4.忠孝活論

P285

  忠孝活論 

 

 

1. 冊数

   1冊

2. サイズ(タテ×ヨコ)

   187×127mm

3. ページ

   総数:111

   序 : 4

   題言: 9〔哲学館専門科二十

        四年度報告書〕

   目録: 2

   本文: 81

   付講: 15

(巻頭)

4. 刊行年月日

   初版:   明治26年7月20日

   底本:再版 明治31年2月19日

5. 句読点

   なし

6. その他

   (1) 本間酉水(館友)手録。

       序

 わが甫水井上先生、つとに護国愛理の志を抱き、東西の哲学を究めて、宇宙の真理を尋ね、教学の二道をさかんにして、同胞の智徳を進めんとす。あるいは欧米に航して、文明の基づくところを探り、あるいは哲学館を興して、後進を啓発し、あるいは全国を遊説して、同志を喚起す。その著書数万言、みな真理の幽光を闡明し、国家の元気を策励するものにあらざるなし。近年外教を奉ずる者、ややもすればわが教育に対して衝突を惹起す。その浸淫するところ誠に憂うべきものあり。さきに井上博士、犀利の論鋒をもってこれを難破し、ほとんど余薀なし。しかるにかの徒、頑然なお陋説を固執し、牽強付会もって天下の耳目を瞞着せんとす。万一わが同胞にして、かの徒の瞞着するところとなり、わが忠孝の活物にして、かの忠孝の死物なるを悟らざるにおいては、ようやくわが骨髄を消耗するに至らんとす。国憂これより大なるはなし。先生ここに慨するあり。わが忠孝の基本を純正哲学の原理に考え、ついに個の学案を定め、哲学館日本倫理学科中においてその要領を学生に講述し、わが国体忠孝はこれ天地霊気の煥発するところなるを悟らしむ。ただ恨むらくは当時学年の期日まさに迫り、先生の講述わずかに数回に過ぎず、先生をして周到緻密、ことごとくその学案を述ぶるのいとまなからしめたることを。頃日、書舗哲学書院、余が手録するところのものを得て、これを世に公にせんことを請う。余もと筆記に慣れず、行文晦渋にして人に示すに足らず。しかれども今や忠孝の論まさにたけなわにして、天下ややもすれば外教徒のために瞞着せらるるの憂いあり。すなわち卓説かくのごときものにして、あに速やかに天下に示さざるの理あらんや。ここにおいて先生の許諾を得てこれを授く。この書もと僅々三、四回の講述を録するところのもの、先生の説において、もとよりことごとくせりというべからず。しかして余の記取するところ、また全く脱漏なしというべからず。その完備せざるや、弁を待たざるなり。しかりといえども、かの死物忠孝を斥破して、われの活物忠孝を顕揚し、あわせて先生の懐抱を伺うにおいて余りありと信ず。またこの書、忠孝の淵源のみを論じて適用にわたらざるは、理論を主としたるものなればなり。その実際にわたり邦人のまさに準則すべき方規を叙述したるものは、別に『日本倫理学案』および哲学館第六学年度講義録日本倫理学科につきてこれを見よ。印刷成を告ぐ、すなわち数言を掲げて序となし、かつ先生の鋭意熱心の一斑を世間に示さんと欲し、先生自ら二四年度哲学館報告書に題する一文を付記して、読者の参看に供すという。

  明治二六年七月一〇日                  本間酉水識  



       ○哲学館専門科二四年度報告書題言

 今、明治二四年度専門科報告を編集しこれを発行するに当たり、いささか余が多年の宿志を述べ、将来の決心を示し、もって題言に代え、あわせて全国の有志諸君に泣請するところあらんとす。

 余、先年文科大学の速成を期し、ならびに東洋諸学講究の目的をもって哲学館を組織し、ここにまた日本大学創立の準備として専門科の開設に着手せり。そもそもこの専門科開設は余が平素懐抱せる志望にして、ことに欧米漫遊中深くその必要を感じ、国家独立の基本を養成するはひとりこの一事にあるを信じ、帰朝後速やかにその趣意を世間に発表したるも、いまだ同志の協賛を得るに至らざりき。しかるに昨年一〇月、わが叡聖なる天皇陛下のかたじけなく教育に関し下したまえる勅語を奉読するや、不肖なお天恩の優渥なるに感泣し、積年の素志を達するはこのときにあるを知り、一一月上旬をもって東京を発し全国周遊の途に上り、寒天赤日を侵して東西に奔走し、各地の有志者を勧誘して資金の義損を懇請せり。これより本年一〇月まで満一年間は一八県二四州一一九カ所を巡回し、各所において数回の演説を開き、その度数四四〇回の多きに及び、いたるところ分外の優待に接し毎回非常の盛会を見しは、実に余が感喜に堪えざるところなり。しかして今、全一年間募金の結果を検するに、その予約の金額いまだ予定資本の五〇分の一に達せず、その既納の金額のごときはわずかに一五〇分の一をみたすに過ぎず。これにおいて、余また意外の失望をきたすに至れり。これ時機のいまだ適せざるによるか、はた余が精神のいまだ尽くさざるところあるによるか、その原因は二者中いずれかその一におらざるべからず(中略)。

 余、生来不弁にしてその演説人を感動するあたわず、かつ世情に通ぜずしてその言語人の好意を迎うるあたわずといえども、余がこのことに尽くすの精神は数年前より継続して今日に至り、前後寸分の異同あるを覚えざるなり。余かつて一書を著し、巻首に宿志のあるところを示して曰く、権勢の途に奔走して栄利を争う念なく、毀誉の間に出没して功名をむさぼる情なく、ただ終身陋巻に潜みて真理を楽しみ、草茅に座して国家を思うの赤心を有するのみ。その平常口に発し筆に動くもの、またみなこの心の余滴に過ぎずと。さきに余が哲学館を創立し、ここに専門科を開設するは、みなこの余滴の凝結したるものに外ならず。故にその志は、今後いかなる不幸に際会するも天地に誓いて必ずこれを貫徹し、いかなる艱難の途に当たるも日月に訴えて必ずこれを断行すべし。これ余が既往の精神なるのみならず将来の志操なり。しかるに今この一年間の結果、あるいは余が落胆をきたし、そのことの成功を疑うものあるべしといえども、余あにこの瑣々たる一事情をもってその素志を変ぜん。およそ人の性たる、艱難を経て始めてその志操を固くし、不幸に遇いてますますその精神を強くするものなり。果たしてしからば、この初回報告に好結果を見ざるは、天余を助けてその志を鞏固にせしむるものなるを信ず。故に余はこの報告に接してただに失望せざるのみならず、将来必ずその事業の成るを予期して、かえって自ら満足するところなり。しかしてそのことの成ると成らざるとは、ただ余が精神のいかんにあるのみ。もし余がこれより一死をその成否の上に決するの精神をもってこれに当たらば、なんぞその成らざるを憂えんや。

 そもそも世に人の最も恐るるものは死にして、人の最も意のごとくならざるものもまた死なり。死は実に貧富のともに迷うところにして、賢愚のともに免るべからざるところなり。しかして一生一死は浮世の常にして天のしからしむるところなれば、なんぞ必ずしもこれを恐るるを要せんや。ただ人の死期に臨みて安心するとせざるとは、その一生間の目的、事業の可否得失にあるのみ。もし人生まれて一事の国家に報ずるなく、一念の真理に至るなく、むなしく泉路に向かいて永訣を告ぐるに至りては、これ実に終天の遺恨にして、たれか安んじて永眠に就くを得んや。しかるに余は今その心に期するところありて、この大業を計画せるものなれば、死生あに余が意とするところならんや。一身を犠牲にしてその成功を期するがごときは、余がもとより覚悟するところなり。ああ、歳月匆々流水とともに移り、本年もわずかに数日を余すに過ぎず。しかして余が春秋まさに三〇に四歳を加えんとす。人生五〇の駅程すでに半途以上を経過せり。余あに碌々として残生を送るに忍びんや。今よりして後、更に大いに一臂を奮いて国家のためにその力を尽くし、一志を立てて真理のためにその心をつくさざるべからず。これ実に人生の二大義務にして、余が畢生の二大目的なり。しかして今回の事業たる、この二目的を同時に達し得べき一挙両得の美事なり。余あに一心全力をこのことに尽くさざるべけんや。余、幸いにして両親の郷に存するあるも、頽齢すでに六旬の境を越ゆ。また妻子の家を守るあるも、一男一女、年みな幼なり。余が露命のあらん限りはその孝養を怠るべからずといえども、余決してこの繋累のためにその精神を屈せんや。たとえ余、中道にして倒るるも、天もし意あらば、なんぞ余が慈親愛子をして飢渇に泣かしむることをせんや。回想すれば余、先年その心に護国愛理の一端を有し、いまだこれを実行するに至らずして、一朝難治症にかかり宿志の遂げ難きを知り、半夜寒窓に対し旻天を仰ぎて号泣哀哭すること数回に及びしことあり。当時自らおもえらく、貧賎に生まれて貧賎に死すればあえて辞せざるところなりといえども、この素志ありてこれを果たすことあたわざるは遺憾自ら禁ずるあたわず、たとえ死すとも、あに瞑するを得んやと。今にして当時の情況を追憶すれば、余をして覚えず潜然たらしむ。その後、病勢漸々快方に走り、幸いに今日の健全に復するを得たり。爾来常に天のいまだ余をすてざるを喜び、早晩一事業を起こして本分を全うせんことを期せり。これ余が今回の挙あるゆえんなり。

 それ世に楽事多し。富貴財宝、錦衣玉食、これを得るはみな人の快楽とするところなり。しかして身は民間に潜み心は学界に遊び、朝夕郷党の少年を訓育し有為の人物を養成するはまた愉快の事業にして、余が無上の快楽とするところなり。おりては一家の勤倹を守り、出でては天下の正道をふみ、人情風俗の矯正、教育宗教の改良、みなこれをその一身に任じて国家万世の大計を立つるがごときは一層勇壮の事業にして、余が畢生の目的とするところなり。この一念、余が心中にありて常に余が精神を衝動し、ついに余をして進みてこの大事業に当たらしむるに至る。しかして今この結果に接す。余あに奮起せざるを得んや。今よりして而後一層の鋭意熱心をもって、断然死生をその成否の上に決すべし。しかして余自ら信ず、他日必ず大成の日あるを。もし不幸にしてその結果を見ることを得ざるも、後世余が遺志を継ぎてこれを大成するものあらば、身死すともなお余栄ありというべし。これ真に人世の一大快事ならずや。ああ、余が将来に対する決心はただこの一事あるのみ。

 余、報告の編輯すでに成り、これを印刷に付せんとするを聞きて一夜これを通読し、終わりてまさに眠りに就かんとす。ときに無量の感慨心頭に集まり、深更なお一夢を得ず。起きて戸外をうかがえば、四隣寂寥として声色の絶えて耳目に触るるなし。ひとり霜月の天心に懸かり、寒光の空階を照らすを見るのみ。その状あたかも余が嘆息を助くるもののごとし。すなわち塵硯を払い涙痕をぬぐいて所感を書し、かつ全国満天下の有志諸君に深く懇請するところを述ぶ。すなわちこの一文なり。伏してこいねがわくは、諸君この文を一読して余が愚衷を憫察し、もってこの挙を助成せられんことを。

  明治二四年一二月一九日夜二時擱筆

                  哲学館専門科設立者 井上円了泣拝  



講師 井上 円了 講述  

館友 本間 酉水 手録  

 

     第一講 緒 論

 そもそも忠孝の道たるや人間処世の常道にして、野蛮未開を除きてはいずれの国土、いずれの時代にてもそなわらざるなし。しかれどもその先後軽重を較するときは、国と世とによりて相異なるをみる。故にいずれの国もおのおの忠孝の道をそなうるも、その感情に至りては、忠孝のごとき一個人に対する道よりも仁義のごとき社会公衆に対する道を重しとする社会あり、また仁義より忠孝を重しとする国家あり、あるいは忠を先にして孝を後にするものあり、あるいは孝を先にして忠を後にするものあり。故をもって、忠孝の意義関係は各国均一なりということを得ず。なにをもって均一なることを得ざるか。曰く、国異なれば建国の歴史を始めとし、内外の事情多少相異なるところあるによる。内外の事情相異なるときは、その国の人倫道徳においてもまた特殊の性質を有せざるを得ず。なお気候異なれば衣服その制を異にし、地味異なれば草木その形を異にするがごとし。しかして万国古今を通じて、道徳そのものの原理を論究するは理論的倫理学にして、その各国における特殊の性質を講明するは実際的倫理学なり。もし理論的倫理学の論究にのみこれ頼りて各国の道徳を均一にせんと欲するも、あに得べけんや。もし強いてこれを均一にせんと欲すれば、必ずその国の体性を破壊するに至るべし。これをもって、一方には理論上の講究をもって万国古今共通の道理あることを知るも、また一方には実際上の講究をもって各国特殊の道徳あることを明らかにし、これによりてその国の体性を維持継続せざるべからず。これ余がつとに実際的倫理学講究の必要を唱道するゆえんにして、さきに『日本倫理学案』を著し、もってかしこくも天皇陛下より下し賜りし聖詔に遵拠し奉りて、わが国の道徳の大いに他邦に異なるところあるを述べ、今また日本倫理学科の講義中特に忠孝論を提げきたりて、わが国忠孝の感情と他邦の斯道に対する感情と異なるものあるを明らかにせんと欲す。

 今すでにのぶるがごとく古今万国多少忠孝の道あらざるなしといえども、国異なればこれが軽重を異にするをもって、決して東西の忠孝を同一視すべからず。なかんずくわが国の忠孝をもってヤソ教の忠孝に比すれば、著しき相違あるを見る。すなわちわれの忠孝は活物的なり神聖なり、かれの忠孝は死物的なり不神聖なり、われの忠孝は精神的にしてかれの忠孝は無精神的なり、われの忠孝は義務的にしてかれの忠孝は便宜的なり、われの忠孝は内心上に発しかれの忠孝は外形上に存するなり。何故にかれの忠孝のわれの忠孝に比してかくのごとき大差あるか。これを一言にて約すれば、ヤソ教にては人間は唯一真神より作られたるものにして、君主も父母も一般に神に対すれば付属奴僕の地位に立たざるべからざる宗義なるによる。それ人倫中最も貴きものは君と親とにしくはなし。しかれどもそのいわゆる唯一真神に対するときは、われと君父と均等にして差別あるなし。ただ外形上世態上君民父子の別あるをもって、かれはその君父をば仮の君、仮の父と称するなり。しかしてかれは神を呼ぶに真の君、真の父をもってす。されば神に対しては、わが父もわが母もわれと同じく神の奴隷たり。故にかれはその父母の墓碑に刻するに、往々神僕神婢の字をもってするを見る。かれまた忠孝の倫常を説くといえども、その道たるや仮父、仮君、神僕、神婢相互の間に成り立てる道なるのみ。果たしてしからば、かれの教ゆるところの忠孝の道そのものも、また仮の道なりといわざるべからず。これ余がかれのいわゆる忠孝は死物的忠孝にして活物的忠孝にあらず、不神聖的忠孝にして神聖的忠孝にあらず、無精神的忠孝にして精神的忠孝にあらず、便宜的忠孝にして義務的忠孝にあらず、外形的忠孝にして内心的忠孝にあらずというゆえんなり。シナの倫常を説くは、わが国の説くところと最も近しとす。しかるになお忠孝における観念は、両国やや相違なきあたわず。いわんや西洋諸邦の忠孝をや、いわんやヤソ教の忠孝をや。かれもし牽強付会の説をなして、かれが忠孝をもって仮にわが忠孝に合せんとするものあらば、世の無学無識の輩あるいはこれに雷同するものあるべしといえども、いやしくもわが国の歴史を読み忠孝のよりて起こる根元を知るものは、あにその言に誑惑せられんや。そもそもわがいわゆる忠孝は、皇室と連絡して存するところの忠孝なり、国体と結合して行わるるところの忠孝なり、わが民族が皇室を奉戴し国体を護持する精神より必至的に生じ義務的に発したる活道なり。故に皇室国体の永続を祈る限りは、一日も欠くべからざる要道なりとす。しかるにかの邦国は大いにわれとその歴史を異にし、かれの教義は大いにわれとその由来を異にす。かれの忠孝は畢竟するに便宜的利己的に外ならず。これに反して、われの忠孝は至誠至神純然たる天地正大の元気より発生しきたるものなれば、余はこれを活物的かつ神聖的と称するなり。今この忠孝の活道を明らかにせんと欲せば、国体のよりて起こるゆえんを述べざるべからず。国体のよりて起こるゆえんを述べんと欲すれば、わが開闢史上について一言せざるべからず。

