3.比較宗教学

P71

  比較宗教学 

 

 

1. 冊数

   1冊

2. サイズ(タテ×ヨコ)

   211×143mm

3. ページ

   総数:134

   本文:134

4. 刊行年月日

   不明。ただし,『天則』(第4編第6号,明治26年10月11日)や『東洋哲学』(第1編第2号,明治27年4月2日)などの広告に,正科講義録のひとつとして「比較宗教学 文学士井上円了」とあり,この第7学年度講義録の第1号は明治26年11月5日発行と記されているので,このころと推測される。

5. 句読点

   なし

6. その他

   (1) 底本は国立国会図書館所蔵本である。

   (2) 筆記者は境野哲。

   (3) 目次は原本になかったが,本文の見出しに従って作成した。その際,統一をはかった。

   (4) 原文の文章上で疑問と思われる語句には,〈 〉を付した。

(巻頭)


講師 井上 円了 講述  

境野  哲 筆記  

       宗教思想の起源および宗教学の起源

 今、比較宗教学を講ぜんとするには、まず宗教そのものを説明するの必要を感ず。すなわち吾人は何故に宗教を信ずるか、また何故に信ぜざるべからざるか、あるいは何故に吾人はその感覚あるいは道理にて知り得べからざるものを信ずることを得るか。これらの問題は吾人の第一に講究を要するところなりといえども、これを知らんと欲せば、よろしく宗教の人類の上に起こりし原因を明らめざるべからず。すなわち以上の諸問題は、畢竟いかにして宗教が吾人人間の上に出できたりしかという一事に帰着するなり。このことたる極めて快〔興〕味深き事項にて、学者の講究を忽諸にすべからざるものなり。あるいは宗教の起源を論じて曰く、人間は有限にしてかつ依立的のものなり、そのいったん顧みて自己の有限を知り依立的動物たるをさとるときは、必ずや無限独立の体を認め、これによりてもって自ら安んぜんとするの念を生ずるに至る、これ宗教信仰の起源なりと。すでにデカルトのごときは、吾人が自らその有限かつ依立のものなることを覚知すると同時に、神の存在は明瞭にして疑うべからざるものなることを説けり。しかるに無神論者または経験派、唯物学者の説くところを聞くに、曰く、宗教は吾人の欲望を満足するところのものにして、幸福、快楽、健康、一切の欲望は、今日吾人の生涯中において到底これをみたすことあたわざるが故に、ついに未来世界もしく〔は〕神等の想像を起こして、よりてもってその安心満足を得んとするに至るものなりと。かの経験哲学者スペンサー氏は、恐怖心より宗教崇拝のよりて起こることを論ぜり。しかれども宗教心は、決してかかる進化論者の主張するがごときものにはあらず。恐怖心、利己心は宗教心を誘起するの原因とはならん。さりながら、ただちにこれをもって宗教心そのものなりとはいうべからず。実に宗教心なるものは、吾人の心内に生まれながらにして有するものといわざるを得ざるなり。この理は後に至りて別に説明すべし。

 また宗教ということにつきてもこれを解するにおいて、外形の上に現れたるところを宗教というなり、あるいは内部の精神上につきて宗教の名を命ずることあり。たとえば偶像を安置して祭祀を行い読経礼拝するをもって宗教とすると、またかくのごときはただ宗教の外形に過ぎずして、宗教そのものは吾人の心内にありというの二あるべし。かつ外形の方よりいうときは、開祖をもってただちに神のごとく思惟し、その言は一語半句すべてこれを神聖なるものとし、経典中に載するところは全然その章句のままを確信して、経典すなわち宗教なりと信ぜり。されど少しく智識学問を有するものは、おそらくはかかる考えを抱けるものなかるべし。ヤソ教中にありても、旧教と称するものはすなわちその外形を尊ぶものにして、新教は無形的にして精神をもととするものなり。たとえば旧教徒は神前に供せしパンとブドウ酒とをもって神の血、神の肉なりと信じ、その小片を食いその一滴を飲みて、もって自ら神聖なるを得たりと思考す。新教はこれに反して、その最も過激なるものいわゆるクエーカー宗のごときに至りては、全くかかる儀式を廃却して秋毫も取るところなし。もってその別を見るべきなり。

 つぎに宗教と道徳との関係につきては、あるいは宗教と道徳とを区別してその範囲を異にするものあり、あるいは宗教と道徳とは全くその範囲を同じうすと主張するものあり。学者中においても議論おのずから同じからず。カント、フィヒテのごときはともに宗教を道徳の範囲内に置きしといえども、今日の学者は全くこれを分離して論ずることその常なり。

 以上、宗教に関し信仰につき、これに連係するところの諸問題につき、人々の解するところおのおの同一ならずといえども、とにかくその宗教の人類社会に起こりしことは極めて古くして、いやしくもここに人あり心あり思想智識のいくぶんを有する以上は、必ずこの宗教の存在するあるを見る。近来比較言語学の進歩とともに、宗教なるものはヤソ、マホメット等の諸大聖がその智識より新たに発見せられたるもののごとく思えりしことの誤謬を知り、宗教の人類の生ずると同時にすでに人類の上に起こりしことの見出ださるるに及べり。今、各国の最も古き記録は必ず宗教的の書なることを見るも、もってこれを証すべし。ギリシアの鬼神論、インドのヴェーダ、わが国の神代史、みなこの類なり。あるいはいまだ書冊をなさずわずかに一句二句の詩片のたぐいの今日存するものを見、または一切の古代の記念とすべきものを察するに、すべてこれ宗教的のものにあらずということなし。その言語の性質を究むるに及びては、一層そのしかるゆえんを証明することを得べし。故にヘルダー氏は曰く、すべて高等の智識学問は、文章および言語にて伝われる宗教説より発達しきたれりと。今、試みに一例を示して、言語学上文章のいまだ現れざる以前にさかのぼりて、当時なお宗教思想の存在しおりたりしことを証せんに、かのインド人は現今の欧州人とその本源を同じうする同一アーリア人種に属することは人の知るところなるが、その後分かれて一はインド人となり、他はギリシア人等欧州の各人族となりしが、かくすでに相分離して後に至りてはいずれもみな宗教を有せざるものなきことは、書籍上歴史によりてこれを知ることを得べしといえども、いまだその分かれざる以前、同一地方において同一アーリア人として生息したりし当時すでに宗教思想を有しおりたりしことは、インドの梵語〔サンスクリット〕とギリシア、ラテン等欧米諸国の語とを比較して、これを明らむることを得べし。たとえば神なる語のごときはインドにてはデルといいて(Dir(光と訳す)、形容詞にすればDeva〔デーヴァ〕(輝くと訳す)となる)、ヴェーダ経等の中に出でたるものによりて考うるに、この語は「光」というにとどまらずして、なお神なる意味を有するもののごとし、否、むしろ神と解せざるべからざること多し。しかるにラテン語にては神をデウス(Deus)という。これその梵語と起源を同じうする語なること明らかにして、もってアーリア人種のいまだ分離せざりしときより神なる思想を有しおりたりしことを見るに足らん。これに関してあるいは人智のいまだ発達せざる太古の人においては、各国の物体に対する思想の外、決して神というがごとき抽象的の考えあるものにあらずと主張するものあれども、余はひとり神のみならず宗教全体の上より見るも、宗教的思想なるものは人間固有の性質にして、いかなる人類といえどもこれを欠けるものあるべからずとなすものなり。

 しかれども学問上より神とはいかなるものなるか、あるいは果たしてこれ信ずべきものなるか、あるいは神は吾人の信ずるところの神に外にありて、吾人の信ずるところは真神にあらざるなきを得んや等のことに論及したりしは極めて後代のことにして、ギリシアにありてタレスの哲学説をなしてより漸次に神の問題に解釈を与え、ギリシア人の信仰したる多神教に対して神は果たして多数なるか、神は空想に過ぎざるか等を論ずるに至りしは、実にこれ宗教学の初起なりとす。近世哲学者フォイエルバッハは曰く、宗教は人心固有の病症なり、この病症すなわち宗教の根源なりと。しかるにかくのごときは、紀元前第一六世紀においてすでにヘラクレイトスの論じおりたりしところなりき。氏は曰く、宗教は一種の病症なりと。この宗教に関する氏の説は、宗教のことをもって哲学上の一問題として学者論議の題項としたる最初にして、かつ氏は当時の世人が偶像を信仰礼拝するを見て、大いにその誤謬を痛論したりしもののごとし。その後エピクロス氏もまた世人の宗教に対する誤想を見て、全く世人の思想中より宗教を除去し去らんと試みたり。しかれどもヘラクレイトスはエピクロスのごとく全然神を否拒したるものにはあらずして、ただ世人の信ずる偶像的多神を排したるのみ。されど神の存在は氏自ら信ずるところありしなり。エピクロスも神をもって全く存在せずとはいわずといえども、神はただ人より一種高等なるものにして、常に空中を飛翔し、自ら神の社会をなして存在するものなれば、すこしも人間社会に関係あるものにはあらず。しかるに神をもって人間を左右するものとなし、人を賞罰するの権あるものとなすがごときは、いたずらに人心を弱め、死後を思ってかえって不安を生ぜしむるに足るのみ、実にこの理あるにあらずと説けり。そはしばらくおき、とにかく宗教学の起因なるものは、たとえば小児の幼少なるや目前の事物をそのまま感受して怪しむことなしといえども、ようやく成長するに従いて一物一物につきて種々の疑いを起こすがごとく、初めは怪しまずして信仰したりける宗教も、人智の発達に伴ってこれに関する疑問を提出しきたり、ついに宗教学となるに至りしゆえんなり。タレスが当時の宗教に反して、世界は神の創造にあらず、世界の実体は水なりと主張し、万有の中においてその原体を見出ださんとつとめたりしは、今日より見れば極めて笑うべきがごとしといえども、当時の状態より推すときは、その卓見実に及びやすからざるものありとす。太古の蛮人が木棲穴居の当時において、火を発見して物を煮ることを知り、鉄を山中より掘り出して切断の用を弁ずるをさとるに至りし類は、思うに、今日の蒸気電気の発明に比してその効更に偉大なるものあり。タレスの哲学上における、またかくのごときにあらずとせんや。

       宗教の解釈

 宗教すなわちReligionの字義はいまだ一定することあたわず。その元いかなる字より出でたるものなるかは、学者の間異説多くして明らかならず。かつ世人が宗教ということにつきても、信仰する心の方よりすると、信仰する物体よりすると、および信仰する作用よりするとの別ありて、一ならざるがごとしといえども、今、宗教の語源より考うるに、Religionなる語はもとラテン語のReligioよりきたりしものなりという。ラテン語のReligioの起こりにつきては異説ありといえども、ローマのキケロの説によればRe-legereよりきたりしものなりといえり。すなわち英語にてTo gather up againまたはTo considerまたTo ponderの義にして、沈思熟考することの意なれば、注意または尊敬等の意味もこれより出できたるものとす。また一説に従えば、ReligionはRe-ligareにしてTo fastenの義すなわち緊着のこころなりともいう。しかれどもキケロの説むしろ真に近きがごとし。しからば心を集むるという意味よりして、信仰のこころも出できたりしものなるべし。さりながら字義の本源はいかにもあれ、すでにこれを用うることの長き、字義もまたその古昔の意味を変ぜずということなし。しからば今日の宗教を解するに、古昔の字義にさかのぼるの要を見ずといえども、今はただ参考としてこれを述べたるのみ。

 余はこれより進みて、世人は一般にいかなるものを呼んで宗教となすかを探らん。けだし野蛮人中あるいは古代人の中につきてこれを察するに、宗教を有せざるものなきにあらず。故に人、あるいは宗教は人間一般に有するものにあらず、あるいは全くこれを有せざるものあり。かくのごときは、目して人間固有の性質というべからずとなす。されども余の考うるところによるに、これらの人種には宗教的の格段の形を有せざるはすなわちしかなりといえども、必ずや宗教の種子原因となるべきものはこれを有すること疑いなし。たとえば野蛮人が頭を撫して己が行為の是非を思考し、あるいは亡霊を恐るるがごときは、みな宗教的思想の本源たるべきものなり。しかるにここに一考しおかざるべからざることあり。そは、宗教は必ず神を立てざるべからざるや否やということこれなり。学者のこれに対する答えとなるべきもの、またいまだ一定せず。もしカント、フィヒテ等に従うときは、必ずしも神を立つると否とを問わず宗教の名を与うるを難ぜざるもののごとし。カントは宗教と道徳とを同一視して、吾人の道徳上の義務を神の命令とし考えたるときはすなわち宗教となるものなりとせり。故に宗教と道徳とは畢竟同一物にして、実に宗教は道徳の一部というに外ならず。かつ宗教は必ず道徳に関係して成立すべきものにして、宗教にして道徳に関係なしといわんか、かくのごときは極めて意味なきものたるに過ぎずとなせり。またフィヒテは曰く、宗教は実行的のものにあらずして、ただ一種の智識なり。人の実行に関するものは道徳のことにして、宗教をまつを要せず。もし道徳を勧むるに必ず宗教を用いざるべからざるに至らば、そは社会の極めて腐敗したるしるしを示すものにして、実にこれ宗教の本領なるにはあらず。宗教はただ一種の智識にして、これによりてわれとわれの本体とを知りてこれを一致せしめ、もって自己の安心を得るものなりと。カント、フィヒテ二氏のごときは以上の説より考うるに、一は宗教は道徳なりといい、一は宗教は学問なりといいて、特に別に格段なる宗教なるものを見ざるがごとし。前に述べたりしがごとく、ヤソ教徒中にても旧教者はみな神を信ずる外、これを信ずる作法すなわち偶像、ブドウ酒、パン等のごときをもってすべて意味あるものとし、これらはみな宗教を組織するゆえんのものなりとなすといえども、新教徒はこれを改革してかかる外形の虚飾を去り、道徳の上に宗教を立てんと試みたり。彼らの言によれば、かかる外形の類はヤソ生時の当代にはもとよりありしものにはあらずして、後世より付加したるものなり、故にそのこれなかりしはかえってヤソの本意なりと。しからばこれら新教は、その名は新教と称すといえども、実は復古をとなえたるものというべし。今カントの宗教即道徳なりと主張するがごときは、実にこの説の更に極端に達したるものと見るを得ん。故に氏はもし自己を利せんがために祈祷祭祀をなすがごときものならば、これ一の迷心にして宗教にはあらずといえり。しかるにここに一派の論者ありて宗教を解しておもえらく、宗教は決して道徳あるいは学術と同一なるものにあらずして、一種の特質を有するものなりと。その一人はシュライエルマッハーこれなり。またヘーゲルも他に異なる一種の説をなしたり。シュライエルマッハー氏は依憑心をもって宗教を説き、ヘーゲル氏は自由をもってこれを解せんとせり。前者は曰く、宗教とは吾人がある物体の上に絶対的に依憑することより成立す、故に絶対的依憑の識覚これすなわち宗教なりと。しかるに後者はいえらく、もし依憑心をもって宗教成立の根本となすを得ば、犬のごときは人類よりはむしろまず宗教を有せざるべからざるものに属す、あにこの理あらんや。故に宗教の成立するゆえんは、依憑といわんよりはかえって自由の思想というべきものなり。いわゆる宗教は、神的精神を有限的精神中より開発するより成ると。畢竟するに、二氏ともにこの世界は互いに相よりて成立するところのものにして、なにか絶対的の独立のものありて、吾人の心中にはこれに依憑するところの一種の感覚あり、この感覚すなわち宗教の本源なりというに帰するなり。けだしこの世界の各事物いわゆる有限の各類は、この有限を統括するところの無限物に依憑せざるべからざるに至るものにして、これすなわち宗教なれば、決して学術のごとく有限部内において一部より他の部分に推及するがごときと同一視すべからずというはシュライエルマッハー氏の説にして、ヘーゲル氏はその神をもってこれを理想となし、吾人の精神は表面は有限の一物に過ぎずといえども、裏面は理想と相通じて一体なるが故に、有限の心中に無限の理想を開発してようやく完全なる自由をわれに獲得するに至る、これすなわち宗教なりとなすなり。

 また他の一派の論者あり。こは神あるいは理想のごときものは全くこれを芟除して、人間の範囲において宗教を立てんとするものなり。ドイツのフォイエルバッハ、フランスのコントのごとき、みなこの一流なり。今、右の二氏に従うときは、人は決して人以外のことを知り得るものにあらず、神を説くもまた人心にえがき現しし空想にして、人の智識上に成立せるものなりというの外なし。故に人間が人間以外に出でんとするは到底望み得べきことにあらざるが故、人間は当然人間以内にて満足せざるべからず。されば宗教もまた主観的において人間に関係して成立すべきものたるのみならず、客観的においてもまた必ずしからざるべからずといえり。しかしてその主観上のことはたれびとも許すところなるべしといえども、客観上の神のごときに至りてはこれを人間以外の存在となすことその常なるに、この二氏特にフォイエルバッハにおいては、かくのごときもまた人間の心より出でたるものなれば、人間の範囲外とはいうべからず。故に人間の礼拝すべきものは実は人間全体すなわち人類にありて、他に存すべきにはあらずとなしたり。またコントの意に曰く、人間の〈互いに〉よく互いに団結して社会をなすゆえんのものは、実に人に慈悲愛憐すなわち人情なるものありて存するによる。宗教はいわゆるこの人情を基礎とし、人間を目的として成立すべきものにして、かの聖人君子のごとき人情の最も発達したる人のごときは、人情を代表したるものとしてこれを礼拝するもまた可なりと。これ、その人間教と名付くるゆえんなり。しかれどもフォイエルバッハの説はかえってこれに反対して、人はすべて自らその利己心を満足せんとの希望より宗教を立つるに至りしものにして、一切自利の心なかりしならば政治、法津より宗教に至るまでも、一もよりて成立すべきゆえんなしといえり。これを要するに、宗教に関する宗教家および学者の解説は紛々として、すこしもこれを確定するに由なきが故に、今は各種の宗教と名付けられたるものにつき歴史上の事実に徴し、その間にあまねく貫通せらるるところの一種特別の性質を見出だして、宗教のなにものたるを定むるの外なきを見る。

 けだし宗教の定義に関して諸説のいまだ定まらざるゆえんのものは、宗教そのもののいまだ一定せざるに起因するものにして、あるいはヤソ教のごとく神を外界に立つるものあり、これに反して内界に立つるものあり、また宗教は人間を目的とするものにして、道徳、慈善の道を教うるをもってその本旨となすべしというものなり等、種々の異類ありといえども、マックス・ミュラーはおもえらく、いかなる人類にてもいやしくも人類たらん限りは宗教を有せざるものなきことは言語学上明瞭なる事実にして、しかしてこれらの宗教に各種の差別あるはただ外形上のことにして、その内部に入りて宗教のよりて起こりし原因にさかのぼるときは、ことごとくみな一に帰せずということなし。故に蛮人のいわゆる宗教と称すべきものも、今日開明人種の有する宗教と称するものも、結局は一因に基づくものにして、全く人間固有の性情に発するものなり。その発してようやく進歩の階段を越えて宗教の形式をなし、ついに万差のありさまを呈するに至るは、実に土地、気候、人情、風俗等、あまたの影響を受くるによるものとすと。

 マックス・ミュラー氏の意に曰く、およそ人心の作用は分かちて感覚、道理、信仰の三となすを得べく、この三作用はすなわち宗教の種子となるべきものなり。中につきて感覚は相対的に事物を比較認識するものにして、相対を離却して無限絶対を感ずることあたわざるものなれば、これを有限の作用といわざるべからず。つぎに道理とは論理によりて事物を推考する作用にして、すなわち一部より推して他部に及び甲より乙を尋究するものなれば、畢竟部分に関する作用にして、かの無限絶対の全体を感ずるものにあらず、故にこれまた有限の作用に属す。しかしてその無限絶対なる全体を感ずることは、全く吾人に有する心性中一種独立の作用にして、その作用は相対有限の範囲を超越し、はるかに感覚、道理の企及し得べからざるもの、すなわちいわゆる信仰の作用これなりと。この説たる、マックス・ミュラー氏以前すでにシュライエルマッハー氏は有限無限の二種の心性作用を立てて論弁したることありしものなれども、マックス・ミュラー〔氏〕に至りては一層明らかにこれが区別を判じ、かつ進化の説をもってこれに加えたるものなり。すなわち曰く、智識のいまだ発達せざるに臨みては、有限性のものを捕らえてこれを無限性のもののごとく信仰し得たりしといえども、そのようやく発達するに及びては、ついによく真の無限性の体を感得するに至るものなり、この故に歴史上宗教心の発達差異を見ることは決して難しとなさずと。マックス・ミュラー氏はかくのごとく宗教を解釈して、言語学によりてもってその確実なるゆえんを証明したり。

