如>是説一 伊除那是常、 名ーー涅槃因而能生二諸有命無命一切万物一 名為二涅槃是故伊除那論師脊属作二


(問うて曰く、 なんらの外道、 分別の見たる常無常を見ず、  これ涅槃なりと説くや。 答えて曰く、 第五の外道伊除那論師の脊属、  かくのごとくの説をなす、 伊除那論師尊者の形相遍一切処に見るべからず、 形相なきをもって、 しかもよくもろもろの有命無命の一切の万物を生ずるを、 名づけて涅槃となすと。  この故に伊除那論師の脊属、 かくのごとくの説をなす、 伊除那はこれ常にして涅槃の因と名づくと。)

これ、 あるいは「大日経」の尊貴外道に類同する点あれば、 那羅延天の部属に帰する方、  かえって妥当なるがごとしといえども、 余は、 伊除那は前節に挙ぐるところの伊舎那と同一なりと考うるをもって、 自在天の一類となすなり。 もし『智度論」(巻五六の三)によらば、 諸天是欲界天、 諸梵是色界天、 伊除那是大自在天、  王井其

脊属(諸天はこれ欲界の天、 諸の梵はこれ色界の天、 伊除那はこれ大自在天王ならびにその脊属なり)とあり、

もってその自在天の部類なるを知るべし。

これを要するに、 自在天外道の説くところ、 もとより一神創造説にほかならずといえども、  一神教にして汎神の意を含み、 創造論にして開発の理を具するものなり。 例えば摩醸首羅の体につきて、 虚空はこれ頭、 地はこれ身、 水はこれ尿、 山はこれ糞というがごときを見て、 そのゆえんを知るべし。 しかして、 毘陀論師の説くところも一神教にして、 汎神の理を含有せり。 例えば尊貴すなわち那羅延天は、  一切の地水火風空処に遍在せりというがごとき、 汎神論なること明らかなり。  ゆえに、 毘陀論師外道の計と自在天論師外道の計とは大同小異に過ぎずして、 判然その間に分界を示すこと難し。 しかるに、 経論中多くこの二者を別掲せるをもって、 余も二種の外道に類別せるのみ。


第八二節    安荼論師計

つぎに安荼論師の所計を考うるに、  一名これを本際計、 あるいは本生計と称す。「外道小乗涅槃論」には、 最後の第二十にこの外道を掲ぐ。 その論に曰く、

問曰何等外道説、 見ーー有無物一是涅槃因、 答曰第二十外道本生安荼論師説、 本無ー一日月星辰虚空及地一 唯有二大水一時大安荼生、 如 雛 子一周匝金色、 時熟破為 』一段一 一段在>上作』天、  一段在全下作>地、 彼二中間生二梵天名ー一切衆生祖公    作二  切有命無命物一 如>是有命無命等物散没一彼処一 名二涅槃一 是外道安荼論師説、 大安荼出ー一生梵天    是常名二涅槃因

(問うて曰く、 なんらの外道、 有無の物を見て、 これ涅槃の因なりと説くや。 答えて曰く、 第二十の外道本生安荼論師の説かく、 もと日月星辰虚空および地なく、 ただ大水のみあり。 時に大安荼生ず、 雛子の周匝金色なるがごとし、 時により熟し破れて二段となり、  一段は上にありて天と作り、  一段は下にありて地と作る、 かの二の中間に梵天を生ず、  一切衆生の祖公と名づけ、  一切の有命無命の物を作る。  かくのごとくの有命無命等の物、 かしこに散没するを涅槃と名づくと。  この故に外道安荼論師は、 大安荼は梵天を出生し、  これ常にして涅槃の因と名づくと説く。〔 大正蔵により故を補う〕)

その計は、「唯識論」巻一の一四)十三計の中にも出ず。 これを「述記巻一末の七四)に解説して曰く、

本際者即過去之初首、 此時一切有情従ー一此本際一法一而生、 此際是実是常、 能生二諸法頭衆生  与>此同也。人云諸部有  計    時

(本際というのは、 すなわち過去の初首なり。  このときの一切の有情は、  この本際の一の法よりして生ず。この際は、  これ実なり、  これ常なり、 よく諸法を生ずという。 古人のいわく、 諸部はあるが計すらく、 時と頭と衆生とはこれと同じなり。

これ、 世界万物は本際より生ずといえる論なり。 本際とは過去の原始をいう。  その原始にありては、 いまだ日月星辰国土草木あらずして、 ただ大水のみあり。  そのとき大安荼ありて、  その形鶏卵のごときものを生じ、  これより天地分化すと説くを本際計と名づく。  ゆえに『華厳玄談」には左のごとく解説せり。

第五計安荼論師計二本際一也、 言ー一本際一者即過去之初首、 謂計下世間最初唯有  大水一時、 有二大安荼一出生、 形如 雛 卵  金色、 後為 両 段  云云

(第五の計、 安荼論師は本際を計するなり。 本際というはすなわち過去の初首なり。  いわく、 世間の最初にただ大水ある時、 大安荼ありて出生す、 形は鶏卵のごとく金色なり、 後に両段となす、 云々と計す。)

これ、 印度の開闊説を大卵化成説と唱うるゆえんなり。 また「華厳玄談    には、 其安荼計亦似二此方有祖酎天地之初形如二維子    渾沌末>分、 即従>此生中天地万物上(その安荼の計は、 またこの方に、 天地のはじめ、 形は鶏子のごとく、 渾沌としていまだ分かたず、  すなわちこれより天地万物を生ずと計することあるに似たり)とありて、 支那およびわが国の開闊談に同じ。  すなわち、「淮南子」(巻三の一)に支那の開闘談を掲げて曰く、

道始手  虚鰐    虚郷生一一宇宙一 宇宙生>気、 気有二漢壊一 清陽者薄靡而為>天、 重濁者凝滞而為レ地、 清妙之合専    易、 重濁之凝 喝難、 故天先  成而地後  定。

(道、 虚郷に始まり、 虚箭、 宇宙を生じ、 宇宙、 気を生ず。 気に涯埃あり。 清陽なるものは、 薄靡して天となり、 重濁なるものは、 凝滞して地となる。 清妙の合専するはやすく、 重濁の凝喝するは難し。  ゆえに天まず成りて、 地のちに定まる。〔 新釈漢文大系、涯につくる〕)

また「日本書紀」(巻一の一)に日本開闘を示して曰く、

古天地未レ剖、 陰陽不>分、 渾沌如ーー鶏子    漠滓而含牙、 及下其清陽者薄靡而為元天、 重濁者滝滞而為占地、 精妙之合拇易、 重濁之凝場難、 故天先'成而地後'定。

(  古  に天地いまだ剖れず、 陰陽分かれざりしとき、 渾沌れたること鶏子のごとくして、  漠滓にして 牙 を含めり。 それ清  陽  なるものは、 薄靡きて天となり、  重 濁れるものは、  滝滞いて地となるに及びて、精妙なるが合えるは 博 りやすく、  重 濁れるが凝りたるは  喝  り難し。 故、 天まず成りて地のちに定まる。〔 岩波文庫、 喝につくる〕)

また「元元集」(巻一の初)によるに、

昔者渾沌未>分、 唯有二元気{  有>気便通、 所ー以為二  陰一陽一也、 聟ーー子清陽者上昇、 重濁者下降天先成地後定一 両儀之称由レ此而起。

(昔は渾沌として、  いまだ分かれず。 ただ元気あり、 気あればすなわち通ず。  一陰一陽となすゆえんなり。清み陽らかなるものは上に昇り、 重く濁れるものは下に降るにおよんで、 天まず成りて、 地のちに定まる。両儀の称、 これによりて起こる。)

この諸説は、 安荼計と符節を合するがごとし。  これを偶然の符号とするも、 けだし信ずる人少なからん。  またその説は、 原始水体論と称して可なり。 なんとなれば、 天地のいまだ開けざるに当たり、 太初に大水あることを唱うればなり。 もし、  これを宇宙水体論となすときは、  さきに第五八節に述ぶる服水外道の所計と一致し、 希臓哲学のター  レス氏と同説に帰すべし。 ただその異なるは、 大卵化成を唱うるにあり。「観仏三昧経にも成卵説を掲ぐるも、 その開発の順序、 ややこれに異なるところあり。

巻一の五

復次大王如二劫初時一 火起 一劫、 雨起 一劫、 風起    一劫、 地起一劫、 地劫成時光音諸天飛ー一行世間    在水燥浴、 以ーー渫浴一故四大精気即_入一身中一 身触>楽故精流ーー水中一 八風吹去堕二泥泥中一 自然成伽卵、 経二八千歳一 其卵乃開生、 女人其形青黒猶如二粉泥一 有二九百九十九頭一 頭有二千眼九百九十九ロ一 一口四牙、 牙上出レ火、 状如二露震二十四手、 手中皆捉二  切武器一 其身高大如一須弥山二大海中一拍>水自楽。

(またつぎに大王、 劫初の時のごときは、 火起こること一劫、 雨起こること一劫、 風起こること一劫、 地起こること一劫なり。 地劫成ずる時、 光音の諸天世間を飛行し、 水にありて渫浴す。 燥浴するをもっての故に四大の精気すなわち身中に入り、 身楽に触るるが故に精水中に流る。 八風吹き去り泥泥中に堕す。 自然に卵を成じ、 八千歳を経てその卵すなわち開きて一女人を生ず。  その形は青黒なお泥泥のごとし。 九百九十九頭あり、 頭に千眼、 九百九十九口あり、  一口に四牙あり、 牙上に火を出だす、 状露震のごとし、  二十四手あり、 手中にみな一切武器をとらう。 その身高大なること須弥山のごとく、 大海中に入り水をたたきて自ら楽しむ。)

これまた、 第七九節、 毘陀論師計の下に引用せる、「智度論    および「中論疏」の説に似たるところあり。



第八三節    婆羅門諸計

以上の諸計は梵天あるいは自在天を立つる有神論なれば、 婆羅門外道の部類たること明らかなり。 しかるに、その中にいまだ説示せざる一、 二の諸計あれば、 ここに開陳せんと欲す。  まず、「喩伽」「顕揚」に掲ぐる十六異論中、 第八、 害為正法論、 第十、 不死矯乱論、 第十四、 妄計最勝論、 第十五、 妄計清浄論、 第十六、 妄計吉祥論は、  みな婆羅門の所計なり。 その説明は、  さきに第四八節に「義林章」によりて略示せるも、 さらに左に「喩伽論」(巻七の四、  七の六、  七の一、  七の一三、  七の一五)を引きてこれを解釈すべし。

害為正法論者、 謂如缶 ニ一若  沙門、 若  婆羅門一 起二如>是見一 立二如>是論一 若於ーー彼祠中一 呪術為レ先、 害ニ諸生命若  能祀者、  若  所害者、  若  諸助伴、 彼一切皆得五  和天。

(害為正法論とは、 いわく、 あるひとりのもしくは沙門、 もしくは婆羅門のごとき、  かくのごときの見を起こし、 かくのごときの論を立つ、 もし、  かの祠の中において、 呪術をさきとしてもろもろの生命を害するに、 もしくはよくまつる者、 もしくは所害の者、 もしくはもろもろの助伴、  かの一切みな天に生ずることを得と。)

不死矯乱論者、 謂四種不死矯乱外道如二経広説一 応品知彼諸外道若有  人来依二最勝生道面型善不善一 依ーー決定勝道一 問若集滅道便自称言、 不死乱者随二於処所一 依一不死浄天一 不二乱詰問即於二彼所問一 以>言矯乱、或託 余 事一 方便避>之。

(不死矯乱論とは、 いわく、  四種の不死矯乱外道なり。  経に広く説くがごとくまさに知るべし、 かのもろもろの外道、 もし人来たりて最勝生道によって善不善を問い、 決定勝道によって苦集滅道を問うあらんに、  すなわち自ら称して、 不死〔不〕乱の者といい、 処所に随い、 不死浄天不乱の詰問によりて、 すなわちかの所問において言をもって矯乱し、 あるいは余事に託し方便してこれを避く。〔 大正蔵、 苦につくる〕)

妄計最勝論者、 謂如>有二  若沙門、  若婆羅門一__起  如>是見一 立二如>是論一 婆羅門是最勝種類、 刹帝利等是下劣種類、 婆羅門是白浄色類、 余種是黒稿色類、 婆羅門種可>得二清浄韮介二余種類一 諸婆羅門是梵王子、 口腹所>生、 従>梵所>出、 梵所ーー変化    梵王鉢胤、 謂闘諄劫諸婆羅門作二如>是計

(妄計最勝論とは、 いわく、 あるひとりのもしくは沙門、 もしくは婆羅門のごとき、  かくのごときの見を起こし、  かくのごときの論を立つ。 婆羅門はこれ最勝の種類にして、 刹帝利等はこれ下劣の種類なり、 婆羅門はこれ白浄色の類にして、 余種はこれ黒稿色の類なり、 婆羅門種は清浄を得べく、 余の種類にはあらず、 もろもろの婆羅門はこれ梵王の子にして、 大梵王の口腹より生ずるところ、 梵より出ずるところ、 梵の変化するところ、 梵王の体胤なりと。  いわく、 闘評劫のもろもろの婆羅門、 かくのごときの計をなす。〔により大梵王を補う〕)

大正蔵妄計清浄論者、 謂如>有二  若沙門、 若婆羅門{  起二如レ是見一 立二如レ是論若我解脱    心得二自在一 観得ー自在一 謂於二諸天微妙五欲堅著摂受、 嬉戯娯楽、 随>意受用、 是則名>得二現法涅槃第一清浄又有二外道一起二如レ是見立ーー如レ是論一 若有>離二欲悪不善法一 於ーー初静慮一 得二具足住一 乃至得ー一具足住二第四静慮是亦名謂二現法涅槃第一清浄一 又有二外道一起ーー如是見一 立加グ是論若有二衆生於二孫陀利迦河  沐コ浴    支鉢所有諸悪皆悉除滅、 如下於ーー孫陀利迦河砧炉 是、 於二婆湖陀河、 伽耶河、 薩伐底河、 残伽河等中一 沐忌支鉢一応レ知亦爾、 第一清浄復有二外道計下持二狗戒ー以為中清浄い或持二牛戒{  或持ーー油墨戒或持二露形戒{  或持二灰戒一 或持二自苦戒一 或持ーー糞稼戒ー等計  為清浄一 謂説ーー現法涅槃一 外道及説ーー水等清浄一 外道作二如>是計

(妄計清浄論とは、 いわく、 あるひとりのもしくは沙門、 もしくは婆羅門のごとき、 かくのごときの見を起こし、 かくのごときの論を立つ、 もし我解脱すれば心に自在を得、 観に自在を得。 いわく、 諸天微妙の五欲において堅著して摂受し、 嬉戯娯楽し、 意に随って受用す、 これをすなわち現法涅槃第一清浄を得たりと名づくと。 また外道ありて、  かくのごときの見を起こし、  かくのごときの論を立つ、 もし欲悪不善の法を離れて初静慮において具足して住することを得、 ないし具足して第四静慮に住することを得。  これまた名づけて現法涅槃第一清浄という。 また外道ありて、 かくのごときの見を起こし、  かくのごときの論を立つ、 もし衆生ありて、 孫陀利迦河において支体を沐浴すれば、 所有の諸悪みなことごとく除滅す、 孫陀利迦河において

かくのごとくなるがごとく、 婆湖陀河、 伽耶河、 薩伐底河、 残伽河等の中において支体を沐浴するも、 まさに知るべし、 またしかり第一の清浄なりと。 また外道あり、 狗戒を持するをもって清浄となすと計し、 あるいは牛戒を持し、 あるいは油墨戒を持し、 あるいは露形戒を持し、 あるいは灰戒を持し、 あるいは自苦戒を持し、 あるいは糞檄戒を持する等を計して清浄となす。 いわく、 現法涅槃を説く外道、  および水等清浄を説く外道、  かくのごときの計をなす。)

妄計吉祥論者、 謂如レ有二  若沙門、 若婆羅門一 起二如>是見立ー加グ是論若世間日月薄蝕、 星宿失レ度、 所レ欲>為事皆不ーー成就一 若彼随順所欲皆成__為  此義一 故精勤供二養日月星等一 祠>火誦究安二置茅草{  満>甕頻螺果及餡怯等、 謂 暦 算  者、 作 如 レ是計

(妄計吉祥論とは、 いわく、 あるひとりのもしくは沙門、 もしくは婆羅門のごとき、  かくのごときの見を起こし、  かくのごときの論を立つ、 もし世間の日月薄蝕し星宿度を失すれば、 なさんと欲するところのことみな成就せず、 もし彼従順なれば所欲みな成ず、  この義のための故に、 精勤して日月星等を供養し、 火をまつり、 呪を誦し、 茅草を安置し、 甕に頻螺果および飴怯等満つ、 暦算をいう者かくのごときの計をなす。)

「顕揚論」(巻一〇、『義林章    巻一本の一七以下、『十住心論冠註」巻三の一五以下)に出ずるところ、 またこれに同じ。 今、 さらにその意を和解するに、 害為正法論とは、 婆羅門肉食せんと欲してみだりに論を立てて、 もし祠中において諸生命を害して、 よくまつるときは、 所害の者もしくは助伴者は、  みな天に生ずることを得と唱うるをいう。 不死矯乱論とは、 もし人あり、 来たりて世・出世の道を問うことあれば、 彼答えて曰く、 われは不死浄天につかうるに、 浄天はその法を人に秘して知らしめず等と称して、 言を他事に託して分明に答えざるをいう。 妄計最勝論とは、 前に第八節に述ぶるがごとく、 婆羅門は梵王の子にして、 その腹口より生ずるものなれば、  これ四姓中最勝の種族なりと唱うるをいう。 けだし印度の外道は、 多く婆羅門種族中より出でたるもののごとし。「止観輔行」(「止観科本」巻一の一六、「止観会本」巻一の一の一六)に、 諸外道姓雖一多種ー多在二婆

羅門中ー  通計二婆羅門姓姓中最勝  (もろもろの外道は姓多種なりといえども、 多く婆羅門中にあり。  通じて婆羅門姓は、 姓中の最勝なりと計す)とあり。  つぎに妄計清浄論とは、 残伽河等において支体を沐浴するときは、 あらゆる罪悪ことごとく除滅して清浄を得、 あるいは諸天の五欲は真の涅槃なりと計するものをいう。「大日経疏」

「大日経疏遍明抄」巻九の二四)に、 清浄者即外道所計、 最極清浄処以為二涅槃一也(清浄とはすなわち外道の所計なり。 最極清浄の処をもって涅槃となすなり)とあるもこの計をいうか。  つぎに妄計吉祥論とは、 日月星宿の変を見て、 事の成否を判じ、  つとめて天体を供養するがごときをいう。 これみな婆羅門の妄計なれば、「琺伽論」および「顕揚論」にこれを論破せり。  およそ仏書中に、 婆羅門計を奉ずるものを梵志と名づく。 梵志とは、 経論の解釈一準ならず、「婆沙論」(巻七七の一六)に出家梵志総有二三種婆羅門諦一云云(出家梵志に総じて三種の婆羅門の諦あり、 云々)とありて、「涅槃経疏」「涅槃単疏」巻一五の九、「涅槃会疏」

巻三五の二二)には梵志即是出家外道(梵志はすなわちこれ出家の外道なり)と解し、「法華要解 巻五の三)にも梵志即出家外道、 尼健在家外道(梵志はすなわち出家の外道なり。 尼健は在家の外道なり)と釈せり。「智度論」(巻五六の一九)にも、 梵志名二  切出家外道一 若有下承二用其法辛衷  亦名二梵志  (梵志とは、  一切出家の外道に名づく。 もしその法を承用することある者も、 また梵志と名づく)の語あり。 しかるに、  ひとり「文句記」(巻九の

二、「文句科本    巻八の二の五四)には、 在レ家事>梵為二梵志一 出家外道通名己ほ碑 (家にありて梵につかうるを梵志となす、

出家の外道を通じて尼健と名づく)とあり。 すなわち一梵志を解するに、 在家・出家の相違あり。「文句私記」

(巻八末の二九、「啓運紗」巻三六の一八)に、 梵志と婆羅門とは異体なりや同体なりやの弁明ありて、「倶舎光記」の婆羅門此云二梵志  (婆羅門はここに梵志という)との解を引きて、 この二者は梵漢その称を異にするのみとなせり。 また同書に、 梵志は必ずしも出家婆羅門をいうにあらざることを弁明せり。 よろしく本書につきて見るべし。 もしまた『演密紗』(巻二の四〇、『維摩経日講左券」巻三の一によらば、 梵志者梵者浄也、 謂以ニ浄行一為レ志、 名為二梵志  (梵志とは、 梵とは浄なり、 いわく、 浄行をもって志となす、 名づけて梵志となす)と解し、「輔正記」には、 事二於梵天一志在二梵天一故云也(梵天につかえて志梵天にあるが故にいうなり)と解せり。

そのほか「経律異相 巻四に梵志部と名づくる一編ありて、 広く梵志に関する諸例を引証せり。  これまた本書につきて見るべし。 あるいは世論婆羅門と名づくるものあり。  これ「榜伽経」(巻三の三一、「榜伽経註解」巻三の五中に見るところの称なり。 そのほか経論中に、 長爪・有軍・五頂・鉄腹等の名称を見る。 なかんずく長爪梵志は、 最も多くこれを見る。  すでに蔵経中に『長爪梵志請問経』と名づくる一巻あり。「雑阿含経』(巻三四の三一)、『大毘婆沙論』(巻二七の八)、『智度論』等に、  みな長爪外道、 あるいは長爪梵志のことを掲げり。しかしてその由来は、『智度論』(巻一の一四)につまびらかなり。  すなわちいわく、

如 舎利弗本末経中説一 舎利弗舅摩詞倶稀羅与 姉舎 利ー論議不>如、 倶稀羅思惟念言非二姉カ一也、 必懐二智人寄=言母口未>生乃爾及二生長大ー当記在之何思惟是已生二橋慢心為ーー広論議一故出家作二梵志{  入二南天竺国一始読 経 書一 諸人問言、 汝志何求、 学ーー習何経一 長爪答言、 十八種大経尽欲>読>之諸人語言、  尽一汝寿命 猶不証呼知>一、 何況能尽、 長爪自念、 昔作二橋慢五ジ姉所レ勝、 今此諸人復見二軽辱一__為  是二_事  故、 自作レ誓言、 我不レ剪>爪、 要読二十八種経一尽、 人見ーー爪長一因号為二長爪梵志

(「舎利弗本末経』中に説くがごとし。 舎利弗の舅、 摩詞倶締羅は、 姉の舎利と論議してしかず。 倶稀羅思惟して念言すらく、 姉の力にあらざるなり。 必ず智人を懐き、 言を母の口に寄するなり。  いまだ生ぜざるに、  すなわちしかなり。 生じて長大に及ばば、 まさにいかにしてかこれにしかんと。  これを思惟しおわって、 橋慢の心に生じ、 広く論議せんがための故に、 出家して梵志となり、 南天竺国に入り、 はじめて経書を読む。 諸人問うていわく、 汝の志、 なにを求め、 なにの経をか学習すると。 長爪答えていわく、 十八種の大経、 ことごとくこれを読まんと欲すと。 諸人語っていわく、 汝の寿命を尽くすとも、 なお一をも知るあたわじ いかにいわんや、 よく尽くさんやと。 長爪自ら念ずらく、 昔は橋慢をなして姉のために勝たれ、 今この諸人にまた軽辱せらると。  この二事のための故に、 自ら誓をなしていわく、 われ、 爪をきらずして、  かならず十八種の経を読み尽くさんと。 人、 爪の長きを見て、 よって号して長爪梵志となす)

とあり。「演密紗」(巻三の九)、「性霊集抄 巻六の三)「、   文句随聞記」(巻二の一九)「、   大日経遍明抄」(巻九の二五)、「大蔵却鍮」(巻中の三 、「無量寿経梵響記」(巻上一の三七)等の数書の解釈は、 みなこの「智度論」にもとづく。 もしその所論を考うるに、「法華玄義」(「法華玄義釈縦講述」巻八上の一一、「法華玄義科本」巻八の四二、「法華玄義会本」巻八の上の四四、「助顕唱導文集」巻三の七六)にいわく、 又如ーー長爪云ー一切論可レ破、  一切語可>転、 観二諸法実相子二良久示'>得二  法入>心、 釈論云長爪執一亦有亦無見又云亦計二不可説

(また長爪のいうがごとき、「一切の論は破すべく、  一切の語は転ずべし。 諸法の実相を観ずることやや久しきにおいて、  一法の心に入ることを得じ」と。「釈論」にいわく、「長爪は亦有亦無の見を執す」と。 またいわく、「また不可説の見を計す」)と。 また「止観」(巻一の九、「止観科本」巻一の二九)には、 長爪執一ー亦有亦無一 与二有無者 血サ(長爪は亦有亦無を執して有無の者とあらそう)とあり。  これを四大外道に比するに、 尼健子の所執に異ならず。 五頂外道とは、「性霊集抄 巻六の三)に解していわく、 五頂外道勝論師弟子也、 乃至名五  頂一 意如五 字文珠五処結髪故、 時人呼レ之云二五頂

(五頂外道は勝論師の弟子なり。 ないし五頂と名づくるは意五字文殊のごとく、 五処に結髪する故に時人これを呼んで五頂という。〔 版本、 殊につくる〕)とあり。

これ、 後に勝論外道を論ずるときに述ぶべし。 鉄腹外道とは、「同抄    に解していわく、  鉄錬二其腹一 頭載二火冠一独 歩 王舎一 勝二論議  鼓(鉄にてその腹に録し、 頭に火冠を載せ、 王舎に独歩し、 論義に勝って鼓す)とあり。

有軍外道とは、「択橘易土集』に西条迦を訳して有軍と解せり。 しかるに、『大日経疏拾義紗に「補注」を引きていわく、 先尼亦云二西個迦{  此翻二有軍外道  (先尼また西備迦という、  ここに有軍外道と翻ず)とあり。「渉典続紹 鶏冊の二〇)に「西域記    を引きて解するところ、 またこれに同じ。 論力外道・事火外道のことは、 前すでにこれを弁明せり。  また、 黒氏梵志と名づくるものあり。  すでに蔵経中にその一経を出だせり。 また大慢婆羅門のこと、「西域記巻    一の一三、「撰時抄見聞巻二の一、「録外考文」巻四の三八)に出ず。 自余の梵


志外道は、  みなこれを略す。

以上論述せる種々の有神論は、  これを西洋の六大学派に比するに、 弥曼差・吠檀多の二派に属するは、  さきにすでに弁明せるところなり。 しかしてその諸計中、 いずれが弥曼差派にしていずれが吠檀多派なるかつまびらかならず。 余案ずるに、  さきのいわゆる声論外道は弥曼差にして、 自在天外道等は吠檀多なるべし。 なんとなれば、 弥曼差は毘陀経典の文句言辞をただちに神聖不滅なるものと考え、 声常住論を唱うるに至ればなり。  これに反して吠檀多は、 梵天の実在を信じ、 梵天と世界との関係、 人心と梵天との関係等を論明せるものなればなり。換言すれば、 弥曼差は毘陀の表面の解釈にとどまり、 吠檀多はその裏面の道理を開示しきたりて、  一神教あわせ編 て汎神教を論定するに至ればなり。



第四章 自然論

第八四節自然論の解釈

上来、 章を重ねて論述せるところ、  これを要するに、 地水火風の物質上に世界万物の原理を立てたる論より、ようやく進みて万有以上に位せる造物主を立つる論を見るに至れり。 これよりさらに一歩を進めて、 世界万物の第一原因の存せざるを知り、  ついに自然無因論を生ずるに至れり。 換言すれば、 唯物論は一変して有神論となり、 有神論は再変して無因論となれり。  そもそも無因論とは、  一名これを自然論といい、 万物、 因ありて生ずるにあらず、 自然にして生ずるなりと唱うるものをいう。「義楚六帖」(巻一四の六)に無因自然の解を掲げて曰く、 万行首榜厳経云、 外道前後見ーー八万劫事一 見ー一人生死飛禽黒白、 自然亦非二洗染一 名ーー自然外_道

(「万行首榜厳経」(巻一、「同文句」巻一の四)にいわく、 外道は前後に八万劫の事を見、 人の生死を見る。 飛禽の黒白も自然にして洗染するにあらず。 自然外道と名づく)とありて、 また「住心品疏抄」(「住心品疏冠註」巻五の四、「拾義紗」巻六の二、「果宝紗」巻二本一の八)によるに、 自然外道は因果を撥無する計なりとす。  ゆえに、自然論と無因論とは同一種の外道なるべし。 しかるに「三論玄義」(首書の六) こま、 その二者の異同を示して曰く、

問無因自然  此有ーー何異一 答無因拠二因無{  自然明二乎果有一 約>義不>同、 猶是一執  ゜

(問う、 無因と自然と、  これなんの異かありや。 答う、 無因は因なきにより、 自然は果あるを明かす。 義に約すれば不同なるも、 なおこれ一執なり。)


これを『検幽紗』(巻二の一、「三論玄義講義』六)に解説して、 無因外道は草木の自生自死するがごとく、 人もまたこれに同じと計するものをいい、 自然外道は自然を計して道となすものをいうとあり。  しかして「中論疏 巻一末の九)には、 この自然を解するに、  二家あることを示せり。  すなわち左のごとし。

外道推二求諸法一 因義不レ成故、 謂ーー万法自然而生一 但解二自然一 有二二家一 若如二荘周所論明有之已生、 則不知須正生、 無之未生、 復何能生、 今言元生者自然爾耳、 蓋是不レ知ーニ其所二以然一 謂二之自然一 此明ーー自然有因、自然無因    二者外道謂諸法無因而生、 名為一自然一 故経云刺頭自尖、 飛鳥異レ色、 誰之所作、 自然爾耳、 成実者謂無明元品之惑託レ空而生、 皆無因之類也。

(外道は諸法を推求するに因の義成ぜず、  ゆえに万法は自然にして生ずとおもえり。  ただし自然を解するに二家あり。 もし荘周の所論に明かすがごときは、 有の已生はすなわち生をもちいず、 無の未生はまたなんぞよく生ぜん。 今に生というは、 自然にしかなりというのみ。 けだし、  これそのしかるゆえんを知らず、  これを自然という。  これは自然に因あり、 自然に因なしと明かす。  二には、 外道の、 諸法は無因にしてしかも生ずというを、 名づけて自然となす。  ゆえに経にいわく、「刺頭はおのずからとがり飛鳥は色を異にすること、だれの所作ぞや。 自然にしかるのみ」と。 成実者のいわく、 無明元品の惑は空に託してしかも生ずと。  みな無因の類なり。  日   大正蔵、 莉につくる〕)

支那の老荘の説のごときは、 これを自然外道の一種となす。  その説明は次節に譲る。  しかるに、 仏教中にも法爾自然と称することあれども、「大日経指心紗 巻八の四)に、 外道の自然と内道の自然との別を示して、 外約 遍計分別論ーー自然一 内約 仏 知見  談一法爾  (外は遍計分別に約して自然を論じ、 内は仏知見に約して法爾を談ず)と説き、「拾義紗」(巻六の三)には、 仏家自然不>壊二因縁ー立  之、 外道自然不伝知二因縁一故破也云云(仏家の自然は因縁を壊せずしてこれを立つ。 外道の自然は因縁を知らざるが故に破するなり、 云々)と説けり。  

また「大疏弁義抄」巻三の二七)に、 於ーー仏家  雖>立二自然義一 不レ忘一因縁生一也、 外道不盗心二因縁生妄認二有為事相玉竺自然法    故其旨懸  異也(仏家においては自然義を立つといえども因縁生を忘れざるなり。 外道は因縁生を知らずしてみだりに有為の事相を認め自然法となす故に、 その旨懸かに異なるなり)とあるは、 その意一なり。 けだし、  かくのごとき自然論は、 全く有神論の反断より生じたること明らかにして、 有神論はこれを一因外道という。  一因外道、  一変して無因外道となれり。  この無因外道の一種に老荘の学派を摂せり。 余はまた、 これを虚無外道と名づく。 無因もしくは虚無外道、 また一変して宿作外道となる。 宿作外道は定因論にして、 宿因一定して必ずその果を受くるものとなす。  この有因無因・有神無神の諸論は、 仏教のいわゆる断常二見外道に分類すべきをもって、 自然論の結末に至りて、 断見外道・常見外道につきて一言せんと欲す。  ゆえに、 本章は左の順序に従いて論述すべし。

第一、 無因外道(すなわち自然外道)第二、 虚無外道(すなわち老荘外道)第三、 宿作外道(すなわち定因外道)第四、 断見外道(あるいは空見外道)第五、 常見外道

これみな自然論の関連、 あるいはその反断より生じたるものなれば、  ここにこれを合して論ずるなり。


第八五節    無因外道

まず諸経論中に散見せる無因外道を考うるに、「外道小乗涅槃論」にその一種を掲ぐ。  すなわち左のごとし。

問曰何等外道説、  一切物自然而生名二涅槃一 答曰第十六外道無因論師作一如グ是説{  無レ因無五縁、__生  一切物無屎  因蕪  浄  因一 我論中説如下棘刺針無二人作ー  孔雀等種種画色、 皆無二人作{  自然而有い不二従>因生ー名為二涅槃一 是故無因論師説、 自然是常、 生二  切物一 是涅槃因。

(問うて曰く、 なんらの外道、  一切の物自然に生ずるを涅槃と名づくと説くや。 答えて曰く、 第十六の外道無因論師、  かくのごとくの説をなす、 無因無縁にして一切の物を生ず、 染因なく浄因なし、 わが論の中に説かく、 棘刺の針、 人の作ることなく、 孔雀等の種々の画色みな人の作ることなく、 自然にしてしかもあるがごとし、 因によらずして生ずるを名づけて涅槃となすと。  この故に無因論師は、 自然はこれ常にして一切の物を生ず、 これ涅槃の因なりと説く。)

つぎに「喩伽論」(巻七の七)に考うるに、 その十六異論中、 第十一の無因見論これなり。 その説明に曰く、 諸内外事無量差別、 種種生起、 或復有ー時見二諸因縁一 空無二果報一 謂見二世間如一レ有二因縁一 或時欧爾大風卒起、 於二  時_間  寂然止息、 或時忽爾暴河弥漫、 於二  時_間  頓則空喝、 或時鬱爾果木敷栄、 於二  時_間  颯然衰領、 由>如>是故起二無因見一 立二無因論

(もろもろの内外の事無糞の差別種々生起し、 あるいはまた、 あるときはもろもろの因縁を見るに空にして果報なし、 いわく、 世間を見るに因縁あることなし、 あるときは欧爾として大風にわかに起こり、  一時の間において寂然として止息す。 あるときは忽爾として暴河弥漫し、  一時の間においてとみにすなわち空喝す。

あるときは鬱爾として果木敷栄す、  一時の間において颯然として衰領す。 かくのごときによるが故に、 無因の見を起こし、 無因の論を立つ。)

「顕揚論」(巻一の九)の所説、 またこれに同じ。  つぎに「唯識論」(巻一の一四)に考うるに、 その諸計中に自然外道の一種を掲ぐ。  これを「述記 巻一末の七四)に解説すること左のごとし。

者別有二  是実是常、 号曰ー一自然一 能生二万法如ーー此方外道一 亦計下有二自然一是一是常能生二万法    虚通之理名中不可道之常道上也、 梢与レ彼同。

(自然というのは別に    つの法あり。  これ実なり、  これ常なり。 号して自然という。 よく万法を生ず。  この方の外道のごときも、 また自然あって、  これ一なり、  これ常なり、 よく万法を生ずる虚通の理を道とすべからざるの常道と名づくなりと計す。 ややかれと同じなり。)

そのいわゆるこの方の外道とは、 老荘の教をいう。  つぎに、「住心品疏るに左のごとし。

「住心品疏冠註」巻五の二)に考う

経 デ自然  者、 謂一類外道計、  一切法皆自然而有、 無泣担作之至界  如 蓮 華生而色鮮潔

誰之所>染、 棘刺利端、 誰之所二削成    故知諸法皆自爾也。

(経に自然というは、 いわく一類の外道の計すらく、  一切の法は、 みな自然にして、 しかも有なり。 造作の者なし。 蓮華の生じてしかも色の鮮潔なるがごとし、 だれか染むるところぞ。 棘刺の利端は、 だれが削り成せるところぞ、 ゆえに知りぬ、 諸法はみな自爾なり。)

この「疏」中の蓮華および棘刺の例は、「仏本行集経 巻ニ の七、「住心品疏冠註」巻五の五、「住心品疏略解    巻五の二)に出ず。  その文、 左のごとし。

又在>胎時、  手足智背、 腹肛髪爪、 諸節支脈、 自然而成、 或復有>人得レ成>身、 已還復破壊、 或有ー人言、 既破壊已  還自然    成、 故先典中有二如>是語一 刺針頭尖是誰磨造、 鳥獣色雑  是誰画>之、 此義自然_無一人所作一亦復不>可>欲>得、 既成二世間諸物不垢戸随レ心即使  廻転一 而有>渇説、 棘刺頭尖是誰磨、 鳥獣雑色復誰画、各随  其業  展転  変、 世間無>有  造作人  云云

(また、 胎にあるの時、  手足胸背、 腹肛髪爪、 諸節支脈は、 自然にして成ず。 あるいはまた、 人あり、 身を成ずるを得おわり、 またまた破壊す。 あるいは人ありていわく、「すでに破壊しおわりて、 また自然に成ず」と。  ゆえに先典中にかくのごとき語あり、「棘針の頭の尖なるは、 これだれか磨造せる。 鳥獣の色の雑なる は、  これだれかこれをえがける。  この義は自然にして、 人の所作なし。 また、 得んと欲して、 すなわち成すべからず。 世間の諸物、 心に随いてすなわち廻転せしむるを得ず」と。 しかして偶ありて説かく、「棘刺の頭のとがれるはこれだれか磨ける、 鳥獣の雑色はまただれかえがける、  おのおのその業に随いて展転して変

ず、 世間に造作の人あることなし」云々  〔 大正蔵、 棘につくる〕)

これ、 前に掲ぐるものの重複せるに過ぎず。 しかるに    十住心論』には、 大唐所有老荘之教立二天自然道    亦同此計(大唐にあるところの老荘の教えは、 天の自然の道を立つ。 またこの計に同じ)の一節を加えて釈せり。「大疏啓蒙」(巻六の四の自然外道の下)には、 特に自然外道の一目を設けて論示せり。 よろしく本書につきて見るべし。 また「広百論釈論」(巻一の一 に、 復次有二余外道一 執二自然因一 鉢常無>有一生ー   滅変異{  自然為因、 生ーー一切果  (またつぎに有余の外道は執すらく、 自然の因は体常にして生滅変異あることなし、 自然を因となして一切の果を生ず)とあり。  これまた自然外道なり。  そのほか「華厳玄談    に無因論師の一計を掲げしも、

その説明は諸経論の釈義を節略したるものに過ぎざればこれを略す。 しかして、「涅槃経」および「維摩経    に出だせる六師中、 末伽梨拘除梨子は自然外道なり。「維摩』の註(『維摩注経」巻三の四)には、 是人起>見云、 衆生罪垢無レ因無レ縁也(その人見を起こしていわく、 衆生の罪垢は無因無縁なり)と、 あるいはまた、 其人起>見、 謂衆生苦楽不二因>行得一 自然耳也(その人見を起こしていわく、 衆生の苦楽は行によって得るにはあらず、

自然なるのみ)とあり。「維摩経疏」(「維摩経疏会本    巻四の六六)にも、 説下於衆生雖>有二苦楽ー無>有一因ー   縁自然而爾上(衆生は苦楽ありといえども、 因縁あることなく、 自然にしてしかりと説く)と釈せり。  ゆえに、  これもとより自然外道なり。  しかるに「維摩義記(浄影疏)」(巻二本の二八)には、 末伽梨をもって常見外道となし、 阿者多翅舎をもって自然見外道となせり。 すなわち後者は、 説二  切法自然而有、 不乙従ー一因縁

(一切法は自然にして有なり、 因縁によらずと説く)と釈せり。  これ、 けだし「涅槃経」の解釈によるものならん。「涅槃経」

の末伽梨外道はいわゆる常見外道の説にして、 阿者多翅舎は自然外道の説に近し。 その説全く「円覚大抄 巻二上、「教理紗」巻三の五)に、 六師の第二を常見外道とし、 第四を自然外道となせるものに合す。 しかしてまた『翻訳名義集」に、 末伽梨のいわゆる自然を解して法爾の義とし、 自然与二法爾ー同(自然と法爾と同じなり)といえり。  これを要するに、 六師中いずれが果たして自然外道なるやは、「涅槃」と「維摩」との解説に異同あるをもって判定すべからず。 もし、  この無因外道に対して難破する論点は、 まず「住心品疏」(「住心品疏略解」巻五の一三、「住心品疏冠註」巻五の三)に掲ぐるところ左のごとし。

有師難云、 今目親ー一世人    造ー作舟船室宅類一 皆従二衆縁一而有、 非二自然成一 云何自  爾  耶若謂下雖云有而未二明了一 故須二人功    在之、 是亦不レ然、 既須二人功一発レ之、 即是従>縁非ーー自然有一也。

(ある師の難じていわく、 今目に世人をみるに、 舟船室宅の類を造作するは、 みな衆縁によってしかも有なり。 自然成にはあらず、 いかんが自らしからんや。 もし有なりといえども、 しかもいまだ明了ならざるが故に、 人功をもってこれをあらわすといわば、  これまたしからず。  すでに人功をもってこれをあらわす、 すなわちこれ縁による、 自然有にはあらず。)

あるいは「喩伽論」(巻七の八) こま

一切世間、 内外諸物、 種種生起、 或欽然而起、 為>無>因耶、 為缶    因耶、 若無>因者種種生起、 歎然而起、忽復不>生、 不>応ーー道理一 若有>因者汝計二我及世間無>因而生ー 不>応ーー道理

(一切世間内外の諸物種々に生起し、 あるいは欧然として生起するは、 無因とせんや、 有因とせんや。 もし無因ならば、 種々の生起歎然として起こり、 たちまちにまた生ぜざるは道理に応ぜず。 もし有因ならば、 汝が我および世間無因にして生ずると計するは道理に応ぜず〔 大正蔵、 生につくる〕)

と論ぜり。 仏教は因果教にして、 正因正果を立つるものなり。 しかるに無因論は、「三論玄義」の四執中、 いわゆる無因有果論にして、 因果を撥無するものなれば、 仏教上あくまでこれを破斥せざるを得ざるなり。


第八六節    虚無外道

前節に略言せるがごとく、 支那の老荘すなわちいわゆる道教は、 仏教にて無因自然外道の一種となす。 しかるにその説、 多少印度の無因外道と異なるところあれば、  ここに特に虚無外道と題して、 老荘の学説につきて一言を付せんと欲す。 しかして余が本論講述の本意は、 単に仏書中に散見せる印度外道を収録対照するにあれば、  老荘論のごときは全く問題外にわたるも、 印度外道の比較上参考を要することあれば、 ここに仏書中にいかに儒道ニ教を評論せしかを略示せんと欲す。 まず「止観輔行」(「止観科本」巻一の四二、「止観会本」巻一の二の一六)に考うるに、 荘子内篇自然為元本、 如レ云ーー雨為>雲乎、 雲為>雨乎

執降ーー施是一 皆是自然(「荘子」の内篇に自然を本となす。 雨が雲となるや、 雲が雨となるやというがごとし。 たれかこれを降施せん、 みなこれ自然なり)とあり。 しかるに「華厳玄談」(巻八の一七以下)には、 荘子のみならず、 儒道二教をことごとく自然外道となす。 その論、 左のごとし。

此方儒道二教亦不>出>此、 如>此荘老皆計二自然{  謂人法>地、 地法>天、 天法>道、 道法ーー自然一 若以  自然為>因、 能生二万物一 即是邪因、  若謂万物自然而生、 如二鶴之白一 如二烏之黒一 即是無因、 周易云易有二大極 是生二両儀一 両儀生ーー四象一 四象生ーー八卦一 八卦定ーー吉凶一 吉凶生ーー大業一者、 大極為>同、 即是邪因、  若謂一陰一陽之為レ道、 即計ー一陰陽変易能生ーー万物一 亦是邪因、 若計二  為二虚無自然{  則亦無因。

(この方の儒道二教もまたこれを出でず、  かくのごとく荘老もみな自然を計す。  いわく、 人は地にのっとり、 地は天にのっとり、 天は道にのっとり、 道は自然にのっとる。 もし自然をもって因となし、 よく万物を生ずれば、 すなわちこれ邪因なり。 もし万物は自然にして生じ、 鶴の白きがごとく、 烏の黒きがごとしといわば、 すなわちこれ無因なり。「周易」に、 易に大極あり、  これ両儀を生じ、 両儀は四象を生じ、  四象は八卦を生じ、 八卦は吉凶を定め、 吉凶は大業を生ずといわば、 大極を因となすは、  すなわちこれ邪因なり。 もし一陰一陽、  これを道となし、 すなわち陰陽の変易よく万物を生ずと計すといわば、 またこれ邪因なり。 もし一を計して虚無自然となさば、  すなわちまた無因なり。〔 続蔵経、 因につくる〕)

「大日経疏果宝紗」巻二本一の七)に『演義紗」を引き、  かつその意を結びて曰く、此中老子教意道徳為和因、 出一生諸法{  道鉢是自然也云云、 則是邪因計也、 荘子意諸法自然而起、 更無ー一因縁是則無因計也、 此二類通名二自然計

(この中に老子の教えの意は、 道徳を因となし、 諸法を出生す。 道の体はこれ自然なりと云々。  すなわちこれ邪因の計なり。 荘子の意は、 諸法は自然にして起こり、 さらに因縁なし、  これすなわち無因の計なり。  この二類は通じて自然の計と名づく)

とあり。 しかして「十住心論科註」(巻一末下の三六)に、 自然外道に二類あることを示して曰く、

以邪因為二自然一 唯識述記別有二  法一是常、 号曰ーー自然一 能生二万物    二  無因自然計、 婆沙論等二無因論是也(一には邪因をもって自然となす。「唯識述記    に別に一法あり、 これ常にして号して自然という。 よく万物を生ず。  二には無因自然の計、「婆沙論」等の二の無因論これなり)とあり。  これによりてこれをみるに、 儒道二教の説は邪因無因に属するをもって、  これを外道となすなり。 しかるに、 さきに第三七節に一言せるがごとく、 儒道二教は一半外道にして一半仏教なり。 換言すれば、 世間道にありては、 孔老の説仏教に合するも、 出世間道にありては、 仏教ははるかに孔老の上にありとす。 左に、「三論玄義 首書の八)に出だせる問答を掲載すべし。

問曰天竺四術、 既是外言、 震且三玄応>為二内教    答釈僧肇云、 毎>読ー老ー   子荘周之書一 因而歎曰、 美則美突、然期>神冥>累之方、 猶未>尽也、 後見ーー浄名経一 欣然頂戴、 謂二親友ー曰、 吾知>所二帰極 、 遂棄>俗出>家、羅什昔聞こ二玄_与一九部面炉極、  伯陽与二牟尼玲炉行、 乃噌然歎曰、  老荘入>玄、 故応>易祗竺耳目一 凡夫之智、孟浪之言、 言>之似>極、 而未  始  詣  也、 推>之似>尽、 而未二距至一也、 略陳二六義    明二其優劣  云云

(問うていわく、 天竺の四術はすでにこれ外言なり、 震旦の三玄はまさに内教となすべきや。 答う、 釈の僧肇いわく、 老子、 荘周の書を読むごとに、 よって嘆じていわく、 美なることはすなわち美なり。 しかれども神を期し累を冥するの方、 なおいまだ尽くさざるなりと。 後に「浄名経」を見て、 欣然として頂戴して親友にいいていわく、 われ所帰の極を知れりと。  ついに俗をすてて出家す。 羅什は昔、 三玄と九部とは極を同じくし、 伯陽と牟尼とは行を 抗 らると聞きて、 すなわち噌然として嘆じていわく、 老荘は玄に入るが故に、まさに耳目を惑わしやすかるべきも、 凡夫の智・孟浪の言なりと。  これを言うこと極まれるに似たれども、いまだ始めよりいたらざるなり。  これを推すに尽くせるに似たれども、 いまだだれも至らざるなり。 略して

六義をのべてその優劣を明かさん、 云々  〔 大正蔵、 旦につくる〕)

これ、 孔老と仏教とを比較して、 深浅優劣あることを示すものなり。 しかるにまた仏教中に、 儒道二教は全く仏教なりとなすものあり。  そのはなはだしきに至りては、 孔子・老子・顔回はみな釈迦の弟子なりという。  これ「破邪論」(巻上の一五)に、「清浄法行経」を引きて証するところなり。「涅槃経」の「疏」(「涅槃会疏」巻八の五 にも、 如 清浄法行経云一 迦葉為 老 子儒童為 顔 回一 浄光為孔 子一云云(「清浄法行経

に、 迦葉は老子となり、 儒童は顔回となり、 光浄は孔子となるというがごとし、 云々〔田 続蔵経、 光浄につくる〕)の説を示せり。これ、 たれか信ずるものあらんや。 そのほか、 儒仏道三教の関係につきては種々の異論あるも、  みなこれを略す。  ただ「護法資治論」(巻一の二九、  一の三 には、 道教は外道と称すべきも、 儒教は外道と称すべからざるゆえんを示せる一節は、 やや参考すべきところあれば、 左にこれを掲ぐ。

