2. 真理金針〔続編〕

   〔続 編〕

     序   言

 余ヤソ教の果たして畏るべきか、また畏るるに足らざるかを試みんと欲し、さきに理論上ヤソ教を駁して、すでにその結果を示したりといえども、その論全く余が実際論の端緒を開くに過ぎざるをもって、早くその結論を読者に告げんと欲せしに、計らざりき、キリスト教新聞記者の芥子より小さき心と糸より細き論とをもって、余が堂々たる論陣の進路を遮塞せんとするに会せり。その状あたかも一、二群の小蟻の路上に集まりて、大人の行を妨げんとするかのごとし。余これを一見して憫笑の極、愛隣の情を発し、余輩仁心の深き急行の際誤りて、その蟻群を一屣の下に踏殺せんことを恐れ、殊更に論歩を左右に転じ、ついに数百節の長きに及び、読者の欠伸を促すに至れり。諸君幸いに請う、これを恕せよ。しかして今やすでに理論の一編を結びて、稿を実際論に起こさんとするに当たるをもって、余一日戸を閉じて身を筆硯の間に入るるに、戸外の車声人語常に異なるを怪しみ、顧みて童子に問うに、ときすでに歳末にせまり、世人俗事に狂走するによるという。ああ、俗事紛々、人心擾々かくのごとし、余輩あにひとり悠然筆硯を弄するのときならんや。読者諸君もまた新誌を玩読するのいとまなきを知る。余これにおいて世人と共に年末を送らんことを欲し、断然筆を擱し硯をおおうに至る。しかして実際論の一編のごときは新たなる明治十九年のあけぼのを待ち、活発なる観察と爽快なる精神とをもって、諸君と共に一場の論壇に会し、青睞相接し温顔相対して、仏教の万歳と祝せんこと、これ余が切望に堪えざるところなり。ああ、明治二十三年も近きにあり。世道心の変易また昔日の比にあらざるべし。わが党今よりしてこれに備えざれば、いずれの時にか仏教の興隆を待たん。ああ、今日は仏果落日の日なり。だれかよく回天の功を立てんや。ああ、今時は法林歳寒のときなり、だれかよく後凋の節を抱かんや。これ余が同朋数十万と共にはからんと欲するなり。これ余が実際論を起こさんと欲する本志なり。諸君またこれを諒せよ。

                          井上甫水拝白  

     緒    論

 新年再び読者諸君と論壇に相会するの栄を得たり。いずれの幸いか、これに加えん。余輩は一言をここに敷きて、この幸いを空しうせざらんことを欲するなり。請う、見よ、路上の年客は笑顔花を咲かせ、語声喜びを沸かし、至るところ国家の無事平穏を祝さざるはなし。余輩また諸君と共に仏教万歳の賀声を挙げざるべからず。しかりしこうして、今日仏家の勢い賀声を挙ぐるをあたわざるものあるはなんぞや。これ余が常に慨嘆に耐えざるところにして、これを聞きて悲憤の情を抱かざるもの、けだしわが朋にあらざるなり。読者諸君もまた必ずこれに感ずるところあらんことを信ず。しかれども諸君中、あるいはこの新年の今日に当たりてなにをか慨し、何をか嘆ずべきやと疑う者あらん。余請う、その疑いを解かん。およそ世俗旧を送り、新を迎えて互いに相賀するは、たんに年暦の改まるをもってにあらずして、近くは一身の無異、一家の無事、遠くは一国一社会の平穏繁盛に対して祝すべきものあればなり。わが国明治維新以来、百般の学問工芸みな一時に進歩し、国家富強の基礎従って定まり、政道治法また大いに興る。ことに去る十四年国会開設の詔ひとたび発してより、上下競うて泰西の学を講じ、政法の理を究めて、立憲の制度ようやく全うし、別して客歳の末に当たり政府の組織上一大変革を生じて、この十九年の春を迎うるに至るは、余輩国家に対して祝さざるを得ざるなり。しかりしこうして、仏者社会の現状を観察するに、明治の維新にあうも依然旧を守り、国会開設の期にせまるも頑眠未だ覚めず。進みて功を国家に立つるものなく、退きて力を護法に尽くすものなし。しかしてその教法は孤城落日の勢いをなし、存亡旦夕に迫るも更に知らざるもののごとし。ああ、世間は一声の暁鐘と共にいかなる新年に入るも、いずくんぞ、仏教社会に向かってこれを祝するを得んや。これを僧侶の一身に対して祝さんと欲するも、一身なお長夜の暗夢に迷うて天下の開明を知らざるをいかんせん。これを一家に対して祝さんと欲するも、一家生計の道に窮し布教の資力なきをいかんせん。思うてここに至ればただ弔すべきあるのみ。しかるに普通の仏者はその弔すべきゆえんを知らずして、世間と共に新年にあうて喜びを呈するは余輩の解することあたわざるところなり。そもそも僧侶たるものたとえ出世間の道を職とするも、これを世間に活用せんと欲せば、社会の大勢を見、天下の風潮を察せざるをえざるなり。かつそれ僧侶はその身、出世間に属するも、世間の空気を呼吸し、世間の薪水に生活し、世間の人の耕すものを食らい、世間の人の織るものをきる以上は、社会国家に対するの義務を尽さざるをえざるは、また自然の理なり。果たしてしからば、明治維新の盛運にあい、国会開設の美挙に際して、よく社会の実益を興し、国家の富強を助くるがごときは、僧侶おのずから任ずるところの義務といえじ。しからざれば僧侶たるもの、畢竟太平の遊民に過ぎざるなり。ああ、円顱を好日に輝かし、染衣を晴風にひるがえす、ひとりその務むるところならんや。これ余がここに実際論を起こすゆえんなり、これ余がヤソ教を排するの第一手段は実際にありというゆえんなり。しかるに世上の論者は、あるいはヤソ教を排するの策は理論を用うるより外なしといい、あるいは僧侶は時事を観察するを要せずといい、あるいは仏教維持は旧習を固守するにありというといえども、かくのごとき私論は、余一撃の下に破却して、余薀なきに至らしめんことを欲するなり。今これを論破するに当たりては、その言語、あるいは僧家の耳に不快を感ずることもあるも、良薬は口に苦うして病に利ありの格言あり。今日は僧家の大病なり、これを医治するに甘言を用うるも、その功を奏せざるは必然の勢いなり。故に読者よくその一時の不快を忍びて虚心平意、もって余が精神の存するところを見るべし。余や不才諸君と共に学識を争うの力なきも、護法愛国の精神に至りては、諸君に一歩も譲らざらんことを期し、一身赤貧飢渇を支うるに足らずといえども、一片の丹心われを護するありて、満身ために肥ゆるを覚う。この心もって法に尽くし、この心もって国に尽くさんと欲す。余がここに実際論を起こすも、またこの心の余滴なり。故にもし世間この論を読みて、頑僧も廉に懦僧も志を立つるに至らば、余が本望これに過ぎたるはなしという。

   本 編  ヤソ教を排するは実際にあるか

 余前編において理論上ヤソ教を排して、今日のヤソ教は理哲諸学の原理に契合せず、道理界の宗教にあらざるゆえんを証明したりといえども、かくのごときは口舌上の空論に過ぎざるをもって、その論なにほど理を尽くし妙を究むるも、これによりてヤソ教を排斥し、これによりて仏教を興隆するがごときは到底望むべからざるなり。これ余がここに実際論を起こすゆえんにして、また余がヤソ教を排する第一手段は実際にありというゆえんなり。そのいわゆる実際とはなんぞや。曰く、余がいうところの実際とは、ただに仏教を実際に施して布教伝道の実功を立つるのみに非ずして、その実際に施すところのもの、よく民利を興し国益を進め、近くは一家の安全を保ち、遠くは一国の富強を助け、人をして一見して仏教の国家に裨益あるゆえんと、僧侶の世間に功用あるゆえんとを知らしむるをいう。すなわち仏教をして世間の実益を示さしむるをいうなり。今その実益の要点を挙ぐること左条のごとし。

 第一条 国際上に関して実益を与うること

  すなわち国権の拡張を祈り、国力の養成を助け、富強独立の精神を維持して、わが国をして万国に競争対立せしむること。

 第二条 政治上に関して実益を与うること

  すなわち政府の制令法律の及ばざるところを助け、欠くるところを補い、よく人民を教導誡訓して、人をして正理を守り、公道をふみ、政治社会に対する権利義務を全うせしむること。

 第三条 道徳上に関して実益を与うること

  すなわち人をしてその徳義を重んじ行為を慎しみ、名望を養い節倹を守り、慈善を施し貧を救い、孤を憐み老をたすけ、病苦を問い禍患を弔い、悪事を戒め善心を勧め、人の人たる道を全うせしむること。

 第四条 教育上に関して実益を与うること

  すなわち上下の知識を開導し、内外の学芸を勧奨し、童蒙を育し、英才を養い、人情を移し、風俗を化し、大小百般の教育を任ずること。

 第五条 開明上に関して実益を与うること

  すなわち宗教の弊害を去り、愚民の頑陋を医し、進化開新を主として、諸学の進路を啓き、開明の障害を除くこと。

 この五条の実益を与うるは、わが国将来の宗教となるに欠くべからざるものにして、ヤソ教よくこれを与うればかれわが国の宗教となるべし、仏教よくこれを与うればわれわが国の宗教となるべし。両教の盛衰勝劣は、ただこの実益を与うると与えざるとにあり。これ余が一朝の論究に出でたるにあらずして、多年仏教輓回の策を講じて始めて得るところの結果なり。人もし余が論を疑わばよろしく将来を待ちてその真偽を見るべし。余確固としてこれを断言せん、仏教者もしこの実益を与うることあたわずんば、わが国純然たるヤソ教国となるの日、それ近きにあらんと。仏者社会これを聞きて果たしていかなる感覚を生ずるや。けだし世間の実益を与うるに当たりて、第一に要するところは宗教家各自の学識を研き、道徳を修め、資力を蓄え、精神を養うにあり。しかるに今日の僧侶は、学識もなく、道徳もなく、資力もなく、精神もなきをもって、いずくんぞ、よく世間の実益を与えんや。これ余が常に慨嘆するところなり。故に知るべし、今日の急務はまず僧家の習弊を改良してのち、世間の実益を計るにあるを。しかしてその習弊を改良せんと欲せば、まず実際の今日に欠くべからざるゆえんを一般の僧侶に説き示して、その数百年来の迷夢を一覚せしめざるべからず。これ余がこの編を草する本意にして、今その二、三の要目を左に掲げ、いちいちこれを論究して、護法の良策は理論にあらずして実際にあるゆえんを明示せんとす。

 第一 社会一般の事情

  (甲)理論の真理未だ定まらざること

  (乙)社会の多数は愚民よりなること

  (丙)知者学者は大抵宗教を信ぜざること

  (丁)社会の真理は実際の競争より外なきこと

 第二 日本今日の事情

  (甲)今日の急務は国権拡張、国力養成にあること

  (乙)日本人の宗教に淡白なること、および宗教家を軽賎すること

 第三 宗教一般の事情

  (甲)宗教の本意は必ずしも世間に関せざるに非ざること

  (乙)布教の要は実際に活用するにあること

  (丙)布教の方便は時勢に応じて変ぜざるを得ざること

 第四 仏教今日の事情

  (甲)出世間に偏する風あること

  (乙)理論に僻するの弊あること

  (丙)仏者一般の学識に世間一般の標準より下がること

  (丁)僧家みな貧困にして布教の資力なきこと

  (戊)僧侶の徳行精神に乏しきこと

  (己)僧侶の国益をなさざること

 以上の諸点よりこれをみるに、ヤソ教を今日に排するも、仏教を将来に盛んにするも、実際の改良を計るより急勢なるはなし。すなわち護法の第一手段となすは、僧侶をして世間の実益を起こさしむるにあるなり。

 請う、見よ、今日の僧侶は布教を盛大にするの資本なく、人民を愛護するの慈善なく、学者に交接するの学識なく、国政に参与するの勲功なく、畢竟世間の無用物に過ぎざるを、果たしてかくのごとくならば、世間いやしくも国家の独立富強を助けんと欲するもの、いずくんぞ仏教の廃滅を祈らざるをえんや。当時わが国の上流社会に位するもの、ヤソ教を助けんとするの事情なるは、もとよりそのところなり、決して怪しむに足らず。しかるに仏教中これを聞きてひそかに怨望するもの、あるいは余輩の解することあたわざるところなり。仏者もしこれを責めんと欲せば、なんぞ進みて世間の有益物とならざるや、なんぞ奮うて社会の有力者とならざるや。これ、これを務めずしていたずらに怨望するも、その益なくば必然なり。またあるいは当時国会開設に際して、僧侶の代議士に列せざらんことを恐れてひそかに非議する者あり。これまた余が解することあたわざるところにして、いやしくもこれを恐るるの意あらば、なんぞ早く国家に実功を立てざるや。ただ余が仏者に対して日夜望むところは、一巳の私見を去り、公明の活眼を開きて、仏教今日の洞察を実情せられんことを。仏者もし今日の実情を洞察するの意あらば、請う、これより虚心平気をもって、余がさきに掲ぐるところの要点についていちいち論ずるところをみるべし。

 まず初めに社会一般の事情より考うるに、理論は護法の一手段なること疑いをいれずといえども、これを実際に比すれば、第二の手段に属すること明らかなり。およそ理論の目的とするところは真理にありて、実際の目的とするところは実益にあるも、真理の標準未だ定まらざるをもって、口舌上の争いは到底空論に帰するより外なし。しかして実際上の実益は、みな人の目前に知るところなるをもって、理論の力よくこれを動かすべからざるなり。これをもって古来の宗教を考うるに、理論その当を得ざるものも、よく社会の実益を与うるに力あるときは、したがって世間の勢力を得、理論その妙を究むるものも、目前の実効なきときは、ついに衰滅に帰するを見る。かつ理論の当不当はひとり知者学者の弁ずるところにして、愚者の関するところに非ざれども、実際の適不適は賢愚共に知るところなり。これに加うるにいずれの国においても、またいずれの世においても、その人民の十に八、九は道理を知らざる愚者にして、理非を弁ずべき知者ははなはだ少なし、そのはなはだ少なき知者は大抵宗教を信ぜざるを常とす。たとえ宗教の信ずべきを知るも、自ら一種の宗教を立てんと欲して、旧来の法を遵守するを欲せず。たとえまたこれを遵守するも、知者の少数をもって社会の多数を圧すべからざるは自然の理なり。これをもって社会の真理は腕力競争、優勝劣敗より外なきを見るべし。すなわち実際上実益を世間に与えて、衆望の帰するところのものはついに勝ちて社会の真理となるのみ。故に知るべし、理論は護法の第一手段にあらざるを。

 つぎに日本今日の事情の上に、理論と実際との得失を論ずるに、別して実際の必要なるを見る。そもそも衣食足りて礼節を知るとは古人の格言にして、人民衣食の需用に乏しく、日夜これを求むるに汲々するに当たりては、あに礼節を顧みるにいとまあらんや。これをもってこれを推すに、国家富強の基礎未だ固からずして、万国に抗敵するの力なきに当たりては、あに宗教を憂うるにいとまあらんや。わが国今日の勢内には、人民を助けて国力を養成し、外には万国に対して国権を拡張せざるべからず。実に国家多事の時というべし。このときに当たりて、宗教を民間に布かんと欲せば、よろしく国家の実益をさきとすべし。しからざれば決して世間の信仰を得べき理なし。かつ宗教の盛衰は、その国の富強に関係あるはみな人の知るところにして、ヤソ教の今日の世界に勢力を有するもの、全くその国の富強によるもまた人の許すところなり。故に仏者もし他日ヤソ教者と共に雌雄を地球上に争わんと欲せば、務めてわが国の富強独立を計らざるべからず。すなわち護法愛国の二道相離れざるゆえんを知るべし。これ余が本編を草するの精神にして、さきに理論をもってヤソ教を排するがごときは、本論を開かんとするの端緒に過ぎざるなり。つぎにわが国の人民の宗教に対する感覚を見るに、実際の今日に欠くべからざるゆえん、ことに著しきを覚う。従来わが人民の宗教に淡泊なるは、みな人の知るところにして、更に余が喋々を待たざるなり。しかしてその実は単に淡泊なるに非ずして、大いに宗教を軽賎するを見る。世間一、二の愚夫愚婦社会を除くの外は大抵仏を見ること土芥のごとく、僧侶を見ること寇讎のごとく、途に鉢をとりて施を乞う者にあえばこれを目して乞食坊主と称し、外に出でて飲食するものを見ればこれを称してなまぐさ坊主といい、その読経を聞けばこれを評して釈迦の寝言なりといい、その説法を聴けばこれをあざけりて、ばばだましなりという。けだし坊主とは僧侶の俗称なり。その称ようやく因襲して罵詈誹謗の語となり、車夫奴僕社会に至るまで互いに相ののしるときは曰く、くそ坊主、曰く、馬鹿坊主なりと唱い、三尺の童子もこれを呼ぶに坊主の名をもってするときは、怏々として不平の色をあらわし、あるいは勃然として怒りを発するものあり。かくのごとく、人の僧侶を軽んずるに至りしは、もとよりその原因なきにあらず。中古仏教の盛んなるに当たりては、貴顕英雄の一朝志を得ざるもの、あるいは旧悪を悔悟するもの、あるいは民心を納めんことを務むるもの、大抵みな髪を削りて僧門に入るをもって、当時の僧侶は学識といい、才力といい、遠く衆人の右に出でて世間の尊崇するところとなれり。しかるに、近世にありては僧侶の学識才力共に減じて、かえって世人の下に位するに至る、あに痛嘆の至りならずや。

 これに加うるにその門に入りて僧侶となるもの、極めて下賎なる民間の子弟より出づるを常とす。あるいは身体羸弱にして労力に耐えざるもの、あるいは天性愚鈍にして将来に望みなきもの、あるいは廃疾不具にして独力家計を立つるあたわざるもの、あるいは正道の子にあらざるものあれば一族相議して僧侶となす。貴顕富豪の子弟にして、一人の才力を有するものの、身を僧門にまかするははなはだまれなり。故にその人たる常人のすでに軽賎するところにして、決して一般にこれを尊崇すべき理なし。ただにこれを尊崇せざるのみならず、これと共に歯し、これと共に話すすら、なお人の恥辱となすに至るも道理なり。かつ僧侶今日の実情を察するに、その身下等社会より起こるのみならず、その才学見識共に世間一般の標準の下に位するをもって、別して人の蔑視するところとなる。故に人を目して僧侶を呼ぶは、一人の人たる資格を欠くものというがごとし。これをもって坊主の名称は、世人互いに相罵詈するの語となるに至る、あに慨せざるべけんや。ひとり真宗に至りては子々孫々その職を伝うるをもって、至貧至賎のもの立ちて僧侶となるに非ずといえども、その今日の情況、一般に学識なく功労なく資産なきに至りては他宗と同一なり。しかしてその教最も愚俗に適し、僧侶の朝夕交接するところの者は、愚夫愚婦の輩に外ならざるをもって、その見識ことに卑しきを覚え、別して道徳品行の一点に至りては、かえって他宗の僧侶より下がるを見る。世間に真宗僧侶を目してなまぐさ坊主と称するは、決して不当の評にあらざるなり。これ余輩が現に見聞するところにして、仏者社会今日の実情なり。故に僧侶たるもの自らその内情のいかんを顧みずして、みだりに世人の仏者を軽賎するをとがむるを得んや。余すでに仏者の甘んじて世人の嘲笑を受くるを見て、嘆じて曰く、なんぞ無気無力なるや、なんぞ無精神なるやと。今また、仏者の自らその内情の恥づべきところあるを知らずして、意気揚然人と相対するを思えば、重ねて嘆一嘆せざるをえざるなり。かくのごとき僧侶の内情と、かくのごとき世上の軽賎とをもって、ヤソ教を今日に排し仏教を将来に興さんとするは、予はなはだ恐れる、泰山を挾んで北海を越ゆるよりも難しからんことを。仏者いよいよ真に護法の赤心をもって、仏日のまさに墜ちんとするを支えんと欲せば、なんぞ早く一奮して宗内の習弊を一洗せざるや、なんぞ早く一怒して世人の感覚を一変せざるや。もし更にこれを一変するの志なきときは、仏者は無気、無力、無精神の死物にして、仏教の再興もとより期すべからざるなり。もしいよいよこれを一変せんとするの意あらば、仏教の社会に稗益あるゆえんを示し、僧侶の国家に功力ある実証をあらわさざるべからず、あに一、二の理論のよく弁すべきところならんや。故に今よりしてのち全国数十万の僧侶、みなことごとく専心鋭意、実際の護法に従事するに至らば、仏教の輓回決して難きにあらざるなり。これ予がヤソ教を排するは実際にありて、実際を起こすは国家の実益を示すにありというゆえんなり。しかれども予が意、あえてわが国において西洋諸国のごとく、政教一致の風を養成せんことを欲するにあらず、また政府に対して法律上仏教をもって、日本の宗教と定められんことを望むにあらず。ただこれを今日今時の勢いに考うるに、国家の実益を起こすにあらざれば、仏教の再興決して期すべからずというにあるのみ。

 更に論点を転じて宗教一般の事情よりこれを考うるも、また実際の必要なるゆえんを知るべし。通常人の解するところによるに、宗教の優劣は理論上互いに相争うにありて、実際上互いに相競うにあらず。別して国家の利害得失に関して実益を与うるがごときは、全く宗教の性質に反するものなりというといえども、これ真に宗教の性質を知らざるの論なり。宗教は安心立命をもって目的とするも、これを世間に実行するにあらざれば、世間の宗教となるべからず。これを世間に実行せんと欲せば、社会に実益を与えざるを得ざるはもちろんにして、社会の実益を与えざるときは、その教世間に衰滅するは勢いの免がるべからざるところなり。かつ宗教は社会進化の際、自然に世間に現出し社会と共に発達してきたるをもって、決して社会を離れて存すべき理なし。また宗教の目的はひとり安心立命にありとするも、社会の幸福、国家の安寧を得るにあらざれば、その目的を全うすべからざるやまた疑いをいれず。もしあるいは宗教は理論相争うにとどまるものとなすときは、これ理論の学にしてこれを称して理学哲学といわんのみ。しかして宗教の理学哲学に異なるは、実際の応用を主とするによる。今これを仏教の上に考うるに、その本意、出離解脱を勧むるにあれども、その教すでに真俗二諦に分かるるありて、真宗のごときは王法為本を立つるに至る。かつこれを天台の円融相即の法門よりみるに、世間を離れて出世間なく、世法を離れて仏法なきをもって、社会の目的を達するはすなわち仏教の目的を達するなり、世間の法に従うはすなわち出世間の法に従うなり。故に今日今時にありて、僧侶たるもの国益を計り民利を起こすは、すなわちこれ仏教の目的を達するなりと知るべし。たとえまた、実際に関し実益を計るがごときは宗教の本意にあらずとするも、布教の要は実際に活用するにあるをいかんせん。もし宗教家の目的はその教の衰滅を祈るにありといわば、すなわちやまん。いやしくもその興隆を期するにある以上は、もっぱらこれを社会に活用せざるべからず、これを社会に活用してその利益を与えざれば世間にいれられず、世間にいれられざればその教を布くべからざるの理は、更に論ずるを待たざるなり。

 かつまた、これを実際上に活用して実益を与うるがごときは、たとえ宗教の真正の目的に非ずとするも、その目的を達するに欠くべからざる方便なること疑いをいれず。別してわが国今日の事情に考うるに、その方便の必要ことに著しきをみる。それ仏教は随機誘引の法なるをもって、世に従って方便を変ずるはもとよりその本旨なり。果たしてしからば、仏教を今日に維持するに当たりて今日に要するところの方便を用うるも、またその本旨なりと知るべし。昔日は昔日の方便あり、今日は今日の方便あり。世異なれば方便また異ならざるを得ず、なんぞ今日に当たりて昔日の方便を用いんや。故にたとえ従来の仏教は、国益を与えずしてよく盛んなることを得たりとするも、今日の仏教は国益を起こすをもって先務とせざるべからざるなり。これ余が護法の第一手段は、実際上の実益を起こすにありというゆえんなり。

 更にまた仏教今日の事情より考うるも、理論と実際といずれが今日の急務なるやは、また容易に了すべし。そもそも仏教中には世間出世間の両道あるも、その伝来の際、常に出世間に偏するの風ありて、その弊ますます今日にはなはだしきをみる。故に世上の論者は、みな仏教は陰道にして社会競争の際には用うべからずと信じ、わが国今後の宗教は断然ヤソ教に定むべしと唱うるに至る。仏教者これを聞きて恬然として、習弊を一洗するの志なきはあに慨せざるを得んや。けだし世間今日の勢いヤソ教を助けんとするものあるは、あえて仏者をにくむにあらず、あえてヤソ教者を愛するにあらず、国際競争、社会独立上やむをえざる事情あればなり。すなわち今日の仏教は出世間に偏し、今日の僧侶は無精神に属して、更に国家に用うるところなければなり。人いやしくも愛国の一端を有する以上は、だれかかくのごとく論決せざるものあらんや。仏者よろしく旧来の僻見を去りて、当時の大勢を熟察すべし。もし仏教をこの際に布かんと欲せば、早くこれを世間に活用せざるべからず、これ予が保するところなり。しかるに仏者中、無気無力の輩は、長夜一夢更に仏日の天界中いずれの辺にあるを知らず。たまたま一、二の有力者あるも、護法の策を論究して理論ひとりその正を得れば、仏教よくヤソ教を排すべしと信じ、はなはだしきに至りては、たんにかれを誹謗罵詈するをもって護法の一策となすものあり、ああ、これなんの心ぞや。理論をもってかれを駁せんとするものは、これを無志無力の凡僧に比すれば、一段の見識を有するものと称すべきも、誹謗をもってかれを排せんとするもののごときは、凡僧にだも及ばざること遠しといわざるべからず。なんとなれば、かくのごときはその結果、かれを排するにあらずして、かえってかれを助くるに外ならざればなり。しかるに仏者中、未だ一人の実際を本として護法の策を立つるものなきは、余がはなはだ惑うところなり。理論はやすくして実際は難きをもってしかるが、なんぞ難きをさきにしてやすきを後にせざるや。理論は仏教の長ずるところにして、実際はヤソ教の長ずるところなるをもってしかるが、なんぞわが長ぜざるところを補わざるや。理論は学者に対して要するところありてしかるが、世間に愚民の多きをいかんせん。実際は今日に用なきをもってしかるが、わが国今日の急務、国権拡張、国力養成にあるをいかんせん。世人はすでに仏教の世間に実益あるゆえんを知るをもってしかるか。曰く、否。理論の力ひとりよく仏教の頽勢を輓回すべき目途あるをもってしかるか。曰く、否。かくのごとくいずれの点よりこれをみるも、仏教者の実際をすててひとり理論をとらんとするの意、解すべからざるなり。もしこれに反して、仏者実際をさきとして早く仏教の社会に実益あるゆえんを示すときは、その再興目を刮して待つべし。なんぞヤソ教の漸入を憂えん、なんぞ上流社会のヤソ教に志あるを恐れんや。もし果たして世間仏教の実益あるゆえんを知るときは、無教者も、排仏家も、ヤソ教徒も、東海の浜に漁するものも、北陸の陬に耕すものも、なんぞ帰せざるやというて前後相争うてきたるや必然の理にして、その勢いあたかも湍水を決するがごとく。その進路を妨塞せんと欲するもあに得べけんや。果たしてかくのごとくに至らば、わが日本はもちろん遠く欧米諸州のごときもことごとく仏海の恩波に浴するの日、それ近きにあらん。故に余更に断言せんとす。曰く、仏教を将来に興張せんと欲せば、まず実際上世間の実益を示して後、始めて理論上安心立命の道を講ずべし、転迷開悟の理を談ずべしと。

