1.哲学一夕話

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哲学一夕話


     第一編 序

  余かつて小汽船に乗じて某地を往復するの際、五、六名の客、余が傍らに座するあり。談たまたま哲学のことに及ぶ。

甲曰く 当時、哲学と称する一種の新学問西洋より入りきたりたるが、いかなる学問なるや。

乙曰く われ聞く、哲学は究理の学問なりと。

丙曰く 究理の学はすなわち物理学にして哲学にあらず。われ察するに哲の字は賢哲の哲の字なれば、哲学は孔孟の学のごとき聖賢の学問ならん。

丁曰く 哲学は孔孟の学のごとき浅近のものにあらず。われかつて井上哲次郎氏の倫理新説を読み、哲学の高尚なるに驚けり。

戊曰く 当時、西周先生は哲学者をもって名あり。われかつてその訳するところの心理書を読みて、哲学は心理学なることを知る。

己曰く われ聞く、原坦山師は仏学者にして、大学哲学部の教師たりと。これによりてこれをみるに、仏教すなわち哲学ならざるべからず。

庚曰く 諸君の説おのおの異にして、いかなるもの果たして哲学なるや、未だ知るべからず。

甲笑うて曰く その知るべからざるもの、けだしこれ哲学ならん。

衆みな笑うて曰く しかり、しかり。

  余傍らこれを聞きて、またはからず笑を含む。畢竟かくのごとく衆説の不同あるは、全く哲学のなんたるを知らざるによる。そもそも宇宙間に現存せる事物に、形質を有するものと有せざるものあり。日月星辰、土石草木、禽獣魚虫は形質を有するものなり。感覚、思想、社会、神仏等は形質を有せざるものなり。この形質あるものを実験するの学、これを理学と称し、形質なきものを論究するの学、これを哲学と称す。これ理哲両学の異同ある一点なり。あるいは事物の一部分を実験するもの、これを理学と称し、事物の全体を論究するもの、これを哲学と称するものあり。あるいは理学は実験の学、哲学は思想の学とするものあり。これを要するに、理学は有形の物質に属し、哲学は無形の心性に属する学問なり。しかしてこの心性に属する学問に、心理学、論理学、倫理学、純正哲学等の諸科あり。そのうち、心理学、論理学等は多少人の知るところなれども、純正哲学に至りて、そのいかなる学問なるやは、すこしも人の知らざるところなり。略してこれをいえば、純正哲学は哲学中の純理の学問にして、真理の原則、諸学の基礎を論究する学問というべし。これを論究するに当たり、心の実体なにものなるや、物の実体なにものなるや、物心の本源、物心の関係いかなるものなるや等の問題起こる。故にこれを解釈してその説明を与うるは、純正哲学の目的とするところなり。今、余はこの純正哲学の問題およびその解釈を、世の全く哲学を知らざるものに示さんと欲するをもって、ここに『哲学一夕話』の数編を著すに至る。その第一編は物心の関係を論じて、世界はなにによりて成るかを示し、その第二編は神の本体を論じて、物心のいずれより生ずるかを示し、その第三編は真理の性質を論じて、諸学はなにに基づきて起こるかを示すものなり。この諸編を読むもの、ひとたびこれを看了して純正哲学の一斑を知ることを得れば、余が幸いこれに過ぎたるはなしという。

  明治十九年七月                  著者誌




     第一編 物心両界の関係を論ず

 緒言  世の哲理を論ずるもの、おのおの一方に僻して、論理の中正を得ざるもの多し。余この弊あるを察しここに一編を起草し、殊更に問答を設けて哲理の中道を示し、あわせて世人に哲学の一斑を告ぐるものなり。およそ哲学上論ずるところの問題はこれを帰するに、心のなんたる、物のなんたる、世界のなんたるに外ならず。世界は物のみにして心なしと立つるもの、これを唯物論といい、世界は心の中にありてその外に物なしと立つるもの、これを唯心論という。唯心は心の一方に僻し、唯物は物の一方に僻し、共に中正の論にあらざること明らかなり。もしその中正を立てんと欲せば、物心二者を統合して、非物非心の理を本とせざるべからず。その理の外に物心なしと立つるときはこれを唯理論という。唯理論は理の一方に偏するをもって、これまた中正の論にあらず。その理を離れて別に物心ありとするも、また正論にあらず。故に理は物心を含有し、物心は理を具備し、二者その別あるも相離るるにあらず。相離れざるもその別なきにあらず。これを哲理の中道とす。この編を読むもの、多少その中道の関係を知るべしと信ず。いささか題して緒言となす。

 

  円了先生の門に円山子および了水子と称する二人の哲学者あり、共に上足の弟子たり。一夕、月明に会し、庭前に月を賞す。談たまたま哲理に及ぶ。

了水子曰く 余この明月に対して深く感ずるところあり。世人みな月の明らかなるを知りて、そのなんのために天空に懸かるを知らず。その毎夜、出没上下するを知りて、その初めいかにして成り、その終わりいかにして滅するを知らず。これを推して人事を思い、これを及ぼして世界を考うるに、だれもそのなんたるを知らずして、すこしも怪しまざるは果たしてなんの心ぞや。よりて余は今、世界のなんたるを論ぜんと欲す。子、これを論ずるの意なきや。

円山子曰く 世界はなお織物のごとし。時間その経となり、空間その緯となり、経緯の間に織り出だしたる千態万状の模様は万物の変化なり。その変化の最小最短部分を占有するもの、我人の一生なり。たとえその人五尺の身体を有し、五十年の寿命を保つと称するも、限りなき時間と、かぎりなき空間とに比すれば、その身滄海の一粟を余さず、その寿一瞬一息を待たざるものなり。かくのごとき最小最短の人にして、最大最長の時間空間をもって、組み立てたる世界のなにものなるやを知らんとするは、実に惑えりといわざるべからず。

了水子曰く これ人の惑いにあらずして、子の惑いなり。時間空間は人その心より描きあらわしたる影像にして、全世界ことごとくその心内に現存し、万物一としてその表象にあらざるはなし。

円山子曰く 子なにをもってその理を証するや。

曰く 我人のいわゆる万物は色、声、香、味、触の五境をもって組み立てたるものにして、その五境は我人の眼、耳、鼻、舌、身の五官に感触して生ずるところの性質なり。目なくばだれかよく色を知らん、耳なくばだれかよく声を知らん、鼻舌身なくばだれかよく香味、形質を知らんや。しかしてこの性質を離れて別に物あるを知るべき理なきをもって、万物はすべて我人の感覚の範囲内に生ずるところの現象なること明らかなり。

円山子曰く 万物は我人の感覚内にありとするも、時間空間はいかにして感覚内にありということを得るや。

曰く 我人の空間の存するを知るは物の大小遠近あるにより、物の大小遠近あるを知るは我人の手足の感覚あるによる。時間もまたしかり。手足を労働するときは、その感覚によりて時間の長短を知ることを得るなり。

円山子曰く 子の言のごとく、時間も空間も万物もみな感覚内にありとするも、未だわが心中にありというべからず。感覚は心界と物界との間に位するものにして、心の外部と称すべきも、その内部とはおのずから異なるところあり。しかるに感覚内に存するものをもっていかにして心内に存すというや。

曰く 感覚内に存するものすなわち心内に存するものなり。感覚は心の外部に起こるところの作用にして、心の内部に起こるところの意識知覚作用にあらずといえども、声の声たるを知り、色の色たるを知り、感覚の感覚たるを知るはすでに知覚作用にして、心の内部に起こるものなり。もしこれを知覚することなくして単純の感覚にとどまるときは、我人の物のなんたるを知るべき理なし。いやしくもこれを知るは意識の関するところにして、心内の作用なり。

円山子曰く 余請う、一例を挙げて子の意を迎えん。試みに今、天空に懸かる月を見るべし。我人のこれを知るは、直ちにその幾万里外に存するところの体を知るにあらずして、その体よりきたるところの光線、わが眼球に入りて、その網膜面上に影像を結び、その影像を視神経より脳髄に伝えて始めて月の現ずるを知る。故にわが知るところの月は脳中の月にして、天空の月にあらず。これひとり月のみしかるにあらず。物みなわが脳中に入りて始めて物となる。この理によりて万物の心内に存するゆえんを解釈してしかるべきか。

曰く かくのごとく解釈して不可なることなし。果たしてしからば余、子に難詰せんと欲するものあり。我人の知るところの月は心の内にありとするも、心内にその象を示すところの本体は心外にありて存せざるべからず。もしその存せざるにおいては心内にその象を現ずべき理なし。これを例うるに鏡面に月影を見るがごとし。鏡面にその影あるは鏡外にその実体あるによる。

了水子曰く これただ、推想に属するのみ。わが直接に知るところのものは心内の月にして、心外の月にあらず。しかして心外にその実体あるべしというは、その真に存するを知るにあらずして、推想上存せざるべからずと憶定するに過ぎず。故にこの理をもって、万物の実体は真に心外にありというの証となすべからず。

円山子曰く 心外に物体ありとするはもとより推想に過ぎずといえども、これを無しとするもまた推想に過ぎざるなり。推想上いずれが最も信ずべしといわば、これを有りと断定するは理のもとより許すところなり。

了水子曰く 余が世界万物みな心内にありというは、その実体心外になしというを義とするものにあらず。ただわが知るところの万物は心内の万物なりというにあり。かつ心外の物体を推想するがごときは、すなわち意識の作用にして心より生ずるところの思想なり。これを有りとするも無しとするもみな思想の力なり。この点よりこれをみれば、心外に一物なしということを得べし。

円山子曰く 心外果たして一物なきにおいては、わが心において知らざるものの世界に存すべき理なし。しかるに不可思議、不可知的のものの存するはいかん。

曰く 不可思議も不可知的もみなわが心内の思想なり。不可思議は思議すべからずと思議し、不可知的は知るべからずと知るなり。知るというも知らずというも思想の作用なり。有りとするも無しとするも意識の作用なり。余がかく論ずるも子がこれを駁するも、またみな心の力なり。

円山子曰く 子のいうところに従わば、世界ただ一心あるのみといわざるべからず。しかるに我人の知るところの事物は互いに相対待して存するものにして、ただ一のみありて他なしというの理なし。別して心は物に相対して起こる名にして、物なければ心またなき理なり。いずくんぞ心のみありて物なしということをうるや。

了水子曰く かくのごとく心と物は対待して存するものなりというがごときもみな心の作用にして、心有りというも心無しというも、またみな心の作用なり。

円山子曰く その心の実体はなにものにしていずれよりきたり、だれの造るところなるや。

曰く かくのごとく論ずるものみなこれ心なり。心の実体知るべからずというも心なり。その体すなわち天神なりと論ずるも心なり。

円山子曰く 余ここに至りて始めて子の意を知る。けだし子はわれもかれも、西も東も、古も今も、神も仏もみな一心中にありて、その差別なしというの意ならん。

曰く しかり。果たしてしからば余一言をただせざるべからず。無差別の一心中に我人の差別あるはいかん。子も余も共に一心中にありて、子は余に非ず、余は子に非ず。余いま死するも子滅するに非ず、子滅するも万物依然として現存すべき理なり。古今あるべき理なくして古今あり、東西あるべき理なくして東西あり。

