3.印度哲学綱要

P183

  印度哲学綱要 

 

 

1. 冊数

   1冊

2. サイズ(タテ×ヨコ)

   222×153mm

3. ページ

   総数:202

   序言: 3

   目次: 3

   本文:188

   付録: 8

(巻頭)

4. 刊行年月日

   初版     明治31年7月18日

   底本:第4版 明治42年9月11日

5. 句読点

   あり

6. その他

  (1) 底本は三康文化研究所付属三康図書館所蔵本である。

  (2) 本書では,序言に記された趣旨を尊重し,固有名詞など(音写のみ)にサンスクリットの読みを付した。

       序  言

 現今わが国の仏教、その宗を算すれば、十有余宗、その派を挙ぐれば三十余派の多きに及ぶ。しかして各派に、小学林あり、中学林あり、大学林ありて、その総数また一〇〇をもってかぞう、実に盛んなりというべし。しかりしこうして、学科の程度一準ならず、教授の方法一定せず。甲の中学林にして乙の小学林より下がるものあり、乙の大学林にして、丙の中学林にしかざるものあり。ことに教科用書のごときは、甲は彼を撰み、乙はこれを取り、かつ多く維新以前の著作を用い、生徒の学力に不相応なるものをもってこれに課す。故をもって労多くして功少なく、その不便言うべからざるものあり。これにおいて余は、各宗学林の中等教育に適用すべき教科書を纂集せんと欲し、まず試みに『印度哲学綱要』を編述するに至れり。すなわちこの一編なり。しかしてその書たるや、拙著『外道哲学』を抄略和解して、悉曇〔シッダム〕、因明、医方明、工巧明を始めとし、毘陀〔ヴェーダ〕経、婆羅門〔ブラーフマナ〕、声論、天論、数論、勝論等、九十余種の外道学派を、一読の下にたやすく了解し得るように叙述せり。もしなお了解し難きところあらば、よろしく『外道哲学』を参見対照すべし。

 本書中引用考証するところは、多くわが国伝来の経論疏釈による。しかして西洋所伝のごときは、往々参照せるに過ぎず。これ余が意、本書をもって日本仏学研究の階梯とするにあればなり。

 従来仏教家は、外道と仏教とその起源その発達、共に大いに関係あるを知り、『金七十論』『十句義論』につきて、外道の学説を講究せるも、これ数論、勝論を知るにとどまるのみ。かつかくのごときは、専門学の研究に属し、しかして各宗の中等教育には、外道諸派の要領を授くるをもって足れりとす。今余が目的とするところ、全くここにあり。

 本書はもっぱら各宗各派の中等教育に適用する方針をもって編成したれば、これを一学年間の課程とし、毎週(二時間もしくは一時間)一章ずつ講述する予定にて、全部を三三章に分かてり。もし学年中全部を講了して、なお二、三週の余日あらば、更に生徒をしてこれを復習せしむべし。よって巻末に復習および試験問題を掲ぐ。

  明治三一年六月              文学博士 井上円了識  




       第一章 緒 論

 それインドは、数千年の古代にありて、文化大いに開け、諸家競い起こり、互いに理の正邪を争い、論の勝敗を闘わし、その哲学のさかんなりしや、あたかも春陽駘蕩、百花爛熳の勢いありき。もしその当時における各家の異説を数えきたらば、実にいくたの流派あるを知るべからず。しかるに仏教家は、これを総称して外道と名付け、その派に九十五種あるいは九十六種ありという。しかして外道哲学と仏教哲学との間に、密切の関係あることは、余が弁を待たず。畢竟するに仏教は、外道諸派の哲学を総合して、更にその上に新機軸を出したるものなることは、みな人の是認するところなり。故に外道哲学は、仏教哲学の初門もしくは階梯と称するも、あえて不可なるなかるべし。今この両哲学の異同を較するに、外道は客観論をとり、仏教は主観論を唱え、前者は唯物論もしくは有神論に傾き、後者は唯心論もしくは汎神論に帰するの別あり。換言すれば、前者は常識凡情の浅見に属し、後者は理想幽玄の深理に基づくの別あり。しかして常識論は、理想論に進向する起点にして、客観論は、主観論に悟入する階梯なること、また決して疑うべからず。故に仏教を研究せんと欲するものは、必ずまず外道諸家の哲学を修習するを要するなり。しかりしこうして外道哲学は、近来泰西諸邦において、学者ようやくその研究に従事し、これに関する著書、続々世に出づるも、わが国の仏教家は、外道の諸説のその経論中に散見せるにもかかわらず、これを度外視して更にその問題に注目せざるは、講学上の一大欠典といわざるべからず。故に余はもっぱら仏書中に散在せる外道諸家の異説を総合し、もってインド哲学の大綱を示せんと欲するなり。まず最初にインドの名義および四姓の起因を述べて、本論の端緒となす。

 印度〔インド〕の国名は、あるいは天竺、あるいは身毒〔シンドゥ〕、あるいは月氏、月邦、婆羅門〔ブラーフマナ〕国等と称して、一定せざるも、印度〔インド〕、天竺、身毒〔シンドゥ〕は、梵語〔サンスクリット語〕の転訛にして、月氏、月邦はその義訳なり。今『西域記』によって考うるに、印度〔インド〕とは唐に訳して月という、けだし月に多名あり、これその一称なり、すなわち印度〔インド〕の地たるや、聖賢継いで起こり、その凡俗を導き、群生を度せること、あたかも月の照臨したるがごとし、故にその名を月にとれりという。しかるにまた一説には、印度〔インド〕と因陀羅〔インドラ〕とは、音相近きをもって、印度〔インド〕の名は、因陀羅〔インドラ〕の神名よりきたるという。因陀羅〔インドラ〕は、訳して帝釈天と称し、印度〔インド〕の守護神なり。以上、インドの名義に両説あるも、いずれがこれなるを知らず。またその国を指して婆羅門〔ブラーフマナ〕国と呼ぶは、インド国民中、婆羅門〔ブラーフマナ〕種、特に最勝種族たるによるという。これにおいてか、インドの種族につきて、一言せざるべからず。

 インドには、古来人民に四種の階級を分かち、子孫世々必ずその家を継ぎ、その業を承け、決して他姓を侵すことあたわざる制あり。これを四姓の別という。なおわが国の人民に、士農工商の別ありしがごとくなるも、インドの四姓は、わが四民の別より貴賎の懸隔ことにはなはだし。まず左にその名称および職務を挙示すべし。

  四姓の第一に位せるものを婆羅門〔ブラーフマナ〕種と名付け、訳して浄裔または浄行という。この道を守り法を伝え、もっぱら教学に従事するものなり。

  第二を刹帝利〔クシャトリヤ〕種と名付け、訳して土田主という。国土を統轄し、争乱を鎮定することを職とす。すなわち王族なり。

  第三を吠奢〔ヴァイシュヤ〕種(旧訳には毘舎)と名付く。これ商賈なり。

  第四を戌陀羅〔シュードラ〕種(旧に首陀)と名付く。これ田農なり。

 故にこれを換言すれば、浄裔、王種、商賈、農人の四種なり。もしこれをわが国の名称によって示さば、僧、士、商、農ともいうべきか。しかりしこうして、かくのごとき階級のインドに起こりし原因は、古代の神話より生ぜしこと疑いをいれず。すなわち神話中に、婆羅門〔ブラーフマナ〕は梵天〔ブラフマー〕の口より生じ、刹帝利〔クシャトリヤ〕は梵天〔ブラフマー〕の脇より生じ、毘舎〔ヴァイシュヤ〕は梵天〔ブラフマー〕の臍より生じ、首陀〔シュードラ〕は梵天〔ブラフマー〕の脚より生ずと伝うるものこれなり。けだしインド人のかくのごとく貴賎その姓を異にするに至りしは、上古アーリア人種のその地に進入せるに当たり、征服せし者と征服せられしものとの間に、自然に権利上の等差を生ぜしによるならんという。この四姓の外に、旃陀羅〔チャンダーラ〕と名付くる一種族あり。これわが国のいわゆる穢多にして、人類中卑賎の極となす。古来これを四姓の外に置く説と、四姓の中に加うる説との両様あり。その他、インド古代の制度、風俗等につきては、つまびらかに説明せるものあるを見ず。ただ参考すべきものは、『大唐西域記』『南海寄帰伝』等、二、三の書あるのみ。

       第二章 五明論

 インド古代の学術は、これを類別して五明となす。これなおシナの六芸のごとし。その名義は、『瑜伽論』に出づ。すなわち一切の明処摂するところ、五明処あり。一に内明処、二に因明処、三に声明処、四に医方明処、五に工巧明処とある、これなり。今その略解を示すこと左のごとし。

  一、内明とは、生死、涅槃、因果の理を弁明するものをいう。

  二、因明とは、万法生起の因を論究して、正邪真偽を考定するものをいう。

  三、声明とは、世間の言語文章の法を明らかにするをいう。

  四、医方明とは、医治の方法を明らかにするをいう。

  五、工巧明とは、技術工業の類を明らかにするをいう。

 換言すれば、内明は内教の学、因明は論法の学、声明は文字の学、医方明は医術の学、工巧明は工芸の学なり。しかして仏教にありては、五明に内外の二種を立て、内の五明は、今述ぶるものに同じく、外の五明は、声明、医方明、工巧明、呪術明、符印明なりという。符印明は、けだし外道の内明ならん。しかして五明の起因につきては、婆羅門〔ブラーフマナ〕の神話より起こるものとなす。すなわちその説によるに、在昔梵〔ブラフマー〕王、須弥〔スメール〕の半腹にありて、五面を現じて五明を説示し、その正面よりは内明を説き、頂上よりは声明を説き、右方よりは因明を説き、左方よりは医方明を説き、背面よりは工巧明を説けりという。

 まず内明につきて考うるに、仏書中には多く内明をもって仏教に限るがごとく論ずれども、内明とは、内教の学を義とするものなれば、仏教に限りてこれを有するの理なし。九十余種の外道、おのおのその一家の内明あるべし。今余がインド哲学と題して述ぶるところのものも、またこの内明をいうなり。つぎに因明は、仏学研究に必要なるものなれば、別にその説明をなすべし。声明も古来、悉曇〔シッダム〕学または六合釈、八転声と称して、その一部を講究しきたれるをもって、これまた別に論ずることとなす。医方明に至りては、仏教中わずかに二、三の書に散見するのみ。まず『智度論』には、病に内外の二種ありと説く。内病とは、五臓の不調によりて起こるがごとき病症をいい、外病とは、奔車逸馬、兵刄刀仗等によりて生ずるものをいう。もしまた『仏医経』によれば、人身中に地、水、火、風の四病ありて、風増せば気起こり、火増せば熱起こり、水増せば寒起こり、土増せば力盛んなりという。けだし古来、病の種類を挙げて、四百四病ありと称するは、地、水、火、風の各種によって起こす病に、百一種あるによるとなす。また発病の原因につきては、すべて一〇種あることを『仏医経』に示せり。すなわち一には久坐飯せず、二には食節ならず、三には憂愁、四には疲極、五には婬佚、六には瞋恚、七には大便を忍ぶ、八には小便を忍ぶ、九には上風を制す、一〇には下風を制す、これなり。しかるに、『止観』には、一には四大不順、二には飲食不節、三には坐禅不調、四には鬼便を得、六には魔のなすところ等の六業をもって病因となせり。しかしてその要は、地、水、火、風の四大不調をもって諸病の根元となす。また医療の方法に関しては、『小止観』には、『雑阿含経』によりて、七二種ありと称するも、『僧祗律』によれば、四百四病中、風大の百一は油脂を用いて治し、火大の熱病は酥をもって治し、水病は蜜をもって治し、雑病は上の三薬をもって治することを示せり。また『南海寄帰伝』によれば、医明は帝釈より伝わり、療方は絶食を最となすことを記せり。つぎに工巧明に関しては、余いまだ仏書中に散見せるを知らず。ただ『瑜伽論』に、工業の一二種を掲ぐるを見るのみ。その一二種とは、一に営農工業、二に商估工業、三に事王工業、四に書算計度数印工業、五に占相工業、六に呪業工業、七に営業工業、八に生成工業、九に防除工業、一〇に和合工業、一一に成熟工業、一二に音楽工業、これなり。これを『瑜伽倫記』に解説して、生成工業とは、六畜を養って資生となすをいい、防邪工業とは、織繍等なりといい、和合工業等とは、よく闘訟等を和するをいい、成熟工業とは、飲食を生熟するをいうとあり。およそ医方明および工巧明に関して、仏書中に散見せるところ、大略かくのごとし。つぎに声明の大意を述ぶべし。

       第三章 声明論

 声明は、古来これを称して、五明の随一にして悉曇〔シッダム〕家所学の論となす。その起源につきては、あるいは梵天〔ブラフマー〕の造るところといい、あるいは帝釈の授くるところという。まず『楞伽経』(十巻楞伽)には、釈提桓因〔シャクラ・デーヴァーナーム・インドラ〕(帝釈天)諸論を解し、自ら声論を造るとあり。しかして『慈恩伝』には、むかし成劫の初め、梵〔ブラフマー〕王まず説きて一〇〇万頌を具し、のち住劫の初め、帝釈また略して一〇万頌となすとあり。要するに最初梵天〔ブラフマー〕これを造り、後に帝釈これを略すというにあり。これもとより婆羅門〔ブラーフマナ〕の神話にして、信ずるに足らず。その論、訳してこれをシナに伝えざりしをもって、今そのいかんを知るに由なし。ただここに声明に関して一言せんと欲するは、悉曇〔シッダム〕および六合釈、八転声に過ぎず。

 悉曇〔シッダム〕とは梵語にして、これを訳して成就という。けだし成就の義は、文句文章を成弁するの謂にして、インドの文字もしくは文書に与えたる名称なり。故に悉曇〔シッダム〕学は、声明中文字の学なるべし。しかして一般にその字を称して梵字といい、その語を梵語というは、梵天〔ブラフマー〕の所造なりと伝うるによる。もし西籍につきて考うれば、インドの古文は、散斯克〔サンスクリット〕と称し、その俗語はパーリと称す。けだしパーリ語は、インド一地方の俗語にして、各地方の俗語をいうにあらず。すなわちその語は、中天竺摩迦陀〔マガダ〕国の語なりという。もし各地の俗語を総称するときは、これをプラークリットという。故にパーリ語は、プラークリットの一種なるも、通常プラークリットの称は、パーリ語を除きたる自余の方語に与うることとなり。インドの語は散斯克〔サンスクリット〕、パーリおよびプラークリットの三種に分かつ。しかしてパーリとプラークリットとは、共に散斯克〔サンスクリット〕より転化して、地方の方言、土語となりたるものなり。婆羅門〔ブラーフマナ〕の古書神典は、みな散斯克〔サンスクリット〕語より成り、仏書は一部分散斯克〔サンスクリット〕語より成り、一部分パーリ語より成るという。古来わが国にて、悉曇〔シッダム〕学と称して伝えきたりしものは、散斯克〔サンスクリット〕語あるいはパーリ語なるべし。しかれども中古シナよりインドに入りて学びたるものは、多く散斯克〔サンスクリット〕語なりという。その字数に至りては、『西域記』『悉曇〔シッダム〕字記』等によるに、梵〔ブラフマー〕王所説の本源は、四七言にして、これを韻文一二言、体文三五言に分かつ。韻文を摩多〔マーター〕といい、体文を一名字母という。すなわち『悉曇〔シッダム〕明了記』に、一二の摩多〔マーター〕は韻の源、三五の体文は声の源と説きて、四七字をもって梵語の原始となす。しかるに胡土にありては、その字数二五言なりという。これを要するに、古来悉曇〔シッダム〕学と称して学びきたりしものは、今日これをみるに、わずかにインド文学の初歩たる綴り字方のごときものに過ぎざるなり。

 すでにインドの言語文字を略述したれば、つぎに、文法語法につきて一言せざるべからず。仏書中吾人が往々見るところの六合釈、八転声は、すなわちこの文法の一端なり。まず六合釈を考うるに、古来仏者は、西方釈名多く六釈によると称して、名詞を釈するときにこの法を用いたり。今その名目を挙示せば左のごとし。

  一、持業釈  二、依主釈  三、有財釈

  四、相違釈  五、隣近釈  六、帯数釈

 これを慈恩の六合釈ならびにその注釈につきて解するに、第一の持業釈とは、体よく業用を持するの義にして、法相宗にて立つるところの蔵識のごとく、識はこれ体、蔵はこれ業用にして、用よく体をあらわし体よく業を持つが故に、蔵すなわち識なるの類をいう。第二の依主釈とは、他主の法によってもって自名を立つるの義にして、たとえば眼識というがごとく、識は眼によって起こる。すなわち眼の識なるが故に、眼識と名付くるの類をいう。第三の有財釈とは、自ら他財によって己の称を立つるの義にして、人の財を有するにたとえたるものなり。たとえば戒を解脱と名付くるがごとく、戒を持てば、必ず解脱の果を得るをもって、戒中に解脱を有するものとし、戒をただちに解脱と名付くるの類をいう。第四の相違釈とはその体、相違せるもの二個以上を集めて一名となすの類をいう。たとえば兄弟というがごとく、兄と弟とはその体おのおの別なれども、これを合して一名となす、これなり。第五の隣近釈とは、同時に相よりて離れざる法を、強き方に従って名を立つるをいう。たとえば東京近在の者の、他人にその在所を告ぐるに、東京人なりというの類なり。第六の帯数釈とは、一、一〇、一〇〇、一〇〇〇等の数を帯ぶるを義とす。たとえば四姓、五明等のごとく、その体に帯ぶる数を表出して名を定むるの類をいう。つぎに八転声は、なお西洋の文法に名詞の主格、目的格等を設くるがごとく、名詞の変化を示す文法の一種なり。しかるにシナにては、インド文法の全体を伝えざりしをもって、八転声のごときは、学者その了解に苦しみ、誤解すこぶる多しという。故に余はただここに八種の転声の名目のみを挙示すべし。すなわち一、体声、二、業声、三、作声、四、為声、五、依声、六、属声、七、於声、八、呼声これなり。つぎに因明の大意を述ぶべし。

       第四章 因明論 第一

 因明とは、『因明大疏』によるに、梵語これを醯都費陀〔ヘートゥ・ヴィドヤー〕(Hetuvidya)という。醯都〔ヘートゥ〕は因にして、費陀〔ヴィドヤー〕は明なり。すなわち因の義を明すの意なり。換言すれば、事物の原因を究明する義にして、西洋のいわゆる論理学なり。古来因明は、源唯仏説とする論と、外道の説とする論と、内外二道に通ずと唱うる論と三様あれども、仏以前の外道説なること疑うべからず。その開祖を足目〔アクシャ・パーダ〕と名付く。これを大梵天〔マハーブラフマー〕の化身となす説あれども、もとより信ずるに足らず。その人いずれの年代に世にありしやつまびらかならずといえども、はるかに仏以前の外道なること論を待たず。その説のいかんは、因明家の伝うるところによるに、九句因、十四過類を設けて、論理の方則を定めたりというのみにて、今日その論式を明らかに知ることあたわず。そののち弥勒〔マイトレーヤ〕に至りて、八能量を立て、無著〔アサンガ〕また八能量を用い、つぎに世親〔ヴァスバンドゥ〕は宗、因、喩の三支または宗、因、喩、合、結の五支を立てたりという。以上諸師の相伝を古因明と称す。そののち陳那〔ディグナーガ〕出でて、大いに従来の因明を改正して、その方式を完成せり。故にこれを中興となす。その門人に商羯羅主〔シャンカラスヴァーミン〕(または天主)というものありて、更に発明するところあり。以上、陳那〔ディグナーガ〕以後を新因明と称す。左にその相伝を表示すべし。

  古因明派 足目〔アクシャ・パーダ〕(開祖)・・弥勒〔マイトレーヤ〕・・無著〔アサンガ〕・・世親〔ヴァスバンドゥ〕

  新因明派 那〔ディグナーガ〕(中興)・・商羯羅主〔シャンカラスヴァーミン〕

 このうち、まず古因明の論式を述ぶべし。

 古因明は、足目〔アクシャパーダ〕に始まるといえども、ここに『瑜伽論』『顕揚論』等によりて、弥勒〔マイトレーヤ〕および無著〔アサンガ〕の論式を考うるに、『瑜伽』に出づるところ左のごとし。

  一、声は無常なり。(立案)

  二、所作性なるがゆえに。(弁因)

  三、瓶のごとく、空のごとく。(引喩)

  四、もろもろの所作は瓶のごとく、無常とみよ。(同類)

  五、もろもろの常は空のごとく、非所作とみよ。(異類)

  

  

  

  

 これを五支作法という。その第一支の声無常は、これまさに論定せんと欲する命題なれば、これを立案または宗と名付く。もしこれを西洋の論理学に比すれば、そのいわゆる断案を最初に掲げたるものなり。第二の所作性故は、その理由を説明せるものなれば、これを弁因あるいは因と名付く。もしこの第一、第二の両支を西洋の論式に配合すれば、左の三命題となるべし。

  第一命題 すべて所作性のものは無常なり(提案)

  第二命題 声は所作性なり(提案)

  第三命題 故に声は無常なり(断案)

 しかるに因明は、更にこれに比喩を加えて、第三、第四、第五の三支を設く。すなわち第三支は、比喩の二類を掲げて、所作性の例に瓶のごとしといい、非所作性の例に虚空のごとしという。瓶は所作性なるが故に無常にして、虚空は非所作性なるが故に無常にあらず。しかるに所作性にして人の所作によりて発するものなれば、もとより無常ならざるべからず。これをもってその比喩を同類異類に分かちて、第四、第五の二支を立つるなり、つぎに無著〔アサンガ〕の論式は、弥勒〔マイトレーヤ〕の論式と大同小異のみ。その表左のごとし。

  一、声は無常なり(立宗)

  二、所作性なるが故に。(立因)

  三、瓶のごとく、空のごとく。(立喩)

  四、瓶は所作を有する。瓶はすなわち無常なり。まさに知るべし。声は所作を有する。声もまた無常なり。(合)

  五、このゆえに知ることを得る、声は無常なりと。(結)

  

  

  

  

 これ弥勒〔マイトレーヤ〕のごとく同喩、異喩の両支を開かずして、第一支と第二支とを反復して、第四、第五の断案を立つるものなり。よろしく『対法論』〔『阿毘達磨雑集論』〕につきて見るべし。つぎに世親〔ヴァスバンドゥ〕は宗、因、喩の三支を立てたりとなす説と、これに合と結とを加えて、五支を立てたりとなす説との両様あり。今『如実論』によりて、その五支作法を表示すべし。

  一、声はまさに無常なるべし。(立義言)

  二、因によりて生ずるが故に。(因言)

  三、もし物ありて因によりて生ぜば、この物は無常なり。たとえば瓦器の因によりて生じ、故に無常なるがごとし。(譬如言)

  四、声もまたかくのごとし。(合譬言)

  五、故に声は無常なり。(決定言)

  

  

  

  

 これ無著〔アサンガ〕の論式と同轍なること明らかなり。これを西洋所伝のインド論理に考うるに、無著〔アサンガ〕、世親〔ヴァスバンドゥ〕の五支作法は、まさしく尼耶也〔ニヤーヤ〕学派の論式に同じ。尼耶也〔ニヤーヤ〕学派は、インド哲学六大派の一にして、論理学派なり。そのことはのちに外道各派を論ずる下に至りて述ぶべし。

       第五章 因明論 第二

 古因明派は、多く五支作法を用いしも、陳那〔ディグナーガ〕以後は、ただ宗、因、喩の三支を用いて立論するに至れり。これを三支作法という。けだし新因明派が五支を立てざるは、これを設くる必要なきによる。故に『因明大疏』に、因喩を離れて外に別の合結なし、故に合結を略して別に開かずとあり、今左に新因明の論式を掲ぐ。

  一、声は無常なり。(宗)

  二、所作性なるが故に。(因)

  三、なお瓶等のごとし。(喩)

