6.改良新案の夢

P477------

改良新案の夢

1.サイズ(タテ×ヨコ)

 222×152㎜

2.ページ 総数:107

 緒言・目録:8

 本文:99

3.刊行年月日

 底本:初版 明治37年1月19日

4.句読点 あり

(巻頭)

5.その他

 『妖怪叢書』第2編として発行。

6.発行所 哲学館

P479--------

緒  言

 余、かつて心理経済を論じ、精神の運用上に一種の経済法あることを唱え、爾来、自らその身に実行するの目的をもって、もっぱら無用の時間を利用せんことをつとめたりき。例えば、汽車、汽船に乗るときのごとき、あるいは途中人を待つときのごとき、あるいは夜中寝に就きて眠るあたわざるときのごとき、むなしく時間を消費せざるを得ざる場合に、なるべくその時間を利用せんと欲し、目に触れ心に浮かびたる種々雑多のことにつき工夫を凝らし、ときとしては新案を思いつきたることあり。このごろ来客ありて、「心理経済の結果いかん」とたずねられたれば、これまで思い付きし種々雑多のことども、大となく小となく書きつづり、図らずも一冊子をなすに至る。これを題して『改良新案の夢』と名づく。その中には多少世人の参考となるものあるべきも、またあるいは陳腐に属し、あるいは滑稽に類し、抱腹絶倒にたえざることもあるべし。ことに器械上のことに関しては、余は盲目同様にして、なんらの知識も経験も有せざるものなれば、その新案の愚を極めたること多からん。これ、諺にいわゆる「盲人蛇を恐れざる」の類なり。また、空想の実地に応用し難きものもすくなからざるべし。ゆえに、これを名づけて夢という。されど、世に「岡目八目」の諺もあれば、いくぶんか日用上の参考になることもあらんかと、自ら許すところなり。かくのごときは、もとより余がうぬぼれにして、そのいわゆる八目はプラス八目にあらずして、マイナス八目なるも計り難し。ゆえに、識者の笑いを招くは、余がはじめより覚悟せるところなり。

 本書に記載せるもののほかに、なお種々工夫したりしことあれども、後日さらにこれを集めて、別に発行せんとする予定なり。かつまた、工夫の錯雑せるものは、その道専門の士にはかり、実地につきて試みざるを得ざれば、世に発表し難し。ゆえにかくのごときは、ことさらに、本書中にこれを省くこととなせり。

 本書中に述ぶるところの項目は、全く余が専門たる哲学にはなんらの関係なきことのみなるが、こは余の意見の存するところにして、哲学者はひとり宇宙の空理のみを講ぜず、いやしくも世に生存せる以上は、万般のことにつき、実用、実益を計らざるべからず。けだし、余の平素の持論は、哲学をして応用海に新航路を開かしめよというにありて、その応用は必ずしも教育、宗教のごとき、人の精神界に関することに限るにあらず。社会、日用のことに至るまで、その応用の効果を示さんとするにあれば、本書中に述ぶるもののごときは、もとより新案の名称を付するまでのものにあらずといえども、他日、この方針をもって、大いに工夫を凝らさんとするつもりなり。

 本書は余の妖怪学には全然関係なきものなるに、これを『妖怪叢書』の一つに加えたるは、なにびとも必ず大いに怪しむところならん。しかるに、これを『妖怪叢書』に加えたる理由は、第一に、先年妖怪研究の結果、世に心理療法と心理経済との二種あることを思い付き、心理経済実行の一端を示すために本書を発行するに至りたれば、妖怪学の付録の一種なるによる。第二に、余のごとき日用上の器械等のことに盲目なるものが、工夫新案などを試むるは、世間より必ず一種の妖怪なりの批評を招くならんと予期せるによる。第三に、その新案は余が一場の夢語に等しきものにして、実際上応用すべからざるもの多かるべく、また、たとい応用しても、なんらの便益なきもの多かるべしと予想し、本書に題するに『改良新案の夢』というをもってせるによるなり。

 本書中に掲げたる新案中、二、三種は欧米帰航の途次、太平洋上にありて案出したるものにして、たまたま飯田、武田両工学士と同船したれば、両学士の助言を得て大いに益するところありき。ここに、あわせてそのことを記するなり。

 本書を「妖怪叢書」の中に加えたれば、既刊の第一編(『哲学うらない』)に予告したる叢書の順序を改変せざるを得ざるに至れり。よって左のごとく改む。

   第一編 哲学うらない  (既刊)

   第二編 改良新案の夢  (既刊)

   第三編 天狗論     (既刊)

   第四編 真怪談     (近刊)

   第五編 心理療法    (近刊)

 以下これを略す。

 

  明治三十六年十二月 著 者 誌  

改良新案の夢

第一 徳用書翰紙

 いずれの書翰紙も、封筒すなわち状袋がなくては発送することができぬ。また、状袋がありても、糊がなくては封ずることができぬ。しかるに、余はこの二つの不便を避けんと思い、一枚の紙あれば、状袋も糊も用いずして、発送することのできるように工夫せり。旅行先などにては、すこぶる便利ならんと思うなり。

 (図解) 上図のごとき一枚の紙ありとするに、その表に用事をしたため、これを封ずるには、まず1の所より右へ折り込み、2、3、4、5、6と次第次第に折り込みて、7の所に至らばこれを内側に折り入れ、8の所は外へ出だし、その上に三銭郵券一枚を張り付くれば、決して開封することはできぬ。よって、状袋も糊も用いずに投函して差し支えなし。

 (筆者曰く) 図解のみにては解し難き恐れあれば、望みの者は左の宛名にて郵券三銭寄送あれば、その見本を発送すべし。

東京小石川原町哲学館構内  妖怪研究会  

 

第二 改良筆立て

 七曜と日の組み合わせは忘れやすく、思い出しにくきものなり。よって、その配合表を座右に置くは、大いに必要のことと考うるなり。近ごろ余は、これを工夫して、筆立てを利用するの便なるを思い付きたり。すなわち、筆立ての上方に七曜を記入し、下方に毎月の日数を列記し、しかして上方は左右に回旋するように造りおけば、毎年の七曜表を自在に示すことを得べし。右にその表を掲ぐ。

 左図のごとく上方に七曜を記入し、下方に一月一日より十二月三十一日まで三百六十五日を列記し、上方と下方の間は随意に回転するように造りおけば、毎年の七曜表を示すことを得るなり。左図は一月一日を日曜に当たるとして組み合わせたるも、もし一月一日が月曜ならば、上方を一行だけ右へ回せばよろしかるべし。もしまた一月一日が金曜ならば、上方を五行だけ右へ回すようにすべし。二月は四年に一度閏日あるはずなれば、もしこの表を閏日ある年に当てはむるには、二月の列と三月の列との間も、左右に回旋するように造りおくべし。しかるときは、幾年にも当てはむることができるなり。この表は筆立ての周囲へ刻み込みてもよし、または漆にて文字を書き入れておきてもよし、また、紙にこの表を印刷して周囲に張り付けてもよからん。その大きさは、直径二寸以上あれば足るべし。もし、これを試みんと思わば、茶入れのブリキを取り、その蓋の方の周囲に七曜の紙を張り付け、下方の周囲に十二カ月間の日数を張り付け、しかして蓋を回しさえすれば、何年の七曜も見出だすことを得べし。茶店にて、このようなるブリキを造るもおもしろからん。ブリキはときどき蓋を動かすゆえ、筆立てのように便利にはあらざれども、何月何日の七曜を知りたく思う場合には、速やかに見出だすことを得るだけの便利あるべし。

 この工夫を、タバコ盆の灰吹きの類に当てはめてもよろし。灰吹きはその形小なれば、一月ずつの表を記入しおくべし。この表を灰筒の周囲に記入しおき、毎月その上を回旋すれば、月々の七曜を見出だすこと自由なり。

日 一 日、 八 日、 十五 日、 二十二日、 二十九日

月 二 日、 九 日、 十六 日、 二十三日、 三十 日

火 三 日、 十 日、 十七 日、 二十四日、 三十一日

水 四 日、 十一日、 十八 日、 二十五日

木 五 日、 十二日、 十九 日、 二十六日

金 六 日、 十三日、 二十 日、 二十七日

土 七 日、 十四日、 二十一日、 二十八日

 

第三 電灯の縄索留め

 室内用の電灯は、必ず天井より縄索の垂るるありて、日中はこれを巻き上ぐる必要あり。その目的にて世間多く使用するものには、縄索の上下に小球を貫きおき、この二個を引きかけて電灯を引き上ぐる方法なれば、縄索が横に垂れ出して、はなはだ見にくきように覚ゆるなり。しかるに余の工夫にては、左図のごとき円形の車輪のごときものを用い、イ点よりロ点まで小孔を貫き、その中に縄索を通しおくべし。もし、電灯を巻き上げんとするときは、あらかじめその器械の周囲に凹形の★(講の旧字)をほりおき、糸巻きのごとくに縄索を巻きつくるように造りおき、また、ロよりハまでの間は内部を開鑿して、中貫せる縄索のニロよりニハに自在に動き得るように造りおくべし。しかるときは、縄索を適意に、ハイホロの周囲に幾回となく巻きつくることを得るなり。もし、その巻きつけたる縄索を留めんとするときには、ロ点に小鉤を付けて、これに引きかけおくべし。この器械の直径、一寸ないし一寸五分くらいあれば足れり。これを一寸五分と仮定すれば、一巻きに四寸五分だけを巻き上げらるるなり。この方法によれば、昼間天井へ巻き上げおくも、決して見苦しきことあるべからず。

 

第四 ランプ構造上の改良

 今日、室内に用うるランプの不便なるは、点火の一事なり。火を点ずるごとに、いちいちホヤ〔火屋〕を取りはずさざるを得ざるは、不便極まるように思う。下女らがホヤを多く破るは、大抵この取りはずしの際に起こる。近ごろは、曲がりたる金棒をホヤの上より中に入れて火を点ずる工夫あれども、ただちにマッチのみにて火を点ずることできざれば、やはり不便を免れず。ゆえに余は、ランプの空気を入るる小孔の集まりたる所を改造して、ここに四、五分くらい開き得る窓口を設けたく思うなり。しかして、その窓口には上下に★(講の旧字)をうがちて、開閉自在ならしむるように造るべし。その窓にも小孔をうがちおけば、毫も空気の流通に差し支えなし。かくして、火を点ぜんとするときは、まずその窓口を開き、これよりマッチを入れて火を点じ、点じ終わればその口を閉じおくなり。火を消さんとするにも、その窓を開きてこれより息気を吹き込めば、たやすく消ゆる道理なり。

 

