5.宗教哲学

P319

  宗教哲学 

 

 

1. 冊数

   1冊

2. サイズ(タテ×ヨコ)

   213×145mm

3. ページ

   総数:379

   目次: 2

   本文:377

4. 刊行年月日

   不明。ただし,『通俗哲学講義録』(第23冊,明治35年10月10日)の「高等学科講義録第16年度分」によれば,明治35年11月より36年10月までの間,従来の毎月刊行を中止し,「近来発行中の講義録中より……旧刊残本を合綴してこれに代用」した5類22種の中に本書が挙げられていることから,このころと推測される。

5. 句読点

   あり

6. その他

  (1) 筆記者は哲学館編集員。

  (2) 見出しは目次と本文とに相違があったが,目次に従って統一した。

  (3) 本書には,底本の他に,別の版(本文カタカナ,水谷捨太郎筆記)がある。そのため,誤植等の訂正にあたりこれと校合した。

(巻頭)

文学博士 井 上 円 了 講述  

哲学館編集員 筆記  

       緒  論

       宗教思想の発達

 これより余が理論的宗教学を講述せんとするにあたり、まず宗教哲学の起源をのぶべし。そもそも宗教をもって一の哲学として研究するに至りしは最新のことにして、今を去るおよそ二〇〇年前に始まれり。しかれども宗教と哲学とは元来密着の関係を有するものにして互いに分離すべからずといえども、その思想発達の順序にはおのずから先後あり。今、宗教をもって一の組織ある学問とせずして、単に宗教という思想上よりいうときは、哲学思想よりさきに発達し、これより哲学思想生じきたれるものなりというべし。およそいずれの国にありてもみな神代史なるものあり、これ最も古き歴史上の思想をもってその国の宗教を組み立つるものなり。例せばインド国中最も古き開闢説なるバラモン教が同国の宗教となれるごとき、ペルシアの拝火〔ゾロアスター〕教が同国中最古の開闢説にして、同じくその国の宗教となれるごときこれなり。ギリシア国にありても太古の神代史をもって宗教とせり。かのソクラテス氏が自害を命ぜられしは、実に氏が哲学思想をもってこれを改良せんと試みしによる。これによりてこれをみるに、宗教思想の発達せしは最も古きことにして、これより哲学思想の発生するに至りしものなり。これを要するに宗教と哲学とは、その思想発生の期限には前後の差ありといえども、その発生の原因に至りては更に異なることなし。今そのゆえんを尋ぬるに、人間のこの世にありて智識のいまだ開けざるときにあたりてや、風雨雷電の変、昼夜の交替、寒暑の来往、その他百般の天災地変、一として奇異なる思いをなさざるなし。この不思議の念すなわち宗教および哲学思想の胚胎するところなり。しかして人の最大有力者を立て、これら不測の出来事をもってその仕事に帰するに至り、始めて宗教を形成せしものなり。しかりしこうして人智ひとたび開け、その有力者は果たしていかなる者か、神なるものは真に実在するものなるかを疑うに至り、これを研究してますます有神の説に安んずるあたわず、ついに宇宙万物およびその変化の原因を既知界中に定むるに至れり。これすなわちギリシアのタレス氏が始めて水をもってこれが原因としたるゆえんなり。爾後哲学者相ついで起こり、みな宇宙以内にその原因を求め、あるいは空気、あるいは火、あるいは地風等、おのおの考定するところによりてその説を異にするに至れり。これによりてこれをみれば、宗教思想といい、哲学思想といい、ともに同原因より起こりたるを知り、またその先後の次第をも知るべきなり。しからばその哲学思想なるものはまずタレス氏をもって鼻祖となすべし。氏以前にありてもいくぶんかその思想のありしことはホメロスの詩をみても知ることを得といえども、これまた宗教思想より発生せしものなり。タレス氏以後、宗教と哲学とは反対の勢いをもって進歩し、哲学はあたかも宗教の敵手となりたるありさまなりき。今その両者の関係をもって一首の歌を作るにたとえんか、宗教の方にありてはあたかも古人の詠じおきし上の句を取りて、これに強いて下の句を付会せんとするごとく、哲学の方にては上の句そのものまでを更作して、新たに今日に適する一首の名歌を作り出ださんとするがごとし。語を換えてこれをいえば、宗教は保守なり、哲学は改進なり。

 タレス氏以後、哲学者続々輩出して哲学思想を振起し、その天神に与うる解釈のごときは大いに一般人民の信ずるところと異なりしをもって、自然の勢い世間の宗教と互いに抗排せざるを得ざるに至れり。これをもってソクラテス氏は一身を犠牲にするに至りしも、その後哲学者前後相ついで起こり、哲学思想一層発達してついに宗教思想を圧伏するに至れり。

 しかるに形勢一変ローマに入るに及び、宗教の勢炎ようやく加わり、ついに哲学を凌駕するに至れり。今その理由を探るに、当時ローマは哲学思想はなはだ浅くして、実際のことは大いに発達したるも、ギリシアのごとき理論上の学問はまた見るべくもあらず。故をもって従来発達しきたりし哲学思想は全く地に落ちたるなり。このときに際しヤソ生まれてローマおよびギリシアの宗教をあわせ大いに改良を加え、その徒弟の尽力により更に一層の勢力を増せり。その初めローマはヤソ教を厳禁せしをもって久しく勢力を得ざりしも、内部を顧みればこれを信奉するもの日一日より増加するに至れり。

 国民の気風すでにヤソ教に帰向するのときにあたりコンスタンチヌス帝位につき、もっぱら国民の葵心〔きしん〕をひかんと欲し、さきの禁令を解きたり。ここにおいてヤソ教大いに盛んにして、その勢い世界を支配するに至れり。

 しかるに中世の末葉に及び、煩瑣学派なるもの起こりて、古来の宗教を妄信せず、種々の解釈を試み、これに理屈を加え、やや学術的に論究するに至りしが、近世の始めこの学ますます発達せり。これすなわち宗教を学問的に研究せし初めなりとす。

       宗教研究法

 宗教を研究するの法二派に分かる。その一は宗教を宗教とし、他の学問と全く異なるものとして研究すべしといい、他の一は宗教も他の学問と同一の道理によりて研究すべしというものこれなり。なおこれを詳述せんに、前者は元来宗教なるものは理学哲学等とその性質異なるものなれば、哲理中いかなることあるもこれによりて説明することあたわず、全く神の感通に頼りて吾人のまさにその真理を悟入するものなりと主張す。この法近世の初年に起こりたるものにして、神智教(秘密教)のごときこれなり。その人心の上に神の感通を待ちて万事を知るというより名付くるものにして、原語のセオソフィカル・ミスティシズム(Theosophical Mysticism)これなり。故にこれをもって学術上の研究というべからず、また宗教哲学と称するを得ず。なんとなれば、吾人の有する学術思想によりて研究するものにあらざるをもってなり。まず直覚的宗教心とも名付くべき想像的の考えをもって講究するものなればなり。後者にありては全くこれと異なり、万有自然の道理によりて真理を探究するものにして論理的討究なり。この法の始めをなししものをスピノザ氏となす。スピノザ氏以前、哲学的に神のなんたるを説きし人なきにあらずといえども、これらの人みな神の性質いかんを説きつくすことあたわざりしをもって、宗教哲学首唱の名はスピノザ氏に帰せざるを得ざるなり。そもそもスピノザ氏等の論ずる神は想像上の神にあらず、易の太極のごとく、仏の真如のごとき理想の意義にして、この神と物心の関係いかんを説くにあり。この点よりみれば、宗教哲学の研究はあたかも純正哲学に異なることなきがごとしといえども、純正哲学はその範囲すこぶる広くして物、心、神の三体を通じて説明し、宗教哲学はおもに神のいかんに関して説明するものなるをもってその範囲すこぶる狭し。換言すれば、宗教哲学は純正哲学の一部に過ぎざるなり。

 およそ神につきての説、古来その変遷はなはだしく、太古にありては多神教説にして、遠くは日月星辰より、近くは禽獣草木に至るまで、みなこれを神とせり。後世に至りその多神教説に満足せず、これら多神を包括して一大神となし、かつこれを遠きに求めて宇宙以外に置き、これに帰するに世界の創造万物の主宰をもってせり。しかれどもこの一神と万物との関係を説明するに至りてまた満足するを得ず、ついに一変して古説に復し、この世界は神なり、万事万物みな神ならざるなしとするに至れり。これを皆神教(パンセイズム)と称す。しかれどもその神説の起点なる多神と、終点なる皆神とはその説おのずから異なり、前者にありては日月山川、草木禽獣等、その現実物をもって神となしたるをもって、ついに進んで一神説となりしものなれども、後者は万物の真本体を意味するものなれば、この神は純然たる絶対、もしくは理想、もしくは真如、もしくは不可知的の名称を付して可なるものなり。

 上述のごとく太古野蛮のときすでに多神教あり、一転して一神教となり、再転して皆神教となれり。その多神と皆神との似て非なるかくのごとしといえども、しかも一神とのごときはなはだしき差異あるにあらず。これによりてこれをみるに、神につきての思想はあるいは進むがごとく、あるいは退くがごとく、その進むを退くというか、退くを進むというか、いずれなるかを疑うに至る。しかれどもその進むがごとく退くがごときは、直行せずして循環するをもってなり。故に余は進歩すということを解して循環の度数を重ぬるものなりとす。このことたるひとり宗教上にとどまらず、たとえば政治の上においてもシナの昔、八元八愷を四方に徴して治をたすけしめしことあり。これあたかも今日代議士を諸国に招集すると同じく、ただ国家の状態、古今単複の差あるのみ。これを要するに、宗教哲学の研究は古今同一というべからざるも、ややいにしえに似たるところあり。ただその異なるは、古代は空想に基づきて起こり、今日は推理によりて知るの別あるのみというべし。

 以上、宗教を研究するの二法、すなわち第一は宗教を宗教として研究する法と、第二は宗教を哲学として研究する法とあり。第一は第二よりさきに起こりし神智教にして、第二はスピノザ氏より始まりしことを説けり。以下、神智教につきて少しく述ぶるところあらんとす。神智教は神知秘密を義とするをもって、左にこれを神秘教と名付くべし。

       神 秘 教

 今日においても、ある宗教家はこの神秘教の研究の方法をとる者あり。その法、吾人の心中に別に宗教心を設けて神と感通し、もって宗教の真理を観ずるものにして、すなわち神の啓示をもって宗教を立つるものなり。この神秘教中有名なる一人マイスター・エックハルト氏とす。氏はドイツの人にして、第一四世紀の初年に宗教学者となりて世に現れたり。今その説によるに、天帝はこの世界を離れて別に遠く存在するものにあらず、常にこの世界と関係を保ち、この世界の内部と相通じて存するものなり、また吾人の精神なるものは全く神の一部分なり、故にこの精神上にて神体を観察し、また神と交感するを得と。これ氏の説の大要なり。氏またヤソ教の三位一体説を唱う。その考うるところをみるに、三位一体はひとり神とヤソとの上にあるのみならず、一切の人間と神との間にも精霊の感通あるものなり。天にあるところの神、地にいるところの人、同じく神にして、その天にあるものは親なり、地にいるものは子なりとし、もって三位一体説を広く世間一般の人間に及ぼし、天帝の子はひとりヤソのみに限るにあらず、全人類ことごとく天帝の子なりと説けり。氏はまた神は造物者なりというは、神に造られたる人間のある故なり。造られたるものある故に造りたるものあるなり。すなわち造物あればこそ能造の神あるなれ。吾人が神によりてここに存在し、神によりてここに独立せり。もし神なくんば吾人ここにあらざると一般にして、もし吾人なかりせば神ありというを得ず。この二者相対立してその一なければ、同時に他の一もなしといえり。これあたかも哲学に、いわゆる相対あればこそここに絶対あれとの説に符合せりというべし。すなわち相対は絶対によりてあり、絶対は相対によりてあるものなれば、二者互いにその一を欠くべからずというものこれなり。神と人間とはすなわちこの相対絶対の関係と同一にして、神を絶対とし人間を相対とすれば、この神と人間とは相待ちて存し、神の内に人間を含むと同時に人間の内にも神を含みて、二者同一の関係を有するものとなる故に、氏がこの世界を造りたるものも、また造られたるものも、みなその体神にほかならず、しかるを神外に人間あり、人間外に神ありと思うは誤れりとなしたるは、全く哲理に背けるものにあらずというべし。氏はまたこの神人帰一説より善悪論を推演せり。およそ悪なるものは吾人人類をもって神の外に存するものと思うより生ずるゆえんにして、善なるものは吾人人類をもってその体すなわち神なりと考うるより生ずるゆえんなり。吾人の心は全く神の分子にして、ただちに神に帰するをもって、神は心にあらわれ、その心はすなわち善となれども、もし神と吾人の心とは遠く分離したるものとすれば、その心はすでに神に背戻するものにして諸悪の隠るるものとなるといえり。氏のこの説は哲学上すこぶる興味あるものにして、やや仏教所説に近きものなり。今一歩を退き、世の通俗に称するところの神とはいかなるものかというは、そのいわゆる神は吾人の外に遠く離れて外界に存在するものにして、その冥助を受くるは、あたかも人間がこの社会のある他人より恩恵を受くるがごとし。すなわち一国主、あるいは富有なる人、あるいは高位高官の人は、世人しきりにこれを尊敬し、あるいはその金力に頼り、あるいはその権力を借り救助せらるると同じく、神はこれら高等人物よりもなお数層上位にいますものなれば、この神を崇敬すれば助けを受くるものと考え、もって礼拝謹仕す。これすなわち神に対する通俗の説にして、エックハルト氏の説を去る遠しというべし。

 吾人を離れて神なく、神を離れて吾人なし、この世界は神より成るものなれば、神は吾人の全部分なり、吾人は神の一部分なり、神が一切万物を包含するとともに、吾人一切万物を網羅包有するものなりというは、すなわちエックハルト氏の説にして、仏教にいわゆる真如は万物を含み、万物真如を含むというに同じ。吾人の心は神の一部分にして、もし吾人がこの世界は神のみと考うるときは善なり、これに反して神の外に存するものと考うるときは悪なり、純然の善とは吾人が全く神に化せしをいう。しかして神化すとは神力の助けによりてこの世界の念慮を脱去することにして、吾人がこれをなすには吾人の有する智、情、意をして一途にまとめ、その心を安静にし、心中思念するところは唯一の神徳のみとなすにあり。換言すれば心中ただ神を念ずるものにして、万物および自己に愛着するの念を除去するにあり。かくのごとくするときは吾人始めて神に帰し、神の性質に変化し、また神を見ることを得るなりと説けるは、全く普通のヤソ教説に反し、仏教所説の一心に阿弥陀仏に帰向すべしというに近しというべきなり。

 今、氏の説を見るに、吾人人類は心を神に一任すべしという。しからばすなわち吾人は自己の心を抹殺し、自己の身体を死物となし、ただ神命これ従うということかというに、決してしからず。吾人人類はとかく外物に迷い、自己に執着し、万物に愛恋するものなれども、これ悪念なるが故にかくのごとき不善の思想は一切これを除却し、ただ真正に神を念ずるときは自然吾人の心に自由を得るものなり、吾人の心に自由を得ずしてただ神にのみ支配せらるというにあらざるなり。要するに外物に懸念することを断滅して、一心神を信ずるときは、心中に自由を得るものにして、決して初めより器機的に神の支配を受くというにはあらざるなり。なお換言すれば吾人の心は神なる故に、心をもっぱらにして神なる一念を置くときは、ここに神の動作わが心の上に発現して自由を得というにあり。しかるにもしも吾人人類にして前に反し神を信ずることなく、外物に心を奪わるるときは長く罪人となりて、また神に帰することを得ざるものとせり。以上述ぶるところによりて、エックハルト氏所説の大要を知るべし。その説当時の宗教家と異にして、宗教哲学の名称を付するも可なり。しかれども氏はいまだ宗教をもって哲学と同一視して研究せしにあらず、宗教をもって理学哲学と異なるものとし、一種特別に研究せしをもって、これを神秘教と名付くるなり。

 このエックハルト氏の説はゲルマン〔ドイツ〕において一般の学者のいるるところとなり、後ルター氏が宗教を改革せしもの主としてこの説に基づきたるものなり。それよりドイツの宗教家この説をとりて曰く、吾人が神を思想上に浮かぶることを得るは、すなわち吾人の心が神に達するを得るにより、あるいは神がわれわれの思想に達するによる。果たしてわれわれの心が神を想像するを得とせば、すなわちわれわれの心は神の一部分なり。しからばすなわち一切の人類その体すなわち神体にして、吾人人類の究竟目的は神の本体に向かって進むにあり。故にこの世界は不生不滅なる神の世界にして、いわゆる天国なりと。これを仏説に対照するに、わが身を離れて仏なく、此土を離れて極楽なしというに等し。また曰く、吾人は神を離れて別に存すというごとき一の私見を抱きやすきものなり、この私見はいわゆるわれにして神にあらずと。今、試みに人類の心を二種に分かち、その一をわが心すなわち神と考うるものとし、他の一をわが心、神にあらずと考うるものとするに、もしその考え後者にあれば地獄あるいは悪魔の世界にして、前者にあれば極楽世界なり。すなわち神に背くものは全くわれなる私見にして、すべての罪悪はこの私見より生ずるものなり。もしこれを除き去れば、これすなわち天国なり、極楽なり。しかるに吾人は私見をしりぞくることすこぶる難くして、常に罪悪多しとす。もし一心を神に託し、一心に神を信ずるときは、神おのずから心中にあらわれ、罪悪消滅して善良に化するものなるをもって、吾人は常に神と通じ、これと同体ならんことをつとめざるべからずとせり。ドイツの神学者中に一心二眼の説あり。曰く、およそ人には左右両眼あり、右眼は不生不滅の神体を見、左眼は神所造の事々物々を見るなり。この二眼同時に働くことあたわずして、右を働かすときは左眼働くあたわず、左を働かすときは右眼働くことあたわずと。以上の諸説みな神秘教家の一般に唱うるところにしてその軌を一にせり。しかしてこの論は後にルター氏の宗教改革を呼び起こす原因となりしことは、後段説くところによりて知るべし。

 畢竟エックハルト氏の宗教主義は、客観上すなわち外界に宗教を立てずして、主観上すなわち内界に宗教を立つるものなり。故にもしその説に従うときは主観的のみに偏し、従来の客観上に成り立ちたる宗教は到底たおるる外なし。なんとなれば、神を外界に存するものとし、吾人を離れて遠く独立するものなりとするをもって、祈祷礼拝をなすには霊像、霊壇、その他種々の儀式を要するものなりといえども、神を内界に求め、これを主観上に存立するものとすれば、偶像儀式もって礼拝するの要なきのみならず、ヤソを神子として奉信するを要せず。ここにおいてかの有名なる宗教改革者ルター氏は、その神学上の説エックハルト氏に基づきて立論せしといえども、もし全く同氏のごとく主観的にのみ傾くときは宗教を成立することあたわざるをもって、これに従来行われし客観的の説を加えて二者相調和せしめ、大いに宗教を改良せり。今その取捨折衷せしところを見るに、当時行われたりし旧教にありてはパンとブドウ酒とを神前に供し、パンを取りて神の肉とし、ブドウ酒をもってその血となし、食してもって真に神の精霊を受くと信ぜり。ルター氏はこれを改良してその解釈を変更せしといえども、なおこの儀式を存したり。エックハルト氏の説にありてはヤソを神の子としてこれをあがむるを要せずといえども、ルター氏はこれを神の子として古説に従いもって三位一体説を唱えしごとき、その客観の一部分を存して主観上の説と相合し、宗教と哲学とをして多少調和したるものというべし。しかりといえども、他の宗教者にありてはみな哲学上の討究を去りて、ただ独断的にはしれり。新教を唱うる者も要するにみな従来の神説を存し、ただ儀式的改良にとどまれり。されば新教者中、哲学思想ありてその論見るに足るべきもの、ひとりルター氏を除きて他にあることなし。当時の宗教家みなかかるありさまなるにもかかわらず、また一方においてはエックハルト氏の説を主張して秘密主義をとるものありて、哲学的思想大いに進歩せり。その極端論者中有名なるものを挙ぐれば、カスパル・シュヴェンクフェルト氏、セバスチャン・フランク氏、ヴァレンティン・ヴァイゲル氏、ヤコブ・ベーメ氏等なり。ヤコブ・ベーメ氏は一五七五年に生まれ一六二四年に没す。その説のちに至りてスピノザ、ライプニッツ、ショーペンハウアー、ロッツェ等、ドイツ哲学者諸氏の基礎を成せり。

 今、氏の宗教論を見るに、神はいかなるものかというに、神そのものは一定の性質なく、善といい悪というべきものにあらず。一定の場所なく、ここにあり、かしこにありというべきものにあらず。一定の智力感情等を有せず、物欲もなければ愛憎もなし。その体寂然として不動、唯一の意志なり、意力なり、絶対的意志なり。しかしてその絶対的意志の内に全世界万物となるべきものを包含す。また無始の体にして、その体中無始の昔より万物万有の理を備えたるものなり。かくのごとく寂然不動、無始無終、不生不滅、絶対的意志の体が自らの力をもって自ら開き、この万有世界発現せしものにして、意志そのものにおいては善悪の性質を有せざりしも、自らその体を開発せしより、ここに善の元素生じ、ついで悪も出でたり。その善悪を生じたる体、これを父とし、生出せられたるもの、これを子とし、父子の間に精霊伝わりて三位一体と成れり。この三段の作用により、生命および活動を起こし、ここにまた愛と智との二作用起これりという。ベーメ氏の説を要するに、太初の一体自ら開いて善を生じ、善より愛と智とを出だし、これより万物万境を生ずという。あたかも易の太極陰陽を生じ、陰陽万物を生ずというに同じく、また仏教起信の一心二門の開発の次第にひとし。

 それしかり。しからばなんの故に一の体より二作用を起こせしや、また善のみにて可なるべきに何故悪を生ぜしか、また精神のみにて可なるべきに何故肉体のごときものを生ぜしや。神果たして不善不悪にして無形のものならば、善悪および有形の物を生ずる理由なきにあらずや。精神と物質とは反対のものなり。しかしてもし精神が肉体に執着するときは悪を起こすに至るとせば、なんの必要ありてかかる肉体を生ぜしや。

 右等の問いにつきて、ベーメ氏の考えにては、神はもと善悪なきものなるも、体の開発するに当たりては、善悪併存を現示せざるべからず。しかしてその開発の目的とするものは善および精神にありといえども、精神をして精神たらしめんには、精神に反対するものなかるべからず。故に有形的万物出でたり。たとえば精神を起こさんとするときは、同時に愛せらるべきものを要するがごとし。故に畢竟物質あり外界あるは、精神善なり、愛なりを成り立たしめんがためなり。これなお上下、左右、前後等、両々相対するごとく、自然の勢いやむべからざるに出でたるものなり。

 以上の説、これを要するに、神は無始無終の唯一の意志にして、その内に万有を含有し、しかしてなにか一の作用起こると同時にその体二分し、それより漸次分かれてついにこの世界を成せりというにあり。しかのみならず、ベーメ氏は神がこの世界を作りしにあらず、また神の外にこれを作りしものあるにあらず、神が開けてこの現象となりたるものなれば、この世界すなわち神なりと説くを見れば、いわゆる太極開発説、ならびに真如開発説に近しというべし。この説、後世の哲学者ライプニッツ、シェリング、ショーペンハウアー、ロッツェ諸氏の哲学の基礎となりしは疑いなし。しかりしこうして、この開発説たるやいまだベーメ氏の説明足らざるところあるのみならず、東西洋ともに古今の哲学者ならびに宗教者のその解釈に困らしむところなり。すなわちかくのごとく開発によりて善悪の別あり。吾人は悪に追われ、ために善を修せざるべからざるに至り、ついに悪をすてて善を取り、再びその元始に帰りてまた寂然不動の意志に復すというといえども、その開発するに当たりて、何故に善を目的とするや、またなんのためにかく開発するや、一度開発したるものが何故に帰源せざるべからざるや、疑問なおここにとどまらず。かの善をなさんがために悪ありといわば、悪をなさんために善ありというも可なるべきに、何故善のみを主とするや、また進んで悪に帰するものとするを許さずして、善にのみ進むものとすれば、なんの必要ありて悪を置きしや、これらの難問はベーメ氏の説明いまだ十分ならざるところにして、また東洋にありてもシナの性理論中善悪の起源を論定し、仏教の『起信論』中無明の起源を論定するに当たりて、学者同様にその解釈に苦しむところたり。

 当時イタリアにありて宗教上、哲学上、理学上ともに有名なるはブルーノ氏なり。この人の論、当時の宗教家にいれられず、死罪の宣告を受け、火刑に処せられたり。ベーメ氏は神学と哲学とを混同して区別をなさざりしが、ブルーノ氏は二者各別に説けり。ベーメ氏は神秘教の原因に基づきて宗教哲学を説き、ブルーノ氏は全く神秘教より独立して宗教哲学を論じたり。ブルーノ氏の考えにては、哲学は人智の範囲内において知得するを得べき世界万有の道理を研究し、宗教は理外に立ち人智をもって探原すべからざる不可知物の真理を天啓神示等のことによりて知るものなりとせり。氏はかくのごとき論者なりしも、当時の宗教的独断論者にあらざるをもって世に擯斥せらるるに至りしもまた是非なし。氏が神と万物との関係を説くを見るに、万有皆神教に傾けるもののごとし。氏の神につきての解釈は(宗教哲学として哲理上説くところのもの)、神は極めて単純なる絶対唯一の体にして、中には一切の智力、一切の情欲、一切の勢力、その他所有性質を完備し、しかもその区別を見ず。諸般の道理、諸般の動作の最上位にありて、吾人の思想智力の及ばざるところに位する絶対唯一の体なりと定む。しかしてこの世界といかなる関係を有するかを説くに至りては、プラトン氏の理想論を基として立論せり。すなわち絶対の理想とこの世界とは直接に関係するものにあらずとして、世界的精霊なる媒介物をその間に立てたり。またプラトン氏のごとく理想に三種類を分かちて、一は天神的理想(その体神)、二は世界的理想(世界的精霊)、三は個人的理想(個人精神)とす。この天神的理想は寂然不動静止して智、情、意の作用をあらわさず、世界的理想の媒介によりて個人的理想の上に関係を生ずるものなり。故に万有事々物々の変化するも世界の発達するも、みなこの世界的理想の作用なりとす。しかしてその三個の理想その体一にして、おのおの異なるにあらずとなす、いわゆる三位一体説なり。その理想論プラトン氏の哲学に基づく以上は、この三位一体説もプラトン氏に始まるもののごとし。しかるに遠く古代においてインドの婆羅門〔バラモン〕教はこの説を立てたり。すなわちいう、ブラフマは最上絶対中性の神なり、このブラフマはブラフマーなる男性の神となり、始めて世界を作ると。しかしてこの世界とブラフマーおよびブラフマはその体一なり、すなわち三位一体なり。これをもってこれをみれば、プラトン氏はインドの説を伝え、ブルーノ氏またこれを受けしにあらざるかの疑いなきあたわず。ブルーノ氏また世界的精霊を説きて曰く、この精神は世界の中より事々物々生出し、および変化せしむる勢力を有し、この世界を形成する規模を包蔵せり。故にそのすでに開発するや事々物々の変化あるとともに、人獣、草木、山河等、判然として乱れざるなりと。この説アリストテレス氏の形質論に似たり。その論に曰く、物を造るものは質なり、物発達してその形をなすものは形なり、この形質結合して万化を現ずと。ブルーノ氏の世界的精神も要するにこの形質的結合説に近し。この他ブルーノ氏が天神的精霊を論ずるは、仏教中唯識において真如凝然として諸法を作らずというもののごとく、その世界的精神を説くは、第八阿頼耶識のごとく、これによりて世界の現出せるは阿頼耶識より万法を開示するごとく、かれこれその説の近似するを見る。

 なおまたブルーノ氏の説によるときは、この世界は神の反射ともいうべきものなり。ただその働きの上より見るときは所働と能働との別ありて、さきに述ぶるがごとく三体おのおのその名を異にすといえども、その本体に至っては別に差別あることなし、いわゆる三位一体なり。故に裏面より論ずるときは、氏の説は万有神教なりというべし。

 善悪につきて氏はいかなる考えを有せしかというに、世界の事々物々はみな善かつ美なり、しかるに悪なるもののあるは、この世界の全体と一部分とを差別するをもってなり。すなわちこの世界より一部分を限界して独立するものとすれば、これすなわち悪なり。たとえばかれは自己のためなり、これは自己の利益なりと思惟するがごときは、すなわち全体の世界の外に別に独立したる自己ありと想定するものなるをもって悪なりとす。もしこれに反して自己は世界全体の一部分なり、これによりて現立するものなりと信ずるは善なり。これをもって利己心の悪にして、愛利心の善なるを知るべし。しからばその悪なるもの、なんの必要ありて存在するやというに、およそ善悪のこの世界に併存するはやむをえざるのことにして、もしこの世界善のみとなるに至らば、世界進歩の終極にして、すなわち世界その目的を達したるものというべし。しかれども今や世界は進歩の途中にあるものにして、その進歩するは悪ありてこれが刺激となるをもってなり。しからば悪はこの世界の発達進歩に必要ありというべし。故にもしこの世界の目的を達せんとせば、自利我欲のごとき感情の制裁を脱し、更にその上に向かって進まざるべからず。しかして下等の感情を去りて高尚の理想に向かいて進むには、教育の力を頼らざるべからず。かつその目的は単に五官の感覚上より起こる下等の情欲をすつるにとどまらず、精神上天地万物の美を求めて絶対的最上の善に向かうはもとより吾人の目的なり。しかしてこの精神上の善を養成するには教育の力のみにては、到底及ぶところにあらざるをもって神力に依頼せざるべからず。吾人の感情を制裁するところの意力すなわち勇力は吾人の力にあらずして、天啓により神力に頼りて得らるるものなり。故に吾人は一に智識を進むる教育と、一に意力を働かしむる神力と、この二者結合せざればその目的を達し難しとす。これを氏の善悪の解釈となす。

 以上ブルーノ氏の説、これを要するに万有皆神教にして、作用上三種の体を立てたれども、その実は一なるのみ。その一、本体の内に含蔵する力をもってし、これより開発したるもの、これを世界とす。しかしてこの理を道徳上に恰当せしめ、この世界万物の全体すなわち神なれば、その神より離るるときは悪となり、神と伴うときは善となるとせり。畢竟ベーメ氏の秘密説を今一段進歩せしめしものにして、ブルーノ氏は神秘教の主義を離れて普通の智識道理上より宗教を説きたるなり。しかれども氏が神は万物に普遍するものにして万物ことごとく善なりといい、また悪は万有の一部分に向かって迷執するによるといいしごときは、なお独断的に想定し去りて、いまだ哲学上に一組織を構成したりというべからず。故に一種の宗教哲学として一家を開きたるは、後のスピノザ氏を待たざるべからざるなり。

 

     宗教哲学本編

 スピノザ氏の前に当たりてデカルト氏物心二元論を唱えしといえども、その関係に至りては十分の解釈を尽くさずしてついに神を想定せり。しかしてその神はいかなるものなりやの解釈に至りては、いまだ哲学上の説明を与えざりしが、スピノザ氏は進んでこれを試みたり。これ学者が大抵スピノザ氏をもって宗教哲学の祖とするゆえんなり。

       スピノザ

スピノザ氏小伝

 スピノザ氏〔Baruch de Spinoza〕はオランダに生まれ、アムステルダム府に住す。その父祖ユダヤ人種に属するをもって、氏もユダヤ教の神学を講究せしが、その見解の異なるところあるがため、ついに破門せらるるに至り、転じてヤソ教に入り、また神学を研究し、大いにデカルト氏およびブルーノ氏の説を愛せり。氏は一方にありては哲学者にして、また一方にありては神学者なり。しかしてときの政治ならびに宗教を改良せんことを希望し、『政教論』を著せり。しかれどもその持論、当世にいれられずしてその志を得ず、晩年ついに肺病にかかりてついに死しき。

 近世の宗教哲学は三大段に分かれたり。すなわち左のごとし。

  第一段、批判的宗教哲学

  第二段、直覚的宗教哲学

  第三段、理想的宗教哲学

批判的宗教哲学

 批判的宗教哲学はスピノザ氏に始まりカント氏に終わる。スピノザ氏の当時、世間、政治ならびに宗教の圧制を受けたり。スピノザ氏思想の自由を唱導し、大いにこれを改良せんとせり。氏は政治の改良、宗教の拡張は思想の自由に関するをもって、自由思想によりてその道理を論究せざるべからずとせり。故に一六七〇年において『政教論』なる一書を著し世に公にせり。氏の考えにては、宗教と哲学とはその範囲の異なるものにして、宗教は哲学の付属物にあらず、哲学は宗教の付属物にあらず、哲学の目的は真理にあり、真理は道徳上万有事物およびその事物と事物との関係、神およびその神と万有事物の関係を説くにあり。宗教ならびに神学上の目的は信順にあり、実際上神を遵奉し、道徳、善行、仁心を養成するにあり。換言すれば、宗教ならびに神学は経典のこと、キリストのこと、モーセのこと、その他天啓に関することを信念するを目的とし、哲学はこれら諸般のこと、みな理論上に推究し、論理上に討尋するを目的とす。故に宗教と哲学とはその考定するところ往々反対するところあるなり。しかれども道徳上の目的に至りては両者同一の点に帰着するものにして、宗教上よりするも哲学上よりするも異なることなしと論じたり。

 かくのごとくなるをもって、神学上においては経典中に神が世界を創造せり、あるいは神が万有を作りたり等のことあるも、単にこのことを信ぜざるべからず。これを信ずるときはすなわち神を信仰遵奉したるものにして、天恵を受くるを得るなり。もしこれを疑い、疑って研究すればこれ神学にあらずして哲学なり。かく宗教と哲学とはその区域を異にするをもって、哲学上いかなることを研究するも、宗教上に少しも障害を与えざるなり。すなわち神はいずこにありや、天地万有は果たして神の働きなりや、もし神の働きとせば、その神はいかなるものなりや、あるいは未来における賞罰は果たして神がつかさどるものなりや等は、みな哲学上の問題にして智力上の作用に属するものなりとし、もって宗教と哲学とその範囲を分かち、かつ両者の研究互いに障害を及ぼさざるものなりとせり。氏曰く、経典は無学無智を罰せずして不信不順を罰すと。また曰く、人の順不順はその説の真偽によりて判定すべからずと。また曰く、確実なる議論を抱く人必ずしも確実なる信者にあらずと。その言みな宗教と哲学と異なりというの意を含まざるなし。畢竟氏のかくのごとき説をなせしは、世間において哲学をもって宗教を講究せんとするも、これを非難し攻撃するものあるにより、あらかじめこれを防がんとし、哲学上の議論は宗教上に関せず、宗教上の信仰は哲学上にこれを批難すべからずと論じ、もって世の批判をふせぎしものならんか。

 スピノザ氏は上陳のごとく、宗教の実際にありては神に信順して説の可否を正すに及ばず、理論にありては真理に適するや否やを正すものなれば、実際と理論とは一致せず、また神を信ずると信ぜざるとは実際上に関する故に、理論に長ずると否とによりて判ずべきにあらず。故に哲学上宗教を論究するときにおいては信と不信とを問わず、自由に研究して可なり。もし実際に当たるにおいては、道理の有無にかかわらずこれを遵奉すべし。いにしえのモーセが神より受けしという十戒のごとき、理論上到底これを信ずることあたわず。しかれども実際上これを信ずるにおいてはただその命に従順すべきのみ。なんとなればモーセ、アブラハムのごとき預言者出でて神命を受けしというも、これその人の道理力智力によりてしかるにあらずして、ただその人の直覚作用により、感情によりてしかるものなればなり。またその預言者なるものは智識の多少によりて預言者として尊ぶにあらず、畢竟預言者と吾人との区別は、道徳上の性質とならびに感情とによりてなすのみ。決して智力上に区別ありとすべからず。預言者のごときは想像力に富むも道理力に富まず、学者哲学者は道理力に長ずれど想像力信仰力に乏し。しかしてこの預言者は想像上神を現出し、これを人情風俗の上に持ちきたりて有形上に画出せるものなり。故に学者としてこれを考うるときは、到底信を置くことあたわざるなり。換言すれば、預言者は宗教上の感情に強きも智力に乏し。故に自己の智力をもって実際に当てはむるときは、学者の目より見て信ずるあたわざるもの多く、はなはだしきに至りては抱腹絶倒せしむることもあり。これ学者と宗教者との異なるところなり。もし哲学者として出でたるときは、片言寸事の預言者を信ずべき必用なし。なんとなれば、いやしくも哲学者なる者は預言者よりさきに智力の進歩を加えたるものなればなり。しかれどもその品行厳正に道徳端粛等の実際に至りては、哲学者の理論家も預言者の実行家もともに一致せざるべからずとす。かくのごとく理論と実際の各別を説き、ただ道徳品行上の実際においてのみ、学者も預言者も一致せざるべからずと説きたるは、すなわちスピノザ氏が宗教上の考えなり。

 これよりなおスピノザ氏が宗教につきての解釈を述べんに、まず人が宗教を信じ、これが支配を受けて道徳品行を正さんためには、神律に服従せざるべからずといえり。氏のいうところのこの神律とはいかなるものなるか、これを理論上に論究せばいかなるものなりやというに、氏の著述にかかるところの『政教論』ともいうべき書の第四編においてこのことを説けり。その考定するところによれば、神律は最上の善すなわち神の真智真愛をその単一の目的とするものなりという。しかしてその律は一国一民に限るにあらずして、人間一般に適用するものなり。氏また曰く、最上の善は最上の智識中に成立すべきをもって、吾人の智も善もこの神の善と智とに属するものなりと。氏がこの考えは善と智識とは離れたるものにあらずして、善は智識によりて成り立つものとしたるがごとし。氏はかくのごとく神律を解釈して、人民一般の説と大いにその解釈を異にせり。一般の解釈にありては古来の伝説、聖経等によりてこれを真としもって神を信ぜしも、氏は智識によりて神の徳を知るものとし、しかして智識は吾人の思想作用によりて成り立つものなれば、神の徳ならびに神の性質は天啓によらず智識上道理上にて研究せざるべからずとなせるは、氏が哲学上宗教を論究する旨趣なり。従来一般に神をもって自然外の理すなわち理外の理としたりしが、スピノザ氏はこれを道理以内のものとし、人間がこの自然の上において智識を得、その智識をもって神の性質を研究するを得るものとせしは、これ氏の宗教哲学を独立せしめたるゆえんなり。また神は智と意と相分かれたるものにあらず、合一して作用をなすものなれども、神とこの世界の関係上より相分かれたるごとく現れたるものなり。神律はすなわちこの智も意もともに一体となれる神の本体の、恒久不変の真理の外に別に存するものにあらざれば、世界の事物ならびに人間の間に現存するものなり。故に世界万有、人間および神は決して相離れたるものにあらざるなり。今、神の体より現れたる神の規律は、世界と人間との間に普及すという以上は、これ神の規律は天地万有の規律なりというべし。これに至りて神律の解釈は自然すなわち天地万有の理と一致するものにして、世間一般に解釈するところの神律と異なるゆえんなり。

 今それ一般の通俗説に神を理外と立てたるは、神はこの世界の外にありと認識するによれり。しかるにスピノザ氏は神も世界も同一なり、天地万有の間の必然あるいは肝要と称するものは、すなわち神の規律なり、もし神にして自然律に反するあれば、これ全く神の性質に反したるものなり、またもし神が万有の間に現るるものならば、これ自然の道理と同じくして、決して理外のものにあらず、しかるに世人が神は自然の規律を左右するを得ると思うは、全く自然の規律のなにものたるを知らざるに座するのみといえり。上述のごとき解釈を施し、自然の規律と神律とを一致せしめしは、これ従来の宗教家の説を一変せしめしところにして、またスピノザ氏の功績顕著なるところなり。

 それ神は万有事物の外部の原因にあらず、内部の原因なり。その作用は随意の取捨に出でずして、自然の間に必然の理によりてあらわるるものなり。けだし事物に原因結果の必然の関係存在するは、その規則が神の規律に基づきて成り立てるをもってなり。これすなわちスピノザ氏宗教哲学の原理にして、従来の神秘教あるいはヤソ教等一般の解釈と異なるところなり。一般の説にありては神は事物の外部にありて外部より働きを与うるものとし、スピノザ氏は原因結果の規則に従って事物の変化するは、事物の内部よりその勢力の発するものとせり。このことはなお後に至りて詳述するところあるべし。

 以上説くところはスピノザ氏が宗教哲学を説くに至れる順序、すなわち宗教哲学はかつて一個の哲学として解釈するものなかりしに、スピノザ氏その道を開きし順序を説明せしものなり。今またここに宗教哲学上スピノザ氏の前後における思想を比較するの必要あるをもって、まず氏の哲学上の所説とデカルト氏所説との差異点を指示し、つぎにブルーノならびにエックハルト氏所説との差異点を挙示すべし。

 そもそもデカルト氏が神を立てたるは物心二元論を唱えしによるものにして、物心両存し、しかも相反対したる性質を備えたりとせしに、その性質の反対したるものがいかにして結合し、いかにして相関係するか、これを説くにいかにせば可ならんかというに至りて、その相結合し互いに契合して作用をなすは神の力によるとし、ついに神を借りて物心相関の理由を付したり。しかしてこの神は一種格段の性質をそなうる神にして、物心二者の外に成立し、もって二者の上に働くことを説きたり。しかるにいまだその神と物心との関係とにつき解釈の明瞭ならざるより、その弟子ゲーリンクスおよびマールブランシュ諸氏これを説き明かさんとせり。ゲーリンクス氏の考うるところを見るに、およそ吾人が外物をみるは神が物心を結合するによる、吾人が思考するにあたりてその思考するところの対当の物件のあらわるるは神の作用により、始めより神が物心二者の契合を計りたりしをもって、二者相関係し互いに契合するなりといい、その師説をして一層強く一層つまびらかにならしめたり。しかしてマールブランシュ氏はなおこれに満足せず、神がその働きを物心の上に与うるはもちろん、世界ことごとく神の内にありて現見し、吾人また神の内にありて動作し思考するなりといえり。ここに至りてデカルト氏の説はその極端に達せり。これに反対せしものはすなわちスピノザ氏なり。氏の考えは神が物心二者の外にありて一の成立を有するものなることを疑い、論究の結果この世界の本体すなわち神なり、物心の本質すなわち神なりというに至る。これをスピノザ氏の本質一体論と称す。ここにおいてデカルト氏の神とスピノザ氏の神とは大いに異なれり。スピノザ氏の神は物心の内にあり、デカルト氏の神は物心の外にあり、一は外より内に働きを与うるもの、一は内より外に発動するものとす。しかしてその物心の本体は絶対無限唯一の体なりとするもの、すなわちいわゆる本質なり。しからば物心二者は本質に対していかなる関係を有するかというに、これ本質に属したる付属性なり。換言すれば神は絶対無限なり。しかして物と心との二種の属性をもって吾人の考えに現るるものなりという。果たしてしからば、何故無限の神が二種の属性のみなりや。もしわずか二種の属性のみとすれば、神は無限にあらずして有限のものなるにあらずやというに対し、曰く、物と心とは属性中の二種のみ、物心のほか無量無限の属性ありといえども、その吾人の智識思想の中にあらわるるものは物心二者のみ。故に吾人はただこの二を知りて他を知らざるなりと。かくのごとく物心二属性の吾人の思想上にあらわれたるを説けり。しかしてその物心二者の性質はいかにというに至りては、全く相異なるものとして区別せり。しかも全く独立したるにあらずして神に付属し、付属しながら二者その性質を異にせりといい、もってその区別を立てたり。しかるに何故その反対したる物心二者がよく契合するや、すでに反対したるものならば契合するはずなきにあらずやというに至りて、ここに神を立てたるはすなわちデカルト氏なり。相反する二者互いに成立するを得るものにして、たとえば木葉の形と色と互いに異性質にてありながら一木葉上に成り立つと同じく、物心二者相異なりといえども、本質一体上二者互いに契合両立するものとするはスピノザ氏なり。しかしてスピノザ氏はこの二属性中種々無量の物を含むとし、これを解して「モード」といえり。これを訳すれば仏教中の万法の義なり。この万法と本質との関係はあたかも波の海水におけるがごとく、水なる本質が種々の波なる万法となり、現れて物心二者の上に万有万境の形象を示すものなりとす。この説明によりてみるときは、デカルト氏の二元論なるに反して、スピノザ氏は一元論なりとす。これを要するに、スピノザ氏はその哲学を組織する規模ならびに論究法はデカルト氏に取れり。その故は神、心、物の三段を立てその関係を説きたるも、また数学上の考えより思想の上に定めたる原理を事々物々の上に適合せしめんとしたるいわゆる演繹論法も、二つながらデカルト氏と同一なればなり。しかれどもその哲学の規模をみたすところの実体材料はかえってデカルト氏によらずして、ブルーノ氏によれり。しかのみならず、ユダヤ教の宗教哲学および神秘教説をもいくぶんか取るところあるもののごとし。すなわちブルーノ氏は万有神教を説き、スピノザ氏またしかり。しかれどもまた互いに異説あり。ブルーノ氏はプラトン氏を継承して、神と世界との関係に三種の理想を立て、結極その三種の体すなわち一なりとし、この一体の上よりみれば万有差別なくして一理平等なりとす。しかるにスピノザ氏は万有神教を立てながら物心二者平等にあらずとし、あくまでその区別を保ちて神の属性なりとせり。これその二氏異なる一点なり。つぎになおその両氏の異なる要点は、ブルーノ氏は一方においてはプラトン氏を取りしが、一方においてはアリストテレス氏の形質論を取れり。この論さきにすでに略述せしごとく、物には形と質とありて、質の変化するはあらかじめ定まりたる形ありて、これをみたさんがためなりというにあり。ブルーノ氏この論を取りて世界の上に考え、世界の万物には一定の目的ありてこれに向かって進行するものなりとせり。これを目的論(テレオロギー)という。たとえば大工が家を建つるにあらかじめその構造法を図に製して一定の規模を立て、これにのっとりて工を起こすがごとく、この世界は神が目的を定め図取りをなせしものにして、万物の変化はその神の予期せし形を取るものなりという。近世の始めにおける、かのコペルニクス、ガリレオ、ガッサンディ、ニュートン等の諸氏また多少かくのごとき考えを抱けり。しかるにスピノザ氏は全くこれに反対し、世界は決して最初より一定の目的あるにあらず、物心には物心そのものの規則ありてこれに従って進み、万物また因果の規律あり、これに従って変化を生ずるものなりという。この因果論は今日学術上の根底となれるものにして、これを近世哲学上に説きしは実にスピノザ氏なりとす。その目的論を打破し因果論を立てたるは千古の卓見というべし。

 スピノザ氏論じて曰く、世界は神の図取りによりてその形をとるというところの目的論は、すなわち宗教上に謬誤を伝うる原因となれり。世人これを信ずるによりて因果の関係を知らず、因果の関係を知らざるによりて、ただ神に依憑し神に阿諛して幸福を得んとするの考えを生ずるに至る。しかのみならず、天災地変その他の不幸をもって人間の悪なるによるとなし、ひたすら神に追従し神の寵愛を得れば、ここに神の良導を受けて、かかる災害を免るるものなりとの妄信に陥るなり。はなはだしきに至りては人間がもし神の喜悦を買わざるにおいては、神は人間の到底避くべからざる害毒を被らしむることありと思惟するものあり。しかるにもし因果の理法を知らば、かくのごとき迷夢をさまし、目的論よりきたるところの妄信はただちに消散するを得べしと。これスピノザ氏が当時の宗教および学説の上に卓立せしゆえんなり。

  ちなみにいう、今日わが国に行わるる迷信的占筮、観理開運術のごときは全くこの因果必然の理法を知らざるによりて行わるるなり。もしこの理法を知らば一般の妄信を破り、妄信によりて徒消するいくたの金銭をもって有益の資に充つるを得べし。その一般人智のいまだここに至らざるこそ是非なけれ。

 上来段を重ねてスピノザ氏が宗教哲学を説くに至りし順序、ならびに他説との比較を陳述せり。これより氏が宗教哲学の本論に入らんとす。

         スピノザ氏の宗教哲学本論

 スピノザ氏まず神の義解を下して曰く、神は絶対無限の体なり、その絶対無限の体は万有事物の真性実体なり、これを本質(サブスタンス)と称す。故に神はすなわち本質なり、その体また無限の属性を有す。しかしてその絶対無限の神体は現に実在するなり。今これを証せんに、神体は絶対無限にして、また絶対無限の力を備えたり。しかるにもし現実に存在するあたわずとせば、これ無限の力を備うというを得ざるなり。なんとなればここに有限のもの、たとえば人身家屋のごときものあらんに、その物実に現存するにあらずや。有限物すらかくのごとし、いわんや無限物にして現存せざるの理あらんや。もし絶対無限の物、実在せずといわば、相対有限の物また現存せざるはもちろんなり。もしこの世界に現存するもの一もなしとせんか、なお可なり。もし現存するものありとせんか、必ずまず無限物を数えざるべからず。されば世界一切の事物一も現存せざるか、あるいは無限のもの現存するか、いずれかその一におらざるべからず。しかるに世界のものみな現に存在せり、あに無限物の現存するなからんや。この現存は必然にして打破すべからざる理なりと。また曰く、神は無限の力を備うるものなるをもって、その現存するには現存するゆえんの力を有せざるべからず。すなわち神は無限絶対の力をもって現存するいわゆる無限絶対の体なりと。また曰く、物にして現存することあたわざれば完全というを得ず。完全なれば必ず現存すべし。今、神は完全なり。故に必ず現存せざるを得ずと。この論法の推理は確実なるも、その前に憶定せる論案は確実ならざるは、論を待たずして知るべきなり。スピノザ氏は数学上の考えより、デカルト氏に同じく演繹論法を用いたり。数学的論法は実に確実なるものなれども、その運用のいかんによりて不完全となる。すなわちこの論法はわが思想中に憶定せる一真理を基礎とし、これを外界の事物に当てはめ、もってかくのごとしと断定するなり。例せば一部分は全体より少なしとは数学上の原理原則にして、我が輩決してその道理を疑うことあたわず。実に思想上明瞭なる真理なれば、これを原則として諸規則の真偽を判定することを得るも、一切の事柄みなかくのごとく思想上に明瞭なるをもって、現存上確実なりと断言するを得ず。もしかくのごとく想定するときは、これ独断的に傾くものなり。なんとなれば、その思想中に定めたるものは真理と断じて、何故にこの真理なるやを疑わざればなり。けだしデカルト氏が己の思想に明瞭なるものは実際にもまた確実なりと独断的に思考せし論理法を受けて、スピノザ氏も神は無限のものと始めに断定し、故に神は現存すという。しかして何故に神は無限のものなるかを疑わず、また更にその証明を与えざるなり。故にその考え、今日より見れば決して論理上正しきものにあらざるなり。スピノザ氏また曰く、絶対無限の体は一つより多かるべからず、故にこの世界に神体を離れて別に物ありというを得ず。一切万物ことごとく絶対の体中にあり。もしこの外にありとせば絶対の体の外に別に一物ありとせざるを得ず、しかるときは絶対にあらず。この理よりスピノザ氏は推演して、神は外部にあらずして内部にありという。神は外にありて世界に働くとせば、神と世界とは二物なり。しかれども神の外に世界なく、絶対の外に物なきをもって、内部にありて外部にあるものにあらずと論定せり。スピノザ氏また自由意志論を説破して曰く、神は自由意志を有し、右せんと欲して右し、左せんと欲して左し、その意志自由に発動して自由に動作すと信ずといえども、神は決してかくのごときものにあらず。神の作用は因果の原則により、必然の理法に従ってあらわるるるものなりと。もって従来の自由意志論を変じて必然論とせり。しかしながら氏必ずしも神の自由を説かざるにあらず。世人の一般に自由というは、神が勝手に規則を左右し理法を変易し、その欲するままに外部より作用するというものなれども、スピノザ氏の称する自由はこれに異なり、神は決して外より圧制を受けず、神外に万物なきをもって神が外部より圧制せらるることなし。すなわち神は自己の内部の力にて活動せり、自体固有の性質規則に従い運動し作用せり。故に神は自由なりというなり。すなわち神はいかなる動作、いかなる変化を万物の上になすも、みな自体固有の因果の規則によりてしかるものにして、あたかも三角形の内角の総和は二直角に等しという幾何学上の定義は、三角形固有の規則にして、その三角形がいかに変化するも、いやしくも三角形たる以上はこの規則によらざることなきと一般なり。神は完全というは、どこまでも因果の軌道を外れず、無始より無終にただ一の必然の理法をもってその作用を一貫する故なり。しかるに一般の人の考えのごときは、神は人間のごとく左右前後、是非善悪みな自己の意志に任せて発作するものとし、ただ神は人間よりその意志の数層優等に位するのみと考え、人間より推して神の性質作用に論究するは大いなる誤りなり。もしかくのごとく人間に智あり意あり、神にも智あり意あり、人間も神もその性質異なるなしという、これあたかも星宿にドッグと名付くるものあるをもって、獣類のドッグとその実異なるなしと想像するに同じきものなりといい、大いに世人の自由意志論を排斥せり。

 およそ智といい意というもの神の本質にあらず。本質自体は智と意とを離れたるものにして、智と意とは神の属性なり、また物質の動静も神の属性なり。本性よりいえば物質の動静は物質上においての属性なり、延長性の上における神の属性なり、智なり意なりは思想上の神の属性なり。換言すれば、一は物質に属し、一は心性に属する属性の顕現なり。もし智と意とは真に神が備うるものとせば、物質の動静も神は備えざるを得ず。ひとり意志のみ神の性質にして、物質上の性質を神に備えずとするの理あらんや。しかるに物質上の性質は神の本性にあらずとせば、智も意も神の本性にあらずというべし。スピノザ氏はかくのごとく論じきたりて、世人のあるいは神に延長的性質を具するを説かざるも、ひとり思想的性質を有するを説き、この二者同一に神の本体にあらずして、その属性なるを知らざるものをしてその理を了解せしめんとせり。

 氏の所論中にて最も卓見と称すべき点は、古来より学者および宗教家等の盛んに主張せし自由意志説を論駁して因果必然説を主張せしにあり。その説に曰く、内界も外界も畢竟その本体たる神の属性なれば、ひとしく唯一の規律すなわち因果必然の理法によりて支配せられざるを得ず。しかるに外界のみ必然の理法に検束せられて、内界ひとり自由不覊なるものとするは不正なる理論たるや明らかにして、この二者はひとしく必然の理法によりて支配せらるるものなり。この内界の方を名付けて思想あるいは道理といい、外界の方を名付けて物質あるいは運動という。しかしてこの二者を深く推究してその本源にさかのぼれば、ひとしく無限の本体に達し、無限の道理、無限の運動となるものなり。しかしてその無限の本体に達するときは、すなわち神自体の作用を呈するものにして、この神自体の作用に二種の性質を有す。一を思想といい、一を延長という(この区別はかのデカルト氏の二元論によりしものなり)。この二種の性質は神自体に具有せる属性にしてひとしく無限なり。故にその無限なるものを総括して、無限性の思想あるいは無限性の延長と称す。神はこの二種の属性を有するをもって、無限の道理、無限の運動の二種の作用を呈し、この二種の作用は因果必然の理法によりて支配せらるるものなれば、物質上の運動、あるいは静止の作用のみ必然の理法に服従し、内界の意志ひとり自由不覊の性質を有し、必然の理法に服従せずとするの理あらんや。これによりてこれをみれば、意志と物質とは同等同権にしてひとしく必然〔の〕理法の配下に属するものなれば、意志ひとり自由不覊の性質を有するものにあらざるや明らかなり。しかるに古来の学者あるいは宗教家が盛んに自由意志説を主張してもって真理なりと是認せるは、不道理の理論たるや論をまたずして明らかなりと。かくのごとく氏は古来の学者あるいは宗教家に反対して嶄然頭角をあらわし、因果必然説を主張し、哲学界宗教界に一大波瀾を起こしたるは、実に氏の氏たるゆえんにして、後世氏を推して必然説の元祖と称するもまたこの点に存す。

 しかして氏は宇宙万有を解するにも、前述の説を演繹推論せるに外ならず。曰く、宇宙万象はことごとく必然の理法によりて支配せらるるものなれば、その無限の始よりこの理法を経過してきたり、また無窮の将来といえども今日まで進みきたれる方向によりて進み、決して他の方向を取りて進むことあたわざるものなり。しかるに古来のヤソ教者流は、神は全智全能なるをもって自恣専擅にその轍を変じ、その方向をかうることを得るものなりといえり。神はたとえ全智全能、完全無欠のものなりとするも、決して自恣専擅に宇宙の方向を変ずることを得るものにあらず。なんとなれば、神は無始無終、不変不易にして、唯一の規律すなわち必然の理法を具有するものなれば、その意志すなわち必然の理法によりて所定せる宇宙万象も永久不変に唯一の方向を取り、必然の理法によりて進まざるを得ず。しかるにもし神の所定にして従来の必然は将来の不必然となるがごとき変遷常なきものとせんか、神は完全無欠とすることあたわず。しかるに神は完全無欠、不変不易なるものなるが故に、その所定せる宇宙万象も永久不変に唯一の理法に支配せらるるものなることを知るべし。この論はかのデカルト氏の形式によりて組織し、その材料は種々なる元素によりて成立せるものなり。

 しかして氏は本体に関する属性を論じて曰く、神は宇宙万有の本体にして無限恒久のものなり。しかしてまた思想性と延長性の属性を具有す。しかれども属性の数に至りては決して二者に限れるものにあらず。なんとなれば、神の体たるや無限性のものなれば、その体に属する性情もまた無限の数を具有せざるを得ず。しかれどもこの無限の属性中にて吾人人類の不知界に属するものは単に思想性と延長性の二者に限り、余はみな不可知界に属するものなり。しかしてこの二属性はその範囲広大にして、吾人の見聞覚知することを得る森羅万象は一としてこの範囲を脱することあたわずして、この思想性の大範囲中には個々の観念も成立し、延長性の大範囲中には個々の物質も成立するものなり。その個々の延長性を総括して天神的の延長といい、個々の思想性を総括して天神的の思想という。しかして氏はまた万有を総括して三種に区別せり。曰く本質(Substance)、曰く属性(Attribute)、曰く万法(mode)(万法とは仏教にて真如万法といえる万法の意なり)これなり。

 前来述べきたれるがごとく、氏は従来の宗教説に反対してその上に改良を加えて、ヤソ教をして仏教のごとき観を呈したり。なんとなれば、万有の本体たる神を従来の宗教家のごとく宇宙万象の外に向かいて求めず、宇宙内部に向かいて求めたるがごとき、また宇宙の道理も神の専擅によりて成立するものにあらず、唯一の規律すなわち原因結果、必然の理法のみなりとするがごとき点は仏教と異なることなければなり。ただ仏教中にはこれら哲学家の論定せる原理を包含するも、その論述するところは系統的の組織を有せず。またこれを学ぶものもひたすら旧株をこれ守り、進取の気力なきをもって、ついに今日の学問世界に適合せしむることあたわざるに至れり、あに遺憾ならずや。故に仏教を研究せし人は西洋の宗教哲学を兼修するは、実に目下の急務というべし。

 かつ氏は物心同権論を主張するものなれば、この物心二者はその間に関係なくして、延長性は思想性を支配するの権なく、思想性も延長性を支配するの権なし。故に延長性のものは延長部内にて関係し、思想性のものは思想部内にて関係するものなりといえり。この理を応用して神の思想と神の事業とは同等同権にして併行対立し、主従の関係あるものにあらざれば、かのヤソ教者流の神の思想は主にして、その事業は属性なりと論ずるがごとき理なく、単に思想部内あるいは事業部内にて主従の差別あるのみ。決して思想と事業と対立する上には主従の別あることなしと説きて、古来の宗教学者が神の事業をもってその思想の付属物なりとするの説を打破せり。

