4.日宗哲学序論

P327

  日宗哲学序論 

 

 

1. 冊数

   1冊

2. サイズ(タテ×ヨコ)

   182×127mm

3. ページ

   総数:164

   題言: 2

   目次: 4

   資料: 25〔本宗開教他〕

   本文:133

(巻頭)

4. 刊行年月日

   底本:初版 明治28年3月12日

5. 句読点

   なし

6. その他

  (1) 章のはじめに列記されていた節の見出しを,節ごとに配置するなどの変更を行った。

  (2) 引用文は『昭和定本日蓮聖人遺文』と校合して修正した。

       題  言

 本書編述の目的は、日蓮宗の教理を哲学上より観察し、その中に潜伏せる真理を世間に開示するにあり。しかるに余、従来日蓮宗学を研修したることなく、ただ客歳旬余の間を得て、豆州伊東村に遊び、日蓮宗祖の遺書をひもとき、わずかにその一端をうかがいたるまでなれば、考証のその実を得ず、論評のその当を欠けるは、余自らこれを知る。他日再考の上よろしく訂正を加うべし。それ伊東の地たるや、宗祖三年間謫居の地にして、旧跡今なお存す。余のその地にありて山河を望見するに、その風光おのずから人をして六〇〇年の昔時を回想せしむ。余またいささか感ずるところあり。拙劣を顧みず、卒爾筆をとりて本書を編成す。帰京ののち日蓮宗管長小林僧正を始めとし、妙満寺派、本成寺派等の諸師の高教を仰ぎ、また大いに得るところあり。また日蓮宗祖の真影は、先年大檀林にて印行せる英文『日蓮宗大意』に出でたるものなるが、その方の許可を得て、さきに『東洋哲学』雑誌に掲げ、今またここに再掲して本書の序文に代う。本書の刻成を聞き、自ら一言を題すること、かくのごとし。

  明治二八年二月

                           著 者 誌  




   本宗開教

 本宗は日蓮大士の開立するところにして、『法華経』によりて宗義を建設す。故にこれを法華宗と称す。もしこれを天台法華に区別するときは、日蓮法華宗と名付くべし。今これを略して一般に日蓮宗と称す。これに一致、勝劣の二派あり。しかるに明治九年二月、一致派をもって単に日蓮宗と改称し、勝劣派を分かちて妙満寺派、興門派、八品派、本成寺派、本隆寺派と別称し、おのおの独立して宗制を設く。その外に不受不施派あり。これまた一派をなす。左にその各派の本山および開祖を挙示すべし。

       一 日蓮宗(元一致派)

 本山は甲斐国巨摩郡身延村にあり。名を身延山久遠寺と称す。文永一一年(西暦一二七四年)南部六郎実長、草庵を身延村の西谷に構え、宗祖をしてこれにおらしめたる旧跡なり。弘安四年始めてこれを久遠寺と称す。宗祖かつてその高弟日朗に告げて曰く、我死せば必ず屍を身延に送るべしと。よって上人の遺骨をここにうずむ。従来一致派と称せしも、明治九年改めて日蓮宗と単称す。本派の寺院三六八五カ寺あり。

       二 妙満寺派

 本山は京都市上京榎木町にあり。妙塔山妙満寺と称す。日什その祖なり。天授五年妙満寺を創立す。その宗義は『法華経』八巻二十八品のうち、前十四品を迹門とし、後十四品を本門とし、本勝迹劣従浅至深と唱え、更に本門中に勝劣浅深を分かち、寿量品を深勝とし、その他を浅劣とし、更にまた勝中の勝を選び、妙法蓮華経の五字をもって甚深微妙成仏下種の秘密蔵という。故にこれを勝劣派と称す。あるいはその祖名によりて日什門派と称せしが、明治九年妙満寺派と改称す。その寺院五八九カ寺あり。

       三 興門派

 本山は駿河国富士郡上条村字上野にあり。蓮華山大石寺と称す。宗祖高弟の一人なる日興その派祖なり。故にこれを日興門徒と称し、あるいは富士派と称す。勝劣派中の一派なり。明治九年興門派と改称す。その寺院二九八カ寺あり。

       四 八品派

 本山は摂津国河辺郡尼ケ崎寺町本興寺を始めとして、本能寺、妙蓮寺、光長寺、鷲山寺の五カ寺、輪番に管長となりて一派を統轄す。派祖は日隆なり。その宗義は『法華経』本門のうち八品を所詮として、五時八万の聖教を一句に約す。すなわち妙法蓮華経の五字、これなり。この一句の題目を修行するに、以信代慧と説きて、心に一分の慧解を用いず、ただ心に信じ口に唱えて仏道を信得するという。これまた勝劣派なりしも、明治九年一派独立して、八品派と公称す。その寺院三三三カ寺あり。

       五 本成寺派

 本山は越後国南蒲原郡本成寺村にあり。長久山本成寺と称す。派祖は日印なり。永仁五年本成寺を建立して根本道場となす。そののち本派第三祖日陣、京都に本禅寺を建立す。故にあるいはその派を陣門流と名付く。明治九年、二寺合同して本成寺派と改称す。その寺院一八〇カ寺あり。

       六 本隆寺派

 本山は京都市紋屋町にありて本隆寺と称し、日真を祖とす。明治九年一派独立す。その寺院一四カ寺あり。

       七 不受不施派

 本山は備後国津高郡金川村にありて妙覚寺と称す。日奥その派祖なり。文禄四年始めてこの主義を唱えて、豊太閤の千僧供養にあずからず、よって日奥、対馬に流さる。そののち数回これを唱えたるものありしも、元禄以後禁止せられしが、明治九年、日正の請によりその派を公称す。翌年妙覚寺の号を許され、各教会を総轄す。その他に寺院なくただ教会一四カ所あるのみ。

   本宗祖師

 一 本宗高祖日蓮は、姓藤原大織冠鎌足公の末裔にして、父は貫名次郎重忠といい、後堀河天皇貞応元年(西暦一二二二年)二月一六日、安房国長狭郡市河村小湊に生まる。齢一二歳にして、同郡清澄寺に登り法印道善に師事し、一六歳にして薙髪受戒す。そののち諸国を歴遊し、碩学大徳をたたきて出離解脱の要道を求むるも、その意を得ず。よって自ら蔵経を閲すること前後すべて五回、ついに釈尊の真意に悟達し、『法華経』に基づきて一宗を開立す。実に後深草天皇建長五年(西暦一二五三年)四月二八日なり。建長七年『註法華経』を著す、正元元年『守護国家論』を著す。文応元年『立正安国論』を著し、これを前執権北条時頼に呈せしが、時頼これをしりぞく。弘長元年豆州伊東に竄し、三年これを赦す。文永五年元使きたる。宗祖、書を裁して各所に寄す。同八年九月一二日宗祖、齢五〇。官議して曰く、日蓮はことを仏法に託して国家を惑乱す、辜大辟に当たると。即日、平頼綱に命じて宗祖を捕えしむ。すでに竜口に至り刑場に上がる。時宗、故ありてこれを赦す。同一五日佐州に謫せらる。謫所において『開目抄』『受職法門抄』『取要抄』『本門三秘』『仏法血脈』『観心本尊抄』『顕仏未来記』『当体義』等を著す。文永一一年官赦。牒を日朗に授く、よって鎌倉に帰る。ついに甲斐にのがれて身延山におる。この歳『立正観抄』を著す。建治元年『撰時鈔』を著す。二年『報恩鈔』成る。弘安元年『本尊問答鈔』を著す。四年『三大秘法抄』『本門戒体抄』を著す。五年宗祖六一歳秋、たまたま微疾を感ず。門人に告げて曰く、われ所思あり、武州池上に赴く。九月二五日『安国論』を講じ諸徒に告げて曰く、三七日〔さんしちにち〕中われまさに入滅せんとす。日朗を顧みて曰く、われ死せば必ず屍を身延に送るべしと。一〇月八日、上足六人を選び、諸徒に告げて曰く、汝らこの六子を見ることなおわれを見るがごとくせよと。これを六老僧と称す。すなわち斯門の六哲なり。一〇月一三日入寂す。時に御宇多天皇弘安五年(西暦一二八二年)なり。世寿六一歳、法臘四六歳なり。翌年二月あまねく同門に告げ遺文を結集す。輯するところ百四十余編あり、これを録内という。のちに至るもの二百五十余編あり、これを録外という。六老僧は左のごとし。

  釈日昭、字は成弁、姓は平氏、北総葛飾郡平賀の人、元亨三年寂す、寿は八八なり。

  釈日朗、大国阿闍梨と称す、姓は平氏、北総猿島郡能天の人、正応四年寂す、寿は七八なり。

  釈日興、字は白蓮、伯耆阿闍梨と称す、姓は橘氏、正慶元年寂す、寿は八八なり。

  釈日向、佐渡阿闍梨と称す、姓は藤原氏、南総填生郡茂原に生まる、正和三年寂す、寿は六二なり。

  釈日頂、伊予阿闍梨と称す、姓は橘氏、文保元年寂す、寿は六六なり。

  釈日持、蓮華阿闍梨と称す、駿河庵原郡松野の人、永仁四年舶に乗り靺鞨に至る、その終を知ることなし。

 二 妙満寺派祖、日什、字玄妙、真間能化と称す。奥州会津人。姓は石塚氏、正和三年に生まる。康暦二年一月宗祖著述の『開目抄』『如説修行抄』の二書を感得し、台家〔天台〕の宗義を捨てて宗祖に帰し、自ら日什と号す。元中二年、本迹勝劣を唱えて一致を破し、もって一派を開立す。時に師年七二歳なり。元中六年妙満寺を建立す。明徳三年二月二八日寂、寿七九、法臘六一。

 三 興門派祖、日興は六老僧の一人にして、前に述ぶるがごとし。寛元四年、甲州巨摩郡鰍沢に生まる。文応元年日興と名付く。宗祖『安国論』を著すに当たり草案多く師に命ぜらる。文永八年、宗祖佐州に謫せらる、師これに従う。文永一一年宗祖と共に鎌倉に帰る。房州平群郡保田村に草庵を構う。傍らに大石あり、よって大石寺と名付く。のち北山に遷居す。時に永仁六年、師春秋五三歳なり。爾来本勝迹劣破迹顕本を唱道す。これいわゆる富士派の開祖なり。正慶二年二月七日寂、寿八八。

 四 八品派祖、日隆、字深円、精進院と号す。越中の人なり。姓は桃井氏。至徳二年に生まる。一八歳上洛して妙本寺日霽に師事し、法華八品の教旨を実究す。応永二七年本興寺を建立し、永亨元年本能寺を建立す。寛正五年二月二五日寂、寿八〇歳。

 五 本成寺派祖、日印、幼名摩訶麻呂、摩訶一院と号す。姓朝倉氏。文永元年越後国三島郡寺泊に生まる。最初、同郡天台宗碩学智観の弟子となりしも、永仁二年相州鎌倉に遊び、日朗上人の門弟となり、名を日印と改む。故に本派の伝灯は、日朗を初祖とし、日印を開祖とす。同五年本国越後に帰り青蓮華寺を建つ、のちに本成寺と改む。嘉暦三年一二月二〇日寂、寿六五。

 六 本隆寺派祖、日真、京都の人。姓は藤原氏。字慧光、幼名真麿。文安元年に生まる。一二歳にして薙髪し、長亨二年始めて一派を開立す。亨禄元年三月二九日寂、寿八五。

 七 不受不施派祖、日奥、安国坊と号す。京都の人なり。永禄八年に生まる。文禄元年妙覚寺の主となり、同四年豊太閤の千僧供養に出席することをがえんぜず、ついに妙覚寺を去りて丹州に赴く。慶長五年対州に謫せらる。同一七年赦されて帰る。寛永七年三月一〇日寂、寿六六。

   本宗相承

 本宗の相承に二様あり。内相承、外相承これなり。外相承はインド、シナ、日本の三国にわたりて弘伝せる導師をいう。内相承はただちに本経に依憑し、正しく『法華経』法師品、神力品により多宝塔中本門内証真実の法脈を相承する導師をいう。左にその導師を表示すべし。

  相承 外相承 釈迦牟尼仏(インド)

         天台大師(シナ)

         伝教大師(日本)

         日蓮大菩薩(日本)

     内相承 釈迦牟尼仏

         上行菩薩

         日蓮大菩薩

 この二種中本宗は内相承をもって正意とす。

   本宗教典

 本宗所依の教典は左の三経なり。

  妙法蓮華経 八巻  姚秦鳩摩羅什訳

  無量義経  一巻  北斉曇摩伽陀那舎訳

  観普賢経  一巻  宋曇摩密多訳

 このうち『法華経』をもって正依の本経とし、他の二経をもって傍依とす。『無量義経』は法華の開経にて序分なり、『観普賢経』は法華の結経にて流通分なり。この二経を法華の開結二経と名付く。しかして『法華経』の解釈に至りては、天台の三大部、すなわち玄義、文句、止観を用うるなり。

 また釈書に至りては宗祖の録内遺書四〇巻を正依とし、天台、妙楽両大師の『法華玄義』『同文句』『摩訶止観』の三大部、本末六〇巻をもって傍依とす。また録外は真偽雑入、玉石混交の書なれば、みだりに用いずという。左に『法華経』二十八品の名目を列挙すべし。

