星界想遊記

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   題 言


 本書は余が豆州修善寺温泉入浴中、 青州楼客舎にありて、一夕夢中に現出したる空想を叙述せるものなれば、もとよりこれを学理に照らし実際に徴して考うべきものにあらずといえども、 その末段、  四聖との問答にいたりては、 空想にあらずして実際的の論なり。  その論、 あるいは世の空想を抱くものを戒むるに足るべし。  しかして四聖の夢中に現ぜしは、 余が明治十八年、 古今東西の哲学者中より四人の聖賢を選定して、 その図を画工に作らしめ、哲学祭を設けしことあり。  その四人とは、  シナ哲学にて孔子、  インド哲学にて釈迦、 ギリシア哲学にてソクラテス、 近世哲学にてカントこれなり。

 これを年代の順序に考えて、 釈迦、 孔子、 ソクラテス、 カントと次第せり。 図中、 釈迦を第一位に置き、 孔子を第二位に置くは、 全くこの順序による。 しかして余が夢中の問答もまた、  この順序による。  果たして知る、 余が夢中の想像は、  四聖の肖像よりきたりしを。  ゆえに、 その図を巻首に掲げて、 読者の参考に供すという。

   明治二十三年一月                                                著    者    しるす

 



   第一回 共和界に遊ぶ


 想像子、  一日飄然として京華を去り、 遠く山間の僻邑に遊ぶ。 たまたま客舎にありて余夕を送らんとす。  その翌朝はすなわち、 我人の数年来渇望したる明治二十三年なり。 想像子、  ここにおいて往を思い来を卜するに、 無量の思想心頭に集まり、 感慨おのずから禁ずるあたわず。 独座沈吟、 時ようやく移り、 夜ようやく深く、 まさに十一時に達せんとす。  四隣寂蓼として、 ただ渓流の潺湲たるを聴くのみ。 ときに想像子寝に就かんと欲し、 立ちて衣を換え、 座して炉に対し暫時黙思するに、 たちまち精神恍惚として夢中に彷徨するを覚ゆ。  すでにして心思高く飛び軽く揚がり、 瞬時にして遠く蒼々茫々たる天界の中に遊ぶ。 いたるところ国土あり、 山川あり、 人民あり、 鳥獣草木ありて、 その形状あたかもわが地球に異ならず。 けだし、 これみな星界なり。

 まず想像子の最初に遊びし所は、 山河の形勢、 鳥獣の種類はたいていわが国土と同一なるも、 社会万般の風俗人情にいたりては、 大いにその趣を異にして、 全く一種の別天地なること、  一目して知るべし。

 今、 その風俗の異なる要点を挙ぐれば、 男に一定の妻なく、  女に一定の夫なきことこれなり。 けだし、 この国の風習によるに、  女子は男子の共有物にして、 男子もまた女子の共有物なるがごとく、 純然たる男女共和独立の国にして、 同等同権の主義進みてこの極に達せしなりという。  これをもって、 男女の間に結婚の礼なく、 夫婦の別なく、 ただ一時の結婚、  一夜の夫婦あるのみ。 ゆえにその国の風、 男女おのおの別居し、 男子は一人にして一家に住し、 女子もまた一人にして一家に住す。 もし、  一人にして一家に住する資産なき者は、 男女合宿所ありて、おのおのその中に一室をかりて眠食す。 あたかもわが国土の下宿屋のごとし。 ただその小異あるは、 男にても女にても、一室には必ず一人を限りとする規則あることこれなり。

 されば、  女子もし故ありて懐妊するときは、 必ず産院に入りて分身するを要す。  産院はその国の政府にて産婦を入るるために、  ことさらに設立するものなり。 産院の傍らには必ず育児院あり。  これまた政府が、 乳児を養育するために設立するものなり。 故をもって、 産婦分身すればただちにその子を育児院に入れて養育し、 産婦自身は四週ないし五週間の期限を経れば必ずその家に帰り、 旧のごとく職業に就き、 決して育児院に至りてその子を見るを許さず。  ゆえに女子、 子を産すれば、  その当日より両人の間に全く親子の縁を絶ち、 子は生まれながら孤独の身となり、 終身その父母のだれなるを知らず。  これ、 実に異風の社会というべし。  かくして子ようやく成長すれば、 男女の別なくみな育児院を去りて小学に入り、 小学を去りて中学に入り、 その課程をおうれば、 はじめてこれを成人と称し、 社会に出でて一分の職業に就く者とす。 故をもって、一町一村ごとに産院、 育児院、 小学、 中学の設置あらざるはなし。 しかして、 その経費はみな国民の租税より支出するものにして、 政府は国民中その年齢二十歳より五十歳に至るものあれば、 男女を論ぜず人頭に応じてこの税を賦課する規則なりという。

 想像子これを聞きて、 問いを起こして曰く、「人の刻苦勉励して職業を守り資産を作るは、 全くその子孫、 親属あるによる。 もしその子孫なく、 夫婦なく、 父母なく、 兄弟なく、 人生一人一代を限りとするときは、 だれかその職を守りその産を作ることをせんや」と。  一人ありて答えて曰く、「人、 もし子孫、 家族の繋累なきときは、はじめて自利自愛の私情を脱して、 社会公衆のためにその力を尽くさんとするに至るべし。 なんとなれば、 人に自利自愛の情あるは、  その子孫あるによる。  もしその子孫なきときは、 身死して後に存するものは社会のみ。  社会はまことに己の父母なり、 夫婦なり、 兄弟なり、 子孫なり。  これを愛しこれを思う情、 あたかもその子孫を愛する情と異ならざるべし。  ここにおいて、 はじめて人みな公益を計り、 正道を守るに至るなり。」

 想像子なお疑いありて、 問いて曰く、「人に公益を計る情あるは、 その子孫のために家名を興さんとする一念より起こるものにして、 子孫を思うの情を離れて、 あに公衆を思う情あらんや。  かつ、 人もし一生一代を限りとし、 死後に遺族なきときは、  おのおの自暴自棄して、 かえって終身一己の快楽のみを計るに至るべし」と。 彼答えて曰く、「たとい人に子孫、 遺族なきも、 死後の名誉あるをもって、 人いやしくも自身を愛する情あるときは、必ずその名を愛し、  その名を愛する念あるときは、 必ず孜々としてその業をつとめ、 汲々としてその身を立てんとするものなり。 もし、  これに反して人に子孫あるときは、 かえって独立進取の気風を減じて、 子孫の上に依頼するがごとき卑屈心を生ずるものなり。  ゆえに、 人をしてその職業を守り功名を全うせしめんと欲せば、 子孫、家族の縁を絶たしむるにしかず」と。

 想像子曰く、「人生一代を限るときは、 その名のために功業を立つることあるも、 資産を作る必要なきがごとし    いかん。」曰く、「しからず。 人に子孫、 親属あるときは、その下に依頼することを得といえども、子孫もなく親属もなきときは、 老年に至り一身を養う資産は、 自らこれをその強壮の日に作りおかざるを得ざるをもって、 資産を作るの念一層切なるものなり。  かつそれ、 この国には自然に人を奨励して財産を作らしむる方法あり。  まずその一、 二を挙ぐれば、 この国の政府は社会公衆の代表者にして、 国民の父母なり、 兄弟なり、 子孫、親属なれば、 国民の死するときには、 その葬祭ことごとく政府の手にて執行するなり。 例えばここに一人の死者あるときは、 政府はその人の所有物を調査し、 何百何十円の財産と算定し、 その高に応じて葬祭の取り扱いを異にす。 もし無財産なるときは、 その死体を水中に投じ、 葬式を行わず墓所を設けざる規則なれば、 その名はその身とともに湮滅すべし。 もし幾円以上の財産あらば、 何格の葬儀を行い、 なんらの墓所を設け、 幾万円以上の財産あらば、 あるいは公園にその像を安置し、 市街にその廟を建設する等、 みなおのおの一定の制規あり。 しかしてその財産はすべて政府の所有に帰し、 政府はこれをその収入の中に加えて、 あるいは産院、 育児院の経費に充て、 あるいは小学、 中学の経費に充つる等、 またその規則あるをもって、 決して人をして財産を作るの念を絶たしめずして、  かえって策励の功あり」と。

 想像子さらに問いて曰く、「もし兵役に従事して忠死し、  一銭の余産を残さざるもののごときは、  いかにしてその功にむくゆるや。」曰く、「兵役の問いについては、 この国の歴史を略述せざるを得ず。 ただし、  かくのごとき場合においては、 勲労に報酬すべき一定の規則あるをもって、  これをその人の財産として算するなり」と。「かつ、  かくのごとき勲労家は政府中に歴代の記録ありて、  これにその姓名および功労を記入して、 後世に伝うる方法を設くるなり。 さて、  これより国史の大要を述ぶべし。 そもそもこの国は、  上古より中古の末まで列国対立して存し、  これを統合する政府なかりしをもって、 戦乱一日もやまざりしが、  その後小国次第に滅亡し、  ついに近世の初年、 列国連合して一大国を組成するに至れり。  この連合以前は各国みな君主政体なりしも、 その後一変して共和政体となり、 万事みな共和の主義にもとづきて政治を施すに至り、 列国間の争乱一時に鎮定し、 今日に至るまで天下無事平穏なりしをもって兵備久しく廃し、 兵役等のことは、 その名目すら今代の人は知らざるもの多し。」

想像子曰く、「その近世とは幾年前なるや。」曰く、「十二万五千年以前なり。」想像子驚きて曰く、「しからば、この国の開闢は幾年前なりしや。」曰く、「百八十九万六千七百年前なり。」

