5.破唯物論

P521

  破唯物論 

 

 

1. 冊数

   1冊

2. サイズ(タテ×ヨコ)

   185×127mm

3. ページ

   総数:293

   緒言: 3

   目次: 3

   本文:287

4. 刊行年月日

   初版    明治31年2月26日

   底本:再版 明治31年8月18日

(巻頭)

5. 句読点

   あり

6. その他

  (1) 底本は成田山仏教図書館所蔵本である。

  (2) 本文にはルビがあり,原則として省いたが,あて読み等に限り( )を付して残した。

  (3) 見出しは目次と本文とで相違していたが,原本のとおりとした。

       緒  言

 本書は近年有志の依頼に応じて諸方において演述せるものを編集して一冊子となし、余が唯物論に対する意見の一端を示したるものなれば、これを題して『破唯物論』と名付く。

 本書はもっぱら通俗をして読みやすく解しやすからしめんと欲し、文章は殊更に言文一致体を用い、譬喩、例証等はなるべく世間にありふれたる事柄をとれり。故にこれを読みて、あるいは論理証明のあまり浅近簡略に過ぐと評するものあるべきも、余があえて辞せざるところなり。

 本書は往々先輩に対して敬意を失するがごとき言語を用うることあるも、これ先輩その人を斥するにあらずして、学説そのものを貶するにあるのみ。もし先輩諸士の譴責をこうむることなくんば幸甚。

 本書の建正門は余が自ら工夫せる一家の私見を述べたるも、わずかにその端緒を開示せるに過ぎざれば、他日更に一大論を起草してその全旨を明らかにすべし。

 本書の目的は主として近来流行の唯物論を破斥するにあれども、傍ら神儒仏三道の再興をはからんとするにあり。しかしてその再興は神儒仏の身体へ西洋学説の滋養を与えて、いずれの点まで発達し得るやを試みんことを期す。近日この目的をもって有志を誘導し神儒仏三道復興会、もしくは三道研究会を設くる計画なきにあらず。故にもし同感の諸君は、あらかじめ一片の葉書を投じてその意を報ぜらるるあらば、余が本望これに過ぎず。右に関する郵書は左の名宛にて投函を請う。

  東京市小石川区原町一八番地(哲学館構内)四聖堂

 本書の神儒仏三道を論明せるところは、先年撰述の『忠孝活論』に譲りてここに略したれば、よろしく同書について見るべし。

 本書の目次は左〔前出〕のごとし。

 

  明治三一年二月一日 東京鶏声ケ窪なる護国愛理学堂において 講 述 者 誌  




非僧非俗道人講述   門人筆記  

       第一回 緒 論

 近来(ちかごろ)西洋より唯物論と名付くる、いとなまぐさき風がわが学問社会へ吹き込み、おいおいこれになびく徒(ともがら)ありて、神州の清潔もこれがために汚されんとする有様になりました。最初のうちは軽躁なる生意気書生が物好き半分にはやし立てたるまでなれば、さほど心配するには及ばぬことと思いおりしが、このごろになりては明治の大家と呼ばるる人達が、だいぶんその波に巻き込まれ、大先輩、中先輩、小先輩に至るまで、だんだん引き続きて唯物の旗色を現すようになり、その勢い一犬虚をほえて万犬実を伝え、とうとうたる天下みなこれに雷同唱和せんとする傾向なれば、とても傍観座視しておることはできなくなりました。諸君はこの有様につきいかが考えていますか。唯物論の流行と共に、わが従来の神儒仏三道が立つと思いますか。忠孝人倫の大道が、依然として存するものでありましょうか。万国に卓絶せる一種無類の国体も、将来いかようになり行きましょうか。右はあまり杞憂に過ぎるようなれども、今より深く考えておかなければなりますまい。唯物論は元来無神論にしてかつ無心論であるから、神道や仏教で一般に唱える霊魂説や未来説は、その論によりて第一番に打ち壊さるるのみならず、儒道で申す仁義も忠孝もさんざんに打ち砕かるるに相違ない。そのわけは唯物論者の目よりみれば、道徳などは人間の製造したるもので、善も悪も自然に定まりておるものでなく、社会の発達に伴ってやむをえずできたるものでありて、いずれも利己心より起こり、経験より生じたるものに過ぎぬと申しております。しかして人に忠孝の本心の存するは、遺伝もしくは習慣の結果なりとし、これを先天あるいは天賦と考えたるは古人の妄想であるといい、真理は優勝劣敗の外に決してあるべからず、先天の道などは腐儒の寝言である頑夢であると評し、はなはだしきに至りては儒教の主義を根本から打ち砕かなければ、日本は文明国になる見込みなしとまで叫ぶものがあります。その口振りを察するに、秦の始皇でも黄泉から呼び起こして、思う存分に書を焚(や)き儒を坑(あな)にしてやりたいほどに祈りておるようにみえます。もし仏教僧侶に対して与うるところの評語のごときは、一層激しく、往々これを呼ぶに修羅、悪魔の名をもってし、あるいはなまぐさ坊主とか、あるいはみそすり坊主とか、悪口ほとんど至らざるところなきほどに達し、その心中を察するに、機会あらば頭から一口にかみ殺してやりたいくらいに思っておるかと考えられます。このとおりに世間から排斥せられ、嘲弄せられ、罵詈せられても、なお黙然として気楽を構えておるのが、果たして堂々たる大人、丈夫と申すものであろうか。あるいは無気力、無精神の意気地なしというものであろうか。余はこれを意気地なしの最上と考えます。すでに神儒仏三道に衣食する方々はもちろん、いやしくもその道に遊び、その教えを受けたるものは、憤然として立ち、大いに呼んで同志を叫合し、口を極めてこれと一大決戦を試みなければ、その本分が立ちますまい。今日の形勢(ありさま)は目にこそ見えぬけれども、敵はほとんど破竹の勢いをもって、四面の砲台を陥れ、まさに神儒仏三道の城門に向かって迫らんとする有様であります。もしこれを仮に国家の上にたとえて申さば、敵すでに観音崎の砲台を占領し、更に進みて皇城を攻めんとするがごとき危急の場合に迫り、夜は深し四面楚歌の声の観を呈しております。しかるに無形のことは人の感覚に触れぬ故、だれ一人として慷慨奮起するものがないとは、実に不思議ではありませぬか。ああ、数千年来わが皇室国体と共に栄え共に盛んなりし神儒仏三道が、一朝唯物論の秋霜に接してまさに凋落せんとするとは、サテサテ残念至極ではありませぬか。余輩なんの面目ありて古人に答え、祖先に対せんや。たとえ今日三道の存亡いまだかくのごとき危急に達せぬとするも、今よりこれが防御の策を講ずるにあらざれば、早晩(いつか)この極に陥るは必然の勢いであります。諸君なんぞ大いに精神の勇気を励まし、思想の馬にむちうちて、斯道のために華々しき決戦をなさざるや。ああ、わが皇国国体の根基となり、神儒仏三道の神髄となりて今日に至れる忠孝人倫の大道が、今まさに崩れんとするをみて、切歯扼腕せざるものは、決して憂国の男児とは申されませぬ。諺に「時窮まりて忠臣始めて出づる」というがごとく、今や三道の忠臣義士の出づる時節であります。余は微力といえども積年三道の再興を一身に任じて、東洋学術の真相を日本の舞台にえがきあらわし、日本文明の特色を世界の劇場に映し出さんことを期して今日に至るものなれば、及ばずながら三道軍の先鋒となりて唯物論退治の戦端を開く決心であります。およそ戦争には有形と無形との二とおりありて、日清戦争ばかりが戦争ではありませぬ。堂々たる論陣を張りて、学問の戦場に真理の勝敗を争うも、やはり一種の戦争であります。かれは有形の戦争、これは無形の戦争、甲は腕力の戦争、乙は道理の戦争であります。今や道理の戦争を宣告するのやむをえざるに至りました。諸君よくその別を知りて、請う速やかに三道のために義兵を挙げよ。

 わが三道の敵はここに一口に唯物論というも、その中にはいろいろの分子が混じております。すなわち余が近来新聞に雑誌に著書に講演に、その他談話中にひとたび見聞していやしくも三道の敵と認めたものは、みなこれを一束(ひとつかね)にまとめて、これに唯物論の張り札を付けました。故にもし細かに分けて申さば、その中には唯物論、進化論、実験論、感覚論、自利論等が一緒になりております。なおその外に唯物論の小使いか人足かは知らざれども、拝金宗、体欲宗、御幣連、いも虫連も加わりてみえます。しかしてその仲間はいずれも西洋舶来の看板を掲げ、しきりに西洋風を吹き立てて、なんとなくいばりたる風体でありますが、その中で唯物論が大将らしくみゆるをもって、余はその総名を唯物論あるいは唯物派と申します。もし神儒仏三道に比較してみるときは、いずれもわが国の正論にあらずして、舶来の俗論なれば、一名これを俗論派と呼び、これに対して三道の方は正論派と称します。その外に舶来の学派中にも非唯物派、すなわち先天派、唯心派、理想派等ありて、多少(いくらか)三道と一致するものもありますから、これらはみな正論派の仲間に入れて、客席に据え置くつもりであります。かくのごとくあらかじめ敵味方の旗印を判然分けておいて、戦争に取り掛からなければなりませぬ。俗論派の方は近来大先輩、中先輩、小先輩が続々相加わり、その人数少なきにあらざれども、正論派の方は神官、僧侶だけにてもその数一〇万に下らず、これに漢学者を加うれば一〇万以上の大勢を得べく、そのほか三道を奉信するの徒を合すれば、幾十万の多数を得ることができますから、敵はいかに強くとも、わが方にて今のうちによく一致団結すれば、決して負ける気遣いはありませぬ。しかしながら無形の戦争は有形の戦争とは違い、ひとり道理の力をもって真理の勝敗を争うものなれば、人数の多きはすこしもたのみにはなりませぬ。必ず学問に明らかにして、学理に通じたものでなければ、かえって邪魔になるばかりであります。しかし人数の多い中にはせめて一〇〇人に一人、もしくは一〇〇〇人に一人ぐらいは、十分道理の戦争のできる人物はあるに相違ない。ただ憂うるところはなにぶん近来大先輩の方々が俗論派に加わりたるため、余輩の味方の方で大いに失望したように見受けらるる一条であります。さりながら真理に対しては、いかなる大先輩といえども一歩もこれに譲るに及ばず、また決して恐るるにも及びませぬ。すでに大先輩のごときは老い去り衰えきたりて、その気力も論理も今日の青年に匹敵することは覚束ないから、勇壮なる諸君において辟易することは全く無用であります。余が聞くところによれば、戦場に臨み敵陣と相対するに当たり、たまたま軍気の振るわざることあるも、大砲を発射して、その砲丸まさしく敵陣の中に入りて破裂するときは、士卒の勇気一時に振るい起こるといいます。よって余もその例にならい、東洋の論理、いな世界の論理をもって製造したる一発の破裂丸を俗論派の陣中へうち込んで、正論派の士気を鼓動するつもりであります。その破裂丸とはなんぞや。すなわちこれより述ぶるところの駁論にして、これを俗論退治の一着手といたします。

 さて余は貧乏くじを引き当てたと申してよろしかろうか。近来退治専門家になり、今度目で三回の退治を引き受けます。すなわち最初ヤソ教の気炎のさかんなるに際し、ぜひ国のため教えのためにこの邪教をうち払わなければならぬと信じ、数年間もっぱら邪教退治に従事し、その後民間の迷信依然として行われ、ややもすれば宗教の改良、教育の進歩を妨ぐる勢いあるをみて、迷信退治に着手いたしました。しかるに今度また俗論退治の役割に当たり、前後都合三度の退治とはナント珍しきことではありませぬか。そのうち邪教退治と迷信退治とは相手が相手であるから、ほとんどひとり相撲を取るような話で、骨も力も入らず、たやすいことでありましたが、今度は学者相手の戦争なれば、これまでよりはよほど手ごたえがあろうと考えます。もっとも余は最初、邪教退治のときに、早晩(いつか)俗論退治に着手せねばならぬと感じ、いささかその準備の心得もありましたが、その後更に音も沙汰も聞きませぬから太平無事はなによりの幸せなれば、自ら求めて退治するにも及ばぬと考え、そのことは一切捨て置き、もっぱら迷信退治の一方に力を尽くしていました。その上に先年余が欧米より帰朝以後、わが国に東洋諸学なかんずく国学、漢学、仏学の三科を専攻する道を開くの急要を感じ、かつて自ら創立せる哲学館をもってその根拠とする目的を起こし、爾来同志誘導のために地方遊説に五、六年の歳月を費やし、その傍らに朝夕学生を監督し、館務を裁理し、終年(ねんじゅう)ほとんど講学の余暇なく、西洋の書籍などはおよそ一〇年間も取り調べたることはありませぬ。それ故にひとたび学び掛けたるドイツ語は、半途にて廃したからもとより読むことはできず、わずかに修め得たる英語も過半忘るるようになりたるは、誠に自分ながら恥ずかしく思います。しかし余は元来失念術の先生でありて忘るることの名人なれば、一〇年廃学して英語を忘れたるは当然(あたりまえ)のことであります。かく一〇年廃学とは申すものの、英書をひもとくことを廃したまでにて、東洋の書籍は幸いに寸暇あれば、怠らず取り調べて今日に至りました。そのわけは余が西洋漫遊の際深く感じたることなるが、近年欧州各国に東洋学大いに流行し、かの国々の学者がインド学はもちろん、シナ学、日本学まで盛んに研究するようになりたる一事であります。従来わが国は東洋学中、国学、漢学、仏学の研究最も盛んなりし国柄なれば、なにほどわれわれが西洋学を勉強しても、かの国の学者に及ぶはずなきも、東洋学だけは日本で専売特許権を得ることは難からずと考え、帰朝後自らおもえらく、梅と桜を両手に持とうとするは、あまり欲張りたる話にて、かえってあぶはちとらずにならんことを恐れ、むしろ西洋哲学を廃して東洋哲学ばかりを専門に研究するにしかずと心得、まず日本伝来の仏教哲学より始め、つぎに孔孟〔孔子、孟子〕哲学、老荘〔老子、荘子〕哲学に及ぼし、なお余力あらば神道哲学を研究せんとの一大決心を定め、館務の余わずかに寸暇を得れば、仏書をひもときて教理を探り、爾来もっぱら仏教哲学系統論の撰述に着手せしが、幸いにしてその大綱だけまとまりましたから、昨年その緒論として『外道哲学』と題する一編を発行いたしました。これより順を追うて小乗哲学、大乗哲学の系統を世に示さんと欲し、その一事に講学の全力を注ぎ他を顧みるのいとまなき有様なれば、近頃学者間に唯物論のごとき舶来の俗論起こりたるも、かくのごときは神儒仏三道に志すものの中に、余輩より一段も二段も上手の学者あればその人達の責任なりと考え、俗論退治は余輩浅学の当たるところにあらずと思っておりましたが、あにはからんや、今日今時に至るまで一人のこれに反対する呼び声を挙ぐるものなく、とうとうたる天下知らず識らずの間に、これに腐化しさらんとする勢いに立ち至りました。よって余輩のごとき東洋学を専攻するものにありては、もはや黙々に看過する秋(とき)にあらずと思い、はからずも正論派の先鋒となりて、俗論派に対して開戦を宣告するの貧乏くじを引き当てるようになりました。諸君よく気をつけてみたまえ。俗論派の余毒は日に増しはびこりて子弟の教育、道徳を傷つけ、なお進みて国体の上にも及ばんとする傾きがみえております。我人の恐るるものは決してコレラ病や赤痢病ばかりではありませぬ。俗論の余毒の方はこれより一層はなはだしくあるに相違なきも、なにぶん直接に目に触れぬ故にだれもやかましく申さぬまでにて、その実これくらい恐ろしきものはありませぬ。願わくば、諸君決してこれを対岸の火災視することなかれ。その火炎はすでに諸君を取り巻きておりますから、請う、よく活眼を開きてみたまえ。

 ただ今申し述べたるとおり、余は久しく西洋学の研究を廃したるため、西洋哲学は先年一とおり講釈も聞き、カントやヘーゲルの書はその一端をうかがったこともありますが、ヘーゲル以後の哲学はさほど取り調べたることなく、ヘーゲル以前といえども十二、三年前に研究したるままにてその後久しく中止しておりますから、とても今日の俗論に抵抗することはできまいと、内々あきらめておりましたが、熟々(つくづく)近刊の雑誌もしくは著書にて俗論派の論ずるところをうかがうに、ヘーゲル以後どころか、カント以前のホッブス、ロック、ヒュームを繰り返して新しそうに吹聴しておりますには、実に一驚を喫したる次第であります。これぞ世のいわゆる二度ビックリと申すものならんか。最初は近年舶来の実験説と聞きて一(ひと)ビックリしたるところ、西洋にて二〇〇年前の古説を繰り返すのであるを聞けば、第二のビックリであります。いかにわが国の進歩が西洋に少なくも二、三百年遅れたとは申しながら、彼が二〇〇年前の陳腐説を繰り返す必要はありますまい。もしこの有様を西洋人に知られたならば、実に恥ずかしきことであろうと考えます。ここにおいて余は大いに奮い、浅学ながらかかる俗論には十二分の相手になることができると思いました。それ故今回は自ら進んで俗論退治の先鋒隊となりたる次第であります。余輩の一生はなにをするにも国のため道のためより外に目的はありませぬから、東洋学を再興するも、俗論派を退治するも、同じくこれ世道人心を益することなれば、当分のところしばらく仏教哲学の研究を中止して、もっぱら俗論退治の一事に力を尽くすも、また護国愛理の一方便と信じ、ここに開戦の一砲を放つことになりましたが、ドウゾ諸君よくこの意を了せられんことを願います。

       第二回 学問論 一

 すでに俗論退治の開戦を宣告したる上は、あらかじめその陣立配置の順序を定めおかなければなりませぬ。まず余が陣取りは破俗門、建正門の二段を構え、破俗門にありては唯物の俗論を打ち砕くをもっぱらとし、建正門にありては余が工夫せる正論の組織を説き示すを主とするつもりであります。つぎに更に破俗門を分かちて実際門と理論門との二部を置き、実際門にありては、この俗論派がわが国の実際上に与うる誤解と利害を挙げてこれを退け、理論門にありては、かの唯物論が真理らしくみせかけたる偽論妄説を捕らえてこれを駁する心得であります。

  俗論退治 破俗門 実際門

           理論門

       建正門

 なおその上に実際門を分かちて、学問上と国民上との二段となし、学問上にありては、俗論派の西洋学に対する誤解と、東洋学に対する誤解とを弁じ、国民上にありては品行上に与うる利害と、精神上に与うる利害とを論ずる見込みであります。

  実際門 学問上 西洋学に対する誤解

          東洋学に対する誤解

      国民上 品行上に与うる利害

          精神上に与うる利害

 以上の順序を追っていちいち弁駁する予告を定め、これよりその第一の俗論派が西洋学に対する誤解を述ぶれば、諺にいわゆる「坊主を憎めば袈裟まで憎い」の反対でありて、坊主を愛すれば袈裟までかわいいと申すように、西洋の学問とさえいえば、一も二もなく至極結構のものと心得、手を合わせて拝み上げんばかりに崇信しているものがずいぶん俗論派中におるようにみえます。若き青年の人達がかく心得るはいわゆる先入主となる道理にて、最初より西洋学に育てられたる眼(まなこ)より見ることなれば、なにもかも西洋のものがよく見ゆるは無理ならぬことなれども、先輩も先輩も大先輩の老公方が幼時のみならず、長年まで東洋学にて育てられたるにもかかわらず、一から十まで西洋でなくてはいけないといわるるは、少し合点のゆかぬことでありますが、余が考うるところによるに、これは先入主となるではなくして、先廃主となることとみえます。先廃主となるとは、明治維新の際ひとたび東洋のものは善いも悪いも分からずに一切廃すべしと思い込みたる一念が、引き続きて心中を支配しているから、今日になりては、西洋のものにも一得一失あり、東洋のものにも一長一短あることが、分かりそうなものでありながら、さようには考えられぬとみえます。余も先入主となるという格言は昔から聞き伝えていましたが、先廃主となるということは、今度初めて発見いたしました。これにつきて西洋と東洋とに各長短得失のあることを申さなければなりませぬ。

 今余がみるところに従ってその要点を較すれば、まず器械工芸は西洋の長ずるところにして東洋の欠くるところであります。また物理化学、天文学、動植物学、生理学のごとき有形の実験学は、西洋の長所なれども、美術に至りては西洋は必ずしも東洋に優れりと断言することはできませぬ。今日アメリカは百般(いろいろ)の工業最も盛んにして、わが国のはるかに企て及ぶところにあらざるも、美術の一点に至りてはだれもアメリカを推してわが国の上に置くものはありますまい。ひとり美術のみならず宗教においても、西洋の宗教が果たして東洋の宗教より進んでおると速断することができましょうか。もしまた国民の有する尊王の精神に至りては、西洋人のわが邦人に及ばざること遠しと申してよろしい。少々これとは話が変わりて、余談俗話にわたるけれど、西洋は文明の度が進んでおるから、したがってなにごとも分業が進んでおるとは、だれびとも一般に申すことなれども、中には日本の方が分業の進んでおることがあります。その中で最も手近き例は飲食店であろうと思います。わが国にては三都はもちろん、田舎の都会までも蕎麦屋、汁粉屋、蒲焼屋、牛肉屋、しゃも屋、すし屋、天ぷら屋等みなおのおの専門の分業になりております。これはあながちわれわれの自慢にはならぬけれども、分業の進んでおる一例に備えても差し支えありますまい。またわが国にて大小便を肥料に用い、死体を火葬に付するなどはあまり感服せぬという人もあろうけれども、西洋人のわれに及ばざる一点であるように考えます。その他、天性として事物の清潔を好み、風流の思想に富むなどはわが邦人が断じて西洋人より進んでおるところと申して差し支えない。もしまた盆栽、挿花、茶の湯、囲碁の類を数えきたらば、東洋いなわが国の長所もたくさんあるべきも、なにぶん器機工芸の発達せざりしため、有形上のことは彼に数歩を譲らなければなりませぬ。もし無形上に至りてはたとえ彼の長ずることあるも、その長所をとりてわが短を補うことのできぬものがある。これもよく心得ておくべきことであります。要するに身体以外に関するものは彼が長をとることができるけれども、身体以内に関することはできませぬ。たとえば衣食住を始めとし器械道具の類はわが従来用いきたれるものを廃して、一切西洋をとることはできますが、わがひげを赤くし目を碧(みどり)にし、皮膚を白色に変ずることはできませぬ。西洋人はいかに怜悧なるも日本の下駄をうがち箸を握ることはむずかしいと同様に、日本人がいかに願った祈ったとても、体格を西洋人のようにすることはむずかしくあります。もしそれ言語文章に至りては、わが国語を廃して西洋語を用うることは全くあたわざるにあらざれども、国家の独立上みだりに動かすことはできませぬ。これをもってなにほど西洋の文学が美を尽くし善を尽くすとするも、わが国の文学を全廃して彼を用うることは到底できない相談であります。いわんや、かの文学が果たしてわれに優るの証拠なきをや。風俗習慣もこれと同じく、たとえ彼によきところあるも、みだりにこれをとりてわれに代うることはできませぬ。儀式礼法に至りてはなおもって変更することは禁物であります。これを要するに西洋と東洋いな日本とはおのおの一長一短あるのみならず、交換変更のできることとできぬことがありますから、有形上のことはわれより彼の方が大いに進んでおるという点をもって、一切の芸術も学説も、みな彼をとりてわれを捨てなければならぬと申す道理はないことと、余は断言いたします。

 つぎにまさしく学問上に移り、西洋学と東洋学とを比較するに、すべて実験学はわれに欠けて彼に備わるも、哲学は双方に行われて、しかも彼にも一長あり、われにも一長あることは十目のみるところであります。たとえば彼は経験に重きを置きわれは先天に重きを置くの異同がありますが、すでに東西の間にかかる異同がある以上は、二者中いずれが果たして真理なるや、確実なるやを熟思し、もしその結果いずれも長短なしとせば、むしろ東洋流の先天をとるは当然(あたりまえ)のことと考えます。なぜなればわれわれは東洋人にして日本固有の学術を拡張するの責任を有するものであります。もしこれに反してその結果、先天は経験にしかざることを認めたるも、なお退きて東洋の先天説に一段の進歩を加えたらばいかん、これと西洋説とを混合したらばいかん、二者を折衷したらばいかん、かつその取捨によりてきたすところの利害得失はいかんなどと、精細(こまか)に調査してのち始めてこれに対する向背を定むるを講学の順序ならんと信じます。今仮に東洋諸国はある零落したる旧家の大尽とみて考えてよろしい。その家財道具を検するにすでに朽ちたるものもあり、まさに壊(やぶ)れんとするものもある中に、実に希有なる貴重の珍器奇宝もあるがごとく、東洋の諸国はいずれも数千年来の旧家のことなれば、その中に西洋にて見ることも作ることもできない稀代の宝物の残りおるべきは疑いありませぬ。すなわち余はその宝物の一つは哲学であると考えます。世間の諺に「腐りても鯛」というがごとく、東洋の哲学は数千年来打ち捨てて置いたゆえ腐りているとするも、鯛はやはり鯛であるから、腐りたる鰯や鰺とは天地の相違であります。しかるに俗論派は必ず西洋哲学も新奇に製造したるのでなく、ギリシアの古物が再び世に出で、これに近世の実験学をもって金めっき銀めっきしたものなれば、とても東洋の及ぶところにあらずと申すかも知れませぬ。なるほど余も西洋の近世哲学はギリシア哲学を再興してこれにいろいろの模様を付けたるものに過ぎぬことは、百も承知しておりますが、今日となりてはたびたび学者が出て、同じものを繰り返して、煎じつめ煮つめた跡であるから、いかに土佐鰹節の上等でも、この上うまい味の出る気遣いはありませぬ。これに反して東洋の哲学はいまだ一回(ひとたび)も煮出さざる鰹節のようなものであるから、今より研究をその上に施さば、西洋未発の新趣味をあらわすことは余の保証するところであります。諸君よくその点を考えてみらるるがよろしい。

 そもそも我人の講学上の目的は古今東西の別なく、広く宇宙の真理を探究するにあることはもちろんなれども、すでに西洋東洋と相分かれておる以上は、西洋人がその国固有の学問に重きを置くがごとく、われわれは東洋固有の学問に重きを置くが、いわゆる平等中に差別あるところであります。それ故にわれわれの西洋学を修むるの本意は、永く彼の奴隷となりてちょうちん持ちや太鼓持ちをするのではなく、早く彼を学び得てわが不足を補い、もってわが学問の独立をはかるにあることは申すまでもありませぬ。なおこの方針につき世間の注意を願いたき一条は、余輩はしきりに東洋主義を唱うるも、決して昔日の攘夷家のごとく、ただみだりに排西洋主義を唱うるものではなく、超西洋主義をとりて従西洋主義を退くるものであります。超西洋主義とは西洋の学問はわが養料すなわち食物としてこれをとり、もってわが学問を育成して彼の上に超出せしむるか、もしくは東西両洋を折衷調合して、別に一機軸を出し、もって一種の新哲学を構造するをいい、従西洋主義とは一から十まで良いも悪いもその弁別なく、あざや黒子(ほくろ)に至るまで、西洋くらい美しきものなしと偏信し、唯物論は西洋にありて東洋になき説なれば、これに超えたる真理なしと速断するがごとき、西洋崇拝家が一般にとるところの主義をいうのであります。もしこの二主義の中で従主義はやすく、超主義は難く、人真似するはやすく、新工夫するは難いからして、俗論者があるいは今日のわが国を見て人真似時代にして新工夫時代にあらずと申さば、いたし方がありませぬけれど、すでに三〇年間も西洋の真似ばかりしてきたりしことなれば、モウそろそろ新工夫を始めてよろしいと考えます。それをするには今から断然、従主義を廃して、超主義をとる決心を蓄えておかなければなりませぬ。ずいぶん有形上のことにはだんだん新工夫の出るを見るも、学問上にありてはみな西洋の寒天版が多くて困ります。ここに寒天版と申すは、西洋の真似をしてそのとおりに複写しようと思うも、手際の悪いためにうまく写りませぬは、あたかも寒天版で字を写すようなものであるというたとえであります。余が平常、人に向かって話すことであるが、せめてわが学問が人力や牛鍋や氷水のようにできておるとよろしいけれども、それまでに参らぬは、残念であると思います。そのわけは人力は西洋の馬車の考えを一転してきたり、日本の現状に適合するように工夫したものであり、牛鍋は西洋の牛肉調理法を一変して、わが一般の社会に適するように考えたものであり、氷水もこれと同様にて、この三種は明治の三大発明と申しても苦しくありませぬ。今わが学問もせめてその原料を西洋より持ちきたるにもせよ、これをわが社会に適合するように変化させて日本新発明として恥ずかしくないようにしたいと思います。なおその上に西洋の原料を仰がずして、東洋独立の学問がみごとにでき上がるようになれば、最上至極であります。余輩は及ばずながらその目的をとりています。ところがとかく俗論派の主義が超西洋主義に出でずして、従西洋主義のようにみゆるから、そのことを学問上における誤解の一としてここに述べたる次第であります。

       第三回 学問論 二

 つぎに俗論派が東洋学なかんずく神儒仏三道に対する観察批評は、現時の状況(ありさま)すなわち三道の積弊をみて、わが国の文明をして進歩することを得ざらしめたるの罪は、全くこの三道にありと憶定し、今後わが国勢をして西洋と同等の地位に至らしむるには、儒教や仏教を廃して、これに代うるに西洋の学術宗教、いな唯物論をもってせざるべからずと速断する点に帰するように考えます。これ実に妄評謬見のはなはだしきものにして、儒教や仏教はこれを相手どりて冤罪を訴えなければなりませぬ。すなわちその論法は西洋諸国はいずれも富強にして、東洋諸邦はみな貧弱なるより推演して、東洋に行わるるものはなにもかもその貧弱の原因であると妄断せる誤解にして、日本人は米飯、味噌などを常食とするを見て、たちまちその体格の西洋人に及ばざる原因は、全くこの常食の体育に害あるによると速断し、先年味噌、豆腐の排斥論大いに行われたると同一の論法であります。かくのごとき論法は病犬論法と名付けまして、病犬はだれにても己の触るるものあれば、これにかみつくを性とするがごとく、東洋にありふれたるものはなににても、みな有害無功とみなして、これに傷を付けんとするものなれば、すなわちいわゆるかみつき主義であります。ナント諸君かかる病犬が世の中に流行しておりては困ることではありませぬか。よく気をつけてけがをせぬようにするが肝要であります。かくのごとき謬見は畢竟するに、表面を見て裏面を見ざる皮相の見解より起こるに相違ありませぬ。今これを西洋の上に考うるに、彼の中古の暗世時代はその文明果たしてわれより栄えしか、彼の五〇〇年前ギリシア文学のいまだ再興せざる当時と、わが五〇〇年前とを比較し、彼の三〇〇年前ベーコン、デカルト等のいまだ世に出でざる当時と、わが三〇〇年前とを比較して、彼果たしてわれより盛んなりしか、また今日にありてもギリシアのごときスペインのごとき国勢の振るわざるものあるはいかん、今日のギリシアと今日の日本とはその国勢その文明いずれが優れるや、いかに西洋崇拝の俗論者も、ギリシアをもって日本の上に置くことははばかるに相違ない。これらの点を比較して考えてみれば、東洋の学術宗教が果たして日本を貧弱に陥れたる原因となすは、はなはだしき誣罪であるということは余が弁明を待たざるも、諸君においてはすでに分かったでありましょう。