  序   品  方 便 品  譬 喩 品  信 解 品  薬草喩品  授 記 品

  化城喩品  五百弟子品  人 記 品  法 師 品  宝 塔 品  提 婆 品

  勧 持 品  安楽行品  涌 出 品  寿 量 品  分 別 品  随 喜 品

  法師功徳品  不 軽 品  神 力 品  嘱 累 品  薬 王 品  妙 音 品

  観 音 品  陀羅尼品  厳 王 品  勧 発 品

 また録内遺書の編名を挙示すれば、左のごとし。

  立正安国論 開目抄 撰時抄 報恩抄 観心本尊抄 法華取要抄 本尊問答抄 守護国家論 法華題目抄 唱法華題目抄 顕謗法抄 一代大意 顕立正意抄 妙法比丘尼御消息 佐渡御勘気御文 乙御前御書 三世諸仏総勘文教相廃立 始聞仏乗義 法蓮抄 兄弟抄 十法界明因果抄 祈祷抄 四条金吾許御文(号八幡抄) 四信五品事(又号末代法華行者位並用心事) 法華行者値難事 追申(又号佐渡国人々御中抄) 寺泊御書(又号贖命重宝抄) 真言諸宗違目 日蓮弟子檀那等御中(又号佐渡御書) 転重軽受法門 有智弘正法事 諸経与法華難易事 忘持経事 四条金吾殿御消息(怨敵大陣既破等事) 主君耳入此法門免与同罪事 為法華経不可惜所領事 所領給由並文永八年九月十二日御供申事 身延山御書 単衣御書 中興入道消息 月水御書 三三蔵祈雨事 御祈祷抄奥 三沢抄 浄蓮房御返事 崇峻天皇御書 梵音声御書 日妙御書 千日尼御前御書 又 佐渡阿仏房御書 南条兵衛七郎殿御書 光日房御書 持法華問答抄 秋元御書 妙一尼御書 初心成仏抄 南条兵衛七郎殿御書 聖人御難事 阿弥堂法印祈雨事 当体義抄 慈覚大師事(又号太田殿御書) 如説修行抄 本尊供養御書 種種御振舞御書 災難対治抄 秀句十勝抄 太田禅門許御書 教機時国抄 一昨日御書 下山消息 八幡抄 顕仏未来記 後五百歳合文 宝軽法重事 十如是書 妙法曼陀羅供養事 聖人知三世事 四条金吾釈迦仏供養事 同妻女釈迦像供養事 道場神守行者事 治病大小権実違目 頼基陳状 ○良実状御返事 宿屋入道許御状 立正安国論奥書 強仁状御返事 善無畏抄 太田殿許御書 大小戒事(本門戒体抄) 十章抄 御書(問註時可存知事) 木絵二像開眼事(又云法華骨目肝心抄) 阿仏房御消息 常忍抄(又云稟権出界抄) 不可親近謗法者事 大学三郎殿御書 時光御返事 妙法尼御前御書 上野殿御返事 又 又 又 南条殿御返事 薬王品得意抄 御書(清澄寺大衆御中) 波木井殿御書 太田殿女房御返事 ○御書 爾前得道有無事 当世念仏者無間地獄事 十法界事 松野後家尼御前御書 王舎城事 法華真言勝劣 真言天台勝劣 一谷入道御書 南条殿御返事 上野殿御返事 又 高橋入道御返事 一念三千事 新池御消息 念仏者追放宣旨状 真言見聞 曾谷殿御返事 真間御仏供養逐状 行敏訴状之会通 立正観抄 同送状 祈祷経送状(又号撰法華経送状) 太田殿女房御返事 乗明聖人御書 太田殿女房御返事 爾前二乗菩薩不作仏事 四条金吾女房御返事 戒体即身成仏義 兵衛志御返事 観心本尊得意抄 四条金吾殿御書 異体同心事 四条金吾殿御書 四恩抄(又号伊豆御勘気抄) 新池左衛門尉許御返事 聖密房御書 地引御書

 また録外遺書の編名は左のごとし。

  聖愚問答抄(上下) 必仮心固神守則強御書 四条金吾御返事 蒙古使御書 西山殿御返事 星名五郎太郎殿御返事 弥三郎殿御返事 大井庄司入道御書 日厳尼御前御返事 高橋殿御返事 日住禅門御返事 紺入道御返事 阿仏房御書 上野殿尼御前御返事 妙一尼御前御消息 窪尼御前御返事 ◎南条七郎五郎殿御書 四条金吾女房御書 椎池四郎殿御書 四条金吾殿御消息 ○祈祷経言上 ○撰法華経付嘱御書 安国論御勘由来 ○観心本尊得意抄 観心本尊抄送状 報恩抄送文 当体義抄送状 八大地獄御書 六凡四聖御書 ◎烏龍遺龍御書 ○問答抄 ◎大師講御書 同一鹹味御書 同生同名御書 実相寺御書 光日上人御返事 ○新池御書 刑部左衛門尉女房御返事 治部殿御返事 妙密上人御消息 戒法門御書 阿育王御書 上野殿御返事 ◎種類相待法門 王日殿御書 窪尼御前御返事 又 又 又 ◎持妙尼御前御返事 弁殿御消息 又 弁殿尼御前御書 さしきの女房御返事 蹲鵄御消息 妙字御消息 小蒙古御書 孝子御書 諸人御返事 四条金吾殿御返事 又 春初御消息 十字御消息 上野殿御返事 種種物御消息 大白牛車御消息 八宗違目抄 小乗大乗分別一 一生成仏抄 真言宗行調伏秘法還著於本人御書 日本真言宗御書 日朗御譲状 七重勝劣御書 瑞相御書 神国王御書 富木入道殿御返事 大黒送状 大黒潅頂口訣 上野殿御返事 又 又 又 又 又 又 又 又 上野殿母御前御返事 又 又 又 又 松野殿御消息 又 松野殿御返事 松野殿御消息 又 又 松野殿女房御返事 妙心尼御前御返事 又 又 法華証明抄 本門取要抄 南条殿御返事 又 九郎太郎殿御返事 又 弥源太入道殿御消息 弥源太入道殿御返事 太夫志殿御書 又 兵衛志殿御返事 又 兵衛志殿御書 ◎南部六郎三郎殿御返事 ◎南部六郎殿御返事 内房女房御返事 兵衛志殿女房御書 ◎上野尼御前御書 六郎次郎殿御返事 子財御書 経王御前御書 念仏無間地獄抄 法華浄土問答抄 諸宗問答抄 土篭御書 ◎開眼御書 八日講御書 ○法華和讃 ○万法一如書 ○蓮華房御書 曾谷入道殿御消息 又 又 又 太田入道殿御返事 太田左衛門尉殿御返事 新尼御前御返事 ◎持妙尼御書 松野殿御消息 最蓮房御返事 両人御中御書 三八教 ○本寺参詣抄 浄蔵浄眼御書 松野殿女房御返事 ◎西山抄 ◎波木井三郎殿御返事 道妙禅門御書 ◎三身抄 草木成仏口決 劔形抄 船守弥三郎許御書 生死一大事血脈抄 ◎嘉祥寺御書 主師親御書 善無畏三蔵抄 八風抄 十二因縁御書 色心二法御書 依法華経可延定業抄 桟敷女房御返事 八木御書 上野殿御返事 二病御書 兵衛志御返事 品品供養抄 寿量品得意抄 ◎南条七郎殿御返事 ○神祇門 垂迹法門御書 ○一代五時鶏図 三大秘法抄 四菩薩造立抄 ○彼岸抄 盂蘭盆御書 ○無作三身口伝抄 ○法華経大意 今此三界合文 阿責謗法滅罪抄 六難九易抄 ○読誦法華用心抄 ◎法華経肝心抄 ◎四十九院申状 一期弘法 禅宗天台勝劣抄 法華一経二十重大事合文 ○臨終一心三観 得受職人功徳法門抄 惣在一念抄 一念三千法門 ◎上行所伝抄 上行菩薩結要付嘱口伝 法華宗内証仏法血脈 授職潅頂口伝抄 妙一女御返事 佐渡御勘気抄 行敏御房御返事 ◎乗明聖人御返事 十八円満法門抄 十王讃嘆抄 諸願成就抄 妙法尼御前御書 教行証御書 衣座室御書 阿仏房御書 ◎問註御書 ○真言私見聞 一代五時継図 大黒天神相伝肝文 大黒天神御書 ○法華大綱抄 経王殿御返事 日朗上人土篭御書 土木殿御返事 富木殿御書 又 四条金吾殿御書 南条平七郎御返事 兵衛志殿女房御返事 法華経二十重勝諸教義 四条金吾殿御返事 弥源太殿御返事 ○三種教相 ○当体蓮華抄 日女御前御返事 最蓮房御返事 ◎四条左衛門殿御返事 ◎波木井三郎殿御返事 ◎同地獄御書 出家功徳御書 上野殿御書 富木入道殿御返事 ○成仏法華肝心口伝身造 阿仏房御前御返事 左衛門殿御返事 ○釈迦一代五時継図 波木井三郎殿御返事 ○上野五郎左衛門尉殿御書 義浄房御書 御輿振御書 大白牛車御書 右衛門大夫殿御書 ◎竜樹天親抄 妙一尼御前御返事 富木殿女房尼御前御書 女人成仏御書 ◎阿羅尼品御書 善神擁護抄 成仏用心抄 ◎干飯御書 蓮盛抄 秋元殿御返事 十字御書 大豆御書 華菓成就御書 上野殿御返事 波木井殿御書 回向功徳抄 月満御前御書 西山御書 諸法実相抄 寂日坊御書 四条殿御書 此経難持十三箇秘訣 法会御書 富殿尼御前御書 富木殿御返事 又 又 又 三種教相 単衣抄 四条金吾殿御返事 早勝問答 御義口伝 註法華経

 以上、録内四〇巻、録外二五巻、合六五巻、外に録外中に増加せる分ありて、およそ四〇〇編あり(近刊の高祖遺書目次による)。

   本宗統計

寺院 五〇六六カ寺(明治二四年調査)

  仏教各宗寺院総計七一八五九カ寺に比すれば、本宗はその一〇〇分の七に当たる。

住職 三六三五人(同右)

  仏教各宗住職五二五一一人に比すれば、本宗はその一〇〇分の六・九に当たる。

管長 六管長

教師 五一八六人

 各府県本宗寺院一覧表、左のごとし。

  東 京  三八三  神奈川  二六四  埼 玉   七〇  千 葉  九七五  茨 城   三〇

  栃 木   二九  群 馬   二〇  長 野   三九  山 梨  四五九  静 岡  四一五

  愛 知  一三一  三 重   二七  岐 阜   四四  滋 賀   三七  福 井  一四九

  石 川   九六  富 山   五五  新 潟  一六七  福 島   三二  宮 城   二五

  山 形   三三  秋 田   三五  岩 手    九  青 森   三〇  京 都  三四〇

  大 阪  一九一  奈 良   二二  和歌山   三三  兵 庫  一五四  岡 山  一八九

  広 島   八五  山 口   二四  島 根   七〇  鳥 取   三二  徳 島   一七

  香 川   三二  愛 媛   三〇  高 知   二二  長 崎   二六  佐 賀   六六

  福 岡   五一  熊 本   五九  大 分   二八  宮 崎   一一  鹿児島    一

  北海道   二九  総 計 五〇六六




 

     第一段 緒 論

       第一節 開 端

 哲眼をもって宇宙を照見しきたれば、万有一として哲学ならざるはなし。日月も哲学なり、山川も哲学なり、草木も禽獣も人類も、すべてこれ哲学界中の現象にあらざるはなし。人みないう、仏教は宗教なりと。余曰く、仏教は哲学なりと。人またいう、日蓮宗は法華宗なりと。余曰く、哲学宗なりと。これ余が世人とその見を異にするところなり。さきに真宗哲学を講じ、つぎに禅宗哲学を著ししが、当時世間より我田へ水を引くの評を招きしといえども、自らその哲学たるを知る以上は、あにこれを哲学にあらずというを得んや。故に今また日蓮宗哲学を述べんとす。ここにこれを略して日宗哲学という。それ仏教は法門多端にして、宗派また数岐に分かる。現今わが国に伝わるもの十二宗、三十余派あり。そのうち天台、真言、法相、華厳の諸宗はみなシナより入りきたり。禅、浄土といえどもその源をシナに発せり。ひとり真宗、日蓮宗に至りては日本開立の新宗なり。その宗なお三国の相承伝灯を説くといえども、これをわが国に適用するに至りては、哲学上千歳未発の真理を開顕し、実際上日本特有の宗教を組織せり。これにおいてシナ特色の厭世的仏教は一変して、世間的もしくは国家的宗教となれり。なかんずく日蓮宗は西洋のいわゆる楽天教なり。故に真宗および日蓮宗はこれを天台、真言の旧宗に比すれば、仏教中の「プロテスタント」もしくは改革宗というべし。現今この二宗のよく多数の信徒を結合し、強大の勢力を占有するは、そのよく国風民情に適合するところあるによるは明らかなり。しかるにその宗多くは下等愚民の間に行わるるをもって、世人ややもすればこれを目して、浅近講ずるに足らざるものとなす。これ余が大いに真宗および日蓮宗のために遺憾とするところなり。あにその哲理の一端を開きて、これを世人に示さざるを得んや。しかしてさきにすでに真宗哲学の著あれば、ここに日宗哲学に及ばんとす。けだし日蓮宗の哲理は実に高うしてかつ深く、仏教中の玄のまた玄、妙のまた妙なるものなり。故にこれを呼びて妙宗となす。しかしてよくその妙理を転用して、一般の愚俗をして解しやすく信じやすからしめたるは、これまた妙外の妙というべし。