 つぎに僧侶今日の内情を考うるに実に言うに忍びざるもの多し。余これを世間に明言するを欲せず。仏者もこれを聞きて不快を感ずべきを知るといえども、これをここに明言せざれば、到底その改良を期すべからざるをもって、余これよりその内情を述べんとす、こいねがわくは仏者幸いに一時の不快を忍んで、永世の護法を立てられんことを。それ僧侶の職とするところは人を教導するにあり。人を教導せんと欲せば、学識知力共にその上に立たざるべからず。請う、見よ、古来の僧侶はみな民間の学者にして、自らその学問教育を任じよく暗愚を開導せしをもって、大いに世間の尊崇するところとなれり。これをもってその教うるところ人みなこれを信じ、その至るところ人みなこれに帰し、その徳次第に感化薫習して千余年の久しき仏教の隆運を呈するに至る。しかるに今日の僧侶は学識大いに減じて、遠く世間の標準の下に落つるをみる。今仏者中一般許して学者と称するものを察するに、大抵一宗相伝の教義を領得し、仏教一般にわたる書類を通覧するにとどまる。たまたま僧門中の泰斗と仰がるるものはいたって博識強記するも、ただ経文の中の字々句々の間を暗誦するに過ぎずして、その義理を会達運用するの力に至りては、はなはだ乏しきをみる。面して仏教外の学問に至りてはわずかに漢学を修むるのみ、その漢学を修むるも詩文のごとき遊芸を研くを常とす。これをもってますます活用の方を知らざるに至る。

 しかるに、かくのごとき高僧大徳は天保年間に生まれ徳川の太平に長じて、全く今日の教育を知らざるをもって、もとより深くとがむべきにあらずといえども、嘉永年後に生まれ天下騒乱の際に長じ、明治の教育を受けたるものにして、今日なお活用に乏しき学問を修め、事情に迂遠なる方法を用うるがごときは、余が一言をその間に入れざるをえざるなり。今その修むるところをみるに、初年にありては読経説教を研き、中年に至りてはわずかに一宗普通の宗学を講ずるものあり。また更に講学を廃して俗事に奔走するもののみありて、外典他学を修むるものに至りてはなはだまれなり。別して洋学を学ぶもの千万中一、二を見るのみ。要するに僧侶の過半は天下の大勢を知らず、学問の方向を知らず、小学普通の学科を解せず、地球のいずれの辺に日本の存するやも答うるあたわず。はなはだしきに至りては西洋の数学だも知らず、ただ手に珠をとり口に経を誦するを知るのみ。あるいは経を誦するすらおぼつかなきものありと聞く。実に浅ましき次第ならずや。いずくんぞよく人を教導せん。その今日世間の軽蔑するところとなり、小学児女の指笑するところとなるもまたむべならずや。ああ、かくのごとき内情を問わずして、いたずらに理論上ヤソ教と勝敗を争わんとするがごときは、これを評して狂せりというより外なし、なんぞ狂人の多きや。今、かつて仏者中仏教を今日に盛んにするは須弥説を立つるにありと唱うるものあるを聞く、これまた狂と呼ばずしてなんぞや。もし真に護法の策を講ぜんと欲せばよろしく内情の改良をさきとすべし。しからざれば数万の僧侶なにほど力を須弥説に尽くすも、ちかうて仏教の再興を期すべからざるなり。伏してねがわくは、護法に志あるもの公明正大の活眼を開きて、余が論ずるところを洞視せられんことを。つぎに僧家の糊口生計を顧みるにまた大いに憫然の状あり。余が実視するところによるに、全国の寺院おのおのその大小に応じて、多少の借財なきはなし。歳入日に減じ、生計月に窮し、一寺保存の道立ち難きをもって、あるいは宝物を売却するものあり、あるいは寺院を譲与するものあり、あるいは身代限りの処分を受くるものあり。堂宇廃頽して人顧みざるものあり、住職逃亡して家に主なきものあり、鋤を握りて田に耕すものあり、鉢をとりて路に乞うものあり。その他、姦才に長じたるものは種々の偽計を設け、仏の名義を借りて愚老をたぶらかし、もって金財を収入せんとするものありと聞く。余その真偽をつまびらかにせずといえども、かくのごときは実に仏者の乱賊にして、なんの面目ありて仏前に対せんや。これを要するに僧家今日の勢い、布教を盛大にするの金力なく、子弟を教育するの資本なく、日夜糊口に汲々として護法のいかんを講ずるのいとまなし。この勢いをもって理論上ヤソ教と抗争せんと欲するも、あに益あらんや。もしいよいよこれと抗争せんと欲せば僧家生計の道を立てて、実際上の改良を主とせざるべからざるなり。

 またつぎに僧侶の不品行、無気力について考うるに、実に長息に耐えざる者あり。余が見聞するところによるに、その品行かえって世人の標準の下にいるを覚う。今、その一、二の例を徴するに、在々所々にありては僧侶の不品行はすこぶる有名のものにして、農夫野人となんぞ選ばん。別して真宗僧侶にその弊の著しきを見る。他宗の僧にありては、その内実いかなる不品行を窮むるも、外容は常に純然たる僧侶の形を装い、かつ肉食妻常の禁制あるをもって、道徳の標準もやや平俗の上に位するがごとし。しかれども、自ら道徳を修めて世人の模範とならんとするの精神に至りては、僧侶一般に乏しきを見る。人の死を送り葬を行うも、正心誠意これに従事するものなく、祭祀を設け法会を営むもまたしかり。不浄の口をもって経を誦し、妄想の心をもって仏を念ず。鬼神もし在りまさば、これをなんとかいわん、あに神明に対して恥じざるをえんや。かつその平常を見るに、処してはわいせつを語り出でては遊楼に遊び、一日葬祭の儀あるに当たりては、立て衣を粧い経をとりてこれに臨む、なまぐさ坊主の評また当たれりというべし。余かつてしばしば僧侶と相対してその話をするところを聞くに、一語としてわいせつにわたらざるなく、終日語を交えて一言の護法に及ぶなし。談たまたまここに及べばすなわちこれを抑えて曰く、君請う、窮屈論をなすなかれと。これなんの言ぞや。畢竟かくのごとき言をなすは、護法の精神なきによるや疑いをいれず、あに哀しまざるべけんや。今それ僧侶、明治の維新に際していかなる功績を国家の上に立てたるや、また今日国権拡張に当たりていかなる勲労を社会の上に有するや、その功労の有無多寡は、余が弁を待たずして知るべし。しかしてその無功無労の僧侶、ひとしくこれ社会の人にして、その国家の恩を荷う、決して少々にあらざるなり。これを要するに今日の僧侶は退きて力を護法に尽くすなく、進みて功を国家に立つるなく、無気、無力、無精神にしてわいせつに時を費し、遊惰に日を送り、一事もって成るなく、一業もって起こるなく、その言もって信ずるに足らず、その心もって期するに足らず。ただ、円顱緇衣手に珠をとり口に経を誦し、数百年来の習慣を固守するをもって、わずかに僧侶の形を存するのみ、今日の僧侶中よりこの習慣を除き去ればほとんど僧侶なしというも可なり。ひとたびこの内情を改良して僧侶の護法を講ぜざれば、決して仏教の再興を期すべからず。ただに仏教の再興を期すべからざるのみならず、他日ヤソ教を国教と定むるの議起こるに至るも計るべからざるなり。仏教に志あるものあに思わざるべけんや。

 以上論ずるところは、もとより僧侶過半の情実を挙ぐるものにして、数十万の僧侶ことごとくしかりというに非ず。かつ余が言決して僧侶を誹謗せんとするに非ずといえども、いかんせん、今日の内情真にかくのごとき醜態を呈するに至り。世人みなすでにその情態を知りて、これを世間におおうべからざるなり。しかして僧侶はかえってこれを知らずして、自ら旧習に安んずるをもって、余ここにその情態を明言せざれば、これをして護法の精神を起こさしむることあたわず。誠に悲しむべし。たとえ教法家は学識なく資金なきも確固不抜、百折不撓の精神あれば、またもって仏教輓回の策を講ずべしといえども、その精神に至りては僧侶の最も乏しきところなり。ただ僧侶の長ずるところは数百年の外見を保ち旧習を守るに外ならず。はなはだしきに至りてはなお寺格を争い頑陋言うに忍びざる者あり。ああ、その力いずくんぞよくヤソ教を排せんや。それ世間のヤソ教を駁するの徒は、その教の西洋に盛んなる原因を論じて、ひとり旧来の習慣によるものとなして、その原因別に習慣の外にあるを知らざるはまた愚をいうべし。けだし西洋諸国のその勢いを今日の世界に輝かすに至りしは、ヤソ教の力最も与りて功あり。もしヤソ教徴せばその国いずくんぞよく今日の富強を致さんや。これ欧史を一見する者のみな信ずるところなり。余請う、そのゆえんを述ぶべし。そもそもヤソ教を奉ずる国のみなことごとく富強を致すは、その説くところ理学の規則に合するをもってか。曰く、否。その論ずるところ哲学の原則に基づくをもってか。曰く、否。その僧侶理論に長ずるをもってか。曰く、否。その進歩諸学の発達を助くるをもってか。曰く、否。古来ヤソ教の世に盛んなるに当たりては、あるいは大いに諸学の進歩を妨ぐることあり。かつ中古暗世の際にありては僧侶一般に学理に暗きをもって、みだりに奇怪の説を信ずるあり。今日に至りては、その教大いに発達するもなお理学哲学の原則に合せざるもの多きは、余がさきに理論上ヤソ教を排して証示せしところなり。しかして当時その教の世界文明の中心に立ちてますます繁栄を極め、遠く四方にその余響を伝えんとするの勢いあるは、決してこれを偶然に帰すべからず、かつひとりこれを旧来の習慣に任ずべからず。しからばこれ果たしてなにによるや。曰く、ヤソ教者の実際に尽くすところの精神によるのみ。請う、見よ、ヤソ教者は法に尽くすところの心をもってよく国に尽くし、国に尽くすの心をもってよく法に尽くす、尽くすところの心は一にして、対するところの義務は二なり。この心をもって国家に対すれば愛国となり、この心をもって教法に対すれば護法となる。よくこの護法愛国の両義を実際に尽くして、死してなお余栄あるもの、それただヤソ教者にあらんか。今その教法に尽くすところの精神をみるに、あるときは南洋に渡りて身を波濤の底に沈め、あるときは北地に入りて骨を氷雪の間に埋め、あるときは猛獣の餌食となり、あるときは蛮民の犠牲となり、一死もって教法に報ずるもの古来幾人あるを知らず。余西史を読みて、かのピューリタン宗徒の信教の自由を得んと欲し、遠く万里の滄溟を渡りて深く不毛の荒野に入り、飢寒生死の際一志を変ぜざるの一段に至りては、六月なお寒きの思いをなす。今日、アメリカ人のヤソ教に熱心なる、ことにはなはだしきは、けだしピューリタン宗徒の精神に感ずるによるならん。かくのごとく数百年の艱苦を凌ぎ、数千人の生命を損じて、ヤソ教始めて今日の果を結び、その勢い世界に播布するに至る。他語をもってこれをいえば、その艱苦とその生命とをもって、今日の繁盛を買うものなり。これによりてこれをみれば、ヤソ教今日の繁盛は理論にあらずして実際にあること明らかなり。顧みてわが国の事情をみるに、中世以来数百年間は仏教界太平無事の世にして、僧侶みな安臥高枕をこととす。その弊流れて今日に及び、維新の旭光目に触るるも、頑眠未だ醒めず、国会の大喝耳に入るも迷夢未だ驚かず、たまたま一、二の目を覚して仏教の衰頽を慷慨するものあるも、ひとり理論をもってヤソ教を駁せんことを務めて、未だ更に実際をもって仏教を興張せんとするものなし。しかしてその気力精神に至りてはヤソ教者に及ばざること、ただに三舎を譲るのみならんや。かくのごとき無気無力をもって、かれと盛衰を争わんとす、ああ、また難かな。もしかれと盛衰を争わんと欲せば、よろしくまず百折不撓、斃而後已の精神を養成して、一死一生もって実際上護法愛国の功労を立つべし。これ余が日夜仏者に対して熱望するところなり。

 以上論ずるところをもってこれを考うるに、今日の僧侶は国家の無用物、社会の腐敗物なること更に論ずるを要せざるなり。試みにみるに、今日の僧侶は社会の一人に加わりて、自ら任ずるところのものはなんぞや。曰く、葬祭の二事に外ならず。この二事いくばくの利益を国家に与うるかは、余がはなはだ怪しむところなり。これを僧侶にまかするに非ざれば、一国の独立を全うすることあたわざるか、また一社会の平穏を保つことあたわざるか、かつこれをことごとく神官に任じ、ヤソ教者にまかして経国上いかなる害あるや。けだし僧侶の今日これを任ずるは従来の習慣によるというより外なかるべし。習慣一度散ずれば、僧侶は全く国家の無用物に帰せざるべからず。しかして習慣力の散ずる近きにあるは、勢いここに至らざるを得ず。ああ、また憫然の至りならずや。

 それ現今わが国に存するところの寺院大数十万と称す。これに住居する僧侶決して十万に下らず。十万はすなわち全国人民の三百五十分の一なり。この数万の僧侶は全く直接に殖産興業に関せざる遊民にして、その費やすところ一寺平均百円と定むるも、毎年一千万円の巨額を要す。国民の三百五十分の一はすくなきにあらず、費用の一千万円は至りて大なりとす。この巨額の金を投じ、この多数の人を費やして、左程利益の見えざる葬祭の二事にみつるは国家の大不経済といわざるべからず。けだし、国費多端の今日にありてなおこの冗費を存するは、経国済世の途に当たるものの、深く慨するところならん。しかるに今日にありては、在々の人民なお従来の習慣に安んずるをもって、幸いに千万の巨額を葬祭の二事に費やしてすこしもその不経済を顧みるものなしといえども、早晩衆目のここに帰着するに至るは勢い免るるべからず。しかして今後は人民の費用日に多端に赴き、生計月に窮困し、加うるに知力ようやく進み、旧慣解くに至らば、仏教同時に廃滅に帰すべし。実に今日は僧家危急存亡のときなり。あに対岸の火を見ると同一視すべけんや。けだし今日この危急を救うの術は、僧侶たるもの葬祭の外に国益を興し、民利を計るにあり。故に余曰く、仏教再興の良策は理論にあらずして実際にありと。

 上来節を重ねて論ずるところ、これを要するに、社会一般の事情よりこれを考えるも、日本今日の事情よりこれをみるも、宗教一般の事情、仏教今日の事情よりこれを論ずるも、仏者今日の急務実際上の実益を起こすにあること明らかなり。しかるに僧侶一般の内情、学識なく、資本なく、気力なく、徳行なく、功労なきをもって、畢竟太平の遊民社会の腐敗物に過ぎず。かくのごとき僧侶ひとり仏教を維持するをもって、それ今日の衰頽をきたすはもちろんにして、ひとたびこの弊を改良するに非ざれば将来の興隆決して望むべからざるなり。請う、見よ、往昔仏教の盛んなるに当たりては僧侶たるもの、あるいは国政に参与し、あるいは兵陣に臨み、あるいは勤王を唱い愛国を勧め、あるいは開墾を起こし、産業を開き、慈善を施し、経済を講じ、医術を訓え、教育を助け、文化を進むる等、十分世を益し人を利し、しかしてのち人民に教うるに出世間の道をもってす。故にその教大いに一時の勢力を得、天下の愛護を受け、今日なおその余慶を存するあり。すなわち今日の僧侶は大政維新の際に生まるるも、一言もって尊王を論ずるなく、一事もって愛国に尽くすなし。国権拡張の際に当たるも、またあえて一人の国事を憂うるものなし。しかしてなお、今日に生存しておのおの僧侶をもって自ら任ずるは、全く先人の余慶にあらずしてなんぞや。ああ、生きて天下になすことなく、死して人の笑となる、これあに仏者の本心ならんや。それ仏教今日の衰頽は、ヤソ教のわが国に入りたるによるにあらざるは理すでに明らかにして、仏教者はたとえヤソ教を拒絶することを得るも、経国済世の利益を計らざるときは、政府はもとよりこれを助くべき理なく、人民またこれを護すべき理なし。しかしてヤソ教はこれに反し、国益を助くるに力あるをもって、その教いよいよわが国に入らば、国人のこれを愛護するや仏教の比にあらざるべし。かつわが僧侶の学力といい、才力といい、金力といい、腕力といい、名望といい、みなかれに敵すべからざるは、世人のすでに許すところなり。故にわれもし、かれを排せんと欲せばわが学力を研き、わが才力を養い、わが金力を蓄え、わが腕力をさかんにし、わが名望を立つるより外なし。僧侶今日の勢い果たしてこれをよくすべきや。これ余がはなはだ危ぶむところなり。今日をもって将来を卜するに、他日国際の関係いよいよ密に内地雑居の禁ひとたび解くるに至らば、わが国全くヤソ教国に化すべし。このときに当たりて一、二の有力者たとえ舌を摩して理論を争うも、その益なきや必然なり。ああ、僧侶世間の腐敗物たる久し。今にしてこれを悔悟せざれば、他日袈裟を投じて十字架を戴くに至らん。仏者いずくんぞこれをなすに忍びん。そのときにあたりて一死よく仏教に報ずるの精神ありや。ああ、わが数十万の僧侶よ、死と十字架といずれを取るか、この二者の外けだし選ばんところなきなり。思うてここに至れば、いかなる無気無力の僧侶も慨然として憤起せざるを得んや。もし憤起することあたわざれば、これ木石に異ならざるものなり。木石なおこれを叩けば声あり。叩いて声なきものは木石にだもしかざるものなり。ああ、かくのごとき木石にしかざるの徒は、早く一身を転じて、仏籍を脱するこそ、かえって仏教に尽くすところの義務ならん。しからざれば、よろしく護法の精神を発揮して、従来の弊習を改良し、世間の実益を助成し、もって国家の有用物、社会の有力者となるべし。故に余俯して同朋にちかうていわん、ヤソ教を排するは理論にあらずして実際にありと。故に余仰ぎて神明に誓うていわん、仏教を再興するは社会の実益を起こすにありと。釈尊再び世に出づるも、けだしこの言をかえざるなり。人もしこれを疑わば、請う、数十年の後に至りてこれを証すべし。

 余かくのごとく断言するも、頑陋石のごとき輩に至りては、なお胸中に疑雲を浮ぶるものなきを保し難し。故に余は左の四題を設けて宗教の性質、社会の事情を論じ、もって頑石四面一点の雲影を見ざるに至らしめんことを欲す。すなわち、

  第一題 世界分域

  第二題 社会進化

  第三題 宗教盛衰〔仏教事情〕

  第四題 耶仏比較

 もしあるいは、余が論ずるところにおいていささか意に解せざる点あらば、よろしく堂々たる筆陣を張りて論壇に相待つべし。余これと畢生の力をふるうて一死を決せんことを望む。余が精神かくのごとし。あるいはこれを評して一狂人といわんも、余もとより辞せざるところなり。なんとなれば、護法愛国の一狂人となるは、社会国家の腐敗物となるに勝ること万々なればなり。

     第一題 世界分域

 そもそも仏教を今日に再興せんと欲せば、これを世間に活用せざるべからず。これを世間に活用せんと欲せば、社会の性質を知らざるべからず。社会の性質を知らんと欲せば、ここにその分域を示すを必要なりとす。余がここに世界と題せしは、天地六合を指していうにあらず、わが地球上に棲息する人類世界をいうなり。故に精密にその名を下すときは、人界分域と称すべし。それこの人界なるもの、その初めに当たりては一、二の種属あるいは集まり、あるいは散じて生存を営み、未だ協合団結して社会の一組織をなすに至らざれども、今日にありては人々互いに相団結し、互いに相助成し、君臣上下の別あり。協力分労の制ありて、すでに社会をなし、また国家をなす、その組織あたかも一個の有機体に異なることなし。今その大綱についてこれを分かつに、社会の組織に三部あり。曰く製産部、曰く制轄部、曰く運輸部なり。製産部は農工等にして社会の需要を供給する一部なり。これをたとえるに、有機体の食物を外より取りて身体の栄養を営むがごとく、その食道全系はすなわち製産部の組織に比すべし。つぎに制轄部は政府の組織にして、全社会の制轄をつかさどる器関なり。すなわち有機体の神経系に比すべし。つぎに運輸部は水道、陸路、運輸の組織を総称したるものにして、製産部より得るところのものを全国に分布するの便用あり。故にこれを血管組織に比すべし。およそ有機体の生育するゆえんは食道、神経、血管三種の組織互いに相分かれ、互いに相助けて、おのおのその活用を営むによる。わが身体中食道の設なきときは全身の生育栄養を取るあたわず。神経の分布なきときは全身の感覚挙動を指令するあたわず。血管の組織なきときは血液の養分を全身に輸するあたわず。すなわちこの三種の組織は一身の生育発達に欠くべからざるものにして、その組織いよいよ発達すれば一身の生育いよいよ完全なるべし。社会またしかり、その組織中製産の部分を欠くも、制轄の方法を除くも、運輸の便用を失うも、その生存発達を全うすべからざるは論を待たず。故に知るべし、社会もまた一個の有機体なるを。しかしてその体中にかくのごとき三種の組織を開くに至りしゆえんは、後に社会進化を論ずる条下に至りて証明せんとす。以上論ずるところは、有形上の組織について人界の分域を示したるなり。もし無形上にわたりてその組織を考えんと欲せば、人類の動物に異なるゆえんを一言せざるべからず。およそ人の動物に異なるは種々の点ありといえども、主として思想作用を有するによる。思想作用を有するをもって、人界中別に無形上の一組織を開くをみる、すなわち学問上の組織これなり。この組織は前に挙ぐるところのものに比するに、一種異なりたる性質を有す。その組織無形にわたり理論に属するをもって、あるいはこれを理論上の組織と称し、また単にこれを名付けて学界という。これに対して、前に挙ぐるところの有形上の組織は実際に属するをもって俗界と称するなり。今この学界の分域を論ずるに、理学哲学の二種に分かつを常とす。理学は実験の学にして、万物万化の現象を観察実験して、一種の規則を審定するものをいい、哲学は思想の学にして、理学の諸則を考究し事物の原理を論定するものをいう。しかしてこの理学にも哲学にもまたおのおの理論と実際との別ありて、物理、化学、数学等の純正理学は理学中の理論なり、製造学、器械学等は理学中の実際なり、哲学中心理学はその理論学にして、審美、倫理、論理等の諸学はその実際学なり。以上分域するところこれを合するに左の図を得る。

  第一図

      人界 俗界 製産部

            制轄部

            運輸部

         学界 理 学 理論(純正理学)

                実際(製造学、器械学等)

            哲 学 理論(心理学)

                実際(倫理学、論理学等)

 この図中、宗教はいずれの部に属すべきやというに、古来の学者あるいはこれを哲学中に摂し、あるいはこれを学界に加えざるものあり。もしこれを哲学中に摂すれば、論理、倫理等の実際部に属せざるべからず。しかるに余がみるところによるに、宗教は実際学なるも普通の論理、倫理等よりは一層高尚の純理に基づくをもって、これを同一に合類すべからず。故に更に他の分域法を設くるを必要なりとす。哲学中には心理、倫理等の外に形而上の純理を論究する一科あり、これを純正哲学という。心理学は哲学中の理論の一科となすも、今日の心理学は心性の本質のなんたるを問わずして、ひとりその現象を研究するにとどまる。しかしてその本質のいかんを論定するもの、すなわち純正哲学なり。その他宇宙の本体、万物の原性、天帝のなんたる、真理のなんたるを論究するはみな純正哲学の職とするところなり。要するに純正哲学は形而上の論理に属し、心理学は形而下の理論に属するなり。しかして宗教は純正哲学の純理を直ちに実際に応用するの学なるをもって、これを形而上の実際に属すべし。故に第一図の学界の分域は左のごとく変ずるなり。

  第二図

      学界 理学 理論(純正理学)

            実際(製造学、器械学等)

         哲学 形而下哲学 理論(心理学)

                  実際(倫理学、論理学等)

            形而上哲学 理論(純正哲学)

                  実際(宗教)

 右の図中掲ぐるところの宗教は、ヤソ教のごとき天地主宰の天帝を立つるものをいうにあらず。なんとなれば、かくのごとき宗教は、純正哲学の純理を応用したるものと称し難く、かつ余が前編において証するごとくヤソ教は学理上の宗教にあらざればなり。しかれども、ここに更にこれを証するもまた容易なりとす。今、我人宇宙間に立ちて目前にみるところの諸象はこれを物と名付け、脳裏に現ずるところの諸想は、これを心と名付く。けだし宇宙間の事物その数千万ただならずといえども、これを帰するにただこの二元に外ならず。故にこの二元を究明すれば事として知らざるはなく、理として明らかならざるは無に至るべし。しかれども二者の本源にさかのぼりて、その本質のいかんを考うれば、我人の知るべからざるものありて存するをみる、これを神と名付く。その体物にもあらず、また心にもあらず、いわゆる非物非心なり。これ非物非心の体よく物心の二者を造出し、かつこれを主宰すると立つるもの、すなわちヤソ教なり。しかれども、この神なるもの必ずしも造物主を義とするを要せず。物心の本体となすべきもの、すべてこれを神と称すべし。けだし物心の外に第三元を設くるゆえんは、物と心とは全く相反したる性質を有するをもって、物の本体を定むるに心をもってすべからず。心の本体を定むるに物をもってすべからざればなり。これをもって第三元すなわち非物非心の神体を設けて、物心の本源と定むるに至りたれども、その神体の解釈、世の古今と人の賢愚とによりて同一なるあたわず。故に、あるいはこれを解して造物主となす者あり、あるいはこれを釈して不可思議の理体となすものあり。今その解釈の人知の進歩に従って異なるゆえんを述ぶるに、古代にありては一事一物おのおのその体に固有の神ありて存すと信ず。故にその奉ずるところの教は多神教にして、日月星辰、山川草木みなこれ一種の神なりとなすに至る。かくのごときは極めて野蛮の宗教にして、人知の未開を徴するに足る。人知ようやく進みて多神教は変じて一神教となり、宇宙間独一の造物主または主宰神あるを信ずるに至る、ヤソ教これなり。しかれども、ヤソ教に立つるところの神体はなお一種の個体を有するものにして、普通不可思議の理体をいうにあらず、これをここに個体神と名付く。これに対して不可思議の理体を普遍神と名付く。この個体神中、二種の別ありて、その第一は天地万物は天帝の造工をもって造出したるものにして、天帝の自体開発分身して万物となるにあらずと立つるものこれなり。すなわち家屋は大工の造営するところなるも、大工の自体化して家屋となるにあらざるがごとし。故にかくのごとき神をここに大工神と称す。大工神は一神教中の最下級に属するものなり。これより一歩進みて神の自体より万物を化生して、神なお万物の外にあり。すなわち父母子を産出して子の体の外に父母存するがごとしと立つるものを第二級とす。この二者はみな個体神に属して未だ普遍神の範囲に入らず。人知いよいよ進みて、始めて個体上の解釈を離れて純然たる理海中に神体を立つるに至る。これいわゆる哲学上の神にして、その神もとより一定の個体を具せず、天地万物の間に普遍して存し、自ら万物を造出するにあらずして、万物おのずからその体中より開発するものをいう。故にあるいはこの神を理体、理性、性法とも名付くることあり。この普遍神も個体神のごとく、また二種の別ありて、その第一は一理次第の開発なり。その開発の事情あたかも一個の種子の次第に生育して草木の枝葉を開発するがごとし。すなわち仏教中法相宗の談ずるところのものこれなり、これを普遍神の初級とす。つぎにまた一歩進んで理性万物を離れず、万物理性を離れず、水を離れて波なく、波を離れて水なく、二者同体不離なりと立つるものあり。これ仏教中天台宗の談ずるところの円融相即の法門なり、これを普遍神の上級とす。西洋にありてもゲルマン哲学の発達正しくこの順序に合するをみる。すなわちシェリング氏の哲学は普遍神の初級に属し、ヘーゲル氏の哲学はその上級に属するなり。けだし理体と万物との関係を論ずるもの、これに至りて始めて完全を得たるもののごとし。故にこれを今日の極点とす。以上挙ぐるところこれを帰するに左の図を得る。