 かく申す余輩もやはり今日の神儒仏三道が、このままこのなりで東洋の文明を維持し西洋と競争することははなはだ困難であると信じています。またその社会には今日なおいろいろの弊害がありて、文明の進歩を妨ぐる恐れあることも承知しています。しかし弊害は矯正することができるものなれば、今より一大改良を行うようにするがよろしい。ただ根本の教理に至りてはみだりに改変することはできぬというも、余の説にては神儒仏三道が世間を利すると利せざるとは根本の教理いかんにあらずして、応用、活用の点にあると考えます。たとえば俗論派のいうがごとく、仏教は厭世教なれば今日の競争社会に用うべからずとなすがごときは、仏教の一面を見て他面を知らざる妄評に過ぎませぬ。今、世間話を引きて申さば、摂州有馬に鳥地獄と名付くる炭酸水の湧き出づる泉がありますが、鳥がその気に触るれば下へ落つるより、従前はこれを毒水とみなしだれも飲む人なかりし由なるが、近来(ちかごろ)試験の結果、炭酸水なることを知りてより、人争うてこれを服するようになりました。そのとおり仏教は有害と思うのは、いまだこれを試験せずしてその活用法を知らざるからであります。西洋のヤソ教も中古までは厭世風を帯びていましたが、ルターひとたび出でて一大改良をその上に行って以来、にわかに変じて楽世教となりました。これと同じく仏教の上にも一大改良を施さば、厭世を変じて楽世となすことはたやすくできます。その実、楽世教どころか富国教にも強兵教にも自在に応用することができるに相違ない。人間の廃泄物ですらも田畑の肥料となりて、米穀や野菜のごとき人生に最も必須の食物を造り出す一事に比して考えても、応用のいかんによりてはいかなる有益の結果を産み出すこともできる道理であります。しかるに今日の仏教をみて厭世教なれば役に立たぬとして廃するは、あまり無理なる賞罰ではありませぬか。もし己の子に生来病眼もしくは近眼のものありとせんか、この者の眼力が人並みでないから役に立たぬとして捨つべきではありますまい。もしこれを名医の手にかけなば全治するかも知れず、たとえ全治せざるも、これに適当せる眼鏡を与えなば人並みの仕事はできるに相違なく、都合によりては人並みに優れたる働きができるかも知れませぬ。故に仏教の弊害も療治の仕方によりては国家を富強にするのみならず、世界を併呑するくらいの働きをあらわすかも知れませぬ。まずこれを一変して楽世教となすことのできる証拠は、その経文に娑婆即寂光ということがありますが、これは天堂はこの世界のことであるという意味にして、日本ならば日本すなわち天堂なりとの経意であります。この意を敷衍すれば立派に楽世教ができるに相違なけれども、今日までは社会の事情が厭世の方へ傾いていましたから、だれも楽世の方へ振り向けようとしたりし改革者もありませぬ。しかしインドの仏教と日本の仏教なかんずく真宗、日蓮宗などとはその間に大いなる相違ありて、日本仏教の方は厭世よりは楽世の方に傾いています。もし今日、親鸞や日蓮のごとき豪傑が再び世に出でて改良を加えたならば、みごとに楽世教、富国教ができるに相違ありませぬ。また俗論者が、厭世の名前を聞いたばかりでただちにはねつけますけれども、余の考えにては世の中は厭世でなければ決して進歩するものでないと信じております。厭世の観念は必ず世間のことに不平がありて、思うように運ばぬから起こりますが、この不平不満足が世を進むるの原動力となりて、今日の文明もできたに相違ありませぬ。貧乏人は貧乏をいとうから憤発勉強して金持ちになるがごとく、わが国人も今日の国勢の貧弱をいとうて、始めて愛国心も起こるのであります。もしこれに反して金持ちの子供が財産に安んじて道楽になるがごとく、始終楽世主義にて満足ばかりしていては、決して国も家も盛んになるはずはありませぬ。故に厭世の観念はかえって憤発の刺激となるものであります。仏教にて末代悪世と呼び悪人と呼ぶは、今日の人に精進勉強せしむる奨励のかけ声であります。また女人を斥して五障三従の悪人と叱するも、同じく女人をにくむの意にあらずして、愛するの極ここに至るわけであります。あたかも親が他人の子はその功を挙げてこれを誉め、己の子はその非を挙げてこれを責むるは、真に己の子をにくむにあらずして、愛するの極ここに至ると同様でありて、これらはみな消極的奨励法であります。故に仏教の厭世もこれを消極的奨励法とし、これに加うるに娑婆即寂光の積極的奨励法をもってせば、仏教の力よく世界を震動するに至ること決してできぬと断言したものではありませぬ。これ古語のいわゆるあたわざるにあらず、なさざるの罪であります。諸君よ、われわれ日本人は決して永く西洋人の髯塵を払い、垂涎をすするが目的でなく、この国に固有せる学術宗教を改良して、これを世界に活用するこそ、余輩の本務であると考えます。たとえば農工が自国の物産を改良して、なるべく輸入品を防ぐをもって、愛国の本分となすも、有形と無形との差はあれ、その実は同じことであります。

 神儒仏三道中仏教が最も多く、わが民間に勢力を有ししたがってその弊害もすくなからざれば、俗論派の砲撃もっぱら仏教軍の方に集まり、この要塞だけ抜きとらば全勝の功を収むべしと心得、その攻撃最も急なる故、余は第一着に仏教の弁護をいたしましたが、そのつぎに俗軍の衝路に当たる要塞は儒教でありますから、漢学者に代わりてその方の弁護の労をとらなければなりませぬ。俗論者中に漢方医の益なきをみて、漢学、儒教の無用を喋々するものあれども、これ大なる方角違いにして眇視的論法であります。漢学と漢医とを同一視するは、石垣と串柿とを同一視するがごとく、その間になんたる関係もありませぬ。もしシナ固有のものはなにもかもみな廃物同様というならば、シナ画も漢方医と同様なれば全廃すべし、シナ字も漢方医と同様なれば全廃すべしと叫ぶがよろしい。だれもこれを聞きてもっとも千万と申すものはありますまい。あるいは俗論派中には孔子の語中に「富貴われにおいて浮雲のごとし」とあるを見、孟子の論中に「なんぞ必ず利をいわん、また仁義あるのみ」と述ぶるを見て、かかる排金宗は今日の国家に大害ありと速断するものもありますが、これ孔孟二子が時弊を矯正するために説かれたる本意を知らざる愚評に過ぎませぬ。今ここに暴飲過食して胃腸を傷めたる病人あらんに、医師これを診察して当分食事は毎回粥一杯より多かるべからずと申したとて、医師に対して一個の男子たるものが、三度の食事に粥一杯ばかり用いて決して働けるものではないというたら、実に無理の責め方ではありますまいか。世間はいつも病人と同じ有様にて、聖人賢人は医者のようなものである故、その教えは必ず時弊に応じて説いたものである。よりて顔回が貧乏の廉にて孔子にほめられたとて、今日のわれわれが顔回のまねして陋巷一生を望むには及びませぬ。なにぶん孔孟の学問も、数千年間ほとんどなんらの発達なしに今日に伝わりきたりし故、大いに遅れをとるようになりましたけれども、今よりこれに西洋学の肥料を与えて養成に力を尽くさば、堂々たる一家の新学派を組織することができるに相違ない。西洋今日の学問は近世新しく起こったようにみゆるけれども、その源はギリシアより発し、近世の先天派の倫理は二千余年以前のストア学派より漸々発達してきたことは、だれも承知しています。しかしてストア学派の倫理と孔子の倫理とは誠によく似ていることも、哲学者の一般に申すところであります。故に今日、孔孟もしくは老荘の倫理に西洋倫理を調合したならば、一種新奇の倫理ができるに相違ない。今日の儒者が飯食い字引同様にて役に立たぬとても、孔孟道徳の根本が腐りているのではありませぬ。易や『中庸』などはすこぶる高尚深遠の哲理を含んでおることは、西洋学者も感心しています。老子や荘子も、かの学者の愛読するところであります。ナント諸君、儒教の胃袋の中へせいぜいたくさん西洋実験学の食物を入れて消化(こなれ)させてみたいものではありませぬか。俗論派の見識のここに及ばざるは実に憫然の次第でありますから、余輩はこの連中に気〔の〕毒千万の四字を献上いたしましょう。

 俗論派では神道のことは儒仏二道のごとく、あまりかれこれとくちばしをさしはさみませぬはいかんと案ずるに、これは始めより神道などは学問として論ずるに足らぬと見下げているからであります。よりて神道のためにも一言弁護の労をとらなければなりませぬ。余輩の意見では、神道にも西洋の学問の滋養を与えて世界の舞台に持ち出し立派な宗教を作りてみたいものと思います。ユダヤの創世史の半文の価値なきものすら、モーゼとかキリストとか使徒とかいう働きものが出たために、世界を動かすような宗教になりました。これに比例してみれば、わが国の神代史は決してユダヤの創世史に優るとも劣りはしませぬから、これを発達伸長すれば、また必ず世界の宗教となりて五大州に行わるることもできます。もし今日平田の大人(うじ)のごとき人物が出たなら、きっとそれくらいの働きはいたすに相違ないけれども、いかんせん俗論派の自卑尊他の主義が社会に勢力を有するために、神道などは度外視されているのははなはだ残念の次第であります。

       第四回 学問論 三

 さて前回において神儒仏三道は決して東洋の陳腐説として廃物視すべきものでなく、今よりその弊害はこれを除き、その教体はこれを存し、西洋の哲学、理学はこれを培養する肥料として用い、もって東洋の思想を発揮し、日本の国光を顕揚しなければならぬことを一とおり述べましたが、諸君も必ず了解せられたであろうと考えます。これより神儒仏三道を合してこれを東洋学を代表するものとして、その功績とその特色とを論ずるつもりであります。神儒仏三道が、積年繁昌の余弊として多少の妨害を社会の進歩に与えたとするも、その功績に至りては実に偉大にして、永く記念せざるべからざるものあることは明らかであります。今そのいちいちを列挙するいとまなけれども、二六〇〇年間の歴史上国民の教育道徳を維持し、国家の独立を全うして今日に至れる功績は覆うべからざる事実であります。言葉を換えて申さば、一系連綿の下にこの国体を保護しきたりたる一事は、千古朽ちざる功労と称さなければなりませぬ。その他、文学、技芸、美術より通商、開墾等に至るまで、この三道の力あずかりて多きにおるは、また事実に徴して疑いなき功績であります。かかる恩恵に対してその道の拡張を図るは、ひとりこの道に報ゆるのみならず、祖先に対し国家に対し尽くすべき義務であると信じます。しかしてその義務として尽くす方法は、この三道を再興して世界にその光を発揚するより外になかるべしと考えます。今日西洋にありてプラトンの説が再興してドイツ哲学の源泉(みなもと)となり、アリストテレスの学が再興してイギリス哲学の濫觴となりたるがごとく、神儒仏三道が再興して東洋の新哲学いな日本哲学の根基を開き、ドイツ哲学、イギリス哲学と対立して、鼎足の勢いをもって世界の舞台にあらわれ出でんこと、これ余輩の切望するところであります。もし果たしてこの目的をして達せしむるを得ば、日本の名誉たることは申すまでもありませぬ。もしこれに反し俗論派のいうがごとく、われわれはこの三道を全廃して顧みざる間に、これを再興しこれを統合するの功を西洋人に収めらるるに至らば、われわれの恥辱ではありますまいか。俗論派のごとく西洋哲学の仲買いや受け売りや取り次ぎをなすも、なんらの名誉がありましょうか。ドウゾ早く西洋哲学の千金丹売りは、やめてもらいたいものであります。諸君よ、諸君は今より資本を積んで日本哲学の製造元になるように願います。

 つぎに東洋学の特色を述ぶるに当たり、最初話しましたる俗論派が西洋学に対する誤解の続きを申さなければなりませぬ。西洋学の長所は理化学のごとき有形の実験学上にありて存し、われわれの学ぶべき点もこの実験学であります。しかるに西洋ではその実験の主義が哲学の範囲内に推し移りて倫理学、宗教学までも物理、化学などと同じ方法をもって研究するようになりましたが、かかる無形の学問にはその方法の適用できる限界がありて、その限界を超えて進むことはできませぬ。この点は純正哲学の力をかりて補わなければならぬのに、実験主義の連中は痩せ我慢を起こして、純正哲学の世話にならずに独力で一切の仕事をなそうと思うから、不都合千万の始末をきたします。しかるに己の不始末は自身に見えぬから、大いばりをきめ込み、かまきりの鎌を振り立てて、純正哲学を追い払わんとしております。誠に笑うべきの限りではありませぬか。ここに近眼をもって名高き俗論派は目の前の汽船、電信、電話などが実験学の結果なるをみて、なにもかも実験実験と騒ぎ立ててかまきりの仲間入りをしたとは、あきれた話であります。さて実験哲学の不結果はいろいろありますが、その中に実験主義をもって倫理、道徳を立てようとしたことと、実験学をもって純正哲学および宗教に代用せんとしたことの二つが主なる点であります。しかしこれらのことはのちに述ぶるつもりでありますから、ただここには東洋哲学の長所だけを申しましょう。その長所の要点は左の三カ条であります。

  (一) 総合の観察に長ずること

  (二) 理想の趣味に富むこと

  (三) 実際の応用を先とすること

 およそ学問の方法に分析と総合との二種ありて、理学もしくは実験学は分析法に基づき、哲学もしくは純正哲学は総合法に基づくの傾向(かたむき)があります。しかるに東洋学は最初より総合の一方をとり、分析は更になき有様なれば、自然の勢い総合の観察に長ずるようになりしに相違ありませぬ。しかしてその観察は直覚によるものなれば、これを直覚の大観と申してよろしい。そもそも東洋の学問は主として世情人心を観察するにありて、これに処する方法等を講ずる点は往々その妙を示せるは、全く直覚の大観すなわち総合の観察より得たる結果であります。たとえば韓非子のごときは、別に実験学や心理学や社会学を知りたるものにあらざれども、世態人情を観察せる点に至りては、実に今日の学者を驚かすほどであります。また『易経』のごときは、天地万象の観察より世道人心に及ぼして説きたるところ、また実に感ずべき点が多い。仏教のごときも、端座沈思によりて宇宙の大観を放ち、もって真理に直達せる結果を示したるものなるが、その経文幾万巻のおびただしきに至れるは、これまた驚くべきことでありませぬか。西洋美術と東洋美術との異なるも、要するに観察法の同じからざるによると考えます。通例西洋の研究法を客観法とすれば、東洋の研究法は主観法となるも、必ずしも主観ばかりにあらずして、客観上に総合的観察を下したるものであります。けだし西洋人はその思想、精にして密、東洋人は粗にして大なる風ありて、その結果、彼は分析法に適し、われは総合法に適するところあるように思います。その証拠は東洋に古来総合的の学問ばかりありて、分析的の学問がない一例につきて知ることができます。もっとも今日の東洋は一般に衰えておるから、西洋と比較することはむずかしいけれども、古代にさかのぼりてこれをみるに、ギリシアの文明とシナ春秋戦国の文明とは大抵年代を同じうするところなるが、双方の学問の性質は大いに異なりております。しかしてギリシアの学問においては、帰納分析の方法いまだ盛んならざりしも、すでに大いにその傾きを有し、これに反してシナの方は、諸学がみな総合的性質を有しておりました。そのことは両方の学問を比較してみればすぐに分かります。インドはその学風シナよりはいくぶんかギリシアに似ておるところあれども、実際はシナとギリシアとの中間に位しておる有様にて、ギリシアと大いにその性質を異にしておることは、これまた双方を比べ合わせてみればたやすく分かります。

 つぎに東洋人なかんずくシナ人、日本人が理想の趣味に富み雅致風韻を愛することは、説明するまでもありませぬ。あるいは雪見あるいは花見あるいは月見等、下等人民までこれを楽しみ、その直接に目に映じ耳に触るるものの外に、理想上の別趣を味わいかつ楽しむはみな人の知るところであります。その一例は梅見である。四時の花の中でわが目に触るる点では、梅は最も物さびしく、人の気を引くほどの物にあらざれども、日本にては諸方に梅林を設けて梅樹を培養し、毎年二、三月の交(ころ)になれば、見物人四方より集まりて山をなし、イトにぎわしきことであります。東京だけにても向島の百花園、亀井戸の臥竜梅、木下(きね)川梅園、蒲田梅園を始めとして遠くは杉田梅園のごときを数えきたらば、何カ所あるか知れませぬ。これらの梅園が花見の時節になればいずれもその群集一方(ひとかた)ならず、さほど文字を知らず学問もなき連中が、花下に踞して一瓢を傾け発句俳諧をつづりて枝に下げもって無上の悦楽となすがごときは、西洋人に到底解すべからざる一種の風味であります。この風味たるや決して感覚上の楽にあらずして、感覚以上の理想的快楽なることは疑いありませぬ。東洋美術の特色も全くここにあり、その哲学の高尚なるもまたこれによりて生ずと申してよろしい。なかんずく老荘哲学、仏教哲学のごときは純然たる理想哲学と名付くべきものであります。

 つぎに実際の応用を主とする点は、かかる高尚の学なるにかかわらず、必ず実践躬行を目的とする風あるをみて明らかであります。たとえばインド哲学は仏教もヴェーダ教もその哲理をすぐに宗教に応用して、安心立命の法を講じ、シナ哲学は儒教も道教もその哲理をすぐに道徳に応用して、修身斉家の道を講ずるがごときは、みな人の知るところであります。その他、神儒仏三道の目的は人の知識を進むるというより、むしろ人の心胆を強くする方に傾きておるのも、やはり実用を先とするからであると考えます。それ故にわれわれ東洋人は器械工芸を始め、有形学あるいは実験学においては、西洋に譲らざるを得ざれども、文学、哲学、美術、道徳、宗教に至りては、更に彼に譲るべき道理なく、、むしろわれはわが特色をもって誇りてよろしい。たとえ彼に軍艦や兵糧が多くあるからというても、なんぞ殊更にわれに有るものを捨てて、彼を仰ぐの必要はありましょうか。われよりあまり卑劣に出掛けると、かえって彼に軽蔑せられますから、俗論派の人々もよくその辺に注意ありたいものであります。

       第五回 国民論 一

 さて俗論派が学問に対する誤解は大略(ほぼ)述べたから、これより国民の上に及ぼせる影響を述べましょう。およそ唯物論に通俗的と学科的との二とおりありて、通俗的唯物論は古来わが国の学者の一部分と俗人との間に行われ、学科的唯物論は近年西洋より伝来したるものであります。しかして俗論派の唱うるところの唯物論は西洋伝来の学科的唯物論にして、その影響はわが従来の通俗的唯物論の上に及ぼすは、必然の勢いであろうと思います。今この二種の唯物論の異同を述ぶるに、学科的唯物論は理化学、動植物学、生理学等の実験に基づき、人の精神は神経組織の物理作用より起こり、物質の外に精神なしとの論にして、すなわち唯物無心論であります。これに反して通俗的唯物論は別に学術の道理に照らすにあらず、ただ通俗の見解によりて人の死後には霊魂もなければ未来もなく、その死するや煙の散ずるがごとく火の滅するがごとしと唱え、主に宗教の霊魂説に反対して起こりし論でありますが、その説は一方にては従来の漢学者の一部分これを唱えて神道および仏教に反対し、一方にては無学の俗人これを唱えて宗教を無用とするの口実にいたしました。その中にて漢学者の方は未来世界の賞罰を説かぬまでにて現世の道徳に至りてはほとんど専門にこれを講ぜしも、俗人の方は未来の賞罰なきを口実として「飲めや歌えや一寸先は闇だ」と唱え、己が酒色の欲をたくましうし、もって世の道徳品行を蔑視するに至りました。それ故、学者の方は別に世を害する恐れはあらざりしも、俗人の方は大いに道徳を乱るようになりました。しかしてその説の火元は学者の方より起こり、仏教家が喋々せる天堂地獄説に反対せんとするより出でたるに相違ない。しかるを俗人の方では平素(つねづね)道徳などは大嫌いのところ、未来の賞罰が恐いばかりで、嫌ながら道徳の装いをいたしておりましたが、学者の説に地獄も極楽もなしというを聞きて大いに安心し、人間は政府の法律に触れなければ、いかなることをなしても勝手であると心得、大いに世の道徳を乱るの結果をきたしました。さりながら漢学者の説も仏者に反対したまでで、別に実験も証拠もない空想憶断であるから、俗人はこれを信じながら折々は未来がありそうに思うて、なんとなく気味が悪いように考え、さほど思いきりて不道徳を行い得るものもなかりしは幸いでありました。しかるに今度舶来の唯物論はいろいろの証拠や実験を並べ立てて説くばかりでなく、西洋より新たに仕入れたる無類飛び切り上等の看板を掲げ、天晴(あっぱれ)近代の新発明などと吹き立つるから、ただでさえも西洋と聞けばありがたがる今日の俗人社会が、ひとたびこの広告を見たならば、開いた口に牡丹餅が落ちてきたように感じ、躍り上がりて駆け出すに相違ない。これらの愚人は道理や理屈は分からずして、ただ朝夕己の欲をたくましうすることのみを願いおるところへ、かの唯物論にて霊魂がない未来がないのみならず、人間の道徳は天然に備わっておるものでなく、便利上できたもので善悪などは世と共にいろいろに変わるものである、元来善と申しても自利より起こり、一切の道徳は自利を離れてあるはずはないなどと述べ立てたなら、俗人社会はかねて待ち構えていたところであると申して、非常に歓迎するに相違ないと同時に、わが社会の徳義はにわかに破壊をきたして、取りまとめることのできないようになるは必然であります。実に恐るべき病毒をまき散らしたと申してよろしい。それ故に今度の唯物論の害は、昔日(むかし)の唯物論の害より百倍も千倍もはなはだしいことは、心あるものの決して疑わざるところであります。さきに明治の初年にありて自由民権説が入りきたり、人間は自主自由のものである、自由は天賦である等と唱えたために、世間大いに誤解して自由とはわがまま勝手のことであるように考え、一時人倫の破壊をきたさんとせしこともありましたが、幸いにその内に自由の本義も分かるようになりて、ただ今ではその方の恐れは全くありませぬが、今度の唯物論一条はコレラ病や赤痢よりは、一層はなはだしき害毒を社会に流すであろうと信じます。今つらつらわが社会の現状をみるに、学者と金持ちは上流社会に位せる者と定め、学者は金を持たず、金持ちは学問を知らず、故に表面は学者と金持ちにして、裏面は貧乏と無学との集まりであります。そこで金持ちの方は自利一方の欲張り主義で、己に利のあることなら、義理や面目を欠きても構わぬくらいに思うておるものが多い。かくして積み立てたる金は、社会のためとか慈善のために費やすならよろしいが、己の酒色の欲に費やし、なお余りあれば、盆栽や骨董や書画ならまだよけれども、妾宅の新築装飾にばくだいの金を費やし、人に対しては傲然としてその美を誇るのみにて、隣家(となり)に貧民の飢渇に迫るものあるも、これをみること犬猫のごとくすこしも同憐の感さえも起こさざる有様であります。かかる金持ちはいかに表面は紳士を装うても、内実は禽獣の戸籍に身を置くものと申さなければなりませぬ。すでに社会の上流にかかる体欲連、情欲連がおりて、ひとたび不道徳の手本を出せば、中等以下もみなこれをならい、身分相応いな不相応の不道徳、不品行を犯し、人生の目的はこの外になきように考え、上下一般に自利体欲の奴隷とならんとする状態(ありさま)であります。世に自利あるを知りて利他を知らず、己ひとり財産を積みて酒食の欲をたくましうし、更に社会を益し国家を利することを知らざるの徒をいも虫連と名づけます。なぜなればいも虫は己ひとりコロコロ太りておるのみにて、なんらの用をもなさざるものなれば、今日の金持ちとやや似ておるからであります。ああ日本の畑はなんぞいも虫のおびただしきや、実に嘆息の至りではありませぬか。現今わが社会の事情かくのごときところへ、わが国の大先輩、中先輩、小先輩の方々がおいおい西洋の唯物店を開きて、自利の外に真理はないという主義で、現金かけなおしなしの商法をいたさるるから、いも虫連は大いに喜びて蟻のごとくその店頭(みせさき)に集まるに相違ない。もっとも先輩方の望みは、ドウカして自利山唯物寺が一カ寺立ちさえすれば、それで大願成就のつもりでありましょうけれども、その今日の勢い自利山唯物寺はたちまち変じて拝金山体欲寺や、いも虫山コロコロ寺となりて、日本全国至る所にできるようになるは疑いありませぬ。果たしてしからば、わが国の道徳はこれよりようやく大いに敗頽して、その影響を国体の上に及ぼすは必然の勢いであろう、と考えます。畢竟この禍源は、先輩の唯物論者すなわち学者中の俗論家の開くところなれば、憂国の男児は皷を鳴らしてこれを攻めてよろしい。これが余が俗論征伐に着手したる次第であります。余がかく申したならば俗論派は必ずいいましょう、西洋には唯物論あれども、別段これによりて社会の道徳が乱れしを聞きませぬと。なるほど西洋には古来唯物論あれども、これに並びて唯心論も理想論もありて、平均権衡を保ち、かつ社会の道徳は今日といえども宗教が支配してずいぶん勢力があるから、唯物論などはなかなか頭を挙げることができませぬ。しかるにわが国は、先輩の人達が大抵みな唯物主義をとりて宗教を排斥し、これに反対する唯心論を唱うるものなく、加うるに一般の人民は利己主義にして、しかも西洋崇拝風の行われておるところなれば、唯物論の入りやすく行われやすきことは、石油に火を点ずるがごとき勢いをもって燃え上がるべしと考えます。ことにわが国は政治、学術、宗教を始め、万般のことがみな旧服を脱して新衣を襲わんとする際にして、国民一般に旧習をいとうて新奇を喜ぶ時節なれば、自利宗唯物教は西洋新発明の初仕入れなどと言い触らさば、空腹のところへ食物を得たるごとくに、国民のこれに帰するの勢いは極端に走らんことを恐れなければならぬ。すべて学者たるものは世の風教をその身に任ずるものなれば、一言半句たりとも社会の影響いかんに注意して、時弊を呼び起こさぬようにするが本分であります。たとえ西洋になんらの新説が起ころうとも、これを日本に引き入るる前にあらかじめ日本の事情を考察し、その風教の上に与うる利害いかんを熟思しなければ、学者の責任を欠くことになります。よりて先輩の学者達は、生意気書生が無責任の議論を吐くようなことはできまいと信じます。さりながら学者は真理の内に衣食して、真理の発揚をその身に任ずるものなれば、片手に風教を維持すると同時に、他の手に真理を拡張しなければなりませぬ。よりて唯物論が世の風教に害あるにもかかわらず、千古未発の真理なること明瞭(あきらか)ならば、これを吹聴するもあえてとがむることはできませぬけれども、さようの場合には必ずこれによりてきたるところの弊害は、いかにして防御するかの方法を講ずるを要するはまた学者の責任であります。しかるに余が察するところによれば、先輩の学者がかくまで唯物論に眩迷せらるるは、その論の一方をみてこれに反対する唯心論などは更にのぞきもせずに、軽率にも古今に唯物論くらいありがたい結構なものはないと、自分免許できめられたのではあるまいか。さなければ余がいわゆる先廃主となるわけから、西洋の器械上の文明に驚かされて、なにもかも実験に基づかなければならぬと、誤解せられた故ではないかと考えます。果たしてしからば、先輩の学者たる名義が立たぬことと思います。しかしそのことは一歩を譲りて、先輩の学者達は唯物論も唯心論も双方とも取り調べた上に、唯物論の真理は動かすべからざるを知り、かつ日本の国情も十分これを明らかにし、唯物論が風教上に及ぼす利害いかんを熟察して、これを防ぐ方法までを設けたるものとして考うるも、なお余輩がこれを学者中の俗論として排斥せざるべからざる点があります。それは唯物論が仮定憶断に出でたる妄説にして、決して真理にあらざる一条であります。しかしそのことはのちに証明するつもりなれば、このところでは略しておきます。

       第六回 国民論 二

 さて俗論派の唯物自利主義が、わが国家の風教上および人民の品行上に与うる利害得失は、ひととおり話をいたしましたから、つぎに国民の精神上に及ぼせる影響を申さなければなりますまい。そもそも人間が世の中に処するには、その業務のいかんを問わず、必ずその精神中に堅く守るところの本心がなければなりませぬ。この本心ができておりさえすれば、天災があろうとも人災があろうとも、百難千死を侵しても、泰然として動かずにおることができます。古来わが国の宗教は神道にあれ仏教にあれ、人にこの本心を与うるためには大いに功労がありしことは疑いありませぬ。畢竟大和魂も尊王心も、忠孝の美しき心も愛国の熱き情も、みなこの心の上に成り立っております。またわが国がシナと兵を交えて百戦百勝の名誉を世界に博したるも、器械軍艦の優劣大小によらずして、この精神の有無に関せしことはみな人の認めておるところであります。将来万一、西洋諸国に対して戦端を開くことありとするも、器械の精巧、軍艦の堅牢等の点をもって比較しては、到底わが国は彼に勝つ見込みなく、ただこの精神一つが国家の命脈を保ち、独立を維(つな)ぐの鉄鎖にして、勝算の数はひとりこの上に存することは決して疑いありませぬ。従来わが国民の中には御幣かつぎのはなはだしきものありて、死を恐るるのあまり、いろはの「シ」の字、一、二、三の「四」の字ですらも、これを忌み嫌うこと蛇蝎のごとき有様なるは笑うに堪えざる次第であります。その一例は男子の四二歳を厄年と申してはなはだしくこれを嫌う原因は、四二は四二〔しに〕にして死(しに)と音相通ずるによるといい、また四二歳の二ツ児と称して、男子四二歳のときに二歳の小児のあるを忌み、これまでは一度その児を捨てたものであると申すことなるが、その原因は四二歳に二歳を合すれば、四四歳となるにより、死に死を重ぬるわけであるとて、深く嫌うたと申すことであります。実に愚もまたはなはだしき次第ではありませぬか。余はかくのごとき恐死連を御幣連と名付けます。そのようにわが国民中には御幣連がたくさんありしにもかかわらず、従来士族教育は全くその反対でありて、いやしくも士族と名の付きたるものは、すこしも死を恐るる気色なく一大事に臨んでその一命を捨つること、土芥を捨つるがごとくに思うておる国風あるは、これ実にわが国名物の第一に数えてよろしい。その風がいくぶんか民間に及ぼし、死を蛇蝎視する御幣連中にも国家のためあるいは皇室のために一命を捨つるは、無上の名誉と心得、七回人間に生まれて国恩を報ぜんというがごとき、万代不朽の精神を抱きおるもの決してすくなからざるは、全く国風の感化と申さなければなりませぬ。わが国体はかかる金城鉄壁よりなお堅き精神の大盤石の上に安んずるをもって、幾万の敵兵、幾百の軍艦わが四境に迫るも、泰山の動かざるがごとく、巍然として独立をそびやかすことを得るは、余輩の保証するところであります。将来われわれは国家の独立上たのむところは、器械よりも軍艦よりも、むしろこの精神にあることは明らかであると考えます。ああ、この精神こそわが西洋に対して誇るところの唯一の砲台、唯一の軍艦ではありませぬか。俗論派はこの点をいかに解釈いたしますか。その党派中にはかくのごとき決死の精神は、畢竟野蛮の遺習のごとく解するものあらんかもはかり難けれども、これを野蛮の遺習などと申す当人こそ、野蛮といわなければなりませぬ。なぜなればわが国民にもしこの精神なかりせば、二六〇〇年間永続せる堂々たる日本帝国が、たちまち西洋の優勝国の餌食となりて、その虎腹に葬らるるの不幸をみるは必然であります。俗論者はこの不幸を不幸といたしませぬか。ヨシ一歩を譲りこれを野蛮の遺習とするも、俗論派の中にはずいぶん西洋を神か仏のように崇拝する人達もあるようなるが、その西洋は野蛮にあらざるか。腕力や兵力をもって他の国を奪い取ろうとするは、野蛮の大なるものでありませぬか。かかる野蛮が世界に行わるる間は、わが国も俗論派中のいわゆる野蛮の遺習を養成して、彼が野蛮に備えておかなければなりませぬ。かように前置きを定めて、これよりまさしく唯物論が国民の精神上にいかなる影響を与うるかを述ぶるつもりであります。

 近世西洋にては実験学流行の結果、哲学上に唯物論が勢力を占むるようになりたるが、元来実験主義は有形学の上に一大功績を挙げたるに相違なきも、その主義を哲学上に持ち込み、無形上に当てはめたるは一大失策にして、唯物論の断案くらい不都合のものはありませぬ。要するに実験主義はかれに勝ちてこれに敗ると申してよろしい。世の中のことはなにに限らず、あまり勝ちに乗ずると失敗をきたすものであるから、諺には「勝ちてかぶとの緒を締めよ」とまで戒めてあります。しかるにわが国の俗論派は、かの唯物論の失敗を知らずしてこれを崇拝するは、実に憫然の次第ではありませぬか。なおその失敗の顛末はおいおい述ぶることとし、ここにまず唯物論は精神上に弱味を与うるゆえんを一言いたしましょう。古来いずれの国にても宗教がよく人心を安定し、しかも死を恐れざる一大決心を与うることを得たるは、全く霊魂不滅を立つる故であります。もし宗教にして唯物無心を唱えたらば、なんらの功績を挙ぐることもできぬに相違ない。哲学上にてもドイツのフィヒテと名付くる哲学者が、その国民に自由独立の精神を発揮せしめたるは、その立つるところの主義が唯心論である故であります。東洋においても神道と仏教とは霊魂不死説を立て、儒教はややその趣を異にするも、先天性の道徳を説き、共に近世のいわゆる唯物主義および経験主義に反対せるをもって、人の精神に一大決心を与うるに大いに力ありしは疑いなく、わが国民に死を惜しまざる決心を与えしも、全くこの三道の功なることは、余輩の深く信ずるところであります。たとえ神儒仏三道が極盛のあまり、多少の弊害ありしにもかかわらず、その国民の精神に与えたる功績は、決して抹殺することはできませぬ。すでにさきにも一言せるがごとく、東洋の諸学はその目的を理論にとどめずして、必ず実際に及ぼし、なにごとも実践躬行を重んじたるは、神儒仏三道の一致するところにして、その結果は国家独立の精神上にあらわれております。しかるに西洋の唯物論は第一に霊魂不滅を破り、第二に先天主義を駁し、自利の外に道徳なしと唱うるに至りては、自然の勢い精神は肉体の奴隷となり、死を恐るること蛇蝎よりはなはだしく、国家の危急に際しても四十八手逃げるが一の手と心得、一身の勝手ばかりを取り計らうようになるは免れ難いと考えます。もっともこの点につきては、俗論者もいろいろ弁護しておりますけれども、畢竟するにこの点は唯物の大弱点むしろ大欠点にして、到底弁護のよく弥縫するところでなく、ただますます付会に付会を重ねて己の欠点を明瞭にするだけであります。もし局外者に唯物論と唯心論もしくは経験論と先天論との二者中、いずれが人の精神に力を与うること大なるやを問わば、前者をとりて答うるは申すまでもありませぬ。果たしてしからば、唯物主義がわが国民の精神上に一大困難を与うるは疑いなしと断言してよろしい。これ実に国家将来のために憂うべき一大事であると考えます。