 想像子大いに驚き、 言わんと欲するところを知らず、 しばらくありて曰く、「この国に一定の夫婦なき風習は、開国以来のことなるか。」曰く、「いな。 近世共和政体に一変してより、 百般の制度、 風俗みな共和主義をもって組織するに至り、 その極み、 私有財産は共和の主義に反するの説起こり、  ついに財産共有の法律を制定するに至れり。 しかるにまた、 財産共有なれば夫婦もまた共有ならざるべからざるの説世間に行われ、  ついに結婚同居の風俗を廃して、 男女別居の制度を立つるに至れり。 けだし、 共和主義と男女別居とは相伴うものにして、 万民自由共和なれば、 同等同権ならざるべからず、 男女同等同権なれば、  おのおの別居独立ならざるべからず。 なんとなれば、 もし男女の間に婚嫁夫婦の関係を生ずるときは、 女その家を去りて男の家に帰するか、 男その名を失いて女の姓に変ずるか、  二者中の一におらざるべからず。 しかるに、 もし男女おのおのその名を存し、 その家を立てんと欲するときは、 互いに孤立別居せざるべからず。 孤立別居にして、 はじめて同等同権の主義を全うすることを得るなり。 故をもって共和政体の下に、 財産共有と男女別居の両制度を組織するに至れり。 しかるに、 その後経験上、 財産共有は人をして遊惰自暴に陥らしむる弊あるを見、 たちまちこれに反対する説起こり、 自然に私有財産に復するに至れり。  ひとり男女別居はただにその弊なきのみならず、  かえって便益あることを実験し、 今日に至りてなおその制度を用うるなり。」

 想像子曰く、「その便益とはいかなる点をいうや。」曰く、「第一に、父母妻子の繋累なきをもって、自由適意に業務に従事することを得る利便あり。 第二に、 子孫を養育する義務なきをもって、 利己の私心次第に減じ、社会をおもい国家を愛する心情、 自然に発達する益あり。 第三に、 眷属親戚の上に依頼する念なくして、 あくまで一生の間に功名を成さんとする進取の気風増長する益あり。 ゆえに、ひとたびこの制度を用いしより以来、 国勢日に月に振興し、 今日の隆運を見るに至れり。」

 想像子曰く、「余、 いまだかくのごとき社会の宇宙内に存するを知らざりしをもって、  その男女別居の益あるがごときは、 余輩なお信じ難しといえども、 共和独立主義の行わるるがごときは、  わが地球上にもその例を見るところにして、 余輩も全く賛成の意なきにあらず。 ただ、 余が聞かんと欲する点は、 政府の法律いかんにあり。」曰く、「この国は政府をもって社会を代表するものとし、  これを我人の父母とし、 また我人の子孫とし、 我人は固くその命令を守るべき義務を有するをもって、 その法律はかえって厳にしてかつ煩なる方なり。」

 想像子これを聞きて曰く、「余は久しく政府および法律ある社会に住し、 その身の自由ならざるを慨し、 常に政府もなく法律もなき純然たる自由国に遊ばんことを望みしが、 今この国のごとき純然たる共和国なりというも、 なお政府の圧制を免るることあたわず。 これ、 余が永住すべき地にあらず。 むしろここを去りて、 政府なき国に遊ばん。」




   第二回 商法界に遊ぶ


 すでにして想像子、 また空想の羽翼を張り、 翩々としてほかの星界の中に遊ぶ。 その天候、 地勢、 鳥獣、 草木等は、 わが国土に異なるを覚えずといえども、 その村落、 市街の景況をみるに、 また別社会の現象を呈す。 想像子、 まず村落を経過して市街に入る。 街上、 車馬の来往織るがごとく、 人民の奔走狂するがごとく、 商業貿易の盛んなる実況は一目して知るべし。 しかして路傍往々、  一老人の高机に対して人を待つがごとき状あるを見る。その状、 あたかもわが市中の売卜者に似たり。

 想像子その一人に遇いて、 まずこの国の政体のいかんを問うに、 彼曰く、「この国には政府なし、 あに政体あらんや。」また問う、「しからばこの国にては、いかなる方法によりて人民を統御するや。」曰く、「この国には体なし、 あに統御の法あらんや。」また問う、「しからばこの国は、 万事万物みな共同共有にして、 私有の財産等あることなきや。」曰く、「あり。 私有の土地あり、 私有の家屋あり。」あえて問う、「もし、 その財産の間に争論の生ずるときは、いかにしてこれを裁決するや。」曰く、「その方法を示さんと欲せば、 まず社会の組織を略言せざるべからず。 そもそもこの国は政府なく法律なく租税なく、 君臣上下の別なく、 国会議員の設けなく、 裁判賞罰の法なく、 人民みな純然たる共和独立にして、 自裁自治の風習あり。 ゆえに、一家の法律は一家これを作り、 一人の法律は一人これを作り、 毫も他人のその間に立ちて干渉することあらず。 もし人と人との間に分界制限の判然せざることありて紛議を生ずるときは、これを決する法ただ一つあり。」「その一つとはなんぞや。」曰く、「運を天に決することこれなり。  その法、 各町村もしくは各郡に一、二箇所の決運館ありて、 人民中争論を生ずる節は一同ここに至り、おのおの決運器(わが社会の卜筮のごとし)を探りてこれを決す。  ひとたび決すればまた争うべからざる事実とし、 再び卜するを許さず。  ゆえに、  これをもって裁判の始めとし、 また終わりとす。」

 想像子、 問いを起こして曰く、「決運館の費用はいかにして支弁するや。  これを租税のごとく人民に課賦するや。」曰く、「決運館は商法主義によりて設立するものなれば、 その費用のごときは、 所有者がここに来たりて、争いを決するものより一定の手数料を取りて支弁するなり。  そのほか都会輻湊の地には、 決運館派出所を設けて、 争いを決する人の便を計ることあり。 余はその派出員の一人にして、ここに来たりて運を探るものは多少の金額を払うを要し、 その額はこれを折半し、一つは本館の収納とし、一つは派出員の所得とするなり。  ゆえに、これみな商法の組織によるものにして、 決してその費用を他人に課賦する等のことあらず。 子は、 この国に政府なく法律なきと同時に、 租税なく郡費、 町村費等一切なきことを知らざるべからず。」

 また問う、「盗賊、 凶徒の類はいかにして処分するや。」曰く、「これらの徒、 上古より中世まではときどき世間にありし由なれども、 近世に至りてはほとんど皆無というも可なり。  これ、 世の進歩に従い、 人みな永遠間接の利害損益を識量し、 一時の小利小欲に着目せざるをもって、 悪徒自然に減じて、 道徳自然に起こるによる。 もし万一かくのごとき徒ある節は、 人の依頼に応じてこれを探偵し、 これを捕縛するの商法会社ありて、 だれにてもこれに相当の金を払わば、 その依頼に応ずるなり。 しかれども、 かくのごとき場合は、 一村中にて五年に一回、 十年に一回くらいのものなり。 そのほか小盗小賊の類は、 これを新聞上に掲示するをもって足れりとす。 なんとなれば、 この国は商法国にして、  人々の間に信用を重んずる風習ありて、 人ひとたび信用を失えば、 再び世間に立つこと難し。  ゆえに、 人の世間に信用を失うを恐るること、 刑罰よりはなはだし。  かつ従来の経験によるに、 今後この勢いに乗じて進むときは、 早晩罪人のあとを全国に絶つに至るべし。」

 想像子これを聞きて、 驚きて曰く、「貴国は実に極楽世界なり。 わが国土のごときは政治密に法律厳なるも、罪人、 悪徒ただ日を追いて加わるのみ。  これを貴国に比するに、 いまだ地獄世界たるを免れず。 実に赤面の至りなり。」彼曰く、「あえて驚くなかれ。  子の国にはいかなる政体を有するや。」曰く、「君主政体あり、 共和政体あり。」彼曰く、「貴国の開闢は何年前にあるや。」曰く、「開闢の年代、 国々の歴史によりて異説ありて一定し難しといえども、  およそ五、 六千年以前とす。」

 彼曰く、「これ、 いまだ経歴の足らざるのみ。 もし、  これをわが国の歴史に比すれば、 実に幼稚の時代なり。わが国は開闢以来、  およそ三百万年を経たりと称す。 史上に伝うるところによるに、 建国以後久しく君主政体なりしも、 中古一変して貴族政体となり、 再変して共和政体となり、 三変してまた貴族政体となり、 四変してまた君主政体となり、 五変してまた貴族、 六変して共和、  七変してまたまた貴族、 八変して君主、 九変してはじめて今日用うるところの無政体となりしなり。 無政体以前は、 いかなる政体に改むるも戦乱相続き国家多事なりしに、  ひとたび無政体に変じてより今日に至るまで数十万歳の久しき、 いまだかつて一日も戦乱のことありしを聞かず。  そもそも上古君主政体のときにありては、一時君主特権をもっぱらにし擅制を極めたるも、 その後功臣ようやく門閥を張り、 その威権次第に君主を蔑視するに至り、  ついにこれを廃して功臣の間に政権をとるに至れり。  これを貴族政体という。 その後、 政権次第に人民に移り、 民権ようやく世間に起こり、  ついに功臣政府を転覆して共和政体を組織するに至れり。 しかるにその後数世を経て、 貧しきものようやくその権を失い、 富めるものますますその勢いを得、 自然に貧富の間に上下の階級を生ずるに至り、  ついに富豪者相合して政権をほしいままにするに至れり。  これまた一種の貴族政体なり。  その政体また変じて、 政権次第に多数より少数の手に移り、ついに富豪者中の最も富豪なるもの、  一人にして全権を掌握するに至れり。  これ、 第二回の君主政体の起こりしゆえんなり。 その後数回の騒乱革命ありて、 政体また変じて前回のごとく貴族となり共和となり君主となり、 同一の事情に際会して同一の政体を反復するのみなりき。  ここにおいて、  一大新論の民間に起こるありて曰く、『政治、 なんぞ必ずしも君主、 貴族、 共和の三種に限らんや。  かつ、 このうちいずれの政体を用うるも、 国家の平穏を保つことあたわざる以上は、 政治の目的に反するにあらずや。 かつ共和政体のごときは、 世間一般に評して最も天理に合したるものというも、 その政体の長ずるところは、 ただ多数の論をとるというにほかならず。しかして多数の論、 果たして正理なるや。 正理はすべて少数中に存するにあらずや。 もししからば、 正理はいかなる政体を用うるも、 到底達し得べきものにあらざること明らかなり。  すでにしかるゆえんを知らば、 政治中の最も簡便にして費用を要せず、 時日を費やす役員を用いず、なにびとにても平易に実行し得べき方法をとること、 あに必要ならずや。 そもそも、 この国にて従来用いきたれる政体の一つは国安を保つあたわず、一つは正理に達するあたわざる以上は、 むしろ速やかにこれを廃して、 最も簡便平易の方法を用うるにしかず。 その方法はすなわち、 まず政府そのものを廃し、 法律そのものを廃し、 天命天運をもって社会の政府、 法律とすることこれなり。  かくのごとく定むるときは、 第一に費用を要せず、 第二に時日を要せず、 第三に役員を要せず、 第四にだれびとにても平易に実行することを得て、 社会の実業、 商法必ず大いに興り、 富国の目的速やかに達することを得べし。」

