『現代ガァルズ』(幕間狂言を挟む二幕)
時代:昭和。ときどき現代。
場所:埼玉県の中都市。
キャスト(登場順)
多治見 五郎(39)………小説家
多治見 澄乃(34)………その妻
多治見 紗童(-1)………その子
奈良本 健次(29)………喫茶店HIMAWARI店主
太田垣瑠璃江(26)………新水社の編集者
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開演前
客席にBGM。
開演5分前 「開演5分前です。」のアナウンス。
開演 開演ベル。
客席BGMフェードアウト。
客電溶暗。
第一幕
舞台明転すると六畳和室。
下手にふすま。上手寄りに座布団と机。
チョビひげの多治見五郎、和服に丸メガネで座布団の上。
机に顔を近づけて原稿用紙に何かを書いている。
五郎、顔を上げると眼が血走っている。
今書いた原稿を両手で広げて持ち上げ、読む。
五郎(読む) 引き戸のすき間から湯けむりごしにかすかに見えたルリ子の裸体に仁五郎は釘付けになった。こんなにも美しいものが(原稿用紙を下げると現れるうっとりとした五郎の顔)この世の中に存在するなんて、仁五郎にはとても…(信じられなかった。)
澄乃の声(下手から)あなた! よろしゅうございます!?
五郎、あわてて原稿を机の引き出しにしまい、ズレた丸メガネを直し、和服の襟を正す。
五郎(上ずって) 澄乃か!?
澄乃(襖を開けて)お茶でございます。
澄乃、きちんとした和服姿。
ふすまのかげから湯のみ茶碗を乗せたお盆を出し、はじめて顔を上げる。
清楚で美しい。
五郎 そこでよい。
澄乃 はい。(動こうとしない)
五郎 そこに置いておけ!
澄乃 はい…。
五郎 どうした?
澄乃 ……。
五郎 言ってみなさい。
澄乃 (ススッと五郎の近くに寄り)お話がございます。
五郎 な、何だ!?
澄乃 わたくしに小説の書き方を教えてください。
五郎 何だい藪から棒に。
澄乃 母のことを、少し、書いてみようと思います。
五郎 そう(か)。(とふりむきかけたところで、)
二人、ストップモーション。
× × ×
舞台中央奥にスポットライトが当たると紗童がポツンと座っている。
紗童 ───。
紗童、ゆっくりした動作で父・五郎と母・澄乃を見やる。
五郎と澄乃、ちゃんと向き合っていない。
紗童 ああぁ。(ため息)
紗童のスポットライト消える。
五郎と澄乃、ストップモーションから自由になる。
五郎 (澄乃に向き)(そう)か。
澄乃 お願いできますでしょうか?
五郎 むずかしいぞ小説は。
澄乃 ありがとうございます。(頭を下げる)
五郎 ま、がんばるんだな。
暗転。
ごく短い間あって舞台中央奥にスポットライト。
紗童、考えるポーズで立って歩いている。
紗童 いかにもギクシャク 父さん・母さん
こまった、これじゃ、コンリンザイ
いつになったら この僕は
この世に 出番ができるやら
あああ早く生まれたい
生まれて たくさん やることあるッ!
スポットライト急OFF。
舞台暗黒。
× × ×(場面転換)
大勢の華やいだ声先行。
明転するとパーティ会場。
「多治見澄乃先生『母の恋』出版祝賀会」の看板。
舞台奥に笑顔の澄乃。
人々、思い思いの盛装。
時々、「おめでとうございます。」「処女作が名作。」など。
上手寄り、人々から離れたところにグラスを手に赤い顔の五郎。
紗童、憂鬱顔で人々の間を縫うように歩くがだれにも気づかれない。
これをベースに以下の2つの寸劇が挟まれる。
寸劇は舞台中央で演じられる。
◆寸劇1◆
奈良本健次、下手から登場。
しばらく会場をものめずらしげに回ったあと、躊躇しつつ澄乃の近くへ。
二人、口パク・笑顔で会話。
紗童、二人の周りをウロついてのぞき込むなど。
周囲の声が静まると二人の会話が聞こえてくる。
澄乃 お世辞がおじょうずですこと。奈良本さん…でしたっけ?
健次 奈良本健次です、先生。お見知りおきを。
澄乃 ま、先生だなんて───。
健次 感動いたしました、お母様が恋に落ちる瞬間の先生の文章。
澄乃 あら。
健次 「あってはいけないこと。でもそれが今、湖の青をたたえて律子のすぐ近くに、武史の瞳として見開かれていた。」
澄乃 恥ずかしいわ。
健次 大作家です。
澄乃 駆け出しですことよ。
健次 僕には、大作家です。
見つめ合う二人。
◆寸劇2◆
上手寄りの五郎、グラスを飲み干す。
さびしそう。
下手より五郎のもとに駆け込んで来る太田垣瑠璃江。
瑠璃江 多治見先生!