 この図中ヤソ教に立つるところの神は個体神に属し、仏教に立つるところの神は普遍神に属するは問わずして明らかなり。

  第 三 図

        神 多神

          一神 個体神 初級・・大工の家屋を造出するがごとし

                 上級・・父母の子を産出するがごとし

             普遍神 初級(次第開発)種子より枝葉を生ずるがごとし

                 上級(同体不離)水面に波を見るがごとし

 かくのごとく、神の解釈世に従って異なるは人知の進歩によるというより外なし。およそ人知の進歩は有形より無形に転じ、有象より無象に移り、体より理に入るものなり。その順序多神より一神、個体より普遍と次第に思想の変遷するところをみて知るべし。かつ宗教は人の思想より起こるをもって、思想進化すれば宗教その自然の勢い進化せざるを得ざるなり。古代、人知の未だ開けざるに当たりては、人ひとり感情を有して未だ発達したる知力を有せざるをもって、当時の宗教は全く感情より生ずるものなり。その知ようやく進みて心理上、感情と知力の二種に分かつに至れば、宗教上に立つるところの神も多神一神または個体普遍の二種を生ずるに至る。これまた理のもとよりしかるところなり。しかしてその普遍神は全く知力道理上に立つるところの神なり。この神を立つるところの宗教は、哲学上の宗教または道理界の宗教と称すべきも、個体神を立つるところの宗教は学界中の宗教と称することを得ざるなり。かくのごとき下級の教の今日なお西洋諸国に行われて学者間に存するは、はなはだ怪しむべきに似たれども、これ決してその教の学理に合するところあるをもってしかるにあらざれば、余が前編において反復論明せしところなり。かつ今日の学者のヤソ教に与うるところの解釈をみるに、そのいわゆる神は普遍不可思議の理体にして『バイブル』書中に説くがごとき個体神にあらざるは、更に例を徴するを要せざるなり。故に余が第二図中掲ぐるところの宗教は、ヤソ教のごとき感情に属する宗教をいうにあらずして、仏教のごとき道理界の宗教をいうなりと知るべし。

 再び論を前点にめぐらし、宗教と純正哲学との異同および学界と俗界との関係を述べて、本編の旨趣たるヤソ教を排するは実際にあるかの一理を証明せんとす。第一に宗教と純正哲学との異同を述ぶるに、ここにまず一般の哲学と一般の宗教との性質を異にするゆえんを一言するを必要なりとす。その性質の最も相異なるは、一は疑いを本として古人のいうところを守らず、世間の信ずるところをとらず、あくまで新知新見を発して真正純全の真理を開かんことを務む。一は信を本として古人のいうところを守り、世間の信ずるところに任じ、疑いを去りて心を安んぜんことを務む。けだし理を究めんと欲すれば信をおくあたわず。心を安んぜんと欲すれば疑いを去らざるべからず。人いやしくも疑いあれば必ず迷いあり。迷いあれば必ずその心を苦しむ。その心を苦しむれば必ずこれの去らんことを求む。これを去るに信をもってするもの、これ宗教なり。哲学はこれに反し、その目的とするところ人の迷苦を去るにあるも、その務むるところ疑いを起こして新理を究めんとするにあるをもって、一事を究めてこれを究め尽くせば、他の理を考え、他の理を考えてこれを考え尽くせば、また他の説を求む。けだし際涯なきなり。宗教はその際涯なきを知りて、知るべからざる者は知るべからずと信じ、古聖のいうところに従って疑いを解かんことを務む。これ安心の捷径なり。故に哲学をもって安心を立つるは難く、宗教をもってするはやすし。これ他なし、宗教は賢愚利鈍を論ぜず、一般の人民をして直接に安心の実益を得せしめんことを求むればなり。これを要するに哲学は究理の学にして、宗教は安心の術なり。他語をもってこれをいえば、哲学は理論に属し、宗教は実際に属するなり。以上は一般の哲学と一般の宗教の上に、理論実際の別あるゆえんを明すに過ぎず。もし更に純正哲学と哲学上の宗教とを較するに、またひとしく理論実際の別あるをみる。哲学上の宗教は一般の宗教とややその性質を異にして、道理をもって証立する宗教なり。すなわち、さきに挙ぐるところの普遍性の神体を立つる宗教にして、仏のいわゆる聖道門これなり。この宗教はこれを一般の宗教に比するに全く純正哲学に属すべきものなれども、またおのずから宗教の性質を有するありて、純正哲学と異なるところあるをみる。今その理を知らんと欲せば、まず信に二種あるゆえんを知らざるべからず。愚俗愚民の信は、道理を知らず是非を弁ぜずただ一に信ずるのみ。これに反して知者学者の信は、知力上の信にして信ずべき理由ありて信ずるなり。余はこの二者を区別せんために、一を妄信と名付け、一を理信と名付く。例えばヤソは神子なり、天帝は世界を造出せりと聞きて、その理由のなんたるを問わず、一にこれを信ずるはいわゆる妄信にして、天帝の存するはこの道理により、世界の開くるはこの原因による等と、その理由を明らかにして、これを信ずるはいわゆる理信なり。古来いかなる哲学の大家にてもその自ら立つるところの一定の説ある以上は、自ら信ずるところなくんばあるべからず。もし果たして信ずるところなくんば、一定の説あるべき理なし。人の説を駁するはその説の自ら信ずるところに反すればなり、他の論を助くるはその論の自ら信ずるところに合すればなり。すべて哲学上の議論はみなおのおの一定の信ずるところあるによる。かくのごとき信はいわゆる理信にして、愚俗の信ずるがごとき妄信にあらざるなり。余がいわゆる哲学上の宗教は、この理信に基づきて立つるものをいう。すなわち自ら道理を究め尽くして、その極信ぜざるを得ざるに至りて信ずるところの宗教をいう。果たしてしからば、宗教も哲学も同一に帰すべし。なにをもってこの二者を分かつやと疑うものあらん。余請う、次節においてその別を弁ぜん。

 今それ純正哲学も哲学上の宗教も共に哲学の範囲中にあるをもって、二者の性質互いに相似たるところあるはもちろんなれども、また相異なるところありて決してこれを同一にみなすべからず。純正哲学は一般の哲学のごとく疑いを本として、神のなんたる、物のなんたる、世界のなんたる、未来のなんたる、時間空間のなんたるを究め、ひとたびこれを究め尽くすも更にまたこれを究め、甲これを是とすれば、乙これを非とし、丙一説を立つれば丁他説を唱え、甲乙丙丁互いに相抗排して真理中に真理を争う、いわゆる理論上の競争なり。哲学上の宗教はしからず、ひとたび道理を究めて得るところあれば、おのずからこれをその心に服して楽しみ、またこれを人に説きて人の心を安んぜしむ、いわゆる理論上の安心なり。これをたとえるに、一は戦乱の日のごとく、一は太平の世のごとく、一は労働のときに比すべく、一は休息のときに比すべし。ひとたび思想を労して休息をとるは宗教なり、更にこれを労するは哲学なり。すなわち一思想の作用の前後に、この二者の別ありて存するをみる。けだし人一定の時間思想を労すれば、一定の時間休息をとらざるべからざるは、自然の規則にして哲学あれば必ず宗教あり。宗教あれば必ず哲学あるもまた理のしかるところなり。故にいかなる哲学者も自ら一理を究めて、その真に達すればこれを楽しむより外なし。また自ら証してその心に明らかなればこれを信ずるより外なし。その信ずるもその楽しむも共に宗教の性質なるをもって、哲学者は多少宗教者に非ざるはなし。もしこれに反して自ら究むるところを疑い、更に他の真理を求めんとするときはこれ哲学なり。しかして晩年に至り終身究むるところの哲理一心に明らかにして、更に一点の迷雲をその間に生ぜず豁然と大悟するの際に達すれば、哲学の思想窮まりて宗教に入るなり。また今日の世界漸々進化して道理いよいよ明らかに知力いよいよ進み、その極理として明らかならざるはなく、事として知られざるなきに至れば、いわゆる黄金世界に入るものにして、この世すなわち極楽なり、この人すなわち仏なり、道理上の競争ここに尽きて無事安楽の真境に入る。これ哲学界変じて宗教界となるなり。故に宗教上よりこれをみれば、純正哲学は宗教の目的を達する方便に過ぎず、これをもって釈迦は宗教を説くに哲理を用う。哲理窮まりて宗教を生ずるものいわゆる仏教なり。かくのごとく哲学上の宗教と純正哲学とは、常に相連接して互いに相離るるべからざるもののごとし。しかれども両者の組織に至りては、おのずからその別ありて二者分かるるをみる。すなわち純正哲学は疑念を性質とし、究理を旨趣とするをもって、種々の異説相会して一組織をなす。哲学上の宗教は信を性質とし、安心を目的とするをもって、同一の説を有するもの相合して一組織をなす。かつ世のいわゆる哲学者は真理を究むるの際、ときどき宗教の思想を起こして自ら楽しむことあるも、つねに真理を発見するに汲々として、これを人に伝えて衆人一人のごとく、これを世に伝えて万古一日のごとく、同味相感じ相楽しむのいとまなし。しかして宗教の一組織をなすに最も要するところは、古今東西の人をして一味の安心に住せしむるにあり。すなわち宗教はひとり自ら楽しむにあらずして、人をして同味相感ぜしむるにあり。仏教のいわゆる自利々他これなり。故に宗教の一組織を開かんと欲せば、一定の信ずべき説を立てて自らこれを信じて楽しみ、またこれを人に伝えて人またこれを楽しみ、衆機相投じて一味同感の楽を受くるにあり。しかして、哲学上の宗教の一般の宗教に異なるは、その立つるところの説、哲学上を論究して得るところの結果にして、これを学理に考えて信ずべき理由あるによる。しかれども精密にこれを論ずれば、純正哲学と哲学上の宗教とは判然相分かつべからざるなり。二者中一を立てんと欲すれば必ず他を設けざるべからず、一を廃すれば他またしたがって廃滅に帰すべし。言を換えてこれをいえば、宗教の真理を定むるものは純正哲学にして、純正哲学の実用を示すものこれ宗教なり。故に知るべし、一は形而上学の理論に属し、一は実用に属するを。これを例するに、その二者の関係あたかも倫理論理等の諸学の心理学におけるがごとく、製造学、器械学等の純正哲学におけるがごとし。物理学は器械学の原理を考定し、化学は製造学の規則を研究し、心理学は倫理論理等の原理規則を研究考定し、純正哲学は宗教の原理規則を研究考定す。故に余は純正哲学を理論学とし、宗教を実用学とするなり。しかりしこうして、ここに一言を添えざるを得ざるものあり、すなわち純正哲学の結果を実用に示すもの、ひとり宗教に限るにあらざるこれなり。しかれども直接にその結果を実用に示すものこれ宗教なり。故に余は宗教をもって純正哲学の実際となすなり。かつ実際の理論に異なるは、人の行為思想を是非規制して、一定の法則に従わしむるにあり。心理学の実際の一部分なる論理学は、人の理学を可否して思想の規則に従わしめ、倫理学は人の行為を制限してその学に定むるところの法則に従わしむるの性質あり。今宗教もまたしかり、人の迷心を淘汰して安心の一道に誘引せんとす。仏のいわゆる転迷開悟これなり、断惑証理これなり、この理によりてまた宗教の実際に属するゆえんを知るべし。

 以上論ずるところによりてこれをみるに、宗教は愚俗愚民の信ずるところのものと、知者学者の信ずるところのものとを論ぜず、慨して実際に属するものなり。すなわち世間の実益を示し実用を助くるものなり。しかして理論上の研究は哲学の目的とするところなり。故に宗教家たる者の職として務むるところは、哲学上の理論をいかに実際に応用すべきかにあり。これによりてこれを考うれば、今日の仏者がひとり理論に汲々として実際の応用を顧みざるは、実に惑えりといわざるべからず。別してヤソ教を排するにひとり理論をもってせんとするもの、宗教のなんたるを知らざる愚者と呼ばるるも不当の名称にあらざるなり。余もとより知る、仏教はヤソ教のごとき愚俗一般の宗教にあらずして、哲学上の宗教なるを。しかれどもその本意安心立命にあり、自利利他にあるをもって、ひとり理論を講究するはその職とするところにあらざるや明らかなり。余また知る、仏教はただに宗教なるのみならず、また純正哲学の一部分なるを。しかれども仏者もし理論を講究するのみをもって、その務むるところとなすときは、仏教に与うるに宗教の名をもってすべからず、仏者を称して哲学者といわんのみ、かつ釈迦の教えを設くるの本意は哲学の理論を明らかにするにあるか、あるいは宗教の実益を示すにあるやと問わば、だれかその意理論にありという者あらん。ただその教中純正哲学に属するものあるは、宗教を説くに要するところあるによる。愚俗に対して宗教を説くには哲理を借りるを要せずといえども、知者学者に対して宗教の実用を知らしめんと欲せば、その教中哲理を説かざるべからず。けだし釈迦は哲学上の宗教を立てんと欲して、その教中一派の哲理を論定するに至る。これ他なし、哲学上の宗教と純正哲学とは一思想の上にその差別を有して、一を離れて他を立つるべからざればなり。故に余もとより信ず、理論は宗教を拡張するの一方便なるを。しかれども宗教の宗教たるゆえんは実際の応用にあるをもって、余は護法の第一手段は実際にありというなり。かくのごとく論ずるときは、人あるいはいわん、宗教のいわゆる実際は安心立命、転迷開悟の実際にして、国益を興し民利を計るがごとき実際にあらざるなりと。それしかり、あにそのしからんや。そのいうところのごとく、宗教の実際は転迷開悟の一道を達するにとどまるとするも、自己一身の安心立命を営むもの宗教の本意によらざるは明らかなり。仏教中には自利の修行と他利の修行との二種あるも、その本意自利利他兼行するにあるは、余が弁を待たざるなり。もし果たして、その本意広く人をして転迷開悟の利益を得せしめんと欲するにあるときは、いかなる方法を用うべきやというに、人の機に応じて法を説くより外なし。なお病に応じて薬を与うるがごとし。これ釈迦の随機誘引して八万四千の法門を説くゆえんなり。随機誘引せんと欲すれば、その人の情とその時の勢いとを察せざるをえざるはもちろんの理なり。しかるに現今わが国の時勢、人情を察するに、人に転迷開悟の真味を知らしめんと欲せば、よろしくまず目前の国益民利を実際に示さざるべからず。これを示すはすなわち随機誘引の方便なり。かつそれ人をしてその心を安んぜしめんと欲せば、まずその生存を保全するの道を施さざるべからず。人、衣食日用の必需を得るにあらざれば、これと共に宗教の真味を語るべからず。かつ人、生計を立つるに汲々たるの際、あによく宗教を顧みるのいとまあらんや。これまた宗教の実際を達するには国家の実益を示さざるをえざるゆえんなり。もしまた社会進化の上に考うるときは、その進化の際よくこれを利するものは栄え、これを利することあたわざるものは亡ぶ。これを適種生存の理法という。そのつまびらかなるは社会進化の条下に至りて論ずべし。これによりてこれをみれば、仏教の始めて世に起こりしはその教の世に適するところあればなり。その教の数千年に伝わりて、今日に存するゆえんのもの、またその世を益し人を利することあればなり。しからざれば、その教の決して世に起こり今日に存すべき理なし。ただに今日に存すべき理なきのみならず、今日その実益を世間に示さざれば、決してその教の将来に盛んなるべき理なし。古来仏教の盛衰を考うるに、その最も盛んなるときは最もよく世間を益し社会を利せしときなるをみる。もし更に数歩を譲りて、仏教はその盛衰に関せず転迷開悟の一道を達するにとどまるとするも、その転迷開悟の一道を達するは、一人の転迷開悟にとどまるにあらずして、衆人をしてこの果を得せしめんとするにあり。人をしてその果を得せしめんと欲せば、まず自らその地に達せざるべからず。いわゆる自信教人信なり。しかるに今日の僧侶は自らその教を信ずることあたわず、またその安心の楽境に達することあたわず。いずくんぞよく人を誘引せんや。ただにその心これを信ずることあたわざるのみならず、その言語といい、挙動といい、品行といい、名望といい、一として僧侶たるの資格を有せず。ああ、いずくんぞよく人を教導せんや。これ余が世間の実益を示さんと欲せば、まず仏者の内情を改良せざるべからずというゆえんなり。

 この内情の改良とこの実際の益を示すは今日の急務にして、護法の策、破邪の法、けだしこれより先なるはなし。仏者よろしく数百年来の僻見を去り、明治今日の活眼を開きて見るところあるべし。ああ、宗教は実際の法なり、宗教者なにに迷うてひとり理論を争うことをするや。ああ、仏教は自利利他の教えなり、仏者なにに苦しんで利仏を計らざるや。ああ、布教は自信教人信なり、僧家なにを思うて自暴自棄するや。余が惑い、これよりはなはだしきはなし。そもそも僧侶の天下の無用物たる久し。進みて功を国家に立つる者なく、退きて力を護法に尽くす者なく、日出でては食し、日入りては眠り、世人と共に笑い、世人と共によろこび、しかして大患の目前にあるを知らず。これを称して盲人というも決して不当にあらざるなり。今にしてこれを悔悟せざれば、後来ほぞをかむとも及ばざるの嘆きあらんことを信ず。なんぞ早く憤起して内情の改良を行わざるや、なんぞ早く志を立てて宗教の実際を施さざるや、これ余が日夜数万の僧侶に向かって熱望するところなり。

 以上論ずるごとく、宗教は世界の実際に関する安心の術なるをもって、その目的を達せんと欲せばまず俗界の事情を知らざるべからず。およそ実際と称するものは学界の理論を俗界の上に応用するの名にして、仏教はすなわち学界の理論を俗界に応用したるものなり。故にここに学界と俗界との性質の異なるゆえんを証明する必要なりとす。一口にこれをいえば、学界は理論を主とし俗界は実際を主とす。学界は理論を主とするをもって、道理上是非善悪を論じて互いに相競争し、俗界は実際を主とするをもって実際上利害得失を較して互いに相競争す。一は道理競争にして、一は腕力競争なり。故に学界にありては理の正しきものは勝ち、正しからざるものは敗れ、俗界にありて力の強きものは勝ち、弱きものは敗る。いわゆる優勝劣敗なり、いわゆる弱肉強食なり。故に俗界にありて人の長たらんと欲すれば、腕力に非ざれば金力、金力に非ざれば権力を有せざるべからず。しかれども、かくのごとき腕力金力等は学界においてすこしも用うるところなし。これ俗界と学界と性質を異にするゆえんなり。今余がいわゆる宗教は学界の論究によりて得るところの結果を俗界に応用して、その実益を示すものを称するをもって、これを学界中の実際に属するなり。故にもし、宗教を理論の一点にとどめてこれを実際に施さざるときは、これ純正哲学にして宗教に非ざるなり。もし宗教を実際に施さんと欲せば、俗界の性質に適合せしめざるべからず。すなわち腕力、金力、権力等をもって互いに相争わざるべからず。たとえ自ら争わざるも身をこの競争の間に接せざるべからず。これを例うるに学界好風晴日の平地のごとく、俗界は暴風狂波の海洋のごとし、その風波の間に浮ぶところの船舶はすなわち宗教なり。その船舶を左右回漕する者は宗教家なり。今、宗教家の目的は人の難海中に沈溺する者を救助して、安心立命の彼岸に至らしめんとするにあるをもって、自ら一身を難海の中に投じて社会の風波と共に浮沈上下せざるべからず。これに反して、身は好風晴日の平地に安んじ、ひとり口舌を労して難海の人を済度せんとするも、そのあたわざるは必然なり。これに至りてこれをみれば、仏者中宗教家は当時の時勢を観察するを要せず、社会の風潮を知らずして可なりと論ずる者あるも、その論考するに足らざるや明らかなり。舟師たる者、風の方向、波の高低を知らずして可ならんか。宗教家は人海を渡る舟師なり、よろしくまず社会の風波を観察して済度の船を指揮すべし。これ余が宗教家たるもの社会の実情を知らざるべからずというゆえんなり。これを要するに、宗教は社会の一部を占有するも、その目的とするところ実際に応用するにあるをもって、宗教家は俗界の事情を知らざるべからず。ただに俗界の事情を知るのみならず、その間に宗教を適合するのいかんを考えざるべからず。これを俗界に適合して実益の多少を争うは宗教間の競争なり。その競争の結果、実益の多き者は勝ち、少なきものは敗るるは自然の理なり。ヤソ教の盛んなるも、仏教の衰うるも、この理に外ならず。破邪の法、護法の策みなこれより起こる。ああ、わが同朋数十万の僧侶よ、請う、早くここにみるところありて同心一志、真正の護法を講ぜんこと、これ余が渇望してやまざるところなり。

     第二題 社会進化

 余は第一題の下において人界に学界俗界の別あるゆえん、および宗教は学界中の実際に属するゆえんを述べて、宗教家は実際を本とせざるべからざるゆえんを証示するに至る。しかれども未だ人界の進みて学界俗界二域を開くゆえん、および俗界の進みて制轄部、製産部、運輸部を開くゆえんを論明するに至らず。かくのごとく一界の進みて諸域を開くものこれを進化という、俗界の進化するこれをここに社会進化という。社会進化して始めて俗界の外に学界を開くに至るをもって、社会の進化を論ずるときは学界の進化もおのずから知ることを得べし。その他、社会進化の理を知るときは、俗界の性質および宗教をこれに適合するの方法をも知ることを得べし。余がさきに重ねて論ずるごとく、宗教の用は果たしてその法をして俗界に適合せしむるにあるときは、宗教家たる者、社会進化の理を知る最も必要なりとす。しかるに、僧侶中社会の性質事情を知るを要せずという者のごとき頑僧輩の論は、もとより考うるに足らざるなり。もし余が明言するところに疑いあらば、請う、これより論ずるところをみるべし。

 人もしなにをか社会と称するかと問わば、今日今時の人界を指してこれ社会なりと答えてしかるべしといえども、古代の人界と今日の人界とは大いに異なるところあるをもって、人界すなわち社会なりと答うることを得ず。しからば社会と人界とはいかなる異同ありやと問わば、その異同を示すこともとより難きに非ざるなり。人界とは人の相集まりて一界をなすに与うるの名にして、その人互いに相結合団成せざるも、人界と称することを得べしといえども、社会の名は結合団成せざるものに与うべからず。しかして人界の原始にさかのぼりてこれを考うるに、人類の未だ結合団成せざるときありしをみる。すなわち当時の人民は互いに相離散して生存し、農商の区別なく、君臣の階級なく、井をうがちて飲み、田を耕して食い、おのおのその力をもって自らもとむるところを得ることを務め、互いに分業助成するの便用を知らざるなり、かくのごとき人民は今日の世界にありても往々見るところなり。すでにわが国のごとき開明の上位に列するも、山間僻陬の地に至ればなおこの余俗を存するを見る。更にさかのぼりて太古の初世を考うるに、ただに農商君民の別なきのみならず、家屋なく衣服なく火食を知らず、穴居巣棲、裸体跣足、草根木実を食うの蛮民ありて存するを見る。シナの『十八史略』の巻首を読みても、その一斑を知るに足る。かくのごとき人民に至りては、禽獣とその別を見ることあたわざるなり。これによりてこれをみれば、上世の人民は結合団成して一社会をなすに至らざるを知るべし。しかして今日の人民は結合団成して一社会をなすをもって、社会の組織は社会をなさざるものより進化してきたるゆえん、またすでに明らかなり。更に進みて地球進化の順序を考うるに、有機は無機の後に生じ、人類は動物の後に生ずるを見る。すなわち人類は動物界中より進化してきたるなり。しかして動物は結合団成の組織を有せざるをもって、社会は社会をなさざるものよりきたるゆえん、また知るべし。ただここに疑うべきは社会をなさざるもの、いかにして社会をなすに至りしやの一問題にあり。これ余がいま弁明せんと欲するところなり。およそ物には集合体と結合体と二種あり。例えばここに土石相集まりて一小丘をなし、諸泉相合して一大川をなすものありと観想するに、これはみな集合体と称すべきも結合体と称すべからず。もしこれに反し、ここに一個の動物ありて、肺臓、心臓、腸、胃、血管、神経、相合して一生体を組織するときは、これを結合体と称すべし。集合体はその一部分を除去するも全体の性質を損ずるに至らざれども、結合体はその一半を去れば全体その性質を失うに至る。すなわち土石の一塊よりその一部分を去るも、その分量を減ずるのみにして、土石の性質を失わざれども、動物の体中より五臓の一部分を去るも、動物その生活を損ずるに至る。故に無機体は集合体に属し、有機体は結合体に属すべし。今社会は結合体なるをもって、今日の社会学にてはこれを一個の有機体とするなり。しかして人類の未だ社会を結成せざるに当たりては、一個の集合体に過ぎざるなり。故にその進化、あたかも無機の進みて有機を生ずると同一なり。また社会中の組織漸々進化してますます完全なる結合体となるは、あたかも有機の漸々進化して高等動物を生ずるに至ると同一なり。故に生物進化の原理を応用して社会進化の現象を開示すべきものとす。そもそも進化の原理はその始め生物学上に起こりしといえども、今日に至りてこれを心理、道徳、宗教、社会百般の事物に考うるに、一としてその規則に従わざるものなし。これをもって進化学ひとたび世に出でてより、天下の学説ことごとく変ずるに至り、ヤソ教のごときは、その学の未だ起こらざる時と今日とは、その説ほとんど霄壌の異あるをみる。進化学の影響実に大なりというべし。故に余もまた生物進化の理をもって、社会の起こるゆえんを証明せんとす。これを証明するには、第一に生物学を論ぜざるべからずといえども、今これを論ずるのいとまなきをもって直ちに社会進化を述ぶべし。

