9.解説―井上円了の         日本倫理学:   末木剛博

P505

     解  説 井上円了の日本倫理学      末 木 剛 博  

       (一) 序 論

 (一・一) ここに掲げる『日本倫理学案』『忠孝活論』『勅語玄義』の三種の著作は倫理学に関するものではあるが、普遍的な倫理学ではなく、日本特有の国情に適合した特殊の倫理学である、と井上円了みずから認めている著作である。そのことはこれら著作の題名を見ても容易に納得できることである。

 (一・二) 円了によると、倫理学は普遍的な理論とその実際上の応用との二面を持つ。すなわち、

原理原則を定むるもの、これを倫理学中の理論に属する部分とし、その世と国との事情に応じて生ずる変化異同を講究するもの、これを倫理学中の応用に属する部分とするなり。(『日本倫理学案』・・以下『学案』と略記す・・第一節、二二二頁)

といい、また、

一方には理論上の講究をもって万国古今共通の道理あることを知るも、また一方には実際上の講究をもって各国特殊の道徳あることを明らかにし、これによりてその国の体性を維持継続せざるべからず。(『忠孝活論』・・以下『忠孝』と略記す・・第一講、二九三頁)

という。したがって円了にとっては倫理学は二部門に分かれるべきである。第一部門は理論的普遍的倫理学であり、第二部門は応用的特殊的倫理学である。前者に属するものとしては『倫理摘要』(明治二四年)等があり、後者に属するものとしては、ここに解説を試みる日本の倫理学に関する諸著がある。

 (一・三) 井上円了がこのように日本独特の倫理思想を特に強調するのは、彼が当時の国際情勢を観望して、日本を欧米の政治的・軍事的・文化的な侵略から防衛して、独立を守らなくてはならないという危機感に基づくものである。たとえば、彼の名を一躍高めた『仏教活論序論』(明治二〇年)で彼はつぎのように愛国の情を吐露している。曰く、

日本をして外国に追従随行せしむるにあらずして、今よりして後、西洋に競争抗敵して、その上に超駕せしめんとす。(『井上円了選集』三、三四二頁・・以下『選集』と略記す)

 そしてこのように欧米に「競争抗敵」して自国の独立を守るにはいかにすべきかというに、

それ一国の独立するゆえんのものなんぞや。その国固有の政治、宗教、人種、交情、言語、文章、学問、技芸、風俗、習慣の存するによるや明らかなり。(『選集』三、三四〇頁)

 つまり、自国の伝統的文化の保持こそが一国を独立せしめるゆえんのものだというのである。

 (一・三・一) 倫理道徳または政治や宗教なども、その実際上の適用はこのような各国の文化の特性に応じて特殊化するものでなくてはならず、他国で成功したからといって、それがそのまま自国に適用しうるとは限らない。当時の風潮であった西洋崇拝はこの道理を無視して、日本の特殊な文化の伝統を踏みにじって、西洋の文物を強引に移植したのであるが、円了はこれを強く憂慮したのである。曰く、

例えば政法治道のごとき、これを西洋諸国に施してその利あるも、これをわが国に用いてかえって害あるものあり。これ他なし、西洋には西洋人固有の性質、気風あり、日本には日本人固有の性質、気風あればなり。宗教またしかり、云々。(『選集』三、三四五頁)

 彼が普遍的な『倫理摘要』と並行して、特に「日本倫理学」の諸著を執筆し、講義した理由は、このような彼の時勢観・文化観に由来するものである。そしてこれを彼自身の標語を用いていえば、「護国愛理」の至情に基づく、ということである。曰く、

学者いやしくも真理の講ずべきを知らば、必ずまず国家の独立に向かって祈らざるべからず。これをもって、護国の任は愛理の責に一歩もその軽重を譲らざるを知り、あわせて学者の務むるところ、護国愛理の二大事を兼行するにあるを知るべし。(『選集』三、三三一頁)

 愛理に当たるものが普遍的理論的な倫理学であり、護国に当たるものが特殊的応用的な日本倫理学なのである。

 (一・四) このような日本倫理学に関する円了の著作は相当多数ある。それは中等学校の修身の教科書や、『修身教会雑誌』に掲載した論説などをも含むからである。しかし理論的に良く整理されたものとしては、この巻に集録する三著で十分である。

 (一・四・一) この三著を著作年代順にならべると、

  『日本倫理学案』 明治二六年一月

  『忠孝活論』   明治二六年七月

  『勅語玄義』   明治三五年一〇月

となる。したがって前二著はほぼ同時の作であって、思想内容も基本的には同じである。第三の『勅語玄義』は前二著から一〇年近く経て著述されたものであり、思想内容の上に多少の相違が見られる。というのは、この三著はともに日本特有の道徳として、「忠孝一致」を強調する。すなわち、

忠孝一致をもって人倫のおおもととなす。(『学案』第一七節、二三六頁)

というのが三著を一貫した基本思想であるが、明治三五年の『勅語玄義』では、この忠孝を「相対的忠孝」と「絶対的忠」(または「絶対的忠孝」)とに分けて、それこそが日本固有の道徳であるとしている。そこにこの『勅語玄義』の特徴があるが、それは彼の「護国愛理」の「護国」の方向を強調するものであり、日本の文化的独立についての危機意識がますます強くなったことの証左と考えられる。

