5.勅語玄義

P351

  勅語玄義 

 

 

1. 冊数

   1冊

2. サイズ(タテ×ヨコ)

   182×127mm

3. ページ

   総数:50

   勅語: 2

   題辞: 1

   本文:47

(巻頭)

4. 刊行年月日

   底本:初版 明治35年10月31日

5. 句読点

   あり

       勅  語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン

斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳拳服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

 明治二十三年十月三十日

  御名 御璽

                         井上 円了 講述  

 ここに勅語と題するは教育勅語をいうなり。明治二三年一〇月ひとたびこの勅語の下るや、衍義解釈の書続々世に出でて、その数実に幾十種あるを知らず。けだし勅語はその文字わずかに数百字に過ぎざるも、その中に包含せる意義極めて幽玄深長にして、容易にうかがい知ることあたわざれば、その意を開示して、人に聖諭の有り難くかつ尊きことを知らしめんと欲し、かくのごとき数種の衍義あるを見るなり。しかるに余は積年勅語を反覆丁寧に拝読し、また諸家の衍義を通覧するに、いまだ一書の勅語の深意を開説し尽くせるものあるを見ず。これ余が浅学のいたすところか。誠に畏れ多きことなれども、余は勅語の深意ははるかに諸家の衍義において解説せるものの外にありて存するを知る。愚案するに勅語には表裏二様の意義ありて、世間の衍義は単に表面の意義を解するにとどまり、いまだ裏面の深意に達せざるもののごとし。しかるに余は不肖ながらその裏面の深意の一端をうかがい得たりと信ず。今仮に前者を勅語通義と名付く。すなわち世間の衍義これなり。後者を勅語玄義と名付く。これ余がこれより述べんと欲するところなり。

 無位無官の賎民、これに加うるに菲才浅学の微臣たる余のごときものが、神聖なる勅語に向かい奉り、衍義解釈を施さんとするは、不敬の罪のがれ難しといえども、勅語の結文に拳々服膺の聖諭あるを見て、不肖自ら拳々服膺せんと欲し、まず勅語の文意を明らかに了解するの必要を感じ、反覆丁寧に拝読して、聖意の存するところを誤解せざらんことを期し、広く諸家の衍義を対照して、更に沈思熟考するに、その衍義一として聖諭の玄義を示せるものなきを発見し、自ら確信するところこれを黙止するに忍びず、ここに浅学を忘れ、不敬を顧みず、卑見を世に公にし、もって精通博覧の士に教えを請わんとするに至る。

 世間の衍義すなわち通義の解釈にては、勅語は忠孝二道をもって眼目とし、神髄とし、骨子とし、いわゆる忠孝為本の道徳を詔らせたまえるものなりとなすも、余はこれ勅語の表面の御聖旨にして、裏面の御深意にあらずと恐察し奉る。その故は、忠孝二道の教えは西洋にはあるいはこれなきも、東洋にありてはシナも忠孝為本、朝鮮も忠孝為本にして、すべて儒道の教うるところはみな忠孝為本なり。インドに至りては忠孝為本とは言い難きも、仏教が世間道としてわが国に伝うるところをみるに、やはり忠孝為本なり。されば忠孝為本の道徳は日本特有の人倫にあらずして、むしろ東洋共通の倫理というべし。しかるにわが国においては古来一種特有の道徳ありて、一種無類の国体を維持しきたりしことは、古今の典籍および事実に徴して明々白々、疑うべからざるものあり。故に勅語の御深意は東洋共通の忠孝為本にあらずして、わが国特殊の道徳を詔らせたまえるものなりとは、余がひそかにうかがい奉るところなり。

 勅語につきて余がいわゆる玄義を述ぶる前に、わが国に果たして一種特有の道徳ありやいかんを考定する必要あり。その文証は数書の中に散見するも、余が特にこの点に意を注ぎたるは菅〔原道真〕公の遺誡なり。

