茶色い風景
「今日は特別に」
彼女は急に病院の玄関にわたしをつれだした。
そしてみちのほどうにむかってここからあるいてといった。私は杖で久しぶりに街の空気を感じるなと思って歩いた。
夕暮れの歩道にはバス停があって、
「がんばって」と近所のおばさんに挨拶されて私は驚いておじぎをした。
「もう少しだから大サービス」
彼女は車椅子を左手で、挽いてくれていました。
右に喫茶店が見えてここでコーヒーが飲めるのだが思いました。しばらくお茶ばかりでコーヒーが欲しかったのです。わたしは彼女に「ここでコーヒーを飲んでいくの」ときくと「まえをみて」とおこられました。
もうすぐ退院。この風景をおぼえておこうとおもった。バス停の場所を見て自宅近くの歩道もこれと同じかなと思って歩いていた。
街は夕暮れの中で、生活の匂いがしていた。
「歩いているけど大丈夫かな」
「スタミナをつけて帰ってね」
「もう少し歩くけど寒くないの」
「喜んで、ついていくよ」
自動車が車道で渋滞を始めていました。
道のほとりには、植え込みがあって、黄色やピンクの花が咲いていました。自動車のヘッドライトもなつかしいとおもいました。
自宅に帰る日には彼女にしっかりお礼をしたいと考えていました。
自宅に帰る朝、これでここは終わりと2階にあるテラスの広場にはじめて行ってベンチに腰かけてはなしたのですが、すぐにちんもくになっていました。「もう一度スケッチで書いていい」私が訪ねると「じかんがないけどすぐにやって」と言ってもう一枚彼女を描きました。描いたスケッチを渡すと、「あー、左も見えている」と言って受け取ってくれました。午後になって私は立ち家族は彼女の運転する車に乗って自宅に帰ったのです。風景を確かめながら。近所の駐車場で車を降りて彼女の押す車椅子に乗って自宅に向かいました。「これで最後ね」彼女は言ってくれました。そして団地の階段の練習を2度やってくれて、自宅に帰って、部屋の中を無事歩くのを確認してくれて、私は疲れたらしく、私は家族が部屋に用意してくれたベッドに横になって、眠ってしまいました。「ありがとうございました」
私は部屋からグランドを見て安心しました。ラジオ体操をやろうと思ったのです。
これから自宅の生活に慣れる日々だと思った一日で、食事もしっかり新しくレイアウトされたキッチンで食べることができ、パソコンも何とか使えそうで、トイレもできたので、やっと、普通の生活に戻ることができたと感じた。
自宅での食事は静かで家内も安心知ったようでようやく話してくれた。入院中の家族の出来事を。
妻もがんで入院して、息子の和樹も、目の具合が悪いことを知った。
それから私は日々階段のことを考えている。
今朝も階段の急さを何とか降りた。病院の階段も急だったのを思い出す。今朝の階段は明るかった。病院の階段は蛍光灯の灯りで、懸命に踊り場目指して歩いた。のぼるとエレベーターに乗るのが楽しみだった。やっと部屋に戻れる。今日の夕方の階段は暖かくて自宅に戻って落ち着いている。
一日の終わりが無事自宅の部屋で過ごせるのが当たり前であることが、奇跡なのかもしれない。特別なことは何もない。
けさの階段も明るいに違いない。今日も強い風が吹いているようだ。
きょうはかいだんをまだみてないがかわいているにちがいない。
すでに今日の階段には蛍光灯がついていた。それでも安全に下りることができた。
彼女が教えてくれたことは、忘れない。間違えると、やはり今までの時間を失いそうで怖い。
夕暮れの灯りは今日も、歩道を照らしていた。すれ違ったのは、わたしのかぞく、むすこだった。歩道の街路樹の根元には枯葉がたまっていた。街灯の先には自動車のヘッドライトが光っていた。あの日の歩道のことを思い出す。彼女も元気でいるだろう。朝になるとうがいをして、お茶を飲んでいた。そこからリハビリがはじまった。
「おはようございます」
「はやいですね」
ナースセンターに人が集まって来る頃夜が明けてきた。
そして美しい朝焼けを見ると季節が変わったと思った。
かんごしさんもよろこんでいた。
朝食までの間私は静かにベッドで寝ていた。
朝食が終わって、薬が来るのを待って、薬を飲んで、部屋に戻る前に一度トイレにいって部屋に戻って様子を見て、ラジオ体操をしてから、ホワイトボードの、スケジュールをメモするのを知って、これも苦労して工夫を重ねた。部屋に戻って、担当の人が来るまでの時間を長く感じていた。リハビリはまず血圧と体温を記録するところから始まる。そしてベッドを下りて車椅子に移って、自分用の装具と靴がここまで大事な、モノかと思いながら履くところから始まった。そして車椅子に移って、自分で動くことから、はじまった。
わたしはそのまえにたおれたときのことをおもいだす。
私は突然朝の入浴中に崩れるように倒れた。なんとか、バスタブにつかまって、おきようとしたが、動けなった。これかとおもって必死に息子の和樹をよんだ。自分の声がかすれているのはわかった。かずきは「冗談言うな」といいながらわたしをひきずってソファーにつれていってくれたのまでおぼえている。