瑠璃江、四角いメガネにフリル服。
瑠璃江 太田垣でございます。太田垣瑠璃江でございます、先生。
五郎 ああ。
瑠璃江 「ああ」ってあの、新水社の太田垣瑠璃江でございます。
五郎 わかっています。編集の太田垣さんでしょ。お世話になってます。
瑠璃江 どうなすったんです先生。お元気のない。
五郎(酔って) めでたい、めでたい。
瑠璃江 うれしそうじゃありませんことよ、ちっとも。
五郎 嫉妬なんかしてませんよ、僕は。
瑠璃江 ステキでしたわ先月号。「引き戸のすき間から湯けむりごしにかすかに見えたルリ子の裸体に仁五郎は…」ルリ子ってわたくしのことなんじゃないかなんて…。
チラっとわざと白い足を見せる。
周囲が騒がしくなり、二人の会話が口パクになったところで溶暗。
人々のバタバタがそのまま場面転換になり、
溶明すると下手寄りに澄乃の机。上手寄りに五郎の机。
舞台中央奥に紗童。
三人それぞれの場所に座っている。
しばらく黙劇。
澄乃と五郎、それぞれ机に向かって書いては原稿用紙を丸めたり、頭を掻いたり、何やらつぶやいたり。
その動作が時々ミラーになる。
二人の動作を困り顔で交互に見やる紗童。
五郎 (イラ立って)あああ! お茶ッ!
澄乃、聞こえない。
真ん中でオロオロする紗童。
イライラと続けて原稿用紙を丸めて投げる五郎。
紗童、ため息をついてお盆にお茶を乗せて五郎へ。
五郎、振り向きもせず左手で一口。
澄乃 (後ろを見ず)こっちも!
紗童、観客に驚きの表情を見せ、しかたなく澄乃にもお茶。
澄乃、振り向きもせず右手で一口。
二人、お茶→書く→丸めるのパターン動作をミラーで。
と、玄関チャイムと電話のベルが同時に鳴る。
それでも二人、相手に出るようにそれぞれ右手と左手で身振り。
紗童、中央でウロウロ。
下手から健次、左手は玄関チャイムの高さ、右手で携帯電話を耳に当てながら登場。
なかなか出ないのでイラ立った動作。
紗童、奥から黒電話を持って来て五郎の近くに置く。
五郎、手を泳がせるが受話器に届かない。
玄関外の健次、携帯電話を耳から離して不審そうに見る。
澄乃、ススッとにじり寄って五郎の泳ぐ手の下から奪うように受話器を取る。
澄乃 もしもし。
健次 ああッ!(表情が一瞬にして明るくなる)
健次、玄関チャイムの位置から左手を降ろす。
チャイムやむ。
澄乃 (健次に)あら!
健次 澄乃先生。
澄乃 どうなすったの?
健次 あの、僕…。
澄乃 ええ…。
健次 僕じつは…近くなんです。
澄乃 どこの近く?
健次 せ、先生のお宅の!
澄乃 あら。
健次 玄関なんです。
澄乃 (冷静に)大変。
五郎 (澄乃がいることに初めて気づいたかのように)どうした?
澄乃 (五郎をチラ見)いいえ、別に。
五郎 そうか…。(机に向かうが耳は電話に)
健次 いらっしゃるんですか、どなたか?
紗童、もちろんだとばかりに首をタテに大きく振る。
澄乃 (今度は五郎を見ずに)いいえ、別に。
紗童、五郎を強く指さすが澄乃には見えない。
紗童、ため息。
健次 お一人…?
澄乃 お茶など、召し上がります?
健次 そ、そんな…(ズンズン玄関を入って来る)。
五郎 お客さん?
澄乃 (五郎を見ずに)はい。
五郎 編集者かい?
健次 (入って来て五郎を認め)あッ!
澄乃 いいえ。お友達。
健次 は、はじめまして。奈良本…。
澄乃 健次さん。
五郎と健次、一瞬気まずく眼を合わす。
五郎 多治見です(あいまいに頭を下げる)。
澄乃 あなた、ご用だったんじゃございませんこと? 編集のあのお方と。
五郎 いや、あれは待たせても…。
澄乃 いけませんわ。だからあなたのご本は…(売れない)。
五郎 (かぶせて)言うな、それを。
健次 あの、また出なおします。
澄乃(同時) いけません。
五郎(同時) それがいい。
澄乃 行ってらっしゃいまし、あなた。
五郎 え?