 わが国にては諸君も知らるるとおり、近来神儒仏三道がその勢力を減ずると同時に、日本特有の国民の精神が次第にその気力を減じ、恐死病がおいおい民間に蔓延し、従前のいわゆる士族風の元気は一変して、商人風の気質に化し去らんとする有様であります。故に憂国の人達においてこの勢いを挽回する方法を講ぜらるるその中へ、にわかに唯物主義を持ち込むに至らば、挽回の沙汰どころでなく、薪をもって火に投ずるがごとく、時弊は炎々として天下にはびこらんとするは免れ難いと考えます。かく申さば俗論者は定めていわん、唯物論必ずしも人心の破壊をきたすにあらず、その弊を防ぐだけの手段(てだて)はすでに備えてあるから心配に及ばぬと。余これに答えて、それしかり、あにそれしからんやと申すつもりであります。ヨシ俗論派の方に西洋の結果に照らしてその備えありとするも、西洋とわが国とは大いに事情を異にすることを知らなければなりませぬ。わが国にては数千年来、先天教唯心宗のみをもって人心を維持しきたりしところへ、にわかにその代わりとして経験教唯物宗が入り込むに至らば、人心の変動は予想外に出づることをあらかじめ知るを要し、かつ変動の際は誤解謬見の起こりやすくして、ために一大害毒を社会に流すことあるをもあわせて考えておかなければなりませぬ。すべて気候の変わり目には病人が多くできると同様に、学説の変わり目にも弊害が起こるに相違ない。しかし唯物論は今日すでに西洋に行われておる以上は、決してこれをわが国に遮断するわけではありませぬ。ただ余はわが国の実際に照らすに、旧来の先天論も唯心論も一切これを放逐して、西洋の経験論、唯物論をそのまま着たなりでここに引き入れんとすることに大反対を唱うるのであります。ヨシ西洋より唯物論を入るるならば、これと同時に唯心論も入るるようにすればよろしい。しかるに今日の勢い大先輩も中先輩も小先輩もみな唯物論に傾き、後進の子弟みなこれに雷同せんとする勢いなれば、もはや対岸の火災視することはできぬと心得、余はあくまでこれを相手取りて一大決戦を試みることを宣告したる次第であります。

       第七回 物質論

 すでに俗論派の唯物主義が実際上に与うる利害得失を述べおわりてここに至れば、まさしく理論上唯物論の不確実不完全にして、非論理非真理なることを論じなければなりませぬ。実際上の批評は唯物論の世間に及ぼせる影響を駁撃したるまでなれば、唯物論自身においてはさほど痛みを感ぜぬであろうと考えます。あたかも唯物論が着ておる衣服や帽子に傷を付けるようなものにて、もし当人が新しき衣服を着かえて出れば、また本のままになります。それ故に今度は唯物論の手足は申すまでもなく、五臓六腑、脳味噌に至るまで散々に打ち砕いてやりたいと思います。しかしそれはあまり残酷過ぎるから、唯物論の体内にて急所と見ゆる点を二、三カ所衝き込めば、これを倒すだけには十分であるから、急所ばかりを打つことに定めました。さきにすでに話したるとおり、通俗の唯物論と学者の唯物論と二とおりあるも、通俗の方は論ずるまでの価値(ねうち)なきものなれば、これを除くことにいたします。また学者の唯物論も小分けすればいろいろあるけれども、第一番に唯物論を攻撃し、つぎに進化論、自利論、つぎに感覚論、経験論を追撃する順序をとるつもりであります。

 俗論派は哲学中唯物論くらい確実にして、仮定空想を離れたるものなしと信ずれども、余輩の所見をもってすれば、唯物論くらい不確実にして仮定空想のはなはだしきものなしと思います。その論たるや根拠を極めず、本源を明らかにせざるものなれば、これを名付けて仮定空想憶断といわなければなりませぬ。諸君はいまだ実視せられたることなきか。山間の大きな池には往々浮島と申すものがあります。いずれの島も水底より立ち上がりておるものなれども、この浮島に限りて水底まで達せず、ただ水面に浮かんでおるまででありますが、唯物論はあたかもこの浮島に似ております。その上に木も草も生い茂りておる点よりみれば、根底のあるもののごとくにして、風や波にて動くところよりみれば、確実のものとは申されませぬ。故に余は唯物論に異名を献じて浮島論と申すつもりであります。しからば俗論派は浮島に住める蛙のごとく、この島の外に世界なしと思えるものなれば、浮島蛙と申してはいかがでありましょうか。けだし井底の蛙ということは古来一般に申す語なれども浮島の蛙ということは今まで聞かざる初名目であります。さて唯物論を駁する陣立ては

  第一に物質の分析上

  第二に世界の開闢上

  第三に変化の原因上

  第四に万有の規律上

  第五に時空の関係上

この五段に分かちて攻め込む心得でおります。

 ここに唯物論者の説によれば、世界は物質より成り、生物は死物より生ず、すなわち草木の有する生育力も動物の有する感応力も、人間の有する覚知力も、みな無機物質の固有せる勢力すなわち物力の変態に過ぎず、故に物象の外に世界なく、物質の外に精神なく、物力の外に生活なく、禽獣、人類、ことごとくみな物質と。これがまさしく唯物宗の立つるところの教体でありて、その崇拝する本尊はこの外にありませぬ。それ故に神もなければ仏もなく、未来もなければ霊魂もなく、これらはみな太古蒙眛のときに当たり、無智の愚民の妄想よりえがきあらわしたるものにして、今日なおその残夢を見、その遺習を伝うるのみ。換言すれば古代蛮民の死後の遺物に過ぎずと申しております。世の宗教嫌いの人にとりては、このくらいの大好物はありますまい。余はしばらくその言うところに従い、世界も精神も生活も決して物質の外になしと断定して、更に一問を出しましょう。すなわちそのいわゆる物質とはなにものぞという問題であります。もし唯物論者がこの問題に答えて、物質は不可思議にして人智の及ぶところにあらずといわば、その物たるや一大怪物にして、唯物論の名は一変して怪物論とならなければなりませぬ。もしその本源実体は不可知的なるも、目前に物質の存することは確実にして疑うべからずといわば、その論は根底なき浮島論となります。たとえば理化学のごとき有形の学問は、物質の本源実体を明らかにする必要はあらざるも、哲学としてこの点を究め尽くさぬときは、仮定憶断をもって根拠とせる空想論に陥らなければなりませぬ。もしまたかくのごとき問題は、格別実際に関係せざることにして、畢竟かかる研究は無功に属すといわば、その論たるや孔子が時弊を防がんために、怪力乱神を語らずとか、知らざるを知らずとせよこれ知るなりとかいわれたると同様の意味に帰し、目前直接に我人の生存に関係せざることは、一切研究するに及ばずということになります。しかるときは天文学にて地球外の幾億万里隔ちたる星界のことを観測し、地質学者が人類未生の太古にさかのぼりて前世界のことを探見するがごときは、同じくこれ無用無功の研究となり、唯物論そのものも無用の学説に帰します。だれもこれを聞きてもっともの答えなりと申すものはありますまい。まずこのとおりにあらかじめ四方へ大綱を張っておいてこれよりだんだん追い詰めるつもりであります。

 唯物論者は一般に物質の問題に対しては、物理学や化学の説明をかりて分析上より答弁いたします。すなわち物質はその体、分子より成り、分子は小分子より成り、小分子は微分子より成る。微分子はすなわち化学上の元素にして、これより以下は分析すべからざるものなれば、物質の最小点はここに至りて極まる。よりてこれを最小至細不可析の点といたします。故に物質はなんであるかの問いに答えて、化学のいわゆる元素であると申します。その元素の種類はその数いまだ一定せざるも、六十ないし七十余種の元素がいろいろに結び付いて有機無機、禽獣人類を構成するに至るとは、唯物論の物質に与うる解釈であります。たとえば水はなにものなるやと問わば、水素、酸素の二元素が結び付いてできたものである。その証拠にはこの二元素を一定の割合をもって結び付ければ、水ができる事実を例に引きます。唯物論者はかくのごとく物質を解すれば、物質はなにものであるとの問題は説き尽くせるように思うも、その実この説明は物質を分析せるまでにて、すこしも解釈したとはいわれませぬ。なぜなれば物質は元素であるとは、物質は物質であるというも同じ言葉であります。元来元素も一個の物質ではありませぬか。これを物質にあらずとせばその体なにものなるや、または非物質性のものを結び付けて物質ができる道理はいかに等の難問が続々起きてきます。これにおいて物質の定義を述ぶることが必要になりました。物質の定義はいろいろ申す中で精神と区別していうときには、すべて大なり小なり多少の空間を占領せる延長性のものに与うる名称といたします。今元素は物質にあらずとするときは、延長なきものにして、空間を占領せざるものでなければなりませぬが、そのような非延長性のものが相集まりて延長性の物質を生ずるとは、実に奇怪千万にして、無より有を生ずると同じ道理になります。いやしくも論理を弁ずるもの、だれかこの道理を許すものがありましょうか。しかしながら元素を延長性のものとなすも、やはり不都合が起こります。すなわちいやしくも延長あれば、分割することができる道理なれば、元素をもって最小不可析の体となすことはできず、更にこれを分析して元素の元素を見出すことができそうに考えられます。もっとも理学上に元素の元素があるという憶説がありますけれども、たとえこれありとするも、その体やはり物質でなければ相集まりて物質をなすゆえんを解することがむずかしい。さすれば元素上の解釈は物質は最小至微の物質より成る。言葉を換えて申さば、物質は物質なりということに帰します。これあたかも他人より君はなにものかと尋ねられたるときに、僕は僕なり、われはわれなりといいて答うるも同様なれば、物質解釈の功力なきものと申して差し支えない。唯物論者はこの点をいかように考えますか。畢竟ここに至れば、人智の及ぶところにあらずといいて、その問題を放擲するより外はありますまい。

 かくして物質を分析してその体のなんたるを知るべからずとすれば、唯物論者は必ず方向を転じ、世界の原始にさかのぼり物質の本源を探り、これによりて物質の説明を試みるに相違ありますまい。そのときは必ず星雲説を持ち出すでありましょうが、星雲説とは天体の日月星辰がいまだその形を結ばざるに当たり、宇宙間に混沌たる星雲の浮かびおれりといえる一種の学説であります。その当時にありては今日見るところの一切万物、すなわち流動体も固形体もみなガス体となりて空中に散じ、その熱度きわめて高き状態でありしと申します。すべてなにものも熱度を高くすれば、固体は液体となり、更にその度を進めれば万物みな気体となる道理なれば、太初星雲のときにその熱度非常に高かるべきは、今日の経験に照らして測り知ることができます。古来われわれは暑い所を挙ぐればインドを呼び、更に暑い所を挙ぐれば地獄を呼ぶも、星雲の熱度は地獄の熱の比較ではありませぬ。なぜなれば地獄には火の中に釜がありますけれども、その釜をもし星雲の世界へ移さば、みなとろけて液体となるのみならず、更に蒸発して気体となるわけであります。しかしてその見本は毎日我人の頭上に懸かりてわれわれに熱と光とを与うるところの太陽でありて、星雲の当時に比すれば大いにその熱を減ぜしにもかかわらず、なお高度の熱を有して、いまだ固体を結ぶに至らず、常に陽火の炎々たる状態を示しております。わが地球も最初はこの状態を有して、光熱かれがごときことありしといいますから、太初は世界が暗黒どころではなく光明赫々昼夜の別もなかりし道理であります。しかるにその星雲ようやく冷却して天体その形を現すようになり、最後に地球のごとき一塊が固結して、ようやく我人をしてその周囲に生住せしむるに至れりと申します。とても星雲説の詳しき話はここに述べ尽くすことはできませぬ。もし世界の太初は果たして星雲より起これりとなさば、物質は本来なにものなるやは、この星雲の体について考うるより外なしと思います。しかるに星雲はガス体を成せるのみにてやはり物質なれば、物質の原因を星雲に帰するは、取りも直さず物質は物質より生ずというに異なりませぬ。故に物質の原因は星雲以上に向かって求めなければなりますまい。唯物論者はよくこの上にさかのぼることを得るやいかん、はなはだ覚束なきことであります。畢竟するに唯物論者の見解にては、世界の原始および物質の本源は不可知的なりと断定しておくより外に説明の道はありませぬ。しかのみならず世界の終局の問題に対しても、今日理学者の唱導せるがごとく、他日無量の歳月を経過したる後、地球も太陽も合して一となり、最後に天体ことごとく互いに衝突して、その組織全く互解し、いわゆる粉微塵に砕け終わりて、太初の混沌の状態に帰すべしと申しますが、そののち物質はいかに変ずるや、なにに化するや、この問題も唯物論者は不可知的に帰してやむより外なかるべしと考えます。元来物質は不生不滅なることは、理学の実験によりて知るを得たれば、天体瓦解の後に至りても決して消滅することはなかるべしとは、だれも信ずるところなれども、その開闢の前とその終局の後の状態いかんに至りては、理学がすでにこれを不可知的としてなんらの実験も報告も与えざれば、唯物論者も手を下すところなく、ただ不可知的に始まりて不可知的に終わるといいて黙するのみでありましょう。要するに唯物論は貧乏人の商法のごとく、己の元手は一文も半銭もなくして、理化学等の有形的実験学の資本家に依頼して、その小売りをするようなもので、その本店にて渡さざる品物は決して売買する力なきとは、気の毒千万の次第ではありませぬか。これを言い換えて申さば、唯物論はちょうど哲学の市街へ理学の出店を設けておくようなものであります。

       第八回 規律論

 さて物質問題につき一方は物質分析上元素のなんたるを考え、一方は世界の開闢上星雲のなんたるを考え、竪と横と両方より探究するも、物質そのものは知るべからず。すなわち不可知的であります。このような不可知的の大怪物を根拠としてその上に立てたる唯物論は、浮島に髣髴たるものなれば、いずくんぞこれを確実なる学説と称することができましょうや。むしろ仮定のはなはだしき空想といわなければなりませぬ。ヨシ物質は世界開闢以前と世界壊滅以後にいかなる運命に際会するや解し難きも、その体、不生不滅なる以上は開闢以前にも物質あり、壊滅以後にも物質ありて、実に無始無終の体なりとせんか。しかるときは更にここに一大問題ありて、その不生不滅、無始無終の体が変々化々してやまざるはいかんという疑問が起こりてきます。唯物論者は必ずこれに答えて、物質の体、無始無終なれば、その変化もまた無始無終なりというに相違ない。しかるに今問うところの疑点は物質は不生不滅なれば変化なき理なるに、何故変化を生ずるか、更に言葉を換えて申さば生滅せざるものが生滅の変化を示すはいかんということであります。たとえばこれを小にしていわば、一杯の水が蒸発して気となり雲となり、また結びて露となり雨となり、気体は液体に変じ、液体は固体に変ずると同時に、固体はまた流体に変じ、一物としてその形体を永続することなきは、変々化々してやまずといわなければならぬ。その変化はひとり無機の上に見るのみならず、草木にも動物にも人間にもみな栄枯生死の変遷ありて、時々刻々その状態を異にしております。もしこれを大にしていわば、世界全体の上に開闢と壊滅との大変遷ありて、天地万有すらも変々化々してやみませぬ。しかるに物質は不生不滅にして、元素は一定せるものなれば、元素そのものの体にかくのごとき変化あるにあらずして、その集散分合の状態を異にするより変化を生ずるに相違なかるべきも、何故に元素あるいは分子の間に集散分合の変化を生ずるや、これ問題の基づく点であります。そこで唯物論者は必ずこれに答えて、物質にはその体に固有せる種々の力ありて、元素もしくは分子のあるいは相合しあるいは相離るるは、全く物力の作用であると申すでありましょう。これにおいて物力の問題が起こります。

 すでに物質変化の原因は物力であるとすれば、その物力はなんであるか、いずれより生じきたるや。これ唯物論を立つるに説明せざるを得ざる最も肝要の点であります。今ここに物力というは総名にして、これを細別すれば元素分子の集散する作用のみならず、運動、光熱、音響、電気の類はみな物力の発現にして、重力、光力、熱力、電力等、種々の物力があります。その力の発現せるを顕力と名付け、潜伏せるを潜力と名付けます。しかしてその力は物質を離るることなく、常に物質に伴って存する故、これを物質固有の勢力といたします。かくして物質より生ずる力が、あるいは運動となり、あるいは熱力となり、あるいは電力となり、あるいは顕力あるいは潜力となりて、その間にいろいろ変化するも、決して真に生滅することはありませぬ。これにおいて物質不滅の理法と共に勢力恒存の規則を立て、これを理学の根底として、各学科が研究を進むる次第であります。しかして唯物論者はこの勢力に基づきて生物の有する生活力、感覚力を説明し、更に進みて人間の意識、道理、思想までを説明して、宇宙間に物質の外に生活なく精神なしと遠慮会釈なく壮言大語を吐きまするが、生活力の問題はのちに譲り、世界万物の変化の原因たる物力はなにものなるやを、唯物論者に尋ねなければなりませぬ。彼必ずこれに答えて、物力は物質固有の力なれば、我人は物質中に存するを知るのみにて、これより以上のことは知るべからずと申すでありましょう。しかれどもこれ決して物力の説明とはいい難い。畢竟するにこの答えは物力は不可知的なりというに帰します。物質すでに不可知的にして、勢力また不可知的なれば、唯物論は不可知的の牢屋の中で赤半天着て働いておるようなものであります。前を見ても不可知的、後を見ても不可知的、右も左も不可知的にして、四面八方不可知的の高塀に囲まれ、その外に出づることができぬ有様は誠に憫然の至りであります。

 唯物論の難問は決してここにとどまらずして、変化の原因に伴って万有の規律はなにものにしていずれより生ずるやの問題が起きてきます。万有の規律とは宇宙の大法とか天則とか申すものにして、天地万物が変々化々してやまざる中に自然に規律の一定せるものありて、すこしもその軌道の外に出づることなく、水火土石のごとき無機物のみならず、草木、禽獣、人類に至るまでみなその大法に従い、万象万化すこしもその軌道の外に出づることなく、古往今来帙然として乱れざるゆえんは、唯物論にてなんと説明を下すでありましょうか。今日の諸学科はみなこの規則を遵守し、あるいはこれを前定して研究を施す以上は、唯物論もやはりこの規則を研究の根拠とするは言うまでもないことと考えます。余が察するところによるに、唯物論者はこれを物質に固有せるものと断定せるならんも、単に物質固有とするだけでは説明とは申し難い。もし果たして物質固有ならば、何故に千差万別の物質にして時々刻々、変々化々する中に、かくのごとき一定不変の規律が存するや。これ実に怪しむべき次第であります。その物質の変化はこの規律に従って現るるものなれば、変化そのものより規律の生じきたるはずはない。必ず物質不滅の体中にありて存する道理でなければならぬ。しかるに唯物論者は化学上の六、七十種の元素を取りて物質不滅を説くものなれば、この規律はその元素中にありて存するか。余は決してしかるべき道理なしと信じます。なんとなればこの規則は物質と物質との間にありて行われ、元素と元素との間にありて存し、しかも各物質、各元素の運動変化を支配するものなれば、決して各個の元素の体中に存するはずなく、もしその体中に存すとすれば、六、七十種の元素は全く性質を異にするものなれば、各元素みな格別の規律をもって他の元素の上に働き、六、七十種の規律が互いに相争うようになり、決して一致することも一定することもできない道理であります。唯物論者はこの点をいかに解説しますか。もしその一致一定の点を説明せんと欲せば、各種の元素の外に、別にその原因を発見しなければなりませぬけれども、唯物論者は必ずその自得せる四十八手の一の手なる不可知的をかつぎ出し、かくのごときは我人の知り得る限りにあらずというて黙するに相違ない。一体スペンサーが哲学原論を不可知的門、可知的門の両部に分けたるは、すこぶる狡猾の手段にして、その不可知的門は全く敵より論じ詰めらるるときの隠れ場であります。もし唯物論の真面目にては、不可知的門を設くるに及ばぬはずであると考えます。それ故に唯物論の一派は、あらかじめ逃げる準備に此様(こん)な隠れ場を作りておき、万一説明に急迫して進退これ谷(きわ)まるの場合に、この穴へ隠れ込みを例とすれども、その穴の設けなきものは不可知的をかつぎ出す代わりに、これいまだ今日の実験の及ばざるところなれば、ただ今のところ知るべからざれども、将来は必ずこれを明知するときあるべしと答えます。もし唯物論者が果たしてかような答えをなさば、これ空想のはなはだしきものといわなければなりませぬ。なんとなれば、今日の不可知的は後日に至りて可知的となるに相違ないことの証拠がありませぬ。余が唯物論を空想となすも、一はかかる当てにならないことを申し立つるからであります。畢竟するにこれらは負け惜しみの遁辞(にげことば)に過ぎませぬ。

 今一例を挙げて、宇宙万有に遍布せる一定不変の規律あることを示さば、因果律と名付くる規則であります。この規則は因あれば必ず果あり、果あれば必ず因ありて、前後相続して決して間断あることなければ、これを必然の規則と申します。あたかも世界の組織は、因果の金鎖(くさり)をもって縦横無尽に結び付けられておるようなものであります。故に物理学、化学、その他一切の理学が研究を施すに、第一の手掛かりとするものはこの規則にして、その連鎖(くさり)に従って、各科の受け持ちの部分において自然法を発見するに至るのみならず、われわれが宇宙万有の上に下すところの一切の観察は、みなこの理法に基づかざることなく、実に学問研究の法規にして、かつ思想道理の原則であります。かかる原則が物質より生じきたるべき道理なきは、弁解するに及びませぬ。しかるに唯物論者は経験派が一般に唱うる説に従い、因果の原則は我人の感覚上の実験より生じたるものにて、経験以前にありては我人の知らざるところなりと申すけれども、経験そのものがこの規則の上に成立し、この規則を離れて経験のできるはずなし。換言すれば、経験は因果の原則の応用に過ぎませぬ。しかしこの点は、のちに感覚経験論を述ぶるときに譲ることにいたしましょう。

       第九回 時空論

 唯物論者の説明によれば、物質の変々化々する原因も、その間に行わるる一定不変の規則も、結局(つまり)不可知的となりて終わりましたとすれば、更にこれに対して物質以外に存する時間空間の問題を提出しなければなりませぬ。時間空間は別に握るべき体、感ずべき象を有せざるも、その現に存し実に行わるるは疑うことができない。さりながらまたあえて物質にもあらず、精神にもあらずして、しかも物質や精神がこれより生じたるものにもあらず、実に不思議の一種であると考えます。通常これを呼んで関係と申すは、別にこれという体も象もなくして物心各体の間にわたりて存する故であります。これを唯物論者はいかように説明するであろうか。彼は一から十まで理化学の学説の取り次ぎばかりいたしておるけれども、時間空間のいかんは理化学の方で決して論ぜざる問題なれば、取り次ぎや受け売りをすることができませぬ。余察するに唯物論者はこれを説明するに一は事物の関係上、一は感覚の性質上の両様を取るでありましょう。まず第一の事物の関係上とは時間空間は別に存在せるにあらざるも、事物と事物との間において竪に一物の変遷をみる場合に時間の名を生じ、横に諸物の並存をみる場合に空間の名を生ず。換言すれば事物の存立および変化につきて、竪の関係すなわち続起を時間といい、横の関係すなわち併存を空間というのみにて、みな物質より推演してその存在を想定するに過ぎませぬ。故に唯物論者は、物質を離れて別に時間空間のごとき特殊のものが存在するにあらずと申します。換言すれば、時間空間は物質の関係上より生じたる結果なりというのであります。更に他の言葉をもって申さば、物質ありてのち時間空間を生ずということになります。この答弁は決してうけ取ることのでき難い最も不都合なる説明と考えます。今その理由(わけ)を述ぶるに、物質の定義は延長を性とすといい、延長とは俗にいわゆる「広がり」すなわち長幅、厚さ深さ等のことにして、いずれも空間のいくぶんを占有せる意味を有しております。それ故に我人が物質を知りその存在を認むるにさきだちて、空間の知識を備えておらなければなりませぬ。換言すれば空間の直覚によりて認められたるものが物質であります。果たしてしからば、物質ありてのち空間の存在を認むるにあらずして、空間ありてのち物質の存在を認むることは疑いありませぬ。ヨシ一歩を譲り、この点は唯物論者の説に従うとするも、物質と空間とは全くその性質を異にし、時間と空間とが互いに異なるよりも、なおはなはだしき相違があります。物質は変化を有しかつ有限なるも、空間は変化なくして無限なれば、有限の関係より無限を生じ、変化の関係より不変化を生ずることは、論理、事実共に固く許さざるところであります。もし空間の無限は有限の空間より推演し、あるいは抽象して得たる思想にして、畢竟するに空想である。換言すれば無限の空間は有限の思想を引き延ばして得たる空想に過ぎずとするか。しかるときは抽象推演の力、果たしてよく有限を進みて無限とすることを得るや、また空間の空想が何故に実際に符合するの結果をみるやの難問が起きてきます。道理上これをみるに有限を抽象して有限を得べき理なるも、無限を得る理、万々あるべからざるように考えます。もし一歩を譲りて有限を引き延ばして無限を得とするも、その空想が実際に照らして符合する理は決してなきはずであります。しかるに空間は実際上決してその限界を発見することあたわずして、ただ無限なるを知るのみであります。換言すれば空間は空想上の無限にあらずして実際上の無限であります。今一ツ空間に対する疑問は、もし空間の思想は果たして物質より得たりとせば、宇宙間より物質を払い去らばこれと同時に空間は消滅すべき理なるに、その実われわれはいかに目前の物質を破壊しあるいは移動し去るも、空間の上になんらの変動を生ぜざるのみならず、われわれは往々、宇宙無一物の境界を想像し得るも、空間そのものの思想は依然として滅せず、あるいは天地未開の前に物質の全く存せざる真空の世界を想出し得るも、到底空間をその世界より除くことはむずかしい。あるいはまた仮に宇宙を有限とみて、その界外には物質皆無なるべきを認むるも、空間なきを認むることはできない。すなわち我人は無物質の状態を考え得るも、無空間の状態を想出することは断じてできませぬ。これに反して物質中より空間に属する部分、すなわち長幅、方円等を除き去ると仮定するに、物質はたちどころにその存在を失うに相違ない。以上の諸例は、みな空間は物質より得たる思想にあらざる道理を証明するものであります。かように論じ詰めたらば唯物論者も閉口して逃げ道に苦しみ、雪隠往生を覚悟するか、さなければ心理学の手伝いを頼むより外に生きる道はありませぬ。ここにおいて感覚上の説明が起きてきます。

 かくだんだん唯物論を追い立てて感覚の門内に入れば、半分唯心論に降参させたと同様である。なぜなれば感覚は物質の領分でなく精神の持ち地であります。故に唯物論がこの地内へ入りきたらば、地主の精神に対して租税を払うべき義務あることを忘れてはなりませぬ。近来心理学者は、空間の思想はわが感覚上に地位的感覚と称して皮膚面に触れたる二個の刺激を同時に感別することを得るをもって、これより得たるものなりといいます。たとえば左右の手にて同時に一物の両端に触るれば、右手と左手とはわが感覚上に感ずるところ異なれば、その刺激は外物の異なりたる地位より得たるものにして、その間に多少の距離あることを知るは、空間の思想のよりて起こる大元であるといい、これより抽象し推演し引延して空間の存在を知るに至ったのであるといいます。しかるにここに疑わしきは、地位的感覚によりて同時に皮膚面の二点において異なりたる刺激を感ずるにしても、二種の刺激を知るまでにて、すこしもこれによりて空間を認めたるわけではありませぬ。もしかかる場合に空間の思想を胚胎すといわば、これ刺激そのものから得たるにあらずして、わが方すなわち精神の方より与えたるものであると考えます。もしまた外界に対しては、物質と物質との間においてわれわれ空間を認めるばかりでなく、空間の中に物質の散布して存するを見ることなれば、決して皮膚面の感覚だけより抽象して得る道理はありませぬ。なぜなればわれわれの実際上の経験に照らすに、物質の存在によりて空間の存在を知るにあらずして、空間の存在によりて物質の存在を認めております。言葉を換えて申さば、物質の特性たる延長そのものは空間の関係によりて成立し、空間を離れて認むることはできませぬ。以上の道理をよくよく考えてみれば、空間の思想はわれわれの皮膚面の感覚より得たりという一義は、うけ取り難い説であります。ましていわんや無限の空間に至りては、五尺の身体(からだ)の一局部より引き延ばして得たなどとは、少し狂気(きちがい)じみた話で、本気の沙汰とは思われませぬ。しかるにまた、ここに空間の恒有遍在にしてその思想は動かすことも除き去ることもできぬは、わが感覚上、時々刻々、空間の恒有にしてかつ遍在なることを経験せるより生じたるものである。すなわち外界において偶然なるものは偶然性の思想を作り、必然なるものは必然性の思想を生ずといえる規則に基づきて起こりたるものであると申しますが、これ前回に述べたる因果の原則と同じき道理に帰するものなれば、その不可なる理由はのちに感覚論、経験論を批評するときにあわせて論ずることにいたしましょう。

 ただ今、空間のことばかり説明して時間のことを略しましたから、ここに時間の実在は物質より生じたるものにあらざることを一言しなければなりませぬ。およそ時間は前念と後念と前後相続する状態にして、事物の変化には欠くべからざるものであります。いずれの変化も時間によりて現ぜざるはなく、もし時間を除き去らば変化そのものもたちどころに滅ずるはずなれば、物質の実在には欠くべからざるものと考えます。しかるに時間そのものは無限かつ遍在にして、物質と全くその性質も状態も異なるものなれば、物質の関係より得たる思想にあらず、また感覚上の経験より抽象したるものにあらざる理由は、空間につきて述べたる道理をもって証明することができるから、重ねて申すには及びませぬ。これを要するに、唯物論者が物質の存在に最も必要なる時間空間を説明せずして、世界万有はみな物質一元より生起すと立つるも、物質の外に時間空間が存する以上は、唯物一元と申すことはできず、もし時間空間も物質の関係より生じたるものとせんか。さすればただ今述べたるとおり、いろいろの不都合や困難が起こりてきて、とても腕の弱い唯物論の力にてはなにほどやせ我慢を出してみたところで、防ぎきることはできませぬ。しかるに普通の唯物論者は、時間空間の二は説明以外のものとして最初より論ぜず、つまりこれを不可知的とみなして、わが党の関(あずか)り知るところにあらずというようなる有様であります。物質の存在および変化の根本的形式となる時間空間を仮定して、そのなんたるを究めざるにおいては、世間より唯物論を呼びて浮島論と称するも、これに答うることあたわざるべしと考えます。これを要するに我人も物質も共に無限無辺なる時間空間の大海中に浮かび、あるいは生じあるいは滅し、あるいは来りあるいは去るも、時間空間は恒有遍在して生滅の変もなければ去来の化もなく、畢竟我人や物質の生滅を知り去来を認むるは、この時間空間の恒有遍在を標準とするものにして、あたかも両岸の動かざるに照らして水の流るるを判ずるがごとく、時間空間あるにあらずんば、ドウして万有の実在および変化を認識することができましょうか。故に余輩は時間空間は先在的実在にして物質にさきだちて存し、先天的知識にして経験にさきだちて知るものなりと信じております。しかるに唯物論者のごとき物質の浮島にすめる蛙や蟻の考えにては、物質そのものが時間空間の水面に漂える浮島なることが分かるはずはありませぬ。

       第一〇回 進化論

 これまで数回を重ねて唯物論の上に論評を下したるも、あるいは元素、あるいは星雲、あるいは変化の原力、あるいは万有の規律、あるいは時間空間の関係につきて、唯物論の説明しあたわざる点を述べたるまでにて、生活、感覚、意識等の生理的および心理的現象の起源につきては、いまだ一言の批評を与えたることがありませぬ。しかしてこれらの点も唯物論の難問にして、無機物質もしくは元素よりいかにして生活や感覚や意識が生じきたりしや、唯物論者は物質の外に精神なしと立つる以上は、必ず十分なる答弁を考えなければなりませぬ。もしその答弁が曖昧にして判明せざるにおいては、唯物論そのものが倒るるほどの一大事であります。さてこの問題につきては、近世進化論の発明あるまでは説明の道立たざるために、唯物論が哲学上に勢力を占めることあたわずして、萎微振るわざる有様でありましたが、進化論ひとたび起こりて哲学に採用せらるるに至り、唯物論はあたかも地獄にて仏に遇うたるがごとく九死中に一生を得、ほとんど蘇生の心地にて、これを歓迎するようになりました。わが国の俗論派は、二〇〇年以前の経験論や感覚論を金科玉条として愛重するにもかかわらず、進化論だけはこの世紀すなわち第一九世紀の新説なるにこれを採用して論ずるは、いささか感服の一語を呈してよろしい。余はここに左の段取りを設けて逐次駁撃を加うる心得であります。

  一、進化論の原理

  二、進化論の応用

 しかしてその原理とは、生物学上における進化の理論をいうにあらずして、哲学上に唯物論者の唱導せるものを指すつもりであり、また応用とは進化論の原理を道徳上に応用して自利説を立つる点を申す考えであります。

 進化論が事実、実験に基づきて確実なる学説をわれわれに授けたることは、余輩も疑わざるところなれども、これを生物学もしくは有形学の範囲にとどめずして哲学上に及ぼし、心理も社会も道徳も宗教も、みな進化の一本鎗をもって取り扱わるるに至りたるは、余輩の賛成せざるところであります。もっとも哲学の範囲にて進化論の当てはまるところはたくさんあれども、この論をもって哲学の原理と立つるに至りては、あたかも西洋の道徳をそのまま持ちきたりて日本の道徳を定めんとするがごとく、無理もまたはなはだしと言わなければなりませぬ。もしかくのごとき無理なる当てはめをなすときは、一方には仮定憶断、もしくは牽強付会(こじつけ)ごまかしができて、折角立派にこしらえ上げたる進化論の面(かお)に泥を塗るようになり、他方には応用を誤りて社会の道徳を乱し、国民の品行を傷つけ、世に進化論より恐ろしきものなしとして嫌わるるようになると考えます。今まず進化の原理につきて仮定憶断の点を挙ぐれば、進化論は進化の起点と進化の終局とを説明せず、また進化の原力を証明せずして、これらの点は最初より仮定の上で立論いたしております。すでに進化がある以上はその起源があるはずにて、星雲の世界より進化を始めたとすれば、その星雲の中にいかなる原因、いかなるしかけがありて進化作用を起こしたか、またすでに進化が始まった以上はその終局のあるはずにて、将来幾億万劫の末にはいかなる状態に帰して終わるものか、またすでに進化作用が進行しつつあるには、これをして進行せしむる原動力あるべきはずにて、その力は果たしてなにものなるか等の問題は、ぜひとも説明を要するにもかかわらず、余輩はいまだ唯物論者よりも、また進化論者よりも満足を表するような回答を得ませぬ。畢竟するに今日の進化論者はこれらの問題に対しては、さきに余が唯物論につきて申したるとおり、不可知的にして人智の及ぶところにあらず、もしくは今日の実験のいまだ究めざるところなれば、他日に至りて答うべしと説きて、責任を免るる工夫ばかりいたしております。案外進化論者も狡猾ではありませぬか。よしこれらの点は他日に至りて明白になると想像するも、そのいまだ明白にならざる今日にありては、進化論はその起点とその終局とその中間の原力とを仮定したる浮島説と申さなければなりませぬ。かつまた進化論は、そのみるところ世界の表面上の観察に過ぎずして、その実体までを究めたるものとは申し難い。なぜなれば進化は変遷変化の現象上に存する規則にして、その現象は世界の表面にあらわれたる状態であります。これをたとうるに、海面にあらわるる千態万状の波紋のごときものにして、世界の実体につきて申すのではありませぬ。もしその実体に至りては物質不滅、勢力恒有の体なれば、進化することもなく、退化することもなく一切の変化も変遷もなきはずであります。たとえば海水に波紋の変化を示すも、海水そのものの体は依然として変化なきと同じ道理であると考えます。果たしてしからば、進化論をもって世界の原理とし、哲学の根本とすることは決してできることではありませぬ。もし唯物論者がこの論をもって世界および哲学の原理根本となさんと欲せば、これすこぶる冒険のはなはだしきものにして、富士絶頂に冬しのぎを試むるよりはなお難く、結局(つまり)大失敗となりて終わるに相違ありませぬ。

