6.教育総論

P373

  教育総論 

 

 

1. 冊数

   8回に分けて講義録に掲載

2. サイズ(タテ×ヨコ)

   220×147mm

3. ページ

   総数:80

   本文:80

4. 刊行年月日

   哲学館講義録 第6学年 2号(明治25年11月15日),5号(12月15日),9号(明治26年1月25日),11号(2月15日),15号(3月25日),18号(4月25日),22号(6月5日),34号(10月5日)

(巻頭)

5. 句読点

   なし

6. その他

   (1) 筆記者は本間与吉(館内員)。

   (2) 本書では「季候」「副似」などのあて字と考えられるものがあったが,原文のままとした。

                    文学士 井 上 円 了 講述  

                    館内員 本 間 与 吉 筆記  

   本講は教育総論というといえども、世間普通に説くところと区域および部類を異にし、もっぱら通常の教育書において講ぜざるところを述ぶるをもって、教育余論という意味をもって見るべきものなり。

 

       緒  論

 本講は便宜のため、左の四段に分かちて逐論すべし。

  第一段 学科

  第二段 目的

  第三段 種類

  第四段 方法

 右各段を説明する前に、教育はなになるかを簡単に述べんと欲す。教育とは人が自然に備えてある性質を開発発達せしむるものにて、原語にてエデュケーション(Education)といい、ラテン語のエデュコー(Educo)に出でて、「導く」また「引き出す」の義なり。たとえば樹木の種子より発達するがごとく、種子中含有するところの性能が開展発育して根幹枝葉を生ずるに同じ。種子はすでにこの性能を有するが故に自然に任せおくも発育せざるなしといえども、これに人工を加うればなお完全に発育するがごとく、人の性能もすでにその元初に含有するところなるをもって自然に放任しおくも多少発育せざるなしといえども、これが方法順序を定めて育養すればなお完全なる発達を遂ぐるを得べし。しかれども世人ともすれば教育を尊重するのあまり、人は教育を施さざれば少しも発達せざるように考うる者あれども、これ決してその理由あるべからず。前に述ぶるがごとく、人は樹木の種子におけるがごとく本来性能の元素を固有するものなるが故に、いやしくも生まれてこの土地山川の間、社会人衆の間におる以上は、人の手を下して教育せざるも、自然に四囲百般の事情の育成を受けて、その元素がいくぶんかの発達をなし得るものなり。また、ある論者は人に同一様の教育を施せば同一様の人物を作るを得べしと思惟する者あれども、人はその形のいかなる手段を施すも同一様の形となすあたわざるがごとく、その性質もいかに同一様なる教育を施すも決して同一均等の性質を有せしむるあたわざるものとす。これ遺伝の性能おのおの相異なればなり。

 遺伝に二種あり。(一)に連続性、(二)に間歇性これなり。連続性遺伝とは祖先以来ある性能を継承するものにして、一国民のその気風性情を同じくするがごとき、また同調なる言語を発するがごときこれなり。ひとり性能のみならず体質形相をも父子相遺伝するものにして、世界上諸種の人族がその骨格、容貌、色沢を異にするがごときこれなり。しかるに親の性質体貌のその子に遺伝するに、あるいは父母に似、あるいは祖父母に似、あるいは二、三代を隔てたる祖先に似ることあり。もし一、二代を隔てて遺伝するときは、これを間歇性遺伝という。しかして遺伝の存する以上は、各人の経験は決して同一なるあたわざるをもっての故に、その子の性能またおのおの異なるものとす。教育はその固有する性能を開発するに過ぎざれば、たとえ同一様の方法を施すも、決して同一様の人となすあたわざるは理の当然なり。たとえば学校において同じ習字帖を与え、同じ教師が日々これが筆法を教授するも、大抵似寄りたる書風に至るといえども、決して一〇〇人は一〇〇人まで同一様の字は書かざるものにして、同流儀の字を書きながら、あるいは軟なるあり硬なるあり、あるいは飄逸なるあり沈実なるあり、いくぶんか個々の特色をあらわしおるのみならず、またおのおの一家相伝の筆法を示すものなり。かく父祖の性質技能が子孫に遺伝するものなるに、豪傑の子に暗弱なる者あり、愚昧なる者より賢良なる者を生ずることあり。すなわち遺伝の規則はある場合には例外を生ずることあるがごとしといえども、これいわゆる間歇性の遺伝なるものにして、数代を間隔し数十年を経過して、しかして後に発顕するものなり。病のごときも、その父母や祖父母にあらざる数代前のものを発顕することあり。癩病のごときはこの間歇性遺伝によりて発顕するもの、往々これあるなり。人に野蛮の性質あり猛悪の気風を有するは、やはり間歇性遺伝によりて数千年前の野蛮時代の遺風を性質上に発顕するものなり。かのフランス大革命のときのごとき、人の野蛮時代の遺伝性を発顕したるものなりという説あり。

 右述ぶるがごとく、遺伝とは連続性の外に間歇性のものあるが故に、いついかなる事情によりてその数代前の英質を発顕するやも計るべからざれば、教育はなるべく普及して、なるべく多数の人を育成せざるべからず。深山幽谷の間にある村落には、かつて数十百年前に由緒ある門閥や、あるいは時にいれられざりし豪傑の落ちきたりて子孫を残せし所も往々これあるなれば、幸い文明の今日に及び教育の誘導により、その数代前の英質を発顕して有為卓抜の人豪の起こらざるものにもあらざれば、山陬水奥といえども、事情の許す限りはあまねく教育を施さんことを要するなり。

 

     第一段 学 科

 本段において弁明すべきは、教育は学なるか術なるかのことこれなり。そもそも学とは理論によりて道理を発見するものにして、術とは学理を事実に応用して効果を生ぜしむべき手段方法なり。しからば教育はなになるかというに、術なりと答えざるを得ず。すなわち心理学上の原則を人性の発達上に応用するところの手段方法なり。しかして社会が教育の必用を感ずるの度ようやく増進するに従って、これが手段方法を講ずることもいよいよ綿密となり、ついに一科の系統組織をなすに至り教育学の名初めて起こる。これ実に近代のこととす。その系統組織とはいかなることぞというに、心理の原則を人性の発達に応用してその効果を生ぜしむるには、いかなるものがこれが適当なる効力物なるか、その効力物をばいかなる年齢にはいかなる性質をもって適当とするか、かつこれを与うるにはなにほどの分量をもって適当となすか、またいかなる場所といかなる時間とをもっていかなる順序によりてこれを施すべきや、このほか教育は人性をいかなる辺まで発達せしむるに堪ゆるものなるか、また社会の必要上いかなる点まで発達せしむるを要するか等を研究するものなり。これ教育学の本部とするところにして、これにおいて教育学もまた一科の学問なりといわざるべからず。しかしてその学問は心理学に比するに応用学なり。すなわち実地応用を目的とする学問なり。もしこれを歴史上よりその変遷発達を講究するときは、これを教育史すなわち教育発達論というべきものなり。故に教育には、教育学として講究すると、教育史として講究するとの二部門ありと知るべし。なお純正哲学を歴史上より研究すると、ただちにその性質問題の上に研究するとの二種あるがごとし。

 

     第二段 目 的

 教育において目的と立つるものに二種あり。(一)には一個人としての目的、(二)には社会の一人としての目的これなり。浅くこれを見れば、教育はただ一個人の知識道徳を開発するがごとしといえども、深くこれを考うれば、更に社会と相関係せる一目的の存するを知るべし。そもそも教育の世の中に成り立つは、社会の存立してあればなり。もし世界に一個人のみ孤立するものならば、教育ということは必要もなく、また成り立つべきいわれなし。しかるにその成り立つは、人々社会を成し互いに共同分業の関係を有すればなり。これを狭くいえば一家族相互の関係あり、これを少しく広むれば一町村の関係あり、ますますこれを広むれば一郡一県より一国一社会と相互の関係を有するなり。すなわち吾人の衣服、食物、住居より政治法律に至るまで、その安全に生命を保ちおるゆえんのもの、みな社会の供給を受用せざるなし。換言すれば、吾人は社会の存立しおるがために成り立つところの活体なり。故に吾人はただ利己のみの心ありて一意これを達せんとするも、かえってその目的を達するあたわず、社会のために尽くしつつ己の欲望をも達することをはからざるべからず。故に自己を発達せしむると同時に社会をも発達せしめざるべからず。かの道徳において自己に対する義務と社会に対する義務との二種を説きかつこれを勧むるゆえんは、これがためなり。しかれども、この二つの目的は全然相隔つものと思惟すべからず。畢竟二にして一、一にして二なるものなり。なんとなれば、一人ずつを次第に離してみれば国家社会なく、また国家社会を離れては一個人の成り立つべき理由なく、個人と社会は一と一〇〇とのごとく相まって相成るものなり。しかれども、社会の利益と個人の利益は間々撞着することなしとせず。たとえば国家危急のときに難に走りてこれに死するは、一個人にとりては不利なるも社会にとりては利益なり。また、鉄道を布設するに大切なるわが田園を取り上げらるるは、われにおいて不利なるも社会においては利益なり。さりながらこれは直接上の沙汰にして、間接には国家社会に利なることはめぐりめぐりてわが利となり、その不利なることもまたわが不利となる。すなわちわが身の難に死することを惜しみてひそかに遁逃するも、みなこのようなる心掛けをすれば、戦破れ国辱められ、ついには他国の虐政にあいて、その身の生命財産を保つあたわざるに至る。またわが田園の取り上げらるを惜しみてこれを拒めば、わが田園の収穫物を早く需要地に運搬することあたわざるなり。故に人はその一個人としての発達を企図し、その利益を遂ぐべきはもちろんなりといえども、また一方には社会の発達を補助し、その幸福を進めざるべからず。すなわち教育において、この二個の目的を有せざるべからず。

 それ目的ということは、吾人が未来に対するところの希望なり。しかしてその希望はいかなるものを体となすべきか。およそ目的といえば、必ずこれが体なかるべからず。たとえば仏教において目的の体とするところのものは、仏となることこれなり。教育において目指すところの目的体はいかなるものぞといえば、吾人が今日のありさまは決して完全なるものということを得ず、故に目的とするところは、なるべく完全なる人物となることこれなり。しかるに前にも述べたるがごとく、すでに遺伝上の差等あり、不完全なるところあるものなれば、決して完全なるものとなることを得ざるがごとしといえども、なお次第次第に進歩せしむべき道なしというべからず。なお玉をみがくにはどこまでみがけば限りなりということなきがごとく、たとえそのもとは不完全なるものなるも、漸次に改良しつつ進めば、人間の発達上に限りあるべからざるなり。これを宗教上よりいえば、ヤソ教のごときは神の命令にさえ従えばその目的を達すべしというも、教育上にてはかかる漫然不確実なることにては、今日開明の人間に承知せしむるを得ず。故にここに宗教を離れて理想的完全の目的を立て、これを目標となさざるべからず。かの仏教にて成仏を目的として仏に向かって進むるは、いわゆる理想的完全の体を目的とするものというも不可なることなし。すなわち理想上において最上至極に完全なる体を想像して、かくのごとき人とならんことを希望するなり。開闢以来の人物中には勝れたる者も多しといえども、みななにほどか欠点なきあたわず。故に理想上の構成を要するなり。ここに理想上の想像と、通俗にいう想像とを区別せざるべからず。通俗に想像といえば、道理に離れたる構成を意味す。たとえば羽翼の生じて天上を飛翔する人とか、全体みな黄金をもって造られたる山とかいうものは、みな道理外の構成にして有り得べからざるものなり。理想の想像とは、各部の組織みな道理によりて成れるものをいう。すなわち完全なる人物というも道理に外れたるものにあらずして、いちいち道理によりて推定したる完全なる人物をいう。しかれどもかくのごときはこの世界中においてもっとも知識の勝れたる人が想像するところの人物にして、実際にては一般の人をしてこの最上至極なる完全の人物を想像せしむるあたわざるなり。しかれども各個人の思想中には、その知識の分限に相応したる理想的人物を構成することを得べし。故にその完全の度は人の年齢によりて異なるべく、智愚によりて異なるべくも、ただ不道理なる想像をなさずして、己より数等勝れたる人を想像するをもって足れりとす。またその理想的人物は、文明の進み知識の開くるに従って今世紀において完全なる人物として想定するところの目的体は、来世紀には不完全なる人物となして更に勝れたる人物を構成することあるべし。かく次第に進みてその究極するところを知るべからずといえども、その一世一代一人において完全なりと考うるところのものは、やはりその一世一代一人において完全なるところの目標なり。故に、ことに教育に従う者はおのおのその思想中に完全なる人物をえがき、これをもって目標となし、わが担当するところの後進を育成して、この完全体に到達せしめんことを期せざるべからず。もしそれ教育者の理想卑小なるときは、その日常行動の後進に示すゆえんのものまたおのずから卑小に陥りて、彼らが志気を高尚にし、期望を遠大にし、品格を上達せしむることあたわざるものなり。

 以上のべきたるところこれを約言するに、教育の目的は、個人のために完全なる発達を遂げしむること、および社会のために完全なる発達を遂げしむること、しかしてその体とするところは、教育者たる者まずその完全体を思想中にえがきて目標となさざるべからざることこれなり。

 