了水子黙然、しばらくありて曰く これ余が未だ論究せざるところなり。

円山子曰く 子の論、可はすなわち可なりといえども、ここに至りて解することあたわず。故に余は人をもって天地万物の一部分とし、心はその部分中の一部分とするなり。子も一個の人なり、余も一個の人なり。子の心も一種の心なり、余の心も一種の心なり。人もとより彼我の別あり、心もとより自他の別あり。時間に古今あり、空間に東西あり。

了水子曰く 子はしからば物と心との差別を立つるや。

曰く しかり。いずれの点をもってその差別を立つるや。

曰く 物には大小の形、軟硬の質あれども心にはこの形質なし。これをもってこの二者を区別するなり。

了水子曰く 物の性質を知るは心の力によるべしといえども、心の性質はなににありて知るや。

曰く 心を知るは物による。

了水子曰く 物よく心を知るの力ありや。

曰く 物直ちに心を知るにあらずといえども、我人は物あるによりて心あることを知るべし。

了水子曰く しからば心をもって物を知るも心なり。物をもって心を知るも心なり。物心の差別は心の中にありて存するにあらずや。

  円山子、黙然たり。

了水子また問いを起こして曰く 物心はしばらくその差別ありとするも、その起源にさかのぼりてこれを考うるに、果たして差別ありや。

曰く 有り。しからば今日、天地間に現見せる日月星辰、山川草木、鳥獣魚虫、その数幾万あるを知らず。これみな太古よりその差別ありてきたるものか。

曰く この数万の種類はその初め一、二の種類ありて、次第に分化派生してきたるや疑いをいれずといえども、物と心とは初めよりその差別なくはあるべからず。

了水子曰く 万物すでにその初めより差別あるにあらざるゆえんを知るときは、物心もその初めより差別あるにあらざるゆえん、また推して知るべきなり。

円山子曰く 万物は多少相類同じたる性質を有するも、物と心とは全く相反したる性質を有するをもって、この二者は初めよりその差別あるべし。

了水子曰く しからば余、更に一問を起こさんとす。心は人ひとりこれを有して、動物、草木は全くこれを有せざるか。

曰く わがいわゆる心は人のひとり有するところにして、動物はこれを有せず。

了水子曰く 人の最も下等なるものと動物の最も上等なるものとを較するに、その間ほとんど心理上の懸隔あるを見ず。あるいはかえって人類の動物に及ばざることあり。つぎに動物と植物とを較するに、またその間判然たる分界を立つることあたわず。植物と無機物質とを較するもまたしかり。故に人類すでに心を有すれば動物もまたそのいくぶんを有し、動物すでにこれを有すれば植物もまたそのいくぶんを有し、植物すでにこれを有すれば無機物もまたこれを有せざるべからざるの理なり。かくのごとく推究するときは、物心の差別初めよりこれなきゆえんを知るべし。かつ太古にさかのぼりて地球の歴史を案ずるに、太初は無機物質のみありて未だ有機体を現ぜざるときあり。ようやく降りて動植を現ずるも未だ人類を見ざるときありしという。これまた子のいわゆる差別の心は初めより存せざる一証となすに足る。

  円山子、黙然たり。

了水子また曰く 今、余と子とは互いに相対して言語応答するも、子の心永く存するにあらず。余の心も早晩去るときあり。身朽ち心去るときは子と余との差別もたちまち転じて無差別となる。その未だ世に出でざるに当たりてはもとより余と子との差別なく、その世を去るに当たりてもまたその差別なし。いわゆる無差別より出でて無差別に入るものなり。しかして彼我自他の差別の存するは、五十年の最短の時間と五尺の最小の空間を占有するときにあるのみ。これを限りなき時間とかぎりなき空間とに比するに、あにまたいわゆる彼我の差別あらんや。

円山子曰く 余が心去るも必ず去りて住するところあり。子の心きたるも必ずよりてきたるところあり。その未だ生まれざるに当たりて、すでに余と子との差別ありて存し、その死するも彼我の差別永く滅するにあらず。ただ目前にその差別を見るあたわざるのみ。

了水子曰く これ子の推想に過ぎざるのみ。我人はそのきたるもいずれよりきたるを知らず。その去るもいずれに向かって去るを知らざれば、いずくんぞ彼我の差別の生前死後にわたりて存するを知らんや。

円山子曰く 余の生ぜざるに当たりては余と子との差別なく、子の死するに至らばまた子と余との差別なかるべしといえども、余生まれざるも子と他人との差別を有し、子死するも余と他人との差別なお存し、余と子と共に死するも他人の間になお彼我の差別を存し、人類ことごとく滅するもなお禽獣草木の間に自他の関係を存すべき理なり。

了水子曰く 禽獣草木の存する以上は、その間に自他の差別あるべしといえども、天地万物ことごとく滅尽して宇宙無一物の日に至らば、いずれのところにか自他彼我の差別を論ぜん。宇宙はすでに物心無差別のときより次第に進化して、今日の万境を現ずるに至るをもって、もし他日次第に溶化して今日の万境滅尽するに至らば、太初のごとくまた無差別の境に入るべし。

円山子答うることあたわずして曰く これ余が未だ論究せざるところなり。

了水子曰く 余は無差別の心の存するを知るも、その心の中に差別の物心あるを解することあたわず。子は差別の物心あるを知るも、その差別の転じて無差別となるを知らず。請う、これを先生にただしてその疑いを解かん。

円山子曰く しかり。

  すなわち入りて円了先生の帷下に至り、おのおのその論ずるところを開陳して先生の教えを請う。

先生曰く なんじらの諍、おのおの一方の理をみて全局を知らず。了水は無差別の一方をみて差別を知らず、円山は差別の一方をみて無差別を知らず、共に一僻論たるを免れず。しかしてその両人の間に疑念を生じたるは、差別と無差別とその体全く異なるものと信ずるによる。了水のいわゆる無差別の心はすなわち円山のいわゆる差別の心なり、円山のいわゆる差別の心はすなわち了水のいわゆる無差別の心にして、二者その体同一なり。無差別の心は差別の心によりて知り、差別の心は無差別の心によりて立つ。これを例うるに一物に表裏の差別あるがごとし。表裏の差別あるをもって物あるを知り、物あるをもって表裏の差別を生ずるなり。表面を見て見極めれば裏面あるを知り、裏面を見て見極めれば表面あるを知り、表裏を見てその全面を検すればその体一物なるを知り、一物を取りてその外面を見れば表裏その別あるを知るべし。しかして表裏の体初めより一物にして別体なるにあらず。表面のそのまま一物体にして、裏面のそのまままた一物体なり。ただその見るところ異なるに従って表裏の差別を現ずるのみ。今、円山のいわゆる差別の物心は表裏の関係を有するものなり。物より心を見れば心は物にあらざるを知るべく、心より物を見れば物は心にあらざるを知るべく、自他彼我の差別のその間に生ずるに至るも、その体もと一物にして初めより差別あるにあらず。物を論じて論じ極めれば心となり、心を論じて論じ極めれば物となり、物心を論じて論じ極めれば無差別となり、無差別を論じて論じ極めればまた差別となり、差別のそのまま無差別にして、無差別のそのまま差別なり、差別と無差別とはその体一にして差別なし。差別なくしてまた差別あり、差別ありてまた差別なし。これを哲理の妙致とす。円山の世に古今を分かち、人に彼我を立てて、方に東西を定めて論じたるは、差別の上の論なり。了水の方に東西なく、人に彼我なく、世に古今なく、みな一心中にありと論じたるは、無差別上の論なり。しかして円山の了水を難詰して、無差別中に差別あるを説きたるは、無差別極まりて差別を生ずるものなり。了水の円山を返駁して、差別の転じて無差別となるを証したるは、差別極まりて無差別に入るものなり。故に差別と無差別とは常に並存して相離れざるものなり。差別のいずれの点より論を起こすも、その極無差別に入りてとどまり、無差別のいずれの点より説を発するも、その末差別に入りてとどまり、けだし論理回転して際涯なきものとす。これ差別無差別のその体同一なるによる。故に了水の論も一理あり、円山の説も一理あり、二者相合して始めて円了の全道を見るべし。それ円了の道たる差別中に無差別を有し、無差別中に差別を有して、差別すなわち無差別、無差別また差別にして、同体にして異体、異体にして同体なる関係を有するものをいう。この道や諸説諸理の回帰するところにして、道理の円満完了するところなるをもって、これを円了の道と名付くるなり。なんじらはその道の一面を知りて、全体を知らざるものなり。

円山子問うて曰く 直ちにこれをみれば、彼我物心の差別を見て無差別の理を知るに至らず。深くその理を究めて始めて無差別の理に達するの次第あるはいかん。請う、教えを垂れよ。

先生曰く この次第あるは、差別は表面にありて無差別は裏面にあるによる。

あえて問う 太古に差別なくして今日に差別あるはいかん。

先生曰く 差別と無差別とは常に相並存するものにして、太古に差別なくして今日に差別あるの理なし。ただ太古と今日との異なるは、太古にありては表面に無差別を示し、今日にありては表面に差別を示すの次第あるによる。太古、物心未だ分かれざるときに当たりては万物無差別なれども、その無差別の中に差別を含有するをもって、その体開発して今日の差別の諸境を現ずるに至り、今日の差別の裏面に無差別を携帯するをもって、他日その体回転して世界滅亡の期に至らば、無差別の表面を示すに至るべし。無差別は開きて差別となり、差別は合して無差別となる。これを世界の大化という。その大化の間に時の古今を見、世界の終始を示すのみ。我人の生老病死もわが社会の盛衰存亡もまた、ただその間の小波動に過ぎず。しかしてその変化の原理に至りては無始無終、不生不滅にして尽期あることなし。この無始無終、不生不滅の理体、これを円了の体と名付くるなり。その体の一方に無差別を含み、他方に差別を帯び、自体の力によりて回転して、あるいは差別の表面を示し、あるいは無差別の表面を示し、その変化いずれのときに始まり、いずれのときに終わるを知らず。この作用を円了の力と名付くるなり。その体、その力、その道合してこれを円了の三性とす。体は内に備わる実性なり、力は外に発する作用なり、この体と力との関係を示すものこれを道とす。故に体も力も道もその実一なり。これを三性一致の妙理とするなり。

了水子問うて曰く 円了の体は高くして測るべからず、円了の力は大にして知るべからず、円了の道は深くしてうかがうべからず。しかるに我人のごとき、よくこの三性一致の妙理を味わうることをうるや。

先生曰く なんじあえて驚くなかれ。なんじの体はすなわち円了の体なり、なんじの力はすなわち円了の力なり、なんじの道はすなわち円了の道なり。なんじを離れて別に円了あるにあらず。

  了水子、なおその理を会得することあたわず。

先生曰く 差別の上よりこれをみれば、なんじは円了の一部分なれども、無差別の上よりこれをみれば、なんじも円了もその体同一なり。なおなんじの心は天地間の一部分なれども、その心中に天地万物を包含して、世界と心と同一体なるがごとし。

