原爆ドーム前の石のベンチ
僕が中学2年の夏
がらににあわず同級生の女子とデートで平和公園を歩いて原爆ドームの前の石のベンチに座っていたとき、老女が僕の横に腰かけて「暑いね」とはなしかけてくれた。「あの日もそうだったんだよ」そう話す老女の言葉が少し違っていたので、僕は「どちらからですか」と聞いたら少し時間をおいて「昔は多かったんだけどね」といいながら「韓国だよ」といってくれた。
「どうしてここにいるんですか」「みんなここで死んだからね」とさみしそうな横顔でつえを握って腰かけていた。
「戦争。そういう時代だった」老女はと涙を流すので僕は肩をさすって「よくこられるんですか、またまた来てください」といった。
目の前には川がゆったりと流れていた。
ぼくたちはそこを離れてふたりで喫茶店によってクリームソーダを飲んでそれぞれ買い物に出かけて別れた。僕が中学生の頃の広島はとても平和だった。
広島の風景は市電がのんびり通る暑い夏。
ぼくはそのことを忘れていない。
広島には確かにあの日の記憶があるはず。
人はピカドンと呼ぶのですが、きのこ雲はたかくわいて黒い雨を降らせたのです。
おばあさんもその雨をあびたのでしょう。
おばあさんは遠くの空を見つめていました。
僕は同じ空を時間を超えてみています。
ぼくはこうおもいます。青い空はどんな時もどんな所にも、平等に希望を注いでいるのだと。
それがげんじつにできるのは考える人間なんだと。
2023/7/15