     第三段 種 類

 通常には教育の種類を挙げて智、徳、体の三育というなり。しかれども近年教育学一段の進歩をなせるより、この三育にてはいまだ人性の発育を尽くせるものにあらずとするに至れり。すでに心理学にありて古代は心性を智力と意志との二種に分かちたれども、近世は智,情、意の三種に分かつに至る。かのカント氏、ハミルトン氏等みなしかり。これより以後、心理を論ずる学者大抵これに依拠して、その研究いよいよ精密に赴けり。したがって心性の教練は智、意の二にとどまらず、更に情の一育を加えて心性三能の教育を唱うるに至れり。しかして智の働きは知識に関し、意の働きは道徳に関するごとく、情の働きは美妙に関するが故に、情の育成はこれを性質上よりは情育と称すれども、目的上よりは美育と称するなり。さて美の一育を加うるゆえんをくわしくいえば、もし人の情を高等に進めざれば下等の獣欲を長じ、たとえ智育において精微の原理原則を悟り得ても、私欲の炎発に支配せられてその智をもってたまたま残虐暴戻の業に使用するに足るべく、世間往々智者学者といわるる人にしてよく法網を脱し、あるいは巧みに他人の幸福を奪う者あるは、畢竟情欲の下等なるがためにその智をもってこれが奴役に供するのみ。また道徳は意志に関すというも、未発のとき正情をもってその意志を奨励するようにせざれば、また常に徳義の範囲にその意志を決行するを得ざるものとす。世間往々善にも悪にも強しといわるる相反の二性質を具備する者あり。これ意志の力すでに強く、幸いにその心徳義の方向に動きたるときは、たまたまもって人をして感服せしむべき徳行をなし得るの力を有すれども、常に正情をもってその心を浸しおかざるをもって、いったん悪感情の心面に躍出するときは、あえて不義を遂ぐるにはばからず。否、覚えず知らず非行をなすに至るものにて、その世間に毒を流すこともまた劇烈なりとす。しかして情操は常に智意の二力を調和して善道に誘導せしむべき偉大の功あるものなるが故に、これが涵養をはかるは教育中また重大の事業なりといわざるべからず。しからばその教育はいかなる法によるかというに、情の発達をはかるはひとり智育のごとく書物や講義によりてこれを遂ぐるのみならず、美術なる実物をもってこれを涵養せざるを得ず。けだし人の怨恨憤怒を和らぐるには、美術よりよきものはなし。その心いかるところありといえども、たれか爛漫として喜ぶがごとく笑うがごとき風光に対してその心を解かざる者あらんや、たれか和気洋々たる音楽を聴きてその心をやわらげざる者あらんや。猛獣も音楽によりてその殺気を感化することを得るという。まして感情の鋭き人間においては、これによりてその心を平和にすること一層の効力あるは明らかなり。情育は実に意育と密接の関係を有するものにて、意育のみにてはいまだその徳をよくするあたわざるなり。たとえ強健の意志ありといえども、正情をもってこれを行わるるにあらざれば肝腎にあたるを得ず。しかるに人は少年以上の年齢に至れば大抵悪情の僻習を有し、牢として抜くべからざるに至るものにて、これ習慣の積勢やむべからざるものあるによるなり。しからばその悪僻をふせぐの法はいかにすべきかというに、幼少のときより智、情、意の三育そのよろしきを得るを要す。しかしてその習僻は幼少のときよりすでにその端をあらわしおるものにて、祖先以来の遺伝性これが原因となるなり。しかれども幼時のいまだ固結せざる間にこれを適当に調治しなるべく正情を保たしむれば、また個の善習を得るに至るものなり。しかして幼児に向かいては理屈をもって悪情の悪たるを説くも、分別すること難きが故に効能また少なし。故に智育のみにては教育の目的を達すべからず。もしまた賞罰をもってこれを矯めんとすれば賞罰のみを目的とし、ともすればかえって人性をそこなって猾智を養うに至ることあり。しからばすなわちいかなる法を採用すべきやというに、音楽美術等をもって知らず識らず不言の間にその情を緩和し涵養するの手段をとるをもって最可とす。しかれども過度にこれを用うるは、また人心を軟化するの弊あり。その分量は智意の二育とよく釣り合いを保たざるべからず。これ教育者が運用の妙に存すというべし。ただ教育者が情育において念頭に掛けて忘るべからざることは、人間は高等の情の拡張さるるときは、下等の情欲はその反比例に縮小するものなることこれなり。今一つは、情は高等に進めば進むほどその快楽は平らかにして、かつ久しきに保つを得ることこれなり。本段は智、徳、体の三育をも詳述すべきはずなれども、これらは普通の教育書にことごとく説示するところなるをもってこれを略し、ただ情育について一言せるのみ。

 つぎに少しく右四種教育の軽重を論ぜんに、教育の重しとするところは体育よりむしろ心育の方にあるものにて、身は心の宿る所なるをもって心性発達の完成を助けんがためにこれを強健ならしむるの必要起こる故に、体育は心育の補育というべきものなり。もっともその国の事情によりて大いに身育を重んぜざるべからざることもあるべしといえども、これ特別の場合によるものにて、普通にこれをいえば教育の目的は心育にありて、体育はこれが補位に立つものと解して不可なかるべし。もしそれ特別の場合をもってこれを論ずれば、智、情、意育中、あるいは重きを智に置き、あるいは情または意に置くことあるべし。これその国の情状によりて異なるべきなり。ひとりその国の情状によりてこれを異にすべきのみならず、各児の性質によりてまた取捨せざるべからざるものとす。これらは教師が綿密なる観察と親切なる教養とによりてなし得べきものなり。しかれども教育の理想をもってこれをいえば、各能力はなるべく均斉に調和に完全なる発達を遂げしむべきものなりとす。

 終わりに、教育の各種を彙類すれば左のごとし。

  教育 心育 智育 理育 真を得せしむ

        情育 美育 美を得せしむ

        意育 徳育 善を得せしむ

     身育・・・体育  健を得せしむ

 智力は道理力の教育なればこれを理育というべく、情育は美妙の性情を開発するものなればこれを美育というべく、意育は徳行を習成するものなれば徳育というべし。しかして智育は真を目的とし、情育は美を目的とし、意育は善を目的とし、この三育相進みて真、善、美の三性を完成すべきなり。これに対して身育すなわち体育は強健を目的とすというべし。

 

     第四段 方 法

 方法のことは、教育の意味を解釈するの広狭によりてその範囲に広狭あるものとす。教育は狭くこれを解すれば人為にて行う限界をいい、広くこれを解すれば人の性能を発育するに足るべきものは、その人為と天為とを問わずみなこれを教育中に包括するなり。学校教育、家庭教育の二者は、今日普通の教育者がもって教育となすところのものたり。すなわち狭義の教育を指すなり。道理を聞かせ書物を読ませ、これによりて能力を啓発するは学校の教育の事業なれども、家庭教育の事業は大いにその趣を異にせざるべからず。なんとなれば、児童が余念なく家庭に嬉戯をなしおる時期は、その智力は模倣および想像にして、いまだ推理尋究の力あるを見ず。その情感もおもに体欲上の発働にて、高尚なる情操を有せず、ただたちまちにして喜び、たちまちにして怒るのみ。この場合においての教育は、模倣、想像の能力および体欲を利用してこれを養育せざるべからず。すなわち父母はおもしろき実形実物をもってこれに示さざるべからず。しかるに世間、家庭教育といえば父母が書物を教うることと思うは誤解のはなはだしきものにして、かえってその天性の発達を害するものなり。またこの場合において児童の品行を養成するも、平常の挙動によりて感化するを要す。決して理屈責めをなすべからず。なんとなれば、理解せざる者に向かいて理屈をもって厳責するも、児童は父母が怒れる顔色を見て父母の不満を知るのみにして、その何故になすべからざるを知らざるが故にその効力はなはだ薄く、かえって卑屈心を養成することあり。慎まざるべからず。

 つぎに教育の広義にわたりこれを解すれば、社会もまた一の教育なり。社会教育の学校教育と相異なる点は、学校教育にては教育者の意志をもって目的および手段を定め、これによりて施行するものなれども、社会教育は目的を定め手段を設くることなく、社会自然の情状が人間を感化するものなり。学校教育は目的手段において切実なるの益あれども、その時間および場所に限界ありて、その及ぼすところ小なり。しかるに社会教育は目的手段の切実なるものなしといえども、いたるところその関係なきはなく、その時間も場所もともにすこぶる広大なり。したがってその効果も偉大なるものなり。孟母が孟軻を三遷せしはなんぞ。すなわち境遇の人を感化すること大なるを悟りたればなり。換言すれば、社会は教育の一種たるを知ればなり。古諺に「朱に交われば赤くなる」といい、また「愛しい子に旅させよ」といいたるもの、みな社会の人を感化する力を認めたるものなり。社会を分解すれば、家族の社会あり、親戚の社会あり、朋友の社会あり、一郡一州一国の社会あり、人類全体の社会あり、一家は社会の小なるものにして、人類全体は社会の大なるものなり。我人この間にありて日夜見聞接触するところ、みなわが教育を助くるものなり。たとえ学校に入りて学校の教育を受くる間にても、教師より得るところのものより、同窓の朋友の交際より得るところのものかえって多しとなす。なんとなれば、感化の力は親密の度と正比例をなすものにて、朋友は教師よりも親しみやすきものなれば、その朋友中に人物あればよくこれが感化を受け、また悪しき者あればまたよくこれが感化を受く。しかも小児少年の感化を受くるは、善に化するよりも悪に化することのはなはだ速やかなるものなり。これ幼少の際は五感の欲はなはだ盛んにして下等の情に制せらるるのみならず、悪事をなせば不良の結果を招くことの経験いまだ少なき場合なればなり。寄宿舎のごときは、なかんずくその同窓中の感化はなはだ大なるを見るなり。一室に四人おり、善人悪者半々なるときは、その善なる者は次第に悪風に感化せられて、初めには紀律を守りて謹慎せし者も、ようやくともどもに紀律を犯すに至るなり。しかれども、もし善者三人悪者一人なれば、悪者のようやく自ら恥じて善に移るを見るなり。また一村一郷等においては、大抵の人はその所の世論、風俗、習慣に制せらるるものにして、田舎巡りをすれば相撲好きの多き村、または碁将棋好きの多き村、または淫奔のはなはだ盛んなる郷、または奢侈のはなはだ行わるる郷を見るなり。その郷村の人、あに生まれながらにしてかくも遊戯、淫乱、奢侈の人多きものならんや。その長ずるに及びて知らず識らずその隣人の行うところ、および長者のなすところに見倣い、ついに特別の風習を形成するに至るものなり。これを喫煙家に聞くに、小児のとき戯れにタバコを吹けば嘔吐を催すほどに好ましからぬものなるが、たびたび世人のまねをなして喫煙し、ついに一刻も座右を離すべからざるものになるという。これを推して、社会朋友の感化の力あるを知るべきなり。およそいずれの地方もその地方特有の風あるものにて、たとえば京都の着倒れ、大阪の食い倒れ、堺の建て倒れのごときこれなり。また一家一家においても特別の風儀あるものにて、小児は第一着にその風儀に感化せざるものなり。年長の者さえ悪しき風儀の家に奉公もしくは寄食すればその風儀に感化せらるるものなれば、小児が家々の風儀に感化するは無理ならぬことなり。しかるに世の父母たるもの、自身は永くその風儀によりて生活しきたり、慣習性をなして一向にその悪しき風儀あることを覚えず。したがってその小児に及ぼす影響に対して無頓着なる者、滔々たる世間みなしかるもののごとし。しかして小児がたまたま悪しきことをなせば恐ろしき怒声を発してこれを懲らし、自らは一向に反省せざる者多きは嘆ずべきの限りなり。また小学校等にても各自特有の風儀ありて、知らず識らず生徒の気習を形成す。これはその郷村固有の風儀と、教師の気質と相合して化成したる新風儀なりというべし。かくのごとく境遇によりてその感化を異にするは、すなわち社会的教育の場所に関するものなり。

 社会の感化はまた時代によりて異なるを知らざるべからず。たとえば維新前の人は多く悲歌慷慨の風に傾きたるを見るべく、維新後の人は自由実利の風に傾きたるを見るこれなり。一国一民族がその古来の風俗気習を見るに、時代によりて変遷せること、史上および当時の文学、製造物等によりて推考することを得るなり。わが国民においてはある時代は温雅優柔となり、ある時代は剛毅素朴となり、あるいは風流となり武骨となり軽薄となり乱暴となれり。六、七年前の日本は西洋に偏し、今日の日本は東洋に偏せるがごとし。時風の変遷は、長きは一〇〇年、短きは一〇年なり。精密に観察すれば、年々多少の変遷あり。一部の流行のごとき、はなはだしきは一、二カ月にしてやむものあり。維新前の人が一概に気強き風を持ち、現今の人は一概に気弱き風を持てり。後進のこれに感化するは誠に痛ましき限りなれば、一方においては務めてこの風を矯正せざるべからず。すべて時風に対しては、一概に前代の風に固着して時と推し移らざるも頑僻のそしりを免れずといえども、ひたすらに時流を追いてこれ移り自己の習性を形づくらざるは、また軽佻のそしりを免るべからず。国民は個の定操なく習性なきは、外敵に対して拮抗すの力弱きものなり。かくのごとく時代によりて感化を異にするを、社会上時代に関する教育というべきなり。しかるに世間にては、一定せる人が一定の目的をもって教育する学校教育のみを指して普通に教育と称すれども、この学校教育なるものも、その実は社会教育の一種となして考うることを得るなり。なんとなれば、学校教則および管理の方法のごときは、当時の社会の世論事情に応じて種々に変遷し行くものにして、学校そのものが社会の影響を免れざればなり。家庭教育もその家風または父母が特別の考えよりしていくぶんか他家の風と異にする廉もあれども、その多分は社会の情状に支配せられておるものなり。これをもってこれをみれば、社会教育の範囲はもっとも広大にして、その個人を感化する力、実に強大なるものなりと知らざるべからず。

