P257
活用自在 新記憶術
1. 冊数
1冊
2. サイズ(タテ×ヨコ)
108×179mm
3. ページ
総数:310
本文: 2
目次: 10
本文:298
4. 刊行年月日
底本:初版 大正6年8月15日
5. 句読点
あり
(巻頭)
6. その他
(1) 底本の表紙では,左下側が欠損していて,著者名が分からないので,背表紙までを写真におさめた。
(2) 本文にはルビがあり,原則として省いたが,あて読み等に限り( )を付して残した。
(3) 本書では,引用文も現代表記に改めた。
(4) 原本の目次で,末尾に組まれていた「物覚の秘伝」の項は,本文どおりの位置に直した。
序 文
今より二〇余年のむかし、わが国に記憶術の流行せし時代あり。その当時予はたまたま妖怪研究中なれば、傍ら記憶術をも講究せしことありて、その結果を一、二種の冊子に載せて世に発表せしことありしが、その後書林の方にてはその書品切れとなり、これをもとむる人ときどき予の方へ照会しきたるも、わずかに控え本一冊ずつあるのみ。近ごろ客あり、弊屋へ来訪し、世間には記憶術を知らんと欲するものすこぶる多ければ、予の意見を開示してはいかがと勧められ、その要求に応じ、四、五日間先年講究の結果と、その後経験の事項とを合わせて演述し、これを筆写せしめたるもの一巻を成すに至れり。題して『新記憶術』という、すなわち本書なり。もし青年諸子の修学習業の一助となるを得ば幸甚。
大正六年七月
井 上 円 了 識
第一講 総 論
一 発 端
世の中は希代(きたい)なもので、一犬虚をほえて万犬実を伝うることもあり、一犬実をほえて万犬虚を伝うることもある。予が先年妖怪学を研究して以来、その評判が全国に高くなって、ひとり妖怪のみならず、なにもかも予の所へ持ち込めば解決ができるように考えられ、幽霊、天狗、狐、狸は申すに及ばず、牛馬のことや植木のことまで持ち込まれて迷惑したことがある。たとえば先年ある地方を巡回せしときに、その村の者が西洋種の植木を買い入れてきたけれども、これを培養する方法がわからぬからしてというので、予に相談をかけられたことがある。またある地方では、馬市から馬を買い入れてきたが、年齢が分からぬからして鑑定をしてくれと頼まれたこともある。これらはつまり、なんでも予の所へ持って行けばわかるようにしてもらわれるという考えから起こっているのである。それからまた予が先年記憶術について論じたことがある。その後は諸方から記憶の仕方について伝授を続々依頼しきたり、このごろにてもときどきそういう依頼がある。またあるとき「名称教育」について論じたことがある。その後は人の名をつけるについてときどき相談を掛けられたことがある。ことに近来は姓名判断ということが流行している。この姓名判断も予が伝授したのであるということを言い触らしている者がある。ときどき郵便や電話で「私の名前はかくかくであるが、これでよいか悪いか判断してくれ」という頼みが予の家に舞い込んでくることがある。そのわけを聞きただしてみると「あなたは姓名判断の元祖である本家本元であるということを聞いている」と申している。つまりこの姓名判断の元祖である本家であるというように誤解せらるるのは、先年予の説いたる「名称教育」のことから起こったのであるが、しかし予のいわゆる「名称教育」は世間の姓名判断とは全く性質が違っている。予の名称教育は人の名および村の名、国の名すべての名称がその人を教育するという意味で、たとえば自分の名が「寅吉」であればその性質も虎のごとくになる、自分の名が「熊太郎」であればその性質も熊のごとくになる。「中村正直」という人はその性質も正直な人である、「山岡鉄太郎」という人はその心も鉄のごとき人であるというような例を引き、つまり名称がその人を教育する力があるに相違ない、自分の名が正直であればそのことを常々注視すれば、自然にその名称の感化を受けて正直になり、自分の名が猛雄であれば、そのことに注意しておれば気風もこれに化せらるるものである。これは実際ありそうなことである。そのことについて論じたので、すべて人は名をつけるには良き文字を選び、その人の生涯の理想がこれによってできるような名称を選ばなければならぬということを申した。先年予が哲学館を開いた当時、在学生の名を調べてみるに「哲」の字が割合に多い。この哲の字は世間においていたって少ない名前であるのに、哲学館には哲の字の名がたくさん見えたことがある。これは何故かというと、その当人が自分の名が哲であるというところから哲学を修めようという心が起こる。哲学館は哲学の学校であるならば、われもその校へ入って哲学をやってみたいという望みを起こすようになるので、これはすなわち名称によって導かれ、名称によって指導せられたというもので、かかることを予は「名称教育」と名づけのである。それで今日の姓名判断も人の名前の字画を数えて、なんの画はよい、なんの画は悪いというように、字そのものについて運命を判断しておるのではない。しかし名前の字画と運命とになんらの関係もあるべき道理はない。これはつまり迷信と申さなければならぬ。しかしこの姓名判断は予が伝授したのだという誤解を起こしたわけは他に理由がある。この姓名判断を自ら発明せりと申している者があるとき予が宅を訪ね、「自分は多年姓名について性質や運命を判断しているが、ほとんど百発百中で、いかにも不思議であるという話が出たから、予はその判断の方法は知らぬが、自分においても先年「名称教育」ということを論じておいた。その「名称教育」というのはかくかくのことで人の姓名がその人を感化するという意味であると、これらの話をしたとこ〔ろ〕が、本人は小さい紙片(かみきれ)でいいから、名称が人を教育するとか名称が人を感化するということを書いてくれというから、その意味の文字を書いて与えたことがある。この事柄があるいは姓名判断の元祖である本家であるというような誤聞を世間に伝うるに至ったのではないかと思う。しかしここに「姓名判断」と「名称教育」とは全く別物ということは広く世間から承知してもらいたい。とにかくこのように一犬虚をほえて万犬実を伝え、あるいは一犬実をほえて万犬虚を伝うるというような世の中である。予の記憶術についても世間の誤解を招かぬように、己が先年研究したる記憶術の利害得失についてここに一通り述べて、世の人のご注意を願いたいと思っている。そこでこれより記憶術のことを申し述べたいが、名称は『新記憶術』と定めた。しかし新とは世間に対する語で、自身においてはすでに数十年前より唱えていることであって、かえって旧案と申してよろしい。
二 予の主義
今日広く世間の学者を見るに、議論はすこぶる高尚にしてその引証するところも極めて該博、いわゆるこれを仰げばいよいよ高く、これをきわむればいよいよ堅しというようなありさまである。しかしその説くところその言うところがどれだけ世間多くの人に理解され、多くの人に了得されるかというと、ただ学生らが自分の智欲をみたすだけのことにとどまり、一般の人には馬耳東風でなんらの感覚を与えることができぬ、予はかかる学者を称して貴族的学者と呼んでいる。これに対して予のごときはなるべく多く人民に接し、なるべく広く地方に入り込み、実際の民情を視察し、これに適応するように学を講じ道を説き、かつ民間に行われているすべての事物についてその理を聞きそのもとを説き、もって直接に世道人心を裨益(ひえき)するようにしたいという本意であって、これを予は貴族的学者に対して百姓的学者と称している。もしこの貴族的学者と百姓的学者とをわが国の仏教各宗について比較してみたならば、貴族的学者は天台や真言や禅宗のごとくであって、百姓的学者は真宗のごとくであると申してよろしい。天台や真言のごときは寺を山の上に構えて世外に超越主義を取り、一般の人に布教伝道するということがない。これに反して真宗は市街の中に寺を建て、直接に人民に接して布教伝道している。これと同じく貴族的学者は学問の高嶺の上に根拠を構えて少しも民間に下ってこない。これに反して百姓的学者は直接に人民に接してその実情に適応するように学問を応用するのである。たとえば人の住居にも間口の広い家もあり、奥行きの深い家もある。街路往来に接した家もあれば離れたる家もある。これと同じく貴族的学者の中にも間口の広くして奥行きの狭い人もあれば、奥行きの広くして間口の狭い人もある。中には奥行き間口ともに広く長き人もあるが、いずれにしても往来からは非常に隔たり、これを民家にしたならば門が奥深く、門に入ってからも玄関までがなかなか遠い、その上に高い所に建ててあって、よほど上って行かなければならぬ、ということと同様である。これに反して百姓的学者は直接に往来に接し街路に向かって戸口を開き、その家に入るにも入りやすく出るにも出やすく、親しく多くの人と接することができると同様である。右の次第にて予は自ら百姓的学者ととなえているだけあって、数十年来書をなげうち字を読まず、終年地方を旅行して多くの人に接触し、これによって生きたる学問をしようということを申している。書物の上に書かれたるものは死んだ学問である。人が社会に活動している状態を見るのは活きたる学問である。この活学を研究してその結果をただちに世間に与えるようにしたいというのが予の本心である。そこで民間に行われていることについては小となく大となくいちいちこれを取り調べ、しかもその利害について多くの人にわかるようにさせてやりたいというのから、妖怪のことも研究し記憶術のことも研究するというような次第である。以上述べたることはこれより記憶術を話す前置きに過ぎないのであるから、あまり贅弁(ぜいべん)にわたることはよくない。よって前置きの話はこれだけにとどめ、これよりまさしく記憶術に及ぼして述べたいと思う。
三 記憶術要求の理由
近来生存競争が日に増し進むに従い、人の欲望がだんだん大きくなってきて、かえって質実を欠くような場合が多い。たとえば金をもうけるにも倹約勉強して徐々として進むよりも、なにか一山当てて一攫千金をしたいような山師的考えが多くなってきた。これと同時に精神方面においても、正直に勉強して学者になろうの智者になろうのというのでなく、もっと近道をたどって一足飛びに智者学者になりたいというような欲望を持っている人が多い。もとより人間としては欲望を免れることはできないけれども、諺にいわゆる「急がば回れ」で、真個に大欲望を達しようと思ったならば、やはりこれに相当する順路をとり着々歩を進めるようにしなければならぬ。金を作るにも学者になるにも同様である。つまり今日世に多くの人が記憶術を要求し歓迎するのは、早く一足飛びに学者になり智者になろうという欲望から起こっているのに相違ない。予は先年より迷信について研究したことがあるが、今日わが国がかくまで教育が進み知識が開けておりながら、迷信がなくならぬのはいかんというに、世間の人の欲望が多いからである。まずその欲望とは自分の一身一家について病気もなく災難もなく、福徳円満寿命長久、金のもうかるようにしたい、くじの当たるようにしたい、景気のよくなるようにしたいというような欲望のために、種々の迷信を起こすに至るのである。その迷信が記憶術の上にも及ぼしている。昔より迷信的記憶術というものがある。今日といえどもなおその迷信が民間に残っている。今、予が記憶術を述ぶるについては、ここにその順序を掲げておく。
一 迷信的記憶術
二 通俗的記憶術
三 学理的記憶術
四 新案的記憶術
右の順序について述べてみたいと思う。
四 記憶の必要
すべての人に記憶が必要である。すべての学者なり智者なりは記憶の強い人から出るというだけは事実であるが、しかし記憶のいいばかりが智者学者でない。いかに記憶がよくても平々凡々たる者もあるということもまた事実である。けれども記憶はすべての知識の土台として必要なる材料であるということは確実であるから、なんぴとも記憶をよくしたいという欲望も決して無理な注文ではない。しかしその記憶を進むるにおのずから法あり道あり、ただ一攫千金に金もうけというようなわけにもいかぬ。もし一攫千金主義をもって記憶を進めようと思ったならば、そのことがすでに迷信である。ここに民間に行われているところの迷信的記憶術の種類を一、二挙げてみようか。
第二講 迷信的記憶術
五 迷信的記憶
ある秘伝を書いた書物の中に、旧暦の七月七日にクモ一匹を生きているままに自分の着物の中、または衣類を入れたる箪笥(たんす)、箱の中へ入れておけば、二〇日の後には忘れがちの人は忘れぬようになり、記憶の悪い人は物覚えがよくなること必定疑いなしと書いてあった。またある秘伝の書物には、五月五日にスッポンのつめを着物の襟の中へ入れておけば、必ず物覚えがよくなるということも伝えてあった。昔シナには記事珠(きじだま)と申す珠があったということで、その色は紺色にして光あり、物事を忘れたる場合にはこの珠を手にてなでさえすればたちまちに思い出すことができ、明らかに記憶に浮かぶということを、ある書物に書いてあったが、いかなる珠か知らざれど、これもまたむろん迷信である。あるいは串柿の粉と蕎麦(そば)の粉を練り固めて、毎朝これを服用すれば記憶がよくなるというような俗説は、今日いまだ民間に多少伝わっている。この記憶の反対に物忘れについての迷信もある。わが国では茗荷(ミョウガ)を食べると物忘れをするようになるという。シナには萱草(かんそう)という物がある、その一名は忘憂草(ぼうゆうそう)というてすなわち忘れ草である。
敬うに慈親に奉ずるに寿に避(たが)わんことを祝う。
願わくは相対して百憂の忘れしめんことを。
敬奉慈親祝避寿、
願教相対百憂忘。
かような忘れ草についての句があるが、親にこの忘れ草を差し上げて、しかして百憂を忘れるように願ったということである。この草を何故に忘れ草と申すかというについて調べたことがあるが、これを食すると昏然(こんぜん)として酒に酔うがごとくなって、自然に心配を忘れるということから起こったという説である。しかるに日本の茗荷についてはどういうことから出たか、予はいまだそのよるところを調べたことはないが、子供のときに聞いたはなしに、始めて茗荷を野草の中から発見して、これになんという名をつけようかとその名を思い出すことができないため、茗荷という名が起こったので、つまり名が分からぬ、名を思い出せぬという意味から、物忘れをするという説が起こったというように聞いているが、もとより俗説に相違ない。なるほど草冠を除いてみれば名という字と何という文字になる、畢竟(ひっきょう)名がわからぬという意味である。こういう物を食べれば物忘れするというのも、これまたむろん迷信である。今日ではかような迷信は信ずる者もなくなったようであるが、しかし民間の知識の程度の低い者にはいまだ多少の迷信を有している。
六 神仏についての迷信
また神仏を信ずれば智慧が出るの記憶がよくなるのということは、民間にいくぶんか行われているようである。たとえば日本三景の一なる丹後の天の橋立には切戸の文殊といえるがある。この文殊は智慧尽くしの仏様で、その門前には智慧の餅や智慧団子を売っている。またその寺より智慧の御札を出している。よってこの仏を信仰すれば智慧が進むようになる、智慧が進むくらいならば記憶がよくなるようになるに相違ないと思うている。むかし天満宮を拝めば字がよく書けるようになり、仁王様を拝めば力が強くなると信じたと同様に、文殊や虚空蔵菩薩を信ずれば記憶がよくなると思うであろうが、ただみだりに神や仏を信仰しさえすれば智慧が出る記憶がよくなると思うのもまた、これもとより迷信である。
七 催眠術についての迷信
その他、迷信について申したいのは催眠術によって記憶をよくするという一事である。近年催眠術が大いに流行し、あらゆる病気を催眠術によって治療ができるというのみならず、字の書けない者も催眠術によって字が書けるようになる、記憶の悪い者も催眠術によれば記憶がよくなる。なにもかも催眠術で思うようにできないものはないくらいに唱えて、ずいぶんこれを信ずる者がある。その中に記憶については、桑原氏著の『精神霊動』の中に、某師範学校生の記憶の悪い者に三回施術したが、一回ごとに記憶力が進んできたということが書いてある。けれどもわれわれの考えから眺めてみると、これまた一種の迷信に過ぎない。決して人間の記憶や知識が催眠術によって進むべきものではない。しかし一時は催眠術によって忘れたことを思い出し、記憶しにくいことが覚えられたという場合はあろうけれども、これをもって一般に記憶を進める道とすることはできぬ。
八 心理療法の結果
すべて催眠術や神仏信仰によって智慧が進む、記憶がよくなるというのは、予のいわゆる心理療法、信仰療法の道理で、神仏なり催眠術なり、これを信ずれば必ず記憶がよくなると思う一念によって精神がその方に集注せられ、いくぶんか記憶力も進むようになることがあるであろうが、これは神仏の力というのでもなく、催眠術の働きというのでもなく、つまり精神作用の結果と申さなければならぬ。それをただ単純に神仏の力や催眠術の効能に帰するときには、むろんこれを迷信といわなければならぬ。またクモ一匹を着物の中に入れておけば記憶がよくなるなどということも、もしそれを信じて自ら迎えれば催眠術同様にいくぶんか記憶力がよくなるかも知れぬ。しかしそれはクモそのものの力ではなくして当人がこれを信じた結果である。その他クモでなくても土でも石でもなんでも構わぬ。着物の中に入れたる物には関係なくして、これを信ずる方面の精神作用が記憶をよくするの結果をきたすのであるから、信じられさえすればなんでもよいわけである。昔は罪人の鑑査に熱湯を探らしたということである。罪のない者は熱湯の中に手を入れてもその手がただれず、罪のある者はたちまちやけどするということである。昔ならばこれによって罪の有無を判断することができた。その理由は、罪のある者はわれには罪があるから必ず手がただれるであろう焼けるであろうと、自ら迎えて手を入れるからやけどをする、罪のない者は己には決してやけどをせぬということを信じて入れるからしてなんともない。これはやはり精神の作用というものである。しかしこの鑑査法は今日の人には施すことができぬ。なぜというに、ただいまでは昔のように人が正直でない。われには罪がないから必ずやけどをしないという信仰が昔のように固くない。そこで今日の人には施すことはできない。これと同様にクモを着物の中に入れたから必ず記憶がよくなるに違いないという信仰力が、今日の人は昔の人のように強くないから、昔の人に効能があっても今日の人には効能がない。たとえこれらの方法が効能のあるものとしてみたところで、それはただ一時の間に合わせ療治に過ぎない。いわゆる膏薬療治というくらいなものである。けっして根柢から記憶を進めるところの術でない。この点においては迷信的記憶術は大体より排斥しなければならぬ。これらはすべて完全なる記憶術でないから、これ以外に根柢より記憶を進める術を求めるがよい。
第三講 通俗的記憶術
九 通俗的記憶術の分類
すでに迷信的記憶法の大体を述べ終わったから、つぎに実際的記憶法を述べたいと思う。すなわち世間においてなんぴとにも実際に用いているところの記憶法である。これに種々種類があって、今その名目を挙ぐれば、
第 一、連帯法
第 二、付加法
第 三、仮物法
第 四、略記法
第 五、統計法
第 六、句調法
第 七、分解法
第 八、転気法
第 九、集注法
第一〇、作話法
便宜のため仮にこの一〇通りに分けてみた。
一〇 連帯法
まず第一の連帯法とは、一のことを記憶するに外の事柄に連帯して記憶にとどめる方法である。すべてわれわれが記憶するには必ずこれに類似のもの、あるいはこれと関係あるものに付帯して記憶するものである。そこでなるべく早く、なるべくよく連帯しているものに結び付けることが必要である。昔われわれが子供のときに四書や五経を学ぶに、『大学』に「邦畿(ほうき)千里」とあればこれを記憶するに「ほうきの長さが千里ある」と心に留めておき、また『論語』に「顔淵閔子蹇(がんえんびんしけん)」とあれば「残念鬢(びん)四間」と付帯し、鬢の長さが四間あると記憶しておったことがある。また『文章軌範』を読むにも「屈原すでに放たれて」とあれば、鼻液(はな)をたらしているように記憶すれば長く忘れぬものである。英語を記憶するにも、アメリカのオハヨー〔オハイオ〕という州名はわが国の朝の挨拶「お早う」に結び付けて記憶している。また南アメリカのチチカカという湖水のごときは、父母の両親に結び付けて記憶している。その他、初めて英語を学ぶときに「彼」をヒーという、わが国の文字でやはり「彼」という字が「ヒ」である。また英語にて物を買うことをバイという、わが国の「買」という字もバイである。また「聖人」もセージといい「魔術」をマジックという、これらはみな音がよく似ているから連帯して記憶することがたやすい。英語にてめかけをコンキュバインというのを「困窮売淫」と音訳してあるが、これらはいたって記憶しやすい。昔、御維新前にオランダから教師をやとって、日本兵に海軍のことを教授してもらった。そのときに軍艦の中のすべての機械や道具について名称を教えたところが、その名がオランダ語である。これはなんという、かれはなんというと、いちいちオランダ語で聞かせられたけれども、当時は今日と違い西洋語と日本語との連絡が困難であって、初めて西洋語を聞いた連中ばかりであるから、容易に覚えきれぬ。先生もほとんど困却しているくらいであった。ただ一つ船の道具の中にオランダ語でホッスという名の物があって、そればかりは一ぺん聞いただけで一人として忘れる者がなかった。そこで先生はこれを不審に思い、他の名称はなんべん説いてもなかなか記憶しないが、このホッスだけはだれも同じように一ぺんでみな記憶した。いかにも不思議だと申したそうだが、これを記憶した連中はわが国の僧侶が持っている払子(ほっす)という物がある。いずれもみなそれに連帯して記憶したそうで、このようになにか似た物か関係のある物に連帯して記憶するのが記憶しやすいものである。これを連帯と名づけておく。これ通俗に用うる記憶法である。
一一 付加法
第二に付加法というのは、つまり連帯法に他のことばを付け加えて記憶することである。たとえばインドにベンガルという国がある。これを記憶するに「弁慶とおかるとが一緒になっている」とすれば記憶しやすい。安政年間にはわが国に初めてコレラが流行してきた。そのときにはコレラといわずしてコロリと名を付けてあった。それを記憶するに、この病にかかればなんぴともコロリコロリと死んでしまうと思うておったそうだ。また嘉永年間にアメリカからペルリ〔ペリー〕が軍艦に乗って日本に押し寄せたときに、人はみなその名を記憶するに、彼は日本をペルリと一のみにしようというつもりで来たのであるとして記憶したそうだ。また南米にはブラジルの首府がリオジャネロ〔リオデジャネイロ〕である。これを記憶するに、ブラジルの国は国広く土地開けず山ややぶをもってみたされている、ことに大きな蛇がたくさんいる。そこでリオジャネロを記憶するに「道を歩けば竜や蛇にねらわれてしまう」として記憶すれば覚えやすい。またその隣りの国にアルゼンチンという国がある。そのアルゼンチンは非常に物価の高い所である。これはつまり物産が多くて国が富んでいるからである。そこで「ぜにがあるから賃銀が高い」として心にとめれば記憶しやすい。ドイツにて日本の辻俥(つじぐるま)に相当する馬車が街の四つ角のような場所(ところ)に客待ちをしている。その名を「ドロシケ」という。この「ドロシケ」を記憶するには、日本の雲助を結び付け、少しことばは違うけれども客待ちという点においてはよく似ているからして、名前はただ雲泥(くもどろ)の相違に過ぎぬと思うておれば記憶しやすい。さればこの付加法というのは連帯法に相違ないが、更にその連帯法に種々の関係を結びつけて、一層記憶に便ならしむる方法である。
一二 仮物法
そのつぎに仮物法とは、一つのことを記憶するにその失念せんことをおそれて、他の物をかりて符牒(ふちょう)とする方法である。古代、文字のいまだできざりしときには、縄を結んで記憶の助けとしたということはなんぴともよく承知している。これすなわち縄というものをかりて記憶を助くるのである。今日でも民間において文字を知らざる者は種々の物をかりて記憶している。また文字を知っている者でも物をかりて記憶を助くることが少なくない。たとえば書物を読むにしおりを入れておく、あるいは朱唐紙をはりつけておくなどは、つまり他物にかりて記憶を助くるのである。また世間の人が一事を聞いてこれを明日まで忘れてはならぬと思うときには、手の指を糸で結びたり、あるいは自分の所持せしふろしきやてぬぐいの端を結び付けたりして、記憶の符牒となすことがある。かかる記憶法を仮物法と名づけておく。
一三 略記法