  およそ神国一世無窮の玄妙なるものは、あえてうかがい知るべからず、漢土の三代周孔の聖経を学ぶといえども、革命の国風は、深く思慮を加うべし。

  凡神国一世無窮之玄妙者不可敢而窺知、雖学漢土三代周孔之聖経、革命之国風深可加思慮也、

 このいわゆる玄妙なるものは、万国不通日本特有の点を意味することは問わずして明らかなり。すなわちその意たるや、わが国には一世無窮の国体あり、その国体のよりて起こるゆえんに至りては、実に深遠幽妙にして、シナの書を読み、孔孟の道を学ぶも、到底うかがい知るべからずといましめられたる語なり。これによりてこれを考うるに、わが国には一種特有の道徳あることを推知するに余りあり。また菅公の遺誡に、

  およそ国学の要とするところ、論古今にわたりて天人を究めんと欲すといえども、その和魂漢才にあらざるよりは、その閫奥をのぞむあたわず。

  凡国学所要雖欲論渉古今究天人、其自非和魂漢才不能闞其閫奧矣

とあり。この一章を読みても、わが国に深遠幽妙なる一種特有の道あることをうかがい知るべし。これ余がわが国の道徳は忠孝為本の外に、一種の玄妙なるものありと信ずるゆえんなり。かかる特有の大道あればこそ、特有の国体の存立を見るなれ。国体は果にして大道は因なり。因果ともに特有なりとは、余が平素自ら信じかつもっぱら唱うるところなり。

 このいわゆる玄妙にしてかつ特有なる大道は、古来これをなんと名付けしや。余いまだその名を知らず。もしこれを精神の上に考うれば、一種特有の元気にして、これを和魂または日本魂という。しかるにこの精神が外に向かいて発する場合には、その名をなんというや。たとえばこの魂が皇室に対する場合には、その道をなんと名付けきたりしや。これを単に忠といわんか。忠の名は外国に通ずるをもって、日本特有の道徳を示すあたわず。余はこれにおいてこれに与うるに絶対的忠の名称をもってす。これに対して外国共通の忠は相対的忠と呼ぶなり。相対的忠にありては、忠は孝に対し、孝は忠に対し、忠孝対立するものなるも、絶対的忠においては忠孝相合して一となりたる高遠玄妙の忠にして、その中に相対の忠孝ともに融和して存するものをいう。

 日本魂と絶対的忠とは、元気と人倫との相違、内に存するものと外に発するものとの相違に過ぎざれども、単に日本魂と称するのみにては、日本特有の元気というべきも、道徳とはいい難し。かつその魂の方向いかんによりては、あるいは善ともなりあるいは悪ともなるべきものなれば、その方向につきて人倫の名目を定むること肝要なり。けだしわが国特有の道徳はこの魂が皇室に対して尽くすところの大義名分に外ならざれば、その道たるや一種特有の忠すなわち絶対的忠なること明らかなり。かくしてこの魂とこの道とが因となりて、その果は天壌無窮の皇室の儼然として存するを見るに至るなり。その表左のごとし。

  日本特殊(玄妙)の国体 因 精神上…日本魂

                人倫上………絶対的忠

              果 …天壌無窮の皇運

 これよりわが国にこの絶対的忠の起こりたる事情を尋ぬるに、これに二種あり。その第一は事実上すなわち歴史上に関し、その第二は理想上あるいは自然上に関するなり。

 歴史上にありては、わが国は左の二条において他国と全くその建国の事体を異にす。

  第一は皇室ありてのち人民あり(これを先天的皇室という)。

  第二は君臣一家、万民同族なり(これを家族的団体という)。

 この二条は余がいちいち証明するを待たず。すべて外国にありては君臣の間は異姓異族の結合にして、その別は優勝劣敗の結果より生ず。しかるにひとりわが国は君臣の別は本支の関係より起こる。すなわち本家(皇室)の系統を受くるもの君主となり、分家(国民の家)を相続するもの臣下となる。これ建国以来の常法なり。かれは優勝劣敗なるをもってときどき変動あるを免れず、われは血統相続なるをもって永久不変なり。これと同時にわが国民の皇室に対する感情は、その深遠幽妙なること測るべからざるものありて、到底他国の比をもって論ずべきにあらず。これわが国にひとり絶対的忠の存するゆえんなり。

 つぎに理想上にありては、藤田東湖のいわゆる「天地正大の気、粋然として神州にあつまる。」(天地正大気、粋然鐘神州)云々の句によりても知らるるごとく、わが国は豊葦原の瑞穂国といい、気候中和、土地豊穣、風景秀霊、実に世界無比と称す。かかる天地自然の気象が人心を動かして一種の元気を感発し、善美なる理想を開現して絶対的忠を現示するに至る。その理由はわが旧著『忠孝活論』につきて見るべし。これわが国に一種特有の絶対的忠の起こりたるゆえんなり。

