【修正中】欧米各国 政教日記(上編)

緒言


一、余 、はじめ紀行 、日記等は編述せざる意なりしが、友人来たりて曰く 、近来洋行者はなはだ多く 、紀行 、日記またすくなからずといえども 、いまだ宗教 、風俗に関したる紀行を見ず 。君 、よろしくその洋行日記を編成して世上に 公にすべしと 。余 、よって懐中日記を出だしてこれを示す 。友人曰く 、これにて足れり 。世人 、君より政教の事情を聞かんことを欲するや切なり 。君 、速やかにこれを刊布すべし 。余 、よって懐中日記中より日月地名を除き去り 、もっぱら宗教 、風俗に関したる種目のみを取り出だし 、一編の冊子となせり 。仮に題して「政教日記」という 。

この書 、題して「政教日記」と称するも 、もっぱら宗教と風俗とに関したる事項のみを掲出せり 。しかして 、各国の政教関係論にいたりては 、他日別に編述することあるべし 。

— 、この書 、むしろ洋行雑記にして 、宗教 、風俗のほかに種々雑多の事項を混入せざるにあらず 。そのうち往々政教上に必要ならざるものある べしといえども 、帰朝後意外に多忙にして 、緩々訂正取捨するのいとまなければ 、その日記中 、草案のまま編成するに至る 。読者請う 、これを了せよ 。

明治二十二年八月 著  者  しるす 

第一、周遊の目的および太平洋紀行の部



第一、奮然一起して遠洋万里の途に 上る

政教子、一日机により新〔 聞 〕紙を読むに 、天下の論鋒ようやく進みて政教の版図に入り 、舌戦 、筆闘 、壇上やや穏やかならざる事情あるを見る 。立ちて社会の風潮をうかがえば 、政海の波ようやく高く 、教天の光ために暗きを覚ゆ 。政教子すなわちおもえらく 、これ 、あに書窓に閑座するのときならんや 。けだし政教子の人たる 、春来たれば野外に鴬花をたずね 、秋来たれば窓間に風月を弄し 、その心つねに真理を友とし 、その口みだりに世事を談ぜずといえども 、あえて国家のために思うところなきにあらず 。一変一動に際会するごとに 、いまだかつてその国を思わざるはあらず 。いわゆる江湖の遠きにおりて 、その国を憂うるものなり 。この憂国の情 、鬱々として胸襟の間に積滞し 、一結して悶を成し 、再結して病を成さんとす 。その平常 、春花に詠じ秋月に吟ずるがごとき 、ただこの病悶をいやせんとするにほかならず 。今やわが国、政教の関係ようやく密に 、政教の論場ようやくやかましく 、まさにその影響を 一国独立の上に及ぼさんとするの勢いあり 。政教子ここにおいて 、奮然一起して遠洋万里の途に上り 、欧米政教の大勢を一見せんとするに至りしなり 。

第二、政府の事業は民間の事業に及ばず

政教子曰く 、山高くして大ならざるものあり 、大にして高からざるものあり 、その高きものは衆目に触れやすし 。ゆえに 、人これを指して高山峻嶺と称す 。その低きものは 、人その山たるを覚えず 、ただこれを広原平野と呼ぶのみ 。しかして 、この二者中いずれが最も地球の重量を成すに加わりて力ありやというにいたりては 、その低きもの一歩もその高きものに譲らざるのみならず 、かえってはるかにその上に出ずるなり 。今 、政府の事業たる高山危峰のごとし 、民間の事業たる広原大沢のごとし 。もし 、その品位の高低を較すれば 、民間の事業はあるいは政府の事業に及ばざるも 、二者中いずれが最も一国の重量を成すに加わりて力ありやというにいたりては 、政府の事業は民間の事業に及ばざること遠し 。畢覚するに 、政府の事業それ自体民間の事業の一部分にして 、 だその品位のやや高きものなるのみ 。しかるにわが国 、維新以来 、人の汲々孜々として力を改良振起に尽くしたるものは 、政府の事業もしくは会社の事業にして 、最も衆目に触れやすきもののみ 。ゆえに 、これらの事業は大いに進歩の実跡を見たるも 、その衆目に触れざる事業にいたりては 、いまだ寸分も進歩の徴候を見ず 。例えば 、風俗交際のごとし 、精神気質のごとし 、人物人品のごとし 、徳義のごとし 、礼節のごとし 。その改良は一国の改進に欠くべからざるものにして 、いまだ一人のその意をこの点に注ぎしものあるを聞かず 。ゆえに 、余はこれよりもっぱら力をこのことに用いて 、政教の一分を補い 、治道の万一を助けんと欲するなり 。

第三、政教すなわち哲学なり

人あり 、政教子に問うて曰く 、君は哲学をもって自ら任ずるものにあらずや 。しかるに今 、政教に関するはなんぞや 。政教子曰く 、政教すなわち哲学なり 。哲学に理論哲学あり 、実際哲学あり 、政教は実際哲学に属す 。理論哲学の目的は真理を発見するにあるをもって 、人外に道を講究せざる べからず 。実際哲学の目的は実益を興起するにあるをもって 、人中に道を応用せざる べからず 。すなわち、理論上発見するところのもの、これを応用しては実際となり 、実際上応用するところのもの 、これを論究しては理論となる 。形而上哲学 、心理学等は理論哲学なり 、宗教学 、教育学等は実際哲学なり 。この二者互いに相まちて 、互いに相全きことを得るなり 。しかして 、世の勢いと国の情はときどき同じからざるをもって 、二者を研究するに先後 、軽重の次第なきあたわず 、理論を先とすることあり 、実際を重しとすることあり 。今わが国の事情は 、実際を重しとせざる べからず 。これ 、余が実際哲学すなわち政教学を講ずるゆえんなり。

第四、人には二様の見あるを要す

政教子曰く 、およそ人には必ず二様の見あるを要す 。その見一様に偏すれば邪見となり 、その見二様の中を得れば正見となる 。政治家は政治に保守と改進の両主義あることを知らざる べからず 、哲学者は哲学に理論と実際の二学派あることを知らざる べからず 。その一を取りて他を捨つるは正見にあらず 、二者相合してよくその中を得れば正見なり 。しかれども 、世論は常に動揺して一定すること難きをもって 、その論あるいは保守の一方に偏し 、あるいは改進の一方に偏するを免れず 。このときに当たり 、人もしその中正を保たんとするときは 、その勢い保守の一方を取るか 、しからざれば改進の一方を守らざるを得ず 。これ 、他なし 。ただ 、時変に応じてその中を維持せんと欲するのみ 。ゆえに 、保守の一方を取るものは 、改進の同等に必要なることを記せざる べからず 、改進の一方を守るものは 、保守の同時に廃去す べからざることを知るを要す 。この理は 、ひとり政治の上に存するのみならず 、百事百物の上に存するなり 。人もしその生命を保全せんと欲せば 、身体を養うと精神を養うと同等に必要なることを知らざる べからず 。学者もしその名誉を立てんと欲せば 、真理を愛すると国家を愛すると同様に必要なることを知らざる べからず 。余は 、この二者の偏廃す べからざることを知るものなり 。ゆえに余は 、真理を愛すると同時に 、国家を愛するものなり 、真理のためにその心を尽くすと同時に 、国家のためにその力をつくすものなり 。これ 、余が内にありて理論哲学を講じ 、外に出でて実際哲学を説くゆえんなり 。これ 、余が理論上、教育 、宗教の原理を究めて 、実際上、風俗 、人情の改良をはかるゆえんなり 。余が今回の遠遊もまた 、この目的を達するにほかならず 。

第五、国の本は精神にあり

政教子曰く 、国の本は兵力にあるか 、商業にあるか 、金銭にあるか 、学問にあるか 。もしこれを兵力にありとするときは 、兵力の本はなににあるかを知らざる べからず 。もしこれを商業にありとするときは 、商業の本を知らざるべからず 。金銭 、学問またしかり 。余をもってこれをみれば 、国の本は人にあり 、人の本は精神にあり 、精神ひとたび定まりて 、初めて国家の富強を講ずることを得るなり 。兵力も商業も学問もみなこの精神によりて 、初めてその活用実功を見ることを得るなり 。しかして 、その精神を一定するの法は教育によらざる べからず 。そのいわゆる教育は 、ひとり学校の教育をいうにあらず 、ひとり知力の教育を指すにあらず 、社会百般の事々物々、政治 、宗教 、人情 、風俗より天文 、地理 、気候 、地味にいたるまで 、いやしくもわが体外に囲続せる万象万化 、みなことごとくわれを教育して一時も休まざるものなり 。ゆえに 、人もしこの種の教育法を講ぜんと欲せば 、事々物々について 、そのわが精神上に及ぼすところの影響、結果を考えざる べからず 。かくのごとき教育は 、もしこれを学校の小教育に比すれば 、実に大教育といわざる べからず 。余は 、この大教育をもって自ら任ぜんと欲するものなり 。

第六、無形上の文明

政教子曰く 、わが国有形上の文明は 、今日すでに欧米諸国の模範を取り 、ほとんど大成すといって可なり 。しかして 、無形上の文明すなわち余がいわゆる精神上の文明は 、いまだ全く着手せざるがごとし 。そのうち着手せるものは 、ただ大  中  小学校の教育のみ 。これ 、他なし 。無形上の文明は 、有形上の文明のごとくたやすく模擬することあたわず 、かつその進歩は永き歳月を要するをもって 、一両年間にその成功を見ること難ければなり 。しかれども 、もしわが国をして西洋に対立抗敵せしめんと欲するときは 、必ず無形上の文明を振起するを要す 。そのことたるや 、難中の至難なりといえども 、また要中の至要なり 。ゆえに 、これを至難なりとして決して放棄すべからず 。わが邦人も数年来ひとり外形上の文明を奨励して今日に至り 、初めてわが無形上の文明は 、 るかに欧米の下にあることを発見したるがごとし 。商業に従事するものは 、わが商人の小利小欲に汲々として大利を忘れ 、公衆永久の信用を重んぜざるの弊あるを憂え 、学術に従事するものは 、わが学生の小成に安んじて耐忍 、進取の気風なきを蔓え 、政治社会に立つものは 、わが人民の議論つねに軽躁に走りて遠大の見識なきを憂え 、会社事業をとるものは 、わが人民の結合力に乏しきを憂う 。これみな 、精神上の文明いまだ欧米に及ばざるによる 。しかして 、世間いまだこの精神上の文明を任じて 、わが国をして西洋人同等の地位に進めしめんとするものあるを聞かず 。これ 、余がひとり惑うところにして 、自ら進みてその任に当たらんと欲するゆえんなり 。

第七、無形精神上の文明は競争淘汰の結果

人あり 、説をなして曰く 、無形精神上の文明は 、宗教の力によらざれば進むることあたわず 、しかしてその宗教はヤソ教に限ると 。政教子曰く 、宗教は直接に人の精神に関係するをもって 、その進歩すなわち精神上の文明を進むることを得るは必然なりといえども 、精神上の文明を進むるの方法は 、決して宗教のみに限るにあらず 、いわんやその宗教はヤソ教に限るというにおいてをや 。余翡 、ここに至りて一言弁明せざるをえず 。今 、ヤソ教は精神上の文明を進むるの力あるゆえんを証せんと欲せば 、まず歴史上、ヤソ教と西洋の文明の関係を知らざるべからず 。中古 、ヤソ教の欧州を 一統し 、学問 、芸術みなヤソ教にもとづきて講究したる時は 、精神上の文明最も発達せざりし時なり 。すなわち、この時を歴史上にて中古の暗世と称す 。しかして 、近世文化のにわかに興りたるは 、ヤソ教中より出でたる結果にあらずして 、ヤソ教外より発したる影響なり 。すなわち、十字軍の東征よりアメリカ発見 、インド洋航海等のこと起こり 、欧州の人民ただちにアラビア 、インド等の新文物に接し 、これをその国に伝来し 、加うるに当時ギリシアの古文学再興せるをもって 、新旧相合して文明の新元素を醸成するに至れり 。これ 、すなわち今日の文明の起源なり 。そのいわゆるインド 、アラビアはヤソ教国にあらず 、ギリシアまたヤソ教国にあらず 。果たしてしからば 、ヤソ教国の文明は 、仏教国 、イスラム教国等の源泉より流出せるものなり 。

かの近世星学の祖先たるコペルニクス 、ガリレイ 、プルーノ等は 、みなヤソ教の旧説に抗して天文の新知識を与えたるものなり 。かの近世哲学の祖先たるデカルト 、スピノザ等は 、みなヤソ教の妄見を脱して思想の新世界を開きたるものなり 。近世の学術の新理一歩進むごとに 、ヤソ教はその旧来の解釈を変じて 、学術の原則に付会せんことをつとむるにあらずや 。もし 、果たして欧米諸国の駿々として文明に進むゆえんのものヤソ教に由来すというときは 、ヤソ教の炎勢は 、その文明とともに次第に さかんならざるをえず 。しかるにその教 、近年に至り著しくその勢力を減じ 、大いに衰微の兆候を現ぜしはいかん 。もしまた 、精神上の文明はヤソ教より発生すというときは 、ヤソ教を信ずるものに限り美徳を有す べき理なり 。しかるに 、欧州上流社会はヤソ教を信ずるものかえって少なく 、ヤソ教を信ぜざるものにしてかえって美徳を有する者多しという 。これによりてこれをみるに 、欧米精神上の文明は 、決してヤソ教中より発生せるにあらず 、決してヤソ教の感化をまちて進達せるにあらず 、ただ社会の風俗 、習慣 、経験 、教育等の結果なり 。その風俗 、習慣 、経験 、教育は 、今日今時に始まるにあらず 、数世の間 、人々社会の間に競争淘汰せる結果なり 。例えばここに 一商あり 、詐欺を用いて商業をなし 、他商あり 、真実を用いて商業をなし 、二人相競争するときは 、その結局 、詐欺の真実にしかざることを知るに至る 。ここにおいて 、真実は商業上に必要なることの風説を社会の上に流すに至り 、その説相伝えて風をなし 、俗をなし  一般の性質となり 、自然の教育となり 、善良の商人を化成するに至るなり 。ゆえに 、余はこれを競争の結果。

わが人民は数千年来太平の海波に浴し 、数百年来外国の交際を絶ちしをもって 、未競争 、未経験の人なり 。これに反して 、西洋人は既競争 、既経験の人なり 。われがこの人民と競争して今日及ばざるは 、もとより道理のあるところにして 、決してその人民ヤソ教を奉信するによるにあらざるは明らかなり 。しかるに 、わが邦人もしこの道理を知らずして 、精神上の進歩はひとりヤソ教に任じて 、さらにこれを進歩する方法を講ぜざるときは 、ただにその進歩の実功を見ざるのみならず 、余はなはだ恐る 、わが国の文明はようやく退歩して 、欧州中古の暗世と同一に帰せんことを 。これ 、余が欧州政教の実際上の関係を視察せんことを欲せしゅぇんなり 。これ 、余が今度遠遊を計画したるゆえんなり 。


第八、社会的の文明は模擬す べからず

政教子曰く 、器機的の文明は 、今日西洋に存するものをただちにわが国に適用することを得るなり 。例えば汽船 、汽車のごとし 。西洋の舟車を買ってこれをわが国に用うるも 、その実用あるにいたりては同一なり 。しかるに社会的の文明 、別して精神上の文明は 、平易即時に模擬適用することあたわざるのみならず 、その国風 、民俗に応じて 、その用法を異にせざる べからず 。語を換えてこれを言えば 、西洋の文明をひとたびわが日本の腸胃に入れ 、これを消化吸収して一個の日本的の文明となさざる べからず 。例えば 、北米合衆国は共和政治にして 、その国いたって富み 、その文明いたって盛んなりといえども 、決してただちにその風をわが国に適用すべからず 。もし 、ただちにこれを適用すれば 、わが国体を害し 、わが人心をそこない 、わが国の生存独立の上に大影響あるを免れず 。ゆえに 、もしこれを適用せんと欲せば 、まずその文明を消化変質して 、わが従来系続せる国体の原形を保持せしむるを要す 。なんとなれば 、社会は一個の生活物にして 、動物の発達と同一の規則を有すればなり 。例えばここに一動物あり 、もしこれを養育せんと欲すれば 、必ず外物をひとたびその消化機関の中に入れ 、これをしてそれ自体の原質に変化せしむるを要すると同一般なり 。