第五 将棋盤の改良

 わが国の碁、将棋は、その工夫はいたっておもしろきものなれども、ただ精神を凝らすのみにて、さらに身体の運動なきは、その一大欠点なりと思う。ゆえに余は、これに運動の元素を加えんと欲し、先年来いろいろ工夫したりしことあれども、思わしき考えもつかざりき。近ごろ将棋盤につき心づきたることあり。そは、盤面を非常に大きくする工夫なり。その大きさ、およそ幅二間、長さ二間半にするをよしとす。かくするときは、ぜひとも室外の地面を利用せざるを得ずと思い、庭前に上図のごとき盤面を造ることを工夫せり。その盤面の界線はすべて煉瓦を用い、その他はタタキ〔三和土〕にすべし。将棋の駒は、盤の大きさに相応するものを陶器にて造りおくべし。その厚さはなるべく高くし、両側に手をかけ得るように造り、一度ごとに両手をもってこれを持ち上げ、思う場所に運ぶようにすべし。盤面の大きさを幅二間、長さ二間半とすれば、その一区画は幅一尺三寸余、長さ一尺六寸余ずつになり、駒の大きさはその大なる方、幅一尺、長さ一尺二寸くらいより、その小なる方、幅五寸、長さ六寸くらいとなるべし。しかして、駒を動かすときには、界線の煉瓦の上を歩して思う場所に運ぶべし。ひとたび運びおわれば、盤面の前後両側に備えたる椅子に腰かけて、つぎの手を案出すべし。かくするときには、知らず識らず身体の運動を助くることを得るなり。ゆえに余は、これを運動将棋と名づけんとす。

 この将棋盤は、世間に広むる第一の手段として、浅草公園のごとき場所に造りて試みてはいかん。世間にて新奇を好む人は、必ずここに入りて将棋を演ずるに至るべし。あるいはまた、将棋の妙手を集めて、勝敗を戦わしむるもおもしろからん。世の将棋好きは、必ず争って見物に出かくるに相違なし。されば、相当の見物料を徴集して、費用を支弁すること難からず。あるいは、意外の収益あるも知るべからず。この将棋ならば、左右両側に桟敷をかけて、多数の人に見せることは自由なり。かくして、試み世の好評を得たる上は、自然に紳士の庭園などに、この将棋盤の設備を見るに至るべし。

 この例に準じて、碁盤も造ることを得べし。されど、碁は時間を要すること将棋の比にあらざれば、余は将棋だけにとどめんと思うなり。

 

第六 黒板の改良

 学校教場用の黒板には種々の造り方あれども、一時に黒板全面をぬぐうがごとき装置あるものを見ず。余が西洋にありて各種の学校を見分し、あるいは石盤にて造りしもの、あるいはガラスにて造りしもの、あるいは皮にて造りしもの等を見たるも、一として板面をぬぐう工夫を設けたるものなし。よって余は、その工夫を考え、左の二種を案出せり。

 その一法は、第一図のごとく黒板を皮にて造り、上下に軸を入れて回転し得るようにこしらえ、イの柄を回すときは、皮が上下に旋転し、その旋転あるごとにブラシに接して、自然に白墨の跡をぬぐい去るように造りおくべし。このブラシは、背後の皮面に密着せるように設けおかざるべからず。あるいは、このブラシの常に水気を含むようにすれば、墨痕をぬぐい去るにおいて、一層便利ならんと思うなり。

 第二の方法は、通常の黒板につきて上下二枚を用い、互いに相代わりて上下し、そのたびごとに互いに相ぬぐい去る装置なり。すなわち、第二図のごとくイ、ロの両黒板を掛け、これをして自在に上下し得るように上方に車を設け、イを下方に引き下ぐるときは、ロは自然にイの背面より上行し、イとロとその位置を転換するようになるべし。もし、さらにロをして下行せしめんと欲せば、車輪を回旋すると同時に、ロは前方に進むべし。このときロを下へ引けば、イはロの背面より上行すべし。かくのごとく、両板互いに交換して上下せしむるなり。しかして、その都度この両板の背面にブラシを付けおけば、必ず互いにぬぐい去ることを得、いちいち人の手をかりて白墨の跡を払うに及ばず。かくするには、上方の車は井戸釣瓶に用うるものと同様の仕掛けにし、自在に前後に回旋し得るように造らざるべからず。かつ、この車を動かすには別に装置を要するも、その工夫のごときは容易なることなり。ただ、ここには要点のみを掲ぐるものと知るべし。

 

第七 算盤の改良

 従来の算盤は加算、減算に便なるも、乗算、除算に不便なり。その不便なる点は、第一に、位取りの間違いやすきこと、第二に、数の大なるものは非常の混雑をきたすこと、第三に、八算、見一の場合には、九九のほかに種々の呼法を記憶せざるを得ざること等なり。余はこの不便を避けんと欲して、上図のごとき算盤を工夫せり。すなわち、従来の算盤を上下に重ね、左右上下四段に区画する方法なり。かくして上下左右の桁の位取りを同一にするときは、洋算の乗算、除算の方法を、ただちに和算の上に当てはむることを得るなり。

 左に乗算と除算に関する一例を挙げて、説明を付記すべし。(その詳細は、普及社発行の拙著『珠算改良案』につきて見るべし)

 例えば、ここに甲乙二数ありて、甲数に乙数を乗ぜんとするに、従来の算法にては、甲数を右位に置き、乙数を左位に置き、左右相みて乗ずるなり。しかるに、余の工夫せる改良算にては、甲数を上右位に置き、乙数を下左位に置きて乗ずるなり。かくのごとき両数を配置して、その乗じたる数を下右位に置くときは、数位の混ずることなく、筆算のとおりに乗ずることを得るなり。例えば、三千五百二十四に七百二十六を乗ずると仮定せよ。しかるときは、七百二十六を下左位に置き、三千五百二十四を上右位に置くこと、第一図のごとし。

 かくのごとく甲乙両数を配置して、その乗じたるものは下右位に配列すべし。その乗法は筆算と同一なるも、余の経験するところによるに、少数(乙数)の方をもって多数(甲数)の方に乗ずるより、多数の方をもって少数の方に乗ずる方、便利なるがごとし。ゆえに、改良算においては、上右位に配置せる甲数の一桁ずつ、下左位に配置せる乙数の方に乗ずることに定む。かくして、一桁を乗じ終われば、その数を払い去り、全体乗じ終われば、上右位の甲数はすべて払い去らるるに至るべし。すなわち、その数を払い去るは、乗じ終われるしるしなり。かくして、乗じ去りたる後には、その数(甲数)を乗ぜんとするも、盤中に見ることあたわざる不都合あれば、別に参考として、あらかじめ上左位に甲数を控え置くべし。

 前図の算式にては、甲数は四桁、乙数は三桁なれば、第一回には、甲数の単位の桁を乙数の各桁に乗じて、その結果を下右位に置き、これと同時に単位の甲数を払い去るべし。すなわち第二図のごとし。第二回には、甲数の十位の桁を乙数に乗じて、これを下右位に前の数と合して置き、これと同時に十位の甲数を払い去るべし。すなわち第三図のごとし。第三回には、甲数の百位の桁を乙数に乗じて、これを下右位にある前数と合して配置し、これと同時に百位の甲数を払い去るべし。すなわち第四図のごとし。第四回には、甲数の千位の桁を乙数に乗じて、これを下右位に置き、かつ甲数を払い去ること前のごとくすべし。すなわち第五図のごとし。そのとき下右位にある数を見て、甲乙相乗の結果を知る。よろしく左の図〔次頁〕に照らして乗法を了解すべし。

  (注意) 第五図の上右位に一数の残るを見ざるは、全体乗じ終われるしるしなり。

 すなわちその結果は、第五図の下右位に見るがごとく、二百五十五万八千四百二十四となる。(図中、下右位の桁の数不足につき、下左位の一桁を借りて二百万の数を記せり)

 この一例をもって他を準知すべし。かくのごとき方法によれば、従来の珠算における不便は、すべて除き去るを得べし。その上に、これを筆算に比して一層の便利なるは、各数を乗じたる後、さらに加算によりて合計する手数を省くことを得る一事なり。今、その比較を示さんために、上に筆算の式を挙ぐべし。

 かくのごとく、筆算にては各数相乗じたるだけにては答案を得ず、さらにその乗数を合計する必要あり。これに反して、改良算にては乗じ終わればただちに答案を得るの便利あり。

 前述のごとく、改良法の乗算における規則は、甲乙両数にありてその数量に相違あれば、数の多き方を甲数と名づけて上右位に置き、これと同時に参考用として、同一の甲数を上左位にも置くべし。数の少なき方は乙数と名づけ、これを下左位に置くべし。これより甲数の一桁ずつ(単位より始むるをよしとす)を乙数の各桁に乗じ、その得たる数はすべて下右位に配置するなり。これと同時に、甲数のうちすでに乗じ終われる桁は、毎度その数を払い去るべし。かくして、上右位の各桁に一数の残るところなきに至れば、下右位に見るところの数、すなわち甲乙相乗の結果なりと知るべし。

 除算の改良法は、すべて八算見一の呼法を廃し、筆算の除法をただちに珠算の上に当てはむる法なり。その法は、ここに甲乙両数ありて、甲数をもって乙数を除せんとする場合ありと定むべし。そのときには、甲数を下左位に置き、乙数を下右位に置き、これを除して得たる数を上右位に置くべし。今、仮に前掲の乗法の数にもとづき、

  甲数を七百二十六と定め、

  乙数を二百五十五万八千四百二十四と定む。

 すなわち、七百二十六をもって二百五十五万八千四百二十四を除すれば、その答えなにほどなるやの一問なり。これを算面に配置すること、左のごとし。

 この算法は筆算のままを応用せるものなれば、別に説明の必要もなかるべしといえども、一言もってその順序を示すべし。

 この除算式においては、甲数と乙数とを対比するに、四回の手数を要するを知るべし。

 第一回の除法は、下右位の千位(は桁)を単位とみなして、二五五八の数を、乙数七二六をもって除することを考えざるべからず。しかるときは、その除し得べき数は四にあらず、二にあらず、三なることを知るべし。よって、三を上右位の千位(は桁)に置き、この三を乙数の七二六に乗じつつ、これを下右位の二五五八の中より減去するなり。その結果は三八〇となりて、第二図のごとくなるべし。

 第二回の除法は、下右位の百位(に桁)を単位とみなして、第二図の三八〇四の数を、乙数七二六をもって除することを考えざるべからず。しかるときは、除し得べき数は五なることを知るべし。よって、五を上右位の百位(に桁)に置き、この五を乙数の七二六に乗じつつ、これを下右位の三八〇四の中より減去するなり。その結果は一七四となりて、第三図のごとくなるべし。

 第三回の除法は、下右位の十位(ほ桁)を単位とみなして、第三図の一七四二の数を、乙数七二六をもって除することを考えざるべからず。しかるときは、除し得べき数は二なることを知るべし。よって、二を上右位の十位(ほ桁)に置き、この二を乙数の七二六に乗じつつ、これを下右位の一七四二の中より減去するなり。その結果は二九〇となりて、第四図のごとくなるべし。