 マックス・ミュラー氏はかく信仰のみひとりよく無限を感得すべしと説けるが、そのいわゆる無限とはいかなるものなるやを考うるに、氏は曰く、無限とは感覚、道理を超絶したるを義とす。吾人の感覚智識は時間上においても空間上においても、その分量その性質ともにみな有限なるものなりといえども、この有限に対して無限なるものここに存在して、その無限や、もとより不可見なり、理外なり、絶対なり。不可見、理外、絶対、かくのごときはただ無限を形容したるに過ぎざるのみと。また曰く、経験派の学者はおもえらく、無限はただ有限の事物より抽象したるものに外ならずと。しかれどもその抽象的の無限のごときは、これ消極的の無限なり。今、余がいわゆる無限は積極的の無限なり。もし無限をもって抽象的なりとなさば、その無限は名のみにして実なきものなるか、あるいはその無限はすでに有限中に包含せられおるものにして、これを抽象概括して始めて無限を得たるものなるべきも、有限は無限を有せざる以上はなにほどこれを抽象概括するも、その中より無限を産出する理なし。しかるに積極的無限は全く有限とその性質を異にして、しかもその存立あるものをいう。すべて宗教なるものは無限即感覚智識以外の体を認めて、その全部あるいは一分をもって根基とする点においてはことごとく一致するを見るといえども、古代の宗教にありてはわずかに無限の一部を感じたるか、あるいは有限を誤りて無限性のごとく信じたりしものあるか知るべからざるものあり。しかれども、これとて全く無限を離れて成立したるものにはあらず。しかるに実験派の哲学者コントは曰く、感覚、経験以外に属するものは決して吾人の知るべき限りにあらず、かくのごときはもって今日の宗教の目的とはなすべからず、ただ吾人の感覚内すなわち可知的以内においてその宗教を立つべきのみと。もってその無限に基づくところの宗教を排斥せり。しかれどももしカントの批判哲学のごときに至りては、かえって吾人の感覚智識の存在せることを論定したり。また経験学派は曰く、人類の智識はその初め極めて単純にして、その知るところはもとより有限の範囲内にありしといえども、ようやく発達進歩するに及び無限の思想を開き示すに至るも、これ全く有限より抽象概括して得たるものに外ならず。しかるにマックス・ミュラー氏おもえらく、今これを言語学の上に徴するに、無限は有限より発達しきたりしものにはあらずして、両者同時に相伴いきたりしものなり。すなわち吾人の心中には、本然よりしてこの二者を併有するものなり。換言すれば、吾人の心中に本来存在せしところの一種の能力がようやく発達して、一部は宗教をひらき、一部は学術をなすに至りしものなり、故にこの有限無限の間には先後の差あるものにはあらずと。さりながらマックス・ミュラー氏の説はいまだ到底完全無欠のものとして許すことあたわざるものにして、多少反対論者の駁撃を免れずとはいえども、氏は進化主義を排斥するにあらず、従来の直覚論に進化主義を折衷したる論なれば、これも一種の卓見なり。けだし古代いまだ互いに交通往来の便なかりしときにおいても、人類にすでに宗教心の元形の存しおりたりしことを証するはひとりマックス・ミュラー氏のみにはあらず、宗教学者は一般に唱うるところにして、進化論者といえども、けだしこの点に対して争わざるべし。思うに従来諸学者の論ずるところについて考うるに、一方の道理に偏局するところのものにありては、宗教の全体をもってすべて智識道理の範囲内においてこれが解釈を試みんとし、他のこれに反対するところのものは、徹頭徹尾これを直覚に帰し情感に属せしめんとするもののごとし。これ、ともに中正を得たるものとなすべからざるや明らかなり。およそ人心の作用には智識、情感、意志の区別を有しておのおの特種の現象たりといえども、実は互いに関連して一心性の作用なるが故に、もし智識上においてすでに無限を覚得すべくんば、情感もまたこれを感じ、意志もまたこれをとらうるの能力なかるべからず。智は道理に向かいて活動し、情は信仰に向かいて活動し、意志は行為に向かいて活動し、三者活動の方向を異にするはすなわちしかなりといえども、その本元に至りては三者一体なり。しかるに智ひとり無限を知るといい、情ひとり無限を感ずという。この理いかにぞあるべけんや。余、故におもえらく、道理と信仰はともに無限性に属することを得べし。なんとなれば、智識も情感もともに有限と無限の両性ありて、おのおの有限にくぎれるものにあらず、みな無限性を有するものなればなり。しかしてそのいずれよりいうも、宗教をもって無限性のものとなすことは適当の見解といわざるべからず。しからばそのいわゆる無限とはなにものぞや。脚を進むる一歩、つらつらこれを案ずるに、この無限なるもの古今東西、人智発達の程度に従って常に同じきことあたわず。要するにこれ人智の知るべからざるところに与うる名称なるが故に、人智の発達の程度に従ってその知るべからざるところを異にするは、理のもとよりしかるところなり。しかるにこの無限を感得するところの心は元来人類固有のものにはあらずして、ようやく人智発達の後に出できたるものなりというは、今日学者多数のとなうるところにして、これらの人口は宗教心は人心固有のものにはあらずというなり。かつそれ無限なるものはすでに述べたるごとく、必ずしも宗教心のみの感得するところにはあらずして、智識も意志もみなよくこれに達し得るあるにおいてをや。マックス・ミュラー氏はこれに反して宗教心の固有なることを主張し、いかなる野蛮蒙昧の人種といえども決して宗教心なきものはあらずと説くといえども、もしかくのごとく有限に対して無限を感ずる心別に存すというはすこぶる僻説たるを免れざるものにして、この点に関しては経験派が論ずるごとく、無限の思想は有限より発達したるものなりというをもって、むしろその理を得たるものとなさざるべからず。けだしその説に従うときはすでに有限発達して無限をなすというものなれば、有限も実は単純なる有限にあらずして、無限を含蓄したる有限とみなさざるべからず。この有限、その中に含蓄せる無限を開発してようやく無限の思想を濶大ならしむるを名付けて、これを進化というなり。果たしてかかる理あるものとせんには、ここに一の疑問ありて出できたるべし。曰く、しからば古代蒙昧の人民、現今野蛮無智の種族に至るまで、なにをもってよくその有限の心を有し、宗教的思想を存することを得るやと。これマックス・ミュラー氏の宗教心をもって固有なりとなすゆえんなるべしといえども、余はこれをもって有限中に含蓄せられたる極めて幼稚の無限思想なりというて不可なきを覚ゆ。なんとなれば、無限心は本来人類に絶無なるものにはあらず、ただ有限の中に包まれいたるものにして、有限心の進むとともに無限心もますますその範囲を拡張して極めて高尚の域に到達するものなるが故に、野蛮時代の無限は有限に付属してわずかにその微光を漏らしたるものなるべし。換言すれば、野蛮時代の無限思想は有限に包容されてその形を糢糊の間に示したるに過ぎずして、畢竟外面には有限のみを示して無限はなかりしというも、大なる不都合なかるべし。

 かくのごとく有限と無限とは元来一物中の二物にして、有限の進歩とともに無限もともに開現せられ、人智未発達の当時においては無限も有限の外面をこうむり有無二限、究竟するに、その間に明確なる界線をえがくことあたわざるもののごとし。すなわち古代の無限は今日の有限にして、今日の無限またおそらくは未来の有限なるに至らん。これいわゆる有限無限の進化にして、無限の上にも更に無限ありて窮極なきがごとし。かくして有限の外皮日に月に脱却せられ、無限の真光いよいよますます輝くものというべきか。なお一山をよじれば他の一山更に高く、高きもの登り終わればまた別に更に高きものを見、一進一登窮極なきがごとくならん。とにかく吾人の心中において無限に向かいて発達すべき一種の無限性を含容し、有限より漸々無限を発現することは疑いなきことなるべし。

 宗教発達の次序に関して進化学者中種々の議論ありといえども、要するにその最始に感ずるものは全触的にして、つぎに半触的、つぎに不可触的なり。全触的とは石や器物のごとき一物の全体触覚をもって感ずべきものをいい、半触的とは山川草木のごとき一面一部分だけ触知し得るも全体を感触すべからざるものをいう。しかして日月星辰のごときに至りては一部分たりとも触知すべからず、いわゆる不可触なり。全触的のものはさほど不思議に感ぜざるも、半触以上に至りてはようやく不思議を感ずるものなり。故に人智の進歩は全触的より進みて半触的山川草木を礼拝してやや不思議の観念を生じ、更に進みて不可触の時代に至れば一層の不思議を感得し、無限の思想を生ずるに至るものなり。日月星辰の光耀ある、雲雨煙霧の忽焉生滅するを見ては、彼らはみなもって妙力の作用者の伏在するがごとく思惟したりしなるべしといえども、更に不可見的なる霊魂神明のごときを認め得る時代に及びては、もはや大いに無限霊妙の力を感じたりしなるべし。もっとも霊魂は野蛮人にありては最初の可見的より一層進みて起こし得たる観念なるが故に、智識のすこぶる発達して後に出でたるものにして、眼前有形の事物のみに拘束せらるる際にありては、決して思想のここに及びしものにはあらざりしなり。

 けだし古代人が不思議を感じてこれを祭りこれを礼するに至るものは、すなわち半触以上の時代にあることなるが、その初めに当たりては生死物心の別を見ることあたわず。これより一歩進んでようやく動物と草木金石の間に差異あることを発見するに至れば、まず野蛮人をして大いに疑念をいだかしむるは生死の区別これなりとす。試みに自己人間につきて察するに、生存のときには外面に活動を示し、睡眠のときにはこれを見ず。しかれども野蛮人は睡眠中に起こりきたるところの夢をもって実事と思惟したり。ここにおいてか、野蛮人はようやく一身重我の想像を起こしきたり、醒時と睡時との区別は、自我ここにありて他我外に遊ぶものなりと解釈するに至れり。しかして後代発達して無限の霊体となるべきものは、すなわちこの他我の観念の発達なり。故に野蛮人は生と死との区別を認むることあたわずして、死は生時の睡眠と同じく自我ここにありて他我外に遊ぶものと信じ、ただその睡眠と異なるは、他我の外に遊ぶに遠近の差あるによる。故に野蛮人は父母祖先の死霊はこの世界中のいずこにか現に存在しおるものとなし、これを供養礼拝するよりして祖先教をなすに至りしものなり。かく人類にすでに他我すなわち霊魂ありて不滅に存在して遊離しおるものとなすが故に、動物にもこの霊魂あるを知りてこれを崇敬し、雲の飛び煙の散ずるを見てもまた同様なるがごとく考え、ないし半触的より全触的の礼拝をもなすものとなりしなるべし。これによりてこれをみれば、マックス・ミュラー氏の言のごとく宗教心は果たして固有なるものなるや否やはしばらく置くも、とにかく野蛮時代よりして早く、すでに無限に傾くべき性情を人類の心性中に含蓄しおりたりしことは争うべからずに似たり。

 かく人類が宇宙万有に対し天地の現象に接してけげんの念を発生し、ついに不思議無限を感じて起こりたるところの宗教は名付けてこれを自然教という。しかして自然教〈に〉は万有、人類、自己の三大段に分かるるものとす。なかんずく自己教はすなわち人心教にして、自然教中〈は〉最も高等のものとなす。故に発達の順序よりいうときは、人智は直接にその目に触るる点より発足して無限に対向して進歩するものなれば、宗教にありてもかの山川草木を祭祀するところの万有皆神教その最初に起こり、これに次ぐものは人類すなわち祖先教にして、そのつぎはすなわち人心教なり。人心教は人心即神の教にして、自己がその心性の霊妙に感じて出ずるところなるが故に、人心教は自己を明らかにせざれば起こることなきものにして、これ自然教三大段中、最高位に地を占むべきものとす。

 以上述べきたるところによりて知るがごとく、宗教はもっぱら無限に関するものなりといえども、他の諸学においても決してすこしも無限を論ぜざるにはあらず。たとえば物理学上のエーテルのごときものは吾人の感覚をもって知り得べきものにあらずして、物理学上必ずその存在を必須〔と〕するところの無限物なり。また光および電気の類に至りても実に不思議のものたり。ことに宇宙の大勢力に至りては霊妙無限に帰するより外なし。物理学すでにかくのごとし、いわんや哲学の無限を論ずることはもちろんなり。故にマックス・ミュラー氏は曰く、学問も宗教もその本元はすなわち一なりと。もしそれ古代にありては唯一宗教あるのみ。一切の学術もみな宗教の中に含まれ、風雨雷電一切の現象はみな神の所為として怪しまざりしなり。しかるに人智の進むにつれて、これら諸現象の原因は決して神に存せずというものありて宗教に反旗を挙げたるものは、これ実に宗教と学術との分派の第一着なり。学術は宗教が一切不可思議の下に一括したりしものを分離して、これに当然の説明を与えて宗教に対抗したり。かく分離して互いに相対抗するに至りしとはいえども、学術もまた無限を説かざるにはあらず。宗教もまた日に月に有限の表皮を脱して、ますます高尚の無限を開顕せんとするなり。

 しかるにかの風雨雷電の類をもって神霊の行為と称するがごときものは、これを神話と名付けて宗教とみなさざるものあり。宗教は神話よりは一層進みて無形の霊体を想定するに至りしものなり。しかれども神話も宗教もその本源は実に一なるものに過ぎず。されば従来の学者はこれを区分して二種の別を立てたるものなりといえども、近代の進化論者はみな神話と宗教とを同一源より発達したるものなりという。

 宗教の人類とともに進化するものなることは今日諸学者のもとより異議を挟まざるところなるが、余は今、下にスペンサー氏の宗教進化の理を略述しおかんと欲す。これ比較宗教学の参考を要するものなり。

 スペンサー氏の社会学における宗教進化の意に曰く、およそ宗教なるものは人類が天地の万象に対して自然に発生しきたりたるものにして、古代の蛮民が物と物との区別を立つることあたわず、種類を正しく分別することあたわざるが故に、外形上類似のものはすべてこれを同類のごとくにみなし、たとえばガラスと氷とを蛮人に見せしめば、必ずこれをもって同一なりと感ずるなり。また実物と実体を有せざるものとの区別を知らざるが故に、反響をもって実に物ありてこれを発するがごとくに思惟し、陰影を見てもまたかかる一物ありと想像し、一切性質の異なりたる物と物とを弁別するの力に乏しきが故に、したがって活物と死物とを甄別〔けんべつ〕するに由なく、最初はまず動物と不動物とによりて生物と非生物とを区別し、運動によりて生死の別を立てたりし故、今日にても野蛮人が蒸気によりて運行する船舶を見、または時計等をもって生物となしたることは吾人の聞けるところなり。これをいにしえにさかのぼりて遠く求めざるとも、吾人の社会において極めて智識なきもの、もしくは小児のごときはみな未開人と同一の思想を有しおるを見るべし。これより多少進んでは、随意に動き得るものとしからざるものとをもって、生物と非生物の区別を立つるに至る。犬猫の類はこれを追うときは疾走すれども、止まらんとすればたちまち止まる。時計と汽車とは自ら随意に動止することなし。これ当時の生死を分別する標準なり。つぎに更に進むときは、一種の目的に向かいて活動するものと偶然に活動するものとによりて生、非生の区別をなすに至る。蛮民において生物と非生物との間に別を立つるの不明なることかくのごときものなるが、彼らをして最もその疑いをいだかしめたるものは睡眠〈と〉および夢なるべし。夢はひとり人においてこれあるのみにあらず、鳥獣といえどもまたこれを有するものなり。野蛮人はこの睡眠中の夢をもって実事となし、夢中のことをもってすべて自己が実〔際〕に経験したる境遇なりと思惟しおりたり。しからばわが身は現にここにありて動かざるに、夢中には現に他所に行遊せしとせば、野蛮人はますますそのいかなる故なるかを疑いしなるべし。しかしてさきに一言せしがごとく、ついに人に二重の我ありと解釈するに至りたるなり。すなわち一身に自我他我の別ありて、自我はここにありといえども、他我は他所に行遊するを得るものとなししなり。しかれども当時のいわゆる他我は、決して今日考うるところの心というがごとき無形のものにはあらずして、自我と等しく有形のものと思いおりたりしなり。しかるに夢中にありては、常によく実際に合せざることはなはだ多し。すなわち実際上においては行き得べからざる所に行き、なし得べからざることをなすよりして、最後にはこれ果たして他我の外出にあらざらんとの疑いを起こすこととなれり。しかれども蛮民が他我の出遊をもって実事となしおりたりし当時においては、この理をもってひとり睡眠のみにあらず、すべて失神、気絶、癲癇、中風、卒中等、一切の精神を失いたる場合にあてはめ、ついに死もまた他我の行遊なりとなすに至れり。故に死と睡眠とは畢竟同一なるものにして、ただ死は睡眠の長きものなりとなし、死に対するに生に対すると同一の待遇法を用うるはここに基〔もとい〕せしものなり。これすなわち宗教の起源とす。野蛮人が死人をむちうち、あるいはその名を呼び、高声を発して談話をしかけることあるは、みなこれを呼び起こさんとの念慮にして、他我の出遊遠所にありてその声の達せざるがために醒覚せざるものと思えり。かくて死人を見ること生時に等しくするが故に、その飢えを思いては食物を供え、その寒さを察しては衣服をまとわしめ、あるいは火をたきてこれを温め、そのつれづれを慰めんとては終夕墓を守り、あるいは傍らに座して歌を歌い楽を奏するに至る。あるいはまた生時猟獣を好みし者には弓矢を供うるなどの類、一切宗教的儀式はみなこれより出でたるものなりという。さればスペンサー氏は、灯を点じ花を供し食物をそなうる類、その他すべての宗教上の儀式は一としてみな野蛮の遺風にあらずということなし、読経、撞鐘等また、またしかりとなし、いちいちその例証を挙示したり。そのほか氏の説によれば、かの地獄極楽のごときも原人はこの世界の外のものなりとは思わずして、死後もこの世界に棲息しおるとなし、もし海辺ならば島の中に住するとなし、山地ならば山の頂きもしくはその山を越えて住せりとなす。または天に登りしとかのごとくに考え、しかしてその東西の方角はおもに生時住息せる土地の形状より思いつきしものにして、かつ生前猟を好みしものは死してもなお猟を楽しむように思えり。

 他我は最初は形体あるものとして思考せられたりしが、一歩進みて半物質的のものとなり、多少物質とは異なるものと考うるに至れり。つぎには気体のごとき、あるいは物の陰影のごとき、実体なき一種の成立〔成分の意〕のごとく思わるるに至れり。この他我の考えはもちろん初めは人間の上に起こりしものなりといえども、後にはすべての禽獣草木にもまたこれあるものと思惟せられ、更に一大妄想を引き起こすに至れり。たとえば一人の他我の出遊するや他人の入りきたりてその空所に宿り、あるいは鳥獣の他我きたりて人の身体に入り込むことありと想像することとなれり。かの発狂人がたちまちにしてその平常と異なり、または狐つき、狸つきの類もみなこれなりとして疑わず。はなはだしきは一人の他我外出せざる場合においてすら甲の他我入りきたりてこれに抗し、もし乙者の他我弱きときは甲の他我のために圧伏せらるべしという。かくて甲の他我の乙の他我を苦しむるために、病気のときには非常にその身をして苦痛を感ぜしむるとなし、この理をもって病気を説明せり。また野蛮人はすでに生と死とを分かつ〔こと〕なきが故に、生時に強きものは死後もまた強しとし、酋長は死しても常に酋長なり、悪人は死後もなお悪人なるものとなすが故に、もし自己に怨恨あるものにして死に就くときは、その他我必ず自己の他我を圧伏して入り込みきたるべしと恐れ、これを崇拝してその災害を免れんとし、もしくは他の強き他我を聘してこれをふせがんとすることとなる。これ祓、祈祷の起源なり。寺院を建て偶像を安置しこれを供養するがごときは、みなこれよりはじまりしことにして、世に悪魔の本源となりしは悪人の他我より起こり、神とあがめらるるは善人の他我より起こる。またその後一神教の基となりたるものも、この他我説の発達なり。すなわち生前一〇〇人ないし一〇〇〇人の首領たりしものにして死せんことあらんには、その他我は死後も同じくこれらの部下の他我を支配しおること生前と異ならずと考え、死後の他我を総轄する一大他我なりと想定し、そのいわゆる独一神なるもの起これり。かくして最初は禽獣草木にも存したりし有形的他我が、ついには純然たる無形の一大神となるに至れり。

 進化学者の宗教を説くこと以上のごとし。故に曰く、宗教は野蛮の遺風なりと。近来スペンサー氏の社会学にこの論ありてより以後、宗教は実にかかるものなりと信ずる人また少なからざれば、余これにつき一言を費やさざるを得ず。そもそもこの進化説は表面外見の論にして、宗教の全面を説き示したるものにはあらず。もし更に翻りて内部より考察するときは、宗教をなすべき本心すなわち無限性の宗教心は人類固有のものたるは前に述べたりしごとくにして、ただ野蛮人にありてはその形はなはだ劣等なりしというにありて、その位置よりようやく発達して高等の域に達するというも、これただ外形上のことのみ。内面よりいわば、高等に達すべきだけの要因は下等なる外形の中にもすでに含容しおれり。たとえば桜の種子は一小粒に過ぎずといえども、爛々たる春色をなすゆえんのもの早くすでにかの小粒中に含まれおるなり。宗教心もまたこれに異ならざるなり。最初野蛮下等の形を取りたるものも、その心の中にては高尚深遠の無限性の美花を開くべき原因は早くすでにあるなり。スペンサー氏はただその外部のみを知りて、いまだ内部を知らざるものなり。換言すれば、人間固有の一種の宗教心ありて、ようやく発達しきたるゆえんを知らざるものなり。

       宗教の分類

 宗教の分類法に大体二種あるべし。一は教義により一は人種によるこれなり。

 (一) 教義より分類するにもまた種々ありといえども、無神教および有神教の二となし、有神教はまた一神教と多神教との別をなす。多神教中には日月星辰のごとき物質を礼拝するものと、禽獣草木のごとき生物を礼拝するものと、英雄豪傑のごとき人間を礼拝するものとの種類あり。また無神教中には哲学的の無形の理体理想を本体とするものと、国家社会を目的として人間の道徳実利を本意とするものあり。その他無神教者中、懐疑学派、唯物学者のごとく、全然宗教を蔑視するものもあるなり。

 しかれど〔も〕最も普通に行わるるところの分類法は、自然教と天啓教の区別これなり。天啓教はすなわち直覚教にして、直覚教に対すればまた道理教あり。しかして道理教と自然教とは同一の意にはあらず、自然教は自然の理法に随順して発達しきたりたるものをいい、道理教は道理上に立つるところの宗教をいう。道理教に反するもの、これを理外教となす。理外教は宗教を道理以外に置き、到底道理によりて知るべからざるものとなす。しかるに道理に高等と普通とあり。すなわち無限性の道理と有限性の道理とありて、普通の道理にて理外となすものも高等の道理によりて知り得べしとなすものは超理教なり。故に超理教は理外教と道理教の中間に立つもののごとし。もしかの理外教徒に向かいて、理外のものに至りては吾人はいかにしてこれを知るべきやと問わば、これ神の神秘天啓に属するものにして、到底われらの知り得るところにあらずという。故にまたこれを呼んで神秘教ともいうなり。