       第二節 本宗の哲理

 それ本宗すなわち日蓮宗は、天台宗と哲理のよりて起こる根源を同じうするも、その方向および応用を異にし、表裏全く相反する勢いをなせり。哲学上よりこれをみれば、両宗共に一元論なり理想論なりといえども、天台宗は主観上よりこれを論じ、本宗は客観上よりこれを論ずるの別あり。また天台宗はその理を世間に応合するを得ず、本宗はよくこれを社会に適用するの別あり。故に余は天台宗をもって主観的、理論的、厭世的宗教となし、本宗をもって客観的、実際的、世間的宗教となす。これわが国新旧両教のおのずからその性質を異にするゆえんなり。また真宗と本宗とは共にわが国の新教にして、客観的、実際的、世間的宗教たるに至りては同一なりといえども、真宗は客観的差別論にして本宗は客観的平等論なり、真宗は実際的他力教にして本宗は実際的自力教なり、真宗は世間的二元論にして本宗は世間的一元論なるに至りては、また氷炭の相違あり。その理由はのちに論ずるところによりて知るべし。けだしかくのごとく、一大仏教の前後相分かれて、表裏その方向を異にするに至れるは、伝来の際、社会の形勢の古今同じからざるによる。そのいわゆる新教の競起したるは、わが歴史上源平の乱後にして、実に天下の形勢一変したる時なり。これ政治上一大革命の時代にして、また宗教上一大改新の時代なり。政治と宗教との関係の密接なることかくのごとし。これによりてこれをみるに、今後の宗教も社会の形勢を熟察して、その方針を定めざるべからず。これを活眼卓見という。本宗高祖のごときは、実に宗教界希有の大活眼家というべし。今後またかくのごとき活眼家の出づるにあらずんば、いずくんぞよく仏教を百世に伝えんや。これ我人の刮目して待つところなり。

       第三節 本宗の理論門

 本宗はその教理を分析するに、理論的と応用的との二門に大別せざるべからず。理論的にありて、その論ずるところはまさしく法華天台の理想論にして、一種の純正哲学なり。応用的にありて、その説くところは個人の上においてすると、社会の上においてするとの二段に分かる。しかして個人的応用にありてはその論、宗教および道徳に関し、社会的応用にありては政治に関するなり。故に余は日宗哲学を分類して、左のごとく表示せんとす。

  日宗哲学 理論的(純正哲学)

       応用的 個人的(宗教および道徳)

           社会的(政治)

 またその理論的部門は継述的と創設的との二段に分かたざるを得ず。継述的とは、天台宗の原理をそのまま相承してこれを説き、別に新見を立てざるをいう。すなわち天台の五時八教のごとき、これなり。もし本宗にしてその理論、天台とすこしも異なるところなきにおいては、あに別に一宗を開立するを得んや。故に天台を継述する外に、更に創設するところあり。しかしてその要は『法華経』のいわゆる本迹二門を解説するに、表裏その見を異にすること、これなり。また本宗中の諸派その流義を異にするも、またこの点に外ならず。まず五時とは釈尊一代五〇年間の説法を五大期に分かちたるものにして、第一時華厳、第二時阿含、第三時方等、第四時般若、第五時法華および涅槃、これなり。しかして本宗所依の『法華経』をもって、諸経中最上に位する真実円満の経なりとなす。つぎに八教とは化儀の四教と化法の四教とをあわせ称し、化儀の四教とは頓教、漸教、秘密教、不定教の四種をいい、化法の四教とは蔵教、通教、別教、円教の四種をいう。その意『法華経』の説をもって最上第一の教と判定するにあり。ただ五時の判教は説法の時期に基づき、八教の分類は教義の性質に基づくの異同あるのみ。しかしてその説明のごときは、全く仏教内部の研究に属し、今これを哲学として評論するに必要なければ、ここにこれを略す。けだし仏教は従来各宗各派の間に真偽を争い、異教異端に対して正邪を論ずることすくなかりしをもって、各宗の今日まで大いに心思を労したる点は、全く仏教内部の考証いかんにあり。余はこれを対内策と名付く。故に五時八教の判釈のごときは、すこしも異教他学に対して、法華日蓮の教理の最勝あるゆえんを証するに足らず。たとえばヤソ教家に対して『法華経』は五時の説法の最後に属すというも、だれかこれによりてその法を信ずるものあらんや。理学者、哲学者に対して天台、日蓮の教理は蔵通別円の最上に位すと説くも、だれかこれによりてその法の高妙を許すものあらんや。もし異教他学の人に対して、その真理を証明せんと欲せば、必ず哲学の法廷に向かいて裁断を仰がざるべからず。今日まさしく哲学上是非の裁断を、仏教の上に下さざるを得ざる時運に会せり。仏教各宗の講究も、これよりその方針を一変して、仏教外に対する策をとらざるべからず。これをたとうるに、あたかもわが国今後の形勢はまた内訌に備うるを要せずして、ひとり外寇に備うるを要するがごとし。換言すれば、宗教上のいわゆる対内策を講ぜずして対外策を講ずるを要す。これ余がここに日宗哲学を述ぶるゆえんなり。また本宗一家の創設的理論において、よくその理を『法華経』八巻の上に考証し、あるいは本迹一致なりと論定し、あるいは本勝迹劣なりと審判するも、門外のものに対してはほとんど無用の言なり。故にその証明のごときも、今後哲学的講究を要するを知るべし。わが国維新以来、国家の形勢すでに一変せり、今また更に一変して政治、宗教両界の面目おのずから一新せんとす。故に今より一大活眼を開きて、仏教研究の方法を改変せざるべからず。果たしてしからば、余が日宗哲学の著あるも、また偶然ならざるを知るべし。

       第四節 本宗の応用門

 つぎに応用的部門にありては、本宗一家の卓見の存するところにして、実に先人未発の新機軸を出したるものというべし。しかして個人的にありては唱題成仏の易行を説き、もってよく愚俗凡庸のものをしてたやすく成仏得道せしむるの捷径を開きたるは、感嘆おくあたわずといえども、もしこれを仏教外より傍観すれば、不道理的妄説たるの評を免れず。もしこれをして道理的真説たるを知らしめんと欲せば、必ず哲学上の証明を待たざるべからず。それ哲学は、一教に偏せず一学に局せず、万学の上に立ちて万教の外に住し、しかも諸論の流出する源泉にして諸説の会帰する大海なり。これを道理の学と名付くるも可なり、これを思想の学と称するもまた可なり。これを要するに、哲学は真理の学なり。果たしてしからば、なにをもって仏教を哲学に属するや。仏教もし釈尊所説の法を、更に宇宙万有の規則に照らして証明することなく、単に天啓信仰のみによるときは、これ宗教なるのみ。しかるにその説を種々の道理に考えて講究するにおいては、これいわゆる仏教中の哲学なり。本宗といえども、道理上の講究はもとよりこれを哲学の一種に属せざるべからず。しかれども仏教の経論中の字々句々を解釈しおよびこれに考証して、仏語に一言の虚妄なしと断定するがごときは、決して哲学にあらざるなり。余は今その中よりもっぱら哲学に関する部分を選んでこれを究明せんとす。しかるに仏教は古代の哲学にして、今日の哲学にあらず。故に古代は哲学思想に基づきてその道理を証明したるも、伝来の際、自然に考証一方の教説となり今日に至るも、いまだ広く諸学諸論に考えてその理を証示することなし。しかるに余はこれを今日の学理に照らして論明せんとす。ここに日宗哲学を講ずるも、また全くこの意なり。故にその要、本宗一家の教説の胎内に包有せる真理の光を外面に発揚するに外ならず。まずここにその序論を述べんとす。その順次左のごとし。

  純正哲学門第一

  同右   第二

  応用哲学門第一

  同右   第二

  同右   第三

  結  論

 そのうち純正哲学門第一においては仏教全体の哲理を論じ、第二においては本宗一家の哲理を論じ、応用哲学門第一においては一個人に関する本宗所立の宗教の原理を論じ、第二は宗教の実際を論じ、第三は社会国家に関する応用を論ぜんとす。

 

     第二段 純正哲学門 第一

       第五節 三大界の存立

 宇宙間の万象を分類概括すれば、物心二大元ありて存するをみるべし。有形の諸象に日月山川等の別あるも、みなこれを物界中に包括するを得べく、無形の諸想に情意、覚智の別あるも、みなこれを心界中に摂尽するを得べし。これを仏教にて色心二法という。色法はすなわち物界なり、物界はわが心によりて覚知せらるる所観の境にして、心界はこれを覚知する能観の体なり。故にこれを客観、主観と名付くるも可なり。すでに物心両界は能観所観の関係ある以上は、我人の心界あるを知るは物質あるにより、物界あるを知るは心性あるによる。物なくんば心その作用を現ずるあたわず、心なくんば物その成立を示すあたわず、二者相対して始めて物あり心あり。故にこれを相対性と名付く。また物は心を制限して二者の並存するをみる。故にこれを有限性となす。けだし物は一般に延長を有す、仏教これを質礙〔ぜつげ〕を性とすという。心は延長を有せず、いわゆる無質礙なり。質礙性の物質には千種万類あり、無質礙性の心性にもまた千差万別あり。故に物心両界はこれを差別界となす。その差別の現象は我人の感覚し知了し得るものなれば、これを現象界とも可知的界ともいうべし。しかしてその界内の万象は無涯の空間に横たわり、無限の時間に連なり、変々化々してやむことなし。故にこれを変遷生滅の世界となす。すなわち仏教のいわゆる有為法、これなり。有為とは転変を義とす。この有為界に対して無為界あるを証し、差別界に対して平等界あるを論じ、現象界に対して無象界あるを説き、可知的界に対して不可知的界あるを唱え、有限界に対して無限界あるを定め、相対界に対して絶対界あるを示したるは、実に仏教哲学の神髄にして、また純正哲学の骨目なり。もし物心両界を究めてその相離るべからざるゆえんを知らば、二者その体の一なることを知るべし。かつ物心各体のよって分かれよってきたる根源を尋ぬるも、またその体のよって立ちよって存する基礎を考うるも、共に平等無差別の本体あるを知るべし。また変化の中に不変化の性あり、生滅の間に不生滅の理あるを知らば、常住恒存の世界あるを知るべし。古来この問題を説明するに、唯物、唯心の両論あるも、唯心論は心そのものを究明することあたわず、唯物論は物その体を解説することあたわず。これにおいて物心両論を総合して非物非心論を唱うるに至る。その論なお二様に分かる。甲は実体一元論、乙は理想一元論なり。二者共に一元論なるも、万有実在の点より進みて非物非心を論ずるもの、これを実体一元論といい、精神思想の上より推して非物非心を論ずるもの、これを理想一元論という。しかして中正完全の一元論は、更にこの二論を統合したるものならざるべからず。しかれども物本末あり、事終始あり、我人の思想動かずんばすなわちやまん。いやしくも動かば必ず表裏左右の差別、本末終始の次第ありて起こり、物心の本体を論定するに実在性、理想性の二者中その一をとらざるを得ざるに至る。もしこれを避けんと欲せば、その理たるや言亡慮絶にして黙してやむより外なし。これにおいて不可知的論、不可思議論もしくは秘密論起こる。今、仏教は本来不可思議論なり。もしこれを思議すれば理想一元論なり。しかしてその理想は実体論より進みてこれに達したるものなり。すなわち仏教中の初門なる小乗は実体論、権大乗は唯心論にして、最後の実大乗は理想論なるをみて知るべし。これを要するに、宇宙に物心両界あり、これ共に有限相対の世界なり、これに無限絶対の世界を加うれば三大界となる。すなわち仏教の有為の色心二法と無為法との三界なり。左にこれを表示すべし。

  世界 相対界(すなわち有為法) 物界(色法)

                  心界(心法)

     絶対界(すなわち無為法)

 この無為の世界は畢竟するに真如世界なり。よろしくこれを理界と名付くべし。これに対して有為の世界は万法の世界にして、これを事界と名付く。これによりてこれをみるに、物心理三大界の存することは、西洋哲学すでにこれを唱え、仏教またこれを説き、東西互いにそのみるところを同じうすというべし。

       第六節 三大界の中心

 すでに三大界あり。必ずその各界の中心点なかるべからず。またその各界の連接点なかるべからず。もし普通の見解によれば、絶対界の中心はこれを神とし、心界の中心はこれを良心とすべし。しかして物界の中心は、余なにをもってこれに充つべきを知らずといえども、わが太陽系内にありてはよろしく太陽をもってこれに充つべし。それ我人のよく万有万象を目撃し、山川の勝、草木の美を現見するは、全く太陽の光線あるによる。あたかもわが心内を照らして是非善悪を知るものは、良心の光によるに異ならず。太陽の光なくんば物界は暗黒なり、良心の光なくんば心界また暗黒なり。これと同時に、神体の光なくんば絶対界も相対界もことごとく暗黒世界となるべし。これにおいて物界の美は太陽の光によりて現れ、心界の善は良心の光によりて発し、絶対界の真は神体の光によりて生ずるを知るべし。故に余はこの三者を宇宙の三大光と名付く。もしまたその各界の連接点を考うるに、物心両界を連接するものは人間にして、なかんずく我人の身体なり。この身体の外部には物質を構え、内部には心界を開き、我人の一言一行、一挙一動みな物心二者の結合作用にあらざるはなし。しかしてまた我人の良心は絶対界と相通じ、その心面に神体の光を啓発し、もってよく無限を直覚し、不可知を感知するを得るなり。果たしてしからば、絶対界と相対界とを連接するものは我人の心界にして、神界と物界とを結合するものもまた我人の心界なるを知るべし。故に左の甲図一変して乙図となるをみるなり。