宗教もまたしかり 。わが国には千百年来 、わが国体 、民情に適合せる宗教あり 、西洋各国にはその国体に適合せる宗教あり 。すなわち共和政治の国には 、共和政治とその性質を同じくする宗教あり 、米国の宗教これなり 。君民共治の国には 、その政体と同組織を有する宗教あり 、なお英国の国教宗のごとし 。君主専制の国には 、その国体と同主義の宗教あり 、ロシアの国教のごとし 。しかして 、皇統一系の国には僧統一系の宗教あり 、わが国本願寺宗のごとし 。本願寺宗の僧統一系は 、決して偶然に起こりしにあらず 、一方に皇統一系あるによる 。一方に皇統一系あるは 、わが古来の人民 、血統を重んぜしによる 。人民 、血統を重んずるをもって 、一方には皇統一系あり 、他方には僧統一系あり 。両方に血統一系あるをもって 、人民ますます血統を重んずるに至るは自然の勢いなり 。ゆえに 、この二者互いに相助くるところあるは必然なり 。もし 、人みな僧統一系の非理なるを知りて 、が国の教会ことごとく自由共和主義を用いて組織するに至らば 、これとともに 、わが人民の血統を尊重する風習、また次第に破るるに至る べし 。ゆえに余曰く 、各国みな 、その国に適合せる 一種特別の宗教あり 。これをもって欧米各国はその表面のみは一般にヤソ国と称するも 、その国特有の宗派を用う 。すなわち、ロシアはギリシア教を用い 、ドイツは新教を用い 、フランスは旧教を用い 、英国および米国は新教を用うるなり 。しかして 、 シアのギリシア教はギリシアおよびトルコなるギリシア教と同名異実にして 、全く異なりたる組織を有し 、ドイツの新教と英国の新教と米国の新教およびフランス 、スイスの間にある新教は 、おのおの全く異なりたる宗派にして 、その組織もとより同じからず 。これ 、なんの理によるや 。けだし 、かくのごとく宗派および組織を異にするは 、その国の独立上必要なる理由あるによる 。

これによりてこれをみるに 、将来わが国の宗教を改良せんと欲せば 、文明の元素をひとたびわが従来の宗教の胃管の中に入れて消化するを要するなり 。そもそもわが国従来の宗教中 、仏教のごときは悟道といい安心といい修身といい斉家といい 、その教理にいたりてはヤソ教に説くところのものを含有せざるはなし 。また 、これを応用して実際上、ヤソ教と同一の結果を生ずることあたわざるの理なし 。ただ 、その教の今日に振るわざるは 、教にあらずして人にあり 。この人を改良すれば 、宗教おのずから改良を得べし 。しかして 、この人を改良するは国家の文明上最も必要のことにして 、現今わが国にある僧侶およそ七万人と称す 。この七万人は三千七百万人の一部分にして 、みな同一種の日本人たり 。西洋人日本に来たりて 、わが僧侶の品行下等の地位にあるを見れば 、その国に帰りて必ず人に語りて曰く 、日本国の野蛮推して知る べし 。僧侶の不道徳かくのごとし 。すなわち、僧侶の不道不徳は日本人一般の野蛮を代表するなり 。ゆえに 、日本国をして欧米同等の文明国となさんと欲せば 、まず人を教導するをもって本職とする僧侶を教育せざる べからず 。もし人ありて 、わが国の僧侶はともに談ずるに足らざれば 、これを捨てて外国の僧侶をまつべしといわば 、これ日本国あるを忘れ 、日本人あるを知らざるものなり 。

近年 、世間の論ようやく移り 、しきりにヤソ教を主唱するものあり 、仏教を排斥するものあり 。しかして 、 れを主唱するものかれを知らず 、これを排斥するものこれを知らず 。ただ 、その口実とするところ 、ヤソ教は欧米諸国の宗教なり 、開明社会の宗教なり 。ゆえに 、わが国ひとたびヤソ教を用うれば 、国家を富強にすることを得べし 、人知を発達することを得べし 、欧米人民の愛顧を受くることを得べし 、開明社会と交際を通ずることを得べしと惑えるもまたはなはだし 。もしその論者に向かいて 、英国のヤソ教と米国のヤソ教とその異同いかん 、ドイツのヤソ教とフランスのヤソ教とその区別いかんをたずぬるときは 、さらに答うることあたわざる べし 。彼ただ曰く 、これみなヤソ教なれば 、定めて同一なる べしと 。ああ妄なるかな 、論者の言や 。ヤソ教中の甲派の乙派に異なるは 、その一派の仏教の一派と異なるよりはなはだし 。かつ欧米各国みなその国固有のヤソ教ありて 、宗教を論ずるもの、決してわが国のごとく 、ロシアのヤソ教もフランスのヤソ教も英教も米教も混同して主唱するにあらず 。宗教に 一定独立の見なきは 、ひいて一国の上に及ぶ 。いやしくも国家の独立に志あるもの、あに戒めざるべけんや 。これ 、余が国家のために 、欧米政教の関係を実視せんことを欲せしゆえんなり 。

第九、独立を維持するに必要なる元素

政教子曰く、およそ一国の独立を維持するに 、最も必要なるもの三種あり 。曰く 、言語なり 、歴史なり 、宗教なり 。言語 、歴史の必要は 、人すでにこれを知る 。しかして宗教の必要にいたりては 、これを知るものはなはだ少なし 。今その必要なるゆえんを述ぶるに 、第一に  一般の学術は真理を将来に期し 、今後いよいよ進みてここに達せんことを目的とするをもって 、旧を去りて新に就くの性あるものなり 。しかるに 、宗教はその真理既往に定まるをもって 、旧を守るの性あるものなり 。今 、日本国をして永く日本国たらしむるには 、その従来日本国たりし精神 、思想を維持するを要す 。ゆえに 、宗教を維持すれば 、この従来の思想を維持することを得るなり 。第ニ に 一般の学術は真理いまだ一定せざるをもって 、衆説一致せざるの憂いありといえども 、宗教はその説一の口より出でたるものなれば 、衆説相分かるるの恐れなし 。これ 、宗教の力よく人心民情を連合して 、一国の団結を助くるゆえんなり 。第三に 、宗教は人の感情の上に動き 、人の精神の中に入り 、一心不乱 、鋭意不撓の気風を養成するに最も適したるものにして 、したがって一国の独立を助くるに必要なるものなり 。第四に 、宗教の思想は種々その形を変じて 、世間の習慣を構造し 、社会の礼節を支配し 、そのほか国家の秩序を保ち、独立を全うするに欠くべからざる諸元素中に加わりて相離れざるものなり 。これ 、宗教のその国の言語 、歴史とともに 、 国の独立を保全するに必要なるゆえんなり 。別して社会の諸事諸物 、旧を去りて新に就くの際に当たりては 、宗教にあらざれば 、一国従来の精神を愚民の間に維持すること難し 。もし 、その愚民をして開明の進歩をとらしめんと欲せば 、よろしく旧来の宗教中にその元素を入れて 、知らず識らずの間に有知有識の境に誘入するを要するなり 。

今 、わが国旧来の宗教には神仏二教あり 。仏〔 教〕はそのはじめ他邦より入りたるも 、弘法大師神仏調和論を唱えてより以来 、インドの仏教は転じて日本の仏教となり  ついで中世浄土宗起こ りて以来 、日本に 一種固有の仏教を見るに至れり 。ゆえに 、今日にありては神仏二道ともに日本の宗教なるのみならず 、この二者互いに相調和して 、その間に不和を生ずるの憂いなし 。しかるに 、ヤソ教はその今日 、日本にあるもの、ロシアより入るものあり 、フランスより入るものあり 、英国より来たるものあり 、米国より来たるものあり 、その宗派といい 、その組織といい 、その性質といい 、その精神といい千種万様にして 、ただに日本の民情 、人心に適合すること難きのみならず 、わが人心をしてますます離散し 、ややもすれば宗教と宗教との間に不和を生じ 、一方には一国政治上の妨害となり 、一方には国家独立上の妨害となること明らかなり 。余つとに 、ここに見るところあり 。近日ようやく政教の論穏やかならざるを見て 、遠く西洋諸国の 、その自国の宗教を保護するの本意 、いずれのところにあるやを知らんと欲し 、今度の周遊を企つるに至りしなり 。

第一〇 、政治と宗教は表裏の関係を有す

政教子曰く 、政治家は政治の裏面に宗教あることを知らざる べからず 、宗教家は宗教の表面に政治あることを知らざる べからず 。例えば 、政治上いかなる明君明相あるも 、その国の人民をして 、ことごとく自由を得せしめ 、ことごとく幸福を全うせしむることあたわず 、いかなる仁君ありて法律を設くるも 、貧富貴賤の人をして 、ことごとく同等同量の福利を得せしむることあたわず 、必ずや一方に満足するものあれば 、他方に満足せざるものあり  一方に不平なきものあれば 、他方に不平を有するものあり 。この不平不満足の心は 、必ず幽鬱して病患を結び 、激発して争乱を醸すに至る べし 。しかるに実際上これをみるに 、政治上不平あるものも法律上満足を得ざる者も 、みなよく満足して不平を鳴らさず争乱を醸さず 、その堵に安んずる者の多きはなんぞや 。これ 、宗教の影響にあらざるはなし 。進みて政治上表面の幸福を得ることあたわざるものは 、退きて宗教上裏面の快楽を求め 、法律上の不平は流れて宗教内の満足となり 、不満不平の人をして 、おのおの安心立命の境裏に住せしむるなり 。もし世に宗教なかりせば 、政治上得たるところの不平は 、必ず政治上に向かって発するよりほかなし 。けだし政治上の不幸 、これより大なるはなし 。

今 、わが国の神仏二道は 、たとい今日その勢力を減じたりというも 、人民これによりて幸福を得しもの幾人あるを知らず 、政治これによりて治安を保つことを得たるやまた疑いをいれず 。今や政府新たに憲法を設け 、人民はじめて自由に就き 、政治上一大変動を人心の上に与えんとす 。このときに際して 、政府は従来の宗教を保持して 、人心をして一方に安んずることをえざるも 、他方に安んずるところあらしむるは 、政教上最も必要なる機密なり 。もし 、政治と宗教と同時に大変動を生ずるに至らば 、国家の不利またこれより大なるはなし 。これ 、政治家の注目せざるをえざる要点なり 。今 、余が洋行の挙ある欧米諸国にも 、この機密の政教の間に存するを知らんと欲するなり 。


第一一、哲学的の視察

そもそも政教子の今度の洋行たるや 、その意、欧米政教実際の関係を視察するにあるも 、その視察は普通尋常の視察にあらず 、哲学的の視察なり 。尋常の視察は外面一様の視察に過ぎず 、目前直接の視察に過ぎず 、哲学的の視察は内部の視察なり 、原因の視察なり 、道理の視察なり 。例えば 、西洋は開明国なり 、その宗教はヤソ教なり 、ゆえに 、わが国ヤソ教を用うるにあらざれば 、開明国となることあたわずと論定するがごときは 、いわゆる尋常一様 、皮相外面の視察なり 。もしこれに反し 、かの国にヤソ教の存する原因を探り 、政府のこれを保護する理由を究め 、その利害得失を比較審査して 、これをわが国の事情の上に考うるがごときは 、いわゆる哲学的の視察なり 。また 、西洋各国の政教の関係を見て 、ただちにこれをわが国に適用せんとするは 、尋常一様の視察なり 。もし 、わが国の事情と西洋の事情と比考し 、その間接の利害と将来の得失を審査するは 、いわゆる哲学的の視察なり 。この尋常的の視察は日本人の最も長ずるところなれども 、哲学的の視察は日本人の最も長ぜざるところなり 。今 、余が行はこの哲学的の視察を 、欧米各国の政治 、宗教 、風俗 、教育の上に施さんと欲するものな


第一二 、真理の味色

政教子 、船上にありて水天を望みて曰く 、真理はなお水のごときか 、味なきがごとくにして味あり 、真理はなお空気のごときか 、色なきがごとくにして色あり 。


第一三、海上の風教子

一日太平洋上の風波の穏やかならざるを見て曰く 、海上の風波はあたかも社会の変動のごとし 。人あり 、これを聞きて曰く 、社会の変動 、海上の風波のごとしというは至当なり 、海上の風波 、社会の変動のごとしというは不当ならずや 。政教子曰く 、画景を評して実景のごとしといい 、実景を評して画景のごとしというにあらずや 。


第一四、船を知るものと知らざるもの

船を知らざるもの風波に際会するときは 、船の陸に近づくを喜ぶ 。船を知るものは船の陸に遠ざかるを喜ぶ 。第一五、仏教者の肉食妻帯友人 、船中にありて問うて曰く 、仏教は必ずしも肉食妻帯を禁ずるをもって一宗の要旨とするにあらず 。しかるに 、今日の宗旨の肉食妻帯せざるものをもって真の仏者となすはいかん 。政教子曰く 、顔回は貧におるをもってその目的とするにあらず 。しかるに 、後世その道を伝うるもの、階巷にありて道を楽しむをもって 、まことに顔回の意を得たりとなすと同一なり 。


第一六、造物主を立つるの非理

また問うて曰く 、ヤソ教の「 バイプル」中に説くがごとき怪誕妄説は信ずべからずといえども 、かのユニテリアン宗に立つるがごとき造物主あるの説は 、はなはだ道理あるに似たり 、いかん 。政教子曰く 、その説はなはだ道理あるに似て 、その実道理あらず 。これ 、余がかつて『仏教活論』中に論明せるところにして 、その書を一見せるものは 、必ずその道理あらざるゆえんを知る べしと信ず 。今ここにその一点を述ぶれば 、造物主ありというの説は 、要するに天地万物は必ずその起源なかる べからずというの理にもとづく 。しかるに 、天地万物の起源を証明するに両説あり 。

 一つはその体をもって有始有終とし、一つは無始無終とす 。有始有終とするときは 、別に造物主を想立せざる べからずといえども 、無始無終とするときは 、天地万物は無始以来の天地万物にして 、別に造物主ありて創造せるにあらず 。この無始無終説は仏教の天地開闊説にして 、今日の学術もまたこの理を証立するに至る 。かの物質不滅 、勢力恒存等の理学上の原則は 、みな無始無終説を証明するものなり 。もし 、これに反して天地万物を有始有終とするも 、いまだ造物主ありの断言を結ぶべからず 。仮に 一歩を譲りその断言を結ぶべしとするも 、第二の問題は造物主の起源なり 。すなわち、造物主は有始有終なるや無始無終なるやの問題なり 。もし 、造物主は有始有終なりとするときは 、造物主の造物主なかる べからず 。もし 、造物主は無始以来現存するものにして自存自立なりとするときは 、その体すなわち無始無終なりといわざる べからず 。

ゆえに 、天地万物の解釈を下すに 、造物主を立ててその体無始無終なりとするも 、造物主を立てずして宇宙の体無始無終なりとするも 、その結論にいたりては同一なり 。決して造物主を立てたるをもって 、宇宙の問題を説き尽くしたりというべからず 。ただ 、甲のほかに別に乙を設けて 、その問題を乙の上に移したるのみ 。しかして 、天地万物の体無始無終自存自立なりとするの論は 、理学 、哲学の証明せるところにして 、造物主を立つるの論は 、古代の妄想を保守するに過ぎず 。その理は 、余が『仏教活論』中に論示せるところなり 。