 以上の外なお更に心理上より分類するときは、情感教および智力教の二となるべし。余はまた別に情宗、智宗、意宗の三を分かつことを得るものとす。たとえば仏教中浄土門は情宗なり、天台、華厳等は智宗なり、禅宗のごときは意宗なり。ある人は儒教をもって情宗とし、仏教をもって智宗とし、ヤソ教をもって意宗となしたることあり。哲学者の説につきていうときは、シュライエルマッハー氏は情宗なり、ヘーゲルのごときは智宗にして、ショーペンハウアー氏は意宗なりというも可ならん。

 つぎに社会上に対して楽天教と厭世教との二に分かつことあり。なおその他に運命教とも称するものあり。運命教には、自然の理法に一任し天命天運にしたがわんとするものと、人の運命は神の予定にあるが故に人力のいかんともすべからざるものとなすとの二あり。ギリシアのストア派のごときその天命論に属すべきものにて、マホメットはすなわち予定説なり。また仏教律宗のごとき厳粛教と称すべきものあり。ギリシアのピタゴラス、および近世にありてはカントの説、けだしこれに近しとす。

 上来の諸説に反対して立つるもの、これを人間教とす。人間教にはまた人心をもととするものと、社会をもととするものとの別あり。社会国家を目的とするものはコント氏なり。この心すなわち神なり、この心を清浄にすべし、また神は人心より造り出したるものにして、わが心の中に神の性質を有すと説くものはフォイエルバッハ氏なり。

 (二) つぎに人種上より分かつものは左のごとし。すなわち人種によりて分かつなり。比較宗教学の研究は主としてこの分類によるものとす。

   一、エジプト教(今日はエジプトは回教〔イスラム教〕国なれども、これはエジプトの古教をいう。)

   二、バビロン教

   三、アッシリア教

   四、ユダヤ教 旧(ヤソ教以前のユダヤ教)

          新(ヤソ教以後のユダヤ教)

   五、孔子教

   六、道教

   七、日本教(神道)

   八、インド教(婆羅門教)

   九、仏教 インドの仏教

        シナの仏教

        日本の仏教

  一〇、ペルシア教(火教)

  一一、ギリシア教ならびにローマ教(ともにヤソ教以前のギリシアおよびローマ固有の古教をいう。ヤソ教のギリシア教、ローマ教をいうにあらず。)

  一二、スラボニック教(スラボニック人種固有の宗教)〔Slavonic スラヴ人〕

  一三、チュートニック教(同上チュートニック人種固有の宗教)〔Teuton チュートン人・ドイツ人〕

  一四、マホメット教(回教)

  一五、アメリカ教(米国の古教)

  一六、ヤソ教

 今、比較宗教学として比較研究せんとするものは、すなわちこれらの諸教なり。その他なお細分するときは無数の宗派あるべし。つぎにヤソ教の宗派を示すこと左のごとし。

  一、アルメニア宗(アルメニア国にて紀元二〇〇年のころ、ヤソ教より第一に分派したる宗派なり。)

  二、ギリシア宗(ギリシア、トルコ等に現今行わるるもの)

     付 ロシアギリシア宗

  三、カトリック宗(旧教また一名ローマ宗)

  四、プロテスタント宗(新教、このうちまた幾百の分派あり。おもなるものを左に示す。)

   (イ) ルーテル宗(ドイツのルターこれを開く)

   (ロ) カルヴァン宗(フランスのカルヴァンこれを開く)

   (ハ) イギリス国教宗(エピスコパル宗すなわち監督教会)

   (ニ) スコットランド教宗(プレズビテリアン〔プレスビテリアン〕宗すなわち長老教会)

   (ホ) 改革宗(オランダに行わる。すなわちリフォームド・チャーチと名付くるものこれなり)

   (ヘ) メソジスト宗(美以教会あるいは訳名、守法教)

   (ト) 独立宗(一名組合〔会衆派〕教会すなわちコングレゲーショナル宗)

   (チ) バプテスト宗(浸礼教会)

   (リ) クエーカー宗(同朋宗すなわちフレンド宗)

   (ヌ) モラビアン宗

   (ル) アーヴィンギスト宗

   (ヲ) スウェーデンボリ宗

   (ワ) モルモン宗

   (カ) ユニテリアン宗

   (ヨ) ユニバーサリスト宗(宇宙神教)

   (タ) 自由神教(一名ラショナリスト宗)

 その他ヤソ教の諸派およそ三〇〇余の多きに至る。いちいち挙ぐることあたわず。人智の進歩するに従いてその信仰大いに衰微をきたせしも、社会の習慣および交際上の必要よりしてなお旧風を存するなり。しかれども名をヤソ教にかりてその実しからざるもの多し。かのユニテリアン宗のごときその一類にして、ドイツ、フランス等にはラショナリストと称するものあり。これまた一種のユニテリアン宗なり。

       エジプトの宗教

 エジプトおよびバビロンの宗教は宗教中の最古なるものにして今日に存せるものにあらざれば、あるいは世間の笑柄に値するに過ぎざるがごとき感なきあたわざるものあらん。しかれどもかかる太古の人智未開の当時における宗教思想を考究するは、実に学者に取りてすこぶる有益にして興味深きものあるを知るべし。今日学術界の勢いは実にかかる考察中より真理を発見せんとするの傾向を取りつつあることを知らば、古代の神話、怪談また大いに吾人の顧慮すべきものあるなり。

 エジプトの地球上最古の開明国なりしことはみな歴史家の許すところにして、近来発見せられたる古碑等によりてこれを験するに、確かに三〇〇〇年以前にすでに大いに文化の進み得たりしことを証すべしという。かのピラミッドの大塔が雲をしのぎて天をつけるを見〔れ〕ば、当時のエジプトの人々はいかに繁殖し、その工業もいかに開進したりしやを想像するに余りあるべし。しかしてこの人智の進歩のしかく速やかに人々の繁栄しかく盛んなりしは実に気候地勢のしからしめたるところにして、天地自然のたまものなり。ことにナイルの河の年々あふれて自然に土地を肥やすがごときは、大いに人口の繁殖を助けたるや疑いなし。故に宗教もまた早くその地に開くるに至れり。

 エジプト古代の宗教に関しては、学者間におよそ二種の説を分かつべし。一は曰く、エジプト古代の宗教はもと一神教なりといえども、この一神よりついに種々の形象を取りきたりて多神教となりしが故に、その多神中にはすこぶる高尚なる一神教の道理を含有するものなりと。しかるに他はこれに反して、エジプトの宗教は純然たる多神教にして草木禽獣を崇拝する極めて劣等の宗教なりしが、ようやく進歩して後に一神教の性質を帯ぶるに至れりと。もし第一説によるときは、エジプトの宗教は一神教より堕落して多神教となりしものなりとせざるべからず。しかるに人智の進むに従って宗教の堕落するという道理はチト信じ難し。しからば第二の説に従いて、下等の宗教がようやく進んで一神教に近づきしものと見んか。しかれども多神劣等の宗教がにわかに一神教と化し去るの理もまた信じ難し。思うに古代に高等劣等の二種の宗教併存せしならん。しかしてエジプト固有の宗教は草木禽獣を礼拝するがごとき最も劣等の宗教なりしといえども、歴史以前にアジア地方より入りきたりし人種が高等の宗教すなわちアジア固有の宗教を伝え、ついに二種の宗教の古代より行われしもののごとし。このアジア人種はエジプトに入りて高等の位置を占めたるをもって、その宗教を信ぜしものは少数なるにかかわらず勢力を有したるに相違なし。このことはアジア古代の宗教と比較すれば容易に了解すべし。

 エジプト固有の宗教すなわちそのいわゆる下等の宗教には二種の別あり。一は動物を崇拝するものなり、二は死王および死人を礼敬するものなり。動物を崇拝するものはいずれに至るとして古代はみなしかるもののごとしといえども、いまだエジプトのごとくはなはだしきものはあらざらん。エジプト人はすべて動物には一種の魔力神力を有するものとなし、その何種たるに関せず一般に種々の動物を畏敬したり。しかしてこの魔力神力はただちに人類の幸不幸の上に関係あるものとなし、各地方に一定の崇拝すべき動物ありてその魔力の上に地方の保護を依頼し、また各眷族に特有の動物ありてこれを崇拝せり。しかして最も一般に奉信せられたるものは牡牛、ワニ、猫、カバ等の動物なりとす。つぎに、死人を拝礼することも諸国に見るところなりといえども、エジプト人は特にはなはだしきものなり。その墓の壮麗なる、その粧飾の美を尽くしたるを見るも、もってこれを知るに難からず。かつその死体を保存せんがために力を用いたりしは、ミイラをもって証すべし。したがいて死人に対する儀式を鄭重にし、これをもって最も神聖貴重のものなりとなせり。エジプト人は死経と称するものを貴ぶことはなはだしく、この経の功徳によりて死者は冥途の旅行を安全に遂ぐることを得るなりと信ぜり。けだしかくのごとくエジプト人が死者を丁重にするに至りしゆえんは、もちろん死者をして冥界悪魔の害を免れしめんとの念より発したるものなるべしといえども、また当時の僧侶等の種々の付会説をなして人民を誘導する勧善懲悪の方便となしたりしこと、あずかりて力あり。エジプト固有の宗教は実にかかるありさまなるものなりし。これに反してアジアよりきたりしと想定せる宗教はすこぶる高尚にして、その思想はすなわち宇宙万有の理法に関する観念にして、この神の主なるものに二あり。一はオシリス(Osiris)にして二はラー(Ra)なり。これをエジプトの神学上に考うるに、彼らの宗教思想はまさしく光明と暗黒の争闘、および生と死の争闘の二種の考えより成立するを見る。ラー(太陽)はすなわち光明の神にして、これに対する暗黒の神を名付けてアパップ〔アポピ〕(大蛇)といい、生と死との争いはすなわちオシリス神とティフォン〔ギリシア名〕あるいは一名セト〔Set〕との争いをもって表示せり。このオシリスとティフォンとはもと兄弟にて、オシリスのかつてアジア地方を巡遊するに当たり、弟ティフォンはその位を奪わんと欲してこれを殺害し、しかばねを海中に投じたりしが、オシリスの妻イシスこれを聞きて大いに慟哭し、その涙流れてナイル河の源をなせりという。後オシリスの子ホルスはティフォンを殺してそのあだを復したり。エジプト人はオシリスをもって死後もなお冥界の長官なり、一切の死者はみなその支配を受けおるものなりと信じたり。故にオシリスはすなわち善神にしてティフォンは悪神なり。しかしてラー神もまた善神にして、オシリスの幽冥界を支配するに対して現世界を支配するものとす。エジプトにありて最も尊信せらるる神は、まずこの二神すなわちオシリスおよびラーなり。またオシリスの妻たりしイシス女神も一般に崇拝せり。

 これを要するに、エジプトの高等の宗教は人心の上にては善悪二元、物界の上にては明暗二元の思想を表示したるものにして、この二種の元素互いに相争い新陳交代してやまざるものとなす。故にその宗教は世界上の観念より起こりたるものにして、その思想はすこぶる高尚なり。もし他の一方より見るときは、エジプト人は山川草木を拝し禽獣死人を尊敬するなど、最も卑しむべきものなるに似たりといえども、この一方より考うるときは、宇宙の高妙の理を表示して大いに称するに足るべきものあり。この二者の思想あまり懸隔するをもって、エジプトの宗教は二種の宗教の相混じたるものなるべしというなり。しかしてそのいわゆる高等の宗教の、アジアの宗教に似同するところあるは後に至りて知るべし。右の諸神の外なおプタハ(Ptah)と称する一神あり。これ万物創造の神にして、またすこぶる人の尊敬を受くるものなり。エジプトの古説にては万物の創造は一神によりて成るにあらず総じて八神ありとなし、その神みな宇宙の力を代表したるものなり。ギリシア人の記するところによれば、エジプトの神を分かちて三級とし、第一級は今の八神にして、第二級に一二の神あり、第三級の神はその数はなはだ多しという。まずこの八神を数うるに二種の説あり。すなわち左のごとし。

  プタハ(Ptah)

  ラー(Ra)

  シュー(Shu)

  セッブ(Seb)

  オシリス(Osiris)

  セトまた〔は〕ティフォン(Set or Typhon)

  ホルス(Horus)

  セバック(Sebak)

 または第二説によれば、

  アメン(Amen)

  メントゥー(Mentu)

  アトゥム(Atum)

  シュー(Shu)

  セッブ(Seb)

  オシリス(Osiris)

  セト(Set)

  ホルス(Horus)

 これらはおもなる諸神なり。されば天地の創造はかくのごとき多数の神によりたるものにして、特に火の神をもってその最とす。火の神とはすなわちプタハにしてメンフィスの神なり。しかしてこの神を宇宙の霊となす。その他あるいは湿の神、風の神、水の神等ありて、宇宙の現象をことごとく神に配当し、これらの諸神をもってすべてこれを宇宙万有の創造者なりとなすなり。日月、山川、草木の類に至るまで、またみなおのおの神ありてこれを創造したりということ、一にこの理に準ず。

 エジプトにおいて初め六朝の間はオシリス、ラー、プタハの三神最も尊崇せられたりしが、後ピラミッド塔の建てられたるころにおいては王をもって神に配し、すなわち帝王の死したるものを神として祭ることとなり、かつオシリス、ラー、プタハの三神のごときも次第に互いに混同せられ、しかのみならず神という考えが漸次に可見的より不可見的に移りつつ発達しきたれり。かつこのころに至るまでは僧侶の権力いまだはなはだ強からざりしといえども、ようやくその勢いを得るに及びては、従来極めて単純なりし墳墓の装飾、葬式等に関する諸事は、大いに費用をなげうちてこれを営むこととなりたり(もっともこの以前、僧侶に勢力なかりしときといえども宗教の盛んならざりしにはあらず)。その後第一一朝より第一四朝に至る間にありては、その国権エジプト上部の地方にありしものようやく下部地方にうつりたるがため、したがって神もまた次第に変じきたるは勢いの自然なり。すなわち各地の神の、中につきてその最も権力ある地方の神、最も尊崇さるるに至るは数のしかるところにして、今は下部地方の神をもって第一位に置かるることとなりしなり。軍神のムントおよび農神ミンカ等が重要の位置を占むるに至れり。かく宗教の種々の変化、種々の異態を取りし最後は、僧侶の権力ますます増大して魔術のごときも流行しきたり、その結果王権はついに僧侶の手に帰し、いわゆる僧侶朝廷を見ることとなれり。しかれどものち再び一変して僧侶の朝はやみ、やがて第一八朝以下に至りては他方より種々の諸神混入しきたり、しかのみならず最初にはあまたの神たりしエジプトの神も、漸々一神に近づかんとするの傾向を示し、たとえばアメンとホルスとは同一の神とせられ、またホルス、ラー、クナン、メンタ、タン、これらの諸神はすべて同じく太陽を代表するものにして、これ時間の異なるに応じてその名を異にするなり。エジプトの神の偶像はもとその体は人間にして、頭は多く動物を現すものなりといえども、一八朝以下他国の神の入りきたりし以降は頭もすべて人間ようのものと変じ、大いにその状態を異にせり。以上の外エジプトの神に関しては極めて妄誕不経のこと多く、種々の伝説ありといえども今はこれを述ぶるの要なし。されどエジプトの宗教は比較宗教学上大いに参考すべきところあり。今、試みにこれを一言せんか。

 およそ宗教の起源に関してはここに二種の説あるべし。一は曰く、吾人の感覚上得るところのものより抽象し得たる無形の概念をもって神等の観念を造立し、よりてもって成りしもの、これを宗教となすと。進化論等、一般経験派、唯物学者この説をなす。古代の神なるものを見るに、多くは動物、人間あるいは山川草木等、感覚上のものを礼拝するは、もってこれを証するに足るという。しかるに他の一説に曰く、人間には本来無限という高尚の観念を有し、ただこれを現さんがために有形の相を借りきたりて禽獣草木、山川日月の類を用うるものに過ぎず。古代の偶像のごときも、また決して吾人の目に映ずるところの形相のみをもってその意味の全体とはなすべからず。人類がこの大宇宙に接してこれを観察するとき感得するところの、美妙無限の大勢力の思想を有限の形に託したるものに過ぎず。この故に宗教なるもの、実はこれ先天性のものなるのみと。以上の両説互いに相争いて、いまだその是非を決するに由なしといえども、現今においては経験説を取るもの多くして、先天説に左袒するものもはや少なし。なにはともあれ、今エジプトの宗教にありてもまた必ずこの二面の見解あるべし。すなわち一方より見るときは極めて劣等にして、言論に上すに足らざるもののごとし。しかも他の一方よりいうときは、またはなはだ高尚なるものに似たり。ティーレ氏(Tiele)(ライデン大学宗教史教授)の説によるときは、エジプト固有の宗教思想は最も下等なるものにして拝物的多神教なり、その光明と暗黒との争いのごときは、実はアジアより輸入し得たるところの思想なるのみと。こはこれ歴史以前のこと、今にして確断することあたわずといえども、いずれにしてもエジプトの宗教は二面の見解を有し得ることは知り得らるべし。しかるにここに先天派に与うべき一の疑問は、果たして先天的の宗教思想が実に存すとせば、何故に禽獣草木の外縁によるを要せず、ただちにその真相を顕出することあたわざるやということこれなり(もっとも太古はかえって一神を拝し、しかも偶像を拝せざりしが、中ごろよりこの一神は変じて偶像の神となり、直接に吾人の前に現れて愛憎賞罰を行うがごとき神となるに至りしが、これもと僧侶が利欲心によりてここに至りしものなりと説くものありといえども、そは比較宗教上取らざるところにして、しばらく置きて論ぜざるべし)。先天論者すなわちこれに答えて曰く、古代未開の当時にありてはその思想もとよりいまだ極めて幼稚にして、到底最初より完全無欠の思想なりしにはあらず、わずかにその萌芽の有形の夤縁によりて外に現るることを得たるものに過ぎずと。けだし今、経験論者の説に従うとなさんか、吾人の智識は到底経験の以外には一歩も脱することあたわざるが故、一〇の経験は永劫一〇にして、一〇以上の智識となることを得べからず。しかるに今一〇の経験進みて一五、二〇の智識となるゆえんのものは、実に吾人思想の傾向は常に無限に進まんとするによらずんばあらず。宗教思想もまたこの理によらずということなし。しからばすなわち経験派の唱導するところ、いまだ必ずしも確実なりとは許すべからず。さればとて先天派の所説また決して円満なることあたわざるものあるか、思うにエジプトの宗教もまたこの理によらずや。

       バビロンの宗教

 バビロンの宗教を知らんと欲せば、カルデア(Chldia)の今日に現存せる片々の記録にたよるの外、すべあるべからず。この記録やすでに断片残欠、今これを集めて順序を与え年月を加え、もしくは一書籍の一部分のみよりその全体を推測するなど、いともいとも困難のことのみに属すとはいえ、近来イギリス、ドイツ諸国この研究の道すこぶる開けたるが故、便利を得ることようやく多し。

 カルデアの都城をエリドゥ(Eridu)という。なおエルサレムのヤソ教、メッカのマホメット教におけると一般、この地実にまたカルデア宗教の中心にして、該国第一の神を鎮祭する所となす。その地ペルシア湾の近傍にありて、古代はなお海岸より内部に入り込みいたるもののごとし。その第一の神をエア(Ea)という。この神は人民一般の崇拝せるものにして、海神なればその水をつかさどるはもちろん、海外の世界(すなわち幽冥境)をも支配するものとす。この教を奉ずるものは直接に神の威容に接見することはもとよりよくすべからずといえども、海波の音、潮の干満の声をもって神の声なりと信じてこれを拝し、風雨のために激浪怒涛の押し寄せきたるときは、見て神怒なりとなして大いにおそれたるもののごとし。この神は常に海底の岩洞に住したまい、人はこれを接見するに由なしといえども、神はよく一切のことを知りつくしたまうという。これを説く者曰く、この宗教はもとおそらく海上よりカルデアに入りきたりし人種の与えたる思想にして、かつこの人種は思うに航海をもってその業となしおりたる者なるべし。なんとなれば、神に与うるところの名はすべて海もしくは船舶等に属すればなりと。かく神は常に海底におわしてその形を示すことなきが故に、ただ海のありさまによりて神を想像するに過ぎずして、日のまさに没せんとするとき海面より送りきたるところの軽風をもって神の呼吸なりとなし、神のわれに告知するところと称し、一切かく海をもって神はその考えを示し、吾人は海によりて神を知るの便宜となしたるものなりしなり。しかるにここにまた神と吾人との間に立ちて神人を結合するところの一の媒介者ありて、吾人はこれによりて神に通ずることを得るとなす。すなわちあしたに東天に現出して世界の暗を照破し、夕べに西海の裏に沈み去りてその影を失う、この一大怪光は果たしてなにものぞや。カルデア人はおもえらく、これ神の子なり。この神子その光明を放ちて吾人を照らすは実に神の大慈なり。神子はあしたに出現して人間の状態を検察し、善人を監督し、夕べには去りてこれをその父に報告す。されば人類はこの神子すなわち太陽の媒介により神と相通ずることを得るなりとす。この太陽は呼んでこれをマルダッガ(Mardugga〔マルドゥク Marduk〕)といい、通常これをなまりてメロダック(Meroduck〔Merodach〕)という。またこのメロダックはこの世界の疾病人の有無をも検してこれを父に告げ、父よりその療法を授かるものなりと信ぜられたり。この太陽、これを昼の神となす。

