7.教育宗教関係論

P431

  教育宗教関係論 

 

 

1. 冊数

   1冊

2. サイズ(タテ×ヨコ)

   185×127mm

3. ページ

   総数:108

   緒言: 2

   本文:106

(巻頭)

4. 刊行年月日

   初版:   明治26年4月29日

   底本:再版 明治26年5月27日

5. 句読点

   なし

       緒  言

 数十日前、哲学館学生に対して教育宗教に関する二、三回の談話をなし、余の意見を開陳したることありき。しかるに哲学書院よりこれを世に公にせんことを余にもとむ。余もと世間に対して述べたるものにあらざるも、これを世に公にするもまたあえて妨げなければ、速やかにこれを諾せり。しかるに余、日夜多忙にして自ら起草する余暇なければ、学生中筆記せしものの草稿によりて一読するに、いまだ意を尽くさざるところ多しといえども、講義の順序要領に至りては大差なきをもって、そのまま印刷に付することとなせり。ここに一言を題して本書の緒言となす。

 本書は序論、本論、結論の三部に分かち、本論を理論上、実際上の二段に分かつ。序論においては余が教育宗教に関する経歴を述べ、本論中、理論上においては教育宗教の理論はともに哲学を根拠とするゆえんを述べ、実際上においてはこの二者ともに国家を目的とするゆえんを述べ、結論においては、わが国の教育は勅語に基づき、宗教は仏教をとらざるべからざるゆえんを述べたり。しかるにその述ぶるところ一場の談話に過ぎざれば、余が意見の大要を指示するのみ。

  明治二六年四月一五日               講 述 者 識  

                        井 上 円 了 講述   

     序  論

 頃者教育部内において勅語とヤソ教との間に一、二の衝突をきたし、議論諸方におこり紛々擾々停止するところを知らず。しかれどもこの衝突や単に教育部内にとどまらず、今にしてその予防策を講ずるにあらざれば、将来必ず社会百般の上において紛擾を生ずべきは瞭然として火を見るがごとし。また教育宗教の分離混同の点についても多少世論のあるところにして、教育全体と宗教全体との関係についても同じく将来の一問題なりと信ずれば、余はここに学理上教育宗教との性質およびその関係を明示し、実際上またその関係いかんを論定せんとす。このことたるや、余は目下の一大急務なりと考うるなり。ことに本館は教育家宗教家を養成するをもって目的とする学校なれば、世間すでにこの衝突について議論紛々たる以上は、本館にありて在学するものはあらかじめその決心を定めおかざるべからず。これ余がここにこの問題を掲げきたりて講述せんと欲するゆえんなり。かつ余は教育宗教の問題に関しては多年いささか考究するところありて、その結果ついに先年本館を創立するに至れり。故に余はこの関係を論ずる前に本論に入るの端緒として、余の従来の経歴に照らして精神目的のあるところを陳述すべし。

 太政維新以来わが国伝来の仏教は全く世人の排棄するところとなり、日に月に衰頽の光景を現呈し、その存亡またまさに旦夕に迫らんとするありさまなりき。これにおいて余は慷慨に堪えず、奮然立ちてこの衰運を挽回せんことを自ら期せり。しかしてこの頽勢を回復せんとするには、まずその衰頽せる原因の果たして那辺にあるかを探究せざるべからず。故に余はこれを探究して、その原因は内外二部より生じたることを発見せり。内部の原因とはなんぞや。曰く、維新以来政治上より衣食住に至るまでみな旧を捨て新を取り、一事として変更せざるはなく、一物として進遷せざるはなし。しかるに顧みて仏教そのものの状態を観察するに、僧家一般に維新の激変に遭うも従来の頑眠いまだ覚めざるをもって、世運の趨勢いかんを知らず依然旧習を株守し、更に進みて力を仏教の拡張に尽くす者なし。これにおいてか、仏教の内外その権衡を失し平均を保つことあたわず。勢いかくのごとくなるときは、仏教そのものは必ず衰頽せざるを得ず。更にこれを歴史上より観察せんか、その今日衰微の原因すでに数百年前より早く仏教の内部に胚胎しきたりしことを知るべし。

 余は仏教の始めてわが国に伝来せしより今日に至るまで、千数百年間の歴史を分かち五世期とす。けだしかくのごとく分かつゆえんは、一世期ごとに仏教上に一大変遷ありしをもってなり。

  第一世期(シナ仏教の時代) 聖得太子の時より桓武天皇以前に至る

  第二世期(日本仏教理論発達の時代) 桓武天皇御宇より源平以前に至る

  第三世期(同実際発達の時代) 源平時代より徳川以前に至る

  第四世期(外形発達の時代) 徳川時代より維新以前に至る

  第五世期(未定時代) 維新以来

 仏教の始めてわが国に伝わりしは聖徳太子以前にありといえども、その公許を得たるはまさしく聖徳太子の時にあり。故に聖徳太子以後桓武天皇以前までを第一世期とす。この世期は仏教ようやく隆盛なりしといえども、その当時の事情をみるに、これを日本仏教といわんよりはむしろシナ仏教と名付くるをもって適当なりとす。そもそも当時わが国はシナと交通来往すること頻繁にして、文物多くかれに模擬し百事みなかれを標準と立てたる勢いなりしをもって、仏教もまたシナの仏教をそのまま伝えたるのみ。故にその仏教たるや、いまだ真正にわが国情に同化したるものというべからず。故に余はこの世期をシナ仏教の時代と名付く。しかるに桓武天皇以後は全く日本仏教の時代にして、この世期には空前絶後の高僧、伝教、弘法の二大師世にあらわれ、伝教大師は皇城鎮護のために叡山を開き、かつひそかに政治に参与して大いに国家のために画策するところあり。弘法大師は本地垂迹の説を起こし、もってわが国の神仏二道をして並行一致せしめんことを企てり。かつ当時の政府の意も全く仏教をもって天下を治めんとするにありたれば、この時より仏教始めて国家的宗教すなわち日本の国体に結合したる一種の宗教となれり。故に余は桓武天皇以後今日に至るまでを日本仏教の時代と称す。しかしてこの第二世期すなわち桓武天皇以後源平以前の間は天下泰平無事にして、仏教またはなはだ隆昌を極めり。故に当時の僧侶は広く典籍にわたり深く学理をみがき、俗士といえどもまた仏教を学ぶものすこぶる多かりき。当時の文学の全く仏教の支配を受けたる一例を見ても、その勢力いかんを想像するに足らん。しかるに源平時代に至りては天下の形勢一変して、政治上宗教上ともに一大革命を見るに至れり。しかしてその政治上に革命を起こせるは、源平以前において藤原氏ひとり政権を掌握し門閥政治の極端にはしりし反動なり。けだし当時にありて源平二氏は国家に勲功あり、また勢力ありしも、久しく門閥政治の下に屈伏せしが、藤原氏のようやく衰うるに乗じ一時に奮起してその権力を奪い、自ら取りてこれに代われり。これよりのち天下麻のごとくみだれ、争闘絶ゆることなき乱世となれり。社会すでにかくのごとき変動あれば、宗教上にもまた必ず変動を生ぜざるべからず。かの藤原氏極盛の時代においてはたまたま英傑の出ずるあるも、身門閥の家に生まるるにあらざれば、もって功業を立て伎倆をあらわすことあたわず。これをもって英雄むなしく深山幽谷に潜在し、静かに高妙の学理を究め、もってその精神を慰むることを務めり。ことに当時の宗旨は華厳、天台、真言、法相等にして、みな高妙の理論を唱うるものなれば、仏門に入る者はいくたの年月を積重してその知力思想を鍛練せざるべからず。かつその戒律は極めて厳粛なるものなれば、学問上よりするも実行上よりするも、到底普通人のなし得べきことにあらず。故にこれらの宗旨は泰平の時代に適するも、乱世の際に弘まるべきものにあらず。しかして争乱多事の社会に応合するものは、修行も学問も容易になし得らるべきものならざるべからず。これ源平時代において宗教上また一大革命の起こりたるゆえんなり。これによりて考うるに、源平以前の宗旨はおもに理論を主とし実行を客とし、源平以後の宗旨は実際を先にし理論を後にしたるがごとく見ゆるは、ともにその当時社会の事情のしからしめたるや明らかなり。故に余は源平以前の仏教を理論上発達の時代とし、源平以後の仏教を実際上発達の時代とす。この源平時代において新たに興りたる宗旨はすなわち浄土宗、禅宗、真宗、日蓮宗なり。浄土宗は学問戒律の修行を要せず、ただ念仏によりて成仏することを説く。すなわち実際上の宗旨なり。真宗もこの宗より分派したるものなれば、やはり念仏宗なり。日蓮宗は天台宗の高尚なる理論は実際上乱世多事の世界に適せざるを見て、これを一変して簡易なる宗旨となし題目成仏を唱えり。その理論は高尚なる天台に基づくといえども、その応用に至りては浄土宗のごとく簡易の宗旨なり。禅宗はこれまた実際を目的とする宗旨にして、この宗は他より一見せばはなはだ高尚なるがごとく思わるるも、その実、理論の高尚なるにあらずして趣向の高尚なるのみ。また源平以前の宗旨は多く経論の講究をなす風ありしが、禅宗はこれに反して経文はただこれ月を指示する指に過ぎずとして文字に拘泥するの弊を排斥し、その戒律のごときも天台、真言等に比すればはなはだ簡略なるものとなれり。かくのごとく源平時代において一時に高僧碩徳輩出しおのおの一宗を開きしは、けだしそれ以前の宗旨の多事なる乱世に適せざるを見て、時勢相応の改良を実施したるなり。かつ源平以前の宗旨はおおむね世間を遠離せんとする傾向ありしが、この時代に興りたる宗旨はおのおの世間に結合せんとする風あり。これ他なし。前者にありては、社会の事情人心を抑制するのはなはだしき、人をしてその希望を満足せしめざるがために、当時の宗教はもっぱら人心を他の方向に転じ出世間一方に誘入するをその目的としたるも、後者にありては、世間に向かってその望みを満たすことを得る時代なれば、出世間を目的とする宗旨も兼ねて世間を目的とするに至れり。故に真宗のごときは寺院を繁華の地に建て真俗二諦の教えを説き、王法為本を主張せり。日蓮宗のごときはこの世界すなわち極楽なりとの説を唱え、祖師自ら安国論を草して、仏法を盛んならしめんにはまず国家を盛んならしめざるべからずといえり。これまた世間に結合するものなり。けだし浄土宗、真宗は西方に別に極楽あるを説き、天堂は死後の世界なることを唱えたれば、日蓮宗はこれに反対し、此土すなわち極楽なり、此身すなわち仏なり、なんぞ死後を待つの要あらんといいて、もっぱら現世を目的とせり。しかりしこうして、浄土、日蓮宗の念仏、題目を主とするごとき易はすなわち易なりといえども、多少知識を有するものよりこれをみれば、易に過ぐるがごとき感なきにあらず。故をもって、戦国にありて英雄をもって自ら任ずる武人には、なお不足を感ずることなきを得ず。しかるに禅宗は以心伝心、見性成仏を唱え、高尚の趣向を説きて、もって乱世武人の思想に適合せしめたり。これまた一種の反動によりて起これりといわざるべからず。つぎに第四世期徳川時代においては、源平以前の宗旨と以後の宗旨とを問わず、幕府よりすべてこれを保護優待せり。けだし織田信長のごとき英傑にして宗教の勢力を圧倒せんことを企てしも、到底これに勝つことあたわざりしをもって、徳川氏はこれらの経験にかんがみ、もって国家の治平を保たんとせば必ず宗教によらざるべからざることをさとりしなるべし。しかれども単に宗旨のみに倚頼するときは宗旨のためにかえって国家を奪われんことを恐れ、殊更に従来混淆せる儒仏二道を分かち、儒をもって仏の反対に立たしめ、世間の道徳は儒教のつかさどるところ、死後の葬祭は仏教の支配するものとせり。その結果たる、儒は中等以上に行われ、仏は多く中等以下の信ずるところとなれり。故にこの時代においては表面は仏教はなはだ隆昌を極めしがごとくなるも、その実、理論実際ともにその精神すでに過ぎ去りて、ただその形式発達の時代となれり。これ当時政府の優待の過ぎたるがために、外形上の儀式装飾は大いに進みしも、その内部の精神はようやく腐敗するに至りしなり。かつ徳川氏はヤソ教の侵入を恐れしをもって、特に仏教に保護を与えたり。しかしてこの弊や徳川の季世に至るに及びて層一層極端に傾き、仏教はただ儀式的装飾的のものとなり、僧侶は遊惰に流れ無学に沈み、位階を争い座席を競い、年臘をもって階級を定め、はなはだしきに至りては金銭をもって僧位を鬻売するに至れり。しかれども当時の僧侶はなお仏教の精神すでに去りて形骸のみ存するを知らず、皷腹撃壌もって天下泰平、仏教繁昌を謳歌しつつありき。これを要するに、源平時代の前後にありては仏教内部の精神、あるいは理論上に発しあるいは実際上に発したりしが、徳川時代に至りては外部の保護優待のはなはだしかりしため、内部の精神は転じて外部に移り、単に儀式上の一点においてのみ古来比類なき隆盛を極めたりき。しかるに一朝王政一新の大革命あるに会し、僧家は愕然としてこれに処するの方を知らず。かつこの革命や不幸にも三〇〇年間徳川氏が与えたる外部の保護を一時に剥奪せしをもって、ここに仏教は無精神無形式のありさまとなれり。これに加うるに世運駸々として日に月に進歩するも、仏教家は頑眠いまださめず、なお改進の途に就くを知らず。ああ、仏教明治初年の事情かくのごとし。衰えなんと欲するも、あに得べけんや。これ余が仏教衰頽の原因は内部にありというゆえんなり。