       (二) 『日本倫理学案』

 (二・一) 『日本倫理学案』(明治二六年)は二重の構造を成している。すなわち「原理・原則を定むるもの」(『学案』第一節、二二二頁)としての普遍的な理論的部門と、「その世と国との事情に応じて生ずる変化異同を講究するもの」(『学案』第一節、二二二頁)としての応用的部門であり、これが本来の日本倫理学に当たるものである。

 (二・二) A 理論的部門としては、「人生究竟の目的」、「善悪一定の標準」、「良心の起源」、「意志の自由」、「行為の進化」などが考察される(『学案』第三節、二二三頁)。しかし中心をなすものは、「人生究竟の目的」についての理論である。

 (二・二・一) 人生の究極の目的については古来二つの対立する主張がある。すなわち「幸福論」と「非幸福論」とである。

幸福論者は、経験によりて幸福は人生の目的たることを論ず。(『学案』第四節、二二四頁)

非幸福論者は、我人に先天性道徳心ありて、幸福の有無に関せず独立して善悪を判定すべしという。(『学案』第四節、二二四頁)

 すなわち、幸福論では人生の最終目的は幸福にありとするのに対して、非幸福論では徳こそが人生の最終目的だという(『学案』第四節、二二四頁)。

 (二・二・二) 円了はこの二説のいずれを採るかというに、彼はどちらにも偏せず、両説を総合した「福徳一致論」を唱える。曰く、

よろしくこの二者を合したるものを取るべし。すなわち完全の徳と高等の幸福と一致合同するものをもって、究竟の目的、最上の善なりと定むべし。これを仮に名付けて福徳一致論という。(『学案』第四節、二二五頁)

 (二・二・三) しかし福徳一致といっても、だれの福徳が一致するのかを考えなくてはならない。円了はそれを二つに分けている。すなわち個人の福徳一致と国家の福徳一致とであり、その両者を両立させることこそ理想であり、究極の目的である、という。曰く、

個人の福徳を円満ならしむると同時に国家の福徳を円満ならしめ、二者両全をもって目的とせざるべからず。(『学案』第七節、二二七頁)

我人の目的は、個人ならびに国家に対して福徳円満なる理想をみたすにあり。(『学案』第七節、二二八頁)

 (二・二・四) 何故に個人の福徳と国家の福徳とを両全させるべきだというのかというに、円了の見解によれば、個人と国家とは相互依存し、相互に他の必要条件になっているからである。曰く、

国家その独立を保つときは、我人その下に安堵することを得、国家その独立を失うときは、我人は外人の奴隷となりて苦しまざるべからず。(『学案』第一二節、二三一頁)

 このようにして、個人を全うしようとすれば、国家を全うしなくてはならず、国家を全うしようとすれば、個人を全うしなくてはならなくなる。それ故、

理想上完全の個人と完全の国家とに向かいて進まざるべからず。(『学案』第一五節、二三四頁)

ということになる。

 (二・二・五) つぎに、この人生究極の目的に向かって努力することがわれわれの義務となる。しかも目的は個人の福徳一致と国家の福徳一致との両全にあるので、われわれの義務も個人に対する義務と国家に対する義務との二種があるべきである。すなわち、

我人の目的たる自己に対する義務と国家に対する義務とを完成すべし。(『学案』第二二節、二三九頁)

ということになる。

 (二・二・五・一) この二種の義務に対応して二種の道徳が分かれる。個人に対する義務に関しては個人的道徳が成立し、国家に対する義務に関しては国家的道徳が成立するのである。すなわち、

我人の有する義務に二種あり。すなわち個人に対するものと国家に対するものとこれなり。故に道徳おのずから二様に分かる。すなわちその一を個人的道徳といい、その二を国家的道徳という。(『学案』第二四節、二四一頁)

 (二・二・六) 個人的道徳はさらに、自己自身に対する道徳と、家族に対する道徳とが区別される。すなわち、

個人的道徳に、自己に対するものと家族に対するものとの二種あり。(『学案』第二四節、二四一頁)

 (二・二・六・一) 自己に対する個人的道徳は、個人自身の福徳を円満ならしめるための努力であるから、自己の能力を開発し、自己の徳性を養成すべきである。そしてそれは教育によって実行できることであることなので、教育論が道徳論の一部として展開される(『学案』第二五節―第二九節、二四二頁―二四七頁)。これははなはだ井上円了らしい見識であり、彼が身をもって実行した教育活動もその理論的基礎の一端はここにある。

 (二・二・六・二) つぎに家族に対する道徳は父母、兄弟、夫婦に対する道徳のほかに、主従関係の道徳が加えられているが(『学案』第三四節、二五三頁)、これは時代の特徴をあらわしていて興味深い。

 (二・二・六・三) また家族道徳のなかで「男女同権」が唱えられているが(『学案』第三三節、二五二頁)、これは個人の福徳一致を目的とする立場から当然導かれる主張である。しかし明治の中期に早くもこの主張を唱えたのは、彼の民衆教育と相待って、彼の思想が根本的に極めて人道主義的なものであったことを証し立てるものである。