 カルデア人もまたアジア古代人一般の思想の外に出ずるにあらず。すなわち光明と暗黒(人の上に取りては善と悪となり)との争闘を想像し、いわゆる昼の神すなわち善神なるメロダックに対して夜の神すなわち悪神なるものを立て、相争いて交互勝敗逓次に出没するはこれをもってなりといえり。夜の神とはすなわち竜神なり(蛇をもってすべて悪の代表とすること、古代にありてはほとんど一般なり。『旧約全書』も蛇のことを説き、エジプトの夜の神も蛇なり。わが国神代史中にも蛇の話あり。何故に東西かくその説の合するや)。これを夜の女王と称す。これすなわち悪神にして、これに対してエアおよびその子メロダックはともに善神なり。この善悪両神の争闘は開闢以来かつてやみしことなく、しかもこの悪神は七頭七尾にして地球を抱纏し、夜は特に堅く持ちて、己のものとなせり。しかるに旭日曈々の光明は善神が女王に放つところの神矢にして、これがために竜神は負傷をこうむり、その尾をゆるむるが故、光明の神はますます大いに勢いを振るい、槌をもって女王の頭を砕き、竜神に付属せる黒雲までも全く跡を隠して、世はすべて善神の支配に帰するに至る。これを光明の神の全勝となす。しかるに神子はこの全勝をもってその父に告げんと欲し、まさに西方の関門に入らんとするとき、諸神は再生して神子の足にかみつき、神子は傷を負い、かろうじて免れ去る。勝敗循環かくのごとくにして、ついに窮極を知ることなしという。

 かくのごときの怪談、畢竟一笑に値するに過ぎざるがごとしといえども、また大いに研究を要するものなきにあらず。なんとなれば、古代人種の想像はシナ、インド、ギリシア、その他わが日本においても常にほとんど同一なるがごときも、人間の想像が必ず同一のありさまに帰するはなんらの理ありてしかるや。けだしすこぶる興味ある問題なるべければなり。かつ人類が天地の不思議に接して種々の想像をめぐらしたるの跡も、またはなはだ怪なるものあり。しかれども蒙昧人が天地の不思議を感じたると同様のありさまにおいて、今日のわれらもまた実にこの不思議に接し不思議を感じおるものなり。

 カルデア人はかく明暗、善悪二元の争いを想像せり。なおかのエジプトのオシリス、ラーに対してセト、アパップを説きたると、趣全く相等しというべし。エジプトの宗教をもってその思想は実にアジアより入りしものにはあらざるかというも、ここに至りてその一理あることを発見し得らるべし。しかしてカルデア人は主としてただこの光明の神のみを信ずるものにして、太陽は神の子なるが故に、刻実すればカルデア人は実に一神を奉じたるものというべし。

 右はカルデア(すなわちバビロン帝国中最古の国名)のエリドゥ府における神に関して略説したるものなりといえども、以上の外にも各地方にはまたその地方固有の神ありておのおのこれを尊崇し、たとえば、ウル(Ur)府にては月の神を奉じたるがごとき、あるいは火の神、死の神などいくたの神はみな各地に祭祀せられ、畢竟各都邑はみな各宗教の中心たりしものなり。このことたる、思うにバビロンの文明を助けたる一大原因にして、人民はみな宗教のためにこれらの都邑に集まりきたり、したがって学校その他の一切はこの都邑に設けられ、これに伴いて教育の道も早く開け(紀元二五〇年ごろには教育の道もすでに大いに開けたりという)、もって西部アジア最古の文明国をばここに興すこととなりしなり。さればこれらの事情よりして考うるも、その僧侶の(エジプトの僧侶、インドの婆羅門等と等しく)非常の権力を有しおりたりしことは推想し得らるべし。

 バビロンの宗教につきてその各都邑に各個固有の宗教の存在し得たることは、これ実にバビロン宗教の他の宗教と最も特異の点として見るべきところなり。ウル府はアブラハムの誕生したる地にして有名なる都市なり。この地には月神を祭る大いなる殿堂あり。この土〔地〕の人は、月は日の前にあり、日の神は月の神の子なりとして、深く月神を信奉したるものなりという。

 当時カルデアはかく各都市相分かれて存立し、しかもおのおの一帝国なりしといえども、次第に強は弱をあわせて小は大となり、最後に南北両バビロン帝国を生ずるに至れり。その後、紀元前二二〇年において一層権力ある王ハムラビ(Hammurabi)なるものありて、この南北両バビロンを合して一帝国となし、バビロン府をもってその首都と定め(このときまではバビロンは第二等の都府なりき)たり。これをバビロン帝国となすなり。政治上にかかる変遷ありてバビロンはすでに政治の首都と定まりし以上は、したがって宗教にもその影響を及ぼし、従来バビロンの神たりしメロダック、すなわち日の神はやがて帝国全体の神と変化したり。この日神の父はすなわちエアなり。また世界神にベル(Bel)と称する神ありしが、後にはメロダックはエア、ベルの二神〔の〕性質を併有せるものとなり、名をベル・メロダック(Bel-Meroduch〔Bel-Marduk〕)と称し、これが美麗の殿堂はバビロンにおいて造営せられたり。ハムラビの朝は二〇〇年間連続したれば、これと同時に宗教もともに盛大を極めて、バビロンは世界宗教の中心となり、世界にその名を知らるることとなりしが、のち紀元前六二五年いわゆる新バビロンなるもの起こる。

 旧バビロンの前はカルデアなり。カルデアの建国は諸説一定ならずといえども、一般には紀元前二二三四年なりとなす。しかしバビロン帝国の起こりしは同二二〇〇年なり。つぎにバビロンのアッシリアに滅ぼされたるは同一二四三年なれども、このときいまだ帝国全体がアッシリアの版図に帰したるにはあらず。その全体がアッシリアに属したるは同七四四年にあり、のち同六二五年新バビロンは起これり。この新バビロンを起こしたるものをナボポラッサル(Navapalassar or Nabopolassar)となす。新バビロン、後にペルシア王サイラス(Cyrus)〔キュロス Kyros〕のために滅ぼさる、これ実に紀元前五三八年なり。再び反したることあれどもまた征服せられ、最後に同三三一年アレキサンダー大王の征服するところとなる。

 ナボポラッサルの新バビロンを起こしたるときは宗教の最も盛んなりしときにして、これを極盛のときとみなして可なるべし。のち漸次に衰えたるも、サイラスの手に滅ぼされたるときは、サイラスなおその固有の宗教を許してその人心を収めんとするの政略を取りたる故、依然まだ存在したりしといえども、当時ヘブライ人がバビロンにとらえられたりしかば、これよりユダヤ教の風大いにバビロン教の中に混入したりしが、バビロン王ネブカドネザル(Nebuchadnezzar)ユダヤの都エルサレムを滅ぼしてユダヤ人をとりこにしてバビロンに留置したるなり(のち新バビロンの滅亡とともに宗教も漸々変化して、ついに全くその形を失うに至れり。次下バビロン教に連絡してアッシリア教を略述すべし)。

       アッシリアの宗教

 ギリシアおよびローマ以前にありて吾人の最も注意すべきはアッシリア人なり。この人種はバビロンすなわちカルデア人種と同種族にして、初めはバビロンと同じくカルデアの支配に属したりしも、紀元前一二五〇年ごろに独立して勢い漸次に増大し、ついにバビロンの右に出ずるに及べり。のち六〇〇年間はアジアの西部よりエジプトまでを支配するに及び、古代にありてはいまだかつて見ざるところの強大なる帝国を形造るに至りたり。この六〇〇年間、歴史上分かちてこれを二段となす。第一世紀はすなわち紀元前二二五〇年より同一七四五年の間にしてアッシリアの独立よりその中興までを指し、第二世紀は一七四五年すなわちティグラトピレセル(Tiglath Pileser)の中興より同六二五年までを指す。この六〇〇年の間のアッシリアはただに強大なる帝国なりしのみにはあらず、技術、工芸、美術百般のことに至るまで、古代唯一の発達をなしたりしなり。

 アッシリア人はバビロンと同じく多神教を奉じ種々雑多の神を拝し、各神みな固有の形貌、性質および殿堂あり。しかもこれらの諸神たる、その内部の思想上より考察するも、エジプト人が一神の作用をもって種々の神となしたるがごとき形跡を見ず。換言すれば、アッシリアの多神は(バビロンも)また純然たる多神にして、一神の思想より起こりたる類のものにはあらざるがごとし。しかしてこれらの諸神はなおあたかも人類と等しく一の社会を形成し、ときどき相会していわゆる会議を開くことあり(わが国の俗説に神無月の説ありて、その月には諸国の神々が出雲大社に会すというにひとし)。この会議の席においては神々往々論争を起こして、互いに相闘うに至ることあり。これ畢竟、各神がみな利己のこころより起こるところなり。されば神国の上にありても戦争を起こすことは常にあるところという。

 かくのごときあまたの神の中において、アッシリアの神においては別に主神と称すべきものなし。ただ神の中に階級の上下ありといえども、上級の神決して下級の神を支配するの権利あるにあらざるが故に、その間すこしも一神的の思想を見出だすことなし。もっとも中において神中の王、もしくは神中の神等と称する名称を有するものなきにあらずといえども、そは単に名目上のことにして、実は人々おのおのその自己の礼拝するところの神を定めて、更に他の神を顧みることなし。またこれらの諸神には、多神とはいえ実に一定の数限りありて、あるいは四〇〇〇なりといい、あるいは五〇〇〇なりというものもあり。しかれども、なかんずく一般に尊崇せられ、あるいは紀念祭を行わるるものは、おもに二〇に上ることなし。今ここに述べんとするところは、この二〇神中そのまた最もおもなるものなり。

 すでに述ぶるがごとく、バビロン、アッシリアの多神はその中にいわゆる主神と称すべきものなしといえども、殿堂中において常にその首座を占むるところの神なきにあらず。されど、これただ階級上の首座神にして、そが主宰神にもあらず、また他の諸神この一神より分出したるにもあらず。バビロンの首座神はラーなり、アッシリアの首座神をアッシュール(Asshur〔Assur〕)という。あるいは曰く、ラーとアッシュールとは実は同一神なるのみと。両国もと同じくカルデアの支配下に属せしものなれば、その宗教もあるいは相混じたるの想像も、またはなはだ故なきにはあらざるに似たり。かつこのアッシュール神は、アッシリア国全体およびその国王の守護神なる点より見るも、ラー神と関係はなはだ相近きもののごとし。しかるにまた他の一説によるときは曰く、アッシュールとラーとは大いにその性質を異にするものにして、ラーはアッシュールのごとくその徳を表面に現示したるものにはあらず。けだしラーなる名称はもとただ神というの意義に過ぎずして、種々格段の性質、作用等を有するのこころなし。故に記録に記されたることなく、石碑等にその名を銘せられ、あるいは形像を刻まれたることなきなり。なんとなれば、そは実に尊き神にして、刻むべき格段の形体もなく、記すべき格段の性質もなければなり。しかるにアッシュールはこれに反して普通の徳をもって現示され、記録せられ、碑も建てられ、像も刻まれたるなり。この故アッシュールはけだしアッシリア国固有の神にして、ラー(ラーはアッシリアにてはイルIlと呼ぶ)とは全く別神なるべし。さればその名は国名と相関係し、すなわち国名はその神名より出でたるものにして、人民はすべてこの神の臣下たり、軍兵もすべてこの神の軍兵なり、しかして国敵もまた神敵なりと考えられたり。特に国王は神と最も密接の関係ありて、神はこれをして王位に登らしめ、これを保護し、国王軍に臨むときはこれを導き、その子孫はまたこれを愛護したまう故に、国王の戦争を起こさんとするときは必ずこの神の名をもってし、帰陣のときもまた神名を用うるなり。さればこの神を呼んで、これを諸神の父という(もっとも他の神にもこの神父名を用うるなり)。その形は人体にして、頭には角ある帽をかぶり、左右に羽翼をそなう。その人体なるは智を表し、角あるは威を現し、羽翼もまた神の尊きことを示すものにして、すべておのおの格段の意義を表したるものなり。またこの神は、常に弓を手にしてまさに矢を放たんとするがごときの状を示せるものあり、あるいは弓矢を持たざるものもあり。すなわち国王の軍に臨むときは弓矢を持し、平和のときは弓矢を持せざるなりという。

 アッシュールに次ぐところの神に三体あり。すなわちアヌー(Anu)、ベル(Bel)、ヒー(Hea〔Ea〕)これなり。この三神はひとりアッシリアのみならず、バビロンにてもまたこれを用う。ヒーはバビロンにてはホー(Hoa)という。アッシリア中にては、あるいはこの三神をもって最も尊貴なる神と称する者もあるなり。バビロンにてはアヌーとベルとは兄弟にしてともにラーの子なりというも、アッシリアにてはこの二神に親戚上の関係あることを伝えず(もっともホーの神は両国ともにこれを親戚上の関係ありとせず)という。

 これらのことは最古に属することにして、その細事に至りては最も作用し難きもの多く、学者の所説もまた一定せずといえども、多少わが国の神代史等に比較するの〔に〕またいくたの興味なきにあらず。吾人が宗教研究上に参考すべき材となることもまた少なからざるか。

 アッシリアの三神に関し、ある人は想像説をなしておもえらく、この三神は実に世界開発の道理を表示したるものにして、第一アヌー神は太初混沌の状態を指し、第二ヒー神は生命および智力を表示し、第三ベル神は万物を創造形成するところの霊に名付けたる称にして、すなわちこの霊力により混沌の物質次第に開発形成して、その秩序を・つところにおいてこれを神に配当したるものなりと。この想像果たして当たれりや否や、はなはだ疑うべし。もしこれをして真ならしめば、アッシリアの宗教思想は極めて高尚なるものといわざるべからず。しかるにローリンソン〔Henry Creswicke Rawlinson〕氏はまた説をなして曰く、アヌー、ベル、ヒーの三神は地、水、天の三を表したるものなり。これ前者に比してはなおすこぶる有形的にして、あるいは真に近きものならんか。けだしこの地、水、天の三をもって神に配当することはギリシア、ローマにおけるユピテル、ゼウス(すなわちジュピター)、ポセイドン(すなわちネプチューン)の三をもって地、水、天に配したると全く相同じきものなるべし。アッシリア人はこの三神をもって最初は全くこれを個々の三神として信じおりたりしも、後に至りてその思想を変じ、ヒー神は水を支配し、余の二神はその神固有の支配するところあることを忘れ、二者ともに世界全体を支配するものなりと思わるるに至れり。故にアヌーとベルとはついにその支配に区別なきものとなりしなり。このアヌーはアッシリア人一般にはこれを最初の神となし、世界の王にしてかつ衆神の長なりと信じおりたるがごとし。しかれども同国古記録中これをもって諸神の父等と記載せらるるとはいえども、これをもっていまだアッシリア人が実際上独立独一の神を信じおりたるものとはみなし難きに似たり。なんとなれば、もしアヌーをもって果たして独立の一神となしおりたるものならんには、その国王がこのアヌー神を外にして他の神をもって己の守護神とし、自己の記号となすことは解し難ければなり。その一神教の性質を有せざること見るべきなり。つぎにベル神はバビロン、アッシリアの普通に信奉したるところにて、したがってまた多くの殿堂を有せり。バビロン、アッシリアの神代史によるに、ベルをもって天地を創造したる神となし、また神は自己の血液と土地とをもって禽獣を造り、および日月をも造りたりといえり。しかのみならず、もし神の戦争のことにつきては、ベル神は電光を放ちて大竜神ののどを貫きこれを射殺したりといい、かつヒー神と結合して七悪神の来攻を防御したることありという。これらの故をもって、ベル神もまた諸神の王と尊ばれ諸神中の最高位を占めたり。第三のヒーはアッシリア諸神中ただちにベルの次位を取るものにして、水を支配するところの神なるが故に海王、河伯あるいは泉神等、種々の名称をもって呼ばるるものなり。今、同国洪水談として伝うるところによれば、彼は大洪水をくだして地上の人類をことごとく滅殺せんと欲したり。しかれどもただある一家族をしてこの洪水を免れしめんと思惟し、彼はかの家族に向かいてまさに大洪水のきたるべきことを告知し、教うるに大舟を造りてこれを免るべきの策をもってす。その難を免れ得たるものをハシス・アドラ(Hasis-adra)というと。これはなはだかの『旧約全書』の記するところに似たるものなり。以上、これをアッシリアの二神となすなり。

 以上、第一位の三神に次ぎて別に第二位の三神あり。第一シン(Sin)すなわち月神、第二シアマス(Shamas〔Shamash〕)すなわち日神、第三ヴール(Vul)すなわち気象の神これなり。バビロン、アッシリアにおいて常にかくのごとく日神をもって月神の下に位せしむるゆえんは、その地、熱帯にあるをもって昼間の酷熱に苦しみ、夜月の清涼をこよなき楽とするものにして、おのずから月を愛するに至りしものなりという。故にこれを呼ぶにまた諸神の神、あるいは神の王などの名をもってし、またこれを建築を支配する神なりとし、家屋城壁の神としてこれを崇拝せり。けだしこの月神と他の二神すなわち日神、気象神の三は互いに同盟を形造れるものにして、そのむかし七悪神の月神を攻むるに当たり、他の二神力を合わせて悪神を退かしめ、もって月神を助けたることあり。これをもってこの三神は一団にして、一神に祈願をこむるときは三神に祈願すると同一の功徳あるものなりとしたり。しかれども祭礼供養のときにおいては、あるいはシンとシアマスとを一にしてハルスを別にすることあり。この三神中にありてバビロン、アッシリア二国人の最も崇奉したるものは月神なること論なし。これをもって月神には多くの殿堂あり、毎年第三の月をもってこれを祭るを例とす。なおこの国の王中には月をもってその名に用いたるもの多きをもっても、その当時最も信仰せられたることを推想すべし。この神の標章は常に新月を用うるなり。あるいは人体をもって表示せらるることあるも、そのときはその人の頭上に新月をいただかしむるなり。つぎに第二位のシアマスすなわち日神は、天地の構造者あるいは天地の裁判官または世界の軍師等の名をもって称せられ、その他火神、神光、昼神等と呼ばるることもあり。アッシリア国王はこの神をもって戦陣に臨みてわれを助くるものなりと信じ、もし平和無事の日においては常に王に力を添え、臣下を制服し、民心を支配するものなりとせられたり。毎年第七の月をもってこれを祭る。またある伝説に従うときは、かの洪水を下したるはすなわちこの神なりともいう。つぎに第三ハルスすなわち気象神は空気、風、雨、雷、電、その他凶作、飢饉等をつかさどる神なり。閃々たる電光は彼の手にせる刀より発するところにして、大風雨を起こし飢饉をいたす等、すべてこの神の所作なりとす。その他、土地の豊饒もまたその支配に属す。

 以上の八神の間みな階級の差あり。この八神に次ぎて六女神あり。前二位の各三神と夫婦の関係なるものなり。ただアッシュールとラーの二神はこれに対する女神なりし(すべて東洋の神には夫婦の関係あるもの多し。わが日本の神代説またこれに似たり。アッシュール、ラーの二神のごときはわが天御中主神〔あめのみなかぬしのかみ〕に比すべきものか)。アヌー神の妻たる女神はこれをアナット(Anat)またはアナタ(Anata)という。けだしアヌーとアナットとはもと同語なり、ただ一神を二名とし、男性女性をもってこれを分かちたるに過ぎず。つぎにベルに対するはベラットまたはベルチスという。母神あるいは歳神なりといえり。ヒーに対するはダヴキナ(Dav-Kina)なり。ダヴキナは下界の神にして、この世界にありて人の死を支配する女王なり。シンの妻神は別に名なし、ただ大令女と称せらるるのみ。シアマスの妻神はグラー(Gula)、ハル〔ス〕の妻神はシアラ(Shala)あるいはタラ(Tala)という。以上、六女神六男神、その配合の神なること知るべし。

 この外なお別に五神あり。一、ニン(Nin)あるいはニニップ(Ninip)、これラテン、ギリシアのサターン〔サトゥルヌス〕神(Saturn)に当たる。二、マールダック(Marduk)、これラテン、ギリシアのジュピター神(Jupiter)。三、ネルガル(Nergal)、これラテン、ギリシアのマルス神(Mars)。四、イシタール(Ishtar)、これラテン、ギリシアのビーナス神(Venus)。五、ネボー(Nebo)、これラテン、ギリシアのマーキュリー神(Mercury)に当たるなり。このうち第一は惑星界の最も遠き所を支配する勇気の神にしてアッシリア一般に信奉せられ、第二はバビロンにて最も尊崇する、かの太陽神なり。第三は国王の他国を攻むるときこれを助くるところの軍神にしてまた大勇将とも呼び、その他猟のことをも支配するなり。第四は結婚の神、恋の神にして、あるいは戦争を支配する女神ともいう、呼ぶに勝利の女王の名あり。第五は智恵の神なり。これ人間の智および教育を支配し、また王に位を授くる神なりという。あるいは曰く、この五神にまた配偶神ありという。しかるに一般にアッシリア人の信じたるはこの五神にして、配偶神を信ぜず、故にあるいは配〔偶〕神なしと説くものもあるなり。

 アッシリアの宗教はバビロン教と大同小異なり。神に奉ずるにあまり大なる堂宇を建てざるも、高塔を築き神室をその上に安んず。神はすべて金石をもって偶像を造り人形をなす。神を拝するには祈祷と供養とを用う。祈祷には神前にその罪をざんげし、その助けを仰がんと願い、供養にはおもに牛羊を献じ、礼拝のときは酒を供し香をたくを常とす。また死後天堂地獄の説を信じ、亡者のために天堂に昇らんことを神に祈請するなり。亡者の天堂にあるものは白衣を着し光明をはなち、神前に侍し神饌を食するといえども、地獄はこれに反して暗黒なり。ここに堕落するものは泥食すという。罪の軽重によりて苦に差等あり。また火をもって罪人を苦しむることは世界一般に等しき思想なり。また亡者はすべて飛鳥のごとく空中を飛行すといえり。

 神代に七悪神謀反してアヌー神を攻むることあり。月、日、気象の三神撃ちてこれを破る。その後しばらく平和なりしといえども、後また天界五〇〇〇の群勢一揆謀反をなしベル神と戦いしが、ついに天界を放逐して七悪神の居所に投ぜられ、再び天界にきたることあたわざらしめたりと。つぎに神、人を造れり。これよりさき神の世界が人間世界にさきだちて社会をなししこと、あたかも今日の人間の社会と同様なりしという。ある開闢説に曰く、天地未開の前世界いまだ暗黒にして種々の妖怪その中に棲息し、オモルカー(Omorka)と称する一女ありてこれを支配したりしが、ベル神これを二割して天地ここに現出し、妖怪等はその光明に堪えずしてことごとく遁逃し去りしかば、神はすなわちその光に堪ゆべき人間を造れりという。