そのつぎに略記法というのは、文句やあるいは語句を省略して記憶する方法のことである。たとえば「本郷駒込上富士前町田中鍋吉」を記憶するに、その頭の仮名を一字ずつ結び付けて「ホコカタナ」として記憶するの類は略記的記憶術の一種である。また数字を記憶するに「一二三」を「ヒフミヨイムナヤコト」として記憶するなども略記と申してよろしい。たとえば「金二三四六円」を「フミヨム」として記憶するの類は略記法である。また停車場の名を東京より横浜の間の「品川、大森、川崎、鶴見、神奈川」を記憶するに、頭の仮名を一つずつとって「シオカツカ」として記憶するのは略記法である。古来「木火土金水」をキヒツカミという、これも略記法である。もし人が市街で紙とタバコと筆と墨とを買わんと思ってこれを記憶するに、頭の仮名を結び付けて「カタフス」として記憶する場合がある。これらはみな略記法というものである。
一四 統計法
つぎの統計法とは種々の事実を比較し統計して、これによって規則を作り記憶の助けとする方法である。これは前に述べたものからくらぶれば、いくぶんか複雑の方法であるけれども、われわれが常に用いきたれるもの〔の〕中にはときどきある事柄である。たとえば漢字の「爪(つめ)」という字と「瓜(うり)」という字が区別し難く、ときどき瓜の所へ爪の字を書き、爪の所へ瓜の字を書くことがある。これを昔より「爪に爪なし瓜に爪あり」として記憶している。爪の字の方にはかえって爪がなくして瓜の方に爪がついているがごとく記憶すれば決して忘れることがない。また漢詩を作るには平仄(ひょうそく)を記憶することがすこぶる困難である。その記憶を助くるため「フツクチキに平字(ひょうじ)なし」という規則がある。字音の下にフツクチキの仮名の付いた文字には決して平字のないものであって、みな仄字(そくじ)である。また詩を作るに二四不同二六対という規則がある。これは七言の句について定めてある規則で、二番目の字と四番目の字とは平仄が違う、二番目と六番目とは平仄が同一であるということを示した規則である。また数字の規則に「若干の数あって、その最後の数字が偶数かもしくは零ならば、必ず二をもって割ることができる」、また「その数字の総和が三によって除することができるならば、全数必ず三によって割ることができる」、あるいはまた「最後の二字をもって除算し得るならば、全数もまた必ず四で割ることができる」というがごとき規則もまた統計法の一種で、かかる例は世間に決して少なくない。これも大いに記憶を助くるものである。
一五 句調法
第六の句調法とは、記憶すべき事柄を詩や歌の句調に作りて記憶することである。詩や歌の句調よきものに作りおけば、確かに記憶しやすいものである。たとえば新暦の月の大小を記憶するに、大の月について詠んだ歌に、
正三五、七八十や、十二月
日数三十一日と知れ
小の月については、
二月のみ二十八日、四六九
十一月は日数三十
また閏月(うるうづき)については、
閏月は四年に一度、そのときは
二月の末に一日を増す
として記憶することを教えてある。現に予のごときも、この歌について今もって月の大小を記憶している。昔より国学の方で弖爾乎波(てにをは)について教えた歌がある。
ぞるこそれ思ひきやとははりぬらん
これぞ五つの弖爾波(てには)なりける
また漢字の紛れやすき申甲、牛午、戌戊の六字の区別を歌で示したものがある。
申牛(さるうし)は出づるに出でぬ甲午(きのえうま)、
戌(いぬ)に点あり無きは戊(つちのえ)
かようにして記憶しにくいものを歌に作っておけば、後に思い出すことがたやすいものである。
一六 分解法
第七の分解法とは、一つの事柄を記憶するにそのことを分解して記憶の助けと〔す〕る方法である。たとえば歴史上一人の学者あるいは偉人を記憶せんとせば、そのひととなりを分解して、容貌はかくかくで風采はかくかくである。性質はかようであり、なになにの事業をなした人である。どこの国に生まれた人であって、なになにという子孫がある親戚がある朋友がある、というふうに分解して記憶すれば失念し難いものである。あるいは地名を記憶するにも、三河国では太平川、豊川、矢矧川という三つの川があるからその名が出たとして記憶し、美濃には各務野、青野、および関ケ原という三つの大きな野原があるからその名が起こった、というふうにして記憶すれば容易に記憶ができる。漢字の記憶法ではことにこの分解して記憶する必要がある。もと漢字は象形文字にして、それがだんだん集まって複雑な文字ができたのである。たとえば「天」という文字は一と大とを合したものである。一は二なしただ一のみの意味で絶大を表す、絶大とは比較する物のないということで、その意味から天ということが起こってくるのである。あるいは「正」という字は一の下に止という字を書いている。一を守って動かぬという意味からできた文字である。また「案」の字は木の上に安んずるという字を書いてある。これはもと倚(よ)りかかる机という字である。木の上に人が倚りかかって安んずるという意味からきた字で、木の上に倚りかかって、そうして種々のことを考えたり草案を作ったりするから、思案や議案の意味が起こってきたのである。また「過(すぐる)」という文字は過(あやまち)とも訓ずる。すべて物は度を過ごすとも過ちが起こる。また手扁(てへん)に合を書くと「拾」すなわち一〇の数になる。これは一本の手に五本の指が付いているから、双方の手を合わせると指の数が一〇本になる。それから一〇の数という意味が現れてくるのである。このように文字を分解して記憶すれば、大いに記憶の助けとなるものである。
一七 転気法
転気法というのは気を転ずるという意味で、これは記憶する場合よりも、一度記憶したことが後に思い出せぬ場合に気を転じて思い出すということである。たとえば机にもたれて考えている間にどうしても思い出せぬ場合には、庭を散歩するうち図らず思い出すものである。あるいは他の方面に心を転ずるとかえって分かるようになるものである。伊勢の松阪に本居翁の旧宅が残っているがそのまま保存してある。その家の二階に本居翁が毎日著書をしておった室がある。そこに鈴がいくつもつないで掛けてある。もと本居翁は鈴が好きで各種の鈴を集めておかれた。その種々音色の違う鈴をつなぎ合わして部屋に掛けておいて、書物を書いて退屈するとその鈴を鳴らしておられたということである。これは退屈の慰みとはいうものの、その鈴を鳴らして気を転じている間に種々の工夫が思いつくので、いわゆる記憶を促す一つの方法というてもよろしい。予の友人にはわからぬことがあると便所へ行く、便所で考えるとよく思いつくという人がある。あるいはまた風呂場が一番よろしいという人もある、分からぬときには湯に入って考える。これらもみな転気法というべきもので、気を転じて思い出す記憶法である。
一八 集注法
そのつぎの集注法とは心を一点に集めるという意味で、精神を心内に集中する方法である。よく人にはどう考えても思い出せぬ場合には目を閉じている人がある。この暝目するというのは目の方に精神が引かれるのを、それを内の方に集注するためである、あるいは夜、世間の寝静まった後に考えるとわからぬことが思い出せるというのも、目や耳に引かれる注意が心のうちに集まるためである。すべて学者が書を読んだり書物を書いたりするのに、夜更けてから一番よろしいというのも精神集中のためである。かように精神を内部に集中すればよく記憶することができ、また忘れたことも思い出すことができるからして、これも記憶法の一種と申してよろしい。
一九 作話法
最後に作話法とは、前に掲げた「連帯法」、「付加法」を引き延ばして、殊更に談話を組み立って記憶するということである。予の家の電話番号が五一二四であった。ちょっと記憶しにくい番号であるが、それを予は記憶するに友人に「五一」という名の人がある、その人はいま京都に住居している。京都は東京より西であるから「五一」という人はいま西にいるというふうに話を組み立って記憶した。またマジック・スクエアと称して、九個の数を三つずつ三行に並べて、縦からでも横からでも斜(はす)でも、どちらから読んでもその総和が一五になる。この数の並べ方が記憶しにくい。まずその数の並べ方は六一八、七五三、二九四という並べ方であるが、これを記憶するに一つの話を組み立って、
六一坊が頭へ蜂がさした、なんとさしたかというに、七五三とさした。ああ憎し憎し、ああ二九四
というて記憶することになっている。これらはすなわち作話的記憶術と申してよろしい。
以上述べたるところは世間一般に用うるところの簡便的記憶法であるから、これを総じて通俗的と名づけた。その法を一歩進めて人工的記憶をなすに至る。これを方術的記憶法と名づけておく。これより方術的の方面を述べてみたいと思う。
第四講 方術的記憶術
二〇 方術的記憶術の分類
以上述べたる通俗的記憶術に人工を加えて、器械的にその作用を進行せしむる術が、すなわち予のいわゆる方術的記憶術と名づくるもので、その方法は前の通俗的方法よりはやや複雑しているだけあって、必ず多少の練習を要し、また人より指南を受けなければならぬものである。今ここにその種類を七通りに分けてみたい。すなわち
第一、接続法
第二、寓物法
第三、心像法
第四、配合法
第五、代数法
第六、代字法
第七、算記法
二一 接続法
まず第一の接続法とは、ここになんらの連絡のない数個の記憶すべき事柄があって、その順序をたがわず記憶しようというには、一の事柄と他の事柄との間に接続すべき他の事柄をはさんで、これによって前後の連絡を図る記憶法である。たとえばここに
老人、梅、火鉢、手拭、浴室、帽子、名刺、客、障子
の九種の事柄があって、これをその順序どおりに記憶しようと思うには、おのおの事柄の間に連続すべき語をはさみ、第一の老人と第二の梅とについては、「老人が梅を愛する」として記憶し、第二と第三については「梅のそばに火鉢あり」として記憶し、第三と第四については「火鉢にて手拭を乾かしておる」と記憶し、第四と第五については「手拭を携えて浴室に行く」と記憶し、第五と第六については「浴室に帽子を忘れて帰った」として記憶し、第六と第七については「帽子の中に名刺をはさみおいた」と記憶し、第七と第八については「名刺を客に差し出す」として記憶し、第八と第九については「客が障子を開けた」として記憶するときには、その順序を誤らずして一から九まで記憶することができる。右はただ接続法の一例を示したに過ぎないが、すべてかような方法で一事項と他事項との間に接続すべき事項を入れて記憶すれば、前後の順序を誤らずして記憶することができる。しかしこれには多少の修練を要することで、未熟のものまたは機智に乏しきものは即時にその連絡を見出すことは難しい。もし人、毎日種々の事柄を並べ立ててその連絡を見出すことを工夫し熟練を積めば、ついにはたやすく接続を見出すことができる。また指南を取って先生より種々の問題を持ち出され、これについて毎日練習を重ぬれば必ず上達するに相違ない。
二二 寓物法
つぎに寓物法とは、物に寓(よ)せて記憶する方術である。その物とはなにか自分の最もよく知るところの家とか町とかを土台として、これを記憶しようという事柄を結び付けて記憶するのである。先年名古屋の市中で子守女がいたって記憶がよく、物の順序を誤らず記憶していた。もとよりその女は格別の教育もなく文字もほとんど知らぬと同様な者であったが、その記憶の良きには人みな感心し、これにはなにか工夫があるかとだんだん聞きただしてみたところが、同人は自分の一町内を一軒ずつよく記憶している。隣に酒屋があり、そのつぎに呉服屋がある。そのつぎに紙屋があり、そのつぎが小間物屋であるというぐあいに、町内の一戸一戸を隅から隅までよく記憶している。これを基礎材料としてこれに記憶しようと思う事柄をいちいち当てはめてゆく。第一は隣の酒屋に結び付けるとか、そのつぎは呉服屋に結び付ける、そのつぎは紙屋に結び付けるというぐあいに、一軒ごとに当てはめて記憶しているから、誠に順序たがわず思い出すことができる。かくのごとき類をいわゆる寓物法と名づけるのである。あるいはまた自分の家を記憶の土台としてもよろしい。たとえば初めに門がありつぎに玄関があり、そのつぎに客間がありそのつぎに廊下があり、そのつぎに茶の間があるというぐあいに、一家の内は隅から隅までよく承知しているからして、これに番号をつけて第一は門であり第二は玄関、第三は座敷というふうに定めおき、これに記憶しようと思う事柄をいちいち順序を追うてその番号に結び付け、初めに記憶すべき事柄が「犬」であるならば今犬が門に寝ている、そのつぎに記憶すべき事柄が猫であるならば猫が玄関に出ているというふうにして順序を追うて記憶するのである。あるいはまた自分のからだに結びつけてもよろしい。からだといえば「頭」を第一とし、そのつぎは「額」そのつぎが「目」そのつぎが「鼻」そのつぎが「口」というぐあいに順序をつけてそれに番号を付し、かついちいち記憶すべき事柄を当てはめて覚えるのである。あるいはまた一年一二カ月を土台と定めてもよい。たとえば記憶すべき事柄は、第一は正月の松飾りに結びつけ、第二は二月の初午、第三は三月のお雛様に結び付けても物の順序を覚えておくに都合がよい。かくのごとき記憶法を予は仮に寓物法と名づけた。すなわち一定の外物に依託する方法である。
二三 心像法の解釈
そのつぎの心像法とは、前の寓物法を心内に移し想像をもって一定の記憶の原形を心面に描き現す方法である。いわゆる心像を作ってそれに当てはめて記憶するのである。前には名古屋の女が自分の町内を記憶の土台としたという話をしたが、自分の町内でなくわが心のうちに想像をもって一つの町内を作っておいてよろしい。あるいは想像をもって心のうちに格段なる一定の家を描き現しておいてもよろしい。心内に想像を描くことは人によって明瞭不明瞭の相違はあるけれども、熟練を積めばハッキリして実際ありしがごとく心の中に見えるようになるものである。盲人のごときは目を開いて見ることができないからして、心のうちの想像をもってすべての景色や事柄を描き現すに巧みである。あるとき伊豆の熱海から小田原まで来る途中、当時は車道も開けずして人力は通ぜず、わらじがけで歩いて来るころであったが、途中に盲目按摩(めくらあんま)が二人つえをつきながら歩いておった。両人同士話しているところを聞くと、確かに将棋を指しているようである。そこで予は両人に向かい「今話しているのは将棋ではないか」と聞いたところが、「ハイ熱海へ出てからズッと今まで将棋を指し通している」と答えた。将棋盤もなければ駒もない、歩きながら将棋を指せるとは何故であるか、彼らは盲目であるだけ心のうちの想像がハッキリ現れてくる。すなわち心像の上に将棋盤を現し、その上で右から何番目とか左から何番とか将棋盤の上に番号を付して、そこへ将棋の駒を運んでいるのをお互いに心像の上に現して話をしているのである。予はこれを聞いて、盲人はかえって目あきより便利なものであるということを感じたことがある。目のあいている者はこういうように歩きながら将棋を指すことはできない。また盤と駒がなくてはこれまた指すことはできない。彼らは目のないおかげで長い道を歩きながら退屈もせずに歩いている。このように心のうちに種々の想像を描き現して、それを記憶の土台とするのが心像的記憶術である。
二四 心像法の図式
まずこの心像法によりて記憶しようとするのには、種々の方法はあるけれども、その中に最も簡便なるものは心の中に一定の形状を有し、一定の区画を有する室を描き、それに一、二、三の番号を付して、事柄の少ないのは九つか一〇でよろしいが、多いのになると二〇、三〇、あるいは四〇、五〇の区画のあるものを心の中に描き現し、しかしてその順序を追うて一番から二番三番と結び付けて記憶するものである。今、仮に九個の区画を備えたる一室ありと定め、その各室内に記憶すべき事柄を結び付けることを工夫する一例を挙げてみよう。
たとえば前に掲げたる老人、梅、火鉢、手拭、浴室、帽子、名刺、客、障子、この九通りの物を記憶しようと思わば、第一室に老人が座っているという心像を描き、第二の室には鉢植えの梅花が開いているという心像を作り、第三室には火鉢そのものの心像を現し、第四室には手拭が柱に掛かっているということを描き、第五室には浴室の設備を描き、第六室には帽子が掛かっている。第七室には名刺が置いてある。第八室には客が座っている。第九室には障子がはまっているというように、そのものの状態をなるべく明らかに心像の上に描き現して記憶するのである。もしその記憶すべき事柄と連絡をしっかりつけようと思わば、九つの各室に一定の物品あるいは一定の装飾をかり定め、第一室にはいつも火鉢が置いてあるとか、第二室には碁盤が備えてあるとか、第三室には山水の掛物があるとかいうぐあいに、必ず一定せる物をその室に結び付けて心像の上に浮かべておく。そうして記憶せんとする事柄をその各室における一定の物に結び付けて心にとどめるようにすれば一層記憶しやすきものである。あるいはまた十二支に合わせて子(ね)の室、丑の室、寅の室というふうにし、各室に鼠、牛、虎を配置して心像を作っておいてもよろしい。あるいはまた一二カ月に配当して一月の室、二月の室、三月の室というふうにして心像を作っておいてもよろしい。もしまた今掲げた九つの区画あるものを四方の隅を二つに分けるときには、そのまま一二に配当することができる、すなわち乙図のごとし。
かく一二区域を形作り、これを一月より一二月までに配当し、あるいは十二支に配当し、第一の区域は正月または子に配当し、もし老人を正月に結びつけようと思わば、老人が正月にその室において屠蘇(とそ)を傾けているという心像を形作り、第二室を二月としてこれに梅を結び付けようと思わば、二月紀元節に梅をみて祝意を現しているというようの心像を作る。またこれには東西南北の方位を結び付けて記憶の助けとすることもできる。もし一二区域だけでなお不足と思わば、かかる室をいくつも心像の上に描き現すようにするがよろしい。すなわち丙図のごとし。
この一二区画のものを四つ並べて四通りの大きな室を作り、その内部をおのおの一二に分け、これを記憶の土台として、一から一〇でも二〇でも、都合四〇人まではこの中に当てはめて記憶することができる。ここに一つの大きな室を作るよりも、一定の九つか一二区域ある室を並べてそのいちいちに当てはめる方がかえって記憶に便である。かくのごとくして記憶するのを、これを心像的記憶法と名づけたのである。
二五 配合法の解釈
配合法とは第一の接続法と第二の心像法とを結び合わしたる方法であって、あらかじめ記憶を託すべき形式を心の中に定めて、これに記憶しようとする事柄をいちいち配置してゆくのである。すなわち心像の上に原形を作っておいて、これに記憶すべき事柄をいちいち当てはめて、その間の接続法を研究してゆくのをここに配合法と申すので、つまり前に述べたるものをうまく応用してゆく方法である。たとえば寓物法の自分の身体をもって記憶の土台とするというについては、心像の上に描ける一定の室の第一区域に頭を置き、第二区域に額を置き、第三区域に目を置いて、これに記憶すべき事柄を当てはめてゆく。あるいはまた一町内の酒屋、呉服屋、紙屋というのも、これまたその心像の一定の区域の中に当てはめて、第一区域に酒屋があって第二区域に呉服屋があり第三区域に紙屋があるというふうにして、それに記憶すべきことを連絡して覚えているというふうに、形式と実質とうまく配合を図ってゆくことである。
二六 配合法の実例
かかる人工的記憶術は西洋でばかり発明したものかと思うとそうでない、わが国においても昔から伝わっている。その証拠には古い書物に『物覚え秘伝』と題する一冊の本がある。それは明和八年の発行としるしてあって青水先生の口授としてある。この書はあながち青水という人が発明したのでもなく、その以前から秘伝として伝わっていたものらしい。ここにその書物の中に書いてあることを転載しておくことにする。明和八年といえば今より一四七年前に当たる。
物覚え秘伝
ある童子、論語の学而第一(がくじだいいつ)という、学而の二字を覚えず。師の教えに従っていったんは読むといえども、師をはなれてはまた忘る。そのとき師の曰く、ガクジとは字をかくと心得よと教えられたり、これより再び忘るることなし。ただ忘れやすく覚え難きは読書なり。年来小児に読書を日課せしむるに、かくのごとく魯鈍(ろどん)の小児といえども、この法を用うるときは覚えずということなし。ただ小児の耳にも人りよく、諭しやすきたとえを取りて教うるときは、再三熟読するに及ばず、しかも終身記憶して忘るることなし。これらのことは、しれたる道なれども、その術はなはだ卑近なるをもって、学者の口より発するを恥ず。この書に示教するところは、少しも高遠の術にあらず。もし高遠ならばいかんぞ幼蒙に達せんや。故にその卑近なるを主として教えたるものなり。しかればいやしき俗話俗諺および小児の訛言(かげん)までも、取り拾うてこの術の助けとなすときは、無用の用あり、この術をゆるがせにせずして久しく修行せばその功益大なるべし。しかればひとり小児読書の一助のみならず、あるいは途中馬駕篭(うまかご)にて筆紙の備えなく、あるいはその場に臨んで、記憶せざれば成りがたきとき、みなこの法を用うべし。
依託種子
この法に依託あり種子(たね)あり。たとえば学而の縁を借りて字を書くというに取る、これを依託という。詩の賦比興(ふひきょう)のこころなり。また依託のうちに一二三四等の次第あり、これを種子という。依託すといえども、種子なくしては繁文を憶すべからず、次第を知るべからず。しかれば依託せんと欲せば、あらかじめ種子を記憶すべし。種子というは体なり依託は用なり。種子の体は静かにして動くことなし。依託の用は千変万化して働くものと知るべし。
種子とは、たとえば人身の正面にかたどりて、頂きを第一とし、額を第二とし、眼を第三とし、鼻を第四、口を第五、喉(のど)を第六、乳を第七、胸を第八、腹を第九、臍(へそ)を第一〇とす。また人体の右辺に取りて、右の鬢(びん)を第一とし、右の耳を第二とし、右の肩を第三とし、右の臂(ひじ)を第四、右の手を第五、右の腋下(わきのした)を第六、右の脇を第七、右の股を第八、右の膝頭(ひざがしら)を第九、右の足を第一〇とす。また人体の左辺に取りて、左の鬢より左の足に至ること、右辺に同じ。以上、正面一〇、右辺一〇、左辺一〇、すべて三〇則をよく覚えいて、これを依託の種子とするなり。
依託の法
たとえば、なにによらず暗誦すべきこと品々一〇カ条もあるとき、人身正面にていわば、第一の称は頂きなり。この頂きへなににても第一条の品に縁あるべきことを思慮してたとうるなり。さて第二の種は額なり。この額へなににても第二条の品に縁あるべきことを思慮してたとうるなり。第三の種は眼なり。この眼へたとうること前に同じ。かくのごとく第四、第五、第六、第七、第八、第九、第一〇の臍までにて、一〇カ条の品々をことごとくたとえ終われり。そのたとうることは、およそ世間にあらゆることを観念し、あるいは俚諺(りげん)、写白字(あてじ)、謡曲(うたい)、浄瑠璃(じょうるり)、流行辞(はやりことば)、なにによらず卑俗なることをも論ぜず、あるいは心中にて絵様をつくり、あるいは眼中に土地の景色を観じ、その品々の縁を取るなり。これ、自身の心裏に含める合符(あいふ)にして、他人に言い聞かすべきことにあらねば、人々の才智才覚にて、千変万化、数も限りもなきことなるべし。
器物験証
ここに老人あり。器物の名目を人の語れるまま、ただ一度聞きてよく暗誦せり。その器物とは
手拭 火鉢 毛氈(もうせん) 硯箱 琴 末広 文箱 鏡 鍋 茶碗
以上一〇種、いかがして記憶せりやと問う。答えていう、第一の頂きに手拭を置くとたとえ、第二の額に火鉢の火をたとえ、第三の眼に物見せる、もうせんとたとえ、第四の鼻に、すずばな、すずりとたとえ、第五の口に、言葉の琴をたとえ、第六喉に、咽喉を通れば末は広しとたとえ、第七の乳に、文箱に房あり、乳房とたとえ、第八の胸に、胸の鏡とたとえ、第九の腹に、鍋いっぱいの食は腹ふくるるとたとえ、第一〇の臍が茶を沸かすとたとえ、
第 一、頂き(手拭)
第 二、額(火鉢)
第 三、目(毛氈)
第 四、鼻(硯箱)
第 五、口(琴)
第 六、咽喉(末広扇)
第 七、乳(文箱)
第 八、胸(鏡)
第 九、腹(鍋)
第一〇、臍(茶碗)
右のごとくにして記憶せりという、みなみな大いに絶倒す。これ一、二、三の次第は、頂きのつぎは額、額のつぎは目、目のつぎは鼻というならびをもって知るなり、そのならびを、下より数うれば、臍に茶碗は一〇番目、腹に鍋は九番目などと、逆さまにも知るなり。およそ箇条の次第あるものは、いずれもこれに準知すべし。また物数多く、二〇品もあらば、左辺の種を用いて、左の鬢を第一とすべし。三〇品ならば、右辺の種を用うべし。また手拭を頂きに置くとたとえ、火鉢に額とたとうる類は、その人々の心中にての憶符なれば、ただいかようなりとも覚えよきようにたとうるを肝要とす。
心 法