第二 、米国ならびに大西洋紀行の部

第一七、日本僧侶とヤソ僧侶との比較

政教子、サンフランシスコにありて友人某に語りて曰く 、日本人中 、その従来の宗教家のこれをヤソ教者に比して 、徳行 、学識ともに数等の懸隔あるを痛責して 、日本将来の宗教はヤソ教を用うるにしかずと論ずるものあれども 、第一にその論の正しからざるは 、神官 、僧侶は日本人にあらざるもののように考うるこれなり 。第二にその論の誤りあるは 、宗教家は日本人一般の進歩の程度を代表することを知らざるこれなり 。今 、わが国の宗教家 、神官 、僧侶を合して十万前後の人員ありと称す 。この人員は三千数百万の日本人の一部分なれば 、その愚なるはすなわち日本人一部分の愚なるなり 。ゆえに 、たとい論者の評のごとく 、わが宗教家は学識 、徳行ともにはるかにヤソ教家の下にありと許すも 、この宗教家を奨励して学識研究の方法を設けざれば 、日本人一般の知識の程度を進ましむることあたわず 。いわんや 、この宗教家は民間にありて人民を教導するをもってその本務とするものにおいてをや 。この人の知識進歩すれば 、その人民の知識また進歩するは必然なり 。もし 、これに反して人民の教導をひとりヤソ教者に委するも 、世間の神仏二教を信ずるもの、決して一朝一夕に改宗転派するものにあらず 。その改宗転派の日を待ちて 、はじめて人民の知識を進歩せんとするは 、実に迂闊の策といわざる べからず 。例えばここに幼児あり 、これに薬を与えんとす 。他人これを与うれば 、幼児おそれてあえて近づかず 、乳母これを与うれば 、喜んでこれを受く 。しかるときは 、まず他人をして毎日幼児に近づかしめ 、幼児のようやくこれになるるを待ちて薬を与うる方良策なるか 、すでになれたる乳母の手を経てこれに与うる方良策なるか 、余はあくまで従来なれたる宗教家の手を経て 、文明の薬物を愚民の脳中に入るるをもって良策とするものなり 。しかるときは 、宗教家とこれに属する信徒とを 、同時に学識 、徳行健全の人となさしむ べし 。

つぎに余が第二の論点は 、宗教家と一般の人民は 、その文明の程度を同じくするものなりというにあり 。今 、世人の見るところによるに 、日本の宗教家は知徳ともにはるかに西洋の宗教家に及ばずというも 、この懸隔はひとり宗教家の間に存するのみならず 、日本の商法家は同一に西洋の商法家に及ばず 、日本の工業者は同一に西洋の工業者に及ばず 、日本の学者は同一に西洋の学者に及ばざる べし 。他語にてこれを言えば 、日本人の心力 、体力ともに今日の勢い 、はるかに西洋人に及ばざるなり 。しかして 、宗教家の懸隔最もさきに 人の目に触れたるは 、西洋の宗教早くわが国に入り 、人みな東西の宗教家を目前に比較することを得たるによる 。ほかの商法、エ業等は 、幸いに東西遠く相離れて目前に比較することあたわざるをもって 、したがって人の批評を免れたるのみ。さらにこれを理論上に考うるに 、人民みなその知徳ともに高等の地を占むるときは 、宗教家ひとりその間に立ちて下等の知徳を有することあたわず 。もし 、その知徳ひとり下等にあるときは 、一般の人民決してこれを宗教家と許すべき理なし 。もし 、かくのごとき宗教家の民間に立ちて人民を教導することを得る以上は 、人民中その知徳なお下等にあるもの存すればなり 。

果たしてしからば 、日本の宗教家の西洋の宗教家にしかざるは 、日本人一般の西洋人にしかざることを代表するものにして 、我が翡はこの一例を見て 、ますます日本宗教家の教育を進むることをつとめざる べからず 。もしその教育を進めずして 、ただみだりに宗教を変ずるも 、一国の文明上、決してその進歩を見ることあたわざるなり 。けだし 、文明の進否は人にありて道にあらず 。古語に曰く 、「 人よく道を広む 、道の人を広むるにあらず」。わが国の宗教は 、その理論一歩もヤソ教に及ばざるにあらず 、かえってその上にあるは 、今日西洋学者もすでに許すところなり 。かつ 、その宗教中に説くところの道徳 、品行は 、決してヤソ教中に説くところのものに下れるにあらず 、ただこれを広むる人 、その言行一致せざるのみ 。これ人の罪にして 、教の罪にあらず 。ゆえに 、今日の急務ただその人の教育 、学識を進むるにありて 、決して宗教を変ずるにあらざるなり 。

第一八、モルモン宗の本寺

米国ソルトレーク都府には 、モルモン宗の本寺あり 。その礼拝堂は 、一万五千人をいるる べしという 。当時 、本堂建築中なり 。その費用 、米貨千万ドル(わが千三百万円 )なりという 。


第一九、モルモン宗の信徒

モルモン宗は米国中ュタ州内に蔓延し 、州の人口およそ二十万あり 、そのうち十五万以上のモルモン 信徒あり 。その徒 、有するところの妻の多少は貧富に応じて異なり 、その最も富めるものは十五人の妻を有すという 。


第二  、モルモン宗の本書

 一夕散歩の際書陣に至り 、モルモン宗の書を求む 。書陣 、『 バイプル 」を出だしてこれを示す 。政教子曰く 、これ「 バイプル 」なり 。書陣曰く 、モルモン宗はすなわち「 バイプル」宗なり 。政教子曰く 、その多妻なるはいかん 。書騨曰く 、多妻はもとより「 バイプル  の許すところなり 。翌朝 、政教子モルモンの寺に至り 、堂守に同宗立教の書を求む 。堂守 、モルモン宗歴史一冊および多妻論一冊を示す 。その多妻論中には 、多妻説は「 バイプル」の許すゆえんを証明せり 。


第ニ 一、多妻必ずしもモルモンならず

 

友人某 、車夫に語りて曰く 、われ聞く 、貴宗は多妻宗なりと 。果たしてしからば 、わが国にもモルモン宗ありといわざる べからず 。なんとなれば 、わが人民中 、妻妾を蓄うるものあり 、その実多妻なり 。車夫曰く 、モルモン宗は多妻宗なるも 、多妻を有するものことごとくモルモンなるにあらずと 。政教子曰く 、車夫の言 、論理に合す 。論理学命題の規則中に 、主辞、賓辞を転倒するの過失を証明せり 。今 、モルモン宗は多妻なりの一命題を転倒して 、多妻なるものはモルモン宗なりということを得るときは 、こうもりは獣類なりの命題を転倒して 、獣類はこうもりなりということを得べき理なり 。その過失 、証明を待たずして明らかなり 。しかれども 、世にこれと同一の過失をなすものはなはだ多し 。「 英雄色を好む」の言を口実として色にふけるものあり 、「 君子は貧を楽しむ」の言を口実として貧に安んずるものあり 、これみな大なる過失なり 。英雄色を好むも 、色を好むもの必ずしも英雄ならず 、君子貧を楽しむも 、貧に安んずるもの必ずしも君子ならず 。


第二二 、身体の洗濯

米人某曰く 、日本人は不潔にして 、槻衣を洗濯することなしと聞く 、果たしてしかるや 。政教子曰く 、禄衣を洗濯せざるものはシナ人にして日本人にあらず 。日本人はただ洗濯するの度数 、あるいは欧米人のごとくはなはだしからざるのみ 。しかして 、日本人は毎日浴湯するの風習あり 、欧米人は毎月一回もしくは半年に 一回浴湯するのみ 。衣服を洗濯すると身体を洗濯するとは 、いずれが最も清潔なるや 。


第二三、寺院と人口の割合

ニューヨーク府中の寺院(ヤソ教会堂)、その主なるものおよそ五百棟ありという 。しかして市中の人口百二十万なれば 、二千四百人につき 一カ寺の割合なり 。フィラデルフィア府は寺院やはり五百前後ありて 、人民八十四万七千なれば一千六百九十四人につき一カ寺の割合なり 。アメリカ合衆国の人口総計おおよそ六千一百万にして 、寺院大小諸宗を合して九万二千百七棟 、僧侶( 牧師)七万七千二百三十人なれば 、六百六十二人につき寺院一棟 、八百人につき僧侶一人の割合なり 。



第二四、米国人民の階級

米国には人民の間に上下の階級なし 、男女の間に尊卑の懸隔あり( 女尊男卑)。第二五、心理療法の一米国にてヤソ 教学 術の名称をもって、一種の奇法を唱うるものあり 。その法、婦人の発明せるところにして 、万病を医するに 、従来の医方と全く異なりたる方法を用うという 。政教子曰く 、これ 、わがいわゆる心理療法の一種なり 。


第二六、市在の寺院

米国は国内いたるところ村落あれば 、必ず寺院すなわちヤソ会堂あり 。会堂にはおよそ一定の建築法ありて 、前面に高塔あり 、塔上に十字形あり 。ゆえに 、遠方より村落を一望して 、その中に会堂あるを知る べし 。都府の会堂はみな商店に隣接して立ち、市中に散布して存す 。決してわが国東京その他各都府の寺院のごとく 、一隅に僻在するにあらず 。



第二七、住職の多事

一寺住職すなわち牧師たるものは 、その寺の礼拝 、説教 、婚礼 、葬式等を主任するほかに 、ときどきその檀家信徒を巡回し 、起居安否を尋問し 、病客あるときはその病を問い 、不幸あるときはその不幸を弔する等 、しナこって多事なり 。


第二八、僧侶の尊敬

米国にて僧侶たるものは 、多少尊敬を受くるの風あり 、田舎に至りて最もはなはだし 。ただし僧侶は 、男女の交際 、外人の応接に注意し 、言語 、談話 、訪問 、待遇の極めて懇切丁寧なるを要す 。すなわち、懇切丁寧をもって人の愛を買うものにして 、しからざればたちまち名望を失するなり 。


第二九、教会の景況

米国の寺院は 、他教会もしくは他邦の人その会堂に至るときは 、はなはだ鄭重に待遇するの風あり 。また 、各宗派の信徒互いに共同して 、慈善会 、救助会等を設くるの風あり 。これ 、良風習というべし 。これに反し 、新教諸宗とローマ宗とは互いに敵視するの風ありて 、往々争論をその間に起こすことありという 。


第三〇 、牧師の生命を保険す

米国の風習、寺院に名望ある牧師あるときは 、これを終身その寺に奉職せしめんため 、教会の資金をもってその生命を保険することありという 。これ 、おもしろき方法なり 。

 

第三一、合衆国牧師の所得

合衆国にて 、牧師の有名なるものは一年に 一万二千ドルわが金およそ一万五千円)以上の所得あり 。その最も有名なるものは 、大統領の年給より多き所得ありという 。第三二 、米人、ヤソ教外の人を撲斥する普通の米国人はヤソ教外の宗教を信ずるものを外道と称し 、ただにこれを接斥するのみならず 、人類より一等下るもののように考うるの風あり 。しかして 、なにゆえ外道は撰斥す べきやを知らず 、実に愚の至りなり 。しかれども 、近年ようやく学者中にヤソ教を信ぜざるもの起こり 、仏教を主唱するものありて 、ややその惑いを解くに至れり 。ただその高論の、いまだ狭陰なる婦人の心裏に入らざるのみ 。


第三三、米国ヤソ教景況

ヤソ教の熱血ひとたびアメリカ人の血管中に入りてより以来 、その精神は常に宗教の熱を帯び 、氷雪飢霰の間にその寒を忘れ 、刻苦銀難して得たるところの結果は 、米国今日の文明なり 。しかるに 、今日にありては血管中の熱はすでに放散して 、ただわずかに皮隅の上に余熱を存するのみ 。婦人は美服を新調して日曜を待ち、男子は美人を捜索して会堂に入り 、日曜の会堂は男女相まみゆるの媒介場となる 。これ 、果たしてヤソ教の真面目なるか 。当時 、ヤソ教隆盛の地をかぞうるときは 、人みな米国を呼びて第一指を屈す 。しかしてその実況 、すでにかくのごとし 。ほかの地方に存するヤソ教 、推して知る べきなり 。


第三四、ヤソ教の僧侶ことごとく品行端正なるにあらず

米国にて聞くところによるに 、ヤソ教の僧侶ことごとく品行端正にして信教篤実なるにあらず 、その三分の二は内実はなはだ疑わしといえども 、表面には厳然たる宗教家たる言行を示すをもって 、世間一般に宗教家は品行端正 、信教篤実なりと認定するに至る 。かつ 、世人は宗教家と道徳家とは同一の意義を有し 、宗教家はすなわち道徳家なり 、道徳家はすなわち宗教家なりと信ずるの風あり 。ゆえに 、一、二の不道徳者の宗教家中にあるときは 、世人これを宗教の外に放榔して 、決してその罪を宗教に帰せず 。しかるにわが日本のごときは 、宗教家に不道徳のものあればその罪を宗教に帰し 、宗教と人とを同一視するの風あり 。これ 、他なし 。西洋人は宗教をもってその国の宗教とし 、日本人は宗教をもってその人すなわち宗教者の宗教とするの別あるによる 。政教子曰く 、

宗教は道なり  一人の私有するものにあらず 、人の心変ずるも道の変ずるにあらず 、宗教者不道徳なるときは 、その人宗教者にあらざるのみ 。なんぞ 、その罪を宗教に帰するの理あらんや 。第三五、米国ヤソ教衰微の原因、米国はヤソ教最も盛んなりと称す 。しかして近年 、毎日曜に寺院に参詣するもの次第に減少すという 。新聞上にてその原因を論じて曰く 、近年学術の進歩に従い 、自然にその影響を人心の上に及ぼし 、人をしておのずから上帝の在否 、未来の有無を疑わしめたるは 、その第一原因なり 。毎日曜に寺に詣し 、礼拝供養怠ることなきも 、実際上さらにその応果を見ず 。牧師は説教上において神つねにおわすというも 、上帝その愛子をして不幸を免れしむることあたわず 、神見ざるところなく聞かざるところなしというも 、その信者をして病苦を脱せしむることあたわず 。上帝を信ずるものと信ぜざるものと 、苦楽の境裏を来往するに寸分の差等あることなし 。ゆえに 、人をしておのずから上帝の威徳を怪しみ 、これに対して礼拝供養するも 、なんの益するところなしとの疑いを抱かしむ 。これ 、その第二原因なり 。第三の原因は 、人毎日曜に寺に詣して毎回同じようなる説教を聴き 、一週一日の貴重の休暇を犠牲にするは 、あるいは野外に歩を散じ 、あるいは友人と懐を語り 、随意放任の楽にしかざることを知るこれなり 。第四の原因は 、米国の風習として寺に詣するものは 、競って美服を着し美容を装い 、婦人はこれを男子に示さんと欲し 、男子は婦人の愛を引かんと欲するを常とす 。ゆえに 、資産に乏しきもの、または美服の新調なきもの、または一見識ありてかくのごとき風習を好まざるもの 、または老人にしてかくのごとき外観に意なきものは 、自然の勢い 、寺に詣せざるに至るこれなり 。


第三六、布教の好手段

政教子曰く 、ヤソ教者布教の手段は 、要するに婦人と小児を教訓して 、その道に引入するの一事にあり 、別して婦人を教訓するをもって第一手段とす 。もし 、ひとたび婦人の心中にヤソ教の思想を注入すれば 、その思想 、これによりて養育するところの小児に伝染するは必然なり 。すでに婦人と小児とともに 、その心ヤソ教海の水に浴するときは 、男子は自然の性力によりてその余波をくむは 、また必然の勢いなり 。かつ 、小児のとき得たる思想は先入主となるの理にもとづき 、成長の後を支配するの力あるをもって 、幼時ひとたびヤソ教の井中に入りたるものは 、終身大海の波上に立つことあたわざる べし 。これに加うるに 、婦人と小児はその心 、春陽の青草のごとく宗教の風に伏しやすきものなり 。その最もやすきものを婦人とす 。ゆえに 、ヤソ教者の婦人教訓をもって第一の目的とするは 、好手段中の好手段にして 、労少なくして功多きものといわざる べからず 。


第三七、米国の宗教の性質

政教子曰く 、米国の宗教は満痰自由の空気をもって吸入せるものなり 、全身自由の精神をもって注射せるものなり 。そもそも米国人は 、そのはじめ英国より渡航せるものにして 、当時英国政府は国教を組織し 、君主をもってその首長となし 、人民に宗教の自由を許さざりし 。しかるに人民中その主義に反対せるものありて 、信教の自由 、教会の独立を唱え 、父母の国を辞して遠くアメリカに渡り 、不毛の広野に植民を開けり 。その子孫ようやく繁殖して邑を成し都を成し 、ついに英国政府に抗して独立を天下に公布するに至れり 。しかして 、その独立戦争の起こりし原因は 、宗教上の旧怨、間接に相助けしや疑いをいれず 。かつその独立後 、共和政体を組織するに至りしも 、米国人の従来宗教の自由 、教会の独立を唱えたる精神より起こりしを知らざる べからず 。なんとなれ'  一方に自由の思想あれば 、その思想他方に向かって発するは自然の理なればなり 。

