2.真宗哲学序論

P179

  真宗哲学序論 

 

 

1. 冊数

   1冊

2. サイズ(タテ×ヨコ)

   187×127mm

3. ページ

   総数:189

   緒言: 3

   目次: 3

   資料: 16〔真宗各派本山他〕

   本文:166

4. 刊行年月日

   初版   明治25年5月5日

   底本:再版

        明治27年10月31日

5. 句読点

   なし

(巻頭)

6. その他

  (1) 底本は成田山仏教図書館所蔵本を用いた。

  (2) 「資料」(16ページ)は再版から加えられたものである。

  (3) 章のはじめに列記されていた節の見出しを,節ごとに配置するなどの変更を行った。

  (4) この本は『禅宗真宗二宗哲学大意』(四聖堂,明治34年2月27日)に再録され,その際に読点などの加筆訂正がなされたので,本書では同書を参考にした。

       緒  言

一 余はかつて『仏教活論』中に仏教諸宗はおのおのその長所あることを説けり。今この編は真宗の長所を説きたるものなれば、真宗をもって最勝完美の教となせり。もし他宗の長所に至りてこれをみれば、その宗また仏教中最上の教たるを知るべし。これ余が『顕正活論』各論において論明せんと欲するところなり。

一 余は『宗教新論』ならびに『仏教活論』において仏教と哲学との関係を論じて、仏教は哲学的宗教なりといいたるに、この編は仏教は宗教にして人智以上道理以外にわたるものなることを論じたれば、前後矛盾するところあるがごとしといえども、哲学上よりこれをみれば、仏教は徹頭徹尾哲理の応用にあらざるはなく、宗教上よりこれをみれば、全教ことごとく釈尊の啓示にあらざるはなく、表裏その見を異にするものなり。しかるに他書にては表面一方よりこれを論じ、この編にては表裏相対してこれを論じたるをもって、その論理に二様相反をみるに至れり。しかれどもその実、一様の道理なり。故にもし哲学上よりこれをみれば、そのいわゆる啓示もみな道理以内の理なるを知るべし。たとえば宗教は道理一方にて講究すべからざるものなりというも、絶対の本体は知識の知る限りにあらずというも、啓示は信ぜざるべからずというも、理外の理ありというも、これを証明するは一として論理によらざるはなし。いやしくも論理によれば道理以外の理も道理以内となり、人智以外の体も人智以内となり、その講究はみな哲学に属すべし。これこの編を『真宗哲学』と題するゆえんなり。

一 この編は余が『顕正活論』各論中真宗編を講述するに当たり論明せんと欲する意なりしも、すでに本編端緒論において一言せるごとく、目下一日も早く真宗の哲理を世人に示さざるを得ざる事情ありたれば、諸県巡回中各地において、あるいは公衆に対して演説し、あるいは質問に対して応答したるものを、日夜繁忙の中、寸閑をぬすみそうそう編成せるものなれば、定めて謬誤疎漏も多かるべしと信ず。

一 本書初版は明治二五年四月これを発行し、本年これを再版するに及び、真宗分派伝灯等をその前に加え、もって一覧に便にす。その目次、左〔前出〕のごとし。




   真宗各派本山および開祖

       一 本願寺派(末寺一〇四二七カ寺)

 本山は本願寺と称し、京都市下京区西六条堀川にあり。開山は見真大師すなわち親鸞聖人にして、聖人の滅後一一年すなわち文永九年季女覚信、孫如信と共に洛東大谷にこれを創立す。そののち諸方に移住せしも、天正一九年、今の堀川の地に移住せり。宗祖の伝記はのちに出だす。

       二 大谷派(末寺八八五四カ寺)

 本山はもと東本願寺と称し、京都市下京区常葉町にあり。その創立全く本願寺派に同じ。しかるに第一一世顕如上人三男あり。長を光寿といい、季を光昭という。文禄元年顕如没して光寿これをつぐ。同三年光寿故ありて退隠し、弟光昭これをつぐ。しかるに徳川家康、光寿をして復職せしめんとす。これにおいて慶長七年光寿更に東六条烏丸の地に一寺を創設す。これすなわち大谷派本願寺なり。光昭は本願寺第一二世准如にして、光寿は大谷派第一二世教如なり。

       三 高田派(末寺六二六カ寺)

 もと専修寺派という。明治一四年一一月改称して高田派という。本山は高田山専修寺と称し、伊勢国奄芸郡一身田村にあり。その初め嘉禄元年見真大師、下野国大内荘柳島すなわち芳賀郡高田に一寺を創建し、その弟子真仏にこれを譲る。真仏はその弟子顕智をしてこれにおらしむ。これを第三世とす。そののち第一〇世真慧は実に中興の祖にして、寛正元年本山を伊勢国一身田に移せり。これすなわち今の専修寺なり。開山真仏は承元三年常陸国真壁に生まれ、嘉禄元年春秋一七歳にして見真大師に従って得度し、後深草天皇正嘉二年三月八日に入寂す。大師にさきだつこと五年、寿五〇歳なり。

       四 仏光寺派(末寺三三七カ寺)

 本山は渋谷山仏光寺と称し、京都市下京区新開町にあり。見真大師建暦二年山科に一宇を建立して、これを真仏に付属す。ときにその名を興正寺と称す。第七世了源に至りて京都東山渋谷に移す。ときに元応二年なり。嘉暦二年五月勅命によりて興正寺の号を廃して阿弥陀仏光寺の額を賜る。天正一〇年豊臣秀吉故ありて寺基を五条坊門すなわち今の地に移す。

 第二祖真仏は後堀河天皇安貞元年一二月高祖大師の命によりて当寺に住職し、貞永元年七月一八日法席を源海に譲り、正嘉二年下野国芳賀郡高田にて入寂す。よろしく高田派の下を参見すべし。

       五 木部派(末寺五四カ寺)

 本山を錦織寺と称す。近江国野洲郡木部村にあり。もと天台宗にして慈覚大師の草創なりしが、見真大師これを真宗に改む。第三世に至るまで伝灯本願寺に同じ。第四世光玄(存覚)に至りて自ら一派をなす。開祖存覚は後円融天皇応安六年二月二七日寂す。寿八四。

       六 興正派(末寺二五二カ寺)

 本山を興正寺という。京都市下京区華園町にあり。仏光寺第一二世性善の長子経豪(蓮教)これを創し、仏光寺の旧号を用いて興正寺と称す。明治九年九月一五日別派独立本山となり、興正派と公称す。

       七 出雲路派(末寺四四カ寺)

 本山を出雲路山毫摂寺と称す。越前国今立郡清水頭村にあり。初め高祖六一歳のとき一宇を京都出雲路に創し、自画の影像と共に慈心房善鸞に伝えしが、五世善幸に至りて光明天皇暦応年中、今の地に移す。開祖善鸞は親鸞の第三男にして、後宇多天皇弘安元年三月二二日入寂す。寿七四。

       八 山元派(末寺一〇カ寺)

 本山を証誠寺と称す。越前国今立郡横越村にあり。本宗三世浄如、文永五年をもって丹生郡山元に創建す。後二条帝のとき証誠寺の号を賜い勅願所とし、明治一一年派名を公称す。開祖浄如は花園天皇応長元年九月五日寂す。寿七六。

       九 誠照寺派(末寺四四カ寺)

 本山を誠照寺という。越前国今立郡鯖江下深江町にあり。高祖大師の開基にして、これを二世道性に伝う。道性は大師の第五男にして、後宇多天皇弘安九年九月八日逝く。寿六四。

       一〇 三門徒派(末寺三〇カ寺)

 本山は専照寺と称す。越前国吉田郡福井にあり。高祖大師の開基にして、如導(または如道)実に一派の開祖なり。如導は光明天皇暦応三年八月一一日寂す。寿八八。

   真宗祖師略伝

       一 見真大師略伝

 釈親鸞、字善信、自ら愚禿と号す。姓は藤原氏。その先鎌足より出づ。父を日野有範という。母は源氏なり。承安三年四月一日生まる。幼名若松麻呂、叔父範綱のために養わる。八歳にして母の喪に会う。悲泣禁ずるあたわず、よって出塵の志あり。明年三月叡山青蓮院慈鎮の室に投じ、剃髪して範宴と名付け、天台の教相を学び、広く三観仏乗の理を探り、深く四教円融の義を極む。登壇受戒し、ついに聖光院の主となり、大僧都に補せらる。すでにして自ら感ずるところあり。建仁元年吉水に隠遁し、法然の弟子となり、名を綽空と改む、時に春秋二九歳。法然は浄土宗の開祖なり。親鸞のきたり投ずるをもって喜びてこれを上足第一となす。親鸞一日夢む。六角堂の観音、容顔端厳の僧形に現じて、四句の文を告げて曰く、「行者、宿報にてたとえ女犯せんに、われ玉女の身となりて犯ぜられん。一生の間よく荘厳し、臨終に引導して極楽に生ぜしめん。」(行者宿報設女犯、我成玉女身被犯、一生之間能荘厳、臨終引導生極楽)と。親鸞もって奇とし、深く胸に蔵して人に告げず。このときに当たり法然の唱うるところの浄土の宗義海内にあまねく。門徒三百余、関白藤原兼実また深く法然に帰す。一日法然に問うて曰く、師は持戒にして念仏す、弟子は噉肉蓄妻もって念仏す、すでに僧俗の別あり、その功力勝劣ありや否や。法然曰く、「もと凡夫のためにして、兼ねて聖人のためなり。」(本為凡夫兼為聖人)。あるいはいう、「一切善悪の凡夫、生を得るもの」(一切善悪凡夫得生者)もあに聖凡の別あらん、加うるに同一念仏なり、なんぞこれを分かつべけんやと。兼実曰く、末代の人情澆漓にして、恐らくは難行の法を修するあたわざらん、これを救う、ただ在家易行の法あるのみ、弟子幸い一女あり、玉日という、願わくば一上足を屈して婿となし、もって易行の宗を起こし、もって天下後世の惑を解かん。法然曰く、可し。これにおいて法然は親鸞をもって兼実のもとめに応じ、もって在家一向宗を立たしめんと欲す。親鸞固辞す。法然うなずかず曰く、汝いまだ知らずや、昔日夢に六角堂の観音を拝せるを、汝いまだ人に告げずといえども、われまたこれを夢みたり、救世菩薩の示現あにむなしうすべけんやと。すなわち親鸞がさきに夢みるところの四句の文を書し、もって親鸞に示す。親鸞辞することを得ず、ついにその命に従う。兼実喜び、女玉日をもってこれに妻し、五条西洞院に居らしむ。ここにおいて綽空名を善心と改め、のちまた善信と改む。元久元年四月一四日法然『選択本願念仏集』の題字ならびに「南無阿弥陀仏往生之業念仏為本釈綽空」の字を書して親鸞に与う。けだし衣鉢を伝うるの意なり。この時に当たり南都北嶺の学徒、浄土宗の盛大に赴くをにくしみ、これを妨げんと欲して朝に誣奏す。朝議ついに法然およびその弟子を遠流に処することに決し、親鸞また座せられ、越後の国府に流さる。時に承元元年なり。居ること五年、建暦元年赦免に会い、明年京師に帰り、一宇を山科に建て、のち今の地に移る。興正寺これなり。すでにしてまた越後に赴き、北陸関東の間に行化遊歴すること二五年なりという(あるいはいう。勅免ののち帰京せずして関東に行化すと)。その常州稲田にあるや『無量寿経』により浄土真宗の名を立て、『教行信証』六巻を著し、大いに宗旨を弘通す。これを立教開宗の本となす。実に法然入滅後一三年、その春秋五二歳の時なり。これより浄土真宗盛んに興る。嘉禄元年下野国大内荘柳島に高田専修寺を創立す。貞永元年春秋六〇歳にして帰洛し、嘉禎元年近江国野洲郡木部村に錦織寺を造立し、弘長二年(すなわち西暦紀元一二六二年)一一月二八日平安押小路南万里小路東善法院に遷化す(今の法泉寺これなり)。寿九〇。鳥辺野に荼毘し、廟を大谷に建て影像を安ず。滅後真宗日に盛んなり。文永九年一一月勅して久遠実成阿弥陀本願寺の号を賜わるという。明治九年一一月二八日勅して見真大師と諡す。大師の選述にかかるもの『教行信証』の外に漢文和語の選述数十部あり。

       二 慧灯大師略伝

 本宗第八世蓮如は本宗中興と称せらる。世に御文(仮名文にて綴り、鈍根の衆生をして本宗の宗義を知りやすからしめたるもの)あり。これ実に上人の手になれるものなり。上人字兼寿、信証院と号す。第七世存如の長子なり。母はなんびとたるを知らず。応永二二年二月二五日生まる。幼名布袋麿という。永享三年得度して蓮如と名付け、法相宗を学び、宝徳中東北地方に行化し、多く祖師の遺跡を興し、長禄元年宗務をつぎ、再び東北に行き、当時宗門大いに振るう。朝廷日華門を賜い、大谷正門となし、その荘厳を増す。山徒これをねたみ、寛正六年正月大谷坊舎を毀つ。上人わずかに開山の像をもって免れ、近江大津の近松寺にかくれる。応永元年参州に赴き、本宗寺を創し、居る三年文明二年より諸国に行化し、一日も寧処せず。その足跡、畿内および北陸道にわたり、越前にありては吉崎寺を立て、畿内にありては河内の光善寺、摂津の教行寺、和泉の真宗寺を立つ。文明一二年ついに地を山科に相し、本願寺を再造し、応仁二年宗務を光助に譲り、文明一五年光助死するをもって再び宗務を司り、延徳元年また光兼(八子実如)に譲り、再び各地に遍歴す。その至る所つまびらかならずといえども、播州の本徳寺、和州の本善寺、大阪の坊舎等はこのとき創する所たり。明応八年三月二五日山科坊舎にありて長逝す。寿八五。明治一五年勅して慧灯大師の諡号を賜わる。

       三 本願寺歴代

本願寺派

  高祖大師親鸞聖人  入滅より明治二七年まで六三三年

  第二世如信上人   正安二年正月四日寂

  第三世覚如上人   諱宗昭号毫摂法印権大僧都 観応二年正月四日寂

  第四世善如上人   諱俊玄法印権大僧都 康暦元年二月二九日

  第五世綽如上人   諱時芸勅号周円上人法印権大僧都 明徳四年四月二四日

  第六世巧如上人   諱玄康号証定閣法印権大僧都 永享一二年一〇月一四日

  第七世存如上人   諱円兼法印権大僧都 長禄元年六月一八日

  第八世(中興)蓮如上人 諱兼寿号信証院法印大僧都諡号慧灯大師 明応八年三月二五日

  第九世実如上人   諱光兼号教恩院法印権大僧都 大永五年二月二日

  第一〇世証如上人  諱光教号信受院法印権大僧正 天文二三年八月一三日

  第一一世顕如上人  諱光佐号信楽院法印権僧正 文禄元年一一月二四日

  第一二世准如上人  諱光昭号信光院法印大僧正 寛永七年一一月三〇日

  第一三世良如上人  諱光円号教興院法印大僧正 寛文二年九月七日

  第一四世寂如上人  諱光常号信解院法印大僧正 享保一〇年七月八日

  第一五世住如上人  諱光澄号信順院法印大僧正 元文四年八月六日

  第一六世湛如上人  諱光啓号信暁院法印大僧正 寛保元年六月七日

  第一七世法如上人  諱光闡号信慧院法印大僧正 寛政元年一〇月二四日

  第一八世文如上人  諱光暉号信入院法印大僧正 寛政一一年六月一四日

  第一九世本如上人  諱光摂号信明院法印大僧正 文政九年一二月一二日

  第二〇世広如上人  諱光沢号信法院法印大僧正 明治四年八月一九日

大谷派(第一一世までは本願寺派に同じ)

