コロナな日々 ⑦ 2020.5.23
番外編〈読書な日々〉
馬場先智明
今、Facebook上で「7日間ブックカバーチャレンジ」というイベントが展開されている。1日1冊ずつ7日間、本のカバー画像をアップし、7冊紹介し終わったら、次の友人にバトンを渡して、彼がまた同様に進めてゆく……という試みだ。コロナ禍で引きこもり生活が続くなか、読書を振興し本の文化を改めて一人ひとりが発信していきませんか、というもので、次のような文言が付されてバトンが回ってくる。
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これは読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、好きな本を1日1冊、7日間投稿。本についての説明は必要なく表紙画像だけをアップし、その都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジをお願いするというイベントです。
Butいろいろなパターンが出回っていて、招待を受けるのもスルーするのも自由、次の友達を指名するかどうかも自由とか。いろいろ負担があるでしょうから、ゆるり自由で願います。
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1か月ほど前から、友人のFacebookを覗くと、いろいろな本がカバー画像付きで紹介されているのを目にするようになり、おもしろいことやってるなぁと思っていた。その人の部屋の本棚を覗いたみたいで、へぇーこの人がこんな本をねぇ、とか、まぁ彼女だからこれを選ぶのもわかるわかる……なんておもしろがって見ていた次第。
ところが先週、所属する短歌の会の知人からバトンが回ってきたのだ。そのバトンリレーの流れというか選手起用の方法が全くわかっていず、他人事と見ていたので意表をつかれたが、何しろコロナ大活躍のおかげで時間がたっぷりあったので、即座にO K。
17日の日曜日から今日(土曜日)まで7日間に紹介する本7冊は、あっという間に決まった(大袈裟ではなく)のには、ちょっと自分でも意外だった。正確にいえば、本よりもまず人(著者)が10人頭に浮かんだ。というか三方書棚に囲まれた部屋をぐるりと見回せばほんの背表紙に印字されたその方々の名前が嫌でも目に飛び込んでくる。つまり好きだから買ってしまうし、よく読んでいる方々で、その選択に苦労は全くなかった。残念ながら3人は選に漏れてしまったが、いずれも詩人だったのは偶然とはいえ、これもまたおもしろいものだと思った(荒川洋治、長田弘、小池昌代の3詩人でした)。
えー、まえがきが長くなってしまいましたが、今日で終わった7冊を以下に紹介することにしますので、まずはご覧ください(そのままの文章です)。
【7日間ブックカバーチャレンジ】1日目。
堀江敏幸『雪沼とその周辺』(新潮社 2003年初版)
2011年3月11日、東日本大震災の日、帰宅難民となって新宿の会社から7時間かけて徒歩で自宅に帰る途中、世田谷通り沿いにあったBOOKOFFにて購入。
こんな日に開店していることに感動、疲労の極みにあった脚休めもあってフラリと店内へ。この本はすでに初版で購入、既読だったが、薄暗い店内の棚にあったのを見つけ、思わずまた買ってしまった。
所収の一編「スタンス・ドット」で堀江敏幸に出会い、以降、出たら必ず買ってしまう著者の一人。
(この本のカバー画に使われているのは故・清宮質文画伯の版画。昨年、うちで刊行した歌集『シアンクレール今はなく』のカバー画にも清宮さんの版画作品を使わせていただい)。
【7日間ブックカバーチャレンジ】2日目。
野呂邦暢『夕暮れの緑の光』(みすず書房 2010年初版)
42歳で急逝してからもう40年になる。初めてこの作家の文章に接したのもその頃で、以来、折に触れて繰り返し読み続けている。生きていればいろいろあるわけで、ちょっと疲れたときに読むと気持ちがスッと楽になる……のは、生き下手な人たちへの共感と優しさが溢れているからだと思う。この本はみすず書房「大人の本棚」シリーズの1冊として編まれた名随筆集。みすず書房からはこのほかにも2冊の随筆コレクション、文遊社からは全9巻の小説集成があり、人生の終点まで、まだ何度も読めると思えると、なんとも幸せな気分になれる。わずか15年のうちにこれだけの宝物を残してくれた。これからもゆっくり味わいたい。
【7日間ブックカバーチャレンジ】3日目。
須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』(文藝春秋 1992年初版)