 すでにわが国特有の道徳は絶対的忠なることを述べたれば、これよりその忠は実に勅語の裏面に示したまえる聖諭の深意なることをうかがい奉らんと欲し、あらかじめ左の名義につきて解説するを要す。

  孝とは近く父母に尽くす道のみをいうにあらず、遠く祖先に尽くす道もその中に含む。

  忠とは君主に尽くす道にして、あわせて皇室に尽くす道をいう。

 また絶対的忠は相対的忠孝の相合して一となり、その極まる点を指してこれに与えたる名目なれば、あるいはこれを絶対的孝と名付くるも可なり。今これを証明するに当たり、わが国にありては忠孝相通じて一となるゆえん、すなわち忠孝一致のことにつきて一言せざるべからず。まず忠の上より見るに、忠は皇室に対する道にして、われら臣民はみな皇室の分家末流たる以上は、その忠のいくぶんかはわれらの家にも存するを知るべし。

 つぎに孝の上よりみるに、わが国にありては孝は臣民が皇室に対して尽くすところの道なりと解してもあえて不可なることなし。その故は孝は祖先に対する道なりとの義解によるに、皇室は実にわれら臣民の祖先の家なれば、これに対して尽くす道もまた孝となるべし。かつ日本帝国は一家の眷族をもって組織せる団体なれば、帝国そのものを一家と見るも可なり。もしこれを一家としてその親たるものを求むれば、天皇陛下にてましますこと明らかなり。この親はわれらにとりては実に大いなる親にして、これに対して尽くす孝は実に大いなる孝と称すべし。これにおいて忠孝相合して一となるを知り、あわせて絶対的忠はあるいは絶対的孝と名付くるも不可なきを知るべきなり。

 勅語の通義は相対的忠孝を解説するものなれば、これを相対的釈義とし、勅語の玄義は絶対的忠孝を解説するものなれば、これを絶対的釈義とし、まず相対的釈義を掲げて、つぎに絶対的釈義に及ぶべし。

 

     相対的釈義

 謹んで勅語を案ずるに、表面にありては一編全文これを貫くに忠孝二道をもってし、わが国の道徳はこの二道の外になきを諭したまえるものとうかがい奉るなり。その証は左の数節に考えて明らかなり。

  (一) 我臣民克ク忠ニ克ク孝ニ

 これ忠孝二道の綱目を挙げて示したまえる御ことばなり。

  (二) 爾臣民父母ニ孝ニ(孝)、乃至天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(忠)

 爾臣民以下は忠孝二道の細目を示したまえるところにして、最初に「父母ニ孝ニ」とありて孝道を挙げ、最後に「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」とありて忠道を掲げ、すなわち孝に起こして忠に結び、もって百般の道徳を示したまえるは、全くわが国の道徳は帰するところ、忠孝二道の外になきことを詔らせたまえるなり。そのうち皇運を扶翼すとは忠道を意味する語なること、弁解を待たずして知るべし。

  (三) 是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラズ(忠)、又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン(孝)

 祖先の遺風を顕彰するは孝道なること、また問わずして明らかなり。故にこの一章も忠孝二道を示したまえるなり。

  (四) 斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫(孝)、臣民(忠)ノ倶ニ遵守スヘキ所

 子孫よりその遺訓に対するときは孝となり、臣民よりこれに対するときは忠となるをもって、この一章もまた忠孝二道を諭したまえるなり。

  (五) 「爾臣民」以下「天壌無窮」までの間の各条、すなわち「父母ニ孝ニ」云々

 この各条は広くいえば百般の道徳を示したまえるところなれども、つづめて見れば忠孝二道に外ならず。故にこれを左のごとく忠孝二道に配合するを得べし。すなわち孝を自己と家族とに分かち、忠を社会と国家とに分か

