箕面市関連のページに何故、「高野山へ」の表題が付く記事があるのか。
勝尾寺正門前にある、「下乗」石に起因するからです。
この石にある「砂門賢慶」が、高野山177丁丁石にもある。
これを確かめる為には、見に行くしかないのです。永年の懸案事項でした。
では、高野山丁石道へ。・・・
事実を一つ、何時の頃からか、私の自転車は電動アシストになっていました。今更人力に戻る事は出来ません。高野山までとは言いませんが、せめて九度山迄、往復しなければなりません。
何km走るのでしょう。バッテリーは16Ah、20Ahの二個です。堺市から、西高野街道、高野街道と進み、和歌山県橋本市を目指します。九度山で多少ウロウロする事を考えると、一個で往路、二個目で現地と復路、と考えました。
「是より・・・十三里」52㎞
有り難い事に、道には里程標が建っています。過去に何度かは見ているのですが、良い機会です。全て見る事が出来るでしょう。
最初は、竹ノ内街道との分岐点に建っています。これはもう馴染みの石です。
「堺区榎元町4の道標」として取り上げたものです。
堺市堺区榎元町3丁2−30。
N34.570007 E135.487503
今日は里程標と呼んでいます。道標よりは距離が正確であろうと思うのですが、どうでしょう。
後日、webの資料等では、全13基が残存とするが、丁石の起点石の様な特徴(途中石とは異なる)は持っていないようです。発起人が全て同じで、形態も似ることから、「全13基」とするようです。又、私の読下した南面の施主「加加な田村」は「加賀田村」らしい。「加な」を一文字と見なすようです。
何時もは、ショートカットする事が多いが、今日は旧道を素直にトレースしてみます。
道なりに進むと、関茶屋で「十二里」が出てきます。
堺市中区新家町631。
N34.539336 E135.517003
ここもなじみ深いのですが、写真を撮っておきましょう。
尚、東横の道標には「左、瀧谷山…」とあるので、瀧谷不動尊参詣はここで分かれるのでしょう。南海電車に「滝谷」があるので、まだまだ西高野街道を進むと思っていたのですが。
後日ですが、Gマップで十三里からの距離を測ってみると、4.6㎞程となり、一里(3.9㎞)を越えています。一般的な丁石の正確さと同じには出来ないのかも知れない。
この写真は3ヶ月前の写真、この道標の詳細も作成していません。
十二里から400m程です。
堺市東区草尾1−1。
N34.536288 E135.519205
今年(2026)の2月までは知らなかった道標です。地蔵道標も押さえておきます。
東西の広い道沿いに設置されている為、西高野街道を進んでいると、気が付き難いと思います。案内も「東、ふじい寺/なら」とあり、高野山はありません。
高野山へは、南に直進です。舗装の色は無くなっていますが、間違う事は無いでしょう。先の電柱の標識も右手(西側)のに有ったように思います。
先の道標から1.5㎞程南、中茶屋の道標です。
堺市中区福田1−3。チョット怪しいが。
N34.525070 E135.527246
関茶屋の道標と記憶が混ざり合ってしまいますが、里程標がありません。十二里からは2㎞程ですから無くて当たり前でしょう。
この道標、「右、かうや・大みね/左、たきたに・金剛山」とあります。ここからでも瀧谷不動に行けるようです。今から行く右(西高野街道)の道は、大峯山への道でもある様です。私のイメージでは、大峯山=吉野と思うので何処で分かれるのでしょうか、気になる点でもあります。尚、この里程標、及び道標の詳細は作成していません。
取敢えず「右」ならず、直進します。
十一里らしい石が見えてきました。
大阪狭山市岩室2丁目225。
N34.502859 E135.538600
高野山に向う方向を見ると、裏面が見え、どうも良くないと思うのですが。現状では南から来た人に、「北に十一里で女人堂」と案内するようで不自然である。
距離も含め、もう少し北に位置していたのではないか。
(後日の計測では4.6㎞程となり、やはり離れすぎの様に感じます。600~700m程北と想定し、グーグルマップを見ると、730mに「剣先地蔵尊」、610mに「大平大明神と地蔵尊」があり、元位置候補としておく。)
十一里から約200m、エライ広い通りに出ました。歩道橋も架かり、西高野街道石もありますが、越えた先に道が見えません。取り敢えず南側へ進もうと、やや東の横断歩道へ進み、信号待ちすると、正面にそれらしき道が見えます。信号待ちを利用して、グーグルマップでも道を確認します。
後日、岩室交差点と判明しましたが、歩道橋を渡ったなら、道なりと出来る道に進みます。レンガ色の道が復活します。
交差点から250mの、二股の辻です。
大阪狭山市今熊7丁目154。
N34.498663 E135.540157
道の舗装の状況(色)を見て、経験上、右かと思い進もうとしましたが、道標が有るではないですか。
写真を撮るしかありません。初見です。