  第一二世教如上人  諱光寿号信浄院信楽院長子法印大僧正 慶長一九年一〇月五日

  第一三世宣如上人  諱光従号東泰院法印大僧正 万治元年七月二五日

  第一四世琢如上人  諱光英号淳寧院法印大僧正 寛文一一年四月一四日

  第一五世常如上人  諱光晴号泥洹院法印大僧正 元禄七年五月二二日

  第一六世一如上人  諱光海号無礙院法印大僧正 元禄一三年四月二日

  第一七世真如上人  諱光性号功徳聚院法印大僧正 延享元年一〇月二日

  第一八世従如上人  諱光超号清浄光院法印大僧正 宝暦一〇年七月一一日

  第一九世乗如上人  諱光遍号歓喜光院法印大僧正 寛政四年二月二二日

  第二〇世達如上人  諱光朗号無上覚院法印大僧正 慶応四年一一月四日

  第二一世厳如上人  諱光勝号真無量院 明治一七年一月一五日

   真宗相承および教典

       一 真宗相承祖師

釈迦牟尼仏

  インド 竜樹 (仏滅後七〇〇年南インドに出づ)

  同   天親 (仏滅後九〇〇年北インドに出づ)

  シナ  曇鸞 (後魏承明元年に生まれ、東魏興和四年に寂す)

  同   道綽 (後周保定二年に生まれ、唐大宗貞観一九年に寂す)

  同   善導 (隋煬帝大業九年に生まれ、唐高宗永隆二年に寂す)

  日本  源信 (恵心僧都と称し延喜一二年生、永観三年寂す)

  同   源空 (浄土開祖法然上人すなわち円光大師にして、実に見真大師の師なり、長承二年生、建暦二年寂、寿八〇歳)

 以上、これを七祖と称す。

       二 真宗所依教典

 真宗所依の教典は経論釈の三種あり。すなわち左表のごとし。

  経(すなわち浄土三部経) 無量寿経(大経)

               観無量寿経(観経)

               阿弥陀経(小経)

  論 十住毘婆沙論易行品(竜樹作)

    浄土論(天親作)

  釈 浄土論註(曇鸞作)

    讃阿弥陀仏偈(同上)

    安楽集(道綽作)

    観経疏、即玄義分、序分義、

    定善義、散善義(善導作)

    浄土法事讃、往生礼讃、

    般舟讃、観念法門(同上)

    往生要集(源信作)

    選択集(源空作)

 宗祖大師および中興蓮如選述、左のごとし。

  宗祖大師選述 教行信証文類 六巻

         文類聚鈔 一巻

         愚禿鈔 二巻

         入出二門偈 一巻

         和讃 三帖

         三経往生文類 一巻

         尊号真像銘文 一巻

  中興蓮如選述 御文 五帖

         正信偈大意

         教行信証大意等

   真宗統計

寺院 一万九一四六カ寺(明治二四年調査)

  仏教各宗寺院、総計七万一八五九カ寺に比すれば、真宗はその一〇〇分の二六・七に当たる。

住職 一万六七八四カ寺 (同上)

  仏教各宗住職、総計五万二五一一人に比すれば、真宗はその一〇〇分の三二に当たる。

管長 一〇管長

教師 一万二一三七人

各府県真宗寺院一覧表、左のごとし。

  東京  二七九  神奈川  一二四  埼玉  二六  千葉  三五

  茨城  一三四  栃木  四二  群馬  二二  長野  二四六

  山梨  九九  静岡  九七  愛知  九五九  三重  八一六

  岐阜  一〇二八  滋賀  一六二二  福井  八五六  石川  八八三

  富山  一一八八  新潟  一二五七  福島  九五  宮城  五七

  山形  二〇四  秋田  一七二  岩手  六四  青森  五五

  京都  四八三  大阪  一三六四  奈良  六四四  和歌山  三二四

  兵庫  八七五  岡山  九八  広島  七一九  山口  六四四

  島根  五〇四  鳥取  四二  徳島  八〇  香川  二三二

  愛媛  九九  高知  七四  長崎  一一三  佐賀  二八〇

  福岡  八〇七  熊本  六六五  大分  五七九  宮崎  六三

  鹿児島  三二  沖縄  一  北海道  六四  総計 一九一四六




 

     第一段 端緒論

       第一節 発 端

 隣村に大火あり。延びてわが村に及ばんとす。しかして全村みなわが親戚朋友なれば、だれの家を焼失するもわが家を焼失するに異ならず。故に一家を挙げて出でて力を消防に尽くし、幸いに親戚朋友をして無難ならしむるを得たるも、帰りてわが家に至れば、火片飛びてその家に落ち、全棟すでに猛炎の中にあるを見る。これにおいて一家の失望一方ならず、あにその財産を焼失せるを遺憾とするのみならず、後日世間の笑柄とならんことを恐る。これ余が一夜の夢のみ。さめて頭を挙ぐれば一家異状なし。これにおいて余はその全く夢中の妄見なるを知る。しかりしこうして今日わが宗教界の事情を観察するに、やや、これに類するものあるをみる。近世文明の烈火ひとたび欧米諸国に発し、ついでわが国に入り、百般の事物これによりてたちまち類焼し、その猛勢当たるべからず。わが旧時の文物のごとき一朝にして灰燼に属さんとし、その余炎延びてわが仏教の上に及ぼし、諸宗共に実に危急の際に迫り、このときにあたりて、仏教中の諸宗諸派はみなこれ同胞兄弟なれば、真宗の門下に住するものにして、諸宗にさきだちて外難防御に全力を尽くし、道理に考え事実に照らし、仏教は文明社会の宗教、学術世界の哲学なることを証明し、世界またすでにこれを是認するに至れり。これあたかも一村をして無難ならしめたるに異ならず。しかして顧みて真宗そのものをみれば、聖道諸宗はこの尽力によりて文明学術の宗教となるを得たるも、ひとり浄土諸宗はこれがためにかえって下等愚民の宗教に陥るに至れり。果たしてしからば、仏教の危難を救いたるものは真宗の人にして、真宗の危難を招きたるものもまた真宗の人なりというも、あにあえて過言ならんや。これあたかも親戚の火難を救いて自家の焼失を知らざるものに異ならず。余はただにこれを真宗一家の不幸とするのみならず、真宗門下の人の他日世間の笑を招かんことを恐るるなり。これに至りてこれをみるに、余が一夕の夢想は全く睡眠中の妄見にあらざるがごとし。けだし余はこの夢の因縁によりて本編を起草するに至れり。故にそのことを冒頭に掲げて本論の発端となす。

       第二節 本編起草の旨趣

 近年わが国の仏教と西洋の学術とを比較して、仏教は哲学上の宗教なりと論じ、ヤソ教の妄説と同一視すべからずと唱えたるものは果たしてだれぞや。けだし世間その人多きも余もまたその一人なれば、その結果、他宗を助けて真宗を害するに至りたるの責めは、ひとりこれを他人に帰すべからず、余ももとよりその一部分を負わざるを得ず。そもそも余が先年浅学をはからず天下にさきだちて破邪顕正を唱道したるは、当時世間にありていやしくも多少の学識を有するものは、みな仏教を目して妄誕不経の説となし、蛮民愚俗の教となし、これを伝道する僧侶はもちろん、これを奉信する徒までも擯斥せんとする勢いなりしによる。しかして当時仏教の門内にあるものは頑眠迷夢の間に彷徨して、いまだ文明の新天地を知らざりしをもって、世間よりいかに擯斥せらるるも五里霧中に経過し去らんとせり。余ここにおいて憤然として志を立て、日夜仏教の探究に拮据し、その教内に真理の宝珠を胚胎せるを発見して以来、余が平素の赤心これを秘蔵するに忍びず、微力を奮いてこれを天下に発表し、もって内には僧家の不学を呵責し、外には世間の無識を喚起し、仏教界内に学術講究の新道を開鑿せり。すなわち『仏教活論』これなり。しかしてその論は余が真理を愛し国家を思うの衷情より流れ出でたるものなれば、仏教中更に宗派の異同を問わず、いやしくも多少の真理を包有せるものはことごとくこれを啓発して、広くその光輝を天下に放たしめんことを目的とせり。故をもって当時一宗一派の小利害を顧みるのいとまあらざりき。しかれども余が意あえて真宗を道理城外の塵芥中に捨つるの意ならんや。すでに『〔仏教〕活論序論』中において、聖道浄土の二門を比較して、聖道門は智力的宗教にして浄土門は感情的宗教なり、その一は智者学者に適し、その二は愚夫愚婦に適すと説きたるも、そののち更にその意を敷衍して、仏教の本体は智力的宗教なれば、たとえ浄土門のごときは感情の性質を帯ぶるも、あたかも智力の骨髄を覆うに感情の皮肉をもってしたるに過ぎず、その教理はもとより余宗と同じく道理をもって講究すべきものなることを論じきたりて、仏教の浄土門とヤソ教の教理と同日の比にあらざるゆえんを証せり。故に余は決して真宗をもって単に下等愚民の宗教なりと信ずるものにあらず。しかるに浄土門中にありて真宗の教義を伝うるもの、陽に仏教は学術上の真理なりと唱えながら、陰に真宗の哲理に合せざるを許すがごとき風あり。その故は余、近ごろ真宗僧侶の公衆に対して演説するところを聞くに、あるいは法体恒有と題し、あるいは三界唯心と題し、あるいは頼耶縁起、あるいは真如縁起と題して、喋々聖道諸宗の哲理を弁明し去りてまた余蘊なく、実に人をしてその高妙に感ぜしむるも、浄土一門の教義に至りては、その人の演説中一言半語のこれに及ぶことなし。しかして転じて愚夫愚婦の前に至れば、演説たちまち変じて説教となり、真宗一流の安心を述べ、他力成仏、極楽往生の道を説ききたりて尽くさざるところなしといえども、更に学理に関してその宗義を論明するにあらず。説教と演説とは、なんぞかくのごとき径庭あるや。説教は愚者を目的とし演説は智者を目的とするによるか、しからば何故に真宗の教理を演説壇上において学理に照らしていちいち論明せざるや。これによりてこれを考うるに、真宗の僧家、自らその宗は愚俗浅近の宗教なれば、智者学者の前に講述すべからざるものと信ずるがごとし。これ余が深く怪しむところなり。他日『顕正活論』の真宗編を講述するに及び、その教理の学理に基づくことを弁明せんと欲するも、今日の勢い一日も早くその哲理を世間に報道せざるを得ざる場合に至りたれば、即時に余が思うままを筆して一小冊子となす、すなわちこの書なり。これを総題して真宗哲学と名付くるは、浄土門の智力の骨髄と感情の皮肉との組織中より、特に骨髄の部分を取り出して、真宗一家の原理を論定せんことを試みたるによる。しかしてその原理はすなわち浄土諸宗の原理なれば、真宗哲学と題するも、その実、浄土門哲学なり。故にもしこれを講述し終われば、更にその原理より分派せる真宗一家特有の諸説をいちいち証明せざるべからず。これ実に真宗哲学の本論にして、余が他日起草せんと欲するところなり。故に今その本論に対してこの編を『真宗哲学序論』と題するなり。

       第三節 護国愛理の二大義務

 かくのごとく真宗哲学を講究するに序論と本論とを分かち、序論は浄土門一般の原理を総説し、本論は真宗一家の組織を別述するを期するも、その実、哲学上の講究は主としてこの原理の上にあり。もしその細目に至りては一宗所立の規則制度に関するをもって、理論よりはむしろ実際に属する問題なり。換言すれば哲学よりはむしろ単純の宗教に属する部類なり、智力の骨髄よりはむしろ感情の皮肉に属する部分なり。しかるに今日世間の論者は、一般に宗教の実際は仏教諸宗中真宗に過ぎたるものなきを許すも、ひとり理論上の講究に至りては、真宗を擯斥してはるかに他宗の下にありとなす。故に余が特にここに証明を要する点は理論上の原理にあること明らかなり。これ余が多忙の際、この一編を論述するに至りたるゆえんなり。およそ余が畢生の志願は世間すでに知るがごとく、国家を護し真理を愛する二大目的を達するに外ならず。今真宗は実際上国家の隆運を補翼するに適する宗教なることは世間すでにこれを許す以上は、余は更に理論上その原理の講究すべき価値あることを世人に報道するをもって、余が第二の目的たる真理に対する本務なりと信ず。余はもと真宗の家に生まれしも、維新以後、社会の事情を観察するに及びておもえらく、今日は仏教の全家まさに転覆せんとする時なり、あに一宗一派の隅位に立ちて一小柱石を支うるに汲々するの時ならんや、むしろ局外に出でて仏日回天の功を立つるにしかずと。しかしてまた近年泰西の実況を見聞するに及び、国家将来の独立の難きを感じ、余輩いやしくもこの国の人民たる以上は国家百年の大計を立てざるべからざるを知り、進みて少年教育の道に当たり、国家有為の人物を養成するをもってこれを任じ、天下公衆に対して人世の義務は護国愛理の外に出でざるゆえんを唱道し、さきに『仏教活論』を著してその赤心のあるところを発表せり。故に余がここに真宗哲学を講述するは、真宗一局部のために思うところありてしかるにあらず、余が平素懐抱せる護国愛理の一念あふれ出でてここに至るなり。真宗すでに哲理の講究すべきものを有して世間これを知らざるときは、いやしくも学術に志あるもの、あに黙々に経過し去るに忍びんや。またかくのごとき真理を含有する宗旨がわが国に開立せる新宗にして、わが多数人民の奉信する宗教なるを知るときは、いやしくも国民たるもの国家のためにあにこれを不問に付するを得んや。今余はこの精神をもって真宗を論評するものなれば、自然に一宗一派の局位にありて講究するものと、その意見を異にするところあるべし。かつ余が目的は真宗門外の人にその哲理の一斑を示すにあれば、務めて世間の学術上に用いきたれる文字をもって説明し、真宗一家相伝の語法にならわざるも、これまたやむをえざるなり。