 

     第二講 開闢論 第一

 天地開闢の説は諸国みなこれあらざるなし。まず他邦の開闢説を述べ、しかる後にわが開闢説に及ぶべし。東洋の開闢説は、西洋近代唱うるところのごとく天文数理の推測に出でたるものにあらずして、想像上または理想上に立てたるものなり。西洋近代の学術ひとたび伝来してより、わが国人上下一般に有形的の事物、実験的の研究にあらざれば取るに足らずとなし、内想的の考説をしりぞくるに至り、東洋開闢の古説また、まさにその光を失わんとす。しかりといえども有形学の研究の結果、いまだ必ずしもことごとくこれを信取するに足らず。往々後年研究の結果その誤謬を発見したることあり、内想的考究の結果いまだ必ずしもことごとくこれを排斥するに足らず、かえって後世の実験によりてその真を証明するものあり。故に東洋内想的の開闢説またことごとくこれをすつべからず。学者あに深く考察せずして可ならんや。

 それ開闢説に二種あり。一は創造説にして一は開発説なり。創造説は、太初に唯一真神ありて大自在力を有し、自らあらかじめ計画せる図形に従って世界万物を造れりという。その情態あたかも工匠の家屋を作るがごとし。開発説は、太初に渾沌たる一物ありて、その内包の勢力によりて宇宙万有を開現せりという。これをたとうるに、草木の種子がその内力によりて枝幹を開現するがごとし。創造説はこの世界をもって有始のものとし、開発説は無始のものとす。また創造説のこの世界万有の生起を論ずるは外造説にして、開発説の論ずるところは内発説なり。創造説は神の造作を立つるが故に神人別体説となり、開発説は一物そのもの自ら開きて万有となると立つるが故に神人同体説なり。しからば今日この二説につきいずれを取るかといえば、道理上もとより開発説を取らざるべからざるなり。創造論者はいう、およそ世界の物、一としてこれにさきだつところの原因あらざるなし。故にこの世界の成る、また一大原因のこれを造り出だすものなかるべからず。しかしてその原因はすなわち大自在力を有する天帝に帰せざるべからずと。しかれども因果はもと相対的のものなるが故に、すでに天帝をもって世界の大原因なりとするときは、天帝そのものにもまた、これにさきだつところの原因なかるべからず。かくのごとくにして次第にその原因をたずぬれば、窮極するところあるべからず。これ有始説の到底立つべからざるゆえんなり。しかるにかれの論者はこの無窮極の難を免れんがために、天帝は究竟の原因にして、またその上に原因あることなしという。しかれども因果は相対的の理たる以上は、決してこの遁辞をもって免るるを得ざるなり。もし一歩を譲りて、ひとり天帝には原因なしとせんか。これ世界に原因なきことを自白するものなり。果たしてしからば、むしろ初めより世界に原因なしとするの優れるにしかず。なんぞことさらに、世界の上に我人の知るべからざる空想的天帝を設くるを要せんや。かつこの世界中に因果の規則存するも、これただこの世界以内の規則のみ。もしこの規則をもって世界以外に適用せんとするは、憶断の最もはなはだしきものなりといわざるを得ず。ことにこの世界の事物の上に因によりて果を生ずることあるも、天帝が世界なき所に世界を作るというがごとき、無中に有を生ずる論とは全くその理を異にし、決して同一視すべからず。しかるにまた創造論者は曰く、日月星辰かくのごとくに来往し、春夏秋冬かくのごとくに循環し、晴雨風雪かくのごとくに施行し、草木かくのごとくに成長し、人獣かくのごとくに活動するはなにものか。これが根源となりて運動を与うるなかるべからず。なお人の計時器に運転力を与えて、よく昼夜の運転を営むがごとしと。しかれども、かれの論者は世界の死物たることなお計時器のごとしとするが故にかかる想像をなすべしといえども、もし初めより世界をもって活物となしてこれをみるときは、別に世界の外にありて世界に運動を与うるがごとき機関士を設くるを要せざるなり。しかして世界の死物なりや活物なりやの論点は、前陳のごとく世界創造説の不合理にして開発説の合理たる以上は、活物論をもって正理とせざるべからず。なんとなれば、世界の開発は自体中に本来固有せる力によるとなすときは、その物たる活物ならざるべからざればなり。もしまたこれを事実に徴するも、この世界万有は日夜活動して、片時も止まざるにあらずや。これ世界そのものの活動にあらずしてなんぞや。もしこの活動を見て、これ天帝の与うるところなりといわば、不合理の憶断なること明らかなり。かれの論者あるいは難詰して言わん、草木はよく生長し人獣はよく活動すといえども、金石土塊はよく自ら生長することなく、機械器什はよく自ら活動することなし。もし世界をもって自動の力を有する一大活物なりとするときは、これらのもの、またよく自ら生長し、またよく自ら活動せざるべからずと。かくのごときは、かれ自ら論じて自ら駁するもののみ。なんとなれば、かれ神のよく運動を世界に与うるがために日月星辰、春夏秋冬、草木人獣よく人力の労作をまたずして、あるいは回転し、あるいは生長すとなすなり。神はなんぞひとり人獣草木に活動力を与えて、しかして金石機械等に活動を与えざるか。ともにこれ世界の一物にして、かれはよく自ら伸び、これはよく自ら動くあたわず。もしその動くものについて天帝の創造を証明し得べしとするときは、その動かざるものについて、またその創造を否定して可なるか。その理由ついに解すべからざるなり。しかれども世界を活物とする方の論によれば、よくこれが説明を与うるを得るなり。すなわち金石土塊、機械器什みな細小分子より成立し、細小分子は極微元素より成立するものとす。しかして分子元素はおのおの固有の勢力を具せざるなし。およそ一物質あれば必ず一勢力を有するは理化学の一定せる原理にして、また動かすべからざるの確説とす。元素分子の結合複雑なるものは複雑なる運動を営み、結合単純なるものは単純なる運動を営み、あるいは極めて単純なるものはよく自ら運動するあたわず。よく自ら運動するあたわずといえども、その自体に勢力を具せざるなし。その勢力、外縁なきときは潜勢力となりて内に潜伏し、外縁あるときは顕勢力となりて外に発動す。またその日月星辰の運行は遠心求心二力相殺の枢機によりて行われ、春夏秋冬の循環は軌道、推歩の地位によりて生じ、晴雨風雪の変化は水気と日光空気等の関係によりて起こり、草木の生長、人獣の活動また固有の勢力と外縁とによりて営まざるなし。これを要するに、一大勢力の無始より以来渾然として自存し、あるいは潜みあるいは発し、あるいは動きあるいは止まり、出没変幻、起伏開合自由自在、別に宇宙外の操作者を有せず。故に曰く、宇宙世界は一大活物なりと。たとえこの説を空想となすも、あにこの説全く非にして創造説ひとり真なるの理あらんや。もしこの両説ともに憶断となすも、すでにこの世界に活動あり理法ある以上は、事実上その原因を世界固有の勢力に帰せずして、これをだれにか帰せんや。これによりてこれをみるに、外造説の非にして内発説の是なること明らかなり。かれの論者またいう、およそ世界の物をみるに、美妙にして人心を楽しましむるもの多し。神力の経営にあらざれば、かくのごときを得ずと。しかれどもこの世界の美妙は相対的の成立なれば、これに対して世に醜劣にして吾人の好楽に適せざるものあり。そのうち、よく好楽に適するものを選びて、これを讃嘆して美妙というのみ。もし一方の美妙にして人心をたのしましむるものあるを見てその功を天帝に帰するを得ば、天帝はなんぞ他に醜劣なるものを造りて人心を厭悪せしむるや。その厭悪するものについて天帝の創造を想するときは、天帝は人を苦しむるをもって目的とすというを得べき道理なり。かれの論者またいう、およそ世界の物はみな便利の用を具し、よく吾人の生活を助く。天帝の意匠にあらざれば、かくのごときを得ずと。しかれども便利また相対上のことにして、一方に便利なるものあれば、必ず一方に不便利なるものあり。天帝はなんぞ吾人に便利なるもののみを与えずして、しかも猛獣を生じて吾人をかましめ、洪水を起こして吾人を漂わすや。天帝もまた残忍ならずや。かれの論者またいう、およそ世界の物を見るに、秩序あらざるなく紀律あらざるなし。全智全能者の作為にあらざれば、かくのごときを得ずと。しかれども、物あれば理必ずこれに具す、物の勢力は必ずその理に従って発顕す。一塵の飛びて空に舞うや、必ず舞うべきの理あり。一葉の散りて地に落つるや、必ず落つべきの理あり。昼夜交代し四時交謝する、みなそのしかるべきの理あり。これ他なし、一大活物の開発に固有せる必然の道理なり。なんぞ必ずしもこれを世界以外の神力に帰するを要せんや。かつその秩序紀律は世界の秩序紀律なり。我人はいまだその天帝の秩序紀律たるを知らず。いずくんぞこれを天帝に帰せんや。かく推論しきたるときは、この世界すなわちこれ天帝、すなわちこれ神にして、世界を離れて神なしと論定するに至る。これ開発論の結果なり。この理に達観しきたるときは、ひとり世界の実体をもって神なりと知るのみならず、万物ことごとくこれ真神とみなすべし。なんとなれば、万物を離れて世界なく、世界を離れて万物なければなり。これをもって、吾人また神と同体なりと論定するを得べし。しかるにかれの創造論者の言うところに従わば、吾人は神に造られたるところの一物にして神人別体なれば、到底神の付属僕婢たるを免るべからず。しかれども創造論の不合理にして開発説の合理たる以上は、神人別体論の非にして神人同体説の是なること明らかなり。しかして以上のぶるところの神なる観念は、創造論者と開発論者と大いに異なるところあり。かれは有意有作の個体を神となし、これは自存自発の理体を神とす。また一は世界の外に神ありとし、一は世界の中に神ありとするなり。この世界すなわち神の説は、東洋の学者つとにこれを唱え、西洋にては近世の学者スピノザ、シェリングのごときまたこれを唱えり。これを要するに、東洋の開闢説は西洋近世哲学ならびに理学にて唱うるところの開闢説と同じく開発説に属し、しかしてヤソ教は創造説に属するなり。

 

     第三講 開闢論 第二

 前講は創造説と開発説とを対照してその可否を論じたるも、これいまだその理を尽くすに足らず。しかれども今ここに詳論するいとまなきをもって、その比較のごときは余が先年著したる『破邪活論』に譲り、これより東洋の開闢説を述ぶべし。しかして西洋近世の開闢説は、理学上より立つるものと哲学上より立つるものとあり。理学上より立つるものは星雲開発説にしてハーシェル氏これを唱え、哲学上より立つるものは理想開発説にしてシェリング氏これを唱えたり。一は有形上よりこれを説き、一は無形上よりこれを説けり。かくのごとく、近世の学術上より説くものはすべて開発説に属す。しかるにヤソ教はこれに反して今日なおひとり創造説をとり、星雲の前に神ありと論じきたりて開発説に抗せんとす。しかれども、その説空想にして全く憶断に過ぎず。東洋の開闢説また想像より出でたるも、その論今日に至りて西洋の学説に一致せり。ことにその哲学上より論ずるもののごときは、大いに西〔洋〕説に符合するものあるを見る。今、逐次これを叙述すべし。

 まずシナの開闢説を考うるに、一書に曰く、「天地未開のとき、すでに太極なるものあり、太極の中、すでに天地陰陽軽重清濁を含めり。」(天地未開之時、既有太極者、太極之中、既含天地陰陽軽重清濁矣、)とあり。老子は「無名は天地の始め、有名は万物の母なり。」(無名天地之始、有名万物之母)と言い、また「物あり混成し、天地にさきだって生ず、寂たり寥たり、独立して改まらず、周行しておこたらず、もって天下の母となすべし。」(有物混成、先天地生、寂兮寥兮、独立不改、周行而不殆、可以為天下母、)と言えり。『易繋辞伝』に「易に太極あり、これ両儀を生ず、両儀四象を生じ、四象八卦を生ず。」(易有太極、是生両儀、両儀生四象、四象生八卦、)(易の正義に「太極とは天地未分の前、元気混じて一たるをいう。」(太極謂天地未分之前元気混而為一))とあり、『王子易学』に「太極の始めは、混然なるのみ。」(太極之始、混然而巳、)とあり、淮南子に「天墜いまだあらわれざるときは、馮々翼々、洞々灟々たり、故に大昭という。道は虚霩に始まる。虚霩、宇宙を生じ、宇宙、気を生ず。気に漢(涯)垠あり、清陽なるものは薄靡して天となり、重濁なるものは凝滞して地となる。清妙の合専するはやすく、重濁の凝竭するは難し。故に天まず成りて地のちに定まる云々。」(天墜未形、馮々翼々、洞々灟々、故曰大昭、道始于虚霩、虚霩生宇宙、宇宙生気、気有漢垠清陽者薄靡而為天、重濁者凝滞而為地、清妙之合専易重濁之凝竭難、故天先成而地後定云云)とあり、みな開発の説ならざるなし。