澄乃 どうぞご遠慮なく。
五郎 いや…。
澄乃 (五郎を押し出し)どうぞ、どうぞ。
健次 あ、あの、またお会いいたします。(五郎を見送る)
五郎、うしろを気にかけつつ玄関から下手へ退場。
紗童、去った五郎も残った二人も気がかり。
澄乃、無言で健次を座らせ、自分もすぐ近くに座る。
健次、うれしい落ち着かなさ。
健次(同時) 先生は…
澄乃(同時) 健次さ…
言葉が重なったことが恥ずかしく、二人顔を見合わせて照れ笑い。
まるで若い恋人たち。
紗童、あきれて腕組み。上から二人を見下ろす。
澄乃 健次さんて、何やっていらっしゃる方?
健次 僕は、小さな喫茶店を、経営してます。
澄乃 素敵。もう長いのですか?
健次 二年です、そろそろ。
澄乃 お店のお名前、何て?
健次 ヒマワリです、先生。
澄乃 (ひどく驚いて)まぁ!
健次 ヒマワリに何か?
澄乃 ひらがな? カタカナ? どんな字で書くのかしら?
健次 ローマ字なんです実は。
澄乃 書いてくださらない、ここに?
原稿用紙を裏にしてペンとともに差し出す。
健次、書く。
澄乃 (のぞき込む)きれい…。
健次 ヘタですよ、僕の字。
澄乃 手。
健次 え?
澄乃 きれいな手。
二人、最接近。
と健次、字を書いた原稿用紙を手にはじかれたように立ち上がる。
二人をのぞき込んでいた紗童、あおりをくらって後ろにひっくり返る。
澄乃 どうなすったの、健次さん?
健次 (澄乃に背を向け)息が、息が苦しくて。
澄乃 まぁ…。
健次 先生に名前を呼ばれると…。
澄乃 健次さんたら…。
澄乃、立っている健次を見つめつつ立ち上がる───。
健次 あぁ…!
「二人の証」前奏───。
澄乃 ♪
湖の青 あなたの瞳
私を映す 清らかな鏡
間奏。
健次、澄乃を見、
健次 ♪
ヒナゲシの赤 きみの唇
僕の名告げる 艶やかな扉
間奏。
二人、見つめ合う。
二人 ♪
向日葵(ひまわり)の色 二人の証(あかし)
雲間をやぶる 天(あま)来たる光
後奏。
二人の手、どちらからともなく伸びて近づき、触れ、抱き合いそうになる瞬間、
紗童、健次の後ろから上着のすそを思いっきり引っ張って止める。
紗童 (大声)ダメ───ッ!
暗転。
幕間狂言(インテルメッツォ)
ひとしきり大道具の片づけが終わると明転。
空舞台中央に紗童たたずんでいる。
紗童(モノローグ)お父さん…。
僕…、どうなるの?
お母さん…。
生まれるの僕?
重さがなくて 軽い僕。
ただ漂って 行き場がない。
自分の力じゃ できない何も。
お願い父さん。頼むよ母さん。
生きてみたいよ 一度だけ。
人になるってどんなこと。
苦しい? 楽しい? やる瀬ない?
分からないけど 一度きり。
頼むよ父さん。お願い母さん。
試してみたい 生まれたい。
一度でいいから生きたいんだ、僕───。
紗童、上手に退場。
入れ替わりで健次下手より登場。舞台中央へ。
健次(モノローグ)生きているってこんなにも…。ああ。澄乃さん! どうしたらいいんだ。この気持ち。抑えることなんてどうしてできよう。
壊したくない。こわしちゃダメだ。いいんだ、また一人になったって。ずっと一人だったじゃないか。いけないよ、健次。
お前がガマン、すればいい。傷つけてはいけない、あんな清らかな人を。罪、罪だ。犯すな健次。罪を犯してはいけない。
健次、下手へ退場しかける。
紗童、上手より再登場。
健次、紗童の気配に振り向く。
二人、短く向かい合う。
暗転───。
第二幕
明転すると多治見家。
澄乃、野良猫にエサをやっている。
澄乃 今日はたくさんあるわ。しっかり食べなさい。
部屋に戻って畳の上に散らばった残飯を集め、再び猫に。
澄乃 いい子ね。いつもありがと。
五郎の声(上手より)いい加減にしろ、イヤミったらしい!
