5. 〔補 遺〕

館主巡回日記

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〔補遺〕

  館主巡回日記

秋田県

 〔明治二十四年八月〕八日 晴れ。午前、西勝寺、浄弘寺および加賀谷正司氏の宅を訪う。午後、師範学校付属小学校〔秋田市〈現在秋田県秋田市〉〕内において学術演説をなし、中学校を一覧し、夜に入りて教育家諸氏の懇親会に出席す。発起者は青木義教、金沢長吉その他の諸氏なり。資金募集の件は、中学校長ならびに師範学校長旅行中につき、青木義教、鈴木鉞太郎等の諸氏に依頼す。

 同九日(日曜) 晴れ。午前、名和三郎右衛門氏ならびに鈴木県知事の宅を訪い、午後、倶楽部において宗教上の演説をなし、演説後、茶話会に出席す。当市にて日野公海、矢田煕、加賀谷正司、和賀寛盛、菊池了忍、藤林諦観、青山泰全、菊池了典の諸氏は、即時に本館拡張の旨趣を賛成し、館賓、館友、創立員中へ申し込みあり。

 同十日 雨。午前八時、本誓寺にて談話をなし、ただちに土崎有志者数名とともに土崎港〔町〕〈現在秋田県秋田市〉に移る。午前、同郡教育会にて演説、午後、茶会にて演説し、引き続きて懇親会に出席す。教育会の方は資金募集の件を、郡長不在につき前橋栄春氏に依頼す。橋本宗彦(町長)、加藤光亨、根本学治等の諸氏にも有志誘導の件を依頼す。宿坊西船寺なり。

 同十一日 雨。午前午後ともに、尚徳会の依頼に応じて、西船寺において道徳、学術上の講話をなす。当日、麻木松次郎、金沢松右衛門、加賀谷惣右衛門三氏の宅を訪い、晩に至りて加賀谷保吉氏の宅を訪いて晩餐を喫す。以上の諸氏はみな尚徳会員にして、今回の件に奔走し、かつ本館拡張の旨趣を賛成せるものなり。よって資金募集の件もこの諸氏ならびに〔藤井義霊〕、同義観両氏に依頼す。

 同十二日 雨。朝、加賀谷惣右衛門氏とともに土崎港を去り、大久保に休息し、正午十二時、五十目村〈現在秋田県南秋田郡五城目町〉に着す。宿坊如来堂なり。午後、宗教、教育に関する演説をなす。

 同十三日 雨。午前、また宗教、教育に関する演説をなす。当地の福田禎輔、松浦常松両氏は旧館内員なり。開会発起には本多順祥、藤本智聴、越前弥白、八木下智全諸氏以下五十余名にして、みな本館賛成者なり。よって資金募集の件もこの諸氏に依頼す。午前、渡辺綱松、米田貞治、福田甚助、北島孫吉四氏の宅を訪うはずなりしが、能代より館友藤沢泰氏、有志総代としてきたり迎うるに会せしをもってその意を果たさず、ただちに能代港に向かいて発す。午後五時、能代〔港町〕〈現在秋田県能代市〉に着す。夜に入りて、高等小学において教育上の談話をなし、引き続き茶話懇親会に出席す。

 同十四日 晴れ。午後、願勝寺において教育、宗教に関する演説をなす。郡長川井忠雄氏および判事堀清以氏に面会す。当地開会発起者は藤沢泰氏ほか三十余名なり。資金募集の件は、教育会の方は川井郡長その他教育家諸氏に依頼し、町内有志家および宗教家の方は泉太助、塩谷市右衛門、渡辺与三郎、泉長左衛門、柳谷定因、塚原日栄、工藤廓導、高田嘉太郎、小野千代松、北村亮仙諸氏に依頼す。鷹巣村より青年倶楽部総代として成田運蔵、田島為治二氏来訪あり。同行笹原貫軒氏発病、藤沢泰氏に同行を依頼す。当夜、小野千代松氏宅において小談話をなす。