 元来進化論は生物の起源を究めて、植物と動物とその源を一にし、動物と人類とまたその祖を同じうすることを示したるは余輩も感服するところにして、いささかその労を謝せんと欲するところであります。また宇宙の進化を説きて有機は無機より化生すと断ずるがごときは、今日なお異論をさしはさむものあるにもかかわらず、余輩また賛成の意を表せんとするところであります。ただ惜しむところはこれらの学説が表面の立論にとどまり、根本まで窮め尽くさざる一条であると考えます。それ故に世界の大進化は無機物質の変形変体にして、生活も感覚も意識もみなその分化派生なりとし、無意識より意識を生じ、無感覚より感覚を生じ、無生活より生活を生じたるがごとく論じきたり、ついに進化論と唯物論と相合して、唯物的進化論もしくは進化的唯物論となりますが、この点は余輩の一致することあたわざる論にして、水は火より生じ、黄金は鉄より生じ、砂糖は塩より生ずというがごとき議論であります。なぜなれば本来意識も精神も生活もなきところよりこれを生ずとすれば、これ取りも直さず、無より有を生じ、因なきに果を生ずというに同じく、実に不都合の論理と考えます。余輩は必ずしも意識と無意識とを同一となすことをとがむるのではなく、すでに実際上意識は変じて無意識となり、無意識は変じて意識となる事実ある以上は、この二者その根本一なるべき道理と考えます。これと同じく無機と有機とを較するに地球の歴史上最初には無機のみありて有機なく、ようやく有機をみるに至るも、最初は最下等の有機を現じ、次第に進みて高等の生物を現ずる実跡につきて論ずれば、生活と無生活とその源を一にし、精神と無精神とその本を同じうせりと断定してよろしい。しかれども、本来生活も精神も意識も全く存せざる純然たる死物的無機物質もしくは無機元素より、これらの現象を産出せりとなすに至りては、余輩の決してとらざるところであります。畢竟するに今日の唯物論者も進化論者も皮相の浅見をもって憶断を下すから、かくのごとき非論理の結論を引き起こすに至るに相違ありませぬ。もし以上の事実を論理の正則に従って解するときは、唯物的進化論者のいわゆる原始の無機物質は表面に死物的現象を示すも、その内包には生活も精神も意識もことごとく具備せるものとなるべき道理であります。言葉を換えて申さば、表面(おもて)に無機を示し、内包(うち)に有機を具うる原体が、開発して有機、無機の二種と分かれ、表面に無精神を示し、内包に精神を具うる一物が、開発して植物動物の二類に分かれ、表面に無意識を示し、内包に意識を具うる一体が、開発して生物人類の二界に分かるるに至るということになります。もしかくのごとく論じきたらば、太古の星雲の中にはあらゆる無機も有機も植物も動物も人類も具備し、表面は死物なるもその実、一大活物といわなければなりませぬ。今これを一個の草木にたとうるに、最初地中に埋めたる一粒の種実すなわち種子(たね)が、次第に発育分化して茎を生じ幹を生じ枝を生じ葉を生じ花を開き実を結ぶとするに、その茎幹もその枝葉もその花実も、決して発育の途中においてにわかに外より入りきたりたるにあらずして、その種子の中に本来具存せるものがようやく開発して茎幹枝葉を分化するに至るがごとく、太初の星雲中に具存せる生活や精神や意識が、ようやく開発して動植人類を分化したりしは、小学児童といえども決して疑いますまい。たとえ星雲中にその有様が見えておらぬとするも、種子中に枝葉花実が見えぬと同じ道理であります。なおその論のつまびらかなる説明は、のちに至りて述ぶるつもりなればここに略しておきます。これを要するに、唯物論も進化論も共に皮膚の見解をもって自ら安んじ、非論理的論断を下して、死物的物質より世界万有が進化派生せりとなすがごときは、その見識の菲薄なる吉野紙の薄きよりもなお薄しとして笑わざるを得ざる次第ではありませぬか。これすなわち進化論の原理の不確実にして浮島たるゆえんであります。

       第一一回 自利論 一

 すでに進化論の原理を評し終わりたれば、これよりその応用を論ずる場合になりました。その応用はいろいろあるうち、もっぱら道徳宗教の上に及ぼせる点を駁するつもりである。そのわけは余の目的が神儒仏三道を拡張するにありて、この三道は道徳宗教に関するものなる故であります。すなわち俗論派が進化論の優勝劣敗、適者生存の規則に基づき、自利説を立てて利他説を排し、後天論を取りて先天論を斥し、もって神儒仏三道の所立に反対する点を痛論して、大いにその非を天下に鳴らすつもりであります。今その順序は初めに俗論派の道徳に対する立論を駁し、つぎに宗教に対する意見を駁することにいたしましょう。まず俗論派がとるところの社会進化説に従い、社会は人類の生存競争の必要上成来したるものにして、最初より社会を結成せるにあらず、また道徳は社会結成の後に起こりたるものにして、その初めは自利これ道徳なりとの説は、確実なるものと許してこれを考うるに社会結成以前に道徳なし、最初は自利のみありて利他なしとの理は、決して解すべからざる妄論であります。すでに今日においては現に道徳の行わるるあり、またその道徳は利他を善とし自利を悪とすることありとすれば、必ずその原因は人類のいまだ社会を成さざるときにありて存せざるべからざる道理であります。余がかつて進化論者に聞くところによれば、人類の初めて動物界より進化して今日に至るまでの歳月は、非常に久遠なるものなれども、その年月を短縮して進化の順序を示したるものは我人の一生である。この一生は実に久遠の年月間における進化の縮写なれば、人類進化の順序を知らんと欲せば、母胎に宿りし当時より漸々生育して大人となる経過につきてみるがよろしい。換言すれば、我人の一生は人類進化の標本であるということであります。なるほど生物の原始より系統連続して今日に及ぼせる我人の一生なれば、奕世進化の順序を遺伝してこの一身に具するは必然の道理と考えます。果たしてしからば、我人の生育の初期をみて、動物時代および野蛮時代における人類進化の景況一斑を知ることができます。かくして我人の初期をみるに自利を知るのみにて利他を知らず、己の欲を満たすことのみこれつとめ、他人に譲り他人を恵むがごとき利他の行為あるをみざるは、わが祖先の野蛮時代における状態なるに相違ない。この点よりみるも、社会進化の初期には自利のみありて利他なきを知ることができます。故に自利をもって道徳の起源となすは、争うべからざる事実であります。しかるに利他を知らざる自利一方の小児が、種々の経験を重ぬるに従い、ようやく利他心を開発し、利他の行為を現ずるに至るは、あたかも社会進化の後における人類の状態と同じことであります。これにおいて余は一問題を提出いたします。すなわち我人の幼時は自利のみにしてようやく長じて利他を生ずるは、自利のその形を変じたるものなるか、あるいは幼時の自利心中に別に利他の本心を胚胎せしによるか、俗論者はこの二者いずれを取るであろうか。彼必ず長時の利他は幼時の自利の変形なりというでありましょうけれども、これ全く事実に反する妄断であります。なぜなれば人類は禽獣と異にして、その幼時すでに自利心中に利他を具し、教育経験によりて次第にその内包の利他心を外発するに至るも、禽獣はいかなる教育経験を与うるも、その天性に利他心の外発すべき状態を具せざれば、これを開発することができませぬ。もしこの例を社会進化の初期に移して考うれば、当時の自利心中にすでに利他心を胚胎することが分かります。すなわちその自利は純然たる自利にあらずして利他内包の自利であります。更にこの理を推して社会未結成の太古にさかのぼれば、当時いまだ道徳なきにもかかわらず、社会結成ののち道徳の開発をみる以上は、その無道徳中に道徳を胚胎せしに相違ない。換言すればその無道徳は純然たる無道徳にあらずして、道徳内包の無道徳なるに間違いありませぬ。更に他の例をもって比するに、人類は初めて生まれたるときにありては禽獣と同じく無智的動物なるも、これを教育すればだれにても、小学もしくは中学程度の知識を有することを得るも、犬や猫に至りてはなにほど教育経験を重ぬるも、あるいはいかなる必要や事情が内外よりこれを誘(いざな)うも、なんらの知識を開発することができませぬ。これ禽獣には内包の知識なく、よしその知識存するも、これを開発すべき状態を具せずして、人類には内包の知識あり、かつこれを開発し得る状態を具するからであります。もしまた草木の例を引きてこれをたとうるに、自利の私心は枝葉に比し、利他の道徳心は花実に比するに、その生長の順序初めに枝葉ばかりを開展し、後に枝葉の末端において花実を発現するは、枝葉が変じて花実となるにあらず、その枝葉および最初の種子中に花実となるべき原形を胚胎せるに相違ありませぬ。これらの比喩(たとえ)に照らして考うるに、人類の初期の自利は利他内包の自利なること実に明らかであります。しかるに俗論者は、単に社会競争の必要より自利その形を変じて利他となると申すけれども、いかなる必要あるも、その体に内包せざるものの外発する理は決してありませぬ。たとえばここに郵便切手と登記印紙との二種ありとするに、郵便切手の方はその裏面にゴムのりがつけてあるから、必要の場合にはすぐにこれを紙に粘合することができるけれども、登記印紙はその裏にのりが付けてないから、いかなる必要に迫りてこれを用いたいと思うも、そのままにては紙に粘合することができない。これはドウいうわけと申せば、一方には本来粘合力を有し、他方はこれを有せざるからであります。これと同じく、人間と動物と最初おのおの互いに群をなしておりしが、社会団結の必要と共に利他共愛の必要は同様に存せしも、動物の方は本来その粘合力なく、いなこれあるもその力は至りて少なく、人間の方は粘合力に富めるをもって、人間ひとり利他共愛の情と共に社会の発達をみるようになりたるに相違ありませぬ。しかるに俗論派は、必ずこれに対してそのいわゆる利他は自利の変形に過ぎぬといいましょう。余思うに、これを自利の変形と立つるもすこしも差し支えない。たとえ自利の変形でも、もし本来自利そのものが利他に変じ得る性を有せざるにおいては、必要に応じて利他をあらわす道理はありませぬ。あたかも土砂を変じて金銀となすことのできぬと同じわけでありて、もし変じ得たるならば、土砂そのものの中に金銀に変ずべき性質を最初より具せりと考えなければなりませぬ。とにかく人類発達の初期にありてわれわれの有する自利心中に利他の傾向を有することは、決して打ち消せぬ事実とみてよろしい。ここに余は俗論派が了解しやすいように、単に利他というを改めて殊更に利他の傾向といいます。今更にその理を敷衍すれば、たとえ優勝劣敗、生存競争がいかに激しくありても、ただ外部の必要や刺激ばかりで自利か利他に変形するはずなく、すでに変形したとすれば、最初より利他の傾向を有したるに相違なしと断定するは、もとより論理の許すところであります。もし外部の事情ばかりで内部の傾向なしとすれば、動物と人類とのよりて分かれし原因を説明することができますまい。すなわち人類も動物も外部の事情は同一なれば、そのよりて分かるる原因は内にこの傾向を有する度の多少強弱に帰するより外はありませぬ。今また手近き一例を引かんに、ここに二人ありて最初は共に酒を嫌うことはなはだしく、一杯も傾けることができぬとするに交際上の必要よりやむをえず、両人同時に無理に酒をのむことを試みたるに、甲の方は数年の後に人並みの酒のみとなりしも、乙の方は依然としてもとのごとく酒は百毒の苦きよりもなお苦く感じておりました。しかるときは世間は必ずこれを評して、甲の方は最初より好酒の傾向を有し、乙の方はこれを有せずと申すに相違ない。この一例に考えても、人類には最初より利他共愛の傾向を有せることは分かりましょう。この傾向がようやく発達して純然たる道徳をあらわすに至りしものなれば、道徳は人類の先天性と申して差し支えありませぬ。かくしてこの先天の本性を進長し、かつこれを拡充するが実に道徳教育の目的であります。儒教のいわゆる良知良能も仏教のいわゆる悉有仏性も、みなこの本性に与うる名目と申してよろしい。しかるを自利の外に道徳はなく、利他は先天にあらず、儒仏の道徳説は古代の陳腐論である等と声高く呼び上ぐるものあらば、全くの俗人なら許すべきも、学者としては皮相の浅見もまたはなはだしといわなければなりませぬ。

       第一二回 自利論 二

 この道徳論の批評は、大いに国民の道徳教育に関係ある重大のことなれば、今しばらく説明を続けるつもりであります。人類進化の初期に道徳の本心あることは、さきに今日のわれわれの幼時につきて知ることを得ると申しましたが、俗論者は必ずこれに対して、われわれの幼時は父祖の道徳心を遺伝しておるから先天性として有するも、太古の人類はその遺伝性を有せざるものなれば、先天の道徳を有するはずなしと答うるに相違ありますまい。しかし、われわれ一人の上に考うるも、人類全体の上に考うるも、道理は同じことでありて、われわれを教育すれば道徳心を開発するのは、幼時に父祖の遺伝として先天の道徳心を胚胎するによるといわば、人類進化の途中ある点に至りて外部の刺激もしくは経験によりて道徳心を開発し得たるは、やはり進化の初期より先天の道徳心を胚胎せるによるとして解釈するが当然と考えます。なぜなればさきにも述べたるがごとく、我人の一代は幾億万年の長き間の進化を短縮したる標本なれば、一代の発達を考えて太古の道徳いかんを判知するを得る道理であります。その他、今日の道徳心を父祖の遺伝として漸次に太古にさかのぼりて考うるも、同じ結果を得るようになります。たとえばわれわれの道徳心は父母の遺伝と自己の経験、すなわち順応と相合してできると定め、更に遺伝の根源を考えきたらば、我人の遺伝は父母の生時の遺伝と一代の順応との相合したるものなることを知り、父母の遺伝はまたその前代の遺伝と順応との和にして、その遺伝はまたその前の遺伝と順応との和となり、その根本は無数代の太古にあることになります。故にもし果たして今日の遺伝性中に道徳の本心胚胎して存すと知れば、幾億万歳の昔すなわち無数代の太古の遺伝性中に、すでにその本心のいくぶんを胚胎しておる道理であります。すなわちその算式は左のごとし。

          (遺伝+順応)×無数代=遺伝×無数代+順応×無数代

 今日の遺伝は無数代の遺伝順応の総和なる以上は、今日の道徳の遺伝性のいくぶんは無数代の太古の遺伝中に胚胎しておるべきは、数理に照らして疑われぬ次第であります。もし遺伝を元金にたとえ順応を利息にたとえてみれば一層分かりやすい。なにほど無数代の太古にさかのぼるも、まるで元金のないものに利息の付きてくるはずはない。さすれば今日の道徳心は、無数代の利息によりて増殖したりと考うるも、無数代の太古にいかに些少なりとも道徳の元金がありしことは打ち消されませぬ。もしこれを俗論者のように解すれば、最初全く元金のないところへ途中から利息が殖えてきた論法でありて、かかる論法が真実ならば、われわれのごとき無財産の貧乏人に利息がズンズン殖えてきて知らぬ間に金持ちになるはずでありますが、世の中はソウいううまい都合にはまいりませぬ。諺にも「元手なしでは商法はできぬ」といい、また「まかぬ種は生えぬ」と申します。ナント諸君もし俗論者の方に元金なくして利息の殖える秘法あらば、聞かせてもらいたいではありませぬか。これを要するに、われわれの道徳心は無始以来先天に存するものなることは明瞭であると考えます。

 余はかく断言するも、無始以来先天に存する道徳心は、道徳の形式もしくは傾向と名付くべきものにして、いまだ道徳の完体ではありませぬ。この形式を満たすところの材料ができて始めて道徳の完体をみることになります。今仮にその形式を原形と名付け、その材料を実質と名付けておきましょう。

          原形+実質=道徳

 この原形は先天にして、実質は経験よりきたると考えてよろしい。これを草木にたとうるに一個の種子中には枝葉花実をなすゆえんの原形存するも、いまだその実質を得ざるをもって草木の完体を示すに至らず、ようやく外界より肥料養分を得てその原形を充実し、もって一個の草木を完成するに至ります。道徳の発育もこれと同じ道理にて、遺伝の原形と順応の実質と相待ちて道徳そのものが発達する次第であります。しかしてその原形は父祖数代の遺伝順応の力によりて進長いな展開せらるるにもかかわらず、無始の昔、無数代の太古にありてすでに先天的に存することは疑いありませぬ。俗論派はみだりに道徳の変遷あるいは異同を唱うるも、その古今における変遷もしくは東西における異同は、道徳の実質をみて評するまでにて、一定不変の原形もしくは原形中の原形の太古以来存するを知らざる浅見であります。たとえばさきにいわゆる利他の傾向もしくは進善の性力は、人類進化の初期より我人の心中に胚胎して存するに相違ない。この道理をみる力のなき学者はいかに学問の幅が広くても、諺のいわゆる見掛けだおしにて浅薄なる俗論者と申さなければなりませぬ。

 この論点は神儒仏三道の冤罪を訴うるに最も大切の点なれば、今しばらく話さなければなりませぬ。さて俗論派がしきりに自利、自利とはやし立てるも、よく自利を解剖してみれば、自利すなわち利他なることがすぐに分かります。余が所見をもってすれば、自利といえば一切自利、利他といえば一切利他なるわけにて、俗論派が自利の外に利他なしといえば、余はこれと同時に利他の外に自利なしということができると考えます。たとえば自利の方面よりみれば、国家を愛し社会を利するも、やはり自利の区域の大なるまでにて、己の国家は他の国家に選んでこれを愛し、世界人類は己の同類なるわけをもって禽獣にえらんでこれを利し、世界主義も宇宙主義もみな自利の範囲を出でざるものとなります。これに反して利他の方面よりみれば、己の一身を愛し一家を愛するもみな利他であります。なんとなれば己すなわち自己というはわが身体を指すことなるも、これを解剖すれば精神と肉体との二ツに分かれ、肉体の方は外界の物質より成るものなれば、強いて精神と肉体との間に自他を分かたば、精神の方は自中の自にして、肉体の方は自中の他となりましょう。しかし俗論派は唯物主義をとりて肉体の外に精神なしという論なれば、必ず精神の方を自中の自と立つることは許しますまい。さすれば肉体上につきて脳髄は自中の自にして、手足、胸腹等は自中の他と申してよろしい。しからば人にして己の手足、胸腹等を愛するは利他の始めにして道徳の出立点であります。もし己の身体を離れたる衣服、食物、住家等の所属物を愛するがごときは、利他の一歩外へ向かって進みたるものであり、父母、夫婦、兄弟、子孫および親戚を愛するは、更に一歩を世間に向かって進めたるものであります。

  (一) 自中の自………精神もしくは脳髄

  (二) 自中の他………肉体(手足、胸腹等)および所属物

  (三) 他中の自………家族および親戚

  (四) 他中の他………他人

 およそ利他は右の順序により己に近きものより遠きに及ぼすものなれば、人の己の自体を愛するは実に利他の起点にして、自利即利他と申してよろしい。果たしてしからば、俗論派のいわゆる自利の進化は取りも直さず利他の進化にして、先天的固有の利他の傾向、すなわち進善の性力の次第に進長開発するものであります。この方針をとりて道徳を講じたるがすなわち東洋の倫理なるに、その理を知らずしてみだりに利他を排し、自利これ真理などと唱うるにおいては、これを学者中の俗論と呼ばずしてなんと名付けましょうか。

 ここに道徳論を結ぶに当たり、俗論派が毎度自利の証拠として持ち出す一例を挙げて駁するつもりであります。その例は孺子のまさに井戸に陥らんとするを見て、だれも同憐の情を動かさざるものなきは、心理学のいわゆる連想の規則によりて己がまさしくその場合に掛かりたるがごとくに考え、これを見るに忍びざる情を起こし、その苦を除くために出でて孺子を助くるのである。すなわち己の苦を除くためなれば、利他にあらずして自利なりと申します。余輩もかかる場合には連想によりて同憐の情を引き起こすに相違ないと考うれども、これと同時に連想の外に先天的利他の本心が内に起こりて内刺激を与うることと信じます。もし連想ばかりの力ならばさほど己を忘れて人を助くるまでにその情の強くなるはずはない。もっとも連想はもし極点に達すれば、まさしく実際の境遇に接するがごとく感ずるものなれども、かくのごとき場合は至ってまれなることであります。たとえば好酒家が他人の杯を傾くるを見て、連想上多少己がまさしく傾くるように感じても、実際自ら味わいたるように快楽を覚ゆるものではありませぬ。またかかる場合に道徳心の加わる証拠は、小児は無我無邪気のものなれば、だれの子たるを問わず、その陥らんとするを救う気になるも、もし大人にして悪事のためにかかる危難にかかる場合と、善事のためにかかる危難にかかる場合とは、我人の同憐の情を起こす度の上に大いに強弱の不同があります。もし危難の連想は同一にして善悪の感情同じからざるために、同憐の情の上に不同をみるは、道徳心の加わる証拠とみてよろしい。もしあるいはその一時の場合は全く連想の影響とするも、もし不幸にしてこれを救うのいとまなく、空しく非命の死を遂げしめたるときは、そののち大いに気の毒に思い、永く心中に不快を感ずるはいかん。これ連想の余響として解すべきか。余は決してしからずと考えます。要するに我人に先天性の道徳心ある以上は、かかる場合に内刺激となりて心内に起こり、一時の後もなお相続して憫然の情に堪えざることと信じます。しかしてその当時の連想は一時の外刺激となりて、この先天の本心を喚起(よびおこ)すの誘因となりたるに過ぎませぬ。もし先天心の有無のごときは、前に論明せる点につきてみるがよろしい。以上の論点を照合しきたらば、諸君にも俗論派の道徳論の間違っておることは大抵分かるでありましょう。

       第一三回 宗教論

 道徳論のつぎには宗教論の批評をいたす約束でありましたから、ここに俗論派の進化論の応用いな誤用の一として、宗教に対する謬見の一、二を挙げて示す心得であります。俗論派はいずれも宗教を評して愚民の玩弄物とか社会の厄介物とか言い振らし、なかんずく僧侶に与うる批評のごときは、悪口の博覧会を開いたようにいろいろの悪口を陳列いたしまするが、僧侶と宗教とは別物なれば、決して同一視することはできませぬ。よりて余輩はあえて僧侶の弁護士となりて冤罪を訴うるのでなく、東洋の宗教を代表して、その説を古着同様に考えて二束三文視するは、妄評なるゆえんを述べて、もって俗論派と一大論戦を開かんとするものなれば、ここにいささか宗教の誤解を弁明するの必要を感じました。そもそも現今行わるるところの神道や仏教やヤソ教等は、宗教なるに相違なきも、宗教中の二、三の種類なれば、その外になおいろいろの宗教あるべきはずにて、これを既往に考えていまだ世に出でざるような新奇の宗教、あるいは従来の宗教に一大改良を加えたる新宗教が、将来起こるようになるは疑いありませぬ。しかるに俗論派の宗教を排するは、現今の世界に最も勢力ある仏教やヤソ教に限り、この外に宗教なきように思い、あるいは現今の宗教はこの上に進歩発達せざるように考うるは謬見の一であります。また世に宗教の起こるは祖師、開山、教主の力にあらずして、われわれの心中にいわゆる宗教心なる一種の心意ありて呼び起こしたるものにして、祖師開山の説に賛同するもこの心が内より迎うるものなるに、その原因を探らずしてただ一口に祖師開山の製造せるもののように考え、人の宗教心は外から無理に注入して起こるように思うは、また浅見の一であります。その他、自ら宗教のなんたるを知らずして、かれこれと宗教の上にくちばしを入るるは、あたかも盲人が芝居を評すると同じく、これこそ世にいうところの盲評と申すものでありましょう。実に世に盲評連の多いのには驚くばかりであります。

 かくのごとく話の前置詞を設けて、これより進化論者が宗教は蛮人の恐怖心より起こるといえる盲説は、だいぶん俗論派中に崇拝するものがあるようなれば、第一番にこれを駁しましょう。なるほど事実につきて詮議してみれば、いろいろの天災や人災の恐怖が宗教心を誘い起こすの外縁となりたるに相違なきも、宗教そのものがこれによりてできたわけではありませぬ。およそ宗教は人心中に不可思議の実在を想出し、これに依憑して安心せんとするより起こりております。たとえばいずれの国にても大抵、上古一般の宗教として天体なかんずく太陽を崇拝いたしまするも、これ決して太陽を恐れて起こりたるではなく、その当時の人智にては太陽のなんたるを知ることはできず、これを仰ぎてなんとなく不思議の観念が浮かび、神妙不測の一体と考えたに相違ない。つきてはその上に依頼して安心しようとの念より崇拝することが起こりました。今われわれの精神の方向を考うるに、有限に向かって働く方と無限に向かって働く方との二とおりあることが分かります。ここに前者を有限性と名付け、後者を無限性と名付けましょう。一般の学術思想は大抵みな有限性に基づき、ひとり純正哲学と宗教とは無限性に基づきます。無限性とは有限可知的の範囲をもって満足せずして、常にその外に超出せんと欲する本心にして、近来その名をあるいは理性あるいは理想と申します。これに反して有限性の方は、無限に走る心を制して有限内に引きとどめんといたします。この二ツはあたかも遠心力と求心力のようなもので、無限性を一名遠心性精神といい、有限性を一名求心性精神というてもよろしい。かくして地球はこの二力の関係によりてその軌道を運行し、精神はこの両性の関係によりてその作用を発現することなれば、地球と精神とは兄弟分のように性質に似ておるところがあります。すでにわれわれの心中にこの二性並存することを知らば、ただむやみに純正哲学や形而上学や宗教を無用の長物であるから廃すべし除くべしなどと申したとて、そのとおりに除くことも廃することもできるはずなきのみならず、その論たるや地球の求心力ばかりを存して遠心力を除き去るべしと祈ると同様であります。もし人に見るべき両眼あるのに、これに対して見ることは無用であるから、以後見ることをやめよと号令するは、古今の圧制中これよりはなはだしき無方の命令はあるまいと考えます。これと同じく俗論派が宗教を信ずるなかれ、純正哲学や形而上学はことごとくみな廃止せよと命ずるは、目のあるものに見ることなかれと命ずるとおりの圧制であります。もしこれを実行せんと思わば、まず初めに世界中の人類の目をことごとく打ち砕きて、盲人を作り、しかしてのちその命令が行わるるごとく、まず初めに人心中の無限性をことごとくみな根本から取り払い、無限性を欠きたる盲人を作りて、しかしてのち宗教や純正哲学に退去を命ずるがよろしい。俗論派の連中にはよくこれを実行する力あるか。もしこの力を具するにおいては、神様より二、三段も上手の人物なれば、余輩これに対して拍手(かしわで)を百も二百も打ちて礼拝いたすつもりであります。しかるに宗教や哲学の根本心をそのままにしておきて、これをして人間社会に再び生ぜざらしめんとするは、無理もまたはなはだしき次第ではありませぬか。あたかも草の根を絶たずしてその枯れんことを祈り、病の因を除かずしてその去らんことを願うと同様であります。かく申したならば俗論派は必ずこれに答えて、そのような無限性は人間の心中に存せず、その証拠は己などは人間に相違なきも、その性あるを認めずといいましょうが、すでに無限性は人間一般の通有性である以上は、ひとり俗論派が無限性を有せずと申したとて、その論は決して立ちますまい。しかし人間中には生来盲目の不具人もあるから、俗論派は無限性の盲人であるかも知れませぬ。かかる盲人があるとすれば、これをなんと名付けてよかろうか。これ一ツの問題であります。

 元来人間は宗教的動物にして、また哲学的動物であることは、その心中に先天性としてこの無限性を有する故でありますが、同じ無限性を根拠とするも、宗教と哲学とは無限性の方針が違っております。すなわち哲学は無限性智力によりて可知的より不可知的に及ぼすの方針をとり、宗教は無限性智力というよりは、むしろ無限性情力あるいは無限性意力によりて、不可知的より可知的に及ぼすの方針をとる異同があります。これに反して理学あるいは科学は有限性智力によりて可知的の範囲内にありて、既知より未知に及ぼすの方針をとります。それ故に同じく無限性なるも、哲学の無限性を理性と名付け、宗教の無限性を信性と名付けて区別を立つるがよろしい。しかるときは理学の有限性は悟性と名付けます。しかして余輩は宗教をもって純正哲学の直接の応用となす説なるか、かくのごときは到底ここに述べ尽くすことあたわざるをもって、これらの問題はすべて他日に譲り、ただここに宗教心の先天なることを一言して、進化論の妄説を破るだけにとどむる心得であります。

 およそ宗教の要素となすべきものは、客観上にありては不可知的の存在、主観上にありては無限性の精神と絶対的依憑の情と都合三とおりであるによりて、これが宗教の三ツ道具と申してよろしい。しかしてその結果は安心立命の一ツであります。そのうち第一の不可知的の存在は、余がさきに唯物論に対して四面めぐらすに不可知的をもってすと論じたるだけにても分かりきったることなれば、更に喋々する必要もなきように考えます。よりてここにもっぱら主観上の要素を論ずるに、無限性が先天なることは、われわれの知識の進歩につきて知ることを得、また世に哲学の起こりたるにつきても知ることができます。たとえばわが精神の傾向は既知をもって安んぜず、有限をもって満足せずして、遠く想像を四方へ馳せ、宇宙以内は愚か、宇宙以外にまで飛び越えて研究を施さんとし、ために知識も大いに発達し、哲学もいよいよ高尚なるに至りました。これ人類の進化に伴って、その内包せる無限性を開発せるものといわなければなりませぬ。つぎに依憑の情は宗教のいわゆる信仰にて、無限性作用にこの点が加わらざれば宗教とは成り難い。しかるに知るということと共に信ずるということは、だれびとにも存する資性にして、理学者でも哲学者でもその研究に伴って常に信ずることが離れませぬ。たとえば一学理を研究し終われば、その説の上に信仰を置き、他の学理を発見しきたれば、またその説の上に信仰を置くから、だれにも信仰心すなわち信性の存することは明らかであります。あるいは学問は疑念を友とし、信仰を敵とすと申すものもあるけれども、これを実際に考うるに研究の先払いは疑念にして、後抑えは信仰であります。さすれば信仰は人の資性としてだれにも具存せるに相違ありませぬ。ただ宗教はこれを無限性に当てはめて不可知的の上に置くから、余はこれを絶対的依憑の情と名付けましたが、これはただ人類共有の信性を無限性の上に移し、不可知的の上に転ずるまでのことなれば、また人類共同の資性と称して差し支えありませぬ。なおその事実の証明は比較宗教学等にて古今東西の人種に具有するところの宗教心に考えて論じてあれども、ここにいちいち事実を列するの余地なければ略します。しかしてその資性が果たして人類進化の初期にありて、先天的に固有せる理由(わけ)は、さきに先天性道徳につきて論じたるものに照らして知ることができます。とにかく進化論者が宗教はひとり外部の事情や刺激より起こり、決して先天的に人心中に存するものにあらずといいて、皮相の浅見を唱うるは、余が到底解することのできない妄説であります。かかる浅見を浅見と知らずに崇拝しておる連中のあるには、実に驚き入りたる次第ではありませぬか。しかし世間には不潔を不潔と知らずに清浄のものと信じて、しきりに賞味するものさえあります。その一例は菓子にして、世に清潔に見えて割合に不潔なるは食品、なかんずく菓子であると申し、下人の手足の垢が貴人の口に達し、此上(こよ)なき結構のものとして賞味せらるるは、菓子の媒介によるということを聞けば、一方の妄説を他方にて拝み上ぐるもあえてさほどに驚くには及びますまい。