澄乃(猫に) あら、ホウレンソウ入っちゃったわね。ゴメンね。
五郎の声 何度言ったらわかるんだ、ホウレンソウ嫌いだって。何でいつもホウレンソウを出す。嫌いなもの出されるこっちの気持ちも考えろ!
澄乃 だからってお膳をひっくりかえさなくても…、(猫に)ねぇ。
五郎の声 猫としゃべるな!
澄乃 ……。(猫の頭をなでる)
五郎の声 風呂!
澄乃 はい…。
澄乃、立ってゆかたなどの着がえを上手袖まで持っていく。
五郎の声 アチチ! わかしすぎだ。こんな風呂入れっていうのか!?
澄乃(かぼそい声)ゴメンナサイ…。
澄乃、畳をきれいにしたり、猫を見送ったり、片づけたり。
ゆかたに着替えた五郎、上手より登場。
そのまま下手へ行こうとする。
澄乃 お出かけですか?
五郎 編集と会ってくる。
澄乃 お原稿は? お持ちにならなくていいんですか?
五郎 打ち合わせだ、今日は。
澄乃 はい。
五郎 いちいち聞くな。
澄乃 はい。行ってらっしゃいませ。
五郎、下手へ退場。
澄乃、しばし片づけを続けるが手を止め、自分の机から原稿用紙を取り出して少し書き、物思いにふける。
澄乃 母も…。
澄乃、原稿用紙に「母も」と書き、再び物思いに。
澄乃 …母も、女だった。
澄乃、原稿用紙に書こうとして手を止める。
ネコ耳をつけた紗童、上手より登場し澄乃の手元をのぞき込む。
紗童(つぶやき) お母さん…。
澄乃、しばらく原稿を見つめたあと静かに破り捨てる。
澄乃 もういいわ、母のこと書くのは。よしましょ。
澄乃、ゆっくりと立ち上がり外出の準備。
溶暗。
× × ×
溶明するとにぎわっている喫茶店HIMAWARI店内。
健次、いそがしげに働いている。
上手より澄乃、店を探しながらやって来ドアを開ける。
健次 いらっしゃいま…、澄乃先生!
澄乃 ステキなお店。
健次 よくわかりましたね。
澄乃 ええ。
健次 カウンターでいいですか?
澄乃 どこでも。
健次 光栄です。
澄乃(座り) お一人でやってらっしゃるの?
健次 ええ。うれしいな、来てくださって。何になさいます?
澄乃 健次さん選んでくださる。
健次 はい。よろこんで。
「お水ください」など客から。
澄乃 あとでよろしいことよ。
健次 そんな…。
と言いつつも客に対応。
澄乃、店内を見回してヒマワリに目を止め手にするなど。
いそがしい健次をにこやかに見守る。
紗童、上手より登場。ドアを通らず店内へ。
匂いをかぐように中を見回る。
健次、紅茶とケーキを澄乃の前へ。
健次 僕がつくったんです。
澄乃 あら、ステキ。
健次 好きなんです。お菓子つくったり。
澄乃 きれいな黄色。
健次 ええ、ヒマワリの色です。
澄乃 ほんと!
紗童、カウンターにひじをついてケーキを見やる。
澄乃(食べて) おいしい!
健次 そうですか。うれしいな。
澄乃 健次さんて…、
健次 ええ。
澄乃 何やってもお上手。
健次 そんなこと。
客から「マスター、こっちもケーキ!」の声。
健次 はい、ただ今!
健次、しばしいそがしい。
客が帰る清算などあって澄乃、健次、紗童だけになる。
健次、テーブルを拭いた台ぶきんを持って澄乃のいるカウンターに戻る。
澄乃 おつかれさま。
健次 いえ。
澄乃 働き者ね。
健次 動いてないと、つまらないこと考えるから。
澄乃 つまらないこと?
健次 さびしがり屋だから。
澄乃 そうなの?
健次 子供の時からいつもです。
澄乃 私も。
健次 ええ。
澄乃 子供の時から。
健次 そうなんだ。
澄乃 母の手をいつも探してた。
健次 今は?
澄乃 え?
健次 今もそうなんです?
澄乃 今は…。
健次 今は?
澄乃 しっかりしなくちゃ。
健次 変わったんですか?
澄乃 変わった、かな?
健次 はは。
澄乃 何?
健次 かわいいです。
澄乃 なぁに?
健次 先生、かわいい。
澄乃 からかって。
健次 ちがいます。
澄乃 年上を。
健次 ちがいます。
間。
澄乃 ダメなの。
健次 え?