 これによりてこれをみるに、心界と絶対界との関係は直接にして、絶対界と物界との関係は間接なるの別あり。しかりしこうして物質に純なるものと不純なるものあり、精神に良なるものと不良なるものあり。もしその純かつ良なるものよりこれをみれば、物界も心界も共に直接に絶対界に関係し、もしその不純かつ不良なるものよりこれをみれば、物界も心界も共に間接に絶対界に関係するなり。今、土石のごときは物質中の極めて不純なるものなれども、光力、熱力、電力のごときに至りては、そのやや純なるものなり。もしその最も純なるものに至りては、ほとんど心界と相分かつべからず。けだし二者その本源に至りては一なるべし。古来これを世界的精霊と名付く。その精霊は心界の上に発して精神の善となり、物界の上に発して万象の美となる。この善この美、共に神界の真際より開顕したるものなり。これをもって物界の純なるものは、直接に神界に関係するを知るべし。これを要するに、宇宙に三界、三霊、三光、三性あり。これを表示すること左のごとし。

  三界 物界……心界……絶対界(理界)

  三霊 太陽……良心……神体

  三光 日光……心光……神光

  三性 美 ……善 ……真

 もしその真善美三性を完備兼有するものを妙と名付く。仏教はその妙を開示したるものにして、『法華経』のいわゆる妙法、これなり。

       第七節 仏教の三大界

 物心理三界の存立することは東西哲学の共に許すところなりと断言して可なるも、もしその相関を論ずるにおいては大いに異説あり。まず前節のいわゆる三霊、三光なるものを仏教中に尋ぬるに、太陽をもって物界の霊長となすの説あるをみずといえども、物質に純、不純の二種あることは経論中に散見するところなり。今その一例を挙ぐれば、欲界、色界、無色界の解釈に、色界は形質清浄、身相殊勝なりといい、あるいは浄妙の色を有すといい、無色界は「形色あることなく、ただ心あるのみ。」といいて、物質に粗雑なるものと精純なるものとの別あるを示し、もしその純中の純、精中の精なるものに至りては精神となるゆえんを示せり。これによりてこれをみれば、物質と精神とは本来その別あるにあらずして、ただ純、不純の度を異にするのみ。また心界に至りては一心中に有漏性、無漏性を分かち、あるいは染汚、不染汚を分かつことあり。染汚および有漏は煩悩の異名にして識心の不良なる部分をいい、無漏、不染汚は精神の純良なる本性をいう。この不良を払い去りて純良を開きあらわすは、実に仏仏の目的とするところなり。これを法相宗にては転識得智という。転識得智とは有漏不純の識を去りて無漏純良の智を得るなり。あるいは天台にては転情成智と説くも、その義一なり。仏教の目的は転迷開悟にありというも、その意またこの外に出でず。つぎに絶対界のいわゆる神体は、仏教のいわゆる真如なり法性なり。『唯識論』にては無為に六種を分かつも、その体、真如に外ならず。故に絶対界の神光はすなわち真如の光なり。その理を指して涅槃といい、その智を呼びて菩提という。この涅槃、菩提の一部分は我人の心中に融通して存するなり。これをもって『涅槃経』には「一切の衆生はことごとく仏性あり。」と説き、『金牌論』には「一切の衆生はみな果人性あり。」と説けり。すなわちそのいわゆる仏性は真如とその体を同じうして、我人の良心なり。換言すればわが精神の最も純良なるものなり。これによりてこれをみるに、物界と心界とは本来その別あるにあらずして、ただ純雑その度を異にするゆえんを知るべし。しかりしこうして仏教はこれを帰するに主観論なり唯心論なり。故に心界は真如界とその体を同じうし、物界は心界の現象なりとせざるべからず。その理は唯心論を一言するにあらざれば知るべからず。今まずここに純、不純、開発の次第を表示すべし。

 この順序によれば、そのいわゆる純は普通の見解によるに、我人の精神に限りてこれを有すべきも、深くこれを考うるに、ひとり心界中に存するのみならず、物界の内部にも存するなり。これにおいて甲図一変して乙図となる。故にこれをさきのいわゆる世界的精霊となすも不可なることなし。これをもって、仏教にては「一切の衆生はことごとく仏性あり。」と説くのみならず、『四念処』には「一色一香、中道にあらざるはなし。」(一色一香無非中道)と説き、『止観』にも「一色一香、みなこれ中道なり。」(一色一香皆是中道)と説き、『金牌論』には「一草一木一礫一塵、おのおの一仏性なり、云々。」(一草一木一礫一塵各一仏性云々)の語あり。また『円覚経』には「衆生国土、同一法性なり。」(衆生国土同一法性)とありて、物界も心界も、一としてその体、真如ならざるはなし。ただただ物界はこれを包蔵して内に含み、心界はこれを発顕して外に示すの別あるのみ。あるいは禽獣はその少量を発顕し、人類はその多量を発顕するの別あるのみ。果たしてしからば宇宙を分かちて理、物,心の三界となすより、むしろ真如界、純界、不純界となすを適当なりとす。これ乙図を変じて丙図となすゆえんなり。しかりしこうして物心両界は真如を離れて別に存するものにあらざれば、丙図更に一変して丁図とならざるべからず。これを要するに仏教にて物心理三界の関係を論ずるは、一体の真如開発して物心両界を分化するがごとく解するものと、物心の体そのまま真如なるがごとくみるものと二様あり。この理を明らかにするには、まず唯心論および理想論を述べざるべからず。

       第八節 仏教の唯心論

 仏教は唯心論なり。その非物非心を論ずるがごときも唯心的理想論なり。これを証明する法は仏教中おのずから先天的、後天的の二様に分かる。まず後天的証明法によるに、外界万有の現象は我人の感覚思想の程度状態に従って異同あり。これを人類の上に考うるに、甲の見て感ずるところと、乙の見て感ずるところと、決して同一なるあたわず、いわんや人類と全くその種を異にする禽獣においてをや。獣類の感覚上に見るところの世界と、鳥類の感覚上に見るところの世界とは、必ず大いに異ならざるべからず。また魚類の見て外界と認むるものと、虫類の見て外界と認むるものと、その間またおのずから大差あるべし。これをもって、甲には甲の世界あり、乙には乙の世界あり。かくして外界は色、声、香、味、触の五種よりなるも、その五種みなわが主観の状態によりて変化する以上は、外界は心界の写影に外ならざるを知るべし。これをもって法相宗にては「森羅万象はただ識の変ずるところなり。」(森羅万象唯識所変)となす。また外界の状態は我人の境遇によりて異なるものなり。たとえば順境にありてこれをみれば楽界となりて現じ、逆境にありてこれをみれば苦界となりて現ず。迷者の見て苦界と認むるもの、識者はこれを見て楽界と認むべし。これをもって『法華経』にては凡夫の所見に対して、「三界は安きことなし、なお火宅のごとし。」と説き、仏の所見に対して「寂然たる閑居、安処たる林野」と説けり。この理を推して、仏教中に三界は仏国なり、娑婆は寂光土なりと唱うるゆえんを了解すべし。これ我人の経験上考定し得る事実なれば、余はこれを後天的証明法という。これに対して先天的証明法は、因果の理法によりて万有の起滅するゆえんを説明するものなり。まず物界の諸象の変々化々するゆえんを考え、その変化の不断相続するゆえんを究むるときは、因果の作用の前後相続してやまざるを知るべし。この理に基づきて仏教は識心の相続するゆえんを示す。すなわち『成唯識論』に「もろもろの有情の心、心所法は、因縁力の故に、相続して断ずることなし。」とあり、『原人論』に「形体の色、思慮の心は、無始よりこのかた因縁力なるが故に、念念に生滅して、相続は無窮なり。」とあり。しかるに唯物論者のいわゆる因果は物質的因果にして、物質そのものに固有せる規則なり。かくのごとき規則は物質ありてのち始めて生ずるものにして、物質の前にも物質の外にもひとり存するあたわず。しかるに仏教の因果は物質以上の因果にして、物質そのものも因果の作用によりてその形象を現じ、またその変化を呈するなり。そもそも物質は有形なり因果は無形なり、物質は所動なり因果は能動なり、物質は形体なり因果は作用なり、物質は結果なり因果は原因なり、物質は死物なり因果は活物なりとするは、実に仏教の定見にして、これを西洋の哲学に考うるも、またあえて道理なきにあらず、ただその一致し難きは唯物論者の因果とその見を異にするにあり。しかれども、物質そのものの始めて動き、始めて現ずる原因を窮むるに至りては、因果作用の最初より存することを仮定せざるべからず。けだし物質あれば必ず勢力あり、勢力あれば必ず物質あるは、唯物論、唯心論を問わず一般に許すところなり。しかるに唯物論者は勢力をもって物質に付属せるものとし、物質ありてのち勢力あるもののごとく考うるなり。しかるに物質そのものは勢力によりてその形を現ずるのみならず、物質を分解してその極に達すれば、勢力そのものの物質にさきだちて存することを想定せざるを得ざるに至る。かくのごとく考定しきたらば、物質は勢力の付属物たるを知るべし。今、因果の作用はこの勢力の活動に外ならずして、因果の理法はまたこの勢力の規則に外ならず。すでに因果と勢力との同一の関係を有するゆえんを知れば、物質的因果もたちまち活物的となり、物心両界に貫通して存することを知るに至るべし。故にその因果は畢竟するに真如の規則にして、真如動かずんばすなわちやまん。いやしくも動かば必ず因果の理法を生ずるをみる。換言すれば因果は真如の活動作用に与えたる名称にして、世界の開合も万有の生滅も、みなこの規則に基づかざるはなきを知るべし。かくしてすでに因果は非物質性なることを知り、真如活動の規則なることを知れば、その体と精神と同一なるゆえんも、あるいはその体と世界的精霊と同一なるゆえんも、またおのずから了すべし。これ仏教にて唯心的因果を唱うるゆえんにして、外界の万有万化を考えて因果の理に帰し、更にこれを究めて真如もしくは精神に属し、ついに唯心論を結成するに至る。これをもって『倶舎』の頌には「世の別は業によりて生ず。思および思の所作なり。」と説きて、外界差別の諸象は精神的因果によりて起こるものとす。小乗の客観論すらなおかくのごとき主観的説明をなす、いわんや大乗をや。『成唯識論』には「実に外境なく、ただ内識のみありて、外境に似て生ぜり。」といい、あるいは「実に外色なく、ただ内識のみありて、変じて色と似て生ぜり。」という。また『起信論』には「一切の諸法はただ妄念によりてのみ差別あるも、もし心念を離るればすなわち一切の境界の相なし。」とあり、かくのごとき類いちいち枚挙にいとまあらず。しかれどもこれ感覚以上に関する道理なれば、余はこれを先天的証明法という。以上述ぶるところこれを要するに、仏教の唯心論を証明する法に先天的、後天的の二様ありて、先天的は因果論により、後天的は感覚論によるというにあり。

       第九節 仏教の理想論

 すでに唯心論を論述したるをもって、これより仏教の理想論を説明すべし。そもそも仏教はその論理、客観論よりようやく進みて主観論に入り、主観論より更に進みて理想論に入る。換言すれば実体論より唯心論に進み、唯心論より真如論に達し、真如そのものをもって一教全論の神髄となすものなり。しかして真如の存在を証明するに、またおのずから消極的、積極的の二様あり。まず消極的証明法を述ぶるに、これにまた形式的と事実的との二法あり。形式的とは論理の形式上演繹的に論定するものにして、一方に万物実有論あれば、他方に皆空論あり、これを有空二門とす。この二者共に偏するところあり。もしその間に中道の真理を立てんとすれば、論理の勢い必ず非有非空の体を説かざるべからず。けだしこれヘーゲルのいわゆる三断論法の方式にして、実有論は正断なり、皆空論は反断なり、これに対して非有非空の合断あり。仏教にては三断論法の方式なきも、四句百非の論式ありて、その意、三断論法に異ならず。すなわち四句とは有と空と亦有亦空と非有非空との四断にして、すでに実有の論あり。また皆空の論あれば、これに対して亦有亦空論、非有非空論あり。しかるに三断論法にては亦有亦空、非有非空の二句を合して一句となすの相違ありといえども、その実一なり。今この論式によるに、有空の中を得たる非有非空の体あるべし。その体を名付けて真如となす。しかれどもこれ形式上の証明のみ。これに反して事実上の証明あり。その証明とは実体論を一変して唯心論となすときは、外界万有は虚無に帰せざるべからず。しかるときは我人の目前に万象の森然として現立するゆえんを説明することあたわず。もし唯心界中に万象の現立するゆえんを示さんと欲すれば、唯心の上に物心の本体あることを説かざるべからず。これをもって法相にては有空中三時教の説あり、天台にては空仮中三諦の論あり。これみな物心の上に非物非心の体を立てて、万象の虚無ならざることを示すものなり。しかれどもこの形式上の証明も事実上の証明も、物心以上に真如なかるべからずというにとどまり、いまだ正面よりその実在を論定するにあらず。故に余はこれを名付けて消極的証明法となせり。しかるにまた仏教中に直接に真如の実在を論定する法あり。これ他なし、物心万有は変化してとどまらざるものなり、故に仏教にては色心二法をもって有為法に属せり。しかして有為変遷の諸象中に不変不化、不生不滅のものありて存するをみる。これをもって外界は、あるいは進化し、あるいは退化し、あるいは成住し、あるいは壊滅するも、いまだかつて真に生じ真に滅したることなく、物心諸象は変化しながら常住恒存して、無始の始めより無終の終わりまで不断永続せんとす。これ畢竟物心の本体の常住恒存せるによること明らかなり。これをもって小乗においては法体恒有説を唱え、大乗においては心体不滅論を唱えり。この恒有不滅の体を名付けて、真如あるいは法性となす。これこれを前二種の証明法に比するに、積極的というべし。これを要するに、仏教は種々の証明法によりて真如の実在を論定せり。