 つぎに外部の原因とは、維新以来泰西諸邦との交通ようやく開け百般の文物わが国に輸入するに従って、種々の学術宗教これと同時に侵入したるにあり。しかして仏教はこれら学術宗教の刺激によりて、ますます衰微の機運に傾けり。その学術とはすなわち理化等の諸学にして、この学はもっぱら実験に基づきて組織したるものなり。しかしてこの実験的学術のひとたびわが国に行わるるや、仏教の説大いにこれらの学説と矛盾乖反するところあり。これにおいて世人は理化学実験説を真理なりと認むると同時に、仏教は三〇〇〇年以前の想像説と断定し、これを妄談空言として排斥せり。すなわちかの仏教の須弥説のごときは、彼らの攻撃する一要点なりき。かつ彼らはわずかに仏教中の一点にして学理に反するあれば、ただちに仏教全体を挙げてこれを排斥せり。しかして仏教家中に一人として学理上よりこれに答うるものあらず。これその衰頽せざるを得ざる一原因なり。また、つぎにその原因たるべきものは、ヤソ教のわが国に侵入したることこれなり。わが国泰西諸国と交通を始めしより、万般のこと上下ともに西洋開化の風に心酔し、一時はこれを模倣するをもって一般の主義とせり。しかしてその余響宗教社会にまで波及し、わが国の宗教は未開の宗教なり、西洋の宗教は開明の宗教なりと誤解し、ヤソ教を信ずる者日に月に増加し、ために仏教は大いにその勢力を減殺せられ、社会の中流以上にある者は仏教を顧みる者なく、ただわずかに愚夫愚婦の間にこれを信ずるものあるのみ。これにおいてか、千有余年わが国の民心を支配しきたりし仏教も、今や数十年を出でずして撲滅せんとするの悲境に沈降しつつあるを見るに至る。

 かくのごとく仏教は内部より腐敗を生じ外部より攻撃を受け、ついに衰頽せざるを得ざる場合となりしが、余は深くこれを遺憾とし、微力ながらこの衰運を挽回せんことを思い、仏教をして再び隆昌ならしめんとするにはいかなる手段をもってせば可なるべきかを考究し、ついに仏教復興は実際上と理論上との二方によらざるべからざることを発見せり。しかして余は実際上の方法はしばらくこれをおき、まず理論上より改良を施さんことに着手せり。余は学理上より仏教の道理の中等以上の学者社会に説くべき価値あることを示さんとするには、いかなる学を研究せば果たして適当なるかを考察せしに、今日仏教の衰廃は一方においては理化学の流行その一原因たるをもって、理化学に対して宗教の真理を開示するには必ず哲学によらざるべからず、また一方にはヤソ教の侵入その一原因たるをもって、ヤソ教を排して仏教を振起するにはまた哲学によらざるべからざることを発見せり。すなわち当時余の考うるところを記すれば左のごとし。

  学理上よりヤソ教を排斥するものは哲学なり

  理学に対して宗教を保護するものは哲学なり

と。故に余は理論上より仏教を振興せしむるにはただ唯一の哲学を研究するにあることを信じ、大学に入るにあたりて自ら哲学科を選びてこれを専修したり。

 しかして余が研究中、なお一事の余が心中に浮かび出でたることあり。すなわち仏教の盛衰は国家の消長に関係すということこれなり。何故に今日ヤソ教の世界中に勢力をたくましくし、仏教のわが国に萎靡して振るわざるかというに、これ畢竟西洋諸国の富強にして、わが国のこれに比して貧弱なるがためのみ。もしわが国にして西洋諸国よりも富かつ強ならしめば、わが国の宗旨もまた必ず世界万国の上に盛んなるや疑いなし。果たしてしからば、仏教を盛んにせんと欲せば、まずこの国を盛んならしめざるべからず。かくして余は一方にありて国家を保護するの必要を感ずると同時に、他方に向かいては学問上に真理を愛求するをもって目的とせざるべからざることを感ぜり。すなわち学者としては真理を愛し、国民としては国家を護らざるべからず。この護国愛理の二大義務は吾人の最大目的なることを唱えり。そもそも人たるものは身心すなわち肉体と精神より成れるものにして、肉体は吾人一個の成立を有するがために親子兄弟の繋累を生じ眷属の関係これより起こり、精神は知識思想を有するをもって学問の研究これより生ず。眷属はあまた相集合して国家を形成し、学問は研究を重ねて真理を発見するに至る。国家は実際上にして、真理は理論上なり。しかして実際上の性質は差別にして、理論上の性質は平等なり。今これを概括すれば左のごとし。

  人 身・・眷属・・国家・・実際・・差別

    心・・学問・・真理・・理論・・平等

 これにおいて、いやしくも人間たるものは身に護国の義務を担い、心に愛理の念を抱かざるべからざるを知るべし。かくのごとく身心の二者おのおのそのつかさどるところ異なりといえども、その実互いに密接の関係を有するものなり。なんとなれば、身心相待ちて吾人の成立をなすものなれば、ただ表裏内外の差あるのみ。この二者決して相分離すべからず、学問国家また偏廃すべからず、平等差別また決して偏倚すべからず。もしその一を取りて他を廃すれば、必ず一方に僻する偏見に陥るべし。しかれども時と場合とにより、護国を先にして愛理を後にすることあり、愛理を始めに置きて護国をつぎに置くことあり。あたかも歩行の際、あるいは右を先にし、あるいは左を先にすることあるがごとし。今この関係を仏教上に適用するに、宗教の隆替は国家の盛衰に伴うものなれば、我人は国家のためには仏教を改良してその隆昌を期せざるべからず、また真理のためには仏教中に包含する道理を究明するをもって目的とせざるべからず。これただに仏教家の責任たるのみならず、いやしくも日本国民たるものはことごとく負担すべき義務なりと知るべし。

 以上は余が経歴上、宗教につきての考えを述べたるものなり。しかして余は初めにおいては単に仏教回復の一念を有し、哲学専修もこの目的より起こりしが、大学在学中その考え一変して、人生の目的は護国愛理の二大義務を尽くすにあるを悟れり。その後『仏教活論序論』を著述せるは全くこの意に基づけり。かくのごとく余の考えは哲学研究の前後において多少異なるところありといえども、これただその区域の広狭のみ。仏教を振起する精神に至りては、前後一貫して終始相かわることなし。以上は余の仏教に対する感情の一端を述べたるのみ。以下、余が教育の必要を感ずるに至りし次第を示さんとす。

 仏教を再興せんとするにも、仏教家その人にして知識と道徳とを兼ね備うることなくんば、到底その目的を達することあたわず。人よく道を弘む、道の人を弘むるにあらずといえるごとく、宗教は人を待ちて始めて盛んなるものなれば、仏教を再興せんにはまず仏教家を養成せざるべからず。これ仏教内部に教育の必要なるゆえんなり。またたとえ仏教家の智識のみ進歩するも、社会一般の人智進歩せざるときは、仏教をして盛昌ならしむるを得ず。なんとなれば、世間一般の人智の程度低きにおるときは、外部より刺激を与うることなきをもって宗教家は自らその位地に甘んじ、改良進歩の念を起こすことなきをもってなり。これ国民教育の一般に必要なるゆえんなり。しかしてもし国民教育の進歩によりて一般の人智大いに発達し、仏教家の智識の程度なおこれより低きにあるときは、なにびとといえどもかくのごときものを宗教家として奉戴することなかるべし。故にいやしくも宗教家たるものは社会とともに進歩し、なおいくぶんか社会一般の人智の程度より高位におらざるべからず。余また西洋諸国にヤソ教の盛んなるゆえんを探究したるに、その原因また実にここにあるを知る。西洋の宗教家たるものは多少一般の人民を教導するに足るべき学力を備え、かつその社会の智識の程度も一般に進歩するをもって、もし宗教家にして不徳の所行をなすものあれば、世人はこれを宗教家として待遇するを許さず、ためにその人は宗教内部に生活するを得ず。故に宗教家たるものは社会の制裁力の強きがために、自然その徳行を修め智識を磨かざるを得ざるに至る。これ西洋の宗教の今日なお勢力ある一原因なり。これによりてこれをみれば、今日わが国においては一に仏教家の教育、二に国民の教育を奨励することは、目下の一大急務なりというべし。

 およそ吾人は国民として護国の義務を担うものなれば、この点より考うるも教育を盛んにするは吾人の責任たるや論をまたず。今日わが国にして西洋諸国と対等の交際をなし対等の条約を締結せんとするには、まず国民の位地を高め、彼と同等の資格をもたしめざるべからず。しかして国民の位地を高めんとするには、必ず教育によらざるを得ず。つらつらわが国の形勢を観察するに、わが国維新の際にありてはこれを西洋諸国に比するに、万般のこと一として彼に勝るものなく、器械工芸等の有形的文明より政治教育等の無形的文明に至るまではるかに彼の下に位するをもって、わが国民は全力を尽くして泰西諸国と肩を比べ文明国の列に加わらんことを企てたり。このときに当たりてわが国民の最初に着目せしは泰西の有形的器械上の文明にして、一時は全国挙げてこれに心酔し百事その風を模擬せんと欲し、工芸器械等みな彼より輸入し、ここに二五年間孜々として開国の事業に力を尽くし、今日においてはほとんど西洋各国と同等の位地にまで進歩するに至れり。しかれどもその実力いかんを顧みて、わが国が果たして今日西洋と同等の交際をなし得るや否やを考うるに、いまだにわかに首肯するを得ず、なおはるかにわが国の彼に比して劣るところあるを見る。これ他なし。けだし吾人の今日に至るまで駸々として進みきたりしものは、ただ有形の文明のみ、外見の文明のみ。しかるに西洋諸国は数百年の久しき間、有形無形並行並進し、ことに無形の智識思想の文明まず発達して、その枝に有形の文明の花を現出したるものなれば、到底わが国の比較にあらず。しからば我人はこの国の無形の文明を進めて、今後西洋と同等の位地に至らしむることを務めざるべからず。

 無形の文明とはなんぞや。およそこの世界万有を大別するときは、物と心との二者に出でず。物に関するものは有形にして、心に関するものは無形なり。有形とは器械、製造、土木、航海等をいい、無形とは智識、徳義、権利、および信仰の四をいう。この四はみな吾人の心の上にある性質ならびに作用にして、この四を講究するものは教育、道徳、政法および宗教なり。すなわち人の智識を開発するは教育にして、徳義を養成するは道徳なり。もし教育をその広き意味にて解すれば、道徳もその中に入るべし。しかして人間相互の権利を全うせしむるものは政治法律にして、信仰を定むるものは宗教なり。この四はともに無形を目的とするものなれば、いわゆる無形上の文明とはこの四の並進して発達するをいうなり。あるいは人情を純良にし、あるいは風俗を高尚にし、あるいは勉強力を養成し、あるいは愛国心を奮起せしめ、あるいは団結心を鞏固ならしむる等、すべてこの四の力によらざるはなし。しかしてこの四を学問として研究するときは哲学に属す。故に哲学は無形の学なり。これに反して器械、製造、土木、航海等の有形に属するものを研究するは理学なり。故に理学は有形の学なり。今これを図に示さば左のごとし。