  了水子、やや疑いを解くことを得たり。

円山子なお怪しむ色ありて問うて曰く 差別の我人みな円了とその体を同じうするにおいては、差別の禽獣草木、山川国土、またみな円了と同一体なるべし。果たしてしからば、禽獣木石もよく三性一致の妙理を知ることを得べきや。

先生曰く 無差別の上よりこれをいえば、禽獣木石みなことごとく、三性一致の妙味を知ることを得べき理なれども、差別の上よりこれをいえば人獣草木の間におのずから差別ありて、ことごとく同一にその味を知ることあたわず。また人類の中にも賢愚利鈍の差別ありて、ことごとく同一にその理を了することあたわず。しかれどもその体、円了と同一なるをもって人よくその心力を用うれば、この三性一致の妙境に達することを得べし。禽獣草木は今日にありては円了の下等の部分に位するをもって、その全体を知るの力なしといえども他日、円了回転の力、これをして高等の部分に位せしむるに至らば、人類と同一にその妙味を感ずることを得べし。人もまた他日更に高等の地位を占有するに至らば、心力を労せずして自然にその味を感ずることを得べし。

了水子曰く しからば円了の体、常に回転してとどまざるか。

曰く 余がさきに述ぶるごとく、その体自身に有するところの力をもって常に回転活動して、片時もやむことなし。すなわち一大活物なり。一大活物なるも外に待つことありて活動するにあらず。本来、自発自存、独立独行、自然にして進化し、自然にして淘汰し、滅するがごとくにしてあえて滅せず、生ずるがごとくにしてあえて生ぜず、去るがごとくにしてあえて去らず、きたるがごとくにしてあえてきたらず、満つるがごとくにしてかえって虚しく、虚しきがごとくにしてかえって満ち、なすことあるがごとくにしてかえってなさず、なすことなきがごとくにしてかえってなす、前にあるかと思えばかえって後にあり、後にあるかと思えばかえって左右にあり、左右にあるかと思えばかえって上下にあり、人そのなにものたるを知るべからざるがごとくにしてまたよく知るべく、知るべきがごとくにしてまたよく知るべからず、不可思議なるがごとくにしてまたあえて不可思議なるにあらず。物心の外にあるがごとくにしてまたあえてその外にあるにあらず、絶対なるがごとくにして相対なり、無差別なるがごとくにして差別あり、変ぜざるがごとくにしてよく変化し、名付くべからざるがごとくにしてまたよく名あり、その名をなんというや。

曰く 円了これなり。

ときに円山、了水、二子共に嘆じて曰く 斯道の深遠濶大なる一朝一夕のよく解するところにあらず。請う、他夕に譲りて更に教えを請わん。

  かくて席を退きて室に入る。ときに夜十一時なり。






第二編 序

  余さきに一夕話第一編を起草し、すでにこれを世に公にす。人あり、きたりて余に告げて曰く、僕、君の論を一読するに、その趣向はいたっておもしろしといえども、道の本体に名付くるに円了の名をもってするは、あまり高慢にわたるに似たり。よろしくこれを古人の用いきたりし名称に改むべしと。余曰く、君の忠告は実に謝せざるを得ずといえども、余が自身の名を用いたるはやむをえざる事情に出でたるものなれば、これを古人の用語に改むべからず。その理いかんとなれば、余が意、古今東西の諸説諸論を合して哲理の中道を立てんとするにあれば、古人の用いきたりし名称を用うるときは、人これを評して古人の説に僻するものなりというや必然なり。もしこれに与うるに太極の名をもってすれば、彼は易説をとるものなりといい、これに与うるに真如の名をもってすれば、彼は仏説によるものなりといい、これに名付くるに無名真宰の語をもってすれば、彼は老荘を学ぶものなりといい、本質の名称をもってすれば、スピノザ氏の徒なりといい、自覚の名称をもってすれば、カント氏の派なりといい、絶対理想の名称をもってすれば、ヘーゲル氏の説を受くるものなり、不可知的の名称をもってすれば、スペンサー氏の論を述ぶるものなりというべし。かくのごとき評をきたすときは、人をしてその論理の中正を知らしむることあたわず。これ余が古人の用語を用いざるゆえんなり。あるいは新たに一語を作りて、その名と定めてもしかるべしといえども、よくその意を表示する語なきは明らかにして、かえって真義を害するの恐れを免れず。しかしてその名の最もよく道体の義を表示するものは、円了の語なり。それ円了の語たるや、円満完了と熟して、道理の円満完了するを義とするものなれば、古今東西の哲理を合したる名称なること、おのずから知るべし。これ余が自身の名を用うるゆえんなり。故にたとえ人余を評して高慢なりというも、余があえて顧みざるところなり。ここにその理由を記して、第二編の序言となす。

 

  明治十九年十月                  著者識




     第二編 神の本体を論ず

緒言  およそ物心の本源にさかのぼりてその起こるゆえんを考うるときは、必ず一種の原体ありて存するを想見す。これを神と称しあるいは天神という。この神体、実に存せりと唱うるもの、これを有神論と称し、その体実に存するにあらずと唱うるもの、これを無神論という。有神論は有神の一方に僻し、無神論は無神の一方に僻し、共に中正の論にあらざること明らかなり。しかして、また有神を唱うる論者中に、その体物心の外にありと唱うるものと、物心を離れて別に存するにあらずと唱うるものあれども、その一は物心の外に僻し、その二は物心の内に僻するをもって、これまた中正を得たりと称するを得ず。これを知るべからざるものとなすも、これを知るべきものとなすも、またひとしく正論にあらず。故にもしその間に論理の中正を保持せんと欲せば、天神は物心の外にあるがごとくにして、あえてその外にあるにあらず。物心すなわち天神なるがごとくにして、またあえて同一なるにあらず。差別あるがごとくにしてかえって差別なく、差別なきがごとくにしてかえって差別あり。知るべからざるがごとくにしてかえって知るべく、知るべきがごとくにしてかえって知るべからず。存するがごとくにしてかえって存せず、存せざるがごとくにしてかえって存するものなりと立てざるべからず。これを哲理の中道となす。この編を読むもの、多少その中道の妙味を知るべしと信ず。

 

  時まさに晩秋冷気ひとを襲うの際、一夕、天暗うして雨はなはだしきに会す。四隣寂としてただ風雨の颯々たるを聞くのみ。円了先生、早くすでに講堂にありて哲理を講ず。円東、了西、円南、了北と称する四人の門弟、その前に侍座す。

先生曰く 今夜静閑、哲理を談ずるによし。なんじら、なんぞ黙然たるや。

円東子立ちて曰く 昨夜明月の天に懸かるを見、今夕風雨の窓をうつを聞く。わずかに一日を隔てて、この雨晴明暗の径庭あるはいかん。余深くここに惑うところありて、今その理を思わんとす。これ余が黙然たるゆえんなり。更に進んで四時の変化を見るに、日月相送りて昼夜をなし、寒暑相推して春秋をなし、その際、水旱風雨、天災地変のしばしば至るがごときは、果たしてだれのなすところなるや。退きて人事を察するに、貧富常なく、老少定まりなく、禍福期し難く、病患避け難く、去るものは追うべからず、きたるものは拒むべからず。朝に生を迎え、夕に死を送り、寸陰も休止すべからざるものは人の一世なり。社会の盛衰、国家の存亡、またみな常に循環して一日もとどまることなし。これ果たしてなにによりてしかるや。顧みて心内を思うに、諸想の起滅断続またその常なきをみる。これまたなんの理によるや。余かつてこれを聞く、この内外両界の変化は、物心の外に別に天神と称するものありて、これを営むによるというも、余その天神のなんたるを知らざれば、未だその説を信ずることあたわず。

了西子立ちて曰く 余ももとより天神の実在を信ぜざるものなり。

円南、了北二子、共に立ちて曰く 余輩は天神の真に存することを信ずるものなり。

了西子また曰く 願わくは先生の教えを請うて、その疑いを解かん。

先生曰く なんじらよく、おのおのその思うところを開陳して、天神の有無を論ずべし。

円東子すなわち進みて曰く 余が思うところによるに、天神のごときは全く古人の空想に出でたるものにして、今日の実験に照して、その実在を証すべからざるは明らかなり。すでにその実在を知るべからざれば、その力よく宇宙を構成し、万物を造出し、物心の変化を経営すというがごときは、もとより無証の妄言に過ぎず。故に余は世界中の万物は同一の物質より成り、万物の変化は物質内に含有せる勢力より生ずといわんとす。今その理を開陳するに、物質あれば必ずここに勢力あり、勢力あれば必ずここに物質あり、物質を離れて勢力なく、勢力を離れて物質なきは、今日理化学のすでに実験せるところなり。かつこの物質はあるいは気体となり、あるいは固体となり、あるいは液体となりて、千差万別の形象を外に現ずるも、その実質に至りてはすこしも増減生滅あることなく、またこの勢力はあるいは運動力となり、あるいは熱力となり、あるいは電力となりて、千変万化の作用を外に示すも、その定量に至りてはすこしも増減生滅あることなきも、またすでに理学者の証明せるところなり。その一を物質不滅の規則といい、その二を勢力恒存の理法という。今日の諸学はみなこの理に基づきて原則を立つるに至る。これによりてこれをみるに、世界はその初めより一定の物質と一定の勢力ありて、その間に営むところの無量の変化より成り、他にこれを造出するものありて、万物の生ずるにあらず。またこれを経営するものありて、変化の起こるにあらざることすでに明らかなり。もし果たして他にこれを造出経営するものあるときは、我人はそのもののいかなる性質を有し、いかなる部分に存するかを知らざるべからず。しかるにこれを論理に考うるも、これを実験に照すも、その性質存在を究むべからず。果たしてしからば、物質の外に造物者あり、勢力の外に経営者ありと定むるは、全く空想に出でたるものにして、理学上よりこれをみれば本来不生不滅、不増不減の物質と勢力あるのみ。しかしてこの二者の間に無量の変化を営むも、あえてその起点あるにあらず、またその尽期あるにあらず、いわゆる無始無終なり。故に世界の開くるも、物質そのときに初めて生ずるにあらず、世界の滅するも勢力そのときに全く尽くるにあらず。同質の物体相開きて異形の物象を現ずる、これを世界の開闢といい、異形の物象相合して同質の物体に帰する、これを世界の滅尽という。異形相合して同質となり、同質相開きて異形となる、これを世界の大化という。一開一合、前後循環して際涯なきは、実に世界大化の定則なり。しかして世界の大化ひとり一定の規則あるのみならず、その大化の間に現ずるところの日月の運行、四時の変遷、草木の栄枯、人獣の死生、社会国家の盛衰存亡に至るまで、またみなその定則ありて、一点の雲も偶然に散ずることなく、一毛の塵も偶然に現ずることなく、その現ずるは必ず現ずべき原因あるにより、その散ずるは必ず散ずべき事情あるによる。けだしかくのごとく事物の変化に一定の規則あるは、一定の物質と一定の勢力ありて、その間に変化を営むによるというより外なし。これによりてこれをみれば、宇宙間ただ一定の物質と一定の勢力あるのみ。物力の外、あに別に万物を造出し、変化を経営するものあらんや。これ余が天神の実在を信ぜざるゆえんなり。