これを史上に考うるに 、近古新教の乱ひとたび起こり 、ルターの徒 、ローマ 法王の権勢に抗して宗教の独立を唱えてより以来 、その自由の思想は政治上に及ぼし 、各国に革命の乱を生ずるに至れり 。これ 、他なし 。政治と宗教はその性質を異にするも人の思想同一なれば 、政治上得るところの独立の精神は 、宗教上に発して宗教の自由を唱え 、宗教上得るところの独立の思想は 、政治上に及ぼして政治の自由を唱うるに至ればなり 。

故をもって 、政治と宗教はたいてい同一の組織を有し 、君主政治の組織の下には 、君主政治に相応したる宗教組織あり 、共和政治の組織の下には 、共和政治に相応したる宗教組織あり 。今 、合衆国はその政体自由共和にして 、その各連邦ほとんど独立の組織を有す 。しかして 、その国の宗教また自由独立の組織を有し 、各教会独立して各寺の法律を制定し 、これを総裁統轄する本山なく 、また教正なし 。ただ 、その宗派の連合により年会を開き 、各寺の名代人相会して 、その宗一般に関する事項を議定するものあり 。その組織 、あたかも合衆国の政体と異なることなし 。ゆえに余曰く 、米国の宗教は満嚢自由の空気をもって吸入せるものなり 、満身独立の精神をもって注射するものなりと。

 果たしてしからば 、米国の宗教のわが国に入るは 、他日政治上の大不利を醸成するに至るや必然なり 。現今わが国にあるヤソ新教は 、たいていみな米国より来たるものなり 。しかして 、その教会の組織は全く米国の組織を模写せるものにして 、自由共和の主義によりて成立せるものなり 。もし 、この宗教ひとたび人心中に入るときは 、知らず識らずの間に共和自由の思想を養成し 、その思想発して政治上の共和自由を唱うるに至るを計る べからず 。これ 、我が翡が今よりその結果のいかんを憂慮するところなり 。


第三八、日曜礼拝の時刻

米国の日曜は 、朝十時半ごろをもって寺時と称し礼拝始まる 。これ 、朝時の礼拝なり 。およそその前十五分に鳴鐘ありて参詣を促す 。わが国の寺院のごとし 。つぎに午後七時 、礼拝また始まる 。これ 、夕時の礼拝なり 。そのほか 、午後三時ごろに午後の礼拝を行う寺あれども一般ならず 。


第三九、遊山会

米国にて 、同志相募り遠足遊山をなすことあり 、これをピクニックという 。しかるときは 、あらかじめ時日と場所とを定め 、有志のものへ切符を売り渡す 。もしその場所水浜なれば 、当日端舟と楽隊とを用意し 、会するものみな弁当を携えともに水を渡りて 、あらかじめ期したる場所に至り舟をとどめて 、男女適意に野遊をなし 、晩に至りて再び舟に乗じて帰る 。当日切符より得たるところの金は 、端舟と楽隊との費用を除き 、その余はことごとく寺院もしくは病院 、貧院等へ寄付して 、慈善に用うという 。


第四〇 、寺院の小集

米国の寺院には 、毎月一、二回ソーシャブルと称し 、その檀徒のもの、おのおのその友人知己を誘い寺院に至り 、互いに紹介し互いに談話し 、茶菓を喫して去ることあり 。すなわち小懇親会なり 。ゆえに 、米国の寺院は説教場のほかに待合所を兼ぬるものなり 。


第四一、英雄  学者の肖像

政教子、ニューヨーク府にありて一日公園に遊び 、古今の英雄  学者の肖像 、石に彫刻せるもの路傍に 並列するを見て曰く 、これ我人を育する良教師なり 。およそ人たるもの、ひとたび英雄の肖像を見れば 、その心おのずから英雄を愛し英雄を慕い 、自ら進みて英雄とならんとする思想を起こすものなり 。学者の肖像を見るもまたしかり 。ゆえに余曰く 、これ我人を薫育する良教師なりと 。しかるにわが国公園中に 、いまだかくのごとき肖像を建置せざるは 、教育上の一大欠点といわざる べからず 。


第四二 、人民の正直

米国中の都府には 、往々番人なくして新聞を街上に売るものあり 。これを買う人は 、まずその代価を銭箱の中に投入して一紙を持ち去り 、だれも盗み去るものなし 。料理屋に入りて食事をなすものあり 、意に任じて数品を食し終わりて入り口の勘定所に至り 、自らその食するところのものを告げ 、相当の代価を払うの例なれば 、言をはむも自在なり 。しかるに 、人みな告ぐるにその実をもってすという 。人の正直なること 、かくのごとし 。政教子曰く 、これ 、その人はじめより正直なるにあらず 、数世数百年回 、社会の事情によりて洵汰せられたる結果なり 。世上に伝うるところの「 正直に過ぎたる政略なし」といえる諺は 、数世間経験の末発見したる規則なり 。

今 、西洋社会は家屋の建築いたって堅牢にして 、その防御またいたって厳密なれば 、知らず識らず人をして窃盗の念を絶たしむるに至り 、また商法上ひとたび世間に信を失えば 、ふたたび社会に立つことあたわざるをもって 、その勢い自然に人をして信義を守るの必要を知らしむ 。かくのごとき経験 、注意、数回相重なり数世相伝わり 、風をなし俗をなし遺伝性をなし 、ついに人をして生まれながら窃盗 .詐偽の念を去り 、正直朴実ならしむるなり 。しかれども 、その国全く盗賊なきにあらず 。われ聞く 、ロッキー山間には盗賊隊を成し 、汽車の線路を遮り 、乗客の財宝を奪い取るがごときことあるは 、しばしば新〔 聞 〕紙上に見るところなり 。


第四三、米国の駿々として文明に進むゆえん

人あり 、問うて曰く 、米国の駿々として文明に進むゆえんのもの、必ずその原因なかる べからず 、なにをかその原因とするや 。政教子曰く 、これ教育の力なり 。およそ教育には人為の教育あり 、天然の教育あり 、人為と天然を合したる教育あり 。人為の教育とは 、家にありては父母の教育 、家を出でては朋友の教育 、学校の教育これなり 。天然の教育とは 、天候地勢 、山川草木等 、我人の体外に囲続せる諸象 、およびこれより生ずるところの万変万化 、自然に我人の精神思想 、性質気風を感動蕉化するこれなり 。しかしてこの天然の形情を 、画に文に詩に音楽に彫刻に現示して人を感動薫化するは 、いわゆる天然と人為とを合したる教育なり 。今 、米国の人民を教育して 、その国をして今日の隆盛に至らしめたるもの 、多くは天然の教育による 。

まずその地勢を案ずるに 、東西数千里にわたる大国にして 、大西  太平の両大洋を前後に接し 、その内地にはロッキーのごとき世界に一、二を争う高山あり 、ミシシッピーのごとき万国に比類なき大川あり 、その湖には北部の大湖あり 、その原には中央の平原あり 、ともに 一望千里 、際涯を見ず 。この間に生長せる人民は 、朝夕目にその大を見 、耳にその大を聞き 、精神思想もまたおのずから大なるは自然の勢いなり 。つぎに天候を案ずるに 、米国中いたるところ 、ただ冬夏二季の気候の厳酷なるもののみありて 、春秋二季の温柔なるものあらず 。ゆえに 、この間に生長せる人民は 、その心またおのずから勇猛の気風を帯ぶるに至る べし 。かの米人の百折不撓 、耐忍不抜の精神は 、全くこの感化によらざるはなし 。かつ 、この不撓不抜の精神は 、かの国山川の感化より来たるもの、またすくなしとせず 。その地にそびゆるところの山嶺は 、自然にして起こり自然にして高く 、決して突起危立するにあらず 。その地を横ぎるところの河水は 、流れざるがごとくにして流れ 、動かざるがごとくにして動き 、決して急速なるにあらず 。この泰然として動かず悠然として流るる山河の形勢は 、すなわち米人今日の気風を養成し 、その文明の進歩は徐々緩々として決して急速に失せざるも 、またあえて浚巡として進まざるにあらず 。けだし 、その勢い一刻片時も休止することなく 、まさに無窮に向かって進まんとす 。ああ山川の教育も 、その功また大なるかな 。


第四四、米国の美術の思想に乏しきゆえん

また問うて曰く 、米国人は美術の思想に乏しきはいかん 。政教子曰く 、これまた天然の形勢による 。その地は高山あり巨川あり大湖あり広原あるも 、みなただ粗大なるのみにて 、  っとして美麗なるはなし 。わが国の光の勝、松島の勝 、嵐山の勝 、舞子の勝のごときは 、その国にありて絶えて見ざるところにして 、実に風致に乏しき地勢といわざる べからず 。これに反して日本には  いたるところの山川海湾は天然の画図を現出し 、人をして知らず識らず風雅の思想に富ましむ 。これ 、わが邦人の美術の思想に長じ 、米国人の乏しきゆえんなり 。


第四五、山川の教育

また問うて曰く 、山川の教育はいずれの国にも存するや 。政教子曰く 、しかり 。試みにシナと日本を挙げてこれを論ぜん 。シナには世界一の大川あり 、その名を黄河という 。日本には天下一の高山あり 、その名を富士という 。富士は日本人を教育し 、黄河はシナ人を教育す 。シナ人は悠々緩々として小事に驚かず 、細行を顧みず 、事情に迂闊なるの弊あるも 、また規模の遠大なるの長所あり 。これ 、あたかも黄河の悠然として流れ 、泰山の居然として動かざるがごとし 。わが国の山河はしからず 。山は小にして危立し 、川は狭くして急流なり 。あたかもわが人民の意を小事に注ぎ 、心中急速にして余地に乏しきに似たり 。しかしてその急速の心中に 、秀然として高く皓然として潔き 、一種卓絶 、万古不朽の元気ありて存す 。その気発しては愛国の精神となり 、凝りては尊王の忠魂となり 、二千五百余年来 、日本国をして東海の上に旭日とともに光輝を四方に放たしめたるは 、全くこの元気の、人心中に薫育せるによる 。その状 、あたかも富岳の群山連峰の上に屹立し 、秀然として高く皓然として潔きと同一なり 。

古来わが国の風 、詩人は富峰の美をその詩にえがき 、画工は富峰の雪をその画に示し 、日本人民をして朝にタにその美景に接見し 、その美操を欽慕せしむ 。ゆえに 、余は日本人に 一種卓絶の元気あるは 、富峰の教育によるという 。シナ人はこれに反し 、その心黄河の水とともに潔からざるは 、なんぞ知らん 、黄河その教師となるを 。ゆえに余 、歌いて曰く 、シナ人の心は黄河とともに濁り 、日本人の心は富峰とともに潔し第四六、教育の種類

政教子曰く 、従来日本人の教育に与うるところの解釈全く誤れり 。そのいわゆる教育は 、学校の教育に過ぎず 。しかれども 、学校の教育は教育中の小部分にして 、そのほかに種々の教育あり 。まず 、教育を分かちて間接教育と直接教育となす 。間接教育は 、人の初めて母の胎内に宿りて以来出産のときまで 、胎中にありて受くるところの教育をいう 。世のいわゆる胎教これなり 。胎教は母の体を経て間接に受くるところの教育なれば 、これを間接教育という 。すでに出産して 、ただちに外界の現象に接し受くるところの教育は直接教育なり 。これに天然の教育あり 、人為の教育あり 、装飾の教育 、地位の教育 、名称の教育等 、枚挙するにいとまあらず 。

装飾の教育とは 、例えば室内の装飾に勧善懲悪に関する書画彫刻を用うるときは 、知らず識らずの間にこれを見るものを教育して 、善良の人とならしむるがごときこれなり 。地位の教育とは 、世のいわゆる孟母三遷の教育その一例なり 。名称の教育とは 、これに普通名称教育と特有名称教育の二種あり 。特有名称教育とは 、父母その子に虎吉とか竜五郎とかいえる実名を与うるときは 、その子自然に勇猛活発の人となり 、直吉とか順二郎とかいえる実名を与うるときは 、その子自然に柔順正直の人となるの類をいう 。普通名称教育とは 、苗字 、村名 、州名等 、普通名称の人を教育するの力あるをいう 。例えば 、国名を日本と称するときは 、その人民をして旭日の昇るがごとく進取の気風を生ぜしめ 、艦名を金剛と称するときは 、その水兵をして勇健の気風を養わしむるの類これなり 。ゆえに 、人もし名称を設けんとするときは 、良名を選ぶこと必要なり 。


第四七、富国策

政教子、ニューヨークより汽船に乗じ 、まさに英国ロンドンに至らんとす 。その船、美にして大なり 。上等船客四百余名 、その十分の九は 、アメリカ人のフランス 、スイスの間に遊ぶものなりという 。友人曰く 、フランスの富をなすゆえん 、年々外国人のその地に来たりて金を散ずるによると 。政教子このことを聞きて曰く 、日本国の富をはからんと欲せば 、外国人の来遊を待つの策を立つるよりほかなし 。わが国今日の勢い 、商業 、工業を興して輸出品を増し 、もって外国の製産と競争し 、もって外国の金を入れんとするは 、ただに 難事なるのみならず 、今よりその策を立つるも 、十年ないし二十年以内に成功を期すべからざるは明らかなり 。かつその策を立つるに 、あらかじめ移多の資本を要するをいかんせんや 。これに反して外国人の来遊を待つの策は 、いたって実行しやすき方法なり 。

その方法は 、ただ内地の都会および名所に西洋風の旅店を新設すると 、土地案内道中記を作りて広く外国人に配布するとの二条にほかならず 。しかして 、わが国は天然にこの策を立つるに適するなり 。第一に 、気候渦和にして 、夏は暑を避け冬は寒をしのぐに便なること 、第二に 、土地、風景に富み 、山水の美勝 、いたるところに存すること 、第三に 、陸に天然の温泉あり 、海に天然の浴湯あること 、第四に 、日本は旧国なるをもって 、歴史上の旧跡はなはだ多きこと 、第五に 、古刹旧社そのほか 、古代の美術  奇観 、今なお存すること等 、みな外国人の来遊を引くに最も適するなり 。ゆえに余は 、国を富ますの策は 、西洋風の旅店を立てて外国人を引くにほかならずという 。


第四八、直接および間接の利益

友人問うて曰く 、この方法によりて得るところの利益、あらかじめ知ることを得るや 。政教子曰く 、その利益に直接と間接の二つあり 。直接の利益は 、外国人がその滞在中 、旅店その他において毎日費やすところのものをいう 。仮に毎日平均五百人ありて 、一人五円ずつ費やすものと定むるときは、一年に得るところの金 、九十一万二千五百円なり 。もし毎日平均千人ありて 、一人十円ずつ費やすものと定むるときは 、毎年得るところ三百六十五万円なり 。これ 、直接の利益に幾倍せるや知る べからず 。

第一に 、日本の物産外国に入るときは 、海関税のために非常に高価となり 、人これを得ること難し 。しかるに外国人日本に来たるときは 、安価にて買い入るることを得るをもって 、その売りさばき方 、従前に 数倍すること 。第二に 、外国人の口に適せざる米食 、米酒 、醤油のごときは 、まことに外国人の口に適せざるにあらず 、 だその味に慣れざるのみ 。ゆえに 、もし日本に来たり 、その滞在の間一回 、二回と重ねてこれを試むるときは 、次第にその味に慣れ 、帰国の後もこれを用うるに至り 、日本の輸出品これより増加すること 。第三に 、日本従来の遊興技芸( 例えば書画 、碁 、将棋 、茶の湯 、挿花等)、外国人のいまだその用を知らざるものも 、内地に来たりてこれを実見するときは 、その風を西洋に伝うるに至ること 。第四に 、日本の内地の改良すなわち( 道路の改良 、建築の改良 、美術の改良 、演戯の改良等)これによりて進むこと 。第五に 、日本人民、西洋人の風を見て開明の事情を知り 、今日喋々せる風俗の改良 、自然に実行するを得ること 。第六に 、西洋人の従来日本は東洋諸国のごとく野蛮の国なりと信ぜしも 、ひとたび日本に来たりて日本の事情に通ずるときは 、その人民のなすところあるを知り 、日本贔負の思想を生ずるに至ること 。これ 、間接の益なり 。


第四九、西洋人必ず日本に来遊すぺし

また問うて曰く 、もし洋館を設立すれば 、洋人果たして来遊するの目的ありや 。政教子曰く 、今日わが国には洋館らしき旅店なし 。かつ 、わが邦人の外国人を処するの方 、実に不深切 、不信用を極む 。しかるに 、シナ 、インド諸邦にある西洋人の日本に来遊するものは 、年々に増加するのみという 。ゆえに 、もし洋館を諸方に 設立し 、外人を処するの方を改良するときは 、その数一層増加するは言をまたずして明らかなり 。