 つぎにインドの開闢説を案ずるに、婆羅門の開闢談は、婆羅神なるもの天地万物を造成せりと談ずるが故にヤソ教の創造説に似たりといえども、よくその教旨を究索するときは、またヤソの所説と異なるものあり。しかれども今しばらくこれをおきて仏教の開闢説を述ぶるに、その説、客観上に立つるものと主観上に立つるものとの二種あり。小乗教の所説は客観上に立つるものにして、大乗教の所説は主観上に立つるものなり。『倶舎論』にては世界の変化開合を成住壊空の四期に分かち、循環変転して無始より無終に永続すと立つるなり。頌に曰く、「成劫は風起に従う。」(成劫従風起)と。論に曰く、「空中ようやく微細の風生ずるあり、これ器の世間まさに成らんとするの前相なり。」(空中漸有微細風生、是器世間将成前相)と。『原人論』に曰く、「界はすなわち成住壊空、空にしてまた成る。」(界則成住壊空、空而復成)(「自註に曰く、空劫より初めて世界となるは、頌に曰く、空界に大風起こる云々と、また曰く、空界の劫中、これ道教これを指して虚無の道という云々と、また曰く、空界中の大風は、すなわちかの混沌たる一気、故に彼いう、道一を生ずるなり云々。」(自註曰従空劫初成世界者、頌曰空界大風起云々又曰空界劫中、是道教指之云虚無之道云々、又曰空界中大風、即彼混沌一気、故彼云、道生一也云々、)と。これ世界の開闢を客観上に解釈したるものなり。つぎに主観上にこれを解釈するものは、「森羅万象はただ識の変ずるところなり。」(森羅万象唯識所変)と談じ、あるいは「三界はただ一心なり。」(三界唯一心)と説き、世界の開闢を一心識の所変もしくは開発に帰するなり。故に『唯識論』には「実に外境なく、ただ心識あるは外境の生ずるに似たり。」(実無外境、唯有心識似外境生、)と説き、『起信論』には「一切の諸法、ただ妄念によりて差別あり、もし心念を離るればすなわち一切境界の相なし。」(一切諸法、唯依妄念而有差別、若離心念即無一切境界之相)と説けり。

 つぎに日本の開闢説を述ぶるに、『日本書紀』には「いにしえは天地いまださかず、陰陽分かたず、渾沌雞子のごとく、溟涬として芽を含み、その清陽なるものは薄靡にして天となり、重濁なるものは淹滞して地となるに及びて、精妙の合、あおぎやすく、重濁の凝、かたまり難し、故に天さきに成りて地のちに定まり、しかるのち神聖その中に生ず。」(古天地未剖、陰陽不分、渾沌如雞子、溟涬含芽、及其清陽者薄靡而為天、重濁者淹滞而為地、精妙之合、搏易重濁之凝場 難、故天先成而地後定、然後神聖生其中焉)と。この説によれば、渾沌の前に神なく、かえって天地位を定めたる後に神聖のその中に生ずるありという。これ全くこの世界をもって、渾沌一気雞子のごときものより開発せりとなすものなり。『古事記』には「天地初めておこりしとき、高天の原に成りませる神の名は、天の御中主の神、つぎに高御産巣日の神、つぎに神産巣日の神、この三柱の神は、ともに独り神と成りまして身を隠しましき。」(天地初発之時於高天原成神名、天之御中主神、次高御産巣神日、次神産日神、此三柱神者並独神成坐而隠身也)と。この説は創造説に似たるも、決してヤソ教の説と同一視すべからず。また『日本書紀』に挙ぐるところの異説を考うるに、一書曰く、「天地初判の一物は虚中にありて状貌いい難し云々。」(天地初判一物在於虚中状貌難言云々)と、一書曰く、「いにしえ国稚地稚のときはたとえばなお浮膏のごとくして漂蕩たり云々。」(古国稚地稚之時譬猶浮膏而漂蕩云云)と、一書曰く、「天地初判の始めともに生ずるの神あり云々。」(天地初判始有倶生之神云云)と、一書曰く、「天地いまだ生ぜざるのときはたとえばなお海上の浮雪〔雲〕の根係するところなきがごとし云々。」(天地未生之時譬猶海上浮雪無所根係云云)と、また一書曰く、「天地初判のときは物あるも葦の牙の若く空中に生ず云々。」(天地初判有物若葦牙生於空中云云)とあり。これらの諸説を参考するときは、日本の開闢説の開発説なることを知るべし。もし『日本書紀』の説はシナの開闢説によりて脩飾したるものにして信を置くべからずとし、『古事記』の説ひとり取るべしとするも、その造化の三神のごときも、いまだ全く創造説に属すべからず。もしこれを創造説とするも、そのヤソ教に異なるはもちろん、その神人の関係、霊魂の起源を論ずるに至りては、開発説によること明らかなり。とにかくわが皇室国体および人倫は、古来開発説の主義によりて説明しきたりしことは、後に忠孝を論ずる一段に至りて知るべし。しかして余がここに東洋諸学中、主として儒仏両道の開闢談を述ぶるは、その教えのつとに外国より入りきたり、その開発主義によりて、よくわが国体人倫を維持したるゆえんを示さんとするにあり。

 以上論ずるところこれを要するに、儒教にては太極といい、道教にては大虚もしくは無名といい、仏教にては空もしくは心識といい、本邦にては渾沌といい、または雞子のごとしといい、森羅万象みなこれより開顕すと説く。故に、東洋ことにわが国諸教の天地開闢論は開発説なるを知るべし。

 以上、すでに世界の開闢をもって開発なりとするときは、万有と神とはいかなる関係を有するかを弁明せざるべからず。もし創造をもって世界の開闢を説くときは、万有の外に神ありと唱えざるを得ざれども、開発をもって天地の起源を説くときは、万有全体がすなわち神なりというべし。ひとり万有全体が神なるのみならず、万有個々みな神なり。万有個々みな神なりとするときは、山川草木も日月星辰もことごとく神にして、われわれ個人もまた神なり。しかして吾人は心と身とより成るが故に、心はこれ神にして身もまた神なり。しかるに山川草木、日月星辰は自ら知ることあたわざるも、心は自知の力を有するをもって、その上に神とわれとの契合をひらくことを得べし。故に心はその体、直接に神と連絡するものとす。これをシナの開発説に照らせば、初めに太極あり、開きて万有となる、しかして万有個々に太極を含むとなす。易の『裨伝』曰く、「太極とは万化のもとなり、陰陽動静の理、その中にそなわるといえども、そのはじめはいまだあらわれず、故に曰く、易に太極あり。」(太極者万化之本也、陰陽動静之理雖具於其中、而其肇未形焉、故曰、易有太極、)と。また曰く、「天地万物の理、ことごとくその中にあり。」(天地万物之理尽在其中矣)と。易学の『啓蒙通釈』曰く、「太極とは象数いまだあらわれずして、その理すでにそなわるの称なり。」(太極者象数未形、而其理已具之称、)と。また『朱子語類』曰く、「太極はただこれ天地万物の理にて、天地にありていわばすなわち天地の中に太極あり、万物にありていわばすなわち万物の中におのおの太極あり。」(太極只是天地万物之理、在天地言則天地中有太極、在万物、言則万物之中各有太極)と。『読書録』曰く、「無極は太極の理なり、陰陽は五行の気なり、無極、太極は陰陽に離るるあるにあらず。」(無極太極理也、陰陽五行気也、無極太極非有離乎陰陽)と。また曰く、「無極にして太極、二あるにあらざるなり、声なく臭なきをもってしていわばこれを無極といい極至の理をもってしていわばこれを太極といい、声なく臭なくして至理存す。」(無極而太極非有二也、以無声無臭而言謂之無極以極至之理而言謂之太極、無声無臭而至理存焉、)と。それ太極は理なり、物は気の凝れるなり。故に、ここに物あれば理必ずこれに付す、ここに理あれば物必ずこれによる。理のあらざるところ物ひとり存するを得ず、物あらざるところ理またひとり存するを得ず。しかして物はすなわち陰陽五行の気のみ。故に曰く、無極太極は陰陽に離るるあるにあらずと。初め天地のいまだ剖れざる、理気渾然一体たり。その体開きて万象となるも、理気の相分離するにあらず。ただ象数の相分派するのみ。故に曰く、万物おのおの一太極を有すと。もし太極を名付けて神とするときは、万有個々みな神なりというべし。

 儒家の立つるところは客観的開発説にして、仏教の立つるところは主観的(大乗教)開発説なり。儒のいわゆる太極は仏のいわゆる真如なり。太極開発説は時間上縦にこれを説き、真如開発説は空間上横にこれを説くの異あり。しかして本体と万有との関係を説くに至りては二者同一なり。仏教においては『般若心経』に「色はすなわちこれ空、空はすなわちこれ色。」(色即是空、空即是色)と説き、『華厳経』に「心仏および衆生はこれ三無差別なり。」(心仏及衆生是三無差別)と説き、『起信論』に「いわゆる不生不滅は生滅と和合し一にあらず異にあらず。」(所謂不生不滅与生滅和合非一非異)と説き、天台にては「一色一香は中道にあらざるなし。」(一色一香無非中道)と談じ、「真如はすなわち万法、万法はすなわち真如。」(真如即万法万法即真如)と論定す。しかれば仏教においても、我心はこれ真如なり、吾人個々みな神なりとするなり。

 東洋の忠孝ことに日本の忠孝は、この開発説に基づきて立てざるべからず。それ道徳は人の至誠正真の心上にあるものなり。その心すなわち良心なり。この心はいずれよりきたれるかといえば、すなわち真如太極の本源より分派し、神そのものと一致するものなり。忠孝は実にこの心の上に発する霊徳なり。故にその徳たるや、神聖なり純潔なり。わが国の忠孝は全くこれに外ならず。この理は開発説によらざれば証明すべからず。しかるに、もしこれをヤソ教の創造説によりて解するときは、無精神、死物的の忠孝となる。あに戒めざるべけんや。

 

     第四講 開発論

 前講においてすでに仏教儒教の開闢説を掲げ、あわせて日本の開闢説もまた開発論なることを述べたり。およそ古史を見るに、二様の異なるあり。一は神秘的にこれを見るもの、一は考証的にこれを見るものこれなり。甲は、太古の伝説をほとんど神界中の事実として見るものにして、後世の人智のうかがい知るべきものにあらずとし、かれこれこれに研究を加うるは、ついにその真を知るべからざるのみならず、むしろ神聖を損じ尊厳を減ずるの恐れあれば、これを神界の秘密とし、われわれはそのままこれを信奉するにしかずとなす。乙は、上古の事跡は奇々怪々の談をもって満たし、人間のなしあたわざるもの多きをもって、これを真に神明の所為に帰するも、もとこれ蒙昧未開のときにおける伝説にして、畢竟古人の空想たるに過ぎず。そのいわゆる神明の作用はみな人為に出ずるものなり。すでに人為たる上は、後世における歴史上の事実のごとく、種々の事実に考証して研究を施し得べき道理なり。その何故に奇怪なることの多きか、その奇怪なることはいかなる原因より生じたるか、これを人類学、社会学、進化学等の原則に照らして会通するは、学問上最も興味ある事業なり。また、なにをはばかりて神秘にたくすることをせんやと論ずるものなり。たとえば、甲論者は古史、記するところの命(みこと)もしくは尊(みこと)をもって神なりと解し、乙論者はこれを人なりと解するがごとき別あり。その神なりとするは神道家の多く唱うるところにして、人なりとするは史学者の多く唱うるところなり。以上の二様の異見はともに歴史の考察上に起こるものなり。しかるにここにまた、哲学上より世界の開発順序を説明するものこれあり。前の歴史について考察するものは、一国の歴史上に存する事実を根拠として論ずるものなれども、哲学上の講究は、諸学の道理を総合考定しきたりて、道理そのものを標準として論断するものなり。故に哲学上の講究は、一国の歴史よりはむしろ万国の歴史に共通せる道理を基本とし、一国特殊の歴史上の事実のごときはこの理に照合参考するに過ぎず。わが国古来学者の古史を解するや、神秘的の説明によるもの多くして、考証的に研究するものはなはだ少なし。いわんや哲学的の研究をなすものにおいてをや、これほとんど絶無なり。しかるに近来に及んでは神秘的見解をなすものますます少なく、考証的研究をなすものようやく多し。これ人智の進むに従い、到底理外の理として神秘的に解釈し去ることあたわざるの勢いに至りたればなり。しかるに余は考証的よりも更に一歩を進め、哲学的研究の道を開かんと欲するなり。かくいわば、事理を解せざる者は大早計に断案を下して、これ神聖を汚すものなり、国体を破るものなりというべしといえども、哲学的研究をなせばとて、なんぞ必ずしも国史を汚辱するの理あらんや。余はかえって哲学的研究をなすにあらざれば、今日の道理世界に向かいて皇室の尊厳を保ち、忠孝の神聖を立つるを得ずと信ず。わが国は神国なり、わが歴史は神代より起こる。しかしてそのいわゆる神は、ヤソ教の神をもって解すべからず、理学の理をもって証すべからず、哲学の源泉最も深き所より、その原理を開ききたらざるべからざるなり。

 これより哲学上の道理によりてわが国体人倫の根元を論定せんとするに当たり、まず開発論につきて古今東西を通じていかなる定説あるかを尋ぬるに、およそ二種あり。一は一元開発論にして、一は多元開発論なり。一元論は、西洋近世の哲学者にてはフィヒテ、シェリング等の諸氏の唱えしところ、東洋にてはつとに起こりしインドの真如開発説、シナの太極開発説これなり。多元論は、西洋近世の哲学者にてはライプニッツ氏の唱うるところなり。氏の説にては、多元相合してよく整然たる世界の組織を安成せるゆえんを解するあたわずして、ついに多元の外に神あるを想定し、この神の予定により、万元よく契合してその秩序を保つことを得と論ぜり。故にその論たるや創造説なり。これをもって、多元論は到底成立することあたわざるを知るべし。しかるに一元論においてはかくのごとき難の起こることなく、一元よく万有を開発して、その間に整然たる紀律の存するゆえんを説明することを得るなり。故に余は開発論中、もっぱら一元論について述ぶるところあらんとす。

 およそ一元開発論にまた二様の見解あり。一は有形上より見るものと、一は無形上より見るものとこれなり。甲は客観論にして、乙は主観論なり。しかるにここに、更に客観と主観とを結合したる一種の見解あり。これを絶対的開発論とも理想的開発論とも名付く。かの客観的に開発を説くものは、すなわち理学上にて説くところの星雲説なり。その説にいう、世界のいまだひらけざるに当たり、宇宙間ただ非常の高熱を有したる渾沌たる星雲あり、その熱ようやく減じて、その体ようやく重く、その力ようやく中心に引くの勢いを生ず、これを求心力と名付く。これに従ってまた中心を離れんとする勢いを生ず、これを遠心力と名付く。これにおいて回転起こる。回転の際、遠心力もし求心力に勝つときは一体の星雲分かれて数塊となり、互いに相引き相排し、もって天体星系を構成するに至れりと。この客観上の説明は一理なきにあらざるも、これいまだその理を尽くしたるものにあらず。なんとなれば、その回転のよりて起こる原力のいかにして生ずるかを説明せざればなり。近来スペンサー氏の進化論大いにわが社会に行われ、いずれの国もみな野蛮より開明に進むものと信じ、わが神代史もこれがためにその神聖を失わんとするの勢いなりしも、氏の進化論は全く外形的すなわち物質的進化論なれば、いまだその原理を啓発したるものにあらず。我が輩あにこれを偏信するを得んや。けだし回転の起こるも進化の現ずるも、一として勢力の発動にあらざるなし。しかして物質は有形にして勢力は無形なり。形によりて力を生ずるか力によりて形を生ずるか、力まず発して形のちに現ずるは理の動かすべからざるものなり。更に進みてその力はなにものなりやと尋ぬるに、これシナ哲学のいわゆる気をもって解せざるべからず。この気も力もともに無形なり。これにおいて、有形上の解釈一変して無形となる。これより更に一歩を進むれば、客観論全く変じて主観論となるべし。すなわち仏教の唯識論のごとく、一体の識心中より千差万別の現象を開発せりというに至る。西洋にても唯心説の起これるは、客観的研究の結果ここに至るというて可なり。かのスペンサー氏の論のごときは外見皮相の論にして、もし更にその深底を尋窮すれば、たちまち主観論に入るは必然の道理なり。

