3.活仏教

P373

  活 仏 教 

 

 

1. 冊数

   1冊

2. サイズ(タテ×ヨコ)

   193×135mm

3. ページ

   総数:340

   序言: 6

   目次: 14

   本文:241

   付録: 79

(巻頭)

4. 刊行年月日

   初版    大正元年9月5日

   定本:4版 大正4年9月5日

5. 句読点

   あり

6. その他

  (1) 原本の目次には「付録 第三編」の項の見出しは省略されているが,本書ではそれを加えた。

       序  言

 昨年来、赤道以南を周遊し、豪州、南ア、南米、南洋等を巡察したる結果、わが仏教を革新して国家の原動力にいくぶんの新勢力を添うるの急要を感じ、多年懐抱せる宿論をここに告白公表するに至れり。これ余が南半球より将来したる旅行土産となして可なり。

 この革新論の大要は、先年『仏教活論』の最後の一編として立案したりしものにて、その題名を「護法活論」とする予定なりしも、そののち物換わり星移り、時勢もおのずから変遷したれば、多少これに修正を加え、『活仏教』と改題して発表することとなる。これすなわち余の仏教革新案なり。

 本書の一端を読みて、全部を通観せざるものは、あるいは余の革新の主旨を誤解せられんことを恐る。余の期するところは世界の大勢に伴い、国家の隆治をたすくるように従来の諸宗を改新するにありて、決して旧宗を破壊するがごとき過激の革新にあらず、また新宗を開立するがごとき野心ある革新にあらずして、あくまで現時の各宗を存置し、輔翼するの革新なり。ただ従来の小乗的厭世迷信を改変して、大乗の真面目を発揮せしめんとする外に別意あるにあらず。

 本書は余の一片の至情より流れ出でたるものなれば、熱誠のあまり図らずも言文の常軌を失して、疎狂に類する語なしとせず。ただ恐る、読者の好意を害し、不快を買わんことを。ここにあらかじめその罪を謝し、海大の寛量を割愛せられんことを請う。

 本書中に引用せる仏教の術語は、いちいち解釈を付記せず。もし難解の文字あらば、近著『日本仏教』を参看せられんことを望む。

 すでに本書の稿を脱して、まさに梓に上さんとするに当たり、にわかに天哭し地もまた泣かんとする絶大の悲報に接せり。誠に恐惶恐愕、おくところを知らず、九腸寸断の思いをなせり。余や草莽の小民なれども、皇恩に沐し、聖沢に浴するの無上の光栄を担うこと久し。いかんせん微力にして、いまだその万一に奉答することを果たさず、その罪実に重くしてかつ大なり。今や竜駕高く九天を攀じ、また余影を拝するを得ず。はるかに紫雲を隔てて、叡霊を仰ぎ、ひそかに誓わんとす、今後余命のあらん限り、仏教革新の素志を貫徹して奉答の寸衷を捧げんことを。仏門に衣食するもの、いかに頑迷固陋なりとも、ひとたびこの大凶事に遭遇して、愕然として恐懼沈痛せざるものあらんや。無情の草木すらなお愁色を帯ぶ、いわんや国民を教導する職にあるものをや。たとえ出世間の身なりとも、同じくこれ天皇の臣民なり。この際必ず大いに自省自発するところあるべし。こいねがわくは十万の僧侶、必猿を駆り、意馬に鞭打ち、必死を期して仏教の廃頽を挽回しきたり、全力をつくして本山の腐敗を掃討し去り、花々しく革新の実功を挙げ、仏教をして日進の大勢に伴わしめ、国運の発展を助けしめ、もって積年の鴻恩に報答し奉らんことを。僧家尽忠の道、けだしこの外にあるべからず。もし僧侶諸氏が天に慟し地に哭するの心をもって、革新を進行するに至らば、その成功のごときは日を期して待つべし。今や新天子宝祚を践みて盛業を継がせ給い、先帝天の原にましまして神鑑を垂れ給う。諸氏が活眼を開き、活機を握り、活躍を試むるは実にこの時にあり。奮起せよ、猛進せよ。

    明治四五年七月三〇日  聖天子崩御の当日、涙を揮うて書き終わる。

          和田山哲学堂内光風霽月の下にありて   井上円了誌  

 

     第一段 緒 論

       第一節 死仏教と活仏教との別

 わが日本に大乗の教理ありて、大乗の宗旨なしとは、余が冒頭第一に絶叫せんと欲するところなり。法相、華厳、天台、真言は言うも更なり、禅、浄土、真宗、日蓮に至るまで、名を大乗にかりて、実を小乗にとらざるなし。あに浩嘆すべきの至りならずや。

 それ小乗は厭世教にして、大乗は非厭世なり。小乗は個人的にして、大乗は非個人なり。小乗は利己為本にして、大乗は自利利他なり。小乗は非国家主義にして、大乗は国家主義なり。小乗は退守的消極的にして、大乗は進取的積極的なり。もし一言もってこれを覆えば、小乗は死仏教にして、大乗は活仏教なり。

       第二節 仏教の枯骸

 現今わが国に現立せる仏教諸宗は、いずれも大乗の真源を汲み、大乗の正統を伝うるものなれども、伝来の久しき宿弊の多き、自然に活機を失い、厭世に流れ、自利に走り、大乗の精神を忘れて、いたずらに形式を墨守し、いかに寺門堂塔、村々落々に巍立するも、実に仏教の枯骸が随処に堆を成すがごとき観あり。これを死仏教と呼ばずして、またなんとかいわん。

 わが国明治の維新は、日就月将もただならず、堂々乎として旭日の昇るがごとく、文武共に四表を光被し、泰西の列強と相伍して、遜色なきに至れるに当たり、千四百年間わが世道人心を維持しきたれる仏教の頽勢、すでにかくのごときをみて、いずくんぞよく傍観座視するに忍びんや。ひとり仏教に結縁あるもののみならず、いやしくも国家の隆替に志あるもの、あに憤起してその革新を唱えざるを得んや。これ決して対岸の火災にあらざるなり。

       第三節 国家の前途

 今や日露の戦塵すでに鎮まり、国威は遠く坤輿を震撼するの勢いなるも、戦後の経営いまだ全く成りたりというべからず、富強の基礎なお確立せざるところ多し。これに加うるに国家の財政、日に月に困憊を重ぬるの兆しあるをみる。故をもって農工商はもちろん、百般の事業萎靡して振わず、国家の前途なお杞憂に堪えざるものあり。率土の浜いまだ泰平を謳歌するの秋にあらず、憂国の士いまだ枕を高くして、眠るの時にあらざるなり。

       第四節 宇内の大勢

 静かに書をおおうて宇内の大勢を一瞥するに、弱肉強食の悲劇、依然として世に行われ、優勝劣敗の逆浪、滔々として地を捲くの形勢あり。この際に立ちて国運を伸長せんとするには、詔書のいわゆる上下心を一にし、自彊息まざるの精神を発揮し、百難を排して奮闘し、必成を期して猛進せざるべからず。仏語のいわゆる獅子奮迅の勢いをもって勇猛精進せざるべからず。果たして然らば同胞五千万、同籍六千万の国民をして、かかる活動的大精力を啓発せしむる方法を講ずるは真にこれ目下の急務なりとす。

       第五節 教育の欠点

 この問題に対して世人はみな曰く、学校教育を奨励すれば足れり、これを外にしてまたなんの方法かあらんと。余をもってこれをみるにこれ学校教育を過大視し、偏重視したる僻見のみ。人は本来智性と信性とを有し、この両性相待ちて、始めて人格の完成をみるべきに、学校教育は智性を修養するにとどまり、信性のごときはかえってこれを破壊し去らんとす。その事実は近くわが四〇年間奨励しきたれる教育の成績に徴して知るべし。かつそれ国民一般に及ぼす教育は、尋常小学六年間の修業のみ。かかる短歳月の教育をもって健全なる国民を造出し得ると思うは、架空もまたはなはだしといわざるべからず。けだしわが国の世論は教育万能の流行病に感染せるものならん。

 教育もとより万能力を有するものにあらず。ある境遇と場合とに対しては、その力の極めて薄弱なること多し。しかしてよくその不足を満たし短所を補うものはただ宗教あるのみ。わが国仏教の現状はほとんど廃頽に瀕するがごときも、積年薫習せる潜勢力が深く一般人民の心底に固結し、冥々のうちにその力実に侮るべからざるものあり。もし仏教の消長をもって国家の興廃、社会の盛衰に影響することなしと断言するものあらば、余はこれを評して民心の前面をみて、背景を知らざる一種の盲人といわんのみ。

       第六節 儒者の遺伝病

 わが国の自ら識者をもって任ずるものは、仏教を無用視し度外視し、はなはだしきに至りてはこれを蛇蝎のごとく厭忌し、悪疫のごとく排除せんとするものあり。これ徳川時代の儒者的根性を遺伝せるものなり。かの時代にありては儒仏並び行われ、士族の教育は儒の占領するところとなり、平民の教化は仏の専有するところとなり、競争の結果はなはだしき軋轢を生じ、当時の儒者は排仏毀釈をもって己の本分と心得、仏を憎んで僧に及び、僧を憎んで袈裟に及ぶに至れり。しかして明治の革新を唱え、教育の基礎を開きたるは、みなこの儒者の薫陶を受けたる士族なれば、自然に排仏毀釈の根性を遺伝せられ、なんとなく仏教を厭忌する風を習成し、その存亡のごときは全く度外に置き、不問に付し去れり。余はこの風を名付けてわが国士族累代の遺伝病という。かかる遺伝病にかかれるために仏教がいかに世道人心を裨補したるかを鑑識するの明を失うに至れるは、邦家のために慨せざるを得ず。

       第七節 仏教界の木石

 しかりしこうして仏教が今日の悲境に陥りしは、寺院僧侶の自ら招くところにして、自業自得の責を逃れ難し。現今なお八万の仏堂は村落にそびえ、十万の円顱は山門を満たすにもかかわらず、さきに尊皇復古の喊声、轟然として天地に震い、明治維新の曙光、赫然として暗黒を破るに際し、ほとんど一人のこれに唱和し、これに尽瘁するものなかりき。今や文運駸々として進み、皇化洋々として遍きに当たり、痴雲依然として彼らの眼界を遮り、頑夢固結して彼らの心天を鎖す。乞食坊主、ばか坊主、なまぐさ坊主、くそ坊主などの罵詈の言、讒謗の語、四隣に囂々たるも、恬として顧みず、否、自ら甘んじて得々たるもののごとし。ああこれなんぞ木石と異なるところあらんや。余がこれを指して死仏教と呼ぶも、けだし過言にあらざるべし。

       第八節 僧侶の功績

 しかれども僧侶をしてこの無精神のどくろと化し去らしめたるの責任は、ひとり仏徒に帰すべからず、世間またあずかりて罪ありというべし。明治以前にありては幕府の保護その度に過ぎ、維新以後に至りては官民共にこれを蔑視し、これを冷遇したりしもの実にその親因たり。請うみよ、明治の今日百般の文物は面目を一新したりというも、一として政府の策励によらざるものなかりしを。政府もしこれを自然の趨勢に一任しきたらば、学校教育は依然として従前の寺子屋教育を伝え、医術は依然として草根木皮を歓迎しおるならん。しかるにひとり仏教に至りては政府はこれを放任し、世論はこれを不問に付し、人民はこれを度外に置き、全く捨子同様の待遇に接せり。かくのごとくんば僧侶おのずから腐敗し、寺院おのずから廃頽するに至るは必然の勢いなるべし。幸いに寺院僧侶が今日なお旧態を維持し、よく仏灯をして滅せざらしめたるは、これを儒門の不振に比するにいささかその功績を称揚するに足る。

       第九節 天意難窺

 誠に恐れ多きことながら、つとに軍人に対してはかしこき辺りより軍人勅諭を下し賜り、つぎに教育家に対しては教育勅語を下し賜り、また更に農工商等一般の国民に対しては、戊申詔書を下し賜りたり。これにおいて軍人も教育家も実業家も、群鳥やかましきとき鶴の一声の感を起こし、奮然立ちて恪守輸誠の実を挙ぐるに至れり。しかして宗教家においてはいまだ鳳詔を拝するの皇沢に浴せず。したがって五里霧中に彷徨して、針路を知らざるの観あり。天意の深遠なるは、到底草莽の間に起臥せる余輩のうかがい知るところにあらざるも、もし霹靂の一声、高く九重雲深きところより宗教門内に落ちきたらば、いかなる痴僧頑徒も必ず一時に長夢大覚するに至るべし。

       第一〇節 革新の難易

 余おもうに仏教の革新のごときは決して難事にあらず。これを教育や医術に比するにかえって容易ならん。もし国民全体が宗教の改善は国運の消長に重大の関係あることを自覚し、各方面よりその刷新の急要を唱え、学者もその論鋒を仏教の法城に向け、教育家もその意向を仏教の理海に注ぎ、実業家もその歩武を仏教の門路に進め、おのおの競って革新を迫らば、政府の干渉を待たずして、たちまち面目を一新するに至らん。もししからざれば世論の制裁をもって僧侶の淘汰を促し、人格の野卑なるものは僧侶として待遇せざるはもちろん、これを寺門外に放逐し、品位あり徳望あり、学識ありてよく社会に活動するものを、大いに好遇優待するに至らば、自然に門内の腐敗を一掃して、廓然たるを得べし。よって余は今日なお仏教の革新を見ざるは、あたわざるにあらずしてなさざるの罪なりといわんとす。

 しかれども従前のごとく革新の一事を僧侶の手に放任して、その実行を挙げしめんとするは、黄河の清きを望むとなんぞ異ならんや。必ずや門外より積極的に急促せざるべからず、今やその機運ようやく熟するを知る。この際八方より大いに刺激剤を投じ、清涼散を与えて、獅子身中の虫を除去するに至らば、実に国家の宿痾を根治するにおいて必ず即効あるべし。

       第一一節 仏教門内の光景

 余がかく危言を反覆するは、別に他意あるにあらず。不肖幸いに千載一遇たる明治の隆治に会し、文運の勃興を見、皇沢に浴すること大にして、国恩に荷うところ重し、日夜ただなにをもってこれに報ぜんかを思うや久し。顧みるに大政一新以来、百般の文物みな面目を一変し、韶光遐迩に遍く、幽谷もまた春風の観を呈するに、ひとり仏教門内に旧時の積雪をとどめ、凄涼たる光景を存するは、昭代の欠点にして、余の深く遺憾とするところなり。明治維新の大功もただこの点において一簣を欠くの感なきあたわず。しかして宗教の興廃は国家の安危に関するものなれば、そのことたるやすこぶる重大なりというべし。余がつねに明治の維新一半すでになりて、一半いまだならずというはこの故なり。

 これにおいて余微力といえども願わくば死仏教を一転して活仏教となさんと欲し、一服の活剤を僧家の脳裏に注射し、もって活動の精神を興奮せしめ、これによりて将来永く列国の競争場裏に立ちて、国運発展の一助となさんこと、これ余が平素懐抱するところの赤心にして、皇恩の万一に奉答せんとする一片の至誠なり。拙吟もって素志を述ぶること左のごとし。

  皇恩と祖恩とに報ぜんと欲して、多年野に臥し和魂を養う。法苗今日まさに枯死せんとするに、たちて活泉を汲み、仏園にそそがん。

 

       第一二節 わが同胞の姑息

 余が欧米を歴遊したるや前後三回、南半球を視察するやここに一回、幸いに足跡を五大州に印し、眼軸を万国に転ずるを得て、世界の大勢を一瞰したりしに、今日欧米の列強と称する国民は、いずれも進取の気性に富み、堅忍の精神に長じ、自立自営の力うちに満ちて外にあふれんとし、球の南北を分かたず、洋の東西を問わず、一天四海、みなわが家の心得にて、万里の大波涛をこえて雄飛し、世界の大舞台を攀じて奮闘するの活劇を目撃し、はからずも心ひそかに敬慕の念を起こすに至れり。しかるに翻りてわが同胞をみるに、姑息因循、小成に安んじて倦怠しやすく、瑣事に拘泥して大機を没却し、他人に依頼するの念に制せられ、母国を愛念するの情に引かれ、たとえ海外に巨利を占むるの道あるも、進みてとることを知らざるもののごとし。なんぞ意気地なきのはなはだしきやの嘆声を発せざるを得ず。

       第一三節 海底原頭みなわが墓

 わが大日本帝国はその名すこぶる大なるも、その実蕞爾たる東洋の一孤島のみ。そのうちに無数の群生、蠢爾として動くも、またなんの能かあらん。すべからく感奮一番、海外に向かいて飛躍すべし。願わくば今よりのちわれら国民は自国を遊園とし、海外を工場として活動せんことを。もししからざれば国運を発展する前途ほとんど絶望ならんを恐る。いやしくも神国の民籍に加わり、一片の和魂を抱くものは、天地をもって家とし、四海をもってしとねとするの気概あるを要す。

 余南半球を巡了し、深くこのことに感ずるところありて自ら黙止し難く、従来人口に膾炙せる「骨を埋むる、あにただ墳墓の地のみならんや。人間いたるところ青山あり。」                 をもってなお不足とみなし、これを改めて「海底、原頭みなわが墓なり。骸を埋むる、なんぞ必ずしも青山に限らんや。」                 となすべしと大呼するに至れり。

 昔日は京坂地方を一巡するに、なお五〇日、一〇〇日の時日を費やせり。しかるに今日は、地球を一周するに四〇日にて足れり。昔日は京参りせざるものは、一人前の男女たるを得ずして、社会より擯斥せられしが、今日以後は地球を一周し、赤道を一過せざれば、一人前の男女たるを得ざるに至らざるべからず。しかるにかかる活世界に生まれながら、わが国民が因循姑息の旧風を守り、勇往果進の元気に乏しきは、他に参酌すべき事情なきにあらざるも、従来久しく民心を支配しきたれる仏教の厭世に傾き、消極に陥りたりしはその一原因なりと信ず。

       第一四節 明治の一大怪象

 百科の学芸、万種の事業は日新を競って、駸々として勃興するに、仏教ひとり旧態を改めず、新衣を着けざるは実に怪しまざるを得ず。余はこれを名付けて明治の一大怪象といわんとす。仏教あに骨董的古物ならんや。今日ランプあり電灯あり、ガス灯あるに当たり、依然として旧来の行灯を点じ、種油を用うるものあらば、人これをなんとか評せん。必ず狂人にあらざれば痴人なりといわん。仏教各宗の依然として旧習を脱せざるは、明治の新天地における種油、行灯と、ややその観を同じうするがごとし。

 今日の実況を西洋に比考するにわが国の仏教は、ローマの末路より中世期におけるかの旧教の状態をへだたること遠からざる形勢あるに似たり。果たしてしからば仏教の大勢は西洋の進歩に後るること、少なくも三、四百年の相違ありといわざるを得ず。余がこれを昭代の怪象と呼ぶも、あながちに酷評として貶すべきにあらざるべし。故に仏教の革新は一日も忽諸に付すべからず。

       第一五節 仏教のマーチン・ルター

 かく公言しきたらば世間あるいは余を目して、仏教のマーチン・ルターを気取るものとなす人あらん。これ余の遠く当たるところにあらず、かつ革新の本意にあらざるなり。余の期するところは決して旧仏教を全排して、新仏教を樹立するにあらず、諸宗を統一して、仏教の新紀元を開くにあらず、ただ余が所望は従来の各宗をして、その理論その実際共に世界の大勢に伴い、国運の伸長を助くるように刷新を行わしめ、この目的を達するため、国民の世論を喚起して、外より革新を促さしめんとするに外ならず。換言すれば内外相応して小乗的宿弊を除き、大乗的面目を開かしめんとするにあり。更に換言すれば死仏教をして活仏教となさしめんとするにあり。

 余自ら革新の中枢に当たるを避け、ルターの位置に立たざるは、あるいは卑怯の評を免れ難きも、およそことの成功を期するには、必ず順序階梯あることを忘却すべからず。その順序としてはまず革新の警鐘を鳴らして、その時機の到来せるを世間に報ずるを初めとす。すなわち余はその任に当たるものなり。故に余は大喝一呼して、内外に警報するをもって足れりとす。しかれども世間もしこの声に応じて、更に革新の一歩を進め、東洋のルターもカルヴァンも出で、明治の伝教も弘法も起こり、白雨一天を洗い去るがごとき大々的革新の実現を仏教界にみるは、余の国家百世のため、仏法万歳のために大いに歓迎するところなり。ただしその革新がもし死仏教をして活仏教たらしむることあたわざるにおいては、余はあくまで反抗の態度をとらんのみ。

       第一六節 仰望偉人

 およそ新宗教、新宗派を開立して、祖師開山とならんと欲するものは、その識見、その人格、その徳望の傑出するところあるを要す。西洋にありてはルター、ツウィングリ、カルヴァン、ノックスのごときは、みな一世の傑物なり。わが国においては伝教〔最澄〕、弘法〔空海〕、親鸞、日蓮のごときも、同じく非凡の大徳なり。余のごとき浅識非徳のものいずくんぞよくこれに当たらん。余愚かなりといえども、なお己の資性の拙劣なるを自覚せざるほどの愚かにあらず。ただ余は仰ぎて大偉人の仏教界に輩出せんことを待望するのみ。

       第一七節 非僧而俗の素志

 元来余は真宗の門下に生まれしも、いささか時事に感激するところありて、僧門に衣食するを好まず、身を俗海に投じて、邦家のために微力を尽くさんと欲し、爾来自ら非僧非俗道人と称したりしも、その実は非僧而俗道人なり。しかしてその国恩に奉答するの道は、仏教の真理を発揚し、僧家の宿弊を洗除するにありと信じ、さきに『仏教活論』を著して、護国と愛理との二途ならざることを論じ、仏教と国家との相反せざるゆえんを説きたり。更に広く世人をしてこの道理を知了せしむるは、著述のみの力によるべからざるを自覚し、その結果哲学館を創設して、己の理想を実現せんことを企図するに至れり。

 人身受け難く、昭代遇い難し、余輩なんの好縁ありてか、幸いに人界に生をうけ、明治の隆運に会す。願わくばこの幸運を空しうせざらんことを思い立ち、あるいは筆硯の事業に苦辛し、あるいは学校の経営に拮据し、あるいは詔勅の普及に奔走したるも、その素志は始終を一貫してかわらず。二十余年一日のごとく、国運発展の万一を助成し、人生の本分を全うせんことを期するに外ならず。これ余が俗界にありて国家および社会の恩恵に報ぜんとする平素の志望なり。

       第一八節 先天の約束

 かくのごとくたとえ形骸を俗寰に寄せ、学籍を哲学に置くも、宗教信仰の一段においては、ほとんど先天の約束のごとく仏教を遵奉して今日に至れり。そもそも哲学は理性の学にして、宗教は信性の法なれば、余は理性上にては哲学を奉戴すると同時に、信性上にては仏教を崇信するものなり。もし理性と信性の別のごときは、拙著『哲学新案』に述明せるをもって、ここに重言せず。しかして仏教は哲学と宗教とを兼備せる法なり。これをもって余は仏教を講究すれば、理性信性の両方の要求を満たすことを得べきを知り、数十年来もっぱら仏教を研修するに至れり。

       第一九節 余の信仰の告白

 仏教中には宗派多岐に分かれて、その所立おのおの同じからず。もし人ありて余の信ずるところはいずれの所立なりと問わば、余は真宗なりと答えん。仏教は応病与薬の法と称して、その機根に相応ずる宗派を選択する自由を許す。しかるに余は最初真宗門下に生まれたる縁故と、幼時よりその門内の教育を受けたる素養とによりて、宗教の信仰としては真宗の所立が最も余の信性に適合せるを自覚す。これすなわち余の病に相応ずる良薬なりと信ず。

 しかれども余の真宗信仰は他の信者のごとく、狭隘偏屈なるにあらず。一方においては哲学上より仏教の教理はもちろん、真宗の宗意も自由に討究することを許し、向上発展の方針をとるべきものとなす。他方においては余が真宗を信ずると同時に、他人の他宗を信ずるを拒まず。各人その病その機に相応ずる法薬を信受すれば足れりとす。故に余は真宗信者中の最も教権の束縛を脱し、自由討究、随意信仰の開放主義をとるものなり。

       第二〇節 『仏教活論』の立案

 更に顧みて『仏教活論』編述の当時にさかのぼり、その立案いかんを考うるに、吾人は人類として真理を愛する点より、理論上仏教の哲理を開達するを要し、国民として国家を護する点より、実際上仏教の応用を刷新するを要すとし、理論の方を『破邪活論』『顕正活論』の二編に分かち、すでに上梓して世に公にせり。実際の方を「護法活論」と題したるも、いまだ起草するに至らずして、哲学館を開設したれば、校務多端、塵事蝟集、年一年よりはなはだしく、従来予告の著述は一時中絶のやむをえざるに至れり。その後神経衰弱症にかかり、閑地に就きて静養を加え、傍ら明窓浄机の下に今後の半生を送らんと欲し、断然意を決して二〇年間独力経営せる哲学館を退隠し、校務のごときは全部を挙げてこれを後継者に一任したり。爾来療養を兼ねて地方を歴遊し、山陬海隅、至るところに教育勅語、戊申詔書の聖旨を敷衍開設して、幸いに粗餐の責を免るるを得たり。客歳南半球遠遊中、先年予告せし「護法活論」を起草して、『仏教活論』を大成するの急要を自覚し、帰国後ただちにその準備に着手するに至れり。すなわちこの革新論なり。

 さきに『顕正活論』を編述せしより、二五年の星霜を隔て、社会の風潮も宗教の状態も大いに変移したれば、余の志向を発表する形式においても、自然に改変するの必要を感じ、「護法活論」の旧名を用いずして、新たに『活仏教』の題号を選定せり。したがってその内容も先年の腹案と同轍ならざるところあり。これここにあらかじめ告白しおかざるべからず。

       第二一節 厭世的仏教の末路

 方今西洋社会においては仏教の小乗的厭世風を拒絶することはなはだし。一時は仏教を歓迎せんとする傾向ありしも、かの地に伝わりし仏教が、元来セイロン、ビルマ方面より輸入せしものなれば、純然たる小乗にして、徹頭徹尾厭世的なり。故に文化を進捗し、国運を開達するに、害ありて益なきものとみなされ、一般に厭忌する風潮をきたすに至れり。わが日本においても近時厭世的仏教を好まざる趨勢となりたり。ただし国民の多数は積年の惰力により、旧来の崇信を継続するために、僥倖にして各宗が面目を改めざるを得るのみ。すでに上流の識見あるものは、日蓮を歓迎せんとする傾向ある一事に徴しても非厭世を喜ぶの一端を見るべし。日蓮宗はこれを他宗に比するに、楽天の風致と奮闘の事跡とを有するをもって、自然に時代の要求に適するところあり。しかれどもその日蓮もなお大いに刷新を要する点多きことを記取せざるべからず。

       第二二節 厭世の面目一新

 余をもってこれをみるに、日本の諸宗はいずれもその原理においては、必ずしも厭世たるべき理なしといえども、種々の事情に制せられて、その応用は厭世に傾くに至れり。もし宗教の真意よりいえば、いずれの宗教にても人間本位にあらざる以上は、厭世の評を免れ難し。ヤソ教のごときは自ら楽天教なりと称するも、その真面目はやはり厭世教なり。新教革新以前のヤソ教をみるに、小乗的仏教に異なることなかりき。しかるに時勢の要求に促されて、漸々その針路を楽天の方に変位するに至れり。わが各宗もこの実例に考えて、今日の活動的社会、奮闘的生活に適するように革新するを要す。これ国民一般の必ず歓迎するところなるべし。

 仏教の方面にても、国運を発展するの責任あるはもちろん、その興廃は国家の消長と相伴うことを忘るべからず。日蓮の語に、

  それ国は法によってさかえ、法は人によって貴し。国亡び人滅せば、仏をだれか崇むべき、法をだれか信ずべけんや。国家を祈って、すべからく仏法を立つべし。

 

とあるがごとく、わが日本の国勢他日よく海外を圧倒するにおいては、自然に仏教の宇内に伝播するに至るべし。ことに大乗仏教がインドに亡び、シナに衰え、ひとり日本に栄ゆるは、畢竟するに千四百年の久しき、皇室の擁護、国家の扶翼の賜なるは明らかなり。果たしてしからば仏教家たるものその鴻恩に報ずる心得にて、永く皇室の尊厳を保ち、国家の隆盛を祈らざるべからず。もしこの責任を全うせんと欲せば、各宗が大革新の急務なるを自覚し、自ら進みてこれを実行せざるべからず。

       第二三節 本論の題目

 宗教は一般に厭世を本領とするうち、ひとり大乗仏教はその原理において厭世的なると同時に世間的にして、かつ活動的なれば、これを革新して世界の大勢に適合せしむるは、ヤソ教を革新するよりなお容易なり。よって余はまずその原理性質を論じて、ようやく革新の方針および手段に及ばんとす。故に本論の題目を左のごとく定む。

   原理論

   性質論

   発達論

   革新論

   方法論

 右の順序を追うて余が積年の宿論を表明し、もって天下の公評を請わんとす。もしこの理想にして実現するを得ば、余が人生に生まれたる使命を全うせるものと信じ、いつ死すとも、快哉と呼びて瞑目し、喜び勇みて黄泉深処に向かうべし。

 

     第二段 原理論 一

       第二四節 仏教の体相用

 仏教の源泉は遠くインド、ガンジス河畔に発し、流れてシナに入り、分かれて日本に注ぎ、あるいは小乗大乗一乗三乗、頓教漸教、顕教密教、聖道浄土等の諸教となり、あるいは法華、華厳、天台、真言、禅宗、浄土、真宗、日蓮等の諸宗となり、法門多岐義類多端なりといえども、末を摂めて本に帰り、枝を去りて根に就かば、万法、因果、真如の三大原理の存するをみるのみ。これすなわち仏教の体相用なり。

  万法(相)・・因果(用)・・真如(体)

万法とは事々物々、千差万別の相状をいう、いわゆる宇宙の相なり。真如とは不生不滅の真理を意味し、事物の本源、万法の実体なれば、いわゆる宇宙の体なり。あるいはその理を指して涅槃という。この真如と万法、すなわち体と相との関係を示し、万法の生起を明かすものは因果の理法なれば、これを宇宙の用と名付くべし。

       第二五節 真如因果の二大理

 この体相用の三大元は実に仏教の全系にして、諸宗諸派の教相はみなこれより分出せる細目に過ぎず。もし仏教を一家にたとうれば、真如は礎のごとく、因果は柱のごとく、万法は屋壁のごとし。たとえばここに一家あり。遠くこれを望むに最初目に触るるものは、柱にあらず礎にあらずして、屋壁なり。ようやく近づききたり、その内部をうかがうに及んで、屋壁のよって立つゆえんは柱礎あるによるを知る。これと同じく吾人の目に最初触るるものは、宇宙の相状たる事々物々の万法なり。その万法を熟察精究してのち、初めて仏教の大廈は真如因果の体用を柱礎として巍立せるゆえんを知るに至る。故に三大元を要約すれば、

   真如

   因果

の二大理となる。すなわち真如を礎とし、因果を柱として、仏教全系の構成せらるるをみる。世に仏教の根本原理は真如涅槃の一理体のみとする説あるも、これ余のとらざるところなり。

       第二六節 小乗の人身観

 この理を証明するに、まず小乗大乗の所立につきて叙述せざるを得ず。小乗にては人身を分析して色受想行識の五種より成るを見、宇宙を分解して七五種の法体より成るを知り、この諸元の集散離合によりて、我あり人あり、物あり心あり、天地あり世界あり、この諸元を離れて一事一物なしとす。そのいわゆる色は物質にして、これを色法といい、受想行識は精神にして、これを心法という。この色心二法相合して仮に人我あるを見るも、ひとたび分散すれば人我なし。故にわが身は五蘊仮和合の境涯なりとす。五蘊とは色受想行識を指す。これ小乗の人身観なり。かくして無我の結論に達す。すなわち吾人の身体中に一定不変、確然不動の我体ありと信ずるを迷いとし、無我の理に体達するを悟りとするなり。

       第二七節 小乗の世界観

 つぎに七十五法を類別して、有為無為の二法とし、有為の諸法は転変生滅あるも、無為法は不生不滅なりとす。たとえば虚空のごとき涅槃のごときは不生不滅なれば、無為法に属し、人獣魚虫、山川草木、天地日月のごときは生滅無常なれば、有為法に属す。その有為法の生滅無常なるは、諸元の集散離合より生ずるものにして、もしその諸元の自体を査定すれば、みなつねに実有なるものとす。その説を法体恒有という。これ小乗の世界観なり。よって人身観にては無我をもって真理とし、世界観にては法有をもって真相とす。これを我空法有説と名付く。我空とは無我のいわれなり。小乗中にも多少の異説あれども、古来この我空法有説をもってその標本と定めり。

       第二八節 因果の作用

 諸法は無我なり、法体は恒有なり。その恒有なる法体が相集まりて我を生じ、世界を現ずるは、因果の作用あるによる。その散ずるもまた因果の作用なり。すべて生あり滅あり、転変あるは一として因果の作用ならざるはなし。因明の語中に「諸行は無常なるべし、所作性なるが故に」とあるは、因果によりて造り出されたるものとの意なり。故に因縁性のものはみな無常なりとす。その集まるには集まるの因あり、その散ずるには散ずるの因あり。因きたりて物生じ、縁去りて物滅す。この道理をもって宇宙万象の変化を説明するは、小乗大乗の共にとるところなり。故に諸法の起本は実に因果にあり。

       第二九節 小乗の涅槃の真相

 有為の諸法に因果をもって起本とするも、無為の涅槃に至りては生滅なく、常住なるものなれば、因果の関するところにあらず、因果を超絶せる境遇なり。この境遇に昇進転入するをもって、吾人の究竟の目的とする一段に至りては、大小二乗のその軌を一にするところなれども、涅槃の見解においては大いに相違するところあり。小乗所立の涅槃は、消極的にして、世相の生滅を断尽し、苦楽を滅無したる状態を指すに過ぎず。すなわち空々寂々、虚無暗黒の涅槃なり。故にその状態を説きて身心都滅、灰身滅智といい、心灯の滅して暗黒となりたるがごとき境涯なりとす。換言すれば死物的涅槃なり。そのうちには生なく活なく、明なく覚なきものなり。またその涅槃界と生滅界とは隔歴絶縁のものとす。故に大乗家より小乗を斥して外道の一種に加え、真の仏教にあらずとするは一理なきにあらざるを知るべし。