 氏はまた本体と属性とを論ずるに、前にも弁述せるがごとく、その属性の可知界に属するものを物心二者と区別し、二者は同等同権なるものなれば、両者の間に軽重を付すべきものにあらず。換言せば、二種の属性をして本体すなわち神に対するときは等しくこれ属性にして、全く同権なるものなりと説き、この理を推演して一個人の上につきてもこの両属性あることを論ぜり。その説に曰く、身体と心意とは全く同等同権なるものなり。なんとなれば、身体は神の属性なる延長性の一部分にして、心意はその思想性の一部分なれば、この身体と心意との間に軽重の差あることなく、同等同権なるものなり。すでに同等同権併行対立せるものなれば、身体にして完全に発達するときは心意もまた相伴って完全に発達するものにして、外界の経験の進歩すると同時に内界の思想も進歩するものなりと。この点より見るときは、氏は内外順応論にして経験論および唯物主義を主張するもののごとし。しかれども氏は唯物論を主張せるものにあらざればその説の唯物論に陥るを恐れ、これを避けんがために説を立てて曰く、心意は外界の経験の進歩すると同時に進歩するものなりといえども、心意には物質の具有せざる一種の力を有せり。この一種の力とは自覚の自覚、あるいは観念の観念とも名付くべきものにして、心意固有の力なれば、外部の進歩と随伴するものにあらずと。もってその主張する形而上学を成立せり。しかれども氏のこの論たるや、かえって自家撞着を招きたるものといわざるを得ず。なんとなれば、心意に限り一種特有の力ありとするときは、外界物質との間に軽重の差を生じて、物心は同等同権なる属性なりといえる論に撞着すればなり。

 つぎに、氏の人智論は大いに宗教上の智力および倫理説に関係するをもってここに略述せんに、氏は智力を区分して三種とせり。その第一は感覚上の経験よりきたるものにして、この智力の中にも優劣の別あり。劣なるものは世間的の空想にして、不正無根の俗説妄説をいい、優なるものは種々なる事物より得たる概念の集合より成立せるものにして、仮に名付けてこれを類想という。第二は道理上よりきたるものにして、これを名付けて理性という。理性とは経験より得たる種々の概念の上にありて人類共同の智識なり。第三は智識中の最上に位するものにして、この智識は神に関する智識なり。この智識は諸般の原理原則のよりて生ずるところの源泉にして、実に確然明白なる観念を生ずるものなりという。氏は宗教に関する心性作用をもこの分類に準じて説明を下せり。すなわち左のごとし。

 第一は罪徳等に関して世俗一般に抱ける妄信思想なり(これ智識論の第一に準ずるもの)、第二は道理上より罪徳等はいかなるものなりやを推考する心性作用なり(これ智識論の第二に準ずるもの)、第三は宗教に関せる心性作用中の最上の位置を占むるものなり(これ智識論の第三に準ずるもの)。しかしてこの智識は神の力によりて得たる智識にして、この智識によりて吾人は安心立命し、もって神と同一体に帰することを得るものなり。かく氏は智識と宗教思想とを応合して説明せしは、理論と実際とは隔然せるものにあらず、理論上の智識はすなわち実際上の智識にして、哲学のごとき最高の理論より得たる智識は、実際上にても最高の智識なることを示せるものなり。しかし氏のこの論を主張せるゆえんは智識と意志とを同一視せしより起こりしものなり。詳言せば、古来の学者多くは知力と意志とを区別し、智識は原因結果の理法を推究する心性作用にして、意志は自己特有の自由作用を有するものなりとせるも、氏は意志なるものは全く智識上の断定に過ぎずして、二者その原理同一なりと信ずるより起こるものなり。

 氏はまた倫理学とはいかなるものなりやを解釈するにも前説の論法に準じて、その説明をくだせり。今その著『倫理書〔学〕』につきてこれを見るに、その第三巻に愛情を分かちて三種とせり。曰く所作用的愛情、すなわち外界の事物によりて惹起せられし愛情にして、吾人の本情にあらざるもの。曰く能作用的愛情、すなわち吾人の内部に存する必然の理法にのっとりて活動する精神作用、これを名付けて願望という。曰く合神的愛情、すなわち神に関する愛情にして、吾人はこの情によりて神と同一体に帰するものにして、語を借りていわば、吾人をして成仏得道せしむるところのものこれなりとす。

 第一、所作用的愛情とは体欲等のごとき、外界と感覚とのために精神を支配せらるるより起こる不道理的の愛情をいう。およそ人類の目的とする点は自己の生存にありて、この目的にもあるいは道理に適合するものあり、あるいは道理に適合せざるものあり。しかしてその道理に適合せざる目的とは体欲のごとき所作用的愛情にして、もし人この愛情のために制御せらるるときは精神の自存を失し、また独立自由すなわち内界に存する因果必然の理法に従うの自由を失するに至らん(氏の自由とは因果必然の理法に随順するに際し、他より障害をこうむることなきをいう)。また人は自己の生存を目的とするものなれば、体欲のごとき所作用的愛情をほしいままにするときは、人々相戦いて強食は弱肉のありさまを呈し、かえって自己生存の道を失するに至らん。故に吾人は倫理学において、人は体欲の奴隷となりしときにいかにしてこの覊絆を脱することを得るか、またいかにして外界の制御を離れ、独立自由の境に達することを得るか等の問題を講究せざるべからず。

 第二に、能作用的愛情すなわち願望とは所作用的愛情の上に位し、精神内に存する必然の理法によりて起こる作用にして、外界の事物によりて惹起せらるるものにあらず。吾人呼びて徳となすものは精神固有の能作用をしてその勢力を隆盛にし、外界の覊絆を離れ、体欲の奴隷たることを脱するにあり。この徳なるものの基礎とする点は自己の生存にあり。自己の生存を離れて吾人は成存することあたわざるものなり。しかして体欲といい願望といい、等しく自己の生存を目的とするものなれども、もし体欲のみをたくましくするときは、吾人は争闘のみをこととし、かえって自己の生存を害するものなり。故に吾人はつとめて体欲を制し、その生存を幇助する願望なるものを発達せしめざるべからず。すべて道理に合し自己の生存を幇助するものは善にして、これを害するものは悪なり。しかして道理上より自己の生存に関し、善を助け悪を避くるのみならず、情緒上にても生存を損傷するものを制せざるべからず。故に能作用的愛情は道理に適合せるものなれば、この力によりて所作用的愛情のごとき不道理なるものを制せざるべからずと。

 かく氏は道徳の目的をもって自己の生存にありとし、これを幇助するものを善とし、妨害するものをもって悪なりとする点より見るときは、氏は自利主義、もしくは主我主義を主張する経験派、あるいは自利派とその轍を同じくせるもののごとし。しかれども氏は全くかの経験派、自利派とは異なれるものなり。なんとなれば、かの経験派もしくは自利派のごときものは善悪の標準を感覚上の経験より取りきたるも、氏は感覚上のものはみな所作用に属するものなれば道理に適合することあたわざるものにして、精神内に存する能作用すなわち道理力をもって感覚上の体欲を制抑せざるべからざるものなりと論じて、道理心をもって倫理道徳の標準とせり。これ氏は自身の保全をもって目的とするものなるも、経験派等に属せずして道理派に属するゆえんなり。

 氏の倫理説において一種特有の性質とすべき点は道理と愛情とを結合せるにあり。古来の学者多くは道理と愛情とは相反対せるものなれば、道理をもって愛情を制せざるべからずとせるも、氏は所作用的愛情のごときは外界のために起こりしものなれば、道理に適合せるものなりとすることあたわざるも、精神内に起こる愛情すなわち能作用的愛情は精神内に存する必然の理法によりて生ずるものなれば、決して道理に適合せざるものなりとすることあたわずと。これ氏の倫理説の長所なり。しかして一長あれば一短あり、一得あれば一失あるは、現象界において免るべからざる事情にして、氏の説もその長所のあると同時にその短所あるを見る。今ここにその短所を略述せん。

 氏の倫理説につきて短所とすべきは、単に理論上の道理のみを取りて実際上の道理を放擲せしにあり。換言せば、精神上に存する道理のみを取りて、社会上に表現せる事実を顧みざるにあり。なんとなれば、道理には理論上と実際上との二種ありて、ともに軽忽に付すべきものにあらず。しかるに単に理論上の道理のみを求め、実際上の道理を排するに至るときは、自然に世間と関係を絶ち遯世脱俗の境に入り、空寂無為の位置に達せざるべからず。すでに遯世脱俗の傾向を有し、退守の一方に偏倚せしものなれば、これを呼びて完全なる倫理とすることあたわざるや明らかなり。氏自らもまた厭世脱塵の主義を取り、世外に逍遥せんことをよろこびたるもののごとし。これあたかもシナにおいて老荘派が孔孟派の実際的一方に偏したるに反対し、理論的一方を主とし、遯世脱塵もって虚無自然の本体に上達せんことをよろこびたると同一般なり。畢竟氏の倫理の理論一偏に傾きたるは、全くその形而上哲学の主義より流れきたりしものなり。なんとなれば、氏は形而上学において内界と外界の区別を立て、物質といい心意といい、ひとしく本体の属性にして二者併行対立し同等同権なるものなれば、内界は決して外界のために制限せらるべきものにあらず。故に吾人はつとめて内界の独立を保存し、外界の関係を遠離し、精神を安静にせざるべからずと。かくのごとく外界の関係を絶ち、精神の安静を主とするものは純然なる道徳というべからず。なんとなれば、一個人の道徳は成立することを得るも、社会上の道徳は決して成立することあたわざればなり。また他に一の原因ありて氏の所論に影響を及ぼしたるものあり、なんぞや。曰く、氏の生活上の状態これなり。氏は普通世俗の信ずる宗教を奉ぜずして一家独立の説を立てたるをもって、世間よりは異端をもって目視せられ、かつ氏はユダヤ人種に属するをもって社会よりも擯斥せられ、心中おのずから鬱々たりしものありしなるべし。その感想やついに発して、氏の哲学および倫理上に表現せしものなるや疑いをいれず。しかしてこの退守主義は、のち厭世論者の巨魁たるショーペンハウアー氏の所論を誘起するの原因となりしもまた明らかなり。

 氏はまた体欲の奴隷たるの境遇を脱離し、精神の自由独立を得るの手段はいかにせば可ならんかを、その『倫理書』第五巻に論ぜり。その意に曰く、吾人にして道理的知識によりて考察をくだし、もって明瞭なる観念を喚起するときは、たとえ外界に接するも体欲のごときもののために制抑せらるることなく、体欲はかえって明白なる観念のために消滅すること、あたかも霜露の朝陽におけるがごとし。すべて外界よりきたる観念は善と称すべきものにあらざるも、明瞭なる観念の精神中に盛んなるに従い、外界の観念も一変して精神上の善に帰するものなり。この明瞭なる観念は必然の理法によりて起こり、道徳上の情操も必然の理法によりて起こるものなり。例せば憫憐の情のごときは力の弱きものをあわれむものなれども、人の初めて生まれしとき、その体力弱小なるもこれをあわれむ情起こらざるは必然の理法によりてしかるなり。かくのごとき明瞭必然の道理的観念を名付けて能作用的愛情とはいうなり。

 しかれどもこの道理的愛情をもって愛情中の最も完全なるものとすることあたわず。なんとなれば、なお外界の帰納経験に関係を有すればなり。故にこの愛情の上に、第三、合神的愛情すなわち寂静無為の愛情あり。この情は神の観念に基づき起こるものにして、最高の位置を占有するものなり。しかしてこの情は神が自身を愛する情の分賦して吾人に有するものなれば、神も吾人も更に異なることなく、神の吾人を愛する情も、吾人が神を愛する情も合同一致し、神と吾人とは同体無別の境に達するものというべし。これ神の吾人を愛する情は、吾人の精神上に有し、吾人の神を愛する情は、また神の心意中に有するをもって合同一致することを得るものなり。この合同一致はすなわち吾人の安心立命にして、神の救助を得たるものなりという。かくのごとく氏は神の愛によりて外界の欲念を脱し、神より得たる智と情とを確知するときは、万有の本体すなわち神と一体に帰することを得と説きたるをもって見れば、氏の所論はヤソ教所談の天神救助を説かずして、かえって仏教所談の成仏得道を説きたるがごとし。また氏をもって万有神教を主張するものなりと認定せるも、その説の仏教に近きを知るべし。

 前述三種の愛情を概言すれば、第一、体欲的愛情、第二、道理的愛情、第三、合神的愛情にして、このうち第三は氏以前の神秘教派の論者が神は道理以外に存し、人智をもって測度することあたわざるものなりと論ぜるに反対し、吾人は神の一部分なることを道理上より批判的に証明せしものなり。これをもって氏の宗教学を名付けて批判的宗教哲学とはいうなり。

 上来娓々講述しきたりしものはスピノザ氏の宗教哲学を概論せるものなり。これより進みて氏の著書『政教論』と『倫理学』において宗教に関する見解の相反するところあるをもって、その点の一、二を示し、かつこれを批判し、その局を結び、しかして後、氏以後哲学者の宗教哲学に論及せん。

 『政教論』における宗教説と、『倫理学』における宗教説とは、大いに反対せる方向を取れり。第一に、神を論ずるにつき、『政教論』にては神は秘密的のものにして、道理以外に存し、吾人の得て知るべきものにあらずと説き、『倫理学』にては神は因果必然の理法外に存するものにあらずして、宇宙万有の本体すなわち神なりと説きたり。第二に、精神不滅を論ずるにも、『政教論』にては吾人がその一生の間神を信ぜず、欲情悪心を起こし、外界のために制せらるるときは、その精神は肉体と結合せるをもって、肉体の死亡すると同時に、その精神も消滅に帰し、決して神の恩恵をこうむり、その精神をして永久不滅ならしむることあたわず。故にもし精神の永久不滅を願わば、つとめて外界の欲念を遠離し、誠心誠意もって神徳と合体せざるべからず。しかるときはたとえ肉体は腐朽し去るも、精神は肉体を離れて独立せるをもって、永久不滅なることを得るなりと説けり。しかるに『倫理学』にては吾人の精神は本体すなわち神の精神の一部を分賦して占有するものなれば、神の精神にして消滅せざる限りは、吾人の神を信ずると否とに関せず、吾人の精神も永久不滅のものなり。しかれば肉体に関係せる精神作用すなわち感覚、記憶、想像等のごときものは、肉体の腐朽とともに消滅に帰せざるを得ず。故に一個人の上において肉体に制せらるる部分と、独立せる部分との二種の精神を分かち、その一は滅亡、その二は不滅なりと定むるなり。この論によりて氏は、智者学者の多く死をおそれざるはその精神の中に不滅の部分多く存するにより、愚者の死をおそるるは滅亡の部分多く存するによるという。第三に、宗教を信ずることにつき、『政教論』にては神を信ずるには道理あるいは智力をもってすべきものにあらずして、単に黙信服従せざるべからずといい、『倫理学』にては智力あるいは道理を離れて神の救助を得んとするも決して得べからざるものなりという。第四に、肉体上の情欲を制するにつき、『政教論』にては肉体的愛情を制するには、一層強き情すなわち神の情をかりて制抑せざるべからずと説きて、自己以外の神に向かいて救助を求め、『倫理学』にては不道理的の愛情を制するには道理的愛情をもってすべしと説きて、直接に自己の精神内に向かいてこれを求めたり。第五に、『政教論』にてはすべてヤソ教の歴史中に記載せる天神の示現および奇行奇跡は全く信じて疑うべきものにあらず、この信仰によりて神の恩恵をこうむることを得るものなりと説き、世人を善道に導き政治上の平穏無事をもって目的とせり。『倫理学』にてはたとえその歴史中に記載せる天啓奇跡といえども道理に合せざるものはことごとく排斥し、単に智力道理をもって神の救助を期せざるべからずと論じ、世間を脱離して精神の本体に帰し、寂静無為の境に達するをもって目的とせり。

 一人一個の思想をもって同一のことを論ずるに、かくのごとく両書相反対せるは、あにまた不思議ならずや。これ一は徹頭徹尾哲学上の道理によりて推論し、一は全く実際上を主として立論せるによるものなり。しかれども一歩を進めて考察するときは、相互一致の点なきにあらざるなり。第一に、『倫理学』の目的は世人の迷うところの肉体上の情欲を断滅し、精神上の自由を発揮せんとするにあり、『政教論』にても肉体上の情欲を去りて単に世人をして道徳界中に導き入らしめんとするにあれば、両者その帰を一にせりというべし。第二に『倫理学』中にても情を制するには情をもってせざるべからず。すなわち不道理的の情を制するには道理的の情をもってせざるべからざることを論じ、『政教論』にては下等の情を制するには上等の情をもってせざるべからざることを論ぜり。この情をもって情を制するの一点に至りても、また両書の一致するところなり。第三に、『政教論』といい『倫理学』といい、ともに精神の不滅を論ずるに至りてはまた同一なり。

 しかしてこの両書中ともに精神の不滅を主張するところより見るときは、氏は普通の宗教社会の唱導する所説を保護せるもののごとし。しかれども氏の説は全く宗教社会の所説とはその性質を異にせり。普通宗教家の精神不滅を証論する説に曰く、吾人の神に向かい尊信を尽くし愛敬をいたすときは、神はその報酬として愛愍を垂れ、救助を与えたまうによりて、吾人の精神をして恒久に存在せしむることを得るものなり。もし神を敬し道を守るも、神は吾人をして精神不滅の境に達せしむることあたわざるものならば、吾〔人〕は肉体上の情欲をたくましくし、眼前の快楽をむさぼりて更に神を敬するものなく、ことごとく悪人となり去らんのみ。しかるに人みな道を守り神を敬するゆえんのものは、全く神の救助を得て精神不滅の境に達することを得るによると。氏はこの推論の不道理にして論理に合せざることを駁して曰く、もし吾人にして道を守り神を敬するも精神不滅の境に達することあたわざるものならば、人類はみな体欲のみをたくましくして悪人となり去るものとせば、これあたかも水中に生活する魚が、もしその精神不滅なることあたわざるときは、水中を去りて生を陸上に移さんと想するがごとし。あにかくのごとき理あらんやと。

 また世間普通の宗教を信ずるものの見解を見るに、吾人の宗教を信じ神に敬愛を尽くすは、神の救助をこうむり、未来の幸福を得んがために、まずその価を払うものなり。もし未来にその幸福を得るの結果なきときは、吾人は道を行い神を敬するよりは、むしろ肉体の快楽をむさぼりその欲をたくましくせんと。氏はこれを駁して曰く、吾人の道を行い神を敬するより得るところの幸福は、必ずしも未来に存するに限るにあらず。道徳すなわち幸福にして、吾人の道徳を行うことを得るはすなわち神の救助によるものなり。なんとなれば、この道をふみその徳を行うときは、神の救助に遇い、安心立命の位地に達し、体欲のために制せらるることなく、独立自由の境遇に遊ぶことを得ればなり。しかしてこの救助を得るの心性作用は吾人の知識の力なり。この知識力は体欲のごとき情欲に制せらるるものにあらずして、精神の自由を得せしむものなれば、その力の強弱によりて神の救助を受くるにも高低の差を生ずるなり。故にその救助は精神の不覊自由に外ならず。これらの論によりても、氏は普通の宗教家の所論を補助せるものにあらざるや明らかなり。しかしてその論は『倫理学』において哲学上より論ぜしものにして、『政教論』中の宗教説にはあらず。

 前段に縷述せるがごとく、『政教論』と『倫理学』において反対の説明を何故に同一の宗教上にくだせしかの問題を解するに、氏の考えにては吾人は道理的愛情をもって不道理的愛情を制することを得るものなるも、世界に道理的愛情を有してその力によりて不道理的愛情を制することを得るものは、その数暁天の星のごとくにして、多数の人民はみな不道理的愛情のために精神を束縛せらるるものなれば、『倫理学』中に説きたる道理的宗教のみによりて安心立命の目的を達することは容易の行にはあらざるなり。もし世界中にこの一途の外に安心立命すべき道なきときは、この世界に充満せる愚者をしてことごとく肉体的情欲の泥中に惑溺せしめ、成道得果の幸福を得せしむることあたわざるべし。故に世間、別に愚者をして安心立命せしむる易行道なかるべからず。この易行道とはすなわち顕示教にして、この教義は吾人より高等の意力を有する神の規律にしたがい、もって肉体的の情欲を制するものなり。これ氏が『政教論』にては世俗のために易行道すなわち顕示教を説き、『倫理学』にては理論上難行道すなわち道理教を説きたるゆえんなり。しかして氏の宗教上にかくのごとき区別を付したるは、あたかも仏教にて聖道浄土の難易両道に分かちたるがごとく、世人一般を教導するにこの二道なかるべからざることを知りたるによる。故に初めに『政教論』を著し、普通の顕示教を説明し、進みて『倫理学』上において哲学上より道理教を説明したるなり。他の語をもってこれをいえば、『政教論』にて説きたるものは情感的宗教論にして、『倫理学』上にて説きたるものは智力的宗教論なりというべし。これを要するに、氏の説はたとえ不道理なる想像上より成立せる顕示教といえども、人民教化の上よりいうときは道理教と同じく必須にして欠くべからざるものなり。なんとなれば、氏の意によるに、世上の無智なるものは到底明瞭なる観察をもって、必然の理法を解することあたわざれば、想像上神の存在を知らしめ、その力によりて勧善懲悪するより外なし。しかして想像上無智のものを教化するには、天神は吾人の得て知るべからざる外界に存在し、吾人の賞罰を主なるものなりと神秘的にこれを説明して、宗教の目的に達せしめざるべからず。すでにこの目的に達すれば、道理的宗教によりて達したる目的と異なることなしと考うるなり。

 しかして『政教論』は実際上社会の安全平和を目的としてその説を立てたるものなれば、この書中にはもっぱら宗教の自由を主張せり。その意に思えらく、世上人心の異なれることあたかもその面のごとくなれば、人民一般をして安心立命せしめんには、各人の心に適せる宗教を選択せしめ、決して唯一の宗教をもって人心を束縛すべきものにあらずと論ぜり。しかれども『倫理学』上にては宇宙は唯一の理法をもって貫通せるものなれば、吾人はその唯一の理法をもって、宗教の外はみなこれを排斥せざるべからず。なんとなれば、世に純全確実の宗教は真理に二途なき限りは二種あるべき理なければ、宗教は唯一に限るべきものなればなり。かくのごとく両説相反対するもその目的に到達するときは、『政教論』に論ぜる顕示教も『倫理学』上に論ぜる道理教もすこしも異なることなし。ただその目的に達する手段に別あるのみなり。

 ここにおいて氏の宗教哲学上に一の困難なる問題の生ずるあり、なんぞや。曰く、もし氏の論ずるごとく顕示教といい道理教といい、その手段には差別の存するあるも、その終局の目的に至りては同一無別なりとするときは、氏は『倫理学』上にて、吾人の想像力のごときは体欲的愛情に属し、体欲を満足せしめんがために種々なる空想を起こすものなりとなすにあらずや。しかしてこの不道理なる想像力より成立せる顕示教をもって、その結果は道理智力より成立せる宗教を信じて得るところのものと同一なりとすれば、いかなる理によりてしかるやの疑問これなり。この疑問は氏の宗教哲学にては解明することあたわざる大難問なり。これらの難問を解することあたわざるは、畢竟氏は吾人の精神作用の上に道理的愛情と不道理的愛情の二種を設け、この二者を結合すべき中間の媒介物を設けざるによるなり。その媒介物とはなんぞや、総念これなり。総念は感覚上よりきたる種々の経験をもって内界の精神に同化せしむる性質を有するものなれば、この総念によりて想像的信仰を道理的信仰に同化せしむるものとなせば、前の一難問を解明することを得べかりしならん。また氏は事物の進化発達を説かざるをもってその解明に苦しむも、もしこの発達を説きしならば、顕示教によりて起こる信仰も発達して、道理的信仰と同一に帰着するものなりとの解明を与うることを得べかりしならん。しかして氏の事物の発達を説かざるは、その哲学上の形式によりてしかるなり。その故は氏以前の哲学者、なかんずく、ギリシアのアリストテレス氏の形質論、およびヤソ教論者の天神前定論のごとき、多くはこの世界の現象変化を論じて、ある一定の目的に向かいて進むものといいて、そのいわゆる目的論を主張したりしも、氏はこれを駁撃し、世界は唯一の理法すなわち因果必然の規律によりて成立せるものなれば、その変化は一として因果必然の理法によらざるはなし。決してある一定の目的ありてこれに向かいて発達するものにあらずと論ずるによる。ここにおいてライプニッツ氏起こり、氏に反対して発達論を主張し、この顕示教と道理教の両者を結合せんことをつとめたり。要するに氏の宗教哲学はある点は長所と称すべく、ある点は短所と称すべし。その長所とすべき点は、第一、古来の学者多くは宗教を解釈するに、歴史上の事実あるいは経典中の文句に拘泥し、道理上より研究せるものなきも、氏は歴史上あるいは経文のいかんを問わず、これを哲理に考え、その原理を説明し、宗教哲学の関門を開きたるにあり。かのブルーノ氏、ベーメ氏のごときも道理上これが説明をくだせしも、宗教を宗教として研究せるが故になお神秘教派の臭味を脱することあたわず。第二、古来の学者、宗教家は神を宇宙の外に求めたるも、氏は宇宙の内に求め、物心万有の本体すなわち神なりとせるにあり。ブルーノ氏のごときはすでに万有の本体をもって神なりとはなしたれども、スピノザ氏はその上に必然の理法を加え、宇宙の規律すなわち神の規律なりとなしたるものは、その哲学中の長所なり。これに反して氏は宗教に想像的宗教と、道理的宗教との区別を付したるも、この二者を結合することあたわず。また進みて何故にこの二者の性質氷炭相いれざるかを説明せざりしは、その短所といわざるべからず。これ氏の哲学の形式によりてしかるものなり。氏の哲学はその形式をデカルト氏に取り、物心二者は全反対の性を有するものなることを信じ、更にこの二者の上に本体すなわち神なるものを立て、物心二者はその層〔属〕性にして併行対立し、同等同権なるものなりとなせり。これと同時にまた身心を区別して同権を有するものとなし、愛情上にも体欲と願望との別を付し、想像のごときは欲の一種に属し、智力は道理より生ずるものなりと認定し、宗教にも想像的宗教と道理的宗教の別を立つるに至れり。この想像的宗教は政治上社会の平穏を期し、道理的宗教は自由寂静の境に達するを目的とせり。一は顕示教にして、一は道理教なり。一は実際に属し、一は理論に属せり。この二者はおのおの一得一失ありて可、不可をその間に付すること難し。しかして氏はこの反対せる宗教を接合することをつとめず。またその何故に反対せるかを説明せざりしをもって、その宗教哲学はいまだ完全無欠のものと称することあたわざるなり。

 しかれども氏がかくのごとく宗教上に二種の性質を分かち、これを統合すべき理由を説示せざりしは、後の学者に宗教研究の好材料を与えたるものなり。故にその後の哲学者にして一家の宗教哲学を起こさんとするには、必ずまずこの反対せる宗教中の一を取りて他を捨つるか、またこの両者を結合するか、いずれかその一によらざるべからず。これ、ライプニッツ氏とカント氏の宗教哲学が全く反対の点に立ちて説明を試むるに至りしゆえんなり。すなわちライプニッツ氏は実際上を主とし、カント氏は道理上を主とするの異同あり。しかして哲学中に外界の本体を主として論ずるものを実体論(Realism)といい、内界の本体を主として論ずるものを理想論(Idealism)という。ライプニッツ氏は実体論を取り、わが智識以外に外界の成立を説き、そのいわゆる神は吾人の智識外に存し外界に存するものなりと独断せり。これに反してカント氏は理想論を取り、外界の諸現象はみなわが主観上に成立せるものとなし、その実体のごときは全くわが智識外にあるをもって決して知るべからざるものなりと説き、その宗教を論ずるも内界を本拠として立論せり。かくのごとく二氏の宗教哲学に内外その起点を異にして立論するに至りしは、スピノザ氏の学その端緒を開きたるや疑いなし。

 スピノザ氏の宗教哲学はここにその局を結び、これよりライプニッツ氏の宗教哲学を講述すべし。

       ライプニッツ

 氏〔Gottfried Wilhelm Leibniz〕の哲学は形而上学(Metaphysics)と宗教哲学(Theology)とにして、この二学はみなスピノザ氏の形而上哲学および宗教哲学に反対をとりたるものなり。しかれども二氏の哲学はデカルト氏の学派に属するをもって、大体より見るときは同一の学派といわざるを得ず。その同一の学派というは、哲学史上独断派あるいは唯理派と称するものにして、すなわち内界の思想をもって根拠とし、数学的原理に基づき、演繹的研究による学派なり。この学派を独断派と称するゆえんは、自己の思想上決して疑うことあたわざるものあるときは、外界の実際に徴するを待たずして,ただちに確然不抜の真理なりと断定するによる。その派の鼻祖はデカルト氏にして、氏の哲学は思想上疑わんとするも、疑うことあたわざるものは真理にして、神の実在のごときはいかに思想内において疑わんとするも、決してその上に疑団を起こすことあたわざるものなれば、その実在は真理なりといえる論法をもって組織せるものなり。この論法は数理上の原則なる「三角の総和は二直角にひとし」といえる論法のごとく、思想上にて確定せるものはいかなる場合にても適合すべきものなりと独断し、単に理論のみによりて哲理を考定せるものなり。

 ライプニッツ氏といい、スピノザ氏といい、同じくこの派の継続者たるをもって、たとえおのおの一家を成したるも、独断派中の一人たることは免れざるものなり。しかれどもその哲学の部内に入りてこれを見るときは、二氏の哲学は大いに反対するところあり。けだしライプニッツ氏のスピノザ氏に反対せしは、その哲学の上に一歩を進め、一層完全なる哲学を組織せんと企てたるによるものなり。

 スピノザ氏は哲学上において道理と不道理とを分かち、宗教上においても実際的と理論的とを区別せしも、ついにこの二者を結合することあたわず。またこの結合することあたわざるゆえん、およびその二者の関係いかんを説明せざりしをもって、この欠点を補いて一家の哲学を起こしたるものはライプニッツ氏とカント氏なり。ライプニッツ氏は実際上より説明を起こし万有実在論を主張するに至り、カント氏は理論上より説明を起こし主観的理想論を主張するに至れり。すなわちその論、内外の別あり。前者は外界上に万有の実在を論じ、後者は内界上に物心の現立を論ぜり。これスピノザ氏が本質論を唱え、内外両界の並行対立するゆえんを論じて、その結果実際と理論との撞着をきたししを見て、ライプニッツ氏は外界に論点を定め、カント氏は内界に論点を定め、おのおのその道を分かちてこの撞着を会通せんことをつとめたるなり。しかしてそのいわゆる外界論は経験学派、唯物学派等の唱うるがごとき感覚現象上の論を義とするにあらず、有形無形の総元子の本体の外界上に実在するをいうなり。

 ライプニッツ氏の哲学とスピノザ氏の哲学と反対せる点を述べんに、スピノザ氏は物心万境の本体は唯一の体にして数個あるものにあらず、その唯一の体を名付けて神という。しかして物心二者は唯一の体すなわち神の属性にして、万境は属性の所現すなわちモードの状態なりと論じて万有神教を唱え、ライプニッツ氏はこれに反して万有の本体は唯一なるものにあらずして、事物の無数なるがごとく、本体もまた無量なりと論じ、唯一本体論を駁して曰く、もし物心万境は唯一の本体における属性なりとするときは、決して無量無数なる万境が歴然として現立するゆえんを知るべからず、万境のかく現立せるゆえんは事物各自にその本体を有するによる、この無量の本体の表現せるものはすなわち物心万境なりと。かく二氏の反対をきたせしはその見解の表裏せるによるなり。スピノザ氏は万有を概括し、その中に普遍なる道理の存するを見て、万有は唯一の本体より生ぜるものなりとし、ライプニッツ氏は万有を分解し各自個々の本体あるを見て、その本体は無量無数なりと断定せるものなり。換言せば、前者は万有の裏面より観察を下し、後者は万有の表面より観察を下せるによる。

 ライプニッツ氏は前論のごとく、事物各自に本体あることを主張し、その体は事物を組織せる元子(Monads)〔単子 monad〕なりと論ずるをもって、氏の哲学を称して元子論(Monadology)という。この元子は理学上にて元素と称するもののごとく、一切万有みなこの元子より成立するものなり。しかれども理学の元素はみな生活力を有せざる死物なるも、この元子は生活力を有するの別あり。氏はこの元子の生活物たるゆえんを証して曰く、もし元子にして死物ならんか、いかにして吾人のごとき精神的生活物を成立せしむるや。世界に生活力を有するもの、植物動物その数はなはだ多し。人類のごとき高等なる精神作用を有するもののごときは、決して無機無覚の死物より成立すべからず。しかるに元子そのものは自ら活動する勢力を有する生活物なるが故に、自生自発して無機物より草木のごとき生活物を現じ、進みて動物となり、更に発達して人類のごとき高等なる精神作用を有するに至ることを得べきものなり。

 かくのごとく氏は元子をもって生活力を有するものなりと認定し、この元子の発達によりて吾人のごとき高等なる精神的生活物を現生するものなれば、その各元子の中に思想観念を有するものとなせり。その論に曰く、観念に二種あり、すなわち吾人の意識内に存するものと、外に存するものとなり。内に存するものを名付けて有意識観念(Conscious idea)といい、外に存するものを名付けて無意識観念(Unconscious idea)という。この二種ともに元子中にあり。たとえば人の熟睡せるとき、あるいは気絶せるときには、全く観念と称すべきものなきがごとくなるも、これ単に有意識観念を現ぜざるのみ、無意識観念は依然として存するなり。もし無意識観念も有せざるものとせば、いかにして有意識観念を再生せしむることを得るか。しかしてこの二種の観念は判然たる階級区別を有するものにあらずして、同一元子の発達の前後に応じてその別を示すのみ。この無意識観念のみを有するものは未発達の元子にして、これによりて組織せらるるものは金石等の無機物なり。この元子進みて有意識観念を有するその程度に従いて、草木禽獣ないし人類の別を生ずるなり。故にいかなる元子もみな多少の観念を有するものなれば、生活物たるや明らかなり。しかして物心二者はこの生活的元子より成立せるものなれば、わが肉体を組織する元子も、万有を組織する元子も、みな同一に生活および精神を有するものならざるべからずと。これ氏の元子論の理学上の元素と異なるゆえんなり。

 ここにおいて氏の元子論に向かいて一の疑問の生ずるあり。すなわちもし元子をもってことごとく生活を有し観念を有するものとせば、いかにして目前の物質のごとき無生活、無意識のものを現見するかの問題なり。氏はこの問題を説明するがために観念を分類して左図のごとくにせり。

 一物を見てその全体を知るを判定といい、知ることあたわざるを不判定という。また全体を見てその部分を知

  観念 不判定

     判 定 不明瞭

         明 瞭 不十全

             十 全

るを明瞭といい、知ることあたわざるを不明瞭という。その部分を見て部分の部分を知るを十全といい、知ることあたわざるを不十全という。この判定、明瞭等の観念はその体完全にして能作用なり。不判定、不明瞭等の観念は不完全にして所作用なり。人類の観念のごときは最も明瞭完全にして、最も高尚なる能作用を有し、動物は人類より一段下等に位するをもって、その観念も一段不完全にして、その能作用も一段微弱なり。草木に至りては一層はなはだし。無機物に至りては全く不完全にして、かつ全く所作用なり。物心を比較してこれを論ぜば、物は不完全なる観念的元子によりて成立し、心は完全なる観念的元子によりて成立するものなり。心中にても意識以内に存するものは完全にして、以外に存するものは不完全なり。すべて不完全なるものは他のために制せられ、自働自由の力を失い、全く所作用の状態を現ずるなり。これを名付けて物質性という。

 この物質性は元子の実体に固着せる性情にして、観念の不明瞭なるものに外ならず。故にもしその自働自発の力によりて次第に発達すれば、純然たる観念性能作用的の状態に達するものなり。この物質性の多量を有するものを名付けて物質という。植物、動物、人類等もみな物質と同一の元子より成立するも、その各種の別あるは前にもいえるがごとく、その発達の程度によりてしかるなり。かくのごとく物心二者の極を同等同一の元子に帰し、発達上より差別を論じたるは、ライプニッツ氏の論のスピノザ氏に反対するところなり。

 氏の説によるときは、万有の本体とは吾人の感覚上に現ずるものをいうにあらず、感覚上の事物を組織せる無数の元子をいうなり。故に吾人はその本体を見んとするも、感覚力の不完全なるがためにこれを見ることあたわず。また事物は無数の元子より成立せるものなるも、吾人これを見て一物体なりと認定するは、またわが感覚力の不完全なるによるものなり。例せば銀河のごときは、吾人の感覚によるときは一物体のごとく見ゆるも、実際望遠鏡によりて見るときは、無量無数の星点より成立するを知るべしと。故に氏の万有の実体を論ずるは、唯一実体論にあらずして無数実体論というべし。

 かつ氏が元子をもって生活力を有せるものなりと論定せるは、当時盛んに学者間に行われたる唯物主義および経験主義に反対せしによる。けだし氏の意もし唯物論者および経験学派のごとく、元素をもって無機の死物となし、精神作用のごときも無機元素の配合によるとせば、これ死物より活物を生ずる理なり。死より活を生ずるは、無より有を生ずというに異ならず。これ、あに論理の許すところならんや。故に氏は元子を解して活物となせり。またデカルト氏およびスピノザ氏は物心二者の並行対立を論じ、全くその性を異にせるものとなせしも、ライプニッツ氏はこの二者は同性の元子より成立するものとなし、ただ元子発達の度に応じて物心の別あるなりと論じ、前二氏の会通することあたわざる物心の関係を明示したるは氏の卓見というべし。

 氏は元子の発達を論ずるに当たりて、三種の原則を立てて説明を下せり。第一を必定の道理という。必定の道理とはすべていかなる事物といえども、決して必然の理由原因なくして現存生起することあたわず、その一変一化必ずしかるべき必然の道理ありて存すというものこれなり。これ数学的論法なり。第二を連続という。連続とは、いかなる事物といえどもその変化をなすに突然その性質を変じ、その関係を異にすることあたわず、必ずその間に間断なく連続したる一脈の関係順次によりて発達するをいう。これ第一原理たる必定の道理より派生せる原理なり。なんとなれば、もし事物の変化するにその各段連続せざるものならば、その間に一貫の道理なかるべきも、いやしくも道理あらば必ず連続せざるべからず。第三を異同という。異同とは、いかなる事物といえども二個以上の事物は全く些少の差異なしとすることあたわず、必ずいくぶんかの異同あるものなり。たとえば二個以上のものにしてその体同一なりとするも、時間上あるいは空間上にては必ず差異あるべし、決して絶対的同一なるものあるべからず。この原理も第一原理あるによるものなり。

 氏はこの三種の原則によりて元子論を証明せり。およそ事物の現存するには必定の道理によるものにして、その発達するには間断なく連続するものなり。かつその発達の程度異なるに従いて種々の差別を生ずるものなり。しかして元子各個はみな独立したる観念性の体にして、実に各個一種の小世界なり。その中に自発自動の作用を有し、知識思想の原形を有し、ようやく発達して生活作用、感覚作用、精神作用等を表現するものなり。故にその発達は理学上に説くがごとき、引力、拒力、集散、分合の器械的作用によるものにあらず。換言すれば、外部の関係によりて発達するにあらずして、内部の自発自動作用によりて発達するなり。

 かく氏は各元子をもって独立自由のものとなし、他元子の関係を有せざるものとなすときは、たちまちここに一の疑問ありて起こる。すなわち各元子の集合団結して一個の物件、あるいは一個人の精神を組織するはいかん。この疑問は氏も説明に苦しめり。しかして強いてその説明をなすに当たりては、神を立てて各元子を契合する作用はその媒介の力なりとし、すなわち神の前定するところなりとなせり。かくのごとく神を立てて総万有をその配下に属せしめたるはデカルト氏と同一なり。しかれどもその配下に属するゆえん、すなわち神と万有との関係を論ずるに至りては大いに異なれり。デカルト氏は物心二者を契合するものは神にして、その契合は時々刻々神の媒介あるによると論定せるも、ライプニッツ氏はその契合は太古にありて神の前定するところなりという。この前定説は氏の形而上学および宗教哲学の根拠にして、氏が神の存在を証明するもこの前定説によるなり。

 氏曰く、およそ吾人の思想中において最も明瞭にして、かつ確実なるものはわが身体の存在にしくものなし。これと同様に明瞭にして、かつ確実なるものは神の存在なり。その存在はあたかも数学上の原則において、一と一を合すれば二となり、直線は曲線より短しというがごとく、決して疑うべからざるものなり。故に神の実在を証するには世間一般に用うる論拠にて十分なるも、更に歩を進めてその不足を補うときは、その実在は一層明瞭ならん。今これを証するに二方あり。一は先天的証拠(理論上)にして、一は後天的証拠(実際上)なり。

 先天的証拠とはデカルト氏の有神説の不十分なるを見て、更にその上に一歩を進めたるものなり。デカルト氏曰く、吾人の思想中において最も明瞭なるものは神の観念にしくものなし、故に神の実在は決して疑うべからずと。ライプニッツ氏この説を評して曰く、その説論理に背反するものにあらざるも、いまだ十分なる論証を有するものにあらず。なんとなれば吾人の思想中には果たして神の観念を有するか否〔か〕、またこの観念は吾人に具有せりとするも、その観念は果たして道理に合するものなるか否〔か〕、また吾人人類中にはこの観念に反対せる思想を有せざるものなるか否〔か〕等の問題を研究せざるべからず。もしいやしくも神の観念に反対するものあるときは、神の存在を確実なりとすることあたわず。しかるにデカルト氏はこの点まで論究せずして、ただちに有神の断定をくだしたるものなれば、その論証も確実なる数理的証明法というべからずと。

 ここにおいて両氏の論その方向を異にするに至れり。まずデカルト氏は神に関する観念は、吾人の意識中に有する一種の智識なるがごとく考うれども、ライプニッツ氏はわが智識全体の性質より生ずるもののごとく論ぜり。すなわち前者は観念一部分につきて神の実在を証するも、後者は観念の全体につきて論ずるとの別あり。もし吾人の観念中に神に関する思想なしとせば、吾人の思想中に恒久必然の真理ありて存するの理はいかに解すべきか。しかるに吾人の思想中に必要〔然〕の真理を具有するは、神の思想よりきたるものにして、神の思想は必然の真理より成立するものなり。故に知るべし、吾人の思想中に明瞭なる真実なるかつ恒久なる観念の存するをもって、神の実在の疑うべからざることを。

 この恒久必然の真理を解釈するに、デカルト氏とライプニッツ氏とはその意見を異にせり。前者はおもえらく、吾人の思想中に存する恒久不変の真理なるものは、神の意志によりて随意に定めて吾人に賦与せしものなりと。しかれども後者はこれを駁して曰く、もし真理にしてデカルト氏の論ずるがごとく、神意の専断によりて所定せられしものなりとせんか、しかるときは真理は偶然なるものにして、必然の理法というべからず。なんとなれば、真理は神意によりて変ずるものとせば、現今吾人の思想中に存する真理も、神意のいかんによりて変更せらるることあるべし。あるいは現今のもって真理なりとするところのものの、他日真理にあらずとなることあるべし。かくのごとき真理は決して必然不変というべからず。故に真理なるものは、いかに神は全智全能なればとて、決して変更することあたわざるものなるべし。しかのみならず、神の心意はこの必然不変の真理の総和にして、かつその源泉なるべし。かくのごとく論じきたりてライプニッツ氏は、必然不変の真理は吾人思想の本性にして、その本源は神の開発的心意中に実在せるものとなし、もって世の客観的実在を唱うる有神論者の説を一層深く論定したるなり。

 真理をもって必然なるものなりと論定せるは、スピノザ氏とライプニッツ氏と更に異なるところなきも、スピノザ氏は万有の本体すなわち神なりと論じて、いわゆる万有神教を主張せしも、ライプニッツ氏は万有の本体は各個独立して存するものなれども、これを創造前定せるものは神にして、神は万有の外に存在するものなりといいて、客観上神の実在を論ぜり(以上述べたるはすなわち先天的証拠論なり)。

 つぎに後天的証拠とは、外界の事物を推究して神の実在せることを証明せるをいう。吾人は外界の事物を見るに種々なる変化をなして、その上に一定の法則なく、偶然に成立し、偶然に変化するもののごとき観を呈せり。しかれども万般の現象はみな必定の道理によりて成立し変化するものなれば、変遷常なき事物といえども、これを推究し観察するときは、必ず必定の道理の存することを発見すべし。この必定の道理を推究し去るときは、ついに一の大本源たるものに帰す。この大本源たるものは無限絶対の体にしてすなわち神なり。

 およそ吾人は一事物の成立するを見るときは、必ずこれが原因たるものの存するを知る。この原因の原因を推究するときは、その局ついに最始の原因なるものあるを考えざるべからず。この最始の原因たるものは、必ず無始より成立し、絶対にして無限なるものならざるべからず。この無限絶対のものはすなわち神なり。しかして吾人は原因結果の理法によりて神の存在を知ることを得るも、この原因結果の理法は、有形上に成立するものか、あるいは無形上に成立するものか、また物質的のものか、観念的のものかというに、もちろん無形にして観念的のものなり。万有はみな吾人の智識によりて成立し、観念によりて現るるものにして、もし智識観念を除去するときは、万有は成立することあたわざるものなり。この智識といい、観念というものは、これを探究するときは、智識観念より成立せる無限絶対のものに帰するよりみれば、神は無限の智識、無限の観念より成立するものなるを知るべし。

 また神の実在を証する一例を示さば、外界に存する事物は各個独立して一致せるものにはあらざるも、かく相互に契合調和するには、これが原因たるものなくばあるべからず。この原因は必ず万物を調和する力を有するものなればこそ、万物は秩序整然として成立するなれ。この契合調和の原因とはすなわち神なり(以上、後天的証拠論なり)。

 かくのごとく氏は先天的証拠論においては、吾人の思想に考え、観念の本源にさかのぼりて、天神の実在を証明し、後天的証拠論においては、外界の事物を推究し、その成立するゆえんを探りて神の実在を論定せり。氏の宗教論は道徳学に最も必要なるのみならず、形而上学にもまた必要なるものなり。しかして天神の実在を客観的に証明するは、近年ドイツの哲学者ロッツェ氏の所論これに同じ。しかしてその論、実にライプニッツ氏を継述せるものなり。

 神の実在に関しては先天的証明と、後天的証明とによりて明白なりとするも、なおその神はいかにして成立せるか、またその性質はいかなるものかを弁明せざるべからず。この神の性質を論ずるに至りては、ライプニッツ氏はスピノザ氏と同一の点なきにはあらざるも、また大いに反対せる点を有せり。ライプニッツ氏はおもえらく、神は万有の本源にして無限の本体なり、この無限の体中には一切の勢力、一切の智識、一切の意志を具有せるものなり。この無限の勢力は万有を目的とし、この無限の智慧は真理を目的とし、この無限の意志は善行を目的とし、天地宇宙を組織するに至れり。故に神の性質中には吾人に固有せる一切の精神も、諸元子に固有せる一切の勢力も、ことごとく具有せざるはなく、その勢力能造すなわち神の体にありては無限なるも、所造の元子にありては有限なり、不完なり。しかしてその元子の有限不完なるは、その発達の程度低くして、その有する観念の不明不完なるによるのみ。故に元子はなにほど不完有限なるも、その本源なる神は完全無限ならざるべからず。

 およそ神の体たるや、完全の意志、無限の智識より成立して、過去、現在、未来を洞察し、天地万有を照見する力を有するものなれば、神はこの世界を創造するとき、すでに未来億万世の最後の目的までを定めたるものなるべし。故に神はこの世界の最始の原因にして、また最後の原因なり。最始の原因たるゆえんは、神はこの世界の創造者なるが故にして、最後の原因たるゆえんは、神はこの世界を創造するとき、すでに一定の目的を立てて、この目的に達せしめんがために世界をして発達せしむるものなればなり。しかして万有は神の所定に従いて漸々進化するものなれば、所造の万有は能造の神に向かいて進み、能造の神は所造の万有の中心にありて万有に遍在するものなり。故に神は世界万有の初因にして、また終因なりというなり。この点は氏の道徳学上および形而上学に関しては大切なる部分にして、氏の哲学の骨子とも称すべきものなり。もし氏の哲学中よりこの説を削去するときは、その哲学はまったくその性質を変ずるに至らん。またこの点をもって、氏の哲学とスピノザ氏と大いに異なるゆえんを証することを得べし。

 氏はまた世界の成立せしゆえんを論じて曰く、神の本体たるや統一無雑にして、しかも無量の性徳を有するものなり。この徳、内に充満し、あふれて外部に発散し、無数の元子と成り、この元子の発達するに従い、相互に契合し、もって宇宙の万象を組織するに至れり。しかしてこの万象もまた発達して漸々高等に進み、次第に神に近づくものなり。故に神は世界の創造者たるも、世間の信認せるがごとく、神意の専断自恣によりて創造する大工的のものにはあらず。たとえ神は将来を予定せるものなるも、みなその性徳の発生せしものに外ならざるなりと。この点より見るときは、氏の所論はかのスピノザ氏の所論と一致せり。なんとなれば、ス〔ピノザ〕氏は神は世界の本体にして、万物は理の属性なりと論じ、ラ〔イプニッツ〕氏は万象の羅列せるは神の性徳発散して現示したるものなりと論ずるをもってなり。しかれども後者は神は宇宙の外に存するものにあらずとし、前者は神は宇宙の外部に存在し、もって万有を総括するものなりと論ずる点に至りては、互いに反対せり。かくのごとくライプニッツ氏のスピノザ氏に反対せるは、氏の意、ヤソ教の天神説を成立せんとするにあればなり。けだし氏以前の学者すなわちブルーノ氏、スピノザ氏等はみな神を解釈するに哲学風をもってし、万有神教の主義を取りしも、氏はこれに反対を試みたればなり。

 前に述べたるがごとく、神は無量の性徳を有し、無限の智識を有するものなれば、世界を創造するにも、単にこの一小世界を造りしのみにては、無限の性徳を有するものとすることあたわざるをもって、氏はこれを弁じて曰く、神は無量の智識を有して、無数の世界を創造するの能力を有するものなれども、神の創造せる世界のこの世界に限るゆえんは、無数の世界中最も道理に適し、完全に近きものを選びてこの世界を造るに至りし故なり。しかしてその創造はスピノザ氏の論ずるがごとく、万有必然の理に基づきたるものにあらずして、天神固有の自由の能力によれるものなりという。この自由の能力とは神の意志にして、その意志は智識によりて生じたるものなれば、智識によりて是非を審判し、未来永遠を前定してこの世界を創造せるものなり。故に神は世界最始の原因にして、また最後の原因なりとはいうなり。

 かく論ずるときは、神はその意志の自由に任じ、自恣専断にこの世界の規律を変更し、昨日の真理は今日の不真理とすることを得るがごとくなるも、いかに神意の自由によりて創造せられたる世界なりといえども、決してその意によりてほしいままに変更することあたわず。何故となれば、前にも述べたるがごとく、神意の自由とは智識を離れて別に成立する意志にあらずして、智識において道理なりと許す限り、その意志を自由にすることを得るものなれば、決して智識の認めて真理なりとするものに反背して、自由作用を現呈する道理なかるべし。故に今日世界に成立せる必然の規律は、みな神の智識にて道理なりと認定したるものなれば、神がその中間に立ち入りてこれを変更せざるや明らかなりと。この論点はスピノザ氏の因果必然論に一致するところなり。

 今更にライプニッツ氏の自由意志論を説明するに、もし神にしてこの世界を創造するときは、道理上真理なりと認定したる世界の規律を中途にて変更するがごときことをなすものとせんか。神は随意に道理を変じて不道理となすものにして、神は一切の智識思想を有する完全無欠の体なりとなすことあたわず。単に神をして完全無欠のものなりとなすことあたわざるのみならず、社会上の道徳もこれと同時に成立することあたわず。また形而上学、形而下学の別なく、一切の学術も成立することあたわざるべし。果たしてしからば、この世界は一定不変の真理を有せざる暗黒世界となるべし。故に神の意志は気まま勝手の自由意志にあらずして、智識道理に基づきたる自由意志ならざるべからず。果たしてしからば、神はその創造のとき、ひとたび定めたる宇宙の規律を変更せざること、論をまたずして知るべし。かくのごとく智識と意思とを契合して自由意思を解釈せるは、氏の哲学の長所にして、世間普通の自由意志論者とその見を異にせる点なり。

 これを要するに、ライプニッツ氏の所説は、スノピザ氏の所説に反対を試みたるものにして、スピノザ氏は因果必然の規律をもって万有の規律とし、神もこの規律の外に立ちてその作用を呈することあたわずと論じ、ライプニッツ氏は万有の規律と神意とを区別し、神の意志は自由なるものにして、その自由作用によりて万有の規律を現出したるなりと論ぜり。この点より見るときは、二氏の所説は互いに反対せるや明らかなり。しかれども裏面より観察するときは、同一の所論たるを見る。スピノザ氏は物心万有はみな神の属性にして、その神体の開発して現示したるものはすなわち物心万有なりといい、ライプニッツ氏は一切の万有は最始の原因すなわち神体中の諸徳の発散して表現せるものなりというなり。かくのごとく万有をもって唯一の本体に帰する点に至りては、二氏互いに一致することを得べし。またスピノザ氏は万有の規律は原因結果の必然不易の規律なりと論じ、ライプニッツ氏はその規律を神の意志に帰せしも、神は中間にありてその規律を変更することなしと論ぜしをもって、この世界は唯一の理法によりて成立すというに至れり。これ二氏の互いに一致せざるを得ざる点なり。畢竟ライプニッツ氏の所説はスピノザ氏の所説の方向を転じて立論せしものに外ならざるなり。

 更に以上の異点の起こりしゆえんを探るに、スピノザ氏は神は宇宙の外に存するものにあらずして、宇宙の内部に存するものなり、神を宇宙の外に立つるがごときは通俗浅近の考えにて、取るに足らざるなりと論ぜしも、ライプニッツ氏はこれに反対し、通常ヤソ教において論ずるがごとく、神を外界に立ててこれを哲学上より解釈せり。これ両氏の説のその見解を異にせるゆえんなり。これより疑問を掲げて神と世界との関係を開示せんとするに、まずライプニッツ氏は神を外界に立てたるも、その外界に存する神はいかにしてこの世界と関係を有するやというに、氏はこれに答えて、神は最上の智、無限の力を有し、もってこの世界を創造せりという。しからば神は無限の智力をもって、何故にこの有限の世界を造りしやと問えば、氏は神は無限の能力をもって無限の世界を造ることを得るも、その無限の世界中、実際上最も善かつ美にして、最も道理に適当せるものを選びて、この世界を造り出すに至れりという。これライプニッツ氏の世界創造説なり。果たして氏の所説のごとく、この世界は最も完全にして道理に適当せるものなりとせば、ここに一個の疑団あり、なんぞや。曰く、神は最も道理に適せる世界を造りながら、何故に世界中に災害、禍乱、罪悪等を満たせるや。この疑問を通俗の宗教にて説明するときは、神は善を賞し悪を罰するの最上権を有するものなれば、その賞罰のためにかくのごとき禍害を設けり。元来神は人類に賦与するに自由意志をもってし、自在に善を取り悪を捨つることを得せしめたり。故に人類はその天賦の良心に基づきて善を取り悪を捨つるはその本分なれども、その本分を忘れ神意に背きて罪悪の所業を営むによりて、神はこれを懲罰するに禍害等をもってすというべし。この自由意志論はヤソ数にては最も大切なる点なり。なんとなれば、意志にして自由に善悪を選択することあたわざるものとせば、我人は外界の境遇いかんにより、知らず識らずして、あるいは善をなし、あるいは悪をなすも、すこしもわが意志の関するところにあらざれば、神はこれを罰するの理あるべからず。しかるに神がこれを罰するは、神は人類に自在に善をなし得べき意志を賦与せるに、その意志に反して悪をなしたるによりてこれを責むるなり。故にヤソ教にてはこの自由意志論を主張せざるを得ず。

 しかれども上に述べたる通俗の自由意志論にては、いまだ十分に説明せるものとすることあたわず。またこの説明は道理上より解釈せしものにあらず、かつライプニッツ氏の第一原理にも背反せり。その第一原理は必定の道理をいう、さきに述べたるがごとし。およそ事物の起こるや、必ずしかるべき必然の道理によりて起こるものなり。しかるに通俗的の説明はこの必然の道理を説明せしものにあらず。ライプニッツ氏はこの必然の道理を論究して、世界中の千差万別の事物の互いに相契合調和するは、神の前定媒介あるによるとなす。果たしてしからば、神はなんの必要ありて、その調和中に罪悪のごときものを存し置きしや、必ずしかるべき道理なかるべからず。今その説明を述ぶるにさきだちて、氏の自由意志論を述べざるを得ず。

 氏のいわゆる自由意志とは、単に意志は自由なりというにあらずして、道理に基づきて論じたるものなり。故に通俗の所説とは大いに異なれり。通常世人の考えにては意志は道理に基づかずして、自由に判断し勝手に取捨することを得るものなりとするも、氏はしからず。その意によるに、神はその自由の意志をもって世界を創造せしものなれども、十分道理の許す限りにおいてこの世界を創造せり。たとえ神の自由意志といえども、道理を離れて成立するものにあらず。故に吾人の自由意志も決して道理を離れて自由なるにあらず。たとえばここに甲乙の二事情ありとせんか。意志は二者のうち道理の完全せる方向に向かいて傾動するものにして、通俗の考えのごとく勝手次第に方向を定むるものにあらず。もし甲乙二者の間に些少の差なく、互いに相平均せるものありとせんか。そのとき意志はいずれの方向を取るものなりやというに、かくのごとき場合はこの世界中には決して存するものにあらず。もし存すとするも単に想像にとどまりて、実際上得て求むべきものにあらずという。

 故に自由意志とは外界の制裁を受くることなく、ただ道理にて判断せしところの方向にその意志の発動を見るの謂〔いい〕なり。しかしてこの意志はあるいは意識以内に起こることあり、あるいは意識以外に起こることあり。換言せば、自ら覚知して有意的に起こるものと、覚知せずして無意的に起こるものとあり。吾人がある一事を断行せんとするときには、千思万考してもってそのことを決定するものなり。その千思万考の中にて諸事情の軽重を比較し、その重き方に意志の作用は傾向するものにして、みな道理の結果より生ずるものなり。

 吾人の一事を決定するときに起こるところの意志は、みな道理を離れて起こるもののごとく見ゆれども、その実、有意無意に関せず、必ず道理に基づきて起こるものなり。しかるにこれを道理によらずして起こるものなりとするは、あたかも羅針盤の針は自ら運転するをもって、われは自由の働きを有するものなりと思考して、磁気のしからしむるゆえんを知らざるがごとく、吾人が意志の作用を見て意志そのものの自由なりとするは、その意志外に道理なるものありてしからしむるを知らざるなり。

 これに対してスピノザ氏の説あり。その説はライプニッツ氏の所論には異なるも、大いに類似せり。曰く、自由意志なるものは必然の理法に従うの自由なり、いかなる意志といえども、決して必然の理法を離れて作用を呈することあたわず。しかるに世人あるいは自由意志なるものは、必然の理法を離れて作用を呈することを得るものなりとするは、あたかも石を投ずるに石はその投ぜられたる方向に走り、石自らはわれに自由に活動するの能力ありと思惟するも、その実、地球の重力と運動の法則とに支配せらるるを知らざるがごとしと。これ世人の自由意志なるものは、必然の規律に検束せられざるものなりと誤認せるを論駁したるものなり。かくのごとく両氏の所説は相類似せりといえども、同一のものにはあらず。その異点を示さば、スピノザ氏はすべて万有の間に存する必然の理法によりて作用を呈するものなりというも、ライプニッツ氏は個々の元子互いに独立して他元子の関係を有するものにあらざれば、その作用を呈するは、その元子中に存する道理によるものなりという。もって両氏の説の同一にあらざるゆえんを知るべし。