  (同喩) もしこれ所作なるものはかの無常なりとみる。たとえば瓶等のごとし。

  (異喩) もしこれその常なるものは所作なるものにあらずとみる。虚空等のごとし。

  

  

  

  

 この三支作法中、宗は甲乙対論上、彼我互いに許さざる論点にして、因喩の二者は、彼我共に許すところならざるべからず。しかしてその宗をもって能立となすは、古因明の説にして、新因明はこれを所立となす。しかるにある説によれば、陳那〔ディグナーガ〕の上に二門ありて、一はこれを所立とし、一はこれを能立とすという。今この能立、所立を明らかにせんと欲せば、因明家の唱うるところの八義を弁説せざるべからず。まず『入正理論』の偈文に曰く、

  能立と能破と、および似とはただ悟他のみなり。現量と比量と、および似とはただ自悟のみなり。

  

 この偈は、八義を挙げて二悟に収むるものなり。二悟とは、自悟と悟他とにして、八義は左表のごとし。

  一、能立  二、能破  三、似能立  四、似能破

  五、現量  六、比量  七、似現量  八、似比量

 これを因明家の解するところによるに、第一の能立は、すなわち真能立にして、宗、因、喩の三支欠くることなく、正しく自家の義を成立するをいう。第二の能破は、すなわち真能破にして、敵の立論に過誤あるときに、よくその非をしりぞけて、その真をあらわすをいう。これに反して第三の似能立は、自家の義を立てんとするに、宗、因、喩、三支中、一、二の欠くることまた過誤あるものをいい、第四の似能破とは、敵の能立の過誤をあらわさんと欲して、かえって自ら過誤を犯すものをいう。この四者は、甲乙対論の上に、能立、能破を分かち、更にこれに真偽を分かちて四門となしたるなり。この他の所説を破斥して、その非なるを悟了せしむるものなれば、これを悟他の四門とす。つぎに第五の現量とは、外界の相状を直接に知量するをいう。たとえば目の色に対して青、黄等を弁別するがごとし。故にこれ心理学にいわゆる感覚、知覚なり。第六の比量とは、已許の法を用いて、未許の宗を成すをいう。すなわち外界の相状を直接に覚了するにあらずして、比較推度して知量するをいう。たとえばただちに火を見ざるも、煙を見て火あるを推知するがごとし。これいわゆる推理の一種なり。第七の似現量とは、直接に感覚したるもの、外界の自体と合せざるをいう。たとえば霧を誤りて煙と認むるがごとし。第八の似比量とは、比知推理の誤りあるをいう。たとえば霧を煙と誤り、もって火あるべしと比知するがごとし。この四者は、甲乙対論者の各自の感覚思想上に関する悟了なれば、これを自悟の四門とす。けだしこの悟他、自悟の八門は、能立、能破、現量、比量の上に、真似を分かちて、八義を立てたるものなり。真似はなお真偽というがごとし。この八義のうち、古因明にては、宗、因、喩、三支共に能立となすも、新因明にては、宗を所立とし、因喩のみを能立とするの別あることは、今すでに述べたるがごとし。また古因明にては、現量、比量、聖教量をもって能立となすも、新因明にては、これを立具と名付けて、能立の材料となすのみ。また古因明にては、現量、比量の外に聖教量を立つるも、新因明にてはこれを設けず、聖教量とは論者自ら奉信するところの経文の言説を証拠として立論するをいう。しかれどもかくのごときは、その経文を信ぜざるものに対しては無効なるべし。その他なお新古の間に因明の相違あれども、これを略す。ただ余はここに宗、因、喩、三支の解釈ならびに論理の誤謬たる三十三過の図表を挙示すべし。

 まず三支中第一の宗とは、主崇を義とし、自ら立てんとする主義をいう。その体は、二個の名辞と一個の接辞とを有する命題より成る。さきに声は無常なるべしというもの、これなり。その主辞を宗体と名付け、その賓辞を宗義と名付く。またその宗体を有法といい、その宗義を能別という。すなわち声は有法にして、無常は能別なり。第二の因とは因故と熟し、宗にて立つるところの因故理由を掲ぐるをいう。これに遍是宗法性、同品定有性、異品遍無性の三義あれども、その説明を略す。第三の喩とは、甲乙両者共に既知なる類例を挙げて比喩するをいう。これに同喩、異喩の二種を分かつことは、前表の論式に照らして知るべし。これにまた喩体、喩依の別あり。たとえば前表の同喩、異喩において、「もし所作をかの無常とみれば」と「もしこの常を所作にあらずとみれば」とは喩体にして、「瓶等のごとし」と「虚空のごとし」とは喩依なり。その他、宗、因、喩、三支に関する説明は、因明学の本書に譲る。

 つぎに三十三過につきて考うるに、因明家は論理の誤謬過失を分類して、三三種となす。しかしてその数、陳那〔ディグナーガ〕と商羯羅主〔シャンカラスヴァーミン〕とおのおの異なるところあり。今、商羯羅主〔シャンカラスヴァーミン〕の定むるところによるに、宗の過に九種を分かち、因の過に一四種を分かち、喩の過に一〇種を分かち、合して三十三過ありとす。左にこれを表示すべし。

  宗九過 陳那〔ディグナーガ〕所立五過 一、現量相違 二、比量相違 三、自教相違

                     四、世間相違 五、自語相違

      商羯羅主〔シャンカラスヴァーミン〕増加四過 六、能別不極成 七、所別不極成

                            八、倶不極成 九、相符極成

  四十四過 四不成 一、両倶不成 二、随一不成

           三、猶予不成 四、所依不成

       六不定 五、共不定 六、不共不定 七、同品一分転異品徧転不定

           八、異品一分転同品徧転不定 九、倶品一分転 一〇、相違決定

       四相違 一一、法自相相違 一二、法差別相違

           一三、有法自相相違 一四、有法差別相違

  喩十過 似同喩五過 一、能立法不成 二、所立法不成

            三、倶不成 四、無合 五、倒合

      似異喩五過 六、所立法不遣 七、能立法不遣

            八、倶不遣 九、不離 一〇、倒離

 この表中にて示せるがごとく、宗の九過中、五種相違の辺は、陳那〔ディグナーガ〕の立つるところにして、以下の四過は商羯羅主〔シャンカラスヴァーミン〕の増加せるところなり。今いちいち三十三過の説明をなすにいとまあらざれば、すべてこれを略す。

       第六章 毘陀論

 以上インドの五明中、医方明、工巧明、声明、因明の四明を講述してここに至れば、内明を弁明せざるべからず。しかして前に一言せしがごとく、仏教には仏教の内明あり、外道には外道の内明あれば、余はまず外道の内明を述ぶべし。外道の内明とは外道の哲学すなわちインド一般の哲学なれば、余が本書においてもっぱら論明せんと欲するところなり。およそ外道所依の本経となるべきものに、一八種の大経ありという。なかんずきて毘陀〔ヴェーダ〕経は、インド最古の神典にして、インド哲学のよって起こりし本源なれば、まずこれが解説をなさざるべからず。そもそも毘陀〔ヴェーダ〕(韋陀あるいは吠陀)とは、これを翻して智論あるいは明論という。この四毘陀の名目は、西洋所伝に比するに、多少の異同あり。また仏書中に見るところも、訳字の不同あれば、左にこれを対照すべし。

  阿由(あるいは荷力)毘陀〔ヴェーダ〕 『リグ毘陀〔ヴェーダ〕』(Rig-Veda)

  殊夜(あるいは冶受)毘陀〔ヴェーダ〕 『ヤジュル毘陀〔ヴェーダ〕』(Yajur-Veda)

  婆磨(あるいは三摩)毘陀〔ヴェーダ〕 『サーマ毘陀〔ヴェーダ〕』(Sama-Veda)

  阿達婆(あるいは阿闥)毘陀〔ヴェーダ〕 『アタルヴァ毘陀〔ヴェーダ〕』(Atharva-Veda)

 これによってこれをみるに、仏書中に『リグ毘陀〔ヴェーダ〕』を阿由と称するは、はなはだ解し難し。これ恐らくは訳字の誤りならん。これを荷力と名付くるは、力荷の顛倒せるものにして、リグの音訳なるべし。『ヤジュル毘陀〔ヴェーダ〕』を殊夜と称するも、夜殊の倒置なるべし。婆磨は娑磨の誤りにして、阿闥はアタルヴァの略称なること、言を待たず。これを『西域記』には、寿論、祠論、平論、術論の四種とす。もし『翻訳名義集』等によれば、第一の毘陀〔ヴェーダ〕は、養生、繕性の書、第二の毘陀〔ヴェーダ〕は、祭祀、祈祷の書、第三は、礼儀、占卜、兵法の書にして、第四は、技術、禁呪、医方の書という。またこれを『百論疏』に考うるに、第一は解脱の法を明かし、第二は善道の法を明かし、第三は欲塵の法を明かす。すなわち一切婚嫁欲楽のことなり。第四は呪術、算数等の法を明かすといえり。これもとより一人一時代に成りたるものにあらずといえども、インド最古の神典にして、インド古代の宗教も哲学も、みなこれより流出せるは疑うべからず。もしその起源につきては、梵天〔ブラフマー〕の造るところとなす。すなわち『摩橙伽経』には、初人を梵天〔ブラフマー〕と名付く、一韋陀〔ヴェーダ〕を造る、つぎを白浄と名付く、一を変じて四となす、そのいちいちにおのおの三二万偈ありて、合して一二八万偈を成し、一七〇〇巻ありという。これ婆羅門〔ブラーフマナ〕の神話なれば、決して信を置くべからずといえども、インドにありては、これを尊重すること、ことにはなはだし。かつ婆羅門〔ブラーフマナ〕種族は、幼少の時より必ずこれを学ぶもののごとし。すなわち『玄応音義』によるに、梵〔ブラフマー〕種その年七歳に満つれば、師につきてこれを学ぶ、学成れば、すなわち国師となりて、人主の敬するところとなるという。

 仏書によりて毘陀〔ヴェーダ〕経の事情を知ること難しといえども、西洋刊行の書によれば、これを明らかにするを得べし。今わずかにその一端を述ぶるに、四部の毘陀〔ヴェーダ〕はおのおの左の両部より成るをみるという。

  第一、曼特羅(マントラ)Mantraすなわち歌頌

  第二、婆羅摩(ブラーフマナ)Brahmanaすなわち儀式

 その他、各毘陀〔ヴェーダ〕を哲学的に解説し、宇宙の本源、造化の本体、および人類と梵天〔ブラフマー〕との関係等を論明したるものあり。これを優波尼薩土〔ウパニシャッド〕Upanishadと名付く。もしこの諸部を宗教と哲学との二者に分かてば、曼特羅〔マントラ〕および婆羅摩〔ブラーフマナ〕は、宗教に属する部門にして、優波尼薩土〔ウパニシャッド〕は、哲学に属する部門なり。けだし優波尼薩土〔ウパニシャッド〕の語は、秘奥の義を含み、毘陀〔ヴェーダ〕の裏面に潜在せる秘奥の道理を開示するの意を有すという。余聞く、毘陀〔ヴェーダ〕は、表面に多神教の説を示し、裏面に一神教あるいは凡神教の意を含むと。しかしてその裏面の意を開明したるものは、実に優波尼薩土〔ウパニシャッド〕なり。外道諸派の哲学は、みなこれより派生せりという。外道の経論は、毘陀〔ヴェーダ〕を根本として、その外にもなお数種あり。そのいわゆる十八大経は、四毘陀〔ヴェーダ〕に六論を加え、更に八論を合したるものなり。左に『百論疏』によりて六論の名目を示すべし。

  一、式叉〔シクシャー〕論(六十四能法を訳す)

  二、毘迦羅〔ヴィヤーカラナ〕論(諸音声法を釈す)

  三、柯剌波〔カルパ〕論(諸天仙上古以来の因縁名字を釈す)

  四、竪底沙〔ジュヨーティシャ〕論(天文、地理、算数等の法を釈す)

  五、闡陀〔チャンダス〕論(首盧迦〔シュローカ〕を作る法を釈す、首盧迦〔シュローカ〕とは偈の名なり)

  六、尼鹿多〔ニルウクタ〕論(一切物名を立つる因縁を釈す)

 つぎに八論とは左のごとし。

  一、肩亡婆〔アーパトゥヤ〕論(諸法の是非を簡択す)

  二、那邪毗薩多〔ニヤーヤヴィスタラ〕論(諸法の道理を明かす)

  三、伊底呵婆〔イティハーサ〕論(伝記宿世のことを明かす)

  四、僧佉〔サーンキヤ〕論すなわち数論(二十五諦を解す)

  五、課伽〔ガルガ〕論(摂心法を明かす、第四、第五両論同じく解脱の法を明かす)

  六、陀莵〔ダヌル〕論(兵杖を用うる法を釈す)

  七、犍闡婆〔ガーンダルヴァ〕論(音楽の法を釈す)

  八、阿輸〔アーユル〕論(医方を釈す)

 以上の諸論は、多く四毘陀〔ヴェーダ〕に基づきてその一部を解説したるものなるべし。その他、外道中に種々の経論あるべきも、仏書中にこれを伝えざりしをもって、その名目すらなお知ることあたわず。ただ数論および勝論外道の書に至りては、これを訳して蔵経雑蔵部門中に加えたるをもって、ややその大要を知ることを得。すなわち

  『金七十論』三巻   数論外道迦毘羅〔カピラ〕仙人造   陳天竺沙門真諦訳

  『勝宗十句義論』一巻 勝論外道慧月〔マティチャンドラ〕造 大唐三蔵玄奘訳

 右二書これなり。その他『涅槃経』『楞伽経』『大日経』『中論』『百論』『智度論』『方便心論』『瑜伽論』『顕揚論』『唯識論』等の数書に、外道の諸説の散在せるをみる。

       第七章 学派分類

 インド諸派の哲学は、その多きこと九十余種にわたれるをもって、古来これを分類するに一定の説あるをみず。しかるに西洋にては、近来インド哲学に関する著書、続々世に出で、その用うるところの分類は、いまだ一定せずといえども、諸家多くこれを六大学派に分かつ。あるいは三大種あるいは八学派に分かつこともあり。まず左に六大学派の名称を列挙すべし。

  第一派 尼耶也〔ニヤーヤ〕学派Nyayaすなわち因明学派

  第二派 吠世史迦〔ヴァイシェーシカ〕学派Vaiseshikaあるいは衛世師すなわち勝論学派

  第三派 僧佉〔サーンキヤ〕学派Sankhyaすなわち数論学派

  第四派 瑜伽〔ヨーガ〕学派Yogaすなわち秘密学派

  第五派 弥曼差〔ミーマーンサー〕学派Mimansaすなわち声論学派

  第六派 吠檀多〔ヴェーダーンタ〕学派Vedantaすなわち明論学派

 この六大学派はみな毘陀〔ヴェーダ〕哲学すなわち優波尼薩土〔ウパニシャッド〕より発達または分化したるものに外ならず。そのうち吠世史迦〔ヴァイシェーシカ〕、僧佉〔サーンキヤ〕、吠檀多〔ヴェーダーンタ〕の三学派は、理論の最も発達せるものとなす。尼耶也〔ニヤーヤ〕学派は、いわゆる因明学派にして、論理の方則を論定するに過ぎず。瑜伽〔ヨーガ〕学派は、秘密教にして、神怪に属すること多ければ、これまた哲学の価値を有することすくなし。弥曼差〔ミーマーンサー〕に至りては、その目的、毘陀〔ヴェーダ〕神典の儀式に関することを説明するにあれば、これに哲学の名称を付することすら、なお不当なるを覚ゆ。あるいはまたこの六学派を三大派となすを得。すなわち西洋にて伝うるところによるに、吠世史迦〔ヴァイシェーシカ〕学派は尼耶也〔ニヤーヤ〕学派より発達したるものなれば、この二種を合して一派となし、瑜伽〔ヨーガ〕学派は、僧佉〔サーンキヤ〕の分派なれば、これまた合類するを得。しかして弥曼差〔ミーマーンサー〕、吠檀多〔ヴェーダーンタ〕の二派は、共に毘陀〔ヴェーダ〕学派にして有神論派なれば、これもとより一大派中の分類なり。その他、以上の六大学派に反対して起こりたるものに、仏教学派あり。また別に闍伊那〔ジャイナ〕と名付くる一学派あり。これを合すれば、総じて八大学派となる。もしこれを有神、無神をもって分かつときは、弥曼差〔ミーマーンサー〕、吠檀多〔ヴェーダーンタ〕のごときは有神学派にして、仏教および闍伊那〔ジャイナ〕教のごときは無神学派なり。その他の諸派は、よろしく中間学派と称すべし。しかるに仏教にて古来用うる分類中には、いまだ六大学派に分かちたるものあるをみず。ただ『涅槃経』および『維摩経』中に、外道に六師あることを示せり。これ仏教以前に存せし外道にして、諸学派の根本なりとす。しかしてその末派は、実に九十余種の多きに及べり。故に外道を総称して、あるいは九十五種、あるいは九十六種ありという。しかれどもその六師は、西洋所伝の六派と、分類上大いに異なるところあり。今仏書中に散見する分類上の異説を述ぶべし。

 およそ外道の分類に学派の名目、開祖の名称につきて立つるものと、各派のとるところの意見主義に従って定むるものとの両様あり。たとえば『外道小乗四宗論』にては、四種に分かち、『外道小乗涅槃論』にては、二〇種に分かち、『唯識論』は六種もしくは一三種に分かち、『大日経』は三〇種に分かつがごときは、みな学派上の分類なり。しかしてその諸派の本源となすものは、数論、勝論の二派とす。すなわち『中論疏』に、僧佉〔サーンキヤ〕(数論)、衛世〔ヴァイシェーシカ〕(勝論)はこれ外道の宗と称するを見て知るべし。また数論、勝論、勒娑婆〔リシャバ〕(尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕)をもって本源の三外道となす。そのことは『止観』に出づ。もし各派所執の見解につきては、『唯識論』には四執を掲げ、『瑜伽論』および『顕揚論』には十六計を示し、『智度論』には六十二見、『楞伽経』には百八句を説くがごとき異同あり。しかしてその根本は、断常二見、あるいは有無二見、あるいは我見、あるいは身見、あるいは辺見より起こるとなす。たとえば『涅槃経』に、衆生見を起すにおよそ二種あり、一は常見、二は断見とあり、『大乗玄論』に、九十六種外道の所執は、有無を出でずとあり、『起信論』には、一切の邪執、みな我見によるとあるがごとし。あるいはまた外道の所見は、邪因、無因の二種に外ならずとなす。すなわち『中論疏』には、すべて外道を論ずるに、およそ二計あり、一は邪因を計し、二は無因を執すと説き、『華厳演義鈔』にも、諸計を結んで二因に帰すと述ぶるをみて知るべし。

 その他、仏教の外道分類に、内外を分かちて、内の外道、外の外道と称することあり。内の外道とは、仏教内の小乗をいう。もし真言一家の説によれば、外道に三種の別あるがごとし。すなわち仏教を内道として、自余の諸派を外道となす、その一なり。大乗を内道として、小乗を外道となす、その二なり。密教を内道として、顕教を外道となす、その三なり。しかるに天台にても、『止観』に、三種の外道あることを説けり。その第一は仏法外の外道、第二は付仏法外道、第三は学仏法成外道なり。付仏法外道とは、自ら仏書を読みて一見を生じ、仏法に付して起こるものをいい、学仏法成外道とは、仏門に入りて煩悩を起こし、よってもってその理に体達することあたわざるものをいう。故にこの二者は、いわゆる内の外道なり。しかして余が述ぶるところは、外の外道に限ると知るべし。

       第八章 外道諸派

 まず外道の学派上の分類を考うるに、『華厳経疏』には、外道多しといえども、僧佉〔サーンキヤ〕と衛世〔ヴァイシェーシカ〕とに外ならずとありて、一切の外道は数論、勝論の二種に帰することを説けり。これこの二種をもって根本外道となすゆえんなり。また『注維摩経』『止観』等には、外道に一切智、神通、韋陀〔ヴェーダ〕の三種あることを示せり。しかるに『外道小乗四宗論』には、左の四類を挙げて、これに評論を下せり。

  一、数論(僧佉〔サーンキヤ〕論師説)

  二、勝論(毘世師〔ヴァイシェーシカ〕論師説)

  三、尼犍子〔ニルグランタ・プトラ〕論師説(勒沙婆〔リシャバ〕仙論)

  四、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕論師説

 その第一は一切法一と立て、第二は一切法異と立て、第三は一切法倶、第四は一切法不倶と立つることを示せり(尼犍〔ニルグランタ〕の犍は乾または虔に作る)。つぎに『維摩経』に出でたる六師の名目は左のごとし。

  一、富蘭那迦葉〔プーラナ・カーシュヤパ〕

  二、末伽梨拘賒梨子〔マスカリン・ゴーシャーリープトラ〕

  三、刪闍夜毘羅胝子〔サンジャイン・ヴァイラティープトラ〕

  四、阿耆多翅舍欽婆羅〔アジタ・ケーシャカンバラ〕

  五、迦羅鳩駄迦旃延〔クラクダ・カーティヤーヤナ〕

  六、尼犍陀若提子〔ニルグランタ・ジュニャーティプトラ〕

 今『止観』によってそのとるところの主義を述ぶるに、富蘭那迦葉〔プーラナ・カーシュヤパ〕は不生不滅を計し、末伽梨拘賒梨子〔マスカリン・ゴーシャーリープトラ〕は、衆生の苦楽は、因縁あることなく、自然のみと計し、刪闍夜毘羅胝子〔サンジャイン・ヴァイラティープトラ〕は、衆生八万劫を経れば、苦尽きて自ら道を得、なお縷丸を高山に転じて、縷尽くれば自らとどまるがごとしと計す、阿耆多翅舍欽婆羅〔アジタ・ケーシャカンバラ〕は、罪報の苦は、巌に投じ髪を抜くがごとき苦行をもって、これに代えざるべからずと計す、迦羅鳩駄迦旃延〔クラクダ・カーティヤーヤナ〕は、亦有亦無と計す、尼犍陀若提子〔ニルグランタ・ジュニャーティプトラ〕は、業の所作は定まりて改むべからずと計すという。この六師は前章に述ぶるがごとく、九十六種外道の根本にして、『維摩経』の外、『涅槃経』中にも出づるところなり。ただ両経中、六師の名称同一なりといえども、その所執の主義に至りては、前後不同あり。また『釈論開解抄』には、僧佉〔サーンキヤ〕、衛世〔ヴァイシェーシカ〕、勒娑婆〔リシャバ〕、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕、自在〔イーシュヴァラ〕、韋紐〔ヴィシュヌ〕の六種を挙げて、外道の六師となす。これ前章に示せる西洋所伝の六大学派の分類に近し。すなわちその第一と第二とは、六大学派の第二および第三なること言を待たず。その第五と第六とは、自在天もしくは韋紐〔ヴィシュヌ〕天を立つる有神外道なれば、六大学派の第五、第六と同一種なること明らかなり。ただその第三と第四とは、六大学派中に見えざるなり。もしまた『義林章』によれば、大類外道別に六計ありと説きて、その六計は、数論、勝論、明論、声顕論、声生論、順世論の六種なり。これ『唯識論』に出でたる外道の名目なり。もしこれを開けば十三計となる。すなわち左のごとし。