 以上の客観主観の二論は全く相反対せる方向より説けるものなりといえども、更に進みてその両端より推究すれば、知らず識らず忽然として玄妙の域に超入し、窮極のところに体達するを見る。これすなわち絶対そのものに接触するなり。心界の上より論到するも物象の辺より論及するも、ともにここに至りてとどまり、また一歩も進むべからず。シェリング、ヘーゲル諸氏の理想論、シナの太極説、仏教の真如はみなこれに基づく。その体を理想といい、本体といい、太極といい、真如といい、あるいは単に理というも可なり。法相宗の唯識は主観論なれども、『起信論』以上の唯心は絶対的唯心説にして、まさに客観主観を結合したる理想論なり。この理想の体すなわちこれ神にして、その体自存自立、自開自発なり。その内部に有するところの勢力によりて、次第に開発して物心両界を現示す。これを理想の進化という。儒教の太極両儀の説、『起信論』の一心二門の説、みな理想進化の理を示したるものなり。これより更に進みて、一方には物界の進化あり、他方には心界の進化あり。かのスペンサー等の論のごときは、そのうち物界一方の進化を説くのみ。これ、あに完全の論ならんや。しかして余は信ず、わが国の開闢史は理想開発論によらざれば、その神聖霊妙を維持するあたわざるを。

 

     第五講 神体論

 前講論ずるところによりてこれをみるに、開発論のいわゆる神は太極、真如、もしくは理想なり。しかしてその体たるや、単一なり、至純なり、無限なり、絶対なり、完全なり、平等なり、自由なり、独立なり、無始なり、無終なり、遍在なり、不生滅なり、不変化なり。創造論にていうところの神はその解釈やや似たるも、一種特殊の知覚意志を有せる人間性のものとなすに至りては大いに異なり、開発論にては神は世界の本源にして万有の実体なりとなす。しかるに創造論においては神は世界の本源なりということを得れども、万有の実体なりということを得ざるなり。これ両論の大差点なりとす。開発論にては神は万有の実体なりといい得るが故にまた万有即神といい得るも、創造論にてはあくまで万有の外に神ありというなり。しかして開発論にもまた種々の異見ありて、そのいわゆる神を説くに、一は世界全系の上に立つるものと、一は世界基礎の上に立つるものとの二様あり。甲は世界万有を合して一大全系をなせるもの、すなわち宇宙そのものの全体を指して神と名付く。西洋にてはシュライエルマッハー氏の立つるところのものこれに近し。しかれども氏はいまだ開発論を説くに至らず。乙は世界万有のよりてもって現立せる基礎を指して神と称す。これスピノザ氏の説なれども、氏なおこの基礎の開発して万有を現示するゆえんを論ぜず。しかして開発進化の原理はフィヒテすでにこれを指示すといえども、非物非心の絶対の体より物心を分化するの理は、シェリング氏に至りて全く明らかなり。けだし二氏ともにカント氏の実体論より起こり、その欠点を補わんとしてここに至りたるなり。フィヒテ氏は内外両界も有象も無象もことごとくこれを我境の範囲より出でたるものとし絶対的主我論を唱え、その論の結局、我即神なりと唱うるに至る。しかれども我は非我に対する相対上の名にして、我あれば必ず非我なきあたわず。すでに非我ありとすれば、我をもって絶対なりということを得ず。ここにおいてシェリング氏は彼我両境の本源にさかのぼりて別に絶対の体を置き、物心両界はこの体より開現せるものにして、その両界更に分化して万有万象を現出すと論ぜり。これを前説に比するに一段を進めたるものにして、氏の言によれば絶対即神というべく、この一神体が自ら有するところの勢力によりて世界を開発せるものとするなり。しかれども物心未開の前、思想の範囲外にひとり絶対唯一の体ありとすることは、精密なる論理よりこれをみれば到底許すことを得ざるものとす。なんとなれば、吾人の知識は物心相対の間に存するものにして、たとえ相対の外に絶対ありとするも、相対性の知識思想を離れてたれかよくこれを知らんや。ここにおいてヘーゲル氏たちまち立ちて一大哲学を唱道し、カント氏以来の大問題を釈定して宇宙開発の理を完成するに至れり。氏は相対と絶対とは全く相離れたるものにあらずして互いに連合して存し、相対即絶対、絶対即相対の妙理を啓発し、理想そのものが自体中にありて次第に物心の開発を現示し、その結局、理想そのものを充実完成するにありとす。これを理想の進化という。故に氏に至りて、さきにいわゆる全系論と基礎論とを併合し、もって開発論を完成せりというべし。これ理想即神論なり。その理、実に玄妙なるかな。

 東洋にありては儒教仏教ともに理想開発論を唱え、儒のいわゆる太極分化論はシェリング氏に近く、仏のいわゆる真如開発論はヘーゲル氏に近し。『繋辞伝』に、易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀四象を生じ、四象八卦を生ずとあり。邵康節これを解して、一分かれて二となり、二分かれて四となり、四分かれて八となるという。これシェリング氏の絶対開発論に似たるにあらずや。また仏教中、中道諸宗にて真如即万法、万法即真如と説ききたりて、この一大世界を真如の現象となすは、ヘーゲル氏に一致すというべし。

 以上の開発論によれば、理想即神の存立は自存自在なり、その開発は自開自発なり。しかるにこの体より開きあらわれたる物心万境は、神と全くその性質を異にして雑多なり、不純なり、有限なり、相対なり、不完なり、差別なり、制限なり、依立なり、有始有終なり、有生滅なり、有変化なり。単一至純、無限、絶対等の性質を有するものより、かくのごとく全く相異なれるものを生ぜるは何故なるか。これまた一大疑問なり。しかしてこの二者中、一を本体といい一を現象という。故にこの問題は、これを本体と現象との関係と名付くべし。この関係を論じて、その二者一なりとするものと、二なりとするものと、不一不二なりとするものとの三様あり。一なりとするものは古代エレア学派の単一論にして、おもえらく、宇宙間真に有なるものは単一のみ、差別の現象は虚無なり、あるいは感覚上の誤謬なりと。仏教の般若皆空の説またこれに近し。つぎに、二なりと見る方は仏教の『唯識論』またはプラトン氏の理想論のごときこれなり。プラトン氏の物心の本源を説くところ明瞭ならずといえども、二者の関係を論ずるに至りては思想と感覚との相反相排を説き、理想と世界との一致同体を示すあたわざりき。『唯識論』も真如と万象とその体一なることを説くも、その関係に至りては二者の間に分界ありて、いまだ一致融合するゆえんを示さず。故にこの両説ともに不一論なり。つぎに、不一不二としてこれを見たるは仏教中天台の説、ならびに西洋ヘーゲル氏の説これなり。しかしてヘーゲル氏の所説と天台の所説とまた多少の異点なきにあらず。氏の所説にては、理想自体が開発する間に論理必然の連鎖として三段の法式によりて進化し、前後順次を追うて開発するゆえんを説く。これなお開発の漸時なるものなり。しかるに天台においては、物心万境の現象は次第に開発するを待たず、吾人の一心一念の上に具す。この一念動けば即時に万境歴然として存し、万象森然として現るという、いわゆる一念三千の妙理ここにあり。すなわちその開発や即時なりというべし。しかして我心よく万境これ真如と達観すれば湛然一如に帰して、また一象一有の真如の外に存するを見ずという。故に天台の論は開発論というより、むしろ実相論というを適当なりとす。すなわち万有万象の当体これ真如なりという。物心と理想との関係ここに至りてその妙を尽くす。これより以上は、言亡慮絶またいかんともすべからざるなり。

 

     第六講 物心論

 前講すでに述ぶるがごとく、本体と現象との関係は不一不二とする説をもって最勝なりとす。なお一物が一物たると同時に表裏の二面を有し、表裏の二面ありと同時に一物たり。一物を離れて表裏なく、表裏を離れて一物なきがごとし。故に一物と表裏とは不一不二なり。本体と物心とはまた不一不二なり。かのエレア学派のごとく、ただ単一の本体のみこれ真にして、あらゆる現象はこれ空なりといわば、この空の生ずる根源たる本体もまた空なりといわざるべからず。なんとなれば、我人が本体の有無を知るは、物心の現象について推論して定むるものに外ならざればなり。またプラトン氏のごとく思想と感覚の二元を分かち、現象をもって感覚に属し、本体をもって思想となすも、二者の原理にさかのぼりてこれを達観すれば、思想といい感覚というも、ともに一心に属するものにして、現象といい本体というも、ともに理想一元の体象に外ならざるを知るべし。故にこの二者を一とするも不可にして、二なりとするもまた不可なり。二なるがごとくにして一、一なるがごとくにして二、畢竟表裏二面、一体不離の関係を有するものなり。

 つぎに物心二者の区別も、外よりこれを見ると内よりこれを見るとにより、二様の見解を生ずるなり。外よりこれを見れば、理想の本体すなわち神体より心界と物界の二が次第に開現し、物心未開のときに物心なく、既開のときに本体なしと考うるなり。しかれども内よりこれを見るときは、未開のときすでに本体中に物心を含み、既開ののち物心の裏面にまた本体を包むとなす。もし初めに物心の原形全くなからんには、後に至りこれを発生すべき理なく、また初めに本体ありしもの、後に至りてその体の消失すべき理なし。なお草木の種子のいまだ発生せざりしとき、その内部にすでに枝葉となるべき原理を含み、枝葉を分出したるの後、その内部にまた種子となるべき原理を含むがごとし。この故に、草木は果実を生じて種子を出だし、この種子また草木となりて枝葉を現し、循環してやむときなし。宇宙また本体中に物心をおさめ、物心中に本体を潜め、生滅の現象と不生滅の本体と互いに裏となり表となり、もって一理開きて万差となり、万殊合して一本に帰し、無始より無終に至るまで、けだし輾転して際限なかるべし。これを要するに、理想開発の前後において、一方は外延に単一をあらわして内包に万差を含み、一方は外延に万差を示して内包に一理を具す。故に開発の前も後も、その総和常に唯一なり。今、図をもってこの関係を表せん。

              「理体の裏面に現象を具す。」(理体裏面具現象)

              「現象の裏面に理体を具す。」(現象裏面具理体)

 以上は物心と理想との関係を論じたるものなるが、更に物心相互の関係につきて一疑問の起こるを見る。その疑問とは、一理平等の本体より何故に物心なる異性質のものを生じたるか。心は無形にして物は有形なり、また物は延長を有して心は延長を有せず、また心は有覚にして物は無覚なり、なにをもって物心の間にこの差別あるか。古今この問題を解するに種々の異説あり。あるいは曰く、物と心とは全くその性質を異にするも、これ本体の上に存する属性に過ぎず。あたかも一物に色と形との二種の属性を兼有するがごとしと。これスピノザ氏の説なり。あるいは曰く、物心の相違は加符(正符+)減符(負符-)のごとく、また然(yes)否(no)のごとく、ただ相対性の上に並立するものにして、一元の理想が開発するに際し、自然に二者を伴生するに至ると。これヤコービ、ベーメ氏等の論なり。あるいは曰く、世界はひとしく無数の活動的元子より成るものなれども、発達の前後によりて物心の相違あり。物質元子もその実、観念性元子にして心性元子と同一なるも、その発達完全ならずして、その性質不明瞭なるもの物質となりて現すと。これライプニッツ氏の説にして、この説によれば、心は発達の高等なるもの、物は下等なるものというべし。あるいは曰く、二者の本体は心(すなわち我)のみなれども、心そのもののみにてはその存在を確実にするあたわず。よって心自ら己を制限して物(すなわち非我)を起こし、物心二者の相対を現すと。これフィヒテ氏の唯心論なり。あるいは曰く、一理の上に純不純の二気あり、あるいは発達の上に完不完の二様あり。その純にしてかつ完なるものは心となり、不純にしてかつ不完なるものは物となれりと。宋儒の理気説、仏教の『起信論』、シェリング氏の万有哲学の解釈等、この説に属す。この説によれば、発達の上には完不完、性質の上には純不純をもって物心の区別を立つるなり。この論よく近年の理学上の解釈に契合し、物心の区別を説くに最も適好の見解なりとなす。故にここにこの見解に従い、理想一元より万有を開現する順序を主観客観両論の上において説明すべし。

 そもそも宇宙の本源にさかのぼりてこれを考うるに、気に純不純もしくは清濁の二ありて、ともに一理より生ずというはまさしく宋儒の説にして、その見解にまた内外の二様あり。これを内より見れば理気の区別なくして、理すなわち気、気すなわち理というべく、外より見れば理気の区別ありて、理に善悪なく、気に善悪ありというべし。世界未発のときはただ一理にして暗に気を含み、将発のときは気のすでに動きて清濁を分かたんとするときなり。しかれどもなお混沌として、いまだ外に差別の相をあらわさず。あたかも理学者の説くところの星雲未分の時期に似たるものなり。すでにしてその気陰陽の二つに分かるるも、その中になお理を含む。朱子曰く、「天下、いまだ理なきの気あらず、またいまだ気なきの理あらず。」(天下未有無理之気亦未有無気之理)と。かくしてその陽は清にして純、その陰は濁にして不純なり。二気交感もって万象を生ずるなり。もしこれを物心の上に考うるときは、その純なるものは心となり、その不純なるものは物となる。その不純なるもの更に進化して、不純中の不純と不純中の純とに分かれ、純なるもの更に開発して、純中の不純と純中の純とに分かる。不純中の不純なる気は土石のごとき全く活動の作用なきものを成し、不純中の純なるものは光熱電気のごとき有形中の無形にして、やや心の現象に近きものとなる。つぎに純中の不純なるものに至りては、一は生育力となり、これによりて草木を成し、あるいは人間動物等の肉身を成す。また一は感覚力となり、これによりて動物性の心象を現す。更に進みて純中の純なるものに至りては、思想、道理、良心となり、人の人たる知識道徳全くここに備わる。今その開発を表をもって示すべし。

