始めに、羽束神社とは、羽束山山頂にある神社で、南麓には香下寺があり、神社北側には観音堂があります。
現地に行っても由緒を示すものが無く詳細は兵庫県神社庁とあるwebに「創立年不詳。羽束山香下寺の鎮守にして、天正の兵乱に社殿火災に帰す。寛文2年(1662)、別當行春これを再建。明治13年(1880)、村社に列せられる。主祭神は少名彦神」とあるだけです。
「香下寺」は「かしたてら」と思うが、「こうげじ」と読みたいとする資料もあった。地名は「かした」らしい。
では、参道起点は何処になるのでしょうか。
香下寺南の駐車場東端、即ち羽束山登山口、入山届けはいらないものの、カウンターを押さなければならないようです。56人目でした。既に先行されている方が多いようです。帰って来る方にお会いした人数からすると、大多数は違う方面に降りられたようです。
補足説明、右の機械は「数とり器 」と言いまして、上部の突起(ボタン)を押すと歯車が回り右端の数字の書かれた表示円盤が1つづつ進む仕掛けになっており、9を過ぎると0に戻ると共にすぐ左の桁を1アップします。表示桁数は4桁で9999の次は0000に戻ります。私も愛用しており、金属製のものを失ってからは100均のものを使っていますが、押した感触は当然違います。尚、一度押すと、1戻る操作は出来ませんが、歩数計測時には重宝しております。スマホの歩数計より優れていると思うのはアナログ人間であるからか。
【追記】、カメラの様子が今日は最悪、シャッターの切れが悪く、ピントが合わず、手振れ(これは私が悪い)がヒドク、どうしましょう。デジカメの経年変化など有るのでしょうか。誤作動なども多い気がします。
グチついでにもう一言、メーカー曰く「十字ボタン」即ち本体右背面にある、環状のスイッチとその中心にある「OKボタン」を何故ここに置くか、ここは右手で握り支える部分である。無理な態勢で撮る事が多く、知らない間に押している様で、散々な結果を招きます。多分カメラを設計する人はカメラを使わないのでしょう。親会社がカメラ事業から撤退したのも頷けます。
気を取り直して次を目指します。オットその前に、現在地点をGPS(グーグルマップ現在地)で記録です。アンドロイドのスクリーンショットは難しい。
残念ながら、左(南東)面に多分施主が書かれるだけでした。「三田 竹花(村)」としましたが、下の一文字は「は」にも見えます。
現場ではなかなか読み取り難く、三田の竹花村の方が建てたものと解釈し下の文字を「村」と読んだのですが、後日検討では天保国絵図には「竹花村」は見えず、他の石を参考にすると、屋号+名前、とすれば、「竹花はつ」なども有り得そうです。下部に字が続くかどうかは定かで無い。掘り返せば良かったかも知れない。尚、この時疲れていたのか、手ブレ、ピンボケの写真しか撮れておらず、左はなんとか見れそうなものをピックアップした。
上手く撮れていないのに気付かず次に進みました。石段はジグザグ(九十九折れ)に続きます。
従来(十二丁からの)型の丁石も残っていて一安心。
正(南東)面に「二丁」、左(南西)面に「三輪山 見…」としたが、十二丁を除く、これまでのものは「三田」で始まっています。それに倣うと「三輪」「山見…」とすべきかも知れない。この時「三輪」は現、三田駅の北にある三輪村となり、三輪神社のある所として不都合はない。三輪村は天保国絵図にも確認出来ます。
登りに約束した4基の石造物を見てみましょう。
何んと、昔見つからないとしていた道標2基があるでは無いか。さらにもう一基道標と出来る板碑型の大きな道標もあります。これ等は別項としますが、丁数が書かれている写真だけここに挙げておきます。
結果的に、十二丁から一丁の角柱の丁石は近世の一連の作で、観音堂を案内していたものでは無いかと思う。
尚、それより古いと思われる自然石二丁がある事から、それら一連の丁石を再建したと想像する。
不明だった道標の発見等、大きな宿題が解決した事を報告し終りとします。