 (二・二・七) 国家的道徳はさらに、国内的道徳と、国外的道徳とに分けられる(『学案』第三六節、二五六頁)。

 (二・二・七・一) 国内的道徳は「朋友」、「師弟」、「博愛」などを論ずるが、特に重要なのは「正義」の説である。彼は、

正義の義務に四種を分かつ。すなわち第一に生命に対するもの、第二に財産に対するもの、第三に自由に対するもの、第四に名誉に対するものこれなり。(『学案』第四一節、二六〇頁)

といって四種の正義を掲げる。

 (二・二・七・二) このように国家に対する道徳も普遍的な面をまず論ずるのであるが、それは日本固有の道徳と密接に結びつけて論ぜられている。したがってつぎの「応用的部門」としての日本倫理学の解説に移る。

 (二・三) B 応用的部門は日本固有の道徳論である。

 (二・三・一) 普遍的な道徳の理論を実際に適用するには、各国各民族の特性を加味して、普遍的理論を特殊化しなくてはならない。これが倫理学の応用部門である。円了曰く、

その世と国との事情に応じて生ずる変化異同を講究するもの、これを倫理学中の応用に属する部分とするなり。(『学案』第一節、二二二頁)

 日本倫理学はかかる応用部門の一部である。

 (二・三・二) この倫理学の応用は平等なる普遍的理論と各国の差別との総合として成立すべきものであり、これを円了は、

平等差等の中道。(『学案』第一三節、二三三頁)

という。そして、

真理はこの二者の中道にありと知るべし。(『学案』第一三節、二三二頁)

というが、この「中道」が仏教、特に天台の空仮中の三諦の思想に基づくものであることはいうまでもないことである。

 (二・三・三) それならば倫理学を特殊化して「日本倫理学」たらしめる日本の特性はなんであるか。それについては『忠孝活論』と『勅語玄義』とに詳しく述べられているが、『日本倫理学案』ではつぎのように簡明にまとめてある。曰く、

(一) 皇室ありてのち人民あり、人民ありてのち皇室あるにあらざること。

(二) 臣民一にして二ならざること。

(三) 忠孝一致をもって人倫のおおもととなすこと。(『学案』第一七節、二三六頁)

 すなわち、皇室が血統からしても価値からしても国民の宗家とし優位に立つこと、国民が単一民族で(このような言葉を円了は使用しないが)、一家をなしていること、したがって家庭道徳としての孝が国家道徳としての忠と不可分に結びついていること、この三カ条が日本固有の特性である、というのである。これが「わが国風」(『学案』第一六節、二三五頁)であり、「わが国体」(同上)である、という。

 (二・三・三・一) この「国体」の主張は、日本人が単一民族であり、一個の宗家から分出したものである、という一国一家の信念から生じたものである。すなわち、

本家(皇室)の系統を受くるもの君主となり、分家(国民の家)を相続するもの臣下となる。(『勅語玄義』三五七頁)

という信念が根本にある。

 (二・三・三・二) かかる国体の信念が現在から見て妥当なものであるか否かはあらためて論ずる必要があろう。しかし明治の中期にあっては、それはほとんど国民の通念であり、特に欧米の侵略に対抗して日本の独立を守ろうとする当時の情勢からすれば、この信念は無理からぬものであったと考えられる。果たせるかな、福沢諭吉のような進歩的啓蒙家も、この点に関しては井上円了とほとんど同じ主張をしている。彼の主著『文明論之概略』(岩波文庫版・・以下『概略』と略記す)にはつぎのような文句が見られる。曰く、

我国の皇統は国体と共に連綿として今日に至るは、外国にも其比例なくして珍らしきことなれば、或は之を一種の国体と云ふも可なり。(『概略』四二頁)

 また曰く、

此時に当て日本人の義務は唯この国体を保つの一箇条のみ。(『概略』四三頁)

 この福沢諭吉の文句は、井上円了のつぎの主張とほとんど相違しないのである。曰く、

教育も道徳もともにこの国体を基本として組織せざるべからず。(『学案』第一六節、二三五頁)

 (二・三・四) かかる日本の国体という特性を加味して成立する日本固有の道徳とは、すでに国体の三カ条の第三条として掲げた「忠孝一致をもって人倫のおおもととなすこと」(『学案』第一七節、二三六頁)にある。

 (二・三・四・一) 「忠孝一致」というのは、家庭愛としての「孝」が、日本では宗家たる皇室への愛(忠)につながり、「忠」のなかに吸収される、ということである。すなわち、

忠孝一致すなわち忠君為本の一大道あるのみ。(『学案』第二三節、二四〇頁)

ということになる。そして皇室への忠は日本の国家の宗家への忠であるから、国家そのものへの忠でもある。したがって「忠君」と「愛国」とは日本では一つのものであり、それが日本固有の道徳の本質となる。すなわち、

忠君と愛国と一にして二ならざるは、実にわが国特有の国家的道徳なり。(『学案』第三六節、二五六頁)