  気 純  心 純中の純   思想、道理、良心

         純中の不純  生育力、感覚力

    不純 物 不純中の純  光、熱、電気等

         不純中の不純 土、石の類

 これ物心両界分化の態情なり。

第七講 精神論

 前講において述ぶるところの理気開発論と本体現象一体論とを合してこれを考うるに、理と気とは不一不二の関係を有し、表面には純不純の別を示すも裏面にはその別なく、ただ一理あるのみ。これと同じく純と不純との関係も不一不二にして、表面には純あり不純あるも、裏面には二者おのおの一理を具するのみ。純中の不純にも不純中の不純にも、みなその裏に理想の純一なるものを含むを知るべし。今、仮にその関係を示すに、図をもってせんとす。

 もしそのいわゆる理は純一無雑、平等無差別のものなれば、これもとより純中の純なるものなり。しかして理と気とその性質を異にするは、開発の前後に区別を立てて論ずるによる。故に未開の上にありては理想そのもの全く純中の純なるものにして、既開の上にありては人心をもって純中の純なるものとす。換言すれば、絶対の境遇にありては理想を指して純中の純となすべく、相対の範囲にありては人の精神を指して純中の純となすべし。甲は絶対の純にして、乙は相対の純なり。しかして相対絶対その体一なれば、理想の純も人心の純も決して別物にあらず、ただ理想の上にありてはその体を神と名付け、人心の上にありてはそのものを精神もしくは精霊と名付くるの別あるのみ。これ余がここに精神論を講ぜんとするゆえんにして、余の意、精神は神とその体を同じうすというにあり。換言すれば、神がその純気を直接に人心の上に開くというにあり。かの人の高尚純潔なる思想、道理、良心のごときは、実に理想の光気にして、まさに宇宙最純の気の発現なりというべし。しからば東洋人がつとに霊気といい、秀気といい、元気といい、正気といい、浩然の気といいたるは、みなこの気に与えたる異名なり。孟子は「われよくわが浩然の気を養う。」(我善養吾浩然之気)と説き、これを解して「その気たるや至大至剛にして直をもって養いてそこなうことなければすなわち天地の間にふさがる。」(其為気也至大至剛以直養而無害則塞于天地之間)といえり。また文天祥は『正気歌』の初めに「天地に正気あり、雑然として流形に賦し、下ればすなわち河嶽となり、上ればすなわち日星となり、人においては浩然といい沛乎として滄溟にふさがる。」(天地有正気、雑然賦流形、下則為河嶽、上則為日星、於人曰浩然沛乎塞滄溟)といえり。この気たるや、余がいわゆる純中の純気なり。わが邦人が古来大和魂と称して高明純潔の精神を愛重せしも、またこの気なり。けだしわが国民は一種霊妙の精気を固有せる一民族にして、ひとたびその気の発現するや忠君となり愛国となり、国体これによりて立ち、皇室これによりて安んじ、余はこれを神気、霊気、もしくは神聖霊妙の気という。易に「陰陽の不測なるこれを神という。」(陰陽不測之謂神)といい、『五行大義』には「孔子曰く、陽の精気を神となす。」(孔子曰陽之精気為神)とあり。またわが国においても古来神について種々の解釈ありて、あるいは神は上なりといい、あるいは隠身の略なりといい、あるいはカガミすなわち鑑の略なりという。忌部氏の『神代口訣』に曰く、「神とは嘉牟嘉美なり、略して嘉美という、神慮するは明鏡の万物を照らすがごとく、一法をも捨てず、一塵をも受けず、天にありては神、万物にありては霊、人にありては真心なり、万物の霊、人の心、清明なればすなわち神なり。」(神者嘉牟嘉美也、略云嘉美、神慮如明鏡照万物、不捨一法不受一塵、在天者神、在万物者霊、在人者真心也、万物之霊、人之心、清明則神也)と。また岡本監輔氏、『祖志』の緒言に神を解して曰く、「それ神とは人心にあらわすなく、人心の本体、清明正直にして、仁孝勇義なれば、六合をわたりて古今に貫き、生々活溌、周流してやすまざるはすなわちこれ三神の本然にして、善を善とし悪を悪として、昭布森列し、天地といえどもこれをあなどるを得ず、君父といえどもこれを奪うを得ず、王侯にしてこれに違わば、すなわち生くるも顔色なく、匹夫にしてこれに従わばすなわち死するも余栄あり、万物みなその制するところとなりて、一物もよくこれとむかうものなく、またこれと相離るるを得ず、そのしかるゆえんを知らずしてしかり、これこれを神明という。」(夫神也者莫著於人心、人心本体清明正直、仁孝勇義、亘六合貫古今、生々活溌、周流不息即是三神本然、善善悪悪、昭布森列、雖天地不得易之、雖君父不得奪之、王侯而違之、則生無顔色、匹夫而従之即死有余栄、万物皆為其所制、而無一物能与之抗者、亦不得与之相離、不知其所以然而然、是之謂神明、)と。故に余おもえらく、この心すなわちこれ神なり、これを外にしてまたなにをか神と呼ばんや。『涅槃経』には「一切衆生はことごとく仏性を有す。」(一切衆生悉有仏性)とあり、仏性はその体真如にして真如すなわち神なれば、この語と余の論ずるところと一致するを知るべし。ヤソ教は人類万有の外に神の存在を説くものなればこの理を示すあたわずといえども、なお天帝と人間との連絡を通ぜんために三位一体論を唱え、世界と神との間に精霊の存するを説くなり。しかれども、いまだ我人の固有せる良心を指して神と称するを許さず。その見るところ、実に浅近なりというべし。けだしヤソにさきだつこと数百年、プラトン哲学の世界的精神論、また中古宗教哲学上に起こりたるロゴス(Logos)論のごときは、普通のヤソ教家の精霊論に比すれば、はるかにその上に位すというて可なり。もしシェリング、ヘーゲル、バーデル〔バーダー〕等の諸氏の三位論に至りては全くヤソ教家の見解と異なりて、かえって仏教の説に近し。これによりてこれをみるに、ヤソ教に与うるに学理上の解釈をもってせば、化して仏教となるべし。故に余かつて曰く、ヤソ教一変せば仏教に至らんと。

 気に純不純二気あること、ならびに我人の精神はその純中の純なるものにして、我心すなわち神なりということは儒教の理気論において証明し得るは、さきに述ぶるところを見て知るべし。また仏教においてもこれを証明すること、もとより容易なり。そのいわゆる純は仏教にてこれを覚といい、そのいわゆる不純はこれを不覚という。『起信論』に「この識(阿黎耶識)に二種の義あり、よく一切の法をとりて、一切の法を生む、いかなるを二となす、一は覚義、二は不覚義なり。」(此識(阿黎耶識)有二種義、能摂一切法、生一切法、云何為二、一者覚義、二者不覚義)とあり。また人智の上において有漏智、無漏智の二種を分かつ。そのいわゆる有漏智は純中の不純にして、無漏智は純中の純なりと解するも不可なることなし。あるいは「この心これ仏、この心は仏を作す。」(是心是仏是心作仏)等の語は列挙するにいとまあらず。要するに仏教は、我人の心は本来真如より開発しきたりしをもって純中の純すなわち仏なるも、妄念迷執のこれを纏縛せるをもって、その纏縛を解き去りて本来の仏性を開顕するをもって目的とす。これを転迷開悟とも、断惑証理とも、断障得果ともいうなり。

 これによりてこれをみるに、開発論によるときは西洋諸家の説も東洋諸教の説も、人の精神と理想の本体と同体にして、精神即神なり神聖なりというを得べし。

 

     第八講 人類論

 前講において理想と精神との関係を述べたれば、人類は万有中にありて最も高等に位するゆえんを知るべし。天地の間、草木および動物は一方に気の不純なるものを有し、一方に純中の不純なるものを具するも、いまだ純中の純なるものを有せず。人類はその身心両方において、純も不純も、純中の純も純中の不純も、みなこれを具有す。なかんずくその万物に異なるは、純中の純を有するによる。故に古来、人類をもって万物の霊といえり。『礼記』には「人は天地の徳、陰陽の交、鬼神の会、五行の秀なり。」(人者天地之徳、陰陽之交、鬼神之会、五行之秀)といえり。『左伝』に「人は天地の中をうけて生まる。」(人者禀天地之中而生)という。中は天地の純気なり。『中庸』に「天命これを性という。」(天命之謂性)とあり。性は精神なり、天の賦与するところなり。天運流行の際、純気をもって人に賦するものなり。しかしてこのわれにうけたる純気の発動に従えば、すなわちまた天理にかなう。故に「性にしたがうこれを道という。」(率性之謂道)といえり。しかれば人類の道徳は、まさに人心中の霊気神気の上に成り立つものなり。『中庸』に「誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり。」(誠者天之道也、誠之人之道也)とあり。故に人の道たる他なし、天にうくるところの至誠至純を存してこれを養い、万端の行為その指命に随順し、一毫もかの不純の気の発動に支配せられざるに至るにあり。わが邦人の固有する忠孝の情のごときは、まさにこれ純気の発動なりというべく、至誠の発動なりというべく、性にしたがうの道なりというべし。しかしてこれ人の特有するところなり。故に人をもって万物の霊長となす。

 忠孝の解釈は儒書の中につまびらかなり。『孝経』に孝を解して曰く、「それ孝は天の経なり、地の誼(義)なり、民の行いなり、天地の経にして、民これこれにのっとる、天の明にのっとり、地の利により、もって天下をしたがう、ここをもってその教え粛ならずして成り、そのまつりごと、厳ならずして治まる。」(夫孝天之経也、地之誼也、民之行也、天地之経、而民是則之、則天之明、因地之利、以訓〔順〕天下、是以其教不粛而成、其政不厳而治、)と。また曰く、「父子の道は天性なり。」(父子之道天性也)と。また曰く、「孝弟の至、神明に通ず。」(孝弟之至通於神明)とあり。『忠経』に忠を論じて曰く、「その昔、至理とは、上下徳を一にし、もって天休を徴すは、忠の道なり、天の覆うところ、地の載すところ、人のふむところ、忠より大なるなし、忠とは中なり、至公にして私なし、天に私なければ、四時行われ、地に私なければ万物生ず、私なければ大いに亨貞す、忠とはその心を一にするの謂〔い〕いなり、国をつくるのもとなり、なんぞ忠によるなからん、忠はよく君臣によりて、社稷を安んじ、天地に感ぜしめ、神明を動ぜしむ、しかるをいわんや人においてをや、それ忠は身を興し、家をあらわし、国を成す、その行い一なり、この故にその身を一にするは、忠の始めなり、その家を一にするは、忠の中なり、その国を一にするは、忠の終わりなり、身一なればすなわち百禄至り、家一なればすなわち六親和し、国一なればすなわち万人理す、書にいう、これ精これ一、まことにその中をとれ。」(昔在至理、上下一徳、以徴天休、忠之道也、天之所覆、地之所載、人之所覆、莫大乎忠、忠者中也、至公無私、天無私、四時行、地無私万物生、人無私大亨貞、忠也者一其心之謂矣、為国之本、何莫由忠、忠能因君臣、安社稷感天地、動神明、而況於人乎、夫忠興於身、著於家成於国、其行一焉、是故一於其身、忠之始也、一於其家、忠之中也、一於其国、忠之終也、身一則百禄至、家一則六親和、国一則万人理、書云惟精惟一、允執其中、)と。もって忠孝の意義の深大にして、宇宙間の純気の発現なるを知るべし。

 以上、純気の一個人の中に発したるものについて論じたるのみ。この一個人中の純気が衆人の間に発するときは、相結んで社会を成し国家を成すに至る。社会の文明、国家の徳義は、みな純気の開発にあらざるなし。故に社会ようやく進み国家いよいよ盛んにしてこの気の霊光ますます発揚し、他日世界の裏面に包有せる理想の真景を人界の表面に開顕しきたり、世にいわゆる黄金世界をわが目前に現見するときあるべし。仏教に此土即寂光浄土とあるは、けだしこれ、これをいうならん。

 社会すでに理想の純気の発顕なれば、世に野蛮開明の別あるはいかん。その野蛮は純気のいまだ社会の上に発達せざる情態にして、開明は既発の情態なり。果たしてしからば、古代は不純にして今日は純良なりや。曰く、しからず。古代もまた純良なりというを得べし。ただし古代の純良は外形上物質上をいうにあらずして内心上精神上をいい、人為の美をいうにあらずして天然の美をいい、錯雑の状況をいうにあらずして単純の状況をいうなり。たとえば、古代の人民は無我無欲にして淳朴純良の風あるは、これ純気のいまだ不純によりて動かされざるありさまにして、実に神聖なる天然の美性というべし。これ人心中、善悪未分のときなり。これよりようやく進みて彼我の見を生ずるに及び善悪の別起こり、もってその本来の神聖純良の心面ひとたび動きて妄波を起こすに至るも、またその中に良心を啓発して純気を開現するに至る。これを要するに、最初単純一様に神聖なるものようやく進みて不純を生じ、またその中より純気を開くは、実に理想開発の規則、人心発達の性質、ならびに社会進化の事情なり。

 

     第九講 万物論

 前講に述ぶるがごとく、宇宙間純中の純気を有するものはひとり人類あるのみ。その他の万物はみな不純の気をうけてその形を成す。故に我人の眼前に見るものはみな不純の形象なり。この形象、我人の感覚に触れて心性の海面に動波を起こす。これにおいて種々の欲念悪意生ず。故に人に悪心の生ずるは、不純の気純気を動かすによる。これをもって、古来聖人君子の教えを立つるや、感覚の諸欲を制し、外界の誘因を絶ち、もって精神本来の徳性を自由に開発せんことを目的とせり。かのピタゴラス、プラトン諸氏の倫理を講ずるも、仏氏の迷悟を談ずるも、孔孟の利を戒めて仁義を勧むるも、みなこの意に外ならず。故に知るべし、理想とこの世界と直接に交通感応すべきものは、万物の上にあらずして、人の精神の上にあるを。果たしてしからば、ここに一疑問あり。何故に単一平等の理想より開発しきたれるこの世界万有の上に、一は悪の誘因となり、一は善の本性をうくるの相違を生ずるや。換言すれば、何故に純と不純の別を生ずるや。この問題について東西種々の異説あることは、前すでにこれを述べたり。要するにこれ開発そのものに固有せる情態にして、理想もし開発せざればこの差別なし。いやしくも開発すれば、必然の理法としてこの別を生ぜざるを得ず。なんとなれば、開発とは絶対より相対を生じ、平等より差別を生ずるを義とすればなり。かつこの理は理想そのものの固有性と称するも不可なし。開発の前後に関せずこの理を具すること、あたかも一物に表裏の差別を具し、地球上に東西南北の差別を具するがごとし。しかりしこうして、かくのごとく論ずるは畢竟理想表面上の見のみ。もし裏面に入りてこれをみれば、開発の前も後もただ一理の存するあるのみ。あにまたいわゆる差別あらんや。すでに差別なし、なんぞ気に純不純、物に善不善の別あるの理あらんや。これをもって、吾人もし世界の裏面を達観すれば、禽獣草木、山川国土に至るまでみな理想の神気を具し、みるもの聴くもの一とし純ならざるはなく、一として真ならざるはなく、また一として善ならざるはなきを知るべし。故に仏教には「国土山川、ことごとくみな成仏す。」(国土山川悉皆成仏)の説あり、「一色一香、中道にあらざるはなし。」(一色一香無非中道)の語あり。これみな裏面の一理独存の道理を示したるものなり。