 またライプニッツ氏は世界の変化するゆえんを論じて曰く、この世界の変化してやまざるゆえんのものは、各元子の自体に有する自動自発の勢力によりて、自由に発達するより起こるものにして、この元子の自由とは更に他の事情のために検束せらるることなく、各元子内部に有する独立の規則に従いて変ずるの謂なり。しかして各元子は単に他の事情の検束をこうむらざるのみならず、これが創造者たる神の意志においてもその規則を左右することあたわざるものなり。なんとなれば、神は各元子を創造するうちに、すでに必定の道理によりてその規則を前定せるものなればなりと。これ氏の説を天神前定説と名付くるゆえんにして、この点はかのデカルト氏の宇宙創造説と異なるところなり。デカルト氏は神は時々刻々の世界の事物を制裁し左右するものなりと説きしも、ライプニッツ氏は神は最上無限の知識を有するものなれば、この世界を創造するときすでに将来万々世の後をも洞察し、その間の変化を創造のときに予定したるものなりと論ぜり。

 畢竟ライプニッツ氏の前定説を唱うるゆえんのものは、神の解釈上よりきたりたるものなり。その故なんぞや。氏は神を解釈して最上の智、無限の力を有するものとすればなり。この最上の智、無限の力をもってこの世界を創造せるものなれば、中途にしてその規則を変更するがごときことはあるべからず。もし神にして中途に変更するがごときことありとせんか。神は始め世界を造るときに、万々世の後までを洞察したるものにあらずして、極めて不十分の作用をなしたるものといわざるべからず。果たしてしからば、決して全智全能の神と称するを得ず。しかるに神は全智全能にして、最上の智、無限の力をもって遠く将来を徹視し、その変化を前定し、もってこの世界を創造せしものなれば、決して中途にその規則を変化左右するの理あるべからず。また実際かくのごときことなきなりという。この前定説はヤソ教中にては最も解釈にくるしむところなり。

 もし果たして氏の前定説にして真なりとせんか。この世界中に邪悪、暴戻、詐欺、殺害、盗賊等の不正不良の存するも、みな神の前定なりとせざるべからず。神は自らかくのごときものを創造のときに前定して、これに刑罰を加うるとはなにごとぞや。かつその刑罰も創造のときに前定せるものならざるべからず。エデンの花園における談、ノアの洪水、キリストの降生、およびユダヤ人が讒言をもってキリストを十字架上に戮殺せしめたるがごときは、みな神の前定に帰せざるを得ず。全智全能の神にして何故にかくのごとき理に合せざる所業を前定せしや、あるいは神は戯れにこの世界を造りてかくのごとき所業を現ぜしものなるか、いずれの点より考察するも、実に怪中の怪事にして、我人の疑団を氷解することあたわず。ヤソ教者はこの疑難を免れんとて自由意志を唱え、神の始めて人類を造りし中に自由意志を賦与して、善悪いずれをなすかを試みたりしが、その後人類はみな悪に流れしを見て、神はあるいは労働をもって罰し、あるいは洪水をもって罰せしなりと論ずるも、その説前定説と矛盾するものなり。かつ神に全智全能ありといえる解釈に合せざるものなり。また通俗の宗教家は神の秘密不思議を妄信し、神意のあるところ測り知るべからずとなすも、これ道理上の論にあらず。故に前定説より推すときはいかなる解釈を用うるも、神はこの世界を造るに戯れをもってせりとの批評を免るることあたわざるべし。

 これより前の疑問に立ち帰り、この世界は神の最上の智、無限の力をもって創造せる完全無欠の世界なるに、その中に悪あるいは不幸のごときものの存するはいかなるゆえんなるかを説明せんとするに、ライプニッツ氏曰く、自由意志とは単に意志の専断の謂にあらずして、道理に基づきて自由なるの意なれば、神は元来自由意志を有するものなるも、決して道理を離れて成立するものにあらず。しかしてこの道理に基づきて創造せる世界中に、何故に不幸邪悪のごときものあるかというに、もし世界にして不幸邪悪のごときものは絶えてなく、純善純良なる黄金世界なりとせんか。その世界は果たして不幸なるか。けだし吾人は健康をもって幸福なりとしてこれを欲望するも、もし健康に反対する疾病のごとき不幸なきときは、健康は幸福ならざるべし。およそ世間のこと苦ありて後に甘あり、醜ありて後に美あるにあらずや。もしこの世界は果たして無苦無悪の絶対善良の世界なるときは、我人は幸福と称すべき観念を生ぜざるべし。かつまた苦といい楽というも、人智の程度、生活の高下によりて異なるものにして、決して一定の標準あるにあらず。貧者のもって快愉なりとするものは富者の苦痛とすることあり、智者の雅致あり興味ありと嘆称するものは愚者は更にその味を感ぜざることあり。もし右等の論を推してこれを考うるに、世の進歩に不幸苦痛の必要なることあり。人々の汲々として善道に向かいて進むは、苦痛そのものの刺激によらざるはなし。人みな苦難をいとうをもって善道を求むるなり。これを要するに、この世界に苦悪の存するゆえんは、善をして発達せしめんための要具なりと知るべし。けだしアダムのエデンの花園において悪をなしたるも、この世界を進歩せしむるの原因となりたるものなりと。畢竟ライプニッツ氏の主義はこの不幸不善の世界にありて、あくまでこれを幸福円満の世界に進達せしめんとする進取楽天主義を有せり。これに反してスピノザ氏は外界の欲念を脱離して精神の自由を求め、自然に厭世退守主義に傾く風あり。けだしライプニッツ氏はその性質爽快なる人にして、この世界は快楽の世界なりと思い、厭世主義を主張するものを評して曰く、隠退脱俗を好むものは政治上より見るも社会上より見るも、決して貴人なりとすることあたわず、また宗教上より見るも決して尊重すべき人にあらず。かくのごとき人はこの世界の不幸なる点のみを見て、いまだこの世界の快楽を見る識力を有せざるものなりといいて、スピノザ氏に反対せり。

 ライプニッツ氏はこの世界に罪悪の存するはこの世界をして善に進ましむるの要具なりとするも、なお一の疑問あり、なんぞや。曰く、吾人日常経験するところによれば、悪人かえって善果を得、不正の人かえって幸福を得、善人はかえって罪禍にかかるがごときことあるは何故なるや、神は全智全能なれば決してかくのごときことをなすの理なしと。氏はこれに答えて曰く、現前の短き時間中に考うるときは、善人は禍害に遇い悪人は幸福を僥倖するがごときことはなきにあらざるも、哲学あるいは宗教等によりて永遠無窮の時間の上にこれを推究せば、この疑問たちまち氷解することを得べしと。しかれども現在の状況をもって未来を推測するときは、あるいは未来といえども現在のごとく善に禍し悪に福するがごときことは、決してこれなしと断定することあたわざるべし。なんとなれば、未来は神の裁判によりて善悪公平の賞罰あるべしというも、神は未来のみを支配するにあらず、現世といえども同様に神の監督する世界なり。しかるに現在において神の賞罰の不公平なるを見るときは、未来もあるいは現在と同じく不公平の賞罰を与うることあるべしとの疑いなきあたわず。氏はこれに答えて曰く、現世界において善に災いし悪に幸いすることなきにあらざるも、悪人の幸いを得るものと善人の幸いを得るものとを比較するときは、悪をなして幸いを得るものの数極めて少なかるべし。故に人は善をなすときはこれに応ずる善果あることを予期してその心に安んずることを得べし。かつそれ世界はなんぞこの一小世界に限らんや、世界は無数なり。その無数の世界中には人類のごときものありて、寸善必ずその賞を得ん、尺悪必ずその罰を得ることあるを想像することを得べし。この想像はまた我人の心を安んぜしむるものなり。故に善人は賞せられ悪人は罰せらるるは、実に世界普通の道理にして、吾人は善をなすと同時にその心に不期の安逸を得、悪をなすと同時にその心に他人の知らざる不安を感ずるは、また賞罰の一部分というべし。

 以上の言は誠に道理あることにして、余も常にこのことについて感じおることあり。この世界には賞善罰悪の規律は行われずとするも、吾人にして一善の行為をなすときは永くその心中にその善たることを記憶して、いかに災害に遭遇するもその心に満足するところあることを得るなり。この満足はすなわち無形上の幸福なり。もしこれに反して悪をなすものは、たとえ僥倖にして幸福を得るにもせよ、その悪をなしたるの記憶は長く精神中に印象し、事に触れ物に感ずるごとにその記憶動ききたりて恐怖の念を脱することあたわざるべし。これすなわち無形上の刑罰なり。しかるに世人多くは有形上のみにて天道は善に福し悪に禍すとの原則を判定するによりて、往々天道の不公平なることを嘆じ、天道は非か是かなどと疑うものあれども、もしこれを無形上に徴するときは、一善一悪は必ず無形上の賞罰を有するものなり。古語に「陰徳ある者は必ず陽報あり。」(有陰徳者必有陽報)といえることあるも、これまた有形一方の語にして、完全せるものにあらず。故に余はその裏面より「陽徳ある者は必ず陰報あり。」(有陽徳者必有陰報)といわんとす。昔は大史公伯夷、叔斉、周の粟を食うを恥じ、ついに首陽に餓死せるを嘆じて、「天道は親なく常に善人にくみすと。伯夷叔斉のごときは、善人というべきにあらずや。余ははなはだ惑う。もしくはいうところの天道は是なるや、非なるや。」(天道無親常与善人、若伯夷叔斉可謂善人者非耶、余甚惑焉儻所謂天道是耶非耶)といえるも、これ夷斉の表面のみを観察せるに過ぎず。もし夷斉の精神界裏に入りて観察することは、あるいは周に仕えて封侯の爵位を得たるよりも一層多量の幸福を感得せしならん。故にその幸福を観察するにも単に有形上のみにとどまらずして、無形上よりも観察することは、一善一悪の応報は影の形に従うがごとく必ず感得するものなり。古語に曰く、「天網恢々、疎にして漏らさず」(天網恢々疎不漏)と。むべなるかな言や。

 ライプニッツ氏のこの世界に悪の存するゆえんを論じたるもの、要するに通俗上の所談にして、いまだ哲学上よく論究せしものというべからず。故になお一問題を解するに苦しむものあり。曰く、世界に罪悪の存するはいかなる原因によるか、たとえ上帝の創造なりとするも、上帝はなんの目的ありて創造せるかと。この問題はヤソ教上にては実に解するには困難なる問題なり。この問題を解するには東洋および古代の学者の所説のごとく、吾人の精神は純善純良にして一点の汚穢なきも、外界の事物が悪の原因なればこれに接して悪となるものなり。故に外界の物欲を脱却することは人心中の不良成分はことごとく消滅し去り、精神は清々涼々の地に本然の美性をまっとうすることを得と論じ、世界に存する罪悪の原因を客観上に帰するなり。かくのごとく解説するときは、この問題は容易に解釈することを得るも、ヤソ教のごとく物心万有はことごとく神の創造に帰することは、実に説明の困難を感ずるなり。

 氏は前に述べたる問題を解釈して曰く、この世界万有は最初神の力によりて創造せられしものなりといえども、実際上の制限ありて全く神の意志をもって自在に左右することあたわず。故にいかにこの世界中に悪の存するありといえども、神力をもって自由に滅却することあたわず。今その悪なるものを分類するときは三種あり。第一、形而上の悪、第二、形体上の悪、第三、道徳上の悪、これなり。第一、形而上の悪とは神の創造せる万有に存する悪にして、その創造せるものはみな完全を得ずして不完全なるものなり。この不完全を指して形而上の悪という。この悪はやむことをえざる悪にして、神の無限の意力をもってするも決して免るることあたわず。およそ事物はその心中に想像するときと実際に適用するときとは大いに異なるものにして、想像上いかに完全なるものも、これを実際上に適用するときは不完全たるを免れざるものなり。この世界の完全なるものは絶対的の完全にあらずして比較上の完全なるのみ。しかして神の世界を創造するに当たりては、無限の思想、無限の意力をもって創造せるものなれば、その神の想像上よりいうときは実に絶対的に完全なるべきものなれども、実際上事物の制限すなわち相対の事情のために絶対無比の完全に達することあたわず。これやむをえざるの事情にして、いかに神が意力を労するも決して免るることあたわざるものなり。神は最上無限の思想をもってこの世界を創造せるものなれば、実際上に最上無比の完全なることを得べきに、その実しからずして比較上の完全に過ぎざるゆえんは、たとえば吾人の想像上にては完全なる円形をえがくことを得るも、これを実際上に施すときは些少の不完全を免れざるがごとく、また二個の尺度を造るにも、ある程度までは二者正しく一致せるものを造ることを得るも、極めて些少の差に至れば二者合同せざるところなきことあたわざるがごとし。この絶対的の完全に達することあたわざるものを名付けて形而上の悪という。第二、形体上の悪とは、肉体構造の不完全なることおよび病患痛苦の類にして、第三、道徳上の悪とは、不善不徳等のものなり。これらの悪なるものはいかにして起こるか。曰く、必然によりて生ず。必然に二種あり。甲を絶対的必然といい、乙を相対的必然という。しかして形而上の悪のごときは神意をもって左右することあたわざるものなれば、すなわち絶対的の必然によりて起こるものなり。形体上の悪および道徳上の悪のごときは、神はこの世界を完全の域に進ましむるの必要より設けたるものにして、形而上の悪のごとくやむをえざるに出でたるものにあらず。人類はこの世界に罪悪なるものの存するによりて、孜々として悪を避け善に進まんことをつとむるものにして、もし悪なるものなきときは、人類は安んじてその位に任じ、更に進歩することなかるべし。故に第二第三の悪は相対的の悪にして絶対的の悪にあらずと。しかれども氏は何故に神の思想上と実際上とは一致せざるかに至りては、十分なる説明をくださざりき。

 氏は更に形而上の悪は、神意をもって自由に制裁することのあたわざるゆえんを説明せんために、神の意志にも主意と属意の二種あることを論ぜり。この分類はヤソ教一班の通義なりといえども、みな通信上の説明に過ぎず。しかるに氏はこれを哲学上にて説明せり。その主意に曰く、神のこの世界を創造するには、絶対的の完全なるものを造らんとするの意志なり。この意志は単に理想上の意志に過ぎずして、これを実際上に適用せんとすることは、実際上固有の規律に制せられ、理想上に存する主意のごとくすることあたわず。ここにおいて神はやむことをえず、理想上に存する主意と実際上固有の規律とを折衷し、実際上の許す限り完全なるものを造らんとせり。この折衷によりて生じたるものはすなわちこの世界なり。これあたかも空中より落つる物が直線をえがくことあたわずして、四方形中の対角線のごときものをえがくに至ると同様なり。この主意をまげて実際上に適合せしめたるものはすなわち属意なり。換言せば、絶対的の意志をもって世界を創造せんことを企てたるも、実際上の規律に制せらるるが故に、実際上の規則と絶対的の意志とを折衷し、なるべくだけ完全なるものを造らんとの相対的の意志をもって、世界を創造せるものなれば、形而上の悪は神といえどもいかんともなすことあたわずと。この説は氏以前の学者のあるいは理論一方に偏するものと、実際一方に倚するものとを折衷せるものなり。この説によるときは、神がこの世界を造出するに、絶対的に完全ならしむることは実際上の事情のために妨げられしをもって、やむをえず相対的の完全の世界を造出するに至れりというなり。

 つぎに氏が世界発達について、その目的は幸福を得るにありという。幸福とは吾人の歓楽あるいは精神上の力にして、その力とは善と真とに向かいてこれを求めんとして進む力をいう。歓楽もこの精神上の力の完全に備わるものにして、憂苦はこの力の不完全なるものなり。しかしてこの力を有するものは自由なり。自由なるときは完全なる歓楽を得るものなり。この精神上の力なるものは、道理を基礎とするものにして、この道理に基づける力によりて、万有の本源たる無限の真理に達することを得るものなり。故に人もしこの道理力を進歩せしむるときは幸福を得べく、かつ意志と智力とを進歩せしむることを得るものなり。歓楽なるものもこの道理と智力とに基づけるものにして、吾人の精神に付随し、未来永久決して離るるべきものにあらずと。故にこの幸福説は他の学者の所論とは大いに異なれり。

 これより進みて、ライプニッツ氏の自由意志説とスピノザ氏の自由意志説との異同は那辺にあるかを弁ぜんに、ライプニッツ氏は意志の自由とは、吾人の精神に独立不覊の作用を有し、決して他の障害をこうむることなきの謂なり。しかるに世間普通の説にては、意志の自由とは、その意志の欲するに従い、あるいは道理を変じて不道理となし、あるいは正を曲げて邪となすことを得るの謂にして、神もその意志の自由により道理以外に立ちて、宇宙万有の規律も中途にて変更することを得べし。なんとなれば、この規律も道理もみな神の創造によりて成れるものなればなりと。ライプニッツ氏はこれに反して、神は最初この世界万有を創造するには、最も完全なる道理に基づきて造りしものにして、しかもその道理なるものは、単に意志の上のみにて選定せしものにあらず、智識上にても最も完全なるものなりと認定したる道理なり。しかるに神は自由の意志により、宇宙の規律を変ずることを得るものとせば、最初選定せし道理は不完全なるによるとせざるを得ず。もしその道理にして不完全ならんか、神の智識能力は最上無限のものにあらざるなり。故に神はいかに意志の自由を有するものとするも、宇宙万有の規律は千万世の後に至るも、決して変替あることなしと説ききたりて、道理上より自由意志を論じてついに前定説に結合せり。これに対してスピノザ氏の自由意志説も、世俗の唱うる自由意志説を排斥してこれが説明をくだせり。曰く、自由意志とは、吾人の精神の更に外界の干渉をこうむることなくその独立の作用をまったくし、因果必然の理法に随順するの意志なりと。かくして自由と因果の理法とを結合せり。故に自由意志は道理を離れて自由なることあたわずという点に至りては、二氏ともに致を一にせり。

 しかしてまた両氏の所説に差異の存する点を示さんに、スピノザ氏は物心二元は等しく本体の属性にして併行対立し、同等同権なることを主張し、心には心自身の規律ありて独立することを得。しかるにもし外界のために束縛せらるることあらば、心はその独立を失してその自由を保つことあたわず。故に心の独立を保たんには、外界の事物を離れ世塵を脱せざるべからずといえり。この説の結果はついに遁世脱俗の風に傾き、社会を離れて孤独の生活をなさんとするに至れり。これに反してライプニッツ氏は元子論を主張し、この世界万有はみな元子の調和によりて成立するものにして、この元子の発達するときは、吾人の観念界のごとき観念を有するに至る(この元子は前にも述べたるがごとく観念性の元子なり)。しかして物質のいまだ観念性を表現せざるは、その発達の程度の高等ならざるによる。故にこの物質も元子の発達するときは、吾人の有する観念意識のごときものその中に開発し、鏡の万象を写して漏らすことなきがごときものに至らんと論ずるが故に、元子の相互に調和して成立すると同一理に基づき、吾人は社会を離れて孤独の生活をなすことを得ず、必ず社会とともに進歩せざるべからずというに至れり。かく二氏の差異をきたせしゆえんは、スピノザ氏は内界の観察を主とし、吾人は外界の束縛を脱し精神界を観察するときは、神と同一なる性質を有するものなれば、その本体を知るときは神に合同することを得。故に外界の万有に関係するに及ばずといいて、万有神教を主張せるも、ライプニッツ氏は神を外界に立て、我人もまた外界にありて社会とともに進むをもって目的とせり。故に吾人は相互に愛し相助け、もって社会を進歩せしめざるべからずといえり。これ厭世主義にあらずして愛世主義なり、楽天主義なり。故にその論は愛をもって精神となし、この愛によりて幸福を得、幸福によりて完全を得、もって神に近づくことを論ぜり。

 今、二氏の説の異なるところを見るに、あたかも仏教にて聖道門と浄土門の別あるがごとし。スピノザ氏の万有の本体すなわち神にして、吾人の精神の神の一部分なれば、吾人は神と和せんと欲せば、よろしく外界の覊絆を脱して、内界の精神を観察すべしと論ずるは、仏教の聖道門にて万鏡の本体は真如即仏にして、吾人の精神もその本体真如なれば、吾人が真如を証し仏になるには、外界の諸縁を遠離して内界の心性を顕彰せざるべからずと説くがごとく、その勢い自然に遁世脱俗の風を帯ぶるに至るべし。またライプニッツ氏の外界に神を立て愛に重きを置くは、浄土門にて仏を外界に置き、しかもその仏たる悲智二門のうち、慈悲すなわち愛を主とするに異ならず。ここに至りて氏の説におのおの一得一失あることを知ると同時に、この二説を合して初めて完全なる宗教となることを知るべし。

 また二氏の説において一致するところは、神を信念するときは、吾人は幸福を得て完全の地位に進むことを得という点にあり。二氏ともに論じて曰く、そもそも神を信念することはすなわち神を愛することにして、愛は最も多く吾人に幸福を与うるものなり。愛には自愛、他愛、私愛、公愛等ありて同一ならざれども、吾人は己を愛し得る力を有するものを愛するがごとき愛は、愛中最も愉快に最も幸福なる愛なり。これに反して己、人を愛しても人、己を愛することあたわざるがごとき愛は、愉快もなく幸福もなきなり。しかるに神は完全円満なる故、吾人のこれを愛することは最も愉快にして、また最も幸福なるものなり。神は完全円満にして吾人を愛すること、あたかも太陽の万物を照らすがごとく、吾人はその愛の光線によりて幸福を得、完全に進むことを得るなり。しかりしこうして、その神と人と相愛するということはヤソ教に限ることにして、他の宗教に説くところの愛は、神を恐るる情すなわち恐怖心より生ずるところの愛にして、当教の神人相愛などとは全く天壌の差あるものなりと論ぜり(ちなみにいう、二氏の神人相愛をもってヤソ教に限るとせしは、けだし浅見のそしりを免れざるべし。なんとなれば、かの野蛮社会に行わるるところの宗教のごときは、その神を信愛するは主として恐怖心に基づくといえども、かの仏教のごときに至りては神人相愛の宗教にして、その間一毫の恐怖的分子あることなし。故に仏教にいわゆる慈悲は神人相愛の慈悲にして、ヤソ教の愛に勝ることあるも劣ることなかるべし。しかるに仏教に愛をもって生死の因として、苦迷のもととなすものは、これ私愛小愛を排斥するの意に出でたるものにして、神人相愛のごとき高尚なる愛をもって生死の因となし、苦迷のもととなすにあらず。かくのごとく高尚なる愛はかえって仏果に進み、涅槃に至るべき好資糧なり。ヤソ教にても私愛偏愛のごとき劣等の愛に至りては、おそらく排斥して取らざるところなるべし。けだしヤソ教は愛に善悪あるうち善の方を説き、仏教は悪の方を説きしものにして、帰するところ同一なり。・・あたかも孔孟学にて利を排し、功利学にて利を尊ぶも帰するところ同一にして、孔孟学の功利を排する裏面には大利を有し、功利学の大利を尊ぶ裏面には小利を排するごとし)。

 以上論ずるごとく、二氏の説は神を信念するときは、吾人は幸福を得て完全の地に進むことを得といえる一段は、互いに一致すれども、その間些少の異点なきにあらず。なんとなれば、スピノザは神が人中において自身を愛すといい、ライプニッツは人が自身中に神を愛すといえり。これスピノザは万有神教を説きて吾人の本体すなわち神なりと論ぜし故、もと吾人が神を愛すということは、すなわち神が神自身を愛することなり。すでに神が神自身を愛することとなるときは、吾人は吾人の資格をもって神を愛するにあらず、まさに吾人の資格を離れ神の一部分となりてこれを愛するなり。故に神が人中において自身を愛すといえり。しかるにライプニッツはこれに反して、外界に神を立て、吾人と神とは遠く離れたるものと論ずる故、吾人は神にあらず、神は吾人にあらず、しかも吾人は不完全にして神は完全なるをもって、吾人は吾人の資格をもって神を愛し、神の助けを得て完全に達せざるべからず。故に人が自身中に神を愛すといえり。これを要するに、二氏の異なる点は、一は万有神教を立てて吾人の本体すなわち神なりと説きて、神と吾人とを離合し、一は外界に神を立てて吾人と神とを客観上の差別関係を立つるにあり。この点また大いに仏教の所説に同じというべし。なんとなれば、かの聖道門にては吾人と仏とはもと離合一体にして、吾人の外に仏なく、仏の外に吾人なし。故に吾人は仏を外界に求めず、内界に向かいて「ただちに人の心を指し、性を見て成仏す。」(直指人心見性成仏)と、ただちに吾人の精神を指して仏とする故、吾人がその本性を変じて仏となるにあらず。その実、仏が仏となることなれば、これあたかもスピノザが人中において神が自身を愛すというに同じかるべし。またかの浄土門にて外界に弥陀を置き、吾人はこれに向かいて一心に愛を求め、完全の地に至らざるべからずとする故、仏が仏を愛し、真如が真如を証するにあらずして、吾人は吾人の資格をもって仏に帰順してその慈悲を受くるなり。これあたかもライプニッツの、人が自身中に神を愛すというに同じからずや。

 以上二氏の理論的宗教学上における同異の点を述べたれば、以下少しくライプニッツの実際的宗教、たとえば宗教上の儀式装飾等のことにつきて論ずべし。同一ヤソ教にてもかの「クエーカー」宗のごときは、神を外界に求めずして内界の心頭に現見するを目的とし、神は吾人の心面を照らす光体なりと説くをもって、静座観心を務め、外界の儀式装飾に関することは一切おきて顧みず。故に一定の寺院もなく、一定の僧侶もなく、また洗礼餐礼を用いることなく、音楽唱歌を用いることなし。しかるにライプニッツはこれに反して、宗教上の儀式装飾等はその奢侈にわたらざる以上は、吾人の信向〔信仰〕を導くに最も必要なる媒介にして、決して廃すべきものにあらずと論ぜり。スピノザもまた宗教上の儀式装飾等は、その体真理を含むものにあらずといえども、吾人の信向を導くに要用なる媒介故、方便として用いるべきものにあらずといえり。

 かくのごとく二氏ともに儀式装飾等は、宗教上廃すべからざるものなりと論じたれども、スピノザは理論と実際とを一致することあたわずして、実際の方にありては儀式装飾の必要欠くべからざるを論ずると同時に、理論の方にありては大いにこれを排斥して、吾人の本体すなわち神なれば、吾人が神を愛し神を信ずるには、ただちに吾人の本体すなわち精神の本体を観ずれば可なり。なんぞ外界に向かいて儀式装飾を用いるに及ばんやと論じたり。しかるにライプニッツは、これに反して、理論と実際とを結合して、儀式装飾はただに実際上に必要なるのみならず、理論上においてもまた必要廃すべからざるものなり。なんとなれば、前に述ぶるがごとく、儀式装飾は吾人の信向を導き、吾人を真理に案内するものにあらずや、もし儀式装飾にして一分の真理をも含まざるうちは、いかんぞ吾人はこれによりて信向を起こし真理に合することを得んや。すでに吾人は儀式装飾によりて真理に合する以上は、儀式装飾中に真理を含むといわざるを得ず。故に儀式装飾は理論の方にありても、決して排斥すべきものにあらずと論じたり。これを要するに、スピノザは智識をもって理論の方に属し、信向をもって実際の方に属して、智識と信向との二者、すなわち哲学と神学との二者を結合することあたわざりき。しかるにライプニッツは智識は信向によりて成るものなることを論じて、智識と信向との一致、すなわち哲学と神学との結合をなしたり。

 右のごとくライプニッツの理論と実際とを結合して、智識は信向によりて生ずるものなりと論ぜしは実に卓見というべし。見よ、世の一般の学者は信は無智に伴い、智は不信に伴うと論ずれども、ライプニッツはこれを否定して、智は信によりて成り、信は智によりて生ずと論ぜり。しかしてかの無智に伴う信のごときは、迷信妄想にして真正の信にあらず、真正の信は必ず智より生ずるものなり。なんとなれば、神は全智全能の実体なれば、理に達し智に反するものを愛するの道理なし。すでにしからば、吾人が神を信ずるにも、また道理と智識とをもって信ぜざるべからず。道理と智識とに伴わざる迷信妄想は、これ全智全能の実体たる真神を信ずるの信にはあらず。万一迷信妄想にして真神を信ずることあるも、これただ偶然の出来事にして定規とするに足らずと論じ、更に一歩進みて、氏は論じて曰く、世の一般の学者のごとく、信は無智に伴い、智は不信に伴うものなるときは、なにをもって『バイブル』を『コーラン』より勝るといい、ヤソ教を回教より勝るというや。『バイブル』の『コーラン』よりも貴く、ヤソ教の回教よりも勝るゆえんのものは、これ道理によりて判決し、智識に伴う信向の『バイブル』に存して『コーラン』になく、ヤソ教に存して回教になきによるにあらずや。これをもって真正の信向に智識道理の伴うことを知るべしと。よいかな、氏の言もし世人のいうがごとく、智を有するものは信なく、信を有するものは智なきときは、宗教は世の開進と伴うことあたわざるべし。もししかるときは開明人には宗教なしといい、智識を有する人には信向なしといわざるべからず。ああ、なんぞ思わざるのはなはだしき。そもそも信向なるものは智識の進むに従いてその形を変ずるものにして、愚者の信ずる神と学者の信ずる神と同じからず、また野蛮人の信向と文明人の信向とは同じからず。故に学者文明人の信向は、かの愚者野蛮人のごとく利己心、もしくは恐怖心より生ずる妄信想にあらずして、道理により智識に伴うところの真正の信向なるものなり。

 上来述ぶるがごとくライプニッツは智識と信向とを結合して、宗教は道理によりて組成せられたるものにして、変じて道理に反するものにあらずとの断定を下すに至れり。しかれども宗教には往々道理以上のこと、換言すれば理外の理なるものありて、常人の智識と道理とに反し、常人をして疑惑を抱かしむることあり。氏はこの点に論及して理外の理ということと、道理に反すということとの区別をなせり。曰く、理外の理とは道理以上という意味にして、道理に反すということにあらず。道理に反することは妄信妄想にして決して真理を含まざれども、理外の理はこれと異なりて、真正の道理と真正の智識とに合するものなり。かつ人智は有限有害なるをもって、この無限無害の神理を知ることあたわず、これを知るには必ず天啓によらざるべからず。しかれば理外の理なるものは一方には人智の有限有害なることを証し、一方には神智の無限無害なることを証するものにして、理として存せざるべからざるものなりと。

 かくのごとく理外の理なるものを立てて道理に反するものにあらざることを論ずるものは、これヤソ教の奇跡怪談を説明せんがためなるべし。氏曰く、ヤソ教の奇跡怪談のごときは道理に反するものにあらず、まさにこれ理外の理なるものにして、前述のごとく人智の有限なると神の自由意志あるとによりて起こるものなり。しかれども氏は世の宗教家のごとく、奇跡怪談をもって神が時々刻々その変に応じて随意に発示したるものとなさず。なんとなれば、神がこの世界を作るや、一定の目的によりて万事を前定したるものなれば、途中その目的を変じて随意に奇跡怪談を示すはずなし。もし神が途中随意にその目的を変ずるならば、神は全智全能の完体というべからざるに至らんと論ぜり。かくのごとく一切万事ことごとく神の前定なりというときは、吾人が神を信ずるも信ぜざるも、また善をなすも悪をなすも、ことごとく神の前定といわざるべからず。しかるときは人が神を信ぜざるも、また悪をなすもみな神の前定せるものなれば、これを賞罰する理由なしといわざるべからず。故にその説は神の賞罰論を破却するに至るべし。これライプニッツが前定説をもって、強いてヤソ教に適用せんとせし過失なり。以上述ぶるところ、これを要するに、ライプニッツは因果論と目的論とを結合して、これを神の前定に帰し、更に高等の目的論と浅近の目的論とを結合して、ヤソ教のいわゆる奇跡怪談なるものをもって、普通の道理を超絶したる理外の理となし、天啓を待ちて初めて知るべきものとせり。

       ヴォルフ  付ベール ライマールス

 クリスチャン・ヴォルフ〔Christian Wolff〕の哲学は、ライプニッツの哲学によりたるものなれどもライプニッツのごとく高尚の論議をなさず。なるべく通俗的に解釈して、かの実際の利益いかんを顧みざる高尚なるライプニッツの哲学をして、いくぶんかその価値を減殺するに至らしめたるの感なきあたわずといえども、これ当時の社会のしからしめしところにして、深く氏にとがむべきことあらざるべし。なんとなれば、当時の社会は実利実益をもって専一となし、万事社会にいかなる利益あるやを尋ぬるありさまなれば、学術も宗教も道徳もことごとくその影響をこうむりて実際の利益を主とせしかば、氏もまた多少この影響を受けて、なるべくその議論を通俗実際に適するように至らしめたり。しかりといえども氏は哲学上において、その功労少なからず。なんとなれば、氏は哲学の範囲を拡張して、種々の学問をこの中に網羅し、かつ学問の区域分類を明らかにしたりしかば、後かの有名なるカントがこれに基づきて完全なる新哲学を起こすに至りたればなり。しからばライプニッツの哲学はヴォルフによりて系統的に組織せられ、カントの哲学はまたヴォルフに基づきて批判的に組織を起こすに至れりというも過言にあらざるべし。これをたとうるに、ヴォルフの哲学はライプニッツの哲学駅よりカントの哲学駅に至る中間の立場のごときものなれば、ライプニッツの哲学よりカントの哲学に移るには、ぜひともここにて一休みせざるべからざるなり。氏の宗教哲学を講ずるにさきだちて、その哲学の概略を講じおくべし。氏は初めドイツのハレ大学の教授たりしが、その神学を講ずるや世の神学を講ずるものとややその見解を異にするところありしかば、大いに宗教家の攻撃を受け、ために四八時以内にプロイセンを退去するにあらざれば、死刑に処すべしとの厳命を受け、わずかに身をもって逃るるに至れり。後フリードリヒ第二世の即位するに当たりて、氏はプロイセンに召還せられて、ベルリン大学の教授となりたり。

 氏の哲学は基礎をライプニッツの哲学に取り、これにアリストテレスの哲学を加えて、一個の新組織をなせるものなり。しかして氏は種々の学問を哲学中に網羅せしをもって、哲学に与うるに、すべて学問上にて研究し得べき事柄はみな哲学なりとの定義をもってせり。故に氏の定義によるときは、哲学と理学との弁別を立つることあたわざりき。しかして氏は哲学を人心の作用によりて分類し、智力に属するものと意力に属するものとの二とせり。すなわち智力に属するものは理論的哲学にして、意力に属するものは実際的哲学なり。けだしこれアリストテレスの分類によれるものか。しかしてこの理論的哲学と実際的哲学との外に論理学を置き、もってこの両学に入るの関門とせり。理論的哲学はいわゆる形而上学にして、氏はこれを分けて第一、物体哲学、第二、宇宙哲学、第三、心理哲学、第四、神理哲学の四とし、実際的哲学を分けて、第一、道徳学、第二、経済学、第三、政治学の三となせり。これその目的によりて区別せしものにして、道徳は一個人を目的とし、経済は一家を目的とし、政治は一国を目的とすればなり。

 理論的哲学の中の実体哲学とは、万有の原理原則を研究するものにして、物質そのものを研究するところの物理学化学とは同じからず。そのいわゆる原理原則とはアリストテレスに基づくものなり。けだしアリストテレスはあまたの原理原則を立てたれども、氏はその根本となるべきもの一を取れり。すなわち論理学上にいわゆる第二の原則にして、背反の原理と称するものこれなり。氏はこの原理をもって原理中の原理、原則中の原則として、もって他の原理原則を推演せり。背反原理とは、同一物にして同時に有たり無たるを得ずとのことなり。たとえば赤色なるものは同時に黒色なることあたわず、また同一の水にして同時に冷たり暖たることを得ずというがごときこれなり。

 第二の宇宙哲学においては、この世界は種々の変化を有する事物が結合して組成するところの一団体なりと解釈し、しかしてその各部分は互いに相関係して存するをもって、その中より一部分たりとも除去することあたわざること、あたかも一大機関があまたの小機関より成れるをもって、一小機関たりとも除去すべからざるがごとし。ただに除去すべからざるのみならず、一部分たりとも一小機関たりとも増加することあたわずと論ぜり。しかして宇宙の原初のことにつきては氏は明言せざれども、その微意を探れば、宇宙は時間上において無始とするもののごとし。もしこれを無始と説くときは、神との関係を論ずるに困難をきたすがごときも、氏はこれを弁明して世界の無始は時間中の無始なり、神と独立して時間外に存するものなれば、その無始は時間外の無始なれども、世界の無始と神の無始とは大いにその意を異にするものなりと論ぜり。

 第三、心理哲学においては、氏は心を分かちて明瞭なる心と、不明瞭なる心との二とせり。しかして明瞭なる心とは、思想、推理、意志のごとき人間の特有せる心なり。不明瞭なる心とは自知自覚の作用にして、外物の刺激接触を受けて感ずるところの心なり。この心は人間のみならず、他の動物にも有するものなり。しかしてかの霊魂不滅ということは、これ明瞭なる心の上においていうことにして、不明瞭なる心の上においていうべきものにあらず。故に霊魂不滅ということは、人間のほか他の動物にはなきことなりといえり。かつ心が常に身体と一致結合して、諸般の動作をなすゆえんのものは他なし、神の前定、すなわち神が前より心身を結合せしによると論じて、ライプニッツの前定説を取りたり。

 第四、神理哲学においては、氏はライプニッツのごとく、神は全智全能なるをもって無量の世界を創造すべき力あり、しかれども神がこの世界を創造するに当たり、その無量の世界を創造すべき力をもって、無量の世界中より最も善良にして、かつ最もその意に適したるものを選びて、ここにこの世界を創造せしものなれば、この世界はすなわち神意の選挙によりて成れるものにして、その目的たる神に無量の徳と、無量の働きを有することをあらわし、これと同時にこの世界をして漸次発達せしめ、その結局神と同様なる無量の徳と、無量の働きとを有せしめしにありと論ぜり。もししかるときはこの世界に悪の存すべき理なきに、何故この世界に悪ありやとの疑問に答えて、氏はこの世界に悪の存するは神意のしからしむるところにあらずして、人智の有限なるより生じたるものなり。しかして神がこの悪を存するゆえんは他なし、神はこの悪をもって善に進ましむるための方便にして、別に除くべき必要なきことを知ればなりといえり。これを要するに、氏の哲学の長所は神理哲学にあらずして、かえって実体哲学の上にありというべし。

 上来氏の哲学概論を述べたれば、以下はその宗教哲学を述ぶべし。氏の宗教哲学はライプニッツに基づきて通俗的に解釈せしものなれば、その大要はライプニッツに異なることなし。ライプニッツは上にも数々論ぜしごとく、諸事万端ことごとく神の前定に帰せしをもって、因果論を排して目的論を取り、しかもその目的論は客観的普通性の目的論にして、宇宙万物は各自一定の目的を有し、その目的に向かいて進むものなれば、その目的たる主観の上にあらずして客観の上にあり、単独的の目的にあらずして、諸事万物の上に普遍する目的なり。しかるにヴォルフの時代には、客観的普遍性の目的を唱うることあたわずして、主観的利己主義より目的を唱えたり。その意におもえらく、神は人間を利益し、人間の快楽需要を満足さするために、この世界ならびに万物を造りしものなれば、世界万物はこの目的に向かいて進み、ことごとく主観的利己心の中枢に集まるものなりと。ヴォルフもまたこの影響を受けて主観的目的論を唱うるに至りたり。故にライプニッツの論とヴォルフの論とはややその趣を異にして、一は純粋高尚なる理論を説き、一は実利実益主義を交ゆるに至りたり。しかしてヴォルフはついに宗教上の理論を解釈して、宇宙万有は宇宙万有の法則に従って変ずることなく、神の目的すなわち神が宇宙万有を創造したるときに定めたる法則に従って変ずるものなりと論ぜり。

 氏はまた宗教哲学を分かちて自然神学、天啓神学の二となせり。しかして自然神学は経典によらずして、普通一般の論理経験をもって神の存在を証明するものにして、その証明たる天啓神学の基礎となり、経典の証拠となるものなり。しかしてまた経典は神学の研究に大いに力を与うるものなり。なんとなれば、経典中には格言もしくは金言ともいうべきもの多く存するをもって、吾人は論理経験をもって新たに真理を発見して、格言金言を組成するを要せず。ただ格言金言の真理たることを証明すれば可なり。もし経典なきときは、吾人神学を研究するものは、論理経験をもっていちいち新しき真理を発見せざるべからずと論ぜり。けだしこれ中世時代の煩瑣学派の説に近似するものか。

 氏はまた神の存在ならびにその性質のいかんを説明するために、先天的証明と後天的証明との二様の方法を用いたり。後天的証明は宇宙万有の道理の上、換言すれば宇宙哲学の上より証明するものにして、先天的証明は事物の実体、換言すれば実体哲学の上より証明するものなり。

 第一、後天的証明によれば、吾人は今ここに現に存在せり、すでに存在すればその存在するの原因なかるべからず。その原因より原因と次第にさかのぼれば、その大原因たり第一原因たるものは必定完全の道理にして、他によらず他の力を借らざる独立自存のものならざるべからず。すでに必定完全の道理にして独立自存するものなるときは、その原因たるや無始無終、恒久不変のものにして、決して多物の集まりたる集合体にあらず。また差別の相を有する差別性にもあらずして、単純性平等性のものならざるべからず。しかるにその結果とも称すべきこの世界は、多物の複合より成りて、単純性平等性のものにあらざれば、決して神と称すべからず。したがって吾人の精神もこの世界の一部にして、この世界とともに変化するものなれば、これまた神と称すべからず。かくのごとく世界も精神も、その体神と称すべからずといえども、その世界ならびに精神の存在するゆえんの原因を探るときは、その原因たるや必ず神の中に存せざるべからず。果たしてしかるときは神はこの世界の原因にして、この世界は神によりて創造されたること明らかなり。しかして神は無量の世界をも創造すべき力を有すれども、神はその中より最も善良にして、かつ最もその意に適したるものを選びて、この世界を創造するに至れり。しかるときは神はぜひとも智と自由意志とをそなえざるべからず。神にして智と自由意志とをそなうるときは、神はすなわち心なりというも不可なかるべし。しかれども神の心は吾人のごとき不完全なるものにあらずして、最も完全、最も自由の心なれば、その智もまた完全にして、世界中最も完全なる先天的直覚の智識より成れるものなり。吾人の有する感覚、想像、想念のごとき下等の智識は、神の完全智識中にはすこしも存せざるなり。しかしてその意志は智識上に属するものにして、智識を離れて別に存するものにあらず。故に智識上にて完全なりと認識するときは神は自ら快楽を感じ、その意志はこれに向かいて発するものなり。すでにその智無限恒久なるときは、その意志もまた無限恒久ならざるべからず。かくのごとく意志をもって智識の上に属せしは、これライプニッツの説に基づきしものなるべし。

 第二、先天的証明は、氏はこれを実体哲学上より証明せり。曰く、世界万物はことごとく実体を有するものなり。しかしてその最上の実体はすなわち神にして、完全円満、恒久不変のものなり。その体偶然に存するものにあらずして必然に存するものなり。かつこの実体と世界万有とは同一にあらず。世界万有は現象にして複合差別性のものなれども、この実体は単純平等、恒久不変の本体なれば、複合性差別性にあらざると同時に、終始変更なきものなり。故にその実体は世界万有の本源本体にしてすなわち神なりといいて、有神を証明せるもの、これ氏の先天的証明なり。

 氏は神と世界との関係につきては、全くライプニッツの説を祖述しき。前述のごとくライプニッツは神は無量の世界を作るべき力を有すれども、そのうち最も善良にしてかつ最もこの意に適したるものを選びてこの世界を作りたりといえり。ヴォルフはこれを受けて一層通俗的にこれを解釈して曰く、神がこの世界を創造したるは、その目的、神の完全なる徳と名誉とを顕示せんがためなり。しかしてこの世界は神の完全なる名誉と徳とを顕示するに最も適当したるをもって、神が特に選びてこの世界を創造せしものなり。しかるときはこの世界に悪や不良のあるべきはずなきに、しかもこれあるはいかんというに、けだし悪や不良は神がこの世界の中に有する目的を遂ぐるために、必須欠くべからざるものとして存し置けり。しかれども悪や不良を神が目的として作りたるにあらずして、ただこれを方便として存するに過ぎず。故に吾人はこの世界において悪や不良を除却することを要せず、かえってこの方便を利用して善道に進まざるべからず。換言すれば、悪や不良の刺激衝触によりて、吾人はますます神の世界に進達せざるべからずといえり。

 以上述ぶるところ、これを要するに、氏は神と世界との関係を論じて、神は無量の世界を作るべき力を有すれども、そのうちこの世界は神の性徳を顕示するに最も適するをもって、特に選びてこの世界を作りしものなれば、この世界に悪のあるべきはずなきに、これあれば、これ人をして善に向かわしむるための方便にして、本来の目的にあらずと論ずるもののごとし。前述のごとく、この世界は神が特に選びて作りし完全なる世界なれば、この世界に悪のあるべきはずなきに、これあるはいかにというにつきてライプニッツならびにヴォルツの説によるに、神意と実際とを区別して、神意に悪はなけれども、実際世界を作りし上にては、その世界をして神のごとき最善の地に進ましむるための方便として悪を置けりといえり。もしかくのごとく論ずるときは、神はその意志においては自由なれども、実際上にては外物の制限を受けて自由なることあたわざるべし。しからば神の自由は主観のみに限る自由にして、客観には通ぜざるべし。これあたかも吾人がその意志においては、空中に楼閣を築き、あるいは水底に棲息する等種々の想像をえがくを得れども、実際においては外物の制限を受けて実行することあたわざると一般なり。この理をもって推すときは、神は万有の規則中にありてしかもその支配を受けざるべからざるものにして、万有の規則外に存在するものにあらざるべし。なんとなれば、もし神にして万有の規則外に存するものなりとせば、いかんぞ客観上に制限を受けてその自由を束縛せらるるの理あらんや。知るべし、ヤソ教の神は吾人万物とともに宇宙万有の規則中に拘束せられてあることを。またこの世界に悪あるは人をして善に向かわしむるためなりと論ずれども、しかれども吾人は悪あるために必ずしも善に向かわず、悪あるがために往々悪に向かうことあり。見よ、かのアダム、エバのごとき、畢竟蛇魔のために陥りしにあらずや。もし神が最初よりこの世界に善のみを作りおきしならば、この世界は常に天国にして、アダム、エバも罪を犯して悪に陥ることなかるべし。また神がこの世界を作るは、その目的とするところ神の名誉と徳とをあらわさんためなりと論ずれども、もし神にして真実に完全ならば、別にこの世界を作らずとも、完全は完全なるべきに、しかもこれをあらわして世に知らしめんとするもののごとく論ずるは、これ吾人の人情をもって神意を想像せしものなり。なんとなれば、吾人は己の完全をあらわさんとするときは、必ず社会に事業を起こして世の名誉を買わんとするがごとく、神もまたその完全なる徳をあらわさんためにこの世界を作りしものなるべしと想像せしに過ぎず。もしまた神がその徳をあらわさんためにこの世界を作れりとするも、神は吾人の父にして、吾人は神の子なれば、神はその子の名誉を買わんと欲して世界創造に従事せりといわざるべからず。愚もここに至りてはなはだしきにあらずや。

 上にも述ぶるごとく、神学者は一般に愚をもって実在とする故、これが解釈に苦しめども、仏教のごときは悪をもって実在とせざる故、これを説明するに困難を覚ゆることなし。仏教は悪をもってただ吾人の見識の程度いかんによりて起こる迷執とする故、吾人がこれを見て悪ありと思えば悪あるも、決して客観上にその実在を有するものにあらず。故にある高等の程度に進みたる見識を有する人には、一切悪の存在を認むることなかるべし。たとえば下等動物の不潔とするところのものも、高等動物はこれを不潔とせざることあり。また同一人間中にても、凡庸の人が見て感を起こさざる一葉一枝、一羽一虫も、動物植物に熱心なる学者は、これを見て大いなる興味を感ずるがごとし。故に不潔ということも悪ということも、ことごとく吾人の主観の上にその区別を見るのみ。もし吾人にして一朝活眼を開き、その見識を高むるときは、わが身すなわち仏となり、世界は変じて真如界となりて、また一点の悪の存するを見ざるべし。

神の創造および奇跡怪談の解釈に至りても、ヴォルフ氏はまたライプニッツの説を通俗的に訳述するに過ぎず。しかも神の不思議を説くがごときは、世の独断的宗教家とその意見を同一にして、神がこの世を創造するや無より有を生じたるは神力の不思議なるを知るべきなり。しかれば万有の規律秩序も、この不思議力より成り、人間の生活精神もまた神が世界を創造する中に、これを有権成分中に含ませおきたるものが後に至りて開発したるものなれば、これまた神の不思議力より成りたるものといわざるべからず。かくのごとく氏は神の不思議力を説きて、もって奇跡怪談の存するゆえんを説明せり。しかれども世界万有は古往今来、不生不滅不増不減にして、一分子一元素たりとも生滅増減することなければ、到底神の不思議力と併行一致することあたわざるものなり。

 氏はまた天啓を論じて曰く、天啓とは普通の智識道理をもって知るべからざるものを、神の秘密不思議力によりて知るの謂なり。それ神は自由力あるが故、いかなる天啓をなさんと欲するも、外物のこれを妨ぐるなく、また万有の規則に拘制せらるることなし。しかれども神は道理を愛し、智識によりて働作するものなれば、その天啓とても決して万有の規則道理に反するものにあらず。しかりしこうして万有の規則は、必ずしも必然性のものにあらず、また神力をもって変更することあたわざるものにあらず。故に万有の規則道理の外に、理外の理なるものあるなり。この理外の理は、いわゆる神の秘密力にて知るところの天啓にして、道理以上に属するものなるも、決して道理に反するものにあらず。しかれば理には理内の理と理外の理とありて、理外の理は道理以上必ず存せざるべからざるものなりと説きて、奇跡怪談の荒唐にあらざることを証明せり。

 上来述ぶるがごとく、ライプニッツもヴォルフも、凡々普通の道理の外に理外の理なるものを立ててこれに天啓を結合し、もって道理と天啓との一致を唱えたり。すでにかくのごとく道理と天啓とを一致するものあれば、ここにこれに反対する道理と天啓との背反説を唱うる者の出ずるは、けだし数の免れざるところなり。しかしてこれを唱えしものは、ベールおよびライマールスの両氏なり。今これを図解すれば左のごとし。

  ライプニッツ

  ヴォルフ   道理天啓一致説

  ベール

  ライマールス 道理天啓背反説

 ベールならびにライマールスともに道理と天啓との背反を説けども、ベールは道理は天啓に属したるものといいて天啓を主とし、ライマールスは天啓は道理に属したるものといいて道理を主とせり。しかしてライマールスは宗教上に道理を主張して、宗教は必ず道理によりて組成したるものならざるべからず、果たしてしかるときはヤソ教にて、天啓によりて奇跡怪談ありとするも、これ道理上決してあるべきものにあらずと論じ、その局ヴォルフが万有自然の規律の外に、天啓即理外の理ありとしたるを排斥して、いかなる道理も秘密も万有自然の規律の外に存すべきはずなければ、天啓も理外の理もことごとくこれを万有自然の規律に照らして、その真偽を判断せざるべからざると同時に、かの経典のごときも、万有自然の規律をもって解釈せざるべからずと論ずるに至れり。この説ひとたび出でてよりドイツの神学者は旧来の説を捨てて、道理上神学を研究するに至れり。これ神学上の一大変動というべし。

 そもそも宗教は、古代にありては神の秘密不思議によりて成るものとし、吾人の智識経験をもって知るべからざるものとすれば、吾人またなにをかいわん。しかれども宗教はことごとくこれを神の秘密不思議に帰してやむべからざるより、世には自然神教なるもの出でて、宗教は神の啓示秘密によりて生ずるものにあらず、人間智識の発達するに従って生ずるものにして、いわゆる自然の発達なれば、これを研究するにもまた自然の規律によりてその可否を定めざるべからずと論ずるに至れり。かくのごとく古代は宗教をもって神の秘密啓示に成るものにして怪しむものなかりしが、中世時代に至りてかの神秘教なるもの出でて宗教を解釈するに、いくぶんか道理を用い、神の秘密は吾人の一種特別なる観念によりて知らるべきものにして、外界普通の道理規則をもって知らるべきものにあらずと論ぜしかば、スピノザはこれに満足せず、徹頭徹尾道理をもって宗教を解釈し、神をもって吾人精神の本体なりと論じて、内界に神を立てしかば、ライプニッツはこれに反対して道理上神を外界に立て、奇跡怪談はもちろん万事万物ことごとく神の前定に帰したり。ヴォルフはこれを受けて世の独断的宗教家のごとく神の不思議力によりて天啓ありと論じて、天啓をもって理外の理となせしかば、ライマールスはこれに反して、天啓も奇跡もともに万有自然の規律中に存するものにして、天下いずれのところにか理外の理なるものあらんやと論ずるに至りたり。

 それしかり、しかりといえども、宗教はライマールスのごとく一概に道理のみをもって説くべからず。なんとなれば、道理は相対中にて知ることなれば、相対を超絶したる絶対を知ることあたわざるなり。たとえこれを知ることを得とするも、これただ絶対あることを知るのみにして、絶対のなんたるかに至りては決して知るべからざるなり。しかれば絶対のなんたるを知らんには、ぜひとも天啓によらざるべからず。天啓なくんばいかんぞ絶対の状況を知ることを得ん。もし吾人にして絶対なしといわばやまん。いやしくも絶対ありとせば、これを知るには必ず天啓にからざるべからざるや明らかなり。これをたとえば吾人と他の下等動物とを比較するときは、吾人は他の下等動物より多くの感能ならびに高等の知見を有するを知るべし。この理をもって推すときは宇宙の広き世界の多き、いずこにか六感以上を有するものなしというを得んや。しかれどもその六感以上の感覚のなんたるは、吾人のごとき五感を有するものの知るべからざるところなれども、もし六感以上を有するものよりその感覚のなんたるを我人に啓示せば、吾人は多少これを知ることを得べき理なり。これによりてこれをみるに、吾人は絶対のなんたるを知らざれども、その啓示によりて始めてこれを知ることを得るなり。もし吾人が絶対のなんたるを啓示によらずして、直接にわが智力によりて知ることを得るときは、その絶対は絶対にあらずして相対なり。しかれば絶対は吾人の智識経験に超越したる不可知的の存在にして、天啓によるにあらざれば到底知ることあたわざるものなり。故に宗教はライプニッツおよびヴォルフの論ずるごとく、天啓と道理とを一致結合せしめざるべからざるなり。なんとなれば、道理なきの天啓は妄誕たるを免れず、天啓なきの道理は浅近たるを免れざればなり。これをもって仏教のごとき哲学的の宗教にても、この裏面には天啓なるものありて、吾人、過去未来、地獄極楽のありさまいかんを知ることあたわざれども、釈迦の啓示によりてこれを知るにあらずや。これいわゆる釈迦の天啓なり。これを要するに、宗教は天啓を離るべからざると同時に、また道理をも離るべからざるものなり。

 以上、カント以前におけるドイツ宗教哲学の概略を論じたれば、以下、カント以前におけるイギリス宗教哲学の概略を論ずべし。そもそもイギリスにおいてはベーコン氏を初めとし、以下ホッブズ、ロック、ヒューム等の諸氏、ことごとく経験論を主張して、帰納的の研究を重んじたりしかば、神学上の解釈にもまた経験的帰納的の研究法を用いるに至りたり。故にイギリス宗教哲学の起こりは、ドイツ宗教哲学の起こりとは異なるなり。これあたかもイギリス哲学とドイツ哲学との異なるごとく、一は思想をもととし、一は経験をもととせり。しかりしこうして、ドイツにてはヴォルフおよびライマールスの時代には、その説くところやや通俗に走りしが、イギリスにてもこの時代にはまた高尚の趣を有せず、いたずらにその研究を人知以内にとどめたる傾きありき。





       ハーバート

 ハーバート〔Herbert of Cherbury〕はイギリス有神者の始祖なり。氏はもと政治家にして、その四方を遊歴するの際、多くの宗教家と交際して、その談論を聴き大いに感ずるところありしが、のち真理とはいかなるものかという疑問を起こし、ついに真理の本源は本然性共同的念想なることを発見せり。しかしてこの念想は経験より生ずるものにあらずして、経験にさきだちて存するものなる故、この念想は一切経験の根本となり、しかも衆人一般に共同一致するところのものなり。ああ、この念想や真理の本源となり、道徳宗教の基礎となるものなりと論ぜり。しかして氏は宗教は人間に必須欠くべからざるものにして、いやしくも人間たる以上は必ず具有するところのものにして、人の人たるゆえん、動物に異なるゆえんは全くここにあり。かくのごとき宗教はなんぴとにも具有するところのものなれば、世に真の無宗教なるものあることなし。表面には無宗教家のごとく見ゆる人といえども、これただ世間普通の宗教を信向せざるにあらずして、その裏面には必ず一種の宗教を有するものなり。故にもし人にして真に宗教を排斥するものあらば、これ宗教を排斥するものにあらずして、本然性共同的の念想、すなわち真理の根本を排斥するものなり。かくのごときことは決してなし得べからざることなりと論ぜり。氏はまた宗教の目的を論じて曰く、宗教は人をして善と合し、人と人との間を平和せしむるにありと。しかれども世の宗教上の伝説はことごとくこの目的に合するものにあらず。故にその伝説中にて共同的宗教原理を発見せんには、古来世に存するところの多くの宗教を比較研究して、いずれの宗教にも共同一致するところの真理を抽象概括し、これをもって共同的宗教原理と定めざるべからず。かくのごとくするときは、いずれの宗教にも共同するところの五個の原理あることを発見するなり。その五個の原理とは、第一、神あること、第二、人は神を崇拝する義務を有すること、第三、神を崇拝する要点は徳と信向とより成ること、第四、もし罪過を犯したるときは懺悔して善に帰るをもって、善の一部分とすること、第五、この世界ならびに未来において賞罰あること、これなり。おもうにこれぞすなわちいずれの宗教にも存するところの共同的念想にして、宗教の骨髄となり、宗教の基礎となりて欠くべからざる原理なりとせり。しかれどもこの五個の念想は何故真理なりやの疑問につきては、氏はこれを説明せざりき。

 氏はまた宗教の起源を論じて曰く、宗教は二個の天啓より成れるものなり。すなわち一は内部の天啓にして、一は外部の天啓なり。内部の天啓とは神が吾人の心中に宗教心を賦与したるの謂にして、すなわち神が吾人の心中に、吾人が未来永遠の生活を求め幸福をよろこぶところの心を賦与したるなり。しかしてその心中に神が神の存在することを暗に吹き込みたる故、吾人が未来永遠の生活を求め幸福をよろこぶ心の中に、自然に神の存在することを信ずるの心を生ずるなり。外部の天啓とは世界創造の作用これなり。世界を見るに事々物々みな不思議にして、いやしくも目を有するものは、これを見てただちに神あることを発見せざるなし。しかして世界創造中、不思議の最も著大なるものは天体なり。天体は神の永久無量の幸福のありさまを写しあらわしたるものにして、なんぴともこの尊高なるを知り、その不思議なるを知るものなり。故にこれを見るときはたちまち神を信ずるの心を生ずるなり。しかして天体中ことに太陽は神の盛徳をあらわしたるものなる故、無智矇昧の原人もなおかつこれを崇拝したりき。それしかり、かくのごとく人々の天体を崇拝するは、これをただ目前に現ずるところの一種不可思議の物体なりとして崇拝するのみならず、その物体はもって神の徳を模擬し、神の徳を表顕したるものとして崇拝するなり。換言すれば、天体を崇拝するは、その有形中に神の性徳を寄寓するものなりとして崇拝するなり。故に上古の宗教といえども、決して迷信妄想にあらずして、かえって純粋潔白なるものなり。その天体を崇拝するにも共同的宗教原理に基づきて道徳を目的とせしが、その後漸次にその風を失い、ついに共同的宗教原理を外にするに至れり。けだしこれ宗教の主働者たる僧侶が利欲にふけり、自己を利せんために種々の儀式方法を設け、もって衆人の信向を買わんとせし結果なり。しかれども当時詩人もしくは哲学者はこの悪しき僧侶の篭絡手段に陥らずして、共同的原理を有するところの純粋潔白なる宗教を信じいたりき。かくのごとき弊風の行われしは、ただにヤソ教外の宗教のみならず、ヤソ教それ自身もまた中世時代にはこの弊風に陥りしといえども、しかれどもヤソ教は他の宗教に率先して早くもその宿弊を改めて本源にかえり、共同的宗教原理によりて道徳を主とするに至りたり。これヤソ教の他教にまさるゆえんなり(これはこれ旧教の弊を矯むるに新教をもってしたるの謀なるべし)。しかりしこうして、かくのごとく他教に率先してその宿弊を改めしヤソ教も、年月を経るに従い漸次に共同的宗教原理をくらまし、今日となりてはやや迷信妄想の傾向を生ずるに至れりと論ぜり。