「これは救急をすぐ呼んでくれ」
私はそういったところで記憶がとんでいる。
きがついたらわたしは野戦病院に寝ていた。目を開けたら暗い病院の部屋だった。わたしは戦争の世界に来てしまったと思った。起きたら酸素マスクをつけていた。チューブも何本か腕についていた。妙に息苦しかった。わたしはおもわずかんごしさんに「この病院は機能してますか」と聞いたのをおぼえている。そのあとは次に目が覚めるまでの時間がどれだけたったのか朝かよるかもわからなかった。しばらくしてまた誰か来て食事の準備をベッドにしてくれたが、私は起きて食べることができるのか、水を飲んで、トイレは大丈夫なのか、どれだけベッドのうえにいたのだろうか。わたしはこれから検査と手術があるかと思って、説明を待っていたが、もうそれはすべて済んでいたようだ。集中治療室でもないようだった。きがついたら、弟夫婦がベッドのわきにたっていた。わたしは夢を見ていると思っていた。あとになって急いできてくれていたのを知った。私はあー来てくれたのだと安心したのを覚えている。しばらくして看護師さんがやってきて食事の用意をしてくれて私は少しずつ食べて、歯はどうやってみがくのかとおもったら、家族がコップとブラシを用意してくれていて、ベッドで磨けるように、看護師さんが用意してくれた。
それら、朝昼夕のご飯が届いて、時々車椅子に移って、場所を変えて食事をして、ベッドにかえるまでの時間が長くて、私は辛抱できなかった。今では2時間椅子に座っていても大丈夫だが、できるのだが、時計を見ていると30分座って過ごすのがつらかった。これも治療の一環だった。
私は、立つこともできなかった。右手がかゆくて困った。だるい手が動かない。
あさおきてわたしは、立つだけでたいへんだった。そしてゲームのお姉さんが来たり、体の基本的な動かし方を教わって別室で少し過ごしてマッサージがすごく痛かったが、外の風景をようやく見ることができてほっとした。まだ、社会のなかにいた。
わたしはそこでなんとかリハビリで仕事に戻ることができるかと思っていた。時々カードゲームとか簡単な文章を読むのを付き合ってくれる女性が来て、時間を過ごした。これもリハビリだった。そこでの日常はベッドの上の生活だった。そしてやがて転院の手続きを家族がしてくれて転院となった。6か月は過ごしたと思ったが、定かでない。わたしは、服の着替えもできなくなっていた。今は自宅でなんとか過ごしているが。週2回のリハビリもそろそろどうなるか。もう少し体がよくならないといけないはずだ。
やはり外の道を歩くことが基本だと思うし階段は大切な運動だと思っている。
朝は寒くても大丈夫。今朝も階段は乾いて年末の冷たさ、グランドの新しい道を歩くと気持ちがよかった。
週2回の通所のリハビリもこれで3年になるのでもうすこしからだをうごかせるようにならないといけないはずだ。
じたくでのせいかつもそろそろべつなかたちもかんがえないといけないのかもしれない。もう少し本を読んでいかなくては。
私は今日も階段を無事降りる。
リハビリ、通所も今年もめいっぱい続けることになった。
冬をこえるとまた、あたらしいことをかんがえてくふうしなければいけないかもしれない。
今日も、足の踏み台を考えてみようと思う。そして、部屋も整理していきたい。病院でお世話になった彼女たちのことにも感謝している
私は今日も階段を杖で降りる。
今日も無事歩くことができている。一日をぶじすごしたい。
今日も、あのリハビリの日々が役に立った。新しい荷物も受け取れた。
「面倒くさい」
「ごめん」
この会話を毎朝している。
「いたい」
これも私と競争だ。
「面倒くさい」
今朝もこれだった。
「死ぬ」
妻が帰ってきた。今日も無事に自宅で過ごした。
そしてやっぱりすぐに夕飯を食べたが、チンの音だった。
わしは今日も階段を無事降りてリハビリに行ったが、しゃべって終わった。
そのあと鮭弁を食べた。私はこれから落ち着いて部屋で過ごす。外は寒そうだが。
やはり今日一日もべんじょとべっどをかよってしまった。
やはり明日も部屋の中かもしれないが階段は見るだろう。
やっと、階段を降りるかもしれんが、三日に一度になるのかも。今日はやっと階段をおりたがの、やっぱりもうやらんといったがの、あしたもはれたらやるじゃろうもうきょうになったが、これからたいそうをやる。多分今日も階段を見るだろう。
わたしはもういちどたいそうをぱそこんでやっておく。そのあとしょくじがたぶんできてかいだんをみるだろう。でも今日は階段は見ないまま眠ることになった。地震があったからだ。神様も驚いたろう。昨日のことはしょうがない。けさめざめてすぐに、外の空気を吸ったが寒かった。お正月の様子が、街にあった。バス通りだった。病院の前のバス通りもきっと、同じだろう。草むらの向こうの空もきっと今日のグランドの夕陽と同じだと思う。川の上も同じだと思う。
2024/1/2