2.妖怪学講義録

P95

妖怪学講義録

(巻頭)

1. サイズ(タテ×ヨコ)

  240×158㎜

2. ページ

  本文:42

3. 刊行年月日

  初版:明治31年8月

4. 句読点

  なし

5. 発行所

  佐渡教育会

P97

妖怪学講義録

緒  言

 余は、これより日々三時間ずつの講義をなさんと欲するが、そのうち一時間を妖怪学に、一時間を倫理学に費やし、残る一時間をもって、質問または余のときどき思いつきし講話をなすの時となさん。

妖 怪 学

 妖怪学研究の趣旨

 さて、余が妖怪学研究をなすにつき、世人、あるいは好奇のあまりに出でて無用の間言語を弄するがごとく思為するものあれども、それ、奇を好み間言語を弄するがごときは、余の不肖といえども、またあえてなさざるところなり。そもそも余のこの挙に出でしものは、実にやむをえざるありてしかるなり。そは、今日わが国を一見するに、有形上の政治、法律のごときは、これを欧米の諸国に採りて、やや完成するがごとしといえども、無形上の道徳革新に至りては、いまだその運に会せざるがごとし。しかして、この革新をなすは、そもそもだれの責任なるか。すなわち、教育、宗教の二者によらざるべからず。しかるに、両者を普及、改良するには、教育家、宗教家その人を進めざるべからず。しかして、これを進むるに当たりて、常にその進路を遮断するものあり。これをなんとかなす。曰く、迷信これなり。その迷信の起こる原因は、人世の常として、死をおそれ、災難をおそるるに起因せざるはなし。死をおそれ災難をおそるるは、人情として、あえて無理にはあらざれども、そのこれをおそれ、これを免れんと欲するの結果、財産をつくるも労力を費やすも、みなこれがためになすに至りては、その愚もまたはなはだしからずや。生死はこれ常数、なんぞおそるるがためにこれを免るるを得んや。されば、舟乗り早死にするとも限らず、家居するものもその期に至れば、なんぞ免るるを得んや。されば、死生は天の命ずるところ、少しく識見を有するものより見れば、これ一つの迷信にほかならず。世の御幣担ぎという人々は、すべてのことにつきて死を忌むの極み、四十二(死重二)、四十二の二つ子(四に四の重なる)等をも忌み嫌い、また十九(重苦)、三十三(散々)等をも嫌忌するがごとき、東京の消防組にも「し組」を置かざるなど、その例、枚挙にいとまあらず。世にいう、かの人相、家相、方位等も、ただ一つの迷信たるを免れず。欧米にても皆無というにはあらざれども、近世に至りてはただ宗教上においてわずかに、金曜日に人の集会を嫌う(これヤソの磔日なり)、数に十三を忌むがごとき(これヤソの殺さるる前に十三人にて晩餐せしという)等なり。しかして、この迷信を打破するは、すなわち妖怪学の研究をおいて他に求むべけんや。

 前にも述べしがごとく、わが国をして欧米と均勢を保たしめんとするには、まず、その任に当たるの人は教育家なれども、教授の時間より家庭にあるの時間は多く、したがって、家庭教育の及ぼす勢力もまた大なり。しかして、家庭には前述の迷信あるにおいては、ついに、これがために感化せらるるやまた必然たり。その家庭の迷信を破るべき宗教そのものも当今のごとくんば、かえってこれを補助こそせめ、これを打破して、その幽冥を開くがごときことは望むこと難し。こいねがわくは、宗教家その人も純然たる真正の宗教をしきて、もって世の迷信を導きひらかんことを欲して、予がここに斯学を講ずるになん。今また、一つの方面より今日世間の好楽するところを見るに、はなはだ野卑にして、学問の進歩に伴い、自然に高尚には至らんと思えども、現今の状態にては、実に道徳上に影響するところ僅少にあらず。ゆえに、これを改良するは学者の任務にして、いわゆる風俗改良これなり。その、これをなすにつきてもまた、妖怪学の研究こそ必要なれ。

 世間通俗の妖怪となすところのものは、火の玉、幽霊のごとき不思議を義とするもののごとし。されど、これらはあえて不思議となすに足らず。顧みて吾人の身体を見よ。立つも不思議なり、泣くも不思議なり。世間万般の事々物々、みな不思議ならざるはなし。吾人、朝夕この不思議に接して、この不可思議を楽しむべし。通例、世人の楽しみとするは衣食住にあれども、これ下等の楽しみにして、人知進むに従い、下等の楽しみを去りて高尚に推移すべきものにして、飲食、衣服のごときは、ただに自身の栄養を保つをもって足れりとす。しかればすなわち、かの不平不満等をことごとく変じて、無上の快楽を味わわしむるに至らん。しかして、この一大天地の妙味を知るに至るは、妖怪学研究にあらんと考う。

 世の政治、法律、道徳の罪人を生ずるは、みな天地の不思議、妙味を味わうを知らざるの罪にして、下等なる衣食住をむさぼりて、その極み、詐欺、取財の罪悪を犯すの人とならざるはなし。

 上述せることによりて、ここに妖怪学研究の要旨を概括せんか。一方には真理に対し、一方には国家に対し、人心の迷雲を一掃し、社会の弊習を除去し、教育、宗教の位置を高めて、道徳の一大革新を実行するの端を開かんと欲するにほかならず。しかして、妖怪の研究は理学、哲学によりて説明すべきものにして、天地万有の法則は古今東西一定不変のものなり。されば、妖怪学の研究も理〔学〕哲学の範囲内において説明せんと欲す。しかれども、理〔学〕哲学は表面より説明を与うるものにして、世には表裏なるものあり、また事に正権の別あれば、理〔学〕哲学は表面正道の学にして、妖怪学は裏面権道の学といわざるべからず。ゆえに、理〔学〕哲学を正式学といい、妖怪学を変式学と名づく。

 妖怪の解釈

 妖怪とはなんぞや。曰く、異常変態これなりと。異常変態は妖怪の一原因たることは相違なし。例えば、一口両目は人の常なり。しかるを、三つ目小僧のあらんか、これを妖怪といわん。されど、単に異常変態のみをもって妖怪となすあたわず。そは、異常変態をもって妖怪となさざることあり。例えば、面をかぶりたるがごとき、その原因の判明せるものは、だれか妖怪となさんや。しからば、人知の測り知るべからざるところのもの、すなわち不可思議のものをもって妖怪となすか。曰く、いな。例えば、人心のごとき、天地のごとき、実に不可思議なるも、人、これを妖怪とせず。しからば、なにをか妖怪という。曰く、異常変態にして、かつその道理を解すべからざる、いわゆる不可思議に属するものにして、換言せば、不思議と異常変態とを兼ぬるものこれなり。

 妖怪の変遷

 妖怪なるものは、常に一定不変のものにあらず。すなわち太陽のごとき、古代の人民にありては妖怪なりし。その当時にありては、不思議なるもの、一にこれを神と名づく。されば、ギリシア等にてもアポロンと名づくる神ありて、毎日太陽を引き回すとなせり。また、星を降雨の穴なりとし、地震を地鯰の動くとなせしがごとき、されど今日においては、だれかこれらを妖怪となすものあらん。しかりといえども、今日はまた今日の妖怪あれば、妖怪は決して一定の標準あるにあらず。通俗のいわゆる妖怪なるものは、人と世とに従って変遷するものにして、甲の妖怪は乙の妖怪にあらず、昔日の妖怪は今日の妖怪にあらず。すなわち、妖怪の有無は物にあらずして人にあり。ゆえに、妖怪は下等の人民に多しといえども、学術の進歩に伴って、今日まで不思議となさざるものを、かえって不思議として疑うに至る。ゆえに、常に新妖怪は吾人の前面におりきたり、決して妖怪を根底より払い去るがごときことは、なし得べからざる事業なり。

 妖怪の種類

 妖怪の種類ははなはだ多けれども、概括すれば左のごとくに分かつを得ん。

  妖怪

虚怪 偽怪(人為的妖怪)

誤怪(偶然的妖怪)

実怪 仮怪(自然的妖怪)

真怪(超理的妖怪)

 虚怪

 虚怪とは、妖怪にあらざるものを混ずるものあり、誤りて妖怪となすものあり、偶然に妖怪となすものあり。概して妖怪は世に多きものにして、通俗の妖怪となすところのものは、誤聞またはその事実を敷衍補飾せるものありて、最初はいささかなることも、人より人に伝わる間に、ついに大怪となること、往々これあるものなり。ゆえに、伝記、口碑は断じて信拠すべからず。世間にて話上手と呼べる人は、好奇心によりて無を有になし、針小なることも棒大となすことありて、妖怪といえるものを極尋すれば、自己の見聞せるといえるものは、はなはだ僅少なるものなれば、これ、大いに妖怪研究につきては注目すべき点なり。ゆえに、古人いえることあり、「ことごとく書を信ぜば書なきにしかず」と。実に至言といいつべし。

 実怪

 実怪とは、虚怪を除去せるものこれなり。

 虚怪の分類

 虚怪を分かちて偽怪、誤怪とす。しかして、偽怪を人為的妖怪、誤怪を偶然的妖怪とは名づく。偽怪とは、人為によりて妖怪となりしものを意味し、例えば、好奇心より捏造し、あるいは私利を営まんがため、あるいは人の喝采を得んがため、あるいは小説的あるいは弁護的に作為せるものをいう。なかんずく、神仏に託して自利をはかるがごときは、その罪軽からざるものなり。また偽怪中には、政略上より人心を収めんため、あるいはこれを鼓舞せんがために、かの秀吉が出陣に際し、厳島に詣で百文銭を神前に投じ、その表裏をもって軍の勝敗を占いしがごときは、あらかじめ二銭を糊合したるものなれども、一時人目を眩惑せしめ、もって神意となすがごとき、また、復讐的に出でたる例を挙げば、出雲国などにては、富豪にして、もし吝嗇なるの人などあるときは、だれいい始むるともなく、かの家には人狐の出ずとの風説を流布す。これ、ひとたび人狐出ずとの風説を唱わるるときは、該家はただちに社会に擯斥せられしうえ、ついに絶交さるるに至ると。これ、すなわち妖怪を機械的〔に〕使するものにして、真にこれあるにはあらざるなり。