了北子疑を起こして曰く 一定の物質と一定の勢力との間に、いかにして無量の変化を生ずるや。これまた一種の空想にあらずや。

円東子曰く 物質は変化の実体なり、勢力は変化の原因なり。物質は勢力あるによりてよくその変化を示し、勢力は物質あるによりてよくその変化を営む。故にすでに変化あるは物質あるゆえん、すでに物質あるは勢力あるゆえん、すでに勢力あるは変化あるゆえんなり。しかしてその変化に無量の種類あるは、物質に無量の分子あるによる。およそ物質の微小なるもの、これを分子といい、分子の微小なるもの、これを小分子といい、小分子の微小なるもの、これを微分子という。微分子はすなわち化学的の元素なり。物質に一定の分量あるも、微分子の数に至りては無量なり。分子すでに無量なれば、その体に有するところの勢力また無量なり。勢力すでに無量なれば、変化もまた無量ならざるべからず。ただその変化の著大なるものに至りては、実験上いかなる関係の物質と勢力との間にありて、その変化を生ずるかを知るべしといえども、その微小なるものに至りては感覚上、いちいちその顛末を明視することあたわざるのみ。しかれどもこれをその著大なるものに比すれば、微小の変化もまた物質と勢力との関係より生ずること、もとより推知すべし。あにあえてこれを天神の空想と同一視するの理あらんや。

円南子また問いを発して曰く 一定の物質、あるいは気体となり、あるいは液体となり、あるいは固体となるは、勢力の発動によると断言するもやや一理あるに似たれども、同質の物体開発して、あるいは水土となり、あるいは草木となり、あるいは禽獣となり、あるいは人類となるの理、未だ解すべからず。水土は生活を有せざる無機体なり、故にこれを無生物という。草木は生活を有するも感覚を有せず、故にこれを無感に属し、禽獣は感覚を有するも知力を有せず、故にこれを無知に属す。ひとり人類に至りては生活を有し、感覚を有し、知力を有し、真理を求むる念も、幸福を進むる情も、道徳を愛する心も、みなこれを有す。かくのごとき高等の種属は、いかにして単純の物質より化生するや。

円東子曰く まず地球の歴史についてこれを考うるに、その初期にありては、ただ単純の無機物質ありて存するを見るのみ。ようやく変遷して有生の種属を現ずるも、未だ有感の動物あるを見ず。いよいよ変遷して有感の種属を現ずるも、未だ有知の人類あるを見ず。これによりてこれをみるに、今日の世界に有知の人類を見るは、単純の無機物質の漸次に進化開発するによるゆえんを知るべし。つぎに動植の分類についてこれを考うるに、動物中ほとんど運動を有せざるものあり、植物中かえって感覚を有するものあり。また生物中その果たして動物に属するか、植物に属するかを判定すべからざるものあり。かつ動植の最下等に至りては、無機物質とはなはだ相近きものあり。これを要するに動植諸類の間、判然たる分界なきをもって、有生の諸属はことごとく同一物の漸化より派生すというも、論理のもとより許すところなり。またつぎに人獣の性質についてこれを考うるに、人類の下等なるものと動物の高等なるものと相較するときは、その間ほとんど知力の懸隔なきを見る。あるいはかえって人類の動物にしかざることあり。これによりてこれをみるも、有知は無知より生ずるゆえんを知るべし。更に進みて神経の造構およびその主成分を験するときは、また大いに人類の進化を信ずるに足る。およそ物質の造構単純なれば単純の作用を呈し、造構複雑なれば複雑の作用を呈するは必然の理にして、あえて別に証するを要せず。今、人類の神経は造構の最も複雑なるものなり。かつその主成分は化学元素中最も変化を営みやすき性質を有するものより成るをもって、その作用の奇変窮まりなきも、もとよりそのところなり。かくのごとくその初め同一の物質にして、次第に進んで無機より有機を生じ、動植より人類を生ずるもの、これを自然の進化という。自然の進化は物質のその体に含有せる勢力より生ずるものにして、別に天神ありてこれを生ずるにあらず。しかして物質と勢力とは常に並存するをもって、一方に物質の進化あれば一方に勢力の進化なくはあるべからず。すなわち造構上に動植人類の別あるは物質の進化によるものなり。作用上に有感無感、有智無智の別あるは勢力の進化によるものなり。生活力、感覚力、知力は同一の勢力の異態に過ぎず。人に心身の別あるは、その体物質と勢力との二者より成るによる。その肉身は物質にして、その心性は勢力なり。物質の造構よくそのよろしきを得て、勢力の発現よくその妙用を呈するときは、これを称して生活ある人といい、造構そのよろしきを失して、勢力その妙用を示すことあたわざるときは、これを人の死するという。すなわちその死するも勢力ひとり去りて、物質ひとり存するにあらず、ただ勢力その妙用を現ずることあたわざるのみ。故に余まさに断固としていわんとす、物質の外に天神なく勢力の外に心性なしと。

了西子この断言を聞きて大いに怪しむ色ありて曰く この世界の外に天神なきは、余のもとより許すところなれども、物力の外に心性なしというに至りては、余はなはだその意を解するに苦しむ。けだし、子のいわゆる物質とは化学的の元素より成るものをいうか。

曰く しかり。果たしてしからば、化学的の元素は物質にあらざるか、大小の形、軟硬の質を有せざるか。もしこれを有せざれば、その体なにほど積集するも、形質を有する物質を結成するの理なし。もしこれを有すれば、その元素また一物質にして、その物のなにより成るかを究めざるべからず。これを他の極微の元素より成るとするときは、更にまたその元素のいかんを知らざるべからず。子果たしていずれを取るや。

曰く これ余が論究の未だ至らざるところなり。

了西子また曰く 子のいわゆる勢力は物質の中に存するか。

曰く しかり。なにをもって、これを知るや。

曰く 物質あれば必ず勢力の存するを見、物質を離れて別に勢力の存するを見ず。故に余は勢力は物質中にありて存すというなり。

曰く しからば子は果たして、物質中にいかなる装置ありて、勢力の存するを知るや。

曰く これ余が未だ知らざるところなり。

了西子また曰く 我人の棲息せる世界はひとり物質をもってなるにあらず。時間空間の並存するありて、その間に物質の変化を見るなり。もし時間空間の存するなくば、物質も勢力も共に存することあたわざるは必然なり。物にその形質あるは空間の存するにより、力にその作用あるは時間の存するによる。子はいかなる道理をもって、物力の外に時間空間なきを知るや。

円東子曰く これまた余が未だ究めざるところなり。しかれども余ここに一種の憶説あり。空間ありて後始めて物質あるにあらず、時間ありて後始めて勢力あるにあらず、物質あるをもって空間の存するを見、勢力あるをもって時間の存するを知るなり。故に物質勢力のひとたび滅無するに至らば、時間空間も共に滅無すべし。

了西子曰く 果たしてしからば、子の説もまた一種の憶説たるを免れざるか。

曰く 余の説もとより推想に出づるもの多しといえども、これを天神の空想に比すれば、また大いに信拠すべきところあり。

了西子曰く 余が説のごときは全く空想を免れたるものなり。

円東子曰く 請う、子の説を聞かん。

曰く 余が説は子の説について証することを得るなり。子曰く、物質の外に世界なしと。しかれども我人のいわゆる物質は色、声、香、味、形質の相合してなるものに外ならざるをもって、余まさに言わんとす、色、声、香、味、形質の外に世界なしと。しかしてこの色声等は物質の上に属するにあらずして、心性の上に属するの理はたやすく証すべし。すなわち色は目の生ずるところなり、声は耳の生ずるところなり、鼻舌あるをもって香味を知り、手足あるをもって形質を知るなり。果たしてそのしかるゆえんを知らば、物質は視、聴、嗅、味、触の五種の感覚の上に属すること明らかなり。しかして感覚は心性の作用にして、物質の性質にあらざること更に証するを要せず。故に余は心性の外に世界なく、思想の外に天神なしといわんとす。請う、見よ、物質は元素より成り、勢力は物質中にありて存すと論ずるは、心性の作用なり。物質の外に世界なく、勢力の外に心性なしと唱うるも、思想の作用なり。時間空間は物力より生ずと思うも思想なり。天神は空想に過ぎずと信ずるも思想なり。空想を空想とし、空想にあらざるものを空想にあらずとするも思想なり。思想あるをもって論理あり、論理あるをもって実験あり、実験あるをもって世界万物あり、世界万物あるをもって天神あるを想すべし。故に思想の現に存するは、決して疑うべからず。これ余が心性思想の外に世界万物天神なしと唱うるの説をもって、ひとり憶説、空想にあらずというゆえんなり。

円東子曰く 思想の外に天神なきは余がすでに知るところにして、感覚の外に万物なきも、またややその理を解することを得たり。しかれども時間空間の思想の中に存するの理、未だ会得するあたわず。請う、その理を証明せよ。

曰く 時間空間の存するも、また我人の感覚によりて知るなり。足をもって両地に接すれば、感覚の力よくその空間の距離を知るべく、手をもって一物を支うれば、感覚の力またよく時間の経過を知るべし。これもとより時間空間の一小部分なれども、これを推して限りなき空間と、限りなき時間との存するを見るに至るなり。かつ時間のごときは、心内の思想の連続するを見ても、なお知ることを得べし。もしまた思想の作用よりこれをみれば、時間空間の並存すると思うも思想なり。物質の外に空間あり、心性の外に時間ありと想するも思想なり。故に時間空間は全く思想の中にありて存するものと知るべし。

円南子更に問いを起こして曰く 子のいうところに従えば、天地万物は心性思想の範囲内に現ずというにとどまる。すなわち思想の海内に世界の現象を浮かべ、心性の鏡面に万物の影像を結ぶというに過ぎず、なお水中に月を見、鏡裏に人影を現ずるがごとし。故にこれをもって心性思想の外に天地万物なしと断言するを得ざるなり。余かくのごとく問わば、子必ずこれに答えていわん、わが知るところの天地万物はもとより、鏡面の影像にして、その実体を知るにあらずといえども、その実体のごときはわが直接に知るところにあらざるをもって、その果たして存するか存せざるかも未だ知るべからず。かつわが心面の影像の外に別にその実体ありと論ずるもの、またみな思想の作用にして、心性を離れてだれかよくその存在を想するや。これ畢竟天地万物の思想内に存するゆえんなりと。しかれども余が問わんと欲するものはこの論点をいうにあらず。心性はその前に現ずるところの変化を想見する力あるも、自らこれを経営する力なきをいうなり。経営すると想見するとは決して同一にあらず。たとえ天地万物はことごとく思想内にありとするも、その思想内に起こるところの万物の変化はまた思想の力の営むところなるが、思想はただその変化を想見するに過ぎざるにあらずや。これを例うるに水面に波の変化を見るがごとし。その変化は水を離れて別に存するにあらずといえども、水自らこれを生ずる力なきは明らかにして、これ全く風の力による。これによりてこれをみるに、思想もし果たして自らその変化を営む力なきときは、他にこれを営むものありて存せざるを得ざるなり。