というのである。したがって「忠孝一致」も「忠君愛国」も「忠君」の一つに帰するというのである。

 (二・三・四・二) かかる「忠君」は具体的にいえば、皇室への献身であるが、何故にそのような情熱を持ちうるのかが問題であろう。それについての円了の解答は、上掲の国体の三カ条の第一条と第二条とであるが、それを一つにまとめていえば、日本は単一民族の一家であり、皇室はその宗家であり、国民各個はその分家である、という信念である。この信念あるが故に、身を守り、家を守るためには、国を守り、宗家(皇室)を守らねばならぬ、という情熱も生ずるのである。皇室の一貫性(皇統の連綿たること)を守ることが個人および民族の自同性(identity)を保つことの必要条件だと考えるのである。かく考えることによって、初めて、

忠君をもって道徳百行のもととなす。(『学案』第五〇節、二七一頁)

という道徳が成立するのである。

 (二・三・五) 普遍的な倫理学によれば、人生の目的は「個人の福徳円満と国家の福徳円満との両全」にあると円了はいうが、この人生の目的と日本独特の「忠孝一致」(または「忠君為本」)とはどのように関係するかというに、忠孝または忠君によって人生の目的が達せられるというのである。すなわち円了が、

一家、一族ことごとく和合一致するときは、我人は忠孝の義務を尽くし、人生の目的をまっとうするを得べし。(『学案』第三五節、二五五頁)

というのはこの意味である。

       (三) 『忠孝活論』

 (三・一) 『忠孝活論』の主眼は、その題名の示すとおりに、日本固有の道徳たる「忠孝」を論ずるのであるが、『日本倫理学案』ではそれを経験によって基礎づけたのと違って、『忠孝活論』ではそれを形而上学によって基礎づけている点に特徴がある。

 (三・一・一) しかもその形而上学は二種類あり、最初は宋理学の形而上学(理気の説)を利用し、最後の付論(「仏門忠孝論一斑」・・以下「仏門」と略記す)では大乗仏教、特に天台の空仮中の理論を利用している。

 (三・二) A 理気の形而上学

 (三・二・一) 円了は忠孝の道徳を基礎づけるために形而上学を用いた。そして最初に世界の始源についての二説を論ずる。曰く、

開闢説に二種あり。一は創造説にして一は開発説なり。(『忠孝』第二講、二九五頁)

 (三・二・一・一) 創造説とは超越神(神人別体説)が世界を創造したというユダヤ教・キリスト教・イスラム教に共通な主張であり、開発説とは超越神を認めず、世界と神との同一を唱える内在説であり、宋理学も大乗仏教もこれに属すると考えられている。曰く、

創造説は……神人別体説となり、開発説は……神人同体説なり。(『忠孝』第二講、二九五頁―二九六頁)

 (三・二・一・二) この二説のうち、創造説はつぎのような矛盾を含む。すなわち、(一)超越神(天帝)が世界を創造した原因だとすれば、超越神自身を創造する原因があるべきである。しかしさらにその原因の原因があり、無限に遡及できるはずであって、世界に始めがあるという説に矛盾する(『忠孝』第二講、二九六頁)。(二)もし超越神(天帝)には原因がないとすれば、世界は原因なくして生じたことになり、因果関係が無意味になる(『忠孝』第二講、二九六頁)。・・このように創造説には難点があるので、これを採用することはできず、結局その反対の開発説(内在説)を採用せざるを得ないという。曰く、

創造論の不合理にして開発説の合理たる以上は、神人別体論の非にして神人同体説の是なること明らかなり。(『忠孝』第二講、二九九頁)

 (三・二・二) 開発説(内在説)の客観的な形は星雲説である(『忠孝』第四講、三〇八頁)。しかし星雲が回転するにはその原因としての気または力がなくてはならぬが、この気や力は無形なもの故、客観的とはいえない。したがって客観的な内在説は主観的な内在説へ移行せざるを得ない(『忠孝』第四講、三〇九頁)。

 (三・二・二・一) この主観的な開発説(内在説)として、円了はまず宋儒の理気説を採用し、つぎに大乗仏教の真如・空仮中の説を採用する。

 (三・二・三) 宋儒の理気説を円了は簡潔につぎのようにまとめている。曰く、

気に純不純もしくは清濁の二ありて、ともに一理より生ずという。(『忠孝』第六講、三一六頁)

 すなわち、無差別一体の理のなかに純不純の気の差別が成立するのであるから、理と気とは一つの世界の平等の面と差別の面とであり、したがって一枚の紙の裏と表とのように相互依存して不一不二の関係にある。

理と気とは不一不二の関係を有し、……表面には純あり不純あるも、裏面には二者おのおの一理を具するのみ。(『忠孝』第七講、三一八頁)

というのは以上のごとき意味である。

 (三・二・四) この理気の形而上学を用いて、日本固有の道徳たる忠孝を論ずるときには、どのようなことになるか。それは日本の「国体」が特に優れているという信念を、純気がこの国に凝集せるがためであると説くのである。すなわち、

理想の純気の特にここ(日本―末木註)に啓発雲集せるを見る。故に余はこれを神国と称し、あるいはこれを聖の国と称せんとす。(『忠孝』第一〇講、三二八頁)

 このように日本は純気の凝集した尊い国であるから、物質的にも、

気候温和、地味豊沃、風景秀美なること世界いまだその比を見ず。(『忠孝』第一〇講、三二八頁)