  孝 自己に対する道徳 (一)恭倹己レヲ持シ

             (二)学ヲ修メ業ヲ習ヒ

             (三)智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ

    家族に対する道徳 (一)父母ニ孝ニ

             (二)兄弟ニ友ニ

             (三)夫婦相和シ

  忠 社会に対する道徳 (一)朋友相信シ

             (二)博愛衆ニ及ホシ

             (三)公益ヲ広メ世務ヲ開キ

    国家に対する道徳 (一)国憲ヲ重シ

             (二)国法ニ従ヒ

             (三)義勇公ニ奉シ

ちて、これに各条を配合するなり。

 この表によりて「爾臣民」以下の各条は忠孝二道に帰着することをたやすく領解し得べし。

  (六) 徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ(初章)、咸其徳ヲ一ニセン(末章)

 勅語は首尾ともに「徳」の字を挙げて示したまえるは、忠も孝もみな徳の区分に過ぎざるによる。すなわち徳の樹が分岐して忠孝二道となりたるなり。故に首尾の徳は忠孝二道を意味すること明らかなり。

 以上開述するところは普通の勅語衍義にして、余はこれを表面の相対的釈義となす。しかしてその裏面に深遠幽妙なる絶対的釈義あり。これ余がひとり唱うるところなり。

 

     絶対的釈義

 相対的釈義によれば、勅語全体が相対的忠孝をもって一貫せるがごとしといえども、絶対的釈義によれば、徹頭徹尾絶対的忠孝を示したまえるを見るべし。今ここに謹んで勅語につきて絶対的忠孝をうかがい奉るに、その最も明々白々なる点は「爾臣民」以下の一段にあり。

  (一) 爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

 この結語の「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」は忠を意味すること、前に述ぶるところなるが、この忠は相対の忠にあらずして絶対の忠なりとは、余がひそかにうかがい知るところなり。その証は「以テ」の受け方につきて見るべし。もしこの「以テ」の語は「一旦緩急」以下のみを受くるものと解するときは、相対の忠となるべし、もし「爾臣民」以下の各条をことごとく受くるものと見るときは、絶対の忠となるべし。しかるに実際上ならびに道理上これを考うるに、「以テ」の語が「一旦緩急」のみを受くるの理万々あるべからず。その故は一旦緩急とは国家の危急存亡の場合のことにして、かくのごとき場合は百年に一度か千年に一度か、あるいは千万年を経て一度もなきことなるや知るべからず。故に「一旦」と詔らせられて万一の場合を示したまえるなり。もし「以テ」の語かかる万一の場合のみを受くるとするときは、皇運を扶翼するの忠道は、平常無事の日には無きこととなるべし。謹んで案ずるに、無事の日と危急の日とを問わず、われら臣民は日夜百事につきて皇運を扶翼することを思わざるべからず。しかして危急の日には義勇公に奉じてもって皇運を扶翼し、無事の日には父母に孝道を尽くし、兄弟に友道を尽くし、夫婦に和、朋友に信を尽くし、ないし国憲を重んじ国法にしたがい、もって皇運を扶翼するは論を待たざるなり。故に「以テ」の字は「爾臣民」以下の各条を受くること毫末の疑いなし。すなわち左のごとし。

  平時 孝友和信、恭倹博愛、

     修学習業、智能徳器、

     公益世務、国憲国法、

  変時義勇奉公……………… 以テ皇運ヲ扶翼スヘシ(忠)

 果たしてしからば、皇運を扶翼するの忠道は絶対的忠にして、その中に孝道も包含せらるるなり。換言すれば、わが国の百般の道徳は帰するところ忠道の一におさまるなり。故にこれを絶対となす。

 余はかつて「爾臣民」以下の各条につき、相対の忠孝と絶対の忠との関係を示さんと欲し、己の体躯を絶対の忠に配し、左右両手を相対の忠孝に配し、他の各条を両手の指に配し、逐次指を屈してかぞえ上ぐる便法を工夫せり。そのときには「爾臣民」をもって忠道の意を含むものと恐察し奉るなり。その故は某氏の勅語衍義中、「爾臣民父母ニ孝ニ」の間に「皇室ニ忠ニ」の一句あるべきはずなるに、その語なきは天皇陛下御謙遜遊ばせたまいたるによる、故にわれら臣民がこれに対するときは、「爾臣民」のつぎに「皇室ニ忠ニ」の一語あるものと心得て拝読すべしと論じおるを見たるも、余は別に一説あれば、この論に賛同するあたわず。謹んで案ずるに、「爾臣民」の三字は天皇陛下よりわれらを御呼び掛け下されたる御ことばにして、その御呼び声の中に自然に「皇室ニ忠ニ」の意を含みおるものと信ず。故に「爾臣民」の御ことばの外に別に「皇室ニ忠ニ」の一句あるを要せず。これまたわが国特殊の国風と心得て可なり。すなわちその国風とは天皇陛下の御呼び声がわれら臣民の本心に反響して、ただちに「皇室ニ忠ニ」となりて現るるをいう。この理によりて、余は「爾臣民」の一語まさしく忠道を示すものと心得て拝読するなり。故に「爾臣民」をもって右の手に配し、「父母ニ孝ニ」をもって左の手に配し、以下順次に各条を各指に配すること左のごとし。