 第四回の除法は、下右位の一位(へ桁)を単位として、第四図の二九〇四の数を、乙数七二六をもって除することを考えざるべからず。しかるときは、除し得べき数は四なることを知るべし。よって、四を上右位の一位に置き、この四を乙数の七二六に乗じつつ、これを下右位の二九〇四の中より除去するなり。その結果、残数なくして、第五図のごとくなるべし。このときは割り切れたる場合にして、全体除し得たる結果、すなわち算術のいわゆる商は、上右位の数を見て知るべし。すなわち、

  答案三千五百二十四

となるなり。右にその図を列挙すべし〔前出第二、三、四、五図〕。

 この場合において、最初の甲数はすでに除し終わりて消滅したれば、さらにその数を知らんとするも、思い出だすあたわざるべし。もし、この不便を避けんと欲せば、最初に参考として、下右位の甲数と同一なる数を上左位に配列し置くべし。しかるときは、前の第一図は第六図のごとくなり、前の第二図は第七図のごとくなり、前の第五図は第八図のごとくなるべし。すなわち右のごとし〔前出第六、七、八図〕。

 この第八図において、甲数と、乙数と、および除し得たる商数との三者が、一目瞭然たるを見る。第六図、第七図および第八図において、上左位の桁の数、十万位にとどまりて、二百万を配置する場所なければ、やむをえず上左位の、り桁にその数を置き、もって甲数の全体を上左位中に配列するを得たり。ゆえに、り桁の二は百万位の二と知るべし。もし、各部位の十二桁ある算盤を用うれば、かくのごとき不都合は起こらざるなり。

 改良乗算および除算には、なおほかに指示すべき方法あれども、すべて普及社発行の『珠算改良案』に譲る。

 この算盤の底板は、石板を用うる方よからんと思いおりしが、後に聞くところによれば、石板の工夫はすでにほかの人にて試みたるものありしといえり。もし、底板に石盤を用いざるならば、上下の間に蝶番を付けて、畳めるようにするを便なりとす。

 

第八 算盤の上に言語を記する法

 算盤の上に言語を記する法は、先年工夫して、『記憶術』と題する拙著の巻末に掲げしことあり。その後、改良算盤を案出して、より一層の便利を得たり。

 珠算の上に言語を記する法は、これを実行するに当たりて、第一に要することあり。すなわち算盤の改良これなり。この改良とは、算盤の蓋の上面をガラスにて作り、もって蓋をおおいあるも、上より珠を見らるるようにせざるべからず。また、そのガラス板の内側に細き横木を付して、蓋をおおいしときは、その盤を動かすも、珠の位を変ぜざるようになさざるべからず。かくしてその方法は、まず五十音を数に配当し、五十音は十行五字ずつより成るをもって、その十行を一より十までに配当し、その五字もまた一より五までに配当するなり。すなわち上図のごとく、ア行は一、カ行は二、サ行は三、タ行は四、ないしワ行は十なり。また、アは一、イは二、ウは三、エは四、オは五なり。カは一、キは二、クは三、ケは四、コは五なり。その他はこれに準じて知るべし。しかして、この行数を表示するところの数はこれを行位数といい、各行の字を表するところの数はこれを字位数といい、すべて五十音中の一字を表するに、算盤の二桁ずつを当つ。

すなわち、二桁をもって一字を表する割合なり。この二桁の左方を十位とし右方を一位となすときは、十位の所に行位数を置き、一位の所に字位数を置き、二位相合して一字を示す方法なり。例えば、「カミ」(紙)なる二字を算面に表さんとするときは、四桁を用い、二一、七二となるがゆえに、甲図のごとく、左方の端より一桁ずつ右方にかぞえ送るべし。また、「ショモツ」(書物)なる四字を表さんとするときは、乙図のごとく、三二、八五、七五、四三となるをもって、八桁を用いざるべからず。右のごとくして、算盤の桁数の大なるほど、長語を表することを得べし。その他、なお注意すべきことは、すなわち濁音を表す方法にして、この場合には、字位数に上の五珠を加うるものとす。半濁音の場合もまたしかり。その詳細は、拙著『記憶術講義』につきて見るべし。

 

第九 漢字を活字に組む法

 漢字の不便なる点は、活字の数を減ずることあたわざるにあり。現今、普通に用うる文字だけにても三千字以上ありという。三千字の中よりいちいち要するところの文字を拾い出だして活版を組むは、非常の労力と時間とを費やさざるを得ず。よって余は先年来、漢字を分解して活字を組み立つる法を案出し、これを世間に発表したることありしも、ついに行われずして終われり。爾来さらに工夫を凝らせしも、別に良法を思い出だすに至らざりき。今、その要領を述ぶれば、漢字中に単字と複字の二種ありて、複字は二、三の単字を複合して成るものなり。もし、単字のみの活字を用い、これを組み合わせて複字を作るに至らば、今日用いきたれる三千余の活字は、たちまち五、六百字に減ずるを得べし。唯一の不便は、文字の形が見苦しくなるというにあり。余の工夫せる方法種々あるうち、今その一法を挙ぐれば、和漢の文章は縦読み文にして、上より下へ読み下するように記するを常とす。ゆえに、複字はすべて上下に重ぬるようにせざるべからず。しかるときは、従来の「偏」と名づくる分は、すべて下方に置くことになるべし。例えば、「松」の字は活字の方にては「枀」となり、「海」の字は活字の方にては「★(毎+水)」となるの類をいう。この方法によれば活字の数は非常に減ずるも、ただ従来の習慣上、形の見苦しくなるために行われ難きのみ。

 

第一〇 漢字のタイプライターにつきて

 欧米諸国にては、近来、タイプライター大いに流行せるも、わが国にてはその流行なきは、漢字のタイプライターなきによる。しかるに、漢字はその字数非常に多くして、タイプライターを作ること非常に困難なり。ゆえに、余は漢字のタイプライターを工夫せんと欲し、種々の腹案あるも、元来器械学を知らざる上に、その工夫極めて精巧なる器械を要するをもって、とうてい独力のなしあたわざるところなるを知れり。もし、その学にくわしくかつ資産あるものあらば、ともにはかりて余の腹案を実地に試みたく思うなり。よって、ここにただ余の所望を述べて、自ら世間にそのことを紹介するのみ。

 

第一一 額面の改良

 額面はこれを掛物に比するに、その不便なる点二つあり。一つは、額面は掛物のごとく巻くことできず、したがって転居等の節、運搬上はなはだ不便なり。二つは、掛物のごとく吉凶に応じ、あるいは四季に応じて、掛け替うること難き一事なり。余、この二不便を避けんために、右のごとき新案を工夫せり。その法は、額面のフチをワクに組み立て、不用のときにはワクをくずして巻くことのできるように造るなり。しかして中間の部分は、掛物のごとく裏打ちだけしたるものを用うべし。今、便宜のために中間の部分を額身と名づけ、周囲のフチを額縁と名づけて説明するに、額身を引き張るためには、その上下の両端に紐をつけ、上端の紐は上縁を貫き、下端の紐は下縁を貫き、背後においてこの二者を交結しおくべし。なお、そのほかに風の予防と装飾の意味とを加え、下縁を貫きたる紐に連続して、左右に二個の懸錘を付け、その下にフサを垂れしむる工夫を用うるをよしとす。すなわち、図面につきて見るべし。もし、これを巻かんとする場合には、まず紐を解き、上下の縁を軸として巻き付くるようにすべし。その見込みにて、あらかじめ上下の縁は円柱にし、これに左右両縁の柱を差し込むように造りおくを便なりとす。よろしく図面に照らして考うべし。

 

第一二 長持の改良

 いずれの家にても、一とおりの家具を有する者は、長持を所持せざるはなし。長持は、夜具、蒲団のごときものを入るるに最も便利なるものなり。されど、ここに一つの不便は、多く物を入れたる場合には、その底に何物がありしやを知ること難きにあり。そのほかに、蓋の上にいろいろの物を載せ置く場合に、いちいちこれを取り除かざれば、箱の中の物を取り出だすことあたわざる不便あり。余はこの不便を避けんために、長持の側面に引き違いの二枚戸をつけて、あたかも戸棚のごとき装置を設くることを思い出だせり。されば、いちいち蓋を開くを要せず、側面の戸を開けば箱の底にあるものを知るのみならず、自在に入用のものを取り出だすことを得るなり。もし、出だすことあたわずとするも、底にあるものをうかがい見ることを得ば、いくぶんの便利あるは明らかなり。余は長持を見るごとに、この装置の必要を感ぜざるはなし。

 

第一三 夏戸の改良

 従来、世間にて用いきたれる夏戸は、葦簀を入れたる簾戸にして、風の流通自在なれば、暑中に最もよし。田舎にて、富有の家には襖と簾戸と両方を備えおき、冬は襖を用い夏は簾戸を用いて、寒暑ともに便利なり。しかるに、余はさらにこれを改良して、夏時には簾戸の代わりに蚊帳戸を用いんと思うなり。すなわち、戸骨の間へ葦簀を張る代わりに、蚊帳を張る工夫なり。かくするときは、風の流通よろしきのみならず、蚊の襲来を防ぐことを得べし。例えば、夕刻室内の蚊を追い払いて四面の蚊帳戸をしめおけば、終夜蚊帳なしに眠ることを得べし。ただし、その戸に用うる蚊帳は白色をよしとす。このごろ、そのことをある技師に語りたれば、すでにその工夫はできおれりという。されば余はさらに進んで、襖の改良を実行せんと欲す。

 

第一四 襖の改良

 夏戸の改良法により、余はさらに襖を改良して、冬夏共通両便のものとなさんとす。この法は、襖の戸骨を上図のごとくに造り、イロハニの各段に額面体の襖張りをはさみ込み、これを冬時に用うべし。しかして、夏時には襖張りの方を抜き取り、その代わりに蚊帳張りの方をはさみ入るべし。つまり、イロハニに相当する額面体のもの各二とおり(一とおりは襖張りにて冬時用、一とおりは蚊帳張りにて夏時用)ずつこしらえおき、冬夏ごとに入れかうるなり。しかして、戸骨の方は一とおりにて足れり。

 かくするときは、襖の模様あるいは張り画を、ときどき取りかうることを得るの便あり。例えば、吉事あるときには吉事相当のものを用い、凶事あるときには凶事相当のものを用い得るなり。もしまた、額面体の襖張りを幾とおりもこしらえおけば、吉凶に応じてのみならず、四季に応じて相当のものを用うることを得るの便あり。

 

第一五 ガラスを曇らする法

 ガラス張りの障子を、ときにより曇らせたきことあり。しかるときは、なにびとの思い付きかは知らざれど、普通の糊をハケにてガラス板に塗りつくれば、たちまち曇りガラスに変ずるなり。余は糊の代わりにシャボンを用うるに、同様の効力あり。しかしてシャボンの方は、これをふきとりてもとのままにするには、糊よりも容易なり。