第一四回 感覚論

 すでに俗論派のとるところの唯物論および進化論を破斥してここに至れば、感覚論と経験論とを一束(ひとつかね)にして批評を加うるつもりであります。感覚論はさきにも申したるとおり、唯物論の所轄にあらずして、唯心論の管内に属するはず。なぜなれば感覚そのものは物質と精神との間に位して、双方の取り次ぎをする役目なるも、すでに感覚といえば精神の部類であります。たとえて申さば精神の邸外より邸内に入るべき入口を守る門番のようなもので、精神所属の取り次ぎ役とみてよろしい。しかるを唯物論者は己ひとり立ちでは唯心論と争う力なきを知り、ひそかに唯心論の門番たる感覚論を己の方に雇い入れたるような次第なれば、やむをえず唯物論に合して感覚論を征伐するようになりました。まず話の前置きはそれまでにいたし、唯物論者のいわゆる物質を考うるに、これは全く眼、耳、鼻、舌、身の五官の感覚よりえがきあらわしたる現象であります。そのわけは物質の性質を分解するに色、声、香、味、触の五境より成りたること明らかにして、物質中より色境を除き、声境を除き、ないし触境を除き去らば、物質そのものはたちまち滅無に帰するに相違ありませぬ。しかしてこの五境は五官の感覚に属するものなれば、物質そのものは感覚より生ずと申してよろしい。これが唯物論一変して感覚論となるゆえんにして、更に一変すれば唯心論となるゆえんであります。今一つ感覚論の証拠を挙ぐれば、外界万象はわが感覚の性質、度量のいかんに応じて変現し、同じ人類仲間にても感覚の異なるに応じて外界の現象を異にすることは事実であります。その一例は色盲と名付くる一種の盲ありて、視神経の不完なるより七色をいちいち感ずることのできぬものが世間にたくさんあると申します。もし動物の上に考うれば、その覚官は格段に異なりおることなれば、その覚官にて認むる外界は、われわれ人間の外界とは全く異なることは問わずとも分かります。多くの動物中には目のなき獣類(けもの)も耳のなき動物もある代わりに、人間の及ばぬほどの感覚を持ちおるものもありて、動物学者に聞けばいろいろおもしろい例がたくさんありますが、通俗にても猫は暗中(やみよ)に物を見、犬は足跡を嗅ぎ分けるけれども、人間にはできぬと申します。もし動物学者の話によれば、蟻などは動物中にていたって小さい虫なれども、割合に智恵のある動物にて協力分業に類したることを始め、ずいぶん人を驚かすような働きをいたしておると申しますが、いずれ人間の外界と認むるものと、禽獣魚虫、各種(いろいろ)の動物の外界と認むるものとは、大いに相違しておることは事実であります。これらの点より推してみれば、外界万物はわが感覚より現れておると申してよろしい。それ故、古来感覚論が哲学界に起こりて一時勢力を得るに至りました。

 さてこの感覚論は唯心論の一種なるべきに、翻りて虚無論、懐疑論となり、もって大いに唯心論に反対するようになりました。元来感覚論は近世の経験主義より起こり、我人の知識はみな感覚上の経験より生ずといえる一問題が出て、感覚を離れて外界の事情を知ることあたわざると同時に、内界の智識思想も感覚を離れて最初より存するにあらず、感覚の外に物質の実在なきと同様に、感覚の外に精神の本体もなかるべしというがごとき懐疑論が起こりました。すなわち感覚の外に物もなければ心もなしと申す論にして、これを唯覚論と名付けてよろしい。今余はこれに対して感覚論は唯心論の一種なることを弁明する心得であります。すべて感覚するというはわが意識にて認むることにして、もし意識のこれを認めざるにおいては、われわれはなんらの感覚も覚えざるはず、すなわちここに一種の色ありと感ずるは、わが意識にて一種の色ありと知ることであります。しかして意識はわが精神の特性にして、感覚は意識の一部分なれば、感覚論はもとより唯心論に属する道理と考えます。しかるに感覚論者は、経験論者と共にわが精神の智識思想および論理の原則、真理の標準等みな感覚上の習慣あるいは連想より生じたるものと唱えますが、この点は東洋の哲学なかんずく神儒仏三道を再建するに、その門前に大磐石の横たわりおるがごとく、大邪魔物なれば、ぜひこれを打ち砕きて取り除かなければなりませぬ。

 まず第一に経験論者は人の生まるるや心内にはなんらの影も形もなく、あたかも白紙のごときものなるに、感覚上の経験よりようやく知識を生ずるに至ると申すけれども、もし人の初めて生ずるやその心は果たして純然たる白紙あるいは黒紙のごときものならば、感覚より入りきたりたる外物の影像を写し出すこともとどめおくこともできぬ道理であります。もしその影像が心面にあらわるる点より考うれば、白紙のごときにはあらずして明鏡のごとしといわなければならず、もしその影像が単にあらわるるばかりでなく、その中にとどまる点より考うれば、明鏡ではなく、写真に用うるガラス板のごとく薬品の塗り付けてあるものとして考えなければなりませぬ。とにかく精神の方に外物の影像をとどめ置く力は、生まれながら先天的に備えてあるに相違ない。この力までが決して経験よりきたる道理はありませぬ。また感覚が外界の一物を感ずるに、五官中、目は色を感じ、手は形を感ずるがごとくに、各性質を別々に感ずるものなれば、これをわが心にて一物として認むるには、その諸感を結び付ける作用(はたらき)が入りますが、これ決して経験よりきたる道理なければ、必ずわが心に生まれながら備わりておるに相違ないと考えます。またかくして経験より得たる一物一物の影像もしくは観念は、我人のいわゆる知識となるには、適宜に結合し整列しなければなりませぬが、かかる整列結合の作用はまた経験より入りきたるはずなし、必ず精神中に生まれながら具存しておるに相違ない。たとえばここに一小屋あるに、その体、柱一本、石二〇個、板五〇枚、瓦一〇〇枚より成るとするも、これらの石、瓦、柱、板を集めたるばかりで一家ができるはずなく、必ずこれを適当の位置に配して構造する作用を加うるを要するがごとく、その石、瓦等の材料は感覚より得るとするも、これを構成する力は本来固有せるものでなければなりませぬ。もしまた今一例を挙ぐれば、いろは四七文字は生滅無常の意味を備えたる一種の歌なるも、四七個のかながみだりに集まりたるも、かかる意味のある歌のできるはずなく、必ずそのかなを都合よく配置する人がありて、始めて一種の歌があらわるるがごとく、感覚にて集めたる材料ばかりで知識のできるはずなく、これを都合よく組み立つる作用が内より加わりて、始めて知識そのものができる道理であります。すべて我人が感覚が経験より得るところのものは、知識思想の材料だけにて、これを結合構成する力はみなわが心に固有せる先天的能力なるに相違ありませぬ。これをたとうるに、わが心はいろいろ知識の機械をそなえてある製造場のごとく、その材料が外より入りきたるも、これを種々様々に組み合わせ織り上げて、金爛やどんすのごとき貴重の知識的物産を作り出す働きは、全く精神の製造場内より加えたるものであります。

 また感覚論者あるいは懐疑論者は、わが思想はすべて習慣連想の作用にてできたものであると申すけれども、これ大いなる誤りである。まず習慣とは経験反復数回にわたれば、おのずから習慣性をなすに至るをいい、連想とは一の感覚あるいは観念が他の観念と連合することをいいますが、これらの作用は決して感覚上の経験よりきたるはずはありませぬ。第一に連合作用そのものはわが心内の作用なることは、今まで述べきたりたる道理にてすでに分かりましょう。また反復したる経験が固結して習慣性をなすにも、これをして固結せしむる力は、必ず心内に存するはずであります。もし、わが心にて時を異にして反復せる経験をいちいち記憶し、かつ前後の記憶を結合することなければ、決して習慣性の起こるはずなきは申すまでもありませぬ。しかるにこの習慣性や連想作用によりてあらゆる思想が生ずというに至りては、実にその無方の大言に驚くばかりであります。もっとも感覚論者はわれわれの連想作用によりて個々の観念を連合し、これを抽象概括して目前に現見せざる思想を得るに至ると申しますけれども、そのいわゆる抽象概括とはなにごとぞ。これまたわが精神固有の作用ではありませぬか。わが心内に蓄積せる種々の記憶や観念をあるいは分解しあるいは総合しあるいは比較しあるいは彙類するがごときは、みな決して経験の結果にあらずして先天的精神作用であります。しかのみならず経験そのものが先天的精神作用を待つにあらざれば、決して施すことができませぬ。たとえば経験そのものは野外の田畑にある麦や稲を刈り取るようなもので、その麦、稲は外界に存する事物として考え、これを刈り取る器械および農夫(ひゃくしょう)の働きは、心内に固有せる作用として考うれば、その関係がよく分かりましょう。また感覚論者および経験論者は我人の有する無形の思想はみな有形より想像し、あるいは抽象しあるいは引き延ばしたる結果に過ぎぬと申すけれども、そのいわゆる想像することも抽象することも引き延ばすことも、みな感覚上の経験より入りきたるはずなければ、もとより先天的作用であります。今仮に麦粉よりうどんを製するにたとうるに、その粉は外界より取り入るるも、これを固めこれを引き延ばしてうどんとなす力は、内より加うるを要するがごとく、引き延ばす働きそのものまでが経験より入りきたるはずはありませぬ。かつまた想像作用においてこれまで経験せる事物の影像をいろいろに取捨伸縮して、いまだかつて見聞せざるものを想出せるがごときも、その取捨伸縮する作用を内より加えなければならぬは申すまでもなく、その想像を現在界より未来界に移し、可知的より不可知的に転じ、宇宙以内より以外に馳せて、詩人的あるいは宗教的想像をえがきあらわすも、我人の先天的無限性の刺激が内より加わるにあらざれば、決してできる道理はありませぬ。これに準じてすべて抽象概括によりて絶対無限の思想を浮かぶる作用も、同じく先天性なるゆえんを知ることができます。今左に数学の表を掲げて経験より得るものと先天に存するのとを示しましょう。

       (イ) 2+3=5   (ロ) 甲+乙=丙

       (ハ) 2×3=6   (ニ) 甲×無限=無限

 この表中経験上外界より得るものは、イ図においては2と3と5との三数にして、2に3を加える作用はもちろん、かく加えたる数が5の数に同じと認むる作用までが、みなわが心内より与えたるものであります。ロ図もこれと同じくハ図の2に3を乗ずるも同様、ニ図に至りては甲数に無限を乗ずることとその結果が無限数に同じと認むることが、わが心内の作用なるのみならず、無限そのものは経験によりて得たるものにあらざれば、心内の先天性に帰さなければなりませぬ。これを要するに、感覚論者や経験論者が人の知識思想はすべて経験よりきたると称して、先天的精神作用がその中に加わりおるを知らざるは、あたかも土方人足がすでに落成せる家屋を見て、この家はわれわれの運びし石や材木でできたから、われわれが作りし家というて誇り、大工の力によりてできたるを知らざると同様であります。さればかかる論法を余は土方論法と名付けましょう。

       第一五回 懐疑論

 これらの感覚論の結果は論理思想の原則、真理道徳の標準を排して、ついに懐疑の叢林中に入り、八幡知らずの迷い子となりたる点につきて、更に一言を費やさなければなりませぬ。今その原則中因果の規則の起こるゆえんを述べて、他はこれに準ずることにいたしましょう。感覚論者は因果の規則は経験反復の結果とするも、われわれの感覚上の経験はいちいちの事物を別々に感じ、かつ有形の現象のみを感ずるものなれば、因となるべきものを感ずると果となるべきものを感ずると、もとより別々なるに相違ない。しかるにその間に因果の関係あることを発見して、この前後の二項を連合し、前者は後者の因にして、後者は前者の果なることを定むるは、全く感覚以外の作用であります。すなわちその二者間の関係と連合とは無形に属し、感覚そのものの認めざるものなれば、わが精神固有の先天性としなければなりませぬ。しかるに感覚論者は同一の事項(ことがら)に一度ならず一〇度も一〇〇度も相会するときは、連想上その間に因果必然の関係ありと知定するに至ると申すけれども、そのいわゆる必然の関係を発見し、かつこれを知定する作用は、決して感覚そのものより入りきたる道理はありませぬ。感覚より得るものは万殊にして不必然なるに、因果の規則は一貫にして必然なれば、一貫は万殊の結果にあらず、必然は不必然の成来にあらざることは、いやしくも論理を弁ずるものはだれも百も承知のことであります。かつこの因果律は経験の範囲外に及ぼし、経験の先導者となりて進み、時間を尽くし空間を極めて縦横無限に向かいてこれを応用し、我人の知識思想の根本となるものなれば、経験積聚の結果にあらざること火を見るよりも明瞭(あきらか)であります。しかのみならず、経験そのものが因果律を根拠としてその上に成り立つ証拠はいろいろあるが、その最も解しやすき例は経験中より因果律を除き去らば、家屋の中より柱と礎を抜き取りたるがごとく、たちどころに崩るるによりて分かります。さきに時間空間は感覚上の経験よりきたるものにあらずと申せしも、これと同じ道理でありて、無限と普遍と恒有の性質を具する時間空間が、この性質を欠きたる感覚上の経験よりきたるはずなきは、ただ今述べたる理由に照らして了解することができます。

 かくして懐疑論者が感覚論より進みて因果を排し真理を空じ、心そのものの成立までを打ち消さんとするに至りては、実に本気の沙汰とは思われませぬ。すでに懐疑論者が因果の定律を排しながら、自ら論ずるところ因果の規則によるはいかん、真理を空じながら自ら真理なきをもって真理とするはいかん、これみな自家撞着にしてかえってその反対を証明するものなれば、これを評して敵に糧を与うる論法と申してよろしい。またひとり懐疑論者のみならず、すべての唯物論者は心そのものの存在を排するも、これ目をもって物を見ながら目の存在を排すると同様にて、人を打たんとして己を打つようなもので、唯心論にとりては痛くもかゆくもありませぬ。その上物の外に心なしといい、感覚を離れて精神なしということすら、みな心によりて論じておるではありませぬか。心ありとするも心にして、心なしとするもやはり心なれば、心ばかりは仮定ということができませぬ。なぜなれば仮定することがすでに心の作用であります。これと同じく思想なしとすることがこれ思想、論理なしときめることがこれ論理、真理なしと断ることがこれ真理なれば、唯物論者や感覚論者や経験論者がいかに目を丸くし、口をとがらしてみてもいたし方はありませぬ。畢竟するに唯物論は唯心論の水の上に浮かべる浮島であります。

 かように述べきたりて、人の知識思想の本源は先天的精神作用であると申せば、ここに進化論者が出でて、そのいわゆる先天作用は父母より遺伝せるところにして、父祖数世間の経験の結果なれば、決して本来の先天とは申し難いといいましょうけれども、その論一応はもっともに聞こゆるも、すでに外より入りきたりたる知識思想の材料に構造を与うる原力は、幾代の昔にさかのぼるも同じことにて、先天なるに相違ありませぬ。たとえば子の先天性は親より得、親の先天性はその親より得としてさかのぼるときは、無数代の太古に達するも、先天の本源は依然として先天となりて存する道理であります。しかるにまた進化論者は人類の本源は動物より流れ出でたるものなれば、最初動物界にありたるときは、かかる先天の原力なかりしに相違ないから、進化の途中にて得たる結果なること疑いないと申しましょうが、これも誤りにて、すでに経験そのことが先天の力による以上は、たとえ動物界に入るも、先天はやはり先天であります。もっとも人類と下等動物とを較するに、大いに先天の力を異にするも、もし人類が果たして下等動物より一条(ひとすじ)の進路を追うて発達したるものとすれば、われわれ人類の先天は下等動物の内包せる潜力にして、世をかさね代を積んで次第に外発して顕力となりしに相違ありませぬ。ただし心理のいわゆる本能と名付くるものは、父祖の経験によりて発達しきたれるがごときも、本能の根本たる原力に至りては、無始の昔に世界そのものの裏面に胚胎して存したるものでなければなりませぬ。なぜなれば、すでにその性質経験よりきたるべからざるものなれば、幾万世の古代にさかのぼるも経験より産み出だす道理はありませぬ。

 その他、人類の意識思想の先天につきても、進化学者は進化の途中、無意識、無思想の動物より次第に発達しきたるとするも、これもとより外界の経験より入りきたる道理なければ、下等動物あるいは生物の体中に胚胎して存せりといわなければ、道理の立たぬ説となります。この理を推し究むれば、世界の太初にありて星雲のいまだ分化せざりしそのとき、すでに生活も精神も意識も思想も内包の潜力となりて存し、外界の経験に応じてようやく開発して顕力となりて現るるに至れるに相違ありませぬ。故に先天の本源は星雲の当時にありと断言してよろしい。ああこの世界は一大活物にしてかつ霊体なるに、唯物論者や進化論者はこれを無精神、無活動の死物として解説しきたるは、金銀の美観を盲人に与えて評せしむるがごとく、この天地のため、この世界のために惜しむべきの至りであります。余輩はあくまで微力の及ぶ限り唯物論者に反対して、かかる高妙、美妙、霊妙の活体を世間に開示し、近くはその活気を一身の上に養い、遠くはその霊相を国家の上にひらき、あわせてその妙用を万有の上にあらわし、至真、至善、至美の三相円満なる世界を目前に現立せしめんことを目的といたすものであります。しかるに唯物論者のごときは世界を死物視し、生活を物力視し、その力よく天地を動かし鬼神を感ぜしむべき先天の精神を物質の支配の下に屈従せしめ、もって外界の奴隷たらしめんとするに至りては、あたかも将来天下を震動すべき古今の大豪傑を、生きながら土中にうずむるがごとき感ありて、残念至極大いに奮ってその非を世界に鳴らさなければならぬと考えます。しかるにわが国の俗論派がさも珍しそうに、西洋の掃き溜めよりかかる廃物同様の論を拾いきたり、景物付きの大売り出しを始め千客万来を祈りおるはなんらの心か、実に気の知れない話であります。しかしてその論ひとたび行わるれば、わが国体の基本たる人倫道徳の一大変動をきたすは必然の勢いにて、国家の将来も案じらるる次第なれば、今後といえども力を極めて攻撃する決心であります。諸君請う、その意を了せよ。

 以上、俗論派が執るところの唯物論を駁するため、数回を重ねて唯物論、進化論、感覚論、経験論の短所欠点を挙げ、かつその仮定憶断に出でて非論理、不確実なるゆえんを示し、その結果、唯物論は唯心論の水面に漂える浮島にして、表面は確然不動のように見えて、その実、唯心の波に従って動きつつある論なりというに帰します。これ余が俗論退治の破俗門であります。これに対して建正門は唯心論を説くべきはずなるも、唯物と唯心との争いは古来、人の反復して論ずるところなれば、余もそのとおりに繰り返すもおもしろみなきように考え、かつこれまでの唯心論は強いて唯物論に反対せんとして、実験上の豊富なる材料を採用せざる風ありて、あまり偏屈過ぎる有様なれば、別に趣向を換えて新唯心論として述ぶる方がよろしいように考えます。余は唯物論の絶対的反対者なるも、あえて僧侶を悪(にく)んで袈裟に及ぼすような不都合のことは好みませぬから、唯物論が用うるところの実験学の材料は、せいぜい参考に備うるつもりであります。もし唯物論者が実験の範囲内に己の領分を定め、決して道徳や宗教の上に手を延ばさぬならば、あえてこれに反対するには及びませぬ。しかるに領分外に手を延ばして、物質の外に神もなく心もなく、宗教は排すべし、道徳は自利のみ、経験を離れて知識もなく思想もなく、先天説は空想なり虚夢なり等と説き回わし、ややもすれば他の領分までことごとく奪い取りて、己の所有にせんとする野心勃々たれば、余は義兵を挙げてこれを退治するのやむをえざる場合となりました。元来、唯物論と唯心論とを較するに、前者は肥えたる田夫のごとく、材料の骨肉に富みて論理の神髄に乏しく、後者はやせたる紳士のごとく、論理の神髄に富みて材料の骨肉に乏しき有様であります。故に唯心論は今よりせいぜい実験の材料を取り集め、もって骨肉を養わなければなりませぬ。余はその方針にて研究せる新唯心論の考案を抱きおり、かつこれまで神儒仏三道の再興をはからんために別に工夫せる自家独得の新見あれば、ここにあわせてその大略を述べ、もって本論の建正門を組み立つる心得であります。

       第一六回 世界論 一

 すべて物はなにごとによらず破壊するはやすく、構造するは難きものにて、数カ月間かかりてようやくでき上がりたる家も、半日足らずで壊すことができます。これと同じき道理にて人の説を破壊するはやすく、己の説を建説するは難い。それゆえに古来の学者は大抵みな先輩の説を駁するにその功を奏しながら、自家の説を立つるに至りて失敗せざるものはありませぬ。そこで余はこれまで破俗門の平易(たいらか)なる道を通過して、ただ今、建正門の険道にかかりたれば、いささか腹帯を締め直して取り掛からなければなりますまい。その上に俗論派はあまたの先輩が互いに手を取りたもとを引き連れ合って行かるるも、余はほとんど単身独行の有様にてこの険道を通過することなれば、一層の困難を感ずる次第であります。しかしながら余は、ひとたび踏み出したる以上はいかなる危険艱難の道に横たわることあるもすこしも恐るるに足らず、千百の妖怪出没するも大喝一声の下に追い払い意気揚々として進むつもりであります。さてその進行の路順は

  第一段 世界論(物質論)

  第二段 勢力論

  第三段 因果論

  第四段 大化論

  第五段 意識論

  第六段 理想論

  第七段 無限論

  第八段 応用論

すなわち初め七段は理論門、最後の一段は応用門にして、理論門中、前四段は客観論、第五、第六は主観論なるが、まず理論門の端緒を世界論より起こします。

 近世哲学の始祖たるデカルト氏がひとたび思想をもって哲学の起点と定めしより、多数の哲学者は仮定を免れんために思想そのものをもって哲学の出立点といたしますが、余は唯物論を相手として論ずるものなれば、その論者が真理と仮定せる目前の物質および世界を出立点として論歩を起こすことに定めました。唯物論の起点たる物質あるいは世界は我人の知識思想の上に仮定せられたるものにして、もし最初より知識なく思想なくんば物質の観念も世界の知覚も唯物論そのものもなきはずにて、すでに物質あり世界ありとすれば、暗に知識思想の実在を既定せることになります。それ故物質の既定にさきだちて精神の既定を認めおくべき道理である。換言すれば精神の方を第一の出立点と定め、物質の方を第二の出立点と定めおくことが当然(あたりまえ)であります。しかるに唯物論者は初めより物質を確実なるものと仮定して、思想そのものを排するに至るは、非論理のはなはだしきものといわなければなりませぬ。なぜなればもし知識思想にして不確実ならば、これによりて認めたる物質もこれによりて論じたる唯物論も、みな不確実なるべき道理であります。しかるに物質の方を確実と既定して思想の方を不確実とするは、前後矛盾の過失を免れませぬ。たとえば、目によりて物を見るに、見られたるものは確実なれども、目そのものは不確実なりとして排すると同様であります。あるいは他の例を挙げて申せば、訴訟の場合に乙なる証文を証拠として訴えを起こすと仮定し、その乙の証文の確実なることは単に甲なる人の保証によりて認むるものなるにもかかわらず、乙の証文によりてだんだん論じたる結果、甲なる証人は不たしかにして決して信拠することはできぬと自ら論断するがごとく、その論断は全く己の証拠とせる乙の証文の不たしかを証明することなるを知らざると同様であります。この譬喩の中の甲を思想に比し乙を物質に比すれば、唯物論の論断の誤りある次第はたやすく分かりましょう。それ故に唯物論は非論理的の仮定論と申さなければなりませぬ。これに反して、唯心論のごとき思想そのものを第一原理と立つる論は、仮定説とすることができぬ。なぜなれば思想は仮定を許さざるものにして、思想を仮定することがすでに思想なれば、これこそ真に哲学の出立点というべきものであります。しかし余は今申したるとおり相手が相手であるから、物質および世界を確実なるものと仮定して建正門の論点を起こします。

 さてわれわれが石や木や鳥や犬などと一緒にすんでいるこの目の前の世界は、いろいろさまざまの物質がいろいろさまざまの変化を示しておりますが、その物質は前にも述べたるとおり分子や元素の集合体でありて、あるいは互いに相離れ、あるいは互いに相合するために変化が起こると申します。これを人間社会にたとうれば、互いにけんかしたり和睦したりして、社会の活動が起こると同じわけであります。そうしてこれらの物質および変化のおおもとはこれもさきに申しておいたとおり、世界の太初(はじめ)に星雲の時代がありて、その星雲より次第次第に進化開発してきたと唱えます。しかるにその体は最初(はじめ)非常の高熱を有して宇宙間にたなびきしも、熱は発散するものなれば、時を経るに従いようやく冷却しようやく収縮せんとし、これと同時に運動を起こし、求心力、遠心力の関係より中心を生じて回転し、あるいは分裂して数塊となり、互いに運動回転し、ついに今日のごとき天体を形成し、大塊は小塊を引率し、親分もあり子分もあり、無数の恒星、惑星を現ずるに至れりと申します。かくしてわが地球は太陽より分出せる子分にして、その親分の太陽はいわゆる恒星の一、地球は太陽所属の惑星の一であります。故にこの地球も最初は太陽のごとき火体でありしも、おいおい冷却して今日の状態になりしは、われわれのしあわせではありませぬか。しかし地球の胎内にはまだ火気を含んでいて、火山や地震の破裂の際には、急に火を吐き出してわれわれを苦しむるは困ったものであります。かくして最初は生活物は存せざりしも、地面の冷却せるに従って自然に最下等の生物を生じ、これより次第に分化して植物、動物、人類の繁殖をみるようになりました。人類は動物より分化したるものなれば、その本家は動物に相違なく、しかも猿とは兄弟分の関係ありて、人間の方を兄とすれば猿は弟分に当たり、その祖先は一つであったと申します。わが国でもなんたるわけやら知らざれども、猿は人間に毛が三本足らぬと唱えますが、その相違は毛三本ぐらいとみてよろしい。人間の系図も此様(こんな)に説かれては、案外価値(ねうち)のないものでありますけれども、なにぶん進化説は実験の結果より得たる新説なれば、余輩ももとよりこの説に賛同して立論するつもりであります。

 以上は宇宙進化説と唱えて世界の太初より今日に至るまでの発達であります。これより眼(まなこ)を転じて世界の将来を考うるに、われわれ人類社会は今後なお千年も万年も億々年も進化して今日の勢いを継続すべきも、必ず一度は進化の極点に達して退化を起こすに相違ない。その事柄はいろいろの方面より考うることができます。まずその一例は人口の繁殖と食物、住所の欠乏より起こることは、学者のすでに着眼しているところであります。その他、石炭のごとき需用品につきても、早晩(いつか)欠乏を告ぐると申します。さすれば将来人類間の生存競争は一層はげしくなりて、その極端まで達するに相違なく、したがって退化をきたすことは明らかであります。その間にはいろいろの新発明も起こるべきも、人類の住する所は地球の範囲内に限ることなれば、なにほど器械工芸が進んだとても、地球上にありふれたる有限物をいろいろに結び付け、あるいは組み合わせて使用するまでなれば、無限の歳月の間には必ずその終極に達することあるは、道理の保証するところであります。あるいは将来新工夫をもって風船ではなく、空船を作り、星界を往来通商する道を開き、かれとこれとの間に互いに植民移住するようになるべしなどと架空の論が起こるにもせよ、人間が神様になったらイザ知らず、人間である間はできないことは分かりきっております。よりて星界の交通説はさしおき、地球上だけにても将来の人間は魚のごとく水中にすみ、鳥のごとく空中に住する都合にも運ばぬに相違ない。ソウしてみると、社会の寿命も大抵予想することができます。諺にも「始めあるものは必ず終わりあり」と申して、この世界のことは一人一人の人間に寿命の限りあるがごとく、国家にも社会にも始めありてできたものなれば、将来一度は寿命の尽くる期(とき)あることは疑いありませぬ。

 しかし人類社会の方は永く今日の勢いを継続することを得と仮定するも、天文物理の方面から観察すれば、われわれの唯一の住家たる地球そのものの寿命に定限ありて、未来幾億万劫の暁には人類はもちろん、一切の生物が絶滅するに相違なく、最後には地球そのものの大破壊をきたすに至ると申します。第一に将来地球が全然冷却して生物の痕跡を絶するときがありて、そのときには地球の屍骸ばかりになる。その手本は地球の小分たる月球につきて知ることができます。この月球は地球よりその体小なるがため、早く冷却して骸骨同様になりておるが、地球も一度はこの悲境に陥るに相違ない。われわれの世話になった地球のことであるから、そのときには麗々(うるわ)しく葬式を行ってやりたいけれども、われわれの方はそれ以前にこの世を去る約束になっておるから、なんともいたし方がありませぬ。その外にわれわれの生活の大恩人たる太陽が永き歳月の間にようやく冷却して、最後には全く熱と光とを失い、これも骸骨に化し去ると申します。その屍骸はいかにも広大のものなれば、その棺桶はさぞ広大のことでありましょう。なおその外に地球が次第次第に少々(すこし)ずつ太陽の方へ引き付けられ、最後には太陽の中へ巻き込まれ、非常の力をもってこれに衝き当たり、さんざんに破壊し粉微塵になりて終わるといいますが、汽車の衝突すら恐ろしいのに、その衝突はいかであろうか。われわれの寿命がその前に尽きてこの衝突に出遇わぬのは、かえって幸いと考えます。これは定則の地球の滅尽期でありて、その他に決して不時の変災なしということはできませぬ。たとえば人間の寿命は五〇年と限りても、その間にいかなる病患変災ありて早世(はやじに)するかも計り難いように、地球の運命は途中にて今にも不意に大破裂するやも分からず、あるいは他の星と偶然衝突して破壊するやも知れませぬ。これらの点を合わせて考うれば、人類社会の進化どころではなく、進化も退化も早晩跡も影もない空々寂々の有様に立ち至るに相違ない。これらは宇宙の約束、天地の定則なれば、実にいたし方はなけれども、なにやら心細く感じられます。

 地球そのものに退化滅尽のときがあるから、人類を始め一切の生物に滅尽期のあるは申すまでもないが、この世界全体はいかんかを考うるに、わが太陽を中心として、その周囲(めぐり)に軌道を作りて回転する地球のごとき惑星を合わせてこれを太陽系と名付けます。しかして天界中にはわが太陽系の外に無数の太陽系あることは、暗夜見るところの無数の星につきて知ることができます。これらの太陽系が世界の最終期に達すれば、互いに衝突して天体の組織ことごとく破壊絶滅するに至ると申します。これは実に世界の滅尽期にして、退化の終極であります。星雲の初期よりこの末期に至るまでその年月は無数無量にして、久遠はかるべからずといえども、すでに寿命の生滅ある以上は、われわれやかげろうと別に相違はありませぬ。古語にいわゆる盛んなるものは必ず衰え、生あるものは必ず死に帰すとは、人類社会の常則のみならず、宇宙の常法でありて、仏教の世界観は全くこの点より起こると考えます。かくのごとくこの大世界が星雲より進化してその極に達し、ようやく退化してこの終期に達するを、これを世界の大化と名付けます。その大化の初を開闢といい、その終を閉合といい、あるいは開きて森然たる万象を現示し、あるいは合して寂然たる空境に帰し、一進一退、一開一合を完了するは、実に世界の一大化であります。

       第一七回 世界論 二

 すでに世界はひとたび進化しひとたび退化して一大化を完了するを知らば、これよりその大化の前後を考えなければなりませぬ。今日の理学はいまだつまびらかにその前後を示さざるも、その実験の結果より推測することはできます。すなわち我人の現に知るところの条々は、第一に時間も空間も共に無限なること、第二に物質不滅、勢力恒存ということとでありて、この二つは理学も哲学も共に承認する規則なれば、この規則に基づきて大化の前後を推測することができると考えます。故にこの規則は霧海の南針、暗夜の灯台として余輩の愛重するところであります。世間の灯台はあるいは三里あるいは五里、一〇里を照らすと申すが、この灯台ばかりは宇宙の縦横共に無限の距離を照らすからして、実にその光力に至りては広大無辺と称してよろしい。ことに理学はわれわれに世界の太初は高熱の星雲より起こりて、またその終極は各太陽系みな衝突破壊するの極、更に高熱を起こすべきゆえんを告げてくれました。すなわちこれまで久遠の年月間、回転通行せし天体の運動は、その衝突によりて熱力に変ずとして考うれば、無量の運動より無量の熱を生ずと定めて差し支えない。すでに運動の熱に変ずることは理学の証明するところであります。果たしてしからば世界の初と終とは同一の状態に帰し、熱より始まりて熱に終わると申してよろしい。この点が余の宇宙論の基づくところであります。

 かくして世界の初と終と共に非常の高熱なることを知らば、熱そのものに二とおりあるはずはないから、世界の終極は太初のごとく星雲となるに相違ない。すでに星雲となるを知らば、その星雲が次第に減熱しようやく回転して、更に再び世界を開始することは、今日の世界の初期に照らして明瞭なりと考えます。もし物質不滅、勢力恒存の規則に照らして申さば、世界の終期に至りていかに天体が粉微塵に破壊し終わろうとも、物質そのものの滅する理なく、また一切の運動が互いに衝合してひとたびやむに至るも、その勢力の恒存する限りは、非常の高熱となりて現るることも疑いありませぬ。かくして不滅の物質が高熱を発するに至れば、太初の星雲の状態に帰するはもちろんのことと信じます。しかしてその熱は次第に発散して減却するものなる以上は、今日の世界のごとく再び天体を開立して、第二の世界を結成するに相違ありませぬ。これより後のことは今日の世界に照らして知るより外に道なければ、再び世界の進化を起こして、今日のごとき生物人類を現出するに至るべきは、この世界の過去の歴史に照らして推測することができます。かくして第二の世界に進化あればまた退化ありて、今日の世界の順序を繰り返すに相違なきこともおのずから分かりましょう。もし今日の世界の一進一退を合して第一の大化とすれば、つぎの世界には第二の大化があります。すでに諸君はこの世界がひとたび絶滅すると聞きて大いに落胆したるも、更に第二の世界ありて今日のごとく再び人類社会を現ずるに相違ないことが分かったから、決して失望するには及びませぬ。もし諸君が今日の世界にては不幸にして貧賎の地位に生まれ、生涯困苦をなめて懲り果てたなら、つぎの世界では大臣か大金持ちの家に出でて、大仕事してやることを望むがよろしい。実にたのもしきことではありませぬか。

 かくして第二の世界に進化あり退化あるを知らば、その終期はやはり今日の世界のごとく、天体ことごとく破壊してまた星雲の状態に帰するに相違なく、すでに星雲に帰すれば、更に再び第三の世界を開現することも道理上想定することができます。ここにおいて第三世界の大化が起こり、その終極また星雲に帰するとすれば、更に第四の世界を開きて、第四の大化あり。これより第五、第六、第七ないし無限の世界ありて、無限の大化をなすことは、時間空間の無限と物質不滅、勢力恒存の理法とに照らして証明ができると考えます。ソウしてみれば、われわれの人類となりて世界に出づるは、一度ならず二度ならず無限の大化の間に無数回生まるることができるかも知れぬ。ナント諸君おもしろいことではありませぬか。決して失望するには及ばず、厭世もまた無用でありましょう。