 わが国は維新以来有形の文明大いに進歩したりといえども、無形の文明はいまださほどに発達せざるなり。しかれどもこの無形中、政治法律は多少進歩したるを見る。けだし政治法律は他の三者とともに無形に属すといえども、またおのずから種類の異なるものなり。教育のごときは、その方法はたとえ外部より注入するも、その目的は内部の心意開発にあり。しかるに権利なるものは、もと各人相互の間に成立するものなれば、これを保護する政治法律は全く外部より強行的手段を用いて当てはむるなり。故に政治法律は無形中の外部に属し、教育、道徳、宗教の三は無形中の内部に属するものなり。今日わが国においては外部は進歩せしも内部はいまだ進歩せず、形はすでに整いしも実はいまだ備わらず。しからば今後、吾人のますます盛んならしめんとするものは教育道徳および宗教なり。しかれどもこのうち道徳は教育と宗教との相関係するものなるが故に、別に道徳の一目を挙ぐるを要せず。さればわが国現今の最大急務とするところは、実に教育と宗教との二者を振起するにありと知るべし。

 しかるにここに一問題あり。曰く、わが国教育の法は泰西文明国のすでに完成せるものを輸入してこれを実施したるものにして、今やいかなる山間僻陬といえども校舎の設けあらざるはなく、いかなる貧民の子弟といえども普通教育を受けざるはなし、これ、あに教育の進歩にあらずしてなんぞやと。それしかり、しかりといえども、これなお教育の完成というを得ず。なんとなれば、わが国教育の進歩は、その建築の壮麗なる、器械の整備せる、試験法の厳重なる、学科の高尚なる、その他管理法、教授術等の外部に属するもののみにして、教育の精神たる心意の開発という点に至りては、いまだ果たしてその実功を奏したりというを得ざればなり。しかのみならず、従来の教育たる、その欠点また少なしとせず。例せば一般の教育みだりに外部の競争にとどまりて内部の実を顧みることなく、また智育一方の教育に偏して道徳実行のこれに伴うことなし。また教育勅語の下賜せらるるに至るまでは教育の方針は多くこれを外国に取り、人倫道徳の教えといえどもその標準を西洋各国に取りて修身科に適用しきたれり。また一個人主義の教育法あるを知るも、いまだ国民たる資格を与うるをもって目的とする教育あるを知らざりき。頃者文部省教育令の発布ありて、ようやく国民的教育の方針一定するに至れり。これを要するに、従来わが国の教育は洋風の模倣にして、いまだわが国に適当せる教育というべからず。故に今日より更に改良を加えて、完全真正なる教育を振起せざるべからず。

 教育と宗教とはこれを理論上より講究するときはともに哲学に属するものにして、これを実際上より観察すればいずれも国家に関するものなり。そもそも教育の目的は一個人の心意を開発して完全なる人物を作るにあり。しかしてその人にして完全なるときは、これによりて組織せらるる国家もまた完全なるべし。故に教育は完全なる一個人を作り、もって国家を益するものなり。しかして宗教の目的はただ一個人の精神を安定するのみならず、人々の間に精神と精神とを結合し、いわゆる精神的団体を結成するものなり。なんとなれば、宗教はいずれも一種不可知的の体を立て、これに向かいて衆人の精神を一結するものなればなり。ただし宗旨によりてその体を客観上に立つるもの(浄土宗、真宗等のごとし)と、主観上に立つるもの(禅宗のごとし)との相異あり。しかれども不可知的の体に向かいて各自の心を結合するに至りては二者同一にして、前者は客観上に一致せしめ、後者は主観上に一致せしむるものなり。故に宗教は人心を一結するに大いにその功ありと知るべし。

 以上論ずるところによりてこれをみれば、余が護国愛理の二大目的を達するには、この教育と宗教とを興起するより適切急要なるはなし。すなわち国家よりいえば教育を振起せざるべからず、真理よりいえば仏教を再興せざるべからず。しかれども教育もこれを学問上より研究するには真理と関係し、宗教もこれを実際上に応用するには国家と関係するをもって、図のごとく相互密着の関係を有するものなり。故に教育宗教を振興すれば、これと同時に護国愛理の二大義務を完成するを得べし。

 余や微力を揣らず自ら進みてこの二大目的を遂ぐるをもって畢生の本務とし、終始一貫すこしもその志を変ずることなかりき。それ余が始めて大学にあるや常に自ら新聞雑誌に書を投じ、もって余が目的の一部分を達せんとし、教育上には普及舎の当時初めてわが国に通信教授を開設するに際し、これに加わりてその一部を担任し、もって普通教育の普及を計り、また宗教上には『明教新誌』の寄書家に加わりて論説を草し、いささか各宗僧侶に対して仏教の再興を促せり。しかして大学を出でし後はもっぱら著述に従事し、教育上には心理倫理等の書を編述し、宗教上には仏教の講究振起に力を尽くせり。これみな余が二大目的より出でしものなり。

 しかるにそののち余がこの目的を実際上に応用せんとするには、まず学校を設立するの必要を感じたるをもって、さきに哲学館を創立し実地に教育を施行するに至れり。しかして哲学館の目的とするところは文科大学の速成を期し、広く文学、史学、哲学を教授するにあるも、なかんずく教育家、宗教家の二者を養成するにありて、その方針とするところは、教育の方は日本主義をとり、宗教の方は仏教主義をとることとなせり。余が教育上日本主義をとるゆえんは、わが国はすでに堂々たる独立国にして泰西諸邦の属国にあらず、吾人は日本の国民にして欧米諸邦の臣民にあらず、吾人はすでに日本国民たる以上はこの国を維持せざるべからず、この国を維持せんとするには、日本固有の精神を保存せざるべからず。故に余は当時わが国の諸高等学校の西洋主義をとれるに反対して日本主義をとり、教授上に日本語を用うるは申すまでもなく、教師も決して西洋人を用いざることと定めり。しかれども、方今は勅語ひとたび下りて教育の方針一定するに至りしをもって、殊更に日本主義を唱うるの必要なし。また宗教上仏教主義をとるゆえんは、余が『仏教活論序論』に詳述せるがごとく、仏教は実際上わが国固有の宗教となり一千有余年の間、人心を支配しきたりしものなれば、もし仏教にして野蛮非理取るに足らず、これを今日に伝うべからざるにあらざる以上は、日本国民たるものこれを信奉せざるべからざる義務を有するものなり。いわんや学理上仏教は真理として講究すべき価値あるにおいてをや。これ余が仏教主義をとるゆえんなり。

 すでに哲学館を創立して以来、余自ら欧米各国の教学の実況を観察せんと欲し、遠く泰西に遊び年を越えて帰朝し、更に大いに感ずるところありて、哲学館を改良し日本大学を開設せんことを計画せり。これまた余が護国愛理の二大義務に関係するものなり。けだし教育と宗教との本源にさかのぼりてその主義を明らかにせんと欲せば、その国固有の学を専修する道を開き、もって学問の根拠を確定せざるべからず。わが国固有の学は国学、漢学、仏学にして、日本大学の目的はこの三学の専門科を設くるにあり。これを要するに、余の教学に関する事業は大小種々あれども、すべて護国愛理の二大目的を実行するに外ならざるなり。

 以上は余がおよそ一〇年間の経歴の大要なり。しかれどもその間、余が志向多少変遷するところなきにあらず。初めには宗教一方をとり、つぎには教育宗教をあわせとり、前には仏教のみを再興せんと欲し、後には国家と仏教とともに隆盛ならしめんことを望めり。しかれども余が大体の目的、精神に至りてはすこしも変ずるところなく、ただその見識に前後広狭の差あるのみ。換言すれば、目的の変更にあらずして発達なり。しかるに世間、あるいは余の目的変更を疑い、前には仏教の保護者として熱心にして今は大いに冷淡なりというものありといえども、これけだし社会の五、六年前と今日と大いに変遷するところあるを知らざるによるのみ。そもそも近年仏教の形勢大いに一変し、七、八年前においては仏教まさに廃滅せんとするのありさまなりしも、そののち世人は宗教の必要を感じ、自然に外国の宗教を用うるより、むしろわが国固有の仏教をとるにしかざるを知るに至れり。天下の形勢すでに一変するにおいては、世人の余の事業を見るもまた必ず変ずるところあるを感ずべし。しかるに世態のかくのごとく変遷したるを覚えずして余の事業を評するは、あたかも船に乗る人、己の動くを知らずして対岸のはしるを見るがごとし。

 今また七、八年以前衰頽の極度に達せし仏教の、何故に今日その勢力を挽回するに至りしを尋ぬるに、その原因に二あり。一は哲学の流行、一は日本主義の流行なり。哲学の流行は学問上にして、日本主義の流行は実際上なり。まず哲学の流行がその一原因たるは、第一に帝国大学にて印度哲学の名称をもって仏教をその学科に加えられしより、仏教は大いに世人の注目するところとなれり、第二に近来仏教の研究泰西諸国に盛んなりしをもって、またわが国の学者の仏教講究に心を傾けたるによる。つぎに日本主義の流行の仏教再興を助くるに至りしは、わが国維新以来一時の間は上下ともに欧化主義に傾きしも天下の形勢は一変して、他国を崇拝するときは国家の精神を失い、その結果大いに憂うべきものあるを悟りしによるなり。畢竟、近来ヤソ教の行われたるは、ヤソ教は西洋文明国に行わるる宗教なるをもって、定めて完全なる宗教ならんと誤解してこれを信奉するもの多かりしによれり。故をもって、日本主義の流行とともにわが国民はその国固有の宗教を奉ぜざるべからざることを感じ、仏教の勢力ようやく回復するに至れり。

 哲学の流行および日本主義の流行につきては、余もいささか力を尽くしたるところなきにあらず。余は大学にありて自ら哲学を専修せしのみならず、世間に哲学を普及せんことに力を尽くせり。故に在学中余が主唱者となり、先輩諸氏と計りて哲学会と名付くる一会を組織せり(明治一七年一月二六日開会式を挙行す)。しかして大学を出でたる後は哲学拡張のために哲学書類を発行するの必要を感じ、自ら発起して哲学書院を開きたり(二〇年一月)。また余が首唱ならびに主任となりて『哲学会雑誌』を発行し(二〇年二月五日)、編集所を余の宅に設けたり。つぎに哲学普及のためには哲学教授の道を開くの必要を感じ、哲学館を創立せり(二〇年九月一五日)。そののち哲学の応用を講ずるの急務なるを知り、館内に哲学研究会を開きたり(二三年七月三日)。以上はみな余が発起首唱したるものなり。つぎに日本主義の拡張につきては、余は初め二、三の友人と相計り、同志相合して政教社を起こし、『日本人』なる雑誌を発刊したり(二一年四月三日)。こは単に政治上の主義なるも、余は更に学問上の主義を日本風に化せんと欲し、西洋より帰朝後ただちに日本大学設立論を草して、その主意書を天下に発表せり(二二年七月)。ついでその翌年、資金募集の規則を発布せり(二三年九月)。これより全国一周を企て、その翌年より資金募集に着手せり。その着手以来本年(すなわち二六年)二月まで、余が地方にありし時日合計三九五日にして、その巡回せし場所は一道一府三一県四七カ国二一八カ所なり。しかして演説の数八一一回にして、一回の聴衆平均五〇〇人とすれば、四〇万以上の人に日本主義の必要ならびに哲学拡張の必要を知らしめたり。なお進みて全国四〇〇〇万の同胞にこの主意を知らしめんこと、これ余が祈願するところなり。

 前述のごとく余はこの日本主義の拡張と哲学の普及とによりて多少仏教の再興に力を尽くして今日に至り、その精神は前後更に変ずることなし。しかるに世人は余が目下日本大学設立の事業に全力を尽くせるを見て、初めに仏教回復の有力者なりしも、今はその精神を変じて仏教外の事業にのみ奔走すというがごときは、これ全く余の目的を知らざるものなり。余が大学設立論はひとり日本主義を学問上に振起するのみならず、あわせて仏教を学術上より講究するの道を開き、もって世間の学者に仏教を知らしめんとするにあり。これ余が今日の急務なりと信ずるところなり。しかれども余はまた多少世間の仏教家と意見の異なるところなきにあらず。余は教育と宗教との間に立ちて、一方には教育を盛んにし、一方には仏教を興さんとし、もって二者の調和を計らんとするものなり。これ余が初め仏教再興の一念よりその原因を推究しきたり、その結果、わが国今日の急務は教育宗教の二者を同時に振起するにあるゆえんを感ぜしをもってなり。