といわれるほど恵まれている。そしてまた社会的(人界)にも、

一系連綿なる一種無類の皇室を奉戴し、(『忠孝』第一〇講、三二八頁)

 この上もなく尊い国である。そのような尊い恵まれた国に生をうけた国民は純中の純なる気を受けて大和魂を育て、自然に忠孝の徳を養うようになる、という。すなわち、

古来一種の霊気が凝然として大和魂を成し、最も精誠なる忠孝を発育し、云々。(『忠孝』第一〇講、三二八頁)

ということになる。

 (三・三) B 空仮中の形而上学

 (三・三・一) 『忠孝活論』の末尾に付論として「仏門忠孝論一斑」が収められているが、それは大乗仏教、特に天台の空仮中の体系によって忠孝を基礎づけようとする試みである。もっとも、「空仮中」とはいっても、本論文では「中」はほとんど述べられず、もっぱら「空」と「仮」とが用いられているが、しかしその基礎には天台の三諦円融があることは、円了自身のつぎのごとき言葉によって明らかである。曰く、

天台においては、物心万境の現象は次第に開発するを待たず、吾人の一心一念の上に具す。この一念動けば即時に万境歴然として存し、……いわゆる一念三千の妙理ここにあり。すなわちその開発や即時なりというべし。(『忠孝』第五講、三一三頁)

 また曰く、

天台の論は開発論というより、むしろ実相論というを適当なりとす。(『忠孝』第五講、三一三頁)

 「仏門忠孝論一斑」の基本となるのはこの天台の実相論を構成する空仮中の三諦であり、それに基づいて空門と仮門とが論ぜられるのである。

 (三・三・二) 円了によると大乗仏教の中心は「真如」であり、その外囲は「万法」である。曰く、

中心となるべきものは、これを真如となす。……真如を目的として外囲の宇宙万有、世間実際の上より、云々。(「仏門」三四二頁)

 (三・三・二・一) この中心の真如と外囲の万法との間には二重の関係が成立する。一つは万法から中心の真如へ進む道であって、これを「理論門」という。一つは真如より外囲の万法へ向かう道であって、安心立命を目指す道であり、これを「応用門」という(「仏門」三四二頁)。前者は向上の道であり、後者は向下の道である。曰く、

万法より真如に向かうは向上的にして、真如より万法に向かうは向下的なり。(「仏門」三四三頁)

 (三・三・二・二) また、この向上の道は万法を空じて真如に向かうので「空門」という。向下の道は真如の上に万法を立てるので「仮門」という。曰く、

向上的は万法を空じて真如の理を現すものなるが故にこれを空門となすべく、向下的は真如よりして万法をその上に立つるものなればこれを仮門となす。(「仏門」三四三頁)

 (三・三・二・三) また、万法から真如へ向かう向上的な空門は、万法の差別を無〔な〕みするので「平等門」である。これと反対に真如から万法へ向かう向下的な仮門は、万法の差別を認めるので「差別門」という。曰く、

空門は万有差別の相を空じて平等に入るが故に平等門なり、仮門は平等真如の上に万法差別の相を立つるが故に平等上の差別門なり。(「仏門」三四三頁)

 (三・三・二・四) さらに、この向上的の平等門は万法の住する世界を離れて無差別の真如に向かうので「出世間」である。これに対して向下的の差別門は万法の住する世界へ帰ることであるから「世間」である。曰く、

平等門は世間を離れて出世間を説き、……差別門は再び平等の理世間に向かいて現るるを説くなり。(「仏門」三四三頁)

 (三・三・二・五) さらにいえば、真如に向かう向上の道は自己の悟りを求めるので「自利門」であり、その反対に、真如を万法の世界に現す向下の道は「利他門」である。曰く、

向上は自己の悟りをもっぱらとするが故にこれを自利門とし、向下は広く世間衆生を済度せんとするを目的とするが故これを利他門とす。(「仏門」三四七頁)

 (三・三・二・六) いうまでもないことだが、悟りの自利門は「智慧門」であり、衆生済度の利他門は「慈悲門」である。曰く、

智慧門はいわゆる自利門にして、慈悲門はいわゆる利他門なり。(「仏門」三四七頁)

 (三・三・三) このように特徴づけられた空仮二道のいずれに忠孝の道徳が成立するかはすでに明らかであろう。それは世間の差別に応じて衆生を済度して安心立命を得させる利他的な慈悲行としての仮門にあること、いうまでもない。世にややもすれば出世間道の仏教には人倫道徳の入る余地はないと難ずるが、それは仏教の一面たる空門だけを見た説であって、仏教の他の一面の仮門・慈悲門・利他門を見落とした偏見にすぎない。仮門・慈悲門・利他門にあっては衆生を度して安心立命を与えんとするのであるから、まぎれもなく人倫道徳である。日本固有の忠孝一致の道徳もかかる仮門の利他行に基づくものである、と円了は考えるのである。曰く、

理論門(空門、智慧門、自利門―末木註)にて説きしところのもの、これを人倫忠孝の上に当てはむれば、仏教のいわゆる応用門(仮門、慈悲門、利他門―末木註)を開くに至る。(「仏門」三四六頁)