       第四節 真宗哲学講究の必要

 まず余が真宗哲学講究上において局位にある二、三の論者と意見を異にする点を述ぶべし。その論者は近年仏教を学術上講究するの風行われて以来、聖道門諸宗の教理は大いに利益を得たるも、真宗の教理に至りてはかえって不利を感ずるをみて曰く、宗教は理外の理なり、哲学をもって是非を判ずべきにあらず、仏教は仏教なり、哲学は哲学なり、この二者あに混同すべけんやと。これ真宗を愛念する赤心より出でたるものなれば、その衷情誠に嘆称すべしといえども、畢竟論者は、哲学は西洋一種の学にして仏教と全く関係を異にするものと偏信し、哲学をもって仏教を論ずるは、寒暖計をもって物の寸尺を計らんとするがごとく想像するによる。しかるに哲学は道理、思想の学にして諸学の真理を判定する学なり。故に仏教にても儒教にても、道理上いやしくもその真理を論定せんと欲すれば、必ず哲学の講究法によらざるべからず。あたかも西洋にて空気の温度を計るに寒暖計を要し、わが国にて空気の温度を計るに同じく寒暖計を要するに異ならず。たとえその空気は東西おのおの異なるも、その温度を計るに寒暖計を要するは東西同一なり。今、哲学は諸学諸教の真理の温度を測定する寒暖計なり。仏教全体の真理を判定するにもこの学を要し、真宗一家の真理を判定するにもこの学を要するなり。もし仏教家にして哲学を用いざるときは、なにをもってその教と他教との優劣を判ぜんや。真宗論者にして哲学によらざるときは、なにをもってその宗と余宗との長短を定めんや。しかるに真宗学者はだれにても必ずわが宗の教義は真理なり、ヤソ教は真理にあらずと自ら信じ、また人に公言するにあらずや。これ表面に哲学を排斥しながら、裏面に哲理を応用するものというべし。もしまた真宗学者にして、真宗の学は哲学上講究すべからざるものなりというときは、これ真宗は道理によりて論究すべからざるものと自ら許すに異ならず。語を換えてこれをいえば、真宗は道理智力の宗教にあらずと自ら信ずるものなり。果たしてしからば世の文明は道理の文明にして、その進歩の目的は今日の世界を一変して道理の世界とするにあれば、真宗の教義は文明の進歩に伴うことあたわざるものといわざるべからず。これあに真宗そのものの性質ならんや。かつ余がみるところによるに、真宗は哲学上講究すべき全然の真理を含有するを知る。しかるにこの真理を冥々の中に埋め置きて、世間より真宗は愚俗の宗教のみ、不道理の妄説のみとの批評をきたすも更に顧みざるがごときは、これ果たして真正の護法家と称すべきや。

       第五節 本編論述の順序

 余はかく真宗哲学講究の必要を唱うるも、あえてみだりに哲学上より真宗を論評して、その一家所立の教義を破壊せんとするにあらず。世の論者は学理上真宗を論究するときは、聖道門の哲理を直接にその宗門の上に応用し、一宗の骨髄たる原理を破壊し去りて曰く、これ真宗の哲理なりと。すなわち真宗の阿弥陀仏のごとき、西方極楽のごとき、これを真如唯心の理をもって解釈せんとするもの、これなり。余が真宗を論ずるはたとえ哲学上の講究によるも、決してかくのごとき破壊主義をとるにあらず、真宗をその開立以来用いきたれる基礎の上に建設せんとするにあり。今これを論述するに当たり、まず哲学一般に用うる原理を論究し、これを仏教の上に照合しきたりて仏教総体の原理を論定し、これより浄土一門、真宗一家の原理を審定せんとす。故にその順序左の三段に分かる。

  一 哲学原理

  二 仏教原理

  三 真宗原理

 かくして哲学上の原理を論定し終われば、真宗実際上の組織にわたり一、二言を加えてこの一編を結ばんとす。しかしてその原理論のごときも、他日、真宗哲学本論を起稿する意あれば、その方に余地を与えんがために、今はただその要点のみを論述するものと知るべし。

 

     第二段 哲学原理論

       第六節 哲学上の大難問

 南窓風清く気朗らかなるのところ、静座沈思し、理想の望遠鏡内に現見する古今東西の哲学諸家の光景を観察するに、おのおの一家の卓見を出し、異論百端相争うて今日に至り、いまだこれを統一せる学説あるをみず。これ真に統一すべからざるものなるや、また将来果たして統一すべき日あるや。いまだ判定すべからずといえども、その異説のよりて分かるるゆえんを探求するに、哲理に二様の相反するものありて、これを合一すること難きに起源せざるはなし。その二様とは理論実際の相反なり、主観客観の相反なり、思想感覚の相反なり、有形無形の相反なり、本体現象の相反なり、絶対相対の相反なり、可知不可知の相反なり、有限無限の相反なり、単一雑多の相反なり、平等差別の相反なり。たとえば古来の学者が理論の一方より論究してその原理を発見し、これを実際に応用せんと欲して適合すべからざるところあるをみるは、すなわち理論実際の相反にあらずや。政治にても道徳にても宗教にても、理論上より論定せるものと実際上に応用せるものと、常に相合せざるはみなこの理による。理論上論定するところの神と実際上応用するところの神と一致せざるもまたしかり。実際上の神は理論に入りてその形を失い、理論上の神は実際にきたりてその性を変ずるは、全く理論実際の性質互いに相反するゆえんを示すものなり。これを心理の上に考うるに、感覚上の境遇と思想上の観念と一致せざるところありて、感覚上より論ずるものは客観界に千差万別の現象あるを見、思想上より論ずるものは主観界に単一平等の理体あるを想するに至る。しかして客観上の現象は彼我自他の相対よりなり、わが智力によりて識量すべきも、平等無差別の本体に至りては実に絶対無限にして、全く人智の外にあり。すなわちいわゆる不可知的なり。そのうち本体論者は平等単一の道理あるを知るも、その理より万差の諸象の開発現立するゆえんを解するあたわず。また現象論者は万差の諸象の実在並存を知るも、その裏面に一理の普遍するありて差別をみざるゆえんを解するあたわず。これ哲学上古来の大難関にして、いかなる哲学者もこの二様相反の理を統合するに苦しむところなり。もしこれを理論実際の相反の上に考うるときは、その平等の理法は理論上より知るところにして、差別の現象は実際上においてみるところなり。故に以上挙ぐるところの種々の相反は、要するに一対の相反に外ならず。古来、経験論と本然論の相合せざる、先天論と後天論の相合せざる、主観論と客観論の相合せざる、直覚教と功利教の相合せざる、有神説と無神説の相合せざる、進化主義と退化主義の相合せざる、演繹論法と帰納論法の相合せざる、宗教と哲学の相合せざる、これを帰するにみなその根本の原理とするものに二様相反の理を有するによる。この相反の一致統合を計るは、ひとり古来の論題なりしのみならず、また将来の疑問なり。

       第七節 二様並存一体両面の真理

 余は数年前より哲学を専修し、つとにこの疑問の一大惑星ありて哲学世界の中天に懸かるをみて、その講究日なお浅しといえども、静かに理想の鏡面を払い、半夜天心の澄みわたるに際し、意を観測一方に注ぎ、やや惑星の真相を発見するを得たり。これ実に哲学の難関を開くべき要鑰なりと自ら信ずるところなり。すなわち平等差別二様並存の理、これなり。従来の学者はその二様のうち、ひとり一方の理によりてあくまで他方を会通し去らんと試みしをもって、ついに一致統合の目的を貫徹することあたわざりき。これ畢竟一方の偏見僻説に過ぎざるなり。すでに二様並存する以上は、一方をもって他方を会通し去るあたわざるは、当然の理にしてすこしも怪しむに足らず。また古来の学者あくまで一方によりてその理を貫徹せんと欲して、いまだ一人のその目的を達せざりしは、すなわち二様並存の理を証明せるものに外ならず。余はこれにおいて二様並存の哲学上の真理なるを知る。しかるに古来の学者が二様並存を許さざりしは、真理に二途なきことを信ぜしによる。余も真理に二致なきを信ずるものなれども、二様並存の理は決して真理その体に二様あるをいうにあらず、一体の真理にして二様の道理を具有するをいう。あたかも一物に表裏両面を具有するがごとし。表裏両面あるはその体二様あるによるにあらず、一体の物にしてただその外面に二様を示すのみ。今哲理もこれと同一の関係を有し、表面に差別の現象を示し、裏面に平等の理法を具し、しかしてその体同一なり。これをあるいは一理、万象を離れず、万象、一理を離れずといい、あるいは平等、差別を離れず、差別、平等を離れずという。その意一体にして両面を具し、両面にして一体によるを義とす。故にあるいはこの関係を一にして同時に二なり、二にして同時に一なりというも可なり。この一体両面の関係は、実に哲理の極致にして諸法の至理なり。古来哲学上の相反問題の難関はひとたびこの理に照合しきたらば、たちまち会通し去ることを得べし。これ実に哲学界の関門を通過すべき鑑札と名付くるも、不当の称にあらざるなり。

       第八節 この真理の証明法

 この鑑札を証明する方法に二様あり。その一は事実の上に考うる法にして、これを帰納的、もしくは後天的証明法という。その二は理論の上に考うる法にして、これを演繹的、もしくは先天的証明法という。まず後天的証明法によるに、人類に老少男女、彼我自他の差別あるも、もしその人類の人類たる理法に至りては、ただ平等の一理あるをみるのみ。また人類と禽獣草木を較するに、その間画然たる区域あるも、生物の生物たる理法に至りては、人獣共有、動植一致の平等の一理存するをみるのみ。更に日月星辰、山川土石を較するも、同一の関係のその間に存するをみる。しかしてこの差別平等の二者共に一物一類の上に並存することは、すこしも表裏両面の一物体の上に存立するに異ならず。果たしてしからば、差別の現象ひとり実にして平等の理法全く虚なるか、平等の理法ひとり真にして差別の現象全く妄なるか、二者中いずれをとるもその関係を明示すること難し。これ畢竟二様並存、一体両面の真理を証明するものにあらずしてなんぞや。これによりてこれをみるに、一体両面の真理は、実に宇宙の大法にして万有の通則なること明らかなり。つぎに先天的証明法によるに、人智は彼我自他の差別よりなり、右を知るは左あるにより、温を知るは冷あるにより、富貴を知るは貧賎あるによる。これを相対の智識という。人智果たして相対ならば、相対差別の境遇そのものを知るには、これに相対する絶対平等の本体なかるべからず。すなわちわが智力が相対の性質を有しながら、相対の外に絶対を知ることを得るは、絶対は相対に対し、相対は絶対に対し、二者並存相対なるによる。他語にてこれをいえば、平等は差別に対し、差別は平等に対し、二者の間におのずから相対差別ありて並存両立するによるものなり。故に絶対相対の二法すなわち平等差別の二様は、必ず並存両立せざるべからず。しかしてこの二者両立するもその体別なるにあらず。もし果たしてその体別物なるときは、我人差別相対の境遇にありて、絶対平等の本体を知量すべき道理あるべからず。しかるに我人は差別の境遇にありて平等の理法を知り、相対の智力をもって絶対の本体を知るは、平等は差別を離れず、差別は平等を離れず、相対絶対、二様同体なるゆえんを証見するものなり。故に二様並存、一体両面の真理は、実に諸学諸法の原理原則なること、あに疑いをいれんや。

       第九節 哲学諸論の調解

 以上、先天後天の二法によりて哲理に二様あるゆえんを知れば、この理によりて古来哲学諸家の異説を統合調解すべきゆえんを知ることを得べし。たとえばここに甲論起これば必ずこれに反する乙論起こり、ここに甲乙両論を合したる丙論起こればまた必ずこれに反する丁論起こるべし。これすなわち哲理に二様あるによる。しかして哲学上の争論は、常にこの相反の点の永く一致すべからざるものと偏信するをもって調和し難きなり。もしその二様相反の理の一体両面の関係によりてなり、甲論の裏には乙論あり、丙論の裏には丁論ありて、この二論は一理一体の上に成立せるゆえんを知るに至れば、たやすく和解することを得べし。今その理を近く男女同権論の上に考うるに、同権ひとり真理にあらず、異権ひとり真理にあらず、同権の裏には異権を具し、異権の裏には同権を存し、二論その致一なることを知るもの、これいわゆる一体両面の真理なり。語を換えてこれをいえば、平等の裏には差別あり、差別の裏には平等あり、二者その体一なりと知るもの、これ真理なり。かくのごとく二様相反の点よりその一体の理に体達する、これを中という。相反の一面を知りて他面を知らざる、これを偏という。故に真理は中を得るにあり、その中にまた絶対相対の二種あり。すなわち人智の進歩に従ってその位置を変ずるは相対の中なり。たとえば甲乙の間に存する中、一歩進んで丙丁の間に存するに至るがごとき、これなり。もし相対の中、進み窮まりて絶対の中に達すれば、また変遷することなし。たとえまた相対の中は変遷すというも、もし中の中たるゆえんに至りては始終一定して常に変遷することなし。これ相対の中に絶対の中を具有するによる。さきにいわゆる相対絶対、同体一理なるゆえんなり。その一理なるゆえんまたこれを中という。中の上にも中あり、その中の上にも更に他の中ありて、これより以上際限あるべからずといえども、中の中たるゆえん、中の真理たるゆえんに至りては、前後を貫きてただ一あるのみ。これ理論上のことのみ。もし実際上にありて考うるときは、中も必ずしも中を得るにあらず、偏もかえって中を得ることあり。たとえば世論異権の一方に偏するときは、これをしてその中を得せしむるは、同権説を主唱するにあり。また世論同権の一方に偏するときは、異権を唱えて始めてその中を得べし。けだし世論常に権衡中正を得るものにあらざれば、政教を当時に布かんと欲するものは、世論の右に偏するをみれば左をとり、左に傾くをみれば右を選ぶことあるも、その目的は常に中を維持するに外ならず。故に理論上にありては、差別に偏せず平等に偏せざるは中の中たるゆえんなれども、時宜によりては平等かえって真理なることあり、差別かえって真理なることあるを知らざるべからず。しかしてこれと同時に差別の裏に平等あり、平等の裏に差別あることを忘るべからず。これを哲理の妙致とす。けだし高妙なる理想の望遠鏡によるにあらざれば、その真相を直覚することあたわざるなり。

       第一〇節 宗教諸説の一致

 かくのごとく二様並存、一体両面の真理は実に哲学上の膠漆にして、よく東西の異説を接合することを得るのみならず、また宗教上の剪刀にして、よく古今の争論を裁断するを得べし。そもそも宗教は古来種々の宗派ありておのおのその旨意を異にするをもって、これに与うる義解一定せずといえども、けだし世に人智を標準起点と定めて研究するものと、人智以外の絶対無限、不可知的の本体もしくは理性を標準として論定するものとの二種あり。その一は学術にして、その二は宗教なり。故に宗教の性質は、人智以外より人智以内に及ぼすものなれども、全く人智をもって論究すべからざるものにあらず。ただ人智はその体の一面を知るのみにて、他の一面は人智以外の講究を待たざるべからず。故に古来宗教に自然、顕示の二教を分かち、あるいは智力、感情の二種を分かつなり。自然教は人智自然の発達に伴うて起こるものなれば、道理によりて講究すべきも、顕示教は聖賢、神、仏の啓示によりて起こるものなれば、道理以外に属するところ多しとす。また智力的宗教は道理的宗教を義とし、感情的宗教は想像的宗教を義とすれば、その一は道理によりて講究すべく、その二は道理によりて講究すべからざるものとす。これをもって古来この二教相反の間に争論を起こし、その調解のいずれの日になるを知らざるなり。しかれどももし前に挙ぐるところの二様一体の真理によりて進行するときは、数千年来困難を感じたる険道もたやすく通過することを得べし。まず智力的宗教は平等の道理に基づき、感情的宗教は差別の境遇によりて組織せるものなれば、二者一致合同することあたわざるがごとしといえども、もし平等差別その理一なるゆえんを知るときは、この二教の相離れざるゆえん、ならびに一方ひとり真理にして他方全く非真理なるにあらざるゆえんを知るべし。また自然教は相対の人智によりてなり、顕示教は絶対の神智に基づきて起こるものなれば、二者全く相反するがごとしといえども、絶対は相対を離れず、相対は絶対を離れざる道理によるときは、その相反の点の一理に出づるゆえんを知るべし。しかりしこうして、二様並存、一体両面の関係の真理なるゆえんを知れば、完全の宗教は必ず自然、顕示もしくは智力、感情の一対相反の両面を兼有並存するものならざるべからざるゆえんを知るべし。すなわち道理にて究め尽くすべからざるところあれば、啓示をもってこれを補い、感情にて信じ難きところあれば、智力にてこれを助け、両者相待ちて始めて完全の宗教をみるべし。もしその一方を有して他方を有せざるものは、偏頗不完の宗教たるを免れざるなり。これを非真理の宗教とす。なんとなれば、両者兼有の真理なるを知れば、一面偏有は真理に反すればなり。これ余がかつて仏教、ヤソ教の上に真非の裁決を下し、仏教は両面兼有の宗教にして、ヤソ教は一面偏有の宗教なりと審判すると同時に仏教は真理にしてヤソ教は非真理なりと論定したるゆえんなり。しかりしこうして、余が前節に述ぶるがごとく、一面偏有も時宜によりては真理となることなきにあらず。すなわち世教の権衡を失うに当たりては、智力的宗教の適することあり、感情的宗教の適することあり。しかれどもヤソ教のごとき本来一面偏有をもって組織せる宗教は、時宜に応合することあたわざるのみならず、感情の裏面に智力あり、啓示の裏面に道理あるゆえんを対照することあたわざるものなれば、断言して真理の範囲内に入るべからず。今仏教にありては両面兼有と同時に、時宜に応合してその一方をとり、またその裏面に存するものを対照並存してその中を失わざることを得るをもって、宗教中の最も完全なるものというべし。その果たしてしかるや否やは、余がまさしく次段に述べんとする論題なり。