       第三〇節 三法印の名義

 古来仏教と非仏教とを判別するに三項の標準あり。これを三法印と名付く。その名目左のごとし。

  一、諸行無常  二、諸法無我  三、涅槃寂静

この三法印に合するものを仏教とし、合せざるものを非仏教とす(『雑阿含経』『智度論』『婆沙論』等に出づ)。しかるに小乗はまさしくこれに合するものなれば、仏教たるに相違なきも、ただその見るところ狭く、究むるところ浅きのみ。しかしてその三法印は余のいわゆる万法、因果、真如の三大元に外ならず。諸法諸行は万法の差別的方面にして、無常無我は因果の作用なること言を待たず。しかして涅槃寂静は真如の静的状態を指したる語なり。更に諸法の生起するゆえん、諸行の遷流するゆえんを尋ぬるに、これまた因果なり。故に三法印は因果と真如との二大理に帰着す。小乗はこの三法印を柱礎として建立せるものなれば、やはり因果と真如とを根底とすること明らかなり。

       第三一節 小乗の修行

 以上は小乗を哲学の方面より観察したるものなるが、更に宗教の方面より審判するに、哲学は理想的論究にして、宗教は実際的修行なり。小乗の修行は、あるいは苦集滅道の四諦を観修し、あるいは無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の十二因縁を覚了し、その期するところは諸法生滅の迷界を脱して、涅槃寂静の悟界に進入するにあり。故にその目的は涅槃の彼岸に到達するにあれども、これに到達する階梯は全く因果の理法による。

       第三二節 四諦の解釈

 まず四諦を考うるに、苦集は迷門の因果、滅道は悟門の因果なりとす。そもそも人生は苦境なり、生老病死あり、禍災憂患あり。もしその苦をいといてその因を求むるに、煩悩惑業の集まりて招ききたせるものなるを知る。これを苦果をみて集因を知るとなす。これ迷門にして、これを有漏の果因という。漏とは煩悩の異名なり。これに反してその苦の滅したる境涯は涅槃の彼岸にして、その彼岸の無苦唯楽の境涯なるをみて、これに達する道因を求むるに、戒定慧の三学を修習せざるを得ざるを知る。すなわち滅諦は涅槃を指し、道諦は戒定慧三学の修行を指す。これ悟門にして、無漏の果因という。これを要するに四諦は迷悟の因果を示すものと知るべし。

       第三三節 十二因縁の解釈

 つぎに十二因縁の解釈は数書に出づるが、左に『三蔵法数』によりてその大意を説明すべし。

  第一の無明とは、過去世の煩悩が本性を覆うて明了するところなきをいう。

  第二の行とは、過去世の身口に造作する一切の善不善の業をいう。

  第三の識とは、過去の惑業相ひくによりて、この識をして母胎に投托せしむ。すなわち最初母胎にまさしく生を結ぶ時の蘊をいう。

  第四の名色とは、名はすなわちこれ心なり。心ただ名ありて形質なし。色は色質にしてこれ身なり。すなわち託胎以後数週を経て、諸根の形を生じて四肢相分かる、これを名色という。

  第五の六入とは、名色以後更に数週を経て髪毛爪歯を生じ、ようやく開張して諸根具足し、六塵に入るの用あるをいう。

  第六の触とは、出胎以後三、四歳に至るとき、六根外境に触るるといえども、いまだ苦楽を生ずる想を了知することあたわざるをいう。

  第七の受とは、五、六歳より一二、三歳に至るの時に、六塵に触れてよく対境の好悪等を受納するも、いまだ淫貪を起こすことあたわざるをいう。

  第八の愛とは、一四、五歳より一八、九歳に至る時に、種々愛求の念を生ずるをいう。

  第九の取とは、二〇歳以後貪欲の心が五塵の境に向かって追馳するをいう。

  第一〇の有とは、諸境を馳求するによりて善悪の業を起こし、三界六道の果を牽引するをいう。

  第一一の生とは、現世の善悪の業に従って、後世六道中に受生するをいう。

  第一二の老死とは、来世の受生以後、五蘊所成の身熟し終わりて、還りて衰壊するをいう。

 以上は文字につきての略解なり。もしその要旨を約言すれば吾人の生老病死の苦果をみてその因を究め、終わりに無明に達し、この無明が因となりて、種々の惑業苦境を縁起し、その結果、生死界に流転出没するに至るゆえんの階段順次を開示せるものなり。無明とは煩悩を指す。これを過去、現在、未来の三世に配合して、三世両重、二世一重の類別をなす。今左にその表のみを挙示せん。

  三世両重 過現一重 過去 二因 無明

                  行   能引

            現在 五果 識

                  名色

                  六入  所引  十因

                  触

                  受

       現未一重 現在 三因 愛

                  取   能生        二世一重

                  有

            未来 二果 生

                  老死  所生  二果

この表に照らすに十二因縁はもとより因果の作用に外ならず。かくのごとく煩悩惑業をもって生死の境涯の起本とする説明を業感縁起説という。

       第三四節 小乗の骨目

 小乗の哲学にては万象を分析して、人身も世界も因果によりて生滅変遷するゆえんを論明し、これを宗教に応用して苦楽を転換する道も、因果によらざるべからざる理由を証立し、その終極の目的は涅槃に悟入するにありとす。故に小乗の起点は万法界にして、終点は真如界なり。しかしてこれを連結するものは因果の理法なり。因果に善悪の二種を分かち、更に有漏の二類を設け、善因は善果を引き、悪因は悪果を結ぶべく、有漏因を積めば有漏果をきたし、無漏因を修むれば無漏果を招くべく、迷界に出没するも悟界に昇進するも、因果の作用によらざるはなしと定む。故に余は小乗の骨目となるものは、帰するところ、因果と涅槃との二大理に外ならずと断言するをはばからざるなり。

       第三五節 法相宗の哲学

 つぎに大乗の所立をみるに、権大乗と実大乗との類別あれば、まず権大乗につきて略説せざるべからず。権大乗中法相宗の哲学は小乗を継続し、更にその上に論歩を進めて、外界の万象を心界に収め、唯心論を開立したるものなり。小乗にて有為の諸法を色心二元に摂したるは、いわゆる物心二元論なるが、法相宗にてはこれを一変して唯心一元論となせり。また小乗にては無我の理を証明したるも、諸法の体は実有なりとして、我空法有説をとるに反し、法相宗は諸法の体も心界の所現に外ならざれば、これまた空なりとして、我法二空説をとれり。要するに法相宗は純然たる主観論なり。

 今その唯心論を述ぶるに、心界を分かちて八種とし、その第八位におるものを阿頼耶識と名付く。これを訳して蔵識という。これを蔵と名付くるは諸法の種子をその体内に包蔵せるによる。この種子より外界万象を開現するに至るとなす。これを頼耶縁起説と名付く。しかして諸法を開現すべき種子は阿頼耶識中に本来具存せりとなす。これを本有種子という。すなわち物心万象の因なり。その種子が、前七識の作用によりて、万象を開現するに至るは果なり。その果が更に新種子を阿頼耶識中に熏殖するを新熏種子と名付く。これ果が更に因となるものなり。その新熏種子が諸法を生起する因となる。これを「種子は現行を生ず、現行は種子を熏ず。」(種子生現行、現行熏種子)という。これにおいて第八識と前七識とは互いに因となり果となるの関係を有す。その関係を互為因果という。

 『唯識論』に曰く、「諸法を識において蔵し、識は法においてもまた爾なり。更互に果性となり、また常に因性となる。(中略)阿頼耶識ともろもろの転識とは、一切の時に展転して相生じ、互いに因果となる。『摂大乗』に説く。阿頼耶識と雑染法とは互いに因縁となる。炷と炎と展転して生じ焼けるがごとし。また、束蘆の互いによりて住するがごとし。」(

                              )    

 

またその種子と現行との前後の関係を説きて同時なりとす。これを因果同時の法門という。

       第三六節 因果の起源

 小乗は因果をもって諸法生起の原理となすも、その起源を明示するに至らず。法相宗は因果の根元にさかのぼり、八識相関の理より互為因果、同時因果を論定するに至る。また論理の一段の進歩なり。しかして一切万法は識心より変現し、八識自体の種子は阿頼耶識所蔵の種子より開発すると立つる点よりみれば、因果の本源は帰するところ阿頼耶識中にありといわざるべからず。これを要するに万法生起の原理を因果の作用に帰するは、小乗、権大乗の共に一致するところなり。

       第三七節 無為法の自体

 以上は有為法の説明のみ。もし無為法の自体を考うるに真如あるのみ。阿頼耶識は諸法の根本なるも、有為法に属す。故に諸法と共に生滅を継続するを免れず。しかして真如は不生不滅なり。この真如と阿頼耶識との関係につきては、おのずから体用の別あり。阿頼耶識は真如によりて立つものなれば真如をもってその体とす。しかして真如はただその所依の体となるのみにて、諸法を縁起する作用を有せず。これを「真如は凝然として、諸法を作さず。」(真如凝然、不作諸法)という。しかして諸法を縁起する作用は阿頼耶識にありとす。すなわち因果の理法の活動する舞台はこの識にありとす。これを要するに、宇宙の本体は真如とする説なり。

       第三八節 法相宗の事理二界

 以上の所説によりて、法相宗の原理も万法と因果と真如との三大元なるを知るべく、その三大元を追究すれば因果と真如との二大理に帰するを知るべし。もし事理の二界につきていえば、有為の事界は因果の原理の支配に帰し、無為の理界は真如の独占に帰するなり。しかしてこの二界は互いに隔歴して存し、融合せるにあらずとするは法相の所立にして、これを事理隔歴の法門という。

       第三九節 法相宗の三性説

 事理二界は隔歴すというも、その二者の間は小乗所説のごとく、絶縁なるにあらず。この関係を示すに遍依円三性の説明あり。第一の遍計所執性とは一切諸法は我空法空なるに、吾人の妄情迷見によりて実我実法ありと執する方をいい、その体、実在せざるもの故、これを妄有とす。遍計所執の名は諸法を遍く計度分別して、実我実法ありとの迷執を起こすの意なり。第二の依他起性とは他の因縁によりて生起するの意にして、因縁所生の法は有にして空にあらざるをいう。これを仮有とす。第三の円成実性とは円満成就真実の義にして、真如の自体を指したる名目なり。これを真有とす。この遍依円三性、妄仮真三有につきて、法相宗における事理二界の関係いかんを知るべし。かつこの三性がまさしく余のいわゆる仏教の三大元を示すものなるをみるべし。すなわち

  万法につきて遍計所執性を立て、

  因果につきて依他起性を説き、

  真如につきて円成実性を説く。

故に法相宗の遍依円三性は仏教の三大元の真妄を論明したるものと定むべし。そのうち第一を妄有とし非有とし、第二を仮有とし非空とし、第三を真有とするをもって、因果と真如との二者を非空実有とするものなれば、三大元は帰するところ二大理となるを知るべし。

 更に遍依円三性の関係につきて中道の妙理を開説するあり。遍計の空と依円の有とを対望して、前者は空にして有にあらず、後者は有にして空にあらず、畢竟するに非有非空の中道なりとす。その中道の理を敷衍しきたり、三性を対望して非有非空を立つるを要せず、物心万差の諸法中、一法一法の上に中道の妙理を具することを唱うるに至れり。

       第四〇節 法相宗の宗教門

 以上は法相宗哲学の大綱にして、この理を応用したるものが宗教の所立なり。まず哲学の方面にては一切諸法に実我実法なきゆえんを証明したる結果を応用しきたり、宗教の方面にては我法実有の迷執を観破する方法を設く。すなわち一家特有の唯識観を起こし、万法唯識、識外無法の理を達観せざるべからず。これを達観する方法に至りては、もとより戒定慧三学を要するなり。かくして有漏の識を転じて、無漏の智を得せしむ。これによりて証得したるものは涅槃なり。しかしてこの涅槃は小乗のごとき暗黒的涅槃にあらずして、慈智を円満せる光明的涅槃なり。もし各人が生死界を脱離して涅槃に帰入するに至らば、これすなわち成仏なり。しかるときは智光明らかなるをもって、生死に住せず、慈心満つるをもって涅槃に住せず、自利利他円満成就すという。

 その宗教門の目的は涅槃にあることむろんなりといえども、これに到達する修行の方法は、我法二執の迷障を断尽するにも、有漏識を転捨して無漏識を証得するにも、みな因果の規程に従いて履修せざるべからず。戒定慧三学共に因果の原理に基づかざるはなし。故に権大乗法相宗は小乗と同じく哲学宗教両方面において、因果と真如とを柱礎とせること明らかなり。ただ小乗と権大乗との別は、小乗は因果の作用を説くも、その根元を示さず、真如の境遇を説くも、その内容を示さざるに反して、権大乗は主観的に因果の根元および真如の内容を明示開説するにあるを知るべし。

       第四一節 五性各別の法門

 法相宗の特色とするところは、五性各別、三乗各別を立つるにあり。三乗とは声聞、縁覚、菩薩にして、衆生中生来、声聞性のものと、縁覚性のものと、菩薩性のものとありて、その性を転換することあたわずという。その三乗性の外に不定種性と無性有情の二性あり。不定種性は三乗の各性の一定せざるものをいい、無性有情は生来全く成仏の性を有せず、必定して涅槃の仏果を証得することあたわざるものをいう。これを合して五性各別と唱うるなり。かくのごとく衆生の機類に成仏不成仏の別を立つるは、種子説をとるによる。吾人の阿頼耶識中に本来包有せる種子に三乗性、成仏性、不成仏性の別あるものなれば、その結果に至りても五性各別なるべきものとなす。これまた因異なれば果もまた異なるの因果の規則によること明らかなり。

       第四二節 三論宗の所立

 権大乗中に加わるものは法相宗の外に三論宗あり。その宗はすべて吾人の有と執し、空と執する諸見をことごとく破斥し、その極一も執着するところなきに至りてとどまる。これを有所得の見を破して、無所得の理をあらわすという。この説によれば真如は真空の状態に帰し、因縁所生の諸法は絶無たるべき理なれども、三論にては別に真俗二諦の法門を設けて、真空と説くは真諦門の沙汰となす。もし俗諦門にきたらば諸法の仮有を許し、空は宛然として有となり、因果は歴然として存することとなる。しかしてこの真諦と俗諦とは相離れず、俗諦あるをもっての故に、真際を動かさずして諸法を建立し、真諦あるをもっての故に、仮名を壊らずして実相を説くという。これに至りて三論の所立も万法、因果、真如の三大元を根底とし、また因果と真如との二大理を柱礎とすることを知了すべし。

       第四三節 天台宗の真如万法

 以上は大乗中の初門たる権大乗の所立なるが、つぎに実大乗をみるに、まず天台宗にては法相宗の凝然真如の静止的を一転して、活動的となし、真如の水が動きて、万法の波を現ずることを唱え、水すなわち波、波すなわち水なるがごとく、真如即万法、万法即真如と説ききたり。この二者は同にして異、異にして同なりとす。その関係を不一不二という。これにおいて法相の事理隔歴の法門が一変して、事理融通の秘奥を開くに至れり。また法相にては万法唯識の唯心論を成立せるも、その唯心は人々個々の唯心にして、彼我の差別を有する唯心なり。これに反して天台にては絶対の一元の上に唯心を説ききたりて、真如自体の上にただちに彼我自他の差別を現立することを示せり。よって前者は相対的唯心論となり、後者は絶対的唯心論となる。

       第四四節 空仮中三諦の法門

 この事理相関の理を説くに空仮中三諦の法門あり。千万差別の諸法はその自体なきものなれば、これを空諦とし、たとえその体なきも、縁にしたがい事に応じて、万境を開現するに至るをもって、これを仮諦とす。しかしてこれを空とし仮とするは相対の沙汰にして、もしその真相をいえば空にして仮、仮にして空なるが故に、これを中とす。この三を合して空仮中三諦と称するなり。その三諦を仏教の三大元に配合すれば、

  万法につきて空諦を唱え、因果によりて仮諦を説き、真如に基づきて中道を立つるなり。

換言すれば空仮中三諦すなわち宇宙の三大元なり。

 更にその空諦を推究するに、万法生起の作用は因果の理法に外ならざるをもって、因果と真如との二大原理に帰着すること、法相等の下に述ぶるところに異ならず。ただ法相にては真如と因果とを別置して、真如の自体よりただちに因果の作用を起こすことを説かず。因果は有為法の中心となり根本となるところの第八阿頼耶識の体中に固有せるものとなすに反し、天台にては因果の作用は真如自体より起こるものとなすの異同あるのみ。よって天台の絶対的唯心論にては、万法も因果も真如もその実一体にして、余のいわゆる三大元も二大理も、一元一理に帰するを知るべし。しかしてその一元一理の上に三大元二大理を成立するもの、これ天台哲学の妙趣なりとす。

       第四五節 因果不二

 すべて天台にては不二の法門を設け、色心不二、内外不二といい、因果もまた不二となす。その語に曰く、

  因果のことなることなければ、始終の理は一なり。(中略)これすなわち不二にして二。因果のことなるを立つは、二にして不二、始終の体は一なり。

 

 

この因果体一とみるは事理融通、万法無礙の理に基づく、体一にしてしかも別あり。これを不二にしてかつ不一なりとなす。故に因果の関係も同じく不一不二の四字をもってあらわすを得、これを大乗最高の法門とす。

 また天台にては「一色一香も中道にあらざることなし。」(一色一香無非中道)と説き、これを宗教門に応用して、「国土山川、ことごとくみな成仏す。」(国土山川悉皆成仏)を唱え、『金錍論』には「一草一木、一礫一塵、おのおの一仏性、おのおの一因果なり。」(一草一木、一礫一塵、各一仏性、各一因果)と論断するも、その宗の得意とするところなり。

 

     第三段 原理論 二

       第四六節 天台の宗教門

 天台の哲学門を説きおわりて、更に宗教門をうかがうに、一心三観の観門を知らざるべからず。三観とは三諦の理を観照する意にして、空も仮も中も一心中にありと達観するを一心三観というなり。この観法によりて凡夫の迷情を転じ、仏果の証智を開くをもって一宗の要旨とす。これもとより迷悟因果の理を証して、涅槃の仏果を開現するの意に外ならず。すなわち涅槃を目的とし、因果を階段とすることは、小乗、権大乗の所立とすこしも異なることなし。しかして天台と法相との相違は五性三乗を立てず、一切衆生ことごとく成仏の果地に至ることを説く。よって法相を三乗教と名付くるに対し、天台を一乗教と名付く。ひとり天台のみならず、実大乗の諸宗はみな一乗教なりと知るべし。

       第四七節 実相の一印

 さきに(第三〇節)仏教と外道とを識別する標準は三法印にあることを述べしが、この三法印は小乗大乗に通ずる標準なり。しかるに小乗に対して大乗の特色を示すときには、諸法実相印をもって標準とす。その源は『智度論』に出づ。その意を敷衍せる『法華玄義』の文、左のごとし。

  もろもろの小乗経はもし無常と無我と涅槃の三印ありてこれを印すれば、すなわちこれ仏説なり。これを修すれば道を得ん。三法印なければすなわちこれ魔説なり。大乗経にはただ一法印のみあり、諸法実相をいう。『了義経』と名付け、よく大道を得る。もし実相の印なくんば、すなわちこれ魔の説くところなり。

 

 

これ大乗にて万法即真如、生死即涅槃と説けるによる。

 この実相を天台にては空仮中三諦の理をもって説明せり。左に再び『法華玄義』を引用してこれを証せん。

  一実諦とはすなわちこれ実相なり。実相とはすなわち経の正体なり。かくのごときの実相は即空仮中なり。即空の故に一切凡夫の愛論を破し、一切外道の見論を破す。即仮の故に三蔵の四門の小実を破し、三人共見の小実を破す。即中の故に次第の偏実を破す。またもろもろの顛倒小偏等の因果四諦の法なく、また小偏等の三宝の名なし。ただ実相の因果のみありて、四諦三宝宛然として具足す。またもろもろの方便の因果四諦三宝を具す。なにをもっての故に。実相はこれ法界海なるが故なり。ただこの三諦はすなわちこれ真の実相なり。

 

 

 

 

『智度論』には「諸法の実相はすなわちこれ般若波羅蜜なり。」(諸法実相即是般若波羅蜜)(同論、巻一八初紙)とあり。要するに万法の本体たる真如を指して実相と名付けたるは論を待たず。

       第四八節 三法印と実相印との異同

 三法印の万法、因果、真如の三大元を根拠とすることたやすく知了すべきも、実相印に至りては真如一元のみに帰すべし。しかるに何故に余は仏教の三大元を主唱するやとは衆人の必ず起こすべき疑問ならんと信ず。故にあらかじめ一言の答弁をなさざるべからず。諸法とはなんぞや。曰く、万法なり。実相とはなんぞや。曰く、真如なり。この諸法と実相との関係を示すものはなんぞや。曰く、因果なり。故に諸法実相は余のいわゆる万法、因果、真如の三大元を短縮せる語のみ。かつ余の所見によるに、三法印も実相印も必ずしも別物にあらず、ただ語句の上に詳略の差あるのみ。三法印中の諸行無常、諸法無我の二印は、実相印の諸法の二字中に摂するものとみるべし。第三の涅槃寂静は実相と同じく真如の理体を指すものなれば、もとより同印なり。ただし真如の相状を説く点が、小乗と大乗と相異なるのみ。

       第四九節 実相と万法因果との関係

 更に実相の語につきて考うるに、実相とは諸法に関連する語にして、目前に諸法あるが故にその実相いかんの説起こるなり。もし最初より諸法を全くなきものとすれば、実相は無意味の語となるべし。故に実相の語中に諸法を具するを知り、実相と説く前に諸法の仮立を予定せざるを得ず。更にまた諸法の語につきて考うるに、そのうちに因果の語の伏在せるを知るべし。今吾人が諸法の現立をみて、その実相の真如なることを知るは、なんの理によるかを思いきたらば、因果の理法によることむろんなり。ことに諸法そのものが因果によりて生起せるものなれば、その語中に因果の理を含むことおのずから瞭然たり。『婆沙論』(巻二〇の一七紙)に「諸法の生滅はみな因縁による。」          とあるがごとく、因果を除き去らば諸法の生ずべきはずなし。故に諸法実相は三大元を縮説せるものなるは明らかにして、更にこれを要約すれば因果と真如との二大理に帰することまた疑いをいれず。

       第五〇節 『起信論』の真如縁起

 つぎに華厳宗の大要を述ぶる前に、『起信論』につきて一言する必要あり。この論は実大乗の真如縁起を最も簡明に説示せるものなり。その説によるに諸法の本体は一心とす。その一心はすなわち絶対にして、真如これなり。この真如の本体に更に心真如、心生滅の両面あることを示せり。すなわち不変真如、随縁真如これなり。そのいわゆる不変真如は静的方面にして、随縁真如は動的方面なり。その動的方面において諸法の生滅を縁起したるものとし、その生滅の起源を無明に帰するに至れり。故にその語に曰く「一切世間の境界の相、みな衆生の無明の妄念によりて建立するを得、云々。」                        とあり、その意を約するに万法の本体は真如にして、真如より万法を生起するに無明の内熏あるによるとなせり。このいわゆる無明は諸法生滅の根本因に与えたる名目なることは問わずして明らかなり。その因によりて生じたる果は生滅の諸法、すなわち差別の万法なり。もし無明の起源を追尋するときは、無始以来相続せるものとなる。これすなわち無始因果なり。

 また一心中に覚と不覚との二性あることを説き、その不覚性によるが故に、生死界に流転するに至り、覚性によるが故に、涅槃界に帰入することを得るとなす。前者を流転門といい、後者を還滅門という。しかしてその流転するに至るも還滅するに至るも、すべて因果の作用によらざるはなし。つまり真如と因果と万法とは相離るべからざる関係を有す。よって『起信論』に左の所説あり。

  いわゆる諸法は自性不生なりと念ずといえども、またすなわち因縁和合、善悪の三業と苦楽等の報とは不失不壊なりと念ずべし。因縁善悪の業報を念ずといえども、またすなわち性不可得なりと念ずべし。

 

 

また同論の体大、相大、用大は、余のいわゆる三大元に当たることは説明を要せずして知るべし。これによりてこれをみるに、『起信論』の所説も三大元および二大理を根底とせること明らかなり。

       第五一節 華厳宗の無尽縁起

 華厳宗において万法の上に真如縁起を説くことは、『起信論』に同じ。すなわちその縁起は因縁和合して諸法を生起する義なれば、因果の作用によるものなり。ただし『起信論』の縁起は一相縁起と名付け、真如の一心より一直線に漸々次々、縁起しきたるものなり。しかるに華厳の縁起は一切諸法、事々物々、相即相入して無尽なるものなり。これを法界縁起とも、無尽縁起とも名付く。その無尽の状態を示すに、十玄六相の法門あれどもこれを略す。これ華厳の哲学門なり。

 もしその宗教門によらば、迷悟の別を立てて、修行の階段を設け、善悪因果の理法によりて仏果に至ることを説く。天台もこれと同じく哲学門にて万法即真如、生死即涅槃を唱えながら、宗教門にては迷悟染浄の別を説く。すでにその別あれば、戒定慧の三学によりて修行せざるべからざることとなる。これを要するに華厳にても余のいわゆる三大元二大理を基礎とすること天台、起信等に異ならず。

       第五二節 真言宗の六大縁起

 つぎに真言宗の所立は天台、華厳の真如の理を本とし、万法の事を末としたる説を一転して、事を本とし理を末とし、仏も衆生も世界もみな地水火風空識の六大より造出せられたるものとなす。これを六大縁起という。この説は真如を事相の上に移して縁起を談ずるものに過ぎず、すなわち即事而真というはこの意なり。また『般若心経秘鍵』に「それ仏法ははるかにあらず、心中にしてすなわち近し。真如外にあらず、身を棄てていずくんか求めん。」                     とある語をみても、真如を吾人の身心に寄せて説きたるものなるを知るべし。またその真如を開発して即身成仏するには、三密の修行を積むを要すとなす。これ因果の理法を本となせることは問うを待たず。

 かくのごとく哲学門においては仏も衆生もみな六大所造にして、差別なきを説くも、宗教門においてはわれらは迷情に遮られて、その理を開顕することあたわず、よって真言一家の修法たる三密加持を行って、即身成仏せざるべからずと唱え、迷悟因果の理を説くこと、他宗の所談に同じ。故に『秘蔵宝鑰』巻中に「煩悩の因縁に数量あることなければ、解脱の因縁もまた数量あることなし。」                    との語あり。これによりてみるに真言宗も三大元二大理を根拠とすること明らかなり。

       第五三節 禅宗の所立

 そのつぎに述ぶべきは禅、浄土、日蓮の諸宗なるが、この諸宗の原理は全く法相、三論、天台、華厳にて論定せるものに基づき、三大元二大理によりて組み立てたるものにして、ただその応用の方面を異にせるのみなれば、詳説するを要せず。わずかに一言を添うるをもって足れりとす。まず禅宗は名のごとく禅定宗にして、戒定慧三学中の禅定によって立宗したるものなり。しかれどもその禅定の中には戒学も慧学も、六度万行ことごとく摂入せるものとなす。かつ不立文字、教外別伝を唱うるをもって、一切の行法を設けざる主義なれども、因果の理を排去するにあらず。すでに禅定によりて成仏するというは、一は因、一は果なることもちろんなり。『無門関』の序頌に「大道門なく、千差路あり。この関を透得せば、乾坤に独歩せん。」                    とあり、そのいわゆる千差路ありとは因果に当たる。すなわち禅宗は無門中に門あり、路なきところに路ありて、因果の階段を設くるなり。

       第五四節 浄土宗および真宗の所立

 そのつぎの浄土宗および真宗のごときは念仏為本にして、一向専念無量寿仏の宗意なり。故に他の諸宗のごとく衆生の方にて修行するを用いず、阿弥陀仏の他力によりて成仏することを説く。しかるときは因果の理にもとり、因なくして果を得るに似たるも、すでに称名または信心によりて成仏する以上は、その称名その信心が因となり、成仏が果となりて、これまた因果の理によること明らかなり。真宗は浄土宗とややその趣を異にして、信心正因を唱え、成仏の因は信心にありとするは、やはり因果の理によるものとす。

       第五五節 自力教と他力教との相違

 浄土教の他力を本とするゆえんは、衆生の方にて修むべき因を、阿弥陀仏の方にてわれらに代わりて修められたれば、わが方にて修行を積むに及ばずとなす故なり。ここに真如、因果、万法を、

  仏・・因果・・衆生

の三元に配合して考うるに、他の諸宗すなわち衆生の自力を本とする諸宗においては、因果を衆生の方に寄せてみる。故に衆生自身が善因を積まざれば、成仏することあたわざるわけになる。しかるに浄土教にては因果を仏の方に寄せて、阿弥陀仏の体中に無量の善因の積集せるものとなす。故に自力の修行を要せずと立つるに至る。他語にてこれをいえば自力教の方にては、衆生が因果の階級を踏み、向上して仏地に進到するゆえんを説き、他力教の方にては、仏が自ら因果の理法を体し、向下して衆生に照臨するゆえんを説きたるの別あり。

  仏↑因果↑衆生(自力教)

  仏↓因果↓衆生(他力教)

これによりてこれをみるに、自力教も、他力教も、衆生と仏との間に、因果を介立せしむることは同一なるも、ただ向上向下の相違によりて、自他の別を生ずるのみ。故に浄土教も、因果の原理に基づくことは明々白々なり。

       第五六節 日蓮宗の所立

 つぎに日蓮宗は天台の法門の上に三大秘法を建設して、成仏の近道を開立せるものなり。三大秘法とは本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇をいう。しかしてその体は妙法蓮華経の五字に外ならず。すなわち本門の本尊とは妙法五字を本尊とするをいい、本門の題目とはこの五字を唱修するをいい、本門の戒壇とはこの五字を受持するをいう。よって三大秘法は身口意の三業に当たり、本尊は意に念じ、題目は口に唱え、戒壇は身に持つものとす。これ実に日蓮宗の戒定慧三学なり。この秘法の実修によりて、二生、三生を待たず、一生にして即身成仏の妙果を証得すという。しからばその秘法、その題目が因にして、成仏が果なることまた瞭然たり。

       第五七節 哲学的三大元と宗教的三大元

 上来日本伝来の諸宗につきて仏教の原理を探りしに、いずれも万法、因果、真如の三大元を根底とし、なかんずく因果、真如の二大理を柱礎とせざるはなきを知る。浄土教の下に仏と因果と衆生とを掲げたりしは、これ宗教の実際上の三大元にして、仏は真如に応合し、衆生は万法に応合するものなれば、前の三大元と全くその体を同じうす。すなわち仏は真如と同体にして、しかも特殊性を帯ぶるものなり。その異同のごときはのちに至りて述ぶべし。衆生は万法中の一部分なること言を待たず。哲学の方面にては普遍的に類別し、宗教の方面にては特殊的に類別するために、

  真如・・因果・・万法 哲学的三大元

  仏・・・因果・・衆生 宗教的三大元

右のごとき相違をみるも、その実、同軌一轍なり。

       第五八節 諸宗一貫の大理脈

 三大元および二大理中、真如涅槃が宇宙の本体にして、究竟の目的なることは、仏教の一端をうかがうものの熟知するところなれば、重ねて説明する必要なきも、因果が万法の起源にして、真如と同じく諸宗諸派を一貫せる大理脈なるゆえんにつきては、多少質疑を起こすものあらんを恐る。よって更に一言を付説せんとす。仏書中には、あるいは因縁と説き、あるいは縁起と説き、あるいは業感、あるいは応報等というは、みな因果の作用を表示せる語なることをあらかじめ知らざるべからず。しかしてその因果は物質的、客観的にあらずして、精神的、主観的なることをあわせて心得おくを要するなり。

 仏教の経論疏釈、実に汗牛充棟にして、ほとんど幾万巻あるを知らざるほどなるも、一巻片冊として因縁因果を説かざるものなし。哲学門において万象万化の起こるゆえんを究め、ついに真如の実在を認識するに至れるも、全く因果の理法に基づき、真如の水が動きて万法の波を現ずるに至れるも、同じく因果の作用による。また宗教門において万法の波間にただよいつつある衆生が、進みて仏果涅槃の彼岸に達するにも、仏が大悲心をもって衆生を救済せんとするにも、因果の階段を経由せざるはなし。その理由は前に述べたるところによりて、すでに明らかなりと信ず。

       第五九節 仏教の起点および無明の根元

 仏教の起点は目前の世界、すなわち万法差別の現象をみて、その由来を究めんとするに始まり、あるいは人身観を起こし、あるいは宇宙観を究め、その結局、万法生起の原理は因果の理法なることを知了するに至れり。これにおいて小乗は業感縁起説により、権大乗は頼耶縁起説により、実大乗は真如縁起説によりて解決を下せり。この三種の縁起説のいかんはすでに解釈したれば、重述せず。しかして諸法生起の根元は無明の妄念なることは、小乗、大乗の共に一致するところなり。これ実に迷界因果の起本たり。

 ここに無明というは不明の一物の実在せるがごとく思うも、決して物体あるにあらず、心界もしくは真如界中の迷因たるのみ。換言すれば真如の外的発動の因本たるのみ。故に天台にては介爾の一念動かば、たちどころに十界三千の諸法を開現することを説く。いわゆる一念三千というものこれなり。この因本が次第に増長して生滅の諸法を開立するに至る。故に万法を究尽すれば、因果の一理に帰すべし。

 因果は理なり、理法なり、作用なり。これに反して色心諸法は事なり、相状なり、現象なり。しかして、その現象は因果の作用によりて現出せるものなれば、因果が因にして諸法は果なりというも不可なることなし。『唯識論』(巻二の二紙)に「有為の法は因縁力の故に、本なかりしもの今あり。」(有為法因縁力故、本無今有)とあるは、有為の諸法の本来無なるところに因果の作用によりて現出せるに至れるをいうの意なり。これにおいて余が宇宙の三大元を追究すれば、真如因果の二大理に帰すといえるゆえんを知了すべし。