       第一〇節 真如と物心との関係

 以上、すでに仏教の唯心論および真如論の証明法を示したれば、ここに真如と物心との関係を述べざるべからず。そもそも真如は物心の実体にしてまたその本源なり、物心の原因にしてまたその基礎なり。故にこれを天神と名付くるも可なり、太極と称するも可なり。およそ天神と物心との関係を論ずるに二様あり。その一は天神の命令もしくは意力によりて、世界なき所に世界を造出する説、これを創造論という。その二は天神の自体開発して世界を現出する説、これを開発論という。しかして仏教は真如開発論なり、これを縁起論と名付く。もし開発の前後にその別を立てず、真如界中に本来万象を具有して、真如と万象と不一不二なる理を唱うるもの、これを本具説と名付く。けだし仏教の開発論は縁起、本具の二様の見を有するなり。しかして縁起論は差別の見を脱せず、本具論は平等の理に偏する嫌いなきにあらずといえども、真如そのものの開発を論ずるには、差別の辺より見るか、平等の辺より見るか、二者中その一を取らざるべからず。しかるに仏教はこの二者を統合して、その間に中道を立てんと欲し、真如と物心との関係のごときは、あるいは不離不即といい、あるいは不一不異といい、あるいは真如即万法、万法即真如といい、あるいは色即是空、空即是色といえり。世の有神論者は物心の外に神あることを説き、汎神論者は万物即神なることを説くも、これみな一辺に偏したる論といわざるべからず。もし仏教よりこれをみれば、差別上にありては世界の外に神あり、物心の外に真如あり、我人の外に仏ありというを得べく、平等上にありては真如も世界と同体不二といわざるべからず。その一は表面の見にして、その二は裏面の見なり。これを要するに仏教の物心と真如との関係、すなわち有為と無為との関係は、不一不二の一句をもって言い尽くすことを得るなり。これを推して物界と心界との関係も、不一不二をもって説明することを得べし。

       第一一節 真如と我人との関係

 かくして、余はすでに仏教の三大界の関係を論定し得たれば、これよりさきの三霊三光の関係を仏教の上に参説せざるべからず。表面においては真如と物心とはその別あるも、裏面においては同体平等なるをもって、真如そのものはひとり我人のみならず、一切万有に普遍して存せざるべからず。これをもってさきにすでに述べしがごとく、真如の本性の我人の心内に潜在するもの、これを仏性といい、万有の内部に包含するもの、これを法性という。換言すれば有情にあるものを仏性と名付け、無情にあるものを法性と名付く。もし外界にその気を発すれば万象の美となり、内界にその光を放てば良心の善となる。しかしてこの真如の光を各自の心頭に開きたるものを、仏すなわち仏陀とす。我人一般に本来仏性を有するも、不純不良の迷心に掩覆せられ、その光を放つことあたわず。その迷心はすなわち煩悩にして、その中に存する仏性はこれを在纏の真如という。この真如は相対界中にあるも絶対界の真如と同一にして、ひとたびその光を心門の中に開ききたらば、甲の見るところの真如と乙の見るところの真如と、もとより同一ならざるべからず。あたかも暗雲を払い去らば、甲も乙も同一の月を見るがごとし。故にこれをヤソ教の三位説に比考するに、真如は神父にして、我人と仏とは神の子なり。しかして仏性はすなわち神霊にして、これを開顕したるものを仏とし、開顕せざるものを凡夫とするなり。

       第一二節 真如開発の説明

 本宗は天台と同じく、理想一元論に基づき絶対平等論を唱うるものなれば、まず真如平等の理を述べざるべからず。さきにすでに論じたるがごとく、この世界は千差万別の諸象を見るも、その実、一大元ありて存するのみ。仏教にてこれを証明するに、分析論および総合論の二様あり。換言すれば客観論と主観論との二様あり。客観論にては分析的に物心を考察して、諸元の集散分合によりて万有を構成するゆえんを知り、ついに単純の原理を論定するに至る。これを仏教にては析空論という。主観論にては総合的に万有を論究し、識心を離れて諸象の存せざるゆえんを知り、もって一元の道理に体達するに至る。これを仏教にて体空論という。しかしてその結果、唯心一元論を結ぶに至る。しかるにさきに第九節に述べたる論理によりて、ついに非物非心の真如一元論を唱うるに至る。これ実に天台の平等論にして、これを西洋哲学に考うるに、ヘーゲルの理想論に最も相近し。およそいずれの哲学にても、宇宙万有を論究してその蘊奥を究むれば、たやすく一元の理に体達し得べしといえども、その一元の上に千万差別の諸象の現立するゆえんを示すに至りては、大いに苦しむところなり。今、仏教においても二、三の見解を異にするものありて、一言にて断定し難しといえども、要するに『起信論』のごとき開発的に論明するものと、天台のごとき本具的に証明するものとの二様あり。開発的にこれを論ずれば、物心、純雑、真偽、善悪、苦楽等の差別は本来存することなきも、その開発縁起するに当たりて忽然として現出せりとなす。しかして更に開発してその目的を達するに至らば、また本来の空理に帰すべしという。これあたかも本来枝葉の差別を有せざる種子より枝葉を生じ、他日更に種子を結ぶに至らば、最初の無差別の状態に帰するがごとし。しかるにこれを本具論よりみるときは、千万差別の諸象は無差別の真如海中に本来具存せりとなす。あたかも枝葉の差別を有せざる種子中に、本来枝葉を生ずる理を具するがごとし。これをもって、真如即万法というと同時に、万法即真如といい、事造即理具というと同時に、理具即事造という。その説明は余、別に『仏教活論』中に論述せるをもって、ここにこれを略す。しかりしこうして天台の一元論は畢竟するに空仮中の三諦の原理を立てて、森然たる万法の仮立を許すも、その実、平等無差別をもって真理とするものなり。しかして我人の差別をみるがごときは、東西無差別の宇宙間に南北の差別をみるがごとし。今それ宇宙もその実、真如平等の世界なれば、あに物心の別、彼我の異あらんや。しかれども、もし我人その一部分に固着して全体を達観する眼なきときは、その間に彼我自他の差別をみるべし。あたかも地球の一隅に局在して考うるときに、東西の差別をみるがごとし。これを仏教にては我法差別の迷見妄執となす。もし我人幸いに大活眼を開きて真如平等の理に体達すれば、差別の迷執は氷雪と共に溶解し去りて一夢の大覚したるがごとき思いをなすべし。あたかもわが思想が遠く地球の外に出でて宇宙全体を通観するに至らば、更に東西の差別をみざるがごとし。これこれを仏教にて大悟となす。今更に迷悟の原因について『当体義抄』に論ずるところを引用するに曰く、「法性の妙理に染、浄の二法あり。染法薫ぜば迷となる。浄法薫ぜば悟となる。悟すなわち仏界なり。迷すなわち衆生なり。この迷、悟の二法は二といえども法性、真如は一理なり。たとうるに水精の玉のごとく、日輪に向かいて火を取り、月輪に向かいて水を取る。玉体は一なるも、縁にしたがいてその功同じからざるなり。真如の妙理もまたかくのごとし。一妙真如の理といえども、悪縁にあいて迷となり、善縁にあいて悟となる。悟はすなわち法性なり。迷はすなわち無明なり。たとうるに人の夢のごとく、種種なる善悪の業を見るも、夢覚めしのちこれを思うに、わが一心の見しところの夢なりと。一心とは法性、真如の一理なり。夢とは善悪、迷悟、無明法性なり。かくのごとく意を得れば、悪迷無明を捨て、善悟法性を本となすべきなり。」と。もって平等の真如上に迷悟を生ずるゆえんを知るべし。

       第一三節 平等と差別との関係

 しかれどもその論たるや平等の一面よりみたるものなり。もしその裏面に入りてこれをみれば、差別もまた決して虚妄となすべからざるを知るべし。けだし我人の絶対を知るは相対あるにより、平等を知るは差別あるによる。唯一の絶対、唯一の平等は、実にわが言語思想の及ばざるところにありて、無言無思の間に存するのみ。いやしくも思想動かば必ず相対差別を現ずべし。これをもって天台にてはわが介爾の一念動かずんば、すなわちやまん、いやしくも動かば、十界三千の諸法たちどころにそなわるという。これを一念三千の法門となす。これ論理自然の勢いなり。もしまたこれを実際に考うるも、唯一平等の状態は不苦不楽の境遇にして、苦を感ぜざると同時に楽もまた感ずべからず。果たしてしからばあに真如界をもって安楽界と称するを得んや。けだしかくのごとき真如界は空々寂々、無念無想、無知無識の境遇ならざるべからず。これあに我人の願求する世界ならんや。けだし我人は一切の快楽は差別相対の上に存することを忘るべからず。果たしてしからば論理上に考うるも実際上に徴するも、平等の真如におのずから差別の諸象を具することを知るべし。これをもって天台の哲理は有空二門の中道をとり、平等に偏せず差別に偏せず、真如と万法と相合し、真実と方便と相離れず、よくその中を得たるものをいう。これを要するに天台の論たる真如一元論にして、平等を真実とし差別を方便としたるものなれども、そのいわゆる中道は平等差別の中道なれば、万法即真如の裏面に真如即万法の理を具し、方便即真実の裏面に真実即方便の理を具することを知らざるべからず。これより以上は我人の論理思想の外に超出せる絶対関内の真景なれば、仏智開発の時を待たずんば、だれかよくその秘密を知らんや。

 

     第三段 純正哲学門 第二

       第一四節 権実開会の説明

 以上の論は日宗哲学のよって起こる理論の根本なり。その理を開示するに、本宗正依の経たる『法華経』の上に権実開会、本迹開会と称することあり。まず権実開会を述ぶるに、権とは権仮にして方便なり、実とは真実にして目的なり。釈尊一代五〇年間において説くところの教理は、教育的方法によりて浅より深に及ぼし、卑より高に及ぼす階梯をとり、四十余年の間は方便教を説き、いまだ真実の法を示さず。これを『無量義経』には「四十余年いまだ真実をあらわさず。」といえり。しかして『法華経』を説くに及びて始めて真実の法を開顕せり。故に法師品に「方便の門を開きて、真実の相を示す。」と説き、方便品に「正直に方便を捨てて、ただ無上道のみを説く。」と示せり。そのいわゆる方便教とは小乗、大乗中の三乗差別の法をいう。三乗差別とは我人、衆生の機類に階級を分かち、成仏、不成仏の種類を定むるもの、これなり。そのいわゆる真実教とは大乗中の一乗の法をいう。一乗とは一切皆成仏を唱うるもの、これなり。この解釈は仏教中の宗教門による。もし哲学門よりこれを考うれば、方便の諸説は物心差別あるいは体象隔歴を唱うるものにして、いまだ一元同体の理を知らざるものをいう。これに反して真実の中道は真如一元論を唱うるものをいう。『法華玄義』にこの意を述べて曰く、「如来成道四十余年、いまだ真実をあらわさず、法華に始めて真実をあらわす。」といえり。今『法華経』はこの高妙甚深の法を述べたるものなれば、これを真実円満の教とす。故に蔵、通、別、円の四教の中においては法華天台の法は円教に属す。しかして法華の円教は、四教中に摂するとその外に立つるとの二様あり。もし四教の外に立つるときは、これを超八醍醐の極円と称して、化儀化法の八教に超絶したる最上極致の法となす。しかるにまた今円昔円円体無殊と説きて、法華以前の円教と法華の円教とその体異なるにあらず、以前の八教を開会しきたれば法華の円教となる。これを『四教儀』には開権顕実とも廃権立実とも会三帰一とも説けり。会三帰一とは、三乗教を会して一乗に帰するをいう。これによりてこれをみれば法華以前の方便の諸教は、衆生をして法華の真実に誘入せしむるものに外ならざれば、法華にきたりてこれをみるに、権即実、方便即真実となる。なんとなれば実なければ権なく、権なければ実あらわれず、権と実とは不一不二なればなり。これを権実開会という。この説のごときは、仏教中他宗に対して法華最上の法を弁証するに必要なる点にして、決して哲学講究に重要なる問題にあらず。しかれどもその論理は一種の哲学にして、天台の真如平等論と万法差別論との関係を知るに足る。すなわち哲学上物心万有を差別するがごときは、一元真実の哲理よりこれをみるに、権仮方便に過ぎざるも、その差別の階梯によらざれば一元の真理を開示することあたわざるをもって、差別の諸見もまた真実となる。これによりて、余が前節に述べたる天台中道の理を了知すべし。