或問彼所謂外道、 与>儒同耶異耶、 曰釈氏有下指レ儒為二外道一者与小二相当一也、 儒与ーー外道一旨趣大異、 儒立二於礼氏竺於仁{  従二天理之当然一 外道不>然、 保形無礼不>由二仁慈一 異相苦行願>生二天上一 或起二断滅之見ー非ニ正法一也、 黄冠道士及末尼火祇之徒、 近来耶蘇天主之党、 皆是外道之類也、 彼固樹二宗門玉空結党友一 忌>仏特'甚、 故謀燈レ寺害レ僧、 且如ー』一武破ヮ法、 皆道士之所ーー賛成道ー同看上也。其跡可臼見突、 儒不レ起二宗門一 不レ可下与二外

(あるひと、 彼のいわゆる外道と儒と同なるや異なるやを問う。 いわく、 釈氏に儒を指して外道となる者あるは相当たらざるなり。 儒と外道とは旨趣大いに異なる。 儒は礼を立て仁により、 天理の当然なるに従う。外道はしからず、 裸形は礼なく、 仁慈によらず。 異相にして苦行し、 天上に生ぜんと願ず。 あるいは断滅の見を起こし、 正法にあらざるなり。 黄冠道士および末尼火祇の徒、 近来の耶蘇天主の党はみなこれ外道の類なり。 彼は固く宗門をたて、 党友を緊結し、 仏を忌むこと特にはなはだし。  ゆえに謀りて寺を燈ち僧を害す。 しばらく三武の法を破せるがごとし。  みな道士の賛成するところにしてその跡見るべし。 儒は宗門を起こさず、 外道と同じくみるべからざるなり。)

しかしてまたいわく、

夫外道九十六種、 西域諸邦有レ之、 偏見固執、 深忌二他宗一 好作二評論一 険跛偏邪、 登_比一儒之気象渾厚一哉

(それ外道の九十六種は西域諸邦にこれあり。 偏見に固執し、 深く他宗を忌み、 好みて評論を作す。 険跛偏邪なること、 あに儒の気象渾厚なるに比せんや)

とあり。 もしまた「三論大義抄」(巻一の四)によらば、 震旦の衆師に人あり法あり、 人をば老等と称し、 法をば三玄という。 ともにこれ域中の言にして、 いまだ方外の談にあらずと説きて、 老荘の道までも外道にあらざる意を示せり。 また「原人論」(「原人論発微録巻一の一七、「原人論羽翼』三、「原人論続解」巻上の二)によらば、 孔老釈迦、 皆是至聖、 随>時応>物、 設函  殊>塗(孔・老・釈迦はみなこれ至聖なり。 時に随い物に応じて、教えを設くるにみちをことにす)と説ききたり、 孔老二教と仏教とを比較して、  二教唯権、 仏兼二権実

(二教はただ権にして、 仏は権実を兼ぬ)といえり。  その意、 儒道二教は客観相対の上に道を説き、 仏教は一心絶対の上に道を立て、 あわせて客観相対の上に説き及ぼすの別ありとなす。  かつ曰く(「原人論羽翼」四)、 外教宗旨、 但在ーー乎依>身立品、 不>在如杢党身之元由一云云(外教の宗旨は、 ただ身によりて行を立つるにありて、 身の元由を究覚するにあらず、 云々)とありて、 孔老二教と仏教との所説、 大いに深浅の異同あることを示せり。  これを要するに儒道二教は、 あるいはこれをいれて仏教内の一部分となすことあり、 あるいはこれを斥して仏教外の異道となすことあるも、  これを印度外道に比すれば、 なお内道の一種なりとなす。 もし道教を指して外道となすも、 儒教は外道にあらずとなす。 余おもえらく、  かくのごとく印度の外道と支那の外学との間にその別を立つるは、 これ仏教が支那において発達せるによると。



第八七節    宿作外道

つぎに宿作外道を考うるに、『外道小乗涅槃論」の二十種および「大日経」三十種の中には、 その名目の加わるを見ず、 ただ「喩伽」(巻七の一、「顕揚論    巻一の二)十六計中にこれあるを見る。  その文、 左のごとし。

宿作因論者猶如>有二  若沙門、 若婆羅門一 起ー一如>是見ー  立ーー如>是論一 広説如>経、 凡諸世間所有士夫補特伽羅所レ受者、 謂現所>受苦、 皆由二宿作一 為>因者謂由二宿悪為品因、 由二勤精進    吐二旧業丘故  者謂由=現法極二自苦行一 現在新業由二不  作  因之所と害故  者謂諸不善業如>是、 於>後不二復有ー漏一者、 謂一向是善性、 故説二後無  漏一 由  無漏一故、 業尽者謂諸悪業因二業尽一故、 苦尽者謂宿因所作及現法方便所>招苦悩由ー苦ー   尽一故、 得>証 苦辺  者謂匪  余生相続苦尽一 謂無繋外道作 如>是計

(宿作因論とは、 なおし、 あるひとりのもしくは沙門、 もしくは婆羅門のごとき、  かくのごときの見を起こし、 かくのごときの論を立つ、 広く説くこと経のごとし。  およそもろもろの世間所有の士夫の補特伽羅の受くるところとは、 いわく現に受くるところの苦なり。 みな宿作を因とするによるとはいわく、 宿悪を因とするによる。 勤精進によって旧業を吐くが故にとは、 いわく現法に極めて、 自ら苦行するによる。 現在の新業は不作因に害せらるるによるが故にとは、 いわく〔新業とは〕もろもろの不善業なり。  かくのごとく後においてまた有漏ならずとは、 いわく一向これ善性なるが故に、 のち無漏なりと説く。 無漏によるが故に業尽くとは、 いわく〔業とは〕もろもろの悪業なり。 業尽くるによるが故に苦尽くとは、  いわく〔苦とは〕宿因の所作および現法方便の招くところの苦悩なり。 苦尽くるによるが故に苦の辺を証することを得とは、 いわく余生相続の苦尽くることを証するなり、 いわく無繋外道かくのごときの計をなす。)

これ、 苦楽みな、 その人の前世の業因によりて定まるものとなす論にして、 無繋外道の所計なり。 無繋外道とは尼健子をいう。  これを「十住心論」「住心論科註三本の二に解説して曰く、第六計二宿作ー論  者謂無繋外道、 彼所計執下世間士夫現所>受苦皆由二宿作悪為釦因、 由ーー勤精進丘計旧業い故自餓投巌修二諸苦行

(第六に、 宿作を計する論者は、 いわく無繋外道なり。  かの所計は世間の士夫の現に受くるところの苦は、みな宿作の悪を因とするによる、 勤めて精進するによって旧業を吐くと執す。  ゆえに自ら餓えて巌に投げ、もろもろの苦行を修す。)

すなわち、 前世の業因一定せる以上は、 早く苦行をその身に行いて、 もってその因を消尽せざるべからずとなし、 自餓投身等の苦行を修むという。  ゆえに、 その外道は苦行外道なり。「華厳玄談」(巻八の一五)に述ぶるところ、 よくその意を了解するを得べし。  すなわち曰く

第十宿作論師計こ  切衆生受二苦楽報    皆随中往日本業因縁い是故若有二持戒精進 毎含身心苦一 能壊一本業一 本業既尽衆苦尽滅、 衆苦尽滅即得二涅槃是故宿作為二  切因喩伽云何因縁故彼外道作ー加グ是見一 立二如>是論一 答彼見下世間雖>具一正法便一而招二於苦    雖>具ー邪ー   方便一而致中於楽い彼如レ是思若由  現法士夫作用五雰彼因  者、 彼応 顛 倒一 戸  彼所見非顛  倒  故、 是故彼皆以二宿作  為>因、 由二此狸  故起二如>是見一 立ーー如>是論涅槃三十五広破二此見

(第十宿作論師。  一切衆生苦楽の報を受くるは、 みな往日の本業の因縁に随うと計す。  この故に、 もし持戒精進あるも身心の苦を受く。 よく本業を壊するに、 本業すでに尽くれば衆苦ことごとく滅し、 衆苦ことごと< 滅すればすなわち涅槃を得。  この故に、 宿作を一切の因となす。『堆伽』にいわく、 なんの因縁の故に、かの外道かくのごとき見をなし、 かくのごとき論を立つるや、 と。 答う、 彼、 世間に正方便を具するといえども苦を招き、 邪方便を具するといえどもしかも楽をいたすを見る。 彼、  かくのごとく思う、 もし現法士夫の作用によりてかの因となさば、 彼まさに顛倒なるべし。 彼の所見の顛倒にあらざるによるが故に、  この故に彼みな宿作をもって因となす。  この理によるが故に、  かくのごとき見をたてて、 かくのごとき論を立つ。『涅槃」の三十五に広くこの見を破す。続蔵経、 方につくる〕)


そのほか「涅槃経」

および  コ維摩経』の六師中にも宿作外道あれども、 後に尼健子外道を述ぶるときに、  さらに説かざるを得ざれば、  ここにこれを略す。



第八八節    断見外道

以上論述しきたれる有神無神、 有因無因等の諸論は、 これを一括すれば断常二見に帰すべし。  すでに第四九節に述ぶるがごとく、 六十二見は断常二見をもって根本とす。  ゆえに、  この二見は実に外道諸見のもとなり。 その解釈は第四六節に示せるものにつきて大略を了知すべしといえども、 今左に「婆沙論る説明を摘載すべし。巻四九の一三)に出ず仏若遇二常見外道{  彼'説諸法有涵果無>因、 以>無如因故自性常有、 乃至世尊若遇二断見外道果、 以征無玉果故、  当来断滅云云  ゜彼説諸法有因無

(仏、 もし常見外道にして、 かれ、 諸法は有果無因にして無因なるをもっての故に、 自性常有なりと説くにあえば、 ないし世尊、 もし断見外道にして、  かれ、 諸法は有因無果にして無果なるをもっての故に、 当来は断滅すと説くにあえば、  云々。)

さらに左に『秘蔵宝鍮』(巻上の七)に出ずる解釈を挙示すべし。

有  云人死    帰乙気、 更不>受>生、 如>此之類名二断見

(あるがいわく、 人は死して気に帰る、 さらに生を受けずと。  かくのごとくの類をば断見と名づく。)

有云人常為り人、 畜常為五畜、 貴賤常'定、 貧富恒'分、 如>此之類名二常見

(あるがいわく、 人は常に人たり、 畜は常に畜たり。 貴賤常に定まり、 貧富つねに分かれたりと。  かくのごとくの類をば常見と名づく。)


これを「宝鍮勘注」(巻二の四)には、『守護国経を引きて解説して曰く、

言一常見一者王常為>王、 貴常為>貴、 貧富男女、 端正醜晒象馬等類、 常無二改易一 何以故、 誓如下種子随二其本誓一 各別生レ牙、 終無中雑乱い善男子此等衆生、 作二如>是見一 皆無二果報

(常見というは、  王は常に王たり、 貴は常に貴たり、 貧・富・男・女、 端正・醜晒、 象・馬等の類、 常に改易なし。 なにをもっての故に、 たとえば種子のその本誓に随いて各別に牙〔芽〕を生じ、  ついに雑乱することなきがごとし。 善男子、 これらの衆生、 かくのごとき見をなし、 みな果報なしとす)

とあり。 もし、  これを「七帖見聞

巻二末の二六)によりて解すれば、 そもそも外道の断見とは、  一切衆生死


すれば、 焼けば灰、 埋めば土となりて、  さらに後生なしと計するなり。 常見とは、 地獄はいつも地獄なり、 人は死してまた人に生まれ、 犬は死してまた犬となる。 例えば、 麦を植うれば麦生じ、 大豆を植うれば大豆生ずるがごとし。  されば、 善を修するも善処に生ずべからず、 悪をつくるも悪所に落ちずといいて、 思うように悪業を修するなりという。 経論中にかくのごとき主義をとるものを、 断見外道および常見外道と称して一類となすをもって、 ここにさらにその外道の大要を論ぜんと欲す。

まず断見外道すなわち空見外道は、「維摩経    の六師に考うるに、 富蘭那迦葉の説のごときこれなり。  その説は第四二節に示すがごとく    一切法は虚空のごとく本来空滅にして、 君臣・父子忠孝等の道あることなしと断定す。「維摩天台疏」(「維摩経疏    巻四の六六)には、 その所説は諸法みな不生不滅、 あるいは無因無果、 無生無滅とあり、 「同浄影疏」には、  これその空見外道とありて、 断見外道なること明らかなり。 もしまた「榜厳経

(「榜厳義疏    巻二上の一)によらば、 六師中、 第三の毘羅脈子および第五の迦旅延をもって、 断見外道となすもののごとし。 その経中にいわく、 時波斯匿王起立曰レ仏、 我昔末>承ーー諸仏誨勅一 見二迦旅延毘羅脹子一 咸言此身死後断滅、 名為  涅槃

(時に波斯匿王は、 起立して仏にもうさく、  われ昔、 いまだ諸仏の誨勅をうけざりしとき、

迦栴延と毘羅抵子とにまみえしに、  みな言えり、 この身死してのち断滅するを名づけて涅槃となす)とあるを見て知るべし。  また「喩伽 巻七の八、 巻七の九)「、   顕揚」の十六異論中には、 断見論、 空見論の二種を分かちてこれを掲げり。  すなわち左のごとし。

断見論者謂如>有二  若沙門若婆羅門一 起二如>是見一 立二如>是論乃至我有二羅色四大所造之身、 任持未壊、 爾時有丘病、 有レ痙有レ箭、  若我死後断壊無云有、 爾時我善断滅、 如レ是欲界諸天、 色界諸天、  若無色界空無辺処所摂、 乃至非想非非想処所摂、 広説如>経、 謂説二七種断見論一者、 作ーー如>是計

(断見論とは、 いわく、 あるひとりのもしくは沙門、 もしくは婆羅門のごとき、  かくのごときの見を起こし、 かくのごときの論を立つ、 ないし我に饂色の四大所造の身あり、 任持していまだ壊せざれば、  そのとき病あり、 痙あり、〔毒〕箭あり、 もしくは我は死後断壊してあることなし、 そのとき我はよく断滅すと。 かくのごとく欲界の諸天、 色界の諸天、 もしくは無色界空無辺処の所摂、 ないし非想非非想処の所摂、 広く説くこと経のごとし、 いわゆる七種の断見論を説く者、  かくのごときの計をなす。)

空見論者謂如レ有二  若沙門若婆羅門起二如レ是見{  立益沙是論無レ有ーー施与一 無>有二愛養一 無レ__有  祠祀一 広説乃至世間無>有ーー真阿羅漢一 復__起  如>是見一 立二如>是論    無>有二  切諸法鉢相

(空見論とは、 いわく、 あるひとりのもしくは沙門、 もしくは婆羅門のごとき、 かくのごときの見を起こし、 かくのごときの論を立つ、 施与あることなく、 愛養あることなく、  祠祀あることなく、 広説するに、 ないし世間に真の阿羅漢あることなしと。 またかくのごときの見を起こし、  かくのごときの論を立つ、  一切諸法の体相あることなしと。)

すなわち、 そのいわゆる断見外道は前にもしばしば述ぶるがごとく、 我人の死後は瓦石の破壊せるがごとく、

一切断滅して霊魂意識の世界等あることなきを唱うるものなり。 そのいわゆる七種断とは、「喩伽紗巻三本)にこれを解して、 無色四処別計二涅槃一 色界趣同惣合為>一、 欲人天別復開レニ、 故成  七断  (無色の四処は別に槃を計す。 色界の趣は同じして総合して一となす。 欲は人・天別してまた二に開く。  ゆえに七断を成ず)と しヽ う。 またこれを「十住心論科註」(巻三本の二四)に解釈せるところによるに、 欲界は人と天とを開きて二となし、 色界は合して一となし、  これに無色界の四処を加えて七処となるなり。  この七処は、 わが死後断滅してある

ことなしという。  ゆえに「喩伽論」には、 我身死已断壊無>有、 如二瓦石若一破已不>可ーー還合  (我は身死しおわ

って断壊してあることなし、 瓦石のもしひとたび破れおわれば、 また合すべからざるがごとし)とあり、 また、「十住心論冠註には、 此中断滅正計二五蓋仮我断無兼含二神我断無匂が(この中の断滅は正しくは五蘊の仮我の断無を計し、 兼ねて神我の断無を含むか〔智山全、 蘊につくる〕) とあり。 要するにその論、 死後の世界を否定するものなり。  つぎに空見外道とは、 断見外道とその執を一にするも、 もしこの二見を分かつときは、 因果を撥無する見を空見という。『十住心論」の釈によるに、 無二因果一 無>有二施与無>有二祠祀一 定無下妙行及与二悪行 』一業果報上等(因果もなく施与もあることなく、  祠祀もあることなし。 定んで妙行とおよび悪行との二業の果報もなし、 等)と計するものをいう。  ゆえに、  これ因果を否定する論なり。 仏教にて、  これを邪見の一種となす。  これに対して、 断見は辺見の一種なり。  さきの順世外道のごときは、  いわゆる断見外道にして、 無因外道のごときは、 空見外道に属すべきか。「渉典録」(巻一の二 に諸見の別を示して、 執>有即属孟吊見外道一 執>無即属ーー断見外道執二亦有亦_無  即属二辺見外道執二非有非_無  即属二空見外道

(有を執すればすなわち常見外道に

属し、 無を執すればすなわち断見外道に属し、 亦有亦無を執すればすなわち辺見外道に属し、 非有非無を執すればすなわち空見外道に属す)とあり。  かくのごとく断見と空見との間にその別を立つるも、  これ同一類の妄計と見て可なり。


第八九節    常見外道

つぎに常見外道は、「維摩経」六師中、 第二末伽梨の所見なりという説あれども、『注維摩経」の解釈にては、この外道は常見外道にあらずして無因外道なり。  そのことは第八五節に弁明せり。 しかして「涅槃経」(「止観科解」巻一    の一五)の末伽梨外道は、  一切衆生はその身に地水火風苦楽寿の七法を有し、 その安住して動かざること須弥山のごとし等とあれば、  これ常見外道なり。「喩伽」(巻六の一五)十六計中には、 第五に常見外道を出だせり。  すなわち曰く、

計    常論者謂如>有二  若沙門若婆羅門一 起二如>是見一 立加グ是論{  我及世間皆実常住非ーー作所作一 非ーー化所化一 不缶竺損害一 積緊而住、 如二伊師迦    謂計二前際記翌一切常一者、 説二  分常一者及計二後際一説二有想一者、説 無想者、 襲  非想非非想者、 復有下計 諸極微是常住考 い作 如>是計一 問何故彼諸外道起二如>是見一 立二如レ是論我及世間是常住耶、 答彼計  因縁如一経広説一 随二其所応尽当如知、 此中計二前際一者謂或依二下中上静慮    起ー一宿住随念一 不善縁起故於二過去諸行一 但唯憶念不二如レ実知一 計二過去世    以為ーー前際一 発ーー起常見或依二天眼一 計二現在世一 以為二前際    於二諸行一刹那生滅流転、 不二如>実知一 又見二諸識一流転相続、 従二此世間云ず彼世間ー無ーー断絶    故発二起常見一 或見二梵王随>意成立一 或見二四大種変異一 或見二諸識変異一 計二後際者於ーー想及受一雖>見一差別一 然不>見二自相差別一 是故発ー一起常見一 謂我及世間皆悉常住、 又計 極 微是常住  者、以レ依  世間静慮    起ー加グ是見{  由>不ニ如ー   >実知二縁起

(計常論とは、 いわく、 あるひとりのもしくは沙門、 もしくは婆羅門のごとき、  かくのごときの見を起こし、  かくのごときの論を立って、 我および世間みな実に常住にして作の所作にあらず、 化の所化にあらず、損害すべからず、 積緊して住すること伊師迦のごとしとなす。 いわく前際を計して一切常と説く者、  一分常と説く者、  および後際を計して有想と説く者、 無想と説く者、 非想非非想と説く者あり。 またもろもろの極微これ常住と計する者あり。 かくのごときの計をなすなり。 問う、 なにが故に、 かのもろもろの外道かくのごときの見を起こし、  かくのごときの論を立てて、 我および世間これ常住というや。 答う、  かの計の因縁は経に広く説くがごとく、  その所応に随ってことごとく、 まさに知るべし。  この中に前際を計する者とは、   わく、 あるいは下中上の静慮によりて、 宿住随念を起こす、 不善の縁起なるが故に、 過去の諸行においてただ憶念して実のごとく知らず、 過去世を計してもって前際となして常見を発起し、 あるいは天眼によって現在世を計してもって前際となす、 諸行の刹那生滅流転において実のごとく知らず。  また諸識の流転相続してこの世間よりかの世間に至り、 断絶なきを見るが故に常見を発起す、 あるいは梵王を見て意に随って成立す、 あるいは四大種の変異を見、 あるいは諸識の変異を見る。 後際を計する者は想および受において差別を見るといえども、 しかも自相の差別を見ず、  この故に常見を発起す、 いわく、 我および世間みなことごとく常住なりとするなり。  また極微これ常住と計する者は、 世間静慮によるをもってかくのごときの見を起こす、 実のごとく縁起を知らざるによる。)

しかるに「十住心論」「住心論冠註』巻三の一四、『十住心論科註』巻三本の二には、 左のごとく釈せ

第五計>常論者、 伊師迦外道等、 計二全常分常有想常無想常倶非常{  由二依静慮一 起ーー宿住智実常及由二天眼 妄

(第五に、 常に計する論者は、 伊師迦外道等なり。 全常なり、 分常なり、 有想常なり、 無想常なり、 倶非常なりと計す。 静慮によって宿住智を起こし、  および天眼によってみだりに実常なりと計す。)

これによりてこれをみれば、 常見外道は伊師迦外道の所計なり。 しかして伊師迦外道とは、「玄応音義』(巻二三のニ および巻二四の四)に解するところによれば、 伊師迦は山名にして、  この山の高くそびゆるは、 我慢にたとうるなりとあり。 また「婆沙論巻一九八の一三)には、 如二伊師迦木或如ーー伊師迦山一 堅固難レ壊(伊師

迦木のごとく、 あるいは伊師迦山のごとく堅固にして壊し難し)とあり。  ゆえに「演密紗」(巻三)には、  ここに堅固という。  これ山の名、 また草の色なりと解せり。  これを「果宝紗  (巻一末五の四七、「法相伊呂波目録」上本の四)に釈して曰く、 此喩名西方二釈、  一近二王舎城一 有祠  大山一 堅硬常住等亦爾、  二有>草名  伊師迦    鉢性実我、 故喩>我(この喩の名に西方に二釈あり、  一に王舎城の近くに高大山あり、 堅硬常住なること等しくまたしかり、  二に草あり、 伊師迦と名づく、 体性実我なり、 ゆえに我にたとう)と。  これ、「法苑義鏡」中より引用せるところなり。  かつ「呆宝紗」に曰く、 此師計我及世間一切諸法、 皆是常住(この師計す、 我および世間一切の諸法はみなこれ常住なり)とあり。 かくのごとく断常二見は、  おのおの一種の外道なりといえども、 その実、  一切の外道みなこの二見の中に摂するなり。 また有無両見の外道あり。  これ断常のもとなりとなす。  そのこ

とは第四六節に示せり。 もし「百論疏」(巻下の下の二四)に考うれば、 諸外道等多滞一空有二辺  (もろもろの外道等は、 多くは空有の二辺に滞る)とありて、 外道諸見はあるいは有に偏し、 あるいは空に偏し、 ともに中正の論にあらず。  ゆえに、 仏教はその間に中道を立てんと欲して、 有無二見を破せり。  すなわち「三論玄義」(首書の六五)に、 衆生起レ見凡有己一種一 一者有見、  二者無見、 般若破ーー有見一 方便斥二其無_見  (衆生の見を起こすにおよそ二種あり。  一には有見、  二には無見なり。 般若は有見を破し、 方便はその無見を斥す)とあり。 しかして仏教は非有非空の理を唱えり。 さらに「華厳大疏」(巻一六)に、 有無の四句および常等の四句を掲げり。  これを『三蔵法数」(巻一八の一、「大蔵法数」巻ニの八)に、 断常二見に配合して解釈せるところを引用すべし。 まず有無四句の解釈は左のごとし。

一有句  謂外道或計下我与ー五蓋之身 年日有い是名二有句{  即著二常見二無句  謂外道或計下我与一ー五涸之身 年日無い是名二無句一 即著ーー断見一 三亦有亦無句  謂外道欲レ離ーー上二過一故計下我与二五藩一亦有亦無い即堕一有無相違之見一 四非有非無句  謂外道欲涵近二上有無相違ー  立一ー倶非句一 故計下我与五涸ー非有非無い則又成ーー戯論之見

(一に有句とは、  いわく、 外道のあるいは我と五蘊の身とみな有なりと計すあり、  これを有句と名づく。  すなわち常見に著す。  二に無句とは、 いわく、 外道のあるいは我と五蘊の身とみな無なりと計すあり、  これを無句と名づく、  すなわち断見に著す。 三に亦有亦無句とは、 いわく、 外道の上の二過を離れんと欲するが故に、 我と五蘊と亦有亦無なりと計すあり、 すなわち有無相違の見に堕す。  四に非有非無句とは、 いわく、 外道の上の有無相違を避けんと欲し、 倶非の句を立つるあるあり、 ゆえに我と五蘊と非有非無なりと計す、  すなわちまた戯論の見を成ず。〔

つぎに常等の解釈、 左のごとし。縮蔵経、 蘊につくる〕)

一常句  謂外道計下過去世之我、 即是今世之我、 相続不占断、 執>之為如常、 即堕ーー常見一 是名二常句    二無常句謂外道計下我今世始生不占従ーー過去之因一 執為二無常一 即堕ー砿百矢  是名ーー無常句一 三亦常亦無常句  謂外道見  上二執皆有二過失一 便計二我是常身是無常一 若爾離>身、 則無レ有レ我、 此亦成>過、 是名ーー亦常亦無常句一 四非常非無常句  謂外道計下身有涵異故非常、 我不ら異故非無常い若爾離五身亦無レ有レ我、 此亦成>過、 是名二非常非無

常句

(一に常句とは、 いわく、 外道の過去世の我はすなわち今世の我にして、 相続して断えずと計し、  これを執して常となすあり。  すなわち常見に堕す、  これを常句と名づく。  二に無常句とは、 いわく、 外道の我は今世にはじめて生じ、 過去の因によらずと計し、 執して無常となすあり。  すなわち断見に堕す、  これを無常句と名づく。 三に亦常亦無常句とは、 いわく、 外道の上の二執みな過失あり、  すなわち我はこれ常、 身にこれ無常と計するあり。 もししからば、 身を離るればすなわち我あることなけん、  これまた過を成ず、  これを亦常亦無常の句と名づく。 四に非常非無常句とは、 いわく、 外道の身に異なることあり、  ゆえに非常、 我に異なることあらず、  ゆえに非無常と計するあり。 もししからば、 身を離れてまた我あることなけん。  これまた過を成ず、  これを非常非無常句と名づく。)

これを要するに外道の所見は、 断常二見に帰するなり。 例えば「仏像標織義箋註」巻下の一に、 断常ニ見を説明せる下に「榜伽経」を引きていわく、 諸外道は断常二見に出でざることを示せり。

榜伽経略云、 仏告一大恵云 ニ一種外道作ーー無所有妄計覚一知兎無>角想一 復有二余外道計二四大種{  執レ常作年  有>角想{  註云外道見無>出己一種{  兎無>角見此断見也、 牛有>角見是常見也。

(「榜伽経」に略していわく、 仏、 大恵に告ぐ、  一種の外道あり、 無所有の妄計をなし、 兎に角なきの想を覚知す。  また、 余の外道あり、  四大種を計して常なりと執し、 牛に角あるの想をなす。 註していわく、 外道の見は二種を出でず、 兎無角の見はこれ断見なり、 牛有角の見はこれ常見なり。)

これによりて、 断常二見はひとり外道中の一派一類なるにあらずして、  一切の外道の大別なることを知るべし。  上来論じてここに至れば、 客観論極まりて主観論に入るを覚ゆ。 すなわち、  これより主観論を述ぶべし。



第五編 各論第三  主観的単元論



第一章 人計外道論


第九    節    主観的外道論

上来論述したるところは、 外道中の客観に属する諸論にして、 よろしくこれを名づけて客観的外道論というべし。  その中に、 あるいは無神論あり有神論あり、 あるいは単元論あり複元論ありといえども、 要するにみな、 客観の方面より世界を観察したるものなり。  これに反して主観の方面より世界を観察するもの、  これをここに主観的外道論と名づく。 仏教は主観論なり唯心論なり、 外道は客観論なり唯物論なり。  これ外道と仏教との相異なる要点なれども、 その主観的世界観の仏教中にも、 客観論と主観論との両部あり。  すなわち小乗は客観論にして、大乗は主観論なり。  これに対して客観的世界観の外道中にも、 また客観・主観の二類あり。 しかして外道中の主観論は、  客観論の上に一歩を進めたるものにして、 その説やや仏教に近きものとす。 換言すれば、 外道中の仏教と称して可なり。  そのうちまた、 単元と複元との二様あり。  ゆえに、 余はこれを単元論と複元論とに分かたんと欲す。  その単元に属するものは、「住心品」の知者・見者・能執・所執・内知・外知の類をいい、 その複 冗論は、尼健子・若提子・数論.勝論の四大外道の所見をいう。 しかりしこうして、「住心品」に出ずる知者・見者・能執・所執等の数種は、 別に学派を開きたるものにあらずして、 外道の所見を種々に分類したるもののごとしといえども、  すでに「住心品」に、 三十種外道と称してその部類を定めたれば、 余はしばらく、 その名称につきて左のごとき分類をなせり。

第一    人計外道 第二    知計外道 第三    我計外道

その人計外道は人身の上に見解を立つるものにして、「住心品」の人量外道・寿者外道はこれに属す。 知計外道は知識あるいは知見をもととするものにして、「住心品」の知者・見者あるいは内知・外知の類これに属す。我計外道は我執あるいは我計をもととするものにして、「住心品」の数取趣.喩伽我のごときこれなり。 しかるに「住心品」の三十種中には、 尼健子・若提子・数論.勝論の名称を掲げざるは、 けだし、 以上の諸計中にその所見を摂するによるならん。  まず左に、 主観的外道論の全表を掲ぐ。

そのうち、 第一に人計外道のことを述ぶべし。


第九一節    人計外道

人計外道の最初に人量外道を掲げんとするに、「住心品疏」(「住心品疏略解」巻五の一四、「住心品疏冠註    巻五の五)にこれを解説して曰く、

経云入  量  者、 謂計下神我之量等二於人身一 身小亦小、 身大亦大い智度云、 有計神大小_随一人身前出、 即与レ此同。死壊時神亦

(経に人量というは、 いわく神我の量は、 人身に等し、 身小なれば、〔その神我も〕また小なり。 身大なれば、〔その神我も〕また大なりと計す。「智度    にいわく、 有が計すらく神〔我〕の大小は、 人身に随う。〔人〕

死壊するときに、 神〔我〕またさきに出ずと、  すなわちこれと同じ。)

余はこれを人計外道の一種となして我計に区別せるも、 その実、 我計の一種なり。 換言すればその論、 人身中に一種の我体すなわち霊魂のごときものありて、 その大小は身体の量に随うと唱うるものなり。  ゆえに、 これ身心二元論なりといえども、 その精神の解釈はやや物理的の傾向ありて、  さきに第六四節に掲げたる獣主・遍出の所計に近し。 獣主・遍出は唯物論のややその形を変じたるものにして、 人身中の我体はいたって細小にして極微のごとしという。 しかるにこの人量計にありては、 人身の大小に随うとなす。 けだし、 獣主・遍出のさらに一変したるものなるか。 あるいはまた「唯識論 巻一の三)に、 我其鉢雖>常、 而量不>定、  随一身大小一 有二巻舒一故

(我はその体常なりといえども、  しかも量は不定なり、 身の大小に随って巻舒あるが故なり)とあるに同じ。 しかして「唯識論」のこの執は、 無悪外道の所計なりとなす。 もししからば、 人量計は無悪外道のことなるか。 左に、  さらに「智度論』(巻    二の一八)の文を引証すべし。

有言大小随二人身    死壊時此亦前出、 如紅此事皆不涵四也、 何以故一切色四大所造、 因縁生故無常、  若神是色色無常    神亦無常云云  ゜

(あるがいわく、 大小は人身に随う。  死し壊するとき、 これもまたさきに出ずと。  かくのごときことは、   なしからざるなり。 なにをもっての故に、  一切の色は、 四大の所造にして、 因縁より生ずるが故に、 無常なるなり。 もし、 神はこれ色なりとせば、 色は無常なれば、 神もまた無常なり、 云々。)

この文によれば、 心すなわち物なりと立つる唯物論なり。 これを要するに、  この計は主観的外道論中の客観論というべし。「住心品疏」にこれを駁して曰く、 然彼宗以レ我為二常住自在之法一 今既随二身大小{  已是無常、 故知不>然也(しかるにかの宗は、 我をもって常住自在の法となす。 今すでに身の大小に随わば、  すでにこれ無常なり。  ゆえにしからずと知るなり)と。 その意、「唯識論    の無悪外道の我執を駁するものに同じ。  すなわち「同論 巻一の四)の文、 左のごとし。

我体常住、 不>応一ー随>身而有二舒巻我体 了 耶、 故彼所レ言如二童竪戯既_有一舒巻茄空棄篇風一 応>非ーー常住一 又我随レ身応可ーー分折如何可祉 

我は体常住なりというをもって、 まさに身に随ってしかも舒巻あるべからず。  すでに舒巻ありというをもっ て、 菜籠風のごとくまさに常住にあらざるべし。  また、 我は身に随うというをもっ て、 まさに分析すべし    いかんぞ我体を一なりと執すべきや。  ゆえに彼の所言は、 童竪の戯のごとし。)

これ、 無悪外道の我執を駁するものなり。


第九二節    寿者外道

また、「住心品」には寿者外道の一計を掲ぐ。  これを『同疏

「住心品疏冠註」巻五の七)に解説して曰く、

経云若  寿考  謂有外道計、  一切法乃至四大井木等皆有 寿 命一也、 如 草 木伐已続生{  当>知有>命、 又彼夜則巻合、 当>知亦有ー一情識一 以一ー睡眠一故。

(経に「もしくは寿者」といわば、  いわく、 ある外道の計すらく、  一切の法、 ないし四大草木等にみな寿命あり。 草木の伐りおわりて続生するがごときは、 まさに知るべし〔草木にも〕命あり。  また彼、 夜はすなわち巻合す、 まさに知るべし、 また情識あり、 睡眠するをもっての故に。)

これを「住心品略解』(巻五の一六)に解説して曰く、 此外道計下諸情非情、 或長或短、  一期相続、 是有二寿命故上也(この外道はもろもろの情・非情は、 あるいは長きもあるいは短きも、  一期相続す。  これ寿命あるが故なりと計す)とあり。  これ、  一切万物に寿命ありとの説にして、「智度論』の十六知見中、 第三の所見なり。 また

「金剛刊定記」(巻四のニ には、 寿者亦云二寿命一_計  我一生寿命不二断絶一故(寿とはまた寿命という、 わが一生の寿命は断絶せずと計するが故に)とあり。 しかして「智度論」の十六知見中には、 寿者のほかに命者・生者の二見あり。  その解釈は、 さきに第四八節に、『法界次第初門」に出ずる説明を掲げたるも、 今また「三蔵法数」

(巻四五の一五、「大蔵法数    巻六三の一四)によりてこれを釈するに、 寿者とは、 五陰等の法中において、  みだりに我ありて一期の果報を受け、 命に長短ありと計するものをいい、 命者とは、 五陰等の法中において、  みだりに我ありて命根成就し、 連持してたえずと計するものをいい、 生者とは、 五陰等の法中において、  みだりに我よ<衆事を生起すと計し、  および我きたりて人中に受生すと計するものをいう。  この三者は、 その説くところ大異なければ、  一類の妄計となして可なり。「円覚経」(「円覚略疏巻四の三)に、 善男子一切衆生従二無始ー来妄想執レ有二我人衆生及ー与寿命

(善男子、  一切の衆生は無始よりこのかた、 妄想して我と人と衆生とおよび寿命あり

と執す)とあるは、 寿者・衆生等みな一類の妄執となすなり。 しかるに「住心品」の寿者中には、「智度論」 命者をも含むもののごとく、 その疏〔「住心品疏  〕には四大草木にみな寿命ありと説き、「果宝紗」(巻二本一の一三)には、 寿命者寿鉢、 命用也、  二衆依身依レ寿依持、 依>命相続也(寿命とは寿は体、 命は用なり。

二衆の依身は寿によりて依持し、 命によりて相続するなり)と釈せり。 けだし、 寿と命とは体用の別あることは、「倶舎頌文」および「止観輔行」に考えて知るべし。「倶舎頌文倶舎論本頌」六、「倶舎論頌疏巻五の一三)に曰く、 命根鉢即寿能持二媛及識  (命根の体はすなわち寿にして、 よく媛とおよび識を持つ)とあり。  また『止観輔行」(巻一の三の一には、  一期曰>寿、 連持曰>命(一期を寿という、 連持を命という)と解せり。  そもそも

四大草木に心識あることは、  ひとり外道の所説なるのみならず、 仏教も実大乗・一乗家にいたりては、 国土山川ことごとくその体、 真如一心なりと唱うるをもって、 寿者・命者の説と同一に帰するがごときも、 外道は相対上の有心論にして、 仏教は絶対上の有心論なり。 換言すれば、 前者は常識凡情の見にもとづき、 後者は理想唯心の理にもとづくの異同あり。  ゆえに『呆宝紗』(巻二本一の一四)には、 左の問答を掲げて説明せり。

問仏法中真如縁起宗立二草木有心義一 又真言教中以二阿字玉竺諸法命一 此経云有情及非情阿字第一命、 是如何異乎、 答仏法中一心真如為ーー諸法鉢一者、 無性空寂、 妙理縁起、 甚深法性、 故通二情非情一 真如為ーー所依云二一心遍諸法    又真言者阿字本初声字実相通二諸法気息一故、 情非情又依ー阿字一 依ーー持其鉢ー名為レ命、 又是即俗而  真、 甚深法性也、 外道等者不レ_知一是等深義一 只約二情量令芸此義一故、 或以二伐己続生一為レ証、 或以二夜中巻合一成>義、 是情所謂之境界非>依ーー理趣    是故不レ可レ乱。

(問う、 仏法中の真如縁起の宗は草木有心の義を立つ。 また真言教中には阿字をもって諸法の命となす。  この経に「有情および非情は阿字第一の命なり」というに、  これいかんが異なりあるや。 答う、 仏法中に一心真如を諸法の体となすは、 無性空寂・妙理縁起・甚深法性なり。  ゆえに情・非情に通じ、 真如を所依となし、一心諸法に遍ずという。 また真言は、 阿字は本初の声字実相にして諸法の気息に通ずるが故に、 情・非情また阿字により、 その体に依持して名づけて命となす。  また、 これ俗に即してしかも真、 甚深法性なり。 外道等はこれらの深義を知らず、 ただ情量に約してこの義を立つるが故に、 あるいは伐り已りて続生するをもって証となし、 あるいは夜中に巻合するをもって義となす、  これ情の所謂の境界にして理趣によるにあらず。

この故に乱るべからず  〔 続真言宗全書、 已につくる〕)

これ、 情計と理趣とをもって二説の相違を示せり。 また『住心品疏』に、  この寿者の妄計を難破して曰く、

若見 斬 伐還生一 以為>有>命、 則人断二  支一 不二復増長    登無レ命耶、_如一合昏木有品眠、 則水流昼夜不>息登是常覚、 皆由呆ーレ観一我之自性一 故生二種種妄見一也

(もし斬伐して還りて生ずるを見てもって命ありとせば、 すなわち人は一支を断ずるにまた増長せざるも、あに命なからんや。 合昏木の眠りあるがごときは、 すなわち水流れて昼夜やまざるもあにこれ常覚ならんゃ。  みな我の自性を観ぜざるによるが故に、 種々の妄見を生ずるなり)

と。  これ、  いまだ難破し尽くしたりといい難きも、 論理上一理あるもののごとし。 そのほか「智度論』十六知見の第六養育も、  この外道の一類なるに似たり。  その説は五陰等の法中において、  みだりに我よく他人を養育すと計し、  および我生じてより以来、  父母の養育となると計するものをいう。


第九三節    儒童および意生外道

「住心品」の摩奴閣外道および摩納婆外道も、 人計外道の部類なればここに論ずべきも、「同疏」にその計、 自在天外道および毘紐天外道の部類なりと解するをもって、 摩納婆は第七九節にこれを掲げ、 摩奴閣は第八一節にこれを示せり。 しかれども、 わずかに名義を解説せるに過ぎざれば、 ここにさらに論明せんと欲す。  まず摩納婆すなわち儒童の所計は、「住心品疏」(「住心品疏冠註」巻五の一五、「大日経義釈」巻二の本一の二九)に解すること左のごとし。

、「果宝紗」巻二言我於ーー身心中ー最為ーー勝妙一也、 彼常於二心中ー観ー我可二  寸許一 智度亦云有計神在二心中一 微細如一芥芥子一 清浄名為 浄 色一 或如 豆 麦一 乃至一寸、 初受>身時、 最在レ前受、 誓如二像骨一 及ーー其成>身如二像已荘

(言う、 我は身心の中において、 最も勝妙となすなりと。  かれ常に心中において、 我は一寸ばかりなるべしと観ず。『智度」にまたいわく、 あるが計すらく、 神は心中にあり、 微細なること芥子のごとし。 清浄なるを名づけて浄色とす。 あるいは豆麦のごとし、 ないし一寸なりと。 はじめに身を受くるとき、 最もさきにあって受く、 たとえば像骨のごとし。  およびその身を成ずるは、 像のすでにかざれるがごとしと。)

これ「智度論」巻    二の一八)の説にもとづく。 その文にいう、

問曰人云何_言一色是我相一 答曰有>人言神在二心中一 微細如二芥子一 清浄名為一浄色身    更有>人言如レ麦、 有  言如后豆、 有  言半寸、 有  言一寸、 初受>身時、 最在>前受、 誓如二像骨一 及一其成玉身如二像已荘一 有  言大小随人身一 死壊時此亦前出

(問うて曰く、 人はいかなれば、 色はこれ我の相なりと言うや。 答えて曰く、 ある人のいわく、 神は心中にあって、 微細なること芥子のごとくして、 清浄なれば、 名づけて浄色身となすと。  さらにある人のいわく、麦のごとしと。 あるがいわく、 豆のごとしと。 あるがいわく、 半寸と。 あるがいわく、  一寸にして、 初めて身を受くるとき、 最もさきにあって受く。 たとえば像の骨のごとし。 その身を成すに及んでは、 像はすでにおごそかなるがごとしと。 あるがいわく、 大小は人の身に随う。  死して壊するとき、  これまた前に出ず)

とあり。  また「同論」巻七    の八)に、

有人説衆生世間有辺、 如>説>神在二鉢中  如ーー芥子一如>棗、 或言一寸、 大人則神大、 小人則神小

(ある人の説かく、 衆生世間には辺ありと。 神を説くがごときは、 体中にありて、 芥子のごとく、 棗のごとしと。 あるいはいわく、  一寸なりと。 大人はすなわち神大にして、 小人はすなわち神小なり)

とあり、「涅槃経「涅槃会疏巻八の一六)に、 非聖之人横計二於我大小諸相{  猶如二稗子一 或__如  米豆乃至拇指  (非聖の人横に我を計す、 大小の諸相なおし稗子のごとし。 あるいは米豆、 ないし拇指のごとし)とあるは、全くこれに同じ。「輔行』(巻五下の九、「四教義集注』巻中の五)に、 外人計=一我如一麻豆及母指等

(外人は、 我は麻豆および母指等のごとしと計す)とあるも、 またこの計をいうなり。  これ、 我体を解するに物質的観察をもってせるものなれば、  主観論中の客観論といわざるべからず。  ゆえに仏教にてはこれを駁して、 色無常なれば神もまた無常なるべしとの理をもってす。

つぎに摩奴閣すなわち意生は、 第八一節に『住心品疏    を引きて弁明せるがごとく、 人はすなわち人より生ずと立つる外道にして、 自在天外道が一切みな自在天の所生なりというに似たり。  ゆえに、  これを自在天外道の部類となす。 もしそれ、 人は人より生じ、 動物は動物より生じ、 人獣魚虫みな常に一定してその分を乱るることなしと立つる説ならば、 これ常見外道なり。  ゆえに「宥快紗」(巻四三の一五)には、 同二彼常見外道計相

(か常見外道の計相と同じ)といえり。 しかるに「呆宝紗」(巻二本一の二七)には、「住心品疏」の人即従>人生

(人すなわち人より生ず)を釈して、  上人所生一切人、 下人能生我鉢人也、 此人微妙清浄難缶? 見聞一 此故貴為>我也(上の人は所生一切人なり、 下の人は我体をよく生ずるの人なり。  この人、 微妙清浄にして見聞すべきこと難し。  この故に貴びて我となすなり)とあり。  この釈によらば、 そのいわゆる人は微妙・清浄・不可思議の体なれば、  これを自在天のごときものとなすも可なり。  これを要するにその論、 余がいわゆる人計の一種にして、 天地間に生存せる有心的動物、  すなわち人類を説明せんと欲して起こりたる所計なり。

そのほか「智度論」の十六智見中、 第七の衆数および第八の人は人計に属すべき所見なるも、 その釈義、 今述ぶるものと同じからず。 例えば「三蔵法数 巻四五の一五、「大蔵法数」巻六三の一四)によりて解するに、 衆数とは五陰等の法中において、 みだりに我に五陰・十二入・十八界等の衆法有数ありと計するものをいい、 人とは五陰等の法中において、 我はこれ能修行人にして、 不能の人に異なりと計し、  および我は人道に生じ、 余道に異なりと計するものをいう。 しかしてこのいわゆる人は、「大日経」三十種の補特伽羅外道に当たるも、 その説すこぶる高尚の我計なれば、 後に特に我計外道を述ぶるときに、 その宗義を弁ずべし。 以上掲げたる諸計は、 ここにこれを人計に属するも、 その実みな我計なり。


第九四節    内我外道

つぎに、 以上の諸見の一歩進みたるものに内我外道と称するものあり。  これ、「住心品」三十種の第十一に出ずる外道なり。  これを『同疏『住心品疏冠註」巻五の三)に解説すること左のごとし。

経戸  内我者  有計身中離>心之外、 別有二我性一 能運コ動此身一 作ーー諸事業

(経に内我というは、 ある〔人〕計すらく、 身中に心を離れて、 ほかに別に我性ありて、 よくこの身を運動して、 もろもろの事業をなす。)

これ、 獣主・遍出の我体は身中に潜転して事業をなすというに同じきも、 獣主はその細小なること極微のごとしといい、 この計は身を離れて別にその体ありというの相違あり。 しかるに「十二門論」(二五)には、  これを

裸形迦葉の計となせり。 もし「宥快紗 巻四一の一八)によらば、 今内我外道当二何執一乎、 答可>当二離涸計匂

(今の内我外道はなんの執に当たるや。 答う、 離蘊の計に当たるべきか〔「十住心論科註」(巻一末下の三七)に解するところによらば左のごとし。大正蔵、 蘊につくる〕)とあり。  また、

唯識疏喩伽四計、 即彼後三、 雖社ザ蘊中主赤衣等外計也。或住二蘊外一 或不社サ蘊、 亦非二蘊外一 並離蘊計芙、 数論無悪、 獣

(「唯識疏」に喩伽の四計あり、  すなわちかの後の三は、 蘊中に住すといえども、 あるいは蘊外に住し、 あるいは蘊に住せず、  また蘊外にあらず、 ならびに離蘊の計なり。  数論・無悪・獣主・赤衣等の外の計なり。)すなわち、  この計をもって数論・無態・獣主・赤衣等の計となせり。 しかるに、  これらの計と多少の関係ある

ことは疑うべからずといえども、  その果たして同一種なるやいなやは、 いまだ知るべからず。 しかれどもその計たるや、  上来の諸計のようやく進みて、 身を離れて別に我体の存することを唱うるものなれば、 数論.勝論・尼健子・若提子等のよりて起こる根本の道理なること、 問わずして明らかなり。 しかしてこの有我論に対して、

「住心品疏』に難駁すること左のごとし。

難者云、  若如>是者我則無常、 何以故若法是因、 及従>因生、 皆無常故、  若我無常    則罪福果報、 皆悉断滅。

(難ずる者いわく、 もしかくのごとくんば、 我すなわち無常ならん。 なにをもっての故に、 もし法がこれ因、  および因より生ずればみな無常なるが故に。 もし我無常ならばすなわち罪福の果報みなことごとく断滅せん。)

これ、「十二門論」(二五)「観作者門」に出ずる難問にして、 その意、 我常論に対して無常論を唱うるにあり。しかりしこうして、 我見外道のことは後に詳論すべきをもって、 今これを略す。 そのほか内我につきては「大日経疏」(巻七の三)にヽ

若行人不レ解二正因縁義    而修コ証諸禅一 必当下計二著自心一 以為中内我い彼見二世間万法因>心而有一 則謂下由二神我一生い設令不レ依ーー内我一 必依二外我一也、 即是自在梵天等也云云

(もし行人にして、 正因縁の義を解せずして、 しかも諸禅を修証せば、 必ずまさに自心に計著して、 もって内我とすべし。  かれ世間の万法は、 心によりて有なるを見て、  すなわち神我によりて生ずといえり。 たとい内我によらずとも、 必ず外我による。〔外我とは〕すなわちこれ自在〔天〕梵天等なり、 云々)