 

     第三段 仏教原理論

       第一一節 仏教総説

 茫々たる哲学海上、一夕風静かに波穏やかなるに会し、思想の大船に駕し、論理の長帆を掲げ、左進右行するの際、はるかに一点の微光を煙波深き所に見るを得たり。これすなわち仏教の陸端なる灯台より発したる真理の光輝なり。錨を投じて上陸すれば、土地広くして住民多く、実に宗教世界無二の大国なり。今余がこれより論述するところのものは、すなわちこの大国の案内記なり。まずその国内の区域、都邑、駅路の名称順序を説明すべし。およそ仏教はその説の深浅高下に応じて小乗、大乗の二部に分かれ、大乗また権大乗、実大乗の二段に分かる。しかして小乗を有門とし、権大乗を空門とし、実大乗を中道とす。その有とは相対差別の現象の成立をいい、その空とは絶対平等の無現象の状態をいい、その中道とは差別の中に平等を存し、平等の中に差別を存し、二者の中を得るをいう。すなわち余がさきにいわゆる中、これなり。この中を解して非有非空、亦有亦空の中道という。その意、中道とは有現象の有にあらず、無現象の空にあらず、差別平等、相対絶対、並立兼有の中道を義とす。これいわゆる二様並存、一体両面の関係を示すものなり。その関係を示すに種々の語句ありて、あるいは真如即万法、万法即真如といい、あるいは相即不離、融通無礙という。真如とは平等の理体を義とし、万法とは差別の現象を義とす。その理体はこれを理性と名付け、その現象はこれを事相と名付く。理体と現象の同体不離なる関係を示して、真如即万法、万法即真如といい、理体の中に現象を存し、現象の中に理体を存して、二者相通自在なる状態を示して、事理無礙という。これみな非有非空、亦有亦空の中道の性質作用を表現したるものなり。けだし仏教の真理はこの有空中三段の道理の外に出でず。その中について中道を真実とし、有空を方便とす。故に有門の小乗は方便なり、空門の権大乗もまた方便なり、中道の実大乗ひとり真実なり。しかれども有の裏に空あり、空の裏に有あり、有空の裏に中道あるをもって、その方便は全く真実を離れたる方便にあらず。故に方便すなわち真実なりという。これ理論上のことなり。もしこれを実際に徴するときは、人の性質と世の機運とに応じて有空の方便かえって中道の真実なることあり。たとえば時弊差別の有に偏するときは、これを正すに無差別の空をもってせざるべからざるがごとし。けだし一仏教中に小乗あり大乗あり、有門あり空門あり、諸説並存するは、世と人との事情に応じて中道の権衡正平を保持せんとするの意に出でたるや疑いなし。以上の有空中三段の道理によりて組織したる宗旨は、倶舎宗、法相宗、天台宗等なり。これみな理論宗なればよろしくこれを智力的宗教もしくは道理宗と名付くべし。これに対して実際宗あり。すなわち浄土宗、真宗、禅宗、日蓮宗等これなり。余はこれを『顕正活論』において通宗と称せり。そのうち浄土宗、真宗はこれを浄土門と名付け、これに対して自他の諸宗は総じて聖道門と名付く。余はこの二者を実際的感情宗、実際的智力宗と称せんとす。畢竟するに仏教中にこの二門兼備するはその完全の宗教なるゆえんにして、二様並存の真理に適合するゆえんなり。

       第一二節 有空二門の大意

 かくのごとく論定して、これより理論宗の有空中三段の諸宗について、その大要を略述すべし。まず小乗倶舎宗は有門にして、現象差別の境遇にありて組織したる宗旨なり。しかれどももしこれを世間の彼我差別の妄見に比すれば、一歩進みたる差別論にして、通俗の妄見を破りて真理の一部分を示したるものなり。およそ世間の妄見は人々おのおのの差別を固執し、千万無量の差別を偏信するものなれども、倶舎宗においては七五種の原理を立てて、千万無量の差別はこの原理の外に出でずとなす。これを七十五法という。この諸法を大に分かちて有為、無為の二法となす。有為法とは変遷生滅あるものに名付け、無為法とはその反対に名付く。この二種の諸法共にその体おのおの恒存実在せるものなりと説ききたりて、いわゆる法体恒有説を論定せり。故にその宗はなお万有の差別を立て、諸法の成立を許すものなれば、これを有門と名付くるなり。もし進みて権大乗に入れば、法相宗の『唯識論』のごときはこの差別を空無に帰して、外界の現象は識心の作用に外ならざることを示せり。これを唯識所変という。すなわち識心の作用を離れて一物一現象の実存恒在することなしとなす。これその空門の名あるゆえんなり。これより更に一歩を進めて実大乗に入り、そのすでに経過せる境遇を回想すれば、小乗は有に偏し、権大乗は空に偏するをみる。故に実大乗にありては、その二者の中をとりて中道説を唱うるに至る。これ実に仏教国の都城なり。今この中道説を論ずるにさきだちて、更に一言を要することあり。すなわち法相宗の空門なお差別の見を脱せざること、これなり。およそその宗にありては、百法すなわち一〇〇種の原理を立てて唯識所変の理を示すものなれども、その百法中の有為法、すなわち変遷生滅を有する諸法は、識心中に阿頼耶識と名付くる一種の心体ありて、その中に含蔵せる種子の開発によりて現立するものなれば、その心体を離れて一物の存することなしというも、もし変遷生滅を有せざる無為法に入れば、別に真如の本体ありて諸法はこの上に依立するものなりという。しかして真如と阿頼耶識とはその体一にして、真如は阿頼耶識の依立する本体なりと説くも、有為の諸法は真如より開現することを説かず。これを「真如は凝然として諸法を作さず。」(真如凝然不作諸法)という。これによりてこれをみるに、法相宗は倶舎宗の差別論を一変して、有為法の差別を空無に帰したるも、なお有為と無為の間に差別を存して、真如開発の理を説かざれば、これまた差別論の一種たるを免れず。しかるに全くこの差別を絶無に帰したるものは別に三論宗あり。これ空門中の空門なり。この空に有を兼説して、正しくその中を立てたるものは、中道の諸宗に限る。

       第一三節 中道の大意

 中道の主義を唱うるものは、さきに天台宗なりといいたるも、その他、華厳、真言等もみな中道宗なり。今、法相宗の差別論の一変して中道論となりたる順序について考うるときは、まず『起信論』の説を略言せざるべからず。『起信論』は実大乗に入るの関門にして、真如開発の理を開示したるものなり。すなわち法相宗は阿頼耶識の作用を論ずるのみにして、いまだ真如の作用を説かざれども、『起信論』はただちに真如自体の上にその作用を説きて、一切有為無為の諸法は真如開発に外ならざることを証明せり。この真如開発説は実に仏教の主眼にして、そのヤソ教と異なる要点なり。しかしてその論なおいまだ全く差別の見を脱するあたわず。なんとなれば、真如開発の前後に差別を存して、開発以前と以後と一致せざるところあり。これ古来起信の難問と称して学者の常に苦しむところなり。すなわちその疑問は開発以前は平等の一理あるのみにて、開発以後に差別の万境を現ずるは、これ一より偶然万を生じたる理なり。その理解すべからずというもの、これなり。この点はひとり仏教中の疑問なるのみならず、諸哲学の疑問なり。しかしてその疑問は開発の上に前後の差別を立つるより起こる。もしその差別を除き去れば、その疑点もまた同時に滅すべし。これ天台宗の理具説の起こるゆえんなり。理具とは平等の理性に本来差別の事相を具有するをいう。これを体性本具説、あるいは因心本具説と名付く。その意、一理開発して万境を現ずるも、万境本来無なるにあらず、一理に具有して前後併存するによるをいう。これ畢竟天台にてはあらゆる差別をことごとく除き去りて、その極、無差別中に差別をみるに至り、一理万境、二様並存を唱うるに外ならず。故に天台の中道は空中に有を現じ、平等中に差別を存する論なり。これを空仮中三諦の法門と名付く。その仮とは空中に有を現ずるをいう。この理を推してさきにいわゆる相即不離、融通無礙の論意を了解すべし。これ実に中道の極致至理なり。これに至りて余がさきに述ぶるところの二様並存、一体両面の関係の全く一大仏教中において完成せるをみたり。故にその説は完全の真理を有するものと断定して可なり。

       第一四節 理論宗の批評

 天台以上に至りては、華厳宗あり真言宗あるも、その説は天台の理論を差別現象の上に応用したるものに外ならず。けだし天台は平等論の最上に達したるものにして、平等差別の中道を説くも、その実、平等を本とし差別を末とする傾向あるをもって、自然反動の勢い、差別の上に平等を立つる説起こらざるを得ず。すなわちその平等の理をただちに差別の一事一物の上に適用して、事々物々の融通自在なることを説きたるものは華厳宗なり。これを事事無礙論と名付く。また更に事々物々の方を本として平等の理を説くに至りたるものは真言宗なり。その宗に六大所成説あるもの、これなり。しかれどもこれらの諸説は天台の論理の方向を転じたるものに過ぎざれば、余は天台をもって理論の極点とす。以上は理論宗の大要なり。その論理の順序は差別より平等に向かいて進み、平等より差別に向かいて出で、平等極まりて差別を生じ、差別極まりて平等を生じ、二者並存不離の関係を証明せるものなり。すでにかくのごとく論理進達して中道の真理なるを知れば、さきにいわゆる万法即真如、真如即万法、あるいは差別即平等、平等即差別の原則の真理なることを知るべし。もしその真理なるを知ればわが目前の事々物々その体みな真如にして、この世すなわち真如世界なることを了すべし。果たしてしからば我人はもちろん、禽獣草木、山川日月に至るまで、みな真如の理性すなわち仏性を具し、この変化生滅の世界はまさしく不生不滅の極楽世界ならざるべからず。これ中道宗において我身即仏、此土即極楽と唱うるゆえんなり。これを煩悩即菩提、生死即涅槃という。天台にて「国土山川、ことごとくみな成仏す。」(国土山川悉皆成仏)を説くも、全くこの理に外ならざるなり。

       第一五節 実際宗の起源

 果たしてしからば、わが輩なんぞこの世界の外に極楽を願い、わが身の外に仏を望まんや。我人は生まれながらこの身のままにて、すなわち仏なりというものあるべし。しかるに天台等の中道宗は理論の外に実際を説ききたりて、我身即仏とは理論上のことのみ、実際上にてはわれわれは行を修め善を積みて始めて仏となるべしという。故に実際上にありては、天台、華厳の中道宗も、倶舎、法相の非中道宗も、更に異なることなし。これ理論宗に反対して実際宗の起こりたるゆえんなり。実際宗中、浄土諸宗も日蓮宗もみな天台の理論実際の契合せざるをみて起これり。けだし天台宗は差別平等の中道を説きながら、平等の上に理論を立てたるをもって、浄土諸宗はこれに反して差別の上に理論を立つるに至り、また天台宗は平等の上に理論を立てながら差別の上に実際を説きたるをもって、日蓮宗はこれに反して平等の上に実際を説くに至れり。つぎに禅宗は天台より出でたるものにあらざるも、その理論はやはり中道の真理に基づき「三界はただ一心のみにして、心の外に別法なし。」(三界唯一心、心外無別法)等の唯心の原理に照らし、わが心の本体すなわち真如の理性なれば、我人その本性を観見して成仏すべきゆえんを説けり。これを見性成仏の法という。この説と浄土諸宗の説との異同は、禅宗は主観界裏に成仏の道を立て、浄土諸宗は客観界上に成仏の法を立つるの点にあり。日蓮宗も主観上の説にあらずして客観上の説なれども、その浄土門に異なるは客観上に平等論を立て、即身成仏、此土即極楽の説をとるにあり。しかるに浄土門は客観上に差別論を立てて、わが身の外に仏あり、此土の外に極楽あることを説く。これ実際宗の中にありて諸宗おのおのその主義を異にするゆえんなり。しかして浄土一門の哲理は真宗の原理なれば、次段において論明すべし。

 

     第四段 真宗原理論 第一

       第一六節 真宗原理の分類

 仏教の大陸に入りてその山河の大勢を望見するに、倶舎、法相の山脈は広く有空二門の境遇にまたがり、天台、華厳の高嶺ははるかに真如実相の中天にそびえ、その妙その美、一望の下実に人をして仰嘆に堪えざらしむ。しかれども世間よくその山巓に登り、その真景に接したるもの果たして幾人かある。老弱婦女子の輩はいうに及ばず、強壮健全のものといえども、山至って高うして道極めて険なれば、容易によじ登るべからず。しかるに浄土一門はあたかも長江大河のごとく、遠く源を天台中道の高嶺に発し、有空二門の幽谷を過ぎ、流れて曠原平野にそそぎ、村落至る所その恩沢に潤わざるはなし。ことに真宗に至りては、いかなる愚夫愚婦もその慈水に浴せざるはなし。その世間を益するや、実に大なりというべし。今謹んでその教の原理とするものを考うるに、法相、天台等の聖道諸宗の原理と全く相反するもののごとしといえども、その実、平等差別中道の真理に外ならず。まず聖道浄土の異点を挙ぐれば、聖道門は我身即仏、此土即極楽を唱うるをもって、此土にありて成仏することを説き、浄土門は西方の極楽、西方の阿弥陀仏を立つるをもって、未来かの土に至りて成仏することを説く。また聖道門は自力の修行なれば難行道なり、浄土門は他力に依憑するものなれば易行道なり。更に浄土諸宗の原理の聖道諸宗に異なる要点を挙ぐれば左のごとし。そのうち第一条は純正哲学上より判定し、第二条は心理学上より観察し、第三条は宗教学上より論評するものなり。

  第一 平等論をとらずして差別論をとること(純正哲学上)