 学校教育と家庭教育とを比すれば、家庭の方は学校よりも肝要なり。なんとなれば、人間がこの世に生まれ出でて最初の教育なればなり。しかも親子の関係は人倫中において最も親密なるものなれば、この間に行わるる感化は人間一代が有するところの習性の基礎を作るものにして、家庭にてひとたび誤れる教育を受け、よこしまなる感化を受くるときは、強烈なる染料をもって白布を染めしがごとく深くその心情に固着して、学校において幾年間この染班を洗い落とさんとするも、容易に成し得るところにあらざるなり。小児を六、七歳より学校に入るるも、放課後は家に帰るなり。これに休日等を加うれば、年中過半の時間は家にあるなり。その感受するところ、たとえ双方同等の力なりとするも、家庭の感化は学校の感化より多からざるを得ず、いわんやその感化力の強大なるをや。しかるに世の父母はその智徳を養成するはひとえに学校の教師にあるものと心得、学校の方には勉強させんとすれども、自分が尽くすべき家庭教育の方法手段に考慮する者少なし。かくのごとくんば、教師のいかに骨折るも、その知識は育成することを得るも、その徳性の育成は到底その効を達することあたわざるものなり。世の父母たる者、その子を学校に入れてその効果を得せしめんと欲せば、務めて家庭における教訓を慎まざるべからず。小児における徳性の育成は、父母はこれが本職にして、学校教師はただこれを補助をなすものに過ぎずとの考えをもってこれに当たらざるべからず。しかして世の母たる者は、己の感化は父の感化よりも強きものなることを十分に心得おらざるべからず。

 つぎに社会教育と家庭教育とを対比すれば、社会教育は時間と場所においては家庭教育よりも長くかつ広しといえども、家庭教育は最初の教育なるをもって、その範囲の狭少なるに似ずその力極めて強しとなす。しかれども家庭教育の方法は社会の情状より支配さるるもの多き点より見れば、社会教育は家庭教育よりも一段強しというべきか。さりとて家庭教育はことごとく社会教育によりて支配さるるものにあらず。賢明なる父母および厳格なる家庭においては、よく社会の善き流行と悪しき流行とを判別し、もってその志向をして正道順路を歩ましむることを得るものなり。古今、厳父賢母がよく滔々たる社会の悪俗に抗し、その子をして毅然たる丈夫たらしめ、もって撥乱反正、救民治世の大業に尽精せしめたる者多し。畢竟社会教育は自然的にして家庭教育は有為的に行い得るものなれば、世の父兄たる者よろしくその子一生の性質習慣は実に家庭教育においてその過半を成就するものなることを思い、翼々としてその任務を尽くさざるべからず。あに飢ゆれば乳を与え、泣けば菓を給し玩具を持たしむるのみをもって、これを尽くせりというべけんや。玩具を持たしむるにもその方法あり、菓を給し乳を与うるにもまたその方法あるを知らざるべからず。

 家庭、学校、社会三育の比較ほぼ述べたるをもって、なお社会教育の一筋につきて論ぜんに、田舎と東京とにおいて同じ力の教師に就きて学ぶとせんか。東京において学ぶ者は比較的に利口になるなり。これ東京の社会の進歩におるがためにして、平素交通するところの書生朋友における、接見するところの学者紳士における、みなもってわが智見を拡むるの補助とならざるはなく、新聞に雑誌に、田舎におけるよりも早くかつ安くかつ多く見ることを得べし。いわんやひとたび図書館の楼上に登れば古今の珍書随意にこれを読むことを得べく、ひとたび博物館の場内を巡れば東西の異品随意にこれを見ることを得べきにおいてをや。これを山村水廓蕭疎なる風物に接するところの境域に比すれば、その開智の懸隔実に大なればなり。進みて西洋と日本とを比するに、その懸隔の大なる、また東京と田舎とにおけるよりもはなはだし。同じく三年間の修学にしても、その得るところ学校の外よりきたるもの多きをもって、その知識の進歩また著しとなす。一例を挙げんに、日本の博物館においてはその陳列するところ大抵本邦のものなりといえども、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ等の博物館においては万国の品類を網羅せり。三、四年前わが帝国大学にてエジプトのミイラを購入し、諸人珍奇なりとて持てはやしたれども、イギリスの都ロンドンの博物館にては館の一室全くミイラをもってみたし、種々異様のものをその中に見ることを得るなり。イギリスの都中もっとも繁華なる場所に至れば、これ一国の都にあらずして万国の都なりと思わしむ。なんとなれば、ここには屹然雲をつくばかりなる高台大厦軒をならべて聳立するに、これらはみなインド、アメリカ、南洋諸島等の海外諸邦の銀行、会社なればなり。したがってここに集会する商人はイギリス一国の商人にあらずして万国の商人なればなり。これらの一、二をもってみるも、懸隔のはなはだしきを知るべし。この他、推して知るべきのみ。その観察上より得るところはまた大ならずや。社会の影響が吾人を教育する大なるを知らば、社会の改良を図るの必要を知るべし。その悪習汚俗は、務めてこれを駆除せざるべからず。しかれども積年の余弊は短日月の間にこれを改修することあたわざれば、よろしく漸次をもって進めざるべからず。しかして社会教育中その影響の至大にして、しかも他の習慣風俗をも作り出だすところのものはなんぞというに、政治および宗教なり。政治は社会の各部に関連す。その不正不義は、もって社会の各部を腐敗せしむるに足る。しかしてそのこれを改良するはひとり政治家の任のみならず、各個人においても十分公平正明なる政治界を構成することを祈らざるべからず。宗教は政治の外にありて、よく一国の人情を支配し、また大いに社会の盛衰に関係を有するものにして、もって国民をして熱心ならしむべく、もって冷淡ならしむべし。政治の吾人に加うる制裁は現世と肉体にあり、宗教の吾人に加うる制裁は未来と良心とにあり。かれは外に人間の正義を保護し、これは内に社会の徳風を維持す。故に社会の改良進歩は、政治宗教実にこれが率先をなさざるべからず。政治上の改良は世おのずからその人あり、余輩またなにをか呶々せん。ただ宗教においては少しく論ずるところなかるべからず。宗教は人の精神に関するものにして、あえて外形に関するものにあらずといえども、精神において改良を行えば、おのずから外形に発顕するものなり。古人のいわゆる「思い中にあれば色外にあらわる」というものこれなり。しかれば宗教は精神一方のものにてありながら、なお社会の儀式を形成す。人死すれば葬儀を行う。その葬儀たる、人々の思うままに営みて可なるもののごとしといえども、社会おのずから定式の存するあり。この定式たる、ほとんど法律においてこれを定めたるもののごとし。いやしくも奇異自ら喜ぶの人にあらざるよりは、これにそむくは人々の恥じとするところなり。弔斎のごとき、またしかり。これらはもって遠を追い終を慎み哀悼悲愁の情を表して、人倫を維持するゆえんの方法なり。儀式には社会的儀式と宗教的儀式との別ありといえども、その社会的儀式なるもの、また宗教的の元素を含まざるものなし。西洋にてはその儀式とするところのもの、ほとんど宗教においてこれを支配しこれに関渉するなり。本邦の通儀は冠婚葬祭をもって四大儀となし、葬祭の二儀は宗教的にして、冠婚の二儀は社会的なり。西洋にては産礼を重んじ祭祀を軽んずる風あり。これ人情生前を大切にして死後を顧みざるより生ずるものなり。かの国においては友人の産日は必ずこれを紀念し、当日には互いに贈り物をなすの風習あり。しかれどもその死後はこれを顧みず、その死せる年月すらこれを記憶せず、日本のごとき鄭重なる祭祀を営むがごときはこれなきなり。親の永別すらこれを埋葬場に送り、帰りてその遺言状を読むやたちまち兄弟姉妹相争い、財産の配分についてその日送れる親を怨望することさえありという。東西人情の相違かくのごとし。これをもって西洋における四大儀は産冠婚葬とす。しかしてこの四者ことごとく宗教の関係するところにして、僧侶の交渉するところなり。そもそも儀式はもって人情を表し、倫常をつなぐゆえんのものなり。しかるにその儀式を支配する宗教にして腐敗し壊頽するときは、人情人倫の壊乱を招くは自然の勢いなり。故に儀式はなるべく鄭重に保存せざるべからず。しかれどもシナにおいて家人死すれば人を雇って泣かしむるがごとき虚礼は、むしろ無きの優れるにしかざるなり。これ孔孟倫常の教え衰え、民すでにその精神を失い、ひとりその形骸を墨守する者多きに座せずんばあらず。すでに論ずるがごとく、社会の宗教に待つあることかくのごとき以上は、吾人はすべからく今日本邦の宗教を観察し、もってその改むべきところあらば速やかにこれを改めざるべからず。しからば宗教改良における着手の要領はいかにというに、一は道理の上よりこれを改良し、一は実際の上よりこれを改良するこれなり。第一、道理の上よりするものはいかにすべきやというに、古今学術の進歩上大いに異なるところありて、宗教を研究するにも今日は今日の研究法により、今日の学理に適応することを計らざるべからず。しからずんば、もって文明日進の人民を相手にしてこれを教導することあたわざるなり。第二は実際の上よりするものはいかにすべきやというに、宗教者の行状と宗教の儀式これなり。宗教者は人を化導するの責任を有する者なり。破戒犯律の僧侶はたまたまもって社会の風俗を紊乱するに足るべくも、すこしも人を化導するに足らざるなり。仏教は今日においてありやと問わば、人々その問いの奇警なるに驚かん。仏教はいずれにゆくも、あるはすなわちありといえども、人民の習慣の上にあるなり。習慣は仏教的儀式の上にあるなり。人死すれば僧侶これを引導するなり。年忌きたれば僧侶これを供養するなり。僧侶なくては葬式も年忌も整わぬことになりおるなり。四〇〇〇万の同胞社会ほとんどこれに頼りてその儀式を挙ぐる以上は、仏教は実に盛んなりというべし。しかれども、これ外面上の観察のみ。少しくその内面に入りて、人民はことごとくその宗義を解しその教法を信じおるや、その寺の僧侶を心中より帰依しおるやというに、その宗教に対する感情ははなはだ冷淡にして、過半は無宗教的の人なり。これらの人は世間名聞上の制裁に引かれて、習慣上ただ儀式の関係を僧俗の間に存するのみ。しからばわが国今日においては儀式上の仏教はすなわちありといえども、化導上の仏教はほとんどなしというも誣言にはあらざるべし。余輩が前に仏教はありやの問いは、ここに至りて必ずしも、はなはだ奇警の言にあらざるを知るべし。しかりといえども余輩は仏教そのものに信を置かずして、かかる苛酷の論をなす者にあらざるなり。仏教は実に世界無比の大聖釈迦仏の開始するところなり。仏教は実に世界無比の甚深微妙の教理を包有するものなり。この大聖の開始するところ、この深妙の教理を含むところの仏教にして、今日の衰頽をきたせるゆえんのもの、あに嘆じかつ慨せざるべけんや。これ余輩が大声疾呼その弊を摘示し、もって一大改良を希望するゆえんなり。余輩あに好みてこれを言う者ならんや、またやむをえざればなり。やむをえざるものはなんぞや。真理の晦光を惜しみ、道義の衰頽を憂えてなり。愛理護国の一念、覚えずここに至るのみ。