  右手(忠)……爾臣民    一  親指……兄弟ニ友ニ

                二  人指……夫婦相和シ

                三  中指……朋友相信シ

                四  薬指……恭倹己レヲ持シ

                五  小指……博愛衆ニ及ホシ

  左手(孝)……父母ニ孝ニ  六  親指……学ヲ修メ業ヲ習ヒ

                七  人指……智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ

                八  中指……公益ヲ広メ世務ヲ開キ

                九  薬指……国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ

               一〇 小指……一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ

 この両手の相対の忠孝が合したる所、すなわちわが体躯をもって「天壌無窮ノ皇運」に配し、もって絶対的忠を表示するなり。かくのごとくかぞえ立つるときは、相対絶対の関係を一層明瞭に了解するを得べし。

  (二) 是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン

 この一章の前句「忠良ノ臣民」は忠を意味し、「遺風ヲ顕彰」は孝を表示すること、前段にすでに述ぶるところなり。しかるにわれら臣民が孝友和信ないし義勇奉公の諸徳を守らば、陛下に対し奉りては忠となり、祖先に対しては孝となり、忠孝両全を得ることを示したまえるなり。この一章を拝読しきたらば、たちまち忠孝相通じて一となり、君主に忠なるは父祖に孝なるゆえん、父祖に孝なるは君主に忠なるゆえんにして、いわゆる忠孝一致の理うかがい奉ることを得るなり。しかして余がいわゆる絶対的忠はこの忠孝一致の極まるところに与えたる名目なれば、この一章は絶対的忠の意を示したまえるところとうかがい奉る。

  (三) 斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所

 この一章の子孫は孝を含み、臣民は忠を表するも、これを合して皇祖皇宗の遺訓に対して尽くさざるを得ざる子孫臣民の本分とするときは、忠孝相合して皇祖皇宗に対する忠道の一となるべし。その忠たるや絶対の忠なること明らかなり。故にこの一章もまさしく絶対の忠を示したまえるところと恐察し奉るなり。

  (四) 最初に「皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」とあり、最後に「朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」とあり。

 このいわゆる徳は皇祖皇宗の定めたまえるところにして、われら臣民のこれを遵守するは皇祖皇宗に対して尽くすべき義務、すなわち忠道なることを示したまえるところなれば、これまた絶対的忠に帰するを知るべし。謹んで案ずるに、勅語全編の御聖旨は、皇祖皇宗に対して遵守せざるを得ざることを示したまうに外ならざれば、これを合するに皇祖皇宗に対する忠道の一に帰するのみ。故に余はこの前後の両章は絶対の忠を示したまえるところとうかがい奉るなり。

  (五) 我臣民克ク忠ニ克ク孝ニ

 余はすでに前数章につきて絶対の忠を示したまえることをうかがい得たれば、この一章の「克ク忠ニ克ク孝ニ」とあるも、また絶対的忠を意味することを知る。けだしさきにすでに述べしがごとく、絶対的忠はあるいは絶対的孝というも不可なきことなれば、「克ク忠ニ」とは絶対的忠を意味し、「克ク孝ニ」とは絶対的孝を意味することと察し奉るなり。あるいは「克ク」の一語まさしく絶対の意を表顕するものとうかがい奉るも不可なかるべきか。

  (六) 「国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」また「世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ」