その箇条の色々品々を他の人に言わせ、われはその言葉を聞きいて記憶す。もっとも二条一種を聞くとても、目を閉じ雑念を生ぜず、心胸の間を清朗にして安静ならしむべし。これを覚心という。さてその種へその品をたとえ終わるまでは、つぎの品を聞くべからず。あるいはその種に一向たとえの工夫つかぬもあり。しかれどもよくよく憶度(おくたく)すれば、ついにたとえの縁出ずるなり。そのときつぎの品を聞くべし。幾品ありとも、末までかくのごとし。また第一の種は頂きなり。この種にその品の縁を設けて、すでに頂きへ預けたれば、これにて第一の種の役は済むなり。たとえば器物に物を入れて錠をおろし預けおきたる心持ちなり。もしおぼつかなく思い、半ばに及びあとへ返し見ること悪し。総じて記憶せんと欲せば、始終両眼を閉じて心を丹田(たんでん)におとし、憶念すること肝要なり。
形有有無
総じて万種の無形のものを記憶するには、有形の物にてたとえ、また有形の物を記憶するには無形の物にてたとうるなり。これ斯道の一大緊要の秘策なり。有形の物とは人倫、鳥獣、器財、草木、衣食、宮室の類、しかと目に見るものをいい、無形の物とは言語、数量、時候、虚態門の類の、目に見えざるをいう。
繁 文
繁文とは、箇条あまたあるをいう。王代および年号の列名、あるいは人数の列名、あるいは『源氏』六十四帖の外題、あるいは『蒙求(もうぎゅう)』評題、および六十四卦の名などは、無形のものにして、しかも前後の次第あり。これらを記憶せんとならば、人体にては種少なし。故に種を広く取ること肝要なり、人家の屋造等を用いて可なり。
人家種子
(一)総 廓 (二)門 (三)中間部屋 (四)玄 関 (五)襖
(六)使者の間 (七)広 間 (八)大 座 敷 (九)床 (一〇)違 い 棚
右第一節
(一)障 子 (二)縁 側 (三)廊 下 (四)茶 室 (五)坪 内
(六)手 水 鉢 (七)飛 石 (八)柴 垣 (九)樹 木 (一〇)雪 隠
右第二節
右の類その余はこれに準知すべし。総じて自己の居住先に見るところを第一の種とし、そのつぎに見るところを第二とし、そのつぎを第三第四とす。かくのごとく平生居室の具を用いて記憶の種とせば、幾品幾色もあるべし。ただし動かざる道具を用う。ここかしこへ持ち歩く道具などを取りて種とせば、次第みだれて悪(あ)しきなり。
『源氏』験証
たとえば『源氏』六十四帖の名目を暗記せんとせば、まず第一は総廓(そうくるわ)なり。その廓の傍らに常に桐の木を植えたりとたとえ、第二は門なり。門の内に箒木(ははきぎ)ありと覚え、第三は中間(ちゅうげん)部屋なり。この部屋に人なし、蝉の抜け殼とたとえ、第四は玄関なり。これへは使者の顔の出ずる所と覚ゆ。その余はこれに準知すべし。しかれば第一に桐壷、第二に箒木、第三に空蝉(うつせみ)、第四に夕顔と知る。これはわが居住の第一には総廓あり。そのつぎにはわが屋敷の門あり。そのつぎには中間部屋あり。その向かいは玄関なりと、もとより覚えているところへ、今の名目の縁を取りて心覚えして、それぞれへ預けたる故、おのずから一、二、三の次第みだるることなく、逆さになるともまたは一つはざめになるとも、自由自在に記憶せらるるなり。
種有多少
種に取るべきものは、わが面部手足の親しきにしくはなし。これにても不足なれば、自分の居住を用う。商家などは一を入口、二を敷居、三を中庭、四を中戸、五を上り口などと取るなり。その箇条あまたありとも、一〇種を一節とし、またそのつぎの一〇種を二節とし、三節四節と一〇種ずつに限るべし。自分の家にて不足せば、よくよく案内を知りたる他の家をも目付けとして不足を補うなり。あるいは町に竪横の名、あるいは一町の内にて商人(あきうど)の隣ならび、米屋酒屋等、またはその土地の名所、旧跡、寺社等、東西南北のならびまたは江戸海道五十三駅の次第等を、よく覚えたる人ならば、それを目付の種に用うべし。
総 論
総じて物事書き付けにして記憶し、または書籍などに預けおき、それを暗誦せんとすることかえって遅し。ただ他人の誦するを自身聞きいて、目を閉じ心を沖漠にして、この教えのごとくなすときは、早く暗誦すといえり。
物見知の秘伝
たとえば広間に客一〇人列座す。ある人一見して、つぎの間に入るに、屏風を隔てて、その人数の座並またはその人の紋衣服の色をいうに、あるいは上座より下へ五番目の客は桐の紋に花色の衣服、下座より上へ三番目の客は柊(ひいらぎ)の紋に萠黄(もえぎ)の衣服などという。これを見るに果たして違うことなし、人々不思議に思いしとなり。
この法は、前の器物一〇種の記憶のごとし。第一の客、紋と色とを頂きとし、第二座の紋色を額とし、三座は目、四座は鼻と、人身の種にたとえ託して第一〇座臍に終わる。ただし記憶の術は、目を閉じて黙観するのみなり、この物見知りは、目を開き見るうちに、一物二種という簡法あり。これ物を見知る秘伝なり。
一物二種
それ諸物の数々あるを一覧して、逐一これをつまびらかに認めんとすることよろしからず。たとえ認めたりとも、やがては紛るるなり。ここをもつて見知るべき物を二色に極むべし。もはや三、四色に及べば必ず忘れやすし。その物数は幾品ありとも、ただ二色を目印とす。これを一物二種という。その二色は、大じるし小じるしなり。たとえば海上に同じようなる船あまたあり、陸には同じようなる騎馬あまたあり。ただし船には船じるし馬には馬じるしあり。これ大じるしなり。その大じるしのうちにて自分の心覚えなれば、舟にては幕のぼりの類、馬にては手綱、鞍(くら)、鐙(あぶみ)の類にて、いずれなりとも一色に見知りを付ける、これを小じるしという。その小印は、舟は幾艘ありともあるいは幕ときめ、馬は何足ありともあるいは手綱ときめる類をいうなり。この一色ずつは、はなはだ見覚えやすきことなり。これを人家の種子などにたとうるなり。右の客一〇人列座するには大じるしなし。かようなるはなににても三色ずつのしるしを見て、人身の種子にたとうるなり、これ大印なきときの法なり。さてまた紋と色とに限らず、あるいは紋に柄糸、または柄糸に帯の類、なににても心に任すべし。たとえ紋も色も相同じき人ありとも、種子のたとえどころ、違いあるゆえ紛るることなし。その余はなお口訣(くけつ)多し。およそ一切目に見る物、この心得を用うるときは、よく物を見知るといえり。
この一例によって、わが国にも古来かような記憶法を工夫した人があるということが明らかである。これはまさしく配合法の適例であるから、ここに全文を引用して例証にした。
二七 代数法の仮字式
第五の代数法とは、仮名もしくは漢字を用いて数量を代表し、これを記憶の助けにすることにて、これにも種々の方法がある。すべて数の記憶はいたって困難であるが、それを仮名や漢字を当てはめて記憶するとかえってたやすくなるものである。前に略記法について一言したことがある。たとえば一二三四を「ヒフミヨ」の仮名字によって表すがごときは、いわゆる略記法である。この方法の一層複雑になったのがいわゆる代数法で、たとえば「七石六斗三升二合」を記憶するに、その略称は「ナムミフ」である。もし「ナムミフ」ではいまだことばをなさぬと思わば、これに他の仮名を添えて「ナムアミダブ」として記憶するときはたちまち一つのことばをなし、たやすく記憶することができる。そのときにはアとダは助字で数量を表さぬものと心得おかねばならぬ。多少助字を加えて意味のある語を作るか、口調のよきことばを作るのが記憶を助くるに必要である、またイロハをもって数字を表示してもよろしい。ここに甲乙二表を掲げてイロハをもって数を表示することに定めておく。
この二表中、いずれによるも適意である。まず甲表によって述べると「イルナケミ」の仮名は一を表し、「ロヲラフシ」は二を表するものとして、以下九、〇に至るまで五つずつの仮字を配当し、その中の仮字に要するところの数名に従い随意に結び付け、なるべく記憶しやすく多少意味を含み、口調のよきようなことばを作るがよろしい。たとえば三九九〇円すなわち三九九〇を記憶するに、甲表によるときは「ハツユメ」すなわち初夢の語を組み立て得られて、乙表の方もこれに準じて知ることができる。今また更に五十音を数字に配合して記憶することも同様である。五十音の方が人によく記憶されるからかえって数を記憶するに便利である。すなわち五十音のア行をもって一を表すものとし、カ行は二、サ行は三として、その行中に仮名を数に応じて適意に結び付け、なるべく記憶しやすき語を組み立てるようにするのである。たとえば七四万四二六九を記憶するに「メデタキハル」(芽出度き春)の語を用うればできる。左に五十音表を掲げておくことにする。
およそ歴史の記憶中に、人名地名よりも年代を記憶することは困難なものである。たとえばナポレオンのワーテルローの戦いは西暦何年である、コロンブスのアメリカ発見は何年である、というようなことは覚え難くまた混同しやすきものであるから、それをこの五十音の表に当てはめると都合よく記憶することができる。たとえばコロンブスのアメリカ発見は西暦一四九二年である。これを五十音の表に照らすと一はア行である。そのア行の中から初めの「ア」を取り、それから四〇〇の四はタ行である。タ行の中から「テ」を取る。それからつぎの九〇の九はラ行である。ラ行の中から「リ」を取り、そのつぎの二はカ行である。カ行の中から「カ」を取り、これを組み合わせると一四九二年がアテリカとなる。そこでコロンブスが発見したる土地はアメリカにして発見せる年はアテリカであるとして記憶すれば、たやすく年代を覚えることができる。右はただ一例を挙げたに過ぎないが、すべてこのようにして仮名や文字をもって数字の代表にすると大いに記憶を助くるものである。
二八 代数法の漢字式
もう一つここに漢字をもって数の代表とすることも一言しておきたい。漢字の中には扁(へん)のあるものと扁のないものとがある。その扁の二画もあれば三画もある。そこで扁のないものをもって一を表し、扁のある中で二画の扁は二を表し、三画の扁は三を表すものとし、四画は四、五画を五というふうにして〇までを形作る。そうして扁も冠もないものをもって一位を表し、扁はなくても冠のあるものをもって〇を表すものとし、左の表のごとくする。
一 天 東 事 白 同 民
二 仙 冰 剣 功 印 叔
三 咽 地 婦 孫 帷 待
四 性 独 時 梅 江 灯
五 珠 畔 眠 碑 秋 神
六 精 船 経 肺 蛙 袂
七 財 話 蹄 道 邦 醒
八 銀 陽 肆 雄 静 隷
九 靴 頂 驕 鯉 鶴 齢
〇 室 屍 笠 菊 雷 開
かくのごとく漢字と数とを配当しきたって、もし数量を語句で表そうと思えば、たとえば一七八を「衆議院」の三字で示し、四〇七一を「浅草観音」の四字で表すことができる。まず浅草観音という文字を検すれば「浅」は扁のある文字でその扁が氵(さんずい)である、氵は四画の扁に属するからしてこれを四とする。そのつぎの「草」は扁がないけれども艹冠(くさかんむり)があるとすればこれが〇に当たる。つぎの「観」の字は旁(つくり)の見の字で引く文字で、その見は七画であるから七を表す。そのつぎの「音」は扁も冠もないからこれは一を表す。こうして判断してゆけば「浅草観音」が「四〇七一」であるということがたやすくわかる。これらを称して代数的記憶法と名づけるのである。昔時わが国の商家にてこのいわゆる代数法で物品代価を記憶することになっていた。すべて商家は代価を客に知らせぬように一の符牒を用いる。いわゆる暗号法である。たとえば一二三を暗号で「フクハキタリメデタヤ」あるいは「アキナヒタカラブネ」と符牒をつけて数に配当するのもある。前者によれば「フが一」「クが二」「ハが三」であるというようにして代数法を用いたものである。
二九 代字法の仮字数字合用法
つぎに代字法とは、これは前の反対で、数をもって仮名や漢字を代表する方法である。この方法は暗記暗誦の助けよりもむしろ筆記あるいは暗号の助けとなるものである。その仕方はいろは四十七字もしくは五十音に一二三四の数字を配合して、たとえばイを一とし、ロを二とし、ハを三とし、ニを四とするというように定めて、数字をもって文字を代表する方法である。あるいはまた漢字を代表するに数字を当てはめることもある。たとえば一を人とし、二を獣とし、三を鳥とし、四を魚、五を虫、六を木、七を草、八を天体、九を無機、十を無形とするがごとき類である。これを適用する方法はどうかというに、たとえば同じカミという語においても髪もあれば紙もあり神もある。いずれを意味するか混同しやすい。もしこれらをすべてカミは「カ」をもって表すということにした場合に、これに一二三の数を配当して「カ一」は人体の髪を表示し、「カ九」は品物の紙を表し、「カ十」は無形の神を表すものとしてその区別を表すことができる。また「ヒ」は太陽の日もあればガス灯の火もあり蛍の火もある。これを表すに「ヒ八」は日を表し、「ヒ九」はガス灯の火を表す。また虫は五であるから「ヒ五」は蛍の火を表すということができる。かくのごとくするときは仮字を活用して種々の意味を代表させ得らるるから、漢字を知らざる人にはこれは大いに重宝である。この方法は数字をもって代表するにあらずして、仮名に数字を加えて漢字を代表する方法である。すでに前に示した略記法についても仮名の一部分を取って記憶するという方法であるが、その不便な点は他の同音なる事物と混同するのおそれがあることである。たとえば「カ」というときは雷も蛙も柏の木も鴨もみなカをもって表すとすると、雷のことやら蛙のことやら鴨のことやら、場合によっては大変な間違いも生ずるのだから、それを区別するにはやはり数字を結び付けることが必要である。木に属するものなれば「カ六」とし、鳥に属するものなれば「カ三」とする。かくして混同を避けることができる。もしまた今一層微細に数を配当し区別しようと思ったならば、獣類にも一〇種類二〇種類と分かち、草木にも二、三〇種類を分かち、その各種に数字を配当して仮字に加えておけば多くのものを表すことができる。
三〇 代字法の数字単用法
以上述べた方法は仮名と数字とを双方用うる方法であるが、また別に数字のみにて文字を代表する方法がある。しかしその方法は人々の工夫によって種々分かれ、決して一定することはできないが、今ここに一種の方法〔次ページの表〕を挙げて他を略することにしようと思う。
この表のごとくに数をもって漢字を表すに一ノ一を天、一ノ二を地、一ノ三を玄、一ノ四を黄、二ノ一は秋、三ノ二を生というぐあいに、番号をもって漢字を代表するのである。あたかも大工の符牒がへノへというがごときものである。シナには仮名がないから電信の符牒がやはりこの一ノ一、二ノ二というような数をもって文字を代表する方法を用いている。現在普通の用うるところの漢字をことごとく数にて代表したいと思わば、字の扁をいちいちこの数に当てはめ、たとえば亻(にんべん)は上行の一をもって表し、口扁は上行の二をもって表し、木扁は上行の三というように定め、また字の旁(つくり)は左方の一二三をもって表す。あるいはまた字書に挙ぐるところの
等…
七 遐…
六 周…
五 始 制…
四 菜 重 芥 薑…
三 金 生 麗 水 玉 出…
二 秋 収 冬 蔵 閏 余 成 歳…
一 天 地 玄 黄 宇 宙 洪 荒 日 月…
一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 等
扁の順序に従いこれに数を配当して(一)を一、(ー)を二、(、)を三、(ノ)を四、(乙)を五、(亅)を六、(二)を七等とし、かくのごとくしてあらかじめ一種の表を作り、これにいちいち当てはめてみるときは、数万の文字といえども必ず数をもって代表することができる。もしその実用に至っては、人々の工夫によって最も自分に適当と思い便利と思う方法を用うるがいい。この代字法は多少記憶の助けにはなるが、なかんずく漢字を知らざる者に難しい漢字を避けて記憶させるに便利な方法である。
三一 算記法
第七の算記法とは、珠算の上に文字を記し、珠算をして筆算に代用せしむる方法である。これも一種の記憶法とみなしてよろしい。この方法は予が新たに工夫せしものにして、もしこれを世間で実行するに至れば多少の便益あることは疑いない。その方法を実行するに当たって第一に要するところは算盤(そろばん)の改良である。その改良の仕方は算盤のふたの上面を硝子(ガラス)で作り、ふたをいただかせておいてガラスを透して内部の珠が見られるようにしなければならぬ。またそのガラス板の内側に細き横木を付けて、ふたをしたときに算盤を動かしても珠の位が変わらないようにしておかなければならぬ。ふたをすればその内側の横木が珠の位置を押さえて、算盤を動かしても珠が動かないようになるのである。この方法は算盤で記憶するの要があるのみならず、商家にてこれを用うれば、前日計算して得たるところの結果を殊更にこれを紙の上に写し取らずとも、算盤のふたをしておきさえすれば翌朝までその金額のなにほどであったかを上より見ることができる。たとえば夜分勘定し終わって金庫中にいくばくかの金高あるかを算盤上にしるしおけば、翌朝にその算盤を見て金庫の中にいくら入れたということがすぐにわかる。あたかも算盤が一時の帳記の代用するわけである。
さて今その方法としてここに五十音を数に配当し、五十音が一〇行五〇字ずつなるをもって、その一〇行を一より十までに配当し、その五字もまた一より五までに配当する方法である。すなわち上図のごとし。
ア行は一、カ行は二、サ行は三、ないしワ行は十となり、またアは一、イは二、ウは三、エは四、オは五となる。それからカは一、キは二、クは三、ケは四、コは五となる。その他はこれに準じて知ることができる。しかしこの行数を表示するところの数はこれを行位数といい、各行の字を表示するところの字位はこれを字数という。すべて五十音中の一字を表示するに算盤の二桁(けた)ずつを当てる。つまり二桁をもって一字を表示する割合である。この二桁の左の方を十位とし、右の方を一位とするときは十位の所に行位数を置く。一位の所に位数を置き、この二位合わして一字を組み立てる方法である。たとえば「ア」を表さんとするときは行位数も字位数もともに一であるから、算盤にては十位および一位ともに一であって、すなわち一一となる、また「カ」を表せんとするときには行位数〔二〕にして、字位数一であるから算盤では二一となる。また「シ」を表さんとするときには行位数三にして字位数二である、故に三二となる。「ト」を表さんとするときには四五となる。その他はこれに準じて知るべしである。ここにその一例としてカミ(紙)なる二字を算面に表さんとするときには、四桁を用いて二一、七二となる。すなわち甲図に示すごとく左方の初めより一桁ずつ右の方に数え送り二一、七二と置くのである。またショモツ(書物)という四字を表そうとするには乙図のごとく三二、八五、七五、四三となるから、この八桁を用いなければならぬ。右のごとく算盤の桁数の大いなるほど長い語を表示することができる。たとえば「キミアスキタレ」(君明日きたれ)の語は一四桁で表す、二二、七二、一一、三三、二二、四一、九四となる。ただしここに一つ注意すべき点はワ行の一段である。たとえば「ワ」を表すには十一にして、普通の算法では十に達すれば上の位に送り上げる例となっておれども、この五十音の「ワ」を表示するときには十数にみちても上の位に送らざるようにしなければならぬ。もう一つ注意すべきは五の数は上の珠を下すを例とすれども、この算記法では五までは下の珠で扱い、六以上に至ったときに上の珠を加えることにしなければならぬ。その他なお注意すべきことは濁音を表す方法である。この場合には字位数に上の五珠を加える。半濁音の場合にもまたそのようにしなければならぬ。たとえば「サ」を表すには三一なれども「ザ」を表すには三六となし、また「ハ」を表すには六一なれども「バ」もしくは「パ」を表すには六六とするの類である。これを要するに字位数を表す桁の五珠は、濁音もしくは半濁音を表すものと見るのである。その一例として「ワガママ」(我侭)を表すには、丙図のごとく十一、二六、七一、七一となり、「コンブ」(昆布)は丁図のごとく二五、七三、六八とする。なおここに「ン」は「ム」を当て七三をもって表すものということを知らなければならぬ。たとえば「シンネンメデタシ」(新年目出たし)の字を表さんとせば三二、七三、五四、七三、七四、四九、四一、三二をもってすればよろしい。その他これに準じて知ることができる。
以上の方法は予が案出したる工夫にして、簡単なる語は算盤の上に表して紙筆を用いる代わりとする記憶法である。前の代字法中、数字をもって漢字を代表する方法を算盤に適応すれば、漢字も算盤にて記憶することができるわけである。
三二 方術的記憶術の批評
以上述べたる方術的記憶法は、世間においては秘伝として伝え入門料伝授料を要求することになっておる。その広告のごときは売薬屋の広告と同様で、一度この伝授を受ければいかなる者もすぐに記憶が強くなる。決して忘れないようになると吹聴している。一時は記憶術流行の時代があって、あたかも近年の透視眼同様に諸方に記憶術発明者が現れて当時世間を動かしたことがある。その流行はただいまでは下火になってはきたが、しかしいまだに方術的記憶術によって記憶を進めたいというて望む者は世間にずいぶん多いようである。そこで果たしてこの術は世間の望むがごとくに、記憶の悪しき者がたちまちよくなり、忘れがちの者が物忘れしないようになるかというに、そううまくはゆかぬ。もとより記憶術を営業にする者の吹聴するところは売薬屋同様で信ずるに足らないけれども、この方法について果たしていくぶんか希望をみたすことができるか否やというに至っては疑わしい次第である。さきにも述べたるごとく、人間には欲望が強いために一攫千金の望みを起こすと同様で、記憶の方面においてもいわゆる一攫千金的成功を得たいという望みから、記憶術の秘伝があると聞くと、これによって一足飛びに大学者にもなり大智者にもなろうという考えを起こすようになる。それは畢竟人間の迷信である。すなわち記憶術によって一足飛びに智者学者になろうというのは、あたかも相場によって大金持ちになろうと望むのと同様である。相場の方は一〇〇人に一人ぐらい当たることもあろうが、記憶術に至っては一〇〇人に一人の割合に至ることもおぼつかない。これよりその理由を述べておきたいと思う。
三三 方術的記憶術の難易
そもそも方術的記憶術は人工的記憶術にして、なお換言すれば機械的記憶術である。その記憶術によってよく記憶しようというのには、第一に心像の明瞭なることを要する。われわれが心のうちにハッキリ心像が現れてこないというと記憶術の効能がない。それからまた機智に富んだ者でないとこれまた記憶術の効能がない。すべて人工的記憶術は一つのことを記憶しようとするとき、必ずこれに類似のものまたは関係あるものを心の内に呼び起こしこれに結び付け、その力によって記憶するのである。このときにはただ心像が明瞭になるのみならず、速く適当なる連想を呼び起こす働きが必要である。世間の人の中で生来機智に乏しき者は一の事柄と他の事柄を連絡することが容易でなく、したがってその連絡が不完全になってくる。これに反して機智に富んだ者は即座に記憶しやすい事柄を思い出して、よくこれと結び付けるから、機智の生来いかんによって記憶術の成功の難易が分かるる次第である。とにかく機智に富むと否とは方術的記憶術に大関係があるわけである。
これに関して今一つ注意すべきは、記憶せんとするに当たり外の事柄をよび起こしてこれと連絡させる場合に、その連絡をよく誤らぬように記憶する力がなくてはならぬ。もしその力がない場合には連絡をつけておいてもその事柄を忘れてしまう。たとえばわれわれが一つのことを記憶したいと思うと手帖に控え、手帖をもってこの代用としている場合に、物忘れする者はその手帖に控えたというそのことすらも忘れてしまうものである。予が先年大学文科におったときに漢学の教師は中村敬宇先生という人であって、この先生はいたって忘れがちで、幼少のときには非常に記憶のよい人であったそうだが、年とってからは健忘症にかかられた。予が教授を受けるに哲学科は予一人であったから、いつも先生一人生徒一人の向かい合わせで教授を受けておった。中村先生は予に尋ねるに君の住所はどこか番地を知りたいということで、そのたびごとに先生自ら手帖を出して控えられる。この番地を知りたいというのは先生一人生徒一人であるから、先生が休むときにははがきで予の宿所まで通信しおけば、その日は学校へ出なくてよろしい。その便利を図るために予に番地を尋ねられるのである。それを手帖に記しておかれながら、またしばらくたつと番地を尋ねられる。再三そういうことがあったが、これは先生自身で手帖へ控えたということを忘れておられたのである。こういうことはわれわれにおいてもときどきあることで、手帖をもって記憶の代用にしようと思っているその手帖に書いたことを忘れてしまう。これとやや例が似ているが、記憶術の方では手帖に控えずしてなにか類似した、もしくは関係のある事柄を結び付けて記憶しようということになっておるが、その結び付けたことを忘れてしまう。そうすると記憶術が無効になる。またその連絡によって順序を覚えていなければならぬ。その順序が正しく出てくるには、これまた前もって記憶力の働きが必要である。この点から考えてみると、記憶術は記憶を養うためであるが、その記憶を養う前に記憶力が進んでおらなければ効を奏することはできぬということになる。