 仏教そのものの改良はもとより僧侶その人の任なりといえども、社会もまた僧侶を助けてその改良を図らざるべからず。西洋にては社会の宗教に対する制裁はなはだ強きものにて、その寺の住職が学識なきか汚行あるかの場合においては、檀徒の協議をもって随意にこれを放逐し、他の学識あり品行正しき僧侶をもってこれに換ゆるなり。またその宗内の紀律いたって厳重にして、管長教正等のその部下の僧侶を監督し、黜陟任免の公明なる、居然として威厳ある政府のごとし。かくのごとくにして、上は宗教政府より下は信者社会より僧侶に向かいて淘汰を行うが故に、自然の成り行きは学識乏少し品行不正なる者はおのずから僧侶たることあたわざるの慣習をなすに至る。しかるに本邦にては、宗教政府の監督も信徒の勢力もいまだ容易に寺僧を変置するあたわず。宗教部内の監督よろしきを得ず、その組織いまだ整わず、その綱紀いまだ張らざればなり。信徒の勢力なきは、実は勢力なきにあらず勢力を用いざるなり。勢力を用いざるは宗教に冷淡なればなり。畢竟するに、社会の進歩いまだ宗教改良の必要を認定するに至らざればなり。宗教を改良せんと欲すれば、また社会を改良せざるべからず。社会を改良せんと欲すれば、また宗教を改良せざるべからず。宗教の改良と社会の改良は、実に相持ちなるものなり。しかれどもいやしくも僧侶たるものは、社会の制裁乏しきに甘んじて自ら改良を希図せざるは、実にその宗祖百辛千苦の余に建立せる行跡に対して大罪人といわざるべからず。あに恥ずべきの至りならずや。社会もまたおのずから宗教に冷淡にして、僧侶の無学識、不品行をよそに見流すは、これとりもなおさず社会の改良に冷淡なるものなれば、あに猛省するところなくして可ならんや。もし世間に不品行の僧侶あらば、社会一同鼓を鳴らしてこれを責むべし。これに反して学識あり操行ある僧侶のその寺に住するに逢わば、よろしく礼遇を加えて優待すべし。水は低きに従って流れ、人は優遇せらるる所に赴く、これ自然の通理なり。不善なる僧侶あるもこれを等閑に付し、高徳の僧侶あるもあえて優遇を加えず。故に僧侶はもってその学をみがき行を励むの精神更に起こらざるなり。ついに狐狸のごとき妖僧が平然として霊檀の傍らに横臥するも、社会の人恬として制裁を加えざるに至る。ああ、また悚然としておそれざるべけんや。いにしえは僧侶よく社会の礼遇を受けたり。故に英雄豪傑の時に合わずして不平を有する者、間々走りて仏教に投じ、剃髪もって世と相絶つ者あり、坐禅もって悟道を楽しむものあり。これをもって宗教内に名僧知識常に蝟集して、仏日の光明常に赫々たるの観ありき。これに反して今日は仏教部内より人物の往々出でて世間に鳴る者あれども、世間より走りて仏教に入る者まれなり。換言すれば、いにしえは人傑世間より仏教にのがれ、今は人傑仏教より世間にのがる。古今の相反するかくのごときものあり、嘆ずべきの至りなり。寄語す、仏教の信徒諸君いやしくも愛理護国の精神あらば、よろしく奮いて仏教に向かいてその改良を促迫すべし。また仏教の僧侶諸君いやしくも護法愛国の精神あらば、よろしく進みて自家の改良を計画すべし。余は僧侶と信徒との関係の外に別に一策の存するあるを知る。すなわち政治上より宗教に向かいて、いくぶんかの干渉をなすことこれなり。そもそも政治上より宗教に干渉することはあまりよきことにあらずといえども、時機によりては実にやむをえざるものあり。たとえばわが国現今のごとき宗教の改良を僧侶と信徒のみに放任するも、その成功実に遅々として容易に良果をえることあたわざればなり。今日医道の大いに改良進歩し、これを維新前に比するに霄壌もただならざるの観あるは、よく政治上よりこれに干与したればなり。もしその干与するなかりせば、あるいは往昔の草根木皮の治療が医業の最多数を占めおりしならん。しかるに医道に対しては、大学にはつとに医学部を設け学理の蘊奥を探討せしめ、また別に大学病院を建てて治術の改進を図れり。これわが国に医道の著しき進歩をきたせるゆえんなり。けだし医道は人の生命に関する業にして、生命は人の最も貴重するものなれば、これを保護するは政治上政府の職務の一とす。故に政府のこれに干与する、もとよりその当てなり。政府はまた教育に干与す。教育は実に一国知識の進歩に関するものなれば、政府がこれに干与する、またその当てなり。これより推考するときは、政府は宗教に向かいて多少干与するところあるも、またその当てなりといわざるべからず。なんとなれば、宗教は社会の人情、風俗、習慣を支配し、国家の秩序安寧に密接なる関係を有すればなり。これをもってこれを推すに、わが帝国大学においてよろしく宗教専門部を置きて、他の法、文、医、理、工の専門部と併立せしむべき理なり。西洋にてはつとにその大学中に神学部の設けありて、完全なる宗教家を養成することをつとむ。これ宗教家の学識を進むるは大いに国家の隆替に関するによる。方今、西洋諸国中なお国教を制定して政治上の一機関となせるものあり。しかれども国教組織は政教混同の弊あれば、余は公認教組織の必要を唱うるものなり。公認教組織は政府がその国の人情、風俗、政治、国体に適応する宗教を優待して、これによりて社会の安寧を保護し国家の幸福を増進せしむるをいう。しかるにわが国にては、いまだ公認教の制度あるを見ず。また大学中に宗教専門部の設けなければ、われわれ民間の有志者の力によりて宗教家の養成法を設け、社会を化導してその改良を任ずべき僧侶を教育せざるべからず。これ余が哲学館を設立したる旨趣の一なれば本講の問題外に当たるに似たれども、論じてこれに及ぶなり。かつ以上挙ぐるところは、宗教の改良と社会の改良と密接なる関係を有するゆえんを述ぶるために、その一例を示したるに過ぎざるなり。

 すでに教育の方法として家庭、学校、社会の三育を論じたるをもって、教育の行わるる範囲はもはや論じ尽くせるもののごとしといえども、なおこの外に以上三育にも劣らざる至広至大なる一大教育の存するあり。すなわち自然の教育これなり。自然の教育は、かの故意的なる学校教育とは大いにその性質を異にし、教育論中にはこれを合説すべからざるもののごとしといえども、教育なる意義を解することの広狭によりてあるいはこれを拒み、あるいはこれを入るることを得べし。余は今広義をもって教育を解しもって本講を開きたるものなれば、勢い自然の教育に論到せざるべからざるなり。かの社会教育は、一部分は人為にして一部分は自然なり。この自然の教育は、純粋に無意無心なるものの吾人に及ぼす教育にして、全部ことごとく自然なりとす。すなわち日月星辰、山川鳥獣のごときこれなり。たとえば山間に住める者はその気静に、海辺に住める者はその気騒がしく、熱帯の地に住するものは遊惰に傾き、寒冷の国に住するものは耐忍力に富めるの類は天地自然の影響なり。かくのごときを総じて自然の教育という。しからば山林の静寂なる、海浪の怒号する、風の颯々たる、雪の翩々たる、雷の鳴り、虫の啼くがごとき、みな口舌をもって吾人に教ゆるにあらずして、不言不為の間に吾人を感化するにあらずんばあらざるなり。

 自然の教育を分類するに、その種別また少なしとせず。その第一は「天」なり。天中に天文すなわち星宿あり、天候すなわち気候あり。気候の中また寒暖あり、湿乾あり、風雨あり、霜雪あり。まず天文は哲学の初めて起こり、理学の初めて起こりたる根源にして、要するに人智開発の導師なり。太初野蛮の状態よりようやく進歩するに及びて、仰ぎて天の穹形なるを見て天体の果たして円なるものか、星宿の燦然たるを眺めてその果たしてなにものたるか、日の東より出でて西に隠るるはなんのためぞ、月の盈虧をなすはなんのためぞ、みな人心の疑問に上らざるはなし。ギリシアのタレスは泰西哲学の開祖なり。しかして氏は実に天文学者にして、天象を観察しきたりて哲学を唱道するに至りしという。すなわち天文上の疑問は転じて宇宙全体の疑問となり、ついに哲学の端緒を開きたるや明らかなり。理学の開祖ともいわるべき人はコペルニクスなり。しかして氏は実に天文学者にてありし。その天文上の疑問は、またついに理学の端緒を開きたるや明らかなり。宗教もまた天文上の観察よりきたれり。ギリシアの宗教は天体を神に配したるものなり。いずれの国にても、古代は多く日輪、月球、北斗星、明けの明星、暮れの明星をもって、ことごとく神なりと信じたりき。太古の宗教において、鬼神または神使をもって天より下れりとなさざるもの少なし。アラビアは天文学および数学の最も早く開けたる国なり。これその国の自然の事情のしからしむるところなり。けだしその国沙漠多くして降雨少なく夜気朗明にして、望遠鏡の力を借りざるも近く明らかに天象を見ることを得るなり。アデン港においては三年間わずかに一回の降雨あるのみにして、一根の草木だもその地に見るあたわず。それ空中に水蒸気多きときは天色朗明ならず、水気なきときは天色朗明なること、本邦においてもしかり。ましてアラビアのごとき乾燥の地においては一層朗明ならざるべからず。この辺の土民は多く地上に臥す。その仰ぎて天文の麗明にして燦然たるありさまを見て、早く天文の考えを起こせるものなり。天文の考え起これば、数学の考えまたこれに伴って起こらざるを得ず。これを要するに、天文の変化は人をして種々の疑念を起こさしめ、もって学術発達の原因となるものなり。すなわち天文は実に人智の進歩を促すこと大なるものなり。また天文の美なるを望むときは、人をしてその思想を高尚にせしむ。仏教においては迷や悟を天文にたとえ、すなわち真如の月といい、無明の闇というごときこれなり。明月の夜のごときは人をしてなんとなく円満の情味を起こして爽快を感ぜしめ、暁日の堂々として山巓に昇るを望み、夕陽の沈々として西山に傾くを眺むれば、一は雄壮の想像を起こさしめ、一は蕭凄の感想を起こさしむ。また夏天炎日の赫々たるを見ては人をして恐れしめ、春天暄日の雍々たるを見ては人をしてよろこばしむ。人不平の感に堪えざるとき出でて野外を歩し、蒼天の無窮なるを望み月球の盈虧あるを眺むれば、おのずからその心を慰むるに足る。これをもってこれをみれば、天文の吾人が知識を啓発し、道徳を裨補する少なからずというべし。

 つぎに気候はまた人間に著しき影響を与うるものにして、現に肉体上に与うる影響は、インド人と欧米人は同じくアーリア人種より成来してありながら、皮膚の色沢に黒白の差を生ぜり。精神思想に及ぼすところのもの、またこれに異ならず。各人において読書勉学の度は春より夏に向かいてすくなく、秋より冬に向かいて多し。温暖なれば人をして倦怠せしめ、寒冷なれば人をして勉強ならしむるによし。これ人々の経験するところなり。これを各国各社会に徴するに、熱国は人をして遊惰ならしめ、寒国は人をして勤勉ならしむ。しかるに熱国においてその文明の早く開けたるはなんぞというに、(一)は熱国は物の発達早くして人智の発達もまた早し、(二)は熱国は天然の産物に富み、人力を費やしてことさらに耕作するを要せず、衣食をえる道はなはだ容易なるをもって、人民の繁殖も速やかなり。この二つの事情は、一時寒国にさきだちて文明を進めたる原因なりとす。すべて温暖の国は草木の発生、花の開発早きがごとく、人智の発育もまた早し。かのインドにおいては早婚の弊はなはだしく、一一、二歳より結婚して一三、四歳に及べば子を挙ぐるという。これ暖気の物の発育を早からしむればなり。智力の開発もこれに準じて知るべし。またインドのごときは草木禾穀穣々として自然に繁茂し、その供給のおびただしき常に需要に過ぐ。また暑きが故に必ずしも家屋を築くを要せず、蓁々たる樹陰を尋ねていたるところに露臥するをもって足れりとなす。また衣服は全くこれを用いざるも生活することを得るなり。かくのごとく熱帯の地は天然の人を助くるあるをもって、人民の繁殖ならびに智力の開発の速やかなるを見るなり。史をひもときて古代繁盛の国を尋ぬれば、インド、エジプト、アラビア、ペルシア等に指を屈せざるを得ず。しかるにこれら早開の文明国が今日見る影もなく衰微せるはいかなる理由ぞとたずぬれば、(一)は衣食住の得やすきがために、(二)は温熱のために勉強力を減ずるがためなり。衣食住のあまりに得やすきが故に衣食住のために思慮工夫を要することなく、したがってその能力は天助の発達の外に人為の発達を見ること少なきなり。また温熱は人の体力をして倦ましめ精神をして緩ましめ、大いに勉強の力をそぎ忍耐刻苦を減ずるものとす。これをもって、その文化はある程度に至りてその発達をとどめたり。物その発達の程度に至れば後は次第に衰微に傾くは、草木の上においてこれを見るのみならず、物体運動の上においても人の一生の上においてもみなその理法を共通するところにして、熱国の国状ひとりこの天則を免るるを得ず。故をもって今日の衰運を見るに至る。欧州においてもこれと同じき例あるを見る。初めはギリシア、ローマ、スペイン、ポルトガルのごとき南方の国は早くその文明を進め、フランス、ドイツ、イギリス等の北方の国は後に文明を進めしなり。北方の文明がようやく進むに従い、南方の文明はようやく衰えたり。イギリスにおいてはイングランドよりもスコットランドは多く学者豪傑を出だし、アメリカにては南部よりも北部の方文明盛んなり。けだしイギリス、ドイツ等の国土は地味すでに膏腴ならざるのみならず、その季候沍寒にして大いに人力を加うるにあらざれば、生活品はほとんど一物をも得ることかなわざるありさまなり。しかるに人力はもと限りあるものなれば、大いに器械の力を借りてこれを補うことをなせり。これをもって発明工夫にその知識を拡充せざるを得ず。しかしてその人力器械は、みな思慮工夫を凝らさざれば発明するあたわず。これによりてその脳力を練磨す。これみな天地自然の必要に迫られ、次第にその智力を進まして勉強力を養い、もって今日の文明をいたせるものなり。かつそれ寒き所に生長せしものは百難千苦を経たる結果なるをもって、これを暖国に発育せしものに比すれば鞏固なりとす。かの寒冷の山谷においていくたびか霜雪の難をしのぎ、ついによく成長せし樹木はその質堅牢にして、棟梁の材となしてはその力のはなはだ強きがごとく、いったん寒国に発達せし文明は永続するの力を有するなり。日本にては衣食住の三者西洋に劣るのみならず、体格またかの国人に劣れり。この体格につきては余一説あり。これ日本の気候がはなはだよすぎるがためならん。日本のごときよき気候を有する国は、欧州中において見ることを得ず。寒暖すでに中を得、かつ一山脈の連綿として中央を貫通するありて、よく気候を調節し、春夏秋冬わが国のごとく都合よき所は、おそらくは万国中において比類少なかるべし。かくのごとくよき気候を有するがために、かえって人体にとりては不利なることあるべし。なんとなれば、進化学上の自然淘汰の理法に従えば、寒き所は本来体格の虚弱なる者はその生を保つを得ず、強健にしてよく厳寒に堪え得るもののみ生存すべし。しかしてこの強健者より生まれたる子は、遺伝の規律によりてまた強健ならざるを得ず。故に自然淘汰の結果、強健なる者のみを残すを得るなり。しかるに気候の天然に、人身に適する都合よき所に生まれたる者は、生来薄弱なる者もその寿命を保つことを得べく、これら弱質の人より生じたる子は、したがって弱質の体格をうけて弱性の人となると。今、樹木につきてその証左を挙げんに、紀州の材木は木曾の材木よりも弱しという。これ木曾の材木は積雪をおかして生長したるものにして、雪によりて淘汰せられたるものなればなり。もって暖地の弱者を生じ寒地の強者を生ずるを知るべし。これ本邦人の体格が欧人に劣るゆえんの一カ条に加うべし。なお事実の証左を挙げん。日本におりて肺病にかからざる者も、イギリスに至りて肺患を起こす者多し。これかの不良なる気候に競争して敗をとりたるをもってなり。イギリスにては秋冬の四、五カ月間は石炭ガスの混じたる黒霧が市中に蔽充し、朦朧として日色を弁ぜず、はなはだしきに至りては白昼暗夜よりも暗きを覚ゆ。その人身を害する、実にはなはだしとす。生来肺弱性の者および肺患の遺伝ある者は、これによりて病症を誘発せらるるはもちろんなり。日本の家屋は麁末にして空気の流通も自在なり。これ気候のはなはだ厳酷ならざるがため、かえってかかる家屋をもって適当とし、洋屋のごとき閉塞多き建築を要せざるためなるべし。故に日本の家屋は麁末なりとてみだりにわらうべからず、またみだりに洋風の建築をうらやむべからず。これ自然の必要によりておのおのその建築を異にしたるものにして、一朝にわかに洋風の建築中にわが国民を住居せしむれば、かえって頭痛眩暈の諸症を惹起するを免れざるべし。またわが国の衣服の疎濶にして風のとおしよきは気候上の必要より生じたるものにして、邦人が洋服を着くれば歩行等に軽便なれども、夏日炎天の際にはわが衣服の軽便なるにしかざること言を待たず。もしまた〔西〕洋人が日本のごとき服を着れば、たちまち感冒を発するを免れず。つぎに気候の精神を変化するゆえんをのべんに、寒帯の地に住する人民はその気風朴陋なるかもしくは剛毅なり、温帯の地に住する人民はその気風敏捷なるかもしくは温柔なり。日本一国中においても南方の人と北方の人と大いに剛柔文質の性を異にするは、すなわち気候の影響なり。つぎに晴雨もまた人気上に著しき影響を与うるものにして、日中にても北国は風雪多く南国は晴天多し。およそ人、風雪の日にはその天色の鬱閉せるがごとく陰気なる心を生じ、晴天の日にはその天色の爽快なるがごとく陽気の心を生ず。北国人の気象はなんとなく陰気にして、南国人の気象はなんとなく陽気なるがごとく見ゆるは、一は雨天多きがため、一は晴天多きがためによる。また気象すなわち晴雨の変化多きと少なきとは、人心上に少なからざる結果を与うるなり。山間の気象は海辺の気象よりも変化少なし。これをもって、山辺の人は静平に、海辺の人は躁急なり。かの長風の浩蕩として沖合よりきたり、怪雲の層々として沖空にふさがるに当たりてや、怒浪驚波天を巻きて躍り、轟々として嶕巌と相打ち、たちまちにして銀竜砂岸をかすめて走り、たちまちにして飛雪磯頭をおおって舞うを見る者、その人気の躁にして急ならざらんと欲するも得んや。これに反して山間の風気はおのずから蕭条にして、人をして無事恬澹の心を起こさしむ。インドの気象は変化ことに多く、迅雷、烈風、劇震等の天災、人をしておのずから世の無常を感ぜしむ。インドにおいて宗教の早く開けたる、けだしこの点に起因するという。吾人、平常穏和一様なる日はその心おのずから静平なれども、いったん疾風迅雷の起こるに会すればその心を撹動しておのずから躁急ならしむ。天気天象の人心を支配する、また大ならずや。