 

第一六 即座にろうそく立てを作る法

 あるとき哲学館内において、百名以上の来賓を洋食にて饗応せしことあり。その食事夜分にまたがり、点灯の用意必要なりしも、ランプの準備なければ、やむをえず西洋ろうそくを用うることに定めたり。されど、ろうそく立ての用意なければ、余が工夫にてビールの空きびんを代用せんと思い、これを試みたるに、大いに喝采を博せしことあり。西洋料理のテーブルには、ビールびんはその大きさも高さも、最も適しおるように覚ゆ。

 

第一七 鼠を捕る法

 昨年中、東京において、懸賞をもって捕鼠器の新工夫を募りしことあり。そのとき、余も応募者の一人に加わらんと欲して果たさざりき。今、その腹案を述ぶれば、従来の捕鼠器の欠点は、その装置のあまりに狭小なるにあり。ゆえに余は、大仕掛けのものを用いんと欲せり。されど、新たに大仕掛けのものを造るは多分の費用を要するをもって、米櫃または戸棚を利用するを便なりとす。例えば、米櫃の側面に鼠の出入りに適する窓口を開き、これに揚げ蓋を付け、その蓋は鼠が櫃の中に入ると同時に、鼠の重量によりて自然に落ちきたり、もって窓口をふさぐように造るつもりなり。すでに鼠の櫃の中に閉じこめられたるときは、さらにその窓口の所へ袋を結びつけ、窓を開きて鼠をこれに入るるようにすれば、捕らうること容易なり。また、戸棚の戸にこれと同様の装置を付くるもよろしからん。これ、余が捕鼠器の腹案なり。これをほかの捕鼠器に比して特色を有する点は、米櫃、戸棚をそのまま適用することと、鼠の重量を利用することとにあり。

 

第一八 室の天井を掃除する工夫

 近来ペスト流行して以来、縁の下はもちろん、天井の裏までときどき掃除する必要あり。ことに鼠の死体は、天井裏に見出だすこと多かるべし。されど今日の構造にては、天井裏をのぞくこともはらうこともできざれば、今後は構造の上に改修を加えざるべからず。余の工夫にては、天井の構造を改め、従来のごとくすべて釘にて打ちつくることをやめて、畳一枚敷きくらいの間は取りはずしのできるようにし、いつにても天井裏を掃除し得るように造りおきたく思うなり。例えば、仮に八畳敷きの一室ありと定め、その天井を左図のごとく造りおかば、自在に掃除し得るなり。

 甲図にても乙図にても、その天井の割り方は畳に相応するように造り、畳八枚敷きなれば天井も八区に分かち、その一区は畳一枚に相対するものとし、各区ともに取りはずしのできるように造りおけば、いつにても天井裏を掃除することを得る道理なり。かくするときは、各区の間にわたれる横木は通常よりもいくぶんか太くし、それだけは動かぬようにいたしおくべし。

 この構造法は、今後新築せる家屋にことごとく当てはむるに至らば、ペスト予防には最もよろしからんと思うなり。ひとりペストのみならず、一家の衛生に非常の効力あるべしと信ず。これまで民家にて行いきたれる冬夏二期、すなわち盆暮れ両度の煤払いに、今後もし天井裏までも掃除するようにならば、はじめて真の煤払いができるなり。今日のごとく畳の下は掃除しても、天井裏はそのままになしおくは、煤払いの一半を行いて一半を怠りたるものといわざるべからず。

 天井の構造をかくのごとく改むるときは、鼠を捕るには大いなる便利を得べし。鼠は多く天井裏に住するものなれば、捕鼠器をその中に入れ置かば、家中の鼠類を絶滅することも難からざるべし。

 

第一九 室内を暖むる法

 ストーブは西洋家屋に適するも、日本居室に適せず。ことに六畳敷きや八畳敷きくらいの小室にストーブを置き、煙管を用いたるときは、その不便一方ならず。ゆえに余は、日本居室に適するストーブを工夫せんと思うなり。愚考にては、炬燵の構造を改造するを最もよしとす。その法は、ストーブを炬燵の形に作り、炬燵の場所に置き、煙筒は炬燵の下より縁の下を通して戸外に出ずるように設置するなり。例えば、四畳半のごとき小室にても、その中央に一尺四寸角くらいのストーブを造り、その煙は縁の下を通りて外に出ずるようにすれば、あたかも炬燵を設くると同様なれば、さらに不体裁に見ゆることなかるべし。もし、夏時にてストーブを要せざる時期になれば、これを除きてそこを畳にておおえば、普通の四畳半となるべし。

 これ、日本家屋に最も適する設備なりと信ず。もし、その構造上における体裁、風致に関しては、さらにその専門家の工夫をまつべし。

 

第二〇 水を用いずして火を消す法

 ある地方にて、火災のときに水の代わりに砂を用いて火を消す所あり。余、これを試むるに、果たして効あり。よって、鎮火用心のために砂を蓄え置くをよしとす。世間にては平日手桶に水を入れて、これを戸外に置き、もって鎮火の用に備うる所あれども、その水たちまち腐敗して衛生の害となる恐れあり。もし、水の代わりにバケツの類に砂を盛りて戸外に置かば、さらにその恐れなし。また、必ずしもバケツを用うるを要せず。屋敷の一隅に砂を積み立てて置けば、火急の場合に、水を井戸よりくみ上ぐるよりもたやすく運ぶことを得べし。

第二一 船に酔わざる法

 人の船に酔うは全く神経より起こることは明らかにして、無神経の小児や動物の知らざるところなり。ゆえに、精神を静止する方法を工夫すれば、船病を避くることを得べき理なり。すなわち、その要は精神をして不動の地に置かしむるにあり。しかして、身体は船中にあるをもって船体とともに動揺せざるを得ざれば、なるべく身と心とを別所に置くことを努め、身は動揺の地位にあるも、心は不動の地位にあるものと観念せざるべからず。よって、まず思想上に一大宇宙の大球円の体ありと想定し、日月星辰、地球山川、みなその体中の一隅に現見せるものに過ぎずと確執し、わが心はその中心なる不動の点にありて、諸星の運行、諸物の動揺を局外より歴観するものと信念すべし。例えば上図につきて、甲を宇宙全体とし、乙をその中心としてこれを論ずるに、船に乗り込みたるときはただちに平臥閉目して、身体は海面の船中にあるも、精神は飄々として高くあがり、宇宙の中心なる乙点に位置を占め、地球の回転、船体の動揺を傍観座視するものと思い、そのことを専心一意に観念すべし。しかるときは、その心をして動かざらしむることを得、かつ、船に酔わざることを得べし。

 この法は、船に乗り込むとき、にわかに実行するもその効少なかるべきをもって、船に弱き人は、平常、哲学的観念法としてこれを実習すべし。しかるときは、その効験あるや、古来俗間に行わるる諸法の比にあらざるなり。その上に、この法は船の酔いを避くるに必要なるのみならず、人生を渡るに万事につきて必要なり。これ、余が自ら実験せるところなり。

 

第二二 少食にて腹を満たす法

 先年、大阪に絶食仙人ありと聞きて、これを取り調べたることあり。最初の風説には、この仙人は全く三度の食事を廃し、ただ空気のみ吸入して生活しおるとのことなりしが、よくよく聞きただしてみるに、全く絶食したるにあらず。三度の食事の代わりに、一種の練り薬を少量ずつ用いいたりとのことなり。その練り薬は詳しく知るを得ざりしも、ほのかに伝聞するところによれば、胡麻と餅米と蒿麦との三種を、粉にして練りたるものなりという。その後、これを医師に話せしに、医師の説に、「この三種を合して団子を作り、これを食用にすれば、極めて少量にて足るべし」という。余、いまだ実地に試みざりしも、すでにこの団子だけにて数年の間生活したるものある以上は、これを食用に当てて差し支えなき理なり。よって思うに、さらにその製法に工夫を凝らして、これを軍事用にしてはいかん。わが国の米飯は、かさばりたるうえに腐敗しやすければ、行軍の際、携帯に便ならず。この不便を避けんためにビスケットの大形なるものを用うるも、腹にこたえる点においては、胡麻入りの団子の方、かえって菓子パンより便ならんと思わるる。ゆえに、もしこの製法を研究して、これによりて菓子パンのごときものを造るに至らば、軍事上大いに益するところあるべし。

 

第二三 肺病を予防する法

 近来、肺病は一年増しに蔓延し、青年有為の士のこれがために倒るるもの、その数を知らず。ゆえに、これを予防する方法を工夫するは、実に今日の急務なり。先年、原坦山翁、余に語りて曰く、「肺病を医するは座禅にしくものなし」と。翁は惑病同源論の主唱者なれば、その言ことごとく信ずべからずといえども、いまだ肺病と称するまでに至らざるものは、座禅によりて多少これを予防することを得るは疑いなきがごとし。その後、余はさらに一考し、禅家の座禅と、道家の調気と、儒家の静座とを折衷して、しかもこれに今日の衛生法を加え、もって一種の吸気養生法を案出するに至らば、肺病を防ぐの一助となるに相違なしと思い、自ら試みんと欲していまだ果たさざるなり。されど余は、夜分深更まで読書あるいは筆硯に従事せるときには、必ず吸気運動を行って寝に就くを常とす。その結果なるかいなやは知らざれど、先年ひとたび肺患の恐れありしも、昨今さらにその気味なし。ゆえに、この法は青年書生をして一般に行わしめんと欲するなり。

 道家の調気法は、呼吸深く丹田に入るを要すとありて、丹田は下腹の臍下一寸三分の所なりという。すなわち、下腹に力を込めて深呼吸をなすなり。これに加うるに導引の法あり。導引とは独り按摩のことにて、自身にて按摩を行うなり。しかるに余は、導引の代わりに左右両肩および両腕を上下に運動せしめて、深呼吸を行う。自らこれを名づけて吸気運動法という。しかして、これを行う時間は夜中寝に就く前をよしとし、十分ないし二十分間にて足れりとす。余はなお、この法につきて工夫を凝らさんと思うなり。幸いに世の肺患を恐るる人は、自らこれを試みられんことを望む。

 

第二四 貧生、学資を得る法

 余は、今日貧生にして就学の道を求むるもの非常に多きを見て、種々工夫の末、一案を考出せしことあり。その考案は同郷の親戚、知己に補助を請うことなるも、今日にありては、ただ口にて補助を請うのみにては、よほどの篤志家、慈善家にあらざる限りは、その請いに応ぜざるは明らかなり。ここにおいて余は、補助給与のごとき慈善的にあらずして、一種の貸借法によらんとす。すなわち、修学年限間の学資を親戚、知己の中より借り受けして、成業ののち幾年かの間に返済することを契約する法なり。その契約は、あるいは実行し難き恐れあり、また成業に至らずして半途にて死亡する恐れあり。これらの恐れを防がんために、本人の生命を保険する方法を設くるなり。

