私は8歳ぐらいの頃に、いくつか秘密をもっていたことをふとしたことで思い出すことがあります。“秘密”といういい方をするのは今だからで、その当時は“だれにも言えないこと”としか思ってはいませんでした。“だれにも言えないこと”とは、恥ずかしくて言えない(確かにそういう“秘密”もありましたが)という意味ではなくて、他人にどのように伝えたらいいか、尋ねたらいいかがわからなくて口に出せなかったということです。そのうちのひとつがいま構想中の「傷」のテーマになります。
“秘密”がなぜ心に芽生えたのかは、何かきっかけがあったはずですがまるで覚えていません。その当時は、勉強したり友だちと遊んだりご飯を食べてたりしているような時以外のなんとなくぼんやりしている時に、それは前触れもなくにわかにふくらみはじめました。しばらくそのことに捕らわれて、やるべきことを忘れそうになることもありました。
しかし、“秘密”の深淵のなかに手を伸ばしたり、つま先を差し入れたりという勇気はまるでなかったので、その奥にあるかもしれないことについて、とりとめのない空想を巡らせているだけでした。その後、3年ぐらいの時間を経て、“秘密”はだんだんと霧のかなたに消えて行き、そんなことがあったことさえ忘れている時間が長くなっていきました。
ただときどき、物語を読んでいたりドラマ見ていたりしていて、そうしたイメージに近い場面に巡りあうと、“秘密”のことが頭によみがえり、あの当時の自分は結局“秘密”の傍観者だったのだ、もしあのとき、深淵の中に手を伸ばしたりしていたら、いま自分はここにいないかもしれない、と思ったりしました。いまここにいないということは悪いことなのか、いいことなのかということまではほとんど考えたことはありません。
もういなくなってしまった人や、ばらばらになってしまったつながりなど、過去のさまざまな出来事や人が何かのきっかけでよみがえることを思い出と呼びます。人は、思い出によって微笑んだり悲しんだり怒ったりすることもありますが、現実に起きていることや対面していることによって生まれる感情とは違うものであることも知っています。思い出の実態にはけして手を触れることができないと知っているからです。
ところが私が言おうとしている “秘密”はどうもそういう思い出とは違うような気がしてならないのです。“秘密”は死者についての記憶とどうも深いつながりがあるような気がしてなりません。死者についての記憶は、思い出という言葉でくくられることもありますが、ほんとうに永遠の非在になってしまったものなのかどうか、あるいは中有をさまよい続けるものなのか、人類が生まれてこの方ずっと考えあぐねてきた事柄のひとつであるように思われます。なぜなら、死者をもし決定的な非在であると言い切ることができたら、いまここにある我が身が実在であるとは言い切れなくなってしまうからです。
前置きが長くなりましたが、自分の小説に立ちもどらなくてはなりません。小説はさきほど申したように、子どもの頃の“秘密”にかかわることですが、これを書こうと思ったきっかけは、“秘密”はたんに思い出として再生されるようなものではなくて、確かに存在することの現われである、そう私を信じこませる事件に遭遇したことにあります。
ここで宿題を果たせなかった事情も話しておかなければなりません。当初は12000字程度の短編に収まるように思えた内容でした。ところが、数ヶ月の時間の進行のなかで、“秘密”は連想の産物ではなく、予兆、痕跡、影へとゆっくりと進化し、まだ迎えていない最終的な顕現へと展開していくのではないかと、ほとんど確信をいただくようになりました。そのために、そのような字数では何も語ることはできないと気づいた次第なのです。
もちろん、“秘密”の展開は小説という体裁で書かれるものですが、核心にある話は80%が“事実”に基づくものであるため、とすればノンフィクションと呼んだ方がいいのかもしれないとも考えています。
ほんの少しだけ書き出しを紹介させてください。