とあり。  これによりてこれをみるに、 我に内外の二種ありて、 自在天・梵天等は外我、 身内に我体を立つるは内我なり。 三十種外道中の琺伽我のごときも、 また内我の一種なり。 しかるに、 その説すこぶる高尚なれば、 後に特に我計外道を論ずるときに説明すべし。

これを要するに、 以上の諸計はみな我見外道にほかならざるも、 その順序ようやく客観論より主観論に移り、唯物論より唯心論に進み、  ついに仏教と合体する方針にもとづき、  かくのごとく論述したるなり。


第二章 知計外道論


第九五節    知者・見者外道

前章に論述せる人計外道は、 主観論中の客観論にして、 天地間の万物中、 人類ひとり霊活の作用を有するにつきてこれを説明せんと欲し、 種々の想像を起こししも、 なおいまだ全く唯物的あるいは物質的見解を脱却するに至らず。  その見解ようやく進みて、 人身中に一種特有の知者・見者ありて、 霊活の作用を現ずるゆえんを知るに至る。 けだし「智度論」の十六知見中、 作者・起者・使起者・受者・使受者の諸見を掲ぐるは、  みな人はいかにして活動作用を有するかを説明せんと欲して起こしたる妄見なること明らかなり。  この諸見は、 さきに第四八節に「法界次第初門」の解釈を掲げしも、 さらにここに「三蔵法数 巻四五の一五、「大蔵法数」巻六三の一四)

の略解を挙ぐるに、 作者とは、 五陰等の法中において、 みだりに我に身力手足ありて、 よく所作ありと計するものをいい、 使作者とは、 五陰等の法中において、  みだりに我よく他を役使すと計するものをいい、 起者とは、   陰等の法中において、 みだりに我よく後世罪福の業を起造すと計するものをいい、 使起者とは、 五陰等の法中において、  みだりに我よく他をして後世罪福の業を起こさしむと計するものをいい、 受者とは、 五陰等の法中において、 みだりに我の後身まさに罪福果報を受くべしと計するものをいい、 使受者とは、 五陰等の法中において、みだりに我まさに他をして諸苦楽果報を受けしむと計するものをいう。 しかりしこうして、 知者・見者の二計は、「大日経」三十種外道中、 第十八、 第十九に出ずる外道にして、  これを「住心品疏」(「住心品疏冠註」巻五の    二)に解説すること左のごとし。

経 デ知者見者一 謂有外道計、 身中有二知者一 能知二苦楽等事名為 見 者一 五識    知  名為 知 者一 皆是我計随>事異レ名也。復有  計、 能見者即是真我、 智度云、 目親レ色

(経に知者・見者というは、 いわく、 ある外道の計すらく、 身中に知者あり、 よく苦楽等のことを知ると。

またある〔人〕が計すらく、 能見者とは、 すなわちこれ真我なりと、「智度    にいわく、 目に色をみるを名づけて見者とし、 五識をもて知るを名づけて知者とす、  みなこれ我計なり。 事に随って名を異にす。)

これを「演密紗」(巻三の一六)に解説していわく、 有ーー外道ー計、 能見者而為二真我一 是一是常、 復有二外道一而於二六根一随>事異>名、 皆生二我計一故(ある外道は計す、 よく見る者をしかして真我となす、 これ一これ常なり。 また、 ある外道はしかも六根において事に随って名を異にす。  みな、 我計を生ずるが故に)とあり。  また「呆宝紗」(巻二本一の二二)に、 知者・見者の別を示していわく、 総  以二五識一而知二境界玉竺知者一 別  以ーー眼識一縁二色塵玉竺見者  (総じて五識をもって境界を知るを知者となし、 別して眼識をもって色塵を縁ずるを見者となす)とありて、 見者は眼識の知覚をいい、 知者は五識の知覚をいう。 ゆえに総別の異同あり。 もしまた「宥快紗」(巻四三の七)によらば、 知者外道の宗計は、 五識の苦楽等のことを知りて真我を計するにありて、 見者外道は眼識を計して我となすといえるも、  その意一なり。  これ「智度論」の十六知見中に出ずる名目にして、

「三蔵法数」の略解によれば、〔知者とは〕五陰等の法中において、  みだりに我に五根ありて、 よく五塵を知ると計するをいい、 見者とは、 五陰等の法中において、  みだりに我に眼根ありて、 よく一切の色相を見ると計し、 また我よく諸邪見正見を起こすと計する者をいう。 その意、 見者の解に両義あることを示す。  すなわち、 前義は眼識を別して見者と名づけ、 五識を総じて知者と名づけ、 後義は眼識中の邪見正見を同じく見者と名づけ、 余の四識および第六意識を総じて知者と名づくるなり。  これ「智度論』中に出ずる両義なるも、『住心品疏』に挙ぐるところはただその前義なり。 しかして、  この二者はみなこれ一我なり。  ゆえに「智度論巻二本一の二三)に、

問曰如ーー我乃至知者見者為二是一事一 為二各各異答曰皆是一我、 但以>随>事為>異(問うて曰く、 我ないし知者見者のごときは、  これ一事とせんや、  おのおの異なりとせんや。 答えて曰く、 みなこれ一我なり、 ただ、 事に随うをもって異となす)とあり。 その意、 十六知見はみなこれ一体の我見の異名に過ぎずというにあり。「住心品

疏」(「住心品疏冠註」巻五の    二)に、  この計を難破して曰く、

汝言二能見是我一 而彼能聞能触、 知者為一是我禾'、  若皆是    者六根境界互不二相知一 一不レ可レ作レ六、 六不レ可>作二、 若有二非我者一是亦同レ疑、 故知根塵和合有レ所二知見一 無二別我一也。

(汝は能見をばこれ我なりといわば、 しかもかの能聞も、 能触も知者も、  これ我なりとせんや、 いなや。 もしみな是ならば、 六根の境界は、 互いに相知らず、  一は六をなすべからず、 六は一をなすべからず。 もし我にあらざるものありといわば、  これまた疑に同ず。  ゆえに知らんぬ、 根と塵とが和合して知見するところあり、 別の我なし。)

その意は、 能見を我となすときは、 能聞・能触等もまたおのおの我ならざるべからず。 しかるときは、 六根の作用おのおの別にして、 互いに相知らざるに至るべし。  ゆえに、 知見の生ずるは六根の作用の和合するにより、別に一種の我ありてしかるにあらず。  これ、 仏教の所説なり。



第九六節    内知・外知外道

知者・見者のほかに、『大日経    三十種の中には内知・外知二種の外道あり。  これを「住心品疏」「(  住心品疏冠註」巻五の一四)に釈すること左のごとし。

経戸  内知外知  者、 亦是知者別名、 分為 』一計知一為>我、 謂能知ー外塵境界  者、 即是真我也。有  計内知為>我、 謂身中別有ーー内証者一 即是真我、 或以二外

(経に内知・外知というは、 またこれ知者の別名なり。 分かっ て二計とす。 あるが計すらく、 内知を我とす。 いわく、 身中に別に内証のものあり、  すなわちこれ真我なり。 あるいは外知をもって我とす。 いわく、よく外塵の境界を知るものは、 すなわちこれ真我なり。)

これ、 さきの知者外道を分かちてこの二種となしたるは明らかなり。 しかるに「宥快紗巻四三の二)には、 知者を計する上の異類異計にして、  一体異名なるにあらずという。  さらにまた、 これを「呆宝紗」(巻二本一の二六)に解説すること左のごとし。

一云身中有二別実物一 能知ーー心内事 云心識雖>在レ内、 功用常縁二外塵一 是云二内知外知{  例如二仏法末ー那意'識ー  又外知似二四分中見'分一 内知似ーー証'自'証'分一 此等皆先仏教中六七識等及四分三性法門、 展転相承、違ーー失本旨一 故如>此妄見生  也。

(一にいわく、 身中に別の実物あり、 よく心内のことを知る、 一にいわく、 心識は内にありといえども、 功用は常に外塵を縁ず。  これを内知・外知という。 例えば仏法の末那と意識とのごとし。 また、 外知は四分中の見分に似、 内知は証自証分に似たり。 これらはみな、 まず仏教中の六、  七識等および四分、 三性法門を展転相承して本旨を違失するが故に、 かくのごときの妄見生ずるなり。)

すなわち、 その内知は仏教の八識中、 第七末那識のごとく、  その外知は第六意識のごとし。 あるいは外知は四分中の見分のごとく、 内知は証自証分のごとしという。 ゆえに『住心品疏冠註」(巻五の一七)に、

私記云彼内知之我、 是似下第七識之縁一第八識一 成中自内我執上也、 但今此外道執二内識此外知我是其以ーー第六識之縁一六塵境一 而於二自心命竺我執一也而彼為二自我義  也、

(「私記」にいわく、 かの内知の我は、  これ第七識の第八識を縁じて自内の我執を成ずるに似たるなり。  ただ、 今この外道は内識を執して、 彼を自我の義となすなり。  この外知の我は、  これその第六識の六塵境を縁ずるをもっ て、 自心において我執を成ずるなり)

とあり。 また、

身中等者是似ーー末那縁ーー内境一 又似 証自証分至へ  謂能知等  者此似二意識遍縁ーー諸境一 又似一見分取 相 仕  也

(身中等とは、  これ末那の内境を縁ずるに似、 また証自証分に似たり。 いわく、 能知等とはこれ意識のあまねく諸境を縁ずるに似、 また見分の相分を取るに似たるなり)

とあり。 換言すれば、 外界に関係せる覚知作用を外知といい、 内界のみに関係せるものを内知というなり。 もってその二者の意を了解すべし。 しかして八識および四分の説明は、 他日、 大乗哲学を講ずるときに譲る。  また、

「大日経」三十種の中に社恒梵と名づくる外道あり。  これまた知者外道の部類なるも、 別に一派を立つるをもって、 これを一種の外道となす。  ゆえに「住心品疏」(「住心品疏冠註    巻五の一四)に解すること左のごとし。

経云社  但梵  者、 謂与 知 者外道宗計  大同、 但部党別異    故特出>之耳

(経に社但梵というは、  いわく、 知者にして外道の宗計と大同なり。 ただ部党別異なるが故に、 特にこれを出だすのみ。)

その訳名およびその宗計ともに知るべからず、 ただ知者外道の宗計と大同小異なることを知るのみ。



第九七節    能執・所執外道

また、 知計外道の中に能執・所執と名づくる外道ありて、 知者・見者とその見解を異にするも、 人身に行為挙動あるゆえんを説明せんと欲して、  みだりにその原因を定むるにいたりては一なり。  すなわち、 ここに能執・所執をもっ てその原因と定むるは、 あたかも知者外道において内知・外知を立つるに同じ。  ゆえに、 余はこれを知者外道の連類、 あるいはその変体となす。 今「住心品疏」(「住心品疏冠註示すこと左のごとし。巻五の一三)によりて、 その解釈を

経戸  能執所執一 謂有二外道  言、 身中離二識心  別有ーー能執者一 即是真我能連 動 身口意咋言、 能執者但是識心、 其所執境界乃名二真我{  此我遍二  切処諸事業{  或有祀説

(経に能執・所執というは、 いわく、 ある外道のいわく、 身中に識心を離れて、 別に能執者あり。  すなわちこれ真我なり。 よく身・ロ・意を運動して、 もろもろの事業をなすと。 あるいはあるが説いていわく、 能執者は、 ただこれ識心なり。  その所執の境界を、  すなわち真我と名づく。 この我は、  一切処に遍ぜり。)

すなわち能執の意は、 内界中に識心のほかに、 別に一種の我体すなわち能執者ありて、 よく身口意を動かして事業をなさしむと立つるものをいう。  これに反して所執の意は、 外界中に別に実物ありて、 よく内界の識心にその作用を起こさしむるをもっ て、  その体を計して我となすをいう。 しかるに「大疏印義抄」(巻二の一の二)には、 能執と所執とは、  すなわちこれ遍計見相の二分なりといえり。  この能執と前の知者との別は、「呆宝紗」(巻二本一の二五)によるに左のごとし。

問今能執  者前知者如何異乎、 答知者直指ーー能'縁心一為丘我、 今能執者心外立二微細分位一為レ我、 顕与レ冥羅細大別也、 以>之為>異  ゜

(問う、 能執とは前の知者といかんが異なるや、 答う、 知者はただちに能縁の心を指して我となし、 今の能執は心外に微細の分位を立てて我となす。 顕と冥と、 厖と細と、 大いに別なり。  これをもって異となす。)

換言すれば、 知者外道の方は、 知覚作用を有する識心を指してただちに我体となし、 能執外道の方は、  その識心のほかに冥々の中にありて、 別に一体を立てて我体となすの異同なり。  ゆえに前者は顕、 後者は冥の別ありという。  果たしてしからば、 能執・所執は内知・外知の一変したるものと称して可なり。  しかりしこうして、「住心品疏」(「住心品疏冠註」巻五の一三)にこの計を難破して曰く、

然内外身受心法性皆従レ縁生、 無云有二自性{  是中所執能執、 尚不可得、 何況我  耶、 亦由呆ーレ観ーー我之自性故作二是説一也。

(しかも内外の身・受・心・法の性は、 みな縁より生じて自性あることなし。  この中の所執と能執とすら、なお不可得なり、 いかにいわんや我をや。 また、 我の自性を観ぜざるによるが故に、 この説をなす。)

かくのごとく、 内外自他の身心その体みな因縁より生じて、 本来自性あることなし。 あに所執・能執において、  一種の我体の実在せる理あらんや。  これ、 仏教の無我の理をもって、 外道の実我論を排斥したるものなり。


第九八節    識神外道

知者外道の見解ようやく進みて所執外道に至れば、  一個の人身中に我体の存するにあらずして、 我体は一切の境遇に遍在することを唱え、 相対上の見解ようやく絶対に近づかんとする傾向あり。 例えば「広百論釈論」(巻三の一五)に、

一類外道執、 我周コ偏於一切処 要今苦楽{  故我無ーー形質{  亦無二動作一 不>可一切随五身往二来生死一 故知内我偏ーー於

(一類の外道は執すらく、 我は周遍す    一切処において苦楽を受くるが故に、 我は形質なくまた動作もなし。 身に随って生死に往来すべからず、  ゆえに知る内我は一切に遍ず)

とあるは、 我計中の絶対論なり。 今、「大日経」三十種中の識外道および阿頼耶外道のごときは、 実に識神の世界万有に遍満して存することを唱うるなり。  これ、 能執・所執のさらに一歩を進めたるものにして、 これをさきの知者・見者等に比すれば、 数等の上にありと称して可なり。 あたかも仏教中に大乗・小乗の別あるがごとく、さきの知者・見者等は外道中の小乗にして、 識神外道はその大乗なりというべし。 今、 余がここに識神外道と題するは、 三十種の第十六識外道のほかに、 第十七阿頼耶外道を合称するなり。 まず識外道を考うるに、「住心品疏」(「住心品疏冠註」巻五の八)の解説、 左のごとし。

経云若  識  者謂有二  類  執、 此識遍ー一切処一 乃至地水火風虚空界、 識皆遍 満 其中

(経に「もしくは識」というは、 いわく、 ある一類の執すらく、  この識は一切処に遍ぜり、 ないし地    水・火・風・虚空界にも、 識はみなその中に遍満せりと。)

この識は仏教のいわゆる意識なるも、 外道みだりにこれを計して、 その体一切の処に遍満せりとなす。  ゆえに「住心品疏」「住心品疏冠註』巻五の九)に、 その計を難破して曰く、

若識神遍常応二独能見聞覚知一 而今要由二根塵和合一 方有二識生一 則汝識神為>無ーー所用云何復有二死生面耶、 故知不>爾也。又若識神遍二五道中一

(もし識神遍常ならば、 まさにひとりよく見聞覚知すべし。 しかるに今要ず、 根塵和合するによって、 はじめて識生ずることあれば、 すなわち汝が識神は所用なきになんぬ。 また、 もし識神にして五道の中に遍ぜば、 いかんがまた死生あるや。  ゆえに知らんぬ、 しからざるなり。)

「果宝紗」(巻二本一の一九)に、  さらにその意を約して曰く、

根塵識三縁和合、 仮  成二作用一 何独以レ識為二常住一哉、  若雖レ有レ識無二根塵一者、 更無ー一所用{  若又識神遍二五道一而常住        不缶可缶?死此生彼

(根と塵と識との三縁和合して仮に作用を成ず。 なんぞひとり識をもって常住となさんや。 もし識ありといえども、 根、 塵なければさらに所有なからん。 もしまた識神五道にあまねくして常住ならば、  これに死し、かれに生ずることあるべからず)

とありて、 もし識心は独立常住周遍なるものならば、 内外諸覚の和合するを要するの理なく、 生滅の変遷あるべき理なきを述べて、  その妄計を排するなり。 しかるに、 識神の一切万有に周遍すというがごときは、 仏教の実大乗中の説にして、  すでに「大日経 巻五「真実智品」の三六)に、 我即同二心位一 一切処自在普コ遍於種種有情及非情一云云(われすなわち心位に同じなり、  一切処に自在にして、 あまねく種々の有情と、  および非情とに遍ず、 云々)とあり。  かつ、 真言は識大をもって地水火風空の五大に周遍せることを唱うれば、 あえてこれを斥して外道の妄計とすることを得ざるがごとしといえども、「住心品疏冠註」(巻五の一義と、 外道の識神周遍の義と相異なるゆえんを示していわく、

に、 真言の識大周遍の真宗(真言)意於二性徳海本有六大    談益日遍無碍之義一 此乃仏智所照也、 而今識大普遍義、 遍計所執前於二無常識大    計ーー常遍之義一 故彼此大異也

(真宗(真言)の意は性徳海の本有の六大において普遍無碍の義を談ず。  これすなわち仏智の所照なり。 しかして今の識大普遍の義は遍計所執の前に、 無常の識大において常遍の義を計す。  ゆえに、 かれとこれと大いに異なるなり)

と。  この説明は到底門外の者には解し難しといえども、 その要はただ理想絶対上に識遍を論ずると、 凡情相対の上に識遍を立つるとの相違なり。

つぎに阿頼耶外道を考うるに、「住心品疏」(『住心品疏冠註」巻五の一の解説、 左のごとし。

経云祠  頼耶者、 是執持含蔵義、 亦是室義、 此宗説有二阿頼耶一 能持ーー此身ー有品竺造作    含二蔵万像{  摂>之則無二所有    舒>之則満二世界

(経に阿頼耶というは、  これ執持含蔵の義なり、 またこれ室の義なり、  この宗の説かく、 阿頼耶あって、 よくこの身を持せり、 造作するところあって万像を含蔵す。  これを摂すればすなわち所有なし、 これをのぶればすなわち世界に満つ。)

かつ『同疏』にさらに阿頼耶を解して、 義云二含蔵一 正翻為盗室、 謂諸蘊於二此中一生、 於ーー此中一滅、 即是諸蘊巣窟、 故以為レ名(義には含蔵といい、 正翻には室とす。  いわく、 諸蘊はこの〔阿頼耶の〕中において生じ、  この中において滅す、  すなわちこれ諸蘊の巣窟なり。  ゆえにもって名とす)とあり。 その名称は「解深密経一八)に出ず。  その経の偶に曰く、

巻一の阿陀那識甚深細、  一切種子如二暴流一 我為二凡愚示;開演恐彼分別執為レ我  ゜

(「阿陀那識は甚深にして〔微〕細なり    一切の種子は暴〔水〕流のごとし。 われ、 凡〔夫〕と愚〔夫〕とにおいては開演せず、 彼分別し執〔着〕して、  われとなさんことを恐るればなり」と。)

この偶文を「唯識論 巻三の一九)に釈して曰く、

以下能執二持諸法種子ー及能執コ受色根依処一亦能執中取結生相続上故、 説二此識るヂ阿陀那    無姓有情不証呼窮底、 故説 甚深趣寂種姓不証庄通達故名 甚 細一 是一切法真実種子、 縁繋 便生二転識波浪一 恒無二間猶如二暴流凡即無姓、 愚即趣寂、 恐下彼於レ此起二分別執ヂ諸悪趣障占生ーー聖道一故、 我世尊不二為開演一 唯第八識有二如レ是相

(よく諸法の種子を執持し、  およびよく色根と依処とを執受し、 またよく結生と相続とを執取するをもっての故に、  この識を説いて阿陀那と名づく。 無姓有情は、 底を窮むることあたわざるが故に甚深と説き、 趣寂種姓は、 通達することあたわざるが故に、 甚細と名づく。  これ一切の法の真実の種子なり。 縁に繋せられて、  すなわち転識の波浪を生じ、  つねに無間断なること、 なお暴流のごとし。 凡はすなわち無姓なり。 愚はすなわち趣寂なり。 彼はここにおいて、 分別の執を起こしてもろもろの悪趣に堕して、 聖道に生ずるを障えんかとおそるるが故に、 わが世尊ために開演せず。 ただ第八識のみ、  かくのごとき相あり。)

このいわゆる阿陀那はすなわち阿頼耶なり。  その体中に一切物心の種子を包蔵して、 念々相続間断なきこと、あたかも暴水の流注するがごとし。 凡愚の者はその状態を見て、 ただちにこれを我体となすべし。 しかるに今、この阿頼耶外道はこれを見て我体となせり。 ゆえに、 仏教にてその計を排するなり。 しかりしこうして、 仏教中に説くところの阿頼耶にも二種ありて、「唯識論」の阿頼耶は相対界に属し、「起信論」の阿梨耶は絶対界に属す。  すなわち「起信論」(五)にいわく、 所謂不生不滅、 与二生滅ー和合、 非>一非>異、 名為ーー阿梨耶識  (いわゆる不生不滅と生滅と和合して、  一にあらず、 異にあらざるを名づけて阿梨耶識となす)とあり。「同論義記 巻」

二)には、 阿梨耶と阿頼耶とは梵言の訛なりという。  しかるに、 今ここに述ぶるところの阿頼耶は、 唯識の相対的阿頼耶なり。 これ、 唯識にて識心に八種を分かちたる第八の識心なり。  これによりてこれをみるに、阿頼耶は仏教中において説くところなれば、 あえてこれを破するを要せずというものあり。  ゆえに「智証疏抄」

二)にこれを弁明していわく、

阿頼耶者是執持含蔵義、 此与二内教一同、 何故破レ之、 答執持含蔵、 彼是同レ旨、 但計二神我一 故為二所破

(阿頼耶はこれ執持・含蔵の義なり、 これ内教と同じ。 なにが故にこれを破するや。 答う、 執持・含蔵は、かれとこれと旨を同じくす。 ただし神我を計するが故に所破となす)

とあり。 また「住心品疏冠註」(巻五の一四)に記するところによるに、

言雖レ同意則異、 外道帯レ見、 内道不>爾故、 或仏家有為心云二頼耶一 又仏性真心云ーー頼耶一 外道以ーー神我』ゲ頼

(言は同なりといえども意はすなわち異なる。 外道は見を帯し、 内道はしからざるが故に。 あるいは仏家は有為心を頼耶といい、 また仏性の真心を頼耶という。 外道は神我をもって頼耶という)とあり。 あるいはまた「大疏弁義抄」(巻三の三三)には、 彼  神我為ーー頼耶一 仏法以ーー縁起法玉竺頼耶一也(彼は神我を頼耶となす、 仏法は縁起法をもって頼耶となすなり)とあり。 約言すれば、 その名称同じくこれ阿頼耶なるも、 外道はこれを真我と信ずるをもっ て、 仏教のいれざるところとなるとの意なり。  ゆえに「住心品疏」には、 不>同 仏 法中第八識義一也(仏法の中の第八識の義に同じからず)と釈せり。 しかるに「宥快紗」(巻四三の二)には、 その説の仏教より出でたる疑問を示して曰く、 凡如レ此外道宗計前仏説展転相承違二失本旨一 故展二転仏法中阿頼耶義  如>是計欺(およそかくのごとき外道の宗計は、 前仏の説を展転相承して本旨を違失するが故に、 仏法中の阿頼耶の義を展転してかくのごとく計するか)とあれども、  そのいわゆる前仏の説とは、 門外の人の信ぜざるところなり。  これを要するに、 識外道・補特伽羅・阿頼耶の三種は、 外道我計中のその説最も高きものにして、 外道中の仏教とみなして可なり。 しかして、 補特伽羅外道のことは次章において述ぶべし。


第三章 我計外道論


第九九節    琺伽論我計外道

上来掲げたる外道は、 人計・知計ともに有我論を唱うるものなれば、  みな我計外道なり。 ただ我そのものを解釈すること、 各派同じからざるのみ。  ゆえに、 別に我計の一章を設けて、 別に論述するを要せざるがごとしといえども、「堆伽論」、「唯識論」等の諸書に、 特に我計外道を掲ぐるをもって、 ここにこれを合論せんと欲す。  ま ず、「喩伽」、「顕揚」の十六異論第四に計我論の一計あり。  すなわち「喩伽論」(巻六の八、「顕揚論」巻九の八)の解説、 左のごとし。

計我論者謂如レ有こ  若沙門若婆羅門一 起二如レ是見一 立二如レ是論{  有二我薩埋命者生者一 有二養育者数取趣者一如レ是等諦実常住、 謂外道等作ーー如>是計

(計我論とは、 いわく、 あるひとりのもしくは沙門、 もしくは婆羅門のごとき、 かくのごときの見を起こし、 かくのごときの論を立つ、 我、 薩埋、 命者、 生者あり、 養育者、 数取趣者あり、 かくのごとき等諦、 実に常住なりとなす、 いわゆる外道等、 かくのごときの計をなす。)


そのいわゆる我および薩埋は、「智度論」

十六知見中の第一および第二なり。 薩埋は訳して衆生という。  ゆえに、 我・薩唾は十六知見の我および衆生なり。 我とは「智度論」の意によれば、 於二五陰等法中ー無明不了、 妄計レ有ー我我所之実{  故名為レ我(五陰等の法の中において、 無明にして了せずして、  みだりに我・我所の実ありと計す。  ゆえに名づけて我となす)と解し、 衆生とは、 於二五陰等法和合中一妄計二衆共而生一 故名二衆生

(五陰等の法の和合の中において、  みだりに、 衆ともにして生ずと計するが故に衆生と名づく)と解せり。  つぎにそのいわゆる命者・生者・養育者は、 また「智度論」+ 六知見中に出ずる名目なれば、 第九二節にその解釈を掲げり。つぎに数取趣は補特伽羅の訳語にして、  すなわち人の義なり。  これまた十六知見中の一種にして、 その解は第九二節に示せり。  この数取趣外道は「住心品」中にも出ずるをもって、 後に詳説すべし。 そもそも「喩伽論」において、 外道我計の理由を掲げて曰く、  若無レ我者見ーー於五事示'レ応>起二於五種有我之覚  (もし我なくば、 五事を見てまさに五種の有我の覚を起こすべからず)と。 その五事とは、  一に色形を見、  二に順苦楽の行を見、 三にすでに名を立つる者の名と相応する行を見、  四に作浄不浄相応の行を見、 五に境界の識随転するを見るときをいう。 そのとき、 もし我の存するなくんば、 有我の覚を起こすべからず。 しかるにその覚の起こるは、 我の存するによるとなす。 また、 我計の論拠を示して曰く 喩伽論」巻六の九)、

彼如>是思、 若無レ我者不レ応下於二諸行中ー先起二思覚    得占有一所作{  謂二我以>眼当レ見二諸色一 正見二諸色一 已見 諸負    或復起>心我不函デ見、 如>是等用皆由二我覚行  為 先 導一 如二於>眼見如  是、 於ーー耳鼻舌身意一 応知亦爾、 又於二善業造作、 善業止息、 不善業造作、 不善業止息一 如レ是等事皆由二思覚為品元、 方得二作用一云云  ゜

(彼かくのごとく思わく、 もし我なくんば、 まさに諸行の中において、 さきに思覚を起こして所作あることを得べからずと。  われ眼をもってまさに諸色を見るべく、 正しく諸色を見、  すでに諸色を見き、 あるいはまた心を起こして、 われまさに見るべからず、 かくのごとき等の用、  みな我の覚行じて先導となるによる。  眼の見るにおいてかくのごとくなるがごとく、 耳、 鼻、 舌、 身、 意においても、 まさに知るべし、 またしかり

じと。 また善業を造作し、 善業を止息し、 不善業を造作し、 不善業を止息する、 かくのごとき等の事においてもみな思覚をさきとするによって、 まさに作用を得、 云々。)

これに対してその説を難破せるも、 その論あまり長きにわたるをもってこれを略す。 よろしく『喩伽論」もしくは「顕揚論」につきて一読すべし。 もし、 何種の外道この計をなすかを考うるに、 別に一派の我計外道あるにあらずして、  一切外道みなこの計を唱うるなり。  ゆえに「十住心論」「住心論冠註」巻三の一三)には、 数論.勝論・尼健子・獣主・赤衣・遍出等の諸派みなこの計をなすことを説き、「義林章」(巻一本の一六),こヽ   ま、獣主等一切の外道みなこの計をなすと説けり。 けだし、 外道と仏教との別は、 我計を立つると立てざるとにあり。  そのことは結論に至りて詳論せんと欲す。


第一 節    唯識論我計外道

また、『唯識論」の外道中にも我計の一種を掲げり。  これ『喩伽論』と異なることなしといえども、「唯識論  には我計につきて種々の見解を与えしをもって、  ここに特にその外道を掲ぐるなり。「同論」(巻一の一四)に大梵計・時計・方計

本際計・自然計・虚空計・我計を一類として合論したるは、 けだし、 その計の相似たるところあるによるならん。 しかして、 別に我計の解釈を与えず、「述記」(巻一末の七四)にもただ、 其我亦然、 別有二  我能  生方  法

(その我もまたしかなり。 別に一の我あり、 よく万法を生ず)とあるのみ。  そもそも我計は一切の外道の通有せる所見なれば、 別に我計の一種を設くるに及ばず。 しかるに、 大梵計・時計等と相合しその一計を立つるは、 けだし、 自在天外道あるいは梵天外道の一種に、 特に万法我より生ずと唱うる論者ありしによるならん。 もし「唯識論」(巻一の三および五)中に、  一般に我計につきて論じたるものを挙ぐれば、 我執に量同虚空と、 巻舒随身と、 潜転身中との三種あることを示せり。 そのことは第四六節に掲げり。 また、「同論」(巻一の五、「倶舎固記』巻四の二五)に我計に三種あることを示して、  一者即蘊、  二者離蘊、 三者与レ蘊非函即非レ離

(一には即蘊、  二には離蘊、 三には蘊に即するにあらず、 離するにもあらず)とあれども、  これ外道の我計のほかに、 兼ねて小乗の我計を破するために設けたる分類なれば、 ここに論ずるを要せず。 しかれども、 もしこれに

外道の諸計を配すれば、 第一の即蘊は「了義灯』(巻二本の九)によるに、 是殊徴伽外道、 彼計諸蘊皆有二蘊性如二内宗説    一切諸法以品如為祉性、 彼計二蘊性ー以為二実我一 即当ー一大婆沙所説二十句薩迦耶_見  云云(これ殊徴伽外

道なり。 彼計すらく、 もろもろの蘊にみな蘊性あり。 内宗に一切の諸法は如をもって性となすと説くがごとし。彼は蘊の性を計してもって実我となす。  すなわち、「大婆沙』の所説の二十句の薩迦耶見に当たる、 云々)とあり、 第二の離蘊は『述記』(巻一本の八六)によるに、 即鉢非>蘊、 前説三計皆是此摂、 離者異義(すなわち体は蘊にはあらずという。 前説の三計はみなこれここに摂す。 離というのは異の義なり)とありて、 前の我執の三種みなこの中に摂すとなす。  しかして、 第三は噴子外道の計なりという。 そのほか「唯識論」中には、 所々に外道および小乗の我執を論破せるも、 その要、 実我の妄執を排して、 無我の真理を開くにあり。 もしまた「大日経」三十種外道中につきて、 特に我常論を唱うるものを挙ぐれば、 常定生と名づくる一種の外道あり。  これ「唯識論」に出でたる我計外道とその所立を同じくし、 かつ前章においていまだ弁明せざるものなれば、 左に『住心品疏    「住心品疏冠註」巻五の二の、  これに対する解説を挙示すべし。

経戸  常定生者 彼外道計我是常住不>可二破壊一 自然常生無>有二更生一 故以為>名也。

(経に常定生というは、 かの外道の計すらく、 我はこれ常住なり破壊すべからず、 自然に常に生じて、 さらに生ずることあることなし、  ゆえにもって名とす。)

これを「果宝紗」(巻二本一の三一)に釈していわく、 此計我鉢常恒生起非二始生法    常生故旋転無窮、 能生二一切法一也、 例如二釈論清浄始覚常今常初無始之始  (この計は、 我体は常恒にして生起は始生の法にあらず、 常生なるが故に、 旋転無窮にしてよく一切の法を生ずるなり。 例せば「釈論 巻三の四)の清浄始覚の常は、 今の常にして初は無始の始なるがごとし)とあり。  そのほか三十種外道中には、 なお一、  二の論ずべきものあれば、 次節において述ぶべし。


第一〇一節    数取趣外道

「大日経  「住心品」の外道は、 前章においてたいてい挙示せりといえども、  そのうち補特伽羅および喩伽我の二種はいまだ解説せず。  これ、 我計論の主要なるものなり。 まず補特伽羅すなわち数取趣を考うるに、「住心品疏」(「住心品疏冠註」巻五の七)の解釈、 左のごとし。

経云二補特伽羅一 謂彼宗計有二数取趣_者  皆是一我、 但随>事異>名耳  ゜(経に補特伽羅というはを異にするのみと。いわく、 かの宗には数取趣者ありと計す、 みなこれ一我なり、 ただ事に随って名

その訳名につきては、「玄応音義」(巻二三の一、「住心品疏冠註」巻五の九)に説明するところ、 すこぶるつまびらかなり。 その文、 左のごとし。

補特伽羅案二梵本ー補此云>数、 特伽此云>取、 羅此云>趣、 云二数取趣一 謂数数往二来諸趣一也、 旧亦作二弗伽羅一翻レ名為>人、 言捨二天陰うか人陰一 捨二人陰うか畜生陰ー近>是也、 経中或作ーー福伽羅一 或言ーー富伽羅一 又作二富特伽耶ー  梵音転也、 訳者皆翻  為レ人、 六趣通名  人也、 斯謬甚突、 人者案ーー梵本一云二末奴沙一 旧経名一ー摩兎沙一此云り人、 亦言二有意ぃ グ多>思、 経有二智慧ー故名為レ人也、 鬼畜無>此、 何得>名>人、 斯皆訳者失也云云  ゜


(補特伽羅とは梵本を案ずるに、 補とはここに数といい、 特伽はここに取といい、 羅はここに趣という。 数取趣といい、  数々諸趣に往来するをいうなり。 旧にはまた弗伽羅となし、 名を翻じて人となす。 いうこころは天陰を捨てて人陰に入り、 人陰を捨てて畜生陰に入る、 これに近きなり。  経中、 あるいは福伽羅となし、あるいは富伽羅といい、 また富特伽耶となすは梵音の転なり。 訳者みな翻じて人となす。 六趣に通じて人と名づくるや、  これ謬のはなはだし。 人とは梵本を案ずるに末奴沙といい、 旧経に摩兎沙と名づく。  ここに人という。 また有意という、 思多きをもってなり。  経に智慧あるが故に名づけて人となすなり。 鬼・畜はこれなし。 なんぞ人と名づくるを得んや、  これみな訳者の失なり、 と云々。)

「琺伽論」(巻八=一の一六)に、 補特伽羅者謂能数数往取二諸趣紐竺厭足  故(補特伽羅とは、 いわく、 よく数々諸趣に往取して、 厭足することなきが故なり)とあり。  また「釈論疏」(巻一の四二)に、 補特伽羅即数取羅正当入  義一 謂頻造>業往二諸趣  故(補特伽羅はすなわち数取、 羅はまさしく人の義に当たる。  いわく、 しきりに業を造りて諸趣に往くが故に)とあり。  そのほか「指心紗 巻八の六)「、   拾義紗」(巻六の五)および「宗鏡録」(巻六七の三)、『名義集」(巻二の二二)、『三蔵法数」(巻四一の一七、「大蔵法数」巻五五の一六)等にも解釈あれども、 たいてい今述ぶるところに同じ。  ゆえに、 補特伽羅は人の義なること明らかなり。 しかして、 その所計を「呆宝紗    に釈して曰く、 今此計五蘊和合上別執ー一人鉢ー以為>我、 此我従二今世一 往二後世一随>趣名異、 人我鉢是一也(今この計は、 五蘊和合の上に別して人体を執してもって我となす。  この我は今世より後生に往き、 趣に随って名を異にするも、 人我の体はこれ一なり)と。  すなわち、 我は現在・未来の間において常住なりとなす。

ゆえに「住心品疏」(「住心品疏冠註    巻五の八)にその所計を掲げ、 かつこれを難じて曰く、

若有下従一今世痴守於後世上是則識神為>常、 識神若常    云何有二死生死  名ーー此処滅一 生  名二彼処出故不得レ言二神常一 若無常    則無レ有>我

(もし今世より後世に趣くことあらば、  これすなわち識神を常とやせん、 識神もし常ならば、 いかんが死生あらん、 死をばこの処に滅するに名づけ、 生をばかの処に出ずるに名づく。  ゆえに神常なりということを得ず。 もし無常なりといわば、 すなわち我あることなけん。)

なお、 小乗有部宗において三世実有法体恒有というに似たり。 ゆえに「倶舎論」(巻三    の一)にありては、

これを積子部の所執となす。  すなわち「光記」(巻三    の三)によるに、 積子部執有ー補積伽羅一 此云二数取趣我之異名也、  数取二五趣一 其鉢実有(犠子部は、 補特伽羅ありと執す。  ここに数取趣という、 我の異名なり。 しばしば五趣をとり、 その体は実有)という。 しかして、  この計と前章識外道の計との異同につきて、「呆宝紗」(巻二本一の一九)に弁明せるところは、 彼_就一人鉢ー以計二我鉢{  是直_取一心品玉竺我鉢一 又彼  竪通三二世一 是  横遍一十方一 雖  我相同  宗計又別也(彼は人体についてもって我の体なりと計し、  これはただちに心品を取りて我の体となす。 また、 彼は竪に三世に通じ、  これは横に十方に遍す。 我の相は同じといえども、 宗の計はまた別なり)とありて、 そのいわゆる彼は数取趣外道をいい、 そのいわゆるこれは識外道をいう。  すなわち、 時間上に我の不変を説くと、 空間上に我の周遍を立つるとの別なり。  この二種の外道と阿頼耶外道との三種は、 前章に述ぶるがごとく、 我計外道中の最も発達したるものにして、 数論.勝論のごときも、  この中の部類に属せざるべからず。 もしこれを仏教に比すれば、 大乗八識中の第六、 第七、 第八の三識の上に宗義を立てたるものというべし。

ゆえに「呆宝紗」(巻二本一のニ に、  この三大外道の関係を論じて曰く、 或以二第六識虹か我、 或以  第八識計>我也、 若依二此義ー前補特伽羅第七識計レ我欺、 但是学者一義也(あるいは第六識をもって我なりと計し、 あるいは第八識をもって我なりと計す。 もしこの義によれば、 前の補特伽羅は第七識を我なりと計すか。 ただ、  これは学者の一義なり)とありて、 識外道を第六識に配し、 阿頼耶外道を第八識に配し、 しかして数取趣外道を第七識に配すべきかを示せり。 しかして仏教上よりこれをみれば、 大乗の八識は理想上の観察に出でて、 外道の諸識はみな凡情上の観察に出でたる異同あり。  かつ、 仏教はこれによりて無我の理を証し、 外道はこれによりて実我の見に迷うの別あり。


第_ 二節    相応外道

数取趣外道は仏教よりこれを目して外道となすも、 仏教小乗中すでにその説に類似のものある以上は、 仏教内の外道をあわせ称するものと見て可なり。  そのほか「住心品」中に出ずる外道中、 建立浄・不建立無浄および喩伽我外道のごときは、 その説すこぶる高尚にしてやや仏教に近し。 あるいはいう、  これ仏教中の外道なりと。  まず建立・不建立を考うるに、「住心品疏」(「住心品疏冠註    巻四の七一)の解説、 左のごとし。

経戸  建立浄不建立無浄一者、 是中有己一種計一 前句謂有下建二立一切法考炉 依砒此修行謂>之為五浄、 次句謂建立非ーー究覚法若無二建立所謂無為乃名二真我一 亦離二前句所修之浄{  故云二無浄一也。

(経に建立浄・不建立無浄というは、  この中に二種の計あり。  さきの句はいわく、  一切の法を建立する者あり、  これによって修行する、 これをいって浄とす。  つぎの句はいわく、 この建立は究党の法にあらず、 もし建立なきはいわゆる無為なり、  すなわち真我と名づく、 また、  さきの句の所修の浄を離れたり、  ゆえに無浄という。)

これ、 仏教の有為・無為の二法につきて謬見を生じたるものにして、 前計は有為法につきて我体を建立し、 後計は無為法につきて我体を建立せるものとす。 例えば、「果宝紗」(巻一末五の五四)に解するところ左のごとし。

建立与二不建立一即是仏法中有為無為二法、 付>之生二謬見函 於>如ー法ー    相三論空有二宗行人一 若於二彼宗建立乏笙ず謬見還可>同二外道ー  若執一唯識真実有一者、 如>執二外境亦是法執、 以>之按レ之、 今此二種計又依二先仏教石  二有為無為法一 約ーー情量加生立我鉢臼

(建立と不建立とは、 すなわちこれ仏法中の有為・無為の二法、  これに付して謬見を生ずるか。 法相・三論の空・有の二宗の行人のごときにおいては、 もし、 かの宗の建立において各謬見を生ずれば、 還りて外道に同ずべし。 もし唯識真実有を執すれば、 外境に執するがごとし、 またこれ法執ならん。  これをもってこれを案ずるに、 今この二種の計はまた先の仏教により、 有為無為の法に付して、 情量に約して我の体を建立せるか。)

すなわちこれ、 我体のなんたるを明らかにせざるより生ずる謬見なり。  ゆえに「住心品疏」に、 由レ不>__観  我之自性云ー加グ是見生

(我の自性を観ぜざるによりて、 かくのごとくの〔妄〕見生ずることあり)と解せり。 もし「十住心論科註」(巻一末下の三〇)によれば、 前者は常見にして、 後者は断見なりという。

つぎに喩伽我すなわち相応外道を考うるに、「住心品疏」「住心品疏冠註巻四の七一)の釈義、 左のごとし。

経云論  伽我  者、 謂学>定者計 此 内心相応之理い笞為真我一 常住不動真性湛然、 唯此是究党道離一於因果

(経に堆伽我というはいわく定を学する者、  この内心相応の理を計して、 真我とおもえり。 常住不動にして真性湛然なり、 ただしこれのみ、  これ究覚の道にして因果を離れたりと。)

堆伽とは訳して相応という。  すなわちその計は、 修定者の内心相応の理を観じて常主宰の神我となす。 しかして、 その定は外道の定なりという。  これもとより一種の謬見なれば、『住心品疏」に、 不>観二心自性一故如>是見生、 以二為真我    但住一此理一即名二解脱一也(心の自性を観ぜざるが故に、 かくのごとくの〔妄〕見を生じて真我とおもえり。  ただし〔この種の外道は〕この理に住するを、 すなわち解脱と名づく、 と〔信ず。〕)とあり。 しかるに「呆宝紗』(巻一末五の五三、「宥快紗して曰く、巻四    の五)には、  この計をもって仏法中の謬見の一類なるゆえんを示智証大師記云、 喩伽我者謂学>定者云云  此文何由似二内道一耶、 答凡此文者約下学二内教一者不占観二心之実法一此也、  等釈意今計仏法中謬見一類也。

(智証大師の『記』にいわく、 喩伽我とは定を学ぶ者なり、 と云々。  この文はなにによりて内道に似るや。答う、  およそこの文は、 内教を学ぶ者にして心の実法を観ぜざるに約す、  これなり。 等の釈意は今の計は仏法中の謬見の一類なり。)

その果たして仏教内の外道か、 外の外道かは知るべからずといえども、 外道中の見識大いに進み、 やや仏教に近きものなること明らかなり。  この喩伽我外道は、 西洋にて伝うるところの六大学派中の喩伽学派とその名称を同じくするをもって、 あるいは同一種の外道ならんとの疑いなきあたわず。 西洋所伝の六大学派中喩伽を除きては、  みな仏教中にこれに相当せる外道あり、  ひとり喩伽にいたりては、 仏教外道中にその名目の出ずるを見ず。

仏書中に弥勒所説の「喩伽論    あるも、  これ全く仏教にして外道にあらず。 ただ「大日経」三十種外道中、 喩伽我の一派あり。  ゆえにこれ、 あるいは六大学派の一ならんかと想するものあるべし。 しかれども、 この琺伽我外道は果たして一派を開立せしやいなや、 いまだ知るべからず。  その所計また喩伽学派に異なれば、 その別種なるは論をまたず。 果たしてしからば、 喩伽学派は仏教中の何外道に当たるや、 余ひろく経論を探りて、 竜樹の「方便心論』(四)中にその名目の出ずるを見る。 その文、 左のごとし。

有入  微所 >謂四大空意明無明、 八自在、  一能小、  二為大、 三軽挙、 四遠到、 五随所欲、 六分身、  七尊勝、八隠没、 是名二堆伽外道

(八微、 いわゆる四大と空と意と明と無明と、 八自在、  一には能小、 ニには為大、 三には軽挙、 四には遠到、 五には随所欲、 六には分身、  七には尊勝、 八には隠没ある。  これを喩伽外道と名づく。)

これ、 六大学派中の喩伽外道なること疑いなし。 果たしてしからば、 その学派は竜樹の当時すでに独立せるもののごとし。  しかるに、 そのほかにいまだこの外道のことを掲げしを見ざるは、 やや怪しむべし。 余おもえらく、 わが国所伝の真言はこの外道と関係あるに似たり。 なんとなれば、 それ真言は一名喩伽密教と称し、 その用うるところの経文を『金剛頂堆伽経」という。  かつ両者の宗義を較するに、 喩伽学派は一種の秘密教にして、 天人冥合を目的とし、 祈頑・呪法等を用うるはわが真言に異なることなし。 しかれども、 真言は全く仏教にして、梵天造物を立てざる無神論なるに、 堆伽は梵天を立つる有神論なれば、 その宗意また異なりといわざるべからず。  かつ西洋伝うるところによれば、 喩伽は数論の分派にして、 僧怯の無神論を一変して有神論を唱えたるものなり。 しかしてその論の吠檀多等に異なるは、 梵天と我心との関係はすべて秘密に帰するにあり。 しかるに真言宗においては、  いまだかくのごとき説あるを聞かず。  これ、  その異なるところなり。  なおその異同につきては、世間必ずその説あるべし。 余も他日さらに討究して、 その関係を明示すべし。


第一    三節 墳子外道

上来、 外道の我計を論明してここに至れば、 積子外道の一計を述べざるべからず。 積子外道はそのはじめ仏法外の外道なりしも、 後に仏教に帰して小乗の一部となる。  すなわち、 積子部と称するものこれなり。  その由来に


つきて「唯識述記』(巻一本の八六、『五教章通路記』巻一五の一

に弁明せるあり。  すなわち左のごとし。

筏磋氏外道名ーー積子外道一 男声中呼、 帰>仏出家名二積子部一 曜雌子部女声中呼、 即是一也、  上古有レ仙居ー山寂処一 貪心不>止、 遂染二母牛一 因遂生>男、 流二諸苗裔一 此後種類皆言二積子一 即婆羅門之一姓也、 涅槃経説摂子外道帰>仏出家、 此後門徒相伝不>絶、 今時此部是彼苗裔、 遠襲為>名名  拍子部一 正量部等亦作二此計

(筏磋氏外道を積子外道と名づく。 男声の中に呼ぶ。 仏に帰して出家せるをもって柑子部と名づく。 幡雌子部といわば女声の中に呼ぶ。  すなわちこれ一なり。  上古に仙あり。 山の寂なる処に居せり。 貪心やまず、   いに母牛に染し、 よって    ついに男を生じて、 もろもろの苗裔を流す。  これより後の種類をみな積子という。  すなわち婆羅門の一姓なり。「涅槃経」に説く、 積子外道、 仏に帰して出家すと。  これより後に門徒相伝えて絶えず。 今のときのこの部は、  これ彼が苗裔なり。 遠く襲って名として積子部と名づく。 正量部等もまたこの計をなす。)

この説明によれば、 積子外道の梵名は筏磋氏にして、 仏法に帰して出家したるものを曜雌子部という。  これ噴子部なり。 もし「玄応音義」(巻二四の二七)によらば、 犠子部梵言ーー跛私弗多羅一 此云ーー可住子部    旧言二積子者猶不>了二梵音長短一故也(積子部は梵に跛私弗多羅という。  ここには可住子部という。 旧に積子というは、 なお、 梵音の長短を了せざるが故なり)とあり。 しかして、 その部は最初の積子外道の苗裔にして、 婆羅門姓の末族なり。 仏教中の積子部は、 その説噴子外道に同じく計我論なり。  ゆえに「了義灯」(巻二本の一に、 三蔵伝説積子計、 我似二積子外道計