まず 、はじめにシナ諸港、ホンコン 、インドヽ  その他東洋の諸島にある外国人を引き 、つぎにオーストラリア 、アメリカの人を引き  つぎに欧州の人を引きて 、これをわが国にいたすことを得べし 。このことにつき 、左の事情を考うるを要す。

すなわち、第一に 、西洋人は一般に旅行を好むこと 。第二に 、日本の物価は西洋より安きをもって旅行しやすきこと 。第三に 、愉快を得るために旅行するものは中等以上の人にして 、資産を有するものなること 。第四に 、愉快の旅行は商用の旅行と異なり 、余分の金を費やし 、多数の日限滞在すること 。第五に 、外国人は日本に遊ぶも 、パリやロンドンに遊ぶがごとき愉快を買うことあたわざるも 、人には奇を好むの情ありて 、すでに 一回もしくは二 、三回 、ロンドン 、パリに遊びたるときは 、そのつぎは全く異なりたる地方に遊ぶを好むこと 。第六に 、外国人の日本に来たるもの年々増加するときは 、各地方より直接に日本に航海する汽船を設くること 、および太平洋の航海日数も乗客の便を計り 、大いに短縮するに至る べきこと等これなり 。


第五〇 、音曲会

大西洋渡航の節 、船中にて一夕 、音曲会を催せしことあり 。当夕は船客中に 一芸を有するものを選び 、唱歌に巧みなるものは唱歌し 、奏楽に長ずるものは奏楽し 、あらかじめその順序を定め 、逐次にその芸を演ぜしむ 。あたかもわが東京の寄席のごとし 。会終わるに臨み 、聴衆よりおのおのその志に応じて五銭ないし二 、三十銭を徴集し 、その金は米国の慈善会に寄付して 、慈善の用に供うといえり 。

 

第三 、英国地方紀行の部

第五一、宗教政府

英国中に行わるるところのヤソ教宗派は数百種あるうち、その各派にて寺院 、僧侶 、信徒を統轄するの方法は 、要するに三種の組織による 。これを仮に宗教政府という 。すなわち、管長組織 、会議組織 、独立組織これなり 。管長組織は一宗派中に大教正のごときものありて 、末寺僧徒に関する 一切の事件を統裁する一種の政府なり 。英〔 国〕国教宗およびローマ宗これに属す 。つぎに会議組織は 、毎年一回もしくは毎月一回 、各寺院の名代人相会して 、その宗派上に関する事件を共議決定し 、別に管長を置かざる 一種の組織なり 。スコットランド国教宗 、プレスビテリアン宗 、メソジスト宗等これに属す 。つぎに独立組織は 、各寺みな独立を唱え 、その寺院に関する事件は自らこれを裁定し 、別に同宗の総寺院を統裁する管長を置かず 、また会議を設けざる 一種の組織なり 。コングレゲーシ ョナル宗 、バプテスト宗等これに属す。


第五二 、英国中の宗派

英国中 、現今行わるるところの宗派は 、昨年の調査表によるに二百四十三種ありて 、みなヤソ教の宗派なり 。しかしてヤソ教に属せざるものは 、ユダヤ宗とコント宗と仏教宗の三種なり 。ヤソ教中に旧教(すなわちローマ宗)と新教の二種あり 、新教中に国教宗と非国教宗の二種あり 。コングレゲーショナル宗、バプテスト宗、メソジスト宗 、プレスビテリアン宗 、ユニテリアン宗 、クエーカー宗等は 、みな非国教宗なり 。

 

第五三、英国国教宗の統計

大英国は宗教の自由を許すといえども 、その国教と定むるところのものは 、英〔 国〕国教宗とスコットランド国教宗との二種なり 。英〔 国〕国教宗は 、二人の大教正と三十一人の教正ありてこれを管理す 。そのうち大教正とニ十四人の教正は 、国会の上院に列席することを得るなり 。寺院の数一万四千五百七十三棟 、僧侶の数およそ二万四千人、寺院の収入総計 、毎年およそ七百二十五万ポンド(わが金およそ四千七百万円 )、これに属する信徒の数一千三百五十万〔 人〕(スコットランドとアイルランドはこれを除く)、大教正の年給、一人は一万五千ポンドわが金およそ九万八千円)、一人は一万ポンド 、英国所領地にある僧侶の数は、教正六十五人、平僧三千四百人なり 。


第五四、寺院と人口の割合

英国中にある寺院の数 、大小諸宗を合わせて二万五千八百五十七棟(スコットランド 、アイルランドはこれを除く)なり 。しかして 、英国の人口二千五百九十七万四千四百三十九人なり 。ゆえに 、もしこれを寺院の数に配するときは、一カ寺に属する人の数およそ一千四人の割合なり 。


第五五、国教宗僧侶の階級

国教宗にては僧侶の階級を三等に分かつ 。教正 、訓導 、試補これなり 。教正は訓甜を監督指令するの権を有す 、訓導は一カ寺の住職となることを得 、試補は訓導の候補者なり 。教正中に二人の大教正の名称を有する者あり 、これ国教宗の管長なり 。副管長なり 。一つをカンタベリー大教正と称し 、一つをヨーク大教正と称す 。前者は正 、後者は

 

第五六、国教宗の教区および僧官

英国にて 、その全国(イングランド 、ウェールズ両州)を分かちて二大教区とし 、その一っをカンタベリー大教正の配下に属し 、その一っをヨーク大教正の配下に属するなり 。各大教区を分かちて 、あまたの中教区とす 。中教区には必ず一人の教正ありて 、その区内を管理す 。各中教区を分かちて 、あまたの小教区とす 。小教区には必ず一名もしくは二 、三名の訓導ありて 、その区内を監督す 。ゆえに 、寺院に二種あり 。教正の住する寺をカテドラルという 。本山の義なり 。訓導の住する寺をチャーチという 。末寺なり 。末寺にはインカムベントと称するものあり 。住職の義なり 。住職にレクターの名称を有するものと 、ビカーの名称を有するものと二種あり 。  一つは総住職、一つは一分住職というがごとし 。インカムベントのほかにキュレートと称するものあり 。住職の補佐なり 。補住職というがごとし 。本山にはカノンと称するものあり 。本山に従事する僧官の名なり 。その長をデーンと称す 。なお 、僧長というがごとし 。


第五七、国教宗の礼壇

国教宗にては堂内に礼壇あり 、その上に十字架上のヤソ像と花瓶 、燭台あり 、別に説教席と読経席あり 、奄もローマ宗の寺に異なることなし 。非国教宗にては礼壇なし 、ただ説教席あるのみ 。


第五八、国教宗の本山

英国国教宗の大本山はカンタベリーの地にあり 、セント  オーガスチン〔 〕と名づくる高僧 、ローマ 法王の命を帯びて英国に来たり 、法錫をこの地にとどめて以来 、代々大教正の本寺となり 、千余年を経て今日に至る 。すこぶる古刹にして 、宝物また多し 。毎朝九時半より日没に至るまで 、衆人に堂内参観を許す 。


 第五九、寺院の俗吏

 国教宗の寺院にては必ず俗吏を使用す 。通例一カ寺に 、世 話 人二名 、副世話人四名 、掃除人一名あり 。寺院の会計は世話人これを摂理し 、住職これを監督す 。しかして世話人は 、住職の勤惰を直接に教正に報道するの権あり 。世話人と副世話人は檀家中より選定せるものにして無給なり 。掃除人には少額の金を付与す 。


第六〇 、僧侶となるぺき資格

国教宗にて僧侶とならんと欲するものは 、三項の性質を完備せざるをえず 。学力 、品行 、信心これなり 。この三点は 、教正の方にてその従来経歴ある学校の卒業証 、勤惰表 、履歴書 、その他臨時の試験等によりて審定して 、その可なるものはまず試補に命じ  つぎに訓導に命ずるなり 。試補の年齢は二十三歳以上、訓導は二十四歳以上、教正〔 は 〕三十歳以上の規則ありて 、その年齢に達せざれば拝命することあたわず 。

 

第六一 僧侶裁判の組織

 国教宗にては僧侶裁判所を設置す 。各中教区の配下に必ず一裁判所あり 、教正その長たり 。これ始審裁判なり 。各大教区に 一裁判所あり 、大教正その長たり 。これ控訴裁判なり 。大教区裁判所の判決を不当なりとするものは 、政府の枢密院に 上申することを得 。これ大審院なり 。


第六二 、僧侶の会議

英〔 国〕国教宗にては 、小教区中に毎年一回会議を設けて諸事を評定す 。これを ベストリー〔 〕という 。

そのときは教区中の人民(すなわちわが氏子というがごとし)相会するなり 。中教区中にまた会議あり 。これをコンファレンス〔 〕という 。そのときは中教区内の僧侶相会するなり 。大教区中に毎年一回大会議あり 。これをコンヴォケーシ ョン〔 〕という 。そのときは各教区僧侶の名代人相集まりて下院を組成し 、教正は上院を組成して 、諸事を議定するなり 。スコットランド国教宗にては 、あまたの寺院相合して小会議区を組成す 。これをプレスビテリー〔 〕という 。あまたのプレスビテリー相合して中会議区を組成す 。

これをシノッド〔ー〔〕という 。あまたのシノッド相合して大会議区を組成す 。これをゼネラル  アッセンプリ〕という 。非国教宗中 、コングレゲーシ ョナル宗 、バプテスト宗等は各寺独立を唱うる宗なれば 、別に会議の組織なし 。ただ有志連合会ありて 、一年一回もしくは二回会合することあるのみ。第六三、礼拝の度数および時間寺院にて礼拝 、説教の度数およびその時間の長短は 、世とともに変遷すという 。昔時は 、ヤソ教は毎日礼拝を子ヽ ヽ  その時間またいたって長く 、日曜のごときはほとんど終日礼拝を行いしが、今日はしからず 、毎日曜に限り礼拝 、説教あるのみ 。その時間もまた短縮し 、一時間ないし一時間半に過ぎず 。ローマ宗および英〔 国〕国教宗は 、なお昔時の風あり 。非国教宗は全く今日の風に改良せしものなり 。これ 、他なし 。世進むにしたがい事務多忙 、寺に詣する間隙を得ること難ければなり 。


第六四、英国諸宗の礼拝

国教宗の寺院はたいてい毎日朝タニ回礼拝を行うも 、平日は読経のみにて説教なし 。説教あるは日曜朝夕とその他の祭日に限る 。非国教宗は日曜朝夕および祭日のほかは礼拝を行わず 、木曜に行うものあれども 一般ならず 。国教宗の日曜礼拝は 、およそ一時間半ないし二時間を要す 。そのうち説教の時間は 、三十分ないし四十五分を常とす 。非国教宗の礼拝は 、一時間ないし一時間半に過ぎず 。そのうち説教時間は 、やはり三十分ないし四十五分なり 。読経は『 バイプル」中のある部分を誦読するものにして 、これに前後両回あり 。前回読経は旧約全書  中の一部分 、後回読経は「新約全書」


第六五、寺院収入の要目中の一部分なり。

 寺院の収入は 、国教宗にては左の諸目を主とす 。

日国教税(田地を有するものに課して 、その耕作および牧畜より収入せるもののいくぶんを寺院に上納せしむるこれなり)

口寺領地( 寺院にて従来所有せる土地をいう)

口座料( 寺院にてその堂内の席を檀家に配当して 、毎月もしくは毎年一定の席費を徴集し 、あるいは毎説教会に一定の座料を参詣人より徴集するものこれなり)

四賽銭(このほか寺院資金と称するものありて 、寺院の歳入不足の節はこの資金より支弁する法あり 。また 、臨時再建費と称して有志の寄付を請うことあり 。そのほか 、金満家より不時に土地または金円を献納することありという)


第六六、僧侶の月給

僧侶の月給は 、寺院の大小と僧侶の名望とによりて一定せず 。ただし 、国教宗の僧侶は非国教宗のものより多額の月給を得るなり 。国教宗の僧侶にして一カ寺の住職たるもの 、その多きは年給千ポンド(わが金六千五百円)、少なきは二百ポンド(わが千三百円)なりという 。そのほか 、僧侶には臨時の所得あり 。例えば婚礼式の節( 宗派によりてはその他の儀式にも)には、多少の金を僧侶に進呈するを例とす。わが国にて布施と称するものに同じ。


第六七、寺院の集金

礼拝のときには 、いずれの寺にても必ず賽銭を集むるを例とす 。寺の世話人 、礼拝の終わりに賽銭箱(もしくは袋)を出だし 、おのおの一銭以上十銭、二十銭くらいをその中に投入するなり。あるいは寺の規則により 、抒銭のほかに座料を収入することあり 。上等席一名二十五銭、中等席十銭、下等席一銭等と次第するなり 。あたかも芝居にて席費を収入するがごとし 。そのほか 、寺の堂内の柱には必ず数個の銭箱を掛くるを見る 。その箱の上には 、あるいは貧民のためと書し 、あるいは廃疾病人のために 、あるいは寺院建築費  内陳修繕費  旧債支弁のため 、神前供養のため等と書し 、寺あれば必ず銭箱あり 、銭箱あれば必ず寺かと人をして怪ましむるほどなり 。この箱は最もローマ宗と国教宗に多し 。そのほか 、寺院によりて内陳の入り口に 、大人は十銭、二十銭、小児半額等と掲示し 、内陳参観料を収入する所あり 。あたかも汽車の賃銭表を見るがごとし 。


第六八、会費徴集の方法

内国布教会あるいは外国布教会 、その他これに類する教会にて費金を集むるために 、説教会または展覧会のごときものを設くることあり 。例えば外国布教費徴集のため 、一定の日に某寺院をかりて説教会を開き 、当日参ずるものは志に応じて多少の金を寄付し 、その席にて集むる金はすべて布教会に収納するなり 。また 、有志の貴婦人手細工物を作り 、これを一場に集め商品展覧会と称し 、来観者をしてその好みに応じて購求せしめ 、これより得るところの金額はことごとく布教会に寄付するなり 。この方法は寺院建築 、負債償却等にも用うるという 。

 

第六九、賽銭の掲示

各寺院にて一週内に集まりたる賽銭その他種々の寄付金は 、堂内の掲示場に掲示するを例とす 。また 、寺によりては新聞上に広告する所あり 。田舎の寺院にても 、毎週百円もしくは二百円くらいの賽銭あり 。


第七〇 、寺院創立費

通常の寺院にて 、その創立建築費は一カ寺五万円に下らずという 。

 

第七 一 寄付者の姓名

 寺院に金円を寄付したるものは 、その姓名を堂内の壁上に刻し 、後日の記念となす 。あたかもわが国の寺院に永代読経の掲示あるがごとし。


第七二 、食時の礼拝

英国にて宗教信者の家を見るに 、内仏 、神棚のごときものはさらに安置せず 。ゆえに 、朝夕礼拝を行うことなし 。ただ国教宗の家にては 、食前に誦すべき文句あり 。これを晩食のとき 、食卓に対して口誦するを例とす 。


第七三、宗派異なれば名目また異なり

宗派異なればその名目また異なり 、ヤソ教の祭式に 一杯のプドウ酒と一片のパンを神前に供し 、読経祈請の後 、これをヤソの血と肉なりといいて衆人に配与することあり 。この式を英〔 国〕国教宗にてはホリー  コミュニオン〔と  、 ヽム 、 ローマ宗にてはミサ〔〕といい 、非国教宗にてはローズ  サパー〔〕といい 、あるいはプリマス  プレズレン宗にてはブレイキング  ブレッド〔 〕という 。日曜日のことをクエーカー宗にては第一日といい 、プリマス  プレズレン宗にては神の日と称するなり 。

 

第七四、英〔 国〕国教宗と旧教との区別

政教子、一日英人に問うて曰く 、英〔 国〕国教宗は新教の一派なりと称するも 、そのローマ宗と大いに似たるところあるはなんぞや 。英人曰く 、ローマ宗と国教宗の別は 、洗手の前と後との別と同一なり 。ローマ宗はいまだ洗わざるときのごとく 、国教宗はすでに洗いたるときのごとし 。その前と後とは 、手の形異なるにあらず 、ただ垢を去りたると去らざるとの別あるのみ。