 この説ついに世論となり、 たちまち一大革命を起こして政府を廃し法律を廃し、 争論紛議の道理によりて弁ずべからざるものは天運に任せ、 これを決することとなれり。 これ、 今日決運組織の起こりし原因なり。 この組織の初代にありては、 なお多少政府のごとき性質を有し、一町一村に小決運庁あり、一国に大決運庁ありて、 各庁に決運官あり決運会あり。  その大決運会のごときは、  一国の大事に関する要件を決するものにして、 あたかも普通の政体の国会のごときものなり。  ゆえに、 その組織は一種の政府のごとく、 小決運庁は戸長役場のごとく、 中決運庁は地方庁のごとく、 大決運庁は大政府のごときものなりき。 ただ政府の組織に異なるは、 君主なく、 大統領なく、 官職なく、 租税なきこれのみ。  これ近世初代の事情なりしが、 その後次第に変遷して商法主義によりて組織するところとなり、 今日に至りては全く政府の性質を有せざるものなり。」

 想像子問いて曰く、「今日にありては諸方に決運館あるも、 これ各地独立の決運館にして、 一国総合の決運館にあらず。  ゆえに、 もし一国全体の興廃に関して大問題起こるときは、 いかにして決するや。」曰く、「今日の人民はおのおの独立共和、 自治自裁の風習なれば、  一国全体の問題の起こることなし。」「しかれども、 もし国際に争論の起こりたるときはいかん。」曰く、「この世界にては、 古代より中世に至るまでの間は数国対立し、  一国上の問題もときどき起こりたることあれども、  この国においてひとたび政体を廃してより、  四隣の諸邦みなその法の簡便なるを賛成し、 各国とも一時に大革命ありて政府を廃し法律を廃し、 その後諸国共和して一国となり、 今日にては全く内国外国の区別なきに至れり。 けだし、 国に内外の別あるは、 大いに商法貿易上に妨害を与うるものにて、 商法盛んなれば自然の勢い、 諸国共同せざるを得ざるに至るなり。」

 また問いて曰く、「この決運法実施してより、 今日まで幾年を経たるや。」曰く、「昨年まさしく三十五万二千五百年に相当せり。」想像子驚きて曰く、「この久しき歳月の間、 よく国家無事に経過したるや、 実に不思議といわざるべからず。」彼曰く、「内乱紛擾の起こるは、 人民の経験のいまだ足らざるによる。 もし経験に富まば、争論紛乱の益なきを知り、 互いに共和を求むるに至るものなり。  かつ、 この国のごとく一刻千金を争う商業繁昌の社会には、 なんぞ争論紛擾に時日を費やすいとまあらんや。  ゆえに、 これを自然の勢いに任するも、 人みな運を天に任せて平穏に日を送るに至るべし。  かくして年月を経るに従い、 そのひとたび経験して知りたるところのものは、 社会一般の風俗となり習慣となりて、 永くその平穏を保持することを得るものなり。 今、 貴国のごときはその年月浅くして経験に乏しきをもって、 権利、財産等の争論やまざることなれども、 今より少なくも百万年の経験を積まば、 必ずこの国のごとく無政体となるべし。」

 想像子曰く、「政府なきときは、 いかなる法によりて全国中の戸籍人口を調査するや。」曰く、「戸籍調べは別に商法主義の会社ありて、 毎年もしくは二、 三年に一回、 各町村についてこれを調査し、 諸郡を合して統計を作り、  これを書籍に編じて広く世間に発売するなり。 人名調べ、 逃亡調べ、 盗賊探偵、 罪人捕縛等は、 みなこの社にて相応の金を取りて人の依頼に応ずるなり。」あえて問う、「産婚葬祭等は、 この国にてはいかなる儀式を用うるや。」曰く、「全くこれらの儀式なし。  ただし、 中世までは多少の儀式ありしも、 世の進むに従い、 日に月に多事の世界となり、 虚礼を去りて実業を重んずる社会となり、  ことさらに産婚を祝するの無益なるを知りてこれを廃し、死したるものは再び帰る望みなければ葬祭を営むの無益なるを知りて、 またこれを廃せり。  ゆえに、 人の死せしときは、 海辺なればその体を水中に投じ、 山畔なれば地中に埋め、 棺榔を作らず墓所を設けず、 親戚朋友にも通知することなく、 ただ埋葬せしのち新聞に広告するのみ。」想像子曰く、「その儀式にいたりては、 あまり簡略に過ぎて人情に反するがごとし。」彼曰く、「あるいはしからん。 しかれども世の進歩の極み、  ここに至るものなり。 貴国もこれより数百万年を経過して、 実業大いに興り商法大いに盛んなるに至らば、 必ずこれと同一の風習を見るの日あるべし。」

 想像子曰く、「余、 政府なき国に遊ばんことを望むや久し。 今その国に遊ぶ。  これ、 余が幸いなりといえども、その社会の礼節、 風習にいたりては、 人情を去ること遠し。 これ、 余が永住すべき地にあらず。 願わくは、ここを去りて君子国に遊ばん」と。  すなわち、 別れを告げて去る。

 




   第三回 女子界に遊ぶ


 想像子、  さらに想車を雲路の上に飛ばせ、  一走してほかの星界の中に入る。 山川村落の風景、 また大いにわが郷国に似たるところあり。 街上、  一男子の車をひきて物を売るを見、 これを呼びて、  この地の政治、 風俗を問う。 彼曰く、「行きて女尊子に聞け。」また、  一人の男子負荷して路傍にいこうを見、  これに向かいて、  この地の国風、 政体を問う。 彼もまた曰く、「行きて女尊子に聞け。」

 想像子、 女尊子のなんたるを知らざるをもって、 やや惑う。 すでにして一商店の前に至れば、 婦人、 帳簿を擁して店頭に座するを見る。 ただちに進みて、 この地の政体、 国風を問う。 婦人曰く、「子はいずれより来たるや。」曰く、「余は地球圏より来たる。」「子の国にはいかなる政体を有するや。」曰く、「君主政体あり、 共和政体あり。 君主政体中に君主専治あり、 君民共治あり。」「男女の職業はいかん。」曰く、「男子は、 あるいは官吏となり教員となり、 あるいは商人となり技師となり、 女子は紡績、 裁縫等の手工あり。」婦人、 大いに怪しむ色ありて曰く、「官吏、 教員は男子に限るか。」曰く、「教員には女子を用うることあるも、 官吏は男子に限る。」

 婦人曰く、「奇なるかな、 その風わが国と全く相反す。 わが国にては官吏、 教員は女子に限る。 しかして男子は製産、 工業等、 筋力を要する事業に就く。  ゆえに、 男子は一般に無学無知にして、 世情に通ぜざるもの多し。これに反して、  女子は一般に学問に明らかにして事理に通達し、 才あり能あり、 男子の上に立ちてよくこれを指揮し、  一国の政権は全く女子の特有するところなり。  そのほか諸校の教員、 医師、 会社の事務員、 戸主、 戸長にいたるまで、 またみな女子に限る。  ただ政府にて男子を用うるは、 兵卒、 巡査、 小使、 給仕等のみ。 しかして、兵卒、 巡査の長官はまた女子なり。」

 想像子これを聞きて曰く、「国異なれば風異なるは自然の理なりといえども、 想わざりき、 その風のかくのごとく反対に出でんとは。 余、 願わくはその政体を聞かん。」曰く、「政体は君主政治なれども、 君主は世襲にあらず、  一代をもって限りとす。 そもそもこの国の君主は一般に尊上と称す。  これ、 この国の風習大いに女子を尊崇して、 これを呼ぶに『尊』の字を加え、 女尊もしくは女尊子というによる。 尊上の下に老官(わが大臣に当たる)五十名あり、 その長を総老という(わが総理大臣に当たる)。 老官の下に親官五百名、 近官一万人、 遠官十万人あり(わが勅任、 奏任、 判任に当たる)。  まず老官を選定する法は、 老官中に欠員ある節、 廟堂において選挙会を開き、 その会には親官の位にあるものことごとく列席し、 その列席員中より一名を選挙して、 その職をつがしむるを通規とす。 もし、 尊上逝去するときは、 総老その位をふみ、 総老欠くるときは、 老官中より就職の順序に従いてその椅子におらしむ。 そのほか、 親官の叙任は尊上の特命により、 近官の叙任は老官の指命により、遠官の叙任は近官の認定によるものなり。」