       第六〇節 心理的および倫理的因果

 仏教は真如を本体とし、涅槃を目的とするをもって、真如教、涅槃教と名付くるを得、これと同時に因縁因果を原理とするをもって、因縁教、因果教と名付くるを得べし。その因果は主観的なればこれを心理的に説ききたりて迷悟因果を立て、これを倫理的に説き得て善悪因果を唱う。かくしてその説相は『一切経』に遍布して存せり。故に因果は仏教中の最大至要の原理たるは論を待たず。天台三大部の『止観』に、

  それ因縁の義は仏法の根本なり。邪に向かい正に背くの始めにして、入道、修観の源なり。ゆえに仏法を習う者は全て迷うべからず。

 

とあるをみても、因果の理法は哲学門、宗教門の両方面における根本的原理たるを証知するに足る。

       第六一節 四諦と因果

 さきに小乗の下(第三一節)に述べたる苦集滅道の四諦は、小乗特有の観法と定めらるるも、その理は大乗に通じて存し、仏教通有の原理なり。『遺教経』に、

  月は熱からしむべく、日は冷ややかならしむべしといえども、仏の説きたまえる四諦は異ならしむべからず。

 

とあり、これを藕益〔智旭〕の注解には、「如来一代の教法は、義理多しといえども四諦に摂尽せん。苦集の二諦をもって世間の因果を摂尽し、滅道の二諦をもって出世間の因果を摂尽せん、云々。」                                           と説ききたり、四諦中に仏教を摂尽すといえり。しかしてその四諦は因果の二字に帰すべし。

       第六二節 二大偈文と因果

 仏教中偈文すこぶる多きも、小乗大乗にわたりて最も重要視せられ、そのうちに一大仏教を網羅し尽くせるものは左の偈文なり。

  諸行は無常なり。これ生滅の法なり。生滅滅しおわれば、寂滅をもって楽となす。

 

この意を分解すれば四諦の理に帰し、迷悟因果に摂するを得べし。またこれと同様に至要なる偈文と称せらるるものは、

  もろもろの悪は作すことなかれ、衆善は奉行せよ。自からその意をきよくする、これ諸仏の教なり。

 

の四句にして、その勧善禁悪するゆえんいかんを考うるに、善悪因果を根拠とすることむろんなり。

 上述によりて、仏教の三大元が真如因果の二大理に帰するの理、いよいよ明白となりたるべし。すなわち無為の理界は真如を体とし、有為の事界は因果を本とすることを明知すべし。もし実大乗の所談に従い、事理の二界は融合不離なりとするときは、真如は体にして、因果は用となるべし。この二者は仏教原理中の原理なり。

       第六三節 因果を根本原理に加うるの疑難

 かく論定しきたらば必ず一問を起こすものあらん。曰く、仏教の究竟の目的は真如涅槃に帰入同化するにあり、諸法生滅の有為界は吾人の厭離し、絶縁せんとするところなり、もし吾人が涅槃界に昇進するに至らば、有為の諸法は空寂に帰し、因果の作用も滅無となるべき理なり、しからば、仏教の根本的原理は真如涅槃の外にあるべからず、しかるに余が因果を根本的原理中に加えたるの理は解し難しと。

       第六四節 右疑難に対する答弁

 この問難は仏教の目的と原理とを混同するものなり。もしその最終の目的を定むるには、真如涅槃の一理を挙げざるべからず。しかし仏教全系の原理を定むるには、真如と共に因果を挙ぐべきはむろんなりとす。かつ真如と万法とは対立せるものにして、万法あるによりて真如あるを知り、真如あるによりて万法の存するをみる。もし仮にこの世界がことごとくその目的を達して、涅槃界に入り、真如に同化したりと想せんか。しかるときは万法の全滅すると同時に、真如もまたその存立を失うに至らざるべからず。万法界は生滅界なり、迷界なり苦界なりとし、真如界は悟界なり楽界なりとす。その悟界は迷界に対し、その楽界は苦界に対したる語なるは言を待たず。故に苦界に対して楽界あるを説き、迷界に対して悟界あるを説く。もし万法生滅の世界の絶無に帰したる境遇は、苦もなく楽もなく、迷もなく悟もなき状態ならざるべからず。しかるときは真如の名もこれと共に自滅すべき理なり。天台の『十不二門』中、因果不二の下に、「因果すでにほろび、理性自ら亡ぶ。」(因果既泯、理性自亡)とあるを見て推知すべし。

 万法は相対にして、真如は絶対なりというも、吾人のいわゆる絶対は相対に対する絶対にして、やはり一種の相対なり。すでに真如もまた一種の相対とすれば、万法によりてその存立あるを知るべく、あわせて二者の間に軽重なきを知るべし。しかしてその万法は因果の作用によりて生起せるをもって、因果をその原理と定めたるなり。かくのごとく細論するを待たず、わずかに仏書の断編をうかがうだけにて、なんびとも必ず真如と因果との二法は、原理として軽重優劣なきを判知するに余りあり。

 

     第四段 性質論

       第六五節 仏教の主観的性質

 哲学上より仏教の性質を観察しきたらば、小乗は物心二元論、大乗は唯心一元論となるべし。大乗中にては権大乗は相対的唯心論、または事理二元論となり、実大乗は絶対的唯心論、または事理一元論となるべし。もし仏教全体を統一していうときは主観論となる。故に主観は実に仏教の特性なり。

 小乗は物心二元論なれば、主観的にして客観を兼帯するものに似たるも、その二元の根底は全く主観論なり。故に余は小乗を主観的二元論という。その理由につきては一言の説明を要す。

       第六六節 婆羅門教の客観論

 仏教より外道と称し魔説と呼ぶところの婆羅門教、およびこれより分岐転化したる諸派はすべて客観論に属す。毘陀経中に説ける梵天梵王はみな客観的に実在せるものなり。あるいは地水火風を原理と立つる外道、あるいは極微分子を本体と定むる外道、あるいは時方をもって万物の本源とする外道等はみな客観論なり。これらの諸派が総じて九五種ありとの説なるが、いずれも客観的見解をとらざるはなし。そのうち最も発達せる数論勝論のごときは主観論を帯ぶるも、客観の見地より説くものなれば、大体においてはやはり客観論の範囲に置かざるを得ず。これに対して仏教は小乗大乗共に主観の見地より説きたるものなり。これ仏教と外道とを類別する哲学上の標準となすべし。

       第六七節 小乗の主観的見解

 小乗は有為法中に色心二法を分かち、その色法を分析して論ずるところは、今日の理化学の説明のごとく、純然たる客観論、もしくは唯物論のごとくなるも、帰極するところは全く主観論なり。まず色法すなわち物質を分析してこれを極微所成となし、その極微の性質を分解して、地水火風の四大所造となすだけは、客観的説明なれども、更にこれを心界の方面より観察しきたりて、物界は全く色境、声境、香境、味境、触境より成立するとし、その五境は眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の対象とするがごときは、唯心論の端を開きたるものにして、純然たる主観的見解なり。

 また世界の大化を説きて、成住壊空の四劫ありとし、成劫に世界を現出し、住劫にその状態を持続し、壊劫に破壊し、空劫に滅尽すとなす。更に空中より世界を再現することを説く。かくして空劫が再び成劫を開くに至れる原因を尋ぬるに、有情の業力によるという。またさきに十二因縁の下に述べたるごとく吾人の生死流転する根元は、無明惑業より縁起するとなす。この業力も無明もみな主観的、心理的の原因なること明らかなり。これを業感縁起と名付く。換言すれば主観縁起なり。これにおいて小乗の客観的方面は主観を根底となせるものと定むべし。

 小乗にて説くところの因果の理法はすべて主観的にして、その主観的因果が有為の世界を支配するものとなす点よりみるも、小乗の主観論に属するを知るべく、すべて小乗の説明が主観的見解なることは、その経論を一読するものの決して疑わざるところなり。故に大乗の主観論は小乗においてすでに開説せられ、大乗はただこれを継続して論歩を進めたるものに過ぎず。

       第六八節 小乗中の客観論の由来

 何故に小乗は表面に物心二元論を説きしかは、外道婆羅門の徒を随機開導せんためなりしこと、問わずして明らかなり。小乗経中に存する須弥三十三天より梵天、自在天を説くを始めとし、すべて客観に属する諸説はみな外道中に存するものにして、仏教独特の説にあらず、これもとより外道より仮用しきたりて、その徒を誘引せんとする方便なるのみ。故にその説は小乗の本意にあらざるを知るべし。これによりてこれをみるに、小乗は大乗と同じく主観論の範囲に帰す。もし余をしていわしめば、小乗大乗の別は表面の観察にして、その内容は同一教理なりと断定せんのみ。

       第六九節 宗教の厭世的本領

 つぎに仏教を宗教としてみるときは、その性質は厭世的なり、小乗はもちろん、大乗といえどもその経論の一端をうかがいきたらば、ただちに厭世的なるを感ずべし。これ仏教のみしかるにあらず、すべて宗教が人間を本位とせざる以上は、厭世的なるを免れず。またこの世の現況をみて満足するあたわずして、人間以外に慰安を求めんとするものに対しては、厭世薬を投ずるにあらざれば、その病を平癒し難し。されば厭世的なる故をもって決して仏教を排斥すべからず。たとえその性質、厭世なるもひとたびその教に帰依したるのちは、厭世は転じて楽天となるべし。この点に関しては小乗と大乗とおのずからその趣を異にするところあり。

       第七〇節 小乗と大乗との厭世の相違

 仏教の由来より考うるに、釈迦仏の出家せられたるは、世間の悲観的状態を見て、自ら満足することあたわざるより起こりしものなれば、厭世的なりといわざるを得ず。しかし菩提樹下正覚の暁には、厭世は変じて楽天となり、悲観は転じて楽観となりたるや疑いなし。これと同じく仏教を信ぜざるときには、厭世の境涯にあるも、信じたるのちには、悲観はたちまち地を払い、楽観の境遇を現ぜざるべからず。しかるに小乗はこの世をすべて悲境とするのみならず、その目的とする真の涅槃は灰身滅智の境涯にして、身心の存する間は悲境に呻吟せざるべからずとなす。これ信前信後を問わず厭世的のものたるべし。

 これに反して大乗に至りては表面は小乗を継続して厭世を説くも、信後に至りては決して厭世にあらず。たとえば、浄土教のごとき厭離穢土、欣求浄土と説くは全く厭世なるも、ひとたび阿弥陀仏に帰依して、その仏の慈光の中に摂取せらるるにおいては、死後を待たずして身にあまる法楽を感ずるに至るとす。あるいはかの仏の名号を聞くことを得て歓喜踊躍すともいい、あるいは信心歓喜とも、あるいは法喜を得ともいう。これ信前は厭世にして、信後は楽天といわざるべからず。この点よりこれをみるに小乗大乗共にその根底を一にするも、小乗のみるところなお浅近なるを知り、大乗はこれより大いに発達せる教なるをみるべし。

       第七一節 仏教の個人的非国家主義

 つぎに仏教の宗教としての性質は個人的なり、非国家主義なり。これ小乗のみならず、大乗もまたしかり。そのいわゆる涅槃界に入るには、個人個人がおのおの修行して彼岸に至るべきものなれば、個人的といわざるべからず。またその目的とするところ個人をして成仏せしむるにありて、国家をして成仏せしむるものにあらざれば、非国家主義といいて可なり。しかれどもこれ凡夫の境涯より涅槃の彼岸に向かうところの向上的方面のことのみ。もし涅槃界より凡夫地に向かう向下的方面を考えきたらば、全くそのしからざるを知るべし。ただしこの点もまた小乗と大乗との所見の大いに異なるところなり。

       第七二節 小乗の大乗涅槃の相違

 大小両乗の異同につきて涅槃に帰入せる状態を考うるに、小乗の涅槃は前にもいいしごとく灰身滅智の境涯なれば、無知覚無、意識無精神の消極的、暗黒的、死物的涅槃なり。もし吾人がこれに帰入したるときは、不死の門に入るというよりも、むしろ真死の境に帰すというを適当とす。小乗にてかかる精神の永死を願うは生をいとうの一念に外ならず。つまり小乗は世をいとうのみならず、生そのものをいとうものなり。これに反して大乗の涅槃は精神的光明的にして、慈智円満の境涯なり。故に吾人がこの世を去りて涅槃に入るは、永死の門に帰するにあらずして、永生の境に遊ぶものなり。すなわち心眼を閉じるにあらずして、新たに開き、光明場裏に復活し、清浄台上に転生するものなり。故に小乗にてはひとたび涅槃に入りたるものは、再びこの世に出づることなしと説くも、大乗にては無住処涅槃を説き、涅槃に入りて仏となりたるものは、他の衆生を済度せんために、幾回となくこの世に来往すという。

       第七三節 自利的と利生的

 かくのごとく小乗と大乗とは涅槃の見解を異にするをもって、小乗にては衆生界より涅槃界に転進する向上の一路を説きて、涅槃界より衆生界に来往する向下の別途を示さず。これにおいてその修行は自利に陥りて利他を欠くに至る。故に小乗は個人的というよりは、むしろ自利的なり。これに反して大乗は向上向下の両道を説き、自覚覚他の兼行を期し、吾人が涅槃に入りて仏となるは、他の衆生を救済せんがためなり。故に自利の成仏にあらずして利生の成仏なりとす。これをもって大乗にては「仏心とは、大慈悲これなり。」(仏心者大慈悲是)(『観経』)と説きて、もっぱら慈善救済をなすを本意とす。故に大乗は個人的というよりも、むしろ利生的なり。

       第七四節 法報応三身説

 更に大乗の向下的一道を明示するには、真如と仏との関係につきて一言するを要す。真如と仏とは同体にして異体なり。仏の内容は真如と同じきも、表顕は異なり、真如は普通的、平等的、絶対的にして、仏は一分の差別相対を帯ぶるものなり。ややもすれば仏と真如とは全く同一となすものあれども、これ一面を知りて他面を知らざる浅見のみ。その故は仏に三身を立つるをみて明らかなり。三身とは、

  法身   報身   応身

にして、法身仏は真如と全く同一なれども、報身応身の二仏は決して同一ならず。報身とは修めたる善因に報酬せる身を現ずるといい、応身とは方便身にして、衆生済度のために衆生界に相応したる身を現じて、この世に来生するをいう。

 仏にこの三身を設くるは、仏教にて三大元を立つるによることを知らざるべからず。すなわち真如の方にて法身を立て、因果の方にて報身を立て、万法の方にて応身を立つるなり。これを表示すれば左のごとし。

  三元 真如 因果 万法

  三身 法身 報身 応身

故に三身説は仏教哲学の原理に基づきて起こりたる説なりと知るべし。また三身に基づきて三土説あり。すなわち法身土、報身土、応身土、これなり。この三土を真如、因果、万法に配合し得ることは弁解を要せず。しかりしこうして浄土教に立つるところの阿弥陀仏は報身仏にして、浄土は報身土なりと知るべし。

       第七五節 法身仏と報身仏との比較

 世間往々、報身仏の実在を疑うものあるは、真如の礎を知りて、因果の柱を忘れたるより起こる。余輩は万法によりて因果あるを知り、因果あるを知りて、真如あるを知ると同時に、応身仏を推して報身仏あるを信じ、報身仏を推して法身仏あるを信ずるなり。また真如が万法を開現するに、必ず因果の作用によるがごとく、法身仏が応身仏となるには、必ず報身仏の作用によらざるべからず。法身の真如はただ体あるのみ、その用はかえって報身仏にあり。これを人身にたとうるに、真如は全身に遍布せる神経系統のごとく、諸仏は耳目のごとし、あるいはこれを宇宙に比するに、真如は虚空のごとく、諸仏は日星のごとし。直接に外界に接見し、万象を照現するものは、耳目日星なると同じく、衆生界を照見するものは、報身仏たる諸仏なり。左にその理由を弁明せん。

       第七六節 諸仏の成来

 真如は万法の本源、宇宙の実体なるも、これに動的方面と静的方面あり。『起信論』のいわゆる生滅門、不生滅門とはこの両面を指したる語なり。その動的において万象万化を縁起したるものなれば、これいわゆる随縁真如なり。しかして報身仏はその動的方面の最高至上の実在にして、真如の性徳を万法の世界に向かって開現したるものなり。これを諸仏の実在となす。

 もし諸仏の成来を考うれば、凡夫の位置より永き年月の間、無量の善因を修めて、真如に還元したるものなれば、相対因果の範囲を脱却せる絶対なれども、なお因果の形式を兼帯するをもって、真如自体とはおのずから異なるところあり。もし真如が万法界に向かって作用を現示せんとするときは、必ず真如の耳目にして因果の形式を有する諸仏を経由せざるべからず。けだし仏は相対界と絶対界との間に架したる橋梁のごときものなり。あるいはまた絶対界より相対界をうかがうべき窓戸のごときものなるべし。

       第七七節 迷門因果と悟門因果

 人必ずいわん、万法の開現は迷門にして、迷門は因果の支配するところなり、今諸仏のごときはすでにその迷門を脱離したるものなれば、全く因果の範囲を超絶せるものたらざるべからず、もし因果の作用の支配を受くるものならば、生死流転を免れず、生死流転するならば、仏にあらずして凡夫なりと。この言は因果の一面を知りて、他面を知らざる愚論に過ぎず。

 そもそも因果には迷門と悟門とあり。これを有漏因果、無漏因果と名付くることは前すでに述べたり。しかして真如が万法を開現する向外的は迷門因果なるも、衆生が仏地に昇進する向内的すなわち向上門は悟門因果なり。故に仏に迷門因果を有する理なきも、悟門因果を帯ぶる理ありと知るべし。

       第七八節 因果の形質

 もし更に仏は悟門にありても、因円果満の境涯にして、全く因果の関係を蝉脱したるものならざるべからず。もし因果を蝉脱せざるにおいては、仏もまた悟門に入らずして、迷門にとどまるならんと難ずるものあらん。これに答うるには、因果に形と質との別あることを述べざるべからず。形とは原形をいい、質とは材質をいう。たとえばここに梅の種子ありと仮定するに、その種子が生育して梅木を現成するには、材質を外より吸収するも、その梅の梅たる原形は種子中に固有せるものならざるべからず。すなわち形は質をして形をとらしむるゆえん、質は形をして充実せしむるものなり。しかして因果の理法にもこの形と質とを有す。

 余が仏に因果を帯ぶるというの意は、因果の質にあらずして、因果の形なり。仏はすでにその質を脱却したるも、なお形をとどむ。その形は真如の動的方面に固有せるものにして、吾人が仏となりても永くこれを持続す。たとえば梅が種実を結ぶに当たりて、その質を失うも、なお体内に形を保つがごとし。しかるに真如の静的方面には全くその形を有せず。これ真如と仏との相違点にして、その形なき方を法身仏といい、その形ある方を報身仏というなり。

       第七九節 形質の起源

 形は真如の動的方面に固有せるものなれば、迷門の方にも形質二者の存する理なり。しかして真如がひとたび動くや、その形中より質を起こして万法を開現し、生滅を継続するというときは、その質はいずれより生じきたるやとの問い、したがって起こるべし。この点を従来伝うるところに照らしみるに、形の外に別に質を成すべき一物あるにあらず、真如の自性に背きて形のみに固着する場合に起こるものなり。語を換えていえば、ここに真如あれば必ずその動的方面に因果の原形の存するあり。もしその形が真如の外にありと思うて、これに執滞するときに質を生ずるに至る。仏教の哲理としてはかく解する外に、けだし説明の道なからん。

 古来天台にて真如の理性に本来悪ありとするは、この形につきていい、仏に性悪ありて修悪なしとは、形ありて質なきをいう。これ余が無明の起因に関する一案なり。故に余のみるところにては、根本無明とは迷門の因果の発端に名付けたる語にして、迷悟の別は真如の向背より生ずるものと信ず。しかして仏教の因果は主観的なることもちろんなれども、抽象的概念にあらずして、具体的勢力なり。これを主観的勢用と解する方、あるいは適当ならん。

       第八〇節 報身仏の具体的実在

 右述ぶるところによりて真如と仏との異同を知るべし。かくして余は因果を信ずると同時に、報身仏の実在を信ずるなり。しかるに世間にてひとり法身仏の実在を信じて、報身仏を疑うものあるは、哲学の道理より分解的に考察せるによる。余案ずるに上述のごときは単に哲学上の道理によりたるものなれば、その結果は抽象的となりて、具体的実在を示し難し。しかしてまさしく人格的報身仏の具体的実在を感見するは、智眼によらずして情眼によることを忘るべからず。この智眼を『哲学新案』には理性といい、情眼を信性と名付けたり。理性の方は宇宙の本体を分解的に考察するをもって、報身仏の実在を破壊するの傾向あり。これに反して信性の方は総合的なるをもって、その実在を建設するを得るに至る。その理由は『哲学新案』に譲りてここに略す。要するに人格的仏の実在は、理性信性両方面相待つにあらざれば、明知することあたわずと知るべし。

       第八一節 真如の抽象的実在

 また一説に真如の実在は具体的に認識するを得るも、報身仏の実在は抽象的に過ぎず、故に信じ難しというものあり。これ奇怪の言なり。もし真如の具体的実在を信じ得るならば、報身仏の具体的実在は一層たやすく信じ得るはずなり。なんとなれば真如は抽象的の最上にして、それ以上の抽象的のあるべき理なければなり。その体たるや一切の現象なく形状なく言語思慮すらも超絶したるものなれば、いかに吾人の心中にて具体的に想出せんとするも、到底心力の及ぶところにあらず。これに反して報身のごときは因果の原理に基づきたるものなれば、その理を推演して人間以上のものの実在を考定することは、決して困難にあらず。

 また目前の現実世界に対照するに、具体的の実在としてなんびとも否定せざるものは、直接に吾人の耳目に触るる物体なるべし。この物体を離るること遠きものほど、具体的に考出すること難しとす。しかして真如は最も遠き方の実在にして、報身仏はかえって近きの方の実在なり。よって余は真如の具体的実在を信じ得る人にして、報身仏の実在を信じ難しとは、実に奇怪なりと評せざるを得ず。

       第八二節 主観的因果と仏の境涯

 かかる説をとる人は畢竟するに物質的見解をもって仏教を観察せるものなり。元来唯心論の立脚地より建設せる仏教を唯物眼をもってうかがい知らんとするは、あたかも顕微鏡をもって天体の観測をなさんとするとなんぞ異ならんや。吾人の身心および境遇は客観的原因によりて成来せりとなすは、実験学の主唱するところにして、その原因を主観に帰するは仏教なり。たとえば吾人の死後、身心ひとたび瓦解しても、その一生の間に修めたる主観的因力が、更に物質を引き集めて、その因に相当する身心を結成すというのが、仏教の因果説なり。もし果たして主観的原因によりて人間の境遇を現出せりとみるときは、人間以上の原因を修むれば、それ以上の境遇を現出すべき理なり。

 近来すでに天体の諸星中には、人間以上の生物存せりとの説ある程なれば、これを主観的因果の道理より推究し、その最上の善因によりて招ききたせる最上果の境遇を指して、仏の境涯と定むるもののみ。故に初めより主観的因果を信ぜざるものには報身仏の実在を領得すること難きも、いやしくもこれを信ずる以上は、その自然の結果として報身仏の実在を信ぜざるを得ざるに至るべし。

       第八三節 法身仏の無活動

 報身仏を信ぜずして、ただ法身仏のみを信ずとするときは、宗教の信仰を維持することあたわず。そもそも法身仏なるものは平等普遍の真如にして、吾人がひとたびこれに帰すれば、自他一切の差別を失い、空々寂々、無形色、無活動、無時方、無実在の状態となるものなり。あたかも万川が大海に入りて一味となるがごとし。たとえ甲の川が乙の川より多量の水を大海に注入したりとも、ひとたび海中に入れば、少量の水を注入したるものと相融合し、その二者の間の差別を没却するに至る。これと同じく涅槃界に入れば、各人が修めたる善因の効果が一味となって、没却せらるるに至る。しかるときは吾人の努力も希望も一切の特殊性が一時に消失して、その痕跡をとどめず、小乗の涅槃と同一なる状態に帰すべし。

 また大乗の真如は光明あり活動ありと唱うるは、その動的方面の沙汰なり。しかして動的方面には因果の形を有せざるべからず。もしその形なければ明もなく闇もなく、動もなく静もなきに至るべし。かくのごとき実在は実在なきものとほとんど相同じ。これあに吾人の目的とするところならんや。

 しかのみならず、もし真如自体に因果の形なしとするときは、吾人が死すれば善悪を問わず、みなこれに合体すべき理なり。しかるに吾人が善を積まざれば涅槃に帰入することあたわずというゆえんいかん、これ因果の理法あるによる。もしその理法の下に善因を積むものとすれば、結果においてもその理法の指定する境涯をきたさざるべからず。しかるときは吾人が修めたる善因に相応じて、仏仏平等中におのずから差別を存すべき理なり。換言すれば絶対中に相対を帯ぶるものとなる。これすなわち報身仏なり。故に余まさに断言せんとす、報身仏を否定するは因果の理法を撥無するものなりと。

       第八四節 大乗の自利利他兼行

 すでに真如と仏との異同を説きおわりたれば、更に仏教は個人的なりや否やの問題に立ち戻らざるを得ず。小乗は前にいいしがごとく、個人的なるはもちろん、むしろ向上向下共に利己的なるも、大乗は向下門において利生的なるはもちろん、向上門においても利生的なり。そもそも大乗の仏は利生を目的とする以上は、その因行においても利生ならざるべからず。これをもって大乗はもっぱら慈悲を本とす。しかのみならず、人そのものを解して利生的とす。故に『涅槃経』に「仁恩あるが故にこれを名付けて人となす。」          とあり。果たしてしからば、大乗の性質は個人的にして、あわせて非個人的なり。これを自利利他兼行という。

       第八五節 大乗の国家的および忠孝的

 つぎに国家的および非国家的につきて考うるに、小乗の所立は非国家的とするも、大乗の所説は国家的にして、国家の安全を祈るものなり。そのゆえんは『仁王護国経』『金光明経』等をひもときて知るべし。あるいは『尼乾子経』に王者の恩愛の父母のごときを説き、あるいは『心地観経』に特に国王の恩を挙ぐるがごときは、国家的なるのみならず、忠君的なり。『法句経』には「親に奉ずるに孝をもってし、君に奉ずるに忠をもってす。」            とあり、『維摩経』には「もし王子あらば教うるに忠孝をもってす。」          とあるをみるに、忠孝教といいて可なり。このことを弁明するには仏教のいわゆる世間道、出世間道の関係を略述せざるを得ず。

       第八六節 世間出世間の中道

 世間道とは衆生界の因果に応じて、昇沈する道をいい、出世間道とは衆生界を離れて涅槃に帰向する道をいう。小乗においてはこの二道を立つるも、そのいわゆる世間出世間は隔歴して融通せず。これに加うるに世間道は苦界の因果なりとして、これを厭苦する方なれば、忠君愛国の道を立て難しといえども、大乗はしからず、世間出世間を融合して相離るべからざるものとす。たとえば『持世経』に「世間の実相はすなわちこれ出世間。」(世間実相即是出世間)(巻九)とある外に、『智度論』には

  世間の相は、すなわちこれ出世間なり。

  世間を離れてまた出世間を見ず、出世間を離れてまた世間を見ず。

 

 

とあるをみて知るべし。かく説ききたれる源は実大乗の真如即万法、万法即真如の理より起こるものとす。

 また法相宗にては有空中三教を立てて、宇宙の真理は有にあらず空にあらざる中道なりといい、天台宗にては空仮中三諦を説きて、世界の真相は中道にありという。もし中道観によらば、世間に偏するも不可なり、出世間に偏するも不可なり、その要は、二者の中道をとるにありとなる。

       第八七節 世間法の復活

 小乗は有為の諸法を殺すことを知りて、生かすことを知らず。廃することを知りて、立つることを知らず。しかるに大乗にては遍計所執は妄なりと破斥して、たちまち依他起性は有なりと建設す(法相宗)。また空諦の方にて破すると同時に、仮諦の方にてこれを立つ。故に前者を破情といい、後者を立法という(天台宗)。これすなわちひとたび殺して再び生かすなり、ひとたび奪うてまた与うるなり。ここにおいて始めて世間法の復活再建を見、忠孝仁義の道の厳然として成立するに至る。大乗の妙趣、実にここにあることを忘るべからず。

       第八八節 小乗と大乗との性質上の比較

 大乗においては世間出世間の両立を説くをもって、国家的なることもちろんなり。真宗の宗規として真俗二諦は双輪両翼のごとく、偏廃すべからずと談ずるも、全くこの理に基づく。これに反して小乗は世間を復活せざるをもって、非国家教となる。これを帰結するに小乗は個人的、自利的、非国家的なるも、大乗は利生的、国家的、忠孝的なり。ただし小乗にて戒律の上に殺生を禁ずるだけは利生的なるも、その利生は自利のための利生なれば、大乗の所談と同一視すべからず。かくのごとき大乗の流れをくむ日本の諸宗にして、今日の現況は自利的に傾き、世間道を軽んずる風あるは、余が日本に大乗の名ありて実なしと唱うるゆえんなり。

 

     第五段 発達論

       第八九節 仏教の発達進化

 すべて活物は必ず発達す、草木動物、人類社会みなしかり。活物ならざるものもまた進化す、天体、地球のごときこれなり。したがって人類社会の特産たる学芸、美術、政治等に至るまで、一として発達進化せざるはなし。されば仏教なんぞひとり発達せざるの理あらんや。これを往時に徴するに時に従い所に応じて、漸々次々進化しきたれるをみる。

  一は釈迦仏一代における発達

  二は仏滅後インドにおける発達

  三はシナにおける発達

  四は日本における発達

   甲、諸宗外部の発達

   乙、一宗内容の発達

これより右の項目につきて逐次論述すべし。

       第九〇節 仏在世間の発達

 草木の生育するや、種子より初めに茎幹を生じ、つぎに枝葉を現じ、終わりに花実を結ぶがごとく、仏教の発達もややこれに類す。釈迦仏一代の所説は従来伝えきたれる五時説によるに、華厳実大乗を根本法輪として初時の説法と定むれども、これには異説あれば小乗より説き起こされしという方穏健ならん。その説によるに仏の春秋三〇歳、菩提樹下正覚の暁における仏の心海は、仏教の種子の萌生したりし時なり。その種子より茎幹を発生せしは小乗の説法なり。その説法がようやく枝葉を分出して、方等、般若の説法となり、終わりに実大乗の実を結ぶに至れり。これ仏在世の間の発達なり。

       第九一節 仏滅後の発達

 つぎに仏滅後の発達を考うるに、仏の入滅によりてひとたび開きたる大乗の花は落ちたるも、その実をとどめ、経律論三蔵に結集せられて世間に伝わるに至れり。これ滅後の種子なり。その後一〇〇年間は小乗中に異計を起こさずして、一脈の法灯を伝えり。これ種子より茎幹を発生せし時なり。これよりのち二〇部の分派競い起これるは、枝葉を分出したるがごとし。仏滅後六〇〇年を経て大乗ようやく興りしは、花実を結びたるに比すべし。一〇〇〇年を経てその結びたる種実をシナに伝えて、シナ仏教の発達を見るに至れり。

       第九二節 大乗仏説非仏説の問題

 仏教の歴史的発達を述ぶるには、大乗仏説非仏説の問題をも解決せざるべからず。余は大乗仏説論者の一人なり。仏一代の説法は小乗と大乗とを時を異にし所をことにして別説せられしか否は、しばらく疑問とするも、その説法が必ず常識的なる場合と理想的なる場合とありしなるべし。余輩が演説するにも、通俗講話の場合と学会演説の場合とは、その程度および内容を異にするにあらずや。いわんや、仏は随機開導、応病与薬の説法をなせるにおいてをや。また仏の説法は同一にしても、聞者の方にてこれを常識的に聴取すると、理想的に会得するとの別を生ずるに至れりという。『維摩経』に「仏は一音をもって法を演説したまうに、衆生は類にしたがっておのおの解を得る。」                 とあるはまさしくこの消息を伝うるものなり。

 仏滅後、遺弟相会して、おのおの己の見解に応じて、その記取せるところを結集せしもの、すなわち経律論三蔵にして、その三蔵は小乗のみなりしというをもって、古来大乗非仏説を唱うるに至れり。しかるにその小乗は仏の説法の常識的方面を結集せしにとどまる。ただしその教は常識的なるをもって、かえって一般のインド人に歓迎せられしは明らかなり。しかして何故に理想的方面の結集なかりしやは別に論述するを要す。

       第九三節 仏教の常識的方面

 そもそも仏滅後の結集は前後数回にわたり、数百年にまたがるも、今第一回結集につきて考うるに、迦葉、阿難が主となり、その同志数百を招集して編成したるものなり。余案ずるにそのときの結集の決議は仏説の常識的方面のみを集むることに定めたるものならん。なんとなれば理想的方面は世間一般の人には了解し難きものにして、しかも実際を離れたる空理を論ぜしものなれば、世を救い民を導くの法益なきものと認定せられしならん。その当時にさかのぼり、インド人のみるところは客観的にして、その好むところは厭世的なる実情を考えきたらば、理想的方面を除去せるは当然のことなり。これを孔子の場合に対照すれば一層明瞭たるを得べし。

 『論語』は孔子一代中の、あるいは論じ、あるいは語られたるものを、孔子の死後に門弟の手によりて結集せられしものなり。その点は仏教経律論の結集に同じ。しかして『論語』の内容はことごとく常識的にして、一章一句の理想的なるものなし。しからば孔子は理想的方面の説を全く有せざるかというに、古来孔子の説なりと伝うる易の『繋辞伝』のごときは理想の最も高妙なるものなり。もし『論語』のみを読みて孔子の教えを会得せるものが『繋辞伝』を読まば、必ずこれ孔子の説にあらずといわん。しからば何故に『論語』中には理想的方面を除去せしやを考うるに、孔子死後、門弟相会して常識的方面のみを結集せしは、他なし、ただ世教を裨補するの力を有する点はひとりこの方面にありと認定したりしによるならん。この『論語』を小乗に比し『繋辞伝』を大乗に比して、仏滅後の結集を考えきたらば、最初の結集の常識的方面の小乗のみなりしを知了すること難しからざるべし。

