7.編集後記

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   編集後記

 この選集の目的は、専門家にとどまらず一般の人々にも、読みやすい本を提供しようという点にある。それを、凡例にあるように、明治・大正期の旧表記を現代表記に改めるなどの方法で達成しようとしたのである。どの程度読みやすい本となったのかは、読者の判断にまたなければならないが、このような方法には限界もあるので、ここでは第二期の第四巻から第七巻を例として、その問題点を明らかにし、読者の理解を得たいと考える。

 第一点は、新旧表記法の相違に基づくものである。この選集の編集の基本方針は、原本に「できる限り」忠実で、なおかつ「できる限り」現代表記化を進めるということである。それ故、問題となるのは、現代文と大きく相違する文語体という文体上のことではなく、表記上のことに限られる。原文は多くの語彙と熟語で構成されており、このような文章を、常用漢字や送りがなの統一などの現代表記で、読みやすくするには限界がある。例えば、「寤むるときも寐ぬるときも」「造構」「抗抵」などは、原文のままとせざるを得なかった。また、常用漢字表以外の字を平がなにする場合でも、読者が文脈上から的確に意味を把握できるものに限られ、読者の理解力との関係に配慮する必要にも迫られた。これらの問題との対応は統一的に実行したが、ケース・バイ・ケースとなることもあった。

 第二点は、漢訳の固有名詞や用語の問題である。一般的には原文のままとしたが、第七巻の『印度哲学綱要』は漢訳用語が頻出し、それが現代人にとって音読することがむずかしく、読書上の大きな障害となることが予想されたのである。前記の編集方針では、「できる限り」原本の形を変えないことになっているが、選集の目的である読みやすさを優先することが第一に大切なことと判断し、サンスクリットのカタカナ表記を注記することで解決を図った。ルビは用いず、注記も制限する編集方針であったから、同書のみ例外となったのである。

 第三点は、著書の内容に関することである。『印度哲学綱要』は、仏教以外のインド哲学諸派の学説を、中等教育用に編集した本であるため、なおさら前記のような措置を施さねばならなかったが、著書によっては専門的と、いわゆる啓蒙的との、違いもあった。仏教の関係者であれば、恐らく一気に音読みにすると思われる「一切衆生悉有仏性」などを、必要に応じて漢文扱いして書き下し文を付すことにしたのは、この区別に対応させようとしたからである。仏教の専門用語についても、読者が辞書によって調べることを予想して、数や「智慧」などの用語の表記に例外を設けたのである。これは、仏教や漢字に関する理解が、明治・大正期と比べると、大きく変化してきたことに起因する問題でもある。さらに、慎重な対応を求められる点では、差別的表現の問題もあったが、凡例のとおりとした。

 第四点は、引用文に関することである。原則は原文のままであるが、引用文が国文で、しかもその中に漢文が含まれる場合があった。この場合、漢文の書き下し文は現代表記であるから、新旧の表記が混在することになる。しかし、表記の統一よりも読みやすさを重視することとした。

 第五点は、経典等の引用文を確認する問題である。この選集では漢文は『大正新脩大蔵経』と校合することを原則としたが、その決定に当たっては、著者が使用したと考えられる東洋大学付属図書館の哲学堂文庫所蔵本との校合も検討した。例えば、第五巻の『大乗哲学』(四〇九頁)に『宗鏡録』中の「如来」の説明文がある。これを同文庫の本で調べたところ、「如来」のように朱筆で傍点が加えられていて、出典を裏付けるものと考えられた。しかしながら、この書き下し文は原文の送りがなと相違する部分もあり、このようなことは他の引用文にもあった。したがって、今回は底本のままとし、校合は大蔵経に限定したのである。

 第六点は、経典名の問題である。現代では文献を引用する場合は、著者名からはじまって厳密に典拠を明らかにすることが常識となっているが、原文には著者・撰述者名や正確に経典名が記されている例は少なく、『寄帰伝』と『南海寄帰内法伝』、『華厳音義』と『華厳経音義』などと、略称や総称が混在していることもまれではなかった。例えば、経典名の数は『大乗哲学』(第五巻)が一七〇、『仏教理科』(第七巻)が一六二などであり、これらを『仏教叢書(七種)総索引』などの諸種の文献で調べたが、しかしながら確認できないものもあった。そのため、経典名については、総称、略称などの厳密な意味での区別を行うこともできず、ほとんどが原文のままで、誤植と思われる文字を訂正する程度にとどまった。上記の引用文や経典名に関する問題は、哲学堂文庫の調査・解明に負うところが多く、今後が期待されるところである。

 以上が主要な問題点である。

 また、問題点ではないが、第四巻から書名の文字を小さくするなどの体裁上の部分的変更を、関係者の要望に基づいて行った。

 終わりに当たり、この選集の担当者名を記しておきたい(担当者のうち、第一巻と第四巻で紹介された方々は省略した)。現代表記・編集は三浦節夫、書き下し文・サンスクリット等対照表の作成は島田茂樹・渡辺章悟、編集・校正補助は大橋秀明、校正は川口恵美子・和田妙子他、資料のコピー・調査などは建部克也・茶山史朗・鄭憲章・中山聡である。その他、東洋大学付属図書館などの各機関からご協力をいただいた。

 さらに、成田山仏教図書館や三康文化研究所付属三康図書館から底本のご提供をいただきました。記して感謝の意を表します。

   一九九〇年四月                  (三浦節夫記)