(三蔵伝え説かく、 積子の計我は禎子外道の計に似る)とありて、「止観    「止観科本』巻一の一八、『止観会本』巻一の一の一八)のいわゆる附仏法外道なり。  その説明は第四節に引証せるがごとく、 外道自ら聡明なるをもって、 仏書を読み一見を生じ、 仏法に付して異説を起こす。  これを附仏法外道となす。 その一例に、 積子読二舎利毘曇ー自制二別義_二口、 我是四句外第五不可説蔵中(栢子は「舎利弗の毘曇」を読んで自ら別義を制していわく、「我はこれ四句の外、 第五の不可説蔵の中なり」〔 大正蔵により弗を補う〕)をもってす。  この損子部ならびに正量部は、 小乗諸部中、 我計を立つる論派なれば、  これを仏教内の外道と称するなり。  ゆえに「住心品疏」(「住心品疏冠註」巻五の八)数取趣外道の下に、 その我計を挙げてこれを破せり。 その文、 左のごとし。

如 仏 法中積子道人及説一切有者一 此両部計>有ーニニ世法一 若定有二過去未来現在一 則同>有ーー数取趣者    失二仏二種法印西方諸菩薩作二種種量破二彼宗計一也。


(仏法の中の積子道人とおよび説一切有者とのごときは、 この両部は三世の法ありと計す。 もし定んで過去・未来・現在あらば、 すなわち数取趣者あるに同じで、 仏の三種の法印を失す。 西方のもろもろの菩薩、種々の量を作って、  かの宗計を破すなり。)

この意を「呆宝紗」(巻二本一の一七)に釈していわく、

小乗教二十部中積子部立二五法蔵    所謂三世無為不可説蔵是也、 此中立二我鉢一為な狂第五不可説蔵中一 及説一切有者  者是薩婆多部名二有部{  是即婆娑論及倶舎等所レ明是也、 此中立二三世及無為

(小乗教二十部のうち、 積子部は五法蔵を立つ。 いわゆる三世と無為と不可説蔵とこれなり。  このうち、 我の体を立てて第五の不可説蔵中にありとなす。  および説一切有とは、 これ薩婆多部にして有部と名づく。  これすなわち「婆沙論    および「倶舎」等に明かすところ、 これなり。  この中に三世および無為を立つ)

とあり。  およそ小乗有部にありては三世実有法体恒有と説き、 あえてまのあたり我を立てずといえども、 三世実有を唱うる以上は、 なお外道の実我論のごとく、 ことに数取趣外道の今世後世にわたりて、 識神常一を説くに同じ。  また憤子部の我計につきては、「中観論」(巻二の二六)に、  若人説二我相妬如二犠子部衆説一 不二説得溢豆色即是我一 不レ言ーー離レ色是我我在ーー不可説蔵中

(もし人、 我相を説くこと柑子部衆の説のごとくんば、 説きて色すなわちこれ我と言うことを得ず。 色を離るるこれ我と言うことを得ず、 我は不可説蔵中にありと〔大正蔵、 得の字あり〕) と説けり。  かくして、 すでに三世実有の法ありとなすときは、 仏教の三大則たる諸行無常、 諸法無我、 涅槃寂静の意にたがうに至るべし。  ゆえに『住心品疏』にこれを破せり。 また「唯識」にありては、 第一〇節に掲げたる我計の三種中、 第三の与レ蘊非即非離(蘊に即するにあらず、 離するにもあらず)に当たる。 また「喩伽論』にありては、 第四の計我論に属す。 しかるに「止観私記」(巻一の一五)に、 禎子と外道との異同を論じて、 我に仮我・神我の二種ありて、 神我を計するものは外道にして、 仮我を計するものは外道にあらず。 今、 積子は仮我を計するものなれば、 外道と異なりといえる説を掲げり。  そのほか「大日経疏愚草 巻八の一 、『同第三重』(巻五の五九)、『同啓蒙」(巻五の五の一)等に、 積子人執の題目を挙げて論弁せるあるも、  ここにこれを略す。  また、 蔵経中「仏説積子経    の一書あるを見るも、  これ全く積子外道に関係なければ、

これを掲げず。 しかしてその宗義のいかんは、 後に小乗哲学を講ずるときに譲る。

上来、 章をかさねて、 ようやく外道の主観論を論述してここに至れば、 外道と仏教との間に分界線を引くこと難きを感ずるなり。 最初、 外道の客観論より論歩を起こし、 ようやく進みて主観論に入り、 その初門の人計よりさらに進みて、  その最も発達したる我計に至れば、 小乗の初門と相合するを見る。  すなわち、 積子部のごときこれなり。 たとい、 仏教と外道との間に分界線を認むることを得るとなすも、 内外の両道は密接の関係を有すること疑うべからず。 外道中の最も高尚なるものは、 内道中の最も低きものとはなはだ相近し。 なお、 人類の最下等と動物の最高等とは、 はなはだ相似たるがごとし。 しかしてその相近きは、 仏教外よりこれをみれば、 外道諸派中より仏教の次第に発達進化しきたれるの観あり。 しかるに仏教内にありては、 外道諸派みな仏教中より転化し

て、 その本旨を失せるに起因すとなす。『呆宝紗 巻一末の五の五三)に、 大師釈云、 諸外道等雖ーー是仏法一 展転相承、 違二失本旨一 然則九十六種外道中、 相二似仏法    謬執多有>之欺(大師釈していわく、 もろもろの外道等は、  これ仏法なりといえども、 展転相承して本旨を違失す、 と。 しかればすなわち九十六種の外道中、 仏法に相似する謬執多くこれあるか)と示せり。  これによりて、 内外二道の互いに近似せるところあるを知るべし。

第六編 各論第四  主観的複元論



第一章 四大外道総論


第一    四節    四大外道の名称

上来、 主観的単元論を講述しおわれるをもって、  これより主観的複元論を弁明すべし。 しかして、 その単元論は人計・知計・我計の三段に分かちたるも、 これみな一種の我計のことにしたがい、 類に応じてその名を異にせるのみ。 かつその諸計は、 これより述ぶるところの複元論を含むといえども、 いまだ複元論の組織を示さざれば、  これより特にその組織を述明すべし。 まず、 複元論は左の四大外道に分類す。

尼健子外道 若提子外道

第三    数論すなわち僧怯外道 第四    勝論すなわち衛世師外道

この四種はまさしく「外道小乗四宗論』に出でたる学派にして、 さきに第四一節に、 すでにこれを一言せり。これ、 外道諸派中の首魁たるものなり。 しかるに、「唯識論』には数論.勝論・無悪.邪命の四種を掲げり。  その無悪は尼健子外道にして、 その邪命は若提子外道の所執に異ならざれば、「外道小乗四宗論」の四大外道に同じ。

しかるにまた天台にては、「止観    に本源三師を掲げり。  すなわち、  数論師. 勝論師・尼健子論師これなり。  さきに第四    節に示せるがごとし。  この分類によれば四宗中、 若提子を欠くがごとしといえども、 若提子は尼健子の分派にして、  その説くところまた相似たるをもって、 往々これを一類の外道となす。 もし、  さらに本源中の本源をたずぬれば、 数論.勝論の二大外道となるべし。  これ、 実に外道中の根本なり。 すなわち、 さきに第四    節に一言せるがごとし。 しかるに、 余は数論.勝論の二種に尼健子・若提子の二派を加えて、 ここに四大外道と称するなり。 もし西洋所伝の六大学派の上に考うるに、 勝論は尼耶也より転化せるものとし、 喩伽は数論より分派せるものとし、 弥曼差は実行派にして理論派にあらざれば、 哲学中に加え難しとす。  ゆえに六大学派中、  ひとり尼耶也学派、 数論学派および吠檀多学派をもって、 本源三大学派と称せざるべからず。 しかして、 吠檀多学派はさきの声論および有神論に当たるをもって、 印度社会に最も勢力を有せしは明らかなり。  これを仏教に考うれば、 吠檀多学派は「止観輔行」のいわゆる二天、 すなわち摩陸首羅天・毘紐天の所計に当たるべし。 しかして、仏教のいわゆる尼健子・若提子は、 西洋のいわゆる何学派に当たるや、 いまだつまびらかならずといえども、  さきに 二舌せしがごとくこれ露形外道なれば、 六大学派以外の閣伊那の一派に当たるべし。 喩伽は秘密学派なれば、 哲学上の価値少なかるべし。 しかるに、 勝論は尼耶也の分派とするも、 尼耶也よりは一層発達せる学派なこれを要するに、 哲学上西洋所伝の六大学派中の首領たるべきものは、 僧怯.毘世史迦.吠檀多の三大学派なるべし。  これを仏教所伝の上にていえば、 数論.勝論・声論(もしくは毘陀論師外道)の三大学派なり。 そのうち声論は客観論中の複元論として論じたれば、  ここに主観論中の複元論として、  数論.勝論の二大派、 ならびに尼健子・若提子の二派を論ぜんと欲す。


第一    五節 四大外道の所見

この四大外道の関係は、「外道小乗四宗論」に述ぶるところ、  すこぶるつまびらかなり。 まずその論には、

.異・倶・不倶の四句をもっ てその関係を示せり。  すなわちいわく、

問曰、 云何言二  異倶不倶一 答曰、 有ーー諸外道二言、  一切法一、 有二諸外道一言、  一切法異、 有二諸外道   言切法倶、 有二諸外道二言、  一切法不倶、 是諸外道於一虚妄法中ー  各各執着以為二実有物一故。

(問うて曰く    いかんが一・異.倶・不倶というや。 答えて曰く、 もろもろの外道ありて一切法一なりといい、 もろもろの外道ありて一切法異なりといい、 もろもろの外道ありて一切法倶なりといい、 もろもろの外道ありて一切法不倶なりという。  このもろもろの外道は虚妄の法の中において、  おのおの執着して実有の物となすをもっ ての故なり。)

しかして、  この四句を四大学派に配合したるところは、 第四一節にすでにこれを示せるも、 さらに左にその表を掲ぐべし。

数論ー 一切法勝論 一切法異尼健子 一切法倶若提子 一切法不倶

この説明は、「四宗論」(一)に問答をもって示せり。 左にその文を転載せん。

(数論)問曰、 云何僧怯人説二  切法一    答曰、 僧怯外道言二我覚二法是一一 何以故、  二相差別不可得    故、問曰、 云何二相差別不可得、 答曰、 如二牛馬異法    二相差別可>見可>取、 言此是牛此是馬、 而我離>覚我不可得、 離レ我覚不可得、 如二我経中説    我覚鉢相如二火与  熱、  二法差別不可得、 問曰、 云何差別不可得、 答曰、彼法不缶説レ異故、 誓如ーー白鮭{  不缶?説言  此是白此是鮭二法差別如二白鮭一 一切法因果亦如レ是  ゜

(数論)(問うて曰く、 いかんが僧怯人一切法一なりと説くや。 答えて曰く、 僧怯外道のいわく、 我と覚との二法これ一なり、 なにをもっての故に、  二相の差別不可得なるが故なり。 問うて曰く、 いかんが二相の差別

不可得なりや。 答えて曰く、 牛と馬との異法のごときは、  二相の差別見るべく取るべし、  これはこれ牛    これはこれ馬なりという。 しかるに我にして覚を離るれば我は不可得なり、 我を離るれば覚は不可得なり。 わが経の中に説くがごとく、 我と覚との体相は火と熱とのごとし、 二法の差別不可得なり。 問うて曰く、んが差別不可得なるや。 答えて曰く、 かの法は異なりと説くべからざるが故なり。 たとえば白鮭を、 これこれ白これはこれ鮭なりといって説くべからざるがごとし。  二法の差別は白鮭のごとし。  一切法の因果もまたかくのごとし。)

(勝論)問曰、 云何毘世師外道説二  切法異一 答曰、 所>言異者我与>覚異、 何以故、 以>説二異法問曰、 云何名砧翌異法一 答曰、 如砧  二此是白此是鮭、 此是天徳此是天徳鮭    我与>覚異亦如>是、 此是我此是智故、 問曰、 有ーー何差別一彼法不缶ジ説二、 答曰、 誓如二白鮭此是白此是鮭如レ是一切因果各異不缶説>一故。


(勝論)(問うて曰く、 いかんが毘世師外道は一切法異なりと説くや。 答えて曰く、 いうところの異とは我と覚との異なり。 なにをもっての故に、 異法なりと説くをもってなり。 問うて曰く、 いかんが名づけて異法なりと説くや。 答えて曰く、 これはこれ白    これはこれ鮭なり、  これはこれ天徳・これはこれ天徳の鮭なりと説くがごとし。 我と覚との異なるもまたかくのごとし。  これはこれ我    これはこれ智なるが故なり。 問うて

曰く、 なんの差別ありて、 かの法は一と説くべからざるや。 答えて曰く、 たとえば白鮭は、  これはこれ白・これはこれ鮭なるがごとし。 かくのごとく一切の因果おのおの異なる、  一と説くべからざるが故なり。)

(尼健子)問曰、  云何尼乾子説二   切法倶     答曰、  言二   切法倶一者、  如二我与磁覚、  不>可レ説>一、  不缶? 説異、  復有二異義{  可レ説二 、  可レ説涵夫故、  問曰、  云何不一不異、 亦一亦異、  答曰、  如二我与>命、  用相有レ異方便異故、  言如二貪瞑痴等得>言>有>異、 誓如二灯明    得二説言>一得二説言>異、  以二有>此有>彼無>此無>彼得>言>一、  灯異処明異処故、  得巳言レ異如二灯明一 因果白酷一切法亦如>是、 亦得>説二  亦得>説>異故言レ倶也。

(尼健子)(問うて曰く、  いかんが尼乾子は一切法倶なりと説くや。  答えて曰く、  一切法倶なりというは、  我と覚と一と説くべからず、  異と説くべからざるがごとし。  また異義あり、  一と説くべく、  異と説くべきが故に。  問うて曰く、  いかんが一ならず異ならず、  または一または異なる。  答えて曰く、  我と命と用相異あり方便異なるが故にいうがごとし、  貪・瞑. 痴等異ありということを得るがごとし。  たとえば灯と明のごときは一といって説くことを得、  異といって説くことを得。  これあるをもってかれあり、  これなければかれなし、一ということを得。  灯は異処、  明は異処なり、  ゆえに異ということを得。  灯明因果白底のごとく、  一切法もまたかくのごとし、  または一と説くことを得、  または異と説くことを得、  ゆえに倶というなり。)

(若提子)問曰、  云何若提子外道説二  切法不倶一 答曰、  不倶者謂一切法不>可>説>一不>可>説>異、  以ーーニ辺見過故、  以下説二  異倶ー論師等皆有中過失上故、  智者不>_立一如>是三法

(若提子)(問うて曰く、  いかんが若提子外道は一切法不倶なりと説くや。  答えて曰く、  不倶なりとは、  いわく一切法は一と説くべからず異と説くべからず、  二辺過を見るをもっての故なり。論師等みな過失あるをもっての故に、  智者かくのごとくの三法を立てず。).異.倶なりと説く、

これ、  我と覚との関係につきて、  四学派の異同を示せるものなり。  数論の説は我覚二法を一なりと立つる論にして、 我と覚と相離るるときは、 ともに不可知不可得なること、 あたかも火と熱と相分かつべからず、 白と鮭と相離すべからざるがごとし。  ゆえに、  この二法一なりと立つるなり。 勝論の説は我覚二法を異なりと立つる論にして、 例えば白鮭を、  これはこれ白、  これはこれ鮭と説くことを得るがごとく、  これは我、 これは覚と説くべし。  ゆえに、  二法異なりという。 尼健子の説は、 我覚二法は不一不異にして、 また亦一亦異なり。  その例に灯明を引きて、 灯と明とは一とも説くべく、 異とも説くべしという。  若提子の説は、 我覚二法不倶と立つる論にして、  一とのみ説くべからず、 異とのみ説くべからず、  ゆえに不倶なりという。  この理によりて、  一切諸法の関係を論ぜりとなす。  これ「四宗論」の説なり。  そのほか「十八空論」二    )および「百字論」(一)にも、 数論・


勝論等の複元論を掲げて論弁せり。 よろしく本書につきて一見すべし。



第一〇六節    四大外道の所執

しかるに、「唯識論」に外道の所執を分類して四種となす。 第一は、 有法と有等性とその体一なりと執するものにして、 数論のごときをいう。 第二は、 この二者その体異なりと執するものにして、 勝論のごときをいう。 第三は、 亦一亦異と執するものにして、 無悪のごときをいう。 第四は、 非一非異と執するものにして、 邪命のごときをいう。 そのことは第四七節に示せり。  これ、 前節掲げたるところの「四宗論」の説に異なることなし。  すなわち、 無態は尼健子にして、 邪命は若提子に当たるべし。 しかるに、 邪命は「唯識述記」(巻一末の九一)の解釈によれば、 即是阿時縛迦外道応』云ーー正命    仏法毀レ之故云二邪命一 邪活命  也(すなわちこれ阿時縛迦外道なり、

まさに正命というべし。 仏法これをこぼって、  ことさらに邪命という。 邪に活命するをもってなり)とあるのみにて、 その果たして若提子なるやいなやは知るべからず。  また「入大乗論

のごとく示せり。

巻上の一六)に、 外道の四執を左問曰、 是諸外道不レ解二因縁  而起二四執一 何者為>過、 答曰、 僧怯所  説有二計>一過一 作与ーー作者ー一、 相与二相者ー一、 分与二有分ー一、 如レ是等皆名為二 、 優楼怯計函異、 尼健陀計二  異一 若提子計二非一非異一 一切外道及摩陀羅等異計、 皆悉不レ離二如>是四種

(問うて曰く、  このもろもろの外道は因縁を解せずして四執を起こす、 何者をか過となすや。 答えて曰く、僧怯の所説は一と計するの過あり。 作と作者と一なり、 相と相者と一なり、 分と有分と一なり、  かくのごとき等みな名づけて一となす。 優楼怯は異と計し、 尼健陀は一・異と計し、  若提子は非一非異と計す。  一切の外道および摩陀羅等の異計は、  みなことごとくかくのごときの四種を離れず。)

この論を「止観輔行」(「止観科本」巻一    のし。、「止観会本」巻一    の一の一

に説明すること左のごと


次明入  大乗論四宗一 作与 作 者ー一者、 大論云身手足等名レ之為レ作、 妄計二神我能有二所作一 名為二作者{  若計下手等与二神我ー一い是計下神与ーー作業ー一上也、 義同>計  於色即是我相与二相者ー一等  者、 相謂身色四大生等四相、 相者即是神我、 此計下神我与二四相ー一ぃ 分与ーー有分二  者、 分謂手足頭等身之少分、 有分謂身、 身有二手足等分一故也、 計ーー身即是頭手足等一 雖玉有二前来三種不同一 前二只是計二神与レ神一一 後一只是計二於身分与レ身_一  耳云云  ゜

(つぎに、「入大乗論」の四宗を明かす。 作と作者とは一なりとは、「大論」にいわく、 身、 手、 足等は、 これを名づけて作となす。 妄計して、 神我によく所作あらしむるを、 名づけて作者となす。 もし、 手等は神我と一なりと計するは、  これ神は作業と一なりと計するなり。 義は、 色においてすなわちこれ我なりと計するに同じ。 相は相者と一なりとは、 相は身色四大生等の四相をいう。 相者とはすなわちこれ神我なり。  この神我は四相と一なりと計す。 分は有分と一なりとは、 分は手、 足、 頭等の身の少分をいう。 有分は身をいう。身に手足等の分あるが故なり。 身はすなわちこれ頭、  手、 足等なりと計するなり。 前来  一種の不同ありといえども、 前二は、 ただこれ、 身と神と一なりと計す。 後の一は、 ただこれ身分と身とにおいて一なりと計するのみ、 云々。〔 大正蔵、身につくる〕)

すなわち、「入大乗論」の四執は「四宗論」に掲ぐるものに同じ。 今「唯識論」の四執を「三蔵法数」(巻一八の二、「大蔵法数    巻ニ の八)に解説して、 外道所計不和巴断常二見一 或執為乙有、 即是常見、 或執為>無、 即是断見、 於二有見中ー及計二  異一 遂有ーー四句  (外道の所計は断常の二見を出でず、 あるいは執して有となすはすなわちこれ常見、 あるいは執して無となすはすなわちこれ断見なり。 有見の中において、  および一異を計して、ついに四句あり)といい、 さらにその四句を釈して曰く、

一執下有法与ーー有等性一其鉢定一いー 執ーー有法一者謂外道於ーー五陰等法一執為二実有一也、 有等性者謂執ーー五陰等法皆有ーー自性一也、 其鉢定一者謂法之与レ性其鉢各無二差別{  故云二定

(一に有法と有等の性と、 その体定んで一なりと執す。

法を執すとは、 いわく、 外道は五陰等の法において執して実有となすなり。 有等の性とは、 いわく、 五陰等の法はみな自性ありと執するなり。  その体定んで一とは、 法と性とその体おのおの差別なきが故に、 定んで一という。)

二執下有法与ーー有等性一其鉢定異 謂外道執二法与レ性其鉢各自不同一 故云二定異

(二は有法と有等の性とその体定んで異なりと執す。ーー 凸いわく、 外道の法と性とその体各自不同なりと執するが故に、 定んで異なりという。)

三執下有法与ーー有等性一亦一亦異 謂外道執ぶ広与祉性其鉢亦同亦不同い 故云二亦一亦異(三に有法と有等の性と亦一亦異なりと執す。るが故に、 亦一亦異という。)

いわく、 外道の、 法と性とその体亦同亦不同なりと執す四執下有法与>有等性ー非一非異上ー 謂外道執二法与レ性其鉢非同非不同    故云二非一非異(四に有法と有等の性と非一非異と執す。非一非異という。)

いわく、 外道の法と性とその体非同非不同と執するが故に、「百論疏」および「中論疏」に掲ぐるところの外道四宗も、「四宗論」および「唯識論

の四種とその類を同じくす。  まず「百論疏」(「百論序疏」    一)には、 僧怯当>一、 世師当>異、 勒沙婆当   亦一亦異 若提子当非一非

(僧怯は一に当たり、 世師は異に当たり、 勒沙婆は亦一亦異に当たり、  若提子は非一非異に当たる)と説き、また「同疏』(巻中上の二)に、  一者僧怯計二神与神覚一{  二者衛世明ーー神与>覚異一 三者勒沙婆計二神覚亦一亦異一第四若提子計二神覚非一非異

(一には僧怯にして、 神と覚と一なりと計す。  二には衛世にして、 神と覚と異なりと明かす。 三には勒沙婆にして、 神と覚と亦一亦異なりと計す。 第四には若提子にして、 神と覚と非一非異なりと計す)と述ぶるは、「四宗論」にもとづきしは明らかなり。 また『中論疏』(巻三本の七)には、 左のごとく記せり。

僧怯人謂二因果一鉢一 衛世人執二因果異鉢一 勒沙婆明ーー亦一亦異一 亦一猶是属>一、 亦異猶是異、 若提子明二非一非異一 非一猶是異、 非異猶是一、 故此中但列二二家一 則具含二四執

(僧怯人は因果一体といい、 衛世人は因果異体と執す。 勒沙婆は亦一亦異と明かす。 亦一はなおこれ一に属す。 亦異はなおこれ異なり。  若提子は非一非異と明かす。 非一はなおこれ異なり、 非異はなおこれ一なり。ゆえにこの中にただし二家をつらぬ。  すなわちつぶさに四執を含む。)

あるいはまた『華厳大疏」

(巻三の二、『三蔵法数」巻一七の二六、「大蔵法数』巻二の一六)に、 外道所>計不>出二四見一 謂数論計>一、 勝論計>異、 勒沙婆計一亦一亦異一 尼健陀若提子計二非一非異  (外道の所計は四見を出でず、 いわく、 数論は一と計し、 勝論は異と計し、 勒沙婆は亦一亦異と計し、 尼健陀若提子は非一非異と計す)とあるも、 篭もこれに異なるところなし。 要するに、 諸疏に掲ぐるところ、  みな「外道小乗四宗論」にもとづきしは疑いなし。 しかるに「三論玄義 首書の八七)に、 外道にも中道あることを示して曰く、 僧怯人言、泥団非レ餅非二非餅一 即是中義也、 衛世師云、 声不>名レ大不>名>小、 勒沙婆云、 光非函罪非レ明、 此三師並以二両非為元中、 而未>知元所ーー以為品中耳(僧怯の人いわく、 泥団は餅にあらず非餅にあらずと。  すなわちこれ中の義なり。衛世師のいわく、 声は大とも名づけず小とも名づけずと。 勒沙婆のいわく、 光は闇にあらず明にあらずと。  この三師はともに両非をもっ て中となす。 しかれども、 いまだ中なるゆえんを知らざるのみ)と。 これ、 三大外道にも中道の説あるも、 いまだ中とするに足らざるゆえんを述べたるなり。 しかしてその説は、 すなわち「百論

(巻下の二二)にもとづきしを知る。 よろしく「百論破空論」を参照すべし。  また、 因果をもってその類を分かつことあり。 例えば「名義集」(巻五の五五)に「宗鏡録」を引きて、 迦毘羅は因中果ありと計し、 僧怯は因中果なしと計し、 勒沙婆は因中亦果あり亦果なしと計すというがごときこれなり。 しかるに「百論疏」巻下の上の二)にヽ

一僧怯執因  中有二世師執ー一因中無一 三勒沙婆亦有亦無、  四若提子非有非無(一には僧怯にして因中の有を執す、  二には世師にして因中の無を執す、 三には勒沙婆にして亦有亦無なり、  四には若提子にして非有非無なり)といえり。 そのほか「倶舎明眼抄」(巻六の五三)に「神泰疏』を引きて、 僧怯は即蘊計の我、 衛世は離蘊計の我、 尼健は我と蘊と亦即亦離、  若提は我と蘊と不即不離なりといえり。


第一〇七節    四大外道の難破

以上四種の所見につきて、「外道小乗四宗論」(二)にその過失を挙げてこれを説破せり。  しかしてこれを説破するに、 総別二段に分かちて、 はじめには総じて四種外道邪見の相に答え、  つぎには別に各種の宗義に答う。 その文はなはだ長けれども、 参考の便を計り左にこれを掲ぐ。 まず、 総答の文は左のごとし。

問曰、 云何過失、 答曰、 若離乙白別無レ 鮭者、 白滅  蛙亦応>滅、  若異レ白更有>  鮭者、 応下有二鮭非>白、有中白非鮭、 是故一異倶等法我倶不>立、 雖>然一異倶等、  一切法不可得、 言無。 答、 此諸外道虚妄分別、 是邪見相、 作ーー是智相一 皆是不>善、 此義云何、 又一等法虚妄分別、 以>不>得_乙豆即彼法彼法一    不>得>言二瓶瓶一一 以二瓶即是瓶一故、 亦不>得涵豆異法異法一ー  以>不>得>言ーー瓶共』虹一一 以二瓶相異鮭、 相異    以ーー異法離羹  法一 異法不>得>一、 不>得>異、 以 異 法不  成 異 法   _以一異法不ね得>言二異法一 若二法説>一説>異、 彼二法応>説>一、 応>説>異、  若不>説>一、 不>説>異者、 此是虚妄分別、 若彼二法是一者、 不>得>言ーー彼法是異若無>二者、 云何言>一以二彼法相待成一故、 依ー一世諦虚妄分別ー  第一義諦中、 無二彼外道虚妄分別戯論過一故。

(問うて曰く、 いかんが過失なる。 答えて曰く、 もし白を離れて別に鮭なければ、 白滅し鮭もまたまさに滅すべし。 もし白と異にしてさらに鮭あらば、 まさに鮭あるも白にあらず、 白あるも鮭にあらざるべし。  この故に一・異.倶等の法は我ともに立てず。 しかりといえども、 .異・倶等の一切の法は無なりということを得べからず。 答う、 このもろもろの外道、 虚妄分別す、 これ邪見の相なり、 これ智の相にあらず、  みなこれ不善なり。  この義いかん。 また一等の法を虚妄分別す。 かの法に即すかの法一というを得ざるをもっ て、瓶は瓶と一なりということを得ず、 瓶すなわちこの瓶なるをもっての故に。 また異法は異法と一なりということを得ず。 瓶は鮭とともに一なりということを得ざるをもって、 瓶の相異なり鮭の相異なるをもって、 異法は異法を離るるをもっ て、 異法は一たることを得ず、 異たることを得ず。 異法は異法を成ぜざるをもって、 異法は異法なりというを得ざるをもって、 もし二法を一なりと説き異なりと説かば、 かの二法はまさに一なりと説くべく、 まさに異なりと説くべし。 もし一なりと説かず異なりと説かざれば、  これはこれ虚妄分別す。 もし、  かの二法これ一ならば、  かの法これ異なりということを得ず。 もし二なければ、 いかんが一といわんや。  かの法相待して成ずるをもっての故に、 世諦によりて虚妄分別す。 第一義諦の中には、 かの外道の虚妄分別戯論の過なきが故に。〔 大正蔵、 非につくる〕)

また左に、  四大学派のいちいちにつきて弁駁せるところを挙ぐべし。

(第一、 数論)迦毘羅優楼怯等外道虚妄分別、 義不二成就    此義云何、 言二  切法一ー者、 此義不レ然、 以>滅応>滅ーー不滅一 不レ応>滅二倶滅倶不滅    此義云何、 汝向  説、 我与レ覚相差別、 不レ可レ得品茫白鮭一 我破一此義何以故、 以下此義不中与二諸経_論  相応上故、 汝説諸法差別不可得者、 此義不>然、 如ーー手爪{  彼法二相差別不可得故、 此明一何義一 如二爪指掌一 多レ之為>手、  若異二此法一手不可得、 如>是白鮭一不可得、 何以故無二異法丘故、我覚一不可得、 如レ是白底一不可得、 如一手与ーー指掌一 若此滅    者、 彼亦応レ滅、 此義云何、  若白滅者、  鮭応滅故、 如ーニ載レ手即裁ーー指掌    汝意若謂白滅 鮭不>滅者、 此義不>然、  若祇不>滅、 白亦不>応>滅、 如>裁二於手一 指掌応>在、 如>馘一指掌一 手亦応>在故、 汝意若謂青黄赤等、 唯滅二白色示'>滅>底者、 云何言>一、  若不>爾者、 青黄赤等色不>応>滅、 不>爾柴不>滅者、 青黄白等色亦不>応>滅、 問曰、 我青黄赤等覆二白色一而不>滅>白、 此義云何、 答曰鮭亦如>是、 覆>祇而不>滅レ話、 又此義不レ然、 洗レ鮭已還見ーー白色    故箭亦如>是、 覆レ鮭不レ滅>鮭、 是故白即是鮭鮭即是白、  若鮭滅者、 青黄赤白等色、 云何見、  若汝意謂、 白滅覆非>滅>鮭、 応滅コ覆鮭ー不>応レ白、  若爾有法滅覆有法不滅不覆  云何言二、 是故一義不レ成。

(第一、 数論)(迦毘羅・憂楼怯等の外道の虚妄分別の義成就せず。  この義いかん。  一切法一なりというは、

この義しからず。 滅をもってまさに滅すべく、 不滅まさに滅すべからず、 倶滅、 倶不滅、  この義いかん。汝、 向に説かく、 我と覚との相の差別不可得なること白鮭のごとしと。 我この義を破る、 なにをもっての故に、  この義、 諸経論と相応ぜざるをもっての故なり。 汝の諸法の差別は不可得なりと説くは、 この義しからず。  手爪のごとく、  かの法の二相の差別不可得なるが故なり。  これ、 なんの義を明かすや。  爪・指掌のごときこれを名づけて手となす、 もしこの法に異ならば手不可得なり。  かくのごとく白鮭の一なること不可得なり、 なにをもっての故に、 異法なきが故に、 我と覚との一なること不可得なり。  かくのごとく白鮭の一なること不可得なり、 手と指掌とのごとし。 もしこれ滅すれば、  かれもまたまさに滅すべしと、  この義いかん。もし白滅すれば、  鮭まさに滅すべきが故に、 手をきればすなわち指掌をきるがごとし。 汝意にもし白滅するも鮭は滅せずといわば、 この義しからず。 もし鮭滅せざれば、 白もまたまさに滅せず、 手をきるも指掌まさにあるがごとく、 指掌をきるも手またまさにあるべきがごときが故に。 汝意にもし青黄赤等ただ白色を滅し鮭を滅せずといわば、 いかんが一といわんや。 もししからずば、 青黄赤等の色まさに滅すべからず、 しからず鮭滅せざれば青黄白等の色もまたまさに滅すべからず。 問うて曰く、 わが青黄赤等、 白色を覆いてしかも白を滅せず、  この義いかん。 答えて曰く、 鮭もまたかくのごとく鮭を覆いてしかも鮭を滅せず、 またこの義しからず。  鮭を洗いおわってかえって白色を見るが故に、  鮭もまたかくのごとし、  鮭を覆いて鮭を滅せず、この故に白すなわちこれ鮭なり、  鮭すなわちこれ白なり。 もし箭滅すれば青黄赤白等の色いかんが見ん。 もし汝意に、 白は滅し覆は滅にあらず、  鮭はまさに滅すべく覆鮭はまさに白を滅すべからずといわんか、 もししからば、 ある法は滅覆し、 ある法は滅せず覆せず、 いかんが一といわんや。 この故に一の義成ぜず。〔大正蔵、 名につくる〕)

第二、 勝論)問曰、 迦那陀外道論師言、  一切法異者、 我与>覚異、 以説二異法一故、 此是我、 此是覚、 如一白鮭一 此是白、 此是鮭故、 答曰、 此義不>然、 以>無二誓喩丘故、 如人説言、 此是手、 此是指掌、 彼人雖砧呼此語一 不レ能>__説  異法一 是故不>得>__言  我覚異一 如二白鮭一 以>見二世間有ーニ一種差_別  故、  一者相、  二者処、 相差別者、 色香味触、 不涵  レ相、 有涵六知相故、 処差別者、 如ーー穀登等一 有白鮭不涵異レ相、 有差別如一彼色香味触若不>爾者、 有二四種過此義云何、 白滅鮭亦滅、 如二彼色香味触一 誓如二火和合  焼レ瓶成二赤色 又為二青色香味一亦爾、  若不>爾者、 色香味触、 亦不>応>滅、 如二彼白祇一 異不可得、  若白滅者、  鮭亦応レ滅、  鮭不>滅者、 白亦不レ応>滅、 問曰、 此義不レ然、 依二彼法有二此法誓如ーー画壁一 依函壁有>画、 壁滅画亦滅、 画滅    壁不  滅、 誓白滅鮭不>滅、 義亦如レ是、 答曰、 汝此誓喩、 事不二相似前後一 不缶?得乙言二此白先有、  鮭是後作壁是先有、 画是後作、 而彼白鮭、 起無二

第二、 勝論)(問うて曰く、 迦那陀外道論師の一切法は異なりというは、 我と覚と異なり、 異法を説くをもっての故に、  これはこれ我、 これはこれ覚なりと。 白蛙をこれはこれ白、  これはこれ鮭なるがごとき故に。 答えて曰く、  この義しからず、 誓喩なきをもっての故に。 人の説きて、 これはこれ手、  これはこれ指掌なりというがごとし。  かの人この語を説くといえども、 異法を説くことあたわず。  この故に我と覚と異なりということを得ず。 白鮭のごとく、 世間に二種の差別あるを見るをもっての故に。

こま月ヽ ニには処なり。 相の差別とは、 色香味触異相ならずして異相あるが故に。 処の差別とは、 穀豆等の白鮭あるがごとし、異相ならずして差別あり、  かの色香味触のごとし。 もししからざれば四種の過ちあり。  この義いかん。 白滅すれば鮭もまた滅す。  かの色香味触のごとし。 たとえば火和合して瓶を焼くがごとし、 赤色を成しおわってまた青色となる。  香味もまたしかり。 もししからずば、 色香味触もまたまさに滅すべからず。  かの白箭のごとく異不可得なり。 もし白滅すれば鮭もまたまさに滅すべし、  鮭滅せざれば白もまたまさに滅すべからず。問うて曰く、  この義しからず、 かの法によりてこの法あり、 たとえば壁にえがくがごとし、  壁によりて画あり、 壁滅すれば画もまた滅す、 画滅するも壁は滅せず、 たとえば白滅するも底の滅せざる義もまたかくのごとし。 答えて曰く、 汝のこの誓喩は事に相似せず、 壁はこれ先にあり、 画はこれ後の作なり、 しかるに、   の白鮭の起こるは前後なし、 この白は先にあり鮭はこれ後に作るということを得ず。)

(第三、 尼健子)問曰、 尼健子外道論師言、  一切法倶、 迦毘羅等論師、 皆有二過失一 以説二 _異  故、 是故我説、 倶而不倶、 誓如一灯明一 有砒此有>彼、 有>彼有>此、 無>此無袖彼、 無袖彼無レ此、 如二有后灯有レ明有袖明有>灯、 無>灯無レ明、 無>明無  灯、 異者能照所照以ーー灯異処、 明異処    是故説レ異、 如二我覚白鮭等{  亦得レ説二、亦得>説レ異、 誓如レ白、 於二鮭中別処一 不缶び得>言ーー此是白、 此是鮭一 如ー一世間此是牛此是馬等一 白鮭不>爾、是故我不>説函異、 亦不レ説>一、  若一者白滅鮭応レ滅、 又若一者、 亦不丘応祀型赤鮭黒鮭等一 是故我言得>説>一、 得>説函異、 此義云何、 答曰、 此義不>然、 如ーニ向  説二僧怯毘世師等過失    砒此無函異、 以二何等義一僧怯一如  向説一 以  何等義    毘世師異如二向説{  云何向説、 如二向説二言二灯明一ー者、 灯即是明、 明即是等、 此唯有別数一 而無二別義    若爾、 灯亦応レ明、 明亦応后灯、 若此二法一者、 云何異処、 如下手与ーー指掌 年密差別い脚手有差  別{  手指掌無恥別、 若一者、 云何言>異、 是故不レ得二言二  言磁異、 此一異義不面成。

(第三、 尼健子)(問うて曰く、 尼健子外道論師いわく、  一切法は倶なり、 迦毘羅等の論師みな過失あり、

.異を説くをもっての故なり。  この故に我「倶にしてしかも不倶」を説く。 たとえば灯明のごとし、  これあればかれあり、 かれあればこれあり、 これなければかれなし、 かれなければこれなし。 灯あれば明あり、明あれば灯あり、 灯なければ明なく、 明なければ灯なきがごとし。 異とは能照と所照となり、 灯異処なるをもって明異処なり、  この故に異と説く。 我覚・白鮭等のごとし、 また「一と説くことを得、 また異と説くことを得」。  たとえば白は鮭中におけると別の処に、 これはこれ白  これはこれ鮭なりということを得べからざるがごとし。 世間に、  これはこれ牛    これはこれ馬なり等のごとし。 白鮭はしからず。  この故に我異なりと説かず、 また一なりと説かず。 もし一ならば、 白滅すれば鮭まさに滅すべし。 またもし一ならば、 またまさに赤鮭、黒鮭等と説くべからず。  この故にわれ言う、  一なりと説くことを得、 異なりと説くことを得と。  この義いかん。 答えて曰く、  この義しからず、 向に僧怯.毘世師等の過失を説くがごとし、  これと異なるなし。

なんらの義をもって僧怯の一と向に説くがごとき、 なんらの義をもって毘世師の異と向に説くがごとき。  いかんが向に説ける。 向に説いて言うがごとし、 灯明一ならば、 灯すなわちこれ明なり、 明すなわちこれ灯なり、  これただ別の数あるのみ、 しかも別の義なし。 もししからば、 灯もまたまさに明たるべく、 明もまたまさに灯たるべし。 もしこの二法一なれば、 いかんが異処ならん。  手と指掌と差別なきがごとし。 脚と手とは差別あり、 手と指掌とは別なし。 もし一ならば、 いかんが異なりといわん。  この故に、  一といい異ということを得ず、  この一・異の義成ぜず。)


(第四、  若提子)問曰、 若提子論師言、 僧怯等論師説、  一切法一異倶皆有二過失我若提子不レ説二  切法一異倶一 如下我論中、 不函酎此義一 唯許中不倶い是故我無二僧怯等過失一 雖レ然不ぬ戸 説言品齊不倶一 此義云何、 答曰、 此義不>然、 以>無ーー誓喩一故、 以>無二誓喩一者、 我説世諦有二如>是法一 第一義諦中無二如>是相    是故此成二我所説義一 此明二何義一 以征無二彼法一 即無ーー此法一 無ー彼法鉢一 亦無  此法鉢一 以二此法不品吟彼法一 彼法不レ成 此 法一 以  此法畢党非二彼法一 彼法亦畢覚非二此法一 以二白非ら鮭、 以ーー鮭非ら白、 以二滅不兵少滅、 以二  者即白是鮭、  鮭即是白一 不>爾者、 滅是滅、 不滅者不滅、 若爾云何虚妄分別、 彼法是一異、 倶不倶、  若爾  鮭亦応  非>鮭非ーー不鮭一 白亦応一非>白非ーー不白一 以鮭即是箭、 白即是白一 是故鮭非>鮭、 白非>白、 是故非レ白不レ得レ白、 如レ是一異倶不倶、 皆是虚妄分別、 唯有ー=言説一 無云_有一実義如是我覚因果等義、 亦如>是故。

(第四、  若提子)(問うて曰く、 若提子論師のいわく、 僧怯等の論師の一切法は一・異.倶なりと説くはみな過失あり。  わが若提子は一切法は一・異.倶なりと説かず、 わが論中のごときはこの義を許さず、  ただ不倶を許すのみ、  この故に我には僧怯等の過失なし。 しかりといえども、 説いて不倶なしということを得ず。  この義いかん。 答えて曰く、  この義しからず、 誓喩なきをもっての故に。 誓喩なきをもって我説く、 世諦にかくのごとくの法あり。 第一義諦の中にはかくのごとくの相なしと、 この故に、  これはわが所説の義を成ず。これ、 なんの義を明かす。  かの法なきをもってすなわちこの法なし、 かの法体なければまたこの法体もなし。  この法、 かの法を成ぜざるをもって、  かの法、 この法を成ぜず。  この法、 畢党かの法にあらざるをもって、 かの法もまた、 畢覚この法にあらず。 白は鮭にあらざるをもって、  鮭は白にあらざるをもって、 滅は滅すべからざるをもっ て、  一なればすなわち白はこれ鮭、  鮭はすなわちこれ白なるをもって。 しからざれば、滅はこれ滅、 不滅は不滅なり。 もししからば、 いかんが虚妄分別なる。 かの法はこれ一・異.倶・不倶なり。もししからば、  鮭もまた鮭にあらざるべく、  話ならざるにあらず。 白もまた白にあらざるべく、 白ならざるにあらず。  鮭はすなわちこれ鮭、 白はすなわちこれ白なるをもって、  この故に鮭は話にあらず、 白は白にあらず、  この故に白にあらず、 白たるを得ず。  かくのごとく、 .異.倶・不倶みなこれ虚妄分別なり。 ただ言説のみあり、 実義あることなし。 かくのごとく、 我覚・因果等の義もまたかくのごとき故に。)

また「入大乗論」(巻上の一七)に、  四大外道の過失を挙げて難破せるも、 その意「四宗論」と大差なければ、これを略す。 もし「百論疏 巻上下の一八)によらば、  四大外道の過失を左のごとき例を挙げて示せり。

衛世則有二頭中有ら足之過一 僧怯則有二頭是足過一 勒沙婆亦一則頭足一過、 亦異則頭有ら足過、 非一非異還招二両失一也。

(衛世はすなわち頭中に足あるの過ちあり、 僧怯はすなわち頭これ足なる過ちあり、 勒沙婆は亦一ならばすなわち頭足一の過ちあり、 亦異ならばすなわち頭に足あるの過ちあり、 非一非異はかえって両失を招く。)


そのほか、「唯識論」

巻一の一七)にも四執を難破して、 彼執非>理(彼が執すること理にあらず)と説き、その理由を示せり。 よろしく本書につきて見るべし。 以上は四大学派の総論なり。 これより、  その各論を述ぶべし。


第二章 尼健子・若提子外道論


第一〇八節    尼撻子の名義

四大学派中、 第一に尼健子外道の名義および宗意を考うるに、 尼健子(尼虔子あるいは尼乾子)は、 ともに尼乾陀弗但羅(明健陀弗咀囃また尼健連他)という。  これを訳して離繋・不繋・無継・無結等と称す。  または那耶脩摩と名づく。 あるいは一名無悪外道という。 まず「唯識述記」(巻一本の七七)には、 左のごとく解せり。

尼虔子今言二泥陀健弗咀嘔一 翻為二離繋子{  苦行修ーー勝因一 名為一離繋一 露形少二羞恥一 亦名無悪一 本師称二離繋{  是彼門徒名>之為>子。

(尼虔子、 今は泥撻陀弗咀曜という。 翻じて離繋子とす。 苦行して勝因を修するをもって、 名づけて離繋とす。 露形にして羞恥少なきをもって、 また無悪と名づく。 本師を離繋と称す。  これは彼が門徒なり。  これを

名づけて子とす。〔   大正蔵、 撻陀につくる〕)

また、  経文中に往々薩遮尼乾の語あるを見るも、 そのいちいちはここに挙示し難し。 また、 蔵経中に「大薩遮尼乾子受記経」と題する一経あり、 その解題を「釈教染門標目」(巻二の五)に示して、 説二  乗菩薩方便境界、薩遮尼乾子現行外道法一(一乗の菩薩の方便の境界、 薩遮尼乾子の現行の外道の法を説く)とあり。  この外道の

名義を「名義集」(巻二の三に解釈して、 薩遮尼乾此云二離繋自餓外道、 尼乾亦翻二不繋レ髪露如形無所貯蓄(薩遮尼乾、 ここには離繋という、 自餓外道なり。 尼乾はまた不繋と翻ず、 髪を抜き、 形をあらわし、貯蓄するところなし)とあり。 また「慧琳音義』(巻二三の一五)には薩遮尼乾を釈して、 薩遮此云>有也、 尼乾者具云 尼 乾連陀一 言>尼者不也、 乾連陀繋也、 謂此類外道裸形自餓、 以二少欲示'下為二衣食翫ば繋故也(薩遮、 ここには有というなり、 尼乾とはつぶさに尼乾連陀という。 尼というは不なり。 乾連陀は繋なり。 いわく、 この類の外道は裸形にして自ら餓ゆ。 少欲をもって衣食のために繋せられざるが故なり)とあり。 あるいはまた(「同音義 巻二六の七))、 薩遮此云レ実、 尼健此云ーー無継拓也(薩遮はここに実といい、 尼健はここに無継というなり)とあり。「玄応音義」(巻七の一八、 巻一の一三)の解釈もこれに異ならず。  そのほか「三大部補注」(巻九の二五)に、 尼健亦云二尼健陀亦云ーー尼健連他一 亦云二尼乾陀弗恒羅此翻ーー不繋云ーー離繋也、 此之外道抜

髪裸形以>手乞>食也(尼健、 また尼健陀といい、 また尼健連他といい、 また尼乾陀弗恒羅という。  ここに不繋と翻ず、 また離繋というなり。  この外道は髪を抜き、 裸形にして手をもって食を乞うなり)とあるがごとき、 その釈義みな同じ。  すなわち、 この外道は苦行によりてその道を修め、 さらに世の衣食のために束縛せらるることなし。  ゆえに、  これを離繋あるいは不繋外道と名づくるなり。 また露形裸体にして、 さらにはずることなし。  ゆえに、 あるいはこれを無悪外道と名づく。  すなわち、「倶舎光記 巻一六の二六)には離繋梵云二尼乾陀一 彼謂内離ーー煩悩繋縛一 外離二衣服繋縛一 即露形外道也(離繋とは、 梵〔語〕に尼乾陀という。 彼は内に煩悩の繋縛を離れ、外に衣服の繋縛を離るれば、  すなわち露形外道というなり)とあり、「喩伽倫記』(巻一八のニには西有外道一裸形無>衣、 以>示ーー離縛一故名二離繋一也(西〔方〕に外道あり、 裸形にして衣なし、 離縛を示すをもっての故に離繋と名づく)とあり。  ゆえに、 あるいはこれを露形外道または裸形外道と称す。  しかるに、「注維摩経 巻三の五)には肇曰尼健陀其出家総名也、 如仏法出家名二沙門  『肇』曰く、 尼健陀はそれ出家の総名なり、 仏法の出家を沙門と名づくるがごとし)とあり、『法華文句記」(「文句科本』巻八の二の五四、『文句会本」巻二四の一

五)には出家外道通名二尼乾

(出家の外道を通じて尼乾と名づく)とあり、 また「慧琳音義』(巻二六の八)には尼乾陀此云二無継一 是外道総名也(尼乾陀、  ここには無継という。  これ外道の総名なり)とありて、 出家外道の通名なるがごとく解せり。 しかるに「文句私記」(巻八末の二九)によるに、「涅槃経」には一切出家外道を梵志と名づくとあり、『文句〔記〕』には在家事レ梵名二梵志  (在家にして梵につかうるを梵志と名づく)とあるの異同を解説して曰く、 梵志非二必出家一 其婆羅門亦通二出家今対二尼乾一且云二在家

(梵志は必ずしも出家にあらず、 それ婆羅門はまた出家に通ずるも、 今は尼乾に対し、 しばらく在家という)とあり。  これによりてこれをみるに、 仏教中に見るところの尼健子の名称は、 あるいは外道の総名、 もしくは出家外道の通名として用うることと、 あるいは一種特殊の外道の派名として用うることと両様あるがごとし。 しかりしこうして、  四大学派中の尼健子は一種特殊の外道にして、  その祖を勒沙婆と名づく。  これを『名義集』(巻五の五五)に解して、 勒沙婆此云孟古行一 似  算数  為 聖 法一 羞  経十万偶  名 尼 乾子一(勒沙婆、  ここに苦行という、 算数をもって聖法となし 経十万偶を造り、 尼乾子と名づく)とあり。 また「百論疏」(巻上中の一七)に、

