第一章
オリナモが襲わない年が何年も続き、人々は平和に慣れていった。オリナモという名前さえ知らない子供達が生まれ、襲撃の猛威は昔語りとしてだけ残っていった。カンネゴートに移り住む人々が増え、新しい首都として整備されていく。都の賑わいは国の力となり、王を中心に国家が創られる。そんな折、異国から使者がやって来た。
交易が目的ではなかった。使者としての礼は尽くしていたが、一行は変わった物を身に付けていた。皆胸に一粒のダイヤモンドを輝かせていたのだ。訊いても使者たちはただ嬉しそうに笑って「私たちのお守りです」とだけ答えた。使者たちの長い逗留の間に懇ろになった女官が同じダイヤの装飾を欲しがっても、使者たちは笑顔でさり気なく話を逸らせた。
余程大切なものに違いない。噂は噂を呼び、ある日一人の使者──ネモスキというのが彼の名だった──の胸からダイヤモンドの粒が盗まれるという事件が起こった。それからが見物だった。今まであれ程までに仲の良かった使者達一行に異変が起こったのだ。ほかの使者たちが皆、ネモスキと口を利かなくなったのだ。
しかも、失くなったダイヤを捜そうとは少しもせず、ただただネモスキを疎外した。快活だったネモスキは表情も暗くなり、俯いて歩く日々が続いた。そんなネモスキに一人のカンネゴートの女が恋をした。同情からかも知れない。彼女の名前はフレオマと言った。
「レオマ、どうしたらいいんだろ、俺?」
「モスキ。死ぬなんてまた言い出さないで」
「国に帰れない、このままじゃ」
「どうして捜さないの?」
「……」
肝腎な話になるとネモスキは黙ってしまう。もどかしさがフレオマに募っていった。
フレオマは市場に行った。普通の市場ではない。人々から泥棒市場と呼ばれている盗品ばかりを売っているいかがわしい北の外れの砂漠の入り口だ。女の姿では帰って来れない。フレオマは男装して夕闇にまぎれて出掛けた。
「金ならほら、これだけある。ダイヤが欲しい。小粒のダイヤ」
金貨に見せかけた石を詰めた袋を見せ、露店ごとに訊いて回った。どこの店主も首を横に振ったがフレオマは根気良く続けた。そのうちに、黒い影が尾行いて来ているのを感じ始めた。狙い通りだ。フレオマはゴミが捨ててある小路を曲がったところで待った。
真正面からフレオマと出くわし、尾行けて来た男は一瞬後ずさりした。だが、フレオマが袋を差し出す身ぶりをするとすぐに身を乗り出して手を伸ばそうとした。
「ダイヤが先だ」
袋を背中の後ろに素早く隠してフレオマが告げる。
「ここにはない」
尾行けて来た男がくぐもった声で答える。
「だったら、ある場所に案内しろ」
「本当に金貨か?」
それには答えず、フレオマは顎で男を促した。仕方なく、男は付いて来いという身ぶりをする。男の後に着いて歩く。少し離れて歩いても、男からは今まで嗅いだことのない変な匂いがした。黴と酢が混じって腐り始めたような異臭だった。
五分ほど歩いた大きな木戸の前で男は止まった。彼自身は中に入らず、フレオマに入るよう促した。泥棒の家にしてはかなり大きい。臆することなくフレオマが中に入ると、案内の男が閉めたのだろう、木戸が大きな音を立てて閉門し、ご丁寧に錠が架かる音が続いた。フレオマは振り向かずに前に進んだ。
「金貨の袋を床に置け!」
若々しい声が闇から響いた。
「お前の命令を聞く謂れはない」
フレオマは強い声で続けた。
「本当にダイヤを持っているのか?」
「お前の質問に答える謂れはない!」
「それでは話が進まない」
フレオマはだんだん闇の声と話すのが楽しくなってきた。
「姿を見せろ」
「お望みとあらば」
墨絵から人影が浮き出すように、今までそこにいたのだろう人物が輪郭を顕わした。腰に蛮刀を佩いた土埃にまみれた若者だった。