 今、その方法の要領を述ぶれば、親戚、知己の中より三年ないし四年間の学資を借り受けするときは、これと同時に、その金額に相当あるいは二倍する保険金を約し、本人いつ死するも、その保険金は必ず貸し主に渡すことに契約すべし。もし、年限を期する必要あらば、有限掛け金の方法を用うべし。さすれば、貸し主はその支出せる学資を失うことなく、必ず一度は、その全金もしくはこれに二倍せるものを受け取ることあるべし。ただ、その人の寿命の長短によりて、多少の損得は免れ難し。もし、短命にして修学の半途に死するときは、貸し主はいまだ金額を貸与せざるに、すでに二倍の利益を得べく、もし長命によりて卒業後数十年も存命しおらば、たとい二倍の返金を得ても、利息を推算すれば多少の不利益となるべしといえども、貸し主は己の貸与したる学資の成功を見たるものなれば、自然に無形上の利益のこれに伴うべきをもって、あながちに損失というにはあらざるべし。もとより、かかる場合の貸し主は、ただ有形の利益のみを見るべきにあらずして、一分慈善の意をもって尽くさざるべからず。また、その補助を受けたる借り主は、貸し主の恩義に対して感謝の意を有せざるべからず。ゆえに余は、かくのごとき貸借法を恩義貸借法と名づけ、その貸し主を恩貸主と呼ばんとす。

 以上の方法は、実例を設けて説明するにあらざれば、了解し難き恐れあり。ゆえに余は、己の監督せる哲学館につきてその例を示さん。哲学館は中学以上の学科を教授する学校なれば、年齢満十六、七、八歳より入学し、在学三年間にてその専門部を卒業すべし。されば、一年間の東京留学費を百二十円ないし百五十円と定むれば、三年間にて、三百六十円ないし四百五十円を要する割合なり。今、これを四百五十円と予定し、家貧にして父兄の力よくその金を支出することあたわざれば、親戚、知己の力をかり、余がいわゆる恩義貸借法によりてこれを支弁せんとするに、もし一人にて全額を出金するものなき場合には、仮に有志十二人ないし十三人に請うて毎月一円ずつ出金せしめ、これに対して修学者自身の生命を保険し、その金高は学資金の二倍すなわち九百円と定め、本人の死亡せる場合には、この九百円を恩貸主の十二人もしくは十三人へ分配して、学資債を返済する方案なり。

 保険金九百円に対する保険料は、会社により一準ならずといえども、もし父兄が己の子弟を恩義貸借法によりて教育せんと欲せば、十五歳のときより当人の生命を保険しおくを便なりとす。しかして、十五歳のときの保険料は諸会社の割合を平均するに、毎年十三円五十銭前後の掛け金をなせば足れりとす。たとい家貧にして四百五十円の学資金を支出する力なきも、毎年十三円五十銭(毎月一円十三銭の割)くらいを出金するは容易なるべし。かくして、満十八歳より東京にて修業し、二十一歳卒業期までに三年間有志の貸費(総計四百五十円)を受け、卒業ののち幾年の間に必ず全額返済することに定め、もし返済できずして死亡する場合には、保険料九百円をそのまま恩貸主へ渡すことに契約しおくべし。

 保険料終身払い込みにては不都合なる場合には、十年あるいは十五年の年月を限り、いわゆる有限掛け金の方法を取るべし。そのときには、保険料の割合いくぶんか増加するのみ。諸会社の表に照らすに、有限掛け金の十五年払い済みに対する一年間の保険料は、およそ二十三円七、八十銭の割合なり。かくして、十五年を経過すれば、その以後は一銭一厘の払い込みをなさずして、いつ死するも九百円の保険料を得るはもちろん、万一その期限内に死するも、同一の金額を得らるるなり。もし、本人が幾年の間に恩貸主に対して学資を返済し得たる場合には、その保険金全額は本人の所有に帰すべく、もし返済しあたわざる場合には、恩貸主の所得となるなり。

 

第二五 学資無尽の方法

 前述の方法は少数の恩貸主を設くる方法なるも、あるいは多数の恩貸主を設け、世のいわゆる無尽と生命保険とを結び付くるも、また一案なるべし。余はこれを学資無尽と名づけんとす。その方法は、父兄たるもの、その子弟年齢十五歳に達するときは、九百円の生命保険をなし、これと同時に多数の有志を集めて無尽講を組み立つるなり。その無尽の一回の取り高は四百五十円とし、第一回に集まりたる現金全額は本人の学資金として積み立つることとし、第一回の当籤者は第二回のときにその金を得、第二回の当籤者は第三回に得るものとし、かくのごとく次回送りにするときは、最後の当籤者は現金を得ることあたわざるに至る理なり。しかるに、この当籤者は、まさしく余がいわゆる恩貸主に当たるものにして、生命保険金の九百円を得るものなり。この方法によらば、十五歳のとき、すでに学資金四百五十円を積み立つることを得。もし、この金を七分利に算すれば、二十一歳卒業のときまでに、利息だけにても二百円となるべし。されば、毎年の保険料をその中より支払って、なお多分の剰余金を積み立つることを得る割合なり。また、最後の当籤者は本人の死去をまつにあらざれば、己の手に現金を受け取ることあたわざるも、もし有限掛け金の方法によらば、十年ないし十五年の後には、その保険証書を抵当として、金円を借り入るることを得る方法ありという。あるいはまた、最初積み立てたる四百五十円に対する利息は、最後の当籤者の所得とする規則を設くるも一策ならん。もし、無尽の満期に至らずして本人死亡するときは、保険金九百円はこれを無尽の組合にて保管し、最後当籤者の所得に帰するものとすべし。かくすれば、最後当籤者に限りて不利益なるの恐れなかるべし。

 以上の方法を約言すれば、左の三条に帰すべし。

一、子弟を教育するに当人の生命を保険すべし。

一、生命保険に伴って学資を貸与すべき有志者を募り、これに対する返済法は保険金をもってすべし。

一、もし、一時に学資金全額を積み立てんとするときは、生命保険のほかに無尽を組織し、しかして保険金は無尽組合の所有とすべし。

 

第二六 貧生、食費節減法

 貧生にして一日の食費を減ぜんと欲せば、三度の食事を減じて二度にする習慣を作るべし。西洋にて俸給の少なきものは、多く二食にて日を送るという。日本にても律僧はみな二食なり。余は律僧のゆえにあらず、また減費のためにあらざるも、繁用の場合には一食を廃することあり。しかして、自らさらにひもじきを覚えず。ゆえに余は、格別労働する人にあらざる以上は、だれにても三食を二食に減ずることを得べしと考うるなり。もし、朝食を廃せんと欲せば、晨起の後、葛湯一椀くらいを用いおくべし。しかして、昼食は十一時、晩食は七時くらいに定むべし。もし、昼食を廃せんと欲せば、朝食を九時、晩食を六時くらいに定むべし。しかして、一時ごろ葛湯を用いても可なり。かくのごとくするときは、一食につき五、六銭ずつを要するものならば、一カ月一円五十銭くらいを減ずるを得べし。

 

第二七 遊戯改良第一、戦争将棋

 余、先年より遊戯の改良を計画し、種々工夫の結果、まず戦争将棋なるものを案出せり。これ、先年すでに世に発表したりしも、さらに左にその方法を指示すべし。

第一条 この将棋を戦争哲学将棋と名づけたるは、『戦争哲学一斑』と題する書によりて組み立てたるによる。ゆえに、その意を了解せんと欲せば、必ずまず『戦争哲学一斑』を一読すべし。

  『戦争哲学一斑』には、戦争の要素を分類して有形的を十種とし、無形的を十種とし、都合二十種となしたるも、この将棋においては、有形無形各九種となす。これ、従来の将棋盤に適用するによるのみ。ゆえに、『戦争哲学一斑』の人数と体格とを合して兵士となし、知慮と謀略とを合して知謀となす。

第二条 すべて将棋は、盤と駒との二種より成る。今この将棋も、その二者をもって組み立て、盤は普通の将棋に異なることなし。駒は黒赤の二色に分かち、これを黒票、赤票と名づく。これ、敵と味方とを区別せんためなり。まず左に、黒赤両票の名称を示すべし。

有形的

一、天時(天)   二、運便(運)   三、編制(編)

四、軍器(器)   五、兵士(兵)   六、習練(習)

七、軍律(律)   八、資糧(資)   九、地利(地)

無形的

一、熱情(熱)   二、服従(服)   三、耐忍(耐)

四、明察(明)   五、知謀(知)   六、勇気(勇)

七、果断(果)   八、正義(正)   九、親愛(親)

  この有形と無形とを区別するため、票面の一隅に○と×との符を付記す。○符は無形を表し、×符は有形を表するなり。

第三条 票数は有形無形合して十八個、これに黒赤二種あるをもって総計三十六個なり。その盤面に配置する順序、左図〔次頁〕のごとし。図中、★(字を□で囲ったもの)は黒票を示し、★(字を○で囲ったもの)は赤票を示すなり。

  この諸票中、兵士は有形要素中の中心にして、知謀は無形要素中の根本なり。ゆえに、この二者は普通の将棋の王将に当たる。また、軍器と資糧とは有形中の最も重要なるものにして、服従と勇気とは無形中の最も大切なるものなり。ゆえに、この四者は普通将棋の金将、銀将に当たる。

第四条 左に〔第二図〕、盤面の各位に数号を記入して後の説明に便にす。すなわち、黒票は甲乙両段に配列し、赤票は辛壬両段に配列す。よろしく第一図を参照すべし。

第五条 票に黒赤二種あるほかに、常票、変票、転票の三種あり。常票は最初盤面に配列せるものをいい、変票は機に臨み変に応じて票面の一変するをいい、転票は進んで敵地の列内に達したるものをいう。

常票は票の表面をもってこれを示し、文字そのものの黒く、もしくは赤く出ずる面をいう。

例えば天時あるいは地利のごとし。

変票は票の裏面をもってこれを示し、文字そのものの白く出ずる面をいう。

例えば天時あるいは地利のごとし。

転票は、二票を上下に重ねて複票となりたるものをもってこれを表す。

例えば天時を単票とすれば、転票はなににても己の手に取りたる票をその下に加えて、★(天時を二つに重ねたもの)のごとく二重にしたるものをいう。

常票は、単に黒票、赤票と呼び、変票は黒変票、赤変票と呼び、転票は黒転票、赤転票と呼ぶ。もし、転票の変票となりたるときは、これを黒転変票、白転変票と呼ぶ。

第六条 これより、まず常票の運動を示すべし。すべて票の運動を、運行あるいは運票と名づく。

常票は、前一方、左右二方、都合三方に向かいて一段ずつ運行することを得るなり。その前に動くを進行と名づけ、左右に動くを横行と名づく。

例えば、常票(赤)庚五にありとするときは、その動くや己五に進行するか、しからざれば庚四もしくは庚六に横行することを得。あるいは、もし常票(黒)丁二にあるときは、戊二もしくは丁一もしくは丁三に運行することを得るなり。しかして、常票は一変して転票とならざる間は、後方に向かいて却行することを得ず。