 上来陳述せしところは余の今日までの経歴にして、いまだかつて人に対して語りしことあらざれども、今教育宗教の関係を論ずるに当たりその経歴を述ぶるの必要を感じ、かくのごとく開陳したるなり。これより本論において教育宗教の哲学ならびに国家に対する関係を述明し、結論においてこの二者の方針を論定せんとす。


 

     本  論

 教育と宗教とに二種の関係あり。一は理論上の関係、一は実際上の関係なり。すなわち理論上にありて哲学に関係し、実際上にありて国家に関係するものなり。しかして理論上に教育の基づくものは心理学にして、宗教の基づくところは純正哲学にあり。この純正哲学の哲学たるは言をまたず、心理学もまた哲学に属するものなり。実際上には教育は学校を設立して子弟を教訓し、宗教は寺院教会を設置して一国人民を教導す。しかして教育も宗教もともに人心を目的とするものにして、そのうち教育は心の現象上に関係し、宗教は心の本体上に関係す。故に吾人の一身中に、心をもって教育と宗教との二者を結合するなり。今心を中心としてこの関係を表示すれば左のごとし。

 教育の定義は種々あれども、その目的は知識を開発するを主眼とす。もちろん教育の関係するところははなはだ広漠にして、単に知識のみならず情感にも意志にもまた肉体にも関係するものなり。しかれどもその主とするところは知識開発にありというを得べし。宗教の目的はまた種々あれども、そのおもなるものは心霊を安定するにあり。この心霊と知識とはともに我人の一心なり。ただその間に体象の区別あるのみ。すなわち心霊は心の本体を義とし、知識は心の現象に属す。これを理論上よりいえば、一は心理学に基づき、一は純正哲学による。またこれを実際上に応用すれば学校寺院の組織を生ず。余が以下講述せんとするところはこの順序に従うものにして、まず初めに理論上教育宗教と諸学との関係をのべ、つぎに実際上教育宗教と国家との関係に及ぶべし。

       理論上の関係

 理論上にていえば、教育には通例、体育と心育との二種を分かつ。しかしてその心育中、智育、情育、意育の三あり。体育は生理学に属し、心育は心理学に属す。故に教育の理論は生理、心理を並説するを要す。しかれども教育本来の目的は心育にあり。その体育を加うるがごときは他なし、心意の発達を期せんがために、その身体の育成および健康をはかるをもってなり。故に教育の最も関係あるものは心理学なり。しからばその学はいかなる関係を教育の上に与うるかというに、心理学は智、情、意の性質規則を攻究するものにして、その結果を実際に適用するものは教育なり。すなわち心理学は理論にして、教育は応用なり。故に心理学の講究は教育を実施するに欠くべからざる学問なりと知るべし。

 宗教はそのなんの種類たるを問わず、みな心をもって目的とするものなり。しかれどもその心たる、生滅ある心を指すにあらず、不変不化の霊魂をいうなり。故に宗教は学問上より考究するときは、心体の実在を論定せざるべからず。また宗教には心外に神仏のごとき最上無限の実体を既定するものなれば、理論上その存するゆえんを証明せざるべからず。しかして学問上心の本体、神仏の実在を論明するものは哲学をおいて他に求むべからず。これ余が宗教は学問上にありては哲学に属すというゆえんなり。

 しからば教育学はそのまま心理学にして宗教学はそのまま哲学なりやというに、決してしからず。教育学も宗教学も、おのおの理論的と実際的との二種あり。教育学中実際を主とする実際的教育学は教授術、管理法等の実際に関する部分を講究するものにして、直接に哲学に関係するものにあらず。これに反して理論を主とする理論的教育学は直接に哲学と関係するものにして、心理学すなわちこれなり。また宗教学にも実際に属する儀式的宗教学と、理論に属する論究的宗教学とあり。いずれの宗教にもその宗祖の製作せし経文あり。仏教の一代経、婆羅門教の『ヴェーダ』、ヤソ教の『新・旧約書』、回教〔イスラム教〕の『コーラン』のごときこれなり。しかしてその本経の説くところの真理非真理はおいて問わず。経文の一字一句を読誦解釈し、これによりて布教伝道を目的とするものは、余はこれを儀式的宗教学という。あるいはその経文の解釈のみをこととするにおいては、注釈的宗教学と名付くべし。これに反して理論上よりその経文の説くところ果たして真理なりや否やを攻究するものは論究的宗教学にして、余が宗教学の哲学に属すといいしはこの部分を称するなり。かくのごとく教育も宗教も理論的講究上よりいえばともに哲学に属するなり。

 つぎに心理学と純正哲学との関係をのべんに、およそ哲学には二種の部分ありて、一を有象哲学といい、一を無象哲学という。有象哲学のおもなるものは心理倫理等の諸学にして、無象哲学はすなわち純正哲学なり。かくのごとく心理学、純正哲学は哲学中最も緊要なる部分を占むるものにして、その原理に基づきて教育学、宗教学を組成するなり。今心理学と純正哲学とを比較せんに、心理学は部分学にして純正哲学は統合学なり、心理学は心の一部分を考究し純正哲学は物、心、神三者の全体を考究す、心理学は心の現象を研究し純正哲学は物、心、神三者の本体を研究するものなり。かくのごとく二学の性質おのおの異なるがためにその研究の方法もまたしたがいて異なり、心理学は理学的方法により純正哲学は哲学的方法による。理学的方法は感覚すなわち経験を標準とし、哲学的方法は思想すなわち論理を根拠とす。けだし心理学の目的とする心の現象はわが感覚上の経験によりて認識することを得るも、純正哲学は本体上の研究なるが故に、感覚の及ばざる所に入りて証明せざるべからず。故に両学の研究に異同を生ずるなり。

 心理学はその研究の方法理学的なるが故に、またこれを理学(Science)の一とするなり。この点よりみれば、理学に有形的と無形的を分かたざるべからず。有形的理学は物理化学等の諸学をいい、無形的理学は心理倫理等の諸学をいう。今教育学をこれに配すれば、その心育の理論を講究する心理学は無形的理学に属す、しかして教育中の体育は生理学の道理に基づくものにして、その学は有形的理学に属す。この意味よりいえば、教育学は全く理学に属するものなり。古代にありては諸種の学術みな哲学中に包含せられ、今日のいわゆる理学のごときもこれを「ナチュラル・フィロソフィー」(万有哲学)と称せしが、今日は哲学の区域理学のために減縮せられ、心理学のごときもこれを「メンタル・サイエンス」(心意的理学)と称し、理学中に包括せらるるに至れり。しかれども今日わが国に使用する理学なる語は単に有形的理学を称するものなれば、無形的理学に基づくところの教育学は哲学に属するものといわざるべからず。

 もしそれ心理学を理学とし純正哲学を哲学とする説に従い、教育は理学に属し宗教は哲学に基づくものとせば、ここに理学と哲学との関係を一言せざるべからず。およそ世界には可知的と不可知的との二種の部分あり。なかんずきて理学の研究する場所は可知的の範囲に限るものなり。哲学もまた理学的に研究する学派にありては可知的のみにとどむるものとす。すなわちフランス〔の〕コント等の唱えしところこれなり。イギリスのスペンサーもまた多少これが影響を受け、その哲学中に可知的、不可知的の分界を説き、学術上講究すべきものはひとり可知的の範囲内にありとなせり。また可知的の中に既知と未知とあり、理学は既知より未知に進むものにして、哲学は可知より不可知に及ぼすものなり。しかして哲学は絶対上より論ずれば、可知も不可知も一なりとす。なんとなれば、不可知的そのものも吾人の全く知り得ざるにあらず、吾人はすでに不可知的なりと知りたるなり。すでに不可知的なるものありと知れば、不可知もまた可知なりといわざるを得ず。もしまた相対上より論ずれば不可知的は不可知、可知的は可知にして、この二者その別ありとするなり。要するに理学は可知的界にとどまりてそのうち既知より未知に及ぼし、哲学は可知的不可知的の両界にわたりて可知より不可知に及ぼすものなり。しかるに今また未知と不可知とにつきて、未知は人智によりて知り得べきものにして、ただ今日いまだ知られざるのみ。不可知は人智なにほど進むも到底知り得べからざるものに与うる名称なりとするも、その分界明らかならざるをもって二者同一なりという者あり。しかれども人智に限りある以上は、その力の到底及ばざる不可知的あることを許さざるべからず。また理学は可知的範囲内に限るものとなさざるべからず。なんとなれば、理学は感覚経験を基礎とし、感覚経験上の事実に照らして知るべからざるものは確実と認定することあたわず、しかるに感覚経験は有限なるものにして、その力の及ばざるところあること明らかなり。果たしてしからば、未知と不可知とを分かち理学は可知以内の学にして、その範囲外に不可知的の存在するを許さざるべからず。これに反して哲学は思想を根拠とするものにして、思想なるものは有形無形を問わず過去と将来とを論ぜず、可知的を超えて不可知的中に論入するものなり。故に思想には制限なく、可知と不可知との区別も思想自ら定むるところにして、いかなる定義も一切思想の与うるところなれば、思想そのものには定義を下すを得ず。しかして哲学は思想によりて推究するものなれば、哲学にもまたその定義を下すこと難し。しからば哲学はその区域極めて広大にして、思想とその範囲をひとしくするものなり。しかれども単に学術といえば、理学も哲学もこの中に入らざるを得ず。かつ理学哲学ともに一致する点ありて、人智を中心とするは二者の相同じきところなり。ただその研究の方法たるべきもの、一は感覚をもってし、一は思想をもってするの差あるのみ。また単に既知の点にとどまりて考うれば、未知も現在の不可知にして、不可知もやはり未知なり。しからば理学哲学ともに可知より不可知に及ぼすものというも、あえて不可なることなし。

 理学は単に相対の上に論じ哲学は相対絶対の上に論ずるものなるが故に、理学は哲学に比すればその区域狭隘なり。しかして哲学より理学の説くところを見ればはなはだ浅薄なるがごとく、理学より哲学の論ずるところを見ればはなはだ不確実なるがごとく思わるるなり。もし理学を単に有形的となさば、なお一層狭隘なるものなり。心理学、倫理学のごとき昔はみな哲学の範囲に属せしが、今はこれを理学的に研究するの道を開き、理学の中に加うるものあるに至れり。これただ理学の意味に広狭の差あるによるのみ。

 もし理学もその広き意味によりて有形無形を総括すという説に従わば、教育は理学に属し宗教は哲学に属すというべし。この区別によれば教育は可知的の範囲において成立し、宗教は不可知的に関係して成立するなり。今これを心の上につきていえば、教育は人の成長とともに次第に変化する心象に基づき、宗教は始終不変なる心体に基づく。すでに教育は変化する心をとるをもって現在一世を目的とし、宗教は不変の心に基づくが故に広く過去未来にわたりて三世に相関す。畢竟教育は可知にとどまり、宗教は不可知に基づくよりこの差異を生ずるなり。また道徳につきていえば、教育宗教ともに道徳を支配するものなり。しかれどもその間に区別ありて、教育は心象上に道徳を説くをもって現在一世に限り、宗教は心体上に道徳を談ずるをもって未来の賞罰を説く。しかして教育は外部にありては社会の制裁をもって不義非道を抑制し、内部にありては良心の命令をもって善道を履行せしむ。しかるに宗教は現世の行為を原因として未来にその結果あるを示し、もって死後の賞罰を説く。これ畢竟教育と宗教とはその目的相異なりて、教育はこの世界に対して道徳を守らしめ、もって完全なる人物をつくらんとし、宗教は人間以上、世界以外のものに対して純善なる心性を開かんとするが故なり。また真理の上につきていえば、教育宗教ともに真理を目的とするものなり。しかれども教育は可知的内にして宗教は不可知的内なり。一は人間より見て真理とするもの、一は神仏より見て真理とするものにして、その見るところおのおの異なり、故に教育の真理はときによりて変遷するを免れざるも、宗教の真理は万古不易なりとす。しからば教育は一般の学術に基づき、宗教は学術以外に存するものなりというべし。

 これを要するに、理論上においては教育宗教ともに哲学に基づくといえども、その間相異なるところありて、教育は可知的にとどまり宗教は不可知的に関するが故に、教育は理学に属し宗教は哲学に属す。これ一応の区別なり。更に深く考察するときは、宗教は真理をもって万古不易と既定するものなれば、これを学術の範囲に入るるべからず。かくのごとく論定するときは、教育宗教の二者は全く相離れたるものと断言せざるべからず。すなわち上来論ずるところの点、左の三段に分かる。