   一、数論     二、勝論   三、大自在天外道   四、大梵〔マハーブラフマー〕計

   五、時計     六、方計   七、本際計      八、自然計

   九、虚空計   一〇、我計  一一、明論外道    一二、声顕声生論

  一三、順世外道

 しかるに『華厳演義鈔』には、外道の種類を十一宗となす。すなわち左のごとし。

   一、数論          二、勝論          三、塗灰外道

   四、囲陀〔ヴェーダ〕論師   五、安荼〔アンダ〕論師    六、時散外道

   七、方論師         八、路伽耶〔ローカーヤタ〕  九、口力論師    

  一〇、宿作論師       一一、無因論師

 つぎに『外道小乗涅槃論』の二十種外道を列挙すれば、左のごとし。

   一、小乗外道論師説             二、外道方論師説

   三、風論師説                四、囲陀〔ヴェーダ〕論師説

   五、伊賒那〔イーシャーナ〕論師説       六、倮形外道論師説

   七、毘世師〔ヴァイシューシカ〕論師説     八、苦行論師説

   九、女人眷属論師説            一〇、行苦行論師説

  一一、浄眼論師説              一二、摩陀羅〔マータラ〕論師説

  一三、尼犍子〔ニルグランタ・プトラ〕論師説  一四、僧佉〔サーンキヤ〕論師説

  一五、摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕論師説   一六、無因論師説

  一七、時論師説               一八、服水論師説

  一九、口力論師説              二〇、本生安荼〔アンダ〕論師説

 つぎに『大日経』住心品の三十種は、左表のごとし。

   一、時     二、地等変化(地水火風空五大外道)   三、瑜伽〔ヨーガ〕我(相応)

   四、建立浄   五、不建立無浄             六、自在天

   七、流出    八、時                 九、尊貴

  一〇、自然   一一、内我               一二、人量

  一三、遍厳   一四、寿者               一五、補特迦羅〔プドガラ〕(数取趣)

  一六、識    一七、阿頼耶〔アーラヤ〕         一八、智者

  一九、見者   二〇、能執               二一、所執

  二二、内知   二三、外知               二四、社怚梵〔ジュニャトヴァン〕

  二五、摩奴闍〔マヌジャ〕(意生)             二六、摩奴婆〔マーナヴァ〕(儒童)

  二七、常定生  二八、声顕     二九、声生     三〇、非声

 以上、各種の解釈説明は後章に譲る。

       第九章 九十六種

 外道の種類は、前章に表示せるがごとく、あるいは四種、あるいは六種、あるいは二〇種、ないし三〇種に分かつ異説あるも、その大数を挙ぐるときは、必ず九十六種または九十五種外道と称す。すなわち『三論玄義』には、総じて西域を論ずれば、九十六術、別に宗要を序すれば、四執盛んに行わるとあり、『翻訳名義集』には、『弁正論』を引きて、九十五種西戎に騰翥すとあり、かくのごとく外道の大数を九十五種となす説と、九十六種となす説は、共に経論中に出づるところにして、『華厳経』『婆沙論』『智度論』『薩婆多論』『成実論』等には、多く九十六種と説き、『涅槃経』『月蔵経』『阿含経』『僧祗律』『起信論』等には、九十五種と説くをみる。この二様の異説あるにつきて、古来種々の弁解をなすものあり。もし仏家にて一般に伝うる説によれば、前章に示せる外道の根本六師に、おのおの一五人の弟子ありて、師弟相合して総数九十六種に至るという。すなわち左式につきて見るべし。

          6師×15弟子+6師=96種

 これを解するに、六師に一五人の弟子を加えて、九〇人を得、これに根本六師を加うれば、九十六種となるという。これ『薩婆多論』の説にして、その解釈は『資持記』に出づ。しかしてそのうち一道は、仏教中の一種、あるいは外道中の仏教に類似せるものなれば、これを除く時に、九十五種外道と称すという。故に『法華文句記』には、九十六とは衆路なり、もし出宅を欲せば、ただ一門ありと説き、『演密鈔』には、西方外道九十五種あり、もし仏を兼ぬれば、九十六を成すと説けり。もし仏教中の一種を外道となすときは、その一種は小乗もしくは小乗中の犢子部なりという。これ古来の説なれども、その果たしてしかりや否やはいまだ知るべからず。しかるに『開解抄』には、別に一説を掲ぐ。すなわちその六師は、前章に示せる僧佉〔サーンキヤ〕、衛世〔ヴァイシェーシカ〕、勒娑婆〔リシャバ〕、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕、自在〔イーシュヴァラ〕、韋紐〔ヴィシュヌ〕の六師にして、『維摩』の六師と同じからず。これにおのおの一五人の弟子ありて、師弟相合して九十六種となることは、『薩婆多論』の説と異ならず。ただし若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕は、勒娑婆〔リシャバ〕の弟子にして、かつ六師の一人なれば、一人にして、師弟の二義を有す。故にこれを二人として数うれば九十六となり、これを一人として数うれば九十五となるの説なり。これまた一説となすに足るもいまだその意を尽くさず。余案ずるに、外道の数を九十五種または九十六種と立つるは、けだしその当時の学派中の主要なるものにつきて定めたるならん。しかるに今日その各種の名称伝わらざる以上は、これを外道の大数となすをもって足れりとす。必ずしもその数のよって起こる原因を探究するを要せず。もし強いてその名数を知定せんとするときは、ついに付会を免れざるに至るべし。かつ六師におのおの一五人の弟子ありというがごときは、はなはだ信じ難き説にして、実際決して各師同数の弟子を有する理あるべからず。ただ『義林章纂註』の説は、大いに参考すべきものなり。すなわちその説は、外道の部類は九十六種ありて、ことごとく邪道なるも、各種の外道、みな自説ひとり正道にして、他の九十五種は邪道なりと唱うるをもって、仏教の方より言えば、九十六種みな邪道なれども、外道各派の言うところによれば、九十五種邪道となるべし。しかるに仏経中この両様を混ぜるをもって、九十五種〔九十〕六種の二説をみるに至るという。もしこの説に従えば、九十六種はことごとく外道の邪見となし、仏教をその中に加えざるなり。畢竟するにかくのごとき弁論は、もとより枝葉の末論に過ぎず。ただ古来の疏釈中、処々に散見せる説なれば、ここにいささかその異説を論述したるのみ。

 その他『秘蔵宝鑰』には、百種道と称することあり。百種道とは、九十六種に三乗および儒道を加えたるものなりという説あれども、けだし大数を挙げたるのみ。また『釈摩訶衍論』に、外道というは、九十六種の諸大外道と、九万三〇〇〇の眷属外道とあるも、これまた外道徒衆の夥多なるを示せるのみ。以上は仏書中にみるところの学派上の分類なり。ただし外道の所見もしくは所執につきては、さきに一言せるがごとく、別に講述せざるべからず。

       第一〇章 外道諸見

 仏教より外道の諸見を称して、あるいは邪見といい、あるいは身見あるいは辺見より起こるといい、あるいは断常二見に帰すという。よってまずいちいちこれを解釈せざるべからず。邪見とは、因果を撥無して、その理を信ぜざる妄見をいう。身見とは、わが身中に主宰となるべき一種の我体ありと執するをいう。辺見とはあるいは断見に偏し、あるいは常見に偏するをいう。常見とは、我人に一定せる我体常に存すと執するをいい、断見とは、これを否定して、一切みな無常と断ずるをいう。あるいは常見とは、人は常に人たり、畜生は常に畜生たり、貴賎常に定まり、貧富つねに分かれて動かすべからずと執するをいい、断見とは一切衆生、死すれば土となり灰となりて、死後心識永く滅して、他世他生なしと信ずるをいう。あるいはまた有見、無見もしくは空見をもって外道の所執となす。すなわち『百論疏』に、諸外道等多く空有二辺に滞まるとある、これなり。しかして有見とは、一切万有の存否につきて、これを単に有と執するをいい、空見とは、これを単に空と断ずるをいう。これに対して仏教は、非有非空の中道を立つるものなり。これを要するに外道の諸見は、みな我見より起こるとなす。故に『唯識論』には、外道所執の我を三種に分かつ。すなわち一には、我体常にして周遍なり、量虚空に同じ、処にしたがって業を造りて苦楽を受くと執す、これ数論、勝論等の所計となす。二には我体常なりといえども、量定まらず、身の大小に従って巻舒ありと執す、これ無慙外道の所計となす。無慙外道とは、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕外道をいう。三には我体常にして至細なること一極微のごとく、身中に潜転して事業を作すと執す、これ獣主遍出の所計となす。また『唯識論』に、外道の所執を一、異、亦一亦異、非一非異の四種に分かてることあり。これさきに述べたる『外道小乗四宗論』の一、異、倶、不倶に同じ、あるいはまた『三論玄義』に、九十六種の外道を約して左の四執に帰せり。

  一、邪因邪果

  二、無因有果

  三、有因無果

  四、無因無果

 これ外道の邪執を因果論の上において四類に分かちたるものなり。これに対して仏教は、正因正果を立つるものとなす。もしまた『中論』によれば、外道の所計に八種ありて、あるいは万物自在天より生ずと説き、あるいは韋紐〔ヴィシュヌ〕天より生ずと説き、あるいは和合より生ずと説き、あるいは時より生ずと説き、あるいは世より生ずと説き、あるいは変化より生ずと説き、あるいは自然より生ずと説き、あるいは微塵より生ずと説くことを示せり。これを有因無因をもって論ずれば、その第七は無因にして、その他はみな邪因なりとす。

 以上の分類の外に、その最も主要なるものは、『瑜伽論』および『顕揚論』の十六異論なり。左にこれを表示すべし。

   一、因中有果論   二、従縁顕了論   三、去来実有論    四、計我論

   五、計常論     六、宿作因論    七、自在為作者論   八、害為正法論

   九、有辺無辺論  一〇、不死矯乱論  一一、無因見論    一二、断見論

  一三、空見論    一四、妄計最勝論  一五、妄計清浄論   一六、妄計吉祥論

 もし『智度論』によれば、十六種の知見あることを説けり。これ『瑜伽』の十六異論とややその意を同じうす。今左にこれを表示すべし。

   一、我    二、衆生    三、寿者   四、命者

   五、生者   六、養育    七、衆数   八、人

   九、作者  一〇、使作者  一一、起者  一二、使起者

  一三、受者  一四、使受者  一五、智者  一六、見者

 この十六知者と『瑜伽』の十六異論とは、のちに至れば自ら知るべきをもって、ここにはその解を略す。

 つぎに仏書中にしばしば見るところの六十二見を解説せざるべからず。六十二見は、さきに掲げたる身見、辺見あるいは断常二見を開きたるものにして、外道諸見の総称といって可なり。今その名数のよって起こるゆえんを考うるに、『義林章』には、『智度論』『阿含経』『梵網六十二見経』『大毘婆娑論』『瑜伽論』等に説くところ、おのおの異同あることを記して、その見解一定し難し。もし『三蔵法数』に解するところによれば、外道の人、色、受、想行、識の五陰法中において、一陰ごとに四種の見を起こして、二〇見となり、これを過去、現在、未来の三世に約して論ずれば、六〇見となる。しかしてこの六〇見は、断常二見をもって根本となせば、総じて六〇見となるという。もしこれを算式に擬して表示すれば左のごとし。

          4見×5陰×3世+断見+常見=62見

 そのいわゆる四見とは、即色是我、離色是我、我大色小色在我中、色大我小我在色中の四句をいう。その他、二、三の異説あるも、あたかも九十六種外道の名数を定むるがごとく、強いてその数を満たさんと欲して、付会せるもの多し。故にここにそのいちいちを挙示せざるなり。また『楞伽経』には、百八句の名目を掲げたり。これを『十住心論』には、『楞伽経』に百八部の邪見を説くとあれども、これまた列挙するを要せず。

       第一一章 外道年代

 すでに外道の学派上および見解上の分類を略述したれば、これよりいちいちこれを弁明せざるべからず。しかるにその前にまず外道生起の年代を知るを要するをもって、ここに各派の前後を考定せんとす。そもそもインドは正史のよってもって事実を徴すべきものなく、外道はもちろん、仏教といえども、仏生仏滅の年代明らかならず。けだしインド人は、その性質漠然として多く想像をもって遣り、歳月の新旧等には更に意を注がざるもののごとし。故に今余が考定せんと欲するところも、仏以前と仏以後における外道生起の前後を示すより外なし。まず『維摩注経』によるに、外道六師は、仏いまだ出世せざりし時、その道すでに天竺に王たりと説き、『止観』には、仏出づる時に至りて、六大師ありと説き、『楞伽義疏』には、仏いまだ出でざりし時、すでに四大計、極微計、虚空計等の外道の世に行われたるがごとく説けり。また『止観』のいわゆる本源三外道は、数論、勝論、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕の三宗にして、そのうち数論の祖たる迦毘羅〔カピラ〕仙をもって本源中の本源となす。また『止観輔行』には、勝論の祖をもって仏前八〇〇年の出世となす。また『因明大疏』によるに、数論は成劫の初めに出で、勝論は成劫の末に出づとあるがごときは、数論は勝論の前にありしことを証するに足る。つぎに尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕の祖たる勒娑婆〔リシャバ〕は、本源三師の一にして、その年代知るべからずといえども、数論、勝論ののちに起こりしことは、やや考定するを得べし。また『四宗論』のいわゆる四大外道の一なる若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕は、勒娑婆〔リシャバ〕の弟子なりと伝うるをもって、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕の後なること明らかなり。しかして『維摩経』に、この二種を合して尼乾陀若提子〔ニルグランタ・ジュニャーティプトラ〕とし、もって六師の一に加うるよりみれば、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕共に仏以前より世にありしもののごとし。その他、数書によって考察するに、比較上、数論最初に起こり、勝論そのつぎに起こり、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕は勝論のつぎにして、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕はまたそのつぎなるに似たり。この四大派は、仏出世の時、すでに世間に流布して、多少の勢力を有せしは、けだし疑いなかるべし。しかりしこうして因明の鼻祖たる足目〔アクシャ・パーダ〕仙人は、数論の前に世に出でて、因明学派を開きたるもののごとし。その在世の年代は、もとより知るべからずといえども、因明書類に記せるところによるに、その仙人劫初に出でて因明を起こせりといい、また大梵〔マハーブラフマー〕王の化身なりという。これによって足目は諸外道にさきだちて世にありしを知るべし。故に余は外道諸師の年代の前後を左のごとく考定せり。

  一、足目〔アクシャ・パーダ〕(因明初祖)

  二、迦毘羅〔カピラ〕(数論祖)

  三、伽那陀〔カナーダ〕(勝論祖)

  四、勒娑婆〔リシャバ〕(尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕祖)

  五、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕論師

 この諸師の学派ようやく分立して、数十派となり、仏在世の当時、すでに九十余種をもって目せられしは、大小乗の経文中に九十五種〔九十〕六種の名目あるをみて知るべし。以上挙示せる『止観』の本源三師、あるいは『四宗論』の四大外道、あるいは『維摩経』の六師外道は、その源みな毘陀〔ヴェーダ〕経より起こり、婆羅門〔ブラーフマナ〕の有神論の一変したるものなれば、梵天〔ブラフマー〕または自在天を立つる外道に至っては、更にその以前にありて存せざるべからず。かくのごとく仏以前に数種の大外道世に行われしも、仏教のひとたび出づるに当たり、多少その勢力を減縮するに至りしは明らかなり。しかるに仏滅後百余年を経て、外道またようやく興り、四、五百年ごろは、外道大いに盛んにして、仏教まさに滅せんとする勢いなりき。これにおいて馬鳴、竜樹、相ついで起こり、大いに大乗を弘めて、外道を摧伏せりという。竜樹の門下より出でてもっぱら破邪に力を尽くししものは提婆〔デーヴァ〕なり。『百論疏』に、天竺外道、一異盛んに興りて、仏の正教を障ふ、提婆〔デーヴァ〕これを破りて、仏教世に興るとあるをみて、その当時の状況を知るべし。そののち百余年を経て、無著、世親、世に出で、また大いに外道を排して、大小両乗を弘め、しかしてまた陳那〔ディグナーガ〕および商羯羅主〔シャンカラスヴァーミン〕相ついで起こり、共に因明の学を興して、外道の邪論を破斥せり。この両師の伝うるところの因明論をみるに、その方式もっぱら数論、勝論、声論に対して立論せるもののごときは、当時この三大外道の共に大いに世間に行われしを知るに足れり。そののち護法、清弁等の諸論師出でて、外道の邪勢を排し、あわせて大乗中に異見を起こすに至れりという。これを要するに、無著、陳那〔ディグナーガ〕の前後は仏教の理論、最も発達せし時代なり。これより後は、仏教ようやくインドに衰えて、シナに興り、ついに一変して、シナ仏教の時代となれり。これによってこれをみるに、インドは仏教の前後に外道諸派ありて、互いに雌雄を争い、一起一仆の盛衰ありしこと明らかなり。

 更に目を転じて西洋所伝の六大学派の年代を考うるに、いまだ一定の説あるをみず。一説には、尼耶也〔ニヤーヤ〕をもって最古の学派となす。これ前に述べたる足目〔アクシャ・パーダ〕の学派なり。その数論、勝論を仏以前となすことは、前述に同じく、しかして弥曼差〔ミーマーンサー〕、吠檀多〔ヴェーダーンタ〕をもって仏以後の学派となせり。思うにこの両派は、毘陀〔ヴェーダ〕経に基づきて有神論を唱うるものなれば、インド最古の外道なるべきも、その有神論一時やや衰え、仏以後数百年を経て再興し、更に弥曼差〔ミーマーンサー〕、吠檀多〔ヴェーダーンタ〕等競い起こりて、数論、勝論および仏教等と相争いたるや疑うべからず。つぎにまた瑜伽〔ヨーガ〕学派は数論の分派なりと伝えて、仏以後に起こりしものとなす。以上六大学派の外に、別に一派を成せる闍伊那〔ジャイナ〕教に至りては、その年代異説あるも、仏以後の学派なることは、推知するを得。しかるに西洋所伝によれば、その派に白衣派、裸形派の二種ありて、裸形派は、仏書中のいわゆる露形外道なり。故にこれを尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕外道となす説あり。もしこれを尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕とすれば、仏と同時もしくはその以前に存せし外道ならざるべからず。しかるに仏書中には、いまだ闍伊那〔ジャイナ〕教の名称あるをみず。ただ露形外道のことの往々散見するのみ。これを要するに、外道諸派の始めて起こりしは、必ず年代前後の次第あるべしといえども、伝来の際、しばしば一起一仆、一盛一衰ありて、そのひとたび勃興せるに当たりては、各派ほとんど同時に競起して、互いに雌雄を争いたるや疑いなし。故に確実なる年代は、仏書あるいは二、三の外道書中に見るところをもって判知すべからざるなり。

       第一二章 外道順序

 仏教中古来用うるところの分類は、前にすでに挙示せるも、余は別に自ら定むるところの方法によりて、各派の大要を叙述せんと欲す。すなわち第一に、外道全体を客観論、主観論の二大門に分かち、第二に、客観、主観両論を、おのおの単元論、複元論の二類に分かち、第三に、客観論中の単元論を、有質論、無質論に分かち、複元論を、有神論、無神論に分かち、客観論より主観論に及ぼし、単元論より複元論に及ぼすの順序をとらんとす。しかして客観論の下には、有形の物質または外界の境遇をもって、哲学の原理と立つる諸派を論述し、主観論の下には、無形の我性または内界の作用をもって原理と立つる諸派を論述すべし。もしその各派の変遷につきていわば、客観論の極は、有神論となり、有神論の極は、無神論となり、無神論、更に変じて物心二元論となり、二元論、更に変じて実体論または理想論となる。これ外道哲学のようやく進んで仏教に入る順序なり。もし外道と仏教とを較すれば、その間に自ら左のごとき別あるをみる。

  一、外道は単元論または有神論にして、仏教は複元論かつ無神論なり。

  二、外道は客観論または実体論にして、仏教は主観論または理想論なり。

  三、外道は二元論すなわち相対論にして、仏教は一元論すなわち絶対論なり。

 しかるに今、外道中に、主観客観および有神無神等を分かつは、外道諸派の間に比較対照していうのみ。もし仏教上よりこれをみれば、外道中の主観論も複元論も、みな客観単元の範囲を脱せざるものといわざるべからず。しかるに外道中に主観客観、複元単元を分かたんには、必ず余が定むる順序によるより外なかるべし。けだしその順序は、年代の前後に基づきたるものにあらずして、思想発達の原則に従い、普通浅近の説より、ようやく高尚深遠の論に及ぼすの順序をとるものなり。換言すれば、有形の原理を立つる学説より、無形の原理を立つる学説に及ぼす次第を用うるものなり。しかして余おもえらく、これ多少年代の順序と一致するところあるべし。なんとなれば、思想の発達は、いずれの国においても、有形より無形に入り、具体より抽象に移るを通則とすればなり。たとえばギリシア哲学史につきて考うるも、その規則の事実なるを知るべし。今左にインド哲学全体を表示すべし。

  インド哲学 客観論(外道) 客観論

                主観論

        主観論(仏教) 客観論(小乗)

                主観論(大乗)

 そのうち、これより叙述するところは、インド哲学の客観論たる外道哲学にして、これを更に客観、主観の両

  客観論 単元論 有質論 地水火風

              極微論

          無質論 虚空論

              方 論

              時 論

      複元論 有神論 声 論 声論外道

                  明論外道

                  声生声顕外道

                  非声外道

              一因論 毘陀〔ヴェーダ〕論師計

                  摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕論師計

                  安荼〔アンダ〕論師計

                  婆羅門〔ブラーフマナ〕計

          無神論 無因外道(自然外道)

              虚無外道

              宿作外道

              断常二見外道

論に分かちて、逐次その大要を示さんとす。すなわちさきに一言せる『外道小乗四宗論』の四宗、『維摩経』の六師外道、『華厳大疏』の十一種、『唯識論』の十三計、『瑜伽』『顕揚』の十六異論、『智度論』の十六知見、『外道小乗涅槃論』の二十種、『大日経』住心品の三十種によりて、その総体を客観論、主観論に大別し、その客観論を右のごとく分類して、逐次論及する意なり。

 この表中、有神論中に非声論を加え、無神論の下に断常論を掲げたるは、その当を得ざるがごときも、論理思想の関係上しばらくかくのごとく定めたるのみ。

       第一三章 地水火風外道

 まず客観論の単元論を考うるに、地、水、火、風の四大もしくは極微をもって原理と立つる学派あり。これみな有形有質の物なれば、これを総じて有質論と称す。その第一の地論は、『大日経』住心品、三十種外道の第二なる地等変化と名付くる外道の一種に属し、地をもって一切万物の原因となす一派なり。けだしその論意は一切の衆生、一切の万物、みな地によって生ずるをもって、地は万物の原因なりと断定し、地を供養するものは、解脱得道すべしと想像するにあり。つぎに水論を考うるに、水をもって万物の原因と立つる論にして、「住心品」には、地等の中にこれを摂せり。また『外道小乗涅槃論』にては、これを服水論師の説となす。今その論意を述べんに、水はよく天地を生じ、有命、無命の一切万物を生じ、またよく万物を壊すをもって、水は万物の根本なりと想定するにあり。西洋にても、ギリシア哲学の鼻祖たるタレス氏は、水をもって万物の本体となせり。これ東西両説の偶然相合したるものなり。つぎに火論は、「住心品」の地等の中に摂せられたる一派の外道にして、他書にこの外道の目的をみずといえども、すでに四大中、地論、水論を唱うるものあれば、火論を唱うるものまた必ずあるべき道理なり。西洋にはヘラクレイトス氏の火論あり。またストア学派の祖たるゼノン氏のごときも、一種の火論と称して可なり。なんとなれば、その論ヘラクレイトス氏の説と異なるも、太初に火気ありて、これより風(空気)を生じ、風より水を生じ、水より地を生ずと立つるをもって、世界の本源を火に帰する説なること明らかなればなり。あるいはまた近世カント氏以後、一般に行わるる宇宙の原初は高熱の火体より成るといえる説のごときも、同じく一種の火論に属すべし。その他、仏書中に事火外道または事火婆羅門〔ブラーフマナ〕の名称あるを見れども、これは火をもって神聖なるものとし、すべてこれを供養して、福利を得んことを求むるものをいえるにて、ここにいわゆる火論外道を指すにあらざること明らかなり。つぎに風論は、『外道小乗涅槃論』の風仙論師の説にして、その意は風よく生物を長じ、またよくこれを殺し、風よく万物を造り、またよくこれを壊す、故に風は万物の真因なりというにあり。もしこれを西洋に考うれば、ギリシアのアナクシメネス氏の、空気をもって万物の本体となす論と一致すべし。またエンペドクレス氏の地、水、火および空気の四大元をもって万物の本体となすがごときは、以上の四論を合したるものに同じ。東西両洋における哲学上の説明の偶然相合するもの多きは、実に奇というべし。