 上来述ぶるところの五個の原理なるものは、氏の一家言たるに過ぎず。なんとなれば、氏は五個の原理をもっていかなる宗教にも具有するところの共同的念想とすれども、しかれども氏は当時世に知られたる僅少の宗教を比較して帰納せしところのものなれば、いまだこれをもって世界にありとあらゆる宗教に共通するところの原理となすべからざればなり。これを要するに、氏の説は経験上より帰納的研究せしものなれば、その議論浅薄にして宗教哲学としての価値少なしといえども、ひとたびこの説の出でしより、イギリス神学者社会に大いなる影響を及ぼし、後来宗教を論ずるの学者はおおむねこれを基礎となし模範となすに至れり。

       ホッブズ

 前に述べたるがごとくハーバートはイギリス経験学者の一人にして、その宗教を論ずるやもっぱら帰納により、経験上諸般の事実を集めて、宗教心はなんぴとにも具有し、かつ宗教はいずれの社会にも存して、人類に必須欠くべからざる道徳を目的とするものなりと論じて、宗教と道徳とを一致混同せり。かくのごとく氏は経験により事実に徴して宗教を論ずれども、あえて唯物論を唱えて、神の存在を虚無に帰し去るものにあらず。かえってこれをもって神の存在を証明して有神論を唱えたりき。これをもって氏の説は従来の独断的宗教家のごとく、『バイブル』をもって唯一無二の天啓の経典なりと信じて、理非真偽の区別なく、独断的に神の存在を論ずるものと同じからざるや知るべし。しかるに氏のごとく経験論を唱えながら、唯物主義によりて有神論を主張して、氏の宗教論に反対せしものはホッブズ〔Thomas Hobbes〕なりとす。

 氏は近世の唯物論、唯覚論の祖先なれば、その宗教を論ずるにおいてもまた唯物主義によりて有神論を唱えたり。請う、少しくこれを述べん。そもそも氏はベーコンの流義をくみ、経験主義を心理、政治、道徳、宗教等の上に適用して、吾人の智識思想はことごとく感覚より生ずるものにして、感覚中に合離の両作用ありて、あるいは集合し、あるいは分離して種々の思想を生ずるものなりと論ぜり。ただに智識思想のみ感覚より生ずるにあらず、道徳も宗教もまたともに感覚より生ずるものにして、しかしてその感覚たるや苦楽の二種に外ならず。苦はもって吾人の生活を妨げ、楽はもって吾人の生活を助くるものなれば、吾人は常に苦を避けて楽に就かんことを求むるものなりと論じて、道徳上に自利主義を唱え道徳は苦痛を避けて快楽を求め、なるべく吾人の生活を安全にすることを計るを目的とするものにして、かの人を愛し人を救うがごときことも、その実自利心より生ずるものにして、人を愛し人を救うは、他日己のこれに愛せられ、救われんことを計るより生ずるものにして、吾人の天性は極めて悪なるものなれば、人々相集まりて社会をなし国家を立つるときは、必ず君主の専制をもって法律政令を作り、もってこれを支配せざるべからず。もし君主の制裁なきときは、吾人は互いに己の自利を求めんがためにあるいは争い、あるいは戦い、あるいは窃盗し、あるいは殺害して、禽獣社会と選ぶところなきに至る故、ぜひとも法律政令の賞罰によりてこれを制裁せざるべからず。法律政令の賞罰ありて、始めて人は安全に幸福を求むることを得るに至るなりと論じて、道徳と政治とを混同して、道徳の標準は君主の命令に従うと否とにあるものにして、道徳上にいわゆる善悪なるものは本来その区別あるものにあらずして、ただ当時の社会の好悪するところによりて生ずるものなりと論ぜり。

 右のごとく政治上においては賞罰あるがために、人々これを恐れて悪を捨てて善に赴くがごとく、宗教上においてもまた賞罰あるがために、人々悪を捨てて善に赴くなり。しかしてその賞罰たるや神が死後においてこれをなすもの故、吾人はこれを知ることあたわずといえども、吾人はその神を恐れその賞罰を怖がるがため、したがって悪を捨てて善に赴くに至るなり。しかるに政治上の賞罰は可見的の賞罰なれども、宗教上の賞罰は不可見的の賞罰なれば、それはただ人をして善に赴かしめんための便宜上の方便たるに過ぎずと論ずれども、世界の創造者たる神を否定して空無に帰せしにあらずして、神の存在は暗々裏に許諾せしもののごとし。しかれども神は遠く吾人の智識の外にありて知るべからざるものなれば、これを道理上証明することあたわず。またかの『バイブル』のごときは天啓の経典なりといえども、またこれを目前に証拠立つることあたわず。しかして死後に神の賞罰あるがごときことも、また道理上研究することあたわずして、ただ黙して信ずるの外なしといいて、これらに関する議論は一切放棄して取らざりき。

 氏は更に論じて曰く、人に宗教心あるは先天的に存するにあらずして、ただ恐怖と無智と依頼心との三事情よりして生ずるものあり。すなわち人は無智にして事物の道理を知らざる故、死後のことを恐れ、あるいは神の冥罰をこうむらんことをおそれ、ついに他に依頼して救助せられんことを求むるに至る。ここにおいてや人々に宗教心なるもの生じて、いずれの社会にも宗教を形作るに至るなり。しかして宗教はかの政治道徳と同じく、その目的勧善懲悪にありて、すなわち人をして悪を去りて善に就かしむるものなる故、人々の安全幸福を求むるためには必要欠くべからざるものなり。もし宗教なきときは到底社会の安寧を保ち、民衆の幸福を求むることあたわざるなり。それしかり、宗教も政治もその目的同一なる故、政治上よりこれをいえば、宗教は政治の一部分というべく、また宗教上よりこれをいえば、政治は宗教の一部分というべし。かくのごとく宗教は政事の一部分にして、政治はまた宗教の一部分なるをもって、宗教も政治もともに主権者の命令によりて定むべきものにして、主権者はすなわちこの二者を制定するの権力を有するものなり。故に主権者は命令をもって一国の宗教を定め、臣民をしてことごとくこれを信ぜしめざるべからずと。かつ上にも論ぜしがごとく、善といい悪というは、本来一定の性質あるにあらずして、ただそのときの社会の事情によりて定むるものなる故、宗教の善悪良否もまた本来一定したるものにあらずして、ただその国の事情に適すると適せざるとによるものにして、すなわちその国の事情によく適するときは、これをもって良宗教と称すべく、これに反してその国の事情に適せざるときは、不良宗教と称すべし。故にもし主権者がその国の事情に最もよく適したる宗教を定むるときは、臣民は必ずこれに信服せざるべからずと論じて、国教の設定を主張せり。

 かくのごとく氏が鋭意熱心に王政の民政にまさるを論じ、国教組織の自由信教に勝ることを論じたるもの、あに故なくして可ならんや。けだし氏はチャールズ二世に臣事したる人なるが、当時王政大いに乱れて民権盛んに行われ、人々自利私欲のために相争い、議論紛々帰着するところなかりしかば、氏はおもえらく、これ国民を統率するの君主なく、民心を統一するの国教なきによるものなりとて、その王政の衰勢を挽回せんがために、王政の民政にまさりたるを説き、国教の自由教に勝りたるを論ぜしものならんか。これを要するに、氏の宗教論は実際上より論じたるものにして、学術上よりこれを分解し、あるいはこれを総合して、その原理規則を講究するものにあらざる故、これを称して宗教哲学とはいうべからざるなり。しかるにこの弊を一洗して、学理上より宗教の本心、宗教の原理等を説明せしものはロック氏なりとす。

       ロ ッ ク

 氏〔John Locke〕はホッブズにつぎて経験哲学を主張すれども、その論ずるところホッブズとは異なりて、人心の上より宗教心の本然なるか経験なるかを攻究して、ついに宗教心の本然にあらずして経験よりきたることを証明せり。曰く、ひとたびデカルト氏が人智の本然説を唱えて以来、人みなこれに和してまた一人のこれに疑問を起こすものなかりしかば、氏はこれに反対して人の心意は本来無思無念にして、あたかも一点の墨痕なき白紙のごときものなれば、宗教心も神の存在に関する観念も本来心意に有するものにあらずして、教育、経験の力により後天的に生じたるものなり。なんとなれば、かの本然説を主唱する人は、その証としていずれの地の人間にも本来同様の性質、すなわち神の存在に関する思想を有することを示すなれども、これはなはだ不当のことにして、いずれの地の人間にも本来神の思想を有するものにあらず。もしいずれの地の人間にも本来神の思想を有するものならば、世に無神論者のあるべきはずもなかるべきに、さはなくして世にも往々無神論者もあり、かつある種のごときこれに向かいて神の存在等に関することを聞かしむるときは、ただにこれを知らざるのみならず、かえってこれにつきて奇異の観念を惹起することあり。もしまた神に関する観念は一般に有するとするも、甲人種の神の観念と、乙人種の観念とは大いに異なりて、同様の性質を有するものにあらず。これ宗教心の生じて後、教育、経験の力によりて生じたることの明確なる証左にあらずや。しからば宗教心なるものは吾人が教育、経験するの際、種々の性質、種々の思想中より最高最上のものを取り集めたるに過ぎず。故に宗教心なるものはその実、吾人の想像上より生じたるものにして、本来確固不抜の原理として存するものにあらずと。

 もしかくのごとく論ずるときは、神は真実に存在するものにあらざるかというに、氏はこれに答えて曰く、世界の構造と吾人の組成との両点より推究するときは、神は必ず存在せざるべからざるなり。なんとなれば、世界と吾人とが存在するゆえんのものは、必ずこれを創造者たる原因なかるべからず。すでに原因あればその原因の原因と次第にさかのぼりてその初めを推討するときは、その第一原因たる神の存在することを知るなり。しかりしこうして、その第一原因たる神は最高最上のものならざるべからず。なんとなれば、神は世界と吾人を創造したるものなれば、世界と吾人とよりもはるかに勝るものにあらざれば、これを創造することあたわざればなり。かつまた神は最上の智識と、最高の思想とを有するものならざるべからざるなり。なんとなれば、吾人すらすでにいくぶんの智識と思想とを有するものなればなり。いわんやこれが創造者たり主宰者たる神にありては、最上の智識と最上の思想とを有するは論を待たざるなり。もし神に智識思想なきときは、いかにして吾人のごとき智識思想を有する者を創造せんや。無より有を生ずるは論理の許さざるところなれば、神に智識思想なしとはいうべからざるなり。

 前述のごとく氏は神の存在を否定するものにあらずといえども、これに関する思想をもって先天的のものとなさずして、後天的経験の結果なりとせり。これ氏がホッブズよりもその論を一歩進めたるところなり。ホッブズは神の存在を空無に帰せしことあらざれども、これをもって道理上研究すべからざるものとして、理外に放棄してただ実際便宜上のために神を設くるもののごとく論ずれども、ロックはこれをもって道理上研究すべきものとせり。またホッブズは天啓をもって道理智識の外に置けども、ロックはこれをもって道理研究の中に置き、万有自然の道理をもって研究すべきものとせり。かの独断的宗教家のごときは天啓をもって神の秘密不思議となし、吾人の智識道理をもって知るべからざるものとなせども、ロックはこれに反対して天啓は万有自然の道理に反するものにあらずして、吾人の智識道理をもって研究し得べきものなり。もし智識道理を離れてこれを知らんとするときは、ただに天啓のなにものたるを知ることあたわざるのみならず、あわせて神の存在をも知ることあたわざるなり。これあたかも肉眼にて見るべからざる星を見るには望遠鏡をもってせよといいつつ、これを見るに当たりてはかえって両眼を閉じて望遠鏡に向かえというに異ならざるなり。神は吾人の肉眼にて見るべからざるもの故、これを見るには天啓の望遠鏡によりて見ざるべからざるなり。しかるにこれを研究するに智識道理を外にせよというは、両眼を閉じて望遠鏡に向かえというと、なんぞ異ならんと論ぜり。

 以上述ぶるところ、これを要するに、ホッブズもロックもともに経験説を唱えたる人なりといえども、その宗教上における実際の議論に至りては、二氏大いに異なるところあり。ホッブズは政治と宗教とを混同して、ともに君主の命令に従うべきものとせられしも、ロックはこれに反して、もしホッブズのごとく政治と宗教とを混同するときは、これあたかも神と人とを混同し、天と地とを混同するがごとく、誤謬の議論たるを免れずといえり。またホッブズ、王者の命令圧制によりて国教を一定するの必要を論じたるも、ロックはこれに反して宗教の自由を説きたり。曰く、国民をして宗教自由を得せしむるは、かえって一国の平和を保つに便あり。なんとなれば、もし君主が国民の信向上にまで立ち入りて、過多の干渉を加うるときは、これがために己の好むところの宗教を捨て、あるいは己の好まざるところの宗教を信ぜざるべからざるに至る故、決して一国の平和を保つことあたわざればなり。故にロックは宗教なるものは政治上においても、一国の安寧秩序を妨害せざる以上は、なるべく自由にせざるべからずといえり。氏のこの自由宗教説に同意せしものはシャフツベリーなりとす。

       シャフツベリー

 氏〔Third Earl of Shaftesbury〕は倫理上においては道徳の本心なるものを説きてホッブズの自利説に反対せり。かつ氏は哲学上、倫理学上ならびに宗教上その他の点においては、ロックと大いにその説を異にすれども、信向の自由を説く点はこれに同意せり。すなわち氏は人の信向の自由を妨ぐることは、あたかも重荷を負うたる牛馬が御者の命を受くるがごとく、圧抑の最もはなはだしきものなれば、必ずこれを自由にせざるべからずと論ぜり。

 それしかり、しかりといえども、ロックは道徳心なるものは教育、経験の力、換言すれば人造によりて生ずるものなりと論ずれども、シャフツベリーはこれに反して道徳心なるものは教育、経験の力を待たずして、自然に発するところの自然的本性とせり。曰く、道徳はあたかも天地間の万物が和合してここに美を生ずるがごとく、人間の心の和合によりて生ずるところの美なり。人間の心の中には種々の性質あるも、その性質よく調整和合するときは自然に美をあらわして高徳の人となるなり。かつ人心には二個の反対性あり。一は利己心にして、一は社交心なり。利己心は己一人の健全幸福を目的とするものにして、社交心は公衆の健全幸福を目的とするものなり。その利己心も社交心もおのおの調和適合してその中庸を得るときは自然に完美をあらわすものなれども、しかれども一方に偏倚して過不及あるときはたちまち美徳を失うに至るべし。第一、利己心につきてこれをいわんに、人は己の衣食住を求めざるべからず、また健全無病無生活を求めざるべからざる故、利己心とさえいえば一も二もなくことごとく悪とはいうべからず。なんとなれば、利己心とても、よくその中庸を得て一身の健全幸福を謀るときは、自然にその美をあらわしていわゆる徳と称することを得べければなり。これに反して利己心その適度調合を失うときは、わが心に不満足、不幸福を得て自然の美徳をあらわすことあたわざるべし。第二、社交心につきてこれをいわんに、社交心もよくその調和適合を得てその場合とその事情に適合するときは吾人の満足幸福を得べしといえども、もしこれに反してその中庸を失うときはわが心に不満不快を生ずるなり。故に道徳上の賞罰はわが心の上にありて、もし一方に偏して心の調和を失うときは不徳となりてわが心に不満不快を感じ、もしこれに反して心の調和を得て完美をあらわすときはわが心に快楽満足を得るなり。これを要するに、道徳は人心の調和によりて生ずるものにして、しかもその調和は教育、経験の力を借らず自然に起こるものなれば、道徳の本心は自然に生ずるものといわざるべからず。

 また氏はホッブズの宗教上未来の賞罰を立て、もって治国平天下の好方便となせしものに反対して曰く、賞罰は宗教の真面目にあらず、賞罰をもって人を徳に導かんとするは、あたかも児童を導くにむちと砂糖とをもってして、善事をなせば砂糖を与え、悪事をなせばむちを加うるがごとし。かくのごとき賞罰をもって人を徳に導く宗教はこれ野蛮社会の宗教にして、またこれを信ずる人は文明有智の人にあらずして、無智無学児童のごとき人なり。かくのごとき人は、なるべく教育して真正の宗教を信ずるようになさざるべからず。しかして真正の宗教はその骨髄愛の一点にありて、愛をもって心の調和適合をはからざるべからず。故にヤソ教のごとき完全なる宗教は、人に教ゆるに愛をもってせりと論ぜり。上にもすでに述べしがごとく、氏はホッブズの国教主義に反対して宗教の信向は各自の自由に任せ、政府のあえて干渉すべきものにあらずと論じたれども、しかれども宗教の政治に関する部分にては必ず政府の干渉保護を受けざるべからずとて、僧侶の教育、寺院の廃立等のことは政府の干渉保護すべきものとせり。

 氏はまた宗教と道徳とを一致して分離すべからざるものとなし、宗教なきときは道徳は立つべからず、道徳を立つるには必ず宗教によらざるべからず、ややもすると世には宗教は未来の幸福を説くものにして、現世の幸福を説かざるもののごとく思う人あれども、これ大いなる迷信にして、宗教なるものは未来の幸福を説かんよりも、むしろ現世の愛を説き、もって道徳を幇助すべきものなり。また世には往々無神論を唱え、この世界をもって不完全、不快楽、不幸福の境界と誤認して厭世脱俗に傾くものあり。これらは実に現世の道徳を害するものにして、この世界ならびに吾人の価値を知らざるものというべし。しかるに有神論者はこの世界をもって神の創造とする故、この世界は実に完全快楽幸福の境界となり、したがってこの世界において現世の道徳を構成することを得るなり。もし人この世界において道徳を修めんとすれば、この世界の規則に己が一身を託すべし。この世界は自然に調和適合して一大美観となるべきように神が創造したる故、これに己が一身を託すれば、心は自然に調和適合して美をあらわし、もって有徳の人となることを得べしと論ぜり。氏はまた宗教上の奇跡怪談等は必ずしも人の信向を導くものにあらずして、かえって人の信向を破るものなり。なんとなれば、奇跡怪談は世界の規律を破り、世界の調和を乱すものなればなり。この世界に規律あり調和ありてこそ、初めてこれを統一する一大意志すなわち神の存在することを知るべけれ。しかるにこれに反してこの世界の規律調和に一致せざる奇跡怪談のごときものの存するときは、かえって神の存在を拒否し、その極現世の道徳をも打ち破るに至るべし。野蛮人の信向を導くには奇跡怪談を用うるの必要あれども、文明人の信向を導くにはただに益なきのみならず、かえって害あるものなり。畢竟奇跡怪談をもって人を導くは恐怖をもって人を導くものに異ならざれば、吾人の決して信向すべきものにあらずと論ぜり。

 氏はまたこの世界に悪の存することの理由を説明せんがために、ブルーノの説にライプニッツの説を加えたり。曰く、吾人一部分の有限の心をもって見るときは悪あれども、世界全体の無限の上より見るときは悪あることなし。なんとなれば、この世界はすでに正と善との二者より成立するをもって、その全体の上より見れば極めて完全優美にして、決して悪のあるべきはずなし。しかるに吾人は世界全体の真相を洞見するの明なくして、いたずらに区々たる有限の心をもって彼我の区別を立て、是非の差別を付する故、悪なきに悪を生じ、不幸なきに不幸を見るに至る。故に吾人はよろしく世界全体の上に目を注ぎ、世界の規律に一身を託して道徳を修め、神の救助を受けてもって真正の快楽幸福を享有すべしと論ぜり。実に卓見というべし。

       ジョン・トーランド

 ジョン・トーランド〔John Toland〕は道徳的宗教を主張したる人にして、かのヤソ経典中にある事柄は一として道理に反することなく、また道理をもって吾人の知ることあたわざるものにあらずして、世人のもって不思議と称する奇跡怪談のごときものも、その実不思議にあらずして、普通の道理をもって説明することを得べしとせり。これ前にロックが道理と天啓とを区別せしめ、もって氏は更に一歩進みて天啓は道理に反するものにあらずして道理に一致したるものなり。吾人が神の存在を信じ宇宙の真理を知るは天啓によれども、吾人がすでにこれを認めてもって天啓とする以上は、これすなわち道理によりて認め、道理によりて信ずるものにて、決して道理に反するものにあらず。なんとなれば、信ずるということは道理をもって心に了解することなる故、もし道理を離れたる天啓あるときは、吾人はこれを信ずることあたわざればなり。世人は神の性徳、神の創造力等はわが思想にえがくことあたわざる故、これを不思議もしくは奇跡と称すれども、いかなる奇跡にても不思議にても、吾人の思想にて了解することあたわざるものにあらず。すでに吾人の思想に領解することを得る以上は、これを理外の理として神の秘密に付し去るべきものにあらず。故に経典中にある奇跡怪談のごときは、その外観は道理に反したるもののごとくなれども、その裏面には道理を含蓄するをもって、人智の進歩とともにその道理世に現れ、昨日まで不思議とせしことも、今日はすでに道理をもって説明することを得るに至れば、今日なお不思議とすることも、他日必ず道理をもって解釈することを得るのときあるべし。かつキリストの教を立つるや、その初め極めて単純なるものにして、道理を離れたるものにあらざれども、その後ユダヤ教その他の異端邪説のこれに加わりしより、ついに奇跡怪談をその中に見るに至れりと。前にも述べしがごとく、信ずるということは道理をもって心に了解すること故、決して道理に反したることにあらずとするときは、かの愚者の信向のごときは、一見すれば道理に離れたる盲信迷想のごとくなれども、しかれども愚者は愚者相応の道理をもってこれを了解する故、その信また道理に反したるものにあらずというべし。

 かくのごとく道理と信向とを結合して、愚者は愚者相応の道理をもって信じ、智者は智者相応の道理をもって信ずるというときは、道理を分かちて愚者の道理と智者の道理との二にせざるべからず。しかるに道理なるものは確固不抜、一定不変のものにして、これを二分して、一は愚者の道理、一は智者の道理とすべきものにあらず。もしこれを分かちて二とすることを得るならば、論理の規則、数学の原理をもまた分かちて、一は愚者の原理、一は智者の規則とせざるべからず。しかれども論理の規則、数学の原理のごときものは、なんぴとも一様不変のものにして、人と時とによりて異なるものにあらず。たとえば二と二とを合すれば四となるというごとき真理は、愚者も智者も同一にして決して異なるものにあらざるがごとし。もって氏の所論の不可なるを知るべし。余思うに、一体道理をもって信向に一致せしむるという道理、一定不変の道理ならざるべからず、知識の程度に従いその人相応の道理をもって信向と一致せしむべからず。もしその人相応の道理と信向とを一致するときは、その信はなお迷信妄想たるを免れず。見よ、世の愚者が地震をもってナマズの所為に帰し、月中の斑点をもって兎のもちつきとするにあらずや。これまたその人相応の道理をもって信ずること故、その信は道理に一致せりというて可なるか、あにかくのごとき理あらんや。

 前陳のごとく氏の説は信向をもって道理に結合せし故、理外の理なるものは世に存せずやというにしからず。およそ理外の理なるものは無上完全の神力によりて顕出したるものにして、吾人の智識をもって知り得る道理よりは、一層完全至極のものなり。しかれどもその完全至極の道理は、万有自然の道理に反するものにあらず、また吾人の智識をもって信ずることあたわざるものにあらず。なんとなれば、理外の理なるものは万有自然の道理の先導となり、これをしてその理を一層強固ならしむるものなればなり。これを神学上にて道理的理外説という。以上述ぶるところ、これを要するに、氏は道理教を立て、ロックの天啓道理の区別に基づき更に歩を進めて天啓と道理、換言すれば信向と道理との結合をはかりたるなり。

       マシュー・ティンダル

 マシュー・ティンダル〔Matthew Tindal〕の宗教論は、トーランドの宗教論よりも一層勢力ありて世に用いられたり。氏曰く、およそ真誠の宗教なるものは諸般の宗教に共同して有するものにして、人間の性質に基因して成り立ちたるものなり。しかしてその教たるや道義徳行を体として成り立ちたるものにして、その道義徳行上の作用は事物自然の規律に従って発顕するものなり。かつ事物自然の規律はすなわち神の意志なる故、自然の規律に従って発顕するところの道義上の行為は、とりもなおさず神の意志に随順する作用にして、宗教の骨髄これに過ぎず。また神は最上至極の完全体にして、その意志の目的たるや吾人の本性に幸福を賦与し、吾人をしてこれに達せしむるにある故、吾人がこれに従って幸福を求むるは吾人の免るべからざる必然の規律なり。この規律の外、神は吾人になにものも賦与せざる故、吾人の本性は幸福を求むるの外なし。しかしてこの本性は人類に共通して普通なるもの故、もしこの本性に反して他のことを教うるものあらば、これ真誠の宗教にあらずして、迷信妄想たるを免れず。されば宗教上に天賦の本性に反したる行為あるは、畢竟これに従事する僧侶が、己の私利を計るために実際不必要なるあまたの儀式風習を設け、もって人の信向を買わんとせしによるものにして、神の意志を曲げたるものというべし。

 氏はまた論じて曰く、キリスト出世以前にありては、宗教は吾人天賦の本性に基づきて徳義をもととする真誠の宗教と、迷信妄想におおわれたる不正の宗教と混同してありしが、キリストの世に出ずるに当たり、氏はその区別を立てて迷信的宗教を捨て真誠の宗教を取り、別に一新機軸を出だせり。故にキリスト教はさきのいわゆる玉石混合の宗教に対すれば新宗教なれども、その実キリスト教は従来かつて世に存せしところの宗教に、種々の弊害の加わりしものを除去してその本源に復したるものなれば、これに対しては新宗教にあらずして極めて古き宗教というべし。かくのごとくキリストは宗教を改良してその弊害を除きしかども、年月の移るに従い、再び僧侶の私利を計るために種々の弊害を生じ迷信に陥りたり(中世ローマ法王の権力盛隆なりしときのごときをいうならん)。

 右に述べし氏の説は、他の宗教改革家の喜びて雷同するところなり。宗教改革家はまさに曰く、およそ宗教なるものはその始めに当たりてや、至極純粋なるものにして、一点の弊害もなけれども、中古に至りいたずらに儀式風習の多く加わるに及び、ついに宗教の真相を失うに至れり。偶像を寺院に置くがごときことも、その初代に行われしことにあらず。見よ、釈迦、ヤソ等がその教を弘むるや、もっぱら人の徳義心に訴えてこれを信ぜしめし故、偶像を置くの必要なかりしかども、世の澆季と凡々人々の道心軽薄になりしかば、もはや古代のごとく純粋の信向を維持することあたわずして、あるいは寺を建て、あるいは偶像を置きて、その信向を導くに至れり。故にこれを改革せんには、すべからく中古に生ぜしところの諸種の弊害を除き、その本源たる純粋のありさまに立ち帰らざるべからずと。かのヤソ教の一派たるクエーカー宗のごときは、全くこれを実行して洗礼、婚姻等の儀式をばことごとく除去せり。これを要するに、宗教改革家の説は新たに一宗を開くにあらずして、復古に過ぎず。かくのごとく中世に起こりしところの儀式等をことごとく除去してその初めにかえるときは、いわゆる老子が「大道廃れて仁義あり」といいて、つとめて太古に復せんとせしに異ならずして、実際行わるべきこととも思われざるなり。故に余はまさにいわん、宗教創始のときと今日とは社会のありさまも人心のありさまも全く異なる故、宗教創始時代に偶像その他儀式風儀なかりしとて、今日またこれを廃するの必要もなし。さはいうものの、今日現存せる諸種の儀式も中には不必要なるものも多くあることなれば、今後の宗教改革者はこの両点に目を注ぎ、もって過不及なきの改良をなさざるべからざるなり。

       ダビッド・ヒューム

 前述のごとく、イギリスにてはヒューム〔David Hume〕の前に当たりて、トーランドおよびティンダル等の諸氏出でて道理上より経典を解釈して、ヤソ教を道理教に変ぜんとするや、ここにヒューム氏出でて懐疑教を唱え、これら諸氏の説を駁撃せり。氏は哲学界に大いなる影響を与えて従来の哲学思想を一変せしと同じく、宗教界にもまた大いなる影響を与えて従来の憶説を一掃せり。その説たるロックの経験論に基づきて懐疑的に宗教を論じ、道理上に宗教を立つるの非を論じたれども、全く宗教をもって無用視したるにあらず。

 従来世間の有神論者の神の存在を説明するや、二個の憶説に起因せり。その一は曰く、一個格段の神の存在することならびに霊魂不滅ということは、数学上原則のごとく明晰確実にして動かすべからざる定論なり。この世界の本源にさかのぼれば必ず神ありて存在せざるべからず、また霊魂も肉体とともに滅するものにあらずして、未来永遠に向かいて不滅ならざるべからずと。その二は曰く、宗教は人間固有の天性に基づくものにして、太古人文未開のときより世に存して人々これを信じたれば、神の存在疑うべからず。しかるに下りて中古に至るに及びて、僧侶の利己心のために無用なる儀式装飾を用いて、真正の宗教をして矇昧ならしめたりといえども、これ一種の弊害なり。人間自然の性より出でるものにあらずして、人為的のものなれば、ときに臨みて改良すべきものなり。これをもって宗教を自然の天性に基づかずというべからずと。ヒューム氏はこれを駁して曰く、第一の憶説によれば、神の存在ならびに霊魂の不滅は教理上の原則のごとく確固動かすべからずというといえども、これ宇宙間の事々物々をもって神の存在を証明するものにして、最も大いなる誤謬といわざるべからず。なんとなれば、神は世界の創造者なれば世界の外にあるものにして、事々物々は世界の内にあるものなり。故に事々物々に原因あればとて、これただ世界内のことなれば、これをもって世界外にある神に及ぼすことは論理の許さざるところなり。有神論者は神の存在を証明するがために、この世界の変化を見れば一定の目的に向かいて進み、この世界の順序規律を見れば日月星宿の運行を初めとし、四時昼夜の順序に至るまで毫厘の過誤なくして、なんぴとかこれを前定せしもののごとく思わしむるものは、他なし、神がこの世界を造り、規律を定めしによるというといえども、これ大いなる謬論なり。なんとなれば、その証明たるや事物の結果を見て原因を推すことなるが、いったい原因結果の関係は吾人が事物を経験するの際、甲乙二者中、一のことが常に他のことに伴いて起こるを認むるときは、習慣にて甲事が出ずれば乙事は必ず現れざるを得ざるべしと思うべく、幾度も風吹きて草木の動くを見れば、風は草木を動かす原因なりと思想の連合により、習慣の久しき、ついにその間に原因と結果とを結合するに至るなり。故に経験の範囲内においては原因より結果に論到し、結果より原因に遡回するもあながち無理にはあらざれども、神のごときものは、これまで吾人の経験せしものとは全く類を同じうせざるものなるに、その関係を適用するは大いなる誤謬なり。また有神論者はこの世界の規律の一定して、正しきものはこれ自然にしかるにあらずして、必ず神の創造によりてしかるなりというといえども、かくのごとき規律は必ずしも神によりて生ずるものにあらずして、自然に生ずるものといわざるべからず。畢竟この世界にかくのごとき完美なる規律ありとするものは、その規律をもって神の創造とする故なり。しかも子細に観察するときは、この世界ほど不完全不快楽なるものあることなし。人間といい動物といい、日月といい天地といい、一として不完全ならざるなし。かくのごとき不完全なる世界をもって完全なる神の創造なりというは、撞着の言にあらずしてなんぞや。

 また有神論者は霊魂不滅ということをもって、確固として動かすべからざるものなりと論ずれども、しかれども霊魂なるものは吾人の肉体に結合してその働作を呈するものにして、独立的の作用をなすものにあらざれば、肉体を離れて死後永遠に生活して、あるいは天堂に上り、あるいは地獄に下るの理あるべからず。これによりてこれを思えば、有神論者が霊魂不滅の理より未来の賞罰を立てて人を勧懲するは、かえって宗教の本義を破壊するものといわざるべからず。なんとなれば、未来の賞罰を立てて神を信ずるものは死後天堂に上りて永久無限の快楽をうけ、これに反して神を信ぜざるものは死後地獄に至りて、永久無限の苦痛を受くるというといえども、いったい吾人のなせし善悪の行為は、有限の時間中にあるものなるに、これにむくゆる賞罰として永久無限の時間中に快楽苦痛をうくるというては、原因の大小と、結果の大小と比例せざるにあらずや、かつ罰なるものはその目的、人をして改心せしむるものにあらずや。しかるに未来永久の神の罰ありとしては、ただに人をして改心せしむることあたわざるのみならず、かえってその目的に相違するというべし。もしまた実際、神に賞罰の権力ありとすれば、その有無の不明瞭なる未来幽冥世界においてこれを実行せずして、明瞭なる目前現在においてこれを実行せざるべからず。しかるに吾人はこれを明瞭なる現在においてすら見ることなし、いわんや、不明瞭不確実なる未来においてをや。果たしてしからば、賞罰なるものは吾人の空想に過ぎずというべし。また有神論者は、吾人の精神は必ず未来永遠に向かいて希望するところあるものなりということをもって霊魂の不滅を証明すれども、吾人の心は必ずしも未来永遠の生活を希望するものにあらずして、かえってこの世界を去りて幽冥界に至ることを嫌忌するものなり。故にこのことをもって霊魂不滅の証とすべからず。それしかり。しからば霊魂不滅ということは、到底道理上証明することを得ざるものにして、道理以外のこととなさざるべからず。これをもって道理以外のこととすれば、吾人の説明し得べきことにあらざる故、経典上の天啓によらざるべからず。経典は実に吾人の説明し得ざることを天啓によりて教ゆるものにして、道理以外のものなりと論じて、道理をもって宗教を論ずるものを攻撃せり。

 もし右のごとく宗教をもって道理に起因するものにあらずとするときは宗教はいかにして起こりしやというに、氏曰く、有神論者はこれをもって人間自然の天性に起因するものとすれども、深く考案するときは宗教なるものは決して道理に基づき自然の天性によるものにあらずして、吾人の想像の上より生じたるものなり。換言すれば、吾人の恐怖心と欲望心との二者に起因するものなり。吾人はすでにこの二心を有する故に、天災地変の知るべからざるものに遭遇すれば、これを恐れて神の所為に帰し、また不幸不快の境に沈淪するときは、他によりてその救助をうけんと欲するものなるが故に、ここに想像上神を立て、これに依頼して己の安全幸福を得んとするなり。かくのごとく神は吾人の想像上より起こりたるもの故、したがって吾人の想像をもって神の性質および形状を構成せり。故に古代の神はおおむね人間の形と性情とを有して一も道理に合したるところなく、全く多神教にてありき。

 かくのごとく宗教は人間の想像上より起こりたるもの故、多神教は一神教にさきだちて発達せざるべからず。なんとなれば、もし人ひとたび一神教の道理を知るときは、再び多神教を信ずることなし。しかれども、知識の程度なお低くして一神の理を知らざる故、最初多神教を信ぜり。これあたかも古代、工作を知らざる者が幾何学を知るの理なきがごとく、古代の人が一神教を知るの理なきなり。古代の人は神は人間同様に形骸を有し、愛憎の情を有して、その数も多くなると想像せり。故にかくのごとき神は天地万有を支配することあたわざるのみならず、かえってこれに支配されて、生滅盛衰の変化を受けたり。これらの神こそ各国神代史のよりて起こる原因とはなれり。

 かくのごとき多神教が人智の進歩に伴って一神教となりたるは、これ道理によりてなりたるにあらずして、下のごとき事情によりてなりたり。曰く、人には己を愛するという我情あるがため、他人の神よりは己の神を高尚にし、他の種族の神よりは己の種族の神を高尚にするより、ついに最上の一神教現れたり。また神をなるべく丁重に敬礼するときは多くの愛を受くべしとの想像よりして、その神の品位を高め、ついに最高独立のものに変ぜり。故に多神教変じて一神教となるは、道理によりてなるにあらざるなり。それしかり。かくのごとく多神教は変じて一神教となるといえども、その一神教は一神教にとどまらずして、一神をして多神の相を取らしむることあり。なんとなれば、吾人が深く一神教の一神教なることを知るときは、なるべくこれに親接して愛をうけ救助を得んとの希望心生ずるなり。かくのごとき希望心生ずるときは、声も臭もなき無色無形の一神に向かいて愛を求め、救助をうくることあたわざる故、これを代表するところの偶像を造りて、これに向かいて愛を求め救助をうけんことを望み、ついに偶像をもって所帰の本体とするに至り、多神教と同一のものとなりしも、その多神教は外観こそ古代の多神教に同ずれども、その精神は大いに異ならざるべからず。これによりてこれを思えば、宗教歴史なるものは実に多神教と〔一神教との〕間を往復循環しつつあるものなりと論ぜり。

 氏はまた多神教と一神教との可否優劣につきては、理論上にてはこれを論ぜずして、実際上にては多神教は一神教よりもすぐれたるものなりといえり。その意いかんとなれば、一神教は独一無限の権力を有する神を立て、もって吾人の精神を束縛圧制すれども、多神教はその儀式外形こそ野蛮なるも、一神教のごとく圧制の極端に走り人心を束縛するの弊なければなり。故に多神教は一神教よりもすぐれりと(余おもうに、氏がかくのごとき説を吐きしものは、全く中古時代旧教の盛んなるに当たりてや、法王は神の威を一身に利用して人心を束縛し君主を抑制して、あるいは宗教軍を発し、あるいは無益の土功を起こして驕奢圧制至らざることなかりしを見て、ついにかくのごとき説をなせしものならん)。

 また従来の有神論者は、宗教は道徳に関係したるものにして、宗教なきときは世の道徳を維持し、またこれを進歩することあたわずと論ずれども、ヒュームはこれに反対して、宗教は決して世の道徳に関係したるものにあらず。なんとなれば、神が賞罰を立て、善行をなせばこれを賞し、悪行をなせばこれを罰するというがごときはただに世の道徳を幇助せざるのみならず、かえって人をして戦々兢々として、神にこびを呈し、ひたすら愛を求めんとして、その局自己の独立を失い卑屈に陥らしむるもの故、世の道徳を破壊するものなればなりと論ぜり。ここに至り氏はその論を結んで曰く、かくのごとき宗教はその起源より見るも、発道より見るも、また理論より見るも、実際より見るも、決して道理に合したるものにあらず。

 以上は氏の宗教上における議論なるが、氏が有神論者の宗教は道理に基づきて起こりたるものなりというを駁して、宗教は道理により生じたるものにあらずして、人の空想に基づくものとせしは至当の議論なれども、宗教には徹頭徹尾道理の分子を含まずというに至りては、実に極端の論といわざるべからず。なんとなれば、宗教は氏の言うごとく、その初め人の空想より起こりたるものなる故、その当時には道理なきものなるにもせよ、後には必ずいくぶんの道理加わりて人に真理としてあがめらるるに至るものなればなり。しかりしこうして、その後に生ずるところの道理は宗教の内部より発生せしものなるか、はた外部より付加せしものなるか容易に知るべからずといえども、深く考察するときは、その外部より付加したるものにあらずして内部より発生せしものなることを知るに足る。これをたとえば草木の初めて萌芽を発するや、いまだ枝葉も花実もなしといえども、漸次生長するに従い、従前あらざりし枝葉も花実も自然に生ずるに至る。しかれどもその枝葉や花実や外よりこれを加えたるにあらずして、かつて萌芽の中に含蓄せしものが発生したるものなるごとく、宗教もその初めには道理も真理もなけれども、漸次発達するに従い道理も真理もともに生ずるに至る。これその初起のときにすでに含蓄せしものが発生せしこと明らかなり。

 かくのごとく宗教の道理はその内部より発生したるものなるにもかかわらず、ヒューム以前の有神学者は外部に向かいて道理を求め、その道理によりて宗教を組成せんとせし故、ヒュームは力を奮いてこれを駁撃せり。しかれども惜しいかな、ヒュームの駁撃せしところは、ただ外部の道理にありて内部の道理にあらざるなり。氏にして今一歩進みたらんには、内部の道理を発見して真誠の宗教哲学を組織せしものなるに、氏のこれを発見することあたわざりしことこそ、かえってドイツ宗教哲学者の驥足を伸ばすところとはなれるなり。これを要するに、ヒュームの懐疑教出でざればカントの批判教も出でざるなり。カントの批判教出でて宗教哲学の光彩を増せしは、ひとえにヒューム懐疑教の余沢といわざるべからず。これをたとうるに、ヒュームはカント氏の先駆をなしたるものなり。故に、ヒュームの哲学上もしくは宗教上における功勲は決してカントに譲らざるなり。世の哲学を学ぶものはよろしくここに注目すべきなり。

 以下は再び前に回りてドイツ宗教哲学者の系統を講述せん。ドイツ宗教はカントに至り初めて真正の道理に基づきて解釈するに至れり。カントはライプニッツ、ヴォルフの両氏に影響せらるるところなきにあらざれども、右両氏の説はかつてイギリスに入り、一時該国有神学者のよりて基づくところとなりしが、ヒュームの有神学者の説を駁するの際、ともにこれを破斥し尽くしたれば、カント更に両氏の上に立ちてここに一新機軸を出だし、真正の宗教哲学を講ずるに至れり。さればこれよりただちにカントの宗教哲学を講述すべきなれども、その前にレッシングの学を略弁するを要するなり。

       レッシング

 氏〔Gotthold Ephraim Lessing〕は当時、学者の宗教論の浅薄なるを排斥して、一歩これを進めて高尚にせり。請う、その説の概略を述べん。氏は当時の有神論者が宗教の真理は経典中にありとして、経典を開きて真理を求めんとするの誤謬なるを破斥すると同時に、また世の懐疑学派が経典もしくは伝説中に存する道理を破斥し去りて、もって道理ありと信ずるの非なるを論破せり。氏の考えによれば、ヤソ教の真理は経典中の文字言語をもって拘束せられたるものにあらず、言語文字に拘束せられたるものは死物にして真理にあらず、真理は必ず言語文字の外に存するものなり。また歴史伝説のごときものに向かいて、決して得べからざるものなりと論ずるもののごとし。氏の言に曰く、経典はヤソ教にあらずして死物なり。なんとなれば、経典の世に出ずるにさきだちてすでに宗教の道理存し、経典なきも宗教は道理により、信向によりて成立することを得ればなり。またたとえ『バイブル』をもって宗教の宝典とするも、その中には道理のみ存するにあらずして、不道理のこともなしというべからず。かつ『バイブル』には表面の文字と裏面の意味とあることなれば、これを指してただちに宗教というべからず。かくのごとく『バイブル』はただちに宗教にあらざる故、世の有神学者がこれに向かいて道理を求めんとするの誤謬なるを知ると同時に、また世の懐疑学者がひたすらその論鋒を伝説もしくは経典に向けてこれを駁撃するの非なるを知る。およそ歴史上の事実もしくは経典上の証拠は、宗教者が他の反対者に対するときの証拠となるに過ぎずして、これによりて宗教発達し、これによりて宗教成立するにあらず。故にたとえ歴史が経典の上にキリストが死人を蘇生せしめしことあるも、またキリストが自ら呼びて神子なりといいしことあるも、いまだこれをもってキリストを神子なりと信ずることあたわず。なんとなれば、吾人の宗教を信ずるは、経典によるにあらず、歴史によるにあらず、ただちにわが思想に訴えて真理なりと思うものを信ずるにあればなり。宗教必然の道理はわが思想中にありて存するものなり。いかんぞ歴史、経典中に存する二、三の事実が、かくのごとき必然の道理を定むるを得んや。果たしてしからば歴史、経典なるものは、宗教の本源にあらざると同時に、これによりて道理を求むべきものにあらざるなり(氏が経典を捨ててわが思想上に道理を求めしは、あたかもわが国の仏教者が鎌倉以前にありてはその研究するところただ経文上の言語詞章の間に彷徨して、その外に真理の存することを知らざりしかは、ここに禅宗起こりて仏教従来の研究法を変じ、「教の外に別に伝え、文字を立てず、ただちに人の心を指し、性を見て成仏す。」(経〔教〕外別伝不立文字直指人心見性成仏)と説くに至りしものとその跡を同じうせり。また奇というべし)。

 かくのごとく氏は、世の宗教者が経典もしくは歴史につきて宗教の道理を発見せんとするを破すと同時に、また懐疑学者が経典もしくは歴史のみにつきてこれを駁するの非なるを破し去りて、ここにライプニッツの元子発達論を宗教上に適用して、宗教心の発達を説明せり。レッシング曰く、およそ発達ということは外界の草木のみにくぎることにあらずして、内界の思想もまた発達するものなり。すでに内界の思想にして発達するものなるときは、その中に含有する宗教思想もまた発達せざるべからず。しかして真誠の宗教思想なるものは至りて深遠高妙なるものなれども、これに反して世の経典ならびに歴史上に顕示せられてある宗教は、極めて浅薄卑近なるものなり。かくのごとく二者相異なるといえども、これただ発達の度を異にするのみにして、その体異なるにあらざるなり。故に世の浅薄卑近なる宗教中には、かの深遠高妙なる宗教の道理を含有するをもって浅近なる宗教も、ついには進みて深遠の宗教となるなりと論じて、古来の学者たとえばスピノザもライプニッツのごときも、いまだこれをして一致せしむることあたわざりし、道理的宗教と通俗的宗教とを一致せり。

 前述のごとく氏は真誠の宗教の人の思想に基づくものにして、歴史、経典に基づくものにあらずと論じたれども、歴史、経典をもって無用物となせしにあらず。なんとなれば、深遠高妙なる宗教は、歴史、経典の上に基づきたる浅薄なる宗教によりて発達するものなれば、浅近の宗教はとりもなおさず深遠高妙の宗教を開発するところの階梯なるものなり。氏はまた『バイブル』は人の宗教思想を発達せしむる教育書なることを示さんために、人間一生涯を分かちて三段となし、第一期幼稚のときには永遠の目的なくして、ただ眼前の快楽を望むの外なし、第二期少年のときには五感の快楽を望むの外、未来の善もしくは徳もしくは名誉等を望むものなり。第三期成年のときには別に未来に望みを有せずとも、社会に処し他人に交わるには互いに約諾を守り、義務を重んぜざるべからざることを知るなり。かくのごとく人の発達には三段ある故、その発達を幇助するには経典を用いるにしかずと論じて、経典の人世教育上に必要なるゆえんを述べたり。

 以上論ずるところ、これを一見すれば氏の説は極めて浅薄なるがごとくなれども、その実高尚なるものなり。なんとなれば、氏の目的は浅近の宗教信者を導きて、高尚なる宗教信者となさしめんとするにありしをもって、高尚なる身体をおおうにかえって浅近なる衣服をもってせしもののごとし。それしかり、氏はかくのごとき目的なりしをもって世の無智の輩の信ずる天啓奇跡等も、これを真正なりと許容し、もって高尚なる宗教に誘導するの媒介とせり。果たしてしからば、世の天啓顕示教は人智発達上には極めて必要なるものにして、もしこれなきときは無智の輩は変じて高尚の宗教に入ることあたわざるなり。これ氏が『バイブル』は人の宗教思想を発達養成するための要具として、神の説きおきしものなりというゆえんなり。

 氏はまた論じて曰く、太古にありては人々一神教を信奉せしも、人智ようやく開くるに従い、憶説想像をもって種々の道理を付加し、ついにこれをして多神教に変形せしめたり。しかるに神は一神教の隠滅せんことを恐れ、早くも「イスラエル」人すなわちユダヤ教の人種を教育してこれを保持せしめたり。これ天啓教なり(『旧約全書』に載するところの神は絶対的理想的の神にはあらざれども、多神教にはあらずして唯一神教なり。これ「イスラエル」人の世に信奉せし神にして、この神は更に「イスラエル」人によりて保持せられたりというべし)。これに反して、別に天啓によらずして知識道理によりて一種の宗教を信奉せしものあり。ペルシア人、ギリシア人等のごときこれなり。かくのごとく二者その基源を異にすといえども、後には互いに相より相助けて天啓教の長所をもって自然教の短所を補い、自然教の長所をもって天啓教の短所を補い、ここに一種高尚なる宗教出でたり。しかるに一方にはかの天啓教を奉ずる「イスラエル」人中にイエス・キリストなる者出でて、さきの天啓教よりは一層深遠高妙なる宗教を組織するに至れりと。かくのごとく宗教はその初め真理なりと信ぜられしも、後にはこれを不真理なりとして排斥するものあるに至りたりといえども、宗教には深遠高妙なる道理あるものなれば、これを開発しこれを発達せしめて、もって浅薄の宗教より高尚なる宗教を開示するに至れりと論ずるなり。

 かくのごとく氏が世人の排斥して顧みざりしところの宗教を取りて、その中より一種高妙なる真理を発見せんとせしは、余の最も敬服するところなり。なんとなれば、およそ普通の人は過去未来を洞見するの明なき故、ただ常に世人の言うところ、なすところに従い、世人の是非するところを是非し、世人の好悪するところを好悪し、世人が真理とすればこれを真理とし、世人がしからずとすればこれをしからずとして、独立一定の見識なきも、レッシングのごときはこれと異なり、世人が不道理なり不真理なりとして排斥せし宗教を取りて、その中より一種高妙の真理を発見せんとせしその卓見は決して常人の及ぶところにあらざるなり。余は常にわが国学者社会のありさまを見てつねに嘆ずるところのものあり。見よ、わが国維新以来、文物大いに勃興して、旧来の面目を改めたりといえども、これと同時にわが国在来の文学、技術はとみに衰えて人のこれを顧みるものなく、特に宗教上のことに至りては概してこれを研究する者なく、たとえこれあるもいたずらに表面のみにとどまりて、裏面にいかなる真理なるかを知らず、はなはだしきに至りては宗教をもって無用の長物とするに至る。あに嘆ずべきの至りならずや。かくのごとく世人はこれを捨てて顧みざるも、学者はこれを取りて研究すべきの責任を有するなり。なんとなれば、世人の捨てて顧みざる宗教も、取りてこれを研究するときは、その中よりいかなる真理を発見することあるや、いまだ知るべからず。たとえ真理を発見することなきも、これを研究せんがために一種高妙の智識を獲得することなしというべけんや。たとえば仏教中にある須弥説のごとき、これを現今の地球説に比すれば一見不理なるがごとくなれども、深くこれを研究するときは、その内にあるいは古人未発の真理あるもいまだ知るべからず。また古来ギリシアに行われし天文説の一種たる、かの太陽をもって宇宙間の熱を呼吸し、再びこれを宇宙に反射するものなりとの説をも研究して、その中につきて真理の有無を正さざるべからず。果たしてしからば、世の学者たるものは現今の道理のみをもって甘んぜず、進みてその反対の地に想像をめぐらし、一種特別の真理を発見せざるべからず。

 上来講述せしがごとくレッシングの宗教論は、かの天啓、経典等は人を教育してその本性固有の宗教心を開発せしむる方便、媒介に過ぎず、しかして人を教育する目的は未来の賞罰をもってなすべきものにあらずして、人間自為の天性を開発するにあり、故に未来の賞罰をもって外部より教育する宗教のごときは、深遠高尚の宗教にあらずして、吾人本性の道徳心もしくは道徳心を開発するものをもって、深遠高尚の宗教となすなりと論ぜり。かくのごとく氏の説は当時の説に反して、真誠の宗教は吾人の心中に固有する宗教心を開発するにありとせしは、全く理想的宗教論にしてヘーゲルの理想論を喚起するの端緒を開きたりというべし。およそ世の理想的宗教を説くものはただ理想の一方に偏して、外部の事情、たとえば天啓のごとき、経典のごとき、儀式のごときも、ことごとく放棄するといえどもレッシングはこれを放棄せずして、内部の宗教心を開発するに必要なる媒介として宗教の精神と外形とを結合せり。されば氏の説は天啓と道理とを一致せしめ、天啓をもって道理を開発する手段とするにあり。しかして従来の有神学者の説には、ヤソをもって人間とするものと人間以上のものとするの両説あるうちレッシングは前説を取りて、ヤソはこれを経典に徴するも、歴史に考うるも人間以上のものにあらずして人間なれば、その教ゆるところもまた人間の倫理道徳に外ならずと論じて、人間の倫理道徳を基礎とするものをもって真誠の宗教とせり。これを要するに、氏が宗教心をもって人心内に胚胎するものとなし、これを開発するをもって宗教の目的と論ぜしは、実にカントおよびヘーゲルを喚起する指導者たるに相違なきなり。

 上来陳述せしところによるに、レッシングの説はライプニッツの説に関係あるはもちろん、中には往々スピノザに関係するところあれば、その大略を左に陳述すべし。

 レッシングは一切万有は神を離れて成立するものにあらずして、神の上に成立するものなれば、万有の本体すなわち神なりと説きしは全くスピノザの万有神教によりしものなり。また神とこの世界との関係につきて、氏は神をもって外部の上に立てずして主観の上に立て、二元の上に立てずして一元の上に立てたり。故に神の世界に及ぼす関係は、遠くこの世界を離れたる外部の上より及ぼすにあらずして、内部より及ぼすものなりと説きしも、またスピノザの説に基づきしものなり。またレッシングが外部の目的論を排斥せしことも、またスピノザに一致する点なり。

 つぎにはレッシングのライプニッツに関係する点を陳述せん。レッシングは上にも述ぶるごとく外部の目的論は排斥したれども、しかれども内部の目的論はこれを取りたり。これライプニッツの目的論に一致する点なり。ライプニッツは神がこの世界を創造するとき、すでに来々万々世の後に至るまでその目的を定めたれば、吾人はその目的に従って進向せざるべからず。しかれども外部の目的に従うにあらずして、神が吾人に賦与せしところの一定の規律に従って進向するものなれば、すなわち内部の目的に従って進向するなりと。これレッシングの内部目的論のよりて基づくところなり。

 またレッシングはライプニッツの原子は個々に独立して発達するものなりとの説を取りて、個人の発達完全を説きたり。これを諢言すれば、吾人は自然の本性を発達して一個人の完全を得るを目的とするものにして、個人にして完全に進めば社会もこれに従って完全に達し、社会の完全は一個人の完全を発達したるものに過ぎず。これをもって、道徳も宗教もその目的たる三〔一〕個人の完全発達にあり。しかしてこの完全なるものは無限のものにして、一朝一夕に達し得べきものにあらず、いくたの歳月を経て初めて達し得べきものなれば、吾人はもと無限の生活を有する故、幾度となく生まれ変わりてこれに達せざるべからずと論ぜり。

 レッシングはまた自由説と必然説とのうち必然説を取りたり。これスピノザに一致する点なり。しかれどもレッシングは必然をもって神の予定に帰せし故、ライプニッツにも一致するところありというべし。ライプニッツは自由論者なれども、通俗の自由論とは異なりて必然的自由論者なれば、必然をもって神の前定とするものなり。さればレッシングの必然説と異なることなくして一致するものなり。

 これを要するに、レッシングの宗教論はスピノザの万有神教ならびに必然因果説に、ライプニッツの天帝予定説ならびに原子発達論を加えて組織したるものにして、その長所は人間に固有する宗教心をば、教育の媒介によりて開発するをもって唯一の主義となせしにあり。かくのごとく氏が宗教心をもって人間固有のものとなし、真誠の宗教はこれより発達するものなりと論ぜし故、カントはこれによりて主観的宗教論を学理の上に立てたり。そもそも当時の宗教論は極めて浅薄にして、そなうるに足るべきもの一もなきありさまなりしかば、レッシングはこれを貶斥して、かくのごとき浅薄なる宗教を取るよりも、むしろ保守的独断宗教を取るにしかずといえり。カントもまたかくのごとき浅薄なる宗教論をばことごとく排斥して、ここに新たなる道理的批判宗教学を組織せり。されば近世期の宗教哲学は、カントに至りて初めて完備なりというべきか。

       カント

 カント氏〔Immanuel Kant〕の宗教哲学を講ずるに当たりて、まず氏が哲学の全系につきてその梗概を陳述せざるべからず。氏は近世哲学中興の祖と称せらるる人にして、自家独得の見をもって従来の哲学を論破し、新たに一機軸を出だして確固たる基礎の上に一家の哲学を組織したるものなり。もちろん氏が哲学の起因はその以前の諸説に基づきたるものなれども、従来の哲学たるその基礎の鞏固ならざるがために、往々論点の動揺を免れざりしかば、氏は更に堅牢なる基礎の上にその哲学を築きたり。けだし氏以前の哲学は概して二派に分かれ、一を独断学派といい、一を経験学派という。独断学派においては人の知識道理は正確なるものにして、すべて思想上にあらわるるものは決して疑うべからざるものなりと仮定し、経験学派においてはこれに反し、すべて外界の事物は真正なるものにして、これによりて生ずるところの知識は決して誤ることなしと仮定し、おのおのその哲学を組織せり。かくのごとく一は思想を確実なりと独断し、一は経験を真正なりと仮定し、もってその論法を進むるが故に、おのおの一方に偏するの弊あり。したがってその論礎また極めて強固ならず。彼らは思想は正確なりと信じて思想そのもののいかんを知らず、経験は誤謬なしと考えて経験そのものの成立を顧みず。これにおいてカントはこれらの欠点を看破し、一新面目を哲学界中に開きたり。ただし氏の以前にありてイギリスのヒュームすでにこれらの弊を破斥し、もって一の新説を立てんことを企てしも、惜しむべし、その説ついに懐疑に陥り、完全なる哲学を組織することあたわざりき。また当時フランス、ドイツ等の諸国においては、その初め高尚なりし哲学も、漸次通俗に傾き浅近に流れ、萎靡振るわざるのありさまとなりしが、カント出でてこの頽勢を挽回し、なお一層高尚深奥の度に進めたり。これに加うるに、氏は従来論争の絶ゆることなく調和するを得ざる両学派を折衷し、その相一致する点を発見し、もって両者を成立せしむることを得たり。以上の諸点はすなわちカントが近世哲学中興の称あるゆえんなり。

 ここに主観と客観とあり。経験学派は曰く、主観は客観に付属し、常にこれがために支配制限せらるるものなりと。独断学派は曰く、客観は主観に属し、常にこれがために支配制限せらるるものなりと。その説全く相反して氷炭相いれざるのありさまなり。カントはこの両説を折衷し、主観的のわが心は実際上よりいえば、自由の力を有し、外界の事物を制限し得るものなり。しかれども理論上より論ずるときは、主観は客観の制限を受け、外物を待ちて初めて成り立つものなりとす。故に氏の哲学は理論と実際との二方より成り、その理論に属するものを純正道理批判(純理批判)といい、その実際に属するものを実際道理批判(実理批判)という。

 純理批判より見れば、吾人の心は外界の制限を受け、外界の事物わが心に入りて初めて知識を生ず、故に外界は能動にして内界は所動なり。また実理批判よりいえば、主観は能動にして、自由の力を有し、外界を支配することを得るものなり。かつ理論上においても、主観のわが心は外界の材料を待ちて始めて知識思想を生ずるものなれども、そのいわゆる知識には主客両観を含有せり。なんとなれば、吾人が一物を一物として認識することを得るは、主観のわれと客観の事物と結合して成り立つものなればなり。しかしてその外物を認識するところの力は、わが心内に先天的に存在せるものなり。かくのごとくしてカントは知識経験はいかにして生ずるものなりやということに論及し、もって従来諸家が仮定せしものをなお一層深く批評審査するの目的をもって講究せり。故に氏の哲学を批判哲学という。また氏の哲学を称して超理的哲学(Transcendental philosophy)ともいう。超理的とは吾人がわが知識をもって外界の事物を研究するに、外物そのものの本体に至れば思想更に一歩も進むを得ず、かえって後ろに反戻せらるるの感あり。故に物の本体は思想外に超然たるものにして、吾人の知識はただ外界の現象を包括するに過ぎず。しかれどもまたあえて物の本体はわが知識をもって全く捜索すべからざるにあらず、ただわが知識は現象と本体との境界に達してその本体あるを望見するのみにて、その境遇に超入することあたわざるなり。