  第二 智力によらずして感情によること(心理学上)

  第三 道理を本とせずして啓示を本とすること(宗教学上)

 この三条中、第一条は要点中の要点にして、他の二条はこれに付属せるものに過ぎず。すなわち第一条の純正哲学上より論定せる原理は、第二条、第三条を貫通して浄土一門の教義を組織するものなり。その他、浄土門は理論を捨てて実際をとり、主観論を説かずして客観論を立つる等の諸点あれども、みな第一条の下に概括するを得るなり。すなわち余が第一一節に理論宗、実際宗を分かちて、浄土宗および真宗は実際宗なりといいたるは、その宗の実際を目的とするによる。実際とは彼我差別の境遇においてその事情に適応する教義を立つるをいう。これに反して天台のごときは国土山川悉皆成仏を唱うるは、平等一方の理論によりて立宗したるものといわざるべからず。しかして浄土門のごとき、実際宗中になお理論と実際との別ありて天台等と表裏相反する点あることは、第二〇節に至りて知るべし。また純正哲学上、聖道浄土の別は主観客観をもって配することを得べし。聖道門は「三界はただ心のみにして、ことごとく仏性あり。」(三界唯心悉有仏性)等の原理によりて、主観上より平等絶対の理体に到達する道なり。浄土門は西方浄土、十劫弥陀を立てて客観的差別相対の上に成仏の法を説きたる道なり。故に実際理論をもって分かつも、主観客観をもって分かつも、共に平等差別の原理に外ならざれば、余はここに平等差別の原理を掲げて他を略するなり。かくのごとく浄土門の原理は聖道門と水火相いれざるの勢いなるも、その間にまた一理脈の貫通するありて、一仏の金口に出でたる説なることを証すべし。その一理脈とは他にあらず、有空不離、融通無礙の中道にして、二様並存、一体両面の真理をいうなり。しかりしこうして浄土門は天台と密着なる関係を有し、その原理は天台の裏面より分かれたるものなれば、いちいちこれと対照して説かざるを得ず。余はかつて天台を評して、これ浄土、日蓮の二道の相分かるる追分にして、その表面より分かれたる道は日蓮宗に達し、裏面より分かれたる道は浄土門に達すといえり。

       第一七節 天台の平等論

 まず第一条の意を説明するには、天台は平等論なることを略言せざるべからず。さきにすでに論ぜしがごとく、小乗は差別論にして万有の成立を説き、法相も起信もなお差別の一部分を存して、いまだ全く平等の理に体達せず。しかるに天台に至りては平等論の最上に達して、人獣草木はもちろん国土山川に至るまで悉皆成仏すべしと説くに至る。これ平等論の極端といわざるべからず。しかりしこうしてその説あえて差別論を排するにあらず。すでに真如即万法と説ききたりて、差別と平等の同体不離なるゆえんを示せり。果たしてしからば天台の本意は平等差別の中道にありながら、その理論はやや、平等に偏したる嫌いなきあたわず。これ浄土門のこれに対して差別論をとるに至りたるゆえんなり。すなわち天台はわれと仏との一体なるを説き、此土と極楽との同所なるを説きて、その裏面に異体差別の理の存するを示さざるをもって、浄土門はわれと仏との異体を説き、此土と極楽との別界なるゆえんを示す。これ余が浄土門は天台の裏面より分かれたりというゆえんなり。しかしてこの二者の関係は、要するに理論を主とすると実際を主とするとにあり。天台は理論を主とするをもって、万法即真如、生死即涅槃の原理によりて我身即仏、山川成仏を説くも、もしこれを実際に考うるに、わが身決して仏にあらず、山川決して成仏することあたわざるは明らかなり。これをもって浄土門はこれより西方十万億土を隔てて、極楽浄土のあることを説き、その土に阿弥陀と名付くる仏体の存在することを説く。しかるにこの点は人の大いに怪しむところにして、何故に一仏教中の仏と極楽との説にかくのごとく水火相いれざるの相違あるや。この疑問に答うるには、人と人との関係について一例を示すべし。たとえばここに甲乙二人あり。その二人は容貌も年齢も共に異なれば、おのおの差別ありということを得ると同時に、その二人は共に人類にして、人の人たる一様の性質を有するをもって、同一平等なりということを得べし。けだし人と人との関係にも平等と差別との二様の理を具するによりて、平等の一面よりみれば甲乙二人その別なく、差別の一面よりみればその別あるなり。もしまたわれと尭舜とを較するに、われも人なり尭舜も人なれば、われすなわち尭舜なりということを得るは平等上の論なり。もし差別上よりこれをみれば、われは今日の人なり、尭舜はわれを隔てること四〇〇〇年前の人なりといわざるべからず。今、浄土に遠近の別あり、仏に彼我の別あるも同一理にして、差別の表面よりみると平等の裏面より論ずるとの異同あるによるなり。

       第一八節 我人の知見

 今更にこの関係を明らかにせんと欲せば、仏教にては極楽も地獄も、我人の知見に応じて異同ありと唱うるゆえんを知らざるべからず。この世界は本来真如開発の世界なれば、このまま不生不滅、安楽幸福の極楽界ならざるべからず。しかるに我人これをみて極楽界と信ずることあたわざるは、わが感覚と智識とはその程度なお低うして、これを極楽とみるの力を有せざるによる。けだしこの世界はわが感覚上の現象なれば、不完不明なる感覚をもってこれを接見すれば、不完なる世界を現じ、完全明瞭なる感覚をもってこれを観察すれば、完全なる世界を示すべきは当然の理なり。またこれを事実の上に考うるに、同一人類中にても、不学無識の愚民が鳥獣草木を見て感ずると、博物学者がこれを見て感ずるとは、大いにその趣を異にす。けだし生物学者は顕微鏡内に極楽を見、天文学者は望遠鏡内に浄土を見るべし。これによりてこれを推すに、今日の我人より一層発達したる智眼をもってこの天地宇宙を観見するときは、必ずわれがこれを感知するより一層美妙の世界なることを感知するに至るべし。果たしてしからばこの世界を極楽とみるも地獄とみるも、共にわが感覚智識の上にあるは明らかなり。これ畢竟この世界は本来真如界なるによる。これをもって天台等の中道の諸宗は此土すなわち極楽世界なりという。しかれども、これ我人の知見ようやく進みて完全明瞭の地位に達したるときに限る。もし今日の知見によりてこれをみれば、この世界の極楽界にあらざることまた明らかなれば、われ今日の境遇より考うるときは、極楽は此土の外にありといわざるべからず。これ浄土門にありて西方の極楽を説くゆえんなり。これを要するに聖道門にては完全なる知見の上に極楽を説き、浄土門にては不完なる知見の上に浄土を立つるによりて、その地位に異同を生ずるなり。しかして西方十万億土に極楽ありというがごときは、ただ此土をへだてること遠しとの意を示すのみ。語を換えてこれをいえば、わが感覚上の境遇をへだてること遠しとの意のみ。

       第一九節 天台浄土、理論の相反

 もし更につまびらかにこの関係を知らんと欲せば、理論と実際とを弁別して説かざるべからず。天台は理論宗なれども、理論の外に実際を説きてその二者相合せざるところあるをみる。その相合せざるは、平等の上に理論を立てながら、差別の上に実際を説きたるによる。浄土門はこれに反して、差別の上に理論を立てながら、実際においてはかえって平等をとるに至る。まず天台にて理論、実際を分かちたるゆえんを考うるに、理論上我身即仏を唱うれども、実際上我人仏にあらざること明らかなれば、実際と理論の異なるゆえんを示すに、氷と水の比喩をもってす。けだし仏教にて真如万法の関係を示すに水波の比喩をとり、真如は水のごとく万法は波のごとく、万法即真如は波すなわち水なりというがごとしと説くことあり。これと同じく理論、実際の関係をもまた水によりて説明し、理論上われすなわち仏なりというは氷すなわち水なりというに同じ。なんとなれば、わが本体すなわち仏なるは、氷の本体すなわち水なると同一なればなり。しかれどもこれただ理論のみ。もし実際上これをみるに、氷は氷にして水の用をなさず、水は水にして氷の形を有せず、二者全く別物なるがごとく、我人と仏とはまた同体にあらず、我人は不明不完の迷見を有し、いわゆる煩悩の氷を有するものなれば、その氷の解けたる仏とは決して同体なりというべからず。しからば我人はいかにして仏になるべきやというに、その本性すでに仏なれば、我人は善因を修め徳行を積み、もって漸々にその氷を溶解し、他日を待ちて仏果を得るに至るべし。これにおいて天台にては修行の階級を設け、漸次に一級ずつ進みて他日仏果の位に達することを説く。しかるに我人の有する氷は至って堅くして、容易に溶解すべからざれば、仏果に達するに非常の難苦と永遠の年月とを要するなり。故に浄土門はこれを名付けて難行道という。これ畢竟天台にては理論の上にわれも仏も同一なりといえる平等論を唱えながら、実際上にはわれと仏との異なる差別論をとるによる。しかるに浄土門はそのいわゆる実際上に理論を立てて、畢竟聖道門にて我人が成仏するに永遠の年月を要するは、我人は凡愚にして仏とその性質を異にするによるとなす。故にわが身の外に仏あり、此土の外に極楽ありと説ききたるなり。

       第二〇節 天台浄土、実際の相反

 かくのごとく、天台の理論と浄土の理論とは平等差別の相違ありて表裏相反すといえども、もし浄土の実際に至りては、かえって平等論をとりて差別の階級を設けず、だれにても信心を得たるものは、未来において即時に西方極楽に至りて成仏すべしという。すなわち天台にては理論上にて煩悩即菩提、生死即涅槃と説きたるに、浄土門はその理を実際上に適用しきたりて、我人のごとき凡愚の身がひとたび他力に帰順すれば、自ら煩悩の氷を溶解せざるも、その迷いのままにて仏になるべし。これ煩悩即菩提なるによるとなす。しかりしこうして我人と仏との異同は煩悩の氷の有無による以上は、その氷を解かさずして仏になるべき道理万あるべからずといいて疑うものあるべしといえども、その氷はわが力にて解かさんとするときは、永遠の年月を要するをもって、われはむしろこれを抱き守るにしかず。しかしてわれより千百倍勝れたる仏の力によるときは、即時に溶解し去ることを得べし。これ自力、他力の名称の分かるるゆえんなり。聖道門は自身の力にしてその氷を溶解せんとし、浄土門は他の力によりて溶解せんとす。その一は自力の修行、その二は他力の修行なり。これを要するに天台と浄土との関係は左の表について一見すべし。

  天台 理論・・平等論

     実際・・差別論

  浄土 理論・・差別論

     実際・・平等論

 もし浄土実際の他力の理を明らかにせんと欲せば、他力の本体はいかなる仏にして、その仏と我人の間にいかなる関係あるやを論ぜざるべからず。

       第二一節 阿弥陀仏の性質

 まず浄土門にて立つるところの仏はこれを阿弥陀仏と名付け、西方十万億の浄土に所住する仏体をいう。阿弥陀は無量寿もしくは無量光と訳し、時間を窮めてその寿命の尽くるなきを無量寿といい、空間を極めてその智慧の照らさざるなきを無量光という。実に諸仏中の最上に位する仏なりとなす。およそ仏教にて仏と名付くるものに平等差別の二様ありて、平等上の仏は真如と同体にして、我人もわが心もまたみなこれと同体なり。これを「心と仏と衆生、この三差別なし。」(心仏及衆生是三無差別)と称して、その仏は天台、華厳等の平等的理論の上に説くところの仏をいう。もし差別の上に考えきたらば、「心と仏と衆生、この三別あり。」(心仏衆生是三有別)にして、われと仏と真如とおのおの別物ならざるべからず。今、浄土門の阿弥陀仏はこの差別上の仏をとり、真如平等の理性を義とするにあらず。故にその仏はただに我人と異なるのみならず、他の諸仏とも異なりて、諸仏中最上の徳と力とを具したる仏なり。故にその仏は差別の最上に位したるものというべし。すでに差別の最上に位せる以上は真如とその性質を同じうし、その作用を一にするも、真如そのものと同一なるにあらず。すなわち裏面には真如とその性徳を同じうするも、表面には差別の成立を有して、真如とおのずから異なるところあり。故にその成仏の年歴を説くにも十劫となす。すなわち経文に成仏以来凡歴十劫という、これなり。これ差別の仏身を義とするにあらずしてなんぞや。もし平等の本性についてこれをいえば、無始久遠と説かざるべからず。けだし仏教にて仏身を論ずるに法、報、応の三身を分かつ。そのうち法身は真如の理なれば平等の体なれども、報身はその徳に報酬したる結果の仏身なれば差別の仏身なり。応身は群類を化益せんがためにこの世に現じたる仏身なれば、またもとより差別の仏身なり。阿弥陀の体にもこの三種の仏身を具有するをもって、平等差別の二様の理を一身の上に具備すること明らかなり。しかるに浄土門は差別上に理論を立てたるものなれば、その仏はもとより差別上の仏身をいうなり。決してその仏と真如の理性とを混同することなかれ。果たして差別上にかくのごとき仏体の存するゆえんは更に証明を要するなり。

       第二二節 阿弥陀仏の証明

 そもそも仏教は因果教と称して徹頭徹尾、因果の理法をもって組織し、善因善果悪因悪果をもって全教一貫の通則となし、仏陀も菩薩もみな善因を修めて善果を得たるものに外ならずとなす。しかして善因異なればその果また異ならざるを得ざれば、仏にも種々の仏あり、菩薩にも種々の菩薩あるに至る。これ自然に道理のしからしむるところなり。果たしてしからば空間の限りなき時間の窮まりなき、世界の無数なる生類の無量なる、その間にはいかなる最上の善因を修めて、最上の善果を得たるものあるやも知るべからず。たとえば一の数あり、二の数あり、これに一〇〇倍、一〇〇〇倍、万倍する数ありと知るときは、これを推して無数無量倍する大数あることを論じ得ると同一理なり。もしこれを我人の上に考うるときは、われより下等なる禽獣あり魚虫あり、草木あり土石あり。草木は土石より一層高等に位し、魚虫は草木より一層高等に位し、禽獣は魚虫より一層高等に位し、人類は禽獣より一層高等に位する理を推すときは、更に人類よりは一層、二層ないし百千層高等に位するものあるを知るべし。もし善因善果の道理真なれば、必ずこの推論も真ならざるべからず。これをもって人類より数層高等に位する仏菩薩あることを推知するを得べし。しかしてその仏菩薩にもまた種々の等位あるべきをもって、その等位中最上に位する仏体なかるべからず。これを阿弥陀仏と名付く。すなわち浄土門に立つるところの仏なり。その仏は無量の善因を修め無量の善果を得たる体なれば、また無量の徳と力とを有せざるべからず。故にその体は差別の最上に位して、平等の真如とその性質を同じうするものなり。その性質とは無礙自在の徳と力とをいう。すなわち無量の智慧と無量の慈悲なり。我人なお多少の智慧と慈悲とを有す。いわんや我人に無量倍する阿弥陀仏においてをや。この無量円満の悲智の光によりて組織したるもの実に浄土一門の教義なり。ああ、それ無量深大の教義ならずや。