 請う、試みに太古社会の未だ開けざるに当たりて、二、三種の人類ありと想すべし。その人類あるいは集まり、あるいは散じて一所に群居することなく、あたかも野獣の集散定まりなきがごとしといえども、生存上群居せざるをえざる事情ありて、社会を組成するに至るをみる。その事情とは人類の生存に最も要すところの住所と食物なり。住所なければその身を安んずるあたわず、食物なければその生を保つあたわず。しかしてこの二者は限りありていずれの所に至るも、必ずしも衆多の人類をいるるに充分なる住所と食物を得べきに非ず。別して食物は一定の限りありて、その量衆口を飽かしむるに足らず。これに反して、人口はますます繁殖するの傾向あり。例えばここに一根の年草あり。毎年二種子を生じ、その種子またおのおの二種子を生ずるものと定めて推算するに、二十年間には百万の多きに至るべしという。また動物中、象は繁殖の最も遅きものなれども、七百五十年間には一千九百万頭の多きに至るべしという。人間もその生殖に妨害なきときは二十五年間にその総数の一倍に至り、百年間には男の総数十六倍に増加すべしという。もしこの割合をもって人類永く繁殖するに至らば、数百年の後には、食物の欠乏はもちろん地球上住すべき地なきに至るは必然なり。この限りある住所と尽きることある食物とをもって、ますます繁殖増加せんとする。人口を支えんとするときは、いかなる結果を生ずべきかは容易に了知すべきなり。すなわちその結果は競争を生ずるに至ること明らかなり。仮にここに夫婦二人を養うべき食物ありと定むるに、その子孫増加して十人に至るときは、おのおのその生存を全うすべからざるはもちろんにして、その中の二人生存を全うすれば、他の八人は生存を遂ぐることあたわざるは必然の理なり。このときに至りて十人共に生存を全うせんと欲するときは、自他の間に食物に対して競争せざるべからず。ひとたび競争すれば強かつ優なる者は勝ち、弱かつ劣なる者は敗るるもまた自然の理なり。これ競争の社会に起こる原因なり。しかしてその競争は一属間に起こるのみならず、進みて他種属の間に起こるに至る。その一属中の強優なる者、ひとたび他種属と争いよくこれに勝るときは、その住所食物を奪い取りて自己の種属を給養することを得るなり。その際争うて敗るる者その生存を得んと欲せば、他所に逃亡するか、優者に服従するかの二者の外選ぶところなかるべし。優者に服従して互いに相助くるときは、その一属ますます勢力を得て、つねに勝利を占むるに至るべし。例えばここに二群の種属ありて、その間互いに相争うときは、その最もよく服従団結して長者の命を奉ずる者、勝を制するは当然の理なり。これにおいて一群ますます団結するの勢いを生ず。故に社会団結は競争の結果なるを知るべし。これを要するに人口増殖と住所食物の欠乏とによりて離散したる人類も、次第に群集会合して自他の間に競争を生じ、競争の結果自属あるいは他属の間に優勝劣敗、服従団結して社会の基礎を開くに至る。これ離居の転じて群居となり、群居の転じて社会をなすゆえんにして、さきにいわゆる集合体の変じて結合体となるものなり。つぎに分労の起こるゆえんを考うるに、未だ社会の結合せざるに当たりて、人々おのおの同一の職業を営み、製産も戦争も運輸も更に力を分かちて従事することなし。一旦敵と戦うに当たりては兵士となり、平時にありては農商となり、一種属内の人々みな同一の労をとるも進化自然の勢い、自他の間に分労助成せざるを得ざるに至る。すなわち人の体質能力、生来同一ならざるをもって、おのおの労を分かちてその力に適するところの業をとるは、その便益おのおの同一の事業をとるに勝ること明らかなるをもって、競争の際そのよく分労を設けたる種属は勝ち、分労なき種属は敗るるは必然免れるべからざるなり。これをもって進化自然の勢い、分労助成の方法の野蛮種属の間に行わるるに至る。けだしその分労の始めは男女の間に起こるという。男女はその体質能力共におのおの相異なるをもって、生来同一の業に従事するあたわず。一旦戦争の起こるに臨みて、男は兵士となるべきも、女は兵士に適せざるをもって、自然の勢い外に出でて敵と戦うは男子の職となり、家にありて製産供給を営むは女子の職となるに至る。その後ようやく進みて、男子中に分労の制を設くるに至れり。すなわち男子にも柔弱なる者と剛強なる者との別ありて、剛者は戦争に適するも、柔者は不適当なるが故に、これまた進化自然の勢い剛者は外に立ちて敵を防ぎ、柔者は内にいて運輸製産を助くるに至るべし。これ戦争部と製産部の分かるるゆえんなり。しかしてその戦争部の中にも、その最も優強なる者は酋長となり、その他は従属となりて互いに労を分かちて交戦を営むに至る。その酋長は同属中の最強者なるをもって、人みなこれに随服してその命を奉ずるは必然なり。別して戦争に当たりて非常の権威を有するは、いうまでもなきことなり。故にその勢いただに戦争のとき部衆の長たるのみならず、平時にありても一群の長となりて、その一属を制轄するはもちろんなり。これ君臣上下の別、世に起こるゆえんにして、また制轄部の社会に起こるゆえんなり。かくして戦時の酋長は立法、行政、裁判より道徳、宗教等に至るまで百般の長官となり、これについで勢力を有する者互いに相助けて、政府の一組織を生ずるに至る。その状あたかも一個の有機体の発育に異ならざるなり。有機の発育は外囲と内囲の分かるるに始まり、外囲には手、足、耳、目、皮膚等の次第に発達分岐するありて身体の城壁となり、外界の諸事情に競争して全身を防護するものなり。これを社会の戦争部に比すべし。つぎに内囲には腸胃等の消化器次第に発育するありて、全身の栄養を製出するものなり。これを製産部に比すべし。しかしてまた神経の次第に内外両囲に分布するありて、全身の運動知覚を指令伝搬し、脳髄においてその中枢作用をつかさどるをもって、神経系はこれを政府の組織に比すべく、脳髄は酋長の地位に当たるものなり。これ社会は一個の有機体にして生物進化の規則に従って進化するゆえんなり。

 つぎに進化全体に関する事情を考うるに、ここに三種の事情あり。曰く競争、曰く変化、曰く遺伝なり。競争には同属の競争と外情の競争との二種あり。同属の競争とはさきにすでに述ぶるごとく、人類間に生ずるところの競争なり。外情の競争とは気候、地質、衣食等に対して起こるところの競争なり。およそ人たる者天地間に生まれてその生育を全うせんと欲せば、第一に気候地質に勝るべからず、第二に衣食そのよろしきを得ざるべからず。その身寒暖風雨のために病を醸し、衣食その適度を失するをもって衰弱をきたし、ついに生長の中途にして死亡に帰するに至る者世間に幾人あるを知らず。これみな外情に競争して敗をとる者なり。故に人生まれてその力よく外情に適する者は生存し、適することあたわざる者は死亡す。これを適種生存の理法という。この理法は一人の発育につれて定むるところの規則なれども、ひろく社会発達の規則に応用することを得べし。例えば、社会の団結するには地勢の大いに関するあり、人口の繁殖するには製産の大いに関するあり、知力の発達するには気候の大いに関するあるがごとし。かつ社会は一個人より成立するをもって、一個人の発達生育は社会の発達を徴するに足る。故に外情の競争は社会の進化に免るるべからざる事情なり。つぎに変化の事情とは人々生来有するところの体質能力の異同にして、その異同、経験習慣によりてますます増長するの事情をいう。しかして人にこの変化の起こるは、主としてその日夜接するところの外情の同じからざるによる。例えばここに二人ありて、その初め体質能力共に同等の力を有する者と定むるも、その生長に際し同一の外情に接し、同一の経験習慣を受くることあたわざるは必然なり。外情に変化あれば、おのずから内情に変化を生ずべきはまた当然の理なり。これをもって、人々同一の体質能力を有することあたわざるなり。その力ひとたび不同を生ずれば、ますます懸隔するの勢いあり。すなわち今、自他の間、生存競争を営むに当たり、強者勝ちて弱者敗るるときは、強はますます強にして、弱はますます弱なるの傾向あるを見て、その理を知るべし。社会の進歩もまたこの規則による。強国はますます盛んに、弱国はますます衰うるの傾向あるは、みな人の知るところなり。しかしてまたこの変化あるは、社会の進化するゆえんにして、競争の原因は変化にあるゆえんを知るべし、すなわちここに種々異類の種属あるをもって、その間に競争を生ずるに至り、その競争の結果、種々の変化を生ずるをもって、また更に競争を生ずるに至るなり。なお水面に高低の変化あるをもって波動の競争あるがごとし、高低なければまた波動なし。社会の波動はその進歩するゆえんにして、変化なければまた競争なくまた進歩なし。これをもって強はますます強にして、強、極点に達すればこれと競争する者なきをもって、更に進歩することあたわざれば、かえって退歩するより外なし。なお静水の久しきを経れば腐敗をきたすがごとし。故に変化は社会の進歩競争に欠くべからざる事情なり。つぎに遺伝の事情を考うるに、外情の競争より得るところの変化、および教育経験より得るところの変化は、これを子孫に遺伝するの性あり。犬の子は常に犬にして、人の子は常に人なるは遺伝なり。強者の子は多く強にして、弱者の子は多く弱なるも遺伝の力なり。これをもって動物は次第に上等に進み、人類は次第に開明に赴くなり。これを要するに競争は変化を生じ、変化はこれを遺伝して、次第に進化することを得るなり。社会の進化して今日に至る者、一としてこの事情によらざるはなし。しかして社会の次第に範囲を増加するは、隣邦の併呑と食物の製産とによる。食物製産の器具を発明して多量の食品を得るに至れば過多の人口を給養すべく、兵力強くして隣邦を併呑するにいたればその版図次第に大なるべし。これをもって社会競争の結果、強大の邦国を現ずるに至るなり。すでに強大を極めてこれに敵する者なきに至れば、また次第に衰弱なるに至る。これ社会に盛衰興亡の変あるゆえんにして、その進歩に欠くべからざる者は、競争変化にあるゆえんを知るべし。これに至りてこれをみれば、社会進化の原力は競争の一理に外ならず、競争盛んなればますます進歩し、競争やめば次第に衰う。しかして競争の結果、強弱その淘汰してその最も当時の事情に適するものひとり生存繁栄するは、これを自然淘汰の規則とす。この規則はただに人界に社会を団成するに至りし原因なるのみならず、社会中百般の事物の進歩するゆえんみなこれに基づく。故に社会進化の原理を研究して、その最も注目せざるを得ざるものは、競争変化の事情、適種生存の理法、自然淘汰の規則なり。この諸則に従って生ずるところの作用を進化という。故に進化作用は簡単より複雑に赴き、一種より多種を分かち、小より大に進み、微より著にうつり、外はいよいよ完成結合し、内はいよいよ分化抗排するの性質あり。社会進化についてその一例を見るべし。社会はその初め集合体なるも次第に進んで結合体となり、その一部分を組成せる製産部をその中より除くも制轄部を去るも、共に全社会の組織を破壊するに至る。しかしてその内部に至りては分労の制ますます精密にわたり、ただに制轄、製産、運輸の三大系を開くのみならず、その一部中にまたあまたの分業相生じて、自他互いに相競争抗排してますますその進歩をみるに至る。その他人に知力思想の発達するに従い、俗界の組織の他に学界の組織を開くに至り。学界中また諸域の分かるるありて、ますます分化作用の著しきをみる。これをもって社会進化の現象は分化結合の二作用を示すに至るゆえんを知るべし。

 以上論ずるところによるに、社会進化の原理、要するに競争に外ならず。競争ありて始めて分化結合の結果を見るなり。故に余は競争をもって蒸気力にたとえ、社会の進動を促すところの原力といわんとす。これをもって世間のこと、大となく小となく競争によらざるものなきを知るべし。俗界は腕力競争あり、学界には道理競争あり、商家は互いに商業を競争し、農夫は互いに農業を競争し、婦女児童に至るまで朝夕競争せざるはなし。これを大にしては国際の競争ありて、あるいは議論をもってし、あるいは金銭をもってし、あるいは兵力をもってし、一日も競争のやめたることなし。故に人界は人を評して競争世界と称するも、あに不可ならんや。この競争世界に生存するもの、片時も競争を忘れざらんことを要す。しかれども、競争に大小内外の別あるをもって、その差別を混同するときはまた大いに害あり。一個人の間の競争と国際の競争とはもとより同一にみなすべからず。古代社会の未だ開けざるに当たっては、一個人の間の競争のみなりしも、社会団結したる今日にありては国際の競争あり。今この二者を較するときは、国際の競争は大にして、一個人の間の競争は小なり、小なる競争は大なる競争に譲らざるを得ざるは理の常なり。これをもって国際の間に競争を生ずるに当たりては、一個人互いに相結合して同心協力してその競争に従事せざるべからず。そのよく結合する者はその国強く、結合することあたわざる者は弱し、これにおいて道徳上愛他の説起こる。自愛の心はもとより人に欠くべからざるものなれども、自愛のみありて愛他心なきときは、一個人の間に常に相競争抗排して、一国の団結を期することあたわず。しかれども自愛の心は常に相存して決して廃すべき者に非ず、国際の間に競争するにより、自国を愛して他国を憎むは、すなわち自愛の発達したる者に過ぎず、愛他心をもって団結を固くせんとするもの、また自愛心より起こる。故に愛他心は自愛の発達したる者に外ならず、かつまた国人互いに相団結するにも、その間常に自愛競争の心を欠くときは、国際の競争をなすことあたわず。互いにその名誉を愛し功業を期し、先後競争して国家に尽くすの志ありて、始めて他国と抗敵競争すべし。故に道徳上自利を賎み愛他を勧むるは、その意おのずから社会の団結を固くせんとするにあり。社会の団結を固くするは、その固意国際の競争に勝利を占めんとするにあり。果たしてしからば、社会の原理は競争に外ならず、古代も競争なり、今日も競争なり。ただ古今異なるところあるは、古代は一個人間の競争あるのみ、今日は一人の外に国際の競争あり。その競争の際に立ちてこれをみれば、道徳も宗教もこれを助くる方便に過ぎざるなり。故に人たるもの、その務むるところ常にもっぱら競争心を養うにあるは古今一なりといえども、世の進歩に従って要するところただ下等私利の競争心を去りて、高等公益の競争心を養うにあり。かくのごとく競争は古今にわたりて変ずることなきをもって、いやしくもその間に事を処せんと欲せば、常に勝利を占むることをもって目的とせざるべからず。勝利はよくそのときの事情に適する者に帰するはもちろんにして、これさきに挙ぐるところの適種生存の道理なり。この点は世に事を処する者の、最も注意せざるを得ざるところなり。まずかくのごとく論定して、つぎに宗教の事情をみるに、その世に起こるは社会進化の際起こらざるを得ざる事情ありて起こるものにして、社会の関係を離れて起こるものに非ず。かつ宗教は社会の中に存して、その範囲外に存するものに非ざるをもって、社会進化の規則に従わざるを得ざるはもちろんなり。もしその規則に従わざるときは漸々衰微して、社会中に生存すべからざるの理またすでに明らかなり。もしその規則に従って社会の勝利を占めんと欲するときは、競争団結を務めざるべからず、優勝劣敗を思わざるべからず、適種生存を知らざるべからず。しかるに今日の僧侶の競争心に乏しきは、みな人のみるところにして、その勢い到底社会の競争に加わりて、仏教の興隆を計るべからざるなり。ただに同侶の間に競争せざるのみならず、進みて外教と競争するの力なく、社会一般の人民と競争するの勢いなく、自国を興して他邦と競争せしめんとするの志なく、自ら許し自ら安んずる事実に大過なしといわざるべからず。たまたま競争するも門地寺格を争い、虚名外飾を争うにとどまりて、実地の競争をなす者ほとんどまれなり。その今日の事情に適せざるはもちろんにして、今後進化競争の間に生存すべからざるの理、またすでに明らかなり。その他、僧侶の団結力に乏しきは、またみな人の知るところなり。現今数十万の僧侶、その数をもってすればすでに過多なりといえども、おのおのその欲するところに従って一義を唱え、更に相団結協合して護法の実効を立てんとするの気力なし。しかして外敵は四面相接してその藩籬にせまり、孤城旦夕に落ちんとするの勢いをなすも、城中の兵士、恬として知らざる者のごとし。ああ、社会は一大戦場なり。日の出でてより月の没するまで、左右に対し前後に向かい競争格闘するより外なし。この間に立ちて各個一義を唱え、協合団結を欠く者、いずくんぞよく衆と競争せんや。ああ、僧侶たる者、あに徒然歳月を弄するのときならんや、なんぞ一臂を奮うてその間に投ぜざるや。

 しかるに僧侶中、頑城に篭居するものはつねに例を維新前に徴し、従来の僧侶は経を誦し仏を念ずるの外、他事に関せざりしも、よく仏教世間に盛んなりといい、あるいは従来の僧侶は社会の競争を避けたるも、よく世間の勢力を得たりというといえども、維新以前と今日とは決して同日に論ずべからず。徳川時代は静水の面に波痕を見ざるがごとく、競争跡を絶して社会進歩せざるのときなり、今日は天風のにわかに起こりて水面に波を揚げたるがごとく、社会一時に激動して競争四方に起こるときなり。この間にありて恬然なすことなくして、従来の地位を保たんと欲するも、激波の揺動するところとなりて、一隅に放棄せらるるより外なし。あたかも小魚の大浪に撃たれて浜上に投げ出されたるがごとく、その生存を保つことあたわざるなり。社会は海洋のごとく、その波の平らかなるに当たりて、人みな船中に平臥閑眠して波上を渡ることを得るも、風日の穏やかならざるに当たりては、片時も安座すべからず、今日はその安座すべからざるときなり。このときに際して、昔日の好風穏波を思うて、平臥閑眠せんと欲するも、なしあたわざるをいかんせん。故に今日の護法を論ずるに、昔日の例を徴するは、全く社会の変遷を知らざる妄言と評して可なり。社会はさきに重ねて述ぶるがごとく、常に競争し常に淘汰して漸々高等の地位に進化するものなり。その進化の際、社会淘汰のやむときあるはすなわち退歩のときなり。徳川氏の世、競争淘汰の行われざるは文化の退歩を示すものなり。今日は文化振起のときなるをもって、競争の大いに起こるを見る。故に知るべし、前後もとより同日の論に非ざるを。その他、今日の僧侶は今日の事情に適合するの変化を有せざるのみならず、従来の頑陋を遺伝し悪習に薫染するをもって、遺伝変化、教育経験、みな社会の競争に加わりて優劣相淘汰するに、不利なること更に証するを要せざるなり。果たしてしからば、幾万の僧侶あるも、到底その教法を社会に維持すべからざるは、鏡に懸かりて見るよりも明らかなり。故に僧侶たるもの、いやしくも護法の実効を立てんと欲せば、よろしくまず競争心を起こし、内には自他、諸宗諸派の間に競争し、外には他教、他学他社会の者と競争して、近くは一宗の興隆を計り、遠くは一国の独立を祈らざるべからず。すなわち一個人の競争より進みて、国際の競争に加わらざるべからず。しかしてその教法内の組織は分化結合の規則に従い、外はますます結合団成して諸宗一体のごとく進退し、内はますます分業競争しておのおのその責を任じ、諸宗諸派相合して一体の有機組織を開き、一塊の結合体を団成せざるべからず。かくのごとくにして、始めて社会の競争淘汰に加わりて、その狂風激浪の間に生存を全うすることを得るなり。その体すでにかくのごとく団結する以上は、政治界にいかなる変動あるも、ヤソ教いかなる跋扈を極むるも、すこしも意に介するに足らざるなり。畢竟政治界の変動を恐れ、ヤソ教の䟦扈を憂うるは、自体の分化結合そのよろしきを得ざるにあるのみ。顧みて宗内の風習を察するに、末寺と本山の間はますます懸隔し、他宗他派の間はますます分離し、上下相信ぜず、自他相和せず、団合力に乏しき最もはなはだしきを見る。この風習ひとたび散ずるに非ざれば、到底仏教の復興を期すべからざるなり。故に僧家今日の急務、これを内にして僧侶をして優勝劣敗の精神を発し、結合団成の風習を養わしめ、これを外にしては有機組織を結成し、実際競争の方法を設けしめざるべからず。これ余が破邪の第一手段は理論に非ずして実際にあり、護法の第一策は内情の改良と世間の実益を起こすにありというゆえんなり。余この社会進化の一題を結ぶに当たりて、一言僧侶の注意を要するものあり。およそ事物の生滅盛衰は、一として偶然に起こるものなきなり。その偶然に起こるものなきは、さきにいわゆる適種生存の理にして、社会進化の際、よくその事情に適して進化を助くるものは生存繁栄し、その事情に適せずして進化を妨ぐるものは敗亡衰滅すべし。しかしてその適と不適とは、社会の実益を起こすと起こさざるとにあり。故に社会競争の際、生存を全うせんと欲せば実益をさきとせざるべからざるなり。その他、諸学諸術盛衰の理は、虚形を守ると新法を立つるとにあり。およそ社会の進歩はさきにすでに示すごとく、その組織中に種々の変化を生じて競争を起こすに始まり、その退歩は競争やみて変化を見ざるに至りて始まる。その変化を見ざるに至るは人みな虚形を守るにより、その変化を生ずるは人みな新法を立つるにあり。わが徳川氏の世のごときは、社会百般の事物みなひとりその虚形を存して、その実を失するに至れり。けだし事情の起こるはその初め実用ありて起こるものなれども、すでにその実用を失してなお存するものあり、これを虚形を守るという。わが明治の今日のごときは、従前の虚形を破りて新法を立つるものなり。新法を立つるとは、時事に応じて新たに当時の実用に適するものを設くるをいう。一を守形主義と称し、一を立新主義と称す。僧侶今日の景況はいわゆる守形主義にして、従来の習慣風俗を固守するのみ。更に今日の時勢に応じて改良を施すことなし。たとえ宗教の宗義はみだりに変遷すべきものにあらずといえども、その外形上の風俗方便に至りては、立新を正義とせざるべからず。これまた今日、僧風改良を要するゆえんなり。

     第三題 宗教盛衰〔仏教事情〕

 余前段において、社会は進化して一日も停止せざるゆえんを述べ、その際に行わるところの百般の事物みなこれと共に変遷せざれば、社会に生存すべからざるゆえんを述べたるをもって、仏教も社会も生存せんと欲すれば、これと共に進化変遷せざるべからざるゆえん、すでに明らかなりと信ず。けだし社会競争の原則たる競争淘汰、適種生存の理は、百般の事物盛衰の原因を証明するに足るをもって、仏教ひとりこの規則に応合せざるの理あらんや。その理を明らかにせんと欲せば、よろしくまず仏教の社会の外に存するか、その中に存するかを考うべし。もしその中に存するを知らば、社会の進化するに従って宗教の生じたるものなるか、宗教中より社会の産出したるものなるかを究むべし。もし宗教は社会の進化するに従って、自然に世間に生ずるに至るゆえんを知るときは、その盛衰、社会進化の規則に従うべきは問わずして知るべし。まず宗教は社会の中に存するか、外に存するかを考うるに、日月星辰の間に現ずる宗教に非ず、水火土石の間に行わるる宗教にあらず、禽獣草木の間に弘まる宗教にあらずして、人類の間に存する宗教なるや明らかなり。故に宗教は人間社会特有の法なりと知るべし。かつ古人もいうごとく、人はよく道を弘む、道人を弘むるにあらず、仏能演の功あり、法自顕の力なしともありて、決して社会の外に宗教を求むべからざるなり。すなわちこの社会を離れて、八方上下縦にも横にもその類を絶したる宗教なれば、これを社会の中に存するものといわんのみ。つぎに宗教より社会を生じたるか、社会より宗教を生じたるかを尋ぬるに、すでに社会特有の宗教なるゆえんを知れば、競争中より生じたることまた瞭然たり。およそ地球上いずれの国においても、その歴史の初代にさかのぼれば、宗教の全く存せざるときあるをみる。今日の世界においても、極めて下等の野蛮人種は宗教と称すべきものを有せざるあり。上代の人民に至りては、その痕跡だも有せざるは歴史上に考えて明らかなり。かつ人類進化説によるに、社会は禽獣界より成来したるものなれば、その初めは今日の獣類のごとく宗教を有せざるは、また明らかなり。故に宗教は社会進化の成果にして、政治道徳、百工技芸と共に世間に生ずるに至りしや、決して疑いをいるるべからず。果たしてしからば、宗教は社会進化の規則事情に従うべきは必然なり。すなわち仏教の盛衰存亡は、そのよく社会の事情に適すると適せざるとにありて、これをしてその事情に適せしめんと欲せば、ときどき改良をその上に加えて、社会と共に進化せざるべからざるものと知るべし。すでにしかるゆえんを知るときは、またここに宗教は永く社会中に存せんと欲せば、その進歩を助けその利益を計らざるべからざるゆえん、また知らざるべからず。その利益を助くること多きものはますます栄え、少なきものはわずかに存し、助くることあたわざるものはついに衰うるに至るは、競争淘汰、適種生存の原則より派出するところの理法にして、すなわち社会中に存する百般の事物、盛衰存亡の通則なり。宗教あにひとりこの通則に反するの理あらんや。今、仮に比喩をあげてその理を示さば、ここに一人ありて他人の家に起居するに、その人永くその家に住せんと欲せば、その家のために利することを計らざるべからず。もしこれに反して害を計らば、その家に住すべからざるは必然の理なり。宗教はややこれとその事情を異にするも、その理に至りては同一なり。宗教もし果たして社会を害するものならば、その教繁盛すれば社会は衰頽し、社会繁盛すればその教衰頽し、二者並存すべからざるもまた自然の理なり。しかるに宗教は社会を離れて存するものにあらざるをもって、社会衰滅して宗教ひとり繁盛を占むることあたわざるも、またまた当然のことなり。故に宗教は社会を害するをもって目的となすべからざるは、明らかなりと知るべし。すでに社会を益するをもって目的とする以上は、その盛衰存滅はその益の多寡に関するも理のまさにしかるところなり。たとえしからざらんと欲するも、宗教競争の勢いここに至らざるをえざるはもちろんなり。故に将来日本の宗教となるには、日本を益するの実行なくんばあるべからず、世界一般の宗教となるには、世界一般を利するの実行なくんばあるべからず。あたかも他人の家に仕うるものは、その家を益するの実行なくんばあるべからざるがごとし。別して今日にありては、仏教はヤソ教に対して競争せざるを得ざるときなるをもって、わが国将来の宗教となるは、両教中その最もよく国を利し民を益するものに帰するは、勢いの免るべからざるところなり。仏者あに猛省せざるべけんや。これを例うるに、甲乙二人共に主人の家に起居して、互いに相争うてその家の愛護を受けんとするがごとく、その最もよく日本のために力を尽くすもの、最も愛護を受くるは言を待たざるなり。別してわが国今日の事情は、実際を要するにあるをもって、その事情に適せんと欲せば、早く教法の実益を示さざるべからず。その実益を示すはいわゆる適種生存の規則に応同するものにして、その社会に生存繁栄するに欠くべからざる事情なり。余がみるところによるに、ヤソ教者はこの機密を知りて、方術を施すもののごとし、仏者あにこれを傍観座視すべけんや。これに至りてこれをみれば、社会の事情に適合し、その実益を増進するは、宗教盛衰上免るべからざる通規にして、仏教の隆替もこれによりて卜定すべきなり。余がここに仏教の事情と題せしも、またただこの盛衰の規則をいうのみ。今、更に仏教の社会はこの規則によりて定むべきゆえんを明らかにせんがために、仏教古来の歴史を略言して批評を下さんとす。請う、次節を見るべし。

 それ仏教はインドに起こり、シナに伝わり、日本に入るも、インドの歴史は明らかならざるをもって、仏教の盛衰と社会の関係を知ること難く、シナの歴史は仏教のことを載せざるをもって、またその関係をつまびらかにするあたわず。本朝の歴史も不完全なりといえども、ややその関係を知るに足る。けだし日本に仏教の流布するに至りしは、聖徳太子の力によるはみな人の許すところなり。かつ太子は仏教に功徳あるのみならず、政治に法律に文化開進に功労ありしも、また人の知るところなり。すなわち太子、仏教を助けてその流布をきたせしは、社会の進歩に関して有益の功績ありしによるや明らかなりというべし。他語をもってこれをいえば、太子は仏教家にしてよく社会の実益を起こせしをもって、その唱うるところの教またよく国内に播布するに至りしなり。そののち仏教の次第に興隆せしは、第一に推古帝のとき僧慧潅高麗よりきたり、舒明帝のとき恵隠、恵雲等の諸僧唐よりきたり、本朝の沙門僧旻、唐に留学し、ついで道昭入唐して仏教を日本に伝えたるのみならず、他邦の文化を本邦に将来して、国家の進歩上実益を与えたるは疑いを入れず。その後役の小角なる者ありて、仏道修行のため深山幽谷を跋渉して、大いに内地交通の道を開きたるは、よく人の知るところにして、当時定慧、道慈等、前後相ついで唐に留学し、また多少本邦文明を助けたるや明らかなり。つぎに聖武帝のとき僧行基、世に出でて、四方を周遊して愚民を教訓し、大いにその知識道徳を進めしのみならず、傍ら土木開墾を勧誘して、至る所人民その福利をこうむらざるはなし。当時、慈訓、良弁、鑑真等の碩徳もまた世にありて、ひとしく功教化民の功あり。かくのごとく古代の仏者は、直接または間接に国家の政道文運に稗補するところありしをもって、その教ひとたび本邦に伝来してより、日一日より盛んにして、その勢い国内にあふれんとするに至れり。聖武帝のとき最もその繁盛を見る。しかしてこの際玄昉、道鏡のごとき不道徳の僧を出だすに至りしは、極盛の余弊といわんのみ。しかも光仁、桓武、平城の朝に至りて高僧大徳相ついで起こり、仏教また一層の盛運を加えたるは、実に仏者の幸いというべし。すなわち最澄、空海その冠たる者なり、二僧の鎮国護民に大功ありしは余が弁を待たざるなり。別して空海のごときは諸国を巡遊して化育至らざる所なし。そののち義真、円仁、円珍、護命、真済、聖賓、良源等はみな最澄、空海につぐところの碩学高僧にして、仏教の拡張はもちろん世道の振起もまたしたがって見るべきものあり。空也また当時の人なり、恵心、奝然ついで世にあり。鳥羽帝のとき釈良忍、融通念仏宗を唱え、近衛帝のとき覚鑁、真言新義を唱え、高倉帝のとき源空、浄土宗を開き、後鳥羽帝のとき親鸞、真宗を開き、土御門帝のとき栄西、臨済宗を開き、順徳帝のとき俊芿、台律二宗を中興し、四条帝のとき道元、曹洞宗を起こし、亀山帝のとき日蓮、日蓮宗を起こし、後宇多帝のとき一遍、時宗を起こし、伏見帝のとき覚心、普化宗を起こす。この際のごとく大徳輩出して、競いて諸宗を開き諸派を起こしたるは、古今その例を見ざるところなり。これ全くさきに行基、良弁等の碩徳あり、後に最澄、空海の高僧ありて、大いに仏教に功徳あるのみならず、天下に勲労ありしをもって、自然の勢いその唱うるところの宗旨はますます繁栄を極め、その建つるところの寺院はますます門地を張り、したがってこれに住するところの僧侶はますます権威を弄するに至り、世人みな南都北嶺の跋扈をいとうに至りたるはその反動に外ならず。他語をもってこれをいえば、当時の華天、法相、真言等の諸宗は、繁盛の余弊世間を益するの実行なくして、かえって害するの結果を見るに至りたるをもって、当時の識者その弊を除去せんと欲して、争いて異宗を唱うるに至りしなり。これすなわち、余がさきにしばしば断言するところの、宗教の盛衰は世間の実益を起こすと起こさざるとにありというの規則に合するものなり。けだし華厳、天台等の諸宗上世にさかんなりしは、当時の僧侶よく世間の実益を起こせしにより、中古他宗他派の競い起こりて、その宗派の衰頽をきたせしは、空位虚名を守りて実功を立てざるによる。もし当時、他宗の競い起こるなく、その宗派の弊勢に任じて更に改良を加うることなくんば、仏教早くすでに廃滅して、今日にその遺跡をとどめざるに至るべし。しかるに幸いに他宗の競い起こるありて、おのおのその改良を唱うるに至りたるをもって、仏教再び本邦にさかんなることを得たり。これによりてこれを推すに、今日仏教を再興するにもまた、その改良を要するゆえんまた知るべし。かくして浄土開宗の際に当たり、華天等の聖道の諸宗は極盛の余弊害を生じて、世人の厭悪するところとなり、浄土の諸宗新たに起こりて、よく弊害を除きて実益を与え、加うるに源平二氏ひとたび兵権を争いてより、天下紛乱、国家多事の世となり、貴賎上下の別なく、いやしくも手足を有する者は朝夕奔走して、一日も家に安んずることあたわざるの日に際したるをもって、華天、高尚幽遠の教門は当時の事情に適せざるはもちろんにして、簡単解しやすく平凡修しやすき教法に非ざれば、その際に行われざるは自然の勢いなり。これをもって聖道難行の諸宗次第に衰頽して、浄土易行の諸宗次第に弘通するに至れり。ああ、源空、親鸞等の諸祖は実に時機を洞視したる活眼というべし。