 自然教育の第二は「地」なり。地より教育上に影響するものに、(一)は地形、(二)は地質すなわち地味なり。地形とは国土の広大なると狭小なると、島国なると山国なると、山地と平地の多少等を意味す。大国にして平原多く眼界の広遠なる所に住する者は、その気風性質は自然に大きくなり、これに反して小国にして平原少なく山巒その間に起伏し眼界の狭隘なる所に住する者は、その思想度量小さくなる。これを心理学上より説明すれば、各人の知識想像は経験上よりその材料をとるものなるが故に、範囲境遇の狭小なる所に住する者は、日々の観察するところは狭小なる眼界にありて、蕞爾たる丘山と潺湲たる小流に過ぎず。したがってその思想狭小ならざるを得ず。範囲境遇の広大なる所に住する者は、日々の観察に入るものは巍峨たる崇嶽と汪洋たる長江なり。したがってその思想広大ならざるを得ず。人種を同じうする者も地形の異なる所に住すれば、おのずからその性質気風を異にす。これもとより複雑なる原因よりきたるものにして、その国の宗教および習慣等は人の性質気風を異にせしむる事情の大なるものなれども、そのいわゆる宗教および習慣等も、もとその国土の形勢が人を感化せしよりきたるものなり。故に形勢境遇は原因にして、宗教および習慣は結果なり。しかしてこの結果は更に原因となりて、ますますその国民の性質気風をして他と相異ならしむ。もし地球上その緯度を同じうする両国人種も、そのおる所の地勢の広狭によりて大いに性質気風を異にす。今、日本人とシナ人とにつきて観察せんに、シナ人の考えは大にして日本人の考えは小なり。しかれども、大なりとて必ずしも善きにあらず、小なりとて必ずしも悪しきにあらず。シナの考えは大はすなわち大なりといえども、迅遠麁大にして実用に疎く、精神緩漫にして活気なく、かつ自ら足れりとするの風ありて進取の気象に乏しく、世界をもって退化するものと思い、尭、舜、禹、湯、文、武、周公の遺法をもって最上の憲章となす。日本はひとたび西洋の文明を見るに及んで競いてこれを輸入し、二十余年にしてこの程度に進捗し、欧米人をしてしりえに瞠若たらしむ。これ日本人の考えは小なりといえども鋭敏なるを証すべし。しかれども永く文明を隆盛ならしめんと欲すれば、大国的の思想を有せざるべからず。大国的の思想とは、シナ人のごとき空疎放大のものをいうにあらず、政治上においてよく万国を睥睨するの地位に達せんと欲する希望と、学問上においてはよく世界の思想を統合せんと欲する理想と、宗教上において地球の生霊をしてことごとく一仏界の恩波に浴せしめんと欲する熱心とこれなり。これを達するの方法は、よく小国的の思想をもって最も確実に緻密に事理を尽くし、人情をうがち、活溌溌地奮進もってこれを取るの手段を採らざるべからず。アメリカとロシアはシナと相匹敵するところの大国なり。アメリカ、ミシシッピー河畔の土は沃野平原千里にわたり、極目一望茫としてはてなく、ロッキーの大山脈は大嶽崇嶺数百里に連なり、風光雄大おのずから広遠の思想を起こさしむ。ロシアは漠々たる平原ウラル山嶺よりバルチック海に至る。広大の風光またおのずからその国人を感化す。これをもってアメリカ人の計画はすべて大仕掛けにして、その将来に対する志望実に遠大なり。決してイギリス人、フランス人のごとく汲々として小利を争うこと少なし。ロシア人が将来に向かいて有する希望は世界統一の大志にして、一方に中央アジアを略取してインドの富有を掩有せんことを計り、一方はシベリア数千里の平原に鉄路を一貫しようやくシナ、日本に迫り、もって威を東洋に振るい、欧〔州〕人の富源を奪い、しかる後にその大鵬の翼を東洋の上に張らんとす。地勢の感化の大なる、実に驚かざるを得ず。日本においても境の狭き所と広き所とあり。西南地方の山巒は突兀として峻急なるもの多く、東北地方の山嶽は畳々として雄大なるもの多し。その境域たる西南は狭小にして東北は広大なり。関左の広野は八州に連なり、仙台の平原は北上川の左右にわたり、秋田庄内の沃野、陸奥の荒野また濶大なる広袤を有す。長河大川また東北に多くして西南に少なし。これをもって両者の気象、一は濶大緩漫にして、一は強悍急率なりとす。西京は土地小にして三面山をもって包まれ、一望の観、実に庭中に座するがごとし。東京は土地大にして、眼界の及ぶところ富士と筑波のわずかにこれを遮ぎるあるのみ。これをもって両都居民の気象、一は矜飾多くして小事に齷齪し、一は疎豪にして細行を顧みざる風あり。

 一長一短は数の免れざるところにして、およそ人、大事に着目すれば小事は見えず、小事に跼蹐すれば大事は見えず、甲は遠大をもって特性とし、乙は綿密をもって長所とす。大国人の気風はユッタリとして牛を引き出だすがごとく、物に動ぜざれども細事に迂なり、小国人の気風はいそがわして馬を駆け出だすがごとく、少しの変に騒ぎ立てども事をなすに委曲にして効績を挙ぐ。大国人は思想上において広大なるのみならず、道徳上においても事業を永続するの気風に富む。これその志望の遠大にして成効を急がざるより生ずるところの結果なるべし。すなわちその境土の山川に感化さるる間接の影響なりとなす。なんとなれば、大国の山は高崇雄大にして、またよく連綿として相接続す。これを見る者、おのずから事を執るに恒久なるべきの観念を起こすなるべし。また大国の川は滾々として数州を貫き、その流るるや緩々徐としてあえて急促するなしといえども、よく千里の長途に達す。これを見る者、おのずから事をなすに悠然として持重し、寸尺の力を積みて、よく大功を成すべきの観念を得るなるべし。小国はこれに異なり、その山は嵯峨峻急にしてあるいは平野の中に屹立するものあり、あるいは湖沼の辺りに突起するものあり、その川は急行逸奔してあるいは巌石と相かみ、あるいは山脚と相うつものあり。山には間断多く、川には涸渇多し。これを見る者、おのずから急成を企て速功を図るの動機を生ずべし。甲者の速成に失せず、乙者の持久に乏しき、また自然の感化やむをえざるによるべし。しかれども、ここに異例なきにあらず。すなわちイギリスは島国にして境域隘小なり。その土壌より生ずる産物はその生民を養うに足らず、その国内の産業はその国勢を維持するに足らず。しかるにその今日の隆盛をいたせるはなんぞというに、自国は境土狭くして大事業を成すに足らざるをもって志を海外に向け、よく険難に堪えて万里の波涛を横行し、未開の国土に投じて殖民事業に従事し、もって次第に領土を拡め、あるいは通商貿易もって富貴を積めり。この間大いに国民の元気を鼓舞し、競って身を冒険、事業に投ずるに至れり。これその国力を盛んにし、雄勢を世界に振るうゆえんなり。故にイギリス人の自然的教育は、陸上の感化といわんよりむしろ海上の感化というべきなり。かつそれイギリスは陸地狭しといえども渺々たる大西洋に接するをもって、ひとたび海浜に立ちてこれを望めば、おのずからその度量を濶大にするを得べし。これまた自然の教育なり。しかるにフランス人はイギリスと一葦水を隔つる国民にてありながら、その境域のイギリスより広くして地味もイギリスより優れるのみならず気候また和順なるをもって、その気風おのずから自国を去るをいとい、その海外領土はイギリス人よりもはるかに少なく、しかも繁盛なるものなし。けだしフランス人はいったん思い切りて海外に渡航するも、しばらくにして自国を慕わしく思い、おいおいその故園に帰るをもって、永く海外の領土を保つを得ず。肝要の地所は大抵イギリス人の代わり有するところとなれり。ことに婦人は海外をいとうことはなはだしく、イギリス婦人のこれを喜ぶと反対なり。余かつてこれを聞く、フランス人にして海外に家を移さんとするときに下婢を雇わんとするも、その国の婦人は海外に航するはもっとも嫌うところにして、高給なお応ずる者なし、故にやむをえずイギリス人を雇うに至ると。もってその人情の相異を知るべきなり。島国人につきては今一つの異例あり。コルシカは弾丸黒子の小島のみ。しかるに図らずも蓋世の雄ボナパルト・ナポレオンを出だせるはなんぞや。彼が生い立ちし所の陸地の風光は、山はこれ仮山のごとく小なるもののみ、川はこれ溝渠のごとく小なるもののみ。その見ゆる所、もって彼が胆を養うに足らざるもののごとし。しかるに卓落豪邁彼がごとく、機敏神速彼がごとく、全欧を蹂躙し威名を一世に震いたる精神は、もとそれいずれの所より得きたれるか。ナポレオンの伝にいう、ナポレオン氏幼なるとき好んで独歩し、あるいは逆巻く浪の巌頭に立ち、あるいは怒風樹を抜くの衝路に立ち、地中海の洸洋として極目辺なきを望んで壮志を養い、自然の雄勢に抗して胆気を練れりと。彼もとより遺伝上の勢力すでに非凡なるものあるに加えて、この奇抜なる壮遊を試みたるをもって、よくその精神を発揚し得たるものなるべし。これをもってこれを思うに、わが日本は四方海をもってめぐらし、海岸の風光また処々に絶佳なるものあり。しかるに遠征の志望いまだ起こらず。なるべく小国にありて小功名を得るに汲々として、もってその身を立てんとはかるものはなんぞや。ことに婦人のごときは、海気をかぐさえ嘔吐を催する者多し。はなはだしきは小川の津を渡ることあたわざるものさえあるはなんぞや。けだし鎖国の余習今なお洗除するに至らざるによるべし。すべからく海辺に嘯傲することと船遊することとを奨励し、もってこの弊風を脱却せざるべからず。しからずんば天賦の良国も、ついにその善果を得るに至らざるべし。