 古代の宗教思想は東西相合するもの少なからず。これ決してみだりに放擲すべきものにはあらず。わが日本の神話のごとき、あるいは怪誕取るに足らずとして顧みざる学者なきにあらずといえども、これ思わざるのはなはだしきものにして、今日はこれを比較的に研究する必要を感ぜり。以下、インド教すなわち婆羅門教を略述すべし。

       婆羅門教(インド教)

 インド教はインド人一億七〇〇〇万人の奉ずるところにして、社会一切の儀式、出産、婚礼、葬祭等はみなその宗に定めたる規則に従う。これ実にインドの国教というも不可なることなかるべし。なんとなれば、インド上流の人すなわち国政に関するものはみなこの教を奉ずればなり。この教の立つるところの神はなはだ多し。故に外見上多神教に似たるがごとしといえども、その内部の道理を考うるときは、実は凡〔汎〕神教に基づくものなり。その種々の神あるは、宇宙の形を偶像に現し、その勢力を種々の方面より拝するものなり。かつ吾人も神の一部にして草木禽獣すべて神の一部なる故に、これを拝するはすなわち神を拝するなりというに帰す。インド人中にても少しく智あるものは、みなこの理を知れるなり。またインド宗教に取りて一の要点とすべきところは、吾人の感覚上に現れたるところの諸現象をもって、すべて幻象なりとなすことこれなり(現に仏教のごときもまた常にこの談あり)。

 インドの人種は決して一人族にあらず、したがって国王と称するものもインド全国を一統せるものにあらず。されば一国一国おのおの文明の程度にて大いに異点あり。宗教といえどもまた、インド全国を統一せりと称すべきものはあることなし。しかれども中において婆羅門教は、最も広くこの個々の間に通じて統一の形をなしたるものなるべし。すでにかくのごとく各国独立して政治上の成立を異にし、文明の程度、人種の性質も相異なるをもっての故に、婆羅門教をもって宗教の主なるものとなすといえども、人民の祭るところの神、儀式、堂宇等、いちいちみな等しからず。一家の神、一国の神、善神、悪神、あるいは半人半神なるなど、その他蝿を嫌う神、死を喜ぶ神等、区々の神その数ほとんど無量なり。今、以下に述ぶるところは、これらのうち最も一般なるもの二、三に過ぎず。

 インド教において人民の階級(カースト)の厳格なることは人の知るところにして、いわゆる四姓の制と称するものこれなり。第一は婆羅門〔ブラーフマナ〕(Brahmins〔Brahmana〕)、第二はクシャトリヤ(Cshatriya〔Ksatriya〕)、第三はヴァイシュヤ(Vaisha〔Vaisya〕)、第四はシュードラ(Sudras〔Sudra〕)の四なり。この四段の階級はもとみな婆羅門教の経典より出でたるところにして、婆羅門はブラフマンの口より生まれ出でたるところのいわゆる僧侶の一族にして最高等の種族なり、クシャトリヤはブラフマンの腕より生まれ出でたるものにてすなわち軍人なり、つぎはそのすねより生まれ出でたる商人〔ヴァイシュヤ〕あり、最後なるは足より生まれ出でたる奴隷〔シュードラ〕なりとす。中にて婆羅門族は一切の教育より社会全般の冠婚葬祭の儀式をつかさどり、かつ経典の講究をつとむる者にて最も勢力あり、しかのみならず最も智識ある族類なり。これに反してシュードラに至りては教育を受くることを許さず、また財産を有することあたわず、もし財産を蓄えたるときは、婆羅門族が随意にこれをその手より収むるをもって至当のことなりとせらるるなり。しかれども以上の区別は今日にありてはもはや種々の人種、宗教の混入によりて昔のごとく厳然たることあたわず、ただ旧格を存するものはひとり婆羅門族のみなりという。

 婆羅門教の経典をヴェーダとなす。これブラフマ神の啓示に与うるところなり。ヴェーダに四あり。第一リグ・ヴェーダ(Rig-Veda)、第二ヤジュル・ヴェーダ(Yajur-Veda)、第三サーマ・ヴェーダ(Sama-Veda)、第四アタルヴァ・ヴェーダ(Atharva-Veda)これなり。ヴェーダはひとり婆羅門教の経典たるのみにあらず、世界中最古の書にして、またインドの開闢史なり。この経典中の神に三種あり。

  ブラフマ神(Brahm〔Brahman〕) 一、ブラフマー(Brahma)

                  二、ヴィシュヌ(Vishnu〔Visnu〕)

                  三、シヴァ(Siva〔Siva〕)

 このうち第一のブラフマーをもって世界創造の神となす。これにつきては伝説極めて多く、初め混沌未分の際においてその形鶏卵のごとし。中にブラフマ神あり。黙然としてそのなすべきところを思考せしが、いったん世界を造らんことを決してブラフマー(男性)の神となり、鶏卵の状を中分して天と地とを作り世界を造れりという。さればブラフマンはインドにては中性の語にて、いまだ陰陽男女の別なくその作用を現ぜざるときを指し、すでにその作用を現じて世界創造に着手するに至りしときには、ブラフマーと変じたる後なりとするなり。ブラフマーに次ぐをヴィシュヌ、シヴァの二神とす。以上の三神に付属せる神はその数実におびただしく、およそ三億に上れりというものあり。この外になお半神半人の神ありて、数うるに実に無量というべきものなり。

 ブラフマーは世界創造の神なりといえども、今日にてはインド人のこれを礼拝するものはなはだ少なし。これ世界創造のことは時すでに悠久に属し、これを知ることあたわざるのみならず、創造のこと終わればもはや今日のわれらに直接の関係あることなしというにあり。これに反してヴィシュヌとシヴァはこれを奉ずるものはなはだ多し。ヴィシュヌは守護神にして最もわれらに密接なり。この神の妻として伝えらるるものはラクシュミー(Lakshmi〔Laksmi〕)なり。繁盛、豊富をつかさどるというヴィシュヌは平生眠息の態にあり(インドにて一般に寂然静息の態をもって最も尊厳なるものとなす)。人または他の神にしてこれに祈誓するところあるときは、そのこころヴィシュヌに感通して、ヴィシュヌは眠息より起きて下界にきたり救助を行うものとす。かつこの神に関して最も特異の点と称すべきものは、その種々の身を化現して(いわゆる化身)種々の神の作用を示すにあり。その化身神の主なるものはラーナ〔マ〕(Rana〔Rama〕)、クリシュナ(Krishna〔Krsna〕)の二神となす。この二神はインドの神中最もおもなるものの中に数えらるるものなりといえども、実はヴィシュヌの化身なりという。けだしこの化身化現のことはインド人が古来より有したる一種の思想にして、仏教のごときもまたこの説をなす。かの観音の化身の説のごとき、最も著しきものなり。こは一神教の目より見れば極めて怪しむべく、笑うべきに似たるものありといえども、凡神教の主義よりいわば万有一切みな神の義なるが故に、その本体すでに神なりとせば、鳥獣魚虫みなこれを神の化現として拝するとも、もとより当然なるものなり。あるいは曰く、古代インドの一部において山林の間に棲息せる野蛮人ありて鳥獣虫魚等を礼拝したりしが、これを婆羅門教に誘入せんがために、野蛮人の礼拝するところの動物等をもってみなわがヴィシュヌ神の化現なりと説きて、もってその方便となりたるものなりと。つぎにシヴァはヴィシュヌに反対して生滅を主宰するところの神なるが故に、人類の生殺、その他一切の天変地異等のごときもすべてその手中にあり。この神はヴィシュヌのごとく多くの化身を現ずることはなしといえども、種々の偶像を造りて拝せらる。この神には熱心なる信者はなはだ多く、その目的は神の心を和らげてその害を避けんと願い、あるいはこれに祈願するときは神力われに感通して、よく鬼神悪魔を使役するに至ると信ぜらるるによる。さればこの信者中には好んで自らその身を傷つけ、あるいは断食等非常の艱難苦行をなして、その神力を己に得んことを願うものあり。

 以上に述べきたりしところの三神はいわゆるインドの三大神と称すべきものにして、いやしくもインド人たるものはみなこれを奉ぜずということなし。なおこの外に各地方にはその地方の神ありて、その数無量なることはすでに述べたるがごとし。さてインドにおけるこの三神の上につきては、その意味に内外二面の別あることを知らざるべからず。すなわち外面の意味よりいうときは、この三神各別独立の神にして個々の三神なりといえども、もし外面の意味よりこれを見るときは、三神実は一体の神にしてすなわち三位一体の神となるなり。かつインドにおけるこの神に関する思想は、すこぶる高尚なるものと最も下等なるものとを結合して成立したるものにして、もしその下等なる点より見るときは、あるいは偶像を拝し、あるいは化身として禽獣草木を拝するがごとき、みなこれ野蛮の宗教たる拝物教とすこしも異なることなきものなり。しかれども翻りて他の高等なる点より考察するときは、偶像のごとき有形の物体のごときはすべて神の思想を寄するところにして、実は宇宙の大勢力なる凡神を拝宗する宗教といわざるべからず。故にインド教は一方よりは凡神教なり、他方よりは多神教あるいは拝物教なり。これを要するに、風吹き雨降り、草は青く樹は緑なるは、みなこの大勢力の発動なることを認得するより拝物の思想を形成せるをもって、高等なる思想と下等なる思想との結合したるがため、あるいは感称すべき凡神の説あり、あるいは排斥すべき拝物の観あるものとなりしなり。しかもこれがため、かえって下等人民もこれを奉じて利益あるべく、高等人種もこれを信じて安心するを得るは、これ実にインド教の特色特性なりというべし。西洋にてもヤソ教以前の宗教には、あるいは今日より見て宇宙の大勢力を観じたる凡神的の思想なきにあらずといえども、そは到底インド教のごとき明瞭にしてかつ深遠なる凡神論に比すべくもあらず。仏教のごときもまたこのインド教の特色を有するものにして、一方よりは極めて高尚なる理想教にして、しかも一方には偶像教、拝物教の形を有す。これをもってよく高等なる思想に適し、また下等なる信仰に適す。ヤソ教が一神を擁立して、到底他の宗教と相いるることあたわざるがごとき類にあらざることを知るべし。つぎにインド教の特質とすべきものは三位一体の説これなり。ブラフマンの原始体開きて三神となり、三神更に開きて幾百千の多神となるも、畢竟みなブラフマンの一体に帰着せずということなく、仏教にも法、報、応三身一体の説あるも、けだしこの理に外ならず。ただ婆羅門教はこれを神の下に説き、仏教は更に進んでこれを理想の上に説くの別あるのみ。しかるに比較宗教のいまだ開けざる以前にありて、インド教のいまだ欧州人の知るところとならざりしに当たりては、ヤソ教は自らその三位一体説をもって自教の特色なりと誇称しおりたり。曰く、神子は神と人との間に立ちその媒介となり、愛をもって神人を結合することを得、しかれども他教はすなわちしからず、神と人と隔歴して存すと。されどこの迷謬は今やもはやその跡なく、かえってヤソ教の三位一体説は、あるいはインド教より発するところにあらざるかを思わしむるに至る。しかのみならず、ギリシアのプラトンが理想と万有との間に精霊を立てて三位一体を説きしことあるを見れば、これまたヤソ教の三位一体説の源となりしものならん。とにかくインド教の説多少ヤソ教に入りたる、けだし全く所由なきにあらざるべし。

 右三大神の外なるいわゆる地方神中には、あるいは三大神に関係あるものあり、あるいは全くこれに関係なきものあり、またある有形物に関する神すなわち風の神、雨の神等のみならず、形体なきものにてもこれに関する神あることを見る。運命の神、勇気の神、戦争の神のごときこれなり(わが国の七福神のごときは運命の神なり)。また日月、山川、草木を拝する(すなわち拝物教)あり、徳者、智者、勇者等の死せる霊を神として拝するあり、かつこの死人の霊は生時と同じく人口の上に力あるものと信ぜらる(わが国にも天神、地神、人神の三区別あるべし。その人神とは人の生前の徳を慕いて死後その霊を祭るものなり)。また奇草、異木、珍石等の物体を神として拝するあり(シナ人は最もこの風あり。しかれどもシナ人は神の思想はなはだ少なく、むしろ人の上につきて考うること多し。たとえば奇草異木の類といえども、これをもって神の啓示とするよりはこれを天の人に警告するところとして、あるいは祥瑞といい凶兆といい、もって人の行為を戒むるなり。これシナにおける一種の宗教思想というべし。またわが国にても老樹に神縄を張ることあるは、草木を神とするものなり)。あるいは人に必用の動物、もしくは有益の貿易品を神として祭ることあり(わが国にては温泉場には必ず温泉の神あるはこの類なるべし)。また各職業、各階級につきてその職業その階級を監督する神あり(わが国にても大工は聖徳太子を祭り、医者は神農を祭る)。その他インド人は仙人、行者を尊崇すること最もはなはだし。畢竟これら各地方いくたの神なるものはいかなる思想より生じきたりしものなるやを研究するは、実に宗教学上必要なることなるべし。一説によるときは、インドにおけるこれらの諸神はみな人間より出でたりと。すなわち人の死後その亡霊を拝するもの、歳を経るに従い次第に転じてその人たりし性質は忘却せられ、ついに全く神として信ぜらるるに至る。これすなわち地方神のよりて起こるところなりという。しかれどもインド宗教全体の上よりこれを考うるに、この説いまだはなはだ妥当なりというべからず。なんとなれば、もし地方神をもってすべて人間より出でたりとせば、まずかの三大神の人間より出でたることを証せざるべからざるを見ればなり。しかれどもこれ到底よくし得るところにあらず。しからば地方神の思想まず世に発達して、しかるのち三大神インドに起これりとせんか。さりながらこの三大神の思想は、人の知るがごとく世界中極めて最古の説にして、地方神の後に起こりしものなりとは見ることあたわざるもののごとし。特に地方神中の拝物教の形あるものに至りては、決して人間より出でしものとはいうべからず(もっとも中には人間より起こりしものもあるべし)。ここにおいてか、インド宗教思想の起源に関しては経験派、非経験派、二種の説を参照するの要を見る。経験派の説に従うときは曰く、およそ宗教なるもの疑念と恐怖心とおよび利己心との結合より成立したるものにして、太古の蛮人が天変地異の変象に接し疑念を起こし、これを避けんとするも到底自己の意に任ぜざるを見て、不可思議の思いをなし神の思想を生ずるに至り、この不可思議の力に向かいて祈願するときはその天変地異をとどむることを得ること、あたかも人間の強者が弱者の地に伏して懇願するときには、これに暴力を加えざると一般なるものとするに至れりと。あるいは曰く、すでにここに不可思議という思想の生ずるに及びては、したがって人力以外の力を想像するは経験上もとよりしかることなりと。とにかくこれらの点よりして神の考えを生じて多神教を生じ、以後人智少しく進み内省して心なるものの存在を知り、いわゆる身心二元の思想を生ずるに及びては死後の精神、霊魂等の考えを生じ、霊魂世界も現世界のごとく支配者、被支配者の別あり、善悪強弱の別あることを想像し、これより更に動物の霊魂一層進んでは植物の霊魂より山岳河流の霊魂までもまた同様のものなりと信じ、ついに種々雑多の神を生ずるに至るなり。しかるにここに人間にはいわゆる利己心、主我心と称するものありて、各人の奉ずる神の中につきてもおのおの自己の奉ずる神をもって無上のものと執し、互いに執するの結果、甲(強者)の奉ずる神は上に位し、乙(弱者)の神は下に伏せられて、ようやく一神の域に発達するものなりと。これら経験派の説に反対してその論をなすもの、これを非経験派となす。曰く、経験派のいうところは、一神は多神より進み無形は有形より発達せりというものにして、人智の進歩はもとよりしかるべしといえども、表面上単純にさる順序を取るものにはあらずして、裏面になお一種いうべからざる万有の不可思議、霊妙の大勢力、換言すれば無限の存在を感得して尊敬の念を惹起しその催起するところとなりて、最も感覚に触れやすき日月星辰等によりてその思想を発表するものこれ宗教にして、ひとり日月星辰を疑いこれを恐るというのみに帰すべきものにはあらず、すなわち人間には本然に宗教心を包有するものなりというにあるなり。しかして今インド教は実にこの非経験派の所説を証明するものなり。すなわちかの三大神のごとき、なおその原始ブラフマンの一体のごときは太古より今日まで伝うるところにして、決して経験派のいうがごとき多神より発達したるものにはあらずして、初めより最大至高の大勢力は雑然たる宇宙を活動せしむることを認得しおりたりしもののごとし(たとえ初めより完全なる凡神教の思想の開現せざりしにもせよ)。天地の創造、三大神等、深妙の説はけだしみなこれより生まれ出できたりしものなり。これ畢竟、人は本来宗教心の存することを証明すというの外なかるべし。思うにインド教の性質がようやく欧人の知るところとなりてより以来は、非常に好材料を彼らに与え、彼らの宗教思想の上に大変動を与えしこと、けだし疑いなきなり。

 婆羅門教が現時インドにありて盛んに行わるるは論なし。かつますますその信者を増加するの傾向を示せり。これ同国の僻隅山間の地に居住する下等人民が、年一年漸々に婆羅門に変宗するによる。したがってこれらの人民はその衣食、風俗、習慣より精神に及ぶまで、次第に婆羅門教に化するの勢いあるもののごとし。

 インド人の婆羅門教を信ずるは、その意決して神によりて幸福を求めんとするがごとき普通の人情に同じからず、また未来の福果をねがうというも、ヤソ教徒が神の愛を望むがごときとは等しきものにあらず。婆羅門教は輪廻転生の説を唱うるものにして、現世の善行悪行の因は未来これに適応すべき貴賎上下等の苦楽の果を招くものと信じ、しかしてその教徒が最後の目的とするところは不生不滅の彼岸に到着せんとするにあり(これらすべて仏教の所談とはなはだ相類すること知るべし)。また婆羅門教によれば、吾人人類は元来自由の境界に逍遥するものなりといえども、ひとたび形体を固結するに及び、感覚上の欲念に束縛せられ、一死生をかうるに至りても、なお精神の自由はいまだ免るるによしなく、来世更に前世の業因に適応したる形体を取りて苦楽せざるべからず。しかして吾人の目的とするは、すなわちこの苦楽浮沈の境を目して自由の妙界に遊ぶにありという。これすこぶるギリシア、ピタゴラスの説くところと相類するものなり。またこの教の仏教と等しきところは感覚上の世界、差別の現象をもって幻妄なるものとなし、差別の迷界に執着するの念を離れんとするにあり。また両教ともに輪廻転生の説を唱え、善悪の業ともに精神に薫習して滅せず、未来更に一生を形成するものとなすなり。

 これを要するに、婆羅門教は天地創造の一神を設く、これ一神教なり、しかるにその表面上無数の諸神を立ててこれを礼拝するはこれ多神教なり、しかして一神と多神の関係を説くに至りてはこれ凡神教なり。かくのごとく三種の旨趣相融合していわゆる婆羅門教をなすものなれば、婆羅門教はよく上下のともに信ずるを得るところにして、これ実にインド教の特色なり。

 およそインドの学問は常に安心立命という小宗教的の思想と相離るることなし。ギリシアの学問は真理を目的としてこれを研究したりしも、インドにありては真理の外に別に吾人精神の安慰せんことを目的とせり。シナはなお一種特殊の学問を有し、常に治国平天下の考えをもってもととしたり。高尚なる易理も畢竟はこの用に充てんがために説かれたるものなるにて知るべし。すなわちギリシアは最も学術的なるもの、インドは最も宗教的なるもの、シナは最も政治的なるものの区別あり。これらの異点は果たしてなにによりてきたるところなるや、みなともに学者の考究を要する題目なるべし。

 欧米人はヤソ教の外に宗教あることを知らず、ただ神命を尊ぶをもって唯一の目的なりと信ぜり。しかして婆羅門教を難ずるもの曰く、婆羅門教の輪廻説は個人の自利を目的とするものにして、苦楽の報はただ自己によるとするものなるが故に、賞罰の権を神に帰し吾人の道徳を制裁するのヤソ教に比しては、その力はなはだ薄弱なるものなり。故に道徳を講ずるはひとりヤソ教によるの外なしと。また曰く、インド教はすべて厭世的の傾向あり、しかれども世界は神の自ら創造したるものなれば、吾人あにこれを厭離する理あらんや、四海兄弟ともに心を一にして神命に従い命のあるところを楽しむべしと。この理によりて仏教までもこれを難ぜんとなせり。

 婆羅門教と仏教のすこぶる相類似するあるは論なし。婆羅門教は仏教の以前よりすでに存在し、仏教は婆羅門教より発達してこれに反対したるものなり。しかして婆羅門教はまたこの反対によりて一段の進歩をいたしたるなるべし。しかも同じくインドに起これるものなるが故に、その間おのずから相似の点を見ること、あたかも儒教と道教と相反してしかもシナ特殊の風を含むがごとし。仏教の婆羅門教に対して第一に反対したるは天地創造説なり。仏教の説くところは万有恒有説にして創造説にあらず、恒有の諸法が因縁によりて生滅すとしていわゆる因縁教を成立したるなり。仏教はなお儀式上社会上にも一大改良を起こさんとし、すなわち四姓の階級をもこれを打破して人民に自由を与えり、もって仏教が婆羅門教に異なるゆえんの一端を見るべし。

       ペルシア教(Parseeism)