       第二三節 他力成仏の理

 かくのごとく阿弥陀仏の無礙自由の徳と力とを有し、無量無辺の智と悲とを有するゆえんを知るときは、我人その体に帰順依憑して、わが生来抱有せる煩悩の堅氷をその力によりて一時に溶解し、たやすく成仏するゆえんの理を知るべし。聖道門は自力の修行なれば、自らその氷を溶解せざるべからず。故に永久の年月を要すといえども、浄土門は阿弥陀仏の無量無礙の光によりて溶解するものなれば、もとより年月も苦行も要せざるなり。しかれども我人一心にその仏を信念せざれば、たとえその体に平等自在の徳を有すといえども、我人その悲光の余沢を被むることあたわざるは、けだしその仏の慈悲は智慧によりて発し、道理によりて生じたるものなれば、道理に反する救助をなすべき理なければなり。今我人その仏を信念せずして、その救助を受けんとするは、これ道理に反するものなり。語を換えてこれをいえば、因果の規則に反するものなり。これあに仏教の許すところならんや。かつ余はその徳の無礙自在なるを、太陽の光線の無礙自在なるに比して説明せんとす。日光は自由自在にして、いかなる間隙も必ずこれに入り、その力の及ぶところ、高下大小平等に照らさざるはなしといえども、暗室ありてその窓戸を密鎖するときは、その中に照入することあたわず。今、阿弥陀仏の悲智の光は実に無礙自在にして、賢愚利鈍を平等に照らさざるなしといえども、我人はわが心内に煩悩の堅氷を蓄え、四面を鎖してあたかも暗室のごとし。故をもって無礙の光もその内に入るあたわず。もし我人、阿弥陀仏に対して、わが心門を開きてその無量無礙の悲智の二光をその中に入るるときは、あたかも太陽に向かいて暗室の窓戸を開くがごとく、わが年来蓄積せる堅氷一時に溶解して、未来浄土往生の即時に決定するに至るを得べし。これを正定聚の位に住すという。しかしてその心門を開くとは一心一向に信念するをいうなり。この理によりて真宗一家の伝うるところの信心正因、他力往生の理を了知すべし。しかるに世間の論者は自力成仏は因果の規則によるをもって道理に合すといえども、他力成仏は因果の規則に反するをもって信じ難しという。これ因果の理法を知らざるもののみ。およそ因あれば必ず果あるは自然の定理なりといえども、その修むるところの因は必ずしも一道に限るにあらず。難行の因を修めてその果を得るも、易行の因を修めてその果を得るも、共に因果の理に従うものなり。たとえば飲用水を求むるに、自ら地をうがちて井水を得るは難行なり、源泉の自然に流るるものを引ききたりてこれを用うるは易行なり。人だれかこれを評して、その一は原因によりてその果を得、その二は原因なくしてその果を得たるものというや。これ共に因果の規則によるにあらずや。今、阿弥陀の徳はこの自然に流るる水のごとく、我人はすこしも自らその力を役するを要せず、ただこの水をわが体内に引ききたるのみにて、成仏の目的を達することを得べし。これを真宗にては弥陀に帰順する即時に、その仏所有の諸善万徳がわが心中に融入顕現しきたりて、我人をして浄土往生決定の地位に至らしむると説きて、その道理は南無阿弥陀仏の六字中に包含して存すという。この六字中、南無とは帰命と訳し、帰命とは本願招喚の勅命なりと釈して、すなわち我人が阿弥陀仏の命令に帰順することなり。しかして阿弥陀仏は群類衆生を化益救助せんがため大願望を起こして、すでに難苦を重ねてその望みを成就したる体なれば、我人がその体に帰順すると同時に、その仏力によりて我人を救助し得るものとなす。この力を阿弥陀の願力と名付く。よって我人の浄土往生はこの願力によるも、その力をわが体に引ききたるには、その願力を信受し、その命令に帰順するを要すれば、これを自力の修行に比するに、ただ難易の別あるのみにて、共に因果の規則に基づくものなりと知るべし。

 

     第五段 真宗原理論 第二

       第二四節 感情的宗教

 前段は浄土門の純正哲学に属する部分を論評したるものにして、すなわち浄土門は平等論をとらずして差別論をとるゆえんを述べたるものなり。しかしてその実、表面に差別をとり、裏面に平等をとるゆえんおのずから知るべし。浄土門の阿弥陀仏は差別上の仏体を指すものなれども、その徳に至りては真如平等の理に異ならず。また我人と仏との差別を説きながら、成仏の一段に至りては階級年月の差別によらず。これ余がさきに浄土門を評して、理論上に差別をとり、実際上に平等をとりたりというゆえんなり。畢竟するに平等と差別とは表裏両面の関係を有し、同体不離の性質を有するによる。つぎにその原理の第二条に移り、心理学上より講究するときは、浄土門は智力によらずして感情によるゆえんを説明せざるべからず。しかしてこの心理上の説明は第一条の原理と同一の関係を有して、表面は感情により、裏面は智力により、智情両面一体の道理に基づくものなり。これに対して聖道門は、表面に智力をとり、裏面は感情によるものなり。故にこの点もまた天台と浄土と相反するゆえんを知るべし。しかして余が浄土門を名付けて感情的宗教といい、聖道門を名付けて智力的宗教というは、ただその表面一方に与うる区別のみ。まず浄土門を感情的宗教となすゆえんは、我人の身上に考うると、我人が信念する仏体の上に考うるとの二様あり。第一に我人の上に考うるときは、その宗門にては人の賢愚を問わず、いかなる無智無学のものにても信じ得べき教義を説き、人の学問道理によらずして、ただ信念依憑を本とするは、その智力的にあらざるゆえんなり。ことに真宗にては信心正因と説くがごとき、その信心は阿弥陀仏の命令に帰順し、その願力に依憑することと解するがごとき、またこれによりてわが心に安楽慶喜を生ずというがごときみな感情的作用ならざるはなし。第二に仏体の上に考うるときは、阿弥陀仏には、智慧と慈悲との両徳を兼備するに、浄土門はそのうち慈悲門を開きて立てたる宗旨なれば、これまた感情に属せざるべからず。

       第二五節 我人の感情

 まず我人の上にその宗義を考うるに、浄土門の信心は愚昧の妄信なるがごとくみゆれども、その教理のよりて起こるところを尋ぬるに、中道諸宗の哲理を実際に応用しきたりたる信心なれば、決して妄信というべからず。ただ我人がいちいちその哲理をわが智力に訴えて討究せざるのみ。そもそも信に二種あり。すなわち道理窮まりて生ずる信と、道理によらずして起こす信、これなり。この道理によらざる信にまた二種あり。すなわち道理に合するものと、道理に反するもの、これなり。真宗一家の信は、天台の理論の裏面によりて組織せる道理によるものなれば、たとえ人をしてその理を究めしめざるも、その実、道理に合する信なること疑いをいれず。また真宗信者のその教えを信ずるは、感情の作用によるというも、感情には下等の感情と高等の感情との二種あることを知らざるべからず。たとえば愚民は雷を恐れて雷神を祭り、洪水を恐れて水神を祭るがごときは、恐怖の妄情より発し、利己の私心より生ずるをもって、下等の感情に属するものというべし。野蛮人種の宗教はみなこの種に属す。しかるに博愛共楽の大慈悲心より起こりたる宗教的情操は実に高等の感情にして、人の人たる真正の徳性を啓発し、その中には真善美の三元素を包有するものなり。かくのごとき情操によりて組織せる宗教は、実に高等の宗教といわざるべからず。今、真宗にて立つるところの教義は、まさしくこの博愛共楽の慈悲心に基づきたるものにして、真善美の徳性を啓発せるものなり。すなわちその宗にては阿弥陀仏の大慈悲をわが体に融入しきたりて、われをしてその悲光の中に歓喜踊躍せしむることを説くをもって、決して恐怖利己の私心より生ずるものにあらず。すでにその宗にて悪人正機と説きて、悪人をもって第一の目的とし、五障三従といいて女人を貶斥するがごときは、実に弥陀の慈悲の平等無私なることを示すものなり。けだし弥陀は我人を一子のごとく平等に愛憐するをもって、悪人をみれば一層愛憐の情を引き起こし、これを救助せんとするの念一層はなはだし。ことに婦女子のごとき、天然の性質として男子と同等の職務に就き、同等の権力を争うことあたわざるものをみれば、その慈悲心の深きこれを不問に付することを得ざるなり。およそ人の父母たるものは、その子を平等に愛憐するをもって、そのうち遊惰放蕩にして一身の活路を立つることあたわざるものあれば、これを愛憐するの情かえって他の子を思うよりはなはだしきものなり。また生来体質羸弱あるいは不具にして、他人と同等の職務に就くことあたわず、同等の権力を争うことあたわざるものあれば、一層これを愛する情切なるものなり。また父母がその子の悪を挙げてこれを責め、他人の善を挙げてこれをほむるは、自身の子を憎むにあらずして、愛するより起こることは余が弁を待たず。故に仏教にて殊更に女子の悪を挙ぐるの意は、女子を貶斥するにあらずして、これを愛憐するの情一層深きによるものと知るべし。かくのごとき平等無私の大慈悲心に基づきて組織せる宗旨なれば、決して利己の私心によりて成立せる宗教と同日に論ずべからず。しかして真宗にては利己の私心より生ずる祈祷禁厭のごときは、一宗の法規としてこれを禁止せり。かつ真宗にて称名念仏を勧むるも、ただいたずらに口に唱うる念仏をいうにあらず。六字の意をよくその心に了解し、その味を受領して、一向に阿弥陀仏に帰依する宗義なれば、全く感情一方の念仏というべからず。故に浄土門ことに真宗は感情的宗教なりというも、感情中高等の情操に基づきたるものなることを知るべし。しかして高等の情操は真善美の諸徳を具有し、完全なる道理、明瞭なる知識に基づきたるものなれば、もとより智力の最上より生じたるものなること、またあえて多言を要せんや。故に余は浄土門は表面に感情を示し、裏面に智力を具し、情智両全の宗教なりというなり。畢竟かくのごとき高等の宗教のわが国に起こり、かつ今日に行わるるは、わが人民一般の知識の程度意外に高きを証するに足る。

       第二六節 仏体の感情

 つぎに仏体の上に考うるに、浄土一門において立つるところの仏は、さきにすでに述べたるがごとく、平等の理性をいうにあらずして、差別の仏身を義とするものなれば、その体の上に心性作用を具することを説き、無量の智慧と無量の慈悲との存することを示すをもって、ヤソ教の天神とはなはだ相近きもののごとくみゆるも、また大いにその趣を異にするところあり。ヤソ教にてはこの宇宙万有は天神の意志によりて創造したるものにして、我人の善悪賞罰も天神の独断によりて審判するものなりと説くをもって、道理上講究するときは天神のなんの目的をもってこの世界を作りしや、何故にかくのごとき不幸不完の世界を作りしや、何故に悪心をわれに賦与せしや、何故に我人をしてことごとく神を信ずることを得せしめざるや、神は果たして全智全能を有するものなるや、全智全能の神ならば世界創造の時にすでにその最後の結果を予知前定すべき理ならずや、すでにこれを前定する以上は、何故に人に自由意志を与えて、いたずらにその果たして善をなすか悪をなすかを試みることをするや、神は我人がその賦与されたる自由意志によりて、いかなることをなすかを創造の時に前知するの智力を有せざりしや等の難問続々起こりきたりて、道理上はなはだこれが説明をなすに苦しむ。これ畢竟その教の古代蛮民の想像に基づきて起こりたるものにして、道理上の宗教にあらざるによる。しかるに仏教は徹頭徹尾、道理に基づきて組織したる宗教なれば、この天地宇宙は真如開発の世界なりと定む。故にその間に現見する森羅の諸象はもちろん、我人の精神も神も仏もその体みな真如なれば、みなことごとく真如自体に固有せる規律に従わざるべからず。その規律とは因果の理法、これなり。故に我人を賞するものもこの理法にして、罰するものもこの理法なり。我人が自ら進みて仏になるも、我人にさきだちて仏になりたるものあるも、仏が我人を救助することを得るも、我人がその力に依憑して浄土に往生することを得るも、一として因果の理法によらざるなし。故に阿弥陀仏は我人に無量倍する無量の智慧と慈悲とを兼有するに至りたるも、我人に無量倍する無量の善因を修めて得たる結果なりと知るときは、すこしも怪しむに足らざるなり。これ畢竟その教の道理教にして、想像教にあらざるによる。また仏教にて仏に種々の仏あり、極楽に種々の極楽ありと立つるも、原因に種々あれば、結果にも種々あるべしといえる因果の理法に出でたること明らかなり。またこの世界は真如開発の世界にして、事々物々その体みな真如なれば、人類はもちろん、国土山川に至るまで、もし成仏の原因を修むることを得れば成仏すべき道理なるをもって、天台にては「国土山川、ことごとくみな成仏す。」(国土山川悉皆成仏)を説くに至る。また我人がだれにてもその迷執を払い去れば、仏性を開発して仏となると説くも、またみな因果の道理に外ならず。たとえば氷を溶解すれば水となるは、その体もと水なるによる。氷もし砂石よりなりたるものならば、なにほどこれを火に温むるも水に湿すも、決して水となるべからず。すなわち我人はわが迷執を溶解し去れば仏となるは、畢竟その体もと真如にして、我人に本来仏性あるによるといわざるべからず。これみな因果必然の理法に基づくものなり。しかるに浄土門は実際差別の上に立てたる宗旨なれば、我人自ら煩悩を断滅して仏性を開現することあたわざるものと断定し、阿弥陀仏に帰依する他力成仏の説を唱うるに至れり。これ因果必然の理に反するがごときも、前段第二三節にも論ずるがごとく、ただ原因の種類異なるのみにて、やはり因果の理に基づくや疑いなし。これによりてこれをみるに、浄土門にて阿弥陀仏を立つるは、表面にはヤソ教の天神のごとく、想像的感情上に現ずる体をとるもののごときも、裏面には因果必然の理法によりて論定せる道理的智力上より出でたる説によるものなるや明らかなり。もしまた浄土門のよりて開けたる阿弥陀仏の慈悲門を考うるときは、その裏面に智慧門ありてその光の返照に出でたること明らかなれば、実に智情一致、悲智兼備の上に立てたる宗教なるを知るべし。けだし仏には自ら進みて真理を証得する作用と、顧みて世間を利益する作用との二種を具有す。その一は智慧にして、その二は慈悲なり。今、阿弥陀仏の無量の慈悲は無量の智慧より生じたるものなれば、表面に感情の相を示して、裏面に智力の性を抱くものというも不可なることなし。

       第二七節 感情智力の兼備

 かくのごとく浄土門は我人の上に考うるも仏体の上に考うるも、共に感情によりて組織したる宗教なること明らかなりといえども、その実全く下等の妄想的感情によりたるものにあらずして、道理智識に基づきたる高等の感情によりて組織せる宗教なること、また疑いをいれず。故に余はこれを、表面に感情を示し裏面に智力を含む宗教なりという。これに反して、聖道門は智力によりて組織したる宗教にして、自ら道理を究めて真理を証得する主義をとり、徹頭徹尾、道理をもって貫きたるもののごとしといえども、また全く感情の元素を含有せざるにあらず。すなわち聖道諸宗にありても、釈迦所説の教義は真なりと信じ、これによりて迷苦を脱して悟楽を得んことを願うがごとき、みな感情に属する作用なり。また大乗宗にありては、その仏も我人の修行もみな自利利他兼行を目的とし、悲智両作用を開発するにあれば、道理の裏面に感情を包含するものなること明らかなり。今左に聖道、浄土二門の別を示すべし。