 すでにしかれば、動物植物、光熱金石のごときも、表面には不純を現し、裏面には純気を具することを知らざるべからず。これをもって、この裏面の純気はときによりて外に発することあり。すなわち山川草木の美妙なる風景をあらわすこれなり。これ内包せる理想の霊気、知らず識らずの間に外にもれ出ずるものなり。その光景がまた人間心中の霊気に映じ、吾人をして美妙の感想を起こさしむるなり。心にありては霊といい、物にありては美という。ともに理想すなわち神の発現にして、内外相感ずるなり。故に吾人よくわが精神をみがき、智光の赫々たるものをもって天地万有を観察しきたるときは、一大宇宙ことごとく理想界中にあるを見るべし。これいわゆる天堂なり、極楽界なり、黄金世界なり。天国なんぞ必ずしも死後を待つを要せんや。黄金世界もまた今日にあり。仏教に即身成仏を談ずるはこれをいうなり。

 人類にありて気の最も純なるものは精神なり、外界にありて気の最も純なるものは光熱なり。しかして光熱の最も強くかつ優れたるものは太陽なり。太陽の外界におけるは、あたかも精神もしくは神の人類におけるがごとし。それ太陽は常に世界を遍照し、その光熱の力によりて山川草木の純気を啓発し、もって美妙の感想を吾人に与う。実に太陽は美の源というべし。かつてゲーテ氏は、物界にありては太陽は天啓の最上なるものにして、人界にありてはヤソは天啓の最上なるものなりといえり。しかして余はまさに言わんとす。人界にありては精神は天啓の最上なるものにして、物界にありては太陽は天啓の最上なるものなりと。

 以上は学術一般の上において、東西両洋の開発論に基づき理論的に説明したるものなるが、これよりこの原理をわが日本の上に応用して、国体の基づくところ、忠孝の起こるゆえんを論ぜんとす。

 

     第一〇講 国体論

 今国体を論ずるに当たり、まず前数講の意を一括するを要するなり。開発論によれば、神は宇宙の本源にして万有の実体なり、世界の原因にしてまたその基礎なり。仏教の真如、儒教の太極、みなこの神体に与えたる名称に外ならず。しかるにヤソ教の神はこれに異なり、世界万有の実体即神を義とするものにあらず。故にその教えの東洋諸教と相いれざること明らかなり。ひとり西洋哲学家の説すなわちプラトン、スピノザ、シェリング、ヘーゲル等の諸氏の説は、儒仏両教と相合するを得。故に余はこれらの諸説を対照して、開発論の原理に基づきてこれを考うるに、宇宙の本体なる理想即神ようやく開発して純不純の二気を化生し、人類は純中の純気をうけて生育し、万物は不純の気をうけて形成せり。人中の純気、内に発しては霊智となり良心となり忠孝となり、外に結びては社会国家を合成せり。また万物は表面に不純を現すも、なおその裏面に純気を具するをもって、その気外にあふれて美妙の風景を発顕し、また集まりて太陽の火体を凝成せり。しかしてそのいわゆる純気たるや理想即神より発したるものなれば、その気の現象光景を名付けてこれを神聖といい霊妙という。今わが国のよりて起こるゆえん、またその今日を成すゆえんを考うるときは、理想の純気の特にここに啓発雲集せるを見る。故に余はこれを神国と称し、あるいはこれを聖の国と称せんとす。これよりその理由を述ぶべし。

 そもそもわが国体を論ずるには、客観主観の両面より観察を下さざるべからず。第一、客観上物界にありては、わが国は気候温和、地味豊沃、風景秀美なること世界いまだその比を見ず。これ天然のたまものにして、もとより人間の得て製作すべきにあらず。つぎに、客観上人界にありては、上に一系連綿なる一種無類の皇室を奉戴し、その皇室たる開国以前より儼然として永存せるものにして、はるかに他の禅譲攻伐、優勝劣敗によりて立つるものと雲泥を異にす。まことに天然希有の国体というべし。第二、主観上心界にありては、古来一種の霊気が凝然として大和魂を成し、最も精誠なる忠孝を発育し、これによりて一種神聖なる国風を形成せり。なにによりてしかるやというに、これみな理想の神気の発顕に過ぎず。換言すれば、宇宙特粋の気のここにあつまりて、この善美を啓発せしものなり。この気や、わが国土の上に発しては山川草木の優美となり、気候の中和となり、地味の豊厚となり、わが国体の上に発しては高明神聖の皇室となり、わが民族の上に発しては純良忠実の和魂となれり。すでにこの神気の発顕によりてこの善美を成せる上は、わが国はすなわち神国なりというべし。わが上古の人はことにこの気に富み、その心情最も純潔にしていまだ不純の気のこれに混入せざりしをもって、この時代の人を敬称して神という。神とはよろしく純気特発の精神なりと解すべし。わが国土はすでに神気の発顕なる以上は、この国土はこれ神聖の国土なりというべく、わが国家はこの神聖なる国土の上に発達したるものなれば、この国家はこれ神聖の国家なりというべく、わが皇室はまさしく太古純然の気の粛然として今日に永続せるものなれば、この皇室はこれ神聖の皇室なりというべく、わが臣民はみな皇室の分派にして神子皇孫の末裔なれば、この臣民はこれ神聖の臣民なりというべし。しかしてわが忠孝はこの臣民の精神界に固有する霊気の発動にして、神聖なる皇室より分賦せられて吾人の有する徳性なれば、またこの忠孝はすなわちこれ神聖の忠孝なりというべし。これ余が冒頭第一講に、他邦の忠孝に分かちて「わが忠孝は活物なり神聖なり」と提唱せしゆえんにして、読者はここに至りてまさにその意を了解せしなるべしと信ず。かつそれ宇宙神妙の霊気のわが山岳に発して景勝なるものを富士山とす。八面玲瓏にして巍然万丈、気象の雄峻なる、これに過ぎたるなし。またこの霊気の江湖に発して最美なるものを琵琶湖とす。清澄透徹にして湛焉百尋、風光の深邃なる、これに過ぎたるなし。この他、松洲〔島〕の明島晴波における、天橋〔立〕の白沙青松における、厳島の麗宮淡靄における、幽雅清麗、霊気の発顕にあらずしてなんぞや。この美妙なる光景よくわが純潔なる和魂と相映射して、ますますわが忠情孝心を感発せしめ、またわが手腕に与うるに絶妙の美術をもってす。かくのごとくにして発達進化し、武勇をとうとび誠実を重んじ仁恵を好み清潔を愛し、もって永く神孫皇統を護持して天壌とともに無窮ならしむ。また外界にありてもっとも霊妙なるものは太陽なり。しかるにわが国いにしえより天祖を日輪に配して天照大御神〔あまてらすおおみかみ〕と尊称し奉り、またその霊容を模写して国旗の徽章となせり。もってこの神聖なる国威の海外におけるは、なお日輪の世界を遍照するがごとくに致らしめざるべからざることを知らしむ。故にこれまた大いに感発するところあり。たれかこの国旗を仰ぎて誠敬の情、忠武の気を奮起せざる者あらんや。また皇室においては、かく純潔霊妙の神気を形に取りて、三種の神器をもって国宝となし伝国の証となせり。御鏡は瑩明の智に配し、御玉は温含の仁に配し、御剣は截断の勇に配し、三宝をもって天位をふみたまうは、三徳をもって治国の宝となしたまうゆえんなり。伝に曰く、「玉は和順の心を表し、鏡は正直の心を表し、剣は決断の心を表す、『尚書』にこれを剛柔正直の三徳といい、『中庸』にこれを智仁勇の達徳という、その義一なるのみ。」(玉表和順心、鏡表正直心、剣表決断心、尚書謂之剛柔正直之三徳、中庸謂之智仁勇之達徳、其義一而已)と。

 ここにおいて知るべし。わが国民は上に純気をいただき、前に純気を望み、左右に純気を帯び、内外に純気を具し、理想霊然、祥気靄然たる風光の中に棲息せることを。藤田東湖氏の正気の歌を掲げてこれを証せんとす。

  天地正大の気、粋然として神州にあつまる、秀として不二嶽となり、巍々として千秋にそびえ、注ぎて大瀛の水となり、洋々として八洲をめぐる、ひらきて万朶の桜となり、衆芳にして与儔し難し、凝りて百錬の鉄となり、鋭利にして鍪を断つべし、藎臣はみな熊羆にして、武夫はことごとく好仇なり、神州たれか君臨せん、万古天皇を仰ぎ、皇風六合にあまねく、明徳大陽にひとしく、世として汚隆なからず、正気ときに光を放つ。

天地正大気、粋然鍾神州、秀為不二嶽、巍々聳千秋、注為大瀛水、洋々環八洲、発為万朶桜、衆芳難与儔、凝為百錬鉄、鋭利可断鍪、藎臣皆熊羆、武夫尽好仇、神州孰君臨万古仰天皇、皇風洽六合、明徳侔大陽、不世無汚隆、正気時放光、(下略)

 この歌の意と余が前に述ぶるところのものとを対照すべし。

 

     第一一講 忠孝論

 忠孝また前講の原理に基づきて説かざるを得ず。わが国のいわゆる忠孝は、わが民族が心中にそなうる神気と、皇室の上に浮かびたる霊気と、上下相映じたるところに発するものとす。これを純気の感合という。すでに述ぶるがごとく、純気は真実なり至誠なり神聖なり。故にわが民族の忠孝もまた神聖なり。わが民族はことごとく皇室の一神系より分派せるものなれば、この純気もその淵源は皇室より分流したるものなり。この純気皇室より分かれたるものとすれば、この忠孝もまた皇室より発したるものといわざるべからず。果たしてしからば、この気やこの忠孝や決して一個人の私有にあらず。知らず識らずの間にわが心内に発現して、あえて意力の喚起を待たず。あたかも一種の活物の心内に潜伏し、機に応じ時に会して自動自発するもののごとし。故にわが忠孝は死物忠孝にあらずして活物忠孝なりというなり。わが国古来忠孝をもって人倫のおおもととなし、上下和睦、四民協同の要道となし、国体永続、皇運隆盛の要素となす。故にわが忠孝はこれ活道なり、他国人のいまだかつて知らざるところなり。西洋また忠孝のことを説かざるにあらずといえども、かれが忠孝は私有なり死物なり。なんとなれば、その人民と王室と一家をなすものにあらず、家々の系統おのおの異にして、畢竟個人によりて社会を組織し、個人主義を重んずるの人民なればなり。したがってその君と民との関係は、そのときの事情により便宜上儀式上もしくは約束上、君主を奉戴尊敬するのみ。かつその君主も、あるいは他邦よりきたりてその住民を征服して統治権を得たる者あり、あるいは臣下より起こりて叛逆によりて君位を奪うたる者あり。故に君臣の間の道も各自の利益もしくは相互の契約によりて成立し、決して純然たる本心より出でたる活道にあらず。故にもし一時の必要ようやく去れば、姦雄隙に乗じて君家を倒してこれに代わるを常とす。その争いや、禽獣となんぞ選ばん。これその上下の道は私有に属するをもって、これを行うと行わざるとは、各自の随意なるによるのしからしむるところなり。しかるにわが国は全くこれに反し、わがいただくところの万世一系の皇室は先天的の存立なり、わが抱くところの忠孝の至道はまた先天的の性情なり。故にその道は便宜的にあらずして義務的なり、契約的にあらずして本心的なり、一時臨機の事情によりて変化するものにあらずして、永久必然の道理によりて存立するものなり。これをもって、その上下の関係のごときはなお四肢百骸の精神におけるがごとく、諸惑星の太陽におけるがごとし。もし一日太陽なしとせんか、星系たちまち壊乱せん、もし身体にして精神の力を失うとせんか、四肢百骸ただ塊然たる死物なるのみ。これと同じくわれわれ臣民と皇室とは相合して一家をなし、忠孝の至道によりてその間を連結し、もって霊活なる国体を構成す。故にその関係は須臾も離るべからず、その道や一日も欠くべからざるなり。ひとりシナはわが国と同じく忠孝二道を重んずる国なれども、なお忠と孝とは全く別事となし、忠よりは孝を重んずる風あり。しかるにわが国にては忠孝は一致不二なり。古来わが国民が忠を皇室に尽くすは、すなわちわが大宗家に対してその至情を尽くすものにして、これ父祖に尽くすところの孝誼〔義〕の大なるものなり。また一家における孝は一国における忠の小なるもののみ。故に忠といえば忠孝ともにこれ忠にして、孝といえば二者ともにこれ孝なり。なんとなれば、わが国は君臣一家にして、皇室はわが宗家なればなり。しからばすなわち、忠孝不二の関係を有すること明らかなり。かくのごとくシナなおわが国に異なるところあり、いわんや西洋諸邦をや。たれかヤソ教の忠孝とわが忠孝とを同一視するや。これ玉石混同の論というべし。およそ人、身命より大切なるはなし。しかるに古来わが国民は、君のため国のためにその身をすつるは敝履を脱するがごとし。あに、ひとり一身をすつるのみならんや、その至誠の煥発するや天地を動かし鬼神を泣かしめんとす、その進むや水火もこれを犯すあたわず、魔力もこれをとどむるあたわず、一志浩々として六合に透徹し宇宙に遍満せんとす。これ名誉のために動くにあらず、利欲のために動くにあらず、ただ至情のために動くのみ。果たしてしからば、なにをもってわが方寸中に存する一片の至情、よくこの感動をなすや。曰く、これ宇宙万有の本体たる理想の純気の発動なればなり。なお積陰散ぜんと欲して猛雨を降らし、積陽散ぜんと欲して烈風を起こすがごとく、天下なにものかよくこれを制止せんや。この気風に富めるは実にわが国民の特性となす。国体これがために光華を発し、国俗これがために精美を現し、三千年来いまだかつて他人種の凌辱を受けず。卓然独立して永く皇威を東海日の出の所に保つ。ああ、あに盛んならずや。

 わが国体のかくのごとく謹厳にして、忠孝のかくのごとく旺盛なるもの、あに偶然にしてしからんや。そのよりてきたるところ深くしてかつ遠し。今さかのぼりてそのもとを尋ねその源を窮むれば、はるかに太古立国のときにあり。更にさかのぼれば天地未判のときにあり。当時神聖なる一大純気が、東辺日の出の所に鍾発したるものこれなり。林道春氏の『神社考』に曰く、

  それ本朝は神国なり、神武帝より以来、相続き相承け皇緒絶えず、これわが天神の授くるところの道なり。

  夫本朝者神国也、神武帝以来、相続相承皇緒不絶、是我天神之所授道也

 また会沢氏の『新論』に曰く、

  それ天地剖判の始め人民ありてより、すなわち天胤四海に君臨し、一姓歴々として、いまだかつて一人のあえて天位を覬覦することあらず、もって今日に至るは、あにそれ偶然ならんや、それ君臣の義は、天地の大義なり、父子の親は、天下の至恩なり、義の大なるもの、恩の至るものと、ならびに天地の間に立ち、漸漬積累す。人心を洽浹し、久遠にして変わらず、これ帝王の天地を経緯し、億兆に綱紀するゆえんの大資なり。