 古来の説によるに、「住心品」の地等変化とあるは、地、水、火、風、空の五大変化して、万物を生ずるの義にして、五人の異計を合して一類となせるものとなす。しかるに真言宗にては、元来一切万物みな五大より生ずといえる説を立つるをもって、地等変化外道とその説を同じうするがごとしといえども、外道の所計は、常識凡情の浅見にして、深理によりて達観せるものにあらず。これに反して真言の所計は、五大融通、万有渉入の真理に基づきて立つるものなれば、その間に天地の差ありという。また『涅槃経』に、外道に対して、五大の無常なるゆえんを論じたる一節あり。すなわち曰く、善男子、たとえば一切衆生、樹木、地によって住す、地無常なるが故に、地による物も次第に無常なるがごとし、善男子、地の水によるがごとし、水無常なるが故に、地もまた無常なり、水の風によるがごとし、風無常なるが故に、水もまた無常なり、風は虚空によるに、虚空無常なるが故に、風もまた無常なりと。これ五大外道を説破せるものと知るべし。その他、仏書中に地、水、火、風の外道説を論ずるものあるをみず。

 以上、地、水、火、風の四大を原理と立つる外道派を略述し終われり。その論、更に一歩を進むれば、極微論を生ずるに至る。なおギリシア哲学史上にタレス、アナクシメネス、エンペドクレス等の学説ようやく進んでデモクリトスの分子論をみるがごとし。故にこれより極微外道の説を弁明すべし。

       第一四章 極微外道

 極微外道の説は、西洋の分子論と同じく、微細なる物質分子の集散分合によりて、万物の生滅変遷を現示すと唱うるなり。その論は順世外道の立つるところにして、『唯識論』中に出づ。これを『唯識述記』に解説して、これは唯実の四大ありて、一切有情を生ずと執す、一切有情これを禀けて有り、更に余物なし、のち死滅するときは、かえって四大に帰すとあり。すなわちその意たるや、無機無生の諸物はもちろん、有機有生の人類、動物に至るまで、ことごとく地、水、火、風の極微分子より成り、別に物質を離れて精神の存するにあらずというにあり。これ実に純然たる唯物論なり。しかりしこうして人類に識心作用の存するは、四大の極微中最も精妙なるものの作用なりとなす。たとえば万物その体みな物質なるも、ひとり灯に光ありて、余物になきがごとく、人類も木石も、共に四大より成るも、人類に識知作用ありて、他になしという。故に『演秘』には、順世外道の極微に、極精虚と清浄と非虚浄との三類ありて、その果に心、心所と眼根等と色声等との別あるに至るといえる一説を掲げたり。また極微外道のことは、『瑜伽論』の十六異論中、第五計常論および第一二断見論の下に出でたれども、これを略す。

 今ここに順世外道の名義を考うるに、梵語これを路伽耶〔ローカーヤタ〕という。路伽耶〔ローカーヤタ〕とは世間の凡情に随順する義なれば、ここに訳して順世という。これ西洋のいわゆる常識Commonsenseの義ならんか。これに対して非順世あり、これを逆路伽耶〔ローカーヤタ〕という。ここに訳して左世もしくは悪論といい、これに対して路伽耶〔ローカーヤタ〕をあるいは善論という。しかるに仏書中、往々路伽耶〔ローカーヤタ〕を訳して、ただちに悪論または左世となすことあるは、けだしその論を貶斥せるによるならん。つぎに極微の名義を考うるに、『対法抄』には、梵に波羅摩阿拏〔パラマ・アヌ〕と言い、ここに極微というとありて、旧訳には隣虚という。しかしてその義解は、『倶舎頌疏』にこの色の極少なりと説き、『西域記』に、極細塵とは、復析すべからず、析すればすなわち空に帰す、故に極微というと示して、西洋のいわゆる分子または微分子Atomに当たること明らかなり。およそ外道諸派中、もっぱら極微説を唱うるものは、順世外道の外に勝論外道あり。この二者共に唯物論なりといえども、また自らその別あり。すなわち『唯識述記』には、この勝論は更に余物あるを許すも、順世はしからずと説きて、勝論は、物質的極微の外に、精神的諸元ありと立つるも、順世は地、水、火、風の四大あるのみと立つるの相違ありとす。これを要するに勝論は、物心二元論にして、順世は唯物一元論なり。仏教の小乗中にも、同じく極微を説くも、これまた物質分子の外に精神作用あることを立つるをもって、順世の極微論と大いに異なるところあり。

 以上述ぶるところによりて、順世外道はインドのいわゆる分子学派にして、唯物論者たること明らかなり。これを西洋に考うれば、デモクリトスの論に比すべし。しかるにデモクリトス氏のごときは、物心二元共に分子より成るも、分子中に精麁の別ありて、物質はその麁なるものより成り、精神はその最も精細にしてかつ円滑なるものより成るという。これと同じく順世外道も、物質中に精純霊活なるものとしからざるものとありて、その最も霊活なるもの、精神作用を発現すというといえども、地、水、火、風の四大を立つるに至りては、デモクリトス氏と異にして、かえってエンペドクレス氏の地、水、火および空気の四元を立つるものに同じと知るべし。その他、インドになおこれに類似せる学派あり。獣主および遍出は、すなわちその一例なり。この外道の何学派に属するか、またいかなる説を唱えしかは、つまびらかならずといえども、多少順世外道に似たるところあるがごとし。その名称は、『唯識述記』によるに、獣主の梵語は播輸鉢多〔パーシュパタ〕にして、遍出は波利咀羅拘迦〔パリタラクカ〕なりとす。しかして獣主の義解、明らかならず。遍出はあまねく世間を出離するの謂なりという。その唱うるところの原理を考うるに、我体の量小なること一極微のごとく、身中に潜転して作用をなすと立つるなり。これいまだ極微論とも唯物論とも断言すべからずといえども、今余これを案ずるに、これ順世外道の一種もしくは自在天外道の一類なるべく思わる。すでに『枳橘易土集』に、獣主外道を塗灰外道に属したるがごとき、その自在天の部類たるを知る。しかりしこうしてその論は、全く仏教のいわゆる実我論に当たるべし。故に『義林章』には、『瑜伽論』の十六計中の第四計我論をもって、獣主等の外道の所執となせり。

       第一五章 時空外道

 地水火風論ようやく進んで極微論となり、唯物論となり、更に進んで虚空論となり、方論となり、時論となる。まず虚空論は、今日のいわゆる空間論なり。その外道は、空をもって万物の真因とする論を唱うるものにして、これを口力〔くりき〕論師と名付く。その外道の大意は、『外道小乗涅槃論』の第一九に出づ。その説に曰く、虚空はこれ万物の因なり、最初に虚空を生じ、虚空より風を生じ、風より火を生じ、火より暖を生じ、暖より水を生ず。水すなわち凍結して地を作し、地より種々の薬草を生じ、種々の薬草より五穀生命を生ずと。これ虚空より物質を生じ、物質より植物を生じ、植物より動物人類を生ずる説にして、今日の進化論とやや似たるところあり。またその説は、空をもって万物の真因と立つるものなれば、仏教小乗経論中に説ける世界開闢論に相近きところあり。たとえば『倶舎論』に、空中ようやく微細の風の生ずるあり、これ器世間まさに成らんとする前相なりとあるがごとし。この『倶舎論』の空中風を生ずる説と、口力論師の虚空説と大差なしとするも、仏教は、別に常住不滅の涅槃界あることを説くに至りては、外道の虚空計と同日の論にあらず。

 つぎに方論は、上下四方の方位より世界万物を生じ、万物滅尽すれば、また方位に帰す。故に方位は万物の真因たりとなす論なり。その説は、『外道小乗涅槃論』の第二外道の下に出づ。すなわち曰く、外道方論師の説は、最初に諸方を生じ、諸方より世間人を生じ、人より天地を生じ、天地滅没すれば、還彼処に入ると立つるなり。これ方位をもって常住となす論なれば、『百論』にこれを駁して、その非なるゆえんを証せり。その意を約するに、外道は、日の出づる所はいずれにありても同じく東方なれば、方位は一定不変なりというに対して、仏教は、日出の所必ずしも一定の方位に限るにあらず、須弥〔スメール〕、四洲、その出づるところ必ず異なり、もし日出の所を名付けて東方となさんか、四方八方みな東方といわざるを得ず、故に方位は不定不変のものにあらずという。かくのごとく口力論師は、虚空より地、水、火、風の四大を生ずるを説き、方論師は、方位より人および天地を生ずるを説くも、その道理いかんを証明せざるは、畢竟空想のはなはだしきものといわざるべからず。

 つぎに時論外道を考うるに、すでに空間論ありまた方位論あれば、時間論したがって起こらざるを得ず。その論を唱うるものを時散外道と名付く。これ『外道小乗涅槃論』第一七に出づる外道なり。その論意は、時よく一切の物を作り、時よく一切の物を散ず、たとえ百箭に射らるるも、時至らざれば死せず、小草に触るるも、時至ればすなわち死す。一切万物の生滅長熟は、みな時によらざるなし。故に時は万物の真因となすの説なり。また『瑜伽論』の十六異論中、第三去来実有論は、すなわち時論師の計にして、過去も未来も、現在のごとく実有なりといえる三世実有論なり。また「住心品」三十種外道の第一に、時論外道を出だせり。『同疏』の解に、前後二義あり、前義は、万物の成熟、みな時によりて起こるをもって、時は万物の因なりとなす。これ『外道小乗涅槃論』の説明に同じ。後義は、一切万物は時の所作にあらざるも、時は実に不変不滅の法なれば、時よく不変の因なりとなす。また「住心品」三十種の第八にも、時論外道を出だせり。この時論は、自在天外道の一類にして、時は自在天の作るところとなす説なれば、初めの時論と同じからず。かくして、外道は、時の常住実有なることを唱うるも、仏教は時に別体なく、法によって立つと説きて、時無体論を立つるなり。これを要するに、虚空論、方論および時論のごときは、地水火風四大論の一歩進みたるものにして、そのみるところようやく有形より無形に入るものなり。しかして空、方、時をもって万物の真因と立つるがごときは、余いまだ西洋にその説あるをみず。

       第一六章 声論外道

 地水火風の四大論、ようやく進んで時空論を生ずれば、更に時間空間中に天地万物をみるは、時間空間そのものの現象にあらずして、時空の外に、別にこれを造出せるものなかるべからずといえる一論を生ずるに至るべし。これ論理発達上、自然の勢いなり。なんとなれば時空と万物とは、その性質全く異にして、時空そのものの変じて万物となるべき理なければなり。これにおいてか有神論起こる。すなわち天地万物の原因は、神の造出に帰するの説起こるなり。まず有神論の一種として、声論外道を述ぶべし。余が検するところによるに、仏書中に声論と名付くるもの、およそ三種の別あり。

  第一は声明論を略して声論という。

  第二は毘陀〔ヴェーダ〕論すなわち明論を呼んで声論という。

  第三は声生論師、声顕論師の所計を名付けて声論という。

 その第一の声明論は、さきに第三章においてすでに弁明せり。ただここに論ずべきは、第二および第三の声論なり。この二者は、婆羅門〔ブラーフマナ〕の学派にして共に有神論の流派なれども、ややその所計を異にす。すなわち毘陀〔ヴェーダ〕の声論は、毘陀〔ヴェーダ〕の文字音声を常住不滅のものとなすも、一切の音声をことごとく常住不滅となすにあらず。しかるに声生、声顕論は、一切の音声の常住を唱うるものなり。しかれども後者は前者より転化せるものにして、その起源の一なることは疑うべからず。

 まずここに毘陀〔ヴェーダ〕論を声論の一種となすは、『唯識論』の所説に基づく。すなわちその論に「明論声常」とあるものこれなり。もし『義林章』によれば、その明論とは、婆羅門〔ブラーフマナ〕等吠陀〔ヴェーダ〕論、声ただこれ常を執す云々とありて、一切の声みな常住を唱うるにあらず、ただ毘陀〔ヴェーダ〕論の声常住を唱うるなり。しかるに第三の声生、声顕外道は、一切の声常住を唱う。すなわち『唯識論』に、一切の声みなこれ常なり、縁を待って顕発して、方に詮表ありというこれなり。この声生、声顕論は、「住心品」三十種中の第二八と第二九とに出づ。これを『住心品疏』に訳して、もし声顕とは、声体本有にして、縁を待ってこれを顕す、体性常住なりと計す、もし声生とは、声本生にして、縁を待ってこれを生ず、生じおわれば常住なりと計す。今その意を述ぶるに、声生論は、声は本生にして、本生じたることあるも、ひとたび生じ終われば、その末は常住にして、永く滅せずという。これ有始無終論なり。なんとなればその生ずるに始めありて、その滅するに終わりなければなり。つぎに声顕論は、声は四大相撃つがごとき縁によりてあらわるるも、その体常住にして、前後にわたりて存すという。これ無始無終論なり。なんとなればそのひとたびあらわれたる後、永く滅せざるのみならず、そのいまだあらわれざるとき、すでに常に存すればなり。余案ずるに、声生論師は、声の用につきてこれを論じ、声顕論師は、声の体につきて論ずるもののごとし。

 これによってこれをみるに、インドの外道中に、すべて声をもって常住不変となす説は、その源、毘陀〔ヴェーダ〕論師より起こり、婆羅門〔ブラーフマナ〕の所計なること明らかなり。しかして声生、声顕両論の起こりたるは、けだし毘陀〔ヴェーダ〕論外道の声論の分派ならん。もし年代をもって較すれば毘陀〔ヴェーダ〕論さきに起こり、声生、声顕論のちに出でたるは疑いをいれず。故に余はこの二種の声論を合して、有神論の部類に属するなり。もしこれを西洋所伝に考うるに、六大学派の弥曼差〔ミーマーンサー〕および吠檀多〔ヴェーダーンタ〕学派は、この声論外道に当たるべし。なかんずきて弥曼差〔ミーマーンサー〕学派は、毘陀〔ヴェーダ〕論師の声論外道なり。けだし弥曼差〔ミーマーンサー〕も、吠檀多〔ヴェーダーンタ〕も、共に毘陀〔ヴェーダ〕の神典に基づきて起こりしものなれども、弥曼差〔ミーマーンサー〕は、主として毘陀〔ヴェーダ〕の儀式行法に関することを講究し、吠檀多〔ヴェーダーンタ〕は、もっぱら毘陀〔ヴェーダ〕の哲学道理に関することを論明したるものなり。かくして弥曼差〔ミーマーンサー〕は、毘陀〔ヴェーダ〕神典そのものを神聖なるものと信じ、文々句々みな梵天〔ブラフマー〕の金言なれば、その金口よりひとたび発したる言声は常住不変にして、永く神聖なることを証明せんと欲し、声常住論の起こるに至れるなりという。果たしてしからば、弥曼差〔ミーマーンサー〕は仏教のいわゆる声論にして、声生、声顕もみなその分派なるべし。『瑜伽論』の十六異論につきてこれを考うるに、その第二の従縁顕了論は、声論の所計をいう。しかるにその論は、声体はこれ常住にして、縁に従って顕了すと立つるものなれば、声顕論なること問わずして明らかなり。また「住心品」三十種の第三〇に、非声外道を掲ぐ、これ声論の反対なり。これを『同疏』に釈して、彼は声是遍常と計す、この宗ことごとく撥して無となす、無善悪法に堕在す、また声字なき処、これをもって実となすとありて、一切の声を撥無する論なれば、必ず善悪なき処に帰着すべし。なんとなれば、善悪の別は言声、文字あるによる。もし言声もなく文字もなきにおいては、なにをもって善悪を分かたんや、その声、無善無悪の地に到達せざるべからず。しかるに「住心品」冠注には、そのいわゆる声字なき処を実となすは、かの禅門の不立文字、維摩の黙不二等とするも、かくのごとき外道の存することは、他書に見ざるところなれば、その宗意を明らかにすることあたわず。余案ずるに、これ必ずしもかかる名称を有する外道あるにあらず。すでに声論あれば、これに反する宗義をとるものあるべきは自然の勢いなれば、すべて声論に反対のものを非声論と称せしならん。しかしてこの二者は共に毘陀〔ヴェーダ〕論の声常説より派出したるや、また疑いなきがごとし。故に余は声論と非声論とを合して、共に有神論の部類となす。けだしこの声、非声両論のごときは、西洋の哲学史上にいまだみざる論にして、インド特有の哲学なるべし。ことに声生、声顕外道の一切の声を常住となすがごときは、特有中の特有というべし。仏教はこれに反して声無常を唱うるものなれども、真言の声字実相論のごときは、声論の所説に近し。しかるに真言家は、外道の声論は常識によりて立て、真言の声論は理想によりて立つるの別ありという。また非声論は、禅宗の不立文字に似たるところあるも、これまた常識凡常の所計なれば、禅宗の妙理とは同日に論ずべからず。

       第一七章 一因外道 第一

 以上、有神論の類属たる声論外道を論じて、ここに至りまさしく有神論の本領たる一因外道を述べんとするに当たり、まず外道のいわゆる天につきて一言せざるべからず。けだし天のことたるや、仏以前の説にして、インド最古の神話より起こり、毘陀〔ヴェーダ〕経中に見るところの古説なるも、仏教はその話をかりて世間道を説きたるをもって、仏書中にも、多く諸天の名称を掲ぐるをみる。なかんずきて帝釈天、梵天〔ブラフマー〕、自在天のごときは、仏教中にありてこれを諸天中の最勝最尊なるものとなす。ただこれを婆羅門〔ブラーフマナ〕に比して異同あるは、天部はすべて世間門中におきて、迷界の一部に属せしめ、更にその上に悟界の存することを唱うるにあり。そもそも天の名義たるや、シナのいわゆる天とその意を異にし、梵語の提婆〔デーヴァ〕Devaを訳したるものなり。しかしてその語に配するに天の字を用いたるは、最勝最尊の義なりという。その天の世界に、欲界、色界、無色界ありて、欲界に六天、色界に十八天、無色界に四天、これを合して二十八天ありとす。また須弥〔スメール〕三十三天と称することあり。すなわち須弥〔スメール〕頂上に善法堂天あり。これ帝釈天の所居なり。その四方におのおの八天あり。これを合して三十三天ありとす。梵語これを忉利〔トゥラーヤストゥリンシャ〕天といい、欲界六天の一に算す。しかしてこの忉利〔トゥラーヤストゥリンシャ〕天の主宰は帝釈天なり。帝釈天は、梵語因陀羅〔インドラ〕という。その上に位するものを大梵天〔マハーブラフマー〕または大梵〔マハーブラフマー〕王となす。これ天中の主尊なり。また那羅延〔ナーラーヤナ〕天と称するものあり。これを訳して生本といい、衆生の本となす。また毘紐〔ヴィシュヌ〕天と名付くるものあり。これを遍勝と翻す。また摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕と号するものあり。これを大自在天と訳す。この諸天は、あるいは梵天〔ブラフマー〕と同体とするあり、あるいは異体とするありて、その説一様ならず。これを西洋所伝に考うれば、原始の梵天〔ブラフマー〕化して婆羅摩〔ブラフマー〕Brahma、毘溼拏〔ヴィシュヌ〕Vishnu、溼婆〔シヴァ〕Sivaの三体となれり。婆羅摩〔ブラフマー〕(ここにいわゆる梵〔ブラフマー〕王)は能造の神にして、天地万物を造出することをつかさどる、毘溼拏〔ヴィシュヌ〕(毘紐天)は保護の神にして、ひとたび造出せしものを護持することをつかさどる。溼婆〔シヴァ〕(摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕)は破壊の神にして、天地万物を破壊することをつかさどるという。しかれども余いまだ仏書中にかかる説明あるを見ざるなり。

 すでに諸天の略解を掲げたれば、これより一因外道の所立を述ぶべし。一因外道とは、世界万物の原因を一なりと立つる学派にして、インドの有神学派をいう。今仏書中に散見せる有神学派は、『維摩経』六師中の第五迦羅鳩駄迦旃延〔クラクダ・カーティヤーヤナ〕、『外道小乗涅槃論』の第四韋陀〔ヴェーダ〕論師、第五伊賒那〔イーシャーナ〕論師、第九女人眷属論師、第一二摩陀羅〔マータラ〕論師、第一五摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕論師、第二〇安荼〔アンダ〕論師等にして、その説くところ多少の異同あるも、みな一因外道の部類たり。『唯識論』の十三計中、大自在天、大梵〔マハーブラフマー〕計、本際計も、一因外道なり。「住心品」三十種中、自在天、流出、尊貴、遍厳、摩納婆〔マーナヴァカ〕等も、また一因外道に属すべし。もしまたこれを『瑜伽論』の十六異論に考うれば、第七計自在論、第八害為正法論、第一〇不死矯乱論、第一四妄計最勝論、第一五妄計清浄論、第一六妄計吉祥論は、みな一因外道の妄見なり。今まず左の三計につきて、その要を述ぶべし。

  一、毘陀〔ヴェーダ〕論師計

  二、摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕論師計

  三、安荼〔アンダ〕論師計

 まず毘陀〔ヴェーダ〕論師の所計は、これを『外道小乗涅槃論』に考うるに、那羅延〔ナーラーヤナ〕天の臍中より蓮華を生じ、蓮華より梵天〔ブラフマー〕を生じ、梵天〔ブラフマー〕より有生無生、一切万物を生じ、梵天の口中より婆羅門〔ブラーフマナ〕を生じ、両臂中より刹利〔クシャトリヤ〕を生じ、両脾中より毘舎〔ヴァイシュヤ〕を生じ、その両脚中より首陀〔シュードラ〕を生ずという。しかるに『華厳玄談』には、那羅延〔ナーラーヤナ〕天よく四姓を生じ、梵天〔ブラフマー〕よく万物を生ずとあり。これによってこれをみるに、那羅延〔ナーラーヤナ〕天を一分能生の主となす説と、ひとり梵天〔ブラフマー〕を能造の主となす説と、二様あるがごとし。もし『唯識論』によれば、そのいわゆる大梵〔マハーブラフマー〕計は、毘陀〔ヴェーダ〕論師の計なること明らかなり。すなわち『演秘』に、大梵〔マハーブラフマー〕というは、囲陀〔ヴェーダ〕論師の説、那羅延〔ナーラーヤナ〕天臍中より大蓮華を生ず云々とあるをみて知るべし。これを要するに、毘陀〔ヴェーダ〕論師の説は、一神造化教なり。つぎに摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕論師すなわち自在天論師の説は、『外道小乗涅槃論』によるに、摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕の一体化して、梵天〔ブラフマー〕、那羅延〔ナーラーヤナ〕、摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕の三体となる。地はこれ依処、地主はこれ摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕天なり。あらゆる一切命物、非命物は、みな摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕天の生、虚空はこれその頭、地はこれその身、水はこれその尿、山はこれその糞、一切衆生はこれ腹中の虫、風はこれ命、火はこれ暖、罪福はこれ業にして、この八種はこれ摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕の身なり。自在天はこれ生滅の因にして、一切自在天より生じ、自在天より滅すという。『摩登伽経』に、汝法中自在天は、世界を造れり、頭はもって天となり、足は地となり、目は日月となり、腹は虚空となり、髪は草木となり、流涙河をなし、衆骨山をなし、大小便利ことごとく海となるとあるは、この摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕論師の所計をいうなり。また『唯識論』に、そのいわゆる大自在天は、体実に遍常よく諸法を生ずとあるは、この計をいう。またこの外道を塗灰外道と称すること、数書にみえたり。これを塗灰と名付くるは、灰をもってその体に塗りて苦行するによる。その他この外道の立つるところの原理に十六種あること、『百論疏』にみえたれどもこれを略す。つぎに安荼〔アンダ〕論師は一名本際計または本生計と称す。本際とは、過去の原始をいう。その原始にありては、いまだ日月星辰、国土草木あらずして、ただ大水のみあり。そのとき大安荼〔アンダ〕ありて出生せるに、その形、鶏卵のごとし、これより天地分化すと説くを本際計と名付くるなり。これを『外道小乗涅槃論』に解していわく、もと日月星辰、虚空および地なく、ただ大水あり、時に大安荼〔アンダ〕生ず、鶏子のごとく、周匝金色なり、時熟して破れて二段となる、一段は上にありて天となり、一段は下にありて地となる、かの二中間に梵天〔ブラフマー〕を生ず、一切衆生の祖公と名付く、一切有命無命の物を作るとあり。また『唯識論』の本際計を『同述記』に釈していわく、本際とは過去の初首なり、このとき一切有情、この本際の一法より生ず、この際、是実是常よく諸法を生ずとあり。これインドの開闢説を大卵化成説と唱うるゆえんなり。その説シナの開闢談に似たるところあり。故に『華厳玄談』には、その安荼〔アンダ〕計またこの方(シナ)にて天地の初形鶏子のごとく、渾沌いまだ分かれず、すなわちこれより天地万物を生ずと計することあるに似たりという。ひとりシナのみならず、わが国の開闢談も、安荼〔アンダ〕論師の所計と相合するは奇というべし。