三四 記憶の間違い話
すべて記憶術においてほかの事柄と連絡させるというについては、よく連絡の間違いを起こすことがある。つまり連絡を誤って外の事柄と結び付けてかえって記憶の間違いを生ずるということが起こってくる。西洋人が日本に来て日本語を一字聞けば決して忘れぬのは「お早う」ということばである。他のことばは連絡を思い出すことができないからして記憶し難いが、このお早うだけはアメリカに州名も市名も川の名もあるから、すぐに記憶する。ところがある西洋人がその連絡の間違いを起こし、前日に朝起きて人に会ったときにグッド・モーニングの代わりに「お早う」ということを聞いて、自分ではすぐに記憶にとどめたつもりであった。そうすると翌朝人に会ってオハヨーと言わずしてニューヨークと言ったという奇談がある。つまりオハヨーとニューヨークの連絡の間違いを起こしたのである。また予の国は越後である。あるとき東京において他県の人に出会ったときに、その人が言う「私も先年越後へ参ったことがある。越後にはおもしろい町の名がある」と語ったので、その町の名を聞けば、それは「雑炊町(ぞうすいまち)」というので、実に珍妙の町の名があるとの話。そこで予は「越後にそのような町はないはずだ、なにかの間違いではなかろうか」というと、その人は固く執って「イヤ確かに雑炊町に相違ない」と言う。いろいろかんがえた結果「小千谷町(おぢやまち)」の間違いだということが分かった。つまり雑炊もオジヤも品物においては同じ物であるから間違いで連絡した結果である。また予が書生時代に東海道を旅行したことがある。もとよりその時代には汽車はなし、人力はあれども書生の身では乗ることはできぬので、徒歩で毎日七、八里ずつ歩いては泊まったことがある。そのときに相州〔相模国〕の藤沢町へ泊まろうかと思って、なんという旅館が一番よいかと尋ねたら「国分屋(こくぶや)」が一番よろしいと聞かされて、いよいよ藤沢の町へ入って「莨屋(タバコや)」という宿屋はどこだと聞いたところが、そんな宿屋はありませんという。ないはずはない、これは藤沢町第一等の宿屋のはずだといって尋ね回っても、だれもそういう宿屋は聞いたことがないという。いかにも奇怪と思うたから更にこの町ではなんという宿屋が一番よろしいかと聞くと、それは国分屋が一番よいという。つまり国分と聞いてすぐにタバコを連想して、その連絡の誤りから起こった間違いである。また初めて英語を学んだ者が、その連絡のために間違いを起こしたというおもしろい話がたくさんある。ここに一例を挙げれば、先生から英語のエキセブションを鳥の毛と教えられた。これを聞いた生徒はこれを記憶しておった。翌日先生からエキセブションはなんであるかと尋ねられたところが、その生徒が「軍鶏(シャモ)の毛」と答えたというはなしがある。ちょうど予が国分屋と莨屋の間違いと同様に連絡の相違である。また予が隠岐国に旅行したときに、隠岐には有名な俗謡がある。これを隠岐名物としてある。その名を「ドッサリ」という、なまえもめずらしいがその歌もなかなか珍しい歌である。ところが予はこれを誤って隠岐旅行中にドッサリを「タップリ」と記憶してしまい、隠岐の名物は「タップリ」であるというて大いに笑われたことがある。つまりこれも連絡の間違いから起こったのである。このように人工的記憶術は記憶の弱い者、心像の不明瞭の者、機智に乏しき者は記憶を強くするにあらずして、かえって間違いを起こす場合が多くなる。要するに人工的記憶術は生来記憶のよき、精神の発達しているもののなし得ることにして、記憶力の弱く精神力の乏しき者は、これによって成功する見込みなしと申さなければならぬ。
三五 人工的記憶術の利害
その他この人工的記憶術は思想そのものが機械となって働くようになるから、精神の運用を妨げるようになる。つまりかかる機械的の働きに精神がならされるというと、知識の運転活用ができなくなり、思想そのものが死物に陥るの恐れがある。前にも述べたるごとく、われわれは記憶するばかりが本意でない。すべての知識には記憶が土台をなすということは疑いない事実であるが、その記憶によって集めたるものをよく運転活用するのが一層必要である。記憶はわずかにその材料を供給するに過ぎない。たとえば家を造るに木材が材料である。木材がなくては家ができぬということは明らかであるが、しかし木材を集めたばかりで決して家ができるものではない。それ故にただ記憶さえよくすれば、すべてができると心得るのは大いなる間違いである。世間にはよく記憶ばかりよくて働きのない学者を「飯食う字引」と異名をつけているが、いかに記憶を進めても飯食う字引となっては世の中のために役に立たぬ。すなわちこの方術的記憶術で思想そのものが機械と同様に取り扱う習慣がついて、記憶は進んだが運転ができないということでは、飯食う字引がたくさんできるというものになってしまう。のみならずこの人工的記憶術は数年間の練習を積まなければならぬ。あるいは三年あるいは五年を費やさなければ上達しない。もしそのように練習に年月を要するとするならば、それだけの年月を普通の勉強に費やした方が、あるいはそれ以上に記憶が進むようになるかも知れぬ。人工的に精神を労するだけの労力を自然の発達の方に当てはめさえすれば、かえって記憶力を進める上においても効力があろうかと思う。また前にも述べたごとく、世間の諺に「急がば回れ」ということもある。人工的記憶術は記憶の近道である、一足飛びに知者学者になろうというのである。これに対して普通の道を取って徐々に進んで行くのは、これは遠路であるけれども急がば回れであって、ほんとの成功はかえって近道を避け、迂回して大道ばかりを進んだ方が目的を達するに便利である。また古語に「君子は危うきに近よらず」であって、記憶術のごときはいわゆる危うき道である。その危うき道を避けて正々堂々たる学問の大道を徐々着々進むようにしたいものである。かくするとここに方術的記憶術の外に学理的記憶法を述べなければならぬ。この学理的記憶法こそ健全なる記憶法であって、近世の生理学、心理学等の進歩により研究して得たるところの記憶法である。
第五講 学理的記憶術
三六 身体上の注意
さてこれより学理的記憶術、すなわち学術上研究して得たる記憶法を述べるには、身体上の注意と精神上の注意と両方面にわたって説明しなければならぬ。そもそもわれわれの身と心とは密着なる関係を有しておって、精神はわれわれの脳髄に宿るということは今更説明するの必要はない。そこでもしわれわれが記憶術を進めようとするには必ず身体の発達、脳髄の健全にまたなければならぬ。諺に「健全なる心は健全なる身体に宿る」ともいって、身体脳髄ともに健全ならば精神の力も健全である。したがって記憶力も強くなる道理である。しからば平素自分の衛生と健全とに注意し、衣食住を選び、なるべく身体を清潔にし、滋養の多き物をとり、新鮮なる空気を呼吸し、その上にときどき適当の運動をなし、なるべく純良なる血液を増すようにし、またその血液の運行を進むるように注意することが記憶力を進める第一の要件である。また身体は手足の労働によって発育するものなれば、いかに滋養分をとっても怠惰に流れて手足を動かさず、せっかくとり入れたる食物の消化しないようになっては、体力を減ずると同様に脳力を弱むるものなるが故に、人はときどき適当に運動を取りその身相応の職業について多少の労働をなし、常に徒食せずして力食することを心掛けなければならぬ。これも記憶力を進むる要件である。しかしながら身体および脳髄の疲労したときに、無理に勉強してあるいは努めて記憶せんとするときにはかえって脳髄を害し、したがって記憶力を弱むるものであるからして、記憶を強くせんと思わば、身体および脳髄もともに活発にしてその力の新鮮なるときは最もよろしい。かかるときに記憶すれば必ずその力を進めるの効力がある。しかしまたことのいかんを問わず一のことにあまり長い時間を当てはめ、度を過ごすというと必ず疲労を生ずるものである。われわれの身体はいずれの部分といえども、これを使用するにはときどき多少の休息を取らなければならぬ。故に記憶には時間を限りて一定の時間の間使用したならば一定の時間は休憩し、勉強と休憩と交代するようにしなければならぬ。ことに睡眠は身体の発育および脳髄作用に必要のものであるから、毎夜六時間ないし八時間ぐらい就眠し、脳髄に休息を与うるときは、その間に前日の疲労をいやし、翌日新たに勉強する能力を養うことになる。この睡眠は人によってその度を異にし、身体および脳力を使用することの多い者は睡眠時間もまた多く取らなければならぬ。ことに児童のごとく発育の盛んなる時期にあってはことに多きを必要とする。その他、時間の多少は人々の職業の事情に応じて加減しなければならぬ。また一週間に一回ほど休日を設く〔る〕のも体育上必要のことで、その休日には郊外の散策運動に出掛けて、平素疲労を与えし脳力を新しくするようにつとめなければならぬ。運動にもいろいろあるが、平素精神を使う人は散歩が一番よいと思う。また勉強するにはあまり空腹のときはよろしくない。空腹のときにつとめて勉強しても決して記憶にとどまるものでない。われわれの脳髄はその他の部分と同様に、時々刻々養分をとらなければならぬ。空腹の際にはその養分が欠乏しているから記憶の力が弱くなっている。また食後すぐに勉強するもこれまたよろしくない。もしすぐに勉強すると腸胃の方に運行すべき血液を脳髄の方に奪われんとするようになる。通例食後に眠りを催すのは、脳髄中に運行する血液の一部分が腸胃の方に向かって流れ込み、ために脳髄の方に眠りを催すことになる。あるいはそういう場合に強いて脳力を使用すると、腸胃の消化力を害し、その結果は脳力を弱むるに至るものである。その他注意すべきは、すべて勉強でも記憶でも、人々の心理と知力の程度とに不相当のものを当てはめることは害あって益なきものである。また過度の記憶をするのも同様の害がある。とはいえあまり脳髄を使用せずに休ましておくのもよろしくない。すべて物は使用するほど発達し、使用しなければ退歩するものである。よく都会において活動した者が山間に引き込み、閑日月を送っていると早くぼけてしまう。これはつまり脳髄を働か〔せ〕ぬから、かえって早く衰弱を招くのである。これを要するに記憶力は身体および脳髄の発育に関係しているものであるからして、もし記憶力を進めんと思わば左の事柄に注意しなければならぬ。これらの箇条は少しく教育あるものには分かりきったことなれども、これを実行することは難いから挙げておく。
一、平素の衛生運動に注意すること
二、毎日相応の労働もしくは職務によって体力および脳力を発育せしむること
三、身体の疲労したときに脳力を用いざるようにすること
四、一事を長く継続せずしてときどき休息し、および適度の睡眠時間を必ず確守すること
五、あまり空腹のときまたは食後ただちに脳力を使わぬようにすること
六、年齢および智力の程度に不相応なるものを記憶せざること
三七 精神上の注意
以上は身体の発育上、記憶力を養成するに最も注意すべき点であるが、更に精神上についての注意を述べようと思う。精神上注意すべき箇条を述べるには、心理学の上より記憶そのものの起こるゆえんを説明しなければならぬ。しかし記憶について心理上の詳しい説明は心理学の講義に譲り、ここには主として記憶力を進める方法に関することだけを述べようと思う。ただ感覚上記憶の起こるについて注意すべき二、三点を述ぶるに、その第一は感覚印象の強弱深浅によって記憶の度を異にするということである。元来記憶はその以前において見聞経験したることの再現するものなれば、感覚上にきたる外界の現象刺激は記憶のよって起こるところの源といわなければならぬ。しからば記憶の状態はその源のいかんによって定まるは当然である。故に感覚上刺激の強きときはその印象するところも深くして後に再現しやすく、また失念し難きものである。たとえばはなはだしく視神経を興奮せしめ、あるいは強く耳管を刺激したるものあるときは長く記憶して忘れぬものである。そのつぎには耳覚上外界の事物を認識するに、十分よくその意を了解して思想が明瞭となった事柄は記憶しやすいものである。故に記憶には外界の事物をわが心面に明瞭に会得しておくようにすることが必要である。あるいはまた言語を聞き文章を読むにも、その意味をなるべく明瞭に了解するようになすことは記憶するに最も必要なる条件である。また耳覚上の影象を再現するに、その心象がなるべく明瞭に心面に浮かぶようにつとめることが記憶を進むるに必要である。そのつぎには「意向」について大いに注意すべきことがある。もしわれわれが一事一物を記憶せんとするに、その一点に心を集め意を注がなければならぬ。もし意向がその点に注いでないときには、これを記憶にとどむることが困難である。したがって失念しやすきものである。すなわち意向は意識の焦点で精神の集合点であるから、その点を事物の上に向けるには大いに記憶を助くるものである。また記憶は感情にも大なる関係がある。すなわちいくらか好き嫌いは記憶の強弱に大いに関係している。もし事物にして人の意に適し情にかなうときは記憶しやすきもので、これに反するときには記憶し難いものである。およそなにごとを問わず興味の多きほど記憶にとどめやすいもので、無味淡泊しかも己に関係なき事柄は記憶することが難く、あるいは己の意に適せざるものは失念しやすき傾きがある。また記憶は想像作用にも関係を持っている。その想像作用はすべて事物の意義を了解するに欠くべからざるものであって、一言半句といえどもよくその意を解せんとするには、想像をもってわが心の内にその意味を描き出さなければならぬ。さきにいわゆる心像が記憶を助くるというのはこの道理である。ことに歴史上の事実あるいは遠隔せる当時の状況を了解するには一層想像の必要がある。たとえば今より一〇〇〇年前の事績を思い出そうとするときは、当時の状況を想像して描き出し、その想像の完全なるに応じてその事情を明瞭に解得することができる。したがって記憶にとどむることができるものである。いまだ一回の経験せざりし当時の状況を想像するもこれと同様である。そのほか人と相対して談話せんとするにも、相手の言うところを了解するにもまた記憶するにも、多少想像をもってその意味を描き出す必要がある。なおその外に記憶は時間に関係を持っている。いかなる記憶も時間の過ぐるに従ってだんだんに消滅する傾きがあって、昨日もしくは昨年のことくらいはたやすく再現し得られるも、一〇年二〇年前のことに至っては、なにやら朦朧(もうろう)として記憶に浮かべることができにくい。それでもし一事を長く記憶せんと思わば、ときどき繰り返して思い出さなければならぬ。毎日反覆していることは決して忘れるものでない。たとえばなんぴとも数年の間逢わない友人知己の名は失念することあるも、毎日相会している友人や親戚の名は決して忘れるものではない。文字でも久しく学業を廃すればついに忘れるに至るものであるが、毎日復習すれば決して忘れられるものでない。
三八 思想連合の作用
右のほか前に記憶について大切な点を挙ぐれば「思想連合」の一事である。すべて人の思想はおのおの孤立して存するものでない。互いに連合してその上に一つまとまった思想ができあがるものである。これを「観念連合」と名づけている。日々の経験上、心内に現すところの事々物々の思想すなわち観念は各個別々なれども、その一人としての思想はこれらの観念が連合して「自己」もしくは「われ」なる観念を組み立てるに至るわけは、つまりその観念の間に連合作用があるからである。これを一国の上にたとうれば、あたかも数万の人民が互いに連合して一国の団結をなし、各自の思想が一国の輿論を形作ると同様である。すでにわれわれの思想そのものが観念連合によって成り立つ以上は、一事一物を記憶するにも必ずこの連合の事情によらなければならぬ。またこの連合あるが故に一事一物を思い出すことができ、また一つの観念が心の上に現るれば、自然にその連絡によって他の観念もよび起こすことができ得るようになる。その観念を呼び起こすについては、自然に起こってくるものと意力を用いて呼び起こすものとの二通りがある。自然に起こる方は無意的記憶にして、意力によって起こす方は有意的記憶というべきものである。さてまたこの連合の状態にも種々の種類があって、あるいは事物の境遇に互いに付着接近するをもって連合するのもある。たとえば農家のそばに田畑あるをもって、この二つが連合し、海上に船あるをもって海と船とが連合し、あるいは吉野と桜とが連合し、月ケ瀬と梅とが連合し、天候と雷鳴と連合し、鐘と火事とが連合するの類は、その事柄が互いに付着接近しているからである。かかる場合にもしその一を思い出せば、自然に他を喚起するものである。また事物の原因と結果との間に連合することもある。煙を見れば火事を思い、春風に遇えば花を思い出すがごときは、原因結果連合というべきものである。その他この連合について心理学上種々細かい説明があるけれども、ここにはすべて略することにする。また形の類同しているより連合することもある。形のみならず色や音やその他の感覚上互いに類同するものは、自然に連合する性質をそなえている。たとえば水と酒とはその形同じきをもって水を見れば酒を思い出し、風と波とはその響き相似たるをもって、これまた互いに連合するものである。また言語文字の上においてもこれと同様の連合作用があって、その形の同じき文字を見るときは他の文字を思い出すものである。ことに音声の似たるものは一層連合しやすきものである。また一には境遇事情の互いに似たるために連合することがある。社会の状態と海の状態とが似ている。人世のありさまと天気のありさまとよく似ているために、その間に連合するようになる。したがって世間の「譬喩」、「諺」、「詩文」などの種々の寓意がこの連合によって起こってくるのである。その他、連合の一種には全く性質の反するものが結びつくことがある。寒さと暑さとは性質相反しているけれども、かえってよく連合し、美と醜とはこれまた性質相反しているけれども、かえってよく連合するものである。あるいは苦楽あるいは善悪等、正反対のものがかえってよく連合する。これらのよって起こる説明は心理学の問題にして、ここに述ぶる必要はない。これを要するに記憶と連合とは密接なる関係を有するものなれば、一事一物を記憶せんとするに、必ずいちいちのある事物をよく連合するように意を用いなければならない。さきに述べたる連帯法あるいは接続法のごときは、まさしくこの連合作用に基づくものである。
三九 抽象概括作用
更になお一つの記憶に関係したる心理作用は、抽象作用、概括作用である。もし錯雑なる事物を記憶せんとするときはそのいちいちの性質を抽象して、しかもこれを概括し、適宜の分類を与えて記憶するようにすれば失念せざるものである。すべて錯雑なる事物はこれを記憶せんとするに、その順序を整定し、その分類を判明するを必要とする。これを換言すれば、抽象作用、概括作用を必要とするのである。これと同時に一事一物について記憶せんとするには、その事物に存する種々様々の性質をことごとく記憶するははなはだ難く、もしその性質上の最も主要なるものだけを取って記憶することはかえってやすいものである。もしここにあまたの事物あって、そのおのおのの特殊の性質を記憶しようとするならば、互いに比較してそのうちの最も主要なるかつ顕著なる点に注意し、これを記憶にとどめんことをつとむるがよい。ここにおいて抽象作用、概括作用および比較作用が記憶力を進むるに必要なる条件であるということがわかるであろう。
四〇 心理上注意すべき事項
以上述べたるところを更に概括して左の箇条をもって示すことにしよう。
一、感覚印象をして強くかつ深からしむること
二、事物を認識し意義を了解するになるべく明瞭なるようにすること
三、意向をして記憶すべき事項に注がしむるようにすること
四、事物に興味を添えて感情に適せしむるようにすること
五、想像によってその境遇事情を心面に描き出すようにすること
六、一回見聞したることはなるべくときどき反覆するようにすること
七、一事を記憶するにこれと関係ある他の観念を連合せしむるよう〔に〕すること
八、比較、抽象、概括、分類作用によってその順序を整え、その特性を選び錯雑混同せざるようにすること
四一 身心相関の事情
すでに身体上の注意すべき事項と精神上に注意すべき事項は大略述べ終わりたれば、これより心身相関上の注意すべき事項を述べておきたい。すでにわれわれの身体と精神とは互いに関連して離るべからざるものである以上は、二者相待って初めて記憶力を養成することができるわけである。されば前に述べたる両方面の注意が、とりもなおさず心身相関上の注意とみなしてよろしい。しかしここに特に前述のものを相合して、更に注意すべき条項を述べておこうと思う。まず記憶するには場所を選ぶことが大切である。その場所はなるべく静閑にして四隣の事情のわが心をみだることなく、一つの事柄に向かってわが精神を集注するに便利なる場所が記憶するに最もよしとする。したがってかかる場所は注意力を一点に集めるに便利であるから、記憶を養うには都合がよい。そのつぎには時間を選ぶこともこれまた必要である。一昼夜二四時間のうちで、記憶しやすき時間と記憶しにくい時間とがある。たとえば毎朝食後多少の時間を経過したるときは心身ともに新鮮爽快にして、書物を読んでも記憶にとどめやすきものである。あるいは夜間四隣の静まった場合には、これまた精神を一点に集めるに都合がよい。したがってそういうときには読書をしても記憶しやすいものである。また一年中にても春夏のごとき温暖の気候は、いわゆる遊意勃々として精神動きやすいから読書記憶によろしくない。これに反して秋冬の寒冷の気候に向かえばいわゆる灯火親しむべき季節となり、読書文学に最も適するものである。これ畢竟気候と人心との関係によるものであって、温暖の気候はおのずから勉強力を減じ、寒冷の季節はかえって精神力を進めるものである。熱帯地方の国民が惰弱にして国の振るわぬというのを見ても、また寒帯地方の国民がかえって忍耐力に富み、その国がさかんになるというのを見ても、精神と気候との関係することが分かる。しかしながらその爽快なるときにしてもまた寒暖の気候にしても、あまり極端なる場合にはかえって精神力を害するものである。たとえば心身爽快なるときには記憶に便なれども、あまり精神の活発にはしり過ぎるときには、一事に思想をまとめることはできぬ。したがって記憶のさまたげとなる。また寒冷の気候は記憶を進むるに便なれども、あまり寒気が強すぎるとかえって精神力を減ずるものである。
四二 身体周囲および時間前後の事情
そのつぎには左右周辺の状態について注意する必要がある。すなわち室内にあって読書勉強せんとするには、その左右のありさまについて大いに注意しなければならぬ。第一になるべく室内を清潔にすること、第二になるべく室内における器物書類は正しく整頓しておくこと、第三には机の上およびその周囲に種々さまざまの書籍物品を陳列せぬようにすること、もしこれに反して一書を読むに種々の書籍諸品を散乱せしめてあるときには、わが意向をもおのずから散乱せしめて一点に集むることはできぬ。しかるに一書のみ机上に置いてその周辺に更に注意をひく物なきときには、わが意向はその一書の上に集注してこれを記憶することがたやすいものである。その外もし十分に室内の状態に注意せんと思わば、その建築構造を初めとし窓、戸、障子の位置、机の方向等まで、一定の規則に基づいて定めなければならぬけれども、これは到底実行し難いことなれば、ここに略することにしておく。また時間の前後の事情について注意することも必要である。いかなる興味ある書物にても、あまり長い時間続いて読むときには必ず退屈を生ずるものである。すでに自ら倦(う)みてなおその書を読み続くるときには、決してよく記憶するものでない。故に読書をしようと思わばおよそ時間を定め、その時間だけ読書が終わったならば、郊外もしくは庭前に運動を試みるか、さもなければ全く異なりたる書物を開き、しかしてのち最初の書物を読むようにするがよろしい。たとえば一時間読書したならば一〇分間ないし一五分間休憩して、つぎの一時間は異なりたる書物を読み、しかして後の一時間は最初の書物を読むようにすれば、一書を長く読み続けることができる。すべて異なりたる書を読むときは精神を新たにする効能のあるものであるから、書物を交換して読むのは大いに記憶を助くるに便利である。
四三 習慣上の注意