了西子黙然、しばらくありて曰く これ円東子のいわゆる物質固有の勢力によるものならん。

円南子曰く もしこれを物質の勢力に帰するときは、心外に物力なしと断言するを得ず。物はよくその変化を経営し、心はよくその変化を想見する以上は、物心二者相対して存するや明らかなり。すなわち物を知るはこれ心にして、心をしてその作用を呈せしむるものは物なり。物なければ果たしてこれ心なるや知るべからず。心なければ物また物となることあたわず。心は能知能観の体なり、故にこれを主観といい、物は所知所観の体なり、故にこれを客観という。主客は全く相対して起こるの名にして、主なければ客またなく、客なければ主またなきの理なり。これをもって物心の相対して存するゆえんを知るべし。すでに物心の相対して存するゆえんを知れば、物のみありて心なしというの理なく、心のみありて物なしというの理なきはもちろんにして、物の力よく心を生じ、心の力よく物を生ずることあたわざるもまた瞭然たり。かつ物心は全く相反したる性質を有するをもって、二者相合してその間に変化を生ずるは、物心各体の力に帰すべからざるも、理のすでにしかるところなり。果たしてしからば、物質は心性より化生するにあらず、心性は物力より発達するにあらず。内外両界の変化配合は物心各体の力、よくこれを営むにあらざること推して知るべし。これ余が物心両界の変化を経営し、二者の原種を造成するものの別に存するを知るゆえんなり。

了西子曰く しからば子は物心の外に、なにを設けてその造成者とするや。

曰く 天神これなり。

了西子驚きて曰く ああ、これ空想の最もはなはだしきものなり。

円南子曰く しからず。これ全く論理実験の結果なり。これを実験に照すも、これを論理に考うるも、かくのごとく想定せざるを得ざる事情ありて存するを見る。もしかくのごとく想定せざるときは、論理の中正を立つることあたわず、かつ思想の満足をきたすことあたわざるは必然なり。故に余はこの説をもって一定不変、動かすべからざる確論と信ずるなり。

了北子その同意を表して曰く 余は初めより宇宙間に天神ありて存せざるを得ざるゆえんを知る。しかして今、子の論ずるところを聞きてますます深くその実在を信ずるに至る。

円南子曰く しからば子は全く余と同説なるか。

了北子曰く 天神の実在を信ずる一点においては同説なれども、その神体のいかんに至りてはあるいは子と見解を異にするも計り難し。故に余はまず子のいかに神体を解するかを聞かんと欲す。

円南子曰く 余が天神ありと論ずるも、その体手足を有し、耳目を有し、言語容貌を有するものをいうにあらず。またその力よく物心を造成し、変化を経営すと唱うるも、職工の器具を造成し、戸主の一家を経営するがごときものをいうにあらず。余もとより天神のいかなる方法をもって物質を造出し、いかなる目的をもって心性を賦与せしを知らざるなり。しかして余がここに天神の実在を信ずるは、すでに物心ある以上はこれを造成経営するものなくはあるべからずというにあり。

了北子曰く しからば子の天神は全く物心を離れて存するか。

曰く しかり。天神は物心を造成する以上は、物心の外にありて存せざるを得ず。

了北子曰く しからばいずれの地位にありて存するや。宇宙の外にありて存するか、またその内にありて存するか。

曰く 余明らかにそのいずれの地位にありて存するを知らずといえども、けだし宇宙の外にありて存するならん。

了北子曰く 宇宙は時間空間をもって成りたるものにして、時間空間の存するところはすべてこれ宇宙にして、宇宙の外は時間空間の存せざるところならざるべからず。子はよくかくのごとき地位の存するを想することを得るや。

曰く 余もとよりこれを想することあたわざるなり。

了北子また問うて曰く 物質は天神の造出するところ、心性は天神の賦与するところとするときは、その物心の体は天神の自体より分派したるものなるや、また天神他よりその資料を取りしや、また全く天神の新造にかかるや。もしその資料を他より取ると定むるときは、その資料はいかなるものにして、その資料の資料はいずれよりきたるやの疑問を免れず。もし天神の新造にかかると定むるときは、物なきに物を生ずるの理また会得し難し。子はいずれの説を選ぶや。

円南子曰く これまた余が未だ究めざるところなり。ただ余が想するところによるに、天神は自体を減殺して世界万物を造出したるならん。

了北子曰く 果たして子の想像のごとく、天神はそれ自体を減殺して物界を造出し、その精霊を分賦して心界を開立するときは、物心は天神の一部分ならざるべからず。他語にてこれをいえば、物心すなわちこれ神体ならざるべからず。人獣魚鳥はもちろん一草一木、一塵一毛といえども、その体天神ならざるを得ざるなり。故に余は物心の体すなわちこれ天神なりといわんとす。

円南子曰く しからば子のいわゆる天神は物心を離れて存せざるか。

曰く 余がいわゆる天神は物心の内外にあり。物心は天神の一部分なるをもってその体すなわち天神なるも、物心は天神の全体にあらざるをもって、物心の外にまた天神なからざるべからず。その物心の内外に存するもの、これを合して天神の全体とするなり。

円南子曰く しからば天神は宇宙の内外に存するか。

曰く 物心すなわちこれ神体なるをもって、天神の一部分は宇宙の範囲内に住し、物心は天神の造出するところなるをもって、他の一部分は宇宙の外に存せざるべからず。すなわち天神の一半は宇内に住し、一半は宇外に住するなり。

ときに円東子やや怪しむ色ありて、問いを発して曰く 子はいかにして天神の一半は物心の外にあり、宇宙の外にあるを知るや。

了北子曰く これもとより論理の推測によるものにして、現にその実在のいかんを知るにあらず。ただわが知るところの天神は宇内の天神にとどまる。他語にてこれをいえば、宇内の天神はその体いわゆる可知的なり、宇外の天神はその体すなわち不可知的なり、この可知的と不可知的の二者相合して、天神の全体を組成するなり。

円東子また曰く しからば不可知的の天神は全く知るべからざるも可知的の物心によりて、しばらくその実在を想定するものなるか。

曰く しかり。果たしてしからば余、子に難詰せんと欲するものあり。物心すでにその体天神にして、おのおのその一定の規則に従って変化を営み、日月はその自ら有するところの定則に従って運行し、水土はその自ら有するところの性質に従って変形し、鳥獣の死生、草木の栄枯、社会の盛衰、人事の禍福、みな常に循環して未だかつてその序を失することなし。なんぞ煩わしく宇宙の外に宇宙を想し、可知の天神の外に不可知の天神を立つるを要せんや。たとえかくのごとき天神を想立するも、そのただに空想に属するのみならず、現時目前の事物に全く関係を有せざるもののごとし。

了北子黙然、しばらくありて曰く 余過てり、余過てり。これ余が論究の未だ至らざるところなり。余、今にして始めて知る、物心すなわちこれ天神の全体にして、その体この世界を離れて別に存するにあらざるを。

円東子曰く 余ここに至りて子の説の余と合するを見る。余は世界万物の外に天神なしといい、子もまたこの世界の外に天神なしという。しかして子と余の異なるは、殊更に天神の名を設くると設けざるとにあり。子は物心二者の体すなわち天神なりといい、余は物を離れて心なしという。しかれども余あえて物心全くその差別なしというにあらず。一大物体の形質、種々相結んで異象の物質をなし、一大物体の勢力、続々相発して奇変の心性を現ずというにあり。すなわち一大物体の表裏に心性と物質との差別の存するを見るなり。この物体をあるいは称して本質といい、また無差別の物体という。故に子の天神は余がいわゆる無差別の物体なり。この物体に代うるに天神の名をもってすれば、余の説たちまち変じて子の説とならん。

了西子曰く 余の説もまた諸子の説と同一に帰すべし。余は心性の外に万物なく、思想の外に天神なしと論じて、全世界ただ一心あるのみと定めたるも、その一心の大海中に物心の差別全く存せざるにあらず。この広大無辺の一大心を平等心といい、また自覚心という。これに対して、その海内に並存せる物心を差別の物心という。もしこの平等自覚の大心に代うるに天神の名をもってすれば、余が説たちまち変じて了北子の説となり、もしこれに代うるに無差別の物体の名をもってすれば、余が説また変じて円東子の説とならん。

円南子曰く 三子の説おのおの相合するのみならず、余の説もまた諸子と相合するを見る。円東子はすでに無差別の物体中に差別の物心あるを許し、了西子は平等自覚の心中に彼我の物心あるを許す以上は、差別の物心と平等の物心とは決して同一にあらざること明らかなり。すでにその同一にあらざる以上は、差別の物心の外に平等無差別の物心ありというも、理において不可なることなし。これ余が物心の外に天神ありというゆえんなり。もし天神に代うるに平等の物心をもってすれば、余が説たちまち変じて諸子の説とならん。

了北子また曰く 余初めに天神の一半は物心の内にあり、一半はその外にありと論じて、後にその説のあやまりあるを証したるも、今に至りてこれをみれば、前説のまたあやまらざるを知る。差別の物心と平等の物心とはすでにその差別ありて、平等無差別の外に差別の物心ありということを得、かつ差別の物心その体すなわちこれ平等にして、平等の物心は差別の物心中にありて存すということを得るときは、天神の物心の内外にわたりて存するの論もまた一理あるに似たり。もし天神に代うるに平等の物心をもってするときは、その説また転じて円東、了西両子の説とならん。