 一昨年のことにかありけん。上州磯部の温泉にて林屋といえば名代の旅館なるが、隣家なる旧士族の小間物商をなせる家との中間より火を失し、火元争いの起こりしが、ついに、その火元の小間物屋に帰するに至りしかば、小間物屋の主人は武門の家庭に養われし士風にて、憤怒のあまり、林屋の新築落成するやいなや二階の客間に忍び入り、腹十文字に掻き切りて自殺せしかば、風聞ただちに四方にひろまり、林屋にては士の幽霊が出ずるよとて、だれ一人として宿泊するものなかりければ、ついにやむなく転業するに至りしと。かかる人為的妖怪は、世間往々見るところなり。

 精神上の妖怪

 精神病には種々あるが、中に偏狂と名づくる一種は、平生は変わりたるところなきも、ただ、ある一事一物につきて精神の変調を起こして、それを言行動作にあらわすものをいう。かの好奇心にかられて種々の行為をなすは、偏狂と見て可ならんか。ある村境に、四人がかりくらいにてようやく動かし得るほどの石地蔵のありしが、一夜のうちに後ろ向きたまいしかば、人々奇異の思いをなし、ただちに正しおきしに再び背面を向き、したがって直せばしたがって転ずるものから、これは必ず地蔵尊の御心にかなわざることもあらんかと、それ念仏よ、それ供養よとさわぎしも、これは全く村内に大力の男ありて、早朝ここに来たり、その向きを変えしに過ぎず。されば、これらを好奇心よりきたる偏狂といって可ならん。

 偏狂に関しては、ずいぶんおもしろき話もあり。予が先年実見せし一人のごときは、書籍も一とおり読めし人なりしが、精神の過労より幻視聴を惹起し、曰く、「空中に魔あり、常に予の所持金を明知し、その金を強請するにより、やむなく室の窓上にこれを置けば、すなわちこれを奪い去る」と。これ、自己の所持金を自己の精神が明知する、いわずして可なり。窓上の金の持ち去らるるがごときも、その窓の前はすなわち道路なりしといえば、その魔もまた知るべきのみ。

 『〔東京〕朝日新〔聞〕』紙上にも掲載しありしが、余の実験中にいとおもしろき一話あり。そは、今も生存しおる人にて、東京にてもかなりの洋服店なりしが、ここの主人は、得意先へ物品を持ち行くときは、途中にて必ず魔物に出会い、持てる物品の代価につき割引の談判をさるるを常とし、そのたびごとに損失を招き、ついに破産するに至れり。予を訪いきたりしときなども、「魔が自己の脳中を撹乱すれば、先生御免候え」とて、金の製なる帽子をいただきおりしなどは、すこぶる奇怪なりし。しかして自らは、その魔は豊川稲荷なりといいおれり。以上はみな、一つの偏狂にほかならず。

 誤怪

 誤怪は、その実、妖怪にあらざるものの、知らず識らずの間に妖怪となりしものにして、先年、予の寓居にて夜の十一時過ぎ、下婢が便所に行かんとせしが、行く手の道に白狐の横たわるるを見、驚くこと一方ならず。ただちに引き返して家内のものを呼びさまし、ともに行き見れば、果たしてその言のごとし。されど、しばらくの間これを望めども、あえて動くべくもあらざるより、点灯これに臨めば、露だもその形跡を認むるあたわず。よって、こは定めて光線の作用ならんと思い、その原因を捜索せしに、果たせるかな、一条の線路を発見せり。つきてこれを見れば、ランプの光線が戸隙より漏れきたるの結果なりし。かくのごとく、光線などは往々妖怪をつくり出すことあり。音響もまた、人をして妖怪となさしむること、その例に乏しからず。

 実怪

 実怪を分かちて仮怪、真怪とす。仮怪を自然的妖怪、真怪を超理的妖怪と名づく。仮怪は怪は怪たるも、学芸の進歩によりてその原因を探究するを得べきも、真怪に至りては、到底、人知のもってうかがい知るべからざるものをいう。

 仮怪

 仮怪を分かちて心理的妖怪、物理的妖怪の二つとす。今、これが説明をなさんに、物理的妖怪とは、火の玉のごときこれなり。かの有名なる九州の不知火のごとき、物理学の進歩に伴い、その原因を発見するに至らんも、今日においては、いまだ確然たる説明を与えざるものをいう。もっとも先年、熊本〔高等〕学校教員の研究の報告によれば、おおかた海虫ならんとの説明を与えたるに過ぎず。また近ごろまでは、有馬に鳥の地獄とて、飛鳥のその上を過ぐるあれば、ただちに落ちきたりて死すと伝えられ、毒水なれば近よるべからずとて、めぐらすに柵をもってせしも、輓近理学の進歩より化学上の分析を施して、ついに炭酸水たることを発見し、今日にては瓶詰となして発売するに至れり。

 心理的妖怪

 心理的妖怪とは、幽霊のごとき幻視、幻聴の類にして、精神作用の変態より起こるものにて、これらは心理学上より説明せらるるものなり。夫子は「怪力乱神を語らず」といいしも、畢竟、人倫道徳の上に関係なく、かつ古代にありては、理学の進歩幼稚なりしがために、これをひらかんと欲すれば、ますます迷路にふみ入りやすきをもっての故なり。されど、当今のごとく開明の世となりては、よろしくその迷雲をひらき、幽微を発して、これが原由を究め、人心をして安心立命せしむるは、あにまた徒労の業ならんや。

 自然的妖怪の種類

 自然的妖怪すなわち仮怪は、吾人の研究すべき局面なれば、これより進んでこれが説明をなさんに、一つを物理的妖怪、一つを心理的妖怪とすることは、すでに説示するところなるが、再び物理的妖怪を各科に分類せば、物理学的妖怪、すなわち光線、音響等の諸作用の現象によりて生ずるもの等、化学的妖怪、こは化学の原理によりて説明を与うべきもの、例えば、元素の結合、分解等によりて生ずる諸現象、天文学的妖怪、昔は天文につきては種々の妖怪を感ぜし。そは彗星、流星、天の川等、もっとも今日においてすら、天の川などは一つの太陽系のごときものならんとの想像説にとどまるほどなり。地質学的妖怪、例えば化石、結晶石の類なり。動物学的妖怪、例えば尾州熱田の社内には鶏の雄のみにして、ほかより雌鶏を持ちきたすも、ついに変ずるというがごとき、動物学上より研究すべきもの。植物学的妖怪とは、植物につきての妖怪にして、変草のごとき、換言せば、植物の変態これなり。例えば、京都の下加茂の社内にては柊のみにて、いかなる植物を移し植うるも柊に変ずるというがごとき、植物学上より研究し、あわせて地質学上よりもその理を究むべきものをいう。世間にては年代を経るとともに、種々の奇怪なることをいい触らすものにて、老樹古木を神木と称し、これをきれば祟のあるなどいうは、植物学的妖怪にあらずして心理学的妖怪の範囲内にあるものなり。なお、一種の妖怪ありて生理学的妖怪と名づけ、人身において異常変態をあらわすものをいう。

 以上は物理的妖怪の分類にして、すなわち有形的妖怪とす。有形的妖怪に対して、無形なる精神作用より起こるもの、すなわち心理的妖怪のきたる原因は種々ありて、外界に現ずるもの、すなわち心以外に現るるもの、幽霊のごとき自己の精神より出ずるものにせよ、とにかく心の外なる外界において見るもの、また他人の媒介を経て現るるもの、人に神を乗り移らすがごとき、あるいは人相、家相、加持祈祷のごときこれなり。その他、自己の心身上に発するもの、例えば夢感通または精神病のごとき類にして、これらはなにによりて研究すべきかというに、心理学によらざるべからざれども、到底、心理学のみにては説明を付するあたわざるものありて存すれば、病理上より発するものは病理学あるいは生理学上より論じ、また迷信等よりきたるものは宗教に関すること大なれば、宗教上より講究せざるべからず。その他、経験上よりきたるものあり。例えば事実の偶合的中せる、これらは物理または社会学の力をもからざるべからず。されば、心理的妖怪をば心理学のみにてはことごとく説明を与うるあたわざるにより、心理学、社会学、宗教学、論理学、病理学、生理学等にわたりて研究するのやむをえざるに至れり。

 物理的妖怪は理学に関するものにして哲学に関せざるところなれば、これをばそれら専門家に譲り、心理的妖怪に属する部門を講述することとせん。

 妖怪解釈の時期

 古代、蛮民が宇宙万有に向かいて説明を試みし以来、今日に至るまで、一般人知の発達とともに説明そのものも次第に進化して、不完全なる説明より、ようやく完全なる説明を得るに至れり。予は、この発達の年代を分かちて三大時期となさんとす。

 第一期 感覚時代

 感覚時代とは、万有の解釈を与うるに、感覚にて見聞し得らるる形質上のものにより説明を与うる時代なり。これ、人知の最下位にして、幽霊を見しというがごとき、幽霊をもって霊魂の変象としながら、霊魂そのものが無形たるにもかかわらず、幽霊を有形体となすに至りては、今日、三尺の児童も首肯せざるところなり。そもそも幽霊という語につきて考うるに、幽とは無形にして表現するあたわざるもの、これを幽という。ゆえに、この世を顕界といい、死後、目にみるあたわざるを幽界と名づくるより考うるも、幽霊をみしとはいうべからず。されば、古代にありては精神を有形となせり。ゆえに、幽霊におさえられて重く感ぜしというがごときは重量を表し、寺へ参詣せしというがごときは形状を表す。また、扉を開きしなどとは、無形の幽霊なんらの必要がありてこれを開く。さはいえ、未開の時代においては、有形以上を考うべき能力を有せず、今日といえども、下等社会にはなおかかる妄想を抱くものこれあるは、実に嘆かわしきの至りならずや。この期においては精神作用なることを知らず、我なる体に二様ありて、そのうち一我ここにあり、他我かしこに遊ぶものとせり。これを一身重我説と名づく。昼間は二我相合して作用をあらわし、夜間は一我内にありて他我外に遊ぶものとなす。これ夢の解釈にして、当時、無形を想像することあたわざるをもって、その二我はともに有形なるものとなし、有形上の説明を与えし。また、この理を推して人の死に及ぼし、死も夢も同一にして、一我ここにありて他我かれに遊ぶより起こるものと信ぜり。ただ、その異なる点は、他我の遊ぶに、夢に比すればさらに遠く、かつ久しきの別あるのみ。これをもって、人の夢境にあるときは随意に喚醒し得べきも、ひとたび死するに及びては、なにほど大声疾呼するも蘇生することなし。すなわち、死は他我の出遊はなはだ遠くして、呼び声のこれに達することあたわざるによると信ぜり。