  第一段 教育も宗教もともに哲学に基づくこと

  第二段 教育は理学により宗教は哲学によること

  第三段 教育は学術にして宗教は非学術なること

 この第三段の断言に従えば教育と宗教とはその性質全く異なるものにして、教育の基づくところの学術は可知より不可知に及ぼし、宗教は不可知より可知に及ぼすものなり。故に教育と宗教とを対照せば、一は勢力の作用により一は情感の作用により、一は論究を主とし一は信仰を主とし、一は道理に基づき一は天啓に基づくものなり。これを表示すれば左のごとし。

  教育(可知的)・・・智力・・論究・・思想・・道理

  宗教(不可知的)・・情感・・信仰・・直覚・・天啓

 すなわち教育の道理は可知的界に属するをもって智力思想の論究によりて知るべしといえども、宗教は人智以外、不可知的に属する以上は、わが情感上の信仰もしくは天啓によるより外にこれを知る道なし。しかるにここに一問題あり。すなわち宗教は不可知的より可知的に及ぼすというも、吾人は智力の作用を借らずしていかにして不可知的を知るを得るかということこれなり。これを知るに宗教上二法あり。一は人間中の大聖人あるいは予言者(たとえば仏教の釈迦、ヤソ教のキリストのごとき)によりて吾人自ら知るべからざることもその教示によりて知るを得べしといい、一は吾人各自の直接にその心に感知するによりてその事情を知るを得べしという。すなわち吾人は乱心を沈め静かに考察するときは、自然に不可思議の妙理を感受覚知することあるこれなり。この二法はともに天啓なれども、前者は予言者の訓示を信じ、後者は各人自ら直覚するものなり。故に二者ともに我人の方より推知するにあらずして不可知的の方より啓示するものなれば、これを天啓という。その一は間接の天啓にして、その二は直接の天啓なり。また内外両界において天啓を感ずることあり。内界は心内の直覚においてし、外界は宇宙の現象においてす。しかして内界は神秘すなわち神人交感をもって天啓とし、外界は霊怪すなわち奇跡怪事もしくは万有の霊妙をもって天啓とす。左に天啓の種類を表示すべし。

  天啓 間接直接 間接すなわち予言者の訓示

          直接すなわち自己の直覚

     内外両界 外界すなわち霊怪

          内界すなわち神秘

 しからば天啓はいかにしてあり得るか。この天啓を説くにヤソ教のごとく天変地異は人間と同様なる意志を有する神のなすところとすれば、道理の上に不都合なるも愚俗に了解せしむるには便利なり。しかるに仏教のいわゆる真如のごときものより説明するは、学者に知らしめやすきも愚人に対してはやや困難なりとす。今これを説明せんとするに、まず人類は果たして完全なりや否やということを考えざるべからず。そもそも宇宙間に存在せる森羅万象を探究するに、決して人類をもって完全なるものと断定するを得ず。人類の感覚器官はその数わずかに五種に過ぎず、しかもその五官はみな不完全なるを免れず。また人類の智識思想は時々刻々変化して極まりなく、人々の知ること思うことおのおの異なりて定まりなし。故に人類より見ればこの宇宙には知るべからざるものありて、不可思議の世界あること疑うべからず。しかるに吾人の今日不可知となすものも将来知り得べきことあらんという者あり。しかれども人類の進歩には程度あり。吾人の今日不可知とするもの、将来その智力進みて今日に数倍せるものとならば、いくぶんか今日知るべからざるものを知り得ることあるべきも、なおその前にある不可知は必ず多かるべし。十を得ば百あり、百を得ば千あり、千を得ば万あり、到底尽くるところなくして無限ならん。かつ吾人は将来幾万の星霜を経過せば、あるいは最上至極の全智全能の境遇に達するを得べしと仮定するも、地球そのものにも一定の寿命ありとするときは、人間にも全くその種類を絶滅するときあるべし。果たしてしからば、人類世界にありては不可知的なるもの永く存することは疑うべからず。かくのごとく人類は微弱不完全なるものなれば、わが智力をもって進みて不可知的の本体を知るを得ず。しかれども吾人の方より多少その体に向かって探るを得ば、また不可知的の方よりも吾人に通ずるの道あるべき道理なり。けだし不可知的なるものは吾人を離れて遼遠なる所に独存するものにあらず、吾人に最も近き所すなわち吾人の身心すでに不可知的なり。渺茫たる天地より一滴の水、一撮の土に至るまで深くその理をきわむれば、一物として不可知的ならざるはなし。なかんずく吾人に最も近き極所は吾人の心なり。たとえば地球の内部に含蓄せる火気の外部に噴出するはその最も薄き層よりするがごとく、可知と不可知との間に厚薄を異にする界壁ありと仮定せば、その最も薄き所は心なり。故に不可知的のその気を可知界に噴出するにはまずわが心をもって噴火口とし、その内に啓示を感ずるなり。かの釈迦その人のごときは噴火口の最も大いなるものなれば、その心中において不可知的の霊気を噴出せること最も多しというべし。しからば釈迦のごときは生まれながら賢明にして、すこしも修行も苦心も要せざるべき道理なりというに、こはヤソ教において解すればやや困難なる点にして、ヤソは父なくして生まるというがごときすでにこの世界の規則を破りたるものなれば、三〇歳に達するを待たず生まれながら世界を震動するに足るべき不可〔思〕議を開現する理なれども、仏教にていえば原因結果の規則を基本とするをもって、この世界に生まるる以上はたとえいかなる大聖人なりといえども万有自然の規則に従わざるを得ず。釈迦はすでに人類の規則に従ってこの世界に誕生せる以上は、その智識の開発もまた人類一般の規則に従わざるべからず。しかれどもその結果に至らば大いに他に異なるところあるを見るべし。たとえば地中より出でたる宝玉はその初め瓦石と異なることなきも、ようやく琢磨してその結果に至り大いに異なるところあるを見るがごとし。けだし釈迦のごとき大聖人はその心内に包有する美玉は千里を照らす力を有するも、その初めて人胎に宿りて形体を結ぶに当たりては更に他人と異なるところなし。ようやく生長して心内の美花ひとたび開くときは、不可思議界より発する大光明をその上に放ち衆人の仰歎するところとなるなり。これを要するに、可知不可知両界の交通する関門は吾人の心にして、この心においてただちに不可知的の天啓を感受するなり。これ宗教上において観法を修め戒律を保ち、もって心の沈静を計るゆえんなり。もしそれ妄念の雲霧ひとたび消散せば、朗々たる真如の明月は霊然としてその清光を四方に放つに至るべし。

 つぎに外界における啓示に二種あり。その一は外界の規則に反するものをとりて啓示とする説、これヤソ教の唱うるところにして、原因なくして結果あり、親なくして子を生み、死せるもの復活するごとき、みな神の自在力の作すところとす。かかる不道理なる啓示は今日決して許すべからず。仏教にもまた外界の不思議を説くことなきにあらざれども、これもとより道理の証明を待たざるべからず。これに反して第二は外界の規則の秩然として乱れざる中において自然に不可思議を感知する説、こは道理上許すべきものなり。たとえば秋の夜蒼々たる中天に懸かる明月を眺め、冬の日満目皚々たる雪景をみれば、おのずから天地の美妙を感じ不思議の観念を起こすがごとき、これやはり一種の啓示というべし。これによりてこれをみれば、この宇宙の内部には一大勢力を包有し、この勢力の発現によりて天地その位を保ち万有その形を現ぜしがごとし。この説たる単に宗教上の想像にあらず、今日諸学者の唱うるところなり。理化学の攻究によるに、宇宙の太初渾沌たる一物ありこれを星雲という。星雲ようやく回転を生じて、ついに千万無量の世界を形成するに至れり。しかしてその回転するは、その内部に包有せる勢力の開発ならざるはなし。この勢力発現して物力となり生活力となり感覚力となるも、その最も純粋なるものは人類所有の心なりとす。この勢力とは余がいわゆる不可知的体中より発するものにして、これを仏教にていえば真如自体より生ずる大活力なり。この点より見れば、天啓もまた全く道理なきにあらず。

 およそ宗教はいかなるものにても天啓を説かざるはなし。もし天啓を加えざれば決して宗教となるを得ず。ただその天啓とするところ、さきに挙ぐるごとく内界外界、直接間接の別あるをもって、宗教異なればその説くところまた異なるのみ。今仏教のごときは主として内界の啓示を説くものにして、あるいは「一切衆生はことごとく仏性を有す。」(一切衆生悉有仏性)といい、あるいは「心仏および衆生はこれ三無差別なり。」(心仏及衆生是三無差別)といいて、吾人もし妄念の雲を一掃すれば、だれにてもその心内において真如の月光を開現せしむべし。しかしてその雲を払わんと欲せば、観法戒法等の手段によらざるべからず。故に吾人が道徳を行うもまた妄念をはらう一手段たるに過ぎずとなす。これ仏教一般の通説とするところなり。これに反してヤソ教のごとき道理外通則外の自由意志を有する神を立つる宗旨は、吾人は善をなすもその善果たして神の意に適するや否や、これによりて果たして神の救助をこうむるべきや否や得て知るべからざるも、神は善人を愛するものなるべきをもって吾人は善をなして神の意を迎え、もってその救助の命を待たざるべからずと唱うるに至るべし。

 上来陳述せしところをもってこれを見れば、教育は現在世界において完全なる人物を造出せんがために智識道徳の養成を期するに至り、宗教は人類をして不可知的界と通じかつこれに達せしめんとし、その手段に道徳を修めしむるなり。かくのごとく教育は人類一生の間に限るものなれば、その見解をもって不可知的にわたれる宗教の道理を考うるときは無証の空言たるがごとき感あり。また宗教は不可知的に基づくものなれば、教育の道理の極めて浅薄なるを感ずるなり。かくして教育家は宗教を攻撃し宗教家は教育を擯斥するの傾きあり、あるいはまた双方ともに他の領分を犯し、これをして各自の範囲内に入れんとする風あり。これにおいて二者の衝突を生ずるなり。しかるに二者その範囲すでに相異なるものなれば、おのおのその本領を守り相犯すことなければ衝突の不幸をきたすべき理なし。

 しかれども宗教にしてもし不可知的一方に傾き天啓一方に偏するときは、これまた誤りなり。昔時学術のいまだ開けざりしに当たりては天啓一方に偏する弊ありしも、今日にありては務めてその弊を避けざるべからず。ヤソ教の奇蹟怪談のごとき全く道理に反する以上は、たとえ天啓なりとするも決して真として許すべからず。なんとなれば、真正の天啓は道理に反するものにあらずして、二者互いに表裏をなすものならざるべからざればなり。故に真正の宗教は天啓と道理と相結合するを要するなり。もし天啓一方に偏せば独断に陥り、そのはなはだしきは妄信となり、道理一方に傾けば懐疑に陥る。宗教を論ずる者、あに注意せざるべけんや。

 しからば宗教はなんの道理によるかというに、前述のごとく純正哲学によるものなり。宗教の根本たる不可知的は古来哲学者の唱道するところにして、易の太極および孔子のいわゆる天は不可知的なり、老子の無名も不可知的なり。そのほか荘子の真宰、墨子の天鬼、列子の疑独等おのおのその考うるところ異なれども、みな不可知的を仮称するなり。また西洋の哲学者のごときもソクラテスの神、プラトンの理想、スピノザの本質、カントの自覚、フィヒテの我、シェリングの絶対、ヘーゲルの理想、ショーペンハウアーの意志、スペンサーの不可知的等みなこれに同じ。ただその形容の異なるのみ。あたかも盲人の象を探りて、あるいはその鼻をもって象とし、あるいは尾をもって象とし、あるいは足をもって象はかくのごときものなりとして、ただその一斑を評して全体を知らざるがごとし。かくして哲学上より探究するときは不可知的の存在を知るべしといえども、哲学はこれに達する方法を講究するものにあらず。しかるにこれに達する方法を説示するものは宗教なり。しかしてその方法一ならざるをもって宗派の別を生ずるなり。