 同十五日 晴れ。朝、鷹巣青年倶楽部員とともに能代を発し、鷹巣〔村〕〈現在秋田県北秋田郡鷹巣町〉に移り成田良蔵氏の宅に休憩す。昼飯後、学術上の講話をなし、本館賛成、資金募集の件は青年倶楽部諸氏に依頼す。倶楽部総理は成田良蔵、部長は成田亀治、幹事は田島為治、長儀赤四郎、相馬栄治、成田啓人諸氏なり。大館有志者武石誠一郎、桑名護道二氏、鷹巣まできたり迎うるあり。よって両氏とともに即日大館町〈現在秋田県大館市〉に移る。着後、ただちに浄応寺において仏教演説をなす。当地仏教会の依頼に応ずるなり。夜に入りて、教育会有志者の招聘によりて懇親会に出席す。

 十六日(日曜) 雨。午前、高等小学において、教育会ならびに青年会の依頼に応じて前後二席、学術上の講演をなす。午後、また浄応寺において仏教演説をなし、引き続きて茶話懇親会あり。資金募集の件は、教〔育〕会の方は羽生竹之助、小林運平二氏に依頼し、仏教会の方は武石誠一郎、誉田政丸二氏に依頼す。有志誘導は町長および教育会、青年会、仏教会諸有志者に依頼す。当地仏教会は部長桑名護道、幹事誉田政丸、小助川学鱗諸氏、常議員十名あり。

 同十七日 雨。早朝、扇田有志者数名きたり迎うるに会し、同行して扇田〔村〕〈現在秋田県北秋田郡比内町〉に移る。宿坊徳栄寺なり。午前午後ともに、教育、宗教上の演説をなす。演説後、茶話懇親会あり。資金募集の件は当地仏教会員小西竺邦、小林法禅、藤庭祐教、麓長治、大沢弥太郎、富田九兵衛諸氏に依頼す。阿仁銅山より有志総代として今井武麿氏来訪ありたれども、時日なきをもってこれを謝絶し、同地有志募集の件を今井氏ならびに中山文太郎氏に依頼す。

 同十八日 雨。朝、扇田を発し、大館に小休し、釈迦内村〈現在秋田県大館市〉日景弁吉氏の宅を訪い、ここに休憩す。同村小学校において一席の談話をなし、午餐を喫して釈迦内を去り、青森県に向かいて発す。大館ならびに扇田有志者数名、送りて釈迦内にきたる。当地有志募集の件は日景氏に依頼す。これより矢立峠を越え、晩七時、青森県弘前市に着す。同市有志者数名、市外に出でて迎うるあり。宿所は石場旅館なり。

 『哲学館講義録』第三期第二年級第三六号(明治二四年一〇月二五日) 

 

青森県

 〔明治二十四年〕八月十九日 晴れ。弘前市〈現在青森県弘前市〉滞在。午前、高等小学校長相馬保之進氏の紹介によりて、同校において教育上の演説をなす。午後、尋常小学において茶話懇親会に出席し、また一席の談話をなす。当日、中学校長黒川雲澄氏、同教諭渡辺直一郎氏の案内にて城址を遊覧し、また当夕、両氏の案内にて酔月楼に喫飯す。成田法学士も同席に会す。

 同二十日 晴れ。午前午後ともに、真教寺において仏教に関する講話を開く。発起者は真教寺、専徳寺、円明寺、法源寺、浄竜寺、正蓮寺、教応寺、明教寺、以上八カ寺なり。午後四時、酔月楼懇親会に出席す。当市各宗仏教会の招聘に応ずるなり。資金募集の件は、教育会の方は相馬保之進、三上徳之助両氏および黒川中学校長、渡辺同教諭、外崎覚氏、中津軽郡役所等に依頼し、宗教家ならびに市中有志家の方は栗山公称氏ほか真宗各寺院およびその檀家、その他仏教会有志者佐々木勇次郎、木村象一、成田健三郎、藤岡彦虎等の諸氏に依頼す。

