娘の父と孫
鈴木 三郎助
「そう心配しなさんな」
と、娘に言った。
「そう、お父さんに言われても……」
と、娘は言いよどんだ。
父と娘がせまい居間で、先ほどから話していた。
桜の季節も過ぎた、ある穏やかな昼下がりである。
田舎住まいの父の英明が、東京に住む旧友と会ったその足で、東中野に住む娘のところに立ち寄った。その日は、看護師として働いている房子にとっては、たまたまの休暇日であった。
「お金のことなら、少しは手助けできるよ」
と、英明は言葉を継いだ。
「お金のことはどうにかできるので、お父さんには迷惑をかけたくないわ」
娘は悩みを抱えていたが、それが英明には分かるように伝わってこなかった。
五年前に夫と別れた房子は、小学四年になった昭男と二人で、ふるびた木造アパートの二階に間借りしている。
娘の離婚のことを、英明は内心不憫に思っていた。二人の間に何があったのか、英明には理解しがたいことであったが、子どものことを考えると、なんとかならなかったのかと、口には出さなかったけれど、心惜しいことであった。
女手一つで子どもを育てることも、そう甘いものではないし、息子の教育にも、決して良いことではないと、英明はその離婚には直ぐには同意できなかった。
ところが、娘の房子の決意は貝のように堅固であった。
お互いに好きになって結婚したはずではなかったか。
二人はキリスト教の教会で結婚式を挙げたとき、牧師の前で神に誓いを立てたのではなかったのか。良い時にも、悪い時にも変わることなく、いつまでも愛し合うことを誓いますか、と牧師の口から告げられた時、二人は声を合わせて誓ったはずであった。
英明はそんな娘を頼もしく思ったものだった。娘の幸福な船出を、彼は心底から願ったのだった。
それが何ということか、一、二年足らずして娘夫婦は別居し、そして別れたのだった。
「心配しなさんな」
再び英明はそう言った。
「お父さんが思うほど、心配はしていないわよ。でも、自分のことならばともかく、息子のこととなると、そうはいかないのよ。あの子、いま反抗期なの、親の言うことなど聞こうとしないのよ」
「反抗期かね。おまえ、少し注意し過ぎではないのか」
「もっと一緒にいる時間をもちたいけれども、なかなかそうはいかないのよ」
房子はそう言いかけて、
「お父さんは、お母さんとうまくいっているの」
と、話題を変えた。
「なんだい、おれたちのことを、おまえ、心配しているのかい?」
英明は驚いた。
「べつに心配しているわけではないけれど……。今も喧嘩することあるの」
「昔ほどではないがね」
英明は笑顔で答えて
「喧嘩も一つの理解だよ」と、言った。
「そうかしら?」
娘は首を傾げた。
「世の中に喧嘩一つしない夫婦などいるまい。喧嘩しながら、人間は一歩先に、また一歩先に、進んでいくのではないかい」
娘は、父の言うことが納得できないわけではなかった。だが、その反対の場合もあるのではないかと思った。つまり、喧嘩が仲直りになるならば、前進であるかもしれない。しかし、喧嘩が理解ではなく、逆に不理解の溝を深めることだってないわけではない。世には、むしろその方が多いのではないかと思った。自分たちの離婚も、そうではなかったかと、房子は自分に問いかけた。
しかし、今になっては、後の祭りである。
起こったことは、起こらなかった以前にはもどすことができない。房子は別れたのは自分の意志であるという自負心があったので、自分で選んだ道を進む以外に手がなかった。
離婚した房子は五歳になったばかりの昭男を保育園に預けた。実際に預けてみて、一か月もしないうちに、保育園は自分にとっても息子にとっても、都合がよくないところだと気づいた。彼女は仕事上、出勤時刻は不規則であった。夜間勤務の時、見てくれるところを探すことは難しかった。しかも息子は保育園に行くのをひどく嫌がった。そこで房子は親に頭を下げて親に頼むしかなかった。