第七五、仏教とヤソ教との類同

ヤソ教と仏教と大いに類同するところの諸点あるは 、今日すでに世人の注目するところとなり 、西洋学者中にヤソ教は仏教の説を取捨変更して成りたるものなりと唱うるもの多し 。英国オックスフォード大学教授マ クスミュラー氏も 、その「宗教起源論  中に「新約全書」中の事実と仏書中の事実とを比較して 、その似たるもの多きを見て 、大いに疑いを起こされたるがごとし 。


第七六、ヤソ教と仏教と儀式の似同

ヤソ教と仏教はその立つるところの説類同するのみならず 、その実際上の儀式はなはだ相似たるもの多し 。別してローマ宗は 、その寺院の装飾 、読経 、礼拝 、僧の生活等 、最も仏教に近きものなり 。

(甲 堂内の装飾

( 一) あまたの偶像( 木像 、金像 、絵像)を安置すること

( 二 ) 偶像の周囲に光明をえがくこと

( 三 ) 神前に礼埴を設け 、その上に御地敷をしくこと

 ( 四) 壇の上にろうそく台 、花瓶を並列すること

( 五) 酒および食物( パン)を毎朝供養すること

(乙) 礼拝の儀式

( 六) 僧侶は袈裟  法衣( 五条  七条の類)同様のものを着すること

( 七) 信徒は珠数を用うること

( 八) 合掌詭座すること

九) 香を焼くこと

)常夜灯を点ずること

読経 、説教の順序 、体裁の同一なること

( 十二) 鈴および鐘を鳴らすこと

( 十三) 説教後に賽銭を集むること(ヤソ教諸派みなしかり)

( 十四) 毎日朝夕 、礼拝 、読経すること

(丙) 僧徒の生活

( 十五) 僧侶は妻帯せざること

( 十六) 外出するに一定の法衣を着すること

( 十七) 頭上の一部分を剃髪すること

( 十八) 祭日に生肉を食せず断食を行うこと

 ( 十九) 僧徒はたいてい寺院内に寄宿すること

(二十) 男僧のほかに女僧(尼)あること

(二十一) 法王 、教正ありて僧侶を統轄すること

以上二十一項はヤソ教と仏教との外形上の儀式の似同せる点にして 、人をしてヤソ教の儀式はインドの風を模取したるやを疑わしむるものなり 。しかれども 、ヤソ新教はローマ宗を改良したるものなれば 、仏教と大いに異なるところあり 。その改良は真宗の改良に比すれば 、またはなはだ相近し 。


第七七、日本の仏教とインドの仏教

ある英国の学士語りて曰く 、日本の仏教はまことの仏教にあらず 。そのシナに伝わるものすでに純然ならず 、流れて日本に入るに当たりてまた濁水と混じ 、腐敗の宗教となる 。もし 、これを今日インドに伝わるものと比するときは 、その清濁の別 、判然知ることを得るなり 。政教子曰く 、その清きもの果たしてインド今日の仏教にして 、その濁れるもの果たして日本今日の仏教なるか 。両邦に伝わるもの互いに相異なるもなんぞ知らん 、日本の宗教かえって純然にして 、インドの宗教かえって腐敗せるを 。かつ余がみるところによるに 、学術 、宗教 、そのほか百般のこと 、みな世の進歩とともに発達するは自然の勢いにして 、中世のヤソ教と近世のヤソ教と大いに異なるところあるは 、中世のヤソ教純良にして 、近世のヤソ教腐敗せるにあらず 、ただ世の進歩とともに発達したるのみ 。今 、日本の仏教とインドの仏教と異なるも 、またこの理にほかならず 。インドの仏教はインドの文明とともに発達し 、日本の仏教は日本の文明とともに発達し 、両国の文明その性質を異にするをもって 、その今日の仏教互いに相異なるところあるも自然の理なり 。また 、インド古代の仏教と日本今日の仏教の異なるも同一理なり 。その教まずシナに入りて 、その国の文明とともに発達し 、日本に入りてまた日本の文明とともに発達して 、

〔 日本〕今日の仏教とインドの仏教と同一ならざるの結果を生ずるに至れり 。例えば 、草木はその初発のときとその成長の後とは 、同一の形状を有するにあらざるも同一の草木なり 。もし人 、その成長せるもののその初発のときに異なるを見て 、これ別種の草木なりといわば 、だれかその愚を笑わざるものあらんや 。

今 、日本の仏教はその古代インドに行われしもの 、およびその今日インドに存するものと異なるところあるは 、その種類はじめより異なるにあらず 、ただ発達に前後  東西の別あるによるのみ 。しかして 、その果たして同種の仏教なるゆえんは 、仏教の原理とするところのもの(すなわち因果の理等)、古今東西寸分の差異なきを見て知る べし 。かつ 、仏教の古来発達せる次序を考うるに 、ただ一理脈のその前後に貫通するのみならず 、一より二を生じ 、二より三を生ずるがごとき論理発達の規則によらざるはなし 。あたかも草木のはじめに芽を生じ 、幹を生じ 、枝を生じ 、葉を生ずる次序に異ならず 。これによりてこれをみるに 、その今日に発達せるところの原形は 、すでにそのいまだ発達せざる種子中に含有すること明らかなり 。ゆえに 、余は日本の仏教もインドの仏教も同一種なりというなり 。


第七八、西洋人の迷信

西洋人中にも迷信者はなはだ多し 。例えば 、十三人食卓に列するを忌み 、金曜日に旅立ちするを嫌い 、二個の包丁の食卓上に相交わり十字形をなすを不吉の兆しとし 、プラムを食しその仁の数をかぞえて吉凶を卜すとし 、火箸を炉の前に立てて火をおこすマジナイと称する等 、種々のことあり 。


第七九、英米の気風

英国人は堅牢を貴び 、米国人は危険を顧みず 。第八〇 、英米の新聞

英国の新聞は必ず日曜日に休刊し 、米国の新聞は日曜に休刊せざるのみならず 、必ず大付録を増刷するなり 。第八一、西洋人の悪習、西洋人は 、シナ婦人のその足を縮小にし 、インド婦人のその鼻に輪環を掛くるを見て 、天然を害する野蛮の風習なりという 。しかして 、西洋にも上下貧富を問わず 、婦人は必ず両耳をうがちて輪環を貫くがごとき 、天然を害する風習あるを知らず 。


第八二 、愚民の暦書

英国の民間に行わるる暦書あり 。毎年これを頒布して 、その翌年中の天災地変 、毎日の吉凶禍福を前定す 。しかしてこれを前定するの法は 、古代の天文学家の推歩術によるといえども 、学術上一点も考うべきところなし 。ただ 、愚民の意を慰むるに過ぎず 。しかるに愚民は固くこれを信じ 、毎日その暦書を見て日業をとるという 。政教子曰く 、英国の愚民も日本の愚民も愚民に二種なく 、その思想の帰するところ一轍なり 。


第八三、宗教専門大学

英国にはオックスフォード大学 、ケンプリッジ大学をはじめとし 、その他の大学中に神学部あるほかに 、宗教専門の大学いたって多し 。今 、英国中にあるものを統計するに左表のごとし 。


第八四、布教慈善会等

英国中に布教 、慈善 、保護 、救助 、養育等の目的をもって立てたる教会 、教社はなはだ多し 。その主なる種類を挙ぐれば 、布教会に関したるものには内国布教会 、外国布教会 、水上布教会 、市中布教会 、軍中布教会 、神典出版会等あり 、防護 、慈善 、救助に関したるものには 、労役者保護会 、婦女子保護会 、寡婦 、小児 、老人 、水夫 、免役者(兵役  懲役とも)、外国人、破船者、遭難者、牛馬等を保護救助する諸会あり 。これみな有志の結合によりて成り 、多くは寺院僧侶の主唱するところなり 。


第八五、内国布教会

英国に婦人内国布教会と称するものあり 。その規約書を見るに 、会員たるものは会費として一シリング(わが金三十三銭)を収納すること、手細工物を作り 、これを売りてその金を会に収納すること 、賽銭箱を作り 、集会ごとにその中に寄付金を投入し 、あるいは帳面を作り 、その中に寄付金の高を記載せしむること 、会員にして資産なきものは 、毎月一日もしくは二日間特別に労力をとり 、これによりて得るところのものを会に寄付すること 、等の箇条あり 。


第八六、小児教会

寺院には少年教会のほかに小児教会あり 。小児の四、五歳より七、八歳に至るもの、会日にはその父母もしくは乳母とともに寺にまいり 、極めて簡短なる讃美歌と 、極めて簡短なる宗意問答を習読するなり 。宗意問答はこれを小冊子に編成し 、その一部を各名に配付し 、導師(僧侶)その問いを読む 。小児、その父母もしくは乳母の助けによりてその答えを誦す 。その問答書は ( 問)神はなにものなるや 、( 答)神はわれわれのまことの父母なり 、等のごとき極めて簡短なる問答より成るものなり 。


第八七、洗礼式

ヤソ教の洗礼式はローマ宗にては 、水をひしゃく体のものにて赤子の額にそそぐなり 。バプテスト宗にては赤子の洗礼を許さず 、人ようやく長じて是非善悪を弁ずるに至り洗礼を挙行す 。その式 、全身を水に浸すなり 。そのほかの宗派は 、水の数滴を赤子の顔に振りかくるのみ 。


第八八、得度式

ヤソ教にて僧侶となるの儀式すなわちわがいわゆる得度式は 、国教宗と非国教宗と異なり 、国教宗にては試補となるにも訓導となるにも教正となるにも 、その式を行うの権は教正にあり 。試補となるの式は 、教正一名その手を候補者の頭上に加え 、訓導となるの式は 、教正一名ほかの訓導とともにその手を加え 、教正となるの式は 、ほかの教正 、通例三名ともにその手を加うるなり 。非国教宗にてはこの手を加うるの式なし 。ただ 、隣寺の僧侶もしくは友人にて 、すでに僧侶となりしもの来たりて言句を口授するのみ 。


第八九、クリスマ スの祝日

ヤソ誕生日すなわちクリスマスは 、西洋諸国の大祝日なり 。なお 、わが国の正月元日のごとし 。当日は戸ごとに常葉木をかけ 、室内の花瓶 、燭台にいたるまでその小枝をはさむ 。あたかもわが正月に松 、竹 、橙を用うるに同じ 。当夕 、脊属一同一席に集まり美食を設け 、食後 、自在に歓楽を尽くして深更に至る等 、みなわが正月の風俗に異なることなし 。当日は親戚 、朋友の間には必ず贈品呈書するを例とし 、下女下男 、出入 、小作の者には多少の金を与え 、近隣の貧民にも多少の愛を施す等 、またわが歳末のごとし 。地方の停車場などには当日に限り 、「 天下泰平 、武運長久 、鉄道会社千秋万歳」と題示せるあり 。これまた 、わが国風に異ならず 。


第九〇 クリスマ スのとき〔 の〕寺院の装飾

クリスマスの朝は 、各寺院会堂みな礼拝式あり 。ローマ宗の寺は 、堂内別にヤソ降誕の壇を設く 。すなわち堂内の一隅に 、マリア婦人庖内にありてヤソを産せし実景を作り 、人をしてその前に詭座合掌せしむ 。国教宗の寺院は降誕の壇を設けず 、ただ常葉木をもって堂内を装飾するのみ 。非国教宗の寺院はなにも装飾らしきものなく、さらに尋常に異ならず 。


第九一、ユニテリアン宗義

ヤソ教中ユニテリアン宗は 、当時日本に流行するの勢力ありしも 、西洋にては最も勢力なき宗旨にして 、近年次第にその信徒を失うという 。その英国中にあるもの、礼拝堂三百四十五カ所 、僧侶三百四十人に過ぎず 。けだしその原因は 、第一に 、高尚に過ぎて通俗に適せず 、第二に 、自由に過ぎて教会を組織するに難きの理由あるべしといえども 、要するに 、その教に立つるところの原理正しからざるによる 。およそヤソ教は 、その原理とするところ三条あり 。第一に造物主あること 、第二に死後の末来あること 、第三にヤソは神子なることこれなり 。そのうち、第三条をもって最要点とす 。しかるに  ユニテリアン宗この点をとらず 。ゆえに 、これにヤソ教の名を与うること難し 。これ 、ヤソ教各宗のその宗義を攻撃するゆえんなり 。しかるに 、この宗は造物主あるの一条をもって世の学説に付会し 、これ学術上の宗教なりと自ら許すは 、世の学理を知らざるものを籠絡する好手段なるも 、学者の目よりこれをみれば 、その説  つも学理に合するところなし。およそ神の解釈に二つあり 。一つは普性神、一つは特性神なり 。特性神は一種特殊の形質を有し 、作用を有し 、意想行為を有する最上知 、無量寿の体をいう 。ヤソ教に立つるところの神これなり 。普性神は 、特殊の性質 、作用 、意想を有せざる万物の本体実質をいう 。仏教の真如法性というがごとし 。今 、ユニテリアン宗の説くところの神はやはりこの特性神にして 、この特性神は今日の学術の全く許さざるところなり 。学術上にて宇宙間に不可思議の一体ありというも 、万物の起源本体は知る べからずというも 、これ一っとして特性神の存するゆえんを証明せるものにあらず 。明日の天気知る べからずというは 、決して明日雨あり風ありというの意にあらず 。

もし 、ヤソ教者のごとく学術上、宇宙間に知る べからざる 一体ありというを聞きて 、その知る べからざるの体は意志を有し 、知力を有し 、天地を作り 、万物を造るというがごとき断言をなすは 、あたかも明日の天気知る べからずというを聞きて 、明日の天気は雨もあり風もありと断定するに異ならず 。ゆえに 、ユニテリアン宗が特性神を立つる以上は 、学術上の原理に適合することあたわざるは明らかなり 。これによりてこれをみるに 、ユニテリアン宗は一方にありてはヤソ教各宗より 、これヤソ教にあらずの攻撃をきたし 、一方よりは理学者 、哲学者より 、これ真理にあらずの駁論を招き 、孤軍両敵の間に介立し 、四面援声をなすものを見ず 。その欧米諸州に振るわざるは誠に理あり 。


第九二 、クエーカー宗

非国教宗中 、クエーカーと称する一派あり 。その儀式  礼拝全く他の宗派に異なりて 、寺院または礼拝堂を設けず 。いずれの所なりとも 、同派の信徒の相会する席を定め 、これを同朋集会所と称す 。その席には礼壇を設けず 、楽器を置かず 、説教座もなく、ただ数脚の椅子排列するのみ 。ゆえに 、日曜には同朋相会するも 、別に説教者なく 、牧師なく 、歌を誦せず 、楽を奏せず 、各自その意に任じて 、祈請せんと欲するものはひざまずきて祈請し 、演説せんと欲するものはたちて演説し 、一時間ないし一時間半にして散会す 。散会の前にはおよそ五分間 、一同首を垂れ沈思黙座す 。これ 、その宗の主義 、外形上の装飾  礼式はすべて無用に属し 、内心の信仰ひとり必要なりと立つればなり 。しかしてその沈思黙座するは 、心鏡明らかなれば 、その面に神を見ると信ずるによる 。ゆえに 、神を外に見んとするは迷いなり 、よろしく内にみる べしという 。この宗に限り 、人生まるるも洗礼を行わず 、祭日あるも酒とパンを供養せず 。けだし礼式の簡略なる 、この宗をもって第一とす 。かつ 、道徳品行の点にいたりても 、この宗の信徒をもって第一とすという 。


第九三、プリマ ス  ブレズレン宗

クエーカー宗に最も相近きもの、プリマス  プレズレン宗なり 。この宗また寺院を建てず僧侶を置かず 、しカヽして礼拝の節は唱歌を用い 、祭日には酒とパンとを供養するなり 。政教子 、一日その会堂に入りてこれを見るに 、会場にはその宗の信徒と他宗よりの来観者はその席をわかち、酒とパンの供物は来観者に配与せず 、賽銭も来観者より集めざるなり 。


第九四、メソジスト宗

英国なる新教中 、メソジスト宗は会議組織より成り 、毎年大会議を設けて諸事を整理す 。これをコンフェレンスという 。二百四十人の僧侶と二百四十人の信徒相会するなり 。毎半年に中会議あり 、毎四季に小会議あり 。この小中両会議は大会議に付属するものなり 。ゆえに   一宗統轄の中心は大会議にあり 。大会議には年々大統領を選定して 、議長の席に就かしむ 。


