カレンダー
馬場先智明
溜まった郵便物がステンレス製の郵便受けからあふれている。
学習塾の案内、ダイレクトメール、住民税や年金などの請求書……2〜3週間ほったらかしにしておくと、もう大変なことになる。
マンション1階にあるポストから溜まった郵便物をごそっと取り出すと、念のため、2階の部屋に入る。一応、窓を開け、風を入れたり、ガスや水道は大丈夫か、くらいは確認する。
そう、今日は2月になって最初の郵便物収集日。
4年前、あの東日本大震災のあと、住んでいた川崎のマンションはそのままに、一家4人で世田谷にある妻の実家に仮「移住」した。90歳になった高齢の義母を一人で置いておけないからだ。首都直下型地震が近いという説もあるし、老人の独り住まいは危険と判断しての移住だ。
世田谷から川崎までそれほど遠くはないが、なかなか毎週はこられない。仕事の間隙を縫うように、川崎まで月に数回「出張」するのが精一杯。
いつものことだが、来ればしばらくいてしまう。なぜかとてつもなく懐かしい。そんな感情に心がロックされてしまうのは毎回のことだ。どれだけ感傷的なおやじなのだろう、一家離散したわけでもないのに。
自分史の中で、ここに住んだ20年近くは、結構、激動の日々だった。結婚、子供の誕生と成長、転職して独立……亡くなった母が泊まりにきたこともあった。この部屋にはそんな年月が地層のように降り積もっている。
何を慌てて出て行ったのか、まるで着の身着のまま夜逃げでもしたように部屋の中は、4年前のまま。玄関の壁に掛けられたカレンダーも3月のまま。小学生だった息子のサッカー試合の日程が乱暴な字で書き込んである。中学生だった娘の誕生日に赤マルがついている。この部屋の中だけ時間が止まっている。
毎月ここに来るたびに同じカレンダーを見て、懐かしんで、そして帰っていく。誰もいない部屋に「ただいま」と言って入り、「また来るよ」と言ってドアを出る。