       第九四節 理想的方面の結集

 余案ずるに仏の説法を聞きたるものの中に、この常識的方面の結集をもって満足せざるものありて、更に遠隔せる地方にて各自にその記憶せる理想的方面を叙述せしものあるべし。これすなわち大乗なり。あるいはまた案ずるに仏の方にては常識的説法、理想的説法との別を立てて説かれたるものにあらずとするも、迦葉、阿難の結集の方針が常識的を本とするときは、一座の説法を結集するにも、理想的の部分を除去したるに相違なかるべし。ここにまた理想的の方に重きを置く一派ありて、仏説の深底には高妙なる理想を胚胎せるにその部分を除去せしをみて大いに遺感となし、更に理想的の部分のみをとりて別に結集したるもの、その当時に存せしは想するに余りあり。これけだし大乗教の起源ならん。しかるにかかる理想的結集は常識派の拒むところとなり、インドの中央部に伝わらずして、かえって山隅海陬のごとき僻地に行われ、インド内地の社会には忘れらるるに至りしならんか、故をもって中央部にては仏の所説は小乗のみのごとくに考えしならん。かくして数百年を経、ようやく僻地に埋まりたる大乗教が、漸々中央部に認知せられ、馬鳴、竜樹のごときはこれを探り得て、世に紹介せしならん。これ余が憶測に過ぎざるも、その当時における前後の事情を対照するに、かく想像せざるを得ざるに至る。左にその事情を列挙すべし。

       第九五節 大乗仏説の理由

 第一に経律論三蔵は仏自ら記述せるにあらずして、遺弟の見解を編集せるまでなれば、その遺弟中にも必ず見解を異にするものあるべき理なり。しかるに多数は常識的見解をとりしをもって、少数の理想的見解をとりしものはこれに満足せずして、多分隔離せる異郷に散在し、別々に理想的編集をなせしことはほとんど信拠するに足る。しかして大乗経にみるところの菩薩に仮設の名多きは、仏教を理想的方面にて記述せるをもって、殊更に理想的名称を用いしならん。

 第二に大乗経を発見したりし地は、あるいは竜宮とし、あるいは雪山とし、あるいは南天の鉄塔とせるは、山隅海陬の異郷に伝わりしを証するに足る。竜宮とは海中の孤島をいうならん。また大乗の結集を鉄囲山外と伝えきたれるは、インドの域外を指したるものなるべし。

 第三に大乗は仏説にあらずとするときは、必ずその初祖なかるべからず。竜樹をもって大乗の祖とするか。その前に馬鳴あり、馬鳴をもって祖とするか、その前の小乗分派中に大乗を帯ぶるものあり、かくしてさかのぼるときは仏滅後間もなくその説の起源ありしを想定せざるを得ざるに至る。

 第四に今日現存するところの小乗大乗は根本的に異なるにあらずして、ただ常識的に記述せると理想的に開説せるとの相違あるのみ。

 これらの事情を総合しきたらば小乗大乗共に仏説にして、共に遺弟中より起こりたるを推知するを得べし。これを要するに小乗の結集はインドの中心においてまず成り、これを正統の仏説として伝えたるに、これと見解を異にし、その説に満足せざるものが、のちに異郷において大乗を編述せしならんとは余のとるところなり。

       第九六節 小乗内包の大乗

 右の理由をもって余は大乗仏説論を主唱するも、今ここに述べんとするは仏教の発達なれば、必ずしも仏滅後より小乗大乗並び行われしを証明するを要せず。仏の説法も滅後の結集も小乗のみと仮定し、大乗は小乗中に胚胎せるものとみなし、数百年を経て漸次に小乗の種子中より大乗の花実を開発したりしというをもって足れりとす。かくみるもやはり大乗は仏説となるべし。なんとなれば大乗は小乗内包の仏説にして、そのうちより発達したるものなればなり。たとえば梅の種子より発生したる枝葉の末に花を開くに至れば、人みなこれを呼びて梅の花といい、枝葉のみを梅と呼ぶにあらずして、花もまた梅と呼ぶがごとし。

 この理を推演すれば、仏一代の説法中に大乗を兼備せるものとなるべし。その説法を種子に比すれば、滅後の結集は茎幹となり、その後の分派は枝葉となり、数百年を経て小乗の茎幹枝葉より大乗の花実を開現せりとみれば、大乗は最初の種子中に胚胎せることまた疑いをいるる余地なし。

       第九七節 小乗深底の教理

 小乗を分解するにその深底に大乗の教理の潜在せることは、何人も両乗を対照すればたちまち発見すべし。余のいわゆる三大元二大理が全く両乗を一貫して存するゆえん、および大乗の主観論が小乗中に含有せらるるゆえんは前すでにこれを述べたり。小乗の法有説と大乗の法空説との相違のごとき、小乗の涅槃と大乗の涅槃との異同のごときは、ただ見解の深浅に過ぎず。故に大乗は小乗中より発達したりと断言して可なり。しかしてその発達は常識的より理想的に進みたるのみ。古来仏学者が倶舎の裏面は天台となり、法相の裏面は華厳となるというも、小乗、権大乗、実大乗は一系統の発展なることを示すものなり。

       第九八節 シナにおける仏教の発達

 つぎにシナの発達を考うるに、後漢の明帝のとき、始めてインドより仏像、経論を伝えしのち、翻経弘伝盛んに行われ、したがって宗派分立し、隋、唐の間もっともさかんなりき。もしその宗名を挙ぐれば毘曇宗、成実宗、律宗、三論宗、涅槃宗、地論宗、浄土宗、禅宗、摂論宗、天台宗、華厳宗、法相宗、真言宗の一三宗あり。『伝通縁起』によるに、その順序は開宗の年代に基づきたるものとす。そのうちインドより直伝せる宗派なきにあらざるも、その多くはシナに入りて訳したる経論を所依として開宗せるものなり。最初に弘伝せるものは小乗宗にして、のちに大乗宗起これり。毘曇、成実二宗は小乗なり、律宗も小乗律を伝うるものなれば小乗なり、その他はみな大乗宗に属す。故にシナの発達も小乗より大乗に及ぼせるを知るべし。

       第九九節 シナ仏教の興廃

 インドにありては小乗ようやく異見を起こして、二〇部に分かれたるも、大乗はわずかに有宗(法相宗)、空宗(三論宗)の対立をみたるのみなりしが、シナにきたりて大乗の一〇宗を開立するに至れり。これ仏教の発達進化というべし。隋、唐の間、仏教最も隆盛を極めしは、名僧大徳の世に出でたりしによる。隋には吉蔵(嘉祥大師)智顗(天台大師)等あり、唐に入りては玄奘、善導、慧能、法蔵(賢首大師)等あり。これらの高僧はみな活眼卓見をもって時機に相応せる革新を実行したれば、隆運にわかに開くるに至れり。唐末五代の間は天下乱世となり、仏教したがって衰え、宋に至りてやや復興したりしも、鴻儒輩出して儒教大いに振い、仏教はこれに対抗するに至らざりき、これ仏者中に人物の比較的乏しかりしによる。宋以後は国運と共に仏教衰頽し、興廃のみるに足るものなし。これによりて仏教の興廃は時にあらずして人にあり。人よく衰運を巡らして盛運となすを知るべく、あわせてこれを挽回する内容は、活眼をもって時機を透視し、これに相応する革新を行うにあるを了すべし。

       第一〇〇節 日本仏教の発達

 つぎに日本仏教の発達につきては特に注意を要することあり。聖徳太子以来、シナ、三韓より仏教を将来せしも、その当時はシナ流のままを伝えしが、平安朝に及び、天台真言の勃興と共に面目を一変しきたり、日本的仏教を見るに至り、更に源平北条時代に移り、時勢の要求に伴って大革新の気運にわかに熟し、浄土教、禅宗、日蓮宗の競起せるあり。この諸宗は日本仏教の新教にして、天台真言は旧教なり。新教は時勢に適せしをもってますます興隆し、旧教は大いに衰頽するのやむをえざるに至れり。これより足利および戦国時代を経て徳川時代に移り、新旧両教並び行われ、共に旧時の面目を持続せしも、その内部を探るに、水動かざれば腐り、人動かざれば病むがごとき弊害を醸すに至れり。外面にては盛運を持つがごとくにして、内実は頽勢に傾きつつありしなり。これらの栄枯消長の変遷は全く内外の事情のしからしむるところなるは論を待たず。もしその詳細を述ぶるがごときは仏教歴史の任なればこれを略す。

 仏教いかに雄健なるも、教理いかに深大なるも、社会の現状に応合せざれば必ず衰運を招ききたすべし。いわゆる適者生存の通則は宗教の運命の上に応用せられ得るなり。これにおいて古来、洋の東西を問わず、政治の革新に伴って必ず宗教の革新あるを見る。もし宗教のこれに伴わざる場合には、必ず、自滅を招致するに至らん。しからざれば翻って国家の元気を消沈せしむるに至る。いやしくも国家および宗教の安危興廃に意を注ぐものは、大いに留意せざるべからざる点なり。

       第一〇一節 仏教東漸の変遷

 仏教は大体においては厭世教なり。なかんずく小乗は悲観教なるが、その悲観教が昔時インドに大いに歓迎せられしは、インド人の資性が厭世的、悲観的なるによる。その教えがシナに入るに当たりて多少世間的に一変し、厭世より出でて厭世ならざる大乗教が主としてシナ方面に流布せるに至りしは、シナの民心国情のインドに異なるところあるによる。かつシナにおいて仏教の世間的方面の比較的発達したりしは、仏教内より革新を加えしによるべし。また日本に入りて更に一変し、国体を奉じ、忠孝を重んずるに至りしも、わが社会の事情に適合せんために、自然に改新したりし故なり。インドよりシナ、シナより日本と次第に東漸するに従い、厭世的は世間的となり、個人的は国家的となりたるは大いに考察せざるべからず。

       第一〇二節 古今の国情の一変

 小乗は純然たる厭世教なるも、大乗は厭世教なるを要せず。むしろ世間教たるべきに、わが古来の大乗諸宗がなんとなく厭世的傾向を有したるは、その当時の社会の事情がその方を歓迎したるによる。明治以前にありては外寇の襲来するおそれなく、また海外に向かって活動する望みなく、ただ内訌を鎮圧し、昇平を維持する方法を講ずるをもって足れりとせり。しかして内訌を未然に防ぐには、人の欲望自利心を他に転じて、知足安分の生涯を送らしむるを要す。これにおいて仏教も自然にその方針をとり、人生の深くたのむに足らざるを説き、来世のひとり願うべきを勧め、心を出世間に注がしむるに至れり。これ厭世に傾きたるゆえんなり。

 今や大政一新し、世局一変し、内乱のおそれなくして、外寇のおそれあり。しかのみならず競争場裏に立ちて万国と奮闘せざるを得ざる時機となり、勇進活動の気性を鼓舞することの急なるや、日一日よりはなはだしきに至れり。この時に当たり現今の各宗が旧来の惰力に一任して、厭世的方針を頑守するはなにごとぞ、これを愚といわんか、盲といわんか、否、木石の徒と呼ばざるを得ず。これ余が死仏教を変じて活仏教にせよと大喝するゆえんなり。

       第一〇三節 宗派内容の発達

 つぎに一宗一派内の事情をみるに、世の移るに従い多少の変遷を経て今日に至れり。近くわが日本仏教の内容につきていえば、天台宗中に山門、寺門を分岐せしがごとき、真言宗中に古義、新義を別立せしがごとき、あるいは浄土宗中に鎮西、西山両派を出だし、あるいは日蓮宗中に一致、勝劣の二流を生ぜしがごときは、やはり発達にあらずしてなんぞや。真宗のごときは開祖親鸞のときには、いまだ判然として王法為本を宗規と定めざりしも、蓮如に至りて真俗二諦を対立せしめたる等は、やはり時勢に応じて宗義を革新したるものというべし。他宗他派もまたみな多少の発達革新なかりしはあらず。しかるにその革新は今日に至りては数百年前の旧夢に属し、爾来社会の大勢は明暗ところを異にするがごとく一変しきたれるにもかかわらず、なんらの革新をその宗規にも教義にも加えず、依然として昔夢の跡を墨守するに至りては、あに仏天を仰ぎて大いに喟歎せざるを得んや。

  明治の警鐘暁を報ずるに頻なり。たって門外をうかがえば百花新たなり。僧家は旧により眠りてなお熟し、夢裏に過来せん五〇の春。

 

       第一〇四節 僧門の光景

 仏教は発達的宗教なることは過去の歴史に徴して明らかなり。また時代の要求に応じて変遷したりしことも事実瞭然たり。かの源平時代のごときは政界の大変動ありしために、仏教上に大革新を起こし、新旧両教の興廃を交換するをみたり。源平の政変すらなおかくのごとし。しかるに明治の維新のごとき、日露の戦役のごとき、有史以来未曾有の大々的事変にして、天地これによりて改まり、世界これによりて新たなるほどなるに、仏教界は数百年来の頑眠いまださめず、一〇万の円顱括然としてわれ関せず焉(えん)を気取り、徳川泰平の余涎を甜りてこれに安んじ、更に進みて革新を試みんとするものなきは、実に僧門の光景なり。余思えらく、かくのごとき徒はたとえ慚死すとも、なお仏祖に対して罪を謝するに足らずと。

       第一〇五節 明治の腐仏教

 すべて発達せざるものは死物なり。活物は必ず発達す。仏教の昔時は発達しきたり。今日に至りて発達せざるは、仏教の死といわざるを得ず。死物なお進化す。仏教にして進化開展せざるは、死仏教というよりもむしろ腐仏教といわざるべからず。この酷評を聞きてなお憤起して、自ら革新を断行せざるにおいては、いよいよ仏教の墓表を建ててその死を弔せざるべからず。これ余の声にあらず、国家の要求が暗々裏に余をしてかく絶叫せしめたるを了せよ。

       第一〇六節 大活動実現の時機

 わが日本は幸いに大乗有縁の地なり。『碧眼録』(初紙)に「達磨はるかにこの土(唐土)に大乗の根器あるをみて、ついに海より得々として来る。」                                      とあるが、シナすらも大乗有縁の地と称しきたれり、いわんや日本をや。伝教の『依憑集』の序に、「わが日本の天下、円機すでに熟し、円教ついに興こる、云々。」(我日本天下、円機既熟、円教遂興云云)とありて、大乗中実大乗の最もその成熟に適したる地は日本なりとす。日蓮の語に、

 『教機時国抄』に曰く、「仏教を弘むる人は必ず時を知るべし。たとえば農人の秋冬に田を作れば、種と地と人の功労とは違わざれども、一分も益なくかえって損ず。」

 

 また曰く、「仏教は必ず国によってこれを弘むべし。国には寒国熱国、貧国富国、(乃至)一向不孝国等これあり、云々。」

とあるは、農家が種を下し田を作るに時と地とを選定せざるべからざるごとく、仏法を弘むるにも、時と国とを考察するを要するとの意なり。すでにわが日本は大乗有縁の地にして、今がその真面目を発揮する好時機となれり。奮起せよ諸宗の僧侶、活躍せよ仏門の青年、雄飛せよ仏教有縁の徒、数百年来伏在せる潜勢力を一時に煥発して、驚天動地の大活動を実現するは実にこの時にあり。

 

     第六段 革新論 一

       第一〇七節 内外適応と革新

 およそ物の発達進化するには必ず内因と外情との併行するありて、内外相適応すれば生存繁殖し、適応せざれば衰頽滅亡す。もし適応せざる場合において適応せしめんとするには、必ず一大変動ありて起こらざるを得ず。これを人身につきて考うるに、そのいわゆる内因は体内の事情にして、外情は四囲の晴雨、寒暖、衣食等なり。この外情と内因と順応せざるときには、必ず疾病を醸し、あるいは衰弱し、あるいは死亡するに至る。もしこれを回復せんとするには、必ず医療を施し、医薬を投じて、身体の刷新法を行わざるべからず。これすなわち革新なり。これと同じく宗教にも内因外情ありて、宗教内部の事情が国家社会の大勢に適合せざるときには、漸々衰滅に傾くを免れず。もしこれを防がんとするには随時大革新を断行するを避くべからず。故にその革新は宿痾を医するの良薬のごとく、惰性的宗教を復活するの興奮剤なり。

       第一〇八節 仏教内外の違和不調

 前に述べたるところをここに再言するに、仏教は仏入滅以後、インド、シナを経由し、次第に発達してわが国現時の大乗諸宗をみるに至れり。しかるに源平、北条、足利時代よりのちは、その発達自然に中絶し、徳川三〇〇年間はその精神はほとんど死水のごとく、すこしも活気なく、ただ外観だけを維持して、形式仏教、伽藍仏教を伝えきたれり。これにおいて弊毒内に満ちて、腐臭まさに外にあふれんとするがごとき形勢をなせり。かくして空前の大政一新に会し、文運勃興に際し、国家社会の大勢は鬼神を驚かすほどに変遷しきたれるも、仏教の内部はなお宿弊の余毒を存し、腐敗の残臭をとどめて、なんらの予防薬も、興奮剤もこれに投ずるものなし。要するに仏教発達の歴史上、内因外情の違和不調、けだし今日よりはなはだしきはあらず。故に憂国の士は国運発展上仏教の革新を望まざるべからず、護法の徒は教運復活上諸宗の刷新を図らざるべからず。

       第一〇九節 革新の目的および方法

 革新の目的および方法に関しては種々あるべし。宗教の教理が世間の学術に矛盾するために根本的革新の必要なる場合あり。かかる場合には全く旧宗教を破壊して、新宗教を建設するのやむをえざるに至る。あるいはまた宗教の伝道が社会の事情と適応せざるために、革新を要することあり。このときは宗教の応用を一変するをもって足れりとす。余の現時の仏教につきて革新の急務を認むるは、その第二の革新なり。これを実行する方法につきてもおのずから両様あり。旧来の諸宗諸派を離れて、別に新宗派を開立する方法と、諸宗諸派を助けて、ただその方針を一転するだけにとどむる方法とあり。前者は過激療法、後者は姑息療法たるを免れず。しかして余はその姑息療法をとらんとす。これ余の卑怯なるにあらずして、今日の形勢のしからしむるところなり。

       第一一〇節 過激的革新の困難

 物本末あり事終始ありて、革新にもおのずから順序階梯あり。まず姑息療法を試みて、しかしてのち過激療法に及ぼすは、順序のそのよろしきを得たるものと信ず。これに加うるに今日は昔時と大いに形勢を異にし、源平時代に新宗競起せしがごときを許さざる事情あり。その理由の第一は昔時は政府の制度が新宗開立を自由ならしめたるも、今日はしからず。第二は昔時は人心単純かつ従順にして、革新を実行しやすかりしも、今日はしからず。第三は昔時は一般の知識の程度低きために、異論百出することなかりしも、今日はしからず。第四は昔日は人物崇拝、人徳尊信の風行われしも、今日はしからず。これに加うに明治以前は仏教の外にこれに対敵する宗教も学術もなかりしが、今日は仏教以外に異宗教あり、諸学術あれば、過激療治を用いて破壊的革新を進むる間に、敵をしてその虚に乗ぜしめ、虻蜂取らずに陥らんとする恐れあり。かつかくのごとき革新は絶世の偉人を待つにあらざれば成功を期すべからず。

       第一一一節 革新意見表白の理由

 右の理由をもって余は姑息的療法を択みたるなり。自ら省みるに己の学といい識といい徳といい、その程度至って低く、局外に立ちて革新を唱道することすらも、己の分に過ぎたるを自覚するほどなれば、伝教、弘法を気取りて新宗開立などは思いも寄らぬことなり。ただ国家の将来をおもんぱかり、仏教の前途を望むに、一片の衷情内に動ききたり、抑えんと欲するも制し難く、黙せんと欲するも禁じ難きに至り。現時の諸宗諸派の反省を促し、同胞五千万余の意向を問わんとするまでに、革新の意見を表白するに至りたるのみ。しかれども世に過激療法の成功を信じて、革新の旗を掲ぐるものあらば、余は局外に立ちてその進行を傍観せんのみ。

      第一一二節 厭世の効果

 仏教の発達が小乗より大乗に進み、インドよりシナ、シナより日本に伝わるに従い、次第に厭世的は世間的となり、自利的は国家的となりたることは、前段所述によりてすでに明らかなりと信ず。かつ仏教の本来は一種の厭世的なること、だれありて否定するものなかるべし。しかしてその厭世的なるは絶対本位、真如中心なるによる。もし厭世果たして人生に害あるかと問わば、余は、厭世の大いに利あることをもって答えんとす。今日、世に煩悶者多きはなんぞや、煩悶の極、自殺するものあるはなんぞや。これみな百事意のごとくならず、前途好望の岸を認めず、ついに落胆の淵に沈むが故なり。かかる人の心中に慰安の光明を点ずる方法としては、最も厭世的宗教の効果あるや疑うべからず。ただし小乗は信前信後共に厭世的を脱し難きをもって、慰安の効力少なきも、大乗はしからず、信前の厭世は信後に至りてたちまち楽天と化することは前すでに述べたり。かかる楽天をのちに控える厭世はなんらの害なかるべし。故に余の革新はあながちその厭世を根本的より排去せよというにあらざるなり。

       第一一三節 大乗の本旨

 しかるに出世間の厭世を世間門に当てはめ、世人をして活動奮闘する進取の気性を減殺するがごときは、決して大乗の本旨にあらざること明らかなるにもかかわらず、現時の諸宗が一般にこの風を帯ぶるをもって、これを根治せんとするは余の革新の主論なり。請うみよ、大乗は生死即涅槃、此土即寂光といい、世間を離れて出世間なしと説ききたるを。果たしてしからば、この世にありて大々的活動をなさざるべからず。その活動によりて涅槃常楽の光景の一端を目前の境遇において開発するこそ大乗の本旨なるべけれ。

       第一一四節 仏教の原理と革新の範囲

 更に仏教の原理にさかのぼり、革新の範囲はいずれの点にまで及ぼすべきかを考うるに、これを古来の発達に徴するに、一大仏乗が多岐多端に分派したりしも、余のいわゆる三大元二大理の外に出づるものあらざりき。もしその外に出でたるときは、すでに仏教にあらずして外道となる。故に今後の発達も革新もこの範囲の外に出づべからず。なかんずく真如の体と因果の用とは縦横に一貫せる根本的原理なれば、決してこれを動かすべからず。またその真如も因果も客観的ならずして主観的なることを忘るべからず。すなわち真如は主観的絶対、因果は主観的相対なることを知らざるべからず。またこれらの原理の外に、各宗特殊の原理ありて立教開宗をなしたるは事実なれども、その特殊の原理を推究すれば、根本の原理より派生せるものなるを知るべし。かく原理を確定して古往今来を対照するに、仏教の発達すべき余地なおすこぶる多きを認む。試みにその一端を開示すべし。

       第一一五節 八万四千の法門

 仏教に八万四千の法門ありということは、『賢劫経』『大集経』『仏地論』『心地観経』『婆沙論』『倶舎論』等の大小乗両の経論に出づるが、これにつきて法門の数のいかに多きを知るべし。元来、釈迦仏は機に応じて法を説き、病に応じて薬を施す主義なれば、もとより多種の法薬を設けざるを得ず。故に今日までに開立せられたる宗派をもって、決して法門を尽くしたりというべからず。今後において新たに開くべき法門のなお多々あるべきを想するに足る。『末法灯明記』に

  法に三時有り。人にまた三品あり。化制の旨、時によって興替し、毀讃の文、人を逐いて取捨す。(中略)あに一途によりて済い、また一理につきて整えんや。

 

とあり、日蓮宗録内『開目抄』に「『天台のいわく、時に適うのみ』(天台云適時而已)と云々。仏法は時によるべし」と、また『佐渡御書』に「昔の大聖は時によりて法を行ず」とあるがごとき、今日は今日に相応する法門を発見して、世間に適用することこそ仏教の本意なれ。余のみるところにても古来未開の法門にして、今日に適するもの多々ありと信ず。

       第一一六節 仏教法門の廃立および主我宗

 今試みにその二、三を挙示するに、仏教は最初に有為の諸法を空妄として破道しながら、最後においてはこれを仮有とし実有として、建設せしのみならず、真言のごときは六大色心をもって根本とするに至る。すなわち一方において廃したるものを他方において立つるなり。これと同じく小乗において廃去したる我を、『涅槃経』においては成立せるをみる。その文証左のごとし。

  諸法は無我なるも実には我なきにあらず。なんとなれば、この我はこれ法、これ実、これ真なり、云々。

  我とはすなわちこれ如来蔵の義なり。一切衆生、ことごとく仏性あり、すなわちこれ我の義なり。かくのごときの我の義や、本より以来、常に無量の煩悩のために覆われる。この故に衆生は見ることを得るあたわず、云々。

 

 

 

これ有我論なり。もとよりその我は大我にして小乗的小我にあらざるも、もしこの大我を世間門に応用するに至らば、社会に活動する原力となり、主動となるを得べく、薄志弱行の人をして堅忍勇敢の人となすを得べし。故に余は『涅槃経』に基づきて主我宗を立つるは、今日の時機に相応せる新宗となるべしと信ず。昔時シナにおいて涅槃宗ありしも、世間に活用することをなさざりしをもって、今これを主唱するは新涅槃宗を開立することとなるべし。

       第一一七節 対外的勢力宗

 また仏教中の戒定慧三学につきては戒宗(律宗)あり、定宗(禅宗)あり、慧宗(法相、天台等)あり、経律論三蔵につきては経宗(天台、華厳等)あり、律宗あり、論宗(倶舎宗、三論宗等)あれども、いまだ智仁勇三徳、智情意三性に配合すべき宗あるを聞かず。もし強いて配合すれば、天台のごときは智宗、浄土のごときは情宗または仁宗、禅宗のごときは意宗または勇宗と称し得るとするも、禅宗の勇は対内的勇、内観的勇にして、対外すなわち対世間的勇にあらず、これを一変して世間的勇宗を開くもまた一新案なり。

 観音と相対する菩薩に勢至と名付くるものあり。観音は慈悲をもって体とし、勢至は智慧をもって体とするも、その智には勇を帯びて、大勢力の菩薩なり。故にその徳を述べて、智光をもって一切を照らし、衆生をして無上力を得せしむとも、その足を投ずる所は三千大千世界を震動すともいう(『翻訳名義集』巻一参看)。これを本尊として、勢力宗を開くもまた一考案なり。

       第一一八節 実業的万法宗

 あるいはまた実大乗の極意は万法即真如、一色一香無非中道にあれば、この理を世間門に応用して、万法宗を開くも一案なり。すでに一色一香みな真如実相なれば、農業家は米穀を本尊として崇拝し、蚕業家は蚕を本尊として崇拝し、漁業家は魚貝をもってし、林業家は樹木をもってし、これみな真如実相の表彰実影として崇拝せしむると同時に、一心一向にその業に従事せしむる道を開くは、実業界に相応ずる新宗となるべし。『法華経』(法師功徳品)にいうところの「俗間の経書、治世の語言、資生の業等、みな正法にしたがわん。」                 をも参考して、実業宗を開くもまた新案なり。よろしくこれを万法宗と名付くべし。

       第一一九節 世間宗開立の必要

 これらの外に余がもっぱら時機相応の法と信ずるは、仏教の世間門を別開して、一宗を組織することなり。すでに実大乗の本意は世間門を建立するにあれば、ただ小乗的見解をもってみだりに衆生界を破斥すべきにあらず。釈迦仏がインド人を相手として説かれたる法が、流れてわが国に入りきたりしために、インド人特有の厭世観を帯びて、今日に至りしも、これ世間の苦の一面をみて、楽の他面を知らざるの偏見に過ぎず。もし従来のごとく出世間一方に重きを置きて、世間を軽んずるときは、逆境にありて失意のもののみを誘引するを得るも、順境にありて得意のものを招致すること難し。かつ世人の中には出世間の実在は到底信ずることあたわずというものあり。かかる人に対しては出世間を説かずして、世間因果のみを説くをよしとす。これすなわち余のいわゆる世間宗なり。あるいはこれを人天宗と名付くるも可ならん。

       第一二〇節 世間宗の内容

 今ここにその所立の内容を仮設せんに、善悪応報の理を世間に当てはめ、因果の規則は世間を一貫して存し、実に宇宙の大法、万有の原理なれば、世間に立ちてあるいは公衆のため、あるいは国家のため、あるいは社会のために鞠躬尽瘁するものは、必ずこれに相当する応報あると説き、もしその応報が己の一代においてきたらざることあるも、あるいは子孫の代において、あるいは死後百年、千年において、あるいは他生において必ずきたるべし。仏教にては三世因果を説くをもって、人は生の後にも生あり、死の後にも死あり、生々死々窮まりなきものなりとす。されば一世一代をみて、応報の有無を判ずべきにあらず。寸善を修むれば必ず寸善の報あり、尺悪を犯せば必ず尺悪の罰あるべきは天地の公道なれば、神明に誓いて累徳積善を務むべし。しかるときは今生においてその果を現ぜざることありとも、他日再生の時には、必ずこれに相当する善果を得て昇進すべし。もし人世を楽園とし、永くこれに住せんと欲し、死後更に人身を受けて再生せんと願うものは、すべからく人間相当の善行を修むべし。これ世間に永住する道なりとす。

 この世間門における善悪応報の理は、ひとり仏教所説なるのみならず、宇宙の真理がわれらに先天的に命令するところなり。かくのごとく説ききたりて、出世間を好まず、人生をもって満足するものを導くは、世間宗を待たざるべからず。しかしてこの宗を開立するに最も適したるものは大乗仏教なり。余は従来の大乗仏教が逆境にある人のみを導くをつとめ、順境にある人を勧むるに迂なるを慨嘆する一人なれば、かかる世間本領宗の起こるは仏教のため世間のために大いに渇望するところなり。

       第一二一節 世間宗に対する疑難

 この説によらば仏教の原理たる因果の規則を応用し得るも、真如の目的を除去するに至ると難ずるものあらんも、世間の解釈いかんによりて真如を立つるを得るなり。さきに述べしがごとく万法即真如なれば、世間すなわち真如なるべし。故に世間にありて世間的善を修め、これを積み窮まりてその極に達すれば、仏果に至るべきはもちろん、この世間この人生において此土寂光の妙果を開現することをも得る理なれば、真如の原理も世間宗において立つることを得べし。かくして世間宗を開立するに至らば、人力を鼓吹し、世道を奨励するに最も功力あるのみならず、出世間道を好まざる人を仏海に帰入せしむることを得るに至らん。

       第一二二節 新宗別開の不必要

 以上、余の案出するところの新宗の種類を列挙したるも、余自らは前に述べしがごとく、決して新宗を開立せんとする野心を有せず。その上述のごとき新宗の宗義は、今日現在せる各宗の教義の方針を一新すれば、みな成立し得るものと信ず。なんぞ殊更に新宗を別開する煩労をとらんや。たとえば第一の主我宗は、従来の天台宗にて兼説するを得べし。なんとなれば『涅槃経』は、その宗所依の経典中に加わればなり。第二の勢力宗は、禅宗の内観的修養を社会的に当てはむるをもって足れりとす。第三の万法宗は、真言宗の六大以本説の応用を改変すれば可なり。あるいは浄土教『観経』に出づるところの日想観、水想観、樹想観等を客観的に応用するも可なり。天台の止観を外用するもあえて不可ならず。第四の世間宗は、各宗にて世間因果の方を拡充すればたちまち兼説することを得べし。故に余は新宗別開の必要なしとし、現時の諸宗の応用的方面を改修するをもって事足るとす。

 

     第七段 革新論 二

       第一二三節 諸宗統一の不可能

 世に仏教の革新につきて従来の諸宗を統一し、新たに一大釈迦宗を開立せんと望む論者あれども、余はその不可能なるを知ると共に、発達の原理に違戻するものとす。これを歴史に徴するに、三国伝来の事跡は草木の茎幹より千枝万葉を分出派生せしめたるがごとき状態にして、宗より宗を分かち、派より派を開き、世を重ね年を経るに従い、ますます宗派の分岐をみるのみ。これすべて物の進化開発の原則なれば、今後においてたとえ新宗新派の分岐することありとも、決して三千年前に復古して、一宗に統一せらるるがごときことあるべからず。かかる統一を夢想するは遠き将来において世界万国相合して、地球上に唯一大帝国をみるに至らんことを幻測するに異ならざるなり。

 これを要するに余の革新は旧宗を統一するにあらず、新宗を別開するにあらずして、現今の諸宗を復活する方針をとるものなり。ここに余が特に復活というは今日の諸宗いまだ死したるにあらざるも、その精神すでに朽ちてわずかにその形骸に残熱をとどめ、余喘いまだ絶せざるのみ。実に今日は「仏法かすかならんと欲し、一髪に懸かる。」        というがごとき有様なり。この危機一髪に際し一大興奮剤を注射して、起死回生の復活を期するは余のいわゆる革新案なり。

       第一二四節 伽藍仏教葬式坊主

 人みないう、今日の仏教は伽藍仏教なりと。この言や、精神すでに死して、形骸のみ存すとの意なり。その形骸たる伽藍もまさに朽ちんとするもの多し。八万の寺院中「寺の貧僧は食を乞い、堂の古仏は塵を蒙る。」             の悲境にあるもの数うるにいとまあらず。これ精神すでに死して、形骸も半ばまさに朽ちんとすといわざるを得ず。また仏教の神経系統に当たるべき僧侶は、世間これを目して葬式坊主といい、葬式法要を営みて口を糊するもの多し。故に拙作一首あり。

  七万の寺院、十万の僧、みな末世といいて法灯を伝う。もし葬式仏事を除き去らば、八家九宗、なんぞ能あらん。

 

世人僧侶を嘲笑して、羅漢のみ、その羅漢はハタラカンと名付くる羅漢なりというも、一理なきにあらず。これ現今における仏教門内の光景なり。その蕭颯たるやあたかも厳霜沍寒のときにおける林野を望むがごとし。この殺風景を転じて一陽回復の春光を発せしめんとするは、余の革新の方針なり。