勒沙婆者此云二苦行仙其人計下身有二苦楽二分若現在併受レ苦尽、 而楽法自出い所説之経名二尼健子云?十万偶(勒沙婆というは、  ここには苦行仙という。  その人は身に苦楽の二分あり、 もし現世にあわせながら受苦し尽きぬれば、 楽法おのずから出ずと計す。 所説の経を尼健子と名づく、 十万偶あり〔田 大正蔵、 世につくる〕)

とあり。 また「同疏」(巻上中の二九)に、 尼健子此云二無結一 依レ経ー修行一離二煩悩結{  故以為>名、 亦名二那耶修摩一 旧云二尼健子  (尼健子をここには無結という、 経によって修行して煩悩の結を離る、 ゆえにもって名となす、 または那耶修摩と名づく。 旧に尼健子という)とあり。 また「百論」(巻上の三、「百論疏」巻上中の二九)

には、 勒沙婆弟子誦ーー尼健子経  (勒沙婆の弟子は「尼健子経」を誦す)とあり。「止観輔行」「(  止観科解」巻一の九)にも、 勒沙婆此云二苦行未知出時節以二算数玉竺聖法一 造経亦有二十万偶ー名二尼乾子

(勒沙婆、  ここに苦行という、 いまだ出時節を知らず、 算数をもって聖法となす。  経を造るにまた十万偶あり、 尼乾子と名づく)とあり。  これによりてこれをみるに、 尼健子外道すなわち離繋あるいは無悪外道は、 勒沙婆すなわち苦行仙を祖とし、 その所説の経を「尼健子経」と名づくるもののごとし。「資持記のことにつきて左のごとく記せり。巻上一下の二)に、 尼健子外道

薩遮尼健即外道名以為二経題諸国函  二化衆生一云云  ゜乃至彼明仏在二鬱闇延城一時、 有二大薩遮尼健子正了八十八千万尼健子一 遊二行

(薩遮尼健はすなわち外道の名なり、 もって経題となす。 ないし、 かれ明かす、 仏、 鬱闇延城におわすとき、 大薩遮尼健子あり、 八十八千万尼健子とともに諸国を遊行し、 衆生を教化す、 と云々。)

これ、「大薩遮尼健子受記経巻三の一)に出ずるところなり。 よろしく本経につきて見るべし。



第一〇九節    尼健子の宗意

尼健子外道は「維摩経」六師の第六に出ずる外道にして、「涅槃経」六師の中にても、 同じく第六にその名の出ずるを見る。  しかしてその宗意を述ぶるは、「注維摩経」と『涅槃経」と相異なりて、「注維摩」の第三と「涅槃」の第六と相合し、 後者の第三と前者の第六と相合すという。「注維摩    の説によれば、 罪福苦楽はことごとく前世の因によるをもって、 必ず償わざるべからず。 現在なにほど道を修むるも、 決してこれを中断するあたわず。 あるいはまた罪福苦楽、 本おのずから定因ありて、 必ずその身にその果を受けざるべからず。 道を行うも、よくその因を断つあたわずとなす。  これ、 いわゆる宿作外道なり。 さきに第八七節に示せるがごとし。「維摩経疏(天台疏)」(巻四の六六)に尼健陀外道につきて、 所説皆由ーー業定一 不レ可レ改、 無二逃避処る、 定んで改むべからず、 逃避の処なし)とあるは、「注維摩経」にもとづく。「百論疏」(所説はみな業によ巻上中の一八)および「中論疏」(巻八本の二)  に出ずるところもこれに同じ。 しかるに、「維摩義記(浄影疏)」(巻二の本の二八)

には尼乾陀若提子を解して、 此不須修外道、 説下諸衆生於二未来世温竺八万劫    自然解脱、 醤如中転二練執於高頂線尽自止上(これは修するをもちいざる外道なり。 もろもろの衆生は未来世において八万劫を過ぎるに自然に解脱すること、 たとえば継執を高頂より転ずるに、 練尽くればおのずから止まるがごとし)とあり。  これ「注維摩経」の第三師剛闇夜毘羅脈子の説にして、「涅槃経」第六師尼健陀若提子の説なり。  さきに第四二節に引用せるところを見るべし。  また「止観輔行」(「止観科本」巻一の一六、「止観会本」巻一の一の一六)に、

尼乾陀若提子説、 無>施無>受、 無二今世後世一 経二八万劫ー自然解脱、 有罪無罪悉皆如レ是、 如下四大河悉入一一大海ー更無中差別上

(尼乾陀若提子説く、 施なく受なく、 今世後世なく、 八万劫を経て自然に解脱す。 有罪無罪ことごとくみなかくのごとく、 四大河のことごとく大海に入り、 さらに差別なきがごとし)

とあるも、 同じく「涅槃経」の説明による。 そのほか、「聖閾賛」(巻四の    二)にも「涅槃経」(南本巻一七の「涅槃経会疏」

巻一七の一三)を引きて曰く、 第六尼健無所畏挙二其法一云、  一切知見為ーー弟子一説、 無>施無レ善、 無る父無五母、 今世後世無(第六尼健無所畏とは、 その法を挙げていわく、  一切知見し、 弟子のために説く、 施なく善なく、 父なく母なし。 今世後世なし)と。 しかして第三剛閣の下には、 実徳挙ーー其徳一云、 其智如二大海一 具 天 神通  為ーー弟子説、 随>意造コ作善悪ー無>有>罪、 如灰 焼>物無 浄 不_浄  (実徳その徳を挙げていわく、

その智大海のごとし。 大神通を具す。 弟子のために説く。  随意に善悪を造作す。 罪あることなし、 火の物を焼きて浄不浄なきがごとし)とあり。  この「注維摩    の説と「涅槃」の説と、 決して同一にあらず。 もし「涅槃」説によらば、  その時到来すれば自然に得道すべきをもって、 汲々として苦行を修むるも、 あえてその必要なきがごとし。 しかして「注維摩」の説によらば、 現身に苦を受け終われば楽法おのずからあらわるるをもって、 苦行を修むるを必要となす。 しかれども、  一般に唱うるところによれば、 尼健子外道は宿作外道にして、 過去世においてなしたる業因は、 必ずその苦楽の果をその身に受けざるべからずと唱え、  ついに苦行をもって道となすに至る。  ゆえに、  これを「喩伽    十六計中、 第六の宿作論に属す。 すなわち第八七節に、「喩伽論」および「十住心論」を引きて解説せるがごとし。 あるいは尼健子と自然外道とを同一類となす説あり。 例えば「大日経義釈捜決抄」    に、「住心品」三十種外道の自然計を論じて、  この計は三仙中、 勒沙婆・若提子等の支流なるべし云々と釈せり。 しかるにまた「外道小乗涅槃論」(四)には、 尼健子は共因説なることを示せり。 その文、 左のごとし。

問曰、 何等外道説、 衆生迭共因生名ーー涅槃一 答曰、 第十三外道尼健子論作ー加グ是説ー  初生二  男共一女    彼二和合能生二  切有命無命等物一 後時離散、 還没二彼処一 名為二涅槃一 是故尼健子論師説、 男女和合生二  切物一名祠  槃因

(問うて曰く、 なんらの外道、 衆生の迭共に因となりて生ずるを涅槃と名づくと説くや。 答えて曰く、 第十三の外道尼健子論師、  かくのごとくの説をなす、 はじめに一男とともに一女を生ず、 かの二和合して、 よく一切の有命無命等の物を生ず、 後時離散して、  かしこに還没するを名づけて涅槃となすと。  この故に尼健子論師の説かく、 男女和合して一切の物を生ずるを涅槃の因と名づくと。〔 大正蔵、 論師につくる〕)

「中論疏」(巻三本の八)に自生    他生・共生の三種を掲げ、 共生の下に尼健子の所計を引きて曰く、 未>有二天地万物一前有二  男女一 共和合  生二於衆生

(いまだ天地万物あらざる前に、  一の男女あり、 ともに和合して衆生を生ず)とあり。  この説によれば、 共因外道あるいは共生外道といわざるべからず。  これによりてこれをみるに、 尼健子は、 あるいは宿作外道、 あるいは不須修外道、 あるいは共生外道、 あるいは苦行、 あるいは無悪外道と称し、 経論疏釈中に出ずるところ多少の異同あるも、 今、 そのうちいずれが正説なるやを判知するに由なし。


もし、  さらにその外道の立つるところの原理を考うるに、『止観輔行

「止観科本」巻一    の九、「止観会本』巻の一の九)には、 此人断結ーー用六障四_濁  為>法、 計二因中亦有>果亦無ら果、 亦一亦異為>宗(この人、 結を断ずるに六障四濁をもって法となす。 因中に亦有果亦無果なりと計し、 亦一亦異を宗となす)とあり。  これ、  けだし「百論疏 巻上中の一七)に基づくものならん。 その疏の文、 左のごとし。

如 方 便心論云有五  智六郭四濁和盆竺経宗一 五智者謂聞智、 思智、 自覚智、  恵智、 義智、 六障者一不見郎、  二苦受部、 三愚痴郎、  四命部、 五姓部、 六名部、 四濁者一瞑、  二慢、 三貪、 四諮也、 而明ー一因中亦有>果亦無ら果、 亦一亦異以為二経宗

(「方便心論」四、「止観私記巻一    の二、「三徳指帰」巻一の四にいうがごとし、 五智・六部・四濁あり、 と。 もって経宗となす。 五智とはいわく、 聞智・思智・自覚智・慧智・義智なり。 六郎とは、一は不見郎、  二には苦受部、 三には愚痴郎、 四には命部、 五には姓部、 六には名郎なり。  四濁とは、 」 

瞑、  二には慢、 三には貪、  四には諮なり。 しかも因中、 亦有果亦無果・亦一亦異を明かすをもって経の宗となす。)

これによりて五智・六部・四濁を知るべし。 もしまた「成実論」(巻三の四)によらば、 十六種義是那耶修摩有

(十六種の義はこれ那耶修摩の有)とありて、 那耶修摩は尼健子のことなれば、 その外道にて十六種の原理を立つるをいう。 もしまた「百論疏」によらば、「尼健子経    に十六諦の説あることを示せり。  すなわち左のごとし。

経説>有二十六諦一 聞恵生>八、  一天文地理、  二算数、 三医方、  四究術、 及四窟陀、 故云后ハ也、 次修恵生后ハ者修ーー六天行一為レ六、 及事二星宿天一行為レ七、 修二長仙行一為レ八  ゜

(経に十六諦ありと説く。 聞慧に八を生ず。  一には天文地理、 二には算数、 三には医方、 四には呪術、  および四章陀なり。  ゆえに八というなり。  つぎに修慧に八を生ずとは、 六天の行を修するを六となし、  および星宿天につかうる行を七となし、 長仙の行を修するを八となす。)

さらにこれを表示すること左のごとし。

その諸諦は「止観輔行」(「止観科本巻一    の一、「止観会本」巻一の一の一〇)にも引用せり。  これさきに第八節に示せる摩薩首羅の十六諦とは同じからずと知るべし。 もし実行上においては、 尼健子の徒は、生草を断ぜず冷水を飲まざるもののごとし。  すなわち「百論疏」(巻上中の二二)に、 尼乾子計ーーー内外物有二命根一不>断二生草一 不>飲二冷水  (尼乾子は内外の物に命根ありと計す。 ゆえに生草を断ぜず冷水を飲まず)とあるを見て知るべし。 また「六物綱要」(三)に尼健子の修行を論じていわく、  若夫持戒持斎威儀法等僕僕爾拘二執事相    磋磋乎保二著情見一 不辰竺無我示向  諦_理  者、 是尼健子行也(それ持戒・持斎.威儀法等のごときは、 僕々爾たり、 事相に拘執す。 磋々たるや情見に保著す。 無我を修せず、 諦理に向かわざるはこれ尼健子の行なり)とあり。  

そのほか「広百論」(巻本の七)には、 離繋外道法多分順ーー愚痴供ー一敬婆羅門一 為>誦二諸明故敗空念離繋一者、 由=二自苦二其身一 如孟古業所感非二真解脱因

(離繋外道の法は、 多分は愚痴に順ず。 婆羅門を供敬するは、 諸明を誦するがための故なり。 離繋を慇念するは、 自らその身を苦しむるによるなり。 苦業の所感が真解脱の因にあらざるがごとし)と説き、「広百論釈論」(巻六の二

には、

離繋外道都  不伝ゲ真、 唯貪ーー後楽ー現受二劇苦諸有レ所>言多不込理、 愚痴種類衆結成>群、 為=一世愚痴之所帰  信云何決定、 知ー一彼愚痴和ぞ露ーー身形 血か羞恥上故、 如レ狂如>畜如伽竪嬰児


離繋外道はすべて真を知らず、 ただ後楽のみをむさぼり現に劇苦を受く。 諸有の所言は多く理に合せず、愚痴の種類が衆結して群を成し、 世の愚痴のものの帰信するところとするのみ。  いかんが決定して彼の愚痴を知るや。 身形をあらわし羞恥なきをもっての故に、 狂のごとく畜のごとく嬰児に似るがごとし)

と釈せり。  これみな、 仏教より尼健子を批評せる論点なり。 もし、 その苦行の状態に至りては後に弁明すべし。ただここに、「息諄因縁経」(一)に出ずる一節を引用して参考となすべし。

彼尼乾陀有>子欲二於沙門    而興二闊評咋ザ如>是言一 我之法律唯我自知、 非二汝所乙知、 汝之法律唯汝自知、 亦非二我知一 我所有法皆悉如レ理、 汝所有法一切非>理、 和合法是我、 不和合法是汝云云  ゜

(かの尼乾陀に子あり、 沙門たらんと欲し、 闘評を興してかくのごときの言をなす、 我が法律はただ我のみ自ら知る。 汝の知るところにあらず、 汝の法律はただ汝のみ知る、 また我の知るにあらず、 我が所有の法はみなことごとく理のごとし、 汝の所有の法は一切理にあらず、 和合法はこれ我、 不和合法はこれ汝なり、云々。)

そのほか経論中、 尼健子に関する論難等すこぶる多しといえども、 煩擾を恐れてこれを略す。


節    若提子外道つぎに若提子外道は、「涅槃経」および「維摩経」には尼健陀若提子と称して、 尼健子と合して一種の外道となせり。  しかるに「外道小乗四宗論」には、 尼健子・若提子の二種を分かてり。  すなわち、 第一    四節に述べしがごとし。 しかして、「唯識論」には邪命すなわち阿時縛迦外道の所執を挙ぐるところ、  若提子の所執と同一なるも、 その若提子と同体異名なるやいなや

いまだ知るべからず。「維摩発朦紗」巻三の六)には邪命を挙げて、 此執即与二若提子ー所計同也(この執はすなわち若提子と所計同じなり)とありて異名同執なり。 よってここに邪命外道の名義を考うるに、「唯識述記 巻一末の九一)にその原語を阿時縛迦といい、「板橘易土集 付巻二の九)には阿者毘伽と記せり。「倶舎論」(巻八の三、『倶舎頌疏    巻六の八)に、 邪命外道ありて尊者舎利弗に難詰したることを出だせり。「倶舎恵暉抄」巻三の二にこれを解説していわく、  邪命外道即是舎利弗舅


(邪命外道すなわちこれ舎利弗舅)とあり。 もし「倶舎指要紗」(巻八の八)によらば、 旧論云尼乾子、 泰疏云尼健子保形邪命外道(旧論にいう、 尼乾子、「泰疏」にいう、 尼健子保形邪命外道)とありて、 その外道は若提子にあらずして尼健子のこととなせり。  およそ邪命とは、 邪因縁によりて活命するを義とし、 正命に反する語なり。『智度論』(巻一九の二四)には、 邪命に五種あることを示せり。  すなわち、

問曰、 何等是五種邪命、 答曰、  一者若  行者為ーー利養一故詐現二奇特    二者為ーー利養一故自説二功徳一  二者為利養一故占二相吉凶一為>人説、  四者為二利養一故高声現>威令ーー人畏敬一 五者為二利養一故称二説所得供養ー以動ー一人心邪因縁    活命    故是為レ邪命

(問うて曰く、 なんらかこれ五種の邪命なるや。 答えて曰く、  一には、 もし行者利養のための故にいつわって奇特を現ず。  二には、 利養のための故に自ら功徳を説く。 三には、 利養のための故に吉凶を占相して、 人のために説く。  四には、 利養のための故に高声に威を現じ、 人をして畏敬せしむ。 五には、 利養のための故に得るところの供養を称説し、 もって人心を動かし、 邪因縁にして活命するが故に、 これを邪命となす)

と説けり。  これによりてこれをみるに、 外道を指して邪命と名づくるは、 外道自称の名にあらずして、 仏教よりこれを毀責したる名なること明らかなり。  果たしてしからば、 必ずしも一種の外道に限りて邪命というにあらざるべし。 仏教よりこれをみれば、  一切の外道みな邪命なり。 なかんずく尼健子・若提子のごとき苦行を道となせる外道に至りては、 もとより邪命外道と呼ばざるべからず。  ゆえに余おもえらく、 尼健子を邪命と名づくるも可なり、 また若提子を邪命と名づくるも可なり、 あるいは尼健子・若提子を合して邪命と名づくるも可なるべし。また、  この二者の異同につきて『発朦紗」(巻三の六)に論ずるところ左のごとし。


尼健陀等者准二諸家説ー多為人一 若依ーー提婆破外道論一云、 言二倶一者外道若提子論師説、  二人各別述二所執計具如二彼論切法倶  者外道尼健子論師、 言ーー一切法不

(尼健陀等とは諸家の説に準ずるに多く二人となす。 もし提婆の「破外道論    によるにいわく、  一切法倶というは外道尼健子論師なり、  一切法不倶というは、 外道の若提子論師の説なり、  二人各別に所執の計を述ぶること、  つぶさにかの論のごとし。)

ゆえに、 この二種は合して一人となす説と、 分かちて二人となす説と両様ありと知るべし。「注維摩」の解釈にては、  若提母名也(若提は母名なり)とあり。 しかるに「百論疏」によれば、  若提子誦一勒婆経

(若提子は勒婆経を誦す)とあり。  これ、  若提子は尼健子の弟子なりとの意となす。 そのことは第四五節、 九十五種外道の下に、「開解抄」を引用せるところを見て知るべし。  これを要するに、 尼健子と若提子とは、 けだしその宗義を同じくし、 ともに宿作外道にして苦行論師なり。 しかして若提子師の六障六自在を示せり。  すなわち左のごとし。

若提子論師説レ有二六障六自在ー  一不見障、  二苦受障、 三愚痴障、  四命尽障、 五不得好性障、 六悪名障、  若翻 此 六障  即六自在、 其人立二非有非無  為>宗、 明二  切法一 若言二是有血竺一法可品取、  若言二是無一而万物歴然以>心取レ境、 無境称レ心、 以レ境取>心、 無心称>境、 故云二非有非無    喋然無>言。

(若提子論師は六障六自在ありと説けり。  一には不見障、  二には苦受障、 三には愚痴障、  四には命尽障、   には不得好性障、 六には悪名障なり。 もしこの六障を翻ずればすなわち六自在なり。 その人は非有非無を立てて宗となして一切法を明かせり。 もしこれ有なりといわば、  一法として取るべきなし。 もしこれ無なりといわば、 しかも万物歴然たり。 心をもって境を取れば境の心にかなえるなし、 境をもって心を取れば心の境にかなえるなし。  ゆえに非有非無なりという。 礫然として無言なり。)

そのほか仏書中に、 特に若提子外道の字義・教理につきて論述せるものを見ず。 けだし、 その説尼健子と同じきによるならん。


第一    一節    苦行外道

さきに述ぶるがごとく、 尼健子・若提子は宿作外道にして、 苦楽の原因は過去世においてすでに定まり、 決して動かすべからざるものとし、 もし早くその苦を受け終われば、 死後楽を受くべしと信ず。  ゆえに、 苦行をもって道となす。  これ、 その苦行外道たるゆえんなり。 しかれども、 外道の苦行はひとり尼健子・若提子に限るにあらず、 諸種の外道みな苦行を勧めざるはなし。  ゆえに、 仏教はこれに対して楽行を勧めり。 あるいは「梵網古迩

記」(巻下末二の一六、「梵網古迩記撮要」巻六の八)に、「智度論    を引きて論ずるところによるに、 仏法唯以ニ智慧一為>本、 不二以>苦為  先(仏法はただ、 智慧をもって本となし、 苦をもって先となさず)とあり。  これ、 仏教と外道と相異なる一点なり。  すでに、 さきに尼健子外道を苦行・露形あるいは保形外道と称せしも、「外道小」乗涅槃論には、 保形外道論師・苦行論師・行苦行論師・尼健子論師の四種を分かてり。 今、 その保形・苦行および行苦行三論師の説明を転載すれば左のごとし。

問曰、 何等外道、 分別見ー一種種異相一 名  涅槃一 答曰、 第六保形外道論師説。

(問うて曰く、 なんらの外道、 分別して種々の異相を見て涅槃と名づくるや。 答えて曰く、 第六の裸形外道の論師説く。)

問曰、 何等外道説、 身尽福徳尽、 名為二涅槃一 答曰、 第八苦行論師説。

(問うて曰く、 なんらの外道、 身尽き福徳尽くるを名づけて涅槃となすと説くや。 答えて曰く、 第八の苦行論師説く。)

問曰、 何等外道説、 罪福尽徳亦尽、 故名二涅槃{  答日、 第十外道行苦行論師説。

(問うて曰く、 なんらの外道、 罪福尽き徳また尽くるが故に涅槃と名づくと説くや。 答えて曰く、 第十の外道行苦行論師説く。)


この苦行論師と行苦行論師とは、 その所計相似たり。  これ、 果たして別種の外道なりや、 あるいは一種の外道を分別して数類になしたるものなるや、  つまびらかならず。 しかしてその説明は、 いまだ苦行の状態を示さず。

しかるに「涅槃経」には、 第四二節に一言せるがごとく、 自餓    投淵.赴火・自坐.寂黙・牛狗の六種の苦行を掲げり。 今「法苑珠林」(巻八三の九)に引証せるところ左のごとし。

涅槃経云、  若外道自餓苦行道者一切畜生長応ーー得道一 是故外道受ー自餓法一 投レ淵赴>火、 自墜二高巌一 常翅ニ脚    五熱灸>身、 常臥二灰土棘剌編豚樹葉悪草牛糞之上一 饂服麻衣糞掃耗褐欽婆羅衣、  茄>菜喀>果、 藉根油滓牛糞根茎、 苦行戸乙食ー限  至二  家    主若言レ無即便捨去、 設復還喚    終不一廻顧一 不レ食二塩肉五種牛味{飲忌咀洸糖沸汁

(「涅槃経」にいわく、 外道の自餓苦行道のごときは、  一切の畜生も長くまさに得道すべし、 この故に外道自餓法を受くるに、 淵に投じ、 火に赴き、 自ら高巌より墜ち、 常に一脚をあげ、 五熱をもって身を灸き、 常に灰土・棘刺・編豚樹葉・悪草・牛糞の上に臥し、 饂服・麻衣・糞掃.耗褐・欽婆羅衣、 菜を茄で、 果をくらい、 藉根・油滓・牛糞・根茎、 もし乞食を行えば、 限りて一家に至る。  主もし無しといわば即すなわち捨て去り、 たとえまたよべども、  ついに廻顧せず。 塩肉五種・牛味を食わず、 常に洸糖沸汁を飲哨す)

「百論 巻上の三)に、 勒沙婆弟子誦二尼乾子経一 言五熱灸>身抜>髪等受苦法是名二善法一 又有二諸師云  二自餓法一 投>淵赴>火、 自墜二高巌一 寂黙常立、 持一牛戒等一是名二善法一(勒沙婆の弟子は  言  乾子経」を誦して言う。五熱身をあぶり髪を抜く等の受苦の法、  これを善法と名づくと。  また、 ある諸師は、 自餓の法を行じ淵に投じ火に赴き、 自ら高巌より墜ち、 寂黙し、 常に立ち、 牛戒を持する等、  これを善法と名づく)とあるは、 全く涅槃の苦行に同じ。 その意を「百論疏」(巻上中の一 に解説せり。 またこの涅槃六師の解釈は、「三蔵法数」(巻二七の    二、「大蔵法数」巻三五の一六)につまびらかなり。 すなわち左のごとし。

一自餓外道、 謂外道修行不五羨二飲食ー  長忍二飢虚一 執二此苦行ー以為二得果之因一 是名二自餓外道

(一に自餓外道。 いわく、 外道修行して飲食を羨せず、 長く飢虚を忍ぶ。  この苦行を執りてもって得果の因となす。  これを自餓外道と名づく。)

二投淵外道、 謂外道修行寒 入二深淵一忍コ受凍苦    執二此苦行ー以為二得果之因一 是名二投淵外道

(二に投淵外道。  いわく、 外道修行するに寒きときに深淵に入り凍苦を忍受す。  この苦行を執りてもって得果の因となす。  これを投淵外道と名づく。)

三赴火外道、 謂外道修行常熱二灸身五盆恕鼻等、 甘コ受熱悩一 執二此苦行ー以為二得果之因一 是名二赴火外道

(三に赴火外道。 いわく、 外道修行するに常に身を熱炎し、  および鼻を黒ずる等、 熱悩を甘受す。 この苦行を執りてもって得果の因となす。  これを赴火外道と名づく。)

四自坐外道、 謂外道修行常自課形不伝拘二寒暑ー  露地而坐、 執二此苦行ー以為二得果之因一 是名二自坐外道

(四に自坐外道。 いわく、 外道修行するに、 常に自ら裸形にして寒暑にかかわらず、 露地に坐す。  この苦行を執りてもっ て得果の因となす。  これを自坐外道と名づく。)

五寂黙外道、 謂外道修行於二屍林塚間ー以為二住処一 寂黙不>語、_執一此苦行一以為二得果之因{  是_名一寂黙外道

(五に寂黙外道。  いわく、 外道修行するに屍林塚間において、 もって住処となし、 寂黙として語らず。  この苦行を執りてもって得果の因となす、  これを寂黙外道と名づく。)

六牛狗外道、 謂外道修行自謂前世従二牛狗中ー来、 即持二牛狗戒一屹>草暇>汚、 唯望ー一生天果之因一 是名二牛狗外道執ーー此苦行ー以為二得


(六に牛狗外道。  いわく、 外道修行するに自らおもえらく、 前世は牛狗の中より来たる、 と。  すなわち牛狗戒を持ち、 草を屹し、 汚をくらい、 ただ生天を望む。  この苦行を執りてもって得果の因となす。  これを牛狗外道と名づく。)


外道はなに故に、  かくのごとき苦行をなすや。  これを「止観輔行」「止観科本」巻一    の一〇、「止観会本」巻一    の一の一に考うるに、 有人意謂勝二沙門故有二苦行一 沙門担レ肩其  即課形、 沙門剃レ頭其  即抜>髪(ある人いわく、  意 に沙門に勝るとおもう故に苦行あり。 沙門肩をぬげばそれはすなわち裸形なり、 沙門剃頭すればそれはすなわち抜髪なり〔大正蔵、 云あり〕)とあり。 また、  若准二外道元由経説有二  比丘遇レ賊倫>衣、有ーー婆羅門一見皆効>之課形(もし外道の「元由経」の説に準ずれば、  一比丘あって賊にあい衣をぬすまる。 婆羅門ありて見て、  みなこれを裸形に効す)とあり。  また、「注維摩経」師の第四阿者多翅舎欽婆羅は実に苦行論なり。 其人著二弊衣ー自抜レ髪、 五熱炎レ身、 以二苦行一為>道(その人弊衣を着し、 自ら髪を抜き、 五熱をもって身を灸き、 苦行をもって道となす)とあればなり。  かつまた「義楚六帖せること左のごとし。

智度論云、 我昔在ーー外道ー五十五年、 但食二牛糞一 裸形臥>棘等。

(巻一四の七)に、 外道の苦行を引証

(「智度論」にいう、 われむかし外道にあること五十五年、 ただ牛糞のみを食い、 裸形にして棘に臥す等。)処胎経云、 外道修行或叉手翅ら足、 合掌随レ日転、 投レ岩赴ル火、 持ー鶏狗等戒一 投>河入>海、 皆_迷一宿作因一也。

(「処胎経」にいう、 外道修行するに、 あるいは叉手し、 翅足し、 合掌して日に随って転じ、 岩に投じ火に赴き、 鶏狗等の戒を持ち、 河に投じ海に入る。  みな、 宿作因に迷うなり。)

また、「秘蔵宝鍮纂解」(巻二の三〇)に「華厳経」を引きて、 苦行の一斑を示して曰く、 爾時善財童子至ーー伊沙那衆落一 見下勝熱婆羅門修ーー諸苦行一求こ  切智い於二日中ー四面火衆猶如二火山一 五熱灸レ身云云(そのとき善財童子、 伊沙那衆落に至り、 勝熱婆羅門のもろもろの苦行を修し、  一切智を求むるを見る。 日中において四面に火衆することなお火山のごとく、 五熱身を灸す、 云々)と記せり。 また「十住心論」「五)に、 復有外道計持ーー狗戒一 或持二油墨戒一 或持二露形戒一 或持二灰戒一 或持二自苦戒住心論科註」巻三本の二或持二糞穣戒一 及現涅槃計二清浄  (また、 ある外道の計すらく、 狗戒を持し、 あるいは油墨戒を持し、 あるいは露形成を持し、 あるいは灰戒を持し、 あるいは自苦戒を持し、 あるいは糞檄戒を持し、  および現涅槃を計して清浄となす)とありて、 その註(『〔十住心論〕科註」)に「遁麟記」(巻一九の五)を引きていわく、 投一永水火一者外道計    恒河水能洗二漁衆罪一 謂>為ーー福河一 事火外道計    火能焼忌竺  切    焼ーー諸煩悩一故復投>之(水火に投ずとは、 外道計すらく、 恒河の水はよく衆罪を洗漁す、 福河となすという、 と。 事火外道計すらく、 火はよく一切を焼き浄む、 もろもろの煩悩を焼くが故に、 またこれに投ず、 と)と。  また「同記」を引きていわく、 以ーニ外道通不レ了二八万劫前之事一 不>知下狗牛過去有中順後生天之業ぃ 但__見  狗牛死得  生>天、 便謂下食>卿暇>糞是生天之因い故以効>之__名  狗牛等禁五

(外道の通は八万劫前のことを了せざるをもっ て、 狗牛の過去に順後に生天の業あるを知らず。 ただ狗牛死して、

生天するを得るを見て、  すなわち草を食い糞をくらい、 これ生天の因とおもう。  ゆえに、 もってこれに効いて狗牛等の禁と名づく)とあり。  かくのごとき数種の外道の起源につきては、 第五四節に「経律異相」を引証せるところを参見すべし。  また「慈恩伝 巻四の一八)に鋪多外道・離繋外道・髄霊外道・殊徴伽外道の四種を掲げ、鋪多之輩以和灰塗五体用為レ修>道、 遍身文白、 猶二寝>鼈之猫狸一 離繋之徒則露レ質標レ奇、 抜レ髪為>徳、 皮裂足跛、 状臨レ河之朽樹、 艘霊之類以二悽骨五ジ霊、 荘レ頭掛>頸、 陥枯碑慕若二塚側之薬叉    徴伽之流披二服糞衣飲蔽  便腿    胆躁臭悪誓 梱 中狂家  云云

(鋪多の輩は灰をもって体に塗り、 もって道を修すとなす。 遍身文白にして、 なお鼈に寝ぬるの猫狸のごとし。 離繋の徒は、  すなわち質をあらわして奇をしめし、 髪を抜いて徳となす。 皮裂け足 妓 して、  かたち河に臨むの朽樹のごとし。 艘霊の類は悽骨をもって霊をつくり、 頭に荘し頸にかかぐ。 陥枯愧器にして塚側の薬叉のごとし。 徴伽の流は糞衣を披服し便檄を飲暇す。 脂腺臭悪なること親中の狂家にたとう、 云々)

とあり。  これまた苦行外道なり。 そのうち、 離繋外道はすなわち尼健子なり。「宗鏡録」にも、 如二西天尼乾子五熱灸五身生ーー大邪_見

(西天尼乾子のごときは、 五熱をもって身を炎し、 大邪見を生ず)とあり。  そのほか外道の苦行の諸書に散見せるもの、 いちいち挙ぐるにいとまあらず。 余はさきに、 在昔釈尊入山学道のとき、 最初に外道の苦行を見て、  これをいといたることを示せり。 今また『釈迦氏譜』(巻下の二)に、  経文を引きて証するところによるに、太子見下諸仙人卿樹皮葉以為レ衣者、 或食二華果草木一 或日止一食、 三日一食者、 或事ーー水火日月一 懃レ脚臥二灰棘水火上一者い問二其所ュ由、 答欲レ生>天

(太子もろもろの仙人を見るに、 草樹皮葉をもって衣となす者、 あるいは華果草木を食い、 あるいは日にただ一食、 三日に一食なる者、 あるいは水・火・日・月につかえ、 脚をあげる、 灰.棘    水・火の上に臥する者あり。 その所由を問うに、 生天せんと欲すと答う) と。  これ、 あに外道の妄見にあらずしてなんぞや。「倶舎論きていわく、巻一九の七)に「発智論」(巻二    の一 を引本論説有ーー諸外道一起二如是見一 立二如レ是論一 若有一士夫補特伽羅 毎含持牛戒鹿戒狗戒一 便得二清浄解脱出離{永超二衆苦楽云チ超ーー苦楽ー処

(本論には説けり、「もろもろの外道あり、 かくのごときの見を起こし、 かくのごときの論を立つ。 もし士夫・補特伽羅ありて牛戒・鹿戒・狗戒を受持すれば、  すなわち清浄・解脱・出離を得、 永く衆の苦楽を超えて、 苦楽を超ゆるところに至る」と。)

これ、 もとより迷心のはなはだしきものなり。 そのほか「止観輔行」(「止観科本」巻一    の一

(『文殊問経』にいわく、 馬を殺すこと四千、 五蔵を除去しているるに七宝をもってし婆羅門に施す。 人を殺して宝をいるるもまた、 またかくのごとし。  また、 箭を四方に射る。 もしは走馬の極処に宝をしきもって婆羅門に施す。 もしは爾許の地内の衆生を殺し、 もしは一切を焼き、 もしは一切の樹木を礼し、 もしは一切の山神を礼す。  かくのごとく、 総じて二十六邪ありとあり。 外道の妄想迷見、 けだし、  みなかくのごとし。 もって仏教の印度に起こりしことの、 偶然にあらざるを知るに足らん。  その教理において、 外道の邪径に対して正道を開きたるは言うをまたず。 その制度・儀容に至るまで、 外道の廼習を排除したるもまた疑いをいれず。

今、  その一例に律儀に関する点を考うるに、『資持記』(巻上一上の二四)に、衣健度中有二此丘匡竺木鉢ー 仏言不丘応丘四如レ是鉢一 此是外道法、 乃至比丘畜二繍手衣ー  著二草衣樹皮衣葉衣甥路衣皮衣鳥毛衣人髪衣馬尾牛尾衣一露>身、 仏    一皆言>不>応>爾、 此是外道法

(衣健度の中に、 ある比丘は木鉢を持つに、 仏いわく、 まさにかくのごとき鉢を持つべからず、  これはこれ外道の法なり、 と。 ないし、 比丘、 鎌手衣をたくわえ、 草衣・樹皮衣・葉衣・甥路衣・皮衣・鳥毛衣・人髪衣・馬尾・牛尾衣を着し、 露身なるに、 仏いちいちみな、 まさにしかるべからず、  これはこれ外道の法なりという)とあり。  また『釈門章服儀』(二に、 九十六種外道其徒不>倫、 或裸或衣、 或素或染、 莫二有>定者釈門不爾、 倶服ーー染衣一 色非二純上絶二於奢靡(九十六種の外道、 その徒は倫ならず、 あるいは裸、 あるいは衣、 あるいは素、 あるいは染、 定めある者なし。 釈門はしからず、 ともに染衣を服し、 色は純上にあらず、 奢と靡とを絶す)とあり。 あるいはまた「六物図 四、「六物図考索』六、「六物図纂註」巻一の一六、「六物図依釈」巻一のに、『智度論』(巻六八の二三)を引きて曰く、 仏弟子住二中道一故著ーニニ衣ー外道保形無レ恥、 白衣多貪重著

(仏弟子は中道に住するが故に、 三衣を着す。 外道は保形にして恥なし。 白衣は多貪にして重著す)とあり。 あるいはまた『梵網古迩撮要』(巻六の八)に、 彼以ー丑古行一為レ本、 如二黄髪米謄投灰裸形一(彼は苦行をもって本となす、 黄髪米腑投灰裸形のごとし)とあり。 その余は推して知るべし。 これを要するに、 尼健子・若提子は外道中の苦行論師となすも、 その実、 諸種の外道たいていみな苦行を勧む。 しかしてその目的は、  これによりて罪悪を滅し、 清浄を得、 あるいは現身に苦を受けて、 後身に楽を得んとするにあり。 換言すれば、 苦を払いて楽を買わんとするにあり。 もし、  この尼健子・若提子外道を西洋所伝の六大学派の上に考うれば、 さきに述べしがごとく、 闇伊那の苦行派なりという。 しかれども仏教経論中、 いまだその的証を得ざるなり。


第三章 勝論外道論


第一    二節 勝論の名義および由来

尼健子・若提子を論述してここに至れば、  四大学派中の最たる勝論および数論の大綱を弁明せざるべからず。まず勝論のことを開陳せんに、『勝宗十句義論』およびその「疏釈」につきて、 宗意・教理のいかんを知ることを得。 今左に、 世間に現存せる書にして、 余がひもときたる註疏類を挙示すべし。

そのほか二、 三の講録筆記の存するを見る。 しかしてその数書中、 林常の「訣択    は、 本論を註釈すること最もつまびらかなり。 また仏書中には、「外道小乗四宗論」、「外道小乗涅槃論」、「唯識論」(巻一の一、「中論疏」(巻五本の一七)、「百論疏」(巻上中の二六)、「三徳指帰巻    一の四、「因明大疏」(巻三の四八)、「唯識述記」(巻一末の三九)、 「同二十論述記』(巻上の二)、『了義灯』(巻二本の三、「演秘』(巻一末の一「止観輔行」(「止観科本」巻一の九、『止観会本』巻一の一の九)、「倶舎論光記』(巻五の六)、『倶舎頌疏記」(「遁麟記」巻一の一八)、「同義紗」(「恵暉抄巻一の一、「慈恩伝」(巻四の一九)、「飾宗記」(巻七末の五)、「因明四相違註釈」(巻中の一)、「因明瑞源記」(巻四の六七、「倶舎北林紗巻一の三一、「開目抄見聞」巻一の一八)、「印度蔵志」巻三の二、「印度蔵志略」巻二の一、「略述外宗義)、『金七十論解」(巻上の八、「唯識二十論権衡紗」巻七の三)等の諸書に、 その大要を示せり。 今この諸書によりてその名義を考うるに、 勝論は漢訳にして、 梵語これを吠世史迦という。 あるいは碑世師・碑息.毘世師・衛世師等と称するも、  みな訛略なり。

これを訳して、 最勝・無勝または勝異論あるいは勝論という。『玄応音義』(巻

一の一六)に衛世師を解して、応>言二碑息迦論

(まさに稗息迦論というべし)といえり。  また『榜伽経』(四巻、 巻二の二〇)に僧怯毘舎師とりて、 その註釈(「榜伽経註解」巻二の四五)に、 毘舎者勝論也(毘舎とは勝論なり)と解せり。  その開祖を喘露迦、 旧に優婁怯、 あるいは優楼歌と名づく。 または一名塞拳僕、 旧に登竿陀という。  すなわち、 西洋にて伝うるところの迦那陀これなり。「唯識述記」(巻一末の三九)に、 よくその名義および伝来を略述せること左のごとし。

成劫之末人寿無量、  外道出レ世名二喘露迦一 此云二僻譲一  昼避二色声    匿二跡山藪一 夜絶ーー視聴一 方行二乞食一時、人謂>似二偏餞一因以名也、  謂即猟捩之異名焉、 旧云二優婁怯一訛也、  或名二翔拳僕一 翔怒云二米斉一 僕翻為レ食、先為ー一夜遊 露竺他稚婦{  遂収二場硯糠枇之中米斉ー食>之、  故以名也、  時人号曰ーー食米済仙人一 旧云ーー窪尼_陀  也、  亦云二吠世史迦此翻為>勝、  造二六句論諸論竿>匹、  故云二勝也、  或勝人所造故名二勝論旧云二衛世師或云 稗 世師誓  訛略也、  勝論之師造 勝 論  者名 勝 論師 多年修レ道遂得 五  通一 謂>証 菩 提一 便欣レ入レ滅、但嵯所悟未>有二伝人一_慇一一世有情痴無二恵目乃観二七徳一 授レ法令>伝、  一生一中国二父母倶是婆羅門姓、  三有最  涅槃性 四身相具足、  五聴明弁捷、  六性行柔和、  七有一大悲心一 経二無量時 血竺具>七者一 後住二多婆羅咤斯国有二婆羅門ー名二摩納縛迦一 此云ーー儒童一 其儒童子名ー一般遮戸棄一 此言二五頂    頂髪五旋、  頭有二五角其人七徳雖レ具根熟梢遅、  既染ー一妻拳    卒難二化導一 経ーー無量歳 扁型其根熟一 後三千歳因入二戯薗一 与二其妻室競>華相念、  僻鶴因レ此乗レ通化レ之、  五頂不レ従、  仙人且返、  又三千歳化又不>得、  更三千年両競尤甚、  相厭既切、  仰念二空仙{   仙人応レ時神力化引、  騰>虚迎二往所住山中一  徐説二所レ悟六句義法 実二徳三業四有五同異六和合、  此依ーー百論及此本破唯有ユハ句義法後其苗裔名為二恵月_立一十句義云云  ゜

(成劫の末、  人寿無量のとき、  外道世に出ず。  喘露迦と名づく。  ここには僻譲という。  昼は色・声を避けて跡を山藪にかくし、  夜は視聴を絶するをもってまさに行って乞食す。  ときの人、 帷臆に似るといっ て、  よってもって名づけたり。  いわく、  すなわち猥捩の異名なり。  旧に優婁怯というは訛なり。  あるいは翔怒僕と名づく。  翔拳は米斉といい、  僕をば翻じて食とす。  さきに夜遊するがために、 ほかの稚婦を驚かす。  ついに、にわの  硯  の糠枇の中の米斉を収めてこれを食う。  ゆえにもって名づけたり。 ときの人、 号して食米済仙人という。 旧に登尼陀というは訛なり。  また吠世史迦という。  ここに翻じて勝とす。「六句論』を造る。 諸論ならぶことまれなり。  ゆえに勝という。 あるいは勝人の所造なり、 ゆえに勝論と名づく。 旧に衛世師という。 あるいは碑世師という。  みな訛略せり。 勝論が師の勝論を造する者を勝論師と名づく。 多年、 道を修してついに五通を得て、 菩提を証せりといって、  すなわち滅に入らんとよろこぶ。 ただ悟るところ、 いまだ伝うる人あらざるをなげき、 世の有情の痴にして慧目なきことをあわれんで、  すなわち七徳のものをみて法を授けて伝えしめんとす。  一には中国に生まると、  二には父母ともにこれ婆羅門の姓なると、 三には般涅槃の性あると、  四には身相具足すると、 五には聡明にして弁捷なると、 六には性行柔和なると、  七には大悲心あるとなり。 無量の時を経とも、  七を具する者なし。 のち、 多くの劫を住して婆羅発斯国に婆羅門あり、 摩納縛迦と名づく。  ここには儒童という。  その儒童が子を般遮戸棄と名づく。  ここに五頂という。 頂の髪五にめぐれり。 頭に五の角あり。  その人、  七徳を具せりといえども、 根熟することやや遅し。  すでに妻拳に染すれば、  にわかに化導し難し。 無鼠歳を経て、 その根の熟することをうかがう。 後に三千歳あり。 よって、 戯薗に入ってその妻室と華を競って相いいかる。 帷鶴これによって、 通に乗じてこれを化す。 五頂従わず。 仙人また返れり。  また三千歳ありて化するに、 また得ず。  さらに三千年ありて、〔妻と〕ふたり競うこと、 もっともはなはだし。 相いとうことすでに切なれば、 仰いで空の仙を念ず。 仙人、 ときに応じて神力をもって化引して、 虚にのぼりて所住の山の中に迎えゆきて、  おもむろに悟するところの六句義の法を説く。  一に実に徳、 三に業、  四に有、 五に同異、 六に和合なり。  これは「百論」と、  およびこの本との破せるによって、ただ六句義の法あり。 後その苗裔、 名をば恵月とす。 十句義を立つ、 云々 大正蔵、 聡につくる〕)

他書に出ずるところは、  これとただ詳略の異同あるのみ。 今、 さらにその意を和解するに、 これを勝論と名づくるは、 その論よく諸論に超異するをもって勝と名づく、 あるいは勝人所造なるが故に勝論と名づく、 あるいは「百論疏」(巻上の中の二六)にはこれを異勝論と名づくと解し、 異二於僧怯一故称為涵異、 明>義自在破レ他令>懐、故称為>勝(僧怯に異なるが故に、 称して異となす。 義を明かすこと自在にして、 他を破して懐せしむるが故に、称して勝となす)という。『華厳玄談」巻八の一には、 新云二吠世史迦薩多羅此云二勝論新たに、 吠世史迦薩多羅という、  ここに勝論という)とあり。 また「法華文句」(「文句科本」巻八の三の「文句会本」巻二四の三一)には、 衛世師論優留怯造、 此翻ーー最勝り。  しかるに『因明大疏裏書』(巻中本の三二) こま、

(衛世師論は優留怯の造なり、 ここに最勝と翻ず)とあ


吠世史迦此云レ勝也、 不レ可品聖論字一 梵云二奢薩但羅ー故、 然文勢故加ー一論字非 入 之名一 然以 論名元戸於人一耳世史迦者是所造論之名也、

(吠世史迦、  ここに勝というなり、 論の字を加うべからず。 梵に奢薩但羅というが故に。 しかるに文勢の故に論の字を加う。 吠世史迦はこれ所造の論の名なり、 人の名にあらず。 しかるに論の名をもって人を召すのみ)

とあり。  しかして「止観輔行」および「名義集」(巻五の五)には、 これを訳して無勝という。  その論を造りしものは僻鵜仙なりとす。  これ、  喘露迦の訳名なり。 しかるに『百論』(巻上の三)に、 優楼迦弟子誦ーー衛世師経

(優楼迦の弟子は「衛世師経」を誦す)とあり。 「同疏」(巻中上の一八)に、 詞梨伝云、 優楼迦弟子自称二我師

優楼迦一 説経名二衛世  (阿梨の伝にいわく、 優楼迦が弟子は自ら称す、「わが師優楼迦は経を説き衛世と名づく」)とあり。  また「止観」「止観科本」巻一    の八、「止観会本巻一    の一の八、「板橘易土集巻四の三には勝論の祖を優楼僧怯此翻二休喉(優楼僧怯、 ここに休喉と翻ず)と説き、『輔行』に、 優楼僧怯此云二休留

(優楼僧怯、  ここに休留仙という)と解せり。  ゆえに、 優楼迦および優楼僧怯は、 唱露迦と同一の梵名なるを知るべし。 ただ、 新旧訛略の異同あるのみ。  しかるに「止観輔行」に、 優楼僧怯計云二遍造{  但眼根火多乃至根風多、 具如二金七十論説  (優楼僧怯、 計して遍造という。 ただ眼根のみ火多く、 ないし身根風多し。  つぶさに「金七十論」に説くがごとし)とあれども、 その優楼僧怯は、  ここにいわゆる勝論の祖をいうにあらず。 その前後の文を考うるに、  これ数論師の一人ならざるべからず。  数論の諸祖中には、 優楼怯と名づくるものあり。  ゆえに、 その優楼僧怯は僧の字写剰ならんという。  これ、『止観講義」(巻一の二七)に出ずる説なり。 しかるに「止観私記」巻一    の一には、 あるいは優楼僧怯の四字あまれり、 あるいは優楼の二字あまれりという。  ただ我人の要するところは、 勝論の優楼僧怯と数論の優楼怯と、 全く別人なるを知るにあるのみ。

そもそも優楼僧怯すなわち煽鶉の名称の起こりしは、 昼は山間にかくれ、 夜は邑里に出でて乞食を行う。  その状、 宛然僻鶴に似たるをもってなり。 あるいはいう、  この鳥多く山巌の中に住す、  この仙人もまたしかり。  ゆえにその名を得たりとあり。 また「輔行    に解するところによれば、 其人昼蔵二山谷和盆翌経書一 夜則遊行説法教化猶如二彼鳥一 故得ーー此名