また習慣が大いに読書の記憶に関係のあるもので、毎日一つの書物を継続して読もうとするときには、到底終日休みなくして一書を読み続くることはできないから、毎日一、二時間ずつ一書を読むことにしなければならぬ。かかる場合にはその読むべき時間を定めておくことが必要である。たとえば朝八時より九時まで歴史を読むと定めたならば、毎日同時間に歴史を読むようにするがよろしい。しかるときは思想の上に一種の習慣が起こり、毎日同時刻に歴史上の観念を再現し、注意もまたその方面に集まってくるものである。あるいはまた夜分八時より数学を学ぼうと思うたならば、毎日同時間に数学に取り掛かるがよろしい。このように日々一定の時間に同じことを継続するは、習慣の力によりて大いに記憶の助けになるものであるが、もしこれに反して毎日時間を一定せざるも、あるいは一週間を隔てあるいは一カ月をおいて読書するときは、前日の記憶は大半消失して、毎度新たに記憶しなければならぬ困難を生ずるものである。ことに歴史の年代、地名、人名の記憶し難いものに至っては、時間をあまり隔てて読むときには全く忘れてしまうものである。小学教育について聞いていることがあるが、ごく山間の僻地にして一〇戸や二〇戸あるところでは独立して学校を建てる力がない。さりとてその子供を二里も三里も山坂越えて通学させることはできない。かかる場所には家庭教場を設け、教師が一週間か一〇日ごとに巡回して教授するようにしてある。その結果を聞くというと非常に成績が悪い。何故というに、初め一週間教えて更に一週間休ませ、また一週間教えて一週間休ませるという風であるから、初め教えられたものを半分みな忘れてしまう。再び繰り返して教えなければだめということになる。ために成績が悪いのである。このように、あまり時日を隔てるということはもとよりおもしろくない。それから歴史の年代や地名人名等の記憶し難いものは、その部分を小片紙に写して、これを朝夕目に触るる所の壁の上や、あるいは窓の前にはり付けておくようにするがよろしい。毎日起臥する間にそのはり紙を見るようになっておれば、知らず識らずのうちにそのことが心のうちに印象せらるるものである。これもやはり習慣によって記憶を進むるの一例というべきものである。
四四 その他注意すべき点
その他、読書するときには前後の順序を立てる必要がある。たとえば一年に五、六種の書物を読み学ぼうとするに、前の半年にはそのやすき物を学び、後の半年には難き物を学び、やすきより難きに及ぼし、低きより高きに進むの順序を定めておかなければならぬ。また毎日五、六課ずつ読書するには、午前午後あるいは夜分その時間に応じて順序を定め、さきに難き物ならば後にやすき物を置き、さきにやすき物あらば後に難き物を置くというようにすることがこれまた必要である。その他いかなることにても順序を立て種類を分かって記憶するのは必要であるが、なかんずく、事柄の錯雑なるものほど、この順序を正しくすることも必要である。もしまたここに同時に二個以上の事柄を記憶せんとするならば、必ずこれに前後の順序を立てる必要がある。まず甲の事柄を記憶してつぎに乙の事柄に及ぼす、もししからずして同時に甲乙二者を記録しようとするときは、いわゆる二兎を追う者は一兎をも得ざると同じく、わが意向を一点に集むることができず、したがって記憶することが困難である。また初めて人の家を訪ねもしくは一面識なき人に会するときに、その家その人を後日まで記憶せんと思わば、種々の点に注意せずして一種特徴の点だけに意向を注いで記憶することが必要である。今と同じく書物を読むにも、そのうちの特色の点をよく記憶にとどむるようにすることは、これまた一種の秘訣である。また一事を学びていまだ熟達せざるにすぐに他のことに移るは、これまた大いに不利益である。十分に一事に熟達してよくこれを記憶にとどめて後、他事に及ぼすときは、前のときの記憶が大いに後の記憶を助くるものである。たとえば『論語』と『孟子』とを読むに、『論語』に熟達せずしてただちに『孟子』に移るは、『孟子』を読むの困難は最初『論語』を読むときに異ならぬ。もし『論語』を十分に記憶して後『孟子』に移れば、その大半は『論語』より得たる記憶によって了解することができる。すべて記憶はさきにしばしば述べたるごとく、思想観念の連合によって発達するものであるから、一事を十分に記憶してほとんど暗記するほどにしたるときは、その明瞭なる記憶と連絡して他の新しき事柄をたやすく記憶することができるようになるものである。これまた記憶の秘訣といってよろしい。
四五 語学等についての注意
外国語を学ばんとするものはなお一層その点に注意する必要がある。最初近くわが国の文字と連絡するものが少ないからはなはだ記憶に困難を感ずるけれども、たとえ読本の一節なりともよくこれを熟読し、その全部を暗記するほどに至るときは、つぎの大半は自然に読み得るものである。よし新文字があってもすでに記憶している文字と多少似たる点があるから、これと連合して記憶することがたやすくできる。もし一書を読みこれに熟せずして他書に移るときは、この利益を得ることはできぬ。また文章を研究するにも、その名文にして自分の好みたる物を反覆しほとんど暗記するほどに至れば、文章の力を進めることもまた容易である。この故に一事に熟達するは記憶力を進むる必要なる条件である。すでに一事に熟達するの必要なることを知ったならば、ここに学ぶべき科目と読むべき書物とを選ぶことの必要なるわけがわかる。たとえ一書に熟達するも、その書にして格別必要の物にあらざるときは、これによって得るところの利益もまた必ず少ないに相違ない。ことに人生は有限である。その能力またおのおの限りがある。しかしてその修むるところの学問、その読むべきところの書物はほとんど無限である。しからば有限の力をもって無限の書物を読もうとすることは到底不可能であるから、読書勉学するにも最も必要なる物を選びて、まずこれを熟読してゆくがよろしい。およそ人の書物を読むは、なお食物を取ると同様である。食物の要はその中より営養を得てわが体力を発育せしむるにあり。ただみだりに多量の食を取るのが本意ではない。たとえ少量でもその中に養分を含むこと多ければ、必ず養分に乏しき食物を多量にとるよりもまさっているわけである。野蛮人と文明人と比較するに、野蛮人は養分に乏しき食物を食するから多量の食物をとらなければならぬ。これに反して文明人は養分多き食物をとるからして少量にても十分である。もしまた禽獣のごときに至っては、養分極めて少なき食をとるからして極めて多量の食物が必要である。これと同じく学問の目的は読書によって知識を発育せしむるにあるから、養分の乏しき書物を読むときはたくさんの書物を読まなければならぬ。これに反して養分多き書物を読むときには少数の書物にて足ることになる。まして人世は有限にして書籍は無限であると知ったならば、読書に大いに注意すべきはなるべく書を選びて有益なる書物を取り、その一巻中にても最も養分の多い必要な部分だけを熟読するように努むるのが、ひとり記憶力を助くるのみならず心理経済の必要条件である。ところがこのごろの人は多読主義で、むやみに本を読めばよろしいというて書物に食傷するような人が多い。予はこれを学生の流行病と見ている。書を読むは必ずしも多きを要せぬ。また一巻の書を読むにも全部を見るに及ばぬ。そのうちで必要な点を見出し、真髄となる点を握ればそれにて十分である。ただむやみに読むと精神を疲〔れ〕らせ記憶を弱め、活用運転ができないようになる。すでに学生仲間にも神経衰弱が多いというのは、この多読病にかかるためである。ここにおいて予は学問の「教外別伝」ということを唱えている。
四六 教外別伝の修学法
昔、仏教の盛んな時代にはただ多く仏書を読めばよろしい。だれそれは一代の間に『蔵経』を何遍繰り返したから彼は大徳である、大学者であるというように尊崇し、ただむやみに読むのをもって得意とする時弊があったので、これに対して禅宗は「教外別伝」ということをとなえた。釈迦の法は以心伝心である。心をもって心に伝える、必ずしも書物を読むに及ばぬ。「経文は月を指さす指のごとし。すでに月を見ればなんぞ指を問うに及ばん。」といって「ただちに人の心を指し、性を見て成仏す。」(直指人心見性成仏)ということを唱え出した。これと同じく今日は世間が多読病にかかり、ことに学生は書物を読んで書物に酔い、学問にふけって学問におぼれるありさまである。書を読むにあらずして書に読まれるような状態である。これは確かに今日の時弊にして学生の通弊と見なければならぬ。そこで予はあたかも禅宗が「教外別伝」を唱えたるごとく、今日の学問に対してこれまた教外別伝を唱えている。昔時(むかし)北条早雲が人をして兵書を講ぜしめて、「兵の要は英雄の心を収むるにあり。」と聞いて「この一言にて足れり、余は聞くに及ばず。」というて再び講ぜしめなかったというが、すべて書物を読むにおいてまたしかりである。その要点局所を握ればこれにて足ることで、なんぞ必ずしも徹頭徹尾多くの書物を読み通すに及ばぬ。その粋を抜いて糟(かす)を棄てることにとどむるがよろしい。これがやはり記憶の一大要件である。すでに今日の人はあまりむやみに多くの本を読むために、記憶の上に混雑を生じ、その結果記憶力を弱めるようになる。この点が予がいわゆる『新記憶術』と題した理由(わけ)である。すでに方術的記憶術を説き、更に学理的記憶術を説き終わった以上は、これより予の新案にかかる記憶術を述べたいと思う。
四七 身心相関の注意事項
これより予の記憶術の新案を述ぶるに当たり、まず以上、身心相関の注意について掲げたる箇条を一括して示しておく。
一、場所を選ぶこと
二、時間を選ぶこと
三、室内周囲の状態に注意すること
四、時間の前後の事情に注意すること
五、毎日一定の習慣を形成するようになすこと
六、順序を正しくして錯雑を避けるようにすること
七、一事に熟達して他に及ぼすようにすること
八、必要有益の書を選びて研究すること
この数箇条はいずれも記憶を進むる必要条件である。右に述べたるとおり、滔々(とうとう)たる天下みな書物の酒に酔い理屈の川におぼれているありさまであるから、予は学問上の「教外別伝」を説きたるごとくに、今日の学生はただむやみに多く学び多く知らんことをつとめ、己の小さく狭い脳髄の一室内に、盛んに種々の知識を詰め込み、頭脳の袋がほとんど破裂せんとするのも知らずにいるありさまである。しかしてただ記憶力さえ進むればよろしい、記憶力が進めばただちに大学者、大智者になることができるというように思うていた。また世間の記憶術を要求し熱望している人は、学生のみならずいずれも詰め込み主義で、なんでも多くの物を覚えさせればよろしい、記憶ができさえすればどんなエライ人物にもなれるという考えを持っているが、これらはいずれも家相、方位、人相、卜筮(ぼくぜい)等によって、一足飛びに大金持ちになろうとするのと同じ欲望である。これは当たらずといえども遠からずにあらずして、当たらずして近からずのことになるだろうと思う。そこで予は記憶術についての「教外別伝」を唱えているが、その別伝とは記憶術の新案にして、これまで世間にいう記憶術と全く異なりたる記憶法である。通俗的記憶術とも方術的記憶術とも学理的記憶術とも違い、その法は全く予の外にだれも唱えた者がないから「新案」と題したのである。しかし予はすでに数十年来この方法を唱えているのであるから、前にも申したとおり世間に対しては新案であるが、予自身としてはむしろ旧案と申してもよろしい。その方法はなんであるか、別伝とはいかなるものかというに、曰く、記憶力を進めるにはまず失念せよという方案である。記憶術を練習するよりも失念術を攻究せよ。失念術を体得したなれば、自然に記憶力が進む道理であるというのが予の新案の大体である。いざやこれより失念術の効能とその方案とについて述べることにしよう。
第六講 新案的記憶術
四八 失念術の必要
新案的記憶術すなわち失念術は、遺忘術あるいは忘却術で、記憶術とは全く反対であるけれども、その実この失念術が記憶するに最も必要にしてかつ記憶術よりも一層有益である。しかるに世間で更にこれを説かざるは、畢竟世間は記憶の利あるを知って失念の要を知らないからである。これ一を知って二を知らざるもので、あたかも労働の利あるを知って安息の要を知らぬと同様である。人には安息あるにあらずんば労働を進むることはできないと同様に、失念あるにあらざれば記憶を進むることはできないのである。今その理由を述べんに、人の精神作用の脳髄にあって、身体と精神とは密接な関係があることは今更申すに及ばぬ。そこで記憶力も脳髄そのものに関係し、脳髄が盛んになれば記憶力も強くなり、脳髄が衰えれば記憶力も弱くなるということは前すでに述べたところである。さてまたいかに記憶力が強いというても、人間には人間だけの定限がある。もしこれを身体について申したならば、人間の丈の高さが六尺以上ある人はまれに見ることができる。すでに世界中の大男が八尺あったのを見たことがあるが、日本人のごときは丈が低く身体(からだ)が小さい。ロシア人などにはずいぶん太った高い人がある。それにしても人の体格には定限がある。よし八尺の人があっても一丈以上の人を見ることはできない。記憶力においてもまた定限がある。人間の範囲において達し得る定限はおよそ定まっているのである。多くの人の中には性来記憶の強弱に大いに不同があるけれども、いかに記憶のよき人といえども、人間の範囲においてある程度までさえ達することはできないのである。犬には犬の記憶力しかなく、馬には馬の記憶力しかない。牛には牛だけ、猫には猫だけ、それぞれその分に応じて一定の限りがあるので、なにほど記憶力を養成してみても、その定限以上に進むということはできるものでない。神は全智全能である。知らざるなく見ざるなく一切のことを記憶しているということだが、今日の人間をしてそういう全智全能の神にするということは決してできない。ただ人間の間において比較上甲は乙より記憶が強く、乙は丙より記憶が進んでいるというだけの差別があるまでである。その懸隔はわずかに五十歩百歩の差違に過ぎぬ。そのようにすでに人間の脳髄に定量があり、人間の能力に定限があるとして見ると、ただむやみに記憶するというのも、決してその目的を達し得らるるものでない。もし多く記憶しようと思うたならば、脳髄中よりさきに記憶したものを除き去る道を講じなければならぬ。たとえば一升桝の中に一升以上の水を入れることはできない。もし一升五合の水を入れようと思うたならば、前に入れたるものを外へ移して入れ換えなければならぬ。もとよりわれわれの精神は物質や機械と性質がちがうけれど、すでに定量があるという以上は、どれほど多くの記憶でも必ず脳髄の中に詰め込むことができるというわけにはいかない。すべてなにびとの記憶中にも、必要なきものと必要あるものとが混じている、利あるものと害あるものと一緒になっている、善なるものと悪なるものが混じっている。そうして必要にして利益ある方はかえって記憶しにくくして、不利益にして害あることがかえって忘れ難いものである。この不利益有害なる記憶が脳中にとどまりおるために、必要有益の記憶を妨げる場合が多い。かかる場合においては、記憶中の不必要なるものを脳髄中より除き去らなければならぬ。そのいわゆる除き去るとは失念術の目的とするところで、記憶を進むるに失念術の必要なる理由は、この道理から起こっているのである。農家が田畑を作るに新たに苗を植えようと思うと、前に茂っている雑草を除かなければならぬ。あるいは芝草を作るには、春先に枯草を火をつけて焼き除くということがある。こうして前の物を除かなければ新しきものをそこに育てることはできない。これと同様にわれわれの脳髄中においても、ふるき記憶を除き去って新しく記憶を入れ換えるようにしなければならぬ。すべて人間一般に幼少のときは記憶力に富んで、生長するに従ってその力が減ずるものである。幼少のときにはふるい記憶が中に存在しておらぬから、新たに入るものが記憶しやすい。成長の後になるとふるき記憶が多く脳中を占領しているから、新たに記憶をいるることができなくなる。そういう場合にもし新たに記憶を進めようというにはふるい記憶を取り除いて、いわゆる新陳代謝せしめなければならぬ。これがすなわち失念術の必要なるゆえんである。
四九 記憶と道理との優劣
かつまた人間の記憶力は、人間としての知識の最高等の階級に属する精神作用ではない。他にこれより一層必要有益なるものがある。むしろ記憶のごときは知識階級の下位に属するものというてよろしい。その記憶中の上級に位するものは思想作用である道理作用である。幼少の者には記憶力はあれども道理力がない。だんだん長ずるに従って思想や道理の力が進んでくる。これはすなわち人智の発達というものである。文明の進歩もこの道理の発達を指す。もし記憶だけならば文字を知らざる野蛮人の方がまさっている。しからば記憶力を進めると道理力を進めるとはいずれが重要であるかといえば、道理力が記憶力以上であることはむろんである。しかし記憶がなくして思想道理の発展するわけにいかぬということも、また否定することはできぬ。すでに前にも述べたるごとく記憶が知識の材料であるから、家を作るに木材を要すると同様である。木材がなくして木造の家を建てることはできぬがごとく、記憶がなくして知識思想を進めることはできぬ。しかしてその木材はきこりが山林からきり出して人夫がこれを運搬し、その後に大工や技師がその材料を集めて建築するのである。これを人間の精神作用に比較すれば、記憶を取り扱う作用はきこりか人夫のようのもので、思想を取り扱う作用は大工、技師のごときものである。記憶は知識の材料として欠くべからざるものであるけれども、これを組み立ってゆくところの思想は、記憶よりも一層大切なものであることは明らかである。人が万物の霊長であるということは決して記憶術に長じているという意味でない。思想力に富めるということが長といわれるゆえんである。もしできるならば記憶力と思想力とともに進めたいと思うけれども、記憶力を進めようとすると思想力が妨げられる。智力を進めようとすると記憶力が衰えてくるということは、われわれが実際すでに経験していることである。世間にて記憶力に富んでなんでもよく知っているという人は、案外推理力に乏しいものである。また道理欲、いわゆる理屈に富める人にして記憶力の乏しい者が多い。たとえまた記憶と道理と二者相まつべきものにしてこの間優劣なしと定めてみても、記憶力だけ養って脳中にむやみに種々の物事をとどめおき、多くの観念が集まってみても、その記憶をよく整列配置することがなかったならば、更に活用運転ができるものでない。これを土蔵にたとえたならば、土蔵の中にむやみに物を入れ、ほとんど土蔵にあふるるほどに種々の物を詰め込んでみても、順序も配置もできておらぬならば、臨時客来があってこれこれの膳が入用である、これこれの茶碗が必要であるというても、どこにあるやら見出すことはできぬ。畢竟品物はありながらその用を弁ずることはできないということになる。これと同様に種々の物事をわれわれの脳髄の蔵の中に収めていても、順序配置がなかったならば、その中に宿っているところの観念を運転活用することはできなくなる。この種々の観念を整列配置し、あるいは結合しあるいは分解し、いわゆる運転活用を自在ならしむるのは、記憶力の働きにあらずして思想力の働きである。ここにおいて予は世間の人に対してただ記憶力を強くするよりも、むしろ思想の発達に意を注ぎ、道理欲を養成することをつとめられたいものと思う。そうするには失念術をもって、不必要有害の記憶を除いて精神内に余地を置くようにしなければならぬ。それ故に予の新案たる失念術は、一方に記憶力を進めると同時に、他方に思想力を進めるところの助けとなるものたることは明らかである。
五〇 失念術の功用
すでに失念術と記憶術との関係、および記憶力と道理欲との関係について一言したから、更にこれより一歩を進めて、失念術の必要にしてかつ利益あること記憶術の比にあらざるわけを示したいと思う。そもそもわれわれ人類が一般に憂えているところは、記憶し難きにあらずしてむしろ失念し難きにある。けだしわれわれの心を苦しめ身体を弱め、病気を重くなさしめ、天賦の寿命を空しく半途にて短折せしめ、富貴利達の家に生まれながら、その心に火宅の苦しみをなすがごとき一生を送らんとするは、そもそも何故であるか。これはわれわれが記憶力の乏しきがためであろうか、予は断じてしからずといいたい。すなわちそのことたるや吾人が失念力に乏しいためである。そのわけは吾人がひとたび不幸に遇い天災に会し、あるいは失策失敗のあったときに、生きんと欲するも生くるあたわず、死せんと欲して死するあたわず、進退これ窮まり煩悶に堪えない場合においては、どうかその苦を忘れたいと思うても忘れることはできない。もしこの場合に天災や病苦や失策失敗を忘却して、心頭にこれらの記憶を浮かべぬようにすることができるならば、苦痛はたちまち快楽と変じ、不幸はただちに幸福と変わるに相違ない。けれどもいかんせん、忘れ難いために煩悶して苦しむのである。たとえ他日に至りその境遇を変じてその事実を移すようになりても、まだもとの記憶が残り、時に応じ縁に触れてその感想が意識上に現れきたり、事々憂悶おくあたわざるような場合に立ち至るものである。なんぴとといえどもすでに過ぎ去った事柄をかれこれ苦心懸念するは、極めて愚なることとは知りながら、そのことを忘却し難いためにむだな苦悶をするのである。しかしてその苦痛がひとり精神上にとどまらず、必ずやその影響を生活に及ぼし、身体の健全を害し、病気も起こり寿命も縮まり、居常怏々にして楽しまず、はなはだしきは精神が錯乱して狂人となり、あるいは煩悶の極自殺を行い、華厳の滝、浅間の噴火口に踏み込まんとするように至る。さもなければ他殺を図って種々の罪悪を犯すということになる。もしその原因を探ったならば、畢竟記憶し難いというにあらずして、忘れ難いということより起こってくるのが分かる。あるいはまた病気にかかって病床に呻吟する者を見るに、日々己の病気を念頭に掛け、一刻片時も忘れることができないために苦しむのである。もしよく忘れることができたならば、案外重病の者が軽症になり、なおり難い者がなおりやすくなるに違いないが、いかんせん、その病気を忘れることのできないために軽症は重患となり、自ら求めて死を招くに至るようになるのである。その他、吾人が意をささたる小事に注ぎ、その心を他に転ずることのできないために遠大の識見を欠き、間接の利害を知るの力なく、一局を見て全局を見渡すことができない。ただ目前のことばかりに心を奪われてしまうから、ついに吾人をして平々凡々たるの一生を送らしむるに至るがごとき、あるいはまた重大の事件を処分するに当たって小事に懸念するために決断力を減じ、思慮分別も浅はかになり、ついに機を過り時に遅れ、失敗失策するがごとき例は、世間に枚挙にいとまないほどたくさんある。これみな小事小件を忘却することあたわざる結果によって起こる。故にこれを救うの術は、ただ一の失念術あるのみと申さなければならぬ。要するに人生の不幸は、失念力に乏しきよりも忘れられぬためというてよい。しかるにこれまでなんぴともいまだわれわれに失念術を授けず、世人もまたこれを講ぜず、ただ記憶するのみをつとむるは予の深く怪しむところである。もしいやしくも人生の不幸を救わんと思わば、まず失念術を研究しなければならぬ。かくのごとく失念術の効能莫大なるにかかわらず、世人の要求は記憶術の一方に集注するは愚の極と申してよろしい。
五一 失念術の心理的説明
以上述べたるところによって、記憶術よりも失念術のいかに必要であるかということは明らかであるが、この失念術の名称に関して一言しておかなければならぬことがある。その名を「失念」というときには、全くわが脳髄中にその印象その観念が消失してしまうように考えられるが、一度印象したるものは全く消失する道理はない。すべて人の不幸災難を忘れることができぬというのは、その方に集めたる注意を外に転ずることができぬというのである。これを通俗の語にいえば「あきらめかねる」ということである。またささたる小事に意を奪われ大事に着眼することのできぬというのも、吾人の意向を他に転ずることのできぬということより起こる、つまり失念術のとるところはそのいわゆる意向を転じ、注意を減ずるというより外にないのである。すべてわれわれが忘れたということは、真実にその観念が心中に消え失せてしまったという意味ではない。たとえその観念は残っていても意識中に再現することのないのを、これを忘れたという。そのわけは数年間忘れておったことが後に再現してくることがある。これは忘れたと思うたものの、その実、観念が一時意識の上に再現することができなかったので、数年の後にある機会に応じて潜んでおった観念が再現するに至れば再び思い出すようになる。要するに失念とか忘却とかいうのは、実際記憶中に存しておっても、自分の意力をもってこれを意識中に再現することをいうに過ぎない。故に絶対的の記憶もなければ絶対的の失念もない。失念するというのは比較的の話で、真個に根本的に失念するということは決してない。ただ意識面に浮かぶと浮かばぬだけの相違である。一度、目なり耳なりから入ったところのものは必ず脳髄のいずれの部分かに印象をとどめ、たとえ意識面に再現することができないにしても、脳中には永くその痕跡をとどめているべき理(わけ)である。もし意識面に再現することのできないときにはこれを失念といい、ふたたび現出しきたるときにはそれを記憶しているというだけのことである。されば、失念術は真の失念にあらずして、意向を転ずる術をいうのであると思うてよい。