 同二十一日 晴れ。朝、弘前市を発し黒石町〈現在青森県黒石市〉に移る。午前、感随寺において仏教演説をなす。発起人は感随寺住職穴水義円氏なり。午後、高等小学において教育上の演説をなす。演説後、茶話懇親会あり。資金募集の件は、教育会の方は郡長杉山滝江、教育会員箕輪田礼作、加藤次郎諸氏に依頼し、町内有志家の方は穴水義円、加藤宇兵衛、宇野清左衛門、竹内清明諸氏に依頼す。当所にて館友岡田末太郎氏に会す。

 同二十二日 晴れ。朝、黒石町を去り、板屋野木村〈現在青森県北津軽郡板柳町・鶴田町〉に休憩し、小学にて一席の談話をなし、松山長左衛門氏宅にて喫飯し、資金募集の件を松山氏および当地発起人高沢徹蔵氏に依頼してこの地を去り、当夕、鯵ケ沢町〈現在青森県西津軽郡鯵ケ沢町〉に着す。宿坊来生寺なり。

 同二十三日(日曜) 晴れ。午前午後ともに、当所願行寺において開会し、教育および宗教に関する演説をなす。演説後、茶話懇親会あり。資金募集の件は小学校長小川善蔵、伊藤得三郎二氏、および来生寺住職園村義制、願行寺副住職古館芳道二氏に依頼す。有志勧誘の件は郡長成田助氏、裁判所書記貴田盛久氏等に依頼す。

 同二十四日 晴れ。朝、鯵ケ沢を去り木造村〈現在青森県西津軽郡木造町〉に移る。午後、西教寺において教育、宗教に関する演説をなす。続きて茶会あり。当地資金募集委員は藤川智雲(西教寺住職)、菊池祐个(慶応寺住職)、西尾宇八郎、江良徳太郎、松山藤太郎(高等小学校長)、水沢俊八、鳳至法梁諸氏なり。

 同二十五日 晴れ。朝、木造より五所川原〔村〕〈現在青森県五所川原市〉に移る。宿坊玄光寺なり。午後、高等小学において教育上の談話をなす。続きて茶会あり。夜、玄光寺において仏教上の演説をなす。当地募集委員は嵯峨初太郎、柴谷万九郎、柿島智恩、鶴谷清志、小友春弥、原健三郎諸氏なり。教育部の方は郡長に依頼す。また、他地方有志募集の件は無井霊瑞氏に依頼す。

 同二十六日 晴れ。朝、五所川原を発し青森町〈現在青森県青森市〉に移る。宿坊蓮心寺なり。蓮心寺役僧芳野研逸氏、町外に出でて迎うるに会す。着後、宿坊において、発起者三十余名に対して本館拡張の旨趣を演述す。教育会総代として伴小四郎、三浦千代次郎、山口善吉三氏来訪あり。

 同二十七日 晴れ。午前、県庁に至り佐和知事に面謁し本館拡張の旨趣を陳述し、参事官石井信敬氏、郡長立岩一郎氏に面会す。午後、郡役所議事堂において教育上の演説をなす。続きて茶会あり。資金募集の件は石井参事官、立岩郡長ならびに教育会員中二、三の諸氏に依頼す。夕刻、蓮心寺において発起者の依頼に応じて一席の講話をなし、引き続きて町内有志七十名以上の懇親会に出席す。

 同二十八日 晴れ。午前午後ともに、蓮心寺において仏教上の講話、演説をなす。その発起者は三十余名なり。そのうち資金募集の件は、特に本間実(蓮心寺住職)、藤林善助、桂平作、今泉清、芳野研逸、戸田茂三郎、以上六氏に依頼す。また、浪岡村有志募集の件は岡田末太郎氏に依頼し、蟹田村有志募集の件は鷲岳慶後氏に依頼す。