       第一五節 本迹開会の説明

 権実開会に連結して本迹開会あり。その論やはり仏教部内の講究にして、もっぱら『法華経』の釈義に関するものなりといえども、これ大いに哲学上講究すべきところあり。またこの本迹論は天台宗と本宗とその見解を異にするところなれば、すこぶる重要の論題なり。まず本迹の意義を考うるに、これを釈尊の上についていわば、その身インドの地に誕生し、勤苦数年を経て始めて成道したる仏を始成正覚と称して、これを始覚の仏あるいは迹門の仏という。この始覚の仏の本地を尋ぬるに、無始久遠の昔より本来の仏にして、始覚の時にわが身は久遠の本仏なることを悟れるなり。故に外見にては今日始覚の迹仏なれども、その内証をいえば久遠本覚の古仏なり。いずれの仏もみなかくのごとし。これ真如一元論の結果にして、諸仏の本体はもとより不生不滅の真如なれば、久遠本来の仏といわざるべからざるも、平等と差別とは表裏相対し両面相離れざるをもって、差別の辺よりみるときは、我人に迷悟、覚不覚の別あり。また仏にも前後本迹の差別ありて、いまだ大覚せざるときと、すでに大覚したるときとの別あり。すでに大覚すれば自らそのとき始めて仏となりたるにあらずして、無始以来の本仏なることを知るなり。なんとなればその裏面は前後の別なく、一様に真如をもって体とするによる。故にこの本迹二門の説明は、全く真如一元論に基づくことを知るべし。しかるに本迹開会の説によれば、この理を釈尊五〇年間の説法の上に適用しきたり、四十余年の方便教は、始成正覚の迹仏として説けるも、『法華経』にきたりて内証の本覚を明かし、われは無始久遠劫来常住不滅の仏なることを示せり。故に寿量品に「一切世間はみな今始めて道を得たりといえども、われ成仏してよりこのかた無量無辺那由他劫なり。」と説けり。これを開迹顕本という。あるいはまた寿量品に「もろもろの仏、如来の法は、みなかくのごとし。衆生を度さんがためなれば、みな実にしてむなしからず。」と説きて、垂迹を廃して本門の実を立つるなり。これを廃迹立本という。しかるに釈尊はこの久遠の本仏なることをあらわさんと欲して、本門より出できたりて迹門の成道を示せり。寿量品に「われは実に成仏してよりこのかた、久遠なることかくのごとし。ただ方便をもって衆生を教化して、かくのごとき説を作す、われはわかくして出家し、三菩提を得たり。」とあり。これを従本垂迹という。その意これを要するに、始覚の迹仏あるにあらざれば本覚の内証をあらわすべからず、久遠の本仏あるにあらざれば始覚の成仏をみるべからず、本によりて迹をあらわし、迹によりて本を知る。本迹二門の関係は実に不一不二なり。かくのごとく解説するを本迹開会という。この理は天台宗も本宗も共に唱うるところなれども、天台は本迹二門のうち迹門に重きを置き、本宗は本門に重きを置くの傾向あり。もとより両宗共に本迹二門を説かざるにあらずといえども、やや表裏の相違あり。すなわち天台宗は迹門を表とし本門を裏とす。これを迹面本裏という。本宗は本門を表とし迹門を裏とす。これを本面迹裏という。また本宗中にても本迹異なりといえども、その致一なりと立つる流派と、本は勝にして迹は劣なりと立つる宗義とあり。これその宗に一致派、勝劣派の分かれたるゆえんなり。

       第一六節 真如一元論の結果

 以上すでに天台宗と本宗との異なるゆえんを示せるが、その理論の主として異なるは、天台宗は理体事用の主義をとり、本宗は事体理用の主義をとるにあり。これ全く事理表裏の反対なり。今その理を開示するに当たり、論理上真如一元論の次第を序記するを要す。まず一元論の断案は左のごとし。

  (一) 真如の外に一事一物なし

 これ天台哲学の本旨にして、これを平等的一元論というべし。しかるに平等と差別とは相離るべからざる関係を有するをもって、更に左のごとく論断す。

  (二) 真如は本体にして万法は現象なり

 換言すれば真如は真実にして万法は権仮なり、あるいは真如は主体にして万法は属性なり。しかるに更に考一考するに、真如と万法とは共に並行対立して存し、その間に主属を分かつべからざるをもって、左のごとく論定せざるを得ず。

  (三) 真如は裏面にして万法は表面なり

 しかるにまたこの二者、一方にありては主属の別なく、他方にありては本末の異あり。故にその範囲の大小決して同一となすべからず。これにおいて更に、

  (四) 真如は全体にして万法は部分なり

となすに至る。これを要するに、真如と万法との関係は不一不二なるをもって、二者平等なると同時に差別あり、差別あると同時に平等なり。しかして天台の論は平等を主とするものなり。かくしてすでに真如の外に一物なきゆえんを知らば、われも人も仏も衆生も、その体みな真如ならざるべからず。ひとり人類のみならず、禽獣草木、国土山川もまたみな真如ならざるべからず。すなわちいわゆる「一色一香、中道にあらざるはなし。」(一色一香無非中道)なり。この理を推すときは、成仏論もひとりこれを人類有情の上に説かずして、国土山川、草木土石に至るまで、みなことごとく成仏を説かざるを得ず。また物質その体すでに真如なるを知らば、わが身すなわち仏体なることを知らざるべからず。国土すでに真如なるを知らば、此土すなわち寂光浄土、娑婆すなわち極楽世界なることを知らざるべからず。すでに事相差別の万物、有形無情の諸体、すべてこれ仏なり浄土なり真如なることを知らば、事相そのものを本体となすも可なり。これをもって天台宗にては、真如の理性をもって体とし、万法の事相をもって用としたるも、本宗にては事相に顕現したるものをただちに実体となし、森羅の諸象をもってただちに真実の妙体となせり。かくして一切の諸法はみな妙法にして、一切の衆生はみな仏体、一切の国土はみな極楽なることをあらわせり。これを法華本門の法となす。故に『法華経』に諸法実相と説けり。すなわち曰く(方便品)、「ただ仏と仏とのみ、すなわちよく諸法の実相を究め尽くせばなり。」とあり。今、『日蓮宗大意』と題する書中に、この諸法実相を解して曰く、「十界の諸法真実の相貌ということにして、三界の依正、十界の諸法、皆是れ本有無作の三身、如来常住不滅一体不二なる相をいふなり。」と。もしその諸法実相の義を釈尊の一身に帰結するときは、三界の衆生をみなわが子となす。すなわち曰く(譬喩品)、「今この三界はみなこれわが有なり。その中の衆生はことごとくこれわが子なり。」とあり。故にまた『日蓮宗大意』に「丈六、四八〔しはち〕の釈尊を認めて、之を仏陀なりと云ふは、衆生妄見の仏界にして、仏の真実相にあらず。所謂真実相とは、十界三千の依正色身、非情草木、虚空塵刹、森羅万象、皆我一身なり一念の三千なりと通達覚悟せる、毘楼遮那遍一切処の本覚三身如来を仏陀の真実相と云ふなり。釈尊既に此の如し、一切衆生亦復此の如し。釈尊より論ぜば三界の依正皆釈尊の一体なり、衆生より論ぜば衆生所有の三界なり、衆生所有の悉皆吾子なるべし、云々。」とあり。また此土即真如界なることを示して寿量品に、「われ常にこの娑婆世界にあり。」といい、また「われ常にここに住せり。」といい、また「常に霊鷲山にあり。」といい、また「今この三界はみなこれわが有なり。」という。故に『守護国家論』に曰く、「法華経の修行者は所住の処を浄土と思うべし。なんぞ煩いて他処に求めんや。」、また曰く、「法華、涅槃を信ずる行者は余処に求むるべからず。この経を信ずる人には所住の処すなわち浄土なり。」と。以上はみな法華本門の道理にして、平等的真如論の結果なり。これを要するに本宗と天台とは共に真如一元論に基づくも、前者は理体事用をとり、後者は事体理用をとるの別あり。以上は両宗哲理上の異同を略説せるなり。

 

     第四段 応用哲学門 第一

       第一七節 真如一元論の応用

 すでに本宗中の哲学門を述べたれども、哲学門のみにてはこれを目して宗教となすべからず。しかるに本宗は天台の山嶺より流出する哲学の源泉をくみきたりて、別に一家の宗教を開立せしものなれば、これよりそのいわゆる宗教門を説かざるべからず。しかしてその宗教門は畢竟するに真如一元論の応用に外ならず。それ哲学門は理論にして真理を究明するを目的とし、宗教門は実際にしてこれに体達するを目的とす。故に前者は究理の学にして、後者は成仏の法なり。しかるにここに一大疑難あり。我人、哲学上推究するときは、真如実在の理を知了することを得といえどもこれ理論のみ、この理によりて実際上真如の本際に体達し得べしと断定すべからず。たとえば我人、理論上天界に種々の星界あることを究明し得るも、わが身実際上その世界に到達し得るにあらず。故に真如論は確説なりと許すも、成仏論は空想といわざるべからず。今ここに本宗の宗教門を述ぶるに当たり、まずこの疑難を弁明するを要す。そもそも我人の真如を知るは、ただにその実在を知るのみならず、その一元一体たるを知るなり。換言すれば宇宙間の事々物々、我人の身心共にその体みな真如なることを知るなり。わが体すでに真如なればこれに体達せんとするは、地球上より空中を飛行して星界に到達するがごとき類いにあらず、わが心の向背いかんによりて、成仏すると成仏せざるとの別あるのみ。ことに仏教は唯心論に基づきて真如一元の理を証明せるものなれば、わが心の向背いかんによりてその上に真如界をみることを得べく、また我人活眼を開ききたらば、外界の上にも真如界をみることを得べし。しかるに我人は常にその理を知らざるをもって、真如とわが心との間に自ら暗壁を築き、ついに真如と相隔つるに至る。しかしてそのこれを築きたるはもとわが心なれば、またわが心にてこれを除き得べき理なり。ただわが一念真如の外にありと迷信すればこれに接触するを得ず、同体なりと観念すればこれと同化するを得るなり。けだしわが心に有限性と無限性との二様ありて、有限性によるときは真如と我人との間に差別を置くをもって、これと同化するを得ず。もし無限性によるときは真如と我人と相通じて一味となるをもって、わが体に真如の霊光を開顕するを得。これこれを成仏という。成仏とはわが体内に本来具有せる仏性を開現するに外ならず。その仏性は、哲学上これを解すれば無限性にして、道徳上これを解すれば良心なり。しかしてその体は真如の一部分のわが体内に散在せるものなり。これを要するに仏教の成仏論はその唯心論と真如論とを推究すれば、たやすく了解するを得べし。今、本宗の成仏論も、またこの理に外ならざるなり。

       第一八節 宗教弘通の方規

 これより、正しく本宗の宗教門に立つるところの原理を考うるに、三大秘法と名付くるものあり。これ法華本門の道理を適用して宗教門を開立せるものなり。今その秘法を弁明するに当たり、ここに宗教五綱、摂折二門について一言せざるべからず。そもそも哲学上の理論は、ひとり真理を考定するを目的となすをもって、時勢の変遷、社会の状況を観察するを要せずといえども、これを実行するに当たりては、第一に世道人心のいかんを考えざるべからず。故に『撰時抄』に曰く、「夫仏法を学せん法は必〔ず〕先時を習ふべし。(中略)彼時鳥は春ををくり、鶏鳥は暁をまつ。畜生すら〔なを〕かくの如し。何況〔いかにいわんや〕、仏法を修行せんに時を糺さざるべけんや。」云々と。今、本宗に立つるところの五綱は、まさしくその実際門の規則にして、一に教、二に機、三に時、四に国、五に教法流布の前後を知るをいう。これ『教機時国抄』に出でたる綱目なり。今これを略説すれば、教とは釈尊一代所説の教相を知るをいい、機とは衆生人民の機根性質を知るをいい、時とは仏法本弘通に正像末の三時あるをもって、その時を計りて法を弘むるをいう。国とは国土に応じてこれに適合すべき法を弘むるをいう。教法流布の前後とは、必ずさきに弘まる法を知りて、後の法を弘むるをいう。これ実に宗教を実際に弘通するに要するところの規範なり。この規範によりて本宗は、今日は法華一乗の法を流布する時機なりと断定せり。なんとなれば釈尊滅後、正像末三時のうち正像二千年間は小乗大乗、権教実教、次第に弘通し、もって末法の時に至れば、実大乗中純円完満の法華一乗を流布すべき順序なればなり。故に『教機時国抄』には教法流布の前後を知る必要を論じて戒めて曰く、「いまだ仏法の渡らざる国には、いまだ仏法を聴かざる者あり。すでに仏法の渡りたる国には、仏法を信ずる者あり。必ず先に弘まる法を知りて後の法を弘むべし。先に小乗権大乗弘まらば、後に必ず実大乗を弘むべし。先に実大乗弘まらば、後に小乗権大乗を弘むべからず。瓦礫を捨てて、金珠を取るべし。金珠を捨てて、瓦礫を取ることなかれ。」とあり。これ今日、法華一乗を流布すべき時機なりとなすものなり。故にまた『三大秘法抄』に曰く、「正法一千年の機の前には唯小乗権大乗相叶へり。像法一千年には法華経迹門機感相応せり。末法の始の五百年には法華経の本門前後十三品を置て、只寿量品一品を弘通すべき時也。機法相応せり。」とあり。また弘教の方法に摂受、折伏の二門あることを示せり。摂受とは摂取受用を義とし、権仮方便の諸教を摂取受用して、漸次に法華一乗に誘入引導するをいい、折伏とは折挫摧伏を義とし、権仮方便の諸教を貶斥摧伏して、ただちに法華一乗を弘宣するをいう。『止観』に、「それ仏に両説あり。一に摂、二に折なり。安楽行不称長短のごとく、これ摂義なり。大経に刀杖を執持してないし首を斬る、これ折義なり。与奪途をことにすといえども、ともに利益せしむるなり、云々。」とあり。『開目抄』に曰く、「夫れ摂受折伏と申す法門は水火の如し。火は水をいとう。水は火をにくむ。摂受の者は折伏をわらう。折伏の者は摂受をかなしむ。無智悪人の国土に充満するときは摂受を前とす。安楽行品の如し。(乃至)末法に摂受折伏あるべし。所謂る悪国破法の両国あるべき故なり。日本国当世は悪国か破法〔の〕国かを知るべし。」およそ『法華経』を弘通する法則にこの二門あるうち、時機に応じてあるいは摂受を主とし、あるいは折伏を本とせざるべからず。しかして今日の時機にありては、折伏をもって本旨とせざるべからずとなすは、実に本宗の主義なり。