 想像子問いて曰く、「この組織は古来より伝わるものなるか。」曰く、「古来より多少の変更ありしも、 政体は君主政治にして、 官吏に女子を限ることは建国以来の国風なり。」また問う、「建国は幾年前になるや。」曰く、「この国は建国以来、 年を経ること日なお浅くして、 当代の尊上は初代より四千三百二十六代目、 年歴五万九百五十七年なり。  この建国以前は天下唯一帝国あるのみにして、 一尊上ありて全土を統轄せしが、 五百万年を経てその帝国は分裂して種々の王国を形成し、 現今に至りて小国を合すれば五百二十余国あり。  みな独立の君主国にして、 女子政権を執る。  そのいまだ分かれざる一帝国のときも、  女子政権を執れり。」また問う、「その帝国の前には歴史なきか。」曰く、「考証となるべき歴史なきも、 古来の伝説によるに、 その前に諸列国並立せるときありて、 その時代には男子政権を執れりという。  およそ歴史上定むるところによるに、 帝国以前は野蛮時代と称し、腕力競争世に行われしも、 帝国以後一変して文明時代となり、 道理競争世に行わるるに至れり。  ゆえに、 男子執権の世を野蛮とし、  女子執権の世を文明とし、 今日の歴史面には野蛮時代の記事を除き去るをもって、 政体、 年歴等、  つまびらかに知るべからず。」

 また問う、「当時分立せる五百有余の諸王国を合するときは人口および地積いくばくなるや。」曰く、「人口百  八十五億人、 地積千五百万積にして、 そのうちわが王国に属する人口八億二千万人、 地積七百二十五万積なり。」

 けだし、 この国の尺法、 人の平均身長をもって本位と定め、 これを一長と称し、 百長を一引と称し、 百引を一   延と称し、  一方長を一面と称し、  一方引を一平と称し、  一方延を一積と称す。  ゆえに千五百万積は、 わが地球全面のおよそ十倍なり。

 想像子驚きて曰く、「年歴といい地積といい人口といい、 実に久遠広大夥多にして、 わが国土と同日の比にあらず。 あえて問う、 人民の年寿平均なにほどなるや。」曰く、「平均百五十年と二百年の間なり。 古代は人寿五百年と称せしも、 世を経るに従い漸々短縮して、 今日は長寿といえども二百年の上に出でず。」

 想像子曰く、「国土の大にして年寿の長きは余が大いに欲するところなれども、 女子上位にありて命令を下し、男子下流にありてこれが使役に服するがごとき風習は、 余が意に適せざるのみならず、 天理に齟齬するところあるの疑いなきあたわず。」かの婦人曰く、「われは、 貴国の男女はいかなる体性を天然に具するかを知らざるも、この土にありては、 女子はその筋骨生来柔弱にして、 男子は堅強なり。  堅強なるものは力役労働に就き、 柔弱なるものは政治教学に従う。  これ、 まことに天の命ずるところなり。 もしこれに反し、 女は力役に就き、 男は政治を執るときは、  これかえって天理に反するものなり。」

 想像子曰く、「女子は体質一般に柔弱なるをもって、 思想もまた柔弱なるべし。 かつ、 女子は天然に懐妊、 育児の義務を有するをもって、 政治上の劇務に当たるべからず。」彼曰く、「体質柔弱なるも、 思想必ずしも柔弱なるの理なし。  われ貴国の事情を知らざれば断じて言い難しといえども、  この国の例に徴するに、 思想に富めるものほど体質柔弱にして、 体質の堅強なるものほど知力に乏しきを見る。 貴国にては、 農夫にして田野に力耕するものと、  学者にして政治に従事するものと、 いずれが体質、 筋骨強壮なるや。」曰く、「学者は柔弱にして農夫は堅強なり。」

 「しからば脳力と体力とは一致せざること明らかなり。  つぎに、 懐妊の義務のごときは女子の免るべからざるものなれども、 懐妊の年齢はたいてい限りあるて、  この国にては三十歳より八十歳の間、 五十年間を懐妊時期とす。  しかして女子の貴重の職務に就くは、 たいてい八十歳以後なり。 かつ、 その学問修業のごときも、 三十歳以前に課程をおうる習慣なれば、 懐妊によりて毫も妨げあることなし。」

 想像子曰く、「わが国土の女子は、 なにほど学問を修むるも活用の力に乏しく、  これを男子に比するに、 大いに知力の発達に相違あり。」彼曰く、「この国の男子はなにほど教育を施すも、 女子に及ばざること遠し。 畢覚するに、 貴国は開闢以来今日に至るまで、 男女の方向を誤りたるものならん。 余はその風を野蛮の遺習なりといわんとす。 今これをわが史上に比して考うるに、 貴国はそのはじめ腕力社会より成り、 今日なおその野蛮を脱せざるや明らかなり。  およそ野蛮時代にありて腕力競争の盛んなるに当たりてや、 男子のごとき筋骨の強きもの上位に立ちて女子を抑制するは自然の勢いにして、 文明進歩し道理競争世に行わるるに至れば、 女子国権を執るに至るもまた、 理のしかるべきところなり。 貴国にて男子政権を握るは、 そのいまだ文明に至らざる実証なり。  その今日、  女子を教育して知力の発達を見ざるがごときは、 女子のただちにしかるにあらずして、 社会に腕力主義の行わるると、 古来数千百年間、 女子を教育せざりし習慣あるとによる。」想像子曰く、「今より女子教育法を改良するときは、 何年の後にその知力をして男子の上に立たしむることを得べきや。」曰く、「これをわが国の経験に考うるに、 今日より少なくも百万年の後にあらん。」

 想像子驚きて曰く、「歳月悠遠、  企て及ぶべからず。」彼曰く、「歳月悠遠なりといえども、 今日よりそのことを実行すれば、 必ずこれに達する期あり。 もし、 今日にしてこれを実行せざれば、 世界滅尽するもその期なかるべし。」想像子曰く、「女子をして政治、 教育の全権を握らしむるときは、 国家の上にいかなる利益あるや。」曰く、「その益はなはだ多し。 貴国もし開国以来、 政教の全権を女子に委するの習慣を用いたらんには、 その国勢、今日に十倍してさかんなるに至るべし。  しかるに、 女子をして男子の下に立たしめたるは、  ひとり女子一人の不幸のみならず、 貴国一般の不幸なり。 ああ、  一朝の失策、 万世の不幸をきたせり。 戒めざるべけんや。」

 想像子この言を聞きて曰く、「余、 いまだその言を信ずるあたわず。  かつ、 余は女子の下に立つを欲せず。 ただ余が願うところのものは、 長寿を得るにあり。 今、  この国のごとき人寿わが国より長きも、 漸々短縮するというにいたりては、 ここに住するも、 なんの望みあらんや。 今はむしろ去りて、 長寿国に遊ばん」と。  すなわち、婦人に拝謝してその国を辞す。




   第四回 老人界に遊ぶ


 想像子、  女権国を辞してより空々漠々の間に逍遥して、 また一大世界の中に入る。 その国の風色、 ややわが郷国と異なるところあるを見る。  その国名を問えば曰く、「これ尊老国なり。」「なにをもって尊老国と名づくるや。」曰く、「この国の風習、  老人を尊敬すること、 君主のごとく天神のごとし。」「その政体はいかん。」曰く、「老人政体なり。」「なにをか老人政体というや。」曰く、「老人にあらざれば、 政府に就職することあたわず。 老人中の老人、 進みて帝王の位をふむ。  ゆえに、 帝王は全国中の最老の人なり。」「しからば、 当代の帝王はその寿なにほどなるや。」曰く、「今日の齢、  四十万五百六十二日なり。」想像子曰く、「これ日数なり。  これを年に変ずれば幾年となるや。」

 その地の人民、 年のなんたるを知らず。  ゆえに、 想像子に問いて曰く、「年とはなんぞや。」曰く、「年とは、春夏秋冬の四季を合して一年とするこれなり。」「春夏秋冬とはなんぞや。」「寒暑一回循環する間の一時期を四季に分かちて、 春夏秋冬の名目を立つるなり。」彼曰く、「われ、 はじめて解せり。 貴国とわが国とは天界の位置を異にするをもって、 日数の算定法を異にするならん。  この国には昼夜の循環あれども、 寒暑の変換なし。  なんとなれば、 毎日寒暑の度たいてい同一なればなり。」

 想像子曰く、「わが国土にては一年に一回、 寒暑の変換あり。 あたかも一日に一回、 昼夜の変換あるがごとし。昼夜の変換三百六十五回にして、 寒暑一回変換す。  ゆえに、  一年は三百六十五日なり。」「しからば、  四十万五百六十二日を三百六十五日にて除算すれば、 帝王の年齢、 およそ一千九十八歳となるべし。」想像子驚きて曰く、「なんぞそれ長寿なるや。」曰く、「帝王は全国人民中の長寿第一なれば、 四十万日以上なれども、 そのほかはみな四十万日以下なり。  これを平均すれば、  この国の人寿三十万日、  すなわち八百二十歳くらいなるべし。 古来の帝王中、 長寿の冠たるもの五十一万七千五百三十三日、  すなわち一千四百十八年なり。」

 想像子問う、「政府の組織いかん。」彼曰く、「この国には村長、 郡長、 県長、  つぎに中央政府の官吏あり。 村長は一村中の長寿第一の者なり。  ゆえに、 これを村老と称す。 郡長は各村老中の長寿第一の者にして、 これを郡老と称し、 県長は各郡老中の長寿第一のものにして、 これを県老と称す。 県老の上には中央政府の諸老あり。  この諸老の階級に三等あり。 大老、 中老、 少老これなり。 大老は一人、 中老は二十五人、 少老は百人を限りとす。大老は寿、 帝王に次ぐものなり。 帝王は老上と称す。 中老は大老に次ぎ、 少老は中老に次ぐものとす。 その叙任の順序は、  老上欠くるときは、 大老進みてその位につき、 大老の座は中老中の寿第一の者これを占め、 中老の欠員は少老中の寿第一の者これを補い、 少老の欠員は県老中、 寿第一の者これを補い、 漸々相補いて村老に至る規則なれば、 老上の更代あるごとに、 村老までの更代を引き起こすに至る。 そのほか中央政府ならびに地方庁の官吏は、 その数幾千万となくあれども、 これ必ずしも一国中の長寿の順序によるにあらず。  ただ、 同役中にては幾人ありても、 みな寿によりて席次を定むるなり。」