おわり坂交差点を何とか通過し、川を越えて、無事グーグルマップの西高野街道に復帰し、又登り反します。茱萸木4丁目で「道なり」にと出来なくなりますが、東に進み40mの四辻(茱萸木5丁目)を右折(南)するのは、これもグーグルマップで確認済みです。
十里から50m南広い道と出会うが、これを直進せず一度右折(南西)し、道なりに進み天野橋を渡る。
西高野街道を南に進みます。直線ではないが、道なりです。国道170のバイパス下を潜り、旧道を南へ。ここから先は又初見の道です。
左の写真は見え難いと思い、赤の部分は私が書き込みました。現物は黒色で「映え」ません。ただここ以降は「高野街道」と「西」が外れる様です。目標は近くなったが、残りの電池は少なくなっています。さてどうか?この後、難関の紀見峠が控えます。
又々、グーグルマップは怪しい。グーグルマップが「西高野街道」とした道を、南下してきたが、見落とした事になる。取り敢えず戻る事にしますが、朝早く出発したので、「おにぎり」を持って来なかった。すぐ前のスーパーで調達する事にしました。1F、にはスーパーらしきものが無く、先にトイレを探すと地下に向け案内があり、しかも「レジの前」と有ります。
・・・出すものは出し、腹に入れる物は手に入れ、支払いに進むと、お姉さんが「お車の駐車券は」と聞かれるので、「自転車は有りますか」と聞くと、「ありません」との事、駐輪精算機の操作は不慣れですが、何んとか無料で済みました。
西高野街道を戻ります。130m程戻ると三ツ辻があり、先ほどは右(東寄り)から来ましたが、左(西より)の道へ進みます。こちらの方が、道なりに戻る形に見えます。
ありました。有りました。「九里」に間違いありません。駅前の石柱から400m程戻った、東側になります。
河内長野市古野町1−33。
N34.454146 E135.570631
右後ろには「行者堂」の額が掛かる小さな祠がありますが、どう見ても「堂」ではありません。八里石の後ろの建物が宿泊施設とされる様で、大峯山参詣用の建物らしい。大峯山信仰の流行と、高野山女人堂参詣、九里里程標石(安政四年)とでは、何方の方が古いのでしょうか。
役行者と弘法大師を比べると、役行者の方が100年程古いらしいが、参詣の流行はどうであったのでしょうか。
九里里程標の左に、道標が建っています。里程標の北面「南無大師…」を見えなくするような建て方は考えられないので、元位置からここに移されたものと思われます。多少なりとも信心のある方が移設に係っておれば、この様な事は防げると思うのですが、基本邪魔者扱いなのでしょう。
何処からか持って来た道標と思うが、下部に「大坂江七里」とある、堺の里程標の起点は分からないので、十三里里程標からとし、ここ迄が13-9=4里、なので、十三里から大坂へ残り3里となる。
十三里からの経路を、紀州街道とするか、熊野街道とするかで、距離は変わると思われるが、堺大小路経由の紀州街道とした場合、明治の頃の道路元標の起点となる高麗橋には直線で17㎞(約4里)と思われ、1里程足りない事になる。
大坂を今宮辺りに想定すれば、ほぼ一致する事になりそうです。
尚、この道標の北面には、右指差し像と共に「高野(山)」とある。
参考、先にも出た『大阪府史』の「西高野街道」の説明には「堺市栄橋通一丁目…より…」とあり、ここを通るとすべきか。単に歩く場合なら最短経路が、一般的であろう。
トンネル手前の分岐から約1.5㎞、山小屋風の建物が出てきました。電池の「0%」も消えてしまいました。「0%」でも少しは走れますと、説明書には有ったと思うのですが、山道では多分この1.5㎞も走れなかったようです。アシスト無しでは平地でもツライのですが、この登りでは・・・。此処で電池交換しましょう。と、すぐ先に分岐道が見えたので、先に見に行きます。
登山道の案内の様です。カタカナで「ダイヤモンドトレール」と彫った石が建っています。「トレール」は、trailで、通った跡、痕跡、小道、等で理解できます。前の「ダイヤモンド」は、金剛石(ダイヤモンド)と金剛山をカケて名付けたのであろうが、何か馴染めないのは私だけか。菱形の道が頭に浮かんでしまう。
石の奥に建っていた多分、地図が書かれていたと思われる案内板は、完全に読み取れなかった。
橋本までは下りだけであろう、電池の消耗無しで行けると思うが、復路と時間を考えるとここで引き返さざるを得ない。おにぎりを食べて帰ります。
帰りは国道を一目散に戻ります。河内長野迄は一気に下りますが、スピードを落とすのに苦労します。その後、市街部になると、この道は危ない。自転車通行帯は無く、歩道といえば、幅30㎝しかない、と言う有様、登り降りはつらいが、旧街道の方がはるかにマシである。
帰り道は省略。峠の少し上に有った「龍光大神」の影響か、龍頭蛇尾になってしまった。
答えが出ました。九度山へは南海電車となりそうです。高野号の新旧も見る事が出来たが、多分乗らないでしょう。特急券はナンボするのでしょうか。