 この二章中の宏遠、深厚、済美、精華の語は万国に通ずるの意か、あるいは日本特殊の意かを考うるに、日本特殊なることは明々白々青天をみるがごとし。もし万国に通ずる御聖旨なりとうかがうときには、国をはじむること、他国のごとくに宏遠に、徳をたつること他国と同じく深厚なりと解釈せざるべからず。しかるにわが国体たるや実に一種特殊、万国無比なれば、決してかくのごとき道理あるべからず。すなわちこの一章はなにびとも必ず皇祖皇宗の国をはじめたまえること、他国にまさりて宏遠に、徳をたてたまえることも、他国にすぐれて深厚なりとうかがい知るなり。果たしてしかりとせば、そのいわゆる徳は相対的忠孝にあらずして、絶対的忠孝なること明らかなり、また「世々厥ノ美」も相対の美にあらずして絶対の美なり、「国体ノ精華」も相対の精華にあらずして絶対の精華なりとうかがい奉るなり。なんとなれば、相対は他国に通じ、絶対は日本に特殊なるものにして、済美精華はともに日本特殊の美風、特殊の国光を示すところなればなり。

  (七) 教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス

 このいわゆる教育の淵源も、わが国特殊の淵源なること疑いなし。たとえばわれら国民に一種特有の元気すなわち日本魂ありて、古来これを教育の力によりて養成しきたれりと見るときは、その教育もまた一種特有なることを知るべし。教育すでに日本に特殊なるものありとするときは、その淵源の特殊なること言を待たざるなり。しかしてその特殊なる点は絶対的忠なることまた明らかなり。もし仮に教育の淵源は相対的忠孝にありとせんか。誠におそれ多きことなれどもかかる忠孝は日本にさきだちてシナに存し、儒教の手を経てわが国に伝わりしものなれば、忠孝の由来も教育の淵源もともにシナにありて存すと論ずるものなしというべからず。故にその淵源は日本特殊の絶対的忠なりと余が深く信ずるところなり。これを要するに、前章の済美は絶対的忠より生ずる美にして、精華も絶対的〔忠〕より発するところのものなるを知るのみならず、「此レ我カ」のこれも「此ニ存ス」のここも、みな帰するところ絶対的忠を指すものとうかがい奉るべきなり。

  (八) 之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス

 この一章は世間往々万国共通の道徳を示したまえるもののごとくに解釈し、皇祖皇宗の遺訓たる忠孝およびその他の諸徳は日本に限りて存するにあらず、海外万国にも古来ひとしく存するところのものなりと説ききたるものあるも、余はこの一章もとより日本特有の道徳を示したまえるところと恐察し奉るなり。その故は皇祖皇宗の遺訓たるわが国特殊の絶対的忠の大道は、実に美を尽くし善を尽くしたるものにして、これを古代にかんがみるも将来に考うるも、その美は依然として美に、その善はひとしく善にして、すこしもその道の絶対特殊なる点において変わることなきを、古今に通じてあやまらずと詔らせたまい、またその大道はこれを海外万国に施し行うに、いずれの国にてもこの道を不可として反対するはずなく、みなこれを尊重するに相違なきことを、中外に施してもとらずと詔らせたまえるなり。もし中外の一章を通俗に解すれば、施すとは当てはむるの義にして、わが国の絶対的忠は海外万国いずれの国に当てはむるも、なんらの不都合も差し支えもなきことを詔らせたまえるところとうかがい奉るべし。換言すれば、かかる特別の大道はいずれの世、いずれの国を問わず、同等一様に称揚尊重すべき至善至美の道たるごとしを示したまえるなり。故にこの一章は絶対的忠の不変不二の真理なることをわれら臣民に開示したまい、もって拳々服膺すべきことを奨諭したまえる御聖旨なりと恐察し奉るなり。かくのごとく解説しきたるときは、勅語の全文は日本特殊の道徳たる絶対的忠を開示したまえるものとなるべし。これにおいて始めて宏遠、深厚、済美、精華、淵源、不謬、不悖等の深意をうかがい奉るを得べし。

 

     帰  結

 以上すでに勅語に表裏両面、相絶両対の意義あることを開述したれば、これよりその関係を図面をもって示すべし。

 この全圏は絶対的忠を表し、「イロハニホヘ」の半面は相対的孝を表し、「トチリヌルヲ」の半面は相対的忠を表し、「イロハ」の小域は自己に対する道徳を表し、「ニホヘ」の小域は家族に対する道徳を表し、「トチリ」の小域は社会に対する道徳を表し、「ヌルヲ」の小域は国家に対する道徳を表するなり。つぎに