       第一八章 一因外道 第二

 前述の毘陀〔ヴェーダ〕論師、摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕論師、安荼〔アンダ〕論師の外に、一因外道の部類はなはだ多し。まず『外道小乗涅槃論』の摩陀〔マダ〕論師の説を考うるに、その言に曰く、那羅延〔ナーラーヤナ〕論師、論ずらく、われ一切の物を造り、われ一切衆生中において最勝なり、われ一切世間、有命無命物を生ず、われはこれ一切山中の大須弥〔スメール〕山王なり、われはこれ一切水中の大海なり、われはこれ一切薬中の穀なり、われはこれ一切仙人中の迦毘羅〔カピラ〕牟尼なり、もし人、至心に水、草、華、果をもってわれを供養せば、われかの人を失わず、かの人われを失わずとあり。これ那羅延〔ナーラーヤナ〕天を立つるものなれば、毘陀〔ヴェーダ〕論師の所計に類す。また「住心品」の尊貴外道もややこれに同じ。すなわち『同疏』に解するところによるに、尊貴とは、那羅延〔ナーラーヤナ〕天なり、この天湛然として常住不動なり、しかも輔佐ありて万物を造成す、たとえば人生無為にして治め、有司命を受けてこれを行うがごとしという。またこの宗、計すらく、尊貴は一切地、水、火、風、空処に遍しと。これ一神教にして、しかも汎神教の意を含む。又「住心品」の摩納婆〔マーナヴァ〕すなわち儒童外道は、毘紐〔ヴィシュヌ〕天外道の部類なりという。けだし毘陀〔ヴェーダ〕論師外道の所属ならん。つぎに「住心品」の自在天流出および時の三種を考うるに、これみな摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕論師の部類なり。『同疏』に流出外道を解して、建立と大いに同じ、建立は心より一切法を出すがごとし、この中流出は、手功より一切法を出すがごとし、たとえば陶師子挺埴すること無間にして、種々差別の形相を生ずるがごとしといい、時外道を解して、自在天の種類なりという。また『維摩経』の迦羅鳩駄迦旃延〔クラクダ・カーティヤーヤナ〕は、自在天をもって衆生の因となす説なれば、また自在天外道なり。その他「住心品」の遍厳外道は、神我よく諸法を造ると計するものにして、自在天と小異あるも、その所属なること明らかなり。また「住心品」の摩奴闍〔マヌジャ〕は、これを翻して人あるいは人生となす。すなわち人執なり。これ自在天外道の部類なりと解せり。また『外道小乗涅槃論』の女人眷属外道も、自在天の一種ならんか。その論にいわく、摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕八女人を作る、その第一より諸天を生じ、第二より阿修羅〔アスラ〕を生じ、第三より諸竜を生じ、第四より諸鳥を生じ、第五より四足を生じ、第六より人を生じ、第七より一切穀子を生じ、第八より一切虫類を生ずとあり。また同論の伊賒那〔イーシャーナ〕外道も、自在天の部類たるに似たり。その論にいわく、伊賒那〔イーシャーナ〕論師、尊者形相見るべからず、一切処に遍し、形相なきをもって、よく有名無名、一切万物を生ずとあり。この外道は、あるいは前述の尊貴外道に同じく、凡神論の意を含むものなり。

つぎに『瑜伽論』十六異論中の梵天〔ブラフマー〕または自在天を立つるものを挙げて、その意を解するに、まず自在為作者論とは、諸法変化の原因を自在天に帰するものなれば、その自在天外道なること言を待たず。つぎに害為正法論とは、婆羅門〔ブラーフマナ〕肉食せんと欲して、みだりに論を立てて、もし祠中において諸生命を害してよく祭るときは、所害の者もしくは助伴者は、みな天に生ずることを得と唱うるをいう。不死矯乱論とは、もし人ありきたりて世出世の道を問うことあれば、彼答えて曰く、われは不死浄天に事うるに、浄天はその法を人に秘して知らしめず等と称して、言を他事に託して、分明に答えざるをいう。妄計最勝論とは、婆羅門〔ブラーフマナ〕は梵〔ブラフマー〕王の子にして、その腹口より生ぜるものなれば、これ四姓中最勝の種族なりと唱うるをいう。妄計清浄論とは、殑伽〔ガンガー〕河等において支体を沐浴するときは、あらゆる罪悪ことごとく除滅して、清浄を得、あるいは諸天の五欲は、真の涅槃なりと計するものをいう。妄計吉祥論とは、日月星辰の変を見て、事の成否を判じ、努めて天体を供養するがごときをいう。以上はみな婆羅門〔ブラーフマナ〕の妄計にして、有神論の部類たるや明らかなり。およそ仏書中に婆羅門〔ブラーフマナ〕計を奉ずるものを梵志〔ブラフマ・チャーリン〕と名付く。梵志〔ブラフマ・チャーリン〕とは、経論の解釈一準ならず。『涅槃経疏』には、梵志〔ブラフマ・チャーリン〕すなわちこれ出家外道と解し、『法華文句記』には家にありて梵〔ブラフマー〕に事うるものを梵志〔ブラフマ・チャーリン〕となすと解するの相違あり。

 以上、論述せる種々の有神外道は、これを西洋所伝の六大学派に考うるに、弥曼差〔ミーマーンサー〕吠檀多〔ヴェーダーンタ〕の二派に属することは、さきにすでに弁明せり。しかしてその諸計中、いずれが弥曼差〔ミーマーンサー〕派にして、いずれが吠檀多〔ヴェーダーンタ〕派なるかはつまびらかならず。余案ずるに、さきのいわゆる声論外道は、弥曼差〔ミーマーンサー〕にして、自在天外道等は、吠檀多〔ヴェーダーンタ〕なるべし。なんとなれば弥曼差〔ミーマーンサー〕は毘陀〔ヴェーダ〕経典の文句言辞をただちに神聖不滅なるものと考え、声常住論を唱うるに至ればなり。これに反して、吠檀多〔ヴェーダーンタ〕は、梵天〔ブラフマー〕の実在を論定し、梵天〔ブラフマー〕と世界との関係、人心と梵天〔ブラフマー〕との関係等を証明せるものなればなり。換言すれば、弥曼差〔ミーマーンサー〕は、毘陀〔ヴェーダ〕の表面の解釈にとどまり、吠檀多〔ヴェーダーンタ〕は、その裏面の道理を開示しきたりて、一神教あわせて汎神教を論定するに至ればなり。

       第一九章 自然外道

 上来章を重ねて論述せるところは、これを要するに地水火風の物質上に、世界万物の原理を立てたる論より、ようやく進んで万有以上に位せる造物主を立つる論をみるに至れるなり。これより更に一歩進みて、世界万物の第一原因の存せざるを知り、ついに自然無因論を生ずるに至る。換言すれば、唯物論一変して有神論となり、有神論再変して無因論となれり。そもそも無因論は、一名を自然論といい、万物因ありて生ずるにあらず、自然にして生ずるなりと唱うるものをいう。『三論玄義』には、無因論と自然論との別あることを示せるも、通常はこの二者を同意のものとなすなり。もし自然の義解に至りては、『中論疏』によるに、諸法因なくしてしかして生ずるを名付けて自然となすという。シナの老荘の説のごときを自然外道に属す。これ一因論に反対せる無神論なり、仏教中にも、法爾自然と称することあれども、仏教の自然は、因縁の理をやぶらずしてこれを立て、外道の自然は、因縁の理を知らずして立つるの別ありという。かくして有神外道一変して、無神外道となり、一因外道一変して、無因外道となる。しかして無因外道中、老荘学派のごときは、あるいはこれを虚無外道と名付く。この無因もしくは虚無外道、更に一変して宿作外道となる。宿作外道は定因論にして、宿因一定して、必ずその果を受けざるべからずと唱うるものをいう。

 まず『外道小乗涅槃論』に出でたる無因外道を考うるに、因なく縁なくして、一切の物を生ず、染因もなければ、浄因もなし、たとえば棘刺針頭の人作を待たずして尖なるがごとく、孔雀等の画色の人作なくして、自然に美なるがごとしとなす。また『瑜伽論』の上に考うるに、その十六異論中の無因見論は、すなわち自然外道なり。『唯識論』にも自然外道の一種を掲ぐ。これを『述記』に解して、自然とは別に一法あり、是実是常号して自然という、よく万法を生ずとあり。また『住心品疏』に、自然外道を解して、一類外道計すらく、一切法はみな自然にしてあり、これを造作するものなし、蓮華の生じて色の鮮潔なるがごときは、だれの染むるところぞ、棘刺利端はだれの削り成すところぞ、故に知る諸法はみな法爾なりという。また『維摩経』六師中の末伽梨拘賒梨子〔マッカリ・ゴーサーラ〕は、自然外道なり。『維摩』の注にこれを解して、その人、見を起こしておもえらく、衆生の苦楽は行によって得ず、自然のみとあり。

 つぎに虚無外道は、シナの老荘すなわち道教に与うる名称なり。すでに『十住心論』に、大唐所有の老荘の教えは、天自然の道を立つ、またこの計に同じと説きて、老荘の教えは、インドの自然外道に近しとなす。しかるに『華厳玄談』には、ひとり道教のみならず、儒教もまた自然外道となす。もし孔老と仏教とを比較するときは、前者は一半外道にして、一半仏教なりとなす。換言すれば、世間道にありては、孔老の説、仏教に合するも、出世間道にありては、仏教ははるかに孔老の上にありとす。故に『原人論』に、二教唯権にして、仏は権実を兼ぬと説く。その意、儒道二教は、世間門の道を単説し、仏教は世間門、出世間門の二道を兼説するをいう。これを要するに儒仏二教は、あるいはこれをいれて仏教内の一部分となすことあり、あるいはこれを斥して仏教外の異道となすことあるも、これをインド外道に比すれば、なお内道の一種なりとす。

 つぎに宿作外道を考うるに、これ苦楽みなその前世の業因によりて定まるものと唱うる論にして、『瑜伽論』十六計中に出づ。『十住心論』にこれを解して、世間士夫、現に受くるところの苦は、みな宿作の悪を因となすによる、つとめて精進するによりて旧業を吐くと執す、故に自餓投巌諸苦行を修すとあり。すなわち前世の業因一定せる以上は、早く苦行をその身に行い、もってその因を消尽せざるべからずというにあり。しかしてこの外道は、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕なりという。故にのちに尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕を述ぶるとき、更に弁明すべし。その他、断見外道、常見外道と名付くるものあり。断常二見の解釈は、前すでにこれを示せり。もしその例証を求むれば、『維摩』六師の富蘭那迦葉〔プーラナ・カーシュヤパ〕の説、これ断見外道なり。その説は、一切法は虚空のごとく、本来空滅にして、君臣、父子、忠孝等の道あることなしと断定す。『維摩天台疏』には、これを示して無因、無果、無生、無滅の説となす。『同浄影疏』には、これを空見外道なりという。また『涅槃経』六師中第二の所説は、一切衆生は、その身に地、水、火、風、苦、楽、寿の七法を有し、その安住して動かざること須弥〔スメール〕山のごとし等とありて、これを常見外道となす。また『瑜伽』十六計中には、断見論、空見論の二種あり。前者は、わが死後断壊してあることなしといい、後者は、われおよび世間実に常住にして、作の所作にあらず、化の所化にあらずという。この二見の外に、別に空見論あり。その説にては、施与あることなく、愛養あることなく、祠祀あることなく、ないし世間真の阿羅漢〔アルハト〕あることなしという。けだし空見外道と断見外道とは、その執を一にするをもって、これを合して一類となすも、もしこの二者を分かてば、因果を撥無する見を空見という。これいわゆる邪見なり。これに対して断見は辺見の一種となす。以上論述してここに至れば、客観論極まりて主観論に入るを覚ゆ。すなわちこれより主観論を述ぶべし。

       第二〇章 人計外道

 上来、数章にわたりて説明したるところは、外道中の客観に属する諸論なれば、よろしくこれを名付けて客観的外道論というべし。その中に、あるいは無神論あり、有神論あり。あるいは単元論あり、複元論ありといえども、要するにみな客観の方面より世界を観察したるものなり。これに反して主観の方面より世界を観察するもの、これをここに主観的外道論と名付く。仏教は主観論なり、唯心論なり。外道は客観論なり、唯物論なり。これ外道と仏教との相異なる要点なれども、その主観的世界観の仏教中にも、客観論と主観論との両部あり。すなわち小乗は客観論にして、大乗は主観論なり。これに対して客観的世界観の外道中にもまた客観主観の二類あり。しかして外道中の主観論は、客観論の上に一歩を進めたるものにして、その説やや仏教に近きものとす。換言すれば、外道中の仏教と称して可なり。そのうちまた単元と複元との二様あり。故に余はこれを単元論と複元論とに分かたんと欲す。その単元に属するものは、「住心品」の知者見者、能執所執、内知外知の類をいい、その複元論は、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕、数論、勝論の四大外道の所見をいう。しかりしこうして「住心品」に出でたる知者見者等は、別に学派を開きたるものにあらずして、外道の所見を種々に分類せるもののごとしといえども、すでに『大日経』三十種外道と称して、その部類を定めたれば、余はしばらくその名称につきて左のごとき分類を設く。

  一、人計外道

  二、知計外道

  三、我計外道

 第一の人計外道は、人身の上に見解を立つるものにして、「住心品」の人量外道、寿者外道は、これに属す。知計外道は、知識または知見を本とするものにして、「住心品」の知者見者あるいは内知外知の類、これに属す。我計外道は、我執または我計を本とするものにして、「住心品」の数取趣、瑜伽〔ヨーガ〕我のごときこれなり。今左に主観的外道論の全表を掲ぐ。

  主観論 単元論 人計外道

          知計外道

          我計外道

      複元論 尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕

          若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕

          勝論

          数論

 まずこれより人計外道のことを述ぶべし。

 人計外道の第一に挙すべきは、人量外道なり。『住心品疏』にこれを解して、神我の量は人身に等し、身小なればまた小、身大なればまた大と計すという。余はこれを人計外道の一種となして、我計に区別せるも、その実、我計の一類なり。換言すれば、その論、人身中に一種の我体すなわち霊魂のごときものありて、その大小は、身体の量にしたがうと唱うるものなり。故にこれ身心二元論なりといえども、その精神の解釈は、やや物理的の傾向ありて、前述の獣主遍出の所計に近し。故に人量計は、獣主遍出の更に一変したるものならんか。これを要するに、この計は主観的外道論中の客観論というべし。つぎに「住心品」中の寿者外道は、「一切法ないし四大、草木にみな寿命」ありと唱え、有情のみならず、非情の木石に至るまで寿命ありと立つる外道なり。『智度論』十六知見中に出でたるところの寿者、命者、生者の諸見も、けだし寿者外道と同一類の妄見ならん。しかるに仏教にても、四大、草木に寿命および心識あることを説きて、「国土山川、ことごとくみな成仏す。」を唱うるに至るも、仏教は理想絶対の道理に基づきて立つるものなれば、外道の常識凡情の浅見と同日に論ずべからずとなす。

 「住心品」の摩奴闍〔マヌジャ〕および摩納婆〔マーナヴァ〕も、人計外道に属すべきも、『同疏』に自在天および毘紐〔ヴィシュヌ〕天外道の部類となすをもって、一因外道の下においてすでにこれを掲げたり。ただここにその所計を述ぶるに、摩納婆〔マーナヴァ〕すなわち儒童は、いわゆる我体は身心中において最も勝妙となす、その微細なること芥子のごとく、あるいは豆麦のごとく、その大きさ一寸ばかりなりと計すという。また摩奴闍〔マヌジャ〕すなわち意生は、人はすなわち人より生ずと立つる外道なり。故にあるいはこれを常見外道の説に同じという。これらの諸見の一歩進みたるものは、内我外道なり。これまた「住心品」に出でたる外道にして、その計するところは、身中心を離るるの外に、別に我性ありて、よくこの身を運動し、もろもろの事業を作すというにあり。その説あるいは獣主遍出に似たりといい、あるいは数論尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕に近しというも、その果たして同一種なりや否やはいまだ知るべからず。しかれどもその計たるや、上来の諸計のようやく進んで、身を離れて別に我体の存することを唱うるものなれば、数論、勝論、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕のよって起こる根本の道理なること、問わずして明らかなり。かつこの内我外道は、一因外道より転化したるものなること、また知るべし。今これを『大日経疏』に考うるに、我に内我、外我の二種あり。自在天、梵天〔ブラフマー〕等は外我にして、身内に我体を立つるは内我なりという。これを要するに、以上の諸計は、みな我見外道に外ならざるも、その順序ようやく客観論より主観論に移り、唯物論より唯心論に進むの方針にあるものなり。

       第二一章 知計外道

 前章に論述せる人計外道は、主観論中の客観論にして、天地間の万物中、人類特有の識心作用を説明せんと欲し、種々の想像を立てしも、なおいまだ全く唯物的あるいは物質的見解を脱却するに至らず。その見解ようやく進んで、人身中に一種特有の知者見者ありて、霊活の作用を現ずるゆえんを知るに至れり。けだし『智度論』に掲げたる十六知見中、作者、起者、使起者、受者、使受者等の諸見は、みな人はいかにして活動作用を有するかを説明せんと欲して起こしたる妄見なるべし。まず知計外道の第一として、「住心品」中の知者見者外道を述べんに、あるいは身中に知者ありて、よく苦楽等のことを知ると計し、あるいは能見者は、すなわちこれ真我なりと計するものをいう。しかしてこの二者の別は総じて五識をもって境界を知るを知者となし、別して眼識をもって色塵を縁するを見者となすと解して、総別の異同あるのみ。つぎに知計外道の中に摂すべきは、「住心品」の内知外知外道なり。その解釈を『同疏』に考うるに、内知外道は、身中別に内証者あり、すなわちこれ真我と計し、外知外道は、よく外塵境界を知るもの、すなわちこれ真我なりと計すという。要するにこの二者は、知者外道の類別なりという。あるいはその内知は、仏教の八識中第七末那〔マノー、マナス〕識のごとく、その外知は、第六意識のごとしと解して、外界に関係せる覚知作用を外知といい、内界のみに関係せるものを内知というなり。また「住心品」中に、社怚梵〔ジュニャトヴァン〕と名付くる外道を掲ぐ。これ知者外道と大同小異あるのみという。

 知計外道の一種に算すべきものに、能執所執外道あり。これまた「住心品」中に出でたる外道にして、知者見者とその見解を異にするも、人身に行為挙動の起こるゆえんを示さんと欲して、みだりにその原因を定むるに至りては一なり。けだしこれ知者外道の連類あるいはその変体ならん。今その解を『住心品疏』に考うるに、能執外道は、身中識心を離れて別に能執者あり、すなわちこれ真我のよく身口意を運動して、諸事業を作すと計し、所執外道は、能執者はただこれ識心のみ、その所執の境界すなわち真我と名付く、この我は一切処に遍しと計すという。換言すれば、能執は、我体を内界に独存せるものとし、所執は、我体は外界に遍在せるものとなすの別あり。もし知者外道と能執外道とを較すれば、前者は、知覚作用を有する識心を指して、ただちに我体となし、後者は、その識心の外に、冥々の中に別に一体を立てて我体となすの異同あり。すなわち顕と冥との別ありという。

 かくして知者外道の見解ようやく進んで、所執外道に至れば、一個の人身中に我体の存するにあらずして、我体は一切の境遇に遍在することを唱え、相対上の見解、ようやく絶対に近づかんとする傾向あり。すなわち「住心品」の識外道および阿頼耶〔アーラヤ〕外道のごときは、実に識神の世界万有に遍満して存することを唱うるものなり。これ能執所執の更に一歩を進めたるものにして、これをさきの知者見者等に比すれば、はるかに数等の上にありと称して可なり。あたかも仏教中に大乗小乗の別あるがごとく、さきの知者見者等は、外道中の小乗にして、識神外道はその大乗なりというべし。今余がここに識神外道と題するは、「住心品」の識外道および阿頼耶〔アーラヤ〕外道を合称するなり。まず識外道を考うるに、この識、一切処に遍し、ないし地、水、火、風、虚空界にも、識みなその中に遍満すと計すという。この識は仏教のいわゆる意識なるも、外道みだりに計して、その体、一切処に遍満せりとなす。つぎに阿頼耶〔アーラヤ〕外道を考うるに、これ執持含蔵の義なり、またこれ室の義なり。その計するところは、阿頼耶〔アーラヤ〕ありてよくこの身を持して造作するところあり。万像を含蔵す、これを摂すれば所有なし、これを舒〔の〕ぶれば世界に満つという。しかるに阿頼耶〔アーラヤ〕は仏教中にみるところの名目にして、『唯識論』の第八識のことなれば、あえてこれを破するに及ばずというものあるべきも、外道と仏教とにては、その名同じきも、その実を異にせり。すなわち外道はこれを真我と信ずるをもって、仏教よりその所執を斥するなり。しかしてその要は、仏教は理想絶対上の所見にして、外道は凡情相対上の所見なれば、両者の見解、もとより同日の論にあらざるなり。これを帰するに、道識外および阿頼耶〔アーラヤ〕外道は、外道我計中の最も発達せるものにして、仏教に近しと称して可なり。

       第二二章 我計外道

 前述の人計、知計、共に我計外道の一類にして、ただ我のなにものたるを解釈するに、各派同じからざるあるのみ。故に別に我計の一章を設けて論述するを要せざるがごとしといえども、『瑜伽論』『唯識論』等の諸書に、特に我計外道を掲げたるをもって、ここにこれを合論せんと欲す。まず『瑜伽論』の十六計中に、計我論の一計あり。その説に、我薩埵、命者、生者あり、養育者、数取趣者あり。かくのごときは諦実常住という。そのいわゆる我薩埵は、『智度論』十六知見中の我および衆生なり。薩埵〔サットヴァ〕はここに訳して衆生という。命者も生者も、『智度論』中に出でたり。数取趣は補特伽羅〔プドガラ〕の訳語にして、すなわち人の義なり。これまた十六知見の一種なり。つぎに『唯識論』の我計外道を考うるに、大梵〔マハーブラフマー〕計、時計、方計等に合して我計を掲げたるも、『述記』にはあえてその所計を詳記せず、ただ別に一我ありてよく万法を生ずとあるのみ。けだし我計は一切の外道の通有せる所見なれば、別に我計の一種を設くるに及ばず。しかるに大梵〔マハーブラフマー〕計、時計等と相合して特に一計を立つるは、自在天外道の一種に、万法我より生ずと唱うる論者ありしによるならん。つぎに「住心品」中に、常住生と名付くる一種の外道あり。これ『唯識論』の我計外道とその所立を同じうす。すなわち『住心品疏』にこれを解して、我はこれ常住にして、破壊すべからず、自然に常に生ず、更に生ずることあるなしという。その他「住心品」三十種中、数取趣および瑜伽〔ヨーガ〕我の二者につきて弁述せざるべからず。