 しかるにこの浄土諸宗に伴うて、禅家の諸宗の起こりたるもまた同一理なり。けだし禅宗は識見高くして、細事に沍泥せず、よく当時の軍人英雄の思想に適するところなればなり。これを要するに浄土諸宗は当時の愚民、下流の社会に適し、禅家諸宗は当時の英雄、上流の社会に適せしをもって、この二種の宗旨、一時に世間に流布するに至れり。しかしてその際に日蓮宗の起こりたるは、浄土諸宗の聖道諸宗を圧制したる反動なり。けだし日蓮は世人の浄土念仏の一方に偏するの弊あるをみて、聖道の諸宗を振起せんと欲すれども、従来の華厳、天台等の諸宗はその弊すでに多く、かつ当時の事情に適せずして、世人の厭悪するところなるを知り、自ら一種の新見を立てて別宗を唱え、すべて浄土念仏宗の反対をとりて、その欠点を補うたるや疑いをいれず。故にその宗また一時の奉信を得べきはもちろんなり。これによりてこれをみるに、よく当時の事情に適し世間の実際に合する教法は次第に隆盛に赴き、当時の事情に適せず世間の実際に合せざる教法は次第に衰滅すること明らかなり。これいわゆる適種生存の規則に合格するものなり。果たしてしからば、今日の護法の策は世間の事情に応じて改良を施すにあるゆえんまた知るべし。くだりて足利の時代に至れば、諸宗すでに開き終わりて世間別に一宗を開くものなし。したがって高僧碩徳も世に出づることなくして、禅宗に夢窓、真宗に蓮如、その他一、二の知識を見るのみ。更にくだりて戦国の際に至れば、英雄割拠、天下擾乱、世人また宗教を顧みるのいとまなきをもって、諸宗共に振わず、わずかに戦波の間に浮沈して存するのみ。故をもって高僧碩徳も世にあらわれず、すなわち国事多端に過ぎれば、宗教の振るわざるゆえんを推知すべし。この際本願寺の顕如、信長に抗して戦いを試みたるは、当時の僧侶なお乱に臨みて事をなす勇力あるをみるべし。決して今日の無気、無力、無精神の僧侶とは同日の比に非ざるなり。ついで徳川氏の初めに至り僧天海なる者あり、また一時の碩学とす。その他別に記すべき人なし。けだし徳川氏は新たに天下を併呑して人心を納めんことを務め、諸山諸寺に領地を配付して護国治民の一助となせり、これ一時の政略なり。これをもって徳川氏の政権を掌握せし間は、仏教大いに繁栄の状を呈せりといえども、その実内部腐敗をきたして全身まさに朽ちんとするの情あり。これ他なし、当時の僧侶は社会に対して見るべき実効なくして思わざる特典をこうむり、およそ三百年間はその特典に安んじて放恣佚楽、実学を修めず、実業を務めず、社会開進上寸分の功労なきをもって、今日のごとき仏教の衰頽をきたすに至るなり。これによりてこれをみれば、古来仏教の盛衰は、社会の事情に応じてよくその法を活用するとせざるとにあり。他語をもってこれをいえば、実際上社会を益すると益せざるとにあり。けだし聖徳太子始めて仏教を本邦に流布せしより今日に至るまで、すでに千数百年を経過したるをもって、その間盛衰消長の変なきに非ずといえども、その法の今日に伝わりて世に滅せざりしは、これを弘むる者の社会開進に加わりて、多少稗益するところあるはもちろんにして、第一に、従来の僧侶は世間の知者学者にして知らず知らず人民の教育を任じ、一村一郷一国の師父となり顧門となり大いに文化の進歩を助け、第二に、僧侶は当時の慈善家にして善を勧め、悪を戒め、貧を救い、弱をたすけ、老を養い、病を問い、大いに社会の順序安寧を保つに功あり。第三に、社会開進の先導者にして、都鄙を周遊し、山河を跋渉して、山を開き、道を通し、都邑を起こし、耕作を勧め、商売を教え、貿易を導き、人生必需の衣食住を得るの道を知らしめ、第四に、当時の僧侶はよく人を教導するのみならず、自身の才力品行みな世人の上に出でて、その徳自ら人をして感化服帰せしむるの実行あり。その他、僧侶一般の精神気力に至りても、また大いに見るべきものあり。すなわち退きては一宗の布教を任じ、進みては一国の開明を計り、遠く海波をわたりて、シナの文明を日本に将来し、あまねく天下を歴遊して下民の疾苦を問い、もって国家富強の基を助け、あるいは政事に参与する者あり、あるいは兵陣に臨む者あり、国体を維持し皇威を恢張するに至りても、決してその功少なきに非ざるなり。かくのごとき実行と、かくのごとき精神と、かくのごとき学識とをもって、仏教を世間に弘通す。その教の一時に全国に播布するに至りしも、もとよりそのところなり。そののち一千余年を伝えて今日に存するもの、ああ、また偶然ならんや。

 余、初めに宗教の世に与うべき実益の条目を挙げて、国際上、政治上、道徳上、教育上、開明上の五点と定めたるに、今、仏教の日本に伝わりてより今日までの履歴を考うるに、まさしくこの五条の実益ありしこと明らかなり。かつ古来、仏教の最も盛んなりしときは実益を与うること最も多きにより、最も衰えるときは最も少なきによることまた明らかなり。すなわち最澄、空海以後、仏教大いに興りたるは、二師およびその他高僧の社会に実功を立てしにより、源空、親鸞後、浄土門の大いに盛んなりしは、両師およびその他の知識の勲労ありしによれり。浄土宗興るに際して聖道門の諸宗衰えたるは、当時南都北嶺の僧侶を始めとして、みな繁盛に安んじて実際の功労なきにより、徳川氏の代、高僧碩学の世に出でて世間を益したることなきも、その教の繁昌を極めたるは徳川氏の外護の厚きによるものにして、外容は隆盛を示したるも、内実はかえって腐敗をきたし、三百年来の積毒にわかに今日に発して現今の衰頽を見るに至る。故に僧侶の社会を益するには直接関接の別あり。自ら知りてこれをなすと、自ら知らずしてこれをなすとの別あり。その教の盛衰も原因に続いて、直ちに発するものと直ちに発せざるものとの別ありといえども、要するに従来仏教の隆替は、世間に実益を与うると与えざるとによりて生ずるは疑いをいるるべからず。ただに実益の有無に関するのみならず、その多寡に応じて盛衰にまた大小の不同あることまた明らかなり。これ日本従来の仏教事情について批評を下したるものなれども、これをシナに考えインドに尋ぬるも、同一の規則を発見すべきは余が信ずるところなり。かつこの規則はヤソ教の盛衰、回教の興廃を見ても知るべし。すでにこの規則の事実に照して真なることを知らば、将来の仏教の盛衰もまたこれに従って卜すべきなり。すなわち今日にありて仏者よく自己の精神を発揮し、社会の現状を観察し、いかに宗風を改良してこの事情に応合すべきか、いかに仏教を運用してその実益を増進すべきかを考究して、その方法を施せば仏教復興し、しからざれば衰滅すべきなり。これ余が喋々として僧侶の内情の改良を主唱するゆえんなり、これ余が孜々として仏教実際の利益を示さんことを務むるゆえんなり。

     第四題 耶仏比較

 余はこれよりヤソ教の事情を述べて、これを仏者現今の事情に比較し、この勢いに任ずるときは将来いずれの教がわが国の宗教となるべきかを示し、あわせて仏者中ヤソ教の今日欧米開明の諸国に行わるるは、ひとり千百年来の習慣によると信ずる妄見を一破し、傍ら日本上流社会のヤソ教を助けんとするの傾向あるを聞きて、ひそかに怨望を抱くも更に益なきゆえんを証明せんとす。請う、僧侶社会にその全脳の精神を網膜の上に会注して、余が論ずるところをみるべし。それヤソ教は道理上間然すべき点多しといえども、実際の布教に至りては、実際に嘆称せざるを得ざるものあり。これを今日の仏者のなすところに比するに、ほとんど霄壌の差ありて存するをみる。けだしその教の始めて世に起こりしより今日に至るまで、未だ二千年の星霜を経過せざるも、その法よく欧米諸州に蔓延し遠くアジア諸部に波及し、その勢いまさに地球を呑噬せんとするの状あり。しかるに仏教は三千年の上世に起こり、インドより次第に東漸してシナ、朝鮮、日本に播布するに至りしも、今日にありてはその教インドにはすでに地を払い、シナにはわずかに痕跡をとどめ、日本になお影像を存するに過ぎず。しかしてその僧侶の金力といい、腕力といい、才力といい、学力といい、精神といい、道徳といい、名望といい、ヤソ教の僧侶に及ばざることみな世人の一見して知るところなり。ただ今日の仏者のヤソ教者に対して誇言するところは、仏教の説の高尚幽妙にして、ヤソ教の論は浅近簡単なりというにあり。すなわち唯心の説、因果の理、一心三観、一念三千の妙味は天帝創造説のごとき浅近のものに非ずというにあり。しかれどもただこれを高尚なり、幽妙なりと称揚するのみにて、その妙味を人に伝え世に弘むることあたわずんば、なんの益なきはもちろんにして、これを弘伝するに要するところの金力、腕力、才力、学力、精神、品行等の方便なきときは、到底その法の繁盛を期すべからざるも、余が喋々を待たざるなり。しかるに現今の僧侶はただにその方便を欠き、人にその妙味を伝うることあたわざるのみならず、自らその理を会得し、その味を識別することあたわざるもの多し、いずくんぞよく仏教の再興を任ぜんや。ヤソ教者はこれに反し、たとえその教浅近なるも、よくこれを人に弘伝し実際に活用するをもって、知らず知らずその法の破竹の勢いをもって世間に流布するに至る、あに畏れざるべけんや。将来もしこの勢いに従って進むとき、多年を出でずして宗教界内にヤソの一日を仰ぐに至らん。ああ、ヤソ教は旭日まさに昇らんとするの勢いありて、仏教は残月光を失せんとする状あり。仏者よろしく活眼を放ちて宗教界現今の天象を観察すべし。かくのごとく両教その盛衰を異にするは、もとよりよりてきたるところの原因なくんばあるべからず。その今日の盛衰は当時これを弘通するものの金力、腕力、才力、徳行を有すると有せざるとに多少起縁するところあるべしといえども、またその教祖の事跡およびその伝来の事情によるや疑いをいれず。けだし通常仏者の考うるところによるに、ヤソ教の盛んなるは旧来の習慣によると称するも、その東洋諸邦の未だヤソ教を知らざる地方にきたりて、次第に流布するの勢いあるよりこれをみれば、その盛んなるも仏教の衰うるも、決してひとり習慣によるにあらずして、道理上別に考うべき原因あるは必然なり。よくその原因を究索して仏教の再興を計るは、仏者今日の急務というべし。

 今ヤソ教の盛んなる原因を考うるに、まず心理学上宗教の起こるゆえんを一言せざるべからず。およそ人の心性は作用上これを分かちて情感、知力、意志の三種となす。その各種の作用に基づきて教学の諸法起こる。すなわち理学哲学は知力に基づきて起こり、従来の宗教道徳は情感に基づきて起こる。情感とは、感覚と情緒を合称したる名にして、感覚は眼、耳、鼻、舌、皮膚の五官上に起こるところの心性作用なり。情緒は喜、怒、憂、懼、愛、憎、欲の類これなり。心性発育の順序によるに感覚進みて情緒を生じ、情緒進みて想像を生ずという。この想像に基づきて起こるものは従来の宗教なり。すなわち迅雷風烈の畏るべく吉凶禍福の期すべからざるを知り、その原因を想像して天帝鬼神あるを信じ、死後なお生前の事情を永続すべきゆえんを想像して、天堂地獄あるを定むるに至る。これみな想像の結果にして、従来の宗教の起こるゆえんなり。その想像は喜怒憂懼の情の発達したるものにして、知力より生じたるものに非ず。天変地異はこの道理ありて起こり、人の死生はかの道理ありて起こると論定するもの、これ知力の作用なり。故に理学哲学は知力に基づきて起こるものとす。これを現今の宗教上に考うるに、ヤソ教はこの想像を本としたる教なるをもって情感の宗教なり、仏教は道理を本としたるをもって知力に属すべきなり。知力に属する以上は、仏教は理学哲学の範囲に属すべき理なれども、余がみるところによるに、情感に属する宗教と、知力に属する宗教との二種あるべきを知る。なんとなれば、愚民は想像上の天帝や地獄を信ずることをうるも、学識知力に長じたる者は道理をもって立てたる宗教に非ざれば、信ずることあたわざるはもちろんのことなり。故に人知進みたるときは、想像をもって立つるところの情感の宗教の外に、人の知力に満足を抱かしむべき道理上の宗教起こらざるを得ざるも、また自然の理なり。これをもって古代は情感の宗教ひとり世に行わるるも、今日は哲学理学の世に起こるをもって、学者はほとんど全く従来の宗教を信ぜざるに至り、将来いよいよ知者学者の世間の多数を占むるに至らば、知力上の宗教もとより世に起こらざるを得ざるの理なり。しかるに三千年前の古代にありて、インドにすでに知力上の宗教起こりたるは、はなはだ怪しむべきに似たれども、これ当時その地の文明、他邦にさきだちて開きたるによるや明らかなり。しかしてそののち一千余年を経て起こりたるヤソ教は、想像の宗教なるはまたその地の文明進歩せざるによるのみ。かつまた仏教のその後に衰えたるゆえんは、中古の人民学理に暗くして哲理を解するの力なきにより、ヤソ教の中古暗世の間に非常の繁盛を極めたるは、当時の人民学識なきをもって、想像上の宗教のよくその事情に適すればなり。しかしてその想像上の宗教の今日なお欧州文明社会に存するは、その教の道理上考うべき性質ありてしかるに非ず。これを伝うる者のよくその教を実際に活用すると、教祖およびその門弟の千辛万苦をおかして、その精神を人心に感染せしむるとによる。かつ今日は、たとえ欧州の文明社会といえども、その過半数は愚民なるをもって、その間に勢力を得べきものは、ヤソ教のごとき想像上の宗教なるべき理なり。しかれども、今後社会ますます開進して、知者学者世間の過半数を占有するに至らば、知力上の宗教世に起こらざるを得ず、これ余が今日仏教を改良して将来の宗教となさんことを切望するゆえんなり。その他、想像上の宗教、開明世界に存すべき理は、開明人は知力と情感を兼有するによる。野蛮人には情感のみありて知力なきをもって、その間に行わるるところの宗教は想像上の宗教に限るべしといえども、開明人は二者を兼有するをもって、想像上の宗教も道理上の宗教も共にその間に行わるべき理なり。これをもってヤソ教は開明の今日になおその勢力を存するなり。仏教はたとえその初め知力に基づきて起こりたるも、その中におのずから情感に属すべき教理胚胎するありて、伝来の際またおのずからその中より派生するをみる。すなわちその教中の聖道門は知力の宗教なり、浄土門は感情の宗教なり。故に今日にありては、仏教は感情知力の二元素兼有したるものというべし。しかしてその教の今日に行われざるは、これを伝うもののその方法よろしきを得ざるによる。すなわちその原因は、僧侶の実際の活用を知らざるによるのみ。実際の活用の欠くべからざるゆえん推して知るべし。

 今、更に論点を転じてヤソ教開宗以来の事跡を考索して、教祖およびその門弟の艱難辛苦を略叙し、もってその今日に伝わりて盛んなるゆえんを証示せんとす。およそ古来の宗教は情感に基づきて起こるのみならず、その世間に盛んなるはよく人の情感を感動すべき事跡あるによる。すなわちこれを弘むる者最も多く艱難辛苦をおかしたるときは、人情のこれに感動するありて、その教最もよく世間に行わるるをいう。この規則は諸教諸法につきて証することを得るなり。まずこれを仏教中に考うるに、日本伝来の各宗中その最も人心を固結して、信仰の深きものは日蓮宗の信者とす。これ一は、その開祖日蓮は最も多く艱難辛苦を経てその教を弘めたるによるや明らかなり。つぎにこれを世間一般の宗教に考うるに、釈迦も孔子もヤソもマホメットも、みな多少の艱苦をおかさざるものなしといえども、そのうち最も残忍の処刑にかかるものはヤソとす。史を読みてここに至れば、だれも憫憐の情を動かさざるはなし。これ中古以来人のヤソ教に固着し、一命をすててその法を護するに至りし一大原因なり。しかしてヤソひとりこの艱苦をおかせしのみならず、その十二人の徒弟およびその後の信者大抵みな処刑にあわざるはなし。これその教の後世に興らざるを得ざる原因なり。今その例を徴するに、ヤソのユダヤ人の讒にあいて十字架上に死したるは、みな人の知るところなればここにこれを贅せず。その徒弟中の冠たるパウロは、ヤソの死後その教を諸方に伝道せしに、ついに囚虜となりてローマに船送せらるるに至り、その他の徒弟またみな囚虜につき大抵殺戮を受くるに至れり。ローマにおいてヤソ宗徒を殺戮したる第一着をネロ帝の朝とす。その後デキウスおよびバレリヤンの朝に大いに殺戮を行い、ディオクレティアヌスの朝に、ヤソ教の会堂を毀ち経典を焚きその僧侶を殺戮に処したることあり。かくのごとくローマはヤソ教を厭苦したりといえども、その教ますます世間に流布するに至り、その勢いあたかも湍水を決するがごとく、人力をもってその進路を遮塞すべからざるは、果たして天帝の助くるところあるによるか、また他にしかるべき道理あるによるか、余をもってこれをみれば、これもとより天帝の助くるところに非ずして、自然の勢いここに至らざるを得ざるの理あり。その理とはなんぞや。曰く、人情の感動これなり。けだし人を虐殺することはなはだしときは、人情おのずからこれを助けんと欲する心を生じ、人心の向かうところ暴威をもって動かすべからざるものあるによる。すなわち当時ヤソ教の流布は、暴威をもって強圧したる反動によるなりと知るべし。この規則はひとりヤソ教に考えて応合するのみならず、仏教の盛衰に照してもその理の信ずべきをみる。仏教の始めて本邦に入るや、その寺を毀ちその経を焚きたるも、その教ますます流布するに至り、シナにありてもしばしば寺院経文を焼失したることあるも、その教ますます隆盛を極むるに至れり、これみな反動の力による。これによりてこれをみれば、ヤソ教の今日わが国に盛んなるも、従来固くその教を禁じその徒を暴殺したる反動によるというも、一理なきに非ざるなり。果たしてしからば、今日の仏教もしその教の再興を祈らんと欲せば、よろしく従来のヤソ教徒に譲らざる艱難辛苦をおかして護法の実行を立つべし。しからずんば決してその教の再興を期すべからざるなり。ああ、今日の僧侶のごとき高臥熟眠、鼻息囂々、一念の思うことなく、一事のなすことなき者、いずくんぞよくその再興を計らん。あに哀しまざるべけんや。かつそれヤソ教者はただにその伝来の際、虐殺暴刑にあいたるのみならず、一死もってその法を護するの精神に至りては、史上に多くその例を見るところなり。まずかの欧史上にその名の高き十字軍のごときは、当時の人民の妄信に出でたるも、またよく護法の精神を見るに足る。けだしその軍の起こりたるは、ヤソの霊地エルサレムのトルコ人の手に落ちたるをもって、これを回復せんと欲するによる。当時トルコ人は欧州諸方より遠くきたりてヤソの霊地を拝する者を処するに、残忍の方法を用いたるをもって、欧州一般にトルコ人を征討してその地を回得するの必要を感じ、男女老若の別なくことごとく団合して軍備をなす。これ十字軍の起源なり。その軍ひとたび起こりて、二百年間前後、東征すること七、八回の多きに及び、毎回大抵数十万の人民互いに相結合して従軍し、その間生命を損じたるもの幾万あるを知らずといえどもついにその目的を達することあたわざりしは、実に愚かというべし。そもそもこの挙のごときは当時人民の迷信によるといえども、そもそもまたその教法に熱心なる一班を知るに足る。これに反してわが仏教徒は、骨を白沙に晒し血を青草に染めたることなきは、当時の事情によるといえども、また護法の精神に乏しき一端を知るに足る。しかれども余あえてヤソ教者のごとく、みだりに生血を流すは、教法家の本分なりと信ずるに非ずといえども、いやしくも布教に従事するもの死生を顧みざるの精神なきにおいては、その法を社会の狂風怒潮の間に護持すべからざるをもって、余は仏者に対して、常にその精神を養成して布教に従事せられんことを熱望するなり。

 つぎに欧史上大関係を有したる事跡は宗教改革の乱にして、その乱一五一七年ゲルマンに起こる。主唱者をルターと称す。これよりさきにローマ法王の威権はなはだ盛んにして、その分限外に及ぼし、不正不法のゆえんあるをもって、これに抗して異説を唱うる者諸方に起こる。すなわち第十二世紀においてアルビジョワと称する者フランスの南部に起こり、第十四世紀においてウィクリフと称する者イギリスに起こり、第十五世紀においてハスと称する者ボヘミアに起こり、共に法王に抗して異説を唱うべしといえども、その説ついに行われざりしが、第十六世紀の初期に至りて宗教改革の論を唱うる者諸方に群起し、しきりに法王に抗論するをもって、その勢い一派を組立するに至る。これを新教者と称す。すなわちルター氏の主唱するところなり、氏と同時にツウィングリ氏スイスに起こりひとしく改革の論を唱う、これより新教徒互いに党を結びて旧教者に抗し、ついでヨーロッパ全州の大騒乱となり、延びて三十年の久しきに及び、その間戦闘一日もやむことなく、一五五二年に至りて始めて一度鎮定し、独立の新教をゲルマンに公布するに至る。当時新教者の主唱者たるものルターおよびツウィングリの外にはカルヴァンと称するものありて、一派を結成し別に宗教改革の議を唱う、その党をユグノーと称す。フランソア第一世および第二世の朝には一時すこぶる猛悪の殺戮戦闘ありしも、アンリ第四世の朝ようやく平定するに至れり。つぎにイギリスは当時ヘンリー第八世の代にして、王は初めローマ法王を助けたるもたちまち変じてその命に抗し、別に一種の国教を制定して自らその教主となり、国内の旧教を奉ずるの徒を殺戮せしが、メアリー女王の王位につくに及びて、女王、旧教徒を助けて新教徒を戮せしも、エリザベス女王の朝に再び旧教を廃して新教を用い、自らその教主となるの命を布告せり。そのときピューリタン宗徒イギリスに起こる。この宗徒は新教の一派にして、メアリー女王のときその刑戮を避けて他邦にありたるも、エリザベスの位につくを聞きその国に帰りたるに、教主として女王を奉戴することを欲せず、ついに分派独立して純正の教義を組成せんことを決す。これにおいてその宗徒あるいは殺戮を受け、あるいはこれを避けてアメリカに渡る者あるに至る。以上述ぶるところは、近世初期の宗教改革の争乱の一班を略叙するに過ぎずといえども、新旧両派互いに熱血をそそぎて、その主義を貫かんとするの精神ありしは明らかにして、更に多言を要せずして知るべし。ああ、だれかその精神に感ぜざる者あらんや。これによりてこれをみれば、ヤソ教今日の繁盛は、数百年間、数十万の生血を流して買い得たる結果なりというべし。仏教はこれに反し、その伝来三千年の久しきを経るも、身を干戈の間に接し、勝を死生の間に制したることなし。本朝にありては中古叡山の僧侶等の兵器を弄したることあるも、私怨をはらさんとする私情に外ならずして、仏教の一大城を宗教界に護持せんとする赤心に出でたるに非ざるは、みな人の知るところなり、仏者の精神気力に乏しき推して知るべし。この無精神をもって、かの気力凜々たる者と教法の盛衰を争わんとする、ああ、また難いかな。思うてここに至れば、また慨然として感涙を含まざるを得ざるなり。その他、ヤソ教の護法に熱心なることは、近世その教法家のアメリカ、アフリカの諸方に布教し、インド、シナ、日本等の東洋の諸邦および東西の諸島に伝道せし事跡を一見して知るべし。かくしてその教祖以来、法のために一命を捨てるの精神は、代々相伝えて今日に依然として存するは、そもそもその教の繁盛をきたすゆえんなり。つぎにヤソ教者の社会の政治に参与し、一国の盛衰を負担して、国権を拡張し、国力を養成するの媒介となりしは、欧史中の政治上の関係を見ても、本邦に渡来するところの教徒を見ても、たやすく知るところを得べし。これをもって欧州諸邦、古来知らず知らず政教一致の風を養成し、政治上の争乱は転じて宗教上の争乱となり・宗教上の抗論は進みて政治上の抗論となるに至る・これまたヤソ教の今日社会に大勢力を有する一原因なり・