  イは「恭倹己レヲ持シ」を表し、

  ロは「学ヲ修メ業ヲ習ヒ」を表し、

  ハは「智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ」を表し、

  ニは「父母ニ孝ニ」を表し、

  ホは「兄弟ニ友ニ」を表し、

  ヘは「夫婦相和シ」を表し、

  トは「朋友相信シ」を表し、

  チは「博愛衆ニ及ホシ」を表し、

  リは「公益ヲ広メ世務ヲ開キ」を表し、

  ヌは「国憲ヲ重シ」を表し、

  ルは「国法ニ遵ヒ」を表し、

  ヲは「義勇公ニ奉シ」を表するなり。

 もしその全圏を挙ぐれば、「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の絶対的忠を表するものと知るべし。

 この図につきて考うるときは、勅語の表面には一分他国に通ずる相対的忠孝を示したまい、その裏面には日本特有の絶対的忠を諭したまえる次第をうかがい奉ることを得べし。余がかく勅語をうかがい奉る上は、その文々句々みな相対絶対の両義を存するものと信ずるなり。たとえば「徳ヲ樹ツル」の徳も、「其徳ヲ一ニセン」の徳も、みな表面に相対的徳を示したまい、裏面に絶対的徳を示したまえるものとうかがい奉り、「克ク忠ニ克ク孝ニ」も表面に相対的忠孝、裏面に絶対的忠を示したまえるものと解し奉り、厥美にも相絶両対あり、その精華にも淵源にも相絶両対ありと察し奉るなり。しかして相対は他国に通じ、絶対は日本に限ることは前にしばしば〔述〕ぶるところなり。

 この〔絶〕対的忠孝を国民に知らしむるには、いずれの教えが最も適するかを考うるに、ヤソ教の道徳のごとき忠孝をもととせざるものにては、あるいはこの大道を示すこと難かるべきも、ひとりわが国に久伝固有せる神、儒、仏三道によれば、この玄義をあやまることなきを得べし。その故は儒教のごとき忠孝為本を立つる教にして、『孝経』のいわゆる「それ孝は天の経なり、地の誼なり、民の行なり。」(夫孝天之経也、地之誼也、民之行也)等の語は、実に絶対的孝を示し、『忠経』のいわゆる「天の覆うところ、地の載するところ、人のふむところ、忠より大なるはなし。」(天之所覆、地之所載、人之所履、莫大於忠)等の語は、また絶対的忠を示すものにして、これを合すれば絶対的忠孝の一大道となるべし。また仏教にて『尼乾子経』の「君は民の父母。」(君者民之父母)とあるの一句が、事理の二種に解釈するを得。すなわち事の父母とは実際上の父母を義とし、理の父母とは道理上もしくは比喩上の父母を義とするなり。しかして理の父母は万国に通じ、事の父母は日本に限るべし。その故はわが国に限りてわれら臣民は皇室の分家末孫なれば、皇室は実にわれら父母の家にして、天皇陛下は真にわれら臣民の父母なること疑いなければなり。つぎに神道はいうに及ばず、故にわが国特有の道徳たる絶対的忠孝の大道を伝うるには、神、儒、仏三道が最も適すること明らかなりと知るべし。

 以上、畏れ多くも勅語の玄義を開陳してこれに至る。われら臣民たるものはこの特殊の道徳あることを深く心頭に銘じて、一日も忘るべからず。わが国が他国に対して誇り、他国がわが国に向かいてうらやむところも、またただこの絶対的忠に外ならざるなり。しかしてその結果が万国無比、天壌無窮の皇室国体を開発するに至るを知らば、われら臣民は聖諭の深遠幽妙なるを思い、日夜拳々もってこの大道を己の身に遵守せんことを、かつ祈りかつ願わざるべからざるなり。ああ、余のごとき浅学菲才、これに加うるに微賎の臣民が、僭越を顧みず、かかる神聖なる勅語に玄義を付するは、実に恐懼の至りにして、不敬の罪けだしのがるるところなかるべし。

 

   以上は余が本年度哲学館夏期講習会における講義の草案にして、今これを世上に公にしたるは広く先輩の知識およびおおかたの君子にただして、謹んで訂正を加えんと欲する微意なり。