第七条 かくして、黒赤両票各前方に向かいて相進み、互いに衝突するに至らば、敵票を一個ずつ飛び越すことを得。これを票の飛行と名づく。ただし、左右両方に向かいて飛び越すを得ず。また、二個相連なれるを飛び越すを得ず。しかして、飛び越されたる票はこれを盤面より除き去るべし。

例えば、赤票進んで己五より戊五に達し、黒票動きて丙五より丁五に至るか、あるいは丁四より丁五に移るときは、赤票は黒票一個を飛び越えて丙五に転じ、これと同時に、その飛び越えたる黒票を盤面より除き去るなり。ただし、丙五の場所に他票の存するあれば飛び越すを得ず。しかるに、もしその場合において丁五および乙五に黒票ありて、丙五と甲五とに無票なるときは、赤票は一度に甲五まで飛び越えて、二個の黒票を同時に盤面より除き去るべし。以下、これに準じて知るべし。

第八条 つぎに変票は、戦争に常道、変道の二種あるの道理にもとづき、機に臨み変に応じて変計奇策を用うる意を示すものなり。すなわち、その法は常票にて不利、不便を感ずるときに、票の裏面を出だして変道を用うることを示すなり。

  変票は前両隅に向かいて一段ずつ進むことを得。これを角行と名づく。ゆえに、常票変じて変票となれば、正面および左右両方へ進行横行するを得ずして、前両隅に角行するを得るなり。

   例えば、赤票進んで戊七に達するとき、丁七、丙七に黒票ありて、正面に向かいて進むを得ざるがごとき場合には、赤票たちまちその裏面を翻して変票となり、もって丁六もしくは丁八に向かいて進むことを得。かくして、すでにひとたび変票となれば、また丁七、戊六、戊八に向かいて動くを得ず。しかるに、もしまた変票の不便を知るに至らば、さらに一変して常票となるを得るなり。

第九条 変票も、常票のごとく敵票を一個ずつ飛び越すを得。ただし、前両隅の角線に限る。

  例えば、赤変票の戊七の位置にあるとき、丁六もしくは丁八に黒票ありて、丙五もしくは丙九に無票なるときは、その票は黒票一個を飛び越えて、丙五もしくは丙九に転じ、その飛び越えたる敵票を盤面より除き去ること、すべて常票に異ならず。もしまた、これと同時に乙四および乙八に各黒票一個ずつありて、甲三および甲七に無票なるときは、赤変票は一度に二個を飛び越えて、甲三もしくは甲七に達することを得。しかるときは、その飛び越えたる二個を盤面より除去すること、常票の場合に同じ。

第十条 常票一転して変票となり、変票また一変して常票となるときは、そのとき一度、運票を休まざるべからず。

   例えば、赤票庚一にあり、黒票己二にありて、戊三に無票なるときは、赤票は黒票を飛び越えんと欲して、一変して変票となるも、ただちに戊三まで飛び越すを得ず。すなわち、赤票庚一の位にありて変票となれば、運票の順番は黒票の手に移るなり。変票の常票に転ずるときも、これに準じて知るべし。

第十一条 つぎに転票は、その運行大いに自在を得て、進行横行のほかに、また却行することを得。まず、常票の転票となりたるものについてこれをいわば、前後左右の四面ともに、各一段ずつ進退運動すること得るなり。

   例えば、転票乙五の位にあれば、甲五、乙四、乙六、もしくは丙五に向かいて動くことを得。

第十二条 また転票の飛行は、左右前後の四面に向かいて敵票一個ずつ飛び越すことを得。

   例えば、赤転票乙五の位にありて、丙五もしくは乙四に黒票あり、しかも丁五および乙三に無票なるときは、赤転票は丙五を飛び越えて丁五に至り、もしくは乙四を飛び越えて乙三に至ることを得。もしまた乙四、丙三、丁二、丙一に黒票ありて、乙三、丁三、丁一、乙一に無票なるときは、乙五の位にある転票は一個ずつ飛び越えて、一度に乙一に至ることを得。かくして、一度に数個の敵票を盤面より除き去ることを得るなり。

第十三条 もしまた、転票一変して変票となり、あるいは変票一転して転票となりたる場合には、前後左右の四面に向かいて直線に運行および飛行することあたわざるも、四隅の角線に向かいて運行および飛行することを得。

   例えば、転変票丙五にあるときは、乙四、乙六、丁四、丁六の四隅中、いずれに運行するも随意なり。もし、そのとき乙四、乙六もしくは丁四、丁六に敵票ありて、甲三、甲七もしくは戊三、戊七に無票なるときは、丙五の転変票は甲三、甲七、戊三、戊七のうち、いずれに飛行するも随意なり。もしまた、乙四、乙二、丁二に各敵票一個ずつありて、甲三、丙一、戊三に無票なるときは、丙五の転変票は三個の敵票を飛び越えて、一度に戊三に達するを得るなり。

第十四条 つぎに、勝敗の分かるるは左の条件によりてこれを定む。

 (一) 敵味方のうち、兵士と知謀との二票を失いたるものを敗とす。

 (二) 兵士と知謀との二票なお存するも、軍器、資糧、勇気、服従の四票を失いたるものを敗とす。

 (三) いまだ以上の諸票を失わざるも、有形の諸票(九個)もしくは無形の諸票(九個)をことごとく失いたるものを敗とす。

第十五条 以上、すでに運行、飛行の方法および勝敗の結果を示したれば、これより、特殊の規則につきて述べざるべからず。その一例は、黒赤二票互いに進んで衝突する場合には、敵票を飛び越すか、しからざれば他方に向かいてこれを避けざるべからず。しかれども、もし飛び越すことものがるることもあたわざる場合には、その位置にとどまりて可なり。

   例えば、丁九、丙九の両所に黒票あり、己九、庚九、辛九の三所に赤票ありて、ほかに余票なしと仮定せよ。そのとき己九の赤票進んで戊九に至り、黒票と衝突するときは、丁九は戊九を飛び越すか、しからざれば丁八に向かいてこれを避くるか、二道中の一を選ばざるべからず。決してその位置にとどまるを許さず。かくして、黒票飛んで己九に至れば、庚九の赤票と衝突すべし。ゆえに、庚九の赤票は庚八に向かいてこれを避くるか、己九を飛び越えて戊九に達するかを選ばざるべからず。もし、丁八もしくは庚八に余票あるときは、ほかに遁路なきをもって、ぜひとも前方に向かいて飛行せざるを得ず。あるいは、さらにこれを例するに、甲九、甲八に黒票二個あり、丙九、丁九、戊九に赤票三個ある場合に黒票を取り除かんと欲するときは、丙九の赤票を進めて乙九に至らしむべし。しかるときは、甲九の黒票はほかに遁路なきをもって、乙九を飛び越えて丙九に至り、ついに丁九の飛び越すところとなりて、盤上より除去せらるるなり。あるいはまた、甲九に赤転票あり、丙七に赤票一個ありて、甲六、甲七、甲八に黒票三個並列するときに、丙七の赤票を乙七に進むれば、甲七の黒票はほかに遁路なきをもって、飛行して丙七に至り、ついに甲九の赤転票をして甲八、甲六の二個を飛び越えて甲五に至るを得しむるなり。その他、変票の場合もこれに準じて知るべし。

第十六条 以上の規則の応用を示さんために、左に一、二例を掲げてこれを説明す。

   例えば、盤面に黒赤二種、左のごとく配列せりと仮定す。

黒票 常票は甲一、甲二、甲三、乙六、乙八、丙七、丁七、丁八、丁九にあり、

変票は乙四にあり、合計十個なり。

赤票 常票は丁五、己七、己八、己九、庚八、辛八にあり、

変票は丙二、庚九にあり、合計八個なり。

   このとき、赤票より敵陣を破らんとするには、まず丙二の赤変票をして乙三に進めしむべし。しかるときは、前条の規則により、甲三の黒票は必ずこれを飛び越して丙三に至るべし。つぎに、丁五の赤票は丙五に進めば、乙四の黒変票はまた前条の規則により、飛行して丁六に至る。このとき、己八の赤票を戊八に進むれば、同一の規則によりて、丁八の黒票は飛行して己八に至る。しかるときは、庚九の赤変票は己八、丁六、乙六、乙八の四個の黒票を飛び越えて、丙九に至り転変票となるなり。

   また、一例は左のごとく仮定す。

黒票 常票は乙一、乙七、丙六、己七にあり、

変票は甲二にあり、合計五個なり。

赤票 常票は丁八にあり、転票は丙三にあり。

変票は丙四にあり、合計三個なり。

   まず、黒票の方にて乙七の票を丙七に進めたるに、赤票の方にては丁八の票をして変票となさしむ。このとき、黒票の方にて丙七の票を失わんことを恐れ、さらに進んで丁七に至る。ここにおいて、赤票の方は丙四の変票を乙三に移せるに、甲二の黒変票はほかに遁路なきをもって、規則第十五条に従い、飛行して丙四に至る。このとき丙三の赤転票は、丙四、丙六、丁七、己七の四票を飛び越えて庚七に至るなり。

   その他、いちいち例を挙げて示すにいとまあらざれば、よろしく以上の規則に照らして推考すべし。

 

第二八 遊戯改良第二、字合カルタ

 また、余の工夫せるものに、字合カルタなるものあり。その目的は、従来の遊戯を改良して、教育上に適用するにありて、その結果、人をして広く事物の名称を記し、文字の活用に通じ、知覚を進め記憶を助け、方言、俗語の誤り、および字訓、仮名の誤りを正し、児童遊戯の間に、知らず識らず文字修習の便を得しむるものなり。左に、その仕方に関する規則を掲ぐ。

所用の票数四十八あり。一票の大きさ、縦八分、横七分とす。

 今、仮に座中の人数を甲乙丙丁戊己の六名ありと定め、これに一組すなわち四十八票を分配するときは、各人八票あて所持する割合なり。その所持せる票は、必ず各自の前に排列し置くべし。あたかも歌カルタを各人に分配せるときのごとし。座中だれにても、★(いを□で囲ったもの)票を所持せるものより手始めをなすべし。その人を仮に甲と名づく。甲はまず、その所持せる票中より随意に一票を選び、これを座の中央に差し出だすべし。これを題票と名づく。しかるときは、これに隣するものすなわち乙は、この題票の文字に、自身所有の票中より二票もしくは二票以上を加えて、三字もしくは三字以上より成れる一語を組み立つることを思考すべし。その語は、おもに一個の名詞(実物名詞もしくは普通名詞)に限るべし。例えば、机、生徒、桜、鶏、空気、書物、役所、アメリカ人の類をいう。(ただし、時宜により固有名詞、形容詞等を用うるも勝手たるべし。また、小児輩にして三字以上の語を組み立つることの難きを感ずるときは、紙、筆、足袋のごとき二字より成れる語を用うるも、そのときのよろしきに従うべし)かくして、乙は思考のうえ一語を組み立つることを発見したるときは、その題票まで合わせて、みな乙の所有に帰す。しかして、さらにその所有中より随意に一票を取り出だして、これを新題票となすべし。