  聖道門 表面・・智力

      裏面・・感情

  浄土門 表面・・感情

      裏面・・智力

 故に心理学上比較するに、聖道、浄土は純正哲学上の比較と同じく、正反対の性質を有するものなり。しかりしこうして二様並存、一体両面の原理よりみるときは、一仏教中にかくのごとき相反の点あるは、かえってその完全の宗教なることを証するものなり。語を換えてこれをいえば、智情兼全、悲智円満の宗教なることを示すものなり。もしその二者中一方のみをとりて他を排するものなるときは、これ中道の正理を失したる偏見といわざるべからざるも、両面一体の関係によりて開立したるものなれば、もとより中道の真理というより外なし。しかりしこうして浄土門の真味は、むしろこの感情の一方にありて存することを忘るべからず。けだし絶対不可知的の妙は、智力によりて推測すべきものにあらずして、情操上に感受すべきものなり。ことに妙中の妙に至りては言亡慮絶にして、ただこれを無言無思の間にありて直覚するより外なし。今、真宗の信心は全くこの点に基づき、仏力の不思議わが体に融入しきたりて、実にわれをして知らず識らず天に舞い地に躍るの大歓喜を得せしむ。真宗の妙それここにあるか、これ余が次段に論明せんと欲するところなり。

 

     第六段 真宗原理論 第三

       第二八節 道理と啓示との別

 これより真宗原理第三条に移り、浄土門は啓示によりて絶対門を開きたる宗旨なることを論明せんとす。啓示とはあるいは天啓といいあるいは顕示というもその意同一にして、さきにすでに解するがごとく神仏聖賢の啓告訓示を義とするなり。もし真宗を哲学上より講究せんとするときは、第一条の原理最も重要なるものなれども、もし宗教上より信念せんと欲するときは、この第三条最も重要なりとす。これを要するに、第一条は全く道理智識の範囲内に属し、第二条はその内外にまたがり、この一条は全く道理以外、智識以上にわたりたるものにして、宗教にはこの一種の原理を加えざれば、決してその組織を完成することあたわず。およそいかなる宗教にても、その基づくところの原理は道理以外、智識以上、不可思議、不可知的、平等絶対の本体なれば、道理智識以内を目的とする学問とは決して同一に論ずべからず。我人も強壮無事の日にありては、更に宗教思想の起こることなきも、いったん老衰病患あるいは災難等に会するときは必ずわが心の動くありて、人智の有限、人力の有量を感じ、始めて不可知的の関門をたたき絶対の本体に向かいて呼ぶに至る。しかしてその体わが道理知識の外にあれば、我人は啓示を信じて宗教に帰するより外なし。けだし宗教の妙も仏教の妙も真宗の妙も、この啓示を離れて存すべからず。故に古来宗教学者中にも、宗教には道理と啓示との二様並存の必要を唱うるものあり。けだし道理一方にて組織したるものはこれ哲学なり、啓示一方によりて組織したるものは単純の想像的すなわち感情的宗教なり。もし完全の宗教をみんと欲せば、この二種の性質を兼備したるものをとらざるべからず。西洋にて哲学上に宗教を組織せんと欲するものあれども、道理一方によるをもってその目的を達し難し。またヤソ教のごときは啓示一方をもって立てたるものなれば、今日学説と抵触するところ多くして、将来これをもって学術世界の宗教とすること難し。しかりしこうしてひとり仏教は道理、啓示二方によりて組織せるものなれば、実に将来の世界に適合せる宗教というべし。これ真に仏教の諸教に超過せる点ならんと信ずるなり。しかして道理上の論究は前二段において大略弁明し終わるをもって、これより啓示の一点を説明せんとす。

       第二九節 人智の有限

 今この点を説明するに当たり、まず人智の有限なるゆえんを論究せざるべからず。人智もし無限ならば宇宙内外の道理ことごとく知り得べき理なれども、人智にて知るべからざるものいくたあるを知らず。しかしてその知るべからざるは、他日、人智の進むに従って知り得べきものを意味するにあらずして、到底万々世ののちに至るも知るべからざるものをいう。たとえば宇宙以外の状態いかん、絶対世界の実況いかん等の問題、これなり。かくのごときは人智の進歩によるも、将来到底知るべからざるものなることを知るのみ。すでに古来の学者がみな物質の実体、心象の本性のごときは断言してこれを不可知的に属したるは、人智の有限なるによるなり。しかるにこれに反対して不可知的は決して人智以外のものにあらず、すでに不可知的の不可知的なるを知れば、これ可知的なるにあらずやと論ずるものあり。その論一理ありといえども、およそ知るということに二種あるゆえんを記せざるべからず。その一は知るべしと知り、その二は知るべからずと知る、これなり。もし人智果たして無限なるにおいては、その二者共に知るべしとして知らざるべからず。しかるにその中に知るべからざるものの存するは、畢竟有限を証するものなり。たとえ人智は仏教にて説くがごとく、真如の理性より開発するものなれば、その本体無限なりとするも、無限の裏面には必ず有限の存するありて、二者相離れざるものといわざるべからず。しかして我人はその有限の一面に知識を開くものなれば、その知識上知るべからざるものあること疑いをいれざるなり。かつ人智は相対よりなり、これによりて知ることを得るものは相対差別の境遇に限るということは、古来学者の一致する論にして、その説によるも絶対の境遇は不可知的に属すべきは言を待たず。これを要するに、人智は有限にして絶対不可知的を知るの力なしというべし。

       第三〇節 絶対と啓示との関係

 果たしてしからば我人はいかにして絶対の境遇の存するを知り、絶対の本体の存するを知るや。阿弥陀仏ならびに極楽世界はさきに示すがごとく、差別上に立つるところのものなれども、これを差別上に置くはただ表面一方の見のみ、その裏面の性質を論ずるときは絶対の本体、絶対の境遇といわざるべからず。しかるにわが相対の智力をもってこれを知ることを得るは、いかなる道理によるや。これ必ず起こらざるを得ざる疑問なり。けだし我人の智力は有限なるも、全く絶対を知るべからざるにあらず。相対の推理の及ぶ限り絶対そのものも多少知り得るなり。すなわち絶対不可知的の存在のごとき、これなり。すでに相対の境遇あればこれに対して絶対の境遇なかるべからず、可知的の現象存すればこれに対して不可知的の本体存せざるべからず。これ我人の相対の推理の及ぼすところなれば、その存在するや否やは知り得るなり。しかれども絶対そのものの性質、あるいは不可知的その体の作用に至りては、我人の有する相対的知識の知る限りにあらず。しからばその性質作用はなにによりて知り得るか、これすなわち啓示によるものなり。啓示とはなんぞや。わが方より推究して知るにあらずして、絶対不可知的の方よりわが上に告知するをいう。あるいはわれより一層優れたる知識を有するものよりわれに訓示するをいう。この啓示の理はもとより論理上よりも推究することを得べし。たとえば我人のごとき有限の智と力とを有するもの、なお多少相対の外に絶対の存するを測知することを得る以上は、われより優れたる無量の智と力とを有する神仏の体、果たして存するにおいては、必ずかの方よりわが方へ啓示することを得べき道理なり。われはかれを測知することを得て、かれはわれに啓示することを得ざる道理あらんや。この理によりて宗教上にては、絶対不可知界の性質作用は啓示によりて知り得るものとなす。

       第三一節 仏教と啓示との関係

 すでにしからば仏教はだれの啓示によりたるものなるや。曰く、釈尊の啓示による。すなわちその一代五〇年間の説法、これなり。もしまた釈迦の本地を尋ぬれば、阿弥陀仏の啓示というて可なり。今、聖道諸宗もみなこの啓示を要せざるにあらざるも、その成仏は自力の修行によるものなれば、浄土門のごとくはなはだしからず。浄土諸宗は阿弥陀一仏に帰依して、未来その浄土に往生せんことを志願するものなれば、必ずこの啓示を信ぜざるべからず。もとより道理上においても阿弥陀仏の存すべきゆえん、およびこの仏に帰依して未来成仏すべきゆえんは多少推知することを得るも、その果たしてしかるゆえんを直接に証見するは、釈迦、弥陀の諸仏の啓示、ならびに真宗においては、その開山および七祖の垂訓によるより外なし。およそ世間の人にしていやしくも仏教の門に入り、真宗の法をうかがわんと欲するものは、必ずこの点において信ずるところなかるべからず。けだしその宗において末代今日の凡愚というは、ひとり今日の愚夫愚婦を指すにあらず、いかなる智者学者にても有限の知識を有する以上は、無限の知識を有するものよりこれをみれば、実に無智不学の凡愚と呼ばざるべからず。また今日の青年書生が二、三の書を読み、一、二のことを知るも、これを釈尊のごとき大聖人に比して、果たして智者学者と誇称することを得べきや。余輩が物理、天文の一部を知るも、自ら発見してこれを知るにあらず、他人の発見したるものを他人のあらわせる書について知るのみ。しかるに釈迦牟尼大聖は自ら宇宙の大真理を啓発し、前代未聞の大宗教を開立し、その教えは滅後四方に伝播し、三〇〇〇年下の今日にありて全地球上五億人の信者あるをみるは、実にその徳化の無量無辺なるを驚嘆せざるべからず。余輩果たしてこの大聖人と比肩すべきや。たとえ余輩今死するも、だれか一〇〇年ののちその墓を訪い、その名を記するあらんや。これあに天壌の相違あるにあらずや。しかるに今日の青年輩、ややもすればかくのごとき聖人を軽賎し、みだりにその説を排斥せんとす、なんぞ思わざるのはなはだしきや。請う、すこしく自省するところあれ。もしそれ我人の智力の有限なるを知りて更に深く哲理の上に考うるに、この眼前の世界はわが五感上に成立する現象に過ぎず、わが心内の思想といえども、わが脳髄中に発動する作用にほかならざれば、仮に五感以上の感覚を有し、人類より数倍発達せる脳髄を有するものありと定めて、もって我人の今日論ずるところ、争うところのものを考えきたらば、実に抱腹に堪えざること多からん。かくのごときは空想の一種なりといえども、空間の広き時間の永き世界の多き宇宙の大なる、果たして五感以上のものなきを保証すべからず、また我人より数倍発達せるものなきを断言すべからず。故に我人はその有限の智力にて知るべからざるものあらば、よろしくわれより高等に位せる聖賢、神仏の啓示に依憑せざるべからず。この点は仏教中浄土一門、別して真宗に要するところなれば、左にその理由を述ぶべし。

       第三二節 真宗と啓示との関係

 聖道諸宗は平等上に理論を立て、差別上に実際をとり、浄土および真宗はその反対をとりたることは、さきに第二〇節において論明せるところなるが、更にその理を絶対相対の上において考うるときは、聖道門の実際は相対差別の上について一善一善を修めて、一級ずつ昇進する漸進的秩序によりたるも、浄土門はしからず、その実際は相対より絶対に超達する直進的方法をとりたるものなれば、格別に啓示説を信ぜざるべからず。すでに真宗において左のごとき分類をなし、真宗はその中の横超に属するは、ただちに相対より絶対に超達するをいうなり。

  大乗 頓教 竪超(難行道聖道門すなわち天台、華厳等)

        横超(易行道浄土門すなわち真宗)

     漸教 竪出(難行道聖道門すなわち法相宗)

        横出(易行道浄土門すなわち浄土宗等)

 しかして聖道門を竪超、竪出と称してこれに竪の字を配するは、その修行の相対的にして、漸々昇進して絶対に到達する方法によるの意を示すなり。これに反して真宗のごときは竪に相対の階級を昇り極むるを要せず、横に相対よりただちに絶対に超達する一種の新法なれば、横の字を付して余宗に区別したるものなり。しかるにこの点は聖道諸宗の修行と真宗の修行と一致適合せざるをもって、真宗信者すらなおその修行の因果の理に合せざるを疑うところなりといえども、これ畢竟相対より絶対に達するに表裏二道ありて、聖道門は表面の道をとり、浄土門は裏面をとりたるによるのみ。もとより因果の理において二様あるにあらざるなり。しかれども我人のいわゆる因果の理は相対上にあるものにして、絶対上に存するものにあらず。なんとなれば、因果そのものすでに相対なればなり。因は果に対し、果は因に対して、因あり果あるものなれば、その相対の理法なること明らかなり。故に人智の及ぶところ、因果の理の存せざるはなしといえども、人智以外なる絶対の内部に入りては因果の沙汰の限りにあらず。しかれども因果の理は絶対の体を離れて別に存するにあらずして、絶対に固有せる規則なること、また疑うべからず。ただ絶対固有の規則なるも、相対の表面にその作用を現ずるものと知るべし。たとえば真如の本体に絶対相対の二面を兼有すると定むるも、因果の理法は真如その体の規則なれば、絶対の面にその本源を有して、相対の面にその作用を示すものと知るべし。故に古来、浄土門の阿弥陀仏および浄土について一疑問あり。すなわちおよそ因縁によりて所成せるものはみな生滅あり。阿弥陀およびその浄土は因縁所成なり。故に生滅あるべしという。これ全く相対と絶対との関係を知らざる論のみ。阿弥陀仏は相対を極めて絶対に達したるものにして、因縁の規則および論理の推測は相対の範囲内にその作用を示すものなれば、決してその理を絶対の上に適用すべきものにあらず。けだし浄土門の阿弥陀仏は差別相対の最上に位し、なお差別の成立を有するものなれば、因果の理法は表面の一部分において応用すべきも、もしその体の性徳を論ずるに至りては、絶対と一致したるものなれば、因果の沙汰にはあらざるなり。以上の道理によりて、余は浄土門、別して真宗は実際上に絶対を説くものなれば、道理外の啓示を待たざるべからずというなり。

       第三三節 道理と啓示との併存

 これによりてこれをみるに、いかなる宗教も神仏もしくは聖賢の啓示を要するものなれば、仏教もたとえ道理によりて組織せるも、同じく啓示を要すること明らかなり。しかるに聖道門は自力の修行にして自証自知の法なれば、啓示を要すること浄土門のごとくはなはだしからざるも、浄土および真宗の教理は道理に属する部分より啓示に属する部分多ければ、特に啓示の必要を説かざるべからず。故にこの点は聖道、浄土の異なる一点にして、真宗哲学の原理の一種に加うるも決して不当にあらざるなり。しかれどもその啓示の裏には必ず道理の伴うありて、二者また決して相離れざるなり。故にもしこの点において強いて聖道、浄土の別を示さんと欲せば、聖道門は表面は道理に基づき裏面は啓示により、浄土門は表面は啓示により裏面は道理に基づくと評定するも、あえて全く妄言にあらざるを信ず。およそいかなる宗教にても、神秘奇怪を説かざるものなし。仏教各宗にも真宗にも、同じくこのことあり。これ人の大いに疑念を抱く点なれども、世に理外の理あることはまた決して排すべからず。しかしてその理に物理外の理と論理外の理との二種あり。今、仏教の神秘奇怪の談中に物理外の理に属するものと、論理外の理に属するものの二種相混ずるをみる。たとえば我人より一層高等の仏、菩薩ありということは、物理上にては信じ難きものにして、いわゆる物理外の理といわざるべからざるも、論理上より思想の原理によりて推究するときは、全く信ずべからざるものにあらざるは、論理外の理にあらざるによる。しかるにもし物理に照らしても論理に考えても、知量すべからざる神秘奇怪の談に至りては、これを真理として信ずべからず。たとえば父なくして子あり、葬りたる死体の蘇生して天に昇るという類い、これなり。たとえかくのごとき怪談は啓示なりとするも、いやしくも神が道理を知るものならば、かくのごとき物理にも論理にも合せざる不道理の啓示をなすはずなし。今、真宗にて説くところの啓示は、その裏面に道理を含有し、阿弥陀仏の存在といい、我人の救助を受くべき理由といい、道理上多少論定することを得るものなれば、物理外の理とするも、論理外の理にあらざること明らかなり。これ畢竟真宗とヤソ教との異なる一点にして、ヤソ教は啓示一方によりて立てたるものなれば、その神秘奇怪は物理にも論理にも合せざる不道理の点多し。今、余が真宗には啓示を要すというも、かくのごとき不道理の啓示をいうにあらずして、道理的啓示をいうなり。換言すれば、道理と啓示と二様一致の啓示をいうなり。しかしてその一致の点は実に妙味の存するところにして、真宗哲学の要所はそれこの点にあらんか。