 つぎに地質すなわち地味につきていささか弁ずるところあらんと欲す。地味には豊饒なるものと磽确なるものとあり。豊饒に過ぐれば人をしてこれを安んじて勤勉の精神を発達せしめず、また磽确に過ぐる所はなにほど力を尽くすも到底望みなきをもって人をして自暴自棄せしめ、その気力ある者は去りて他土に移り、その本土はついに衰弱して索漠たる荒景に変ぜしむ。発明工夫の次第に起こり人民も次第に繁殖する所は、右両極の中間ならざるべからず。なんとなれば、かくのごときの地は自然にのみ放任すればその家族を糊するに足るべき収穫を得るあたわざるをもって、おのずから人を勤勉ならしむ。しかして力を尽くせば相応の利得を生ずべき地味なるをもって、人をしてその勤労の結果を楽しましむ。相互の関係は、その智力と耐力とを増さしむればなり。インドおよび南米アマゾン河の近傍は、食用となるべき果物穀実累々穣々として春夏秋冬交互に繁殖し、ひたすら天助に一任するをもって足れるが故に、その人民懶惰にして自奮の気象なく、ただ嘻々として食欲をみたして一生を夢過するのみ。しかるにシベリアのごときは四時氷雪をもって地面をおおい、もって植ゆべきなく、もって耕すべきなし。これをもって土人は獣類を捕らえて食餌に供し、ただ漁猟に長ずるをもって足れりとなす。その騃愚なる、またむべなり。中帯地方中ことに合衆国の北部、イギリス、フランス、ドイツの三国、ロシアの南部、シナ両巨浸のほとり、および日本をもって、瘠肥両極の中間位にあるものとす。その文明をもって世界に鳴る、またむべなりとす。

 つぎに地形地味に付属して風景を説かざるべからず。そもそも風景の人を感化するや、また実に大なり。しかして美術においてその影響最も顕著となす。美の思想に富める人民の住する所は、必ず風景佳絶の地にあらざるなし。けだし人の思想は経験の結果による。すなわち風景の美想を陶冶する、もとより怪しむに足らざるなり。これをもって、山嶽重畳遠き者は穏秀眠るがごとく、近き者は鬱嵂怒るがごとく、雲煙ときにこの間に磅礴して呑吐の際、無限の変状を呈する所、漁村断続一湾に臨み、危巌怪石波際に聳立し、獅象の向背を争い、竜虎の雌雄を決せんとするあり。ときに長風浩蕩濁浪を激して万雷を鳴らし、蛟おののき鱷おどろき、奇状幻態窮まりなきの所、あるいは長江逶迤として曠野を流れ白帆の点々として遠きよりきたるは、鸕鶿の群飛するがごとく山翠と相映帯するの所、あるいは千林の花光絢爛として日に輝き、丘渓変じて瑶宮となり綿蛮たる黄鳥清香に酔うの所、人をして心むなしく神よろこび、陶然として造化と相親しみ美妙と相化せしむ。すなわち丘山の霊と花月の魂と相率いて人の脳中に宿し、その手腕を借りて再び世界に発現せんとす。これにおいてか、その発して、しかして詩歌となり文章となり音楽となり絵画となり彫刻となるもの、隠然としてその風神を帯びざるなし。欧州にてはスイス、イタリアに遊ぶ者、脳中個の美想をたたえて帰らざるなく、シナにおいては巴峽の山色、洞庭の湖光を見る者、また必ず個の美想を発す。西〔洋〕人イタリアの風景をもって世界第一と誇称し、古来著名の美術家を輩出せし所なり。余、先年鵬遊の途次、またひとたびこれを探討するを得たり。今やわが国土を周遊し、ことに山陽南海の風光をもってかれに較するに、決して優るあるも劣るあらざるを信ず。すなわち日本をもって世界第一の勝地となすも誣言にあらざるべし。西〔洋〕人また往々これを許す者あり。むべなり、本邦人の美術に長じ、つとに美術国の称あること。本邦においても東北は西南より風景少なし。東海鉄道汽車中より眺むるところの景色は、東北鉄道汽車より眺むるところの景色より佳なり。日本三景中、松島をもって第一とす。絶景たるはもとより許さざるべからず。しかれども景色少なき地方においてたまたま松島のごときものあるをもって、心理上一段風光の奇絶を感ずるなるべし。しかるに宮島のごときは著しく秀逸なるを感ぜざるは、須磨明石の浦を経て次第に風景優美の地を過ぎてここに達するが故に、目の慣るるところ宮島のひとり抜群なるを覚えざるなり。天の橋立のごときも京都の諸景勝を遊歴したる後に達するが故に、これまた格別の秀逸を感ぜざるなり。かくのごとく東北と西南と風景の差等あるは、したがって人心の上に影響し、古来有名なる文人墨客は、西南は東北よりも多く出だせり。このほか家屋の造り方、衣服の作り方、言葉のつかい方、人との応接ぶり、飲食の料理等、西南地方は多く優美の資質を含み、東北地方はこの資質を含むことはなはだ少なし。しかしこれらは一得一失のあるものにて、畿内、中国は外面の文明に富むも、気風優柔に傾き決断の力に乏し。その弊や流れて淫奔穢芸に陥りやすし。けだし風景は情を発達するものなるが故に色情の発芽早し。これを放着すればはなはだしき弊風を生ずるものとす。しかるに風景の少なき所は朴実の風に富むといえども、ややもすれば粗暴固陋に陥りやすし。故にこれを矯むるれば多少優美の思想を養わしむべく、また優柔の弊を矯むるにはいくぶんか東北木強の気象を加味すべし。封建時代においては、その領内の優柔に傾きやすきをば藩の政略をもってこれを矯正せしものあり。土佐は一大湾を擁し、その山勢嵯峨嶂嶢としてはなはだ風色に富める地なり。しかるに当時その師範学校中学校等において、生徒は唱歌をいとい、兵式体操、遠行運動のごとき活発なる動作を好むと。これ藩政のとき、藩士を導き剛武の気象、かの優柔の風に克たしめたる結果によらずんばあらず。聞く、その藩政時、士卒の絹布を着し足袋をうがつを禁ぜりと。またもって気習の相よるところを知るべきなり。維新前は各藩その治を異にし、民の衣食住にまで干渉し、圧制手段をもって風俗を規制せしといえども、維新後は風俗に関する制禁はほとんどゆるみ、民大いに自由を得るに至れり。これ自治の精神をもってその改良すべきは自ら改良すべしといえども、実際に行われ難きをいかんせん。けだし民情は善き風俗よりも悪しき風俗にうつりやすければなり。これを矯むるは一に宗教教育の任にありとす。ことに風色の明媚なる所においては、その美術心を発達せしむと同時に、淫風の行われやすきをば十分に防がざるべからず。

 これより端を改めて、生産物の教育に影響するゆえんをのべん。生産物またこれを分かちて、天産物と人産物とに分かつべし。

 (甲) 天産物 その一、草木 草木は風景を組み立つるものにして、草木は実に「自然」の美術なり。春には爛漫たる美花を開き、夏には鬱蒼たる枝葉を茂らし、よく人の心情を和らげ、よく人の健康を助く。健康上につきて、草木は人の吐き出だせる炭酸ガスを吸収し、太陽の光熱によりてこれを分析して酸素を吐き、もって人の呼吸に給し血液を新鮮ならしむ。故に人の倦怠せるとき園林に逍遥すれば、よく精神をして爽快ならしむ。これひとり枝葉の美なるによるのみならず、新鮮なる血液の脳髄に循環して神経を補養するによる。東京のごとき熱閙なる大都にして、上野、愛宕等の樹林鬱翠なる公園のあるは実に都民の幸福というべし。草木はまたよく人の智識を助く。すなわち博物上の智識を得せしむるものにして、草木の種類多き所に住する者は、小児のときに果実を求めんがため林間を往返するは、何樹の何樹と異なりその花果の何月に開結するかを知らず識らずの間に実験するが故に、後日博物科を授くるに当たり、むしろ教師よりも微細の点に心付きおることあり。しかるに埠頭の砂丘により単に松林の漫々たる所に住する児童は、植物上の知識はなはだ乏しく、これを会得せしむるには図画、標本等によるの不完全なる方法をとるより外手段なきこと、教育者の実験するところなり。また草木は最も吾人の生活に関す。衣食住の三者は大半草木より得るところなり。ことに本邦においての家屋は木造を用い、被服は多く木綿麻布を用い、毛織もしくは絹織をきる者は、わずかに上等社会の資産豊かなる者に限る。食物においては米穀をもって常食となし、また菜蔬を常用す。魚肉は間々これを用うるも、獣肉はいまだ多く行われず。しかれば日本人の生命は、ほとんど草木に頼りて持続すというべし。田舎人の都市人よりも心の豊かなるは種々の原因によるといえども、食物を得るにやすきの一事、大いにこれが原因をなさずんばあらず。同じ田舎においても、平野に住する者と山辺に住する者とを比するに、山辺に住する者はなお心ののどかなるを見る。けだし山辺はひとり田畑の収穫に頼るのみならず、近く山林に入りて得るところまた少なしとせず。飢饉に際すれば、よく長くこれに堪ゆるを得。これ山の恩沢あるによる。その猾智にたけざる、またゆえんあるなり。もしそれ食物の適度に得られざる地方は次第に衰微し、ついに無人の境となる。しかれども、あまり潤沢に過ぐる所は大いに人心を惰弱ならしめ、また衰微の原因となる。また土地の名産は多く植物に関す。今、本邦において三、四の例を挙ぐれば、肥後の米穀、薩摩のタバコ、宇治の茶、近江の畳表、美濃越前の紙、尾張の大根、紀雲二州の蜜柑、木曾の材木等なり。植物の種類を異にするに従って職業のちがいを生ず。職業を異にするはすなわち風俗を異にするの原因となる。概して植物の繁茂する所は棲民おのずから農業に赴き、その少なき所は商業に赴く。これを要するに、植物多き地方には博物上の知識を開発し殖産の希望を盛んならしむるをもって教育家の務めとなさざるべからず。

 天産物の第二は動物なり。動物も春の鴬における、秋の蛍のごときは景色の上にも関すれども、概していえば景色には縁遠き方なり。しかれども食物、衣服、労力には直接の関係を有す。その人力を助くるものは牛、馬、象、らくだ、トナカイ等なり。古代、人煙寡少にして道路険悪なるときは、内地の交通はおもに馬、らくだに頼りたるものにして、これらは実に文明の媒介となりたるものなり。動物の人力を助くる、かくのごとく広大の益ありといえども、人の害をなすものまた少なからず。アフリカ、インドのわにのごとき、獅子のごとき、蟒蛇〔うわばみ〕のごとき、猛獰怪力をたくましくし、しばしば土民を食らう。文明の国といえども流行病の原虫はときどき猖獗をたくましくして、幾十万の生霊を数旬の間にほふりつくす。この他、虎豹のごとき豺狼のごときあり、狐狸のごとき貂鼠のごときあり、蝨虱のごとき蚊虻のごときあり。ことに蝗虫のごときは、農民辛苦の結果を喰らい尽くして満野をして索然たらしむ。往古は動物の人害をなす、ことにはなはだしく、人智の進むに従ってようやくその跡を潜む。しかして運輸、交通、耕耘、戦争に利用するものますます愛養せられて、その族類ますます繁殖の勢いあり。一説には虎豹豺狼のごときも、よくこれを馴らすときは利用するに足ると。いまだその果たしてしかるや否やを知らず。しかれども、動物の人に害あるところはすなわち間接に人智を進むるゆえんにして、人をして衛生法を考えしめ、顕微鏡の構造をしてますます精密に赴かしめ、医薬の発見を促さしめ、学問を発達するの媒介となる。太古、人類のようやく生ずるや、猛獣群れをなして村落を襲い、居民挙げて搏噬するところとなる。力はもって彼に敵するあたわず。ようやくにして弓箭、陥阱を発明し、また火攻めを行えり。この術、ついにこれを人と人との戦争に応用するに至れり。知らず、今日精巧なる武器の発明は、その根源獣害を避くるに起因せること。これ消極的より考えたるの利益なり。つぎに食物につきては、北方の沍寒にして植物の発達せざる所は、もっぱら魚獣の肉に頼りて生活す。泰西諸国はつとに肉食をたしなみ、牛豚を飼養することわが国の耕作のごとし。衣服につきては、泰西人の着るところはほとんど獣毛よりきたる。寒帯に住する者は、獣皮を着るにあらざれば寒冷に堪ゆるあたわず。本邦のごとき必ずしも獣毛獣皮を用いるの要なしといえども、蚕糸のごとき、本邦の名産にして輸出を占む。これをもって、養蚕盛んなる所は他地方に比して富有の度高きを見る。したがって人心をして活発ならしむ。その教育に影響する、あにすくなしとせんや。養蚕地は春蚕夏蚕に際すれば、特に学校を休業せざるべからず。しかして児童はこの間において、蚕における智識を得ることまた少なしとせず。教師たるものよくこれを利用し、観察力を鋭敏にし、兼ねて実業上の興味を与え、殖産に熱心なる人民をつくること、その方寸にあるべし。しかるにかかる地方の教育に当たりながら、杓木定木に教則の課程に拘泥し好時機を空過する者は、いまだ教育の奥儀に達せざる者なり。