 想像子曰く、「もし同年齢のもの数名あるときは、 いかにして席次を定むるや。」曰く、「この国にては、 人の生まるるときは、 何日何時何分までの時刻を定めて戸籍に登載する規則なれば、 同日出生のときには時の前後によりて次第し、 同時なれば分の前後によりて次第する故、 席次を定むるに混雑を生ずることなし。 もし多人数一所に会して、 その中に同日同時同分の出生者を見るときは、 その席中の長寿第一のものの専断に任せて席次を定むるなり。」想像子問いて曰く、「もし、 人と相会してその年齢を知らざるときは、  いかにしてしかるべきや。」曰く、「人に遇えば必ず、 まずその寿を問うをもって礼とす。 もし、 他人その間に立ちて紹介するときは、 その姓名とともに双方の寿を通ずるなり。」

 また問う、「男女の間にも長寿の順を用うるや。」曰く、「いな。 男と女とは全くその階級を異にし、 男は上にして女は下なり。  ゆえに、  女中の長寿第一の者と男中の幼稚第一の者とを列するに、 女は男の下に立たるべからず。  かつこの国の風習、 男女はひとり階級を異にするのみならず全く交際を異にし、 男女同席に相会するがごとき場合は、 絶えて見ざるところなり。  ゆえに、 男子は己の母と妻とのほかに女子に接することなく、 途上に女子に遇うも戸内に女子を見るも、 その間に互いに談話揖礼するがごときは、 固く禁ずるところなり。」また問う、「母と子との関係はいかん。」曰く、「母はその子男子なれば、 必ずその下に立ちてその命を奉ぜざるをえず。」

  想像子曰く、「男権あまり強に過ぐるがごとし。」彼曰く、「自然の勢いここに至りしなり。 今これを歴史について案ずるに、 古代は多少女子に権力ありて、 男女の間に交際ありしも、 自然弊風のその間に起こるありて、 男女の道徳大いに乱るるに至れり。 しかるに、 いったんその弊を矯正せんと欲して男女の交際を懸隔してより、 女権次第に収縮し男権ようやく拡張し、  これと同時に男子の品行はじめて方正を得、  女子もまた貞節を全うするに至れり。 今日にありて男女ともにその行の美なるは、 全く両者の間に言語、 交際を絶ちたるによる。」

 想像子また問う、「この国の面積および人口いかん。」曰く、「人口大数五百億人、 面積大約三百億方離なり。」その一離は、 人の通常の歩行にて一時間に達し得べき距離なれば、  およそわが一里に当たる。「その開闢以来の年数いかん。」曰く、「おおよそ一百億日と称す。  つまびらかならず。」「これを年数に変ずればいかん。」曰く、「三千万年余なり。」想像子これを聞きて、 愕然として曰く、「その歴年といい、 その面積といい、 その人口といい、 実に無数無涯なり。  この無涯の土地、 この無数の人口を、  一政府にて管轄するや。」曰く、「しかり。この世界には、 ただ一大帝国あるのみ、  一大政府あるのみ。」

 「よく一政府にて総轄し得るや。」曰く、「この国は政府の権勢雷電より強く、 帝王の威力天神より重きをもって、 よくその下に無数の人民を圧伏し得るなり。  これを圧伏鎮定するために、  二億の兵隊と五千万の巡査を常置す。  これ全く国民鎖伏の器械なり。  しかれども、 古代は帝王政府の威権、 今日のごとくはなはだしからざりしが、 当時、 人民常に動揺して国安を害せしをもって、  これを圧抑せんとする勢い自然に政府の威権加わりて、 今日のはなはだしきに至れり。  ゆえに、 今日国家の平穏無事なるは、 全く圧束抑制の功力なり。 圧制も政治上には実に必要のものならずや。」

 想像子、 またその言に驚きて曰く、「長寿と国勢は余がともに欲するところなれども、  おもうに余が永住すべき地にあらず。 願わくは、 長寿を得るの法を聞きて帰らん。」彼曰く、「この国も上古は人みな極めて短命なりしが、 政体、 国風一変して老人尊崇の規則を制定してより、 世の進むに従い人みな長寿を得んことを願い、 摂生養身の術を尽くし、 人寿次第に長じて今日のごときに至れり。 今後、 なおこの国風を永続するにおいては、 将来長命不死の境に達するの日あらんこと必然なり。 貴国もし長寿国とならんと欲せば、 まずよろしく老人尊崇の規則を制定すべし。」

 想像子問いて曰く、「今よりその規則を制定するときは、 幾年の後に千歳の長寿を得るに至らんや。」曰く、「貴国にては当時、 寿命平均幾日なるや。」曰く、「昔日は人寿五十年と定めしも、 当時は三十五年くらいなり。三十五年はすなわち、  およそ一万二千七百八十日なり。」曰く、「この寿命はわが国の歴史に考うるに、 今を去ること七十億日のいにしえなり。  ゆえに、 貴国は今より七十億日の後に至りて、  わが国と同一の寿を得るに至るべし。  七十億日はすなわち大数二千万年なり。」

 想像子これを聞きて、 また大いに驚きて曰く、「その法は実に良法なりといえども、  わが世界に実行すること難し。  かつ、 われ老人の圧制を受くることを欲せず。  おもうに、  これいまだ余が願うところの極楽界にあらず。知らず、 いずれの所にか極楽界あらん」と。 別れを告げて去る。




   第五回 理学界に遊ぶ


 想像子、 老人国を去り、 東飛西揚して極楽界を天界中に探る。 はるかにこれを望むに、  一星のその状態仙境に類するを見、 くだりてその地にとどまる。 仰ぎて天をみれば、 人、  鷲車に駕して空中を飛び、 俯して海をのぞめば、 人、 鯨船に乗じて波上を走るを見る。 鷲車は車を群鷲の背に作り、  これをしてその車を空中に負わしむるものなり。 あたかも軽気球に駕するがごとし。 鯨船は船を大鯨の尾につなぎ、 これをしてその船を波上に引かしむるものなり。 あたかも汽船に乗ずるがごとし。 顧みて四面をみれば、 高山の絶頂、 巨沢の深底、 大湖の中央等に、 広大宏壮の建築あり器械あり。 そのなんの用たるを知らずといえども、 実に一目して異境なるを知る。

 すでにして想像子、 途上一異人に遇う。  その面貌老士に似たりといえども、 身体矮小にして童子のごとし。  ただ、 頭部の闊大にして常人の比にあらざるを見る。まず帽を脱して、「この地は何国なるや」を問う。 異人曰く、「理学世界なり。」あえて問う、「この世界の政体いかん。」曰く、「この地政府なし、 あに政体あらんや。」「政府なくして、 いかにして人民を統御するや。」曰く、「政府の代わりに学校の組織あり。 小学、 中学、 大学これなり。 小学は一村一町の教育のほかに政務を管理し、 中学は一郡一県の教育政治を主宰し、 大学は一国一天下の教育政治を統轄し、 教官は職員を兼ね、 職員は教官を兼ね、 政治教育一致の主義をとるものなり。」

 あえて問う、「その政教の組織いかん。」曰く、「学校のほかに政府なきをもって、 学校の組織すなわち政教の組織なり。 小学は下等の教育を施す所にして、 その課程一千日とし、 中学は普通教育を施す所にして、 その課程また一千日なり。  これを上下両級に分かち、 各一千日とす。 大学は専門普通、 専門高等、 専門実地の三科に分かれ、 普通科は課程五百日、 高等科は一千日、 実地科はまた一千日、 総じて二千五百日とす。 修学者ここに入りてその業をおうるときは、 課程に応じて学位を得るなり。  学位に上下の二等あり。 下位に進士、 通士の二級あり、上位に汎士、 深士、 明士の三級あり。 中学下級卒業の者は進士の位を得、 中学上級卒業の者は通士の位を得、 専門普通卒業の者は汎士の位を得、 専門高等卒業の者は深士の位を得、 専門実地卒業の者は明士の位を得るなり。

 学位のほかに学官の制あり。  学官に四等あり、 学老、  学長、 学頭、 学員これなり。 学老、 学長、 学頭の三等は、  おのおのこれを大中小の三級に分かつ。 大学老、 中学老、 小学老の類これなり。  これを学位に配するに、  学老は明士に限り、 学長は深士以上、 学頭中、大学頭は汎士以上、 中学頭は通士以上、 小学頭は進士以上の人に限りて就職することを許す。 学員は学位の有無に関せず就職することを得。 ただし、 小学卒業以上なり。 学官の総長は大学老にして、 大学老は一名をもって限りとす。  これを学上と尊称し、  すなわちこの国土の君主なり。 学上の候補者は中学老にして、 中学老は学上を選挙し、 また学上に選挙せらるるの両権を有す。 小学老は中学老の候補者にして、  これまた選挙、 被選挙の両権を有す。  学長、 学頭の叙任は学老の会議によりて決す。 この会を学老会という。 大学老はその会長なり。 小学の教員は学員および学頭の任にして、 小学校長は学頭もしくは小学長の任なり。 中学の教員は大学頭および学長の任にして、 中学校長は大学長もしくは小学老の任なり。 大学の教員は学長および学老に限り、 大学校長はすなわち大学老なり。 しかして、 教官のほかに別に職員、 事務員なきをもって、 教員はすなわち事務を兼任し、 校長はすなわち事務長なり。」