 その他、疾病、失神、癲狂、狐憑き等も、みな重我の説によりて説明を与えたり。それ、人の一身は甲乙二我によりて成るを知り、また、甲我ここにありて乙我外に出ずることを得るとなすと同時に、一人の乙我の外出したるときは、他人の乙我のその中に入りきたることありと思い、すなわち癲狂者のごときは、その人の挙動、平生に比して全く別人の観あるものは、自己の乙我の出遊するに際し、他人の乙我の入りきたるものとなせり。もしまた、他人の乙我の力強くして、自己の乙我の存在するにもかかわらず乱入することあり。これ、人に病患の起こるゆえんとなし、その説明は一切の事物みな有形の道理をもって証明するものにして、予がいわゆる感覚時代の説明に属す。けだし、当時にありては人すでに死後の世界あるを知るも、その世界はわが感覚上、目前の世界の上にあるものと信じ、現世界と同一なるものとなし、その鬼籍に入るは、今日現在世界の上において、一地方より他地方に移住するがごときものとなせり。これみな有形上の説明なり。この時代のようやく進みて鬼神を想するに至るも、その鬼神はなお有形質にして、人類の性質を一層増大にしたるものにほかならずと信ぜり。例えば、雷神は太鼓を具し、風伯、雨師またみな、あるいは風嚢を帯び、水瓶を携うとなすがごとき類これなり。

 第二期 想像時代

 この期は感覚時代の一歩を進めたるものにして、人知ようやく進み、また実際上、有形質のみにて解説すべからざるものあるを知り、自然に無形質を想像するに至る。ゆえに、この期においては第一時期と異なり、神を無形体となし、すべての怪をもって神のなすところとなし、神はわが心の本元、実体となすといえども、いまだ論理の階梯をふまず、直覚的に空想を虚構しきたるものにして、その説はいまだもって吾人を満足せしむるあたわず。これ、第三時期を要するゆえんなり。

 第三期 推理時代

 この時期は知力の大いに発達したる時代にして、いわゆる学術時代なり。されば、虚構、想像を交えず確実なる推理によりて、卑近より高遠に、有形より無形に、感覚以内より感覚以外に及ぼすものにして、現今学術時代の解釈これなり。すなわち、神はなになりや、夢はいかなるものかを説明するの時代にして、今、予が講ぜんと欲するところのものは、この第三時期の解釈法により説明を与うるにあり。今、上来講述せるところを概括、略記して示さば左のごとし。

 第一期 一身重我説は、万有各体の内に存する他元にその原因を帰するもの。

 第二期 鬼神説は、万有各体の外に存する他体にその原因を帰するなり。

 第三期 この期は以上の二期に異なるなり。すでにこれを内に存する他元に求めず、また、これを外に存する他体に求めず、万有そのものに固有せる天理、天則にその原因を帰するの別あり。されども、これもある程度までのことにして、換言せば、その天理、天則の既知と未知とありて、未知の中に可知と不可知とあれば、いかなるものが可知なるか、いかなるものが不可知なるかを発見するにあり。すなわち、前に分類せし仮怪は可知にして、不可知を真怪とす。ゆえに、今日にありては仮怪と真怪との境界線を発見するにあり。

心理学部門中の妖怪の一類 夢の説明

 吾人の精神作用につきては、実験学においては到底、十分なる説明を与うるあたわずといえども、輓近学術界の進歩に伴い、心理学研究の結果より多少解釈を与うるに至りしといえども、心はいかなるものなりやというがごとき問題に至りては、いまだ説明の限りにあらず。ゆえに予は、理学、心理学等によりて説明し得らるる限りにおいて、夢の現象を説明せんと欲す。夢は睡眠中の心の状態の一つなれば、これが道理を知らんと欲せば、まず睡眠そのものによりて起こりきたるゆえんを究めざるべからず。しかして、睡眠に関しては、心理学上よりの説明と、医学上よりの説明と異なるところあることを、記憶しおかざるべからず。

 睡眠の説明

 そもそも事物は、一定時の間使用せば、また一定時の間休息せざるべからざることは、普通の原則にして、例えば機械のごときも、ある時の間使用せば必ずこれを休止し、あるいは油を注ぎ、あるいは修繕を加えざるべからず。かくのごとくなすときは長時の使用にたうべく、しからずして不断これを運転せば、たちまち摩損減耗し、また所用にたえざるに至る。これ、実にみやすきの理なり。これと同一にして、人間も一定の時間労働せば、また一定の時間の休息なかるべからず。そは、人身はこれを労すること一定の時間に達すれば必ず疲労を覚え、この疲労を復せんには一定の休息をなし、その間に栄養を得ざるべからず。これなお、機械の摩損せる部分に修繕を加うるがごとし。しかして、このことは吾人の体躯、四肢を問わずみな同一にして、手足のごときもまたしかり。一昼夜絶えず働くことあたわざるゆえに、吾人の食時は三回の度を限り、英国にては五回となしおるも、二回はコーヒーを飲むのときにして、仏国は二回にて、朝は牛乳くらいにとどめて、午餐と晩餐とにわかてり。

 かくのごとく、いずれの国においてもその度を限りあるは、もし、しからずして常にこれを労せば、必ずその部において疾病を起こすのうれいあるによれり。しかるに、ひとり心臓、肺臓に至りては、日々夜々、毫も間断なく作用するものにして、もしこれを休息せば、たちまちわが生命を失うべし。しからば、この二つの機能は全く例外にして、右の規則以外に存するもののごとしといえども、つらつらこれを考うるに決してしからず、同じく一定の休息をなすものなり。今、その方法をみるに、心臓、肺臓は、他の機関のごとく一定時の動作をなし、一定時の休息をなすものにはあらずして、一刻一秒の間に、あるいは働きあるいは休み、もって少分ずつの休息をなすものなり。すなわち肺臓につきていわば、一呼一吸の間に一回の休息をなすものにして、吸気と呼気との間には休息なく相連続すれども、呼気と吸気との間に休息あり。その順序は一吸一呼にして、ここに一休し、それより一吸一呼することになるなり。かくのごとくにして、一昼夜間には平均八時間の休息をする割合なりという。つぎに心臓の方はいかんというに、これもまた、一伸一縮の間に休息をとるものにして、一縮一伸の間には休息なし。ゆえに、その順序は一縮一伸、一休一縮となるなり。しかして、二十四時間中に合算するときは、六時間内外の休息なりという。

 これによりてみれば、吾人人間の有機体は、一昼夜に六ないし八時間内外の休息を要すること明白なり。されば、吾人精神の最高機関たる脳髄もまた、六、七時間の眠息を要するや必せり。ただ、脳は心〔臓〕肺臓のごとく一刻一秒の間に休息することあたわざるのみ。もし、しからずして時々刻々の休息をなさば、たちまち思想の連絡を失するに至るべし。例えば、他人より「サドカハハラダ」を語り聞かさるるとせんに、もし脳にして一秒ごとに休むと仮定せば、サを聞きてドを聞かず、カを聞きてハを聞かざれば、この場合においては思想の連絡を失するはいうに及ばず、ついになにごとをも得て領会することあたわざるべし。これ、脳の自然的に一定時間中は不断労働し、一定時間の休息をとるものにして、すなわちこの休みを睡眠とす。

 睡眠の種類

 睡眠に二種あり。一つは熟睡にして夢なきのときをいい、一つは夢にして脳全体の休息せざるときをいう。今、以下にその原因、状態を説明せん。

 夢の原因

 夢の原因は種々あれども、まず昼間、脳が平均に活動せるがゆえに、また、その疲労の状態を異にするがため、その醒覚の時間一斉ならず。ある部分のみが活動するはこれ夢なれども、五官は全く休息するものとす。もし、脳の全体の活動するときは、これを醒覚せるものなり。ゆえに、夢には正覚なるもの少なし。これ、覚むると同時に感覚はなはだしく強くなるがために、その夢を忘却するに至るものなり。夢には数年以前の事柄をも夢むることあり。また、夢は前述のごとく、ある一部の他の部分にさきだちて醒覚するによるといえども、かえってその疲労せる部分のことを夢むることあり。そは後段において説明することとして、吾人の脳髄中の意識作用と、醒覚、夢、熟眠、死等につきての関係を左に示さん。しかして、これが表を掲ぐる前に注意しおくべきは、意識作用および反射作用これなり。反射作用とは無意識作用のことにして、例えば心臓、肺臓、腸胃等の働きのごとく、己の意識にこれを覚えずして働きつつあるものをいう。意識作用とはこれに反して、己かくなさんと欲する有意的作用にして、例えば水を飲まんとして手を動かすがごときをいう。されば、熟眠中は脳全部の休息にして、毫も意識作用なきものなれども、中ごろより一部分に意識の現れ想像起こりて、これより夢境に入る。ゆえに夢は、眠りに就きたる際より、まさに覚めんとするときに多し。しかして、醒覚には全部分の意識ありとす。もしそれ、死時と熟眠とを比すれば、ともに無意識作用なれども、死時は身体の有機的反射作用をもあわせて欠くものなり。左表のごとし。