(その人、 昼は山谷にかくれ、 もって経書を造り、 夜はすなわち遊行し説法教化すること、 なおかの鳥のごとし。  ゆえにこの名を得)とあり。 あるいはまた食米斉仙人の称あり。 その原名を翔怒僕といい、 訳して翔拳を米斉といい、 僕を食という。『十句義論訣択」(巻一の二)によるに、  これを『因明疏」に楚怒陀といい、「業成就論」に伽那陀ということを記せり。  これ、 新旧訳名の相違のみ。 その意、 さきに夜遊をなししときに当たり、 ほかの稚婦を驚かして、  ついに場硯糠枇中の米斉を収めてこれを食す。  ゆえにその名ありという。 けだし、 米斉とは播春の砕米を義とす。 あるいはまた「玄応音義」(巻二四の二七)には、 鴇鳩行外道と名づくという。  これ、 米を拾うこと揖鳩行のごときをもってなり。  また「止観輔行」には、 第二五節に述べしがごとく、  一名眼足ということを記せり。  その意、 足に三眼ありて自在天とともに論議するに、  かの天は面に三目あり。  ゆえに足をもってこれに比し、 眼足の名を得たりとなす。 その出世の年代は、 第五三節に示せるがごとく、 数論の後に出でたること、 やや信ずべきもののごとし。 もし『倶舎頌疏記(遁麟記)」(巻一の一八)によらば、 此外道身形醜階(この外道の身形は醜階なり)とあり。『明灯抄」(巻四本の二)に、 其仙頭髪蓬乱、 形貌醜限、 時人見者驚擢失心、 若二懐妊女一見即堕胎(その仙の頭髪は蓬乱にして形貌は醜晒、 時人の見る者は驚憚して心を失う。 もし懐妊の女にして見るものは、 すなわち堕胎す)とあり。  この仙人、 多年の修行によりて道を証得せるも、 その法は七徳を具するものにあらざれば伝えず。  七徳とは、  一は中国に生まれ、  二は父母ともに婆羅門姓、 三は寂滅の因を有し、  四は身相円満、 五は聡明弁捷、 六は性行柔和、  七は大悲心を具するものをいう。

しかるにこれを世間に求むるに、 久しくこの七徳を兼備するものなかりしが、 そののち多劫を経て婆羅発斯国に婆羅門あり、 その名を摩納縛迦という。  これを儒童と訳す。 儒童の子を般遮    棄と名づく。  これを訳して五頂という、 あるいは五昏という。  この人わずかに七徳を具す。 ゆえに僻鶴仙ようやく化導して、  これに悟るところの六句義の法を授けたりという。  その苗裔に慧月と名づくるものありて、 六句義を開きて十句義となす。「因明大疏」(巻三の四九)に、 十八部上首名二戦達羅{  此云ーー慧月一 造二十句義論  (十八部の上首を戦達羅と名づく。


ここに慧月という、「十句義論    を造る)とこれなり。 十八部とは、「唯識論述記」(巻一末の三八)に、 此中数論及与ーー勝論ー各有二十八部一 異執競興(これが中の数論とおよび勝論とに、  おのおの十八部の異執競い興ることあり)とあるを見て知るべし。 しかるに「十句義論訣択」(巻一の一三)に、 応巳言二末底戦達羅一 末底慧梵、 戦達羅月(まさに末底戦達羅というべし。 末底は慧の梵、 戦達羅は月なり)とあり、 かつ「倶舎恵暉」(巻一の一二)を引きて、 戦達末底此云二慧月  (戦達末底、  ここに慧月という)とあり。  ゆえに「勝宗十句義論」は、 勝者慧月造と題せり。「明灯抄」四本の一五)に、 慧月於二雪山北咋げ十句義

(慧月は雪山の北において、「十句義」を作る)という。 唐玄装、 その書を訳して世に伝えり。  ゆえに勝論の大意は、『十句義論」によりて知ることを得べし。  また、  その伝来は「十句義論釈」および「試記」の巻初に出ずるをもって、 よろしく参見すべし。




一三節    勝論の宗意

勝論外道の要旨は、「十句義論」のほか二、 三の書につきて考うるに、  まず「外道小乗涅槃論」に出ずるところ左のごとし。

問曰、 何等外道説、 見二  切法自相同相るデ涅槃一 答曰、 第七外道毘世師論師作二如>是説謂地水火風虚空微塵物功徳業勝等十種法、 常    故和合、 而生二  切世間知無知物    従ニニ微塵一次第生二  切法一 無二彼者佃竺和合者無二和合者一即是離散、 離散者即是涅槃、 是故毘世師論師説、 微塵是常、 能生二  切物一 是涅槃因。

(問うて曰く、 なんらの外道、  一切法の自相同相を見て涅槃と名づくと説くや。 答えて曰く、 第七の外道毘世師論師、  かくのごとくの説をなす、 いわく、 地・水・火・風・虚空・微塵物・功徳・業・勝等の十種の法常なるが故に、 和合してしかも一切世間の知無知物を生ず、  二微塵より次第に一切の法を生ず、  かの者なければ和合する者なく、 和合する者なければすなわちこれ離散す、 離散すればすなわちこれ涅槃なりと。  この故に毘世師論師は、 微塵これ常にしてよく一切の物を生ず、 これ涅槃の因なりと説く。)

つぎに、「外道小乗四宗論」に出ずるところは、 前すでにこれを掲げり。「喩伽」十六異論中にありては、 別にその名目を見ずといえども、 第三の去来実有論中に摂するなり。「大日経」三十種中にも、 別にその名称を見ず。

しかして「唯識論    には、 勝論所執実等句義多実有性、 現量所得(勝論の所執の実等の句義は、 多く実有性なり。 現置の所得なり)とあるのみにて、 その所計をつまびらかに示さず。「成実論」(巻三の四およびニ には、 六事是憂楼伽有(六事はこれ優楼怯の有〔 大正蔵、 優楼怯につくる〕)とあるは、 勝論所立の六諦をいうなり。 また「百論疏 巻下の上の三)に、 世師六諦因中無果為>宗(世師の六諦は因中無果を宗となす)とあり。

また「慈恩伝」(巻四の一九)に、 その所計を約言していわく、

勝論師立二六句義一 謂実徳業有同異性和合性、 此六是我所受具、 未ー解脱相離、 称為二涅槃来受ーー用前六一 若得二解脱 』ア六

(勝論゜師は六句義を立つ。  いわく、 実・徳・業と同・異性・和合性あり、  この六はこれ、 我の受くるところたり    つぶさにいまだ解脱せざる以来は前六を受用し、 もし解脱を得ば六と相離るるを称して涅槃となす。)

あるいはまた「倶舎光記」には、 或有二勝論外道 虹引一我為ーー能作者一 生二於諸法{  亦以>覚為>先、 後生二世間

(あるいはある勝論外道計すらく、「我を能作者となし、 諸法を生ず。 また、 覚をもって先となし、 後に世間を生ず」)とあり。 要するに、 勝論は六種の原理を立てて、  一切法の生起するゆえんを説明し、  この六和合して世間を生じ、 離散して涅槃を得となすなり。  これを六諦あるいは六句義と称す。 後にこれを開きて十句義となすこと、 前節に述ぶるがごとし。  ゆえにまずその六句義を解説すべし。「方便心論」(二)には六句義を掲げて、 陀羅標・求那・総諦・別諦・作諦・不部凝となす。「慧琳音義 巻二六の五)に、 陀羅此云二主諦一 求那此云二依諦

(陀羅、  ここには主諦という。 求那、  ここには依諦という)とあり。 しかるに、「百論疏』(巻上中の二六) ここれを開説すること左のごとし。

今言二六_諦  者、  一陀羅騨、 秤為 玉 諦一 亦云二所依諦一 謂地水火風空時方神意、 此九法為二  切物主    故云二主諦一 又解一切法悉有二依_主  故、 破神品云、 黒是求那、 畳是陀羅騨、 破異品云、 瓶是陀羅騨、  一是求那、 故知依主通ーー於万法二者求那此云二依諦一 有二二十一法一 謂一異合離数鼠好醜八也、 次有二苦楽憎愛愚智懃_堕  亦八也、 次有一五_塵即色声香味触也、 以五塵依二地水火風空五主諦一也、 苦楽愚智等以二神意二主諦余八通依、 三者翔摩帝此云ーー作諦一 謂挙下屈申有>所二造作一也、  四者三摩若帝此云二惣相諦一 謂惣一万法玉竺一大有等、 五毘戸沙諦此云ー別相諦{  謂瓶衣不同也、 六三摩婆夜諦此云二無障碍諦一 如こ  柱色香遍有而不ーー相郎

(今「六諦」というは、  一には陀羅騨、 秤して主諦となす。  また所依諦という。  いわく地・水・火・風・空・時・方・神・意なり。  この九法は一切の物の主となす。  ゆえに主諦という。 また解すらく、  一切の法はことごとく依    主あり。  ゆえに破神品にいわく、 黒はこれ求那なり、 畳はこれ陀羅騨なりと。 破異品にいわく、瓶はこれ陀羅騨なり    一はこれ求那なりと。  ゆえに知る、 依主の万法に通ずることを。  二には求那、  ここには依諦という。  二十一法あり。  いわく一・異・合・離・数・量・好・醜の八なり、  つぎに苦・楽・憎    愛愚・智・懃.堕ありまた八なり。  つぎに五塵あり、  すなわち色・声・香・味・触なり。 五塵は地・水・火・風・空の五主諦によるをもってなり。 苦・楽・愚・智等は神・意の二の主諦によるをもってなり。 余の八は通じてよる。 三には翔摩帝、  ここには作諦という。 いわく、 挙下屈申に造作するところあるなり。 四には三摩若帝、  ここには総相諦という。 いわく、 万法を総じて一の大有となす等なり。 五には毘戸沙諦、 ここには別相諦という。  いわく、 瓶衣の不同なり。 六には三摩婆夜諦、  ここには無障碍諦という。  一の柱に色香あまねくあって、 しかも相さえざるがごとし。


『止観輔行』(「止観科本」巻一九)および「倶舎恵暉抄」一の一に六句義の解釈を掲ぐるも、  これに異なることなし。 今、 左にその名目を表示すべし。


一、 実二、 徳

、 業陀羅騨すなわち主諦または所依諦求那すなわち依諦

摩帝すなわち作諦

四、 有あるいは大有 三摩若帝すなわち総相諦あるいは総諦

五、 同異六、 和合ー毘戸沙諦すなわち別相諦あるいは別諦二摩婆夜諦すなわち無部凝諦

この実・徳・業の三者は、 なお体相用というがごとく、 実は諸法の実体となるべきものを義とし、 徳はその実体の具有せる性質・現象を義とし、 業はその実体の作用・動作を義とす。 しかして、 自余の有・同異・和合の三者は、 実・徳・業相互の関係を示したるものなり。 その名目は慧月の十句義と異なるところあれば、 左に六句と十句との配合表を示すべし。

無能倶分無説

この有句・同異・和合等の説明は次節に譲る。  ただここに、 六句と十句との配合につきて、 古来異説あることを一言すべし。『倶舎光記」(巻五の九)に、

十句中実徳業三即是六句中実徳業句、 第四同句即是六句中第四有句、 第六和合即是六句中第六和合句、 第五異句第七有能句第八無能句第九倶分句  是六句義中同異句摂、 言一同異一者自類相望名>同、 異類相望名>異、第十無説非二六句摂    所ーー以然一者六句唯論ーー有体之法一 故唯説>六、 十句有無倶論、 故説二第十

(十句の中、 実    徳・業の三はすなわちこれ六句の中の実・徳・業の句なり。〔十句の中の〕第四の同句は、すなわちこれ六句の中の第四有句なり。 第六和合はすなわちこれ六句の中の第六和合句なり。 第五の異句と、 第七の有能句と、 第八の無能句と、 第九の倶分句とは、  これ六句義の中の同異句におさむ。 同異というは自類相望めて同と名づけ、 異類相望めて異と名づくるなり。 第十〔句の〕無説は六句に摂するにあらず。 しかるゆえんは、 六句はただ有体の法のみを論ずるが故にただ六のみを説くに、 十句は有無ともに論ずるが故に第十を説けばなり)

とありて、 十句の方の異句・有能・無能・倶分の四諦は、 六句中の同異句に摂せり。 今、 右に表示せるところは全くこの説による。「十句義論試記」(巻上の一)にも、  この説によりて配合を論ぜり。 しかるに「唯識演秘」

(巻一末の一九)には、 左のごとく異説を挙示せり。

問十句六句相摂云何、 答実徳業等六句可>知異有無能  而  有二多釈{  有'義三種同異句摂、 三種皆是差別義故、有義異句既唯実    転、 即実句収、 有能無能実徳業三、 得果之時望二各自果及非自果歪舘仰須因、  還依二実等三句翫び摂、 六句依>有不記翌無説

(問う、 十句と六句と相摂することいかん。 答う、 実・徳・業等の六句は知るべし。 異・有と無能とにはしかも多釈あり。 ある義は、 三種は同異句におさむ。 三種ながら、 みなこれ差別の義の故に。 ある義は、 異句はすでにただ実のみに転ず、 すなわち実句に収む。 有能と無能とは実・徳・業の三が果を得るのとき、  おのおのの自果および非自果に望めて、 定んでもちいるところの因なり。 また実等の三句によりて摂せらる。 六句は有によるをもって、 無説をば収めずと。)

このうち前説の方は、  まさしく「光記』の説に同じ。 無説にいたりては、 十句の方のみにありて六句の方になし。  これ、 十句は有体無体につきて分類し、 六句はひとり有体につきて分類せるによる。  ゆえに、 六句に無説を加うるにあらざれば、 十句を尽くすべからず。 西洋所伝の句義には、 本師の六句に無説を加えて七句となせり。

これより、「十句義論    にもとづきて十句義の略解を与うべし。


第四節    句義の原理

ここに、 まず十句義の分類表を掲げてその所立の原理を示し、  つぎにこれが解釈を述ぶべし。

そのうち実・徳・業の三句は、 実に十句義中の大原理にして、 自余の諸句は、  その三者の関係を示すにほかならず。 まず、 実とは諸法の体実と解し、 宇宙万有の本質実体をいう。  これに九種あり。  一、 地、  二、 水、 三、火、  四、 風、 五、 空、 六、 時、  七、 方、 八、 我、 九、 意これなり。 地は色味香触を有するものに名づけ、 水は色味触および液潤あるものに名づけ、 火は色触あるものに名づけ、 風はただ触のみあるものに名づけ、 空はただ声のみあるものに名づく。「十句義論」(一、「冠註勝宗十句義論    三)に曰く、 空云何、 謂唯有涵声是為>空(空とはいかん。  いわく、 ただ声のみあるもの、  これを空となす)と。 その釈〔「十句義論釈  〕に曰く別立二空大ー非二空無為    亦非ーー空界色一 有レ声処名二空実一 離二碍触ー処有二触実一 合離生因以彰二其声一 空実鉢相極大難レ顕、 以ーー有涵声処一即知二空実一 無函声処為レ非>空、 是勝宗意也

(別に空大を立つ。 空無為にあらず、 また空界色にあらず。 声ある処を空実と名づけ、 碍触を離るる処を触実あり。 合離の生因をもってその声をあらわす。 空実の体相は極大にしてあらわし難く、 声ある処をもってすなわち空実を知る。 声なき処を空にあらずとなす、  これ勝宗の意なり)

とあり。 しかるに、 声のみある所を空となすは、 今日の学説のいれざるところなり。 時は倶不倶緩急遅速の類をいい、 方は東西南北上下の類をいい、 我はこれを解して、 覚楽苦欲瞑勤勇行法非法(以上九徳)等和合因縁起レ智為レ相、 是為>我(覚と楽と苦と欲と瞑と勤勇と行と法と非法(以上九徳)等の和合因縁にして、 智を起こすを相となす。  これを我となす)とあり、 意はこれを解して、 覚楽苦欲瞑勤勇行法非法不和合因縁起如百為レ相、 是為>意(覚と楽と苦と欲と瞑と勤勇と法と非法と行との不和合因縁にして、 智を起こすを相となす。 これを意となす〔田 大正蔵、行を非法の後におく〕)とあり。 けだしその意、  これを「十句義論訣択巻一の三六)に考うるに、我能起、 智是所起、 雖二覚等合一 若無二我合不>能ーー智起一云云  ゜

(我は能起、 智はこれ所起なり。 覚等合すといえども、 もし我の合することなくんば智の起こることあたわず、 云々。)

あるいはまた義蘊云、 和一合九徳一 是我之功、 意雖レ起レ智而不レ能  和二合九徳ー名二不和合    非>謂=九徳相離而能起レ智名二不和合{  即是不>能二和合一 但有ーー起>智之能一 名為>意也、 又有余云、 此意亦能疎和孟見等一 不面同=一我能有二親和用一 故云二不和一 非レ謂=一九徳不知和能起二智相一云云(「義蘊」)

巻一の二四)にいわく、 九徳を和合する、  これ我の功なり。 意は智を起こすといえども、 九徳を和合するあたわざれば不和合と名づく。  九徳相離れ、 しかしてよく智を起こすを不和合と名づく。  すなわちこれ和合するあたわず、  ただ、 智を起こすの能あるを名づけて意となすなり、 と。  また有余のいわく、  この意はまたよく疎にして覚等と和す、 我のよく親しく和する用あるに同じからず、  ゆえに不和という。 九徳の和せずしてよく智相を起こすをいうにはあらず、 云々)とあり。

つぎに徳とは、 実の功能すなわち標織と解し、  これに二十四種を分かつ。  一に色ニに味、 三に香、  四に触、五に数、 六に量、  七に別体、 八に合、 九に離、 十に彼体、 十一に此体、 十二に覚、 十三に楽、 十四に苦、 十五に欲、 十六に瞑、 十七に勤勇、 十八に重体、 十九に液体、 二十に潤、  二十一に行、  二十二に法、  二十三に非法、 ニ十四に声これなり。 最初の五徳は説明を要せず、 第六の量とはこれを解して、 微体・大体・短体・長体・円体等を量と名づくという。 しかして、 円体を分かちて極微・極大の二種ありとす。 けだし、 極微はその形相団円なるをもって円体となす。 あるいは細分すべからざるをもって円と名づくという。 極大は空間・時間・方・我の四実につきて、 その徳に名づくるなり。 第七の別体とはこれを釈して、  一切実体あるものをして、  一、  二、 三等の別を詮縁せしむるの因をいうとなす。 第八の合とは、  二物を合して初めて合するときにつきていい、 第九の離とは、 初めて離るるときにつきていう。  ゆえに「了義灯」(巻二本の三一)に曰く、 合之与レ離、 但取二初合ー名レ合、初離名レ離、  已後即非(合とは離とは、 ただはじめに合するを取りて合と名づけ、 はじめに離するを離と名づく。以後はすなわち非なり)とあり。 しかしてこの合と和合句との別は、 和合句は実等の八に通じ、 この合はただ実のみによるという。  この合に、  一業にしたがいて生ずるものと、 倶業より生ずるものと、 合より生ずるものとの二種あり。 離にも同じく、  一業にしたがいて生ずるものと、 倶業より生ずるものと、 離より生ずるものとの三種あり。  一業・倶業の二者は、 ともに動作によりて生ずるものをいい、 合より生ずるとは、 動作を用いずして、 空時方等と合するとき生ずるものをいい、 離より生ずるとは、 また動作によらずして一物の分離壊滅するとき、 空時等と離るることあるをいう。 第十の彼体とは、 遠覚所待の一・ニ等の数と時・方等の実とによりて、 彼なりと詮縁する因をいい、 第十一の此体とは、 近覚所待につきてこれなりと詮縁する因をいう。  すなわち「唯識論述記」(巻一本の四三)に曰く、 依二  二等数時方等実  遠覚所待名為 彼性一 乃至此性翻>彼応>知ーー其相 .二等の数と時・方等の実とによって、 遠覚が待するところを名づけて彼性とす。 ないし、  この性はかれに翻じてその相を知るべし)と釈せり。 第十二の覚とは、  一切境を悟了するをいう。  これに二種あり。 現    ・比凪これなり。

「十句義論訣択」(巻三の三)にこれを解して曰く、 現量とは、 至二実色等根等合時云  二了相生一 名為二現量  (実なる色等と根等と合する時に至り、 了の相生ずるあり、 名づけて現量となす)といい、 比量とは、 これに同を見て比すると、 同を見ずして比するの二種ありて、 見同比とは、 如下見ーー此桜    炉彼楼華上(この桜を見て、 かの楼華を知るがごとし)といい、 不同見比とは、 如下見  黒_雲  比函デ降雨一 見レ姻知占火(黒雲を見て、 まさに降雨あるべしと比するは、 姻を見て火を知るがごとし)をいう。 もしこれを心理学に考うれば、 現量は知覚にして、 比量は推理なり。 第十三の楽とは、  これを解して適悦する自性をいい、 第十四の苦とは逼悩する自性をいい、 第十五の欲とは色等を希求するをいい、 第十六の瞑とは色等を損害するをいい、 第十七の勤勇とは我と意と合するとき生ずるところの策励をいい、 第十八の重体とは一物の落下する因をいい、 第十九の液体とは流注の因をいい、第二十の潤とは地等を摂持して壊散せしめざる因をいう。  これみな、 字義につきてその意を知るべし。 第二十一の行とは行動を義とす。  これに念因・作因の二種ありて、 念因とは思念によりて生ずる行をいい、 作因とは作業によりて生ずる行をいう。 第二十二の法、 第二十三の非法とは、  これを解して於>人有>益名>法、 無>益名二非法

(人において益あるを法と名づけ、  益なきを非法と名づく)という。 しかして、  この法に能転・能還の二種ありて、 生死の劣身を転じて勝身楽果を得せしむるを能転法と名づけ、 妄念を離れて正智に帰せしむるを能還法と名づく。 第二十四の声とは、  これを解して耳所取一依名>声(耳のみの所取にして、  一の依なるを声と名づく)という。  これ、  二十四徳の略解なり。 そのつまびらかなるは、「十句義論」の註釈につきて知るべし。

つぎに、 業とは作用・動作を義とし、 取業・捨業・屈業・伸業・行業の五種を分かつ。 第一の取業とは、  上下・方分・虚空等の処に、 極微等のさきに合して後に離るる因に名づく。  これを「十句義論訣択』(巻三の二二)に解して、 雖>言ーー合_離  唯取二後離一 乃至誓如下菓実与二樹木ー合    以レ手離取上(合と離とをいうといえども、 ただ、後の離のみをとる。 ないし、 たとえば、  菓実と樹木との合せしを、 手をもって離して取るがごとし)といい、  また「義蘊」(巻一の四四)を引きて、 取>物時手与>物合    為>先、 物与>処離    為>後、 此因名>取(物を取るとき、手と物と合するを先となし、 物と処と離るるを後となす。  この因を取と名づく)という。 第二の捨業とは、 これに反して上下・方分・虚空等の処に、 極微等の離るるを合する因に名づく。 例えば破器の席にあるに、  これを所に捨つるときは、 まず破器の席を離るるは離にして、 後に檄所に落ちてこれと合するは合なるがごとし。 第三の屈業とは、「唯識論述記」(巻一末の四四)にこれを解して、 遠処先離    近処今合  之因名二屈業  (遠き処にさきに離せしを、 近き処にいま合するの因を屈業と名づく)と 

また「十句義論訣択巻三の二四)にこれをたとえて、 草木の末端のその根に合し、  手の末の肩に合するがごとしという。  これすなわち屈業なり。  これに反するものは第四の伸業なり。 第五の行業とは行動の業を義とし、 身の動揺に大地の震動するの類をいう。  およそ一物の行動するときは、 必ずさきに合したるものが後に離る。  その合するは休止の状態にして、 その離るるは行動の状態なり。 たとえば車輪を転ずるがごとし。  ゆえに「十句義論」にこれを、 合せるを離るる因となす。  これ、 五種の業の略解なり。 以上、 勝論の三大原理たる実・徳・業の三句義を弁明しおわれり。


第一    五節    実    徳    業の関係

つぎに実徳・業の相互の関係を考うるに、 同句義・異句義・有能句義等の名目あり。 まず同句義とは、「唯識論述記」(巻一末の四五)にこれを解して曰く、 実徳業鉢性非>無、 能__詮  能縁之因る    同、 此鉢即是旧大有性、諸法同有、 故名為レ同(実   徳・業の体性無にあらず。 よく詮じよく縁ずるの因を同と名づく。  これが体はすなわちこれ、 旧の大有性なり。 諸法を同じく有ならしむるが故に、 名づけて同とす)とありて、 勝宗の意は、 実・徳・業の諸有法は自ら有なることあたわず、 必ず別に一大有ありてこれを有せしむるによるとなす。  ゆえに、 十句義のいわゆる同は本師の有句義なり。 しかしてその有を同と名づくるは、 実・徳・業おのおの別なりといえども、 諸法同じく有なるによる。  つぎに、 異句義とは差別を義とす。「倶舎光記」(巻五の七)に解して、 唯在二上一令ーー実別異(ただ実の上にのみありて、 実をして別異ならしむものなり)といい、「唯識論述記」(巻一末の四九)には、 異但是差コ別実一因(異はただこれ、 実を差別するの因なり)という。 けだし、  これ同句義の反対にして、 事物互いに相同じき性を有すると同時に、  また互いに相異なる性を有す。  ゆえに地は水に異なり、 水は火に異なり、 地水の極微においてもまたおのおの異なり。  これをもって、 地水等の九実おのおの異なるところあり。しかして、 その異に総実の異と別実の異との二種ありて、 九実互いに異なるを総実の異と名づけ、 九実いちいちに極微・子微等の細分あるを別実の異となす。 時方等においても総別の異あり。  すなわち、 時実において彼此倶・不倶等の異あり、 方においてまた四方上下あり、 空においてまた大小彼此あり、 我においても自他の差別あり。  これを本師の六句義に配すれば、 同異句義の中に摂するなり。  つぎに和合句義とはこれを解して、 和は属着の義、 合は不離の義にして、 よく諸法をして不離属着せしむるをいう。「方便心論 二)にはこれを不障凝といい、「百論疏」(巻上の中の二六)には無障凝諦という。 例えば、 父母和合してよくその子を生じ、 地水和合してよく万物を生ずるがごとし。  つぎに有能句義とは、 令玉有二自果一之功能、 乃名為二有能  (自果あらしむる功能、

すなわち名づけて有能となす)と解し、 あるいは法々共同して自果を造ることあり。  たとえば、  四大共同して人身等を造るがごとし。 あるいは不共各別に自果を造ることあり。  たとえば、 稲は稲果を造り、 菩提樹子は菩提果を造るがごとし。 かくのごとき作用を有能句義と名づく。  つぎに無能句義とは、 ただ自果を造りて余果を造らざる因に名づく。「唯識論述記」(巻一末の四五)に曰く、

有能鉢者、 実徳業三、 或時共一、 或時各別、 造ーー各自果一因定所>須因、 若無>此者応>不レ能>造>果、 無能鉢者、 実徳業 二、 或時共一、 或時各別不レ造二余果一 決定所涵須因、  若無砒此者一法応=一能造二  切果一 因由レ有砒此唯造二自果一 不>造二余果

(有能の体とは、 実・徳・業の三が、 あるときには共一に、 あるときには各別に、  おのおのの自らの果を造るの因が定んでもちいるところなり。 因は、 もしこれなくんば、 まさに果を造ることあたわざるべし。 無能の体とは、 実・徳・業の三が、 あるときには共一に、 あるときには各別にして、 余果を造らざる決定をしてもちいるところなり。 因は、 もしこれなくんば、  一法まさによく一切の果を造るべし。 因は、 これあるによって、 ただ自果のみを造って余の果をば造らず)

とあり。  これによりてこれをみるに、 実・徳・業の三に有能・無能の二句義を具有するをもって、 各自その果を造るを得ると同時に、 余果を造らざるを得るなり。  つぎに倶分句義とは、  これ本師の同異句義なり。 今これを倶分と名づくるは、 亦同を倶といい、 亦異を分という。  または一法体において、 亦同亦異の両用あるを倶分と名づくという。「十句義論訣択」巻四の三)には、

離ーー実徳業ー外有二別自性一 人与  人同    別有  同法一令>同、 人与レ畜異、 別有二異法一令>異、 実徳業三各有二総別同異一也云云

(実・徳・業を離れての外に、 別の自性あり。 人と人と同なるは別に同法ありて同じからしめ、 人と畜と異なるは別に異法ありて異ならしむ。 実・徳・業の三はおのおの総・別・同・異あるなり、 云々)と説き、「倶舎光記

巻五の七)には、 性遍二実徳業等一亦同亦異、 故名二倶分

〔その〕性は実・徳・業等に遍ずるものにして、 また同また異なるが故に倶分と名づくるなり)と解せり。 しかしてまた、 倶分に総別二種を分かつ。  ゆえに『因明前記」(巻下の八)および『後記』(巻下の五)に

一総同異、  二別同異(一は総の同・異、 ニは別の同・異)の二種あることを示せり。 しかしてこれを『因明裏書」(巻中の五五)に、 実徳業互同異名ーー総同異一 且実中九互同異名一別同異  (実・徳・業は互いに同・異なるを総同異と名づく。  かつ実中の九、 互いに同・異なるを別同異と名づく)と解せり。  つぎに無説句義とは無を説くと解し、 勝宗は別に実有の能無の体ありとなす。 しかしてこの無を説くをもっ て、 名づけて無説となす。 しかれども、 本師の六句義中にはこの句義を設けず。「十句義論」(六、「冠註勝宗十句義論」一五)に、 何謂二五種無るデ無説句義一 何者為レ五、  一末生無、  二已滅無、 三更互無、 四不会無、 五畢覚無、 是謂二五無

(いかん。 いわく、 五種の無を無説句義と名づく。 なにものをか五となす。  一は末生無、  二は已滅無、 三は更互無、  四は不会無、 五は畢覚無なり。  これを五無という)とありて、 五種の無を説く。 しかるに「涅槃経北本巻二八の五、 南本巻二六の七、「涅槃経会疏巻二六の一にヽ      一畢覚無、  二有時無     二少無、  四無受無、 五受悪無、 六不対無(一には畢覚無、 ニには有時無、 三には少無、 四には無受無、 五には受悪無、 六には不対無)とありて、 六種の無を説けり。 五無の解釈は「+ 句義論」によるに、 未生無とは、 実・徳・業の因縁会せずして、 なおいまだ生ずることを得ざるをいい、  已滅無とは、 実・徳・業の因勢尽きあるいは違縁生じて、 すでに生ずといえどもしかも滅するをいい、 更互無とは、 諸実等彼此互いに無なるをいい、 不会無とは、 大有性と実等と和合せずしてついにあることなきをいい、 畢覚無とは、 無因のゆえに過去・現在・未来の三時に生ぜず、 畢覚して起こらざるをいう。

以上、 十句義を解説したれば、 これよりその関係を明らかにせんために、「十句義論」(「冠註勝宗十句義論」一六)に、 地水火風等の九実を有動作・無動作・有徳・無徳・有触・無触・有色・無色・常・亦常亦無常・根・非根等に配合せるところあれば、 左にこれを表示すべし。

動作 根地ーー 有ー 有ー 有ー 亦無ー  有水 有ー 有ー 亦無ー  有風火!有ーー  有有ー 亦無ー  有空 有  ー  無ー 無ーー  有 有時 有ーー  無ー 無ー 有ー 非方 有' 無無 有ー 非我 有ー 非意 有ー 非その余の配合は「十句義論」に譲りて、  これを略す。



第一    六節    勝論の批評

今述ぶるところの十句義につきて勝論の意を考うるに、 多元論なること明らかなり。  すでにその第一原理の上において九実を分かちたれば、 九元論というべし。  その九実のうち地水等は客観にして、 我意は主観なれば、 物心二元論と称して可なり。  ゆえにその説多元論にして、  かつ二元論なりというべし。  この二元和合して一切万物を現出すと立つるをもって、 あるいはこれを二元和合論というべきか。 しかして、 その二元離散するにあらざれば、 涅槃を証得するを得ずとなす。  これ、 哲学上の原理を応用して、 宗教の門路を開くところなり。 もしまた「百論」巻上の一三)によらば、 勝論の神知二元論なることを左のごとく示せり。

外曰優楼迦弟子誦二衛世師経一 言  知与レ神異、 是故神不レ堕ーー無常中{  亦不二無知何以故、 神知 故如有牛、 臀如り人与>牛合故人名缶  兄牛、 如レ是神ー情意塵合  故神有一一知生一 以二神合知故神名有知。

(外の曰く、 優楼迦の弟子は『衛世師経」を誦して言う、 知と神とは異なる。  この故に神は無常の中に堕せず、 また無知ならず。 なにをもっての故に、 神と知と合するが故に。 牛あるがごとし。 たとえば、 人と牛と合するが故に人を有牛と名づくるがごとし。 かくのごとく、 神と情と意と塵と合するが故に、 神に知の生ずるあり。 神が知と合するをもっての故に、 神を有知と名づく。)


この神知二元の理は

定外道小乗四宗論』の上に照らせば我覚二元に合すべし。  すなわち四宗論の意は、 我と覚と異ありと立つるをもって勝論の主義となす。 もし『唯識論』によらば、 勝論の所執は、 有法と有等性とその体別なりと立つるにありとなす。 しかりしこうして、  これを仏教に対照すれば実我論となる。 例えば『因明入正理論 三、「因明入正理論科註」一七、『因明大疏」巻三の四八)に、 勝論師対二仏弟子ー立>我以為二和合因縁

(勝論師が仏弟子に対して我を立てて和合因縁となす)とありて、 勝論のいわゆる我は「十句義論』(一)によるに、 謂是覚楽苦欲瞑勤勇行法非法等和合因縁起レ智為知相、 是為レ我(いわく、  これは覚と楽と苦と欲と眼と勤勇と行と法と非法等の和合因縁にして智を起こすを相となす、  これを我となす)と説き、 我をもって和合の因縁と立つるなり。「唯識論巻一の一

にその我執を駁して曰く、

諸句義中且常住者若能生>果応二是無常有ー一作用一故如二所生果若不江生>果応祉空離玉識実有ーー自性一 如二兎角等{  諸無常者若有二質凝一便有二方分一 応下可ー一分析茄在軍林等年び実有性い若無二質凝一如    心心所一 応>非三離>此有 実自性

(もろもろの句義の中に、 しばらく常住なるもの、 もしよく果を生ずれば、 まさにこれ無常なるべし。 作用あるが故に。 所生の果のごとし。 もし果を生ぜざれば、 まさに識を離れて、 実に自性あるにあらざるべし。兎角等のごとし。 もろもろの無常なるもの、 もし質凝あらば、 すなわち方分あるをもって、 まさに分析すべきこと、 軍林等のごとく、 実有性にあらざるべし。 もし質凝なくんば、 心心所のごとく、 まさにここに離れて実の自性あるにあらざるべし。)

これ、 勝論の実有の見を排斥して、 無常の理を証立せるものなり。  また「百論疏」(巻中下の二〇、 巻下中の一および一八)には、 あるいは勝論の五塵および四大論を掲げ、 あるいは時論・微塵論を示して、 ともにこれ  を説破せり。 しかしてその要、 勝論の実有説を不合理となすにあり。 もし勝論と順世外道との比較は、 第六二節に述ぶるところによりて知るべし。  すなわち、 勝論は順世師のごとく極微の実在常住を唱う。 ゆえに「名義集」(巻五の五五)に、 計下積二極微ー以成』器世間上(極微を積みてもっ て器世間を成ずと計す)とし、

また此外道計 極微常住不滅

(この外道は極微は常住不滅なりと計す)という。 その論、  二者相似たるところありといえども、 勝論は物心二元論、 順世は唯物一元論なるの別あり。 しかりしこうして、 勝論は唯物論の範囲を脱せざるもののごとし。 その世界の成立を説くがごときは一種の唯物論なり。  すなわち、「唯識二十論述記」(巻下の二) 出ずるところ左のごとし。

実中有>九、 謂地水火風空時方我意、 其地水火風是極微性、 若劫壊時此等不迄滅、 散ー在処処一 体無二生滅一 説為 常 住一_有一衆多法一 体非二是一一 後成劫時両両極微合生二  子微一 子微之量等二於父母    体唯是一、 従>他生故性是無常、 如>是散極微皆両両合生二  子微子微井>本合有二三微如>是復与ーー余三微一合生二  子微    第七其鼠等ーー於六本微旦一 如>是七微、 復与>余合生二  子微一 第十五子微其量等二於本生父母十四微量一 如>是展転成己一千界

(実のうちに九あり。  いわく、 地・水・火・風・空・時・方・我・意なり。 その地水火風はこれ極微の性な

り。 もし劫が壊するとき、  これらは滅せず。 処々に散在す。 体に生滅なきを、 説いて常住となす。 衆多の法あり。 体はこれ一にあらず。 後に成劫のとき、 両々の極微は合して一の子微を生ず。  子微の量は父母に等し。 体はただこれ一なり。 他より生ずるが故に、 性はこれ無常なり。 かくのごとく、 散の極微はみな両々合して一の子微を生ず。 子微はもとにあわせ合して三微あり。  かくのごとく、 また余の三微と合して一の子微を生ず。 第七のその械は六の本微の量に等し。  かくのごとく、  七微はまた余と合して一の子微を生ず。 第十五の子微はその量、 本生の父母一四の微の量に等し。  かくのごとく、 展転して三千界を成ず。)

また「十句義論釈」(巻上の一八)に論ずるところ左のごとし。

観 察世間相  遍コ満  一切極  大空実無障碍体、 本有常住実有、 復空実中有 地 水火風四有碍実極微一 本有常住実有、 復有二本有常住実有遍満極大  時実方実一 因>方処定、 因レ時時定、 有二彼地等極微和合一 両両極微生二子微一 三三合生二第七子    七七合生二第十五子一 如>是展転成ーニ千ニ 界一 一切有命無命有質碍物皆地等四微  成、頭目身体等及山河大地草木飲食衣服宮宅車乗瓶盆等資具是為二極微合成一也、 其極微合成時遍満極大我実本有常住実有    遍二  切有命無命無ー彼此体故遍二  切極微合成物一 爾時処処散在  常住実有意実本有二趣向棄背業一故、 有ーー有命生死一 有>時有>方意実趣向与>我合時必四大極微緊集、 是名二四大極微造身初一 其造身時四大極微名ーー鼻味皮眼根其極微衆集造身中有二無障碍有涵声処雖下与ーー遍満極大空実一体是一上約ーー能合別ー造身中空実名二耳根一 如レ是遍ーー造身処一我実与二意実ー合  起一現比智一 我是遍二  切一故、  若於ーー此処一我意合起レ智時一切所有事物無レ不二我意合  現比所知一也、 我雖レ無二彼此体一意実合故成一彼此別一 起ーー詮智一別。

(世間の相を観察するに    一切に遍満せる極大空実の無障碍の体は、 本有・常住・実有なり。 また、 空実の中に、 地・水・火・風の四の有碍の実の極微あり、 本有・常住・実有なり。 また、 本有・常住・実有・遍満・極大なる時実と方実とあり、 方によりて処定まり、 時によりて時定まる。 かの地等の極微和合し、 両々の極微は一子微を生じ、 三・三合して第七子を生じ、  七・七合して第十五子を生ず。 かくのごとく展転して三千界を成じ、  一切の有命・無命、 有質碍の物はみな地等の四微より成る。 頭・目・身体等、  および山・河・大地・草木・飲食・衣服宮宅・車乗・瓶盆等の資具はこれ極微の合成となすなり。  その極微合成するとき、遍満せる極大の我実は本有常住・実有にして一切の有命・無命に遍じ、 彼・此の体なし。  ゆえに一切の極微合成の物に遍ず。 そのとき処々に散在せる常住実有の意実は、 もと趣向・棄背の業あるが故に有命生死あり。 時あり、 方あり、 意実趣向して我と合するとき、 必ず四大極微衆集す、 これを四大極微造身の初と名づく。 その造身のとき、  四大極微を鼻・皮・眼根と名づく。 その極微衆集して身を造る中、 無障碍の有声の処あり、 遍満極大の空実と体はこれ一なりといえども、 よく合・別に約して造身の中の空実を耳根と名づく。かくのごとく、 造身の処に遍せる我実は、 意実と合して現と比との智を起こす。 我はこれ一切に遍するが故に、 此処において我と意と合して智の起こるときのごときは、  一切所有の事物は、 我と意と合せる現と比との所知にあらざるはなきなり。 我は彼此の体なしといえども、 意実と合するが故に、 彼此の別を成じ、 詮と智の別を起こす。)

これ、 勝論師の世界成立論、 人身成形論および有命無命物の成来論なり。 しかして、  その論意の唯物にもとづくことは言をまたず。  ゆえに、 勝論は順世計の一変したるものというべし。 もし、 その論さらに一変せば、 必ず小乗有部宗の説と合同するに至るべし。 また、 勝論と声論との関係につきて一言を要するなり。 古来因明家の説によるに、 声論は声常説にして、 勝論は声無常説なるにもかかわらず、 前者は後者の分派なりとす。 例えば『因明新疏」(巻二の一〇および    二)に曰く、 劫初勝論出二声論師一 弘通同>時、 量諄二其声ー  足目収拾作二九句法雖レ有二九句一約>声安立、 固有二所以{  其既如レ是、  二八無常勝論立>之、  四六常宗声論立>之、 以為二立敵  (劫初、勝論は声論師を出だして弘通するに時を同じくして量をもってその声をあらそう。 足目収拾して九句法を作す。九句ありといえども声に約して安立するにもとよりゆえんあり。  それすでにかくのごとし。  二八の無常は勝論これを立て、  四六の常宗は声論これを立ててもって立敵となす)と。  また曰く、 声論師対ーー勝論師立>声為>常、 無質凝故、 此二論師許二常極微一云云(声論師は勝論師に対して声を立てて常となす、 質凝なきが故に。  この二論師は常なる極微を計す、 云々)とあり。 また『因明大疏抄』(巻五の四一)には、「明灯抄を引きていわく、 声勝両宗雖 翫ば説異  並有二声性一 勝論同異以為二声性一 声論別有二声性一 本来亦是常住、 故云両宗所説異也(声. 勝両宗は所説異なりといえども、 ならびに声性あり、 勝論は同異をもって声性となし、 声論は別に声性ありて本来またこれ常住なりとす。  ゆえに両宗の所説異なりというなり)と。 また同書に論じていわく、 声勝二論倶立一声性勝論同異性為二声性一 其声論師一能詮各別性類以為ーー声性両宗雖>異並有二声_性

(声.勝二論はともに声性を立つ。 勝論は同異性を声性となし、 その声論師は    一の能詮各別の性類をもって声性となす。 両宗異なりといえども、 ならびに声性あり)とあり。 その意、 けだし勝論も声論も同じく声性を立つるをもって、 両宗その起源を同じくすと論定するもののごとし。 果たしてしからば、 その同異の論は憶断より出ずるといわざるべからず。  つぎに勝論と数論との異同はすでに第一    五節において弁明せるも、 さらに次章において論述すべし。



一七節    勝論の結意

前節に述ぶるところによりてこれをみるに、 勝論は多元論、 あるいは二元的多元論、 または唯物的二元論なること明らかなり。  この多元の和合によりて、 世界万物の現象変化を示すものと立つるをもって、 哲学上のいわゆる開発論にあらずして分析論なり。  すなわち、 万有を分析してその実体の多種なるを知り、 万有の変化はその集積和合に帰し、 決して一物一体の進長開発に帰せず。  これ、 いわゆる元子論の一種なり。 もし仏教よりこれをみれば、 その論全く実有論あるいは実我論なり。 なんとなれば、 九実の実在を説き、 我をもって和合因縁と立つるによる。  ゆえに、 仏教はこれに反して無我論かつ無常論を唱うるなり。 しかれども、 もしこれを小乗に比すれば、 その有部宗の所見とはなはだ相似たるところあるを見る。  ゆえに、  これを外道中の仏教と称して可ならん。小乗は仏教中の実有論なり、 客観論なり。 勝論は外道中の主観論あるいは複元論と称するも、 これを仏教に比すれば客観論なり。 ただ、 仏教は世界観の上に万有の無常を説き、 人間観の上に諸法の無我を説くも、 勝論は実我論なり。  これ、 仏教よりこれに外道の称を与うるゆえんなり。 もし、  この哲学上の原理を実際に応用するに当たりては、 勝論また一種の宗教となるべし。  これ、 印度哲学特有の性質にして、 哲学上の理論は必ず宗教上に応用して、 安心立命を立つるゆえんなり。  すなわち、 勝論にありては諸元の和合によりて一切諸法を生起するをもって、 もし離欲解脱の見を起こせば、 諸元と相離れて涅槃を得べしと立つるなり。  これを西洋所伝の六大学派中に考うるに、  その吠世史迦学派はすなわち勝論なること言をまたずといえども、 東西の所伝、 多少異同なきにあらず。 西洋にては勝論は尼耶也学派より分立せるものと伝うれども、 仏書中にいまだその的証を得ず。 しかして仏教所伝によれば、 かえって数論の分派なるがごとし。  また西洋にては、 あるいは勝論は有神論の一種のごとくに論ずるものあれども、  これまた仏書中に見えず。 しかして仏教所伝によれば、  かえって無神論なり。  けだし、 勝論は毘陀哲学すなわち優波尼薩土より派生したるものにして、 有神論ようやく一変して無神論を唱うるに至りたるものならん。 しかしてその末流に至りては、 婆羅門梵天の説大いに印度に勢力を有せしをもって、 自然に有神を唱うるに至りたるならんか。  その論、 西洋近世のライプニッツ〔 〕氏、  ヘルバルト〔 〕氏等の元子論に比するに、 ただにその所立の同じからざるのみならず、 その論理考証の疎密もとより同日の論にあらずといえども、 希臓哲学のター  レス氏、  アナクサゴラス〔 〕氏、 デモクリトス氏等の諸論に比すれば、  その右に出ずるというも、 あえてその当を失せずと信ず。 要するに、 勝論は印度哲学中の上乗と称して可なり。


第四章 数論外道論


第_一    八節    数論の名義および由来

ここに外道哲学中の最勝たる数論哲学の大綱を考うるに、『金七十論』につきてこれを明らかにすべしといえども、『智度論」(巻七の六)、「唯識論巻一の九)、 『同述記巻一末の二四)、『演秘」(巻一末の五)、「義演」(巻一末の二二)、 「同学紗巻一    の一)、「涅槃経疏」(「涅槃単疏巻一五の五)、「華厳演義紗」(巻一の一八、『華厳玄談」巻八の三)、「三徳指帰」(巻一の三九)、「因明大疏巻三の四三)、「同瑞源記」(巻四の五四)、「同四相違注釈(巻上の四八)、「百論」(巻上の、「百論疏巻上の中の一七)、「中論疏巻一末の八)、「止観輔行」(「止観科本巻一    の七)、「倶舎光記巻三の七)、「遁麟記」、「恵暉抄」、「慈恩伝 巻四の一九、『聖閾賛」巻四の四)、『飾宗記」(巻七末の五)、『倶舎北林紗巻一の三一)、「起信論助蓼紗(巻七の三八)、「印度蔵志巻三の三、「印度蔵志略」巻一の四二、「開目抄見聞巻一の一六、「略述外宗義)等の諸書に散見するをもって、 余は数書を参考して、 その起源および伝来を略述すべし。 まず数論とは、 梵に僧怯といい、 これを訳して数という。 その意、 智恵数を義とし、 諸法を測度する根本なるをもって名を立つるという。かくして数にもとづきて起こる論なれば、 これを名づけて数論となす。 あるいは論よく数を生ずるをもって、 また数論と名づくという。  その論を造り、  およびこれを学ぶものを、 数論者と名づく。  すなわち、「唯識述記」(巻一末の二四)に記するところ左のごとし。

梵云ーー僧怯一 此翻  為祗数、 即智恵数、 数度ーー諸法一根本立>名、 従如数起>論、 名為二数論一 論能生>数、 亦名二数論    其造二数論盆子 数論るデ数論者此師所造金七十論。

(梵には僧怯という。  ここに翻じて数とす。  すなわち智慧の数なり。  数は諸法をはかる根本なるをもって名を立つ。 数に従って論を起こすをもって、 名づけて数論とす。 論はよく数を生ずるをもって、 また数論と名づく。 その数論を造れると、  および数論を学するを数論者と名づく。  この師の所造は「金七十論    なり。)

しかるに「因明大疏巻三の四三)には、 梵云ーー僧怯奢薩但羅一 此云ーー数論

梵に僧怯奢薩但羅といい、  ここには数論という)とあり。  すなわち僧怯は数を義とし、 奢薩但羅は論を義とするなり。 もし「因明裏書  〔中本の二八〕によらば、  数論者非二人之名一 劫比羅者此人之名也、 数是劫比羅仙之智恵数也、 論是智恵数之所>起也、此所ーー起論一亦能生二智恵数一也(数論は人の名にあらず、 劫比羅はこれ人の名なり。  数は劫比羅仙の智恵の数なり。 論はこれ智恵の数の所起なり。  この所起の論またよく智恵の数を生ずるなり)とあり。  また「名義集」(巻五の五四、『止観科本」巻一の七、『止観会本」巻一の一の七)には、 僧怯論正云二僧企耶一 此云二数術翻薮  論一 輔行云迦毘羅説 経十万偶一 名 僧怯論一云云(僧怯論は正しくは僧企耶といい、  ここには数術といい、また数論と翻ず。「輔行」にいう、 迦毘羅は経十万偶を説き、 僧怯論と名づく、 云々)とあり。 その祖を劫比羅(劫畢羅)と名づく。 旧に迦毘羅という。  ここに訳して黄頭・金頭・黄色・黄赤あるいは赤色という。 けだしその人、 饗髪面色みな黄赤なるをもってなり。 あるいはその頭金色なるをもって、 黄頭と名づくという。 左に「唯識述記」(巻一末の二三)を引証すべし。