 また曰く、

大乗中の実大乗のごときは世間万法の存することを説き、われもまたその一部にして、われあり世間あり、かれありこれあり、朋友、君臣、国家ありというに至るべし。(「仏門」三四六頁)

 (三・三・四) 仏教にあっては、人倫道徳はこのように仮門に属するものである。しかしそれは人倫道徳が二次的な価値の低いものだという意味ではない。むしろ仏教の仮門によって基礎づけられるが故に、人倫道徳は絶対の価値を持つ「真の道」となる、と円了はいう。すなわち、

仏教にありては……万法即真如の真理によればみな平等一様に仏なり。ゆえに吾人が君父に尽くすも決して仮の道にあらずして真の道なり。(「仏門」三五〇頁)

 (三・三・四・一) このように仮門の人倫道徳が仮の道ではなくて、真の道であるのは、右の引用にもあるように、「万法即真如」であり、「みな平等一様に仏なり」であるからである。君主も仏である、父も母も仏である、兄も弟も仏である、友も仇も仏である。さればだれに対しても真心をこめて奉仕せざるを得ず、ここに「真の道」としての人倫道徳が成立する、と円了は説く。

 (三・三・四・二) このように「万法即真如」を説くことは、また空門と仮門との相即としての中道を説くことである。あるいは「平等差別の中道」(『学案』第一四節、二三三頁)といわれる「中道」である。ここに空・仮・中の三諦円融の天台の思想が見られる。円了は三諦円融によって人倫道徳を(そしてまた日本固有といわれる忠孝一致をも)基礎づけようとしているのである。そしてこのように差別の世界に平等を見、平等のうちに差別を見、空のうちに仮を見、仮のうちに空を見るが故に、「此土即寂光浄土」(『忠孝』第八講、三二四頁)となるという。忠孝とは、彼にとっては、この世界を浄土とする契機だったのである。

       (四) 『勅語玄義』

 (四・一) 『勅語玄義』は前二著と多少ことなった特徴をもつ。三著いずれも忠孝一致という日本独特の道徳を論ずるのではあるが、『日本倫理学案』は経験論的に福徳一致という普遍的理論を立て、その特殊化としての日本の忠孝一致を論じている。つぎの『忠孝活論』は宋儒の理気の形而上学と大乗仏教の空仮中の形而上学とに基づいて、形而上学的に忠孝を基礎づけている。そして第三の『勅語玄義』は『教育勅語』(明治二三年)という文献を解釈して忠孝の意味を明示しようとするもので、その方法は経験論でも形而上学でもなく、一種の解釈学である。そしてその結果は従来の忠孝論とは違って、相対的忠孝と絶対的忠孝(または絶対的忠)という二種の忠孝を区分し、後者すなわち絶対的忠にこそ日本独特の道徳がある、と主張するのである。

 (四・二) まず『教育勅語』(以下、『勅語』と略記す)については二種の解釈が成立する。第一は相対的解釈であって、これを「勅語通義」「相対的釈義」または「表」の解釈という。第二は絶対的解釈であって、これを「勅語玄義」「絶対的釈義」または「裏」の解釈という。曰く、

勅語には表裏二様の意義あり……、前者を勅語通義と名付く。……後者を勅語玄義と名付く。(『玄義』三五四頁・・以下『玄義』と略記す)

 また曰く、

勅語の通義は……これを相対的釈義とし、勅語の玄義は……これを絶対的釈義と〔す〕。(『玄義』三五九頁)

 (四・三) A 相対的解釈

 (四・三・一) まず表の普遍の解釈に従うと、『勅語』は忠孝の二種の道徳を主張するものであり、したがって「忠孝為本」がその特徴であるといわれる。すなわち、

通義の解釈にては、勅語は忠孝二道をもって眼目とし、……忠孝為本の道徳を詔らせたまえるものなりとす。(『玄義』三五五頁)

というのは、『勅語』は忠と孝という二種の道徳が並行して述べられている、ということである。忠は公共生活、特に国家・君主に対する道徳の根本であり、孝は私生活、特に父祖に対する道徳の根本であり、この公私両面の道徳を並立させるのが「忠孝為本」ということである。これが『勅語』についての通常の解釈だというのである。

 (四・三・二) これに対して、この通義は「相対的」である、と円了は批判する。それが相対的であるゆえんは二種ある。

 (四・三・二・一) 第一に、「忠孝為本」は上に述べたように忠と孝とを並立させ、孝は私的な道徳(自己に対する道徳と家族に対する道徳)であり、忠は公共的な道徳(社会に対する道徳と国家に対する道徳)であるが、両者の間には内的な連関がないので、「相対的」というのである(『玄義』三六〇頁―三六一頁)。

 (四・三・二・二) 第二に、「忠孝為本」は広く東洋諸国に共通に見られる道徳であって、日本固有のものといえないので、「相対的」という。曰く、

シナも忠孝為本、朝鮮も忠孝為本にして、すべて儒道の教うるところはみな忠孝為本なり。(『玄義』三五五頁)