みな曰く しかり。果たしてしからば、いずれの説が最もその当を得たるや知るべからず。請う、これより先生の明断を待ちてその真非を判ぜん。

先生曰く なんじらの論すでにその理を尽くせり。われまた言うことなし。ただわれが一言を加えてなんじらの注意を促さんと欲するものは、おのおの一人の所見をもって真理となさずして、四人の説相合して始めて純全の真理となることを知るにあり。円東は唯物論をもって無神論を唱え、了西は唯心論をもって無神論を唱え、円南は物心の外に天神を立てて有神論を唱え、了北は物心の内外に天神を設けて有心論を唱う。もしおのおのひとり、その自ら主唱するところを真とするときは、円東は唯物に僻し、了西は唯心に僻し、円南および了北は有神に僻するの難を免れざるは必然なり。故になんじら、もし哲理の中点を保持せんと欲せば、よろしく四人の説を合してその中をとるべし。諸説相合して、よくその中を得たるもの、これを円了の中道と称するなり。けだし円了の義たる道理の円満完了するところにして、諸説諸論の回帰してよくその中和を得るものをいう。なんじらの説たる円了の全道の一部分を存して、未だその全体を尽くさざるものなり。なお地球上に東西南北の差別あるがごとし。東方に行くものは西方に行くものを見て、彼は余と全く相反するものなりといい、南方に向かうものは北方に向かうものを指して、彼は余と全く相合せざるものなりというも、その体一地球にしていずれの日にかまた相会するの時あるべし。ただその住する所の地位異なるに従って、自他彼我の差別を諸説の間に見るのみ。もし去りて地球の外に出づれば、あにまたいわゆる東西南北の差別あらんや。果たしてしからば、宇宙至る所必ず東西南北の差別ありて存すと思うは、けだし論者の惑いなり。今、円了の全道よりこれをみれば、なんじらの論はあたかも地球上に東西を争うがごとし。一朝去りてその全道に帰すれば、昨日争うところのもの全く一夕の迷夢たるを知るべし。しかれどもその道必ずしも東西の差別を有せざるにあらず。いやしくもその範囲内の一隅にとどまれば、もとより彼我の差別を生ずべし。なお地球の一隅に住すれば東西の差別を生ずるがごとし。故にその差別あるも円了の道たり、その差別なきも円了の道たり、差別無差別、相合して始めて円了の全道を知るべし。故にわがいわゆる天神は、なんじらの天神の相合してその中を得たるものなり。その体天神にして天神にあらず、物体にして物体にあらず、自覚にして自覚にあらず。東方よりこれを見れば無差別の物体となり、西方よりこれを見れば平等の大心となり、南方よりこれを見れば宇外の天神となり、北方よりこれを見れば可知の神体となる。すなわちその見るところ異なるに従ってその名を異にするも、その体もとより一にして二あることなし。これに物体の名を与うれば、人これを評して唯物論といい、これに心体の名を与うれば、人これを評して唯心論といい、これに神体の名を与うれば、人これを評して有神論という。故にわれ、これを名付けて円了の体と称するなり。その体、不生不滅、不増不減にして、十方にわたりて際涯なく、万世を窮めて尽期なく、いわゆる無始無終、無涯無限なり。この体すでに無涯無限なれば、これより生ずるところの変化また無量無数なり。この無量無数の変化は、円了の自体に有するところの力より生ずるものにして、その力また十方万世にわたりて不増不減なり。これを円了の力と称す。この体その力によりて、あるいは開きて差別の万境を示し、あるいは合して無差別の一理に帰するは円了の大化なり。その大化の間に時間の古今を見、空間の東西を示すなり。しかしてその時間空間の間に現ずるところの寒暑春秋の来往、動植人類の死生、情感心思の起滅はみな一定の規則ありて、一根の草も、一点の雲も、一毛の塵も、一念の思も、みなこの定則に従い、決して偶然に生滅することなし。これを円了の理法という。理法は体と力との関係より生ずるものにして、その理を示すものすなわちこれ円了の道なり。ああ、我人はこの道を明らかにし、この理法を守り、この大化に従い、この不増不減の力により、この無始無終の体に帰するをもって、畢生の目的とせざるべからず。他日果たしてその目的を全うするに至らば、我人の体すなわち円了の体となり、我人の力すなわち円了の力となり、わが身すなわち天神となるべし。なんじら、あに務めざるべけんや。

  ときに夜すでに三更に近し、おのおの退きて室に入る。起きて戸外をうかがえば、雨もまたやみ、明月の皎として天心に懸かるを見る。






     第三編 真理の性質を論ず

緒言  およそ哲学上の諸論は、これを帰するに物、心、神、三体の性質、関係を究明するに外ならず。しかしてこれを究明するに当たり、あるいは心界の外に物界なしといい、あるいは物心の外に天神なしといい、諸説一ならざるをもって、その説いずれが真、いずれが非なるや、これを判定するはなはだ難し。もしこれを判定せんと欲せば、まず真理の標準を論立せざるべからず。すなわち標準に合するもの、これを真理とし、標準に合せざるもの、これを非真理とするなり。今、学者のその標準を論立するや、外界すなわち物界の経験を本とするものあり、内界すなわち心界の思想を本とするものあり、内外両界の適合を本とするものあり、物外心外の天神を本とするものありといえども、余をもってこれをみるに、その第一は外界に僻し、第二は内界に僻し、第三は物心両界の間に僻し、第四は物心両界の外に僻するの難を免れず。故にもし純全中正の標準を論立せんと欲せば、物心内外の中道をとらざるべからず。この編はそのいわゆる中道の標準を開示したるものなり。故にこれを読むもの、また純全中正の真理を了解すべしと信ず。

 

  円了先生の門に遊ぶもの大数三千人と称す。そのうちすでに堂に昇るもの三十人、なかんずく堂に昇りまた室に入るもの十人あり。すなわち円山、了水、円東、了西、円南、了北、円天、了地、円陽、了陰、これなり。これを斯門の十哲と称す。一日、天寒うして雪を降らす。夜に入りてますますはなはだし。四隣寂として人語車響の心思を乱するなく、灯影蕭然ただはるかに寒犬の疎声を聴くのみ。ときに円天、了地、円陽、了陰の四子、共に一室に会して哲理を談ず。

円陽子曰く 余かつてこれを先生に聞く。世界はなお一大海洋のごとし。その波浪の間に出没浮沈するものは我人なり。教学はなお一大船舶のごとし、その進路を指針して方位を示すものは哲学なり。しかれどもいったん哲学理論の中位を失して、真理の方向を誤るときは天地晦冥、日月光を隠して、我人その船舶と共に非真理の海底に沈まんのみ。故にもし人海の平穏を期し、教学の健全を求めんと欲せば、哲学上純全の真理を論定せざるべからず。そもそも我人の社会にありて彼此相争い自他相排するは、全く純全の真理を知らずして、ただその自ら思うところこれを是とし、自ら信ずるところこれを真とし、人の思うところ、信ずるところ、みなこれを非とするによる。故にもし人思うて純全の真理に達すれば、あにまた彼此自他の間に是非を争うことあらんや。その争うや、あたかも暗夜に方の東西を争うがごとし。旭日ひとたび出づれば、さきに争うところのもの全く一夜の迷路たるを知るべし。今、哲学上論定するところの純全の真理、ひとたびその光を放ちて道理界を照すに至れば、さきに争うところの是非の論は、全く一時の妄見に過ぎざるを知るべしという。しかるに余は多年哲学界を跋渉して、真理の旭日をその間に発見せんことを務め、あるいは東洋哲学の本源にさかのぼり、あるいはギリシア哲学の深底を窮め、あるいは近世哲学の全界をわたりてその理を捜索すといえども、古今東西の学者おのおのその見るところを異にして、未だいずれの人の立つるところの真理、果たして純全の真理なるや知るべからず。甲の立つるところのもの純全の真理ならば、乙の立つるところのもの真理にあらざるべし。乙の立つるところのもの純全の真理ならば、丙の立つるところのもの真理にあらざるべし。甲乙丙の三者同時に真理となることあたわざるは明らかにして、三者中いずれの説ひとり純全の真理なるや、これを断定するもとより容易ならず。これ余が真非を判決するにはなはだ苦しむゆえんなり。かつそれ真非を判決するにはまずその標準なくばあるべからず。なお物の価を定むるに貨幣の標準を要するがごとし。しかるにそのいわゆる真理の標準のいかんに至りては、我人の未だ知らざるところにあらずや。これ余が大いに惑うところなり。

円天子曰く 古来、学者の立つるところの真理は、異説百端にして一定せざるがごとしといえども、そのうちおのずから一定するところあるを見る。しかして人の知力、その一定したる点を発見することあたわざるをもって、是非の争いを彼此の間に生ずるなり。

円陽子曰く 子のいわゆる真理はいかなるものをいうや。

曰く 道理明瞭、是非判然、疑うべからず、争うべからざるものをいう。例えば山は山なり、人は人なり、赤きものは赤きものなりというがごときの類これなり。二と二を合すれば四となり、一尺は一寸より長しというがごときの類これなり。人いやしくも知力の一端を有する以上は、人は人にして山にあらざるを知り、二と二を合すれば三ともならず、五ともならざるを知るべし。かくのごとき道理は、古人も今人も、東洋人も西洋人も、みな生まれながら了解するところにして、別にその理を証明するを要せず、故にこれを自明の規則という。自明の規則は天下万世決して変更せざるものなるをもって、余はこれを真理の原則とするなり。

円陽子曰く かくのごとき単純の規則を真理の原則とするも、未だこれを一般の通則となすべからず。今、一尺は一寸より長く、二と二を合すれば四となるの関係を知るは、これ人のやや生長したるものに限り、その未だ生長せざる幼児にありては、二と二の合計も一尺と一寸の長短もほとんど全く知らざるものあり。また野蛮人もその最も下等なるものに至れば、往々数量の思想を有せざるものありという。果たしてしからば、この自明の規則も未だ真理の通則となすに足らざること明らかなり。

円天子曰く 幼児蛮民のごとき未だ知力の発達せざるものに至りては、あるいはこの原則を知らざるものあるべしといえども、もしその人発達したる知力を有するに至れば、直ちにこの通則を了解するに至るべし。かつたとえ千万人中一、二人のこの規則を了解せざるものあるも、その一、二の特例をもって一般の通則を破るべからず。故に二と二を合して四となり、尺は寸より長きの規則は古今東西、一定不変の真理なりと断定して不可なることなし。

円陽子曰く 果たしてしからば、この規則をもって今日の真理の標準とするは一理あるに似たれども、これを将来に及ぼして不変の真理と定むるの理なし。なんとなれば、従前の経験上その変せざるを見るも、将来の経験上いかなる事情の起こるありて、その規則の変更するに至るや知るべからざればなり。

円天子曰く 将来を知るは従前の経験によるより外なし。従前の経験に照して、果たしてその一般の通則なることを知るときは、これを将来に及ぼしてその不変の規則と定むることを得べし。請う、見よ、二十四時間をもって一昼夜となし、三百六十五日をもって一年となすは、従前の経験によりて定むるもののみ。しかれどもこれを将来に及ぼして、万世不変の規則と定むることを得るにあらずや。

円陽子曰く 昼夜春秋の規則も、他日一大変動の太陽系の上に生ずるに至らば、多少変更するところあるべし。しかして今日の太陽系は千万世の後に至るも、決して変更せずと断言し難きをもって、いずれの時にか一大変動の昼夜春秋の上に生ずるやも知るべからず。今、真理の規則もまたしかり。今後いかなる変動の人の思想の上に生ずるありて、その今日真理とするところのもの、他日全く非真理となるも計り難し。もしまた人知の進化をもってこれを考うるに、昔日真理とするところ、今日すでに真理にあらざるものいくたあるを知らず。これをもってこれを推すに、今日真理とするところのもの、他日また非真理となることあるべし。かつそれ我人の古来経験するところのもの、五、六千年間の歳月と一地球の範囲の外に出でず。しかして五、六千年間は時間の最も短き部分にして、一地球は空間の最も小なる部分なり。この最小最短の時空両間にありて経験するところのものをもって、宇宙万世の通則と定むるがごときは、その妄もまたはなはだしといわざるべからず。