初めて読んだ『ミラノ霧の風景』(1990年)で恋に落ち、2冊目のこの本ですっかり虜になってしまった。「神を信じるものも、信じないものも、みないっしょに戦った」──反ファシスト・パルチザンとして戦った人たちにとって、戦後、文化を守る小さな灯台となったミラノのコルシア書店。そこに集う60年代カトリック左派文化人たちとの交流を描いたのが、書店主に嫁いだ著者だった。1998年に急逝(享年69歳)。最後に買ったのは、没後に刊行された『塩一トンの読書』だったか……。ああ、新作を読みたかった。
【7日間ブックカバーチャレンジ】4日目。
竹西寛子『詞華断章』(朝日新聞社 1994年初版)
一時期、この本は必ず机上に置いていた。編集者として何か文章を、たとえば担当する本の推薦文とか帯に載せるキャッチコピーを書くとき、とても頼りになった。文章はその時の気分の在りようで微妙に変化する。この人の書いたものを読むと、雑念が掃き清められて一時でもバランスを取り戻せるような気がしたし、改めて「言葉」への信頼感を取り戻せた。僕にとって日本語の「御守り」のような本。
【7日間ブックカバーチャレンジ】5日目。
古井由吉『山躁賦』(集英社 1982年初版)
芥川賞受賞作『杳子』を読んだとき、その官能的文章に身も心も幻惑されて陥とされるような感覚に衝撃を受けた。ここに挙げた『山躁賦』以降、『槿(あさがお)』『仮往生伝試文』を経て今年2月に他界するまで、どれも随筆とも小説ともつかないような独白体の作品を書き続けた。正直、『山躁賦』以降の作品は、いずれも最後まで読了できないままで終わっている。いつも途中で目眩を覚えて酔い潰れてしまうからだ。ドラッグのような文体といったら叱られるだろうか。ここまで魅惑される文体の持ち主は他にはいない。蠱惑と言ったほうがいいかも。
【7日間ブックカバーチャレンジ】6日目。
辺見 庸『1937(イクミナ)』(河出書房新社 2016年初版)
手塚治虫の「どろろ」は、主人公百鬼丸が、旅の途上、妖怪を一人ずつ倒しながら、かつて奪われた身体の器官を一つずつ取り戻していく物語だった。辺見庸はまさにその逆を行く。一作ごとに、我が身の一部を削り取りながらそれを言葉に変えてゆく。
その言葉は鋭利な匕首となって社会の不条理を抉り出すが、本人はその返り血を全身に浴びて血みどろだ。血塗れのまぶたの奥から覗く不敵な眼差しは、我々読者にも向けられている。さあいつでも俺にかかってこい、と。この作品は、南京事件(1937年)をテーマにした小説(堀田善衛『時間』)を読み解くかたちで書かれたもの。闘う文学の極北がここにある。
“触るな危険”の劇物指定ラベルを貼っておきたい1冊。
【7日間ブックカバーチャレンジ】7日目。
中井久夫『家族の深淵』(みすず書房 1995年初版)
著者は精神科医にして、ギリシャの詩人カヴァフィスの翻訳で知られる文学の人でもある。本業の精神病理学以外について物した文章も多く、なかでも言葉や日本語について考察したエッセイの数々は、特に僕の好むところ。所収の一編「『心躍りする文章』を心がけたい」に出会ってからは、中井先生の文章論を読みたくて追い求めてきた。数年置きにみすず書房から刊行されるエッセイ集を高価さにもめげず毎回買わずにはいられないのは、その目的もあるけれど、何よりも一つひとつの文章の佇まいの良さに惹かれてやまないからでもある。読んだあと、ものの見方の中庸、経験に根ざした深い思索、言葉使いの明晰さ……等々が自分にも乗り移ったような錯覚に陥るが、その快感はなんとも捨てがたい。一瞬でも自分が賢くなったような気にさせてくれる(笑)。
専門家の立場からは、阪神淡路大震災のあと『1995年1月・神戸─「阪神大震災」下の精神科医たち』なども出されているが、コロナ後の人心の荒びが心配される今のような時こそ、必要な人かもしれない。
以上。
こんな機会がなければ、自分が読んできた本を振り返ることもなかったと思う。若い頃は人付き合いが苦手で、一人薄暗い喫茶店で買ったばかりの本と向き合い、コーヒーをすすりながら黙って著者の語りに耳を傾ける……という暗〜い青春の日々が結構長かった。でもそんな日々が、今にも沈没しそうな自分をなんとか支えてくれた。
その当時の本のいくつかは今でも鮮明に覚えているし、本棚の奥に大切にしまってある。ここに挙げた7人の著者の本は、暗い青春時代に読んだ本の正統なる後継者として、その後の僕という人間の骨格を作ってくれた。……というのは僕の大いなる願望で、ちょっと格好付け過ぎでした、スミマセン(笑)。
でも残された時間の中で、繰り返し繰り返し読むだろう著者たちであることは間違いない。