「それほど深い考えもなくどこか移り住む土地の候補のひとつに挙げていただけのこの街に、はじめてふらりと下見に訪れたその日に、私は、たちまちその起伏に富んだ地形に魅了されてしまった。今まで30年以上ずっと東京郊外の平坦な土地に暮らしていたが、空がこんなに面白いものだとは考えたことがなかった。
地図の上ではたった数百メートルの距離であっても、歩いてみると山あり谷ありで、運動不足の肺と心臓は心地よく翻弄された。上り坂では、ある程度の空間的な余裕をとって建てられた住宅が、ブロック玩具のように、丘の上の方まで積み上げられているように見えた。建売住宅の画一性ではなく、一戸一戸が戸主の趣味を生かしたデザインになっていて、それが全体となって変化に富んだ風景を生み出していた。
その家にたどり着くまではずいぶんと長い坂道を登らなければならなかった。息を切らしながらアスファルトの地面ばかりを這い登っていた視線が、一息ついたおりにふと背後を振り返ると、空はいつのまにか大きくなっていて、晩秋の夕暮れの光に染まったさまざまな形の雲が遠い山の稜線を舞台にして壮大なオペラを繰り広げていた。
さあもうひとがんばり。私が住むことに決めたその家の玄関にたどり着くためにはさらに、丘の頂上付近の崖に造られたコンクリートの階段をあと30段ほど登らなければならない。
ようやく敷地にたどりつくと、玄関までの通路を閉ざす鉄の門扉を開く前にもう一度、背後を振り返った。
家の屋根と屋根の間を一筋の道が下っていく先に、川向うの谷底を望むことができた。そこは、まるで星屑の集積場であるかのように無数のまばゆい光の粒が一群となってかたまり合って輝いている。おそらく、煌々と光を灯す窓や街灯が集まっている何かの場所なのだろう。だが、この土地の新参者である私にはそこはまるで妖精たちの宮殿のように見えた。」
その家はリフォームしてからそんなに日が経っておらず、前に住人がとてもきれいに使っていたこともあり、まったく生活の匂いや痕跡が残されていませんでした。入居時に不動産屋が、建物に傷や不具合がないか調べて申請してくれと言われたので、妻と二人で建物の内外を徹底的に入念にチェックしました。というのは、以前に入居したマンションを退去するとき、不動産屋から、覚えのない瑕疵をいくつか指摘され、懸命に弁解しなければならなかった経験があったからです。
しかし、素人の目はささいな傷も見つけることができず、逆に、ほんとうにここに何年も人が住んでいたのだろうかと、前住人の生活ぶりに心の中で感嘆の声を上げてしまいました。
それから1週間ほど経ったある日曜日の朝、ふだんは使っていない二階の客間で掃除機をかけていた妻が途中でスイッチを切り、書斎にいたぼくを大きな声で呼びつけました。
「こんなところにもう傷をつけたの?」
あわてて部屋に駆けつけ、戸惑いながら指差すところに目をやると、小さな二等辺三角形のえぐれたように傷があります。傷は壁紙を抜けてベニヤ板まで達しています。私はふだんこの部屋に立ち入ることはほとんどなく、妻がたまに衣類の整理などをするために使う程度です。妻に身に覚えがなければ私にはなおさらのことで、それが妻にもわかったので、不承不承口をつぐむしかありませんでした。
それから何日か過ぎた夜のこと、私は少し熱めの湯にのんびりとつかっていました。首筋や肩をマッサージしていた自分の左手の指が、右の脇腹からへそに近いあたりをたどっているとかすかな違和感を探り当てました。そのしこりをおそるおそる目視すると、熱い湯によってにわかに浮かびあがった古い傷跡のように見えました。こんな箇所を手術したことも、怪我をしたこともありません。
そんなことの不審に逡巡していたのはほんのわずかな間で、ぎょっとして私の背中を衝撃の電流が走り、水音をたてて半身を起こしました。なぜなら、その傷跡は、あの壁にあった小さな二等辺三角形の形とそっくりだったからです。
そのとき、たちまち意識にのぼったことは、あの“秘密”はたんに少年時代の妄想だったのではなく、ずっとどこかで息をひそめて生き続けていた“確かに存在すること”だという確信でした。