 数取趣すなわち補特迦羅〔プドガラ〕はしばしば五趣(地獄、餓鬼、畜生、人、天)の間を往来して生を受くるも、その我の体、常に実有と立つる外道なり。すなわちその計は、現在、未来の間において、我の体は常住なりと唱うるものなり。なお小乗有部宗において、三世実有法体恒有というがごとし。故にこれをあるいは小乗犢子部の計となす。要するに数取趣外道は、我計外道中の最も発達せるものにして、数論、勝論のごときも、この中の部類に属せざるべからず。その他「住心品」中の建立浄、不建立無浄および瑜伽〔ヨーガ〕我外道のごときは、その説すこぶる高尚にして、やや仏教に近し。あるいはいう、これ仏教中の外道なりと。今その解釈を『住心品疏』に考うるに、建立浄とは、一切法を建立するものあり、これによって修行するを浄となすをいい、不建立無浄とは、この建立は、究竟の法にあらず、もし建立なければ、いわゆる無為すなわち真我と名付く、また建立浄所修の浄を離る、故に無浄というとあり。これ仏教の有為、無為の二法につきて謬見を生じたるものにして、前計は、有為法につきて我体を建立し、後計は、無為法につきて我体を建立せるものとす。故に『住心品疏』に、我の自性を観ぜざるによって、かくのごとき見の生ずるありと説く。つぎに瑜伽〔ヨーガ〕我すなわち相応外道を考うるに、『住心品疏』には、定を学ぶもの、この内心相応の理を計してもって真我となす。常住不動、真性湛然、ただこれこの究竟道因果を離ると解せり。瑜伽〔ヨーガ〕とは、ここに訳して相応という。すなわちその計は、修定者の内心相応の理を観じて、常主宰の神我となす。しかしてその定は外道の定なりという。これもとより一種の謬見なり。けだしこの外道は、あるいは仏教内の外道とし、あるいは外の外道とし、その内外いずれか知るべからずといえども、外道中の見識大いに進み、やや仏教に近きものなること明らかなり。もしこれを西洋所伝に考うれば、六大学派中の瑜伽〔ヨーガ〕学派とその名称を同じうするをもって、あるいは同一種の外道ならんと想するものあれども、この瑜伽〔ヨーガ〕我外道は、果たして一派を開立せるものなりや否や、いまだ知るべからず。かつその所計、また瑜伽〔ヨーガ〕学派と異なれば、その別種なるや明らかなり。ただ『方便心論』中に、瑜伽〔ヨーガ〕外道と名付くるものあり。これ六大学派中の瑜伽〔ヨーガ〕外道なること疑いなきがごとし。

 以上外道の我計を論述して、ここに至れば、犢子外道の一計を述べざるべからず。その外道は、最初仏法外の外道なりしも、後に仏教に帰して、小乗の一部となれり。すなわち犢子部と称するものこれなり。今『唯識述記』の説明によれば、犢子外道の梵名は筏蹉氏〔ヴァートゥシー〕にして、仏法に帰して出家したるものを皤雌子〔ヴァートゥシー・プトリーヤ〕という。これ犢子部なり。しかしてその部は、最初犢子外道の苗裔にして、婆羅門〔ブラーフマナ〕姓の末族なり。その説は、犢子外道と同じく我計論なれば、これを仏法内の外道あるいは付仏法外道となす。上来章をかさねて、外道の主観論を論述したるが、今ここに達しては、外道と仏教との間に分界線を引くことの難きを感ずるなり。最初外道の客観論より論歩を起こし、ようやく進んで主観論に入り、その初門の人計より更に進んで、その最も発達せる我計に至れば、自ら小乗の初門と相合するをみる。たとえ仏教と外道との間に分界線を認むることを得となすも、内外の両道は、密接の関係を有すること疑うべからざるなり。

       第二三章 四大外道総論

 すでに主観的単元論を講了したれば、これより主観的複元論を弁明すべし。しかしてその単元論は、人計、知計、我計の三段に分かちたるも、これみな一種の我計の、事にしたがい類に応じて、その名を異にせるのみ。かつその諸計は、今まさに述べんとする複元論の要素を含有せるも、いまだ複元論の組織を示すに至らざれば、これより特にその大綱を叙述すべし、まず複元論は左の四大外道に分類す。

  第一、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕外道

  第二、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕外道

  第三、数論すなわち僧佉〔サーンキヤ〕外道

  第四、勝論すなわち衛世師〔ヴァイシェーシカ〕外道

 この四種はさきにも示せしがごとく、『外道小乗四宗論』に出でたる学派にして、外道中の首魁たるものなり。しかるに『唯識論』には数論、勝論、無慙、邪命の四大種を掲げたり。その無慙は尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕にして、その邪命は若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕の所執に同じ。また『止観』には、数論、勝論、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕をもって本源三師となす。これ四宗中若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕を欠くがごときも、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕は尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕分派なれば、往々これを合して一類の外道となす。もし更に本源中の本源を尋ぬれば、数論、勝論の二大外道に帰すべし。これ実に外道中の根本なり。今まず四大外道の関係を述ぶべし。

 『外道小乗四宗論』には、一、異、倶、不倶の四句をもって四大外道の関係を論ぜり。これさきに一言せしも、更に左に表示すべし。

  数 論…………………………………一切法一    勝 論……………………………………一切法異

  尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕……一切法倶    若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕……一切不倶

 すなわち『四宗論』の問答を述ぶれば、問いて曰く、いかんぞ僧佉〔サーンキヤ〕人、一切法一と説くや。答えて曰く、僧佉〔サーンキヤ〕外道、我覚二法これ一と言う。なにをもっての故に。二相差別不可得なるが故にと。問いて曰く、いかんぞ毘世師〔ヴァイシェーシカ〕外道、一切法異と説くや。答えて曰く、言うところの異とは我と覚と異なり。なにをもっての故に。異法を説くをもっての故にと。問いて曰く、いかんぞ尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕、一切法倶と説くや。答えて曰く、一切法倶というは、我と覚とのごとく、一と説くべからず、異と説くべからず、また異義あり、一と説くべし、異と説くべきが故にと。問いて曰く、いかんぞ若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕外道、一切法不倶と説くや。答えて曰く、不倶とは、謂えらく一切法一と説くべからず、異と説くべからず、二辺見の過ちあるをもっての故に、一異倶と説く論師等みな過失あるをもっての故にと。これ我覚の関係につきて、四大派の異同を示せるものなり。かつそのいちいちの下に比喩を挙げて、我覚一なるは、あたかも火と熱と相分かつべからず、白と氎と相離すべからざるがごとしといい、我覚異なるは、白氎をこれはこれ白、これはこれ氎と説くことを得るがごとしといい、我覚二法不一不異なるは、灯と明とは、一とも説くべからず、異とも説くべからざるがごとしという。しかるに『唯識論』に四大執の関係を論ずるところ、またこれに同じ。その第一は、有法と有等性と、その体一なりと執するものにして、数論のごときをいう。第二は、この二者その体異なりと執するものにして、勝論のごときをいう。第三は、亦一亦異と執するものにして、無慙のごときをいう。第四は非一非異と執するものにして、邪命のごときをいう、『三蔵法数』に、このいわゆる有法を解して、五陰等の法において執して実有となすをいうとあり、有等性を解して、五陰等の法みな自性ありと執するをいうとあり。また『中論疏』には、この四句の関係を因果の上に配合して示せり。すなわち僧佉〔サーンキヤ〕人は因果一体といい、衛世〔ヴァイシェーシカ〕人は因果異体と執し、勒娑婆〔リシャバ〕は亦一亦異を明かし、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕は非一非異を明かすと説けり。また『百論疏』には、僧佉〔サーンキヤ〕は因中有を執し、世師は因中無を執し、勒娑婆〔リシャバ〕は亦有亦無、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕は非有非無と説きたるも、その意一なり。

 以上四種の所見につきて、『外道小乗四宗論』に、その過失を挙げてこれを説破し、初めには総じて四種外道邪見の相に答え、つぎには別して各種の宗義に答えたり。その論あまり長ければこれを略す。ただ『百論疏』に、四大外道の過失を比喩をもって略示せるものあれば、ここに掲ぐ。すなわちその意、衛世〔ヴァイシェーシカ〕は、頭中足あるの過ちあり、僧佉〔サーンキヤ〕は、頭是足の過ちあり、勒娑婆〔リシャバ〕は、頭足一にして、また頭中足あるの過ちあり、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕は、かえって両失を招くといえり。その他『唯識論』にも、彼執理にあらずと説きて、いちいちこれを難破したるも、また略して載せず。

       第二四章 尼乾子外道

 四大外道中、まず尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕の名義および宗意を考うるに、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕(尼犍子あるいは尼虔子)は、ともに尼乾陀弗怚羅〔ニルグランタ・プトラ〕という。これを訳して雑繋、不繋無継、無結等と称す。また那耶修摩と名付け、または無慙外道と称す。尼〔ニル〕はここに訳して不といい、乾陀〔グランタ〕は繋という。すなわちこの外道は、苦行によりてその道を修め、更に世の衣食のために束縛せらるることなし。故にこれを不繋または離繋と名付くるなり。また露形裸体にして、更に慙づることなし。故にあるいはこれを無慙外道と称す。たとえば『倶舎光記』に、離繋梵に尼乾陀〔ニルグランタ〕という、彼いわく、内に煩悩の繋縛を離れ、外に衣服の繋縛を離る、すなわち露形外道なりとあり。これをもってあるいは露形外道または裸形外道の称あり。しかるに『維摩注経』には、尼犍陀〔ニルグランタ〕は出家の総名にして、仏法の出家を沙門と名付くるがごとしとあり、『法華文句』にも、出家外道通じて尼乾〔ニルグランタ〕と名付くとあり。これによってこれをみるに、仏教中に見るところの尼犍子〔ニルグランタ・プトラ〕の名称は、出家外道の総名として用うることと、あるいは一種特殊の外道として用うることと、両様あるがごとし。しかりしこうして四大外道中の尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕は、一種特殊の外道にして、その祖を勒娑婆〔リシャバ〕と名付く。これを『名義集』に解して、勒娑婆〔リシャバ〕ここに苦行という、算数をもって聖法となし、経一〇万偈を造る、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕と名付くとあり、また『百論疏』によるに、勒娑婆〔リシャバ〕とは、ここに苦行仙という、その人身に苦楽二分ありて、もし現在あわせて苦を受け尽くれば、楽法自ら出づと計す、所説の経を尼犍子〔ニルグランタ・プトラ〕と名付く、一〇万偈ありという。これによって尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕の開祖およびその所説の経なることを知るべし。

 尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕外道は、『維摩』六師の第六に出でたる外道にして、その宗意は、『注維摩』によるに、罪福苦楽はことごとく前世の因によるをもって、必ず償わざるべからず、現在なにほど道を修むるも、決してこれを中断するあたわず、あるいはまた罪福苦楽、本自ら定因ありて、必ずその身にその果を受けざるべからず、道を行うもよくその因を断つあたわずとなす。これさきにいわゆる宿作外道なり。しかるに『涅槃経』六師中の尼乾陀〔ニルグランタ〕は、宿作外道にあらずして、むしろ自然外道に類す。その説くところは、施なく受なく、今世なく後世なく、八万劫を経れば、自然に解脱すというとあり、これ『注維摩』の第三師刪闍夜〔サンジャヤ〕の説なり。しかれども古来一般に解するところによれば、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕外道は宿作外道にして、過去世において作したる業因は、必ずその苦楽の果をその身に受けざるべからずと唱え、ついに苦行をもって道となすに至る。もしまた『止観輔行』によれば、この人断じて六障四濁を結用して法となし、因中亦果あり亦果なしと計し、亦一亦異を宗となすとあり。これけだし『百論疏』に基づきしものならん。すなわち『百論疏』には『方便心論』によって、五智六障四濁をもって経宗となすとあり。五智とは、聞智、思智、自覚智、恵智、義智をいい、六障とは、不見障、苦受障、愚痴障、命障、姓障、名障をいい、四濁とは、嗔、慢、貪、謟をいう。もしまた『成実論』によれば、十六種義はこれ那耶修摩の有とありて、那耶修摩は尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕のことなれば、その外道にて十六種の原理を立つるをいう。故に『百論疏』にも、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕経に十六諦あることを示して、聞恵より天文、地理、★(竹+下)数、医方、呪術、四韋陀〔ヴェーダ〕を生じ、修恵より六天行、星宿天行、長仙行を生ずという。左にこれを表示すべし。

  尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕十六諦 聞慧八 一、天文、地理

                         二、★(竹+下)数

                         三、医方

                         四、呪術

                         五から八、四韋陀〔ヴェーダ〕

                     修慧八 一から六、六天の行を修す。

                         七、星宿天につかう。

                         八、長仙の行を修す。

 実行上においては、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕の徒は、生草を断ぜず、冷水を飲まざるもののごとし。その他、苦行の状態は、次章において述ぶべし。

       第二五章 若提子外道ならびに苦行外道

 つぎに若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕外道は、『維摩経』および『涅槃経』には、尼犍陀若提子〔ニルグランタ・ジュニャーティ・プトラ〕と称して、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕と合して一類の外道となし、『外道小乗四宗論』には、これを分かちて二類となす。しかして若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕の名義につきては、『注維摩』に、若提〔ジュニャーティ〕は母名なりとあるのみにて、諸書にいまだその訳名を掲げたるをみず。『唯識論』の邪命外道は、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕とその計を同じうするも、その訳名にあらざること明らかなり。また『百論疏』には、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕勒娑婆〔リシャバ〕経を誦すとあり、故に古来若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕は尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕の弟子なりとす。これを要するに尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕と若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕とは、その所計を異にするも、二者共に宿作外道にして、苦行論師なるにおいては一なり。その宗義につきては、『百論疏』に六障、六自在あることを示せり。六障とは、不見障、苦受障、愚痴障、命尽障、不得好性障、悪名障の六種をいい、六自在とは、この六障に反するものをいう。その他、仏書中に、特に若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕の宗義を開説せるをみず。けだしその説、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕と相同じきによるならん。

 すでに述ぶるがごとく、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕は宿作外道にして、苦楽の原因は過去世においてすでに定まり、決して動かすべからずと信じ、現世にて早くその苦を受け終われば、死後楽を受くべしと考え、一般に苦行を修するをもって道となす。これその苦行外道たるゆえんなり。しかれども、外道の苦行は、ひとり尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕に限るにあらず、諸種の外道、みな苦行を勧めざるはなし。故に仏教はこれに対して楽行を勧む。これ仏教の仏教たるゆえんなり。『外道小乗涅槃論』に、倮形外道論師、苦行論師、行苦行論師、尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕論師の四種を掲ぐるは、みな苦行派なるも、これ果たして別種の外道なりや、あるいは一種の外道を類別したるものなりや、つまびらかならず。しかるに『涅槃経』に六種の苦行を掲げしは、外道一般の苦行の類別なるがごとし。その名目および解釈左のごとし。

一、自餓外道とは、外道修行して飲食をうらやまず、長く飢虚を忍んで、もって得果の因となすものをいう。

二、投淵外道とは、外道修行して、寒きとき深淵に入り、凍苦を忍び、もって得果の因となすものをいう。

三、赴火外道とは、外道修行して、常に火に身をあぶり、および鼻を熏ずる等、熱悩を甘受して、もって得果の因となすものをいう。

四、自坐外道とは、外道修行して、常に自ら裸形し、寒暑にかかわらず、露坐して、もって得果の因となすものをいう。

五、寂黙外道とは、外道修行して、屍林塚間を住所となし、寂黙語らず、もって得果の因となすものをいう。

六、牛狗外道とは、外道修行して、自ら前世牛狗中よりきたると信じ、牛狗戒を持し、草をかみ汚をくい、もって得果の因となすものをいう。

 これ外道が天に生まれんと欲して、その身に修するところの苦行なり。『維摩』六師中の第四阿耆多翅舍欽婆羅〔アジタ・ケーシャカンバラ〕は、実に苦行論師なり。その人、常に弊衣を着し、自ら髪を抜き、五熱身をあぶり、苦行をもって道となすという。在昔釈迦牟尼〔シャーキヤ・ムニ〕仏、入山学道の最初に、外道の苦行を見るに、あるいは草葉樹皮をもって衣となし、あるいは華果を食し、あるいは一日に一食、あるいは三日に一食、あるいは水火日月に事え、あるいは裸形にして棘に臥し、火にあぶるあり。しかしてその目的、ただ天に生まれんとするに外ならず。仏これにおいて厭苦の念を生じ、外道を辞して、自ら大悟せらるるに至れり。外道の妄想迷見みなかくのごとし。もって仏教のインドに起こりしは、偶然にあらざるを知るべし。その教理において、外道の邪径を排して正道を示されたるのみならず、制度儀容に至るまで、外道の陋習を改善せられたるは、疑いをいれず。これを要するに尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕は、外道中の苦行論師となすも、その実、苦行はインド外道の一般に修するところなるや明らかなり、もしこの尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕を西洋所伝の上に考うれば、前述のごとく、闍伊那〔ジャイナ〕の苦行派なりというも、余いまだ仏書中にその的証をみず。

       第二六章 勝論外道 第一

 尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕、若提子〔ジュニャーティ・プトラ〕のつぎに論述すべきは、勝論外道なり。まずその名義を考うるに、勝論とは漢訳にして、梵語これを吠世史迦〔ヴァイシェーシカ〕という。あるいは鞞世師、鞞崽、毘世師、衛世師等と称するは、みな訛略なり。これを訳して最勝無勝、または勝異論、あるいは勝論という。その開祖を★(口+昷)露迦〔ウルーカ〕(旧訳に優婁佉あるいは優楼歌)と名付く。または一名蹇拏僕〔カナバクシャ〕、(旧に蹇拏陀〔カナーダ〕)という。すなわち西洋所伝の迦那陀〔カナーダ〕Kanadaこれなり。今『唯識述記』に基づきてその伝来を述べんに、これを勝論と名付くるは、その論よく諸論に超異するをもって勝と名付け、あるいは勝人所造なるが故に、勝論と名付く。その論を造りしものは、鵂鶹仙なりとす。これ★(口+昷)露迦〔ウルーカ〕の訳名なり。しかしてその名称の起こりしは、昼は山間にかくれ、夜は邑里に出でて乞食を行う。その状宛然、鵂鶹(ふくろう)に似たるをもってなり。あるいはいう、この鳥多く山厳の中に住す、この仙人もまたしかり。故にその名を得たりとあり。あるいは『止観輔行』にいう、その人、昼は山谷にかくれてもって経書を造り、夜はすなわち遊行して説法教化す、なおかの鳥のごとし、故にこの名を得とあり。あるいはまた食米斉仙人の称あり。その原名を羯拏僕〔カナバクシャ〕といい、訳して羯拏〔カナ〕を米斉といい、僕〔バクシャ〕を食という。これを蹇拏陀〔カナーダ〕あるいは伽那陀〔カナーダ〕というは、新旧両訳の相違のみ。その意は、さきに夜遊をなししときに当たり、他の稚婦を驚かして、ついに場碾糠粃中の米斉を収めてこれを食せり。故にその名ありという。けだし米斉とは擣舂の碎米を義とす。あるいはまた『玄応音義』に、䳕鳩(はとのこ)行外道と名付くという。これ米を拾うこと䳕鳩行のごときをもってなり。また『止観輔行』には、一名眼足ということを記せり。その意、足に三眼ありて自在天と共に論議するに、かの天は面に三目あり、故に足をもってこれに比し、眼足の名を得たりとなす。その出世の年代は、前にも一言せるがごとく、数論ののちに出でたることやや信ずべきもののごとし。『因明明灯抄』によれば、その仙頭髪蓬乱して、形貌醜陋なり、時人見るもの、驚懼して失心す、懐妊女のごときは、見ればすなわち堕胎すとあり。この仙人多年の修行によりて、道を証得せるも、その法は七徳を具するものにあらざれば伝えず。七徳とは、一は中国に生まれ、二は父母共に婆羅門〔ブラーフマナ〕姓、三は寂滅の因を有し、四は身相円満、五は聡明弁捷、六は性行柔和、七は大悲心を具するものをいう。しかるにこれを世間に求むるに、久しくこの七徳を兼備するものなかりしが、そののち多劫を経て、婆羅痆斯〔ヴァーラーナシー〕国に婆羅門〔ブラーフマナ〕あり。摩納縛迦〔マーナヴァカ〕と名付く。ここには儒童と訳す。その儒童の子を般遮尸棄〔パンチャシカ〕と名付く。ここには五頂という。頂髪五旋して頭に五角あり。その人七徳を具すといえども、根熟することやや遅し。すでに妻拏に染み、にわかに化導し難し。無量歳を経て、その根の熟するをうかがうに、後三千歳にして、戯園に入り、その妻室と華を競いて相忿る。鵂鶹仙よって通に乗じてこれを化するも、五頂従わず。仙人かつ返る。また三千歳にして化すれども、また得ず。更に三千年にして、両人相競うこともっともはなはだしく、相いとうことすでに切なり。仙人時に応じて、神力をもって化引し、これを所住の山中に迎え、自ら悟るところの六句義の法を授けたりという。その苗裔に慧月と名付くるものあり。六句義を開きて十句義とす。慧月の梵名は、戦達羅〔チャンドラ〕(末底戦達羅〔マティチャンドラ〕)なり。今日伝わるところの『勝宗十句義論』は、すなわち慧月の造るところなり。唐の玄奘三蔵その書を訳して世に伝う。故に勝論の大意は、この『十句義論』によって知ることを得べし。

 勝論の要旨は、『十句義論』の外、二、三の書に出づ。まず『外道小乗涅槃論』には、勝論師の宗意につきて、地、水、火、風、虚空等の十種の法和合して、一切世間、知無知の物を生じ、二微塵より次第に一切法を生ずるゆえんを述ぶ。また『方便心論』に、勝論の六句義を掲ぐ。すなわち陀羅標〔ドラヴィヤ〕、求那〔グナ〕、総諦、別諦、作諦、不障礙諦これなり。陀羅標〔ドラヴィヤ〕は、訳して主諦といい、求那〔グナ〕は、依諦という。しかるに『慈恩伝』には、その六句義を実、徳、業、有、同異性、和合性の六諦となす。左にその名目を表示すべし。

  一、実 陀羅驃〔ドラヴィヤ〕すなわち主諦または所依諦

  二、徳 求那〔グナ〕すなわち依諦

  三、業 羯摩〔カルマン〕諦すなわち作諦

  四、有あるいは大有 三摩若〔サーマーニヤ〕諦すなわち総相諦すなわち総諦

  五、同異 毘尸沙〔ヴィシェーシャ〕諦すなわち別相諦あるいは別諦

  六、和合 三摩婆夜〔サマヴァーヤ〕諦すなわち無障礙諦

 この実、徳、業の三者は、なお体、相、用というがごとく、実は諸法の実体となるものを義とし、徳はその実体の具有せる性質現象を義とし、業はその実体の作用動作を義とす。しかして自余の有、同異、和合の三者は、実、徳、業相互の関係を示したるものなり。その名目は、慧月の十句義と異なるところあれば、左に六句と十句との配合表を示すべし。

 この配合に古来異説あるも、これを略す。十句中の前九句は、みな六句中に存するも、第一〇句の無説句義に至っては六句中にこれを欠く。これ十句は有体、無体につきて分類し、六句はひとり有体につきて分類せるによる。しかるに西洋所伝の句義には、本師の六句に無説を加えて七句とす。これより『十句義論』に基づきて十句義の略解を述ぶべし。

       第二七章 勝論外道 第二

 ここにまず十句義の分類表を掲げて、その所立の原理を示さんと欲す。すなわち左のごとし。

  一、実九種 (一)地、(二)水、(三)火、(四)風、(五)空、(六)時、(七)方、(八)我、(九)意。

  二、徳二四種 (一)色、(二)味、(三)香、(四)触、(五)数、(六)量、(七)別体、(八)合、(九)離、(一〇)彼体、(一一)此体、(一二)覚、(一三)楽、(一四)苦、(一五)欲、(一六)瞋、(一七)勤勇、(一八)重体、(一九)液体、(二〇)潤、(二一)行、(二二)法、(二三)非法、(二四)声。