反射作用     意識作用

醒 覚      有        有

夢        有        一部分

熟 眠      有        無

死        無        無

 以上は、これ心理学上の分類たり。

 夢の生起する原因

 夢の起こる原因をわかちて二種とす。一般の場合、特殊の場合、これなり。一般の場合は疲労の度の不平均よりきたるものにして、特殊の場合はこれを内外の二つにわかつ。

 特殊の場合のうちの外部の事情

 外部の事情とは、感覚上よりきたるの謂にして、眠れる人に火を近づくれば火災のゆめを見るがごとき、かつてある人の臥床の近傍を、その母の燭火を持ち行きて物を探ししに、翌朝その人のいえるには、「前夜、盗〔人〕あり。室内に入り、明りをとりて捜索せりと夢みし」と話せしがごとき類、枚挙にいとまあらず。予が実験せしうちにおいても、かつて盤石をもって圧迫せらるるの思いをなし、覚めて見れば、枕を落とし、頭を火鉢に触れつつありしを発見せり。また冬季、手足を夜具の外にあらわしおれば、雪中または氷上を渡るの思いあり。『列子』にも「帯をまきてねむれば蛇を夢む」とあるは、これらの故なるべし。一夕、予が傍らに熟眠せる友人の唇に一滴の水を点ぜしに、当人は一酔ののち眠りに就き、すこぶる酒渇を覚ゆるありさまにて、その点じたる水を喜んで口中にて味わいたるもののごとく見えたり。暫時にして目をさませしゆえ、「汝はゆめを見たりや」と問い試みしに、当人答えて曰く、「ゆめにイタリアに遊び、暑気のはなはだしきを感じ、ブドウ酒一杯を傾け、実に甘露のごとき味を呈せり」と。

 このほか、五官以外の筋覚により夢を結ぶことあり。すなわち、筋肉を圧するより起こるものにして、足を重ねおるときは高所にのぼるがごとく、これを落とせば低所に飛びしかの感ある等、和歌山県人、久保某氏の書翰中に、「一夕、夢中にて己の傍らにあるもの棒をふり回すに、予、その棒の己が身体にあたらんことを恐れしに、やや久しくして、果たして己の頭にあたれり。よって驚き、これによりて夢さむれば、たまたま己の傍らに臥したる者が、手を伸ばして己の頭に触れたるなり」と。また、食物の不消化より腸胃を刺激し、ために苦しき夢見をなすことあり。また、体温の変調より起こることあり。されど、胸に手を置きて恐ろしき夢などを見るは、世人の熟知するところなれども、これらは習慣となるときは、さらに感ぜざるものなり。以上はこれ、外部の事情の重なるものなり。

 内部の事情

 内部の事情とは、精神の以前の状態によりて夢を結ぶことあれども、いちいちその原因を明示すること難きのみ。されば、十中八九までは必然の原因ありて、自己の身心に毫も事情なくして偶然に起これる夢は、決してこれなしと断言することを得ればなり。例えば、夢の変態とも名づくべき夢によりて病気等を前知するがごときは、毫も怪しむに足らざるなり。そもそも病といえるものは、外部に発せざる以前において、必ずやその兆しを内部に発せざるはなし。なれども、目の覚めたらんときは外部の感覚強力なるがために、精神この方面に傾注し、内部の事情を知るの便なきのみ。しかるに、眠りに入ればそれら外部の感覚をとざし、細微のことをも感ずるがためにして、かの目を閉じて物事を思考するがごとき、白昼よりは夜間の勉学に適するがごとき、便所において考うるの良案の出ずる等、みな四隣に精神を乱すものなきによる。されば、人定まり神静かなるのときにおいて、身体組織に変態あるときは、その刺激によりて夢をよび起こして前知する、また不思議なることにあらず。

 夢の変態

 夢には時間、場所の関係は、決して順序を追いてきたるものにあらず。古今、東西、遠近の差別さらになし。今、その理由を説かんに、総じて吾人の見聞は心界中にとどまるものにして、これを印象という。その印象が観念となりて現るるものにして、すなわち、目を閉じて扇子のいかなるものなるかを知るを得るは、これ観念によるものなり。しかして、この観念が互いに連絡して、その連絡力に強弱あり。例えば、書籍につきての観念、学校、机等、みなこれ個々の観念なりといえども、書物は常に机上にあるものなるを知るは、これ観念の連合なり。机は学校内にあるものなるを知るは、これ連絡なり。しかるに、吾人醒覚中は観念の全体が活動しおれども、その意識中の一つの中心なるものありて、前後の事情、内外の関係によりて生ずるものにして、談笑中、佐渡の話より九州の話に移りゆくも、必ずやその中間には連絡を有するものにして、ほとんど無関係なるがごとき話頭に転ずるも、その中間には必ずなんらかの連絡なかるべからず。されば、醒覚中は心界中のいかなる方面へも随意進行することは明々たれども、連絡を有することも白々たり。これに反して、夢中には不眠の観念のみの働くものなれば、時間、場所等には合理せざることのみ多し。たとえば、故友に面接するがごとき、その死せしということにつきて、観念の活動せざるがゆえに、生前の印象のみが浮かび出ずるも、これを正誤するの観念なきゆえに、生けるがごとく感ず。場所等もまたしかり。九州より佐渡へ、一瞬間において至るの不合理なることを正すの観念なければなり。

 さはいえ、ときとしては観念の連合することあれども、その夢を一貫して連絡を持つことはほとんどこれなく、ただ多くの部分が醒覚せるときは、比較的連絡を有するに過ぎず。また、夢に作詩、詠歌などのできるは、一部分の醒覚せるのみなるがために、かえって好都合なることあり。そは、醒覚中は外界の事情の雑多なるために、感覚四方に散乱して精神の集合をなし難しといえども、夜中、人定まりたるときにおいては、外にしては五官よりきたるの妨害なく、内にしては睡眠せる部分よりの刺衝杜絶せるゆえに、斬新の考案の浮かぶことなきにあらず。されども、確実なりしと思いしことの、さめての後は案外相違せることも、多くこれあるものなり。かの忘れたることを思い出すがごときことは、世間往々これあるの事実にして、これ脳中にはいくたの印象は、雑穀蔵中に種々の穀類の堆積せらるるがごとくなれども、その観念となりて顕出するものは、常に強力なるものに限らるるは、かの月明らかにして星まれなりというがごとく、かすかなる星光は強き月光のために、一段その光輝を失するがためのみ。観念の現出もまた、この理にほかならず。しかるに、睡眠中は強力の観念はかえって疲労せしがために休憩して、微弱なるものの現出するによれり。かつてある人、重要の事件を忘却せしが、夢に何書の裏に記しありということを考え出したることありと。これ、かすかの印象、睡眠中に現出したるにほかならず。

 霊夢

 霊夢とは、遠隔なる地においての出来事、または事を未然において夢にて前知することをいうものにして、研究中の大要点たり。されども、この霊夢というものには霊夢にあらざるものを混ずるものなれば、これらのものを除去したる後に、なお真の霊夢なるものあらば、大いに吾人の研究を要するところのものなり。今、霊夢にあらざるものを挙げんか。古代の伝説はことごとく信憑すべからず。今日のごとき電話、電信等の便ありてすら、なお誤謬の大きことのみなるに、いわんや古代の、人より人に転々幾数十回いな数百回の人口、時日を経たるものにおいてをや。また、夢はさめてのち思い考うるものなれば、その間に必ずや誤謬なきを保せず。また、そのことは前に想像し得べきことなるやいなやをも考察せざるべからず。例えば、事を約してその期に至り思い出すがごとき、朝寝する人の、汽船の発程時には不思議にもさむるごとき等は、これ精神作用の妙所にして、親の死を前知するがごときも、親の病勢等によりて帰納的想像のでき得べきものなれば、これらもことごとく除去すべし。

 さて、時間などにつきて前知するは、人いちずに信仰するときは、その信ずるがごとくなることあるものにして、その例には、あるとき死罪の囚徒に目をおおいおき、「汝の足より生血一斗をとれば必ず死すべし」との予言を聞かしめ、しかる後、その身体より出血せしむとの宣言をなして、ただに罪人の皮膚に一つの刺激を与え、大声にて一升、二升と数えて、一斗という呼び声とともに絶命せりというがごときにても知るべし。わが郷里においても、現にある夜、夢に神のごとき異人来たりて枕頭に立ち、「汝は来年五月に没すべし」との示現を受けたりしが、夢さめて自ら驚き、かつ、その夢を信じいたりしかば、果たしてその月ごろに至り、病にかかりてついにたたざりしと。これ、自己の信仰よりきたるものにして、さらに不可思議となすべきの理なし。

 その他、暗合、符合等の霊夢もまた世に少なからず。かつてある人、郊外の塋地において墓誌を読むことを好めり。一夜夢みらく、その慣習のごとく塋地に至れば、たちまち新墓ありて目に触れ意をひけり。つきてこれを見ればその親友の墓にして、死没の月日、姓名を表して的然たれども、その友はすなわち、その日の暮夜にともに会したるの人なりしの故をもって、極めて驚愕したれども、ただ、その夢なるをもって、再びこれを意に介せず、そのことを追懐することなかりしが、数日の後、その友の訃音に接せしに、その死没は夢中に墓誌を読みしその日なりけり。これ、単に友人の墓を見しのみにて、即夜没せし人の臨終をば見ずして、いまだ建設前なる墓表を見しとは、これ偶合にあらずしてなんぞや。以上論述せるものを除去せる以外に真の符合これあらば、今日の理学、心理学の範囲外たらざるべからず。かの精気のごときは、光線につきてのみ研究せられたるのみなれば、はたして感応作用のあるやいなやは、未定に属する問題たり。

 眠行(睡遊)

 夢に次ぎて眠行を説明せんに、睡遊とは睡眠中、自ら覚えずして立ちて歩み、あるいは談話する等をいい、これらは多く児童において見るところなれども、また、老成人においても、応対問答をなしながら自覚せざるものあり。古来の伝説中には、暗夜、自ら立ちて家の周囲を三回してのち就眠せしも、毫も記憶せざるがごとき、または屋上にのぼり、あるいは馬を囲みより引き出だしなどし、最もはなはだしきは、争論の末ピストルを放ちその音に驚き、はじめて覚知せしというさえあり。もっとも、人の性質にも関すれども、囈語などは多くあることにして、これらは夢と等しき精神作用よりきたるものなり。

 説明

 脳は休憩しおるも、五官神経および運動神経が活動するものにして、応答などは脳の反射作用によるものなり。脳のある一部分が醒覚せるは夢にして、五官神経および運動神経のみの働く場合は睡遊とす。夢の起こるはまさに目のさめんとするときに多く、例えば、目はもはやさめたるも動くあたわざる、あるいは耳には聞けども口にするあたわざることあり。