 すでに世界の未来につきて大化に窮まりなきことを申したから、これより世界の過去につきて話しましょう。まずわが世界の初めは星雲より起こるとするに、星雲以前に世界なしということはできませぬ。なぜなれば物質不滅、勢力恒存なる以上は、星雲そのもののよりてきたるところあるべきわけである。またその星雲の有する勢力の起源があるはずであります。もしこの時に世界が始めて生じ、その前に世界なしといわば、世界が無より起こりたることになりて、ヤソ教のいわゆるゴッドを雇い入れてこなければ、説明ができぬことになります。もしゴッドを雇い入れてきたところで、ゴッドそのものが大怪物であるから、その起源を説明することは一層困難であります。これに至れば、ゴッド雇い入れの相談を見合わせて、過去に徴して未来を知り、未来に徴して過去を知るの推理法によるが上策であり、かつ確実であると考えます。かくして未来に照らせば、この世界がひとたび星雲に帰して、また第二の世界が起こり、そのつぎに第三、第四と無限に向かって大化することが分かる。さすればこの世界の前にも世界ありしことが知れます。すなわち太初の星雲はその前の世界が退化して天体の破壊をきたしたる結果なるに相違なく、前世界大化の終極であります。かくしてすでに前世界にも進化と退化ありて、星雲に起こりて星雲に終わるを知れば、更にその前にも世界ありて、一進一退の大化をなせしことが分かります。これすなわち前々世界の大化であります。この理を推して前々世界の前を考うれば、これに同じく世界の大化あり、その前にもまた同じく世界の大化ありて、これより以上無限の世界に無限の大化ありしを知ることができます。すなわち無始の始めより無数回の大化を経て、今日の世界を開発することになりたるに相違ありませぬ。

 以上の推理によりて世界の大化は未来に向かいても無限、過去を顧みても無限、すなわち無限に始まりて無限に終わり、無限回の開闢と閉合があることが分かったでありましょう。その間にわれわれ人類の出没、生物の生滅、実に幾無数回なるか計り難い。各世界にすでに無数回の出没生滅ありとすれば、無限の大化の間には無限の無数回の出没生滅ありとしなければなりませぬ。この推理は空想のごとくみゆるも、時間の無限と物質不滅、勢力恒存の理法とが真なる以上は、この推理も真なるに相違ない。よって余輩はかの理法を信ずると同時に、この大化を信ずるものであります。唯物論者も俗論者もかの理法を信ずる以上は、この大化を信じなければなりませぬ。しかしゴッドといえる怪物が途中より魔術を行って造り出したと信ずるなら、それまでのことでありますが、マサカ唯物論者も無神論のかぶとを脱して、ゴッドの前に降参するわけにもまいりますまい。さすれば無始の始めより無終の終わりまで無限の大化あることを信ずるより外はありませぬ。ソウしてみるとわれわれは天保や安政や明治の代に始めて世に出でたるがごとき新参者ではなく、古参と新参も無始時来世界の大化の間に出没して生存せるに相違なく、今後も尽未来際無終の終まで生死の間に流転するに相違ないことが分かります。ナント諸君驚くばかりではありますまいか。

 つぎに空間の上に世界の限界を考うるに、さきに一言せしがごとくこの宇宙間には無数の太陽系がありて、その中には無数の地球もあるはず。すでに我人の居住せるものと同様なる地球の体がたくさんありとすれば、その中にはいくたの動物や人類がおるかも知れませぬ、いな、おるべき道理であります。近来おいおい天体の観測が進んできて、わが地球の外にも生物の住する星界ありと唱えますから、無数の惑星中には無数の生物団が生存しておるに相違ありませぬ。その中にはわが地球の今日の人類社会くらいに進んでおるものもあり、またこれよりは一層進歩しておるものもありましょう。すでに一地球上にても東洋と西洋と面色、骨相等おのおの異なる点より推して考うれば、諸世界の人類中には面(かお)の四角なものも三角なものもあり、あるいは三つ目小僧も鼻高天狗もあり、ヒョットコのごときも「おかめ」のごときも福助のごときもおるかも知れませぬ。この人種が一度集会することができたらさぞおもしろかろうが、できないのは残念であります。これらも架空の想像のように聞こゆれども、すでに空間の無限なる以上は世界は無数なるべく、世界無数なれば地球のごときものも無数ありて、無数の生物団あることは疑われぬ道理であります。すでに地球は世界大化の規則に従い、次第に冷却してある点より自然に生物を発生せりとすれば、他の星界においても次第に冷却して生物の発生すべき期に達すれば、やはり生物の現存すべきはずであります。決してこの地球のみに生じて他の星界に生ぜぬ道理はありませぬ。すなわちこの地球は他の星界の手本あるいは標本であるから、ここに考えて彼を知ることができます。果たしてしからば、世界は時間の上に無限なるのみならず、空間の上にも無数にして、植物、動物、人類もまた無数なるべきを考定することができます。その広大無辺なるやなんともかとも名状すべからざる次第ではありませぬか。しかるに俗論派がこの広大無辺の点に着眼を置かず、ただ小局部のみに管見を注ぎて観察を下すをもって、真理に到達することができませぬ。ここにおもしろき一話あり。あるとき信濃山中の者と伊豆七島の者と偶然東京の旅店にて相会し、互いに話を交ゆる間(うち)に、太陽はいずれの所に出でていずれに没するやの問題が起こりました。信州の者は山より出でて山に没するものなりといい、七島の者は海より出でて海に入るといいて互いに相争いおりしに、傍らに旅店の小僧ありて曰く、太陽は山より出でて山に入るにあらず、海より出でて海に没するものにあらず、人家の中より出でて人家の中に入るものなりと申したということでありますが、俗論派の唱うるところもこれに類し、わずかに一局部をみて前後を知らず、中間を知りて両端を究めざるものなれば、旅店の小僧説に異ならず、真理を距(さ)ることいよいよ遠しと申してよろしい。もしこの輩にして真理の岸に達せんと欲せばこの地球を世界の標本とみて、これより推測して世界は竪にも横にも共に無限なるゆえんを究めなければなりませぬ。

       第一八回 勢力論

 ただ今述べきたりしとおり、無辺の空間に横たわり、無限の時間にわたりて、一進一退、一開一合、循環窮まりなきものは、実にこの世界の大化であります。この点が余の宇宙論の基づくところなれば、最も大切の論点にして、勢力論の起点もここにありて存します。すなわちこの大化の限りなきは、その原因は物質そのものの方にあるか、勢力の方にあるか。物質は勢力を離れず、勢力は物質を離れざるも、すでに物質と勢力との間に区別ある以上は、同一体ではありませぬ。すでに不同一とせば、大化の原因は物質の方にあるか、勢力の方にあるかを決することが必要であります。しかるにこの問題は決するまでもなく、進化するとか、退化するとか、あるいは大化するとかいう事柄が、勢力の発顕に外ならぬことなれば、その原因は勢力の方にあるはもちろんと考えます。なおそのわけをつまびらかにすれば、世界の大化は勢力と運動との関係より起こり、最初は熱より運動を生じ、最後に運動が熱に変じ、もって星雲より始まりて星雲に終わるは、みな勢力の作用にあらざるはなく、熱も運動も共に勢力の発顕である。しかして物質そのものの方はこの勢力の発顕に従ってあるいは発散してガス体に変じ、あるいは凝集して液体、固体となるまでであります。換言すれば固体が液体となり、液体が気体となるは、熱といえる一種の勢力がこれに加わるより起こり、気体が液体となり固体となるは、その熱力の減ずるより起こるとすれば、世界の大化は勢力の発顕によりて生ずることは明瞭であります。すでに各種の分子は物質にして、これをして集散分合せしむるものは勢力なれば、世界の開けて天体を現じ、合して星雲に帰するは、もとより勢力のしからしむるところに相違ない。たとえば水の分子は物質にして、その流るるは勢力の作用であり、動物の体質および食物は物質にして、その生育変化するは勢力の作用であります。これによりてこれをみれば、無始以来、宇宙間に存する物質分子、あるいは元素が一大勢力の発顕活動によりてあるいは進化しあるいは退化し、無限の時間に無限の大化を反復永続するものなるに相違ありませぬ。これを約して申さば、世界の大化は物質が勢力を左右するにあらずして、勢力が物質を左右するより起こる。換言すれば物質は所作用となり、勢力は能作用となりて起こるわけであります。これをもって余は世界大化の原因は全く勢力の発顕、もしくは活動なりと断定いたします。これを要するに無始の始より神妙不測とも称すべき無量無限の大勢力が、物質の上にその作用を発顕し、もって物質をしてあるいは開きて万象を示さしめ、あるいは合して星雲に帰せしめ、一進一退循環窮まりなく、無終の終まで大化を永続するに至るべしと考えます。畢竟するに物質そのもののごときは、勢力がよりてもって妙用を現ずる器械道具に過ぎませぬ。たとえば人形遣いが人形の道具によりて種々の妙技を演ずると同様であります。もし太めていわば、物質は勢力の命令に応ずる奴隷と考えても差し支えありませぬ。しかるに唯物論はその奴隷たる物質を奉戴するものなれば、奴隷のまた奴隷に当たるわけであるから、唯物論者は唯心論者の陪臣でありましょう。

 すでに世界大化の原因は勢力にして、物質はこれに使用せらるるものに外ならずと申しましたが、更に勢力と物質との関係を考うるに、後者は前者の現象に過ぎざることが分かります。まず理学者は化学的元素をもって最小不可析の物質となすも、元素そのものには延長あるか延長なきかを明らかに示しませぬ。もし延長なければ物質にあらずして勢力である、もし延長あれば更に分析分割することができる道理である。これによりて得たる元素の元素もなお多少の延長を有すとすれば、これまた分割のできる道理であります。かくして分析に分析を重ね、元素の元素を究めて無限に達すれば、その極延長なきものとなりて終わるより外なしと思います。換言すれば無限的分析の極は、無延長性すなわち勢力に帰すると考えます。かつ物質がその成立を保つは、すべて勢力の存するにより、もし勢力存せざれば、分子そのものも元素そのものも存すること難く、すべての物質はみな消散してその形を失うに至ると考えます。なぜなれば分子や元素の分合集散はみな勢力にありて起こり、元素の元素は無延長性のものの集合より成るとすれば、その集合ももとより勢力より生ずるものなれば、大小一切の物質は勢力の集合あるいは関係に過ぎませぬ。案ずるに宇宙の大勢力が一たる活動するに当たり、進化退化の波様を生ずるや、勢力の大中心の外に小中心を生じ、小中心は更に活動して小中心の小中心を生じ、その極最小至微の中心を生ずるに至り、その中心が元素の元素となりて物質の大元となりたるように考えます。その他もし物質を感覚の上に考うれば、我人のいわゆる物質は色、声、香、味、触の五境に外ならずして、その五境はみな勢力の上に成立するものであります。すなわち色は日光によりて生ずるものなるが、その光は精気の波動によりて伝わるといい、声は物質分子の震動より生ずるものなるか、これまた空気の波動によりて伝わるといえば、その原因も中間の波動もみな勢力に出でざるはなく、手足にて物の形状を感ずるも、抗抵圧迫等の勢力にあらざるはなく、これに加うるにわが感覚そのものも一種の勢力にして、これを神経の振動に帰しても、精神の発動に帰しても、いずれも勢力にあらざるはなく、畢竟するにわれわれの感覚は外勢力と内勢力との衝突によりて起こることであります。故に物質全体が勢力の衝突の上にその形を示すものなれば、いやしくも勢力を除き去らば、物質たちどころに消滅する道理であります。これを要するに物質はただに勢力の奴隷たるのみならず、勢力の関係あるいは衝突の上にその形を示し、あたかも水波の上に沸き立ちたる泡のごときものに過ぎませぬ。これを我人の感覚によりて認むるときに、今日のいわゆる物質を見る次第であります。換言すれば物質は勢力の現象に外ならずと考えます。かように論じきたらば、世間の学識なき俗人は、かえってこれを狂人(きちがい)の夢語りのごとく認め、唯物論者や俗論派は主属を転倒せる論と思うでありましょう。すなわち勢力は物質によりて得たる知識にして、我人は最初に物質あるを知り、つぎに物質を究めて勢力の存するを認めたるものなれば、物質は先にして勢力は後、物質は原因にして勢力は結果、物質は主にして勢力は従なる順序であるべきに、これに反して勢力は主にして物質は従なりというのみならず、物質は勢力の現象に過ぎずとは、全くその順序を転倒せる説なれば、決して信ずることはできませぬと申すに相違ありませぬ。しかしこの批評は己の刀で人を斬ろうとして、かえって己を傷つくるような論法であります。我人の知識の順序よりいえば、まず物質あるを知りてのちに勢力あるを知り、精神あるを知るに相違なきも、後に知りたるものは従にして、前に知りたるものが主なりと限るべき道理はありませぬ。もし知識の前後によりて主従を定むるならば、我人の初めに知るものは目前の家財道具、あるいは山川草木のごとき、あまたの元素分子の相集まりてできたる複合体にして、元素あるいは分子の存在は余程のちに知るべきものであるから、複合体が主にして分子元素は従なり、分子元素は複合体より生じたるものにして、複合体が分子元素より生じたるものにあらずと断定すると同様であります。あに不都合千万の論法ではありませぬか。しからば唯物論者はまた必ず一問を起こして、この世界には勢力ひとり存して、物質は初めより存せざるように解するはいかにと尋ねましょう。余はこれに答えて物質は勢力の現象なりというのみにて、決して我人の感ずるところの色、声、香、味、触の五境より成れる物質をみな空なりというのではありませぬ。なおその意を敷衍すれば、宇宙に活動せる世界の大勢力を我人の感覚をもって眺めたるときに、物質の状態を現ずるものなれば、勢力の外に別に物質の体あるにあらずして、物質は勢力の現象に外ならずというのであります。

 更にまた一問ありて理学者の研究するところによれば、ここに物質あれば必ず勢力あり、ここに勢力あれば必ず物質ありて、物を離れて力なく、力を離れて物なしという以上は、物質と勢力とは並び存せざるべからずと申すものがありましょう。余これに答えて物を離れて力なく、力を離れて物なしということと、物質は勢力の現象なりということとは同様の意をもって解することができます。すなわち物質は勢力の現象なれば、勢力は物質の本体であるから、象を離れて体あるべき理なく、体を離れて象あるべき理なく、ここに象あれば必ず体あり、体あれば必ず象ある道理であります。理学者は物質と勢力とは二にして一、一にして二なりといいましょうが、余もやはり体と象とは一にして二、二にして一の説であります。また一問ありて物質と勢力とは不一不二の関係を有する以上は、二者対等平権とみてよろしい。さすれば一方において勢力を本体と定むるを得ば、他方において物質を本体と立つるを得べき道理であると申しましょう。余これに答えて、物質は象にして体にあらざるゆえんは、前に述べたる道理にてすでに明瞭なるはずであります。もしその他に証明を要するならば、世界の大化につきて考えてみるがよろしい。すなわち勢力の活動いかんに応じて物質その状態を異にするは、あたかも水体の流動いかんに応じて波その形状を異にするがごとき有様であります。もしまた物質は生物の感覚の異なるに応じて一定せず、人類の見て物質と認むるところと、禽獣魚虫の認むるところとおのおの異なること明らかなれば、ぜひこれに現象の名を与えなければなりませぬ。なおその外にも物質は現象なりとの説は、唯心論の方に古来いろいろ証明せるものあれば、余はこれを勢力の現象なりと論定いたしました。

 かく論定して勢力そのものを考うるに、これ絶対無限の体なるに相違ない。そのわけは無辺の空間、無限の時間にわたりて無辺無限の大化をなすものなれば、その体また無辺無限、すなわち絶対なるべきはずであります。すでに絶対無限なれば、平等唯一にして差別(しゃべつ)あるべき理なきも、その活動して大化をなすに当たり、表面に活動の相を示すはあたかも海波の動揺するに当たり、高低大小の波様を現ずるがごときものと考えます。この相を我人の感覚よりみるときは、千差万別の物象、すなわち我人のいわゆる物質を認むることと思います。故に勢力そのものの本体にありては、絶対唯一の体なれども、その現象たる物質の方にありては、相対差別を現ずることと心得て差し支えありませぬ。しばらくこの説を勢力大化論、あるいは唯力一元論と名付けておきましょう。しかして平等の勢力海に差別の波相を現したるゆえんはのちに述ぶるつもりであります。

       第一九回 因果論

 さて勢力は世界大化の原因にして、物質は勢力の現象に過ぎぬゆえんを証明し終わりたれば、これより因果の規則を論述しなければなりませぬ。今日の世界にありて前の世界と後の世界とのことを知るべき唯一の手掛かりは、物質不滅、勢力恒存の理法であると申しておいたが、その外に因果永続の規則がやはり世界の前後にわたりて存するものであります。この規則を今日の世界、なかんずく世界の標本たるこの地球に当てはめて前後を推考すれば、過去の世界の有様も未来の世界の状態も知了することができます。日本とアメリカとの間は、太平洋といえる地球上第一の大洋によりて隔てらるるも、今日は汽船の力によりてたやすく航海することができ、地球と星界との間は幾千万里の空間をもって隔てらるるも、望遠鏡の手立てによりて観測することができるごとく、幾万劫と限りなき久遠なる歳月をもって隔てらるる過去無数の世界のことも、未来無数の世界のことも、因果の汽船あるいは因果の望遠鏡によりて達することができるとは、サテサテ不思議のことではありませぬか。また平等絶対の大勢力の表面に、千差万別の物象を現すに至るゆえんも、千変万化の状態を示すに至るゆえんも、みなこの規則によりて証明することができます。故にこの規則は、哲学者にとりては天文学者の望遠鏡におけるよりも、航海者の汽船におけるよりも、一層大切の道具であります。もしその道具が世間より買い入れるものであるなら、さだめて莫大の高価にして、余輩のごとき貧嚢の手に落つるはずなきに、生来自然より賜りたるものなれば、一文払わずにわが有となりおるとは、このくらいなありがたいことはありませぬ。

 この因果の規則は今日の世界上、竪にも横にも遍在恒有して、勢力の動くところ、物質の現ずるところに存せざるなく、至らざるなく、実に宇宙の大法と称してよろしい。かかる恒有遍在の理よりこれを推すに、宇宙の大勢力に固有せる規則なることは明瞭と考えます。すなわち物質は勢力の現象、因果は勢力の規則にして、世界の大化は勢力、物質、因果の三者の関係によりて行わるると申してよろしい。これより世界の標本たる地球につきて因果の規則を考うるに、今日の天気の晴雨は一結果にして、その原因は前日にありて存するに相違ない。すなわち前日の温度、風位、日光、水気等、種々の事情が原因となりて、今日の晴雨の結果を定むるに至るは疑いありませぬ。また前日の晴雨も一結果にして、その原因は前日の前日にありて存し、その前々日の晴雨の原因はまたその前にありて存する以上は、今日の天気の晴雨は地球の始め、いな世界の初めより因と果との前後接続して、その間一髪一毛の間断なき一条(ひとすじ)の連鎖より定まりしに相違ありませぬ。ひとり天気のみならず、目前に現ずる一切の変化は、この因果の連続不断より起こります。たとえばわれわれが今日発病せりと仮定するに、その原因は昨日にあり、昨日の原因は一昨日にあり、一昨日の原因は、その前日にありとして前にさかのぼらば、今日の発病の大元たるべき原因は、世界の太初において存せりと申してよろしい。しかのみならず我人の一挙手、一投足すらも、その原因は太古において定まりおることが分かります。果たしてしからば、因果の永続は勢力恒存の理法と同一に確実にして、一切の変化を起こすところの原理なることは明らかであると考えます。

 これより前世界の事情を考うるに、今日の世界は一大結果なれば、その原因は前世界にありて存するはずである。なお今日は一結果にして、その原因は明日にあると同様の道理であります。すでに因果は勢力固有の規則なる以上は、勢力の活動する限りは、この規則の行わるるに相違ない。しかして今日今時の原因は、漸々さかのぼりて世界の太初、星雲の当時に存するを知れば、星雲当時の原因は前世界にありて存するは必然のことと考えます。もし星雲の前に世界なしとなさば、星雲のよりて生じたるゆえん、および星雲の開発するゆえんを説明することができませぬ。いやしくも因果の規則存する以上は、星雲の前に世界ありしは決して疑うべからざる事実と信じます。ソウしてみれば、この世界全体の原因が前世界にありて存するは言うまでもなきことであります。かくしてすでに今日の世界の原因は前世界にあるをみれば、前世界もまた一結果にして、その原因は前々世界にありて存し、前々世界もまた一結果にして、その原因はまたその前にありて存するはず。この理を推して古(いにしえ)にさかのぼらば、今日の世界の原因は無数の前世界を経て無始の始めにありて存することが分かります。果たしてしからば、前世界のことはもちろん、前々世界のこともその前の無数世界のことも、みな今日の結果をみて推測することができますが、実に因果律の応用の広大なるはただ驚くばかりであります。余はこれを哲学者の前世界を観測する唯一の望遠鏡と考えます。

 この因果律に付随して習慣性の存することを知らなければなりませぬ。この習慣性とは物理学のいわゆる習慣性と同一なるも、余は一層広き意味にこれを用い、勢力活動より生ずる規則の方を因果律といい、性質の方を習慣性と名付くるつもりであります。もしこれを生物学の上に考うれば、遺伝性と名付けても差し支えありませぬ。たとえば地球が遠心力、求心力の関係よりして、太陽の周囲に軌道をえがきて、百度参りや二百度参りどころではなく、無数回運行してその則(のり)を乱ることなきがごときは、余がいわゆる習慣性が存するからであります。もしこの習慣性がないならば、地球が急に運行を止めるかも知れず、あるいはこのごろの汽車のごとくに軌道を外して脇道へ走り出すかも知れず、そのようのことが万が一にもあったら、それこそ大変、日清戦争や三国同盟などをかれこれ言うておられませぬ。しかるに幸いなるかな、習慣性の存するためにひとたび始まりたる運行は、永くこれを継続して四時の寒暖もその期を誤らぬようになり、五穀の生熟、生物の繁殖、人類社会の隆盛をみるようになるのであります。またわれわれ人類あるいは生物が、その親祖先の形状を相続し、幾代を経るも大抵同一の事情を反復し、人類が変じて牛馬となり、牛馬が変じて人間となることなく、人寿五〇年ないし一〇〇年を常則とすれば子々孫々中にその則を破りて、五〇〇年、一〇〇〇年の長寿を得るものなき等は、これを遺伝性といいますが、やはり余がいわゆる習慣性であります。今勢力が因果律を追って活動する中、この習慣性を継続し、同一の状態を反復しながら進行するものであります。その例は世界の大化が星雲より始まりてようやく進化し、進化窮まりてようやく退化し、その極もとの星雲に帰し、一進一退、一開一合する順序は、この世界のみならず、前の世界にも後の世界にも、前後ほとんど無数の世界において反復するを見て知ることができます。すでに大化の大波が習慣性を継続すれば、その間の小波もまたこれに従って同一の順序を反復して、もって大化そのものを完了するに至ります。かかる習慣性の起こる原因は、全く勢力恒存、因果永続の理法に基づくことは申すまでもありませぬ。またこの理法はこの世界のみならず、過去の世界にも未来の世界にも行わるるものなれば、今日の世界の上に見るところの大小の進化および退化の順序および状態は、過去の世界の習慣を継続することが分かると同時に、今日の世界の進化をみて過去の世界の進化を測ることはむろんできる道理であり、また前に考えてしかる以上は、これを後に及ぼして未来の世界の変化する順序および状態が同じく分かる道理であります。換言すれば過去の世界の状態を今日に遺伝し、今日の世界の状態を未来に遺伝すること明らかなれば、今日の状態を見て前後の世界を推知することができる。あたかも人類は子々孫々その形状性質を遺伝するをもって、今日の人を見て数代の人類を推知することができると同じ道理であります。

 すでに勢力恒存、因果永続、習慣反復の道理より今日の世界は前世界の遺伝なるを知り、今日の進化退化の順序は前世界の順序を反復するものなるを知らば、今日の進化に照らして、前世界は星雲より次第に分化して天体を開立し、その中に今日の地球のごときものもようやく成来して、その上に生物を生じ、動植人類も一度は繁殖せしことあるを推想することができます。もしその形状、大小等の細点に至りては、この世界と前世界とは同一なるを得ざるも、大体の進化分化の順序は、前世界も今日の世界も同様なるべき道理であります。かくしてひとたび進化して人類も社会もその世界に生存し、ある時代よりようやくくだりて退化し、その極天体の大破壊を起こして星雲の状態に帰し、もって今日の世界の端緒(いとぐち)を開くに至りたるに相違ありませぬ。さすれば太初の星雲は前世界のあらゆる原因結果を収穫して、これをその体内に納め込んであるはずにて、今日今時の進化の種子(たね)はみなその中に胚胎して存せし道理なれば、星雲は実にこの世界の母にして、その胎内にはわれわれが目前に見るところの日月星辰、山川草木、禽獣人類に至るまでを包蔵し、余も諸君も唯物論者も俗論派も、みな胎児の状態にてその子宮中に存せしことが分かります。これによりてこれをみれば、前世界は実にわれわれの父母にして、われわれはその遺伝性を受けてこの世界に生まれたるものなることは明らかであります。もしさかのぼりて更にその父母の祖先を尋ぬれば、無始の始、無限の大化の昔に存せしことまた疑いありませぬ。これをたとうるに農夫が前年の収穫より米穀の種子を得て、これを土蔵中に納め、本年の春期に至りて再びこれを出して田畝にまき付け、植え付けると同じく、星雲はあたかもその土蔵中に納めたるときのごとく、前世界の結果を集めたるものにして、その中に今日の世界の原因が潜在せるは、土蔵中に米穀の種子を包蔵せると同じ道理であります。ただ米穀の方は自然力に人力の加わるも、世界大化の方は自然力のみにして、すなわち勢力の作用と因果の規則によりて自然に定まるものなるの異同があります。かくして今日の世界の結果は再び星雲となりて、その胎内に納め込み、もって後の世界を産み出だすこととなる。故に今日のわれわれは後の世界の父母であり、前世界はその祖父母であります。この理を推して、未来無限の大化の反復窮まりなきを知ることができます。かくのごとく論じきたりて始めて、進化論者の仮定せる遺伝の起源も、唯物論者の説明に苦しみたる世界の本源も、唯心論者の難問たる先天性の根元も、みなたやすく説明し得て、あたかも旭日ひとたび昇りて朝霧四散するがごとく、明々白々となることができます。諸君もさだめてここに至りて始めて、この世界は無始時来の世界にして、我人は無始時来の人類なることが分かったでありましょう。

       第二〇回 大化論

 この因果論は余が建正門の骨目なれば、更にこれを世界万有の上に当てはめて述べましょう。進化学者が世界の変遷を見て単に進化と定めたるは、その見るところの狭きゆえんにして、また世界は死物的物質より分化せるとなすも、その解するところの浅きゆえんであります。もし余が説によれば進化の名称すら穏やかならず、むしろ開発の文字に改むるにしかずと思うも、すでに世間にて唱えきたれる通語なれば、そのまま用ゆることにいたしました。しかし余は一世界中に進化と退化と並び行わるることを主唱するものにして、この両化を合して世界の大化を名付くることは再三申し述べたるところなるが、その大化の初めと終わりを潜伏期、あるいは内包期と名付け、その大化の間を開発期、すなわち外発期と名付け、開発期中の進化の階段を上行開発期、退化の階段を下行開発期と名付け、星雲時期を潜伏期と名付くるは余の考案であります。今これを図表にあらわして示しましょう。

  世界大化 潜伏期(星雲期)

       開発期 上行開発期(進化)

           下行開発期(退化)

 この潜伏期は前世界の結果を蔵(おさ)めて、つぎの世界開発の原因を胚胎せる時なれば、余はこれを潜伏期と名付けました。もしこれを草木にたとうれば、種子(たね)のいまだ発生せざる時にして、その中には枝葉花実を含有するも、更にその相(すがた)を示さざる時と同様であります。これよりその内包の原因を開顕するを開発期と申します。もしこれを今日の唯物的進化論に対比して述ぶれば、左のごとき相違があります。

  かれ唯物的進化論は現在世界の進化を論じ、これ(余の大化論)は前後無限世界の進化を論ずるの別あり。

  かれは世界を死物視して論じ、これは世界を活物視して論ずるの別あり。

  かれは物質の進化を論じ、これは勢力の進化を論ずるの別あり。

  かれは外面一様の進化を論じ、これは内実全体の進化を論ずるの別あり。

 この数カ条は余の進化論と世間の進化論と相異なる要点であります。しかしこの一世界中の進化は前後無限世界の進化の標本なれば、世間の進化論に基づきて前後のことを推論して差し支えありませぬ。まず世間の進化論すなわち唯物的進化論、あるいは物質的進化論を引き延ばして前後の世界に当てはめ、これを勢力の活動の上に移して論ずれば、余の進化論となります。つきては進化に左の三段あることを知らなければなりませぬ。

  第一段 地球の進化(小進化)

  第二段 天体の進化(中進化)

  第三段 宇宙の進化(大進化)

 この宇宙の進化は余の無限世界の進化に与えたる名目にして、世間の進化論者のいまだ唱えざるところなれども、もし地球進化の理を推せば、天体の進化を知り、天体進化の理を推せば、宇宙の進化を知ることができます。しかして地球進化はまた分かれて無機進化、生物進化、人類進化等と次第するものなれば、その最も近き人類の進化を標本として、宇宙進化の理を考うることができる道理であります。今、生物進化論および人類進化論にて唱うるところの順応遺伝の両法も余はまた左の三段に分けます。

  順応 個体の順応(小順応)

     種族の順応(中順応)

     世界の順応(大順応)

  遺伝 個体の遺伝(小遺伝)

     種族の遺伝(中遺伝)

     世界の遺伝(大遺伝)

 そのいわゆる個体の順応とは、生物各個がその一生の間に外界の変化に順応するものをいい、種類の順応とは生物全体の奕世累代間の順応をいい、世界の順応とは前世界の開発期間の順応をいい、個体の遺伝とは我人各体が父母の形状性質を遺伝するをいい、種族の遺伝とは生物全体あるいは動物人類一般に通ずる形状性質を遺伝するをいい、世界の遺伝とは前世界の開発期間の状態を遺伝するをいうことであります。そのなか個体と種族の二者は世間の進化論にて唱うるも、第三の世界的順応と遺伝とはこれまでだれも唱えざるところなれども、今日の進化論の根本的原理を究明せんと欲せば、前世界までさかのぼらざるを得ざることはもちろんと考えます。しかるに進化論者の浅見小識なる悲しさには、前世界あることを知らず、かつその世界までさかのぼるだけの活眼も勇気も有せざるために、進化論の本源はこれを未知に託し、一切の原理を仮定して論を起こし、しかも真理はこの外になしと鼻ばかり高々とそびやかしておるところを、わが国の俗論派はこれを見てその鼻に驚服し、ついにこれを本尊として拝み上げるに至れるは、気の毒千万に思います。

 かくして宇宙の進化を考うるに、唯物的進化論者は一般に最初は無機物質のみありて、これより有機を分化せりとなすも、これ大いなる誤見にして、最初の物質は表面に無機を示すも、裏面に有機を含み、内包的活物なるに相違ない。さなければその体、分化して生物を開発するの理は決してありませぬ。よりて余は最初の物質を原始的物質あるいは原質と名付け、その中には生活も精神も含有せる活動体、すなわち内包的活物と考えます。その分化開発の順序は左表をもって示しましょう。

  原始的物質 無機

        有機 無感(植物)

           有感 動物

              人類

 しかしてこの原始的物質は星雲より来生せるものにして、星雲そのものも原始的物質であります。故にその中に前世界の状態を具備し、前世界の生物も人類も生活も精神も、みな潜伏して存する本来の活物なるに相違ない。その内包せるものを外発するのが進化である。換言すれば、前世界において取り入れたるものをこの世界において開き出すのが進化であります。かつさきに述べたる習慣遺伝の事情によりて、この世界の進化は前世界の進化を反復するものなれば、前世界においても原始的物質より無機有機、有感無感、動物人類を前の表のごとくに分化開発したりしことが分かります。これより前々世界のことも、後世界のことも、前後無数の世界のことも、みな推し測られます。そこでここに一問題がありて、前々世界の進化と前世界の進化とこの世界の進化と、その開発の順序は同一の次第を反復する道理なるも、進化の程度に至りては前後の間に高下の別なく、一様なるや、あるいは前より後の方が一層高く進み、もしくは一段ずつ降下しきたるやとの疑難が起きてきます。すなわちその疑難はもしこれを海面の波にたとうれば、前世界の進化の波の高さとこの世界の進化の波の高さと、その間に高低の差あるやなきやの問題とみてよろしい。換言すれば前後無数の世界の大化は並行か上行か下行か、いずれにあるやとの問いであります。もし果たして上行ならば、世界の大化は大進化を実行しつつあるを知るべく、下行ならば大退化を実行しつつあるを知るべく、並行ならば進化もせず退化もせぬことが知れます。この問題につきては余は上行説、すなわち世界の大化は大進化を実行しつつあるの説をとるものであります。これよりその理由を述べましょう。