 またカントの説によるに、吾人の知識には形と質とあり。すなわち知識そのものを組み立つるところの形式と、これを満たすところの体質とありて初めて知識を生ず。しかしてそのいわゆる形式は先天的に存在するものにして、体質は五官を経て入るところの外界の現象これなり。故に知識は主客両観相結合して生ずるなり。氏はまた心を覚性、悟性の二種に区別し、その二者にまたいずれも、外界より得きたる後天的のものと、先天的に内界にあるものとの二種ありとす。

 まず覚性につきていえば、吾人が五感の媒介を経て外界の事物を感覚することを得るは、主観において時間空間の先天的形式あるをもってなり。論者あるいは時間空間をもって外物に属するものなりという人あり。もし果たして外物に属するものならば、外物の滅すと同時に時間空間も滅すべし。しかるに吾人の思考中において、外物の悉皆消滅して宇宙無一物の世界に達すということはこれを考え得べきも、時間空間の消滅は到底考察するを得ず。しかもいかなる事物を問わず、これを感覚するには時間空間の関係せざるものなし。故に時間空間は吾人の心ある以上は決して心を離るることなく、外物にさきだちて先天的に存在し、かつ無限なるものなり。また氏は悟性の上に一二の原則を考定し、吾人が感覚上あるいは見、あるいは聞き、あるいは触れてその冷暖、堅柔、方円等の性状を結合しもって単一となし、これは一物なりとわが心に認識する力は先天的に存在せるものなりとし、覚性悟性ともに先天的形式の存在せることを論定せり。しからば外界の事物は吾人の知識をもって果たして知り尽くすを得べきか。曰く、否、吾人の知るところのものはただその外物の現象なり。外界はもと時間空間より成り立てるものにして、その時間空間はわが心の上にあるものなれば、もしわが心の上に時間空間を取り除かば外物なるものなし。故に外界の現象はわが心の上にあらわれたるもののみ。しかれどもその外物の本体に至りては、吾人の知識の得てうかがい知るところにあらずと。

 カントの純理批判において論ずるところは大略上に述ぶるごとくにして、神および道徳上の原則のごときはことごとくこれを排斥せり。しかれども実理批判においては主観をもって能動とするものなれば、神なるものを立て道徳上の原則も定めたり。故に純理批判と実理批判とは二者全く相異なりて、あたかも一手の表裏をあらわすがごとし。しかしてこの両者の結論をなせしは断定批判なり。この実理批評〔判〕は宗教哲学に関係を有するをもって後に細論せんとす。今いささかカント氏の年代を挙ぐれば、氏は一七二四年四月二二日をもってドイツ、ケーニヒスベルクに生まれ、長じてその地の大学教授となれり。その著書たる『純理批判』は一七八一年に、『実理批判』は一七八八年に、『断定批判』は一七九〇年に発行し、一八〇四年二月一二日をもって遠逝せり。

 つぎにカントの宗教哲学を講ずる前に、なお従来宗教哲学上に各哲学者が論究せし順序を略述せざるべからず。そもそも宗教を哲学的に論ぜしは、スピノザをもってその嚆矢とす。もちろん哲学全体の上よりいえばデカルトをもって首祖とすといえども、氏の宗教説たるヤソ教に立つる神を用いしものなれば、哲学として考うべき価値なし。しかるにスピノザは宗教を哲学の上に説き純然たる宗教哲学を組織したるものなれば、氏は実に宗教哲学の元祖といわざるべからず。氏の説は万有神教の上に論じ出だし、世界万有の本体をもって神とし、物と心とは神すなわち本質の上にあらわれたる属性となし、その結局吾人が神に達するは、外に求むるを要せず、内に省みて心内の極めて高尚なる道理的思想の本体に到達せば、神と合一するを得べしといえり。故に氏の説は内界に偏する宗教論となり、外物の上に欲念を起こすことを抑制し、単に内界の清浄高尚なるを願求し、ついには遁世脱俗の風を起こさしむるに至れり。これに反して外界に神を立てしはライプニッツなり。氏は外界に神の存在することを唱うれども、その説ヤソ教に説くところとは異なり、道理をもって基本としてヤソ教の神を説明せしなり。故にスピノザとライプニッツとはその説全く相反して内外の区別をなし、前者は厭世に過ぎ、後者は楽天愛世に傾くに至れり。さればヤソ教者はライプニッツを得て大いに理論の援助を得たりしがごとく、仏教家もスピノザの説を研究せば得るところまた鮮少ならざるべし。かくのごとく二氏反対の地に立ちて相争いしが、その以後漸次浅近に流れ、ドイツにありてはヴォルフ、ライプニッツを襲いしもかえって浅薄となり、フランスもまた絶えて高尚なる理論を唱うるものなく、イギリスの唯心派は元来宗教上に高尚の理論を用いざるものなれば、その説また通俗にしてもとより論ずるに足らず。しかるにカントの以前に当たりて再び宗教哲学をして高尚ならしめ、カントに向かいてその講究の道を開きしものはイギリスのヒューム、ドイツのレッシングなり。ヒュームは従来の諸説をことごとく破壊し、消極的にその道を開きたり、当時イギリスの唯心論者は経典の文字、歴史上の事実等の上においてのみ論争せしが、ヒュームは歴史、経典をもって神の在否を考定するがごときはもとより無用の争論とし、かつ学理上の論究もいまだもって信ずるに足らずとしてこれを排斥して曰く、吾人が実際上神ありと信ずるは原因結果の規則に従い、この世界あれば必ず能造の神ありと想像するによるものなり。しかれどもこれ吾人が目撃する狭隘なる境遇において経験上発見せし事実のみ。これをいかにして経験外なる神の上に適用するを得んやと、その極ついに懐疑に陥れり。しかれども氏が破壊せしために、再び新基礎の上に更に新家屋を改築せざるを得ざる場合とはなれり。またレッシングはこれに異なりて積極的にその道を開き、直接にカントの前駆をなせり。氏は従来の学者が文字言語の上に宗教を説きしを非難し、宗教は文字の上にあるにあらず、宗教はなお深きところに宗教の源ありて、経典は深きところにある宗教心を開発するところの教育的のものに過ぎずと論ぜり。これすなわちカントに講究の道を与えしものにして、レッシングが宗教は人心中にありといいしを、カントは更に進みていかにして人心中に宗教の存在するかを講究し、確然たる基礎の上に学理上の組織をもって宗教哲学を論ぜり。

 カントの哲学はこれを批判哲学といい、その宗教哲学もまた批判的宗教哲学という。しかしてカントの説はその源スピノザ、ライプニッツより起こりしものなれば、批判的宗教哲学はスピノザに始まりてカントに至り大成したるものというべし。

 上来カント哲学の大綱を説きしが、その宗教説たる大いに知識論と関係するをもって、今まさにその宗教哲学を講ぜんとするに当たりても、なおいくぶんか知識論を混説せざるべからず。よって余はその大体を述べしにもかかわらず、ここに再びその要を摘みて知識論を講ずべし。カントの知識論は二種の本源より成る、一は経験、一は思想なり。すなわち物と心との二者相待ちて知識を生ずるなり。イギリスのロックは知識は経験よりきたるとなし、ドイツのライプニッツは知識は本来そなわれるものとなせしが、カントはこの両説を取り、一部分は本来具有し、一部分は外界の経験より得るものとせり。しかして心を覚性(感覚)と悟性(理解)とに分かち、二者ともに先天性ありとす。すなわち覚性には時間空間をもって先天性直覚となし、悟性には一二の原則をもって先天性思想とす。そもそも吾人の心にありて感覚経験するところのものは時間空間の先天的直覚を離るることなく、また吾人が一物を一物として認識するは個々別々なるものを集めて一物とする先天性思想の力あるをもってなり。故に外界の現象はすべて心の上にあらわれたるものなりとす。ここにおいてカントの説、唯心論に傾くがごとし。しかれども外界の事物そのものの本体に至りては、わが心を離れて独立現存するものなり。その本体と現象との間にはこれを隔離するところの一の界線ありて、吾人の覚性悟性この点に至ればただちに反戻せられ、いかなる方法をもってするも、本体のいかんは到底これをうかがい知るを得ず。しからばその本体の実存せりということはいかにして知るを得べきか。氏はこれに答うるに消極的の説明をもってし、吾人の知識、本体を探らんとしてその界線に至り反戻せらるるは、これ本体の反射にして本体あるの証なりと。しかれどもカント哲学の難問は実にこの点にありて、本体は知るべからざるものとしながら、なにをもってその現在を知り得るか、すでに知るを得ず、なにをもって知識の本体との分界をなすや、氏もまたこの点においてはその説明十分ならず。氏の考えによるに、およそ現象あるものは必ずその本体あるべし。吾人の心中に先天の事情あるが故に、よく外界の事物を経験することを得。これと同じく物の現象ある以上は、またその本体の存せざる理なしと。しかれどもある場合においては氏自身もその本体の存在を疑い、判然その決心なきがごとく見ゆるところあれども、とにかく結論に至りては本体ありと定めたり。

 カントの『純理批判』においての長所は、先天性の存在を吾人に示せしにあり。こはすでにその要領を略述せしが、思想上の先天性には氏は一二の原則を立て、これを数理によりて証明せり。数理は吾人が実際上外物に適用するに際し、もし事実の数理に齟齬することあるときは必ず事実をもって誤れりとし、再び事実を験するに、みなしからざるはなし。例せば「三角の和は二正角に等し」とはわが心にそなわれる数理なるが、もし事実上三角の和二正角に同じからざれば、必ず事実において誤りあるを発見すべし。これ数理はわが心に固有して普遍必要の性質をそなうるものなればなり。普遍とは、いずれの所いずれの場合を問わず、同じく一と二と合して三となれるがごとく、必要とは、いかにするも必ずしからざるを得ざるものをいう。この普遍、必要の二性をそなうるものをもって真理とす。今、二と三とを合して五となるは正確疑うべからざることなり。しかれども二と三とを五に比するに、五をもって多しとす。なんとなれば、実際上二と三とをそのままにして五となるにはあらず、二と三とをわが心において先天的統合の力をもって統合して五となるが故に五となるなり。されば五をもって二と三とよりは多しとせざるべからず。かのイギリス派の学者は常に経験を口にすといえども、経験のみにて知識を生ずるにあらず、これを統合して知識となすは実にわが心の上にあり。

 前述せしごとく、カントは吾人が外界の事物を感覚、経験し、これをわが心の上に結合するを得るは、畢竟わが心の本体一なるが故なりとし、この主観の本体を名付けて自覚の体という。しかして主観と客観とは並立するものなれば、主観において自覚ありというと同時に外界現象の本体なるものは存在せざるべからず。たとえこれを知るを得ざるも、その存在は明了にして疑うべからずといえり。これによりてこれをみるに、氏の説は人の知識、感覚、経験はみな自覚の上にあらわれたる主観的のものにして、客観事物の本体は別にわが心を離れて存在すとしたるなり。しかれども氏はすでに外物の本体はある限界のために遮断せられ、これを知るを得ずと唱えながら、外物の本体あるは疑うべからずといいしは、氏が哲学の一大欠点にして論理上の撞着を免れず。けだし氏は従来の二元論とは相異なりといえども、また一種の二元論を主唱せし人にして、その以前の二元論は単に物心の現象上に説きたるものなりしも、氏は本体の上に二元を分かつに至れり。もし果たして本体の上に二元の別あるものならば、物の本体のわが心に知らるべき理なきはもちろんなるに、心の外にこの本体ありと断定せしは氏の欠点なり。故にこの論は更に一歩進めて物心の本体一なりといえる一元論とせば、明らかに領会するを得べきなり。これをもって氏の以後フィヒテ、シェリング、ヘーゲル等、みなカントの二元論を進めて一元論の方向を取れり。しからば何故にカントは一元まで説き及ぼさざりしか、これ氏が従来の哲学を引き継ぎて折衷説を唱えたるものなれば、その見識のいまだこの点に達せざりしも道理なり。けだし氏の以前には一派の論者は外界をもととし、一派の論者は内界を主とし、その説全く相反対し水火相いれざるありさまなりしをもって、氏はこれを結合せんとしたるものなれば、いまだかくのごとく性質の反対したりしものの、その体一元なりとは考え得ざりしなるべし。しかれども『純理批判』を読むに、その説一元論の門戸に達せるを覚ゆ。氏もある場合においては、感覚以上に至れば物心の本体がある一の基礎より成立せるがごとき言を発せしことあり。しかして『断定批判』においては『純理批判』と『実理批判』とに説きしを結びしものなれば、物心二者をしてやや一致せしむるがごとく説きたり。故に氏の説はその表面においては二元論なるも、その内実は一元論を含有せり。これカントが後世学者に講究すべき余地を与えたるものというべし。かくのごとく氏の説は論理上完全なるものというを得ざれども、その以前において単に現象の上にとどまりし問題を更に進めてその本体を発見し、もって一元論の端緒を開き、これによりて氏以後の哲学をしてますます盛んならしめしは、実に氏の功といわざるべからず。

 今カントの哲学が論理上撞着せる一例を挙ぐれば、氏は人智は現象の範囲内にとどまるものにしてその本体は知るべからざるも、すでに現象あればその本体の存在は疑うべからずとす。なんとなれば、主観のみにては事物の現象を示すことあたわず。たとえその現象は心の上にあらわるるも、その現象を与うる本体心外にありて存せざるべからざるをもってなり。しかしてこれを説明するに原因結果の理をもってし、外物の現象わが心にあらわるる以上は、その原因たる実体なかるべからずとせり。この原因結果の原則は、一二の原則中の因果則(Causality)なる一理なり。この証明は論理と撞着を免れざる点にして、初め本体は別に独立せるものなりとしながら、因果の原則を当てはめてこれあるを知らば、わが思想をこれに当てはめて知るにあらずや。すでにわが知識を実体に及ぼして知らば、実体なるものはわが知識以内にありといわざるべからず。これ後にフィヒテが物の本体を心内に入れて唯心論を完成せしゆえんなり。またカントは外界の事物は常に変化してとどまらざるものなれども、この変化中に変化せざる基礎あり。すなわち現象と本体との関係なり。これを一二原則中に体象則(Substance)という。この原則によるに、事物の基礎たる本体なかるべからずと証明せり。これまた論理上の撞着を免れず。この原理も一二原則中の一にして、これを当てはめて本体あるを定むるは、これまた思想を事物の本体の上に当てはめしものなれば、本体は思想中に存すとなさざるべからず。以上は氏が哲学の一大欠点なるが、この欠点あるがために、その後に至り一元の理いよいよ明らかなるに至れり。

 これを要するに、『純理批判』にては先天性の道理によりて事物の本体はわが知識のあずかり知るところにあらざれども、その本体の存在は決して疑うべからずと結び、『純理批判』にては更に進んで理性なるものを覚性悟性の上に加えて説きたり。しかして理性の上には観念ありて、この理性の観念は知識の境遇を超えてなお一層高きところに立ち、覚性悟性においていわざるところの精神の不滅、意志の自由、および天帝の実在ということを考え出だすと説けり。しかるに氏は『純理批判』においては、これらの問題はみな空想にとどまるものとしてことごとくこれを排斥せり。そもそもこの世界の事物万有に秩然たる規律ありて運行成立するは、これを造出したるものありて定めしならんというものあれどもこれ空想にして、この世界にいかなる規律あるにもせよこれあるをもっての故に神ありとするは不当の理にして、わが知識の上に考えて正確なりと認むるを得ず。畢竟これらの想像は人が理性に欺かれたるものにして、覚性悟性は現象の範囲外に一歩も出ずるを得ざれども、理性はこれを超えて無限の想像をなすを得るものなれば、これらのことはすべて理性に欺かれたる真の空想なりと破壊せり。かくのごとく破壊し終わりて『実理批判』に至れば、この問題を成り立たしめたり。これ氏が心を二様に見、一は論理より、一は倫理より見たるをもってなり。論理の作用は智力に属し、倫理の作用は意志に属す。智力一方より見れば天帝の実在のごときは正確なりとするを得ざれども、これを意志より見るときは正確なりと認むるを得べし。けだし『純理批判』は論理を目的とし、『実理批判』は実際を目的とするをもって、道理が二様の方向に働き、『純理批判』にては道理が外界に関係していかなる位置に立つかを説示し、『実理批判』にては道理が道徳に関係していかなる位置に立つかを説示し、前者は心が所作用の位置にありて外界を待ち、後者は心が能作用となりて外界を制する方となる。故に一方に破壊せしものを一方において構成し、知力の上には空想なりとするも意志の上には必要のものとなる。かくのごとく『純理批判』にては智力に限りありて無限に達するを得ざれども、『実理批判』にてはわが意志は無限を知り無限に達する力ありとし、両者全く相反せるを『断定批判』にてはこれを一致せしめ、もって一元論に近づかしめたり。

 カントが神の実在等の問題は純理上空想なりと判断せしことはすでに陳述せしが、その説ついに懐疑に陥れり。氏は通俗の有神説に対して曰く、彼らが神は実在せりというは蓋然の道理をただちに必然として論ずるものなり。神はけだしあらんという論理は吾人の認め得べきものなるも、これをもって必ず存在せりというは論理の正鵠を失するものなり。また彼らは原因結果の理を推して神の存在を証明すれども、もとこの規則たる吾人の経験をもって考定したるものなれば、吾人の経験の範囲内においてこそいわるれ、経験範囲外の神に適用するは、その応用を誤るものなりといわざるべからず。また彼らは宇宙の秩序整然たるを見、あたかもここに家室あれば必ずその構造者あり、ここに書籍あれば必ずその著作者あるがごとく、この世界にはあらかじめこの世界を造りしものありて、これに規律を賦与せしめたるものなりといえり。吾人はこの世界ある以上はその構造者ありということはいくぶんか想像し得ざるにあらず、しかれどもただその構造者ありというを得べきのみ。あにその創造者ありということを得んや。材料を集拾して家屋を組み立つるものあるも、いまだ材料をも創造する大工あるを知らずと。かくのごとく『純理批判』よりはこれらの問題は全く空想に過ぎずと排斥せしが、この点は実にカントの説の懐疑に陥りたるを疑わしむるものなり。しかれども氏は純粋の懐疑論者にあらず、もとヒュームの懐疑説に反対し道理一方より論じ出だしたるも、なおいくぶんか懐疑説の余響をこうむりてその臭味を脱することあたわざりしのみ。要するに氏はヒュームの懐疑説を破壊し、なお一層深高の点において懐疑となりしものなり。

 『純理批判』と『実理批判』とは全く反対の結果をあらわし、前者に破壊したるものを後者において構成せり。しかれどもまた一方より見れば、かく二者反対の位置に立つもその実はただ一なり。けだしその見るところの方面相異なりて、一は論理よりし、一は倫理よりしたるをもってなり。今カントが『実理批判』に説くところの倫理説を見るに、その主唱するところ全く義務説にして、氏のいわゆる義務とは人の必ずしかせざるべからざることをいうものにして、この義務の観念は外界に制せられて起こるにあらず、全くわが心の自由力の指揮するところなり。従来の経験論者はすべて道徳は経験より起こるとなせども、氏はこれを排斥し、義務はなお一層深きところすなわち意志の自由より起こるものにして、道徳上の自由は感覚の境遇によりて支配せられず、外界に対しては独立して能作用たる力を有すと。ここにおいて『純理批判』に否定せる問題を『実理批判』において正定することを得たり。

 以上論ぜしところについてその論理上の撞着を挙ぐれば、カントは『純理批判』に破壊せしを『実理批判』に構成したるは、その撞着のきらいを免れたるがごとく見ゆるも、その実決してしからず。まず純理上よりいえば、氏は第一に経験のみにては真理を証明するに足らずとして経験論に反し、人の知識は先天性の形式より生ずるものにして、外界の経験はこの先天的形式の上に成立すと論じ、つぎに知識の材料となるべき外界はその実主観上の現象なり。この現象の外に外物の本体あるべきも、わが知識は現象の外に進むことあたわずと説き、その結局に至りてわが理性より想像せし神のごときは空想なりと排斥せり。これその撞着を免れざる点にして、始めに心内より生ずる先天性知識を正確なりとし、後には心内の理性一方より想定するものは虚妄にして真を証するに足らずとしてこれを排斥し、また前には人智は現象以内にとどまりその外に及ぼす力なしとして、後には外物の本体実にありと論定せしは、非論理的といわざるべからず。かくのごとき誤謬はなおその他に多し。しかして『実理批判』にもまた同様の撞着あり。わが意志は能作用にして自由の力を有し、外界を自由に命令支配するを得とせしは道理あることにして、かくせざるべからずとして外界より支配せらるるにあらず。しかれども道徳上の規律をみたすべき体質はなにによりて生ずるか、これまた外界の経験なりといわざるを得ざるべし。あたかも『純理批判』にてわが智識には先天性ありてこれをみたすものは経験なりとすると同じく、『実理批判』にてもまた先天後天の両性相待たざるべからず。再言すれば、心の外界に及ぼす力は道徳上の規律形式なり、しかれどもこれをみたす体質は外界の経験すなわち吾人の欲望に対する幸福快楽これなり。しかるにその物柄たる人によりておのおの異なるものなれば、わが願望に対する外界の幸福快楽は普遍必要なる先天性というを得ず。これに反して道徳上の規律は先天性なり。故に氏は経験上より得るところの快楽は道徳上の規律となすに足らずとして道徳上の本分に加えざりしといえども、これまた氏の一僻論たるを免れず。なんとなれば、氏は道徳上においても経験よりきたるもの(後天性)と、経験よりきたらずして本来存するもの(先天性)との二種に区別せしが、およそ人には願望情欲ありてこの中には下等に属するものあれども、また高等なる仁愛のごとき情なきにあらず。もしこの情なくば決して道徳は成り立つものにあらず。しからば先天のみ尊きにあらず、後天またなんぞいやしむに足らん。しかるに氏は先天性の一方にのみ重みを置きしは誤謬なりといわざるを得ず。ただし氏が道徳上の形式は先天性なりといいしは確論なり。要するに、氏が『実理批判』において先天と後天とを結び付けんとしてついに結び付くるを得ざりしは、けだし氏が従来の独断懐疑の余響をこうむりしによるものならん。

 『実理批判』は分解法と弁証法との二段に分かる。前にカントが道徳の形式と体質とを結合することあたわざりきといいしは分解法に論ずるところなり。分解法においては道徳は道理をもととすることを説き、その道理は先天性のものなれば、外界に接して起こるところの情欲願望とは全く異なるものなり。故に道徳は苦痛快楽と同一視すべからず。しかして道徳はある場合には苦痛を顧みずして実行せざるを得ざることあり。換言すれば、道徳は感覚に制せられずして感覚を制するものなりと。また氏はこの点において道徳上の意志の自由を説き、外界に制せらるるものは先天性にあらず、したがってまた自由なりとはいうべからず、外界の事情に制せられずかえって外界を支配するをもって自由というべし。故に道徳の規律は先天性なりと論ぜり。この説ははなはだ功妙なるがごとく見ゆるも、氏は単に先天性の骨のみを取りて、これが肉となるべき外界よりきたるところの願望情欲のごとき後天性を棄却したるは誤謬といわざるを得ず。しかれども氏は弁証法に至りてついに幸福を取り出だせり。元来氏は道徳は高尚なる理性より成ることを説き道理教を主唱するものなるが、この道理教に二ありて、一はクラーク、プライス等の説くところ、一はカントの説くところなり。前者は普通の道理をもってすれども後者は高尚の道理を説く、故に氏は道徳上自然に感覚を顧みざる傾向あり。しかして氏が道徳上の善なるものは外界に制せられずして単に意思の自由によりて働くものなりといえるは、すでにスピノザの説くところにして、スピノザは道理をもととして内に省み神に合するに至るをもって道徳上の善とす。しかれどもこの説ついに厭世の傾きあるをもって、この弊を救わんがためにライプニッツは外界の上に道徳の規律を立てたり。カントはこの両説を折衷せんことを企てしが、なお純正高尚の道理をもととせり。しかるに弁証法においては、分解法にていやしみたる感覚快楽も道徳上に混入せざるを得ざるに至れり。これ氏が弁証法において無上至極の善を説きしをもってなり。この無上至極の善はすべての善のおおもとにして、人間究竟の目的なり。しかしてまた最上の徳と称せらるるものなり。しかれども徳のみをもって善となすを得ず。なんとなれば、人の一般に希望するところのものは幸福なればなり。もし幸福を捨つるときは最上の善とはいうべからず。これ氏が幸福と徳とを一致したるものをもって善としたるゆえんなり。しからばすでに最上の善中に幸福の加わるものとせば、幸福はもと快楽と常に相関係するものなれば、快楽もまたこの善中に加えざるべからず。ここに至りて始めて幸福論と非幸福論とを結合せりというべし。

 『純理批判』において破壊せし自由意志を『実理批判』に構成せしことはすでにのべたるがごとし。これより霊魂不滅の説に及ぶべし。およそ人の道理は人間の最上究竟の目的たる善に達せんことを望むものなり。すでに人の道理にして最上の善を目的とするものならば、ただに想像上のみならず実際上その望みを満たす方法なかるべからず。しかるにその善はもとより最上至極のものなれば、僅少有限の時間中になし得るものにあらず。ことに人間は肉体を有しその命また有限なるものなれば、到底この目的を達するを得ざること明らかなり。故に道理上この目的を達しこの望みを満たさんとせば、人間の寿命をして無限に永続せしめざるべからず。無限に永続せんとするにはすなわち霊魂不滅ならざるべからずと。これによりてこれをみるに、道徳上の目的を実行するためには霊魂不滅ならざるべからずというは一応理あることなるも、これをもって霊魂は真に不滅なりと断定するは誤謬の論といわざるを得ず。しかれども氏はこの説をもって数理と等しく正確の道理なりと信ぜり。

 つぎにカントが神の存在を証明せし説をのべんに、人の最上の善は人間最上の目的にして、その善と徳と幸福とを統合せしものなれば、その善中には快楽もまた加わらざるべからず。しかるに快楽は万有自然の状態に属するものなれば、人の先天的とその関係を異にす。すなわち万有自然は万有自然の規律をもって支配せられ、人の先天性の規律に支配せらるるにあらず。しかるに吾人が最上の善をまっとうせんには、万有自然に支配せらるる快楽を待たざるべからざるをもって、吾人一個人の力にては到底これを自由に左右して無上の幸福を得、最上の善に達するを得ず。故にこの場合には物心万有の上に位する神の力を借らざるべからず。神はもと無上無限の力を有するものなれば、人の善悪得失を支配しもってその人に幸福快楽を与うるを得べし。もし神なくば吾人は幸福を得ることあたわざるべし。なんとなれば、この世界に疾病等の災害なくば吾人は常に幸福なるべきも、吾人はこれを随意に左右するを得ず、ただこれを自由にするは神のみなればなり。しかしてこの神の存在せることは実理上実に欠くべからざる必然の理にして、殊更に証明を要せずして正確なりと。かくのごとく氏は神の存在を説明せり。

 およそ人の一身の道徳上には、理性なる高尚の道理より起こる規律と、外界の状態に応じて起こる規律との二法ありて、吾人はこれによりて支配せらるるものなり。換言せば、人は先天的あるいは道理的と、後天的あるいは感覚的との二性を有するものなり。しかるにこの二性は吾人の上には抵触するものにして、一方には人欲の私すなわち感覚より起こる刺激によりてあることをなさんとし、一方にはこれに反して理性の上よりこれを抑制せんとし、二者相一致することあたわず。故に道徳は先天性をもって主とす。しかれども道理は制限なき広大なるものにして、吾人は道理にはいかに高尚にいかに完全なることをも考え得るも、実行上には後天的感覚上の境遇の障害によりてこれをなし遂ぐることあたわず。故に道徳を説かんとするには、勢い神は存在し霊魂は不滅なりとなさざるべからず。霊魂にして永久不滅なるときは、幾万年を経るとも完全に向かいて進むことを得べく、しかのみならず、神の存在するときは神は常にこれを助け、自由に幸福を与うるを得べしと。これによりてこれをみるに、カントは始め感覚より起これる幸福快楽は純粋なる道徳を汚涜するものとしてこれを廃除せしが、その終わりに人生最大の目的を説くに至りては、幸福快楽も道徳中に挿入せざるべからざるを覚り、ついに二者をして結合せしめたるものなり。

 カントの『実理批判』に論ずるところは往々論理上撞着の責を免れず。氏は始めに感覚上より受くるものはことごとくこれを排斥し、いやしくも肉体上の願望情欲にして道徳に混入するあらば、これ道徳の純粋を汚すものなりとまで極論しながら、後に最上の善を説くに至りて幸福を加えたるは前後矛盾のはなはだしきものなり。なんとなれば、最上の善中に加えたる幸福なるものは、たとえ幸福中の最上等のものとするも、なお幸福は快楽に関係を有するものなればなり。また幸福なるものは吾人の先天性をもって自由にするを得ざるが故に、神ありてこれを与うるものなりとして神の存在を仮定せしは、論理上決して許すべきことにあらず。畢竟氏が幸福をもって道徳の目的とせしは、始めに道徳は単に先天性の規律より生ずるものとしたるも、後にその説の道理にかなわざるを自ら証明するものというべし。

 しからばこの撞着はいかにして療治すべきか。曰く、この療治をなさんとするには、内部よりすると外部よりするとの二法あり。外部の療法は人心を二に分かち、一は先天性の規律、一は外部より受くる感覚とす。しかしてこの二は全く別なるものにして、前者はただ形式のみを有してこれをみたす材料なく、後者は体質のみありてこれに形を与うる規律なし。かく二者をして全く異なるものとするときは、第三の者を設けきたりて媒介者となし、もって外部より二者の結合を計らんとす。この第三者なるものはすなわち神なり。しかれどもこの療法たる、正当のものにあらずして人を満足せしむるに足らず。これに反して内部よりするものは全くこの点を療治するを得べし。およそ人の心中には先天後天の両性本来同一にして一体をなし、一方に先天の規律あれば一方にはこれを満たす感覚上の願望あり、一方に道徳を実行せんとせば一方には高尚の情感起こり、もって人間の幸福を求めんとす。これ快楽も規律もその内部の本体一にして、ともに表裏相伴って存するが故なり。かくのごとく内部よりするときは撞着の責を免れ、神を立てて調和を計るの必要なし。しかるに氏のいまだこの点に考え至らざりしは、実に惜しむべきことというべし。しかして氏の以後その門弟フィヒテ等のごときは師の説を弁護せんとし、幸福は外部よりわが道徳性に加わるべきものにあらずして、吾人が道徳上の目的を実行するに当たりては、この世界は最上の善すなわち最上の幸福を得らるるように適当せるものにして、すなわちこの世界には一種高尚なる力ありて、道徳上の意志がその目的を実行するに適用の成立をなせりといえり。この説によれば、道徳上の規律と幸福とはその本源に至れば一にして、その一なるもの二者をして相結合せしむというにあり。この説カントに一歩進みたるがごときも、なおいまだ完全なりというべからず。

 カントは『断定批判』に至りて純理実理を結合せるを見るに、二元の根拠が連合するという傾向あるがごとし。すなわち先天と後天と、外界万有の規律と吾人内界の自由意志と一致するがごとし。しかれどもいまだ内外一元なりとはいわざりき。けだし氏は始めよりわが心性中に断定なる一種の作用ありて、二者反対せるものを結び付けんとせしによるなり。その論中にはすでに一元の道理を含みたれども、氏自身にはこれを悟らざりき。しかして氏は一元を説かずして先天後天を結合せんとしたるをもって、ついに天神の存在を説くに至れり。かつ氏は神の存在なる問題は物理学にあらず、また形而上学にもあらず、ただ道徳学上これを許さざるべからざるものなりといいしが、この道徳学上天神ありとせしことは後世哲学者の大いに異論を唱うるところにして、また宗教家の大いに喜ぶところとなれり。すなわち宗教家はこの説によりて、神は単に道徳上の問題にして物理、論理、形而上の諸学より決して容啄すべきにあらずとせり。しかれども哲学上より見れば、この神を立てたるは氏の哲学の一大欠点にして、これがためにいくぶんか氏の哲学の価値を減少せりというべし。

 カントの説一元論のごとくにして二元論なることはすでに述べたり。しかしてこの点に至るときはかえってデカルト等の説に近よりしを覚ゆ。デカルトは物心二者を結び付くるものは物心の外に存する神なりとせしが、『実理批判』より見ればカントの説もまた物、心、神三元なるがごとし。三元論にはおよそ二説ありて、一は予定説にして、神が世界を創造するときあらかじめ物心二者の調和を規定せりとす。ライプニッツの説くところこれなり。他の一説は神は絶えずこの世界を支配し、時々刻々物心の媒介をなしてこれをして契合せしむとなす。これデカルトの説なり。カントはこの両説を退けそのいずれをも取らざりしは、その著書中に徴して明らかなり。しからば氏はいかにして神がこの物心二者を結合することを説きしかというに、氏は論理上にはこれらの媒介を立つるの意なく、神の存在のごときは全く取るに足らざる空想なり、ただただ神の媒介せざるべからざるは、『実理批判』の上にありて道徳実行の範囲に限れりとなせり。故に氏の論は二方に分かちてこれを見ざるべからず。あたかもスピノザの宗教哲学と実際宗教を説ける政教論との関係のごとし。カントの理論と実際と全く異なるものとしたるはスピノザの見に類似すれども、前者の後者に異なるところは『純理批判』も『実理批判』もともに道理をもってもととし、ただ同一なる道理が『純理批判』には理論の形をなし、『実理批判』には実際の形を取りてその作用を異にするのみとなすにあり。

 上来カント哲学の大要を講述しおわれり。これより進みて氏が宗教論を講ずべし。そもそも氏の宗教論は全く前の道徳論に基づくものなれば、すでに『実理批判』においてその道徳論を知れるものは、これを推してその宗教論のいかんをうかがうを得べし。

         宗 教 論

 宗教は道徳を基本として起こるものなりとはカント氏宗教論の根拠なり。氏はまず宗教と道徳との関係を論じて、宗教を道徳に付属すると、道徳を宗教に付属するとの二様の見方ありとせり。この見方は吾人の義務をもって神の命令なりと認むるにつきて、義務をさきにすると神の命令を前にするとによりて分かるるなり。宗教をもって道徳に付属するものとなすときは、義務前にありて神の命令その後にあり。すなわち神の命令を認むるにさきだちて吾人の義務あることを知らざるべからず。これに反して道徳をもって宗教に付属せしむるときは、神の命令前となりて義務後となり、神の命令をもととして後に義務あるを認む。この関係は自然教と天啓教との相分かるるゆえんにして、自然教は神の命令を認むる前に義務を立て、天啓教は義務を認むるにさきだちて神の命令あることを説くものなり。要するに氏の説は、およそ宗教とは吾人の義務を神の命令なりと認むるものなりとの考えにして、この義務と神の命令との関係において自然、天啓の二教の区別を生ずるなり。しかして氏はまた、宗教は必ず道徳をもととして立ちたるものならざるべからずとせり。なんとなれば、吾人が道徳上の幸福快楽を思考するときは、神は必ず存在すという考えの起こるものなれども、神の存在のみを思いたりとて道徳の必要を感ずるものにあらざればなり。

 自然教と天啓教との区別について、従来の学者中その説の異なるものあり。第一は天啓教を必要と認むるものにして、およそ宗教のことたる世界の規律以外に立つものなれば、吾人の道理をもってこれを判断すべからずとす。この説を主張するものは理外教を唱うるものなり。第二は天啓教はその必要なしと唱うるものにして、一切宗教のことは人智道理をもって解説し得べきものとす。すなわち道理教論者の説くところなり。第三は天啓教は実際において成り立つを得ずとするものにして、理学上より宗教を見るに天啓教は全く理学の原則に反するものなれば、実際上成り立つことを得ざるものなりと。これ理学者の唱うるところなり。かくのごとく天啓教につきて三説あれども、なおこの他に第四の説なかるべからず。第四説はすなわち宗教は客観的にありては自然教にして、主観的にありては天啓教なりとする折衷説なり。なんとなれば、人は単に主観的の理性の上に立ちて考うるときは、ときどき天啓教の道理に達し得るものなり。しかれどもこれを外界の事実の上に照合せば、天啓教の信ずべからざるや明らけし。故に主観一方にありては天啓教の必要ありて、客観上には自然教の必要ありとす。この折衷説はカントがヤソ教に対して下しし見解なり。要するに氏は、天啓教は実際上の道理に照らせば真理と認むるを得ざれども、吾人が宗教を研究する場合に当たりて、ときありて天啓教の必要を感ずることありといえり。故に氏はその本心は自然教にあれども、また全く天啓教を捨つるにあらず。

 カントが天啓教の解釈は大いに通常のヤソ教説と異なるところあり。氏の宗教論には天啓教の必要を説くに当たりて、まず人の性質中に悪あるはなんぞやという問題を講究し、もってその宗教説の起こる基礎となせり。そもそも人の心内に悪の存するは疑うべからざることなるが、この悪心は感覚より起こるものなるか、はた道徳すなわち感覚以上より起こるものなるか。曰く、この悪心は決して感覚上の情欲のみに存するにあらず、もし感覚上にのみ存するものならば、すなわち禽獣的生活より起こるものにして、道徳上の悪と称するを得ず。すでに道徳に離るるものなりとせば、道徳上の責任なきや明らかなり。しからば悪心は道徳上の本心の中に存するものなるか。曰く、これまた道理において許すべからず。なんとなれば、道徳上の本心は道徳上の規律を与うるものなり。すでに道徳上の規律を与うるものにして、その中よりすでに反対する悪を造り出ださば、これ己自身にて己を殺すに異ならずして全く道理に反するものなればなり。されば感覚の欲念より起こるものはこれを獣性というべく、道理上より起こるものはこれを魔心というべくして、いまだ道徳上の悪と名付くべからず。しからば人間の悪なるものは果たしていずれに属するか。曰く、悪心は決して一方にあらず、感覚と道徳との二者の間にありて存す。およそ吾人の道徳上の作用なるものは感覚上の刺激と道徳上の刺激との二方より起こるものにして、この二者常に相戦って感覚の道徳に勝つことあり、また道徳の感覚を制することあり。しかしてこの二者の関係上より生ずるものこそすなわち悪というべきものなれ。畢竟二者の関係より心に一種の腐敗を生じて悪となり、この性質祖先より遺伝しきたれるものなりと。氏はこの説をもって経典のアダム犯罪に適用してこれを説明せり。曰く、始め神のアダムを造りしときには決して悪なるものあらざりしが、アダムは自己の自由意志に任せて悪事をなし、ここに始めて悪なるもの起こり、ついに遺伝して今日の吾人に至りほとんど人間の天性のごとくなれりと。これによりてこれをみるに、悪の起こりし原因は今日のことにあらずして、天地開闢のときすでに、自由意志のために人心の上に腐敗の元素を生ぜしにあり。しからばこの悪を除きその根本なる善に復帰せしめんとするにはいかなる方法によるかというに、漸次人心を改良せんとするごとき緩慢なる手段によらずして、人間の性質を一変して、ただちに元来の本性に復帰せしめざるべからず。しかして人間の性質の上に大改良を実行せんとするには、道徳の本心をしてわが意識中に十分発生すべき方法を求めざるべからず。この道徳の思想を強く起こさしむるには、単に尋常道理上の説明もしくは一人一個の善行をもってこれが改良を試むるもなんらの功なし。これには人間の形体を取れるものにして、世界多数の人のために非常の艱難辛苦をなし、もってその模範を示さば、これによりて人間精神の大改良を遂ぐるを得べし。その模範はすなわちヤソ・キリストなりと。これ氏がその説を応用してヤソ降世を説明せしものなり。けだしヤソは人間の形体をそなえ、人間のために無量の辛苦をなめ尽くしたるものなれば、吾人はこれを見て大いに道徳心を興起し、これがためにまたわが心も大いに改良せらるるなり。

  案ずるに今日ヤソ教の世界に勢力あるゆえんのものは、決してその教の道理いかんに関するにあらずして、ヤソが人間の形体を有し、人間のために艱難辛苦し、人間のために己の生命を犠牲に供せしということあるをもってなり。およそ古来宗旨を開きしものはみな非常の艱難に遭遇せざるはなしといえども、ヤソのごときはなはだしき艱難に遭遇せしものはあらざるべし。かの旧教のごときはヤソの十字架上に苦しめらるる偶像を造り、もってその実状を人に見せしむ。もし門外の人これを見ればあるいはその奇怪に驚くべけれども、これを信ずる人にありてはこれを見てますますその信仰を深くすべし。これヤソ教の信仰を起こす第一の原因にして、また旧教徒の新教徒に勝りて熱心者のごときゆえんなり。

 カントの論ずるところと通常のヤソ教説とは大いに異なるところあり。しかれども氏はよくこれに適合し得べきように説明せり。通常のヤソ教者は曰く、ヤソは神子にて吾人を助くるために降世し、吾人に代わりてその生命を捨てしものなれば、吾人の罪悪はこれがためにすでに消滅せりと。カントは曰く、ヤソは神子にして吾人に代わりてその罪をあがないしをもって、吾人は生まれながら無罪の身となりしというにはあらず。吾人はヤソの一代記を見れば心に完全なる徳義の思想を起こし、従来なせし悪行を自ら改むるに至るをもって、罪もおのずから消滅するなりと主観上に説明せり。また氏はヤソ教者がいわゆるヤソを拝するものは救助せらるといえることを解釈して曰く、吾人はヤソを拝するときは、わが心に自然道徳心を喚起し、その思想はわが悪心を抑制するをもって純良なる善人となり、したがって以前なせし罪悪をも後悔し、ついには消滅するに至るなりと。またヤソを信ずればいかなる病魔災厄にも打ち勝つことを得べしとヤソ教者は唱うれども、氏は畢竟わが心の道徳心強きをもって、悪魔もこれを誘うことあたわざるなりと説明せり。かくのごとく氏の宗教説は決してヤソ教を破壊せしにあらずして、かえってこれを助けたるものなり。

 つぎにカントは教会のことに論及せしが、氏はまず何故に教会の起こりしやといえる問題につきて説明せり。およそ人たるものは、そのなんぴとたるを問わずみな善事を行わんことを企望しつつあるものなり。しかれども吾人を囲繞せるところの境遇、社会および朋友のごとき、すべて悪をもって満たされたるものなれば、吾人はこれに抵抗して善をなすを得ず。もしこれらのものをしてことごとく善ならしめば、吾人の善をなすは最も容易の業のみ。故に吾人はここに善をなさんとせば、善をなさんとする者相集まりて道徳を練習する団体を組織せざるべからず。この団体は政治上あるいは法律上の団体と全く異なるものにして、法律上の団体は自然の権利を保持せんとする趣旨なるも、この団体はただ道徳をまっとうせんための集合なり。また政治上の団体は政治上の代理者によりて組織せられ、またある一部分の区域もしくはある一種の人民を限れども、この団体はその国の開、未開を問わず広く万国にわたりて、同一の目的を有するものはみな相集まりて道徳を練磨せんとするものの団結なり。この団体を称して教会という。しかれどもこの教会は神の教会というものとは大いに異なるものなり。およそ教会には二種ありて、一は神の教会、一は世間普通の教会なり。神の教会は無形世界すなわち神の前の集合にして、世間普通の教会は有形世界の集合なり。しかれども有形世界の教会は無形世界の教会のありさまを模倣して組織せるものなり。しかして神の教会なるものは吾人の極めて純然たる理性の中において発見することを得るものなれども、もと吾人人類は不完全なるものなれば、常にその理性中に神の教会を構成するを得ず。ここにおいて世間普通の有形的教会を組織し、もって教会を代表せしむるなり。しからばこの教会の起こりし目的たるや、吾人が神に対して道徳上完全なる義務を尽くし、もってわが道徳の責任を全うせんとするはなんぴとも等しく思考するところなれども、人力の薄弱なる到底これをなし遂ぐるを得ず。すなわち有形世界に種々の儀式あるいは規則を設け、外界よりこれを遵奉するように制御せんとするにあり。されば儀式、規則は単に方便とするに過ぎずして、普通の教会組織は純然たる道理上に考うれば一致し難き点なきにあらざれども、その方法によりて吾人の道徳心を喚起し、もって純然たる神に達せんとし、また他日これに達するを得ば、たとえ方便たりとも真実とみなしてあえて不可なることなかるべし。これを要するに、吾人はもとより宗教上の思想あれども、感覚的の情欲のために妨げらるるものなれば、有形的教会の不道理なるを知りながら、これを方便として道徳心を開発せざるべからず。かくのごとくにして始めて真正の神の教会を発見するに至るなりと。以上は氏が教会に関する解釈の大要なるが、これより氏が宗教上の歴史につきての説をのぶべし。

 カント氏の考えによるに、宗教上の歴史なるものは普通儀式上の宗教と、道徳上の信仰をもって成り立てる宗教との争いをもってみたされたるものなり。すなわち従来の宗教歴史は寺院、教会、僧侶の制度、儀式、あるいは一国に関する制度をもって組織せる宗教と、道徳一方をもって組織せる宗教との互いに争える状態を示せるものなり。しかして氏は宗教はすべて道徳を目的として成り立たざるべからずという考えなれば、世間普通の宗教は氏のいわゆる真正の宗教にあらず。しかれども世間においては道徳を目的とせざる儀式的宗教かえってその勢力をたくましくせり。しかして道徳主義にあらざるものは己の宗旨をもって第一のものとなし、宗教は必ずかくのごとくならざるべからずと考え、道徳主義のものはまたその宗旨をもって無上のものとし、宗教はすべて道徳を離るべからずとす。ここにおいてか、二者の間に争いを生ず。この争闘のありさまをあらわせるものは宗教歴史なりと。しかして氏はつぎにユダヤ教とヤソ教との関係を論じて曰く、ユダヤ教とヤソ教とは歴史上においては前後の関係ありといえども、その宗教内部に入りてこれを見るときはすこしも関係なきものなり。そもそもユダヤ教なるものは真正の宗教にあらず、ただ僧侶の政治組織によりて成り立ちたる法律的のものにして道徳的のものにあらず。なんとなれば、神の命令をもって法律とし、これによりて人民を支配し、全く神の政府を組織するものなればなり。またこの教においては人間の現在一世の罰をおもに論じて未来に及ばず。またこの宗は一神教なりというといえども、その実多神教に大差なきものなり。なんとなれば、この教に奉ずる一神は神に主従あるを説くところの多神教の主神と異なることなく圧制的神なればなり。故にこの教は真正の宗教にあらず。ユダヤ教すでにしかり、いわんや東洋諸邦に行わるる諸教をや。されば真正の宗教歴史はヤソより始まるものにして、他に決して見ざるところなりと。この考えはひとりカントのみにあらず、当時の社会においてもみな等しく考えしところなり。氏は曰く、東洋の宗教なるものはあたかも圧制政府の形をなし、その神は生殺与奪の権をほしいままにせる君主のごとく、その信者もまたこれに対するに諂諛をもってその救助を得んとし、組織上信仰上ともに道徳的にあらず、また道理的にあらず。故にこれまた真正の宗教というべからず。真正の宗教は実にヤソより始まるものなり。なんとなれば、ヤソは法律的信仰、圧制的神をもって宗教上無用なりしとてこれを改良し、加うるに道徳的信仰をもってし、更にこれを己の一身に実行してその模範を示したるものなればなりと。氏がこの論たるはなはだ狭隘なる考えといわざるべからず、東洋の宗教、あに氏がいうごとき浅薄なるものならんや。しかれども氏の当時にありては東西の交通いまだ今日のごとく頻繁ならず、したがって東洋宗教の事情をも十分に捜索するを得ざりしものなれば、氏がこの説ある、また深くとがむべきにあらざるべし。氏の説によるに、ヤソ教にてもヤソ一代の間は純粋の道徳をもって成り立ちしが、月をかさね年を経るに従い漸々ユダヤ教に類する傾向をあらわし、そのはなはだしきローマ教のごときに至りては、いかなる圧制政府といえどもなお及ばざる暴虐政治を行えり。これ最初純粋の宗教を弘めんがために方便とせしものを、因襲の久しきこれを真実と認め、道徳の本来の目的たるを忘れ、儀式法律をもって信仰を維持せんとし、ついに圧制残酷の処置を施すに至れり。しかして数万無智の人民もまたあわれむべし、妄信迷想をもって満たさるるに至れり。これすなわち中古暗世の時代における宗教のありさまなり。しかれども近世に移りて純然たる光輝の宗教界中に発耀するを得たり。すなわち道理上の道徳をもって基本とせる信仰発達し、今日に及びてなおいよいよ盛んなるの傾向あり。故に宗教は必ず今日までの発達せし方向に従ってますます進歩せざるべからず。しかれどもこれを助くる手段としては経典をも採用せざるべからずと。レッシングすでに経典は吾人の宗教心を開発すべき教育的のものなりといいしが、カントもこの点においては同じく道徳的信仰を発達せしむる手段として経典を用うることを唱えり。しかしてそのこれを用うるも歴史上の事実をもって圧制せるにあらず、経典中に含蓄せる道徳の意味をもって吾人の信仰を喚起し、道理的の道徳を開発せしむるものなり。しかして僧侶たるものはこの目的をもって他人に経典を教授し、これによりて他人の道徳的精神を発達せしむるの任に堪えたるものならざるべからず。その他礼拝、読経、洗礼、供養等の儀式は、単に外形上の儀式習慣とせば全く無用のものなれども、これを道徳上の方便として利用するときはまた必要なるものなり。もしそれ道徳の精神を忘れてこれを用うるに至らば、迷信に陥りて真正純粋の信仰を発さしむることなかるべし。なんとなれば、真正の信仰は必ず道徳によりて成り立つものなればなり。かくのごとくにして世人ことごとく道徳の人とならば、この世界はすなわち天国とならん。たとえかくのごとき境界に至るを得ざるも、宗教に従事するものは必ずこれに到達せしめんとする精神なかるべからずと。

 以上陳述したるカント氏宗教論を批評せんに、この宗教論にもまた短所と長所とあり。その短所は道徳一方に偏し、道徳にあらざれば宗教にあらずと断定したるにあり。もちろん宗教にして道徳を離れたるものなしといえども、宗教は道徳よりなお高きところに位するものにして、この点は宗教において決して捨つるを得ざるものなり。もし氏のいうごとくならば、宗教は道徳の範囲内の一部分たるに過ぎず、宗教あにかかる狭小のものならんや。宗教は実に道徳の範囲外にわたりまた道徳に関係するものなり。しかれどももし極めて広き意味をもって道徳を説かば、あるいは宗教に一致するに至るやも知るべからずといえども、氏が理性をもととして立てたる義務一辺の道徳においては、宗教はなおその他にいくたの領地を占有せざるべからず。けだし道徳と宗教との相異なるゆえんは、直接にわが生活する外界に関係するとせざるとにあり。詳言せば、道徳は単に現世界の上のみに限り、宗教はこの世界以外に無限不可知的の体ありとす。しかして道徳は一個人の上よりこの世界に及ぼす関係を説き、宗教は世界総体の上に人類の位置を定め、吾人人類が無限中、可知的の体に対していかなる関係あるかを示す。故に道徳は直接に外界すなわちこの現在世界に関係し、宗教は間接にこの目前社会に関係するものなり。もしこの区別なくば道徳も宗教もあえて異なることなかるべしといえども、すでにこの区別ある以上は二者特殊の解釈を与えざるべからず。しかるにこれを混合して説きたるは、氏が宗教論の短所なりというべし。しかれどもまた氏の説によりて大いに利益するところあり、当時宗教のありさまを見るに、神は圧制政府の君主に異ならずして、吾人は全く神の従属者たり。しかして神の命令をもって法律とし、外部の規則によりて信仰を興さしめんとす。しかして彼ら宗教家はこれをもって宗教の本色なりと誤認し、その唱うるところははなはだ浅薄にして取るに足らず。氏はこれを排斥し、道徳上において世間普通の法律的宗教よりはなお一層深きところに宗教の基礎を発見せり。これ氏が宗教論の長所なり。かくのごとく氏は宗教を道徳的に説明せしが、後世の学者これによりて進んで宗教の原理は道徳的よりなお一層高きところにあるを発見せり。故に氏は宗教哲学の先導をなしたるものにして、これがために一般の宗教説をして大変革を生ぜしめたり。これを要するに、氏は哲学上において極めて高尚の道理を説き、もってその基本となせしが故にその説乾燥無味のものとなりしが、これと同じくその宗教説も地理的の道徳をもって根拠となしたるがために、またその弊を免れざりき。およそ物は道理一辺より説き下すときは乾燥無味に陥るを免れず。しかれどもこれが乾燥を医して潤色あるものとし、無味を変じて好美のものとなすは、ただただ情感なり。これを社会上に例するも、道理一方をもってせば不和を醸すに至るも、もしこれに調合するに人情をもってせば、ために円滑となるを得べし。カントは哲学上にも宗教上にもこの情感の肉を加うることに気付かざりしが、後の哲学者すなわちこれを補いたり。畢竟氏のここに至りしゆえんのものは、従来の宗教説が道理の骨なくしてただ情感の肉のみより成り、ために肥満に過ぎたりしかば、これを去らんことを務め、その反動としてかえって肉落ちて骨のみ出でたる枯痩羸弱なるものを造り出だせり。故に氏の説は完全無疵なりというを得ず。

 カント氏が『純理批判』より宗教論に至るまでの全体を総評せんに、氏の説はすべて道理をもととし、『純理批判』にては物の本体あることを論定し、この本体は人智をもってうかがい知るを得ずと説けり。これすでに述べたるごとく、氏が物心の本体を結合する点に至りて誤りを生じたるものなり。しかして『実理批判』においては道徳は先天性道理に基づき義務なる思想より出ずるものなりとし、義務をみたすところの情感の肉あることを知らずして、ついに先天的の道理と後天的の感覚とも一致することあたわざりき。かくのごとく双方ともに物心の本体を結合するを得ざりしが、これと等しく宗教説においても道理一辺の道徳を説きて、これをみたす外界上の経験、感覚よりきたれる歴史上の考えを捨て、道理と天啓とを結び付くるを得ざりき。これ氏がその以前の哲学者の唱えたる二元の思想があくまで解けざりしがためなり。もしこの二元を結合して一元を唱うるに至らば、氏の哲学ここに完全せしならん。氏は道理は事物そのものの本体に到達するを得ずとすれども、その本体をして道理中にあるものとせば、『純理批判』において一元論たるを得べし。また道徳上にても経験上の境遇を道徳の内部にあるものとせば、『実理批判』において一元とするを得べし。また宗教上にありてもわれ一人の心と、世界万有の源なる神と一体にし、神の一部分わが心に存してもって天啓を受くべしとせば、天啓と道理とを一致するを得べし。これすなわち宗教上の一元論なり。かつ氏は宗教を道徳以内にとどめたれども、勢力も情感もともに天啓に関係するものとして道徳に説き及ばば、氏の論更に一層完全を得べし。また智力の上には感覚と道理とあり、この二者ともに外界の現象上天啓を認むること難しといえども、この二者の間に位する想像によるときは宗教上の天啓をも説明し得べし。かくのごとく考うれば、宗教は智力、情感、意志の上にすべて存するものなるに、氏は智力道理の一方にのみ説きたるをもって、偏僻の評を免るることあたわざりき。また宗教上より見れば、宗教の思想は各個人の等しくこれを有するのみならず、歴史上また発達するものなり。故に単に心内を捜索するにとどまらずして、また他に求むるも得らるるなり。しかるに氏は歴史上の実事を全く排棄せしは氏の欠点といわざるべからず。しかれどもまた歴史上の実事のみを尊びて、これをもって信仰の体とせる従来の宗教の陋弊を矯正せしは、氏の説あずかりて大いに力ありというべし。しかしてこれらの欠点を補い天啓と道理、宗教と道徳とを結合して説きしものは、氏以後の哲学すなわち理想学派のシェリング、ヘーゲル等その人なり。カントは実にこの理想学派の前駆となりしものにして、氏によりて始めて理想の萌芽を見るを得たり。

 これより理想学派に移りて講述すべきなれども、当時カント氏に反対して道理以外に宗教を説きし一派あり、これを直覚的宗教哲学という。理想学派はすなわち道理教と直覚教との二派を結合して起こりしものなれば、まず直覚学派の説を講じ、しかしてのち理想学派に及ぶべし。これに対してカント学派は批判的宗教哲学派と名付くるなり。

       ハーマン

 直覚学派はカント氏の当時にありてその批判的道理教に反対して起こりたるものなり。およそ宗教なるものは哲学とその性質を異にし、人智をもって思議すべからざるものを本体とするが故に、道理上よりこれを説明するを得ざるはもとよりそのところたり。されど古来の宗教家は宗教は不可知的に基づくものといいて、ついにいかなる奇跡怪談といえども、道理上不問に付しみだりにこれを信仰せしが、社会の進歩とともに道理の発達するにおいては通俗の宗教家の与うるがごとき単純なる説明に満足せず、進んで道理上これが解釈を試みんとし、ついに宗教は必ず道理によらざるべからずと説くものなるに至れり。しかれどもまた道理のみによりて宗教を説くときは道理一方に偏するの弊あり、したがって宗教の区域はなはだ狭小となるなり。カント氏のごとき最も高尚の道理を基本として宗教を説きたるものなれども、すでに道理をもととしたる以上は、宗教は道理の範囲内に包括せらるるものとなるなり。かくのごとく一方に道徳に僻したる説を唱うるものあれば、これに反してまた他の一方には道理以外に宗教を立つる学派の起こらざるべからざるは自然の勢いなり。今この反対説を見るに、およそ世界には可知的と不可形的との二ありて、宗教は不可知的より可知的に関係を及ぼすものにして、宗教の本源たるものは不可知的すなわち吾人の道理以外にあるものなり。故に宗教の本体たるものは吾人の智力によりて知るを得ざれども、吾人の心には智力のみにあらずして情感意志なるものあり。この情感上より考うるときは道理の及ばざる不可知的の本体に接して、その状況をうかがいもってこれと交通するを得べし。これを名付けて天啓感通という。この天啓は道理上よりいえば認知すべからずといえども、情感上より見れば信許するに難からず。かくのごとく宗教は情感に基づくものなれば、その情の高下によりて宗教にもまた優劣あり。しかしてその最も高等なるものに至りては智力の元素をその中に含有するものなり。この天啓を解するにおいて、人間の智識思想は極めて僅少の区域の外知るを得ず。なんとなれば、この世界は無限絶対の体なれば、有限の人智をもって無限の世界を知り尽くすことあたわざればなり。しかれども有限の心をもって無限の宇宙をいくぶんか推測するを得ば、また無限不可思議の体よりも吾人に通ずるの道なかるべからず、これすなわち天啓なり。この天啓は吾人が道理上の考究を要せずして、吾人の精神上に自然に感知悟了するものなり、故にこれを直覚という。すなわち直覚は道理によらずして感情の上に成り立つものなり。この説を主張するものは直覚学派の人なり。かくのごとく宗教には道理教と直感教との二派ありといえども、二者いずれをも偏廃すべからず。直覚一辺を説くも僻説にして必ず道理を借らざるべからず、さりとて道理一方によるときは宗教は人智の範囲内にとどまるものとなるをもって、これまた直覚をもって補わざるべからず。要するに宗教は道理と直覚との二者相提携して進歩し、二者統合して始めて完全の真理たるを得べきなり。