 

     第七段 帰結論

       第三四節 聖道浄土の関係

 上来、真宗原理を三条に概括して論弁したるをもって、その教理の組織はこの三条を綱目とするゆえん、ならびにその聖道諸宗と異なるはこの三条の点にあるゆえんすでに知ることを得たりと信ず。今その原理と仏教全体の原理ならびに哲学の原理といかなる関係、気脈を有するかを一言せんとす。そもそも真宗の原理は浄土諸宗の原理と大同小異なれば、これを概括して論ずることを得るも、聖道諸宗の原理とその原理とは全く表裏相反し、別種の宗教なるがごとくみゆるなり。しかれどもこれその表面の異なるのみにして、裏面に入りて両方相較するときは、互いに一致するところあるをみる。ただその異なるは、一方にて表面に説きたるものを他方にて裏面に説きたること、これのみ。もしそれ仏教全体の原理および哲学一般の原理の上よりこれをみるときは、表裏相反する性質の一仏教中に存するは、かえってその完全の宗教なるゆえんにして、またその真理に適合せるゆえんなり。なんとなれば、いかなる道理にても必ず相反の理あるものにて、その相反の理また互いに相連なりて表裏相離れざるものなり。これをさきに二様並存、一体両面の関係という。もしその相反二様の理を全く相離れたるものと固執して、その一体連合の理を知らざるものは偏見の非真理にして、その理を知るものは中道の真理なり。今、仏教は徹頭徹尾この中道の真理によりて組織し、真宗の三原理のごときも自然に表裏両面に分かれ、純正哲学上よりこれをみれば、表面に差別を説き、裏面に平等をとり、心理学上よりこれを論ずれば、表面に感情を示し、裏面に智力を含み、宗教学上よりこれを考うれば、表面は啓示により、裏面は道理に基づき、表裏一致、二様不離の真理よりなりたるものなり。かつこの三条の原理またおのおの一致対合するところあり。すなわち第一条の差別は第二条の感情に応合し、第二条の感情は第三条の啓示に対立す。なんとなれば真宗は差別上の宗教にして、その立つるところの仏体は差別上の成立と差別上の作用とを有するをもって、これを信ずるには智力の推究よりは感情の想像をとらざるべからず。また感情によりて想出したるものは道理にて測定すべからざるものあれば、聖賢の啓示によらざるべからず。しかしてもしその裏面に入りてこれをみれば、平等と智力と道理と互いに一致応合することは、弁明を要せずして知るべし。およそいかなる道理にてもこれを推究するは智力にして、その推究によりて差別の現象の裏面に平等の理法あることを知るなり。故にその原理は帰するところ一原理なり。以上の関係を更に算式によりて示すこと左のごとし。

 (表面)(裏面)

    第1 聖道門=平等+差別

       浄土門=差別+平等

       (故に)浄土門=聖道門

    第2 聖道門=智力+感情

       浄土門=感情+智力

       (故に)浄土門=聖道門

    第3 聖道門=道理+啓示

       浄土門=啓示+道理

       (故に)浄土門=聖道門

 これによりてこれをみるに、聖道門と浄土門とは表裏前後の相違あれども、その総和に至りては同一なり。故に聖道門にして真理ならば、浄土門も同様に真理ならざるべからず。聖道門にして完全なる宗教ならば、浄土門も同様なるべし。もしこれをヤソ教の上に考うるに、その教と浄土門とは表面上相似たるところあるも、前者は表面一方を有して裏面を欠き、後者は表裏兼備するに至りては大いに異なるところあり。これ浄土門のヤソ教に超過せるゆえんにして、あわせて仏教の完全の宗教たるゆえんなり。

       第三五節 平等差別に前後を生ずる理由

 以上は原理上の論定にして、全く真宗の理論に属する部分なり。これよりこの論を帰結するに当たり、実際上の応用を論じてその可否得失を判ぜざるべからず。真宗も余宗も共に一仏教中の宗旨なれば、局外より公平の観察を下すときは、理論上においてはおのおの表裏両面の関係を具し、対等同権の資格を有するをもって、その間に優劣を判じ難しといえども、実際上に至りては大いに得失を異にするところあり。今これを判定するにさきだちて、第一に論弁せざるを得ざる点は、仏教の原理は平等差別、表裏一致の中道なりとするときは、何故にあるいは平等を主とし、あるいは差別を主とすることをなすや、何故にただちに中道そのものをとらざるや、またその二様の理ひとしく聖道門中に存する以上は、なんの必要ありて更に別に浄土門を開立するや等の疑問なり。まずあるいは表面に平等をとり、あるいは裏面に差別をとるは、その本意あくまで中道をとるにあるも、実際上これを許さざる事情あるによる。たとえばここに一枚の紙あり。表裏両面よりなる。われ今その紙の全体をみんと欲するときは、必ずまず表面をみてのち裏面に及ぼすか、もしくはまず裏面をみてのち表面に及ぼすか、二者中その一を選ばざるべからず。決して表裏二面の先後を立てずして、同時にその全体を併視することあたわず。今、仏教は表裏二面、すなわち平等差別二様によりてなりたるものなり。もしその全体をうかがわんとするときは、自然の勢い必ず平等を先にするか、差別を先にするか、二者中その一を選ばざるべからず。これ聖道諸宗の表面に平等をとり、裏面に差別をとりて、二者の上に先後を生じたるゆえんなり。聖道門すでにかくのごとき順序をとる以上は、これに対して表面に差別をとり、裏面に平等をとりて、中道の平均を立つるものなかるべからず。これ浄土門の組織の聖道門に反対して起こりたるゆえんなり。この二門相合して始めて完全公正の宗教組織をみるなり。

       第三六節 実際上真宗と他宗との関係

 果たしてしからば更に一問ありて起こる。聖道門も仏教の一部分なり、浄土門も仏教の一部分なり。決してその間に優劣を判ずべからず、しかるに浄土門の人は浄土門をもって最勝の教となすはいかん。曰く、聖道も浄土も共に仏教の一部分なれば、一部分の裏に全体を具するはまた仏教の哲理にして、さきに差別の裏に平等ありというもの、これなり。よって浄土門は聖道門と対等同権の資格を有すること明らかなり。しかるに浄土門にてその教を最勝となすは、理論の比較よりはむしろ実際の関係より生ずるものなり。実際の関係とは今日の時機には平等説と差別説といずれが適合するや、難行道と易行道といずれが相応するやの考察を下すをいう。けだしさきに第九節にも述ぶるがごとく、真理は平等差別の中道にありというも、もしその当時の世論、平等の一方に偏するときは、中道の中心点は差別の上にあり。また差別の一方に偏するときはその点は平等の上にあるべし。故に時機に照合して考察するときは、浄土差別の論のかえって中道の権衡を保ち、聖道平等の論のかえってその正平を失することあり。しかるに今日の時運は仏教にては末代悪世と説きて、聖道自力の難行の適せざる時なれば、浄土他力の易行によるより外なしと考定しきたりて、浄土門の聖道門に勝ることを説くに至れり。故に我人、社会の実情を観察し、一身の状態を省思するときは、まさしく浄土門の時代なることを知るべし。しかして今日を末代悪世というは、仏教の正像末三時の説より出でたるものなり。この三時の説は世の退化を示すものなれば、今日の進化説に背反すると論ずるものあれども、この退化説は宗教の実行上において立てたるものなれば、宗教の性質上より考察せざるべからず。そもそも今日は社会の人智漸々進化して、種々の学説発達しきたるも、その発達によりて得たる知識道理がかえってわが実行を妨げ、宗教にて定むるところの安心立命の法則も守る人少なきにあらずや。かつ宗教は学術上に考究するがごとき人智と共に変遷する真理によりて組織したるものにあらずして、万世不変の真理をその教祖の啓示によりて組織したるものなれば、学術と宗教とを混同して比論すべからず。しかるに世人は学術上の変遷的真理の発達をみるときは、たちまち不変的真理の宗教上に存するを忘れ、宗教そのものを排するに至る。故に宗教上にては退化を唱えざるを得ざるなり。かくのごとき今日にありては、聖道の難行は到底適せざれば、浄土宗祖および真宗開山は他力易行の道を説き示して、時機相応、最勝至適の法なりとなせり。これ実に時機を看破したる千古の活眼卓見というべし。

       第三七節 真宗と浄土宗との異同

 もし更に実際上にわたりて論ずるときは、真宗の卓見この外に存するものいくたあるを知らず。今その二、三を陳述すべし。そもそも真宗は浄土宗より分派独立したるものなれども、多少その主義を異にするところあり。二宗共に他力往生を唱うるも、浄土宗は阿弥陀の仏力に依憑すると同時に、多少自身の善行に依憑するをもって、いまだ純全の他力教というべからず。またその念仏のごときも口称の功力に依頼するがごときは、なお自力の一部分に属するところあり。かつその世間に対する一段に至りては、浄土宗は聖道諸宗の主義に異ならざるなり。今、真宗はしからず。その宗義は世外の仏に対する部分と、世間の人に対する部分との二段に分かれり。その一を真諦と名付け、その二を俗諦と名付け、この二諦兼行をもってその宗の本旨とす。すなわち仏法と王法とを兼説するもの、これなり。真諦門の上にていうときは、真宗は一仏体を立てて一向専念を唱え、余行雑善を混ぜず、ただ一心にその仏力に帰順することを説きたるは、実に卓見中の卓見にて、純然たる他力的宗教の真相を開顕するものなり。故をもって真宗信者は禁厭祈祷をもって、一時の禍福を僥倖せんとするがごとき卑劣の所行をなさず。その平素の仏に対する業務も、称名念仏にして南無阿弥陀仏の六字を称念するにあり。その称念もいたずらに口に称する念仏をいうにあらず、仏力の不可思議を信知してこれに帰順するをいう。かくしてその心定まりたる上は、その日夜の称名は報恩の業務として、仏恩の広大なるに報謝するの意なり。その他、仏前にて営むところの読経、礼拝等もまたみな報恩の一部分に外ならず。これをもって真宗はその儀式、荘厳、供養等ももっぱら単純を主とし、偶像のごときも六字名号をもって足れりとし、純全の他力教を完成するに至れり。その信者をして阿弥陀一仏に帰向せしめたるがごときは、実に大いに世間の人心をして一致結合せしむるの益を与えり。もし聖道諸宗のごとき自力成仏の法においては、人々孤立するの傾向ありといえども、浄土諸宗なかんずく真宗に至りて、よく人心を一結して宗教世界に勢力を有するに至りたるは、その教義の中に一仏専念を立つるによるは明らかなり。この点はまた大いに国家の独立に関係を有するところなり。なんとなれば政治上宗教の必要を感ずる第一点は、よく人心を団合一結して、その国の独立を維持するに力あればなり。以上は真諦門と実際との関係なり。もし俗諦門の上に考うるときは、真宗においては出世間遁世の宗風を一変して世間俗流の宗規を立て、僧侶の蓄妻噉肉を許し、王法為本を説き、敬神愛国、仁義礼譲のごとき世道を遵守することを勧め、国家と共にその教えを盛んにせんことを期したるがごとき、これなり。それ古来国利を助け民福を進めて、世教政道に裨補するところ少なからざりしは、余が弁を待たず。かつその真俗二諦のごときも帰するところ平等差別、二様並存の道理に基づき、世間、出世間の中道をとりたるものに外ならず。故に真宗はわが国宗教歴史において理論上ならびに実際上において、前後に比類なき一大改良というべし。

       第三八節 真宗と政治との関係

 かくのごとく真宗は理論上にても実際上にても、実に美を尽くしまた善を尽くし、完全大成したる宗教なり。しかるに世人はこれを愚民の妄想に帰し、未来の怪談に属し、更に政道人事の上に裨益なきものとみなせるは、ひとり宗教のために遺憾とするのみならず、国家のために遺憾とせざるを得ず。そもそもわが国今日のごとき文運の隆盛なるは、前代いまだかつて聞かざるところなりといえども、政海なおいまだ穏波をみず、人心なおいまだ水平を保たず、前途雲深こうして、ほとんど行く所を知らず。これあに余輩の高臥安眠するのときならんや。ああ、将来なにによりてこの政海人心を静定せんや。これ実に憂国者の苦心焦慮するところなり。およそいずれの国、いずれの世を問わず、政治の裏面に必ず宗教の存するありて、一国の安寧を保持するをみる。政治は車のごとく、宗教は油のごとく、政治をして円滑に回転せしむるものは宗教なり。政治は紙のごとく、宗教は糊のごとく、人心は障子の骨子のごとく、政治と人心をして互いに付着粘合せしむるものは宗教なり。宗教の政道人事に裨益あることかくのごとし。しかして世間いまだだれも意を宗教に注ぐものあるをみず。これ実に奇怪といわざるを得ず。しかれども、今より数年の後には必ず政界の渡頭に立ちて宗教の舟を呼ぶときあらん。これにおいて始めて宗教改良の論、政治上の一大問題となるべし。しかるにわが国宗教の改良はすでに六五〇年の往時に成功し、爾来相伝えて今日に流布するをみる。またなんぞ更に改良するの必要あらんや。しかるにその宗旨は今日依然として旧時の形容を存するも、六〇〇年古の精神は物と共に変わり星と共に移り去りて、今いずれにあるを知らず。かの「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし、師主知識の恩徳も骨を砕きても謝すべし」の遺訓は、ただその語をとどめてその実をみず。宗祖今ここにあらばこれをなんとかいわん。いやしくも護法に志あるもの、憤然として起こり、慨然として嘆ぜざるを得んや。けだし真宗の諸宗と共に衰えきたりしは、決して今日今時のことにあらず、まさしく徳川氏治世の間にありて、当時すでに仏日地平線下に没したるや疑いなし。爾来、長夜漫々三百年余の久しきに及ぶ。その間法灯わずかに残光をとどめて、凄風蕭雨の間に明滅して今日に至る。今や明治の盛代に会し、天辺再び仏日を現ずる時なりといえども、四面なお暗うして人みな夢中にあり。しかれどもなんぞ知らん、東天はるかに旭光を漏らして、半空すでに白きを。遠くこの光を望んで鶏鳴一声もって晨を報ずるもの果たしてだれぞや。これ余がひとり真宗に向かいて望むのみならず、諸宗に向かいて望むところなり。ああ、南無阿弥陀仏。