彼女の実家は千葉の館山の海岸沿いにあった。彼女の父は町役場に勤めるサラリーマンであったが、祖父の代までの家業は、代々漁師であった。子どものころの英明は、漁に出かける父の小型船に乗せてもらったものだった。父の漁をする手さばきを見たり、時には網を持ち上げる手伝いをしたりしたものだった。
父は背が高くはなかったが、太陽の光に露出した顔や両腕は日焼けして赤銅色をしていた。英明は子供心に、父のような漁師になりたいと思った。そして海で生きる男になれたら、どんなにいいだろうと、船の舳先に立って夢想したものだった。
昭男は数年間、小学入学前までの間、房子の父母の下で育てられた。五歳になったばかりの彼は、体が小さく、神経質な子どもであった。甘えん坊で、手のかかる子どもであった。
父母のところに昭男を預ける際にも、房子にとって一苦労があった。幸い両親は、娘の申し出に悶着をおこすことなかった。むしろ娘の置かれている状況を理解してくれた。ところが、母から引き離され、母と離ればなれになることが、幼い昭男には身を切られるような恐怖であったのだ。母が後で話したことによると、三日三晩泣き通しであったとのことだ。しかしその後は、母を思ってめそめそしたりしなくなり、人が変わったように素直な、物分かりの良い子になったそうだ。
父母にとって幼少の孫は、目に入れても痛くないほどに可愛いものだった。
母の晶子は、近所の茶飲み友だちとこんな立ち話をよくしたものだった。
「お孫さんの面倒は大変ではありません」
そう言われると、昌子はいつもにこにこして、
「そんなことございませんよ」
と、答えた。そして続けた。
「どうして孫というのは、可愛いものなんでしょうね」
「わたしのところにも、孫が三人いますけれど、可愛いだけではないですよ。時には怒りたくなりますよ」と、言われると昌子は、
「おっしゃる通りです。わたしも孫をしかったりします。甘やかしすぎてもいけませんから」
だが、昭男はそんな祖母よりも、祖父の方が好きであった。
おばあちゃんは、なにかと押し付けるから嫌だ、というのが子どもの直感であった。
英明は根が磊落であった。孫に対しておおらかであったので、母から切り離された、小さな魂は、祖父の胸の中に吸いよせられた。祖父といると、昭男は楽しく、心が和やかになった。
昭男は体が弱く、人見知りの激しい神経質な子どもであった。しかも、臆病で、泣き虫であった。その主な原因は、彼が育った家庭環境にあると、英明は考えていた。子供が生まれた時から、娘とその夫の間で心がかみ合わなくなっていた。母となった娘は、ヒステリー症状をたびたび起こした。その夫婦の不協和音が子どもの心に影響しているのではないかと、言葉に出して言わなかったが、英明は思っていた。
英明自身、子どもの育て方に関して苦い経験を持っていた。子どものことにほとんど関与してこなかったという後悔の念であった。
彼には二人の子どもがあった。上は男の子で、下は女の子であった。彼は子どもを可愛がり、優しかったが、子どもの教育に関しては、妻に任せきりであったのだ。
漁師だった英明の父も、子どもの教育に関して細かいことを言う人ではなかった。漁師としての腕まえは、みんなが舌を巻くほど優れていたが、他のこととなると、酒以外のことにはまるっきり子どものように無欲であった。
家事のことや子どもの養育に関しては、女房に任せきりであった。無駄な口をきかなかったのだ。
「うちの父ちゃんの頭は、いつも海のことでいっぱいなのさ。他のことなどは入らないのよ」
おふくろは、子どもの前でときおり、そんなことばをもらすことがあった。
「お酒ばかり飲んでいるんじゃないか」
子どもの英明がそう言うと、母は白い歯を見せてけらけらと笑いながら
「あれは父ちゃんのお薬なのよ」
毎晩、変な薬を飲む父を、幼い英明は不思議な目で見ていた。