 (乙) 人産物 これより人産物すなわち人手を経て産出するものの、教育に影響するゆえんを述ぶべし。人産物はまたこれを人工物という。分かちて二種となす。(一)には工業品、(二)には美術品なり。前に人為の教育を論ぜし中に、社会もまた個の教育者なることを述べたり。ついで自然教育を述べ、ついに人工に至れり。これに至りて社会教育と密接す。しかれども、その間おのずから区域を有す。社会教育はおもに宗教、政治、文学、風俗等の直接に受くるところのものを指し、人工の方は間接に受くるところのものなり。工業、美術が間接に吾人を教育すること、また著大なりとす。漸次これをのべん。

 第一、美術 人間の日々一番近く接しておるものは衣食住なり。この三者の原料は植物動物よりきたるといえども、これに人工を加えざれば用をなさず。しかしてそのこれに人工を加うることは文明の進めば進むほど多く、また人工を加うること多ければ多きほど価値を増す。その人工を加うるはひとり実用上堅固のためのみならず、これに優美の資質を帯ばしむるために非常の精工を費やすに至る。実用上の資質を有するの人工をばこれを工業といい、優美の資質を有する人工をばこれを美術という。今、美術上より食物につきていえば、滋養になりやすく消化しやすきように品質を選びまた煎煮するはこれ美術にあらず、一見食思を増さしむるように美しく調理するはこれ美術なり。食物に美術の趣向を付するの巧みなるは、万国中日本の右に出ずるものまれなり。しかしてそのこれをいるるの器物も精巧を尽くし、一皿一堞の価、百金を費やすに至る。食品配置の参差と堞皿の花紋と相映帯して一段の美観を呈す。洋客わが料理を称して美術的料理という。かくのごとき食物に美の精神を配布するのあまり、滋養および消化等の実用にははなはだ注意せざるの弊あり。この点においては、はるかに西洋料理の下にありとす。つぎに衣服もひとり寒暑を防ぐのみならず、大いに装飾に関す。婦人のごときは装飾をもって第一の目的となし、寒暑を防ぐをもって副似の目的となすもののごとし。衣服の綺麗を競うは東西ともにしかり。住居もまた風雨を避くるのみならず、美の資質をそなうるを要す。茅屋ももって風雨を防ぐに足り、一宇万金を費やせる者もその実用はこれに過ぎず。しかれども人文の進むや生活上の実用を足すのみならず、兼ねて精神の快楽を求むるに至る。これ人間自然の傾向なり。しかりしこうして、室内の装飾においては大いに児童の教育に関す。室内は実に小児の教育場なれば、その飾り付けはすべからく児童の精神を緩和し、徳義を奨励するものならざるべからず。児童のときはもっぱら他動的にして無邪気に外部の支配を受くるものなれば、その周囲に陳列するものはみな智徳を養うゆえんのものならざるべからず。もっとも人に貧富の差あれば、その貧困なる者は企て及ぶべからざるところなれども、いやしくも資産ある者は相応の準備をなさざるべからず。扁額、掛物等はただ家主の慰みのみならず、また家庭教育の一助なれば、その文字は遒勁にして高雅に、その文句は古人の格言中ことに児童の品行を矯正せしむるに足るものなるべく、また掛物の人物は賢人君子、忠臣義士の尊ぶべきものたるべし。しかれども単に忠孝の心を養わんとして、感情を激動すべき惨憺たる境遇をえがけるものなるべからず。その山水はまず本邦の各所をえがきて、あまり複雑ならざるものをよしとす。文人画を掲げんとなれば、深遠にして気象を恢廓にするものを選ぶべし。またもっとも幼年なる者のために掲げんとならば、人物山水よりも輪画の簡単なる花蝶もしくは家畜の戯むるる図、または児童の戯嬉する図を用ゆべし。また楽器をこしらえおくをよしとす。琴のごときは見るさえも幽逸の情を起こさしむるに足る。西洋にては多少の資産ある者は大抵楽器の備え付けあるを見る。本邦においても東京にては三味線の用意あり。家庭において図書を蓄えおき、ときどき児童に展見せしむるは最も裨益ありとす。かの土地山川、気候地形、植物動物等の遠隔の地にありて実験しがたきものも、みな狭小なる所にあつむることを得べし。すなわちアメリカの広漠なる原野、アフリカの大沙漠および奇異なる動物、イギリス、フランスの都の光景、このほか世界有名の風色等、漸次に収集すべし。また花鳥虫魚の図譜等は、博物上の知識を得せしむるに足る。また人間生活の変化すなわち貴賎貧富の状態および農工業者の労力、商業者の挙動をえがけるものは、児童をして処世の情状を知らしむるに足るべし。これひとり児童のためのみならず大人においても有益なることにして、世界の地名等はなかなか忘れやすきものなれば、常に地図を室内に掛け、閑暇のときこれを諦視すればおのずから記憶すべし。歴史上の変遷のごときも表を作りて居室にはり付けおけば、知らず識らずの間に記憶することを得べし。また論理の貫通連絡なくして一個一個離れたる事実は、いたって忘れやすきものなり。これらは歌または詩に作りてこれをはり付けおけば、力を労せずして記憶し得べし。格言のごときも暗誦せんと欲するものは、また壁面に粘付するを可とす。つぎに家庭の上において、日本伝来のものにて教育を資するものは茶の湯のごときあり。茶の湯は幽静を貴ぶものなるが故に、人の躁気を鎮ずるに益あり、兼ねて挙動を端雅にするの効あり。その茶室はなるべく隠逸に作り、室内の器具ことごとく古奇を喜ぶ。故に人の心をしてなんとなく奥ゆかしくならしむ。しかれども古代のとおりにてはやや今日に適せず。その法は圧制時代に起こりたるものにして、規模狭小ただ人心を休むるを主とするもののごとく、洋々和楽の気象に乏し。今や立憲の制度となり、万国の交際もますます頻繁になりゆく時節なれば、なるべく気象を暢達せしむるを要す。さりとて古雅の光景をもそぎ去るべしというにあらず。その偏小なる規模を改良し、椅子、テーブルの間においても行い得るようにせざるべからず。つぎに庭作りも一の美術にして、本邦庭園の姿致は万国に冠絶たるものなり。すべからくこの術のますます発達せんことを計らざるべからず。西洋庭園の樹木は矗々たるを貴び、その周囲を円く囲むを常とす。本邦庭園の樹木は盤屈蜓蜒たるあり離奇錯落たるあり、湖沼の丘山をめぐるに擬し懸崖壁絶に泉の掛かるを擬する等実に巧妙を曲尽し、人をして座ながら深山幽谷にあるの想を興さしむ。その美情を養うや大なりとす。貧者といえども余地あれば多少の木石を集めて小庭を作り得べし、もって児童を慰楽するに足るなり。生花の術も万国に冠たるものにして、洋風の「指し花」に比するに美の精神をたたゆることいくばくぞや。これまた人心を和らぐるの良技なり。美術に付属して遊戯のことを述ぶべし。遊戯中、碁将棋の教育におけるは利害相半ばするもののごとし。碁は太平の気象を帯び悠閑なり、将棋は戦争の気象を帯び殺伐なり。ともに工夫を練磨し智力を鍛錬す。虚々実々敵を誘い敵を避け、進退掛け引き千変万化にし、活機この間に行わる。全局を顧みずして一局に拘ずる者は敗る。それなお処世の法のごときか。よく人の希望、心を鼓動して快楽を感ずるの益あり。また相手のなにびとたるを論ぜず。いやしくも局面に相対する者は貧富なく貴賎なきが故に、交際を円滑にするの益あり。しかれどもその耽溺しやすきが故に時間を徒費するの大害あり。この一害、実に他の二益を償うに足らざるなり。故にこれを行う者、常に碁将棋は消閑の一遊戯たるを忘るべからず。なおついでに碁将棋に類する室内遊戯の諸種を彙類すれば左のごとし。(一)には偶合に属するものにして、道中双六のごときこれなり。(二)には手練を要するものにして、玉突きのごときこれなり、(三)には偶合と智力と相半ばするものにして、花ガルタ、トランプのごときこれなり、(四)にはもっぱら智力によるものにして、すなわち碁将棋これなり。第一種、道中双六のごときは偶合にして趣味少なし。第四種、碁将棋においては運動を欠くが故に、少年のためには衛生によろしからず。かつもっぱら智力によるがために心を労すること過度にして、勉学し用うべき脳力を費消し鬱散の効少なし。故に今室内遊戯を改良せんと欲せば、四者の性質を具有するあたわずとするも、せめて二、三の性質を兼有せしめざるべからず。かつこれを行うによりて得たる能力と知識は、もって実用とならしめざるべからず。余が考案するところのつづり字カルタのごときは、勝敗のために愉快を感じつつ、つづり字上の知識を得るように仕組みたるものなり。その各自に字牌を配与する際に、つづりやすき字とつづり難き字とを得べし。これ偶合の性質を帯ぶるものなり。その名称をつづるがために工夫するは、智力を練るの性質を帯ぶるものあり。しかしてこれにて工夫したる名称は、これ実用の智識に属するものなり。近来『天則』に格言カルタの一法を発明して掲載せるものあり。教育上実に有効の思い付きとなす。つぎに戸外遊戯につきては、わが国古来鬼ごっこ、まり突き、たこ揚げ等数種あり。東北雪地のごときは雪遊びはなはだ盛んにして、すこぶる児童の身体を強健にするに益あり。コマの競技は春期において各地に行わるる遊戯にして、また興味多きものとす。近年に及び西洋の遊戯漸々学校に行われて、遊戯の種類すこぶる増加す。実に児童の幸いなり。今ここに身体の運動の数種を彙類すれば、(一)足の運動に属するものあり、足相撲これなり、(二)首の運動に属するものあり、首引きこれなり、(三)額の運動に属するものあり、額押しこれなり、(四)腕の運動に属するものあり、腕相撲これなり、(五)指の運動に属するものあり、指相撲これなり。以上は一局部運動なり。つぎに全身運動に属するものあり。相撲を第一となし、これに次ぐものは撃剣、乗馬、漕舟等なり。また衆人連合運動あり。兵式体操、行軍演習のごときこれなり。体操は運動に次第順序あり。また過激ならず最も体育に適当すといえども、勝敗の性質を帯ばざるが故に興味を欠く。

 つぎに児童のためには、運動しつつ快楽にもなり知識をも得さするものは庭作りこれなり(堂々たる庭を作るをいうにあらず、仮園を作るをいうなり)。種々の小草小木を移し植ゆるは知識を得せしめ、その労力は体育を益し、その配置は快楽を感じ美情を養わしむ。父兄たるもの、よろしく屋敷の一隅を児童に貸し与うべきなり。

 つぎに翫弄物につきて少しく述ぶるところあるべし。簡単に鳥獣の模型を作り紙を裁して細工をなし、また畳み物、結び物、折り物等は児童の最も好むところにして、知識を進めて実業上の工夫を増さしむ。開発的教育論の行われざる昔時より、諸種の翫具ありて坊間にひさげり。大抵教育の意を寓せり。近来に及びてはことに教育翫具なるもの出ず。およそ翫具はみな教育的にせざるべからず。しかれどもこれに拘泥すれば無味淡泊に陥しりやすし。当時の教育翫具と称するもののうち、ややこの弊を帯ぶるものあり。教育家の注意を要するところなり。いやしくも徳育を害せざる限りは、なるべく趣味の多きものを作らざるべからず。また翫具はこれを強ゆべからず。これを強ゆれば有意的教育となりて、翫具を与うるの真意にたがう。児童の意の向くところに一任すべし。