有ーー外道るデ劫比羅一 古云二迦毘羅一訛也、 此云二黄赤一 饗髪面色並黄赤故、 今西方貴  波羅門種皆黄色赤也、時世号為二黄赤色仙人一 其後弟子之中上首    如二十八部中部主一者名ーー伐里沙{  此翻為レ雨、 雨時生故即以為レ名、 其雨徒党名二雨衆外道

(外道あり、 劫比羅と名づく。 いにしえに迦毘羅というは訛なり。  ここには黄赤という、 饗髪と面との色並びに黄赤なるが故に。 今、 西方に貴べる婆羅門種はみな黄赤の色なり。 ときに世号して黄赤色仙人とす。  その後の弟子の中に上首あり。 いま、 十八部の中に部主なる者を伐里沙と名づくがごとし。  ここに翻じて雨とす。 雨、 ときに生ずるが故に、  すなわちもって名とせり。  その雨の徒党をば雨衆外道と名づく。〔黄赤色につくる〕)

大正蔵、

もし「法華文句」「文句科本」巻八の三の、「文句会本』巻二四の三一)によらば、 迦毘羅此翻一黄頭    亦云 亀 種一 造論  名憎  怯一 僧怯此云ーー無頂一 因  〈名レ論、 故言二迦毘羅一 説二二十五諦  (迦毘羅、  ここには黄頭と翻ず、 また亀種という、 論を造りて僧怯と名づく。 僧怯、  ここには無頂という、 人によって論を名づく、  ゆえに迦毘羅という、  二十五諦を説くなり)とあり。 もしまた「名義集」によらば、 迦毘羅梁言二青色一 亦名ーー劫畢羅翻 黄 色一 輔行曰、 此云二黄頭一 頭如レ金色一 又云頭面倶如二金色  (迦毘羅は梁に青色という。 また劫畢羅と名づけ黄色と翻ず。「輔行」にいわく、  ここに黄頭という、 頭は金色のごとし、 と。 またいう、 頭と面とともに金色のごとし)とあり。 また「玄応音義」(巻二四の一八)によらば、 此云二赤色    謂赤色仙人也(ここには赤色といぷ  ヽ     いわく、 赤色仙人なり)とあり。 しかるに「榜厳義疏」(巻一上の二五、「榜厳義疏解蒙紗」巻一の一の四

九)に、 娑毘迦羅亦云ー劫毘羅{  此_言一金頭一 或云ーー黄髪一 食米斉外道也(娑毘迦羅、 また劫毘羅という。  ここには金頭といい、 あるいは黄髪という。 食米斉外道なり)とあるも、 食米斉外道は勝論の祖迦那陀のことなるに、これを迦毘羅外道となすははなはだ怪しむべし。 もしその年代を考うるに、「因明大疏」(巻三の四三)には成劫の初めに出ずと説き、「金七十論」(巻上の一、「金七十論備考会本」巻上の六)には空より生ずと説きて、 その史伝つまびらかならずといえども、「金七十論    によりて解するに、 その仙自然に四徳を有せり。  すなわち、に法、  二に智、 三に離欲、  四に自在これなり。「百論疏」(巻上中の一六)にこれを解して、 総此四法以成二其身如ーー内法仏具孟吊楽等四徳

  (総じてこの四法は、 もってその身を成ず、 と。 内法の仏の常楽等の四徳を具するがごとし)という。  すでにこの四徳を具してあまねく世間を観察するに、 人の盲闇中に沈没するを見て大悲心を起こし、 婆羅門姓阿修利なるものを得て、  これがために二十五諦の法を説く。 阿修利これを般    詞に伝え、 般戸阿

これを褐伽に伝え、 褐伽これを優楼怯に伝え、 優楼怯これを跛婆利に伝え、 祓婆利これを自在黒に伝う。 しかるに、 前掲の「唯識述記」および『因明大疏」等によるに、 迦毘羅仙の後に筏里沙と名づくる弟子あり。  これ弟子中の上足にして、 十八部中の主たるもののごとし。  ここに訳して雨となす。 雨際のときに生ずるが故なり。  けだし、 印度は『西域記』(巻二の三)につきて案ずるに、 五月十六日より九月十五日に至るまで雨時と定むるもののごとし。「倶舎光記」(巻一の一、「倶舎論宝疏」巻一の一、「演義紗巻一九上の六)、『喩伽倫記」


(巻五上の四二)、「梵網古迩記」(巻下末の四五)等にも、 雨際の時期を掲げり。  しかして「倶舎論要解」(巻五の四五)に、 その諸説の不同を表示せり。  その雨の徒類を雨衆という、 あるいは雨際と称す。  ゆえに、 雨衆外道

はすなわち数論外道なり。  この名称につきて、「十住心論冠註」(巻三の    二)に弁明して曰く、

若_準一慈恩一言二雨衆一者雨際外道之伴類名也、  若良賀義雨衆即是雨際外道、 何者今採二喩伽之文ー改曰二雨際外道一故、 言二雨際  者本是一歳中時節名、 如 西 域記第二倶舎頌疏第十一委弁一 然為二人名一 且従二初生時分故也

(もし慈恩に準じて雨衆といわば、 雨際外道の伴類の名なり。 もし良賀の義なれば、 雨衆はすなわちこれ雨際外道なり。 なんとならば、 今、「喩伽」の文を採りて改めて雨際外道というが故なり。 雨際というは、 もとこれ一歳の中の時節の名なり。『西域記」

第二および「倶舎頌疏」

第十一にくわしく弁ずるがごとし。 しかるに人名となすは、 しばらく初生の時分に従うが故なり)

とあり。  また「倶舎遁麟記」(巻一の一七)の一説によれば、  この外道の弟子多きこと、 雨際時の雨のごとし。ゆえにその名ありという。  この筏里沙(あるいは伐理沙)は、「華厳玄談」(巻八の五)によるに、 自在黒が受くるところの跛婆利に当たるべし。  ただ梵音小異あるのみという。「唯識述記    の解と「金七十論」の説とを比較するに、 祓婆利と筏里沙とは同人なるがごとし。 自在黒は婆羅門種にして、 姓を拘式という。 最初、 阿修利仙人

その受くるところの法を般阿に伝うるに当たりては、 六十千すなわち六万偶ありしも、 自在黒に至りて、  カヽ      <のごとき大論の受持し難きを知り、  これを略して七十偶となす。  ゆえに、 今日伝うるところの「金七十論    は、七十行の偽文より成る。  これを「金七十論」と題したるは、 自在黒はじめに金耳国に入り、 鉄をもって腹を録し、 頂に火盆をいただきて、 王の論鼓をうち、 もって僧の論議を求む。 よって世界の初後有無をあらそい、 僧をそしりて外道にしかずとなす。  ついに七十行の頌を造りて、 数論の意をのぶ。 王すなわち金をもってこれに賜う。 外道、 己の令誉をあらわさんと欲して、 所造の「七十論」に金の字を冠し、「金七十論」と称せりという。

その論中の偶文は迦毘羅仙の所造なれども、 長行は世親菩薩の解釈なり。 その意を「唯識述記に示すこと左のごとし。

巻一末の二四)

有 外 道  入二金耳国  以>鉄録>腹、 頂戴 火 盆    撃王  論鼓  求二僧論譴    因>評 世 界初有    後無謗 僧 不>如外道    遂造七十行頌  申数論宗一 王意明>彼以>金賜レ之、 外道欲如妥己令誉    遂以ーー所造るデ金七十論彼論長行天親菩薩之所造也。

(外道あって金耳国に入って、 鉄をもって録として腹にし、 頂には火の 盆 をいただけり。  王の論鼓を撃して、 僧と論議せんと求む。 世界は初めには有にして、 後には無なりということをあらがうによって、 僧は外道にしかずと謗して、  ついに七十行の頌を造って数論の宗をのぶ。  王の意、  彼にたまう。  外道、  己が令誉をあらわさんと欲して、  ついに所造をもって『金七十論」もない金をもってこれにと名づけたり。  彼の論の長行は天親菩薩の所造なり。〔大正蔵、 朋につくる。同、 彰につくる〕)

そのほか「了義灯」(巻二本の二八) に論ずるところ、  大いに参考すべきものなれば、  やや重複するところあるも、  左にその全文を掲ぐ。

言二数論一者本即応二是劫比羅仙造一 後諸門徒分成二十八部    雨外道者即一部主、  金七十論或雨衆中別入所造、何以故准ーー天親菩薩伝説一云、  仏滅後一千一百余年有二外_道  頻闇詞婆娑、  頻閣詞是山名、  婆娑名>住、  以  此外道住二此山中一因即為レ名、  有二   竜王るヂ毘梨沙伽那一 住二此山下大池 之中 傘豆僧怯論一 此外道知レ欲ーー就レ竜学一 竜変ーー其身 咋旦仙人状 在竺葉窟中外道就学成已求レ論、  欲レ決ーー是非 却ダ躁閣国声二王論鼓求二覚論議因>金造レ論、  欲>至ーー已期一往住二山所以誦証几力 夜叉女一 名曰二桐林従レ其乞願令ー我死後変五身為>石永不ーー毀壊{   神女許>之在二石窟中一 捨>命之後身変為>石、  因レ何此願、  其先竜王欲>破二滅此数論師義    従二竜王乞持二我身壊  方_使一法滅一 竜王心謂  身距能久、  因即許>之、  故今変レ身為>石令>久、 是以数論法流至>今、  後陳那菩薩破二斥其義作二於比量戸斯石上一 流レ汗出>声不レ能二救得一 因紅此陳那所レ造因明盛行二四主声振二五天 蓋為二於此一 有云劫比羅仙_作一金七十論一 留五身為レ石_住一余甘林一 似二其  侯一也、  然伝云、  千一百年後此外道出造二七十論一 天親出時外道既滅、  即説ーー天親亦千年後出{   此伝似>侯、 何以故、  真諦三蔵中辺疏序九百年出、  外道亦九百年前、  不>爾如何  得>釈二彼論一  有  云涅槃経云、  上古有>仙名ーー闇提首那    彼仙造論名二三弥叉一 此云二観察{  広明ーーニ十五諦一 准>此観察即是智恵、  与二数論ー名同、  数  是智恵故即是本論、__言  閣提首那仙一者音訛異耳、 即迦毘羅仙  ゜

(数論というのは、 もとはすなわち、 まさに劫比羅仙の造なるべし。 後にもろもろの門徒を分かれて十八部となる。 雨外道はすなわち一部の主なり。「金七十論    は、 あるいは雨衆の中の別人の所造なり。 なにをもっての故に、「天親菩薩伝」の説に準ずるにいわく、 仏滅後、 一千一百余年に外道あり。 頻闇詞婆娑という。頻閣阿はこれ山の名、 婆娑は住に名づく。  この外道はこの山の中に住するをもって、 よってすなわち名となす。  一の竜王あり。 毘梨沙伽那と名づく。  この山の下の大池の中に住し、 僧怯論をよくす。  この外道は知って、 竜に就きて学ばんと欲す。 竜、  その身を変じて仙人の状となり、 葉窟の中に住す。 外道就きて学ぶ。 成しおわって論を求め、 是非を決せんと欲す。 鍮閣国に至り、  王の論鼓を声して論議を求覚す。 金によりて論を造る。 己が期に至らんと欲して、 往って山所に住して、 誦呪する力をもって夜叉女を召す、 名を桐林という。 それに従って乞いて願うらく、 われが死して後、 身を変じて石となり、 永く毀壊せざらしめんと。 神女これを許す。 石窟の中にあり。 命を捨つるの後、 身を変じて石となれり。 なにによってかこれを願するとなれば、 それ、 さきの竜王、  この数論師の義を破滅せんと欲す。 竜王に従って乞う。 わが身の壊するを待って、 まさに法をして滅せしめんと。 竜王、 心におもえらく、 身いずくんぞよく久しからんと。 よってすなわち、 これを許す。  ゆえに今、 身を変じて石となして久しからしめんと。  これをもって、 数論の法流れて今に至れり。 後に陳那菩薩、 その義を破斥し、 比量を作ってこの石の上に書す。 汗を流し声を出して救い得ることあたわず。  これによって、 陳那の造るところの因明は盛んに四主に行われ、 声は五天に振るう。 けだし、

これがためなり。 有るがいわく、 劫比羅仙「金七十論    を作り、 身をとどめて石となり、 余甘林に住すというは、  それ誤りに似たり。 しかるに伝に、 千一百年の後に、  この外道出でて「〔金〕七十論」を造るというも、 天親の出ずるときには外道すでに滅せり。  すなわち、 天親また、 千年後に出ずと説かんや。  この伝、 誤るに似たり。 なにをもっての故に、 真諦三蔵の「中辺疏」の序に、〔天親は〕九百年に出ず。 外道もまた九百年の前なるべし。 しからずんば、 いかんぞ彼の論を釈すことを得んや。 あるがいわく〔範法師〕、「涅槃経」

〔北本三八〕にいわく、  上古に仙あり、 闇提首那と名づく。  かの仙の造論を一 弥叉と名づく。  ここに観察という。 広く二十五諦を明かすと。  これに準ずるに、 観察とはすなわちこれ智慧なり。 数論の名と同じなり。  数とはこれ智慧なるが故に。 すなわち、  これ本論なり。 闇提首那仙とは、 音訛りて異なるのみ。  すなわち迦毘羅仙なり。)

そのいわゆる仏滅後、 千百余年に頻閤詞外道ありとは、 けだし自在黒の謂ならん。 これによりてこれをみるに、「金七十論」は迦毘羅仙の所造となす説と、 自在黒の所造となす説との両様あり。 しかるに、『因明輯釈

(巻二の一八、「因明纂解正誤    六)には左のごとく論弁せり。

劫比羅者数論元祖、 造二略数論一 金七十論雨衆之中別人所造、 彼金耳国録腹是也、 又有  已説二劫比羅造{  義灯破レ候  云二録腹造一 本疏分明、 天親菩薩後出更造二勝義七十論    而遂破二金七十論{  二十五諦彼略、 数論立二其綱紀一 後録腹説二金七十論一 委悉顕示、 故疏云下依二金七十論令ず二十五諦い彼数論石亦如二義灯一即指二録腹一 故破下有  云ーー劫比羅侯ぃ 演秘既指ー一彼劫比羅一 演秘広文恐レ繁略>之、 閲一三箇釈ー可粂空其異

(劫比羅は数論の元祖、 略数論を造る。「金七十論」は雨衆の中の別人の所造、  かの金耳国の録腹これなり。また、 あるはすでに劫比羅の造と説く。「義灯』は誤りと破し、 錬腹の造という。 本疏に分明たり。 天親菩薩の後に出でて、 さらに勝義七十論」を造り、 しかしてついに「金七十論」を破る。  二十五諦はかの略、数論にその綱紀を立て、 後に錬腹「金七十論」を説き、 委悉に顕示す。 ゆえに疏に「金七十論」によりてニ十五諦を立つという。 かの数論石もまた「義灯    のごときはすなわち録腹を指す。  ゆえに、 あるは劫比羅を誤りというを破す。「演秘    はすでにかの劫比羅なりと指す。「演秘の広文は繁を恐れてこれを略す。 三箇の釈を閲し、 その異を  悉  かにすべし。)

また「四相違略註釈 巻上の六一)に、 金七十論是自在黒所レ出、 言二迦毘羅造一者従レ本称耳(「金七十論」は

これ自在黒の所出なり。 迦毘羅の造というは本よりの称なるのみ)とありて、  七十偶は自在黒の所造なるも、 その源迦毘羅仙より出でて、 相伝えて自在黒に至れるをもって、 その本源に従いて迦毘羅造と唱うるとの説なり。さらに左に数論の伝灯を表示すべし。

すなわち、 数論は迦毘羅を祖とし、 相伝えて自在黒に至り、 十万偶を抄略して七十偶となせるに似たり。  すなわち「金七十論備考」(巻上の六)には、 本論迦毘羅説、 六十千偶般詞造、 金七十論可二如>此云是婆羅門自在黒造、 天親菩薩釈也(本論は迦毘羅の説なり。 六十千頌は般詞の造なり。「金七十論」べし、  これ婆羅門自在黒の造、 天親菩薩の釈なり)とあるを見て知るべし。 今「金七十論せるものを検するに、 左の数書を得たり。

そのほか二、 三の講録の存するを見る。 世の数論を学ばんと欲するものは、 よろしくこの数書を参看すべし。



第一    九節    数論の宗意


数論の名義およびその由来は今弁明したれば、  これよりその宗義を考えんに、  まず九、「涅槃経会疏」巻三五の一三)には、 左のごとく示せり。

涅槃経南本巻三五仏言婆羅門云何作レ因、 糖曇従レ性生>大、 従>大生砿慢、 従砿慢生二十六法    所謂地水火風空五知根、 眼耳鼻舌触五業根、  手脚口声男女二根、 心平等根、 是十六法従二五法一生、 色声香味触、 是二十一法根本有>三、  一者染、  二者厖、 三者黒、 染者名>愛、 羅者名函吟、  黒者名ーー無明一 鞭    是二十五法皆因レ性生。

(仏ののたまわく、「婆羅門、 いかんが因となる」「糖曇、 性より大を生じ、 大より慢を生じ、 慢より十六法を生ず。 いわゆる地、 水、 火、 風、 空。  五知根の眼、 耳、 鼻、 舌、 触。 五業根なる手、 脚、 口、 声、 男女の二根。 心平等根なり。  この十六法は五法より生ず。 色、 声、 香、 味、 触なり。  この二十一法は根本三あり。つには染、  二つには厖、 三つには黒なり。 染とは愛と名づけ、 級とは眼と名づけ、 黒とは無明と名づく。  この二十五法はみな性によりて生ず。」)

これ、 数論の宗義なること問わずして明らかなり。  つぎに、「外道小乗涅槃論 四)には左のごとく示せり。

問曰、 何等外道説証諦道名ーー涅槃因一 答曰、 第十四外道僧怯論師説、  二十五諦自性因生ーー諸衆生一 是涅槃因、 自性是常、 故従ーー自性一生レ大従>大生レ意、 従>意生レ智、 従レ智生二五分一 従ーー五分一生ーー五知根一 従二五知根一生二五業根一 生一五業根  生二五大    是故論中説随ーー何等性  修行、  二十五諦如玉実知、 従ーー自性一生  還入二自性一 能離こ  切生死得  涅  槃一 如五是従二自性圧ず一切衆生一 是故外道僧怯説自性是常、 能生ーー諸法{  是涅槃因。

(問うて曰く、 なんらの外道、 諦道を証するを涅槃の因と名づくと説くや。 答えて曰く、 第十四の外道僧怯論師の説かく、  二十五諦の自性によりて諸衆生を生ず、 これ涅槃の因なり。 自性これ常なるが故に自性より大を生じ、 大より意を生じ、 意より智を生じ、 智より五分を生じ、 五分より五知根を生じ、 五知根より五業根を生じ、 五業根より五大を生ず。  この故に論の中に説かく、 なんらの性に随いて二十五諦を修行する、 如実知自性より生じかえって自性に入り、 よく一切の生死を離れて涅槃を得と。  かくのごとく自性より一切の衆生を生ず。  この故に外道僧怯は、 自性はこれ常にして、 よく諸法を生ず、  これ涅槃の因なりと説く。〔 大正蔵、 従につくる〕)

「外道小乗四宗論」には、 数論において一切法一と唱うることを論じたれども、 第一五節にすでにこれを述べたり。「喩伽よび「顕揚論十六異論中には、 第一の因中有果論をもって数論の所計となす。  これを「喩伽」(巻六の一)お巻九の一)に考うるに、

因中有果論  者謂  如有二  若沙門若婆羅門』竺如>是見一 立加グ是論謂雨衆外道作二如レ是計常常時恒恒時於二諸因中一具有二果性

(因中有果論とはいわく、 もしあるひとりのもしくは沙門、 もしくは婆羅門ありて、 かくのごときの見を起こし、 かくのごときの論を立つ、 常々のとき恒々のとき、 もろもろの因の中においてつぶさに果の性ありと。  いわく、 雨衆外道かくのごときの計をなす。)

これを「十住心論

「十住心論科註」巻三本の一六)に釈して曰く、 第一執ー一因中有>果論者、 梵云二伐利娑一

此云二雨際一 即劫毘羅僧怯弟子、 雨際外道計ー一因常恒具有二果性

第一に、 因の中に果ありと執する論者は、 梵には伐利娑という、  ここには雨際という、 すなわち劫毘羅僧怯の弟子なり。 雨際外道は因は常恒にしてつぶさに果の性ありと計す)とあり。  その雨衆あるいは雨際外道は数論なり。  また『唯識論」(巻一の九)には、 左のごとく数論の所執を示せり。

数論者執    我是思、 受コ用薩埋、 剌闇答摩  所レ成大等二十三法一 然大等法三事合成、 是実非伝仮、 現羅所得。

(数論者の執すらく、 我はこれ思なり、 薩唾と剌闊と答摩との所成の大等の二十三の法を受用す。 しかるに大等の法は、 三事合して成ず。  これ実にして仮にあらず、 現量の所得なりという)

その解釈は次節において述ぶべし。 しかして「百論疏」(巻中の上の二六および巻下の上の三)には、 僧怯神知一鉢、 知是神鉢相(僧怯は神知一体にして、 知はこれ神の体相なり)と、 また僧怯二十五諦因中有果為レ宗

(僧怯の二十五諦は因中有果を宗となす)とあり。  また「倶舎光記」(巻一三の一)には、

或数論外道計二  我主一 以レ思為>鉢、 欲>受コ用境一時要先起レ覚、 我今欲>得レ受コ用境界生ーー諸世間然後自性漸漸転変


(あるいは数論外道の計すらく、「一の我主は思をもっ て体となし、 境を受用せんと欲するとき、 要らずまず覚を起こす。 われ今、 境界を受用することを得んと欲し、 しかして後、 自性が漸々に転変してもろもろの世間を生ずるなり」)とあり。  また「喩伽略纂」巻三の一八) こ,ヽ    ま、  一五蘊世間、  二国土世間、 数論師計二皆常住(一は五蘊世間、二は国土世間、  数論師は二みな常住なりと計す)とあり。 しかるにまた「金七十論校註」(巻上の一)に、 宗趣教体と題して弁ずるところによるに、 数論の宗意に通別二種あり。 その通宗とは、 十六異論中の計我実有宗のごときをいう。  これ数論に限らず、  一切の外道の所計は我の実有を立つるをもって、 これを外道の通宗となす。  その別宗とは、  これに法に就くと理に約するとの二様あり。 法に就くとは、「百論疏」に僧伽経十万偶、  二十五諦為レ宗(「僧怯経には十万の偶あり、  二十五諦を宗となす〔大正蔵、 怯につくる〕)というがごときこれなり。

理に約するとは、 十六異論中、 因中有果宗・従縁顕了宗を数論の所計となすがごときこれなりという。  また「金七十論疏」(巻上の六)によるに、 数論の宗意を論ずるに総別の二様あり、 総じては二十五諦をもって宗となし、別しては諸法皆常宗・従縁顕了宗・因中有果宗・因果体用同一宗の四種をもって宗となすという。 これを要するに、 数論の宗義は二十五種の原理を立て、 因中有果の所計を唱え、 世界万物は自性開発の結果に帰するなり。  ゆえに、 まず二十五諦を説明せざるべからず。「百論疏」(巻上中の二 に、  二十五諦者此論智度論金七十論涅槃経闇提首那及倶舎論、 此五処並解ーー釈之  (二十五諦というは、  この論と「智度論」と「金七十論」と「涅槃経」の闇提首那とおよび「倶舎論」と、 この五処ならびにこれを解釈す)とあるも、 もっぱら「金七十論」によりてこれを解説するに、 まずその分類に広・中・略の三様あることを知らざるべからず。 すなわち「華厳玄談」(巻八の四)に、 今依二金七十論如竺二十五諦一 総略為>一、 処中為>四、 広為  二十五

(今、「金七十論」によるに、 ニ十五諦を釈するに総略して三あり、 処中を四となし、 広くは二十五となす)とあるがごとく、 広説二十五諦・略説三類・中説四句なり。 その表、 左のごとし。

この三種の分類法は、「唯識述記」および「因明大疏    に出ず。 よろしく両書を参見すべし。  これを要するに、

二十五諦中、 自性および神我の二者は本来自存せるものにして、 他より縁生せるものにあらず。  ゆえに、  これを変更にあらずという。 中間の二十五諦は自性と神我と相より、 自性の開発より次第に変遷して生じたるものなれば、  これを変易と名づく。 しかして自性は開発の力を有するも、 神我はこれを有せず。  ゆえに、 自性は本にして

神我は本にあらずという。  これを「唯識泉抄 巻一中の一)に解して曰く、 能以>生二他法ー名為>本、 以二従>他生ー名為二変易

(よく他法を生ずるをもって名づけて本となし、 他より生ずるをもって名づけて変易となす)という。 もし、  この諸諦はなにによりてその存するを知るやと問わば、 必ずこれに答えて、 論理の法則によりて知るべしといわん。  その法則とは、 証量・比量・聖言量これなり。  さきに第二六節において一言せしも、  さらに「金七十論」によりてこれを解するに、 まず証量とは「金七十論」(巻上の四)に、 是智従二根塵一生、 不レ可ーー顕現一云云(この智、 根塵より生ず。 顕現すべからず、 云々)と解して、 ただちに外界に対して起こるところの感覚知覚より生ずるものをいう。  つぎに比量とは、  これに有前・有余・平等の三種あり。「金七十論備考」(巻上の一七、

「金七十論備考会本」巻上の一八)にこれを解して、 有前者見>前比>後(前ある者は前を見て後に比す)といい、有余者見>後比>前(有余は後を見て前に比す)といい、 平等とは見>此比>彼(これを見、 かれに比す)という。

ゆえに、  この三種は前後彼此の間に比知推理するをいう。 例えば、 下流の大いに濁れるをもって、  上源に大雨ありしことを比知するの類なり。  つぎに聖言量とは、 証量および比量によりて知るべからざることを、 聖者の言教によりて知るをいう。 今、 自性・変易・神我の三種は、 証量・比量・聖言量中の何量によりて知り得るか、 左の図表をもって示すべし。

これ、 数論のいわゆる論理学に属する部分なり。  すでに数論の哲学分類および論理学を略明したれば、  これより、  その哲学を自性(第一諦)・変易(中間二十三諦)・神我(第二十五諦)の三段に分かちて説明すべし。


二    節     自性の原理

第一に自性とは、  これを『金七十論』(巻上の二三)に考うるに、 自性者或名二勝因一 或名為>梵、 或名二衆持

(自性はあるいは勝因と名づけ、 あるいは名づけて梵となし、 あるいは衆持と名づく)とあり。  またこれを『華厳玄談」    に考うるに、

自性是第一諦、 古称二冥性一 亦名二勝性一 用憎勝故、 智論云謂外道通力至二八万劫八万劫外冥然不レ知、 謂為 冥 諦一 従>此覚知初立、 故名 冥 諦

(自性はこれ第一諦なり。 いにしえは冥性と称し、 また勝性と名づく。 用は増勝なるが故に。「智論 」   にいわく、 外道の通力は八万劫に至る。 八万劫の外は冥然として知られず、 いいて冥諦となす。  これより覚知初めて立つ、  ゆえに冥諦と名づく〔 続蔵経、 増につくる〕)

とありて、 八万劫外冥然不知の本源実体に与えたる名称なり。  さらに、「百論疏」(巻上中の二挙示すべし。

の解釈を左に

所レ言冥諦者、 旧云外道修レ禅得ーー五神通一 前後各知二八万劫内事一 自ーー八万劫ー外不レ能ー了知一 故云>冥、 智度論云、 覚諦者此是中陰識、 外道思惟    此識為下従二因縁匡界  為>不>従二因縁一 若従ヘ一因縁一因縁是何物耶、  若不>  従者那得ーー此識一 既思惟レ  不>能二了知一 便計    此識従二前冥漠処一生、 故称二冥諦間以 此 冥諦  為 其 本性亦名二世性一切世

(いうところの冥諦とは旧にいわく、 外道は禅を修して五神通を得て、 前後おのおの八万劫内のことを知る。 八万劫より外は了知することあたわざるが故に冥という、 と。「智度論」にいわく、 覚諦というは、 これはこれ中陰の識なり、 と。 外道思惟するに、  この識を因縁によって得となすや、 因縁によらずとなすや。もし因縁によるといわば、 因縁とはこれなにものぞや。 もしよらずば、 なんぞこの識を得んや、 と。  すでに思惟すれども了知するあたわざるをもって、 すなわちこの識は前の冥漠処より生ずと計す。  ゆえに冥諦と称す、 または世性と名づく。  一切の世間はこの冥諦をもってその本性とすればなり。

また「大乗義章」(巻六の四七)にも、

如憎  怯経説一 迦毘羅仙得ー一世俗禅{  発一宿命通作是  念一 八万劫外不>応>無>法、 応>有ーー冥性能知一宿命一 見 過 去八万劫事一 過>是以前不二復能>見、 便冥性微細五情不>知、 従ーー彼冥性ー初生二覚心


(「僧怯経」に説くがごとし。 迦毘羅仙、 世俗禅を得、 宿命通を発し、 よく宿命を知りて、 過去八万劫のことを見る。  これを過ぎて以前はまたよく見ず。  すなわちこの念を作さく、 八万劫のほか、  まさに法なくんばあるべからず。 まさに冥性あるべし。 冥性は微細にして、 五情知らず。  かの冥性より初めて覚心を生ず)

とありて、 その体不覚無智なるも、 よく活動の作用を有し、 次第に中間の二十三諦を開発せりとなす。「榜厳」(巻一の二、「拐厳経義疏』巻上の三および八)こも、 八万劫外冥無レ所レ観(八万劫の外は、 冥としてみるところなし)、 あるいは八万劫前寂無二聞見(八万劫の前は、 寂として聞見なし)の語あり。 また「円覚類解」(巻 二亦り 一)には、 西天外道六肝執ーー一切法一皆従 冥 詰ー出    以為 有 始ー(国天の外道の六師は一切法をみな冥諦より出ず、 もって有始となすと執す)とありて、 印度諸派の外道は八万劫以前を不可知的に帰する論なり。 そのうち数論は、 その不可知的の自性の開発を説けり。 今また、 その順序を「金七十論」(巻上の七、「金七十論備」考会本巻上のニ)に考うるに、 従二自性一生レ大従年大生二我慢一 従>我生二五唯一 従二五唯庄ず十六見

(自性より大を生じ、 大より我慢を生じ、 我〔慢〕より五唯を生じ、 五唯より十六見を生ずる)とありて、 十六見とは、 地水等の五大と五知根・五作根等の十一根をいう。 しかるに、「金七十論」(巻上の二二、「金七十論備考会本」巻上の五三)「偶文」に曰く、

自性次第生大我慢十六 十六内有レ五従レ是生二五大

(自性より次第に生ず    大と我慢との十六なり    十六の内に五あり    これより五大を生ず)

そのいわゆる十六とは五唯および十一根にして、 そのうちの五唯より五大を生ずとなす。 ゆえにまた「偶文」に、 五唯無二差別一 従>此生二五大

(五唯は無差別なり、 これより五大を生ず)という。  ゆえにその順序は、 自性より大を生じ、 大より我慢を生じ、 我慢より五唯・五知根・五作根および心平等根を生じ、 しかして五大は五唯より生ずるなり。  さらに、 その開発の次第を左表によりて指示すべし。

五唯 五大自性 我慢五知根五作根心平等根

かくのごとく、 自性の大等の諸法の生因となるは、 その体に三徳を具するによるとなす。 三徳とは薩唾.剌闇(羅閣)および答摩(多磨)にして、 薩唾とはここに訳して、 あるいは有情といい、 あるいは勇猛という。 しかして今は勇の義をとる。 剌閣とはここに訳して微となし、 あるいは牛毛塵等となし、 あるいは塵盆という。 しかして今は塵の義をとる。 答摩とはここに訳して、 闇鈍すなわち闇という。  ゆえに、 その三徳は勇・塵・闇なり。


「唯識述記」

巻一末の二五)によるに、 三徳応>名ーー勇塵闇一也、 若傍義  翻  旧名ーー染羅黒一 今云一黄赤黒旧名二喜憂闇一 今名二貪瞑痴一 旧名二楽苦痴一 今言ーー楽苦捨  (三徳をばまさに勇と塵と闇と名づくべし。 もし傍らの義をもって翻ぜば、 旧は染と羅と黒と名づく、 今は黄と赤と黒という。 旧には喜と憂と闇と名づく、 今は貪と瞑と痴と名づく。 旧には楽と苦と痴と名づく、 今は楽と苦と捨という)とあり。 左にこれを表示すべし。

ゆえに「金七十論」(巻上の一 の「偶文」には、 喜憂闇為レ鉢、 照造縛為云事(喜と憂と闇とを体となす、照と造と縛とを事となす)と。 その解に曰く、 初能作二光照一 次能作一生起一 後能作二繋縛  (はじめはよく光照をなし つぎはよく生起をなし、 後はよく繋縛をなす)という。  また「偽文」にその相を示して、 喜者軽光相、 憂者持動相、 闇者重覆相(喜は軽光の相、 憂は持動の相、 闇は重覆の相)という。 その色のごときは、 貪多ければ軽光なるが故に黄色とし、 瞑多きときは動躁なるが故に赤色とし、 痴は重覆なるが故に黒色となすと釈せり。 左に参考のために、「涅槃経」(南本巻三五の九、「涅槃経会疏」巻三五の一三)に出ずるところの釈迦仏と婆羅門との問答中、  一者染・ニ者羅・三者黒とあるは、  ここにいわゆる三徳なり。  その三徳の更互の関係に五種あり。すなわち左のごとし。

第一の更互相伏とは、 もし喜徳盛んなれば、 よく憂闇の二者を伏し、 憂闇互いに盛んなれば、  おのおの他の二者を伏すをいう。 たとえば、 日光のよく月星等を伏すがごとし。 第二の更互相依とは、 喜憂闇の三徳互いに相よりて、 よく一切のことをなすをいう。  たとえば、 三杖の互いに相よりて、 よく諸物を支うるがごとし。 第三の更互相生とは、 あるときは喜より憂闇の二者を生じ、 あるときは憂より喜闇の二者を生じ、 あるときは闇より憂喜の二者を生ずるをいう。 たとえば、 三人相たのみて同じく一事を造出するがごとし。 第四の更互相双とは、 喜徳、 あるとき憂とならび、 あるとき闇とならび、 憂徳、 あるとき喜とならび、 あるとき闇とならび、 闇もまたかくのごときをいう。 第五の更互相起とは、 喜憂闇の三徳互いに他事を作為するの謂にして、  一方に喜を与うるもの、 地方に憂もしくは闇を与うるの類をいう。 その説明は、 よろしく「金七十論    につきて見るべし。 けだし、

この三徳は今日の心理学の上において説くべきものにあらざるも、 もししいてこれを智情意の上に配せば、 喜すなわち勇は意に属し、 憂は情に属し、 闇は智に属すというべきか。  これを要するに、 自性に開発の作用を有するは、 その体にこの三徳を具するによるという。 しかるに我知すなわち神我にいたりては、 この三徳を具せざるをもって、 開発の作用を有せず。 開発の作用を有せずといえども、 自性と和合して種々の境界を見るに至る。  ゆえに「華厳玄談」(巻八の五)に、 自性是作者、 我(神我)非二作者{  乃至二十四諦是我所知故、 我是見者而非二作者云云(自性はこれ作者にして、 我(神我)は作者にあらず。 ないし二十四諦はこれ我の所知なるが故に。 我はこれ見者にして作者にあらず、 云々)とあり。  また「唯識論述記 巻一末の二五)に、 自性本有無為常住、 唯能生>他、 非ーー従>他生一 由ーニ我起涵ヽ心受二用境界一 従二自性ー先生元大云云(自性はもとよりあり、 無為なり常住なり。ただよく他を生じ、 他より生ずるにあらず。 我は思を起こし境界を受用せんとするに、 自性より先に大を生ず、云々)とあり。


第    ニー節    変易の作用

つぎに中間二十三諦を解するに、 大とは「金七十論」(巻上の二三)に曰く、 大者或名覚、 或名為>想、 或名偏満    或名為レ智、 或名為>慧、 此大即二於智故大得二智名

(大はあるいは覚と名づけ、 あるいは名づけて想となし、 あるいは偏満と名づけ、 あるいは名づけて智となし、 あるいは名づけて慧となす。 この大、 智に即す。  ゆえに大に智の名を得)とありて、  一名これを智という。 また「唯識述記」(巻一末の六)には、 大者増長之義、自性相増故名為>大(大とは増長の義なり。 自性の相増するが故に名づけて大とす)と解せり。  この大より生ずるところの我慢すなわち我執は、「唯識述記」に解説して曰く、 我執者自性起>用観ーー察於我知二我須』境故名二我執    初亦名二転異一 亦名ーー脂脈  (我執というのは自性より用を起こして、 我を観察して我境をもちいんと知る。

ゆえに我執と名づく。 はじめなれば、 また転異と名づけ、 また脂豚とも名づく)とあり。 また「金七十論」によるに、 あるいは五大初と名づけ、 あるいは炎熾と名づくという。  また「百論疏」(巻上中の二を覚諦と名づけ、 我慢を我心と名づく。 その文、 左のごとし。

には、 その大覚諦者中陰識即是覚諦、 以ーー中陰識微弱豆{二於木石之性一 故称為>覚、 我心者惑心梢饂、 持二於我相知苓四我心一 即仏法識支、 以二識支是染汗識一 外道謂為二我心一 従ーー我心圧ず五微塵一者五微塵即為二五諦{  我心既脳則外有二五塵一応>之、 於二仏法一即是名色支、 外道不>達謂下従二我心圧す五微塵

(覚諦とは、 中陰の識すなわちこれ覚諦なり。 中陰の識は微弱にして木石の性に異なるをもっての故に、 称して覚となす。 我心とは惑心なり、 やや総にして我相を持つ、  ゆえに我心と名づく。  すなわち仏法の識支なり。 識支はこれ染汗の識なるをもって、 外道いいて我心となす。 我心より五微塵を生ずとは、 五微塵をすなわち五諦となす。 我心すでに羅なれば、  すなわちほかに五塵あってこれに応ず。 仏法においては、 すなわちこれ名色支なり。 外道達せずして、 我心より五微塵を生ずとおもえり。)

この我慢より生ずるところの十六諦の順序につきて、『唯識述記」には異説あることを示せり。 その一説は、我慢より五大、 五唯および十法を生ずといい、 また一説は、 我慢より五唯のみを生じ、 五唯より五大を生ずといい、 また一説は、 五唯総じて五大を成し、 五大総じて五根を成すという。 あるいは五唯を名づけて五唯凪となす。 量とは定の義にして、「唯識述記の解に、 唯定用砒生成ーー大根等(ただ定んでこれを用いて〔五〕大と〔十一〕

根等を成ず)という。  また「同述記」に五大中の空大を解して、 別有二  物ー名レ之為レ空、 非ーー空無為、 空界色等

(別に一物あってこれを名づけて空とす。〔虚〕空無為・空界の色等にはあらず)という。 もし、 五唯より五大を生ずる順序のごときは、 色唯より火大を生じ、 声唯より空大を生じ、 香唯より地大を生じ、 味唯より水大を生じ、 触唯より風大を生ずとなす。 あるいは一説に、 声の一塵より空大を成し、 声触の二塵より風大を生じ、 色声触より火大を生じ、 色声触味より水大を生じ、 総じて五塵を用いて地大を生ずという。 もし、 五唯より五大および五根を生ずる順序のごときは、 色唯は火大を生じて、 火大は眼根を成す。  ゆえに眼根は火を見ずして色を見、声唯は空大を生じて、 空大は耳根を成す。  ゆえに耳根は空を聞かずして声を聞き、 香唯は地大を生じて、 地大は鼻根を成す。  ゆえに鼻根は地を聞かずして香を聞き、 味唯は水大を生じて、 水大は舌根を成す。  ゆえに舌根は水を知らずして味を知り、 触唯は風大を生じて、 風大は身根を成す。  ゆえに身根は風を得ずして触を得という。 よろしく『唯識述記』および『華厳玄談」(巻八の六)につきて見るべし。

つぎに五知根は、 前に表示せるがごとく、 我人の身体に具するところの五種の覚官なり。  つぎに五作根は、  これまた前に表示せるがごとく、 我人の四肢五体なり。  これを言・執・歩・戯・除の五作用に配すべし。  すなわち、舌根は言語の作用を有し、 手根は執持の作用を有し、 足根は歩行の作用を有し、 男女根は戯楽、 大遺根は除棄の作用を有するなり。 ゆえに「金七十論 巻中の五)の「偶文」に、 唯見一色等塵一是五知根事、 言執歩戯除、 是五業根事(ただ色等の塵を見るは、  これ五知根の事なり、 言と執と歩と戯と除とは、 これ五作根の事なり〔大正蔵、 作につくる〕) といえり。 五業根はすなわち五作根なり。  つぎに、 心平等根とはすなわち心根にして、 分別を体となすといい、 あるいは一説に、 肉団心をもって体となすという。「金七十論」(巻中の三)に曰く、

心根有三  種一 分別是其鉢、 云何如砒此、 此心根若与ーー知根ー相応    即名二知根一 若与二作根ー相応即名二作根一 何以故是心根能分ーー別知根事一 及分二別作根事一故(中略)、 此心云何説為>根、 与二十根ー相似、 十根従二転変我慢 生、 心根亦如>是、 与ーー十根向炉事、 十根所作事、 心根亦同作、 是故得二根名

(心根に二種あり、 分別はこれその体なり〔との意味なり〕。  いかんぞかくのごとくなる。  この心根は、 もし知根と相応すれば、 すなわち知根と名づく。 もし作根と相応すれば、 すなわち作根と名づく。 なにをもっての故に。  この心根はよく知根の事を分別し、  および作根の事を分別するが故に。(中略)この心いかんが説きて根となす。 十根と相似す。 十根は転変我慢より生ず。 心根もまたかくのごとし。 十根と事を同じくす。 十根所作の事は、 心根もまた同じくなす。  この故に根の名を得)

とあり。  これを要するに、 中間の二十三諦は自性より現出せるをもっ て、  これを変易となす。 その中に大・我慢    五唯の七諦は、 根本にして同時に変易なり。 なんとなれば、 我慢は大より生ずるをもって変易なれども、 またよく五大および五根を生ずるが故に根本なり。  しかるに、 五大・五知根・五作根・心平等根の十六諦は変易にして根本にあらず。 なんとなれば、 これみな他より生ずるのみにて、 他を生ずるにあらざればなり。 あるいはまた「百論疏」(巻上中の二四)に、 自性と大等の諸諦との異同を示せり。  すなわち曰く、

問世性(自性)与ーー大等ー何異、 答略明二九異者因非因異、 世性但是因、 十六法但是果、 大慢五塵此七亦因亦果、 従ー一世性一生    故是果、 能生>他故為>因、  二  常無常異、 世性是常、 大等無常、 故五大没二帰五塵一 五塵没帰  慢一 慢没ーー帰大一 大没二帰世性一 世性則常也、 三  一多異、 世性唯是一、 多人所>共故、 大慢等則多、 人不同故也、  四  遍不遍異、 世性与>我遍二  切処一 大等則不>遍也、 五  有事不有事異、 大等申縮往ーー還生死一 世性則不>爾也、 六  没不没異、 大等諸物没二帰世性中一 世性則不>可>没、 世性無>有二流転没一也、  七  有形無形異、 世性無形、 大等有形、 故有>異、 八  依他不依他異、 如二十六物  依ーー五塵一 乃至大依二世性一 世性無ーー所依九  従他不従他異、 大等従ー一世性一生、 故依二世性示得二自在而世性無一所依一也、 問世性与>大九種不同  復有同  義  不、 答除ーー世性及我一余二十三法皆有>三、  一楽二苦三痴闇、 則知世性中亦_有 』一性一也、 是名二同義

(問う、 世性(自性)と大等となにが異なる。 答う、 略して九の異を明かさん。  一には因と非因の異なり。世性はただこれ因なり、 十六法はただこれ果なり、 大と慢と五塵とのこの七は亦因亦果なり、 世性より生ずるが故にこれ果なり、 よく他を生ずるが故に因となす。  二には常と無常の異なり。 世性はこれ常なり大等は無常なり、  ゆえに五大は没して五塵に帰し、 五塵は没して慢に帰し、 慢は没して大に帰し、 大は没して世性に帰す。 世性はすなわち常なり。 三には一と多の異なり。 世性はただこれ一なり、 多人所共の故なり、 大・慢等はすなわち多なり、 人不同なるが故なり。  四には遍と不遍の異なり。 世性と我とは一切処に遍す、 大等はすなわち遍せざるなり。 五には有事と不有事の異なり。 大等は申縮して生死に往還す、 世性はすなわちしからざるなり。 六には没と不没の異なり。 大等の諸物は没して世性の中に帰す、 世性はすなわち没すべからず。 世性には流転没あることなければなり。  七には有形と無形の異なり。 世性は形なし、 大等は形あり、   えに異あり。 八には依他と不依他の異なり。 十六物のごときは五塵により、 ないし大は世性により、 世性は所依なし。 九には従他と不従他の異なり。 大等は世性より生ずるが故に世性によって自在を得ず、 しかも世性には所依なきなり。 問う、 世性と大とに九種の不同あり。 また、 同の義ありやいなや。 答う、 世性および我を除いて、 余の二十三法にはみな三つあり。  一には楽、  二には苦、 三には痴闇なり。  すなわち知る、 世性の中にもまた三性あり、 と。  これを同の義と名づく。)

これによりて、 自性と大等の二十三諦の関係を知るべし。



第ーニニ節    神我の性質

以上、 中間二十三諦を弁明してここに至れば、 神我を解説せざるべからず。 まず神我の名義を釈し、  つぎに神我と自性との関係を論ずべし。 神我とは、 思あるいは知をもって体となす。  すなわち覚知思量の本源なり。「百論疏 巻上中の二二)には、 知者即是我、 亦名二総御 知者はすなわちこれ我なり、 また総御と名づく)と釈し、  また知者是我、 我以レ知為>鉢、 我不二従>他生一 又不レ能>生>他(知者はこれ我なり。 我は知をもって体とすれば、 我は他より生ぜず。 また、 他を生ずるあたわず)と解せり。  すなわち神我は、 自性のごとく他を生ずるにあらず、 変易のごとく他より生ずるにあらず、 あるいはまた大・我慢・五唯のごとく他より生じて、 同時に他を生ずるにあらず。  ゆえに、  これを根本にもあらず、 変易にもあらずという。 もし神我と自性との関係に至りては、「倶舎遁麟記」(巻一の一七)に説明せること左のごとし。

彼所計有一真常之我一 思為 誌社竺但是受者而非二作者一 余二十四是我所ーー受用    二自性即三徳以一薩唾頼閣答摩  為>鉢、 此三如  我之臣佐一 我若欲>褐>受詣塁哭時即為>我変、 末>変之時各住二自性一 故名ー自性

(かの所計は真常の我あり。 思を体と性となす。  ただこれ受者にして作者にはあらず。 余の二十四はこれ我の受用するところなり。  二に自性はすなわち三徳にして薩唾頼闇答摩をもって体となす。  この三は我の臣佐のごとし。 我もし境を受用することを得んと欲するとき、 すなわち我のために変ず。 いまだ変ぜざるのとき、 各自性に住す、  ゆえに自性と名づく。)

『倶舎光記 巻三の七)に出ずるところ、 またこれに同じ。  すなわち、 我以>思為レ鉢、 性但是受者而非ー作ー   者

余二十四諦是我所、 是我之所二受用  (我は思をもって体となす。〔その〕性はただこれ受者のみにして作者にはあらず。 余の二十四諦はこれ我所にして、 これ我の受用するところなり)とあり。  これ、 神我は受者にして、 自性は作者なることを示すなり。 また「華厳玄談』(巻八の六)によるに左のごとし。

自性与>我合、 如二人与>王合一 亦如二盲与函跛合則以>我為函跛不レ能加作故、 自性為>盲不>能>見故、 此二合故能生二世間与レ我受用  盲跛達二其所在ー各得二分立我見二自性一時即得二解脱

(自性と我と合するは人と王との合するがごとく、 また盲と跛と合するがごとし。  すなわち我をもって跛となす、 作るあたわざるが故に、 自性を盲となす、 見ることあたわざるが故に。  この二合するが故によく世間を生じ、 我のために受用せらる。 盲跛その所在に達し、 各分立することを得。 我の自性を見るとき、  すなわち解脱を得。)

もしまた「唯識述記」(巻上末の二七)によらば、

神我以>思為>鉢、 故因明説執我是思、 三徳是生死因、 由三所転変擾一乱我一故不>得ーー解脱常一 生レ厭脩レ道、 自性隠祗跡不>生ーー諸諦一 我便解脱知二二十三諦転変無

(神我は思をもって体とす。  ゆえに因明に執する我はこれ思なりと説けり。 三徳はこれ生死の因なり。 所転変が我を擾乱するによるが故に解脱を得ず。  二十三諦は転変無常なりと知っ て、 厭を生じて道を修するとき、 自性跡を隠して諸諦を生ぜざりぬれば、 我はすなわち解脱す)

とあり。 また「慈恩伝」には、至>如ーー数論外道丑芸二十五諦義一 従二自性一生>大、 乃至此二十四並供二奉於我我得二清浄我所ーー受用一 除二離此 則、

(数論外道のごときにいたっては二十五諦義を立つ。 自性より大を生じ、 ないし、  この二十四はならびに我に供奉し、 我の受用するところたり、  これを除離しおわればすなわち我は清浄なるを得)とあり。 また「因明大疏」巻三の四四「瑞源記」巻四の五八)に、