母の昌子は、子どもの教育に心を使った。小学高学年になると、英明は駅前の学習塾に通わされた。勉強嫌いでなかった英明は、塾の中では上位の成績であった。彼は私立の学校に進学し、大学を経て、公務員になった。
英明は生一本な性格であった。根が純粋であり、真面目であった。それは頑固一徹な父親の血を受け継いでいたからだろう。しかし彼は、学問で幅の広い教養を身に付けていたので、偏屈な人間にはならなかった。度量の広い人として、信望を得ていた。
孫の昭男が実家に来た頃、英明は役所を定年退職していたが、まだ嘱託として仕事をしていたけれども、かなり時間の余裕のある生活をしていた。
英明が書斎で読書したりしていると、昭男が入ってきて、そこでひとりで積み木遊びをしたり、絵本などを読んだりして過ごすことがよくあった。そんな時は、たいてい祖母が買い物に出かけている時で、祖母からおじいちゃんのところに行きなさいと言われていたからであった。
孫と遊んでいる時の英明は、まるで子供であった。自分の歳を忘れて童心に返って、孫とゲームを楽しんだ。そんな祖父を昭男は好きで、まるで自分の父親に抱く気持ちとかわらない思いを祖父に感じるのであった。
英明は暇を見つけては、孫を連れてよく散歩に出かけた。朝早い時もあれば、昼食後の時もあった。また、太陽が海の彼方に沈む前の静かな夕暮れ時もあった。散歩に行くところは、その時々の英明の気分で決められた。市街の北の方角にある、小高い山の方に足が向く時もあった。だが多くの場合、家からあまり遠くない海岸に出かけた。砂浜の湿った渚を孫の歩幅に合わせて歩いた。
昭男は裸足になって、わざと水際で波と戯れるようにはしゃいだ。
海水浴のシーズンも終わりかけた、ある日の夕暮れ時、英明は昭男を連れて海岸の浜辺を歩いていた。良く晴れた日で、風のない穏やかな夕暮れであった。先ほどまで犬を連れた人影が見えたが、その人たちの姿はどこかに消えてしまった。砂浜を歩いているのは英明と昭男だけになった。
「昭男君、海は好きかい?」
英明は聞いた。
このような類の質問を孫に向かって、英明はよく口に出していた。それに対して昭男はいやな顔をすることがなかった。この日もいつものように、彼は素直に
「大好きよ」
と、明るい声で答えた。
「おじいちゃんも、海は好きでしょう」
「好きだよ。おじいちゃんの父さんも海が好きだった」
英明は自分の父が漁師であったことを孫に語った。そして歩きながら、自分の子どもの頃の思い出を語って聞かせた。父の船に乗って沖に行ったこと、大雨が降ってきて小型船に激しくぶつかる高波の飛沫に震い上がったことなど、面白おかしく語ったので、昭男は目を丸くして聞いていた。そんな話を聞くのは初めてのことであった。
「おじいちゃんも漁師になるとよかったのに」
「そうかい?」
「そう」
昭男はうなずいた。
「そうしたら、ぼく、おじいちゃんの小型船に乗せてもらえたのに」
「そんなに船に乗りたいのかい」
「乗りたいよ」
「船ならいつでも乗せてあげるよ」
「おじいちゃんが漁師であったらなあ、ずいぶん楽しいだろうね」
「昭男君は漁師になりたいの?」
「ぼくはなれないよ」
「どうしてだね」
「どうしてって……」
「この話はよしにして、別の話をしよう」
「どんな?」
「もっと面白い話」
「ぼく、話していい?」
「いいとも」
英明は孫とよくそのような会話をしたものだった。
二人はいつものように足を伸ばして、砂の上に腰を下した。
その日も、美しい一日が終わろうとしていた。遠く、水平線の彼方に、太陽が見えた。そのあたりの空と海面が、油絵に描いたように真っ赤に染まっていた。
二人の目と心が、沈みかけた太陽の、厳かな、神秘的な光景に吸いつけられていた。その天然が醸し出すきれいな景観と、それが与えてくれる歓びを、二人は深く胸の底に呑みこんでいた。英明は大人の心の器で、昭男は子どもの小さな心の器で。
「どうだね?この眺めは」
やがて英明が言葉を発した。その声はひくかったが、静かに暮れいく、砂浜の静寂をわずかにただよわせたようである。