 パーシーズムすなわちペルシア教はペルシア人の奉ずるところの宗教にして、またこれをゾロアスタニズム(Zoroasternism)ともいう。またその宗徒は火を拝するをもって火教〔拝火教〕の名あり。その経文は『ゼンド・アヴェスタ』(Zend Avesta)あるいは単に『アヴェスタ』と呼び、ゼンド語〔Zend〕(ペルシアの古語)をもって記されたり。その教祖をゾロアスター(Zoroaster)という。そもそもゾロアスター氏のこの世にありしは何年代にてありしか、諸説紛々いまだこれを確知することあたわず。あるいはトロジアン〔Trojan〕の戦争より五〇〇〇年以前の人なりといい(すなわち紀元前六三〇〇年、今よりおよそ八〇〇〇余年前)、あるいは紀元前二二〇〇年前の人なりといい(しかして氏はバビロンを支配したりしことありと)、また一説には紀元前五五〇年ともいい、他の一説には紀元前六、七百年ともいい、また紀元前千二、三百年、またプラトン氏より前六〇〇〇年、またはアブラハムと同時代(すなわち紀元前一二〇〇年)、または紀元前一〇〇〇年、または紀元前二二三四年等、その他異説はなはだ多し。しかれども紀元前六〇〇〇年というがごときは古伝にして、今信ずるに足らざるべし。思うに紀元前六、七百年(すなわち孔子と同時代)ごろの人ならんか、あるいは釈迦と同時の人なりとの説をなすものもあり。釈迦仏出世の年代は西洋説にては孔子と同時なりとなす。果たしてしからば孔子、釈迦、およびゾロアスターの三聖同時にこの東洋の天地に降生しておのおのその教を説きたるもの、けだしまた奇なりというべし。ゾロアスターの生地に関してはその説また定かならず。一説にはバクトリア(Bactria)なりという。父はポルシャスパ(Pourushaspa)といい、母をダグダー〔ドゥグゾーワー〕(Daghda)と称す。その先は王族なりしも、氏の生時はその家はなはだ貧なりき。しかれども氏の生前、その母は胎内の児の必ず一大豪傑なるべきことを予言したりという。年三〇にしてイランに赴き沙漠中に住すること二〇年間、その間バビロン人に理学を教え、ギリシアのピタゴラスもまたその教えを受けたりという(ピタゴラスのバビロンに遊びしこと古伝に見えたりといえども、ゾロアスターの教えを受けたりというがごときはもとより信じ難し)。氏はまた天文学者にしてかつ魔術家なりともいえり。あるいは曰く、ゾロアスターは必ずしも一人なるにあらず、同名の人はなはだ多し。これその年代種々の異を見るゆえんなりと。

 これよりその教の大意を考うるに、初め善神オルムズド(Ormzd)〔アフラ・マズダ〕、悪神アフリマン(Ahriman)の二神あり。一日善神オルムズドに夢にゾロアスターに現じ告げて曰く、わが光明は今諸光明の中に潜伏せり、汝らもしその面をこの光明の方に向けしめわが命を奉ずるときは、悪神アフリマンはただちにのがれ去るべしと。この神告はすなわちペルシア教の起源にして、そのいわゆるオルムズドとは光明の神すなわち善神、アフリマンとは暗黒の神すなわち悪神なり。しかしてこの二神は永久争闘してやむときなしという。あたかもエジプトにおけるオシリスの説と相似たり。所依の経『アヴェスタ』(智識の義)は決して一人一代の作にあらず、けだし種々の部分を後人の結集によりて一書となされたるものならん。今ゾロアスターの筆に成りしものは果たしていずれの部分なるやは、もとより知るに由なし。

 この教は早くよりすでにギリシアに知られしという。今その説によれば、ギリシア人が火教に対する思想すなわちゾロアスターはいかなる人にして、いかなることをなしたる人なるや等の考えをも付したり。プラトンの死〔誌〕するところによれば、氏は実にオルムズドの子なりといい、あるいは氏は神火をとりて天より降下したるものなりともいえり。今日インド、ボンベイ府に火教信者の一部落をなすあり。そのことは後に述ぶべし。

 フランス人アンケテル・チューヘロンと名付くるものペルシア、アラビア等の語を修め後、軍兵となりてインドに至り火教徒に従ってその教義を学び、ついに『アヴェスタ』を得てこれを訳するに至れり。これ実に火教の欧州に知られたる初めとなす。けだしこの教は仏教と同じくインド教に反対して、宗教改良の目的をもって世に起こりしは疑うべからざるもののごとし。しかして仏教は哲理をもととし、火教は倫理をもととせりという。あるいは仏教は慈悲をもととし、火教は正義をもととし、火教は真実、勤勉、正理の教を説き、釈迦は仁慈、博愛、智光の教を説くという。また火教は二元論なれども、仏教は一元論なり。火教は万物の創造主を説けども、仏教は因縁和合を説く等の別あるなり。

 火教の神は光明の神にして道理上最も純然たるものなり。かつ他宗教のごとくこれに付属せる多神を取らず、ただもっぱら一神を奉ず。しかしてこの一神には六性を具するとなす。(一)愛、(二)恵、(三)力(とは愛と恵とを結合しこれを実行するの力なり)、(四)敬信、(五)幸福、(六)不死、すなわちこれなり。さればこの教の奉ずるところはこの六性を具有せる道理上道徳上純然たる光明の一神にして、更にこれに付随したる神を拝せざるなり。これに反して立つるところの悪神も唯一の悪神にして、この悪や実に事物一切に固有なるものなりとなす。これ、その善悪二元の説たるゆえんなり。かつこの二元や、その間には争闘常に絶ゆることなく、いわゆる世界の現象とはすなわちこの二元争闘の形状これなりという。これ他の二元論とすこぶるその趣を異にするところなり。されば吾人人間のこの世に処するや、その目的とするところはただ善を助けて悪を排するにあり。吾人は心中の悪念と争闘せざるべからず、悪念伏するときはすなわち善生ずべしと。火教道徳説の起こるところ、けだしかくのごとし。故に火教は二元論にして善悪並存を説けども、仏教は唯心的一元論にして善悪無差別の説なれば、善といい悪といいもとより妄念に過ぎず。もし悟りて一元を証得すれば、善悪本来空なり。これ仏教の哲理をもととするゆえんなり。故に仏教は内に省して妄念を静止せんとし、火教は外に対して悪元と闘わんとす。これ両者の別なるべし。またヴェーダ教と火教との善異は、ヴェーダ教は創造の一神を立ていわゆる一神教なれども、その裏面には万有神教の理を具す。しかして帰するところは一元論にして、火教の二元論に同じからず。あるいは曰く、火教にもまたオルムズド、アフリマン二神を生じたる一層その上に位する一元の説ありと。しかれどもこれおそらくは火教がインド教と関係して後に生じたるところにして、火教本来の旨にはあらざるべし。つぎに火教とユダヤ教との間にははなはだ類似せるところあり。これ畢竟ユダヤ〔教〕と火教の本国とは土地相へだたることはなはだしからざるのいたすところにして、ゾロアスターのアブラハムと会見したることありとの伝説すら世に存するほどなれば、多少相影響したりしことあるを想するに足るべし。

 ペルシアにおける火教は、マホメット教徒侵入の際多くはその虐待に堪えずして、あるいはマホメットに転宗したるもあり、あるいは殺害せられたるものも夥多なりき。しかして少数の徒インド、ボンベイ地方に逃れてその厄を免れ、ここに一部落を成したり。これよりさきギリシア、アレクサンドロスのペルシア征服の当時、火教すでに盛んに人民に奉ぜられおりたりしが、アレクサンドロスの攻略はこの教までもこれを一変してすべてギリシア風に化せんとせしをもって、ペルシア人の悦服を得ることあたわず。しかるにアルデシュル・バベザン(Ardeshir Babezan)氏の再興となりて火教もまたペルシアの国教に復したれども、ついにマホメット教徒のために圧伏せられ、その少数信者ののがれてインドに入りしもの、その所持せる武器を捨て、衣服を(インド風に)改め、牝牛を殺すことを廃する等の契約の下にわずかに居住を許されたり。今日インドにおける火教徒はすべて八万五三九七人(一八八一年の調査)にして、そのうちボンベイ居住の信者は七万三九七三人なり。その信徒の数、インド諸宗教中第八に位するものという。すなわち第一は婆羅門教にしてその信徒の数一億八九〇〇万人、第二はマホメット教、信徒およそ五〇〇〇万人、つぎは元始教(インド古代よりの土人教)、つぎは仏教なり。仏教信徒はすべて三〇〇万人と称す。イギリス領ビルマ最も盛んなり。これに次ぐものをヤソ教となす、信徒およそ一八〇万。火教徒はみなボンベイをもってその中心となすといえども、前述の制限、その他種々の事情によりて言語は漸次に変じてインド語となり、信者も多くはその固有の字義文義を解することなく、ただその僧侶たるもののみ家伝として読経解義をなし得るに過ぎず。しかれどもなおいまだその結合を破るに至らず、実にこれ宗教の人心を結合する力に富めるによる。しかれども多年インド人と雑居するの結果自然に雑婚するものも出できたり、ついには相混じてほとんど別なきに至るべし。今日にてもあるいは婆羅門教の寺院寺僧に供養し、もしくはマホメット教徒の寺院等にも供養して、あえて怪しまざるものありという。されどその宗固有の唯一の善神は、かつてこれを忘れざるなり。かつその教本来の一夫一婦の主義のごときも堅くこれを守り、決してマホメット教のごとき一夫多妻を許さずという。

 しかるに近来イギリス政府のインドを領有するに至り、かえってその徒を保護しこれに自由を与えて従来の制限を解きたるより、とみに発達進歩の状態を呈し、自国固有の言語により教理の研究を始め、しかのみならずヤソ教の入りきたりてこれを自教に誘入せんとし、ついに二名の改宗者を生じたるより、その反動として火教徒大いに奮起し、互いに相固結し力をあわせてこれが防御に当たり、あるいは雑誌を発行して進んではヤソ教の教義を駁し、退きては自教の精神を示さんことを努め、一八五一年より毎週刊行の新聞を起こすに至れり。これらの影響により教育学問の道もすこぶる発達し、風俗の改良上にも少なからざる変動を与え、第一にこの改良によりて大いに婦人の位置を高むるに至れり。もとよりこの教は婦人を卑しめたるものにてはあらず、回教、インド教の影響により漸次に男尊女卑の風をなすに至りしものにして、ゾロアスターのごときはすでに夫婦一心互いに真正なる道理に従い、和合親睦もって幸福をまっとうすべきを説き、一夫一婦、男女同権の旨を主張したり。故に今日の風俗改良上のことのごときは、ただ火教の復古主張というべきものなり。しかるにこの一大改革の結果として、その内部に老人輩の守旧的の人と、青年輩の改進的の人との間に衝突をきたし(あたかもわが国維新前後の状態のごとく)たることありしも、時勢の力はこれをいかんともするによしなく、青年輩の主義は全くその効を奏することを得たり。

 火教徒は火を礼拝するはその教には欠くべからざる儀式なり。故にそのありさま、拝物教に近きものといわざるべからず。しかれどももとより野蛮人の拝物とその意義同じからず。今、教徒の説を聞くに曰く、わが火を拝するは火そのものを拝するにはあらず、ただ火をもって光明の標章とし、すなわち神を代表するものとしてこれを拝するのみと。またこの教の風として、すべて美麗なるものおよび有用なるものとはみな善神の所造となしてこれを尊崇するをもって、火のごとき赫々たる光明のごときも善神オルムズドを代表してこれを拝するならん。かつ、かの教徒は徳義を守ること極めて厳にして、善神は吾人に光明と労働とを与え、悪神はただ暗黒と睡眠とを与うと信じ、善神の命令に従順ならんがために僧侶はみな夜半に起き、俗人は鶏鳴に起き、衣服をあらため洗手漱口、火を焼きてこれを拝し祈祷をなす。その他定時の祈祷あり。礼拝も毎日、時を定めて太陽を拝し、あるいは月および火を拝せり。すべて人の義務に背反し法を犯したるものは罪に処し、改悟懺悔するものは善人に復することを得るものとしてこれを許す。なお他教のごとく地獄極楽の談ありといえども、大同小異なれば今はこれを略す。

       ギリシア古教

 今日のいわゆるギリシア教とはヤソ教の一派にして、ローマ法王の管轄を離れてコンスタンチノープルを中心として東方に独立したるものこれなり。今、述べんとするところはこの教を指すにあらず、古代ギリシア国に行われたる一種の宗教にして、その当時盛んに行われたるありさまは、大聖ソクラテスがこの信徒のため異端と目せられ、ついに毒殺の罪に処せられたるをもって推知することを得べきなり。

 ギリシア人はインド人と同じくアーリア人種の一分派なり。しかれどもインド人などとはおのずからその特質を異にして、ギリシアにはおのずからギリシアの特質あることを見る。その文明の性質、政治、学術、宗教においてみなしからざるはなし。たとえば政治上においては、ギリシアはいにしえより自由共和的に人民の権利の思想大いに発達したりといえども、東洋はおもに君主専制の風を存したり。これを学問上につきて考うるに、東洋にてもインドのごときは最も古くより学問の盛んに開けたる地なりしといえども、その学多くは無形精神上の談にして、結果はこれを宗教上に応用し、吾人の安心立命の資とするにあり。ギリシアにおいてはたとえ無形精神上の哲学も、かつてこれをもって宗教の資となさんとはせず、学術は学術そのもののためにこれを研究したりしなり。シナにては学問の結果はすべてこれを政治のかてとし、治国平天下の道を講ずるがために学問を研究したり。インド人は宗教に応用して安心立命を目的としたり。インドの哲学は応用哲学なり、ギリシアの哲学は純然たる哲学なり、もって東西学問の異同を知るべし。もとよりギリシアの学術思想は単独に成立したるものにはあらず、アジア、アフリカの思想の混入しきたり、異分子結合の結果として大いにその発達を見るに至りしものなることは疑いをいるるべからず。すなわちギリシアは地中海中に突出せる半島国にして、ただちにアジア、アフリカの二大州に近接せるをもって、よくその文明を輸入し得たるはもちろんなるべしといえども、しかもまた自らギリシア固有の特質を失うことなかりしなり。したがってその宗教のごときも、また大いに一種の性質を具有することを知るを得べし。

 ギリシアの最初は紀元前二〇〇〇年の当時、アーリア人中の一派ペラスジー(Pelasgi)と名付くる種族この地に植民したるをもって第一とすべし。この種族は決して最下等の蒙昧なる蛮族にてはあらざりき。この人種の在住せしこと、およびその耕作、建築等をなしたりしことは、今日存するところの遺碑等に徴してこれを知ることを得。その後同じくアーリア人の一種族ヘレネス(Helle・nes)この地にうつり、ペラスジーを放逐してここに繁殖し、ついに今日のギリシア人の祖先となれり。しかれども当時いまだ歴史と称すべきものなく、ただ口碑により伝えられたる美しき妄談(Mythus)すなわち神話(Mythology)を有しおりたり。詩人ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』の二編によりてこれを知ることを得べし。ギリシア古代の宗教とはすなわちこの神話より成立せるものなりしなり。

 古代ギリシア教は全く一神的の思想を含まざる純然たる多神教なり。世界は太初極めて不完全不十分なる元質に大勢力の加わるありて形成したるところなりとなし、かつて一神の意匠的創造のごとき考えなし。

 この世界は分かちてこれを三部となす。天上、地もしくは海、および地下これなり。この三部はおのおの神ありてこれを支配せり。なかんずくおもなるもの三あり。すなわち第一、ウラノス(Uranus)、第二、クロノス(Kronos)、第三、ゼウス(Zeus)すなわちジュピター(Jupiter)これなり。この三神は親子の関係を有するものにして、ウラノスは親なり、クロノスは子にして、ゼウスはまたその子なり。しかも父子互いに相そむきて、ついにその国土を奪ってこれを領するに至りしものなりという。このうち第一、第二の神は人これを祭るものなしといえども、第三の神ゼウスは宮殿を建ててみなこれを信奉せり。

 ギリシアの開闢談は詩人ヘシオドス(Hesiodos)の詩中に記するところやや詳なれば今これによるに、世界は太初ただ無限の空間の中に混沌たる状をなし、やがてその中より大地を成したるものにして、地は平円その形盆のごとし。上なるは天といい、中なるは地といい、地下は暗黒なる夜国なりとす。地の周囲は水をもって囲繞せらる。この天地の結合によりて、その間に万物の形成を見るとなす。ただし万物形成の点においてはギリシア人は諸神を想像し、神力によりてこの事業の成就されたるものと信ぜり。しかして諸神の天祖をウラノスとし、その妻をガイア(Gaia)〔ゲエ Ge〕という。これすなわち陰陽の二神なり。この二神より六神子を生ず。すなわち、

ウラノス神およびガイア神……… 一、オーケアノス(Oceanus)

                二、ジュピタス(Jupitus)〔イアペトス Iapetus〕

                三、クロノス(前三神の一)

                四、コイオス(Coeus)

                五、クレイオス(Crius)

                六、ヒュペリオン(Hyperion)

 この六神中、前三神は最も有名の神にして、第一オケアノスは大河神なり。すなわち世界の海陸を囲繞するところの大河(大河ありて世界をめぐり海洋の外囲をなすとはギリシア人の考えなり)の神にして、陸内にあるところの河流はすべてこの神の子なりとなす。この子はその性極めて温和にして争闘を好まざるものなり。第二のジュピタス(これはジュピター神にあらず)に三子あり。

 (一)アトラス(Atlas)、(二)プロメテウス(Prometheus)、(三)エピメテウス(Epimetheus)これなり。これらの神には別に記すべきほどの事柄なし。第三のクロノスは父神の領地を奪いたるものにして、これをサトゥルヌス(Saturn)といい極めて狡猾の神なり。初めウラノスその謀反を恐れてこれを夜国に追う。しかるに母神ガイアこれを悲しみ、利刀を与えて父神を殺さしむ。クロノスすなわち父神の睡眠に乗じこれをきる。その流出せる生血、化して怪物となれりという。ここにおいてクロノスはウラノスに代わりその妹レア(Rhea)を妻とし、子五人を挙ぐ。(一)ヘスティアすなわちベスター(Hestia or Vesta)、(二)デメテルすなわちケレス(Demeter or Ceres)、(三)ヘラすなわちジュノー〔ユノ〕(Hero or Juno)、(四)プルトンすなわちプルト(Pluton or Pluto)〔ハデス Hades〕、(五)ポセイドンすなわちネプチューン(Poseidon or Neptune)これなり。しかるにウラノスはこの五子にその父クロノスの悪逆を告げこれを殺さんことを勧めしかば、クロノス早く災いのその身に及ばんことを知り、ついにその五子を呑却せり。ついでその妻第六子を挙ぐ。ゼウスすなわちジュピターと名付く。母また父神ののむところとなるを恐れ、その子の衣服をもって石を包み、形をその子に擬似せしむ。クロノスきたりてこれをのむ。ゼウスために免るることを得たり。長じてその五兄をのみたる父親を殺さんことを謀る。ときにオケアノスの娘メティス(Metis)、後にゼウスの妻となれり。これをクロノスに告げ吐石剤を与えてまず石を吐かしむ。よって五子をその前にのみし順序をもってこれを口外に出さしめたりという。これらの怪談ははなはだ奇にして抱腹に堪えざるもののごとしといえども、思うに説の由来するところ多少の理由なきにはあらざるべし。あるいは曰く、クロノスとはいわゆる時間を表したるの名にして、五子をのみしは年月日時の中にありて経過し去るの謂〔いい〕なるか。更にこれを吐きしは年月日時のひとたび極まりて再び初めの年月日時にかえるの謂にして、呑吐をもって四時の循環を示したるものにはあらざるかと。あるいはしからん。

 クロノスの時代は神代中における黄金世界にして、不老時代とも名付くべき時なりしなり。その死時においてもなお少壮時の状態を失わず、わずかに安眠におけるのありさまをなし、しかもその精神は不可見世界に入りて永く人間を守護するの地位に立てり。この黄金の時代を紀念せんがために、後代まで一二月中旬サタルン祭と名付くる大紀念祭を挙行し、人民はみな業をやめて豪飲、大食、歓楽を極めて、もってこの日を祝することとなり、当日に限りて処刑を行わず、かつ平常牛馬視して駆使するところの奴隷に至るまで、この日は特に自由を与えて遊楽をほしいままにせしめたり。

 ウラノスの妻ガイアは土地の神にして、諸神諸人の母とせらる。かつ万物の創造者および保護者にして、最も草木花卉を愛し、海陸空中一切の生物に及ぶまですこしもその愛の至らざる隈もなし。ガイアのいまだウラノスに嫁せざるにさきだち、孤独にして挙げたる子三体あり。(一)はポントス(Pontus)すなわち地中海なり、(二)はネレウス(Nereus)すなわち海神なり、(三)はタウマス(Thaumas)なり。ネレウスは常に海底に住し、温和にしてかつ仁恵あり。その女をして歌舞をなさしめ、もって自ら楽となす。この神は風を海底の空洞に貯蔵しその出入を自在にし、意の欲するところに従ってあるいは怒涛を高低し、あるいは平波をみなぎらす、みなその力によるところとなす。つぎにタウマスに二種の子あり。(一)をイリス(Iris)といい、(二)をハルピュイアイ(Harpies)という。イリスとは虹の謂にしてこれを天の女王の使者と称し、女王まさに地上にことあらんとするときはすなわち虹をして地に使わせしむ。ハルピュイアイは大怪物にしてその数は二人あるいは四人あり。一半は女身に、一半は鳥形の体をなし、神の人を罰するに当たり、召して人を苦しめしむるものとなせり。あたかもわが国の鬼のごとし。つぎにゼウス(すなわちジュピター神)神は諸神の長にして、一切天地万物の活動力を代表し、万般活動の類ことごとくこの神の勢力によるものとせらる。しかしてその支配するところは天上界にして、天空の諸現象、雨、雪、電、雷、すべての変化はみなこの神の作用なりと信ぜられたり。

