研究室で。
(年老いた教授Aと、中年の助手B)
A:これは、楽しいもんだ。
B:えっ。
A:楽しいもんですね、これは。
B:はい。
A:見てごらん。
B:はい。
A:よく、だよ。
B:どっちでしょう。
A:どっちだっていいんですよ。
B:ええ。
A:青いでしょ。
B:ええ、青いです。
A:青いのが大事なんですよ。
B:はい。
A:ほら、何も浮かんでない。青の上には。
B:そう……ですね。
A:よく、見ているかい。
B:ええ。でも、どこを見ればいいんでしょうか。
A:いいんだよ、どこでも。
B:わかりません。
A:わからない、かい?
B:ええ、実は見えないんです。
A:そう、青いんだけどね。
B:その青い物体はどこにあるのですか?
A:見えてるんだけどなー、きっと君にも見えてるんだけど。
B:そんないい加減なこと言わないでくださいよ。
A:ああ、ごめんなさい。でも見えてるんだよ。
B:もっと時間をかけて探せばいいでしょうか?
A:いや、そんなことはないと思うが。
B:スミマセン。私には見えないんです。
A:まあ、そんなに気を落とさなくてもいいでしょう。
B:でも。
A:そうだね。見えないとデータに残せない。
B:そうです。
A:データがないと困るね。
B:そうです。これまで蓄積した3559日の記録が無意味になります。
A:それは、まあそうだね。
B:そんな他人事みたいに。
A:いや、すまない。でも見えないのではしかたないね。
B:でも、今日はまだ、あと4時間30分20秒ほど残っています。正確にいえば16220秒、いや、今2秒経ったので16218秒。
A:え、それはまずい。どうりで見えないはずです。
B:どうしてですか。
A:それは、その。
B:残りの時間で僕は見てみせます。
A:そうかい。でも、それじゃ見えないんだよ。
B:だって、さっき見えてるっていったじゃないですか。
A:ええ、見えてるんです。
B:だったら僕にも見えるはずですよね。
A:確かにそうですね。ですが…。
B:僕じゃダメなんですか。
A:そういうわけじゃ。
B:ダメなんですね。そう顔に書いてある。
A:そうじゃない。
B:じゃ、どうして。
A:自然の摂理だからです。
B:科学ですよね。これは。
A:そうです、いかにも、私たちは科学に身をささげている。
B:じゃ、摂理ってなんですか。科学は膨大な現象から導かれた法則を解明して、それを超えた解を導くんじゃないんですか。
A:しかし、摂理には逆らえません。
B:では、このデータの蓄積は無意味。
A:そうでした、それを今、君が教えてくれました。
B:それじゃ、これまで重ねた僕の犠牲はどうなるんですか。
A:すみません、無駄だったということですね。
B:すまないってどういうことですか。これで研究放棄ですか、国からやっとの思いで勝ち取った膨大な予算もパー。
A:そういうことです。
B:僕たち、ペテン師じゃないですか。
A:そうですね。
B:そんな。無責任なこと言わないでください。あなたの地位もなくなりますよ。
A:そうかも、知れませんね。
B:まったく、そんなことでいいんですか。あきれた。僕はあなたを軽蔑します。
A:ああ、でも私には見えていたんですよ。そして私は今も見ている。
B:何を言っているんですか。さっぱりわからない。
A:私は今、重大なミスと、明らかな摂理と真実があることに気が付きました。
B:説明をしてください。数式を完成させます。
A:いや、その必要はないし、不可能です。
B:どうしてですか。
A:私は、青の出現は面白いと思いました。
B:そうです、それがこの研究の動機です。
A:青い空でした。戦が始まった日も、そして終わった日も。そして、心は晴れやかでした。戦の始まった日はやがて訪れる日々を知らずに、そして終わった日はただただ平和になったと安堵した、それが永遠のような錯覚をして。
B:なんですか、いきなり。
A:錯覚でした。
B:どういうことですか。
A:青は光学的にも物理、物質、心理学的にもその分野で定義づけられ、解明されています。ですが、それでだけでは私には納得のいかない青の出現がありました。
B:それがこの研究です。
A:私はその日何故空が青かったかを解明したかったのです。
B:それって気象でしょう。
A:そうですが、私が知りたかったのは、何故その時に見た空がその青であったかです。その時間青が出現したことを説明したいと思いました。
B:偶然そうだったんでしょう。
A:偶然、ですかね。
B:そうです。偶然です。
A:たまたま気象がそうで、晴れた空は青くなるという地球空間の現象が、たまたま、その時間に起きて、私の世界に存在しただけだと。
B:私には哲学はわかりませんよ。
A:ともかく私は失敗したのです。あらゆる条件と可能性を考慮して幾千通りのプレパラートを用意したというのに。私はなんという基本的なミスをしてしまったんでしょう。
B:だから、何なんですか、そのミスって。
A:君と私の二人でデータをとったということです。
B:私がいけないっていうことですか?