 想像子問いて曰く、「女子も教員に加わることを得るや。」曰く、「この国の風習にては男女同等同権にして、さらにその別を立てず。 教員はもちろん、 校長、 大学老たりともその資格に合すれば、 男子同様に就職することを得るなり。」また問う、「しからば、 女子の教育法も男子と同一なるや。」曰く、「もとよりしかり。  女子は男子と同じく小学より中学、 大学に漸進し、 その得るところの学位も男子と同一なり。」また問う、「大学専門科は法学科、 文学科、 理学科等より成るか。」曰く、「この国には政府なし、 あに法律あらんや。 法律なし、 あに法学科あらんや。  ゆえに、 大学も中学も小学もただ理学科あるのみ。 小学にては理学一般に関する大意を教授し、 中学にては理学中の一学、 例えば物理学のごとき一学科全体にわたる普通を教授し、 専門普通科にては、 例えば物理学中の一部、  すなわち光学もしくは音楽もしくは電学の一部全体に関する普通を教授し、 専門高等科にては光学中の一部もしくは音学中の一部を教授し、 実地科にてはまたその一部中の一部を実修するの学制なり。」

 想像子曰く、「もし法律なきときは、  いかにして人民の訴訟を裁判するや。」曰く、「この国の人民はみな学者なることを知らざるべからず。  人民みな学者なれば、 無学社会の人民のごとき俗事の争論、 訴訟等あることなし。 ただ、  その争論は学理上の争論にして、 訴訟は学理上の訴訟なり。  ゆえにこれを裁判するには、 学理上の天則に照らして是非の判決を与うるのみ。  さきに述べたるこの国の政治とは、 この学理上の争論を判定し、 問題を解釈するをいうなり。 決して無学世界の政治と同一視すべからず。」

 「しからば、この国にては天然の法則のほかに、 別に一種の人為法なきか。」曰く、「無学世界に用うるがごとき人為の法律なし。 ただ、  学科の制度のごとき学事に関することは、 衆議に付して定むることあり。」「しからば、この国にては罪人、 悪徒なきか。」曰く、「人民みな学理に明らかにして是非善悪を弁別し、 また悪を去りて善につく意力あるをもって、 決して罪悪に陥ることなし。」

 また問う、「しからば、 この国の人民は下等に至るまで、  みなことごとく博学なるか。」曰く、「この国の学制にては、 人たるもの必ず学科を卒業するを要するも、 中学、 大学に入るは人々の好みに任すれば、 下等人民に至るまでことごとく博学なりというべからず。 しかれども、 その小学の課程を無学世界の課程に比するに、 大学以上に位するものなり。  かつ、 是非善悪を弁別するがごとき知力は、 父祖数万世間の遺伝によりて、 人々生まれながらこれを有するをもって、 別に学校において教訓するを要せず。 ゆえにこの国の人民は、 生まれながら無学世界の中学以上の学者なることを知らざるべからず。」

 また問う、「この国は建国以来、 政府なく法律なく訴訟なきか。」曰く、「この国の歴史は古代、 中代、 近代に分かち、 古代を無学世界といい、 近代を有学世界という。 無学世界のときには、 政府あり、 法律あり、 訴訟あり、 騒乱あり、 革命あり、 罪人あり、 悪徒ありしが、 種々経験の末、 はじめて世の治まらざるは人の学理に暗きによることを発見し、 無学世界を変じて有学世界になさんとする議起こり、 第一に学制を変更して一般の教育を策励し、 第二に学者を尊崇して上位に置く国風を養成し、 次第に進みて法律を寛にし政治を簡にし、  ついに政府そのものを廃するに至れり。  この議の初めて起こりしより、 全く政府を廃するに至るまでの間を中代と称す。  すでに政府を廃してより今日に至るまで数百世を経たりといえども、 国内一日の不寧なく一人の悪徒なく、 誠に平穏無事、 安楽幸福の天界なり。 ああ、  これ学問奨励の結果にあらずしてなんぞや。」

 あえて問う、「古代、 中代、 近代の年歴いかん。」曰く、「古代は五百八世、 中代は百二十三世、 近代は二百五十六世、 合計八百八十七世なり。」また問う、「幾年をもって一世とするや。」曰く、「この国の風習にて、 十日を一巡とし、  百日を一周とし、 百日の百倍すなわち一万日を一期とし、  一万日の一万倍すなわち一億日を一世とし、一億日の一億倍すなわち一兆日を劫とし、  一兆日の一兆倍これを宙とす」また問う、「もし、 三百六十五日を一年として算するときは、 一世は幾年に当たるや。」曰く、「およそ二十七万四千年に当たる。 しからば、 古代はおよそ一億三千九百万年、 中代はおよそ三千四百万年、 近代はおよそ七千万年、 合計大数二億四千万年なり。」ときに想像子の驚き一方ならず。

 彼これを見て曰く、「子、 驚くことなかれ。  これ実に短歳月なり。 古代、 中代、 近代、 これを総じて有史世界と称す。 その前を無史世界という。 無史世界の間を推測して、  およそ五万世と定む。  これ人類世界なり。 人類世界の前に動物世界あり、 動物世界の前に植物世界あり、 植物世界の前に物質世界あり。 動物世界はおよそ一劫、植物世界は百劫と臆定すれども、 その実年月、 永遠に知るべからず。 物質世界はその久しき、 幾劫、 幾宙の間なるを知らず。 けだし、 無劫の劫、 無宙の宙、 無限無始ならん。」

 想像子これを聞きて、 愕然仰嘆して一語なかりき。 しばらくありて曰く、「あえて問う、 国土の大いかん。」曰 く、「この国は人の昼夜兼行して達し得べき距離を一程と称し、  一程四方を一方と称し、 百方を一広と称し、 一万広を一大と称し、  一億大を一極と称す。 すなわち、  この国土は二十三万五千極ありという。 実に無辺の大なり、 無涯の極なり。  これに住する人類はわずかに一万億に満たずといえども、 陸には飛鳥走獣あり、 水には鱗属介類あり、 そのほか草木土石、 山川日月、 森羅の諸象目前に充満す。 我人、 日夜これと交わりこれと遊ぶ。 これみな、  わが同類なり。 もしその同類を合算すれば、  その類幾億万あるを知らず。 実に無数の数、 無量の量なり。」

 想像子嘆じて曰く、「幸いなるかな、 この国の人民や。 永遠無限の世界に生まれ、 広大無辺の土地に住し、 無数の生物と交わり、 無量の諸象に接し、 政府なく法律なく、 悪徒なく騒乱なく、 平穏無事に歳月を送り、 安楽幸福に生涯を渡る。 宇宙際涯なしといえども、 いずれの所にかかくのごとき楽土あらんや。 これ、 まことにこの世の極楽界なり。 余、 かくのごとき世界に遊ばんことを願うや久し。 今にして、 はじめてここに至る。 余、 まさに永住せんとす。 あえて問う、「この地の寿命平均幾年なるや」。」曰く、「この地は一期をもって人寿とす。 ほとんど長短なし。  一期はすなわち一万日にして、  およそ二十七年半なり。」

 想像子、 またその短命に驚きて曰く、「わが郷国はかくのごとく久遠広大ならずといえども、 人寿はほとんどこの地に倍せり。」彼問いて曰く、「貴国は人寿幾日なるや。」曰く、「五十年すなわち一万八千二百五十日なり。」「人みな五十年の寿を得るや。」曰く、「あるいは一年にして死し、 あるいは十年にして死し、 あるいは二十、 あるいは三十にして死するものあるも、 その平均数三十五年にくだらず、  この地の人寿より多きこと七年半なり。」彼また曰く、「貴国の人は昼夜の別なく働作するか。」曰く、「いな。 夜は眠息に就き、 昼は職業に就く。」また問う、「貴国の人は幾歳にして一個の成人となるや。」曰く、「平均十五歳なり。」また問う、「天災、 病患によりて死するものありや。」曰く、「その数はなはだ多し。」

 彼、 これを聞きて曰く、「貴国の人寿とわが国の人寿をくらぶるときは、 貴国の方すこぶる短命なり。 まずこの国には、 人寿に長短なきことを知らざるべからず。 古代にありては著しき長短ありしといえども、 けだしその長短あるは、 理学のいまだ進歩せざりしによる。  理学進歩して寒暖晴雨、 衣食住みな、 その度に適しそのよろしきを得るに至れば、 人みなその寿を全うせざるべからず。  これ、 今日この国の実況なり。

 この国にては、  日暮るれば照闇灯を空中に点じて白昼と異ならず、 寒きときは暖天器を用いて大気を温め、 暑きときは冷空器を用いて気候を調節し、 雨その度に過ぐれば払雲器を用い、 風はなはだしきときは抜風器を用い、 地震には防震器、 雷電には排電器を用うるをもって、 昼夜寒暖の別なく、 烈風暴雨の恐れなく、 天災地変の憂いなし。 実に照闇灯、 暖天器、 冷空器、 払雲器、 抜風器、 防震器、 排電器は近代の大発明にして、 その器械たる壮大を極め、 中代以上の人の夢にも知らざるところのものなり。  これ、 全く理学進歩の結果なることを喜ばざるべからず。  これに加うるに医学また進歩し、 近代の初世までは内外両科の別ありしも、 今日は外科のみとなり、 身体の内部いずれの所なりとも外科の治療の及ばざる所なきに至り、 全く世間に不治の病なく、 ほとんど人の病根を絶つに至れり。 以上は器械上の進歩よりきたるところのものなり。  これに伴いて人の知力の発達より摂生養身に注意し、 病を未発に防ぎ、 飲食、 働作の適度を失わざることを得るに至れり。