 上来陳述するところこれを要するに、理論上にありては宗教と教育と全く相異なるところあり、また相一致するところあり。しかしてその相異なるは内外その道を異にし表裏その門を異にするまでにて、その目的とするところに至りては一なり。すなわち真理に基づきて人心を目的とするに至りては一なり。故にその講究はともに哲学によらざるべからず。果たしてしからば、教育家も宗教家もともに相和し相助けて、各人心の完全を期して互いに衝突することなきを望まざるべからず。以上は教育そのものと宗教そのものとの関係について論じたるのみ。もし教育はいかなる主義をとり宗教は何教によるかは、つぎの実際論において余が意見を述べんとするなり。

       実際上の関係

 つぎに実際上教育と宗教との関係を述べんに、余は前講に教育と宗教との区別を論じ、教育は道理をもととし宗教は信仰をもととし、教育は心象に関し宗教は心体に関するものなることを述べたり。換言すれば、教育は知識を開発するを主とし、宗教は精神を安定するを主とすることを述べたり。一は開智にして一は安心なり。

 今ここに実際上の関係を示すに当たり、まずこの二者の分類を掲ぐるを要す。第一に教育を分類して主義、種類、成分、方法の四とす。そのうち主義に個人的と国家的との二種あり、種類に家庭、学校、社会の三種あり、成分(あるいは性質)に身育(体育)と心育との二種あり、そのうち心育に智育、情育、意育の三あり、しかして方法に教授と訓育との二種あり。これを表示すれば左のごとし。

  教育 主義 個人的

        国家的

     種類 家庭

        学校

        社会

     成分 身育(体育)

        心育 智育

           情育(美育)

           意育(徳育)

     方法 教授

        訓育

 第一、教育の主義について、個人的教育とは一個人を目的とし完全なる一個の人物を養成せんとするにあり。すでに一個人を目的とする以上は、国家の干渉を要せず各自の自由に任すべしとなす。従来わが国の教育は政府の干渉の有無にかかわらず個人養成の主義をとりたるものなり。国家的教育とは国家を目的とし完全なる国民をつくり、もって国家を完全ならしめんとするにあり。故にこの点においては一国政治の機関たる政府はその義務として教育に干渉せざるべからず、またこれに干渉するの権利ありとなす。しかして一国を組織する人民もまた国民として教育の義務を負担すべきものなりとなす。西洋にありてもある国は個人的の方針をとり、ある国は国家的の主義による。これみなその国情のしからしむるところなり。第二、教育の種類は学者によりてその見解を異にし、ここに載せたる家庭、学校、社会の三種の外なお自然教育、美術教育等ありとす。しかれどももしその最も狭き意味よりいえば、教育は学校教育の一種に限る。今論ずるところはおもに学校教育についていうなり。第三、教育の成分(あるいは性質)は大別して身心の二育とす。これに宗教教育を加うることあり。西洋諸国にはヤソ教と教育と混同すれども、わが国には宗教の学校教育中に加わることなし。しかれども家庭教育、社会教育中には多少加わるをもって、教育の広意よりいえば宗教教育もまたその一成分たり。しかして教育の成分中、身育すなわち体育は身体の健全を計るをもって目的とし、心育中智育は真、情育すなわち美育は美、意育すなわち徳育は善をもって目的とす。あたかも情操の上においては智情、美情、徳情の三者ありて真、善、美の三性を目的とするがごとし。智、美、徳の三情の外に宗情あり。これ宗教情操にして、その目的は妙を感ずるにあり。この妙は真、善、美三者の合して一となるものなり。しからば教育においても智、情、意三育の外に宗育を加うれば、その目的は妙に達するにありとす。しかれども今は教育と宗教とを区別して論述するをもって、宗育は除きてこの中に加えず。第四、教育の方法は種々あれども、余は仮にこれを分かちて教授、訓育の二とす。教授とは書籍器械等を媒介とし言語説明によりて教育するをいい、訓育とは行為挙動をもって感化訓示するをいうなり。しかしてこの二法はその目的、ともに人智を開発するにあり。

 第二に宗教も教育に準じて主義、種類、性質、方法に分類せば、主義に個人的と国家的との二あり、種類に自然教と天啓教との二あり、あるいは道理教と直覚教の二種に分かつも可なり、性質に拝物教と拝神教とあり、拝神教に多神教、一神教、汎神教あり、方法(信仰の方法)に自力と他力とあり。これを表示すれば左のごとし。

  宗教 主義 個人的 国教

            公認教

        国家的

     種類 自然教(道理教)

        天啓教(直覚教)

     性質 拝物教 多神教

            一神教

            汎神教

        拝神教

     方法 自力

        他力

 第一、主義のうち、個人的主義とは信仰は各人の自由に放任し政治上すこしもこれに干渉せざるをいい、国家的主義とは信仰は各人の自由なるも、その力相結びて団体を形成し教会を組織し、これがために大いに国家の治乱興廃に関係するをもって政治上これに干渉するをいう。この国家的には国教と公認教との二種あり。国教は国家が政治上の機関として宗教を利用するものにして、ロシアおよびイギリスのごとし。公認教は政教分離の方針をとり二者直接に相関係せざるも、政府は一国の治安を保護するためにその国の宗教として可なるものに公認を与うる制度にして、現今フランスはこの制度を用う。要するに国教と公認教との差は、政府の干渉の度の多きと少なきとによるなり。また個人的は全く政教の関係を絶ちて宗教は政治以外に独立するものにして、アメリカの宗教のごとし。第二、種類は通例自然教と天啓教とに分かつ。自然教とは万有の規律に基づき、心性の発達に応じて自然に人間中に起こりたる宗教をいい、天啓教とは人心自然の発達によらずして、神のある特殊の人に与えし啓示より起こりしものをいう。自然教はシナの儒教道教のごときものにして、自然に人心中に発達したるものなり。天啓教はヤソ教、回々教〔イスラム教〕のごときものにして、あるいは神の子として生まれ、あるいは予言者として出でたる人の天啓を説きたるものなり。また自然教と天啓教との区別に代うるに道理教直覚教をもってするも可なり。しかれども自然教と道理教とはその意義同じからず。道理教は道理を基本として宗教を講ずるものにして、哲学上より論ずるところの宗教、あるいは現今欧米に行わるるユニテリアン宗、もしくは自由神教これに属す。直覚教は道理以外にありて我人の直接にその心に感知するものに基づきて立つる宗教にして、普通の宗教これなり。第三、性質には種々あれども、拝物教拝神教との二教に大別す。拝物教にもあるいは日月を拝し、あるいは動物を拝し、あるいは草木山川を拝するものあり。拝神教には多神教、一神教および汎神教(万有神教)あり。第四、方法とはこれに種々ありて一定し難きも、今宗教信仰上の方法を挙ぐれば自力と他力とに分かつを得べし。ヤソ教のごときは他力にして、仏教は多く自力を主とすれども、その中にまた他力を説くものあり。自力は仏となり神となる原因われにありとし、他力はかれにありとす。われにありとするものは相対門にして、かれにありとするものは絶対門なり。自力は相対の上に存する因果の規則により善行をなして善果を得、順次に進みて不可知的界に達するものなり。他力は絶対不可知的の力によるものなれば、因果の規則外に立ち相対の階梯をふむを要せず。この二者中いずれの方法によるも、その目的は人心の安定にあり。

 開智と安心とは一は教育、一は宗教の目的とするところにして、おのおの相異なりといえども、その間にまた相一致する点あるを見るなり。人間の上には教育の開智も宗教の安心もともに幸福を目的とするものにして、一個人の上には身心の幸福なり、一国の上には国家の福利なり。教育上よりいえば智識を開発して人の品位を高尚にし、もってその人に幸福を与え、これを大にして一国の福利を増進するものなり。また宗教上よりいえば人心の安定は精神上の快楽なり、精神上の快楽は人をしてその生を楽しみその地位に安んずることを得せしむ。もし人おのおの満足を得るときは、一国相和して決して乱るる憂いなし。故に宗教も一国の上についていえば国家の福利を増進するなり。されば幸福の点においては、教育宗教ともに相一致するものというべし。

 これより教育には学校を主とし宗教には寺院を主とし、この二者の上につきてのぶべし。学校には有形無形の二部分あり。有形とは校舎、書籍、器械等にして、無形とは智識の発育をいう。寺院にもまた有形無形の二部分あり。堂宇、偶像、装飾等は有形にして、信仰安心は無形なり。元来教育宗教は無形をもって目的とすれども、無形を進むるには有形の方便を借らざるべからず。教育上人智を開発するには校舎器械等を要し、宗教上人心を安定するには堂宇装飾を要す。しかるに教育宗教ともにその方便たる有形をもって目的とし真正の目的あるを忘れ、あるいは校舎を壮麗にし、あるいは器械を整備するをもって教育の進歩なりと信ずる者多し。宗教もまたしかり。安心立命の本来の目的なるを忘れ、偶像そのものを崇拝して神とし、堂宇を建築して布教の目的を達せりとするものあり。これ教育宗教の任に当たる者、今後注意せざるべからざる要点なり。

 学校に種々あり。あるいは専門ありあるいは普通あり、あるいは実業を授くるありあるいは学理を講ずるあり、あるいは幼年者を教育するありあるいは壮年者を養成するあり、あるいは女子に限りあるいは盲唖に限りて教育するあり、あるいは官立あり公立あり私立あり。しかして学校の制度も国によりておのおの異なれり。これと同じく寺院にもその組織種々あり。大概これを三組織に分かつ。第一は管長組織にして、これに一管長と多管長とあり。一管長に世襲と選挙とあり。世襲は日本の真宗および神道の二、三派に限り、選挙はわが国の各宗管長、ローマ法王、およびイギリス国教宗の諸教正のごときこれなり。つぎに多管長はギリシア教の制度なり。すなわちその宗は四管長をもって組織す。第二は会議組織にして、本山を設けず寺院の区域を定め、代議士を選挙して会議を開き一宗の事務を決議す。これカルヴァン宗およびスコットランド教宗〔長老派〕の組織にして、アメリカ教会をもこの組織によるものすくなしとせず。第三は独立組織にして、本山なく僧侶なく、また一宗の制度を議定する会議もなく、各教会は全く独立し決して他教会の干渉を受けず、ただその教会を組織せる信徒相議して事務を処理す。この組織は多くアメリカに行わるるところなり。

 かくのごとく学校と寺院とは国によりてその組織制度を異にするゆえんは、国異なればその風俗習慣より万般の事情おのおの異なるをもってなり。教育も宗教も理論上においてはいずれの国といえども同一ならざるべからず。しかれどもこれを実際に適用して学校を開設し寺院を建立するにおいては、その国体国風に従って異にするところなかるべからず。故に理論と実際とはこれを区別して論ずるを要す。もしこれを混同せばその結果、国家の組織を破り独立を傾け、実に恐るべき弊害を生ずるに至らん。けだし事物には必ず理論と実際の別ありて、理論は思想上にあるをもって世の古今、国の内外を問わず自由平等なるべきも、実際上には世と国との事情によりて種々の制限を受けざるべからず。これ理論実際のその性質を異にするゆえんなり。

 学校と寺院との関係につきて特に論述せざるを得ざるものは修身科なり。修身科は従来宗教の支配を受けきたりしものにして、西洋諸国は現今といえどもなお宗教の支配するところとなれり。これ西洋諸国は政教混同の遺風今に存すると、宗教の勢力なお古来の習慣によりて盛んなるとによりてなり。けだし古代にありては政治、法律、学問等すべて混同したれども、社会の進歩するに従いその組織複雑となり、各部分ようやく分業するに至れり。故に今日においては倫理修身も宗教と分離してこれを道理上に成り立たしめ、学術的に講究せざるべからず。しかれどもいかなる宗教も修身道徳を離れたるものなければ、今後は修身道徳を分かちて学術的と宗教的との二とせば可ならん。すなわち学校の修身は学術的により寺院の道徳は宗教的によるとせば、この間に混雑を生ずる憂いなかるべし。現今わが国の教育は全くこの方針をとるものなり。すべて学校にて教ゆるものは智力に訴え、寺院にて説くところは情感にうったうるものなれば、学校の倫理は智力的倫理とし、寺院の道徳は信仰的道徳とするはその当を得たるものというべし。かくのごとく二者その道を分かつも、ともに国家を目的としその福利を増進するを期する点においては一致せざるべからず。今この二者と国家との関係を示すに、左の三段に分かちて陳述すべし。