 幽霊

 幽霊はこれを実在するという人、世に多く、現に谷干城氏の幽霊談として『国家学会〔雑誌〕』に掲載せるがごときは、友人を訪いて、茶漬け三碗を傾けて立ち去りしといえり。

 今、幽霊を心理学上より説明するにつき、感覚の変態につきて述べん。

 感覚の変態に三種あり。一に変覚、二に幻覚、三に妄覚とす。また、おのおのを五つに分かつ。左表のごとし。

変覚 変視 変聴 変触 変嗅 変味

幻覚 幻視 幻聴 幻触 幻嗅 幻味

妄覚 妄視 妄聴 妄触 妄嗅 妄味

 変覚とは、見聞するときに実物のままに見聞せざるをいう。遠きが近く、近きが遠く、高きが低く、低きが高く見ゆるなど、日常においても山岳等につきて見れば明亮なることなり。舟乗りなども未熟不練のうちは、これがため往々距離を誤ることありと。右は変視につきての挙例なれども、変聴以下、推して知るべし。

 幻覚とは、ただに高下、遠近等の差のみならず、全くその実体を他の物質とみなすをいう。例えば、前面に古縄の横たわるを見て蛇となすがごとき、あるいは路傍の石を見て大狐の道を要すると誤認する等なり。

 妄覚とは、幻覚よりも一層はなはだしく無を有となすものにして、こは身心に変調を呈するとき、すなわち、マラリヤ熱におかさるる者、精神病者等において親しく見るところなり。されど、妄覚は自身が非常に強く感ぜしものは往々にこれあるものにして、太陽を凝視せる後、幾秒間は太陽を目前に散見するにても知らるべし。ゆえに、幻覚は原因たるべき事物の現存ありて、妄覚はこれなきものとなさん。

 変覚の原因

 一つは媒介物の状態、一つは時間の関係によりて起こるものなり。例えば、空気中を通過せる光線と、水中を通過する光線との屈折の度に差異あるにより、同一物体を二つの場所において見るがごとき、また、時間が隔たりて所在の異なるときは、そのいくぶんを変ずるものなれども、重量等は前後の関係によりて感覚に大なる誤謬を生ずるものにして、重きものの後に軽きものを持てば、実量よりも軽く感じ、また井水は冬夏によりて温度に大差なきも、外部の冷熱によりて吾人の感覚には、夏は冷ややかに、冬は暖かに覚ゆるがごとき、その前後の関係によりて感覚の不確実なることは、吾人の常に熟知するところたり。

 内部の関係

 すなわち、精神作用によりても大いに相違するものあり。『列子』の中に、「孔子東方に遊び、両児が、『太陽の朝と日中といずれが近き』の問いに対し、『夫子もこれを弁ずるあたわずして愚者なり』と嘲られし」という。また、日月の大きさなどに至りては、人々個々の思想を抱くものならんと考う。

 幻妄両覚には種々の原因の存するならんも、大別して内界、外界の二つに分かつ。

 外界の原因

 事物の影像の曖昧模糊たるときのごとき、あるいは外界より与うるところの刺激の不十分なるがごとき、もしくは急激に過ぐるの場合、あるいは諸感覚同時に起こり、複雑にして分界の明らかならざるときのごとき、あるいはその感ずるところのもの新奇にして、過度に注意をひくべき場合のごときこれなり。

 内界の原因

 第一は想像にして、吾人は外物を感ずるや、心中の想像これに加わりて外物を構造し、もってその実像を誤ることあり。第二は、予期のために己の意をもってこれを迎え、もってその実像を誤ることあり。第三は、知力作用のそのよろしきを得ざるために、判断の誤りを生ずるにより、第四は、恐怖の情によりあやまりて外物を認むるにより、その実像を誤るに至る。これを要するに、幻妄覚は平常健全の場合には多く見ざるところなるも、以上列挙するがごとき原因によりて、平時といえども間々これを見るに至ることあり。今、これを表示せば左のごとし。

外界 一 影像の曖昧

二 刺激の強弱

三 感覚の混雑

四 現象の新奇

内界 一 想像

二 予期

三 判断

四 恐怖

 つぎに、精神作用の筋肉に及ぼせる例を挙げば、生来、毛虫を嫌える人の裸体たりしとき、その背に粟の穂を触れて「それ、毛虫なり」と告げしに、当人は大いに驚怖せしが、後に至りその部分は脹起して、あたかも毛虫の害を受けたるもののごとくなれりという。

 予の斯学を講述せしは、さきにも述べしごとく、元来、世人の迷信を打破せんと欲したるものなれば、決して奇好のあまりに出でたるにあらずして、これを心理学、病理学、哲学、物理学等の原理より研究して、これが説明を与えてその迷雲をひらくにあれば、その真意は護国愛理よりしてきたるものなり。そもそも予は、いにしえの学者と呼ばれし人のごとく、ただに学理のみを研究して、そのこれを実地に応用することをつとめざるがごときは、予のとらざるところにして、予はむしろ学者たらんよりは実践家たらんことをこいねがうところの者なれば、諸君にも斯学の聴講をもって、単におもしろき妖怪談を聞くの念を離れ、理論を覚えたりといわんよりは、ただ、一片の迷信を去りて一つの真理を得しといわんことを希望〔せざる〕にたえず。されば予は、哲学館〔館〕内員にも、常に社会有為の人物とならんことを諭示し、利国公益を計るの精神を発揮せんことをおしえり。これより前講に継ぎて、意識作用を掲図説明せん。

 通常、意識作用は、外界の事物、求心性神経を経て脊髄に至り、脊髄より脳髄に達すべし。脳よりは脊髄にかえり、脊髄より遠心性神経に伝わりて外界に出ず。されども、求心性神経よりただちに脳に至り、脳より直接に遠心性神経に至るものあり。しかるに、求心性神経より脊髄に至り、脊髄よりただちに遠心性神経に出ずるものを反射作用と名づけ、無意識作用を呈す。意識作用は、必ず脳に入りてきたるものにあらざるはなし。しかるに、妄覚、幻覚は外界より入りきたらずして、脳より外界に向かいて現るるものにして、通常の場合にはこれなく、高熱のためか、あるいははなはだしく予期するところあるがために起こるものにして、幽霊のごとき、これなり。幽霊なるものは、通常一般の場合においては、己の深く思える人が死せるとかいうごとき場合において、よく現るるものにして、これ、精神の予期はその一原因たること疑いなし。また、幽霊なるものは、明々白々のときにはみることなく、薄暮あるいは夜中に多く、すなわち曖昧模糊のうちに予期して幻妄覚を起こして、人為的に構成するなり。ゆえに、予期せざることをみるは、はなはだ僅少なり。しかして、物の目に触れて起こるか、またはしからざる場合のあるは、これ、幻覚と妄覚との差にほかならず。

 今、幽霊につきて例を挙げんか。ある家にて昼間洗濯せる衣服を乾し置き、夜に至り持ち入るるを忘れしを、人の見て幽霊となせしがごとき、また、余の前宅は墓地と墓との間を通過して出入せざるを得ず、一夕、下婢出でて食品をあがない帰らんと欲して墓畔を通過せるに、白衣の幽霊現出せりとて、走り帰り倒れんずありさまなりしかば、予も不審にたえず、老僕に命じ実検せしむるに、墓前に白張り〔提灯〕の釣りて、これにろうそくのいまだ消えやらざるものあるを発見せり。これらを幻覚とは名づくめる。されば、自己の精神さえ動かざるにおいては、幽霊などはみるを得ざるべきなり。昔年、松島瑞巌寺の和尚、毎夜十二時過ぎ海岸に赴き修行せしかば、近隣の青年輩戯れに木の上にひそみおり、和尚の樹下を過ぐるを待ち受け、その円頭顱を手もて押さえしに、和尚はそのまま立ち止まりて、かつて動ずる気色なかりければ、青年もついに手持ちぶさたにこれが手を除きしかば、和尚もはじめて静々とその歩を移せりと。その後、和尚は一言この話に及ぶなかりしかば、人もて事のついでに、「尊公には、近ごろなにごとかなかりしか」と問わしめしに、和尚再三のたずねにあい、やや思考せし後、「日外ぞや、余が海岸へ勤行に赴きての帰るさに、好事の人の、予に悪戯を働きしことのありしか覚ゆるよ」とて答えられけりと。

 されば、白昼に幽霊を見しとか、多人数同一のものを見しとかいわば、すこぶる研究の価値を有すれども、それらの例証はことごとく古き時代の伝説に属し、今日においては到底、説明なすべき限りのものにあらず。余は、単に妖怪を排するのみにあらずして、真実、学術上において説明を与うるあたわざるものを収集して研究せんと欲す。されば、わずかに一、二の例によりて判決を下すあたわず。とかく幽霊のごときは、その観念のこれなきものには出会せしということを聞かざれば、畢竟、自己の精神中に幽霊を宿すにあらんか。ゆえに、いにしえより、「変化は子供にかなわず」との諺もあるぞかし。

 天狗の説

 天狗といえることにつきては、ずいぶん古くより学者の著書中にも記載せられ、その根元はつまびらかならざるもののごとし。そもそも深山幽谷には奇々怪々の獣類の棲息は疑いなきことにして、人、その奇怪なる獣類を認めて天狗とはなすならんも、現今世間のもてはやすがごとき、人身両翼を備え、高鼻にして長喙鷲爪なるがごときものにはこれあらずして、これらは古人の想像によりて、画工の手に成就せしものたるや疑いなし。しかして、その後の人々はみな、話説、絵画において天狗をばたやすく想像し得るゆえ、山深く谷幽かなる所において幻覚妄覚を起こして、天狗に邂逅するものも多からん。ただ、なかにつきて天狗とともに名山大川を䟦渉し、あるいは従って文字を習いしなどいうごときは、一見奇怪なるもののごとく、全国に通じてその例をも往々聞くところにして、かつ、その多くは小児においてこれあることなるが、畢竟、これらは、もし道にでもふみまよえる等のことあるときは、一時精神の狂態を呈してしかるならん。すなわち、夢境に入り、あるいは幻覚を起こし、はなはだしきは妄覚を生ずるに至るならん。前講に述べし夢の変形のごときものならんか。すなわち、先入の意識より夢を起こししを、己、実践せしかのごとく感ぜしものと考えらる。