 同二十九日 晴れ。朝、本間実氏ほか数名と同車して青森町を発し、浅虫温泉に休息し、諸氏と相別れ、午後三時、野辺地〔村〕〈現在青森県上北郡野辺地町〉に着す。同所西光寺において宗教上の演説をなし、引き続きて有志者の茶会に出席して談話をなす。資金募集の件は西光寺住職飯田教善氏および檀家総代、その他学校教員諸氏に依頼す。

 同三十日(日曜) 晴れ。朝、野辺地を発し、午後五時、八戸町〈現在青森県八戸市〉に着す。宿坊願栄寺なり。有志者数名、数里の外に出でて迎うるあり。

 同三十一日 晴れ。午前、天聖寺において哲学上の講演をなす。発起者は吉川円順(願栄寺住職)、広田円竜、その他各宗の有志者なり。午後、青年会場において教育演説、ならびに宗教、学術に関する演説をなす。これ教育会、青年会、仏教会の依頼に応ずるなり。夜分、願栄寺において茶話懇親会あり。資金募集の件は郡長船越宜美氏、郡書記鈴木浪江氏、吉川、広田両氏、晋善協会諸氏、青年会員北村益、同湊要之助両氏、仏教会員奥田頼三、松本直松、上野弥八郎三氏に依頼す。三戸教育会より渡辺虎次郎氏来訪ありて、同地へ来遊すべき依頼ありたれども、時日なきをもってこれを謝絶す。

  『哲学館講義録』第三期第二年級第三六号(明治二四年一〇月二五日) 

 

岩手県

〔明治二十四年〕九月一日 晴れ。朝、八戸町を去り、尻内村より汽車に駕して盛岡市〈現在岩手県盛岡市〉に至る。市中の有志十余名、停車場に出でて待つ。宿所村田旅館なり。

九月二日 晴れ。朝、市役所、郡役所、県庁、中学校、師範学校を訪い、知事、校長等の諸氏に面会す。午後、杜陸館において教育家に対し教育上の演説をなし、引き続きて中学校において中学ならびに師範学校生徒に対し学術上の講話をなす。当日また、服部知事、沢井参事官、中学校長多田綱宏、師範学校長清川寛、教育会理事田口小作、市役所助役松岡毅夫等の諸氏に面会す。

 同三日 晴れ。朝、県庁にて知事に面謁し、本館拡張の義につき有志誘導の件を依頼す。また、教育部の方は、賛成者募集の件は多田、清川両校長に依頼す。午前十時、本誓寺において宗教、哲学の講義をなす。当地真宗各寺院の依頼に応ずるなり。午後、杜陸館において仏教上の演説をなす。当地仏教青年会の依頼に応ずるなり。午前の発起人は本誓寺、光照寺、証明寺、専立寺、徳玄寺、正念寺なり。午後の発起人は古津藤吉、永井浪江、大石直見、石井二郎、松岡忠美、海野扶門の諸氏なり。資金募集の件は千原円空、松井智定、その他発起人諸氏に依頼す。当日、佐藤徳清氏来訪ありて、本館拡張の旨趣を賛成し特別館賓に加入せり。

 同四日 晴れ。朝、盛岡市を発して花巻町〈現在岩手県花巻市〉に移る。宿坊妙円寺なり。午後、劇場において教育、宗教に関する演説をなす。発起人は林正観、照井敬三、その他学校教員諸氏なり。夜、妙円寺において純正哲学の講話をなす。資金募集の件は林正観、菊池忠太郎、川村精元三氏に依頼す。

 同五日 晴れ。朝、花巻町を発し、仙台に向かいて乗車す。停車場にて同行藤沢泰氏と相別れ、松島停車場に至りて降車し、富山を経て松島に入り瑞巌寺を訪い、塩釜より仙台に至る。当市針久旅店に休息し、即夜、汽車にて帰京の途に上る。

 同六日(日曜) 晴れ。午後、着京。

 『哲学館講義録』第三期第二年級第三六号(明治二四年一〇月二五日)