澄乃 私勇気ないの。
健次 ……。
澄乃 健次さんいい人。
健次(小さく) うれしい。
澄乃 でもダメ。
健次 澄乃さん。
澄乃 もう会わないの。
健次 そんな。
澄乃 会いません。
健次 ダメだ、そんなの。
澄乃 決めました。
健次 決めちゃダメだ、そんなこと!
澄乃 いい子だから。
健次 子供じゃない! いや、本当はこんなこと言うつもりじゃなかった。僕も澄乃さんと同じこと言おうと思ってた、さっきまで。でも…、
澄乃 でも?
健次 会ったら逆のこと、僕、言ってる。
澄乃 健次さん!
健次 澄乃、さん。
澄乃 ダメ!
澄乃、健次から離れる。
健次 澄乃…さん。
澄乃 私、ダメなの。母と同じことしちゃダメなの。
健次 え?
澄乃 悲しむのは子供。わかっているの、私。
健次 そんな…。
澄乃 書いて忘れたかった。それなのに、書いた小説のせいであなたに会った。
健次 「せい」だなんて…。
澄乃 せいなの。私が悪いの。自分のせいなの。
健次 澄乃!
澄乃 さようなら。
健次 うそです。
澄乃 ほんとなの。
健次 会ったばかりだ。
澄乃 ごめんなさい。
健次 やっと会えたのに。
澄乃 一番いいの、これが。
健次 澄乃さん。澄乃先生!
澄乃 さようなら!
澄乃、上手より退場。
健次、少し追うがドアが閉まる。
健次、消沈。
紗童、健次の周囲を回る。
と、ドアベルの音再び。
健次、顔が輝きドアの方を見やる。
五郎、上手より登場。
うかぬ顔。酔っている。
健次(力なく) いらっしゃいませ。
五郎 遅くなりました。
健次 いえ。
五郎 まっすぐには来られなかった。
健次 はい。
五郎 少しだけ飲もうと思った。
健次 ええ。
五郎 だいぶ飲んでしまった。
健次 そのようです。
五郎、さっきまで澄乃が座っていた椅子に座る。
健次、黙って水を出す。
五郎 話って?
健次 ええ…。
五郎 澄乃のことか?
健次 はい。
五郎(小さく) おまえに何がわかる。
健次 わかりません、何も。
五郎 じゃ、かかわるな。
健次 かかわります。かかわるんだ、僕は!
五郎 若造。
健次 あんたが大事にしないと僕は取りに行く。
五郎 何ィ?
健次 聞こえたか? 大事にしない男のところになど澄乃さんを置いておけない。
五郎 何の権利がおまえにある?
健次 愛している。
五郎 バカな。
健次(かぶせて) バカだ。
五郎 結婚して八年だ。
健次 関係ない。
五郎 苦労したんだ、二人で。いや、苦労させた。
健次 幸せにならなくちゃいけない、澄乃さんは。
五郎 するさ、幸せに。
健次 あんたじゃダメだ。
五郎 ダメなもんか。
健次 ちゃんとしろ。酒飲むな。いい小説書け。浮気するな。志を持て。感動させろ。澄乃さんを泣かせるなッ!
健次、五郎の胸ぐらをつかんで振り回す。
紗童、オロオロ。
健次、五郎を殴って放り投げ、
健次 もう会わない、あんたとも、澄乃さんとも。だから、だから、出てってくれ!
五郎 呼んだのはおまえの方だ。
健次 だから、出てけ。
口から血を流して五郎、立ち上がってドアへ。
紗童、追おうとして留まる。
五郎、上手から退場。
健次くずおれ、しばらく一人のたうつ。
紗童、健次を見下ろす位置のカウンター席へ。
健次、ゆっくりと立ち上がりカウンターの中へ。
グラスに飲み物をつくりスッと紗童の前へ。
紗童 !?
健次 カルピスでいいか?
紗童 うん!
健次 話相手になってくれるか?
紗童 見えるの、僕のこと?
健次 ああ。あいつを、きみのお父さんを殴った時から見えるようになった。
紗童 おいしいよ、カルピス!
暗転。
───赤ん坊の泣き声、強く。
エンディング
客電明転50パーセント。舞台明転。
紗童、踊りながら澄乃、健次、五郎、瑠璃江の順でキャスト紹介。
紗童 多治見澄乃、××××。奈良本健次、××××。多治見先生、××××。太田垣瑠璃江、××××。
四人 そして「僕」は、
紗童 ××××、でした。
紗童しばらく踊り、他の四人はステップ。
舞台溶暗。客電全開。
───END