 左の例話は維新前の話ながら、明治の初年まで存命せりという一話あり。そは、阿波の国貞光村に生来白痴同様の者あり。一日飄然として天狗のもとに遊び、書字および擊剣の技を学びて家に帰れり。爾後、日夜を選ばず庭前の立ち樹に向かいて擊剣を試みしが、ついに大いに熟達せり。自らはいえらく、「これ、天狗のわれに授けしところなり」と。これより、両技ともにすこぶる造詣するところありて、名声四近に聞こえしかば、ついに徳島藩主に召されて擊剣の師となれり。人あり、これに妻帯を勧む。某曰く、「天狗、かたくわれに妻帯を禁ぜり。ゆえに応ずるあたわず」と。されども、人の再三再四強うるに及び、やむをえず初めて妻を迎えしが、これと同時に擊剣および能書の技術を失して、ふたたび従前の白痴に帰せしという。

 かくのごとき例は、人々の最も奇怪とするところなれども、もし心理学上より考うるときは、これを説明することを得べし。すなわち、右の擊剣および能書のごときは、精神上の一時の変動より生ぜしものにして、某は当時必ず自ら天狗を妄見し、これによりその術を伝授せられたる夢境を現ぜしならん。爾後、一時精神の変動によりてこの二術ともに大いに発達し、また曩日の白痴にあらざるに至りしも、もとこれ一時の変態のみ。しかして、その妄見せし天狗が妻帯を禁ぜし一言と、その伝授せし技術とは、相連帯して己が記憶内に存せしをもって、いったん妻帯してその禁を犯ししことを覚知するときは、また精神上に一大変動を起こしきたりて、これと連帯せし技術までも、にわかに退歩するに至りしならん。かくのごとく、一時の変動によりて得たりしものは、また一時の変動によりてもとに復しやすきものにして、すでに妻帯の後はこのことつねに己を責め、わが術はかつて天狗より授けられしものなりとの信仰心を破るに至らば、これと同時にその芸能をも失うべきこと、自然の理というべし。ゆえに、かかる現象は心理上、種々の作用に照らして考うるときは、またあえて奇怪となすに足らざるなり。

 思想の専制

 精神病につきては、思想の専制といえることを講ぜざるべからず。されど、当今の医学においては、病理学、生理学、および経験等よりこそ論ずれ、心理学上よりはこれを論ずることあらざるも、ぜひこれらは一面、心理学上より論ぜざれば不可なり。吾人の精神がある一点に集合して、他の精神がことごとくこれの指揮を受くるを専制と名づく。本来、精神は、多く使用するところのもの、あるいは非常の感覚によりて得たるところのものは、またはなはだ明亮にして、これに反する不明亮のものは不確実なるものなり。ゆえに、日々相接する人々の氏名は深く記憶に存すれども、疎遠なる人の氏名の不明亮なる、かの外国語の学び難きも、この理によるなり。されば、いかなる人も自己の氏名を忘却するものはあらずして、暗黒なる室に困臥する眠中の人にても、自己の名を呼ばれたるもののまず目ざむるがごとき、その例なり。されど、あまりに泥酔するときは、己の姓名すら失念することのあるものぞかし。先年、徳川公爵家において旧臣を会し園遊会を催せしに、三人ほど熟酔してその場に倒れ帰らざりければ、人々、その宿所へ送り帰さんとて住所氏名をたずねしも、忘却して確答しあたわざりしという。

 総じて、観念のなかにつきてその力の強弱はあるものの、それらのものが互いに相均勢を保ちたる上に、必ず中心というものの出できたるは普通のことにして、ある特別の場合には一点においてのみ中心を作り、他の観念がことごとくこれに指揮せらるることあり。これ、いわゆる専制にして、精神病者の普通の人と相異なるは、すなわち思想の専制を作るにあり。例えば、物をはかるに尺度の異なるがごとし。ゆえに、精神病者よりわれわれを見れば、また、われわれが精神病者を見るの感あらん。これ、中心に相違あればなり。

 偏狂は少しくこれと異なりて、単にある一事においてのみ専制をきたすなり。その例として、さきに掲げおきし東京の洋服屋の話などにつきても、豊川稲荷を防ぐために、ゴムの衣服を着け、金の帽子をいただき、その身体中へ進入を防ぎ、かつ、稲荷を銃殺せんと欲するも、単発〔銃〕にては到底その目的を達するあたわざるなりとて、銃砲店につきて連発〔銃〕を注文せしに、その注文に応ずるものを製造するときは、その価、極めて高貴にして数百金を要するがために、いまだ製作せずといいおれり。これらは、ただに豊川稲荷の一事においては専制作用を起こし偏狂にかかるも、その他においてはかつて異状を呈することなし。しかるに、事々物々相会するものごとにつきて偏狂を起こせば、これ純然たる精神病者なり。しかしてここにまた、専制を起こせば非常なる怪力をあらわすことあり。先年、陸軍省にて、兵士の中にて思想の専制を起こしたるものが、ある大石を動かせしことありしが、後日に至りて再び試みしめしに、しょせん、動かしあたうべきものにあらざるものなることを発見せりと。右らの例につきて考うるも、精神がある一点に集合するときは、常に異なりて非常なる強力をあらわすものたるや明らかなり。専門家のその事業に対して異彩を現すがごときこれらは、数理上まさに、かくのごとくなるべきのことたり。左の図につきてこれを見よ。

 精神界を百なる数をもって表し、これを五等分し、各二十ずつとせんか。しかるときに、この心界は、教育経験の結果により、経済的利用法をもって融通運用することを得べし。すなわち、第二図、第三図のごとし。これ、百なる総数にはかつて増減なきものと仮定して、ただ、その数の中において、かれに減じてこれに増加する、いわゆる専門家の能力の、その一事に発達することを説明するに十分ならん。ゆえに、前図の示すがごとく、心力の一方に集合せらるるの結果、他の方面においてはかえってその心力の割減せらるるは、勢いのやむをえざることなり。今回も相川鉱山の選鉱場において、女工の鉱石を類別する鑑識には実に感服せり。これ畢竟、精神これに集注せるがためのみ。両替屋にて手代を雇い入れし初期は、純金のみを一週間も目と手とに慣れしむるときは、贋物をばただちに見いだし得るに至ると。神経病者の格外なる動力をなし、または暴飲暴食をなすは、狐狸の所為にあらずして、身心の全力をその一点に集合せるの結果にて、火事場に臨めるときのごとき道理なり。東京にて十二カ月の餅を二年食せし人ありて、自ら題して曰く、「一年夢のごとくまた一年」といえり。また、余が在所にて餅を多く食せし後、善光寺まで中途食事することなく、兼行にて往復せりという人あり。ずいぶん多食の人も、世にはこれあるものにこそ。

 ここに精神病者の通常人との差異を挙げんに、病者といえる人は固着して、通常人はその一時にとどまるものなれども、囲碁に熱心なる人は外貌やや愚鈍なるがごとき感あるは、これ心力の囲碁につきて凝集せるがためにして、また名手たるゆえんなり。専門家にあらざる人も、酒狂者のごとき夫婦喧嘩の末、一時の怒りに任せ、その妻を殺し後悔せしという例も、世間往々これあることにして、人によりて多少強弱はあるものの、精神の一点に凝集することは免れ難きことにして、癲狂者はただ永続し、その他の人においては一時にとどまるの差あるのみ。世に奇人と称せらるる人はこれ偏狂者なれども、この偏狂、かえって世を利すること僅少ならず。もしまた、世を益するにおいては、だれか目して狂者といわん。いにしえより称する異人、豪傑は、一種の偏狂者とみなして不可なからん。物〔荻生〕徂徠の門人、ある年の元旦早々年始の礼に赴きしに、先生元旦なることを忘れ、ただちに議論を始め、ついにその日は祝詞を述ぶるの機なくして立ちかえれりという。ゆえに、奇人伝などをひもとかば、偏狂集を読むの感あり。

 されば、精神病者なるといなとの界線を画することは、はなはだ困難なることにして、先年長州の人にて、二十歳前後の倅を携えきたり医師に診察せしめしに、病者にあらずとて治療を与えざりければ、なにとぞ良き方案もなきかと余をたずねられしが、これは意力の衰弱して判断力の欠乏せしものにて、余はこれを病者と認めしことあり。

 狐憑きの説明

 狐憑きを分かちて狐惑、狐憑きの二種とす。佐渡には狐のおらずして、狢のたぶらかすといいはやすめれど、日本全国に通じては、狐惑、狐憑きをもって多しとす。ゆえに、余の説明もまた狐惑、狐憑きにつきて講述せん。

 狐惑とは、狐がほかにありて人心を左右する力を有すとし、例えば山などをめぐり行くなど、狐憑きは、人身の中に入りきたりて、その精神を支配することを得るとなすものにして、これらはただ内部の精神作用のみにあらずして、その他に原因の伏在せるもの多からん。今、狐そのものが人を誑惑するものとなすときは、たちまち種々の疑難起こりて、到底、説明すべからざるに至る。今、それを左に挙げんか。

 第一 動物中には狐より怜悧なる動物、猿、象のごときは、今一層巧みに人を誑惑すべき理なるに、ひとり狐狸の属のみ人間を魅すというも、いかなる故なるか。進化論によれば、猿が人間に進化せしにあらずして、その祖先を等しくして、その進化の方向を異にせしものなりといえり。世俗の俚諺に、「猿は人間より三本だけ毛が不足せり」というも、これは人間に近似して、知ありというの評語ならん。

 第二 西洋にては同種類の狐狸のすめるも、あまり狐惑、狐憑きのことを説かず。しかして、シナ、日本等においてのみその説の行わるるは、いかなる故ぞや。

 第三 従来、狐狸の人を誑惑するをみるに、こは一般の人にはあらずして、必ず知識に乏しきか性質臆病なるか、または酒類に酩酊せる人々なり。また、上等に位する人より下等の人民、男子よりは女子に多きは、これ疑うべきの一点なり。

 第四 狐狸は人間を自在に左右するの力ありとせんか。他の猛獣といえども、これを自由になすべきはずなるに、かえって他の猛獣の餌食となるはいかん。また人間にとりても、狐狸が猟者の手に捕獲せらるるがごときも、同じく解し難きことならずや。