五二 失念術の立案
さて失念術の利益と解釈はそれまでにとどめ、細かい心理学上のせんぎはやめにして、これより失念術の立案について一言しなければならぬ。失念術の必要なるゆえんはたやすく人をして了解せしむることができるが、その方法手段に至っては人をして満足せしむることはすこぶる困難である。もとより予といえども別に名案あるにあらず、新工夫があるのではない。しかれども予は年来このことに従事し、なんとかして世間の人が不幸、災難、病気等に際会したときに、その苦を忘却せしめて慰安を与えたいという考えから、多くの人に会うごとに、そのようの場合にはいかにしてあきらめるかということを質問し、人々のこれまで自ら工夫したる方法を集めて、ここに失念術の方案といたしたのである。世間多くの人のおのおのとるところのあきらめの仕方というものは、十人十色であって、もとより一定したる方法あるにはあらざれども、その目的に至っては同一にして、その帰するところは意向を他に転ずるというより外にないようである。つまりひとたび不幸災難に際会して長くそのことを憂慮懸念するのは、注意をその一点に集めてこれを散ぜしむることができないからである。故にもしその意向を他に転ずることのできる方法あらば、必ず不幸病患の人をしてたちどころに幸福の天地に遊ばしむることができる道理である。
五三 失念術の原則
いよいよこれより失念術の方法を述べるにつき、まずその原則いかんをも一言しておきたい。もしその原則を説明せんとするには精神全体の性質、作用、規則より始めなければならぬが、かくのごときはむしろ心理学の問題にして、到底ここに述べ尽くすことはできぬ。ただ実際上失念術の実行するにつき、特に必要なる予の仮定説を図面に現し、それについて失念術の応用を述べておこうと思う。すなわち上の図式が失念術の仮定案である。
この図上の大圏は精神全界を表し、その大圏中の小圏は各種の観念を現し、その観念中に特に三圏を選んでこれを甲乙丙の三観念とし、甲をもって精神の集合点とし、不幸災難等に際会せる場合に精神をその一点に集合するものと定め、たとえ不幸災難の経過後といえども自在に意向を他に転ずることができぬ故に、苦痛不愉快を忘却することができぬ。故にその点は苦痛の中心あるいは不平不愉快の中心と名づけてもよろしい。またその点が失念術を実行するに最も肝要なる点である。失念術の目的はその中心点を他に転ぜんとするのに外ならぬ。故にこれを目的点と名づけてもよろしい。この目的点に対して乙なる小圏に正しくその反対の観念を現すものと定め、仮にその点を反対点と名づけておく。このようにして吾人の意向を甲点より乙点に転ずることが失念術の目的とするところにして、これは直接の方法というものである。これに反して間接の方法がある。その方法たるや甲の観念を丙点に移すのである。その丙点は甲にも乙にも関係なき観念を代表するのであって、これを仮に無関係点と名づけておく。たとえば病気をもって示すに、甲は病気の観念にて、その点にすこぶる精神が集合して病気そのものを忘却することあたわざればますます病苦は増すものと定め、乙はまさしくこれに反する平癒回復の観念であって、もし意向を甲よりこの点に転ずることができれば病気そのものを忘れる。あわせて病勢を転じて回復の方に向かわしむることを得るに相違ないが、いかんせん甲と乙とは全く正反対にして、観念上かえって連合するようになる。われわれ精神の連合作用は前にも一言しておいたとおり反対から反対に連合するもので、寒いときには暑さを連想し、暑いときには寒さを連想する。かかる次第で甲を想起するごとにこれの正反対の乙を想起しやすく、乙を想起するごとにその反対たる甲を想起する傾きがある。故に甲をして乙に転ぜしめんとせば、乙よりもむしろ全く無関係の丙点に注意を転ぜしむる方がよろしい。すなわちその丙点は病気にも回復にも無関係の点である。あるいは天災の場合においても甲が天災の観念にして乙は天幸の観念、丙はこの天災にも天幸にも関係なき観念点である。かかる場合において吾人の注意を乙に転ぜしむるは失念術の目的なれども、実際においては甲の注意を丙に転ぜしむる方がかえって効力がある。そこでこれを間接的方法と名づけておく。そのことを左に箇条に現して示さば、
一、甲点の意向を反対なる乙点に移すこと、これを直接的方法という。(直接)
二、甲点の意向を乙に移す代わりに、殊更に丙点に注意を向けること、これを間接的方法という。(間接)
従来世人の多く用いきたれる方法は、みなこの二条の原則に外ならぬのである。
五四 第一原則の説明
そもそも失念術の目的は今述ぶるところの第一条の原則で足るといえども、第二の原理が実際上第一より必要なのである。もし吾人の力がよく甲点をただちに乙点に移すことができたならば、その平素憂慮苦心してその事柄をたちまち忘却することができるであろうが、人間の思想というものは各観念の間に連合する性質を有して事物の同類同種の間に連合するものと、ただちに反対したものの間に連合するとの両様がある。その反対の間の連合を心理学にて「背反連合」と名づけてあるが、前にしばしば申したとおり、寒と暑とは正反対なるをもって互いに連合し、貧富、貴賎、栄辱、苦楽等、みな正反対なるをもって、わが思想上互いに連合するの性質を有するから、甲の注意をその反対なる乙に移さんとするときには、連合の関係上、甲そのものを忘却することのできない事情がある。すなわち甲の注意を乙に集めるときは、これと同時に乙の注意を甲に集める傾向があって、甲の注意を乙に転ずる目的は甲そのものを忘れるためであることを心の中に想起し、甲と乙とともに失念することができないようになる。かくしてその二者の間は背反連合のためにますますその記憶を強くし、かえって苦心の度を高めるようになる。これはちょうど世間で病苦を免れようとして種々工夫すればするほど、かえって病勢を進め苦痛を重ねるような場合があると同じゆえんである。故に第一原則は失念の第一目的には相違ないが、これを実行するにおいては、いまだ方法のよろしきを得たものということはできない。
五五 第二原則の説明
つぎに第二の原則を考えてみると、その方法は甲の注意を甲にも乙にも関係のない丙に移す方法で、この点はもと甲乙二者に関係ないものであるから、互いに連合することなく失念の目的を達するにおいて多少の便利あることはいうまでもない。たとえば病苦を忘れんとするのは平癒の点に注意を起こすよりは、むしろ病気そのものに関係ない他の点に向かって注意を転ずるがよい。また天災の場合においてその不幸の観念を他に転ぜんとするには、天災にも天幸にも関係のない点に注意を移す方が、かえって天災そのものを失念する効力がある。しかしここに注意しなければならぬことは、たとえ甲の注意を甲乙に関係のない丙に引くは、甲そのものを忘れるには便利であるけれども、もし吾人にして甲の注意を丙に転ずるは甲そのものを忘れるためであることを知ったならば、やはり甲と丙との間に連絡を生じて、丙を思い出すごとに甲そのものを想起するようになる。されば、この方法といえどもいまだ完全なものということはできない。ここにおいて更に第三の原則を設けなければならぬようになる。これは第一、第二の外に別にあるのでない。ただ甲そのものを忘れるには、甲と乙との連絡および甲と丙との連絡をもあわせて忘れる方法を取るに過ぎない。言い換えれば、甲そのものを忘れるには甲と乙との連合、および甲と丙との連合のすべてが起こらないように失念する必要がある。しかしてその方法たるや、なるべく無意識的に甲の注意を乙もしくは丙に移す方法を取るをいう。つまり知らず識らずの間に甲観念を他に転ずる方法を取るのである。そこで結局、失念術の方法に対する原則は左の三つとなる。
第一、意識上甲の注意をしてその反対なる乙に転ぜしめること
第二、意識上甲の注意をして甲乙ともに無関係なる丙に転ぜしめること
第三、無意識上甲の注意を知らず識らずの間に乙もしくは丙に転ぜしめること
右三則のうち第三が最も失念術の目的を達するに便利である。第二はそのつぎ、第一はまたそのつぎである。しかして第三の方法中でも甲の正反対たる乙点よりは、むしろ甲にも乙にも無関係な丙点に向かって知らず識らずの間に注意を転ずる方が一層便利である。言い換えれば、無意識的に甲を乙に転ずるよりは、無意識的に甲を丙に転ずる方がなおその効力が多いわけである。
五六 正式と変式
以上の三則はともに正式の方法である。これに反して変式の方法がある。それは甲点の注意を他点に転ずるのでなくして、かえって一層の注意を甲そのものに集め、もってその迷いを看破するにある。たとえば病気を苦慮する場合にかえって病気そのものの上に一層の注意を与え、病気はなにものであって果たして恐るべきものであるや否やを自らその心に尋ね、ついに病気の憂慮するに足らないことを看破して安心する方法の類はすなわちこれである。その方法たるや前の方法と正反対で、前者はなるべく注意を遠ざけんとする方法であるが、後者はなるべく注意を集めようとする方法である。前者はなるべく無意識的に失念しようとする方法で、後者はなるべく有意識的に看破しようとする方法である。しかして両者ともに、憂苦そのものを忘却せんとする目的に至っては一である。ただその方法によって前者を正式的失念術と名づけ、後者を称して変式的失念術というておく。あるいは無意的と有意的とをもって分かつもよし。今その方法について述べようと思う。
五七 感覚的失念術
まず正式的失念術を述ぶるに、これに物理的と心理的の二種がある。物理的失念術とは身体の運動、血液の循環、衛生、体育等に注意し、身体そのものの上に種々の養成法を施し、その結果として精神の憂苦を消散せしめようとする方法である。むしろこれは間接の方法で、精神そのものの上にただちに失念術を施すものでない。かつその方法は多く医家の講ずるところで、予が今もっぱら述べようとするところのものではない。しかして予は直接に精神の憂苦を忘れる方法、すなわち心理的失念術を講ずるものであるから、これより心理学の範囲内でその方法を述べることとしよう。
心理的失念術には感覚に属するものと思想に属するものとの二種あって、前者を仮に感覚的失念術と名づけ、後者を仮に思想的失念術と名づけておこう。しかして感覚的失念術は、五感あるいは有機感覚上において吾人の注意を外界の事物に移し失念せしむる方法である。その種別を示さば左のとおりとなる。
一、視覚的失念術・・これは視覚上の失念術で、視覚は大いに人の注意を引き精神を奪うものであれば、美色麗容を見ればいかなる人でも多少その心を楽しましめるを得るごときものである。
二、聴覚的失念術・・これは聴覚上の失念術で、耳に好音美声を聴けば同じく人をしてその苦を忘れしめるがごときものである。
三、触覚的失念術・・触覚上温湯に浴し、もしくは軽衣を着て多少愉快の感を起こさしむるがごときものである。
四、嗅覚的失念術・・嗅覚上薫香をかいで憂いを忘れるの類である。
五、味覚的失念術・・味覚上美味を食して苦を忘れるの類である。
六、体覚的失念術・・これ有機感覚上の失念術で、体温、血行、栄養、運動等がよろしきを得てよく憂苦を消するがごときをいう。酒を飲んで愉快を感ずるがごときもこの一例とみなしてよい。これはさきに述べた物理的失念術に関係のあることはいうまでもない。
この感覚的失念術は多く美術に関係を有するけれども、美術のごときはその実感覚以上の情操で、高等の思想によって生ずるものである。故に美術によって失念するは、感覚的失念術というよりもむしろ感覚以上の失念術といわねばならぬ。故にここに掲げた失念術は高等の思想と関係のない単純な感覚的失念術であるけれども、なおよく実際上吾人の憂苦を忘れる上に大いに力あるものである。ことに思想の発達しない者あるいは無智不学の輩に至っては、このいわゆる感覚的失念術によるのでなければ他に憂苦を忘れる道を持たないのである。しかしてこの失念術について注意すべき点は、その感覚するところのものとその憂慮するところのものと毫末も関係のないものを選ぶことが必要である。もしその間に寸分の関係連絡のあるときはたちまち前のときの連想を喚起し、憂苦を滅せんとしてかえってその度を高めるに至る。なお一の注意点は、自己の意に適するものを選ばなければならぬ。もしその感覚するところのものが自己の意に適せず、あるいは寸分の興味を有せないものであってはただにその効力がないのみでなく、かえって反対の結果を見るようになる。故に感覚的失念術において注意すべき要点は左のごとくである。
第一、その感覚するところのものは、平素憂慮するところのものと少しも関係を有せざるものを選ぶを要すること。
第二、その感覚するところのものは、なるべくその心に嗜好し、またおのずから興味を有するものを選ぶを要すること。
以上の二条はひとり感覚的失念術のみならず、思想的失念術においても同じく注意すべき要点であるけれども、今ここに感覚的失念術の要点としてその条目を示したのである。
五八 思想的失念術
つぎに思想的失念術を述ぶるに、これまた種々の方法あれども、みな感覚的失念術よりは高等であって、高等の思想を有する者でなければこれによってその目的を達することは難しい。かつ感覚的失念術は即席一時のもので、現に外界より刺激を感受する間に限るけれども、思想的失念術はしからず、よって二者の高下がその等級を異にするわけを知ることができる。けだし人の人たるゆえんは全く高等の思想を有するにあるのであれば、なるべく吾人は感覚的失念術よりはむしろ思想的失念術をもって精神の憂苦を消し、快楽を得ることを願わなければならぬ。しかしてその方法は、思想そのものの力により平素その心に憂慮するところのものに反対した観念、もしくは無関係の観念に意向を転ずるにある。その方法は人々自ら工夫するところで、もとより一様でない。今その二、三を挙げてみると左のごとくになる。
一、再現的失念術・・(甲)一身の幼少なるときを追憶し、その当時の快楽を想起し、もって自らその心を慰めるがごとき、(乙)あるいはまた古来の歴史上の事跡を回想し、その当時の愉快な状況を再現し、もって不平を消遣するがのごとき類がこれである。
二、想像的失念術・・(甲)想像上いまだかつて経験見聞しない黄金世界あるいは極楽世界を心頭に描ききたり、もってその心を楽しましむるがごとき、(乙)あるいはまた古人もしくは自己の詩文の趣向風致を工夫玩味し、もって想像上の快楽を感起するがごとき類がこれである。
三、推理的失念術・・(甲)智力上理学の原理原則を考定し、あるいはこれを応用して新器械、新工夫を発明し、もって憂苦を忘るるがごとき、(乙)あるいはまた理想上万有の哲理、宇宙の真理を推究し、もって自己を忘るるがごとき類これである。
四、世外的失念術・・(甲)老荘のごとき虚無恬淡の道を講じ、無為自然の理を楽しみ、もって世間の不幸災難を心頭に掛けざるの類、(乙)あるいは仏教のごとき出世間解脱の法を講じ、もって世外に超脱して喜憂の外に独歩するの類これである。
五、理外的失念術・・(甲)坐禅観法等によりて心を道理以外、相対以上の境遇に遊ばせ、もって自適するがごとき、(乙)あるいはまた信仰崇拝等によって心を理外なる神仏天帝に帰し、もって自ら安んずるがごときこれである。
これを要するに、思想上憂苦を忘れる方法は、宗教をもって最も力ありとし、なかんずく、宗教上信仰作用をもって最も効ありと思う。吾人もし神仏を信じてこれを崇拝するときには、その憂苦を他に転ずるに効力あるのみならず、その信者は一心に、神仏の愛恵慈悲を信念するから、いかなる憂苦もたちどころに消散してしまう。ことに宗教は世間以外の道を講ずるものであるから、吾人の世俗社会の上に有する一切の不平不満は、これを除くにおいて最も効験のあるべき理(わけ)である。以上の諸方法中には再現、想像、信仰に属する精神作用があれども、これみな、感覚以上精神内部に属する失念術なれば、これをすべて思想的失念術と名づけておく。
五九 美術的失念術
つぎに感覚と思想と相合した失念術がある。その二、三を挙げると、第一に住居を移し境遇を転じ職業交際を変ずる等で、土地境遇を変ずればただその感覚を異にするのみならず、また大いに思想上に変動を生じ、よってもって注意を他に転ずることを得るものである。しかしてその境遇はなるべく風景の秀美で天気の爽快な場所を選ぶ必要がある。ことに土地静閑でかつ清潔なのをよしとする。かくのごとき境遇に住するときは、物理的失念術と心理的失念術とを兼ねることができるのである。これを仮に転境的失念術という。その効験に至っては喋々するまでもない。第二に遊興遊芸によって失念する方法がある。たとえば碁将棋のごとき演劇のごとき落語のごとき、みな大いに人の思想を他に転ずるに効力がある。また絵画のごとき建築のごとき園芸のごときも、人をしてその憂苦を失念させる力がある。みなこれ感覚思想の二種に関係を有する方法である。しかしてこの遊芸遊興の種類中には、転境的失念術と同じく心理的のみならず物理的失念術にも多少の関係を有するものがある。以上第二種の失念術は遊興的、あるいは美術的失念術と名づけてよい。しかして変境的失念術、遊興的失念術の二者は、その見聞接触するところのもの、なるべく平素憂慮するところのものに関係ないものを選ぶを要す。もし多少の関係あるときには、必ず連想上憂苦を喚起して失念の妨げとなることは感覚的失念術に同じ。第三の方法は口吟朗読法である。たとえば世間であるいは無聊(ぶりょう)に苦しみあるいは不平に堪えざるときには高声で詩歌を吟詠し、あるいは文章を朗読しあるいは謡曲あるいは義太夫のごとき、おのおのその好むところに従つてこれをその声に発すれば、大いに憂悶を消遣するに功がある。あるいはまた経文を読誦(どくじゅ)するも同様の功がある。あるいは宗教信者が念佛を唱え題目を唱うるときは、知らず識らずの間に意向を転換することを得るものである。けだし発声は一種の妙用を有し、その力によって理想の真相を感発し、知らず識らずの間に人をして憂悶を消散して快絶の境遇に遊ばしめる。これ実に音声の妙用といわなければならぬ。以上の諸術を表示すると、
一、転境的失念術・・転居、転宅、転業等これに属する。
二、遊興的失念術・・遊芸、遊観、遊楽および二、三の美術等これに属する。
三、発明的失念術・・音楽、謡曲、唱歌および朗読、諳誦のごとき、みなこれに属するものである。
この三種の失念術は感覚思想の二者に関係した失念術の主要なものである。しかしてその諸術は要するに美術的失念術の範囲を出ない。よってこれを総じて美術的失念術と称してもよろしい。なお後に更に美術と失念との関係を述ぶるつもりである。
六〇 一種の別方法
上述の失念術とややその性質を異にするも、ここにまた一種の方法がある。その方法は、人をして静閑無事の境遇におらしむるは一般に失念に効験の多いものとせられておるが、ときにはかえって静閑そのものが一層の注意を集むる媒介となり、憂苦の度を高めることがないとも限らぬ。今、他の例を引いてこれと比するに、夜中吾人の眠りに就くには一般に静閑なのがよい。しかしあまりに静閑に過ぎるとかえって睡眠の妨げとなることもある。これはつまり四面更に精神をひくものがないから意識がかえって心内のある一点に集合し、これを他に散ずることのできざるによる。かくのごとき場合には、多少外界にわが感覚を引くものがあるを要する。たとえば溪流の潺々(せんせん)たる音、秋雨の蕭々(しょうしょう)たる松韻虫語のごとき、または灯光月影のごとき、いやしくもわが枕辺に触るる物があればかえって睡眠を促すに効があると同じ理由(わけ)で、静閑無事の境遇におるはかえって精神を一点に集合するの助けとなり、したがって失念の妨げとなるものである。これに反して身を多事多忙の境遇に置き、終日奔走して寸隙を得ないときは、いかに憂慮すべきことがあってもそのことに懸念するいとまがなく、かえって失念の助けとなるものである。また幽邃静閑の地にいるよりはかえって繁華雑沓の地におる方が、意を四方に注ぎ自然に失念の助けとなるものである。これらの場合は前述のものとその性質を異にするも、やはり同種類の失念術であれば、これを感覚兼思想的の別方法としてここにあわせ論じたのである。
以上はこれを心理学上における智、情、意三種のうち、多く情と智とに関係するもので、なかんずく、情に関係するものである。故にその方法の主要なものは、多く美術もしくは宗教によるもので、しかしてその美術はただ人工の美をいうにあらず、天然の美と人為の美とを合わしたるもので、この二者はともに人をして苦を転じて楽を得せしめる力を有するものである。さきにいわゆる転境的失念術は主として天然の美により、遊興的失念術は主として人工の美による。しかして美術は人の情を動かしこれを和らぐるものであるから、感情的失念術の主要なるものということができる。しかしながらその方法たるや、即刻一時に功を奏することが難しく、必ず反覆数回これが習慣を養わなければならぬ。もしその心に憂悶するところの習慣ができたならば、これを医するには一層強い習慣の力によらねばならぬ。なんとなれば天災不幸に際会して、すでにその災難の経過した後までもわが心に懸念を続けているのは、畢竟、習慣の惰性であるから、これを医する法は反対の習慣によらなければならぬ。
六一 哲学的失念術
正式的失念術を講了したから、今度は変式的失念術を述べようと思う。これには二種あって、第一は道理をもって看破する方法で、これは全く智力の作用に属している。第二は意力によって抑制する方法で、これは意志の作用である。すなわち前者は智力的失念術で後者は意力的失念術である。しかして二者ともに無意的でなくて有意的である。これに反して前述の正式的失念術は無意的である。かように失念術について有意無意を分かつたのは、前にも説明したごとく、正式的失念術はなるべく知らず識らずの間に失念せしむる方法で、変式的失念術は十分なる注意、思想もしくは意力によって失念する方法をとったとの別があるからである。しかして今まず智力的失念術よりこれを述べると、これにまた数種ある。
一、哲学的失念術・・これは哲学上の道理によって直接に病患の病患とするに足らざることを看破し、不幸の不幸とするに足らざるゆえんを達観し、これによって満足するの類をいう。(甲)あるいは積極的に宇宙観、世界観、人間観をなすものもあり、(乙)あるいは消極的に宇宙観、世界観、人生観をなすものもある。そのいわゆる積極的に観察するものは楽天教の性質を帯び、消極的に観察するものは厭世教の主義に合するに至る。たとえば積極観をなすものは不幸の世界を看破してその上に円満の妙境を開発し、多苦の人生を達観してそのうちに幸福の楽園を発見し、もつて自ら満足するに至り、消極観をなすものは人間の一生を夢幻のごとくに観じ、富貴利達を浮雲朝露のごとくに観じ、その間いかなる不幸に遭遇するも、これを夢幻視してすこしも意に介せざるに至るの類である。
二、心理的失念術・・これは心理学上精神作用を分析して苦楽喜憂の生起するゆえんを論究し、よってもって安心する法をいう。たとえばその一(甲)は体象二元論で、精神そのものを心体心象の二元に分かち、苦楽喜憂の変化はひとり心象の上にあるのみで、心体に至っては不生不滅変化、すこしも生死や幸不幸のため動かされることはないと信じ、一身の栄辱利害をすべて対岸の火災視してあたかも他人の不幸のごとく観じ、更に心頭に懸けざるの類である。その二(乙)は苦楽相対論で、いかなる観楽も永くその地におれば観楽でない。これと同じく、いかなる苦患も久しくその境にとどまれば苦患でない。またいかなる金銀財宝もすでにこれをわがものとすればさほど楽しいものでない。これと同様にいかなる無資産もよくこれに満足すれば決して苦しいものでない。故に富貴の者必ずしも幸福でなく、貧賎の者必ずしも不幸でない。表面上これを見れば富貴の者は観楽のみを有するがごとく見えるが、内心に入って考うれば貧賎の者の知らざる憂苦を有するものである。また貧賎の者は外面から見れば苦痛に堪え難いありさまを示すも、内心に入ってみれば富貴の者の知らざる快楽を有している。けだし苦楽、幸不幸の度は金賎財宝の多少をもって測るべからずして、ただその心に満足するとせざるとによってわかれるのである。故に富貴の者といえども満足することができなければ不幸であり、貧賎の者といえどもいやしくもその心に満足するところがあれば幸福である。世に不幸な孤独、廃疾、乞食といえどもみなその心に多少満足するところがあれば、必ず幸福の一生を送るであろう。これらの道理を心理学上から論究してその心を慰むるなども、心理的失念術といわなければならぬ。