 第二、工業 は実利を主とす。ある場合には美術と密着して、これを区別することのはなはだ困難なることあり。前に述ぶるがごとく、家屋はもって雨露をふせぐゆえんのものなり、衣服はもって寒暑をしのぐゆえんのものなり、飲食はもって飢渇を免るるゆえんのものなり。しかしてみないくぶんの修飾を加えざるなし。ただ概念において大体上これを分かつことを得るも、微細のところに至れば、この部分の工業たり美術たるは容易に判断し難きものあり。さてその工業における教育の関係を述ぶれば、恢廓なる広屋に住する者はその気象おのずから寛宏にして迫らずといえども、狭隘なる陋屋にすむ者はその気象おのずから狭小なるを免れず。道路橋梁の大小良否、あるいは溝渠水道の多少便不便、また人心に影響す。鉄道の交通を開きしより気風の上に著しき変化を与え、その力学校教育より強し。すなわちかの教育者の喋々するところの言語の改良のごとき多少の効なきにあらざるべしといえども、おもうに各地習俗の異なるあり。教場において強いて善良の語を使用せしむるも、学校を退けばただちに左右前後、訛音俗調を使用する中に入るが故に、労力と効能とはほとんど相償わざるものなり。かつ山村水廓のごとき辺鄙なる所の児童に向かいて強いて都雅なる言語を用いしむれば、児童はその調べのはなはだ奇態なるに驚き、ただその言語をば器械的にそらんじて、その意味を知らざることあり。故にあまり辺鄙なる所の児童に学科を授くるにいちいち都雅なる言語を用うれば、はなはだしき損耗を生ずることあり。かつ乳臭輩が生意気に四分一語をもって父老の言語の卑俗なるをわらうがごとき弊を生じて、また道徳を害することあり。しかるに鉄道の布設ありてより処々に停車場の設けあるが故に、乗客上下の際おのずから他の語調をも輸入して、次第に改良の緒に就くに至れり。これ自然の結果なり。また鉄道の大人に及ぼす変化は、商工業の上に緩漫因循の弊を排除するの益あり。なんとなれば、貨物運輸の至便なるが故によほど機敏なる掛け引きをめぐらすにあらざれば、利益を壟断することあたわざればなり。また電信のごときは座して千里遠隔の事情をば霎時の間に知ることを得べく、ことに相場の報告のごときはもっとも商業の掛け引きに神速の機断を要せしむるに至れり。このほか郵便のごとき新聞のごとき、ひとり内国の事情のみならず、海外の動静ことごとくこれを知ることを得べし。これをかの各藩境域に関所を設け、他領への交通すら厳重に取り扱いたるがごとき時代に比すれば、人智の開発果たしていかんぞや。実にこれらの鴻益は人工の媒介に頼りて収得したるものといわざるを得ず。しかりといえども、わが徳育はまた工業のために著しく打破せられたり。なんとなれば、交通頻繁、開化日進のため人々保守の精神を失い、その固持するゆえんのものを忘却し、善良の風俗これがために破れ、剛毅の気概これがためにほろび、滔々として知識の一方に流れ、ただ先鞭もって愚者をしのぐを知りて、補導もって共達することを計らず。その弊や狡獪となり譎詐となれり。しかりといえども、これ俄然たる開国の際には免るべからざるの現象にして、ようやく道徳を基本となすにあらざれば、もって百事を進め生活を豊かにすることを得ざるを経験するに至らん。つぎに工業は人の貧富に関す。器械力のにわかに行わるるに至れば人力を省くことおびただしきが故に、一時生業を失う者を生ずるに至る。しかれどもその一時の失業者がようやく他の職業を得るに至れば、さきに器械力をもって人力を省きたるだけの利益は金融を生ずるがために人心を活発にす。しかれどもそのにわかに金融を生ずるの場合は、少年をして淫奔の悪風に陥らしむ、また人をして惰弱ならしむことあり。たとえば、歩して行くべき所にも腕車に乗るがごとき、少しの働を要することにも人を雇うて労せしむるがごときは、金銭を有する人をして手足を労せしめず、かえって大いに体育を害することあり。

 以上、諸種の教育を叙述したるをもってまさに局を収むべきところなれども、なお二、三の教育上少なからざる関係を有するものあるが故に、付属としてここに名称および儀式のことを論述すべし。

 第一、名称 名称には三種あり。すなわち固有、普通、集合これなり。しかして人の姓名は固有名称に属す。人の姓名について世間一般を概観すれば、十中の七、八は大抵その人となりに恰当するものなり。勇猛なる名を有する人は活発に、温和なる名を有する者は温順に、武辺の名を有する人は武芸に長じ、文事の名を有する者は文華あるがごときこれなり。世間往々十二支をもって命名する者多し。寅吉、巳之助、辰蔵、丑太郎、卯之吉、酉之助、亥三郎等の名はしばしばこれあり。余その名を聞くごとにその人を見るに、寅吉、辰蔵、亥三郎等は勇健の気象を帯び、巳之助、卯之吉、酉之助等は温和なる気象を帯び、丑太郎は持重遅漫の方なり。さてその理由はいかんというに、人の心は見聞より教育せらるるものにして、そのうち最もしばしば見聞するものは最も勢力を有す。人常に道徳家の間におるときは、いつとなくこれに薫化せられて品行を慎むに至る。また毎日学校にゆけば、いつとなく学生的思想を起こすに至る。これと同じく、名は最も吾人に密接して寸刻も離るることなく、その名をとなえ、あるいはその名を呼ばれ、またはその名を書するごとに、連想の力をもって、いつとなくその名に付着せし意味の挙動を惹起するに至るなり。これをもって、その名にしてたとえば道徳の格言中克己の語を取りしものならば修行の観念を連起すべく、また勇猛なる動物の名を取りて虎之助、熊一郎という名なるときはまた勇健の意志を惹起すべく、また器物の名を取りて鎌太郎、鍬次郎といわば農業上の観念を連起すべし。もし鍋次郎という名の者が衆中に呼ばるるときは、聞く者はなんとなく軽蔑の情を起こし、答うる者もなんとなく恥ずかしき心地を起こすなるべし。これに反して厳正豁達の意味を有する名の者は、聞く者も敬重の念を起こすべく、答うる者も愉快の感を生ずべし。衣服さえもその肌を去ることあれども、名はその身を離るることなし。金銀財宝は死後これに伴わざれども、名は千歳の後までも離るることなし。その人の功業罪悪は、後世の史家これを記するにただちにその名下においてす。世人その行の善悪に関することをもって名誉に関すというなり。名誉の善悪は道徳上社会的の制裁力にして、世人のこれを重んずると同時にその名を重んぜざるなし。さて名と実際と相伴う三、四の実例を挙ぐれば、福沢諭吉はその名のごとく人に説諭することに長じ、中村正直はその名のごとく正直をもって有名の人なり。山岡鉄太郎は実に心胆の鉄のごとき人にてありし。加藤弘之はまたその名のごとく学問の弘き人なり。井上哲次郎は哲学をもって任じ、南條文雄は文学をもってあらわれ、島田重礼はよく礼譲を重んじてその家風を成し、矢野文雄もよく文才に長じ、よりてもって官に用いられ、後藤象次郎は象のごとき宏量あり。谷干城はいくたびか国家の干城たりし。いにしえ名を与うるに、あるいは道徳上の意味をもってし、あるいはわが慕うところの人の名の一字を与う。大塩平八郎の父、大閤の廟に祈りて平八郎を生む。すなわち本多平八郎の名を取りてこれに与えたりという。芸人社会は多く師匠の名の一字を取りて伝統の意味を表す。またその家伝来の一字を冠するものは、これその家系を重んずると家風を保たんとするの旨趣より出ず。源氏ひとたび衰えてもまた起こり、平氏ひとたびほろびて後に興る者あり。けだしその名の相伝うるところ、これによりて歴史上の考えをひき起こし、自らその屈従するを恥じ、覚えず回復の志を生ずるなるべし。ひとり遺伝上の結果をもってこれを論ずべからざるなり。孔子の後しばしば学者を出だし、林氏の裔永く儒士を出だしたり。命名の一事また謹まざるべからず。

 この道理を推し拡むるときは、一村、一郷、一国の名もその地方の人心に関すること大なるを知るべし。大日本といえば知らず識らずの間に旭日の赫々たる形象を連想して、元気強き感をひき起こすなり。外国に対してこれをいうときに、ことにしかりとなす。イギリスは小島国なれども、自らグレート・ブリテン(大英国)と誇称してその元気を鼓舞す。シナ人は自ら中華という。その尊大自らおるはわらうべきがごとしといえども、その国にとりては人心を高尚ならしむるにおいて広大の益あるべし。もし学校の名を命ずるに忠孝といわば、その校に学ぶ者は不忠不孝をもって実に恥ずべきものと思い、おのずから強き欲念をなすに至るべし。軍艦のごとき、比叡艦といい扶桑艦といい山の泰然たるを意味し、金剛艦のごときは堅牢無比の意を寓するが故に、乗員をしておのずから雄豪の気象を起こさしむるに足る。角力社会が著名なる山川湖海の名称を取るは、またおのずからこの義に合す。西の海、剣山、大鳴門、八幡山、吉野川、朝日嶽等みな名実の相適するを見る。古人曰く、名は実の賓なりと。名あに選ばざるべけんや。

 第二、儀式 の教育に関するは宗教の次位にあり。宗教は無形の精神を養うものにて、その発動は有形上純正なる挙動を生ず。しかして儀式は有形の挙動を規制するものにして、その浸染は無形の精神を涵養す。故に宗教と儀式とは有無相たすけ、心身並び養う。儀式もまた一般教育の要具といわざるべからず。儀式に四種あり。第一は国際的儀式といい、第二は国家的儀式といい、第三は社交的儀式といい、第四を宗教的儀式という。第一、国際的儀式は国と国とが交渉する間に要するものにして、大使公使を派遣し、あるいは国王と国王との会合を催す等これなり。この儀式は一個人の教育の上には関係なきがごとしといえども、これを詩文にあらわして讃頌するときは、その折衝の機と優劣の判とは国民の元気を撹起するもの少なからず。上古わが国朝がシナの朝廷に対し「日出処天子云々」の文は今に存して、わが国古来独立心の旺盛なるを思わしむるがごときこれなり。第二、国家的儀式は即位式、憲法発布式、国会開閉式、紀元節、天長節のごとき、帝都に在る者は直接に六乗の鳳輦徐々に城門を出ださせ賜い、文武百官盛服もってこれに扈従するを見るときは、たれか忠君愛国の感念を起こさざる者あらんや。田舎といえども戸々旭章を掲げ帝徳を謳歌し国史を頌揚するの際に、おのずからわが国旗を汚さざらんと欲するの誠情を発揮せしむ。国家もとよりこの儀式なかるべからず。しかして教育の上より見るも、道徳を涵養するためには重大の必要あるものとす。第三、社交的儀式は個人的道徳を涵養するに最もあずかりて力あるものにて、人間一代に関する重礼は誕生式、婚礼、葬礼、祭礼これなり。葬祭は報本反始の義によるものにして、倫常を扶持するゆえんのものなり。父母の死去するや、子として悲しまざる者なし。悲しんでこれを表するゆえんのものなきときは、中に鬱塞して病患を生ず。これをもって、葬儀の設けありてその哀情を外に発散す。故に心理学よりこれを説明すれば、その情を和らぐるものなり。祭りもまた追遠会向もってその情を和らぐるゆえんなり。誕生式すなわち産礼は親子の関係を生ずる発端にして、行わるる者無智にしてその理由を知るなしといえども、これを行う者はこれによりて産中の苦痛を減じ、子に対して未来に嘱望するの心を惹起し、愛養懇到の源となる。婚礼は他人と他人とが双身一体の契約をなすのときにして、その心を安定にし、信義と貞操とを未来に向かいてたしかむるものにして、すなわち琴瑟和諧の源となるものなり。以上は一代一度の大礼なるが、年々歳々に挙行するものあり。盆、正〔月〕、暮れの三度はそれぞれの飾り付けをなし、近隣近郷礼回りをなし、品物の贈遣をなし、神参り墓参りをなす。正月はことにその年の吉祥を祝するものにして、人心を新鮮にし、旧困を忘れて勇進の意気を生ぜしむ。正月の馳走は数の子、豆等にしていたって非薄なるものなれども、祝意を寓するの深きものなるが故に換ゆるに及ばず。数の子は子の多きを祝するものにして、豆は健康をいのるものなり。人に三楽あり。子の多きを楽しみ、金の多きを楽しみ、寿命の長きを楽ぶ。非薄の品なおこの意を含む。これらは物理上の理論には当てはまらざるものなれども、心理上よりいえば効能あるものなり。しかるに近年、儀式を簡略にすることとなれり。これ時間と金銭を節減するの益ありといえども、これを略することはなはだしきに至らば、人心険しくなりて悠々たる太平の気象を失うに至る。もっとも国勢の変遷とともに儀式の改良をも要するものなれば、宗教家教育者の考慮を煩わすのときなりとす。第四、宗教的儀式はことに人心を静平にするの益あるものにて、その儀式混じて社交的儀式に入るもの多し。日本にては葬祭の二儀はすなわち宗教的にこれを営むを習慣とす。西洋にては産婚葬祭の四者、僧侶ことごとくこれに関与す。このほか日本にては神道、仏教おのおの特別の儀式あり。西洋にても懺悔式、餐礼式、洗礼式等、ヤソ教特別の儀式あり。みなその信徒に対してそれぞれの感勢を与えざるなし。しからば儀式の感化は人為教育、社会教育の区分中いずれに属するやといえば、社会教会〔育〕の方に入りて間接的感化なり。つきては公園地に前代功業ある人の銅像、石像、墓碑等を設立しおくは、その構造の巧拙よりいえば美術に属すれども、そのこれを建つるゆえんの目的よりいえば観物として取り扱うべきものにあらず。むしろ永久なる祭祀というべく、これをみる者、追慕感謝の情を生じ、事業心と愛国心とを喚起するものなれば、また儀式の一種とみなして論ずべきものなり。

 

       結  論

 かくのごとくにして考うれば、この世界は実に広大無辺の教育場にして、万物万端を備具せる大学校なり。星辰も教師なり、山川も教師なり、ないし禽獣虫魚、木竹草苔みな教師ならざるなし。その範囲無限というべし。これ広義をもって教育を論じたるものにして、狭義の教育に至りては、これを論ずる世間その書に乏しからざれば余が呶々を要せず。よって本講は、世間いまだ論ぜざる教育の方法をもっぱら講述してこれに至る。今読者の便を計り、その方法の項目を以上の順序に従って表示すること左のごとし。

 人為と自然との別は、

 (一) 人為の方は人が教育そのものを直接の目的とし、自然の方は教育の外に目的とするものありて教育は間接の目的に過ぎず。

 (二) 人為の方は人がただちにその手を下して教育するも、自然の方は自ら手を下すにあらず。

 (三) 人為の方はあらかじめ意志によりて目的と方法の適合を計るも、自然の方は更に意志を用いず、知らず識らずの間に教育するなり。

  方法 人為 家庭

        学校

        社会

     自然 天 天文

          天候 寒暖

             晴雨

        地 地形(地位)

          地質(地味)

        生 草木

          動物

          人工 工業

             美術

 以上、教育総論終わりを告げたれば、これよりその付講として教育と宗教の関係と題する一講を掲ぐべし。これ目下教育学に連帯して講ぜざるを得ざる問題なり。