 つぎにヤソ教者の学識に長じたる一例を示すに、中古学問の専権はその僧侶の掌握したることは史に考えて明らかにして、今日にありても僧侶は大抵学者の地位を占有することは、余がかの地に至りて実視せし者に聞くところなり。その他、僧侶の品行正しく、慈善を行い、名望高きこともまた余が人に聞くところなり。これを要するにヤソ教者は精神といい、気力といい、学識道徳といい、品行名望といい、みな世間一般の標準の上に位するをもって、その伝うるところの教は、自然の勢い世間に流布せざるを得ざるはもちろんなり。これをわが仏教徒の無気無力、無学無徳の輩に比するに、その懸隔、余が評を待たずして知るべし。もしこの二者の間に盛衰を争わば、いずれが勝利を占むべきも、また余が弁を要せずして明らかなり。これに至りてこれをみれば、ヤソ教今日依然として文明社会に勢力を有するは、ひとり従来の習慣によるに非ざること、また瞭然なり。他語をもってこれをいえば、ヤソ教者は余が初めに列叙するところの諸款すなわち国際上、政治上、道徳上、教育上、開明上に関して実益を世間に与うるをもって、その教今日に隆盛を極むるに至るなり。これを約するに、その隆盛は理論その当を得るによるに非ずして、実際の方法よろしきを得るによるなり。果たしてしからば、仏教を今日に興再するの良法は理論の可否に非ずして、実際の得失にあること問わずして知るべし。すなわち仏者もし仏教の再興を計らんと欲せば、国際上、政治上、道徳上、教育上、開明上に関して世間の実益を起こし、あわせて僧家の内情を改良し、教えてその精神、道徳、学識を奨励するより外なし。ヤソ教を排するの方便もまたこの外に出でざるべし。これ余がここに実際論を起こすゆえんなり。この論を読むもの、よろしく余が精神のあるところをみるべし。仏者もしこの論によりて従来の迷夢を一覚し、一臂を奮うて護法の実功を立てんとするに至らば、余が大望これに過ぎたるはなし。そもそも仏教はこれをヤソ教に比するに、知力の宗教にしてよく知者学者の思想に適し、かつその理論実に妙を極め理を尽くして、泰西の理学哲学といえども、けだしその右に出づるあたわざるを信ず。しかしてその教の今日に振るわざるはこれを弘むるものの方法、そのよろしきを得ざるによるのみ。ついにその教をしてヤソ教の下におき、世人をしてその妙理の余光を仰ぐことを得ざらしむるに、ひとり仏者の遺憾のみならず、広く学者の遺憾となるところなり。これ余が今日の仏教の改良に汲々とするゆえんにして、僧侶もまたまさにここに感ずるところなくんばあるべからざるなり。

 上来論ずるところによるに、その意今日の仏教は、理論その当を得るも実際に施す方法そのよろしきを得ざるをもって、漸々衰滅のきざしを呈するに至る。故にこれを再興せんと欲せば、よろしくまずその法を実際に活用して世間の実益を計るべしというにあり。しかるに当時世上に一、二の論者ありて、仏教はその性質、世間の実益を与うることあたわずと断言するをみる。その論に曰く、仏教は第一に出離解脱を本とするをもって社会の競争に適用することあたわず。第二に肉食妻帯を禁ずるをもって人種改良に妨害あり。第三に婦人を軽賎遠離するをもって男女同等の原理に反す。第四に愛を断ち欲を制するをもって人情に違う。第五に開明国の宗教に非ざるをもって万国交際、条約改正の媒介となすに不便など云々の口実を設けて、今日の宗教はヤソ教に定めざるべからず。仏教は公然廃絶すべし等と主唱する者はなはだ多しといえども、これ仏教のなんたるを知らざるのみならず、宗教の性質を知らざる妄言に過ぎず、識者の大いに笑うところなり。余、今一言してその妄を破らんとするに、第一にヤソ教者のこれらの論を聞きて、これをわが党類なり、これわが朋友なりと喜ぶは大いなる誤解なるゆえんを述ぶべし。今、論者の本意を考うるに、その人自ら揚言して曰く、われらは宗教にはいたって淡泊にして、ヤソ教を信ずるに非ず、仏教を奉ずるに非ず、ただヤソ教をもって国権拡張の器械道具とするに外ならずと。ああ、ヤソ教は器械道具に過ぎざるか。ヤソ教者は果たしてその教を信ぜずして、ただこれ道具視するものを朋友として接するか、余深くヤソ教者のためにとらざるところなり。ヤソ教者またかくのごとき徒をいるるべき理なく、天帝もし在りまさばこれを救助すべき理なし。かつヤソ教者の日本にきたりて伝道する本意は、天帝の教を宣布するにありて、日本の条約改正を助くるために非ざるはもちろんなり。しかるにその教中の徒、かくのごとき論者を見て、良友を得たりと思うて欣々然として喜ぶ者あるは、愚中の愚といわざるべからず。これ余ヤソ教のためにいさぎよしとせざるところなり。

 つぎに仏者の出離解脱を本として出世間の一道に偏したるゆえんは、一、二言の解説を与えざるを得ず。ここに一杯の水あり。これを暖むれば散じて蒸気となり、これを冷やせば凝りて氷となる、これなんぞや。曰く、外情に応じてその形を変ずるものなり。またここに葛裘を箪笥中に納むる者あらんに、時暑ければその葛を取りてこれを服し、時寒ければその裘を取りてこれを服するはなんぞや。曰く、この時に応じてその要するところのものを用うるなり。しかるに人あり。その裘を着たる時を見て・この人葛衣を有せずと評して可ならんや。曰く・その人の葛衣を着ざるはこれを有せざるに非ずして、その時に要するところなければなり。この規則は社会百般の事情を証明するに足り、仏教の今日、出世間の一道に偏したるもまたこの規則による。それ仏教はその初め出世間に起こり・つぎに世間をすてて出世間に入り・終わりに世間出世間を結合してその中をとる。これを全教の組織とす。他語をもってこれをいわば、有門に起こり空門に入り、非有非空の中道に終わる、これなり。故に仏教中には世間出世間の両道兼備すと知るべし。しかるに・そのうち出世間の一道世に現ずるに至りしは・いずれの理によるかというに、これその時の外情によるなり。あたかも時暑ければ葛一衣を用うるがごとし、その外情とはなんぞや。曰く、その主たるもの、第一に儒教の影響、第二に国際の関係これなり。儒教の影響とは仏教の始めてシナに入るに当たりて、儒教大いに世間の勢力を有せしをもって・仏教その間に流布せんと欲せば・自然の勢い世間の一法は儒教に譲り、出世間の一法を自ら任ぜざるを得ざるなり。けだし儒教の長ずるところは世間法にして、その欠くところは出世間法なるによる。一度出世間の一法に傾向を与えたるときは、ますますその方向に進まんとするは習慣性の規則にして、因襲の久しき世人は、仏教は全く出世間の一道に外ならざるものと信ずるに至る。しかして日本にきたりては、全くシナの仏教を伝えたるをもって、ひとしく出世間の一道を世間に示したるも、日本には儒教シナのごとくさかんならざるをもって、仏教中その世間に属する部分、世に起こらざるを得ざる事情あり。これをもってシナに起こらざる真宗のごとき俗諦を本とする宗門、世に現ずるに至るなりと知るべし。第二に国際の関係とは、東洋にありては一国内の競争戦乱ときどき起こることあるも、古来国際の関係はほとんど全くなきもののごとし。その間少なき原因は、主として各国間の地理交通を開くに不便なるによる。インドとシナは高山峻嶺をもってその間を隔てて、シナと日本は難海をもってその道を絶つをもって、古代舟車の便を得ざるときに当たりては、来往交通することはなはだ難し。これをもって他国を征することなく・また他国に征せらるることなく、国際の競争全く起こらずして戦乱はただ一国中の内訌に外ならず。故に宗教をもって殊更に人心を団結することを要せず。これその勢いおのずから宗教の政治上に関せず、世間法を助けざるに至るゆえんなり。西洋はこれに反し隣国互いにその肩を比し、来往交通自在にして、他国を征するも他国に征せらるるもまた容易なり。その国際の競争、優勝劣敗の盛んなる東洋諸国の関係と同日に論ずべからず。その事情、宗教をもって人心を結合して国体を維持せざるを得ざるをもって、ヤソ教はもっぱら世間の一法を主とするに至る。これみな外情のいかんによるものにして、仏教の出世間の一道に偏したるは、その教中全く世間法なきによるに非ず、あたかも夏日に喪衣を着ざるはこれを有せざるによるに非ずして、その時に要するところなきによるがごとし。しかるに人ありて更に疑問を起こし、仏教は煩悩を断じて仏果を証するに外ならざるを、その教中世間法を含有するものに非ずといわば、余これに答えて、これ仏教の表面を見て、裏面を見ざるの論なりといわんとす。それ仏教は初めに有門を廃して空門を立てたるをもって、表面よりこれをみれば、出世間を本とするものと断ぜざるべからずといえども、その終わりに至りて空門中に有門を開発して中道の妙理を証立せしをもって、出世間の一法に偏するは決して仏教の本旨にあらざるなり。かつ天台の煩悩即菩提 生死即涅槃の法門よりこれを推すに、仏となるには必ず煩悩を断ずるを要せずして、凡夫のそのまま仏になるべきの理なり。これをもって浄土真宗は他力往生の道を立てて、悪人のそのまま仏になるべきことを説くに至る。これを要するに、仏教は表面よりこれをみるに、出世間の一道に外ならざるがごとしといえども、裏面に入りてこれをみれば、世間出世間、両道兼備の法なることたやすく了すべし。

 もしまた釈尊の本意を推想していうときは、世人みな世間の一門に偏して、世間の外に別に出世間法あるを知らざるの弊あるをみて、その弊を矯正せんと欲して出世間の一法を説くもののごとし。故にその出世間の一法を説くは、世人をして世間出世間両道を兼備して、その中正を得せしめんことを欲してなり。ひとたび出世間の一法を説きて、人のかえってその法に偏するの弊を生ずるをみて、また更に中道の理を説きて世間法の欠くべからざるゆえんを示すもののごとし。すなわちその教中初めに我執を空し、つぎに法執を空し、我法二執を空し、尽くして涅槃の一理を開きたるは、世間を廃して出世間を立てたるなり。つぎにその涅槃の空理中に、一切万物を開発して非有非空の中道を定立したるは、世間出世間の偏廃すべからざるゆえんを示すものなり。しかりしこうして、僧侶の出家得度してその行を修するは、世人の世間の一法に偏するの迷病を医するをもって自ら専任となすによる。例えば人の不品行を諌言せんと欲せば、まず自身の品行を修めざるべからざるがごとし。これを要するに、仏教は決して出世間の一法に偏するものに非ず。しかしてその今日出世間の一法に偏するは、従来の事情のしからしむところなるのみ。故に今後たとえその教をして自在に発達せしむるも、万国競争の今日に当たりては、その事情世間法を要するをもって、その教中また自ら世間法を開発するに至るべし。しかれども、もし速やかにその結果を得んと欲せば、人力をもって早くその改良を計らざるべからざるなり。つぎに仏教中、肉食妻帯を禁じたるゆえんを考うるに、この一問題は教理に属するよりはむしろ教式に属するものなり。教式はその時の世間の風習によりて定まるものなれば、また世の変遷によりて変更することあるべし。たとえその式変更するも、すこしも教理を害するの理なし。かつ釈尊の意、人ことごとく肉食妻帯を禁ずべしというに非ず。また肉食妻帯する者は必ず成仏の果を得ることあたわずというに非ず。もし人ことごとく肉食を廃し妻帯を禁ずるに至らば、社会はたちどころに滅亡すべし。しかるに、仏教は社会の滅亡をもって目的とする教法にあらざることは、更に証することを要せざるなり。しからば僧俗一般に肉食妻帯を許してしかるべきに、なんぞひとり僧侶に限りこれを禁じたるやというに、これその理なきに非ず。第一に仏教は世人の世間の一法に偏し、情欲の一念に迷い、世間を離れて真理の考うべきものあるを知らざるをもって、表面に世間をすてて出世間に入ることを勧め、情欲を離れて真理を求むることを教えたるにより、第二に酒肉婦人は人心を乱し奢侈に走る誇因なるにより、第三に僧侶は人に出世間の道を教うるをもって専任となす者なるにより、その他、世間の事情風習によりて禁誡のこと起こるに至るなり。今、更にその第一由を弁明するに、釈尊はその本意、時弊を矯正するにあるをもって、世人の情欲に迷うて道理を弁ぜざる者を制し、表面に出家解脱の道を勧めたるなり。すでにこれを勧めてその極点に達すれば、更に世間を離れて別に出世間なき中道の妙理を説くに至る。故に裏面よりこれをみれば、釈尊の意、全く出家解脱を本とするに非ざるところまた明らかなり。すでに真宗のごときは僧侶に肉食妻帯を許したるは、裏面より仏教の意を解したるによる。他宗のこれを禁じたるは表面より解したるによる。二者その体は一なり。ただただそのみるところ異なるをもって、その立つるところに差別を生ずるのみ。更にまた情欲と道理の関係を考うるに、情欲盛んなるときは道理をくらまして不法不理のことを行うに至る。道理その極端に走るときはその弊無味無情の人情なきものに陥る。故に情欲盛んなるときはこれを制するに道理をもってし、道理その極端に走るときはこれを和らぐに人情をもってす、この教法を設くるに要するところなり。しかるに世間の人は情欲に走りやすくして、道理を守るに難し。その弊別して古代の野蛮社会および下等人類中に存するをみる。これ教法を設くるに情欲を制するを主とせざるを得ざるゆえんにして、また釈尊の表面に出離解脱を勧めたるゆえんなり。すでに道理の守るべきを知れば、人情の廃すべからざるゆえんもまた知らざるべからず。これ釈尊の裏面に俗諦世間門の必要を示したるゆえんなり。これを要するに人情と道理は偏廃すべからざるものにして、教法の目的はその一方に偏するの弊を制するを要す。あたかも情感と知力の偏廃すべからざると同一理なり。人情は情感にして道理は知力なり、釈尊の本意、またこの二者の両全を得せしめんとするにあるをもって、前後表裏して両端を説きたるなり。しかしてその説くところ表裏両面に差別あるは、時機に応じて前後を異にしたるのみ。その意、時弊を矯正せんとするに外ならず。故に真宗のごとき真諦世間門を本とする宗旨も、釈尊の意を伝うるものなり。他宗のごとき真諦世間門を本とする宗旨も、釈尊の本意を受くるものなり。二者相待ちて始めて釈尊の全意をみるべし。

 これを例うるに、ここに一童子あり。日夜奔走運動してひとり身体の発育を務めて、全く知力の発育を修めざるときは、これを戒むるに体育の実益少なくして、知育の必要なることを説かざるべからず。すでにその童子、知育の必要を知りて学問の一方に偏倚し、身体の健全を欠くときは、これに訓うるに体育の必要をもってし、あわせて体育知育の偏廃すべからざるゆえんを誨示せざるべからず。釈尊の教法を説くや、まさしくこの順序によるものなり。故にその説くところ表裏前後の次第あるも、その本意、世間出世間の両立すべきゆえん、人情道理の偏廃すべからざるゆえんを示すにあること明らかなりと知るべし。かくのごとく釈尊は表面に出離解脱を勧めたるをもって、その部分は世間に知れやすく、かつこの意に基づきて宗旨を開くもの世に多かるべき理なり。はなはだしきに至りては、仏教はこの外になしと信ずる者あるに至る。これただそのみるところ浅きのみ。すでにこの意に基づきて宗旨を開く以上は、自然の勢いこれを外貌行為の上に示さざるを得ざるをもって、肉食を禁じ妻帯を戒むるに至るも、その意情欲の制すべきゆえんを外貌に示すもののみ。これ余が肉食妻帯の禁誡は教理に属するより、むしろ教式に属するなりというゆえんなり。またその世によりて変更するゆえんは、真宗のごとき宗旨の日本に起こるをみて知るべし。つぎに第二由、酒肉婦人は人心を乱す誘因なることは、更に解釈を付するを要せざることにして、別して寺院僧舎にこれを見うるは、僧侶の品行を乱すの外縁となるをもって、葷酒山門に入るを禁ず等の標札を設くるに至るなり。つぎに第三由の、僧侶は出世間の道を教うるをもって専任となすというは、今日の宗旨は大抵仏教の表面の意をとりて開きたる宗旨なれば、その僧侶は人に情欲を脱去し、世間を遠離することを教うるを目的となすをもって、おのずから第一にその外貌実行を表示せざるを得ざるはもちろんの道理にして、小学の教師がその生徒の品行を修正せんと欲せば、まず自ら酒色を慎まざるべからざるがごとし。かつ一般の世人は出離解脱を専務となさざるをもって、あえて肉食妻帯を禁ずるを要せずといえども、僧侶はその主任者なるをもって、身体行為みなその形を表示せざるべからざるもまた自然の道理なり。これらの理由によりてひとたび起こりたる風習は、次第に因循して一種の格式となり、万古動かすべからざる教式を定立するに至る。しかれども、これただ教式の一部に過ぎざるをもって、必ずしもこれを守らざれば成仏得道することあたわざるにあらず。その要たるやただ時ありては肉を断ち、時ありては妻をすて得べき精神あるをもって足れりとす。すべて礼式は精神の外に発して形を結ぶものに外ならず。故にその形を見て仏教の本意を評すべからず。かつ仏教中には裏面の俗諦門を主唱する宗派あるをもって、もしその表面の宗旨をもって事情に適せずとなさば、よろしく裏面の宗旨を助成してその拡張を計るべし。表面も裏面も共に一仏教なれば、いずれを助くるもすなわち仏教を助くるなり。しかるに世間の論者は、ひとり表面の宗旨をもって仏教とし、今日の教式をみて本意とし、仏教は肉食妻帯を禁ずるをもって、人種改良に害ありと喋々するもの果たしていずれによるや、余その意を解することあたわず。余をもってこれを評すれば、この論またただ仏教を主唱するものといわんのみ。なんとなればその論、暗に仏教裏面の意をのぶるものなればなり。余もとより知る、現今の仏教は出世間に偏するの弊あるを。故に、今日にありて仏教の中道の意を立てんと欲せば、その教中の世間門の一道を振起して、教理の中正衡平を保存せんことを要するなり。この点より仏教を改良すれば、知らず知らず人種改良の目的も達することを得べし。しかれども、またあえて今日存するところの肉を断ち妻を帯びざるものをことごとく廃して、みな真宗僧侶のごとく変ずることを要せざるなり。けだしこの肉食妻帯を禁ずるは、仏教表面の宗旨において、またおのずから廃すべからざる事情ありて存するは明らかなり。かつその宗旨といえども、世俗一般に肉食妻帯を禁ずることを勧むるものに非ずして、ただ俗家を捨てて僧院に入るものに限り、これを禁ずるのみ。すこしも人種改良上に妨害あることなきなり。

 余をもってこれをみれば、かくのごとき僧舎を存して、世間に体育不十分にして生計を営むの労力に耐えざる者あらば、これをその舎に入れて僧門の事業を営ましむるは、かえって人種改良に稗益あらんことを信ず。なんとなれば、かくのごとき羸弱の輩世間にありて妻帯したる節は、その子孫羸弱の性質を遺伝して、羸弱の人種をして後来に絶やさらしむるの恐れあればなり。かつ現今の僧侶を見るに、その過半数は体質柔弱または多病あるいは不具にして、一家の生計を営むの力なき者、出家得度して僧となりし者より成る。すなわち暗に人種改良を助くるものというべし。故に余おもえらく、今後もし人種改良の目的を達せんと欲せば、よろしく社会中の体質柔弱、多病、不具にして兵役に従事することあたわざる者あらば、これを僧門に入れて仏事を営ましむるは、人種改良の良法ならん。しかして世人にもっぱら肉食妻帯を勧めて人種改良を計るは、仏教裏面の宗旨の者に任じてますますその主義を拡張するに至らば、人種改良たちどころに弁ずべし。ああ、世の人種改良上仏教を非議するもの、ひとり仏教を解せざるのみならず、人種改良のなんたるも知らざる愚論というべし。しかりしこうして、仏教は一般に祭日に肉食を禁ぜしむるの風俗あるをもって、あるいは人種改良に多少の妨害あらんと憂うる者あるも計り難しといえども、これもとより答弁を煩わすを要せざるなり。畢竟かくのごときは世間の風習によるものにして、時宜により変換なきあたわず。たとえまたその風習変換するも、仏教の本意を害するに非ず。もしその教、他日欧米諸国に流するに至らば、精進潔斎の風習また従って変換あるべし。故にもし斎日に肉を断つは、人身栄養上の大害ありと認むるときは、よろしくこれを廃して然るべきなり。しかれどもあえて一月または一年中に、一日ないし二、三日の肉食を断つことあるも、決して身体の羸弱をきたし、人種改良の妨害をなすに至らざること明らかなり。かつ余がみるところによるに、人の死したるときなどに、酒を飲み肉を食い紅顔満腹、意気揚然として礼弔を行うは、あまり称すべきことには非ず。むしろその日には酒色を断ちて謹慎潔斎して哀を告ぐるは、かえって人情に適したる祭式というべし。つぎに第三条の論点に移り、仏教において婦人女子を軽賎遠離するの風習あるゆえんを考うるに、まず平等差別の関係を説かざるべからず。そもそもこの二者の関係は仏教の秘訣にして、その理を究むるに非ざれば仏教の真味を知ることあたわず。故に余に一言して、いささかその一班を示さんとす。平等とは無差別に名付け、差別とは平等ならざるに名付くるをもって、二者全く相反するがごとしといえども、平等を究めてその極点に達すれば差別となり、差別を究めてその極点に達すれば平等となる。いわゆる平等極まりて差別を生じ、差別極まりて平等を生ずるものなり。故にこの二者その体一なりとす。その体一なるもみるところ異なるときは、あるいは平等となり、あるいは差別となるの相違を示すに至る。これを例うるに、水面に千態万状の波ありと見るは差別にして、その体みなひとしく水なりと見るは平等なり。水を離れて波なく、波を離れて水なしと見るは、差別平等その体同一なりと知るなり。これをもって天台には円融相即の法門を立て、平等に即して差別、差別に即して平等ともいい、平等すなわち差別、差別すなわち平等とも説くなり。その理、仏教の全体に貫徹して、その組織の骨髄となるものなり。その教中、大乗、小乗、一乗、三乗、頓教、漸教、顕教、密教を分かちたるは差別なく、その差別多きもこれを修して得るところの結果に至らば、一味同感の快楽を得ると知るは平等なり。また唯識にては三界唯一心と立てて、我心の外に世界なしと説くは平等の心をいうなり。その心の中に色心彼我の別あるを見るは、差別の心をいうなり。この二種の心その体一なりと立つるは、仏教の奥義なり。余この関係を示すにつねに眼球の譬喩をもってす。天地万物みなわが眼球中にありと知るは、平等の上にて見るなり。わが眼球は天地間の一小部分なりとしるは、差別の上にて見るなり。この天地を含有する眼球も、天地間の一部分なる眼球も、その体同一にしてただ見るところ異なるに従って、平等差別の相違を呈するのみ。

 この理によりて一事一物中に真如の理を含有せるゆえんを知り、あわせて一切衆生 悉有仏性の理および国土山川 悉皆成仏の説を了することを得べし。国土山川 一切衆生はみな真如界中の一部分にして、その自体開発して生ずるところなるをもって、その体中にまた真如の理を具せざるべからず。しかして仏性はすなわち真如の理なるをもって、国土山川中に成仏の理を具せざるべからず。これをもって、一乗家にありては悉皆成仏の説を唱うるなり。しかるに人類草木、国土山川はみなひとしく成仏すべき理なるに、人類ひとりその果を有して、禽獣木石にその果なきはいかにというに、これ他なし、国土山川は成仏の本性を具するも成仏の作行を有せず、すなわち成仏の因あるも、成仏の縁なきをもって成仏することあたわざるによるなり。かくのごとく国土山川、禽獣草木同一に仏性ありと立てて、天台のごとく悉皆成仏を説くは、平等の上にていうなり。人類に成仏の果ありて禽獣木石にその果なきをもって、法相宗のごとき成仏不成仏の種類を立つるは、差別の上にていうなり。平等の上よりこれをみれば、煩悩即菩提 生死即涅槃なるをもって、迷いの凡夫そのまま仏となるべき理なれども、仏となるには修行の階級ありて、人みな同一に仏となるあたわざるは、平等の中に差別を存するによる。氷は水と同体なりと説くは平等にして、氷を溶解せざれば水となるあたわずと説くは差別なり。この理を推して仏教中に男女の懸隔を立つるゆえんを知り、あわせて固く殺生を禁ずるゆえんを知るべし。殺生を禁ずるは平等の上より起こり、男女の別を立つるは差別の上より起こるなり。平等の上よりこれをいわば、人獣草木、国土山川、同一仏性を有するをもって、みなことごとく同等の権利を有すべき理なり。あにひとり男女その権を同じうするのみならんや。これをもって人類に最も近きところの禽獣を愛憐すること起こる。いわゆる仁、禽獣に及ぶものにしてその意、人獣無差別の理より生ずるなり。その他殺生を禁じたるゆえんは、残忍の風を絶たんとするの仁心に出でたることまた疑いなし。けだし骨肉相食むは野蛮の風俗にして、同類相愛するは開明の人情なり。この開明の人情を養わんと欲せば、みだりに人類に近き動物を暴殺することを禁ぜざるべからず。これを禁ぜざればおのずから残忍の気風を人類の間に生じ、人をして互いに相食むの野蛮の風俗を養うに至るは必然の勢いなり。これをもって仏教中には殺生を禁ずるに至るも、またあえて社会の有益上に禽獣を屠殺することを禁ずるにあらず。すでに糊口職業のために魚鳥を捕え、衆人を活かさんと欲して一人を殺すは仏すでに許すところなり。故に仏教は殺生を禁ずというの一点をもって、今日の社会に適せざるものと断言するを得ず。つぎに仏教の女子を軽賎するに至りしは、差別の上より生ずるものとす。差別の上よりこれをみれば、動物草木はもちろん人類中にも男女自らその間に差別を有するを知る。男女すでにその身体の造構同一ならず。かつその身体の固有したる職務おのずから異なるをもって、体力はもちろん、精神、思想、情感、意志、またしたがって強弱剛柔の不同あり。すでにその不同あれば、世間の事業を修むるにも仏道の修行を務むるにも、男女同一の結果を生ずべからざるも、また免るべからざる事情なり。世間男女同権を唱うる論者は、つねに数万人の婦人中僅々一、二人の女子を指名して、かくのごとき才力あり、かくのごとき学力あり、かくのごとき体力ありと称すれども、これもとより例外の例にして、婦人一般の統計に出づるものにあらず。男女二者、一般の統計よりこれを比較すれば、婦人は情感に長じ、男子は知力に長ずるの差別あるを見る。これあるいは教育によりて変ずべしというものあれども、身体の造構すでに異なれば、同一の作用を呈すべからざるは一定の規則にして、教育の力ひとりよくこれを動かすべからざるなり。もし造構異なるも、教育の力よくこれをして同一の作用を呈せしむべしといわば、禽獣を教育して人類と同一の作用を呈せしむべき理なれども、そのあたわざることは明らかなり。これをもってこれを推すに、男女は身心共に生来不同あるをもって、同時に仏道を修行するも、同時に成仏の果を見ることあたわざるは理また明らかにして、別して婦人は情感に長ずるをもって世間の迷苦を脱すること難く、かつ知力に乏しきをもって真理を発見すること難し。故に仏教のごとき知力上の宗教を了解するには、男子に及ばざることまた疑いをいれず。これをもって仏教には男女の懸隔を立てて、女子の男子に勝りて成仏の縁少なきことを説くに至るなり。しかれどもこれただ差別の上にていうのみなり。