 初めゼウスの生まるるや、その父神これをのまんと欲す(前述のごとし)。母神これをクレタ島(Crete)の空洞にかくし、この地の番兵をして武器を弄せしめ、もって児の泣き声を乱して外に聞こえざらしむ。その食物は蜂ありてこれを運搬したりという。後ようやく成長してついに父神をして五子を吐出せしめ、所領はすべてこれを奪いてその二子ポセイドンおよびプルト〔ハデス〕に分与したり。かくてポセイドンは海を支配し、暗黒なる地下の支配はプルト〔ハデス〕これをつかさどり、ゼウスは自ら天と陸とを支配せり。けだし三神のかく三所を領有するに至るまでは、絶えずいくたの戦争を経過したり。その第一の敵手はティタン〔Titans〕(大怪物なり)にして、ゼウスは雷電を駆りてこれが征伐の具となし、ティタンは蛇蝎をもってその攻撃の用に供したりしといえども、ティタンの力ついに及ばずして天下はゼウスの手に帰したり。後ポセイドンの子天国を奪わんとして反を謀りたることありしが、これを最後の戦争として天下平穏の結局を告ぐることとなれり。ここにおいてゼウスは天上天下の独尊となり、雲に住し雷車に駕して往行し、雲雨電光等を使役する如意なり。常にオリンポス(Olympus ギリシア最高の山)の頂上に住し、世界の状態を視察し、人事の運命、生死および幸不幸を支配し、賞罰を行い、かくのごときの類すべてこの神の関するところとなす。故にこの神はひとり諸人の神なるのみにあらず、実に諸神中の神なりと称せらる。またおよそ烈風、迅雨、激雷、怒電等、一切の天変はみなこの神の怒るところと考えたり。

 ゼウスに子あり、アポロ〔アポロン〕(Apollo)という。最も有名の神なり。アポロは太陽の御者にして、常に駟馬にむちうちて世界を周行せり。ギリシアにては毎四年に必ず大競技を行いてゼウスを祭る。その競技を名付けてオリンピック・ゲームズ(Olympic Games)という。この日、競走、競馬、競車および相撲等の技あり。勝利を得たるものは賞典を受く。当日の得賞者は、実に当時に無上の名誉たりしなり。

 これを要するに、ギリシアの神代史によるときは、まず世界を分かちて天と地とおよび地下との三大部分とし、天地は合して一神の支配となし、別に海を支配するところの神あり、冥界(すなわち地下)を支配するところの神あり。しかして各部なお種々の分神ありて、つかさどるところを異にするものとす。中において天界にすべて一二神あり。その神の名は前にあげたるものと重複するところあれども、一覧に便にせんためにこれを掲ぐ。しかして各神の名に二様あるは、ギリシアにて唱うるところとローマにて呼ぶところとその称を異にするによる。まず天界の一二神中ゼウスを長となす。これ神中の神にして神王神父なり。その徽章は手に電光を握れり。これに次ぐものはその子アポロなり。これ詩歌、音楽、美術の神という。つぎはマルス(Mars)あるいはアレス(Ares)すなわち軍神にして殺害を楽となすものなり。ついでマーキュリー(Mercury)あるいはヘルメス(Hermes)は神使にして弁舌および商業貿易の神なり。つぎはバッカス〔バッコス〕(Bacchus 酒神)〔ディオニュソス Dionysus〕、つぎはバルカン〔ウゥルカヌス〕(Vulcan)あるいはヘファイストス(Hephaistos 鍛冶神)〔ヘパイストス Hephaestus〕、つぎはジュノー〔ユノ〕(Juno)すなわちヘラ(Hera)はゼウスの妻なり。つぎはミネルヴァ(Minerva)すなわちアテナ(Athena)は女神にして智恵の神なり(文殊菩薩のごとし)。つぎはビーナス(Venus)あるいはアフロディテ(Aphrodite)は女神にして恋の神なり。つぎに女神ダイアナ〔ディアナ〕(Diana)すなわちアルテミス(Artemis)は狩猟の神なり。つぎに女神ケレス(Ceres)すなわちデメテル(Demeter)は農神、つぎに女神ヴェスタ(Vesta)すなわちヘスティア(Hestia)は火神なり。また海にはネプチューン(Neptune)あるいはポセイドンの類あり、地下にはプルト〔ハデス〕の類ありて、その数はなはだ多し。畢竟ギリシア人の考うるところによれば、初め神代と称すべき時代あり、多神集合して生活をなししことあたかも人間社会に似たり。人のごとく婚嫁し、人のごとく生殖し、人のごとく戦争殺傷をなし、天と地との間も今日のごとく隔絶せずして自在に来往するを得、神はこの間に上下して生存しおりたるもののごとく想像されたるなり。これらの思想はけだしひとりギリシア一国の上に起こりしところのものにはあらず、おそらくは他国の思想もいくた相混和したること、なおわが神代史が全分わが固有のものにあらずして、シナ思想の混じたるに似たるものなるべし。しかれどもいずれの部分がギリシア固有にしていずれの部分は外国より混入したるか、これを判知すること容易ならざれば、ここにこれを略す。しかるにギリシアにてはこの神代に続きて半神半人の時代あり、それより人代にうつりたるものとなし、わが国の神代よりただちに人代に入るに同じからず。

 ギリシア神代史の奇怪なること今更言を要せず。しかれどもかくのごときは、ひとりギリシア人においてしかるのみにあらず、また実に各国民大抵みなしからざるはなし。これ果たしてなにによりてかくのごときや。未開人の智識は小児の智識に似たり。小児の成長して大人となるは、あたかも矇昧なる人智の漸次に文明に赴くがごとし。小児をして世界の創造、死後の状態を語らしめば、またもって未開人の想像と相類するものあるを見る。故に児童思想の研究は、実に古代人の思想を考参するに足る。幼稚の思想笑うべきの事実も、学者に取りては常に貴重の問題たること多し〔と〕思わざるべからず。

       ローマ古教

 ローマは紀元前八〇〇年代よりイタリア中央部に起こりし古国にして、ギリシアよりはなお新国なり。そもそもイタリア古代の人族に四あり。その中央部に住したるものはすなわちローマ人となりしものにして、その人種はやはりアーリア種属の一なり。その言語中、農作生活等に関する語はことに相近し。かつその後ギリシア人がイタリアの南部に植民してより、自ら言語の上に多少の混交をいたし、したがってその思想の上にも漸次に相混和しきたりしもののごとし。言語、思想すでに相混和せり、宗教またついにその数に漏るることあたわず、はなはだ相似たるを見るに至りしとはいえ、ローマはまた自らローマ自身の特質を具し、決してギリシアと同一視することあたわざるものあり。

 ギリシア人はすこぶる美術の思想に富む。したがってその神を想するや極めて人性的なり。これすでに美術思想に富めるより宗教上にかかる影響を及ぼすに至りたるものなるか、あるいは宗教上よりかくのごとき美術思想を湧出したるものなるか、詳知するに由なしといえども、とにかくそのえがける神像、刻める天使はすこぶるその美術的、人性的なることを表示するもののごとし。ローマ人はすなわちこれに反して美術思想に乏しく、したがってその神を想するや自ら抽象的、神霊的にして、各個物にことごとく神名を付し、神数の多きほとんど不可数というべきなり。さればギリシアの神は人類のごとく生活あり変化あり、しかれどもローマの神は不変化あり。あたかもこれを東洋に比するに、ギリシアの神はインド教のごとく、ローマの神はペルシア教のごとし。かつギリシアは元来その文明、理論的学術的に進みたるも、ローマの文明は実際的実行的に発達したり。故にローマの宗教はその儀式、法則等の大いに整頓せるを見る。

 ローマの神は多くギリシアの神に類す。これ前に述べたるごとく、おそらくはギリシア人と混合したるより、自ら遷移しきたりしものなるべし。ローマ元来固有の神なきにあらずといえども、後には相結合してかかる神となれるものならん。今その神のおもなるものを挙ぐれば、(一)テロス(Tellus)、(二)サトゥルヌス(Saturn)、(三)オプス(Ops)、(四)ジュピター〔ユピテル〕(Jupiter)、(五)ヤヌス(Janus)、(六)ダイアナ(Diana)、(七)ファウヌス(Faunus)、(八)フォーナ(Fauna)、(九)ピクス(Picus)、(一〇)ピルムヌス(Pilumnus)等にして、おのおのそのつかさどるところの職あり。しかれどもまた別にギリシアのごとく、これらに関する煩わしき神話、奇談多からず。のち久しからずしてヤソ教の入りきたりしがため、全国その教を奉ずるに至れり。

       ユダヤ教

 ユダヤ教は人種教中特殊の特〔性〕質を有するものにして、他宗教のごとくこれを他人種の間に拡張し、他宗教のものをも誘導せんとはなさずして、もっぱら自己人種中にこの教を保護せんとするものなり。すなわちいわゆる人種教にして、すこぶる保守頑固の風をそなえたり。今日欧州諸国の間に散在せるユダヤ人のごときも、また依然としてその旧習を改めず。

 ヤソ教は日曜をもって休日となすといえども、ユダヤ教はこれに異にして土曜日をもって休日とす。けだし日曜は神の世界創造を始めたる第一日にして、土曜こそその事業を終えて安息したる当日なりという。またこの教はヤソ旧教のごとく偶像を拝することなく、純然たる一神教なり。ただ金曜の夜、土曜の朝をもって礼拝式を行うに過きず。その寺に入るや、すべて被帽をもって礼となし脱帽を禁ず。かつその寺院にては男女席を同じうせざるを制規とするもののごとし。この教の経文はヘブライ語をもってこれを書し、寺院内の広告文までもみなヘブライ語を用いたり。故にその寺をシナゴークと呼ぶ。

 ユダヤ教を信ずるものすなわちユダヤ人の性質たる極めて守旧陋固にして、決して他人種と結婚することなく、わずかにその自己人種間において交婚するのみ。土曜日にはみなその業を休み店頭を閉鎖するの古風は、今に至るもかつて〔と〕すこしも変ずることなし。従来欧州諸国の間にありても常にその擯斥を受くること、あたかもわが国の穢多非人に異ならず(ユダヤ人はキリストを殺害したるものなれば、その徒のために擯斥せらるるも故なきにはあらず)。しかれどもこれがため交際の区別も自ら狭隘にして費用を要すること少なく、これに加うるに一般に吝嗇なる性質を有し、すこぶる財産に富めるもの多しという。現今この教を奉ずるもの地球上におよそ六〇〇万人ありというも、ロシアに住するもの実にその半ばにおる。

 ユダヤ人はヘブライ人種またの名イスラエル人族とも称す。アブラハムをもってその祖先となす。アブラハムの祖先ヘーベルと称するものあり、ヘブライの語けだしこの名より転化しきたれりという。しかしてイスラエルの名はヤコブの時より始まるという。イスラエルはヤコブの異名なり。またユダヤの名はこの人種がバビロンに虜囚となりし時より起こるという。すなわちジューダースといえる人より起これり。この人種が一般に祖先とするところのアブラハムの子にイサクと名付くるものあり。イサクの子をヤコブという。みなこの人種の長なり。イサク死後この人種分かれて一二種族となる。紀元前一〇八〇年ソールと称するものその王となる。これを最初の王となす。のち紀元前九七五年に至りて一二種族中の一〇種族合同して従来の王国を離れて別に一王国を構成し、従来の王国はわずかに二種族を余すのみとなれり。ここにおいて二種族はソロモンの子レオポームを推して王となし、のち一九代を経てアッシリアの王シャルマネザーのために征服せられ、人民の大半は虜囚となれり。ついで紀元前五八六年ネブカドネザルまたユダヤの都城エルサレムを陥れ、過半の人民はこれを縛しておよそ七〇年間バビロンに禁錮したり。これと同時に一〇種族の王国も滅亡したれば、両王国の人民はことごとく支離分散して、これより以後の歴史はほとんど知るべからず。紀元前一〇〇年代に当たりローマの兵エルサレムを陥れその属国となすや、ヘロデをもって属国王に命じたりしが、ついで紀元七〇年(九月八日)再びローマ王チタスのために征せられ、エルサレムの市街は焼き払われ堂中は打ちこわたれたり。一一〇万のユダヤ人はことごとく殺害されて一人存するものなく、わずかに免るるを得たるものはみな四方に逃散し、これより以後の惨状ほとんどこれを筆にするに忍びざるものあり。爾来その人種欧州諸邦に散在し、近代に至るまでヤソ教徒のために敵視せられ、種々の制限束縛の下に生活し、奴隷と同一に使役せられ、はなはだしきに至りては一国内居住の地を限画してその外に出ずるを許さず。ルターのごときすら宗教革命を唱うるに当たり、ユダヤ人の経文、その学校、寺院等を焚焼せんことを主張したりという。

 ユダヤの文明は世界中にありて一種特殊の文明なりき。そは物質的の文明にあらずして、精神的の文明すなわち宗教的の文明なりしことこれなり。およそ地球上最も宗教思想の盛んなりしものは、ユダヤとおよびインドの二国なるべし。しかしてユダヤ教とインド教とはおのおの特殊の性質を有し、おのずからその長所短所を異にす。しかしてユダヤ教に最も特色とすべきところは、すなわちそのいわゆる一神における思想なり。インド教のごときまた一神に関する思想なきにはあらずといえども、いまだユダヤ教のごとく全く他神を排して純然たる一神の思想には比すべからず。純然たる一神独在の思想は実にユダヤ人種の特有なりという。世界いたるところ、いずれの時代にありても多少この一神的の思想なきにはあらず。しかれども大抵みなこの一神に並べて、あるいは一神の下に他神を合して多神的の形を有するを常とす。インド教は裏面よりいえば一神教なるも、表面の形は多神の集合なり。ユダヤ教はひとりしからず、かつ同じく神というも、ユダヤ教における神と他宗教における神とは、またはなはだ径底あるを覚ゆ。すなわちユダヤ教の神は精神性活動的の神なり。その命令の下に世界たちどころに成るところの神なり。故にその信徒の精神上には無限の活力を与え、人をして自ら奮進勇敢の気力あるを覚えしむ。実にこれユダヤ教の長所というべし。されどその宗教の全く学術思想に乏しきを見るは、最もこの教の短所といわざるべからず。故に今日よりこれを見ればもとより荒唐の談多く、あえて善良の宗教として信奉すべきほどのものにあらずといえども、比較宗教学上においては大いに研究すべき必要なる宗教といわざるを得ず。その教理のごときはアブラハムの受けたる神命、モーセの神より直受せる十戒に基づくものにして、つぶさには『旧約書』に載するところのごとく、今は特にこれを述べざるべし(ちなみに『旧約書』はユダヤ人の歴史にして、その古伝神話、上は世界の開闢より始まり、累代の事実の種々の人により種々の場所において記載せられたるものなり。これただユダヤ人の古伝のみ。しかるに今日ヤソ教徒の類が、さる一地方の古伝神話を携えきたりて全世界の上にその開闢説、洪水談を当てはめんと試むるものあるは笑うべきの至りなり。もし彼にしてしかいうことを得ば、わが国の神代史もまた実に世界の神代史というを得べきか)。

       アメリカ古教

 アメリカの古教とは、白人渡米以前にすでに一種の文明を形成しおりたるメキシコ、ペルーの宗教を指す。けだしアメリカ土人(すなわちインディアン)の祖先のいずこよりこの地にきたりしものなるやは人種学上の一大難問にして、コロンブスが発見したりし当時のメキシコの状態のごときは、すでに驚くべき進歩をなしおりたりしという。学者の説くところによれば、アメリカ人の頭形、および黒髪、瞳黒等の上より考うるに、もとアジア特に東方蒙古人種のこの地にきたりしものなること、疑いなきがごとしといえり。しかれどももとよりそは何年のころにやあらん、知るに由なし。しかしてその移住の道程はおそらくは北部ベーリング海峡を渡りしものならん。あるいはいう、冬時寒冽の時節においてはこの海峡はこおりて堅氷となる。けだし移住人はこの氷上を渡りたるならんと。あるいは曰く、最古の時代は今日の地勢をもって推すべからず。思うに当時にありては海水いまだ今日のごとく陸地に侵入せず、したがって東西の地はなはだ相接近し、太平洋のごときは今日のごとく広漠たるものにあらざりしにより、その移住も容易にこの海上を渡りてなし得たるものならんと。

 アメリカ人種にはおよそ三種の別あり。第一は現在の白人種なり、第二は白人以前にこの地に住したりしインディアンなり、第三はインディアン以前になお一種の人族ありてここに住しおりたりしという。しかれどもこの太古の人種は今日全くこの地に存せず、ただ今日往々一万年以前の遺物を掘り出だすことありて、これにより推測しわずかにかかる人種の居住したりしことを知り得たるに過ぎずして、もとより到底詳細の研究をなすことあたわず。インディアンは今日(一八二三年の調査によるに)存するところの総数およそ八六一万ありという。しかれども年々ようやくその数を減ずるの傾向あること、わが国の蝦夷人におけるがごとし。インディアン種として最も盛んなりしはメキシコ帝国にして、これに次ぐものはペルーなり。今はまずメキシコの宗教を説かん。

 コロンブスの米地〔アメリカ〕を発見するや、当時スペインの勢力すこぶる盛んにして国勢を海外にとどろかしたる時なるが、このメキシコを滅亡に帰せしめたるものもまた実にスペインにして、もっぱら勇将ヘルナン・コルテスの力によるものなり。ヘルナン・コルテス、一五一九年多少の兵をひきいて本国を出発してアメリカに着するや、まず謁をメシシコ国王に請い、交通の好を締結せんという。王これを群臣に下問す。ここにおいて国内の説分かれて二派となる。あるいはよろしくこれを打ちはらうべしといい、あるいはこれを優待せんという。けだし当時メキシコに行われたる一種の宗教ありて、従来非常に圧制なる帝王の威力をいとい、神使の天より降るありて必ずその虐待より人民を救うの時きたるべしと信じおりたりしが、今スペイン人のきたるに遇うやこれらの迷信者はみなおもえらく、これ神使なり、よろしく優待すべし。ついに優待に決す。ここにおいてスペイン人はますます策を施し、兵具軍器を示してこれを驚かしめ、いよいよその神使たるの迷信を高めしめ、結局種々の争端よりついに兵力をもって帝国を滅亡に帰せしむるに至りたり。しからばメキシコの滅亡は実に一の迷信の影響ともいうべきものにてありしなり。もって宗教が人民の間に盛んに信じいられたりしことを想見するに足るべし。

 スペイン人のために滅ぼされたるものは、インディアン種中アステカ人族と称するものなり。しかるにアステカのここに居住する前、この地に相応の文明をなしおりたりし一人族あり、これをトルテカと名付く。トルテカは紀元六〇〇年代に北部よりここに移住しきたりたるものにして、スペイン人の侵入より二〇〇年以前までここに居を占めたるものなり。後アステカのために追われて、アステカ人種ここに帝国をなして以来二〇〇年にしてスペインに征せらる。アステカ人は一定の国語を有し、また文字(絵文字)をも有せり。政体は君主専制にして国君の無上の権力を有し、その位に登るものはある定まれる一族中より選定するものなりという。

 インディアンは一般に日月を神としてこれを拝せり。さればメキシコのアステカ人もまたこれをおもなる神として崇拝したり。一をオメテクトリー〔オメテオトル〕といい、他をオメシファートという。オメテクトリーは男神にして日なり、オメシファートは女神にして月なり。この二神を前中の第一位に置く人民は毎朝太陽を拝し、神官は一日数回日神の社殿において礼拝を行う。すべて他の諸神はみなこの日神に付属するものとせられたり。アステカ人はこのインディアン一般の信ずるところの外、またこの人族に特別に付属するところの神すなわち国神を有せり。この国神中にはすこぶる重んぜられて、ほとんど日神を圧せんばかりの勢いあるものもありき。そのおもなるものをウィツィロポチトリ(Uitxilopectei)、テスカトリポカ(Teycatlipoca)の二となす。ウィツィロポチトリとは「左の蜂雀」といえる義なり。左とは位置を示す、すなわちテスカトリポカと左右に位置を取るによる。蜂雀の名はけだし古伝の神話に基づく。「古昔ある一女、日神を拝せんがために神社に行かんとし、途にして美麗なる蜂雀の足下に落ちきたるあり(蜂雀は鳥名、土人の神聖視するところ)。女すなわち拾いてこれを懐にし、行きて神に献ぜん〔と〕し、行くことしばらくにして胎内に声を発するあり。懐を探れば蜂雀の形は見えずして子はその胎内に宿れり。その生まれたる子すなわちウィツィロポチトリなり」と。これ蜂雀の名あるゆえんなり。この神は手に盾と槍とを持ち、頭には鳥嘴のごとき帽をいただき、左の足に蜂雀の羽翼をそなえたり。ウィツィロポチトリはアステカ人のために種々の功業をなし、重大の恩恵を与えたり。のち母とともに上天したりという。思うにこは太陽の一部分すなわち百花爛熳、蜂雀の梢にさえずる一歳の好時節、春時の太陽を表したるものなるべし。つぎにテスカトリポカとはウィツィロポチトリの兄弟なり。ウィツィロポチトリは天に上り去りぬれども、テスカトリポカは地にありてこの世を支配す。テスカトリポカとは「明鏡」の義なり。手に鏡を持てり、人の行為の善悪を照見してこれを賞罰するなり。およそ人の生死、飢饉一切の禍福はみなこの神のなすところとなす。すなわち直接に吾人人間を支配する神なりとす。以上二神の外、雨の神、農業の神等もまたはなはだ重んぜらる。

 メキシコの古伝宗教論、これを一の妄誕怪説として一顧を値せずとせば言なきのみ。しかれどもこれを意味あるものとして考うるときは、いともおもしろき研究なるべし。この地において雨の神が特に尊崇せらるるがごときも、元来降雨の少なき地なるによらずんばあらず。その他太陽を神とするに至りしゆえん、神の思想の起こりしゆえんに考え至らば、彼らが宇宙の現象に接して感得したるところもまた大いに学者の注意を引くに足らざらんや。従来世人は単に宗教を見るに、その外面のみを見て内部の意味を見ることあたわざりき。今日学者の研究するところはこの内部の意味にあり。野蛮人の宗教もなお捨てざるゆえんなり。メシキコの宗教にありて最も重要なる儀式は、人を犠牲となしこれを神に供するにあり。しかしてこの犠牲となりしものは、よく神化し得べしとは一般の信仰するところなり。故にその大祭に当たりては必ずこの典を行わずということなし。けだし人をもって犠牲となすこと、野蛮人中にその類例を見ること決して珍しからず。おそらくはこれ往古食人の遺風よりきたるものか。あるいは人身の全体をもってせずしてただ身体の一部をもってし、もしくは一部の血液をもってするものあるがごときも、思うに人をもって犠牲に供するの俗より漸次に変化しきたりしものならん。