第九五、コングレゲーシ ョナル宗

英国非国教宗中 、その最も古きものはコングレゲーシ ョナル宗なり 。その宗徒 、エリザベス女王の朝に起こりしも 、当時英国政府信教の自由を許さざるをもって 、去りて北米に移住するものはなはだ多かりし 。クロムウェル氏共和政治を唱うるに至りて 、その宗初めて勢力を得るに至れり 。けだし 、その宗の主義とするところ 、各寺みな独立にして 、これを統轄する教正を置かず 、会議を設けず 、純然たる自由主義の宗旨なり 。しかしてコングレゲーシ ョナル連合と称するものありて 、毎年同志の連合会を開くも 、決してその宗の宗制  寺法を議定するにあらずという 。


第九六 、ユダヤ人

ユダヤ人はその今日世界中に散布せるもの、大数七百万人ありという 。そのうち英国にあるもの六万人以上にして 、教会堂の数八十 、僧侶の数巨額に及ぶという 。百人あり 。その教会および慈善上に費やすところの金、年々およそ百万円の

 

第九七、ローマ 宗教正

ローマ宗の教正世界中にあるもの、大教正を合して一千二百二十二人。そのうち、英国および英国所領地内にあるもの百四十七人なりという 。


第九八、寺院の所有者

寺院の堂宇および所属財産は 、国教宗にては法律上その住職の所有とし 、非国教宗にては檀家中の主なるもの数名連署してその所有者となるなり 。国教宗の住職は 、ほとんど全く一寺を支配するの特権を有するも 、非国教宗の牧師は 、檀家中の総代人とともに 一寺を支配するの権を有す 。ゆえに 、非国教宗にありては 、檀家のもの牧師を進退するの権あり 、国教宗にては教正その権を有するなり 。


第九九、仏理の蘭明

英人某曰く 、仏教は無神教なりという 。だれか賞善罰悪の権を有するや 。政教子曰く 、仏教は賞罰を主宰する神を立てず 、ゆえにその権を有するものなし 。しかして道理の主宰あり 、すなわち因果の理法これなり 。この理法よく善を賞し悪を罰し 、尺善寸悪といえども必ずその果報あり 。善因異なればその果また異なり 、悪因同じからざればその果また同じからず 。罪業の軽重に従って 、受くるところの果報に軽重あり 。これをもって 、極楽にも種々の極楽あり 、地獄にも種々の地獄ありという 。これ 、みな因果の理法によりて論定せるものなり 。ゆえに 、仏教を信ずるものは 、因果の理を信ずるをもって足れりとす 。あえてその理法のほかに 、ことさらに想像をたたきて天帝を喚起するを要せず 。某曰く 、仏理の簡明なること 、遠くヤソ教に勝れり 。

 

第一〇〇、ヤソ教は仏教の敵にあらず

英人某問うて曰く 、君は仏教を主唱するものなり 。仏教を主唱する以上は 、ヤソ教は君の敵視するところなるか 。政教子曰く 、いな 、余は仏教を主唱すると同時に 、宗教の真理を主唱するものなり 。ヤソ教はいまだ宗教の真理に合せずといえども 、その真理に達するの途次にあるものなり 。論理上ヤソ教の理を推究すれば 、その極み仏教の原理に合体するに至る 。ゆえに 、余はかつていえるあり 、ヤソ教一変すれば仏教に至らんと 。ただその今日のありさま 、真理に達するの途次にありて迷中に出没し 、暗裏に紡裡して進路をとるゆえんを知らざるのみ 。あたかも雲外に明月あるを知らず 、林外に秀山あるを知らざるがごとし 。ゆえに 、余はヤソ教をもって仏教の一部分とせんとす 。決してこれを敵視するにあらず 、ただ朋友視あるいは兄弟視するのみ 。もしヤソ教者 、その自ら迷うゆえんを知らずして 、雲外に明月なし林外に秀山なしというに至りては 、余もとより黙止に付す べからず 。しかれども 、そのこれを敵視するは余が本心にあらざるなり 。


第 一〇一 、日本布教の報道

ある人語りて曰く 、英〔 国〕国教宗の教正 、日本に布教せるもの英国に帰り 、その布教の実況を報道せし演説中に 、ヤソ教を日本に広むるははなはだ難し 。その国の人民論理に明にして 、その質問難駁するところ実に順序あり条理あり 、決して凡常平易の問難にあらず 。この人民をしてヤソ教の理を信ぜしむるには 、いちいち哲学上の論法を用いざる べからず 。普通の説教演説のよく化すべきにあらず 、ただ将来布教の目的は 、女学校の進歩にあらんかとの意を述べられたりという 。その意 、日本の男子は脳中に論理の精水すでに満つるをもって 、ヤソ教の法雨を注入すること難し 。しかして 、女子はその心面の膜質いたって柔らかにして 、宗教の風に変質しやすきをもって 、将来の布教は女子を教育するよりほかに手段なしというにあり 。


第一〇二、宣教師の予想

英国その他欧米各国の宣教師は 、そのいまだ日本に来たらざるに当たりては 、日本の人民はアフリカ 、アメリ力等の野蛮人民同等のように考え 、この人民をヤソ教に入るるは 、小児に対して説教するよりやすきように思うもの多し 。すでに来たりて人民の思想に接すれば 、全く自ら予想せるところに反し 、その宗教上に有するところの観念は 、遠くヤソ教の上にあるに驚くという 。英国などにて堂々たる大寺院の説教すら極めて浅薄なるものにて 、奄も日本の僧侶の田舎の愚夫愚婦に対して述ぶるものに異ならず 。しかして聴衆は唯々諾々、一言も疑問を起こすことなし 。かつ 、日本にて従来講ずるところの仏道  儒道ともに 、その理の高尚なることはるかにヤソ教の右にあれば 、宣教師の日本に来たりて人民の思想に驚くは 、実に道理ありという べし 。


第四、英国ロンドン紀行の部


第一〇三 、ロンドンの寺院の数

ロンドンの人口は 、市中の内外を合わせて三百八十一万四千五百七十一人なり 。ゆえに 、大数四百万と称す 。しかして寺院の数(ヤソ教会堂)、英〔 国〕国教宗に属するもの八百、ほかの諸派に属するもの六百、合わせて千四百力寺あり。


第一〇四 、ロンドンの巨刹

ロンドンなる寺院中 、その最も名あるものはウェストミンスター  アベーとセントポール  カテドラルなり 。この二者ともに国教宗に属す 。ウェストミンスター  アベーは英国第一の古刹にして 、その最も古き部分は紀元後九八五年( 今を去ること九百余年前)の建設にかかる 。セントポール  カテドラルはただに英国中の最大寺院なるのみならず 、欧米諸国中にある寺院中 、第三に位する巨刹なり 。すなわち、イタリア国ローマにあるサンピエトロ寺をもって第一とし 、同国ミラノにあるものを第二とし 、そのつぎはこの寺なり 。その堂内の前後の長さは五百尺 、左右の長さ( 最も広き部分)は二百五十尺 、堂の高さ三百六十三尺なり 。この寺建築費のうち七十四万七千九百五十四ポンド  わが金四百八十万円)は  ロンドン市中に輸入せる石炭に税を課して収入せるものなりという 。非国教宗中最も大なる寺院は 、バプテスト宗のメトロポリタン  タバナクル寺なり 。その堂内には 、六千人の参詣にあつべき座位あり 。


第一〇五、国教宗の儀式


国教宗の制規によるに 、婦人子を産すれば 、まずその子を寺に送り 、洗礼式を受け 、法号を賜る 。その後 、産室を離るるに当たりて 、母自ら礼参として寺に詣するを例とす 。なお 、わが国の宮参りのごとし 。その子長じて十四、五歳に至ればまた寺に参り 、コンフォメーシ ョン〔堅信式 〕と名づくる礼式を受くるを例とす 。その式 、わが国の冠礼に比すべし 。これを行うの法は 、教正ありてコンフォメーシ ョンを受くべき人の頭上にその手を加え 、誓詞を誦するなり 。


第一〇六、誕生日の記憶

西洋の風習となして 、出産のとき贈品をなすの例なし 。ただ 、毎年誕生日に多少の物品を贈呈するのみ 。ゆえに人の誕生日は 、人みなこれを記憶す 。しかして人の死日は 、父母の死日といえども 、記憶することいたってまれなり 。これ 、大いに日本とその風習を異にするところなり 。


第一〇七、指環

西洋には 、男女結婚の前に結婚約束をなすことあり 。これを婚約という 。この約を証するため 、指環を男より女に与うるを例とす 。これを婚約指環という 。すでに結婚すれば 、結婚指環を与うるなり 。結婚指環は 、純金にして装飾なきものを用う 。この指環を与うるの例はローマ時代の旧風にして 、その風の流れてヤソ教に入りしものなりという 。


第一〇八、結婚の手続き

国教宗の制規によるに 、男女結婚を約するものは 、その結婚の期日に さきだちて( 通常五週間前)、これをその檀那寺に報知し 、その寺にて毎日曜続きて三回 、礼拝の節これを聴衆の前に報告し 、異見故障あるものはその事情を住職に通知するを例とす 。この例を バンズ〔 〕という 。もしバンズを好まざるものは 、大教正すなわち管長閣下に願書を上ぐるを要す 。これをマリッジ  ライセンスという 。非国教宗に属するものは 、かくのごとき手続きをふむを要せず 、ただ結婚の当日 、その檀那寺に至りて儀式を執行するをもって足れりとす 。もし寺院にて結婚することを好まざるものは 、区役所もしくは戸長役場を経て結婚を執行することあり 。これをシビル マリッジという 。

第一〇九、結婚の時間

国教〔 宗 〕の制規にては 、結婚儀式執行の時間は 、当日朝八時より午後三時までを限りとす 。しかして 、通例朝八時より正午十二時までの間をよしとす 。葬式はこれに反し 、必ず午後に執行するなり 。三時前後最も多し 。


第一一〇、結婚儀式の大要

結婚の当日は 、新郎まず 、あらかじめ期するところの寺院に至りて新婦の来たるを待つ 。そのとき音楽を奏す 。新婦はその父とともに堂内に入り 、礼壇の前に至りてとどまる 。新郎はその右に立ち、父はその左に立ち、僧はその前に立ち、新婦付き添いの婦人はその背に立つ 。ときに僧 、経文および誓文をとりてこれを誦し 、新夫婦これに和す 。すでにして結婚指環を新郎より新婦に与え 、両人おのおの結婚の誓文を誦す 。儀式の時間およそ三十分なり 。終わりて住職の休息室に至り 、おのおの帳簿に記名して結婚を証す 。その後 、両人同車して新婦の父母の家に至りて朝餐の席につく 。その席には 、両人の親戚 、朋友 、そのほか寺院の住職も列するなり 。食事は冷肉のみを用い 、美菓をその両人の前に置く 。これを結婚菓子と称す 。新婦包丁をとり 、この菓子を分割する礼とす 。食事終わり次第 、両人は旅服を着け旅行に就く 。この旅行のことを 甘月と称す 。これを結婚儀式の大要とす 。

 

第一 一一、甘月旅行

甘月旅行は新夫婦両人のみにてこれを約し 、そのいずれの所に遊び 、何日間滞在する等のことは 、奄も父母 、親戚に告げざるを例とす 。両人出発の後は 、その不在の宅にありて当日の夜更けに宴会を張り 、あるいは歌い 、あるいはおどり 、もって婚儀を祝するなり 。その翌日 、結婚菓子を分配して 、親戚 、朋友の家に送呈するを例とすという 。


第一  二 、結婚の祝宴

日本にては結婚式の祝宴は新郎の父母の宅において行い 、西洋にては新婦の父母の宅において行うの別あり 。


第一  三、葬式取り扱い人

西洋にて葬式の風はまた日本と異なり 、まず死人の取り扱い方は 、市中にある葬儀取り扱い人に命じて行わしむ 。これをアンダーテーカー〔 〕という 。ゆえに 、死人あれば必ずその取り扱い人に 報知すべし 。しかるときは 、大小一切葬式の始末 、寸分も脊属親戚の手を煩わさずして弁ずることを得るなり 。


第一  四、埋葬場

英国の埋葬場は会社にて所有するもの多し 。会社にてあらかじめ地面を買い入れ 、その一部分を埋葬者に売り渡すなり 。およそ長さ七尺 、幅三尺くらいの地面にて  一人前に相当する埋葬地ロンドンにては四百円くらいの価なり 。棺はす べて臥棺にして 、長さ六尺 、横二尺半 、厚さ一尺くらいなり 。地面は極めて深く掘り 、一家族の棺を数重に合葬するなり 。その地面の上に石碑をたて 、これに埋葬せるものの名と年月を刻するなり 。

 


第一  五、貧民埋葬

埋葬所の一隅に衆人合葬の地を設く 。これをポーパー〔ものは 、少々の金額を出だせば足れり 。〕という 。貧民を葬る所なり 。この地面に葬る

 

第一  六、埋葬場の門前

埋葬場の前には必ず花屋と石屋あり 。東京の谷中に異ならず 。親戚 、朋友ときどき埋葬場を訪い 、墓所を掃除し花を献ずる等 、またわが国の風習に異ならず 。


第  一七、葬式の読経

埋葬場の中央に寺院あり 。棺はまずこの寺院に送り 、僧侶来たりて読経す 。つぎに墓所に至る 。僧侶また読経す 。楽器を用いず 、これを通常の葬式とす 。読経の時間は前後あわせて二十分くらいなり 。


第一  八、医師の馬車

中等以上の葬式には 、医師の馬車 、行列の終わりに加わるを例とす 。ただし 、その馬車は空車なり 。


第一  九、仏教とヤソ教と儀式の相違

西洋のヤソ教は現世の儀式のみを支配し 、日本の仏教は死後の儀式のみを支配するの別あり 。例えば 、ヤソ教の儀式は人の誕生の時に始まり 、冠婚より葬式に至りて終わる 。さらに死後の祭典供養をなすの儀式なし 。仏教はこれに反して 、その儀式葬時に始まり 、死後の祭典供養を主とす 。しかして現世の儀式は 、わが国にては神道の主とするところとなれり 。

 

第  二  、死人をおもうの情

父母を慕い死人をおもうの情は 、西洋人はなはだ薄く 、東洋人はなはだ厚し 。父母の葬儀のごとき 、ただ目前に哀を呈するのみにて 、その心かえって喜ぶの類 、往々これありという 。葬式終わり人みな家に帰れば 、父母の遺言に従って財産を分配するを常とす 。そのとき一族兄弟の間に争論を起こし 、哀泣の声たちまち変じて罵詈の声となるの例 、しばしば聞くところなり 。かつ 、人おのおのその父母の財産の分配を欲して 、心ひそかに父母の死期の早からんことを祈るがごとき弊 、また少なからずという 。


第  ニ 街上説教

夏夜 、人の涼を戸外に迎え 、街上の往来極めて雑踏なるの際に当たり 、寺院の僧侶は俗人中の篤志なるものに許して 、街上説教をなさしむることあり 。


第  ニニ 、サル ペーシ ョン

英国なるヤソ教諸宗派中の最も異風なるものは 、サル ベーション  アーミー〔 救世軍〕と称するものなり 。その組織全く軍制に倣い 、群を成し隊を成し 、将あり佐あり 、あるいは行軍しあるいは屯集し 、もって布教伝道をなす 。実に異風というべし 。当時 、その隊中に加名するもの三十万人、隊数二千百五十八隊ありという 。


第  二三、ヤソ教の愛

ヤソ教者曰く 、ヤソ教の他教に勝るゆえんのものは 、愛をもって教の根本とするにあり 。政教子曰く 、孔子は仁をもって道の体とし 、釈迦は慈悲をもって教の本とす 。仁と慈悲と愛とはその名異なるも 、その実同じきにあらずや 。


第  二四、英国の国会議員

政教子一日国教宗の僧に面し問うて曰く 、貴宗の僧侶は国会議員になることを得るや 。僧答えて曰く 、教正は上院に列席することを得といえども  一寺の住職たるものは選挙権を有して被選挙権を有せず 。他日 、非国教宗の僧侶に面し問うて曰く 、非国教宗の僧侶は国会議員になることを得るや 。僧答えて曰く 、選挙権および被選挙権を有すること 、町村の人民に異ならず 。重ねて問うて曰く 、国教宗の僧侶は被選挙権を有せず 。しかして貴宗の僧侶は〔 被 〕選挙権を有するはいかん 。僧曰く 、国教宗は二十六人の教正上院に列席するをもって 、別に国会議員となるを要せず 。かつ 、国教宗の寺院は政府の役所の一部分のごとく、住職は官吏の一人のごとく 、政府の保護を受くるといえども 、わが宗はさらに政府の保護を受けず 、その僧侶は純然たる平民の資格を有するものなり 。ゆえに 、その国会議員となるの資格もまた 、平民同様ならざる べからず 。