昭男はそれには返答しなかった。
「いい眺めだろう」
英明は再び言った。
「いい眺めだね」
昭男は答えた。
「素晴らしい眺めだろう」
英明は感情のこもった声で言った。
「素晴らしい眺めだね」
昭男はオウムのように繰り返した。
太陽はすこしずつ位置を変えていった。やがて海面すれすれのところまでになった。
「あの太陽はどこまで沈んで行くの、おじいちゃん」
日没の景観に心を奪われていた昭男は、ふと溜息のように言葉をもらした。
これまで彼は、落日の光景を何度も眺めてきたが、そんな質問はしたことがなかった。
英明は内心おかしくなったが、その気持ちを抑えた。自分も子供の頃に父にそのようなことを聞いたことがあった。そのことを思いだしたからだった。
「海の中に沈んでいくの」
「そう思うかい?」
「そうじゃないの」
「太陽が海の中に沈んでいくのかい?」
「でも、そう見えるよ、おじいちゃん」
「そう、そう見えるね」
「でも……」
昭男は何かに気づいたようだ。
「でも、変だね」
「変かい?」
英明は何かを促すように言った。
「太陽は火の塊のように、すごく熱いものなんだよね、おじいちゃん」
「熱いとも、その表面の温度は六千度もあると言われているよ」
「ずいぶん熱いんだね。そうしたら、海水の温度が高くなって海の魚たちがみな死んじゃうね」
そうつぶやいて昭男はやがてこう言った。
「太陽は海の中に沈むわけはないね」
「そうだとも」
祖父はうなずいた。
「あの太陽は動いてはいないんだ」
「でも動いているよ」
太陽の消えた、残光に彩られた水平線に目を向けて、昭男は言った。
「動いているのは太陽ではないんだ。実は地球が動いているんだ。そのわけをゆくゆくは学校で教えてもらうだろう」
「地球が回っているの?」
「そう、自分たちがいる、この地球が動いているんだよ」
「そうかしら?ぼくにはちっとも動いていると感じないんだけども」
「信じられないだろう」
「不思議だね」
「目にはそう見えても、実際はそのとおりでないことがあるんだよ」
英明はそう付きたすように言った。
その言葉が、耳に入らないように昭男の心は、何かを探っているようであった。
英明は孫の昭男と過ごした日々のことを頭の中に思い起こしていた。用事があると言って、いったん席を外していた房子が戻ってきて、父に向かってこう言った。
「子どもを育てていくことが、こんなにも手のかかるものなのか、時にはすべてを投げ出したくなることがあるの」
房子が突然、そんなことを口に出したので、英明は驚いた。子供を女手一つで育てることの大変なのは想像していたけれども、娘からじかに聞いて、事の並々ならぬことを知らされたのである。心臓を針で刺されたような痛みを、英明は覚えた。先ほどまで房子が、明るく振る舞っていたのは、親を心配させたくないという娘の心配りだったのだろうか。
子どもは放っておいても育つという言葉が一昔までは通用していたようだが、今はそんな環境は無くなった。野菜を育てるには必要な栄養素を含んだ土壌がなければならない。人間の子どもたちにも、ふさわしい教育環境がなくてはならない。その中で子供たちは学び、情操を育て、生きる喜びをもてるような環境が次第になくなっていることを、英明は感じていた。
「昭男君が一番興味を持っていることは何かね」
英明は少し間をおいて訊ねた。
「サッカーのようね」
「それはいいことだよ」
「でも、勉強の方はだめなの」
「少しぐらいなら気にしなくても」
英明は言った。
「勉強もしなければいけないと言っても、返事だけはするけれども、ほとんどやっていないのよ」
「熱中するものがあるなら、それだけでもいいと思わなければならないよ。昭男君は根からの勉強嫌いではないよ」
「そうかしら?」
「あの子はいい子だよ」
そして、英明は娘に、きっぱり伝えた。
「子供に手綱をつけるよりも、むしろ後ろから押してあげなさい。その方がいい」
(おわり)