       第一二五節 徳川時代の死学

 僧侶中たまたま碩学をもって任ずるものなきにあらざるも、経文の字句の解釈にのみ齷齪として、古人の注釈に束縛せられ、唯識三年倶舎八年をもって得意とし、徳川時代の死学を墨守するに過ぎず。当時の学者は泰平に飽き、無事に苦しみ、閑文字を弄する外に精神を役する道なかりき。故にその学は字句の末に走り、注釈の余を争い、蠹魚と共に巻帙の間に篭居し、その心は世海の風波を隔つること白雲万里もただならざる境遇に一生を送れり。

 今その一例を挙ぐるに華厳の経題『大方広仏華厳経』を釈するに、一字に付き一〇義ずつを並べ、都合七〇義を立つるをもって唯一の能とするがごとき有様なり。篤胤が儒者を嘲りて「魯の国の詮議する間に腰かがみ」とよみしがごとく、僧家は「経題の詮議する間に腰かがみ」とよまざるを得ず。この一例をもってその当時の学風一般を推測するに足る。しかるに今日は時勢一変し、天地一新せるにかかわらず、僧林にありて仏乗を学ぶもの、徳川学弊の余習を守り、依然として死学城内に幽蟄し、明治の春光、誰家にあるを知らざるもののごときは一驚を喫せざるを得ず。

  僧脚を鞭打ち山河を跋まんと欲するに、この半生半死のごときはなんぞ。法界だれか医国の手を揮わん。一刀療却するは百年の痾なり。

 

       第一二六節 迂遠なる研究法

 かかる死学者の門に養わるる学生は、青年有為の志を抱きながら字句の詮議に脳漿を絞らせられ、いつの間にか元気を枯落せしむるは、誠に憐察するに堪えたり。老僧の精神の活機なきは万やむをえずとするも、死学者が、死学者を作りて、後進の精神を殺すに至るは遺憾実にはなはだし。

 ここに真宗宗学の方法を挙げて、仏教の研究のいかに迂遠なるかを示すべし。浄土三部経と宗祖の著述とはもとより兼修せざるを得ざるも、従来の学則としてただにここにとどまらず、かえって七祖の注釈に重きを置き、その字々句々に心を悩まし、光陰を徒消することすこぶる多し。これ愚の至りというべし。宗祖は絶世の卓見をもって一宗を開立せられしものなれば、七祖を相承するに及ばざれども、その当時他宗の攻撃はなはだしかりしをもって、七祖を立合人としてその書を引証せられたるのみ。すでに開宗したりしのちは七祖を参考とするまでにて足れり。よろしくまず宗祖の遺書を究めて、ただちに三部経にさかのぼり、両者を対照するに至りてとどまるべし。むかし伊藤仁斎は宋儒の相承を斥け、遠く道源を究めて古学を主唱したりしが、その語に曰く、「道は唐虞をもって準じ、学は鄒魯より伝う。」             と、実に卓見というべし。真宗の宗乗も「道は釈尊をもって準じ、学は宗祖より伝う。」             の識見あるを要す。他宗みなしかり。これを要するに仏教学林内の光景は三〇〇年間の泰平の惰眠いまださめず、明治の春天駘蕩、百花競栄を知らざる有様なり。あに革新を施さずして可ならんや。

       第一二七節 雪白菩提山一角

 かつて藤井竹外が淀川の春光を詠じたる詩に、「桃花の水暖まり軽舟を送る。背視す、孤鴻のまさに没せんと欲する頭を。雪白き比良山の一角、春風なおいまだ江州に入らず。」                                といえるを擬して、余は左のごとく歌わんとす。

  文化の水暖まり人舟を送る。背視す、世間のまさに尽きなんとする頭を。雪白き菩提山の一角、春風なおいまだ僧州に入らざるがごとし。

 

 一般の僧侶の頑夢を一覚せしむるは、その宗門の明星と仰がるる学者が時勢に感奮し、自ら革新を計画して、指導の位置に立つべきはずなるに、その惰眠一般の僧侶よりもはなはだしき有様なれば、ほとんど絶望なり。また今日の青年僧侶は、多少明治の新空気を呼吸して、勇進の気性を萌生したりしも、ひとたび学林に入りて陳腐の学風に沐浴するや、またその生気を洗い去らるるに至る。ああ仏教各宗の革新、いずれのところに向かって望むべきや。

       第一二八節 各宗本山の内情

 一宗を総轄し衆僧を監督する本山はいかにというに、その宿弊を医するの道は絶望中の絶望なり。余はここにその内情を開陳するを欲せず。しかれども世間すでに公評ありて、極楽の門に鬼住すといえり。いずくんぞよく天下の大勢を達観して、門末を指導するの任に当たるを得んや。近年二、三の宗派にて宗祖の法要を営むに、伽藍仏教の名に背かず、堂宇の修繕改築のみこれ務め、外観の壮麗をこれ競い、なんらの精神上の記念をとどむることなし。信は荘厳より起こるといえる諺もあれば、堂宇の美観はあながち無用というべからざるも、一朝祝融の災にかからば、たちまち灰燼に化せんのみ。故にこれただ一時の記念に過ぎず。しかしてかかる千載一遇の好機を利用して、宗規を改め、学風を一新し、教海維新の大方針を立つるがごとき志望は、ほとんど当路者の心底に宿ることなく、ただ愚俗の登山するものの多きを見て、仏教の万歳を謳歌するのみ。故に余は宗祖に対する報恩の経営は、外観上の末に走りて、内容を忘れたるものといわんとす。ただ当路者は教権を濫用して門末を威圧するの能あるのみとの評あり。あに大長息せざるを得んや。

       第一二九節 門末檀徒の風情

 かかる本山の管下にある門末檀信の徒は、なんらの識見あるにあらず、上の好むところ下これに従うの風情なり。故に本山の募財に応じて納金するをもって、報恩の「のうじおわれり」(能事畢矣)と心得、殿堂の壮観を望みて、大満足を表するに過ぎず、あえて一人として本山に迫りて精神上の記念をとどめしめんとするものあらず。故に従来の死仏教は依然として死仏教なり。しかして外観上従来の面目を維持し得るは、ただ積年の惰力の今なお減ぜざるによるのみ。

 諸宗諸派中には、あるいはひそかに慨嘆するものなきにあらざるも、暁天の星よりなお寥々たれば、声を呑みて沈黙するのやむをえざる勢いなり。いずれの宗内をうかがうも、大同小異、五十歩百歩の間にあり。ああ教海の維新はなんびとによりいずれの時にか行われんや。弥勒の出世を待つよりもなお遠しといわざるを得ず。

       第一三〇節 世間の責任

 更に眼向を転じて世間をみるに、仏教をしてかく腐敗せしめたる罪は、ひとり本山と僧侶とのみに帰すべからず、世間またその責を分かたざるを得ず。徳川時代はこれを置き、維新以後において、官民挙げて百般の改良に全力を注ぎたるも、仏教に至りてはこれを度外に置き、その腐敗堕落はこれを不問に付し去れり。そのうちたとえ外観なりとも、今日まで従来の面目を維持しきたりしは、本山および僧侶の功労として、一言の称賛に価せりというて可なり。今後は願わくば官民共に宗教の力よく民心を固結して、国家の隆治に対し、冥々裏に偉大の勢力あることを看破し、その革新に余力を加えられんことを。

       第一三一節 寺院僧侶檀信徒の数

 仏教の寺院大数八万、これに衣食する僧侶は恐らくは一〇万以上なるべし。しかして檀信徒に至りてはその数を確知し難きも、数千万に上るべし。彼らは上流に少なく下層に多きも、その下層の人民を導きて、国家のために尽瘁せしむるは、最も今日の急務とするところなり。これらをして詔勅の聖旨を奉戴せしめ、上下心を一にして国運の発展を図らしむるは、平素その教導を任ずる僧侶によるを最も便なりとす。故にひとたび仏教の革新を行って、この任を尽くさしむるに至らば、その影響するところすこぶる大なるべきは必然の勢いなり。

       第一三二節 革新の気運

 近日わが社会の耳目はようやく宗教の方面に注がれ、各宗教の懇話会より引き続きて、教育家、宗教家の懇親会をみるに至れり。これ一般に国民道徳を振起するには、教育のみの力にてよくし難く、必ず宗教と相待たざるべからざるを自覚せしによるならん。余輩のごとき今より数十年前、哲学館創立の当時よりこの主義を唱えたりしものにおいては、大いに歓迎するところなり。故に余は仏教革新の気運ようやく熟せりと信ず。よって更に拙工をもって所思を綴ること左のごとし。

  明治の人文四隅に遍じ、僧門志を立つることありやなしや。革新の気運、今まさに熟せんとす。好く鉄拳を握り病顱に加えん。

 

かく気炎を吐くも、余の微力の到底当たるところにあらざれば、天下の世論をしてここに向かわしめんことを祈るなり。

       第一三三節 門外の一棒

 世間すでに宗教の世道に裨補するところあるを知らば、更に一歩を進めて仏教の革新に立ち入り、門外より大喝をこれに与え、一棒をこれに加うるに至らんこと、余の切に望むところなり。あるいは政府よりこれを促し、あるいは民間よりこれを迫り、百方より革新の声を高めて肉薄するに至らば、いかにその頑固石のごとき法城も、降旗を掲ぐるは必然なるべし。もしこれによりて本山ひとたび動かば、その波及するところすこぶる広く、着々革新の実を挙ぐることを得べし。

       第一三四節 革新実行の順路

 余の所案にては革新を進行する順路は、世論の声、官民の力の外より加わるを第一とし、仏教内の青年学生の内よりこれに和するを第二とし、内外相応じて本山を動かし、これをして革新の急務を自覚せしむるを第三とす。本山ひとたび自覚して、革新の方針をとるに至らば、一般の寺院僧侶は一令の下にたちまち頑眠より驚起すべく、仏教界の面目たちまち一新するに至るべし。

 僧侶中比較的進取の気性に富めるものは青年学生なり。各宗において近年往々、新旧思想の衝突あるをみるは、彼らの革新の動機にあらざるはなきも、そのたびごとに本山の積圧の下に不本意ながら屈伏のやむをえざるに至る。故に門外において革新の喊声ひとたび起こらば、これらの青年は大旱に沛然を得たるがごとく、大いに歓呼して応和するは必然の勢いなり。けだし革新の実行はこの順路をとるより外なしと信ず。

       第一三五節 革新の準備

 今日末寺が本山に対し、青年僧侶が当局者に対し、意を曲げて屈従するは、一の弱点あるによる。その弱点とは糊口の道を失わんことを恐るる一事なり。故にいやしくも革新に志あるものは、あらかじめ自活自営の道を講ぜざるべからず。これ革新準備の第一なり。その第一の準備をなし得たるも、時機をみずして軽率に動くなかれ。静かに気運を望みて、その熟するを待つべし。これ準備の第二なり。時機至らばその機会を逸すべからず。これ第三なり。近来革新を唱うるもののみな失敗に終わるは、その準備のよろしきを得ざるによる。今や天下の気運やや熟せり。世論の声ひとたび起こらば、門内有力有志の者は国のためと心得て、翕然として唱和し、奮然として突進せよ。ただし暴挙妄動をなすなかれ。しかるときは本山の宿弊を一掃するがごときはなんの難きかこれあらん。

       第一三六節 余の革新論の梗概

 余がいわゆる革新論は前にしばしば述べたるところなるが、今ここに括約すれば左のごとし。

  厭世的仏教を世間的にすること

これを細説すれば、

  一、従前の出世間一方に偏したるを補うに、世間道をもってして、二者の権衡を保たしむること。

  二、従前の自利的個人的なる性質を変じて、利生的国家的にすること。

  三、従前の消極的退守的なる風あるを回らして、積極的進取的に変ずること。

換言すれば小乗的仏教を大乗的にすることなり。余がここに小乗的というは、わが国現時の仏教が諸宗共に大乗なるにもかかわらず、名のみの大乗にて、その実は小乗にひとしきをもってなり。しかるに大乗をして小乗の方針をとらしめたりしは、時代思潮の影響、社会要求の結果なりしこと明らかなり。されば今や形勢一変して、大乗の真面目を発揮する時運に際会したれば、これより大いに革新を加えて大乗の非厭世的方面を開達せざるべからず。

       第一三七節 厭世非厭世の相違

 厭世と非厭世とは指導の方針いかんによりて分かるるものとす。たとえば月満つれば必ず欠く、花開けば必ず落つ、人会すれば必ず離るといえば悲観を呼び起こすも、もし月欠くれば再び満つる時あり、花散ずれば再び開く時あり、人離るれば再び会する時あるをおもえば、悲観はたちまち変じて楽観となる。古人の句に「夜来風雨の声、花落つること知んぬ多少ぞ。」(夜来風雨声、花落知多少)といえば、悲観の声を含むも、花は風雨によりて散ると同時に、また風雨によりて開くものなり。故にその句を変じて、「夜来風雨の声、花ひらくこと知んぬ多少ぞ。」(夜来風雨声、花発知多少)といえば、楽観の感を起こさしむ。かの人口に膾炙する「限りあれば吹かねど花は散るものを心短き春の山風」のごときも、これを変じて「時くれば吹かねど花は咲くものを心楽しき春の山風」とすれば悲観は変じて楽観となる。この種の語、仏教中にことに多し。たとえば

  生死の去来すること雷、光影のごとく、三界流転すること旋火輪に似たり。

 

のごときは、世の無常を示したる語なれども、時々刻々、変々化々するこそ、人生の妙趣というべけれ。変遷あるが故に、苦はたちまち去りて楽となると思えば、楽観を得べし。また、

  東出西没の月光、生死の往来を示し、朝に開き夕に萎む花の色は、遷滅の儀則を表わす。生者の必滅は釈尊も免れず。楽しみ尽きて哀しみのくるは天人すらなお値う。

 

の語のごときも、悲観の方面のみを偏視したるものなり。人生必ずしも悲観のみならず、滅後生あり哀後楽あるを考えきたらば、なんびとも必ず人生を楽しむことを得べし。これを要するに人生を悲観するものは、悲観の方面一方をみて、楽観の方面を知らざるによる。

       第一三八節 従来の仏教の悲観的解釈

 従来の仏教の解釈は、一章一句を悲観の方面にのみ当てはめきたれるは前述の外に多々あり。たとえば「祇園精舎の鐘の声は諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色は盛者必衰の理をあらわす」の対句のごときは、悲観の名句として唱えきたれるも、その声その色は必ずしも楽観の思想を連起し難きにあらず。故に余はこれを改作して「祇園精舎の鐘の声は青年立志の響きあり、沙羅双樹の花の色は大器晩成の理をあらわす」となさんとす。また『涅槃経』の偈文の

  諸行は無常なり。これ生滅の法なり。生滅滅しおわれば、寂滅をもって楽となす。

 

は仏教の出世間的方面を短縮したる金言なるも、その語だけにては厭世的に傾くの嫌いあり。これを補うに世間的方面を表詮せる語なかるべからず。故に余はこれを世間門に当てはめて、

  諸行は無常なり。これ生滅の法なり。誰か寂滅を願って生滅を楽となさんや。

 

となせり。

 また『無量寿経』の「田あれば田を憂い、宅あれば宅を憂う。田なければ、また憂いて田あらんと欲し、宅なければ、また憂いて宅あらんと欲す。」                                        のごときも、悲観の方面のみを示されたるものにして、もしこれを楽観の方面に移しきたらば、

  田あれば田を喜び、宅あれば宅を喜ぶ。田なければまた喜び、後に田を得ることを期し、宅なければまた喜び、後に宅を得ることを期す。

 

たちまち楽天の境涯となるべし。

       第一三九節 真如の僻解

 真如には言語を絶したる方面と、言語にて表詮する方面と両様ありて、これを離言真如、依言真如と名付く。また不変真如と随縁真如との二様あることは、前すでに述べたり。かく数様あるにもかかわらず、古来真如を解して

  真如とはいかなるものと人問わば、墨絵にかきし松風の音

と唱えり。これ一面に偏したる僻解のみ。故に余は依言真如、随縁真如の方面を開示して、

  真如とはいかなるものと人問わば、天地に満つる日本魂

  真如とはいかなるものと人問わば、宇宙を載せて走る蒸汽車

と改めんとす。かくすれば死的真如を変じて活的となすを得べし。

       第一四〇節 悲観を転ずるの必要

 以上は二、三の例を挙げたるのみなるが、大乗は活動的真如を本とし、世間と出世間とを一致せしめ、その間に中道を立てて、有に偏せず空に偏せざることを説きたるものなるに、その根本の原理を消極的方面にのみ解しきたり、出世間一方に偏傾し、ついに厭世悲観の教となすに至れり。したがって事々物々を観察するにも、悲観の方面のみに意をとどめ、楽観の方面を忘却し、大乗の解釈を小乗的に敷衍し、ついに活仏教をして死仏教に陥らしむるに至れり。明治以前はかえってその方が社会の事情に適合したれば、万やむをえずとするも、今日においてなおこれを継続するは、時勢を知らざる盲人たるを免れず。その結果は社会国家の消長に影響することまた大なり。これによりて余が革新を大呼するの偶然にあらざるを知るべし。

 

     第八段 方法論

       第一四一節 具体的革新論

 余が革新の方針および方法の大体につきてはすでに説き終わりたるも、なお具体的に述ぶる必要あり。これを理論と実際との両方面に分かちて解説するを便なりとす。まず理論の方面にては、余のいわゆる三大元二大理の範囲内において、これに抵触せざる限りは、従来の解釈法を時勢に応じて改変するも、仏教の仏教たるゆえんにはすこしも異動を与うることなし。ことに大乗なかんずく実大乗は世間出世間を両立せしむる主旨なれば、従来の出世間一方に傾きたる弊を矯めて、世間の方に重きを置くを要す。この方針にて諸宗の教義を改変すれば、すなわち今日の大勢に相応する革新となるべし。

       第一四二節 原理性質の改変

 小乗は純然たる厭世にして、これを世間的に改造する望みなきも、なおその宗にて世間因果を説く以上はこの方面を開展して、世間教を造出することあたわざるにあらず。小乗すらなおしかり、いわんや大乗においてをや。これを今日の時勢に応合せしむるはなんの難きかこれあらん。余が最初原理論において述べたる項目は、仏教として動かすべからざる点なるも、性質論において説きたる点は、随時改変して可なり。原理は形なり、性質は質なり、質は改変し得べきも、形は変更すべからず。ただし性質論中の主観的の一事は原理に固有せる性質なれば、これを転じて客観的となすことあたわずと知るべし。

       第一四三節 法相宗の革新

 日本現時の諸宗中法相宗をみるに、その真如は凝然不作なれども、真如の代わりに阿頼耶識の活動を説き、実大乗の随縁真如の作用を頼耶の種子に帰したるものなり。かつその宇宙観は非有非空の中道を立つるものなれば、この理を世間に活用して、勇進敢為の気性を鼓舞することすこぶる容易なり。しかるにその宗の教うるところは旧風に頑着し、厭世を相伝して小乗的死仏教を固守するは、笑うべきの至りなり。

       第一四四節 天台宗の革新

 つぎに天台宗をみるに、釈迦仏の出世の本懐を説かれたる『法華経』を正依とし、諸教を網羅したる最上の学府をもって自ら誇るだけありて、仏海の深底より三諦円融の管鑰を握りきたり、事理隔歴の関門を打開し、一色一香無非中道の妙理を開現したりしは、実に千古の卓見なるも、その当時の大勢が活動的を許さざる事情ありしために、厭世の方面に応用するに至れり。しかるにその門下にありて末流を汲むもの、これを今日の時勢に活用することを知らず。『法華経』の教理を敷衍したる天台大師の三大部を学修するに、一章一句を追うて文字の解釈に全脳を絞り、大師の精神のいずれの点にあるやに留意せず、いたずらに死学を守りて、これと共に首を絞らんとする風あるは、憫然の至りというべし。

 今その一例を示さば天台大師が如是の二字を三回に転読して、空仮中三諦の意を示されたるは、その当時の学風に対する方便的解釈に過ぎざるべきに、これを千古不変の金玉として珍賞するをみても、その他を知ることを得べし。三大部を通観するは可なれども、その文字の裏面にやどる精神を握るを知らず、卓見を認むるを知らざるは愚かなり。かかる迂濶なる学風をもって自ら安んずる有様なれば、その宗の教理を世間に活用するなどは、ほとんど絶望といわざるを得ず。

       第一四五節 華厳宗の革新

 華厳宗もその原理は天台と同じく、随縁真如の活動的方面に基づくものなり。すべて実大乗は法相の「真如は凝然として、諸法を作さず。」(真如凝然、不作諸法)というに反し、「真如は縁にしたがって自性を守らず。」(真如随縁不守自性)を唱え、活溌溌地に真如を開展したる宗意なるに、従来これを死物的に応用したりしは、また一笑せざるを得ず。『華厳経』に「心、仏および衆生、この三は差別なし。」(心仏及衆生、是三無差別)と説き、「日出で、先に高山を照らす。」       とあるをとらえきたり、わが宗は最高甚深の法門なりといいて気取りながら、その心もその法門もこれを世間に向かって活用するを知らず。もし三界の唯心所造なる理を世間に応用すれば、「精神一到なにごとかならざらん。」(精神一到何事不成)以上の英気を煥発するを得べきも、一人のかかる方面の発展を試みるものなく、大乗仏教を殺して、これを死守すること前二宗と異なることなし。ただし華厳宗と法相宗とは旧教中の旧教にして、その勢力極めて微々たるものなれば、あえて革新を迫るの必要を認めざるなり。

       第一四六節 真言宗の革新

 つぎに真言宗は華厳、天台の融通無礙の理を万法の上に当てはめ、六大縁起を説き、即身成仏を談じ、楽観的なるべきに、その実しからずして、かえって厭世的に傾き、消極的に走れり。その宗の人生観をみるに、弘法大師の語に、

  三界の業報、六道の苦身、すなわち生じ、すなわち滅して念々不住なり。体もなく実もなく、幻のごとく影のごとし。分段変易、因縁生の法は、九百の生滅、炎のごとく流れのごとし。

 

 

とあるを読みて、悲観的なるを知るべし。しかし大師のこの語をなせしは、仏教中の小乗的語調を継ぎて、当時の社会要求に応じたる方便に過ぎざれば、決して非難すべきにあらざるも、今日のその学統を継述するものが、弘法の著作中時勢に応じて改変すべき部分と、すべからざる部分との二者あるを識別するを知らず。一千年前の日本社会と今日の社会といかほど相異なるやを察せず、弘法の筆の誤りも字の誤りも、そのままこれをまねて、大師の真意を得たりとなすは、その愚笑うべし。弘法もしこの世にあらば大いにこの徒を呵責せらるるは必然なり。

       第一四七節 旧仏教の無精神

 以上はみなわが国の旧教なれば、六、七百年前すでに当時の事情に適せずとて排斥せられ、爾来気息ほとんど絶せんとしたりしも、そののち徳川氏の擁護により、余命を保ちて今日に存するを得たり。その時勢に迂濶なるはあえて深くとがむるに足らず。しかれども大乗は心をもって本とし、万法は心より生じ、鬼となるも仏となるも、みな心より起こると説きたるものなれば、その説を世間に活用しきたらば、奮闘場裏に立ち、一志浩々、天地に満つるの精神をもって、百難を排し、万障を破り、成功の彼岸に進到するの忍勇を発揮せしむるを得べし。

 昔時は泰山を挟みて北海を越ゆるは、なさざるにあらず、あたわざるなりといいたるも、今日はしからず、人の力によりて泰山を北海に移すことを得る世となれり。かかる世にありて人心を鼓舞するは、実に実大乗の唯心説によるより外なし。かつ実大乗は此土寂光、是身即仏を唱うるをもって、もし世に人生を厭苦し、あるいは煩悶するものあらば、これに対して落胆するなかれ、悲観するなかれ。成功の彼岸は汝の目前に現じ、名誉の月桂冠は汝の頭上に懸かる。奮起せよ猛進せよ、活眼を開きてみよ、煩悶を払いて行けとの大喝を彼らの胸裏に徹底せしむるを得べし。惜しいかな、旧仏教中にほとんど一人のその原理をかくのごとく活世界に応用するものなし。慨せざらんと欲するもあに得べけんや。

       第一四八節 禅宗の革新

 つぎに掲ぐるは天台、真言等の旧仏教に対する新仏教なり。これ時勢に応じて開立したりし新宗なれども、今より七〇〇年前の革新なれば今日に適合せざるはもちろんなり。その第一として禅宗を考うるに、旧教の経論文字の末に走りて、その精神を忘れたるを見、その弊を除かんと欲して、不立文字を唱えたりしは、実にその当時における卓見なりしも、そののち伝来の久しき、自然に文字に拘泥するに至れり。また禅宗は見性成仏を唱え、静坐内観によりて悟道の捷径を開きたるは可なれども、その弊は世間を忘却し、人事を厭苦するに至れり。他語にていえば厭世的に流るるにあり。禅家の最も愛読する『維摩経』に、人身を悲観して曰く、

  この身は泡のごとくして、久しく立つことを得ず。この身は炎のごとく、渇愛より生ず。この身は芭蕉のごとく、中に堅きことあることなし。この身は幻のごとく、顛倒より起こる。この身は夢のごとく、虚妄の見たり。この身は影のごとく、業縁より現る。この身は電のごとく、念々に住せず、云々。

 

 

『普勧坐禅儀』にもこれに似たる句あり。すなわち「形質は草露のごとし。運命は電光に似たり。倏忽としてすなわち空しく、須臾にしてすなわち失す。」                      と説けり。かくのごとき厭世観はもとより悟前の状態にして、もし悟後に至らば、たちまち楽天に変ずるに相違なきも、ともかく従来の布教がこの悲観の方に重きを置きたる傾向あるは事実なり。これ昔日の時勢のしからしむるところなれば、今日においてはかかる方針を一変せざるべからず。

       第一四九節 禅宗改造の方針

 余が考うるところによるに、今日の禅宗は従来の坐禅内省して心底を観照する方法の外に、客観的悟道の一路を開き、天地および社会の活象を対観して、大悟徹底する方法をもそのうちに加えんことを望む。もしかくのごときは禅宗の宗義に戻るといわば、新禅宗を開立するも可ならん。しからざれば今より革新を加えて、その悟道の方針を直接に世間の奮闘的生活に当てはめ、そのいわゆる悟道の関門と称する公案のごときも、必ずしも古人の轍を踏むを要せず。今日は今日に適応する公案を作り、学生の煩悶に対してはその煩悶の条項をただちに公案として、単刀直入これを打破する道を開かざるべからず。

 また禅宗の説くところが個人的にして、国家的にあらず。たとえば『坐禅用心記』に曰く。

  雑知、雑解を放捨し、世法、仏法を抛下す。(中略)仏法、世法を管せず、道情、世情ならべ忘ず。

 

とあるは、無差別の悟境に体達する遮情門なるも、今日の弊として国家も社会も双忘するをもって禅宗の得意とするがごとき風あるは、今より矯正せざるべからず。また従来の禅教の遁世に傾き、消極に偏したる点も改変せざるべからず。その弊や事物に無頓着になり冷淡になりて、熱誠を欠くに至るがごときは、ことに大いに革新せざるべからず。

       第一五〇節 浄土宗の悲観的念仏

 つぎに浄土宗をみるに、これまた遠離穢土の悲観的方面のみを説きて、阿弥陀仏の光明遍照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨の楽観的方面を説かず、否たとえこれを説くも、仏の照護によりて世間に活動すべきゆえんを示さず。故をもってその唱うるところの念仏が、悲観の声、哀訴の語となりて聞こゆ。けだし諸宗中厭世の最もはなはだしきはこの宗ならん。左に『和語灯録』の一、二節を引用してこれを証せん。

  無常の悲は目の前に満てり、いづれの月日をか終りの時に期せん、さかへあるものも久しからず、命あるものも又愁あり、すべていとうべきは六道生死のさかひ、願ふべきは菩提也、天上に生てたのしみにほこるといへども、五衰退没の苦あり、人間に生て国王の身を受て、一天を随ふといへども、生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、一事もまぬかるる事なし、たとひ此等の苦なからんすら、三悪道に返るおそれあり、心あらん人いかがいとはざるべき、云云、(要義問答)

  悲哉、善心は年々に随てうすくなり、悪心は日々に随て弥まさる、されば古人のいへる事あり、煩悩は身にそへる影、去んとすれども去らず、菩提は水に浮べる月、取らんとすれども取られず、(念仏往生要義抄)

もとよりその悲観は信前に限ることなれども、従来厭世の方面に重きを置きて教導せるために、信後に至るもなお人生を悲観しつつ日を送るもの多し。余おもえらく、これ念仏を信ずるにあらずして、念仏を殺すものならんと。

       第一五一節 浄土宗の革新

 今日以後は浄土宗においても大いに革新を施し、悲観的念仏を一転して、世間に活用し、念仏を唱えて立志奮闘せよ、念仏を唱えながら勇進活動せよ、念仏を唱えつつ義勇奉公せよ、念仏声中に実業を奮励せよ、厭離穢土の念仏と思いて悲観するよりも、欣求浄土の念仏と知りて楽観せよと教えざるべからず。また人をして罪悪を自覚せしむるは、宗教心を起こさしむる動機となるものなれども、ただ一に三悪道に落つるとのみ偏説するはよろしからず。善悪因果の道理がわれらを支配する限りは、世間普通の善行を守るにおいて、これに相応する善果あるべきは当然なり。その心得をもって開導し、人をして悲観の淵に沈ましめざるをよしとす。よろしくその宗門にあるものは、宗祖の時代と今日との大いに異なるところあるを洞察して、その遺教を時機に相応するように活用せざるべからず。これすなわち祖意を汲み得たるものというべし。

 また浄土教中の有名なる二河白道の比喩のごときは、これを世間道に当てはめきたらば、実に奮闘的生活の光明となるべきも、従来は出世間一方においてこれを説示せるは、活用を知らざるものなり。その比喩は善導の『観経疏』散善義中に出で、これを『選択集』に引用せり。その原文はあまり長ければこれを略す。もしその要を摘みていわば、人ありて西に向かって行かんとするに、道に二河あり。一は火の河、二は水の河なり。その中間に最も狭隘なる一条の白道あり。危険いうべからず。この時に西岸に「汝一心に正念して直行せよ、われよく汝を護せん」との喚声を聞きたる一話なり。この状態は人間社会の真相を写し得たるものなれば、もしその西岸の喚声を、奮闘生活中における前途の成功を使命する先天の声とみるときは、実業道徳の好資料となるべし。かくのごとき資料は一方において出世間の比喩とすると同時に、他方において世間に活用する道を開かざるべからず。故に余は厭世的浄土教を革新して、世間教の一門を開かんことを望む。

       第一五二節 真宗の真俗二諦

 つぎに真宗は浄土宗と小異ありて、真俗二諦の宗規を建立し、真諦門にありては、阿弥陀仏の本願を信じて、浄土に往生すべきを説き、俗諦門においては王法為本、仁義為先を説きて、世間出世間の相待つべきを示したるは、その宗の特色にして、これを他宗に比するに大卓見なりといわざるを得ず。また肉食妻帯を公許し、迷信を打破したるがごときも、大活眼なり。しかるに今日その宗の教うるところ、とかく真諦門に偏し、世の無常を悲観する一方に傾き、社会国家に対して進取活動する有為の気性を減殺する風あり。これまた大々的革新を要するなり。

       第一五三節 念仏行者の功徳

 宗祖の『和讃』に念仏行者の功徳を述べて曰く、

  五濁悪世の有情の、選択本願信ずれば、不可称不可説不可思議の、功徳は行者の身にみてり。〔*∥衆生〕

これを蓮如の語には、「一念に弥陀をたのみたてまつる行者には、無上大利の功徳をあたえたまうこころを、和讃に、聖人のいわく」として、この四句を引けり。されば一心一向に阿弥陀仏を信ずれば、その仏の不可称不可説無量無限の功徳が行者の心中に融入しきたり。その身に満つるほどなるべき理なれば、この身心をもって世間に向かえば、なんの業か成らざるあらん、なんの功か奏せざるあらん。百難競起の中にありて、家道を復興することも、列国対抗の間に立ちて、国運を発展することも、決して難事にあらざるべし。故に余は従来の解釈法を一変して、出世間の大勢力を世間門に活用し、驚天動地の活動を実現せんことを望む。

       第一五四節 仏恩報謝の意義

 真宗は信心正因を説きて、仏果菩提の地に証入する道は、阿弥陀仏を専念するにありとし、余行余善は仏に対する報恩の経営に外ならずと定めおけり。しかるにその報恩は精神的、活動的、尽瘁的、献身的なり。すなわち『和讃』に曰く、

  如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし。師主知識の恩徳も、ほねをくだきても謝すべし。

とありて、粉骨砕身して報謝せよとの遺訓なり。その精神の破天荒なること、死は鴻毛よりも軽く、義は山岳よりも重しといえるに比すべきほどの報恩なり。その粉骨砕身とはいかなる行為をいうか、金銭や香花を仏に献ずるをいうか。仏は決して名利や虚飾を望むものにあらず、ただ衆生を利益するをもって唯一の楽とするものなり。されば国家のため公衆のため社会のために、一身を犠牲にするこそ報恩の大なるものというべけれ。けだし『和讃』の意は国家の大事あるに当たりては、義勇公に奉じ、国運の発展につきては、上下心を一にし、粉骨砕身して利生のために尽くすべしと解せざるべからず。これもとより余の私見なれども、真宗の二諦相依の宗風に照らして考うるに、かくのごとく解するより外なしと信ず。

       第一五五節 真宗の革新

 宗祖の当時にありては、国運を海外に発展する必要なき時代なれば、国運のために粉骨砕身せよとは教えらるべきはずなきも、仮に宗祖今日に再誕せりとなさんか、必ず余が私解をもってその意を得たりといわれん。これ必ずしも宗祖の再誕を待つを要せず、蓮如、今日にあらば、必ず農業のために粉骨せよ、商工のために砕身せよ、これみな如来大悲の恩徳に報ずるゆえんなりといわれん。いやしくも宗祖および中興の活眼卓見を知るものは、余の言の空想ならざるを許容せん。右のごとく真宗の教義を世間的に活用して、大活動的精神を国民の心底より湧起せしむるをもって、余は真宗の革新と名付くるなり。