 平等の上よりこれをみれば、さきにすでに示すごとく、仏教中には男女の同等同権を許すこと明らかなり。なんぞ知らん、万民同等同権の論その初め仏教中に出でたるを。かつ今日進化学者の唱うるところの人獣動植一体の説、すでに仏教中に胚胎して存するをみる、あに驚かざるべけんや。これみな平等の上よりきたるところの論理なり。今ここに挙ぐるところの平等と差別とは、あるいは因と果と称するも、理論と実行と称するも不可なることなし。すなわち平等は理論上より生ずるなり、差別は実行上より生ずるなり。また平等は因の上にてみるなり、差別は果の上にてみるなり。この二者の関係は、仏教を熟習する者に非ざれば明らかに了解することあたわず、またその妙味を感受することあたわず、よろしくその門に入りて知るべし。その他、仏教に婦人を遠ざけたるゆえんは前すでに論ずるごとく、時弊を矯正せんとするの意に出でたるは疑いをいれず。およそいずれの国にても男女親和するの極、淫奔猥褻に走るの弊を免れざるものにして、インドは暖国なるをもってその風のことにはなはだしきを見る。故に釈尊はその弊風を去らんことを欲して、表面に婦人の遠のくべきことを勧めしならん。別して僧侶はすでに肉食妻帯を禁ずるをもって、婦人に近接するを誡むるはもとよりそのところなり。つぎに仏教の愛を断ち欲を制するゆえんも、前に述べたる理をもって大抵推知すべし。これみな時弊を矯正するの意に出でたるものにして、その教人情に反するに非ず。けだし釈尊の世にありしときに当たりて、インド人民の私愛に耽り私欲に溺るるの弊習ありしは、仏教の修行に戒律を重んじたるをみて知るべし。すでにその当時の勢い、愛欲を制するの規律を設けざるを得ざりしをもって、表面に世間道をすてて出世間に入るべき法門を説きたること疑いなし。しかれども、その裏面に説くところをみるに、釈尊の意、決して人情を断ち、相愛し相親しむの情を絶止するに非ざることまた明らかなり。別して仏は慈悲を本とし、仏道の修業は利他を目的とするをもって、人を愛憐するはその第一の目的とするところなり。故にその愛欲を戒めたる意は、人の小利私愛に溺るるの弊習を制禁して、公明正大の利欲愛情を奨励せんとするにあり。しかるに世間の軽率論者は、仏教中表面に説くところの時弊を矯正するの意に出でたる文を読みて、仏教は人情に反する法なり、野蛮獣類社会の教なり等と喋々するもの多し。しかして仏の公明正大の利欲愛情をもってその第一の目的とするを知らざるは、実に妄評中の妄評というべし。更にその論者の唱うるところを聞くに、ヤソ教は人情を本とし愛憐を主とするをもって開明国の教法なりという。余をもってこれをみれば、これかえって開明国の教法となすべからざるなり。その理いかにというに、ヤソ教果たして愛のみを主とするときは、これ偏愛の教なり。すなわち愛の一辺に偏したる教法なり。仏教はしからず。その教中慈悲愛憐をもって目的を立つるも、あえてその一方に偏するに非ず。仏教の極意は中正を保持するにあるをもって、さきにすでに述ぶるごとく人情の一方に偏するに非ず、道理の一方に偏するに非ず、二者の中正を保たんとするにあり。これそのいわゆる中道なり。およそ事物はその一方に偏すれば必ずその弊あるを免れざるをもって、教法の本意は中道の権衡を保持するにあらんことを要するはもちろんなり。かつ世間の事情に応じてその権衡の上に軽量の変化を与うるは、また教法の要するところなり。すなわち世間の事情愛欲の一方に偏するときは、その弊を制して道理の一方を勧めざるべからず。道理の一方に偏するときは、その弊をやめて人情の一方を教えざるべからず。これいわゆる随機誘引、応病与薬の善巧方便にして、釈尊の表面に愛欲を制止し、裏面にこれを勧誘したるゆえんなり。しかしてその本意に至りては、中道の権衡を保持するに外ならず。しかるにヤソ教のごときは人情の一方を主とするをもって、もとより中道の権衡を保持することあたわず。その弊、人の道理を求むるの念力を減ずるに至るは、勢いの免るべからざるところなり。これけだし、ヤソ教の古来学問の進歩を妨げしゆえんならん。余さきにすでに挙ぐるごとく、人情は情感にして道理は知力なり。この二者は偏廃すべからざるものなるをもって、ひとり情感を養成して知力を養成せずして可ならんや。仏教のごときは知力に基づきて起こる教法なれども、その中におのずから情感を主とする教理の存するありて、知力情感の二者の発達を助けたるはもちろんにして、下等愚民の宗教ともなり、知者学者の宗教ともなることを得べしといえども、ヤソ教はひとり情感に基づきて起こり、ひとり愛欲を主として教うるをもって、情感の発達を助くるも、知力の発育を助くることあたわず。しかるに開明の今日は、知力の発育を主とするをもって、仏教は開明社会の宗教に適し、ヤソ教は開明社会の宗教に適せずといわんのみ。

 更に進みてヤソ教はひとり世間を本とし、仏教は世間出世間二者を兼ねて両全を本とするの差別あるゆえんを考え、あわせて世間の外、出世間の道を修むるの必用を論ぜんとす。ヤソ教は未来を説き天界を談ずるも、世間の一道を本として世俗人情の上に教を立つるのみにて、世俗の外に真理を求むることなし。その天帝の存するゆえんを証示するがごときも、世俗人情の上に訴うるに過ぎずして、いわゆる想像をもって立つるものなり。その想像を離れ人情の外にその理を究むるものは仏教なり。これ仏教の世間の外に道を求むるゆえんにして、その教の表面に出世間を本とするゆえんなり。故にここに世間の外に真理を求むるの必要を一言せざるべからず。それ人たるもの・世間にありて世間のことのみを考うるときは・人情に制せられて・人間ほどの尊きものはなく・人間ほど勝れたるものはなく、その思うところ正しく、その見るところ明らかなりとのみ考え、その極ついにわれより外に善きものなく、われより外に愛すべきものなく、人を害してわれを益せんとする私欲私情の奴隷となるに至る。これにおいて君臣その序を失い、朋友その信を破り、父子相争い、兄弟相離れ、国家紛乱、天地晦冥の世を見るに至る。これ学者の世間外に真理を求むるゆえんにして、物理学者が高山深海を跋渉して実験を施すも、生物学者が幽谷無人の境に入りて生物を捜索するも、みな世間の修行を務むるものなり。星学者が望遠鏡内に一世界を開き、動物学者が顕微鏡内に小宇宙を置き・自らその範囲内の住人たる感覚を生ずるは・すなわち出世間の人たるを感ずるなり。またこれらの学者が物理を研究して得るところの結果をもって、社会に応用しその利益を計るは、出世間の道を世間に活用したるものなり。もし古来の学者・人間社会の外に道を求むることなかりせば・決して今日のごとき諸事諸術百般の進歩を見ることあたわざるは必然なり。鉄道、伝信、航海、製造、医術、政法、その他、衣食の需用を得るの道は、みな出世間の研究より得たるところの結果なり。在昔釈尊の王宮を脱して深山にかくれたるは、世間を離れて真理を求むるの意より外なし。なお生物学者の山海人跡なきところに至りて研究を施すと同一般なり。三十成道して法を説きたるは、世間の外に得たるところの道をもって世間内に活用したるものなり。故に世間外に道を求むるは・その目的世間内に活用するにあるはもちろんなりといえども・世間内にありては世間の真理を知ること難きをもって・一見識を有する者はみな世間外に立ちて・局外より世間を見てその道を定めんとするなり。今それ人、知力を有し、器械を有し、政府を有し、海を煮し、山を鋳り、雲に駕し、風に御し、その力天も及ばざるがごとく、安楽自在の極楽世界を開くがごとくなれども、局外よりこれをみれば実に微々たる一小分子に過ぎず。その住するところの地球は、これを際涯なき空間に比すれば、宇宙大海中に浮かびたる一粟に過ぎず。その生ずるところの年月は五十年ないし百年にして、これを終始なき時間に比すれば、一瞬一息の間を待たず。その大海の一粟中に蠕然として動き、その瞬息の内に閃然として現ずるもの、これ今日の我人なり。かくのごとき我人にして、人類より尊きはなし、世間より大なるはなしと思うは、実に惑えるのはなはだしき者というべし。これ釈尊の世間を捨てて出世間に入りたるゆえんなり。けだし我人はそのきたるもいずれよりきたるかを知らず、その去るもいずれに向かって去るを知らず。仰ぎて天地を見れば、その体のなんたるを知らず。顧みて心思を察すれば、またその体のなんたるを知らず。身体咫尺朦としてただ霧中に彷徨し、夢裏に恍惚するの思いをなすのみ。その力いずくんぞよく宇宙の真理を尋究せんや。これ釈尊の世間外に真理を求めんと欲せしゆえんなり。これを要するに世間の道を求めんと欲せば、出世間に入らざるべからず。出世間にその道を究め尽くして始めて世間の道を定むべきなり。故に釈尊は自ら出家入山してその道を究め、出でてこれを人に伝え、またその教法は初めに世間の人情を空して、ついにこれを立つるに至りしなり。いやしくも道に志ある者、世間にありては人情の制するところとなり、愛欲のひくところとなり、真理を究むることはなはだ難きをもって、その志を達せんと欲せば、世間外に道を求めざるべからず。これまた釈尊の人に出家発心を勧めたるゆえんなり。しかるに今日の僧侶は、ただその出家発心の教式のみを存して、その本意を失うに至りたるをもって、世人これを評して仏教は世間をすてて人情に反する教なりというに至る・これあに仏教の本旨ならんや・

 これによりてこれをみれば、仏教の表面に人情を制し、出世間道を説きたるも決して怪しむに足らず。けだし知力上真理を研究せんと欲するもの、この思想なくんばあるべからず。理学哲学者のなすところみなしかり。仏教またこれを勧めたるは、その法の知力に基づきて起こるによる。ヤソ教はこれに反して情感の宗教なれば、人の愛欲の情に従ってその道を定め、想像の力によりて天帝を立つるもののみ。故にその教、知力の発達を助くることあたわず、かつ情欲の横恣を制することあたわず。その弊害の多きは、欧州中古の歴史に多く見るところなり。近世に至りてはその弊害を感じたるは、理学哲学の世に起こるありて、ヤソ教のその力をたくましくすることあたわざるによる、また幸いというべし。しかるに仏教は知力より起こりて情感を加えたるをもって、知力の弊はこれを和らぐるに情感をもってし、情感の欲はこれを制するに知力をもってし、愚民これを服すもその益あり、学者これを用うるもその功あり、実に前代未聞の良法というべし。

 つぎに世人の、仏教は開明国の宗教にあらざるをもって、よろしく廃すべしと唱うるものに対して一言を付せんとす。しかれどもこの論は政略上よりきたるところのものにして、仏耶両教を比較するに関係なきをもって、ここに多言を煩わすを要せざるなり。さきにその論者の意を案ずるに、わが国人仏教を奉ずるときは、西洋人これを目して野蛮人民とみなし、同等の交際をなすことを許さざるも、もし仏教に代うるにヤソ教をもってするときは、同等の権力をもって互いに相交接し、条約改正もたちどころに弁ずべしというにあり。これ余がはなはだ怪しむところなり。西洋人をしてわが国を開明国と信じ、交際上同等の権力を許さしむるに至るは、ただみだりに西洋人のなすところを学び、西洋人の用うるものを用い、事々物々、風俗宗教に至るまで、みなかれに模倣するにあるか。余をもってこれをみれば、かくのごとく事々物々みなかれに模倣するに至らば、かれかえってわれを軽賎して、これを属国視するとも同等視することなかるべしと信ず。また外よりこれをみるに、その政略はただ西洋人にこびるものというより外なし。果たしてかくのごときに至らば、西洋人はわが無気無力にして独立の精神なきを笑わんのみ。そもそもわが国今日、西洋人と同等の交誼を通ずることあたわざるは、宗教言語の異同によるに非ずして、その国力全体のかれに及ばざるによることは、今更、余が弁ずるを待たざるところにして、内には金力充満し、外には兵力強大なるに至らば、その国内の人民はいかなる宗教を用うるも、西洋人と同等の交誼を開き、条約改正もたちどころに履行するに至るは必然なり。もしこれに反して、ただ一にかれのなすところを学び、わが国をヤソ国とするもひとりわが無気無力を西洋人に示すに過ぎずして、かれのわれを蔑視するを昔日に数倍するに至らんのみ。故にかくのごとき政略を評して拙策の極というべし。論者あるいはいわん、わが国西洋人の宗教を模倣するときは、かれますますわれを軽賎せんというがごときは、推想憶説に過ぎずと。余これに答えていわん、もしこの説をもって憶想となすときは、わが国ヤソ教を奉ずれば条約改正たちどころに弁ずべしというがごときは、憶想中の最も大なるものといわざるべからずと。余が聞くところによるに、西洋人は日本人のその国力なくしてみだりに洋風を模擬するを見て、ひそかに笑うものありと。果たしてしからば、宗教を変じて条約改正の執行を求めんとするがごときは、西洋人の最も侮笑するところなるを知るべし。もし一歩を譲りて宗教を変ずれば、その執行を得べしと定むるも、宗教は政治上の変革のごとくたやすく変更すべきものにあらず、なにほどその変革に力を尽くすも数十年を経るにあらざれば、わが国をしてヤソ教国となさしむべからず。もしあるいは政府の権力を用いて、一時にその改宗を実行せんとするときは、かえって反動力を起こして仏教の再興を助くるに至らん。または一国中の騒乱を醸すに至らん。しかして条約改正のごときは、一日一時を争う急要の事件なり。この急要の事件を達せんとするに、数十年を要する方法を用うるは、また得策に非ざること明らかなり。かつわが国を変じてヤソ教国となすには、まずその改宗よりきたすところの利害影響を算定せざるべからず。けだし政略上これを用うれば、ヤソ教者の跋扈するに至るはもちろんにして、その跋扈よりきたすところの影響また決して少なきに非ざるなり。余、古来の歴史についてこれを案ずるに、ヤソ教の跋扈するときは学問知力の進歩を妨害すること明らかにして、欧州今日にありてその教の幸いに学問上に妨害を与えざるは、理哲両学の近世ようやく勢力を社会に得るに至りしによる。しかるに日本は諸学未だ進まず人知未だ開けざるに、ヤソ教の跋扈するに至らば、その学問知力の妨害をなすは自然の勢い免るるべからざるところなり。余さきにすでに示すごとく、ヤソ教は情感より組織せる宗教なるをもって、その教ひとたび勢力を得れば、その害を他に及ぼすは必然なり。けだしこの弊害を救うの良策は、仏教をわが国に存するにありと知るべし。その他、仏教を全廃してヤソ教を公許するに至りては、その教中の各宗すなわち旧教、新教、ギリシア教の間に雌雄を争い、いかなる結果を生ずべきかも考定せざるべからず。あわせてその帝室国体の上に与うるところの影響、および日本人の精神思想の変動をも予知せざるべからざるなり。以上は両教の性質を論ぜずして、ただ政略上の影響について批評を下したるのみ。もし性質上これをみれば、仏教を日本に維持するは、ヤソ教を国教と定むるに勝ること万々なり。第一に仏教の、学理に合し知力に基づき学者の宗教なることは、余さきにしばしば証明せしところにして、ヤソ教のごとき想像上の宗教とはほとんど雲泥の懸隔ありて、同日に論ずべからず。故にその教のただに学問開明の進歩を妨害せざるのみならず、大いにその進歩を助くべきは必然なり。しかるに今日の西洋人は仏教の真意を知らざるをもって、これを貶して偶像教となせども、もしかの地の学者をして仏、大乗教の妙旨を知らしむに至らば、ヤソ教を排斥して仏教を主唱するに至るもまた必然の勢いなり。これ実に世界無二の宗教なり。その教初めインドに起こるも、今日はすでにインドにその地を払い、シナまたその種を絶せんとす。ひとり日本にその全教の存するをみる。故にこれを日本特有の名産と称して可なり。当時わが国の諸事諸品中、西洋に伝えて声価を得べきもの、ただこれ仏教あるのみ。他日その教西洋に伝うるに至らば、ヤソ教に代わりて文明国の宗教となるも計り難し。あにこれを野蛮の宗教と同一視すべけんや。今それわが国人の西洋をとり、英独を学ぶの本意、日本をして外国に追従随行せしむるに非ずして、西洋と競争抗敵して、他日その上に超駕せんとするにあるは、問わずして明らかなり。果たしてしからば、日本旧来の事物学問、精神思想の善悪良否を問わず、一にこれをすてて、ことごとく西洋を待つはわが良策に非ざる、また知るべし。けだし人のあとを追い、そのなすところに従うときは、到底その人に超過すべからざるは自然の理なり。かつまた外国交換の本意はかれが長をとりて、われ短を補うにありて、われ長をすてて、かれが短をとるに非ざるはもちろんなり。今、仏教はわがいわゆる長ずるところなり。これをわが国に培養して国外に流出せざるときは、なにをもって外国に伝えんや。その他、これ仏教は東洋の精神思想を含有し、日本の人情気風もその中に包入せるをもって、これを変革するときはその影響必ず大なるべし。もしあるいは東洋の精神を維持し、日本の気風を振起せんと欲せば、よろしくこれをわが国に存せざるべからず。かつ西洋と競争してその上に超駕するの良策は、彼我の長短、取捨折衷して一種の新元素を養成するにあるをもって、わが長ずるところの仏教は、永く日本に維持せざるべからざるなり。いずれの点よりこれをみるも、仏教の再興を計るは今日の急務なりというの断言を結ぶより外なし。もしこれをその自然の勢いに任ずるときは、今日の僧侶は無気無力、無学無識なるをもって、その教漸々衰滅するに至らん。果たして衰滅するに至らば、その真理の光をして万世地球上に現ぜざらしむるに至らん。あにまた遺憾なきあたわず。そもそも欧州今日の宗教は、今を去ること三百年前、宗教改革の乱ありて、その弊習を一洗したるも、そののち文化、日に月に勃興し、理学哲学はもちろん社会百般の進歩実に驚くべきものあり。ひとりヤソ教はその間ほとんど進歩を見ざるもののごとし。故にその教、今日の事情に適さざるところ多しといえども、欧州今日の人民は過半みなヤソ教に沈酔して、いかなる真理新見のその外に存するも恬として顧みるをもって、学者中その改良を計画するものあるも、その志を果たすことあたわざるなり。故に今日の勢いヤソ教の主義を一変し、開明の宗教を組成するは到底欧米の地にありて期すべからず。これを改良するも一変するも、日本の外その地なきを知る。これ余が仏教を改良して、開明の宗教を組成せんことを希望するところなり。以上論ずるところによりてこれをみるに、仏教は第一に人種改良の妨害となるものに非ず、第二に男女同権、万民不同等を唱うるものに非ず、第三に人情に反したる法にあらず、第四に政略上不利をきたすものに非ず、第五に開明社会に適したる教なることすでに明らかなり。これらの諸点は仏教のかえってヤソ教に超過したる点にして、別して理論上に比較するときは仏教のヤソ教に勝ること万々なり。しかるに今日の僧侶は、仏教を維持するの精神学識なく、かつその方法を知らざるをもって、ついにその教をして漸々衰滅のきざしを呈せしむるに至る。これ余が感慨にたえざるところにして、大喝一怒して仏者の頑夢を驚覚し、仏教改良の実行を施さんと欲するところなり。しかるに世の論者あるいは曰く、今日の仏教は腐敗極まるをもって、断然改良を実行すべからず。かつ今日の僧侶は無気無力なるをもって、到底その頑愚を医治すべからず等と唱えて、仏教改良論は言うべくして行うべからざるものとなす。余またここに一言してその論者の妄説を論破し、あわせて西洋今日の開明はヤソ教の力にあらざることを証明せざるべからず。ヤソ教者言を発するごとに曰く、ヤソを奉ずる国は開明に赴き、仏教を信ずる人民は野蛮なり、故に国の開明を進めんと欲せばよろしく仏教を廃して、ヤソ教を用うべしと。すなわち欧米今日の開明はヤソ教によりて生ずるものと信ずるなり。なんぞ誤解のはなはだしきや。余をもってこれをみれば、ヤソ教は欧米文明国の食客に過ぎず。その家早々主人を失い、子息年はなはだ幼なるをもって、食客輩大いに私情をたくましくし、遊惰を極め飽食過飲いたずらに歳月を送り、しかしてその威権ほとんど主人に擬するも、だれもこれを制するものなく、およそ千余年間跋扈を極めたるをもって、その家大いに貧困し、一時生計を立つるにはなはだ艱難なりしが、子息ようやく長じて家名をつぐに及び、食客の放恣もいくぶん減じたるも、なおしばしば主人を脅かさんとするの状ありき。新主人いよいよ長じて、家運の再興を経画するに当たりては、食客たとえ私情をたくましくせんと欲するも、その力主人に抗することあたわざるをもって、昔日の遊惰も大いにその面目を改むるに至る。主人これにおいて独力拮据して家運の再興を計り、不日にして富強盛大の結果をみるに至るなり。これ全く主人の尽力によるものにして、すこしも食客の一人に加わることを得るは、従来永くその家に住したる縁故と、そののち主人に抵抗せずしてよくその気変を酌量するとによる。その主人とはいずれを指すや。曰く、今日の理哲両学をいうなり。今そのゆえんを知らんと欲せば、よろしく余がこれより述ぶるところをみるべし。それヤソ教の始めてローマに入りしは第三世紀中のことにして、当時にありてはローマ帝大いにその徒を殺害したるも、その教ますます民間に流布し、ついに国帝と勢力を争うに至る。けだし当時、地中海近傍の商人は、その通商の方便にヤソ教を用いたるも、民間の農夫は往々ヤソ教嫌悪し、地震、水漲、疫病等あればみな原因をその教に帰す。あたかもわが朝仏教の始めて入りたるときのごとし。故をもって、政府殊更に法律上ヤソ教を信ずる者の家産を没収し、あるいは厳刑に処する等の方法を設くるに至る。これに反してヤソ教を信ずる者は、水火の天災は人民ヤソ教を奉ぜざるをもって、天帝のこれを罰するによるという。これにおいて互いに相殺戮して、至るところ生血を流すを見る。その後幾年を出でずしてローマ帝国内の都邑、一としてヤソ教会の設立あらざるはなきに至り、ヤソ教の勢力ますますさかんにして、その反対党派を苦殺することますますはなはだしきに至る。すでにしてコンスタンチヌス大帝起こり、当時の形勢、人心を得、宿望を達するはヤソ教に帰するより外なきを見、政略上その教を奉信するに至る。しかるに帝はヤソ教を奉信すと称するも、その内情を探るにネロ帝に譲らざる暴君なり。その在位の間はその子弟および妻を虐殺したる暴行あるをもって、その罪を人民におおうことあたわざるに至り、人民の己を誹議するものあるを知り、ついに遷都の挙あるに至る。すでにして帝も晩年に及び、自ら前非を悔やみ帝位を脱して僧門に入りしという。コンスタンチヌス大帝以後、ヤソ教ローマ東西に蔓延し、妄信上下に行われて、学問研究の道ほとんど全く地を払い、当時の人民はその教に立つところのものの外真理なしと信じ、これに反するものあれば、一にこれを異端邪説とし、その書を焼き、その人を殺し、世間に学識をもって名あるもの大抵みなその犠牲となる。けだし秦始皇の代といえども、このときのごとくはなはだしからざるべし。今その妄信の一例をあぐるに、地球の背面に人民あるべきの問いに答えて、アウグスチヌス氏曰く、地球の背面に住民あるべき理なし、なんとなれば、経典中に掲ぐるところのアダムの子孫中にかくのごとき人種なければなりと。『バイブル』を妄信することかくのごとし。その文中に見えざることはいかなる新見妙理たりといえども、ことごとくこれを虚偽と断定してその説を唱うることを許さず。もしこれを唱うれば、邪教者とみなして殺害を加うるに至る。妄信の極かくのごとし、あに恐れざるべけんや。

 更にまた当時世間に行われし妄説を挙げて、妄信の諸例を示すに輿地は平面体なり、天空は輿地の上をおおうところの穹体なり、諸星はその内面に整列するものなり。日月および諸惑星は出没して輿地の外に運行するものにして、その体人間に光を与うるために設けられたるものなり。天穹の外にありてその上に位するものは天堂にして、これ天帝の住所なり。地球上の諸万物は六日間に成出せり。その万物中のノアの船中に漏れたる者は、ことごとく大洪水のために沈没せり。人は世界万物の主長にして、諸物みなこれがために造出せられたるものなり。人の知徳は世を経るに従い、次第に衰微するものなり。アダム、イブはその罪を得ざる前は、身心共に純全なりしも、その罪によりて人生に死あるに至るなり。事物の変化はすべて天帝または神霊のなすところにして、人力をもって干渉するは大いに害あるものなり。諸星を運行せしめ海水を蒸騰せしに、日月の蝕を生ぜしむものみな神使の致すところなり。人その身体の組織を変更するは大いに神意を害するものなり、医者は神意を害する外道なり。病患を医治せんと欲せば、神聖の霊前または墳墓に詣して神助を請うべし。哲学および理学上の研究はみな大いに神意を害するものなり。以上のごときもの、けだし世間一般の定説なりし故をもって、一時ローマ東部に行われたるヒッパルコス氏の天文学、マチ氏およびエラースゼネス氏の史学、ユークリッド氏およびアポロニウス氏の幾何学、プトレマイオス〔トレミー〕氏の地理学、アルキメデス氏の器械学等は、実に古代の活眼新法と称すべきものなり。しかもたちまちみな地に落ちて、鬼神の怪誕ひとり世に用いらるるに至る。これ主としてローマ東部の情況にして、その地の文化ヤソ教のために衰えたる原因なり。しかしてその文化再び興るに至りしは、東部にヤソ教の衰滅したるによる。その衰滅をきたせし原因は、バンダル人がペルシア王およびマホメット教のその範囲内に侵入せしによる。そのうちマホメット教の影響最もあずかりて力あり。これによりてこれをみるに、文明の盛衰はヤソ教の盛衰と反比例をなすものにして、ヤソ教盛んなれば文明衰え、ヤソ教衰うれば文明興ること明らかなり。つぎにローマ西部の事情を考うるに、ヤソ教一度東西両部に行われてより、東部においてはたちまち衰微をきたしたるも、西部においてはますます繁盛を極むるの勢いあり。教門の主長を法王と称す。その威権、次第に増長してついに僧侶両権を掌握するに至る。史について案ずるに、法王中の最も治眼卓識にして功労あるものをグレゴリウス大法王とす。この法王はローマの風俗礼式制度の改良を計りて大いになすところなり、別して僧門の組織を結成するに大功労あり。しかれども、法王の妄信を抱くに至りては、また大いに驚くべきものあり。すなわち法王は、天堂は空中にあり、地獄は地下にありと思い、リパリーと称する火山の噴口は地獄に入るの道なりと信じ、その他、未来霊魂等に関しては実に奇々妙々の妄説を有せり。かつ法王は、信仰は無知より起こるの格言に基づきて、人の学問を修め道理に明らかなるを忌憚せり。故にローマ中に行わるるところの数学を廃し、アウグストゥス帝の創立にかかる書籍館を焼き、古文学の研習を禁じ、古学者を厭悪することはなはだしく、すべて人をして妄信を起こさしむるに妨げあるものは、ことごとく制禁廃絶するに至れり。その意ただ人を無学無識に沈めて、宗教を妄信せしめんとするに外ならず。故をもってそののちヤソ教大いに勢力を得るに至れり。しかるに極盛のあまり悪弊を生ずるは社会の定期にして、ヤソ教また悪弊を養成するに至る。その弊の一、二を挙ぐれば、第一に、虚名を争い虚礼を重んじてその実を務めず。第二に、驕奢放佚を極めひとり衣服器具に高金を費やして、野に餓孚あるも更に顧みることなし。第三に、驕奢の風進んで品行の上に及ぼし、従来妻帯を禁じたる浄僧も、当時は種々の名義を設けひそかに妻妾を蓄え、第四に、その勢いまた進んで文学上に影響を及ぼし、経典をもって学問の史標基とし、これに合するものを真とし、これに合せざるものを偽となすに至る。故に当時の史家はヤソ教の信仰を害する事実はみなこれを刪去し、これを助くる事実はただにこれを保存するのみならず、かえってこれを増飾敷衍せり。もし史家中その信仰を妨ぐべき事実を存する者あるときは、世間一般にこれを目して外道と称し、ただにその説をいれざるのみならず、その人を社会の外に捨つるに至る。これによりてこれをみれば、今日伝わるところの古代の史類は、みなヤソ教者の手になるをもってもとより信をおくに足らず。しかるにヤソ教者の『バイブル』の事実を証明するに、当時の史伝小説をもってするがごときは、『バイブル』をもって『バイブル』を証明すると同一般なり。あにその証明法を笑わざるべけんや。ひとり東洋はしからず、古今いずれの世にても反対論派の存するあるをもって、一書を証するに他書をもってすることを得るなり。第五に、当時また偶像を拝するの風起こり、天帝およびヤソの形を画像または木像を製して祭るに至る。以上の悪弊の外に法王の威権次第に増長し、僧門を圧し、政治社会を圧し、進んで人の精神思想を圧するに至る。これローマ西部一般の情況なり。しかしてその教のヨーロッパ全州に播布するに至りしは、他に考うべき原因あり。その第一の原因は欧州の中央なるフランスに漸入し、その王ピピンおよびシャーレマンの助力を得て、その国内に蔓延するに至ればなり。けだしピピンおよびシャーレマンのヤソ教を助成せしは、その王権を掌握する良手段なるを知ればなり。これより欧州に政教一致の風を養成し、帝王の進退皆命を法王に待つに至る。シャーレマン王は別して法王の特恩を受けたるをもって、大いにヤソ教の拡張を計り、領内至る所に堂宇を建立し、寺領を配付するに至る。そののちシャーレマン王立ちて帝位を履むに及び、フランス、スペイン、イタリア、ドイツ、ハンガリーの諸国を統轄するをもって、ヤソ教たちまちヨーロッパ全州に流布するをみる。けだし帝のヤソ教を助けて功労ありしは、偶像を用いることを禁じたると、僧侶の学識を進めたるとにあり。しかも帝の品行に至りてははなはだ善からざるもの多しという。そもそもシャーレマン以後、政教一致の風を養成したるは大いに社会の開進に妨害を与え、その害ただに学問の進歩上に及ぼせしのみならず、政治、法律、社会、百般のことみな退歩を徴するに至る、誠に慨すべし。余はこれより法王の史伝を略叙して、その凶悪残忍のはなはだしき、いうに忍びず、聞くに堪えざる、一種の修羅道なることを示さんと欲す。さきに法王パウルス第一世の死したるときに、ネピー侯その弟コンスタンチンをもって法王の位をつがしめんことを務めたるも、ステファヌス第四世を推挙するもの多きをもって、その党ついにコンスタンチンの両眼を抜き、これをたすけたる僧セオドラスの舌を断ちて、生きながら殺すに至る。そののちアーリヤン法王の一族、その位をつぐところのレオ第三世を囚縛して、その眼を抜きその舌を断たんとせしに、レオ法王これに抗してその敵を暴殺せんと欲し、互いに相殺害してローマ全都腥血をもって穢れに至る。レオ第三世についでその位を襲うものをステファヌス第五世とす。故ありてローマより逐斥せらる。そのつぎの法王パスカリス第一世は、二人の僧侶を冤殺したる罪をもって帰せらる。ヨハネス第八世はマホメット宗徒に抗敵することあたわずして、課金を払うて赦を請うに至り、そのつぎの法王ボニファティウス第六世は、不品行不道徳なるをもってその位をしりぞけられ、そのつぎの法王第七世は、フォルモスス法王の死体を墓中より取りて、その指を切断してこれを河中に投ぜしが、すでにして自身も囚俘となりて窒殺を受くるに至る。そののちレオ第五世はまた獄中に捕縛せられ、その位を奪うたるクリストフォルス法王はローマより放逐せられ、これを放逐したるセルギウス第三世は色愛にあふれすこぶる不品行の名あり。ヨハネス第十世も私愛のためについに獄中に死し、そのつぎの法王ヨハネス第十一世もまた色のために獄中に捕縛せられ、これにつぐところの法王ヨハネス第十二世もまた大いに不品行の名ありて、ついにその位をしりぞけらるるに至る。そのつぎの法王レオ第八世は、人の手足あるいは鼻舌等を切断して旧怨をはらしたるに、ついに人のために殺害せらるるに至る。これを殺害したるものの妻は、法王の生前に姦通したることあるをもって、その怨を報ぜしなりという。そののちヨハネス第十三世は獄中に窒獄せられ、ボニファティウス第七世はベネデクトゥス第七世を苦殺し、ヨハネス第十四世は暗殺にあい、ボニファティウスの死体はこれを辱かしめんために市街に携帯せられ、ヨハネス第十六世はその眼およびその鼻舌を切断せられたり。以上列するもの第八世紀より第十一世紀までの事跡なり。その間の残忍暴行、放肆淫奔のさかんなる、歴史上ほとんどその類を見ざるところなり。かくのごとき事実は後人の教育を害するをもって、史学大抵これを除き、別してヤソ教者は一宗の不面目なるをもって、務めて後世に伝えざらんことを求めしといえども、なお史上その一班を存して、のちのこれを読むものをして悄然として恐れしむるに至るなり。

