ナナハン・ストーリー・プロジェクト
馬場先智明
ゲハンロードーシャ。
編集者と思いたかったけれど、なんか違うんだなぁ……そんな思いが集合的無意識となってどこからともなく湧き出てきたのが、この言葉だった。
漢字で書くと「下版労働者」。当時、僕たちは、八分の自虐と二分の切なさを込めて、自分たちのことをこう呼んでいた。
出版業界に生息する人間ならピンと来るだろう。編集者が作家の原稿に手を入れて、レイアウトを整えデータ化し、あとは印刷所の担当者に渡せば、編集作業はここで一段落する。その完成データを印刷所に納品することを、その職場では「下版」と呼んでいたのだ。
僕のいたその出版社では、1人当たり、ひと月に4本、多いときには8本を下版していた。つまり毎月4〜8冊の本の編集作業を行っていたわけで、実に週刊誌の2倍のペース!で書籍を制作していた。
休む間もなく、毎月毎月の下版に追われる姿は、まるでチャップリンが映画「モダンタイムス」で演じていた流れ作業に追われる労働者そのものだった。
毎月半ばに設定された下版日が近づくと、「下版労働者諸君! 仕事が遅いぞ」と、僕たちはお互いそう言ってハッパを掛け合っていたものだった。寅さんが「とらや」の裏にある印刷工場の工員たちにかける「労働者諸君!」を真似たつもりだったが、ニュアンスは微妙に違っていた。
業界を渡り歩いてここに来るまで、顔の表面に貼りつけていた「編集者」という薄っぺらなプライドは、毎月の下版日というゴールを目指して走り続けるうちに、いつかハラハラと剥がれ落ちていった。
でもここに漂着した当初は、僕だけでなく誰もがひそかに胸の奥底に秘めていたはずだ。ここではないどこかで、腕を生かせる場所を得たときのために大切なプライドは冷凍保存でもしておくか、と。
僕がその出版社に流れ着いてから編集制作した本のおよその冊数を計算すると、
6×12×10(+α)≒750
となる。月に平均6冊とすると、10年いたから、去っていった同僚の後始末で振られた案件を加えると、おおよそ750冊くらいは編集、いや製造してきたと思う。つまり750人の著者たちと、原稿を通してだけでなく、じかに会ってきたし、それなりの濃密なやり取りをしてきたのだった。
その会社も3年前に辞め、今は同業の仲間たちと組んで互いに仕事を都合しあいながら生計を立てている。しかし何かの折に、ああ「そーいうことか」と、ふと思うときがある。何が「そーいうこと」なのか、というと、僕はこの出版社に入る前は、どちらかといえば、対人交渉があまり得意ではなかった。
もちろんそれまでもフリーの編集者でありライターでもあったから、当然取材もした。でもインタビューは消え入りそうな声、相手の目力(めぢから)には怯み、威圧的な御仁だったりすると、話なんてどうでもいいからさっさと帰ってしまいたい、なんて思ったりしたものだった。
ところが750人を担当したあとは、相当変わった人間を前にしても、臆するということがなくなった。なにしろ現役の極道から、国会議員、前科者、心に深〜い闇を抱えた方、狂信的右翼、某新興宗教団体系政党の党首まで、普通の生活者ならあまり接することのない多様な方々を相手にやりあってきたのだ。よくいえば鍛えられたわけだが、ただ単に繊細な神経がすり減って鈍感になっただけのことかもしれない。
まあ、そのような強烈な個性の方々を「あたたかく」迎え入れ、本を作り、書店にまで並べるのだから、ビジネスとして一時的ではあったけれど、当たったのもよくわかる。そういう方々の受け皿としての存在価値はあった。
僕はここに10年いて、編集者としての技量はさほどアップしたとは思えないが、人間としての「ある部分」は確実にパワーアップした。残念ながら「知性」ではない部分(面の皮ともいう)が3ミリくらい分厚くなった、と思う。いっそ心臓に毛が生えると良かったのだが、10年でそこまでの進化は無理だった。
檻の中で相手を倒すまで戦う格闘技の闘士になぞらえるつもりはないけれど、無理難題を連射してくる相手の破天荒な注文を聞き入れ(るフリをし)ながら、なんとか世に出して恥ずかしくない本を作り上げようとする気持ちが、疲弊困憊のあまり倒れそうになっていた自分をかろうじて奮い立たせる「支え」にもなっていた。
思えばかくも多彩な人材に遭遇できたのは、平凡なる我が人生の奇蹟ともいうべきか。いや奇貨といっていいかもしれない。今でも彼ら彼女らと渡り合った日々を鮮やかに思い出す。
「今年の11月には世界は必ず滅びます!」と、春先から何度もやってきては、そのたびに、応接テーブルの前に仁王立ちしたまま、毎回決まったように3時間の説法を繰り返した信心深い終末論者のおばさん。「ですからその前にひと月でも早く私の本を刊行しなければなりません!」と絶叫して意味不明の記号で溢れた原稿を置いていくのだが、世界が滅びる前に、その原稿を解読しなければならない僕の脳が滅びそうだった。