  三、業五種 (一)取業、(二)捨業、(三)屈業、(四)伸業、(五)行業。

  四、同  五、異  六、和合  七、有能

  八、無能  九、倶分  一〇、無説

 このうち実、徳、業の三句は、実に十句義中の大原理なり。まず実とは諸法の体実と解し、宇宙万有の本質実体をいう。これに九種あり。その第一の地は、色、味、香、触を有するものに名付け、第二の水は、色、味、触および液潤あるものに名付け、第三の火は、色、触あるものに名付け、第四の風は、ただ触のみあるものに名付け、第五の空はただ声のみあるものに名付け、第六の時は、倶不倶、緩急遅速の類をいい、第七の方は、東西南北、上下の類をいい、第八の我は、覚、楽、苦、欲、瞋、勤勇、行、法、非法(以上九徳)の和合因縁にして、智を起こすを相となす。これを我となすと解し、第九の意は、以上九徳の不和合因縁にして、智を起こすを相となす、これを意となすと解す。すなわち我と意とは和合と不和合との別あり。

 つぎに徳とは、実の功能すなわち標幟と解し、これに二四種を分かつ、一に色、二に味、三に香、四に触、五に数の五徳は説明を要せず。第六の量とは、微体、大体、短体、長体、円体等をいう。しかして円体を分かちて極微、極大の二種ありとす。けだし極微はその形状団円なるをもって円体となす。あるいは細分すべからざるをもって円と名付くという。極大は空、時、方、我の四実につきて、その徳に名付けたるなり。第七の別体とは、一切実体あるものをして、一、二、三等の別を詮縁せしむるの因をいうとなす。第八の合とは、二物の相離れたるものの初めて合するときにつきていい、第九の離とは、初めて離るるときにつきていう。第一〇の彼体とは、遠覚所待の一、二等の数と、時方等の実とによって彼なりと詮縁する因をいい、第一一の此体とは、近覚所待につきてこれなりと詮縁する因をいう。第一二の覚とは、一切境を悟了するをいう。これに二種あり。現量、比量これなり。その解は、先の因明論の下をみるべし。第一三の楽とは、これを解して、適悦する自性をいい、第一四の苦とは、逼悩する自性をいう。第一五の欲とは、色等を希求することにして、第一六の瞋とは、色等を損害することなり。第一七の勤勇とは、我と意と合するとき生ずるところの策励をいい、第一八の重体とは、一物の落下する因に名付け、第一九の液体とは、流注の因に名付け、第二〇の潤とは、地等を摂持して壊散せしめざる因に名付く。これみな字義につきてその意を知るべし。第二一の行とは、行動を義とす。これに念因、作因の二種あり。念因とは、思念によって生ずる行をいい、作因とは、作業によって生ずる行をいう。第二二の法、第二三の非法とは、これを解して、人において益あるを法と名付け、益なきを非法と名付くという。しかしてこの法に、能転、能還の二種ありて生死の劣身を転じて、勝身楽界を得しむるを能転法と名付け、妄念を離れて正智に帰せしむるを能還法と名付く。第二四の声とは、これを解して、耳所取の一依を声と名付くという。これ二十四徳の略解なり。そのつまびらかなることは、『十句義論』につきてみるべし。

 つぎに業とは、作用動作を義とし、取業、捨業、屈業、伸業、行業の五種を分かつ。第一の取業とは、上下、方分、虚空等の処に、極微等の先に合して後に離るる因に名付く。すなわち手をもって菓実を取るとき、手菓実に合するを先とし、菓実樹木と離るるを後とす。この因を取と名付くと解せり。第二の捨業とは、これに反して、上下、方分、虚空等の処に極微等の離るるを合する因に名付く。たとえば破器の席にあるに、これを穢処に捨つるときは、まず破器の席を離るるは離にして、後に穢処に落ちてこれと合するは合なるがごとし。第三の屈業とは、これを解して、先に遠処に離るるを、今近処に合するの因に名付くという。これに反するものは、第四の伸業なり。第五の行業とは、行動の業を義とし、身の動揺し、大地の震動するの類をいう。およそ一物の行動するときは、必ず先に合したるものの、後に離るるなり。その合するは休止の状態にして、その離るるは行動の状態なり。故に『十句義論』にこれを解して、合せしを離するの因となす。以上、勝論の三大原理たる実、徳、業の三句義を弁明し終われり。

       第二八章 勝論外道 第三

 つぎに実、徳、業相互の関係を考うるに、同句義、異句義、有能句義等の名目あり。同句義とは、勝宗の意は、実、徳、業の諸有法は、自ら有なることあたわず、必ず別に一大有ありて、これを有せしむるによるとなす。故に十句義のいわゆる同は、本師の有句義なり。しかしてその有を同と名付くるは、実、徳、業おのおの別なりといえども、諸法同じく有なるによる。つぎに異句義とは、差別を義とす。けだしこれ同句義の反対にして、事物互いに相同じき性を有すと同時に、また互いに相異なる性を有す。故に地は水に異なり、水は火に異なり、九実おのおの異なるところあり。しかして、その異に総別の二種ありて、九実互いに異なるを総実の異と名付け、九実のいちいちに極微、子微等の細分あるを別実の異となす。これを本師の六句義に配すれば、同異句義の中に摂するなり。つぎに和合句義とは、これを解して、和は属著の義、合は不離の義にして、よく諸法をして不離属著せしむるをいう。たとえば父母和合して、よく、その子を生じ、地水和合して、よく万物を生ずるがごとし。つぎに有能句義とは、自果を有せしむる功能に与うる名にして、あるいは法々共同して、自果を造ることあり。たとえば四大共同して、人身等を造るがごとし、あるいは不共各別に自果を造ることあり。たとえば稲は稲果を造り、菩提樹子は菩提樹果を造るがごとし。つぎに無能句義とは、ただ自果を造って、余果を造らざる因に名付く。すなわち実、徳、業の三者各自その果を造ると同時に、余果を造らざるをいう。つぎに倶分句義とは、これ本師の同異句義なり。今これを倶分と名付くるは、また同を倶といい、また異を分というなり。また一法体において、亦同亦異の両用あるを倶分と名付くともいう。つぎに無説句義とは、無を説くと解し、実、徳、業の因縁いまだ熟せず。あるいは因縁すでに尽きて無なる状態を説くをいう。これ本師の六句義中に設けざる名目なり。

 前述の十句義につきて、勝論の意を考うるに多元論なること明らかなり。すでに第一原理の上において、九実を分かちたれば、九元論というべし。しかして九実中、地水等は客観にして、我は主観なれば、物心二元論と称して可なり。この二元和合して、一切万物を現出すと立つるをもって、あるいはこれを二元和合論というべきか。しかしてその二元離散するにあらざれば、涅槃を証得するを得ずとなす。これ哲学上の原理を応用して、宗教の門路を開くところなり。もしまた『百論』によれば、勝宗の意は神知二元論となり、『外道小乗四宗論』によれば、我覚二元論となるべし。なんとなれば、神知の二者もしくは我覚の二者相異なりと立つるをもって、勝宗の主義となせばなり。しかりしこうしてこれを仏教に対照すれば、実我論となる。なんとなれば、勝論は我をもって和合の因縁と立つればなり。その他、仏教にては、勝論の極微常住説を掲げて、これを論破せり。すなわち勝論師は、極微相積んで世界を成すゆえんを説くに至っては、順世師に異なることなし。その積集の次第は、成劫の時、両々極微相結んで、一子微を生じ、本末相合して三微となる。この三微余の三微と相結んで、更に一子微を生じ、本末相合して七微となる。つぎに七々相合して、十五子微となり、かくのごとく相積んで三千界をなすという。これ純然たる唯物的世界論なり。ただ実句義中に我のごとき心元を加うるをもって、物心二元論となるのみ。故に余おもえらく、勝論は順世計の一変したるものなりと。この論更に一変せば、必ず小乗有部宗の説に合同するに至らん。

 以上の所説、これを要するに、勝論は二元的多元論、あるいは唯物的二元論なること明らかなり。すなわち勝論は、世界万有を分析して、その体の多元より成るを知り、その多元相合して、物心の現象変化の起こるゆえんを説明せるをもって、哲学上のいわゆる開発論にあらずして、分析論なり、和合論なり。換言すれば、一種の元子論なり。もし仏教よりこれをみれば、その論全く実有論かつ実我論となる故に、仏教はこれに反して、無我論かつ無常論を唱うるなり。しかれども、もしこれを小乗に比すれば、有部宗の所見にはなはだ相似たるところあれば、外道中の仏教と称して可ならん。ただ仏教は、世界観の上に万有の無常を説き、人間観の上に諸法の無我を説くも、勝論は、実我論を唱うるの別あるのみ。これ仏教よりこれに外道の称を与うるゆえんなり。もしこの哲学上の原理を実際に応用するに当たっては、勝論また一種の宗教となる。すなわち勝論師は、諸元の和合によりて一切諸法の生起する道理を宗教上に応用し、我人もし離欲解脱の見を起こせば、諸元と相離れて涅槃を得べしと立つるなり。これを西洋所伝の六大学派中に考うるに、その吠世史迦〔ヴァイシェーシカ〕学派すなわち勝論は尼耶也〔ニヤーヤ〕学派より分立せるものと伝うれども、仏教中にいまだその的証を発見せず。あるいは勝論は有神論の一種のごとくに論ずるものあれども、これまた仏書中に見ざるところなり。ただ古来因明家の説に、勝論は声論師より出でたることを伝うるのみ。しかして仏書中に見るところによれば、勝論は純然たる一種の無神論なり。けだしこの外道は、毘陀〔ヴェーダ〕哲学すなわち優波尼薩土〔ウパニシャッド〕より派生したるものにして、有神論より一転しきたりて無神論となりたるものなるべし。しかるにその末流に至りては、婆羅門〔ブラーフマナ〕梵天〔ブラフマー〕の説大いにインドに勢力を有せしをもって、自然に有神を唱うるに至りたるならんか。これを西洋哲学の上に考うれば、ギリシアの分子学派および近世の原子学派に属するものと知るべし。

       第二九章 数論外道 第一

 勝論のつぎに論ずべきは、数論外道なり。その大要は、『金七十論』につきて明らかにするを得べしといえども、余は数書を参考して、その起源および伝来を略述すべし。まず数論とは、梵に僧佉奢薩怚羅〔サーンキヤ・シャーストラ〕といい、僧佉〔サーンキヤ〕を訳して数という。その意、智恵数を義とし、諸法を測度する根本なるをもって名を立つという。かくして数に基づきて起こる論なれば、これを名付けて数論(すろん)となす。あるいは論よく数を生ずるをもって、また数論と名付くともいう。その論を造りおよびこれを学ぶものを数論者と名付く。その祖を劫比羅〔カピラ〕(刧畢羅)と称す。旧訳に迦毘羅〔カピラ〕という。ここに訳して黄頭、金頭、黄色、黄赤あるいは赤色という。けだしその人、鬢髪面色みな黄赤なるをもってなり。あるいはその頭金色なるをもって黄頭と名付くともいう。その出世の年代を考うるに、『因明大疏』には、成劫の初めに出づと説き、『金七十論』には、空より生ずと説きて、その史伝つまびらかならずといえども、『金七十論』によりて解するに、曰く、その仙自然に四徳を有せり、四徳とは、一に法、二に智、三に離欲、四に自在、これなり、すでにこの四徳を具して、あまねく世間を観察するに、人の盲闇中に沈没するを見て、大悲心を起こし、婆羅門〔ブラーフマナ〕姓阿修利〔アースリ〕なるものを得て、これがために二十五諦の法を説きしに、阿修利〔アースリ〕これを般尸訶〔パンチャシカ〕に伝え、般尸訶〔パンチャシカ〕これを褐伽〔ガルガ〕に伝え、褐伽〔ガルガ〕これを優楼佉〔ウルーカ〕に伝え、優楼佉〔ウルーカ〕これを跋婆利〔ヴァルシャ〕に伝え、跋婆利〔ヴァルシャ〕これを自在黒〔イーシュヴァラ・クリシュナ〕に伝うという。しかるに『唯識述記』および『因明大疏』によるに、迦毘羅〔カピラ〕仙の後に、筏里沙〔ヴァルシャ〕と名付くる弟子あり。これ弟子中の上足にして、数論諸部中の主たるもののごとし。ここにこれを訳して雨となす。雨際の時に生じたるが故なり。その徒類を雨衆外道と名付くという。この筏里沙〔ヴァルシャ〕は、一説に自在黒〔イーシュヴァラ・クリシュナ〕の師たる跋婆利〔ヴァルシャ〕に当たるべし。ただ梵音少異あるのみという。自在黒〔イーシュヴァラ・クリシュナ〕は婆羅門〔ブラーフマナ〕種にして、姓を拘式という。最初、阿修利〔アースリ〕仙人その受くるところの法を般尸訶〔パンチャシカ〕に伝うるに当たり、六〇千すなわち六万偈ありしも、自在黒〔イーシュヴァラ・クリシュナ〕に至りて、かくのごとき大論の受持し難きを知り、これを略して七〇偈となしたり。故に今日伝うるところの『金七十論』は、七〇行の偈文より成る。これを『金七十論』と題したるは、自在黒〔イーシュヴァラ・クリシュナ〕初めに金耳国に入り、鉄をもって腹を鍱し、頂に火盆を戴きて、王の論鼓を撃ち、もって僧の論議を求め、よって世界の初後有無を諍い、僧を謗りて外道にしかずとなし、ついに七〇行の頌を造りて、数論の意を述ぶ。王すなわち金をもってこれに賜いしかば、外道己の令誉をあらわさんと欲して、所造の七十論に金の字を冠し、『金七十論』と称せりという。その論中の偈文は、自在黒〔イーシュヴァラ・クリシュナ〕の所造にして、長行は、世親菩薩の解釈なり。しかるに『金七十論』には、迦毘羅〔カピラ〕造とあり。故をもって『金七十論』は、迦毘羅〔カピラ〕仙の所造となす説と、自在黒〔イーシュヴァラ・クリシュナ〕の所造となす説との両様あり。しかれども七〇の偈文は、自在黒〔イーシュヴァラ・クリシュナ〕の所造なることけだし疑うべからず。しかしてこれに迦毘羅〔カピラ〕造と題したるは、しばらくその本源に従って称するのみ。更に左に数論の伝灯を表示すべし。

  一、迦毘羅〔カピラ〕   二、阿修利〔アースリ〕   三、般尸訶〔パンチャシカ〕  四、褐伽〔ガルガ〕

  五、優樓佉〔ウルーカ〕  六、跋婆利〔ヴァルシャ〕  七、自在黒〔イーシュヴァラ・クリシュナ〕

 すなわち数論は、迦毘羅〔カピラ〕より起こり、数世相伝えて自在黒〔イーシュヴァラ・クリシュナ〕に至り、一〇万偈を抄略して七〇偈を造れりと知るべし。

 つぎに数論の宗意を考うるに、『外道小乗涅槃論』および『四宗論』に出でたり。また『瑜伽〔ヨーガ〕』十六計中にては、第一の因中有果論をもって数論の所計となす。その他『唯識論』にも、その所計を掲ぐ。これを要するに数論の宗意は、二十五諦の原理を立て、因中有果の所計を唱え、世界万物は、自性開発の結果に帰するにあり。故にまず二十五諦を説明するを要し、しかしてその分類に広、中、略の三様あることを知らざるべからず。すなわち広説二十五諦、略説三類、中説四句の表、左のごとし。

  広説二十五諦 自性(一)

         大(二)

         我慢(三)

         五大 地(四)、水(五)、火(六)、

            風(七)、空(八)

         五唯 色(九)、声(一〇)、香(一一)、

            味(一二)、触(一三)

         五知根 眼根(一四)、耳根(一五)、鼻根(一六)、

             舌根(一七)、皮根(一八)

         五作根 舌根(一九)、手根(二〇)、足根(二一)、

             男女根(二二)、大遺根(二三)

         心平等根(二四)

         神我(二五)

  略説三類 自性(第一諦)

       変易(中間二十三諦)

       我知すなわち神我(第二十五諦)

  中説四句 本にして、変易にあらず。(自性)

       変易にして、本にあらず。(五大、五知根、五作根、心平等根)

       本にして、また変易なり。(大、我慢、五唯)

       本にあらず、変易にあらず。(神我)

          

          

          

          

 この中説四句の意を解するに、二十五諦中、自性および神我の二者は、本来自存せるものにして、他より縁生せるにあらず。故にこれを変易にあらずという。中間の二十三諦は、自性と神我と相より、自性の開発より次第に変遷して生じたるものなれば、これを変易と名付く。しかして自性は開発の力を有するも、神我はこれを有せず。故に自性は本にして、神我は本にあらずという。その他は次章において述ぶべし。

       第三〇章 数論外道 第二

 まず最初に二十五諦の第一たる自性を考うるに、あるいはこれを勝因と名付け、勝性と名付け、また冥性あるいは冥諦と称す。これを冥諦と称するは、外道の通力八万劫に至れば、その前冥然として知るべからざるによる。故に『百論疏』に、外道禅を修して五神通を得、前後おのおの八万劫内の事を知る、八万劫より外は、冥然として不知なり、故に冥というと解せり。かくして冥然不知の本源実体を名付けて自性という。その体、不覚無智なるも、よく活動の作用を有し、次第に中間の二十三諦を開発せりとなす。今その開発の順序は、これを『金七十論』に考うるに、自性より大を生じ、大より我慢を生じ、我慢より五唯を生じ、五唯より十六見を生ずとあり。十六見とは、地水等の五大と、五知根、五作根および心平等根の十一根とをいう。しかるにまた偈文に考うるに、自性より大を生じ、大より我慢を生じ、我慢より十六を生ず、その十六とは、五唯および十一根なり。しかして地水等の五大は、五唯より生ずとなす。更にその次第を左表によりて示すべし。

  自性↓大↓我慢↓ 五唯↓五大

           五知根

           五作根

           心平等根

 かくのごとく自性より大等の諸法の生ずるゆえんは、その体に三徳を具するによるとなす。三徳とは薩埵〔サットヴァ〕、剌闍〔ラジャス〕(羅闍)および答摩〔タマス〕(多摩)なり。薩埵〔サットヴァ〕とは、ここに訳してあるいは有情といい、あるいは勇猛という。しかして今は勇の義をとれり。剌闍〔ラジャス〕とは、ここに訳して微となし、あるいは牛毛塵等となす。しかして今は塵の義をとれり。答摩〔タマス〕とは、ここに訳して闇鈍すなわち闇という。故にその三徳は勇、塵、闇なり。あるいはまた染、麁、黒といい、喜、憂、闇といい、黄、赤、黒といい、苦、楽、捨という。その他『金七十論』の偈文には、喜、憂、闇を体となし、照、造、縛を事となすとありて、その解に、初めによく光照を作し、つぎによく生起を作し、後によく繋縛を作すという。また偈文に、三徳の相を示して、喜とは軽光の相、憂とは持動の相、闇とは重覆の相とあり、左にこれを表示すべし。

  薩埵〔サットヴァ〕 勇・・染・・黄・・喜・・貪・・苦・・照

  剌闍〔ラジャス〕  塵・・麁・・赤・・憂・・嗔・・楽・・造

  答摩〔タマス〕   闇・・黒・・黒・・闇・・痴・・捨・・縛

 またその三徳更互の関係に五種あり。すなわち左のごとし。

  一、更互相伏

  二、更互相依

  三、更互相生

  四、更互相双

  五、更互相起

 第一の更互相伏とは、もし喜徳盛んなれば、よく憂、闇の二者を伏し、憂、闇互いに盛んなれば、おのおの他の二者を伏すをいう。たとえば日光のよく月星等を伏するがごとし。第二の更互相依とは、喜、憂、闇の三徳互いに相よって、よく一切のことを為すをいう。たとえば三杖の相よって、よく諸物を支うるがごとし。第三の更互相生とは、あるときは喜より憂、闇の二者を生じ、あるときは憂より喜、闇の二者を生じ、あるときは闇より憂、喜の二者を生ずるをいう。たとえば三人相たのみて、同じく一事を造出するがごとし。第四の更互相双とは、喜徳あるとき憂とならび、あるとき闇とならび、憂徳あるとき喜とならび、あるとき闇とならび、闇もまたかくのごときをいう。第五の更互相起とは、喜、憂、闇の三徳、互いに他事を作為するの謂にして、一方に喜を与うるもの、他方に憂もしくは闇を与うるの類をいう。これを要するに、自性に開発、活動の作用を有するは、その体にこの三徳を具するによるという。しかるに我知すなわち神我に至りては、この三徳を具せざるをもって、開発の作用を有せず。開発の作用を有せずといえども、自性と和合して、種々の境界をみるに至る。

 つぎに中間二十三諦の解釈は、次章に譲り、第二五の神我を述べんに、まず神我の名義を釈すべし。神我とは、思あるいは知をもって体となす。すなわち覚知、思量の本源なり。『百論疏』に、知とはこれ我なり、我は知をもって体となす、我は他より生ぜず、また他を生ずるあたわずと解し、我と知とは、その体一なりとなす。かつ神我は、第一諦の自性のごとく他を生ずるにあらず、また中間二十三諦の変易のごとく他より生ずるにあらず。あるいはまた大、我慢、五唯のごとく、他より生じて同時に他を生ずるにもあらずとなす。故にこれを根本にもあらず、変易にもあらずという。これより中間二十三諦の変易を釈し、しかしてつぎに自性と神我と変易と三者の関係を述ぶべし。

       第三一章 数論外道 第三

 中間二十三諦中の大とは、あるいは覚と名付け、あるいは想と名付け、あるいは智あるいは慧と名付く。しかしてこれを大と名付くるは、自性の増長増大するを義とす。この大より生ずるところの我慢は、すなわち我執なり。これをあるいは我心と名付く。この我慢より生ずるところの十六諦の順序につきては、異説あり。その一説は、我慢より五大、五唯および十法を生ずといい、また一説は、我慢より五唯のみを生じ、五唯より五大を生ずといい、また一説は、五唯総じて五大をなし、五大総じて五根を成すという。あるいは五唯を名付けて五唯量となす。この五唯より五大を生ずる順序は色唯より火大を生じ、声唯より空大を生じ、香唯より地大を生じ、味唯より水大を生じ、触唯より風大を生ずとなす。あるいは一説に、声の一塵より空大を成し、声、触の二塵より風大を生じ、色、声、触より火大を生じ、色、声、触、味より水大を生じ、すべて五塵を用いて地大を生ずという。また五唯より五大および五根を生ずる順序は、色唯は火大を生じて、火大は眼根を成す故に、眼根は火を見ずして色を見、声唯は空大を生じて、空大は耳根を成す故に、耳根は空を聞かずして、声を聞き、香唯は地大を生じて、地大は鼻根を成す故に、鼻根は地を聞かずして、香を聞き、味唯は水大を生じて、水大は舌根を成す故に、舌根は水を知らずして味を知り、触唯は風大を生じて、風大は身根を成す故に、身根は風を得ずして触を得という。つぎに五知根は我人の身体に具するところの五種の覚官なり。つぎに五作根は、我人の四肢五体なり。その名目は、前に表示せる図につきてみるべし。『金七十論』の偈文には、「言と執と歩と戯と除とは、これ五業根のことなり。」とあり。五業根とは五作根をいい、言、執、歩、戯、除とは、舌根は言語の作用を有し、手根は執持の作用を有し、足根は歩行の作用を有し、男女根は戯楽、大遺根は除棄の作用を有するをいう。つぎに心平等根とは、すなわち心根にして、分別を体となすといい、あるいは一説に肉団心をもって体となすという。これを要するに、中間の二十三諦は、自性より現出せるをもってこれを変易となす。その中に大、我慢、五唯の七諦は、根本にして同時に変易なり。なんとなれば我慢は、大より生ずるをもって変易なれども、またよく五大および五根を生ずるが故に根本なり。しかるに五大、五知根、五作根、心平等根の十六諦は、変易にして根本にあらず。なんとなれば、これみな他より生ずるのみにて、他を生ずるにあらざればなり。