 古来宗教を説くものはいうまでもなく真覚教によりしものなるが、近世の初年道理上より説明せんとするもの興り、ついにカント氏に至りて道理一方をもってこれが解釈をなせり。しかしてこの道理教に反対して興りしものを直覚学派となす。すなわちカント氏の時代に当たりてこの直覚教を唱えしものはハーマン氏〔Johann Georg Hamann〕なり。氏は一七三〇年ドイツ、ケーニヒスベルクに生まれ、一七八八年没す。カント氏より若きこと六年なり。ハーマン氏は全くカント氏に反対し、宗教哲学には信仰ということをもって原理となし、この信仰は道理の更に関係せざるものなることを説けり。およそ吾人が生存するゆえん、また吾人の外に事物の存在するゆえんはただただ吾人がこれを信ずるのみにして、決して道理の作用によるにあらず。例せば、人生まるれば必ず死すということは寸毫の道理を要せずして確実なり、しかしてこれただただ信仰によるより外なし。これらの信仰は神によりて教えられたる自然の真理なるものなり。故に吾人がすべて信仰することは決して道理の関係せざるものなり。それしかり、信仰は道理によりて知るべからず、吾人の見て赤しとし、味わって甘しとする、またなんの証明をか待たん。この信仰こそ実に宗教の起こるゆえんなれと。かくのごとく氏は信仰をもって宗教の基礎とし、智力道理をもって論ずる諸学に反対し、哲学のごときは全く人の空想にして畢竟無益の労力のみ、かのスピノザ、ヒューム、レッシング、カントのごとき、ただ無益の労を徒費して一も得るところなし、これ魔心の作用にして信仰をもたざる故なり。また理学上コペルニクスが天文説を一変せしごときもこれまた学者の空想に過ぎずとし、すべて経典に反対せるものはことごとくこれを排斥せり。要するに氏の考えは、すでに宗教は信仰をもととするものなれば、哲学上いかに研究するも知り得べきものにあらず、あたかも天才は熟練を要せず、幸運は功労をもって測るべからざるがごとく、宗教は決して哲学上の論究をもって領会せらるべきものにあらずと断定し、信仰一辺を取りて道理を排撃し、カント等の説くところは空虚無実の妄論なりとしたるものなり。しかれども氏が極端にはしりて主張するところの信仰一辺も、また無益の空論たることを覚らざりき。けだし宗教なるものは信仰と道理と相統合して始めてまったきを得るものなれば、道理を離れたる信仰はまた空虚無実の信仰たるに過ぎず。故に氏はカント氏が道理一方に偏したると同じく、信仰一辺の極端に傾きたるものなり。

       ヘルダー

 ヘルダー氏(Johann Gottfried Herder)は一七四四年ドイツ、モランゲンに生まれ、一八〇三年ワイマールに没す。氏はつとにケーニヒスベルク大学に入りてカント氏に従い哲学を学び、二〇歳にしてある学校の助教授となり、また哲学、神学、文学等に関係せる種々の書を著述し、名声はなはだ藉々たり。氏は直覚学派の一人に列すといえどもハーマン氏よりは一層高等の位置を占め、また今日の哲学上理学上に非常の効績ありし人なり。そのこれを直覚学派に列するは、道理一方を説くものに反対したるによりてなり。しかれどもハーマン氏のごとき宗教上奇怪の事跡をも単に信仰上より説明せしものに比すれば、一層価値あるものにして決してハーマン氏等と同一視すべきものにあらず。

 ヘルダー氏の学は多く先輩の説に基づきたるものにして、経典、プラトン、シャフツベリー、スピノザ、ライプニッツ、ルソー等の諸説を根拠となし、もって一家の説を組織したるものなり。そのうちいずれが最も氏に影響せしやつまびらかならざれども、なかんずくルソーの説は大いに影響を及ぼしたるがごとし。氏がかつて大学にありしときカント氏よりルソーの説を聴き、のち自らもまたルソーの説を考究玩味したることあり。かくのごとく氏はルソーの説を学びたれども、氏は決してルソー門派の人にあらず、ただその人間性の起源を論ずる点においていくぶんかルソーに指示せられたるがごとし。ルソーは政治上社会上より人間性の起源を論じて天賦民権の説を唱え出だし、ヘルダー氏はこれに異なりて理学上より研究して人間の文明、言語、歴史ならびに宗教の起源につきてその発達を論ぜり。これ氏があるいは近代の言語学、歴史学、宗教学の理学的研究の元祖と称せらるるゆえんなり。氏の以前にありては宗教、歴史等を研究するものありたれども、その研究の方法たるすべて純理的すなわち空想的にして、そのカント氏の哲学のごとき最も高尚なりといえども、その講究の方法は批判的すなわち消極的なるをもって実際上得るところなし。しかるにその方法を一変して実理的すなわち理学的の研究を始め、積極的の学風を起こし、もって言語学、歴史学、宗教学を組織したるものはヘルダー氏なり。換言すれば、一八、一九両世紀学風の一変せしはヘルダー氏の力あずかりて功あり。なんとなれば、一八世紀の末年にはイギリスにヒュームあり、ドイツにカントありて道理の論究は大いに進歩せしが、その理は空想に流れ懐疑に陥り、ただ古来の浅薄なる議論を批評分析するに過ぎざりき。しかるに一九世紀の学風は一家の新説を組織することをつとめ、もっぱら構成統合に力を尽くせり。すなわち一八世紀には消極的破壊的の風ありしも、一九世紀には積極的建設的の方針を取るに至れり。これけだし学問の進路においてやむべからざる順序たり。近世の初年ひとたび思想の自由を得しより種々の空想虚理を説くもの相継ぎて起こりしかば、ここにこれが批評分析を試むるもの現出せり。しかれども旧草の枯るるは新草の生ずるゆえん、批判説の起こるは新説の発するゆえんにして、一八世紀の批判説が旧学の古根腐株を刈り尽くしたるがために、一九世紀新学の萌芽を見るに至れり。しかしてその間に立ちて一八世紀をして一九世紀に移せし率先者はヘルダー氏なり。シュトラウス氏評して曰く、ヘルダーは一八世紀の関門を破りて一九世紀の道を開きしものなりと。しからば氏はいかにして一九世紀の新学問を開くに至りしかを考うるに、氏はスピノザ、ライプニッツ等、先哲の説を統合しもって新学問を組織せり。しかしてそのこれを統合するも、外部より一部一部を集めて混合したるものにあらず、内部より化合同化してもって新思想を造り一家の新学風を開きしなり。しかれども氏がかくのごとく新学風を起こすに至りしは、カントのあらかじめ氏に向かいて新思想を発達せしむべき余地を与えたるをもってなり。換言すれば、カントは一八世紀の学問を統合して一九世紀学問の起こるべき準備をなしたるものなり。しかしてカントをしてかくのごとくなさしめしものはヒュームなり。更にこれを例せんか、ここに一の原野あり、これを開墾せんとするにはあらかじめその地の草木を刈り取らざるべからず。ヒュームはその草木を伐採し、カントは株を切り根を断ち地をならし、もって種子の自由に発達し得べき準備をなし、ヘルダーはここに始めて種子を下せり。すなわちヒュームは従来の哲学を破り、カントは更にこれが根底をも砕き、前者は外部よりし後者は内部よりして破壊し尽くさざることなし、しかれどもなおいまだ種子を下せしものというべからず、ここに新種を蒔きしものは実にヘルダー氏なり。

 ヘルダー氏は哲学、文学、史学等の諸学について新説を立てしが、今ここに講述せんとするはそのうちの宗教哲学なり。氏の宗教哲学はスピノザ、ライプニッツ両氏の説を統合し、もって一家の説を組織したるものなり。スピノザ氏の唱うるところは万有神教にして、世界全体をもって神とし世間普通の有神説を排撃して、神は一種格段の性質を有するものにあらずと説きたるものなり。この点はヘルダー氏のスピノザ氏を継承するところにして、神は世界を離れて存在するものにあらず、もしこの世界を離れて存在せば、吾人なにをもってかその存在を考察するを得ん。しかるに吾人はすでに神のこの世界に関係することを是認するものなれば、神はこの世界以内に成り立たざるべからず。また神は一種特殊の性質を有するものにあらず、もし神にして特性を有するものならばこれ有限なり、なんぞ無限というを得ん。しかれどもなんぴとの考究によるも神は無限なりとす。すでに無限なるものならば特殊の性質、格段の成立なきや明らかなり。しかるにヤソ教者はおもえらく、神はこの世界を離れて存在し、吾人の有するがごとき智,情、意の一層高等なる性質を有し、人の家屋を建築するごとくこの世界を創造せりと。もしこの説をして真ならしめんか、神は有限たるを免れざるものなり、あにその理あらんや、神は実に世界万有の中にありて、しかも世界万有の本体たるものなりと。これヘルダー氏がスピノザ氏に一致するの点なり。しかれども氏はスピノザの説をあくまで唱えたるにあらず、またスピノザはただ万有の本体は神なりというにとどまりて、その本体がいかにこの世界に関係せしか、いかなる活動を与え、いかにして発達せしめしかという点に至りては論究せざりき。故にヘルダー氏はスピノザを評して曰く、スピノザはデカルトの神の思想を受けながらデカルトとは大いに異なるところありて、万有神教に向かいて解釈を試みしもなおデカルトの影響を免れざりきと。デカルトの説明は数学的器械的の方法を用いしが、スピノザもまた数学的思想、器械的説明の臭味を脱せざりき、故にその神は死物にして活動せざるものなり。ここにおいてか、ヘルダーはこのスピノザが唱えたる死せる神に活動作用を加えんことを企てたり。しかして氏の以前にありてすでにこの活動作用を説きしものはライプニッツにして、ライプニッツのいわゆる元子は活動作用を有し、物理上に説くごとき死物分子にあらず、元子自身に有するところの勢力によりて自ら発達し、もってこの世界万有をあらわすに至れりとなす。しかしてライプニッツ氏はスピノザが世界の本体を一なりとせし論に反対して、元子の無数なることを説けり。しかれども単に元子の無数なるを説くのみにては世界の説明に支吾を生ずるをもって、元子の上になお一の神を立てたり。また氏はデカルトが神がこの世界を創造し時々刻々これを支配すといえる説に反対して、神は世界創造の際すでにその将来を予定せりと論ぜり。ヘルダーはこのライプニッツの元子説をスピノザの本質すなわち神の上に与うれば、もって活動作用を有する神たるを得べしと考え、両氏の説を統合折衷するに至れり。故に氏のいわゆる神はこの世界を離れて一種格段の性質を有するものにあらず、絶対無限の体にして自存、自活、自動の大勢力を有し、その大活動力の発達によりてこの世界を現出したるものなりと。これけだし従来の宗教哲学を比較しきたらば必ずこの点に帰着せざるを得ず。なんとなれば、スピノザが万有神教を唱えたるはもとより卓見なりといえども、いかんせんその神は活動を有せざる死物なり。これに反してライプニッツは活動を論じたるも、また万有神教と一致するあたわず。故にこの両説を統合するときはすなわち活物の神たるを得べければなり。これをもってヘルダーについで輩出せるシェリング、ヘーゲル等の説くところもまた活動力を有する活物的神を唱え、ヘルダーの説を完成するに至れり。

今これを仏教の上に比較するに、スピノザ以後の説は大乗に似たり。そのうちスピノザは権大乗に近く、万有の本体は神なりというにとどまりてその本体がいかなる作用を与うるかを説かず、あたかも法相に説くところの真如凝然として本来独存しその活動をあらわさずというがごとし。カントはスピノザの説を一変し物心本体上の二元を説きしが、その実、唯心論にして分析上に心を説明し、もって心の本体あるを発見せしも、なお心の本体よりこの世界を開発せるを説かず、故にこれまた権大乗の位置なり。しかるにヘルダー、シェリング、ヘーゲル等に至りては、活動力を有せる神よりこの世界を開発するを説くをもって、仏教の真如縁起説に近し。すなわちヘルダーの哲学は『起信論』の真如縁起説に類するところあり。故にヘルダー以下の哲学をもって実大乗とみなすもまた可ならんか。

 ヘルダー氏がスピノザ、ライプニッツ二氏の説を折衷せしことは前すでに述べたり。しかしてその神の規律を論ずるに至りてもまた両説を調和せり。スピノザは必然論を唱え、宇宙間ただただ一の因果必然なる天則ありて宇宙万有を支配し、神といえどもこの規律内に存して決してこれを動かすべからずと。しかしてライプニッツは目的論を説き、神が世界創造のときすでに予定せる目的をもってこの世界を支配すと。しかれども両説ともにおのおのその弊ありて、もし必然論を取れば吾人は因果の規律(器械的)に制せられ、もしまた目的論によれば吾人は神の意思に(自由的に)制せらる。故にヘルダーは両説を折衷し、前者に対しては、世界の活動するゆえんは神体内に存せる力の活動するなり、そのいわゆる因果必然の規律はすなわち神の中に存せる活動作用なりとし、必然論の一辺に偏するを避け、また後者に対しては、神自身の活動作用が開発して世界となりしものなれば、これを活動というもあるいは自然の規律というも異なることなし、故に吾人は決して神に制せらるるにあらずと論じ、目的論の弊を除きたり。しかして氏が始めてこの折衷を唱えしよりシェリングは絶対無限の開発を説き、ヘーゲルはこれについで理想の進化を論じ、ここに始めて世界と神と二体になり、また従来一致せざりし必然、目的の二論相統合するに至れり。けだし唯物論者は物質上の規律に基づくものなれば必然説に傾き、唯心論者は先天性の心力を説くものなれば自由論に偏するは、これ免るべからざる弊にして、カント以前にありてはこの両説全く一致するを得ざりき。しかれどもカントに至り始めて一元論の端緒を開き、ヘルダーに及びてようやくその理を明らかにせり。前段においてカントが一元論に進みながらこれを説き尽くすを得ざりしことを述べしが、ここに至りてヘルダーは目的、必然の二論を一致結合して一元開発の理を啓示するに至れり。

 ヘルダー氏の世界開発説はすでに陳述せしごとく、神自身の有せる大勢力、大活動力より順序を追って万有その形象を現示するものなり。あたかも一個の草木が一粒の種子より芽をきざし、幹と成り枝と分かれ葉を生じ、花を開き実を結ぶがごとし。初め世界の開発するやまず物質中結晶性のものを生じ、順序を経て草木および動物を生じ、最後に人間を生ず。人間に至ればただに肉体上の四肢百体をそなうるのみならず、また精神を有す。しかしてその身体は結晶性もしくは動植物よりはるかに高等に位し、精神もまた一種特殊の性質を有す。されば人間なるものは一方には物質界の最上に位し、他方にありては精神界に交通し、物心両界を連絆するの位置に立ちて、もって両界の連鎖たるものなり。すなわち人間は生まれてより人間自然の発達にしたがってその固有せる本性を発揮し、物質上には有機体中の最上に達し、精神上には高等の精神界をその体中に開き、もってその自由を得るに至る。故に人間の歴史は人間の人間たる本性開発の順序を示したるものなり。顧みてこの世界をみるに、その始めは渾沌として不整頓不規律なる一塊なりしが、その中より漸々順序成立し規律確定し、もって今日に及べるなり。これと同じく精神界もまた最初は不規則不完全のものなりしも、漸々秩序相定まり規律備わり道理発達して、ついに完全なるものとなれり。これなにによりてしかるや、すなわち神自身の体にそなえたる大活動力の開発なるをもってなり。かつ神は単に人間性の開発を支配するにとどまらず、一切万物ことごとくその支配するところなり。故に神は天地万有の外に存在するものにあらず、万有の中にありてしかも万有の上にその大勢力を発現啓示するものなり。これを要するに、森羅万象すべてその始めは不規律不完全なるも、その発達の進むに従いて事物の関係判明となり、秩序整頓し規律確定し、ついに相一致契合するに至る、これ畢竟神の命令支配するが故なりと。以上のべたるヘルダー氏の説は、スピノザの万有神教論および因果必然論を持ちきたりて、これに加うるにライプニッツの元子開発論および一致契合論を加えてこれを統合し、もって宗教哲学の原理を組織したるものなり。

 今ヘルダー氏の説をカントの説に比較するに、カントは世界以外に神ありということは理論上においては空想妄説なりとし、実際上には必要なるものとせり。しかるにヘルダーはこれに反して、神が世界の外に存すというは理論上不道理なることにして、実際上にもまた不必要なり。しかれどもこの世界万有の上に考うるときは、この世界万有を開発するところの本源たる神は必ず現存せざるべからず。しかしてこの神は世界万有の中に位し、衆勢力の大原因、衆活動の大根本たるものなり。その説たる吾人は確かに存在し、また吾人には道理を有し諸種の事柄を思考するを見れば、吾人の道理思想の最上に位するものなかるべからず。またこの世界の上に山川草木、禽獣魚介等、森羅万象の現るるを見れば、これを発現すべき原因本体必ずなかるべからず。また万物の一元子個々独立の成立をなすを見れば、この総元子の基礎として存せる活動の体なかるべからざるは瞭乎として火を見るがごとし。要するにこれを吾人の心内に考索するも、またこれを外物の上に観察するも、物心万有の本体たる大基礎大根本なかるべからず。このものはすなわちこれ神なり。故にいう、神は世界万有の本源なりと。しかしてその体は現象を離れて存するにあらず、現象の中にありてしかも現象に活動を与う、しかれども神そのものの体は無現象なり。故に神をもって一種の現象として見るべからざれども、すでに現象をあらわすべきものなれば、吾人の思想上その本体あるを推知するを得るなり。またカントは理性に考うるところのものは(神の現存のごとき)ことごとく空想なりとせしが、ヘルダーはこれに反して、理性の想像は決して偶然にあらず、必ずそのあらわるべき必然の道理のすでに内部に存せるをもってしからしむるなり、およそ吾人の想像観念するを得るゆえんのものは、その基礎に神の存せるをもってなり、故に吾人の思想中に深く考うるときは、神の存在せることは明確にして疑うべからずと。この神の解釈は氏の宗教説の基づくところなり。

 ヘルダー氏のいわゆる神は最上の勢力、最上の道理をそなえたる物心万境の本体にして、この本体の勢力万有の上に及ぼして秩序規律の一致契合を成り立たしむということはすでに述べたるところなり。しかして氏のいわゆる宗教とは、この世界に顕現する神の作用を吾人の心に領納するものなり。換言すれば、吾人は世界の一部分にして世界の全体は神なりということを直接に認識し、その道理をすでに会得するが宗教なり。かのカントが道徳をもって宗教とし、また通俗の宗教者が吾人は世界以外の神によりて支配せられ、これに服従する義務ありということをもって宗教とみなすがごときは、みな宗教の全体を知るものにあらず。吾人はこの世界の一部分なることを自ら証見するがすなわち宗教にして、これに伴って道徳上の関係もまた起こるものなりと。この点は通俗の宗教説およびカントの道理説に比して一層高尚なるがごとし。かくのごとく氏は万有神教に重きを置きて宗教の原理を説きたるものなるをもって、吾人にその宗教の道理を告示するものもまた世界万有にして、この世界万有は最上の大勢力の発現によりて一大有機体のありさまをあらわすものなれば、宗教の思想は万有そのものを観察して領得するを得べし。しかしてこの理を推究するときは、太古の人民が事々物々を見て神と想像せしも、決して単純なる空想にあらずして、真正の宗教思想が開発する最初の状態なりといえり。しかして氏はこの点を取りて経典の奇跡怪談を説明せんことを試みたり。すなわち経典は世界創造の説を始めすべての事実奇怪ならざるはなし、故に道理を主張するものはこれを信憑するものなしといえども、氏はこれを説明して曰く、けだし経典中の怪談たる古代無智の人民が事々物々をもって神なりと想像し、また詩人が天文地理を察して神の作用を感じ、その想像を描きあらわして天地の美妙を写し出だすと同じく、この世界の一大勢力発現のありさまを感じて起こしたる想像なり。故にこれを表面より見るときは不道理なるがごときも、その内部に入りて考察するときはその内に一大真理の含めるを認むるなり。されば経典は神力によりて開発啓示せる世界万有の状態をえがき出だしたるものなりというも、あえて不可なることなしと。

 今ヘルダー氏がこの説明を考うるに、この世界は神の大勢力の発動なれば、いかなる蛮民といえどもこれを感ずとは、あるいはその理なきにあらざるべけれども、経典上の奇跡怪談をして今日一般の道理上に照らすことなく、またこれを事実上に徴証せずして論断せしは氏の欠点といわざるべからず。もしこれをして哲学上の一説となさんとせば道理上満足すべき解釈を与え、またこれを事実上に観察して果たして信ずべきものなるや否やを論究せざるべからず。故に氏のこの説明は決して学術として受け取るを得ざるなり。しかれどもまたその長所ありて、従来の道理学者は道理一方に偏局し、単に外部を一見してそのことの道理に反するあれば、ただちにこれを排斥してすこしもその内部のいかんを顧みざりしが、氏はこれと異なりて深くその内部に立ち入りこれが観察を下せり。すなわち蛮民が日月を拝し木石に礼するごとき信仰想像は、もとより非理のことにして取るに足らざれども、もしその内部に入りて何故にかくのごときものを信ずるかを探究せば、これ実に世界の活動に感じて起こしたる想像なりということを知るに至らん。故に氏がこの内部観察は氏の長所と称せざるべからず。しかるにここにまた氏の前後相違するところあり。すなわち氏は始めにはいくぶんか奇怪の事跡を許せしが、後にスピノザの因果必然論を講究するに至りややその説を変ずるところあり。いかに奇怪のことといえども、道理上説明し得ざるものには歴史上研究を費やさざれば明らかならずといい、道理上の解釈をもって奇怪の事実を除かんことをつとめたり。故に前後いくぶんか相異なるところあり。

 ヘルダー氏の天啓説はレッシングと同じく天啓は教育的のものとす。その説を見るに、天啓は決して道理に背反するものにあらず、天啓はすべての道理観念の基礎にして、道理の発育に従って天啓を知り、天啓によりて道理の発達を促す。故に吾人は天啓の指揮によりて宇宙間に一大道理の存し、一大勢力のあるを発見するを得。これ天啓をもって教育的とするゆえんなり。あたかも天啓は母のごとく、道理は幼児のごとし。母の幼児を養育して幼児自身に独立して歩行するに至らしむると同じく、天啓は吾人の道理の幼稚なるを導きて、もって吾人が自由に道理を使用するを得せしむるものなり。故に天哲は決して道理を離れたるものにあらずと。また従来の宗教家は天啓をもって秘密不可知のものとせしが、氏はこれに反して天啓は道理の発達を促す先導者なりとす。しかして天啓の人智を進歩せしむるにおいて、時と場合とによりて緩急遅速の相異あるは、畢竟神がある特別の人種に人間自然の本性を開発するにおいて、特別の時代に特別の資助をなしたるなり。故に時ありてあるいは賢哲を出だし、あるいは聖人を生ぜしめて人民を開導することあり。これみな神が人民を教導する方法なり。されば天啓は自然以外、道理以外のものにあらざるは明らかなり。また従来ヤソ教中神託(Inspiration)すなわち神が人の精神によりて託宣をなすということを信じ、これをもって理外の理と考えたり。しかれども氏はこれ神が人の精神を高尚ならしむるゆえんのものにして、決して秘密的のものにあらずと説明せり。

 ヘルダー氏はヤソ教をもって人間教の一種とせり。曰く、ヤソ教は人間を愛し人間を助け、人間真正の性質を開発するために起こりたる宗教なり。そのヤソを見よ、その一代の所為はヤソ教が人間教の一種たるを証明せるものにして、ヤソが己の一身を殺して人間を救いしは、これ人間教の人間教たるゆえんを実地に行いたるものなり。けだし神は天父にして、ヤソを始め吾人人類はみな神子なり。故にヤソの心中には人類はすべて己の同胞兄弟なるを信じ、これをもってその本心を組み立つるが故に人類を愛するの情いよいよ切にして、ついにその身を十字架上に置き、もって同胞人類を救助せんとせり。これすなわちヤソ教が人間たるの証なり。かくのごとくヤソ教は人類を愛し人類を進め、人類固有の本性開発を目的として成立したるものなれども、その世間に拡張するとともに一種の習慣を生じ、その本来の性質を失いみだりに外形の虚礼儀式にはしり、これに加うるにヤソ教以外の風習を混入し、肉食を戒め妻帯を禁じ遁世脱俗の風起こりて、ついに社会進歩の妨害をなすに至れり。およそこれらのことはことごとく人間教たるヤソ教本来の性質に戻乖せるものなり。これ畢竟中世ヤソ教の極めて盛んなりしがため、この強風に陥りたるものなり。しかるに近世に至りて夥多の学者輩出し、これら弊習のヤソ教の真意を誤るを看破し、もってヤソ教の真面目をあらわし、その正当の位置に復せしめんとせり。けだし薬にして毒と変ずるを得ば、毒もまた薬に変ずるを得べし。中世悪弊の毒もと純善なるヤソ教より出でたるものなれば、ついにはまた悪弊を転じて純粋の人間教となるに至るべきは必然のことというべし。しかして今ヤソ教の積弊を洗滌し人間教の真面目に復せしめんとせば、ただただ一の経典によるの外なし。経典は淳朴の風を帯び言語文章また古雅にして、道徳上人間性を開発するに最も適当なり。もし真正に経典の根本に復帰するを得ば、宗教の改良ここに至りておわれりというべし。また通常経典を見てその奇跡怪談に満たさるるをいぶかるといえども、これ決して奇怪なることにあらず、人間性の最も完全なる真善真美の状態をその中に含有せるものなり。故に人はこれによりて真かつ美なる性質を開発するを得べしと論じたり。

 以上陳述したるヘルダー氏宗教哲学を概括するに、氏はスピノザ、ライプニッツの両氏の説を統合し、この後に起こるところの理想哲学に向かいて新思想を与えたるものなり。故に氏は理想哲学の前駆をなすというも可なり。しかしてその宗教上経典の解釈はレッシングを取りて教育的のものとせしが、氏は更に進みて従来一致せざりし道理と天啓とを結合せり。しかれどもその論たる、氏以後の説に比すればその見るところいたって浅近にして、宗教心を説くにおいてもこれを分析することなく、かつ宗教心のなお深くしてかつ高き原因すなわち本心より発生しきたるものなることを知らざりき。かくのごとく氏はいくぶんか理想一元論の論緒を開きたるも、氏は理想学派の門に入りていまだその堂に登らざるものなり。されど一八世紀の学風を一変して一九世紀学風に転ぜしめたる功は氏に帰せざるべからず。

       ヤコービ

 ヤコービ氏(Friedrich Heinrich Jacobi)は一七四三年プロイセン、デュッセルドルフに生まる。始め氏の父は氏をして商人たらしめんとせしが、氏はスイスのジュネーヴにありて教育を受くるの間、哲学を好みこれを研究せり。しかれども父の目的に反するをもって、その教育終わるの後もっぱら商業に従事せしが、商業は氏の好むところにあらざれば、後これを廃しもっぱら哲学の講究に従事せり。一八〇四年ミュンヘン学校の招聘に応じその校長となり、終生この職に当たり一八一九年その地に没す。氏は哲学者たるのみならずまた詩人にして、よく世態人情に通ぜり。故にその哲学のごときも論理上ならびに講究上往々精密を欠くの弊あり、またその書も順序系統の整備するものなし。これを要するに、氏の書は談話体随筆体の文章なり。かつ氏自身にも欠くことを知り自ら説明して曰く、余の書は余の意思をもって人為的に順序を設け、あるいは組織を立つることなし、ただ公心中に考うるところあればそのままこれを写したるものなりと。思うに氏の説が世に行わるることの少なきは、その書の分類明らかならざると順序整わざりし故ならんか。

 ヤコービ氏の哲学はカントの哲学を批評するをもって起こりたるものにして、氏はカントに反対して直覚的学説を唱え信仰原理の哲学を講ぜり。故に氏は直覚学派中もっとも有名なる一人なり。カントの説は主観的理想論あるいは抽象的道理教の一辺に偏倚したるものなるが、氏はこれに反して直接の知識(直覚)すなわち吾人が道理思想を待たずして、直感即知するところのものをもって哲学の原理とす。これいわゆる信仰なり。故に信仰は道理を要せず、われが感じてそのことに疑いなきをいう。かくのごとく氏はカントが道理一方に偏したると同じく直覚の一方に僻したるをもって、氏は直覚と思想、すなわち氏のいわゆる直接的知覚(直覚)と間接的思想(推理)とを結合するを得ざりき。

 ヤコービ氏の哲学が順序系統のなきことはすでにのべたり。畢竟氏が一家の哲学者として知られたるは、おもにカントの哲学を批評してその論理上の撞着を指摘し、道理一辺の説に反して信仰説を立てたるにあり。しかれども氏の学がドイツ哲学に及ぼしたる影響はすこぶる大にして、氏が始めてカント哲学を批評したるがために学者諸方に輩出し、カントが残したる余地に向かいて説明を企てたり。故に氏をもってカント哲学批評の率先者とす。しかして氏が批評の論鋒ははなはだ鋭敏にして明確なりしが、その説の組織を有せざるがために、さほどに世に行われざりしは実に惜しむべきことというべし。

 ヤコービ氏、カントの哲学を批評して曰く、カントは唯物唯心の両説の間に彷徨するがごとしとし、なんとなれば、カントは外界の事物をもって知識の原因とし、その知覚にあらわるるところの外界そのものの本体は人智以外にありというを見れば、唯物実体学者の説のごとし。しかるに一方においては外界はことごとく主観以内にありとし、知覚の原因を悟性に帰し、悟性の先天的原則によりて外物のわが知覚上にあらわるるゆえんを説く。故に氏の説はこの二点において撞着を生じ、二者の間に彷徨してその帰するところを知らず。しかるに今カントの説をして唯心説とせんか、その説一部分の唯心説にして完全なるものにあらず。故にフィヒテは更に一歩を進めて全体の唯心を立てたり。ヤコービはカントに服せざるはもちろん、あわせてフィヒテの説をも取らず。何故に氏がフィヒテの絶対的唯心論をも取らざりしかというに、吾人の意識上には主客両観、彼此相対して存し、二者互いに制限して成り立つものなり。もし主観にしてなからんか、客観なるものいずれにかある。もし客観にして存せざらんか、主観また存することあたわず。しかるにこの相対的のものをもって絶対的とせば、何故に絶対的のもの意識中に相対的となりてあらわるや、また何故に二者同時に存在するを得るか。またフィヒテは主観の本体をもって正確なるものとし、これを離れて客観なるものなしと断定せしが、もし果たしてしかいうを得ば、客観外に主観なしというもまたなんの不可かあらん。これヤコービのフィヒテを排斥したるゆえんなり。

 カントは神の現存意志の自由、魂霊の不滅のごとき問題は『純理批判』にては空想となし、これを『実理批判』中に説くに当たりて実際上必要欠くべからざるが故に神は現存し、霊魂は不滅なりとせしは理論上許さざるところなり。例せば、夢の空想は迷見をもってこれを信ぜば確かに存在せることを信ずるを得べきも、実際上には空無なるものなり。これと同じく神の形体のごときは迷信上現見すべきも、これをもって実在を証すべからず。しかるに実際上には必要なるをもって存在すというがごときは謬妄もまたはなはだしき論断にして、実際上いかに必要なりとも、これをもってただちに実在ということは論理上許すべからず。故にカントは理論と実際とを結合するを得ずして二者の間に彷徨したるものなり。これけだしカントが道理一辺を取りたるをもって、勢いここに至れるなり。およそ真理なるものは道理のみにあらず、道理以外に道理の基づくところの真理なかるべからず。この真理はすなわち直覚信仰なり。ヤコービがカントの道理教に反し、また一般の哲学に反して立つるところの原理はこの直覚すなわち直接的知識なり。直覚とは目を開けばただちに物の形状黒白を知り、耳をそばだつればただちに声音を分かち、その間にすこしも思慮を要することなきをいう。しかしてこの直覚は単に感覚上の知識なりやというに、氏は感覚を内覚と外覚との二種に分かち、通常五官上の感覚は外覚にして、この他に内界上の感覚すなわち内覚ありとす。ヤコービは直接的知識を主張して曰く、いかなる道理議論もすでに論定せられて、自然に明瞭なるものなかるべからず。今、甲を論ぜんとするに、甲そのものはいまだ確定せざるも、甲以外に乙あるいは丙のすでに確定せるものなかるべからず。もし甲を定めんとする、乙にして不確定のものなれば、なにをもって甲を定むるを得ん。故に乙もし不確定のものならば、乙のほかに更に丙あるいは丁の明瞭確定なるものなかるべからず。あたかも幾何学上一の公理〔axiom〕を立て、「二点の最近距離は直線なり」「部分は全体より小なり」というごときはすでに明確なるものと断定して、これより他に論及するがごとし。この議論、証明を要せずして、すでに明瞭確実なるものはすなわち我人が自然の啓示によりてただちに感知するものにして、いわゆる直接的知識これなり。これを要するに、直接的知識は思想上の想像を要せず、また道理の証明を待たず、すべて思想の媒介なくしてただちに外物を知るものなり。しかしてこの知識は空妄なる想像または虚偽なる現象のごときものにあらずして、直接的に感知するところのものの裏面には一種不可思議の本体あり、この本体の啓示によりて直覚あり、また直覚によりてその本体の存するをも知るを得べしと。

 以上のべたるところによれば、ヤコービの説はロック等の唱えし普通の感覚説に似たるがごときも、その実大いに相異なるところあり。今その異点を挙ぐれば、ロックの説は現象のみにつきて講究し、現象以外の本体に論及せず。しかるにヤコービの説は現象の基礎たる本体ありとし、その本体は思想上推理して知るにあらず、現象を見ると同時にその裏面に本体あることを感知すと。これその異なる第一の点なり。つぎに普通の感覚説は五官の感覚にとどまりて、ヤコービのいわゆる外覚なるものなり。しかるにヤコービは内意なるものあるを唱え、五官に感ずるを得ざる本体すなわち神のごときものをただちに心内に感知するを得と。これその異なる第二の点なり。

 カントは心を覚性、悟性、理性の三に分かち、純理上には理性を主とし、実理上には理性をもととす。しかるにヤコービはこれに反して理性悟性を奪いて、これを覚性の上に説きたり。氏はカントの説を評し悟性を排斥して曰く、悟性は理解力あるいは推理作用というべきものにして、形ありて実なく全く虚想なるものなり。しかしてその形をみたすところの材料は感覚よりきたるものにして、ただ感覚の材料を収集しこれを順序正しく組織するのみ。故に悟性は智識の物柄となるを得ずして、畢竟概念といい総念というものと同一なり。総念は決して智識を組み立つることなく、ただその形を与うるのみ。これをもって氏は総念概念を空虚なる抽象的思想とし、外形の実体を知る作用はただただ直接的知覚なりとせり。かくのごとく外界の実体を直覚によりて知るを得と等しく、内界の実体をもまた知るを得。すなわち氏は直覚を内外の二種に分かち、外部の直覚は外界の本体を知り、内部の直覚は神の現存等のことを知る。今、何故に神の現存することを直覚作用によりて知ることを得るかというに、もし神にして道理上証明することを得ば、これすでに神にあらず。すべて証明とは推論することにして、推論するにはある既知のものなかるべからず。しかるに神はもっとも明瞭に、もっとも確実たるものなり。この明瞭なるものを他のものによりて推論せば、これ神をもって不明不確のものとするなり。神は決してしかるものにあらず、証明以外にあるところの自明自証のものなり。かつ吾人思想上真善あるいは自由ということあるは、神につきての直覚より起こるものなり。故に神はすべての思想、すべての道理の根本なりと。

 方向を転じて更に以上の論点を説明せば、悟性あるいは概念によりて推究するは、すべて一のことを他のことによりて証明すということを意味す。故に悟性、概念は互いに制限せらるる事情の中において一方より他に及ぼすものなり。換言すれば悟性、概念は相対的有限の間の知識作用なり。吾人はすなわちその間に議論を上下し、相対的を離れて一歩も進むを得ず。しかるに神は無限絶対の体なり。故にもし吾人有限の知識をもってこれを証明せんか、しかるときは神は有限の範囲内に入りまた無限にあらず。なんとなれば、事物には証明するもの(能証)と証明せらるるもの(所証)とあり。神には証明せらるるものすなわち所証の体とせんか、これを証明するものすなわち能証の体は有限の事物にして、かつ所証のものは能証のものの一部分を分派したるものならざるべからず。例せばここに甲なる一物あり、これを証明するに乙をもってす。すなわち甲は所証にして乙は能証なり、しかして甲を証明するは乙の中に存せる真理を分かちて甲に与うるなり。故に今、有限的事物をもって神を証明せんとせば、神は有限のものより分派したるものとなるなり。しかれども神の有限ならざるはすでに明らかなり。かつ悟性、概念なる吾人の道理作用は、万有自然の理法に基づき経験上の原則に照らして論ずるものなれば、神の存在、精神の不滅のごとき問題は、いかにこれが解釈に力を尽くすも到底まったきを得ず。故にカントは『純理批判』においてこれを否定せり。ヤコービもまた神は道理作用をもって決して知るべからず、これを知るは直接的智識すなわち直覚によらざるべからざることをいえり。しかしてその直覚中ことに内界に存する直覚すなわち信仰作用において感知するなり。この信仰は他物の仮定を要せず直接にその確実なるを知る。故に吾人が感覚以上、現象以外のことはすべて信仰によらざるべからずと。

 以上陳述せしごとくヤコービ氏は信仰をもってすべての智識の基本とせしが、世間あるいは氏を目して盲目信仰論者とみなさんことを恐れ、氏自身にこれが盲目信仰にあらざることを弁護せり。氏は曰く、愚夫愚婦の信仰はそのことの善悪正邪を問わず、一概に他人の説をそのまま信ず、これすなわち盲目信仰なり。しかれども余がいわゆる信仰は他人の説によりて信ずるにあらず、己の心において自ら感じたるものをいうなりと。これによりてこれをみるに、氏のいわゆる信仰は愚夫愚婦の信ずる盲目信仰とは異なるところありといえども、これを道理あるいは理解に比するにまた全く異なるものなり。道理、理解は有限の間接的知識にして、氏のいわゆる信仰は無限の智識すなわち天啓によりて自然に感ずるところの直接的智識なり。この道理ということにつきて氏の説、前後において不同を生ず。始めには道理と理解とを同一視し、ともにこれを有限的のものとして直覚信仰より区別せしが、のちカントの覚性、悟性および理性の区別を見、理性の道理上の直覚はすなわち信仰なりとし、道理と直覚とを一致せしめこれを悟性と区別せり。故に心内の直悟すなわち信仰は道理上直接に感知するものなり。吾人はこの道理上の直覚によりて神の本体のごときものを直接に感知することは、なお感覚上の直覚にて現象上のありさまを知るがごとしと。氏は曰く、一切の事物は内外直覚の二作用によらざるものなし。そもそも直覚作用はすべての智識の根本にして、人獣の区別あるも人には内部の直覚信仰を有するをもってなりと。これまたカントと異なるゆえんにして、カントは神の実存等のごときは理性上の空想にして事実上虚偽なるものなりと排斥せしが、ヤコービはこれに反してカントのいわゆる覚性を取り、これを理性の上に持ちきたりて説明し、これらの問題は直覚によるものなれば真正なるものなりと断定せり。かつカントは悟性を主とせしも、ヤコービはこれを排斥し理性をもって真理の基礎とせり。すなわち感覚上の現象は外部の直覚をもって知るを得れども、感覚以上の神のごときは直覚理性によりて知ると。ここに至れば氏の説はなはだスピノザに近づきたり。スピノザは万有の本体すなわち神にして吾人の心はその一部分なれば、吾人もし神を見んと欲せばすべからくその心内に反省すべしといいしが、ヤコービもまた心内に直覚作用ありてこれによりて感ずといえり。これその一致するところなり。しかれども前者は道理をもととし後者は信仰をもととしたるは、二氏の相異なる点なり。これをもってヤコービはスピノザを評して無神論者とせり。なんとなれば、スピノザの神は道理によりて説明せられ、因果必然の法理によりて支配せらるるものにして、いわゆる器械的物理的論法をもって神に当てはめしものなれば、これかえって神を無にするものなりと。かくのごとくヤコービはスピノザを排斥したれども、その説スピノザの影響をこうむりしことはなはだ大にして、かつ氏の力によりてスピノザ哲学も大いに世に知らるるに至れり。

 ヤコービ氏のヤソ教に対する点はただ直覚的信仰によりて神を知るということを論じたるのみにして、従来の哲学者のごとく実際上の制度儀式には更に論及せざりき。またヤソと他教との区別も、ヤソ教は直覚に基づき他教は悟性に基づくという考えなりき。これを要するに、氏は智、情、意三種中カントが智を主とせしごとく情を取りしが、氏の欠点たるところはこの情すなわち信仰一辺に偏せしにあり。もしこの智と情との中間すなわち道理と直覚との折衷を取らば、ここに始めて宗教哲学上の真理を見るに至らん。

       ゲーテ

 ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(〔Johann〕Wolfgang von Goethe)は欧州文学界の北斗と称せられし大詩人にして、かつ哲学上にも一家の説をなせし人なり。氏は一七四九年ドイツ、マイン河畔のフランクフルト府に生まれ、一五歳にしてライプチヒに遊びここにその教育を受く。しかれども氏は順序を追って学修したるにあらず。一七六八年この地を去りてシュトラスブルク大学に入りもっぱら法律学を研修し、一七七一年法理学の学位を得たり。一七七四年文学上の一書を著述せしが、これぞ氏が最初の著述にして、これより続々書を著しその名声を欧州諸国にとどろかせり。一七八六年イタリアを遍歴し二年間この地にとどまり、一八三二年ワイマール府にありて没す。

 ヤコービはその哲学の系統整頓せざるがために哲学者として大家の称を得ることあたわざりしが、その説の当時の哲学上に及ぼせし影響は尠少なりとせず、ゲーテのごときもまたヤコービの説に感動せられて興起したる一人なり。ゲーテが一七七四年ライン河畔に沿って漫遊せしとき、ヤコービに会し親しくその説を聴き大いに宗教哲学の思想を得、またこのときよりスピノザの哲学を研究せり。前段述べしごとくヤコービはスピノザの影響をこうむりしが、ゲーテはヤコービよりスピノザの説を聞き、かつ自らもまたこれを研究し大いに得るところありき。しかれどもゲーテもまたスピノザを祖述せし人にあらずして、そのスピノザが本質属性の説のごとき、また因果必然の説のごときはその取らざるところなり。氏はおもえらく、因果必然の理法は物質上の規律なるが故にこれを神に適用すべからず、もしこれを適用せばこれ神を器械的に説明するものといわざるべからず、またこの世界の表面には必然性の理法あるも、その世界全体の裏面には一種の理想ありてこの作用を現すものなりと。また氏は世間の唯神論を排斥して曰く、世人は神を有限的のものとして説明を与うれども、これ人間の有限の範囲を拡充したるに過ぎず、神は無限の本体なれば諸有限の上に位するものなり、故に吾人はいかなる名称をもってするも到底神を表彰するに足らずと。しかれども氏がスピノザを評するや、ヤコービのごとく無神論者とせず。けだし氏の考えは世界万有はすべて神の天啓によりて成り立つものにして、万有の時々刻々変化するはこれ神の啓示なるをもって、吾人は心内を省みるも心外を考うるも、世界万有はすべてみな神を知るの階梯なりとするが故に、この説はスピノザが万有みな神の現れと説きたる点と相一致するところにして、氏がスピノザの影響を受けたる点また実にここにあり。しからばゲーテは唯一神教なりや万有神教なりやというに、氏がヤコービに与えたる書翰の中に曰く、われは詩人および技術家としては一神教者なり、博物学者としては万有神教者なりと。畢竟氏の考えは神は種々の方向においてその力を啓示し、種々の事柄において世界と関係するものなるが故に、吾人は単に一事物につきて神を知るを得ず。換言せば、神は心内に啓示するのみならず万有普遍に顕示するものなれば、吾人は広く内外を観察して始めて神を想見するを得べしというにあり。これ氏が世間の反対論者より不信神者として攻撃せられしゆえんなり。

 しかれども氏は世間の有神論者が神をもって有限なりとする狭隘の考えを排斥して、吾人の有限なる知識思想によりて限らるるごときものは真正の神にあらずと論じたるを見れば、たとえ世間より不信仰者とみなすといえども、ある意味においては氏もやはり信仰者なり。かつ氏は物心万有の啓示を説くものなれば、ヤソ教者より見れば万有神教の傾きあり。しかれどもスピノザの意より見れば一神教なるがごとし。要するに、スピノザは世界の本体神なりとして神の世界の上に及ぼせる作用を明らかにせざりしが、ゲーテはヘルダーと同じく万有の本体すなわち神にして神は万有の上に啓示をなすと説き、またヤコービは心内の直覚信仰によりて神を知るといえども、氏は広く万有の上において感知することを得べしといえり。これゲーテの他の説と異なるの点なり。

 ゲーテのスピノザに基づきたる説に二点あり。一は神をもって世界の本体とすること、一は神が世界の上に顕示する作用は因果必然の規則に従うことこれなり。しかれどもそのこれに異なる点は、スピノザのいわゆる本質の体は活動作用を有せざる死物的本体なるも、ゲーテはこの本体に創造力を有するものとし活物的本体とせり。またスピノザの万有は実体あるものにあらずして本質の外面にあらわるる性質すなわち外象に過ぎず、かつそのものに特別の成立勢力を有することなしとせしが、ゲーテは万有の一物一物に勢力を具するものなることを説けり。これによりてこれをみれば、ゲーテはスピノザの説にライプニッツを加え、二氏の説を折衷したるものなり。またスピノザは因果必然説を唱えライプニッツは目的予定説を主張せしが、ゲーテはライプニッツを取り、万有の内部に一定の目的ありて神の啓示に従って開発すと説き、またライプニッツによりて、世界万有いよいよ進化すれば一致契合するに至ると説けり。故にゲーテの説はスピノザ、ライプニッツ二氏の折衷論というもあえて不可なることなし。またその道徳説においても氏は一方にスピノザの説を取りながらその厭世説のみはこれを用いず、これに代うるにライプニッツの楽天主義をもってし、二氏の説を結合せしめたり。

 ゲーテの道徳説とカントの関係を説かんに、カントは感覚上の刺激によりて生ずるものは悪にしてわが心内より生ずるものは善とし、感覚上の欲念と純粋高尚の道理との二者についてこれを結合することあたわずしてついに欲念を放棄せり。故にその説は乾燥枯槁せる高尚の道理一辺の道徳にして厳粛主義に傾きたり。しかるにゲーテは情念と道理とは本来一致せるものにして決して反対に立つべきものにあらず、かえって情念は吾人の善をなす助けとなり、かつ道理をみたすところの材料となるべきものなり、しかれども吾人の善を妨害する下等の情欲のみはこれを排除せざるべからずと論じ、カントが欲念と道徳心とを結合するあたわざりしものを一致せしめたり。しかれども吾人は実際上外界より刺激せらるる欲念と本来の道徳心とは往々相反抗するものなり。かくのごとき場合はいかにというに、ゲーテの考えによればこれ二者の両立して争うにはあらず、万有自然の発達の途中において仮に不和抵抗の現象を示すのみ、故にその発達の極度に至らば不和を生ずることなしと。これけだし氏が心の上に啓示を説くのみならず万有の上にもこれを説くをもって、勢い物心二者の契合一致を論定せざるべからず。

 およそヤソ教の宗教を説くに消極積極の二方あり。消極的よりいえば、吾人人類は罪悪人なりと説き自ら己を責めしむ、しかして神はこれに反して純善なるものとす。しかるに積極的よりいえば、吾人も神の愛によれば罪悪消滅して神人同等の位地に進むを得るなり。故に消極的よりいえば神人相離隔してその間はなはだ遠けれども、積極的よりいえば神人相同じきものなり。しかして消極的によりて人間を有罪なりと説くときは、人をして恐怖心を起こさしむ。ここにおいて積極的にありては神の仁恵を説く(この説は真宗の機法二種の安心に類似せるがごとし。機とは吾人の機根性質にして、機よりいえば吾人は罪悪の凡愚なり。法とは仏の方に寄せていうものにして、法よりいえば吾人のごとき悪人といえども、弥陀の本願を信ぜばその願力によりて助けられ弥陀同体となる。すなわち機は消極的にして法は積極的なり。かくのごとく安心の説明は二教やや類似し、これに弥陀の五劫永劫の苦行を説けば、かれにはヤソの磔死し万人に代わることを説く。もとより弥陀と神とはその性質全く相異なるものなれども、その宗の他力往生を説く安心の上には多少類似するところなきにあらざるは実に奇というべし。しかして同中におのずから異味の存するあるはまたおおうべからず。よろしく比較的に講究すべし)。

 カントはヤソ教を取るに当たりてその消極的の方を取りたるものにして、吾人の欲念を探れば一も善なるものなしと説き、ゲーテは積極的の方を取りて、その有罪なる人間も神の愛に倚れば無罪の人となると説けり。これ二氏の説と相異なる点なり。ヤソ教もある場合にはいくぶんか厭世の傾きありて、中世のヤソ教のごときは全く遁世脱俗の風なりしが、これけだし宗教の性質としてやむべからざるものたり。ゲーテはこの厭世の風習に反対し、この天地万有は神の啓示を与うるものなれば外界そのものの本来悪しきはずなし、外界すでに悪世界ならざる以上はなんぞこれをのがるるの要あらん、もしこれをのがれんとする者は、その見識の極めて狭小なるものなりといえり。

 またゲーテは神が人間のごとき性質を有すといえる説に反対し、神は有限のものにあらずなお広大無限のものなり、人間より比較してこれに類するものとなすは誤謬もまたはなはだしきものなりと。しかれども氏はヤソ教の説を全然排棄せしにはあらず、ヤソのごときもこれを捨つることなく、キリストは道徳上神の最上の啓示を得たるものなり。しかれどもキリストのみ神の啓示にあらず世界万有すべて神の啓示なり、ただ人間の中にありてはキリストもっとも多く啓示せられたるものにして、外界万有の中には太陽こそ最も勝れたる啓示を得たるものなれ、故に吾人はよろしく外には太陽を礼し、内にはヤソ・キリストを拝すべしといえり。

       シラー

 フリードリヒ・シラー(〔Johann Christoph〕Friedrich〔von〕Schiller)はゲーテとともにドイツ文学界の両雄と称せられたる大詩人なり。氏は一七五九年ドイツのマールブルクに生まれ、一八〇五年ワイマール府に没す。氏の父はヴュルテンボルグ公に仕えし人にして、公は氏が少年にして非凡の才能あるを知りその教育を引き受けられたり。氏は始め法律を学びしが中途にしてこれを廃し、更に医学を修め大学卒業後も医をもってその業とす。しかれどもその間常に好みて詩文を作り、ついに著名なる詩人となれり。また傍ら哲学を研究し初めにイギリスの倫理学者ならびにフランスのルソーの書を読み、一七九一年以後にはカントの書を閲読しことにその『断定批判』に意を注ぎ、またその間カント派の学者と議論を上下し大いに哲学上の智識を得たり。故に氏の哲学はカント哲学の影響をこうむりしことはなはだ多し。

 カントは感覚上の欲念と道理上の道徳心とを互いに相反対するものとせしが、シラーはゲーテと同じく欲念と道徳心とを一致せしめたり。シラーの考えによれば、吾人の一挙一動が正しきを得るは感覚上の欲念より起こるものにあらず、しかれども道徳上に生ずる欲念なきときはもって完全なる道徳を得ることあたわず、道徳上の徳とは道徳上の義務をなさんと欲する一種の欲念たるに過ぎず、故に吾人の有する欲念をことごとく廃棄するときは道徳を完成することあたわずと。要するに氏は、先天の義務と後天の快楽すなわち道理と幸福と一致したるものをもって道徳の目的としたるなり。また氏の説によるに、人間はその全体が道徳性より成れるものにして、その下等の欲念(情)が道徳上の義務心(道理)と一致するを得ざるは、これ人間がなお下等の位地にとどまりて高等に達せざるが故なり、もし一歩進みてわが心内に固有する善良完全なる美霊の体に達すれば二者必ず相一致すべしと。

 今カント、ゲーテ、およびシラー三氏の道徳説を比較せんに、カントは道徳上に感情と道理との二元を唱えこの二者は一致せざるものとみなせしが、ゲーテ、シラー二氏はともにこれに反して一致するものとせり。しかれども二氏の中にもまたおのおの差異あり。ゲーテは本来二者一致するものとみなすが故に、更に一致せしめんとする必要なしとす。詳言せば、氏の考えは物心両界はともに神の啓示なりと唱え、ことに万有自然の上に重きを置きし説なれば、道徳上にもまたかくのごとく吾人の善を行うは万有自然のしからしむるところなり。故に吾人は殊更に感情と道理と一致せしむべき必要なし。しかるに吾人が実際上善悪二心の相争うことあり。本来すでに一致するものならば何故にこの衝突を生ずるやというに、これ万有自然の開発啓示のいまだ十分ならざるがために仮にこの現象を生ずるのみ。すでに本来一致せるものなれば、十分に発達すればこの衝突全く消失するに至るべし。これを一個人の上につきて見るに、その人一時悪をなすも自然にその悪を滅するように進み、また人間全体の上より見るも、万有自然は人間の悪を除きて善に進ましめんとする傾向あり。けだし自然は神の啓示によりて開発せるものなれば、自然の人を悪に陥らしむる理なし。しかるに吾人が外界の刺激によりて悪心を起こすはこれ自然の目的にあらず、ただその発達の途中において遭遇する事実のみと。しかるにシラーは内外両界を別にし、その内界すなわち心の内部には美霊なるものあり、この美霊は諸心力を結合する高等の本性なれば、進んでこの体に達するに至らば感情も道理もともに契合するに至るべしと論ぜり。これを要するに、ゲーテは万有の上に重きを置き、シラーは心の上に重きを置きたるの相違あり。故にゲーテはかつてシラーを評して曰く、シラーは万有自然の恩義を知らざるものなりと。

 上来陳述せし直覚学派を一括して論ぜば、そもそもカントは近世哲学のようやく衰うるに乗じ一大革命を企て始めて批判哲学なるものを唱導せしが、その説高尚なる道理一方に偏し純理の極端に走りたるがため、これが反動として情感上より直覚の一方を主張する学派興るに至れり。すなわちハーマン氏直覚軍の先鋒となりて道理軍を攻撃し大いに戦端を開く。しかしてヘルダー、ヤコービ、ゲーテ等、おのおの一軍に将としてもってハーマンに次ぐ。しかれども彼らはその進軍する間に最初ハーマン氏の唱えしところに一歩一歩改良を加え、もって同氏が論理に反して道理以外に偏し過激極端にはしりたる僻見を去れり。ことにゲーテ、シラーに至りては人間精神の理想的観念を取り、これをもって道徳の本源とするに至れり。ヘルダーは神の啓示の開発するをもって人世の歴史としこれに学術を適用し、ゲーテはスピノザの主観説を取りてこれに加うるに万有自然をもってし、万有自然の開発は神の啓示なりとし、これによりて道徳上の完美を得るゆえんを説き、シラーはカントの影響を受け人間に本来諸性を結合一致する美霊の存することを説き、この上に神人相合のありさまを見るといえり。これ畢竟ゲーテ、シラー二氏が文学者にして、ギリシア古代の文学上より得きたれる思想ならん。なおここに陳述すべきことあり。すなわち当時詩人の上よりゲーテ、シラーに反対したる説なり。これを「ロマンチシズム」(Romanticism)直訳して荒唐学派という。

       ノバーリス

 ノバーリス氏〔Novalis〕の学説を講ずる前に、まず荒唐学派(ロマンチシズム)のいかなるものなるかを略陳せざるべからず。そもそもこの荒唐学派なるものは一九世紀の初年に当たり一種の詩人によりて組織せられたる学派にして、当時社会の気風思想のその以前よりは人為に過ぎ柔弱に流るる傾向あるをもって、これに反して中世時代の気風を挽回せんとする目的をもって起こりたるものなり。しかしてゲーテ、シラーが古代文学の理想的観念に支配せられ美学倫理学の思想に抑制せられたるに反対して、一切放任主義を取り少しも検束することなく人間自然の性質に従いて道徳を組み立てんとせり。これその荒唐の荒唐たるゆえんなり。しかれどもその説はなお直覚学派の範囲に属すべきものなり。今ゲーテ、シラー二氏の説と荒唐学派との異同を述べんに、二者ともに詩学派たるが故にいずれも想像をもってその基本となせども、ゲーテ、シラーはその想像の多少道理に検束せらるる傾きあり。しかるにこの学派は自然の自由に放任し、その想像を縦横に奔騰せしめてあえて検束することなく、道理規則のごときはこれを捨ててすこしも顧みることなくかえって想像をもって道理規則を支配し、従来の思想上の秩序論理法に代うるに無制限、無規律、放任自由をもってせり。しかれどもその内にまた幽玄秘密の風を帯びたり。これけだし事物にすこしも検束を加うることなきが故なり。その気風の中世時代の風を学ぶをもって勇壮なるところあれども、その挙動は粗野に傾くの弊なきあたわず。この風まず詩文の上にあらわれ文学上の一派をなし、ひいて哲学上に波及しまたその一派をなすに至れり。しかしてこの風を宗教上に用うれば幽玄、秘密、微妙の趣味を添え、実行上に用うれば忠臣義士の勇壮なる士風を興起するに至る。すなわちこの風を宗教哲学上に持ちきたりしはノバーリス氏なり。

 ノバーリスの称は通常文学上に呼ばるる名にして、その実名はフリードリヒ・フォン・ハーデンベルク(Friedrich〔Leopold Freiherr〕von Hardenberg)という。氏は一七七二年ドイツに生まれライプチヒおよびウィッテンベルクにおいてその教育を受く。不幸短命にして一八〇一年、二九歳をもって肺病にかかりて没す。氏は最も感情深き人にして詩人的才能に富めり。始めシラーの説を聞き大いにこれを愛玩しその説を固執せしが、後にフィヒテの哲学を知りまたその説に感化せられたり。故にノバーリスの心中にはフィヒテの哲学的観念とシラーの詩学的観念と相結合したるものありて、これより得たる結果は哲学的、宗教的、詩学的、秘密的の種々の結合せる一種の学説なり。氏自らこれを称して魔力的唯心論(マジック・アイデアリズム)といえり。

 ノバーリスの学説は大体の組織をフィヒテの唯心論より取り、我(エゴ)をもって絶対的原動体とせり。しかしてフィヒテはこれを道理に訴えて説明せしも、ノバーリスは純然たる想像の上に説きたり。その想像の奇々怪々妙々なるを魔力という。およそ吾人が日々夜々経験するものはすべて奇々怪々なることにして、一として魔力ならざるはなし。また吾人一切の知識は道理にあらずして信仰によるものなり、しかしてその信仰は奇怪秘密の魔力より生ずるものなり、またあるいは思想を事物に変え事物を思想に変ずるも、みなこれ魔力の作用によるものなりと。要するにこの魔力論はフィヒテの唯心論を空想秘密に一変したるものにして、氏は道徳上の作用に至るまでまたこの魔力に帰するものと説き、直覚学派の論をして一層極端にはしらしめたり。

 この魔力はいかにして起こるかというに、これまたフィヒテのいわゆる絶対的我より生ずるものなり。この絶対的我は吾人の有する我と異なりて吾人の我の根本なり。しかして吾人一個人の我はこの絶対的我の一分子にして、吾人もしこれより進むときはついには絶対的我に到達するを得べし。しかしてこの点に帰するときは全く一となりて相対比すべきものなし。故にこれを絶対的という。

 ノバーリスの宗教説は感情をもって基礎とし、道理を離れて想像一辺に説き出だしたるものなり。しかして衆感情の相合して一となるに至れば、すなわち絶対的感情となるなり。換言せば、絶対的感情は絶対的我を感ずる情にして、この感情によりて宗教思想成立するなり。例せば、吾人は事物に対して恐怖の情あり、この情の最も大なるものは神に対して恐怖するの情あり、この情の外に吾人の情はなおいくたありといえども、すべてこの情の中に包容せらるるなりと。この考えはシュライエルマッハーと一致する点ありて、シュライエルマッハーが宗教と哲学とを判然区画し、宗教を情感の一部に込めたるはすなわちノバーリスと一致するところなり。しかれどもシュライエルマッハーは理想的感情に基づきて宗教を講じ、ノバーリスは実際的感情をもととして宗教を立てたり。実際的感情とは、吾人の実際上の種々の刺激によりて起こるところの衝動的感情をいう。この衝動的感情に対すれば美学的情は静止的感情なり。故に二氏ともに情の一方を取りしは相同じきも、その情の性質に至りてはおのおの相異なり、今、二氏の学説の基づくところを探究するに、シュライエルマッハーはスピノザの静止的観念に近く、ノバーリスはフィヒテの自動的我体に基づき、あるいはショーペンハウアーの意志に類似せるを見るなり。