  第一段 学校と寺院との関係

  第二段 学校と政府との関係

  第三段 寺院と政府との関係

 この三段を論明し終われば、更に国家の独立と教育宗教との関係を講述して、この実際論を結ばんとす。

 第一、学校と寺院との関係は、その表面はおのおの分立するも裏面は互いに連絡するものなり。されば学校のみ進歩するも教育の目的を達したるにあらず、寺院のみ繁昌するも宗教の目的を果たしたるにあらず、二者相待ちて並進せざるべからず。その故は学校は教育を実施する所なれども、教育に属するものは学校以外にもなおすくなしとせず。そもそも学校に入学せんとするには六、七歳以上の年齢に達せざるを得ざれば、学齢以下の幼者に対しては到底学校のみにて教育の完成を期すべからざるや明らかなり。故に学校は教育の一部分にして、他の一部分は家庭すなわち父母の任ずる所の教育なり。しかしてその父母の智識を進むるは学校の任ずるところなり。また家庭と学校とのほかに教育を助くるものは社会にして、社会中最も勢力あるものは風俗習慣および朋友間の交際なり。しかして社会の進歩は社会を組織する人の智識の進歩により、智識の進歩は学校の教育によらざるべからず。故に家庭と社会とを進歩せしむるものは一部分学校にありというべし。しかれども単に学校のみ進歩するも教育全体の進歩にあらず。なんとなれば、人の学校にある年月は僅々五年もしくは一〇年にして、その間終日終夜教師に接して教育を受くるにあらず。故にたとえ学校においていかに完全に教育せらるるも、その外に家庭、社会の教育のこれを助くるなくんば、その成功を期し難し。しかるに家庭においては学校のごとく道理をもって智力に訴うるものにあらざれば、自然に見聞するものにつきて感化するを要するなり。故に学校以外に家庭教育を補助するものは寺院なり。寺院は一方には宗教上衆人をして安心せしむる講習所にして、一方には道徳を練習する集会所たり。これをもって、寺院教会はこれを組織するところのもの一物として道徳上の元素を包含せざるなし。なにびとといえどもひとたびこの浄境に入らば、おのずから俗塵に汚涜せられたる邪念を洗滌し、清涼なる道徳の本心を喚起するに至るべし。これ児童の教育上至大の関係を有するや疑いをいれず。また道徳を守るの必要なるはなにびとも熟知するところなれども、実際上これを履践するはみな人の難しとするところなり。けだしこれを実践するは習慣の力を要す。この習慣力を養成せんとするには、ときどき練習せざるべからず。しかしてこれを練習するは寺院教会をもって適当とす。今日、村落いたるところ寺院の設あらざるなく、その寺院は大抵静閑清浄の地にあり、その装飾も大いに民家の風とその趣を異にして、一村の人民隔日もしくは一週一回この地に至り道徳を練習し、これを内にしては児童の教育を助け、これを外にしては社会の風俗を矯正することを得べし。これによりてこれをみれば、寺院教会は教育の三種中、家庭教育、社会教育の一部分となるものにして、寺院の性質は単に宗教のみならずして教育の意味をも包有するものなり。

 また寺院においても学校教育の必要あり。単に寺院をもって純粋の宗教組織と考うるも、多少学校そのものの補助を要す。なんとなれば、宗教の信仰には高下ありて、かの婆羅門教徒の溺死をもって信仰の本分とするがごとき下等野蛮の風習は、学校教育の力によりて改良せざるべからず。また宗教の伝道をなすにも学校を盛んにして、宗教家そのものの智識を進歩せしめざるべからず。故に宗教の上にも教育は欠くべからざるものなり。

 第二、学校と政府との関係とは、すなわち教育と政治との関係なり。およそ一国の工芸実業を盛んにし富強文明を計らんとするには、まず人智の程度の進歩するを要す。また万国と対立して交通をなさんとするにも、国民の智識は進歩しおらざるべからず。また国家的観念の養成は主として学校教育の与うるところにして、兵卒となりてその国を護衛するにも、農工商にして外人と競争するにも、第一に愛国の精神を有するを必要なりとす。かくのごとく教育と政治とは密着の関係を有するものなれば、政府は学校に干渉してその普及を計り、かつ教育上国家的観念を起こさしむることを望まざるべからず。現にわが国においては、政府はつとに文部省を置きて学校教育を支配せしむ。その現今の教育制度のごときはすでになにびとも熟知するところなるをもって、別段講述するを要せず。

 第三、寺院と政府との関係とは、換言すれば宗教と政治との関係なり。これにつきて信仰一辺より宗教を観察すると、教会組織上より観察するとの二あり。およそ社会においては貴賎上下の階級ありといえども宗教にはその区別なく、同一に人をして安心立命せしめ同味の快楽を感ぜしむるものなり。これ宗教特有の価値なり。詳言せば、智識の点においては人おのおの高下の別、賢愚の差ありといえども、不変不化不生不滅の霊魂の上にはその区別あるべき理なし。宗教はこの霊魂を基本として説くものなれば、これより得る快楽はなにびとも同一なり。故に宗教は貴賎の上のみならず賢愚の上にも階級を設くることなし。これをもって、世間政治界にありて不平の念を懐抱せる者も去りて宗教の信仰をたたけば、だれにても同様にその中には名状すべからざる妙味あるを感得すべし。故をもって、世に望みなき貧民も精神上富人に勝る快楽を得るに至る。しかして社会多数の貧民および不平の徒が宗教によりて精神上の快楽を得、これによりて国家の平安を保ち政治上に利益を与うることすくなしとせず。もし彼らの徒にして不平を医するの道なくんば、社会は争乱の絶ゆるときなかるべし。この点は宗教そのものより観察したるところにして、すなわち信仰一辺よりきたせる結果をいうなり。もしそれ寺院教会が社会を調和する点においては、政治上に一層重大の関係を有するなり。社会においては貧富貴賎の階級あり、男女老幼の差あり、賢愚高下の別あり、職業の異なるあり、郷里の異なるあり。かくのごとく人々の間に懸隔あるがために、政治上には互いに分離排拒する傾向あり。しかるにその間に立ちてこれを調和し、平穏無事ならしむるものは宗教の力なり。政治一辺にては下情は上に通ぜず上意は下に達せず上下の事情懸隔渋滞し、これがためにその下に圧伏せる民心人気は一朝破裂して一大革命を起こすことあり。しかれども同一の宗教に帰する者は貧富貴賎、男女老少を問わずことごとく同一の座席に集会し、互いに友情を通じ談話を交え、これによりておのずから社会の調和を生ずるなり。かくのごとく宗教は国家に利益を与うるものなれども、すべて利益あるものはまた必ず裏面に不利を有するものにして、もし実際に適合せざることあれば国家を害すること尠少なりとせず。あるいは宗教上の不和より政治上の不和を起こし一国を撹乱することあり、あるいは政治上の不平転じて宗教内部に入りもって政教の軋轢を生ずることあり。古来宗教があるいは国家を利しあるいは国家を害せしことは、歴史上吾人のしばしば経験するところなり。しからば一国の機関たる政府はよろしくその国に適合せる宗教を保護し、もってその国の治安を図らざるべからず。なおここに一言すべきは、宗教は社会の儀式礼節を支配すということこれなり。わが国には西洋に比してその例少なきがごときも、なお神仏二教相分かれて冠婚葬祭の大礼を支配す。これまた一国の安寧秩序を保持するにおいて、あずかりて力あるものなり。けだし人情の影響たる、至大にしてよくこれを調和すればもって一国を利し、もしこれを激昂せしむればもって一国を乱る。しかして儀式礼節は社会の人情を調和し秩序を保つものなれば、決してこれを軽忽に付すべからず。その他、宗教の国家を利するは異郷他村の人を結合するにあり。たとえば村落を異にするときはその間に婚縁を結ぶこと難きも、宗教の媒介によりて異郷の間に交婚するに至る。また人民の一地方より他地方に動くは一国の文明を進ましむる助けとなるものなるが、これまた多く巡拝参詣等の宗教の媒介による。これを要するに、宗教は単に宗教そのものの上より社会を利し、また政治の裏面に立ちて国家を利すること明らかなり。

 つぎに国家の独立と教育宗教との関係を述べんに、およそ一国の興廃存亡には直接の原因あり間接の原因あり。直接の原因とは兵力あるいは金力のごときものにして、他国より兵力をもって攻撃せられ、もしくは国力おのずから疲弊して滅亡するがごときは、ともに直接の原因なり。しかれどもなおこの他に間接の原因なかるべからず。すなわちその原因とは言語、歴史(あるいは人種)および宗教の三なり。この三は国家独立の三要素にして、この三要素独立せば国家もまた独立するを得べく、もしこの三要素滅亡せば国家もまた滅亡すべし。たとえ兵力金力のいったん国家を撲滅することあるも、この三要素の依然としてその勢力を有するあらば、再びその国を独立せしむることあるべし。もしこの三要素衰廃せる後これに加うるに兵力金力をもってほろぼしたるものは、再び国家の独立する期なかるべし。もしまたこの三者中、言語、歴史の遺存して宗教ひとり絶滅するも、その国の独立を保つこと難しとす。故に国をほろぼす方法にも種々ありて、その国の言語を改め歴史を変じ宗教を化するは、兵力を労せずして人の国をほろぼす秘法なり。またひとたび兵力をもってほろぼすといえども、その国固有の言語、歴史、宗教依然として存すれば、数年を出でずして再び独立するを得べし。しからば何故に言語、歴史、宗教が国家独立の要素なるかというに、言語は人の思想を結合する機関なれば、他国に通ぜざる一定の言語を有するときは、一国人民の思想を連合して一体となすを得べし。もしこれに反して一国中に数種の言語並存するときは、もってその国の人心を一結すること難し。もしまた隣国の言語を用うるものは、なお一層その国の独立を保つこと難し。シナは一国中その言語異なれどもその文字同一にして、かつその言語は他国に通ぜざるものなれば、国家の独立を妨ぐるに至らず。西洋においてはスイスのごときは他国の言語相混じ、またオーストリアのごときは言語のみならず人種も大いに混同せるをもって、国民の統一を欠くの恐れあり。これに反してイギリス、フランス、ドイツのごときは、たとえ互いにその国境を接するもその国一定の言語を有するをもって、国家の独立上非常の便益あり。また国民は一国同一の人種より成りて、その国始めて独立するものなることを記せざるべからず。今日万国の互いに相競争するは、その実人種上の競争たるに過ぎず。もし一国にしてあまたの人種混同せば、到底その国の人心を一定することあたわず。故に一国の独立には人種の一定せるを必要なりとす。しかしてこの人種はその国の歴史を形成するものにして、同一の人種ありて同一の歴史をもって今日に及ぶとせば、その人民は自然にその国を保護せざるを得ざる観念を生ずるなり。もし一朝国家の覆滅することあるも、その国古来の歴史存するときは、これによりてその興復を企図するもの必ず起こるべし。しかるにたとえその国歴史を有するも、その人民にしてこれを知らざればなんの用をもなさざるなり。故にその国の人民に歴史を知らしむることは、教育上の要務なりというべし。つぎに宗教は直接に人間の精神に関し、精神と精神とを結合せる一種の連鎖なり。されば一国の人心を団結して一致せしむるには宗教の一定を所要とす。今日は西洋諸国いずれの国といえどもみな信教自由を唱うれども、なお各国国教もしくは公認教を設置するゆえんは、政治上宗教一定の必要なるを知ればなり。

 かくのごとく言語、歴史、宗教の三は国家の盛衰興亡に最大の関係を有するものにして、国家の興隆するもこの三により、国家の衰滅するもこの三による。しかるにこの三種はおのおの異なるところありて、言語は空間上に全国の人心を連合し、歴史は時間上に古今の人情を結合す。しかして宗教は空間時間の双方にまたがりて人の精神を一結するなり。けだし宗教はその信仰の体一なるをもって、宗教を一定せば同時に数万の人心をも一結するを得、また宗教は不変不易の真理を既定するをもって、古今に通じて同一の思想を維持するを得。故に宗教の言語、歴史に比して一層人心を結合するの力強く、たとえその国ひとたび滅亡するも、なお人心を維持するを得るなり。かのユダヤ人がその国すでにほろびて各国に散在するも、なお数百万の人民よく宗教上の団体をなすを見て、宗教の団結力の強きを知るべし。またペルシア教徒が回教徒のためにその故国を奪われ遠くインドの一地方に流寓せるも、現在なおインドの地に一部落を結成し宗教上の団体を失わず。されば歴史はその国滅亡して長年月を経過すれば自然に消失し、言語も人民他国に散在すればまた長き年月ののち全く消失すべし。しかるに宗教上の結合は、かくのごとき場合に際会するも確固として動かすべからず。これを要するに、言語、歴史、宗教の三はその間に軽重の差なきにあらざるも、ともに国家独立の最大要素たるものなり。故に教育家はよろしくその国固有の言語を明らかにし、その国の歴史を保存することを勉め、宗教家はその国固有の宗教を拡張することを図らざるべからず。この三は国家の独立上、兵力金力よりも一層重要なる元素なり。西洋諸国の盛んにヤソ教を東洋諸国に伝道するも、多少その国の言語、歴史を変じて自国の人情風俗を移さんとするの意なきにあらず。故に国家の上にありてはその国固有の言語、歴史、宗教を保存し、この三者の独立に力を尽くさざるべからず。