       第一五六節 日蓮宗の革新

 つぎに日蓮宗は他宗の出世間に偏し、厭世に傾くをみて、その弊を矯めんために大乗の真面目を発揮したりし宗なれば、厭世の語気なきも、その所依の『法華経』中には、三界火宅、生死険道、水沫泡焔等の厭世的文句を所々に散見す。たとえ日蓮にはかかる語なしとするも、なおこれを世間的にするには、一段の革新を要するなり。日蓮所著の録内には興国利民のことを説かざるにあらざるも、その帰するところ邪法を捨てて正法につき、余経を除きて法華をとることを教うるに外ならず。また日蓮一代は奮闘的生活を送りたるも、『法華経』弘通のための奮闘なるのみ。故にその著書中に法華の精神を殖産興業、教育学術等に応用して説きたるものなく、農工商の実業をして外国と奮闘せよと教えたることなし。これその当時、諸宗を排して自宗を立つるに急なりしをもって他を顧みるいとまなく、また殖産興業を奨励する必要もなかりしなり。故にこれを今日の時勢に応じて、更に革新を加えざるを得ず。

       第一五七節 迷信の掃討

 また日蓮宗は戒定慧三学も、六度万行も、妙法の五字にて摂尽すと説き、題目を唱うれば、万善万行おのずから具足すと勧めたるをもって、これを信ずるの徒は、終日業を廃して、題目を唱うるに至り。また唱題の功徳を述べて、百福至らざるなしと教うるをもって、その信徒は万病千患を医するにも、唱題を用い、天災地妖を除くにも唱題をとるに至り、世の迷信を増長せしめ、教育の進路を妨ぐるの弊すくなからず。故にこの点より考うるも、一大革新を要することむろんなり。

       第一五八節 実際上の改良

 以上は理論上、諸宗の教義につきて革新を要する点を略述したるが、これより実際上の改良を要する点を考うるに、教義上の改良を実地に行うをもって足れりとす。その他に僧侶の学識を進め、品行を正し、道徳を高むる等の改良は、みな実際的革新なれども、かくのごときは世間万人の論ずるところなれば、余が特に喋々するを要せざるなり。

 これらの改良に付随したる実際問題またすこぶる多ければ、ここに一言せんと欲す。まず各宗の儀式を改良する必要あり。従来の儀式は無事長閑の時に発達したるものにして、今日のごとき多事繁忙の世に適せざること多し。故にこれを簡略に改め、しかも疎雑に流れざるを要す。また従来は社交的儀式と隔離せしを、今日は結合する必要あり。たとえば婚礼のごときは仏教にてこれを行わんとするも、その規程なく、やむをえず仏教外において挙行するに至る。よって今よりのちは各宗において新たにその規程を定めざるべからず。

       第一五九節 各宗間の連合機関

 その他、各宗間の連合を図り、交際を開くの必要あり。昔日は仏教の外に敵なく、各宗互いに睨視反目したりしが、今日は仏教間の各宗のみならず、他教も世界の宗教という点にては、兄弟の関係を有するを知るに至れり。いわんや一仏教中の分派間においてをや。これ兄弟中の兄弟なり。しかるに今日なお反目する風あるは、言語道断なりというべし。その風は日蓮宗においてことにはなはだしとす。祖師日蓮は他宗を敵視し、悪魔乱賊のごとく罵詈したりしも、その当時の勢いのしからしむるところなるのみ。しかるに今日に至りても同一の態度をとるは、時勢を知らざる愚蒙といわざるべからず。もとより諸宗を統一して、打って一丸となすことあたわざるも、ある度までは気脈を通ずる道なかるべからず。たとえば戦死者追弔会の場合のごとき、各宗相会するも、一定の式を挙ぐることあたわず。もし各宗の気脈を通じ、連合を図る機関あらば、協議の上その式を制定するを得べし。

       第一六〇節 浄土教と日蓮宗との一致

 各宗派間において教義の全く反対なるは、浄土教と日蓮宗なり。しかれども二者共に一仏乗より分流せしものなれば、三大元二大理を根底とする点は一なり。かつこの二宗が、天台、華厳の主観論を一変して、客観的に宗意を立てたる点もよく一致す。ただし二者共に主観論中の客観的見解なり。ただ二者の間に一は厭世、一は非厭世の別あるがごときも、その帰極するところは必ずしもかかる相違あるにあらず。浄土教において信前の悲観を説くも、信後に至ればその厭世は楽天となる。日蓮宗に此土寂光を談ずるも、法華を信ぜざる間はやはり厭世なり、悲観なり。すなわち日蓮の語に曰く、

  世みな正に背き、人ことごとく悪に帰す。故に善神は国を捨てて相去り、聖人は所を辞して還りたまわず。これをもって魔来り鬼来り、災起こり難起こる。言わざればあるべからず。恐れざればあるべからず。

 

 

  日本国中の諸人は仏法を行するに似て、『仏法を行ぜず。たまたま仏法を知る智者』              は、国の人に捨らる。守護の善神は『法味を嘗めざる』      、故に威光を失ひ、利生を止て其国を棄て、他方に去りたまふ。悪鬼は便を得て国中に入替わる。大地を動し、悪風を興し、一天を悩し、五穀を損す。故に飢渇出来し、人の五根には鬼神入て「精気を奪う」    、是を疫病と名く。一切の「諸人善心なく」      、多分は「悪道に堕つること」      、偏に悪知識の教を信ずるなり。(『唱法華題目抄』)〔*1∥此国 *2∥故〕

これに類する語が録内録外にわたりところどころに見ゆ。その意は余教に従えばこの世は苦界となり、法華を信ずれば、楽界となることを述べたるものにして、信前は厭世にして、信後は楽天なること、浄土教の所説と大差あるにあらず。故に水火相いれざりし浄日両宗も、兄弟の懇親を結びて可なり。

       第一六一節 教育家との連絡の必要

 つぎに教育家と連絡を通ずることも必要なり。たとえ教育と宗教とは別途なりというも、国民道徳を維持する点においては、互いに相助けざるべからず。ことに余の革新主義を実行するにおいては、宗教家がその力の及ぶ限り、国民道徳の普及開達をもって自ら任ぜざるべからず。また教育には学校以外に家庭教育あり、社会教育あり。しかしてこの両教育は宗教の力を待つにあらざれば達し難し。これにおいて宗教家と教育家とときどき相会して、懇話をなすの急要を感ず。

       第一六二節 教会における布教の改良

 その他、布教の方法として、従来出世間的なるを世間的とし、国民道徳の大本を示し給える教育勅語、戊申詔書を各寺の教会において開説するは最も急要とす。ただしこの一事は、教義上の革新を実行すると共に自然にでき得ることなれば、ここに特に論明するを要せず。従来は寺院あれども教会を開かず、僧侶あれども布教せざるもの多し。たとえ葬式坊主の異名を有するにもせよ、かくのごときは寺院僧侶の名義に戻ることなれば、内務省より命令を下して教会を開かしめて可ならん。しかしてその教会には一宗の宗意を説く外に、必ず国民道徳を述ぶるように革新せざるべからず。

       第一六三節 実業道徳を説くの必要

 各教会において国民道徳を講ずるにつきては、公徳はもちろん、実業道徳をも説かざるべからず。しかるに従来仏教の欠点は世間道徳として忠孝仁義だけは説きおるも、殖産興業に関する実業道徳を説かざるにあり。これ昔日はその必要を認めざりしによる。今や布教法に改良を加えてその欠点を補わざるべからず。

 実業道徳というも、別に特殊の道徳あるにあらず、普通の道徳を農工商に応用して説明すれば足れりとす。よって今後はすべからく仏教中の出世間道徳および世間道徳をその方に当てはめて、講述することを努むべし。これすなわち仏教の活用なり。また勅語のいわゆる一旦緩急あるときにおける義勇奉公の心得をも、仏教の道徳上より説明せざるべからず。

       第一六四節 海外の布教伝道

 前述のごとく実際上改良すべき要目多々ある中において、余が最も今日の急要と認むるものは、海外の布教伝道なり。戊申詔書のいわゆる国運発展とは、愚案するに海外に向かいて発展するの謂ならんと恐察し奉る。その故は今日の実況、到底国内において発展の余地を見出すこと難し、この上は大いに海外に国勢を伸長せざるべからず。これにおいて移民殖民はもちろん、商業も工業も学術も世界万国に向かいて開展するを要す。しかるときは必ずまず宗教をしてその先駆をなさしめざるべからず。欧米各国の海外布教、一としてこの計画に出でざるはなし。たとえその先駆をなさざるも、わが同胞の居住する異国異郷には、必ず布教師を派遣し、布教場を設置するは急務中の急務なり。しかるに今日南米ブラジルのごときは、わが同胞二千人以上の移住者あるも、各宗本山において一人の布教師を派遣したることなし。その時事に迂濶にして、布教に冷淡なるは実に驚嘆せざるを得ず。近年二、三の宗派にては、多少海外布教に着手せるものなきにあらざるも、これを西洋各国の海外布教に比するに、比較の沙汰にあらず。故に今よりのちは外人教誨の目的よりも、むしろ差し当たり同胞保護のために、世界の各方面に向かい、各宗競って布教伝道を盛んに拡張せざるべからず。

 その他、病院教誨、工場教誨、商店教誨、職工教誨等は今日なお極めて幼稚にして、いまだ見るべきものあらず。しかれどもかくのごときは各宗の根本的革新ひとたび行われ、出世間的方針を変じて世間的となすに至らば着々歩を進むることを得べし。故に焦眉の急は革新の声を高めて、各宗の惰眠をむさぼれる本山僧侶の鼓膜を打破して、彼らを驚起せしむるにあり。

 

     第九段 結 論

       第一六五節 原理論および性質論の帰結

 上来段を重ねて述べたるところを一言にて約すれば、第一に原理論において仏教は大小両乗を通じて万法、因果、真如の三大元より成りたるゆえんを説き、更にこれを推究すれば真如を体とし、因果を用とし、この体用の二大理によりて組織せられたるゆえんを示せり。これ仏教の哲学に属する方面なるも、この理を応用して宗教門を開きたるものなれば、哲学門の原理がただちに宗教門の原理となる。ただ宗教門の方にては、真如を涅槃と呼び、真如と合体するを成仏といい、その成仏を目的とするの別あり。

 第二に性質論においては、哲学門と宗教門とを分かち、哲学門にては小乗は物心二元論、大乗は唯心一元論の別あるも、これを推究するに大小両乗を通じて主観論なることを述べたり。浄土教のごときは阿弥陀仏および極楽の客観的実在を立つるがごときも、その実主観の基礎の上に建てたる客観なれば、やはり主観論の中に入れて可なり。つぎに宗教門においては厭世的にしてかつ非国家的なるをその通有性となせり。しかれどもこれ小乗に限りていうべく、大乗は信前悟前においては厭世悲観を説くも、信後悟後に至りては全くこれを異にす。また大乗は世間出世間の一致両立を立つる利生的愛国的宗教なることを述べたり。

 以上、性質論中の仏教は主観的なりという点は、原理に固有せる性質なり。すなわちその真如は主観的絶対にして、その因果は主観的理法なり。故に仏教の名称の下にてはこの原理を改変すべからざると同時に、主観性を変換することあたわざるべし。しかして他の性質は時機に応じて改変すべきものとす。

       第一六六節 発達論の帰結

 第三に発達論において仏教は活物にして、古来発達分化したるものとなす。あたかも草木の種子より茎幹を萌生し、茎幹より枝葉を分出し、枝葉より花実を結成するがごとく、釈迦仏の説法は種子にして、滅後の小乗的発達は茎幹枝葉を分出せるに比すべく、大乗はまさしくその花実なり。かく発達しきたるも、原理において寸毫の改変あるにあらず。またその発達を促したるは社会の進歩、文化の発展の事情によらざるはなし。あたかも気候の事情に応じて、茎幹枝葉を漸次に分出せるに同じ。これによりてこれをみるに、明治の今日は天地一新して別世界となりたるに、仏教は依然として六、七百年前の旧態を守り改進を加えざるは、実に昭代の一大怪象なるべし。従来活物性の仏教が生気を失い、絶命旦夕に迫らんとする有様なり。このときに当たり死的仏教を回らして、活仏教とするの大革新を要することを論じたり。

       第一六七節 革新論および方法論の帰結

 つぎに革新論および方法論においては、革新の方針および手段にわたりて細論し、その実行の順路としてはまず官民の世論を喚起するより端を開き、仏教内の青年学生をしてこれに内応せしめ、内外相応じて本山の反省自覚を起こさしむる道をとるより外なきことを述べたり。しかして革新の内容につきては便宜上、理論と実際との二方面に分かち、理論の方面にては仏教全体を通じての原理ある外に、各宗特殊の原理あり。たとえば浄土教の阿弥陀仏における、日蓮宗の『法華経』におけるがごときは、その宗の第一原理なり。これらの原理を動かさずして、ただその応用の方向を一変すれば、革新の実を挙ぐべきゆえんを述明したり。その方向を変ずるとは従来の出世間的に応用したるを世間的に転換するをいう。かく転換しきたらば実際上の革新もおのずから成立すべき理なり。その実際的革新に伴うべき条項をいちいち列挙して弁明したり。

       第一六八節 「護法活論」の改題

 余が仏教の革新の急要を認めたるは、今より三十余年前にて、その当時懐抱せる意見の大要は二八年前『明教新誌』の紙上において世に発表し、ついで『仏教活論』中の「護法活論」において詳論することを約してこれを果たさざりしは余の校務に忙殺せられたると、時機のいまだ熟せざるとによりしのみ。爾来荏苒として歳月は遷流し、世運また変移し、外には国威の四海を震動するあり、内には鳳詔の四民を醒覚するあり。これにおいて余は世界大勢の近況を視察する必要ありと信じ、大いに志を決し、南半球周遊の長途に上り、南洋、豪州、南ア、南米を一巡せしのみならず、欧州各国をも一周し、その日就月将の進歩を目撃して帰りたれば、たまたま宗教問題の世論の舞台に上れるを見、革新の気運ようやく熟するを知り、数十年来蘊蓄せる宿論を表白するに至れり。これすなわち先年予約の「護法活論」なり。これを改題して『活仏教』と名付けたるのみ。

       第一六九節 新旧両世界

 方今宇内の形勢を大観するに、北半球の旧世界はすでに老朽世界となり、南半球の新世界は英気勃々たる青年世界となる。これをわが国に比するに雲泥氷炭もただならざる相違あり。われは国小に地狭く、人民過多、富源欠乏、事業起こらず、衣食足らず、多数の民衆は糊口の道を求むるに営々として、他を顧みるの余裕なきがごとき有様なり。これに反して南半球の諸州は地積広濶にして、地味肥沃なり、人口稀少にして、事業堆積す。なかんずく南米のごときは無尽蔵なる富源を開鑿せんために、欧米各国互いに相競いて資を投じ業を起こし、他日まさに世界の工場、万国の市場とならんとする勢いあり。実に盛んなりというべし。しかるにわが邦人の海外における活動は遠くシナ人にすら及ばず、欧米人に比較しては、その差、天涯万里を隔つと評して可なり。なんぞ意気地なしのはなはだしきや。これ余が南半球周遊中にひとり慨嘆したるところなり。

       第一七〇節 盆栽的生存競争

 日本にては隘小なる面積に多人数群集し、互いに競争する有様は、群卉の小盆の中に茂生して、互いに成長を争うに似たり。何故にわが国民はかかる盆栽的生存競争に汲々として、南半球の新天地に向かって活動せざるや。けだし世界的舞台に立ちて、万国国民と共に奮闘するほどの壮快は他にあるべからず。もしこれによりていよいよ成功するにおいては、天に舞い地に躍るほどの快絶を感ずるに至るべし。しかるにわが国青年有為の諸子が、盆栽的競争の結果、煩悶を起こし、苦悩に沈み、天地広しといえども身をおく所を知らざるもの多し。なんぞ見るところの狭きや、なんぞ志すところの小なるや。井底の痴蛙ならんよりも、むしろ垂天の大鵬となれ。燕雀の列に加わらんよりも、むしろ鴻鵠の群に入れ。

 退きて考うるにわが邦人が勇進活動の気性に乏しきは、種々これが原因となる事情あるべきも、従来の仏教が小乗的、消極的、厭世的なりしも、まさしくその一原因たるべしと信ず。これにおいて仏教革新の急務今日よりはなはだしきはなしと深く感奮するに至れり。

       第一七一節 各宗の死的解釈

 現時わが国の仏教は前に述べしがごとく、諸宗共にその祖師の言々句々に文字の上より死的解釈を下し、その精神のいずれに存するを知らず、ついに書を殺し、意を殺し、宗祖の精神を殺して、活仏教は死仏教となり、活宗派は死宗派となるに至れり。日蓮の語(教相廃立編)に「仏法を習学して還りて仏法を滅ぼす。」          とはこのことなり。いかに宗祖伝来の語といえども、時に応じ機に従い改変なきあたわず。根本の真意を失わざる限りこれを改変するは、かえって仏教の仏教たるゆえんなり。

 日蓮が摂受折伏二門の中、折伏を本とし、諸宗を罵倒したりというも、その風を今日に固執するはいわゆる宗祖に盲従するものにして、時機を知らざる失明者というべし。また真宗が宗祖の時に王法の重んずべきを説かざるにあらざるも、これを明言せざるに、蓮如に至りて王法為本の宗規を定めたるは、時機相応の活眼というべし。もしその王法為本も国を異にし俗を異にしたる場所に至らば、これまた改変せざるべからず。たとえば米国に入りて米人を教化せんとするときには王法を改めて国法とか憲法となさざるべからず。

       第一七二節 鎖国攘夷当時の遺風

 かくのごとく時に応じ所に従い、原理の許す範囲において、その応用の方針を一新し、従来の出世間的なるを世間的に改め、退守的なるを進取的に変じ、仏教上より今日の国民をして世界に雄飛活躍する志望を抱かしめ、青年をして煩悶を破りて勇往猛進する元気を起こさしめざるべからず。しかるに現時の各宗が依然として鎖国攘夷当時の教風を墨守するをみて、余は実に憤慨に堪えず、はからずも死仏教を変じて活仏教にせよと怒号するに至れり。

       第一七三節 護法愛国の至情

 かく死仏教を革新して、活仏教となすときは、国運を発展し、人文を振興するにおいて、大いに裨補するところあるは明らかなり。また仏教の頽勢を回らして、隆運を開くにおいて、莫大なる効果を収むべきは必然なり。故に余は愛国護法の至情より革新の急務を唱道するに至れり。ただ余は明治の昭代に生まれ、文運の勃興に会し、その朝夕浴するところの恩沢の深くしてかつ大なるを感泣するものなり。よって余命のあらん限り、微力を尽くしてその万一に報答せんとする一念、ここにあふれて、革新を唱うるに至れり。世間決して余の言をもっていたずらに危言を吐きて、壮語を弄すると思うなかれ。

       第一七四節 楽天の余滴

 世人は往々不平を抱き、不足を訴え、ややもすれば自ら煩悶し、あるいは他人を怨望することあるも、余は寸毫の不平もなく、微塵の煩悶もなく、ただ先人未遇の隆運に際会せるをもって無上の良縁となし、無二の栄誉となし、天を仰ぎ地に俯して、感喜おくあたわざるものなり。故に余が革新の声はこの楽天の余滴にして、決して鬱憤を漏らすものにあらず。願わくば、世人この意を誤解せざらんことを。余また泥作を記してその本志を明かさん。

  革新これ不平の声にあらず。意気天をつき、天また驚く。極力魔を払いてたおれるのみ。法恩は重たり一身は軽し。

 

       第一七五節 煩悶病の療法

 近来世に煩悶病者多し。これ人生の意のごとくならざるを悲観するより起こる。しかして昔時に煩悶病者少なかりしは、知足安分をもって世を渡りしによる。しかるに今日は教育と知識との進むに従い、功名心ようやく募り、足るをみて足るを知らず、分を得て分に安んぜず、一躍して目的地に達せんとするも、千故万障の目前に横たわるありて進むを得ず。これにおいて煩悶を起こすに至る。煩悶病が青年に最も多きはこの故なり。

 かかる心病を医せんとするには、病者の心眼に前途の光明を認めしむるを要す。これにおいて宗教の必要起こる。しかして仏教はこれを医するに世間出世間の二方を用うべきに、従来は出世間の一方をとり、ために青年をして厭世に傾かしめたり。たまたま世間道をとる宗ありても、その結果かえって人をして迷信に陥らしむるに至れり。両者共に大乗仏教の真意を誤れるは痛嘆せざるを得ず。

       第一七六節 世間的療法の必要

 出世間的療法において、前途の光明を涅槃の彼岸に認めしむるは可なるも、これと同時に煩悶を撃破して猛進することを教えざるべからず。換言すれば彼岸の光明を、現実の世界に移して活動することを知らしめざるべからず。その涅槃を認むる方は向上にして、この世界に移す方は向下なり。その向上向下の二道は大乗諸宗にみな兼備しおるにもかかわらず、従来は出世間一方に偏したる弊として、他方を忘却するに至れり。たとえ忘却するまでに至らざるも、世間的活用を軽視したりしは事実なり。たとえば浄土教において、信前の厭離の方に重きを置き、信後の楽天を軽んずる風あり。禅宗もまたしかり。心を殺す方につまびらかにして心を生かす方に疎なる傾きあり。余が世間的に活用せよとは、この弊に対していえるなり。よって煩悶病を医するにも大いに革新を加うるを要す。

       第一七七節 哲学としての奉崇

 最後に至り前述を反覆して、更に余の信仰につきて一言せんとす。余は哲学としては、東西両洋の哲学に私淑せるものなり。故に自ら哲学堂を建てて、釈迦、孔子、ソクラテス、カントの四聖を奉崇す。東洋哲学はインド、シナの二部に分かれ、西洋哲学は古代、近世の二類に分かるるは、みな人の熟知するところなり。よって、

  インド哲学の代表として釈迦仏を奉崇し、

  シナ哲学の代表として孔夫子を奉崇し、

  古代哲学の代表として大賢ソクラテスを奉崇し、

  近世哲学の代表として碩学カントを奉崇す。

これ余が四聖を選定したるゆえんなり。しかるに世人これを評して曰く、何故に四聖中にキリストを加えざるやと。これなんの言ぞや。哲学堂は哲学者を奉崇する所なり。余いまだキリストを目して哲学者というを聞かず、また哲学史中にキリストを一家の哲学者として掲げたるをみず。

       第一七八節 宗教としての信仰

 つぎに宗教としては余は仏教を信奉す。なかんずく信仰は真宗に置く。かつその信仰は抽象的阿弥陀仏を信ずるにあらずして、具体的阿弥陀仏を信ずるものなり。法身仏を信ずるにあらずして、報身仏を信ずるものなり。空想的仏を信ずるにあらずして、実在的仏を信ずるものなり。

 さきに第七八節に述べしがごとく、因果に迷悟二門あると同時に、形と質との両性ありて、その形は真如の動的方面に固有せるものなり。すべての諸仏は因果の質を脱するも、なおその形を有す。仏にこの形あるをもって衆生界に向かって活動することを得るなり。もし仏に形のみありて質なしといわば、空虚なるもののごとく感ずる人あるべきも、仏の質は真如に背違して生じたる執滞的質にあらずして、真如に融合したる質を有するなり。換言すれば真如の自性をもってその質とするものなり。左に仏と衆生との別を示さば、

  衆生は真如に背きて、因果の形と質とを有するものなり。

  仏(報身仏)は真如に融合して、因果を形とし、真如を質とするものなり。

  法身仏は因果の形と質とを共に脱却したる真如自体にして、すなわち静的真如をいう。

  応身仏は真如に背かずして、因果の形と質とを有するものなり。故にその質は方便的仮立に過ぎず。

このうち余は報身的阿弥陀仏の実在を信ずるものなり。しかしてその仏はあまたの報身仏中の最高位にあるものとす。

       第一七九節 余の宗教論の一端

 以上の形質論は哲学上の沙汰なり。道理上、智力上、理性上、論到したる結果なり。しかしてこれによりて得たる仏身に肉を付け、人格的実在を現見するは、情門の信性を待たざるべからず。理性の前には真如が受動体となりて、人が原動体となる。信性の前には真如が原動体となりて、人が受動体となる。ひとたび吾人の心海の波が静まりたる瞬間に、わが心面に絶対の原動を感受することあり、その時に報身仏の人格を現見するものとす。しかしてその光景は理性のあずかり知るところにあらず。故に宗教の信仰は必ず信性の目を開くにあらざれば成立すべからず。これ余が宗教論なり(拙著『哲学新案』参看)。

       第一八〇節 楽観的信仰

 余はかくのごとく報身的阿弥陀仏を信ずるも、他の信者のごとく人生を悲観するものにあらざれば、弥陀を仰ぐと同時に、人生を喜ぶものなり。もし万一にも阿弥陀仏の救済を受くることあたわざるときには、再三再四、人間に転生して活動せんことを願うものなり。これをたとうるに人みな大臣とならんとする欲望を有するも、予期に反し、判任官位にて昇進することあたわざる場合あり。しかるときは余は判任官をもって満足しつつ活動を継続せんのみ。もしその活動を数生を重ねて進行したる最後には、人間の判任官より漸進して仏の大臣に進到する時あるを予期して、満足を継続するものなり。

 凡夫が進みて仏となるも、人が生まれ代わりて再び人となるも、みな因果の理法の命令するところなり。吾人はたとえ一生にして仏果の地に直到することあたわざるも、己の力の及ぶ限り、悪因を避けて善因を修むれば、因果の理法の吾人を欺かざる以上は、人間または人間以上に再生すること疑うべからず。故に余は不善をなさざることを平素の務めとして、満足しつつこの世を渡るものなり。

       第一八一節 地獄一定と説きたる理由

 余は他の真宗信者が、弥陀の救済に漏れたる場合には、ただちに地獄へ堕在するものと信じおるの意を解するあたわず。仏教にて人の地獄へ沈むのは仏の故意に出づるにあらずして、因果の理法の命令するところなりとす。換言すれば、自らなせる悪業によりて、地獄の苦果を招くものとす。故に吾人が人間相応の善行をなし、人間以下の悪業を修めざるにおいては、再び人間に生まるるとも、地獄へ堕在する恐れなきは明らかなり。弥陀は決して地獄相当の悪因を有せざるものを、己の愛憎によりて地獄へ陥らしむることは万々あるべからず。しかるに真宗にて地獄一定と説き、無善造悪の凡夫といい、「出離の縁あることなし。」        と談ずるがごときは、極端の例を挙げて、欣求浄土の念を強からしむる本意より出づ。あたかも親が子供を諭すに、もし勉強せざれば乞食になるぞというをもってするにひとし。

 右の道理に照らして余は己を反省するに、人間以上の善因を修めたる自信なきも、人間以下の悪業を犯せし記憶を有せず。故に余はたとえ阿弥陀仏の悲願に漏れて浄土に往生し難しとするも、人間に再生するだけの善因を修めたりしを確信して、すこしも地獄一定などの恐怖心を起こしたることなし。けだし余は真宗信者中の楽観家なるべし。

       第一八二節 真宗の活用発展

 かくのごとく余の真宗信仰は緒論にいいしがごとく、狭隘なる信仰にあらずして寛容なり、悲観の信仰にあらずして楽観なり。またその信仰の方針を定むるには、宗祖の遺書を経とし、哲学の理論を緯とするものなり。故に単純に一宗の教権に盲従する信仰とは、おのずからその趣を異にす。故に余のとるところは、弥陀を信じてこの世のはかなきをあきらめよというにあらずして、弥陀を信じつつこの世に向かって奮闘せよ、摂取の心光の照護の下に煩悶を破りて猛進せよ、如来大悲の恩徳は、国家社会のために粉骨砕身して報謝せよとの主義をとるものなり。これ真宗の活用にして、時機相応の発展なりと自ら深く信ずるところなり。

       第一八三節 任他呼賊又呼魔

 かくのごとく余の信仰を自白したるときは、必ず余を目して外道なり、法魔なり、異安心なりとの評ありて、四方より紛起すべし。余は狂と呼び賊と呼ばるるも、他の評に任ずるのみ。ただ余は裁決をただちに宗祖の法廷に仰がんとす。宗祖は絶世の活眼をもって、仏海の深底を看破して、一宗を開立せられたる偉人なれども、時機いまだ熟せざりしために、厭世的語調をもって宗意を開示せられしものと信ず。故に宗祖もし今日に再誕あらば、必ず余の所信のごとく、活動的態度をとりて宗意を開展せらるべきは、いやしくも宗祖の卓見を知るものの疑うことあたわざるところなり。

  革新の一喝僧巣を動かし、法海必ずや当に激波を揚ぐべし。祖廷に向かいて裁決を仰がんと欲す、他に任ずるを賊と呼び、また魔と呼ぶか。

 

これ余が真宗の教義上における革新の主旨なるが、他の諸宗もみなこれにならい、文句の末に拘泥せずして、文底を探りて祖意を握り、今日の大勢に相応するように、活用の道を開くに至らんこと、余の切望に堪えざるところなり。

       第一八四節 欲捧丹心報国恩

 今やわが国文教海内に敷き、武威八紘に震うも、東洋の多事、日一日よりもはなはだしく、国家の前途なお容易ならざるものあり。けだし国民の奮起すべきはこの時をおきてまたいずれの日にあらんや。すでに世界の大勢は仏教家をして惰眠をむさぼらしむるを許さざる時機に達せり。八万の寺院、十万の僧侶、長夢一覚感奮一番せよ。千有余年の国恩を報ずるも、また実に今日にあり。請う余の革新を唱うる本意を誤解するなかれ。

  丹心を捧げて国恩に報いんと欲し、一声を唱えて革新論を起こす。願わくは仏界の悲観の草を除き、皇道の門前に楽園を開かんことを。

  だれか吾曹をして革新を唱えしめんや。先天に命あらばみずから諄々たり。死僧もし生気を回らすことを得れば、彼もまた、同じく聖代の民とならん。

  禿筆を指揮して浮図を攻めるに、論に倒る僧門十万徒。吾事もし宗祖の意に違わば、なんぞ冥府にて天誅下るを辞せんや。

 

 

 

 

P495

   付 録

     第一編 信仰告白に関して来歴の一端を述ぶ

  余は元来「人の伝あるをもって伝となし、わが伝なきをもって伝となす。」                の主義を唱え、何人より尋問ありても、自伝を答えたることはなかった。しかしここに例外として来歴の一端を述べたいと思う。これ余の信仰の告白に必需の条件なる故である。

 

 余は安政の末年、越後国長岡近在なる浦と名付くる地に生まれしをもって、雅号を甫水と定めたり。父は真宗門下大谷派の寺院に住職たりしをもって、余の春秋一〇歳までは宗門の教育を受けたりしが、たまたま戊辰の戦乱となり、王政維新となり、時勢一変したりし結果、余の教育の方針も一変し、仏典をなげうちて儒林に遊ぶに至り。石黒忠徳〔悳〕氏(男爵)の家塾にあること約二年、木村鈍叟氏(旧長岡藩儒者)の講義を聴くこと約四年、その間漢学を専修したりき。明治六年より英学に転じ、同じく七年より一〇年まで長岡洋学校にありて教授を受け、あわせて教鞭をとりたり。余が長岡にある間、父は余をして将来住職を継がしめんと欲し、余に謀るに得度式を本山に請願せんことをもってせり。余の意これを好まざるをみて、ひそかに願書を呈出して許を得、のちに余にその由を告げ、いわゆる事後承諾をもとめられたり。故に余の僧籍に入りたるは自ら意識せざりしところなり。かくして明治一〇年大谷派本山において末寺出身中英学を修めたるものを京都教師校内英学部に召集することになり、余にも至急上洛せよとの命を伝えきたれり。これにおいて同年夏、即時に旅装を整えて京都に上りたり。在洛半年に満たずして本山より東京留学を命ぜられ、翌年すなわち一一年春東上し、その秋、東京大学予備門に入学したり。明治一八年大学文学部を卒業せしに当たり、本山より京都に上り教校に奉職すべしと命ぜられたれども、余は意見を具申して固辞したりき。その内容は他にあらず、ただ仏教の頽勢を挽回するには僧門を出で、俗人となり、世間に立ちて活動せざるべからざる理由と東京にとどまり独力にて学校を開設せん志望とを開陳し、自説を固執して山命に応ぜざりしのみ。再三再四、問答往復の結果、ようやく本山の承諾を得るに至りたり。これにおいて最初無意識に受けたりし得度は、自然に本山へ委託返上したる姿になり、身は全く俗物と化し去れり。しかれども余の宗教的信仰は依然として真宗を奉じ、終始を一貫して替えることなし。いかに公平に諸宗教諸宗派を審判してみても、信仰の一段に至りては、真宗の外にいまだ余が意に適するものを発見せず。これ一〇歳以前家庭において受けたる教育の仏縁が、内より自発せしによるならんか。ああ快哉南無阿弥陀仏。

 

     第二編 人生人事の悲観すべきか楽観すべきかを論ず

  左の二編は八、九年前某雑誌に掲載したる談片なるが、本書の楽天観に関連せるものなれば、ここに併録す。

 