円天子ここに至りて、答うるゆえんを知らずして曰く これ余が未だ論究せざるところなり。

円陽子また問うて曰く およそ人の争うところのものは、単純解しやすきものあるにあらずして、複雑知り難きものあるによる。今、赤色を見てこれ赤色なりといい、黄色を見てこれ黄色なりというは、人のみなすでに許すところにして、だれもこれを疑い、これを非とするものなしといえども、もし赤色にもあらず黄色にもあらずして、一種複雑の色を見るに至るときは、一人はこれを指して赤色といい、一人はこれを指して黄色といい、必ずその間に是非を争わざるをえざるに至る。また二と二を合して四となるは単純知りやすきものなるをもって、だれもこれを非とするものなかるべしといえども、もし七十九と九十七を合すればいかなる数を得るやといいたるときは、直ちに答うることあたわざるべし。もしあるいは西洋人と日本人といずれが長寿なるや、イギリス人とドイツ人といずれが多量の知力を有するや等の複雑なる問題に至りては、また決してたやすくその真非を判定すべからず。いわんや心体のなんたる、物体のなんたる、時間空間のなんたる、天神宇宙のなんたる等の問題に至りては、複雑中の複雑なるものにして、だれかよくこれを判決せんや。今もし一人は物心両体の存するゆえんを説き、一人はその存せざるゆえんを説き、一人は物心の外に天神ありといい、一人はなしといい、互いにその真非を争うも、いかなる標準によりてこれを判知すべきや。余もとより二と二を合すれば四となり、赤色は赤色にして黄色にあらずというときは、人みなこれを真なりと許すを知る。しかれども物、心、神、三体のごときその最も複雑なる問題に至りては、一人これを真とするも一人これを非とするは、勢いの免るべからざるところなり。しかるときはなにを標準としてその真非を判知せんや。

円天子曰く 余がいわゆる真理の標準は、二と二を合して四となり、赤色は赤色にして黄色にあらずというがごとき、極めて単純にして解しやすきものをいうのみ。西洋人と日本人といずれが長寿なるや、物心神の本体なにものなるや等の複雑なる問題をいうにあらず。しかしてこの複雑なるものは単純なるものの集合より生ずるをもって、もしその真非を知らんと欲せば、まずこれをその単純なるものに分解せざるべからず。しからざれば、単純なる標準より次第に推測して複雑なるものに及ぼさるるべからず。例えば二と二を合して四となるの理を推して、七十九と九十七を合して百七十六となるを知るがごとし。しかしてその複雑なるものに至りては、たやすくその真非を判知し難きは、我人の知力の未だ明らかならざるをもって、その推測の間に謬誤を生ずるによるのみ。

円陽子曰く 七十九と九十七を合して百七十六なるを知るは、二と二を合して四となるの理より推測することを得といえども、天神の有無、物心の実在を論ずるに至りては、数理または物理をもって推測すべきものにあらず。なんとなれば、これみな物理の外にあればなり。例えば尺度をもって物の大小を測ることを得るも、心の大小を測るべからざるがごとし。これをもって、単純なる有形の規則をもって複雑なる無形の真理を究むるの標準となすべからざるゆえんを知るべし。かつまた事物に単純なるものと複雑なるものの二種を分かちて、単純なるものひとり真理の標準にして、複雑なるものは真理の標準にあらずとするがごときは、畢竟空想の一種に過ぎざるなり。子は果たしていかなる点をとりて、単純と複雑の分界を立つるや。例えば二と二を合して四となるは単純の規則にして、七十九と九十七とを合して百七十六となるは複雑の規則なりとするときは、いずれの数をもって単複の分界と定めてしかるべきや。仮に五十をもってその分界とするときは、四十九は単純の数にして五十一は複雑の数なるべし。しかれども四十九と四十九を合して九十八となるを知るものは、もとより五十一と五十一を合して百二となることを知るべし。果たしてしからば、単複を分かつべき判然たる分界なきは明らかなり。故に数に単複の別あるは、全く想像上の仮定に過ぎずと知るべし。その他余が子に向かって難詰せんと欲するものあり。事物の真非を判ずるに必ず一定の標準を要することは、子のすでに許すところなり。故に子は単純の規則をもって真理の標準と定めたりといえども、余をもってこれをみるに、単純の規則の果たして真理の標準なるや否やを定むるには、また他の標準を要するなり。例えば一斗枡の大小を定むるには一升枡の標準を要し、一升枡の大小を定むるには一合枡の標準を要するがごとし。しかるに子のいわゆる真理の標準と立つるもの、果たしていかなる標準の存するありてしかるや。必ず他の標準なくばあるべからず。もしまた他の標準ありとするときは、更にまたその標準の標準なくばあるべからず。子はいかにしてその標準の標準を定むるや。

円天子黙然、しばらくありて曰く これまた余が未だ論究せざるところなり。

了地子曰く 余案ずるに、かくのごとき標準の標準は外界にありて定むべからず。例えば一斗枡の標準は一升枡にして、一升枡の標準は一合枡なりとなすも、更に進みで一合枡の標準、一勺枡の標準等と次第に推究するときは、到底その根元の標準となすべきものなきに至りてとどまんのみ。故に余は標準の標準は、内界の意識思想中に立つるより外なしといわんとす。請う、その理を示さん。今、我人の標準のなんたるを知らば、意識の作用にあらずや。標準の標準果たして存するを知るも、また意識の作用にあらずや。標準の標準を定むるところの標準、更に存せざるべからざるを知るも意識思想に外ならず。しかしてまた、かくのごとき標準の外界に存せざるを論ずるも思想なり。その標準の内界の思想より外なきを究むるも思想なり。思想を離れて真理なく、意識の外に標準なし。故に余は意識すなわち真理にして、思想すなわち真理の標準なりというなり。

円天子問うて曰く 意識思想の外に果たして真理の標準なきときは、わが心に思うこと、想すること、みな真理ならざるべからず。しかるにその思想の真ならざることあるはいかん。

了地子曰く その思うところにしてこれを真とし、その想するところにしてこれを非とするは、全く意識思想の作用に出づるをもって、余は真理の標準はすなわち意識思想なりとす。他語をもってこれをいえば、事物の真非は思想によりて判定するなり。

円天子曰く 余が問うところの点は思想より出づるものの、真ならざることあるはいかにというにあり。今、我人の真理にあらざるものを真理として信じ、真理なるものを非真理として排するも、またみな思想の作用に出づるにあらずや。しかるにもし、果たして子が言のごとく思想すなわち真理ならば、その想するところのもの、みなことごとく真理ならざるべからざるの理なり。しかるにその想するところにして、真理ならざるものあるはいかん。

曰く これ余が未だ十分に論究せざるところなれども、案ずるに思想界中におのずからそのいわゆる原理原則ありて、我人の想するところのものこの原則に合すれば真理となり、その思うところのものこの原則に合せざれば非真理となるによるならん。

円天子曰く しからばその原則とはいかなるものをいうや。

曰く 論理の原則これなり。これを思想の法規という。この法規に三種あり。すなわち均同法、背反法、無間法というものこれなり。まず均同法とは、事物はすべてその事物自体と同一なる規則をいう。例えば人はすなわち人なり、赤きものはすなわち赤きものなりというがごとし。つぎに背反法とは、一物にして同時に互いに相反したる二種の性質を有することあたわざる規則をいう。例えば同時に白き色と黒き色を示すことあたわず、同時に熱湯となり冷水となることあたわざるがごとし。つぎに無間法とは、互いに相反したる二種の性質の中間に立つことあたわざるの規則をいう。例えば神は有るとか無いとか、二者の一ならざるべからざるがごとし。この三種の法規は思想の原理論理の原則にして、事物の真非はこの規則によりて判定することを得べし。

円天子また曰く 果たして子の言のごとくは、真理の標準は外界の経験によりて定めたるものなりというより外なし。なんとなれば、事物は事物自体と同一なりというも、互いに相反したる事物は互いに相反すというも、みな外界の事物についてそのしかるゆえんを知るにあらずや。これを要するに、思想の原則は外界の経験より生ずるなり。他語をもってこれをいえば、真理の標準は外界にありて存するなり。

  了地子ここに至りて、答うることあたわず。

了陰子、ときに円天、了地両子の説おのおの物心の一端に僻するの弊あるを察して曰く 余は真理の標準は、内外両界の中間にありて存するなりと断言せんとす。今その意を述ぶるに、外界の事物ひとり真理なるにあらず、内界の思想またひとり真理なるにあらず。内界の思想は外界の経験を待ちて始めて真理となり、外界の事物は内界の論究を待ちて始めて真理となる。すなわち経験と論究の相合したるもの真理にして、相合せざるもの非真理なり。例えば地体の球円にして一周すべきを推想するは論究なり。これを一周してその球円なるを実視するは経験なり。すでに今日にありては、地体の球円なることの真なるを知りたるは、全く論究と経験の互いに相適合したるによる。もしこれに反して、思想上地体の球円なるを知るも、経験上そのしかるゆえんを見ず。経験上そのしかるゆえんを見るも、思想上その理を解せざるときは、未だこの説をもって真理となすことあたわず。これによりてこれをみるに、真理の標準は内外適合にありというより外なし。

了地子曰く 内外両界の適合をもって真理の標準とするときは、内界において想するところのものにして、外界において経験すべからざるものあるときは、いかにしてその真非を定むるや。例えば微分子の形質のごときは、我人の耳目をもって知るべからざるものなり。諸恒星内の事情のごときも、また我人の感覚をもって知るべからざるものなり。かくのごときものは、その真非を判ずることあたわずといわざるべからず。

曰く 微分子の形質、恒星内の事情のごときは、直接に我人の耳目の感覚をもって知るべからずといえども、間接に種々の方法によりて推究することを得るなり。この推究法によりて目もって見るべからず、耳もって聞くべからざる、いわゆる不可知的もよくその真非を判定することを得べし。

了地子曰く 果たしてしからば、心体物体、時間空間、宇宙天神のいかんもまたその真非を考定することを得るや。

曰く しかり。我人は時間の一小部分を占め、空間の一小部分を領し、宇宙の一小部分に位して経験を施すも、なおよくその全体のいかんを推究すべし。今、我人の知るところのものは、物心神の現象にして実体にあらざるも、現象について実験するところ、これを推して実体のいかんを論究することを得るなり。これいわゆる可知より不可知に及ぼし、有形より無形に及ぼすの推究法によるものなり。

了地子曰く 余はかくのごとき推究法は、外界の経験にあらずして内界の思想なるを知る。すなわちその論法は内界の思想の真非を判ぜんと欲して、内界の思想を標準とするものに過ぎず。他語をもってこれをいえば、内界の思想すなわち真理の標準と立つるものにあらずや。

了陰子曰く 余がいわゆる外界の経験とは論理学のいわゆる帰納法にして、内界の論究とはそのいわゆる演繹法なり。演繹法とは一般の規則よりおのおの別の事物に論及する論法をいい、帰納法とはおのおの別の事物より一般の規則を審定する論法をいう。しかしてまた帰納法中に完全帰納法と不完帰納法の二種ありて、不完帰納法は已知より未知に及ぼす法なり。今、物心の現象中、そのすでに知るところのものについてその規則を審定し、もってその未だ知らざる実体のいかんに及ぼすはいわゆる帰納法なり。しかしてこれをそのすでに定むるところの規則に考えて、真非を断定するは演繹法なり。この二種の法相合して齟齬するところなきときは、始めて純全の真理となすべし。