 教育は主として学校の任ずるところにして、宗教は寺院教会のつかさどるところなり。教育の国家に必要なるはなにびとといえども熟知するところにして、あえて余が言を待たず。言語、歴史の保存より学術工芸その他百般の事業に至るまで、一として教育のあずかり関せざるはなし。故にわが国維新以来、政府は十分に教育の普及に力を尽くして今日に至れり。これに反して宗教の国家に至大の関係を有するは人の多く知らざるところなれば、いささかそのことを論述せざるべからず。およそ宗教は宗教として人心を団結するのみならず、言語、歴史、美術、工芸等に加わりて、一国の文明上に非常の関係を有するものなり。けだし一国の文明は必ず多少宗教の力を借りて発達せるものにして、また一国の活歴史なる美術も多く宗教中にありて発達し、かつ古代の美術は多く神社仏閣中に遺存せり。また文学にも宗教の思想の入りきたりてその趣味を与うるものにして、工芸といえども宗教の信仰力によりて進歩したるの例すくなしとせず。かくのごとくわが国古来の宗教すなわち仏教がわが国の文明に影響せることは、歴史上事実の最も顕著なるものなり。

 これを要するに、教育宗教の効用はこれを小にしては吾人一身の幸福安寧より進んで一家の和合快楽を得、これを大にしては一国の文明富強を進むるなり。

 すでに教育宗教の必要なることは上来陳述せしごとし。しかれどももしその教育宗教の方針を一定せざるときは、国家に利益を与うること難し。否、かえって国家の進歩を妨害するに至るべし。故にすでにその必要を知る以上は、一国の教育は一定の方針を定め、一国の宗教は一定の目的に向かいて進ましめざるべからず。もししからざれば教育には種々の分子混入し、自国の国体民情に適せざるものをそのまま採用するの恐れあり。また宗教上には他国より種々の異教侵入して、ために一国の人心を撹乱するの憂いあり。故にいやしくも国家の独立を維持せんと欲せば、必ずその国の教育宗教の方針を一定せざるべからず。

 

     結  論

 前段陳述せしところを概括するに、教育宗教ともに理論と実際とあり。理論上においては二者ともに哲学に属し、その研究する道理は万国共通の真理をもととす。これをもって、理論上には時の古今なく国の内外なく平等一様に研究することを得。しかして実際上には二者ともに国家を目的とするをもってその国特別の方針を設けて教育を実施し、その国に適当せる宗教を選びて人心を一定せざるべからず。しからばわが国はいかなるものを用うべきやというに、余は断言して教育は勅語に基づき、宗教は仏教をとるの意見なり。

 教育は勅語に基づくゆえんはもとより説明を要せず。そもそも勅語はわが国体をもととしてこの国特有の人倫道徳を諭示したまえるものなれば、いやしくも国民たるもの徹頭徹尾その聖旨を遵守せざるべからず。謹しんで案ずるに、わが国特有の人倫道徳は忠孝二道に外ならざるをもって、勅語には「此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス」とのたまい、つぎに父母、兄弟、夫婦、朋友等の道を諭したまい、ついに「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」とのたまいて更に忠の道を諭したまい、これを結びて「是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン」とのたまえり。これすなわちわれわれ臣民が人倫の大道を守るはひとり上、天皇に対して忠義を尽くすのみならず、われわれの祖先に対して孝道をまっとうするものなることを諭したまえるなり。しからばわが国の教育は忠を経とし孝を緯とし、忠孝一致、国体為本の方針をとらざるべからず。

 つぎに余が宗教上仏教をとるゆえんは、今日世論のあるところなればいささかここに論述せざるべからず。世人仏教を評して厭世教なり平等論なりという。実にしかり。仏教は出世間を目的とするをもって厭世教なり、貴賎貧富の人に一味同感の快楽を与うるをもって平等論なり。これ仏教特有の性質なるにあらずして宗教通有の性質なりというも可なり。けだし宗教の世間に加わりて社会を益する点もまた全くここにあり。しかれどももし仏教が厭世一方を説きてその裏面に愛世の道理あるを知らず、平等一方を論じてその表面に差別の現象あるを示さざるにおいては、あるいは社会国家に適合することあたわざるの恐れあるべきも、その教えは中道をもととして平等の中に差別を存し、厭世の中に愛世を失わず、有に偏せず空に偏せずその中間に両端を兼備せる真理を開示したるものなれば、その一方に存する平等厭世の理論は他方に応用するに当たりてたちまち君臣上下の階級を生じ、忠孝人倫の大切なるを知るに至る。その厭世の方にありてはこの世を罪悪の世界とするも、ひとたび真如の本体あるを知りてこの世界を照見しきたれば此土すなわち真如世界なるを知り、我人はこの世界を転じて黄金世界となさざるべからざるを知るに至るをもって、厭世はたちまち変じて愛世となるべし楽天となるべし。ただその愛世は、通俗の迷うがごとき私欲利己一辺の愛世にあらずして博愛利他の愛世なり。故に仏教はひとたび平等門を開き終わりて差別門に出ずれば、その表面に君臣の名分、忠孝の至道歴然として存するを見るは火をみるよりも明らかなり。これをもって、わが国の仏教は国体とともに並進対行することを得るに至る。この道理は余、別に論じたるものあればここに詳説せず。ただ余がここに実際上、仏教とヤソ教との適不適を比較して二者の得失を判ぜんとす。

 今、余がわが国の宗教として仏教をとるゆえんは、第一に仏教はその名称および組織上外国の関係なし。なんとなれば、仏教はインドよりシナに入り転じてわが国に伝われりといえども、今日わが国の仏教はインド、シナの仏教とその性質を異にし、かつかの国の仏教と連絡関係を有せざれば全く独立の宗教なり。しかるに今日わが国にあるヤソ教のごときはそのうち独立組織のものあるべしといえども、多くは外国の保護を仰ぎ外国の宣教師をいただくものなり。あるいは外形上名称上ともにすこしも関係なきものも、その実外国の保護金を仰ぐ以上は決してわが国独立の宗教というべからず。もしその本国弱きときはたとえこれと連絡を有するもあえて憂うるに足らずといえども、その国強きときはさきに述ぶるがごとく宗教の変更は風俗人情の上に影響を及ぼし、その結果一国の独立を動かすの恐れあれば、天のいまだ陰雨せざるに牖戸の予防をなさざるべからず。しかるに仏教はたとえインド、シナと関係ありとするも、その本国今日の形勢決して我人の恐るるところにあらず、いわんやわが仏教と全くその性質関係を異にするをや。第二に仏教はわが国体と両立並存するを得。なんとなれば、仏教各宗一として皇室の尊厳、国体の永続を祈らざるものなし。これただに儀式上のみならず、教義上においても仏教は千有余年この国に伝来し、その間高僧大徳の出ずるありて、わが国風に同化せしめ一種特性の仏教をなせり。弘法大師の神仏両道一致論、真宗の王法為本論、日蓮宗の安国論のごとき、みなその例を示すものなり。しかるにヤソ教は近年わが国に行わるるものにして、西洋の風俗習慣を帯びその本国の臭気を脱せざるものなれば、いまだわが国風に密合するを得ず。たとえ道理上調和することを得るも、実際上同化することは今より数十年もしくは数百年の後にあらざれば到底望むべからず。第三に仏教はこの国の歴史を有す。なんとなれば、仏教は聖徳太子以後世々の天皇深くこれに帰依したまい、今日本山大寺と称するものは多く天皇の命令、皇室の保護によりて建立せられたるものなり。かつわが国の名勝古跡は大抵仏教と関係を有するものにして、この国の歴史を保存するには仏教を保存せざるべからず。またその保存によりて皇室を尊び国家を愛する観念を誘起せしむべし。しかるにヤソ教はかくのごとき重要なる歴史上の関係は寸分も有することなし。第四に仏教は深くわが国の人情に感染す。なんとなれば、仏教ひとたびわが国に入りしより以来ここに千二百有余年にして、その間深く民心人情に浸入し、風俗、習慣、言語、礼節、儀式に至るまでその元素を含有せざるものなし。たとえ今日仏教衰えたりというも多数の人民は深く仏教に帰依せるをもって、一朝その教を改めて他教をとらば人心の上に非常の変動をきたすや明らかなり。第五に仏教はわが国固有の文明を組織す。なんとなれば、わが国固有の文学にも多く仏教の精神を含み、わが国特殊の美術にも多く仏教の元素を有す。かくのごとき諸点を較するときは、仏教とヤソ教とはその得失、識者を待たずして判知すべし。これ余が仏教をとるゆえんなり。

 しかれども今日より後は道理の世界にして、宗教もし学術上論ずる道理に全く反するときは、いかに実際上の利益および歴史上の関係ありというもこれを採用するを得ず。しかるに仏教は学理に反せざるのみならず、哲学の原理に基づきて組織したる宗教なることは余がすでに証明せるところにして、泰西の学者も許すところなり。これに反してヤソ教は学術と契合せず。古来その進路を妨げたる例、枚挙するにいとまあらず。ただし今日にありてヤソ教は学術と並行せんことを務むるも到底これと調和すべからざるは、また学者の論ずるところなり。しからば仏教決して学理上ヤソ教に下るものにあらざること明らかなり。余は数年前よりこの二教を比較して、仏教の学理上大いにヤソ教に勝ることを数書において証明したれば、今またこれを贅せず。もし仮に数歩を譲り仏教のヤソ教に勝るとするは仏教びいきの偏見なりとして、二教更に優劣なしとせばいずれをとるべきや。吾人日本人たる以上は、数百年間この国に存する仏教をとらざるべからざるは無論のことなり。なんとなれば、学理上の外に実際上において仏教はこの国と重大の関係を有すればなり。もし更に数歩を譲り実際上も寸分の優劣なしとするも、なお我人は仏教を選ばざるべからず。なんとなれば、わが国にあるものと他の国にあるものと同等にしてその差なきときは、我人は他国のものを捨てて自国のものをとる義務を有すればなり。これいわゆる吾人の愛国心というべし。しかるを、いわんや仏教は近来欧米諸国の学者の称揚するところとなり、現今仏教教会の各国に起こるを見るをや。これを要するに、仏教とヤソ教とを比較するに、理論実際ともに仏教ははるかにヤソ教の上に位するを知るべし。故に余は吾人の仏教を保護するは、真理に対しならびに国家に対して尽くすべき義務なりと信ずるなり。

 これによりてこれをみるに、吾人は教育上には勅語をもととし宗教上には仏教をとり、もってわが国無形上の文明を進め、もって国家の独立をまっとうせざるべからず。しかるに人必ず言わん、わが国の仏教は実に腐敗を極めたりと。たとえこの言をして信ならしむるも、これ仏教そのものの腐敗にあらずして、この教えを弘通する人の腐敗なり。しかしてその人は日本人なれば、仏教の腐敗にあらずして日本人の腐敗なり。すでに日本人にして腐敗するを知らば、われわれは進んでその人を教育して、その腐敗を除き去ることをもって務めとせざるべからず。しかるにこれを腐敗したりとして度外に置くは、これとりもなおさず日本人を外国人視するものなり。もしまたわが国今日の事情改良を要するものはひとり仏教家の風習のみならず、社会一般の風俗もまた同様に改良せざるべからず。これを改良する法は教育を実施するより外なし。余はわが国今日の欠点は無形上の文明のいまだ進まざるにありて、これを進ましむるは教育宗教を改良するにあり、しかして教育宗教の改良はこれに従事する人の智識と道徳とを進ましむるにあるを知る。故に余はさきに哲学館を起こして教育家、宗教家を養成するを目的とし、今また日本大学科を設置して一層その目的を進めんことを勉む。これ余が平素唱うるところの護国愛理の二大精神の相結んでその枝上に一種の花を開きたるものにして、その果たして良果を結ぶを見るは他日を待たざるべからざるなり。