 第五 従来、狐狸の人を誑惑するを聞くに、朝および日中には少なく、夕および夜間に多く、また夜間にても月明のときより暗雨の節に多し。また、人煙多き村落にみずして、寂寞たる山中または社、墓地等に多きも解し難し。

 第六 狐惑、狐憑きのごときことは、未開の時代、不文の地方に多くして、教育普及し、人知進みて人々の事理を解するに従い、漸々減少するはいかん。

 第七 下等無知の人民の中にても、三、四歳の小児、または生来の白痴にして毫末も事理を解せざるものは、魅さるることなし。もし、狐狸は男子より女子、有知よりは無知の人をたぶらかしやすきものとせば、小児、白痴のごときはもっとも魅しやすかるべき理なるに、かえってこのことなきはいかん。

 第八 狐狸の人に憑付したる場合には、その人の言語、挙動は平常に異なることありといえども、しかも吾人の記憶に存し、談話に聞けるか、あるいは平常経験したることのほかは言行に発することあたわずして、その知識相応の挙動をなすは、これ疑うべき点なり。もし、狐憑き病者にして、西洋交通の前にありて西洋諸国の事情を知り、洋学の渡来以前にありてその文字を書せしことあらんには、これ真に不可思議なりといえども、今日までの狐憑き病には、かくのごときことありしをみざるなり。

 以上列挙したるところによりて考うるに、従来の狐狸の誑惑または憑付なるものは、学識あり勇気ある人、あるいは狐狸はかかる魔力を有すとの記憶なき幼児、白痴等に見ることを得ずして、愚昧者、臆病者、泥酔者にして正気を失いし者、または山路に彷徨せし者、ことに狐狸は人間を誑惑すとの記憶ある人等に限れるは、これ学術上の説明を要する点なりとす。

 狐狸が人心を左右する神通力を有するかのごとくいえども、これ自ら招くものにして、愚民、女子のごとき、思想の単純にして情の動きやすきもの、性怯懦なるもの、ならびに従来の伝説、談話等によりて誑惑、憑付のことを記憶したるものに限れり。その故いかんとなれば、思想の単純なるものは、ある一種の観念に思想を集合せんことやすく、性臆病なるものは、観念の連合弱くして、これまた心力の一点に集合しやすきものなり。しかして、旧来の伝説、談話等にて、誑惑し憑付せし事実を記憶するときは、この記憶に思想集合し、これを中心として意識を組織するがゆえに、一挙一動みな、その記憶の命ずるがままに作用するや必せり。かつ、すでに狐狸の記憶が意識の中心となりたるときは、これと連絡せる種々の観念、心象、同時に起こりきたりて、あるいは狐狸の欲する食を求め、またはその仮声および挙動を呈するに至るものにして、みなこれ、自然の連合より生起せるところの現象なり。

 ゆえに、狐狸の神通にあらずして、精神の不可思議力によりて招くものにして、人間の精神の霊妙に帰着するものなり。これによりてこれをみれば、動物が決して人を誑惑しあたわざるや必せり。されば、自己の精神さえ確固たれば、いかなる時にいかなる場所を過ぐるもまた、誑惑さるるのおそれあることなし。されば、誑惑は一つの発狂にして、これあるがためには一つの信仰、すなわち狐は人を魅すものなりとの迷信あれば、精神の中心点これに集合し、しかるのち幻妄の両覚これに伴い、真にしかるがごとく感ずるものなり。

 狐憑きには、一分狐憑き、自己と狐との二つが心中に宿るとなすもの、全分狐憑き、全身が狐と変ぜしと感ず〔る〕の二種ありて、第一は二重意識と名づけて、自問自答するがごときこれなり。第二は自己が狐なりと思い定むることにして、いわゆる精神の中心が狐なるものに集合して専制を起こし、ついに一挙手一投足みな狐の所為に変ずるものにして、これ、自己の記憶より喚起するものなり。しかして、これを治するには、中心の一点に集合せるものを散ずれば足るるものなり。今日までは祓とか祈祷とかとなえてなしきたりしが、これも一応道理あることにして、祈祷、祓にて癒ゆるということが記憶中に存すれば、集合せる中心を解散するの方便たるや疑いなし。とにかく、精神を反対の方向にさえ引けば可なり。さはいえ、長日月の間にわたり、習慣、第二の天性をなすに至りては、得てその効を収むべからず。

 以上論ぜるところによりて、心理学上、誑惑、憑付は精神の予期によりて専制を起こし、思想が固着するものとす。例えば、入水は吾妻橋に、縊死は上野の摺鉢山に多くあるがごときは、人、心配なることにてもあれば、記憶中より吾妻橋が専制を惹起し、知らず識らずの間にここに達し、ついに身投げをなすがごとく、なににても縊死場、誑惑場等は一定せるものなり。さて、古来の伝説には、心理学上より説明を与うるあたわざるものあれども、余が先般、材料を全国に募りて収集せしも、ほとんど事実無根または相違等にして、別にめざましき事例を聞かざりき。されば、古来の伝説は信拠するに足るものこれあらざるべし。

 起源

 狐惑、狐憑き談の起源はシナに始まりしものならん。かの国においては、古くより随筆ものなどに多く散見することにして、狐のみに限りしことはいかなる故なるか解し難きことなれども、西洋などにても、狐をもって狡猾なるものとしては、もてはやすめる。

 催眠術(西洋にて降神術と称す)

 神に代わりて人が種々の吉凶禍福等を予言するは一種の催眠術なり。これを心理学上より説明せんに、前章に説きし狐憑きと同一理にして、神なる観念ありて、その神に関するその他の観念が常には一観念となりおらざるも、神を信ずるのあまり、神なる一点に中心が集合し、その神に関するその他の観念も、連絡を通じてこの点に集まりきたりて、常の愚鈍には似気なく怜悧となるものとなり、いろいろの答えをなすを得るに至る。これ、心より迎うると、外部にもこれを呼び起こすの事情あるとによりて、一時精神の変態になるものなれば、少時にして復旧するものなり。かく場合に当たりて不知の事柄を予するは、果たして不知たるかいなやは確固たることにあらず。されども、精神のかく変態を現せしときには、微力なる記憶も大勢力を現出することは、下女にして論語を暗誦しおりしがごとき、いつかこれを聞きしことあるものが、ある一点に集合して強力をあらわすものにして、今までは英国語等の洋語を語りしものは聞かざりしも、爾後にはこれをも談話するものあるに至らん。人生、一生涯中において見聞することは数多きことなれども、確固たる記憶に存することは、また案外に少数なるものなり。

 従来の予言なるものを聞くに、予言者その人の知識以外のことは決して答うるあたわず。ゆえに、少しく混雑せることは得て聞くあたわざれども、日常に比較しては幾倍の知識あるがごとく思わるれど、これ、精神の集合作用の結果にほかならず。

 催眠術

 催眠術は近来の発明にして、降神術などいえることは、古くより西洋などにも行われしことなり。催眠はねむるのみをいうにあらずして、人為によりて人の精神の状態を一変して偏狂の状態に転じ、精神は醒覚しおるも幻境に入らしめて、他人の指揮のままに動作するものなり。

 その方法に至りては、西洋にては多く儀式的に行わる。まず該術を行うには、ある一点を凝視せしむるをもって第一着とす。しかして、学識あり信仰心なき人には行われずして、朴訥なる信仰心あるものにおいて行われ、かつ、己まず信じて、しかるのち人に及ぼさざるべからず。先年、馬島東白氏は斯術を治療上に応用して試みられしが、氏の顔面は一見斯術の行われやすき相貌なりしゆえに、その居室に入るやいなや、該術に感ぜしものありという。熱海にて氏の実験を目撃せしが、氏は式を用いずして、ただその面を向かい合わすのみなりしが、最初は睡眠の状態に入り、ついに幻境に移る。このときにおいては、水を酒なりとて与うれば、酒なりといいて一口飲みて、辛い辛いと呼びながら口をゆがめ、もっとも不思議なるは、ある事物を仮定し彼に問うときは、ただちにその実物もしくは形容を説明す。幻々居士の該術を行うには、最初キセル頭を磨してその煌々たる一点を凝視せしめて、ついに幻境に入らしめし。人によりて、その感ずるまでの時間および感ずる間の時間を異にす。馬島氏は治療上に応用せし結果は、ただ中症等のものにして、十余年の間屈伸せざりし手足等の、感じおるときの間は自在に運動することを得るのみ。しかれども、斯術はしばしば行うときは、身心にはなはだ弊害を被るものなれば、犯行をつつしむべし。

 元良〔勇次郎〕氏の弟子にて高島平三郎氏といえる人は、教育上に利用せんと欲し、斯術を施しおきてある事実を示し、このことは必ず記憶しおるべしと命ずと。世俗のいわゆる不動金縛りのごときは、この催眠術ならん。

 催眠術は、各観念は醒覚せるも、意力を失いて統括するの力を失い、ために他人の命のままなるに至るものならん。高島氏の研究中、しばしば下婢に行いしかば、後には試みんと思うとともに、下婢は斯術に感ぜしという。被術者と術者の中間に厚板を置き、術者これに文字等を書するときは、よくこれを当つるものなれども、最初にその範囲を定むるを要す。古代の高僧大徳の人々が、よく奇々怪々の事跡を示したるゆえんをば、この術によりて知るを得べし。すべて古代の人は性純樸にして、かつ信仰しやすきものなれば、かかる人々に対して、高僧知識の大徳が奇怪の作用を現じたるは、これ高僧大徳その人の力にあらずして、これを信ぜし人の信仰上より起こりしところの現象なり。換言すれば、これを信仰せし人の自ら催眠の境遇に入りたるものというべし。

 先年、品川辺りにてある宣教師、熱心なる真宗信仰の老婆に斯術を施し、地獄極楽を現じてついに改宗せしめしに、寺僧ただちに幻々居士を聘して、再びこれに種々の現象を示して帰化せしめしという。東京にては、一時斯術の流行を極めしより、ついにその筋より禁止せられたり。

 馬島氏も一時ある名称の下に会を設立し、大いにこれを利用せんとせしかども、好結果を見るあたわざりき。

 鬼火

 鬼火のごときは物理的妖怪に属すれば、中学程度の物理教授につきて研究せらるるも、容易に了解せらるるものにして、火箸をこき、刃を渡るなどは、また一個の技術の熟練によりて行わるるものなり。