第  二五、三位一体説

英人某曰く 、仏教に三位一体説ありや 。政教子曰く 、三位一体説はインドの説なり 。仏教中 、もとよりその説あり 。ヤソ教の三位一体説は 、インドの旧説をとるものなり 。その天帝主宰説も万物創造説も 、みなインドの旧説なり 。『 バイプル」中に見るところのもの、多くはインドの経文中に見るところのものなり 。「新約全書」  中に記載せる同一の事項の仏経中に存するは 、比較宗教学者の大いに疑いを抱くところなり 。仏教はヤソ教の前に出ず 。しかしてその説符合するところあるは 、はなはだ奇怪ならずや 。英人これを信ぜず 。よって政教子、英国学士の著せる一書を出だしてこれを示す 。某曰く 、余はじめてこのことあるを聞く 。仏教のよって来たるところ遠し 。なんぞ知らん 、ヤソ教は仏教の卵中より化生せるを 。


第  二六、日本の仏教

英人某問うて曰く 、聞く 、日本人民は大半インドの仏教を奉信すと 。果たしてしかるや 。政教子曰く 、日本には日本の仏教あるのみ 、インドの仏教あるを聞かず 。英人怪しみて曰く 、日本の仏教はインドの仏教にあらずや 。〔 政教子〕曰く 、そのはじめはインドより伝来せるも 、日本に伝わりて以来千余年を経過し 、その間大いに発達進化して 、すでに念仏宗 、法華宗のごとき 、天竺にもシナにも聞かざる宗旨を日本に見るに至る 。ゆえに 、余はこれを日本の仏教というなり 。例えば 、ヤソ教はそのはじめアジアの西部に起こりしも 、今日に至りては英国には英国のヤソ教あり 、米国には米国のヤソ教あり 、だれか英国のヤソ教を指してアジア西部のヤソ教なりというものあらんや 。しかりしこうして 、今日わが国に流布せるヤソ教は 、西洋のヤソ教というべし 。いまだ日本のヤソ教という べからず 。なんとなれば 、米国より伝来せるヤソ教は米国のヤソ教を模写せるものにして 、その教義 、儀式 、教会の組織等 、みな米国にあるものと同一なるのみならず 、日本の教会はたいていみな米国教会の付属支会にして 、あるいはかの国の伝教師をいただき 、あるいはかの人民の扶助金を仰ぐものなり 。また 、ローマ宗のごときはフランス国ローマ宗の支会にして 、ギリシア宗のごときはロシア国ギリシア宗の出張なり 。ゆえに 、日本には日本の仏教あり  いまだ日本のヤソ教なしという べし 。


第  二七、英国の仏教

政教子、仏教宗の教会のロンドン市中にあるを聞き 、一夕これを訪うて会主に面す 。会主曰く 、この教会当府下に開きて以来 、僅々数年を出でずといえども 、十余個の分会を英国中に設立するに至れり 。実に非常の進歩というべし 。毎週木曜日 、説教会をこの会堂に開く 。聴衆五十名に下らず 。米国、フランス等にも 、同主義をもって教会を設立するものあり 。みな会員 、日を追って増加す 。ああ仏教 、西洋に流行するの機運すでに熟せりと 。別に臨みて会主また曰く 、われはまことに仏教を奉ずるものなり 、われは仏教ひとり真理の宗教なりと信ずるものなり 、われは畢生の力を尽くして仏教を拡張せんと欲するものなり 。君請う 、疑うことなかれと 。その鋭意 、熱心 、実に感ずべし 。


第  二八、仏教に異宗派多きゆえん

人問うて曰く 、仏教の諸宗はみな別主義をもって宗則とし 、ヤソ教の諸宗は一主義をもって宗則とするはいかん 。政教子曰く 、ヤソ教の諸宗は一主義なりというも 、各宗多少その宗義を異にす 。そのうち主義の全く相異なるものは 、ユニテリアン宗 、クエーカー宗なり 。仏教の諸宗各主義を異にすというも 、浄土宗と真宗はその本経つなり 、天台宗と日蓮宗はその本経  つなり 。しかれども 、もし両教を較するときは 、仏教の方 、別主義の宗多し 。これ釈迦の本意にして 、その言に 、「 われは大医王なり 、病に応じて薬を与う 」といえり 。すなわち、人の病症つならざれば 、これを治する薬またつならず 、一方をもって万病を治することあたわず 。今 、我人の性質 、生来おのおの別なり 。万人には万人の心あり 、知者あり無知あり 、鋭利なるものあり魯鈍なるものあり 。もし 、この人をして同一に涅槃の楽地に至らしめんと欲せば 、その説くところの法、知愚利鈍に応じて異にせざるをえず 。これ 、釈迦のその教えを説くに当たりて 、種々の宗義を立てたるゆえんなり 。


第  二九、ヤソ教者悪人を感化するの力なし

友人某 、ヤソ教者の家に遊ぶ 。ヤソ教者曰く 、世界中種々の宗教ありといえども 、ヤソ教にしくものなし 。欧米今日の文明といい 、国勢といい 、人民の道徳品行といい 、社会の風俗習慣といい 、そのこれを東洋に比して大いに懸隔するところあるは 、全くヤソ教の力によらざるはなし 。友人曰く 、英国はヤソ教国なり 、ロンドンに住する人民はヤソ教国の人民なり 。この一府中にある寺院および僧侶ともに 、千をもって数う 。その寺院は人民を保護せざるにあらず 、その僧侶は人民を訓導せざるにあらず 。しかして市中の罪人悪徒 、日に増し月に加わり 、人を殺して利をたくましくするがごとき悪賊あるは 、しばしば新聞上に見るところなり 。わが国はヤソ教国にあらず 、わが人民はヤソ教人民にあらずといえども 、罪人悪徒かくのごとぐ多からず 。ヤソ教者は世人の品行道徳を振起すというも 、その力 、罪人悪徒を感化することあたわざるか 。これ 、わがはなはだ惑うところなり 。ヤソ教者曰く 、君の論まことにしかり 。余この点にいたりては 、一言もって答うることあたわず 。

 

第一三、ヤソ教の一変

 

政教子曰く 、ヤソ教一変すればユニテリアン宗に至らん第一三一、ヤソ教の仏教に近きものユニテリアン宗一変すれば仏教に至らん 。政教子曰く 、ヤソ教中 、その儀式の仏教に近きものはローマ宗およびギリシア宗なり 、その教理の仏教に近きものはユニテリアン宗およびクエーカー宗なり 。


第一三二 、ヤソ教の説明

 一日ヤソ教信者に面会す 。信者曰く 、君なんぞヤソ教を信ぜざるや 。政教子曰く 、余ヤソ教を信ぜんと欲すること久し 。しかしていまだ一人の、余に向かってその信ず べきゆえんを説明するものあらず 。信者曰く 、われ 、よく君のためにこれを説明せん 。しかしてその説明は 、ただ「 バイブル」中に説くところの奇跡  怪談を反復するのみ 。よって政教子曰く 、君の説明は『 バイブル』の講釈にして 、これ「 バイブル  をもって『 バイブル 』を証示するものなり 。しかして余が要するところの説明は 、『 バイブル 』を離れて『 バイプル 』を証示するをいう 。信者 、すなわちヤソ教を奉ずる国は富強にして 、他教を奉ずる国は貧弱なるの例を挙げて 、神はその信者を愛護することかくのごとしという 。

政教子曰く 、ああこれ 、なんの説明ぞや 。ヤソ教を奉ずる国はみな富強なりというときは 、その諸国はみな同一に富強なる べき理なり 。しかるにヤソ教国中 、イギリス 、フランス 、ドイツ 、ロシア 、アメリカは富強をもって名ありといえども 、スペイン 、ポルトガル 、ギリシア  ベルギー等は富強と称し難し 。しかして 、その富強ならざるものヤソ教を信ずること 、必ず富強なるものより薄きにあらず 。例えば 、フランスとスペインとを較するに 、フランスはヤソ教を信ずること必ず厚く 、スペインは必ず薄きにあらず 。もし 、新教の国は富強にして旧教の国は富強ならずとするときは 、かのフランスもオーストリアもイタリアもみな旧教の国にして 、オランダ 、 イス 、デンマークは新教の国なるはいかん 。もし 、さらにこれを一個人の上に考うるときは 、ヤソ教を信ずる人は終身神の愛護を受け 、信ぜざる人は神罰を受くべき理なり 。しかるに西洋人中 、神を信ずるもの必ず幸福を得 、信ぜざるもの必ず不幸にあうの実証なきはなんぞや 。これによりてこれをみるに 、君のいわゆるヤソ教を信ずる国は必ず神の愛護を得て富強となるの説 、はなはだ疑わざるをえず 。信者答うることあたわずして曰く 、他日 、君の家を訪うて応答せんと 。しかして 、ついに来たらず 。

第一三三、英国人の愚

英国人某曰く 、日本人はその妻を称して愚妻と呼び 、その家を指して弊屋と呼ぶという 。あに愚ならずや 。政教子曰く 、なお英国人がその書翰の終わりに 、われは君の奴僕なりといって文を結ぶの愚と同一なり 。第一三四、斬髪師ある人 、斬髪所に入る 。斬髪師曰く 、足下 、髪を長くするを好むか 、はた短くするを好むか 。曰く 、汝の力ょくわが髪をして長くすることを得ば 、請う 、これを長くせよ 。斬髪師答うることあたわず 。政教子曰く 、日本にて斬髪所に入るもの 、斬髪師に命じて曰く 、わが天窓を斬れと 。斬髪師その命のごとく頭を斬らばいかん 。第一三五、独立宗の制度一定せること政教子、一日コングレゲーシ ョナル宗の僧を訪い 、その宗の主義 、各寺みな独立を唱うる以上は各寺の制度儀式一定せざる べき理なり 、しかるに実際上、各寺みな一定の制度  儀式を用うるは 、いかなる道理によるやはなはだ解し難し 。その僧曰く 、なお世間にて食事の時間一定するがごとし 。食事の時間は 、決して法律上一定せるにあらず 。ゆえに 、もとより各自の意に任じてしかる べしといえども 、世間一般、午前八時に朝飯を食し 、十二時に昼飯 、夕六時に晩飯を食するように 一定すると同一なり 。

第一三六、ロンドンの黒煙

ロンドンは十一月より二月に至るまで 、およそ四カ月間は黒煙四方に遮り 、終日日影を見ず 。はなはだしきにいたりては 、四隣灯をともし 、白昼あたかも暗夜のごとし 。政教子曰く 、この魔霧 、なおよく人民を教育するの力あり 。けだし英人の性たる 、街上の遊びを好まず 、日業終われば必ず家に帰り 、父母の諸仏と妻子兄弟の菩薩と一室に相会し 、互いにその懐を放ち、互いにその歓をかたり 、一場の極楽界を開くがごときは 、全く戸外の気候の人身の健康に適せず 、街上にありて愉快をとることあたわざるによる 。

 

第一三七、博物館

一日ロンドンなる博物館に遊び 、その館内に陳列せる古今万国の諸品諸物を見て曰く 、これ英国人民の学校なり 。人民この館を 一見するときは 、その見聞を広くし 、その知識を進むること 、ほとんど計る べからざるなり 。今日 、英国人民の教育の進めるは 、決して学校の教育に限るにあらず 、かくのごとき陳列場に入りて受くるところの教育の力 、最も多きにおる 。

第  三八、ロンドン博物館の仏像

ロンドンの博物館内に仏像を収集せる一部分あり 、その中に左の種類あり 。

木像  三十種 金像  二種 陶像 一種 画像  二種

 その他仏器  仏具  経文

 

第一三九、ロンドン書碑発行の東洋学に関したる書類

西洋には近年大いに東洋学を研究すること流行し 、これに関する書類 、諸方において発行するに至る 。今 、ンドン〔 の〕トリビュナー書陣のみにて発行せるものを挙ぐるに( 一昨年発布せる書目表による)、

日本の言語  文学に関するもの 十八部

シナの言語  文学に関するもの 七十七部

インドの言語  文学に関するもの 三百九十七部東洋の宗教(仏教  儒教  イスラム教等)に関するもの 九十九部なり 。インドの言語  文学書の中には仏教の文学書も混入せり 。

 

第一四〇 日本国の名称

政教子、一日英文にて日本の事情を批評せるものを読み 、その中に「 日本国王の祖先は神にして天より降りたるものなり 。ゆえに 、今に至りて国民一般に天皇を呼びて天の子と称す」という一句あるを見る 。西洋人の日本のことを解する 、往々かくのごとき誤謬あるを免れず 。ゆえに 、西洋人の評論ことごとく信を置くべからず 。


第五 、スコットランド紀行の部( 付アイルランド )


第一四一、スコットランド諸宗

スコットランド国教宗には十三中会議区 、八十四小会議区あり 。しかして 、住職の数一千六百六十人なり 。 コットランド非国教宗には 、フリー  チャーチとユナイテッド  プレスビテリアンの二宗あり 。前者は十六中会議区 、七十三小会議区 、一千百四十一住職を有し 、後者は三十三小会議区 、五百九十八住職を有す 。



第一四二 、スコットランド宗の歳入

スコットランド国教宗は 、毎年国教税 、寺領地等より得るところの金 、総計平均三十五万ポンド(二百三十万円)、そのほか一八四五年以後創立せる寺院の建築費および人民の寺院に寄付せる土地  家屋等の代価、合計ニ千百万ポンド( 一億四千万円)なり 。以上の入金のほか 、一八八七年中の表によるに 、有志の喜捨金( 賽銭  志納の類)三十二万二千五十八ポンド 、座料( 寺院内の席税)六万三千四百四十七ポンドなり 。

 

 第一四三、非国教宗の歳入

スコットランド非国教宗中 、フリー  チャーチ宗の一年の収入 、悉皆総計八八七年中)五十九万二千八百、五十五ポンド( 三百八十万円)、この四十年間に徴募せる宗教資本金一千八百五十万ポンド( 一億二千万円)なりという 。


第一四四、スコットランドの日曜

スコットランドの日曜は厳重をもって名あり 。市中の諸商店はもとよりことごとく閉鎖し 、家にありても高声にて談話するを禁じ 、宗教書類を除くのほか 、当日読書することを禁ず 。ゆえに 、英国にて日曜の静謡なるときは 、これをよんでスコットランド日曜のごとしという 。


第一四五、人あり 、スコットランドより来たる

人あり 、スコットランドより来たりて曰く 、かの地の日曜はいたって厳重にして 、一人も業をとるものなしと 。政教子曰く、スコットランドの日曜なにほど厳重なるも 、人みな業を休むことあたわざる べし 。商工等は業をとらざるも 、寺院にある僧侶および世話人は当日かえって多事なり 。第一四六、スコットランドの結婚式スコットランドの結婚式は英国とやや異なり 、結婚を行うもの必ずしも寺院に至るを要せず 。寺院の僧侶を招き 、私宅にありて執行することありという 。


第一四七、スコットランド宗の会議

スコットランド国教宗の大会議は 、まず英国女王よりこれを開会すべき旨をスコットランドの貴族に伝え 、貴族は女王の代理者となりて開かしむるなり 。


第一四八、アイルランドの教正

アイルランドは当時 、国教の名称を有するものなし 。ただし 、人民の大半ローマ宗を奉ず 。ローマ宗には四人の大教正 、二十三人の教正ありて僧侶を管理す 。教正死するときは 、その相続者を選定するの法、まずその管轄配下の僧侶一名を指名して 、これを相続者となさんことをローマ 法王に奏願す 。しかして国内の教正は 、別に二 、三名の相続者に適当なるものを認定して法王に上申す 。しかるときに 法王は 、これを法嗣会(イタリアの部を見るべし)の共議に付して選定するなり 。

第一四九、僧侶の収入

アイルランドのローマ宗僧侶は 、その生計の一半は奉職の給料より出でて 、一半はヤソ降誕および昇天日等、信徒より献納せる布施 、そのほか葬婚等の節得るところの謝礼より出ずるなり 。