元・ヒットマン(Y組幹部を射殺して服役後、その回想記を出版)は、一向に売れない自分の著書を版元のせいにして「われの会社に火ぃつけたるから待っとれよ」と菅原文太のような広島弁で犯行を予告してきた。会社はその脅迫に厳戒態勢を敷いて、その日には全社員を早退させたのだった。
多重人格者の若い女性は、3つのメルアドを駆使してみごとに3人の人格を演じ、僕を撹乱させた。2人目の彼女から携帯メールで、「今、A子(著者)が自殺を図って救急車で搬送中。危険な状態です」とか、3人目の彼女から「今、A子(著者)が屋上から飛び降りようとしているの。助けて!」と来たり。「24人のビリー・ミリガン」ならぬ「3人のA子」だった。僕はその都度、泡食いまくって仕事どころじゃなくなったっけ、まったく。
入社後、最初に渡された原稿「続・アルプスの少女ハイジ」という小説には面食らった。続編のハイジは、年齢もそのままで100年後の現代日本にANA機で来日するや、日本の肉じゃがの味に魂を奪われ、「肉じゃが研究会」を発足させるが、食べ過ぎて膀胱ガンになり死ぬ?……というお話。筋の展開は途中で途切れ、文章も多くが途中で終わり、話自体に落ちもない。そもそもハイジである必然性はまったくなかった。ハイドでもアリスでもラスコーリニコフでも誰でもよかったのだと思う。ここはこんな原稿も引き受けるのかと、僕は初日にしてすでに青ざめていた。
ああ、破天荒の著者、破格な作品を挙げればキリがなくなる。
でもこれらとは反対に、磨いていないだけで、内実は本当に良質の胸を打つ作品も確かにあった。数多い戦記や闘病記の中にそれらは埋もれていた。
たとえば、ほとんどの兵士が戦闘よりも飢餓で死んでいったことから餓島(がとう)ともいわれたガダルカナル島からの生還者の記録。文章の向こうに地獄が透けて見えるようで息が詰まりそうだった。
たとえば、満州からの引き揚げ時の惨状を描いて優れた文学作品に昇華させた迫真のノンフィクション。ロシアの囚人兵に凌辱されて死んでいった姉のこと、家族のことを、思い乱れることなく端正な文章で書き上げた著者の痛切な気持ちはいかばかりだったろうか。
井伏鱒二が、原爆を体験した一広島市民の手記をリライトして優れた小説「黒い雨」に仕上げた例にもあるように、少し手を入れれば間違いなく一級の文学作品になりえたものも少なからずあったように思う。時間と才能さえあれば、僕も井伏鱒二になってみたかった。
たとえば、自らの闘病記を書き上げ、本の完成を見届けたあと、一人でひっそりと逝ったおばあちゃん。「学問がない」からちゃんとした文章は書けないと恐縮していたその人の言葉は、医師や看護婦さんたちへの感謝の気持ちが溢れた宝石のような文章になっていた。あの野口英世の母親・野口しかさんが、息子に会いたい一念で生まれて初めて書いた手紙のようにたどたどしくはあったが、僕は死んだ母を思って、読んで泣いた。
本当に思い出すだけで次から次へと湧くように出てくる。3年という時の流れが、心の封印を解き始めたのだろうか。
でも僕はその750人との格闘のお陰で、とても大切な宝物を手に入れた。
それは、人間というのはこんなにも面白いものなのか! という、極めてシンプルな事実だった。どちらかといえば人嫌いだった僕が、頑なに装着していたそんな色付きメガネをその10年で外してしまったのだから、仕事というのはつくづく凄いと思う。というか、本来、仕事というのはこういうものでなくてはならない、と思ったりもする。
が、それも今だから言えるのかもしれない。嵐の只中にいた当時は、飛んでくる瓦礫を避けること、傷ついたやわな心の手当てをするだけでアップアップだったのだから。
以前読んだ本に、確かポール・オースターが編集した『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』というのがあった。アメリカの一般市民から寄せられた短い実話を集めて1冊にまとめたものだ。1人あたり2、3頁という小さなスペースに個々人の人生のある一面がスパッと切り取られている。編者オースターの企みは恐らくその後も続けられているのだろう。一編一編は短いパーソナル・ストーリーだが、塵も積もればいずれは大きな山となる。彼はその山で、官製ではないアメリカ人たちによる本当のナショナル・ストーリーを作ろうとしているのかもしれない。
そんなわけで、僕もお粗末ながらオースターに倣ってみることにしようと思うのだ。
ただ、僕がこれからやろうとするのは、僕の担当した著者たちの作品を紹介するのでも要約するのでもない。僕が彼ら彼女らと切り結んだあの10年の軌跡というか傷痕を、忘れないうちに書き残しておこう、というものだ。
750人の方々との得難い出会いをネタに僕なりの「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」を書いていこうと思う。750だからナナハン、「ナナハン・ストーリー・プロジェクト」としよう。
さあ、誰から始めようか ──。