 すでに自性、神我ならびに変易の諸諦を略解し終われば、これよりこの三者の関係を述べざるべからず。まず自性と変易とは、第一に因、非因の相違あり。自性はただこれ因、大と我慢と五唯との七つは、亦因亦果にして、他の十六諦は、ただこれ果なり。第二に常、無常の相違あり。自性はこれ常にして、大等は無常なり。第三に一、多の相違あり。自性はただこれ一にして、大等は多なり。第四に遍、不遍の相違あり。自性と神我とは、一切処にあまねきも、大等はあまねからざるなり。つぎに神我と自性との関係を考うるに、神我は受者にして、自性は作者なるの相違あり。この二者の相合するは、人と王と相合するがごとし。盲者と跛者と相合するがごとし。なんとなれば神我は覚知の眼ありて、行動の足なく、自性の瞽者は、行動の足ありて、覚知の眼なければなり。これを『金七十論』の偈文に考うるに、左のごとし。

  我は三徳をみんと求め、自性は独存のためにす。跛と盲との人の合するがごとし。義によりて世間を生ず。

  

 この譬喩は、往昔商侶ありて、某国に往かんとせしに、盗のために破られ、おのおの四方に分散して走る。しかるにその中に一人の生盲と一人の生跛とあり。衆人これを棄擲して去りしかば、盲人はみだりに走り、跛者は座してみるのみ。そのとき跛者問いて曰く、汝はなんびとぞ。答えて曰く、われはこれ生盲にして道を知らざるが故に、みだりに走ると。つぎに盲者問いて曰く、汝またなんびとぞ。答えて曰く、われは生跛にして、よく道を見るも、走り行くことあたわず、故に汝今われを肩上に置くべし、われよく路を導かん、請う汝われを負いて行けと。これにおいて二人互いに和合して、ついに所在に至る。所在に至りておのおの相離れたり。かくのごとく神我が自性をみるとき、すなわち解脱を得という。換言すれば自性と神我と相合して、世界を開現し、二十三諦の転変無常をみて、自ら厭心を生じ、にわかに修行を起こし、自性跡を隠して、また諸諦を生ぜざるに至れば、われすなわち解脱するを得という。

 つぎに以上の諸諦の存するゆえんはなにによって知るかを考うるに、証量、比量、聖言量の三種の規則によるという。まず証量とは、ただちに外界に対して起こるところの感覚、知覚によりて知量するをいう。さきに因明論の下に示せる現量に同じ。つぎに比量とは、その解、因明論の下に出せるものに同じ。ただ『金七十論』には、これに有前、有余、平等の三種を分かつ。有前とは、前を見て後を比するをいい、有余とは後を見て前を比するをいい、平等とは、これを見て、かれを比するをいう。故にこの三種は、前後彼此の間に、比知推理する一種の論理法なり。つぎに聖言量とは、証量および比量によりて知るべからざることを、聖者の言教によりて知るをいう。今、自性、変易、神我の三種は、この三量中、何量によりて知り得るかは、左表をもって示すべし。

 これ数論の論理学に属する部分なり。以上、数論の純正哲学および論理学に関して略述し終わりたれば、これより数論の宗教に関する部分を述ぶべし。

       第三二章 数論外道 第四

 そもそも数論の宗教門は、その哲学門の道理を実際に応用して、人をして脱苦得楽せしむるに外ならず。すなわち『金七十論』に、この二十五真実の境の不増不減なるを知りて、決定して三苦を脱すとあり。その三苦とは、依内、依外、依天の三種なり。依内苦は、身心上の苦痛にして、疾病あるいは離別等より起こすところの苦なり。依外苦は、世人、禽獣、毒蛇等より生ずる苦をいい、依天苦は、寒熱、風雨、雷電等より生ずる苦をいい、けだし数論の説たるや、自性の作者と神我の知者と相合して大を生じ、大より我慢を生じ、ついに種々の迷執を起こして、生死流転の苦境を現ず、もしその苦をいといて、迷執の原因を断滅すれば、解脱を得べしとす。故に『金七十論』の偈文に、善法によって上に向かい、非法によって下に向かう。智厭によれば解脱し、ここに翻すれば繋縛すとあり。すなわち我人、智慧によって厭離の心を生じ、もって迷因を捨棄すれば、真我ひとり存す。これを解脱と名付く。もしこれに翻すれば、無知によって人天獣中に繋縛せらるるに至る。これによって解脱と繋縛との関係を知るべし。左に迷悟四分の表を挙示すべし。

  四分 迷(繋縛) 疑倒……五分(一闇、二痴、三大痴、四重闇、五盲闇)

           無能……二十八分(十一根壊、十七智害)

     悟(解脱) 歓喜……九分

           成就……八分

 かくして繋縛を離れて解脱を得るに、六段の階級あり。第一に五大の過失を観じて厭を生じ、もって五大を離るるを思量位と名付く。第二に十一根の過失を観じて厭を生じ、もって十一根を離るるを持位と名付く。第三に五唯の過失を観じて厭を生じ、もって五唯を離るるを如位に入ると名付く。第四に我慢の過失を観じて、これを離るるを至位と名付く。第五に覚の過失を観じて、これを離るるを縮位と名付く。第六に自性の過失を観じて、これを離るるを独存位と名付く。これ数論宗教門の大要なり。

 すでに数論の哲学門および宗教門を解説したれば、これより仏教が数論の上に与うる批評と、数論と勝論との異同につきて一言すべし。それ数論は、二十五諦の原理を立てて、世界万有の生起を論ずるも、その要は因中有果論にして、自性中に世界を有し、因中に果を存し、因果一なりと立つるなり。故に『瑜伽論』には、これを妄計の一として説破せり。また『唯識論』には、その所執を挙げて、これを難駁せり。その説明は今これを略す。けだし数論は勝論と同じく、仏教よりこれをみれば、実我論または実有論にして、人間観にありては、実我をとり、世界観にありては、実有を立つるをもって、これを外道の部類となす。しかして数論と勝論との別は、さきに『外道小乗四宗論』によりて弁明せるがごとく、前者は一切法一を唱え、後者は一切法異を唱うるの相違あり。あるいは我覚の二者、あるいは神覚の二者、これ一を唱うるとこれ異を唱うるとの別あり。これを要するに、数論の哲学は、勝論と同じく、物心二元論なり。換言すれば自性と神我との二元を立つるものなり。自性はもと無知覚性のものなれば、物質の本源実体と称して可なり。しかれども、その体には、本来固有せる勢力ありて、世界万有を開発せる以上は、単純の物質性にあらざること明らかなり。なおショーペンハウアー氏の意志に似たり。これに対して神我は精神の本源なれども、神我のみにては、その作用を現ずるあたわず。必ず自性の開発を待って世界を現ずるなり。自性またしかり、自ら開発の勢力を有するも、必ず神我の受用を待って覚知を生ずるなり。故にその説二元論なれども、これを勝論の多元的二元論に比すれば、一元的二元論というべし。なんとなれば数論の世界論は、自性一元の開発に帰し因中有果を唱うるものなればなり。換言すれば勝論と数論との別は分析論と開発論との異同にして、前者は万有を分析して、多元を立てたるのみなれども、数論は更にその多元を自性の開発に帰して、一元に帰するに至る。しかして神我は、ただ自性によるのみにしてすこしも世界を造出する力を有せざるものとす。更に他語にていわば、勝論は横に分析上万有の存立を論ず。すなわち仏教のいわゆる実有論なり。後者は竪に開発上万有の生起を論ず。すなわちいわゆる縁起論なり。故に勝論一変すれば、小乗の倶舎哲学をみるべく、数論一変すれば、大乗の起信哲学をみるべし。けだし数論、勝論は、九十余種外道中の上乗にして、なかんずく数論はその最上なりと称して可ならん。

       第三三章 結 論

 上来章を重ねて外道諸派の異見を客観、主観の両論に分かち、客観論を単元、複元の二段に分かち、主観論もまた単元、複元の二段に分かち、逐次論述してここに至れり。その順序は、客観より主観に入り、単元より複元に移れり。これ人の思想発達の規則なるのみならず、外道より仏教に転進するの階段なり。それ仏教は、主観論なり、絶対論なり、理想論なり。これに対して外道は、客観論なり、唯物論なり、相対論なり、不可知論なり。もし哲学上、客観唯物を真理の標準とし、相対可知的を諸学の終極となすにおいては、外道の諸論を仏教の上に置かざるを得ずといえども、もし主観唯心を極理とし、理想絶対を真源とするにおいては、仏教ははるかに外道の上にあること論をまたず。今余は理想絶対論をもって論理の幽玄をひらき、哲理の真際を極めたるものとなす。故に外道より仏教に移るは実に人智進化、思想開発の順序なりと信ず。古来仏教家は、みな唯心因果の眼光をもって外道を観察し、その見るところきわめて膚浅なるを知り、これを凡情妄識より出づるものとす。かつその論理を評して、偏見、邪見の二種、あるいは無因、邪因の二種に陥るものとす。その解はさきに述べしがごとく、偏見とは、論理の中正を得ざるものにして、あるいは断見に偏し、あるいは常見に偏するの類をいう。邪見とは、邪因もしくは無因を立つるをいう。これに反して仏教は、因果の正理により、理想の中道に基づき、外道の唯物論に対しては、唯心論を唱え、有神論に対しては、無神論あるいは凡神論を唱うるものなり。これ外道と仏教との所見の異同のみ。もしその世界観および人間観につきては、外道は諸派を通じて、左の二論に座するなり。

  一、実我論(人間観)

  二、実有論(世界観)

 すなわち我人人類の上につきては、一種固定せる我体ありて、我人の意志動作を主宰せるものとし、また天地万有の上につきては、一切諸法は、実在恒存せるものとす。しかるに仏教は、これに対して我法二空論を立つるなり。また外道の宗教上の目的は、人間界を脱して、天上界に生まるるをもって終極とするも、仏教にては、天上界は人間界と同じく、なお迷界中にあるものとし、我人の目的は、更にその上に存する悟界に昇進するにありとす。またその目的を達する方法につきても、外道は苦行、仏教は楽行なるの異同あり。古来仏教と外道とを区別するに、三法印と名付くるものあり。三法印とは、諸行無常印、諸法無我印、涅槃寂静印、これなり。この三印を具するものは仏教にして、これを具せざるものは外道なりとす。しかるに『楞伽経』には、仏教も外道も、共に常住不滅の理を説くことを示し、二者差別なきがごときも、外道の常住不滅は、万有の現象あるいは客観の実在につきて立て、仏教の常住不滅は、宇宙の本体あるいは唯心の真源につきて立つるの別あり。しかしてその体はすなわち涅槃なり。しかるにまた外道にも涅槃説あり。『外道小乗涅槃論』には、外道に二〇種の涅槃あることを説き、『楞伽経』にも、外道に四種の涅槃あることを説けり。しかしてその涅槃たるや、あるいは有に偏し、あるいは無に偏して、真の涅槃にあらざるをもって、『中論疏』には、有無断常はすなわちこれ生死なり、あにこれ涅槃ならんやと評せり。換言すれば、外道の涅槃は、生死変遷の境遇においてこれを立て、その境遇を超出して、別に真の涅槃あるを知らず。故に仏教にては、外道の得果は生死輪廻を免れずという。前にもしばしば述べたるがごとく、外道は客観相対の上に、脱苦得楽を説き、仏教は主観絶対の上に、転迷開悟を説くをもって、その論理に高下深浅の相違あるは明らかなり。故に哲学上よりこれをみれば、外道の方は凡情の浅見、仏教は理性の深理なれば、天壌の差ありと断言して可なり。

 かくのごとく仏教と外道とは、天壌の差あるも、これと同時に密接の関係あるや、また疑うべからず。インド最古の説に至っては、一般に多神教を奉信したりしも、人智の発達と共に、多神教一変して、一神教となり、一神教更に一変して、実我論となり、実我論更にまた一変して、仏教の無神論、無我論となりたるは明らかなり。故に余おもえらく、外道の上に更に一歩を進むれば、仏教中の小乗となり、小乗の上に更に一歩を進むれば、大乗となるべしと。換言すれば外道の小乗におけるは、なお小乗の大乗におけるがごとし。これをもって仏教を学ばんと欲するものは、必ずまず外道の大要を知らざるべからず。これ余がここに『印度哲学綱要』と題して、外道諸派の要領を講述したるゆえんなり。





     復習および試験問題

 一 インドの名義(第一章)

 二 四姓の名目および解釈

 三 五明の名目および解釈(第二章)

 四 内の五明と外の五明との別

 五 医方明に関する仏説ならびに四百四病の解

 六 工巧明の種類

 七 声明の起源(第三章)

 八 悉曇〔シッダム〕の名義ならびに悉曇〔シッダム〕の字数

 九 六合釈の略解

一〇 八転声の名目

一一 因明の名義および起源(第四章)

一二 古因明ならびに新因明相伝の次第

一三 弥勒〔マイトレーヤ〕および無著〔アサンガ〕の論式

一四 世親の五支作法

一五 新因明の論式(第五章)

一六 因明の八義

一七 古因明と新因明との異同

一八 宗因喩の解

一九 三十三過の略表

二〇 毘陀〔ヴェーダ〕の名義ならびに種類(第六章)

二一 曼特羅〔マントラ〕、婆羅摩〔ブラーフマナ〕、

   優波尼薩土〔ウパニシャッド〕の解

二二 六論および八論の名目

二三 西洋所伝の六大学派の名目(第七章)

二四 有神学派と無神学派との類別

二五 外道中の本源ならびに内の外道と外の外道との類別

二六 『外道小乗四宗論』の四大外道および『維摩経』の六師(第八章)

二七 『唯識』の十三計および『外道小乗涅槃論』の二十種

二八 『大日経』住心品の三十種

二九 『薩婆多論』の九十六種外道の説明(第九章)

三〇 九十五種外道と九十六種外道との異説

三一 邪見辺見および断常二見の解(第一〇章)

三二 『唯識』の三執および『三論玄義』の四執の類目

三三 『瑜伽論』および『顕揚論』の十六異論ならびに『智度論』の十六知見

三四 六十二見の解

三五 仏以前の外道の種類(第一一章)

三六 仏以後の状況

三七 西洋の伝説ならびに闍伊那〔ジャイナ〕教の分派

三八 外道と仏教と哲学上の相違(第一二章)

三九 客観論の分類表

四〇 地水火風の四論師の説(第一三章)

四一 西洋の地水火風説

四二 極微説の解(第一四章)

四三 順世外道の名義ならびに順世外道と勝論との異同

四四 獣主遍出の名義

四五 口力論師の説(第一五章)

四六 方論師の説

四七 時散外道の説

四八 声論の三種(第一六章)

四九 明論外道の説

五〇 声生声顕論の釈義ならびに二者の異同

五一 非声外道の説

五二 天の名義ならびに種類(第一七章)

五三 毘陀〔ヴェーダ〕論師の所計

五四 摩醯首羅〔マヘーシュヴァラ〕論師の所計

五五 安荼〔アンダ〕論師の所計

五六 摩陀〔マダ〕論師の説および「住心品」中の有神外道(第一八章)

五七 『瑜伽論』中の婆羅門〔ブラーフマナ〕諸計ならびに梵志の解

五八 自然外道の説および儒道二教と仏教との関係(第一九章)

五九 宿作外道の説

六〇 断常二見外道の説

六一 主観的外道論の全表(第二〇章)

六二 人量外道および寿者外道の説

六三 儒童および意生外道の説

六四 知者見者および能執所執外道の説(第二一章)

六五 識外道および阿頼耶〔アーラヤ〕外道の説

六六 数取趣外道および瑜伽〔ヨーガ〕我外道の説(第二二章)

六七 犢子外道ならびに犢子部の由来

六八 四大外道の名目(第二三章)

六九 四大外道の所計

七〇 尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕の名義(第二四章)

七一 尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕外道の祖および宗意

七二 尼乾子〔ニルグランタ・プトラ〕の十六諦

七三 若提子(ジュニャーティ・プトラ〕外道の説(第二五章)

七四 苦行外道の目的および種類

七五 勝論の名義およびその開祖の名称(第二六章)

七六 勝論祖の来歴およびその相伝

七七 六句義の名目

七八 六句義と十句義との配合表および西洋の七句義

七九 九実の名目およびその略解(第二七章)

八〇 二十四徳の名目およびその略解

八一 五種業の名目およびその略解

八二 同異和合有能無能倶分無説の略解(第二八章)

八三 勝論の宗教説ならびに世界論

八四 勝論と仏教との関係

八五 数論の名義(第二九章)

八六 数論の開祖ならびにその相承

八七 『金七十論』の名義およびその作者

八八 二十五諦の分類表ならびに略説三類中説四句の表

八九 自性の解釈(第三〇章)

九〇 自性開発の順序

九一 三徳の名義および相互の関係

九二 神我の解釈

九三 中間三十三諦の略解(第三一章)

九四 自性と変易との異同および自性と神我との関係

九五 証量比量聖言量の説明

九六 三苦の解釈(第三二章)

九七 迷悟の関係および階級

九八 数論と仏教との関係

九九 外道と仏教との世界観および人間観の相違(第三三章)

一〇〇 仏教の涅槃と外道の涅槃との異同

 

    以上




〔サンスクリット・漢訳 用語対照表〕       (*)は意訳を示す。

〔カタカナ〕     〔ローマナイズ〕     〔漢 訳〕

〔ア〕

アクシャ・パーダ Aksapada 足目(*)

アサンガ Asanga 無著(*)

アジタ・ケーシャカンバラ Ajita Kesakambala 阿耆多翅舍欽婆羅

アスラ Asura 阿修羅

アースリ Asuri 阿修利

アーパトゥヤ Apatya 肩亡婆

アーユル Ayur 阿輸

アーラヤ Alaya 阿頼耶

アルハト Arhat 阿羅漢

アンダ Anda 安荼

イーシャーナ Isana 伊賒那

イーシュヴァラ・クリシュナ Isvara・krsna 自在黒(*)

イティハーサ Itihasa 伊底呵婆

インドラ Indra 因陀羅

ヴァイシェーシカ Vaisesika 衛世,吠世史迦,毘世師,衛世師

ヴァイシュヤ Vaisya 吠奢

ヴァスバンドゥ Vasubandhu 世親(*)

ヴァートゥシー Vatsi 筏蹉氏

ヴァートゥシー・プトリーヤ Vatsi・putriya 皤雌子

ヴァーラーナシー Varanasi 婆羅痆斯

ヴァルシャ Varsa 跋婆利

ヴァルシャ Varsa 筏里沙

ヴィシェーシャ Visesa 毘尸沙

〔カタカナ〕 〔ローマナイズ〕 〔漢 訳〕

ヴィシュヌ Visnu 韋紐

ヴィドヤー Vidya 費陀

ヴィヤーカラナ Vyakarana 毘迦羅

ヴェーダ Veda 毘陀,韋陀,囲陀,吠陀

ヴェーダーンタ Vedanta 吠檀多

ウパニシャッド Upanisad 優波尼薩土

ウルーカ Uluka ★(口+昷)露迦,優婁佉,

優楼歌

〔カ〕

カナ Kana 羯拏

カナーダ Kanada 伽那陀,蹇拏陀,迦那陀

カナバクシャ Kanabhaksa 蹇拏僕

カピラ Kapila 迦毘羅,劫比羅,刧畢羅

ガルガ Garga 課伽,褐伽

カルパ Kalpa 柯剌波

カルマン Karman 羯摩

ガンガー Ganga 殑伽

ガーンダルヴァ Gandharva 犍闡婆

クシャトリヤ Ksatriya 刹帝利

グナ Guna 求那

クラクダ・カーティヤーヤナ Krakuda Katyayana 迦羅鳩駄迦旃延

〔サ〕

サットヴァ Sattva 薩埵

サマヴァーヤ Samavaya 三摩婆夜

サーマーニヤ Samanya 三摩若

〔カタカナ〕 〔ローマナイズ〕 〔漢 訳〕

サーンキヤ Samkhya 僧佉

サーンキヤ・シャーストラ Samkhya・sastra 僧佉奢薩埵羅

サンジャイン・ヴァイラティープトラ Samjayin Vairatiputra 刪闍夜毘羅胝子

サンスクリタ,サンスクリット Samskrta 散斯克

シヴァ Siva 溼婆

シクシャー Siksa 式叉

シッダム Siddham 悉曇

シャーキヤ・ムニ Sakya・muni 釈迦牟尼

シャクラ・デーヴァーナーム・インドラ Sakra・devanam Indra 釈提桓因

シャンカラスヴァーミン Sankarasvamin 商羯羅主

シュードラ Sudra 首陀,戌陀羅

ジュニャーティ Jnati 若提

ジュニャーティ・プトラ Jnati・putra 若提子

ジュニャトヴァン Jnatvan 社怚梵

ジュヨーティシャ Jyotisa 竪底沙

シュローカ Sloka 首盧迦

シンドゥ Sindhu 身毒

スメール Sumeru 須弥

〔タ〕

タマス Tamas 答摩,多摩

ダヌル Dhanur 陀莵

チャンダス Chandas 闡陀

チャンダーラ Candala 旃陀羅

チャンドラ Candra 戦達羅

ディグナーガ Dignaga 陳那

デーヴァ Deva 提婆

トゥラーヤストゥリンシャ Trayastrimsa 忉利

ドラヴィヤ Dravya 陀羅標

〔カタカナ〕 〔ローマナイズ〕 〔漢 訳〕

〔ナ〕

ナヤスマ Nayasuma 那耶修羅

ナーラーヤナ Narayana 那羅延

ニヤーヤ Nyaya 尼耶也

ニヤーヤヴィスタラ Nyayavistara 那邪毗薩多

ニルウクタ Nirukta 尼鹿多

ニルグランタ Nirgrantha 尼乾陀,尼犍陀,尼乾

ニルグランタ・ジュニャーティプトラ Nirgrantha Jnatiputra 尼犍陀若提子

ニルグランタ・プトラ Nirgrantha・putra 尼乾子

〔ハ〕

バクシャ bhaksa 僕

パーシュパタ Pasupata 播輸鉢多

パラマ・アヌ Paramanu・Parama・anu 波羅摩阿拏

パンチャシカ Pancasikha 般遮尸棄,般尸訶

プドガラ Pudgala 補特迦羅

プーラナ・カーシュヤパ Purana Kasyapa 富蘭那迦葉

ブラフマー Brahma 梵天

ブラフマ・チャーリン Brahmacarin 梵志

ブラーフマナ Brahmana 婆羅門

ブラーフマナ Brahmana 婆羅摩

ヘートゥ Hetu 醯都

ヘートゥ・ヴィドヤー Hetu・vidya 醯都費陀

〔マ〕

マイトレーヤ Maitreya 弥勒

マガダ Magadha 摩迦陀

マスカリン・ゴーシャーリープトラ Maskarin Gosaliputra 末伽梨拘賒梨子

〔カタカナ〕 〔ローマナイズ〕 〔漢 訳〕

マーター mata 摩多

マータラ Mathara 摩陀羅

マティチャンドラ Maticandra 慧月(*)

マティチャンドラ Maticandra 末底戦達羅

マーナヴァ Manava 摩奴婆,摩納婆

マーナヴァカ Manavaka 摩納縛迦

マヌジャ Manuja 摩奴闍

マノー,マナス Mano・Manas 末那

マハーブラフマー Mahabrahma 大梵天

マントラ Mantra 曼特羅

ミーマーンサー Mimamsa 弥曼差

〔ヤ〕

ヨーガ Yoga 瑜伽

〔ラ〕

ラジャス Rajas 剌闍,羅闍

リシャバ Rsabha 勒娑婆

ローカーヤタ Lokayata 路伽耶