 今この世界の進化を観察するに、星雲より天体を開立して、ついにわれわれの住息する地球の形成あるに至り、その表面に無機有機の分化を生じ、ようやく進みて動物人類を開発し、更にその人類の上に社会国家を結成するに至りたる順序は全く進化にして、その進化の傾向はいずれも有限を期するにあらずして、無限を期しておることが分かります。まずこれを人類に考うるに、われわれの先天性の内刺激は無限に向かいて進まんとする傾向を有し、決して有限をもって満足せざることは、だれも己に徴して知ることができます。動物および植物においては、われわれのごとき意識上の内刺激を有せざるも、やはり無意識的自然の内刺激は無限に向かいて生存を永続せんとする傾向を有するは、これみな人の知るところであります。かかる手近き標本につきて知るところのものをもってこれを世界の大化の上に及ぼさば、これまた無限に向かいて進化するの傾向を有するを知ることができます。もししからずんば、世界そのものが無限に向かいて大化するの理を解することがむずかしい。もし大化が果たして無限に向かいて反復窮まりなしとすれば、世界全体の趨勢が無限的進化を目的とすることに定めなければなりませぬ。しかるに我人の個体の上に考うるも、種族の上に考うるも、あるいはまた世界の上に考うるも、一時進化を継続してのち退化を始むるはいかん。もし本来世界全体が進化を期するものならば、なんぞ進化と進化との間に退化を見るやと疑うものがありましょうが、この点を説明するにはぜひ無始の始にさかのぼり、世界大化のよりて起こる根本的勢力より論じなければなりませぬ。さて世界大化の大元は無限の大勢力が無限に向かいて活動を起こせしに始まり、そのとき大勢力の活動に中心と外部との関係、あるいは表面と裏面との関係を生じて、中心もしくは裏面は無限に向かいて進まんとするも、外部すなわち表面はその速度中心に及ばざるために、同じく無限に向かいて進みつつあるも、自然に後に残さるる気味ありて、その結果、進勢と退勢との別を生ずるようになりました。たとえばここに両人ありて甲は速やかに走るを得、乙は速やかに走るを得ずと定むるに、もしこの両人互いに縄をもってその体を結び付け、同時に進行せんとするときは、甲は乙のために自然にあとへ引き戻されんとすると同様の関係が起こります。あるいはまた川の流れにたとえて中央の方は速やかに流るるも、両岸に接したる方は遅く流れ、ためにあとに残さるるようなものと考えてもよろしい。すなわちその中心の速度の多き方は進勢をとるも、外部の遅き方は退勢をとるわけなれば、その結果、表面に波動的進勢を生じて、進化退化を交代して進行するようになりました。その進退両化の交代はこれを小にしては個体の上に起こり、これを大にしては世界の上に起こり、もって無限の大勢力の全体において進勢退勢の関係を生じたる結果は、世界の大化の上にあらわれ、小部分において進勢退勢の関係を生じたる結果は、個体の小化の上にあらわれしも、畢竟二者共に同一の関係より生じたるものであります。かくのごとき道理より進退両化の起こりし以上は、一部分のみに着眼してみれば退化なるがごときも、全体よりこれをみれば進化に相違ない。すなわち進勢と退勢との別は比較上のことにして、これを合すればやはり進勢となるはずであります。しかるにすでにかくのごとくひとたび世界の表面に一進一退の波動を起こせば、因果および習慣の規則によりて再三これを重ねんとし、かくして再三反復すれば、ついに無限に向かいて一進一退を継続せんとするようになります。これをもって、そのいわゆる中心の勢力はあくまで無限に向かいて進化せんとして内刺激を起こすも、外部の勢力は従来の習慣を継続してこれに抗抵せんとし、大化の波動はますます大にしてかつ強くなるの傾向を生ずるも、一世界ごとに少分ずつ進化の高さを加えつつ進行することは疑いないと考えます。これをもって、他日退化期に至るも、われわれの内刺激は依然として無限進行の方針をとるも、外部の事情すなわち習慣的波動のために余儀なく退化を示すに至ります。果たしてしからば、個体の上に退化あるは更に一段の進化をなすための準備にして、世界の上に退化あるもまた更に一段の進化をなすための準備と心得て差し支えありませぬ。今これをこの世界の現状の上に照らせば、物質は勢力の外部すなわち外面あるいは表面にして、波動的進勢あるいは比較的退勢の習慣性を継続するものなれば、自然に無限の進化に抗抵せんとし、精神なかんずく理想は勢力の中央すなわち内面あるいは裏面にして、直行的進勢をとるものなれば、無限に進向せんとする刺激を有して、物質に反対せんとし、ここにおいて精神と物質との競争が起こることはのちにくわしく論ずるつもりであります。これを要するに、世界の大化は無限に向かいて一進一退を反復しつつ、やはり進化すなわち上行的大化を営むものと信じます。故に余輩は進化論者の一人なるも、俗論派のごとく西洋の唯物的進化論の陪臣ではなく、はるかにその上に超駕せる大々的進化論の主唱者なれば、諸君において二者を混同せざるように願います。

       第二一回 意識論 一

 これまで述べきたりたる世界論、勢力論、因果論、進化論はみな世界の外面より観察したるものにして、絶対無限なる大勢力の表面すなわちいわゆる客観の方面における所見でありますから、これより世界の内面すなわち大勢力の裏面なる主観の方面より観察を下すつもりであります。すなわちこれまでは客観上われわれの生存を始とし、世界万有の本籍調べの一方に取り掛かり、その本籍は東洋の東端に位する日本国にあらず、また朝鮮でもシナでもなく、前世界にあることを知り、つぎにその前世界の本籍は前々世界にあるを知り、かくのごとくさかのぼりて本籍の本籍を尋ぬれば、無始の始、世界大化の起点にありて存することが分かりました。なにぶん今日までだれも世界の本籍調べをせずに捨ておいたために、無智愚昧の泥中に埋没してありしものを、余が微力をもってようやく掘り出して諸君に示したわけであります。なお今一つの精神の本籍がうずもれて分からぬから、これより掘り出しに掛かるつもりなれば、諸君なるべく下手の長談義をこらえてあくびせずに聞いてもらいたいものであります。まずその話は意識論より始めましょう。意識の起源は進化論においても一大難問なれども、余がさきに述べたるごとく、この世界の初めにおいて、星雲より継続せる原始的物質が分かれて無機有機となり、その有機は更に分かれて無感有感となり、その有感はまた分かれて動物人類となりたる点よりさかのぼりて考うれば、意識も感覚も生活もみな原始的物質中に潜伏して存することが分かります。しからばその物質の中にいかなる状態を有して存するやは、ここに論ずべき一大問題であります。

 意識潜伏の状態はあたかも草木の種子(たね)の中に枝葉花実がいかなる状態をもって潜伏せるや知るべからざるがごとく、到底明示することはむずかしい。しかしその開発の順序につきて次第を立てれば、左図のごとくなるように考えます。

 すなわち外面は無機物にして、内面には生活、感覚、思想が次第に相重なりて中心を形づくるものと定めおきます。しかるに余は唯力一元論を主唱するものなれば、無機物は勢力の外面にあらわるる現象にして、その体、勢力に外ならざれば、これを無機力と名付け、生活は生活力、感覚は感覚力、思想は思想力と名付くる方がむしろ適当でありましょう。この思想と感覚とは意識の部類であります。またその思想の中心は理想あるいは理性と名付くる心体にして、これ無限性の思想なれば、勢力の中心にありてその体固有の無限性を継続するものと考えます。これに対して他の思想は有限性なれば、これを悟性と名付け、感覚を覚性と名付けて、更に図表を示さば左のごとくになります。

 この図はもとより前図と変わるところなく、ただ思想を有限性と無限性とに分けたるまでであります。このうち勢力の外面を形成せる無機力はすなわち無機物質にして、最初ひとたび退勢を起こしそののち習慣反復の結果、波動的進行を性とし、もって無限の進化すなわち直行的進化に抗抵せんとする性力を有するものなれば、有限性の最もはなはだしきものであり、理性力は最初より勢力の中心に住して、直行的進勢をとるものなれば、無限性の最上たるものであり、その他、生活力、覚性力、悟性力はその二者の中間に位するものなれども、やはり多少の無限性を有するものであります。すなわち生活よりは覚性、覚性よりは悟性と中心に近付くに従い、多くの無限性を有するに至ります。しかして悟性を有限的思想とするは、理性に比較していうのみにて、もし感覚や生活に比すれば、無限性に属してよろしい。かくして理性は無限性の最上たるものにして、常に無限の進化を大成せんと欲し、ために先天的内刺激となりて、物質性すなわち無機力あるいは感覚力に抗抵するものなれば、これ自由の思想の本源であります。これに反して無機力の方は、有限性を保持せんとする退勢の習慣性をとるものなれば、不自由性すなわち必然性の根拠であります。この必然性の無機力あるいは有限性の感覚力が、自由性の理性力に抗抵する故、古来の道徳および宗教にては物質を悪の原因とし、理性を善の本源と考えました。しかして理性も意識の一部分なれども、のちに別に理性だけを論ずるつもりなれば、ここには主に意識と無意識との関係を述べましょう。無意識は盲目的、器械的作用を義とし、生活と無機力とはこれに属するものとし、意識は精神作用の特性にして、感覚、悟性、理性を総称するものとしてこれを考うるに、無意識の方は無限の進化を妨げ、意識の方はこれを助くる方なれば、その間に衝突抗排を免れませぬ。しかし無意識の方は盲者にて、因果の習慣性のみによりて支配せられ、意識の方は明者にて、多少因果の習慣性を有するも、また多少自己の自由力を有するをもって、その力を無意識の物質の上に加えて、これをして進化を助けしむることができます。それ故に人が知識工夫を物質器械の上に加えて、あるいは汽車あるいは電線等を作り、もって社会の進化を助くるわけであります。しかるに理性は無限性の根本、自由性の本源だけありて、唯一に物質性を排去して、競争の全勝を占めんとし、悟性は物質性を利用して、進化の目的を達せんとするの相違が二者の間にあります。これをたとうるに、ここに甲乙丙の三人ありて、至って狭き道を通行せんとするに、丙は盲者にして腕力に富み、乙は腕力なけれども盲者にあらず、甲は明者にして腕力なくも、身軽にしてすこぶる健足なりと定め、丙は前に歩き、乙はそのつぎにして、甲は最後におるとみて、互いに一方を指して進行するに、丙は盲者なれば手さがしにて歩く故、休息していると同様の歩き方であるから、最後の甲より眺むるに、実に見るに忍びず、これを追い払うて進まんとするも、彼盲人なるも腕力に富める故、動かすことができず。しかるに乙は一考を運(めぐ)らし、この腕力を利用するにしかずと思い、彼に説いて汝は盲人なる故に進むことできず、汝もしわれを負わば、われは汝の向かうところを指示して進ましめんといい、その肩に乗り、両人相合して進むに、彼もと腕力者なれば、案外早く進むことができると同様に考えてよろしい。すなわちその甲は理性にたとえ、乙は悟性にたとえ、丙は無機性にたとえたのであります。それ故に外界の無意識的物質はなるべく我人の意識をその上に加えて、進化の助けとなるように利用しなければなりませぬ。東洋人がこれまでこの点に着目せざりしは、実に古今の大失策に相違ない。この点だけは余は俗論派と同感であります。ドウカわが国も、今後器械工芸の学を盛んにして、盲目的物質を利用する工夫を運(めぐ)らさなければなりませぬ。

 これを要するに、無意識的物質が盲目的に無限の進化に抗抵せんとするは、最初大勢力の活動するに当たり、ひとたび退勢をとりたるが原因となりしも、その後習慣の力ついに遺伝性をなし、ために勢力本来の自由性を失い、因果必然の制裁をもって無限の進化、すなわち直行的進化を遮塞する傾向を起こすに至りました。故にその原因はむしろ習慣性に帰してよろしい。これに反して、意識性の方は最初進勢をとりたる部分なれば、多少物質性に引かれて、退勢の傾向を受けしことあるも、そののち退勢の習慣を反復すること無意識性より少なきをもって、因果必然の制裁のみを受けずして、多少勢力本来の自由を有するうち、理性はその最たるものであります。元来勢力そのものは自由性にして、自由に活動し、自由に進化する性力を有するも、ひとたび活動するや内外の間に速度の相違より進勢退勢の別を生じ、それがために外面に波動の習慣を起こし、その習慣を重ねること多きものは、直行的進化をとることあたわずして、波形的進行をなすために、直行的進化をなすものに比すれば、つねに退勢をとることとなり、その習慣が継続するために、本来の自由を失い、因果律の制裁のみを受くるに至りました。これに反して勢力が無限の自由をもって活動するに当たり、その中心もしくは内面となりて進勢の一方をとりたるものは、波動の習慣に制せらるること少なく、本来の自由を保つに至りました。かくいうときは必ずここに一問を発するものありて、因果律は勢力活動の規則なれば、外面となりたる方のみならず、内面の方も共にその規則の下に立つべき理なるに、意識性の方は因果必然の影響を受けずして、本来の自由を保つというは解し難しと難ずるものがありましょう。もとより必然というも自由というも、相対比較上の沙汰にして、絶対的自由をいうのではない。故にそのいわゆる自由も因果律に従うに相違なけれども、勢力本来の目的は無限に向かいて活動せんとするにあれば、その勢いを比較上そのまま持ちて直行的進勢をとるものを自由を有すといい、これに反して退勢の習慣の強き方を自由なしと申すまでであります。換言すれば進行上波動の習慣性を有すること強きものを必然といい、その少なきものを自由というまでであります。しかしてその習慣性の強きものほど因果律の制裁を受くること多きものなれば、その方を因果必然と申します。もし因果律を絶対的、相対的の二つに分かたば、絶対的因果はすなわち自由にして、無限の進化に向かいて直行する方に行われ、相対的因果は波動的進行の習慣性を有する方に行わるるの別あるのみにて、その実いずれも因果律を有するに相違ない。また意識性の方もやはり波動の習慣を有すること明らかなれば、自由も必然もみな比較上の沙汰に過ぎませぬ。これらの道理はたやすく了解することは難いから、諸君も味わいなきもののように感ぜらるるかも知れぬけれども、その実大いに味あるところなれば、よくかみ砕きてみるがよろしい。世間にてうまいもののたとえに栗のごとし、あるいは栗よりうまいと申し、甘薯の一名を十三里半と称するは、栗より(九里四里)うまいを義とするがごとき、みな栗をもってうまいものの標準(めあて)と立てます。しかるにその栗は毛毬の中に包まれて、一見実に恐るべき有様であり、その中にまた固き皮をかぶり、渋を帯びたる有様は、だれもこの中に美味の存するとは思いも寄らざることでありましょう。これと同じく余が進化論は一見更に味なきもののように考うる人あるべきも、その実ひとたびこれを味わうるを得ば、その美味いうべからざるものあることが分かります。諸君その心得にて熟味せられよ。

       第二二回 意識論 二

 かくして意識性の方(精神)と無意識性の方(物質)と、無限の進化に対する進勢の速度を異にするも、共に無始時来、出没生滅の波動を起こして、世界の大化の間に一進一退を反復して今日に至るものなれば、この世界は波動の習慣性によりてできたと申してよろしい。我人の生存も我人の世界も、この身もこの心もみな無始時来、継続したる習慣性の結果に相違ない。すなわちわが身体もこれによりて生じ、わが感覚もこれによりて生じ、わが見るところの事々物々みなこれによりてできたに相違ありませぬ。故に我人が一生涯になすこと行うこと思うことまたみな波動の原因となりて、その結果はこの世界あるいは後の世界に向かいて継続するは必然であります。たとえば物質上の因果はここに一個の石ありてこれを池中に投ずと定むるに、池面の上にたちまち波を起こし、その力は分子より分子に伝わりて、一種の運動を継続し、その運動の範囲の広がるに従いて、我人がその動勢を見ることあたわずといえども、水面より陸地に及ぼし、その間位置を換え状態を変ずるまでにて、決して真に消滅する理なく、ついにその微小なる勢力が前因後果互いに相続して、世界大化の原因に加わり、その最後の結果は後の世界に至りてあらわるる道理であります。これと同じくわれわれが心の中に善にもせよ悪にもせよ一念を起こせば、たちまち精神の海面に波動を起こし、一方はその動勢を神経物質に与え、これより四肢五官に及ぼし、相伝えて物質上の波動を起こし、ついに世界の外面より大化の原因を助成あるいは妨害するに至り、今一方はその動勢を精神中に相続し、前念、後念次第に相伝えて没時に至り、あるいはその一部分を子孫に伝えて後世に及ぼし、あるいは精神そのものの中に潜伏して永世に及ぼし、またはその念いやしくも言行に発すれば、他人の精神に振動を与えてその心中に相続し、あるいは内因となりあるいは外因となりて、死後永く滅絶することなく、ついにその最後の結果は星雲の胎内に潜伏して、後の世界を組織するの原因となるに至るは、また道理の動かすべからざるものと考えます。しかして我人の心内に起こりし一念が、外面にあらわれて客観上に相続し、もって後の世界に及ぼすを顕性相続といい、内面に潜んで主観上に相続するを潜性相続といいます。果たしてしからばわれわれの一念一慮、一言一行、一挙一動、善にもあれ悪にもあれ、その結果は決して空しくなるの理なく、この世界あるいはつぎの世界においてその原因に相応せる結果を開くは疑いなしと信じます。しかしてその因、善なれば善果を開き、悪なれば悪果を開くは、もとより論を待たざる次第であります。その善とはすべて我人の精神上無限の大進化を助成する方針をとるものをいい、悪とはこれに反するものをいうと心得てよろしい。すなわちその進化を助くる原因が顕性潜性共に多く集まれば、その速度を早くし、あるいはその程度を高くし、これに反する原因が多く集まれば、その度を減ずる道理にて、その最後の結果は顕性潜性共に相合して、星雲の胎内に宿りて一時潜伏するも、つぎの世界の大化の進行中、その開発すべき時機の至るに会すれば、たちまち発顕して今日の善悪の原因に相応する結果を開示するはずである。これを善悪因果の規則と申します。この点は俗論派などには到底分かることはむずかしい。なぜなればかの派の人達はつぎの世界あるを知らざる上に、人間の身体が物質からできるものとばかり思うております。しかるにわれわれの身体は勢力の習慣性によりてでき、その習慣性はこれを主観の方よりいえば、前の世界より相続せる善悪因果の結果があらわれたのであります。もしこれを前に考えてしかる以上は後に考えても同じ道理にて、今日の善悪因果が相続潜伏して、つぎの世界に人間界を形造る原因となり、人の身体を構成する原力となるのであります。しかして今日の人間界において起こしたる行為は、因果不断に相続するには相違なきも、正しくその結果を開くは、後の世界の人類開発期にあると思います。そのわけは庭前の梅につきて考えても分かりましょう。梅そのものには花の原因を備えておりても、七月や八月にはその結果をあらわさず、必ず二、三月頃になり前年と同時期、すなわち一定の開花期に達せざれば、花を開きませぬ。それまでの間はいわゆる潜伏しておると申してよろしい。これと同じく人間のなしたる善悪の行為は、他の原因に加わりて絶えず目前の世界にその結果をあらわしつつあるも、正しくその花を開くは後の世界の開花期、すなわち人類開発期にあるは疑いないと考えます。もっとも善悪因果は精神上すなわち主観上に継続するものなれば、これに客観上の因果の相加わるはもちろんのことであります。かつ俗論派は物質はわが目に見るとおりの物体が常に存するように思うておるから、余輩の申すことがよく胸に落ちぬらしい。さきに述べたるとおり、物質は勢力の現象すなわち勢力の外面をわが感覚にて認めたるまでのものに過ぎませぬ。この物質があるいは集合して形体をなし、あるいは分散して形体を失うも、みな勢力中に保つところの因果の習慣性のしからしむるところであります。この点をとくと考えてみれば、余が述ぶるところの善悪因果の理もたやすく分かりましょう。

 これより更に進んで意識性そのもののよりて起こりし本源を論じなければなりませぬ。われわれ人類は意識の光、覚知の力を有し、動物も多少これを有するも、植物は全くこれを有せず、無機物に至りては更にその影だも有せず、同じ勢力の活動より生じたるに、何故にかかる相違あるやは実に一大難問であります。この問題を解するに二様の考説あることを知らなければなりませぬ。その一は勢力本来の性質は意識性なるも、進退両化の波動を起こしたるために、その表面の方すなわち無機物および植物の方は無意識となり、人類の方は勢力内面の真相を伝うるをもって、勢力本来の意識性を保ちておるという説であります。今一つの考説は勢力本来の性質は無意識にして、盲目的活動を有するのみ。故に我人の生存中は意識性をみるも、その前後は無意識となるという説であります。しかして余はこの二者中甲説をとるものなるが、これには多少の説明が入るに相違ない。余は何故にこの説をとるかというに、本来の勢力は純然たる無意識性ならば、進化開発して意識を生ずる理はありませぬ。また意識は進化の初期すなわち下等の階段にありてあらわれずして、ようやく進みて高等の階段に至りてあらわるるとすれば、勢力の本性は意識性にして、しかもその大進化の目的はこの内包の意識性を外発するにありと定めなければなりませぬ。その他、我人の先天的本心として有する理想は、勢力の真相を伝うるものなるに、その体最も明らかなる意識を有する点より考うるも、勢力の本性は意識性なること疑いなしと考えます。しからば何故に世界の表面に無意識性をあらわせしか、これまた一問題であります。その理由は前にしばしば申したる習慣性の影響にして、たとえば池の水が本来透明なるもひとたび凍れば不透明となるがごとく、本来透明なる勢力が習慣のために凝結して不透明すなわち無意識となりしとみてよろしい。これを要するに宇宙の大勢力はひとたび活動を始むるや、その表面に進勢と退勢との関係上、波動の習慣を起こし、これを反復継続するために不透明の無意識性を生ずるに至ると申すのが余の説であります。

 しかるに更にここに一問題ありてわれわれの精神は存命中に意識を有するも、生の前、死の後に至れば無意識になるはいかん、また存命中にても熟睡中もしくは一時の変動によりて無意識を呈するはいかんと。これもっともの問いであるが、余が説にては意識性を継続すべき精神が、往々無意識を呈するは、やはり勢力の表面に起こるところの波動的習慣の影響であると考えます。元来われわれはあるいは生まれあるいは死することあるは、この波動のしからしむるところにして、その余勢は精神はもちろん、理性までに及ぼし、一時に意識の光を発するも、たちまち無意識のうちに没するようになります。これをたとうるに、灯光は絶えずその光を継続せんとするも、風のために明滅を生ずるがごとく、精神も習慣の風のために意識の継続を起こすのであります。今更にその意を敷衍して申さば、すでに勢力の表面は物質にして、裏面は精神なるの別ありて、進化の目的は裏面の精神を表面に開顕するにあるも、宇宙進化の太初に表裏その動勢を異にせるより、内包の意識を外発することあたわざる事情を生じ、ために意識は永く潜伏の状態を呈するも、表面大化の途次、物質分子の適合そのよろしきを得て、表裏両面、相一致するの点を示すに至れば、たまたま意識の光を開顕するも、一生の前後はもちろん、一生の間といえども意識の開顕を妨ぐる事情に接すれば、明滅断続の変化を生ずるに至ります。これ進化の程度のなお低き故であります。もしこれを世界大化の上に考うれば、前世界の人類開発期に生じたる意識が、その退化の際にひとたび滅して、この世界の人類開発期に至りて再び生じたりとなさば、その断滅すなわち潜伏の期限すこぶる悠久なるがごときも、無限の大化の時日に比すればあえて驚くに及びませぬ。あるいはこの点につき今日我人の意識中に前世界の意識期のことを記憶せざるはいかん。昨日と今日との間に睡眠を起こして、意識ひとたび休止するも、醒覚の後は昨日のことを記憶するにはあらずやと怪しむものあるべきも、これすこぶる俗難にして答うるまでありませぬ。われわれの意識は前世界どころか、五〇年の一生にても前後を貫きて照らすことがむずかしい。諸君よく己の一身につきて考えてみよ。幼時自ら経験せる事柄が、長年ののちになにほど意識の記憶中に存しおるか。三歳、四歳ごろのことはいかん、一歳、二歳のことはいかん、母の胎内にありしころはいかん、決して分かりますまい。いわんや、前世界のことが今日我人の上に開発せるだけの意識をもって分かるはずはありませぬ。しかしわれわれの今時の記憶は生前に及ぼすことはできぬけれども、われわれの道理思想の力は己の生まれざる前のみならず、人類未生、世界未発の前にさかのぼりて、世界の前に世界あることを知るを得るは、前の世界の意識の継続とみて差し支えない。なぜなればこれらは我人先天の知識によりて知ることなれば、その先天は父祖の遺伝なるも、もし遺伝の大本にさかのぼらば、この世界の遺伝のみにては説明することができず、ぜひ前世界あるいは前々世界の遺伝としなければならぬ。ソウしてみると、先天的知識の大本は前世界の遺伝、すなわち前世界の意識の継続に相違ありませぬ。

 かくのごとく前世界の意識が相続して、今日の我人の精神中にその作用を現ずるとすれば、今日の我人の意識が後の世界においてまたその作用を現ずるに相違ない。さすれば余は諸君に喜ばしき報告をいたしましょう。すなわちわれわれはひとたびこの世を去るも、再び後の世界に生まるると考えて差し支えない。もとより大日本帝国何県何郡何村何誰がそのままに生ずるはずはあるまい。名は権兵衛が三助になり、右衛門が左衛門になるよりモット変わりましょうが、われわれの精神が先天性となりて後の世界に再生する以上は、われわれはこの身をもって再生するも同様のわけである。もしわれわれの自身の再生とは考えられぬならば、われわれの子孫と考えてよろしい。その上にいよいよ今日今時の一念一慮が、因となりて後の世界にその果を開くことが明らかなれば、今日の権兵衛、八兵衛がその因縁熟して、再び生ずるようになるかも計り難い。もっともつぎの世界では意識の開発が今日の世界を記憶しおることができぬにもせよ、未来無限の大化の間にいくぶんずつ余分の意識を開発するに相違なければ、意識の光力ようやくその度を加え、後には過去の世界の上を照らすはもちろん、前世の記憶までを保つようになるかと考えます。その時に至らば始めて今日の権兵衛、三兵衛の境遇が分かりましょう。ソウしてみれば諸君決して落胆するに及ばず、失望するに及ばず、諸君の一生は決してここに尽きませぬ。これより一段ずつ勢力内包の意識を開発して、最後には無限の光明をあらわすことができますぞ。もしひとたび臨終に至らば、大分疲れたからこれより一休みするぞと思いて、生き残る知人にご免こうむりてお先に休みますと挨拶の一言を述べて、ゆるゆる眠るがよろしい。その内に必ず目のさめる時が来ましょう。あまり眠りておる間が長いというは、起きておるものの批評にして、眠りておる当人にとりては幾億万劫の長きも、瞬息同様であります。故に余と諸君とひとたび別れても、決して永訣と思うなかれ。無限の歳月の間には他日再び相遇うて、これまで経過せしところの無限の山河や、無限の風月につきて昔物語りいたすことがありましょう。思うてここに至ればナント愉快ではありませぬか。俗論派などにはとてもこの愉快が分かるはずはない。その見識の狭きは己の世界の前後すらもみる力なきほどなれば、あたかも太陽は人家中より出でて人家中に入ると信ずる輩(ともがら)に髣髴たるものであります。

       第二三回 理想論

 すでに意識の性質起源を述べ終わりたれば、ここに特別にその中心ともいうべき理想すなわち理性につきて論ずるつもりであります。さきにも弁明せしがごとく、理性は先天的無限性の我人(われひと)の意識中に存するものにして、勢力本来の自由性の我人の上に開発したるものなれば、その自然の性質、我人を刺激して無限の大進化に向かわしむるものであります。故にすべてわが意識中の無限的思想の本体、先天的刺激の根源は、この理性と心得てよろしい。理性のつぎに位する有限的思想すなわち悟性は、理性の指揮に従って外界を支配するものにして、そのつぎに位する覚性は直接に外界に接してその事情を見聞し、これを悟性に伝奏するものであります。これをたとうるに、覚性は直接に人民に接する地方部の役人のごとく、悟性は各省大臣のごとく理性は帝王のごとくに考えても差し支えありませぬ。しかるに覚性の方は物質に接するために、物質に固有せる波動の習慣律に制せられ、無限の大進化たる勢力活動の目的、すなわち世界大化の目的に直行的進勢をとることあたわざるに、理性の方は習慣律に制せらるること少なきをもって、直行的進勢をとりてその目的を達せんとするために、内外両性の間に衝突を起こして、あるいは互いに競争し、あるいは互いに抗排することがあります。これをもって古来理性を本とする道徳や宗教は大いに覚性を軽賎し、あるいは排去せんことを努めました。しかるに悟性はその両間にまたがりて双方の事情を通じ、ややこれを調停するがごとき位置にあると、この悟性と理性との間にも往々衝突を起こすことがあります。畢竟するに、世界の開発に対して理性の方は潜伏期最も長く、開発期最も少なく、悟性はこれに次ぎ覚性はまたそのつぎにして、物質は開発期最も長く、潜伏期ほとんどなきほどであります。しかして波動の習慣性を帯ぶることは物質最も多く、覚性これに次ぎ、悟性またそのつぎにして、理性最も少ない。故に無限の大進化に向かいて進行する速度、あるいは希望はおのおの異なるより、その間の衝突をきたすわけであります。その衝突はひとり宗教道徳と理学実験学との間にみるのみならず、理学と哲学との間にも起こりて、理学は哲学を排せんとし、哲学は理学を排せんとするに至ります。哲学の方は理性と悟性とに関し、理学の方は悟性と覚性とに関するから、悟性の点にては調和ができるはずなれども、理性と覚性との極端の反対者が双方に相分かれて加わる故に、往々衝突を起こします。しかし理学の進路を指導するものは理性の無限性刺激にして、新発明はみな最初空想より起こると申しますが、その空想は理性より発するものであります。またわれわれの一身上にても覚性の方はこの肉体を守らんとし、理性の方はこれを捨てんとし、相争う結果、覚性の方敗軍して理性の勝利に帰し、ついに自ら空しく一身を殺すことがありますが、かかる場合には俗論者などはこれを一に厭世的観念の結果として排斥しますけれども、決して厭世ではありませぬ。すなわち理性が直行的進勢をもって早く大化を完了せんとするも、覚性がこれに従わざるために、覚性を捨てて進まんとする結果ここに至るのであります。身を殺して仁をなすのも、国家社会のために一身を犠牲にするのも、みな理性の先天的内刺激が勝利を得たるによることなれば、道徳や宗教には最も大切なる特性であります。しかるに俗論派はこの特性を知らざるために、従来の宗教や道徳を陳腐視しついに先天的内刺激なしと断言するに至りては、なんらの妄言なるか驚かざるを得ませぬ。それでよく宗教や道徳を立てることができましょうか、あるいは宗教や道徳は全く無用とするつもりか、この二者を欠きてドウして人心を維持するであろうか、はなはだ分からぬ始末であります。

 理性の起源は前の意識論中にて一とおり述べたるように、宇宙の大勢力活動の中心あるいは内面もしくは裏面より相伝えてここに開発したるものなれば、その先天なるはいうまでもなく、勢力本来の性質すなわち無限性および自由性を帯びて我人の心中に存し、勢力の目的をなるべく早く完成せんとする希望を有するものであります。しかしてこの理性の刺激によりて、われわれ一個人が己の完全を期して、理想の希望を満たさんとするのみならず、進みて国家社会の完成を図らんとするに至ります。覚性の方は常に外界に接触するをもって、差別性(しゃべつしょう)をとり、なるべく人々(にんにん)個々の差別を保たんとし、理性の方は勢力本来の平等性(びょうどうしょう)を伝うるをもって、なるべく人々個々の差別を除かんとするがために、覚性の方より生存競争を起こし、理性の方より社会団結を促し、かくして競争の結果、社会の団結をみるに至り、なお進みて国家の成立を得るに至りました。故に世間のいわゆる自利は覚性より生じ、利他は理性より発したるものなるに、俗論派は利他は自利より生じたりと断言するは、不都合千万の浅見であります。これをもって、国家の成立は理性の内刺激のしからしむるところと心得てよろしい。これ理性が自ら抱くところの希望を客観上に実行せんとして起こりたるものであります。すべて博愛共同はみな理性の刺激より出でざるはありませぬ。かくして理性が覚性に勝ちて国家社会の団結を全くするに至れば、覚性上の差別的刺激は形を改めて国際の間に行われて、優勝劣敗の蛮俗を演ずるも、これ決して理性の目的にあらず、また勢力進化の目的にあらざることは明らかであります。しかしその競争の裏(うち)には理性の平等性が常に開発せんとしてやまざれば、競争そのものがかえって協同一致の機会を与うることとなりて、将来国際の平和が行わるるようになるに相違ない。その結果ついに地球上一大国をみるに至るべき道理であります。これより以上の進化は、今日この地球上の政治的方面においてはひとたびとどまるより外なく、その後は進化一変して退化をきたすに至ると考えます。しかし物質上、器械上の進化はなお進行するを得べきも、これもさきに述ぶるがごとく定限ありてその極に達すれば、退化を始むるに相違ありませぬ。これより世界の退化期となり、漸々破壊をきたして星雲の状態に帰するに至りてやみましょう。これ理性の無限性が敗をとりたるばかりでなく、世界全体の進化の途中、退勢が進勢に勝ちたるによることなれども、また退化そのものは第二の進化の準備なることを知らなければなりませぬ。たとえば草木の葉が冬期(ふゆ)に落ち去るは、翌春新芽の出づる準備と考えてよろしいと同様であります。またわれわれが夜中眠息するのは、翌日の労働の準備であるというにたとえてもよろしい。すなわちその退化あるは、今日の世界の事情がある程度以上の進化を許すことあたわざるをもって、更に一層高き進化を許すべき世界を組み立つるために退化を起こすと、考えても差し支えありませぬ。これを要するに世界の大化は大進化の方針に向かいて進行するものであります。

 宇宙の大勢力の表面すなわち客観的方面の標本は目前の物質界なるがごとく、裏面すなわち主観的方面の標本は理性でありますから、理性そのものを究めさえすれば、勢力の裏面の状態を知ることができる道理(わけ)であります。理性はこれを覚性に比するに無限性、自由性、平等性を有するをもって、勢力本来の性質もまたかくのごとくなるべしと考えます。しかして今ここに時間空間と理性との関係を述ぶる必要を感じました。時間空間は覚性上において普遍必要の性質を有するのみならず、思想上においてその無限と実在とを否定することができぬ以上は、理性の先天性と考えなければなりませぬ。しかるに覚性上においても遍在恒有なる以上は、客観的実在、いな形式としてその存することを許さなければなりませぬ。換言すれば主観客観両面に普遍せる形式であります。これによりてこれをみるに、勢力そのものに固有せる形式なるに相違ない。すなわち時間空間は主観上勢力固有の形式なる点より、理性の先天的思想となり、客観上勢力活動の形式なるわけより、覚性の先天的直覚となりたるものと考えます。換言すれば勢力に付随せる形式にして、あたかも物に影の相離れざるがごときものであります。