       第一九節 三大秘法の説明

 以上は法華弘通の方規を示したるものにして、全く実際門に関する規則なり。この規則によりてこれを考うるに、今日は法華弘通の時なりといえども、末世愚昧の者の多き時なれば、人をしていちいち法華一乗の哲理を了得せしむることはなはだ難し。故に『唱法華題目抄』に「愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず。其志ある人は必ず習学して『これを観ずべし。』」といい、また『持〔妙〕法華問答抄』に「上根上機は観念観法も然るべし。下根下機は唯信心肝要なり。」といえり。これにおいて天台一家の修法の時機に適せざるをみて、『法華経』の上より三大秘法を抜ききたり、その中に一念三千の妙理も一心三観の奥義もことごとくこれを結帰して、もって成仏の捷径を開けり。故に『本尊抄』に「妙法五字の袋内にこの珠をつつみ、末法幼稚の頚に懸けさしめたもう。」とあり。これ本宗の最重至要の秘訣なり。その基づくところの経文は寿量品に、「汝らよ、あきらかに聴け、如来の秘密、神通の力を。一切の世間の天、人および阿修羅は、みな今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たりといえり。しかるに善男子よ、われは実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由陀劫なり。」等とある、これなり。しかしてその秘法の体は寿量品の仏の三身常住といえる法門に基づき、その法門を妙法蓮華経の五字に摂束して、末法衆生の成道の要法となせり。また寿量品に、「この大良薬は、色・香・美味をみなことごとく具足せり。汝らよ、服して速やかに苦悩を除くべし。またもろもろのうれいなからん。」とあるは、五字の題目に三秘の功徳を具するにたとえたるなり。そのいわゆる三大秘法とは左のごとし。

  一に本門の本尊 妙法蓮華経の五字を本尊とするをいう

  二に本門の題目 妙法蓮華経の五字を修行するをいう

  三に本門の戒壇 妙法蓮華経の五字を受持するをいう

 これを本迹二門の上に考うれば、三法共に本門の法門なり。『報恩抄』にこの三法を説示して曰く、「一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の中釈迦多宝已外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となるべし。二には本門の戒壇。三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱べし。」また『法華取要抄』に曰く、「問曰、如来の滅後二千余年に『竜樹、天親、天台、伝教の残せしところの秘法とはなにものか。答えていう、本門の本尊、戒壇と題目の五字となり。』」と。今これを仏道修行の要門たる戒定慧三学に配すれば、本尊は定なり。なんとなれば、我人本門の本尊に帰依して、心を一境にとどめ妙法を観ずるをもってなり。題目は慧なり。なんとなれば、一切諸仏の智慧を窮めたる妙法の題目を唱え、仏の妙智をあらわすをもってなり。戒壇は戒なり。なんとなれば、妙法に帰依してこれを受持すれば、一切の戒法を成就するをもってなり。もしこれを身、口、意の三業に配すれば、本尊は意に念じ、題目は口に唱え、戒壇は身に持つものなり。この秘法を解説するに妙解、妙行、類通、妙証の四段ありといえども、これを略し、ただその要を摘示すれば、三大秘法たる常に身はこれ本仏なり(本尊)、心はこれ妙法なり(題目)、住所はこれ寂光土なり(戒壇)と念じて、一心法界に安住するにありという。これ本宗に唱題成仏を立つるゆえんなり。

 

     第五段 応用哲学門 第二

       第二〇節 唱題成仏の疑難

 すでに三大秘法を略述したれば、これより唱題成仏を説明せざるべからず。そもそも本宗にてはこの秘法をもって本仏内証の本旨、如来秘密の奥蔵、易行易修の妙法と称して、仏教中最上至極の秘法なるがごとく解説し、もって妙法蓮華経の題目を唱うれば、たやすく成仏すべしと教ゆるなり。宗祖の語にも『兄弟抄』に「夫法華経と申は八万法蔵の肝心、十二部経の骨髄也。三世の諸仏は此経を師として正覚を成し、十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導し給ふ。題目は界如三千の本名、三身円満の内証、本迹両門の肝要、先師弘通の本経なり。」とあり。また『本尊抄』に、「釈尊の因行果徳の二法、妙法蓮華経の五字に具足す。『われらこの五字を受持すれば、自然にかの因果の功徳を譲り与えたまう。』」とあり。また『法華取要抄』に、「諸病之中には『法華経を謗る』〔が〕第一の重病也、諸薬之中には南無妙法蓮華経〔は〕第一の良薬也」と。また『本尊問答抄』に、「法華経は釈尊之父母、諸仏の眼目也。釈迦大日総じて三世十方の諸仏は法華経より出生し給へり。」と。また『十法界明因果抄』に、『法華経』と法華以前の諸経との関係を示して曰く、「爾前の経即法華経なり。法華経即爾前の経なり。法華経は『爾前の経を離れず』。爾前の経は『法華経を離れず、これを妙法という。』」とあり。また『〔法華〕題目抄』にその功徳を述べて曰く、「『させる解なくとも、南無妙法蓮華経』と唱ふるならば『悪道を免かるべし。』」、また同抄にその証を『法華経』より引ききたりて曰く、「法華の名を受持すれば、福ははかるべからず。」と。これによりて本宗はもっぱら唱題成仏を勧め、これを信ずるものは一心に題目を称念するなり。しかるにこの点については大いに哲学上疑難すべきところあり、また弁明せざるを得ざるところあり。従来の仏教は各宗共に余がいわゆる対内策のみを講じたるをもって、立教の要旨を証明するに釈尊所説の経文に考証するをもって足れりとせり。しかるに今日対外策を要する時に際し、唱題成仏は『法華経』の何品に明文ありというも、決して人をしてその理に服さしむることあたわず。けだしかくのごとき証明は、釈尊その人を信ずるものに適用すべきも、これを信ぜざる門外のものに対しては更に益なきこと明らかなり。これ余が今日仏教の説明は哲学によらざるべからずというゆえんにして、今後の唱題成仏は哲学上の説明を要するゆえんを知るべし。まず左に、これに関する疑難を挙示すべし。

  一 題目は『法華経』の名なり。名は符号のみ死物のみ。これを唱えて成仏するの理、解し難し。

  二 題目に成仏の義ありとするも、『法華経』の文意を解せず義理に通ぜず、ただ口のみにてこれを唱えて成仏するの理、解し難し。

  三 口唱に成仏の力ありとするも、その力によりて現在肉身上一切の福徳を得らるるの理、解し難し。

 この疑問を説明するには、教祖所説の経論について考証するものと、哲学上の道理によりて論究するものと、二法あることは前すでにこれを述べたり。そのうち宗教的考証法は、信仰によるものなれば、ここに論ずるを要せず。ただ哲学的論究法のみを述べんとするに、これにまた客観的によるものと、主観的によるものとあり。経験的もしくは道理的によるものと、奇怪的もしくは秘密的によるものとあり。その表左のごとし。

  説明法 考証的

      論究的 客観的 経験的

              奇怪的

          主観的 道理的

              秘密的

 このうち論究的に属する説明を示すべし。

       第二一節 題目の意義

 それ本宗の唱題は、妙法の五字に南無の二字を加えて、南無妙法蓮華経と唱うるなり。南無とは梵語にて帰命あるいは帰依と訳し、南無妙法蓮華経とは『法華経』の妙法に帰依することにして、換言すれば妙法の心をもって心の妙法に帰依するなり。妙法とは『唱法華題目抄』に「法華経の肝心〔たる〕方便寿量品の一念三千久遠実成の法門は此妙法の二字におさまれり。〔中略〕妙法の二字は玄義の心〔は〕百界千如心仏衆生の法門也。」、また曰く、「経の一字〔に〕華厳阿含方等般若涅槃経を収たり。」と。『一代大意抄』にこれを詳解して曰く、「妙法蓮華経、妙とは『天台玄義』一にいう、いうところの妙とは妙を不可思議と名付くなり。またいう、秘密の奥蔵をひらきてこれを称するに妙となす。またいう、妙とは最勝の修多羅甘露の門なるが故に妙というなり。またいう、法とは十界十如権実の法なり。またいう、権実の正軌を示すが故に号を法となす。蓮華とは権実の法をたとうるなり。またいう、久遠本果を指して、これをたとうるに蓮をもってす。不二の円道を会して、これをたとうるに華をもってす。経とは、またいう、声は仏事をなすにこれを称して経となす。」とあり。故に妙法蓮華経の五字は、『法華』八巻に題する外面の符号を呼ぶにあらずして、内部の意義を指すなり、虚名をいうにあらずして実意をいうなり、抽象的にあらずして具体的なり。かつ心にその意を了解せざるものをして、単に口にこれを唱えしむるも、あえて全分無意識的にあらず。これを唱うるものは必ずまず信仰を『法華経』の上に置き、深くその心に功徳利益の広大なることを予期せざるべからず。もしこれに反して、その信仰もなくその予期もなく、偶然あるいはみだりに口唱すともその功なきは、余が言を待たず。果たしてしからば口唱題目は口唱、心念の二者相合し、一分意識的なること明らかなり。これに加うるに一身の行為挙動も必ずこれに伴うを要し、口唱の題目中に自然に身口意の三業具備するをいう。かくのごとく論定して、これより客観的証明法を考うるに、その秘法たるや、もと形而上の問題にして、感覚上の経験のかかわり知らざるところなり。故にその客観上の経験は、古今世間の題目行者のその身心に、いかなる影響を与え、いかなる結果を得たるやについて考定するより外なし。しからざれば外界に感見する種々の奇怪不思議に考証せざるべからず。かくのごときはもとより学術的証明法にあらざれば、余が講述の目的とするところにあらず。故にその証明は必ず主観的によらざるべからず。

       第二二節 心理上の解釈

 もし主観的にこれを考うるに、人もし一心に題目を唱うれば、自然に一切の注意をその点に集め、雑念乱心はようやく雲消霧散し、方寸城中ただ一片良心の月影を浮かべ、道徳光明の天地を開くに至るべし。ことに我人はあらかじめ題目に連合して種々なる道徳の観念および記憶を有するをもって、一声題目を唱うればその連想次第に伴生し、平素悪念のみをもって満たされたる不良の心も、たちまち翻って道心を起こし、悪人は一変して善人となるべし。これいわゆる唱題の利益にして、その成仏得道に功力あるもとよりそのところなり。これによりてこれをみるに、題目は我人の良心の名にして、唱題は良心を喚起する声なりと解して可なり。その他、唱題の前にはあらかじめ信仰心を起こすを要す。その信仰たるやもとより善良の信仰にして、一切の注意を道徳の一点に集合するものなり。かつまた唱題の結果として、あらかじめ福徳円満なることを期するも、また多少道徳心をひきおこすに力あり。果たしてしからば唱題の一事は、我人をして道徳の海中に浴泳せしむるものなり。善人とならざらんと欲するも、あに得べけんや。世に『法華経』の文句を解せず、一乗教の道理を弁ぜざるもの、これを唱うるも、なおかくのごとき功徳あり。いわんやこれを解しこれを弁ずるものにおいてをや。一経全品の妙旨は、一唱一念の下にたちまちその心に浮かび、その身にあふるるに至るべし。かくしてその心すでに円満完全の福徳をもって充溢するに至らば、その行為挙動、言語体貌までこれに従って変化し、一見たちまち道徳円満の人たるを知るに至るべし。それ仏はいかなる体貌を有するや知るべからずといえども、道徳円満のものたるや疑うべからず。我人にして身心共に道徳円満の人たるを得ば、すなわち仏なりと称して可なり。果たしてしからば唱題成仏も、あにこれを疑うを要せんや。仏教のいわゆる仏性も、余がさきに述べしがごとく、道徳上の意義をもって解すれば、良心の本性といわざるべからず。もし唱題によりて良心を喚起するを得ば、仏性を開顕すというて可なり。もし人の身心共に道徳円満のものとならば、たとえ父母所生の五体を有するも、なお火宅のごとき国土に住するも、その耳目に接するところのもの一として快楽幸福ならざるはなく、実に歓楽の天地に逍遥し、真如の世界に安住すというて可なり。この理を推して即身成仏、此土寂光を解説するを得べし。これ心理学上道理的に唱題成仏を説明したるものなり。