       一 人生談

 人生は古来より五〇年をもって常寿とし、七〇歳をもって希有とし、一〇〇歳以上は皆無に近しとしてある。もし幼時にありて五〇年ののちを望まば、実に長遠悠久なるがごとく思わるれども、過ぎ去りてみれば五〇年の一生は一夜の夢のごとく、昨日は少年、今は白頭の嘆息を発せしむるを免れぬ。よって光陰の速やかなることは矢のごとくとも、白駒の隙を過ぐるがごとしとも申して、瞬息の間に一生の旅路を経過し終わる。それ故に仏書にては人の一生は電光朝露のごとしと説いてある。あるいは祇園精舎の鐘の声は諸行無常の響きありとも説き、あるいは無常の風前には五陰の灯消えやすく、有為の波上には一命の泡とどめ難しとも説き、あるいはまた朝来夕去の人身はあたかも槿花一日の栄に同じく、千変万化の生死はほとんど三春片時の花に似たりとも説いてある。『維摩経』に人生の無常を述べたるところに、この身は泡のごとく久しく立つを得ず、この身は炎のごとく渇愛より生ず、この身は芭蕉のごとく中に堅あることなく、この身は幻のごとく転倒より起こる、等の句が出ておるが、これみな仏教の人生観の一端にして、厭世的悲観のはなはだしきものである。これに加うるに一生の間、種々の病患災害引き続きて起こり、万事意のごとくならず。得意の時少なくして失意の時多く、一日楽を得れば数日苦を受く、笑うもの一人あれば泣くもの十人あり。かかる状態をみてはとても厭世的観念を浮かべざることはできぬ。仏教の厭離穢土、欣求浄土の希望は人情の自然より免れぬことと思わる。

 儒教に至りては厭世の観念は仏教のごとくに、はなはだしからざれども、孔子は「逝くものはかくのごときか昼夜をすてず」とも、また「日月逝きぬ歳われとともならず」ともいうて嘆息せられたことがある。その他の人に至りては歓楽極まりて哀情多しともいい、会うは離るるの始め、楽は憂の伏すところともいい、あるいは人生百に満たず常に千歳の憂をいだくともいい、年々歳々花相似たり歳々年々人同じからずとも、形を宇内に寓することまたいく時ぞ、なんぞ心を委して去留に任せざるとも、富貴はわが願にあらず、帝郷期すべからずともいい、あるいはまた

  書はまさに快意なるべく、読は尽くしやすし。客に可人ありて期するもきたらず。世事の相違はつねにかくのごとし。好懐は百歳に幾回か開かん。

 

かくのごときは多少厭世を含める人生観と申してよい。しかしてその悲観の仏教のごとく、はなはだしからざるは儒教の目的とするところは人生一代を限りとし、三世を立てざるが故である。もしこの世において諸事意のごとくならざることあれば、すべてこれを天に帰して安心し、あるいは死生命あり富貴天にありといい、あるいは天を楽しみ命を知るともいい、罪を天に獲るときは祷るところなしともいい、あるいはかの天命を楽しみてまたなんぞ疑わんともいいて安心する立て方である。しかしてその天はなにものぞと問わば、知らざるを知らずとせよこれ知るなりとし、疑問を天はすなわち天なりにとどめて、それ以上に及ぼさざる立て方である。それ故にときどき天道は是か非かなどの疑念を起こすものがある。つまり儒教の人生の無常病患等を天に帰するがごときは、多数の人に満足を与うることのできざりしために、仏教のひとたびシナに入るや、たやすく衆人の信仰を得ることができたと思う。わが国においても儒教よりも仏教の勢力あるはこの道理に基づくに相違ない。

 仏教の厭世観は表面一方の説にして、その裏面には楽天観を説いてある。またその厭世観も悲観のための厭世にあらずして、厭世によりて楽観を起こさしむるにあれば、帰するところ楽天観となるのじゃ。これらの議論は他日に譲り、今日は昔日と異にして悲観の用なく、人々みな楽観を抱きて雄飛活動すべき時機なれば、いかなる信仰によりて楽観を養うべきやの一事につきて述べたいと思う。これもヤソ教のごとく霊魂不滅を説き、仏教のごとき三世因果を立つればたやすく説明もできるけれども、現在一代の上において楽観の信念を述ぶるつもりである。

 幼稚の時代はいうに及ばず、少壮の時代は春秋に富み、前途悠遠にしてかつ功名を望むの念強ければ、病患にかかるにあらざれば、決して悲観に流るるの恐れはない。光陰矢のごとく、人生老いやすき等の語は、かえって立志奮発を策励する興奮剤となることができる。たとえば「少年老いやすく学成り難し。」         の詩のごとき、または「盛年重来せず、一日再晨あり難し。」             または「白日閑過することなかれ、青春は再来せず。」            の句のごときは、青年を奨励する格言となっておる。佐久間象山翁が、

  日晷一たび移れば千載再来の今なし、形神既に離るれば万古再生の我なし、学芸事業豈悠々なるべけんや

と戒められたるは、その好適例であろうと思う。また古人の句に、

  人生いにしえより七〇少なし。前には幼年を除き、後には老を除く。中間の光景多時ならず。

 

とあるがごとき、あるいは先輩の詩に、

  妙齢は芸を遊ばず、壮年の徒婬に歌う。飄然として白髪となし、後に悔いるはこれたれの過なりや。

 

とあるがごときは、みな青年策励の格言ではないか。故に青年に対して悲観の現象はたちまち楽観の光景を反照しきたると申してよろしい。かの名高き紀貫之の

  きのふといひ今日とくらしてあすか川、流れて早き月日なりけり、

斎藤彦麿の

  年月の過ぎてゆくへをたづぬれば、わが身に積る齢なりけり

の歌のごときも、青年に対しては立志勉学の刺激となるのみである。要するに青年多望の時代にありては、人生は再び来るものにあらず、青年は重ねて見ることはできぬ。故に強壮健全の時代に孜々汲々として勉強し、老後の余楽を待つにしかずといえば、みな満足して世を渡り、欣然として日を送るに相違ない。

 壮年の時には立身出世を予期して、毎日うれしくかつ楽しく日を送りきたるも、老い去りてみれば万事多く心と違い、予想の十分の一を遂ぐることのできざるを知り、仰ぎて前途を望めば、余命数年を保ち難く、なにをなさんとするも絶望の外に道なく、その日その日を楽しまんとするも、目はくらみ、耳は遠くなり、五官の楽を受くることできず、さりとて精神上の記憶を尋ぬるに、失敗の歴史をとどむるのみなれば、後悔の涙を促すばかりである。かかる人には死後の世界を予期すれば格別なれど、その他に人生に向かって満足する道はなかろうと思う。凡常の人はいうに及ばず、英雄の末路ですらも悲観に沈みやすいように見ゆ。これらの絶望の人に満足を与うるは余の今述べたいと思うところである。

 さて老後の楽観を営む第一は自然を楽しむことである。たとえ己の身はようやく朽ち去らんとするも、天地は一大活物にして、人はその一分子に過ぎず、その分子の上に死生の変あるも、天地の活物なるにおいては、無始以来、未来際を尽くして決してかわることなく、人の死はただ一時その本体に立ち帰るまでであるとして満足するのは安心の一法である。あるいはまた天地万物の美妙不可思議を観じて、春の花、秋の月は申すに及ばず、冬の風、夏の雷に至るまで、造化の妙用より起こるものとして楽しむときは、老いの至り死の近付くを覚えざることもできる。

 そのつぎには社会の現象を見て安心する一法がある。一個人につきては五〇年の間に一生一死を免れざれども、社会は千年も万年も永続すべきものである。しかして己の心身は共に社会の産物にして、社会に養われて生育し、社会によりて安住しておる。さればたとえ己は遠からず朽ち去るも、その本家たる恩人たる社会は滅することはない。もし己は社会の一分子にして、その出没は社会の発達の階段として、一時の新陳代謝をなすに過ぎずと思い至らば、さほど死を悲しむに及ばぬ。また余命の存する間は社会の複雑なる現象に接し、社会の発達する状態を見れば、その心に自ら奇々妙々の感想を浮かべ、これを既往の歴史に比較して考うるときは、一層おもしろく感ぜらるるに相違ない。今日において余命あるものは、日露の戦争を目撃することができるなどは、故人先輩の楽しまざりしものを楽しむことを得るのであると思わば実に喜ばしき次第である。

 もし一身一家の上につきて観察すれば、己死するもその分身たる子孫の存する以上は、己の生存すると同様に考えてよろしい。また己のなしたる事業が死後に伝わり、あるいは己の名が社会に知らるるものとせば、身死して余栄あるものにして、すこしも残念なることも悲しむべきこともなき道理である。もしまた己の精神につきて観察すれば、安心の光明に接することができる。その人が罪悪を犯せしならば致し方なきも、もし己の行為が上天に恥じず下地に恥じるところなく、良心の心面に不安の点なきときは、日夜寝ても起きても安心満足することができるに相違ない。道歌に、

  よきにつけあしきにつけて思ふべし、心にまことありやなしやと。

  あきらけき心の徳に照されて、身こそますみの鏡とはなる。

  正直は心よくして跡もなし、不実のあとは気にかかるなり。

  身は社、心の神を穢さじと、祈る人こそ福寿さかふる。

 西哲〔西洋哲学〕の格言にも天は正理を保護すとも、徳行をもって生活するにあらざれば、安楽に生活することあたわずともありて、己の心に暗きところなく、やましきところなくんば、老境に臨みても死期に迫りても、楽地に安住することができる。かくして心中に楽地あれば、西諺のいわゆる心楽しければ身に行路の艱難を覚えずとあるがごとく、多苦多患の世にありながら、至楽至安の一生を送ることを得る道理である。ここにまた余の言文一致を掲げましょう。

  日輪の光りばかりと思うなよ、心の月も世を照らすなり。

 人の苦楽喜憂はすべて比較より生ずるものにて、西諺のいわゆる大苦は小苦を忘ると説くがごとく、大楽は小楽を没するに相違ない。己の小苦は人の大苦に比すればたちまち転じて楽となる訳じゃ。故に人は限りなき欲望よりなにごとにも満足ができぬけれど、もし欲望に制限をつけ、上を見るより下を見、十分をうらやまんより不足を思うようにすれば、常に満足ばかりにて日を送ることができる。

  上見れば及ばぬことの多かりき、笠着てくらせおのが心に。

 今ここに七〇以上の老翁ありて、徒然として破れ屋に独居し、年老いたるもたのむべき子孫も兄弟もなく、種々の天災のために家産はことごとく蕩尽し、身は不随症となりて動作の自由を失い、近隣の者の救護を得て、わずかに余命をつなぐのみなれば、もとよりこの世に楽しむべきこと更になしとするも、なお観察の仕方によりては安楽をもって日を送ることができる。その第一は人となりて世に生まれたるを喜び、第二は男子となりて世にあるを喜び、第三は古稀の寿を得たるを喜び、第四は文明の時代に際会せるを喜び、第五は日本帝国の住民たるを喜び、第六は身病床にあるもなお死せざるを喜び、第七は無資無産にして自活の力なきも、人の救護あるを喜び、第八は子孫のたのむべきなきも、また子孫のために煩わさるることなきを喜び、第九は家貧なれば盗難の憂いなく、また人にねたまれあるいはねたまれる恐れなきを喜び、第一〇は年老いかつ病にふせるをもって、戦役に出でて身を苦しむることなきを喜ぶ。すでにこの一〇楽あれば大満足をもって世を渡ることができましょう。

 かく悲観も楽観もただその人の気の持ちようによることなれば、自ら求めて悲観をなすがごときは実に愚の至りといわねばならぬ。壮年の時代は申すに及ばず、老後に及びても大楽観をもって人生を渡るようにしたいものじゃ。昔日は悲観のやむをえざる事情ありしも、今日は楽観をもって大いに活動せねばならぬ時である。ただし人の心になにか信ずるところ、期するところがなくては楽観を維持することができにくい。けだし人の悲観に流れやすきはその心に守るところなくして動きやすき故である。

       二 人事観

  (この編中、新仏教とは仏教改良の目的にて発行せる同名の雑誌あれば、その団体を指したるのである。しかして旧仏教とはこの新仏教に対して、現在の各宗をいうたのである。)

 およそ人間の世の中には苦もあれば楽もあり、憂もあれば喜もあり、泣くこともあれば笑うこともある。その泣くべき方面よりみれば、この世の中ほど哀れむべき悲しむべきものはない。またその笑うべき方面よりみれば、人生ほど愉快なるものはなきことになる。つまり人生は苦楽相半ばし、喜憂相分かつと申してよかろう。されば吾人は泣きて日を送るよりも、笑って世を渡りたきものと思う。

 古代の教育も宗教も多く世を悲観的に観察し、人をして厭世の思想を浮かばしめたるものであるが、なかんずく東洋は一層はなはだしい。これはもとより時勢のしからしむるところなるも、今日は世界の大勢一変し、東洋の面目も今より一新せざるを得ざる時機になりたれば、教育も宗教も悲観的の方針を変じて、楽観的に向けなければならぬ。その先鞭はわが日本において着けたいと思う。それにはまず宗教の革新が必要である。すでに新仏教の連中がこの方針をとりて、旧仏教に反抗する傾向あるように見ゆるは、喜ばしき兆候であるも、余はあながち新仏教を待たずとも、旧仏教そのものがこの方針をとる必要あり、またとることができると思う。つまり新旧を論ぜず、共にこの方針をとりて社会に活動するようにしたいと思う。余はこれを名付けて活仏教と申すつもりである。この活仏教こそ余の数年来もっぱら主唱するところじゃ。しかして新仏教はもとより活仏教に相違ないが、旧仏教も同じく活仏教にしてもらいたい。しかし宗教としては厭世的観念も全く除くことはできぬ事情がある。故に余が旧仏教に対して望む点は、表面に楽天的方針をとり、裏面に厭世的趣向を含み、楽天厭世の二門を併置するようにしたいと思い、新仏教に対しては表裏両面共に楽天的にしたいと思う。これはただ余が所望を述べたるまでである。

 かく所望を述べたる上は、従来の厭世的観察につきて批評を下さなければなるまい。従来は人生の移りやすく変わりやすく、盛衰の常ならざる、生死の定まらざる状況等につきてこれを風月に比し、悲観的に観察したるものである。たとえば人生を月に比し、月満つれば必ず欠く、人生もまたしかりとして、儒経には、満は損を招くと説き、また、

  満つれば欠くる世の習ひ

との格言もある。ある歌に、

  満つるより欠くるならひぞまどかなる、一夜の月の影にてもしれ。

とあるが、いずれも悲観の方面に偏したるものにして、公平なる観察とはいわれぬ。もし満は損を招くというならば、これと同時に損は満を招くともいえる道理じゃ。また満つれば欠くる世の習いというならば、これと同じく欠くれば満つる世の習いともいい得るはずじゃ。

 また古詩に桑田変じて海となるという句がある。あるいは、

  節物の風光相待せず、桑田碧海須臾に改まる。

 

の句もあるが、桑田変じて海となるばかりが世の変遷ではない。海もまた変じて田となることもある。しかして実際は田が海に変ずる場合よりも、海が田に変ずる場合が多い。されば桑海の変といって嘆息するに及ばぬ。また飛鳥川の淵瀬の常ならざるを見て世の無常をなげき、

  世の中は何か常なる飛鳥川、昨日の淵ぞ今日は瀬となる

など歌うも、解し難い次第である。たとえ世の中は飛鳥川の淵瀬のごとく変わりやすいとしても、楽が変じて苦となるばかりではない。苦が変じて楽となることもある。またすべての川がみな飛鳥川のごとく変わるにあらず、そのうちには淵瀬の年久しく変わらざるものもある。これと同時に人世にも変わりやすきもののみならず、変わり難きものもあるに、変わりやすき一方のみをみてかなしむは、あまり悲観に偏したるものといわねばならぬ。

 人生を花に比し、花の散りやすきを見て世の無常を嘆ずることが最も多い。たとえばイロハの歌のごとき、

  色はにほへど散りぬるを、わが世たれぞ常ならむ

などは、有為転変の有様を詠じたるものじゃ。その有為転変は世の常態なればやむをえずとするも、これを花の開くに比せずして散るに比したるは、悲観に偏する観察と申してよかろう。「春眠暁を覚えず、処々啼鳥を聞く、夜来風雨の声、花落つること知んぬ多少ぞ。」                         の詩のごときも、落花の方によせてあるからなんとなく残念にして、悲しきように思わるれど、もしこれを変じて「夜来風雨の声、花ひらくこと知んぬ多少ぞ。」            といえば、愉快に感ぜらるるではないか。しかして風雨はひとり落花のなかだちとなるにあらずして、開花のなかだちともなる。これにつきて古英雄の辞世の歌を思い出した。

  限りあれば吹かねど花はちるものを、心短き春の山風

の歌のごときは、英雄の末路としては悲しむべく哀れむべき限りなれど、花の散る方を改めて開く方に用うれば、悲観がたちまち変じて楽観となる。すなわち「吹かねど花はちるものを」を改めて「吹かねど花は咲くものを」とするときは、心短きは心楽しき春の山風となるに相違ない。しかして「限りあれば」の文字穏やかならざれば、余はこれを「時来れば」に改めたいと思う。

  時来れば吹かねど花は咲くものを、心楽しき春の山風

かく詠みきたらば少しもかなしいところはなく、愉快極まることとなるではないか。今一つ名高い無常悲観の歌を紹介すれば、

  明日ありと思ふ心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは

の歌のごとき、一読たちまち悲観を催し、その日を送るに憂苦に堪えざるようなれども、これを読み直してみればたちまち楽観となる。吾人が一日一日を愉快に送り得るのは、全く明日ありとの待ち設けあるからじゃ。よって余はかく改作したいと思う。

  明日ありと思ふ心があればこそ、今日の一日も楽しかりけれ

かくよみきたらば少しもかなしいことはない。またある歌に、花の時には風雨のありがちなるをよみて、

  世の中はかくこそありけれ花ざかり、山風吹きて春雨ぞふる

故に好事多魔と申しておるが、好事必ずしも魔多きにあらず。花の時にも好風晴日のこともたびたびある。よって余は、

  世の中はかくこそありけれ花ざかり、日は暖かに風はそよそよ

とよみたいと思う。また『唐詩選』に、

  年々歳々花相似たり。歳々年々人同じからず。

  年々歳々花相似、歳々年々人不同、

とあるが、これも観察の仕方によりては必ずしも悲観の句ではなく、楽観の語とみることができる。花の方は年々歳々相同じきも、人の方は年々歳々、進歩発達して大いなる相違があるとすれば、人は花にまさりて望ましくかつ喜ばしいことが分かる。

 また一休の句に、

  門松は冥土の旅の一里塚

とあるが、これは人生を悲観の方面より眺めたるものなれば、余は人の年々向上の一路をとりて進達するところより、左のごとく改めたいと思う。

  門松は出世の旅の一里塚

また仏教にては人生を夢なりと観じ、如幻虚無とし、『維摩経』に「この身は夢のごとく虚妄の見をなす」とあるも、これまた悲観の方面に偏したるものである。もし果たして人生が夢ならば、人の一生の間に聞くところの仏法も、唱うるところの念仏も、成仏も往生も、みな夢中の空想となるであろう。果たしてしからば仏者が人生を夢となすは自家撞着を免れまいと思う。菅公〔菅原道真〕の

  家を離れて三、四月、落涙すること百千行なり。万事みな夢のごとく、ときどき彼蒼を仰ぐ。

 

の詩のごときは、公が冤罪にかかりて謫居せられしときの作なれば、やむをえざることなれども、今日にありて得意のものがこれを読みて悲観に陥りてはよろしくない。よって余はこれを改変したる心得にて、

  山川もとわれにあり。天地これわが郷なり。万事みな夢にあらずして、なんぞすべからく彼蒼を仰ぐべきや。

 

かく詠じたることがある。

 またなんびとも朗吟せざるもののない名高き辞世の詩に、

  人生五〇にして功なきを愧ず。花木春過ぎて夏すでに中たり。満室の蒼蝿払えども去り難く、たって禅榻を尋ね、清風に臥す。

 

とあるが、これも古代には適していても、今日には不適当である。故に願わくばこの退守風を改作して、進取的になさんと思い、余は左のごとく訂正した。

  人生五〇にして功成るべし。あたかもこの春過ぎて夏すでに中たり。満室の蒼蝿払えども去り難く、好んで北極をたたいて寒風を起こす。

 

 このとおりに今日の人は五〇歳になりても六〇歳になりても、壮年の気取りにて奮発しなければならぬ。また五〇歳までは不成功でありても、五〇以上になりて成功するものは世の中にたくさんあることじゃ。人は年寄ればしたがって経験に富んでくるから、気力さえあればかえって年少のときより成功しやすいわけである。よって五〇歳までは準備の時代とみるがよろしい。しかして気力の方は人の心次第のものじゃ。己の心にて老衰したりと思えば気力がなくなり、老いてますますさかんなりと思えば、気力の起こるものである。故に寿命のごときは問題外として決して懸念するには及ばず、否、懸念しても益のなきことである。二五歳のものにして奮起してみても、もしその天寿が三〇歳に限られておらば、働く年月は五年間だけであるが、もし五〇歳にしてその寿命が七〇歳まで続くものとすれば、二〇年間の余りがあるわけにて、二五歳のものより四倍も春秋に富んでおると申してよろしい。故に人は年齢に関せずして奮発勉励せなければならぬ。その他、人の気力の有無は大いに寿命の長短に関係することを忘れぬようにしたい。年寄りても気力の強きものは、たとえ身体の方は衰えても、長命を保つことができ、気力のないものは死を早めるようになる。かの退きて禅榻を尋ぬるようでは長命はおぼつかないが、北極をたたくくらいの勇気があれば、かえって長生するに相違ない。されば「禍福に門なく、ただ人の招くところなり。」          とあるごとく、「天寿に定めなく、ただ人の招くところなり。」          というてよろしい。

 また平家物語の巻首に出でたる「祇園精舎の鐘の声は諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色は盛者必衰の理をあらわす」の語のごときは、よく人生の無常を諷したる名句なるも、悲観に偏したる僻見たるを免れぬ。故に余はこれを改めて、

  祇園精舎の鐘の声は、必ずしも諸行無常の響きにあらず、沙羅双樹の花の色は、必ずしも盛者必衰の理をあらわさず

となし、更にこれを変じて、

  祇園精舎の鐘の声は、青年立志の響きあり、沙羅双樹の花の色は、大器晩成の理をあらわす

となしたいと思う。これ人の観察の仕方によりて悲観にも楽観にもとれるものじゃ。何故なればもし祇園精舎の鐘の声が、無常迅速の響きありとすれば、青年たるものはむなしく光陰を費やすことなく、一刻片時を惜しみて立志奮励せざるを得ず。また沙羅双樹の花の色が釈迦牟尼仏の入滅を示すとすれば、この大聖が一代の化導を成就したる時にして、永くその花の色をとどめて、後人に成功を示したるものと解することができる。かく観察しきたらば悲観は一変して楽観となるであろう。

 また余かつてある人の詩を改作して青年を戒めたることがある。すなわち、

  梅花地におち枝に上らず。黄河海に入りて再び帰らず。人生の日月流電のごとし。老きたればまた少年の時なし。

 

と吟じ去りたるも、悲観の嫌いあれば、余は更にこれを改めて、

  梅花地におち、実初めて成ず。黄河海に入りて水ようやく清し。無心の万物なおかくのごとく、すべて向上の一路を追って行くがごとし。

 

かくなさんと思う。

 仏経の中に「田あれば田を憂い、宅あれば宅を憂う。(中略)田なければ、また憂いて田あらんと欲し、宅なければ、また憂いて宅あらんと欲す。」                                         との語がある。これは人生憂苦の多きを示したる悲観にして、人は田宅があればあるにつきての心配があり、田宅がなければなきにつきての心配がある。子供につきてもそのとおりにて、子供なければないといいて不幸を鳴らし、子供があればあるにつけて小言をいうものじゃ。しかしもし楽天の方面よりみれば、田宅があればなきものの不自由に比して喜び、田宅がなければあるもののごとくウルサキ心配がないといいて喜ぶことができる。子供につきてもあればなきものに比して楽しみ、なければあるものに考えて楽しむことができる。すべて世の中のことは楽天の方面より眺めれば、いかなるウルサキことも楽しみとなるものである。

 人世は変遷定めなきものにして、楽は変じて苦となり、喜は変じて悲となることは事実であるが、これと同時に苦は変じて楽となり、悲は変じて喜となることも事実である。もし人世が一定不変のものならば、苦は永く苦にして、悲はいつまでも悲となるわけじゃ。されば浮世に変遷あるこそ、この多苦の世界にありながら時々刻々楽を得ることができるではないか。ある人の道歌に、

  定めなき世こそうれしきうきことも、明日はかはりて楽しみとなる

  世の中に定めなきこそたのみなれ、身のうきこともかはる習ひに

これ余の意に適したる歌である。

 これを要するに人生は苦楽相半ばし、悲喜相分かつものなれば、悲観も楽観も並び立つことができるが、悲観によりて毎日不愉快に日を送るよりも、楽観によりて愉快に世を渡りたいと思う。ことに悲観に流るるときは自然に世をいとい、隠遁の志を起こし、世に用なき人となる恐れがある。これに反して楽観を用うるときは、世間に向かって進取活動するようになり、その結果一人にとどまらず、社会の繁昌、国家の富強をきたすようになるに相違ない。ただここに歓楽を欲しながら、楽天しあたわざるものがある。すなわち貧苦、病苦、死苦に迫られておる人じゃ。なかんずく死苦にくるしめられておる人じゃ。仏書に生者必衰、会者定離と嘆息してあるは、死の免れ難きをみて申したのである。和歌に「我身世にふるなかめせしまに」、または「ふりゆくものは我身なりけり」とあるも、また漢詩に「高歌一曲、明鏡をおおう。昨日の少年、今白き頭なり。」                とあるも、「言を寄するに全盛の紅顔子、憐むべし半死の白頭の翁を。」                とあるも、「宿昔青年の志、蹉跎す、白髪の年。」                とあるも、ただ身の老い去るを悲しむのみならず死のきたるを嘆くのである。かかる人には死を免るることを知らしむるにあらざれば、満足はできぬに相違ない。これ別問題にしてこれに対しては余も他に意見あれども、それは生死観として他日に譲ろうと思う。

 その他、貧苦病苦等については前に述べたるがごとく、吾人の気の持ちようによりて喜とも楽ともなすことができる。また死苦といえども気の持ちようにて免るることができる。吾人は毎夜一定の時間眠るは死に似たるものなれども、だれありてこれを心配するものがない。「眠りはこれ一時の死、死はこれ永年の眠り。」(眠是一時死、死是永年眠)と思わばただ時間の長短に過ぎない。しかしこの点を十分に説明して人に満足を与うるは、生死観の上より述べなければならぬ。よって他日の問題といたしましょう。

 

     第三編 宗弊刷新に関する意見

  この一論は今より一二年前の起草にかかり、当時の新聞や雑誌等に掲載したる旧稿である。しかれどもこれ余が仏教革新の実際方面を論述したるものなれば、ここに参考として付記することにした。ただし一〇年前と今日とは国家社会の形勢を異にするをもって、その革新意見も前後を較するに多少の相違あることを断りおかねばならぬ。

 

 

       一 今日の潮勢

 近時わが学者間の潮勢をみるに、ようやく歩武を宗教の門庭に向かって進めんとする徴候あるは、実に国家のために祝すべき一現象なり。また世間一般の人士が旧宗教の将来に望みなきをみて、ようやくこれを厭忌するの傾向あるも、同じく一大美事として歓迎せざるべからず。およそ世の文明と称するものの諸素中には宗教必ず、その一に加わるはもちろん、最も有力なる一要素たること明らかなり。しかるに維新以来わが百般の事物みなその面目を一変し、明治の世界は全く新天地を開くに至りたるにかかわらず、宗教の庭内ひとり荒涼を極め、満目蕭然、春風いまだ寺門に入らざるもののごとし。その状あたかも四面みな散髪の中に一人のチョンマゲを見るがごとき観あり。これわが国文運の一大欠点にあらずしてなんぞや。余かつて維新の偉業一半すでに成りて、一半いまだ成らずと大喝高呼したるも、この一事に外ならず。昨今、公徳問題四方に起こり、人心の改善を渇望するの声ようやくやかましきは、実に両手を挙げて称賛すべきも、その実行をひとり教育部内にゆだね、すこしも宗教のいかんに着眼せざるは、頭を隠すを知りて、尻を隠すを知らざると同一般にして、だれかその愚を笑わざるものあらんや。故に余は公徳改良の先決問題は宗教の改良なりと信ずるなり。

       二 公徳と教育

 世の公徳を論ずるものみな曰く、教育を改良すれば公徳必ず興らんと。しかしてそのいわゆる教育は学校教育を意味するなり。ひとり学校教育の力をもって公徳の振興を図らんとするは、赤手をもって大木のまさに倒れんとするを支うるがごとく、実に思いも寄らぬことなり。学校教育中国民一般に及ぼすものは小学校教育に限る。しかして今日小学校にありて教育を受くるものが、他日社会に立ちてことをとるまでには、少なくも二〇年、三〇年の歳月を経過せざるべからず。果たしてしからば公徳改良の結果は数十年ののちにあらざればみること難し。これあまり気長の話にあらずや。かつそれ小学教育は満六歳以上より始まり、四年ないし八年間のことのみ。かかる短歳月の間にいかに完全なる教育を施すも、善良なる効果を示すことあたわざるは必然なり。これに加うるに児童が毎日学校にある時間は平均六時間内外に過ぎず。しかして六時間は一昼夜の四分の一なり。わずかに四分一の間教育を受け、余りの四分の三は教育外に放任するにおいては、いかにして教育の功績を挙げんや。これを一瓶の水にたとえるにわずかに一時間火に温めて、四時間風に冷やすときは、決してその熱を保つべき理なきがごとし。これによりてこれをみるに、公徳の養成をひとり学校教育にゆだねて効果をみんとするはあに難しからずや。

       三 教育の三大種

 およそ教育はその範囲至って広く、人の初めて生まるるより死するまでの一生を支配するものなり。今これを大別して三育となす。曰く家庭教育、曰く学校教育、曰く社会教育、これなり。家庭教育は人のこの世に生まれてより学校成業の時までを支配し、社会教育は初めて学校に入りし時より死してこの世を去るまでを支配す。されば、家庭、社会の二教育は学校教育に比するに年月最も長く、したがってその影響はなはだ大なるは、余が弁解を待たず。故に公徳を養成せんと欲せば、必ず家庭および社会の教育に待つところなしというべからず。しかるに現今わが国の風たるや、教育は学校に限るがごとく考え、学校の外に家庭、社会等の教育あることを知らざるがごとき有様なり。故をもって学校教育の年一年より隆盛なるにもかかわらず、社会の道徳は日に月に頽廃する傾向あり。これ識者の大いに慨するところなりといえども、その弊のよって起こる原因を究めざるは愚の至りというべし。たまたまその弊を医せんと欲してひとり学校教育の改良を図らんとするは、諺にいわゆる気がききて間が抜けたるもののたぐいなり。果たしてしからば家庭教育および社会教育はいかにして改良せんか、これ目下焦眉の問題なり。

       四 家庭および社会教育の改良

 家庭教育および社会教育は学校教育の直接に関係せざるところなれば、これを改良するには家庭の父兄となり、社会の朋友となるものを改良せざるべからず。換言すれば国民全体の改良なり。これもとより一朝一夕のよくするところにあらずといえども、直接に家庭および社会に関係するものは宗教なれば、宗教を改良すればおのずからこの二者を改良し得る道理なり。これを西洋に例するに毎日曜の午前必ず父母が児女を携えて寺院に参り、あるいは教会に集まり、ただに礼拝供養を神前になすのみならず、各教誨につきて平常家族の守るべき心得を聞くことを得るは、家庭教育の実地演習と称して可なり。また午後には青年教会、職人教会のごとき特殊の教誨を設くるは、とりもなおさず社会教育の演習なり。かくして学校教育の外に家庭教育、社会教育を実施する方法を設くるに至らば、公徳問題のごときは自然に一般の社会に行わるるに至るべし。しかるにわが国にありてはあまたの宗教あり寺院あり教会あるにもかかわらず、いずれもみな単に葬祭の儀を行うにとどまり、教誨の名ありて実なき有様なれば、到底家庭教育、社会教育の振起発達を助くるあたわず、いわんや公徳養成をや。これにおいて宗教改良は実に今日の急務なるを知る。

       五 宗教改良の必要

 宗教改良の必要はひとり教育の方面に限るにあらず、いずれの方面より観察しきたるも、政治の方面よりするも、実業の方面よりするも、軍事の方面よりするも、宗教の改良ほど今日に急にしてかつ切なるはなし。その故は宗教は多数の人心民情を支配し、積年の風俗習慣を維持し、その一盛一衰は実に国家の栄枯、国民の利害に関することすこぶる重大なるは余が喋々を待たず。しかして今日の宗教家の知識、道徳はいうも更なり。その一挙一動、実に言語道断のもの多く、幸いに宗教の体面を汚さざるもの果たして幾人かある。その内に積みたる宿弊はようやく外にあふれ、公徳の発達を害し、社会の改良を妨ぐるは自然の勢いなり。かくのごときは宗教の前途いかんよりは国家の将来に対して大いに憂慮すべきことならずや。わが国維新以来、年を積むことなお浅しといえども、政治、法律を始めとし兵事、医術、工業、農芸、学術、教育、その他いやしくも社会の発達に加わり国家の需用に応ずるもの、一として改良進歩の実を挙げざるなし。ただそのうち依然として旧態を存し、徳川末路の余弊を演ずるものはひとり宗教あるのみ。これあに昭代の汚点にあらずや。故に余は断固として宗教を改良するにあらざれば明治の偉業を大成し、世界の大勢に順応することあたわずといわんとす。

       六 世間の攻撃

 宗教の弊害多きことと宗教家の背徳はなはだしきこととは世間みなこれを知り、ときどき攻撃の声四方に起こり、甲唱え乙和し、人をして宗教改革の機運熟せるやを疑わしむることありといえども、数十年来いまだその実行をみることあたわざるはなんぞや。これその攻撃が一時にとどまり、あたかも驟雨の迅雷を送り去るがごとく、たちまち起こりたちまちやむ有様なれば、積年の宿弊に対してなんらの効力なきは明らかなり。かつ世間の非難はわずかに新聞や雑誌の上に悪口毒舌を陳列するにとどまり、今日のごとき名誉も徳義も重んぜざる宗教家にとりては、痛くもかゆくもなく、遠山に夕立の掛かりたるを望むよりもなお気楽に看過するを常とす。要するに宗教の弊害多きにかかわらず、改良の実の挙がらざるは、つまり国民がさほどその急務を感ぜざるに帰するなり。しかしてその原因は、学者社会および上流社会が従来宗教を軽蔑視し無用視し度外視せるによらずんばあらず。