もし、思考のすえ一語を組み立つることあたわざるときは、自ら一票を出だし前題票に合し、二票をもって新題票と定むべし。もし乙の思考中、他人(例えば丁)ありて乙の所有中の票と題票とを合わせ、一語を組み立つることを発見したるときは、その票はことごとく丁の所有に帰し、乙は数票を失いたる上に、さらに一票を出だして題票となさざるべからず。そのつぎに列するものすなわち丙は、この題票と自身所有の票を合わせ、三字もしくは三字以上の一語を組み立つることを思考すべし。もし、幸いに組み立つることを得たるときは、その票はみな丙の所有に帰す。もし、組み立つることを得ざるときは、さらに一票を自身の所有中より取り出だし、これを前題票に合わせて、ともに題票と定むべし。もし、丙の思考中、他人(例えば甲)ありて一語を組み立つることを発見したるときは、その票は甲の所有に帰し、丙はこれを失いたる上に、さらに一票を出だして題票となすこと前例のごとし。

 そのつぎに列するもの、すなわち丁、戊、己、各相継ぎてさらに甲、乙、丙に及ぼし、数回手を移してあるいは得、あるいは失い、その結果、座中の一人全票を失いて、題票を出だすことあたわざるに至りてやむ。そのとき、各人所有の票数を検し、最多数を所持せる者を勝とし、一票だも所持せざるものを敗とす。

(付  則)

 題票三個以上あるに当たり、三字もしくは三字以上より成れる一語を組み立てんとするときは、題票一個に自身所有の数個を合するは当然なるも、自票一個と題票数個とを合するも、決して規則に反するにあらず。

 座中だれにても、題票中より三個もしくは三個以上を合わせ、さらに自票を用いずして一語を組み立つることを発見するも、もちろん差し支えなし。もし、他人にてこれを発見したるときは、その票は他人の所有となるべし。例えば、丁の番に当たりその思考中、丙ありて題票のみにて一語を組み立つることを発見したるときは、その票はみな丙の所有に帰し、丁は別に一票を出だして座中に残れる題票に加え、戊の手に移すべし。座中だれにても(例えば乙)、その番に当たり自ら一語を組み立つることあたわざるを知り、すでに一票を出だして題票に加えたる後、他人(例えば丁)ありて乙の票と題票とを合わせて一語を組み立つることを発見するも、無効に属するなり。

 だれにても自身所有の票は、これをその前に排列して衆人に示し置くは当然なるも、自身の番にきたらざる間は、手をもってその票をおおい隠すも差し支えなし。ただし、自身の番にきたるときは、必ずその所有の全票を衆人に示し置かざるべからず。座中だれにても、ひとたび用いたる語は、その勝敗の終わらざる間に再び用うるを許さず。

変則一法

 総票ことごとく座の中央に集め、あらかじめその中より二票もしくは三票以上を取り合わせて、地名、人名、もしくは動物、植物の名、もしくは器械、物品の名等(例えば、動物なれば猫、鮭、鴉、松虫の類をいう)を組み立つることを約し、各人だれにても、順次を立てず、随意に諸票を取り合わせて一語を組み立つることを思考すべし。幸いに組み立てたるときは、その票を当人の所有となし、自身の前に排列し置くべし。しかして、さらに座上に残りおる票中より一語を組み立つることを思考し、題票ようやく減じて、だれにても一語を組み立つることあたわざるに至りてやむ。そのとき、各人の前に排列せる票数をかぞえて、最多数を有するものを勝とし、最少数を有するものを敗とす。その他、種々の取り方あれども、いま煩をいといてこれを略す。よろしくほかのカルタの仕方に準知すべし。

 

第二九 遊戯改良第三、漢字遊び

 さらに遊戯改良の一法として工夫せるものは漢字遊びなり。その目的は、児童をして漢字を記憶せしむる助けとなすにあり。漢字は単字と複字の二種より成るも、単字の方少なくして複字の方多し。よってその遊びは、単字を合わせて複字を組み立つる工夫を教うるなり。しかしてその方法は、全く字合カルタの遊びに同じ。ただその異なるは、票の代わりに賽を用うるにあり。賽は六面体なれば、その各面に左表の文字を一字ずつ記入しおくべし。

第一面には、漢字の左旁となる部分を記入すべし。

  亻、彳、女、木、忄、犭、扌、氵、禾、阝の類

第二面には、右旁となる部分を記入すべし。

  乙、刂、彡、月、斤、欠、文、★(おおざと)、圭、頁の類

第三面には、上截(冠)となるものを記入すべし。

  厂、宀、广、尸、穴、疒、竹、艹、癶、門の類

第四面には、下截となるものを記入すべし。

  儿、心、灬、皿、走、辵、臼、衣、黽、鬼の類

第五面には、中体となるものを記入すべし。

  天、白、古、各、毎、青、有、昔、音、皆の類

第六面は、文字を記入せざるをよしとす。あるいは、中体となる文字を記入しおくも妨げなし。

 かくのごとき賽、数十個を作り、これを座中の人々に分かち、その仕方は全く字合カルタの方法により、己の所持せる賽をもって、座中の賽に合して文字を組み立つることを工夫すべし。幸いに組み立つることを得れば、その賽を己の所有とするなり。

 

第三〇 室内遊びの新案

 わが国の室内遊びは碁、将棋、カルタ等あるも、いずれも身体の運動を助くるものにあらず。西洋のいわゆる「球つき」に代用すべきものは、わが国にあらざるなり。この「球つき」にも種々ありて、日本の室内にてたやすく行い得る軽便のものなきにあらず。また、普通にいうところのピンポンなども、日本の室内運動に適すべし。さなくとも、余は日本の室内にては、畳を利用して一種の「球つき」を工夫するをよしとす。例えば、畳一枚(甲)を仮に球つき台と定め、乙点に親球を置き、丙点においてほかの球をもってこれに中つるようにし、その球の畳の外に出ずるといなとにつきて得点の規則を設け、勝敗をかぞうるようにすべし。あるいはまた、戊側の界線に添って火箸を二、三カ所に立て、親球もしくは子球のいずれの火箸の間を通過せしやにつきて、得点の規則を設くるも可なり。しかして、その球は普通の手毬にてよろしとす。もし、その規則を設けんと欲せば、「球つき」などにくわしき人につきて定むべし。その法たるや、あまり簡便すぎて興味少なかるべきも、座り相撲の殺風景なるものよりは、いくぶんか興味あるべしと思うなり。

 

第三一 寝台の新案

 ある人の話に、押入を寝台に作り、夜はその中に入りて眠るに至らば、毎日蒲団の出し入れの手数を省き、大いに簡便ならんとあれば、余はその工夫を賛成するも、これを実行するには、押入の襖の改良を要するなり。冬時は睡眠中、襖をしめおかば、いくぶんか暖かなるの便あるも、これと同時に、空気の流通をよくする工夫なかるべからず。夏時は蚊の襲来を防ぐために、前に掲げたる蚊帳戸を用うるの必要あり。しかるに、余は別に一案あり。すなわち、床の間を寝台に利用する方法なり。押入は諸品を入るる用あれども、床の間は室の装飾の一部にほかならず。ゆえに、昼間は装飾の一種としてその用あるも、夜間は不用なり。よって余は、床の間を普通のものより一段高くし、その中に寝台の装置を設け、これに蓋板を加え、夜間はその板を取りて、これに安臥するように構造せんとす。これまた一新案なり。

 

第三二 書棚の改良

 和漢書は虫の付く恐れありて、毎年夏時には虫払いをなさざるべからず。余はその不便を除かんと欲し、書棚の改良を実行したれば、さらに虫の生じたることなし。けだしその法は、従来の書籍箱を廃し、すべて書棚に造り、その左右、前後、上下ともに風の自在に流通するようにし、書冊は「とじ目」の所を下方に置き、丁数の入りたる所を上方に向け、毎冊横に立てかくるように並ぶるなり。また、書籍箱もこの工夫にて改造し、外囲の板を「こうし」にして風の流通をよくし、かつ書冊を上下に積みかさねずして、横に立てかくるようにすれば、同じく虫の付く恐れなし。

 

第三三 鉛筆の改良

 従来の鉛筆は多く木にて造りたるものなれば、これを削ること容易ならず。ときどき、削るために鉛筆の心の折るることあり。よって余は、木よりも一段削りやすきものを用うる方よからんと考え、近ごろ黒板に用うる白墨を木に代用してはいかんと思い付きたり。つまり、白墨の中心に鉛筆の心を入れて造るなり。白墨は木よりも削りやすきのみならず、小刀のなき場合には、石などにて摩りても削り得るなり。ただ、白墨は木よりも折れやすくして、また手に白粉のつきやすき恐れあり。この不便を防ぐために余は、その周囲に質の強き紙を巻き付けおくように造らんと思うなり。しかして、その形は黒板用の白墨のごとく、本の方を太くし、末の方を細くするをよしとす。もしその製造法に至りては、余の全く不案内なることなれば、その道専門のものの工夫をまたざるべからず。

 

第三四 キセルの改良

 喫煙は西洋流の紙巻きよりは、日本流のキセルをもって刻みタバコを吸う方を、経済にして、かつ衛生にもその害少なしという。唯一の不便は携帯の点にあり。もし、その点において旅行用に不便なりとせば、せめて自宅用だけにこれを用いて可なり。しかるに、今ひとつの不便はヤニの掃除の困難なるにあり。ここにおいて、キセルの造り方を改良する必要起こる。愚案にては、ガンクビの下の所をネジにて接続し、掃除の節はネジを戻して、ガンクビを取り離し得るように造るべし。また、ガンクビも今少しく長く造り、巻きタバコもこのキセルにて吸い得るようにしたきものなり。

 

第三五 ツジウラタバコ

 世間にてはツジウラと称し、吉凶可否の意を含める短句を記したるものを煎餅の中に入れて、興味を添うることあり。小楊子などにもこの類あり。しかして、いまだタバコに応用したるものを見ず。余は紙巻きタバコの周囲、もしくはその吸い口の所に短句を記して、これをタバコ箱の中に置き、探り出だして吉凶をうらなうもまた一興ならんか。しかるときは、タバコ箱の造り方を改良するを要す。すなわち、タバコ箱の蓋をおおいたるまま、側面より一本ずつ出ずるように造りおくべし。その工夫のごときは、いと容易のことなり。

 