 これをもって、 人はみなその天然に受くるところの命寿を全うして死す。  これ、  この国に人寿の長短なきゆえんなり。 人寿一万日なれば、 あるいは一万十日にして死し、 あるいは九千九百八十日にして死するがごとき、二、 三十日の長短あるも、 その差五百日に出ずることなし。  かつ、 この国の人民は昼夜働作し、 毎夜睡眠に就くことなく、 毎日飲食することなきを知らざるべからず。 近代の初世にありては、 毎夜眠りに就き、 毎日三回食をとること通則なりしが、 学理の進歩より、 かくのごとき規則は全く習慣より生じたることを知り、 これより漸々習慣を変じて、  一日に一食、 二日に一食、 三日に一食と次第に度数を減ずるときは、 身体の構造機能もこれに従いて変じ、  数世の後には百日に一食、 千日に一食にて生を支うるに足るに至るべし。 眠息もまたしかり。  これより二日に一眠、 三日に一眠、 五日に一眠と次第にその度数を減じて進むときは、 数世の後に千日に一眠、 万日に一眠にて足るに至るべし。 近代の初世よりこの説に従いて漸減法を用い、  二百余世を経て今日に至り、  一周すなわち百日に一食、  一期すなわち万日に一眠の割合にて足るに至れり。 しかるに、 眠は一時の死なり、 死は永久の眠なり。  ゆえに、一期間の眠はすなわち死にして、  この国の人民は一生涯に眠息することなきなり。これを一生無眠の世界という。 我人はまさしくこの無眠世界にあるものなり。

 そのほかこの地の人民は、 その発達の非常に速やかなることを知らざるべからず。 生まれて満一千日にして小学に入り、  二千日にして中学に入り、 三千日にして大学に入り、 その全三科をことごとく卒業するは満五千五百日のときなり。 六千日に至りて結婚するを一般の規則とす。 六千日はすなわち十六年半に当たる。 ともに夫婦同居するは四千日間すなわち十一年間なり。  そのうち、 生まれて一千日以内を幼児と呼び、  一千日以上二千日以内を童子と呼び、  二千日以上を成人と呼ぶ。  すなわち小学卒業すれば、 思量分別を有する一個の成年となるなり。

 以上述ぶるところ、  これを貴国の上に考うるに、 いずれが長寿なるや容易に判知すべし。 貴国は三十五年を定寿とするも、 十五歳以下はいまだ思分別を有せざる未成人なれば、 成人以後の一生はわずかに二十年間なり。この二十年間の一半は眠息に費やすをもって死すると同様なれば、 生活の間はわずかに十年の短歳月に過ぎず。 その十年間に、 あるいは飲食し、 あるいは病臥して休息をとるとするときは、 その休息の時間を察するに、 少なくとも生活時間の一半を費やすこと必せり。 しかるときは、  一生涯働作の時間は、 十年の一半すなわち五年に過ぎず。 実に短歳月中の短歳月といわざるべからず。

 これに反してわが国は二十七年半の定寿なれども、 その間眠息なく病臥なく、 ただ百日に一回食事をとるのみ。  かつ、 生まれて一千日を経れば成人となるをもって、 成人以後の生涯は九千日なり。  その九千日間の食事の度数は九十回にして、  これを仮に三十回の時間は一日に相当するものと定めて算するときは、 九十回は三日なり。 これを九千日より減ずるときは、 八千九百九十七日となる。 その日数はすなわち二十四年半余に当たる。 これ、この国の一生涯働作の時間なり。  これを貴国の五年間の生涯に比すれば、 まさしく五倍なり。  ゆえに知るべし、  この国の人寿は貴国の五倍なることを。  いずくんぞこれを短寿といいて斥するを得んや。」

 想像子曰く、「この論には余も感服の至り、  一言のくちばしをいるるべきところなし。 しかれども余が願うところは、 長寿不死の国に遊ばんとするにあり。  この国の人寿はわが人寿に五倍すというも、 長寿不死にあらず。理学なにほど進歩するも、  人をして不死ならしむることあたわざるか。」彼曰く、「もし不死を願わば、 むしろ生まれざるにしかず。 いやしくも生まるれば必ず死ある。  これ天の数なり。 人力のよく動かすべきにあらず。  ゆえに、  理学なにほど進歩するも、 不死の世界を作ることあたわず。  ただ、  理学の進歩は天災を防ぎ病患を除き、 不覚の時間を減じて知覚の時間を増し、 不快の心象を去りて愉快の心象を与え、 人をしてことごとく天寿を全うせしむるにあるのみ。」

 想像子曰く、「しからば、 余はこの国に永住するの念を絶ちて、 早く故国に帰らん」と。  一別を告げて去る。

 



   第六回 哲学界に遊ぶ


 想像子、  理学界を去りて故国に帰らんとするも、 故国はいずれの辺りにあるを知らず。  かつ思うに、 天界必ず不死の国あるべし。 余、 あにむなしく故国に帰ることをせんや。 願わくは不死の国に一遊して、  その事情を郷国の人に告げん。  しかれども、 天界広く大なり。 行かんと欲するも行く所を知らず、 去らんと欲するも去る所を知らず。 鵬天に逍遥して雲路に迷い、 無限の時間にかかり無涯の空間に動き、 蒼々茫々の間に翩々として舞い飄々として浮かびけるに、 たちまち一仙士の忽然として空中に出現するを見る。  そのいずれの所より来たりしを知らず。 遠くこれを望むに、 影のごとく気のごとし。 近くこれをみるに、 尊容巍々として凡人にあらず。 まことに天上界の仙士の相あり。

 すでにして仙士、 想像子に向かいて問いて曰く、「汝、 なんのために、 この無限の限、 無涯の涯の間に来たりしや。」想像子曰く、「余、 不死国を探らんがためにここに来たれるなり。」仙士曰く、「不死国はすなわちこの天界なり、 不死人はすなわちわれなり。」想像子曰く、「これ天空なり、 国土にあらず。 いずくんぞこれを不死国というを得んや。」

 曰く、「不死国は一定の国土なく一定の方位なく、 上下にわたりて際涯なく、 古今を貫きて窮極なく、 宇宙をもって国とし、 万界をもって家とし、 空間をもって礎とし、 時間をもって柱とし、 方位なきをもって方位とし、国土なきをもって国土とす。  これ、 不死国の不死国たるゆえんなり。 もし、 不死国にして一定の方位あり一定の国土あるときは、  これ死国なり。 死国は必ず一定の方位あり。  一定の方位あれば必ず一定の国土あり、  一定の国土あれば必ず盛衰存亡の変化あり。 国土にして存亡あり、 社会にして盛衰あるときは、 その人民また、 もとより生死を免れず。  これ実に宇宙の大法なり。 今、 わが国の一定の方位なきは、  すなわちその不死国たるゆえんなり。」

 あえて問う、「この不死国には政府あり法律ありや。」曰く、「国土にして政府、 法律等あるは、 死国に限る。不死国の知るところにあらず。」また問う、「社会に貴賤貧富の等差ありや。」曰く、「これまた死国の事情なり。不死国の社会には貴賤の等なく貧富の別なし。」また問う、「財産に私有公有の別ありや。」曰く、「この界の人民はみな宇宙をもって財産とす。 あに私有公有の別あらんや。 もし、  これを私有とすればすなわち私有、  これを公有とすればすなわち公有なり。」

 また問う、「この界には学校教育の設ありや。」曰く、「この界の人民は教育を受けず学問を修めざるも、 自ら万理に通じ諸法に明らかに、 知徳円満完備せるをもって、 学校の設あることなし。」また問う、「男女老少の別ありや。」曰く、「この世界は人寿不死なれば、  老少の別なく、 また男女の別なし。」また問う、「なにをもって男女の別なきや。」曰く、「世に男女の別あるは、 人に死あるによる。 人もし死なきときは、 子孫を生殖することを要せず。 子孫の生殖を要せざるときは、 男女なんの用あらんや。」

 また問う、「この地に昼夜寒暖の別ありや。」曰く、「昼夜なく寒暖なく、  四時歳月の別なし。」また問う、「眠食ありや。」曰く、「眠なく食なし。」「なにをもって、 よく生活するや。」曰く、「人に眠食を要するは形体あるによる。  この界の人民形体なし、 あに眠食あらんや。」「しかるに形体なきものを、  われ今見ることを得るはなんぞや。」曰く、「形体なきものは肉眼をもって見るべからず。 しかれども心眼をもってみるべし。 子は今、 心眼をもってみるなり。」

 また問う、「この世界には快楽苦痛の感覚ありや。」曰く、「すでに形体なし、 あに感覚上の苦楽あらんや。 しかれども、 精神あるをもって精神上の歓楽あり。」「天災病患の有無いかん。」曰く、「天災病患あるは有形世界のことのみ。  この世界は無形世界なり、 精神世界なり。 病魔もおかすべからず、 天災も近づくべからず。」

 想像子、 ときに疑いを起こして曰く、「形体上の病患なきも、 精神上の病患あるべし。  果たして精神上の病患なきや。」曰く、「形体上の病患なきときは、 決して精神上の病患あるべからず。」「なにをもってこれを言うや。」曰く、「精神上に病患苦痛あるは有形世界の事情にして、 有形世界にありては、 形体上生ずるところの病患苦痛流れて精神中に入り、 精神上の病患苦痛を醸し、 またその精神は形体と連結するをもって形体を保存せんと欲して、 かえって精神の病患を起こすことあり。 しかれども、 その病患苦痛はみな形体の関係より生ずるものなれば、 精神いったんその形体を離るるときは、 あにまた病患苦痛あらんや。  かつ、 わがいわゆる精神の歓楽は、 全く有形世界の歓楽と異なることを知らざるべからず。 有形世界の歓楽は形体上精神上の別なく、 みな苦痛に対比して起こるところのものにして、 その実苦痛なり。 その実苦痛なるも、 これを苦痛の苦痛に対比すれば歓楽なり。  ゆえに、  この種の苦楽を相対の苦楽という。 今、  わが精神世界の歓楽はこれに対する苦痛なきをもって、  これを絶対の歓楽とす。  ゆえにその楽は、 形体より生ずる楽にあらず、 形体を離れて存する楽なり、 苦痛に対して生ずる楽にあらず、 苦楽を離れて存する楽なり。  これ真の歓楽なればこれを一名真楽といい、  これに対して相対の楽を仮楽というなり。」

 想像子曰く、「余、 ここに一点の疑いあり。 歓楽すでに絶対に達すれば、 不苦不楽ならざるべからず。 なんぞこれを単に歓楽というを得んや。 もしこれを歓楽とするときは、 絶対の苦痛またなかるべからず。 絶対の歓楽あり絶対の苦痛ありとするときは、 精神界にもまた苦楽の別ありといわざるべからず。」