 その他、中古ヤソ教の事情を挙ぐるに、紀元第三、四世紀には、遁世して修行することもっぱらヤソ教中に行われたり。いわゆる出世間の修行なり。精神潔斎もまた大いに行われたり。僧侶中、菓実、麹麦、冷水、その他、塩の小量のみをもって食用とする者あり。あるいは一、二日間または一週間以上の断食をなす者あり。あるいは毎夜過眠を制して、一時間ないし二時間位を限りて眠る者あり。この肉体の快楽を制禁するの風次第に進んで、妻帯を禁ずること起こる。かくのごとく肉体の快楽をすてて、精神一方の快楽を求むるに至りしは、一方に奢侈放恣を極めし者あるをもって、その反動に外ならず。鬼神を祭り魔神を信じ、幻術巫覡の行われしはこのときをもって第一とす。けだし当時学問の思想全く地を払い、吉凶禍福、疾病災難みな善神または悪魔の致すところと固信せしによる。その他、当時の弊風、僧侶たる者内妾を蓄え官職を買う等、枚挙するにいとまあらず。その風次第に因習して、中世より近世の初年に至り、法王の威権なおさかんにして、ヤソ教依然として世間を圧するを見る。今その一例を挙ぐるに、ゲルマン帝ハインリッヒ第四世は法王グレゴリウス第七世の命に抗したるをもって、厳寒の候自らアルプス山を越えてローマに至り、氷雪をおかし飢寒をしのぎて、三日三夜法王の殿前に立ち、もって赦罪を請うに至る。その威権のさかんなることかくのごとし。そののち法王インノケンティウス第三世は英国の王ジョンを屈折し、インノケンティウス第四世はゲルマン帝フレデリック第二世を逐斥する等、実に法王の権力のさかんなるを知るべし。その他、当時ヤソ教の人の思想を固結するをもって、近世開明の進歩に妨害を与えたること、また実にはなはだしきを見る。すなわちコロンブス氏は当時の人民の妄信のために終身艱苦に死し、ブリユノー氏は僧侶より出でて哲理を唱えたるをもって火罪に処せられ、ガリレオ氏はヤソ教に説かざる天文の新説を講じたるをもって、大いにその徒の侮辱を受くるに至る。その他、理哲諸科の学者、ヤソ教のためにその活眼の新見を世に公にすることあたわざりし者、幾人あるを知らず。また学者、心にヤソ教の道理に合せざるを知るといえども、これを明言すれば世間にいれられざるをもって、陽にヤソ教信者の仮面をかぶり、その著すところの書中に往々天帝の語を挿入して、世間の愛顧を求むる者またすくなしとせず、これ欧州今日の実況なり。スペンサー氏のごとき、その論意ヤソ教を駁するにあれども、その著すところの『哲学原論』の初編においては殊更に不可知的の一論を起こし、自ら天帝の存在を許すもののごとく世人に示し、ダーウィン氏はその意天帝創造を信ずるに非ざれども、動植の原種のなんたるを定むるに至りては、判然たる解釈を与えずして、天帝創造より出づるもののごとく示したり。しかれども、その全体の論旨よりこれを推すに、その意十分ヤソ教の真理に非ざることを証立するにあるや、一読して知るべし。しかるにヤソ教者はその全書一、二の天帝の語あるを見て、ダーウィン、スペンサー、カント、ヘーゲル諸氏といえども、天帝の存すべきを許せり等と公言するは、実にその愚を笑わざるを得ず。けだし欧州の今日の事情、ヤソ教を信ぜざれば大いに交際上に不便を生じ、出でて街上を行けば人みなこれを指して不信教者と称し、これを見ることあたかも怨敵仇讎のごとく、これと交際を通ずる者まで嫌斥すという。その他ひとたび不信教者の名を得たるときは、婦人に交婚を求むるも婦人これをいれず、著書を世間に弘めんとするも世間これを用いず、非常の困難を一身の生計上に及ぼすという。これ余が人に聞くところにしてその真偽知るべからずといえども、果たしてかくのごとくんば、宗教を改良して開明の事情に適するの良法を立つるは、欧州の地において行うべからず。これ余が宗教の真理を日本において研究せんことを望むゆえんなり。以上述ぶるところこれを要するに、古来ヤソ教その力をほしいままにするときは大いに世間の妄信を振起し、社会の開明を妨害せしのみにて、すこしもこれを助けたることなく、その今日の文明はヤソ教中よりきたるに非ずして、他の事情によりて生ぜしこと明らかなり。その事情とはなにを指すや。曰く、第一に十字軍の結果、第二にサラセン人種の侵入、第三に古文学の再興、第四に印刷術の発明、第五にアメリカの発見、第六にインドの航海、第七に封建制の破壊、第八に宗教の改革、第九に理学の新説、これなり。

 第一に十字軍の結果とは、その第一はヨーロッパの人民東方に遠征し、アジア西部の文物を見てその思想を内地に伝え、その物品器用を西部に将来したる事情をいう。その第二は東征の目的、天帝のためにヤソ教の霊地を回復するにあるをもって、必ず天帝の救援あるべしと信じたるに出征つねに敗軍して、ついにその目的を達することあたわざるに至りしをもって、多少人民の妄信の力を減じたる事情をいう。第二にサラセン人種の侵入とは、サラセン人種はマホメット教の宗徒にして、第八世紀の初年よりおよそ四、五百年間欧州を蹂躙し領地をスペインに開きしをもって、欧人をしてアラビアの文物を知らしめたる事情をいう。第三に古文学の再興とは、第十五世紀に当たりてトルコ人コンスタンチノーブルを陥れ東ローマを滅せしをもって、ギリシアの学生逃れてイタリアに入り、その古文学を欧州西部に伝え、世人をしてギリシア古代の文化を知らしめたるをいう。第四に印刷術の発明とは、当時欧州に印刷法を発明したるをもって、古書を反訳して広く世に刊行するの便を得たるをいう。第五にアメリカ発見とは、第十五世紀の末年に当たりコロンブス氏アメリカを発見して、『バイブル』中に説かざる世界のあることを世人に示したるをもって、世間の妄信を破りたるをいう。第六にインドの航海とは、アメリカ発見以後幾年を出でずして、ガマなるものインド航海の路を開きてより、世人をして親しく東洋の文明に接することを得せしめたるをいう。第七に封建制の破壊とは、欧州中世の間、封建制度の国々に行わるるありて、大いに文化の発達を害したるも、第十三世紀以後はその制ようやく廃弛し、当時全く破壊するに至りたるをもって、大いに思想の自由を振起したるをいう。第八に宗教の改革とは、一五一七年ルーテル氏新教を唱えたる争乱をいう。第九に理学の新説とは、第十六世紀より第十七世紀間に起こりたるコペルニクス、ガリレオ、ケプラー等の諸氏の天文学上一種の新見を起こして、『バイブル』中に掲ぐるところの旧説を排したるをいう。以上の諸事情は人に開明の新知識を与え、ヤソ教の妄信を解きたる原因となりしこと明らかなり。欧州今日の文明全くこれより起こる。そのうち第八事情の外はみなヤソ教外よりきたるところの原因にして、その教中より生ぜし事情にあらざること、また明らかなり。しかしてその第八事情も更にその原因を考うるときは、ヤソ教外より起こりしことまたまた疑いをいれず。すなわち当時世間の事情、開明の精神を養成し、生気勃然として、その勢いあたかも春草暖和の候に向かって生育するがごとく、ヤソ教これを圧抑することあたわざるのみならず、これと共に並行することあたわざるに至り、ルーテル等の諸氏世間の事情に応じて改良をその上に施したるなり。このときもし外よりその改良を施さずして、これをその自然の勢いに任ずるときは、我人をして今日の世界にヤソ教を見ることを得ざらしめたるは必然なり。故にその改革のごときは、すでに世間に起こりたる文明の、ヤソ教の組織中に入りて発生したるものにして、ヤソ教自体中より発生したるものにあらざること明らかなり。これによりてこれをみれば、欧州の文明はヤソ教の振起したるものにあらざること一目瞭然たり。すなわち知るべし、文明の原素はヤソ教自体中には寸分も存せざるを。しかして、かえって中古の妄信はヤソ教中より産出したるものというべし。ヤソ教の文明に益なくして、かえって害あるゆえんもまた知るべし。しかるに近世に至り宗教改革の乱起こりし以来、ヤソ教は中古のごとくはなはだしき害毒を社会の上に流さざるも、前に述ぶるごとく、今日なお往々人民の自由を妨げ、学者の思想を害することありて、文化の妨害をなすの性質未だ決して絶滅せざるを見る。これ他なし、その性質はヤソ教全組織中の骨髄なるをもって、なにほど改良を外より加うるも、決してその質を変ずべき理なければなり。なお、なにほど野蛮人に教育を加うるも、野蛮人たる習気を脱せざるがごとし。その骨髄とはなにをいうや。曰く、ヤソ教はひとり人情に基づきて起こり、想像によりて立つるところの情感の宗教なるをいう。以上挙ぐるところについて結評を下すに、ヤソ教は能動者となりて事をとれば、社会の上に大害をなし、所動者となりて他に追従すれば、社会はその自体の力をもって発育することを得、他語をもってこれをいえば、ヤソ教陽性作用を有するときは大害あり、陰性作用を有するときは大害なし。すなわち仏教はヤソ教の陽性作用を有せしときなり、近世は陰性作用を有せしときなり。これによりてヤソ教の利害得失をみるべし。

 以上欧州の文明はヤソ教の生ずるところの成果にあらざるゆえん、およびその社会の進歩に益なきゆえんを証示したるをもって、余はこれより仏教改革の今日に必要なるゆえん、およびその論のいうべくかつ行うべきゆえんを説明するに、さきにヤソ教の比考をとるを必要なりとす。余、前段において今日の文明はヤソ教の文明にあらざることを証明したりといえども、ここに一歩を譲りて、この文明はヤソ教の力によりてきたりしものと仮定するに、ヤソ教は中古にありては大害あり、今日にありては大功ありということを得べし。しかるにヤソ教者および世間の論者はその大害あることを問わずして、その大功あることのみを述ぶるは、余が解することあたわざるところなり。すでに大害ありまた大功ある以上は利害相償うものにして、これを単に利ありとも害ありとも決すべからざるに、世人これを評して利ありとのみ唱うるは、公平の論に非ざることもちろんなり。論者あるいはいわん、その害はその利より少なしと。余はなはだ怪しむ、なにを標準として利は多くして害は少なしと定むるや。ヤソ教者あるいはいわん、中古のヤソ教はヤソ教に非ずして、近世のヤソ教はヤソ教なりと。ああ、これなんの言ぞや。今日のヤソ教は中古のヤソ教より遺伝したるものに非ざるや。中古のヤソ教は父なり、今日のヤソ教はその子なり。父は放蕩にして家産を破り、子は勉強して家名を興すの差別あるも、ひとしくその家の子孫なり。父は放蕩なるをもって、わが家の人に非ずということを得んや。かつ今日にありて昔日のヤソ教は非なりと称することを得るときは、後日に至りてまた今日のヤソ教は非なりというときあるべし。すでに今日のヤソ教中、各宗各派互いに相非議するところあるをみれば、今日のヤソ教ひとりヤソ教なりというを得んや。今、ヤソ教中古の形勢と、仏教今日の形勢とを較したるときは、いずれが弊習多きや。今日の仏教弊習多しといえども、中古のヤソ教にしかざることはみな人の許すところならん。たとえその弊互いに相伯仲するものと定むるも、ひとり仏教を駁するに、今日の弊習をもってして、なんぞヤソ教を駁するに中古の弊習をもってせざるや。もしあるいはヤソ教は中古に弊習あるも、すでにこれを改良して今日はなしということを得るときは、仏教また今日弊習あるも、今これを改良して将来は弊習なきに至らしむべしということを得べき理なり。もしまた論者ありて、仏教は未改良なり、ヤソ教はすでに改良なるをもって、我人はヤソ教に力を尽くさざるべからずといわば、余これに答えて、ヤソ教はすでに改良にして、仏教は未改良なるをもって、我人は力を仏教に尽くさざるべからずといわんとす。なんとなれば、すでに改良したるものは更に改良するを要せざるをもって、これをその自然の勢いに任じてしかるべしといえども、未だ改良せざるものは、これをその勢いに任じて弊害を増長せしむることあたわざればなり。しかるに論者また曰く、ヤソ教を拡張すれば仏教次第に衰微せざるを得ざるをもって、その弊害おのずから除去すべし、なんぞ殊更に仏教を改良するを要せんやと。余曰く、しからず、もし論者、その心ヤソ教の真理なるを知り、真にこれを固信する者ならば、世人天帝に対して仏教を助くべき理なしといえども、論者の意、ヤソ教を主唱するは国家を利せんがために外ならざるときは、その力を仏教に尽くさざるべからざるなり。なんとなれば、仏教の弊害を除きて国益を計らんと欲せば、外よりヤソ教の力を借りて自然に及ぼすは、直接に仏教に力を尽くして、その弊害を除くの功を奏するの速やかなるにしかざること明らかなり。論者ここに至りて必ずいわん、仏教の改良は言うべくして行うべからずと。これ余が論者に難詰せざるを得ざるところなり。未だ仏教の改良を行わざるに、いかにしてそのあたわざるを知るや。請う、試みに中古のヤソ教を見るべし。その僧は頑愚にしてその俗は妄信なるも、ひとたびこれを改良して今日のヤソ教を見るに至りたるに非ずや。仏教なんぞひとり改良すべからざるの理あらんや。仏教の僧侶はヤソ教中古の僧侶のごとく威権を有せず、かつ政教一致の風なきをもって、これを改良するも、決して数十年の歳月を費やし数万人の生命損ずることを要せず、そのやすきこと必せり。もしまた難しとするも、今日十余万の僧侶みなこれわが国の人民なれば、これをその頑愚に任じて更にその改良を施さざるは、国家の不利たることすくなしとせず。これ余が専心一力、自らこの仏教の改良を任じて、国恩の万一に報ぜんことをちかうゆえんなり。

 そもそも仏教はこれを改良するも、ヤソ教のごとき利益を世間に与うることあたわざるか。この一点を定めんと欲せば、よろしく仏教の性質を考うべし。その性質のヤソ教に勝りたることは、余がさきに反復論明したるところなれば、今更に証するを要せず。すなわち仏教は知力に基づき、学理に合し、中正を主とし、文明の事情に適し、国家の利益を補うの性質あるは、ヤソ教の遠く及ばざるところなり。実に世界無二の法、開明至適の教というべし。しかるに当時、その教ただに西洋諸邦に伝わらざるのみならず、インド、シナにほとんどすでに地を払い、日本になおその全教を見るも、穢風のために晩翠の色を変じ、妖雪のために明月の光を失わんとするの状あり。しかして世人は雲を隔てて明月を評して曰く、仏教界は暗夜にして開明の月を見るべからずと。ああ、これなんの言ぞや。ああ、これなんの評ぞや。しかれども、かくのごとき世人の妄評をきたすに至りしもの、畢竟仏者中にその罪あるによる、ひとりこれを世人に向かってとがむるを得んや。その罪とはなんぞや。曰く、今日の僧侶は長夜一夢、頑愚石のごとくにして、開明の世界の目前に現出するを知らず、またその奉ずるところの教をもって、この世界に活用するを知らざるものこれなり。ひとたび僧侶の内情を改良し、仏教の実益を現行せざればその再興決して期すべからざるなり。ヤソ教を防御するの策またこれに外ならず。これ余が古今の歴史に考え、東西の事情に照してすでに証明するところなり。これ余がヤソ教を排するは理論にあらずして、実際にありというゆえんなり。ああ、わが十余万の僧侶、これを全国人民に比するに、その数散りてはなはだ少なるにあらず、しかして頑愚なすことなきは、その国家の不利また大なりとす。この僧侶の頑愚を医治し、この仏教の実益を活用するに至らば、その利益政略上ヤソ教を助くるに勝ること幾倍なるを知らず。これ余が一片の丹心、仏教を改良して国家の稗益を計らんとするゆえんなり。他日もしあるいは、その教を日本に再興して遠く欧州に伝うるに至らば、ヤソ教に代わりて文明の中心を占領し、地球の周囲に蔓延し、仏教界内に日の没したることなしの勢力を有するに至らんというも、また決して架空の言にあらざるを知る。果たしてかくのごときに至らば、わが日本の光栄すこぶる大なるべし。これ余が日夜孜々として仏教の性質を研究し、旦暮切々として仏教の改良を経画するゆえんなり。ああ、余が愛国の一念、護法の一心、結してこの一編の論となる。請う、読者軽々に看過するなかれ。請う、看客諸君これを一読して、余が精神のあるところを知るべし。それ余が仏教の改良を主唱するは、私に仏教を愛するにあらずして、そのよく真理に合し、開明に適し、国益を助くべきところあればなり。余がヤソ教を排するは、私にヤソ教をにくむにあらず、その真理に反し、開明を妨げ、国益を与えざるをもってなり。請う、四方の看客内外の読者、虚心、平気、公明の眼をもって、余が論評の果たして私に出づるや否やを見るべし。余、幼にして辞章を修めず、長じて筆硯をとらざるをもって、文その意を尽くさざるところ多しといえども、また余が真理を愛するの精神の一斑は、字句の間に隠見して存すべきを知る。伏してこいねがわくは、全国十余万の僧侶諸君ことごとくこの一論を通過して、余にそのいかなる感覚を生ぜしやを示されんことを。諸君もし果たしてこの論に感ずるところありて、共に心力を尽くして仏教実際の改良を計るの同意を得るに至らば、余が畢生の本望これに過ぎたることなく、実に死すとも瞑すべしといわんとす。もしこれに反して、依然として頑愚を守るに至らば、余、断然仏教の再興は今日の僧侶に待つべからざるを決せんとす。余あえて諸君を愛せざるにあらずといえども、僧侶のために空しく仏教を衰滅に帰せしむるに忍びざるをもって、そのまさに諸君に向かって早く僧侶の籍を脱して、おのおのの適するところの俗業を営まれんことを勧めんとす。しかして仏教再興の一事はその他に計るところあり。故に諸君この論を一読して、一刀両断の決心を世に告げられんことを切望してやまざるなり。しかしていかなる方法によりて仏教を改良し、いかなる手段を用いて弊風を矯正するかの一問題に至りては、予は他日更に一編を起草して諸君に計るところあらんとす。余、今この一論を結ぶに当たり、一言を付せざるを得ざるものあり。曰く、仏教の本意、実際の一辺に偏するに非ざるゆえんのものこれなり。これ余がもとより熟知するところにして、理論と実際の偏廃すべからざるはもちろんのことなり。しかるに余が上来論ずるところ、実際の一方に偏するもののごとし。これあるいは仏教の本意に非ざるべしと難詰するものあらん。余これに答えて、余が実際の一方を主唱するは、すなわち仏教の本意は中道を立つるにあるをもって、理論一方に偏するも不可なり、実際一方に偏するも不可なり、二者の両全を得るにあるはもちろんなりといえども、今これを今日今時の事情に考うるに、仏教中その理論に属する部分は多少世間に存し、仏者もまたその理論の必要を知りてこれを研究する者少なからず。しかして実際の一点に至りては全く世間にこれを欠き、仏者またその必要を知らざるがごとし。故に今日の仏教は理論の一方を存して、実際の一方を欠くものというべし。けだしこの弊を救うにいかなる方法を用いてしかるべきや。曰く、実際のその一方を勧めざるを得ざるなり。これ余が今ここに実際の一方を勧むるゆえんにして、その意、理論実際の衡平を保ち、仏教のいわゆる中道を達せんとするに外ならざるなり。仏者よろしくこれを今日の事情に考えて、余が論の平当なるゆえんを知るべし。もしあるいはこれに異説を抱く者ありて、仏教の再興は実際を観せずといわば、余が舌根と筆力の存する間はあくまでこれと論鋒を争わんことを欲するなり。しかしてまた、仏教の性質の学理に合し開明に適するゆえんも、ヤソ教者および世の政略論者に一歩も論理を譲らんことを期するなり。もしまた道理上よりこれをみるに、仏教は道理界の一大海にして、ヤソ教等の諸川みなこれに合入して、そのいずれのところに存するを知らざるなり。仏教の深大思うべし。その理を究めて底止するところを知らざるは、あたかも海底の測るべからざるがごとく、その道を講じて尽くるところを知らざるは、あたかも洋面の涯際を見ざるがごとし。いかなる識者といえども、このうちに入りて自己の見識の小なるを見、いかなる学者といえども、このうちに入りて自己の知力の足らざるを知り、自らその知力を屈し、その見識をけなして、仏界の深大に驚嘆せざるものなし。予もこの海中に入りて始めて疑念を一断し迷夢を一覚することを得、あたかも胸雲を開きて明月を見るの思いをなす。その際またおのずから妙味のいうべからざるものありて現ずるを知る。ああ、世間この妙味を知らずして死する者多し、誠に哀しむべし。それ仏教はその門広く、その道多しといえども、要はただ安心の一道に達するより外なし、これを達するに愚者には愚者に適する方法を与え、知者には知者に適する修行を与え、賢愚利鈍八万の諸機諸類をして、ことごとく一味同感の安楽刹に誘入せんとす。これ仏教のやや哲学と性質を異にするところなり。しかれどもその教中に用うるところの原理に至りては、一として哲理に非ざるはなし。けだし哲学上の論派はこれを帰するに唯物、唯心、唯理の外に出でず。仏教の論派またこの三種に分かる。倶舎は唯物なり、法相は唯心なり、華厳、天台は唯理なり。これを唯理というも理の一辺に偏したるに非ず、唯物唯心の二者を合して得るところの中道の妙理なり。その理体これを真如という。真如の体中、本来万物万境の原理を具するをもって、その理の因縁の作用によりて、万境を開現するに至る。これを随縁真如という。その万境の体すなわち真如にして、これを帰すればただ一体の真如あるのみ。かくのごとくみるときは、これを不変真如という。一体の真如にして、あるいは開きて万境となり、あるいは合して一理となるは、真如自体に有するところの因縁の力なり。これを因果の理法という。因果の理法は不生不滅なるをもって、真如の理体の不生不滅なるを知るべし。その不生不滅の真如界中に生滅の諸象を現ずるは、その生滅の因縁初めより真如体中に存すればなり。すでに現じたる諸象の転じて一理に帰するは、諸象の体元同一の真如なればなり。その未だ生滅の象を現ぜざるに当たりては、これを本覚の仏と称し、すでにこれを現じて再び不生不滅の理に帰するに至れば、これを始覚の仏と称す。この二者、迷いの前後によりてその名を異にするも体同一なり。故に迷うも真如の力なり、悟るも真如の力なり。真如ひとりよく迷いを転じて悟りを開かしむべし。しかして我人の自らその因を修めて、悟りを開くものこれまた真如の力なり。我人の体たとえ真如の一部分なるも、部分を離れて全体なきをもって、我人の体すなわち真如なり、我人の力はすなわち真如の力なり。故に我人の力またよく迷いを転じて悟りを開くことを得るなり。これ仏教哲学の妙理にして、けだし西洋今日の哲学といえども、この外に出でることあたわざるべし。人もしこの理をその心に服膺して、自ら楽しみかつこれを人に伝えて、人をして楽しましむるときは、いわゆる哲学上の宗教なり、いわゆる知者学者の宗教なり。これを仏教中の聖道門とす。しかしてその教中の浄土門のごときは情感に属する宗教にして、ややヤソ教に似たるところたるも、天帝のごとき想像をもって立つるところの宗教にあらずして、哲学上の宗教の応用に外ならず。けだし哲学上これを究めて、究め得たるところの結果をよく情感の規則に応用して、愚俗に安心の捷径をひらくもの、これ浄土門なり。かくのごとく一教中表裏の二門を開き、もって情感知力の両全を保ちて偏するところなく、賢愚利鈍の諸機を摂して漏らすところなからしむ。これ予が仏教をもって世界無二、前代未聞の宗教なりというゆえんなり。思うてここに至れば、胸中の迷雲豁然と開き、真如の明月を心内に現ずるを覚う。まさに筆を擱せんと欲して、立ちて戸外をうかがえば、四面豁として一点の雲影なく、ただ明月の皎として天心に懸かるを見る。その状あたかも予が意を迎うるもののごとし。ときに明治十九年五月、好風朗月の夜十二時擱筆。