 今一ツ理性につきて述べたき点は、真善美三性と理性との関係であります。この三者はみなその本源を理性中に発するよりこれをみるに、理性の特性と考えます。しかして理性は宇宙大勢力の内面的標本とすれば、この三性は大勢力の特性なることが分かると同時に、また無限の進化の目的はこの三性を充実完了することが分かります。そのわけは現今の進化において理性がこの三性を充実することのみを目的としておるところから想定する次第であります。しかしてその美は理性が万有界に対して求むるところの希望、その善は人間界に対して求むるところの希望、その真は絶対界に対して求むるところの希望にして、その第一は美学に関し、第二は倫理学に関し、第三は純正哲学もしくは知識学に関する特性であります。故にこれをその希望の相手の方に当てはめていえば、第一は自然界の目的、第二は意識界の目的、第三は理性界の目的となります。この点より考察を下さば、大進化の終局は自然界の美を円満ならしめ、人間界すなわち意識界の善を円満ならしめ、絶対界すなわち理性界の真を円満ならしめ、この三圏の相合して一となるところに存するように思われます。しかして万有界なかんずく物質界上に美を現ずる理由は、物質そのものが習慣性のために凝結して不透明の状態を現すに至るも、その裏面には勢力本来の透明性すなわち光明性が存するをもって、その余光を往々不透明の物質上に漏らす場合に、我人の理性よりこれを認めて美を感ずることと考えます。もし物質そのものの自然の構造あるいは組織あるいは配合がその裏面の光気を漏らすに適せざるときは、人間の意識力すなわち人力をその上に加え、配置適合のよろしきを得るに至れば、やはり裏面の光明を漏らして美を呈するようになる。すなわち美術のことであります。これはわが理性がその光気を認むるより生ずと考えます。故にわれわれは進化を大成する目的をもって物質界に対しては、人工を与えて本来の美を示さしめんことを努め、人間界に対しては教育を加えて善を進めしめんことを努め、絶対界に対しては真理を窮めて真をまっとうせんことを努めなければなりませぬ。これみなわれわれ本来の目的なれば、わが生命のあらん限り、事々物々、内外百般の進化に力を尽くして、人類、社会、国家の完成を期することを要します。しかしてその結果は決して空しからず。この世界のみならず、未来の世界まで継続して、一歩進めば一歩の功をあらわし、一善積めば一善の果を開くに相違ないことは、だれが保証するか。すなわちわが理性が保証するところであります。余輩はこの保証を固く信じて、先天性内刺激に従い、五〇年ないし一〇〇年の一生の間に国家社会の上になにほどの事業を成し、もって進化の大勢を助け得るかを己の一身に試みんことを天下公衆に向かいて誓います。

       第二四回 無限論

 以上述べきたりし部分は我人のいわゆる可知的門なれば、これに対して不可知的門があります。従来は可知的門、不可知的門の分類を用いしもある意味においては不可知的門すなわち可知的門となり、わが思想の上に一方は知るべしと知り、他方は知るべからずと知るものなれば、二者共に思想の範囲内に帰します。この知るべからずと知ることは人の解し難きところなれども、世の中に多くこれに類したる例があります。たとえば世間にて信じられぬものと信ずるとか、あきらめられぬものとあきらめると申すことは、みな同じ例であります。ある学校にて同窓の者の一癖ある点をとりて異名を付けること流行し、なにごとにも決して本人の姓名を呼ばずして、異名ばかりを呼ぶことに定めたるが、舎中の一人かなり金持ちのものありて、自分だけ異名を付けられぬようにと願い、舎生一同を招き、饗応(もてなし)してそのことを頼みたれば、一同快く承諾して、当人だけには異名を与えぬことにいたしました。かくしてその後舎中にて当人を呼ぶに「異名なしサン」と申したる由なるが、すでに「異名なし」と呼べばこれ異名あるわけにて、真の異名なしではありませぬ。これと同じ道理にて、すでに不可知的といえばこれ不可知的なりと知りたるものにして、全くの不可知的とは申されませぬ。それ故に余は可知的門、不可知的門の代わりに有限門、無限門の名称を用うるつもりであります。しかしてこれまで回数を重ねて述べきたりし分は有限門にして、ただここに無限門の一が残りました。これを無限論と題して話しましょう。

 有限門も無限門も共にわれわれの思想なるに相違なきも、有限門の方は思想の積極面にして、無限門の方は思想の消極面であります。故に無限門は思想にてその無限たるを認むるのみにて、無限そのものは握ることも挙ぐることもつかむこともできず、これに近寄らんとすれば、たちまち後の方へ跳ね返されて、あたかも己の手をもって己の体を挙げんとするようなもので、いかんともすることができませぬ。そこで考うるに無限そのものは思想の四極にして、二者の限界同一なるに相違ない。故に無限はなお思想の中にありというも、思想の外郭であります。よりて哲学上の研究はなにごとも無限の点まで推し窮むれば、その役目は終わると考えてよろしい。もし無限の点まで究め尽くさずして、途中にてとどまるならば、これはいわゆる仮定もしくは独断と申すものであります。しかるに唯物論者は有限を起点として、四隅みな有限に終わるものなれば、これを評して仮定のはなはだしきもの、あるいは哲学の本分を尽くさざるものといわなければなりませぬ。かくしてすでに哲学が思想の有限門すなわち積極門に始まりて、無限門すなわち消極門に終わることを知らば、余が今まで論じたるところは思想の終極まで達して、哲学の本分を究めたるものにして、これより以上は宗教の領分に属します。哲学の方は悟性と理性とによりて研究し、有限門は悟性の受け持ち、無限門は理性の受け持ち、すなわち有限門より無限門に及ぼし、あるいは無限門より有限門に及ぼすは理性の受け持ちでありますが、宗教の方は道理思想を超絶したるものなれば、信性の受け持ちであります。しかし宗教は外面は哲学に関係して存するものなれば、理性もその一部分に加わりて、信性理性二者の受け持ちとみるがよろしい。故に余は思想の方面よりみるときは、宗教は哲学の応用であると考えます。しかしてその二者の関係は哲学にて有限門を積極とし無限門を消極とするところを、宗教にては無限門を積極とし有限門を消極として説くから、哲学窮まりて宗教を生ずる道理でありますが、余が今回の講述は哲学だけに限るつもりなれば、宗教のことは申しませぬ。

 さてここに世界の無限を考うるに、空間および時間の無限なるは説明を待たず。その二者の間にわたれる世界は、一進一退、一開一合、星雲に始まりて星雲に終わり、再び星雲より世界を開き出す。その状あたかもひょうたんのごとく、星雲は実にその中間のくびれ目にして、その前後に世界が開き出しておることなれば、これを世間より異名してひょうたん説と呼ぶもかまいませぬ。そのひょうたんは一つや二つではなくして、無数のひょうたんが竪に連なりておるような工合に、星雲の前に無数の世界ありて、同じく一開一合、一進一退を繰り返してやまざるは、無始の始より無終の終に至るものであります。故に世界の大化は時間の無限なるがごとく、過去、未来共に無限にして、わが思想の力にてその起源もその終極も知ることができず、ここに至れば哲学の領分の限りと思いて説明をやむるより外にいたし方はありませぬ。しかしまたわが思想の力たとえその初めは無限にもせよ、大化の起点があるに相違ないことを期するをもって、無限の中より宇宙の大勢力が活動を始めてようやく進行する間に、進勢退勢との別を生じ、表面に波動を起こしたるものが目前の物質界、すなわち勢力の表面となるに至り、その裏面に相続するものは意識、なかんずく理想して、これを表面に向かいて開発せるはわれわれ人類なりというのが、余が唱うるところの説であります。これに対しては必ず一問の起こるありて、その勢力が何故に活動を始めしやといわんに、勢力はもと活動を性とするものなるによると答うるをもって足れりと考えます。なぜなればそれ以上にさかのぼれば無限の海中に入りて、思想が進むことあたわず、強いて進まんとすれば後へ跳ね返さるるばかりであります。また世界大化の将来を考うるに、これまた一開一合、一進一退を継続して、無限無終の時に及ぼすというより外なく、これより以上は無限中に入りて跳ね返さるるようになります。ただその終極は今日の世界よりこれを推すに、理想本来の特性たる真善美三性を外面に開発して、理想の目的を完了するに至らんことを想定するのみであります。そこで余はこの両端をもって思想の両極となし、世界の大化は無限より始まりて無限に終わると定め、哲学の本領はここに至りて窮まり、それより以上は宗教の信性に訴うるより外なしと考えます。

 古来の唯物論は、この大勢力活動の表面を見て裏面あるを知らず、唯心論はその裏面を見て表面あるを知らずして互いに相争いたるも、おのおの一方の偏見に過ぎませぬ。しかして余が説はこの両面を存する中庸説なれば、唯物にもあらず、唯心にもあらざるべきも、二者相対するときは唯心論をとるものであります。なぜなれば余がいわゆる勢力は本来延長を有せず、かつ意識性のものにして、唯物論のいわゆる物質とは異なるものなれば、唯心論の原理に近きものであり、かつその道理は唯心論によらざれば解し難(にく)い。それ故に余はこれを新唯心論と名付けます。しかしもしその意識は勢力中に内包せるものと立つる以上は、これに与うるに唯心論の名をもってするも穏やかならずと評するものあらば、さきに示すがごとくこれを勢力大化論、あるいは唯力一元論と名付けましたが、唯心論より一歩進みたる理想論とやや同じとみてよろしい。ただ従来の理想論は唯心論に傾き過ぎる風あれば、余は勢力を中心として論じたるだけが理想論と異なります。しかし理想論の考えを基礎として組み立てたるものなれば、理想開発論と名付けても差し支えない。しかして心体物体の問題に至りては、勢力の表面の物象を見て物体を想し、勢力の裏面の心象をみて心体を想したるものなれば、二者の体共にこれ勢力にして、一元なりとの説であります。いわゆる一体両面、不一不二の説と心得てよろしい。更に我人の理性と絶対唯一の勢力との関係を考うれば、これまた不一不二であります。理性の外よりこれをみれば、我人の理性は宇宙の勢力の一部分なるに相違なきも、理性そのものの方よりこれをみれば、わが思想を離れて勢力を認むべからずして、勢力そのものは全く理性の光の中に包括せられて存するものなれば、理想と勢力とは不離不即すなわち不一不二なりと考えます。すなわち理想はわが心中にその端を開くも、その根拠は勢力の裏面全体にわたりて存するものにして、その縮写鏡をわが心中にそなえておるようなもので、この鏡より客観界をうかがえば、また勢力の表面全体を見ることができます。俗論派は必ずこれを名付けて心中の魔鏡と申すかも知れませぬが、魔鏡でも幻鏡でも化物鏡でもかまうには及ばず、我人が無限、無辺、無量等の状態をうかがうはこの鏡の外にありませぬ。これにおいてわれわれは勢力の無限広大なるにもかかわらず、わが心中の理想をもってその実在および活動を知了するに至るわけであります。この理を推して考うれば、有限も無限もまた不一不二なることが分かります。もしこの無限門を開きてこれに直達する法を示すは宗教にして、その妙味実に計るべからざるものあるも、余は他日別に講述いたすつもりであります。

       第二五回 応用論

 さてさて下手の長談義を一回一回また一回、数十回を重ねて述べましたが、さだめて諸君も退屈を感ぜられたでありましょう。ソウいう拙者も大分饗(あ)きがきて、諸君とあくびの競争をしたいようになりましたから、この一回にて長談義をやめる考えであります。畢竟かかる長々しき話をするのは、決して物数奇(ものずき)で申すのではなく、近来大先輩、中先輩、小先輩の諸氏が神儒仏三道は陳腐なりとして、一から十まで西洋実験説を担ぎ出し、わが東洋の特性も長所も取り除き、あまつさえ人倫道徳の基本まで取り除かんとする時節になり、寝ても起きてもいられない一大事と心得、大いに呼んで天下の同志を集め、会稽の恥雪(そそ)ぎをやりたいと思うて、第一に俗論派のとるところの唯物論を破壊し、つぎに余輩の守るところの理想論を主唱してここに至りました。唯物論にては物質の実体、勢力の本源、進化の原因等、一として仮定に出でざるなく、もしそのなんたるを問わば、これは不可知的なりと断り、すこしもその根底を究めざれば、途中にブラブラ懸かりておるような有様なれば、余はこれを浮島説と名付けました。その説によれば人には先天性や無限性などのあるはずなく、先天は父祖の遺伝といいて、その遺伝の本源を示さず、また無限の思想は有限の抽象というのみにて、有限を引き延ばして無限に至らしむる原力いかんを示さず。しかのみならず、自ら物質の外に精神なく意識なく理想なきを唱えながら、その判断は全く意識や思想によりて下せるを知らざる有様であります。かかる途中にブラブラ然としておる浮島説をわが国の俗論派はなんたる珍客と思いしやら、優待歓迎至らざるなく己ひとりのみならず、日本国中同胞兄弟をしてことごとくこれを崇拝せしめんとする勢いなるには、実に憤然に堪えませぬ。しかしてその言には、西洋の唯物論および進化論などは実験上の事実によりて構成したる論なれば、東洋流の空想とは天地の相違である。すべて真理の標準は外界の事実の上に立つるより外なく、己の思想中に存することが外界の事実に照らして内外一致するときにこれを真とし、一致せざるときにこれを非とするまでである。しかるに唯物論などはみな事実に照らして立てたるものなれば、これくらいに確真なるものはないと言い触らしまするが、これ大いなる了簡違いと申さなければなりませぬ。第一に唯物論は実験によるというも、理学のごとくに実験の範囲内だけにつきて申すなら恕(ゆる)すべきも、理学の実験説をむやみに実験以外に持ち回りて、確実確実と言い触らすは、実に無理なる押し付け売り同様でありて、日本の通用貨幣をもって世界中に当てはめようとするも同じことであります。かつ唯物論は思想中にある事柄を外界の事実に照らして一致するものをとるから真理であるというは、余輩には更に解することができませぬ。思想中にある事柄は唯物論者の説によれば、すべて外界の経験より得たるものではありませぬか。換言すれば、外界の事物の影像が心中にとどまりて思想を組み立つると申すではないか。さすれば心中の思想は外界の事物の複写であるのに、この複写がいかに外界の事実に一致符合したりといいて、すこしも真理の保証にはなりませぬ。たとえばここに甲の画幅と乙の画幅ありて、乙は甲の摸写なるに、乙の幅がなにほど甲の幅に符合するところあるも、すこしも真偽の鑑定の証拠にはならぬと同様であります。畢竟かくのごときはあらかじめ外界の事物を真理と仮定せるより起こりたるまでにて、その前に何故に外界の事物が確実なるかを究めなければなりませぬ。しかるにその証明なき限りは仮定独断の説たるを免れぬはむろんであります。その他、唯物論にて説明のできぬ点はなにほどあるや知れませぬ。時間でも空間でも因果律でも決して唯物論の力にて分かるはずはない。なかんずく天運の一条に至りては、これまで唯心論者も説明に苦しんでおったくらいであるから、唯物論の手際で知れる道理はありませぬ。余はこのことにつきいろいろ工夫し、ついに前世界の因果の引き続きなることを発見しました。たとえば人がすこしも予想予期せざる災難不幸あるいは幸福に際会するがごときは、これまでは大抵不問に付し、偶然の出来事とみなしおきたるも、学術上偶然のあるべき理なく、必ずしかるべき道理あるはずであるのに、だれも説明を与えませぬ。しかるに余は今日の世界は前世界の引き続きにして、この世界開発の順序次第は、前世界における種々無量の原因事情の相合したる結果なることを発見し、始めて天運の起こる原因を明らかにすることを得ましたが、これは他日別に論ずる考えありて、今回は見合わせることにいたしました。

 かくのごとく唯物論は理論上不都合の点至って多いところ、応用上一層はなはだしく、その結果東洋の特性を破壊するのみならず、国家の道徳を破壊するの恐れがあります。さきに申したるとおり、西洋の長所は有形上の実験学にして、これには余輩も実に感服しておるけれども、その実験の器械をただちに無形上の道徳宗教に当てはむるに至りては、あたかも活きたる人間を棺桶の中に入れるようなもので、世の中にこれくらい不都合のことはありますまい。これは全く西洋の失策なること明瞭なるに、わが国の俗論派は有形の実験学に目も心も共に奪われたるために、汽車電信の応用と同様に、わが社会に利益を与うるならんと考えたるは大見込み違いであります。故に道徳宗教は日本固有のものに今日に相応するだけの改良を加え、もし垢が付いておるなら、西洋の石鹸(しゃぼん)をかりて洗濯するは差し支えないから、西洋学の長所をとりてその説を改良、もしくは進長する要具だけに用ゆるようにいたしたいものであります。故に余が建正門として述べたるものは、西洋の学説を要具として東洋学、なかんずく神儒仏三道の先天的学理を証明し、あわせてわが国固有の人倫道徳を動かさざるようにその基礎を鞏固にするためであります。これより前述の理論を神儒仏三道に配合して話しましょう。

 さきに余のいわゆる星雲は儒教の大極に当たり、道教の大虚もしくは無名に当たり、仏教の空もしくは心識に当たり、本邦にては『日本書紀』の混沌または如鶏子に当たり、『古事記』の高天原(たかまがはら)に当たります。しかして仏教の真如は余がいわゆる宇宙の大勢力の体をいい、『日本書紀』の「神聖その中に生(せい)す」       とある。その神聖は星雲中に胚胎せる霊気、すなわち内包の意識理想をいうとみてよろしい。また儒教の大極は星雲とみずして、宇宙の大勢力とみても差し支えない。この勢力の表面は水の凍りて不透明になりたるがごとく、その裏面は水の透明なるがごとく、その透明なる部分は精神となり、理想となりたるものなれば、これを気の純と不純とに配してもよろしく、また易の陰陽に配してもよろしい。儒書に陽の精気を神となすとありて、その透明なる裏面はこの陽の精気に当たります。また孟子のいわゆる浩然の気もわが国の大和魂も、その裏面の精気とみてよろしい。しかして仏教の『起信論』にて覚と不覚との二種を分かつは、精神中に覚性と理性とを分かつに同じく、また『涅槃経』の悉有仏性(しつうぶっしょう)の仏性も、儒書の良知良能も、みな余がいわゆる理性(りしょう)に当たりますから、これをいちいち神儒仏三道に当てはめて説かば、立派に先天的学説を立つることができます。その配合につきては余先年『忠孝活論』と題して論じたるものがありますから、諸君がその書につきて講究あらば、必ず明瞭に分かりましょう。

 この先天的学説すなわち理想的学説は、わが国特殊の国体を立つるに最も肝要であります。もし先天説を排して、西洋の唯物論や自利教を持ちきたりても、決して立つ道理はありませぬ。なにほど俗論派が団子を捖(こね)るように捖回(こねま)わしても、唯物論の中から先天的忠孝や国体が出るはずはない。もし出るならば石や瓦の中から黄金も出るはずであります。諸君はさだめてわが国の忠孝は先天的にして、国体もまた先天的なることを知りましょう。これをもし唯物流に解釈したなら、先天的は便宜的あるいは自利的に一変し、自利的忠孝、自利的国体となるに相違ない。もしそれでもよろしい覚悟ならイザ知らず、いやしくも万古不変の先天的国体を天壌(あめつち)と共に万世無窮に伝うる意ならば、自利的学説を放逐して、ひとり先天的学説を講究しなければなりませぬ。畢竟するに、近時流行(はやり)の唯物論は神州の清潔を汚すものと断言してよろしい。ただわれわれが日本国民として尽くすべきは先天的理想の内刺激に応じて、進んで先天的国体の理想を円満完美ならしむるにあるのみと考えます。

 これまでの神儒仏三道の欠点は西洋実験学の要具を借りず、従来のありのままに伝えきたりしことと、この三道の弊は国際の競争に対して進取の方針をとらざりしとの二点にあれども、これ全く時勢がいまだその必要を促すまでに急迫せざるによるものなれば、今よりその方針を一変して、敢為進取の主義をとらしむれば、その結果は唯物論よりはるかに勝るべきは必然であります。なぜなれば元来三道とも先天の学説なれば、心天最も高きところより発する先天の命令に従い、あらゆる自利の私情を排し、単に一死もって国家を守るの精神を起こさしむることができます。これらの道理は余が精神を込めて『忠孝活論』の中に論じおきたれば、諸君の一読を煩わすを得ば幸甚であります。

       第二六回 結 論

 まず俗論退治の講義はここに終わりを告ぐるに至りたれども、その問題たるやすこぶる大にして、到底二〇、三〇回の講義のよく尽くすところではありませぬ。しかし余の今回の講義は最初(はじめ)に述べおいたるとおり、近来(ちかごろ)唯物論のなまぐさき風がわが国の先輩の間に行われ、ようやく後進を風靡して、神州の光景これがために一変し去らんとし、神儒仏三道も風前の灯のごとき勢いに立ち至りしをみて、憤然のあまり自ら進んで正論派の先鋒となり、ここに俗論派に対して戦端を開くに至りしまでなれば、他日更に一大論を起草して大いに戦う決心であります。これまで講述したりし順序は、最初(はじめ)に破俗門を設けて、俗論派のとるところの唯物論、進化論等を実際上ならびに理論上より攻撃して、つぎに建正門に移り、余が講究中の学説を述べて、東洋諸学なかんずく神儒仏三道の先天説の根源を論定し終わりました。しかして今これを一結するに当たり、余が今日の時弊に対する所感の一端を述べ、あわせて余の国家社会に対する決心を天下公衆に告げようと考えます。最初にも一言したるとおり、近年教育の普及と学術の進歩に従って、人の死を恐るること一層はなはだしくなりたるように感ぜられますが、死はもとより恐るるが人情の常なれども、ただむやみやたらに死を恐るるほど愚かなることはありませぬ。余は人間が死すべき時に死するほど愉快はあるまいと考えます。ただグズグズして長生きするのが人間の望むところではありますまい。いやしくも社会のため国家のため尽くすべきを尽くし、なすべきをなして死する以上は、自ら快哉と呼んで永訣を告げてよろしい。人の辞世の歌や詩を見るに、泣き言ばかり並べ立ててあるが、これくらいくだらないことはありませぬ。もしソンナに泣き言をいうようなら、ナゼ平生(つね)にその準備をしておかぬのか、死場に臨んで棺桶に足を掛けながら泣いた悔んだとてもなんの益に立つものか、人間は死ぬものであるということが、死ぬとき始めて分かったのか、生あるものは必ず死に帰すとは、世界開闢の昔から分かりきったことで、百も二百も承知であるはずだ。それを死ぬるときになりて始めて分かったように迷い出すとは、実にあきれ果てた次第であります。いやしくも大丈夫となりて生まれてきたものは、病なんぞ憂うるに足らん、死なんぞ恐るるに足らんの大決心を平生に持ち、いよいよ国家の一大事とあらば、かねて覚悟のこととして、喜び勇んで一命を差し出す心得でおらなければなりませぬ。もし病で家で死するも、戦って野で死するも、死は一ツならば、一人のためより一家のため、一家のためより一郷のため、一郷のためより一国のために死するは、実に栄誉の死と申してよろしい。しかるをわけ分からずに朝夕死なぬように祈りてばかりおるのは、毎日太陽の没せざらんことを祈ると同様、愚かの最上であります。その他、私が死んだときは、なるべく葬式をにぎやかにせよ、墓場を立派にせよ、会葬者の一人も余計にあるようにせよなどの注文は、実に驚き入ったる次第ではありませぬか。これらはみな死んだ体に白粉(おしろい)付けて化装させよという注文と同様であります。墓場などは何年何月何日何某(なにがし)死すという木標一本にて足ることと思います。もし社会の人がその遺徳を慕うて墓場を立てるならよし、自分から持ち出して立派にするは、決して感服することはできませぬ。もしそのくらいに立派にしたいなら、存命中に社会国家のために裨益になることを働きておくがよろしい。ソウサエすれば社会の人がそのままにしておくはずはありませぬ。社会はわれわれの埋葬場でありて、生時に成したる事業が死後までその埋葬場に残るのがすなわち真の石碑と申すものである。ソウいう石碑を立つるように平素(つねに)心掛くるがよろしい。これらの点になるとなかなか人に勝れた利巧の人が案外愚かにみえます。これをなんと名付けてよかろうか。余は恐死病と名付けました。かく恐死病の流行するのは、一つは西洋より唯物論、進化論等の学説が舞い込んだ結果ではないかと考えます。よしソウでないにしても、これらの学説はその病毒を蔓延せしむる媒介(なかだち)となることは疑いありませぬ。恐死病者にこの説を勧むるは、腸チブス患者にみだりに食物を勧むるがごとく、本人は渇望しているところなれば、喜んでこれを用いるに相違なきも、その人の命より大切なる道徳を死滅に帰せしむるは必然であります。この病人に決死の精神を起こさしむる良薬は、先天的学説を教え込み、一死もって君恩に報ゆるの精神を養成するより外にありませぬ。今国際の競争ようやく急を告げ、東洋の天地まさに多事ならんとするに当たりては、国民こぞりて一死もって国家を護するの精神を起こし、決死的団結を作りておかなければならぬ時節となりました。しかし死ぬばかりが人間のてがらではありませぬ。われわれ生まれながら有する先天性の命令をもって、目前の万物をわが配下に立たしむる希望を有することが必要であります。換言すれば人盛んなれば天に勝つの勇力を起こして、自然を利用し、器械を製作し殖産を興し工業を盛んにし、一敗、二敗ないし一〇〇敗を重ぬるも、耐忍不抜、百難を排して進むの決心を抱かなければなりませぬ。なんでもこの世界はわれわれの仕事場か勉強室と心得、天に掛かりおる太陽は開闢以来つるしたる大ランプと思い、月は提灯(ちょうちん)と思うているがよろしい。かくして内に一身の道徳を円満ならしめ、外に国家の理想を充実せしむるを期するこそ人間の世に生まれたる目的でありましょう。そのことはわれわれの先天的理想がわれに教えかつ保証するところであります。もしこれに反し遊惰放蕩に日を送り、自利の私情をほしいままにし、一毛一点の社会国家を利することなきの徒(ともがら)に至りては、覚性の奴隷となりて理性の命令に背くものなれば、その死を恐るること牛馬よりもはなはだしく、見るに忍びざる悲境に呻吟するに至ります。けだし哲学上に覚性は人間一代限りにて死滅し、理性は不死不滅なれば、覚性に従うものは死を恐れ、理性に従うものは死を恐れずと申す説あるが、これ一理ある言(こと)と考えます。生涯ただ己の肉体の奉公ばかりして遊惰放蕩に日を送るは、肉体のために此上(こよ)なき忠義なれども、その主人公たる肉体は三〇年か五〇年の間にあるいはけむりとなりて散じ、あるいは土となりて朽ちるから、死を恐るること牛馬よりもはなはだしくなるわけであります。もし社会国家を己の主人公としてこれに忠義を尽くしおけば、己の肉体は朽ちて土となろうとも、己の主人公は永く生き残っておるから、安心して死ぬことができる道理であります。いわんや己の社会に対して尽くしたる事業(しごと)は、大小にかかわらず永く人の目にも人の記憶にも残るから、一層安心して永眠に就くことができます。しかしもし死を恐れて死が免れらるるものなら、恐るるもよけれども、時至れば草は枯れ木は朽ち、人は死する常則(きまり)なれば、恐れて心配するだけが損であります。しかのみならず恐るれば恐るるほど死期を早めるものでありますから、死を恐るるは死を祈ると同様なれば、これくらいばからしきことはありませぬ。それ故に恐死病を直す一つの方法は、肉体に忠義を尽くすことをやめて、国家社会に忠義を尽くすようにするがよろしい。とにかく人間はひとたび生まれたる以上は、その日より早晩(いつか)一度は死するものと覚悟を極めていかなる災難、不幸、病気にかかるも、すこしもその心を動かさぬようにしておらなければ、犬や猫に対して人間の顔が立ちませぬ。ナント恥ずかしいことではありますまいか。故に死期に臨まば日暮れて眠りに就く心地にて、家内、眷属、朋友に今より一眠するぞとの一言を述ぶればこれにて足ることと考えます。しかして身命のあらん限りは、己の一身を一家に比し、精神は主人の位置にありて、手足、五官はその命を奉ずる僕婢と心得、その中には権助もありおさんドンもあり、門番もあり取り次ぎもありましょうが、たとえば手足は権助やおさんドンのごとく、五官は門番や取り次ぎのごときものであります。この手足の僕婢は別に月給を渡さぬ代わりに、主人が食物を取りて無料で養うておくようなもので、もし手足が病気を起こせば、主人は診察代、薬料まで仕払っておると考えてよろしい。そのくらいに手当てをして抱えておく僕婢に、毎日なんにも仕事を命ぜずに遊ばしておくことができようか。いずれの家にても僕婢をかかえておく以上(うえ)は権助には庭掃除を命じ、おさんドンには飯炊きを命ずるがごとく、手足あらば毎日これを使い回して遊ばせぬようにするが、主人たる精神の役目であります。五官もそのとおりに、相当の仕事を授けて空しく遊ばせぬように監督しなければなりませぬ。しかるにもし有益のことにあらずして、無益のことに手足、五官を使用するは、一家の主人が僕婢を相手として毎日博奕やかるたに耽(ふけ)ると同様にて、このくらいの不都合はありますまい。故に人たるものは、手足、五官を使用して、外界万有を己が配下に立たしめ、天地を号令し日月を指揮して、その得るところの福徳はこれを社会国家に与え、己と国家と共に円満完全の妙境に至らんことを期するようでなくては、人間に生まれてきたりたる本分が立たぬことと考えます。

 以上は世間普通の説明を述べたるまでなれば、これよりその説明を余が一家の学説に考えて話ししてみましょう。諸君はさだめてわれわれの身も心も前世界より因果相続してここにその形を結び、その生を示すようになりたることも、また物質の方は勢力の活動によりて起こせる波動の習慣性強く、精神の方は比較上その習慣性少なきために、理性の方は先天的自由を有すれども、物質より映射しきたれる覚性の方は、その自由の進勢を妨げんとする傾きありて、その結果われわれの一生は覚性と理性との競争をもって満たすことは、承知せられたであろうと思います。かくして理性と覚性の競争の結果、覚性の方が勝ちを占むれば、人間は堕落して禽獣に陥り、理性の方が勝ちを得れば、人間の面目が始めて立つわけでありますが、世間の恐死病などは、覚性が一身を支配して、理性を心室の片隅へ押し込んでしまうから起こります。かかる場合には理性の方に力を添えて、あくまで覚性退治を実行しなければなりませぬ。しかるに唯物論の主義は全くその反対に出でて、覚性を鼓舞して、理性を抑圧せんとするにあれば、道徳の本心を抹殺し、愛国の元気を窒息するの不幸をみるは必然と考えます。元来唯物論は学術上の実験より起こりたるものにして、その方面にありて覚性を鼓舞する必要あれども、これを直接に道徳の方面に適用するは、大いなる見込み違いと申さなければなりませぬ。故に余が意見は今日の時弊に対するばかりでなく、道徳宗教の方面にありていやしくも人心を維持せんと欲するものは、先天の学説を講じて理性の内刺激を進長するの方針をとり、勢力本来の無限的進化を助け、覚性も物質もみなその号令の下に立たしめ、理性そのものが懐抱せる進化の設計をわが一身の上にはむろんのこと、更に進んで国家の上に建設せしめ、われわれの一生一代の間にいずれの点まで成功し得るやを試みんことを切望するものであります。かくしてひとたび建設したるものは、幾万劫を継ぐとも滅することなく、世界の大勢と因果の理法との保証人となりて、わが死後幾万劫の終わりにはこの世界ひとたび滅絶するも、その種子(たね)は星界の土蔵の中へ収まりて、つぎの世界に再び開発する道理なれば、われわれが今日国家のため社会のために尽くしたる一善一行が、この世界の人類滅絶まで相続するのみならず、世界破壊後も時間のあらん限り、無終の終わりまで永続すること明らかであります。さすればいやしくも己が存命中に社会国家のために寸善尺徳を施したる記憶あらば、満足安心して永眠に就くことができましょう。ただ憂うるところは、外界の事情が理性の思うとおりに左右することのできない場合に、理性が外界を離れ孤立して目的地に至らんことを希念するに至るために、厭世を引き起こす一事であります。今日まで東洋の学風、宗教がこの方針に傾きたる弊あることは、余輩も承知しております。故に今より後はこの弊を矯正して、あくまで理性を鼓舞し、もってその進路に当たれる百難を破り、千苦を侵し、その目的を外界に向かいて貫徹せしめ、いわゆる天地を号令し日月を指揮して、理性自ら懐抱せる円満なる国家を建設し、後世子孫をしてこれを継続せしむることを祈り、その上に余輩は日本人なれば、今日の同胞と共に日本帝国をしてこの地位に至らしめんことを願わなければなりませぬ。しかして神儒仏三道も、またその固有の先天的学説をこの方針に向かいて当てはめ、もっぱら厭世を避けて愛国をさきとせられんこと、これまた余輩の熱望するところであります。今や東洋の独立国はようやく猛獣の餌食となりて、まさにその胃袋中に葬られんとする時に迫まり、わが四隣の光景(ありさま)はナントなく、唇ほろびて歯寒きの状態を呈しつつある今日なれば、神儒仏三道が互いに力を協(あわ)せて先天の学説を引き立て、もってわが国民に忠君愛国の赤心を発揚せしむる急要の時節となりました。そのことは諸君において造次顛沛の間にも決して忘れてはなりませぬぞ。余が今回における講義の精神も、帰するところは全くこの点にありますから、諸君幸いにその意を了せられたならば、余が本望なにごとかこれに過ぎませぬ。