三、宗教的失念術・・宗教に立てているところの一定の道理によって安心する方法をいう。たとえば(甲)仏教の因縁業感説に基づき、一切の不幸病患はすべて過去前世の宿縁業報であると信じて、たやすくあきらめるがごときその一である。あるいは(乙)儒教の天命説に基づき、人生の吉凶禍福はすべて天命天運のしからしむるところで、人力のいかんともすべからざるものと信じ、これを憂慮するの愚なることを知り、万事みな天に帰してあきらめ、よってもって満足するがごときもその一である。あるいは(丙)ヤソ教の上帝予定説に基づき、人間の利害得失はみな上帝の予定せるところで、吾人の随意に動かし得べきものでないと信じて安心するがごときもその一つである。
四、経験的失念術・・とは通俗の経験に照らし、事実上苦難不幸を看破する方法をいう。たとえば(甲)比較的自分の不幸を看破するに、他にはこれより一層大なる不幸があるということを対照して、自分の不幸のいまだ不幸とするに足らざるを知りその心を慰むるがごときをいう。ただし不幸の人といえども広き世間に比較を求むるときは、他にこれより大なる不幸あるを発見し、己の不幸を慰むるがごときは経験的失念術の一種である。今、病気についていうても人の病体の重症なるは、自らその病をもって普通の病症よりも重いと考え、軽症もついに重症となるためしは少なくない。世上多く朋友の病気を問うに、なるべく病気に関する談話を避けて、病苦を閑却せしめんとするを通例としているが、しかしときによっては、一層重い病人あることを比較してその病症の軽いことを告ぐるのも、かえって病人に勇気をつける一助となるものである。あるいはまた(乙)社会の実況に考えて、吾人の一生は幸福が割合に少なくして不幸が多く、一時の楽あって永久の苦あるを常としている。表面上、絶対的の快楽なるがごとくに見えても、その裏面には多少の不幸を蔵せざる者なく、巨万の財産を有する者であるいは虚弱多病の者もあり、あるいは不幸短命なるもあり、あるいは早く妻子に別れたり、たのむべき子孫のないのを嘆く者もあり。これらの事情を参酌して考うるときは、不幸苦難は人世の常態、かようの世に生存する以上は不幸に際会するのはもとより当然のことで、怪しむに足らずとなすがごときは、多苦論者の経験的失念術というべく、あるいは(丙)禍福吉凶は循環してくるもので、幸福の後には不幸あり、不幸の後には幸福あり。今日の不幸は明日の幸福ある前提とし、今年の不幸は来年幸福の予告なりと信じて、たとえいかなる不幸に遭うも自らその心に満足するごときは、これまた一種の経験的失念術というべきである。
以上はみな智力思想に関する失念術で、これを哲学的、心理的、宗教的、経験的の四類に分かったが、もしこれを概括すれば哲学的失念術の一類に帰してしまう。
六二 意力的失念術
つぎに意力的失念術を述べなければならぬ。平生ささたる小事が心頭に懸かって、ために憂悶を起こし不平を醸し憤怒を発する等のことがあるときは、大意力をもってこれを制止し、更に心頭に懸けざるに至るがごときも、またこれ一種の失念術である。これに道徳的と宗教的との二種がある。
一、道徳的失念術・・道徳上の克己によって制止する方法で、たとえその心に不平があって憤怒せんと欲するも、よく高等の道徳心によって抑制してその心を鎮静するの類をいう。
二、宗教的失念術・・宗教上の戒法や定法によって制止する方法で、人生なにごとも意のごとくならざるを憤り、悪念を発せんとするに当たり厳正なる戒法をもって意力を鼓舞し、これによって制止するの類をいう。仏教の戒律宗の戒はすなわちこの宗教的失念術で、意力的制止の一種である。また禅宗の禅定のごときは、精神上より大意力をもって諸迷を払い去る一種の失念術である。
かくのごとく意力的失念術には道徳宗教の二種あれども、その実、道徳の一範囲を出でない。これ全く精神の一大勇力のいたすところである。およそ世のいわゆる豪傑はひとり思想力に富むのみならず、また大いに意力に長じて区々たる些事小件に懸念せざるはもちろん、千辛万苦をおかしてよく大事を成就する者である。けだしこの不幸災難多き世界にあって百折不撓倒れて後やむの精神をもって、いかなる艱難が目前に横たわってもよくこれを排し、鋭意熱心、ついに功立ち名を成すことのできるは、やはり意力的失念術によるのである。
六三 失念術の全表
以上述べきたった種々の方法を一括すると、すべて人間の小事に苦心するは、主として感情の影響で、情そのものの上に一切の憂苦を失念させる方法は、美術や宗教の力を待たなければならぬけれども、また智力によってその迷いを看破し、意力によってその情を抑制することも、ともに憂苦を消散失念するに効力がある。そこで左に各種の失念術の総合的全表を示すこととした。
もしその主要なるものについてこれを分かったならば、正式中の心理的失念術は美術および宗教の範囲を出でず、変式中の智力的失念術は哲学の部門に帰着し、意力的失念術は道徳の一法に合体することになる。しかして以上の分類は畢竟主観的心理作用の上について定めたものである。もし客観的事物についてその種類を分かったならば、風景的、美術的、世界的、人間的等の名称を設けられる。しかしてこの諸方面の目的とするところは、みな意向を他に転じて注意のある一点に集合する度を減じ、ついにそのことを失念させるに外ならぬ。これ予が失念術と名づけたゆえんである。ただその諸方法中、いずれの方法が最良とすべきかという問題に至っては、も
失念術 正式的(無意的) 物理的
心理的 感覚的 視覚的
聴覚的
触覚的
嗅覚的
味覚的
体覚的
思想的 再現的
想像的
推理的
世外的
理外的
感覚兼思想的 常 則 転境的
遊興的
発声的
別 則
変式的(有意的) 智力的 哲学的 積極的
消極的
心理的 二元論
相対論
宗教的 業報説
天命説
予定説
経験的 比較上
多苦上
循環上
意力的 道徳的
宗教的
とより一定した答えを与えることはできない。なんとなれば、人の性質が一つでないからその方法もまた一ならざるべきである。しかしてこの正式的変式的の二種のうち、普通一般に用うるものは正式的方法であって、変式的方法のごときは精神思想の大いに発達した者でなければ、その功を奏することはなはだ困難である。また失念しやすきと難きとは記憶の強弱と同一で、大いに人の資性のいかんに関するものである。けだし人には生来小事小患に懸念する性質の者と懸念せざる者との別がある。また一事一物に深く執着する者と執着せざる者との別がある。またなにごともよくこれをあきらめ得るとあきらめ得ざるとの別がある。もしその最もあきらめ難い性質の者においては、いずれの方法を用いても十分な効験を見ることができぬにしても、種々なる方法中には甲の方法より乙の方法は比較的にその人の性質に適することあるは明らかである。故にもしその適するものを選んでこれを応用すれば、たとえ十分の成績は見られずとも、多少の効験あることは疑いない。故にその方法たるや、なるべくあまたの種類を集めて、その人の資性に適合したものを用うる方針をとらなければならぬ。要するに、仏教のいわゆる応病与薬主義が必要と思う。
六四 失念術の結論
予は年来、世間に失念術を講ずる者なきために、不幸不平の人が多くてもこれを救済する道なきことを遺憾とし、人々についてその方法を質問し、その結果を統合して最良の失念術を考定せんとして今日に至っているが、いまだ十分な成績を得たというに至らぬ。しかるに先年来、世間に記憶術の問題が起こってその効能を吹聴しているを聞き、予は世人の注意を記憶術よりむしろ失念術に向かわしめんと思い、この問題を掲げその種類要領を示したもので、もし世人がこれによって研究を重ねていったならば、他日良法を案出することは必ずや難くないであろう。元来吾人の憂苦病患は、肉体上より発するものと精神上より起こすものとの二つあって、肉体上より発したものも精神作用のこれに加わるので、ようやくその勢力を増すに至ることは、種々の事実に照らして明らかである。すなわちその原因は小事小患に懸念してこれを忘却することのできないによる。また種々の病症は医術医薬の力によりて効を奏するというも、精神作用がこれに加わってその助けをなさざるものは、ほとんどない。これをもって一方では医薬医術をこれに施し、他方では失念術をこれに与え、内外相まって初めてその功を奏せしむべきである。ことに精神諸病に至っては、医術医薬のごときは間接中の間接なる治療法に過ぎない。そのいわゆる直接の方法は失念術を応用するに外ならぬ。これ予が自ら失念術を講究し、あわせて世人に勧むるゆえんである。
かく述べきたると予は記憶術そのものの功用を知らざるがごとく見えるも、決して記憶全廃説を唱うる者ではない。そもそも失念そのものは記憶があって後に存するもので、記憶を廃せば失念もまた廃せられる。故に記憶の必要なるは失念の必要なるよりも大なることはもちろんであるが、前述のごとく世人はただ記憶術の利あるを知って失念術の用あるを知らないから、予はここにその効用を述べたのである。けだし吾人の性は記憶しなければならぬことはかえって失念し、失念してはならぬことはかえって記憶し、善事は失念しやすく悪事は記憶しやすい傾向がある。これ吾人の大いに憂うるところで、願わくばその記憶すべきことを記憶すると同時に、失念すべきことを失念し得られるようになりたい。かつそれ世間にいわゆる記憶術なるものは天性の記憶力を進長する方法ではなく、一時の記憶を助くる媒介を為すものに過ぎないから、実際上さほどの功益あるものでない。故に予はかくのごとき記憶術よりはむしろ失念術を講ずる方が非常に今日有益であることを信じ、図らず失念術の一端を講述するに至ったのである。
六五 失念術の心理経済法
以上喋々述べきたりしところは、主として人をして病患を忘れ憂苦を忘れしむるにあれども、もしこれらの失念を実行することができれば、心内脳裏に存する不必要の部分を意識面より取り除き、すなわち失念することができるに至るものである。もしいよいよ病患憂苦を忘却することができれば自然に精神内に余裕を生じ、他の記憶をいれる余地のできるようになる。すでに余地がありさえすれば、更に必要なる事項を脳中に入れてたやすく記憶し得るのみならず、その観念を自在に運転活用することができるようになる。小児のときに記憶のよきも、心室空虚にして余地のあるためである。もし失念術によって心室を空虚にすることができれば、記憶は自然に進む道理である。あたかも田畑に種をまくには雑草を取り除かなければならぬごとく、心内に新知識の種をまくにも雑念の草を取り除かなければならぬ。その雑念の草を取り除くのが失念術の受け持ちである。故に失念術を実行し得るに至れば、記憶術は求めずして自然に実行し得らるるに至る道理である。この道理によって予は失念術すなわち記憶術なりと申している。決して失念術の外に記憶術を求むる必要はない。これがすなわち予の記憶術の新案と申す次第である。今日の人はただみだりに記憶せんことを努めるが故に、かえって精神を過労せしめ、神経衰弱を起こさしめ、煩悶病を発生せしむるようになる。これと同時に思想力、論理力を損なうに至るのが今日一般の通弊である。そこでその弊害を救うには記憶術よりも失念術を実行させなければならぬ。とかく今日の教育は詰め込み主義といわれている。また学生は脳中に詰め込みさえすれば智者学者になれるとばかり思うている。この弊を矯め直さんと思い、前にも述べたごとく予は学問上の教外別伝を唱え、世間の多読主義に対して不読主義を唱えているのである。これと同じく世間の通弊を除かんがために記憶術の教外別伝を唱え、記憶せんよりはむしろ失念せよ、これすなわち記憶術の新案なりと申しているのである。すでに失念術はわが脳中に存在している不要の物を取り払う術であり、有害なるものを取り除く術である。しかるときはひとり記憶を進めるの益あるのみならず、知識をその必要に応じて運転活用することができ、心理経済の道理にかなう方法である。経済には物質的経済と精神的経済との二通りあって、普通の記憶を取り除いて有益の記憶をとどめ、これによって知識を運転活用する余地を与えしむるはすなわち精神的経済法というものである。それで失念術は教外別伝の記憶法にして、かつ心理経済の秘訣と名づけてよろしい。
六六 全講の帰結
最後に全講を一括して表示すれば、
記憶術 一、迷信的
二、通俗的一〇法 (一)連帯法、(二)付加法、(三)仮物法、(四)略記法、
(五)統計法、
(六)句調法、(七)分解法、(八)転気法、(九)集注法、
(一〇)作話法
三、方術的 七法 (一)接続法、(二)寓物法、(三)心像法、(四)配合法、
(五)代数法、(六)代字法、(七)算記法
三、学理的 三法 身 体 上
精 神 上
身心相関上
四、新案的―この表は前に掲げたれば略す
このうち迷信的、通俗的、方術的、学理的は世間にてすでに応用する記憶術なれば、旧案的に属し、予の案出せるものだけが、新案的である。しかしてここにその新案を主眼として講述せるものなれば、本講を題して新記憶術と定めたる次第である。
この五通りの記憶術を仏教に比較したならば、迷信的は外道に当たり、通俗的は小乗に当たり、方術的は権大乗、学理的は実大乗中の華厳、天台等に当たり、新案的は禅、浄土等に当たると申してよろしい。この新案的こそ記憶術の極意にしてしかも実際である。そもそも人が記憶を強くしたいというのは仏教のいわゆる我執である。この目的を達するために種々の方法を要求するのは法執である。かかる一切の我法二執を離れ、高尚の学理に基づきながらしかも学理の裏面を取りて実際に適応しきたりたるものは、予のいわゆる新案的記憶術である。
第七講 余 論
六七 記憶力試験案
記憶術に関し参考用として付け加えおきたいことがある。先年記憶術を講究せし場合に、予が記憶術強弱試験法を案出して学校生徒について実験してみたことがある。その結果は先年『哲学雑誌』および『妖怪学講義録』中に掲げたことがあるが、今記憶術を講述するに、参考上最も必要であろうと存じて左に転載しておく。ただし本文のままを写録せるにつき、前述のものと多少重複するところもあるであろう。
そもそも記憶とは過ぎたるときに起こりし事柄の再現、再生に属する知識なり。しかれどもこのいわゆる記憶と再現とはその意味同一なるにあらず、また記憶そのものと、保持あるいは把住とはその別あることをも知らざるべからず。すべて保持もしくは把住と称するものは、外界より与えし印象を心内にとどめおくことを意味する言辞にして、その事柄の意識に現るると現れざるとは問うところにあらず。しかるに今記憶にありては、その記憶したる事柄が意識の表面に浮現して、一の知識とならんことを要するなり。つぎにまた記憶と再現との異同を考うるに、再現とはすべて吾人の心内に現出する観念に名づくる言辞にして、直接に感覚、知覚上に見聞覚知したるものを除きて、その他の心内に出現したるものはみなこれに属するなり。しかして記憶ももとより再現の一種なりといえども、すべての再現はことごとく記憶なりというべからざるなり。ある心理学者は記憶を解して、不変再生の能力なりといい、また他の学者は、記憶は再生の義に信憑の意を含有するものなりといえり。かくのごとく記憶は再生したるものについて、このことは過去において確かに起こりしものに相違なきこと、すなわち不変の再生たることを証明信憑する意味を、自然に含有するが故に、これを再生もしくは再現に比すれば、多少その意味に制限あることを知るべし。ここにおいてか、記憶と保持および再現再生とは、その意味おのずから異なるところあること明らかなり。
つぎに知覚と記憶との別は説明を要するまでもなし。すなわち知覚は直接に外界に接触して起こり、記憶は過去に起こりし事柄の再現せしものなればなり。しかれども知覚には多少の記憶を含めることまた疑うべからず。たとえば目前にある一物を認識するはすなわち知覚作用なれども、その他に過去において該事物を認識したりとの記憶ありて、これを幇助するものなり。されば、記憶明瞭なるときは知覚もいよいよ明瞭なり。その他、一物を他物と弁別し契合するがごときはみな前時の記憶を要するなり。更にまた記憶と想像とを比較するときは、その異同問わずして明らかなり。すなわち記憶は過去の知覚を再現するのみにして無経験、未生起のことを現ずることなしといえども、想像に至りては、かつていまだ経験せざる未知の事柄を構成現出せしむるものなり。
以上のごとく叙述しきたるときは、ひとり記憶のなにものたるかを知るのみならず、また記憶を生ずるにいかなる事情を要するかをさとるべし。すなわち記憶にはまず前時の経験を要す。前時の経験なきものは記憶することあらざるなり。しかしてたとえすでに前時の経験ありて心内に保持したりとするも、もしこれを誘発する原因なくんば、右の経験は意識の上に再現するものにあらざるなり。すなわち記憶をよび起こすところの誘因は直接のものにして、記憶を生じたる本因は過去に属して間接のものなり。両者その一を欠くべからず。されどもこの間接直接の原因の外に、なおわが心内の作用すなわちいわゆる主観的作用の加わらんことを要す。たとえば一の記憶について、このことは過去に起こりしものに相違なきことを承認するがごときは吾人の主観作用なり。その他また明瞭なる記憶を得んと欲せば、その事柄に時間を配置して、およそいずれのころに発起せしものなるかを明らかに認めんことを要するなり。最後に記憶作用に必須なるものは「我」すなわち自己の観念これなり。もしわが心内に前後にわたりて一定不易の「我」すなわち自己なる観念なくんば、記憶そのものは決して存立すべき理なし。いかんとなれば、記憶は過去に起こりしことを再現承認する作用なり。しかるにわが心において過去の「我」と今日の「我」と相異なるものならんには、換言せば吾人の心内の事情は時々刻々変化あるのみにして、その裏面にこれらの変化する諸心状を一致統合すべき唯一の「我」なくんば、昨日の「我」は今日の「我」にあらず、今日の「我」は昨日の「我」にあらず、これをいかんぞ記憶の存立すべき理あらんや。この故に、記憶には前後終始を貫きて一定不変なるところの「我」なるものの存することを認めざるべからざるなり。この点よりみるときは、今日唯物論者および経験学者は、記憶を説明して客観的原因のみに帰すといえども、これのみにてはいまだことごとく記憶を説明し難きこと明らかなり。換言すれば、記憶は外界と内界との原因より成るものなり。
つぎに記憶にはさまざまの種類あり。あるいは感覚に関するものあり、あるいは思想上の事柄を記憶するあり。しかして感覚上には、あるいは眼境または耳境のある特殊のことに関する種々の記憶あり。また記憶には自然に発動するものと、意志を用いて生起するものとあり。故にこれを無意的記憶と有意的記憶とに分かつことを得べし。しかして有意的記憶は注意力を用いて過去の事情を追懐せし上、わずかにこれを思い出すものなれば、これを名づけて想起というなり。
つぎに記憶の発達についての事情を考うるに、あたかも再生の事情と同一なるを見るなり。すなわち最初ある事柄を経験せし節に、その刺激強くして印象の深かりしものは、永くかつ明らかに記憶することを得、また最初の経験の際にわが注意をひくこと強かりしものは、久しく記憶に存することを得べし。その他、時間経過の遠近は記憶の上に大なる変化を与うるものにして、ある事柄を経験せしのち多くの時間を経ざるときは、その記憶明瞭なれども、そのこれを隔つること遠きに応じて漸々に消失すべし。この故にしばしば反覆せしもの、すなわち日々時々繰り返して習慣となりしことはその記憶もまた強大なり。また記憶は他物と連帯しやすきものは忘れ難く、連帯すること因難にして単独なる記憶はただちに忘失する傾きあり。これ記憶は思想の連合と関係するものにして、連合の強きときは記憶もまた強大なればなり。記憶の強弱には以上のごとき事情あるをもって、心理学者リボー氏は『記憶の病症』と題する書中において、いかなる事実は失忘しやすく、いかなる事柄は失念し難きものなるかを示せり。今その記するところによれば、感情に関することは思想知識に関することよりは失念し難きものなり。たとえば書物の上にてなんらの興味なく読習せし事柄に比すれば、なににても感情を動かして興味を感ぜし事柄は久しく忘れ難きものなり。また行為すなわち意志に関することに至りては一層忘失せざるものなり。その他、文字の記憶についても種々の研究を施ししが、その結果によれば、第一に忘るるは人名地名のごとき固有名詞にして、そのつぎは普通名詞、つぎは形容詞、つぎは動詞と、失念するに前後難易の別あることを明示せり。かくのごとく記憶には強弱難易の相違あるをもって、予も一の方法をもってこれを試みしことあり。今、左にその試験の方法および成績を掲ぐべし。
六八 記憶力試験成績報告
余かつて日本人の記憶力を試験して教育上に適用せんことを思い、一昨年以来通信講学会会員に請うて各地の小学中学在学の子弟について実試し、その成績を『哲学会雑誌』に掲載したることあり。今その成績について本館(哲学館)生徒の記憶力を試験したれば、その方法および結果の大略を述ぶべし。
およそ記憶力の試験法に種々あれども、余が用うるところは視感にて試みる法と、聴感にて試みる法の二種なり。聴感試験法は普通の文句若干を集め、これを朗読し、試験を受くるものをして謹聴せしむるの方法を用い、視感試験法は普通の文字若干を集め、これを板上に書し、試験を受くるものをして熟視せしむる方法を用う。その朗読によるものを第一試験法と称し、その板書によるものを第二試験法と称するなり。たとえば第一試験法に用うるところの文句は、「秀吉は東洋の豪傑なり」、「東京に一〇〇万の人口あり」、「太陽は恒星の一なり」、「孔子『春秋』を作る」等のごときものなり、第二試験法に用うるところの文字は、「寒、見、海、美、心」等の類なり。しかしてその方法ならびに注意は左にほぼ明かすべし。
第一試験法規則ならびに注意
一 能試者一人ありて、所試者若干名を一室に集め、おのおの紙筆の用意をなさしめ、座定まりて後、能試者はそのあらかじめ作りおきたる文句およそ五〇節を高声にて朗読し、一回読み終われば再び始めより朗読し、二回の朗読終わりて後、能試者は所試者をしてすでに用意したる紙筆を取らしめ、その文句中の記憶したるものをことごとく紙上に写記せしむべし。所試者これを写記し終われば、能試者はその紙を取り集め、文句幾節を記憶せしかを数えて、各所試者の記憶力を試むることを得るなり。
二 前後二回の朗読は、つとめて語韻の明瞭にして、所試者をして明らかに聴得せしむることを要す。
三 朗読の間はもちろん、朗読の後といえども、決して所試者より質問を起こすことを許さず。所試者は黙聴してただ一心に能試者の読むところの文句を記憶することを努むべし。
四 試験の前に所試者をして決して朗読の文句を知らしむべからず。
五 朗読の後、所試者をしてその記憶したる文句を写記せしむるの時間は三〇分ないし一時間をもって限りとす。
六 所試者の列に加わるものは、試験法の文句を耳にて聴きて多少了解し得べき力を有するものを選ぶべし。
七 写記の文は必ずしも本文のごとくなるを要せず、意義の同一なるものは完点を付すべし。たとえば「太陽は恒星の一なり」というを「太陽は恒星なり」と記し、「東京に一〇〇万の人口あり」というを「東京の人民は一〇〇万なり」と記すも、もとより完点の部に入るべし。
八 文句の一半を誤りて一半は正しきときは半点を付すべし。たとえば「ナポレオンは近世の豪傑なり」というを「秀吉は近世の豪傑なり」と記し、「孔子『春秋』を作る」というを「孔子『論語』を作る」と記すときは、もとより半点の部に入るべし。能試者は写記の紙を閲了して、たれがしは完点なにほど、半点なにほどと記載すべし。もしくは半点二個を完点一個として完点の部に算入してもしかるべし。
九 能試者はその試験ごとに同一の文句を用いざるを要す。もし毎回同一の文句を用うるときは、所試者においてあるいはあらかじめその文句を知るの恐れあり。しかるときは試験を施すもその効なし。故にもし試験を施さんと欲せば、初めに用いたる文句と相似たる他の例を取るべし。たとえば「秀吉は東洋の豪傑なり」の代わりに「ナポレオンは近世の豪傑なり」の例を用い、「楠〔木〕氏は忠臣なり」の代わりに「将門は逆賊なり」の例を用うるをよしとす。
第二試験法規則ならびに注意
一 能試者はあらかじめ視感試験法の五〇字の文字を室内の黒板の面に記し、しばらくその面を掩蔽し、所試者をしてその室内に入れ、おのおの紙筆を用意せしめ、座定まりて後、能試者はその面の文字を所試者に開示し、一定の時間すなわち五分時間を経てこれを拭消し、所試者をしてその記憶するところの文字を紙上に写記せしむべし。写記の時間は二五分ないし三〇分をもって限りとす。
二 黒板上の文字は楷書にて大書し、所試者の目に明らかに触るることを要す。この試験には完点のみを付して半点を付せず。
右の方法を用いて一府一一県二〇箇所において試験を施行せり。所試者の人員は第一試験法にては総計三五三名、第二試験法にては総計三五四名なり。その点数の計算表によるに、第一試験法にては一人の平均記憶力は一八点以上にして、記憶力に長じたるものは二八点以上、記憶力の弱きものは八点前後なることを知り、第二試験法にては一人の平均記憶力は二三点以上にして、最高記憶力は三五点以上、最下記憶力は一四点前後なることを知れり。これによりて上記、中記、下記の表を組成することを得。その表右のごとし。