夫自天地剖判始有人民、而天胤君臨四海、一姓歴々、未嘗有一人敢覬覦天位、以至今日者、豈其偶然哉、夫君臣之義、天地之大義也、父子之親、天下之至恩也、義之大者、与恩之至者、並立天地之間、漸漬積累。洽浹人心、久遠而不変、此帝王所以経緯天地綱紀億兆之大資也、

 これを要するに、わが国は純気の特発によりて成り、わが国体は純気の結合によりて成り、しかしてその気の最も高明なるものは皇室なり。この気分かれてわれわれ臣民の中に伝わる、この上下の二気相結びて国体の精華を開く。ただ皇室はその気の主体にして、われわれはその属体なるの異あり。しかれども同気相感の理により、皇室の上に浮かぶところの神気、知らず識らずの間にわれわれの心鏡に映じきたりて、わが心内に霊光の返射するを見る。この返射によりて相映ずるもの、これわが国の忠孝なり。たとえばここに一図を掲げて、甲を皇室とし丙乙を臣民とするに、甲の神気は乙の心鏡に映じ、これより返射するところの霊光、甲即皇室に向かえば忠となり、その霊光父母に対すれば孝となり、朋友兄弟、社会公衆に対すれば悌となり信となり仁となり義となる。故にわが道徳はみな皇室の返射と称すべし。これ余が憶説なるがごとしといえども、わが国神代史より皇室のよりて起こるゆえん、臣民のよりて分かるるゆえんを考えきたらば、その理の空想にあらざるゆえんを知るべし。しかしてその理は開発論によらざれば説明すべからざるものにして、中古、儒教仏教の盛んにわが国に行われしも、決してわが人倫を破壊せざりしのみならず、かえって大いにその発育を助けたりしは、全くこの二教の開発論に基づき、わが忠孝と相いるることを得たればなり。しかるに創造論に基づきたるヤソ教は、このわが神聖なる忠孝と両立すべからざることは余が弁を待たずして明らかなり。今日教学に従事するもの、あに省慮せざるべけんや。

 

     第一二講 結 論

 およそ宇宙万有、平等上よりこれを見るときは、ただ一理の前後を一貫して存するのみなりといえども、差別上よりこれを見るときは、無機あり有機あり、草木あり禽獣あり人類あり、社会あり国家あり、彼我の別、善悪の別、盛衰興敗の別、歴然として存するを見る。これにおいて、忠君愛国、人倫道徳を講ぜざるべからず。この道は裏面の一理と人界国家を連結開通する要道なり。今それ思想の高台に登りて人界差別の形状を観察するに、万国対峙おのおのその封域を異にす。その土壌は同じくこれ地球上の一皮膚にして、その住民は同じくこれ地球上の一生物なりといえども、各国の情状の相同じからざるは、けだしその特有特発の性質おのおの相異なるによる。語を換えてこれを言えば、理想の純気の各国に啓発するもの相異なるによる。これ国の特有性の起こるゆえんなり。国よくこの特有性を養成してこれを発達せしむるものはすなわち興り、これを放却して凋枯せしむるものはほろぶ。それ一国の特有性はその国の原形なり、これに向かいて内外より加わるところのあまたの事情は材質なり。その材質よく原形に適合するときはその国の発達を全うするを得べしといえども、適合せざる材質をもってすれば発達を妨ぐるのみならず、その原形すなわち特有性をも消失せしむるに至る。あに注意せざるべけんや。

 そもそもわが皇国神州は、これを国土上に望むも国家の上に考うるも人心の中に尋ぬるも、理想特殊の霊気の開発によりて一種神聖の国家をなせること、前すでに述べたるがごとし。すなわち神聖なる皇室と和魂と相映じ、心界の霊と物界の美と相映じ、もって神聖なる忠孝の至誠を煥発し、これによりて一系連綿、天壌無窮の皇運国体を護持するは、実にわが国の特有性なり。しかしてその性たるや、建国の初め神代雲深き所より源泉混々として流れきたり、もって万古不変の国体を維持するの精神となれり。ああ、また盛んならずや。それわが君主は先天的の君主なり、わが忠孝は先天的の忠孝なり、忠孝一致、君民一家は実にわが国の特有性なり、これを先天的の原形という。この原形を充実する材質はこれを国の内外に取り、内においては四時気候の温和なる山川風光の清麗なる実によくわが特性を誘発し、また一種霊妙の美術の発達するありて、よくこの性を養成せり、外においては儒仏の教義ようやく入りきたり、その旨またよくわが特有性に適合してその原形を充実せしめ、これをもって古来ときに隣邦を征服し、ときに強冦を掃蕩し、内にありてはいまだ一人の天位を覬覦するものなく、外にありてはいまだかつて国体の面目を汚したることあらず。千秋万古巍然として理想の中天に独立をそびやかし、三千年来神霊の雲気、今なお靄然として君臣上下の間に浮かぶを見る。あに東海の神国ならずや。

 既往すでにしかり、将来またもとよりますますこの特有性を護持し、またよくこれに適合する材質を取り、もってますます発達進化し、他日わが神威の海外諸国における、なお太陽の地球上におけるがごとくならしめざるべからず。しかるに維新以来外国の材質しきりに舶来し、わが原形に適すると適せざるとを論ぜず、雑入混収ことごとくこれを採用せんとせしがために、国民の精神ようやく移り、社会の徳義大いにみだれ、古来優美の風俗、神聖の気風、今まさに地を払わんとするの状あり。ことにヤソ教のごとき全くわが忠孝に適合せざるもの入りきたり、ようやく勢力を張らんとす。これまた国の大患なり。近年宗教教育の衝突の囂々たる、すでにその兆験を現せるものというべし。それヤソ教は余が初講に述べたるがごとく仮父仮君の忠孝を説くものなれば、決して忠孝そのものを骨髄としたる教えにあらず。もしその教義の精神に入りてこれを論ずれば、わがいわゆる忠孝を棄却するに帰着せざるを得ず。なんとなれば、わが忠孝は皇室国体を一貫して存する活道なればなり。しかるにもし強いてかれの教義をもってわが国民の道徳の観念を形成するに至らば、その結果いかんぞや。あに憂えて、しかしておそれざるべけんや。かれらはあるいは牽強付会の説を揑造して、わが教えにもまた忠孝の道ありと論ずるものあるべしといえども、到底わが忠孝に一致せしむべからず。しかれども似て非なるものは世人ややもすればこれが取捨に惑い、あるいは真実としてこれを認むるものあり。故に余は哲学上、理想開発、純気分化の道理に基づき、われの忠孝は活物忠孝にして、かれの死物忠孝に異なるゆえんを弁明せり。すなわちこれが順序を括約すれば、世界開闢の説に創造論と開発論の二種あり。しかして太初に有意有作の神ありて、工匠が家屋を造営せるがごとく世界を創造せりと唱うるヤソ教の説のごときは、最も蒙昧なる不合理の想像にして、理想自体が内包の勢力によりて宇宙万有を開発し、物心はただうくるところの気の純不純によりて分かれ、その体ともに神なりと立つる東洋諸教の説は、一方にありては泰西の学理に契合し、また一方にありてはわが国の人倫に適合するなり。

 さきにしばしば述ぶるがごとく、宇宙霊妙の気、特にわが神州にあつまり、外界に発しては富峰の秀となり〔琵〕琶湖の美となり、人界に発しては一系連綿の皇室となり万世不動の国体となり、心界に発しては忠孝一致の人倫となり大和民魂の元気となり、内外上下即映じ相照らして、一大帝国全く神光霊気の中に秀然たらしむ。これいわゆるわが道なり。故にこの道や至誠なり純潔なり霊活なり。もしこの道をすてて他の道に従わんか、これわが安宅を捨てて他の仮宅に寓せんとするものなり。己ひとり国民たるの義務に背くのみならず、実にその祖先を辱しむるものといわざるべからず。しからばすなわち、吾人は造次顛沛もこれをもってし、死生進退もこれをもってせんのみ。つつしみて聖勅を案ずるに、

  我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス

と。ああ、至れるかな。しからばすなわち、吾人は教育に宗教にみなこの大道を基本とし、鞠躬もってこれに従わざるべからず。これわが忠君愛国の最大義務なりとす。終わりに臨み、余はまさに菅〔原道真〕公の遺訓を借り、これを掲げてもってこの講義を結ばんとす。

  曰く、およそ神国は一世無窮の玄妙なるもの、あえて窺知すべからず、漢土三代周孔の聖経を学ぶといえども革命の国風深く思慮を加うべし。

  また曰く、およそ国学の要するところ、論古今にわたりて天人を究めんと欲すといえども、その和魂漢才にあらざるよりは、その閫奥をのぞむあたわず。

曰凡神国一世無窮之玄妙者、不可敢而窺知雖学漢土三代周孔之聖経革命之国風深可加思慮也

又曰凡国学所要雖欲論渉古今究天人其自非和魂漢才不能闞其閫奥矣

 

     付  講

       仏門忠孝論一斑

この一編は井上先生が第一高等中学徳風会員の依頼に応じて演述せられたるものの筆記なり。今、本論と関係するところあれば、ここに付講として掲げぬ。 編 者 白  

 

 今ここに仏門忠孝論というは、あえて仏教中にもまた忠孝の説ありとの事実をいわんとするにあらず、ただ仏教中に忠孝の起こるゆえんはいかん、他語にていえば仏教中に忠孝の起こるべき原理を述べんとするにあるなり。

 仏教忠孝の原理をいわんがためには、仏教大体に関して論ずるの必要あり。元来仏教とはいかなる教えなるかというに、通例これに答うる者は曰く、仏教は涅槃を目的とし、この涅槃に入ることを教ゆるものこれなり、すなわち仏教は出世間道を勧むるものなりと。果たしてしからば、仏教は世間を厭忌して五倫をすて忠孝を顧みざるもの、いわゆる厭世教というの外なきか。曰く、しからず、仏教は最も忠孝を重んじ五倫の秩序的道徳を尊ぶものなり。さてはその関係において必ずや道理の存するあらん。今知らんと欲するものはすなわちこの道理なり。

 およそ事物のいやしくも一組織を有し一団体をなす以上は、その上において内外二部の区別の起こりきたるべきは必然なり。他語にていえば、いかなる事物にありても一組織一団体を形成する上は、中心と外囲との区別ならびに二者の関係必ず生じきたらざるべからず。たとえば、樹木のごときもその円体の上に中心と外囲の二部を分かつべく、動物にありてもまたこの二部より成れるものにして、なお大にしては地球のごとき、更にわが太陽系統の上にもこの関係を有せざるなし。すなわち太陽をもってこれを中心となし、いくたの遊星は軌道をえがきてその外囲に回転す。この外囲の遊星、中心の太陽と相結んで一体をなす。名付けてこれを太陽系統すなわち太陽界の一組織となす。これをわが身体組織の上に考うるも、身体なる有機組織の上に神経の一組織あり。この神経組織につきてもまた、中心外囲の両部を分かつを得る。すなわちわが外面の皮膚は身体の外部にして、神経繊維の末端ここに終わる。しかしてこれが中心となるものは脳髄なりとす。換言すれば、脳髄は有機組織の中心となり、神経繊維の末端の終わるところの身体の外部はその外囲となり、もって中外両部の関係を説くべし。しかして中心と外囲との関係においては、その間およそ二種の道あるべし。外囲より中心に向かうはその一なり、中心より外囲に向かうはその二なり。中心より外囲に向かうものはこれを名付けて遠心性となし、外囲より中心に向かうものは名付けて求心性となす。しかして神経繊維にはすなわちこの二種をそなうるなり。求心性神経は外囲のありさまを脳髄に向かって伝達するものにして、あるいは感覚神経、知覚神経とも称す。遠心性神経はこれに反して脳髄中心のありさまを外囲に伝うるところのものにして、また運動神経とも名付くるなり。この理、更に太陽系統につきて知ることを得べし。すなわち遠心求心二力の相関によりて、遊星は互いにその位置を保ちて組織を完成することを得るなり。なお他の恰当なる一例をここに示さんか。かの国家社会と称するものは、今日はみなこれをもって吾人の身体のごとく有機的の組織を有するものとなせり。されば吾人の身体における中心外囲の関係は、また移してこれを国家社会の上に考うることを得べし。今これを国家につきていわんか。その体を形成するところのものは人民にして、君主はあたかも国家の脳髄いわゆる中心に当たるなり。しかしてその君主と一般の人民との関係あるいは外国に対する関係に求心遠心の二方をそなうることは、また身体の神経組織に異ならず。もっとも国家の政体には種々の区別ありて、一概にこれをいうことあたわずといえども、仮に立憲君主政体についていわんに、中心の君主の命令を一般人民に伝うる機関あり、また一般の世論あるいはありさまを中心に伝うる機関あり。内より外に向かうはすなわち行政部にして、外より内に向かうはすなわち立法部なり。立法部は法律を議定してその裁可を君主に請う、これ外より内に進むなり。君主ひとたびこれを裁可するときはすなわち法令となりて一般人民に施行せらる、これ内より外に向かうなり。この求心、遠心の二作用相まちて、しかるのち始めて一国の政治全きを得るなり。

 以上は、ただ事物の一組織一団体を形成せしものはみな内外両部を有することを示さんがために、例証として出だしたるに過ぎず。この理、更に進みてこれを学問の上に述べん。

 学問全体の上において、これが中心となるものは真理なり、これが外囲となるものはすなわち種々の事実なり。されば学問は、この万有界における事々物々いわゆる事実上の研究より真理を発見し、他語にていわば、外囲より中心に向かいて進むをその目的となす。しかれども、学問は決してここにその目的を終えたりとはいうべからず。すなわちなお他の方向において、その発見したる真理をもって、これを外囲に向かいて当てはむることを必須とす。よって学問にもまた求心遠心の二性を生ずるなり。しかしてその事実より真理に向かうをもって目的となすものはこれを理論学といい、すでに多少真理に達してこの真理をもって万有事物の上に当てはむるはこれを応用学という。故に学問にはおよそ二種の区別ありて、理論学は主として真理探求を目的とし、応用学はもっぱら実益を目的となさざるべからざるゆえんを知るべし。

 以上は、ただ仏教組織を述べんがために前おきとして一言せしのみ。しかるに仏教もまた、かの学問のごとく、その他の事物のごとく、一定の組織によりて成立するところのものなれば、必ずや中心あり外囲なかるべからず、必ずや求心遠心の二途をそなえざるべからず。けだし仏教全体の組織の上につきて考うるに、なお学問におけると同様に理論と応用との二種あることを見る。しかしてこれが中心となるべきものは、これを真如となす。なお、法性一如等いくたの名あれども、学問上のいわゆる真理にして、仏教組織の中心に当たるものなり。この真如を目的として外囲の宇宙万有、世間実際の上より進むをもって理論門とす。これ真如の理を道理上よりこれを究め知らんとするものなり。しかる後この究め尽くしたる真如を更に世間実際の上に応用し、安心立命、転迷開悟を目的とするものは応用門なり。故に一方の目的は理体にして、一方の目的は安心なり。その理論門はいわゆる哲学にして、その応用門はすなわち宗教なり。さればその哲学の理論門にありては道理上より真如の実在を証し、すでに真如の実在を証明すれば、これを応用してわが心の帰着を定むる宗教門の起こるに至る。故に理論門はこれを求心の道となし、応用門はこれを遠心の道となすべし。しかるに今この二門を分かちて更にこれを考うるときは、理論門にまたこの求心遠心の二道を具し、応用門にも同じくこの関係あるを見るべし。請う、試みに理論門よりその端をひらかん。