 つぎにメキシコ教に行わるる儀式の一として、断食の苦行をも数えざるべからず。その行わるる極めて厳重にして、かつその日数もまた極めて長し。もちろん断食のことたる、いずれの宗教にありても多少この式なきものなく、ただ日数の長短と度数の多少との差あるに過ぎざるものにして、思うに畢竟、身体上の欲を脱して神聖に帰せんの念慮に基づきしものなるべしといえども、むしろそが根本にさかのぼりて野蛮人の断食行の精神を一考するに、いまだかかる高尚の思想あるはずなく、必ずや断食の久しき身体衰弱し精神恍惚として夢幻の間に神奇を感ずることあるより、ついにこれをもって神に通ずるの一方便と思惟したるによるにはあらざるか。

 ペルーの宗教、ペルーの文明もその起源はすこぶる古代にあること疑うべからずといえども、年代今考うるに由なし。ただメキシコよりは少しく後にあるに似たり。しかして欧州人によりて発見せられたるもペルーはメキシコの後にあり。すなわちメキシコ発見は紀元一五一七年にして、その滅亡は一五一九年より一五二一年の間にあり。ペルーの発見は一五二四年にして、越えて一五三三年ついに滅亡に帰しぬ。その発見者、征服者をフランシス・ピサロ(Francis Pizarro)となす。しかしてそが征服の方法はあたかもコルテスのメキシコにおけるとほとんど同種にして、けだし彼にならいたるものなるべし。

 ペルー古代の歴史はこれを知ることあたわず、ただその種族の北方よりきたりしものなることは国人の伝うるところなりという。しかれどもピサロの発見せし当時にはメキシコとの往来は全く隔然しおりたるを見れば、両国の初めより別種族なることは明らけし。あるいはいう、太古は同一種族より出でしものなれども、後世中絶して相知らざるに至りしものならんと。しかしてピサロ発見の当時はその文明も相応に進歩し、政体は君主専制にして君主の勢力極めて強大なりきといえり。王族はこれをインカといい、国王の結婚は必ずその兄弟中においてするの奇風あり。けだし該国の古伝によるときは、インカあるいは一神の流れにしてもし他族と結婚するときは、その神聖を汚すの恐れあるによりしものなり。国王および貴族は多妻を許し、国王死するときは繋縁者はことごとくこれに殉死するの風習ありという。

 ペルーの宗教は太陽崇拝教なり。すなわちペルー人は太陽をもって天地万物の支配者となし、最も熱心にこれを礼拝し、家屋は東面にして太陽に向かわしめ、人面状の黄金板をもって太陽を代表せしめ、これを敬礼すること太陽に異ならず。太陽はこれをアンチと呼ぶ。アンチについで尊ばるるものをママクイラとなす、すなわち月神なり。月神は日神の妻にしてかつ妹なりといえり、銀板をもってこれを代表せしむ。また虹をもって日月雨神のしもべなりといい、星の神をもって月神の侍女なりと称し、その他天象地変をもって神霊視し、これを崇拝すること多し。一年四回神の大祭を行うという。太陽をもって神の最上とし、帝王は日神の子孫なりというはメキシコ、ペルーともに宗教上同一の思想にして最も顕著の点なるべし。

 およそ天変地異を尊拝するものすなわち拝物教なるものは、物自体をもってこれを神となすものなるか、はた別に裏面に一層の深意を含蓄することなきか。今、従来学者一般の説くところによるに、単に拝物教というといえども比較的に研究考察するときは、最初は最も感覚に顕著なる日月を拝したるものなるべしといえども、漸次年月を経るに及びてはひとりただちに日月を拝するのみならず、なお万有を支配する無限絶対の霊妙を感得して、一種の意味ある礼拝となりしものなり。すなわち宇宙無限の勢力を暗認して天変地異の妙作を拝し、これより漸々一神教の思想発達しきたりたるものなりというにあり。

       欧州古代宗教

 欧州人はすなわちアーリア人種にして、その宗教は現にヤソ教によりて一統せられおることは人の知るところのごとし。しかれども古代この人種のいまだ野蛮の状態にありてあまたの部落に分かれおりたりしときは、おのおの特殊の宗教を固有しおりたりしものなり。今はまずロシア古代の宗教を概言すべし。

 ロシア人はアーリア人種中スラヴ族に属するものにして欧州の東部に住し、そのうち自ら二大族に分かるるべし(言語上の特点より)。一は南東の地に住するものにして、すなわちロシア本部およびブルガリア人等これなり、二は西部に住するものにしてボヘミア、ボール等の人族のごとし。この二大族の上に〈は〉行われたる古代宗教の性質は、他のアーリア人種に比して最も下等なるものにして、一部はインド教に類し、他の一部はあたかも火教に近似したるものなり。しかれどももとよりインド教の哲学的なる、火教の道徳的なるがごとき高尚深邃なるものにはあらずして、わずかにこの二教の外部を混合したるがごときものに過ぎず。この宗教にありて最も主なる神を雷火神(雷と火を合わせて一体なる神)となす。これをペルン(Perun)という。すなわち天神にして火炎中に立てる赤面の神なり。スラヴ人はこの神のために絶えず火を点じてこれに供う。これスラヴ人一般に等しく奉ずるところにて、これに捧ぐるに森林をもってす。故に神林と称すべきもの諸方に存す。その他ラットゴスト(Radgost〔Radegost〕)、ヴォロス(Volos〔Veles〕)等の諸神あり。なかんずくドモボイ(Domovoi〔Domovik〕)と称する家神最もあまねく崇拝せらる。この神は多毛の侏儒なり。常に住を炉中に占め、もし一家に不祥のことあるときは必ずこれを予告し、死人あるを知れば夜中哀悼の声を発してこれを家人に前知せしむ。なおこの神はひとりその家族を守護するのみならず、家畜の類に至るまでまたこれを監督し、家運全体の守護神なりといえり。その性極めて柔和にして害を加うるがごときなしといえども、またときとしては赫怒することなきにあらず。人の睡眠中魘せらるることあるは、すなわちこの神の怒りに触れたるものなりと。

 またこの宗教においては太陽をもって女性の神なりとなし、太陰をもって男性の神なりとなし、星は日月の子にして、銀河は鳥道なりという。けだし人の死するや、霊魂は鳩の形をなして口中より飛び去り、上昇して銀河を翻翔するものとなせり。その他フクロウをもって悪魔悪霊の化身とし、また婦人が夏時炎熱の候、朝暾いまだ上らざるにさきだちて野外に出で、その肩上絹片の肩掛けに露滴を凝集せしめ、水気をもって小児を洗うときは天使のごとく清浄ならしむべしとの説を信じ、その他神明に通ずべき一種の魔術あることを信じたり。なお宗教に関する詩歌、説話はなはだ多し。これを要するに、ロシア古代の宗教は多神教の一点より見ればインド教に類したるものにして、火を尊ぶの点は火教に類したるものというべし。しかれどもただ二教のごとき高尚なる道理を包有するものにはあらず。

       ドイツ古代教

 アーリア人種の欧州に侵入せしものを大別すれば、ギリシアおよびローマ人、ケルト人、チュートン人、スラヴ人の四となすべし。これらの人族の欧州に移りしはその何年ごろなるやつまびらかにすることあたわずといえども、おおよそ紀元前二五〇〇年以前なることは信ずべきに足れり。なかんずくギリシア、ローマ人はしばらくおき、ケルト人を第一とし、チュートン人これに次ぎ、スラヴ人を最後とすべし。これ現今この三人族の占領せる住処より推して、前者の後者のために自然駆逐せられ、漸次に西方に進みしものなるを知りしものなり。ローマ人は当時早くすでに文明の極盛に達しおりたるは事実なり。ただこの事実をもって前人種より以前に入りきたりしものなりとはいうべからず(文明の程度の高低は決してその年代の前後を計る唯一の尺度とはなすべからず)。しかれどもローマ人と他の三人族との交際は久しく隔絶して、ローマ人の大いに文明の域に入りし当時、他の三人族はなお極めて蒙昧野蛮のありさまにありしなり。ローマの豪傑シーザー〔カエサル〕が西北蛮族を平定一統せんがために進んで北方に向かい、蛮族を征討したりし時、始めてこれら蛮族の状態を知るを得たり。今シーザー当時の記録によりて、まずチュートン人宗教の大略を述ぶべし。

 チュートン人の宗教はこれをスラヴ人に比すればいくぶんの進歩を認むべし。この教は火教の善悪二元の説をなすに類し、また善悪二神の上にその説を立てたり。しかれども、またもとより火教のごとき深理あるものにはあらず。この二元の思想はロシア教にもこれありといえども、ロシア人はこれを有形的に考うるのみにして、チュートン人のごとく無形的の思想を有せざりき。またこの宗教は多神教なりといえども、ギリシアの多神教に比するときはあえて多しというべきにあらず。その神中にギリシア、インドの神に対して相同じきものあるは、アーリア人種未分以前の宗教の存在を証するに足る。ヴェーダ経にては神をDyaus〔ディアウス〕といい、ギリシアにてはゼウス(Zeus)といい、ドイツに〔ては〕テル(Tyr)という。その語源の一なること知るべし。チュートン人はこのTyr神を天の神とするも、これ一般にしかるにあらず。その一部の人民はこれを刀剣の神となせり。またその人種一般に最も尊崇せらるるドイツ特殊の神をエーソル(Aesir)およびヴァニル(Vanir)とす。これ善神にして天災地災に対し人を保護するものなり。しかして天災地災は悪神の行為なりと解せり。また善悪二神の中間に居する神あり。エラブス(Elves)という。その数はなはだ多し。(英訳して)これをジャイアンツ(Giants)とす、巨人の義なり。中間の神は善悪神の下位にあり、ときには善をなし、ときには悪をなすという。かかるあまたの神中において、後代に至るまで最も尊崇せられたるものをオーディン(Odhinn〔odin〕)となす。これより一神教の傾きを生ず。この神は初め勇将の神にして王侯軍士の保護神なりしが、後には世間唯一の王、精霊の長というに至る。あるいはドイツには初めより一神的の思想ありしがごとく説くものありといえども、そは極めて後代のことなり。その他、天地の現象に対して種々の神を配したるもの数うるにたえずといえども、大別すれば善悪の二神を出でず。すなわち天地自然の現象中、晴雨明闇等の二種に配せられしよりきたりしものなり。

 またシーザーの記録によるに、この種族中(フランク、ゴート、ブリトン人を指す)ドルイド(Druids)と呼ばるる一種の階級ありて、宗教に関する一切の儀式をつかさどり、兼ねてその全族を支配す。これいわゆる僧侶なり。ドルイドの語源はもとギリシアの檞樹(かしのき)より起こりたるものにして、この種族の檞樹をもって神聖なるものとし、これを祭るをもって知るべしという。しかるにこれに反対するものは曰く、チュートン人とローマ人との交渉すら極めて後代に起こりたるもの、いわんやギリシア語のチュートン人の間に入りきたるべき理由あらんやと。また他の一説に従うときは、ケルト語にて神と話との二語を合したるものなりとなす。そはともかくも、その職掌とするところは宗教、政治に関するものなるをもって、社会上最も名誉の位置を占めおりたるものなること知るべし。

 該宗教は檞樹をもって神木とするが故に、国中にいたるところ檞林鬱茂し、特に檞の宿り木を重んじ万病に特効ありとす。これを捜索せんためには、全族集合して僧中の長官これをきるを式とす。しかしてこれをきるところの僧官は白衣を着し、黄金の刀を用う。これをもって非常に祝賀すべきことと思惟せり。また蛇の卵をもって魔よけとなし、これを捜索するに尽力し、もし暗黒中にこれを得るものあるときは無上の大慶となせり。

       マホメット教

 マホメット〔イスラム〕教は世界三大宗教中の一にして、信者の数は明らかに一定したる総計を得ること難しといえども、最近発行の書によるに、世界の人口一三億中、仏教、儒教、道教の徒四億九〇〇〇万人、ヤソ教徒三億六〇〇〇万人にして、回教〔イスラム教〕徒は一億万人、その他種々の宗教徒合して一億六五〇〇万人なりという。

 一億万人の回教徒中インドの信者最も多くして四一〇〇万人ありといい、あるいは他書によるときは五〇一二万五八五人なりという。その他トルコ、エジプト、ペルシア等の諸国は十中の九は回教信徒に属するものなり。該教徒が巡礼としてメッカに参詣しきたるもの、一八八七年の報告によるに、陸よりは二万八二五一人にして、海よりせしもの六万八六八九人なりという。この一事またもってその信者の熱心を見るに足るべし。

 マックス・ミュラー氏の比較宗教学はアーリア人、セミチック〔セム〕人の間に起こりし宗教を比較して左の図を示せり。

 アーリア 『ヴェーダ』(婆羅門) 仏教

      (火教) 『ゼンド・アヴェスタ』(Zend-Avesta)〔『アヴェスタ』Avesta〕

 セミチック 『旧約全書』(ユダヤ教) ヤソ教(『新約全書』)

       (回教)・・・・・・・・・・・・・『コーラン』(Koran)

 その発達分化の模様の相同じきこと一目瞭然たるべし。ただし回教はヤソ教の後に起こり、火教は仏教の前に出でたりしはやや趣を異にするのみ。しかして回教はセミチック人種中に起こりてアーリア人に移り、仏教はアーリア人種中に起こりてチューラニアン人に弘まりたり。

 回教の開祖はマホメットなり、故に呼んでマホメット教という。しかれども教徒自身には自ら信仰者をモスレム(Moslem)〔ムスリム Muslim〕と称し、その教をイスラム(Islam)という。所依の経典は『コーラン』なり。あるいはその信者をマサルマン〔Mussulman〕ともいう。この教はもと(一)ユダヤ教、(二)ヤソ教、(三)アラビア古教の三教折衷より成りしものなり。アラビア古教は偶像教、多神教にしていわゆる拝物教なり。初めは天体を拝したるものにして、後にこれを偶像に配し礼拝するに至りしものなり。

 マホメット(Mahomet)〔ムハンマド Muhammad〕またモハメッド(Mohammed)ともいう。紀元五七〇年(あるいは曰く五六九年)アラビアのメッカに生まる。自ら神命を受け、その旨を世に弘布する預言者なりととなえたりしは、実にそが四一歳すなわち紀元六一一年のときにてありき。しかるに当時非常の反対者ありて足をメッカにとどむることあたわず、六二二年六月一五日ついにメッカを遁走するに至れり。この年をもっていわゆる回教の紀元と定む。のち六三二年、齢六二(アラビア暦にては六三歳とせり)にして臨終す。マホメットはもとアラビアの貴族なりしが、その生まれし当時は家極めて貧苦にせまれり。二歳にして父をうしない母の手によりて養育せられ、八歳にして母また死す。爾後伯父によりて成長し、伯父は彼をして商人たらしめんとしき。後年商事に従い、隊商の列に加わりてシリア地方に至りしとき一僧あり、これを相して曰く、これ天降の預言者の相なりと。二五歳にして一豪族の寡婦にやとわれ、二八歳にしてついにこれと婚しにわかに富を得しかば、また行商をなすを要せず。自己昔日の貴族なりし栄誉を思い、宗教家となりてその家名を回復せんの企てをなすに至れり。これ行商としての旅行中、各地の宗教を見聞してやや得るところありしにきざせるなり。ここにおいて当時のアラビア教を改良せんと欲し、三八歳のときメッカ近傍の岩穴に入り、終日神を拝し断食を行い、しばしば神の託宣を得。帰りてこれをその妻に告ぐ、妻信ぜず。マホメットこれを説くこと数々にして、ようやくややこれを化することを得たり。四〇歳(あるいはいう四一歳)にして始めて託宣によりて神命を受くと号し、まずそのしもべに説きて、つぎに伯父に及ぼし、後に土地の有力なるもの五人を化し、その弟子となせり。これ後におのおの一方の将として各地に布教したるものなり。これよりますます自ら預言者なりと称して、大いにその教を説きたり。

 彼は神は唯一なることを説きていわゆる偶像教を排斥し、かつヤソ教に対しては神は子および家族を有するものにあらずとの言をなし、もってヤソ神子の説に反対したり。しかして自らはただ神命宣伝の預言者と称して、あえて神子の言をなさず。また『旧約書』の全体を取りしにあらずといえども、その中より得しところも少なからざりき。すなわちアブラハムの説のごときこれなり。ユダヤ教、ヤソ教のごときはともに誤謬の解釈をなしたるものという。経典『コーラン』は『新・旧約書』に嘆ぜる思想を含めり。その一部はメッカにおいて成りしものにして、他はその後に成就し、全部の完結を告げたるはマホメット死後にあること疑いなし。マホメットはかく確かに『コーラン』一部分の著者なり(全部ともにとはいわず。思うにこの経典は決して一人の手に成りしものにはあらず)。しかれどもマホメット生涯の間、教育を受くべき時期を見ることあたわず。いつ学問したるかは、これを詳知するに由なきなり。

 マホメットの始めて自ら神命の弘布者なりと称するや、人みなこれを笑いて魔術者なりとあざけりしが、たちまちにして三九人の弟子を得しかば、固有の宗教者は始めてその勢いの盛んならんことを恐れ、また上流の人にありてはその政治に干渉しきたらんことをおもんぱかり、ともにこれを害せんとなしたりしかば、メッカの地をのがれてメジナにはしり、ともにその法類を集合して武力を訴え、これを弘布することをはじめたり。これより、いたるところ剣をもって教を信ぜしめ、「剣をいただくか『コーラン』をいただくか」と呼び、その勢い非常に増大して、数代の後に及びては東はペルシア、インドよりシナに至り、西はアフリカよりスペインの地に及べり。サラセン帝国の建てられたる、実にこの間にあり。今日のトルコは昔時の盛況なしといえども、なお厳然たる一帝国は欧州の南東部において政教一致の政をしき、法律はもちろんすべて官吏の登用に至るまで、ことごとく『コーラン』経を用うるものあるを見る。

 マホメット始めてこの教を開きしより二二年にしてアラビアを統一し、ついでジュテヤ、フェニキア、アフリカ等の地にひろがれり。

 回教は一神教なり。そのユダヤ、ヤソおよびアラビア古教を折衷したるものなることは前に述べたり。故にはなはだ三教に類似の点あることは言をまたず。なおその説くところは主としてこれらの諸教を調合して、特にアラビアの人心に適せしむるの組織をなししものなり。その宗にて説くところの極楽は、樹木古く涼風静かにあおぐがごとくいえるは、けだしアラビアの地、天暑く雨少なきによりしなるべし。特に自由主義を主唱せるは、その自国奴隷の制度の厳しきに過ぎて、圧抑を受くるはなはだしきに起因したることは明らかなり。その他この類のこと、いとも多かり。かつ武力をもって布教の手段となすに至りては、実にこの宗唯一の特色とやいわまし。

 同じく一神教なれども、純粋なる一神教と称すべきはユダヤ教なり。ヤソ教は三位一体の一神教にして神父、神子、聖霊の説をなせり。マホメットは神子を取らずといえども、天使の説を許すことヤソ教に等し。しかしてその天使なるものは極めて精微の分子より成れるものにして、その分子は火の分子と同一なるものなりといえり。神は人を造るにさきだちて初めに天使を造れり。人死するときは天使は死中より人の霊魂を出だして天に誘導し、また他の天使は人の死するや罪を裁判し、悪人はこれを地獄に誘う。その他、天使中に信者の弁護者たるものあり、または地獄の長となりて罪人を刑罰すべき命令者たるあり。地獄には、なおいくたの悪神その中に住居せり。極楽〈に〉は七階に分かれたれども、地獄もまた七階の別あり。その苦痛の状態はほぼ仏教の所説と相似たり(もっともこの点は他教にても大概同一の趣あるべし。極楽に至りてはその宗教の起こりし土地によりて異なり、すなわちその地の理想的善美なる所を極楽となせばなり)。要するにヤソ教、ユダヤ教と大同小異なりというて可なり。

 説教〔教に説く〕信者の行うべきものは巡礼、祈祷、懺悔等にして、祈祷は一日に五度、その都度『コーラン』の一部を読み讃美歌をうたい、毎金曜日寺院に集合して公会を開くを常とす。断食は毎年九月中、日の出より日没までこれを行うを例とすという。巡礼は一年一回は必ずこれを欠くことあたわず。道徳上この教の欠点として数うべきものは、一夫多妻を許すことこれなり。四人までを正妻とし、以上を妾となす。飲酒、ばくちはこの教の最も堅く厳禁するところたり。マホメット生涯の行為は自ら奉ずる極めて質素にして、その徳もまたすこぶる高かりしもののごとし(ヤソ教の一派たるモルモン宗も一夫多妻を許せるも、そは自宗信徒の繁殖を願うてなり。マホメットのこれを許しし、その真意を知ることあたわず)。

 マホメットの死後その教分かれて大小七二派となり、そのうち正義に合するもの唯一あらんのみとは、マホメットの予言せしところという。しかれどもいずれが正義に合するものなるか、マホメットいまだこれを言わざりき。これら多数の宗派ありといえども、大分三派を出でざるに似たり。一はスンニ〔Sunni〕、二はシーア〔Shiah〕、三はワッハーブ〔Wahhabi〕なり。なかんずきてスンニ派にてはアブー・バクル、養父オマル、養父オスマーンを相続者とせり。この他、小区分いちいち述ぶべからず。とにかくこの教の迅速に非常の勢力をもって世界に弘布したるは、実に驚くべきものあり。これをわが国の宗教者に比するに、あたかも日蓮聖人の跡に類するものあり。その豪気、その方法の劇烈なる、はた一生の伝、またすこぶる相似たるものあるを見る。