第三六 足袋の徳用法

 従来一般に用うる足袋は表裏の別ありて、表の方に泥や墨のつきたるときは、これを着用することあたわず。ゆえに余は、足袋の表と裏と同一の体裁に造りおき、表の方のよごれたる場合には、裏の方を外に出だして着用するようになさんと欲す。すべての足袋は二枚合わせなれば、表裏の区別なきように造るは容易なり。ただし、爪のつけ方を少々変更せざるを得ず。そのほかに、なんらの不都合なきように覚ゆ。かくすれば、二度の洗濯を一度に減ずることを得るをもって、これを足袋の徳用法と名づけて可なり。

 

第三七 下駄緒の改良

 余は、下駄の歯の下に西洋★(靴の旧字)のごとく金具をつけたらば、歯の減らざる便利あらんと思い、そのことを下駄屋にたずねたるに、先年すでにその工夫にて造りたることあれども、ついに行われざりしという。されば、下駄緒の改良を実行したきものなり。従来、下駄緒の切れやすきは麻緒を用うるによる。麻緒が水にぬれて腐るために、たやすく切るるなり。よって、水にぬれざるものを用いざるべからず。しかして、余の工夫は針金をもって麻に代用するにあり。針金のやや太きものを選び、これを心として従来のごとき緒を造るべし。もし、足にかたくあたるの恐れあらば、なるべく針金の周囲に綿を十分に巻きつけおくべし。かくするときは、水にぬれて切るるの恐れなし。

 

第三八 庭下駄および草履の新案

 庭下駄は、これをはくごとにその向きを変うるは、やや煩わしきを覚ゆ。よって余は、上図のごとく、向きを変えずして、前よりも後ろよりもはくことのできるように造らんと思う。その下駄は世間に用いきたれる庭下駄にして、下駄緒の代わりに鼻緒の所へ丁字形の鼻止めありて、これを足指の間に挟むぐあいにできおるものを用い、その鼻止めが前後へ自在に動き得るように造るなり。その造り方はいたって容易にして、下駄の裏の方にやや広き★(溝の旧字)をほり、その中に鼻止めの下端をいれ、この下端を下より支えて上端の高く出ずるようせんために、★(溝の旧字)の下へブリキを張るなり。そのぐあいは図に照らして知るべし。

 つぎに草履、なかんずく室内用の草履を用うる都度、いちいちその向きを変ずるは煩わしければ、上図〔左下〕のごとく草履の中央にて緒を交斜せるように造るべし。近来、★(靴の旧字)、足袋をはけるもののために特に造りたる草履に、かくのごとく前端において緒を交斜せるものあり。余はこの工夫を変じて、前後両端の中央に交斜するように造らんとす。されば、これを前方よりはくも後方よりはくも、両用の便あるなり。

 

第三九 掛物の折れ釘の新案

 床の間の掛物を掛ける折れ釘が、一定の場所にあるは不便なり。ゆえに余は、これを自在に上下左右に動かし得るように工夫せんとす。左右に動かすには、世にムソウと称してすでにその工夫あるも、いまだ上下に動かす工夫あらず。

 余は、このムソウに上下の工夫を結び付けんとす。すなわち左図のごとし。イ図中の左右の細木はすなわちムソウにして、これに上下の小柱を結び付け、この小柱はもとより左右へ自在に動かし得るように造り、その柱面に折れ釘を打ち付くるなり。しかして、上下に動かし得るようにするには、この折れ釘が一定の点に固着せずして、これをして昇降自在ならしめざるべからず。そのためには、上下柱の中央に★(溝の旧字)を上下にほり、その中に折れ釘を挟みおきて、自在に上下に移動せしむるなり。しかして、その★(溝の旧字)のほり方によりては、これを随意の場所にとどむることを得るなり。その一例は、ロ図のごとく★(溝の旧字)のところどころに留め場を付け、折れ釘はやや平たきものを用い、これを横に傾くれば上下に動き、縦に直せば止まるようにすべし。あるいはまた、全く上下柱を用いずして、ムソウ釘に釣りランプに用うる自在クサリの工夫を当てはめても可なり(ハ図)。そのときは、クサリの下端に甲乙両鉤を付け、甲鉤は掛物を掛くる所にして、乙鉤は自在にクサリの上方へ引き掛け、伸縮の用をなさしむる工夫なり。この工夫は、前の小柱を用うるよりも不便なるべし。なんとなれば、掛物の振動しやすき恐れあればなり。

 

第四〇 戸締まりの工夫

 わが国の戸締まりはいたって不完全にして、盗難を防ぐに適せず。余、よって錠の新工夫を考出せるも、模型を造りて実地に試むる必要あれば、ここに掲げず。ただ、戸締まりに関して一、二の注意を述ぶるのみ。わが国の戸はその中間に錠を付くるも、二枚ともに引き上ぐるときは外すことを得るなり。ゆえに余は、左右の柱に浅き★(溝の旧字)をほりて、これに戸の片側が少々たりとも食い込むようにすれば、外すことのできぬようになるべし。これと同時に、雨や風の吹き込むのを防ぐことを得るなり。また、二枚戸の合わせ目の上に当たれる鴨居に、呼びリンのごとき小さきリンを付け、これと同時に合わせ目の上方へ釘を差し込み、その釘の一端がリンの縁に触るるようにし、もし夜中、外より戸にさわり、あるいはこれを動かすものあらば、たちまちその震動を釘よりリンに伝えて自鳴せしむるようになしおかば、必ず盗難の警備となるべし。もし、そのリンをメザマシ時計のごときぐあいに造りおかば、いかなるものもその声に応じて眠りをさますべく、また盗賊もその音を恐れて逃げ去るべし。

 

第四一 便器改良の新案

 便器改良に関しては余、別に新案あれども、その構造やや複雑せるをもって、器械学専門家の助力を仰がざるを得ず。よってこれを他日に譲り、ただここに簡易なる考案の一を掲ぐ。

 従来世間には、大便所の便器を蓋をもっておおう所あり。これ、臭気の室内に入るを防ぐに便なれども、出入りの都度いちいちこれを取り、またおおうの不便あり。ゆえに余は、その不便を省かんために、左図のごとき工夫をなせり。図中、甲図は蓋の表面を示し、乙図はその裏面を示す。この二者はともに蓋をおおいたるときのありさまなり。丙図は蓋を引き上げたるときの図なり。甲図の蓋は板にて造り、その左端イの点を蝶番にて便器の前方へ打ち付け、上に向かいて開くことを得るも、取り離すことあたわざらしむ。ホの点にもその裏面に蝶番を付けて、蓋をハ、ニの二個に分かち、これをして内側に折れしむるように造るなり。ロ点には三角形の板を縦に打ち付け、ヘ点には円木を横に打ち付け、チ点には環をつけて、これより紐をもって便所の前方の天井にある環に接続せしめ、その紐の一端をして天井の環よりさらに下に垂れしめ、ここに入るものその紐の一端を引かば、たちまち甲図の蓋は丙図の形に変じ、そのままいわゆる金隠しの代用となるように造るなり。かくして用い終われば、丙図のホ点の所を後方に引かば、たちまち甲図のごとくもとの形に複し、便器の蓋となるなり。乙図のトとリとは、小便をして外に散らせざらしむために設くるもののみ。よろしく図につきて考うべし。

 

第四二 水くみおよび米つきの新工夫

 オランダ、ドイツ等の地方にては、風力を利用して水をくみ上ぐる器械あり。しかるに、いまだいずれの国にても、人、車の重力を利用せるものあるを見ず。余はこれにつきて一工夫を夢想せり。すなわち、街上に重量器を敷設して、人または車の通行あるごとに、その重量がこの器に感じ、路傍の人家にて、その重力によりて水をくみ上げ、または米をつかしむる新案なり。しかるときは、必ず人力を省くの一助となるべしと信ず。汽車あるいは電車の鉄路の上にこの装置を設くるに至らば、一層著しき効力あるべし。停車場のはしご段などにこの設備あれば、機関車に用うる水ぐらいは、必ず人力を煩わさずしてくみあぐるを得べし。

 

第四三 旱天に雨をふらす法

 日本は農産国なり。農産は晴雨に関係し、夏時の久旱霖雨によりて全く秋穫を見ざることあり。地方にて、旱天のときには雨ごいと称して、農民相誘いて高山を跋渉することあり。これ、山霊に祈りて雨を請うなり。かく祈りたりとて、山霊の雨を降らすはずなければ、つまり愚民の気休めに過ぎず。しかるに、余は別に一案あり。平地にて海陸軍の大演習ある場合には、天候に変動を起こし、晴天たちまち曇りて雨を降らすことあり。平地においてすら、なおかくのごとし。もし、演習を高山深谷の間において行わば、必ず晴天に雲を起こし、たちまち沛然たることを得るは自然の理なり。ゆえに、今後大旱あらば、各所の鎮台、兵営において、山地の演習を行われんことを望む。請雨の法、けだしこれより便なるはなし。もし、霖雨の久しく続きたる場合にも、山地の演習を行わば、天候さらに一変して晴天を見るに至るべし。ゆえに、演習は請雨の良法なるのみならず、祈晴の一法なり。

 

第四四 養蚕地の霜害を防ぐ法

 わが国の産業中、最も大切なるものは養蚕にして、その産地の最も恐るるものは霜害なり。四月下旬より五月上旬の際、桑葉のようやく開き、蚕事のようやく進むに当たり、一朝降霜あるときには、満目の桑葉たちまち枯死するに至り、蚕事これがために中止し、その損害実に莫大なるものなり。近年、所々にて霜害を防ぐの法を講究するも、いまだ良法を発見せずという。しかるに余の一案は、海陸軍の演習を利用するにしかずというにあり。余が聞くところによるに、霜害のあるときは必ず前夕より満天晴れ渡り、一点の雲なきときに限り、朝時、日光の霜葉を照らすために、その葉のたちまち焼けて枯死するに至るという。ゆえに、これを防ぐ法は、朝時、日のいまだ昇らざるに、雲煙をして日光を遮らしむる法を工夫するにほかならず。しかして、雲煙を呼び起こすは、海陸軍の演習にしくものなし。ゆえに、養蚕地にありて深夜の天候と寒暖計とにより、翌朝必ず霜害あることを知りたらば、ただちにこれを兵営に報告し、未明より臨時演習を行い、発砲によりてにわかに空気を激動するに至らば、必ず雲煙を起こして日光を遮ることを得べし。

ただ、その法の実行は、兵営に近き地方に限らざるを得ざるの不便あるも、余はこの不便を除かんために、陸軍に向かい、霜害の期節には養蚕最も盛んなる地方に露営を張り、各所において野外演習を実行せられんことを望む。その期節は土地の異なるによりて一定し難きも、およそ二週間を限りて可なり。その間、露営を設くれば足れりとす。かくのごときは、霜害のためにことさらに行うに及ばず、毎年露営演習をなすものを利用するまでなれば、別に経費の掛かる恐れなきはずなり。しかれども、かくのごときことは余の深く知らざる事柄なれば、あるいは一場の夢ならんか。