       第二三節 宗教上の解釈

 以上の道理的説明は道理において満足し得るも、宗教としてはいまだ同意を表することあたわず。本宗唱題の本意は、もとよりこの理をもって解説すべからず。もしこの理によらば畢竟するに題目は良心を喚起する方便用具となるのみ。これあにその宗の許すところならんや。故にここに更に秘密的道理によりて解説するを要す。けだしその宗にて用うる説明はみなこの秘密的なり。今、宗祖の説明を尋ぬるに、『法華初心成仏抄』に「問て云く、無智の人も法華経を信じたらば即身成仏すべき歟。又何れの浄土に往生すべきぞや如何。答て云く、法華経を持つに於ては、深く法華経の心を知り、止観の坐禅をし一念三千十境十乗の観法をこらさん人は、実に即身成仏し解〔さとり〕を開く事も有るべし。其外に法華経の心をもしらず、無智にしてひら(但)信心の人は、浄土へ必ず生〔まる〕べしと見えたり。」とあり。故に『〔法華〕題目抄』に無意識的に題目を唱えてその利益あることをたとえて曰く、「蓮華は日に従て回る、蓮に心なし。芭蕉は雷に依て増長す、是草に耳なし。我等は蓮華と芭蕉との如く、法華経の題目は日輪と雷との如し。」と。また『四信五品抄』にたとえて曰く、「『小児は乳を含むにその味を知らずとも自然に身を養う。』。耆婆が妙薬誰か弁て是を服せん。『水は情なけれども火を滅し、火は心なけれども物を焼く。あに覚力あらんや。』」、また題目を唱うるうちに一切の功徳を摂尽することをたとえて曰く、「日本の二字に『六六カ国ならびにその中の人畜財具を摂尽す。』一も不残。月氏の両字に其内に『七〇カ国を摂して、漏あることなし。』」とあり。これただ比喩のみ。もしなにによりてしかるやと問わば、その理たるや理外にして秘密なりとするより外なし。そもそも宗教は何宗たるを問わず一般に無限絶対の関門を開きて、不可思議界の真景を示すものなれば、その説多く理外にわたり、普通の道理にて解明すべからざるものあり。これをもって宗教は天啓顕示を待たずんば知るべからずとなす、あるいは道理によらずして信仰によらずんば知るべからずとなす。その理を示さんと欲せば、さきに述べたる真如一元論を参照せざるべからず。この世界はすでに真如界にして、我人の体また真如なれども、我人その理を知らずして、ことさらに真如と我人の間に隔壁を作り、ついに真如をして我人の身上にその光を放たしめざるに至る。しかるに我人の体もと真如なるをもって、わが一心いやしくも真如に帰向してその隔壁を除き去らば、たちどころに真如の水わが体内に融入しきたり、われと真如と一味の同体となるべし。これもとより普通の道理にて論ずべからずといえども、真如一元論より演繹しきたるときは、かくのごとく断定するを得べし。果たしてしからば我人が身口意三業をもって妙法蓮華経に帰向すれば、その不可思議の妙理妙体必ずわが体に融入しきたるべし。われこれを口に唱うればその一声と共にその光をわが心内に開き、われこれを意に念ずればこれと同時にその徳をわが心面に浮かべ、われこれを身に行えば即時その力をわが体内に発すべし。故にそのいわゆる唱題は成仏の門戸を開くる管鑰にして、仏性の眠息を破る呼声なり。それ妙法蓮華経は、表面には経題を義とすれども、裏面には本門の妙法を含み、その名を唱うると同時に妙法の水をわが体内に湧出せしむるは、わが体もと真如なるによるというより外なし。故に題目と真如との関係は秘密なり不可思議なり。真如一元論を明らかに了得するにあらざれば、決してその意を感知すべからず。これを秘法といい妙法というは、誠に故あるかな。その妙法を説くに、天台にては理の上においてし、日蓮にては事の上においてす。故に天台は理の一念三千を説き、日蓮は事の一念三千を説く。あるいは前者は理の妙法を説き、後者は事の妙法を説く。これ両宗の異なるゆえんにして、すでに事理共に真如一元たるを知らば事即理、万法即真如にして、もとより事相の上において妙法を論ずるも、あに怪しむに足らんや。しかしてこの妙法を修行するに、また正助二行を分かち、三大秘法の南無妙法蓮華経をもって正行とし、本迹二十八品をもって助行とす。その助行中更に傍正を分かち、本門を正とし、迹門を傍とす。これによりて三学とみに成就し、覚行たちまち円満して、妙覚の宝位に登るべき易行易修の道を教うるもの、これ実に本宗一家の要旨なり。

 

     第六段 応用哲学門 第三

       第二四節 本宗の世間教

 以上すでに個人に関する道徳宗教の目的方法を述べたれば、これより社会国家に対する部分を論ぜざるべからず。そもそも宗教は十中九、八までは必ず厭世に傾くものなり。ことに仏教はもっぱら世間を脱離して出世間に入ることを勧むるをもって、世間一般にこれを目して厭世教となす。しかるに本宗のごときは、世間教もしくは国家教と名付くべきものにして、決してこれに与うるに厭世教の名称をもってすべからず。今その理由を述ぶるに、本宗は真如一元論に基づき我身即仏、此土即寂光を唱え、未来死後を待たず、現在生前において福徳円満なるを期するものなり。ことに本宗は差別の事相の上に真如平等の理を論ずるをもって、これを現在教、事相教というべし。故に富国強兵、治国平天下は、もとより本宗の目的とするところなり。政治法律の改良、教育学術の進歩もまた本宗の目的なり。ヤソ教のごときは、自ら楽天教と唱え大いに厭世教を排斥すといえども、その目的は死後天国に生まるるにありて、決して此土を目的とするものにあらず。故にこれもとより一種の厭世教なりといわざるべからず。しかるに本宗のごときは来世を説かざるにあらざるも、もっぱら現世において即身成仏を勧むる宗教なれば、その世間教なることヤソ教の比にあらざるなり。

       第二五節 本宗の安国論

 今、本宗の世間教たるゆえんを示すには、『安国論』によりてこれを証せざるべからず。同論に曰く、「それ国は法によりてさかえ、法は人によりて貴し。国亡び人滅せば、仏をだれか崇むべき、法をだれか信ずべきや。まず国家を祈りて、すべからく仏法を立つべし。」と。また曰く、「国に衰微なく、土に破壊なくんば、身はこれ安全にして、心はこれ禅定ならん。」と。あるいは曰く、「世は羲農の世となり、国は唐虞の国とならん。しかるのちに、法水の浅深を斟酌し、仏家の棟梁を崇重せん。」と。これ全く仏教と国家との関係を示したるものにして、仏法を興さんと欲せば、まず国家をさかんにせざるべからず。しかして国家をさかんにせんと欲せば、必ず正法を弘めざるべからずというにあり。故に『安国論』に曰く、「早く天下の静謐を思わば、すべからく国中の謗法を断ずべし。」と。また曰く、「悲しきかな、みな正法の門を出でて、深く邪法の獄に入る。」また曰く、「汝、早く信仰の寸心を改め、速やかに実乗の一善に帰せよ。しかればすなわち三界はみな仏国なり。仏国それ衰えんや。十方はことごとく宝土なり。宝土なんぞ壊れんや。」と。しかしてそのいわゆる正法とは妙法蓮華経を義とす。妙法蓮華経によりて国家を安穏にするを得るとは、法華一乗の娑婆即寂土の真如一元論による。娑婆すでに仏国なれば、我人これを安楽世界になすべからざる理なし。故に我人ひとたび妙法に帰依して、その体内に仏性すなわち良心の真光を開かば、いずれの国家として安穏ならざるはなし。また娑婆すでに仏国なれば、なんぞこれを厭離するを要せんや。故に本宗の国家教なるゆえんも世間教なるゆえんも、みな真如一元論に基づきしは明らかなり。

       第二六節 本宗の同権論

 また本宗においては、真如一元論を社会に応用して男女同権論を唱うるなり。もしその一元の理によれば、悉有仏性一切成仏を説かざるべからず。一切成仏の理によれば、彼我自他の間に成仏、不成仏の別を立つべからず。これにおいて、男子も女人も同一平等に成仏することを唱うるに至るべし。これをもって本宗にては、女人成仏を説きて法華一乗の特色となす。すなわち『開目抄』に曰く、「竜女が成仏此れ一人にはあらず、一切の女人の成仏をあらはす。法華已前の諸小乗経には女人成仏をゆるさず。諸大乗経には成仏往生をゆるすやうなれども、或は改転の成仏、一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏往生なり。挙一例諸と申て竜女成仏は末代の女人の成仏往生〔の道〕をふみあけたるなるベし。」云々とあり。また『〔法華〕題目抄』に女人成仏を示して曰く、「法華経を信ずる女人も亦復如是、直に霊山浄土に入るベし。是れ妙の一字の徳なり」という。また同抄にいかなる人もことごとく成仏すべきゆえんを説きて曰く、「法華は成仏し難き者すら尚ほ成仏す。成仏し易き者は云にや及ぶ」と。これみな真如一元論の応用に外ならざれども、宗教上の男女同権、万民同等論というべし。もしこの平等の理を社会の上に適用しきたらば、社会上男女同権、万民同等論を主唱するを得べし。これまた本宗の教義の世間教なるゆえんなり。

 

     第七段 結 論

       第二七節 本宗と天台との異同

 上来論述するところこれを帰結するに、本宗の教義は理論門すなわち哲学門と、応用門すなわち宗教門とに分かれ、哲学門は本宗の純正哲学にして真如一元論をとるものなり。これを応用して宗教門を開き、個人に関する安心勧善の法を講ずる部分と、社会に関する治国安民の法を論ずる部分あり。そのうち個人に関する部分は、実に本宗の教義の主旨にして、社会に関する部分はその応用に過ぎず。しかして本宗の哲学門すなわち日蓮一宗の純正哲学は、一半は天台宗と同一にして、一半は天台宗と異同あり。その同一なる点は真如一元論にして、その異同ある点は左の二条なり。

  第一条 天台は、本迹二門のうち迹門を表とし本門を裏とす、いわゆる迹面本裏なり。しかるに本宗は本門を表とし迹門を裏とす、いわゆる本面迹裏なり。

  第二条 天台は理事二様のうち理の上において真如一元を説く、いわゆる理体事用なり。しかるに本宗は事の上において真如一元を説く、いわゆる事体理用なり。

 これ両宗の異なる要点なり。これを応用して宗教門を組織せるをもって、成仏の方法のごとき、天台と本宗とは大いに純雑難易の別あり。本宗は成仏の方法を妙法の五字に摂約するをもって、すこぶる単純にしてかつ簡易なり。今その異同を挙示すれば、

  天台は複雑にして、本宗は単純なり

  天台は難修にして、本宗は易修なり

  天台は迂遠にして、本宗は頓速なり

 また宗教門中、世間社会に関する部分にては、天台と本宗の相違左のごとし。

  天台は厭世の風ありて、本宗は楽天の風あり

 これ余が上来論述せる要点なり。

       第二八節 本宗の長所および短所

 これによりて本宗の長所を挙示すること左のごとし。

  第一に、天台一元の高妙なる哲理をよく実際に応用しきたりて、単純易修の宗教門を開きたるにあり。

  第二に、法華本門の仏を立てて、偶像教の風を除きたるにあり。

  第三に、仏教厭世の風を一変して、楽天の道を開きたるにあり。

 すでにその長所あれば、またその短所あり。すでにその利あれば、またその弊あり。本宗もっぱら現世利益を説き、即身成仏を談ずるをもって、愚民迷信の輩は題目を単唱すれば、富貴も財宝も一切の福徳自在に招ききたすことを得べしと信じ、はなはだしきに至りては国禁を犯しながら法網を免れんと欲し、題目を唱うるがごときものあり。あるいは現世利益に迷信して、すこしも衛生医法に注意せずして、泰然として題目を唱え、もって疫病を避け諸病を治すべしと信ずるものあり。かくのごときは、もとより本宗の教うるところにあらざるは明らかなりといえども、すでにその弊ある以上は、今よりもっぱらこれを除く方法を講ぜざるべからず。また本宗の教義を談ずるもの、その信者に対してややもすれば今日の学術に反対し、理学、医学等の説に抵触することあり。これまた今日改良を要する点なり。

       第二九節 本宗の将来

 更に余は、門外にありて本宗の諸師に注意を請わんと欲するものあり。それ本宗の教義たるや実に高遠幽妙にして、これを純正哲学に考うるにすこぶる高等の地位を占領せり。しかるに今日その門に遊ぶ僧侶は、いたずらに経文の字句のみを解するに孜々汲々として、更にこれを西洋の哲学に比考して、妙法の光を世界に顕揚することを知らざるもののごとし。ついに門外の人をして、法華信者を目して迷信妄念の徒とし、共に語るに足らざるものとなさしむ。これ余が大いに本宗のために遺憾とするところにして、早くその門内の人をして、余がいわゆる対外策を講ぜしめんことを勧めんとす。城内雪深うして暁窓いまだ春を認めずといえども、昨夜の東風すでに門外の梅花を開かしむる時にあらずや。カントの唯心論のごとき、フィヒテの主我論のごとき、シェリングの絶対論のごとき、ヘーゲルの理想論のごとき、これを本宗の教義を発育する養料となすに至らば、大旱に沛然を得たるがごとく、枯苗もまた必ず蘇生すべし。かつ法華一乗の妙法のごとき、泰西古来いまだかつてあらざる空前絶後の宗教なり。故にもしこれを泰西の諸学に比較対照して講究の道を開き、もってこれを欧米諸国に伝うるに至らば、ひとり本宗の面目なるのみならず、実に日本国の光栄なり。諸師なんぞ感憤せざるや。余がここに日宗哲学の一端を講ずるも、全くこの意を城内および門外の人に知らしめんとするにあり。今や積雪堅氷の日すでに去りて、春風まさに海外にあまねからんとす。欧米の人をして、妙法の鴬声を聴かしむる時節到来せるにあらずや。高祖曰く、「春は華さき、秋は菓〔このみ〕なる、夏はあたたかに、冬はつめたし。時のしからしむるにあらずや」(『報恩抄』)と。今や法華一乗の華まさに海外に向かいて開かんとす。これまた時のしからしむるところなり。諸師なんぞ奮起せざるや。余『開目抄』の末文を読み大いに感ずるところあり。曰く、「夫釈迦は娑婆に入り。羅什は秦に入り。伝教は尸那に入り。提婆師子は身をすつ。薬王は臂をやく。上宮は手の皮をはぐ。釈迦菩薩は肉をうる。楽法は骨を筆とす。『天台にいう、時にかないてのみ、云々』(天台云、適時而已云云)」と。仏法は時によるべし。日蓮が流罪は今生の小苦なれば、なげかわしからず。後生には大楽をうべければ、大いに悦し悦しともって、その精神の一端をうかがうに足る。諸師もっていかんとなす。