 コックリ

 コックリは狐狗狸と書し、その起源は西洋よりきたるもののごとし。明治十七年ごろのこととかや、豆州下田近傍にて、アメリカの帆走船破損したることあり。その修繕のために米国人中、久しくその地に滞在せし者ありて、この法を同地の人民に伝えたりという。そのうち米人は英語をもってテーブル・ターニング(机転術)、テーブル・トーキング(机話術)のいずれかをもって告げたるも、その地の人々英語を解せずして、その名を呼び難きよりコックリの名を与うるに至れり。けだし、コックリとはコックリコックリと傾くを義として、竹の上に載せたる蓋のコックリコックリと傾くより起こるという。これより一般に伝えて「コックリ様」と呼び、その名に配するに狐狗狸の語を用うるに至りしなり。果たしてしからば、この法は西洋より伝来したるものにして、その流行は豆州下田に起こりしこと明らかなり。当時、下田にありし船頭の輩、ひとたびこの怪事を実視し、そののち東西の諸港に入りてこれを伝え、西は尾張または大阪、長崎等に伝え、東は房総または京浜に伝えしや必然なり。ゆえに、その東京に入るも、深川、京橋区等の海辺より始まる。これによりてこれをみるに、先年流行せるコックリは、豆州下田に起因せること、ほとんど疑うべからざるなり。

 コックリの方法は国々によりて不同あれども、まず生竹の長さ一尺四、五寸なるもの三本を造り、緒をもって中央にて三叉に結成し、その上に飯櫃の蓋を載せ、三人あるいは四人以上にて四方より相対座して、おのおの片手もしくは両手をもって櫃の蓋を緩く押さえ、そのうちの一人はしきりに反復「狐狗狸様、狐狗狸様、御移り下され、御移り下され、サアサア御移り、早く御移り下され」と祈念し、およそ十分間も祈念したるとき、「御移りになりましたら、なにとぞ甲某が方へ御傾き下され」といえば、蓋を載せたるまま甲某方へ傾くとともに、反対の竹足をあぐるなり。そのときは、人々はともに手を緩く浮かべ、蓋を離るること五分ほどとす。それより人々のうち、だれにても種々のことを問うを得べし。すなわち、「彼が年齢は何歳なるか、一傾を十年とし、乙某または丙某が方へ御傾き下され」というとき、目的の人三十代なれば三傾し、五十代なれば五傾し、端数を問うもまた同方法たり。その他、甚句おどり、カッポレおどり等、好みに応じて三叉の竹足が調子おもしろくおどるべし。

 コックリは精神作用および物理作用より成るものにして、手は自ら動かさざるつもりなるも、空中に手を置けば自然動くごとく、「どうぞ御傾き下され」に精神を集中し、予期意向によりて不覚筋動を起こし、ついに前述の結果を見るに至るなり。不覚筋動を起こすことは往々これあるものにして、見世物を立ち見するときは思わず立ちあがり、角力見物の力むがごとき、歌好きが人の歌を聞きて細声に嘔歌するがごときこれなり。棒寄せもまた同理なり。

 御釜おどり

 御釜おどりは、維新前は都鄙一般に行われしものなりという。その方法は、児童五、六人相集まりて、互いに手に手を取りて環状をなし、その中央に一人の児童をすえ置き、さて周囲のもの一斉に手を振りて、おどり上がりつつ反復数回、左のごとき言葉を唱うるときは、その中央の児童も、自然に周囲の者とともにたちて跳躍するに至るという。その言葉に曰く、「青山、葉山、羽黒の権現ならびに豊川大明神、あとさき言わずに中はくぼんだ御釜の神様」これ、この語もとより怪物を招ききたるの力なきはもちろんなれども、中央の児童のおどりあがるは、これ、全く周囲の者の挙動を見て自らこれに感染し、反射作用によりて運動神経を促し、知らず識らず同一の挙動に出ずるものなり。

 占い、マジナイ

 近時、高島嘉右衛門氏等の唱導して、大いにその流行を極むるものなれども、元来、易は学理として、哲学としては高尚なるものにして、ただに人心を決定せしむるにおいて、その効を見るのみならんと思為す。道理の上においては、吉凶禍福を判断するものにはあらず。高島氏は実験上よりきたるといえども、予をもってこれをみれば、心理学上、予期意向よりきたるものにして、易の占いが先見を有するにあらずして、易を信ずるよりきたりしものたるを考えざるべからず。例せば、勝軍を占うがごときこれなり。ゆえに、易において精神作用よりきたるものを除去するにおいては、未然の吉凶禍福が前知さるるものにあらざること明らかなり。五行の占い、干支の占い、九星、天源等、みな学理上においては、決してさることあるべき理なし。これらもみな、精神作用よりしかるものにほかならず。過去のことは予期せざれば、かくと断言すべきものにもあらず。されば、余に面して功を奏したるものなし。もし、適中するものにおいては、なんらかの事情を混交せざるはなし。

 上来、縷々講述せるも、世間一般の妖怪は、一面は物理の上より説明せられ、一面は心理的精神作用に帰するものにして、研究の結果、帰着点は奈辺にあるかといえば、ついに吾人の精神の妙用なることを感ずるのみ。されば、以上の妖怪は心そのものにつきて説明を与えしなれども、心そのものに至りては、到底、心理学上においても説明を与うあたわず。生理学、病理学等においては物質上より、理化学においては有形より説くのみにとどまり、無形のものに及ぼすべからず。されば、生理学も脳の内部の作用に至りては、かつて説明を与えず。ゆえに、精神病者を病院において取り扱うは、単に保護すというに過ぎず。これによりてこれをみれば、奇々怪々は妖怪を製造するものなり。しかるに、人の心ほど奇々怪々なるものはあらず。ゆえに、人心をもって蓋世の大怪となすべし。今、心の作用につきて考えよ。語るも不思議なり、話すも不思議なり。生理学上、これを筋肉の働きとなせども、かくなすはまた不可思議なることにあらずや。ゆえに、宇宙間の大妖怪をもって人心となす。今、これを「倫理学講義」においての表につきて人間の位地を示さば、左のごとし。

 右の表につきて見よ。狐狸は決して霊長たるの位地を占むるあたわずして、ただ霊妙の源は一物に帰して、霊妙の活体を人に至りてひらきたるものなり。しかして一物たるや、ヤソのいわゆるゴッド(神)にあらずして、かえって易の大極に相当するものなり。されば、一物と人心とが大怪たり。

 すべて妖怪を説明するは純正哲学にして、斯学は事物を仮定して進行するものなり。

 今日において最大急務なるは、物に動かされざる確固たる精神をつくるを要す。しからざるときは、自ら妖怪をつくるなり。ゆえに、妖怪は精神の霊妙に至りて帰着すべきものとす。

〔跋〕

 佐渡教育会の決議に基づき、明治三十一年七月二十五日より同八月五日に至るまで、佐渡尋常中学校において第四回夏期講習会を開き、講師として東京哲学館主文学博士井上円了先生を招聘し、倫理学ならびに妖怪学の講述を請えり。聴講会員は左のごとし。

石塚  照  伊藤 隆善  池亀 経蔵  池  文一  石塚 金蔵  池田 又六  石塚 弁司

飯田  要  石井 運平  石塚 郁蔵  岩野 経円  伊藤 円蔵  市嶋恵喜多  幅野 長蔵

羽豆 諦道  林  幾蔵  西郡 久吾  本間 保徳  本間  伸  本間 豊彦  本間藤三郎

本荘 了寛  本間 権平  北条  欽  本間 法寿  本間新太郎  本間 蓮丸  本間 海信

本間 善観  本間 千歳  本間 重平  本間 太応  本間 休応  本間雄二郎  本間 幸蔵

本間 ムラ  逸見 悦運  土居原法雨  長  竜三  長  嘉吉  大畑 元吉  和田 房吉

渡部 森蔵  渡辺 三平  渡辺栄太郎  若林 頼識  若林 亀蔵  川上 金次  加藤 久蔵

加藤 輝吉  金沢 善賢  角谷 治作  上川 寿栄  片岡 貞嘉  神蔵 新一  笠野 典励

金子 糸松  加藤 慶進  河原 作一  川辺 時三  神山 美政  河野 治一  甲斐 源次

高橋 運平  滝川 広為  高須 勇蔵  滝本  喬  玉置由岐丸  玉置  尭  高野 運平

高橋 元吉  高橋 又三  田村 トシ 土屋忠左衛門  長野 覚浄  成瀬 快賢  成瀬 宏宗

中山 東一  長野 三吉  中山 直治  名畑 東作  中山小四郎  中山 一郎  中山 万平

中川 三吉  長嶋 恵市  名畑  斌  植田五之八  植田 儀一  浦本 令一  右近 広吉

野崎 将治  小田切禎輔  鞍立 長健  山本 覚伝  山本 孝作  山本 弘道  矢田  求

山本  忞  山県左一郎  松塚 千竜  丸山 宗逸  松田 与吉  計良 喜作  伏見 諦識

藤本 亀蔵  藤井 小八  舟崎 吾吉  近藤吉太郎  小林 了幢  後藤治郎吉  小嶋 房丸

小鷹坊太郎  小鷹久太郎  小杉 胤次  児玉  茂  近藤 クメ  江口 森蔵  栄畑 弘寛

寺尾 隆冏  浅嶋 季蔵  有馬 種吉  青木 栄作  青野賢次郎  相田 栄蔵  相田 金蔵

藍原 盛長  斎藤 実義  斎藤 元治  佐々木真識  坂田 覚善  斎藤 恵吉  桜井 広顕

佐々木武任  佐藤 諦識  斎川 藤吉  佐々木篤次  酒井 直一  斎藤 松三  佐々木武一

北見与四郎  北見喜宇作  北守佐千代  木村  尚  清原 武雄  菊池 隆伝  三上 理作

水谷 松二  三浦 隆全  清水 磯次  荘司 了観  樋口虎之助  守屋  泰  首藤 了賢

首藤 儀花  (いろは順〔原文のママ〕)

    明治三十一年八月委  員                   

市 橋 長 治   石 塚 敬 一   

羽 田 清 次   綿 貫 清 隆   

藍 原 五三郎