キラキラ、止まらない風はない
屋形船
江戸の遊びは粋なもので、浴衣の女性と歩くと、大旦那に思われてしまうなと思い気恥ずかしくなってしまう。
僕は「まずいな、成金の田舎社長じゃないか」とつぶやいた。「そうよ、だから手をつないで」と隣の彼女が手を差し出してきた。にこやかな顔が夏のまぶしさに負けてない。
それから僕たちはフラワーショップのカフェでお茶して、屋形船の集合まで時間をつぶしていた。そのあと貴重な茶碗を見てみようとサントリー美術館ににむかったら、浴衣姿の特別割引があって、彼女は得意げだった。
窯変天目茶碗は、もう一碗東京の静嘉堂美術館にあるので、後日二人でそちらにも向かっていった日のことだった。
その知らせは、僕たちが美術鑑賞をしてお茶を楽しんだ帰り道だった。
季節はもう秋になっていた。
仲間からの、大切な女性が亡くなった知らせだった。
僕は、翌日信じられない気持ちで葬儀に向かった。冷たい雨の夜だった。
葬儀の帰り道。
屋形船で一緒にいた女性は、
「しかたないのよ、かのじょのそのひだったのよ」とつぶやいたが、ぼくはわりきれない気持ちが今も続いている。
数年が経って、別な女性から連絡があって、僕は神楽坂のお墓に向かった。
秋の日で神楽坂は、賑わいがあったが、墓地の近所は静かで、穏やかだった。彼女はちゃんと花を用意していて、勝手知ったように墓地に入って線香をあげた。僕は、幸せだったはずだのに。安らかにね。と手を合わせた。
神楽坂は本とコーヒーと粋なお姉さんと緑の木陰がにあうまちだった。
神楽坂は、古い町で、本の香りが豊かで明るい街。
ここにいるなら大丈夫だと思った。
神楽坂の石段は、昭和の賑わいをしたほそい路地で、黒塀の料亭は静かに灯りをともして、心さみしい時間。
ぼくは、ゆっくりと人の往来を眺めていた。
神楽坂は、今も豊かな人情の町。
青い空とバゲットの塩味
旅先の青い空を見ると、ふと僕は炭酸水を飲んでパンでも食べようと思った。僕は宿の近所で見つけていたパン屋さんにむかっていた。ぼくは初めてのパリの町でパン屋さんに入って、どれにしようと迷ってえらびきれないでいたら、店のおかみさんがこれにしろというのでぼくはそれを買って、もっていたコインを渡すとにこやかにもらってくれたので、これぐらいの値段かと思って店を出て、炭酸水を買って、ホテルで、パンと炭酸水の朝食を食べた。
僕が住む団地にはかつて4軒ほどパン屋さんが歩いていける距離にあったが、今は2軒の店がはやっているが、僕は今はもうない店のクリームメロンパンが好きだった。
その近所には、おいしい焼き鳥屋に、肉の販売店に、おいしい漬物をつけてウイル野菜屋さんの店の前には、思わず手が出てしまうような果物が並ぶ通りなのだが、残念なのは、どさんこのラーメン店がきえたことだ。そこは少年野球の子供たちに人気の店だった。
2023/7/27