A:そうとも言えるし、そうでないとも言えますね。
B:なんですか、その言い方。イヤだなー。
A:いいですか、私たちはこれまで二人で交代で観察をし、記録をとっていた。
B:そうですよ、電子顕微鏡におかれたプレパラートの上の画像をまばたきもしないで。
A:そうでした。
B:青が現れるなんてめったにない。
A:そうです。
B:でも現れたとき、私はその時のデータをチェックしたんだ。
A:そうです。
B:この積み重ねがこれですか?
A:その時の青の物質を検証できましたか?
B:いえ。
A:その現象の実体の証明はできていますか?
B:いえ。
A:私たちは見えたということにこだわりすぎました。
B:えっ。
A:私が今見ている青は空の色です。
B:なんですって。
A:そうなんです。私の青は空の色だと実感として確信しています。
B:とっくに暗くなったこの時間に青い空なんて現象としてありえない。
A:そうです。闇では空は暗く、色としては黒。
B:では、私が見えないのは当然ということ。
A:そうです。私の失敗はすべてそこにあります。
B:幻視、ということですか?
A:あなたが、青を見ていた時、何を考えていましたか。
B:いや、忘れました。
A:たしかなめたって言ってましたね。
B:あっ、そうです。思わずプレパラートの液を小指の先ですくって。
A:その時の液の状態にはデータ的な変化はありませんでしたね。
B:そうです。何故、青が出現したか解明できませんでした。
A:甘かった、とたしかその時言われたと思います。
B:そうでした。
A:でも、その時の液には甘みを感じさせる成分は何一つ入れていなかったし、液の変化もデータ的にはなかった。
B:でも、確かに甘かったんです。
A:何故でしょうか。
B:そうだ、飴だ。あの時、疲れてお腹もすいていたので、青くて甘いキャンディーのことを考えていました。(鼻歌で「青い飴の歌」を唄う)
A:それです。
B:えっ。それでは私の青も実際には存在しなかったということですか?
A:そういうことでしょう。
B:なんてことだ。
A:完全に失敗です。予算がないことは残酷です。私とあなたと二人で続けたことが大きな敗因です。
B:あー。
A:まあ座りましょう。
(沈黙)
B:それで、どうするんですか。これから。予算はもうほとんど使い果たしていますよ。
A:旅にでます。
B:旅って、どこに行くんですか?逃げるつもりじゃないでしょうね。
A:いえ、そうではありません。プランBというあらたな旅です。
B:まだ、続けるんですか。
A:いえ、新たな旅です。旅に終りはありません。
B:なんてロマンティストなんだ、あなたは!
A:プランBは完璧です。数年前から私は密かにノートで練ってきました。
B:それで、そのプランの目的は?
A:宇宙空間に存在する青物質の抽出。
B:よく、分かりませんが壮大ですね。
A:いや、ささやかな探求です。
B:それで施設は?
A:基本、このままでいきます。必要なのは電波望遠鏡ですが、それは研究仲間のものからのデータを共有することで解決できます。
B:このままですか?
A:そうです。
B:ここで失敗したんですよ。
A:かまいません。
B:それで、人員は。
A:あなたと、私です。
B:完璧、ですね。
A:そうです、では、旅立ちましょう。