円天子曰く かくのごとく定むるときは、真理の標準は外界にありて存すといわざるべからず。帰納法の外界の経験に属することは言を待たず。演繹法もまた外界の経験より生ずるを知る。なんとなれば、そのいわゆる一般の規則は帰納の経験によりて定めたるものならずや。

了陰子曰く 演繹法の規則中、帰納よりきたるものときたらざるものの二種あり。そのいわゆる原則の原則は、帰納の経験よりきたらざるものなり。これを先天の法という。これに対して経験よりきたるもの、これを後天の法と称す。今、真理はこの先天後天の両法相合して始めて生ずるをもって、余は真理の標準は内外両界の中間にありというなり。

円天子曰く そのいわゆる先天の法とはいかなる規則を指すや。

曰く 因果の理法のごときものこれなり。因果の理法とは、一因あれば必ずその果あり、一果あれば必ずその因ありというものこれなり。これ人の生まれながら知るところにして、経験によりて知るにあらず。

円天子曰く しからばこの因果の理法もまた人のその生長の際、種々の事情に接触して得るところの結果なりといわざるべからず。請う、見よ、赤児は因ありて果なく、果ありて因なきものを見て怪しまざるにあらずや。しかしてその次第に生長して因果の理法を知るに至るは、外界の経験を要するなり。これをもって先天の法は後天を待ち、演繹の規則は帰納を待つゆえんを知るべし。他語をもってこれをいえば、内界の思想は外界の事物に考えて始めて真非を判知すべきなり。

了地子曰く 余、今、円天子の論ずるところをみるに、真理は全く外界にありて存し、外界の事物すなわち真理の標準なりというにあり。しかれども余がみるところによるに、外界の事物は全く内界の思想を待ちて真理となるにあらずや。けだし我人の外界の存するを知り、真理の外界中に存するを知るもの、一として内界の思想より生ぜざるはなし。今、諸子のおのおのその信ずるところを主唱するも、余がこれを弁駁するもみな思想なり。これ余が真理は全く内界にありて存し、内界の思想すなわちその標準なりと断言するゆえんなり。

円陽子すなわち曰く 円天子の論ずるところによるに、真理は外界にありといわざるべからず。また了地子の論ずるところによるに、真理は内界にありといわざるべからず。しかしてまた、了陰子の論ずるところによるに、真理は内外両界の中間にありて存すといわざるべからず。三子の論おのおの一理あるも、またおのおのその僻するところあり。すなわちこれを外界の一方に立つるは、外界に僻するの難を免れず。これを内界の一方に立つるは、内界に僻するの難を免れず。これを内外両界の中間に立つるは、中間に僻するの難を免れざるをもって、三論みな論理の欠点あるをみる。故にもし論理の完全を期せんと欲せば、真理の標準は物心の外にありて存すといわざるべからず。

了陰子曰く 物心の外にいかなる真理の標準ありて存するや。

曰く 天神これなり。

了陰子曰く 物心の外にありて存するところの天神、いかにして物心の真理を定むることを得るや、かつそのいわゆる天神とはいかなるものをいうや。

曰く 余がいわゆる天神は意志を有し、命令を有し、言語を有するものをいうにあらず。その体、実に奇々妙々、神変不可思議にして、物にもあらず、心にもあらず、物と心とを合したるものにもあらざる一種の理体をいう。故に余はこれを物心両界の外にありというなり。しかしてそのよく物心の真理を定むるは、その体に有するところの規則、物心の間に存するありて、人もしこの規則に考うるときは、直ちに物心の真理を知ることを得るによる。

了陰子曰く これまた物心の外に僻するものにあらずや。かつその真理果たして物心の間に存する以上は、真理の標準は物心界中にありて存すというて可なり。なんぞあえてこれを知るべからざる物心の外に立つるを要せんや。

  円陽子これに答えてその思うところを述べ、円天子これを駁してその立つるところを唱え、あるいはかれをたすけ、あるいはこれを排し、問難応答ほとんど論理の尽くるところを知らず。しかしてとき深更に達して、炉火灰となり、凍気肌に迫り、人みな堪うることあたわざるの勢いあり。

四子互いに相顧みて曰く この論題は到底一夕に決すべきにあらず。故に明旦を期して先生の裁可を請わん。

  すなわち席を退きて眠りに就く。翌朝開晴、天青く地白く、上下相映じて、満目の風光、その妙実にいうべからず。時鐘十時を報ずれば円了先生講堂に入る。円山、了水、以下十哲みなその前に侍す。円天、了地、円陽、了陰の四子おのおの進みて、昨夜論述するところを開陳して先生の判決を請う。

先生曰く なんじらの論おのおの一方に僻して未だ論理の中正を得ず。円天は外界に僻し、了地は内界に僻し、円陽は物心の外に僻し、了陰は物心の間に僻して、真理の標準を立つるをもって共に純全の真理に合することあたわず。しかれどもその説おのおの真理の一端を有して、全くその外に出づるにあらず。あたかも碁局に四面あるがごとし。ひとりその一面あるを知りて全局を知らざるもの、なんじらの論なり。もし進みて円天は物界の心界を離れて別に存せざるゆえんを知り、了地は内界の外界を離れて別に存せざるゆえんを知り、円陽は天神の本体物心を離れて別に存せざるゆえんを知り、了陰は内外両界の適合の物心の本体を離れて別に存せざるゆえんを知るときは、四人の論おのおの同一に帰すべし。それ内外両界の我人の耳目に現ずるものこれを現象界といい、その耳目の外にあるものこれを無象界という。故に心象物象は現象界に属し、心体物体は無象界に属す、神体また無象界に属す。しかしてその無象界の現象界を離れざるゆえんを説くもの、これ円了の道なり。故に円了の大道に入りてこれをみれば、現象も無象も物界も心界もその体同一なるをもって、一として真理ならざるはなし。その体みな真理なるをもって、あえてかれこれの間に是非を争うを要せず。しかしてその純一の真理中にまた自ら真非の差別の存するありて、互いに相争わざるを得ざるもの、これまた円了の道なり。一を平等門とし、二を差別門とす。あるいは絶対、相対両門をもって分かつことあり。すなわち絶対門よりこれをみれば、一理平等にして事々物々、一として真ならざるはなし。相対門よりこれをみれば、一理体の海面に千差の波形を現じて、始めて真非の差別あり。試みに庭前の雪についてその関係を示さん。雪片の形象一ならざるも、その体ひとしくこれ水なり。これを同一の水体なりとみるは絶対平等の見にして、これを数様の雪片なりとみるは相対差別の見なり。しかしてまた水体を離れて雪片なく、雪片すなわち水体なるをもって、平等の見も差別の見もその帰するところ同一なり。かくのごとく平等中に差別を存し、相対中に絶対を見るもの、古今東西ひとり円了の道あるのみ。故に知るべし、物心両界、現無両象ことごとく真理なりとみるは、円了の平等門なり。その平等の理海の表面に真非の波形を現ずるは、円了の差別門なり。その二門の同体にして相離れざるを示すもの、これ円了の全道なり。今その平等門に入りてこれをみれば、一根の草も、一滴の水も、その体みな真理なるをもって、あにあえてその間に真理の標準を論ずるを要せんや。もしまたその差別門に入りてこれをみれば、真理と非真理の別ありてその間に存するを見る。ここにおいて真理の標準を立つるを要す。例えば雪を見て白しというは、白からざるものを標準とするによる。天を見て青しというは、青からざるものを標準とするによる。もし天と雪との間に青白を論ぜずして、単にこれを色というときは、青白の標準を立つるを要せず。いやしくもその色を論ずれば標準を立てざるべからず。しかれどもその標準必ずしも一定するにあらず。天の色をもって標準とすることあり、雪の色をもって標準とすることあり、仁義を標準として行為の善悪を論ずることあり、幸福を標準として事物の利害を論ずることありて、その標準世によりて変じ、人によりて異なることなきあたわず。しかれども進みてその標準中の標準に至れば、たやすく変易せざるものありて存するを見る。これすなわち差別門中に平等の理を見るなり。その変易するものこれを相対の標準とし、その変易せざるものこれを絶対の標準とし、その相対より進みて絶対に入る。これを標準の進化という。すなわち物心諸象の関係より進みて、その諸象の間に胚胎せる絶対の理体に帰するなり。もし人ことごとく進化してこの体に帰すれば、唯一平等の真理を見るのみにて、あにまた是非の争いをその間に生ずるあらんや。これを円了の世界という。すなわち世に黄金世界というものこれなり。諸教諸学ここに至りて始めてその目的を全うし、諸説諸論ここに至りてことごとく一道に帰すべし。しかして今日にありて理学哲学互いに相争い、宗教法律互いに相排するは、人知の進歩未だこの真境に達せざるによる。他日もし果たしてその境に達すれば、円了の海上に唯一理体の明月を浮かぶるのみ。しかしてまたその海面に千種万様の波形相結んで、前後高低の差別を見るは一理平等の月下に相対の標準を現ずるものあり。故に一夜、天暗うして迷雲月光を遮るに会すれば、彼此相排し、是非相争うことあるも、迷雲ひとたび散じて明月の海面を照すに至れば、前後高低の波形、その体ことごとく同一水体なるを見るべし。今なんじらの互いに論立するところの標準は、そのいわゆる相対の標準にして絶対の標準にあらず。絶対の標準はなんじらの未だ知らざるところなれども、相対の標準を論究してその極一理に合するに至れば、その理すなわち絶対の標準なり。故に知るべし、絶対の標準は相対の標準を離れて別に存するにあらざるを。その体別に存すると思うは暗夜の迷なり、その相離れざるを知るは明月の悟なり。ああ、円了の大道を究むるものにあらざれば、だれかよくこの迷悟の分界を判ぜんや。なんじらよろしく務むべし。それ円了の大道は、その広大なること空間のかぎりを見ざるがごとく、その深遠なること時間の尽くるところなきがごとく、その全体あたかも一大宇宙に比すべし。なんじらはみなその一隅に僻在するものなり。円山、円東、円天は物界の一隅に僻し、了水、了西、了地は心界の一隅に僻し、円南、円陽は物心の外に僻し、了北、了陰は物心の間に僻するをもって、真理の本体を見ることあたわず。しかれどもその住するところ、真理の範囲内にあるをもって一歩進みてその理を究むれば、そのいわゆる真理の本体なる円了の真際に帰すべし。なんじら、あにたちまちにすることを得んや。

ときに円山、了水、円東、了西、円南、了北、円天、了地、円陽、了陰の諸子、おのおの立ちて円了の大道を讃嘆して曰く ああ、斯道は天に輝く日のごとく、ああ、わが迷は庭にしく雪のごとし。円了の天日ひとたびその光を放ちて、胸中の迷雪たちどころにとけ、またその形を見ざるなり。