       七 学者および上流社会の宗教観

 学者社会は学理一偏より現今の宗教を観察し、神道も仏教もヤソ教もみな不合理のものにして、今日の学術と並行しあたわざるものなれば、早晩愚民と共に絶滅するに至るべしと速断し、その改革のごときは全く無用の挙動のごとく考うるを一般の傾向となす。ヨシ宗教は不合理にして愚民の玩弄物とするも、世に愚民の痕跡を絶つは果たして幾年ののちなるや、また四千万の国民中いわゆる学者をもって目せらるるもの幾人ありや。かかる少数の人を相手にし、かかる久遠のことを予想して、宗教の運命を定めんとするは、未来幾万劫ののちに地球と太陽との衝突あるを聞き毎日杞憂をなすと同一般にして、愚もここに至りて極まれりといわざるべからず。また上流社会は道理の有無にかかわらず、宗教は古代の遺物にして今日にその用なきものとし、人間は一代を全うして無事に日を送れば足れり、死後の冥福などは祈るに及ばずと澄まし込み、サモ見識あるもののごとく思っておるは、かえって憫然の至りなり。かかる誤解を宗教の上に有するは、宗教は地獄極楽を説きて死後の賞罰を戒むるのみのものと心得おる故に相違なきも、またわが国旧来の習癖なおいまだ滅せざるによる。その習癖とはなんぞや。曰く徳川氏政権を握りて以来、儒仏二道を分かち、士族は儒道の教育を受け、一般の人民は仏教の教導を受くることとなり。因習の久しき二道互いに敵視するに至りたるも、仏教は多数の信仰を有するをもって、儒教の力これをいかんともすることあたわざりしが、明治維新に際し、政府に立ちてことをとるもの、みな儒道の教育を受けたるものなれば、積年の怨を晴らさんと欲し、一時諸方に廃仏合寺の挙あるに至れり。しかれども下民の信仰いまだ滅せざるをもって、その目的を遂行することあたわず。ただ宗教は厄介物なり邪魔物なりとの感想を抱きて、今日に至るものこれなり。かくのごとき習癖に今なお恋々たるは、誠に児女然として男子らしくなきことなれば、今よりかかる狭隘偏頗の見を改め、公平無私の目をもって宗教の国家に与うる利害いかんを審察せざるべからず。

       八 宗教改良の手段

 学者社会および上流社会が宗教を度外に置き、無用視するがごとき偏見は、すでに今日になきものと仮定し、これより宗教改良の手段につきて考うるに、およそ四段の方法あり。

  第一は自然の勢いに任ずること

  第二は教育の力をかること

  第三は本山の反省を促すこと

  第四は政府の規定を頼むこと

この四段のうち第一の方法いかにを考うるに、社会の進歩上内外種々の刺激ありて、宗教も自然に改良の方針をとるに至るべき理なれども、なにぶん積年の余弊の存することなれば、よほどの劇薬をこれに投ずるにあらざれば、改良の功を奏する見込みなし。されば自然治療法のごときはほとんど絶望なりと知るべし。つぎに第二の方法、すなわち教育の力によりて改良を実行することは、多少の効績をみるべきはずなれども、その実、自然改良法と異なることなかるべし。まず今より一層国民教育を奨励し、更に進んで中等教育の普及を図らば人智一般に進み、無智不学の徒、跡を絶つに至り、その影響必ず宗教の上に及ぼし、知らず識らず改良の行わるべき理なり。しかるにこの法は間接治療法にして、すこぶる長年月を要する方法なれば、今日の急務に応ずること難し。かつ小学教育を普及しても、人智の程度至って低きものなれば、その見識とても宗教改良の必要を看破すること難しからん。また高等教育を受くるものは、その見識かえって宗教の上に出で、必ず宗教そのものを無用視し度外視するに至らん。そのうち多少意を宗教に用うるものあるも、寥々極めて少数なるべし。されば宗教の改良を教育に一任するは、その実行を期しがたきこと瞭然たり。

       九 本山の内情

 第三の方法として各宗本山を促して改良の実行を挙げしめてはいかにと考うるに、これかえって弊習を増長せしむるのみにて、害ありて利なきは明らかなり。その故は今日わが国の文運かくまで進みたるにかかわらず、宗教門内依然として旧色をとどむるは、その罪多くは本山にあり。しかして本山が宗弊の媒因となるは、主として財政の困難なるにあり。いずれの宗派にても比較上巨大なる堂宇を有し、荘麗なる結構をなし、外観を装いて虚勢を張り、過多の僧侶これに衣食し、その経費意外に多額なるに、独立の財産なく、一定の収入なく、ただ末寺信徒の志納喜捨一途をもってその費を満たさんとす。しかるに末寺は己の糊口に追われ、信徒は本山に信用を置かず。したがって志納喜捨は年一年より減じ、本山の財政は日一日より窮を告ぐるに至り、当路者は百方工夫の結果あるいは僧位を売り僧官を売り、住職試験のごときも金銭をもって加減する弊ありて、すべて本山の施政は地獄の沙汰も金次第的方針をとり、名は布教勧学を口実とし、実際は利を釣り財を網するものにあらざるはなし。これをもって本山は野僧俗物の巣窟となり、世間をして僧中の僧は俗中の俗よりも俗なりといわしむるに至る。本山すでにかくのごとし。これに改良を一任してその実行をみんとするがごときは、あるいは恐る、人をして盗賊に金庫の番人を命ずると同様の思いをなさしめんことを。これひとり仏教の各宗本山に限るにあらず、神道教会もこれに準じて改良の不可能なることを知るべし。

       一〇 政府の本務

 宗教の改良は自然の勢いに任ずるも、教育の力をかるも、本山の反省を促すも、共に絶望なりとすれば、ただあますところは政府に依頼する一事あるのみ。この一事に関しては必ず一疑問ありて起こるべし。すなわち政治と宗教とは別物なれば、宗教をばなるべく政治の外に置き、政府にて干渉せざるをよしとす。もし今よりこれに干渉するに至らば第一に政教分離の本旨に戻り、第二に政界の混雑を増し、第三に信仰の自由を妨ぐるの恐れありと難ずるものあらん。余これに答えて曰く、第一に政教は分離するを当然とするも、国と時との事情によりて全然分離することの断行し難き場合多し。たとえば北米合衆国を除き、その他の西洋諸国が口に政教分離を唱えながら、なお政府ができ得るだけ宗教に干渉するはいかに、これ国家統治上必要なる事情ありてしかるは問わずして明らかなり。もしわが国においていよいよ政教分離の必要を認むるならば、第一に内務省の宗教局を廃し、第二に僧侶と俗人との別、寺院と民家との別を除き、政府の眼中には宗教もなく寺院もなく僧侶もなきに至らしめざるべからざるに、今日はもちろん、将来といえども数十年の間にここに至るべき見込みなきはみな人の信ずるところなり。これなんぞや。わが国の事情これを許さざるによる。すでに政府の監督の必要ありとすれば、その改良を政府自ら任ずるもなんの不可あらんや。いやしくも監督する以上は、これを改良して国家の福利を図るこそ政府の本務なれ。もしこれを今日のごとき姑息の干渉にとどめたらんには、なんらの福利を国家の上に与うることあたわざらんを恐る。故に政府にて宗教改良を任ずるは、政府の本旨に戻るにあらずして、かえってその本務ならんと考うるなり。

       一一 政府干渉の利害

 つぎに政界の混雑をきたすやいかににつきては、余をもってこれをみるに、わが国今日の事情、政府の監督あれば宗教上の混雑なきも、監督なくばその混雑は今日に幾倍するや計り難し。ただ人の疑念するところは、わが国の宗教には、神道あり仏教ありヤソ教ありて、その間往々衝突をきたし、互いに反目する風あるに、政府にてこれに干渉するときは、宗教上の紛擾はたちまち政治界に波及し、国家の治安を害し、民心の一致を破るの恐れありというにあれども、この恐れあればこそ政府の監督の必要あれ。もし政府にてこれを放任したる場合には、その紛擾混雑いずれに至りてとどまるを知るべからず。かつ政府において国家の治安を維持する目的をもって宗教の改良に手を下すも、なんらの不都合あるべき理なし。つぎに信仰の自由を妨ぐる恐れありとの説は宗教改良の意を誤解するより起こる。およそ宗教の改良に二種あり。一は教理の改良、一は宗風の改良なり。しかして宗風の改良中にも単に宗教内の儀式制度に関する部分の改良と、広く世間の風俗道徳に関する部分の改良との二種あり。しかして余の今主唱する改良は教理にもあらず儀式にもあらず、世間の風教に関する部分の改良なれば、信仰の点にはすこしも関係なきことなり。すでにわが国の憲法には国家の治安に妨害なき限りにおいて信仰の自由を許すことを規定せられたれば、信仰の自由は政府はもちろん、なんびともこれを妨ぐべき理なし。ただ信仰以外に国家の治安に関係ある点を政府の力にて改良せられんことを望む。これ余の宗教改良の本意とするところなり。

       一二 政府監督の結果

 すでに政府にて宗教改良に手を下して不可なきゆえんを述べたれば、これより政府の監督果たしてよく改良の実を挙ぐることを得るやいかにを考察せざるべからず。明治維新以来、わが国百般の改良中、政府の力をからずして成功したるものありや。教育の改良、医術の改良、実業の改良等、一として政府の力によらざるなし。もしこれらの改良を自然の勢いに一任して、政府よりなんらの干渉をなさざるときは、教育は依然として旧来の寺子屋風を維持し、消息往来、庭訓往来、実語教、童子教の読習をもって生徒に課するならん。また医術は旧のごとく漢方を崇拝して草根木皮の外に良薬なしと信ずるならん。しかるに医術も教育もその他百般の事物みな面目を一新したるは政府自らその改良を任じて力を尽くせし結果ならざるはなし。そのうちひとり宗教が依然として旧態を存するは、政府が多少の監督をなせしにかかわらず、進んで改良するの方針をとらざりしによる。しからばわが国三十余年間の経歴に徴するに、政府にて改良に着手したるものに一として成功せざるものなく、政府の度外に置きたるものに一として改良の実をみたるものなし。これによりてこれをみるに、もし政府が宗教改革の国家のために急要なるを知りて、今よりこれが改良に着手せば、僅々数年を出でずしてその成功をみるは必然の勢いなり。

       一三 改良の本旨

 更に政府が宗教改良に着手して不可なき理由を述ぶるに、維新以来政府が医術の改良に着手したるは、いかなる理由ありてしかるや。医術は人の生命健康を救護するものにして、その良否はただちに人命に関係し、したがって国民の安危に影響するが故に、政府は人民および国家を保護する目的より、つとにその改良に力を用いたるに相違なし。また教育の改良に着手したるは、人智、人文進まざれば国家を富強にし、外国に対峙することあたわず、その極亡国の不幸をみるに至らん。しかるに政府は国家の独立、人民の幸福を保護する目的より、もっぱら教育の改良を努めたるは明らかなり。その他、法律の改良にせよ、実業の改良にせよ、みなこれと同一の旨趣に出でざるはなし。果たしてしからば、宗教の腐敗は風俗をみだし、徳義をそこない、人心を堕落せしめ、その結果人民の幸福を損じ、国家の独立を危うからしむるは自然の勢いにして、これが改良に力を尽くすは、医術、教育、法律、実業におけると同様に政府の目的本務なること明らかなり。しかるにわが国において政府が今日まで宗教の改良に手を下さざりしは、実に奇怪の一現象なるがごとし。故に余は宗教のためにあらず、国家のために一日も早くわが政府が宗教の改良に着手し、明治維新の鴻業を大成せられんことを渇望してやまざるなり。

       一四 改良の方法五条

 論じてここに至れば改良の方法いかんの問題ありて起こるべし。これ余がもっぱら論ぜんと欲するところなり。今その方法を左に列挙すれば、

  第一は一寺の住職となり一教会の教師となりて人民の教導を任ずるものは、必ず文部省所定の中学卒業以上の者なるべきこと。

  第二は帝国大学中に教科大学の一部を置くこと。

  第三は宗教事務を文部省にて取り扱うこと。

  第四は各寺院各教会は毎週一回必ず教会を開きて教導の実を挙げしむること。

  第五は改宗転派をして自由ならしむる道を開くこと。

この五条に帰すべし。その他はみなこれに付随せるものに過ぎず。故に政府が宗教を改良する方法は、ただこの五条を規定するのみなれば、なんらの苦心も困難もなかるべし。もしこれを他の改良に比すれば、意外に平易にして、しかもその効績を挙ぐること速やかなるは余が固く信ずるところなり。これより以上の五条につきていちいち弁明すべし。

       一五 住職の学力規定

 先年内務省の訓令にて、住職たるものは中学の卒業を要するよう規定せられしも、その後いかなる事情ありてか、その実行をみることあたわざりしは、余輩の大いに遺憾とせしところなり。今や一般の人民は小学教育はもちろん、更に進んで中学教育を受けんとし、年々各府県の中学は続々増設あるにもかかわらず、入学生の多き、これを入るる余地なきに苦しむがごとき有様なり。かくのごとく中学教育の普及せる今日にありて、宗教家たるものは、その知識の程度、小学教育の上に出づるもの少なく高等小学の卒業すらおぼつかなきもの多し。しかして中学卒業のごときは千百人中にわずかに二、三人を見るのみ。すでに宗教家の本務は一般の人民を教導するにあれば、その知識徳行共に一般の標準以上にあるべきはずなるに、今日の有様かえってその標準の下にあり。されば宗教家が教導の実を挙ぐることあたわざるはむろんのことなり。故に宗教改良の第一着手は各宗教家をしてことごとく中学卒業以上ならしめ、その知識をして一般の標準以上に進ましむるに外ならず。かくして普通の寺院に住職たるもの中学卒業以上とすれば、本寺本山、大寺巨刹に住職たるものは、これに準じて高等学校卒業以上もしくは大学卒業以上たるべきを規定して可なり。かくのごときは各宗本山に促すも到底その実行を望み難く、政府の力にて一令を下さばたちどころにその実をみるに至るべし。

       一六 これに伴う利害

 すべて一利一害は世の免れ難きところなれば住職の資格を中学卒業以上と定むるときは必ずこれに伴うべき多少の困難あるべし。その第一は住職の数を減じて、無住職の寺院を多からしむるに至るの難事なり。今日の僧侶寺院中には独力にてその徒弟に中学教育を履修せしむる資産あるもの、実に晨星を数うるがごとし。これに加うるに宗教家は世間の中学を卒業したる上に、更にその宗門の学を履修せざるを得ず。しかしてそのいわゆる宗学は普通の研究だけにても三年以上を費やさざるを得ざれば、中学五年、宗学三年、都合八年間の修学を終えて、始めて普通の一カ寺の住職となる割合なり。故にその法は無住職の寺院を多くするに至るべしと難ずるものあらんも、余はこれかえって宗教のため国家のために便益ならんと信ず。現今わが国の寺院は多きに過ぎ、したがって維持法の困難を感ずるものなれば、目下の急務は寺院の数を五分の一ないし一〇分の一に減ずるにあり。しかるに故なくして減ぜんとするも、だれもこれに応ずるものなかるべし。もし幸いに住職の欠乏より無住もしくは兼住の寺院多きに至らば、自然の勢い小地貧寺は消滅して、寺院の数を減ずるに至り、したがって寺院の維持法も困難を感ぜざるに至るべし。これに加うるに今日の弊たる宗学の研究に数年の日子を徒費する風も、今後は自然の勢い改良を得て、従来の三年の課程を一年にて修了し得るに至るべし。この研究法の改良は識者のつとに望むところなるも、今日までいまだその必要を感ぜざりしために、姑息の研究法を用うるなり。しかるにもし住職は必ず中学卒業以上と規定せらるるに至らば、これと同時に宗学研究も簡便の方法をとり、一年以内にて普通の住職たる智識を得るに至るべし。故にこの改良案は実に一挙両得の策なり。更に約言すれば今後一寺の住職たるものは、世間学として中学五年を履修し、宗学として更に一年を増修し、都合六年を要するなり。しかして政府の規定は中学五年にとどまり、宗学はもとより各宗本山にて規定すべきものとす。

       一七 教科大学の設置

 帝国大学中に教科大学を置くことはさきに長谷川泰氏の論あり、のちに片山国嘉氏の議あり。これ余の共に賛成するところにして、ただ余が両氏に異なるは、宗教改革の一案としてこの議を提出するにあり。すなわち宗教家の智識を進むるために普通の寺院は中学卒業者をもってこれに住せしめ、本山本寺の住職は大学卒業以上と定むるにおいては、大学中に宗教学を専攻する教科大学を設くる必要を感ずるなり。けだし西洋諸国において神学部を設け、これを各大学の首座に置くの意は、いやしくも一国に宗教ある以上は、一方においては宗教の学理を研究する必要あり、他方においては高徳の僧侶を養成する必要あるによることは問わずして明らかなり。わが国においても各種の宗教宗派ありて、しかも腐敗を極め改革を要するときなれば、大学中にその専門部を開き、智徳兼全の宗教家を養成するは実に国家の急務なり。大学中に法科大学を置くはなんぞや。法律の学理に達したる法律家を養成するの意に外ならず。大学中に医科大学を置くはなんぞや。精練熟達の医者を養成するの意に外ならず。もし更にその意を推すときは、モグリ代言やヤブ医者の多きは国家の不利、国民の不幸なれば、これを改良して国利民福を進長するの本旨に出でたるに相違なかるべし。果たしてしからば堕落僧侶の多きは、やはり国家の治安を害するものなれば、同一の旨趣をもって大学中に宗教学の一科を置き、もって完全なる宗教家を養成するは当然のことなり。しかるに今日までその設なきは種々の事情あるべきも、その一は宗教を無用視し、あるいは度外視する風習の上流社会および学者社会に行われし結果なるべし。しかれども今日にありては国家そのものの上に着眼し、虚心平気に考察するを要し、もはやかくのごとき偏見を固執する時ならんや。

       一八 宗教学研究の利益

 大学中に教科大学を置く一事につきては、他に益するところはなはだ多し。日本には東西両洋の宗教並び行われ、これを比較研究するに自然の便利ある、その一なり。わが国には西洋にて学び難くして、しかも世界の宗教中最も哲学の思想に富める仏教を研究するに最も便利なる、その二なり。今や世界の宗教ようやく動き、将来の宗教はいずれに定まるか明らかならざるに当たり、わが国にては世界の学問と世界の宗教とを対照して、将来の宗教を定むるに種々の便利を有する、その三なり。故に大学中に教科大学を置くはひとり国家のために宗教家を改良するに必要なるのみならず、他の方面においても必要あるを知るべし。また研究の材料においてはこれを一分科大学として研究するもなお余りあり。仏教だけにても一専門科を組織するに足る。また世界の文明上これをみるに、器械工芸のごとき物質上の文明は西洋の特産物にして、宗教は東洋の特産物なり。その東洋中最も宗教の研究に適したる地はわが日本なり。さればたとえ西洋の大学中に教科大学なきも、わが日本の大学中には特に教科大学を置きて当然なるべきに、西洋の大学中にその設ありてわが国にこれなきは、明治の七不思議の一に数うべき奇怪なる現象なり。故に余は帝国大学中に速やかに教科大学を別置せられんことを望む。もし事情の許さざるにおいては、文科大学中に教学科の一専門を置くも一策なれども、なるべく別置あらんことを熱望するなり。

       一九 宗教家全体の規定

 かくして普通の寺院に住職たるものは中学卒業以上とし、本山本寺に住職するものは大学卒業以上とするも、仏教各宗の管長だけにても四、五十人もあれば、余は更に左の規定を設くるの必要ありとす。

  全国の寺院に上中下の三等を分かち、下級寺院は中学卒業の者をしてこれに住せしめ、上級の寺院すなわち総本山、大本山は大学卒業の者をしてこれに住せしめ、中等の寺院は官公私立学校中政府より特に高等教育を授くるものを認定し、その校卒業の者をしてこれに住せしむべし。しかしてこの外に履修を要する宗学は政府の関するところにあらざれば、全く各宗本山に一任すべし。

この規定は今即時に実行すること難きも、五年前後の猶予を与え漸々ここに至らしむれば、宗教改革のごときは自然に遂行せらるるに至るべし。かく論じきたれば、宗教の監督は、内務省中に置くよりは、むしろ文部省に移すの必要あるを覚ゆ。よって宗教改革案の結果として、政府の組織に論及するのやむをえざるに至る。

       二〇 教部兼文部省の設置

 先年わが政府は教部省を廃して、宗教上の政務はすべて内務省中の一局にて取り扱わるることとなり、今なおこれを継続せらるるも、前述のごとき宗教改革案を実行するときは、多少宗教上の事務に繁忙をきたすのみならず、文部省と直接の関係を生ずる次第なれば、西洋の二、三の国のごとく教部省兼文部省として二省を合併するか、もしくはわが国の農商務省のごとく教文部省として一省の下に教部、文部の両務を取り扱うか、いずれにせよ宗教の取り扱いは内務省の配下を脱して、文部省に合接するを適当とす。しかるにわが国において宗教局を文部省の方に置かずして内務省の方に置きたるは、宗教と教育と混同するの弊を恐れたるによるならんも、今日に至りてはもはやかかる恐れを抱くに及ばず。たとえまた文部と教部とを合しても、必ず両者の混同するの理あるべからず。これを例するに農務と商務とが合したりとて、農家と商家とが混同するの理なきがごとし。すべて政府の取り扱いはその関係の最も近き方に合する方便利なれば、宗教は諸省中文部省に最も関係多かるべし。ことに政府が宗教改革の方針をとる以上は、宗教の改革は宗教家を改良するにあり。宗教家を改良するはその智識を進むるにあり。智識を進むるは実に文部省の任ずるところなれば宗教局を文部省に移すは当然のことなり。しかるに今日のごとく宗教家の教育は各宗本山に一任し、その学校は内務省の監督の下に立ちて、文部省の規定を受けざるは、宗教をして旧来の腐敗を守らしむるに適するも、これを改良するには最も不利なり。故に余は宗教事務は文部省に合せんことを望む。もし教部兼文部省とすることあたわざるときは文部省中に教務局、もしくは宗務局を置くも可なり。かくして宗教事務を文部省にて取り扱うに至らば、住職の資格を規定し、官公私立学校を認定する等において大いなる便宜を得、したがって宗教改良の実を挙ぐるに大いなる便益あるべし。

       二一 人民教導の本務

 宗教を改良するには住職の資格を規定する外に、宗教家をして教導の本務を尽くさしむる必要あり。あるいは一宗の布教伝道に関しては、その宗の本山の任ずるところにして、政府のあずかり知るところにあらずというものあらん。しかれども政府が宗教を監督して寺院と民家とを分かち、僧侶と俗人とを分かつ以上は、その相違なる点を守らしむるは、もとより政府の関するところなるべし。およそ寺院と民家との別は梵鐘や仏像の有無の点にあらず、寺院は人民を教導教誨する場所なる廉をもって普通の民家と異なりたる取り扱いあるなり。また僧侶も教導教誨を本務とするをもって普通の俗人と異なりたる待遇あるなり。しかるにもし寺院にして教誨を行わず、僧侶にして教導をなさざるときは、普通の民家、俗人といずれの点において分かつべきや。もしかくのごとき寺院あらば政府は速やかにこれを廃絶し、かくのごとき僧侶あらば速やかにこれを除外するを当然なりとす。今全国の寺院をみるに単に葬祭の儀式を行うにとどまり、一年中更に人民の教導教誨をなさざる者多きがごとし。しかしてこれに任ずる僧侶は寺院にて所有せる多少の財産と葬祭の収入とによりて糊口し、なんらの労働もなさず、学問も努めず、毎日閑散無事に苦しむ風あり。古語に小人閑居して不善をなすというがごとく、その閑散無事がかえって僧家の品行を乱す原因となり、ようやく腐敗し、ようやく堕落して、またいかんともすべからざるに至るものすくなしとせず。故に余は政府が寺院および僧侶を認定する以上は、これをして教導教誨の実を挙げしむること必要なりと信ず。もしその実なきときは寺院の待遇、僧侶の資格を取り消してしかるべし。これを学校に例するに、ひとたび政府の許可を得て設立するも、毎日閉鎖して教育をなさざるときは、政府にてその認可を取り消す規則あるにあらずや。故に寺院をして教導の実を挙ぐるように規定するは、また宗教改革案の一策なり。

       二二 寺院教会の規定

 この改革案を規定するには、ここに各寺院、各教会は毎週一回必ず教会を開きて教導の実を挙げしむるよう、政府より命令せざるべからず。かくすれば宗教家の方にとりては、多少平素の修学読書の必要を感ずるに至り、世間一般にとりては、国家社会に対する心得、一家一身に対する心得等を知り、したがって家庭および社会教育の実を挙ぐるに至るべし。およそ宗教は何宗を問わず、一半は宗教の本領たる別世界に至るの道を説き、一半は世間普通の道徳を説くものなり。これを仏教にては世間出世間の二門となす。故に寺院にて教会を開くごとに、二時間の教誨ならば一時間は必ず世間の道徳を説き、人の身を修め家を斉え世に処し国に尽くす心得を示すはずなれば、学校教育の力の及ばざる家庭および社会教育は寺院において授くることを得るなり。その他、衛生、軍事、公徳等の心得もみな同時に公衆に知らしむることを得べし。かくのごとくにして始めて寺院および教会が教導の実を挙ぐるなり。もし寺院は葬儀を執行するのみの道具ならば、日本に一〇万以上の堂宇と僧侶とを存するは不経済の極み、贅沢の至りといわざるべからず。もしこれをして教導の実を挙げしめて、始めて無用の贅物にあらざるを知る。しかれども不学無智の僧侶の教誨はかえって害あるも益なければ、第一に宗教家その人を改良して中学卒業以上となし、これに教導の実を行わしめざるべからず。しかるときはその教誨の益あるは論を待たざるなり。

       二三 教会の必要

 つぎに一般の人民につきて教会の必要なるゆえんを述べんに、人間は階級の上下、職業の種類を問わず、六日間労働すれば一日間は休止せざるべからず。これにおいて一週一回の休日あるなり。この休日には身体を休むると同時に、精神を養わざるべからず。しかるに民間の風たる休日には同志の者相集まりて酒食遊興にその日を消費するを常とす。これ一は身体の健康を害し、一は風俗の壊乱を招き、衛生上、経済上、教育上共に害ありて益なし。もしこれに反し休日には寺院教会に集まりて、心身二者を休養するに至らば、衛生、経済、教育の上に益するところ多きはもちろん、人心の改良も公徳の養成も同時に実行をみるべし。余思えらく、わが国において社会の徳義の日に衰え月に微なるは、寺院教会が教導の名ありて実なきの結果なりと。今よりこれに改良を加えざれば、幾年ののちに至るも公徳はもちろん、私徳といえども決して振起するはずなし。故に余は政府にて学校を監督するがごとく教会を監督し、寺院にして教会を開き教導をなさざる場合には、速やかにこれに閉鎖を命ぜられんことを望む。

       二四 改宗転派の必要

 今一つ宗教改革の一案として提出せんと欲するは、改宗転派を自由ならしむる道を開くことなり。今日宗弊の洗除し難きは改宗転派の自由ならざるに起因す。古代よく宗教改良の行われしはこれを自由ならしめたるによる。今これを歴史に徴するに、奈良朝の時代には奈良の仏教ひとり勢力をほしいままにし、全国の寺院みなその末寺配下なりしが、平安朝に及び天台宗真言宗新たに起こりたれば、奈良の末寺ようやくこの二宗に帰化し、全国大抵みな天台真言の末寺となるに至れり。かくして源平時代に移り、浄土念仏門起こり、その後また禅宗行われ、従来の天台真言が再び禅浄二門に転派するに至れり。けだし当時にありては改宗転派の自由なりしために自然に宗弊の改良行われたるに相違なし。しかるに今日にありては徳川以来の旧慣に従い、改宗転派を自由ならしむるために、宗弊はよくやく積みて山をなすも、これを洗除するの見込みなきなり。たとえば本山がいかに不徳なるも、腐敗せるも、またいかに末寺に対して圧制を用い悪徳を施すも、改宗転派の自由ならざる限りは、すこしも末寺を失うの憂虞なし。故に本山の腐敗はますます激甚を加うるのみ。もしこれに反し改宗転派自由なるを得ば、末寺の信用を維持するは本山の徳望より外なきを感じ、各本山の間に徳望の競争行われ、自然に宗弊改良の実行をみるに至るべし。これを要するに改宗転派自由なる制度の下には宗弊少なく、不自由の制度の下には宗弊多きこと事実上明らかなれば、宗教改革の一案として政府にて転宗自由の制度を設けられんことを望む。

       二五 転宗自由の制度

 転宗自由の制度を設くるはひとり宗教改良案として必要なるのみならず、信仰自由の実行上必要なるべし。たとえばここに甲宗の一寺院あらんに、これに住する住職も徒弟も、またこれに属する檀家も信徒も、甲宗に信仰を置かずして乙宗に帰依するも、転宗の自由を得ざるために、己の信仰をまげて甲宗を奉ぜざるべからず。もしこれに反して転宗自由なるときは、僧俗共に一教会を挙げて乙宗に帰依する場合には、甲宗を去りて乙宗に入り、もって信仰の自由を全からしむべし。今日すでに人民一個人の信仰は自由を得たるも、その自由がいまだ寺院教会の上に及ぼさざるをもって、余は寺院教会まで信仰の自由を得せしむる必要ありと信ずるなり。もし政府にて転宗自由の制度を立つるときは、非常の混雑紛議を各宗各派の間に引き起こす恐れありと難ずるものあらんも、余はもとよりある制度の下に自由を許し、みだりに自由ならしむるの意にあらず。これを要するに余は政府が宗教を監督する以上は、ある制限ある事情の下には自由に改宗転派し得る一条の通路を開かれんことを望む。

       二六 新宗教開立の自由

 改宗転派の自由に伴って宗弊改良に必要なるは、新宗派開立の自由を得せしむる一事なり。広く古今東西の事実に考うるに、社会に一大変動のありたる場合には、必ず宗教上に一大革命を起こし、新宗教もしくは新宗派の勃興せるをみる。これ旧宗教の時勢に適せざるところあれば、これに順応せんとする必要より起こるものなり。今わが国は明治の維新のごとき建国三千年間の歴史上未曾有の大革新ありしにもかかわらず、爾来三十余年を経ていまだなんらの新宗派の起こるを見ざるは、新宗派開立の自由を得ざるによる。たとえば北畠道竜のごとき、水谷仁海のごとき、大道長安のごとき、その人物の可否はしばらくおき、旧仏教の時勢に適せざるをみて、新仏教の呱声をあげたるものに相違なし。しかるに新宗教開立の自由を得ざるために、この諸氏はついにその志を果たすあたわず。すでに前車の覆轍あれば、のちにこの跡を追いて立たんとするものも、成功の望みなきをみて逡巡としてあえて進まざる有様なり。これ宗弊の改良に不利なるのみならず、宗教の発達に大いなる障礙をなすものなれば、余はまた政府が宗教を監督する以上は、ある事情、ある制限の下に新宗教開立の自由を得る道を開かれんことを望む。

       二七 帰 結

 余は今日の急務は宗教改革よりはなはだしきはなきを知り、その改革は政府の力をからざれば行われ難きをみて、改革の方案として五条を設けて広く世間に訴うることとなせり。しかしてその実行のいかんは政府の意見にあることなれば、余輩はいかんともすることあたわざるところなり。ただ余は政府に立てる賢明なる諸士が国家の休戚上、宗教改良の必要を察了し、速やかにこれを断行する方法を立案せられんことを望むのみ。余の愚見のごときはその参考の万一に供せらるるを得ば望外の大幸なり。

 終わりに際し、余の宗教改革案につき久しく赤心のうちに秘蔵せるところを開陳すれば、今日の宗教家がその宗旨における信仰は別問題とし、その社会国家に対して不学無徳、もって自ら足れりとし、世間の道徳に関し宗教家は責任いずれにあるを知らず。したがって自ら反省するところなき有様なれば、誠に恐れ多きことなれども、かしこき辺より宗教家に対する聖諭を下し給うことあらば、たちまち数百年の頑眠を破り、迷夢を開き、宗教界に青天白日を見るに至るは必然なりと信ず。古語に普天の下、王土にあらざるなく、率土の浜、王臣にあらざるなしといえるがごとく、宗教家も日本の国に籍を有する以上は王臣なり国民なり、すでに臣民たる以上は上皇室に対し奉り忠誠を尽くすはいうまでもなく、国家のために身を献ずるの精神をもって風俗の矯正、社会の改良は宗教家自ら任ずるところならざるべからず。しかるに今日宗教家の不徳かくのごとく、宗教の腐敗かのごとし、いずくんぞよく皇徳に答え国恩に報ずることを得んや。これもとより草莽の微臣のよくうかがい知るところにあらざるも、至仁至聖にてまします今上天皇陛下におかせられて、深く宸襟を悩ませ給うことならんとはるかに恐察し奉るところなり。もしその大御心の一滴が雲間より漏れて、かかる頑迷なる宗教家の頭上に注ぎきたらば、満目蕭然たる宗教の門庭も、たちまち陽春の色を呈し、槁木枯草も蘇生の気を回らすは疑いなし。これよりのちは宗教家も大いに反省するところありて誠心誠意、風俗の矯正、社会の改良に尽瘁し、もって日夜、君徳皇恩の万一に報答し奉らんことを心願するに至るべし。しかして宗弊の改良のごときは、期せずしてその実行をみるはまた必然の勢いなり。故に余は宗教改革案の第一は、天辺最も高き所より鳳鳴鶴声の下るにあるを知るも、微賎の余輩にしてかかる天辺のことを談ずるは、誠に畏れ多き次第なれば、謹み慎みてただ天日の余光を仰ぎ、天恩の至らざるところなきを喜び、あわせてかの宗教家の知らず識らず帝の則に順うの日あらんことを待つのみ。

 

  (以上、付録三編は参考として掲げしも、一〇年前の起草なれば今日訂正を要するところあり。かつ本文と重複せるところあれども、取捨を加えずそのまま写録せり。読者請う、これを了せよ。)