すなわち第一試験法において、二五点以上三五点以下の点数を得たるものは上等の記憶力を有するものとし、一五点以上二五点以下の点数を得たるものを中等の記憶力を有するものとし、一五点以下五点以上の点数を得たるものは下等の記憶力を有するものとするなり。第二試験法において三〇点以上四〇点以下を得たるものは上等、二〇点以上三〇点以下を得たるものは中等、一〇点以上二〇点以下を得たるものは下等の記憶力を有するものとするなり。もし第一試験法において三六点以上の記憶力を有し、第二試験法において四一点以上の記憶力を有するものは最上等として格外に置くべし、また第一試験法において五点以下、第二試験法において一〇点以下の記憶力を有するものは最下等として度外に置くべし。以上の方法および規則によりて今回本館生員六六名の記憶力を試験したれば、その手続きおよび結果を左に掲記すべし。
六九 第一試験法の成績
今回の試験に用いたる方法は、第一試験法すなわち聴感試験法にして、そのとき朗読したる文句は左の五〇節なり。
(1) 富士山は日本第一の山なり
(2) 天下は天下の天下なり
(3) 人は万物の長なり
(4) ・舜はいにしえの聖人なり
(5) 東京に一〇〇万の人口あり
(6) 水は酸素水素の二元素より成る
(7) 日本に儒仏神の三道あり
(8) ナポレオンは近世の豪傑なり
(9) 医は仁術なり
(10) 天罰のがるるところなし
(11) 人は智あるをもって貴しとす
(12) シナはアジアの大国なり
(13) 楠木氏は忠臣なり
(14) 明治一〇年に西南の役あり
(15) 君子は危うきに近よらず
(16) 漢の世に三傑あり
(17) 源平以後武門起こる
(18) 松島は日本三景の一なり
(19) 秀吉は三韓を征す
(2)0 吉野は桜花の名所なり
(2)1 人の心は脳髄中にあり
(2)2 孔子『春秋』を作る
(2)3 ヤソ死してヤソ教興る
(2)4 笑う門には福きたる
(2)5 『日本外史』は山陽の著すところなり
(2)6 アフリカの南端を喜望峰という
(2)7 哲学は諸学の王なり
(2)8 フランスは文明の中心なり
(2)9 書は美術なり
(3)0 ローマのちに東西に分かる
(3)1 合衆国の第一の大統領をワシントンという
(3)2 高野山は弘法大師の開くところなり
(3)3 甲越両軍川中島に戦う
(3)4 文武両道は偏廃すべからず
(3)5 農は国のもとなり
(3)6 テムズ河畔にロンドン府あり
(3)7 地球の三分の二は海なり
(3)8 ダーウィン氏進化論を唱う
(3)9 地の利は人の和にしかず
(4)0 タバコは害ありて益なし
(4)1 英国の領分に日の没したることなし
(4)2 地球は惑星の一なり
(4)3 文化文政の間に学者輩出す
(4)4 国会開設も近きにあり
(4)5 インドにヒマラヤ山あり
(4)6 雨降って地固まる
(4)7 スペンサーは近世の哲学者なり
(4)8 錦をきて郷に帰る
(4)9 日本の外に仏教なし
(5)0 西洋の学問は三〇〇年前より起こる
右の試験法において、おのおの得たるところの点数左表のごとし。
(得点) (人数) (得点) (人数)
一三 一 二七 三
一六 一 二七半 二
一九半 一 二八半 二
二〇 四 二九 二
二〇半 三 二九半 二
二一半 三 三〇 二
二二 一 三〇半 二
二二半 一 三一 二
二三 二 三二 一
二三半 二 三二半 二
二四 二 三三 二
二五 一 三三半 三
二五半 一 三四 二
二六 七 三五 二
二六半 三 三六 一
三七 一 四六 一
三八半 一
点数総計 一八〇四点半 人員合計 六六名
最高者 四六点 最下者 一三点
この平均点数 一名二七・三の割合
これを前に掲げたる表に照らせば左の結果を得るなり。
最上の記憶力を有するもの四名
上記のもの四〇名
中記のもの二一名
下記のもの一名
もしまた五〇節の文句について、その答えを得たる数を挙ぐれば左表のごとし。
(文 句) (完点) (半点) (合 計)
(1) 富士山は日本第一の山なり 六五 〇 六五
(2)7 哲学は諸学の王なり 五五 二 五六
(4)9 日本の外に仏教なし 五四 一 五四半
(13) 楠木氏は忠臣なり 五四 〇 五四
(4)5 インドにヒマラヤ山あり 四八 一一 五三半
(4)7 スペンサーは近世の哲学者なり 五一 二 五二
(3)2 高野山は弘法大師の開くところなり 四九 二 五〇
(2)0 吉野は桜花の名所なり 五〇 〇 五〇
(2)4 笑う門には福きたる 五〇 〇 五〇
(3)3 甲越両軍川中島に戦う 四五 九 四九半
(2)3 ヤソ死してヤソ教興る 四八 二 四九
(3)6 テムズ河畔にロンドン府あり 四一 一三 四七半
(14) 明治一〇年に西南の戦争あり 四六 二 四七
(4)6 雨降りて地固まる 四六 一 四六半
(3)1 合衆国の第一の大統領をワシントンという 四〇 一〇 四五
(6) 水は水素酸素の二元素より成る 四一 七 四四半
(8) ナポレオンは近世の豪傑なり 四二 四 四四
(18) 松島は日本三景の一なり 四三 一 四三半
(2) 天下は天下の天下なり 四二 三 四三半
(12) シナはアジアの大国なり 四一 四 四三
(2)6 アフリカの南端を喜望峰という 三七 一〇 四二
(2)5 『日本外史』は山陽の著すところなり 四一 〇 四一
(19) 秀吉は三韓を征す 四〇 二 四一
(2)2 孔子『春秋』を作る 三八 五 四〇半
(5) 東京に一〇〇万の人口あり 三三 一四 四〇
(4)4 国会開設も近きにあり 三九 二 四〇
(5)0 西洋の学問は三〇〇年前より起こる 三六 六 三九
(3)8 ダーウィン氏進化論を唱う 三三 九 三七半
(16) 漢の世に三傑あり 三五 四 三七
(4)1 英国の領分に日の没したることなし 三五 四 三七
(2)8 フランスは文明の中心なり 二九 六 三二
(4)3 文化文政の間に学者輩出す 二七 五 二九半
(7) 日本に儒仏神の三道あり 二八 二 二九
(9) 医は仁術なり 二八 一 二八半
(2)1 人の心は脳髄中にあり 二七 二 二八
(4) 尭舜はいにしえの聖人なり 二四 七 二七半
(4)0 タバコは害ありて益なし 二五 〇 二五
(3)7 地球の三分の二は海なり 一九 一〇 二四
(4)2 地球は惑星の一なり 二二 二 二三
(3) 人は万物の長なり 二二 一 二二半
(17) 源平以後武門起こる 一八 八 二二
(3)0 ローマのちに東西に分かる 一八 五 二〇半
(11) 人は智あるをもって貴しとす 二〇 〇 二〇
(2)9 書は美術なり 一八 三 一九半
(4)8 錦をきて郷に帰る 一八 二 一九
(3)4 文武両道は偏廃すべからず 一七 二 一八
(15) 君子は危うきに近よらず 一〇 〇 一〇
(3)9 地の利は人の和にしかず 八 四 一〇
(3)5 農は国のもとなり 七 二 八
(10) 天罰のがるるところなし 五 一 五半
以上の表は五〇節の文句中、その最も多数の答えを得たるものより、その最も少数の答えを得たるものを順次列記したるものなり。この表についてこれを考うるに、人の記憶力の強弱は種々の事情によること明らかなり。まず第一に記憶力は意向の事情により、第二に習慣の事情により、第三に連想の事情によるものなり。すなわちわが意志の向かうところおよび注意の帰するところのものは記憶しやすく、これに反するものは記憶し難きの事情あり。また数回経験見聞したるものおよび自ら平常の習慣としたるものは記憶しやすく、これに反するものは難きの事情あり。また思想上連絡の強くして想起しやすきものは記憶しやすく、これに反するものは難きの事情あり。今掲ぐるところの表に照らすも、この事情の存するは明らかに知ることを得べし。
七〇 試験成績につきての説明
まず「富士山は日本第一の山なり」という文句は、朗読の第一番の文句なるをもって人の注意を置くこと最も多く、かつそのことたるや、われわれが常に習慣とするところのものなるをもって、その答えを得たる数最も多きなり。つぎに「哲学は諸学の王なり」という文句は、所試者の修むるところのものすなわち哲学にして、哲学といえる語は平日習慣とするところなるをもって、これまた多数の答えを得たるなり。つぎに「吉野は桜花の名所なり」という文句は、これを「松島は日本三景の一なり」という文句に比するに、その得たるところの答えの数はなはだ多きは連想の事情によることまた明らかなり。なんとなれば、その試験を施行したる当日の時節といい天気といい、桜花の思想を想起しやすきが故なり。これに反して答数を得たること少なきものは、みな意向、習慣、連想の事情に反するものなり。すなわち「天罰のがるるところなし」「農は国のもとなり」「地の利は人の和にしかず」等の文句は、これを他の文句に比するに格別注意を引くほどのものでもなく、平常習慣とするところのものでもなく、また思想の連絡強きものにもあらず。これその答数を得ること少なきゆえんなり。またこの試験の成績によりて、人の性質、職業等も多少知ることを得るなり。まず第一に五〇節の文句中、哲学に関する文句、すなわち「哲学は諸学の王なり」「スペンサーは近世の哲学者なり」の文句はその答数を得ること多きは、全く所試者の平常修むるところの学科哲学なるによる。第二に所試者中に宗教家もしくは宗教思想を有するもの多きゆえんは、宗教に関する文句の答数を得ること多きを見て推知することを得べし。すなわち「日本の外に仏教なし」「高野山は弘法大師の開くところなり」「ヤソ死してヤソ教興る」の文句は、その得たるところの答数これを他の文句に比するにはなはだ多きをもって、所試者のその心を宗教に用うることを知るなり。第三に所試者中に以前の漢学教育を受けたるもの少なきことまた推知することを得。すなわち「地の利は人の和にしかず」「君子は危うきに近よらず」「錦をきて郷に帰る」等のごとき漢語の諺に類するものは、その得るところの答数他の文句に比するに大いに少なきの結果あるをもって、漢語の教育を受けたるもの少なきを知るべし。その他「農は国のもとなり」の文句は、その答数最も少なきよりこれをみれば、所試者中農夫なきを推知すべく、「タバコは害ありて益なし」の文句はその答えを得るやや少なきを見て、所試者中過度にタバコを好むもの、あるいは非常にタバコを嫌うものの、またやや少なきを知るべし。また「アフリカの南端を喜望峰という」「英国の領分に日の没したることなし」「フランスは文明の中心なり」等の地理上に関したる文句はその得るところの答数はなはだ多からざるは、所試者中地理書に熟するもの少なきを知るべし。名称の聞き慣れざるものおよび文句の長きものは記憶し難きものなるをもって、「ダーウィン氏進化論を唱う」「文化文政の間に学者輩出す」「ローマのちに東西に分かる」「書は美術なり」等の文句はその答数を得ること少なし。しかしてまたその名称聞き慣れずしてかつ文句の長きが故に、かえって過分の注意をその上に与えて記憶しやすからしむるの事情あるをもって、「合衆国の第一の大統領をワシントンという」「水は酸素水素の二元素より成る」「テムズ河畔にロンドン府あり」等の文句は、その答数を得るこれを他の文句に比するに大いに多きを見るなり。ひとり「西洋の学問は三〇〇年前より起こる」の文句は最も記憶し難きもののごとくして、かえってその答えを得ること多きは、これその文句の朗読の最後にありしによること明らかなり。すなわち最初の文句と最後の文句は人の注意を引くこと強ければなり。
記憶は連想の事情によることは前にすでに述ぶるところなるが、その連想には文句の外の事情と文句との間に生ずるものと、文句中に生ずるものとの二種あり。たとえば当日の時節天気を見て吉野の桜花を想起するは、そのいわゆる文句外のものと文句との間の連想なり。もし文句中の連想をいえば、・吉野は桜花の名所なり」の一句より「松島は日本三景の一なり」の他句を想起するの類をいう。これ松島と吉野は日本国中の有名の地名なるをもって、その間に自然の連合を存すればなり。これを心理学にては類同連想という。すなわち思想上同類のものの連合なればなり。もしまた「ナポレオンは近世の豪傑なり」の一句より「秀吉は三韓を征す」の他句を想起し、・スペンサーは近世の哲学者なり」の一句より「ダーウィン氏進化論を唱う」の他句を想起するがごときも、類同連想によるものなり。予、試験紙を検閲するに、この類同連想によりて記憶するもの多きを知る。すなわちその紙上に「楠木氏は忠臣なり」の句のつぎに「秀吉は三韓を征す」の句あり、・富士山は日本第一の山なり」の句のつぎに「インドにヒマラヤ山あり」の句あり、・フランスは文明の中心なり」の句のつぎに「英国の領分に日の没したることなし」の句あるを見るは、類同連想によりて想起したること明らかなり。また連想には付近連想と称するものありて、付近連想とは一事物の思想よりこれに接近付着したるものを想起するをいう。これ大いに記憶上に関係あることにして、朗読第一番に「富士山は日本第一の山なり」とあり、第二番に「天下は天下の天下なり」とあれば、その付近したる順序によりて記憶し、富士山の句のつぎに天下の句を写記するもの多きを試験の紙上において見たり。これ文句と文句との間の付近連想なり。しかして「シナはアジアの大国なり」の一句より「インドにヒマラヤ山あり」の一句を想出するがごときは、その両国の地位接近したるより連想を生じたることまた疑いをいれず。これ文句と文句との間の付近にあらずして事実上の付近なり。つぎに半点の起こるゆえんは、一はその文句の聞き慣れざるものにして判然記憶し難きより起こり、一は文句の長くして記憶し難きより起こり、一は一文句中の賓辞と主辞の二者のうち、一は記しやすく一は記し難きの不平均あるより起こり、一は主辞に連結したる思想いたって多くして記憶し難きより起こる。まず「東京に一〇〇万の人口あり」の一句は半点の最も多きものなり。その半点の多きは東京という主辞に接続したる賓辞の思想いたって多く、かつ一〇〇万という数語の記憶し難きより起こる。つぎに「テムズ河畔にロンドン府あり」「ダーウィン氏進化論を唱う」等の句は、その賓辞なるロンドン府および進化論は記憶しやすしといえども、その主辞なる「テムズ河畔」および「ダーウィン氏」の語は所試者の聞き慣れざるものなるをもって、記憶を誤り完点を得ざるに至るなり。また「合衆国の第一の大統領をワシントンという」「水は水素酸素の二元素より成る」等の句は、その文句長くして全文を記憶し難きより半点を得るもの多きに至るなり。これに反して「楠木氏は忠臣なり」「笑う門には福きたる」「松島は日本三景の一なり」「雨降りて地固まる」等の文句は平常聞き慣れかつ唱え慣れたる語にして、主辞と賓辞の連合強きをもって、主辞を発すればただちに賓辞を想起するに至る。これその句に半点を得るもの少なきゆえんなり。
つぎに記憶の過失の起こるゆえんは、多くは連想の誤りより生ずるものなり。たとえば「日本に儒仏神の三道あり」の文句を聞きて「シナに孔儒の二教あり」と答えたるものを試験紙上に見受けたり。これ全くシナと日本との連想を誤りたるものなり。また「インドにヒマラヤ山あり」の文句を聞きて、「ヒマラヤ山は世界第一の高山なり」と答えたるものあり。これヒマラヤ山のみを記憶してこれについて生ずるところの思想を記せしものなるか、あるいはヒマラヤ山と富士山との間に連想の誤りを生じて「富士山は日本第一の山なり」「インドにヒマラヤ山あり」の両文句を混同したるによるものならむ。かくのごとく混同して誤りを生じたるもの、また試験紙上に多く見るところなり。たとえば某生の試験紙上に「孔子はいにしえの聖人なり」の答え見えたるは、「・舜はいにしえの聖人なり」の句と「孔子『春秋』を作る」の句を混同したるによる。また「秀吉は近世の豪傑なり」および「アジアの中央にシナあり」等の答えを見たるも、また全く他の文句と混同したるによる。その他「学問は幸福を生む母なり」「ソクラテスは哲学者なり」等の答えは、文句中の賓辞か主辞の一名詞のみを記憶して、他は自ら連想をもって補いたるによるなり。また全く本文と反対したる答えを与えしものあり。これまた連想の誤りにして、連想には類同連想、付近連想の外に背反連想というものあり。背反連想とは全く反対したる事物を想起するをいう。すなわち試験紙上に「地球の三分の一は陸地なり」とあるを見たるは「地球の三分の二は海なり」の背反連想なり。・天下は天下の天下にあらず」と記せしを見たるは「天下は天下の天下なり」の背反連想なり。その他、連想の誤りについて最も奇なるは、試験紙上に「山高きが故に貴からず」の句を記載したるもの多きこれなり。「山高きが故に貴からざる」の句は朗読の文句中に見ざるところのものにして、所試者のこれを記憶したるは全く「人は智あるをもって貴しとす」の句より思想上連起したるによること明らかなり。そのほか論理学にいわゆる汎意の過失より生じたる誤りあり。たとえば「書は美術なり」を誤りて「詩は美術なり」と記せしものあり。これ詩と書と音相近きより生じたる誤りなり。また「吉野は桜花の名所なり」を誤りて「吉野は王華の地なり」と記せしものあり。これ桜花と王華の音相同じきによる。
七一 試験第二回目の成績
この第二回の試験に用いたる方法は、前に掲げたる第二試験法すなわち視感試験法にして、そのとき板上に書したる文字は左の五〇字なり。
楽 孫 於 来 雪 土 聞 流 拝 鶏 哲 降 草
固 進 陰 法 我 青 仁 更 江 高 忘 屋 思
羽 暮 炭 源 兼 哉 話 羊 枯 彦 音 梅 足
照 命 震 勝 由 巻 夫 面 物 則 百
この試験法によりておのおの得たるところの点数および所試者の員数左表のごとし。
(点数) (人員) (点数) (人員)
四三 一 二五 三
四二 一 二四 三
三五 二 二三 五
三四 五 二二 四
三三 二 二一 四
三二 一 二〇 四
三一 二 一九 三
三〇 四 一八 二
二九 四 一七 二
二八 二 一六 一
二七 二 一五 四
二六 一 一二 一
点数合計 一五八六 人員合計 六三名
平均点数 二五・一 最高点 四三 最下点 一二
最上記 二名 上 記 一二名
中 記 三二名 下 記 一七名
第一試験法と第二試験法との比較は、左表のごとし。ただしその表中掲ぐるところの番号は所試者の番号にして、第一試験法において若干点を得たものは、第二試験法においていくばくの点を得たるやを示すものなり。もし第一試験法に出席して第二試験法に欠席したるものは、第一試験法の点数を挙ぐるなり。
(番号) (第一試験点数) (第二試験点数)
(1) 三一 二二
(2) 三二 三二
(3) 二〇半 二三
(4) 二〇半 三五
(5) 三二半 ・・
(6) 二七 三四
(7) 二六 二三
(8) 三三半 三四
(9) 一九半 二八
(10) 三三半 二四
(11) 二八半 二一
(12) 三三半 ・・
(13) 三三 三三
(14) 二六 二九
(15) 二六 二四
(16) 二二 ・・
(17) 二六 二五
(18) 二〇 二一
(19) 二八半 二六
(2)0 二七 二〇
(2)1 一三 ・・
(2)2 二〇半 二七
(2)3 二七半 一五
(2)4 四六 ・・
(2)5 二七 三一
(2)8 二六 二三
(2)9 二六半 ・・
(3)0 二九半 一八
(3)1 三〇半 ・・
(3)2 二〇半 三四
(3)3 二三 二九
(3)4 二五半 ・・
(3)5 二二半 二二
(3)6 二〇 一五
(3)7 二〇 三〇
(3)8 二六 二三
(4)0 三三半 三〇
(4)1 二三半 二三
(4)2 三二半 ・・
(4)3 二七半 三四
(4)4 二四 二〇
(4)5 二五 二五
(4)6 二九半 三三
(4)7 三四 三〇
(4)8 三六 三一
(4)9 二九 二〇
(5)0 三五 二四
(5)1 二一半 ・・
(5)2 三九半 二五
(5)3 三〇 ・・
(5)4 二六半 二二
(5)5 三三 二八
(5)6 三四 三五
(5)7 二〇 二一
(5)8 ・・ 四三
(5)9 二一半 二九
(6)0 三七 三四
(6)1 二六 ・・
(6)2 ・・ 二三
(6)3 二四 一七
(6)4 ・・ 二二
(6)5 二一半 一七
(6)6 二三半 一六
(6)7 二六 一九
(6)8 一六 一五
(6)9 三〇 二〇
(7)1 ・・ 二一
(7)2 ・・ 二九
(7)3 ・・ 一九
(7)4 ・・ 二七
(7)7 ・・ 一五
(7)8 ・・ 四二
(7)9 ・・ 一八
(8)0 ・・ 一二
(8)8 ・・ 二三
番外 一九
右表中に見えざる番数は欠席のものと知るべし。
五〇字の文字中、その答えを得たる数を挙げて多少の比較を示すこと左表のごとし。
(文字) (答数) (文字) (答数)
楽 五九 拝 三九
於 五六 哉 三九
則 五五 更 三八
哲 五四 高 三八
百 五四 法 三七
孫 五三 梅 三六
来 五三 陰 三四
雪 五三 青 三四
土 五一 屋 三二
聞 四七 兼 三一
鶏 四六 草 三〇
降 四六 源 二九
江 四三 忘 二九
流 四〇 面 二八
我 四〇 固 二六
仁 二六 音 一八
彦 二三 暮 一七
勝 二三 物 一七
由 二三 震 一六
進 二二 炭 一四
枯 二一 話 一四
思 二〇 羽 一一
夫 二〇 命 一〇
羊 一九 照 一〇
足 一九 巻 七
この表について案ずるに、記憶は意向、習慣、連想の諸事情によること明らかに知ることを得べし。すなわち「楽孫於来雪土聞」等の字は板上に書したる五〇字の始めに位するものなれば、人の注意をひくこといたって多きの事情あればなり。「哲」等の字は所試者の常に見聞するところの文字なるをもって、これまたその答数を得ること多きなり。これに反して「巻照命羽」等の字は人の意向をひくこと少なく、かつ常に見聞すること少なき文字なるをもって、これを記憶せしものまた少なきなり。「則」と「百」との二字はその得るところの答数はなはだ多きは五〇字の最後に位するをもって、これまた人の注意をひくこと多きによる。
試験紙上において験するところによるに「草枯」「江流」「雪降」「我法」等の文字二字ずつ連なるもの多きを見るは、連想によって想起したるものにして、「草」の字に付いて「枯」の字を想起し、「江」の字について「流」の字を想起するによる。これみな連想の事情によるものなり。また「楽孫」の二字常に連絡して紙上に見えたるは、板書の順次によって記憶したるによる。
つぎに試験紙上に見るところの誤字は、また連想の誤りより生ずるもの最も多しとす。たとえば五〇字中になき「家登見水」等の字見えたるは連想の誤りにして、「見」の字は「聞」の字の連想より起こり、「家」の字は「屋」の字の連想より起こり、「水」の字は「江」の字の連想より起こりしものならん。この類は連想中の付近連想と類同連想より生ずるものなり。これに反して「登」の字のごときは「降」の字の背反連想よりきたり、「白」の字は「青」の字の背反連想よりくるものなり。その他、字形の似たるより生ずるところの誤りあり。これを論理学にては字形の汎意という。たとえば試験紙上に「需勝隆」等の文字見えたるは、「震勝陰」の字の字形相似たるより生じたる誤りならん。
つぎに第一試験法の平均数と第二試験法の平均数とを対照するに、第二試験の方少数なるを見る。普通の記憶力にては第二は第一より記憶しやすき道理なれども、今回施行せる試験においてはその反対の結果を得たるは、所試者の上においてしかるべき事情なかるべからず。およそ人の記憶は少時に強くして長じて衰うというといえども、少時の記憶は意義を有せざるものを記憶するのみにて、連想によって記憶すること少なし。しかして連想の記憶は年の長じたるものに限る。連想の記憶とは従来有したる思想と結合連絡して記憶するものにして、経験多く思想に富みたるものは連想上記憶することはなはだ容易なり。しかれども年の長ずるに従い種々の思想脳中に積集して、意義を有せる文句のごときはかえって記憶し難きものなり。これに反して少年のものは経験に乏しく思想に富まざるをもって、旧想の現時の記憶を妨ぐることなく、したがって連想の記憶を有せざる単純の文字の記憶はかえってやすしとするところなり。これ今回の試験において第一の平均数、第二の平均数より多き故なり。すなわち今回の所試者は年齢、大抵二〇以上三〇以下のもの多くして、二〇以下のものは少なきをもって、意義を有する文句の記憶はかえってやすく、意義を有せざる文句の記憶はかえって難きなり。
前に与えたる第一試験、第二試験点数の比較表によるに、両試験において得るところの各人の点数は過分の差違なきがごとし。これ一方に記憶強きものは他方に強き規則あるによる。しかしてそのうち往々不動あるを見るは、文字の記憶力と文句の記憶力との間に強弱の不同あるによる。すなわち意義なきものを記憶する力と、意義あるものを記憶する力に不同あるによるなり。
以上は主として記憶の常態について述べしものなり。