 つぎにノバーリスの宗教歴史の考えを述べんに、氏は曰く、神と人とは直接に関係するを得ず、故にその間に必ず一の媒介者を要す、しかしてこの媒介者は宗教によりて異なるものにして、またこの媒介者の選択いかんによりて宗派の相分かるるを見る。あるいは日月、あるいは草木、あるいは英雄、あるいは鬼神、あるいは偶像、あるいは人性的の神を取りてその媒介とす。けだしかくのごとく媒介の種々異なるは、人智の程度性質によるものなり。しかれども全くこの媒介なきものは偽教なり。また日月動植等の媒介そのものをもってただちに神とするはすなわち偶像教にして、これまた真正の宗教にあらず。真正の宗教は偶像教と媒介を立てざる偽教との間にあるものにして、すなわち媒介物を拒絶するにあらず、またこれを神として信ずるにあらざるものこれなり。しからば媒介物をなんと信ずるやというに、この媒介物は神の機関にして吾人はこれによりて神に対するを得、神はこれによりて吾人に顕現するを得とするものこれなり。この真正の宗教に二あり。一は凡神〔汎神〕教、一は一神教なり。凡神教(万有神教)は一切万物をもって神の機関とし、一神教は世界中に神の機関たるべきものただただ一ありとするなり。しかして凡神媒介説と一神媒介説とを結合するときは、多種媒介中に特殊の媒介ありて世界をもってことごとく媒介者とし、その中にヤソをもってことにすぐれたる媒介者となす。かくのごとく考うれば、古代の宗教も今日の宗教をもことごとく一致結合するを得るなり。この点に至ればノバーリスの説、ゲーテの万有をもってことごとく神の啓示なりとし、その中にヤソひとり最も天啓に富めるものなりとしたる説に相同じ。ただその間二者の異なるは、ゲーテは啓示についてこの説を唱え、ノバーリスは媒介についてこの説を述べたるのみ。

 以上、カントの道理教に反対して起こりたる直覚学派の大要を講了せり。これよりカントの道理説に基づきて興りたる理想学派の説を講述すべし。




       フィヒテ

 フィヒテ氏(Johann Gottlieb Fichte)は一七六二年ドイツの一地方に生まる。氏は一八歳にしてイェナ大学に入り神学を修めしが、大いに哲学を好み、ことにスピノザの著書を愛読せり。大学を出でて後、氏は地方の一寺に住職たらんとせしが、その説通俗の宗教説に反対せるがため世にいれられず、ついにはその故郷をも去らざるを得ざるに至れり。一七九〇年始めてカントの書をひもとき大いにその説に感じ、自著の書を紹介としてカントにまみえその門人となれり。のち挙げられてイェナ大学の教授となりしが、その説極端なる唯心論なるをもって世間より無神論者として目せられ、非常の困難に遭遇せり。しかれども氏は社会に非常の効績ありし人にして、当時ドイツは仏帝ナポレオンのために蹂躪せられ国民みなその圧制に苦しみしかば、氏は慷慨の情に堪えず自由独立の必要を諸方に演説し、もって愛国心を奮起せしめたり。後ベルリンに移り、一八一四年その妻の熱病を患うるに際しこれに伝染して没せり。行年五三。

 フィヒテ氏の宗教哲学を講ずる前にあたりて、まず氏が哲学全系につきて陳述せざるべからず。氏の哲学は前後二期に分かれ、そのイェナにありしときとベルリンにありしときとその説異なれり。初めに氏がイェナ時代の説をのぶべし。しかしてこの時代の説は理論的哲学と実際的哲学との二部に分かる。

 フィヒテ氏の哲学はカント氏哲学よりその思想を得きたるものにして、その全体を取れば全くカント学説の結果より生ぜるものというも不可なるなし。そもそもカントが事物そのものの実体は心の現象を離れて存在するものにして吾人の心にはこれを知るを得ずといいしは、これぞカント以後哲学上の大問題にして、すなわち率先してこれが説明を試みし者はフィヒテその人なり。フィヒテは心の外に事物の本体ありというもその実は心内に存するものなりと説き、カントの唯心説を更に一歩を進めて純然たる唯心論となせり。これ氏の説を絶対的主我論(唯心論)というゆえんなり。すなわち通常の説は我に対して非我あり、非我に対して我ありといえども、氏の説は我なるもの根本にして、非我は我自身を制限して生じたるものなり、故に我の中には外界も実体もおさまり、ただ自己のみ存在するなりと。元来吾人の知覚上には物心二元すなわち我、非我の並存するを見る。そのうち物の方もとなるか心の方主なるかというに、哲学上二派の論あり、唯物派は物は原始より存して心これより生ずといい、唯心派は心本来存して物これより現るものと。前者は物体学派、後者は心体学派なり。かくのごとく二説より他に取るべき道なく、二者いずれかその一を選ばざるべからず。心体論者は曰く、すべて物は吾人の心に見てもってその存在を定むるものなれば、本来心なるものありて後に物あり、故に心は物を産出するものなりと。物体論者は曰く、わが感覚上に日月星辰、山河草木ありとするには、その現象を表示すべき原因すなわち物の本体別に存せざるべからずと。フィヒテはこれに対して曰く、全くかくのごとき道理あることなし、物の現象をあるいは見、あるいは聞き、あるいはその本体を想像するごとき、みな心より考え出だすものなり、故に心は絶対性能動作用なり。その経験学派、唯物学派の吾人の知識を組成するには必ず経験によらざるべからずというごときは、いまだ深く考えざるのいたすところなり。すでに知識の本源たるものは本来わが心内にありて存す。これを知らざるが故に外界よりきたるものとするなり。なおよく考察せば、物心万境ことごとく「我」の一体より顕現するものなり、故に「我」のみ絶対性の原動体なりと。これによりてこれをみるに、その説カントに反するがごとく見ゆるも、フィヒテ自身にはカントの真意実にここにありといえり。これを要するに、フィヒテの説は「我」が最上の原動体にして、宇宙万有はすべてこれより派出したるものなり。この「我」は一切の原理の最上に位し一切の道理を生ず、かつ他の原理は必ずその他の原理の証明を待ちて始めて成立するものなれども、この「我」のみは更に他の原理を借るを要せずと。この「我」を基礎として立てたるは理論的哲学なり。

 フィヒテは「我」をもって衆原理の根源とせしことはすでにのべたり。すでに「我」ありとすれば、つぎに起こるものは「我」に対するの「非我」なり。非我とは世界万有なり。すでに我、非我あればしたがって二者の関係ここに起こらざるを得ず。換言せば、始めに我あるを知りつぎに非我あるを知る。しかしてこの二者はある制限内においては相対するものなりと。これ後にヘーゲルの三断論法の起こりし根源なり。この三断論法はもとカントが哲学を三段に分かちて論じたるに基づくものなれども、氏はいまだこれに論理上の証明を与えざりき。ここにおいてフィヒテこれを継ぎて論理上の説明をなし、ヘーゲルこれを完成せり。この三断論法とは、ここに一の正断あれば必ずこれに対する反断を生ず、しかして正反の二断対立して存するときは、必ずこれを結合する合断を生ずるなり。フィヒテのいわゆる我は正断なり。すでに我あればこれに対する非我ここに生ず、非我はすなわち反断なり、しかして二者の並存するときは更にその間に関係を生じ、我、非我の結合を生ず。これすなわち合断なり。

 元来フィヒテの説はデカルトの、一切万物を疑い尽くしてその極、疑いそのもののみを除くを得ざるに至り、この疑いやわれの疑うなり、故にわれは存す、といいし説に基づきて起こりたるものなり。けだしいかなる者といえども思想そのものを確定せざれば議論するを得ず。かの思想を排斥する唯物論者もなお思想を仮定せる者にして、彼らが物の実在を確定するにはその以前にすでに思想あるを仮定したるなり。思想そのものはこれを解釈せんとするも、証明せんとするも、はた定義を与えんとするも、到底なし得べからず。なんとなれば、解釈定義等は思想そのものの中に造り出だすことにして、思想ありて後これあるものなればなり。かくのごとく論じきたれば必ず思想そのものを確定せざるべからず。これ氏が論理のおおもとはわれなりというゆえんなり。

 フィヒテ氏理論的哲学は三段に分かる。すなわち第一段、智識一般の原理、第二段、理論上の原理、第三段、実際上の原理、これなり。

 第一段、智識一般の原理はこれを三段論法の考えによりて三段に分かつ。その第一は真理の真理、原理の原理と称すべきものにして「甲は甲なり」という命題なり。これを同一命題あるいは均同法という。「甲は甲なり」というは「甲は甲そのものに同じ」ということにして、例せば「人は人なり」「花は花なり」「雪は雪なり」というがごとし。この命題はその正、不正を論ずるを待たずして、吾人の思想はもとよりこれを確実と認定せるものなり。もしこの命題にして誤謬を免れざらんか、吾人一切の智識思想はことごとく謬妄なりといわざるべからず、故にこの命題は絶対的確実にして思想の原理たり。しかれども「甲は甲なり」とはこれ形式上の論のみ。形の上には確実たるべきも、形をみたす質は絶対的に確実なりというを得ず。なんとなれば、「甲は甲なり」とは甲なるものもしここに存在せば、その甲はすなわち甲なりというものなれば、甲そのものはなお仮定を免れざるなり。しからばこの形の中に質の絶対的確実なるものを適用すれば始めて正確となるべし。その絶対的確実のものはすなわち「我」なり、故に甲に代うるに我をもってし、「甲は甲なり」というを「我は我なり」とすれば、形質ともに絶対的確実の命題となりて寸分も仮定を加えざるものなり。しかしてこれより他に確実なるものあらざるをもって見れば、この命題こそ論理の大根本にして智識一般の原理というべきものなれ。

 第二は「甲は非甲にあらず」という命題にして、これを否定命題あるいは背反法という。この命題は第一命題を一変して構成したるものにして、すでに第一において「甲は甲なり」という命題の確実なる以上は、「非甲は非甲なり」ということも確実とせざるべからず、またこれを変換して「甲は非甲にあらず」というもまた確実なりと断定せざるべからず。しかるに単に甲というときは第一においてもすでに絶対的確実ならざるをもって、第二においてもまた甲に代うるに我をもってし、「我は非我にあらず」とせざるを得ず。しかれどもこの第二命題は第一命題ほど絶対的確実にあらず。なんとなれば、今のいわゆる我は相対的にして、第一の絶対的我より生じたるものなればなり。第一命題においては絶対的我のみにしてこれに相対するものあらず。しかれどもここに我あればその反対の非我ありとは思想上に免るるを得ざることなるが故に、第二命題は第一の正反対なり。しかれども第二は第一に基づくものなれば、第二は第一より分派したるものというべし。

 第三は第一と第二とを結合して「我は非我なり」という命題を構成す、これを制限法という。もとより我と非我とは反対のものなれども制限上我は非我となり得るものにして、この二は反対しながら並存するを得、並存するを得るは必ずいずれにか一致する点あればなり。これを実際上に徴するに「我」が主となりて非我を制することあり、非我が主となりて我を制することあり、主客両観、物心二元の上に考うるも主の客を制することあり、客の主を制することあり、また物の心に制せらるることあり、心の物に制せらるることあり。かくして物心互いに制限せられつつ対立並存す。故に「我は非我なり」というを得。しかれども我全体の上より「我は非我なり」というを得ず。我の一半が非我の一半に同じ、すなわちある制限内において我は非我に同じということなり。この第三命題は第一第二を結合したるものにして、ここに至りて論理の完結を見るなり。左に智識一般の原理の三段論法を表示すべし。

  第一 「我は我なり」……………同一命題あるいは均同法

  第二 「我は非我にあらず」……否定命題あるいは背反法

  第三 「我は非非我なり」………制限法

 第二段、理論上の原理は第一段、智識一般の原理を応用したるものなり。およそ我と非我と相対する上において、非我が能動作用となりて我が所動となる場合と、我が能動となりて非我が所動となる場合とあり。理学のごときは前の我が非我によりて制限せらるる場合にして、道徳学のごときは後の我が非我を制する場合なり。今この第二段、理論上すなわち学問上の原理は、前の非我の我を制する場合をいうなり。なんとなれば、理学は外界万有をもって主とし、万有を確実として論ずるものなればなり。このことたるすでにカントの上にありて『純理批判』において外界の経験を待ちてのち智識を生ずというは、いわゆる我の非我の能動となり我の所動となる場合なり。しかして『実理批判』において理性の力外界を制すというは、いわゆる我の能動となり非我の所動となる場合なり。また唯物論唯心論もこの関係より出でたるものにして、唯物論は非我が能動となる場合を論じたるものにして、唯心論は我が能動の位置にある場合を論ずるものなり。しかれども我と非我との真正の関係を知らず、あるいは非我あるを知りて我あるを忘れ、あるいは我あるを知りて非我あるを忘る。故に独断的唯物論あるいは独断的唯心論に陥るなり。フィヒテはこれを排撃し、批判的に我と非我との上に絶対的我あることを説けり。けだし独断的唯心論は非我の境遇をもって我より与えたるものとし、独断的唯物論は非我の本体ありてのち我ありとしておのおの一方に偏倚するものなれども、これを推究するときはその上に絶対的我あるを知るべし。この絶対的我と相対的我との関係は、絶対的我が自身の上に制限して我、非我の区別を生じたるなり。故に相対的我は絶対的我の自制自限の作用によるものなりと論ぜり。これによりてこれをみるに、フィヒテはカントが事物の本体心外にありとせしを心内にありとし、カントが事物の本体と心の現象との間に界線ありとせしを、これ我自身に制限を置きたるものなりとせり。ここにおいてカントの説、絶対的唯心論に変ぜり。

 第三段、実際上の原理は前述せしごとく、我、非我相対の上において「我」の能動作用となり、もって非我を制する場合をいう。しかして理論上の原理、実際上の原理ともに第一段の智識一般の原理を応用したるものなれば、第二第三は第一段より分派したるものというべし。しかして理論上の原理を応用して起こるものは万般の学術にして、実際上の原理を応用して組織するものは実際的哲学なり。これけだしフィヒテ氏の論カントに基づくところにして、その『純理批判』は理論的哲学にして『実理批判』は実際的哲学なり。

 フィヒテのいわゆる実際的哲学とは政治学と道徳学とを説くものなり、故に実際的哲学の問題とするところは権利と倫理との二なり。まず始めに氏の権利説を述ぶべし。

 氏の権利説は人間を一個人として与える解釈を基本として説き出だしたるものなり。およそ吾人人類は天地間に棲息して一種の思想を有する動物にして、すなわち吾人は思想道理をもととして成り立つものなり。いやしくも思想道理を有する以上は吾人に自由の動作なかるべからず。もし吾人にして自由の動作を有せずとせば、決して思想的動物と称するを得ず。すでに吾人が思想的動物にして自由の動作を有すとせば、この自由の上において吾人に対する外界の存立を要す。もし外界なくんば自由ありというも、なんの用をかなさん。吾人が自由あるには必ずその相手なかるべからず。またもし吾人が一個人として自由の動作を有するものとせば、他の人類もまた自由の動作あることを許さざるべからず。なんとなれば、思想的動物の同類なくば己自身に己の自由なることを知るを得ず、双方の関係によりて己の自由を領会するものなればなり。前に絶対的我の制限して非我を生ずるは我のあらわるるために非我を要するなりといいしと同論法にして、吾人の自由動作を有するにはこれに対する外界の存立なかるべからず、しかしてまたこれと同時に他と己と同じく自由の動作をそなうるものありとせざるべからず。かくのごとく各人すべて自由の動作を有するものにして、各人みな自己一人の範囲内において自由なり。この範囲を超えて他人の区域を犯して自由なるを得ず。ここにおいて吾人の間に互いに制限するの必要起こるなりと。要するに吾人は自由動作を有するものにして、自己が自由なると同時に他人もまた自由なり。これ各人相互の間制限の起こるゆえんにして、この各人相互の自由を妨害せざるように自己の自由を達する動作を権利という。故にその格言に曰く、「なんじはなんじと関係を有する他の各人の自由なることを領知してなんじの自由を制限せよ」と。これ権利なるものの真意を尽くして余蘊なしというべし。かくのごとく権利は各人相互の関係より生ずるものにして、この権利に三種あり。

 第一、原始的権利は権利の本源たるものをいう。これは一個人の道理上より起こる解釈にして、すなわち個人性の絶対的権利なり。元来一個人の上には自主自由、不覊独立の権利あり、これすなわち権利のおおもとにして、これより他の関係を生ず。これに身体自由権と財産自由権との二種あり。すなわち絶対的権利あれば吾人の身体において自由の権を得、またこれとともに財産上に自由の権利を有するなり。すでに吾人には不覊独立の権あり、しかれども自己のみならず他人もまたともにこれを有するが故にここに自他の関係を生じ、わが自由の権は他に対して制限を置かざるべからず。すなわち他人わが権利を保護せば、われまた他人の権利を保護せざるべからず。もしその制限を超えて妨害することあれば、その権利を器械的に保護する必要を生ず。ここにおいて第二の強行的権利あり。この権利に基づきて法律上の刑罰起こる。けだし法律上刑罰の目的は、他人に対して不正の行為をなさばこれを防御しかつ刑罰という苦痛をもって報酬せらるることを知らしめ、各自の権利を完全に保護するなり。かくのごとく強行的権利を与うるとき、各人の上に契約の必要を生ず。すなわち規則を設けこれに抵触するときは刑罰を与うることとなす。これ一般の法律の起こるゆえんにして、第三に契約的権利(あるいは法律的権利)なるものを生ずるなり。この契約によりて各人相互の間におのおのその自由を保護することを規定す。もしこれを実行する場合には、一般人民の意志を集めこれを法律とするの方法なかるべからず。これ立法部なるものの起こるゆえんにして、すでに立法部あればここにおいて規定せる法律を執行する行政部なかるべからず。これすなわち政府の組織あるゆえんなり。

 およそ事物には道理上と実際上との二種あり。実際上は必ず道理上の指定に従わざるべからず。しかれども道理上かくのごとくせざるべからずとすることも、実際上これを行い得ざることあり。権利にもまたこの二種あるものなれば、そのときに応じて道理、実際の結合を計らざるべからず。この二種を一致結合せしむる目的をもって研究するものはすなわち政治学なり。もちろん道理上考定せるものと寸毫の差異なく実際上に行うことは到底なし得べきことにあらざれども、でき得べき限りは道理上に近似せしめざるべからず。もし実際上にのみ一任して道理上によりて改良を計ることなくんば、これ権利の思想に反対したるものといわざるを得ず。以上は氏が権利説の大要なり。

 つぎに実際的哲学として説きたるは道徳学なり。氏は理論的哲学において絶対的我を説き、これを万般の学説の根拠とし、かつこれを実際上に応用して初めに権利を説き、つぎに倫理を論ぜり。権利の上においてはあまたの人あるを予定し、その間の関係について説き、倫理の上にはあまたの我を統合して一となし、その上について論じたり。しかして権利と倫理との相異は氏の考えによれば、権利は各人相互の間におのおのその自由を全うせんためにその人の行為に外部より制限を与うるものにして、倫理は全く外部に関係せずして単に内部の精神上に制限を与うるものなり。詳言せば、権利は他人と自己との間に衝突する場合あるをもって相互の間に制限を設け、その範囲内に各自をまっとうせしむるものなり。倫理は内部に二種相反の刺激ありて互いに抗争することあり。その刺激とは、一は外界よりきたる刺激、一は内部に生ずる刺激なり。およそ吾人人類は道理思想を有するものなれば、この作用により絶対的自由に向かいてわが挙動を刺激するものなり。これすなわち純然たる自由を求めんとする内部の刺激にして、これを仮に純然性衝力という。この衝力はすなわち道徳の本心なり。しかるに吾人は実際上有限なるものにして、非我の境遇に囲繞せらるるものなるが故に、自己以外に非我の存立を許さざるべからず。ここにおいて万有自然の上よりわが感覚上に与うる刺激あり。この刺激は吾人に快楽を与うるものにして、これを純然性に対して不純然性衝力という。これ快楽の情を起こすものなり。これを要するに、第一、純然性衝力は無限絶対にして、第二、不純然性衝力は有限相対なり。前者は精神的にして後者は肉体的なり、前者は自由を得るを目的とし後者は快楽を得るを目的とす、しかして前者は絶対的我の内部より発する刺激にして後者は非我万有より与うる刺激なり。かつこの問題は最も重大にして、前者は直覚学派、道理学派の唱うるところ、後者は経験学派、功利教派の唱うるところにして、その間互いに論争絶ゆることなく、常に学者のこれを結合せんとつとむるところなり。カントはかつてこの二を結合せんことを試みてかえって一方に偏せしが、フィヒテはやや二者の調和をなすを得たり。フィヒテの考えによるに、この二衝力はわが心中にありて互いに相抗争し相破壊するものなれども、二者の本源にさかのぼりて探究すればその上になお一の絶対的境遇あり、この点に達すれば二者合して一となるなり。その故は、肉体性快楽的の刺激は吾人をして自己を保全せんとする性力を生ぜしむるものにして、精神上純然性の作用を誘発するに欠くべからざるものなり。もしこの自己を保全せんとする衝力なくんば、吾人が世界に対する一切の活動も知覚も一時に止まるべし。しかれども肉体的の刺激すなわち不純然性衝力は純然性の道徳に付属して成立せざるべからずと。これけだし氏の唯心論よりきたるものにして、理論上において相対的非我は絶対的我の自制自限より生出せるものなれば、これを還元すれば絶対的我に帰入するなり。しかして不純然性は非我の境遇より起こるものなれば、我の純然性はこれより勝るものといわざるべからず。かつ我、非我はその裏面においては相結合してともに絶対的我に属するものなれば、純然性をもって主とせざるべからず。しかして吾人は第二種の刺激といえども、単に肉体上の快楽を得るを目的とするにあらず、なおこれより高等なる感覚以上の快楽を得んことを目的とするなり。しかれどもまた消極的に外界を離れ世間をのがるるをもって目的とするにあらず、積極的に感覚世界よりなお高等の自由を得んとするなり。かつ我そのものは己の自由を発達せしめんとするものなれば、この点に到達せば非我をも支配するに至るべし。しかしてこの点に達せば二衝力相一致するなり。この目的をもって一致の方向に進むがすなわち倫理の性質なり。要するに倫理は、人類の一段一段進歩して一層高等の自由を得んとするにあり。換言せば、絶対の我中有限の存立あれども、この有限の関係を脱して純然たる無限性の自由を得んとするが倫理の究竟の目的なり。故に吾人は道徳上にますます自由を開発することをつとめざるべからず、かつ吾人は無意識無知覚にて不純然性の刺激に随従するは決して目的にあらず、意識上道理上明了なるものをもって道徳を履行せざるべからず。しかれども吾人は無意識にて自然の天性として同情相あわれむがごとき道徳心ありて、なお道理に合することあり。かくのごとく知らず識らず道理に合する場合なきにあらずといえどもこれ極めてまれなる例にして、外界上の刺激ことごとく道理に合すというべからず。これを要するに、吾人の目的は「自由なれ」という命令に服従するにありて、その自由を道理上明了に知覚してもって自由の本境に進まざるべからず。しかしてその一段一段の進歩の階級を講ずるはすなわち倫理学なり。これフィヒテ道徳論の大要にして、この道徳説に基づきて宗教論を組織せり。

 以上、フィヒテ氏第一期哲学の大意を講述せしが、なおここに講述すべきは氏の第二期時代の哲学なり。

 第二期の哲学はフィヒテ氏が一七九九年イェナを去りてベルリンに移りし以後の時代をいう。この第二期は第一期に比して多少その説を変ぜしところあり。今その原因をせんさくするに、第一、氏の最初唱えし哲学は絶対的主義論にして唯心論の最も極端にはしりしものなるが、これを実際上に適用するに実際上の事実に当てはまらざるところあるを見て多少その説を変じ、第二、当時シェリング氏ありてフィヒテの主観的理想論に反対し客観的理想論を唱えその説世に行わるるに至りしが、フィヒテはこれに反対して自説を守りたるもなお多少シェリングの説に影響せられ、自然にその形を変ずるに至れり。また第三には外部の関係上よりも多少変説の原因をなしたるがごとし。氏の哲学においては神の解釈全く普通の説に異なるがために世間より無神論者として攻撃せられ、氏はこれがために数々困難に遭遇したることあり。かつ氏がベルリンに移りし以後は、その交際するところも前に異なりてシュライエルマッハーのごとき宗教家もありしかば、これら外部の関係より多少影響をこうむりしものならん。

 第二期の説は、第一期のごとく価値ある著書なく、また思想上より見るも前期のごとく新思想なく、論理もまたその秩序方法前期のごとく整然たらず。要するに第二期は第一期の余波たるに過ぎずして、第一期より数等劣れるがごとし。しかれども宗教哲学の点においては第一期より第二期に論ずべきところ多しとす。

 第二期においては前の主観的理想論に客観的凡神論を混同せり。故に第一期のいわゆる絶対的我は、第二期に至りては変じて絶対的神となれり。第一期においては神を説かず、一切万物は我自身の力より発現したるものなることを唱え、最後に至りて道徳上の関係よりわずかに神を説き出だせるのみ。しかるに第二期には神を立てこれをもって哲学上の原理とせり。要するに第一期には我をもって第一原理とし、第二期には神をもって第一原理とせり。故に第一期の論理的道理的厳正の主義は第二期においては宗教的秘密的温和の風に化し、かつ第一期の義務説は第二期に至りて愛の説と変ぜり。これ第一期と第二期との異なる点なり。

 つぎにフィヒテ氏の宗教哲学を述べんに、氏の宗教説はカント氏に基づき道徳学と相関係して起こりたるものなり。氏は始めカントを知らざりしが後にその書を読み大いにこれを感じ、カントに面せんと欲し一七九一年一書を著述し、この著を紹介としてカントにまみえたり。その書は『天啓批判』(Critique of all Revelation)と題せるものにして、カントの意を推測して宗教を論じたるものなり。当時カントの宗教論いまだ世に出でざりしが、一七九二年匿名にてこの書を発行するや、世人みなカントの直作なるべしと想せり。これより氏はカントの門弟として知られ、またその名声嘖々として世にあらわるるに至れり。

 この書の大意を述べんに、宗教の神の命令の下に道徳上の規律を現示するものなり。この現示の方法によりてひとり道徳上の規律を保護するのみならず、道徳上の規律に反対する情欲をも制止するを得るなり。もし人、下等の欲念のために圧服せられその有する道徳心もその勢力を失うに至りて、よく道徳心を喚起し人間の道徳上の本性を啓発するは、人間以上の神の命令すなわち天啓によらざるべからず。その天啓の吾人にあるはわが良心の内に神をもって道徳の立法家として、これを認知しかつ道徳上の規律を自知する本心あるにつきて発見するなり。故に吾人が道徳心の自由を開発するには宗教によらざるべからず、宗教の力はすなわち天啓なりと。これによりてこれをみるに、道徳も宗教もともに同一のものなり。けだし氏はカントの意を察してこの書を著したるものなれば、そのカントに同じきはもとよりそのところなり。ただその中に二氏の異なるは、カントは道徳心と情欲とを結合することあたわざりしに、フィヒテはこれを一致せしめたり。これその理論的哲学より出でたる結果なり。

 フィヒテ氏の宗教哲学はその実際的哲学に属するものなるが、氏はその後『宗教信仰の基礎』(On the ground of our belief in a divine govermment of the world)と名付くる一書を著せり。この書によれば、氏の説とヤソ教の説とは大いに異なるところあり。氏は懐疑学者のごとく無神を主張するにあらず。しかれども氏のいわゆる神は天地万有を創造せる神にあらず、また格段の存立を有する神にもあらず、道徳世界を支配するものをもって神とし、道徳上に規律秩序の行わるるはこれ神の現れなりとす。故に道徳上の規律秩序の体を指してただちに神と名付けたるもののごとし。されば吾人は常に正道を守り規律に従うときは、神の活動発現するを見るなりという。これによりてこれをみるに、神の世界なるものは別にわが生存の世界を離れて存するにあらず、わが道理の範囲内にある世界なり。しかして氏はこれをもって宗教の基礎とし、この道理を示すものは宗教なりとす。そもそも神なるものは前述せしごとく吾人の道徳性を開発し支配し、道徳上の規律を遵守すべきように命令するものにして、吾人はこのほかに別の神あることを信ずる必要なし。またこれを信ぜんとするも、道理上決して信ずるを得ず。世間のいわゆる神は道徳の範囲を離れ、天地万有の目的を予定し、人間に類する智、情、意の性質を具するものなりとす。もし果たして神は吾人を離れて存するものならば、これ世界以外に存するものなり。また神にして智、情、意の性質ありとせば、神もまた身心の二をそなえざるべからず。かくのごとき神は吾人の道理上信ずるを得ざるものなり。これ神は吾人の大なるものとみなし、その体を想像して神の名を与えたるに過ぎず。そもそも吾人は有限性のものにして、いかに吾人の想像を放大ならしむるもなお有限性たるを免れず、有限性の神は論理上決して許すべきものにあらずと。これ氏の説道徳と宗教とは同一の基点より起これりとするものにして、ただその異なるは道徳は行為挙動の上に関し、宗教は信仰の上に関すとするのみ。これ氏の世間より無神論者として攻撃せられたるゆえんなり。

 氏の説によるに、道理上に存するものは必然の理なり、もし必然ならざるものは道理に合せず、必然ならざるものを真理とするは吾人の迷誤なり、通俗のいわゆる神は人の想像したるものにして道理上必然にあらず、故に通俗の神は迷誤なり。彼らはいう、すでに宇宙あればこれが原因たる神ありと。しかれどもこれ道理上必然というを得ず。もし道理上より考うるときは世界そのものは絶対不可知なるを知る。しかして絶対そのものは有機活動体にしてその内部に一定の規律を有し、この規律に基づきて自発自動してこの世界をあらわす。故にこの世界そのものすなわち絶対にして、世界以外に神のごとき絶対の体あることなし。しかしてこの絶対の体より自発自動の作用をもって世界に自由の啓示をなすものは道徳上の世界なり。故に道徳世界は自由の世界にして感覚以上に位し、感覚世界を脱して達すべき境遇なり。しかして吾人の目的はこの自由の境遇に体達するにあり。以上は氏の道徳宗教の基礎として論じたるところなるが、世間より無神論者の攻撃をこうむりしをもって、氏はこれを弁護し、宗教の真理を示すものは哲学にして、世人の偶像にひとしき人間性神体を信ずるがごときはかえって無神教者なりと論ぜり。

 フィヒテが世間の攻撃に対する一論文あり。曰く、ヤソ教中に含む真正の道理を開示するは哲学なり。そもそも哲学上の問題は善とはなんぞや真とはなんぞやというにあり、これを論ずるにはあたかも理論的哲学に絶対的我あるを仮定するがごとく、道徳上宗教上に絶対的善、絶対的真あることを仮定せざるべからず。吾人の心には一種の声ありて、吾人に義務あることを知らしむ、また外界より独立せる一層高尚なる自由の境遇あることを知らしむ。この境遇は吾人の心に関係を有し、内に省みれば良心の存するを見るなり。しかして道徳上に一定の規律あるを知るはすなわち良心の鏡面において知るなり。故に義務の命令に従って自由の境遇に体達するをつとむるは道徳宗教の目的なり。しかして感覚上に現るる諸事諸物は絶対的我の境遇より反射してあらわれしものなれば、これただ道徳上義務をみたすべき材料方便たるに過ぎず。しかるに世間の宗教は感覚上の万有万境の上に神あるを定め、感覚上の性質より想像してその形体を構造したるものなり。しからばこれ偶像教たるに過ぎずして、かえって無神教なり。道徳上の規律をもって神としたる説こそ真の有神論なれと。これによりてこれをみるに、氏は世間の宗教を真宗教にあらずと論破せしが、もちろん世間の宗教は有限に偏し過ぎたるものなれども、フィヒテもまた一方に偏する説にして公平を得ざるところなきにあらず。元来神は絶対無限の体なるも、これを心裏に想出するときは多少の制限をこうむらざるべからず。これけだし人智のやむをえざるところなり。ここにおいて多少の偶像性を帯ぶるに至る。もし全く純然たる道徳一辺の神を説くがごときは、形式のみにして材質を欠きたるものを生ずべし。今フィヒテの論はかくのごとき神に偏したるを免れず。これらの点を考うれば、氏の宗教論もいまだ完全というべからず。しかるに氏自らもまた多少感ずるところありしにや、第二期に至りてその説を一変せり。

 第二期の説は第一期のごとく斬新なるにあらざれども、第一期の唯心論に傾き過ぎたるがためややその説を変ずるに至りたるものなり。第二期においては宗教の上に実際的の宗教と宗教学(すなわち理論的)との区別を立てたり。宗教そのものは人間全体に関係し人間の行為挙動を支配するものにして、宗教学はこれに反して衆人一般の関するところにあらず。宗教そのものは活物にして宗教学は死物なり、かつ宗教は感情に関し宗教学は感情に関せず、されば宗教学のために新たに感情を起こすことなく、また破ることなし。また宗教学は論理によりて推理するも、宗教は道理によりて組織すべきものにあらず、人間固有の純然たる道徳の感情を開発するを本意とするなり。故に宗教には神の存在、神の性質を論ぜず、ただ神人の関係を吾人の行為に対して教うるものなり。されば宗教は外部より新思想を注入するにあらず、自己の固有せる宗教思想を発育するものなり。かくのごとく氏は始めに主観的唯心論の極端にはしりしを一変して客観的唯心論となし、その宗教論も倫理的凡神教の形を取るに至れり。これ宗教論の第一期第二期の異なる点なり。

 第二期中には氏は『人務論』なる書を著し、その中に氏の宗教説を論ぜり。その書によるに、感覚上にあらわるる事物も、また推理概念によりて得たる智識も、ともに世界の真理を示すを得ず。感覚上より研究せば世界の外に真理として定むべきものなく、ことに経験論によれば、わが心に自由の思想の存するを知らずして万有の器械的制限を受くるものとす、また推理概念より得たる智識は万有実在をわが意識の反射とし、我そのものの実在をもこれを夢中の空想とす。このことたる、カントのいわゆる悟性理性の論点に考うれば明らかなり。フィヒテはこれに対して、絶対的の真理は一層高尚なる信仰によらざれば達するを得ず、信仰は感覚推理より得べきものにあらず心の本性の上に属するものなり、すなわち心の本性の上には良心と名付くるものありてわが挙動を支配し行為を命令し、吾人はこの命令によりてわが心中に真実世界すなわち自由独立の世界あるを知る、しかして感覚世界なるものはただ良心上より発する義務を達する手段階梯たるに過ぎざるものなりと。これに基づきて実際的宗教起こるなり。しかるに宗教学は推理上の講究にして絶対的の実在を感ずるを得ず。人はこの世界にありてただ信仰によりて一層高等の世界あるを知る。これに達するには感覚世界の境遇を媒介として進まざるべからず。しかして推理概念と感覚上の現象とはともに絶対的無限の上にありて一なり。故に二者その根本にさかのぼれば同一なり。しかるに吾人の知識の有限なるはなんぞやというに、これ無限の道理が自制自限して有限の顕象をなすなり。この無限の道理を神とす。すなわち第一期のいわゆる絶対的我なり。しからば有限の理は無限の道理すなわち神の中にありというべし。この無限の道理は精神と連絡するものにして、吾人の義務の道理もこの中より生じ、吾人の生命もこの中よりあらわる。しかして神とわが心とは互いに相関係し、神の声は吾人の心に響き、吾人の声は神の体中に響くという。しかれども吾人の有限上の神は真正の神にあらず、真正の神は一切の有限上すなわち物の上にも心の上にも遍在するなり。これ万有神教の形をなしたりというゆえんなり。また神の上には一種の真世界を見る。その中には万有なく変化なくただ神のみ存す。しかしてこの世界は感覚世界より更に一層高等にして、一物として善ならざるはなし。現在世界の善悪は最上の善に向かいて進む刺激にして、死は一層高等の生活をなす方便なり。神は吾人に通ずるに精神上の目と声とをもってするものにして、吾人の生命も心内の声音もともに神の発顕なり。しかして外界の現象はあたかも旭日の光が数千万の露に反射して無数の色を生ずるごとく神の反射なりと論じ、ついに凡神教に傾き秘密的宗教論となれり。しかしてこの説は一方にはシェリングの客観的絶対論に達する階梯となり、一方にはシュライエルマッハーの宗教論に至る階梯となれり。

 フィヒテの宗教説は第一期においては道徳、宗教を一にみなせしも、第二期にはこれを分かちて宗教は道徳よりなお深奥高尚なるものとせり。道徳の心中の義務の命令に従って善を行うのみにして、更にその義務の起こるゆえん、ならびに義務の性質いかんを知らず。しかるに宗教は道徳より更に深き根源にさかのぼり規律義務の性質を明らかにして、しかしてこの規律義務は無限の生命の発達より起こるゆえんをつまびらかにす。道徳はその道理を知らずして単に義務に服従し、宗教はその命令の根源たる生命そのものの精神中に呼吸し生活して存するものなり。故に道徳にありては命令に従うをもととし、宗教にありては命令の前に意志あるを要す。しかして道徳、宗教の外界に対する関係は、道徳は外界の規律を離れ内界の規律に基づきて起こる、故に外界の規律は道徳に対してはその力を失う、しかれどもなお内界の規律を存す、しかるに宗教は内界の上に立つものなれば、内界規律そのものも宗教に対してはその力を失う。されば宗教は道徳より一層高くかつ深きところに位するものにして、宗教心の中には道徳心を包有するなり。例せば、克己作用のごときはわが心に苦痛を感ずるものなり、しかれども道徳上にありてはそのなんの故たるを知らずして、ただ心内の命令に従ってこの苦痛に打ち勝つのみ、これ道徳の性質なり。しかるに宗教上にありては克己の苦痛なることを覚えざるなり。なんとなれば、宗教は道徳よりなお高きところに位し、神の愛恵あるいは幸福と自己の心とを一致結合するをもって、更に服従の苦痛を覚ゆることなし。およそ宗教上神の愛恵を得たる上には苦楽盛衰の範囲外に超出し、その生命は神の生命を根拠として無限不滅の恵福を有するものなり。されば道徳は宗教の初門にして道徳上規律に服従することを練習すれば、その結果愛恵を感じ真味真楽を感ずるに至ると。これ第二期の宗教と道徳との関係論にして、かくのごとく解釈すればその論秘密的たるを免れざるなり。

 つぎに形而上学と宗教との関係を述べんに、形而上学は宗教に欠くべからざる要素にして、古来宗教は種々の形をもってあらわるるも、いずれの宗教も形而上学に関係し、形而上学の道理に基づくものなり。しかるに宗教家は形而上学を擯斥し愚弄するものは、これ自ら宗教を擯斥し愚弄するにひとし。けだし宗教は一種の見、一種の光にして、その光はいわゆる神の光なり、その神光中に一切の生命生活を現ずるなり、故に宗教は道理思想と密接の関係を有す。しかるに道徳は実行一方に関するものなれば、宗教と異なること論を待たず。

 その後一八〇六年また宗教上に関する一論文を発行せり。この論文には恵福なる生活の道理を論じ、生命と恵福とその根源一なることを論じたり。もし汝はなにを愛するか、何故に生存するかと問わば、愛は汝の生活の根源中心なることを知るべし。しかして真の生活は、その中心なる神の愛と生命と同一なるものなり。しかるに神の生命は不生不滅にして吾人の生命には変化あり。吾人の生命に変化あるはこれ吾人の生活の扉影幻像に過ぎず。しかしてこの神の不変不化の生命は吾人の思想に存し、また吾人の思想によりて知らるべし。なんとなれば、その思想は神の精神より発してわが心中に入りて存すればなり。故に吾人の思想によりて神の生命の不変不化なるを知ると。氏はかくのごとく説明し、これをもって真の宗教なりとし、真の宗教にては吾人は外界の諸物に付きて有する愛を捨て、単一の愛すなわち神の愛に体達し、これによりて得たる生活を恵福の生活というと説けり。

 またフィヒテは世界の解釈につきてその発達の順序にあまたの階級あるを説けり。第一は下等浅薄なる見解にして、感覚上の現象をそのまま真実のものとして説くものすなわち唯物論者のごときものこれなり。第二は第一より一歩進みたる見解にして、世界を感覚上の物質的規律の支配の下に置かずして道理的生物の規律のもとにあるものとす。普通の道徳学はこの見解による。第三は第二より一層高等の道理より与うる見解にして、わが心内の規律の最上にさかのぼりて絶対性の規律に達し神の生存と結合し、神の啓示の上に内界の規律道徳を講ずるものなり。第四は今一歩高尚にして、純然たる宗教の見解なり。すなわちこの見解によれば善美は神の性質の吾人に存するものにして、この性質を離れて善美なし。しかして吾人はその神の直接の影像にして、この世界は間接の影像なりとす。なんとなれば、世界は吾人の意識の反射せるものにして、吾人の意識も世界の現象もともに神の光明より発したるものなればなり。同一の神の光明より発して種々の現象を示すは、あたかも同一の太陽光線の屈折して種々の現象をなすがごとし。神の光明吾人の意識に映じ、この意識より屈折反射して万物をあらわすなり。第五は最後の階段にある見解にして、第四段において神と世界との関係を宗教上に説きしものを学理上より説明するものなり。すなわち哲学上の解釈を与うるものをいう。もとより宗教は信仰に基づき哲学は思想に基づくものなれば、同一の説にして宗教に説くと哲学に説くとは大いに相異なるところあり、しかれどもその見解一致するところなかるべからず。ここにおいて宗教と哲学とを一致したる今、一の説明起こらざるを得ず。氏の論は始め宗教と哲学と同一にみなし、後に宗教と形而上学と一致することを説きしが、第五段に至りて宗教は形而上学よりなお高きところにありという説を唱えたり。しかるにその説また一変して宗教の最上最純の見解によれば、道徳よりも哲学よりも宗教はなお頂上に位し、道徳および哲学の上にその光明を与えこれを一致せしむる根本なりと説きたり。そもそも吾人と神との関係は、吾人は神の心中にありて生存し、神は吾人の心中にありて生存す。すなわち吾人は意識上において直接に神と関係するものにして、この点に至れば神と吾人と一致するなり。ただにしかるのみならず、われと外界と一致するに至る。この根元に成立するものすなわち宗教なり。換言せば、宗教は神人相互の愛の上に成立するものにして、その相互の愛に達すれば神人の区別溶解して一味となる。故に宗教は哲学道徳の上に位するものなりと。これに至れば氏の説は秘密的宗教の性質を帯ぶるものというべし。しかしてこの説は宗教上よりいえば高尚なる考えなるべけれども、哲学よりいえば極端にはしりたるものにして、はるかに第一期の下にありといわざるべからず。

 フィヒテの宗教論の秘密的たるゆえんをなお少しく陳述せんに、吾人はわが心内にありて神と一致契合するを得。しかれどもこの神人一致の思想は下等の情念におおわるる間はその光を発せず、すなわち自己は神の外に独立するものなりと考うる間はその思想わが心中に発せず。なんとなれば、自己を利する欲念のある間は神の愛の心中に浮かぶべき理なし。もしその利己心を離れ下等の欲念を排し去らば、その中に神の思想顕出し神人一致の境に達すべし。しかしてこの境に達するは吾人の力にあらず、吾人はただ情念を除去するのみにて、神の方より自然にわが心中に離れきたるなりと。これ氏の説、神秘的凡神教というゆえんなり。また氏の説によるに、吾人は神をあらわして独立するものにあらず、しかるに吾人が神を離れて独立するものと思うは迷いなり、吾人は神を知ると同時に迷いの雲霧消散し神と一致するに至ると。これによりてこれをみるに、氏の説は外界を空するがごとく思わるるも、氏は外界を空無なりと排棄するにあらず、氏が第一期に説きし絶対的我をそのまま神の体としたるものなれば、外界はわが意識上に欠くべからざる材料なり。これを要するに、道徳上宗教上ともに自己一個独立して存するものと偏信するは迷妄なり。故にまず自己独立の念を去らざるべからず。換言せば、我の中に神我と人我とあり。神我は真我にして人我は仮我なり、この仮我を去りて真我を開顕せざるべからず。これすなわち宗教上の目的なり。

 以上陳述せしフィヒテの説をスピノザ、ライプニッツの説に比較して批評せば、氏の説の最後に万有神教の性質を有するに至りしはスピノザの説に近し。しかれどもスピノザの神は寂然不動の体をいい、フィヒテは活動勢力ある体をいう。すなわちスピノザの神は死物にしてフィヒテの神は活物なり。故にスピノザは厭世に傾けどもフィヒテはしからず。かつ二氏ともに神人相愛を説くも、スピノザは沈静的なりフィヒテは活動的なり。これを例するに、スピノザの愛は月光のごとくフィヒテの愛は日光のごとし。しかしてフィヒテは神の愛を活動的とすれども、神が外部より肉身上に愛を与うるを説かず。これ神は真我を愛するものなればなり。故にフィヒテの活動の点はライプニッツに似たるも、またその間に差異あり。すなわち神の愛を与うるにつきて、ライプニッツは外界の手段を取りフィヒテは内界の手段を取る、これを表示すれば左のごとし。

  スピノザ・・・・沈静的・・内界

  ライプニッツ・・活動的・・外界

  フィヒテ・・・・活動的・・内界

 つぎにカント、シラー、フィヒテ三氏の説を比較せんに、シラー、フィヒテ二氏はカントの道理教より一歩を進め、同氏が内界の義務の思想と感覚上の情念とを結合するあたわざりしを一致せしめたり。しかれども二氏の間また異同ありて、フィヒテは宗教的道徳論にしてシラーは美学的道徳論なり。もちろんフィヒテも始め道徳的宗教論を唱えしも後には宗教的道徳論を唱え、シラーは美学的より得たる思想をもって説明し、美霊に達せば双方一致することを説けり。しかるにゲーテは神人本来一致するものなりと説きたり。フィヒテの万有は神の啓示としたるはゲーテに同じきも、神人一致の点においては異なれり。

 またフィヒテのヤソ教会につきての論あれども、ここに必要なければ略す。

       シュライエルマッハー

 シュライエルマッハー氏(Friedrich Ernst Daniel Schleiermacher)は神学上一派の説を組織せし人にして、その説は宗教哲学史上最も大関係あり。氏はヤソ新教一派の僧侶の子にして、一七六八年一一月二一日ドイツ、ブレスラウ〔ヴロツラフ〕に生まる。幼にして「モラビアン教社」に入りてその養育を受けしが、この養育こそ実に氏が一代の宗教思想の基礎となりたるなれ。後ハレ大学の神学部に入りてこれを卒業して諸方の法教師となり、またハレ大学の神学および哲学の教授となり、ベルリン大学の起こるに際し挙げられて神学部の教師となり、死に至るまでこの職に従えり。一八三四年二月一二日没す。

 シュライエルマッハーは始めカントの哲学を学び、後フィヒテ、シェリングの哲学に注意を置きて研究し、またヤコービの書によりてスピノザの哲学を知り、また後にプラトンならびにギリシア諸派の哲学を知るに至れり。されば氏の哲学はスピノザ、ライプニッツ、カント、フィヒテ、シェリング等の種々の学説を結合し、これに一家の意見を加えたる説なり。なかんずくスピノザ凡神教の説を基礎とし、これにライプニッツの元子活動説ならびにカント、フィヒテの唯心論を調合したるがごとし。しかれどもその調合は外部の混合にあらずしてこれをよく和合同化せしめ、自己一家の見識をもって新哲学を組織せるなり。

 氏の哲学の大要を述べんに、氏の説は事物の本体は不可知的なりという点に論を起こし、カントが時間空間は心の形式にして物の性質にあらずといいしを、氏はひとりわが心の形式のみならず物そのものの本体の形式なりとし、またカントが一二の原則(カテゴリー)は全く主観的にして外界そのものの実体は不可知的なりと放棄せしを、氏は原則によりて物そのものの性質をも知了するを得とせり。要するに氏は、カントのいわゆる時間空間および一二の原則は主観的虚形なるのみならず外物そのものの形式なりとしたるものにして、カントは唯心一方をもって外物の論明を与えたれども、その形式たる主観的なるのみならず双方一致して成るものなれば双方の形式なりと。しかして氏の考えには物心の両存は合して一となるものにして、この二者の一致はわが意識内に成立するのみならず、一致そのものが独立の成立を有す。しかしてこの世界の相合して一となれるものすなわち神なり。この神の一部分に能動所動の交互作用あり。この能動作用の上には自由の感情結合し、所動作用の上には服従の感情結合す。しかして吾人は宇宙合一の体すなわち神に対すれば絶対的服従の感情を有す。この絶対的服従に基づきて成立するものは宗教なり。しかしてその感情の道理を示すものは宗教学なり。故に宗教上の問題と他の諸学の問題とはおのずから相異なりて、諸学術の問題は主観上意識思想の上に客観上の真理を発見することをつとめ、宗教の問題は主客両観の相合して一体となるものに対して真理を発見するにあり。かくのごとく神学と哲学とはすでにその領分を異にするものなれば、おのおの自己の範囲内にありてのみ自由を有し、互いに相干渉すべきものにあらずと。従来哲学において宗教を説明せんとする者、二者を混同するがためかえって破壊するに至りしが、氏は宗教と哲学との本領を分かちおのおの相犯すことなからしむ。しかして氏はこれによりてヤソ教を説明せんことを企てたり。

 氏の宗教説は当時ドイツに行われし荒唐学派の影響をこうむりて起こりたるもののごとし。元来氏自身も荒唐学派中の一人にして、氏が直覚一辺をもって宗教を哲学より区別せしは、一切の道理を排斥し直覚想像の一辺を取る荒唐学派の影響といわざるべからず。また氏は近世初年エックハルトの唱えし神秘教の説を取り、これを学理上に説明せり。ドイツにおいては神秘教のひとたび世に出でし以来久しく神は理外のものと一定せられしに、ライプニッツ、ヴォルフ出でて道理上神を説明せんとし、カントに至りては神を道徳の範囲内に入れて論じたり。かつ当時神秘教は世の攻撃を受けほとんど泯滅せんとするに至れり。かくのごとく学界の形勢、道理一方あるいは道徳一方をもって神を説明し、想像直覚を全く捨てて顧みざりしかば、氏はこれに反して感情を離れて宗教の存せざるゆえんを説きたり。従来道理上宗教を説明するもの抽象的道理をもってし、これを組成する宗教の皮肉なくただ道理の骨格あるのみなれども、氏はこれに反して真正の宗教は直覚の皮肉を加えて始めて完全なるを得とせり。もちろん直覚学派においてはその主義の宗教を説くといえども、いまだ氏のごとく学術的に立論せるものあらざりき。

 氏が一七九九年の発行にかかわる宗教排斥論者にこたえたる宗教論あり。この書によるに、現今宗教を論ずる者多く道理もしくは道徳より説明するも、もし一般の宗教眼よりこれを見れば、これみな無宗教たるに過ぎず。通常説くところの宗教といえども、その中には一種磨滅すべからざる理の存するありと論じ、宗教内部より宗教の本源となるべきものを取り出だせり。故に氏は宗教の弁護者なれども、また一般の宗教者と異なるところあり。氏は宗教を攻撃する者よりは一層深きところに入り宗教のよりてもって起こる本源を説き、かつ宗教はいかなる作用より起こり、いかなる道理を含めるかを論ぜり。氏は曰く、世人の宗教を排斥するは宗教と哲学とを混ずるによるなりと。また氏は人に対して曰く、世人は何故にわが心に宗教の至高至大、無限不滅のものと交通するを知らざるか、けだし宗教心はこの無限不滅の体に頼りて存するなりと。これによりてこれをみるに、氏が宗教の本源ここにありとするものは無限不滅と交通する直覚あるを示さんとするにあり。また当時ドイツには実利主義盛んに行われ、利益の有無をもって諸事の得失を判断したるがために宗教上の議論もしたがって浅薄に陥りしが、氏はこれを排斥して曰く、社会に利益を与うる法律と混同して宗教を説くは誤りなり、また法律道徳の補助をかりて宗教の行わるるあらばその宗教は真正の宗教にあらず、これと同時に法律道徳の宗教の補助をかりて行わるるも誤りなり。宗教は最も高きところより必然自発するものにして、その占領する範囲は実に感情にあり。故にその信仰はわが感情を支配しかつその範囲を専有するものなり。この感情より成立する宗教こそ真正の宗教なれ。故に宗教は純正哲学にもあらず、また道徳学にもあらず、この二者を混同したるものにもあらず、要するに宗教は智識によるものにあらず。なんとなれば、智識の尺度は信仰の尺度にあらざればなり。しかれども沈思熟考は宗教にも必要なり。しかしながらこの沈思熟考もまた理学に異なりて、理学は一の有限より他の有限を知るにあれども、宗教は有限を知るにあらず。また理学哲学は有限より次第に進みて最上の原因に達するも、宗教はしからずして宇宙全体を直接にわが心に感知するなり。されば宗教上の信仰者は道理を知りてのち善行を修するにあらず、道理を解せざる婦人のごときも自然に善良の行為をなす。これ宗教の哲学に異なる点なり。また信仰は行為挙動の上に存せず、行為に関するは道徳なり。宗教はわが心の上に宇宙全体の無限を感受するをもって道徳上の作用とはおのずから異なり、しかれども宗教は智識と挙動との上に関係して存す。宗教の本源は宇宙全体そのものより発する感情なれば、外界に対しては必然なり、内界に対しては自由なり。この両範囲に至りて宗教そのものの啓示をあらわす。しからば哲学も道徳もその根元は宗教なりというべし。氏は宗教によらずして推究しならびに動作し得べしと思うは、傲慢に過ぎたるものというべしといえり。故に宗教の思想を知らんとせば物心二者の相合する感情の上に考えざるべからず。もし吾人が外界に対して明了にその活動するゆえんを観察するに物心相互の関係を生ず、その接合して一となる点に至れば宗教の感情ここに存す。これ宇宙全体の観念が一個体と接合して一となるところ、また吾人の生活と物の活動の生ずるところ、宗教そのものは実にこの点に起こる。これによりてこれをみるに、氏の宗教説は感情をもって宗教の要素として、その感情は宇宙全体すなわち物心二者の合して一となりたるものを感知領得するものなり。故に宗教の目的は宇宙全体なり。しかしてこれを知るは万有人間の生存上にあり。万有においては万有の一致する点すなわち一定の規律および世界万有の変化中に不変化あるの点、これいわゆる外界の啓示なり。この啓示によりて宇宙全体のいかんを感知するを得、また吾人の心によりて宇宙全体を感知するを得るなり。道徳上には人の個人性と理想とを比較して個人性を排拒すといえども、宗教は一個人と宇宙との一致契合の上に存するなり。これいわゆる宗教情操にして最上無限の生活上に成立す。その生活は吾人の感覚をもって知るを得ず、ただ宗教情操によりてのみ達するを得、しかして愛、仁、恵の諸徳もみなその情中に存す。故に宗教は道徳の僕婢にあらずしてその監督者なり。また宗教は無限不滅の体に関接して存する以上は、私見小識のごときはこれを排斥す。したがって論理の演繹、推論、証明等は宗教そのものにあらず。すでに宗教は論理の関するところにあらずとせば、従来種々なる問題の講究はいかにして起こるかというに、これらは宗教そのものにあらず、吾人の反省思慮たるに過ぎず。すなわち宗教を世間に弘通する手段としてこれを講ずるのみ。宗教そのものは論理上の講究を要するものにあらず。されば宗教問題を講究するよりは神告、託宣、天啓のごときものかえって宗教を知るに益あり。また宗教上の講究問題は純正哲学あるいは倫理のごとく争うべきものにあらず。また宗教上の書に記せる霊怪は宗教上の不思議として普通の人の特に信ずるものなるも、もし宗教上の目より見れば、宗教上の出来事は一として霊怪ならざるはなし。ただにしかるのみならず、信仰のもっとも深き人は一切の事物ことごとく霊怪なるを見る。しかるにかれに見るもこれに見ざることあるも、その人の信仰に深浅あるがためなり。故に宗教上の見二あり、すなわち世界見と宗教見となり。世界見は俗見にしてこれより見れば霊怪を見るを得ざれども、もし宗教見より見れば一切の事々物々ことごとく不思議霊怪なり。また天啓は宇宙全体と吾人と交通する道にして、吾人はわが内部において宇宙そのものと相通ずるを得。しかして前にいわゆる宗教上の感情は天啓に出ずるものにして、天啓は意識外にあるものなり。故に天啓は道理上の沙汰にあらずと。

 かくのごとき説をもって氏は託宣神告を説明し、従来道理派の否定せしところを宗教上実に有り得べきものにせり。しかれども氏はみだりに経典そのものを奉信するをもって宗教とせず、ただ経典を崇拝するは人の死せし墳墓を拝するに異ならず、すべからく経典の内部に存する精神を感知領得すべしといえり。また氏は宗教論の終わりにおいて神ならびに不滅につきて論じ、これらのことは信仰の前に仮定すべきものにあらずして、信仰によりて得たる結果なりと。また神を有限性とし無限性とするにつきて、氏は人の神を想像知覚するに三段あることを説けり。一は拝物教、二は多神教、三は一神教なり。その一神につきて有限無限の問題あれども、これ宗教上第一の要点とするに足らず。なんとなれば、有限無限ともに宗教感情によりてあらわるるものなればなり。通常有限無限は相隔離するものと思うも、これただ想像の方法異なるのみ。宗教の想像と自由の思想と結合すれば有限となり、これに反して宗教想像と智力の道理と一致すれば無限性となる。故にともに宗教の感情より起こるものにして、いずれを正としいずれを非とするあたわず。これを論争するは宗教上肝要のことにあらず。

 氏の宗教説は近世初年の秘密的の風あり、またカント、フィヒテの唯心論に近きところあり。その唯心の風あるは宗教は外部より注入するものにあらず、人の高尚なる心の上に人と宇宙全体との関係上より成立す。すなわち吾人は深く心内に考うれば、吾人は絶対的に宇宙全体に依頼して成立するものなり。従来の学問は宗教を理外とみなし、吾人の心に宗教そのものと通ずるを得ずとするもの多かりしが、これけだし外部に宗教を説くをもってなり。もし宗教は内部にありてその根拠はわが心内にありとせば、心内に宗教を知り神と通ずるを得べし。すなわち吾人は自知反省によりて宗教をあらわすを得。この自知反省によりて宗教心を湧出し、これを言語にあらわして他人に伝うるときは世間の宗教を生ずるなりと。この説たるすでに多少神秘教の説くところなれども、氏の説はかえって唯心論に近し。これ神秘教は理外として道理の外に捨てたるものを、氏はこれを拾いて学術的に説明したるをもってなり。レッシング以後多く哲学を基礎として宗教を講じたりしが、シュライエルマッハーは宗教を独立せるものとし、学術とその基礎を異にすることを説き、しかもこれを学術的に講究せり。これ氏の長所というべし。