 (四・三・三) しかしながら、『勅語』は東洋諸国へ向けて説かれたものではなく、日本の臣民に向かって述べられたものであるから、このような表面の相対的解釈で満足することはできない、必ずや裏面の玄妙な絶対的意味を読みとるべきである、というのが円了の主張である。すなわち、

勅語の御深意は東洋共通の忠孝為本にあらずして、わが国特殊の道徳を詔らせたまえるものなり。(『玄義』三五五頁)

というのである。

 (四・四) B 絶対的解釈

 (四・四・一) このように相対的解釈たる表面の「忠孝為本」に満足できないとすれば、当然その裏面に別種の、わが国独特の道徳を明示する解釈があるべきだ、という。すなわち、

わが国の道徳は忠孝為本の外に、一種の玄妙なるものあり。(『玄義』三五六頁)

というゆえんである。

 (四・四・二) この裏面の玄妙なる意味はなんであるか。それは「忠孝為本」という「相対的忠孝」ではなくて、「絶対的忠」である。私的道徳たる孝と並立する公共道徳の忠ではなく、両者を総合する道徳としての皇室に対する献身としての忠であり、これが「絶対的忠」であるという。曰く、

(わが国の―末木註)特有なる大道は、……一種特有の元気にして、これを和魂または日本魂という。……この魂が皇室に対する場合には、その道をなんと名付けきたりしや。……余はこれにおいてこれに与うるに絶対的忠の名称をもってす。これに対して外国共通の忠は相対的忠と呼ぶなり。(『玄義』三五六頁)

 (四・四・三) この裏面の絶対的忠の特徴は二個ある。第一にそれは相対的な忠と孝とを総合せるものであるから「絶対的忠」である。第二にそれは日本の皇室に対する無条件の献身であるから「絶対的忠」である。

 (四・四・三・一) 第一の意味。―「相対的忠孝」では忠(公共道徳)と孝(私的道徳)とが並立して両者の間に内的な連関がない。そのため、忠孝いずれかを選ぶというとき、その選択の標準がなくて、恣意的な選択となり、道徳性が失われる。それ故、道徳性を保持するには、忠と孝との外的な並立を克服して、これを一体化しなくてはならない。すなわち私的道徳と公共道徳とが一つにならなくてはならない。そしてただ一種の道徳だけがあるようにしなくてはならない。そうすることによって恣意なる選択が消去される。このようにして一体化された忠孝が「絶対的忠」である。曰く、

絶対的忠においては忠孝相合して一となりたる高遠玄妙の忠にして、その中に相対の忠孝ともに融和して存するものをいう。(『玄義』三五六頁)

 (四・四・三・二) 第二の意味。―「絶対的忠」はこのように公共道徳(忠)と私的道徳(孝)とを一体化するものであるが、何故そのようなことが成立しうるのかというに、日本では国家は一個の家であり、皇室は本家であり、国民各自の家はその分家だからである。すなわち、

本家(皇室)の系統を受くるもの君主となり、分家(国民の家)を相続するものは臣下となる。(『玄義』三五七頁)

 これはさきにも論じたように、円了の信念であるが、この信念に基づく限り、家(私)と国(公)との対立は消滅し、したがって家に対する私的道徳と国(皇室)に対する公共道徳とは一つのもの、または連続したもの、となる。それ故皇室に対して無条件の献身をすれば、それがただちに自己の家族に対する献身と解釈される。これが「絶対的忠」の第二の意味である。

 (四・四・三・三) このように「絶対的忠」は「相対的忠孝の一体化」という意味と、「皇室への無条件の献身」という意味と、二種の意味を持つが、しかし両者は不可分に結びついており、「皇室への無条件の献身」あるが故に「忠孝の一体化」も考えられるのである。そしてその基本には「国家=一家、皇室=本家、国民=分家」という信念(これを「単一民族の信念」またはむしろ「一家国家の信念」と名付けてもよい)があるのである。

 (四・四・四) この「絶対的忠」の基礎となる「一家国家の信念」を円了は信念とは考えず、事実と考えた。そしてそれ故に、これを「歴史上」と「理想上」の両面から実証しようとしている。

 (四・四・四・一) 第一、歴史上の実証―「一家国家の信念」は歴史上二種の形で証明される。一つには、皇室が歴史の上で常に優越して維持されてきたこと(これを「先天的皇室」という)、二つには、わが国は単一民族(「万民同族」)であって、国家が一家族として存続してきたこと、この二カ条である。すなわち、

歴史上にありては、わが国は左の二条において他国と全くその建国の事体を異にす。

   第一は皇室ありてのち人民あり(これを先天的皇室という)。

   第二は君臣一家、万民同族なり(これを家族的団体という)。(『玄義』三五七頁)

というのである。

 (四・四・四・二) 第二、理想上の実証―「一家国家の信念」の第二の証明はわが国の自然条件が恵まれていることと、わが国民の心情が優れていることの二種の理想状態によって、上記の「先天的皇室」と「家族的団体」という歴史的優越さが可能になるのだという。すなわち、

理想上にありては……わが国は豊葦原の瑞穂国といい、気候中和、土地豊穰、風景秀霊、実に世界無比と称す。かかる天地自然の気象が人心を動かして一種の元気を感発し、善美なる理想を開現して絶対的忠を現示するに至る。(『玄義』三五八頁)