由レ此三徳是生死因、 神我本性解脱、 我思二勝境ニニ徳転変、 我乃受用、 為>境纏縛不>得ーー涅槃一 後厭修涵坦我既不>思、 自性不>変、 我離二境縛一便得二解脱

(これによりて、 三徳はこれ生死の因なり。 神我は本性は解脱なり。 我が勝境を思うときに、 三徳が転変す。 我はすなわち受用すれば、 境のために纏縛せられて、 涅槃を得ず。 後にいとうて道を修するとき、 我はすでに思わざれば、 自性は変ぜず。 我が境の縛を離れなば、  すなわち解脱を得)

とあり。  これによりて、 自性・神我の関係および迷悟の原因を判知するを得べし。  これを要するに、 神我と自性とは、 前者は知者にして後者は作者なれば、 その相合するは跛者と瞥者との相合するがごとく、 神我の跛者は覚知の眼ありて行動の足なく、 自性の瞥者は行動の足ありて覚知の眼なし。 ゆえに、  この二者相合して世間を生ずという。  すなわち偶文に曰く、

我求レ見一三徳自性為二独存如二跛盲人  合 由函義生二世間

(我は三徳を見んと求め    自性は独存のためにす    跛と盲との人の合するがごとし    義によって世間を生ず)

この誓喩は、 往昔商侶ありて某国に行かんとせしに、 盗のために破られ、  おのおの四方に分散して走る。 しかるにその中に、  一人の生盲および一人の生跛あり。 衆人これを棄郷して去るも、 盲人みだりに走り、 跛者座してみるのみ。  そのとき跛者問いて曰く、 汝なにびとぞ。 答えて曰く、 われはこれ生盲にして、 道を知らざるが故にみだりに走ると。  つぎに盲者問いて曰く、 汝またなにびとぞ。 答えて曰く、 われは生跛にして、 よく道を見るも走り行くことあたわず。  ゆえに汝、 今われを肩上に憤くべし。 われよく道を導かん。 請う、 汝われを負うて行けと。  ここにおいて

二人互いに和合してついに所在に至る。 所在に至りて、  おのおの相離る。  かくのごとく、 我は自性を見るとき、  すなわち解脱を得るという。 換言すれば、 自性と神我と相合して世界を開現し、  二十三諦の転変無常を見て自ら厭心を生じ、  にわかに修行を起こし、 自性跡を隠してまた諸諦を生ぜざるに至れば、 我すなわち解脱するを得という。


二三節    数論の宗教

以上述ぶるところは、 数論の論理学および純正哲学に属する部分なり。 換言すれば数論の哲学門なり。  これに対して数論の宗教門あり。  これ、 哲学門の道理を実際に応用したるものにほかならず。 他語にてこれを言えば、神我が境のために纏縛を離れて、 生死を解脱せんとするにあり。  ゆえにその宗教門は、 安心立命、 脱苦得楽の目的を達する方法を講ずるにほかならず。  すなわち「金七十論」(巻上の三)に、 知ーー此二十五真実之境不増不減決定脱ーニニ苦

(この二十五の真実の境の不増にして不減なるを知れば、 決定して、 三苦を脱す)とあり。  その三苦とは、 依内・依外・依天の三種なり。 依内苦は身心上の苦痛にして、 疾病あるいは離別等より起こすところの苦これなり。 依外苦は世人・禽獣・毒蛇等より生ずる苦をいい、 依天苦は寒熱・風雨・雷電等より生ずる苦をいう。 けだし数論の説たるや、 自性の作者と神我の知者と相合して大を生じ、 大より我慢を生じ、  ついに種々の迷執を起こして、 生死流転の苦境を現ず。 もし、 その苦をいといて迷執の原因を断滅すれば解脱を得べし。  ゆえに

「金七十論」(巻中の一六)の「偶」に、

因 善 法向 >上 因 非 法向  斥因 智厭  解脱 翻>此則繋縛

善法によりて上に向かい    非法によりて下に向かう    智厭によりて解脱すなり)

その解釈に曰く、

これに翻すればすなわち繋縛因 智 厭解  脱者、 因 細 身得 二智慧一 因 智 慧  得 厭 離一 因 厭 離  捨コ棄細身一 真我独存、 故名 解 脱一 翻>此則繋縛者、 翻>智者名二無智一 如ー一人執言二我可>憐我可>愛、 我可>愛者由>慢故計レ我、 是名二無知一 此無知繋二縛自身一 令今在ーー人天獣等中

(智厭によりて解脱すとは、 細身によりて智慧を得、 智慧によりて厭離を得、 厭離によりて細身を捨棄し、

真我独存す。  ゆえに解脱と名づく。  これに翻すればすなわち繋縛とは、 智に翻すれば無智と名づく。  人の執して「我憐れむべし、 我愛すべし」と言うがごとし。 我愛すべしというは、 慢によるが故に、 我を計す。  これ無知と名づく。  この無知、 自身を繋縛して、 人、 天、 獣等の中にあらしむ)

とあり、 もって解脱と繋縛との意を知るべし。 またその二者の状態を開示して、 大別四分、 細別五十分となす。すなわち左表のごとし。

もし、  この四分を迷悟に配すれば、かくして、 繋縛を離れて解脱を得るに六段の階級あり。

これ、  二十五諦につきて六種の観を起こし得るところの位なり。  すなわち、 第一に、 五大の過失を観じて厭を生じ、 もって五大を離るるを思量位と名づく。 第二に、 十一根の過失を観じて厭を生じ、 もって十一根を離るるを持位と名づく。 第三に、  この智慧を用いて五唯の過失を観じて厭を生じ、 もって五唯を離るるを如位に入ると名づく。 第四に、 我慢の過失を観じて厭を生じ、 もって慢等を離るるを名づけて至位となす。 第五に、 覚の過失を観じて厭を生じ、 もって覚を離るるを得るを縮位と名づく。 第六に、 自性の過失を観じて厭を生じ、 もって自性を離るる位を独存と名づく。  また、 智慧に八分あり。  すなわち左のごとし。

これを「金七十論」(巻下の五)に、 由二此智分匡四二十五義一 入ユハ行匡戸解脱  (この智分によりて、  二十五の義を得、 六行に入りて、 解脱を得)と説けり。  かくして、 さきにいわゆる内苦・外苦・天苦の三種の苦痛を脱することを得るという。  これ、 数論宗教門の大要なり。


二四節    数論の批評

すでに数論の哲学門および宗教門を解脱したれば、  これより、 仏教が数論の上に与うる批評と、 数論と勝論との異同につきてニ 口すべし。 それ、 数論は二十五諦の原理を立てて、 世界万有の生起を論ずるも、 その要は因中有果論にして、 自性中に世界を有し、 因中に果を存し、 因果一なりと立つるなり。  ゆえに『喩伽論」(巻六の二、


「顕揚論」

巻九の二)には、 十六計の第一に因中有果論を掲げて、 数論の所計を駁せり。  すなわち左のごとし。

彼見ー一因中常有二果性一 応ー一審問品彼、 汝何所私欲、 何者因相、 何者果相、 因果両相為涵異不涵異、  若無二異相一便無因  果二種決衷    因果二種無二差別一故、 因中有>果、 不"応二道理{  若有一異相一汝意云何、 因中果性為二未生相    為 已 生相一 若未生相    便於二因中一果猶末レ生而説  是有{  不レ応二道理一 若已生相 即果鉢已生、 復従因 生、 不レ応二道理    是故因中非  先有届果、 然要有二因待レ縁果生

(彼、 因中に常に果の性ありと見る。 まさにつまびらかに彼に問うべし、 汝なんの所欲ぞ、 なにものか因相なる、 なにものか果相なる、 因果の両相異なりとせんや、 異ならざるや。 もし異相なくんば、  すなわち因果の二種決定することなからん。 因果の二種差別なきが故に、 因中果ありというは道理に応ぜず。 もし異相あ

らば、 汝が 意 いかん、 因中の果性は未生の相とやせん、 已生の相とやせん。 もし未生の相ならば、  すなわち因中において果なおいまだ生ぜず、 しかるにこれありと説くは道理に応ぜず。 もし已生の相ならば、 すなわち果体すでに生ぜり、 また因より生ずというは道理に応ぜず。  この故に、 因中にさきより果あるにあらず、 しかもかならず因は縁を待つことありて果生ず。)

もし「唯識論 巻一の九)によらば、 左のごとくその所執を難破せり。

彼執非レ理、 所以者何、 大等諸法多事成故、 如二軍林等一 応二仮非>実、 如何可記翌現量得一耶、 又大等法若是実有、 応伝如二本事丑ぞ三合成い薩唾等三即大等故応下_如一大等一亦三合成い転変非常為>例亦爾、 又三本事各多切  能鉢亦応>多、 能鉢一故三鉢既遍、  一処変  時余亦応>爾、 体無>別故許二此三事鉢相各別如何和合共成ー一相一 否  応谷    時変為ー一相    与 末>合時  体無>別故、 若謂三事体異    相同、 便違二己宗鉢相是一一 体応二如>相冥然是一{  相応一一如>体顕然有で三、 故不>応>言二三合成>一。

(彼が執すること、 理にあらず。  ゆえんはいかんとならば、 大等の諸法は、 多事をもって成ずるが故に、 軍林等のごとく、  まさに仮にして実にあらざるべし。 いかんぞ現量得と説くべけんや。 また大等の法は、 もしこれ実有なりといわば、  まさに本事のごとく、 三合して成ずるにあらざるべし。 薩唾等の三は、 すなわち大等なりというが故に、 まさに大等のごとく、  また三合して成じたるものなるべし。 転変して、 常にあらざることも例をなすことも、 またしかなり。 また三の本事は、  おのおの多くの功能のありというをもって、 体もまたまさに多なるべし。 能と体とは一なるが故に。 三は体すでに遍せりというをもって、  一処に変ずるときには、 余にもまたまさにしかるべし、 体別なることなきが故に。  この三事は、 体と相と各別なりと許さば、いかんぞ、 和合して共じて一相と成るや。 まさに合するときに、 変じて一相となるべからず、 いまだ合せざるときと、 体別なることなきが故に。 もし、 三事は、 体は異なれども相は同じなりといわば、  すなわち己が宗の体と相とこれ一なりというにたがえり。 体もまさに相のごとく、 冥然としてこれ一なるべし、 相もまさに体のごとく、 顕然にして三あるべし。  ゆえに、 まさに三合して一と成るとはいうべからず。)

その解釈は「述記」(巻一末の二八)につまびらかなれば、 よろしくその書につきて見るべし。  これを要するに、 数論は実有論にして、 大等の諸法は実にして仮にあらずと立つるをもって、 仏教はこれを排して、 仮有にして実有にあらざることを証するなり。 また、 数論は我執論の一種なれば、「唯識論」(巻一の三)に我執を三種に分かち、 その第一種の我鉢常周遍、 量同二虚空  (我は体常なり、 周遍せり、 塁虚空に同じなり)の中に、  数論および勝論を摂せり。  かつその所執を駁して、 我常遍、 量同二虚空一 応>不三随>身受一丑古楽等一 又常遍故応下無ーー動転如何随>身能造中諸業上云云(我は常なり遍ぜり、 最、 虚空に同じというをもって、 まさに身に随って苦楽等を受けざるべし。  また、 常なり遍ぜりというが故に、 まさに動転なかるべし。  いかんぞ身に随って、 よく諸業を造せんや、 云々)とあり。  これまた、 その説明は「唯識述記」(巻一本の七六)に譲る。  これを要するに、 数論も勝論も仏教よりこれをみれば、 実我論あるいは実有論にして、 人間観にありては実我をとり、 世界観にありては実有を立つるをもって、 これを外道の部類となす。 しかして数論と勝論との別は、 さきに「外道小乗四宗論」を引きて弁明せるがごとく、 前者は一切法一を唱え、 後者は一切法異を唱う。 あるいは我覚の二者もしくは神覚の二者、 これ一を唱うると、  これ異を唱うるとの別あり。 すなわち「百論」(巻上の一 には、 外曰実有>神如ー僧ー怯経中説覚相是神、 内曰神覚為二  耶、 為>異耶、 外曰神覚一也(外の曰く、 実に神あり、「僧怯経」中に説くがごとき「覚相はこれ神なり」と。 内の曰く、 神と覚と一となすや、 異となすや。 外の曰く、 神と覚とは一なり)と説き、「百論疏」(序疏の、 巻上の上の一には、 僧怯者当>一、 世師当函異云云(僧怯は一に当たり、 世師は異に当たる、 云々)と説き、 また「同疏」(巻中上の二)に、 僧怯計二神与>覚一  (僧怯は神と覚となりと計す)と説けり。 また「華厳経疏」(巻三の一 には、  数論計>一(数論は一なりと計す)といえり。 もし「二諦義 巻下の七)によらば、  二諦一鉢即是僧怯義、  二諦異鉢即是衛世義也(二諦は一体なるはすなわちこれ僧怯の義、  二諦は異体なるはすなわちこれ衛世の義なり)とあり。 その二諦は、 三論宗のいわゆる真俗二諦なり。  これすなわち、  一異の別を示すものなり。 また「百論疏」に、 僧怯執>有、 衛世計>無(僧怯は有を執す、衛世は無を計す)とあるは、  さきにいわゆる因中有果論と因中無果論との意なり。 あるいはまた「成実論」(巻三のニに、 説 色 等即是大一 如ーー僧怯等一 或説下離二色等一是大い如ー衛世師等  (色等はすなわちこれ大なりと説くあり、 僧怯等のごとし。 あるいは色等を離れてこれ大なりと説く、 衛世師等のごとし)とあり。 また「百論疏」(巻中下の二〇、 巻下中の一 僧塵細大粗、 故従二五塵一而生二五大

および一八)に、 数論と勝論との四大論の異同を示して、 外道明ーー造色義一 怯謂偏造義也、 世師亦従>塵生>大而是遍造(外道は造色の義を明かす。 僧怯は、 塵は細・大は粗なり、  ゆえに五塵よりしかも五大を生ず。 いわく偏造の義なり。 世師もまた塵より大を生ず。  しかもこれ遍造なり)と説き、 また時計の異同を示して、 物自去来而時無ーー改易故名二不変一 衛世師九法中時是主諦之一法、 乃至数論明因ー法仮一 名レ時離レ法無二別時  (物おのずから去来せり、 しかも時に改易なし、  ゆえに不変と名づくと。 衛世師の九法の中の時は、 これ主諦の一法なり。 ないし、 数論にして法によって仮に時と名づく。 法を離れては別の時なしと明かす)と説き、 また微塵を釈するの不同を示して、 衛世師は、 微塵至細無ーー十方分一 四相不レ遷故名為>常(微塵はいたっ て細にして十方の分なく、  四相にうつされず。  ゆえに名づけて常となす)といい、  数論師は、 以>無二十方分一故名二微塵{  以二鉢是碍一故名為>色(十方の分なきをもっての故に微塵と名づく。 体これ碍なるをもっての故に名づけて色となす)というと説けり。  そのほか、 往々数論と勝論とを対照して、  二者の異同を摘示せるところあるを見るも、  これを略す。


二五節    数論の結意

上来叙述弁明せるところ、  これを要するに、  数論の哲学は勝論と同じく物心二元論なり。 換言すれば、 自性と神我との二元を立つるものなり。 自性はもと無知覚性のものなれば、 物質の本源実体と称して可なり。 しかれども、 その体には本来固有せる勢力ありて、 世界万有を開発せる以上は、 単純の物質性にあらざること明らかなり。  これをスピノザ〔 〕氏の本質に比するよりは、 むしろショー  ペンハウアー〔

氏の意志に比するを適当なりとなす。  これに対して神我は精神の本源なれども、 神我のみにてはその作用を現ずるあたわず、 必ず自性の開発を待ちて世界を現ずるなり。 自性またしかり。 自ら開発の勢力を有するも、 神我の受用を待ちて覚知を生ずるなり。  これを約言すれば、 自性は勢力ありて覚知なく、 神我は覚知ありて勢力なし、

二者相合して内外諸境を開現するなり。  ゆえに「百論疏 巻上中の二四)に、 世性は我と和合してともに大等を生ずとありて、 その論は二元和合の性質を有すること明らかなり。 しかりしこうして、 勝論も二元和合論なれども、  これを数論に比するに、 大いに異なるところあり。 すなわち、 勝論は多元的二元論にして、 数論は一元的二元論なり。 なんとなれば、 勝論の世界論は九種の実体ありて、 互いに相合するによるとなし、 数論の世界論は自性の開発によるとなす。  しかして、 神我はただ自性によるのみにして、 世界を造化する力を有するにあらず。この点につきて二者を較すれば、 勝論は多元的にして、 数論は一元的と称して可なり。  ゆえに前節にも述ぶるがごとく、 数論は因中有果を唱え、 あるいは一切法一を説きて、  一元の理を唱うるなり。 かつ数論と勝論との別は、 開発論と分析論との異同なり。 勝論は万有を分析して多元を立てたるのみなれども、 数論はさらにその多元を自性の開発に帰して、  一元に減ずるに至れり。 換言すれば、 前者は横に分析上万有の存立を論ず。  すなわち、仏教のいわゆる実有論なり。 後者は竪に開発上万有の生起を論ず。  すなわち、 いわゆる縁起論なり。  ゆえに、 勝論一変すれば、 小乗の倶舎哲学を見るべく、 数論一変すれば、 大乗の起信哲学を見るべし。  ゆえに「倶舎論要解 巻五の四二)に、 数論所説与二所謂大乗終教所説一甚似(数論の所説はいわゆる大乗終教の所説とはなはだ似たり)とあり。  これを要するに、 数論.勝論は九十余種の外道中の上乗にして、 なかんずく数論はその最上と称して可なり。



第七編

第一章 外道諸派結論

二六節    外道論の帰結

上来章を重ねて、 外道諸派の異見を客観・主観の両論に分かち、 客観論を単元・複元の二段に分かち、 主観論もまた単元・複元の二段に分かち、 逐次論述してここに至れり。  その順序は客観より主観に入り、 単元より複元に移れり。  これ、 人の思想発達の規則なるのみならず、 外道より仏教に転進するの階段なり。  さきに第五五節に二舌せるがごとく、 仏教は主観論なり、 唯心論なり、 絶対論なり、 理想論なり、 超理論なり、 不可知的論なり。これに対して、 外道は客観論なり、 唯物論なり、 相対論なり、 実体論なり、 常識論なり、 可知的論なり。 もし、客観唯物を真理の基礎とし、 相対可知的を哲学の終極とするにおいては、 外道の諸論を仏教の上に置かざるを得ずといえども、 もし主観唯心を極理とし、  理想絶対を真源とするにおいては、 仏教ははるかに外道の上にあるこ論 と論をまたず。 今、 余は理想絶対論をもって論理の幽玄をひらき、 哲理の真際を極めたるものとなす。  ゆえに外結 道より仏教に移るは、 実に人智進化・思想開発の順序なりと信ず。 古来、 仏教家はみな唯心因果の眼光をもって外道を観察し、 その見るところ極めて閲浅なるを知り、  これを妄見邪逗となせり。  しかれども、 今日西洋の哲学上にありては、 なお客観論の主観論を排し、 唯物論の唯心論に抗することあるがごとく、 外道の方面よりこれをみれば、 仏教かえって虚妄なるがごとく感ずるなるべし。  ゆえに「中論疏 巻八末の二)に、 九十六術皆云天下唯我一人、 天下唯我一道、 各謂二己法実、 余並虚妄

(九十六術みないわく、 天下にただわれ一人あり。 天下にただわが一道あり。  おのおの己が法のみ実なり、 余はならびに虚妄なりとおもえり)とあり、 また「十二門論疏」(序疏の四)には、 九十六術自謂レ得袖理、 故異道紛然、 若尽>理者則衆異息突(九十六術は自ら理を得たりというが故に異道紛然たり。 もし理を尽くせば、  すなわち衆異やまん)とあるがごとく、 互いに他を貶斥して己を立てんとするも、 もしその理源を究むれば、 必ず是非いずれにか定まらざるべからず。 しかるに、 余は元来理想論者にして、 かつここに仏教の方面より外道を評論するものなれば、 外道は凡情常識にもとづきたる浅見なりと

なすなり。『果宝紗    にその別を示して曰く、

小乗等教中専立ー一因縁畑 二外自然一 意一切法有ーー事理一 事相饂顕近二情量一 理性微細難思法也、 外道等偏約二情計自空事法一 此中計度分別或立二自然一 或立二造作{  皆是現械境界、 全非二理趣一 切小乗等又約二事法令芸仏法一 故明二因縁生義一破ーー情実見{  生滅所帰遂在二太虚空一 依>之俗諦立二因縁    真諦証二択滅一云云

(小乗等の教の中にもっぱら因縁を立てて外の自然を破す。  意 は一切法に事と理とあり、 事相は羅顕にして情量に近く、 理性は微細にして難思の法なり。 外道等は偏して情計に約して事法を見る。  この中に計度分別して、 あるいは自然を立て、 あるいは造作を立つ、 みなこれ現量の境界にして全く理趣にあらず。 よって小乗等また事法に約して仏法を立つ。  ゆえに因縁生の義を明かして情実の見を破し、 生滅の所帰ついに太虚空にあらしむ。  これによりて俗諦に因縁を立て、 真諦に択滅を証す、 云々)

とあり。  また「涅槃経」の「疏」(「涅槃会疏巻三六の一六)には、 外道の因縁と仏教の因縁との相違を述べて、 外道に二十五諦みなことごとく相生ありという。  すなわち因縁の義なり。  しかしてその因縁は、 すなわち仏の因縁の義と異なれり。 仏法は過去を因となして現在にその果を得るといい、 外道はただちに現在一世相生をもって因縁となすと説く。  これ、 三世あるいは二世因果と一世因果との相違なり。 しかるに『榜厳略疏』(巻二の九)には、 外道と仏教との三大不同を掲げて、 左のごとく論ぜり。

外道所計冥諦神我能生ー一万物一 則冥諦神我為二能生一 万物為二所生一 能生是常、 所生無常、  一不同也、 又仏言此見及縁元是菩提、 妙浄明体者即是真如随縁之相、 相初全鉢而不>変、 如下指ーニ  月之全体一 総是真月、 而真月之外更無中両月別鉢上也、 外道所レ計万物各有一鉢相一 而並推ーー冥諦神我ー以為二住因一 則子不>似>父因果皆非、二不同也、 況仏言諸法所生唯心所現、 則彼都無非色非空境界、 及昭昭霊霊境界、 亦是自心一種相分、 彼方昧>之以為二冥諦一 以為ーー神我一 不>達一唯心一 尤為二大不同一也。

(外道所計の冥諦・神我はよく万物を生ず。  すなわち冥諦・神我を能生となし、 万物を所生となす。 能生はれ常、 所生は無常なり。  一の不同なり。 また仏いわく、  この見および縁は元はこれ菩提、 妙浄の明体はすなわちこれ真如随縁の相なり。 相によりて全体にして不変、 二月の全体を指すに、 総はこれ真月、 しかして真月のほかにさらに両月の別体なきがごときなり。 外道の所計は万物各体と相あう、 しかして並べて冥諦論神我を推してもって住因となす。  すなわち子は父に似ず、 因果みな非なり。  二の不同なり。 いわんや仏いわく、 諸法の所生は唯心の所現、 すなわちかの都無・非色非空の境界なり。  および昭々霊々の境界もまたこれ自心の一種の相分なり。  かなたはこれにくらく、 冥諦となし、 もって神我となしてただ心に達せず。 もっとも大不同なりとなすなり。)

もし『智度論』(巻一五の一三)によらば、 外道と仏教とは同あり異ありと称して、 左のごとく示せり。

復次  外道及仏弟子説孟吊法一 法有レ同有涵異、 同者虚空涅槃、 外道言有ーー神時方微塵冥初    如レ是等名為臼異

(またつぎに、 外道および仏弟子が常法を説くに、 法に同あり異あり。 同とは虚空と涅槃となり。 外道は、神・時・方・微塵・冥初ありと言う。 かくのごとき等を名づけて異となす。)

もしまた唯心・唯物をもってその別を立つれば、「唯識述記 巻一本の三七)に、 清弁と順世とは境ありて心なしという、 これ唯物論なり。 中道大乗は心ありて境なしという、  これ唯心論なり。 小乗多部は境あり心ありという、  これ物心二元論なり。  邪見と一説とはすべて心境なしという、  これ無元論なり。 しかして、 清弁は三論宗にして唯心理想論の一種なるも、 法相家よりこれを斥して唯物論となすのみ。  これを要するに、 外道の論理は仏教上より評定するところによれば、 左の二見に帰するなり。

一、 偏見 二、 邪見

第一に偏見とは、 論理の中正を得ざるものをいい、 あるいは断見に偏し、 あるいは常見に偏するの類これなり。 けだし、 仏教の論理法は余のいわゆる四断論法にして、 有・無・双非・双亦の四句をもって真理を判定す。しかるに外道は、 その一辺に偏して中正の見を有せず、 すなわち四句中の一辺に偏在するものなり。 しかして真正の真理は、  四句を離れ百句を絶したるところにありて存するも、 外道はついにこれを知らず。 ゆえに仏教はその諸計を排斥せり。  すなわち「百論疏』、「中論疏等に詳説せるがごとし。


第二に邪見とは、 仏教は因果教にして、 物心万有の理は因果の天則を離れてあるべからずとなす。 しかして、その因果は正因正果と称して、 因あれば必ず果あり、 果あれば必ず因ありと立つるも、 外道は無因あるいは邪因を立て、 有因無果・無因有果等を唱うるなり。  ゆえに、  これを邪見邪道の法となす。  すなわち「三論玄義」(首書の五)に示すがごとし。 また「中論疏巻一本の一九および四五)には、 九十六種術非ー一因縁義

(九十六種の術は、 非因縁の義なり)、 あるいはまた九十六種術名為二邪説  (九十六種術を名づけて邪説となす)と説きて、 外道は非因縁教なるをもってこれを邪説となす。  これを要するに、 仏教は因果の正理を説き、  四句の中道を立て、 唯心の哲理をもって外道唯物の見を破し、 因果の原則をもって外道有神の妄を駁せるなり。  ゆえに、 仏教は実体論に対しては理想論にして、 有神論に対しては無神論あるいは凡神論なりとす。  これ、 外道と仏教との論理上所見の異同のみ。 もし純正哲学上の観察によらば、 外道は諸派を通じて左の二論に座するなり。

一、 実我論(人間観) 二、 実有論(世界観)

すなわち、 我人人類の上につきては、  一種固有せる我体ありて、 我人に精神の作用もしくは意志の自由を発するものとし、 また天地万有の上につきては、  一切諸法は実在恒存せるものとなす。  しかるに、 仏教はこれに対して無我論・仮有論を立つるなり。  これみな理論上の比較のみ。 もし、  これを応用して道徳・宗教の目的を立つるに至りては、 外道諸派おのおの唱うるところの涅槃あるも、  その体を解するに唯物的もしくは有神的の理をもってし、 死後の世界を滅無に帰する断見外道の説あり、 また冥界の実在を唱うる常見外道あるも、 その目的、 天上論      界に生まるるをもっ て終極となす。  ゆえにそのいわゆる涅槃は、 仏教の涅槃と大いに異なるところあるは論をまたず。  すなわち「智度論」(巻一八の九)には、 汝等外道与ーー仏法一懸  殊      有レ若二天地{  汝等外道法是生二諸煩悩ー処、 仏法即是滅二諸煩悩ー処、 是為二大異  (汝ら外道は仏法とはるかにことなること、 天地のごときあり。 汝ら外道の法はこれもろもろの煩悩を生ずるところ、 仏法はすなわちこれもろもろの煩悩を滅するところなり。  これを大いに異なれりとなす)とあり。  かつ、  この目的を達する方法にいたりては、 外道は苦行、 仏教は楽行なるの異同あること、 前に第一一節に述ぶるがごとし。  また「智度論」(巻一の一三)に、 外道と仏教との修行の異同を論じたるところに、 外道法中婆羅門  得缶ビ其法一 非二婆羅門示'レ得レ行、 仏法無レ大無レ小、 無レ内無>外、皆得一修行  (外道の法の中には、 婆羅門はその法を行ずることを得るも、 婆羅門にあらざれば行ずることを得ず。 仏法には大もなく小もなく、 内もなく外もなく、 みな修行することを得)とあり。 古来、 仏教と外道とを区別するに三法印と名づくるものあり。 そのことは『智度論」(巻三二の七)、「成実論」巻一の二四)、「法華玄義」(「法華玄義会本」巻八上の三四)等の数書に出でて、 諸行無常印・諸法無我印・涅槃寂静印これなり。  この三法印を具するものは仏教にして、 これを具せざるものは外道なりという。  ゆえに、 余はこの三法印に対して主我論・実有論・涅槃論の三段を設けて、 もって仏教と外道との異同を示し、 あわせて外道の結果を収めて仏教の理門を開くの階梯となさんと欲す。


第    二七節    主我論

およそ仏教にて論ずるところを見るに、 迷悟・善悪は我見の有無によりて分かるるものとなす。 しかして我見とは、 我人の起居、 動作、 選択自由自在なるを見て、 これ人身中に一種固定せる神我ありと立つるをいう。  ゆえに「宗鏡録」(巻六五の一七)に、 西天外道多執下身有ーー神我{  故能使一身    動作{  若無二神我一誰  使>身耶上(西天の外道は多く身に神我あり、  ゆえによく身をして動作せしむ、 もし神我なくんば、 だれか身を使せんやと執ず)と記せり。  すなわちその我とは、 今日心理学のいわゆる自由意志に近し。 仏教はこれを分析して、 その体諸元より成り、 別に一種固定せる別体あるにあらずとなすも、 外道は一種の神我ありとなす。  すなわち「倶舎論 巻のに、 一類外道作二如>是執諸心生時皆従二於我

(一類の外道は、 かくのごときの執をなす。「もろもろの心の生ずるとき、 みな我〔〕よりす」)とあり。 しかして「光記」(巻三の一)に解するところによるに、 此仏法外勝論師等諸所執我非下即於一五蘊相続法上ー仮立為占我、 別有ーー真実離蘊我一云云(この仏法のほかの勝論師等のもろもろの所執の我は、 五蘊の相続法の上に即して、 仮立して我となすものにはあらずして、 別に真実の離蘊の我ありと、 云々)とあり。  また「中論疏巻四本の一四、 巻四末のニに、 外道計袖神為王(外道は神を計して主となす)と説き、 また神を解して、 統御為>神、 神了別名>識(統御を神となす。  神、 了別すれば識と名づく)と説き、「翻訳名義集」(巻六の一九)には、 梵語質多耶すなわち心を解して、 黄庭経五蔵論目>之為レ神、 西域外道計レ之為>我云云(黄庭経五蔵論はこれをなづけて神となし、 西域の外道は、  これを計して我となす、 云々)とありて、 外道の我はすなわち我人の心なり。  これを実有とすると仮有とするとは、 外道と仏教との分かるるところなり。「涅槃経」(『涅槃会疏』巻三五の二三)に先尼と名づくる梵志ありて、 仏に対して我法中の我に作身我・常身我の二種ありと答えたることを記せり。  かくして「智度論」(巻一八の六)に、

一切外道皆著二我見

(一切の外道はみな我見に著す)と説き、『榜伽玄義』 に、

我者自在義、  主宰義、 外道或計二神我{  或計ーー一士夫儒童作者受者知者見者自在常住能為二主宰一 並属二我執一 故仏以二人無我一破>之

(我とは自在の義・主宰の義なり。 外道あるいは神我を計し、 あるいは士夫・儒童・作者・受者・知者・見者を自在常住なりと計し、 よく主宰となす。 ならびに我執に属す、 ゆえに仏は人無我をもってこれを破す)と説けり。  すなわち、 外道諸派はみな我見を唱うるをもって、 仏教は無我の理を説きてこれを破するなり。  ゆえに「涅槃経」(巻三の一   、「涅槃会疏」巻二の一「獅子吼品」に、

善男子有二諸外道    雖レ説>有レ我而実無レ我、 衆生我者即是五陰、 離  陰之外更無二別我一 乃至如下四性和合名為天 衆    離>是之外更無中別衆生上

(善男子、 もろもろの外道あり、 我ありと説くといえども実は我なし。 衆生の我はすなわちこれ五陰なり。陰を離れてほか、 さらに別の我なし。 ないし、 四姓の和合を名づけて大衆となし、 これを離れてほか、 さらに別の衆なきがごとしと説き、 また「哀歎品」に、 欲>伏二外道一故唱ーー是言一 無レ我無二人衆生寿者養育知見作者受者

(外道を伏せんと欲す。  ゆえにこのことばを唱う、 我なく、 人、 衆生寿者、 養育知見、 作者受者なし)と説けり。 あるいはまた「十住心論肝要紗」(巻上の一 の、 外道の我と仏教の我とを弁明せる下に、

仏経無我者即遮ー一外道所執之我一 謂即蘊離蘊之二我是也、 今有ー不即不離之真我一即与二外道宗一異云云

(仏経の無我はすなわち外道所執の我を遮す。 いわく、 即蘊離蘊の二我これなり。 今、 不即不離の真我あるは、  すなわち外道の宗と異なる、 云々)

と記せり。  およそ我にも種々ありて、「唯識論」に我計の三種を分かちしことは、 第一節に述ぶるところを見るべし。 あるいは「倶舎宝疏」(巻三    の一)に、 二種の我ありという。  すなわち、  一五蘊緊集仮名為>我、 ニ或即蘊離蘊別執二  物ー以為二実我  (一は五蘊の緊集を仮名の我となし、  二はあるいは即蘊離蘊とし、 別に一物を執してもって実我となす)とあり。 また「止観私記 巻一    の一五)には、  四種の我あることを記せり。  すなわち    一に神我、  二に人我、 三に仮名我、  四に真我これなり。 そのうち外道の立つるところの我はその第一の神我にして、 仏教の破するところももっぱらこの我にあり。  そのほか仏書中に、 外道の実我論に対して無我の理を示したるもの、 実に枚挙にいとまあらず。  かつ我見ならびに我執のことは、 さきに第三章においてすでに弁明し、 また後に倶舎哲学、 唯識哲学を講ずるときに詳述すべきをもっ て、  これを略す。  この外道の我見と仏教の無我観とは、  おのずから学理の深浅を異にし、 我見は凡情常識の浅見より出ずるか、 しからざれば客観もしくは唯物の所計に属す。 しかして無我観は分析的あるいは論理的推理にもとづき、 唯心もしくは理想上の観察なり。  そもそも人々個々の身体中に一種固定せる神我、 あるいは霊魂のごとき一体ありと想するは、 凡人の所計にあらずゃ。 そのいわゆる我はまた諸元の和合より成り、  これを分解すれば別に我体の存するを見ずと知るは、 実に識者の達観にあらずや。 しかりしこうして、 外道中勝論のごときは、 分析論によりて物心の原理を立つること、 あたかも仏教に似たりといえども、 なお諸元の本体のその裏面に存することを知らざれば、 いまだ外道の範囲を脱することあたわずとなすなり。


第    二八節    実有論

論外道の天地万有を観察するは、 諸派おのおの大いにその所見を異にするも、 万有の本体実有なりというに至りては一なり。 ただに本体の不滅を唱うるのみならず、 多数の外道は地水火風のごとき諸現象、  みな実有恒存せるものとなす。  これまた客観凡情の所計たるを免れず。 しかるに仏教は、  これに対して諸行無常    生滅転変の理を説く。  その理たるや、 ただに人類動物の無常を義とするのみならず、  一切万物ことごとくみな変遷して、 片時一刻も静止することなきを義とするなり。 その論ようやく進みて大乗に入れば、 天地万有の諸元実体もまた、 みな仮有にして実有にあらずとなす。  これ、 あに凡情の計ならんや。 活眼達識にあらざれば、 ここに至ることあたわず。 今左に「涅槃経」(「涅槃会疏」巻二の三五)によりて、 外道の諸行説を挙示すべし。

諸外道翡亦復説言、 諸行是常、 云何是常、 可意不可意諸業報等受不レ失故、 可意者名二十善報一 不可意者十不善報、  若言二諸行皆悉無常一 而作業者於レ此已滅、 誰復於>彼受二果報一乎、 以二是義一故諸行是常  ゜

(もろもろの外道輩もまたまた説きていわく、 諸行はこれ常。 いかんがこれ常。 可意・不可意の諸業報等受けて失わざるが故に。 可意とは十善報と名づけ、 不可意とは十不善報なり。 もし諸行みなことごとく無常といわば、 しかも作業の者、 これにおいてすでに滅すれば、 たれかまた彼において果報を受けんや。  この義をもっての故に、 諸行はこれ常なり。)

しかるに、 常住不滅の理は外道のみならず、 仏教またこれを説く。  ゆえに「榜伽経に曰く、

「榜伽義疏」巻四上の二世尊与 外道論  無>有ーー差別    微塵勝妙自在衆生主等、 如レ是九物不生不滅、 世尊亦説二  切性不生不滅    有無不可得如レ是  ゜外道亦説ー一四大不壊、 自性不生不滅、 四大常是四大乃至周二流諸趣示'廷炉自性一 世尊所元説亦復

(世尊と外道の論とは差別あることなし。 微塵.勝妙・自在・衆生主等、  かくのごとき九物は不生不滅なり。世尊もまた、「一切の性は不生不滅にして、 有無は不可得なり」と説く。 外道はまた四大は不壊なり、 自性は不生不滅なり、  四大は常なり、  この四大ないし諸趣に周流して自性を捨てず、 と説く。 世尊の説くところ、 またまたかくのごとし。)

果たしてしからば、 外道も仏教も異なることなし。 しかるに、「榜伽経」にはその次節において、 仏告ー大慧{我説ーー不生不滅一 不レ同一外道不生不滅一云云(仏、 大慧に告ぐ、 わが不生不滅を説くは、 外道の不生不滅に同じからず、 云々)とありてその別を示せり。  これを「〔榜伽〕義疏」(巻四上の二二)に釈して曰く、

外道所説不生不滅、 妄  計二心外有江法、 故執レ之則有、 薮ら之則無、 世尊所レ説不生不滅了コ知唯心所現一 生即無生、 故非>有、 滅亦無>滅、 故非>無云云  ゜

(外道所説の不生不滅はみだりに心外に法ありと計するが故に、  これを執してすなわち有とす。  これを薮ればすなわち無なり。 世尊所説の不生不滅はただ心の所現なりと了知するに、 生即無生なるが故に有にあらず、 滅亦無滅なるが故に無にあらず、 云々。)

これを要するに、 外道の不生不滅は、 万有の現象あるいは客観の実在につきて立つるも、 仏教の不生不滅は、宇宙の本体あるいは唯心の真源につきて立つるの別あり。 しかして、 そのいわゆる不生不滅の体はすなわち涅槃なり。  ゆえに、  そのことは次節に譲る。 しかりしこうして、 仏教のいわゆる諸行無常とは、 涅槃の体性をいうにあらず、 万有の現象をいうなり。 換言すれば、 客観の諸境、 外界の万有の変遷してやまざる状態をいうなり。 仏論 教は、  これを実有とする外道の所見に対して、 法無我の理を説く。  すなわち「榜伽玄義」 これ、

外道或計ーニ冥諦、 勝性、 極微、  四大、 時、 方、 梵天、 自在常住、 能為二主宰一 乃至二乗、 或計二陰入処界各有二実体破ら之或_計四微四大非一即自心所現相分一 或計三善悪無記生死涅槃各有ーー実性並_属一法執故仏以ーー法無我

(外道あるいは冥諦.勝性・極微    四大・時・方・梵天を自在常住なりと計し、 よく主宰となす。 ないし二乗あるいは陰・入・処・界に各実体ありと計し、 あるいは四微    四大はすなわち自心所現の相分にあらずと計し、 あるいは善・悪・無記・生死・涅槃に各実性ありと計す。 ならびに法執に属す、 ゆえに法無我をもってこれを破す)

という。  この法無我のことは、 後に小乗・大乗の哲学を講ずるときに詳論すべきをもっ て、 今これを略す。  これ、 仏教と外道との理論門の異同なり。 しかるに、 これを応用門の上に適用しきたりて宗教の一門を開くは、 印度哲学特殊の性質にして、 仏教実にしかり。  ゆえに、 ここに外道を評するにも、 ただ理論の上において可否するのみならず、 また実際上に及ぼして論ぜざるを得ず。 今その一例を示さば、「十住心論巻一の四九、「+ 住心論冠註」巻一の九五)に三十種外道の頌文を掲げ、 その末行に、 如>是三十大外道、 各各迷>真如レ輪転(かくのごとくの三十の大外道は    おのおのに真に迷いて輪のごとく転ず)と説きて、 その迷真は理論上外道を評するものにして、 その輪転は実際上その結果を評するものなり。 前節に述ぶるところの外道の人間観、 すなわち神我論は我執の迷を生じ、 今述ぶるところの外道の宇宙観、 すなわち万法実有論は法執の迷を生ずという。 しかしてこの我法二執は、  理論上の所計より生じたる迷執のみ。 しかるにその結果、 必ず出離解脱の実際上に応用してこれを説き、 我執の惑を断ずれば小乗の悟を開き、 法執の迷を断ずれば大乗の仏となる等と説く。 しかるに外道は、我法二執の惑を断ずることあたわざるをもって、 小乗の悟をも開くことあたわず、 ただ迷界にありて六道の間に生死浮沈するに過ぎずとなす。  そのつまびらかなるは、 小乗哲学に入りて述ぶべし。 もし、 今日の学理をもって考うれば、 その理論門の判定はややその理を解し得べしといえども、 応用門の結果にいたりては信ずること難かるべし。  これ、 宗教と哲学とその性質を異にするゆえんにして、 仏教の宗教門に入りては、 往々道理をもって説明すべからざるものあり。


二九節    涅槃論

前節に一言せるがごとく、 仏教にも外道にもともに不生不滅論あること明らかなれば、 外道にもまた涅槃論あること言をまたず。  ゆえに「外道小乗涅槃論」には、 外道の涅槃に二十種あることを示し、  かつ題して、

外道所説涅槃有二二十種一 是外道等虚妄分別如レ是等因能生ユハ道一 如来為海竺是等邪見一故説二涅槃因果正義

(外道説くところの涅槃に二十種あり。  この外道等、 虚妄分別す。  かくのごとき等の因よく六道を生ず。 如来、  これらの邪見を遮せんがための故に、 涅槃の因果正義を説く)といえり。  その一例に浄眼論師の所計を挙ぐるに、 問曰、 何等外道説煩悩尽故依>智名一涅槃{  答曰第十一外道浄眼論師作二如是説

(問うて曰く、 なんらの外道、 煩悩尽くるが故に智によりて涅槃と名づくと説くや。 答えて曰く、 第十一の外道浄眼論師、 かくのごとくの説をなす)とあるがごときこれなり。 そのほかは前すでに引用せるをもって、  ここに重ねて出だすの要を見ず。  また「榜伽経』(巻二の二五、「榜伽経義疏』巻二下の三一)には、

外道に四種の涅槃あることを説き、  これを「百論疏」(巻下中の二二)に引用して曰く、

榜伽経出 外 道義  明缶  二四種涅槃者自鉢相涅槃、 明一本相而有一 此似二大乗本有涅槃二  種種相有無涅槃、 明ーニ涅槃実有無二諸苦事一 此似口内義涅槃鉢有ーー空与ー不空一 空  無二生死一 不空者謂常楽我浄、 三  自覚鉢有ー無涅槃、 明下此涅槃有二霊智之性一故名為>有、 無二諸闇惑一故称為占無、 此似二成論大乗園智涅槃一 四  諸陰自相同相断相続涅槃、 明下得二涅槃示'中更受上一生死一 故云二断相続一 此亦大小乗義。

(「榜伽経」に外道の義を出だすに、 四種の涅槃ありと明かせり。  一には自体相の涅槃なり。 本相は有なりと明かす。  これは大乗の本有の涅槃に似たり。  二には種々相有無涅槃なり。 涅槃は実有にして、 もろもろの苦事なしと明かす。  これは、 内の義の涅槃の体には空と不空とありというに似たり。 空とは生死なく、 不空というはいわく常楽我浄なり。 三には自覚体有無涅槃なり。 これは、 涅槃には霊智の性あるが故に名づけて有となし、 もろもろの闇惑なきが故に称して無となすと明かす。  これは成論大乗の園智の涅槃に似たり。  四には諸陰自相同相断相続涅槃なり。 涅槃を得てさらに生死を受けずと明かす。  ゆえに断相続という。 これもまた大小乗の義なり。

また「涅槃経』(南本巻二三の九、「涅槃経会疏」巻二三の一三)には、 仏教の涅槃と外道の涅槃と、  おのおの八相あることを示せり。 すなわち左表のごとし。

仏教涅槃八事        一、 尽、 二、 善性、 三、 実、  四、 真、 五、 常、 六、 楽、  七、 我、 八、 浄外道涅槃八事、 解脱、  二、 善性、 三、 不実、  四、 不真、 五、 無常、 六、 無楽、  七、 無我、 八、 無浄  そのほか仏教にては、 外道は生死を計して涅槃となすと説き、 その涅槃を評して真の涅槃にあらずとなす。  ゆえに「百論」(巻下の一八)には、 その「破常品」中において、 外道の涅槃論を破斥せり。 もしまた「中論疏」(巻一

本の二四および三四、「検幽紗」巻六の五六)によりて考うるに、 外道の涅槃に七師の異説あることを示せり。  すなわち左のごとし。

塾 涅槃与二無煩悩示'占異、  二計ーー涅槃是無煩悩因一 三立ーー涅槃是無煩悩果ー  四明=異覚無処名為ーー涅槃一 此如百  論破常品説一 次檀提婆羅門計下於此身ー即是涅槃不垢突更滅    此明ー一欲界為一涅槃一 次阿羅羅計ーー無想為ニ涅槃一 此計ー一色界為一涅槃一也、 鬱頭藍弗計ー一非想為ーー涅槃一 此計ーー無色界為二涅槃一也、 此三外道以二三有玉戸涅槃    合盃前為一一七種一也。

(一には、 涅槃は無煩悩と異ならずと執す。  二には、 涅槃はこれ無煩悩の因なりと計す。 三には、 涅槃はこれ無煩悩の果なりと立つ。  四には、 畢覚無処を名づけて涅槃となすと明かす。  これは「百論    の「破常品」

に説くがごとし。  つぎに檀提婆羅門は、 この身においてすなわちこれ涅槃なり、  さらに滅すべからずと計す。  これは欲界を涅槃とすと明かす。  つぎに阿羅羅は、 無想を涅槃とすと計す。  これは色界を涅槃とすと計するなり。 鬱頭藍弗は、 非想を涅槃とすと計す。  これは無色界を涅槃とすと計するなり。  この三の外道は、三有をもって涅槃となす。 前に合して七種とするなり。〔田 大正蔵、 畢につくる〕)

この外道の所論は、 あるいは有をもって涅槃となし、 あるいは無をもって涅槃となすも、「中論疏」に、 有無断常乃是生死登是涅槃(有無断常はすなわちこれ生死なり、 あにこれ涅槃ならんや)と説けり。  これを要するに、 外道の涅槃は生死変遷の境において立つるをもっ て、 真の涅槃にあらずとなす。  また「中論疏一七)に、 外道の解脱に二種の見あることを示していわく、

巻七末の論 外道有レニ、  一者云、 衆生縛解自然而有、 無レ有二因縁一切衆生経一八万劫一生死則尽、 便得二解脱一 如下転二線結 丸於高山一棲尽則止い故不>須ーー循>道断>縛得  解、 又有外道云、 要循レ道断>惑方得二解脱一 如下僧怯云中知二二十五諦一既得二解脱一 不>知レ是者不占離二生死

(外道に二あり。  一にはいう、 衆生の縛・解は自然にしてあり、 因縁あることなし。  一切衆生は八万劫を経て生死すなわち尽きて、  すなわち解脱を得。 練丸を高山に転ずるに、 練尽きてすなわちやむがごとしと。  ゆえに道を修し縛を断じて解を得ることをもちいず。 また、 ある外道のいわく、 かならず道を修し、 惑を断じてまさに解脱を得と。 僧怯が、「二十五諦を知るものはすなわち解脱を得、  これを知らざる者は生死を離れ

ず」というがごとし  〔 大正蔵、 修につくる〕)

しかして外道の所見は、 畢覚するに有無二見に陥らざるはなし。  ゆえにその涅槃も真の涅槃にあらず、 その解脱も真の解脱にあらずとなす。  これをもって、 外道の得果は生死輪廻を免れず、  ひとり仏教は迷界を超脱して涅槃に安住するを得となす。 かくのごときは、 仏教が外道を抑えて己をあげんとする方便的論法なるがごときも、外道の所見と仏教の所見とを較すれば、 前にもしばしば述ぶるがごとく、 外道は客観論もしくは相対論の上に涅槃解脱を説き、 仏法は主観論もしくは絶対論の上に転迷開悟を説くをもって、 その論理に高下深浅の相違あるは明らかなり。 あたかもソクラテス〔〕氏以前の哲学とプラトン〔〕氏の哲学と、 深浅の別あるがごとし。  ゆえに哲学上よりこれをみれば、 外道の方は常識論にして浅近なり、 仏教の方は理想論にして深遠なりといわざるべからず。 しかして、 もしこれを実際に応用して、 宗教上の脱苦得楽の結果を得るにいたりては、 同じく外道と仏教と天壌の差ありとなすがごときは、 哲学上の論といわんよりは、 むしろ宗教上の論というべし。 ただ余が本著の目的は、 印度諸派の哲学に関する部分を開示するにあれば、 宗教上のことはこれを略す。