 曰く、「その言、 誠にしかり。 精神世界は歓楽の世界にあらず、 不苦不楽の世界なり。 しかるにこれを歓楽の世界というは、 有形世界の形容に過ぎず。  その形容をかりたるゆえんは、 有形世界の人に示さんと欲してなり。 そもそも精神世界の歓楽は実に不苦不楽にして、 有形世界の歓楽の比にあらず。  その味、 遠く言語想像の外にありといえども、 有形世界にありていまだその楽情を知らざるものにいたりては、  これを知るに由なし。  ゆえに、 仮に相対的歓楽の語を用うるなり。 しかれども、  その語たるや有形界の語にして、 精神界の不苦不楽の実情の万一を示すあたわざるや明らかなり。 なお、 生来の盲者には色の真情を告ぐることあたわざるがごとし。 またこれと同時に、 有形世界の歓楽は真の歓楽にあらずして、 苦楽相対して仮に楽を現すことを記せざるべからず。 あたかも月夜に樹影を認めて明闇を判ずるがごとし。  その明は真の明にあらず、  一朝太陽の天に現ずるに至らば、 その明もまた闇なるを知るべし。 しかれども夜中に生長したるものは、 その明のほかに別に明なきの見を脱することあたわざれば、 日光のごときは彼らの想像の遠く及ぶところにあらず。 精神界もこれと同一理にして、 その歓楽は有形界の歓楽と同一の比にあらず。  ゆえに、 これを歓楽というも、 歓楽全くその種を異にすることを知らざるべからず。  かつそれ有形界は苦も苦なり楽も苦なれば、  これを絶対の苦界というも可ならんか。  これに対するときは、 無形界は絶対の楽界なり。 しかれども、 その真味実情は絶対の楽界に入るにあらざれば、  いずくんぞ知ることを得んや。 もし汝、 絶対の楽味を知らんと欲せば、 よろしく有形界を脱離してこの界の部類に入るべし。」ときに想像子、 仰ぎて驚き、 俯して嘆じて曰く、「これ、 真に無比の極楽界なり、 最上の自由境なり。 余、  この世界を知らずして、 迷いて今日に至れり。 なんぞ早くここに来たらざりしや。 ああ、  この界は余は久しく祈願して来生せんと欲せし世界なり。 ああ、 この土は余が長く渇望して永住せんと欲せし国土なり。 しかして、 余が今日までその目的を達することあたわざりしは、 有形界のほかに無形界あることを知らず、 相対的歓楽のほかに絶対的歓楽あることを知らざりしによる。 余、  ひとたび郷国を去りてより、 第一回には共和界に遊び、 第二回には商法界に遊び、 第三回には女子界に遊び、 第四回には老人界に遊び、 第五回には理学界に遊び、 第六回に初めてこの界に至れり。 共和界にてはいまだ政府の圧制を免れず、 商法界にてはいまだ運命の圧制を免れず、 女子界にては女子の圧制あり、 老人界にては老人の圧制あり、  理学界にては学者の圧制あり。 これみな自由の境にあらず。 共和界も商法界も女子界も老人界も理学界も、 あるいは刑罰の苦あり、 あるいは貧賤の苦あり、 あるいは衣服の苦あり、 あるいは妻子の苦あり、 あるいは病患の苦あり、 あるいは生死の苦あり。  これ、 なんぞ歓楽の界ならんや。  しかるにひとりこの界に至りては、 政府なく、 法律なく、 騒乱なく、 財産なく、 妻子なく、 病患なく、天災なく、 昼夜なく、  四時なく、 生死なく、 衣食を要せず、 住居を要せず、 教育を要せず、 実に最楽自在の天界なり。 ああ、 世間この楽土あることを知らずして、 苦中に出没し、 迷裏に浮沈するもの多し。 誠に哀れむべし。同じく宇宙の間に生じ、 同じく万界の上に長じ、 限りなき時間にかかり、  かぎりなき空間に動き、 終身汲々として苦海の水を飲み、  一生恍々として楽園の花を見ず。 天下みなしかり、 なんぞそれ、 迷うことのはなはだしきや。 しかるに幸いなるかな、 余が一生、 今この楽土に遊ぶことを得たり。  この好機失うべからず。 余、 願わくはここに永住せん。」これを仙士にはかる。

 仙士曰く、「われ、 汝のいずれの国土よりここに来たりしを知る。 汝は地球上の人民なり。」想像子驚きて曰く、「士、 いかにしてこれを知るや。」曰く、「われに智眼あり。  この界に住するものは、  みなこの智眼を有す。 その眼によりてみるときは、 過去、 未来、 八方、  上下を貫きて知ることを得べし。」想像子曰く、「余にその眼なきはいかん。」曰く、「汝にはいまだ、 この界に住する因縁熟せざればなり。」「いかにしてその因縁熟すべきや。」曰く、「有形界にありて、 よくその義務を全うし、 しかして後ここに至るべきなり。」「その義務とはいかん。」

 曰く、「有形界の義務なり。  上に政府あれば政府に対する義務あり、 君主あれば君主に対する義務あり、 内に父母あれば父母に対する義務あり、 妻子あれば妻子に対する義務あり、 朋友あれば朋友の義務あり、 社会あれば社会の義務あり、 国家の義務あり、 祖先の義務あり、 万物の義務あり、 天地の義務あり、 自己の身体に対する義務あり。  この義務を全うして、 はじめて精神世界の永楽を占領すべし。 汝ひとたび本土に帰りて、 早くその義務を尽くし、 再びこの界に来たらんこと、 われが深く望むところなり。 汝、 われを知るや。  われも一時、 汝の本土にありしことあり。」

 想像子これを聞きて、 信ぜずして曰く、「士はその名をなんというや。」曰く、「われはインド国に降誕せし釈迦牟尼なり。」想像子、 驚くことはなはだし。 しかして曰く、「余はただ天上界の一仙士なりと信ぜしに、 なんぞ計らん、 その体わが本土の釈迦牟尼仏なるを。 余、 本土にありて久しくその名を聞きてその徳を慕い、 その書を見てその智に感じ、 他生にありてひとたびその光を拝せんことを望むや久し。 今にしてその面前にひざまずき、眉光に接することを得たる、 なんの喜びかこれにしかん。」

 仰ぎて尊容を拝するに、 忽然、 仏の両側に三聖人ありて現立するを見る。 問いて曰く、「これみな仏の分身なりや。」曰く、「わが左に現ぜしはシナ国の孔夫子なり、 わが右に現ぜしは、 その一はギリシア国の老儒ソクラテス、 その一はドイツ国の碩学カントなり。」

 想像子、 歓喜満身にあふれ、 仰嘆敬服して曰く、「これ、 まさしく余が年来、 尊崇欽慕せる四聖なり。 いかなる好縁によりてここに相面することを得たるや、 実に余が畢生の幸いなり。 なんの栄かこれにしかん。 余、 いずれの日に死するもまた余念を残さず。 請う、 速やかに本土に帰りて人生の義務を全うし、 再びこの界に来たるべし。」三拝九拝して去らんとせしに、

 釈迦牟尼曰く、「われ、 汝に依嘱することあり。  われ、 かつて汝の本土にありて法を説き、 不生不滅の涅槃界あることを示したるに、 その後の衆生、 生死の義務を尽くさずして、 ただちに涅槃界に至らんことを願うものあり。 これ、いわゆる因なくして果を求むるもの。いずくんぞその目的を達するを得んや。 実に汝の世界は苦界なり。 しかれども、 その苦はすなわち楽界に達する道なり。 請う、 汝記せよ、 苦は楽岸に達する船なることを。いやしくも涅槃界に生ぜんとする志あるものは、 勇猛精進を守り、決して懈怠すべからず。 汝もし本土に帰らば、請う、われに代わりて衆に告げよ。」

 孔夫子もまた曰く、「われ、 汝の本土にありしとき、 世道人心の治まらざるを見て、 修身斉家の道を講じ、 仁義道徳の大本を説きしが、 その後、 人民私利に走り小欲に汲々として、 大道を忘るるに至れり。  これ、 実に道徳の罪人なり。 汝、 わがために記憶せよ、 道徳の家には幸福の園池あることを。 人、 もし幸福の園池に遊ばんと欲せば、 必ず道徳の家に入るべし。 汝、もしその土に帰らば、 必ずわれに代わりて、 この言を衆人に伝えよ。」

 瑣夫子〔ソクラテス〕また曰く、「われ、 汝の世界にありしとき、 時弊を矯生せんと欲し、 知徳の本体を明らかにして、  これを研脩するの必要を説けり。 汝、 よろしくわがためにその道を広むべし。」

 韓夫子〔カント〕、 終わりに一言して曰く、「われ、 世の学者の論みな一方に偏する弊あるを見て、  これを総合対照し、 中正完全の哲学を起こせり。 汝、 よろしくわが志を継ぎて、 今日の学弊を矯正すべし。」

 想像子、  一跪一拝して曰く、「余、 不肖あえてその責に当たるあたわずといえども、 余が力の許す限り、 必ず尽くすところあるべし」と言い終わりて、 仰ぎてこれをみれば、  四聖の尊容忽然として消失せり。 想像子、 自らもまた消失したるがごとく覚えて目を開けば、 孤灯影暗くして、 その光まさに眠らんとするを見る。 炉火もまたその紅を失し、  四壁蕭然、 身は依然として一小室の内にあり。 想像子、 なお半覚半夢の間にありて、  そのいずれの所なるを知らず。

 すでにして水声の戸外にかかるを聞き、 はじめて山間の客舎にありて除夕を送ることを知る。 起きて時計を検すれば、 まさに一時を報ぜんとす。

 ああ、  二時間の久しき、 想像子の遊びは知らず、 果たして夢中の空想か想中の虚夢なるか。