 (四・四・四・三) このような証明がどの程度説得力を持つかは分からないが、ともかくも、円了はこのような歴史的・事実的な根拠に基づいて「一家国家の信念」を確かなものにし、そしてこの信念に基づいて、皇室への無条件なる献身という「絶対的忠」を唱えたのである。

       (五) 結 論

 (五・一) 概括。日本倫理学に関する円了の三種の代表的著作を見てきた。その考察をまとめると、つぎのようになる。

 (1) 『日本倫理学案』

  (1・1) その方法―経験論的方法。

  (1・2) その内容―二重の構造をなす。

(a) 普遍的理論的部門―人生の目的は、個人の福徳一致と国家の福徳一致との両全にある。この目的を達成するための努力が道徳であり、個人の目的に向かう努力が個人の私的道徳であり、国家の目的に向かう努力が公共道徳である。

(b) 特殊的応用部門―日本固有の道徳は忠孝一致にある。忠は公共道徳であり、孝は私的道徳であるが、両者の一致によって、個人の福徳一致と国家の福徳一致との両全が達成される。

 (2) 『忠孝活論』

  (2・1) その方法―形而上学的方法。

  (2・2) その内容―二種の内在論的形而上学によって忠孝一致を基礎づける。

(a) 宋儒の理気の形而上学―すべては唯一の理に基づくが、気の純不純によって区別が生ずる。日本は純中の純なる気の凝集せる国であり、それが無比の皇室となって現れ、また皇室への献身という形の忠孝一致の道徳を養う基となる。

(b) 大乗仏教の空仮中の形而上学―すべては空として無差別平等であるが、それと同時に仮として万物は相互に差別される。しかし差別と平等とは相即不離で中道をなす。その差別の仮の面において人倫の差別が成立するが、それは無差別平等の空(仏)の現れである。故にあらゆる道徳が、したがって忠も孝も、仏への奉仕という無上の意味を持ち、「真の道」となる。

 (3) 『勅語玄義』

  (3・1) その方法―文献の解釈学。

  (3・2) その内容―『教育勅語』について表裏二種の解釈を立て、裏の解釈によって日本固有の道徳を「絶対的忠」と規定する。

(a) 表の相対的解釈―『勅語』の主旨は「忠孝為本」であると解する。この解釈では、

(a・1) 忠と孝とは並立して、内的連関がないということ。

(a・2) 忠孝為本は日本固有のものではなく、東洋諸国に共通であるということ。

この二カ条の理由によって、「忠孝為本」は相対的な解釈にとどまる。

(b) 裏の絶対的解釈―『勅語』の主旨は「忠孝為本」ではなく、「絶対的忠」である、と解する。それは二つの意味を持つ。

(b・1) それは忠と孝とを忠のうちに総合するので絶対的忠である。

(b・2) それは皇室に対する無条件なる献身である故に、絶対的忠である。

 (4) 三著に共通の基礎

 この三著にはつぎのごとき共通の特徴がある。

(4・1) 三著ともに、忠を主とした忠孝一致、または絶対的忠を日本固有の道徳と考えている。

(4・2) 三著ともに、「一家国家の信念」に基礎づけられている。これはつぎの三カ条の主張を含む信念である。

(a) 「国家=一家」

(b) 「皇室=本家」

(c) 「国民=分家」

この「一家国家」の信念あるが故に、家に対する私的道徳の「孝」と国・皇室に対する公共道徳の「忠」とは連続せる一体のものとなり、忠によって孝をも含むことができることになる。これが「忠孝一致」であり、「絶対的忠」である。

 (五・二) 批判。円了の日本倫理学はこのように「一家国家の信念」、または当時の概念でいえば「国体」に対する信念、に基づく皇室への忠誠である。この忠誠には正と負との両面があることを指摘しておきたい。

 (五・二・一) その正の面。―この皇室への絶対的な忠誠は、

(a) たとえば乃木希典の言行に見られるように、極めて純粋高潔なものとなりうる。この点は高く評価しなくてはならない。

(b) また、この皇室への忠誠は日本の民族的統一と安定と国際的独立とにとって極めて有効に作用している。この点も大切なことである。

 (五・二・二) その負の面。―しかしこの国体への信念に基づく忠誠心には負の面もある。すなわち、

(a) 自国の国体をあまりに尊崇する結果、排他的になり、国際的協調を欠く危険がある。

(b) また、その信念と忠誠心とは時の支配勢力に無批判に協力し、または追従する危険を含んでいる。

(c) また国体への信念も忠誠心も集団の全体性に優位を与えることである故、個人の個別性という絶対的なるものを無視する危険をも含んでいる。

 (五・二・三) 井上円了は国体への強い信念と、それに基づく国家・皇室への純粋な忠誠心とをもって、明治時代の民衆を啓蒙し教育するために一生を捧げたのであり、その功績は上に掲げた正なる面に該当する。しかしそれと同時に上記のごとき負の面もあったのではないか。特に時の権力に対して無批判であったこと、全体への忠誠を強調するあまりに個人の個別性への反省が弱かったこと、この二点は少なくとも彼の日本倫理学の弱点ではなかったかと思われる。