 しかれども氏の説は論理上の欠点なしというべからず、また不明瞭の点も尠少ならず。今その欠点を挙ぐれば、氏は初めに知見と感情との二を基本として宗教を説明し、つぎには感情一方をもって説明せり。もし感情一辺をもって説明せば、これすでに僻論たるは論をまたず。また知見と感情との説によるも、氏はこの二者の関係を明示せず。元来知見は世界上の観察にして感情とは別作用のものなり。もちろん氏のいわゆる知見は宗教的知見なれども、知見は一般に有限のものにして吾人の有限性感覚上に感見すべきものなり。しかるに宇宙は有限以上のものなり。しからば有限以内の知見にして有限以上のものを知り得べき理なし。故にもしこの知見と感情とをもって説かば、知見と感情とはいかにして一致するを得るかいまだ明らかならず。氏は感情は宇宙全体を感ずるものというも知見の説明なし。これ氏の荒唐学派に影響を受けたりというゆえんなり。また感情一辺において説くも許すべからず。宗教は感情の上に成立すというも、感情のみにて宗教の成立するにあらず、またすべての感情ことごとく宗教なるにあらず。およそ感情は人心の一作用なれば、感情一方を説かばこれ僻論なり。氏は宗教は智と意すなわち形而上学と道徳学とに離れて成立すといいたれども、宗教は単に感情のみならず多少智力意志にも関係するものなり。もし情のみにて成立すとせば、情は受動的作用なれば感情一辺より成立する宗教もしたがって受動宗教といわざるべからず。もし宗教は受動的にして道徳は行為挙動に関するものとせば、宗教と道徳とは全く別なりといわざるべからず。しかれども実際には宗教、道徳相関係し、宗教は行為にも関係するものなり。フィヒテかつていえらく、健全なる信仰は沈静的にあらず活動的なりと。もし情一方の宗教なれば宗教は沈静に陥らざるべからず、真正の宗教は決してしからざるものなり。しかれども氏が宗教は感情に属すというもの多少道理なきにあらず。情は外部に向かいて活動せず、ただ外部の刺激に応じてこれを受け込むのみ。宗教は絶対的なる宇宙を感ずるものなれば、吾人はこれを感受するのみ。故に宗教は主観的なり。しかれども宗教は単に感受するのみにあらずして、また客観上の作用をなす。故に真正の宗教は主客両観上に成立するものなり。しかるに氏は真不真の理は宗教に適用すべきにあらず、宗教はすべて真なり、ただ吾人の推理思想の上にわたるとき真不真を生ずと論じたれども、この論また情一方の僻論なり。もし情一方にして真の宗教とするか、また情感上のものはすべて確実とするか、しからば野蛮人における恐怖的の感情のみをもって成立せる宗教もまた真正なりと許さざるべからず、天下あにかくのごとき非理をいれんや。宗教の真不真は必ず道理上ならびに客観上の事実に照らさざるべからず、またこれを局外より観察すれば宗教の智力思想をからざるべからざるは明瞭なり。もし仮に宗教上感情は真にして智力は不真なりとせんか、しからば情感上謬妄の想像生ずるとき、なにをもってその誤謬を指摘するを得るか、またいずれを真実としいずれを不確実とするか、思うにこれを判断するものは道理をおきて他に求むべからず。およそ世上にある夥多の宗教は、みな自己の宗旨をもって最上と信ずるものなり。もし情感より発するものはことごとく真なりとせば、いずれの宗教もみな真とせざるべからず。しかれども真理は唯一あるのみとして考うるときは、感情上のものをもってことごとく確実と断定するを得ず。氏はまた曰く、すべての宗教的感情、真なるのみならず、すべての真の感情はみな宗教的なりと。もしこの言を推し極論せば、氏が宗教は一宗独立の範囲を有すといいしこともまた成立することあたわずして、宗教は実に漠然たるものとなるべし。なんとなれば、感情は広くして単に一部分の宗教にのみ関するものにあらず、かつ感情は始終変化あるものなれば一定不変とするを得ず。また感情は智力意志と関係するものなれば、その中に宗教は一定の範囲を定むるを得ざればなり。かくのごとく氏の説は感情一方の僻論たるを免れず、これ氏の論の世間より攻撃を受くるの点なり。しかるにこれを弁護するものはこれ氏の宗教論一部に限るものにして、後に氏は感情は智識と結合するものと論じたりといえり。この説を見るに、智力と意志とはもとその性質を異にして互いに相抗争するものなり。しかしてこれを結合するものは智力にあらず、また意志にあらずして感情なり。元来智と意との媒介となりてこれを結合するものに二あり、一は主観上吾人の心内に存する感情にして、一は客観上宇宙の上における神なり。しかしてこの客観上の結合すなわち神は吾人の智力の上にもまた意志上にも存せずして、吾人心内の感情上に通ずるものなり。故に智意を結合するものは情にして、その情はわが心内に通ずる神の現れなりと。しかして氏はついに断案を下して曰く、感情は吾人内部の神なり、吾人は神を求むるに外にありては宇宙全体にして内にありては感情なり、故に宗教は感情なりと。この説はカント哲学において感情を智と意との結合として説きたる影響なり。しかれどもこの説は誤れりといわざるべからず。なんとなれば智、情、意は心の区別にして同等同権のものなり、かつ智、情、意はともに現象にして本体にあらず。しかるに氏はフィヒテの「我」のごとく情をもって本体のごとくみなし、智も意も神と関係せず、ただ情のみ神霊なりとせり。これこの説の偏見たるゆえんなり。また氏は感情中に神の含まるることをいえども、感情はかく高等純良のもののみにあらず下等のものもあり。これまた氏の僻論なり。しかれどもこの点は氏がある著書中にその僻説に陥らんことを恐れ、宗教感情は絶対的依憑の情なり、これに対して普通の感情は相対的依憑の情なり、しかして絶対的依憑は宇宙の一部分たる我にして宇宙全体に依憑する情なり。すなわち吾人の心に有する絶対的依憑によりて、この世界の有限の範囲を超えて神そのものの体を感知するを得。これ吾人の意識の上に位する最上高等の自知なり。換言すれば、吾人の意識中に世界万有の有限を感ずる意識と、世界万有の全体すなわち神を感ずる意識との二あり。この世界の意識と神の意識とがある場合には結合するを得、この結合の難易に応じて宗教的生活の苦楽(成仏不成仏)の分かるるということを論ぜり。この解釈は宗教は感情の上に成立すという考えより起こるものにして、情は受動的依憑性のものなり。しかるにこの点より見れば宗教は依憑性に限らず、その中に多少活動の意を含む。またわが方にして依憑性のものなることを知るを得ば、身すでに活動の意なりといわざるべからず。今、宗教は絶対的依憑といわんか、その中には自由の意味を含むものというべし。換言すれば、相対性依憑の範囲を脱して絶対性の範囲に入りて自由を得るものなり。しからばこれ決して感情にあらず。しかるに氏のこれを感情のみとしたるは僻論なり。

 以上の所論を概括するに、氏の説は感情に偏する弊あれども、また一方より見れば一種の卓見とすべきものあり。第一、従来の宗教は経典儀式の上に成立せしが、氏はこれに対して宗教は吾人の生命なりとし、吾人の心内にある感情そのものが宗教にして、この感情は智力意志の中心なりと説きしは卓見なり。第二、宗教を学術的に説くものは宗教を思想推理の上より論ぜしも、氏は宗教は推理思想の外にありて一層高尚のものなることを示し、宗教を一種独立の基礎の上に成立すとせしはこれまた卓見なり。しかれどもその弊たる、情一方に偏せしにあり。あたかもカントの道理一方を取りてこれをみたす材料を捨てるがごとく、氏は主観的の情一方を取りて客観上の道理を忘れたり。この点より見れば両氏の論おのおの異なれども、ともに抽象的虚形の唯心論に陥りたりというべし。故にもしカントに感覚上の材料を与え、シュライエルマッハーに客観上の材料を与えば、二者ともに完全なるべし。またシュライエルマッハーはスピノザによりたるところ少なからず。氏のいわゆる宇宙は無限絶対の体にしてスピノザの本質と同じ考えなり。もしその本質に自由の性質を加えて考うるときは、すなわちシュライエルマッハーの神なり。また氏は神に一種格段の人間性ありとするは、宇宙に自由の思想を加うるときこの考えを生ずるものにして、神は自由に世界を作り自由にこれを支配するものとして想するときに人間性の神となるなり。故に宇宙も神も同一なり。すでに宇宙は神の体なれば、神と世界とは相離れたるものにあらず、ただ吾人の思想上神として考うると世界として考うるとの相異あるのみ。これを単一の点より見れば神となり、衆多の点より見れば世界となる。故に神も世界も宇宙の上に名付けたるものにして、神の外に世界なく世界の外に神なし。また神はこの世界を開発せし力よりは余分の力をもってこの世界の規律に反対し得べきものにあらず。故に今日世界の規律は神の自由に変更するを得ざるものなりと。この点はスピノザに一致するところなり。しかれどもスピノザは万有の本質を神として万有神教を唱えしが、氏は宇宙全体の上にて一部分一部分の結合して一体となる点において神とせり。この点はスピノザよりむしろシェリングに近しというべし。シェリングの説は主客両観の分かるる以前に二者の一なりし点あり。この点より分かれて一は主観上に心となり、一は客観上に物となり、しかしてこの物心と反対の性を有すれどもその根本は絶対の一なりとす。すなわち物心万境の一致して宇宙全体に単一のありさまをなせるもの神なりとするは、この説と一致するところなり。元来吾人は物心相対の上に活動するものにして、相対を超えて活動するを得ず。すなわち絶対の境界は吾人智識の関するところにあらず、しかれども智識は絶対より生ずるあり、また神は単一にして世界は雑多なり、しかして単一の体をみたすものに雑多の世界あり。換言すれば、吾人の神なる考えはすべての智識の虚形にして、世界はこれを充塞する材料なり。故に神は智識のいかなるありさまなるにかかわらず、その虚形を充実するは世界の思想なり。されば神は最上抽象的の虚形にして吾人智識の関せざるところ、物心万境の一致は吾人智識外すなわち超理的に存するものなり。すなわち積極的にあらずして消極的の位置にあり。これシュライエルマッハーの、神は智力上に考うるを得ず情感上に存すというゆえんなり。氏が宗教は感情にありとの考えは終始その説を支配し智力意力と結合するを得ざりしも、またこの点に出でたるものなり。しかれども吾人の智識思想は氏のいうごとき狭隘のものにあらずして、不可知的といえども多少知るを得るなり。かつ氏が物心万境一致の点にありといいしも、これ氏が智力の作用によるにあらずしてなんぞや。これ氏の説に撞着あるところなり。

       シェリング

 カント氏以後ドイツ哲学の潮勢は唯心論の一方に流れ、世界万有をもって意識上の現象なりという説明を与えたり。始めカントは現象をもって物心二者の上に成り立つものとし、物心二者の本体は隔歴して一致せざるものとせり。これカント哲学の欠点なり。もし物心二元論によりて二者の調和をなさんとせば、そのいくぶん心に属し、そのいくぶん物に属するや明らかならず。ここにおいてその調和を説明せんとするもの、あるいは主観的より、あるいは客観的より試みしが、フィヒテに至り絶対的主我論を提出し、物心万境はわれの所造なりとせり。シェリングはこれに反対し、物心二者は本来隔歴したるものにあらず、二者ともに同一の体より現れたるものにして、内部外部ともに相関係するものなり。されば心性はこれを不可見万有というべく、万有は可見心性というべし。すなわち同一本体上より二者を開発せるものなれば、本体に至れば一なりと。これ氏が立つるところの哲学の原理にして、これを説明するが氏の哲学組織なり。今その宗教論に入るにさきだちその学説一班を叙述すべし。

 シェリング氏(Friedrich Wilhelm Joseph〔von〕Schelling)は一七七五年一月二七日、ヴュルテンベルク州レオンブルクに生まる。弱年のころより神童と称せられ、一六歳にしてチュービンゲン大学に入りカント哲学を攻究し、ヘーゲルと友誼上の関係を有せり。在学中氏は一の論文を草し一七九二年これを世に公にし、その翌年また一論文を発行して知名の士となる。大学卒業後一時ライプチヒに移り貴族の師傅となり、後イェーナに行きフィヒテに従い兼ねてその助手となり、フィヒテ、イェーナを去るののち代わりてその職を継げり。このときに至るまでは氏は全くフィヒテの説を取りしが、爾来その説を一変し自家の独見をもって哲学の基礎を築き一雑誌を発行せり。一八〇六年ミュンヘンに移りヤコービの死後その学校長となり、一八四〇年ベルリンに転じ一八五四年八月二〇日逝去す。

 シェリング氏が一生の著書を集めたる『哲学全書』は一八六一年発行せり。そのうち一〇巻は前時の著述にて、四巻は後時の著述なり。氏が一代の哲学論は完結なる一組織をなすにあらず。氏はその一代に五たびその説を変ぜり。しかれどもその間歴史的順序を追ってその説を発達せり。今その説の基づくところを考うるに、氏はプラトン、新プラトン、ブルーノ、ベーメ、スピノザ、ライプニッツ、カント、フィヒテ等の説を結合したるもののごとし。氏が著書中もっとも著名なるものを挙ぐれば『万有哲学』『世界精霊論』『超理哲学』『哲学および宗教論』『鬼神哲学』『天啓哲学』等なり。今その説をのぶるにつきてはシュペングラー氏哲学史の分類に従い、これを五段に分かちて講ずべし。

 (第一期) シェリング氏のフィヒテを継述したるはもと師弟の関係より出でたるものにして、最初には「我」ということにつきて論じたる一文あり。曰く、吾人知識最後の基礎は我ありて起こるものなるが故に、哲学中の最も真正なるものは唯心論をもって成立せざるべからず、しかしてもし吾人の知識にして真実を有せば、思想と実在とは同一ならざるべからずと。フィヒテはこの論文を称して、自身の主我的哲学の補注に過ぎざるものなりといえり。しかれどもこの中にフィヒテと原理を異にするところを胚胎し、また物心一致の点あることをも指示せり。

 氏はまた一論文を草し、カント学派がついにその唯心論を去りて独断的に傾きたるを排撃せり。爾後氏はもっぱら万有の哲理を講究することをつとめ、ついに絶対より万有の開発することを考え、『万有哲学』および『世界精霊論』を出だしたり。ここにおいてか、氏はフィヒテに反対せる一種独立の起点を取れり。フィヒテは物心を結合するに物心二元中心をもって調和を説きしが、シェリングは非物非心なる絶対をもって結合せんとせり。そのいわゆる絶対なるものは独立して物心の媒介をなすにあらず、物心の互いに一致する点に名付くるなり。これを物より研究すれば心に入り、心より研究すれば物に入る、その最終は必ず一致する点なかるべからず。これ氏が万有を可見心性とし、心を不可見万有とせしゆえんなり。そもそも物には引力と拒力との二ありてこの二力の結合より成ると同じく、心にも有限力と無限力との二ありて心を組織するものなり。しかして引力は物を団結せんとし、拒力はこれを離散せんとし、二者の作用によりてもってこの世界を成立す。これと同じくまた心においても無限力は我と他との相対を超越して無限絶対の体に同帰するの傾きあり、またある場合においては外界と我との制限を立つ。これ有限力のしからしむるところなり。かくのごとく物心の作用は互いに相対すといえどもこの二作用のいずれにか一致するものなるは、あたかも磁石の両端の一端より一端に至るには必ずその中心を通過せざるを得ざるがごとく、物心二者の間には必ず一致する点あり。この点を称して均同点(アイデンティティ)という。これ氏が一代哲学の骨髄にして、氏が第一期においてフィヒテを継述する中におのずから現れたり。しかしてこの均同点より物心万境の開発して有機組織をなすは、あたかも草木の漸々発達して一大有機組織をなすがごとく、天地間の一大理は確固不易なり。かつこの一致の体は抽象的ならず具体的にして、その上に宇宙万有の組織をなすなり。さればこの一致点は物心いずれよりするも体達するを得べしと。

 シェリング氏は精霊論において世界は自動的の活体なりといいしが、この点はフィヒテ氏の説においては許すべからざるところなり。フィヒテは我より非我を造出すというをもって、心は自ら開発するを得るも物はしからず、しかるにシェリングは物心二者ともに活動的のものなりしと反対の地位に立てり。これ氏が『万有哲学』『超理哲学』の二部を組織するに至りしゆえんなり。されば第一期の哲学もすでに独立の基礎を含有せりというもあえて不可なることなし。

 (第二期) 第二期の哲学は万有哲学と超理哲学との二部より成る。この二学はシェリング氏哲学の骨髄なり。しかしてこの万有哲学と超理哲学との区別は、氏の説によるにすべての智識学問は物心の一致する点より起こるものにして、この物心一致点より客観性一方を取れば万有となり、主観性一方を取れば心となる。これにおいて二の学問を生じ、一は万有を基礎にしていかにして心が万有に一致するか、また一は心を基点として万有はいかにして心に一致するかを研究す。すなわち前者は万有哲学にして後者は超理哲学なり。故に超理哲学よりいえば心性主となりて万有に及ぼすをもって思想、実在の二者中実在をして思想に付属せしめ、万有哲学よりいえば思想をして実在に付属せしむ。されば万有、心性いずれよりするも、そのいわゆる一致均同点に達するものにして、この体に絶対的均一の名を与うるなり。

 シェリング氏の万有哲学は、普通の万有哲学のごとく万有を死物的器械性のものとして論ずるにあらず、これに自由、自発、自動の勢力を与え活物的のものとみなしたるなり。されば氏の万有哲学においては万有の活物たるを説明するにあり。今その説を見るに、前に万有は可見心性なりといいたるごとく、万有は活動を有せる有機体にしてその内部に含める勢力の開発するものなり、かつその開発や一定の規則計画によるものなり。そもそもこの世界は物心の二者より成立し、二者の上に互いに関係するものなり。しかしてその関係を探究するに、物よりするも心よりするも絶対に達し、心の内部に含む力は物質に作用を及ぼし、物質の規則は心の上に認識するを得。ここにおいて物心の二者は互いに関係し一致するを知る。これを説明するが万有哲学なり。曰く、吾人は直接の経験より他に万有を探究する起点を有せず、この直接の経験によりて外界を探究するときは、世界は一大活動体にしてその内部には吾人の心のごとき勢力ありて、その勢力一定の順序規律を追って発達するなり。すなわち万有の根本は先天性のものにして、絶対唯一の点より起こるを知ると。また氏は万有哲学の原理を論じて、万有には成形力と成形物とありてその交互作用より開発す。換言すれば、この世界の開発は生産力と生産物との間の作用にして、この二の関係によりて内部にある無限の力を外部に発現し、もって無量の形状を呈す。しからば万有は二元並存の上に成立するものというべしと論じ、二元をもって万有の原理とせり。また氏は始めに物界心界を分かち、つぎにその両界にもまた二元ありとし、この二元はいずれのところにも普遍にしてかつ一致する点ありとす、その点はすなわち絶対の体なり。しかしてこの絶対の体より開発して万有成立す。故に万有は絶対一致の力を外部に発現したるものなり。換言すれば、万有は絶対性唯一性の作用を開現する機関にして、その機関たる唯一絶対の力の中に前より予定せらるるものなり。しかるに絶対の体は無限の力を有すれども、この力のいったん開発するときは有限となる。これけだし万有の上には一時に無限を造出するを得ずして、やむをえず有限の状態をもって顕出するなり。しかれどもその間には無限性を示すものなり。例せばここに無限の水あり、これを流出せしめんとするにはただ一、二の孔口よりせざるべからず。しからばその内部は無限なるも流出するは有限なり。しかれども無限の時間連続するときは無限性を開示するを得るなり。

 シェリング氏は万有哲学を三段に分かち、第一段には有機体につきて論じ、第二段には無機体につきて論じ、第三段には有機無機の関係につきて論ず。第一段、有機体につきての論によるに、万有は絶対的に無限の生産力を有するが故に、この力の開発するときは無限無量の物を産出す。しかるに今、有機体を見るに有限なるがごとき観あるは、けだし万有そのものの固有せる規則として、生産開発するに当たり一方に産出するあれば他方にこれが反動を生じ、ために無限性も無限性として開発するを得ず、必ず反対性を生じて有限となるなり。万有もし開発することなくば反対の制限なくして一元にとどまるべきも、いやしくも開発することある以上は必ず二元たらざるべからず。しかれどもその有限無限に連続して無限の時間を経て開発す。故に万有の本性は無限にして、その生産力も無限なり。しかれども生産物よりいえば有限なり。なんとなれば、生産物は万有の本体にあらずして現象なればなり。さればなお無限の連続をもって無限の生産力を満足せしめんとす。換言すれば、万有は無限の生産力を有すれども空間的には無限の生産物を現ずるあたわずして、時間的に無限の生産力を現ずるなり。かくして万有の発現に二個の相反する性質を生ず、すなわち生産性と制限性となり。換言すれば、正動と反動となり。一方に無限の生産をなさんとすれば一方にこれを制限する性を生ず。しかしてこの二性同時に相現じて互いに相争う。故に生産性無制限なれば制限性また無限なり。要するに二性無限に相抗争するものにして、これすなわち万有自然の性質なり。故に吾人が天地間に目撃するところの現象は、ことごとく二元互いに制限するにあらずや。この理によりて考うれば、有機体は無限の生産力を内部に包有するにもかかわらず、無限の生産力を現さずして一個一個の有限物を産出するは当然のことというべし。しかしてこれを継続するために有機界に男女両性の別ありて、その性互いに制限せられおのおの一個格段の成立をなす。さればこれより生ずるものもまた一個格段ならざるべからず。かくのごとくにしてもって相継続するなり。もとより一個一個の開発は万有そのものの性質にあらざれども、制限上実にやむをえざることたり。されば一個格段なる子々孫々の生産は万有の本性が無限に開発する階級に過ぎず。故にこれを実際に徴するも、親は子を生ずるために生ぜしものなれば子を生じ、ついには自然はその親をほろぼす方に傾くなりと。

 氏は有機性の作用を分かちて三とす。成形力、興奮力、感知力これなり。成形力は植物これを有し、興奮力は動物これを有し、感知力は人間これを有す。かくのごとく三作用ありてもって有機体を現すなり。そのうち感知力最も多く発達して他の二力を支配するものは有機体中の最高等にして、人類なるものすなわちこれなり。つぎに興奮力最も発達し他の二力のこれに支配せらるるものは動物なり。しかして成形力中心の作用となり他の二力をほとんど有せざるものは植物なり。

 第二段、無機体につきての論を見るに、無機体は有機体に反対なれども無機体もまた有機体と同一の階級を有す。有機体は己より産出する力あるも無機体はこれを有せず、有機体は自己一個の体を有し自己の種属を継続する力あるも、無機体は自己一個の体あるのみにして自己の種属を継続する力なし。要するに無機物は物質の集合にして、その結合は外部の結合なり。すなわち重力の原因によりて一の塊体を形成するのみ。しかして無機体も有機体のごとく三段に分かる。すなわち第一、化学的作用、第二、電気作用、第三、磁気作用これなり。

 第三段、有機無機の関係につきては、この二者の区別は万有を活動体とみなさざるより起こるものにして、もし万有を活動体とみなすときは二者併立せずして一致するものなり。すなわちこの有機無機の二元を超えてその根元にさかのぼれば二元相一致するものあり。故に無機の現出するにも一層高等の力ありてこれより開発するものにして、有機無機ともにその力の開発なり。しからばこの有機無機の外に第三のものありて二者を連絡せしめざるべからず。その究竟の原因に至りて考うれば、世界万有には共有の精神あり。その精神は有無二機ともにこれを有し、無機にありては変化を生じ、有機にありては諸活動諸生産の原因となる。これによりてこれをみるに、この世界は一種の活動組織を有するものというべし。かくのごとき区別ありて有機無機おのおの互いに制限する力を生じ、二元並行対立してやむときなし。しかれどもそのおおもとは二元一致するものなり(この点はシナの太極より陰陽の両儀を生じ、この両儀いずれのところにも存すとする説にはなはだ近似せるを見る)。以上はシェリング氏万有哲学の大略なり。

 シェリング氏第二期の哲学は二部に分かれ、その一は万有すなわち客観の辺より絶対を説き、一は超理すなわち主観よりこれを証明す。前者はすなわち万有哲学にしてすでに講述せり、後者はこれより述べんとするところの超理哲学なり。およそ哲学にはあまたの種類あれども、みな一物の連絡して順次に発達するものなり。故に哲学は意識の発達したる歴史とみなすも可なり。換言すれば、哲学は内部知識の力の外部に発表して組織せられたるものなり。しかしてこれを万有の上に説くと超理の上に論ずるの二方あり。もし万有と超理とを特別に論ずるときは、物心二者の互いに連結一致することを示すははなはだ困難なれども、この二者を照合しおのおの他の欠点を補えば、二者の一致いわゆる絶対の存在を知ることあえて難きにあらず。

 氏は超理哲学を三段に分かちて説明せり。第一は理論的哲学、第二は実際的哲学、第三は技術的哲学なり。第一、理論的哲学は外界をもととして心に対して活動するゆえんを論じ、第二、実際的哲学は心をもととして外界に対して活動するゆえんを説明するなり。しかして第三、技術的哲学は第一第二の外界内界の反対するものを結合するゆえんを説明するなり。この分類はけだしカントの純理、実理、断定の三段に分類せしところに基づくものなり。今、第一の理論的と第二の実際的とを比するに、物心相隔歴して二者の間に一致の点あるを発見すること難し。これを一致するは更に高尚の点より説明を与えざるべからず。これすなわち第三の技術的のつかさどるところなり。この物心二者の一致することはすでに述べたるごとし。二者のともに保有せる勢力ありて、この勢力わが心内に発しては意識作用となり、外界に発しては無意識作用となる。かくのごとく二者相異なれども、二者ともに勢力を有するはその一致するところなり。これを説明するは第三の技術的なり。

 第一、理論的哲学は自知自覚をもととして、自知自覚より感覚、直覚、虚想、絶対的虚想と発達することを説く。すなわち外界の啓示において感覚し直覚しこれを抽象し概括して、ついに絶対的虚想に達す。すでに絶対的虚想に達すれば絶対的意志を生ず、すでに絶対的意志となればここに実際的哲学を生ずるなり。

 第二、実際的哲学はこれを第一の理論的に比するに、第一には外界が能動の位置にあるも、第二には内界が能動となりて外界が所動の位置に立つ。かつこの第二においては我そのもの有意識となり、能動作用となり、生産的となり、もって外界にその活動を及ぼす。この点は氏がフィヒテより得きたりたるところなり。しかれどもその結局に至りてはフィヒテの説に異なりて、更に一層高遠なるところにその原因あるを発見せり。フィヒテは道徳上主として世界の秩序規律を説きたれども、なおその上にこれらの根源たるべきものあるを知らず。道徳は主観以上作用の結果にして、この作用に反せば一切の秩序は成立するを得ず。故に道徳の根源は主客両観を結合せる高等のものすなわち絶対なり。フィヒテはこれを我と称せしも、シェリングは我はいまだ相対の位置にあるを免れずといい、我の範囲を離れたる絶対を立てたり。氏の説に曰く、道理的動物すなわち人なるものは心内の一致作用を無限に向かいて開発するものにして、その発達の順序を示すものを歴史という。しかしてその開発に三段の時期あり。第一は自由なく意識なく真の盲運盲目時代として開発す、これ野蛮時代のありさまなり。第二はこの盲目より発達して規律を生ず、この時代には国家の結合あり。第三は全く神の世界となりて現出す、今日はいまだこの時代に達せざれども将来必ず至るべきときありと。かくのごとく三段に分かちて歴史をのべたり。ここにいう歴史とは世間のいわゆる歴史とは全く相異なるものにして、絶対性そのものが発達する順序につきてこれを分かち、今日はなお物心並行するも後には必ず一致する一点あるをいう。

 第三、技術的哲学は主客一致、物心契合を目的とす。実際的においては無限の時間に向かいて物心の一致を求むれども、その一致の現るることなきのみならず、かえって物心相離るるの傾向あり。しからばこの一致はいずれのところにか発見せざるべからず。これすなわち第三の目的とするところなり。およそ物心とはその外部においては並立するも、内部においては一致するものなり。すなわち物は無意識にして器械的盲目の作用なり、心は有意識にして計画ある作用なり、しかれどもその内心には一致するところあり。しからばその一致は吾人のこれを知るを得る方法ありやというに、これを知るは技術なり、技術の直覚は内外一致を感ずるものなり。これを要するに、万有より生ずるものは無意識にして技術は有意識なり。有意識無意識の相反は歴史上これを一致せしむること難く、歴史上にはますます相反対して進むものなり。しかれども万有は無意識的に一致し、技術は有意識にこれを一致す。されば物心の相反はその内部において一致するも、外部においては隠蔽して現れざるなり。しかるに技術はこれを開発して一致調和せしむるものなれば、技術は物心二元の絶対というもまた絶対性の啓示というも可なるべし、哲学より高等に位すともいうを得べし。ここにおいて知識の虚形が外面の体質を得て物心一致のありさまを示す。換言すれば、技術は絶対および知識をしてその実を充塞せしめ、万有をして有意識たらしむるものなり。以上は超理哲学の大要なり。

 上来陳述せしところを考うるに、シェリングは初めにフィヒテの説を奉ぜしも後には全くその見解を異にせり。フィヒテは絶対的我を物心の根源とせしも、シェリングは我は相対の上にあるものとし更にその上に一致の点を発見し、またフィヒテは絶対的我中に我、非我を生ずとするが故にもちろん二元一致なれども、シェリングは技術において一致することを説き、またフィヒテは神は道徳上の規律に存すとせしも、シェリングは技術的直覚の上にありとせり(絶対を神としこれを技術上に感ずるが故なり)。要するに両氏の異なる点は、フィヒテは主観的理想論にしてシェリングはこれに対すれば客観的理想論なり、しかれどもその実は絶対的理想論なり。シェリングが物心の二者その外面には相反せるも内部において一致すというは、かつてスピノザの説けるところに近し。ここにおいてシェリングはフィヒテの範囲を脱してスピノザに近くに至れり。しかして氏がスピノザに基づきて物心一体を説くに至りしは第三期の哲学なり。

 (第三期) この時期にはフィヒテと全く分離しスピノザによりたるものにして、一八〇三年ごろの著書はこの主義を示すものなり。この時期の始めにはシェリング氏自家の哲学組織を述べ、道理(リーズン)そのものの定義を下せり。道理とは絶対的道理の道理にして、絶対的には主客無関係の道理なり。およそなんぴとといえども道理を有せざるものなし。この一般の人類が思考する道理を抽象して深奥なる点に至れば、始め心に属せしものも主観性を失うに至る。しかれども転じて客観性となるにあらず。主観を失えば同時に客観をも失い、もって超絶の上に達するなり。この点を名付けて絶対という。これいわゆる道理の起点なるものなり。しかしてすべての哲学はこの道理を起点とし、これより進むものなり。されば道理以外に一理一物なく、一切の事物はみな絶対的道理の中にありというべし。しかるにあるいはこれに反対を唱えるものあり。かくのごとき人は平常自己以外に事物の存するを見て、絶対道理中に一切の事物の存するを知らず、これ謬見のはなはだしきものといわざるを得ず。この道理は論理の均同法、すなわち「甲は甲なり」というをもってその規律とす。なんとなれば、一切みな道理なりとすれば甲も道理、乙も道理、いずれを取るも道理にして、道理はすなわち絶対的道理なればなり。この絶対的道理より物心の二者派生するなり。すでに物心二者はともに一均同中より派生せしものなれば、なんぞ二者の間に性理上の相異ある理あらんや。一物はいずれのとき、いずれのところに至るも一物なり、しからば何故に一均同中より物心の二を生ぜしか。曰く、これまた性質上の相異にあらず分量上の相異のみ。されば物心の関係、あるときは客観の主となりて活動することあり、あるときは主観の主となりて作用することあり、しかれどもこの差別は絶対そのものにあらず、畢竟絶対の外表たるに過ぎず、すなわち有限上に存するものにして、絶対上には分量の差だもあることなし。元来有限には実体なく、真の実体ただただ均同の体あるのみ。故に有限上には軽重の別あるも、これを合すればその相和は常に同一なり、絶対的均一は絶対的同一なり。換言すれば、物心相和の宇宙の体は絶対的均一の体なり。されば絶対上には個々の別体なきは明らかにして、その合一の外に物ありと思うはその実あるにあらずして一個の妄見なり。これけだし全体と個体とを別にみるが故なり。たとえば絶対的均一は一直線なり、その両端に軽重の別を生ずるは物心の関係なり、しかれどもその相和は常に絶対の体なり。以上はシェリング氏絶対論にして、この説はスピノザの説に似たるところあり。

 シェリング氏はまた物に三段の階級を立て、第一、重力、第二、光線、第三、有機機関とせり。第一は外部に関係し、第二は内部に関係し、第三は第一第二を結合したるものなり。すべてカント以後の哲学者は三断論法の性質によりて論究せしが、シェリングに至りてその考えますます進みたり。氏はまた物の中に有機性と無機性とあることをいえり。氏の説によるに、物はその実すべて有機性にして真の無機性あることなし、無機性は有機性の卵にしてこれを開発するときは有機を生ず。地球のごときも始めは無機性なりしも、漸々開発して草木となり動物となり人類となる故に、その表面は有機無機の区別あるもその内部には先天的に有機性の存するものなり。しかして前に示せる物質三段の階級は開発の度の高低に従いて次第したるものにして、有機はその最も階級の進めるものなり。されば外部よりこれを見るに、世界の始めはすべて無機性にして、これより発達して有機性を開発す、しかしてその残余はすなわち無機性なり。故にすべての物質はその内部には有機無機の別なく、均一平等に活動勢力を具するものなり、ただしその外部には無機は死物のごときもこれただ眠息するのみ。ある時期に達すれば一切有機性となりて、内部の精神世界を外部に現ずることあるべし。

 氏はまた心においても三段を分かち、第一、知識、第二、動作、第三、道理とせり。知識は真を目的とし、動作は善を目的とし、道理は美を目的とす。しかしてまたこれを形と質とに分かち、知識は形中に質を同化すること、動作は質中に形を同化すること、道理は形質二者を混和一致することなり。形中に質を化するは理論にして、質中に形を化するは実行なり、しかして形質相和して一致するは美術なり。ここに道理を美術に結合したるゆえんは、物心一致の点すなわち絶対は道理によりて達すべきものにして、この絶対を直接に開示するものは美術なりという考えなればなり。また氏はわが心において絶対一致の点を知り得る手段を考えきたりて、これを知るには分解法、総合法、もしくは数理論理によりてなし難しとし、ついに直覚をもってこれを知るの起点とせり。直覚は思想もしくは実在の一方を感ずるにあらず、双方平均してその一致を感ず。故に吾人は絶対を直覚せば実在も思想も一致すべし。しかれどもこの直覚は普通の直覚に異なりて、普通には吾人の見んと欲するときにその前に物の現在するを感ずる、すなわちこの直覚は思想と外界の感覚との結合するものに過ぎず。今のいわゆる直覚は道理的直覚にして、物の実在と心の思想と相合して絶対一致の点を感ずるなり。換言すれば絶対の知識というがごとし。かくのごとくシェリング氏は論じて、その極一切の事物は絶対の中にありというに至る。これにおいてスピノザの論に一致す。またシェリング氏はこの道理を解釈して宗教上の神とせしが、こは宗教論の部分において講ずべし。

 (第四期) 第三期において絶対は物心にあらざることを説明せしが、その論結局に至り心の方に傾き、絶対を解するに観念をもってその基礎とし、絶対を定むるは観念にありとす。すなわち観念をもって第一原理とし、第二には観念性の否定によりて実在性の成立を説き、第三には万有そのものを論ぜり。ここにおいて第三期の説一変せり。しかして第四期に入り物心の平均を失いて心の方に傾き、心の否定によりて物の生ずることを論じ、心をもって第一原理とせり。この点はスピノザを離れて一種の原理を立てたるものにして、一八〇四年以後の著書はすなわちこの第四期なり。その説は中世および近世の初年に起こりし神秘教、あるいは中世の新プラトン学派の形を取りて起こりたるものなり。第三期には絶対は物心を結合したるものにして宇宙は絶対と同一のものなりといい、物心ともに絶対の現象なりとせしが、第四期に至りては宇宙と絶対とを分かちて同一とみなさず、この世界は感覚上の有限世界にして、絶対世界は真実なるも有限事物は真実にあらず、有限事物のここに存するは絶対より退化して沈淪したるものなり、しかして人のこの悪世界にあるは神の罰なりと。また氏は霊魂の輪廻転生を説き、吾人は善を修むれば高等に進み、もし物界に執着せば下等に沈む。換言せば、下等に沈むはわが情によりて悪世界を愛するによると。これ全く新プラトン派の説より得たるところなり。氏はこの道理によりてヤソ教を解釈せり。

 (第五期) この時期には新プラトン派の説より更に一転して、近世の初年ドイツに起こりしベーメに基づきて一説を立てたり。すなわち一八〇九年以後の著書これなり。氏の説は始めよりベーメに似たるところありて、絶対を知るは直覚によるといい、絶対の進化は絶対自個の体に有する力を開発せるなりというごとき、またその論理精密なるもその中に想像の元素の加うるはみな両氏の相似たるところなり。ベーメは絶対そのもののの開発してこの世界を生じ、進みてもとの絶対に帰す。その絶対の動く間に物心善悪の関係を生ず。元来善悪なるものは絶対の体になきものなれども、絶対の開発に従ってその別を生ず。換言すれば、絶対の純善に達するには悪の方便なかるべからず、しかれどもその悪は絶対の目的を達すればついには消滅すべし。しかしてその絶対はすなわち神にして、神そのものの力をもって進化し、神そのものに復帰するなりといえり。シェリングはこのベーメの考えによるなり。すでに第三期において氏がスピノザによりて万有教の形を取りたりし当時、ヤコービはシェリングの説の万有教たるを攻撃し、シェリングは自らその説の万有教にあらざることを弁護せり。万有教は神は世界の「基礎」なりとする説にして、スピノザの万有の内部に神の存すというはこれなり。一神教は神は世界の「原因」なりとする説にして、原因というときは神は世界以外にありてこの世界を産出するなり。シェリングは万有教と一神教との一致を唱えしが、これベーメの説に近似する一点なり。その一致説に曰く、神は自ら自体を開発してこの世界を現す。しかしてその現れたる世界は不完全にして有限なり。しかれどもこの不完全は完全に向かいて進むものなり。されば今日の不完全はすなわち完全にして、完全に進む途中にあらわるる現象に過ぎず。換言すれば、開発の順序として一部分に不完全を見るのみ。もし開発し尽くさば完全なる本来の神そのものに達すべしと。この論ベーメに近きのみならず、その結論はヘーゲルに一致せり。氏はこの道理によりて立てたる一の宗教説あれども後に譲る。

 上来陳述せしごとくシェリング氏は一生の間しばしばその説を変更せしが、これを大別せば以上の五期なり。しかれどもその説、論理発達の順序を追い前後全く矛盾するにあらず。その説の変遷はすなわち論理の変遷にして、最初にはフィヒテを継ぎ最後にはヘーゲルに合するに至れり。元来ドイツの哲学起源はカント以前にありしも、そのもっとも盛んにかつ高尚なりしは実にカント以後にあり。カントの学説中今日の学者もなお遵奉するところのものは氏の道徳説なかんずく義務説なり。フィヒテの説中取るべきものは人権説すなわち意志自由を論じたるにあり。シェリングは美学の道理をして高尚霊妙ならしめ、かつ氏は論理力に長じあわせて想像力に富み、吾人の考え及ばざるところに絶対を建設せり。つぎにヘーゲルの長所は論理学にして、理想の性質を明らかにしたるにあり。カント以後のドイツ哲学は、右の四大家にて大成せりというべし。

 (宗教論) シェリング氏の宗教に関する書は第三期と第五期とにあり、また第二期の歴史哲学も多少宗教に関係するところあり。歴史哲学においては時代を三分し、そのうち第三の時代は神の天啓あらわれて全く完全なる神の世界となることを説けり。

 第三期においては『鬼神学(マイソロジー)』なる一書あり。この書によるに、鬼神学は哲学の詩学的形式を取りたるものなりといえり。その故はシェリング氏の考えには美術は最上高尚なるものにして、哲学理学は詩学の幼稚なる時代にして人類の幼稚なる時代に属す、この時代発達して詩学時代となる、しかしてこの時代をして詩学時代に至らしむるゆえんのものは鬼神学なりといえり。かく氏が鬼神学を尊崇せしは、けだし氏が想像力に富み、また絶妙なる理想を主としたるによる。しかれどもこの点は氏の欠点にして、氏が天性想像に富みたるがため、その講究の結果知らず識らずに想像一辺に傾き荒唐学派に類するに至りしなり。

 また第三期中、氏のヤソ教につきて論じたるものあり。その説によればヤソ教は世界精霊の漸次発達するに重要なる階段なりと。氏は前に歴史上世界を三時代に分かちしが、その最初の時代は完全なる黄金世界なり。しかるにこの黄金世界の悪世界となりしは第二の時代にして、普通の歴史上無智盲目の時代というはこれなり。第一時代には彼此の差別なくしたがって無我無欲なりしも、中途にして盲目時代となれり。詳言せば、第一時代は自他の区別を存せず、人と万有との懸隔なくして一致し、有限無限の反対性相働かざりしが、中ごろより人と万有との間に分界を生じ、ついに真正純良のときは沈降し、無我無欲の世は去りて有我有欲となり罪悪を生ずるに至りしなり。しかれどもこれより後また黄金世界に達し、神と一致するに至るべし。しかしてこの最後の黄金世界となる端緒を開きたるものはヤソ教なりといえり。

 また氏がヤソ教三位論につきての考えを述べんに、普通にはヤソをもって神子となせども氏は有限をもって無限の子とし、決してヤソ一人をもって神子と限るにあらず。ただキリストは最上の啓示を得、有限中もっとも高尚なるものなりといえり。また神の託宣は一時一人に限るものにあらず。なんとなれば、神は時間以外にありて時間を支配するものなれば、その託宣もまた無限ならざるべからず。しかしてキリストはその託宣の最も高等なるものを伝えたるなり。さればキリストの出現してより以来、神の啓示世に伝うることを得たりと。しかれども氏は、ヤソ教のみならずインドの宗教といえども多少託宣をこうむるものなり、またギリシアのプラトンのごときも託宣をこうむりたる預言者なりといえり。また普通には『聖書(バイブル)』をもって無上の宝典と尊崇するも、氏はこれに反して、『聖書』はかくのごとき価値あるものにあらず、かえってヤソ教の精神を害するものなり、ヤソ教は活宗教なれども『聖書』は過去の記録に過ぎず、故に歴史としては尊崇するも可なりといえども、これによりて真正の信仰を得ることあたわずと。また氏は宗教の将来を論じ、ヤソ教の世に宣布するに従って儀式制度等種々の弊害伴い起こるも、最後には真正の宗教世界となるに至るべしといえり。

 第四期に至り『哲学および宗教』という書を著せり。その中に曰く、神の体より有限世界の出でたるは精霊の沈降したるなり、故に精霊は一方において有限に結合するも一方には無限に連絡す、これをもって吾人の心中に深く考うるときは精霊の連絡によりて絶対そのものに達するを得と。また物心につきて心は自由を性とし物は必然を性とす、また物は実在を有し心は思想を有す。道徳上の快楽は物より得、徳は自由より生ず。今、世界の精霊は絶対性の自由に達するを得べきものにして、この点に至れば絶対そのものと合し徳も快楽も同一となる。すなわちこの同一点よりすべての事物は分出するものなり。されば有限上に物心互いに反するはこの一致点より派出したるなり。しかるにここに一問題あり、すなわち有限はいかにして無限より生ぜしかということこれなり。氏のこれに対する説明はスピノザの本質論にフィヒテの主我論を加えたるものにして、またベーメの説に近きところあり。シェリング氏は一八〇九年『人性自由論』を著し、その中に無限より有限の開発することを論ぜり。その説ベーメによるところ多く、またシナの太極説に似たり。今その説の大要をのぶれば、万有の起こるにはその根源あり、この根源は神の体に具するものにしてこれを太極とす、この太極より開発して世界を現す、太極の前は無極にして、この無極は無形、無香、無声なるを状態について名付く。しかしてこの無極も太極もその体一にして、太極は万有の根元たる方について名付くるのみ。故に無極は物心相反の原因にあらず、またその中に物心の性質を有せず、物心には全く無関係のものたり。しかれども太極はその中より万有を生ずるゆえんの理を推すときは、万有の顕出する基礎を太極といい、そのおおもとを無極というなり。しかるに神はもと絶対のものなるに、いかにしてその中に太極の存するかというに、氏は太極をもってただちに神とはいわず、太極は万有性のものなり、故に実在性なり、すでに実在性なれば神そのものと同一というを得ず、しかれども神と相離るべからざる性質なり。また太極には知覚あるいは意志を有せず、これ万有の根本たればなり。この実在性に反して理想性のものあり、これ心の根本たるものにしてこれより知覚意志を生ず、太極は知覚意志を有せざれどもこれを生ずる傾向を有す。しかして理想性は万有性の開発に従って生ずるものなり。すなわち太極の内部には理想性を有すれども、まず始めに万有性発達し後に理想性発達するなり。故に地球もその始めは無機性にして、吾人人類も始めは肉体より成るは万有性のさきに生ずるが故なり。太極は盲目的なるも、その体の開発する願望傾向を有す。しかれども意識ありてなすにあらざれば、これを盲目の衝力という。しかしてこの無知覚の本源より意識を生ず。これにおいて従来無規律にして渾沌たる不明了のありさまも、内部の理想性の発達に随伴して規律現れ知覚意志を生ず。これけだし神の創造力のいたすところなりと。

 太極は不明瞭なる盲目の原理なり。これより万有を開発すれば、万有と神と相分かるるに至る。しかしてかくのごとく相分かるるにおいては私意すなわち個人性意志を生じ、またこれとともに神に一致する明瞭なる理想性の原理知識を生ず、すなわち公意を生ずるなり。私意は肉体に関する情欲単純の願望にして、公意は外界の刺激より生ずるものにあらずしてかえって情欲を制御するものなり。要するに、私意は万有性より起こり公意は理想性より起こるものなり。公意私意は人間中にありても絶対中にあるごとく始めは合同したるものなり。第一段よりいえば天地未分のときは公私の別なく、人間の始めにもまた公私の別なし。しからば神人相同じきやというに、神は公私の分かつべからざる一致の点において一致をなし、人は公私の分かるべきありさまにおいて一致す。故に神人は公意私意において相違あり。しかるに人間は発達するに従って公意私意相分かれその間に競争を生ずるをもって、神は天啓をもってこれを調和せしめかつ神人相交通せしむ。この公意私意によりて善悪の差別を生ず。すなわち私意が公意を支配して公意が私意に服従するときは悪にして、公意が私意を支配して私意が公意に服従するときは善なり。人間はこの公意私意のいずれを取るも人間の自由なり。されば人間の歴史なるものは全くこの公意私意の戦争に過ぎず。しかるにこの争いを調和するものはヤソ教なり。ヤソ教にてはヤソ最上の天啓を得て公意私意を調和せしが、なおいまだ世界全体の人をして調和せしめたるにあらず。これをもってヤソ教は世界全体の人類の公意私意を調和するを目的とするなり。しかして将来必ず全くこれを調和し終わり、公意が全勝を占むるのときあるべし。もしこのときに達せば、現在世界は実に黄金世界に達したるなり。更に言を換えてこれをいえば、神に明暗の二点あり。暗点より万有を生じ明点より知覚を生ず、私意は暗点より出ずるものにして悪の原因なり、公意は明点より出でて善の原因たり。しかるに暗点はさきに生じ明点は後に生ずるものなり。世界には人間において明点もっとも発達し、人間中にはヤソもっとも明瞭なるものなり。しかれども最後にはこの世界全体一点の闇黒なく、赫々たる絶対の光明をもってみたさるるに至るべし。

 シェリング氏の説は空想にしてかつ詩人的の考えあり。人の最初に公私分かれざりし説はシナの説に類似せり。太古は黄金世界にして、また最終に黄金世界となる、すなわち太古は無我無欲なれば公意私意の区別なかりしも、少しく進歩すれば物我の別を生じ、したがって利己心を生じ悪の生ずるに至る。しかして私意公意と争いてその結局神の天啓あらわれ、もって公意全勝を占むるに至る。要するに、初めは無知覚の一致にして終わりは有知覚の一致なり。

 シェリング氏の説には反対者はなはだ多かりしが、なかんずく氏を攻撃せしはヤコービなり。ヤコービは有神教と自然教とを区別し、有神教は信仰をもととし自然教は知識をもととす、有神教は神を世界の原因とし自然教は神を世界の基礎とすといえり。かくのごとくヤコービはこの二者全く相反するものとし、シェリングは道理上これを結合し得べきものと信じ、二者相反を唱うる論をもって不当となせり。けだし氏の論、この反対論によりて一層詳細を得たり。

 シェリング氏宗教哲学中、最後に出でしものは『鬼神および天啓哲学』なり。その書によりて氏のいわゆる神の思想はいよいよ明瞭となれり。しかれどもこれ前論を敷衍したるものなり。この書においては神の思想を三段に分かてり。第一は神のまさになさんとする力の潜勢力として存するありさま、すなわち内にきざしていまだ外に発せざるもの、これを表すに-A(すなわちマイナスA)の記号をもってす。しかしてこのありさまは消極的の位置にあるものにしてこれを非有と称す、すなわち前の無極これなり。第二は潜勢力の顕勢力となれるありさまにして、これを表すに+A(すなわちプラスA)の記号をもってす、すなわち積極的にして有なり。これは前の太極にして万有の根源をいう。今、第一の非有(-A)と第二の有(+A)とを比するに、第一は純然たる主観のありさまにして神の内部に含む力なり、第二は存立に関係したるありさまなれば客観なり。換言すれば、第一は内部の勢力、第二は部外の存立なり。かくのごとく二者互いに反対するものなれども、この二合して第三のものすなわち±A(すなわちプラスマイナスA)を生ずるなり。故に第三は潜勢力顕勢力共存し、内界外界結合し、主観客観一致す。しかして神はこの三の合して一体となりたるものなり。しかれどもこの三を合したるものただちに神なるにあらず、神はこの三の以上にあるものなり。換言すれば、神は三にあらずして一なり、しかれどもその一は三の原因なり、故に神は三以上に存してその性質作用として三を現すなり。しかして宇宙万有の開発はこの順序によるものにして始めに非有、つぎに有すなわち世界となり、最後に±Aすなわち内外一致となりてあらわるるなり。非有と有との現るる間に互いに主となり客となり相抗排するも、±Aの一致したるありさまに至りては神の精神の現れたるときにして、二者の抗争ようやくやみ、ついにはこの世界全く変じて神の世界となる。これを研究する上において哲学と宗教とはおのずからその性質を異にす。哲学は思想一方より開発の道理のみを研究するが故に消極的なり。しかして思想上よりいえば神は理想性なれども、またこれに反する実在性あり。思想と実在とは一致することあたわずして、その間に意力加わりてその作用を実在の上に及ぼす。しかして宗教はこの意力の関係にして神の実在を目的とするものなり。これを要するに、純然たる思想一辺より説くものは哲学にして、これを実在に当てはむるときは宗教となるなり。故に宗教は積極的なり。これによりてこれをみるに、宗教哲学はすなわち積極的哲学にして、道理一方の哲学は消極的哲学なり。しからば哲学の最終目的は宗教にありというもあえて不可なることなし。この宗教哲学を分かちて鬼神哲学、天啓哲学とするなり。

 シェリング氏は宗教を論ずるに思想道理の一辺に偏せず、客観上の事実を根拠として論究せり。故に宗教哲学を立つるにもまず歴史上発達の順序によれり。今その歴史を見るに、最初に起こりしものは鬼神哲学(Mythology)にして、ギリシアの鬼神説のごときこれなり。しかしてこれより進みて天啓哲学に移るものにして、天啓哲学はすなわちヤソ教なり。最初の宗教時代すなわち鬼神哲学は、人間の発達において最初の盲目無意識の時代なり。この時代は人と万有と一致し、後ようやく物我の区別を生ずるもなおその道理不明なり。しかるに社会発達して今日に至れば、物我全く区別を生じてその間に争いを起こす。しかれどもまたその中に一致あるを見る。およそ物は必然性にして心は自由性なり。宗教の最初は万有の支配を受けいまだ自由を得るあたわざるも、これより進歩するときは内部の自由的精神性を十分に発達するを得。しかしてこの自由性の宗教を天啓教と名付くと。思うに氏がこの説あるゆえんは、宗教は道理一辺において論究することなく、歴史上に考究せざるべからずという意見なるをもってなり。ここにおいて、宗教哲学の上において天啓教のみならず鬼神教をも説きたるなり。そもそも宗教を説くには通常、空想的超理教と非歴史的道理教との二種あり。この二はともに各一方に偏するの弊あれども、氏の説は二者の上に位するものにして、歴史上の事実と道理教の理論とを結合し、鬼神説をも捨つることなし。されば氏の説より見れば、世間通常の宗教論は神と万有と隔歴し、その神は吾人以外に独立し、理外の理いわゆる超理の体とするなり。しかれどもこれ、その実超理にあらずして非理なり。もし果たしてその説のごとくならしめば、二者の関係全く絶え、万有より神を捨てたる無神論に陥らざるべからず。またこれと同じく道理一辺によりて歴史を取らざるもまた非理なり。歴史は宗教上最も必要のものにして、もし歴史を捨てなばこれすでに宗教の一要素を欠きたるなり。宗教の成立、ヤソの事跡は、歴史を除きて果たして知るを得べきか。ヤソ教は学説にあらず、すなわち主観的にあらずして客観的なり。今日あるところの学説は、みなヤソのなしたる事実の解釈として起こりたるものなり。故にヤソ教を道理一辺より説くは誤謬なりといわざるを得ずと。この点は氏の宗教哲学上もっとも肝要なる点にして、宗教は思想上のみならず経験上に成立するものなりとしたるは実に卓論というべし。されば氏の説は思想に偏せず実在に傾かずしていわゆる折衷説なり。しかしてこの説はヘーゲルのよるところなり。しかれどもヘーゲルはなお論理をもととして思想に偏し、シェリングは鬼神説のごとき不道理の宗教を哲学に入れんとする傾きあり。これ二氏の一長一短なり。

 歴史の宗教に最も必要なることはすでに述べたり。今、歴史上より宗教を探究するに、初めは多神(鬼神)の時代にして、これより一神の啓示を見る。けだし多神一神の歴史上前後あるは、思想発達上自然にこの区別を生じたるなり。従来の哲学者は多神教を野蛮時代の宗教として擯斥すといえども、いにしえより次第して今に至り、野蛮より発達して開明に進みたるものなれば、鬼神と一神との間にはまた必ず連絡なかるべからず。かつ多神は古代の人民が空想上偶然考え出だせるものなりやというに決してしからず。吾人の心に固有せる神の思想の発達してある程度に至れば多神の考えを生ずるなり。しかしてその思想はもと神が自由意志をもって世界万物を創造したる大勢力と同一なる原因より起こり、人間自然の性として本来有するものなり。しからばこの思想は偶然に人間の想像し出だしたるにあらず、また自己の心に工夫して発見したるにもあらず、全く人心自然の性質として自己の意志を待たずして発達したるなり。故にその思想の起源は一個人の意志を離れ独立して存するものとみなさざるべからず。しからば天地万物の現象ならびに古代鬼神の思想はもとより同一の関係を有するものなり。なんとなれば、万有は神より現れ鬼神の思想もまたしかるものにして、すなわち神そのものより一方には万有を生じ、一方には多神の思想を出だせるものなればなり。古代の人民が雨風震雷の現象をみては宇宙の大勢力を感じ、現象の一物一物に神の想像をなし、もって多神の思想を生じたるなり。しからばたとえその表面は多神なるも裏面は一神なり。経験学者は多神は野蛮人の空想にして自己の意志をもって造出せしものなりというといえども、これ自然の開発より現れたるものにしてその実は一神なりと。けだし多神の思想は人間一般の思想中に遍在するものにして、その道理は吾人が無意識ならびに意志中に固有するものなり(たとえ無意識なるも人間固有の一思想なり)。この思想万有に触るるときはたちまち多神の現れをなすと。以上はシェリング氏多神説の説明なり。この多神一変して一神となる。これを説明するは天啓哲学なり。

 一神は多神の内部に包含せる真理にして、これを開発して一神となる。その一神の現るるは多神ようやく下りて暗黒となり、ほとんど神の光滅せんとするに当たり再び宗教の新紀元を起こし、ついに一神の思想現るるなり。これ天啓哲学において論ずるところなり。そもそも多神は無意識にして宇宙万有自然の道理によりて現出するも、一神は神の自由意志をただちにわが心内に開発するが故に、明瞭に吾人の意識上に浮かぶを得。これ鬼神と天啓との異なる点なり。しかして自由意志の上に開現する宗教は高尚の宗教にして、ヤソ教これなり。すなわちヤソ教は一神の道理を開示するものなりと。従来の学者は一神以前の多神は妄説として排斥せしも、氏はヤソ以前の古代の多神も、また東洋の多神もみな一神以前のありさまにして、ただその発達の程度を異にするのみといえり。故に氏の説は今日の比較宗教学の起こる原因というべきなり。しかしてこの考えは氏が歴史上の事実を観察して得たる思想なり。

 つぎに天啓哲学においてヤソ教を論ずる点、他と相異なれり。他の学者の唱うるところは単に道理をもととして研究するも、氏は歴史上の事実を必要とするをもって、ヤソ教は経典の上にあらずしてヤソその人の上に成立するものとせり。しかして氏は曰く、キリストはこの世界に人間一個の形体を取りて現れたるものなれば、たとえその実は天神の分身なりとするも、すでに神より独立して人間の形体を取る以上は、天にある神父と同一にあらずと。

 またヤソ教の三位説につきて、氏は神の体は唯一のものにして三にあらず、しかれども三位は唯一の作用その中に貫通して存し、その開発するに三位の順序を取るのみ。すなわち三位はもと神の中に含まれしものにして、これが開発して世界をなすに三段の順序を取れるものなり、よってこの世界を三段に分かつ。三段とは第一、前世紀、第二、現世紀、第三、後世紀なり。前世紀は神父の時代、現世紀は神子の時代、後世紀は神霊の時代なり。神父の時代とはヤソ以前のありさま、すなわちギリシア多神の時代等をいう。この時代には神の力宇宙万有の上に現れ、吾人は万有の上において神を信ず。つぎに神子の時代は神自ら一個の人間の形体を取り、この世界に出現して我人に啓示す。更に一歩を進むれば神霊時代なり。この時代は吾人の精神上に神の世界を現し、この世界の上に精神世界を開くなり。これを歴史上にていえば、ギリシアの鬼神時代および『旧約全書』の時代は、神子の出現すべき予定あるもいまだ出現せざるをもってこの時代を神父時代とす。つぎに『新約全書』の時代の神子時代にして、神子まさしく一個の人間となりて現る。しかれども神子の突然現れたるにあらず、神子の出現する原因はすでに神父時代の内部に包含して存するなり。されば古今の間その連絡あるものにして、他教にもまた天啓あり。しかれども他教は天啓を内部に包有するのみ、これを外部に現示するものはヤソ教なり。またヤソ出現以後の神子時代中にまた三段あり。第一、ペテロ主義、第二、パウロ主義、第三、ヨハネ主義によりて教会を組織する時代なり。ペテロは神父の使徒、パウロは神子の使徒、ヨハネは神霊の使徒なりとす。第一、ペテロ主義によりて教会を組織せし時代はローマ教にして、ペテロはローマ教の開祖なり。この主義は形式的規律的にして宗教を外形に立て、これをもって宗教の信仰を固むるなり。もちろんこの主義といえどもヤソの天啓をもととし神人の一致を示すものなれども、この主義は外部的盲目不自由の一致なり。この主義に反対して内部の一致を説くものは第二、パウロの主義なり。この主義は内部の思想上において自由に信仰するなり。しかしてこの主義は新教改革のときに起こり、おもにドイツ地方に行わる。かくのごとくこの時代には内部の一致を主義とすれども、なおいまだ十分ならざるところあり。なんとなれば、この主義も多少旧教の儀式を取るをもってなり。これをもって更に第三の改革なかるべからず。今日はいまだこの改革時期に達せざれども、将来必ず至るべき時あらん。いわんやこの主義はすでにヨハネの唱えたるところなるをや。もしこの時代に至ればヤソ教は国教公認教として伝わるにあらず、広く人間教となりて行わるべしと論じたり。

 

  以上、カントよりシェリングまでの宗教哲学ここに全く終わりを告ぐ。この外にヘーゲル、ショーペンハウアー、ロッツェ、ハルトマン等の諸大家あれども、本学年はヘーゲルの一部分の講義をもって館内講義を終結するに至りたれば、講義筆記はシェリングまでをもって限りとす。ヘーゲル以後ハルトマンまでの分は一学年間の講義をみたすに足るをもって、後日その講義の開くるを待ちてその当時の講義録に掲載すべし。しかりしこうして、ドイツ学派の宗教論についてはカントよりシェリングに至るまでの諸家の論を一読せば、その大要をうかがうにおいて余りありとす。

                               編集員白