 仏教組織における中心いわゆる真如はあるいは理体、理性といい、外囲の事物またこれを万法もしくは事相という。この両者の関係に求心遠心の二道あることなるが、求心遠心のかわりに別に向上向下の名をもってこれに命ずれば、万法より真如に向かうは向上的にして、真如より万法に向かうは向下的なり。しかしてそのいわゆる向上的は万法を空じて真如の理を現すものなるが故にこれを空門となすべく、向下的は真如よりして万法をその上に立つるものなればこれを仮門となす。空門は万有差別の相を空じて平等に入るが故に平等門なり、仮門は平等真如の上に万法差別の相を立つるが故に平等上の差別門なり。そのいわゆる平等門は世間を離れて出世間を説き、そのいわゆる差別門は再び平等の理世間に向かいて現るるを説くなり。しかして世間道徳のよりて起こるところ実にここにあり。しかれどもこの両者の関係の次第を示すにつきて、小乗と大乗との差異あり、権大乗と実大乗との区別あり。

 小乗にては万法より真如に向かういわゆる向上的の道はあれども、真如より万法に向かうところの向下的の道なし。すなわち小乗にては世間万法は七十五の法体より成ると説けども、そはただ万法を七十五に減ぜしのみにして、万法そのものの真如なることを説かず。実大乗にありては万法の実体真如なりというのみならず、また万法を真如の上に立つるのみならず、真如体中より万法を開き現して、事物は現然かくのごとくに存在すと説く。故にいう、小乗にはただ向上のみありて向下なし、ただに向下なきのみならず、その向上においてもわずかに半途までを説きたるに過ぎずして、いまだ全体を説き尽くしたりというべからず。倶舎宗によれば万法を分析して七十五法となすことはあれども、なおその体真如なることをも知らざるなり。すなわち向上の道においても、いまだ真如の本体に達するに至らざるなり。小乗にありても涅槃の義を説かざるにはあらざれども、そはただ七十五法の一として差別の上に説くところのものにして、万有の実体、平等の真如に体達したる涅槃にあらず。これ小乗の仏教中にありて理論の浅近なるものと称せらるるゆえんにして、向上的において真如の本体を示すに至るは大乗にまたざるべからざるゆえんなりとす。

 もし大乗に踏み入らんには、まず権大乗法相家の説を述べざるべからず。その説、向上的の道においては小乗のごとき半途にとどまるの類にあらずして、万法を分かちて百法となし、百法の帰するところの本体は真如に外ならずと談ずるなり。しかのみならず、なおこれよりくだりて向下の道にも説き及ぼせり。この向上向下の関係につきては遍、依、円の三性を立て、唯識中道の理を唱うるなり。

  三性 遍計所執性……妄有……非有

     依他起性………仮有……非空

     円成実性………真有……非有非空

 遍すなわち遍計所執性とは、差別の事相をもって真に実在するものなりと執するものなればこれを妄有とし、円成実性とは、真如の理体を指すものなればこれを真有とし、依他起性とは、万法はおのおのその実体を有するにあらざるも、他の因縁によりて生起することは有にして空にあらざれば、これ仮有というべし。故に一方より見れば非有にして、他方よりいえば非空なり。有にあらず空にあらず、これを唯識中道の理という。およそ唯識宗にて一切仏教を判ずるに、有、空、中の三時教を立てて小乗の実有論はこれを有門となし、大乗中にても般若の皆空説はこれを空門となし、しかして唯識はこれを非有非空の中道となすなり。しからば唯識のごときは向上的においてその全体を説きたるのみならず、向下的において真如と万法との関係を説き、非有非空の中道、依他起性の道理を示して、差別を平等の上に成立せしめたり。しかれども、この説いまだその理を尽くしたりとなすべからず。なんとなれば、この宗にては、なおこの依他起性の万法がただちに真如の上にあることを許さず、万法即真如、真如即万法と説かざればなり。故に万法を百法に分かち百法を更に有為法無為法の二種とし、その有為法は識心中の第八阿頼耶識の種子の開発するところとなし、しかして阿頼耶の本体はもちろん真如に外ならずと説くといえども、有為の諸法のただちに真如の中より現るることを説かざるなり。されば両者の間なお懸隔して、いまだ融通して一とならず。今これを小乗に比するに、万法より進んで真如に向かうの道、すなわち向上的は全くその理を説き尽くしたるもののごとしといえども、これを実大乗に比するに、真如より万法に向かうところの向下的にありては、なお半途にしてとどまれりといわざるべからず。これその宗の権大乗たるゆえんにして、実大乗に一歩を譲るゆえんなり。

 しかるにこれより更に進みて実大乗に入るときは、向上的の全体のみならず向下的の全体をもこれを開き示し、向上にては色即是空といい、向下にては空即是色といい、また向上にては万法是真如といい、向下にては真如是万法という。実大乗中にても天台のごときは、事理無碍の理を談じて真如万法の融通を説き、一心三観と称して空、仮、中三諦の理を示し、真如を離れて万法ありと思うはすでに迷なればこれを空とし、すでに真如に達すればその理体の上に万法の歴然として現立するを見る、これを仮となす。この空仮を合して相離れざるところ、合して一なるところ、これを中道となす。たとえばここに一面の鏡あらんに、その面元来無一物、空々寂々底なり。しかれども面上のちりを払い終われば、万象歴々として現前すべし、これすなわち仮なり、しかして鏡の実体はすなわち中なり。かくのごとく空、仮、中三諦の理を明らかにして、もって中道実相の理を開示す。しかれどもひとり天台のみならず、その他、実大乗諸宗の説は帰するところみな同一にして、これその中道の中道たるゆえんなりとす。これを理論門の関係となす。この理論門にて説きしところのもの、これを人倫忠孝の上に当てはむれば、仏教のいわゆる応用門を開くに至る。仏教は世間より厭世教と称せらるるゆえんは、向上的の一途につきてのみいうことにして、万法を空じて真如平等に向かう空門の見なり。しかるに、ひるがえりて真如よりして万法を向下的に立つるに至れば、大乗中の実大乗のごときは世間万法の存することを説き、われもまたその一部にして、われあり世間あり、かれありこれあり、朋友、君臣、国家ありというに至るべし。これら差別の相はすなわち真如の現象なれば、差別を離れて平等あらんや、現象を離れて本体あらんや、万法を離れて真如あらんや、けだしこの二者相合してその中を得たるもの、これを仏教の真理とす。故に向下的に出でてこれを見れば、社会も国家も秩然として存し、父子君臣もその別あり。これにおいて忠孝人倫の道を講ぜざるべからず。故に仏教は決して出世間一方、厭世一道の法にあらざるを知るべし。さればつぎに応用門を述ぶべし。

 応用門にもまた中心と外囲との二種の関係あり。その中心はすなわち仏にして、外囲はすなわち衆生なり。しかるに理論門にありては真如これが中心となり、今、応用門にありて仏これが中心となるとするときは、仏と真如との関係いかんを知るを要するなり。もし一言にてこれをいえば、理論門は平等門なれば平等性の真如を中心とし、応用門は差別門なれば差別性の仏を中心とするなり。かつ仏には法、報、応の三身の区別ありて、平等の上よりいうときは仏も人もともにその体真如なれども、差別の上よりいうときは真如の上に仏と人との区別を生じて、仏はその中の最勝者の地に立つこととなる。今、吾人が実際上修行して仏となるとは、裏面よりいえば、真如に体達することなれば吾人は真如海に入るというべきも、表面よりいえば、仏はやはり差別人中の最勝人なる故に吾人はその最勝の地位に達するなり。故に理論門と応用門との中心の区別は単に表裏の別のみにして、その体は同一なり。また仏の因分よりいうときはこれを仏性とも名付け、仏性すなわち菩提にして、仏はすでに仏性を開現したる体、衆生は煩悩の迷雲によりて隔てらるるものなり。他語にていえば、仏すなわち菩提は悟りにして、煩悩は迷いなり。故に応用門の中心は仏もしくは仏性とし、その外囲はこの本性を開現するをもって目的とする衆生に当たるなり。応用門にてもまた理論門におけると等しく小乗は小乗、大乗は大乗、権大乗は権大乗、実大乗は実大乗とそれぞれに従って仏と衆生の関係を説くに、おのずから異なるところあり。小乗にては向上のみありて向下なきことは理論門に等し。向上は自己の悟りをもっぱらとするが故にこれを自利門とし、向下は広く世間衆生を済度せんとするを目的とするが故これを利他門とす。故に向上は智慧の力によりて仏性を開現するものにして、すでに仏性を開現して本来の真如を現さば、更にその大悲力によりてあまねく衆生を照らすことをもって本務とす。しかれば仏には必ず悲智の二門を具することもちろんにして、智慧門はいわゆる自利門にして、慈悲門はいわゆる利他門なり。

 そのうち小乗は智慧門の自利のみありて慈悲門の利他なし。かつすでに理論門において説きしごとく、応用門においても小乗はわずかに向上の半途に達して全分に及ばざるが故に、その仏果と称するものもただ声聞縁覚の二乗の果にして、涅槃というも灰身滅智の涅槃なれば、大乗の涅槃と等しく語るべきにあらず。しかるに大乗に入りては権実ともに向上向下を説くが故に、悲智二門を具備して自利利他を兼行するなり。これを法相にていわば転識得智と称して、有漏の識を転捨して無漏の智を開得することを説く。有漏とは煩悩をいう。すでに無漏智を開きて真如平等の理を照らせば、顧みて差別の衆生界を照らし、大悲を起こしてあまねく群生を化益するなり。真如を照らす方を根本智といい、衆生を照らす方を後得智という。これ向上向下の兼備せるところなり。さりながら、法相宗にては仏になるにつきてなお差別階級を立てて五姓各別と説き、あるいは到底成仏することあたわざるものもあるなり。これその宗の権大乗たるゆえんにして、向上の全途を有していまだ向下の全分を尽くさずというべし。ひとり実大乗は向上向下ともに円満にして、唯識の差別的階級を除き一切みな成仏の道理を示せり。されば理論門と応用門とは、その小大二乗および権実二教の区別は相応じて相同じく、みなよく相照合して深浅高下の次第を有するなり。

 これによりてこれをみるに、仏教の上にて出世間自利的なるはただ向上的のことにして、もしそれ向下的の大悲門によらば、衆生済度の主義をもって大根本となすなり。したがって差別の相は現然として平等の上に森立するが故に、君臣父子、兄弟朋友の秩序整然として乱れず、人倫忠孝の常道また決して廃すべからず。その応用門にありて忠孝人倫の大切なるを説くは、あたかも理論門の上に万法世間の非空なるを述ぶるの理に相応するなり。また、かの仏教を修行せんとするものは、初めにわれもし仏とならば一切衆生の苦を救わんとの大誓願を立つるを要す。世間の道徳はみなこの中にこもれり。また仏教に報恩と称することあり。そは仏となりしものの、かく苦を抜き楽を得たる以上は、これに向かいてその恩に報ゆる義務を有するをいう。禽獣かつ多少の恩を記す、いわんや無限の苦を去り無限の楽を得たる人においてをや。たれかその恩を思わざらん。しからば報恩の業務はいかにすべき。曰く、人を利し世を救い、国家社会の幸福を祈り、君主父母の心を安んずるに外ならざるなり。

 また仏教の応用上に聖道浄土の二門を開けり。一は智慧門に基づきたる自力門にして、一は慈悲門より出でたる他力門なり。それ仏は覚者にして、自覚覚他、自利利他を兼備するが故に、悲智の二門をその身に具足す。しかるに今その智慧門を開きたるものはすなわち自力の聖道門にして、慈悲門を開きたるものは浄土他力の教えなるが故に、聖道門は衆生より仏に向かう向上的をもととし、浄土門は仏より衆生に向かう向下的をもととす。向上的の聖道門にては仏果に至らんがためにはこの世界の規則いわゆる因果の規律を踏み、一善を植え一行を修めてこれに対する善果を得んとす。故に善因善行を積みきたれば、その結極、仏果の地に到達すると教ゆるなり。これをもって、聖道門にては世界の道徳が向上的の資料となる。しかるに浄土門にありては仏を一向に専念すれば、仏の妙力われに及ぼして知らず識らず善人となり、忠孝仁義の備われる人となることを得べしとす。かくのごとく聖浄二門その説くところ異なりといえども、社会国家の人倫道徳は必ずこれを守るべし。またこれを守るの仏道に欠くべからざるゆえんを教ゆるに至りては、二門のともに同じうするところなり。さればこそ、聖道門には戒律を設け人道を説き君臣父子の道を教え、浄土門には真宗のごときはもっぱら真俗二諦を説きて仏法王法、世間道、出世間道の偏廃すべからざることを教ゆるなり。

 仏教の組織ならびに各部分の関係の大略は今述ぶるがごとし。この理に基づきて仏門の忠信孝悌もしくは忠君愛国を論ずべし。しかして忠君愛国論は今ここにこれを略す。ただ終わりに臨んで一言すべきことは、仏教とヤソ教との別これなり。仏教にてはこの世界は真如開発の世界とし、「万法はすなわち真如、一法はまた真如。」(万法即真如、一法亦真如)にして、吾人の体を真如とするをもって此土すなわち極楽なり、この世界の外に極楽なく真如なし、吾人の体中に仏性を有するのみならず、我身即仏と教ゆるなり。しかるにヤソ教にては神の外に世界人類の存するを説き、吾人は神の僕婢奴隷にして、わが父も君も真の君父にあらず、神に対するときは神ひとり真の君父なり。故にたとえ君父に対する忠孝を説くとも、この忠孝はみな仮の忠孝となるべし。仏教にありてはひとり君父をもって一種の付属物と見ざるのみならず、万法即真如の道理によればみな平等一様に仏なり。ゆえに吾人が君父に尽くすも決して仮の道にあらずして真の道なり。また仏教には平等門差別門の二種の方面あることを記せざるべからず。向上の平等よりいうときは、仏教もヤソと同じく眼中国家なく君臣上下の別なく、等しく真如一味の平等海なれども、この平等の裏面においてただちに差別の付随するありて、君も父も自他彼我の別もみな並存し、非国家中に国家の存立の疑うべからざることを示すなり。これを要するに、仏教の本意は、差別は平等を離れず平等は差別を離れず、向下は向上を離れず向上は向下を離れず、二者の中道を立つるにあり。果たしてしからば、二者中いずれが軽重あらんや。平等向上の道の大切なるがごとく、差別向下の道もまた等しく貴重せざるべからず。これ仏教の厭世教にあらずして、世の人倫道徳を重んずる教えなるゆえんなり。